白嶺学園二年七組出席簿


 白嶺学園二年七組・出席簿・四十一名



 男子・二十二名


出席番号1番・東真一アヅマ シンイチ・男子クラス委員長

出席番号2番・伊藤誠二イトウ セイジ

出席番号3番・上田洋平ウエダ ヨウヘイ・弓道部

出席番号4番・大山大輔オオヤマ ダイスケ・空手部

出席番号5番・高坂宏樹コウサカ ヒロキ・サッカー部

出席番号6番・斉藤勝サイトウ マサル・弓道部

出席番号7番・桜井遠矢サクライ トオヤ・弓道部

出席番号8番・佐藤裕也サトウ ユウヤ

出席番号9番・下川淳之介シモカワ ジュンノスケ

出席番号10番・杉野貴志スギノ タカシ・柔道部

出席番号11番・蒼真悠斗ソウマ ユウト・剣道部

出席番号12番・高島雄大タカシマ ユウダイ・野球部

出席番号13番・天道龍一テンドウ リュウイチ

出席番号14番・中井将太ナカイ ショウタ

出席番号15番・中嶋陽真ナカジマ ハルマ・美術部

出席番号16番・葉山理月ハヤマ リライト・バスケ部

出席番号17番・樋口恭弥ヒグチ キョウヤ

出席番号18番・平野浩平ヒラノ コウヘイ・サッカー部

出席番号19番・桃川小太郎モモカワ コタロウ・文芸部

出席番号20番・山川純一郎ヤマカワ ジュンイチロウ・演劇部

出席番号21番・山田元気ヤマダ ゲンキ・野球部

出席番号22番・横道一ヨコミチ ハジメ



 女子・十九名


出席番号31番・レイナ・アーデルハイド・綾瀬アヤセ

出席番号32番・飯島麻由美イイジマ マユミ

出席番号33番・北大路瑠璃華キタオオジ ルリカ・料理部

出席番号34番・木崎茜キザキ アカネ・バレー部

出席番号35番・如月涼子キサラギ リョウコ・女子クラス委員長

出席番号36番・剣崎明日那ケンザキ アスナ・剣道部

出席番号37番・佐藤彩サトウ アヤ

出席番号38番・篠原恵美シノハラ エミ・イラストレーション部

出席番号39番・蒼真桜ソウマ サクラ・弓道部

出席番号40番・小鳥遊小鳥タカナシ コトリ

出席番号41番・長江有希子ナガエ ユキコ・文芸部

出席番号42番・夏川美波ナツカワ ミナミ・陸上部

出席番号43番・西山稔ニシヤマ ミノリ・吹奏楽部

出席番号44番・野々宮純愛ノノミヤ ジュリア・テニス部

出席番号45番・雛菊早矢ヒナグク サヤ・弓道部

出席番号46番・姫野愛莉ヒメノ アイリ

出席番号47番・双葉芽衣子フタバ メイコ・料理部

出席番号48番・芳崎博愛ヨシザキ マリア・テニス部

出席番号49番・蘭堂杏子ランドウ キョウコ


プロローグ・桃川小太郎

 九月十九日、敬老の日。私立白嶺学園に通う二年生である僕、桃川小太郎ももかわ こたろうも当然、この国民の祝日にあやかって休日を満喫している。具体的に言うと、街の中心部まで赴いてゲームやら漫画やらライトノベルやらを漁っているのだ。

 もっとも、文芸部に所属しているだけで、親から頂く月々のお小遣いのみでやりくりしている典型的な学生である僕にとっては、一度の買い物でつぎ込める資金はそれほど多くない。ちょっとオタクの入った学生としては、まぁ分相応というやつではないだろうか。元々ケチなところがあるし、今の経済状態に不満はない。

「そろそろ、帰るかな」

 今月発売のラノベを一冊だけ購入し大型書店を出ると、すでに陽は山の向こうに傾き始め、晴れ渡った初秋の空を茜色に染めている。

 一人で買い物に来ているせいか、その夕焼け空に少しばかりの無常観を覚えたような気がする、などと下らない思考をボンヤリしながら道をとぼとぼ歩き始めたその時だった。

「ちょっと、触んないでよっ!」

 そんな、絹を裂くようなとは言えないまでも、ニュアンス的には悲鳴に近い女性の声が聞こえてきた。

 気がつけば、僕は好奇心のままにその声が聞こえた路地を覗き込んでいた。

「え、ウソ……」

 そこには、二人の少女を四人の男が取り囲んでいるという、半ば予想通りだが、それでも驚愕に値する光景が広がっていた。

 二人の少女はイマドキ古風なセーラー服。あれは紛れもなく、僕も通っている白嶺学園の制服だ。片方はセミロングの快活そうな、可愛らしい顔立ちの少女、もう片方は取り立てて目立つところのない地味なメガネの少女。

 声を挙げたのは前者だろう。メガネの方は完全に腰が引けて顔面蒼白といった様子なのが、この距離からでも分かった。

「おいおい、そんなに嫌わなくたっていいだろ、俺らこう見えて結構紳士だぜ?」

 そんなことをのたまっているのは、少女二人に全力で絡んでいる男の内の一人。こう見えて紳士、などと言っているが、彼らの姿はどうみてもヤンキーかチンピラ。なんだよ、そのダボダボのヒップホッパーが着てるようなパーカーとか、どこで売ってるんだよ。

 だが、いかにステレオタイプな不良少年達であるとはいえ、実際に目の前にしたら馬鹿にはできない。彼らは僕と同じく高校生、それも恐らく悪名高い黒河工業高校、通称黒校の生徒だろう。

「いや、無理ゲーだろどう考えても」

 そんな筋金入りのヤンキー四人組を相手に、同じ学校の生徒というだけで、顔の見覚えもない少女を助けに入ろうだなどと、少しでも考えた僕は完全にゲーム脳だ。

 この身長百五十二センチ、体重四十五キロの貧弱坊やな僕に、どうやってあのガタイの良いヤンキー軍団に立ち向かえというのだろうか。勿論、僕にはこう見えてもナントカ流武術の達人だとか、そういう設定は一切ない。見た目通りの貧弱スペックである。

「ちくしょう、見なかった、何も見なかったことにしよう……」

 だから、僕がここで逃げの一手を打つことを、一体誰が咎められようか。

 見てみろ、この状況に気づいているのは何も僕一人だけじゃない。さっきからそこそこに行き交っている人々は、一瞬だけこの路地へ視線を向けるものの、そのまま何事もなかったかのように通り過ぎて行っている。

 僕は悪くないし、彼らだって悪いとは思わない。人には出来ることと出来ないことがあるのだ。

 そうだ、彼らだって如何に不良だなんだと言われても、平気で殺人やら強姦やらができる凶悪犯罪者ではない。悪名高い黒校といったって、所詮は喧嘩沙汰を度々起こして警察のお世話になるというだけのこと。あの少女二人だって、少しばかり怖い思いをするだろうが、適当なところで解放されるだろう。

 そうして、僕はようやくこの場を離れる覚悟を決めて、ともすれば溢れ出そうになる自己嫌悪を抑えるように硬く目を瞑って踵を返した。

「おい、お前さっきからなぁに見てんだ?」

「はっ!?」

 突然かけられた待ったのお声に、思わず振り返る。少女二人に絡むのに夢中だったはずの四人組の視線が、一斉に僕の方へと向いていた。

「いや、あの、僕は――」

「あ、なに、この娘のツレなわけ?」

 僕の懸命な弁解をあっさりと遮って、彼らは好き勝手に言葉を続けた。

「へぇ、可愛いじゃん、俺こっちの娘の方が良いんだけど」

「バッカ、お前、アレどう見ても男だろ」

「は、マジで? ちょっと男っぽい服なだけでしょ」

「え? は? くっそフザけんな、俺もどっちか自信なくなってきただろうが」

 フザけてるのはお前らだろう、僕はどこからどうみても男だ――と、言えないところが苦しい。

 僕の顔立ちは中性的、と言えば聞こえは良いだろうけど、だからといって紅顔の美少年というワケではない。

 目は大きいが、目つきの悪い野良猫のようなジト目。眉もやや太めで、あまり可愛げがない童顔だ。美少女では決してない、けれど、クラスに一人はこういう微妙な娘いるよね、くらいのレベル。

 これでもう少し身長があれば、まだ男と判断される可能性もあるが、残念ながら発育不全としか思えない小柄で華奢な体つき。肩幅も狭くどこか丸みを帯びているせいで、シルエットだけ見ても男女の別がイマイチつかなくなっている。髪をやや長めにしてあるのも、性別を紛らわしくする一因だろう。変えるつもりはないけど。短いとガキっぽくなりすぎる。

 ついでに今の服装だって、ただのジーンズにやや大き目な白いパーカーと、取り立てて男性的魅力を引き立てるファッションでもないし。

 だが、とりあえず今の状況に必要なのは、僕の本当の性別を訴えかけることではなく、この場を切り抜ける対応だ。

 恐らく、このまま走って逃げても、彼らは興味本位で追いかけてくるだろう。ここはどうにか穏便に、この場が収まるように立ち回らなければ。

「あ、あの! その二人は僕の友達で、これからクラスの皆と遊びに良く予定だったんです!」

 名づけて、僕のバックには一クラス分仲間が待機しているんだぜ作戦。イチかバチかで「お巡りさんこっちです」作戦よりかは、まだ現実的だと思うのだが、どうだろう。

「あ、そう? 悪いね、そっちの予定はキャンセルしてくれよ」

 ダメだった。

「え、いや、それは……困ります」

「いいって、君もこの二人と友達なんでしょ? 俺らと一緒に来なよ、男でも女でも可愛がってあげるからさぁ」

 その、最初に僕を女認定した茶髪ロン毛な男の台詞に、背筋が凍りつく。コイツ、どっちもイケるクチか!

 ヤバい、これはもう後先考えずにダッシュで逃げた方が良い。向かいに見えるあのコンビニに転がり込んで「助けて!」と絶叫すれば、無様ではあるがなんとかなる。最悪、警察くらいは呼んでくれるかもしれない。

 そして、行動の方針も体も百八十度反転させて、わき目も振らず一気に駆け出す。

「ふぎゃっ!」

 だが、決死のエスケープはなんと一歩目で障害にぶち当たって、情けないダメージボイスを上げながら僕の体は冷たい路上に転がった。痛い。

「あれ、君、もしかして桃川か?」

 うわ、転んだ拍子についた手が擦りむけちゃってるよ、と半分涙目になってる僕の頭上から爽やかなテノールボイスがかかる。反射的に視線を上げてみると、そこにはよく見知った顔が二つ。

「あ、蒼真そうま君と、天道てんどう君」

「大丈夫? 派手に転んだようだけど」

「放っとけよ、そのまま逃がしてやるのが情けってもんだぜ」

 陳腐な表現だが、とんでもないイケメンがそこに立っている。

 僕を心配するような台詞を言うのは、蒼真悠斗そうま ゆうと

 スラリとした長身にそこらのアイドル顔負けの甘いマスクは、男でも惚れ惚れするほど。女の子なら確実に惚れる。

 対して、やや辛辣ながらも的を射たことを言うのは、蒼真君とはまた違った魅力を持つ大柄な少年。

 名前は天道龍一てんどう りゅういち

 百九十センチを越える背丈に、がっしりと筋肉がついた一回り大きな体つきをしている。そのクセ、顔はゴリラのようではなく、染めた金髪すら似合ってしまうような、鋭い目つきのワイルド系イケメンである。

 二人は着こなしこそ違うものの同じ学ランに身を包んでおり、それを見れば二人の少女と同じく白嶺学園の生徒であると判別できる。もっとも、この二人は学校内でも有名なので、顔を知らない生徒はそうそういない。なにより僕自身、彼らとはクラスメイトであるので、私服姿だったとしても見間違えることはないだろう。

「あ、うん、僕のことはいいから、あっちの二人を助けてあげて」

 そそくさと立ち上がって、合計六人の男女がたむろする路地を示す。今がどういう状況であるかは一目瞭然だろう。

「ちっ、黒校のヤツらか」

「そうみたいだね」

 ほらね、分かってくれた。

 蒼真君は男女問わずに不良に絡まれている白嶺の生徒を何度も助けたという武勇伝を持っているし、天道君は一人で十人の不良をブッ飛ばした伝説を持っている。この神様が二物も三物も与えまくったチートステータスな二人がいれば、ヤンキー四人組など、どうとでもなるだろう。

「じゃあ、僕はこれで」

「ったく、また面倒臭ぇとこに出くわしたもんだぜ。悠斗、お前といるといつもこれだ」

「そう言うなよ、龍一。ウチの生徒が絡まれているんだ、早く助けないと」

 どうやら、僕のことはもう二人の眼中にないようだ。幸いにも、あまりに目立つイケメン二人組みが颯爽と登場したお陰で、ヤンキー四人組の皆様も、僕のことを忘れつつある。

 いや、あの茶髪ロン毛だけは、去り行く僕の方へ名残惜しそうな視線を向けている。うわっ、気持ち悪い……

 なにはともあれ、僕はこうして窮地を脱したのである。

 ああ、どこまでも情けないな僕は、あの二人に比べると何て卑小な存在なんだろうか。そんな自己嫌悪が思わず湧き上がりそうになる。けれどそれは、嫌悪でも後悔でもなく、ただの勘違いだ。

 僕と彼らは違う。顔も頭も、肉体的な強さも精神的な強さも。きっと、幸運さえも。

 けど、それを悲観することはない。この世の大多数は彼らのような何もかも優れた人物ではないのだ。彼らが特別すぎるだけのこと。

 それを近くで見ているから、少しばかり目に眩しく映ってしまうだけであって、それが当たり前なのではない。

 僕は僕、これまでも、これからも、自分の能力に見合った、分相応の人生を送れば良い。その分相応な人生の中には、不良に絡まれている女の子を華麗に助ける、なんて素敵なイベントはあり得ない。

 今回の一件は、そうだ、結果的に僕は一発のパンチも受けることもなく、無事にあの場を脱することができたのだ。おまけに二人のヒーローの助けが入って、女の子は助かる、不良は成敗される、完璧なハッピーエンド。

 僕はただ、あの場にたまたま居合わせたモブキャラ、男子生徒A。そして、その役どころに不満なんて、あるわけない。あってはいけないのだ。

 彼らのように、ヒーローだとか勇者だとか、そういう役目は、僕には決してできないのだから。

第1話 二年七組

 九月二十日、平日。私立白嶺学園の巨大な校舎は、三連休明けで気だるげに登校する生徒達を飲み込んでいる。

 始業のチャイムがあと十分もすれば鳴ろうかという時刻。僕の所属する二年七組の教室には、すでに半数以上の生徒が席に着き、あるいは席を立って、クラスメイトと談笑しつつ朝の時間を楽しんでいた。

「ぶはははは! ウケる! それでどうしたのよ、小太郎?」

 この下品な笑い声を盛大に上げている恰幅の良い丸顔の男子生徒は、僕の中学時代からの友人である、斉藤勝さいとう まさる

「どうしたもあるか、そのまま二人に任せて帰ったよ」

 僕はちょっと太めの眉を僅かにしかめながら、昨日あった出来事を話していた。

「なんだよぉ、勿体ねぇな。折角そんな美味しいイベントだってのによ、もうちょっと頑張ったらフラグ立ったかもしれねぇのに!」

「蒼真君と天道君が現れた時点で、どうやったら僕の方に好意が向くのさ。大体、あんなリアルヤンキー目の前にしたら、イベントがどうとか考える余裕なくなるって」

 やや興奮気味の友人をジト目で睨みつつ、至極真っ当な意見を述べる。

「いやぁ、でも四人だろ? 四人くらいなら、俺なら何とかなったかもしれねぇのに、かぁーホントに勿体ねぇ、昨日は俺も小太郎に付き合えば良かったぜい」

 よほど女の子を助けるシチュエーションが惜しいのか、勝はさっきからこんなことばかり言っている。彼は今日も絶好調だ。

 妄想武勇伝全開の友人へ生暖かい視線を向けつつも、この身長はそこそこだが横幅が尋常じゃない力士のような体型をしている勝なら、実際に喧嘩沙汰になった場合、少なくとも僕よりかはずっと善戦するだろうとは思えた。

 彼が護身用と言い張って、常にリュックへ忍ばせている小太刀の木刀もついに活躍の時となるかもしれない。もっとも、勝が常日頃から実戦でも使えると豪語する格闘漫画由来の技が役に立つとは思えないけど。

「僕としては、殴られずに済んで良かったと思うだけだよ。それに、やっぱりあの二人も無事に救助されたみたいだしね」

 視線を教壇の前辺りに男女混合で寄り集っているグループへと向ける。その面子はどれも容姿が整っており、彼らが爽やかに談笑する姿はまるで学園ドラマのワンシーンのようである。

 蒼真悠斗はそんなメンバー中にあって尚、顔も存在感も抜きん出ており、文字通り光って見えるほどの魅力を振りまいている。その姿は正しく主人公とでも呼ぶべきか、傍から見ても彼こそが中心人物であると一目で分かることだろう。

「流石は蒼真、女の子を二人も助けるなんて、休みの日もヒーローしてんな」

「そんな立派なものじゃないよ。偶然通りかかっただけだし、龍一も一緒にいたから、何とかなっただけだ」

「でも、蒼真君が一人でも助けられたんでしょー?」

「うーん、まぁ、確かにあれくらいなら、木刀無しでも勝てるかな」

 少しばかり聞き耳を立ててみれば、そんな会話の内容が届いた。

 蒼真君が言った「勝てるかな」という言葉は、女の子を助けた実績があるので、勝とは比べも物にならないほどの説得力がある。

 ちなみに、彼が木刀云々と言っていたのは、誰かさんのように護身用と言い張って木刀を持ち歩いているわけでは断じてなく、剣道部に所属しているからという真っ当な理由がある。通学鞄と一緒にいつも持っている竹刀袋には、素振り用の木刀も入っているらしい。

 徒手空拳よりも木刀という武器を握った方が強いのは当たり前だが、それが全国大会の上位入賞確実、優勝さえ狙えるレベルの蒼真君であれば、その戦闘能力は圧倒的だ。オマケに、彼は幼馴染である天道龍一に付き合ってよく喧嘩沙汰に巻き込まれているようなので、リアルな実戦経験も豊富なのだった。

「ぐぬぬ……ま、まぁ、蒼真はかなり強い部類だし、不良四人組如きじゃ相手になんねーのは当然か。流石に俺も、まだアイツには敵わねぇしな」

「やめなよ勝、蒼真君と張り合うのは分が悪すぎる」

 腕を組んで訳知り顔で頷く勝。ここらで突っ込んであげるのが友人としての役目だろう。

「羨ましいのは分かるけどさ」

 再び目と耳を蒼真グループに向けると、実際に羨ましい状況が現在進行形で行われているようだった。

「もう、兄さんから目を離すとすぐにこれです、少しは自重してください」

「あはは、そんなに心配するなよ桜。俺は大丈夫だって」

 蒼真を兄、と呼ぶその女子生徒は、彼と並んで白嶺学園では有名人である。それは単に同じ蒼真姓を持つ双子の兄妹だからではなく、妹である蒼真桜そうま さくらもまた、兄と同じように魅力に溢れる人物だからである。

 艶やかな長い黒髪に、雪のような白い肌。彼女の身を包むセーラー服は、細身ながら出るところは出ているセクシーなラインを描いており、紺色のプリーツスカートからはスラリと長い足が伸びている。

 頭は小さく輪郭は細く、顔を形成するパーツは神という名の職人が心血を注いで造り上げたかの如く精巧に整っている。特に、切れ長で大きな目の完成度は格別。その漆黒の瞳には魔性と呼ぶべき魅力が宿っていた。

 優れているのは容姿だけではない。頭脳明晰、運動神経抜群と文武両道を地で行く。所属する弓道部では、剣道部の兄と同じように全国大会の常連となっている。

 それでいて、自分の容姿や能力を鼻にかけることなく、同年代には優しく接し、目上の者には敬意を払って――そんな品行方正を絵に書いたような人物像だ。

 彼女は正に学園のアイドルという呼び名こそ相応しい。男なら憧れないものはいない、理想の大和撫子なのである。

 だが、蒼真桜に浮いた噂が入学以来一度もないのは、兄貴にべったりであるからだ。

「大体、兄さんはいつもそうやって――」

 今、僕の目の前で兄に詰め寄る彼女の姿は、適切な男女の距離とは言いがたい密着スレスレの至近距離。ここだけ見ても、二人の距離が物理的にも心理的にも近いことを察するに余りある。パーソナルスペースとは、何だったのか。

「はぁ……」

 そんなラブラブしているようにしか見えない美形兄妹の姿に、溜息を吐きながら視線を逸らすが、相変わらずその会話は耳に飛び込んでくる。

「――全く、少しは心配する私の身にもなってください」

「ごめんごめん、次からは気をつけるよ」

 と、見れば普段から表情変化の激しい勝だが、いつにも増して、歯ぎしりの音が聞こえてきそうな嫉妬の顔芸を披露していた。

 いや全く、あの蒼真桜に惚れるとは、勝も報われないな。恋の勝負が始まる前から敗北確定な友人に、僕はかける言葉が見つからない。

 勝は入学当時、彼女に一目惚れしてしまった。けれど、その話を聞いて僕はとても笑うことはできなかった。なぜなら、蒼真桜の一目惚れ患者はあまりに多すぎるからである。故に、彼女を追いかけて弓道部へ入部する男子生徒が去年と今年で激増する現象が起こっており、その一因を成す弓道部員・斉藤勝のことも、やはり笑うことはできないのだった。

 もっとも、今やすっかり幽霊部員だが。

 諦めろ、と言うのは簡単だけど、そうもいかないのが人の心ってものか。

 そんな達観したようでいて意味のない思考をしつつ、勝の視線を追いかけてみると、その先には兄に「ごめんごめん」と頭を撫でられて、頬を朱に染めて俯く妹、桜の姿があった。

 やっぱり、諦めろって言った方がいいのかな。

 美しき兄妹が織り成すあまりの桃色空間ぶりに、僕も残酷な現実を突きつける覚悟を決めかけた。

蒼真桜という女は危険だ。アレは数多の男の人生を狂わす。アンダーグラウンドで蒼真桜ファンクラブを名乗る輩がどうなろうと知ったことではないが、自分の友人がダークサイドに身を落とす危険性があると思えば、止めることもやぶさかではない。

「あーっ! 桜ちゃんだけズルいっ、ユウくん、私のことも撫でてよぉー」

 だが、ここで兄妹の間に割って入る第三勢力が現れた。

 酷く小柄な、身長百五十二センチの僕と比べても確実に小さいと言えるほどの、中学生にしか、いや、下手すれば小学生か、そんな一人の小さな少女が、キンキンとその姿に見合った甲高い声をあげながら、強引に蒼真悠斗の体へ飛びついていた。

 まぁ、このタイミングで武力介入されるだろうことは何となく予測がついていたし、僕の可愛げのない猫目も冷めた視線を寄越してしまうというものだ。

「な、なんだよレイナ、しょうがないなぁ」

「えへへーもっと撫でてぇー」

「兄さん、あまりレイナを甘やかさないでください」

 桜の小言を全く意に介さず、飼い犬のように蒼真悠斗から撫で回されて喜んでいる少女は、二人の幼馴染であるレイナ・アーデルハイド・綾瀬あやせ

 彼女はハーフだかクォーターだか、正確なところは知らないけど、苗字の通り、ともかく西洋人の血が流れており、やや日本人離れしたフランス人形のような顔立ちで、蒼真桜とはまた違ったタイプの美少女である。

 頭の上で元気に揺れる金色のツインテールは完全に自前の色合いで、瞳が綺麗な空色をしているのも、決してカラーコンタクトを入れているからではない。

「くはー蒼真マジで許さん、俺もレイナたんを撫で撫でしたいよぉー」

「勝、お前は諦めろ」

 ロリータ趣味の気質も見せる勝。お前は本当に、美少女なら誰でもいいのか。

 しかしながら、レイナ・A・綾瀬に思いを寄せる勝をあまり変態呼ばわりすることもできない。これも蒼真桜と同じく、彼女の魅力にとり憑かれる男子が多数いるからだ。

 確かに、その明るく元気な天真爛漫としたキャラクターに、男の庇護欲を堪らなくそそる小さく細い少女は、ロリコンではない僕をしても魅力的だと思える。

 だからと言って、勝を応援する気持ちはこれっぽっちもないが。せめて本命をどっちか一人に絞る誠実ぶりを見せて欲しい。

 そして、そんな嫉妬の炎に焼かれる僕の友人を他所に、蒼真悠斗は桜とレイナの両手に華の状態を満喫――いや、本人にとっては小うるさい妹と甘えたがりな幼馴染の板挟みで困っているのだろう。だが、結果としては極上の美少女二人にくっつかれ、おまけに心許せる仲の良い友人達に囲まれ、実に楽しそうに騒いでいる。ああいうのを正しい青春って言うのかな。

 僕は蒼真桜に惚れてるわけでも、レイナ・A・綾瀬に思いを寄せているわけでもないが、今の蒼真悠斗のように男女問わず慕われている姿を見ると、少なからぬ劣等感を嫌でも覚えさせられる。

 いや、やめよう、下らない考えだ。ヨソはヨソ、ウチはウチってね。

 あれは特殊な例に過ぎない。同じクラスだから毎日あの薔薇色の仲良し空間を目の当たりにしているせいで、その特殊性を忘れそうになっているのだ。小学生の時も中学生の時も、ここまで圧倒的な優劣の差を感じさせるほどの存在はいなかったじゃないか。

 僕にはちゃんとクラスに友人がいて、毎日下らない雑談をして笑って過ごせている。文芸部では部誌の締め切りに追われながら中二病要素満載のライトノベルを書くのも楽しい。自分の学生生活は、十二分に恵まれたものであると再認識すると、無意味で醜い劣等感はあっという間に霧散した。

 もっとも、可愛い女の子と仲良くなりたいとは思うけど。それも、日本全国の大多数の男子学生が持ち得る悩みだと思えば、それほど苦しいものではなかった。

「ん、もうすぐチャイム鳴るね」

 ふと、教室の壁掛け時計に目を向けてみれば、始業チャイムが鳴る一分前の時刻に針が差し掛かっていた。

 チャイムが鳴る直前あたりに担任の教師が現れる場合もあるし、もう自分の席に戻ろうと立ち上がりかけたその時。ガラガラと盛大な音を立てながら教室のドアが開かれ、二つの人影が転がり込むように現れた。

「だぁー、そんな引っ張んなよ、涼子! 別にいいだろ、ちょっとくらい遅れたってよぉ」

「うるさい龍一、さっさと席に着く」

 そんなやり取りをしながら、我が二年七組のクラス委員長である如月涼子きさらぎ りょうこは、天道龍一の腕を掴んで、肩口で切りそろえられた黒髪をなびかせドシドシと黒板の前を横切っていった。

 女性としては高めの長身はスラリとスレンダーで、クールな目つきに縁無し眼鏡をかけたシャープな美貌の如月さんは、大柄な美男子である天道君と並んで全く見劣りしない。いや、むしろ彼女こそが、彼の隣に立つに相応しいと思えるほど。

「おはよう龍一、また委員長に捕まったのか」

「おう、残念ながらな。お陰で朝の一服を邪魔されたぜ」

 爽やかな笑顔で挨拶をする蒼真君の台詞に、如何にも不機嫌ですと言わんばかりの渋面で天道君が応える。

「一服? なに、煙草持ってたの? 出しなさい、龍一」

「お、おい、待てって、この間にまた煙草値上がりしちまったし、まだ開けてないヤツをそのまま没収てのは勘弁――」

「はい、没収」

 一箱ウン百円もする未開封の煙草が学ランの胸ポケットから、如月さんは白魚のような指先で軽やかに抜き去った。

 抵抗虚しく嗜好品を強奪された天道君は、諦めきれないのか文句を垂れているが、如月さんは能面のように冷たい無表情で全く訴えを聞き入れていない。

 くそ、今日はツイてねぇ、と不運を呪う彼を、幼馴染にして親友の蒼真君が慰めの言葉をかけていた。やはり、爽やか笑顔で。

「好きでやってるとはいえ、毎朝ご苦労なことだな、委員長も」

 どこか呆れた口調で言う勝に、僕も頷いて同意を示すより他はない。

 この始業チャイムギリギリに、生真面目なクラス委員長が最強不良生徒を引きずって教室に登場するのは、この二年七組ではほぼ毎朝見られる日常の一幕だ。何かとサボりがちな天道君を、どこからともなく如月さんが見つけ出し、強制的に出席をさせている。

 本人は委員長の仕事で仕方なく世話を焼いていると言い張っているが、どう考えてもクラス委員長の仕事の領分を逸脱しているのは明白。だからこそ、彼女が『好きで』やっているというのは、本人のみが知らず、二年七組では公然の事実として受け入れられているのであった。

 それはともかく、この世話焼き委員長が金髪の不良を伴って現れたことで、始業チャイムが鳴り響く前に、白嶺学園二年七組のクラス全員が、教室に集った。

 再び時計に目をやると、ちょうど、長針がカチリと小さな機械的な音をたてて、チャイムが鳴るその時刻を示す。休みの日以外は毎日何度も耳にする、キンコンカンコンという学生なら誰もが聞きなれたメロディーはしかし――


 ギ、ギギギッ、ギィイイイイイイっ!


 そんな、不快な金属音のような音となって、教室中に鳴り響いた。

「うあっ!?」

 思わず耳を塞いだのは、僕だけでなく教室にいる生徒が全員行った反射的な行動。女子の中には「きゃっ」と可愛らしい悲鳴をあげる者もちらほら。

 たまに放送事故的に鳴り響くマイクのキィーンという音なのか――いや、それにしても、この響きはあまりにキツすぎる! くうっ、気持ち悪い……

 この教室の外、三百六十度全方位から響き渡ってくる甲高い不協和音は、吐き気を催すほどの不快な音色。僕の短い十七年の人生の中にあって、ただの一度も聞いたことのない、腹の底から震え上がるようなおぞましい響き。

 だが、実際に吐くことも体調を崩すこともない内に、ふいに音は鳴り止んだ。

 今の音は一体なんだったんだ、そういうニュアンスの疑問を誰もが口々にし、教室はザワザワと声が飛び交い始めた。

 その時、異変は再び起こる――ふっと、まるで蝋燭の灯りを吹き消すかのように、教室から全ての光が消えた。

「えっ、停電!?」

 突然の暗転、一切の光を失い、目の前にいる太めの友人の顔すら見えない闇に包まれる。

 停電、とは自分であげた台詞だが、この完全な闇に閉ざされた状況を鑑みて、即座に否定することとなる。

 なぜなら、今は朝だから。時刻は八時四十五分。天気は昨日に引き続き、見事な秋晴れの空。夏のように窓こそ開けてはいないが、白いカーテンはかけられておらず、その大きな教室の窓から燦々と陽の光が差し込んでいたのだ。つい、二秒前までは。

 それが、どうして、外まで真っ暗になってるんだ?

 教室の中は、いよいよ騒然となった。飛び交う悲鳴は女子だけでなく、男子のものも混じっている。あるいは怒号か。

 僕は第一声の他に言葉が続かない。それでも異常事態にあることを認識し、嫌な汗が頬を伝った。

「お、おい、小太郎、なんだよこれ、なんでこんな暗くなってんだ? ドッキリか?」

 勝の声は明らかに不安で震えているが、それを指摘して馬鹿にできる余裕などない。僕だって同じビビりだ。

「わ、わかんないよ……けど、ドッキリってのはないんじゃないの」

 実際に停電を起こすくらいなら、現実に起こりうる範囲。だがしかし、自然の陽光が差し込む窓を一瞬の内に全て抑えて、完全な暗闇を教室内に作り出す方法というのは思いつかない。すなわち、それは全く想定しえない異常である。

 無論、その異常が何なのか、原因も解決法も分からない。分かるはずもない。この騒ぎようから、クラスメイトの誰かに心当たりがあるとも思えなかった。

 いよいよ教室の中が恐慌状態に陥ろうかという時に、今度は不意に光が灯った。

 天井に設置された蛍光灯が、スイッチを入れて当たり前に点灯したかのように、その人工的な白い光を放ち始めた。

「あ、電気ついた」

 思わず、そんな間の抜けた台詞を口にしていた。

 しかしながら、そのリアクションは他のクラスメイトも概ね同じようで、とりあえず教室内に光が満ちたことで暗闇の恐怖心を回復し、そこそこに落ち着いた様子が見て取れた。

 だが、どうやら全ての異常はまだ終わったわけではなさそうだった。

「おい、窓の外、見てみろよ!」

 その言葉は誰のものだったか判然としないが、その声がなくとも、すぐに異変に気づくことができただろう。

「真っ暗、だね」

 そうだな、と勝が応える。廊下側の席に集っている僕らは、他のクラスメイトと同じように、ただ何もない真っ黒い闇の空間を映し出す窓を呆然と眺めていた。

「なんだよ、何も見えねーぞ」

「窓開けてみっか?」

「馬鹿、やめとけって、なんかヤバそうじゃん」

 窓際に陣取る男子の一団がそんなやり取りをしている。窓は開けないべき、というのは恐らくクラスの総意ではあっただろう。

 教室の窓は黒一色のペンキに塗られたように、全く、何も、一切のものを映していなかった。

 そのはっきりと分かりづらくはあるが、確かな異常を認識しはじめたクラスは、再び不安に駆られてざわつき始める。

 雑多な声が満ち始める教室内――だが、その喧騒に混じって、何だ、この音……そうだ、チャイムや校内放送を流すスピーカーから、砂嵐のような音が流れ始めている! 

 一度そうと気づけば、そのザーザーという雑音ははっきりと聞き取れた。いや、音が次第に大きくなってるんだ。

「みんな、ちょっと静かにしてくれ、校内放送が流れている!」

 その一声だけで教室を鎮めたのは、僕ではなく、蒼真悠斗であった。どうやら彼も僕と同じく、スピーカーから流れ出る音を耳ざとく察知したようだ。

 もっとも、彼の右肩には美しい妹が寄り添い、左腕には可愛い幼馴染が抱きついており、太めの友人が傍にいるだけの僕と比べて随分と恵まれた環境であった。

 ともあれ、彼の呼びかけによって、クラスメイトはみなスピーカーから流れる音に気づき、何か案内の放送が流れるのではないかという一縷の希望に縋って、耳をそばだて始めた。

 シンと静まり返る教室、流れる音は相変わらず砂嵐のようにザーザーという雑音だったが、そこに混じって、かすかに人の声らしき音が聞こえ始めた。

「たし……こ……るか……」

 何を言っているのか分からないが、それでも間違いなく人の声であることがはっきりと認識できた。ラジオのチューニングが合うように、少しずつ、だが確実に、その音声はクリアになっていった。

「私の声が、聞こえるか?」

 男性教師のものだろうか。低めだが、穏やかな声音がはっきりスピーカーから響いた。

 聞こえるか、と問われても、それに返事をする者は勿論いない。みな一様に押し黙って、男の声に耳を傾け続けた。

「よろしい、どうやら声は問題なく、聞こえているようだ」

 まるでこちらの状況を見ているかのような台詞だ。けど、それで何か言うほど僕は空気の読めない男ではない。

「まず、落ち着いて聞いて欲しい。君達は今、とても危険な状況に陥っている。それも、常識的に考えられる、地震や嵐などといった自然災害の類ではない」

 動揺が僅かなざわめきとなって教室内を駆け巡る。

 性質の悪いドッキリではないと否定した僕としても、改めて異常事態であることを宣言されたことで、言い知れぬ不安感と緊張感に襲われる。鳥肌が立って、身震いした。

「君達は現在、地球の日本という場所から、全く別の場所、異なる世界へと飛ばされている途中にある」

「は?」

 思わずそんな声が漏れた。だが、そのリアクションはまだ可愛いほうで、教室のざわめきはどんどん大きくなっている。

「魔法の存在しない世界に住む君達にとって、私の言葉は俄かには信じがたいだろう。しかし、今はとにかく時間がないのだ。危険な場所へ放り出される前に、私の指示をよく聞いて欲しい」

 え、ちょっと、どんどん話がきな臭い方向に進んでいるぞ……

 緊張で早鐘のように鼓動を鳴らしながら、全身に嫌な予感全開で震えが走る。

 異なる世界? 魔法? 危険な場所? どれも日常からかけ離れた単語。普通に考えれば、学校が謎のレクリエーションでも突発的に行ったと思うだろう。けど避難訓練にしたって、もう少し現実的な原因を説明するはずだ。

 しかし、窓の外に広がる漆黒の闇を目にすれば、今が日常からかけ離れた、何が起こるかわからない異常事態であるということを、嫌でも認識させられる。

 この荒唐無稽な説明を、笑い飛ばすことなど誰にもできなかった。

「君達は恐らく、紙とペンを持っているはずだ。まずはここに描かれた模様、魔法陣と呪文を書き記してもらいたい」

 その言葉に、誰もが一様にハテナマークを頭に浮かべる。この男が喋っているのは、スピーカーの向こう側、魔法のある世界の人物らしいので、果たしてマイクを通して喋っているのかどうかは不明だが、それでも、何らかの視覚的な情報を伝える手段はない。

 だが、その疑問は即座に解消される。と同時に、僕を含めた二年七組の四十一人は、今この瞬間に、魔法の存在を目の前で証明されることとなった。

「うわっ、勝手に描かれてる……」

 クラス全員の目は、学園生活において最も長い時間眺めることになるだろう黒板へと向けられている。

 そこには、黒板特有の暗緑色の表面に白いラインが独りでに踊っているのだ。

 誰かがチョークを使っているわけでもない。そもそも描かれつつあるラインは、ぼんやりと淡い光を放っていて、ブラウン管でも液晶画面でもない、ただの黒板に光りが宿っているというのは、如何にも魔法的であった。

 誰もが言葉をなくして、ただ呆然と黒板を見ていただけだが、一分もしない内に魔法の板書は終わりを迎えた。

「さぁ、この魔法陣と呪文を書き記すのだ。これさえあれば、君達がどこへ行っても、私たちからの支援を受けることができる。使用法は三分後に説明する。今は正確にこの魔法陣と呪文を書き記すことに集中するといい」

 そうして、スピーカーからの声は途絶えた。

「みんな、一旦席について、指示の通りノートにメモしよう」

 どうするこうする、と考える間もなく、蒼真悠斗の落ち着いた声が響く。

 いざ、こうして不可思議な現象を目の当たりにすれば、この謎の声の説明に対する信憑性は格段に高まる。変に勘繰って何もしないよりも、大人しく指示に従った方が良さそうである。

 特に誰が反発することもなく、素早く座席につき、鞄から次々にノートを取り出して板書をする生徒達の姿は、如何にも迅速な集団行動に慣れた日本の学生らしい。勿論、僕もその一人。

 そうして、定期テストでも受けている時と、全く同じ静寂が教室内を支配した。

 僕は廊下側最後列の自分の席で、注意深く黒板に描かれた白い魔法の図形と文字を見ながら、まっさらなノートにペンを走らせた。

 そこまで複雑な図形じゃないから、書き損じる事はなさそうだ。呪文とやらも、ご丁寧に日本語で書かれている。

 黒板の中央に大きく描かれているのは、円を基本にしたシンプルな魔法陣であった。中心には十字のような図形が描かれ、その四方と円の内周と外周に沿うように、アルファベットのような文字が連なっている。勿論、僕にはこの魔法陣に見覚えなどなかった。

 一方、呪文と思われる日本語の一文は、


『天上の神々よ、我を助け導く、奇跡の力を授け給え。ここに天命を果たすことを誓う』


 という、どう見ても神様に助けを求める他力本願な文面である。しかも中々の達筆。

 ちなみに、全ての漢字にフリガナなど振っていないが、これらの漢字が読めない生徒は、進学校と名高い私立白嶺学園の生徒にはいないだろう。

 そうして、さっさと魔法陣と呪文を書き終えた僕は、キャンパスノートを鞄へと仕舞いこんだ。

 謎の男の放送は未だ再開されない。もう一分くらいは余裕があるのだろうかと、視線を時計に向けたが、針は八時四十五分を刺したまま止まっていた。かといって、わざわざ携帯を開いて時間を確認する気にもならない。ここは静かに待とう。

 しかし、いざ何もせずに黙っていると、意識は自然と教室内に向けられる。どうやら、みんなもほとんど書き終わったみたいだ。

 多くはすでに板書を終えて、ノートに向かっている姿は見えず、ひそひそと近くの者と会話をしたり、中にはスマホで黒板の写真を撮っているヤツもちらほら。

 携帯電話を手にしたことで、当然通話も試みたようだが、画面には全て圏外のアイコンが示されていたことを、飛び交う会話から判明した。僕も一応、携帯を確認してみたが、やはり同様であった。ちなみにスマホではなく、ガラケーである。貧乏学生なので。

 しかし、これは異世界ってのも、いよいよ信憑性を帯びてきた。

 どんどん胸中で膨らんでいく不安を抑えながら、携帯を鞄の奥底へと仕舞いこんだ。どうせ誰かからかかってくることはないのだから、電源はオフにした。

 その時、足元に白く小さいものが転がってきた。僕の上履きに当たって動きを止めたソレは、黒白青のストライプが描かれたスリーブの、自分も使っているメーカーの消しゴムであった。

 隣の席からの落し物だろう。それ以上は何も考えず、反射的に消しゴムを拾い上げた。

「これ、双葉さんの?」

「あ、あ、ありがとう、桃川君」

 やけに動揺した様子で落し物を受け取ったのは、隣の席に座る女子生徒、双葉芽衣子ふたば めいこであった。

 彼女はこの二年七組において『目立つ』という意味では、蒼真桜やレイナ・A・綾瀬と並ぶ存在感を誇るだろう。それは美しさからくる雰囲気的なものではない。もっと、こう、質量的な意味で。

 双葉芽衣子は体の大きな少女であった。縦にも横にも、である。

 今、僕から消しゴムを受け取った双葉さんであるが、すでにしてその大きさは頭一つ分近く高い。僕の身長が百五十二センチであることを思えば、彼女の身長は百八十に届かんばかりのものである。

 その上、斉藤勝に匹敵するほど横幅が広いのだから、小さくヒョロい僕と並べば縮尺を間違えたかと思えるほどの差があった。

 ふわっとしたセミロングの髪、体型に見合った丸顔に眉尻の下がった柔和な目、その容姿から何となく牛を想像してしまう。顔立ち自体は、それなりに可愛いんじゃないかと思う。

 だがなにより、その肉付き以上に豊かに実った胸元も、乳を搾るほうの牛を連想させる一因になっていた。いざ目の前でセーラー服の胸元がパツパツになっているのを見ると、その巨大さを実感する。僕の頭くらいあるんじゃなかろうか――正直、かなりドキっとする。男はおっぱいには弱いのだ。特に僕のような、大きければ大きいほど良いという思想の持ち主ならば。

 そんな不純な感想を振り払うように、僕はそれとなく視線を逸らす。それくらいの慎みはあるよ。この双葉芽衣子という女子生徒とは、席が隣同士のクラスメイトという以上の付き合いはないし。思えば、こうして消しゴムを拾った今この時が、初めて言葉を交わしたくらいだ。

 彼女に対して思うところは胸以外には特にないのだが、いつだったかクラスメイトの女子が双葉芽衣子を指して「ブタバ」だとか、酷い仇名で呼んでいたのを聞いた事で、女って恐ろしいと思うと同時に、少しばかりの同情心というのを勝手ながら持ちえていた。

 ともかく、そんな僅かながらの哀れみの思いもあったからか、僕は双葉さんの机の上に広げられているノートに、歪な魔法陣が幾度も消されては書き直されているのを見た瞬間に、思わず口を開いていた。

「あの、魔法陣、描けてないの?」

「えっ、あ……うん」

 丸くはあるが、どこか愛嬌のある顔が悲しげに歪む。実際、その円らな瞳には薄っすらと涙が滲んでいた。

 あえて追求するまでもなく、今の状況に混乱するやら怯えるやらの感情がない混ぜになって、平静を保てていないだろうことは明らかであった。体は僕の倍あっても、その心は年頃の少女のものであることに変わりはない。

 彼女が不器用なこともあるかもしれないが、それでも黒板に描かれた見慣れぬ魔法陣を正確に書き記すことができないほどには動揺しているのだと察せられる。

「これ、あげる」

 僕は鞄から再びノートを取り出すや、すでに魔法陣と呪文を書き記したページを破りとって、双葉さんへと差し出した。

「え、あの、これって」

「何が起こるかわかんないし、持ってた方がいいよ」

 彼女の丸い目がパッチリと大きく開かれて、呆然としている。けど、問答している時間もない。双葉さんの机へ切り取った一ページを置くと、即座に自分の分の板書を再開した。

「あ、ありがとう、桃川君!」

 座ったままだが、深々と礼をして謝意を示す双葉さん「うん」と、ペンを走らせたまま素っ気無い返答。女の子から素直に感謝されれば、悪い気はしない、というより、やや気恥ずかしい。

 彼女の声が体格に見合わず随分と可愛らしいものであったことと、その太い胴回りがあっても尚、圧倒的に存在を主張する大きな乳が頭を下げた拍子にブルンと魅惑的に弾んだことも、僕の照れに拍車をかけた。

「さて、時間だ。まだ書き終えていない者がいれば、そのまま続けていても構わない。ただ、これからの説明は聞き逃さないよう注意して欲しい」

 そうして放送が再開されると同時に、なんとか二度目の板書を書き終えた。あぶねー、ギリギリだったよ。

「この魔法陣の使い方は簡単だ。自分の手のひらを描いた魔法陣の上に重ねて、そのまま呪文を口にすればよい。今この場で試しても魔法が発動することはない。君達が完全にこちらの世界へと到着してから、初めて使用できるようになる」

 すでに気の早い何人かが魔法陣に手を置いていたが、その注意によって、ちょっと恥ずかしげにノートを畳み込むのだった。

「この魔法を使えば、魔法陣の書かれた紙に、我々からの情報を文面で受け取ることができる。メールのようなもの、と言えば分かりやすいだろうか」

 電話ではなくメール、ということは、直接的に音声での指示はできないということか。魔法といっても、万能ではなさそうだ。

「基本的には、指示に従って進めば上手く脱出できるだろう。しかし、君達を保護できる安全な場所へたどり着くまでには、恐らく幾多の困難が待ち構えている。その最たるものは『魔物』と呼ばれる敵の存在だ。だが安心するといい、すでにして君達は異世界の住人となる。故に、元の世界ではありえない力を得ることが出来る。魔法もその内の一つと言える。その力を駆使すれば、必ずや魔物を倒し、危機を脱することが出来るだろう」

 そんな男の力強い言葉に、男子生徒の何人かが「おお、なんかRPGみたいで面白そうじゃん」と呑気にも浮かれている。

 いやいや、そんなの無理ゲーだろどう考えても、力を使えなければ、死ぬってことじゃないか。

 男の言葉は、魔物という人間を害する存在と必ずや遭遇する危険を暗示している。ただでさえ、見知らぬ土地でサバイバルしなければいけないのだ。その上、アクティブに人間を襲うモンスターなんてのがいれば……冗談じゃない。

 これは、ゲームなんかじゃない。この先に自分達が向かうのは異世界であって、未だ実現していないバーチャルリアリティの世界では断じてないのだ。

 攻撃するにはボタンを押してコマンドを選べば、自動的に繰り出されるはずもない。実際に動かすのは自分の意志であり、己の肉体である。

 いくら力を得られると聞いても、そのパワーを実戦で百パーセント発揮できる保証もない。まして魔物という恐ろしげな存在を目の当たりにすれば、恐怖で動けなくなる可能性の方が高い。特に僕のようなビビりなら、尚更だ。

 現実世界では、人を殴った喧嘩の経験すら、幼い小学校低学年の時期が最後だ。つい昨日では不良四人組を前に恐怖で震え上がったくらいだ。そもそも魔物どころか、本気になった野良猫一匹にさえ負ける自信が僕にはある。

 だがしかし、これから先には、この戦いというものを、どうにも回避することができないものであるらしい。

 やばい、僕、死ぬかも……

 きっと、今の僕は顔面蒼白で、これ以上ないほど情けない表情をしているだろう。事実、人目がなければ泣き喚きたい。

 でも、どうやらその思いを抱いているのは僕だけでなくらしい。気の弱い女子生徒がすでにすんすんと鼻を鳴らして泣き始めていた。その中には、隣の席で巨体を震わせている双葉芽衣子も含まれている。

「さて、いよいよ時間がなくなってきた。このまま君達がいる部屋に留まり続けるのは危険だ。自分の荷物を持って、旅立つ準備をしなさい」

 男の言葉は、容赦なく事態の進展を語る。

 こうなっては、いつまでも悲観してはいられない。震えだしそうな体をなけなしの気合で制御して、とりあえず行動を始める。魔法陣ノートを仕舞い込んだ通学鞄を手にした瞬間、気が付いた。

これからサバイバルにモンスターバトルしようってのに、教科書なんていらないだろう。

 紙は貴重な火種になるかもしれないが、それだけの理由でこんな重いモノを持ち歩くのは気が引ける。魔物から逃げる時だって、身軽な方がいいだろう。

 ただし、魔法陣や呪文の存在がすでに明らかになっている以上、情報を書き記すノートには利用価値がありそうだ。重荷にならないよう、ここは……よし、二冊だけを鞄に残そう。

 ふと周囲を見れば、男が言う「旅立つ準備」をクラスメイトは始めている。

 僕は文芸部なので、蒼真悠斗が持っている竹刀袋やら、妹の弓やら、野球部が持ち込んでいたバットやら、部活関係の荷物は一切ない。

 くそ、格闘系の部活のヤツは有利だな。内心で毒づく。

 徒手空拳よりは木刀やバットがあった方が心強いし、まして弓ならば遠距離から安全に攻撃できる。おまけに、毎日部活で練習しているので、彼らはそれを使いこなす技量をすでに持っているのだ。これは素人と比べれば圧倒的なアドバンテージである。

 しかし、だからと言ってこの場で蒼真君から竹刀袋を強奪するわけにもいかない。恐らく、僕と同じようなことに気づいているヤツはすでに何人かいるだろう。

 天道龍一ほどあからさまな不良行為は働いていないが、何かと悪ぶる不良モドキのような生徒の樋口恭弥ひぐち きょうやという男子生徒など、明らかに恨めしげな目つきで蒼真兄妹の方を睨みつけていている。まぁ、蒼真君相手に実際に襲うはずないだろうけど。

 樋口恭弥はそこそこ身長も体格も良いほうだが、それだけで蒼真悠斗を腕力でねじ伏せるのは不可能だろう。

 あんなDQNのことはさて置いて、ここは大人しく、着いた先で蒼真君とか天道君に守ってもらった方が懸命だろう。そのためには、変に彼らの、引いてはクラスの和を乱すような真似は避けるべきである。

 そんなことを考えながら、僕は教室の後ろの棚にあるジャージの入った袋を回収した。これからサバイバル生活するかもしれないんだし、衣服はもう一着あった方がいいだろう。

 通学鞄は教科書&資料集という最大のデッドウェイトを捨てたお蔭で、十分な空きが確保できている。そのまま袋ごとジャージを詰め込む。

 そんな僕の行動を見てなのか、他の生徒も追従するようにジャージを持ち出していった。しかし、ジャージに加えて半袖半ズボンなサッカーのユニフォームとかは、果たして必要なのだろうか。

「これより、外へ出るための扉を開く。こちらが合図したら、この部屋を出て行きたまえ」

 クラスが準備にざわめいている中で、男の放送が響くと同時に、教室の前後のドアがガラリと音を立てて開け放たれた。無論、それは自動ドアのように、誰が触れることもなく勝手に開いたのであった。

 スライドした扉の先には、見慣れた学校の廊下はそこになく、窓の外と同じように一寸先も見えない闇が広がっている。廊下側最後尾席、つまり、後ろのドアに最も近い僕としては、その闇の深さを誰よりも間近で覗き込む位置に立つことに。

 うわぁ……これに飛び込んで大丈夫なのか? せめてソレっぽく光の魔法陣とか描いてよ。

 魔法陣云々はともかく、このあまりに不気味な闇に一抹の不安を覚えたのは、クラスメイト全員の共通認識のようである。

 呆然と扉の外を眺めるだけで、率先して飛び込もうという勇気と無謀を併せ持つ者は誰もいなかった。

「なぁ、これ、ホントに入って大丈夫なのか?」

 そう言って、後ろの出口に最も近い位置に立つ僕を心配してか、勝が話しかけてきた。

 今やすっかり帰宅部の勝は僕と同じく通学鞄とジャージだが、その鞄には護身用の木刀が入っているだろう。まさか本当に小太刀二刀流が役に立つ時が来るとは……という突っ込みを飲み込んで、とりあえず目の前の不安要素である出口を再び覗き込んだ。

「うん、やっぱ何も見えない。あんまり飛び込んでみたくはないな」

 そんな感想を伝えると同時。

「さぁ、急いで扉の前へ整列するんだ。もう崩壊が始まるが、決して慌てぬように、こちらの合図を待て」

 不穏な内容の男の説明が響いた。

 ほ、崩壊ってなんぞ……と思った瞬間、窓側の席に陣取っている生徒、男子も女子も関係なしに悲鳴が上がった。

「きゃあああああぁ! 崩れてる、何か崩れてるって!?」

「ヤベぇ! これマジでヤベぇよ!」

 崩壊、とはまさにその通り。見れば、窓や壁、そして床に黒々としたヒビが入り、それが砕けて外の闇に飲み込まれていったのだ。窓のある壁は、瞬く間に崩れ去って行き、白いカーテンがバサバサとはためきながら、深淵の彼方へと消え去っていくのが妙に印象的に見えた。

 ついに目に見える危険が発生したことで、不安と緊張が燻り始めていた教室が、一気にパニック状態となった。

 特に窓際に近い生徒達は、我先にと廊下側への逃走を始める。

「くそっ、どけよデブっ!」

 耳に、そんな一際大きな怒号が聞こえた。

 窓側に近い席だった樋口恭弥が鬼のような形相でこっちを目指して駆け出しており、彼の前に立ちはだかる、いや、ただその危機を前に硬直してしまっただけだろう――ともかく、双葉芽衣子の巨体がそこにあったのだ。

 樋口は双葉さんをゴミでも見るかのような目つきで、完全にただの障害物である彼女を勢いよく突き飛ばした。

「きゃあっ!」

 甲高い悲鳴が聞こえると共に、彼女の体が一歩二歩と後ずさる。

 彼女の立ち居地は、僕の席の隣。つまり、すぐ目の前である。そのまま後ろに下がってしまえば――

「えっ」

 僕は迫り来る双葉さんの背中を前に、小学生の頃、交通安全教室で見た、十トントラックがダミー人形をブッ飛ばす、交通事故の恐ろしさを表現する映像が脳裏によぎった。

 頭の中にはそれだけで、僕は突然のことに反応することができなかった。

 ただ、自分目掛けて凄い勢いで突き出される大きなお尻がスローモーションのように見えただけ。

「ふぎゃっ!」

 尻尾を踏みつけられた猫のように悲痛な悲鳴を挙げて、僕はあっけなく双葉さんの巨尻に吹っ飛ばされた。

「あっ、小太郎!?」

 驚く友人の声が、やけに遠く聞こえる。そしてそれが、教室で聞いた最後の声だった。

 僕の目には、凄まじい勢いで遠ざかっていく教室の光る出口が映る。それはあっという間に光の点となって、完全な暗闇に閉ざされる。

 何も見えない、何も聞こえない。何も感じない。完全無欠の静寂の中で、僕はついに、自分の意識さえ、見失った。

第2話 天職『呪術師』

 落ちてきた水滴が頬で弾ける冷たい感触で、目を覚ました。

「あ……生きてる」

 記憶も意識もハッキリしている。生きてる、と大げさなことを口にするのは、双葉さんのデカい尻に弾き飛ばされ、教室のドアから奈落へ落ちていったその瞬間、死を覚悟したからだ。

「よ、良かったぁ」

 五体満足で、かすり傷一つ負ってないことに心の底から安堵する。今なら生の素晴らしさを題材に一句読めそうなくらい晴れやかな気持ちだ。

 しかし、そんな素敵な気分も周囲の景色を目と耳と肌で感じ取ったことによって、ゲレンデを直滑降で滑るが如く、下降の一途を辿った。

 僕の目の前には、登山遠足で上った標高五百メートルそこそこの山の林とは、比べ物にならないほどの深い緑の森が広がっていたのだ。

「これは、詰んでるだろ……」

 世界の野生動物を追うドキュメンタリー番組でしかお目にかかれないような鬱蒼と生い茂る深緑の森のど真ん中から、人里まで無事にたどり着くことができるとは到底思えなかった。

 僕のサバイバル経験といえば、家族と一緒に一泊二日のキャンプを行ったくらいなものだ。サバイバルというより、単なるレジャーである。

 それにしても、凄い光景だ。右を見ても、左を見ても、人が五人手を繋いでもまだ足りないほど太い幹を持つ大木が視界一杯に立ち並んでいる。塔のように高くそびえる木々は緑の葉をこれでもかと茂らせており、日中であるにも関わらず、太陽を探すのに苦労するほど、天を覆い隠している。

 完全な暗闇に閉ざされているわけではないが、心の中はふつふつと湧き上がる絶望感で黒一色に塗りつぶされてしまいそう。

だが、そこへ一筋の光明が差し込んだ。

「そうだ、魔法陣!」

 今ほど自分が冴えてると思ったことはない。

 もっとも、ちゃんと通学鞄を背負っていることに気がつけば、あの男が言っていた魔法の話を、記憶喪失でもない限り思い出さないはずもなかった。

 それから、鞄を開いてノートを取り出し、少し湿った土が向き出しの地面の上へと魔法陣の描かれたページを広げるのに、一分もかからなかった。

「えーと、確か、魔法陣に手を置いて呪文を唱えるだけ……だよな」

 慎重に思い返してみるものの、やはりそれ以上の使用説明はない。一度聞いただけで忘れない、実に単純明快なものである。

「よし、いくぞっ!」

 下手にごちゃごちゃ考えると、本当に自分が魔法を使えるのかどうかとか、もし使えなかったらどうしようとか、どんどん後ろ向きなことばかりが思い浮かんでくるので、とりあえず仮初めの覚悟を決めて、即座に魔法の実践に挑むことにした。

「天上の神々よ、我を助け導く、奇跡の力を授け給え――」

 ボールペンで書かれた、単なる落書きのようにも見える魔法陣。だが、そこに右の手を置いて、その一節を口にした瞬間、果たして魔法はその効果を現し始めた。

 何の変哲もない黒インクのラインだが、それが手の下で白い輝きを放ち始めたのだ。それは、この魔法陣のオリジナルが黒板に描かれた時と同じような光である。

 その確かな魔法の反応に驚愕するが、呪文の詠唱を途切れさせるわけにはいかないと瞬時に思いなおし、ゆっくり、はっきり、一言一句違わず、続きを口にした。

「――ここに天命を果たすことを誓う」

 全ての呪文を言い終えた直後。

「うわっ!?」

 ノートの上に置いた手の甲へ、その下に書かれているのと同じ、いや、よく見れば幾つかの模様が抜け落ちた状態の魔法陣が、毒々しい真っ赤な光によって描かれた。

 まるで手の甲に魔法陣の烙印を押されたような格好となる。

 だが、その手に起こった異変よりも――

「う、あっ、ぎゃあああああああああああああああああ!」

 突如として全身を駆け巡る鋭い痛みに、堪らず苦悶の絶叫を上げた。

 い、いぃ、痛い! 痛い、痛い、痛いぃいいいいい――頭の中も、その叫びでイッパイだ。生まれて初めて感じる、恐ろしい痛みであった。もしも自分が悪の秘密結社に捕まって拷問を受けたとすれば、こんな苦痛を受けるに違いないと思えるような、容赦のない、おぞましい苦しみ。

 あ、ダメだ、これは、死ぬ。

 そう悟った瞬間、視界が再びブラックアウト。バチンと電源スイッチでも切るかのように、僕の意識は途切れた。




 誰かの、声が聞こえた。

「هوى، مؤمن أو ظهرت في عدة أيام」

 あ、すみません、日本語で話してもらえます? 僕、英語はさっぱりなんです。

「الآن، يمكنك حتى دون فهم، لا يهم」

 そうですか、ユーキャンノットスピークジャパニーズ、ですか……いや、待て、待てよ。言葉の壁なんてどうでもいい。

 僕はまだ、生きている。

「――はっ!?」

 それに気づいた瞬間、僕は飛び起きるように体を跳ね上げ、ぱっちりと瞼を開いた。

 意識がある、体が動く、目も見える。僕はまだ、死んでいない――

「あ、ダメだ……やっぱこれ、死んでるわ……」

 どうやらここは、地獄という場所らしい。そう一目で悟ったのも、無理もないだろう。

 僕の目に映るのは、ついさっき教室から転がり落ちたのと同じような真っ暗闇。立っているのか、それとも無重力状態のように浮かんでいるのか、いまいち判別がつかない。

 いや、この際、場所なんてのはどうでもいい。どうでもよくないこともないけど、それでも、今はもっと気にするべき存在がいるのだ。僕のすぐ、目の前に。

「ليس مخيفا」

 そう、さっきから僕に向かって英語なのかどうかさえ判断のつかない謎言語で語りかけている人物――それは、死神だった。

 黒衣をまとった骸骨を見れば、そうとしか思えないだろう。深く被ったフードからは、肉も皮膚も一切が削げ落ちた髑髏の顔が覗く。奈落のような眼窩の奥に、禍々しい真紅の輝きが灯っている。

 僕よりも頭一つぶんくらいは大きいだろうか。その点は常識的なサイズだが、如何せん、喋る髑髏を前にすればそう簡単に非常識は覆らない。

「あ、あ……あの……」

 命だけは助けてください、と言う意味はあるのだろうか。だってここ地獄だし、死神は謎の言語喋ってるし。でも、言わずにはいられない。

「助け――ふぎゃっ!?」

 命乞いの言葉さえ、言わせてはもらえなかった。

 死神の手が、いきなり僕の頭を鷲掴みにしたのだ。骨の掌はどこまでも冷たく、硬質な感触。このまま首根っこを引き抜かれてしまうんだろうか。

「انه لامر مؤلم قليلا، ولكن لا تجعل مثل هذه الضجة على」

 頭がもがれることはなかった。その代わり、指で刺された。脳天を。

「うわぁああああああああああああああああっ!」

 僕の頭を掴んだまま、死神の人差し指が突き立てられたのだ。勿論、自分の頭の上の出来事なんて見えない。見えないけど、分かる。

 今、僕の脳天には、鋭く尖った爪を持つ指先がぶっすりと突き刺さっているのだと。易々と頭蓋骨を貫通し、その指先が脳にまで達しているという、おぞましい感触を、実感させられる。

 それを感じた瞬間には、もう叫んでいたけど――激痛は、一拍遅れてやって来た。

「んぎいっ――」

 脳を蹂躙されるという最悪の痛みに耐えたのは、果たして一分か十分か。あるいは、十秒も持たなかったのかもしれない。

「――っは!?」

 意識が飛んでいた。そう気づいたのは、叫びすぎて喉が潰れたような痛みを覚えると共に、ちょうど僕の頭から指を引き抜いた死神の姿を見た時だった。

「名乗れ、我が信徒よ」

 死神の、声が聞こえた。それは改めて思えば、不思議な声音だった。男のような、女のような。老獪な年寄のようでいて、無垢な幼子のようでもある。判別が全くつかない。

 いいや、それよりも重要なのは……その言葉の意味が分かることだ。分かる、というか、普通に日本語に聞こえる。

「疾く、名乗れ」

「も、桃川……小太郎……です」

 なんとか答えた。答えなければ、今度こそ死ぬだろう。あるいは、指を二本刺されるかも。

「桃川小太郎、そなたが今、覚えるべき事柄は二つ」

 はぁ、と適当な相槌を打ちながらも、死神の言葉を脳裡へ刻み付けるべき集中。これも「え? なんだって?」と間抜けな返答でもしたら、殺されそうだから。指三本かもしれないけど。

「我が名は『呪神ルインヒルデ』。そして、そなたの『天職』は――」

 素で、なんだって? と問い返したくなった。微妙に長い横文字の名前に、天職だか転職だかいう単語。僕はまだ学生ですが。

 けれど、実際に口からでた言葉は「えっ」という、真の抜けた声だけだった。

「――『呪術師』じゃ」

 そう死神が宣言した瞬間、僕の心臓が貫かれていた。学ランの胸ポケットに入っている生徒手帳ごと、突きだされた骨の貫手が、深々と左胸を抉る。

「ここに契約は果たされた。ではな、桃川小太郎。そなたと再び見える時を、楽しみにしておるぞ」

 その言葉が耳に届いた時にはもう、僕の意識は完全に消え――




『天職』とは、天が人に与える職業。その個人にピッタリなものを、神様が直々に選んで与えてくれるという、本当に、文字通りの意味である。

 今回、白嶺学園二年七組の生徒に与えられるのは、全て戦いに関する神の天職であるらしい。戦闘能力が得られなければ、生き残ることは不可能であるため、他に選択肢はありえない。

 そう、天職を授かると、それに伴って神が与えた加護、とでも呼ぶべき特殊な能力を扱うことができるようになる。

 例えば『戦士』の天職となれば、手にした武器で強力な一撃を繰り出せるようになる。『炎魔術師』であれば、燃え盛る火の球を放つ魔法が習得できる。

 ただし、その力を過信することは禁物。天職を授かったばかりの新人では、大した能力は得られないのだ。その能力を繰り返し使い込み習熟する、あるいは、神が定める特殊な条件や試練などを乗り越える、といった経験を積むことで、天職の能力は強力に発展してゆくのだ。

 つまり、今初めて神の加護を得た生徒達は、何よりもまず己の天職を使いこなせるようになり、襲い掛かる魔物との戦いの中で、その力に磨きをかけていくことが、生き残るための唯一にして最善の手段なのである――

「……ははぁ、なるほどね」

 なんて独り言を漏らす僕の手には、一冊のノートがある。黒ボールペンによる手書きの魔法陣が描かれたそのページには今、パソコンのモニターが如く光を発しつつ、文章が表示されていた。

 どうやら、あの男が言っていた『メールのように情報を受け取る魔法』というのは成功したようだ。

 ここに書かれているのは、天職についての情報である。ただし、文章が表示されるのは、魔法陣のあるページのみ。紙面がスクロールすることもなければ、新たに更新される気配もないので、恐らくは一ページ分しか表示ができないのだろう。ポケベル以上、携帯未満のクソ性能である。

「呪神ルインヒルデの天職、呪術師……か」

 僕はつい五分ほど前に、再び森の中で目覚めた。とんでもない悪夢を見た、とガクブルしたものだが、ノートの魔法が発動していることに気が付いて、良い感じに気を紛らわすことができた。

 そうして、天職の情報を読み進める内に、何となくさっきの悪夢にも得心がいった。

 アレは要するに、神様が天職を与えるための儀式だったのだ。呪いの神というのなら、あんな髑髏なのも納得だし、何か色々と痛い、というか、リアルでやったら死亡確実な無茶をやらかしたのも、納得はいかないけど、如何にもそれらしいと理解はできる。

「よし、まずは呪術師の能力を確認しないと」

 幸いにも、と言うべきか、実はもう、己の身に起きた変化、のようなものは実感できているのである。僕はもう、天職の恩恵を受けているのだ。

 それは異世界の言語が理解できる、というのが何よりの証明だろう。

 あの死神、もとい、呪神ルインヒルデの言葉は、ちょうど脳を指で弄られた直後から聞き取れるようになっていた。あれは翻訳の魔法みたいなものを直接、刻み付けていたんじゃないかと推測できる。

 決定的だったのは、ついさっきまで読んでいたノートの文章である。実はあれ、日本語ではなく、見たことのないアルファベッドみたいな文字で書かれていたのだ。にも関わらず、僕は何の苦労もなくすいすいと読み進めることができた。

 頭の中に、未知の記憶・知識が刻み込まれているのだ。知らないことを当たり前のように知っている、というのは何とも不気味な感覚ではあるが、今はこれに頼らざるを得ない。

 新たに刻まれた記憶は何か。それを意識してみると……確かに、見えてくる。

「これは……呪文、かな」

 脳裏に浮かぶのは、短い一文。これが魔法の――いや、呪術師である以上、これは『呪術』と呼ばれる分類となるのか。ともかく、その一文が呪術の発動に必要な詠唱であると、理解できた。

 あとは、やってやるだけだ!

「やまない熱に病みながら、その身を呪え――『赤き熱病』」

 バっ! と右手を突きだして、呪術を撃ちだしてるぜ的なポージング。しかし、無意味だった。これは相手を目視するだけでターゲットできる類の技だからだ。

 いや、それよりも重要なのは、この『赤き熱病』なる呪術の効果である。


『赤き熱病』:相手を微熱状態にする。


 その説明文が、脳裏に浮かんだ情報の全てであった。

「な……なんだ、これ……」

 微熱? 微熱ってアレだよね、三十七度五分とか、その辺の体温のことだよね?

 それで、微熱状態にしたら、魔物って倒せるの?

「倒せるかっ!?」

 セルフツッコミでも叫ばなければ、やってられなかった。何だよ、この微妙すぎる効果は。強いとか弱いとか、それ以前の問題じゃないか。

 いや、呪術師というイメージから連想するに、そりゃあ、派手な攻撃魔法が最初から獲得できるとは思ってなかったよ。けどさ、そこは百歩譲って、毒にするとか、あるよね?

「微熱って……なんだよ……」

 相手が興奮状態にある戦闘中なら、微熱にしようがなんだろうが、関係なくね?

「いや、待て、落ち着け、これはきっとターン経過で効果が倍増していくとかそういう――」

 ゲーム脳的RPG思考全開で、ひたすらにこの呪術の使える可能性を模索してみる。

 だがしかし、やはり結果は……


『赤き熱病』:相手を微熱状態にする。


 これしか、情報は出てこない。

 この微熱状態、というのも、本当に風邪の引き始めのように、体がちょっと熱いとかダルいとか、そんな常識的な効果であるとしか分からない。決して魔物を一発でダウンさせるような即効性の威力は望めない。勿論、ターン、ではなく、時間経過によって発熱が急上昇していく、なんてこともないらしい。

「あ、足止めにもならん……」

 ヤバい、ヤバすぎる。これはとんでもないハズレスキルを引いてしまったぞ。

 ちょっと待って神様、リセットボタンはどこですか。もう一回スキルセレクトやり直させてよ……

「お、落ち着け! まだ大丈夫だ、まだ、あと二つ……呪術は残ってる!」

 これもノート情報であるが、天職を授かった、いわゆる初期レベルにおいては、どんな天職でも三つの能力を得るという。増えることも減ることもない、三つ固定。ただし、どんな能力を授かるかは、個人差があるらしい。中にはレアスキル、みたいな希少な能力もあるんだろうか。そこまで詳しくは書いていなかった。

 ともかく、僕にはまだあと二つ、呪術師の能力たる呪術スキルを持っている。

 こう考えよう。一つが超ショボい能力ならば、残り二つは超スゴい能力なんだと。何事もゲームバランスである。そりゃあもう、神様がスキル配分してくれるんなら、神ゲーバランスに違いない。

「お願い、ルインヒルデ様! どうか僕にチートな呪術を!」

 そうして思い浮かんだ、二つ目の呪術。


『傷み返し』:自分の負ったダメージをそのまま相手に返す。


 す、凄い! これは正に無敵の反射能力じゃあないか! どんな強力な魔物が相手でも、僕を傷つければ同じだけのダメージが相手に跳ね返る。

 僕が即死した瞬間、どんなに強い野郎も道連れだぜぇ!

「いや、ダメだろそれ……死んでる、結局、僕、死んでる……」

 思い浮かんだ説明文には「自分の負ったダメージ」と明記してある。つまり、僕が受けるダメージはゼロにはならず、そのまま喰らってしまうということだ。

 例えば、インド象のような巨大モンスターに踏み潰されれば、僕はペチャンコとなる。そして、次の瞬間にはインド象的モンスターも、同じく圧死の末路を辿るというわけだ。

 確かに、どんなに強い相手でも倒せる効果を秘めているが、それを自分の命とトレードでは割に合わない。一撃必殺が一度だけ。

 この効果に満足するような人物は、命を賭してでも倒したい相手のいる復讐者か、一人一殺が信条のテロリストくらいだろう。僕はただの高校生で、自分の命は大事にしたいのだ。

「うわぁ……ヤバい、本当にヤバいよこれぇ……」

 思わず頭を抱えながら、その場にしゃがみ込む。ちくしょう、ちょっと涙も出てきた……

「お願いします神様……どうか、どうか最後の呪術だけは……」

 藁にも縋る思いで、最後の一つを思い浮かべる。これでまたしても、攻撃力ゼロな効果が出たら……


『直感薬学』:素材の効能がなんとなく、分かる。


「あぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 呪術どころか、こんなんただの鑑定スキルじゃないか! 戦闘そのものには全く、これっぽっちも関係がない。攻撃は勿論、防御もできなければ、逃走が上手くなるわけでもない。

 そもそも、紙とペンとジャージしか持ってない今の僕に、薬として有効活用できそうな素材なんて持ち合わせていない。鑑定する品がなければ、鑑定スキルは意味をなさない。

 現状において、『赤き熱病』よりも使えない、完全な死にスキルなのだ。

「は、はは……そんなワケない……きっと僕には、隠された第四の呪術が……」

 そんな都合の良いもの、あるわけない。自分のことは、自分が一番よく分かっている。神様は決して、僕にチートな能力を与えてはくれない。まぁ、中学生の頃なら、まだそんな秘められた特殊性を信じられたかもしれないな。

 けれど『選ばれた人間』というのを目の当たりにすると、分かるのだ。ああ、自分は特別な人間ではないのだな、と。つい先日、思い知ったばかりだろう。

 期待はできない、神が与える幸運には。僕に奇跡は起きない――要するに、自分の力だけで、道を切り開いていかねばならないのだ。人間としては、至極当然のこと。

 けれど、道を進む力がなければ……

「うぅ、ダメだ……もう無理、詰んだ……何だよ、このスキル構成、クソゲーだろ!」

 そんな情けない泣き言を喚きつつ、僕は背後にそびえるどっしりとした巨木に背中を預けて、倒れこむようにへたり込んだ。

 勿論、そうして落ち込んでいたからといって、この能力が変わるわけでもないし、こうして喚いていてもゲームのリセットボタンを押すが如く、やり直しがきくはずもない。

 いくら魔法の存在するファンタジーな世界に来てしまったといっても、現実は現実なのだ。

「ああ……ホント、どうしよう……」

 怖い思いをする前にいっそ自殺でも――いや、やっぱり死ぬのは普通に怖いし、イヤだな。最後の最後まで自殺する覚悟なんて絶対できない。

 あ、でも、ここに生えてるヤバいくらい真っ赤な毒キノコを食べたら楽に死ねるかな。

 きっと僕は虚ろな目をしながら、大木の根元にある赤いキノコを見つめていることだろう。

 このベニテングタケみたいな毒々しい真紅の色合いに白の水玉模様のキノコ、本当に食べたら一発で死――いや、無理だ。この毒キノコは食べたら焼けるような苦しみがしばらく続いて、生死の境を彷徨い続ける感じになる。

「……あ」

 ふと、自分がこの赤いキノコを食べた際に現れるだろう毒の効果を、妙にリアルに想像できた。

「そうか、これが直感薬学か!」

 今、頭の中に思い描かれた想像は、ただの想像とは言い切れない、確信めいたものがあった。まるで以前、このキノコを食べた経験でもあるかのように。

 直感薬学の効果を実感したことで、急に興味が湧き上がる。僕はさっさと身を起こし、すでにまじまじとキノコの観察を始めている。

 赤い毒キノコをむしり採り、改めてそれを眺めた。素手で触るだけなら問題ないというのは直感で分かっていた。

 うん、やはり、子供の頃に図鑑で見たベニテングタケとよく似ている。けど、それは丸い傘の部分のみで、茎、じゃなくてキノコは柄って言うんだっけ? まぁ、その柄の部分に、赤い縞模様があることから、別種であると推測できる。

「このキノコ……多分、魔物にも効く」

 人間限定で毒性を発揮するわけじゃなさそうだ。食べれば、大体どんなヤツでも高熱に苦しむ。

「いける、かもしれない」

 摘み取ったキノコを鞄に仕舞い込みながら、確かな実感と共に、希望の言葉が漏れた。

『赤き熱病』『痛み返し』『直感薬学』、三つの呪術は自分一人では戦いにおいて使い物にならない。

 だがしかし、素材そのものを毒、あるいは薬として利用できるとなれば、一気にとれる行動の選択肢が増える。

 怪我をした場合、薬草で治療することもできるだろう。強力な毒物があれば、それをぶつけて魔物を倒せるかもしれない。そこまでいかずとも、逃げる隙くらいはきっと作れるはずだ。

「よし、頑張ろう……大丈夫、きっとなんとかなる」

 なんとかしてみせる。なぜなら僕はまだ、微塵も死ぬ気などないのだから。

第3話 魔物

「やった! 薬草ゲット!」

 喜び勇んで、足元に生えているタンポポの葉のようなギザギザした緑の草を採取する。花は咲いておらず、一見すればそこらの雑草と見分けはつかない。

「ちょっとした止血効果だけ、か……いや、でも何もないよりマシか」

 薬草と一言でいっても、そのまま効能を利用できるものもあれば、加工したり、エキスを抽出しなければ薬用効果を発揮しないものと、様々な種類がある。

 薬品を調合・生成する知識も技術も道具もない現時点において、今採取した薬草のように、そのまま使えるタイプは重宝する。

 まぁ、この薬草……ニセタンポポ、でいいや、これを使うなら、磨り潰してペースト状にしておくくらいの加工はしておいた方が良さそうだが。すり鉢と乳棒が欲しいところだけど、無い物ねだりをしても仕方がない。今は手持ちの道具でやりくりするより他はないのだから。

 現在、僕の所持品の中で最も期待できるのは、カッターナイフである。よくある黄色ベースに黒のパーツが組み込んだ、太めのアレ。正直いって、筆箱の中に入っているコイツは邪魔者以外の何物でもなかったけど、今や植物の採取は勿論、いざという時は武器としても使えそうという、文房具界のエースである。

 さらに、鞄の奥底に眠っていた、替刃(十本入り)が存在するという、心強い補給も確保されているのだ。

 しかしながら、カッターというのはあっという間に切れ味が落ちる。出来る限り温存しておくべきだ。だから、このニセタンポポみたいに素手で引き千切れるようなものには使用しない。

「よし、こんなもんでいいかな」

 片手で握れる一束分を摘み終え、例によって鞄の中へと放り込む。中には、最初に採った赤い毒キノコ、通称、アカキノコが三本入っているだけで、まだまだ余裕がある。

「えーと、次は……うん、やっぱりこの獣道を進んで行けばいいのか」

 そう確信をもって歩いて行けるのは、決して僕が渡り鳥並みの方向感覚を持っているからではない。僕の手には、魔法のコンパスがあるのだ。より正確にいうなら、コンパス機能、である。

 ノートの魔法陣には、メッセージが送られてくるだけでなく、進むべき方向を矢印で指し示す機能もあったのだ。円形の魔法陣の内側に、白く光る大きな矢印が浮かび上がっている。

 このコンパス機能と、何より、矢印が示す先の目的地が何処であるかというのは、つい先ほど新たに更新されたメッセージによって説明されていた。

 その情報によると、僕らは人里から大きく離れた森林地帯の中にある、古代遺跡、いわゆる『ダンジョン』と呼ぶべき場所にいるのだそうだ。

 文脈から察するに、生徒はこのダンジョンで目覚めている前提での書き方だった。けれど、僕が森の中で目覚めたのは、恐らく教室からフライングで飛び出していったために、放り出される地点が少しズレたのだろう。

 思い返せば、あの男は「合図したら出ていけ」と言っていたし、半ば事故とはいえ、合図を待たずに落ちていった僕がこういう結果になるのは仕方ない。

 というか、こういうワープみたいな現象で、適切なタイミングからズレて飛び込んだりすると、どこに放り出されるか全く分からないとか、時空の渦だが次元の狭間だかに飲み込まれて消滅する、みたいな設定がよくあるから、現地から僅かにズレただけですんだのは、凄まじい幸運ではないだろうか。逆に、これで全ての運を使い果たしたとも考えられる。

 ともかく、これから僕が向かうダンジョンについてである。

 蟻の巣のように地下深くまで広がっているというダンジョン。その最奥には、別の場所へ一瞬でテレポートする『天送門』という設備があるらしい。原理などの詳しい説明は書かれていなかったが、それでも、何を言わんとしているのか、察することができる。

 つまり、この『天送門』を使って脱出しろ、ということだ。

 説明には、転移の先が僕らを助けるために行動している国となるよう、設定しているとのことだった。

 国名は『アストリア王国』。より詳しい転移先は、王都シグルーンにある神殿である、と説明されていたが、それ以上のことは書かれていなかった。ただ、「我々は人間の国家で、君達のような異世界人を受け入れ、保護する用意がある」と身の安全を保障する文面は明記されていた。

 今は、この言葉を信じて進むより他はない。疑ったところで、この大森林に放り出された事実は変わらないし、日本から助けが来るとも思えない。

 だから僕は不安を押し殺して、ただ前へ進むことしかできない。

「はぁ……はぁ……つ、疲れた……」

 だがしかし、何とも情けないことに、前へ進み続けることさえ僕の貧弱な身体スペックではままならなかった。

 ニセタンポポを採取してから、歩き続けてどれくらい経っただろうか。まだ一時間も経ってないような気もするが、これほどまでに息が上がるのは、それだけ道が険しいからに他ならない。

 僕が進んできた獣道は、多少なりとも地面は踏み固められ、足元の小枝や植物もすっきりと排除されている。けれど、この森は中々に起伏が激しく、おまけに、大木の根が壁のように遮ったりしていて、これをよじ登って乗り越えたりもしなければならず、余計に体力を消耗するのだ。

「す、少し休もう」

 そう決断を下すより、他はなかった。ついでに、キューとお腹の虫も泣いている。一度気になれば、空腹感というのはどうしようもなく意識してしまう。少し早いかもしれないけど、お昼にしよう。

 魔法のノートを鞄に仕舞い込み、それと入れ替えるように、弁当箱を取り出す。

 だが、母が昨晩の余りモノを詰め込んだだろう黒いプラスチックの弁当箱の蓋を開いた瞬間に、手が止まった。

 果たして、これをいつもの如く残さず全部食べてもよいのかと。

 魔物の襲来という最も危険な可能性は、天職というこの異世界特有の不可思議な能力によってある程度の対処ができる。だが次点において、必要な装備も経験も知識もないただの学生が、如何にして過酷なサバイバル生活を生き抜いていくか、という現実的な問題が立ちはだかっていた。

 水、食料、火、寝床の確保、などなど、素人の僕でも不安要素はいくらでも思いつく。森といっても人間が食べられるモノがあるかどうかは分からない。あったとしても、僕がそれらを首尾よく入手できるとは限らない。

 となれば、頼みの綱は現在所有する唯一の食料である、この米とオカズが半々に詰まった弁当のみ。あとは、この飲みかけのスポーツドリンクが入った五百ミリのペットボトルか。

 食料も不安だけど、これじゃあ水も心配だ。こんなペースで動き続けたら、あっという間に飲み尽くす。どこかで飲み水を補給できなければ、脱水症状まっしぐら。

「や、やっぱりもう少し我慢しよう……」

 あまりの先行きの不安さに、膝の上で開かれた弁当箱の蓋をそのまま閉じようとした、その時だった。

 ガサリ、と目の前の茂みが音を立てながら揺れた。そう認識した次の瞬間には、

「……え?」

 鋼鉄のような鈍い灰色をした、大きな熊が現れた。

 丸太のように太く逞しい両腕、その手の先にはナイフと見紛うほどの大きく鋭い爪が並んでいる。凶器そのものといえる両手を地につけて、ずんぐりとした四足で歩く姿は、一見すれば熊だと思える。

 だが、シルエットこそ熊のように見えるものの、その巨躯は金属質な光沢を宿す、蟹のような鋭い棘を持つ甲殻で覆われていた。

 二足で立ち上がれば、恐らく三メートルには届くだろうと思える巨体。そんな大熊が、鋼鉄の鎧兜で武装しているような格好である。野生から最も縁遠い生物である人間をしても、即座に本能が「勝てない」と警鐘を鳴らすに違いない、あまりに恐ろしき外見。

 僕は悟った。この目の前で蠢く獣こそ『魔物』と呼ばれる存在であると。

「ひっ……あ……」

 僕の小さな体は完全に恐怖で震え上がる。その拍子に、膝の上にある弁当箱が転がり落ちた。

 冷凍食品の唐揚げとソーセージ、キンピラゴボウ、そしてふりかけのかかった白米。貴重な中身が地面へぶちまけられる。

 次の瞬間、熊の魔物は荒い鼻息をあげながら動き出した。

 その赤色に光る鋭い目は、僕ではなく弁当箱の中身へと向けられている。

 ここにあるのは、自然界では決して存在しえない味付けの濃い食物。そこから発する香りも、大いに魔物の食欲を刺激したのだろう。熊は夢中になって、その魅惑の食べ物に鼻先を突きつけた。

 い、今だ……逃げるなら、今しかないっ!

 まだ完全に自分がターゲットになっていない。そう固く信じて、震える足をゆっくりと動かす。正面を向いたまま、すぐ目の前でソーセージを貪り食らう魔物から、一歩ずつ確実に遠ざかっていく。

大丈夫、熊は弁当に夢中になってる。今なら、逃げられる、逃げられるはず、逃げられますように!

 ピンチの時だけ引き合いに出される都合の良い神様へ一心に祈りながら、僕は牛歩の歩みで熊の食卓から離脱する。

 心臓が痛いほどバクバクと脈打ち、体は熱いはずなのに、背筋が凍って寒気もする。恐怖で頭が沸いて、もうわけがわからない。そのくせ、どこか現実感も覚えられず、フワフワとした足取りで後退を続けた。

 思えば、そんな状態で後ろ歩きをして、よく転ばなかったと思う。十数メートルほど離れたところで、僕はようやく反転して、これまで辿ってきた獣道を足早に歩き始めた。

 あっという間に熊の姿は並び立つ巨木の陰に隠れて見えなくなった。

「は……はっ、はぁ……助かった……助か――っ!?」

 ほっと安堵の息を吐いたその瞬間だった。唐突に感じたのは直感薬学――ではなく、本当に、自分自身の直感だ。視線を感じた。圧倒的な気配を持つ、何物かの、視線を。

 恐る恐る、振り返り見る。

 大木の影から、あの魔物が、僕を見ていた。

「あ……あぁ……うぁああ……」

 狙われている。

 この異世界にやって来たばかりの僕が、魔物の習性なんて知る由もないけれど、それでも分かるのだ。あの熊が、僕を次なる獲物に定めていると。

 警戒しているのか、焦らしているのか、遊んでいるのかは分からないが、幸いにも、一直線にダッシュして襲いかかってはこない。その代り、ゆっくりとだが逃げる僕との距離を一定に保ちつつ、つかず離れず、追いかけ続けてくるのだ。

 確か動物の熊も、こんな感じで登山者を追いかけてくる、というような話を聞いたことがある。今はまだいいが、そう遠くない内に、僕をチョロい獲物だと判断して、襲い掛かってくることだろう。

 走って逃げ切れる、とは思えない。あの魔物は固く分厚い甲殻をまとっているけど、人間以下の走力しかないとは限らない。

 仮に、動物の熊と同じ素早さだったとしても、結局、人間の足では振り切ることは不可能だ。熊は確か、時速五十キロの速度で走れると聞いたことがある。百メートルを七秒ほどで駆け抜ける速さだ。人類の限界は百メートル九秒台。全く相手にならない。

 逃走は不可能。助けも――ああ、そうだ、クラスメイトはスタート地点が最初からダンジョンなんだ。となれば、そのまま探索を始めるだけで、万に一つも森の方へ来ることはありえない。

 助かる方法は一つだけ。あの魔物――鎧熊、とでも呼ぶべきか、アイツを倒すしかない。

「いや、無理……無理だろ、どう考えても……」

 僕の手持ちの武器は、ちっぽけなカッターナイフが一本だけ。ショットガンを装備してたって、あんな化け物を倒せるとは思えない。

 天職・呪術師の能力――『痛み返し』は、確かに鎧熊を確実に殺せるけど、それは僕と共倒れ。やはり、意味はない。

 最も期待した直感薬学による毒だって……このアカキノコだけじゃ、どうにもならない。これは経口摂取しなければ毒の効果は発揮しない。イチかバチかで、鎧熊の大口に放り込んでみるか? 賭けるには、余りに分が悪い。

「くそっ、くそぉ……無理ゲーだろ、こんなの……」

 考えれば考えるほど、可能性が潰えていく。

 けれど、無情にも時間は流れ続ける。鎧熊が僕を襲うまでのタイムリミットは、あと、どれくらい残されているのだろうか。

「やだ、いやだ……死にたくない……死にたく、ない」

 必死に知識を総動員して思いついたのは、ただの時間稼ぎの手段だった。

 歩きながら鞄のチャックを開き、中に突っ込んでいたジャージを取り出す。まずは上着。

「頼む……効いてくれっ!」

 一縷の望みに賭けて、そっとジャージの上着を地面へと放った。そのまま数十メートル進んでから、チラリと後ろを振り返り見る。

「よ、よし……」

 そこには、僕のジャージに鼻先を突きつけてフゴフゴしている鎧熊の姿がある。

 野生の熊に追いかけられた時は、身に着けているモノを少しずつばら撒いて行けば、ソレに熊が気を取られて時間稼ぎができると聞いたことがある。あくまで一時的に注意を惹けるだけで、根本的な解決にはならないが。

 喜ぶのも束の間。鎧熊は食べ物じゃないと判断したのか、紺色の学校指定ジャージを鋭い爪でズタズタに引き裂いてから、僕の追跡を再開したのだ。

 稼げた時間は一分くらいか……ああ、やっぱりダメだ、これは完全に詰んだな……

「――うわっ!?」

 その時、何かに躓いて僕は派手にズッコケた。身の丈ほどもある茂みに、頭から突っ込んでいき、ガサガサとやかましい音を立てながら、僕の体は地面に叩き付けられた。といっても、この草のお蔭で大した衝撃は感じなかったが。

「う、くぅ……」

 情けない呻き声を上げながら、よろよろと立ち上がる。

 鎧熊の恐怖と絶望に、足元が疎かになりすぎていた。木の根にでも足を引っ掛けたのだろうか――と、その原因を確認した瞬間、息を呑んだ。

「う、そ……死んでる……」

 そこには、見知った学ラン姿のクラスメイトが倒れていた。

 足がちょうど獣道に投げ出されており、これに僕が躓いて転んだだろうことは明白。しかし、そんなことよりも、彼が明らかに死んでいるようにしか見えないことが問題だった。

 仰向けに倒れ込んでおり、傍らには通学鞄と……ちょうど魔法を使おうとしたんだろうか、魔法陣の書かれたページが開かれたノートが落ちている。

 彼は高島……あ、名前は、分かんないや。中学の頃まではクラス全員の名前を憶えていたけど、高校では覚えきらなかった。顔と苗字を知っているだけで、特に話したこともない男子生徒だ。

 それでも、彼は同じ二年七組の一員だった。

 僕は倒れ込んだ高島君を前に、人工呼吸や応急処置を考えるどころか、脈拍を計ろうとさえしなかった。

 だって、その顔は苦悶の表情で固まりきっているのだから。カっと見開かれた目からは血涙の跡が残る。さらには口、鼻、耳からさえも、同じように血が流れ出ていた。

 顔の穴という穴から、溢れ出るように鮮血が流れ落ちたことは想像に難くない。今はドス黒く変色を始めて、血液が固まり始めているようだが。

 高島君が死んでいるのは、一目瞭然だった。

「な、なんで……」

 なんで死んだのか、どうやって死んだのか――その呟きは、どれに対するものなのか、自分でも分からない。

 けれど、突如として目の前に現れた死体を前に、僕は否応にも想像させられる。もうすぐ、僕もこうなるのかと。

「お、落ち着け……落ち着け……考えるんだ、死なない方法を……僕はまだ、死にたくない!」

 ここでパニックを起こしたら、全てが終わる。泣きわめいて命乞いしたって、鎧熊は本能に従って僕を貪り食うだけ。

 まだ、まだ少しだけ、時間は残されているはずなんだ。最後の最後まで、生き残る方法を模索し続けるべきだ。

 僕は根性ないし、負けず嫌いでもない。事なかれ主義で妥協の連続で生きてきたけど――自分の命だけは、諦めたくないっ!

「――そうだ、弁当だ」

 閃いた瞬間、僕は身を起こして、高島君の鞄へ手を伸ばした。

 お願いします神様、ようやく思いついた作戦なんです。だから、どうか――

「あった!」

 ビニール袋に包まれた透明のタッパー。それが、高島君の弁当だった。

 彼はそこそこ大柄で、確か野球部に所属していたスポーツ少年だ。普通の弁当箱ではなく、あえて、この大きなサイズのタッパーに昼食を詰め込んでいるのも納得いく体格。

 半分は梅干しの乗った白米、もう半分は、デミグラスソースのかかったハンバーグと卵焼き。あとは申し訳程度にサニーレタスとミニトマトが添えられている。

「いける、これだけあればっ!」

 僕は高島君、ではなく、この弁当を作った高島ママに対して感謝の祈りを奉げながら、タッパーの蓋を開いた。

 同時に、僕の鞄のチャックを全力で解放し、中身を全てぶちまける勢いで、目的のモノを取り出す。

 手にしたのは勿論、アカキノコ。現状で唯一、鎧熊にダメージを与えられる毒アイテムである。

「三本全部……いや、この大きさじゃ一本が限界か……」

 アカキノコはカッターナイフと同じくらいの十数センチといったサイズ。二秒ほど悩んだ結果、一本と半分を使うことに決めた。

 きのこ鍋に投入する時のように、縦に引き裂く。千切ったアカキノコは、とりあえずハンバーグの上に置いておく。

 次に手にしたのはご飯。やはり結構な量がある。片手ですくいきれずに、白米の塊がポロポロと零れ落ちる。まぁいい、握りは適当でいいんだから。

 そう、僕が作るのは、おにぎりだ。アカキノコ入りの、毒おにぎり。

 鎧熊にアカキノコが効く以上、純粋にそれだけでは食べることはないだろう。臭いなりなんなりで見分けて、回避するはず。

 だから、強烈な肉とソースの香りを発するハンバーグに混ぜ、さらに、白米でコーティングすることで、視覚的にも目立たなくしようという作戦だ。

 上手くいくかどうかなんて分からない。けれど、今の僕にもう、この作戦に賭けるより他はないのだ。

 三分、もまだ経ってないと思う。その時、ガサリと音を立てて背後の茂みが揺れた。

「――っ!?」

 気のせいでもなんでもなく、僕の前に再び、鈍色の巨躯がのっそりと姿を現した。あまりの迫力に、再び体が震え始める。

 ついさっき弁当箱を落としたのと同じように、今度は、握っていたおにぎりが地面へと転がった。

 けど、それでいい。この毒キノコおにぎりはすでに完成している。ブルって落としてしまったけど、どうせ投げる予定だったのだ。むしろ、自然に落とすことができて、余計に警戒されることもないだろう。

 さぁ、ここからが勝負だ。

「お、お願い……」

 小さく呟きながら、僕は自分の鞄をギュっと抱えて、足を動かす。鎧熊の方を向きながら、ゆっくりと後ずさる。さっきと同じように、刺激しないよう、決して背中を見せて走り出したりはしない。

 鎧熊は、やはり僕の弁当を食べた時と同じく、鼻をフンフンと鳴らしながら、真っ直ぐおにぎりと、傍らにあるひっくり返ったタッパーを漁り始めた。

 赤々とした長い舌が、ベロリとソースのついたタッパーを舐める。馬鹿野郎、そっちじゃない、もっと美味そうなメインディッシュがあるだろ。

「食べろ……食べろ……」

 瞬間、ゴァアアアっ! と鎧熊が野太い鳴き声を上げた。開かれた口から、人の指ほどもある大きな牙が剥き出しになる。

「うわぁ、ごめんなさいっ!」

 反射的に叫んで謝ったが――その直後、鎧熊はペロリと一口で、食べた。

 おにぎりを。アカキノコを混ぜた、毒入りおにぎりを!

 やった、と思う間もなく、鎧熊はゴクリと喉を鳴らして飲み込んでいた。

 そうして、まだ食い足りないとばかりに、鋭い眼光を僕に向けながら、ゆっくりとこっちへ近づき始めた。

「え、あれ……もしかして……効かない?」

 鎧熊に変化は見られない。相変わらず鼻をならしながら、太く逞しい四脚で一歩を踏み出す。

 ま、まさか、アカキノコの毒は即効性じゃない!?

 考えてみれば、ありえない話じゃなかった。サスペンスドラマなんかで、毒薬を盛られて、口にした瞬間に血を吐きながら苦しみもがいて即死なんていうシーンはよくあるが、全ての毒物があんな風に効果を発揮するとは限らない。遅効性、すなわち、摂取してから数日後、数週間後に発症、というパターンだってありうるのだ。

 そこまでの時間がかからなくとも、もしアカキノコの毒性が、あと数分以内に効果を表す即効性でなければ、僕はこのまま飢えを満たされない鎧熊の餌食となる。

 ああ、ちくしょう、とにかくキノコを喰らわせることに頭が一杯で、毒が急性であるかどうかなんて、全く考えもしなかった。直感薬学だって、所詮は「なんとなく分かる」程度だから、そこまでの情報も得られなかった。

「だ、ダメなのか……」

 今度こそ諦めかけた、その時だった。鎧熊の足が、ピタリと止まった。

 ガアっ! と鋭い咆哮を上げると共に、二足で立ち上がった――かと思えば、その場でゴロリと転倒する。

 そしてそのまま、荒く息を吐きながらもがき始めたのだった。

「や、やった、効いた! 効いたぞ!」

 毒が肉体を蝕んでいることは、その反応を見れば明らかだ。

 鎧熊は、いよいよ激しくのたうち始めた。牙を剥く大口が苦しみの声をあげる度、止めどなく溢れるよだれがまき散らされる。我武者羅に振るった腕が、土の地面を抉り、木の幹に爪痕を残す。

 しかし、それでもまだ獲物を求める本能が残っているとばかりに、視線を僕の方へ向けた。それは野生の執念か、よろけながらも鎧熊は再び四つ足で体を起こし、一歩を踏み出した。

 今、背中を向けて全速力で逃げても――ダメだ、二歩目あたりで絶対に追いつかれる。それほどの勢いが、まだ、鎧熊から感じられる。

「くそっ、ダメージが足りないのか! これ以上は――」

 いや、ある。鎧熊がアカキノコの灼熱の毒性によって、急上昇した高熱に苛まれているのなら、それをもう一段回引き上げる手段が、僕の手にはある!

「やまない熱に病みながら、その身を呪え――『赤き熱病』っ!」

 叫んだ呪文は、第一の呪術『赤き熱病』。

 相手を微熱状態にさせる呪いは、健康体であればささやかな効果でしかないだろう。けれど、もうあと一度か二度でも、体温が上がれば命に関わる高熱の最中でコイツを喰らえば、確実にデッドラインを超える!

 それでも鎧熊は、突き進む。一歩。彼我の距離は約三メートル。

「やまない熱に病みながら、その身を呪え――『赤き熱病』っ!」

 死ね。

 もう一歩。距離、約二メートル。

「やまない、熱に病みながら、その身を呪え――『赤き熱病』っ!」

 死んでくれ。

 さらにもう一歩。一メートル。

「やまない、熱にっ、病みながらっ! その身を呪えぇ!」

 これで、死んでくれ。

 鎧熊の鋼の腕が、振り上がる。

「赤き熱病ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 呪いの叫びは、体を襲った凄まじい衝撃によって強制終了させられる。ギラつく爪を持つ手が、振り下ろされていた。

「――がはっ!?」

 気がついたら、視界は茶色い地面で一杯だった。倒れたのか。転んだのか。いや、それよりも――熱い。

「あ、あ……」

 お腹が、熱い。燃えてるみたい……けど、触ってみたら、濡れていた。

 僕の右手は、鮮血で真っ赤に染まっている。ああ、これ、僕の血だ。

 鎧熊が振るった一撃に、当たった。切れ味鋭いナイフのような爪が、僕の腹部を切り裂いたのだ。

 ということは、これで発動したはずだ。第二の呪術『痛み返し』。

「は、はは……やった……」

 僅かに視線を上げると、そこにはピクリとも動かなくなった鎧熊が仰向けで転がっていた。

 腹部を覆うなだらかな曲線を描く鈍色の甲殻は、ざっくりと四筋の創傷が刻み込まれており、その内側からドクドクと赤黒い血が溢れ出ていた。

 限界突破の高熱に、腹を裂かれたショックで、ついに鎧の化け物は死んだのだ。

 ついにやった。僕が倒した――そう実感した瞬間、もう猶予期間は終わったとばかりに、激痛が襲った。

「あ、あぁああ……うあぁあああああっ!」

 腹部に駆け抜ける灼熱の痛み。そして、命そのものが、血という物質となって流れでてゆく錯覚。ついに、本当の死が僕の身に降りかかろうとしていた。

「し、しぃ、死ねる、か……ここで……死んで、たまるかぁ……」

 最後だ。頑張るのは、もうこれで最後だ。だから動け、動け、動いてよ、僕の体っ!

 かろうじて動いたのは、血塗れの右手。必死に伸ばす。

 その先にあるのは、すぐ傍らに転がった僕の鞄。チャックは全開で開かれていて、そこから使わなかったアカキノコと――ニセタンポポの束が、見えた。

 ニセタンポポ、そこに秘めるのは止血の作用。使うしかない、今、ここで。これの効果に賭けるしか、ない!

 血に濡れた右手でギザギザの葉っぱを引っ掴むと同時に、気合いを入れて、なんとか……本当になんとか、体を仰向けに起こした。

 改めて転がって傷口を見れば……ああ、見るんじゃなかった。もう、何がどうなってるか分からないくらい真っ赤に染まっている。

 それでも見ないわけにはいかない。震える左手で、学ランの金色ボタンを外す。その下のワイシャツは、腹のあたりだけボタンを外し、さらにその下に着込んでいたTシャツを強引にまくり上げる。

 うわ、やっぱヤバい……いや、でも、傷口から腸が零れ落ちたりしていないだけ、まだ軽傷ですんだってことかも。それでも、この出血量を放っておけば、確実に逝ける。

「頼む、効いて……効いて、くれぇ……」

 いやでも、このまま葉っぱを当てるだけで、本当に効果は発揮されるのか。ちくしょう、さっさと磨り潰しておけば――いや、まだ、間に合うか。

「う、うぅ……うぇええ、苦っ……」

 口に含んだニセタンポポは、やっぱり、馬鹿な子供の頃にウッカリ口にした、タンポポの葉っぱと同じ味だった。苦い。食えたもんじゃない、そもそも、食いものじゃない。

 それでも、僕は少しでも効果が上がるようにと、我慢してクソ不味い葉っぱを口で磨り潰し、患部に直接塗れるようなペースト状へと変えていく。

 これで本当に効果が上がるか疑問だったが、直感薬学が「それで大丈夫」と保障してくれた。見つけた時にはそこまで察せなかったのだが、もしかしたら、呪神ルインヒルデ様がサービスしてくれたのかもしれない。

「こ、これで死んだら……神様だって……呪ってやるぅ……」

 そうして僕は、口の苦みと腹の苦しみに苛まれながら、いつしか眠くなり……ああ、眠い……意識をもう、保って、られ……

第4話 背信

「――生きてるって、素晴らしい」

 僕は九死に一生を得た。

 どれくらい眠っていたのかは分からない。それでも、大地へどっかりと横たわる鎧熊の死骸がそのままで、血の臭いを嗅ぎつけた野生動物か別の魔物が現れていないことを思えば、そんなに長い時間、意識を失っていたわけではないのだろう。

 お腹の傷は、とりあえず出血は止まっている。腹部は乾いた自前の血糊でドス黒かったけど、触れてみれば、四筋の傷痕にそってかさぶたができているのが分かった。こんなにデカいかさぶたが自分の体にできると、改めて戦々恐々とする。

 そういえば、熊の爪って雑菌が凄くて、一撃喰らったら傷よりも感染症の方がヤバい、なんて話を聞いた覚えがある。まさか、口で磨り潰した時についた僕の唾液だけで、完璧に消毒も解毒もできてるってことはないだろうけど……いや、今は考えても仕方ない。大丈夫であるよう、祈ろう。

「うぅ……ちょっと、フラフラする……」

 さて、いつまでも生の喜びを実感しているわけにはいかない。この場に留まり続けるのは危険に過ぎる。鎧熊でなくても、肉食の生物が現れたら、今の僕はひとたまりもないのだから。

 しかし、これから何処に向かって逃げるべきか。いや、方向そのものはコンパス機能で分かるけど、肝心のダンジョンにはあとどれくらいで到着するのか――

「そ、そうだ、ダンジョン!」

 高島君というクラスメイトの死体がある、ということは、ここがダンジョンのスタート地点ということじゃないだろうか。僕の立てた推測によれば、そういうことになるはず。

 しかし、どう見たって、ここは今までと同じ森の中に見えるけど――

「――あった!」

 改めて周囲を見渡せば、すぐ近くに岩の祠があることに気づいた。苔が生す表面に蔦が絡みついており、パっと見では森の緑に紛れて分かりづらいが、一度それと気づけば見失うことはない。

 高さ四メートルほどもある長方形の建物は、この深い森にあって確かな人工物であることを主張している。これこそがダンジョンへの入り口に違いない。

 それにしても、コレを見落とすとは、さっきまでの僕は本当に錯乱してたんだな。でも、なんだかんだで鎧熊を倒すことに成功したんだから、凄い機転と行動力を発揮してたともとれる。

 おお、もしかして僕、やれば物凄くできる子なんじゃないだろうか。

 そんな風に、自画自賛しながらダンジョンの祠へ向かおうとした、その時だった。

「――うお、マジで外って森になってんのかよ」

 聞き覚えのある、声が聞こえた。それは紛れもなく、祠の中から発せられていて……つまり、クラスメイトの誰かが、ここへ現れようとしていたのだ。

「おーい! 誰かいるのっ!」

 この際、誰でもいい。あんなモンスターが闊歩する危険地帯にあって、同じ人間がいるというのは、この上ない安心感である。

 とりあえず、クラスメイトと合流できたことを素直に喜ぼう。

「あぁ? 桃川? なんだお前、生きてたのかよ」

 薄暗い祠の向こうから現れたのは、茶髪にピアス、不良生徒。樋口恭弥だ。

「え、桃川くん、いるの? うわっ、ホントだーっ!」

 次に現れたのは、金髪ツインテールのロリ、レイナ・A・綾瀬。

「ほ、ホントかよっ! 小太郎っ!?」

 そして最後に現れたのは、横幅のある我が友人。

「勝っ!?」

「おおおぉっ! 小太郎、無事だったのか!」

 斉藤勝。最も見知った太めの友人を前に、僕は今度こそ涙を流すレベルで歓喜と安堵の念につつまれる。

 だってそうだろう、これは単純に人と出会えて安心するという以上に、天職を授かった頼れる仲間が増えたってことでもあるのだから。流石に三人もいれば、戦士や炎魔術師といった使える天職を得ているだろう。まさか、呪術師がかぶるなんてことはあるまい。

 それに、僕の呪術師の能力だって、戦ってくれる味方がいれば生かせ――

「おい待てよ、桃川」

 その時、喜び勇んで駆け寄ろうとした僕の足が止まった。いや、止められたんだ。

 足元へ飛んできた、一本のナイフによって。ギリギリ、あと三センチでも踏み込んでいれば、この上靴ごと僕の足の指を切り裂いていただろう。

「な……」

「おい! 何するんだよ、樋口っ!?」

 僕の代わりに、勝が叫んでいた。

「ッセーな、サンをつけろよクソデブが。テメぇは黙って、そこに転がってるデカブツのコアを獲ってこいや」

「小太郎が生きてたんだ! 助けないと――」

「じゃあ代わりにテメェが死ぬかぁ? あぁ?」」

 ズボンの後ポケットから――だろうか、かろうじて見えた。樋口が瞬時にバタフライナイフを取り出し、勝の喉元にその鋭利な刃を突きつけたのだった。

「俺らはもう三人いんだよ、忘れてんじゃねぇぞ」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 何で仲間割れなんてしてんのさ! 今はみんなで助け合って――」

「はっ、桃川、テメェ頭沸いてんのか?」

 僕が叫んだ至極当たり前の訴えは、鼻で笑われた。

「いや、っつーか、メール読んでねぇのか。気づかねぇとか、頭悪すぎんだろ」

 やっぱコイツいらねーわ、とせせら笑いながら、樋口はナイフを勝から引いた。

「斉藤ぉ、ボサっとしてねぇで、さっさとバラしてコア持ってこい。桃川は俺が始末つけといてやっから。あ、レイナちゃんは中で待っててよぉ、血ぃとか見たくないでしょ?」

 何が何だか分からないけど、明らかに良くない方向に話が進んでいる。そして、状況も流されている。

 勝は顔を真っ青にして、樋口の命令に従って、鎧熊の死骸へと進み始めた。

 そして、気持ちの悪い猫なで声で「待っててよ」と言われたレイナは、このどこか異常な雰囲気にも関わらず、素知らぬ顔で祠の奥へと引っ込んで行った。

「んじゃ、桃川、悪ぃけど死んでくれや。あのデケぇヤツを殺ってくれたのだけは、感謝しといてやるぜ。美味しい獲物、ごちそうさん」

 そして樋口は、本物の殺意を宿した獰猛な笑みを浮かべて、バタフライナイフ片手に僕へと歩み寄ってきた。

「えっ、ちょ、待って! 待ってよ、何で僕が――」

「おい、あんま動くなよ。一発で急所にキメて楽にイかせてやろうっていう、俺の優しい気遣いを台無しにすんじゃねぇーよ」

 ふざけた物言いだけど、決して冗談ではなく、本気。直感で分かる。樋口は本当に、このまま近づいてきて、僕を刺す。当たり前のように、躊躇も、後悔もなく。

 事実、その刃はもう、振り上げられていた。

「そんじゃ、いっちょ派手に死んでくれや――」

「僕を刺したら、呪術師の能力でお前も死ぬぞっ!」

 樋口の手が、止まった。

「テメぇ……フカしこいてんじゃねぇぞ」

 じゃあ、どうして手を止めた。樋口は明らかに警戒している。そうだ、コイツだってもう知ってるはずなのだ、天職という超常の力があるってことに。

「喰らったダメージをそのまま全部、相手に跳ね返す。それが、僕の能力だ」

 キャリン、と甲高い音がして、バタフライナイフは折りたたまれた。刃を収納し、柄だけとなったナイフを握った拳が――

「ぶはっ!?」

 僕の顔面に炸裂した。痛い、というより、その衝撃に驚く。

「――はっ! クソっ、マジかよクッソ!」

 目の前には、僕と同じようにのけ反って顔面を抑える樋口の姿があった。素晴らしい、僕のような貧弱ボーイでも、『痛み返し』があれば、殴られ損にはならないのだ。

 幸いにも、鼻の骨も前歯も折れてはいない。その代り、鼻血が伝ってくるのを感じた。別にいいや、これくらいはニセタンポポを使うまでもない。

「な、なぁ樋口さん、小太郎は――」

「っせぇよデブっ! テメぇは黙ってコアとってろ!」

 僕がそのまま殺されなかったせいか、勝はどこかホっとしたような表情をしていた。

 けれど、樋口の凶行を止めるどころか、唯々諾々と従っているだけの友人の姿に、僕としては不満と不信感しか募らない。樋口さん、って何だよ。勝はダメだ、頼りにならない。

「樋口、コアってなんだよ、説明しろ」

「桃川ぁ、舐めた口きいてんじゃ――」

「僕の能力はもう分かっただろ。刺したら、今度こそ死ぬぞ!」

 血管がキレそうってほどに憤怒の感情が表情に出ている樋口。だが、その怒りのままにナイフを振るうほど、バカではないようだ。こんなヤツと共倒れなんていう最悪の結末にならなくて良かった。

「……ちっ、いいぜ、教えてやるよ」

 数秒の沈黙の後、樋口は口を開いた。言葉だけでは渋々、といった感じだが、何故か、すっかり溜飲が下がったように、再びうすら笑いを浮かべ始めた。

 嫌な予感しかしないが、今は話を聞くより他はない。

「『天送門』を動かすのに必要なアイテムだ、コアってのはな。そこで死んでるような魔物からとるんだ、直接、体ん中からよ」

 横目で見れば、勝はナイフ片手に鎧熊の死体を漁っていた。手にするナイフは、樋口のバタフライとは違って、妙に古めかしいデザイン。そういえば、樋口が投げてきたナイフも同じよな形だから……ダンジョンの中で入手したんだろうか。

 それにしても、あんなナイフ一本で固い甲殻に覆われた鎧熊を上手く捌けるはずがない。それも勝は分かっているのだろう。甲殻を引き剥がすのは諦めて、血と脂に塗れるのを覚悟で腹部の傷痕から手を突っ込んでいた。

 あんなんでコアとかいうのを獲れるんだろうか――なんて思ってたら、

「あ、あった! とれたぞ!」

 どうやら獲れたらしい。血がべっとりとついた右手には、眩い輝きを放つ真っ赤な宝石があった。

「あれが、コア……」

「いいねぇ、デケぇ図体してるだけあって、コアもデケぇ!」

 喜色満面といった樋口の様子を鑑みるに、魔物からとれるコアには大小の差があるようだ。恐らく、コアっていうのは魔力みたいなエネルギーの結晶なんだろう。魔法があるなら、それを成立させるエネルギー源たる魔力があって然るべき。

 そして、離れた場所へワープするなんていう魔法の機能を有す天送門も、それを起動させるにはある程度の魔力が必要ってことなんだろう。さながら、ガソリンの切れた車だ。

「鎧熊は僕が倒した、だから、あのコアは僕のモノだ」

 当然の主張だった。コアは脱出には必要不可欠なキーアイテムである以上、樋口に渡すなんて絶対に御免だ。

「おい斉藤、撤収だ、さっさとダンジョンに戻るぞー」

 しかし、樋口は聞く耳どころか、全く無視で背中を向けた。

 勝は言われた通り、コアを手にして樋口のすぐ隣まで歩み寄ってくる。僕と一瞬だけ視線があうと、気まずそうに目を逸らす。

 何も言わずとも、その赤いコアを樋口へ手渡していた。

「ふ、ふざけるなっ!」

「なぁ、桃川ぁ、テメぇ、俺からコアを奪い返せる力、あんのかよ?」

 悪魔の笑みに顔を歪ませて、樋口は振り返った。これみよがしに、血塗れのコアを見せびらかしながら。

 しまった……コイツ、僕に攻撃能力がないことを見抜いている。

「呪術師ったっけ? どう聞いてもコレってよぉ、殺し向き、じゃねぇよな? なぁ桃川、おい、ムカつくだろ、このクソDQNが、とか思ってんだろオタクなテメぇはよ。だったろよ、今すぐ殺ってみろよ。呪術師の能力で、俺を、呪い殺してみろよっ!」

 できるはずがない、と確信している目だ。事実、できない。僕は返す言葉がなかった。

「ひゃはははっ! 無理だろっ? 無理なんだろぉ、ええっ! なぁにが呪術師だ、このクソ天職が。そのデカいのも、さっきの能力でたまたま殺れただけだろ」

 半分正解で半分不正解だよ、このクソDQNが。

「コアはこのまま俺がもらう、テメぇはそこで見てるだけ。抵抗すんじゃねぇぞ、こっちは三人いる――あ、そっか、そうか、なんだよ、んでこんな簡単なコト気づかなかったかなぁ、俺ぇ」

 あーあ、とわざとらしく呆れた顔で、ワックスで尖らせた茶髪をぼりぼりとかく樋口。何か、ろくでもないことを思いついたに、違いない。

「斉藤、お前ちょっと桃川ボコれ」

 最悪だった。『痛み返し』は、攻撃してきた対象にしかダメージは跳ね返らない。勝が僕を殴っても、樋口は痛くもかゆくもない。

「え、そ、それは……」

「早くやれって。泣くまでぇ、殴るのぉ、止めないっ! ってよぉ、なんのセリフだっけ? まぁ、好きだろ、そういうの?」

 勝は明らかに戸惑っている。だが、それだけだ。躊躇しているだけで、樋口に言われれば、やる。僕を殴る。必ず。

「勝……樋口に、脅されてるのか」

「……ごめん、小太郎」

 聞かなくても分かった。勝は樋口より、弱いのだ。普通に喧嘩しても、天道君ほどじゃないが、そこそこタッパのある樋口に勝は勝てない。木刀小太刀二刀流でも、無理だろう。

 そして、天職を得ただろう今になっても、勝てないのだ。

 樋口は躊躇なく僕を刺しにきた。恐らく、もう誰かを殺している。手馴れている。殺人の覚悟が、ヤツにはある。

 命を握られれば、人は何でも言う事を聞く。聞かざるを得ない。当たり前のこと、僕だってそうなるだろう。

 理解はできる――けど、

「ちくしょう……友達っていっても、こんなもんか……」

 納得なんて、できるはずなかった。裏切られたと、恨まないはず、なかった。

「小太郎、ごめんっ!」

 痛かった。その拳は、鎧熊の一撃よりも、樋口の一発よりも、ずっと。僕の頬と、心を抉った。

 倒れた僕へ馬乗りになって、勝は何度も拳を振るう。

「ごめん……ごめん……」

 涙が出る。僕も勝も。そりゃそうだ、どっちも平等に顔面パンチを喰らってるんだから。マウントポジションなんて関係ない。

 右頬が腫れる。左頬も腫れる。また鼻血が流れ出した。お互い、満身創痍。

「そういやぁ、言い忘れてたけどよぉ、ここの天送門って、三人しか送れないらしいんだわ」

 苦痛と屈辱の底であえぎながら、最後の納得がいった。

 ああ、そうか、三人しか助からないのか。だから四人目である僕は、助けられない。助けたくない。

「桃川が呪術師なんてクソ天職じゃなくて、治癒術士とかだったら、イマイチ使えねーこのデブ捨てて仲間にしてやったんだけどよぉ」

 はは、勝、お前、捨て駒だって言われてるぞ。僕を殴ってる場合じゃないだろ。怒れよ。少しでも、男のプライドがあるんなら、相打ち覚悟で樋口を刺してこいよっ!

 どうしようもなく友情に亀裂の入った今じゃ、そんな悪態しか心の中に浮かばない。

「な、良かったな斉藤、お前のお友達がカスみたいな天職で。小太郎クンが呪術師になってくれたお蔭で、僕は樋口様に捨てられずにすみましたーって、感謝しながら殴りなさーい。いやホント、お前、いい友達もったよ、羨ましいぜ」

 くそ、くそっ、くそぉ!

 呪ってやる、呪ってやる、必ず、呪い殺してやる! 樋口、お前は絶対に、僕が、呪い殺してやるからなぁ!

「はぁ……はぁ……ひ、樋口さん……これ以上は……」

「ぎゃははは! すげーイケメンになったじゃねぇか、斉藤!」

 腫れあがった顔面を指差して爆笑する樋口。ちくしょう、僕の顔も今、あんな風になってるのかよ……

「お、お願い……します……」

「あーあー分かった、分かったよ。トドメだけは刺せねーからな、仕方ねぇ」

 流石にこんな勝でも、僕の命と引き換えに失うのは惜しいだろう。ははっ、こんな従順な奴隷、そりゃあいたら便利だものな。

 僕は軽蔑の眼差しで、勝が体の上から退くのを見送った。重いんだよ、このデブ。樋口の次は、お前を呪ってやるからな。

「そんじゃあな、桃川、今度会うときまでに、お前の殺し方考えとくわ。別に魔物に喰われてくれてもいいけどな――ぺっ」

 最後に、僕の顔面に唾を吐いて、樋口はダンジョンへと立ち去って行った。

 くそ、ちくしょう……ただの不快感だけじゃ、痛み返しは相手に返してくれない。

「必ず……呪い殺して、やるぅ……」

 口ではいくらでも言える。けれど今の僕はただ、悔し涙を流しながら、去りゆく二人を見送ることしかできなかった。

 最低最悪のクソ野郎と、裏切者の友人。

 許さない。僕は絶対に、許さないからな――

第5話 蒼真悠斗

 俺の名前は蒼真悠斗。どこにでもいる普通の高校生だ。

 だから、三連休明けでちょっと気だるいけれど真面目に登校を果たし、気の合う友人と他愛もない話をして、それから、退屈な授業が今日も始まる――はずだった。

「はぁ……どうして、こんなことになったんだ……」

 目を開ければ、そこはよく見慣れた教室ではなく、古めかしい石造りの部屋だった。窓はなく、地下室みたいな造りだけれど、天井にある白いパネルが蛍光灯のように光り輝いて室内を隅々まで照らし出している。

 この石室内には、これといって目立つものは何もない。ただの伽藍堂だ。

 右手に通学用鞄を、左手には竹刀と木刀が一本ずつ入った刀袋を持って、俺は一人で立ちすくんでいる。

「本当に、ここが異世界、なのか……」

 全くワケが分からないまま、俺は、いや、俺達、白嶺学園二年七組の生徒全員は、異世界に召喚された。荒唐無稽な話だけれど、こうして現実に見知らぬ場所へ一瞬の内に送り込まれてしまったことから、もう信じないワケにはいかないだろう。

 突如として闇に包まれた教室。謎の男のアナウンス。黒板に浮かび上がる光の魔法陣。あれだけなら、まだ何かのアトラクションだとか仕掛けがあると納得できそうなものだが、この石室に来る直前に見た最後の光景――真っ黒いひび割れが教室中に走り、奈落の底へ落ちて行くかのように崩れ去って行くシーンを見てしまえば、もう日本の常識が通用しない、正しく魔法の世界の出来事に巻き込まれてしまったことを、否応なく理解させられる。

 全く、冗談じゃない。本当に、どうしてこんなことに。

「いや、悩んでいても、どうしようもないだろ」

 思い悩んで立ち止まるな。ただ、前を向いて突き進め。

 俺の爺さんの教えの一つだ。まさか、あの説教臭いフレーズが、こんな時に役に立つなんて、分からないものだな。

 よし、まずは落ち着いて、行動方針を決めよう。と言っても、そんなのは考え込む必要もないほど明らかだけど。

「まずは桜と、友達と、クラスメイトを探さないと」

 あの男の話を信じるならば、恐らく、このダンジョンと呼ばれる場所に、クラス全員は飛ばされているはず。きっと今の俺のように、皆バラバラになっているだろうけど、先に進めば合流できるはずだ。

 とにもかくにも、このダンジョンを進まないことには始まらない。こんな何もない部屋の中で、いつまでも留まっていても仕方ない。

「あ、そうだ、そういえば……魔法陣と呪文、だったか」

 ダンジョンを攻略するのに必要な力。そういう説明だったはずだ。

 あの時は、素直に魔法陣を書こう、なんてみんなに言ったけれど、正直、自分でも胡散臭いとは思っていた。だが、少しでも役に立つ可能性があると判断したから、そう言い切った。

 そして改めて、このダンジョンと思しき一室に飛ばされれば、やはり正解だったと思う。

 しかしながら、果たして本当に、この魔法陣と呪文が効果を発揮するのか、そして、俺達が身を守りための力になりうるのか。実は、とんでもない裏があるのではないのか――それが明らかになるのは、もう実際に使ってみるより他はない。

「……よし、行くぞ」

 すでに、魔法陣が描かれたキャンパスノートは開かれ、呪文はメモを読み上げなくても言えるくらいには頭に入っている。

 覚悟を決めて、いざ――

「きゃぁあああーっ!」

 突如として響きわたった悲鳴に、魔法の儀式は遮られる。いや、中断せざるをえない。

何故なら、耳に届いた少女の声を、俺は、俺だけは聞き違えることはないから。

「桜、なのか」

 あの声は、間違いなく桜のものだ。

 桜はレイナと違って滅多なことじゃ悲鳴なんて上げない。黒高の不良共に絡まれたって、毅然とした態度は崩さないし、まして、泣きわめくことなんて。

 そんな桜が悲鳴をあげたのだから、それはきっと、よほどの危険と恐怖が迫っていることに他ならない。

 助けなければ。

 そんなことを明確に意識するまでもなく、俺は刀袋だけを掴み取り、即座に走り出していた。

「桜! どこだっ!」

 勢いのままに石室を飛び出し、俺は部屋と同じく石造りの薄暗い通路を走り抜ける。距離にして50メートルほどだろうか。そこで、ちょうど十字路に出くわす。

「……こっちか」

 必死になって直前の悲鳴を思い出し、声が発していると思しき方向に見当をつける。逸る心を抑えきれないように、俺は全力で選んだ通路を駆け抜けた。

「――桜っ!」

 果たして、そこに彼女はいた。

 長い黒髪にセーラー服の少女は、見慣れた妹の姿そのもの。けれど、彼女の白い顔は、目の前に現れた恐怖の存在により、真っ青に血の気が引いていた。

「に、兄さん!」

「大丈夫か、桜!」

 一も二もなく、桜の元へ駆け寄ってから、俺はようやく、現状をはっきり認識することができた。

 まず、この場所はさっきまでいた石造りとは全く異なり、広々としたドーム状の空間で、まるで植物園のように緑の木々が生い茂っていた。上を見上げて、白い光のパネルがある天井を見なければ、本物の森に迷い込んだように思えるだろう。

 そして、そんな緑溢れる森の支配者であるかのように、堂々とソイツは立ちはだかっていたのだ。

「何だ、コイツは……熊なのか」

 シルエットだけで見れば、確かに熊というより他はない。おまけに、二足で立ち上がった姿は、俺の背丈を遥かに越す、四メートル近い巨大さ。

 昔、修行と称して爺さんにどっかの深い山に強制的に連れて行かれたことがあって、その時に野生の熊と遭遇したが……あの時の熊が子供に見えるほど、コイツの大きさは圧倒的だ。

「兄さん、きっと、これが魔物なのよ」

 少し震えているが、桜の言うことは至極もっともだ。コイツは地球の熊とは一線を画す、全く別の存在であると一目で理解できる。

 何故ならば、この熊は鈍い鋼の光沢を宿す、鎧を纏っているのだから。

 実際は甲殻なのだろう。表面に生える棘や、関節を覆う膜など、蟹や海老と似たような作りになっている。けれど、この大きさと分厚さから見て、素手で簡単にバリバリ剥がせるようなものじゃない。それこそ、見た目通りに鋼鉄の防御を発揮していても、おかしくない。

「俺が、コイツを引きつける。その隙に――」

「イヤです! 兄さんを置いて逃げるなんて、私にはできません!」

 すがりつく桜の腕の力が、ギュっと強まる。絶対に離さないという、強い意思も伝わってくるかのようだ。

「優しいな、桜は……けど、その願いは聞けない」

 聞くわけにはいかない。俺は妹を、桜を、絶対に守らなければならないから。

「いくら兄さんでも、こんな化け物が相手では勝てないです!」

「大丈夫だ。勝つのは無理だけど、何とか、逃げ出せるくらいなら――」

「私だけ、逃げても……兄さんがいなければ、意味なんてないですよ……」

 本当に、こういう時は頑固だからな、桜は。こんな危機的状況下にも関わらず、俺としては呆れ半分、そして、もう半分、嬉しくも思う。

「安心しろ。俺だって、こんなところで死ぬのは御免だ。ちゃんと二人とも逃げられるようにするさ」

「本当、ですか」

 嘘を言ってもしょうがないだろう。俺は自分の身の危険を顧みず桜を助けることができる、と自信を持って言い切れるが、それでも無駄死にするつもりは毛頭ない。

 そもそも、この場を切り抜けても、桜の安全が保証されるわけじゃあない。俺達はこの先も、こんな恐ろしげな魔物が闊歩するダンジョンを進まなければならないのだから。

「俺を信じろ。桜も、皆も、必ず、一緒に元の世界へ帰るんだからな!」

 覚悟と共に、俺は刀袋から木刀を抜き放つ。残る竹刀と袋はその場で捨てる、戦いの邪魔だ。

 俺の戦意を感じ取ったのか、これまで距離をおいて観察するように黙って見ているだけだった大熊は、のっそりと前足を地につける四足歩行の構えとなって、鋭い声を上げた。

「だから、早く行くんだ、桜!」

「……分かりました。ごめんなさい、兄さん」

 ほとんど涙声で言い残し、桜はついに走り始めた。その後ろ姿を、俺は振り返って見送ることはしない。

「待たせたな、化け物」

 ガルル、と正しく猛獣に相応しい呻き声をあげながら、大熊の赤い両目は俺を睨みつけた。戦いはもう、始まっている。

 勝ち目のない戦いに挑むのは、初めてではない。命がかかった戦いに挑むのも、初めてではない。

 けれど、絶対に勝ち目がない上に命もかかっている戦いは、初めてだ。

 怖い。けれど、震えない。恐怖心の抑え方は、ずっと前に習ったから。

 嫌だ。けれど、逃げない。俺には守るものがあるんだと、教わらなくても知っているから。

 だから、俺は戦う。化け物相手でも、臆せず、戦える。

「ふっ、はぁ……」

 深呼吸を一つして、さらに落ち着かせる。精神集中。

 俺が手にする武器は、何の変哲もないただの木刀。ついこの間、行きつけの武具店で買ったばかりの新品である。

 綺麗で頑丈、けれど、殺傷力はない。思い切り頭を叩けば人間を殺すことはできるが、この鎧兜で完全武装した大熊では、どこを叩いても痛くもかゆくもないだろう。

 そもそも、こんなヤツには本物の日本刀でも敵わない。まぁ、爺さんなら鉄の甲殻ごと一刀両断できるかもしれないが……何にせよ、俺にはまだ爺さんほどの力量はないし、武器が木刀であることに変わりもない。

 そんな俺がこの場でとれる手段は、自ずと限られてくる。導き出された結論は、弱点を一点集中で狙うこと。つまり、目だ。

 剣道の試合では当たり前だけど、眼突きは禁止。他の武道でも、目を狙うのは同様に禁止されている。だから普通は、相手の目を突く練習なんてしないし、させない。

 でも、俺は違う。自ら望んだワケではないが、それでも確かに、爺さんから目突きを教わったことがある。

全く、あんな小さい子供に危険極まりない禁じ手を教え込むなんて、保護者として、教育者として、どうかしていると思うことしきりなのだが……今は、この窮地を切り抜ける可能性を与えてくれたことに、素直に感謝しよう。

 両手で握った木刀は、肩と水平になるような構え。素人目でも突きを狙っていることが丸わかりだが、動物、いや、魔物相手では関係ない。心理的な駆け引きは必要ない。ただ、最短距離を最速で突くことが重要。

 大熊はいよいよ、俺という獲物に襲い掛かるために、のっそりと野太い前足を動かした――今だっ!

「はあっ!」

 これまでの人生の中で、最も速く、そして、最も力強い。そう自信を持って言い切れる、会心の一撃だ。

 普通の人間なら捉えきれないほどの高速で繰り出された木刀は、吸い込まれるように大熊の目へ――命中!

「ゴァアアアアアアアアッ!」

 けたたましい咆哮が耳に届くと同時に、俺は命からがら、剣を引き戻して間合いから離れることができた。

 危なかった。目に当たったその瞬間、熊は反射的に前足を薙ぎ払っていたのだ。命中だ、と手ごたえに喜んでいれば、あの棘が生えた丸太のような腕が俺の体を吹っ飛ばしていただろう。あるいは、剣を引くのが一拍でも遅れていれば、手に生える鋭いナイフのような爪で引き裂かれていた。

「はぁ……はぁ……」

 一連の攻撃動作を終えてから、ドっと汗が噴き出し、バクバクという鼓動が聞こえてきた。

「頼む、これで退いてくれ」

 山籠もりの時に出くわした熊は、爺さんが先制で鼻先に一発喰らわせると、すごすごと退散していった。爺さん曰く、野生動物は存外に臆病だから、少しでも危険とみればすぐに逃げる、らしいのだが、果たして異世界の魔物は――

「グォオ、ガァアアアっ!」

 潰れた右目からドクドクと血を流しながらも、残った左目をギラつかせて、大熊は俺を怨敵の如く睨みつけた。どうやら、魔物は身の安全よりも敵への怒りが優先されるようだ。

「くそ、もう一度やらないとダメか」

 両目とも潰す。危険だが、それしかない。

 幸い、木刀は折れることもなければ、手放すこともしなかった。もう一度攻撃を仕掛けることは可能だ。

 怒り狂ったように猛然と突進を仕掛けてくる大熊を前に、俺は再度、目突きに挑む。

 さっき成功したのは、半分くらいは偶然だろう。

 当たり前だが、目は小さい。的として正確に狙うには、凄まじいコントロールが必要となる。俺も剣の扱いには少しばかり自信はあるけれど、百発百中とはいかない。

 それでも、この期に及んではやるしかない。すでに大熊は目の前。あと一歩で間合いに侵入を果たす。迷っている暇も、躊躇する余裕も、ない!

「はっ――」

 走り出した切先は、勢いよく空を切って突き進む。さっきと同じ、いや、それ以上の速さが出ていると自分でも分かる。

 そして、目前に迫った大熊、その怒りで燃え盛るような真紅の眼光が宿る左目に向かって、正確に刃が疾走していく。狙い違わず、俺は二度目の目突きを成功させ――

「――ぐうっ!?」

 そんな、弾かれたっ!?

 一体、何に……その疑問は、俺自身がすでに目撃している。

 正確な狙いの元、俺は確かに木刀の切っ先が残された左目に当たるのを見た。だが、命中の瞬間、コイツは目を瞑ったのだ。

 そう、体と同じく、鋼の装甲を纏った瞼を。

 硬質な鉄の瞼に阻まれ、ただの木刀は何ら貫通力を発揮させることなく、あえなく弾かれる。

 そして、予想外の防御で攻撃を返された俺の体は、完全に無防備となり致命的な隙を晒す。

「ぐはぁああああっ!」

 直後、全身を襲う強烈な衝撃。

ふと思い出すのは、去年だったかな、黒高の不良にバイクで襲われた時のこと。あの時、かなりキレた不良の一人が、本気でバイクで俺を轢き殺そうと襲い掛かってきたんだ。

 あの時は、轢かれた瞬間に衝撃をいなすように上手くスウェーバックできたから、派手に吹っ飛んだ見た目ほどのダメージはなかったし、転倒した不良にトドメを刺すだけの体力も残っていた。

「ぐ、う、ぁあああ……」

 けれど、今はあの時の比じゃない。スパイク状の甲殻を纏った体は正しく全身凶器そのもの。そんな奴に真正面から体当たりをぶちかまされたのだ。おまけにこの巨体を見れば、あの時のバイクよりも遥かに重量があるだろう。無事で済むはずがない。まだ生きているのが、不思議なくらいだ。

 俺はやや混乱する頭と霞む視界の中で、どうにかこうにか、顔を起こして前を向く。

 どうやら、俺はうつ伏せに倒れているらしい。幸い、体にそれほど痛みはない。恐らく、麻痺しているのだろう。

「く、そ……これで、終わり……なのか……」

 どうしようもなく実感する『死』という現象。

 俺にはもう、とても戦えるだけの体力は残されていない。そういえば、木刀もどこかに手放してしまっている。もっとも、剣があっても、こんな状態では立ち上がることすらままならないのだ。

 ああ、ダメだ。二度目の目突きを防がれた時点で、俺の勝利は完全に潰えた。

 俺は、負けた。そして、あんな化け物に敗北した人間の末路など、自ずと分かろうというもの。自然の掟に従って、食い殺されるのみ。

「……っ!?」

 しかし、大熊は俺に一瞥だけくれると、すっかり興味を失ったようにそっぽを向いた。いや、違う、アイツはただ目を逸らしたわけじゃない。

 そうだ、ヤツが睨んでいるのは、桜が逃げ去っていった方向。すなわち、俺が最初に通って来た石の通路に向けられていた。

「ま、て……」

 桜が危ない。

 熊の行動は、冷静に考えれば、実に合理的なものだ。死に体の俺は、もう放っておいても逃げない。桜を仕留めた後で戻って来ても、何ら問題はないのだ。

「待て、よ……」

 絞り出すように声を上げると、口の中に血の味が溢れてきた。

 文字通りに必死の思いで制止の言葉を投げようとも、人の言葉を解さない魔物が、止まることなどありえない。ノシノシと鋼の巨体を揺らしながら、何者に邪魔されることなく狩りを続行するのみ。

 アイツの右目は潰れているが、左目は無事。少なくとも、桜を追いかけて捕えるには何ら支障はない。

 そして桜は、いくら普通の女の子よりも遥かに優れた武術の経験者であるとはいえ、丸腰であの大熊の相手をすることは到底、不可能。万が一、熊に追いつかれて襲われた場合、助かる可能性はゼロだ。

「さ、桜……」

 死ぬのか。俺も、そして、桜も。俺は、桜を守り切ることができずに、死ぬのか。

「俺が……守るん、だ……」

 そうだ、桜は俺が守る。俺が、守らなければいけないんだ。

 何故なら、俺は兄だから。妹を守る。当然のことだ。

 そして俺は、その当然のことを、誓っただろう。必ず、俺が桜を守り通してみせると。

「お、俺……が……」

 思い出す誓い。あれから十年経っても色あせない決意。胸の奥から湧き上がる熱い気持ちが、俺の体を動かす。

「う、お、おぉおお……」

 ゆっくりと、右手を、左手を、地面につける。土の感触が、掌に伝わる。大丈夫、まだ神経は死んでいない。

 動く。なら、立てるはずだ。

「おぉおおおおおっ!」

 立つ。手を尽きながら、ゆっくりと、両足で。俺は、立ち上がる。

 よし、立った。さぁ、行くぞ――

「ぐっ、は……あ……」

 そこで、限界だった。

 腹の底からせり上がってきた熱い塊が、強引に喉を押し広げて口から吐き出される。それは真っ赤な、血であった。

すると今度は、俺の意志を一切拒絶するように、体が止まる。まるで、今吐き出した鮮血が、肉体を動かす全てのエネルギーであったかのように。

 永遠に、一歩も踏み出すことができない。ただ、遠ざかって行く熊の後姿を眺めながら、俺は再び、無様に地へと沈んだ。

「……」

 もう、声も出ない。手足の感触もない。今度こそ、本当に、何もかも感じない。

 けれど、俺の思いだけは、どうしようもなく収まらない。

 頼む、動け。動いてくれ。あと一分、いや、三十秒でもいい。

 今から走って追いかければ、もう一度、チャンスがある。今度こそ左目を潰せれば、桜はきっと助かる。

 だから、頼むよ。せめて最後くらい、俺に桜を、守らせてくれ……


『――目覚めよ』


 絶望の泥沼に沈んで行くような感覚の中で、ふと、そんな声が聞こえた気がした。


『目覚めよ』


 いや、気のせいじゃない。声は、謎の声……綺麗な女性の、それも、これまで聞いたこともないような美しくも不可思議な響きで、その声は、俺に何か呼びかけていた。


『目覚めよ、選ばれし光の御子』


 何だって? 光? 御子? 俺が?


『今、世界は再び邪悪なる闇が満ちようとしている』


 まるで意味が分からない。光だとか闇だとか、まして世界のことなんて、俺は知らない。


『闇を祓い、魔を討て』


 関係ない。俺はただ。桜を守りたいだけなんだ。


『汝、世界に白き光をもたらす――『勇者』となれ』


 その時、確かに世界は、光に満ちた。


「――うぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 気が付けば、俺は再び立ち上がっていた。

 手足の感覚が戻っている、いや、むしろ普段よりもずっと力に満ちている。瀕死になっていたのが嘘だったかのように、俺の体はこれまでに感じたことがないほど万全のコンディションとなっていた。

「うおおっ、な、何だコレはっ!?」

 何か光っている。何か、というか、俺の体が光っている。世界に光が満ちた、と思いきや、どうやら俺自身が輝いているだけのようだった。

 よくよく観察してみれば、肉体そのものが発光しているのではなく、真っ白い霧のような靄、いや、オーラとでも呼ぶべきものが湯気のように発していて、それが俺の全身を包み込んでいるのだ。

「もしかして、これが『勇者』の力なのか……」

 死の寸前に聞こえてきた謎の女性の声。まるで神様のお告げみたいな感じだったな。

 普通ならただの幻聴だろうと思うところだが、ついさっきまで俺の体は間違いなく瀕死の重傷で、それが一瞬の内に回復しているのだ。何より、この白く輝くオーラがどうしようもなく超常的な力の発露であることを示している。

「神様、か」

 そういえば、例の呪文は神様の力を借りるような文章だった。もしかすれば、この異世界では神様っていうのは実在していて、本当に人間を助けてくれるのかもしれない。

「いや、それより今は――」

 そうだ、アレコレと考え込んでいる暇はない。

 俺に力があるのなら、それが神様の奇跡だろうが、単なる偶然だろうが、何でも良い。ありがたく、使わせてもらおうじゃないか。

 そう、俺はこの力で――

「――桜を、守る!」

 駆け出した足は、驚くほどに軽い。体はグングンと前へ突き進む、というより、崖から転げ落ちて行くような勢いだ。それでいて、まるで転倒する気もせず、体の隅々まで完璧に自分がコントロールしきっているような感覚でもある。

 俺は今、とんでもなく、強くなっている。

 そうハッキリと理解できるのは、きっと、普段から自分の強さというものを把握しているからだろう。学校の部活じゃ、自分の限界なんてそうそう見えはしないけれど、爺さんを相手に毎日命がけの乱取りをしていれば、嫌でも見えてくるものだ。

 だから、分かる。今の俺は、とても超えることはできないと思っていた、いいや、俺じゃなくて、他の誰も同じ、人間という存在では絶対に到達不可能な高みに、いるのだと。

「ぉおおおおおおおっ!」

 体の奥底から無尽蔵に湧き出る力に突き動かされて、俺はあっという間に大熊の背中へと追いつく。

 俺の雄たけびが耳をつんざいたのか、それとも、この自分でも吹き飛ばされそうなほど凄まじい『力』の気配を野生の勘で感じ取っているからか、熊の反応は素早かった。弾かれたように顔を上げて振り返るや、その巨体からは到底信じられないほど身軽な動作で急反転。

 気が付けば、4メートル近い巨体が二足で立ち上がり、真っ直ぐ迫り来る俺をそのまま鋼鉄の腕で叩き潰す動作に入っていた。

 木刀さえ手元にない俺には、どうにもならない圧倒的な攻撃だ。避けることも、防ぐことも、ましてカウンターで討ち取ることなど無理な状態。

 けれど、今の俺は不思議と、負ける気はしなかった。必ず勝つ。

 確信のままに、俺は両腕を振り上げる。まるで、そこに本物の剣が握られているかのように――否、この時、俺の手には、確かに一振りの『剣』があった。

「『光の聖剣クロスカリバー』ぁああああああああああああああああああああっ!」

 迸る白い閃光。失明せんばかりの眩い光の嵐の中にありながら、俺は目の前の光景をはっきりと見届けた。

 それは光の剣だ。俺の手に、白く輝く光の剣がある。

 勢いよく振り下ろされたソレは、難なく巨大な鋼の体を断つ。

 それは、子供の頃に見たヒーローアニメのように、神々しい光が、恐ろしい怪物を切り裂き倒すように、圧倒的でありながら、あっけなかった。

 鋼鉄の甲殻はまるで見かけ倒しだったかのように裂かれ、巨躯の中身はただの水であるかのように通り抜ける。しかし、確かな手ごたえもまた、感じた。

 俺が振るった光の刃は、そうして、熊の魔物を縦に一刀両断してみせた。

「……ゴ、オッ」

 目いっぱいに広げられた熊の口から、僅かに断末魔の声が漏れかけた次の瞬間――その巨大な体が、消える。

 頭の天辺から股にかけての切断面は、鮮血と臓物が噴き出すことなく、真っ白い光に包み込まれている。そこから、一瞬の内に白い光は左右に別たれ崩れ落ちて行く真っ最中の死体を覆いつくし、地面に倒れ伏す前に、全てが光の粒となって弾け飛んだのだ。

「う、うわっ!?」

 そんな不可思議な死体消失現象を呆然と見ているだけのはずだったが、不意に、空中に漂う白い光の粒子は、吸い込まれるように俺の体へと殺到し始めた。

 思わず声を上げながら、振り払うように腕を動かす――あ、そういえば、もう手から光の剣は消えているな。なんてことを思ってしまった間に、俺の無駄な抵抗も終わった。

 気が付けば、光の粒子は全て体に吸収されてしまったかのように、綺麗さっぱり消え去ったのだから。

「な、何だったんだ……」

 とりあえず、体に異常は感じない。光に触れて熱い、ってこともなかった。

 というより、こうして全てが終わってみれば、俺の体は無傷だし、敵である熊の姿も消え、戦いそのものが悪い夢であったかのような感覚に陥る。

 本当に、何だったんだ――と、ここで自室のベッドで目覚めれば思うのだろうが、俺がいる場所は変わらず森林ドームだし、着ている学ランには、大熊の必殺タックルを喰らった時の傷痕も残っている。だから間違いなく、さっきの戦闘はあった。俺は瀕死の重傷を負ってから神の奇跡で復活し、そして、光の剣で、熊を消滅させた。

 よし、いいだろう。とても納得はできないが、そう、理解だけはしておこう。

 それなら、次はもうこんなところで呆けている場合じゃない。脅威がなくなったのなら、すぐに桜を追いかけて――

「に、兄さん……」

「桜っ!? どうしてここに!」

 おずおず、といった感じでかけられた声に振り向けば、ちょうど石の通路の入り口となる部分から、顔を覗かせている妹の姿があった。

「まさか、俺を助けに戻って来たのか」

「はい。私の『天職』が――あっ、兄さん!」

 なんて馬鹿な事を、と俺は怒ったつもりだったのだけれど、あれ、何だ、急に、力が抜けて……

「兄さん! 大丈夫ですかっ!」

「あ、ああ……桜、俺は別に大丈夫、だから……」

 一瞬、気を失ったような感覚。事実、俺はこうして地面にぶっ倒れて、桜に抱き起されているまでの僅かな間の記憶が飛んでいた。

 これはかなりの重症だな。体に満ちるのは、官官照りの最中で猛特訓をし終わった時のような脱力感。大丈夫、というのは、咄嗟に口をついた強がりでしかない。

 ダメだ、もう意識さえ保っていられない。

「だから……泣くなよ、桜……」

 最後に、円らな目に浮かんだ大粒の涙を指で拭って、俺は自分の意識を手離す。

 ああ、どうか次に目覚めた時は、元の世界に戻っていますように。頼むよ、神様。俺は『勇者』になることなんて望まない。だから俺を、ただの高校生に、平和な日常に、戻してくれよ――


聖名・蒼真悠斗。

天職・『勇者』


第一固有スキル・『光の聖剣クロスカリバー』――第二――第三固有スキル『――』――


習得スキル・『一穿スラスト』・『一閃スラッシュ』・『疾駆ハイウォーク』――


獲得スキル・『剛力フォルス・ブースト』・『鉄皮アイアン・ガード・『三裂閃トライ・スラッシュ』――


 そんな風に、何だかよく分からない内容を無理矢理に暗記させられているような感じの夢を、俺は見た……気がした。

第6話 妖精広場

長い、長い螺旋階段を、ひたすら下っていく。まるで、自ら奈落の底へと落ちて行っているような感覚。もっとも、僕の精神状態はとっくにどん底だけど。

「アイツらに追いついたりしないよな……」

 樋口一行が祠に消えてから、少し時間を置いて僕もダンジョンへと入ることにした。待っている間は怒りと悔しさのあまり発狂しそうだったけど、血の臭いに引かれて魔物が寄ってこないかという恐怖心もあって、もう僕の心の中はぐっちゃぐちゃだった。

 少しでも気を紛らわせるのと、今後のために役立つものをと考え、死んでいた高島君の荷物を漁って時間を潰した。野球部なんだから金属バットの一本でも持っていて欲しかったが、彼から獲得した役立ちそうなものといえば、カロリーメイツとポカルスエット、あとはポケットの奥に隠されていたライターくらいだった。勿論、セットでタバコも発見された。嗜まない僕にとっては無用の長物だけど、一応、持っておくことにした。

 ひとしきり目ぼしいものを自分の鞄に詰め込んで、そろそろ突入しようかと立ち上がった時には、少しだけ落ち着きが戻ってきていた。死体から物をはぎ取って冷静になるなんて、もう僕の頭はどこかおかしくなっているかもしれない。

 そうして、僕はダンジョンの入り口と思しき祠へと足を踏み入れたのだ。で、そこにあったのが、今も絶賛降下中の、螺旋階段なのである。他には何もない。階段だけの一本道。

 大人二人が余裕をもってすれ違えるほどに幅は広く、螺旋の内側は柱になっていて吹き抜けてはいない。祠の外壁と同じく石造りだが、組み上げられたブロックは苔も蔦も浸食しておらず、実に綺麗なものだ。

 壁面の一部が点々と、魔法の発光に似た白い輝きをぼんやりと発しているお蔭で、視界はそれなりに確保されている。特に足元なんかは意外としっかり照らされており、上り下りに支障はない。

 そういえば、樋口はどうしてこの階段を上ってきたのだろうか。目的地はダンジョンの奥にあるらしい天送門。ノートのコンパス機能で、道を誤るということもあるまい。わざわざ外に出る意味はないはず。この長い階段を前にすれば、よほど目的がなければ上ってみようとは思わな――いや、そうか、アイツには目的があったんだ。僕が倒した鎧熊、ソイツからとれるコアを手に入れるために。

 無論、鎧熊が倒れるその瞬間を目撃していたはずがない。とすれば、魔物の死体か、あるいはコアを探知する能力があると考えるべきだろう。天職の種類を想像するに……盗賊とか斥候とか、そういうタイプか。少なくとも、戦士や炎魔術師といったイメージではない。

 それじゃあ、あの三人の内の誰かが盗賊――ああ、盗賊か、それは何とも樋口にピッタリじゃないか。正に天職。バタフライナイフを妙に素早く扱っていたのも、盗賊の恩恵ってところだろうか。盗賊といえば、武器はやっぱりナイフだし。

 でも、そういえば奴らは、随分と慣れた感じだったな。僕はこの異世界に放り出されてから、まだ半日も経ってない。にもかかわらず、樋口は平気で人殺しできる精神性を獲得しているし、勝だって鎧熊の腹の中に手を突っ込むのに、さして躊躇はしていなかった。

 こっちに飛ばされて、必要だからと簡単に割り切ってできることじゃない。恐らく、二人はもうソレをやれるだけの経験があるんだ。

「もしかして、転移した時間がズレているのか?」

 そう考えるのが妥当だろう。奴らは何日も前に、このダンジョンでの生活を始めた。そして、僕は今日になってようやく、あの森に落とされた。

 教室から出て行ったのは、不本意ながらも僕が最初だったけど、異世界に出たのは最後なのか。もしかしたら、まだ転移してないクラスメイトもいるかもしれないけど。

 どっちにしろ、僕はあの最悪のクソDQNの樋口に、すでにしてスタートで出遅れたということになる。恐らく、アイツは人を殺しているし、魔物との戦いも経験しているだろう。そして、説明通りに天職の能力も成長しているはず。

 ただでさえ弱い呪術師を、今から育てて追いつくのか……いや、今は考えるのはやめよう。樋口にも勝にも復讐してやりたい気持ちはあるが、それを今すぐ実行できる力など、僕にはないのだから。

 ひとまず、僕はこの初めて足を踏み入れるダンジョンで、一人で生き抜くことを考えなければ。

「はぁ……やっと下についた」

 とりとめのない思考をしている内に、とうとう螺旋の段差が尽きた。辿り着いたその場所は、階段よりも明るい光に満ちる、開けた場所だった。

「ダンジョンっていうより、庭園みたいだ」

 広さは、近所にある寂れた児童公園と同じくらいか。深緑の葉が生い茂る樹木に、赤青黄色と色とりどりの花々が広がっている。今まで歩いてきた森と違って、整然と等間隔で生え揃っている。流石に花壇まで設置されてはいないが、地面は国立のピッチみたいに綺麗な芝生だ。

 天井は見上げるほどには高く、屋内でありながらそんなに閉塞感もない。螺旋階段に施されていたのと同じ白光が、五メートルは頭上にある天上から部屋を優しく照らし出している。

 そんな中でも最も目を引くのは、部屋の真ん中にどっかりと鎮座する白い石造りの噴水だろう。円形の小さな造りだけど、咲き誇る花々に舞い踊る蝶を表現したレリーフが随所に施され、それなりに凝ったものだと分かる。

 最も特徴的なのは、堂々と中心に立つ妖精の石像。背中から細長い葉っぱのような羽を生やしている、ロングヘアにワンピース姿の幼女。おまけに、顔も超キュート。これはどう見ても妖精だとしか思えないだろう。そんなリアル幼女サイズの妖精像が、水の噴き出し口となっている円柱の上に飾られている。

「うん、ここが『妖精広場』で間違いないな」

 妖精広場とは、僕が勝手な思いつきで命名したわけじゃない。例のノートに、新たに更新されていた情報に記載されていた正式名称だ。

 ノート情報のチェックは、階段を下りる前の祠の中で済ませておいた。僕が鎧熊と死闘を演じている最中に更新されたようで、それは樋口の説明の裏付けとなる内容だった。

 天送門を起動させるには、結構な量のコアを必要とすること。そして、このダンジョンの天送門で脱出できるのは三人まで、という致命的な人数制限があること。

 こんな大事なこと、一番最初の更新で無理やりにでも詰め込んで書いておけよ! とキレかけたが、八つ当たりするモノもなければ癖もないので、憤然とした思いを胸の内に押し込めながら魔法のノートを読み込んだ。

 その中で明らかになったダンジョン情報の一つが、この『妖精広場』である。

 古代遺跡の内部には、妖精像の噴水が設置された部屋が幾つかあって、そこには何故か魔物も近寄らず、ダンジョンにおける唯一の安全地帯だという。

 何千年も前から枯れることなく湧き続けている噴水の水も綺麗な真水らしく、貴重な飲み水の補給も可能。ついでに、ここに生えている木になる実は食料になるし、草花の中は薬草としてそのまま利用できるものもあるらしい。

 至れり尽くせりな休憩場所。正にセーブポイントと呼ぶに相応しい。あの可愛い妖精さんの石像が本当にセーブまでしてるんじゃないかと思えるほど。

 まぁ、一回死んで、ロードできるかどうか試してみる勇気はないけど。

「折角だから、一休みしていこう」

 というより、これからソロでダンジョンに挑むにあたっての準備、と呼ぶべきだろう。モンスターとの戦い以前に、ダンジョンでのサバイバル生活問題もあるのだから。

 というワケで、まずは水の補給から。

「うわ、ホントに綺麗――って冷たっ!?」

 透き通った水面へ、何ともなしに手を突っ込んでみれば、思わず叫んでしまうほどの冷水だった。キンキンに冷えてやがる。

「……美味しい」

 試しにすくって飲んでみれば、自然とそんな感想が漏れる。正直いって、僕はこれまで水に美味いも不味いもないだろう、と思っていた。

 ミネラルウォーターだろうと湧き水だろうと、どれも同じだろ――でも、この水は確かに、美味い。本当に、美味いのだ。何かヤバい薬でも入ってるんじゃないかってほどに。

「もしかしてコレ、魔力とかも回復してるんだろうか……」

 ぷはぁ、と風呂上りにビールを飲んだ父親と同じ反応をしつつ、しみじみとつぶやく。緑色のHPゲージの下に表示されてる、青色のMPゲージがグングンと回復している気分だが、実際にそんな効果があるのかどうかは全くの不明である。自分の体のことなんて、自分でもよく分からん。

 とりあえず、情報通りに飲み水の心配はなさそうだ。最悪、ここへ水を補給しに戻ってくれば良いわけだし。戻って来れるような構造であることを、祈っている。

「この木の実、食べれるのは間違いないけど、味はどうなんだろう……」

 次に僕が手に取ったのは、栄養満点、これと水さえあれば生きていける! と直感薬学で評判の木の実、その名も『妖精胡桃』。名前は、ノート命名の正式名称である。

 並木道みたいに部屋の両脇に林立する木々、その下に胡桃が落っこちている。野球ボールより一回り小さいかな、という大き目なサイズの胡桃は、見事に緑色。これ熟してないだろ!? と慌ててはいけない。この緑の殻を剥くと、中には見慣れたあの茶色い特徴的な胡桃の姿が現れる。

「っていうかコレの葉っぱ、地味に治癒効果がある」

 この胡桃は、妖精の羽を模しているかのように、二対の細い葉っぱがへたにくっついている。この四枚の葉に傷の治りを促進する効果があると、直感薬学が教えてくれた。ニセタンポポと混ぜれば、より効果のある傷薬ができそうだ。

「うーん、味は普通かな」

 傷薬生成プランを練りながら試し食いした妖精胡桃の味は、可もなく不可もなくといったところ。何とも味気ない。

 しかし、味付けしてないのだから当たり前だし、そもそも、渋味がなくそのまま食べられる、というだけで食料としては十分に合格点ではないだろうか。食用部分の見た目も、普通の地球産クルミと変わらない、しわしわした特徴的な形で、忌避感もない。

「でも、これをお腹いっぱい食べるのは、無理かなぁ」

 どこまでも贅沢な現代日本人らしいケチをつけつつ、今後のメインディッシュとなる妖精胡桃をせっせと鞄に拾い集めた。

「よし、ここからが呪術師の本番だ」

 最後に向かうのは、僕を歓迎するかのように咲き誇るお花畑。ノートにしっかり「薬草になる」と明言されていた以上、ここには貴重な薬の原料となる有用な植物があるのだ。

 メール情報では、ここにある薬草が一種類だけ紹介されていた。ナントカいう正式名称が記載されていたけど、長いから忘れた。四葉のクローバーにそっくり、というらしいから、名前はそれでいい。恐らく、他のクラスメイトもそう呼んでいることだろうから。

 ちなみにこの薬草版四葉のクローバーは、発見確率も地球とどっこいのそこそこレアであるらしい。ただし、草の根分けて探して採取するだけの価値に見合った、いや、それ以上に即効性の回復という破格の効果を有する。

 この妖精広場はすでに樋口達が通っているので、目に見える四葉は根こそぎ採取されてしまっているだろう。わざわざおこぼれを探す意味はない。

 だがしかし、呪術師の僕ならば、ご紹介に預かった四葉さん以外の薬草を発見することができる。さらに言えば直感薬学を駆使して、薬草を組み合わせて傷薬も作り出せるかもしれない。

 もしかしたらRPGの消費アイテムが如く、それ単体で使うより他はないかも――と思ったが、どうやらそれは杞憂ですんだ。

「やった、これはいける……いけるぞっ!」

 うおぉーっ! と喜び勇んで花畑にダイブ。眼の前にある花々には、それぞれ異なる薬用効果を秘めていると、僕の脳髄にビリビリと刺激するように訴えかける。

 白百合みたいな花には、妖精胡桃の葉っぱと同じく自然治癒促進のオーソドックスな効果。

 赤いチューリップみたいな花は熱さまし。青いラベンダーは解毒、黄色いのは鎮痛――まるであつらえたかのように、色んな効果の草花が揃っていた。

「いよーし、気合いを入れて、調合だっ!」

 どうやら、僕の幸運も尽きたってわけじゃないようだ。ようやく、希望が見えてきたぞ。

第7話 初めてのダンジョン探索

「あ、あ……ごめんなさい、痛いことはしないでください、お願いします」

 今、僕は大絶賛、命乞い中である。けれど、それを情けないとは言わないでほしい。

「桃川小太郎。そなたとの再会、嬉しく思うぞ」

 目の前には死神、もとい、僕にありがたーい呪術師の天職を授けてくれた神様、呪神ルインヒルデが立っている。理科室に飾られている骨の方の人体模型とは一線を画す、凄まじい存在感と威圧感を放つ。

 その髑髏にボロい黒ローブの恐ろしげな姿という以上に、僕はこの神様に頭をぶっ刺されたり胸を貫かれたりと痛い思い出しかないのだから、起きて早々、半泣きで命乞いスタートするのも当然だろう。

「あのう……僕は何か、まずいことをしたんでしょうか?」

 呪術師の癖にあんなDQNにいいようにやられるとは情けない、とか言って理不尽なお叱りを受けるのは勘弁願いたい。だったら、樋口が血反吐を吐きながらのたうちまわって苦しんで死ぬような超ヤバい威力の攻撃系呪術を授けてくださいよぉ! なんて文句も、神様本人に言えるわけないし。

「そなたの恨み、中々に甘美な味わいであった。褒めてつかわすぞ」

 どうやら、僕の体たらくにお怒りではなく、むしろお喜びである様子。良かった、と心の底から安堵する。この神様をキレさせたら、本当にどうなるか分かったもんじゃないし。

「はぁ、それはどうも、ありがとうございます。それで、僕はどうして呼ばれたんでしょうか?」

 ふと目覚めたら、僕はまたこの神様時空にいた。真っ暗闇のくせに、不思議と相手の姿も周囲も見渡せる、SF映画で描かれる宇宙空間みたいな。

 僕は妖精広場で、色んな薬草の組み合わせを吟味している内に、ここで疲れが祟ったのかウトウトと眠りに落ちてしまった。

 あの場所はモンスターが近寄らない安全地帯だと保障されているから、睡眠するのに問題はない。お花畑で横たわる無防備な僕の体を襲う者はいないだろう。性的な意味じゃなく、捕食的な意味で。

「そなたに、新たな呪術を授ける」

「えっ!? 本当ですかっ! ありがとうございます!」

 思わぬところでレベルアップ。やはり鎧熊を倒した経験が大きいのだろうか。だってアイツ、どう考えても中ボスくらいの風格がある。そんなヤツと最初にエンカウントするんだから、ゲームだったらとんでもないバグだ。

 何はともあれ、こうして新技を与えてくれるというのだから、ありがたく受け取ろう。できれば、今度こそモンスターに直接ダメージを与えられる攻撃技が欲しいです。お願い、神様。

「さぁ、受け取るがよい」

 厳かに言いながら、ルインヒルデの腕が動く。あれ、このパターンってもしかして――と、イヤな予感が全身を駆け巡ったその時には、僕の頭は骨の右手で掴み上げられていた。より正確にいえば、僕のちょっと長めの黒髪を掴まれていたのだ。

「うわぁあああ! やっぱり――ぐふぉおあああああっ!?」

 泣き言の途中で、僕の腹のど真ん中に貫手が突き刺さった。固い腹筋のないプニプニ柔らかい腹部など、何の防御力も発揮せず、あっけなく鋭い指先にぶち抜かれる。

「恨み、妬み、だが、踏みとどまらずに前へ進む。やはり、そなたには呪術師の才がある。期待しておるぞ、我が信徒、桃川小太郎」

 ルインヒルデが髑髏をカタカタさせて何か言ってるけど、今の僕には神の言葉に耳を傾ける余裕など微塵もない。というより、もう意識が遠のいて……ああ、もう本当に、悪夢だよ……




「よし、新しい加護も得たし、薬もいっぱい作ったし、出発準備オッケーだ!」

 スプラッターな加護の授け方をされて、ちょっと鬱になった気分を無理矢理にでもアゲていく。だって、そうでもしないと、如何にも「地下迷宮のダンジョンです」と言わんばかりに薄暗い通路へ、一歩を踏み出していく勇気が出せないのだから。

「い、行くぞぉ……」

 結局、おっかなびっくり忍び足で、僕は本格的なダンジョン探索を開始した。

 上靴の薄いゴム底は、はっきりと硬い石畳の感触を伝えてくれる。妖精広場は自然公園の一角を丸ごと切り取って持ってきたような感じだったけど、そこから先の通路は螺旋階段と同じようにかっちりとした石造りとなっていた。

 ただし、灰色の壁面は随分と苔が生していたり、大きなひび割れが走っていたりと、荒れた様子。石畳の隙間を割って、名も知らぬ雑草がそこかしこに生えだしている。

 直感薬学も「何の効果もない雑草。無価値。絶滅すればいいのに」と、ここぞとばかりにディスった説明文を頭に浮かばせてくれる。これって、こんな能力だっけ。

 そんな風に元気に雑草が生えているわけだが、ここが自然の光など入るはずのない地下であることに変わりはない。

 灯りは勿論、例の白い魔法光である。ただし、その蛍光灯のような魔法発光タイルの設置間隔はまばらで、通路の端々まで照らし出されるほどの光量はない。その見えない闇の端っこで、モゾリと大きな虫が動いたような気がした。

「は、あはは……まさか、あんなデカいゴキブ――」

 再びガサリ、と音がして息を呑む。一瞬、視界に映った影は、どうみても日本一の嫌われ者である茶褐色のアイツにそっくりだった。

 僕はそこまで虫が苦手ではないし、ヤツを丸めた新聞紙で叩き潰すことに躊躇もない。だがしかし、ソレが手のひらサイズにまでなれば、無理だ。何かもう色々、無理。人の手に負えるレベルじゃない。人類は滅亡する。

 そんな戦慄を覚えながら、後ろを振り返ることも、左右に注意を払うこともなく、足早に通路を歩き続けた。幸い、ヤツの蠢く不気味な音は、すっかり聞こえなくなった。ふぅ、っと心の底から安堵の息を吐いたところで、通路が途切れる。

「分かれ道……っていうか、大通り、なのかな」

 通路の先に、随分と開けた空間が姿を現した。見上げるほど高い天井に設置された大型の発光タイルが、目の前の景色を照らし出す。二車線道路の幅くらいある通路が、僕の目の前を横切っている。

「なんか、長いトンネルみたいだな」

 半円形の屋根もオレンジのナトリウム灯でもないけど、そんな感じである。右を見ても、左を見ても、この大きな通路の先は緩いカーブを描いて闇の向こうに消えている。そこから地下鉄でもガタゴトと現れそうな雰囲気だ。

「方向は……右か」

 魔法ノートを開き、コンパス機能で進行方向をチェック。ぼんやりと白く輝く魔法陣の上に、通路右側を指し示す矢印が、確かに表示されている。揺れることもブレることもなく、はっきりと。

 他に頼るものもない僕は、矢印が自信満々に示す先を、何の疑いもなく歩き始めた。

「ホントにこれで、あってんのかな」

 しかし、三十分も変わり映えのしないトンネルを歩き続ければ、自然とそんな愚痴も零れる。改めてノートを確認しても、矢印はやはり僕の前を指し示すのみ。

 意味もなく疑いながらも、さらに進むこと数十分。矢印が、方向を変えた。

「うわ……大丈夫なのかな、この道」

 矢印はハッキリと、崩れかけた壁面の奥に覗く細い通路を指し示していた。どう見ても、正規に開けられた通路入口ではなく、向こう側まで誰かがドリルでこじ開けたみたいな有様だ。

 ここまでトンネルを歩いてくる中でも、同様に壁が崩れたりしていた箇所は見かけたけど、いざそこに入れと言われれば、少しばかり躊躇する。

 だが、悩んでいても仕方がない。きっとこれは近道的な効果があるに違いない、と無理に前向きな考えをでっち上げて、僕は大きな亀裂へ体を滑り込ませる。

 そうして入り込んだ先は、最初に妖精広場を出た時と似たような通路が広がっているだけ。トンネルか薄暗い通路の二種類でこのダンジョンは構成されているのか、と疑ってしまうほどに変化がない。

 とりあえず、魔法のファンタジーらしい壮大な景色に期待せず、歩き出そうとしたその時だった。

「――ダゴアアァ!」

 声が聞こえた。

「誰だ……いや、人じゃ、ないのか……」

 最初は、クラスメイトの誰かがそこで喚いているのかと思った。しかし、その声はどう聞いても日本語ではない、リスニング不可能な雑音同然の声音。異世界の言語を喋る何者かがいるのか、というよりは、その荒々しい雰囲気からいって、獣が唸っているといった方が近いのかもしれない。

「……あそこの部屋か」

 声は、真っ直ぐ続く通路の途中にある、扉の向こうから聞こえてくる。部屋の中は、ここよりは明るいようで、僅かに開いた扉の隙間から、白い光が漏れていた。そっと覗き込んでみるには、ちょうどいい塩梅だ。

 これはもしかすると、鎧熊に続く新たな魔物がいるのかもしれない。もし見つかったら、やはり僕には対抗手段はない。呪神ルインヒルデ様から授かった新たな呪術も、残念ながら攻撃技ではないのだから。

 危険かも、と思いながらも、僕はその部屋の中を確認する誘惑に抗えなかった。だって気になる、途轍もなく気になる。というか、新しい魔物がいるなら、せめて姿くらいは確認しておきたい。他にも、何か得られる情報があるかもしれないし。

 ドクドクと緊張に高鳴る鼓動を感じながら、僕は足音を殺してソロリソロリと扉まで接近してゆく。耳に届く意味不明の唸り声みたいなのは、どんどん大きくなる。次の瞬間には、この声の主が、あの木製っぽい扉を蹴破って飛び出してくるんじゃないか、そんな想像が脳裡を過るが、最終的に、僕は扉の前まで辿り着いた。

 息を止めて、そっと、隙間から中を覗きこむ――

「――っ!?」

 叫ばなかったこと、驚きで物音をたてなかったこと。僕がどっちの下手も打たなかったのは、奇跡としか言いようがない。なぜなら、目に映る室内の光景は、想像を絶するものだったのだから。

「人を……食べてる……」

 声には出さず、心の中だけで、そうつぶやいた。人が食べられている。言葉にしてみれば、それが目の前にある現実の全てだった。

 室内はガランとした何もない石造りの部屋。大きさは教室の半分くらいだろうか。僕が覗く扉と対角線上にある端っこの方で、蠢く三つの人影。

 いや、ソレは本当に色が真っ黒いだけ。蛍光灯みたいな白色光の下で、その油で滑ったような黒光りする体表は、ゴキブリを見た時と同じような嫌悪感を覚えさせる。だが、二足で立ち、二本の腕で物を持ち、黒い体にボロキレ同然だが衣服をまとうその姿は、ゴキブリよりも遥かに人間に近い。

 けれど、誰に説明されなくても、あの黒い三体が人間じゃないと理解できる。人を喰う、ただその一点において、アレを人類と認めたくない。

「はっ……はぁ……な、何だよ、あの化け物は……」

 部屋の奥で三体がたかっている一人の人間――いや、もうはっきりと僕は認識してしまった。そこに横たわっているのは、間違いなくクラスメイトの女子であると。赤黒二色のペンキをぶちまけたような血溜まりの中で、見慣れたセーラー服の紺色が見えた。プリーツスカートから覗く、二本の白い足が妙に艶めかしい。

 そこまでハッキリ見えていても、僕にはその女生徒の名前が分からなかった。彼女の顔が見えないからだ。僕の位置からでは、黒髪セミロングの後頭部しか見えない――もう体と繋がってない、床に転がる生首の後頭部しか。

 ついでにいえば、彼女の体は頭だけでなく、両腕もなかった。右腕は肩口から、左腕は、肘から切り落とされている。

 グチャリ、グチャリと下品に響く咀嚼音。失われた両腕は、それぞれ黒いヤツが一体ずつ手に持ち、細長い白魚のような指先に齧りついている真っ最中だった。

「うっ……うぅ……」

 口まで逆流してきた胃液を、寸でのところで飲み込む。勝と一緒にスプラッターなグロ描写しかウリのないゾンビ映画を見て、多少なりとも耐性ができていたお蔭だろうか。

 それでも、この圧倒的にリアルな食人シーンは、どんなホラーの名作でも決して再現しきれない残虐さ、凄惨さ、不快感、嫌悪感……ああ、気持ち悪い、気持ち悪い……ただ、ひたすらに、気持ち悪い。

 右手の中指をしゃぶる、黒いヤツの顔がチラリと見えた。ゾンビよりも醜悪な面構えだ。

 ギョロリとした、まん丸い黄色い目玉が、真っ黒い肌の中で一際目立つ。ギラギラと輝いて見えるくせに、黄金のような輝きは感じず、腐った卵の黄身みたいに濁ってもいるのだ。

 顔面の中心にある鼻は、欠けてるんじゃないかというほど低く潰れているが、そんなに人肉が美味いのか、それとも女子を喰ってることに興奮してるのか、分かりたくもないが、フガフガと鼻息が荒いことだけは分かった。

 そして何より、滴る血を拭いもせず一心不乱に白い指を貪る口こそが、最も気持ちの悪さを感じさせる。大口、という表現を逸脱するデカさ。頬の半ばあたりまで裂けている。巨大な口腔から覗くのは、白と黄色が斑模様になった薄汚い乱杭歯と、妙に長さのある赤い舌。歯はガリガリと指の肉をこそぎ落とし、舌は血の一滴も逃すまいと蛭のように、肉の剥がれた骨の指先を這う。

 直視に堪えない光景だが、手を喰ってるこの二体はまだマシな方だ。最悪なのは、もう一体。セーラー服の裾がめくれあがって、扇情的にも剥き出しとなった白くほっそりしたお腹に、ソイツは顔を突っ込んでいる。ちょうどヘソのありそうな腹のど真ん中。そこから、ズルズルと腸を引きずり出して食っているのだ。二本の腕を持っているくせに、野良犬がゴミ袋から生ごみを漁るような犬食い。人型のくせに、猿よりも知性の見られない醜悪な食事風景である。

「はぁ……はぁ……は、早く……逃げ――っ!?」

「グァラっ!」

 突如として、一体が鋭い声を上げた。喰いかけの右手を投げ捨て、代わりに腰からぶら下げていた錆びついた斧を持ち、振り向いたのだ。そう、僕が覗き見している、扉の方へ。

 ヤバい、見つかった――

「デギエエエエェ!」

 と思いきや、そのままターンして再び後ろ向きになった。どうやら、僕の存在に気付いたわけではないようだ。

 なんだよ、ちくしょう、ビビらせやがって。そんな悪態を心の中でついた、その時だった。

 ダンっ! と鈍い音が、部屋いっぱいに轟いた。何の音だ――疑問に思うより前に、僕の目はヤツの行動を正確に捉えている。

 アイツが手にした斧を、思い切り振りおろしたのだ。何処へ? 決まっている。彼女の死体にだ。狙われていたのは、足。太ももの付け根あたり。

 ダンダン、ドッドッ。肉を打つ鈍い音が連続する。見るからに切れ味の悪そうな、赤茶けた錆びまみれの刃を、狂ったように振るい続けていた。人体においてウエストの次に太い大腿部は、切れない斧による打撃同然の斬撃を幾度も受け、スッパリ切断というよりも、ズタズタに削り落とされていく。

 血の気の引いた青白い少女の足に、無残な傷痕が赤々と刻まれる。勢いでめくれ上がったスカートから清楚な水色の下着が覗くが、かえって生々しさが強調されるだけだった。堂々と女子のパンツを拝めるなんて夢みたいな光景のはずが、アイツが一心不乱に斧を叩き付けるせいで、悪夢のワンシーンにしかならない。

 そう、これは正に悪夢だ。鎧熊に襲われた、樋口にコアを奪われた。そんな不幸の何と温いことか。今の自分が世界一の幸せ者だとさえ思える。だって、僕はこうして生きていて、彼女は死んで、食べられているのだ。グチャグチャと下品に、あんな野蛮で醜悪なモンスターに、喰い散らかされている。

「グヴェエエ!」

 ゴキリ、と一際大きく響いた音が、耳の奥に残った。半ばまで寸断された大腿骨を、強引に千切った音に違いない。そうして、ついに切り落とした脚を両手で抱え、夢中で肉付きの良い太ももへ汚らわしい大口でかぶりつく。

 グェーとかブェーとか、耳障り最悪の声をがなり立てているのは、口にした獲物に心底満足しているのだろうと、嫌でも理解させられる。

「嫌だ……嫌だ……もう、イヤだ……」

 足を貪る一体に、残りの二体が触発されたのか、手にする太ももの食べかけを廻る醜い奪い合いを始めたところで、僕は限界を迎え、震える足でその場をゆっくりと後にした。

 観察としては、十分だ。もう、十分すぎる。このダンジョンに、喜んで人肉を貪り喰らう食人鬼がいるということが、判明したんだ。

 髪の毛がなく、ツルツルというよりヌルヌルした禿げ頭から、奇形の巻貝みたいな歪な短い角を二本生やしていることから、やはり鬼と呼んでもいいだろう。

「逃げないと……絶対に、何が何でも……こんな、所から」

 心の底から湧き上がる圧倒的な恐怖心に突き動かされて、僕は足早に、暗い通路の先を進んで行った。

第8話 遭遇・1

「やった! 妖精広場だ!」

 このどん暗く陰鬱なダンジョンにあって唯一、白く眩しい安らぎを覚える空間を見つけるや否や、僕は甲子園でホームベースに帰還する高校球児が如き勢いで、その部屋へ滑り込んだ。

 最初のところにそのまま戻ってきたのではないかと錯覚するほど、妖精広場は同じ景色である。等間隔で林立する妖精胡桃の木に、咲き乱れる色とりどりの薬草花畑。そして、やはりセーブポイント的な雰囲気漂う、可愛い妖精さん像の立つ噴水。水も食料も薬も、これなら存分に補給できる。

 けれど、今の僕にとって何より重要なのは、この妖精広場にダンジョンのモンスターが近づかないという安全面である。当然だろう、このダンジョンには、あんな凶悪な人食い鬼が跋扈していると知ってしまったのだから。

 思い返せば、アイツらは服も着ていたし斧という道具も扱っていた。猿以上、人間未満程度には知能があると察せられる。RPGに例えていうなら、ゴブリンとかグールとかいった人型モンスターのイメージだ。ゲームだったら序盤の経験値稼ぎにしかならない雑魚敵だが、いざ現実で似たような生物を目にすれば、感じるのは圧倒的な恐怖と危機感だ。恐らく、僕が目撃した三体の他にも、同族がいるはず。つまり、あんなのがウヨウヨしているのだ、このダンジョンには。

「もう……ここで一生を過ごそうかな……」

 噴水の縁にリストラされたサラリーマンみたいにうなだれながら座って、そんな心が挫けた台詞を零す。いざ安全地帯まで逃れてくると、脱出口を求めて危険なダンジョン探索に繰り出すより、ここでジっとしてた方が良いんじゃないかと本気で思えてくるのだ。

 いや、本当は理解している。そんなことは不可能だって。けど、少なくとも今すぐには、元気にダンジョンを歩き出すのは無理そうで――

「ん……うぅ……」

 呻き声が、聞こえた気がした。僕が吐きだした盛大な溜息に混じって、そんな声音が自分の口から漏れたわけではない。

「だ、誰かいるの!?」

 最初に覚えたのは危機感。もうクラスメイトと遭遇したところで、僕は阿呆のように笑顔で再会を喜んだりはしない。食人シーンのインパクトのせいで霞みつつあったが、樋口の胸糞悪いニヤケ面が瞬時に脳裏へ蘇る。

 ここを脱出できるのは三人まで。一番の友人である勝にさえ裏切られた僕を、この数少ない脱出枠に入れてあげようなんて酔狂なクラスメイトは存在しないだろう。おまけに、僕の天職は呪術師。戦力的に何の期待も持てないときたもんだ。

「誰か……いるんだろ、出てこい」

 僕は振るえる両手で、ポケットに入れていたカッターナイフを刃全開で構えつつ、脳に刻まれた呪術の呪文を幾度も思い返す。『赤き熱病』に加えて、新たに授かった呪術を使えば、多少なりとも足止めできるはず。無いよりもマシ、という程度だろうが。

「出てこいよ!」

 ただでさえ甲高い僕の声が、緊張で裏返って微妙なソプラノボイスになってる情けない問いかけが、妖精広場に反響する――やはり、さっきから相手から返事の一つもない。

 隠れているのなら、こっちから見つけるしかない。と言っても、この部屋には人一人が身を隠す場所など、たかが知れている。

 部屋の両サイドに並木道よろしく生える木をチラリと窺うが、うーん、幹の裏にいたとしても、完全に体は隠せるほどの太さはない。見る限り、木陰には誰もいない。

 だとすれば、残るは一つ。立ち上がった僕の目の前に鎮座する、噴水の裏だ。ちょうど反対側の縁に寝そべっていれば、今の立ち位置から完全に死角となる。

 よし、と覚悟を決めて、僕はソロリソロリと忍び足で、噴水を回り始める。ザバザバと流れ落ちる水の音だけが、耳に届く。緊張の時は、ものの十数秒で終わりを告げる。そもそも小さな噴水だ、ゆっくり歩いても一周するのに三十秒もいらない。半周なら尚更。

「――あっ!?」

 果たして、そこにクラスメイトはいた。ついさっき、扉の隙間から覗きこんだのと同じく、セーラー服に身を包んだ一人の女子生徒が、そこに倒れていた。

 しかし、その印象はまるで違う。名前の分からなかったあの女子生徒と比べ、今、僕の目の前で仰向けに倒れている少女は、彼女の倍くらいデカい。そして、そんな巨体を誇るクラスメイトの女子など、たった一人しかいない。

「双葉さん!」

 双葉芽衣子。僕の隣の席の、体の大きな女子。けれど、魔法陣が書けないほど恐怖で身を震わせていた、乙女らしい気の小さい人だ。そんな彼女が、ぐったりと仰向けに倒れていた。

 僕は彼女と特別に親しくもないし、今朝の教室で、魔法陣のメモを渡してあげたのだって、ほとんど気まぐれみたいな小さな親切心に過ぎない。正直いって、それだけで心を許せるほどの間柄じゃない。今となっては警戒こそ先に立つべき――なんだろうけど、僕は咄嗟に倒れる彼女へと駆け寄った。投げ捨てたカッターナイフと一緒に、危機感と警戒心も心の彼方に放った。

「双葉さん、大丈夫!」

 彼女が、負傷していたから。黒地のセーラー服は胸元あたりまでまくり上げられ、露出した樽のように豊かな腹部が、赤黒く染まっているのが真っ先に目に入る。その傷痕は、鎧熊に一撃を喰らった僕と被るが、腹を裂く創傷が一筋であることから、刃物で切り付けられたように思える。

 服がここまでめくれているのは、男に体目当てで襲われたってワケじゃなく、傷を治療するために、自らやったのだろう。

 だがしかし、彼女にはこれほどの重傷に対する手当の手段は、一切なかった。そして、この有様に至ると。

「あ……も、もかわ……くん……」

 彼女の丸い目が薄ら開き、傍らで呼びかける僕を見つめた。その目元には涙の跡がある。死にゆく恐怖で、どれだけ泣いたことだろう。今はもう、涙を流す気力もない。

「しっかりして、双葉さん!」

「た……たす……けて……」

「助ける! 今すぐ助けるから!」

「一人に……しない、で……置いて、いかないで……」

 それだけ言って、双葉さんの瞼は再び閉じられた。

「双葉さん!? 双葉さーんっ!」

 返事はない。ないけれど、まだ、息はかすかにある。咄嗟の判断で脈も確認してみた。手を伸ばしたのは、彼女の手首ではなく、真っ白い首筋。その方が近かった。でも、触れてみれば乙女の柔肌の感触に驚く。柔らかい、真っ白なもち肌。でも太い。

 全く、男の本能が先に立つことに自分でもうんざりするけど、触れた指先は、確かな鼓動を伝えてくれる。

 双葉芽衣子、彼女はまだ、事切れてはいない。

「頼む……効いてくれ!」

 祈るような気持ちで、最初の妖精広場で呪術師素人の僕が丹精込めて作り上げた薬が詰め込まれた鞄を引っくり返した。

 真っ先に手に取ったのは、ニセタンポポと妖精胡桃の葉っぱ、あと白百合みたいな花の薬草を磨り潰して混ぜ合わせた生薬、名付けて『傷薬A』だ。勿論、他の薬草と組み合わせを変えたBとCもある。けど、今はどうでもいい。

 傷薬Aは、僕の命を救った高島君の弁当箱代わりのタッパーに、これでもかと詰め込んである。そして今度は、双葉さんの命を救おうとしている、奇跡のタッパーだ。

「あぁーえっと、塗る前に消毒……いや消毒液はないし……いやいや、その前に傷口を洗って、ああ、僕の手も洗っておいたほうがいいのか!?」

 救急隊員が見たら憤慨モノの、どうしようもないほど段取りの悪い処置である。

 とりあえず、噴水で手をキレイキレイしてから、本当に引っくり返した鞄から転がり落ちていたペットボトルを手に、急いで蓋を捻る。これは僕が持参していた、飲みかけのスポーツドリンクが入っていたヤツだけど、最初の妖精広場の時点で、中身を飲み干し、代わりに噴水の水を入れておいた。結局、ここに来るまで一口も飲まなかったので、摺り切り一杯ってほどギリギリまで水が入っている。

「し、失礼します……」

 何故か謝ってから、僕は双葉さんの豊満極まるお腹へ手を伸ばした。血塗れのせいで色気も何もあったもんじゃないが、触れてみれば思わず唸ってしまうほど温かく柔らかな感触が伝わる。思い切り揉んでみたい、という衝動に駆られつつ、傷口をこれ以上開かないよう、慎重にペットボトルの水ですすぎ洗う。

 多少なりとも血痕は洗い流されていくが、負傷してから時間経過しているせいか、凝固している箇所もある。このペースで洗い続けても、らちが明かない。ほどほどで切り上げて、いよいよ傷薬Aの出番だ。

 幸いにも、腸が飛び出るほど傷は深くない。しかしながら、ヘソのすぐ下に横一文字に走る創傷からは、未だにジワジワと血が滲み出てきている。失血死の危険性が、一番高いだろう。

「大丈夫だ……絶対、絶対に効くはずだ……」

 止血効果オンリーのニセタンポポだけで、僕は一命を取り留めたのだ。今や立派な生薬としてグレードアップしたこの傷薬Aなら、これくらいの負傷、すぐに治してくれるはず。そう一心に信じて、僕はタッパーから青臭い野草の香り漂うペースト状の傷薬を掴み、双葉さんのお腹に塗りつける。

 これで間違いなく血は止まるだろうけど、もし、今の段階で致死量が流れ出いてれば……いや、やめよう、こればっかりは悩んでも仕方ないことだ。そうは思っても、双葉さんの血の気の失せた青白い顔色を見れば、どうしても「手遅れ」という単語が浮かんでしまう。

「あとは……祈るしかない、か」

 タッパーの半分くらいを豪快に消費して、打てる手はなくなった。包帯もなければ、勿論、輸血パックもない。ついでに、安静に寝かせておく清潔なベッドもない。可哀想だけど、彼女はこのまま芝生の上で横になってもらうしかない。

「これでダメだったら……双葉さんに、呪われるかも……」

第9話 遭遇・2

 双葉さんへの応急処置を終えた後、とりあえず僕はひと眠りすることにした。短い間だけど色々とありすぎて、純粋に疲れていた。今日という日は、一体僕にどれだけのトラウマを刻んでくれるというのだろうか。酷な体験ばっかりだ。

 結局、どれくらい寝たのかは分からないし、わざわざ電源を切ったケータイをつけてまで確認する気も起きなかったけど、とりあえず体が満足するくらいにはぐっすり眠れた。ここの芝生の上は、存外に寝心地が良い。ついでに、呪神ルインヒルデ様が登場するありがたーい夢を見ることもなかったので、寝起きもスッキリ、気分爽快である。

「双葉さんは……よし、大丈夫そうだな」

 静かな寝息を立てる彼女は、牧場で昼寝をするホルスタインを連想させる。いや、決しておっぱい的な意味ではなく、長閑な雰囲気的な意味で。心なしか顔色もいいし、良い夢を見てそうな穏やかな寝顔だ。

 しかしながら、無防備に眠りこける彼女を前にすると、ついプニプニしてみたくなる衝動も湧き上がる。まぁ、ヘタレな僕には手なんて出せるわけないけど。ええ勿論、僕は彼女いない歴イコール年齢の童貞少年ですよっと。

「はぁ……薬作ろ」

 未だにダンジョンに出向く気がさっぱり起きない僕は、とりあえず消費してしまった傷薬Aの再生産を始めた。

 正直、直感薬学で薬草の効能さえ分かれば、別に呪術師じゃなくても傷薬は作れる。呪文詠唱で一発生産、なんてゲーム的な利便さは皆無。つまり、摘んだ薬草は自らの手で地道に磨り潰していかないといけないのだ。

 規則的な噴水の音だけをBGMに、僕はひたすらゴリゴリと単純作業に従事する。妖精胡桃の木から折った枝を乳棒代わりに、そして、鞄の底から発掘されたコンビニのビニール袋(小)をすり鉢代わりにして、目分量で材料を投下しては混ぜ合わせる。

 ニセタンポポは葉っぱ、妖精胡桃も葉っぱだが、白百合みたいな花――ええと、コレはとりあえず白花と呼んでおこう――の、葉でも花びらでもなく、蜜に薬用効果がある。でも蜜だけを上手く絞る術がないので、花弁を千切って蜜を分泌する部分だけを放り込む。本当にこんな適当でいいのかと思うが、やっぱり直感薬学が「大丈夫、大丈夫」と脳内で囁くので、よしとしている。

 ともかく、こうして作った傷薬Aは、双葉さんを癒してくれたようだし、その薬用効果は証明された。これさえあれば、多少の手傷は怖くない。

「でも……どうしようかな……」

 それは傷薬についてでも、これからのダンジョン探索のことでもなく、自分が助けた双葉さんについてである。

 いざ、こうして冷静になってみると、本当にこれで良かったのかと疑念が湧き上がる。いや、彼女を助けたこと自体に後悔はない。あの瞬間に、僕は微塵も見捨てるという選択肢は思い浮かばなかった。

 それは僕が博愛精神に溢れる素晴らしい人格者、だからではなく、直前に無残な死体を晒す女子の姿を見ていたせいに違いない。誰かが死に行く様を、目の前で見たくなかった。ただ、それだけのことに過ぎない。

 そうして助けたはいいが、問題はやはり、このバトルロイヤル同然の状況である。命を助けたからといって、双葉さんが必ずしも僕に感謝するとは限らない。

 助けて、と口にはしていたものの、この状況に絶望して死を望んでいたかもしれない。あるいは、樋口のように人を蹴落とし、利用するような行動原理を抱いているかもしれないのだ。脱出できる、つまり、生き残れる人数が三人と制限されている以上、誰のことも簡単に信用はできない。

 これで脱出人数が一人だったら、僕はこの場で彼女を殺すか生かすかの選択で、もっと苦しむことになっていただろう。そういう意味で、二人までは仲間にできる三人という制限は幸いだ。まだ人を信用できる余地がある――しかし、四人目が現れた瞬間に、誰かが切り捨てられるという、際どい人数制限だ。

「うーん……」

 正直いって、こんなややこしい状況で、僕は双葉さんと上手く接する自信がない。共に脱出を目指す仲間になるのか、それとも不信が先だって別行動になるのか……いや、呪術師の僕からすれば、双葉さんは何としてでも仲間に引き込んでおくべきだろう。

 彼女が何の天職かは不明だが、何であったとしても、今の呪術師一人というよりはマシな戦力になる。この際、天職のことを差っ引いても、単純に双葉さんの方が僕よりもパワーに優れるだろう。二の腕は僕の太ももくらいあって、セーラーの長そでがちょっとピチピチしてる。そしてプリーツスカートから伸びる太ももは、僕のウエストくらいだ。おまけに彼女は太いだけでなく、背も高い。圧倒的な体格差。ミニマム級の桃川VSヘヴィー級の双葉、勝負は誰の目にも明らかだ。

「双葉さんなら、あの鬼一匹くらいはブッ飛ばせそうな気がする」

 何にしても、得難い戦力である。そもそも、すでに樋口が三人組を作っていたことを思えば、この先に出会う生徒がソロである可能性はそれほどでもないだろう。むしろ三人組と出会ったら、最悪、積極的に殺しにかかってくるかもしれない。

 そして呪術師という、こと戦闘能力に欠ける天職が、さらにパーティ結成の足を引っ張る。

 だが今の双葉さんなら、一人きりで、おまけに僕が命を救ったという恩もある。これ以上ないほど、仲間の勧誘に適した条件はない。

「ちくしょう……ロクな考えじゃないよ……」

 要するに、双葉さんに恩を着せようって話だ。それが最も理に叶っている。僕に明確な利益がある以上、もう純粋な善意の人助けではなくなってしまった。

 自分の小賢しさに自己権嫌悪を覚えるが……覚えるというだけで、僕には彼女を引き込む算段を躊躇こそするものの、結局は実行するだろう。薄汚い建前を平気で口にして、利己的な本音を隠すのだ。

 はは、仲間にする前から、信用も何もあったもんじゃない。僕なら絶対、そんなヤツと組むのは御免だね。

「ん……うぅん……」

 その時、双葉さんが声だけは妙に艶めかしくうめきながら、体は牛のようにのっそりと、身じろぎをした。太ももサイズの右腕が動き、ふっくらした指先が、彼女の目元をこする。

「双葉さん……起きたの?」

 これから仲間に引き込もうって魂胆なのに、僕は爽やかな微笑みを浮かべることはできず、微妙に強張った表情で恐る恐るといった風に尋ねてしまう。どうやら、僕に演技の才能はないようだ。

「あ……桃川くん」

 ゆっくりと瞼が開かれると共に、また、ゆっくりと彼女が僕の名を呼んだ。

「お、おはよう」

「うん……おはよう……おは――えっ、あれ、桃川、くん?」

 トロンと眠そうだった目が、僕の姿を捉えるや否や、ハっと見開かれる。

「うそっ、桃川くん、なんでっ――」

「ちょっ、まだ起きない方がいいって!」

 そんなに僕がいることが驚きだったのだろうか、そのまま勢いよく身を起こしそうになった双葉さんを慌てて止める。幾らなんでも、まだ腹の傷は塞がりきっていない。

「あれ、だって、私……あの……」

「大丈夫だから、落ち着いて。お腹の傷はちゃんと薬を塗っておいたから、しばらく安静にして――」

「え、お腹って――きゃっ!」

 実に女の子らしい悲鳴をあげながら、双葉さんは予想以上に俊敏な動きで、セーラーの裾を下げた。樽のような腹部が男子の前に露出しているのが、よほど恥ずかしかったと見える。

「っあ! 痛っ!」

「うわっ、大丈夫!? っていうか、まだ傷は塞がってないから動かないで!」

「うぅ……ご、ごめんなさい……」

 涙目になりながら謝る双葉さん。こんな時に不謹慎だけど、叱られた子犬みたいな表情で、ちょっと可愛い。これで丸い顔じゃなかったら、普通に美少女だったろう。目は円らで大きいし、顔のパーツ自体は整っている。

「血、出てない?」

「うん……大丈夫……」

 とりあえず、塞がりかけた傷が再びばっくり開くという大惨事は免れたようだ。

「あ、あの……桃川くんが、助けてくれたんだよ、ね?」

 おずおずといった感じで、双葉さんが問いかけてくる。純粋な光が宿っているような丸い瞳に見つめられて、少しばかり心が揺らぐ。

 覚悟を決めろ、桃川小太郎。ここからが本番、何としても彼女に上手く恩を着せて、仲間に引き込むんだ。

「うん、僕がここに来た時、双葉さんが倒れていたから。すぐに薬を塗って応急処置したんだ。助かって良かったよ」

「あ、ありがとう……本当に、桃川くんが助けてくれたんだね。私、夢を見ているのかと思ったよ」

 どうやら、僕に「助けて」と言ったあの時の記憶が、おぼろげながらも残っているようだ。よし、これで間違いなく僕が彼女を助けたということは証明されただろう。

「私、もう死んじゃうんだって思って……凄く、怖くて……でも、桃川くんが来てくれて、本当に嬉しかったの……私なんかを、また助けてくれるんだって、嬉しくて……ありがとう、桃川くん、ありがとう……うぅ……」

「え、ちょっと双葉さん、そんな、泣かないで……」

 九死に一生を得て感極まったのだろうか、双葉さんがメソメソと泣き出してしまい、何かもう話どころじゃない感じに。

「うぅ、桃川くん、ありがとう……ふぅええん!」

「う、うん、大丈夫、もう大丈夫だから、落ち着いて――」

 そんなこんなで、しばらく泣いてる双葉さんをなだめることに。

 何て言うか、こんな子を小賢しく仲間に引き込もうとばかり考えている自分が本当に嫌になってくる。

 こういう時は、もっとこう、彼女を慰めることだけに集中できていればかっこいいんだけど。雑念ばかりがゴチャゴチャと湧き上がって、僕は上辺だけの言葉を双葉さんにかけることしかできなかった。

「ごめんね、桃川くん。もう、大丈夫だから」

 それでも、時間という偉大なる解決策によって、双葉さんは無事に落ち着きを取り戻した。これでようやく、まともに話ができる準備が整った。

「それでさ、とりあえず怪我した状況を教えてくれないかな」

 焦ってはいけない。まずは情報収集だ。僕は彼女が倒れた経緯について全く把握していない。その辺をしっかりと確認してから、本題に入っても遅くはないだろう。

「あ、あの、私……えっと……」

 最初の質問としてはぶつけられて当然のものをチョイスしたつもりだったのだが、双葉さんの表情は再び曇ってゆく。何だ、そんなにマズいことを聞いてしまったのか。

 ええい、クイックロードでもう一度選択肢を選び直しだ! 混乱した頭ではそんな馬鹿なことしか思い浮かばない。

「わ、私……うぅ……」

 再び目からポロポロと涙が零れ始める双葉さんを前に、僕は自分にとことんカウンセリングの才能がないことを悟った。

 いや、諦めるな。才能はなくても、事情は聞き出さなければ話は進まないだろう。もう彼女が泣いていても、構わずに話を引き出すしかない。

「落ち着いて双葉さん、大丈夫だから。とりあえず、最初から、そうだ、教室から出て行った後から順番に話してくれればいいよ」

「う、うん……」

 メソメソと泣きながらも、双葉さんはこっくりと頷く。よし、話す意思はあるようだ。

「ゆっくりでいいから」

「うん、ありがとう桃川くん……あのね、私――」

第10話 双葉芽衣子・1

 崩壊を始めた教室は大混乱を極めていた。双葉芽衣子が覚えているのは、そんな騒然とした雰囲気と、あ、と思った時には真っ暗闇が広がる空間に放り出されていたことだけ。

「ん……うぅ……」

 目が覚めると、薄暗い場所で横たわっていた。硬くて、冷たくて、おまけに少し湿っている、最悪の寝心地。自室にある、自分の巨体を受け止めてくれるキングサイズベッドの柔らかく温かな感触を思い出そうとした矢先、意識が現実に戻ってくる。

 幸いにも、記憶はしっかり残っていた。見ず知らずの場所で目覚めた不安と恐怖でひと泣きした後に、すぐ現状把握をすることができた。

 どうやら、本当に異世界へやって来たらしい。自分が寝ていたここは、苔の蒸した石造りの祠のような建物の内部。扉のない開けっ放しの入り口からは深緑の森が覗き、その反対側には、地下へと続く長い螺旋階段が続いている。

 何処へ行けばいいのだろうか。みんなは、何処へ行ってしまったのか。またしても、大きな胸の内に不安が膨れ上がっていく。二度目の涙が溢れそうになった時、芽衣子は閃いた。

「あっ、そうだ、魔法陣! 桃川くんの!」

 頭に思い浮かんだのは、黒板に浮かんだ不気味な白い光の文様と、救世主が如き隣の席の小さな男子の可愛いらしい顔。

 そっけなく渡された桃川小太郎直筆の魔法陣が書き込まれたノートの一ページは、単なる落書きのように見えるが、今はこれが唯一の希望である。ありがとう桃川くん、と仏様に祈るような心持ちで、芽衣子は魔法陣を発動させた。

「天上の神々よ、我を助け導く、奇跡の力を授け給え。ここに天命を果たすことを誓う――きゃあっ!?」

 呪文を唱え終わった瞬間、手の甲に浮かび上がる光の魔法陣。眩しい、と同時に、熱を感じた。

「きゃぁーっ! なにこれ、あ、熱っ、熱いよぉ!」

 実のところ、言うほど熱くもないのだが、体に起こった異変に混乱の極致にある芽衣子は叫んでいた。泣き叫んでいた。

 うるさいくらいに自分の甲高い声が反響する祠の中にあったのだが、その時、声が聞こえた。

「――与えましょう」

 自分の声ではない。紛れもなく第三者の声が。気のせいではない、はっきりと耳に届く。

「貴女に力を、与えましょう」

 それは、優しい女性の声だった。恐怖と不安で高ぶった感情が不思議と落ち着いてくる。もし、本当に女神という存在がいるのなら、きっとこんな声をしているだろう。そんな響き。

「――ええと、てん、しょく?」

 気が付けば、手のひらの発光も消え、女神様らしき声も聞こえなくなり、とりあえず冷静さを取り戻した芽衣子は、ノートの魔法陣に文章が浮かび上がっているのに気付いた。

 それを読んで、段々と状況が見えてくる。天職、ダンジョン、天送門。とても納得しがたいものだが、それでも、理解しなくてはいけない。

「が、頑張らないと……頑張って、みんなで元の世界に、帰らなきゃ」

 いささか以上の時間を要して、双葉芽衣子はついにダンジョンを進む決意を固めた。

 震える両手で勇ましく握るのは、分厚い刃の肉切り包丁。特徴的な長方形の刃は、ピカピカに磨き上げられており、コレがあれば牛一頭分の肉だって捌いて見せるという気概が伝わってきそうな迫力がある。

 芽衣子は私立白嶺学園において、料理部に所属している。彼女の趣味は料理。それは作ることと食べること、両方が含まれる。

 幼くして美食の求道者と化した芽衣子は、めきめきと料理の腕前を上げて行き、同時に、ぶくぶくと体も育っていった。沢山作って、沢山食べる。当然の結果である。

 ともかく、九月二十日、三連休明けの月曜日に登校してきた芽衣子は、休日の間に自宅へ持ち帰り手入れをしたマイ包丁セットが鞄の中に入っていた。今日の放課後も、この鋭く研がれた愛用の包丁達を使って美味しい一品を仕上げる予定だったのだが、何の因果か、今は彼女自身の身を守る武器として使われることとなっていた。

 二年七組にも料理部に所属する女子は、友達の北大路瑠璃華もいるし、他の部員もそれなりの人数がいるものの、マイ包丁まで持っている本格派は芽衣子のみ。日本の家庭で一般的に使われる文化包丁、魚を捌く出刃包丁、刺身用の柳葉包丁、骨付きの固い肉も難なく切れる厚刃の肉切り包丁。おまけに果物ナイフもついてくる、お得な包丁五点セットは、二年七組の教室において最も殺傷力を秘めた道具であったに違いない。

 現時点で最強装備の芽衣子だが、刃を振るうのが自他ともに認める怖がりかつ泣き虫の自分であることを思えば、早くも心が挫けそうである。正直、肉きり包丁を握っているだけで精一杯で、とても魔物と呼ばれる狂暴な生物が出現しても、一太刀浴びせられる気がしない。例え相手がチワワサイズの野良犬だったとしても、芽衣子は包丁を振るえないだろう。

 食材ならいくらでも切り刻めても、まだ生きているモノは無理。躊躇せずに刃を振るえるのは、魚やイカ、タコといった魚介類の活造りをやるときくらい。

「だ、大丈夫……だって私、騎士の天職があるから……大丈夫……」

 双葉芽衣子が授かった天職は『騎士』である。ノートの説明を読む限りでは、戦闘能力において何ら不足はない、割とアタリの天職だ。

 初期能力は『見切り』『弾き』『恵体』の三つ。


『見切り』:敵の攻撃に反応できる。


『弾き』:武器や防具を用いて、敵の攻撃を弾き返す。


『恵体』:怪我や病気に強い恵まれた肉体。


 能力の簡単な説明は頭の中にいつの間にか入っていたことで、すぐに把握することができた。しかし、芽衣子にはこの三つの能力をどう生かして戦っていくか、という思考は全くできないでいた。

 決して頭が悪いわけではない、むしろ学業成績は優秀な方であるのだが、如何せん、この異常な状況下で冷静に、論理的な最適解を導き出せるはずもないのだ。さらに言えば、芽衣子はRPGやアクションなどのゲームには疎い。女の子らしく、動物の村人達と心温かな交流をする人気のシミュレーションゲームや、プヨプヨした丸いゼリーを繋げて消す有名なパズルゲームといったタイトルが、数少ない彼女のゲーム経験である。

 この『天職』という如何にもゲーム的なスキルシステムを見せられても、全くピンとこないのだった。

 しかしながら芽衣子にとって幸いだったのは、薄暗い通路が続くダンジョンで最初に出会ったのが魔物ではなく、見知った顔のクラスメイトだったことだろう。

「――貴女、双葉さん? 良かった、無事だったのね」

 細い十字路でばったりと出くわしたのは、双葉芽衣子とは対照的な細身とクールな美貌を持つ、我らが二年七組のクラス委員長、如月涼子である。

「き、如月さん! ふわぁー良かったぁ、良かったよぉーっ!」

 ダンジョンの中にあっても、いつもの知的で落ち着いた雰囲気をまとった涼子の姿は、芽衣子にとってこの上ない安心感をもたらしてくれた。

「ちょ、ちょっと双葉さん、落ちついて」

 迫り来る巨体に若干引きつつも、とりあえず涼子は泣きつく芽衣子をなだめてくれた。

「――私も、この状況にはまだ混乱しているのだけれど、それでも目的はハッキリしているわ。何が何でも、こんなふざけた場所から脱出して、一刻も早く元の世界へ帰りましょう」

 コンクリートのように硬い灰色の通路を歩きながら、現状について話していると、芽衣子の心も少しずつ落ち着きを取り戻してくる。何より、涼子の力強い言葉は、不安に押しつぶされそうな暗い胸の内に、希望の光を灯してくれた。

 芽衣子は如月涼子と特に親しくはない。これまで話したことは、片手で数えるほどしかないが、それでも、芽衣子は知っている。彼女が容姿端麗なだけでなく、学業成績も運動神経も抜群であることを。クラスメイトから「委員長」と呼び親しまれているように、そのリーダーシップも折り紙つき。おまけに、黒高のヤンキー十人を病院送りにした最強の不良である天道龍一を相手にしても全く物怖じず、むしろ尻に敷くほどの胆力も持ち合わせているのだ。

 逆立ちしたって、彼女のようにはなれないと憧れと諦めの感情を同時に抱かせる。それが、如月涼子という少女である。

「ねぇ、双葉さんは、この天職という能力を試したかしら?」

「え? あの、えっと……まだ、だよ」

「そう、私もまだ説明を読んだだけなのだけれど、どうやら、今ここで試さざるをえないようね」

 涼子と連れ立ってダンジョン探索をすること数十分後、早くもその時はやってきた。

 場所は幾つかの通路が合流する円形の広間。これまでの殺風景な石の灰色とは打って変わって、そこは緑の空間だった。壁面には無数の蔦が生い茂り、妙に捻じれた歪な木々が、円柱の代わりに床から天井まで立っている。

 しかし芽衣子としては、この様変わりした広間よりも、そこにいる住人達こそ目を引いた。

「わ、あっ……なに、あれ……ネズミ、だよね?」

 薄暗闇の向こうから、真っ赤な目を不気味に光らされて現れたのは、日本でもお目にかかれるなじみ深い動物、ネズミの姿をしていた。強いて言えばその大きさが、およそ人がイメージするものよりも大きい。一回りとか二回り、なんてものではなく、桁外れに、という形容詞がつくほどに。

 薄汚れた灰色の毛並みに、毛のないミミズのような細長い尻尾。どう見てもネズミだが、その大きさは猫に近い。窮地に立たなくとも、猫を噛めるサイズ。

 そして、このネズミは実際に猫を噛み殺すことができるだろう。その口からは、齧歯類特有の出っ歯の代わりに、サーベルタイガーが如き鋭い二本牙が生えているのだから。口元から大きな牙と、鋸のような歯列をガチガチ鳴らして威嚇音を上げる。

 そんなモンスターネズミが、芽衣子と涼子の前に姿を現したのだ。大群で。

「やだ……い、いっぱいいるよぉ……」

 大きな体を目いっぱいに振るわせて、芽衣子の体は恐怖で完全に硬直していた。今の彼女は、反撃は勿論、逃げることさえままならない最高に美味しい獲物である。おまけに肉付きも良い。ネズミ共は今から涎が止まらないだろう。

 我慢する理由など、何もない。特に示し合わせたワケでもなく、目と牙をギラつかせて、ネズミの大群は一斉に動き始めた。

「――『氷矢アイズ・サギタ』」

 その時、芽衣子は背筋が凍る気持ちの中で、本当にひんやりした冷気を肌で感じた。直後、キィンと甲高い音が耳に届く。そこで、ようやく彼女は目の前で何が起こったのかを認識した。

「凄い……本当に、魔法が使えるのね」

 クールな委員長をして感嘆の台詞を漏らさせる。それほどの現象であった。

 真っ直ぐ右手を延ばした涼子、その先に一本の氷柱が突き立っている。ネズミを二匹まとめて貫いて。

 芽衣子はソレが発射された瞬間を目にしていなかったが、それでも簡単に想像がつく。涼子が、氷柱を撃つ魔法を放った。そして、ネズミの体は透き通った氷の矢にぶち抜かれ、薄汚い灰色の毛を、赤黒い血でさらに汚したのだと。

 思わぬ反撃を喰らったことで、ネズミは警戒したのだろうか。群れは突進を中断した。波が引くようにサっと身を翻し、距離をとる。それからさらに、左右に素早く散って、涼子と芽衣子を円形に包囲するように動き始めた。

「凄いけど、これだけじゃ埒が明かないわね」

 涼子は冷静に自分の能力と、敵の実力を図っているようだった。この窮地に置いて、そこまで頭が回る、それでいて、行動に移すことができる。凄まじい度胸と対応力。

 ついでに言えば、如月涼子、彼女は魔力も凄かった。

「الجليد الباردة تجميد انتشار النار――『氷結放射アイズ・ブラスト』!」

 全く聞き取れない謎の言語による詠唱と、恐らく魔法の名前であろう言葉を涼子は叫んだ。思い切り、両掌を前へ突き出したその瞬間、『氷結放射アイズ・ブラスト』は効果を発揮した。

 吹雪を起こす魔法だ。それが、芽衣子の感想である。

 涼子の手から、真冬の夜に吹き荒ぶ暴風雪のような冷気が迸り、次の瞬間には、眼前で蠢くネズミが凍りついた。まとめて、何匹も。数えきれないほど。

 その魔法一発で、前方のネズミはほとんど全滅であった。汚らしい灰色の体は、一瞬にして真っ白い雪化粧が施され、二度と動くことのない氷像と化している。

 突如として大量の仲間が殺戮された事実に、ネズミは適切な対応――つまり、逃げるという選択を即座にとることはできなかった。あるいは、涼子の追撃が早すぎたのかもしれない。

「これなら、いけるわね――」

 続けざまに、もう一度『氷結放射アイズ・ブラスト』を放つ。今度は、左右に展開した群れを薙ぎ払う様に。地を這うネズミに、瞬時に体を凍てつかせる冷気の嵐を避ける術はない。

「す、すごい……如月さん……」

 気が付けば、ネズミの群れは綺麗さっぱり消えていた。半分以上を氷漬けにされ、群れは蜘蛛の子を散らすように逃げ去ったのである。後には、気味の悪いネズミの化け物の氷像だけが残された。

「ふぅ、上手くいって良かったわ。こんな魔法が使えるなら、この先も何とかなりそうね」

 穏やかに微笑む涼子は、どこまでも眩しく見える。そう、自分が何の役にも立たない、醜い豚に思えるほどに。

「さ、行きましょう、双葉さん」

 窮地を脱した安堵感と涼子への信頼感。それと合わせて、心の内で芽生えたささやかな劣等感を胸に、芽衣子は先に進む。




「――なるほど、如月さんの天職は氷魔術師だったってことか」

 マトモな天職を授かれば、ここまで戦えるものなのか。改めて嫉妬の感情を覚えそうになるが、もし僕が同じ状況に立って、いきなり氷魔法をぶっ放せるかといえば、甚だ疑問である。

 恐らく、牙の生えた巨大ネズミ、この際『牙鼠』と命名しよう――その、牙鼠の群れを前に、ここまで見事な反撃ができたのは、ひとえに如月涼子という人物が優れているからに他ならない。

 前から思っていた、それとなく感じていた、と言うべきだろうか。彼女は、蒼真君や天道君と同じ側の人間だと。優秀だとかリア充だとか、言葉にすれば何とも安直な表現に聞こえるけど、要するにそういうこと。顔も頭も体も、おまけに性格も優れている、万能人。

「氷の矢の単体攻撃に、冷気を放出する範囲攻撃。汎用性は抜群だな……そういえば、初期スキルは三つだから、まだもう一つ、何か持ってるのか。双葉さん、分かる?」

「え? あの……ごめんなさい、分かんない」

 眉根を下げて困ったような、申し訳ないような、そんな顔でシュンとしてしまう双葉さん。別に責めてるワケじゃないから、そんな反応されるとこっちが困る。

 ここで何か優しく気の利いたフォローでも言えれば男として完璧なんだろうけど、残念ながらイケメン力が足りない僕には無理な対応だった。数秒ほど返す言葉を探したけれど、結局、何も思いつかずスルーするに至る。情けない。

「……分からないってことは、常時発動型のパッシブスキルか、意図的に隠していたってことになるんじゃないかな」

 僕の『痛み返し』と『直感薬学』は、特に呪文や特定の行動と関係なく効果が表れている、常時発動型である。双葉さんの『恵体』も同様だろう。

「ああ、ごめん、話の途中だったよね」

 ここまでは、羨ましいほど順調に進むダンジョン攻略の話である。未だ、双葉芽衣子、彼女が妖精広場で無惨にも血塗れで倒れるシーンまで至っていない。

「うん、あのね、その後は――」

 果たして、彼女の口からどんな事実が語られるのか。僕は、すでにしてあまり良い予感がしないながらも、大人しく双葉さんの言葉に耳を傾けた。

第11話 双葉芽衣子・2

 双葉芽衣子と如月涼子のダンジョン探索は、順調に進んでいった。

 道中に現れる魔物は、ことごとく涼子の氷魔法の餌食となる。犬に似た中型の魔物なら『氷矢アイズ・サギタ』に貫かれ、牙鼠や虫のように小型、かつ群れで現れるものは『氷結放射アイズ・ブラスト』で一掃。

 芽衣子はただ、彼女の背中についていくだけで十分だった。天職『騎士』の力を振るう機会など皆無。安全、安心のダンジョン探索である。

 そうして、牙鼠を撃退してから数時間後、二人はついにダンジョン唯一の安全地帯である妖精広場へ辿り着いた。

「どうやら、天職の能力は使い続けると新しい技を覚えられるみたいよ。見て、双葉さん――『氷盾アイズ・シルド』」

 休憩がてら、能力の確認として涼子が新技をお披露目してくれる。彼女がかざした手の先に、何もない空間から突如として大質量の氷の塊、否、氷の盾が出現した。大きさは180センチほどだろうか。地面から生えるようにどっかり立つ長方形の氷は、前面の攻撃から術者の全身を完璧に防いでくれるだろう。

「ほぇー」とか間抜けな声を漏らしながら、神業的なマジックでも見たかのように、芽衣子は目をパチクリさせて涼子の説明を聞いた。

「名前の通り、防御用の魔法みたい。できれば、これで防がなきゃいけないような攻撃に晒される事態は避けたいわね」

 授かった魔法の力で、魔物を相手に連戦連勝。それでも、涼子は力を過信することなく、冷静に状況を分析できているようだった。

 しかし、そんな彼女でもピンチは訪れる。そう、危機というのは、いつも突然、我が身に降りかかってくるものなのだから。

「――っ! これはまずいわ、双葉さん、早く下がって!」

 焦りでやや上ずった涼子の声が、緑の木々に溢れるドームに木霊する。

 妖精広場で小一時間ほど休息を終えて、再びダンジョン探索に出発した二人は、ほどなくしてこの体育館の三倍以上はある大きな円形の空間にたどり着いた。牙鼠が現れた部屋のように、深緑の木々が生い茂り、ちょっとした森といった様相を呈している。上を見れば、剥き出しの鉄骨のようなアーチが組み合わさったドーム型の天井をしており、本物の森というよりは植物園のようなイメージを抱く。もっとも、白い光を発する四角いパネルの照明器具は半壊しており、とっくに閉館といった暗い趣である。

 そんな場所で、突如として涼子と芽衣子の二人は襲撃された。

 木陰から、あるいは樹上から、人影が幾つも飛び出したのだ。一見すると人、だが、次の瞬間にはその頭一つ分ほど低い背丈と、猫背が極まったような前傾姿勢から、猿だと思えた。

 結論からいえば、それはこのダンジョンに生息する人型の魔物である。人間を積極的に襲い、その肉を貪り喰らう、この異世界においても忌み嫌われる存在。

 その名は『ゴーマ』。

 情報そのものは、つい先ほど妖精広場で休憩した際にチェックした魔法陣で仕入れていた。もっとも、このゴーマに襲撃された瞬間において、目の前の醜悪な黒い魔物と、文字で読んだだけの情報が一致することは、いくら頭脳明晰な如月涼子といえども無理だったようだ。

 それでも、最初の一撃を覚えたばかりの『氷盾アイズ・シルド』で凌いでみせたのは、見事としか言いようがない。飛び掛かって来たゴーマが手にする斧とナイフの斬撃、そして暗い茂みの向こうから飛来した矢、その全ては分厚い氷の盾が防いでくれた。

 この間、双葉芽衣子はただ呆然としており、次に涼子が『氷矢アイズ・サギタ』の二連射で斧とナイフを持ったゴーマを始末したところで、ようやく恐怖の叫びをあげたのだった。

 氷魔法で果敢に応戦して見せる涼子。一方、切れ味鋭い肉切り包丁で武装した芽衣子は、ほぼ錯乱状態で泣き叫んでいるのみ。無暗矢鱈に手にする包丁を振り回していないだけ、まだマシかもしれない。

「コイツら、何てしつこいのよ!」

 ここに来るまでの間、魔物は涼子の氷魔法を受けるとすぐに撤退していった。出会いがしらに群れの仲間が二、三匹もやられれば、敵わない、あるいは割に合わないと察して、速やかに退いていく。魔物とはいえ、野生動物のような合理的本能があるのだろう。

 しかし、ゴーマはよほど人間に執着があるのか、それともよほどイカれているのか、五人、六人――氷柱に撃ち抜かれたのが十人を数えても、決して攻撃の手を止めようとはしなかった。

「――『氷盾アイズ・シルド』っ!」

 その粘り強さもさることながら、時折、暗闇の向こうから飛んでくる矢が厄介であった。

 涼子が一瞥した限りでは、太さも長さも不揃いな上に、鏃は鉄ではなく明らかに尖っただけの石、あるいは魔物か動物の骨と思われるものが使われていた。矢羽根なんてものはなく、とても安定した弾道は期待できないだろう粗末な作り。

 だが、それでも引き絞った弦に番えて放てば、矢は飛ぶ。先が石でも骨でも、鋭ければ刺さる。人間の柔らかい体、身に纏うのは鋼鉄の鎧兜ではなく、ただの制服。矢を防ぐに足る防御力など、あるはずもない。

 数撃ちゃ当たる、を実践しているとしか思えない矢の攻撃を前に、涼子も少しずつ、だが、確実に追い込まれていく。あんな不出来な矢でそうそう当たるはずもない。だが、もし一発でも当たってしまえば、そこで勝負は決する。矢を一本、体のどこかに突き刺したまま、今のように魔法を使えるか、走れるか、冷静に、考えることができるか。

 涼子は牽制の『氷結放射アイズ・ブラスト』と、本命の『氷矢アイズ・サギタ』を織り交ぜて撃ちながら、森林ドームから決死の撤退を続ける。

 背中には泣き叫ぶだけで、図体がデカいだけの役立たずな豚をかばいながら、涼子は泣き言一つ零すことなく、魔法を撃ち続けた。

 薄暗い上に、生い茂った木々という環境は、かなり視界を制限される。だが、ゴーマはこの薄暗闇を見通すほど夜目が利くようで、こちらを見失うことなく把握している。向こうには見えて、こちらは見えない。一対多数。ここまで耐え凌いでいるのが、奇跡のようなものだった。

「――そこっ!」

 僅かな茂みの揺れを見逃すことなく、骨の短槍を手にしたゴーマが飛び出してきた瞬間に撃ち殺す。涼子の攻撃魔法は、未だにその精彩さを欠かない。

 威力も、魔力も、集中力も、まだ途切れることなく戦い続けた涼子だったが、この時ついに――

「くっ、痛っ!?」

 運が尽きた。青い結晶の鏃がついた矢が、涼子の左太ももをかすった。真っ白い玉の肌に、痛々しい朱色の線が一筋走る。

 致命傷ではない。しかし、走っている途中で受けた痛みと衝撃に、前のめりに転倒してしまう。受け身は完璧。顔面から突っ込むような真似は、運動神経も悪くない涼子がするはずない。

 しかし、転倒から衝撃を殺す一回転を経て、再び立ち上がろうとするまでの間は、完全な隙となる。

「しまった――」

 再び起き上がったその時、目の前には二体のゴーマが立ちはだかっていた。

 一方は刃先の欠けたナイフを持ち、もう一方は赤錆でボロボロの鉈を手にしている。だが、どちらも濁った黄色い目に、薄汚い色と並びの歯を剥き出しにした大口を開けた、吐き気がするほど醜悪な容姿。その黒く脂ぎった体から漂うのは、腐った卵の硫黄臭と腐った魚の腐敗臭。そして、トイレ掃除で味わえるアンモニア臭を絶妙な配分で混ぜ合わせた、最悪の刺激臭だった。

 うっ、と吐き気をこらえるうめき声と、その秀麗な細眉をしかめた時には、ゴーマは手にした凶器を振り上げ、獲物まであと一歩のところまで迫っていた。

「あ、あ、如月さん!」

 芽衣子はこの時、ようやく遅いランニングを止めて振り向いていた。一方的に守られ、前を向いて走ることだけに集中できた彼女は、如何に豚足、もとい、鈍足といえど、涼子から僅かに距離を開けて先行できていた。

 無論、このタイミングで芽衣子が振り向いても、涼子のピンチを救う手立てなどない。芽衣子の天職は騎士。魔法による遠距離攻撃は不可能。

 故に、如月涼子が一命をとりとめたのは、第三者の助け以外にはありえなかったのだ。

「涼子ちゃん、大丈夫っ!?」

 よく通る少女の声音が届くと同時に、汚らしいダミ声の絶叫が響き渡った。

 その時、最初に涼子が目にしたのは、目前まで迫り来ていた二体のゴーマが派手に転倒するシーン。一方は喉に、もう一方は胸に、錆びたナイフが突き立っていたのが、チラリと見えた。

「うそ、美波なの!? どうして――」

「ただの偶然だって! いいから、早く逃げよ!」

 気が付けば、涼子は一人の少女と肩を並べて走り始めていた。足の傷は痛むものの、走るのに支障をきたすほどではないようだ。そんなことよりも、気になるのは隣を並走する彼女のことである。

 夏川美波。それが、窮地を救ってくれたクラスメイトの名前だ。

 クリクリした猫のような目は、彼女を可愛いらしい中性的な容姿に仕立て上げている。ショートの髪型と、こんがり日に焼けた小麦色の肌は、如何にも活発なイメージを見る者に抱かせる。その第一印象を裏切ることなく、むしろ、想像以上に元気溌剌としたエネルギッシュな少女だ。

 その体力は主に陸上部という至極真っ当な使い道に割り振られており、一年生の頃は期待のホープと呼ばれ、二年生の現在は不動のエースの座を獲得するに至っている。勿論、出場競技はスプリント。彼女の性格をそのまま具現化したような爆発的スタートダッシュは、白嶺学園陸上部を全国大会へと導いた。

 そんな筋金入りの陸上少女であるところの美波は、仲良く名前で呼び合うように、如月涼子と友人同士である。部活ではスーパーヒロインな美波だが、テストではいつも赤点ギリギリな劣等生。彼女の残念な学業のお世話を、我らがクラス委員長である涼子が甲斐甲斐しく焼いているというのは、二年七組において周知の事実である。ドがつくほど真面目な涼子が、宿題をそのまま写すことを許すのは、この夏川美波と天道龍一の二人のみ。

 さておき、元気でホットな美波と知的でクールな涼子は、正反対の性格であるが故にピッタリ反りが合うというタイプの友人関係であった。対外的には、親友と呼んでもなんら恥ずべきことはないというほど、仲が良い。

「ありがとう、助かったわ、美波」

「にはは、涼子ちゃんを助けるチャンスなんて、年に一度あるかないかだよっ!」

 絶体絶命の窮地のはずが、太陽が如き明るく朗らかな笑みを浮かべる友人のお蔭で、希望の光が満ちる。半ばあきらめかけた涼子の心に、溢れんばかりに気力がみなぎった。

「再会を喜びたいところだけど、まずはアイツらから逃げ切らないといけないわね」

「大丈夫、準備は万端だから――」

 美波が悪戯を仕掛けた子供のような笑みを浮かべて、ドームの壁際に開く一本の通路を指差す。そこへ駆け込む、というのはわざわざ問いかけずとも、明らかであった。

 ちなみに、美波が助けに入ったのを確認したらしい芽衣子は、猛進する猪のような逃走を再開しており、偶然その目に入っただろう通路へと向かうところであった。涼子の指示を聞く冷静さがあるかどうか分からない錯乱状態の芽衣子が、同じ方向へ走ってくれたのは幸い。

 もっとも、ドームから通路に入る境目の部分に、何故か歩道の縁石のようなでっぱりがあり、見事にそれに蹴躓いて転んだ芽衣子は、その幸運など微塵も感じることはないだろう。

 薄桃色のパンツがパツパツになってる大きな尻を丸出しにした恥ずかしい体勢の芽衣子に、二人が追いついたその時、美波が声高に叫んだ。

「今だよ、佐藤ちゃん! 撃って!」

 返答の代わりに、一本の矢が二人の間を駆け抜けた。キラリと輝く鏃は、通路の奥から飛来し、そのままドームへと飛び出していく。向かう先は追っ手のゴーマではなく、奇妙に捻じれた一本の木だった。人の胴ほどある幹のど真ん中に命中。緑の葉が生い茂る枝を震わせて、鈍い音が響く。

 外した――そう思った直後、狙い通りの大当たりであったことを涼子は知る。

 ゴゴゴ、という地響きが走り抜けた次の瞬間、地面が消えた。今、彼女達が立つ通路ではなく、数秒前に駆け抜けてきたドームの地面である。ちょうど縁石の向こうから、十メートル四方の面積が、正しく霞となって消失したのだ。

「え、何なの、これ……」

 確かに踏みしめたはずの地面が、幻のように消え去ったのを目の当たりにし、思わず涼子も目を白黒させてつぶやく。

「落とし穴だよ。ここって、こういう罠が色んな所に仕掛けられてるみたいなの」

 プレイ中のゲームを解説するかのような気軽さで、美波が言う。

「落とし穴って、こんないきなり消えるものだっけ?」

「さぁ? 魔法の落とし穴なんじゃない?」

 考えなしの美波らしい答えだが、事実、そうとしか思えなかった。魔法、という存在はすでに涼子自身が行使している。ならば、地球ではありえない仕掛けの罠があったとしても、何もおかしくない。いや、ここがダンジョンなどと呼ばれる場所である以上、無い方が不自然だろう。

「とにかく、これであのキモいのは追って来れないから、早く先に進もうよ」

 落とし穴は自分達が飛び込んだ通路の入り口を守るように、ぽっかりと開いている。軽く覗いてみた限りでは、深さの判別はつかなかった。奈落の如き暗闇が広がっているワケではなく、ドライアイスでも敷き詰めているかのように白い靄が立ち込めており、単純に底が見えないのだ。だが、少なくとも人の身長以上の深さがあるのは間違いない。

 ゴーマ達は落とし穴を前に、獲物を目前にしながら取り逃がしたことを無念がるようにゾロゾロと集まり始めていた。ギャーギャーと耳障りな声でがなりたてているが、誰一人として、この落とし穴を飛び越えようとかかってくる者はいない。

 この穴に落ちればただではすまないことを知っているのか、それとも、彼らにとっても未知の罠で警戒しているのか。少なくとも、ゴーマが一足飛びに十メートルの距離は飛べないということは明らかである。恐らく、身体能力は人間とそれほど変わらないのだろう。

「そうね、色々と聞きたいことはあるけれど、今は移動を優先すべきだわ」

 そうして、辛くも窮地を脱した涼子と芽衣子は、未だゴーマの叫び木霊するドームを後にした。




「夏川さんの天職は『盗賊』だよね?」

「え、そうだけど……どうして分かったの?」

 丸い顔に丸い目をした双葉さんが、ぽかんとしたように問い返す。

 如月涼子のピンチを颯爽と救った陸上部のエース、夏川美波。彼女の活躍を聞けば、誰でも簡単に想像はつくだろう――と思えるのは、僕がゲーム脳だからだろうか。

「いや、ナイフとかトラップとか使ってたし、そうなのかと」

「うん、確かに夏川さんはナイフを使ってたし、落とし穴とか秘密のドアみたいなのも、見つけられるんだよ」

 投げナイフの攻撃技と探知能力は、ほぼ確定といっていいだろう。

「能力名と効果は分かる?」

「え、うーん……『スロウダガー』っていう、ナイフを投げるのが上手になるのと、罠を見つける『サーチセンス』、あとは……そうだ、『疾駆はやがけ』っていう能力? えっと、確か武技って言ってた気がするけど、それで凄く速く走れるようになったって、喜んでたよ」

 なるほど、投げナイフとトラップサーチと移動強化技か。何とも盗賊の初期スキルらしい効果である。

「あとね、途中で新しく『スラッシュ』っていう技と、私と同じ『見切り』も覚えてたよ」

「『スラッシュ』は使うとどうなるの?」

「うーん、私はいつも後ろから見てただけだから、よく分からないんだけど……凄くよく切れるようになる、って言ってたと思う」

 シンプルな技名の通り、ナイフで直接的に切り裂いた際の威力を上昇させる効果ということか。これも正確には『武技』というものにカテゴライズされるのだろう。聞く限りの効果と名前から、魔法と対を成すスキル系統といったイメージである。まぁ、今は正確な分類名なんてどうでもいいけど。

「何て言うか、強そうだね、夏川さん」

「うん、すっごく強かったよ! 魔物が襲ってきても、いつも一番前で戦うの」

 見事に前衛の役割を果たしたということだろう。すでに氷魔法を使いこなしている如月さんが後衛にいるなら、かなり強力な連携がとれていたに違いない。近接戦闘職が壁役で、攻撃魔法使いが後ろから撃つ、というのはファンタジー系のネトゲじゃ定番の陣形だけど、まさかリアルで実行できるとは。

「でも、私は……全然ダメで……」

 話題に上ったことで、改めて夏川さんと自分との実力差を思い知ったのだろうか。見る間に双葉さんの顔が曇り、円らな瞳には再び薄らと涙の粒が浮かぶ。

 ここで即座に優しくカッコよく、それでいて思いやりに溢れる慰めの言葉をかけることができれば、今日から僕もイケメンの仲間入りを果たせたのだろうが、残念ながら、そのチャンスを棒に振ってしまった。

 ぶっちゃけ、双葉さん今のところ完全に足手まといになってるよね、という率直な意見しか僕の胸には抱けない。しかしながら、イケメンではなくとも、それを素直に言ってしまえるほど空気を読めないワケではない。

「あ、あのさ……矢を撃った佐藤って、男子の佐藤君? それとも女子の佐藤さん?」

 結果、僕がとった選択は、双葉さんによる自責のつぶやきを聞こえなかったことにして、話を次のステップに続けること。スルースキルって、大事だと思う。

「あっ、ごめんね……佐藤さんは女子の方だよ。佐藤彩さん」

 佐藤さんってそんな名前だったんだ。正直、苗字しか覚えていない。

 彼女は僕と同じように、そんなに目立つ生徒じゃない。そもそもウチのクラスは普通の生徒と、蒼真君や天道君みたいにやたらハイスペックな生徒との二極化が激しすぎる。チートステータスな奴らを狙って集めただろ、と二年七組のクラス分けを見た時に思ったっけ。勿論、その中には如月涼子と夏川美波も含まれる。

「佐藤さんは射手?」

「うん、中学の頃は弓道部だったって、言ってたよ」

 個人に最適な能力を与えるのが『天職』という話だから、まぁ、多少なりとも経験のあるものが反映されるのは当然かもしれない。よほどズバ抜けた才能がない限りは、神様だって使い慣れたものを与えようと思うだろうし。

 もっとも、僕は佐藤彩の腕前など全く知らないが。少なくとも、全国常連の蒼真桜ほどではない、というのは間違いないだろうけど。

「じゃあ、そこで仲間に加わったのは、夏川さんと佐藤さんの二人だけ?」

「うん、他の人は……途中で、落し物の鞄を見つけただけで、誰とも会わなかったよ」

 脳裏によぎる、ゴーマ共が女子生徒を貪る悪夢の光景。あんな風に食われたなら、そりゃあ死体は残らないだろう。

 ちくしょう、思い出したら気分が悪くなってきた。止めよう――

「それじゃあ、これで四人パーティになった、ってことか……」

 いいや、この四人、という組み合わせの方が、もっと気分が悪くなりそうだ。なぜなら、すでにオチは明かされているのだから。

 この妖精広場で、重傷を負った双葉芽衣子だけが取り残されたという、僕自身が遭遇した現実に。

第12話 双葉芽衣子・3

 快進撃、であった。ただでさえソロでも探索がはかどっていた如月涼子に、新たな仲間として盗賊の夏川美波と、射手の佐藤彩が加わったのだ。向かうところ敵なし、である。

 美波は元から高かった運動神経に天職の能力が合わさり、抜群の近接戦闘能力を誇る。彩の方は、その見た目と同じく凡庸な才能しか持ち合わせていなかったが、天職の能力は彼女を即戦力の射手に仕立て上げてくれた。


『一射』:よく狙いを定めることで、弓の威力と命中率が上がる。

『精神集中』:心を乱さず、弓を引ける。

『矢作』:上手に矢を作れる。


 飛び抜けて強力な効果ではないものの、弓さえ手に入れれば攻撃と矢の確保、両面においてつつがなく実行できる堅実な初期能力構成である。

 最初にして最大の難関である弓そのものの入手という点において、彩は早々にクリアできたのは幸いであった。彩が美波と出会ったその時、ちょうど彼女が弓を装備したゴーマを倒すところだったのは、正に弓の神の加護としか思えない。

 しかし、そんな彼女はドームを後にしてからおよそ一時間後、たどり着いた妖精広場でヒステリックに声を荒げていた。

「――えっ、ちょっと待ってよ、それじゃあ三人しか助からないってこと!?」

「お、落ち着きなって、大丈夫、きっと大丈夫だから!」

 危険なダンジョン探索中でも終始笑顔と気楽な態度を崩さない美波だが、その声音には確かな焦りと不安の色が混じっている。

「ど、ど、どど、どうしようぅ……」

 人一倍デカい体を震わせて、双葉芽衣子は早くも目から涙が零れて落ち始めていた。

 彼女達がここまで混乱するのも無理はない。なぜなら、ここで休憩がてら確認した魔法陣での更新情報に、衝撃的なルールが判明したからである。

 ダンジョンの最深部にある天送門は破損が激しく、最大で三名までしか転移することができない――つまり、脱出人数の制限だ。

「この情報が本当かどうか、まだ分からないわ。今はこれについて、考えるべきじゃない」

 四人の中でただ一人、如月涼子だけが冷静に、皆を諭すような口調で言った。

「考えるなって、それじゃあこれから、どうするのよ!」

 どうやら『精神集中』は弓を引く時限定で、平素においては何ら鎮静作用を与えてくれない。そんな効果を実証してくれるかのように、すっかり取り乱した彩が反論する。

「この転移門とやらを動かすためには、もっと沢山の魔物からコアを手に入れなきゃいけない。今は楽に倒せているけれど、これから先にはどんな危険な魔物がいるか分からないわ。余計な不安を感じたまま、戦うのは危険よ」

「でも、だからって――」

「私達に必要なのは、希望よ」

 真顔でそんなことを言いだす涼子に、彩は変質者でも見た、とでいうような顔でクラス委員長の怜悧な美貌を凝視した。

「こんな状況で……よく、そんな綺麗事を言えるわね」

「綺麗事じゃない。だって、私達には本当に、希望があるんだもの」

 涼子の穏やかな微笑みには、絶対的な自信、いや、確信、とでもいうべき雰囲気が滲み出ている。あまりに堂々とした反論に、彩は少しだけ面喰らった後、「その希望とは?」という当たり前の質問を投げかけた。

「蒼真悠斗と天道龍一。あの二人なら、こんな、ええ、こんなふざけた状況だって、必ず打ち破ってくれるわよ」

 その解答を、馬鹿な、と笑える者は一人もいなかった。恐らく、二年七組のクラス全員がいたとしても、異を唱える者はいないだろう。

「私達だって、天職のお蔭であんな化け物と戦えるのよ。あの二人がこの力を得たら、それこそ、本物のヒーローになれるわ」

 涼子の言葉は、荒唐無稽にして情けない他力本願のものではない。彼らを知っていれば、誰もが納得する。信じられる。

「向かう先は同じなのだから、このまま進んで行けば、必ず蒼真君と合流できるわ。そしたらきっと、貴女も、クラスのみんなも、彼なら救ってくれる」

「そ、蒼真君が、私を……」

 自らのピンチに颯爽と駆けつける蒼真悠斗の雄姿を思い描いているのだろうか。彩は薄らと頬を朱に染めて、思わずウットリした表情に崩れかける。

 それを涼子が冷めた目で見ることはない。二年七組の女子の半分くらいは、こんな反応をするだろうから。

 男子が蒼真桜の美貌に一目惚れするのと同じように、女子もまた、蒼真悠斗に惹かれるのだ。佐藤彩、彼女もまた、密かな思いを彼に寄せる乙女の一人である。

「ええ、そうよ、佐藤さん。蒼真君が、助けに来てくれるから」

「――ハッ! そ、そうね……確かに、蒼真君なら何とかしてくれそうよね」

 あくまで論理的に納得してます、という体裁を今更ながらに繕いながら、彩はうなずく。

「うんうん、そうだよねー、蒼真君がいるなら絶対に大丈夫だよね! 何かゲームみたいな世界だし、ヒーローっていうより勇者様? みたいな?」

 彼なら白銀の鎧にマントでも着こなせる、ということが、去年の学園祭の演劇で証明されている。演目は白雪姫。最後の最後で通りがかってキスするだけの役だが、本物の王子様以上に本物らしい姿に、劇の内容が忘れ去れるという悲劇的な結末を迎えることに。

「でも涼子ちゃんにとっての勇者様は、蒼真君より天道く――」

「ちょ、ちょっと、止めてよ美波! アイツはそんなんじゃないから!」

 さっきの彩の反応と似たような、あからさまなリアクションをくれる涼子に、美波はいつものニコニコをニヤニヤに変える。こういうところは、クールなクラス委員長様も分かりやすい。

「にはは、そういうコトにしておいてあげる」

「だからっ――もう!」

「あ、痛っ! ちょっと、暴力反対! でも魔法を撃つのはもっと反対ぃ!」

 綺麗な顔を赤く染めながら、友人に向かって猫パンチを繰り出す涼子の姿は、どこまでも頼れる委員長のイメージからかけ離れている。小学生レベルの反応。

 ともかく、こうして脱出の人数制限という情報を知った彼女達だが、その時は大きく問題視することはなかった。そう、この時までは。

 



 四人のダンジョン探索は進む。

 妖精広場で仮眠も含めた休息を終え、気力、体力、共に充足させてから出発してからおよそ十分後。早くも魔物とのエンカウントが発生した。

 現れたのは、燃えるように真っ赤な毛並みをした野良犬の群れ。柴犬以上、ゴールデンレトリバー以下といった大きさだが、荒い鼻息と血走った目つきは、どうしようもない野生の飢えを感じさせてならない。

「――ごめん! 三匹抜けたっ!」

 美波が右手に握った、芽衣子から借りた文化包丁で犬の喉を横一文字に切り裂きながら叫ぶ。彼女の脇を合わせて四匹の犬が火の玉のような色と勢いで駆け抜けていくが、後ろ手に投げた左手のナイフが、一匹の背中に命中。結果、美波の言った通り、三匹の犬が後衛の二人へ向かった。

「双葉さん、止めて!」

 涼子の鋭い指示が飛ぶ。後衛は氷魔術師の如月涼子と射手の佐藤彩。騎士の天職を授かった双葉芽衣子は、美波と共に前衛――を張れるほどの活躍はハナから期待されていないので、中衛、という微妙な配置になっていた。

 騎士という最前線で敵を食い止めるべき天職能力でありながら、盗賊である美波の取りこぼしを一匹でもいいから抑えてくれればいい、という優しい配慮のフォーメーション。

「きゃぁーっ! わぁーっ!」

 そんな仲間の心遣いを無に帰すように、芽衣子は全力で回避行動をとっていた。手にした肉切り包丁を一度たりとも振るうことなく、飛び掛かってくる犬を前にあっさり武器を手放して地面を転がる。その姿たるや、坂道を転がり落ちるビヤ樽。

「ちょっと、ありえないで――しょっ!」

 怒りの声を上げると共に、『精神集中』で狙い澄ました彩の『一射』が炸裂した。鋭い牙を剥き出しに、涎をまき散らして迫り来る犬の眉間ど真ん中に、ゴーマ製の粗末な矢が深く突き刺さった。一発必中。そして、必殺である。

「……『氷矢アイズ・サギタ』」

 涼子が繰り出す氷柱は、矢よりも太く長いが、発射速度は本物の弓と遜色ない高速。天職による能力がなくとも、その狙いは正確で、見事に犬の胴をぶち抜いて見せる。

 二人の後衛は一瞬のうちに二匹を倒したが、向かってくるのは全部で三匹。まだ、一匹残っている。距離が近い。二本目の矢と氷柱は、間に合いそうにない。

 犬は必殺を確信しているのか、ガチンと牙をかち合わせると、その口元から火の粉が舞った。

「うっ、これヤバ――」

「『氷盾アイズ・シルド』」

 その時、音もなく現れた氷の盾に、大口を開けて飛び掛かって来た犬は間抜けにも正面から衝突した。キャイーン、と情けない声を漏らしながら、犬の体はどっと地面へと崩れ落ちる。

「攻撃魔法って、連射はできないけれど、防御魔法の方は即座に続けて使えるみたいね」

 涼しい顔で彩に説明しながら、涼子は倒れた犬が起き上がるより早く、無詠唱の『氷矢アイズ・サギタ』をぶち込んでいた。

「涼子ちゃん! 佐藤ちゃん! 大丈夫だった!?」

 気が付けば、赤い犬の群れはそそくさと退散していくところであった。美波は追撃することなく、すぐに振り返って仲間の元へと心配の声を上げながら走り寄ってくる。

「はぁ……如月さんが仲間にいて、本当に良かったわ」

「佐藤さんだって、確実に敵を倒してくれるから、十分な活躍よ」

「倒した数はアタシが一番なんだからーっ! もっと褒めてよ涼子ちゃん!」

「分かってるわよ、美波が前で頑張ってくれるから、私達も安全に攻撃できるんだからね」

 和やかに談笑する三人を、土埃にまみれた惨めな姿で、双葉芽衣子は眺めていた。昼寝をしていた牛が起きるようにのっそりと、その丸い巨体を地面から立ち上がらせる。

 だが、三人の輪に戻るために、一歩を踏み出す勇気が持てなかった。

「……双葉さんは、大丈夫だった? 怪我はない?」

 部屋の隅っこでおどおどしている芽衣子に優しい声をかけたのは、涼子である。

「え、あの……ごめんなさい、私、コアを取り出すから」

 誰も、芽衣子の無様を表立っては責めていない。強いて言えば、佐藤彩はあからさまに軽蔑の眼差しを向けてはいるが、それでも怒り心頭で罵詈雑言を浴びせては来ない。

 だが、もし自分の行動を非難されても、芽衣子にはそれに反論することなどできないだろう。分かっている、今の自分がどれだけ無能で役立たずであったのかを。皆は命を賭けて戦っているのに対し、芽衣子はいざ敵が目の前に現れれば、怖くて怖くて、逃げ出すことしか考えられないのだ。そして、実際に逃げる。戦う仲間のことなど忘れて、自分だけ。

「それじゃあ、お願いするわね。双葉さん料理部だから、捌くのに慣れているみたいだし」

「適材適所ってヤツ? にはは、アタシにはちょっと無理かなぁ」

 魔物はただ倒すだけでは意味がない。ゲームのように経験値という確かな成長数値が蓄積されるわけでもなく、まして、煙のように死体が消えて、金貨やアイテムをドロップしてくれることなど、いくら魔法の異世界でもありえない。

 その体内に宿すコアを摘出しなければ、目的は達成できない。転移門まで辿り着いても、起動させられるだけのエネルギー源がなければ意味はないのだから。

「ご、ごめんなさい……三個しかなかったの」

 芽衣子は自前の包丁セットを駆使して、熟練の料理職人が如き手際で瞬く間に犬の死体を解体し、体内からコアを取り出してみせた。彼女のふっくらした掌には、赤いビー玉が割れたような小さなコアが、確かに三つある。

 倒した犬の数は全部でちょうど十匹。芽衣子が七匹分のコアを見つけられなかったのは、彼女が見落としたからではなく、単純に、コアが存在しないのである。最初に倒した牙鼠などは、一匹もコアを宿してはいない。

 ここまでの道中で魔物の死体を捌き続けた芽衣子としては、コアのあるなしはすぐに分かるらしい。毛皮を割いてみれば、何となく、気配のようなものを感じる。同時に、ソレがどの辺にあるのかも感じ取れるのだ。故に、コアの摘出は割と簡単。芽衣子並みの調理スキルなどなくても、素人が適当に漁っても取り出すくらいはできるだろう。

 だからこそ、問題点はコアの入手率の低さに集約される。

 考えたくないことだが、このガラスの破片みたいな小さなコアなんて、どれだけ集めても無意味なのではないか。そんな予感さえ抱かせる。

「弱い魔物だったから、仕方ないわね」

 涼子は不満を漏らすこともなく、そのまま芽衣子から三つのコアを受けとる。逆に言えば、礼の言葉もないということでもある。

「このペースで戦ってれば、すぐレベルアップできるよ! そしたらコアもザックザク!」

「これ以上、強いのと戦いたくなんてないわよ……はぁ、矢一発で倒せないのが現れたら……ちょっと、考えたくないわ」

 鬱だ、とばかりに不安げな表情の彩に、また美波があっけらかんとした笑顔で楽観的なことを囁く。それを涼子が微笑んで見ながら、何となく、その場は出発となった。

 芽衣子は自責の念に潰されそうになりながら、三人の一歩後をついていった。




 その時が訪れたのは、赤い犬の群れとの遭遇から、さらに三度の戦いを経た、四度目の戦闘であった。

 現れたのはゴーマ。場所は真っ白に枯れた木々が乱立する通路。美波達と合流を果たした森林ドームよりは視界が開け、かつ、明るいが、それでも四人の死角をつくには十分だったようだ。

「――あっ!」

 と、叫び声を上げた芽衣子。その立ち位置は最後尾だった。すでに戦闘では全くの役立たずだと判断された彼女は、最早、中衛にさえ置かれることはなく、後衛である氷魔術師と射手のさらに後ろという、完全に守られるだけのポジションに自然と収まることになっていた。

 しかし、それはあくまで敵が前から現れた時に限った話である。ゲームでも、敵に背後から奇襲された、という設定のバックアタックシステムなんてものもあるのだ。リアルに魔物が襲い掛かってくる本物のダンジョンにおいて、背後から襲われないなんてことは、あるはずもなかった。

「きゃぁああああーっ!」

 白い枯れ木の木陰から飛び出したのは、大きな爪をそのまま刃に用いたナイフで武装した、一体のゴーマであった。

 芽衣子は突如として現れたゴーマを、その場で振り向いて確認した瞬間、その悪魔よりも醜悪な姿を前に、逃げる事さえ忘れて全身が硬直していた。

「グォーブビバァ!」

 謎の雄たけびを斬りかかってくるゴーマ。その太刀筋は大振りの横一文字。芽衣子ははっきりと、その攻撃が見えていた。

 騎士の能力『見切り』によって、余裕をもって避けられるほど、迫り来る斬撃の軌跡が見える。芽衣子の目には、その先に描かれるだろう剣閃が、薄らと白い光となって確かに見えていたのだ。

 その斬撃予測ラインは、見事に自分のでっぷりした腹部を捉えていることも、分かっていた。分かり切っていた。

 回避、あるいは、防御の余地はあった。

『弾き』の能力は、手にした肉切り包丁で、難なく迫り来る一撃を弾き飛ばせる技量をもたらしてくれる。発動すれば、芽衣子の太い腕から繰り出されるカウンターによって、小柄なゴーマは攻撃どころから自らの体ごと吹き飛ばされて、あっけなく地面へと倒れ込むことだろう。

 しかし、その実現しえたはずの未来はない。ひとえに、双葉芽衣子、彼女自身の心の弱さによって。恐怖が身を竦ませる。技を、縛る。

「ぎっ、いぃぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」

 腹部を切り裂かれた。真っ直ぐ水平の一閃。剣の心得などあるはずもない素人剣術のゴーマでも、その狙い通りに、命中してしまった。

 爪の刃は、深々と芽衣子の白い腹を斬る。セーラー服の生地は厚めだが、とても防刃性には期待できない。分厚い脂肪の層もまた、刃を防ぐには足りないというのは、これまで幾度となく霜降り肉を切り、捌いてきた芽衣子自身がよく知っていることだろう。

 激痛、というより攻撃を受けた衝撃と心理的ショックによって、芽衣子は狂ったような絶叫を上げながら、仰向けに倒れ込んだ。

「バッ、グルア――ゲバァっ!」

 ゴーマがそのままトドメを刺さんと刃を振り上げて、芽衣子に馬乗りになろうと飛んだ時、その醜く歪んだ顔面に、凍てつく氷の矢がぶち込まれた。

「双葉さんっ!」

 幸いにも、この時にちょうどゴーマ小隊との戦闘が終了していた、ということを、芽衣子には気づけるはずもなかった。

 どちらにせよ、負傷した芽衣子の元へ、涼子が一番に、次に彩、最後に美波がすぐに駆け寄ってきた。

「はっ、はっ、あ……あぁ……い、たい……痛い、よぉ……」

「喋らないで! 今すぐ手当を――」

「そんなこと言ったって、包帯も消毒液もないわよ!」

「ば、バンソーコーならあるけどぉ……」

「そんなのじゃどうしようもないでしょぉ!?」

 半ばパニック状態に陥る仲間達の喧騒。しかし、ショックで頭が真っ白になっている芽衣子には、グラウンドから響いてくる運動部の掛け声のように、ぼんやりとしか聞こえてこない。

「大丈夫、妖精広場でとってきた薬草があるわ」

 涼子は冷静に、そう、こんな時でも冷静に、最善の対処を導きだしていた。

 彼女が鞄から取り出したのは、ほんの一掴みほどの草。ハート型の葉が特徴的な、正しく四葉のクローバーと同じ形状の植物であった。

「薬草って……たったこれだけしかないじゃない!」

「それでも、これ一本だけでも効果はあったわよ」

 涼子の左足には、ゴーマから受けた矢傷がすっかり消えている。この四葉の薬草一本を使うことで、見事に治癒したのだ。

 妖精広場にたどり着いた時に得た魔法陣の情報によれば、この四葉のクローバー型の薬草が説明されていた。半信半疑で試してみたところ、驚くほど早く怪我が治ったことで、これも魔法の植物ではないかと誰もが思ったものだ。

 使用法は単純そのもの。磨り潰して患部に直接塗りつけるだけ。

「だからでしょ! こんな重傷を治すなら、薬草全部つぎ込まなきゃ足りない、ううん、最悪、全部使ってもダメかもしれない」

「ええ、確かにその通りね。これで完全に治る保障は……ないわ」

「貴重な薬草を無駄に消費して、どうすんのよぉ!」

 そう、この薬草は貴重品。あの草花が生い茂る妖精広場から、ほんの一束しか採取できなかったのだ。生えているのは三つ葉ばかり。薬用効果があるのは四葉のみ。発見できる確率は、地球のクローバーと同じ程度であることを、小学生に戻ったように妖精広場で四葉を探し回った四人は知っている。

「無駄なんかじゃないわ、このままだと双葉さんは――」

「じゃあこっから先、私らが怪我したらどうするのよ! 次の妖精広場で、薬草が見つかるかどうか分からないのよ? もし、私らより先に広場についた人がいたら、もう全部とっちゃってることだってあるでしょ!」

 眼を血走らせ、唾を飛ばす勢いでまくしたてる彩は極度の興奮状態にある。しかしながら、その主張は確かに筋が通っている。涼子をして、完全に反論できないほどに。

「それじゃあ佐藤さん、貴女は……双葉さんを、見捨てろっていうの?」

 究極的な問いを、涼子は発した。

「……その聞き方はズルいんじゃないの? 如月さんだって、分かってるでしょ、ホントはさぁ」

 歪んだ笑みを浮かべる彩の返しに、思わず、涼子は目をそむけた。

「ち、違う、私は……」

「何が違うのよ! 私は悪くないわよ、だって、どう考えたって、そうとしか思えないじゃない! この先のこと考えれば、誰だって、私にだって分かるわよ!」

「けど、それは――」

「ちょ、ちょっと待って!」

 負傷者を前に、醜い口論に発展しかけた二人を止めたのは、美波である。そういえば、絆創膏を全否定されたあたりから、全く姿を見かけなかったなと、今更ながらに気づいた。

「そんなに騒いだら、魔物が寄ってきちゃうよ。血の臭いもするし、あの犬みたいなヤツとか、すぐ気づかれるって!」

 美波のもっともな主張に、彩は顔色を青ざめ、涼子は顔を白くする。ただでさえ仲間の一人が生きるか死ぬかの状況にあって、今度は自分達までも危機にさらされかねない現状に気づいて。

「そ、それじゃあ早くこの場を――」

「大丈夫、このすぐ先に妖精広場があるの見つけたから! ね、まずはそこに双葉ちゃんを運ぼうよ」

 美波が指差す先は、枯れ木の通路が途切れるT字路の右。どうやら、その先を俊足でもって確認してきたようであった。

「ええ、そうしましょう。そこの妖精広場で薬草があれば、全ての問題は解決するわ」

「……ん、まぁね」

 そうして、三人はすぐに移動を始める。

「ん、ぐっ……」

 と、重苦しい呻き声を上げるのは、芽衣子ではなく涼子であった。

「んあっ! ちょ、重っ! アンタ、一体何キロあんのよぉ!」

 女子三人で、芽衣子の巨体を持ち上げられたのは奇跡である。いや、正確には、芽衣子に肩を貸しているだけであるのだが。

 押し潰されそうになりながらも、どうにかこうにか芽衣子を歩かせる。腹部の傷は、少しでも出血を抑えられるよう、涼子が自らのジャージを巻き付けるという応急処置が施されている。白嶺学園の紺色ジャージが、血が滲んでどんどん黒ずんでいくのを見れば、効果のほどは定かではない。

「はぁ……はぁ……やっと、ついた……」

 息も絶え絶えに、彩はつぶやく。涼子は無言、流石の美波も、この苦行に言葉を失っている。

「薬草を、探しましょう……」

 額に玉の汗を浮かばせる涼子の一声で、三人は妖精広場の草地に挑んだ。

 噴水のすぐ脇に寝かせた芽衣子、彼女が時折あげる苦しげなうめき声をBGMに三人は黙々と探し続ける。

「……ダメね」

 結果は、その一言に尽きる。一本。それが収穫の全てであった。

「はは……あはは……決まりね」

 疲れた表情を浮かべながら、足を投げ出して芝生の上に座り込んだ彩が投げやりに言う。

「ね、ねぇ、決まりって……」

 泣きそうな顔でオロオロしながら、美波は彩と涼子を交互に見やる。

「私に、言わせないでよ……ほら、どうするのか言ってよ、委員長」

 流石の涼子も、眉間に深い皺を刻んで黙りこくる。彼女はうつむいたまま、どれだけ時間が流れただろう。正確に測れば、一分にも満たないだろうが、それでも、永遠に感じられるほどに、苦しい静寂だった。

「双葉さんは……もう、助からないわ」

 苦渋の決断であった。

「ええっ!? 涼子ちゃん!」

「あははっ、もうそんな良い子ぶらなくてもいいじゃない、夏川さん」

「そ、そんなっ、私は――」

「だから、いいって。しょうがない、しょうがないことなのよ、これは。誰も悪くない」

 彩は「悪くない」「私は悪くない」とつぶやきながら、乾いた笑いをあげている。普通の女子高生である彼女が、残酷な選択に直面して冷静でいられるはずがない。現実逃避して何が悪い。

「今の私達にとって、怪我を治す薬草は貴重品だわ。これから先、私が魔法を使えないほどの負傷をしたら、佐藤さんが弓を引けないほど腕を切られたら……何より、前で魔物と戦っている美波、貴女が一番、負傷の危険性は高いのよ」

 これまで類まれな運動神経と身体能力、そして『見切り』によってあらゆる攻撃を回避し続けてきた美波の実力は、後ろからその戦いぶりを見ていた涼子はよく知っている。しかし、その回避能力も過信などとてもできない。強力な魔物でなくとも、もっと大勢のゴーマに囲まれただけで、対処はできないと容易に想像がつく。

「え、でも、私……大丈夫、だし……」

「ダメよ美波。貴女にもしものことがあれば、遠距離攻撃向きの私と佐藤さんは共倒れになる。薬草の配分、本当はもっと前に、決めておくべきだったのよ」

 涼子は苦しみから逃れるように、美波から、勿論、芽衣子からも視線を逸らして、ただ緑の地面を見つめる。その視線の先に、都合よく四葉のクローバーなど、あるはずもなかった。

「よーするにさ、双葉さんは見捨てるしかないのよ。私達が生き残るには。役立たずの豚は切り捨てられる、当然の結果でしょ」

「やめて佐藤さん、そういう言い方は、よくないわ」

「じゃあどういう言い方すればいいってのよ。ブタバに泣いて謝れば、それで許されるの? そういうのってさ、偽善って言うんじゃないの?」

「でも、だからってそんなの、人として許されることじゃないわよ!」

 それなら、役立たずだから、効率的だから、といって人間一人の命を諦めるのは、許されることだというのか。

「……ごめんなさいね。死者に鞭打つような真似は、するべきじゃないもんね」

 ギリリ、と涼子は歯ぎしりするほど苦い顔。言い返せない。彩の言うとおり。どれほど体裁を取り繕っても、芽衣子を見殺しにする以上、偽善にしかなりえないのだから。三人は最早、共犯者といってよい。

「ねぇ、早く出発しましょうよ。このまま死ぬまで見守ってるのは、いくらなんでも悪趣味じゃない?」

 何より、自分達にとっても気持ちの良いものではない。彩は勿論、涼子も美波も、この罪悪感から逃れたいであろうことは、血の気の失せた顔色を見れば一目瞭然である。

「……ええ、そうね。ここに薬草が無かったのも、先客がいたからかもしれないし」

「自分が生き残ることしか考えないクズが先に天送門についたら、さっさと出て行っちゃうわよ。もし三人の人数制限が本当なら、取り返しのつかないことになる」

 蒼真悠斗の力は信頼に値する。しかし、必ずしもゴールまで一番で辿り着くかと問われれば、流石にどうか分からない。このダンジョンには崩れた場所、通ることができない通路が存在しているのを、彼女達はこれまで何度か目にしてきた。運が悪ければ、かなりの回り道をしなければ天送門まで到達できない、最悪、完全に閉じ込められているという可能性もありえなくはない。

 悠斗よりも幸運、かつ自己保身的な生徒がいれば、他のクラスメイトのことなど考えず脱出するのは火を見るより明らかだ。

「何より、これでちょうど三人になったじゃない。ブタバを捨てるのも、ちょっと早いか遅いかだけの違いでしょ」

「……もう、やめて佐藤さん。それ以上は言わなくていい、全部、分かっているから」

「そう、ならいいわよ。偽善に巻き込まれて死ぬのはまっぴら御免――だけど、二人は大丈夫そうよね。もうちゃんと、最善の決断ができたんだし、ね?」

 そうして、ダルそうに彩は立ち上がる。パンパンとスカートについた草を払ってから、何気ない動作で芽衣子の元へ歩み寄る。そして、傍らに転がる彼女の鞄から、角ばった黒いケースを抜き取った。

「佐藤さん、それはっ――」

「コイツにはもう必要ないでしょ。ゴーマの錆びたナイフより、こっちの方が使えそうじゃない」

 美波へ向かって真っすぐ差し出されたケースは勿論、芽衣子愛用の包丁セットである。切れ味鋭い刃物は、盗賊にとって心強い武器となる。主と共に死蔵させるには、あまりに惜しい一品。勿論、芽衣子が持ち歩いていた肉切り包丁も含めて回収される。

 すでに美波は文化包丁を借りているが、予備があるに越したことはない。あるいは、護身用として涼子と彩の二人が持ってもいい。

「え、えっと、私……」

「いいわ、後であげるから」

 目じりに涙を浮かべるだけで、すぐに受け取らない美波の気持ちを汲んで、彩は自分の鞄へと包丁セットを強引にねじ込んだ。結構な大きさになるが、教科書や参考書などのデッドウェイトを捨てた学生鞄には、ギリギリで入る容積は確保できていた。

「さぁ、行きましょうよ」

 そして、今度こそ真っ直ぐに彩は妖精広場を出ていく。涼子と美波は、暗い表情でうつむきながらも、すぐに彼女の後に続いた。

「……ま、待って……助け、て……」

 か細くも、その縋るような声は、確かに二人の耳に届いた。

「……ごめんなさい、双葉さん」

「ご、ごめんね……ごめんねぇ……」

 二人は、それだけ言い残し、去ってゆく。一度も振り返ることなく。

 そうして、双葉芽衣子は見捨てられた。役立たずの豚には、相応しい末路――そう、心の底から納得することなど、できるはずもない。

 しかし、薄れゆく意識の中、芽衣子の心にあるのは、ただひたすらに恐怖のみ。自らの行いを省みることも、見捨てた三人に対する恨みもない。

 ただ怖くて、恐ろしくて、寒かった。そのまま、冷たい冬の海にでも沈んで行きそうな心地になった、その時だった。

「双葉さん! 双葉さん、大丈夫!」

 救世主の、声が聞こえた――

第13話 呪術師と豚

「そ、そっか……」

 そんな馬鹿みたいに適当な相槌しか、僕には打てなかった。

「……うん」

 双葉さんは、ポロポロと大粒の涙を止めどなく流しながらも、うなずく。

 辛いことを、よく打ち明けてくれた――そんなくだらない感謝の言葉なんて、とても口にできる気分じゃなかった。

「そっか、そうか……はは、あの委員長でも、人を見捨てられるんだ……」

 つぶやいた言葉は、自分でもビックリするほど低く、暗い感情に満ちていた。

 気持ちのいい話じゃないのは分かっていたさ。それに、彼女達の判断だってそれなりに合理的だったというのも理解できる。限られた回復手段、戦闘能力、脱出の制限人数。双葉芽衣子は、まるで戦力にならない。真っ先に切り捨てるべき邪魔者の四人目に、これほど相応しい人物もいない。 

 僕は熱血な正義漢でもなければイエスな博愛主義者でもない。だから、似たような状況に陥れば、僕も同じ判断を下すだろう。委員長や夏川さんのように、最後の最後まで悩んで躊躇することさえせず、佐藤彩よりも自己保身に満ちた醜いことを口走ったかもしれない。彼女達は、何も、間違ってはいない。

「ふざけるなよ……」

 けれど、胸の奥底から途轍もない憎悪が湧き上がる。いざ見捨てられた人を前にすれば、どうしようもなく憎くて、狂おしいほどの怒りが溢れてくる。

 それは目の前で泣いている双葉さんがあまりに可哀想――だからじゃあない。ただ、彼女が僕と同じだからというだけ。どうしようもなく使えない、役立たずの無能だったからだ。


「桃川が呪術師なんてクソ天職じゃなくて、治癒術士とかだったら、イマイチ使えねーこのデブ捨てて仲間にしてやったんだけどよぉ」


 脳裏に浮かぶ、屈辱の記憶。


「な、良かったな斉藤、お前のお友達がカスみたいな天職で。小太郎クンが呪術師になってくれたお蔭で、僕は樋口様に捨てられずにすみましたーって、感謝しながら殴りなさーい。いやホント、お前、いい友達もったよ、羨ましいぜ」


 頬に吐きかけられた唾の汚らわしい感触が蘇る。

 そう、僕には力がないから樋口に負けた。双葉さんは力がないから、仲間に認めてもらえなかった。どちらも同じ、自らの無力が招いた当然の結果。

 けれど、それを素直に受け入れられるほど、僕は出来た人間でもなければ、敗北主義者でもない。

 認められるわけないだろう。他のヤツならいざ知らず、自分自身に限っては、怒らないわけがない、憎まないわけがない、恨まない、わけがない――

「双葉さん、僕と組もう」

 回りくどい誘い文句も、相手をその気にさせる詐欺的な誘導テクもなく、ストレートに僕は言った。ごちゃごちゃと余計な前置きをする気にはなれない、いや、ただ僕が言ってしまいたかっただけだろう。

「……え?」

 涙の溢れる丸い目をパチクリさせながら、双葉さんが僕を見つめてくる。いつもの僕なら、女子と目を合わせるなんてイケメン力が足りずにできなかっただろうけど、悪い意味で気持ちがハイになってる今は、真っ直ぐに彼女の円らな瞳を見つめ返すことができた。

「双葉さんは、まだ死にたくないでしょ?」

「う、うん……」

「仲間に見捨てられた絶望のあまり、自殺しようとか、考えてないよね?」

「そっ、そんなこと考えてないよっ!?」

 良かった、彼女にはまだ、自殺を速攻で否定できるくらいの元気は残っているようだ。これでドン底まで落ち込んでいれば、そこから励まして慰めて、立ち直らせるという七面倒くさい作業が発生するところだった。

 生きる気力さえあるならば、仲間に迎えるには十分すぎる。まぁ、僕は仲間を選べるほど偉い立場にはないのだけれど。

「それなら、僕と組もうよ。このダンジョンは一人じゃとても、攻略できない」

「え、え、でも……私……何も、できないよ……怖くて、戦うことなんてできない……絶対に私、桃川くんに迷惑かけちゃうよぉ!」

「大丈夫だよ、僕も戦えないから。多分、僕の天職はクラスの中で一番弱い」

 内容は情けないこと極まりないが、堂々と誇らしげに言い放つ。我こそは最弱と。

「……桃川くんの、天職って?」

「僕の天職は呪術師だ。攻撃することは勿論、防御も回避もできない。おまけに、逃げるのにだって、役に立たない」

 ああ、そうだよ樋口、お前の言うとおり、呪術師はどうしようもなく使えないクソ天職だよ、今のところ。鎧熊を倒せたのだって、一生分の幸運を使い切るほどツイてただけだったさ。

「でも、桃川くんは、私を助けてくれたよ!」

「それは薬草の力だよ。作り方を覚えれば、誰でも同じものができる」

 呪術師の僕が手作りしたからといって、薬用効果が上がるなんてことはない。ゲーム的に考えれば、その天職持ちじゃないと薬の精製は不可能、あるいは、効果が数十パーセント上がるだとか、そういう便利な補正がついたりするけれど……残念ながら、何もない。

 呪術師としての能力はあくまで『直感薬学』の範囲内のみ。それで知り得た効果やレシピは、誰かに公開すれば、それはもう僕だけのものではなくなる。

 逆に『治癒術士』なんて、技そのもので回復させるというモノは、本人じゃなきゃできない特殊能力である。最悪、僕から薬草情報を吐かせるだけ吐かせて、後はポイーなんてことも、十分にありうるのだ。

 あ、そう考えると、薬草の種類および薬の作り方は、誰にも教えない方がいいのか。もし、双葉さんが仲間になってくれたとしても。薬草情報の秘密は、僕の存在価値を上げてくれる数少ないファクターなのだから。

 全く、仲間に誘っている真っ最中にまでこんなことを考えてるなんて、本当に自分で自分が嫌になる。けど、自己嫌悪は後回し。今は何としても、目の前の双葉さんを攻略することに集中するんだ。

「僕は誰よりも弱くて、誰よりも、この危険なダンジョンの中じゃ使い物にならない。だから一度、殺されかけたよ」

「ええっ!? それじゃあ桃川くんも……その……」

 同情心がありありと浮かぶ双葉さんの優しい気遣いの視線を受けながら、僕は黙ってうなずいた。

 まぁ、樋口御一行様の仲間入りなんて、絶対に御免だったけど。土下座して頼まれたって、パーティ入りしてやるもんか。アカキノコぶつけるぞコノヤロウ。

「これから先、僕を必要としてくれる人はいないと思う。双葉さんはどう? もし委員長達に追いついたとして、その時、また仲間にしてもらえると思う?」

「そ、それは……無理だよ……」

 そりゃあそうだろう。どれだけ厚顔無恥であれば、何食わぬ顔で戦力外通告を喰らわせた元メンバーと合流を果たせるのか。というか、そんな態度で絡んで行ったら実力行使で追い返されるだろう。精神がスレちゃった佐藤彩なんて、躊躇なく『一射』をぶち込んでくるね。

 けど、ここで重要なのは、委員長パーティだけでなく、他のクラスメイトと出会った時のことも、双葉さんに想像させたことである。彼女も気づくはずだ。あの委員長・如月涼子さえ見捨てた無能な自分を、一体誰が拾ってくれるというのか。

 まぁ、蒼真君あたりならどうとでもフォローしてくれそうだけど、見殺しにされた直後で心がバッキバキにへし折れているだろう精神状態なら、他の人なら受け入れてくれる! なんて、とてもじゃないけど思えないだろう。

「僕らが強い天職の人に、守ってもらえる可能性は限りなく低い。委員長は否定したみたいだけれど、脱出人数が三人という情報をそのまま信じる人の方が多いと思う。半信半疑でも、それを前提に行動するだろうしね。だから、使えない仲間を抱える余裕は、どこにもない」

「そんな……でも……そう、だよね……」

 信じたくない厳しい現実、だけど、それを正しく認識できる理性は、双葉さんにはあるようだった。もしかしたら、淡々と説明する僕の上手くもない口先に丸め込まれているだけかもしれないけれど。

 まぁ、この際どっちもでいい。呪術師を仲間にしたい人がないというのは、間違いない事実だと自信を持って言えるし。僕は何も嘘をついてはいない。

「だったら、弱いなら弱いなりに、頑張るしかない。僕はまだ、自分の命を諦めたくない。双葉さんだって、まだ死にたくないって、言ったよね」

「うん、うん……イヤだよ、私、さっきまで本当に、死んじゃうんだって思ってたの……凄く、怖かった……」

 人の気持ちが分かる、なんて安易に言うのは好きじゃないんだけど、こればっかりは激しく同意できる。

 鎧熊と遭遇した時も、倒したその瞬間も。ゴーマが女子生徒を食っていたのを覗き見た時も。死、というものを意識した時、いつも心に湧き上がるのは途轍もない恐怖と忌避感だった。二度とこんな目にはあいたくない。絶対に、あんな目にはあいたくない。何が何でも、どれだけ苦しくても、辛くても、『死』だけは、絶対に嫌だと、心の底から思うのだ。

「だから、死なないためなら何でもやろう。生き残るためなら、何だって、やれるはずだよ。お願い、双葉さん。僕と一緒に、このダンジョンを進もう」

「ほ、本当に……本当に、私で、いいの?」

「僕は、双葉さんとじゃなきゃ組めない」

「私、ホントに何もできない、役立たず……だよ?」

「他の人ができすぎるんだよ。みんな最初から強くて、ズルいくらいに……でも、僕らだって、少しずつでも、強くなれるはずだから」

「でも、でも、私……」

「僕は裏切らない。双葉さんを、見捨てたりしない。でも、今すぐ信じてくれなくていいよ。信頼って、一緒に時間をかけて築くものだしね」

 少し、カッコつけすぎただろうか。確かに僕は、丸っきり嘘を言ったつもりはない。僕は、僕だけは、役立たずでも双葉さんを見捨てるつもりはないと本気で思ってる。使えないから、と斬り捨てたら、僕はアイツらと同じになるから。

 しかしながら、いざ、という時、僕は彼女を見捨てて一人で逃げ出すんじゃないかという可能性も捨てきれないのも、また事実である。いや、状況次第では確実に有り得る。

 だから、本当は僕の言葉なんて、何の覚悟も意味もない。蒼真君や天道君みたいな人なら、きっと有言実行で貫き通すだろうけど……僕みたいに普通の人の言葉には、そんな意志の力はないのだ。

「う、うぅ……桃川くん! ありがとう、ありがとぉーっ!」

 だがしかし、そんな軽い言葉でも双葉さんは感極まった様子で感謝の言葉を叫んでいた。

 チョロい、というより、完璧に心の弱ったところにつけ込んだ、といったところだろう。彼女の涙に濡れながらも、真っ直ぐな視線が僕の心をチクリとさせる。

「私、頑張るから! 桃川くんのために、一生懸命、頑張りますからぁ!」

「あ、ありがとう……それじゃあ、これからよろしくね、双葉さん」

「よろじくおねがいじまずぅーっ!」

 何はともあれ、僕はこうして思惑通りに双葉さんを仲間に引き込むことに成功した。

第14話 勇者と聖女

「『聖女』の天職か……それって、職業なのか?」

「もう、それは恥ずかしいから言わないでください!」

 頬を赤らめてポカポカしてくる桜は、どこまでもいつも通りである。この『天職』という異世界の神々から授かる超常的な力を得ても、人はそうそう変わるモノではないか。

「そういう兄さんこそ、『勇者』の天職ってどうなんですか?」

「はははっ、やっぱり面と向かってそう言われると、恥ずかしいな」

 気が付けば、俺の天職は『勇者』になっていた。例の魔法陣を使ってはいないが、それでも、鎧熊に倒されて意識が遠のいたあの時、聞こえてきた女神様の声を俺ははっきり憶えている。


『汝、世界に白き光をもたらす――『勇者』となれ』


 女神様はそう言っていた。きっと、あの瞬間に俺は『勇者』になったのだろう。

「はぁ、世界を救う前に、まずは自分達のことで精一杯だけど」

「ここを出られたら、すぐに帰りますからね」

「当たり前だろ、何でちょっとむくれてるんだよ」

「だって兄さん、この世界の人達が、魔物に襲われて困っています、なんてことになったら、危険も顧みず助けにいきそうじゃないですか」

「そりゃあ、俺の力で助けられるなら、助けるさ」

「でも、そうやってズルズルと戦い続けることになったら、どうするんですか。戦争に巻き込まれることだって、あるかもしれません……日本で不良と喧嘩をするのとは、わけが違うんですよ」

 分かっているさ。きっとこの異世界で『戦う』ということは、自分も相手も命をかけるのが前提となる。そんな過酷な戦いを続けていれば、その末路なんてのは容易に想像がつく。

「大丈夫だ。俺は必ず桜と、みんなとこのダンジョンから脱出して、元の世界に帰るんだ。優先順位を、間違えたりなんてしないさ」

「はい、兄さん。でも、あんまり一人で背負いこまないでくださいね。私だって、天職のお蔭で戦えるんですから」

「ああ、そうだな、頼りにしてるよ、桜」

 俺はすでに、桜の天職『聖女』の実力を見ている。

 今は安全地帯だという『妖精広場』まで辿り着いて休憩中だから、改めて桜の戦いぶりを思い返してみる。やはり、どれも強力な能力だと、しみじみと実感するな。

 天職で最初に与えられる能力は三つ。


光の守り手ホーリーエンチャント』:あらゆる物に、白き光の力を付与する。その輝きは邪を払い、魔を退ける。


光矢ルクス・サギタ』:白き光の矢を放つ、光属性の下級攻撃魔法。


癒しの輝きヒーリングライト』:治癒キュアー回復ヒール、双方の効果を併せ持つ治癒魔法。


 これらが、桜の能力だった。簡潔な説明文しか頭の中に浮かばないから、実際にどれほどの効果があるのかは、試してみるより他はない。

 そして、ダンジョンの通路をうろつく『スケルトン』という、ゲームに登場するそのままのような骨の魔物を相手に、桜は自分の能力を見せてくれた。

 まず驚くべきなのは『光矢ルクス・サギタ』の威力だ。桜が持っていた弓道の弓を引くと、そこに白く輝く光の矢が番えられる。それが放たれれば、綺麗な光りの軌跡を宙に残して、スケルトンへ吸い込まれるように飛んで行く。

 命中と同時に、眩い光が炸裂し、後にはバラバラに砕け散った骨の残骸が残るのみ。

 スケルトンの骨が脆いわけではない。どれくらいの硬度があるのかは、俺が実際に戦って確認している。少なくとも、普通の人間と同じ程度には頑強。ちょっと叩いたくらいでは、ヒビも入らないはず。

 それが木端微塵に爆砕しているのだから、その威力は推して計るべし。生身で当たったらどうなるか、ちょっと想像したくはない。

 次に試したのは『光の守り手ホーリーエンチャント』だ。桜が俺の木刀に手をかざすと、ぼんやりと白い光が瞬き、数秒経過すれば、魔法は完了。木刀は神聖な白い輝きを宿すようになる。

 この光った状態でスケルトンを叩けば、骨の体は砂のようにあっけなく崩れ去るのだ。

 ゲームだとアンデッドのスケルトンに光属性は効果抜群、みたいな感じだが、この世界でもそういった弱点や補正みたいなのが働いているのだろうか。アンデッドに対する特効があってもなくても、この『光の守り手ホーリーエンチャント』のかかった木刀が、通常の状態よりも遥かに硬度を増しているというのは、俺が実際に振り回してみて分かった。普通なら絶対に折れるような勢いで壁に叩きつけても、木刀はビクともしない。

 魔法の効果時間はあるものの、適時かければ問題ない。お蔭で、俺は木刀一本だけで事足りる。スケルトンの振り回す棍棒のお世話になることはなかった。

 最後の『癒しの輝きヒーリングライト』は、幸いにもまだ目立った負傷はないから、まだ試してはいない。俺が鎧熊に負わされた重傷も、勇者に目覚めた瞬間に何故か全回復していたから、今は無傷のままだ。

 しかし、こうして凄まじい魔法の力を目の当たりにすると、この治癒魔法の効果にも期待ができる。何より、これからも魔物が闊歩する危険なダンジョンを進むにあたって、こういった回復手段というのは必須。ある意味、戦闘能力よりも、この治癒魔法一つの方が、価値があるかもしれない。

できれば、ずっと出番のないまま脱出できればいいと思うが、弱いスケルトンだけでなく、鎧熊のような強力な魔物もいることを思えば、そう簡単にはいかないだろう。

「……はぁ、この妖精胡桃、不味くはないですけど、この先しばらく、これしか食べられないと思うと、少し気が滅入りますね」

「そう言うな。こんなサバイバルな状況下で、安定して栄養を確保できるんだから、恵まれているよ」

「兄さんはお爺様との山籠もりで、こういうのは慣れているかもしれないですけど」

 いや、流石に爺さんとの修行でも、こんな魔物がウロつくダンジョンに来たことなんかないけど。まぁ、あの爺さんなら嬉々として攻略しそうだが、俺はそこまで戦いに飢えた戦闘狂ではない。早く、またいつもの平和な学生生活に戻りたい。

 そんな思いを、今は忘れるように妖精胡桃を食べ終えて、俺は立ち上がる。

「よし、それじゃあ……アレを調べてみるか」

「うっ、兄さん、やっぱりアレ、調べるんですね」

 あからさまに桜が顔をしかめるが、この妖精広場には、とても無視できない存在感を放つ先客がいた。

「どう見ても騎士の死体だ。それに、剣もまだ腰にあるようだし……武器を手に入れる絶好のチャンスだろう」

 そう、それは薄汚れた甲冑に身を包んだ、白骨死体である。恐らくはアストリア王国の騎士だろう。ダンジョンの探索中に魔物に襲われ、ここまで逃げ込んだものの傷が深すぎてそのまま、といった感じ。

 これが未来の自分の姿とは思いたくない。ナムアミダブツ、と冥福だけは祈っておく。

「スケルトンになって、襲ってきたりはしない、ですよね?」

「今の俺なら、格闘戦になっても対処できるから、大丈夫だ」

 鎧熊を光の剣でぶった切った時ほどではないが、妙に体は軽いし、力が溢れてくる。実際、つい昨日までの自分よりも、明らかに身体能力が上昇しているのを、これまでの道中で確認している。ただ、スケルトン相手では全力の出しようもなかったから、今の自分がどこまで戦えるのか、俺自身も把握しきれていない。

「ほら、動かないだろ」

 死体が死体のままであることは、俺が無遠慮に装備品を漁り始めても、何のリアクションもないことから証明される。アンデッドモンスターではない、と安心するところだが、まぁ、そもそも白骨死体を前に、嬉々として装備漁りのできる精神性を女の子に求めるべきじゃないだろう。そういえば桜、意外と怖がりだし。ホラー映画とか苦手だしな。

 とりあえず、追剥ぎの真似事は俺の担当ということで。まずは最も気になる長剣を、鞘ごとベルトから外す。早速、引き抜いて刀身を検めよう。

「これは、凄いな……立派な剣だ。錆びてもいないし、造りもかなりしっかりしている」

「確かに、新品みたいに綺麗ですね。もしかして、魔法がかかっているんでしょうか」

 ありえない話じゃない。鎧は機動性を重視したような軽めのデザインだが、各所に凝った意匠がこらされたりしていて、とても一兵卒には見えない。この剣にも、赤い獅子のような紋章がついていて、ただの量産品ではなさそうだ。もしかして、この人は貴族だったり。

 だとすれば、この剣に切れ味を保つ魔法がかかっていてもおかしくはないだろう。もっとも、今の俺達には確かめる術はないが。

「――うん、これなら、実戦でも申し分ない」

「木刀よりは、ずっと頼りになりそうです」

 実際に素振りしてみると、この剣の良さをさらに実感する。これで刀だったら最高なんだけど、流石に、異世界に来てまでそこまで我がままは言わない。むしろ、ショテルとか、そういう変な形の剣が主流じゃなくてマシだったと思うべきか。

「騎士さんには悪いけど、この剣はありがたく、使わせてもらいます」

 粗方、装備を調べ終わると、俺はもう一度、騎士の白骨死体に手を合わせて拝んでから、この長剣を自らの腰に差す。

 騎士からちょうだいした武器は、長剣と、もう一つ持っていた短剣だけ。短剣も保存状態がよく、錆びも見当たらない。やはり、剣と同じ赤い獅子の紋章がついていた。

「短剣は護身用に、桜が持って」

「いえ、私は……兄さんが持っていた方が、役に立つのではないですか」

「『光矢ルクス・サギタ』は至近距離じゃ危ないだろう。それに、桜もナイフの使い方くらいは習っただろう?」

「それは、その、多少は……」

 俺ほどじゃないが、桜も何だかんだで幼いころから爺さんにしごかれてきている。ナイフを持った暴漢に対処する護身術だけでなく、ソイツからナイフを奪った上でトドメを刺すまでの流れを、きっちり教え込まれている。桜は女の子だから、本当に刺し殺しても余裕で正当防衛成立するから、安心てトドメを刺すが良い、とか言ってた爺さんは、割とクソジジイだと思う。まぁ、死なない程度の刺し方を教えてください、と真面目に言う桜も、ちょっとどうかと思うけど。

「それじゃあ、行こうか。まずは他のクラスメイトを探さないとな」

 そうして装備も整ったところで、俺達は妖精広場を後にした。

 そこから先のエリアには『ゴーマ』という真っ黒い小柄な人型モンスターが出現するようになった。錆びたナイフや斧、スケルトンから奪ったような棍棒、動物の骨の槍、そんな粗末ながらも一応は武装した、危険な魔物だ。なにより、コイツは人間の肉を好んで食らうというのが恐ろしい。万が一にも奴らに敗北すれば、生きたまま体を貪り食われることになるだろう。

 その姿から、何となくRPGの雑魚モンスターの代表格であるゴブリンを連想するが、決して油断すべき相手ではない。

「……兄さん、これは少し、やり過ぎではないでしょうか」

「いや待て、これは違うんだ、桜、聞いてくれ」

 俺の周囲には今、どんな凶悪な殺人犯が現れたのかというほど、血塗れの凄惨な殺害現場が広がっている。

 妖精広場から出た通路を抜けて、ちょっと大きな通りにでたところで、俺達は五体のゴーマに襲われた。勿論、こうして全て返り討ちにすることに成功はしたのだけれど……自分でもちょっと引くくらい、派手な殺し方をしてしまった。今や五体いたのかどうか分からないほど、死体はバラバラでグチャグチャ。途中から、如何に攻撃を当てるかよりも、如何に自分が返り血を浴びないか、というのを重視で立ち周りを考えたほどだ。

「何が違うんですか」

「俺のスキルを試してみたんだよ」

 この惨状は全て、新たに覚えたスキルの効果を試した結果、引き起こされたものだ。スキルなしで戦っていれば、順当に騎士の長剣で過不足ない一撃を見舞って、もっと綺麗に仕留めることができた。

「なるほど、兄さんの動きが目に見えて変わったのは、そのせいだったのですね。それで、使ってみて、どうでした?」

「とんでもない威力だよ。スキル、というより、剣で繰り出すのは武技というらしいけど」

 俺が鎧熊との戦いを終えた後に覚えたと思われるスキルは、以下の六つ。


習得スキル

一穿スラスト』:刺突攻撃力強化。鋭い一撃が、敵を穿つ。

一閃スラッシュ』:斬撃攻撃力強化。鋭い一撃が、敵を斬る。

疾駆ハイウォーク』:移動速度強化。疾風の如く、駆け抜ける。


獲得スキル

剛力フォルス・ブースト』:筋力強化。鎧熊の如き力強さ。

鉄皮アイアン・ガード』:防御力強化。鎧熊の如き硬き守り。

三裂閃トライ・スラッシュ』:三連続攻撃。鎧熊が爪を振るったように、敵を八つ裂く。


 習得スキル、というのは、俺自身が成長すること、ゲーム風にいえばレベルアップすると自動的に覚えられるスキルだ。

 獲得スキルは、倒した相手を元にしたスキルを覚えるというもの。恐らく、これは相手の能力をそっくりそのまま奪うのではなく、あくまで敵の能力をイメージの元として、人間である俺が扱うよう変化・調整されたモノだろう。

 鎧熊が力強いのは自前の筋肉があるからで、硬い防御は金属質の分厚い甲殻があるから。勿論、腕の一振りで相手を八つ裂きにできるのは、鋭い爪が指の数だけ生えているからに過ぎない。もし、真の意味で敵の能力を奪う効果があるのなら、今頃、俺は鎧熊と同じ姿になっていたところだろう。

「威力は凄いけど、溜めが必要だったり、放った後に僅かに隙ができたりする。それに、ただ剣を振るよりも体力を消耗するから、使いどころは考えないといけないな」

「魔法と同じですね。けれど、こういった『天職』の能力は、使えばその分だけ習熟して成長する、らしいので、出し惜しみするのもよくないのではありませんか?」

「ああ、武技の特性そのものに慣れておかないと、いざという時に使い物にならないからな。とりあえず、練習はしていくよ」

 ただし、ゴーマ相手に『三裂閃トライ・スラッシュ』を炸裂させるのは止めておこう。

「兄さん、少し、楽しそうですね」

「不謹慎、とは思うけど……俺はもっと、強くなりたかったから。それが、この異世界に来て、こんな目に見える形で凄い力が与えられたんだ。興奮が抑えられない、というのは、俺の精神修練が足りない証かな」

「ごめんなさい、そんな、皮肉のつもりで言ったわけではないのです。兄さんが強くなりたい、と思う気持ちがどれほど強いものか、私は知っています。けれど、この強力な『力』が、兄さんを変えてしまうのではないかと、少し、不安で……」

 参ったな、桜には敵わない。そんな心配をさせるほど、どうやら俺は舞い上がってしまっていたようだ。本当に、精神修練が足りない。後で座禅でも組んでおくか。

「俺は大丈夫だよ。強くなれるだけ強くなるのは、どんな時でも、何が起こっても、桜、お前と、そしてみんなを守れるだけの力が欲しいからだ。どうして神様が俺を『勇者』にしたのかは知らないし、どこまで強くなるのかも分からない……けど、その力の使い道を忘れたりはしない、絶対に」

 強い力は、ただ求めるだけでは意味がない。それを身に付けた後、どう使うかが肝要。そういう教えは、子供の頃から爺さんに叩きこまれている。それこそ、骨身に沁みるほど。

 分かっていたつもりだった。とっくに、知っているつもりだった。けれど、こうして曲がりなりにも人型の生き物を、剣の一振りで軽く殺せるような力を持った今になって、俺はその教えの意味を、改めて理解できたような気がする。

 あるいは、これからもっと、深く理解するか、俺を戒めてくれるものになるだろう。

「ただ守られるだけ、というのも辛いものなのですよ。だから、私も一緒に強くなります。少しでも強くなって、兄さんを支えますから」

「そうか……そうだよな。ありがとう、桜。頼りにしてるから」

「はい、兄さん」

 兄思いの、本当に良い妹を持ったのだと、心が温まるが……うん、こんな惨殺現場で心を温めている場合じゃないな。雰囲気ってものがあるだろう。

 とりあえず、気を取り直して俺達は先の見えない通路を進んだ。

 途中には、植物園みたいに室内に鬱蒼と木々が生い茂るドーム型の大広間があり、そこでゴーマや赤い野犬の群れと遭遇したりした。奴らは群れているだけで、これといって特殊な能力や魔法を使ってくるわけでもないので、桜の援護射撃と、『疾駆ハイウォーク』の機動力だけで、難なく殲滅できた。

 今のところ、魔物の強さは大したことがない。しかし、またいつ鎧熊のような大物が現れるとも限らないから、俺達は最大限、警戒しながらダンジョンを進む。

 そうして、安全な休息場所である妖精広場が、ほとんど等間隔のほどよい距離で配置されているということに気づく程度には、ダンジョンを超えてきた頃だった。幾つめかの妖精広場へ辿り着いた時。

「……嘘、蒼真君?」

 そこに、先客がいた。

「あっ、ほ、本当だ……蒼真くんと、桜ちゃん……夢じゃない、よね」

 よく見知った、二人の女の子。

「委員長と夏川さん! 良かった、二人とも無事で――」

「うっ、うぅ……ふぇえええええん! 蒼真くぅーん!」

「うわっ! ちょっ、ちょっと、夏川さん!?」

 いきなり泣きながら抱きつかれて、俺としてはうろたえるより他はない。夏川さんとは、普通に友達づきあいだけで、再会するなり抱き合うような関係性では断じてない。でも、こういう時、誤解でも桜から冷たい視線が送られるんだよな……と思いきや、桜は真面目な顔で、委員長へと向いていた。

「涼子、無事で良かったと言いたいのですけど……何もなかったわけでは、ないようですね」

「ええ、桜、それと悠斗君が、今ここに来てくれて、本当に助かったわ。ありがとう」

 どうやら、俺が考えているよりも、悪い状況が発生しているようだった。夏川さんも、ただの不安感から泣いている、という感じではなさそう。かなり精神的に追い詰められていた結果、と見るべきか。

 俺は、とりあえず泣きじゃくる夏川さんを落ち着かせるために、優しく抱き返す。同時に、事情を聞くのは、酷く疲れた青白い顔をしているが、それでもまだしっかり意思を保っている委員長にすべきだろう。

「委員長、一体、何があったんだ」

「……仲間が、また一人死んだの。つい、さっきのことよ」

 その報告は、俺が想像しなかった……いや、違う、あえて考えようとしなかったものだ。強力な『天職』の力に、群れるばかりで弱い魔物。だから、他のみんなも大丈夫。

 浅はかにも、俺は自分でそう、思い込もうとしていた。

 そしてそれが、希望ではなく、ただの都合の良い願望でしかなかったことが、今ここに、証明されてしまった。

 かくして、俺はついにクラスメイトから犠牲者が出たことを、知ったのだった。

第15話 武技

 晴れて仲間ができたところで、いざダンジョン攻略に出発! とは、いかない。場所は変わらず、妖精広場。

「とりあえず、お互いの能力を把握しておこう」

 双葉さんが授かった天職・騎士の初期スキル三つは、すでに話で聞いた通りであるが、やはり実際に試してみたいと思うのだ。

 いくら能力を得たからといって、いざその時に使えるかどうかは分からない。いや、いきなり敵を目の前にした実戦で使いこなした委員長がおかしいのだ。僕だって、一度くらいは『赤き熱病』を詠唱していなかったら、鎧熊にトドメを食らわす時に噛んだかもしれない。何事にも、練習というのは大事である。

「うん、よろしくお願いします!」

 不束者ですがー、みたいなノリで勢いよく頭を下げる双葉さんは、どこまでも素直だ。どこぞの詐欺師か呪術師に騙されやしないかと心配になる。

「まずは、双葉さんの『見切り』と『弾き』を試してみたいんだけど」

 能動的に発動する、いわばアクティブスキルというべき『弾き』というガード技なんかは特に。恐らく、彼女はまだ一度たりとも発動させていない。

『見切り』は夏川さんが使っていた様子を聞けば、どうも自動的に効果を発揮するパッシブスキルっぽい。まぁ、相手の攻撃を認識した上じゃないと『見切り』が発動しないというのであれば、もうその時点で攻撃を見切っているだろうってことになるし、当たり前か。

「えっと、どうすればいいの?」

「とりあえず、僕が適当に攻撃してみるから、それを見切って弾いて欲しい」

「適当に攻撃って……何か、怖いんだけど!」

「大丈夫、いきなり呪術を撃ったりしないから」

 まぁ、『赤き熱病』なんて撃ちこんだところで、効果はたかが知れているけど。怪我や病気に強いらしい『恵体』なんていう能力を持つ双葉さんには、このささやかな発熱作用さえ通らないかもしれない。うーん、これもちょっと試してみたい気もするが、それよりも気になることが。

「そういえば、お腹の傷はどう? 塞がりきってないなら、まだ休んでいた方がいいけど」

「ううん、もう大丈夫だよ。全然痛くないし、桃川くんの傷薬、凄くよく効いたみたい」

「……本当? もしかして、完全に傷塞がってる?」

「え、うん……」

 僕の疑惑の眼差しを受けた双葉さんは、ちょっと戸惑ったような反応を見せながら、その場でクルリと後ろを向く。そして、そっとセーラー服の裾をまくって腹部をこっそり確認している。

「うん、本当にもう治ってるよ」

「え、ちょっと見せてよ」

 あまりに自信満々な返答。治ってる、ということはかさぶたが浮く治りかけでもなく、跡形もなく傷が消え去ったってことだろう。いくらなんでも、それは回復が早すぎるんじゃないか?

「きゃあっ!?」

 という体格に似あわぬ可愛らしい悲鳴を双葉さんが上げた瞬間には、もう僕は彼女の豊かな白いお腹をかぶりつきで凝視しているところだった。

「うわ、ホントに治ってる……」

 思わず、そう言葉を漏らしてしまうほど見事な完治ぶりだった。ヘソのすぐ下を横一文字に走っていたあの深い創傷は、綺麗さっぱり塞がっている。傷痕はどこにも見られず、洗い落とし切れなかった少々の血痕と、はがれかけのかさぶたが薄ら残るのみ。

 凄まじい治癒力だ。僕の素人調合で作り出した傷薬Aは、そんなに高性能だったのだろうか。

 確かに、ニセタンポポだけで僕が鎧熊につけられた爪痕はあっという間に塞がったけれど、依然としてかさぶたが剥がれ落ちる段階にはない。もし、勝のヤロウが顔じゃなくて腹を殴ってきたら、再び傷痕が開いただろうし、今でも無理すれば再出血の危険もありそう。

 薬草としては、ニセタンポポも破格の止血効果があるのは間違いない。これに加えて、何だかよく分からないが傷を癒す効果があるらしい妖精胡桃の葉っぱと白花が組み合わさることで、飛躍的に治癒効果が上がった――いや、やはり、どう考えても上がりすぎている。

 直感薬学によれば、この三つを混ぜることで、物凄い相乗効果があるワケではない、というのは判明している。三種の薬用効果はそれぞれ阻害されることなく発揮される、というのが保証されているだけ。

 つまり、双葉さんの傷がすでに治っているのは――

「う、うぅ……も、桃川くん、もう、いいかなぁ?」

 あまりに真剣な形相でヘソを見つめられるのはよほど恥ずかしかったのか、双葉さんが顔を真っ赤にして言う。また涙目になっちゃうくらい恥ずかしいのに、それでもセーラーを捲り上げたままでいてくれるのは、何とも不安になる健気さである。絶対、優しさにつけ込まれるタイプだ。

「あ、ゴメン、もういいよ」

 早速、僕もその優しさにつけこんで、もう五分ほど眺めてみたり、白いお腹をプニプニつっついてみたかったけれど、今後の事を考えて止めておいた。セクハラによる信頼喪失って、人としては割と最低な部類の失い方だと思う。

 そうだ、僕には女性経験など皆無であるからして、この辺はよくよく気を付けないといけないな。女の子って、男じゃ思いもよらない些細なことで傷ついたり深くショックを受けたりすらしいし。面倒くさ――じゃなくて、ナイーブなのである。

「傷が治って良かった。多分、治りが早いのは『恵体』のお蔭だと思う」

「ケータイ?」

 自分の能力名くらい、ちゃんと覚えておこうよ。スマホを探して、ポケットをゴソゴソしない。

「騎士の天職であったでしょ? 怪我や病気に強い体、っていう曖昧な説明だったけど、傷薬も普通以上によく効くようになってるはずだよ」

「そ、そうなの、かな?」

「そうだよ。もし、自然治癒力が高まるだけなら、僕が傷薬を使わなくても完治していたはずだから」

 そう、この回復力が自前のものなら、僕が発見した段階で、腹の傷は塞がり始めていたはずだ。しかし、現実は間違いなく失血死目前という有様。『恵体』の回復能力を上回る深手であった、あるいは、一定以上のダメージなら自然回復の補正がかからないという欠陥スキルな可能性もある。

 なんにせよ、薬用効果上昇も含まれるなら、妖精広場さえあればいくらでも傷薬を供給できる僕と組めば、双葉さんは大抵の手傷は怖くない。まぁ、治るというだけで、痛くはあるけれど。

「それじゃあ、怪我も治ったことだし、本題に戻ろうか」

「うん、えっと……攻撃、するんだよね? あんまり、痛くしないでね?」

 それは攻撃が当たる前提の発言だよね。『見切り』で避けて『弾き』でガードしてくれなきゃ意味はない。

「大丈夫。当たりそうになったら、ちゃんと寸止めするから」

 寸止めって高等技術らしいけど。僕にはとても、勢いの乗った拳や竹刀を、ギリギリで止められる自信はない。ないけど、とりあえず言っとけ。天職の能力は絶対だ、大丈夫だろう。

「えーと、まずはその辺から木の枝でも……よし、これにしよう」

 広場の隅に立ち並ぶ妖精胡桃の木から、手ごろなサイズの枝を見繕って、手を伸ばす。しっかり握って、グっとやれば、ボキっと――

「くっ……」

 堅い。思った以上に堅いぞコイツ。僕の細腕でも折れそうな細々とした小枝を選んだはずなのに、全然ボッキリいかない。

「はぁあああ……でやぁーっ!」

 と、気合いを入れてみたりもしたけど、ビクともしない。どうやらこの妖精胡桃の木、見た目以上の強度を持っているらしい。

「あの、桃川くん、大丈夫?」

「はぁ……はぁ……ダメだ、これ、全然折れな――」

「えい」

 と、双葉さんが何気なく手をかけたら、そのままグっとやって、ボキっといきました。

「やったよ桃川くん、折れたよ!」

「あ、うん、そうだね、ありがとう」

 自分の貧弱な腕と、僕の太ももくらいありそうな双葉さんの剛腕を交互に見比べて、これが絶対的な力の差か、と少しばかりの戦慄を覚える。この腕力の差は、きっと天職・騎士の補正に違いない……いや、違うか。違うよな。素で僕が弱いだけだ。

 改めて自らの弱小ぶりを思い知らされながら、僕は双葉さんからポッキリいった木の枝を受け取った。

 さて、気を取り直して、実験開始だ。

「やぁーっ!」

「きゃぁーっ!」

 僕のヘナチョコ剣術を前に、双葉さんはバッチリ目を閉じ身を竦ませて完全硬直。これがモンスター相手だったら、僕でも思い切りクリティカルヒットを叩き込める大チャンスだけど、今は全く必要ない。

「双葉さん、ちゃんと攻撃を見てくれなかったら、流石に『見切り』は発動しないと思うんだけど」

「あっ……うん、ごめんなさい……何も見えなかったよ」

 そりゃあ目を瞑ってれば見えないだろう。もしかすれば、『見切り』を極めれば死角に頼らない、第六感なんかで察することができるようになるのかもしれないけど、少なくとも、今の双葉さんには到底及びもつかないレベルだろう。

「それじゃあもう一回。ほら、ちゃんと構えて」

「うぅ……頑張りますぅ……」

 めちゃくちゃへっぴり腰で、木の枝を構える双葉さん。当たり前のことだけど、木の枝は僕が攻撃に使う分と、双葉さんが『弾き』で使う分の二本必要。勿論、彼女のスーパーパワーにかかれば二本目もあっさりと入手できた。僕の一本目よりも一回りは太いというのに、難なく折ってくれました。木の枝どころか、人の腕の骨もバッキリやれるほどの力強さを感じるね。

「えいやー」

 テイク2は、かなり遅い速度で振り下ろしてみた。果たして、こんなんでも攻撃判定が入って『見切り』が反応してくれるかどうかは疑問だが――

「わっ、わわっ!?」

 双葉さんは、いざ動けば意外に機敏な動作で、僕のヤル気のない一撃を回避して見せた。左方向へ体を傾け、そのすぐ脇を僕の弱っちい斬撃がノロノロと通り過ぎていった。

「どう、見えた?」

「うん、ちゃんと見えたよ!」

 どうやら話に聞いた通り、『見切り』は敵の攻撃が辿る軌道が薄ら白く光って見えるらしい。あんなショボい一撃でも一応は攻撃と認識してくれるなら、そこまでシビアな設定はされていないのかもしれない。

「次は、今のと同じように振るから、弾いてみて」

「う、うん、分かった……頑張るね!」

 小さいながらも成功をおさめたお蔭か、双葉さんの顔にはさっきよりもヤル気が満ちている。よし、この調子でどんどん検証していこう。

「それじゃあ行くよ――えいっ」

 と、僕が宣言通りに、先と同じ鈍い振り下ろしを放ったその瞬間、両手に凄まじい衝撃が走った。

「――やぁ!」

 思いの外、力強い掛け声が耳に届くと同時に、僕は宙を舞っていた。

 高速で景色が後ろに流れたり、グルグル回ったり、視界がバグったようにしか思えない光景が目に映る。けれど、不思議と自分が握っていたはずの枝が、クルクル回りながらぶっ飛んでいくのだけは、妙にはっきり捉えることができた。

「――ふぎゃぁあっ!?」

 無様極まるダメージボイスを上げながら、僕は地面に叩きつけられていた。痛い。全身を強く打っている……けど、下が柔らかい芝生で良かった。恐らく、軽傷で済んでる。

「も、桃川くん!? わぁーっ!? そんな、大丈夫っ!?」

 若干、朦朧とする意識の中で、泣きわめきながら突進してくる双葉さんのダンプカーが如き巨体が見えた。ちょっと、生きた心地がしなかった。

「だ、大丈夫……大丈夫だから……」

「うわぁーごめんなさい! ごめんなさい、桃川くーん!」

 必死の勢いで謝り倒す双葉さんを、僕は未だにうつ伏せでグッタリしたまま、何とか手だけ動かして制す。しかし、このアングル、スカートの中が見えそ――

「ふぅ……大した怪我はしてないから、本当に大丈夫だよ。流石に驚いたけど」

 僕は目の前にチラつくパンチラの誘惑を振り切りながら、どうにかこうにか体を起こす。とりあえず適当な大丈夫アピールをするが……うん、やっぱり大丈夫だ。奇跡的にも、手に擦り傷さえない。僕は柔道の授業でも、受け身だけは得意だったから。

「ご、ごめんなさい……私、あんな風になるなんて、思わなくて……」

「じゃあ、さっきのは間違いなく『弾き』を使ったってことだよね?」

「……うん。使ってみよう、と思ったら、何だか自然に、手が動いて……」

 それで僕がホームランというワケか。

「ホントにごめんなさい! 次はもっと、気を付けるから、だから――」

「いや、そんなに謝らなくていいよ。むしろ大成功だから」

 そう、双葉芽衣子は今この時、初めて武技を発動させた。己の意志さえあれば、怖がりな彼女でも問題なく使えることが、これで明らかになった。

 けど、僕にとって最も喜ばしいことは、その威力だ。

「これが天職・騎士の力か……双葉さんは絶対、強くなれるよ」

 僕にはもう、絶対に手に入らないパワーが、彼女にはあるのだ。これからのダンジョン攻略に、確かな光が差し込んだような気がした。

「だから、頑張ろう」

「うん……うんっ! 私、頑張るよ、桃川くん!」

第16話 殺してみよう・1

 休息は勿論、薬草の補給と、ついでに装備を整えて、いよいよ僕らはダンジョン攻略へと挑む。もっとも、その準備も万全とは言い難いが。

「包丁を盗られたのは痛かったな……」

 双葉さんの包丁セットは、全て佐藤彩に奪われてしまっている。手元には果物ナイフさえ残っていない。刃物といえば、僕のカッターナイフと双葉さんが持っていたハサミだけ。武器として使うのは、どちらも少々どころじゃない心もとなさ。

 けど、無い物ねだりをしても仕方ない。とりあえず、双葉さんが折れる限界の太さの枝を採取して、その先端をカッターで削って即席の槍を作っておいた。素手よりはマシという程度の武装だが、ゴーマを刺し殺すくらいはできるだろう。まぁ、一体くらいが限界だろうけど。

「薬の方は収穫あったから、良しとしよう」

 実はさっきの妖精広場、最初のところとは少しばかり植生が異なっていた。特に、食べると筋力が一時的に上昇するという、直接的な攻撃力に結びつくものが手に入ったのは大きかった。無論、その上昇値は二倍三倍とはいかず、普通よりももうちょっとだけ力強くなれる、くらいのギリギリでパワーアップが認識できる程度のレベルだけれど。まぁ、ないよりは断然マシ。

 とりあえず『パワーシード』と名付けたコレは、一見するとイチイの実によく似ている。小さな赤い粒みたいな果肉に、真ん中に黒い種子が収まっている。妖精胡桃の並木に紛れて、このパワーシードが成る木が何本かあったのだ。

 直感薬学によれば、服用すると体内の僅かな魔力と、それなりの量のエネルギーを燃焼させて筋力に変えてくれるという構造らしい。だから、これを使うと腹が減る。食べ過ぎると、あっという間に体中のエネルギーが焼失して、栄養失調でぶっ倒れることになる。まぁ、よくあるパワーアップ系アイテムの副作用といったところだろう。

 すでに自分の体で試してみた結果、どうやら十粒以内なら連続服用しても大丈夫そう、ということが判明している。もし戦闘になった場合、とりあえず一粒は服用しようと事前に決めておいた。

 もっとも、不意打ちを受ければ悠長に木の実を食べている暇などないけれど。

 僕は今まで以上に注意を払いながら、この変わり映えのしない石の通路を歩き続けている。先頭は僕、後ろは双葉さんというフォーメーション。

 呪術師が前に出るのはどうかと思うけど、彼女が前だとあまりにおっかなびっくりに歩くから、全然進まないのだ。

「あ、双葉さん、止まって」

 出発すること数十分後、最初の変化が訪れる。

「あっ、こ、ここは……」

 そこは、捻じれた不気味な木々が、緑いっぱいの葉を生い茂らせて群生している、ドーム状の空間だった。

「……これが例の森林ドームか」

 双葉さんと委員長が、ゴーマの群れとエンカウントしたという場所だ。そこと同じ場所、というワケではないだろうけど、似たような環境である以上、ここもゴーマ共の狩場となっている可能性が高い。

 無論、ゴーマ以外にも魔物が潜んでいる可能性もある。今の僕らの戦力では、牙鼠の群れにも対処できない。戦闘経験は積みたいけど、敵はよくよく選ばなければいけないのだ。というか、僕らで倒せる魔物って、いるの?

「ど、どうするの、桃川くん?」

 明らかに目が「行きたくないよー」と訴えかけている双葉さん。潤んだ瞳は何とも同情を誘うけれど……

「ここを通らないと、先には進めないみたい。避けては通れないよ」

 僕だってこんなヤバそうな場所は、正直遠慮したい。したいけど、魔法陣のコンパス機能が、ビシっとこのドームの向こう側を指し示しているのだ。一応、双葉さんのモノも確認してみたけれど、やっぱり、コンパスはこの奥を一切ブレることなく指していた。

「走って一気に突っ切る……のは危なそうだから、壁際に沿って向こう側に回ろう」

 双葉さんの話によれば、この森林ドームにはトラップが仕掛けられているかもしれないのだ。ゴーマに襲われる委員長を助けるために現れた夏川美波は、落とし穴を利用していた。

 矢を枝に当てて作動させていたことから、どこかの木が震動や衝撃を感知するセンサーの役割を果たしていると思われる。盗賊の夏川さんには、その見分けや仕組みが分かるのだろうけど……残念ながら、僕にはさっぱりだし、双葉さんも、あの時のやり取り以上のことは聞き及んでいないそうだ。

 となると、のんびり薬草や毒キノコの採取に励むわけにもいかないな。この森林ドーム、探せば何かしらありそうな気もするけど、背に腹は代えられない。大人しく、通行することだけを考えよう。

「壁を背にしていれば、とりあえず後ろから襲われることはないはずだから。あと、不用意に木に触らないよう気を付けよう。何か罠が作動するかもしれないから」

「う、うぅ……うん、分かった」

 思い切り眉を八の字にしかめて、泣きそうな顔になりながらも、双葉さんは覚悟を決めてコクコクと頷いてくれた。

 さて、それじゃあ僕も覚悟を決めて、森林ドーム横断に挑もう。

「……まだ着かないのか、意外と広いな」

 灰色の石壁を左手にして、ソロリソロリと僕らは歩く。視線は前よりも、もっぱら右手に広がる薄暗い森の奥に集中させている。今にも、そこの茂みの向こうから汚らわしいゴーマが飛び出してくるんじゃないかと、気が気じゃない。

「双葉さん、大丈夫?」

「だ、だっ、だいじょうぶー」

 全然、大丈夫じゃなさそうな上ずった声で応えてくれる。僕は後ろの彼女の方を全く確認していないけれど、万が一にもはぐれる心配はない。

 なぜなら、彼女が僕の学ランの裾を思い切り握っているからだ。

 それじゃあいざという時、即座に両手で槍を振るえないだろう、と注意しようと思ったが、ブルブル震える彼女の真っ白い手を見て、言うのは止めた。僕だって、前に別の誰かが進んでいたら、ソイツの裾を握りしめたいだろうから。

 正に五十歩百歩。臆病者は、同じ臆病者を笑えない――そんな自虐的なことを考えていた、その時だった。

「止まって、双葉さん」

「っ!? ど、ど、どどど、どうしたの桃川くん」

「静かに」

 メチャクチャ動揺している双葉さんを、僕も緊張で震える手で制しながら、ふと目に入った動く影に意識を集中した。

「……魔物だ。魔物がいる」

 双葉さんが息をのむ。ここで悲鳴を上げなかっただけ、上出来だろう。

 幸いにも、向こうが気付いた様子はない。とりあえず、すぐ傍に生えている太い木に身を寄せて隠れながら、発見した魔物を恐る恐る観察することにした。

 僕が見つけたのは、一匹の犬だった。茶色に近いほど薄汚れてはいるけれど、赤い毛並みをした中型犬。随分とやせ細っていて、しばらく餌にありつけていないことが一目でわかる。ダランと力なく舌と尻尾を垂らしながら、トボトボと木々の間を彷徨うように歩いていた。

「あ、あの犬……見たことあるよ」

「火の粉を噴く犬の魔物、だよね」

 双葉さんの話の中で、この赤犬の群れとの戦いが語られていた。火炎放射するほど強力な炎の攻撃はしてこないが、難なく撃退できたのは三人のメンバーの実力によるところが大きい。ただの野犬の群れでも、今の僕らじゃ勝てないだろうし。そう、相手が群れであれば。

「かなり衰弱しているみたいだ。アレなら、僕らでも倒せるんじゃないかな」

「ええっ!?」

 驚きで目を丸くしているのは、いざ戦闘に入るのが怖いからか、それとも、見るからに弱った犬っころを襲うのが可哀想だと思っているからか。思うに、半々くらいな気がする。

「魔物を倒さないと、天職は成長しない。あの犬一匹狩るだけで、もしかしたら、双葉さんに攻撃スキルが授かるかもしれないんだ。確実に倒せそうな相手と出会えたチャンスを、棒に振るわけにはいかない」

 今更な説明ではあるけれど、あえて、僕は彼女に語って聞かせた。双葉さんは怖がりではあるものの、僕の説明は真面目に聞いて一生懸命、理解するよう努めてくれる。ただ感情だけで泣きわめかないだけ、彼女は立派である。

「大丈夫、僕の呪術でサポートするから。一匹だけなら、絶対に上手く倒せる」

「う、うん……分かったよ、桃川くん。私、頑張るね」

 ついに覚悟を決めたのか、双葉さんがキリリと眉を吊り上げた勇ましい顔で頷いてくれた。

「それじゃあ、まずは裾を離して」

「あっ、ご、ごめんね……」

 ちょっと恥ずかしそうに、パっと学ランの裾から手が離れる。凄い力で握られていたようで、結構シワになっとる。

「まず、僕が呪術で足止めする。多分、赤犬の動きはそれで封じられると思うから、その隙に槍で刺して。仕掛ける合図は、僕が出すから」

 コクコクと神妙な顔で頷く双葉さんを横目にしながら、僕は力なく歩いていく犬の方へと集中する。すでに目の前を通り過ぎ、垂れたオレンジ色の尻尾が情けなくブラブラ揺れる尻が見えている。

 これ以上、離れると射程外になってしまう。仕掛けるなら、今。

「逃げ足を絡め取る、髪を結え――」

 唱える呪文は、鎧熊を倒して獲得した、新たな呪術。待望の新技であるその効果は……

「――『黒髪縛り』!」

 木陰から飛び出し、犬のケツ目がけて放った第四の呪術は、即座に効果を現す。それは、力なく歩みを進める赤犬の足元に落ちる影から、静かに現れた。

 黒々とした細い繊維、そう、それは正に髪である。一握りほどの髪の束が、フワリと影の中から浮かび上がり、赤犬の後ろ脚へと絡みついたのだ。

 異常を察知した犬がギャンギャンと吠えながら、大きく体を跳ねさせて暴れはじめるが、黒髪の戒めは引き千切られることも解かれることもない。

 よし、どうやら最低限の耐久性はあるようだ。『黒髪縛り』はその名の通り、見事に敵の逃げ足を縛ってくれた。

「やまない熱に病みながら、その身を呪え――『赤き熱病』」

 そして、効果のほどは疑問であるが、一応、多少は弱体化を狙えるだろう記念すべき第一の呪術『赤き熱病』もかけておく。赤犬は自らの体を突如として蝕む微熱に、多少なりとも驚いているのかクゥーンと情けない声をあげる。

 とりあえず、今の僕にできるサポートはこれで限界だ。

「今だ、双葉さん! 後ろから刺して!」

「う、うん! やぁーっ!」

 上ずった掛け声をあげて、頼りない木槍を片手にドタドタと双葉さんが飛び出していく。走る速度はお世辞にも速いとはいえないが、赤犬との僅か十メートルそこそこの距離を駆けよるまでの間に、黒髪縛りから脱せられるとは思えない。

 この呪術は発動してから放っておけば、ある程度の時間、恐らく、そこに籠められた魔力を消費し尽くすまで発現し続ける仕様になっている。しかしながら、僕がその発動に集中していれば、常時、魔力が供給されるようで、自分の力の限り拘束力を維持できる。

 後ろ足を両方とも縛られた状態の赤犬は、振り返って牙と爪を振るうことはできない。僕が指示した通り、後ろから槍のリーチを生かして突きを繰り出せば、安全かつ一方的な攻撃が可能だ。

 ここまでお膳立てできれば、いくら双葉さんでもトドメを刺すことができるだろう。

「はぁ……はぁ……い、いくよぉー」

 短い全力疾走で息も絶え絶えな双葉さんが、恐る恐るといった感じで槍を振り上げる。そうだ、あとはそれを力いっぱい振り下ろせば、赤犬を殺せる。さぁ、弱い僕らに、貴重な経験値を寄越せ!

「……はっ、はっ……はぁ……」

 槍は、振り下ろされない。双葉さんの荒い息遣いが、妙に静まり返った森林ドームに木霊している。

「双葉さん、どうしたの? まだ『黒髪縛り』で動きは止めておけるけど、早く仕留め方がいいよ」

「あ、あ……あの、桃川くん……」

 槍を振りかぶって硬直したままの体勢で、双葉さんがゆっくりとこちらを振り返った。彼女の表情を見た瞬間、僕は理解した。

「ご、ごめんなさい……できないの……」

 彼女の泣き顔を見るのは、これで何度目だろう。双葉芽衣子という女子生徒が、怖がりで、泣き虫で、体の割に肝が小さいということを、僕はこの短い間にそこそこ理解していたはずだ。なら、予想できて然るべきだった。

「私、できない……ごめんなさい、ごめんさない、桃川くん……うぅう……」

 そう、彼女は魔物を殺す、覚悟がなかった。

 生き物を殺める、命を奪う、倫理的な問題というより、それはきっと、平和な日本で育ってきた女の子としては、当たり前の感情だろう。日本人は、そんな簡単に、大きな動物は殺せない。

 僕が躊躇なく殺せる生物の限界はどの辺だろう。ハエやゴキブリは何の躊躇いもなく、むしろ明確な殺意をもって叩き潰せるけれど……少なくとも、犬や猫を殺そうとは思えない。ネズミだって、いざ殺すと思えば絶対に躊躇するに決まっている。

 明らかな害虫と、食用が目的の魚介類くらいが、一般的な日本人が殺せる生物の限界だろう。特に哺乳類を殺害するには、並々ならない精神力がいる。躊躇せずに実行できる者は、それを仕事とする者と、精神に異常をきたした者だけ。そう、動物を殺すのは、異常者のする行動である。法律で取り締まられる程度には、推奨される行いではないのだ。

 異世界に放り出されたから、魔物を殺さないと脱出できないから、強くなれないから。そんな理由だけで、簡単に動物の命を奪えるようになりはしないだろう。

「そっか……そうだよね……いいんだ、双葉さん」

 僕は『黒髪縛り』を維持しながら、双葉さんの元へと歩いていく。彼女は泣きながら「ごめんなさい」と何度も謝る。済まなそうに、苦しそうに。でも、やっぱり行動を起こせない自分に対して、どうしようもない自己嫌悪を覚えているだろうことが、その悲痛な姿から感じられてならない。

「大丈夫、大丈夫だから双葉さん。落ち着いて」

「ふっ、うぅ……で、でもぉ……」

「いいから、ここは僕に任せて」

 ここで無理にやらせるよりも、代わりに僕がさっさと始末した方が早い。あんまりこの場所でグズグズしているのも危険だろうし。

 そんなワケで、槍を胸元に抱えてグズる双葉さんを適当になだめながら後ろに下がらせる。

「はぁ……」

 こうして、いざ自分が槍を振り上げてやろうとすれば、結構な抵抗感が湧き上がってくる。できない、と泣き出してしまった双葉さんを責める気持ちにはなれない。僕だって、できることならやりたくない。可哀想、というより、どうにも気持ち悪さを感じる。

 でも、今の僕なら、やってやれないことはない。鎧熊を殺せたのは偶然と幸運以外の何物でもないけれど、それでも、自信を持て。いや、恨みを持て。僕の命を狙う、魔物という存在を恨もう。

「でぇいっ!」

 振り下ろした槍――といっても、勿論、ただ先を尖らせた木の枝だが、それでも、確かな手ごたえを感じた。

 ギャン、という犬の甲高い悲鳴と、小さく悲鳴を漏らす双葉さんの声が聞こえた。

 先端は犬の背中に刺さってはいるが、浅い。薄汚れた赤い毛皮が、ドクドクと溢れる鮮血に染まってゆくものの、未だ致命傷には至らない。

「――やぁ!」

 だから、僕は何度もその痩せ細った背中へ槍を突き刺した。完全に息の根を止めるまで、攻撃を止めない。殺意の衝動に突き動かされて、もう、止められない。

「はぁ……はぁ……や、やったか……」

 いつしか、赤犬は呻き声一つもらすことなく、ドっと地面へと倒れ込んでいた。気が付けば、足に絡ませていた『黒髪縛り』は消え去っている。刺すのに夢中になって、その維持を完全に忘れていた。

 危ない。自分でも分かるほどに、今の僕は冷静さを欠いている。ドクドクと心臓が脈打つ音が、やけにうるさく感じるのは、それなりの興奮状態に陥っているからだろう。

「も、桃川くん……」

「ふぅ……大丈夫、もう倒したよ……コアの回収は、手間がかかるからやめておこう」

 僕はゼェゼェと荒い息を必死に落ち着かせながら、涙目で震える双葉さんへと振り返る。務めて冷静に振る舞っているつもりだけど、彼女の瞳には、今の僕はどう映っているんだろうか。

 血だまりに沈む犬の傍らに立つ、血走った目の少年。どう見ても、将来有望な異常者である。今、必要なことを実行しただけだけど、ドン引きされてしまったかもしれないな。

「先を、急ごう」

 双葉さんは、さめざめと涙を流しながらも、頷いてくれた。良かった、まだ僕に着いてきてくれる気はあるようだ。

 そうして、僕らは犬を滅多刺しにした惨殺死体を後に、森林ドームを抜けたのだった。

 コアの収穫もなく、新たな天職能力を授かることもなく、ただ、言いようのない疲労感と脱力感が残された。

「はぁ……結構、ツラいな……先が思いやられる」

第17話 殺してみよう・2

 それから、通路の端を走り抜ける牙鼠の群れとすれ違うこと二回、林の中を何事か騒ぎながら歩いていくゴーマの集団をやり過ごすこと一回。僕らは痩せた赤犬の他には、ただの一度も戦闘をすることなくダンジョンを進み続けた。

 そうして、魔法陣のコンパスが指し示す通りに進み続けた結果、一つの階段に行きついた。僕が最初にこのダンジョンへ入り込んだ時のような、螺旋階段である。もしや、と思って降りてみれば、そこはやはり妖精広場であった。

「今日は、ここで休もうか。少し、寝た方がいい」

「ん……うん、そうだね」

 僕も双葉さんも、疲れ切っていた。別に休息の提案をしなくても、絶対に二人とも眠りこけてしまっていたに違いない。

 今はもう、何も考えたくない。そんな脱力感に支配されながら、僕と双葉さんはとりあえず先に、妖精胡桃と冷たい飲み水だけのわびしい食事を済ませて、就寝することと相成った。

 女の子と一つ屋根の下で寝るなんて……と、実にラブコメらしい素敵な葛藤を覚えることなく、僕は思うままに手足を柔らかい芝生に投げ出して寝転がった。双葉さんも僕と同様、異性を意識するのが馬鹿馬鹿しくなるほど疲れて、そう、精神的に疲れているから、適当に距離を開けて眠っていることだろう。

「うっ……くっ、うぅう……」

 チラリと顔を向ければ、横になって丸まる大きな背中が震えているのが見えた。必死に声を押し殺しているようだけど、泣いているのは明白だ。

 彼女は今、何に対して涙を流しているのだろうか。それも考える気にもならなければ、慰めの声をかける気にもなりはしなかった。泣きたいのは、僕だって同じだから。

 思いの外、大変だった魔物殺し。攻撃できない双葉さん。エンカウントすれば即死同然の魔物の群れ。どれも、僕の精神を削るには十分すぎる要素。そんなもんはとても、チビでオタクで冴えない男子高校生が耐えられるストレスじゃあない。

「大丈夫だ、僕は、まだ、大丈夫だ……」

 祈るようにつぶやきながら、僕は固く目を瞑った。

「僕はまだ、死にたくない……こんなところで、死んで、たまるか……」

 生存本能。それが今の僕を動かす、唯一にして絶対の原動力だった。僕は必ず、ここから生きて帰る。絶対にまた、元の世界に、帰ってみせる。

「……んぅ」

 グルグルと止めどない思考をしている内に、いつの間にか眠っていたようだ。どれくらいの時間寝ていたのかは分からないし、確認する気も起きなかった。

 寝起き特有の倦怠感に包まれながら、僕は目元を擦りながら体を起こす。

「双葉さんは……まだ、寝てるのか」

 寝る子は育つ、という言葉が脳裏を過る。体は育っても、心が成長しなければ意味はないだろう。眠っているだけで勇気が身に着くならば、僕だって勇者になれる。レベル58くらいの。

「いや、違うだろ……双葉さんの、せいじゃ、ない……」

 餓死寸前の上に動きも封じた犬ころ如きも殺せない双葉さんの役立たずっぷりに、僕も心の奥底で、彼女を見捨てた三人と同じ気持ちを抱いたことは否めない。僕だって限界ギリギリ、心の余裕なんてあるはずもない。何でも笑って許せるほど度量の広い男じゃないことは、自分でも分かってる。 双葉さんの天職とパワーに期待した矢先に、こうして躓けば不満も失望も覚えるだろう。

 けど、僕は彼女を恨んだりはしない。怒ることも、責めることもしない。絶対にだ。僕の気持ち、なんてのはどうでもいい。感情で納得できないなら、論理で理解すればいい。

 だから、考えろ、桃川小太郎。不平不満の恨み節を口にする前に、その解決策を。

「……そうだ、まず問題なのは、初期スキルの構成だ」

 重大な欠陥があるのは、双葉芽衣子という人間ではなく、この『天職』という何でもアリな魔法の世界の産物のくせに、見事に僕の期待を裏切り続けてくれるクソシステムである。

 攻撃スキル皆無な呪術師については、不満を上げればキリがないので今は置いておく。重要なのは、双葉さんが今もっている天職の初期能力『見切り』『弾き』『恵体』の三つ。

 注目すべきなのは、武技と呼ばれる攻撃スキルがないこと――ではない。

 戦いに集中させる、精神スキルが欠けているのだ。

 僕らは今朝まで、いや、もしかしたら日は変わっているのかもしれないけど、ともかく、普通の高校生でしかなかった。魔法の力を与えるからといって、それであんな恐ろしい魔物と戦え、なんて言われても普通は無理だろう。

 しかしながら、僕が遭遇した樋口組みも、双葉さんを見捨てた委員長チームも、それなりに魔物と戦えていたはずだ。

 ここまで都合よく生徒達が戦えるのは何故か。その秘密が、精神に作用する能力だ。


『精神集中』:心を乱さず、弓を引ける。


 確か、こういう名前と説明だったはず。そう、これは佐藤彩が持っていた射手の初期能力である。

 彼女は委員長のように冷静沈着でもなければ、夏川さんのような度胸もない。ごく普通の女子生徒といえる人物像だと、一度も話したことはないけど、クラスでの様子からそう判断するには十分だ。

 そんな彼女でも、あの二人と肩を並べて立派に戦っていた。

 真っ当に考えれば、佐藤さんだってゴーマや赤犬を前にすれば、女の子らしく大いにビビって泣きわめくか、呆然と硬直する死亡ルートまっしぐらなリアクションをするはず。戦いにおける貢献度は、双葉さんと五十歩百歩といったところだろう。

 そんな予想を裏切り、彼女が着実に弓による遠距離攻撃を行えたのは、ひとえに『精神集中』により、戦闘行為をスムーズに実行する精神性を、この魔法の力によって獲得できたからに他ならない。

 恐らく、この能力はただ集中して矢を放てるだけでなく、その時に動物を射殺しても、大した抵抗感を覚えさせない効果も含まれていると思われる。

 もしかすれば、戦いが終わった後に罪悪感が押し寄せてくるのかもしれないが……それでも、この能力さえ使えば、いざ戦闘となれば何度でも平気な顔で弓を引ける。命を奪う罪悪感・抵抗感に意識を逸らされることもなければ、恐怖や緊張に手を振るわせることもない。常に平常心でいられる、正に弓道の達人が如き水の心である。

 そうして戦い続ければ、どうせその内に魔物を殺すことにも慣れてくるだろう。人は慣れる生き物だ。ひょっとして今頃、佐藤さんはFPS廃人が如く淡々と魔物を射殺しているかもしれない。

 ともかく、この精神スキルさえ最初に獲得しておけば、素人が戦いで陥る最大の不安要素である『恐怖心』というのを100%克服できるのだ。

 双葉さんだって、目の前の敵に恐れず立ち向かっていける騎士の心、正に『騎士道精神』なんていう能力でもあれば、ゴーマだろうが赤犬だろうが、その剛腕でもって難なく叩き潰してくれたことだろう。

 まぁ、そんな風に大活躍されてたら、そもそも三人に見捨てられることもなければ、僕の仲間として出会うこともなくなるんだけど。

「何とか、精神スキルを習得できないか……」

 結局、戦いを通して天職を成長させる、という当初の計画に戻ってくる。欲しいスキル系統が変わっただけで、その手段は全く変わらない。

 そして、ソレが上手くいかないからこそ、こうして悩んでいるワケだが。堂々巡りか、コンチクショウ。

「うーん、今度は赤犬じゃなくて、牙鼠を一匹だけにすれば……あるいは、何か騙して殺させるとか……」

 何だか、シミュレーションRPGとかで、後の成長に期待して、超弱いキャラを頑張って育成するプレイを思い出す。敵のHPを1まで削って、トドメだけ育成キャラで刺させて、経験値を稼がせる。

「そんなことで、天職は育つのかよ……」

 残念ながら、これはゲームでもなければ、ゲームシステムが自然法則になっている世界でもない。

 少なくとも、まともに戦闘経験を積めば新たな能力を獲得できることは間違いないと、双葉さんの話から判明している。それはやはり、メール情報にあった僕らの天職が必ず戦いに関する神から与えられる、というのが原因だろう。

 だからこそ、僕はあんな衰弱しきった赤犬一匹でも、倒せば経験値になるかもと思って行動していたが……果たして、天職のレベルアップに認められる戦いというのは、どういうラインなのかイマイチ不明である。スキルツリーと習得条件が見られる攻略ウィキを、ノートの魔法陣に更新してくれればいいのだが。クソの役にも立たない情報ばっかりよこしやがって、王国の無能神官どもめ。

 あるいは、習得条件は完全に神様の気まぐれなのかも……だとすれば、双葉さんに天職を与えた騎士の神様、声が女性だったらしいから女神様ということなのか、ともかく、女騎士の神ならあんまりセコい手を使って魔物を倒しても、認めてくれないかもしれないな。

 どうしよう、もし僕みたいにスーパーラッキーの上に成立した鎧熊殺しみたいなのをレベルアップに要求されたら……ちくしょう、どう考えても無理ゲーだろ。

「はぁ、薬でも作ろうかな」

 完全に行き詰まった思考を放棄して、僕は現実逃避的な作業に没頭することに決めた。

 そういえば、ここの妖精広場はまだ細かく植生を見ていないから、もしかしたら前のパワーシードみたいな新発見があるかもしれない。

 そんな淡い期待を抱きながら、僕は「よっこいしょ」と年寄臭く立ち上がった。

第18話 殺してみよう・3

「……上の階と、あんまり変わらないね」

 うん、と双葉さんが短い返事だけをくれる。その表情は優れず、俯いているに違いないと、僕は振り返らなくても分かる。

 そんな、ちょっとギクシャクした気まずい雰囲気のまま、僕らはすっかり見慣れた石の通路を進んでいる。

 睡眠を含めた休息を終えて、あまり希望の見えないダンジョン探索へと気乗りはしないが、それでも出発することとした。

 双葉さんは眠りから覚めても、元気のない落ち込んだ様子に変化は見られなかった。一応、僕としても赤犬不殺の一件について、気にしていない、仕方なかった、という旨の意見と、精神スキルについての説明をセットで話して、最大限のフォローをしたつもりである。

 でもまぁ、そんな言葉だけで女の子が元気になってくれるはずもないワケで……とりあえず「次のチャンスを待とう」という曖昧な方向性で、僕らは相変わらずおっかなびっくりダンジョンを進んでいるというワケだ。

 それにしても、もう一時間近くは歩いているような気がする。長い石の通路を何本も抜け、十字路を右に左に、時には例の森林ドームを突っ切って、歩き続けている。

 その間、一度も魔物と遭遇していないのは、一体どうしたことだろう。牙鼠の影さえ見当たらない。委員長パーティとか、先行したクラスメイトがいて、道中の魔物を殲滅しながら進んで行ってくれているのだろうか。

 でもまぁ、森林ドームではカラスみたいな鳥の鳴き声も聞こえたし、この階層に生物が全く存在していないというワケでもなさそうだ。

 単純に運が良いだけなんだろうか。もしツキが回り始めてきているのなら、是非ともこの機会に、素敵なレベルアップのチャンスも恵んでくれると助かるのだが――

「あっ」

 僕がその声を上げたのは、ちょうど通路の曲がり角に差し掛かった時だ。通路を曲がり、その先の視界が開けた瞬間、目に入った『モノ』から逃れるように、曲がり角まで身を引いた。

「止まって」

 ビクン、と大きく体を震わせながらも、悲鳴を抑えた双葉さんが指示通りに立ち止まる。僕は後ろ手で「待て」のハンドサインを出しながら、そろりそろりと、曲がり角を覗き込んだ。

「……ゴーマだ」

 あのゴキブリみたいな汚らしい黒い体は、間違いない。

 この細い通路を曲がった先にあるのは、二車線道路くらいの広さがある大きな通路である。両脇には森林ドームに生い茂っていた緑の木々が並木のように両サイドに生えている。もっとも、手入れも何もなく、伸びたい放題になっているので、奇妙に捻じれながら長くなった枝が、かなりのスペースを支配していた。そのまま通れるのは、道のど真ん中一メートルほどの幅くらい。

 そんなモッサリ並木道の向こう側、目測で三十メートルほどだろうか、そこに、一体のゴーマがいたのだ。

「エッ、グェエエ……ゲァアアア!」

「ひいっ!?」

 と、双葉さんが悲鳴を漏らすのがすぐ後ろから聞こえた。まぁ、僕も通路の向こう側から響いてきたゴーマの叫びに、心臓が止まりそうになったけど。

「大丈夫、双葉さん、落ち着いて。あのゴーマは、襲ってこない」

「え、ええ……何で、分かるの?」

「倒れてる」

 そう、あのゴーマはうつ伏せになって、バッタリと行き倒れていたのだ。

 もう一度、覗き込んで確認してみるが、やはり、力なく倒れたまま。声を上げたことから、まだ生きていることは間違いないけれど……よくよく見れば、ゴーマの周囲には血溜まりが広がっているように見えた。

「多分、大怪我をしてて、もう動けないんだ」

 そろりそろりと双葉さんも角を覗き込み、状況を確認している。僕はまだ眼鏡のお世話になるほど視力は落ちていないし、双葉さんも別に眼鏡っ娘属性はない。ゴーマの負傷を見違えることはないだろう。

 そこまではっきり認識し、僕は緊張と不安を覚えながらも、歪な微笑みを浮かべてつぶやく。

「これは、二度目のチャンスだ」

「えっ、それって……もしかして……」

「あのゴーマを殺す」

 そうそう廻って来ないだろうと思われた、弱った単独の魔物、という絶好の相手が目の前にいるのだ。逃す手はない。

「大丈夫、赤犬の時と同じようにやれば、必ず上手くいく」

「で、でも……私……」

 またしても目じりに涙を浮かべて、大きな体を震わせるのは、まぁ、仕方ないだろう。精神的な問題はまだ何も解決してはいないのだから。さっきと全く同じ方法で挑戦してみも、絶対に彼女は槍を止めるだろう。

 それに僕も、まだ画期的な「双葉さんでも刺せるトドメの刺し方!」なんていう方法は何も思いついていない。

「じゃあ、今度は二人で一緒に刺そう」

 お二人の初めての共同作業です、名付けて、ケーキカット型刺突法。いくら適当な思いつきにしたって、もう少しマシな案は出てこなかったのかよ、僕。

「う、うん……分かったよ! 私、桃川くんが一緒なら、今度こそ頑張れるから!」

 え、マジで、本当にこんな馬鹿馬鹿しい方法でヤル気になってくれてるの? 自分で言い出しといて何だが……まぁ、双葉さんは言葉通り、本気で次こそは、と闘志を燃やしているようだから、良しとしよう。

 さて、気持ちが冷めない内に、一気に行こう。もしかしたら、この戦いを終えれば、全ての悩みが解決する素敵なレベルアップが起こるかもしれないし。

 まずは、さっきの赤犬の時にはすっかり失念していた、パワーシードの服用をしておく。

 赤い小さな木の実は、噛まずにそのまま飲み込むことをオススメする。果肉が物凄く酸っぱいからだ。

「――っ!? っつ!」

 双葉さんが案の定、酸っぱい顔をしているのは、気づかなかったことにしよう。注意は前もってしていたけれど、緊張のあまり、ガリっとやってしまったのは想像に難くない。

 ともかく、これで準備万端。

「よし、今だ、行こう!」

 右を見て、左を見て、もう一度右を見て、他に敵がいないことを確認。僕と双葉さんは同時に通路へ飛び出し、血塗れで倒れるゴーマへ駆け出す。

 体の底から湧き上がる熱は、早くもパワーシードの効果が表れたことを示している。決して病的な熱っぽさではなく、ほどよくウォーミングアップをして体が温まったというような、あんな感覚である。

 お蔭で、ここまで散々、歩き通しの疲労があっても、石畳を駆ける足取りはどこまでも軽い。

「オオッ! ゲブレアァッ!?」

「きゃあーっ!」

 気配を隠すなんて、どこの暗殺者ですかというような技能などない僕ら二人は、そのまま堂々と通路を走るが故に、即座にゴーマにも捕捉される。濁った黄色い目でこちらを睨み、ただの鳴き声なのか言語なのか不明な、耳障りの悪い声を叫ぶ。

 双葉さんが悲鳴を上げたのは、そんな威嚇染みたゴーマの反応を恐れたからか。それとも、僕の倍は横幅のある豊満な体に、木の枝が引っかかったからか。

 何にせよ、身動きの取れないゴーマには叫ぶ以外にできることはなく、僕らは何に妨害されることなく、すぐに槍が届く間合いへとたどり着くことができた。

「――『黒髪縛り』っ!」

 走ってる最中に、すでに呪文詠唱は完了させておいた。そしてちょうどこの瞬間に、拘束用呪術を発動。一度使っているためか、最初の時よりも明確に効果をイメージでき、よりスムーズにできた気がする。


『黒髪縛り』:黒髪の触手を相手に絡ませる。髪は、乙女の命。


 頭に浮かぶ効果説明は、こんな適当な文章だし、やっぱり実戦で使うのが習熟するのに一番役立つ。たでさえ短い説明文のくせに、意味不明なフレイバーテキストみたいなのが付随してるのが、かえって腹立たしい。

 そんなケチはさておき、成功の実感を証明するように『黒髪縛り』は赤犬の時よりも確かに大きな効果となって現れてくれた。

 ゴーマが倒れる血溜まりから、フワリと黒髪の束が生えだし、全身に絡みつく。特に両手は重点的に、しっかり地面に固定させる。薄汚い黒茶色の肌に、艶やかな黒い髪がギリギリと締め付ける。

 拘束力も、髪の触手の量も明らかに増大している。やはりレベルアップで強くなったというよりは、元々ある呪術としてのスペックを上手く引き出せたという感じだ。

 逆に考えれば、これ以上のパワーとボリュームは出せそうもないのだが……まぁ、現状において一番即効性のある呪術なのは間違いない。

 ともかく、これで拘束完了。後は刺すだけ。今回は『赤き熱病』を使わなくてもいいだろう。どうせ、使っても使わなくても、大差はないし。

「双葉さん、一応、聞いておくけど、一人で刺せそう?」

「う、うぅ……む、無理ぃ……」

 すでに槍を振り上げ、ぶっ殺す気満々な体勢の僕に対し、双葉さんは丸太のような両腕で槍を抱きしめる乙女チックポージングで、ブルブル震えながら硬直している。

 す、凄い、そこそこ太い枝の槍が、胸に挟まれた部分だけ完全に埋まって見えなくなっている……

「ドゥンガァアア!」

 うわ、すいませんゴーマさん。そんなところに注目している場合じゃないっすよね。

「よし、それじゃあ、ゆっくり、落ち着いて……僕のを握って」

 正確には、僕の『槍を』握って、である。わざわざ訂正の台詞を重ねることもなく、僕は振り上げポーズから、スコップで地面を掘るような恰好に槍の持ち方を変更した。

 倒れた相手に向かって、一本の槍を二人で握って突き刺す、という動作をするには、この体勢が一番スムーズにできるだろうから。

「う、うん……ぎゅうっ!」

 握りしめた効果音を口にするのは何の意味があるんだろうか。気合いを入れるでも勢いでも何となくでも、別に構わない。双葉さんは泣きそうな顔になりながらも、僕の槍を握りしめてくれた。

 片手で。

「自分の槍は、一旦置いといていいから」

「あっ、そ、そうだよね!?」

 カランカラン、と槍が投げ捨てられた乾いた音が響き渡った。

 改めて、両手持ち。僕の細腕と双葉さんの剛腕、合わせて四本の手が、一本の槍を握りしめる。

「フゥー、ウゥー、グブルルゥ……」

 ゴーマの荒い息遣いと、意味不明な呻き声が聞こえる。けれど、妙に静まり返ったように感じてならない。

 僕と双葉さんは、一緒に槍を握りしめた格好のまま、固まってしまっている。かなりの身長差があるせいで、ちょっと不自然な体勢となってしまっているが、この虫の息のゴーマを刺すのに不具合はない。

 あと必要なのは、最後の一押し。いざ、槍を繰り出す覚悟である。

「はっ、はっ……ふぅ……」

 チラリと彼女の顔を見上げてみれば、すでに涙が零れ落ちている。だが、それ以上に大粒の汗を流して、マラソン大会のゴール直前みたいな苦しい表情だ。

 滝のように流れるほどの発汗作用は、きっとパワーシードの効果だけではないだろう。

「双葉さん、目、閉じて」

「ん……うん……」

 ターゲットは、粗削りな穂先から五十センチと離れてはいない。目を瞑っていても、突き出せば100%命中する。

 だったら、少しでも抵抗感をなくせるなら、視界は塞いでもいい。

「双葉さん、力、抜いて」

「……うん」

 さっきから、僕の腕力なんかじゃビクともしないほど、双葉さんが固く槍を握りしめすぎて、ブルブル震えたまま固まっていたのだ。

 これでは、いつまで経っても槍を突き出せない。

 今、必要なのは双葉さん自らが魔物を手にかける勇気と行動ではない。ゴーマを刺し殺す槍に、自分も手をかけていた、という事実だけ。

 まずは、それだけでいいんだ。次は自分で殺せるような、キッカケにでもなってくれれば。

「そのまま、握ってるだけでいいから」

 しばらくの間を置いて、ようやく双葉さんが力を抜いてくれたのが分かった。軽く前後に槍を動かしてみると、双葉さんの腕がプラプラと連動していた。本当に、握っているだけの状態。

 よし、これで最後の準備は整った。

 僕としても、ゴーマという化け物然とした姿でありながらも、人型、というだけで赤犬の時よりも抵抗感は覚える。

 でも、それはあくまで感じるというだけ。もう、僕には魔物如きの殺生を躊躇う、繊細な精神性は、無い。

「……行くよ、双葉さん」

「うん、桃川くん……ごめんね」

 彼女の優しさが、心に沁みた。

 あやまらないでよ。別にいいから。だって僕の行動は、ただ、君も一緒に汚そうというだけのことだから。

 俺が守る。そう言えれば、男としては最高にカッコいいんだけどな。

 でも、それは無理だから。僕の人格的にも、能力的にも。

 だから、これで、いいんだ。

「やぁああああっ!」

 ささやかな自己嫌悪を振り払うように突き出した一撃は、思いのほか、軽い手ごたえだった。

「――モギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」

 ダンジョン中に聞こえるんじゃないかというほど、とんでもない大声量の絶叫が響き渡る。石の通路は音をよく響かせるが、それ以上に、身動きの取れないゴーマが振り絞る最後の生命力の発露が、断末魔だけに集中したんじゃないかと思う。

 頬まで裂けるような、ただでさえデカい大口が、限界まで開いて、あらん限りの声を上げていた。

 槍の穂先は、かなり深く脇腹へブッスリいっている。あんなカッターナイフで適当に削り上げただけの粗末な槍でも、確かにゴーマの皮膚を破り、肉を貫いてくれた。

 どこか拍子抜けするほどあっさりとした貫通の感触だったのは、ゴーマの体が柔らかいのか、それとも、パワーシードの腕力強化のお蔭か。今は、冷静に分析できる余裕は持てなかった。

「もう一回だ!」

 槍を引き抜くと、当然のことながら、開いた傷口から鮮血が噴いた。真紅、という色合いからは程遠い、赤黒く濁った血飛沫。けれど、人間の血もこんなもんかもしれない。

 散った血液が、この一日のダンジョン歩きですっかり薄汚れてしまった上靴と、泥や土の跳ねた制服ズボンの裾にかかった。汚れるのは今更だけれど、溢れ出る血の他に、傷口から妙にドロリとした気持ちの悪いゲル状の何か、が漏れているのを見て、どうしようもない嫌悪感を覚えてしまう。

 ああ、気持ち悪い、気持ち悪い。キモい、もう嫌だ、僕はどうして、こんなところで、こんなことしなきゃいけないんだよ――

 不意に溢れ出る不満を、ゲロを飲み込むような気持ちで無理やりに抑え込みながら、僕は完全にゴーマの息の根を止めるために、槍を刺し続ける。

 もう一回、もう一回。二回、三回……何度でも。一心不乱に、刺す。

「ギッ! ィイイゲェエァア!」

 脇腹、腹、胸、目につく大きな部位に向かって、粗末な槍で滅多刺し。力の限り、槍を繰り出す度に、ゴーマが絶叫を上げながら身悶えする。しかし、呪いの束縛が、寝返り一つ打つことさえ許さない。

 そんな哀れなゴーマの叫びに混じって、双葉さんの悲鳴も聞こえるような気がする。何かを泣き叫んでいるような、そんな、気がする。

 もしかしたら、僕も叫んでたかもしれない。

「はぁ……はぁ……」

 赤犬を刺し殺した時よりも、疲れた。

 そんな感想を抱いた時には、見るも無残な惨殺死体が足元に転がっていた。赤黒く穢れきった、血と肉のズダ袋。もう、刺したところで、呻き声一つ上げることはない。

「うっ、うぅ……も、桃川くん……終わったの? ねぇ、もう……終わったの?」

 グラウンドの四百メートルトラックを全力疾走したような息切れと疲労感に、一拍、いや、たっぷり三拍は置いてから、僕は双葉さんの涙ながらの質問に答えた。

「終わった……ゴーマは、死んだよ」

 見れば、双葉さんは律儀にも固く目を瞑ったままでいる。目は閉じていても、涙って流れるものなんだな。そんな、やけに呑気な感想が頭を過った。

「目は、まだ開けない方がいいよ」

「……うん」

「このままゆっくり、後ろに下がって」

「うん……うん……」

 死体なんて、見るもんじゃない。自分で手にかけたものなら、尚更。

 そんな現実逃避的な配慮をしつつも、こうして、僕と双葉さんは、ゴーマ殺しに成功したのだった。

第19話 生餌

「……酷い有様だ」

 双葉さんを通路の脇まで誘導してから、一分、二分……恐らく、五分くらいはグッタリしながら呆然と休んだ後、気を取り直してゴーマの死体検分を始めた僕の第一声が、コレである。

 一体、何度突き刺したのか分からないほど、全身血塗れとなっている。残虐さだけがウリのB級ホラー映画に登場するような惨殺死体だ。

 まぁ、初めて殺意を持っての殺人に及んだ場合、勢い余って滅多刺しにしてしまうことがあるらしいから、そういう意味では、この結果も仕方ないと言えなくもない。

 しかしながら、リアルでこんなグロい意味で18禁な死体を間近で見ていても、あんまり抵抗を感じないのは、自分で仕出かしたものだからだろうか。僕の感覚も、この短いダンジョン経験で結構マヒしてきているのかもしれない。

 ほんのちょっと休んだだけで、こうしてそこそこの冷静さを取り戻していることからも、割と信憑性のある説だ。精神スキルも習得してないし。

 とりあえず、今は僕のことなんてどうでもいい。さっさとゴーマを調べて、この場を去りたい。

 赤犬の時は、コアには期待できなかったけど、ゴーマなら欠片くらいは採取できるかもしれない。何より、人型のゴーマはボロいながらも武装していた。弓を使って遠距離攻撃を行うことも、双葉さんの話で判明している。

 つまり、装備鹵獲のチャンスというワケである。

「あれ、コイツ――」

 しかしながら、改めてしげしげと倒れたゴーマを観察、というか、パっと見ただけで分かったことがある。

「――全裸じゃないかっ!?」

 へ、変態だぁーっ! と叫ぶより前に、どうしようもなく期待外れの展開に愕然とさせられる。

 うん、何度見直しても、コイツは裸だ。

 思えば、こんな至近距離でゴーマを見るのは初めて。最初に目撃した時は、女子生徒を喰らっているシーンを、ちょっと離れた扉の隙間から覗いていただけだし。

 こうして改めて観察すると、そのゴキブリ染みた色の皮膚の他にも、骨格レベルで人間と異なっていることに気づかされる。

 体の大きさそのものは、成人男性よりも小さめ、ぶっちゃけ、僕と同じくらいだが、この黒くヌメった肌の人型の裸体を見ても、連想するのは人間の体よりも、オランウータンのような動物といった感じ。やや前傾姿勢で、足が短く手が長めの体型は、生物の資料集に登場する初期の原人の姿が、一番適切なイメージだろう。

 それにしても、コイツはオスなのかメスなのか。ついつい、股間に視線が集中してしまうが、どうにも判別がつかない。勿論、有るのか無いのか、触ってまで確かめようとは思わない。

 ゴーマが雌雄同体の生物であったとしても、今の僕にとっては激しくどうでもいい情報だし。

「ちくしょう……コイツ、本当に何も持ってない……」

 パンツは履かなくてもいいけど、せめて護身用のナイフ一本くらいは持っておけよ。ここは凶悪な魔物が闊歩するダンジョンだぞ。何で全裸で徘徊してんだ、この間抜け。

 いや、それとも、普通のゴーマは猿と同じく裸生活なのかもしれない。

 女子生徒を食ってた奴らは、ゴーマ内では狩人か戦士の特権階級で、魔物を狩るために彼らにだけ衣服や武器の所持が許されているだとか。

 くそう、ゴーマの生態なんて考えても仕方ないだろう。情報よりも、物理的な収穫が必要なのだから。

「……ん?」

 何かほんの少しでもいいから収穫を、と血眼になってゴーマの死骸を睨み続けた結果、ふと気づく。

 コイツ、やけに傷が多い。

 いや、滅多刺しにしたのはお前だろう、というツッコミには繋がらない。確かに、僕は自分でも数えきれないほどの刺突を喰らわせてやったが、当てた場所は全て胴体。

 単純に、最も大きな部位である胴を狙うのが、ついさっきの興奮と緊張状態では精一杯だったのだろう。頭を狙うだとか、他に急所を突こうとか、そういう発想は全くなかった。

 つまり、顔と手足に槍による刺し傷は絶対に存在しない。だがしかし、である。

「この傷は……刃物で切られたのか」

 そう素人目にも分かるほど、ゴーマの手足にはザックリと深い創傷が刻み込まれていた。その傷痕は、歪ながらも確かに一直線に走っており、決して鎧熊のような爪痕ではない。

 恐らく、切れ味の悪い刃物、そう、正にゴーマが装備しているような錆びたナイフのようなもので、強引に何度も同じ個所を切りつけたのだろう。

 傷の正確な位置は、両足のふくらはぎと、左の二の腕。何故か、右腕だけは無傷である。

「コイツは一体、何に襲われたんだ?」

 この異世界では、手足を負傷した魔物が経験値の美味しいボーナス雑魚敵のように、突如としてダンジョン内にポップするという現象が起こるのが当たり前――ってことは、流石にないだろう。少なくとも僕は、魔法以外は基本的に地球の物理法則に従って存在する自然界のように思える。

 だから、怪我をしているのならば、必ずその原因があるはずだ。このダンジョン内で考えられる可能性としては、不慮の事故と魔物に襲われる、の二つが大半だろう。

 今は例外的に、僕らのような人間が魔物と戦っているが……もし、このゴーマがクラスメイトと戦闘したのなら、手足に大きな損傷を負わせただけで放置しておく理由はない。

 この状況は、まるでゴーマの動きを止めるのを目的として、あえて殺さず負傷するに留めておいたのを、襲撃者が狙ったとしか思えない。

 それは一体、何のために?

 疑問は深まる。気分はまるで、ミステリードラマの主人公である。死体に隠された謎を、推理で解き明かす――

「……桃川くん」

 その時、不意にかけられた声に情けなくもビクっ! と体を強張らせてしまう僕。けれど、何もビビってなどいませんよという体を装って、ゆっくりと振り向く。

「双葉さん、もういいの?」

「あ、うん……大丈夫、だから……」

 どう見ても大丈夫そうではない蒼白な顔色での返答だが、あえてはツッコまない。きっと彼女も、頑張って乗り越えようとしているのだろうから。

「それで、どうかした?」

「うん、あのね……コア、取った方がいい、んだよね?」

 おずおず、といった様子の問いかけに、僕はすぐにピンときた。

「そういえば双葉さんって、コアを取るのに慣れてるんだっけ」

「うん」

 双葉さんのダンジョン身の上話によれば、委員長パーティにおいて唯一役に立ったのがコアの摘出ということであった。幸いにも、彼女の料理の腕前は結構なものらしく、こんな魔物の死体をバラすのも上手くいった、という話らしい。

 そう考えれば、惨殺死体であろうと、今更もう大した抵抗はないのかもしれない。死体が大丈夫なら、殺すのも大丈夫そうな気もするけど、やっぱり別問題なのか。

「でも、今は包丁ないけど、大丈夫? 刃物なんてカッターしかないよ」

「多分、大丈夫……ゴーマは何回か捌いたことあるし、コアもそんなに深いところにあるワケじゃないから、とれると思う」

 おお、なんと心強いお言葉。何事も先達はあらまほしきことなり、ってヤツだろう。

「それじゃあ、お願いするよ」

「うん、私、頑張るね!」

 少しだけ血色のよくなった顔で応える双葉さんに、僕はカッターナイフを手渡そうと学ランのポケットに手を突っ込む。ゴソゴソと漁ること三秒、お目当てのプラスチックの柄を掴み取り、さぁプレゼントというその時だった。

「あ、桃川くん、このゴーマ、何か持ってるよ?」

「えっ、嘘」

 全裸のコイツが? と思いながらも、双葉さんが示す先には、確かに『何か』はあった。

「何だ、コレ……」

 見れば、ゴーマの右手に小さな袋が握られているのだ。そう、それは本当に小さな茶色い皮のボロっちい袋で、手のひらで覆えるほどのサイズ。だからパっと見ただけじゃ気づかなかったんだ。

「何だろう……白い、粉?」

 双葉さんは何のためらいもなく、ゴーマの右手を開いて袋を回収してくれた。僕ならゴーマの死体の手なんて気持ち悪くて、触れる覚悟を決めるのにややしばらくの時間が必要だったろうに……流石は魔物を捌いた料理人なだけある。

 また一つ、双葉さんに対する評価を上げながら、僕は彼女の手にある謎の白い粉入りの袋を注視した。

「うーん、コレは……」

 一見すると、小麦粉か片栗粉かといったような、正しく白い粉と呼ぶ以外に他はないモノである。よく見れば、ゴーマの血塗れた右手にもソレが点々と降りかかっているのにも気づいた。

 何だコレ、というより、白い粉、なんて呼べば真っ先に思い浮かべるのは、犯罪的なアレしかない。

「えーと、なになに……吸引すると、精神を高揚させて疲労を吹き飛ばし、極度の興奮状態に、なお、極めて強い依存性――って、やっぱり麻薬じゃないかコレ!」

「ええっ、ま、麻薬!?」

『直感薬学』が働き、僕にこの白い粉、ゴーマ製麻薬の効能を教えてくれた。

 このゴーマは麻薬でラリったせいで、素っ裸になってダンジョンを走り回るという奇行をした、という事実であれば、何も問題はない。コイツがたででさえ知能の低いゴーマの中でも、飛び抜けた馬鹿であったというだけのこと。

 しかしながら、その最も信憑性のある説は、他でもない、ゴーマ自身の手足に刻まれた傷によって否定される。

 そう、コイツは何者かに手足を切り裂かれて行動不能にされた後、この麻薬を与えられた、という状況であるとしか考えられないのだから。

 ならば犯人の意図は――

「こ、ここ、これ、どうしたらいいのかな、桃川くんっ!?」

 まるで時限爆弾でも持っているかのように焦った様子で、双葉さんが手にした麻薬袋を差し出してくる。

「落ち着いて、吸ったりしなければ大丈夫だから」

「で、でもぉ……」

「あー、うん、いいよ、コレは僕が持ってるか……ら……」

 そうして手を伸ばしかけたところで、僕の動きは硬直する。眼の前に立つ双葉さん、その背後にチラつく『ヤツら』の姿によって。

「ど、どうしたの? 桃川くん?」

 僕がいきなり止まったこと。そして、恐らくは顔面蒼白で驚愕の表情を浮かべているだろう反応に対して、双葉さんが不安げに問いかけてくる。

 残念ながら、今の僕には「大丈夫」と言うことができない。安堵の言葉も、慰めの台詞も口から出てくるはずもない。僕が語るのは、ただ、最悪の現実のみ。

「や、ヤバい……僕らは、罠にかかったんだ……」

「えっ――」

 僕の視線を追って振り向いた双葉さんが、石の通路を割らんばかりに悲鳴を上げるのは当然の結果だった。というか、僕も一緒に泣き叫びたい気分。

 なぜなら、そこにいるのは――

「ちくしょう……ゴーマに、囲まれた……」

第20話 ゴーマの罠

 要するに、この負傷したゴーマは獲物をおびき寄せるための餌だったのだ。

 生かさず殺さず、手足の腱を切って動かさず。同時に、麻薬を与えておけば、元気な叫びを上げて自らの存在をアピールしてくれる、活きの良い餌の出来上がり。本人も痛みから逃れるために、喜んで麻薬を吸い続けるだろう。右腕だけ無傷なのは、自分で麻薬を吸引できるようにするために他ならない。

 こんな仲間を餌にするという残酷極まる狩猟方法がゴーマにとっての伝統なのか、それとも、クラスメイトがこの階層の魔物を狩りまくって獲物が減った緊急事態だったからなのか、実施するにあたっての理由は不明であるが、ともかく、こうして実際に行われた。

 そして、こんな見え見えの囮にひっかかる、馬鹿な獲物がいた。

 そう、僕のことである。ちくしょう、傷ついたゴーマが倒れている時点で、何かあると怪しむべきだった。はぐれ赤犬のように、倒すのにちょうどいい弱った獲物と二度も出会えるなんて偶然、あるはずもないのに。

「どっ、ど、どどどどうしよう桃川くん!?」

 そんなの僕が教えて欲しいよ、とは言えない。言える余裕もない。

 ちょうどここはT字路となっていて、その三方どこからもゴーマの群れが押し寄せてきていた。僕らがゴーマを殺し、ショックで休憩し、今さっきまで死体検分にかけた時間を合わせれば、道を封鎖するには十分だったろう。

 一本の道につき、およそ十体前後の数でひしめいている。ボロい弓を手にした者がちらほらと見受けられるが、まだ撃っては来ない。撃つ必要もないのか。

 ゴーマ共はまんまと包囲が成功したことでテンションが上がっているのか、前に見た時よりもゲェーゲェーと汚らしいダミ声で叫んで大盛り上がり。手にする錆びた刃物を振り上げ、すでに狩りの成功を祝ってるように見えた。

「な、何とか……突破、するしかない……」

 他に方法は思いつかないが、上手くいくとも思えなかった。提案する僕の声は、すでに震えている。

 しかしながら、やるしかない。

 正面の道は、左右に枯れ木の並木がある、元々辿って来たルート。左右の道に比べて広いけれど、あの捻じれて好き放題に伸びた枝が逃走の邪魔をする。

 さりとて、左右の道はもっと無理。こっちは幅が狭く、端から端まで完全にゴーマの体で阻まれている。抜けられそうな隙間はどこにもない。

「真正面を行こう。真ん中の……いや、ちょっと左側にいる骨の棍棒を持ってるヤツ。アイツを『黒髪縛り』で動きを止めるから、それを押し退けて突破する」

「う、うん!」

 土壇場で練った作戦にしては上出来だろう。ここで攻撃スキルの一つでもあれば、突破口を切り開くのにさしたる苦労はしないのだろうが……いや、今は考えるまい。

「よし、行こう! 逃げ足を絡め捕る、髪を結え――」

 詠唱だけ先に済ませ、僕は一気に駆け出す。すぐ後ろに双葉さんが続く。

 物理的な突破力はどう考えても彼女の方が上だけど、ゴーマへ突っ込むその瞬間にビビって立ち止まられては困る。突進の迫力も何もあったもんじゃないが、僕が前を走るしかない。

 さて、ゴーマとの距離は、もう二十メートルもない。両手で握った血塗れの槍が、やけに重く感じる。ああ、そういえば双葉さん、槍は投げっぱなしできてしまった。

 どうせなら、二人とも槍を前に構えて突進していけば、少しは相手が怯んでくれたかもしれない……でも、今更もう遅い。

 目の前に立ち並ぶゴーマは、突っ込んでくる僕らに対して、さしたる恐怖も不安も感じてないようで、特に慌てた様子は見られない。手にする武器をこっちに向けてグエグエ言う様は、チビとデブが無駄な抵抗しやがって、と嘲笑っているかのようにさえ感じる。

 ちくしょう、僕だって分かってるよ。これがただの悪あがきにしかならないなんてのは。でも、しょうがないじゃないか。今の僕らにできる精一杯が、これしかないんだから。

「――黒髪縛りっ!」

 力の限り叫んで発動させた呪術は、僕の狙った通りに効果を現した。

 ターゲットである棍棒装備のゴーマは、突如として地面から生えた髪の触手に足をとられ前のめりに転倒。どうやらドン臭い個体のようで、マトモに受け身をとることもなく顔面から硬い石畳に突っ込んで行った。

「グゲェエッ!」

「今だぁっ!」

 無様な転倒で一人分の突破口が開けたチャンスを逃さぬよう、決死の思いでラストスパートをかける。

 だがしかし、僕が隙間に体を滑り込ませるよりも早く、隣のゴーマがカバーに入る方が早い。いかに低能でも、そこに突っ込んで行くのが理解できているのか。あるいは、素人がサッカーでボールだけを追いかけるように、ただ僕に目がけて襲い掛かって来ただけかもしれないけれど。

 なんにせよ、このままだと衝突するだけ。ならば、もう一撃くれてやるしかないだろう。

「やぁああああああああああっ!」

 両手で握りしめた槍を掲げて、ナイフ片手に立ち塞がるゴーマへと突っ込む。

 僕は一対一でもゴーマ相手に楽勝というほどの力はない、むしろ負ける危険性の方が高いけれど、今回は勝たせてもらう。

 いくら枝を削っただけの粗末な武器とはいえ、『槍』と呼べるほどの長さはあるのだ。剣道三倍段、なんて言葉があるように、リーチの差は絶対的な力となる。

 ただ勢いだけに任せて繰り出した僕のランスチャージは、短いナイフを振りかざすだけのゴーマを安全圏から突き刺す。まだパワーシードの効果は続いてくれているのか、やはり、思ったよりも柔らかな感触で、穂先が黒い肉体を貫いていく。

 だがしかし、いくら柔らかいといっても、僕の足を止める程度の障害物にはなった。

「――くうっ!」

 槍で思い切りぶち当たって行った衝撃で、僕はたたらを踏む。ここで転倒したら死ぬ。必死の思いで踏ん張り、体勢を立て直す。

 気が付けば槍から手を離していた。ナイフのゴーマはどてっ腹に妖精胡桃の枝を生やしたまま、やかましい唸り声を血反吐と共に吐きながら倒れ込んでいた。即死ではないが、死ぬのは時間の問題だろう。

 そうして、僕が僅かな、けれど確かに足止めをしてしまったせいで、逃走へのロスタイムが発生する。それは、槍で刺してやったゴーマとはまた別のヤツが、飛び掛かってこれるだけの隙となってしまった。

 白い枯れ木の枝、その隙間を縫うようにして新たなゴーマが現れた。手にしているのは、半分ほど刃の欠けた手斧。そんなもんでも一撃喰らえば、僕はゴーマよりも無様に泣き叫んで転げまわる自信がある。

 というか、槍を手放し立ち止まってしまった僕に、その攻撃を防ぐ手段はな――

「わぁあああああっ!」

 その時、泣き叫びながら突撃してくる巨大な人影があった。勿論、双葉さんである。僕の後ろを走っていたが、立ち止まったせいで追いつかれ、今この瞬間に、追い抜かれてしまったのだ。

「ギイっ!?」

 そして、通り抜け様に飛び出してきたゴーマを撥ねた。僕と同じかやや大きいくらいの身長であるゴーマは、双葉さんの巨体に弾かれ枯れ木の枝の向こうにぶっ飛んで行く。対して、双葉さんの方はゴーマとぶつかったことさえ気づかぬ様子で、そのまま真っ直ぐ走り去っていく。

 体重差、というのがこれほどまでに圧倒的なものであると、僕はまざまざと実感させられた。

 いや、そんなことより、図らずともピンチを退けた今がチャンスだ。

 僕は素早く身を翻して、双葉さんに続いて離脱を――

「うあっ!?」

 一歩目を踏み出したその時、僕の体は勢いよく前へつんのめって行った。

 何かに足をとられた――そう気づいたのは、咄嗟に両手を前に突き出して受け身をとったせいで、手のひらが擦り剥けてヒリヒリした痛みを覚えるのと同時であった。

「ぐっ、くそっ――コイツぅ!」

 僕の足をとった、つまり、手で掴んでいたのは、黒髪縛りで転ばせたゴーマであった。

 両足を縛っていたが、器用に身を翻して、僕の足へと手を伸ばしていたのだ。幸いにも、武器の棍棒は転んだ拍子に手放してしまったようで、そのまま追撃を受けることはなかったが、僕の命を奪うには十分な活躍である。

「くそっ、ちくしょぉぉおおおおおおおっ!」

 右手を学ランのポケットに突っ込み、双葉さんに解体用として渡しそびれたカッターナイフを抜き放つのに、一秒もかからなかった。キチキチと独特の音を立てて、刃を全開で出した時点で、二秒くらいだろうか。

 そして、三秒が過ぎるころには、僕は怒りに任せてゴーマの腕を切りつけていた。

「ウゲェエエエっ!」

 深々と新品の刃で切り付けられてまで、足を掴んでいられるほど根性はなかったらしい。薄汚い血を噴きながら、弾かれたように手が僕の足首から離れる。

「はぁ……はぁ……は、早く、逃げ――」

 慌てて立ち上がるが、時すでに遅し。

「グルルルゥ……」

「ゲッゲッ、グゲェ!」

 目の前には二体のゴーマが立ち塞がっている。右から、左から、この通路にいる全てのゴーマが僕を取り囲むようににじり寄って来ていた。

 当然といえば、まぁ、当然の結果。槍で刺して、転んで、切って。あれだけまごついていれば、包囲を完成させるには十分すぎる時間がある。

「あ、ああ……」

 僕は鮮血の付着した、ちっぽけな頼りないカッターナイフを手に、へっぴり腰で立ちながら震えあがる。

 もう、突撃してどうにかなる包囲の薄さじゃあなかった。前も後ろも、右も左も、ゴーマ共が獣じみた呻き声のように笑いながら、二重、いや、三重になって囲んでいる。

 前に立つ、つまり、元より逃げる方向だったところに立ち塞がるゴーマ、その背中の向こうに、振り返ることなく一目散に通路を駆けて行く双葉さんの背中がチラリと見えた。

 今も泣き叫びながら、一心不乱に逃走中なんだろう。僕が助けの叫びをあげても、彼女の耳に届くことはないだろう。

 いや、たとえ聞こえたとしても、双葉さんに僕を助けることは不可能だろう。

 裏切られたとか、見捨てられたとか、不思議と恨みの感情は湧かなかった。さりとて、せめて彼女だけでも生き残ってくれ、なんて男気のある気持ちにもならない。

 僕の胸に去来するのは、虚しいほどの諦観。諦め。ああ、まぁ、しょうがないよな。当然の結果だよ。

 事実をありのままに受け止められる。

 だってそうだろう。僕は彼女に、まだ何もしてやれていない。いや、命は救ったが、それだけ。まだ、勇ましく魔物に立ち向かっていける精神性と戦闘能力を、何ら培ってはいない。

 だからもし、万が一、億が一、双葉さんが助けに戻ってきたとしよう。僕を助けるためになけなしの勇気を振り絞って戦ったとしても……奇跡は起きない。あんなスキル構成じゃあ、これだけの数のゴーマを相手にできるはずはない。

 つまり、助けはまるで期待できないということ。

 そして、それよりもっと期待できないのは、僕個人の戦闘能力である。攻撃技は勿論、防御も回避もままならない、クソスキル構成な呪術師の僕が、多勢に無勢の状況をどうにかできるはずもない。

 ああ、そうだ。認めよう。僕は今、完全に……詰んだ。

「う、うぅぁあああああっ!」

 けれど、イヤだ。死にたくない。

 無駄な抵抗と分かり切っていても、僕は手元に唯一ある武器を振り回さずにはいられなかった。

 ナイフ以下のリーチしかないカッターは、ただ虚しく空を切り裂く。

「グゲェー、ゲッゲッゲ」

「グゲゲ!」

 僕の無為な抵抗を、ゴーマ共が笑っている。この原人並みの知能の魔物どもが、人間様を嘲笑っていやがる。

 くそう、くそう……ちくしょう……

「痛っ!?」

「ギャウっ!?」

 脇腹を突かれた。恐らく、槍のような長物で。見えない位置ではなかったけれど、絶対絶命で恐怖の極致にある僕は、完全に視野狭窄へと陥っている。真正面以外は全て死角も同然。

 そんながら空きのボディーに繰り出された一撃でも、浅く済んだのは『痛み返し』のお蔭だろう。

 僕が突かれたのと同じ、右のわき腹を抑えて呻き声を上げるゴーマの姿が目に入った。

「そ、そうだぁ……僕を、斬ると……お前も、斬られるんだよぉ!」

 あはは、どうだ、凄いだろう、僕の呪術は。僕を殺せばお前も死ぬ。死ぬ覚悟で僕を刺せるヤツが、この中にいるかよ――

「がああっ!」

 僕の絶叫と同時に、今度は別のゴーマが悲鳴をあげた。足を切られた。左の太もも。傷は浅いが、それでも確かな熱さと痛みを覚える。

「あ、ああぁ……痛っ、くそぉ、痛い……」

 左手で傷口を抑えるように触れてみると、ドクドクと血が溢れ出てきているのを直に感じた。鎧熊の一撃に比べれば軽傷もいいところだが、あの経験だけで負傷に対する耐性ができたはずもない。むしろ、出血を伴う怪我なんて、怖くて仕方がない。

 けれど、溢れ出る鮮血はどこか他人事のようにも思える。フワフワと現実感のない感覚は、ピンチと恐怖で思考が麻痺しているのだろうか。

「痛っ、たぁ!」

 気が付けば、僕は無様極まる叫び声を上げて、唯一の武器であるカッターを落としていた。またしても横合いから飛んできた攻撃、どうやら今度は棍棒による打撃であった。見事な小手を決められて、僕の右手からカッターナイフは叩き落とされたのだ。

 見れば、ガラガラとやかましい音を立てて棍棒を落とし、右手首を抑えてのた打ち回るゴーマがいた。『痛み返し』は正常に発動している。ざまぁみろ――なんて、気持ちは欠片も沸かない。

 今、僕の頭に浮かぶのは、短い十七年の人生の中で最も屈辱的なシーンの記憶。その中の一節だ。


「斉藤、お前ちょっと桃川ボコれ」


 どうよこのアイデア、俺様天才! みたいな満面のドヤ顔が、鮮やかに脳裡に浮かび上がる。

 ああ、そう、そうだよ樋口……お前が見つけた『痛み返し』最大の弱点に、僕は今まさに、つけ込まれている真っ最中だよ。

 あの時は、僕への攻撃役は奴隷ポジションの勝の野郎だけだった。だから、殺害するまでにはどうしても至らない。

 だがしかし、今は三十近い数が揃っている。一人一発、順番にパンチを喰らわせていくだけで、僕はボロボロ、奴らはちょっと痛いだけで済む。

 果たしてゴーマ共が『痛み返し』の原理に気づいているのかどうかは分からない。分かっていようがいまいが、奴らが僕を攻撃する意志と行動は現実に実行されているのだから。

ああ、ちくしょう。最後にトドメの一撃を刺してきたヤツを道連れにできたところで、どれほどの意味があるだろうか。同族を餌に利用するような奴らだ。追加で一体くらい死んだところで、何とも思わないだろう。

 死ぬのは御免だけど、無駄死にはもっと御免だ。せめて、自分が殺された恨みくらいは晴らしたい――

「ああっ!」

 そんな気持ちも、次の一撃でガラスのように粉々に砕け散る。脆い理想論だった。現実の死というのは、こんなにも惨めで、理不尽で、唐突で、あっけない。

 一矢報いる? 馬鹿馬鹿しい。くだらない自尊心からくる発想だ。弱い無力な自分を認めたくない逃避といってもいいだろう。

 圧倒的な暴力に晒されれば、プライドなんて砂上の楼閣どころか砂山に立てた割り箸よりもあっけなく倒壊する。

 背後から蹴り飛ばされて通路に倒れ込んだ時に、僕はそれを実感した。

「う、あ……やめっ」

 ドブに素足を突っ込んでもそこまで汚れないだろうというほど、汚らしく黒く脂ぎった足を、僕の鼻先で振り上げるゴーマの姿が見えた――と思った時にはもう、サッカーボールのように顎を蹴飛ばされていた。

 ガツン、という音と衝撃が走る。目の前で星が散るとはこういう感覚を言うのだろうか。ショックと痛みで、前のめりに倒れた体が思わずひっくり返る。

 見上げた天上はうす暗い。今にも消えそうな白い発光パネルが、まるで僕の寿命を現しているかのようだ。

 しかし、感傷的な気分に浸ってんじゃねぇよ、とでもケチをつけるかのように、再び視界に汚らわしい黒が映る。点々と妙に白く浮いて見えるのは、砂。ゴーマの足の裏だった。

「ひっ――」

 反射的に顔を手で覆う前に、ストンピングが炸裂する。顔面ど真ん中。一瞬、息が止まった。

「かっ、は、あ……あぁ……」

 強烈な鈍痛が、鼻血と共に顔の中心から走る。鼻骨が折れたか、あるいは、ヒビが入ったか。骨折した経験は初めてだし、両方の鼻の穴から鼻血が噴き出すのも初めてである。

 今の僕はきっと、これまでの人生の中で最も醜い顔をしているだろう。勝に殴られている時でも、もう少しマシな面構えをしていられた。

 ついでに、心構えも。だって、今の僕はもう――

「うぅ、あぁ……や……やめて……」

 ドっと腹を蹴飛ばされて、今度は吐く――のを寸でのところで耐えた。しかし次の瞬間、同じ場所に別なゴーマのヤクザキックが突き刺さる。

 我慢するなんて意味なかった。ゴーマの下品な鳴き声を笑えないほど、僕もゲェーゲェーとうめきを上げる。

 まき散らした吐瀉物と鼻血が顔に塗れる。気持ち悪い。自分のものでも、どうしようもなく気持ち悪かった。

 顔だけでなく、心まで汚れた気分になる。ソレは心の奥まで浸食し、精神を腐らせる。

 もしも僕の心に柱のような芯があったとすれば、その根本が真っ黒に腐食して、ついにボッキリ折れてしまった感覚。いや、この時、僕は確かに……心が折れる、音を聞いた。

「やめて……ください……」

 命乞いである。

 それはあまりに惨めで、愚かな言葉だ。けれど、言わずにはいられない。僕のように弱い人間なら、きっと、誰もが言うだろう。例え相手が言葉の理解できない魔物相手でも。

「グゲェーッ!」

 元気の良い楽しそうなゴーマの掛け声と共に、リンチは続く。足、足、汚い足。奴らはひたすらに僕を足蹴にする。

『痛み返し』のせいで、ゴーマはキックを連続で繰り出すことができない。蹴ったダメージが跳ね返る度に怯むからだ。それなりに痛くはあるだろう。お蔭で、ボコられるスピードそのものはゆるやかなものだった。

「や……やぁ……あぁ……」

 けれど、奴らは飽きもせず僕を蹴り続ける。何がそんなに楽しいのか。ここじゃあ弱った獲物をいたぶることしか娯楽がないのか。いつまで経っても、武器によるトドメがやってこない。

 幸いだ――そう思ってしまうのは、どうしてだろう。

 助けは来ない。自力ではどうにもならない。後はこのまま、肉体の限界が訪れるまでひたすらゴーマに蹴飛ばされ続けて、嬲り殺しにされるだけだというのに。僕の残りの人生は、暴力による苦痛しか、残されてないというのに。

――死にたくない。

 プライドと一緒に粉々になった心のごみ山の奥底に、燻る思い。

――死にたくない。

 生存本能の残り火。

 イヤだ……絶対に……死にたく……ない――

「――ぉおおおお」

 声が、聞こえた気がした。霞む意識の中で、耳に届いたその雄たけびは、ギャアギャアと盛り上がるゴーマの鳴き声の内の一つだと思えない。

 そう確信できるほど、その声は異質だった。

 言うなれば、そう、魂の奥底から震えあがるような。消えかけた生への種火を、再び燃え上がらせる風のような――そんな、力強い声。

「ぉおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああっ!!」

 そう、それは正に、狂った獣の咆哮だった。

第21話 狂化

「ぉおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああっ!!」

 狂った獣の咆哮、としか形容のできない凄まじい叫び声が僕の鼓膜を破らんばかりに突き抜けてくる。

 何だ、そう思った次の瞬間には、ドンっ! と石畳の床をハンマーがぶっ叩いたような衝撃が駆け抜ける。強烈な響きに、僕の霞みかけた意識がハっと醒める。

 少しだけ鮮明さを取り戻した僕の視界に映るのは、砂っぽい石の地面。地を這うような低視線なのは、僕が倒れたままなのだから当たり前だろう。

 だから、床の他にこの目に映るのは、忌々しいゴーマの黒い足だけ――なんだけど、何故だか、酷く見覚えのあるデザインの運動靴が目の前にあった。

 白地に赤いラインの入ったソレは、僕が履いているのと同じ、白嶺学園二年生の上靴に他ならない。凄まじいインパクトをもって床を叩いたのは、鋼鉄のハンマーヘッドなどではなく、どうやら、この薄いゴムの靴底であったようだ。

 それはつまり、今、僕の前にはクラスメイトの何者かが立っているという事実を示す。

 いいや、そんなの考えるまでもなく、心当たり何て一人しかいない。

「ふ、たば……さん……」

 普通に名前を呼んだつもりが、随分とかすれて上手く発音できなかった。喉が詰まる。何より、口イッパイに広がる鉄臭い血の味が、不味くて仕方ない。

 僕は改めて体中に走る苦痛を実感しながらも、上靴の持ち主の姿を確りと見やる。

 双葉芽衣子。縦にも横にも、胸もお尻も規格外に大きな巨体を誇るその姿は、二年七組にはただ一人。そして、僕の仲間になってくれるのも、彼女ただ一人。

 その存在が死の間際に見る都合の良い幻覚じゃないのは、この体の痛みが証明してくれる。何より、目の前で堂々と仁王立ちする彼女の存在感は、あまりに圧倒的。

 でも、だからこそ、信じられない。

 双葉さんが戻って来たこと。この群れの中に飛び込んできたこと。何より、あの凄まじい咆哮を彼女があげたということ。

 双葉さんとはほんの短い間、ついさっきまでコンビを組んでいただけの浅い関係だけど、僕は彼女の弱さと、甘さと、優しさを、それなりに知っている。知っているからこそ、信じられないのだ。

 だから僕が、これが現実で、目の前に立っているのが双葉芽衣子本人であると納得できたのは、彼女自身が『異常』であると認識できたからだろう。

「コォオオオオオ……」

 それは不気味な呼吸音だった。彼女の口から、吐く息と共に赤い靄のようなものが漏れ出ているのを、僕は確かに見た。

 いや、よく見ればその赤い靄は、彼女の全身から湯気のように滲み出ている。まるで、体中の血液が蒸発でもしているかのような赤い煙を纏う姿は、常人離れした迫力を感じさせる。

 けど、何よりも異常なのは、彼女の顔だ。

 三日三晩徹夜したように血走った白目に、血の色以上に赤く、そう、本当にギラギラとLEDライトでも仕込んでいるのかというほどに光り輝く、真紅の瞳。

 炯々と煌めく赤い目で、彼女は取り囲むゴーマを睨んでいた。親の仇を前にしたように、眉間に深い皺を刻み、ギリギリと眉を吊り上げた、正しく憤怒の形相で。

 その顔は、僕が見てきた双葉さんのイメージとあまりにかけ離れたものだった。彼女はいつも、捨てられた子犬のように不安げに瞳を揺らしていた。困ったように眉は八の字で、何でもないことですぐ謝るし、事あるごとに、泣く。体は大きくても肝は小さい、そんな、ちょっと気弱な少女。それが、僕が知る双葉芽衣子という人物像の全てだ。

「ウォァアアアアアアアアアアアっ!」

 そんなイメージを根底から引っくり返し木端微塵に砕け散るような、狂える絶叫が彼女自身の口から上がる。

 あまりの迫力に、周囲のゴーマ共がビクりと小さく身を震わせる。かく言う僕も、ついさっきの命の危機とはまた違った意味で、戦慄を覚えてならない。

 双葉さん。彼女は一体、どうしてしまったというのだろうか――何て、考える間もなく、彼女は動いた。

 固く握られた拳が、大きく振り上げられる。そうして、目の前に立つ、頭一つ分以上も小さいゴーマ目がけて、振り下ろす。

「ゲブッ――」

 ゴーマの頭が弾けた。トマトみたいにあっさりと、グチャグチャになって。

 ただの拳骨一発で、少なくとも人間と同程度の大きさと強度のある頭蓋骨で守られた頭部が、粉砕したのだ。その一撃は最早、拳骨の域を超えている。力自慢の大男が鋼鉄のスレッジハンマーを振るっても、ここまでの威力が出るのかどうか。

「グゲェアーっ!」

 獣じみた叫びを上げるのは、今度はゴーマの方であった。手にする武器を振りかざし、双葉さんの赤いオーラが漲る巨躯へ、前方から一斉に躍りかかる。

 対する双葉さんは、燃えるような怒りの視線を正面に向けたまま、大きく身をよじり――

「ガアっ!」

 剛腕一閃。右腕で、大きく前方を薙ぎ払う。ただそれだけで、ゴーマ共は突風に巻き上げられた木の葉のように宙を舞う。飛び掛かって来た奴らだけじゃない、近くで追撃のタイミングを窺っていた奴まで、ついでとばかりにぶっ飛んでいた。

 振るわれた腕に直撃した者は、メジャーリーグの四番打者のフルスイングでも受けたかのように、バッキバキに腕や体がへし折れている。衝撃で吹っ飛ばされた先には、木の枝が網のように張り巡っている空間。運の良い奴は、ただ石の壁に当たるよりかは細い枝をクッションにいくらか衝撃が和らいだだろうが、少しばかり太い枝へと向かった者は、ブッスリ串刺しとなっていた。百舌鳥の早贄、としか言いようのない惨状が、刹那の間に広がった。

「ググッ……ウゲェァ……」

 ゴーマ共は、明らかにたじろいだ様子を見せた。続けざまに双葉さんへ躍りかかる者は出ない。

 いくら低能とはいえ、生存本能くらいはあるだろう。近づいた瞬間に、圧倒的なパワーで叩き潰される様を間近で見ていれば、理解できないはずがない。

 さりとて、人間という美味しい獲物を諦める踏ん切りもつかない、というよう欲もあるのだろう。

 結果、ゴーマは硬直する。現状において、最も愚かしい反応。だから、そこから先はもう……一方的な、虐殺だった。

「ヴゥウウアァアアアアっ!」

 耳をつんざく雄たけびを上げて、双葉さんがゴーマの群れに突っ込んで行く。

 通学中の小学生の列に向かって、乗用車が突っ込むという痛ましい事件があったことを、僕は不意に思い出す。きっと、現場はこんな凄惨な状況だったに違いない。

 ゴーマは僕と同じ程度の背丈で、小柄だ。その小さな体が、次々と宙を舞う。あるいは、轢き殺される。双葉さんが踏み込む先に、不運にも倒れ込んでいたような奴は、その重量100キロ級のストンピングが直撃する羽目になる。彼女が一歩動くごとに、ゴーマの頭が、腹が、手足が、無残にも踏みにじられる。

 地面に広がる蹂躙劇は、双葉さんが意識して演じているワケじゃあない。ただ、動いた先にゴーマが倒れ込んでいたというだけのこと。

 だから、彼女が見ているのは、狙っているのは、まだ目の前に立ち、武器を握る奴らだ。

「ゲッ、エッ――」

 散発的に繰り出される、錆びた刃の一閃。あるいは、一突き。

 怒りで正気を失っているように見える双葉さんは、回避行動をまるでとらない。体が大きい分、的も大きい。攻撃されれば、必然的にそれを受ける。負傷し、出血を強いられる。

「――ゴォアアアアアアアアっ!」

 だが、彼女は怯まない。インディアンの戦士が、小口径の銃弾くらいなら受けても倒れることなく、そのまま襲ってくると聞いたことあるけど、今の双葉さんは、正にそんな感じ。

 繰り出される刃をものともせず、彼女の一撃必殺のパワーを宿す剛腕は振るわれ続ける。ゴーマは次々と殴り飛ばされ、叩き潰され、踏みにじられる。

 中には、足を掴まれてブン回されるヤツもいた。

 ゴーマ一体の体重は、見た目と僕が蹴られたダメージから推測するに、40キロ以上60キロ未満といったところだろう。最低でも、中学生か細身の女性一人分はある重量を、双葉さんは片手で軽く振り回して見せた。

 ゴーマの足首をガッシリと掴んだ右腕が、大きく振りかぶられる。妖精胡桃の木槍を振り上げるよりも、軽々とした動作。

 直後、ソレは真っ直ぐ地面へと叩きつけられる。パァン、と濡れタオルで思い切り浴室のタイルをぶっ叩いたような音が響いた――連続で。

 双葉さんは掴んだゴーマを頑丈な棍棒か何かと勘違いしているかのように、右に左に振り回す。一振りごとに、淀んだ血飛沫が上がるのは、武器自らのものか、それとも、これによって叩き潰される同族のものか。

 何体のゴーマがひしゃげた惨殺死体と化しただろう。周囲の木の枝が、黒ずんだ赤ペンキを何十リットルもぶちまけたような色合いに変化してしまっている。

「フッ、フッ!」

 荒い息遣いの双葉さんは、光る赤眼をギョロギョロと動かし獲物を探すが、ついにその瞳に映る者はいなくなったようだった。

 恐怖の殺戮地帯をドサクサ紛れに運よく逃れたゴーマも僅かながらはいたようで、薄暗い通路の奥から、情けない悲鳴のような声が木霊してきた。生きたゴーマの存在を示すのはそれだけで、後はもう、汚らしい血の海に浮かぶ肉塊だけしか、この場には残っていない。

「フッ、フゥウ……」

 真っ赤な煙を濛々と吐き出しながら、双葉さんが大きく息を吐く。けれど、深呼吸だけで彼女の興奮はまるで収まってないようだ。餓えた猛獣のように荒い呼吸と共に、肩が大きく上下に動く。

 そんな様子で止まっていたが、ふとした拍子に思い出したかのように、振り返った。ゆっくりと、僕の方へ。

「フゥ……う、あぁ……も、ももか……く……」

 不気味な赤い吐息を漏らす険しい表情のまま、だけれど、確かに彼女は、僕の名前を呼んだように思えた。

「ふ、双葉、さん……」

 その名を呼び返した僕の声が震えているのは、半分くらいはリンチのダメージによるもの。もう半分は、ゴーマ共を蹴散らして助け出してくれた救世主の如き大活躍を遂げた彼女に対する感動――なんかじゃない。

 純粋な恐怖。底抜けの不安。圧倒的な絶望。そんな、負の感情でもって、僕は発した声も、このズタボロになった体も、震わせた。

「もも、かわ、くん」

 さっきよりもハッキリと、彼女が僕を呼ぶ。

 燃えるように赤く輝く瞳が、真っ直ぐに僕を射貫く。他のものなんて、まるで目に入ってないように。一心に、一途に、僕だけを見つめる彼女の視線が、恐ろしくてたまらない。

 だってそうだろう。今の彼女はマトモじゃない。

「も、もも……か、あぁ……」

「ひいっ!?」

 深い怨念を抱いた幽霊のように恨めしく、それでいて、ゾンビのように生々しい呻きでもって、僕の名前らしき単語を口ずさみながら、彼女が一歩を踏み出した瞬間、悲鳴を漏らしてしまうのは当然のリアクションだろう。

 明らかに正気を失った人間。アメリカのホラー映画に登場する化け物じみた殺人鬼を前にしたような感覚だ。事実として、今の双葉さんは素手で難なくゴーマを叩き潰せるモンスターパワーを宿している。

 彼女の気まぐれ一つ、力のさじ加減一つで、僕は周囲に広がる血の海の一部と化すだろう。

「もっ、あぁああっ!」

「うわぁあああああああああああっ!」

 ドスドスと象が全力で走るような重い響きと、グチャグチャとゴーマの肉片を踏みつぶす忌まわしい水音を盛大に奏でながら、双葉さんが僕に向かって踊りかかってきた。

 見た目的にも本能的にも直感的にも、ありとあらゆる要素で僕に絶対の死を予感させる存在を前に、体が限界を超えて動き出す。

 僕は咄嗟に、身を起こすことに成功していた。全身にビリビリする鋭い痛みとズキズキする鈍い痛みが同時に走り抜けるけど、それでも、何とか、奇跡的に。勢いよく跳ね起きた僕は、激痛を振り切って駆け出す――ところで、追いつかれた。

「もぉぁああああああああっ!」

 という絶叫によって、真正面から抱き合うような形でタックルをくらった僕の悲鳴はかき消された。柔らかな白い肌でありながらも、丸太のように野太い両腕が、僕の華奢な体をへし折る勢いでもってガッチリとホールドされる。

 捕まった。痛い。苦しい。そんな感想が頭に浮かんだ時にはもう、僕は再び血塗れの石畳へと押し倒されていた。

 双葉さんは全力疾走で飛び込んできたのだ。体重五十キロ以下の僕では、ぶつかってもさして勢いを弱める重量足りえない。まして、受け止めることなんてできようはずもない。

 倒れた衝撃で背中を強く打っているが、すぐに気にならなくなる。僕の上には今、百キロ級の巨体が圧し掛かっているのだから。その重量感、圧迫感たるや、拷問と呼んでも差し支えないだろう。

「かっ……はっ、あ……」

 肺の中の空気が一気に押し出されたような感覚。瞬間的に呼吸を忘れる。

 しかし、幸いにも僕の頭は双葉さんの体の下敷きにはなっていなかった。親が子供を抱き上げたような体勢のまま、倒れ込んで行ったからだろうか。

 もし、首から下に感じる温かく柔らかい、それでいて圧倒的な超重量の肉感が顔にまで及んでいれば、僕は一瞬の内に酸欠で気を失っただろう。肉の海に溺れるのが本望に感じるほど、僕はマゾではない。

「ふっ、はぁあああ……ふ、たばさん! やっ、やめてっ!」

 人生で最も真剣な呼吸を経て、僕は力の限り叫んだ。

 どういうワケか正気も理性も冷静さも、マトモな思考能力が何もかもぶっ飛んでいる双葉さんだが、きっと仲間である僕が決死の思いで呼びかければ、声は届く――

「ぶぉああああああっ!」

 この期に及んで都合の良い希望を抱く僕を嘲笑うように、いや、いっそ全身全霊の全力をかけて否定するかのように、彼女はいよいよ獣と同じ行動でもって応える。

 噛まれた。噛み付かれた。首筋に走る鋭い痛み。そして、餓えた獣が肉の味を堪能するかのように、ベロリと生暖かい舌で舐められる感触を、同時に味わった。

 文字通りに背筋が震える。そして、首から噴き出す鮮血ともに、僕は今日何度目になるか分からない、けれど、間違いなく一番といえる大声量の悲鳴をあげた。

「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 ああ、ダメだ、死ぬ。これは死ぬ。殺される。折角助かったと思ったのに、折角、助けてもらえたと思ったのに。

 冗談じゃない。魔物に食い殺されるならいざ知らず、打算でもってクラスメイトに謀殺されるなら、いざ知らず……よりによって、仲間の手で、正気を失った仲間の手で、殺されるなんてっ!

 あまりの理不尽、あまりの恨めしさ。胸の奥から湧き上がる、濛々とした黒煙のように膨れ上がる、そんな、呪わしい思いが、口をつく。

「あ、あぁああああ……や、あ、やぁ……や、まない熱に――」

 それを使うことに、一体どんな意味があるというのか。

「病み、ながら……」

 きっと僕は、双葉芽衣子、彼女のことを恨んでいるワケじゃあない。

「その身をっ――」

 意味なんかなくても、目の前の相手が憎くなくても、それでも、言わずにはいられなかった。

「呪えぇええっ!」

 僕にできる最後の抵抗。第一の呪術。

「赤きっ、熱病ぉおおおおおおおおおおおお!」

 喉が潰れるほどの叫びは、結局のところ、虚しく血塗れの通路に反響するのみ。

 相手を微熱状態にする。そんな、呪術師という天職の使えなさをこの上なく象徴するショボい効果の呪術に、何十ものゴーマを軽く蹂躙してみせるパワーを発揮する双葉さんを止められるはずもない。

 だからといって、他の呪術もこの極限状況では同じ程度に役立たずではあるのだけれど。『黒髪縛り』で彼女を拘束できるはずもないし、最も頼れる反撃技の『痛み返し』も、痛覚が完全に麻痺しているような反応をみせる、今の暴走双葉さんに通用するはずもない。現に、彼女の白い首筋には僕を噛んだのと同じ傷が見事に浮かび上がっているが、それを一向に気にする様子は見られない。

 だからもう、僕にできることといえば、このまま「ぐぇー」とか無様な呻き声をあげながら、彼女の腕の中で儚い力でもがくことだけ。

 でもさ、考えてみれば、ゴーマになぶり殺しにされるよりかは、女の子に抱かれて死ねる方が、まだ、幸せなのかも――

「……あ」

 と、ついに薄れゆく意識のせいでバカな考えしか浮かばなくなったその時、はたと気づいた。

「あ、れ……双葉、さん?」

 止まっている。彼女の動きが。

「あれ、え、ウソ……もしかして、ホントに……」

 耳に届くのはかすかな吐息。そして、全身には変わらぬ圧迫感――だが、つい先ほどまでの暴れ狂う猛牛のようなパワーはすっかり消え失せ、今はぐったりとしているのみ。心なしか、抱きしめる彼女の体が、熱いようにも思える。

「と、止まってる……」

 恐る恐る、双葉さんの顔を覗き込んでみれば、そこにはもう地獄の悪鬼が如き憤怒の形相はない。ギラつく赤い瞳の目は、瞼が落ちてパッチリと閉じられている。眉間に刻まれた皺は嘘のように消え去り、眉はおだやかな弧を描く。安らかな寝顔であった。

 何故、双葉さんの暴走がピタリと止んだのか。そもそも狂暴化した原因も不明。勝手に収まった理由も、分かるはずもない。

 でも、今はそんなことはどうでもいい。原因も理由も、彼女にまつわるいかなる因果関係も、考えるのは全部、後回し。

「は、はは……やった……助かった……」

 どうやら、僕の命運はまだ、尽きてはいないようだった。

第22話 勇気と狂気

 私は一体、何をしているんだろう。

「わぁあああああっ!」

 無様な泣き声を上げながら、私はダンジョンの通路を駆ける。ドスドスと重たい体を揺らしながら。

「グェラァーっ!」

 背後から、ゴーマの汚いダミ声が響いてくる。

 私は今、逃げている。一人で。そう、命の恩人で、唯一の仲間で、あの、小さく可愛らしいクラスメイト、桃川小太郎を置き去りにして。

「はっ……はっ……あぁ……」

 助けないと。今からでもいい。すぐに戻って助けないと――そう、彼がいないと気が付いてから思い続けていても、私の体は行動を拒絶する。足は止まるどころか、ますます加速。一歩でも早く、より遠くへ、決死の逃避。

 最低だ。恩を仇で返す。私は、人として最低のことをしている。

 桃川くんを見捨てて、一瞬たりとも助けに動こうともせずに、一目散に逃走を図って……今も、ずっと走り続ける私は、どうしようもない人間クズだった。

 彼の安否が心配で、胸が張り裂けそう。あまりの自己嫌悪で、心が潰れてしまいそう。目から止めどなく涙が溢れてくるのは、追われている恐怖だけが全てじゃない。

 それでも、私の体はどこまでも生存本能だけを優先させる。こうして自分の行いを省みる理性はただ、頭の中に存在するというだけで、体を動かす精神との接続はバッサリと切れてしまっているようだった。

 私の体を支配するのは、どこまでも純粋な恐怖のみ。

 それを弱い私の意志だけで覆すことができないということは……これまでの経験で、嫌というほどに証明されている。

 そうだ。所詮、私は臆病な豚だったんだ。如月さんに、夏川さんに、佐藤さんに、見捨てられるのは当然のこと。いくら優しい桃川くんだって、もう、一人で逃げ出した私を恨んでいるに違いない。

 ああ、呪術師の桃川くんなら、こんな私を呪ってくれるだろうか。それなら、呪い殺して欲しい。ゴーマに刺されるくらいなら、彼の呪いで報いを受けて死んでしまいたい――

「――あっ!?」

 とりとめない罪悪感だけが巡る意識が、不意に現実へと戻される。体に感じたのは、一瞬の浮遊感。そして、直後に訪れる衝撃。

「いっ……たぁ!」

 私は何かにつまづいて、盛大に転んでいた。足をとったのが石コロなのか瓦礫なのか、はたまた木の根なのか。分からないけど、どうでもいい。

 ともかく、私の逃避行はここで終わった。

「……ひっ!?」

 振り返った通路の先は、曲がり角。その向こうから、ゴーマの奇声が響き渡ってくる。もうすぐにでも、あの獣じみた荒い息遣いも聞こえてくるだろう。

「あ、あぁ……いや……」

 私は、このまま死んでしまうんだろうか。

 イヤだ。死ぬのは嫌だ。それは、ここまで無様に逃げてきた自分の本能が強く訴えかけている。

 それに、理性で考えても、死にたくはない。私は答えた。まだ、死にたくないと、桃川くんに問われて。

 死にたくない、死にたくない。でも、本当の望みは――助けたい。

 私は、桃川くんを助けたかった。力になりたかった。私はまだ、彼になにも返せていない。

 お腹の傷を治してもらって、仲間にしてもらって。赤犬にトドメをさす度胸もなくて、あの囮のゴーマを刺したのも、一緒にやってもらう情けない体たらく。

 何が、騎士の天職だ。私はいつも、守ってもらってばかり。してもらって、ばかり。

 でも、私がどんなに頭の中で悔いても、心の中で省みても、現実の行動には繋がらない。いざ、という時に、私の体は動かない。

 勇気が足りない。

 少し、ほんの少しでいい。恐怖で身を竦ませるのを、止めるだけの。我先にと逃げ出すのを、踏みとどまらせるだけの。

 欲しい。勇気が欲しい。

 それがあれば、きっと、私は――

「……あ」

 涙でぼんやりと霞んだ視界に、ソレは映っていた。

 私の右手。そこには、何かが握られている。汚れた茶色い皮袋。そこから、零れ落ちる白い粉。半分ほどは通路にぶちまけられ、もう半分は、私の手と、腕にかかっていた。

 転んだ拍子に零れたのだろう。この、ゴーマの麻薬が。


「えーと、なになに……吸引すると、精神を高揚させて疲労を吹き飛ばし、極度の興奮状態に、なお、極めて強い依存性――って、やっぱり麻薬じゃないかコレぇ……」


 げぇーっ! という表情を浮かべる桃川くんも、可愛かった。いや、そうじゃなくて、呪術師の能力で、彼はたしかにこの麻薬の効能を言い当てていた。

 使用法は吸引。効果は、精神高揚、疲労回復。そして、強力な興奮作用。

「ねぇ、桃川くん……こんな私でも、コレを使ったら……」

 クスリ、ダメ、ゼッタイ。そんな標語が脳裏によぎる。

 けれど、今の私には日本の法律も倫理観も、何の役にも立たない。何の役にも、立ってはくれない。だってここは、ダンジョンの中。命をかけたサバイバルと、クラスメイトと殺し合うことさえありうる、極限の環境。

「強く、なれるのかな……」

 そうと気づけば、迷いはなかった。

 この麻薬を、手に着いた白い魔性の粉を、ほんの一呼吸するだけで良いのだ。いくら私でも、それくらいの動作をすることは可能だった。

「桃川くん、私に、勇気を……ください……」

 一心に祈りながら、私は右手を口元へ――

「――ぉおおおあああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 え、何、なにこれ、凄い。凄い、凄いよ、コレっ!

 う、動く、動くの、体が。湧き上がる、力。お腹の奥から、胸の底から。溢れるように、ううん、もう溢れてる、みなぎっている。体中に力が、爆発しそうなほどにっ!

「おっ、アアぁあっ!」

 体が軽い。起き上がる。浮き上がる。私の体、風に舞う羽のように軽やか。

 振り返る。ただそれだけの動作でも、体が吹っ飛んで行ってしまいそうなほどの勢いを感じる。制御できない、この力を。自分で自分を、抑えられない。

「ブゲッ! ゲッ、グェアァーっ!」

 視界に飛び込んでくる、黒い、黒い、人の形をした、ああ、何だっけ、誰だっけ、コレ。

 妙に明るい。ここ、こんなに明るかったっけ。見える、見える、さっきよりもずっと、鮮明に、クッキリハッキリ、目が映る。

 だから見えた。黒い奴が飛び掛かってくるのが。手にしているのは何? ギラリと光るそれは。危ないよ、それは、鋭くて、危ないな。

「はぁ……ふっ!」

 ハエが近くをブンブンしてたら、払うよね。当たらなくても、何となく、反射的に。あっちいってって。

 それと同じ。でも、違う。当たった。ちょっとだけ、私の掌。

「ブゲっ――」

 パン、と水風船が割れるように、弾けた。脆く、儚い。黒いヤツは、もういない。残っているのは、私の手にまとわりつく赤黒いものだけ。気持ち悪い、とは思わない。だって、血は慣れている。お料理にはつきもの。この生臭い匂いだって。

 でも、こういうのはすぐに洗っておかないと。あれ、蛇口って、どこだっけ。

「――ガブラっ!? グエンゼラぁーっ!」

 手を洗う暇もなく、ゾロゾロと黒いのは現れる。通路いっぱいに。ゾロゾロ、ドタドタ、うるさいうるさい。何、コイツら――

「あぁ……ぶ、うぁあああ……」

 あ、思い出した。ゴーマ、ゴーマだ。桃川くんが呼んでいた。桃川くんが言っていた、ゴーマを殺そうって。

「ゴ、ぉオーマぁ……ころす、ごろす……」

 桃川くんが言っていたなら、やらないと。私がやらないと。私が、やってあげないと。

「ゴォオアアアあああああああっ!」

 叩く、叩く。叩いて、叩いて、潰す。できる、今ならできる、簡単に。ハンバーグのたねをこねるよりも、力はいらない。

 通路が赤い。赤くなったら、ゴーマはいなくなった。

 あはは、やった、私、やったよ桃川くん。

「も、もも、かぁ……く……」

 どこ。ねぇ、桃川くん、どこ、どこにいるの? 私、やったんだよ。初めて、桃川くんの言った通りに、できたんだよ。

 それなら、今度こそ喜んでくれるよね。笑ってくれるよね。私、桃川くんのこと、困らせてないよね。

 だから、捨てないよね。一緒にいてくれるよね。

 でも、桃川くん、どうして、いないの?

「あ、あ……アァああー」

 探さないと。見つけないと。

 ああ、そうだ、違う。それは違った。何で、忘れてたんだろう。こんな大事なこと。

 思い出した。桃川くんを、助けないと。

「フッ、ハッ――」

 走る走る。走って、走って。息は切れない。苦しくない。全力で、どこまでも走って行ける。今の私は、こんなに速く走れる。

 だからだろう、うん、だから、すぐに見つかった。

「や……やぁ……あぁ……」

 桃川くんは、泣いていた。ボロボロの姿で、地面に這いつくばっている。

 ねぇ、何で、どうして泣いているの? どうしてそんなに苦しそうなの、悲しそうなの、寂しいの?

「グゲェーっ!」

 ゴーマが、桃川くんを蹴っていた。

 見て、それを見て、彼の泣いている顔を、苦痛にうめく顔を、見て、見たら、もう、考えられなくなった。眼の前も、頭の中も、赤く、赤く、真っ赤に染まって。

 ぶっ殺す。

「ぉおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああっ!!」

 死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね。みんな死ね、全部死ね。桃川くんを泣かせるヤツは死ね。殺す、殺す、私が殺す。一、二、三、何人でも何匹でも何体でも、全員、ぶち殺す。

「――ゴォアアアアアアアアっ!」

 死んで、死んで、殺して殺した。徹底的に、目に映る全ての黒を、赤に変える。

 どこ、どこにいる。桃川くんを泣かせるヤツ、苦しめるヤツ。ソイツは許さない、絶対に許せない。桃川くんを、私の、桃川くん、を――

「フッ、フッ!」

 気がつけば、誰も居なくなっていた。誰かはみんな、真っ赤になって地面にまき散らされている。

 ああ、良かった。これでもう、桃川くんに酷いことをするヤツらはいなくなったよ。みんな死んだよ。みんな、私が殺してやったよ。

「フゥ……う、あぁ……も、ももか……く……」

「ふ、双葉……さん……」

 あれ、桃川くん、まだ泣いている。まだ、震えている。どうしたの、怖いの? 何が? 誰が?

 大丈夫、大丈夫だよ――

「もも、かわ、くん」

 もう、大丈夫だよ桃川くん。私がいる、私がいるから。私しか、いないから。

 だから、いいよね、私が慰めても。

「も、もも……か、あぁ……」

「ひいっ!?」

 怯えている。可哀想な桃川くんが可愛らしい。慰めたい、抱きしめたい。離したくない――彼が、欲しい。

「もっ、あぁああっ!」

「うわぁあああああああああああっ!」

 捕まえたっ! やった、ああ、うわぁ、小さい、小っちゃいな、桃川くん。手を離したら失くしちゃいそう。目を離したら見失っちゃいそう。

 でも大丈夫、私、絶対に離さないから。私、もう逃げないよ。だから、桃川くんも、逃げないでね。ずっと一緒だよ、ギューっ!

「ふっ、はぁあああ……ふ、たばさん! やっ、やめてっ!」

 あっ、見えた。今、見えた。学ランの襟元から、桃川くんの白い首筋。細くて、儚くて、ああ、何て、美味しそう。

「ぶぉああああああっ!」

 美味しい。美味しいよ、桃川くん。今まで食べた中で一番、美味しい。桃川くんの味。

「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 欲しい、もっと欲しい。一口ごとに満たされて、一口ごとに、更なる餓えを覚える。

 足りない、もっと、もっと、ちょうだい。

桃川くんを全部、ちょうだい。

「――赤きっ、熱病ぉおおおおおおおおおおおお!」

 貴方の、全てを……私……に……


「欲しければ、己が力で手に入れろ」


 薄れゆく意識の中で、私は最後にそんな声を聞いた。


「双葉芽衣子、これより貴様の天職は――」


 誰だろう。桃川くんの声じゃないのは、確か。彼は声も可愛いけれど、こんなに色っぽい女性の声音はしていない。

 そこまで考えて、私の意識は途切れた。


「――『狂戦士』だ」

第23話 呪術師と狂戦士

「――おはよう、双葉さん」

 寝覚めは、不思議と悪くなかった。意識はハッキリしていて、スッキリした頭でパッチリと目を開いたら、そこにあるのは野良の子猫みたいに可愛らしい桃川くんの顔。

 優しげな微笑みを浮かべる彼に、半ば見惚れるような思いに包まれながら、私も挨拶を返そうとした――その時、記憶が蘇った。


『凄い、凄いコレ――体中に力が――気持ち悪い――叩く――どこ、桃川くん――ぶっ殺す』


 フラッシュバック。という表現は、麻薬を使った私にとっては正しい使い方だろう。


『欲しい――美味しい――もっと、ちょうだい――桃川くんを全部、ちょうだい』


 思い出した。というより、覚えていた。ついさっき起こった出来事なのだから、覚えていて当たり前。

 そう、私が桃川くんに、何をしたのか。その、全てを。

「あ、あ……桃川くん……あの、私……」

「大丈夫、双葉さん、落ち着いて」

 大丈夫じゃない。私が桃川くんにしたことは、全然大丈夫じゃないし、ごめんなさいの一言で済まされるようなものじゃない。落ち着いてなんて、いられないよ。

「ここは妖精広場だから、安全だよ。それに、クスリの効果ももう切れているから。双葉さん、ゴーマの麻薬、使ったんでしょ? 覚えてる?」

 凄い。やっぱり、桃川くんは凄い。何でもお見通しだね。

だから隠す意味はない。私は、小さく頷き返す。声は、上手く出なかった。

「『恵体』のお蔭で、依存性も他の後遺症もない、はずなんだけど……体調はどう?」

「う、うん……大丈夫……」

「そっか、でも無理しないで、もう少し休んでいた方がいいよ」

 その言葉に甘えるように、私は体を起き上がらせるのを止めて、まだ寝ころんだままでいることを選んだ。

 大丈夫、と答えたのはただの強がりじゃない。本当に、異常は何も感じられない。熱っぽくもなければ、ダルくもないし、痛みもない。むしろ、すっかり疲労がとれて万全の体調に回復しているような感覚。

 けれど、今すぐ飛び起きて活動できるほどの、気力は沸いてこない。かといって、二度寝ができる気分でもなかった。

 だから私は桃川くんと話そうと、やっぱり上半身だけ起こした。聞きたいことも、話したいこともたくさんある。言わなければ、いけないことも。

「ねぇ、桃川くん……その、あれから、どうなったの?」

 私の口から出た質問は、状況からして当たり前のものだろう。けれど、本当は一番に言わなきゃいけないこと、聞かなきゃいけないことを、私は切り出せなかった。

 今度は、勇気がないからじゃない。ただ単純に、ズルいだけ。私はまた、逃げたのだった。

「双葉さんが気絶してから結構、時間は経ってると思うよ。えーと、多分、半日くらいかな」

 思ったよりも、グッスリ寝ていたみたい。桃川くんは、ちゃんと休めたのかな……いいや、彼はただ休んでいただけじゃない。

 私が寝ている間に、できるだけの準備は整え、それでいて、あの凶行に対する推測と理解と納得を終えている。だから、彼はこんなに落ち着いて私と話せているのだろう。あんな、あんな酷い目に遭わされたというのに。

「この妖精広場は、例のT字路から少し進んだところで見つけたんだ。本当に、運が良かった……というより、それなりの間隔で妖精広場は設置されてるみたいだから、元来た道を戻るよりかは可能性あると思って」

 そんなことを今までチラとでも考えなかった自分が恥ずかしい。言われてみれば、確かに桃川くんと出会う前も、それなりの頻度で妖精広場はあった。

「本当にセーブポイントみたいな造りだ。まぁ、だからダンジョンなのかもしれないけど」

 要するに、ゲームの世界みたい、ということを言いたいのだろう。私はRPGという言葉を聞いたことならある、というくらいにゲームには疎い。でも、夏川さんが似たような感想を漏らしていたから、やっぱり、似ているんだろう。

「で、でも、桃川くん……その、どうやって私を、ここまで運んだの?」

 最大の謎だった。私としては、何とも聞きづらい質問なんだけど……こればかりは、すぐに問いたださざるを得ないよね。

「そりゃあ勿論、お姫様抱っこで。これでも僕は男だからね」

「ええぇーっ!? ホント!? 凄い、桃川くん!」

「……すみません、嘘です」

「え、あ……そう、なんだ……そうだよね……」

 しまった、都合の良すぎる幻想に一も二もなく飛びついてしまった。馬鹿な女だと幻滅されちゃったかも……ううん、そんなことない。これはきっと、ただの冗談。桃川くん、凄い苦笑いで視線を明後日の方向に逸らしているし。頬に冷や汗を流す、そんな彼の表情もまた、可愛らしかった。

「でも、それじゃあ……どうやって?」

「担架に乗せて、引きずって来たんだよ」

 ほらアレ、と言って桃川くんが指し示した先には、二本の棒に黒ずんだ汚いボロ布がまとわりついている、粗大ゴミにしか見えないモノが、噴水の脇に投げ捨ててあった。

 ついで、他にも汚いことだけは分かる、何だかよくわからない雑多なモノがゴチャゴチャっと置いてあるのも見えた。

「保険の教科書にさ、棒にTシャツを通して即席担架を作るみたいなの、思い出して。あそこにはゴーマの服も槍もあったから、材料には困らなかったよ」

「す、凄いよ、桃川くん……あそこで、そんなことまで、やったなんて……」

「まぁ、一番の賭けだったよ。ゴーマが仲間を連れて戻って来たかもしれないし、他の魔物が寄って来たかもしれないからね」

 普通なら、すぐにその場を離れる。まして、自分に襲い掛かってくるような頭のおかしい仲間なんて、置いて行くに決まっている。いや、連れて行こうと思っても、誰が私みたいなデブを運べるというのだろう。

「でも、やるしかなかった。僕が一人だけ逃げ延びても、この先に未来はないからね。だから、担架も作ったし、ついでに、出来る限りゴーマから装備も剥ぎ取って来たよ」

 もっとも、私というとんでもない重荷があるから、大した量は持ってこれなかったに違いない。ごめんなさい、私がせめて、普通の女の子一人分の体重だったら……

「それに、その、さ……見捨てないって、約束もしたし」

 ちょっと恥ずかしそうに、はにかみながら言う彼の顔を見て――欲しい――そう思ったのは、きっと、気のせい。だって、あの恐ろしいクスリの効果は、もう切れているんだから。今の正気に戻った私が、思うはずがない、望むはずがない。

 大丈夫、大丈夫……私は桃川くんの仲間として、もう、あんな暴走はしない。狂った願望は、抱かない。

 でも、そうは思っていても、胸のドキドキがどうしようもなく止まらなくなってる私は、咄嗟に顔ごと彼から視線を逸らした。何か、ほっぺたがピクピクしてて、今の私、絶対、変な顔になってる……とても、見せられないよ。

「あ、あのっ、それでも私、お、重かったよね! ごめんなさい!」

 誤魔化すように、私は叫んでいた。言いづらいことも、もっと言いづらいことがあれば、思い切って言えるものだ。

「いや、それは、まぁ……重かったけど……何とかなったよ」

「で、でも……頑張って何とかなる重さじゃ、ないよ……私……」

 自分で言っていて泣きそうになってくる。しかしながら、私の言い分は事実だろう。

 果たして桃川くんは本当に、自分二人分以上の超重量の私と、ゴーマから奪った戦利品を携えて、ここまで担架を引きずって来れたのだろうか。いいや、そんなこと、できるはずがない。

「それに、桃川くん、ボロボロだったよね! 大丈夫、なの?」

「あんまり大丈夫じゃなかったけど、何とかなったってのは本当だよ。足りない力はパワーシードで、恐怖と苦痛は……麻薬で、ね」

「えっ……も、桃川くん、それって……」

「僕も使ったんだよ、ゴーマの麻薬。勿論、双葉さんほど大量には吸引してないし、青花の解毒薬で中和もできたから。いい感じに痛みを忘れてハイになれたよ」

 そうして、彼は無理矢理に強化した筋力と精神力でもって、ここまで私を引きずって来たのだと言う。

「ここを見つけて飛び込んだ瞬間に、血反吐の混じったゲボ吐いてぶっ倒れたよ。そのまま気絶しそうだったけど、気合いで妖精胡桃だけ食べたんだ。パワーシードを限界まで服用してたからね、栄養補給しとかないと、多分、二度と目覚めなかったと思うから」

 ははは、と乾いた笑いをもらしながら、桃花くんは壮絶な体験を語ってくれた。

「……ごめんなさい」

 ゴーマを倒して、桃川くんを助けることができた。そう、少しでも思った私は馬鹿だ。結局、最後はまた彼に助けてもらっただけ。恩を返すどころか、また迷惑を……それも、生きるか死ぬかという、極限の迷惑を、かけたのだった。

「桃川くん……ごめんなさい……」

 でも、本当に謝りたいことは、別にある。

「何で、双葉さんが謝るのさ?」

 決まっている。そもそもの原因は、私がトチ狂って桃川くんに襲い掛かったことだ。あのとんでもない行動に対する罪悪感――ううん、違う。それも違う。

 私が本当に恐れているのは、彼に、見捨てられること。

 だから私は、こんな謝罪の言葉ばかりが、胸の奥から湧き上がってくるのだ。だからその謝罪は、誠意の欠片もないものに違いない。

「私、覚えてるの……クスリを使った後にやったこと、全部」

 言いながら、もう、涙が滲み始めていた。ダメ、やめてよ。ここで泣いたら、まるで同情を誘っているみたい。仕方がなかった。双葉さんは悪くなかった。そう、言ってほしいだけ。

 そして何より、桃川くんが私の行動を咎めない。恨んでいない。今までの会話で、そうだと確信したからこそ、私はこうして謝れたんだ。どうしようもなく、最低の打算的行動。

「え、あ……そうなんだ……ああいう暴走状態って、都合よく記憶が消えるものだと思ったけど、なるほど、そういうのじゃないんだ」

 それでも桃川くんは、怒りも憎しみもまるで沸いていない、あっけらかんとした表情で言う。やっぱり、私のことを責めたりしなかった。

 でも、怖くなかったわけじゃない。苦しくなかったわけが、痛くなかった、わけがない。だって、桃川くんの首筋には、痛々しい大きなかさぶたができているのだから。

 それは紛れもなく、私が欲望のまま彼に刻んだ傷痕だった。

「けど、本当に危ないところだった。双葉さんが来なかったら、僕はあのまま死んでいたのは間違いない。助けてくれて、ありがとう」

「でも、私……逃げたんだよ! 桃川くんを置いて、一人でっ!」

「戻ってきてくれたから、別にいいよ」

「でもぉ! 桃川くんを傷つけた! 覚えてる、首に噛み付いた時のこと……私、あのままだったら、絶対、桃川くんのこと――」

「ギリギリだったけど、暴走は止まったから。気にするほどのことじゃないよ」

「でも、でも……私……」

「二人とも生き残れたんだから、それでいいんだ。やっぱり、双葉さんと組んでよかったよ。これからも、よろしくね」

 その言葉を待っていた。私は、最低だ。

 暴走。桃川くんはそう言った。あのクスリのせいで、私が我を失って、敵味方の区別もつかずに暴れまくった。多分、桃川くんはそう認識しているし、それで納得している。

 それに、私もそうだと思っているから、結局はすんなり桃川くんの優しい言葉に甘えられるんだ。私はまだ、桃川くんと一緒にいてもいいと。そう、信じ込める。

 彼の好意に甘えるのは二度目。きっと、優しい桃川くんなら三度目も、あるんじゃないかと思う。

 でも、人としてそれを最初から期待しちゃいけないことくらい、いくら愚鈍な私でも、分かる。私は今度こそ、桃川くんの役に立たなければならない。彼を、守らなければいけない。

「桃川くん、私ね、これからはもう怖がらずに、ちゃんと戦えると思うの。だって、私――」

 勇気は、もう貰った。桃川くんと、神様の、両方に。

「――狂戦士になったから」

「……え?」

第24話 集う仲間達

「……そうか、佐藤さんが」

 委員長から、これまでの事情をおおよそ聞いた。猟犬のように赤犬を連れたゴーマの群れとの戦いで、女子の佐藤さんが死んだ。彼女の天職は射手で、戦闘の際は後方に立ち援護に徹していたが、赤犬とゴーマの連携と、なによりその数でもって、包囲を許し、後ろをとられてしまったという。

 委員長と夏川さんが助けに向かおうとしても、目の前の敵に精一杯。そのまま戦い続け、数を半分ほど削ったあたりで、ようやく割に合わない相手と見たのか、引き上げて行ったそうだ。戦いが終わった時には、佐藤さんの死体はすでにそこになかった。撤退と同時に、ゴーマ共が狩った餌として引きずっていったに違いない。

 二人でボロボロになりながらも、どうにか先に進み、この妖精広場へとたどり着いたという。

「わ、私……もう、ダメだと思って……でも、蒼真君と桜ちゃんが、来てくれて、良かったって、まだ、なんとかなるかもって……うぅーっ!」

「大丈夫、大丈夫ですよ、美波。四人いれば、きっと、大丈夫ですから」

 またポロポロと涙を零して泣き出す夏川さんの姿が痛々しい。ひとまず、彼女を慰めて、落ち着かせるのは桜に任せておこう。

「覚悟は、していたつもりだったけど……やっぱり、誰かが犠牲になったって聞くと、ショックだよ」

「佐藤さんの他にも、犠牲になっている人は、もっと多いはずよ」

 重い溜息をつく委員長を見ると、そんなはずはない、なんて気軽には言えなかった。

「実はね、佐藤さんの前に、双葉さんも、ね……」

「そんな、どうして!?」

「彼女は、戦いに向いていなかったのよ。ゴーマに刺されて、治す手段もなくて、そのまま」

 何てことだ、ちくしょう。そういう時にこそ、桜がいれば……絶対、助けられたはずだ。何より、委員長に、怪我をした仲間を置き去りにさせる、なんて残酷な真似をさせずにすんだ。

「くっ……仕方ない、とは言わない。けど、そんな状況なら、早くクラスメイト全員、合流しないと。余計な犠牲はこれ以上、増やしたくない」

「クラスメイト全員、ね……悠斗君は、脱出できる人数が三人まで、という情報は、もう届いてる?」

 さらに顔色を暗くする委員長の問いかけに、俺は「ああ」と小さく頷いた。

 確か三つ目の妖精広場まで来た時だったと思う。ダンジョンの最奥にあるという『天送門』と、起動に必要なコア。そして、門を潜れるのは三人までという、絶望的な人数制限。その知らせが、俺の下にも届いた。

「敵に回る人も、いるわよ」

「そう、かもしれないな」

「土壇場になって、裏切る人だって」

「うん、ありえない話じゃない」

「それでも、みんなを集めるべき、なのかしら」

 生き残りたいのは、誰もが同じ。誰だって死にたくない。そして、他人を蹴落としてでもいいから、自分だけでいいから、何が何でも助かりたい――そう思う人だって、いる。きっと、多くの人はそう思う。人間として当たり前の、生存本能。

「委員長、ここにはもう、四人いる」

「……ええ、そうね」

「俺は誰も、見捨てたくない。桜、委員長、夏川さん。誰か一人切り捨てろといわれても、そんなことはできない。それに、三人を生かすために、俺が犠牲になるつもりも、ない」

「ふふっ、我がままね。贅沢、というべきかしら」

「こんな状況じゃあ、そうかもしれないな。けど、俺はその我がままを、何が何でも貫き通してみせる。俺は誰も見捨てない。生き残った奴は全員で、必ず元の世界に帰るんだ!」

 諦めきれるわけがない。こうして、本当に犠牲が出た以上、尚更だ。俺の決意はより一層に固くなる。

 そうだ、こういう理不尽な状況を覆すために、俺は強くなりたかったんだ。そのための『勇者』の力だろう。

「はぁ……ごめん、ごめんね、悠斗君。私、嫌な事ばかり言って……私だって最初は、本当に、心から、そう思っていたはずなのに」

「いや、いいんだ委員長。こんな状況じゃあ、弱気になってしまうのも、仕方ない」

 いくら冷静沈着、頭脳明晰な委員長でも、立て続けに二人も犠牲者を目の当たりにすれば、精神的に限界だろう。まして、俺達と合流する直前までは、佐藤さんを失い、たったの二人きりになってしまった。自分達の命さえ、危うい状況だった。

 とても冷静でなんて、いられるはずがない。

「魔物は恐ろしいけど、『天職』を持ったみんなが集まれば、きっと対抗できる。もしかしたら、全員で『天送門』で送れる方法が見つかるかもしれないし、最悪、そのまま歩いて脱出したっていいんだ」

 この世界には、少なくとも人間の王国が存在しているのは間違いない。世界中歩き回って、実はこの星は人類の存在しない未開の惑星でした、なんてことだけはないのだから。歩いていけば、人里まで出られる可能性はある。

「悠斗君が言うと、そんな無茶なことでも、できそうな気がするわ」

「今は『天職』があるんだし、結構イケると思うけど」

 俺みたいな戦闘能力だけでなく、サバイバルに長けた能力だってあるかもしれないし。そんな能力者が集まれば、普通の人間としてサバイバルするよりも、遥かに生存できる可能性は高い。

「まぁ、何とかなるって。それに、その内に龍一とも合流できるだろうし」

「ちょっ、ちょっと、どうしてそこでアイツの名前を出すのよ!」

 むしろ、ここで出さないといつ出すんだよって感じだけど。

「もう、なに笑ってるのよ、失礼ね」

「あはは、ごめんごめん。ただ俺も、早く龍一に会えればなと思って。やっぱり、安心して背中を任せられるのは、アイツだけだからさ」

「はぁ、悠斗君も意外に無茶するって、聞いてるわよ」

「心外だな、俺は巻き込まれてるだけだって」

「どうだか」

 何だか、俺が好き好んで喧嘩しているみたいな不名誉な言われようだが、まぁ、とりあえず委員長が元気を取り戻したようで良かった。

「ところで、悠斗君の天職は何? 随分と余裕でここまで来た、っていう雰囲気だから、かなり強いんじゃない?」

「ああ、俺の天職は――えっと、ちょっと、笑わないでくれよ?」

 笑わないわよ、とクールな微笑みで頷く委員長。よし、その言葉、信じるからな。

「……俺の天職は『勇者』だ」

「あはははっ! まさか、ホントに勇者になってるなんて!」

 い、委員長の嘘つきぃーっ!




 四人となった俺達は、休息もほどほどに、他のクラスメイト達を探すべくダンジョンへ繰り出した。探す、とはいっても、とりあえずは魔法陣のコンパスが示すとおりに進んで行くしかないのだが。他のみんなも、これを頼りに進んでいるはずだから、いつかは合流できるはず。

「早速、お出ましだな……夏川さん、準備はいい?」

「うん、大丈夫! 蒼真君が隣で一緒に戦ってくれるから、凄く心強いよ」

 歩いていた大通り、その前方からは呻き声を上げてゾンビの群れが迫り来ている。そんな状況なのに、夏川さんはいつものように晴れやかな笑顔を浮かべて、手にした武器を構えた。彼女は右手にナイフ、左手に包丁を持っている。ナイフはゴーマから奪ったものだが、包丁は双葉さんの形見だそうだ。

 そうして彼女は、魔物と正面から切り合える能力を持っていたから、たった一人で前衛を務めていた。いくら『天職』があるといっても、女の子が一人で魔物と戦うなんて、あまりに過酷だ。

 俺が守る、そう言えるだけの強さは、残念ながら俺にはまだない。一人では勝てない、守りきれない。だから今は、みんなの力を貸してくれ。

「夏川さんの背中は、必ず俺が守るから」

「にはは、あ、ありがとう、蒼真君……」

 何故か頬を赤らめて視線を逸らされたけど、嬉しそうにはにかんではいるから、少しは信頼されている、と思ってもいいだろう。いい傾向だ。頼れる仲間がいれば、心に余裕ができて、より冷静に、安全確実に立ち回れるようになる。

 よし、ここはいいところを見せて、しっかり夏川さんに頼ってもらえるよう、頑張ろう。

「兄さん、美波、エンチャントをかけますから」

「ん、ああ、ありがとな」

 桜から『光の守りホーリーエンチャント』を俺の剣と夏川さんのナイフと包丁にかけてもらって、戦闘準備は完了。しかし、桜のヤツ、何でちょっと不機嫌なんだ? 声がトゲトゲしい気がするんだけど。

「それじゃあ、涼子ちゃん、援護ヨロシクね! 蒼真君、行こう!」

「ああ!」

 聖なる白い輝きを宿した刃を携えて、俺と夏川さんは共に『疾駆ハイウォーク』の速度でもって、ゾンビ集団へと斬りかかった。




「もう、兄さんも美波も、敵に突っ込みすぎです!」

 夏川さんとゾンビを殲滅して、意気揚々と戻って来たら、桜に怒られてしまった。

「ご、ごめんね桜ちゃん。でもでも、蒼真君と一緒だったら、凄く楽に戦えたっていうか、ちょっと楽しかったっていうか」

「まぁ、確かに、ちょっと調子に乗ってしまったことは、謝るよ」

 夏川さんの戦闘能力を間近で体感して、ついつい勢いが止まらなくなってしまった。あんなに素早い動きで戦える女の子なんて、元の世界に存在するはずがない。けれど、その強さが今の俺には嬉しくて、肩を並べて戦えることが楽しくて――まぁ、そんな感じで好き勝手に暴れたら、そりゃあ怒られるか。

「まぁ、いいじゃない桜。私達が援護する暇もないくらいの圧勝よ。蒼真君の強さも圧倒的だし、これなら美波も安心して前で戦えるわ」

「ああ、夏川さんは、俺が庇ってでも守り切るから」

「にはっ! そ、それは、蒼真君、それはぁ……」

「兄さんが怪我しても意味ないんですからね!」

「大丈夫だって、その時は桜に治してもらえばいいだろ?」

「もうっ! そういう問題じゃ――」

 俺は至極真っ当なことを言ったつもりなのに、何故か火に油を注いでしまったように桜はいよいよ激しく怒りだしてしまった。全く、男なら女の子を庇うのは当たり前のことだというのに。何をこんなに怒っているんだか。

「でも、次からは私達との連携を練習する意味も込めて、もう少し落ち着いて戦いましょう」

 俺だけ桜に散々説教を食らった後に、委員長の方針を採用して、俺達は再びダンジョンを歩き始めた。

 これまで、俺と桜の二人だけでも、小規模な魔物の群れなら対処しきれていたのだ。ここでさらに、『盗賊』として素早く鋭い近接戦闘能力を誇る夏川さんと、『氷魔術士』として多彩な氷の魔法で攻撃も防御もこなせる委員長が加わったことで、戦力は単純に倍、いや、それ以上の相乗効果を発揮する。

 正直、もうゾンビや赤犬がどれだけ現れても、負ける気がしない。

「――兄さん!」

「こっちは俺一人で十分だ! もう一匹は三人で叩け!」

 一際大きな森林のドームに辿り着いた俺達は、そこで赤犬の大群に襲われた。群れを率いているのは、初めて見る大型のボス犬だ。それも二体。オスとメスのツガイなのだろうか。二体は別々の群れを率いるボスではなく、あくまで一つのチームとして、犬とは思えないほど戦術的な連携を駆使して襲い掛かってくる。

 もし、俺と桜の二人だけだったら、この数と連携を前にはかなりのリスクを背負うことになるが……今は、頼りになる仲間達がいるんだ。やはり、負ける気は微塵もしない。

「『三裂閃トライ・スラッシュ』っ!」

 俺が放った三連続の剣閃を見舞う大技は、機敏に身を翻したボス犬によってあっけなく空を切る。そんな攻撃は見切っている、とばかりに、どこか小馬鹿にしたように口元を歪ませたボス犬だが……所詮は犬、ということか。こんな見え見えのフェイントに引っかかってくれるんだからな。

「――そこだっ!」

 鋭く繰り出すのは、一本のナイフ。『三裂閃トライ・スラッシュ』を放ったのは右手一本だけだから、左手は空いている。そこで、『剛力フォルス・ブースト』をかけながらナイフを投げつけてやれば、分厚い毛皮のボス犬にも、深く刃が突き刺さる。

「ギャウっ!」

 脇腹に命中し、悲痛な悲鳴を上げるボス。その隙は、あまりに致命的。

 俺はそのまま距離を詰め、体勢を立て直す前に、ボス犬の首を『一閃スラッシュ』で落とした。

「やったわね、悠斗君」

「ああ、そっちもお疲れ様」

 俺がボス犬を仕留めるのと同時に、三人も上手くボス犬を倒したようだった。まぁ、桜と委員長から光と氷の集中砲火を浴びた上に、夏川さんのナイフが襲い掛かるのだから、ボス犬程度の能力では三十秒ともたないだろう。

 ボスに接近を許すほど群れが削れた段階で、俺達の勝利は決まっていた。二体のボスが倒れると、残っていた群れはあっという間に逃げ去っていく。

「……ん、これは」

 ボス犬からコアを回収しようと思ったら、鎧熊を倒した時と同じように、光の粒子となって消え去っていった。


 獲得スキル

 『火耐性イグニス・プロテクション』:火属性のダメージを減少させる。


 頭の中に浮かび上がる、機械的なメッセージ。

 なるほど、この光になって消えるのは、俺が獲得スキルを得られる時の合図ということか。輝く粒子が俺の体に吸い込まれていくように見えるから、もしかしたら魔法の力で魔物のパワーを吸収でもしているのかもしれないが。

 何にしろ、分かりやすい。ついでに、コアだけは綺麗に残るのも、摘出の手間が省けて便利だな。

 そうして、俺達のダンジョン攻略は順調に進んで行った。充実した戦力、頼れる仲間。戦闘を重ねるごとに、俺も、みんなも、新たな『天職』の能力を獲得し、さらに強くなっていく。

 けれど、俺はまだダンジョンの本当の恐ろしさというのを、見てはいなかった。鎧熊には一度破れているにも関わらず、俺は、真の意味で『死』と直面することを、このあまりに順調な道程に忘れかけていた。

 そんな馬鹿な俺の目を覚ます事件が起こったのは、広い、これまでで最も広い石造りの空間に辿り着いた時のことだった。

「――きゃああああああああああっ!」

 絹を裂くような悲鳴が響きわたる。そこでクラスメイトの誰かが襲われている、というのはわざわざ口にしなくても理解できた。

 俺達は悲鳴の響いた部屋の奥に向かって、一目散に駆けだす。頼む、間に合ってくれ――

「どけぇええええっ!」

 そこには、これまでに見たことがないほどの数のゴーマが群れていた。相変わらず、汚らしい格好で、粗末な武器を手にした黒いゴブリンのような食人鬼達。だが、どれだけ数がいようとも、今の俺達の敵じゃない。

 俺は躊躇なくゴーマの群れに斬り込んで行く。すぐ後ろには夏川さんが続き、桜と委員長の援護射撃が飛んでくる。切り伏せたゴーマの死体を踏み越え血路を切り開き、あっという間に包囲の内側へと出でる。

 そこにいたのは――

「ああっ、蒼真くん!? 蒼真くんだぁーっ!」

「なにっ、蒼真だとっ!」

 見慣れた二人の女の子。一人は夏川さんよりも小柄で、弱々しい、守ってあげたくなる小動物のような子。もう一人は、錆びた長剣と短剣の二刀流で勇ましく構えた、長いポーニーテールが特徴的な凛々しい子。

 どちらもクラスメイト。そして、俺の友人だ。

「小鳥遊さんと、明日那かっ!」

 良かった、見たところ二人ともまだ無事だ。小柄な方は小鳥遊小鳥たかなし ことり。剣を構えているのが、剣崎明日那けんざき あすな

 小鳥遊さんの方は武器も失ったのか、呆然と立ち尽くしたままブルブルと震えている。そして、明日那は彼女を守るように、背中に庇って立っている。

「助かった! 蒼真と、他にも、仲間がいるようだな」

「ああ、桜と委員長が一緒だ」

「私もいるよっ!」

「あぁーっ! 美波ちゃん!」

 一歩遅れて参上した夏川さんは、明日那とは反対側の立ち位置で、小鳥遊さんを庇うように立つ。これで前方は俺と明日那、後方は夏川さんで、小鳥遊さんを守り切れる。あと一歩遅かったらと思うと、ゾっとする。

「明日那、とにかく今は、このゴーマの群れを片付けるぞ」

「いや、群れの方は、あまり問題じゃない。蒼真、落ち着いて、アレを見てくれ……」

 頬に大粒の冷や汗を流し、暗い表情で前を向く明日那の視線を追う。

 そこには、周囲と同じように立ち並ぶ、武装したゴーマ達。いや、違う、奥に、何かいる。

「な、なんだ、アイツは……」

 ソレは、かなり大柄な人影であった。影、いいや、ソイツはゴーマと同じ真っ黒い肌を持っているだけ。けれど、全く別の種族であるかのように、体は大きい。俺よりも遥かにデカい、身長二メートルくらいありそうだ。そして何より、ただ背が高いだけでなく、その肉体は屈強そのもの。ボディビルダーのように、大きく振れ上がった筋肉の鎧を纏っている。

 だが、その濁った黄色い目玉と、血塗られた汚らしい大口の空いた顔が、コイツがゴーマであることを認識させる。

「グッ、グゲッ、ゲゲッ」

 奴は、俺を見て笑った。笑いながら、その口で、何かを、真っ赤な肉――いや、人間の腕を、喰らっていた。

「なっ!?」

「……アレは、高坂だ」

 な、なんだって。そんな、アレが、あの引きちぎられてゴーマの餌になっている腕が、宏樹のものだっていうのか。

 高坂宏樹こうさか ひろきは、俺の友人だ。いや、親友といってもいいかもしれない。中学一年からの付き合いで、龍一の次に、付き合いの長い友達だった。

 頼りにしていた。普段でも、妙に抜けてしまうところのある俺を、いつも気遣ってフォローしてくれたりした。当然、このダンジョン攻略でも、宏樹は俺を助けてくれる。協力してくれる、頼りになる、仲間になる……はずだった。

「嘘、だろ……」

「すまない、蒼真……私の力が及ばないばかりに、高坂を、助けられなかった」

 いいや、明日那が謝る必要なんてない。だって、宏樹はお前のことが好きだったんだ。

 こんな沢山の敵に囲まれて、宏樹がお前を助けようとして、戦わないわけがない。チャンスだったはず。明日那にカッコいいところ見せられる、チャンスだったろう。強い男しか認めないと公言する明日那に、ようやく、初めて、アプローチできる最高の機会だ。

 それが、ああ、どうして、何でだよ……こんな、無残な結末になるなんて……ありえない。あって、いいはずがない。

「悪いが蒼真、今は悲しんでいる暇はない。見ろ、ヤツは強い。騎士の天職を持つ高坂を、一撃で斬り伏せたんだ」

 ゴーマは一息に宏樹の腕を飲みこむと、改めて俺を見て笑う。美味しい獲物が増えたと、喜んでいるのだろうか。

 高坂は『騎士』だったのか。その能力の構成がどういったものかは分からないが、それでも、間違いなく戦闘向けであったろう。そんな高坂を一撃で。コイツはよほどパワーに優れているのか……いや、攻撃力の秘密は、ヤツが握る武器だ。

「明日那、あの刀は」

「妖刀、とでもいうべきかな。どうにも、あの刀身に赤いモヤのようなものを纏っているのは、目の錯覚ではないらしい」

 ゴーマは右手に、一振りの刀を握っている。かなり長い刃渡りの、大太刀だ。明日那の言う通り、その波打つ波紋が美しい刀身からは、禍々しい真っ赤なオーラが立ち上っていた。

 コイツが他のゴーマと比べて、格段に高い戦闘能力を持つのは一見して明らか。奴らを従えるボスなのだろうか。これだけの頭数が揃っていながら、ゴーマ共が一息に襲い掛かって来ないところを見ると、このボスゴーマが直々に獲物を殺すのを待っている、といったところか。

 どちらにせよ、俺達はボスゴーマと、このまだまだ大量に残っているゴーマ軍団の全てを相手にするだけの覚悟が必要だ。

「蒼真、お前達が来てくれたことはありがたく思うが……それでも、厳しい戦いになるぞ。覚悟はいいか?」

 覚悟、だって。それは正しく愚問というものじゃないかな、明日那。そんなのは今更、聞くまでもない。

 だってこっちは――友達を、殺されたんだぞ。許せるワケが、ないだろう。

「行くぞ、明日那。宏樹の弔い合戦だ――」

 一切の躊躇も恐怖もなく、俺は目の間に立ちはだかるボスゴーマへと斬りかかった。

第25話 開花

「や、やったーっ! 私、やったよ桃川くーん!」

 そう言ってニコニコ無邪気な笑顔を浮かべて駆け寄ってくる双葉さん。足元に広がる血の水たまりをバチャバチャさせながら。

「あ、うん……そうだね……」

 僕は唖然とした表情で、久しぶりに家に帰って来たご主人様を見てテンション上がってる飼い犬みたいなはしゃぎようの双葉さんを迎えた。

 落ち着け。今、僕の目の先には、頭が陥没したり、顔面がグッチャグチャに潰れたり、手足が千切れ飛んだりしたゴーマの惨殺死体が何体も血の池に浮かんでいる景色が見えるが、これは、喜ぶべきものだ。人として素直に喜んではいけない凄惨な背景であるが、これは他でもない、僕が心の底から願ったものでもある。

 そう、僕はつい今しがた、双葉さんの新しい天職『狂戦士』の圧倒的な力を目撃したのだ。

「うん、凄いよ双葉さん!」

「ふぇ、え、えへへ……ありがとう、桃川くん」

 好きな人に手作り料理を褒められた乙女みたいに頬を赤らめて言う双葉さんであるが、果たして、殺しの技術を賞賛されて喜ぶのは年頃の少女としてはどうなのだろう。

 でも、双葉さんは自身の無力さというものにずっと思い悩んでいたのだから、ここまで大喜びするのも当然かもしれない。

「本当に凄かったよ。あんなに戦えるなんて――」

 ここは、僕が無様にもゴーマの罠にかかった因縁のT字路である。麻薬によって暴走状態の双葉さんがゴーマを虐殺して作りだした惨殺現場はそのままだが、ここで彼女はさらなるゴーマを血祭りにあげてみせた。

 わざわざこんなところまで戻ってきたのは、双葉さんが強く『狂戦士』の力で戦ってみたいと主張したからである。つまるところ、腕試しだ。

 僕としてもその力には大いに興味はある。本人がその気になってるし、止める理由は何もなかった。

 気絶した双葉さんと一緒に無理を押して拾ってきたゴーマの武器、パっと見で使えそうだったまだ錆の少ない斧と短剣を彼女に装備させて、いざ出撃、とここへやって来たのである。闇雲にターゲットを探すよりも、ここなら仲間のゴーマが様子を見に、あるいは装備を回収しに戻ってくると踏んだのだ。

 凄まじい数の援軍を引き連れてきた場合は即座に撤退しようと思っていたが、幸いにも、のこのこと現れたのは五体一組の集団だった。様子をみたところ、どうやら装備を剥ぎ取っている様子。救助する気はまるで見られない。まぁ、この死体の損壊具合を見れば、一目で即死だと判断できるけど。

 それからさらに周囲を観察して、伏兵を確かめる。間違いなくその五人だけが現場に現れたことを確認すれば、いよいよ決行と相成った。

 僕は万全を期して、まずは先制で『黒髪縛り』で一体の足を絡ませた。それと同時に双葉さんはその巨体から信じられないような勢いで駆け出し、一切の躊躇や迷いもなく敵へと向かっていった。

 そして、戦いは一瞬のうちに決着。僕のショボいサポートなんて全くいらないとばかりに、双葉さんは次々とゴーマを叩き潰したのだ。

 いくらパワーシードを事前に服用していたからといって、これほどまでの力を発揮するとは、正直予想外である。

 ゴーマは装備回収のために、ほどほどに散らばった立ち位置にいたのも幸いだった。近くの者と並んで連携するよりも前に、双葉さんが順々に、手早く一撃のもとに葬り去って行ったからだ。

 振り下ろした斧で軽々と脳天を叩き割り、突き出した拳は顔面を粉砕する。適当に刃を振るうだけで、細いゴーマの手足が飛ぶ。軽く蹴飛ばすと、缶けりの空き缶みたいに宙を舞い、通路の左右に林立する木の枝に串刺しとなった。

 そこまで終えて、双葉さんは「やったー」と笑顔で僕の元へ戻ってくるところに至るのだ。

「それにしても、精神系のスキルもないのに、よくやれたね」

 よく殺したね、と言った方が適切だろう。

 僕は双葉さんの優しく臆病な性格からいって、恐怖を忘れさせる『精神集中』のような精神スキルが戦闘において必要不可欠だと考えていた。

 しかし、双葉さんが『狂戦士』の天職へと転職した……って同じ発音でこんがらがるな……ともかく、新たに獲得した能力に、精神に作用するスキルは一つもないことを、僕はすでに確認している。

それでも彼女は、正に狂戦士と呼ぶに相応しい清々しいまでの殺戮ぶりを披露してくれた。果たして、それは一体どんな心変わりなのか、あるいは、成長したというのだろうか。

 もしかして、まだ麻薬の効果が残ってるわけじゃあないよね?

「うん、あのね、私……桃川くんを助けるためなら、頑張れるから」

 何かを悟ったような朗らかな笑顔で、双葉さんはそう言い切った。誰かを守るために戦えるなんて、少年漫画の主人公みたいなメンタリティである。

 それなら僕はヒロインか。強くてかっこいい主人公が、足手まといのヒステリックなクソ女でも「ヒロインだから」と必ず守り切ってくるというなら、僕はヒロインになりたいね。

「そっか、でも、怖くない? それに、血とか死体とか、気持ち悪いんじゃないの」

「ちょっとは怖いよ。でも、一回暴走したから、かな……少し、慣れたような気がするの」

 なるほど、確かに双葉さんは暴走するまで自発的に魔物を殺したことは一度たりともない。一回経験すれば、何てことはない、みたいな感じだろうか。

「それに、死体は別に何ともないよ。お料理で慣れてるし、コアをとる作業だって、委員長といた時から、それほど嫌でもなかったし」

 死体を捌くことに関しては、自前のリアル料理スキルも相まって、すでに彼女は達人級である。しかしながら、常識的な範囲内での料理では、決して大型の動物の死体に慣れるなんてことはないのだが……もしかして、牛や豚を丸ごと一頭捌いた経験とかあるのかも。

「あっ、そうだ、折角だから、コアとってくるね!」

 ゴーマは雑魚モンスターが故の定めなのか、ほとんど魔力の結晶たるコアの獲得は望めない。それでも、出ないわけでもない。勿論、出ても小石以下の欠片ばかりだが。でも、今はないよりはマシだろう。

「じゃあ、お願いするよ。僕は装備を回収するから」

 そうして僕らはしばしの間、生臭い剥ぎ取り作業に興じるのだった。ゲームみたいに、死体が忽然と消えて、代わりに素材や金貨やドロップアイテムを残してくれないかな、なんてどうしようもなく温いことを考えながら。




「あ、あのっ、桃川くん……み、見ないでね……恥ずかしい、から……」

「大丈夫、見てない、見てないから」

 口ではそう言うものの、見たいか見たくないかでいえば、見たい。断然、見たい。

「う、うぅ……」

 今にも泣き出そうなほどに恥ずかしげなうめき声。それと同時に、シュっ、というかすかな衣擦れの音が聞こえてきた。双葉さんは今まさに、脱いでいる。女子高生の生脱衣、実況中継であります。

「……」

 心頭滅却。落ち着け、桃川小太郎。汝がここで万が一、理性を失い振り向かば、次の瞬間には狂戦士の一撃が顔面に叩きこまれるであろう。肉片と化して血の海に沈むゴーマのようには、なりたくないよね。

 まぁ、そうでなくとも、双葉さんの信頼を失うような行為は、今後のことを考えて絶対的に避けねばらない。だから今は、僕の天職は『紳士』になるのだ。

「よ、よし、薬を作るのに集中しよう」

 そう自分に言い聞かせて、僕は妖精胡桃の大樹を背もたれにして、ゴリゴリと傷薬Aの素材達を磨り潰し始めた。

 ゴーマとの戦闘と追剥ぎを無事に終えた後、再び妖精広場へと戻ってきた。ダンジョン攻略始まって以来の大戦果に、大きな満足感と先行きの明るさ、そして、多少の余裕からかほっと一息つくような安堵感を覚える。

 そうして安心したからだろうか。僕らは気付いてしまった――臭い、と。

 当たり前のことだった。この異世界に落とされてから、確実に一日以上は経過している。恐らく、今日は二日目か三日目といったところだろう。その間、僕らは一度も着替えていない。

 さらに、僕も双葉さんも血みどろの戦闘を経験している。服が汚れる、なんていうレベルを遥かに通り越した汚さだ。ホームレスの方がまだ小奇麗な格好をしているだろう。

 ということで、僕らには今すぐ風呂と洗濯が必要であった。

 しかしながら、ここには熱い湯気の立ち込めるバスルームもなければ、三種の神器たる洗濯機もない。あるはずもない。このダンジョン内で確保できる唯一の清潔な水場は、そう、妖精広場の噴水だけだ。

 それは風呂でもシャワーでもなく、水浴び、と表現すべきだろう。

「……っ!」

 背後から、バシャバシャという水音が聞こえてくる。双葉さんは今、僕の真後ろでその豊満な巨体を惜しげもなく晒しているのだろう。

 恐らく、多くの男子生徒諸君は、あんなデブの裸なんて見るか、見たら吐くわ、くらいの気炎をあげるだろうが――ふっ、愚かな人間共よ。所詮、人は欲望に抗えぬ。おっぱいが見たい、という欲望にな。

 でも、今だけ勇者な僕は聖なる意思でその邪悪な欲望を封印しているのだ。双葉さんのあの、巨乳AVでもお目にかかれないスーパーサイズのバストを一目拝みたい、という欲望を。

「こ、これは……今までで一番の試練かもしれない……」

 そうしてしばしの間、僕はコンビニでカバーのかかったエロ雑誌を前に悶々とする中学生男子みたいな苦しくて切ない気持ちを味わうのだった。

「桃川くん……も、もういいよ」

 双葉さんの声で、僕の苦行はようやく終わりを告げた。実際はそんなに長い時間でもなかったはずだけど、ぐったりするほどの疲労感が僕を襲う。

 けれどそんな情けない様子を見せるわけにはいかないし、万が一にでも下心を彼女に察せられてはまずいので、僕は何ともない賢者の顔で振り向いた。

 そこに立っている双葉さんの姿は予想に違わず、学校指定の紺色のジャージ姿。殊更にエロさを際立たせる要素はない。ジャージを着ててもパッツンパッツンな胸元やお尻はデフォルトなので、この際、除外しよう。

 頭も洗ったのだろう。いつものフワフワっとした髪は水に濡れたことでややボリュームを失っており、普段とはかなり違った印象を受ける。

「やっぱりジャージ、持ってきてよかったよね」

「うん、そうだね。私も桃川くんが持ってくの見てなかったら、教室に置いたままだったよ」

 これのお蔭で僕らは、制服を脱いでも着替えを確保できているのだ。僕がジャージを持ち出した時に想定した、サバイバルをするなら衣服はもう一着あった方がいい、というのが見事に的中した結果だけれど……もしジャージなかったら、着替えがないから仕方ないよねと双葉さんの下着姿が拝めたかもしれない。べ、別に後悔なんてしてないんだからねっ!

「あの、桃川くん、良かったら私、洗濯するよ」

「えっ、いいの?」

「うん、私にできるのは、それくらいしかないから」

 双葉さんの視線は、僕が地面に広げた傷薬A製造セットに向けられている。

 確かに、呪術師でクスリ製造担当である僕は、この妖精広場という安全地帯に籠っている間も仕事をする必要がある。他にも、新たにゴーマから入手した装備を点検したいし、ここの妖精広場でできる限りの準備を色々したいと思っている。

 だから洗濯をしてくれるという申し出は、素直にありがたい。ここは役割分担ということで、双葉さんの好意に甘えてもいいだろう。

「ありがとう、お願いするよ」

「うん! えっと、それじゃあ桃川くん……シャツも洗うから、脱いで」

 実は僕、双葉さんより先に噴水で入浴を終えている。入浴、といっても噴水にザブザブと入って肩まで浸かってきたワケじゃない。

 この噴水は飲料水でもあるので、万が一、水が浄化しきれなかったらまずいということで、体を入れることはしないと、双葉さんとあらかじめ決めておいた。もっとも、そんな取り決めをしなくても、こんな冷たい水に全身浸かりたいとは誰も思わないだろう。

 だからここでの水浴び作法は、基本的にタオルを濡らして、それで体を拭くというものになる。桶、なんていう水を掬う専用のアイテムなんて持っているはずもなく、使えるのはせいぜい空の500ミリペットボトルくらいである。

 ともかく、それで最低限の汚れを落とすくらいしか、ここではできない。幸いにも、僕も双葉さんもジャージと一緒に汗拭き用のタオルも一枚常備してあったので、体を拭くタオルがない、または共用、なんていう事態にならずに済んでいる。

 そんな風に入浴を終えた僕も、例によってジャージに着替え終わっているのだが……忘れてはいけない。僕のジャージは一枚、正確には上着の方だ、それを鎧熊にくれてやったことを。アイツが見事に上ジャージを爪の一閃でズタボロにしたところを、僕ははっきりと目撃している。

 そんなわけで、僕に残されたのは下ジャージ一枚きり。上半身裸じゃあ心もとなかったから、仕方なく汚いTシャツをそのまま着ていたけど、洗濯するなら、脱がないわけにはいかない。

「うん、はい」

 僕はさして恥ずかしげもなく、シャツを脱いで双葉さんへ差し出した。

 男の僕は上半身裸でも恥ずかしくない。まぁ、この貧相な体を披露するのはどちらかといえば恥ずべきことかもしれないが、それでも女性のようにナチュラルに手ブラのポーズをしてしまうほどではない。僕は女に間違えられることは多々あっても、中身は完全無欠に男である。煩悩全開の男子高校生だ。

「う、うん……」

 しかしながら、双葉さんにやけに熱っぽい視線で裸の上半身を凝視されると、いくらなんでも恥ずかしくなってくる。

 ふっ、お嬢ちゃん、男の裸がそんなに珍しいか? なんてハードボイルドな台詞を口走る余裕は、少なくとも僕にはなかった。

「双葉さん、僕に、えーっと、何かついてる?」

 前々から僕は、「俺の顔に何かついてるか?」みたいな台詞には違和感しか覚えなかった。何かついてるわけねーだろ! と思うものの、こうして女の子に意味不明に凝視される事態に直面すると、そういう風に問い返すしかないというのが、今、僕は理解した。

「あっ! ご、ごめんなさい……その、首筋の傷、まだ、治ってないなと、思って……」

「えっ、ああ、これかぁ」

 あ、危っぶねー、あともうちょっとで、もしかして双葉さん、僕の肉体美に見惚れてる? とか勘違いするとこだった。ありえないとは思ったけど、うん、やっぱりありえないよね。

「別にもう痛くないし、その内に治るから、気にしなくていいよ」

 この首の傷は暴走双葉さんに噛み付かれた時のものだ。あの時のことは覚えているといっていたから、優しい彼女のことだ、仲間である僕を傷つけたことを酷く気にしているだろうことは想像に難くない。

『痛み返し』によって、全く同じ傷を持つはずなのに、『恵体』のお蔭で早々に自分だけ完治したのも、尚更に気まずいのだろう。

「本当に、ごめんなさい……次はもう絶対、大丈夫だから」

 双葉さんはやっぱりちょっと暗い顔で、僕のシャツを持って噴水の方へ戻っていった。今の僕に、かける言葉は見つからなかった。こんな、下ジャージだけでノーパンの僕には。

 あっ、全部洗濯するってことはもしかして、双葉さんもあのジャージの下は全裸っ!

「はぁ……薬、作ろ」

 煩悩を振り払いながら、とりあえず僕は造りかけの製薬作業に戻るのだった。

第26話 ゴーマの戦利品

 装備を確認しよう。

 例の虐殺T字路から、ゴーマの装備を持ち出せるだけ持ち出してきた。僕と双葉さんの二人いれば、彼女を引きずった担架でそこそこの量を運搬できる。現場では僕がパッと見で使えるかどうかを簡単に判断し、この先のダンジョン探索に使う正式装備を厳選するのは、この安全地帯でゆっくりと考えながら行う次第である。

「とは言っても、ほとんどはナマクラかガラクタなんだよなぁ……」

 ゴーマがロクな武器を持っていないことは、すでに周知の事実だ。錆びたナイフでも、鉄の刃がついているだけ上等な部類に入る。

 それでも、ついさっき双葉さんが狂戦士無双した時のように、こんなゴミみたいな武器でも手ぶらよりは役に立つ。少しでも使えそうな武器を選ぶ意味はあるだろう。

「双葉さんはもうちょっと重い武器でも良さそうだけど、うーん、軽い方が攻撃速度は上がるのかな……いやでも、やっぱり一撃の威力は……」

 うんうんと唸りながら考えるが、思えばこうして武器を選べるというのは贅沢な悩みではなかろうか。特に、僕みたいなゲームで装備考察するのが好きなタイプなら、ある種の面白みも見いだせる。

 ちなみに、僕が双葉さんの使用武器を選んでいるのは、彼女に任されたからに他ならない。自分じゃあ何が良いのか分からないから、というのが彼女の弁である。もっとも、僕も本物の戦闘に関しては素人同然であるけれど。

「よし、これでいこう」

 脳内で審議に審議を重ねた結果、僕はようやく結論を出した。

 まず、メインとなる武器は、さっきも使った斧である。柄の長さは一メートルほどで、元々、戦闘用に作られているのか、刃はやや大きめである。正にバトルアックスといった感じ。

 質と大きさを比較した結果、結局はこれが最良だと判明したのだった。

 次にはサブである。これは薪割り用と思しき鉈と、シンプルな片刃のナイフの二つを選んだ。鉈の方は刃渡り三十センチ、ナイフは二十センチといったところだろうか。似たようなものは幾つもあったが、これも刃が錆びていないのを選んだ品質重視。さらに加えて、これを選んだ決定的なポイントは、鞘があることだ。

 刃物を持ち歩くにあたって、鞘は必要不可欠なものだ。抜身のままでは危険だということは、小学生だって分かるだろう。こんなボロボロの革でできた汚らしい鞘でも、あるとないのとでは大違いだ。

 あとは非常用に一本だけ、小さなナイフを布でくるんで鞄に入れておく。

 双葉さんの装備はこれで完了。次は僕の分だ。

「僕が武器を装備しても、たかが知れてるんだけどね」

 そう割り切っているからか、自分のはあまり悩まずすんなりと決まった。

 メインは槍。木の柄に大振りのナイフを括り付けたゴーマのハンドメイドである。赤犬と罠のゴーマを刺し殺した木の枝を尖らせただけのものより、刃がついている分、こっちの方が遥かにマシだ。僕には決定的に腕力が欠けているから、他にもう一本、割と綺麗な斧もあったが、軽くてリーチに優れる槍を迷わず選んだ。

 サブウエポンは、双葉さんのと似たようなナイフが一本だけ。これも鞘があった。

「弓とか、遠距離武器が欲しかったんだけどな」

 ない物ねだりをしても仕方ない。たとえ弓を入手できたとしても、天職『射手』ではない僕が使いこなせるかどうかは甚だ疑問である。

 今この場で用意できる遠距離攻撃できる武器といえば、石コロくらい。ゴーマが腰からぶら下げていたポーチを使って、投げるのにちょうどいい石を集めて入れておこう。もしかしたら、何かの役に立つかもしれないし、それくらいなら持ち運びにも支障はない。

 さて、この投石用ポーチは僕と双葉さんの二人とも持つことになるわけだが、こういう共通装備は他にもある。装備、というよりアイテムといった方が適切だけど。

 まずは傷薬Aをはじめとした、各種の薬。傷を治す薬の存在はダンジョン攻略において生命線であり、現状で最も僕の価値があるところだ。

 この先にも妖精広場は設置されているだろうけど、その時々でできるかぎり生産しておく。ゴーマを倒したお蔭で、皮袋などの小物も手に入ったから、薬の入れ物は十分に確保できている。

 実はこの薬なのだが、その中には、例の麻薬も含まれる。

 ゴーマの持ち物を漁った時に、見つけたのだ。あの白い粉末が入った袋を。持っていた奴は数体であったが、服用するには十分な量がある。

 ただし、これをそのまま使えば、双葉さんはまた暴走するだろうし、僕はラリったまま二度と正気を取り戻すことができないかもしれない。

 そこで安全に麻薬を使うために、解毒作用のある青花を用いる。これが麻薬の依存性と強烈な精神高揚を抑える効能があることは、僕がすでに身を持って証明済み。

 だから、この麻薬と青花をあらかじめ混ぜておけば、一回の吸引でほどほどに効果を抑えられた状態で使用できるというワケだ。もし、双葉さんが再び恐怖心で動けなくなったとき、あるいは単純に痛み止めとして、利用価値は十分すぎるほどにある。

 名付けて『試薬X』だ。

 これを使う時はよほどの緊急事態だろうから、できれば使う機会が永遠にこないことを願っている。

 僕らの持ち物で特別なモノといえばこれくらいのもの。あとはまぁ、包帯代わり、あるいは他にも役に立つ可能性を考えて、ゴーマの衣服を割いた布きれなんかも鞄に詰めてある。

 勿論、あんな汚らしいモンスターが着ていたものなんてそのまま使いたくないし、衛生的にも最悪だろう。これも比較的、綺麗なものだけ選別した上で、双葉さんに洗濯もとい洗浄してもらっている。

「桃川くん、洗濯、終わったよ」

 僕が装備を厳選している間に、双葉さんは一仕事を終えたらしい。

 見れば、ばっちり洗濯物も干してある。ゴーマの持ち物の中にはロープ、とはいっても植物の蔦みたいなものなんだけど、それを発見した。

 この蔦を並木道のように林立する妖精胡桃の木の間に張れば、即席の物干し竿の完成である。ここは風もないし、洗濯物は脱水機にもかけていないので、乾ききるまでにはしばらくかかりそうだ。

「石鹸って、どうだった?」

「あんまり泡は出なかったけど、汚れは結構落ちたよ」

 石鹸、と僕が呼んだモノは、正確には石鹸ではない。

 新たに更新された魔法陣ノートの情報によって、石鹸のような効果を秘めた植物の実があることが紹介されたのだ。

 例によって正式名称は忘れたけど、この天然の植物石鹸は、妖精胡桃と同じくらいの大きさで、青い皮を剥くと、バナナみたいな白っぽい実が現れる。見た目は美味しそうだけど、これは食用には適さないと厳重に但し書きがついてあった。僕の直感薬学でも、泡吹いてぶっ倒れてもいいなら食べればいいじゃん、って言ってたから、絶対に食べようとは思わない。

 ともかく、この白い実に多量に含まれる特殊な油分が、いい感じに汚れを落としてくれるらしい。そしてこの便利な石鹸の実はなんと、妖精広場で採取できるのだという。

 情報通りに、木々の下を探してみれば、確かにあった。胡桃ほどではないけれど、ぽつぽつと地面に落ちているのだ。どうやらこの並木は、全てが妖精胡桃で構成されているわけではないようだった。

「それじゃあ、擬態蚕も探してみようか」

 都合の良い存在は石鹸の実だけに留まらない。これと共にもう一つ、魔法陣で紹介されたのが、この『擬態蚕』という虫だ。正式名称は以下略。

 白い芋虫という何の変哲もない外観だが、この虫は張り付いた木や植物、あるいは地面に擬態用の繭を作るという。別に蛹になるワケでもないのに、繭を作る。ともかく、その擬態によって作り出される糸は正に自然の神秘とでもいうように、完璧に周囲と同じ色合いになるという。

 つまり、コイツを衣服の破れた箇所に張り付けておけば、そこで擬態を始めて勝手に繕ってくれるのだ。繭が完成した後に蚕を服からとれば、ちょっとだけその部分が解れているように見えるだけの仕上がりとなる。ハサミで糸くずを切り取れば、すっかり元通りというわけだ。

僕としては、こんな何とも人間にとって都合の良い植物と虫の存在に、それとなく疑念を覚えるところなのだが……この際、使えるのならありがたく使わせてもらおう。

「あ、双葉さんって虫とかダメなタイプ?」

「ううん、全然大丈夫だよ。虫の料理も作ったことあるし、食べたこともあるから。結構美味しいんだよ?」

 僕はちょっと遠慮したいけどね、虫料理。双葉さんがその気になって、このダンジョンで採取した虫を使って料理を振る舞おうとしないように、それとなく「虫はちょっと食べたくないです」とアピールしておいた方がいいかもしれない。

「ふ、ふーん、そうなんだ――」

 という気のない返事は、突如としてなったグキュウウーっ! という音によって遮られた。

「やっぱり、先に食事にしようか」

「う、うっ、うぅ……ごめんなさい……」

 それは当然、双葉さんの腹の虫が鳴く音であった。その羞恥に泣き出しそうな表情は、水浴びの時よりも赤みを増している。そんなに恥ずかしいことだろうか、と思うのは僕が男で女の子に対するデリカシーという概念が半ば欠けているからだろう。

「パワーシードも使ったし、お腹が空くのは仕方ないよ」

「い、いいよ桃川くん……そんなに優しくフォローしなくても……」

 事実なんだけど、パワーシードのカロリー消費は。というか割りとマジで、これを使ったらすぐ食事することが望ましい。急性でなくても、大丈夫、大丈夫、と思って使い続けていたら、いつの間にか栄養失調になっていてもおかしく代物だし。

 ともかく、服の修繕は後回しにして、食事をすることに。

「まぁ、服が乾くまでの時間もあるし、のんびりしよう。あっ、そういえば僕、カロリーメイツ持ってるけど、食べる?」

「食べるっ! よろしくお願いします!」

 土下座でもしそうな勢いの双葉さんに、僕は呆気にとられて返答が一拍遅れる。

「ご、ごめんなさい……」

 僕が何か言い返すより前に、彼女は自分のがっつきぶりを恥じたようで、顔を真っ赤にそめながら絞り出すようにそう言った。

「いや、別に気にしてないから、ホントに」

 とりあえず、これ以上双葉さんが恥を上塗りしないよう、もったいぶらずにさっさと食事をしよう。ありがとう高島君、君のカロリーメイツは、僕と双葉さんが明日を生きるための糧として、大切にいただきます。

「それに、今の内にしっかり休んで、準備をしておかないと……この先のエリアを進むには、厳しそうだから」

 警戒するのも当然だ。この妖精広場の先にあるダンジョンは、これまでで最大級の森林ドームなのだから。




「うわっ、うわぁ……」

 あからさまに嫌そうに唸ってしまったのは、仕方ないだろう。だってここ、呪神ルインヒルデの神様時空なんだから。

「我が信徒、桃川小太郎」

「ど、どど、どうも、神様……」

 不思議と明るい宇宙空間みたいな場所に、僕と死神じみた風貌の神様が立っている。ここに来たということは、新たな呪術と授けてくれるということなんだろうけど、これまで被ったダメージを思えば、素直に喜べない。今回こそは、痛くない方法で授けてくれますように。

「くっくっく、よもや狂戦士を手懐けるとは……褒めてつかわす」

「あ、ありがとうございます」

 狂戦士って双葉さんのことだろう。彼女を仲間に引き入れたことが、ここまで評価されるとは。もしかして神様も、呪術師が仲間はずれにされやすいって認識あるんだろうか。

「新たな加護を授ける」

 痛くないように、痛くないように、痛くないように、マジで、お願いします神様。

「手を出せ」

「はっ、ふぁい」

 もうほとんど、僕は涙目になっている。今度は何ですか、爪でも剥がそうってんですか。それとも手首を落とすのか。いくら夢の中といっても、勘弁してくださいよ。

 そんな風に諦めの境地に達した僕は、ボールを抱えるように掌を広げてルインヒルデ様に向かって差し出す。

 攻撃は、まだこない。焦らす作戦なのか。

「一つ、教えておこう。呪術師は死と苦痛のみを扱うわけではない」

 僕の掌へ、ルインヒルデ様の大きな骨の手が重なる。それだけで、痛みはない。掌に伝わるのは、ヒンヤリとした金属質な感触のみ。

「その手は、新たな生命いのちを創造することも、できる」

「うわっ」

 ルインヒルデ様の、多分ありがたい講釈の真っ最中だけど、僕は思わず声を上げてしまう。その時、掌に生暖かい何かが、触れたような……いや、手に染み込んでいったような感覚を覚えた。

「だが、その生命もまた、所詮は呪いであることを、忘れるでないぞ」

 話の内容は、よく分からなかった。けれど、不意に訪れた眠気によって、この夢の終りを悟った。

 ああ、良かった。今回は、痛くなかった――

第27話 泥人形

 見上げれば、どうにか天井が確認できるほど高い、巨大な森林ドームが目の前に広がっている。妖精広場の出入り口は、壁、というより断崖絶壁にポッカリ空いた洞窟のように開く。この見事な垂直の崖は、左右ともに端が見えないほど長く広がっている。いつものように壁際を進むと、かなりの遠回りになりそうだ。

 そして目の前に広がるのは、鬱蒼と生い茂った森。あの緑の木々の中にはトレントみたいな樹木のモンスターがいるかも、なんて想像するほど。

 しかし、何よりも恐ろしいのは森というフィールドそのものだ。地下通路のようなダンジョンは見通しがよく、敵を発見しやすい。曲がり角や部屋に注意するくらい。だが森の中には木々や植物が無数の遮蔽物となり、奇襲を許しやすい。まして、そこに住むのは森をホームとしている魔物。地の利は完全に向こうにある。

 あの小さな森林ドームでさえ、進むには恐ろしく気を張ったのだ。それが何キロも続くのかと思えば、正直いって気が滅入る。

「――よし、行こうか」

 それでも、進む。生き残るために。

 太陽のように燦々と降り注ぐ白い光は、高い天井に設置された特大の発光パネルによるものだ。ここは24時間、いつも真昼のような明るさなのだろう。お蔭で、森の中はそれなりに明るい。

「やっぱり森林ドームと、あんまり変わらないね」

「多分、同じ植生なんだと思う。でも、凄い薬草とか見つかるかもしれないから、まずは近くをゆっくり探索しよう」

 直感薬学を持つ僕にとって、植物で溢れる森は宝の山である。事実、ここへ落とされて早々にアカキノコを発見したからこそ、鎧熊を仕留めることもできたのだから。

 きっと、この森には僕らの役に立つ素敵な植物たちが待っているに違いない。ささやかな期待に胸を膨らませて、巨大森林ドーム探索は始まる――と、その前に。

「ちょっと待って双葉さん。新しい呪術を授かったから、使ってみたいんだけど」

「ええっ、そうなの!? すごーい!」

 どちらかというと、転職を果たした双葉さんの方が凄いと思うけど、まぁ、女の子にこういう反応をされて悪い気はしない。キャバクラにハマる男の心理である。

「凄いかどうかは、使ってみないと分からないけど……あんまり、期待しない方がいいよ」

 とりあえずヘタレな僕はそんな予防線を張ってから、いざ新たなる第五の呪術の発動実験に踏み切る。

「えーと、まずは土を集めます」

 この場ですぐ新呪術を試そうと思ったのは、まずこの第一条件がクリアできていたという理由も大きい。ここなら土なんて足元にいくらでもあるけど、石造りのエリアでは意外に手に入らない。いざとなればすぐ妖精広場に逃げ込める場所で実験できるのは安心である。

 僕はしゃがみこんで土を掘って集めるのに集中。双葉さんはすぐ傍に立って警戒するけど、興味があるのかしげしげと僕の手元を覗き込んでいる。

「次に、水をかけて泥を作ります」

 途中で飲む予定だった500ミリペット入りの水を、ここでいきなり全消費。あとで汲みに戻った方が良さそうだ。面倒だけど。

「泥ができたら、人の形に整えましょう」

 小山と盛られた泥の塊を、僕は幼稚園児のようにコネくり回し始める。何でダンジョンにまでやってきて泥遊びをしているのかと虚しくなってくるが、これも必要な準備なんだと割り切って、真剣に人型を作る。

 粘土ではなく泥なので、当然、フィギュアのように自立する形にすることは不可能。地面の上で、頭と胴と手足を、レリーフのように作るのが精々である。大きさは大体、三十センチくらい。

「ここまでくれば、あともう一息です。頑張りましょう」

「ねぇ桃川くん、その説明って誰に言ってるの?」

「あ、ちょっと話しかけないで。これ頭の中に浮かぶ説明文だから」

「ご、ごめんなさい……」

 子供向け玩具の取説みたいな口調で独り言を零す僕に対して、ついにツッコミをいれてくれた双葉さんだが、決して冗談でやってたワケじゃないことを理解して欲しい。本当にこれ、口に出して言いながらやらないと、呪術発動の事前準備の仕方を忘れそうになるんだ。

 呪文はしっかりと脳内に刻み込まれているけれど、恐らく、この説明は一回限りだと思われる。理屈は不明だが、そういう不親切設計なようだ。まぁ、さして難しい手順ではないから、一度やれば覚えられるけど。

「素敵な人型が完成したら、貴方の血を適量かけましょう」

 血をかけるとか、何だか呪術っぽい。いよいよ本格的な呪いの力を、ここで発揮できるのかもしれない。ちょっと期待しちゃう。

「え、血って……」

「指を切るしかないよね。傷薬があって、良かった」

 ひー、と微妙に顔を青ざめさせて、僕の指先カットを見学する双葉さんは、とてもゴーマを殺戮した狂戦士だとは思えない。もしかしてそういうの、女子特有のワタシ可愛い演技とかじゃないよね?

 なんてささやかな疑念を抱きながら、僕はスパっとカッターで左手の中指の先を切り裂いた。すると、すぐに玉のような鮮血の雫が浮かび、ポタリ、ポタリと泥の人型の上に落ちて行く。はて、適量ってどれくらいのことなのはイマイチよく分からないが……うーん、数滴でも大丈夫だろう。

「あとは呪文を唱えるだけ、と、これで準備は完了か」

 指先の手当は後回しにして、早速、呪術を発動させることにした。

「混沌より出で、忌まわしき血と結び、穢れし大地に立て――『汚濁の泥人形』」

 淀みなく呪文を唱えた直後、変化が起こる。

 泥に染み込み、跡なんて見えなくなったはずの血が、ブクブクと沸騰したように泡立ちながら人型の表面に浮き出る。僕も双葉さんも、思わず「うわっ!?」とか口走ってしまうほどには、おぞましい現象であった。

 人型の全身が沸きたつ血液に包み込まれ――って、これ、明らかに僕が落とした血より量が多いけど、どうなってんだ。とにかく理屈は不明だが、血によって真っ赤に人型が染まり切った、と思うや否や、今度は一転、地面に零した水が吸いこまれるように、血の泡が収まりすっかり消え去っていった。

「……え、終わり?」

 十秒ほどの静寂を経て、僕がそんな疑問を口にした瞬間、人型が、動いた。

「うわぁっ、コイツ、動くぞ!?」

 と、二度目の驚きボイスが上がる。

 直前まで、単なる人型に寄せられただけの泥の塊が、立ち上がったのだ。まるで地面に嵌められた型から抜け出すように、ボコリと音を立てて泥人形が立つ。

 その姿は、僕が作った人型とは少しばかり形が異なっており、妙に頭が大きく、手足は短い幼児のような四頭身ほどのデフォルメデザインとなっている。

「す、凄い……桃川くん、これって……」

「あ、うん、間違いない、これが『汚濁の泥人形』だ」


『汚濁の泥人形』:主の意のままに動く人形。絶対服従。


 とりあえず、脳内の説明文はこれで全て。相変わらず、見れば分かるような当たり前のことしか書いていないから、コイツに何ができるのか、あるいは特殊な技や魔法が使えるのか、みたいな肝心の部分は一切不明。

 もっとも、本当にただ僕の思い通りに動くだけ、という性能しかないんだろうけど。まさか、ここで巨大ロボみたいなゴーレムを泥で造りだせるとは、この期に及んで僕は欠片も期待してはいないから。

「えーと、これ、どうやって動かすんだろ」

 こういうのって、実際に言葉で命令するってよりも、念じるとその通りに動き出すってのが定番だけど……とりあえず、歩いてみろ!

「わっ、動いたよ、桃川くん!」

「おお、ホントだ!」

 珍しく僕の期待に応えるように、泥人形は短い足をせかせか動かして歩き始めた。僕の足元で、周りをグルグル回る。僕が止めない限り、バターになるまで歩き続けそうだ。

「止まれ」

 言えば、やはりピタリと止まってくれる。僕の声が聞こえているのかどうかは不明だが、テレパシーのように意思は伝わっているのは間違いない。いや、この泥人形に自我なんてないだろうから、ラジコンみたいなモノだと考える方が的確だろうか。

 さて、この思念操作みたいな方法で、どこまで正確に動かすことができるか、少し試してみよう。といっても、何をさせればいいんだろう。うーん、深く考えてもしょうがないし、とりあえず適当な思いつきで動かしてみよう。

「ラジオ体操第一」

 僕の脳内で日本国民なら誰もが知っている希望の朝のメロディーが鳴り響くと、それに合わせて泥人形は正しく『腕を前から上にあげて、大きく背伸びの運動』を始めた。

「はい、一、二、三、四ぃー」

「わぁー、凄い、ちゃんとラジオ体操してる!」

 泥人形はヤル気のないクソガキとは違い、お手本のようにのびのびと体操を行っている。僕が深くイメージしなくても、正確に脳内にある情報を読み取っているかのように、淀みなく次々と体操の動作を進めて行った。

「うん、何となく分かった」

「あ、止めちゃうの?」

 ちょっと残念そうな双葉さん。ここでフルにラジオ体操させるのも、時間の無駄だろう。それに僕、第二の方はやけに恥ずかしいポージングを強要される最初の部分しか覚えてないし。

「操作性は抜群だけど、問題はパワーと耐久力、かな」

「あんまり強そうには見えないもんね」

 その通り。ここは見た目通りの脆さだと考えるのが妥当だ。

 試しに突っ突いてみると、やはり僕が泥を固めた時と何ら変わらぬ湿った土の感触が伝わるのみ。特別に硬質化しているなんてことは、ありえなかった。

「とりあえず、コレを連れて探索を始めよう。戦力的には期待できないけど、囮くらいにはなるかもしれないし」

 そうして、僕は相変わらず頼りにならなそうな呪術の効果である泥人形と共に、目の前に広がる深い森へ挑む。




「それにしても、これはちょっと道を外れたら迷うな……」

 いざ、森の中に足を踏み入れると、あっという間に方向感覚を失ってしまう。どこを見渡しても木、木、木……見分け何てつくはずもない。

 僕らが歩いているこの獣道がなければ、どう進んでいいかも見当がつかなかっただろう。

「あ、ちょっと待って」

「うん」

 僕が制止の声をあげると、双葉さんは即座に立ち止まる。狂戦士として目覚めた彼女は、もう僕の服の裾を握っておっかなびっくり後をついて来ることもなく、堂々と前を突き進んでくれている。サブウエポンの鉈を片手に、進路の邪魔になる枝葉を切り落としていく様は、後ろから見ていて逞しさすら感じる。実際、僕の倍くらいの広い背中だし。

 僕が止まったのは他でもない、採取のためである。

 発見したのは鎧熊殺しに定評のあるアカキノコと、さりげなくストックが尽きかけていたニセタンポポだ。これ幸いにと、僕は山菜取りに勤しむ爺さん婆さんのように、毒々しいキノコとパっと見ただの雑草な薬草の採取を始めた。

 双葉さんに手伝ってもらうことはしない。彼女の役目は警戒だ。次の瞬間には、あの茂みの向こうからのそっと鎧熊が頭を覗かせてもおかしくないからね。

 彼女の代わりに、採取の相棒として働いてくれるのが、この『汚濁の泥人形』であるのだが、その成果はどうも芳しくない。

「うーん、とんでもないパワー不足だな」

 アカキノコ一本、ニセタンポポ一束を採るだけで一苦労である。やはり肉体そのものが泥の強度しかない以上、これが崩れない程度の力しか発揮されないようだ。

 体を目いっぱいに使って根から引き抜こうとする泥人形の健気なモーションを見て、その一生懸命さは評価したいところだが、これなら僕がカッターでさっさと切り取った方が断然早い。

「よし、もういいよ。行こう」

 獣道から離れすぎない範囲でほどほどに採取を終え、最後に、近くの木にゴーマから剥ぎ取った衣服を割いた布きれを巻き付けておく。万が一に備えて、帰り道のための目印だ。

 それから、さらに一時間くらいは歩いただろうか。最初の森を歩いた時と同じように、ここも場所によっては起伏があったり、大きな木の根が張っていたりして、よじ登ったり潜ったりと、中々に大変な道行である。だから一時間といっても、そんな何キロも進めていないだろう。

 日本人の歩く平均時速は5キロくらい。でもそれは障害物のない道路での話であって、こんな熊さんが出てくるような森の中では、その半分もいかないんじゃないかと思う。

「この辺で、少し休もうか」

 息も上がってきたところで、小休止をすることにした。

 幸い、泥人形は僕らの行軍についてこれるだけのスピードとスタミナはあるようで、今は僕の傍らで、律儀に体育座りで待機モードになっている。

 一方、双葉さんの方は割と平気そうな顔。恐らくは天職『狂戦士』の能力が影響しているんじゃないかと推測される。

 狂戦士の初期スキル三つは、以下の通り。


『狂躯』:その身、ただ敵を屠らんがために。

『増血』:滾る血潮は、戦い続けるために。

『声を聞く者』:遥かなる声を聞け。拒まず、狂わず、しかと聞き届けよ。


 困ったことに、能力の効果を窺い知る唯一のヒントである頭の中に思い浮かぶ説明文が全て、中二病をこじらせた僕みたいな文芸部員が書いたような、まるで意味不明のフレーバーテキストになっているのが致命的だった。こんな文章では、まるで詳細は不明。

『狂躯』は体のどこがどれくらい強化されているのか。『増血』はどの程度、血が増えるのか。時間当たりの増加量は。限界量は。気になるところはいくらでもある。

 中でも最悪なのが『声を聞く者』という謎のスキル。これはそもそも、使い道さえ全く分からない。一体、何のためのスキルなのか、どのタイミングで発動するのか、何もかも分からない。遥かな声、って誰の声なんだよ。CVくらい明記しとけよ。

 とりあえず、文才皆無な狂戦士の神に対するケチは置いといて、今は双葉さんの身体能力に影響しているであろう『狂躯』についてだ。恐らく、何かしらの能力は強化されているとは思われるものの、双葉さんとしてはそこまで大きな実感はないという。

 ゴーマと戦った双葉さんは、何となく前より力が強くなってるような気がする、との感想であるが、もしかしたら自前の腕力が勇気を持てたことで十全に揮えているだけかもしれない。

 だから、この『狂躯』にしばらく歩いても疲れないだけのスタミナ上昇の効果があるのかないのか、それも断定はできないのだ。

 まぁ、何にせよ、今の双葉さんが素手でゴーマを捻り潰せる怪力を宿している、というだけで十分だ。そのパワーアップが成長による基礎ステータスの上昇か、スキルの効果か、という原因については、この際どうでもいいだろう。

「桃川くん、まだ先に進むの?」

「うーん、どうしようかな。魔物も出なかったし、もしかたらこのまま上手く森を突っ切れるかもしれないけど……」

 悩みどころである。僕も道中で一回か二回は戦闘になるんじゃないかと思ったのだが、道行はなかなかに順調。

「コンパスはどう? 道から外れたりしてない?」

「大丈夫、まだ方向と獣道は重なってる」

 進むべき方向は魔法陣で随時確認している。これが示す方向が今まで獣道と同じだったから、ここまで比較的楽に進んで来られた原因だろう。

 そう考えれば、進む方向と獣道が逸れるところまでは、今日は進んでみてもいいかもしれない。

「いや、先に来た人が切り開いた道かもしれないよね、これ」

「委員長達、かな……」

「樋口かもしれないよ」

 思わず、二人して因縁のある奴の名前を口にしたせいか、ちょっと気まずい雰囲気になる。けれど、可能性としては十分にあり得る。樋口組みも委員長チームも、まず間違いなく僕らよりも先に進んでいるのだから。

「と、とりあえずさ、双葉さん、ここから先は――」

 アイツらのことなんか気にしてない、という感じで口を開いた僕だったが、言葉と同時に、双葉さんが俄かに立ち上がった。

 休憩の為に、僕らは木を背もたれにして座り込み、ちょうど向かい合っている格好。立ち上がった双葉さんの顔は、眉をしかめて、暴走状態ほどじゃないけど……怖い顔をしていた。

 あれ、何、もしかして僕、何かまずいこと言った? 委員長のことを思い出させたのって、そんなに地雷を踏み抜くことだったのだろうか。

「あ、えっと、双葉さん?」

 彼女は無言のまま、僕に向かって一歩を踏み出す。その手が、腰から提げている鉈を抜いた。

 え、嘘、マジで。待って、ちょっと待って、話そう、話せばわかる。武器を置いて、ついでに距離も置いてから、落ち着いて話し合おうよ双葉さん。

 思いは通じるはずもなく、双葉さんは手にした鉈を振り上げた。

「えっ、ちょっ――」

 あまりに突然の一撃を前に、僕は死を覚悟する暇なんてなく、ドっという鉈の刃が強かに肉に打ちつけられる音を聞いた。

「もう大丈夫だよ、桃川くん」

「……えっ、何が」

 鉈が振り下ろされた拍子に固く瞑った目を、僕は恐る恐る開くと、目の前には頬に一筋の冷や汗を流しながら微笑む、彼女の顔があった。

 一拍遅れて、気づく。痛くない。どこも痛くないし、血も出ていない。双葉さんは、僕を斬ったわけではない。

「大きい蛇だよ。毒がなくても、こんなのに噛まれたら危なかったよね」

 ふぅー、と可愛らしく息を吐きながら、双葉さんは僕のすぐ傍らで、頭を鉈で割られた蛇の死骸を手に取った。

 うわ、全然気づかなかった。こんなデカい蛇が、すぐ傍まで近寄っていたことなんて。

「あ、ありがとう……助かったよ」

 密かに自分の身に迫っていた危機を認識して、顔からドッと汗が噴き出るのを感じた。

 ここは異世界の森だ。魔物だけでなく、単純に危険な動物だって多数生息しているだろう。蛇の一匹や二匹、潜んでいてもおかしくないし、サバイバル素人の僕が、そんな奴らの接近に気づかないのも無理はない。

 だから、僕は本当にふとしたことでアッサリ死んでしまう、ということを改めて理解させられたことに、戦々恐々とする。いや、本当に、ありがとう双葉さん。

「ふふ、どういたしまして」

 と、にこやかな笑みで返答する天使みたいな対応の双葉さんは、頭を潰した蛇に、さらに鉈でもう一撃を加えた。ドン、と叩き付けられる音と共に、ゴロっと蛇の首が落ちる。

 双葉さんは地面に転がる蛇の生首を小石のように蹴飛ばして茂みの向こうに消すと共に、切断された本体の方の首元を掴むや、思い切り破くような勢いでビリビリと皮を剥ぐ。その流れるような動作に、僕は唖然としながら、思いのほか綺麗に蛇の皮が剥がれる様を見つめるだけだった。

「えっと、双葉さん、何してんの」

「この蛇、食べられるかなって思って」

 皮をベロリと剥がされた蛇を、双葉さんは近くの枝にロープでも引っ掛けるようにして垂らす。首の切断面からドクドクと赤黒い血が滴り落ちていく。血抜き、というやつだろう。

「え、これ、食べるの?」

「ええっ、食べないの?」

 なにソレ、食べようと思わない僕の方がおかしいみたいな反応。そもそもコイツ、毒蛇かもしれないし、食べてみるのはちょっとチャレンジが過ぎるっていうか……

「どこにでもいるただの蛇。毒を持たない雑魚だから、普通に食べれる……って、ああ、この蛇、食べられるみたいだよ、良かったね」

「本当? やったぁー」

 僕が直感薬学で知った、またしても投げやり気味の説明文から、食用に適す蛇だということが判明した。間違いなく食べられることが証明されて、双葉さんは大喜びだ。血の滴る蛇の死体を背景に。現代日本の女子高生とは思えないワイルドさだ。

「双葉さん、これ、どうやって食べるの?」

「うーん、焼くしかないんじゃないかな。塩もコショウもないから、味付けできなくてあんまり美味しくないかもしれないけど……お肉は食べておいた方がいいよ」

「ああ、そういえばここに来てから、胡桃しか食べてないもんね」

 情報を信じるなら必要な栄養はとれているらしいが、どう考えても健康と体力を十二分に維持するには足りないだろう。僕らはリスじゃない。きちんとタンパク質をとるに越したことはない。

「うん、これから進むのも、まだまだ時間がかかると思うの。だから、食べられるものはきちんと食べておいた方がいいんじゃないかな」

 全くもってその通り。反論の余地など隙間もないほど完璧な正論であるが、双葉さんの太いお腹からグーっと咆哮が鳴り響いたお蔭で、台無しであった。

「双葉さん、そんなにお肉が食べたかったなんて」

「言わないでぇーっ!」

 つい失言を口走ってしまったと後悔しながら、とりあえず、これからは仕留めた魔物とかも、肉が食えるかどうかしっかり直感薬学で判断しようと思うのだった。まぁ、たとえ食べられるとしても、ゴーマだけは絶対に食わないけど。

第28話 湖のカエル

「あっ、ここは――」

 双葉さんが蛇を狩った休憩地点から出発し、十分ほど進んだところである。不意に木々が途切れ、視界が開ける。

「わぁー、湖だ」

 双葉さんの口から観光客のような感想が漏れた通り、そこは、森のど真ん中にある湖であった。

「近くで見ると、凄く綺麗だねー」

 白い光を照り返してキラキラ輝く水面は静かで、透き通って底が見えるほど綺麗な水質もここから見て分かるほど。近くで見れば、より一層に幻想的。本当に観光地にでもなっていておかしくない眺めだ。

「できれば、水辺には近づきたくなかったんだけど。どんな水棲モンスターが潜んでいるか、分からない」

 妖精広場で安全確実に飲料水を無限に確保できる以上、僕らが他の水辺に接近する必要性はない。

「なるべく湖に近づかないように、迂回して行こう」

 それ以外に方法はない。双葉さんを先頭に、僕らは右手に湖を臨みながらグルっと回り込むように歩き始めた。

「……あれ」

 しかし、すぐに異常は起こる。

「どうしたの、桃川くん?」

「コンパスが、湖を指したままだ」

 湖の畔を進んでほどなくして、僕は何となく魔法陣のコンパスを確認してみれば、そうなっていた。

「気のせいかもしれない。もう少し、進んでみよう」

 だが、僕の淡い期待はあっけなく撃ち砕かれる。コンパスは相変わらず湖の中心を指したまま。

 てっきり、湖の反対側へ進めという意味だと思っていたのだが、どんなに歩いてもコンパスは湖を指し続けるのだ。そこには進むべき道などないというのに。

「魔法陣がおかしくなってる、ってことは……ないよね……」

 双葉さんがそう言ってしまうのも無理はない。事実、最初は僕もそう思ったし。

「魔法陣がバグったりするのかどうか分からないし、今のところ、確認する方法もないからね」

 もし本当に魔法陣のコンパス機能が狂っていたのだとすれば、僕らのダンジョン攻略はここで詰みだろう。

「これは、覚悟を決めて湖を調べるしかなさそうだ」

 ここはただの大自然ではなく摩訶不思議なギミック満載のダンジョンである。ならば、湖のど真ん中から、さらに先へ進む道が隠されていてもおかしくない。できれば、鍵やら石版やらのキーアイテムを幾つも集めてこいだとか、くだらないナゾナゾみたいな暗号解読とかの、面倒くさい仕掛けがないことを祈ろう。

「水の中に、何かないかよく探そう」

 そうして警戒態勢をとりながら、僕らは慎重に湖へと近づいていく。改めて見れば、やはり綺麗な湖にしか思えない。透き通る水の中に、小さな魚が群れになって泳いでいるのが見えた。

 一旦、来た道を逆戻りするように、湖の縁にそってゆっくりと歩き出す。

「どう、双葉さん、何かある?」

「うーん、別に何も――あっ」

 と、双葉さんは早々に発見をしたようで、声を上げて指をさした。

「あそこ、建物みたいなのが沈んでるよ!」

 示された方向を注意して見てみるが……うん、僕には何も見えない。まだ眼鏡が必要なほど目は悪くないんだけど、どうやら視力は双葉さんの方が良いようだ。あるいは、『狂躯』によって視力も強化されているのかもしれない。

「よし、行ってみよう」

 勿論、水の中ではない。双葉さんの見つけた建造物が、僕でも見えるような場所へと移動する。幸い、それほど離れていない。というより、ちょうど僕らが最初に森から湖に出た地点である。

「うわっ、なんでこんなのに気付かなかったんだろ……」

 思わず、そんな感想を漏らしてしまうほど、ソレははっきりと湖の中に存在していた。

 一見すると、それは水に沈んだ橋である。ただし、沈んだといっても橋の通路は水深30センチほど。この学校指定のペラペラの上靴がズブ濡れになることを覚悟すれば、問題なく歩いて行ける。

 幅は二車線道路くらいあって、結構な広さである。歩いたとしても、橋が崩れない限り、足を踏み外すことはないだろう。

 そんな水中橋は、どうやら湖を横断しているように真っ直ぐ伸びている。ここからでは、本当に対岸まで届いているかどうかは見えないけれど。

「ねぇ、これ、渡ってみる?」

「正直イヤだけど、コンパスが真っ直ぐこの先を指してるんだよね……」

 どうやらここが、正規ルートのようである。覚悟を決めて、行くしかない。

 そうして、渋々ながらも水面へと一歩を踏み出したその時だ。

 ブクブクと水面が俄かに泡立つ。どうみて自然現象ではない。そこに、水の中で空気を吐き出す何者かが潜んでいることの、この上ない証拠である。

「何かいるっ!? 下がって!」

 双葉さんがその巨体にあるまじき鋭いバックステップを刻み、一方の僕は転びかけながらあたふたと無様に走る。這う這うの体で森の木に手をかけたところで、けたたましい水音を立てて、湖から巨大な影が飛び出した。

「うわわっ、カエル! 桃川くん、大きいカエルだよ!」

 ちょうど湖の水中橋の上に、通せんぼするように降り立ったのは、確かに双葉さんの言う通りデカいカエルに見える。そう、本当にデカい。だってコイツ、僕を丸飲みできるくらいの大きさなんだから。

 全長はもしかして、鎧熊より大きいかもしれない。けど、地球産のカエルと同様に滑った皮膚をしているから、鎧熊よりは柔らかいし、刃も通ると思いたい。

 見た目はズングリとして、皮膚の表面にデコボコとイボが浮かぶウシガエルみたいだ。一滴で致死量となる猛毒なんて持ってなければいいけれど。

「双葉さん、静かに。もしかしたら、僕らを狙ってるわけじゃないかもしれない」

「ええっ、でもこのカエル、桃川くんを狙ってるよ!」

「えっ、マジで!? そんなの分かるの!」

「分かるよ! えっと、何か、そんな感じするのっ!」

 これも狂戦士の能力か。三つの初期スキルの内に『気配察知』みたいなモノはなかったから、ひょっとして隠しステータスか何かだろうか。ともかく、今は彼女の言葉を疑うよりも信じるべきだろう。

 そしてそれは、戦うしかないということを意味する。

「双葉さん、いける?」

「大丈夫! ウシガエルみたいだから、きっと食べられるよ!」

 いや、食用かどうか聞いてるんじゃないんだけど……まぁ、双葉さんは問題なく戦えるようだから、それでよしとしよう。

「行け、泥人形! 逃げ足を絡め捕る、髪を結え――『黒髪縛り』っ!」

 いつもの『黒髪縛り』で身動きを封じるコンボに加えて、今回は少しでも敵の注意を逸らすために、泥人形を先行して走らせる。

 正直、この三十センチほどの脆い泥人形に巨大カエルが気づきもしない可能性もあるけれど、一応は使ってみる。効果があればいいけれど――

「うわっ、これはダメだ……」

 そこら辺で拾った木の枝を槍のように構えて、勇ましく駆けだした泥人形二等兵であるが、巨大カエルの立つ場所は水中橋。水深はちょうど三十センチほど。湖に突入した瞬間、頭の先まで水を被った泥人形は、正に泥団子を投げ込んだように、真っ黒いシミのように水中に広がり、分解した。水面には、槍代わりの枝がプカプカと浮かぶのみ。

 ええい、この役立たず。僕の感覚的にも、泥人形の繋がり、みたいなものがプッツリ途切れて、完全に呪いが消滅したことが感じられた。

「頼んだ双葉さん! 縛りもあんまり持ちそうにないから!」

「うん、任せて!」

『黒髪縛り』の発動を待って、泥人形の無意味な突撃より一拍遅れて、双葉さんは力強くバトルアックスを構えて駆け出した。

 彼女の先に、いまだドッシリと橋の上で座り込んだままのカエル。その不動ぶりは、丸太のように太い前足へ呪いの髪が束となって絡みついているのが理由ではないだろう。

 相手の大きさと比べて、前足を封じる二房の黒髪は、あまりに頼りなく見える。

 でも、これが今の僕にできる最大限の拘束力。そういえばこの呪術って、ちゃんとレベルアップして強力になってくれるのかな……なんて、今更ながらに不安感に襲われる。

「やまない熱に病みながら、その身を呪え――『赤き熱病』!」

 そして、最後の支援技である微妙な効果の第一の呪術を放つと同時、ちょうど双葉さんが武器の届く間合いへと踏み込んだ。

「やぁああああああっ!」

 可愛らしくも勇ましい少女の声で雄たけびを上げながら、十全に威力の乗った斧の刃がカエルの脳天に向かって振り下ろされる。

 その直前に、巨大カエルは思いのほか素早い動作で後ろに跳び、斧の軌道から逃れた。

 やはり、僕の『黒髪縛り』は何の拘束力を持たなかったようだ。というか、カエルって構造的にバックジャンプってできるのか?

 どうなってんだちくしょう! と内心、色々と悔しく思ったその瞬間。

「うわっ!?」

 目の前に、ヌラヌラと不気味にテカった桃色の肉塊が迫っていた。

 それが、巨大カエルが大口を開けて飛ばしてきた長い舌であると気付いた時には、僕の貧弱な胴体をグルリと一周して捕えていた。

「桃川くんっ!?」

 何ら抵抗らしいことはできず、僕は武器である槍を振るう間もなくカエルの口中へと引き寄せられる。その牽引力は、僕でなくとも人間が踏ん張ってどうにかなるような強さじゃない。

 正しくモンスターパワーとでもいうべき力に引かれて、僕は自分の絶叫と目に映る風景を置き去りに宙を舞った。

 僕は記憶が走馬灯のように蘇ることもなく、ただ「あ、死んだ」と思いながら、カエルが目いっぱいに開いた口の中をボケっと見ただけ。

 デカい口は唾液でヌメヌメしていて、妙に赤く光って見えた。まるで、地獄の入り口みたい――と思った矢先に、地獄のふたは閉じられる。赤が、黒に塗りつぶされた。

「ぶわぁああああっ!?」

 瞬間的に冷たい水をぶっかけられた気分と同時に、坂道の下りをチャリで爆走している時にウッカリつまづいて放り出された時の衝撃を感じる。つまり、カエルの舌で引き寄せられた慣性をそのままに、水面橋を勢いよくゴロゴロ転がったのだ。

 打ち所が良くてそれほど痛みはなかったけれど、ちょっと溺れかけた。あんな風に突っ込んだら、人間ってのは水深30センチでも溺れることができる、と僕は水が鼻に入ってツーンとする嫌な感覚に苦しみながら、そんなことを悟った。

「桃川くん、大丈夫?」

「な、なんとかぁ……」

 ズブ濡れになった長い髪を犬みたいにブルブルと頭を振って視界を確保すると、そこには油断なく斧を構える双葉さんと、その先でオゲゲーっ! と舌の先から緑の血飛沫を上げて苦しみもがいている大カエルの姿があった。

 どうやら、双葉さんがすんでのところで舌を切断し、僕が丸飲みされるのを防いでくれたようだ。理屈としては納得できるが、本当についこの間まで普通の女子高生だった子が、そんな達人みたいな一撃を刹那の間で繰り出したことは驚嘆に値すべきだろう。げに恐ろしきは天職『狂戦士』か、それとも彼女自身の才能か。

 ともかく、助かった。呑気に僕がそう確信できたのは、何てことはない、次の瞬間にあっけなく決着がついたからだ。

 先手は、舌切断の痛みから立ち直った大カエル。怒り心頭といった様子で、ゲーゲーと実にカエルの鳴き声らしい重低音を響かせながら、よだれをまき散らす大口を開けて突進を仕掛けてきた。

 折りたたまれた長い後ろ足を生かしたジャンプ、というカエルのアイデンティティーを放棄するように、象みたいにドタドタと四足を忙しなく動かして水面橋をひた走る。

 対する双葉さんは、僕を大きな背中に庇うように不動の姿勢で待ち受ける。いくら双葉さんが女性の平均身長・体重を大幅に上回る豊満巨体を誇ろうとも、モンスタークラスの大カエルに比べれば、その差は歴然。

 さながら軽自動車と正面衝突するような交通事故を連想させるインパクトの瞬間、彼女が手にするバトルアックスが閃く。

「ふんっ!」

 それがどういう風に繰り出されたのかは、とても平均的な動体視力しか持たない僕には分からなかった。正しく、目にも止まらぬ速さ、というやつだ。

 けれど、それによって引き起こされた結果はしっかりと見届けられた。

 突進したはずの大カエルが、無様に吹っ飛んでひっくり返っているのだ。

 そんなカエルくんの様子に、僕はとても共感を覚える。

「騎士の第三スキル『弾き』だっ!」

 そう、双葉さんを仲間に引き入れてから最初に行った能力発動実験の時に、僕はこの『弾き』を喰らったのだ。その結果は、水面橋の上で情けなく仰向けでもがいている大カエルと同じ有様である。

 けれど、まさか大カエルほどの巨大さであっても、適切に発動する……いや、真正面からブッ飛ばすだけの効果があることが、最も驚くべき点だろう。

「やぁあああああああああああああっ!」

 そうして双葉さんは、ひっくり返ってジタバタしているという動物としてはあまりに致命的な隙を逃すことなく、今度こそ渾身の一撃を叩き込んでいた。

 大振りな斧の刃は、柔らかそうな白い皮膚に覆われたカエルの喉元をぶち抜き、盛大に気色悪い緑の鮮血シャワーを噴き出させた。

「うわぁ、ごめんね桃川くん、やっぱりこのカエル、食べられないかもしれないよ」

 たはは、と苦笑いする双葉さんの圧勝で、水面橋の決闘は終わりを迎えた。

第29話 転移の魔法陣

 双葉さんの圧倒的な狂戦士パワーで大カエルを仕留めることに成功したので、僕らはさっさと先へ進むことに決めた。

 魔法陣のコンパスは、ここだ! とばかりに湖の中心、つまり水面橋を進んだ先にあった円形の広場みたいな地点を示していた。

「でもここ、何もないんだよなぁ……」

 困ったことに、ここはどう見てもただの広場なのである。水面橋と同じく水深30センチほどの地点に石畳みたいな床が広がっている。構造的には、湖底から巨大な柱が立っていて、僕はその真上にいるような感じだろう。

「うーん」

 と意味もなく唸りながら、とりあえずは何かギミックがないか探してみることにする。夏川美波がトラップを利用していたことから、このダンジョンには様々な仕掛けが施されていることはほとんど確定といってよい。コンパスがここを頑なに指し示している以上、必ず何かこの場所にはあるはずなのだ。

 とはいっても、全くのノーヒント。隠し扉を動かしそうな装置みたいのもなければ、謎解きが書かれた石版なんてものもない。

 強いて言えば、石畳が魔法陣のような図形が描かれているらしい点が、それらしいかなってくらい。だが、これだってただの飾りという可能性もある。

 僕は腕まくりをして、それとなく足元に広がる魔法陣を描く溝へ触れてみた。

「やっぱり、何も起こらないか」

 指先に触れるのは、硬い石とその上に少し滑るような苔。どれくらいの間、水面に沈んでいたのかは分からないけれど、苔が蒸しているのも当たり前の環境だろう。

 なんて思いながら撫でていると、不意にグンニャリとした柔らかいものが僕の指を突いた。

「ん?」

 水の中から手を上げて見れば――心臓が止まるかと思った。

「ぬわぁあああああああっ!?」

 僕の指先に、楕円形の黒い生き物がぶら下がっているのだ。強力な吸盤で吸い付いているように、口先と思しき部位が、僕の人差し指の先っぽにくっついてブラーンとぶら下がっている。

 そう、それは蛭だ。デカい蛭だった。15センチくらいあるぞ、コイツ。

「あぁーっ!?」

 半ば半狂乱になりながら、ブンブンと腕を振り回すものの、デカいだけあって吸着力も強いのか、なかなか吹っ飛んで行かない。その間にも、蛭は加速度的に僕の血を吸い出しているようで、僅かに透過する体表から、その内側に赤い液体が溜まっていくところが見えた。


黒の血脈:その血は――


「ぎゃぁああああああああああああっ!」

 今、何かちょっと頭の中で呪術の説明文みたいなものが浮かんだ気がしたけど、巨大蛭にゴクゴク血を吸われている真っ最中の僕には、冷静に読み解く余裕などない。痛みこそないものの、吸血されていく様をまざまざと見せつけるような気持ちの悪い半透明の体のせいで、泣き出したいほどの嫌悪感を味わう。っていうか、もうちょっと泣いてるし。

「はぁ……はぁ……と、とれた……」

 結局、足で踏みつけながら指を抜くことで蛭を離すことに成功した。その気はなかったけれど、つい体重をかけすぎてプチリと靴の裏で潰してしまったようだ。赤い靄のように、水中に僕の吸われた血が広がった。

「も、桃川くん! 大丈夫!?」

 と、そこまで一人で大騒ぎしたところで、相方であるバーサーカー双葉さんがドタドタと大きな体と胸を揺らして現れた。

「だ、大丈夫……それより、この床のところ、デカい蛭がいるみたいだから、噛まれないように気を付けて」

「え、えぇーっ!?」

 目を白黒させながら、水面でバシャバシャとステップを刻む双葉さん。足に気持ち悪い吸血生物がまとわりついていないことを確認して、ようやくダンスを終えた。

「それより、コアの方はどう?」

「うん、ちゃんと獲れたよ!」

 僕が円形広場を調べている間、双葉さんには倒した大カエルからコアの採取を頼んでおいた。流石は白嶺学園料理部のエース、見事に成功したようだ。

 満面の笑みを浮かべて差し出された彼女の手には、赤い結晶が輝いている。間違いなく、コアだ。これを見るのは二度目。鎧熊のコアを奪われた時に見たからね。

 思い返してみれば、大カエルのは一回り以上は鎧熊のものより小さいように感じる。やはり、魔物としての強さが関係しているのだろうか。図体としてはどちらも同じくらいだけど、どう考えても戦闘能力は鎧熊の方が高いだろうし。

「ありがとう。でも、残念ながらこっちの方は何も分からな――」

 僕が不甲斐ない調査結果を報告しようとしたその時、唐突に変化が訪れる。

「うわっ、何だ、魔法陣が光ってる!」

 まるで双葉さんの到着でも待っていたかのように、足元に広がる広場の図形が赤く発光を始めた。どうやら、これはただの模様ではなく本物の魔法陣であったようだ。

「わっ、わわっ、どうしよう桃川くん!?」

 どうしようたって、僕は魔法について何一つ知らないのだから、対応策など知りようもない。

 けれど、魔法陣の発光に合わせて、双葉さんの手にあるコアも輝きを放ち始めたことには気づいた。

「コアが光ってる! とりあえず、捨てて!」

「えーい!」

 そうして、双葉さんがポーンと貴重なコアを投げ捨てた。綺麗な弧を描いて、水面にポチャンする寸前、まるでコアがフラッシュグレネードにでもなったかのように、一際眩い赤光を放った。

「うわっ――」

 瞬間的に閉ざされる視界。反射的に目を閉じるものの、瞼の裏からでも強烈な光が生じていることが感じられる。今、目を開けたら失明するんじゃないかと思えるほど。

 だから、僕が再び瞼を開いたのは、それからたっぷり三十秒は経ってから。少なくとも、大発光が収まったのを確信してから。

「ん……双葉さん、大丈夫?」

「だ、大丈夫ぅー」

 声の方を向けば、ぼんやりと視界に、双葉さんの大きな姿が映り始める。とりあえずは、お互い無事なことに安堵するけれど、すぐに、変化に気が付いた。

「あれ、ここ……湖じゃない」

 閃光でチカチカしていた視覚が明順応を経て正常に戻ってくると、周囲の景色が一変していることにすぐ気が付いた。

「あ、妖精広場……だよね?」

 うん、と二つ返事で頷けるのは、真っ先に目に飛び込んできたのが、このダンジョンにおける安全と安心の象徴である可愛い妖精さん象の立つ噴水だからだ。

 けれど、広場全体の趣きが少しばかり様変わりしていることに、僕も、思わず疑問符を浮かべた双葉さんも困惑したのだろう。

 広さは同じくらい。でも、何というかここは……緑が少ない。自然公園の一角のような感じだったけれど、ここはどうにも完全な室内といった感じがする。左右に立つ妖精胡桃の木はそれぞれ一本ずつだし、咲き乱れる色とりどりの花畑もない。その代りに、申し訳程度のプランターが幾つか噴水の周囲に配置されているだけ。

 何だか、酷く殺風景に見える。

「おいおいマジかよ、やったぜ西山、誰か来たぞ!」

「ちょっと、気をつけなよ平野、樋口とかだったらどうすんの」

 そんな声が聞こえてきた瞬間、ドキリと心臓が緊張で高鳴る。

 しまった、ここには誰かが――いや、声と台詞からいって、男子と女子の二人、平野君と西山さんがいる!

「おぉ、何だよ、桃川か……それと、うおお、双葉さんか」

「あ、そう? 良かった、変なヤツじゃなくて」

 見れば、そこには間違いなく、クラスメイト二人の姿があった。

 ヘラヘラと笑っている背の高いジャージ姿の男子が平野君。僕の出席番号は19番で、彼は18番だから、二年に上がったばかりの出席番号順の並びの時、前に座っていたから特に交友関係はなくても顔と名前はしっかり憶えている。ついでに、そのデカい背中のせいで酷く板書するのに苦労した覚えもある。

 もう一方、セーラー姿の西山さんは、こっちも特に交友関係はない。というか、僕には女子との交友関係は皆無だが、今はどうでもいい。

 西山さんは中肉中背で特に目立った容姿ではない眼鏡の少女である。どちらかと言わなくても地味な女子生徒だけど、別にぼっちというわけでもない。普通にクラスに友達がいて、何人かのグループで休み時間に談笑している姿が記憶にある。

 普段の学園生活においては何ら気にも留めない人畜無害なクラスメイトであるが、今、この極限のダンジョンサバイバルの状況においては、どんな人物でも油断できない。

 とりあえず、この二人には樋口の時のように有無を言わさず襲い掛かってくるような気配はない――けれど、警戒するには十分すぎる。

 なぜなら、彼らは二人組で、僕も双葉さんとのコンビ。つまり、この場にはまたしても、四人という呪われし数字の人数が集ったこととなるのだ。

「や、やぁ、こんにちは……」

 僕は緊張と警戒を必死で押し隠した苦笑いを浮かべながら、そう挨拶を返す。

 さて、この二人は仲間となってくれるのか、それとも、敵となるか。できれば、凄惨な殺し合いに発展しないことを、今は祈るより他はない。

第30話 平野西山ペア

「なぁ、頼むよ桃川、双葉さん、ここのボス倒すのを手伝ってくれ!」

 開口一番、そんなことを言いだしたのは平野君である。

「えーっと、ボスって?」

 とりあえず、今すぐ斬りかかってくる様子は見られないことに安堵しつつ、質問で返して探りを入れてみる。

「犬だよ犬、あの赤い犬のデッカい奴! アイツ、やたら速ぇし、魔法もよけるし、マジで西山と二人じゃどうにもならねぇんだよ」

「はぁ」

 どうやら赤犬の親玉みたいなヤツが平野君の言うボスモンスターらしいが、そもそもゲームでもないのにボスモンスってどういうことだよって感じだ。

「もしかして桃川君、ボスのこと知らない?」

 イマイチ納得のいかないような僕の表情で察してくれたのか、眼鏡の西山さんが聞いてくれた。ここは大人しく、自分の無知を認めよう。

「ここに転送して来たってことは、ボスを倒したってことだと思ったんだけど」

「もしかして、あのカエルのこと?」

「ああ、そっちはカエルだったんだ。私らの時はスケルトンだったけど」

 それから、ざっと西山さんが語るところによれば、どうやらボスというのは他のエリアにワープする魔法陣の部屋に居座る魔物のことを指すようである。

 このダンジョンは全てが物理的に通路で繋がっているわけではないようで、特定の場所には瞬間移動、つまりワープできる転移魔法陣が設置されているらしい。そして、このワープ部屋には決まって大きめの魔物が住みついているようで、これを倒さなければ魔法陣は作動しない仕掛けとなっている。ぶっちゃけ、そのボスのコアを捧げることで魔法陣が起動するから、どっちにしろ倒さない限りは絶対先に進めない仕様なのだ。

「初めて聞いたよ、そんなの」

「マジで? フツーに書いてあったけど」

「多分、情報が届くタイミングに個人差があるんだよ」

 気が付けば、いつの間にか僕の魔法陣にもゴーマの情報が更新されていたし。もしかすれば、天職の能力によって、より多くの情報を受け取れる、なんてのもあるかもしれないけど。

 ともかく、今はこの微妙に役に立っていそうで実はそうでもない魔法陣情報について考察するよりも、このクラスメイトと上手く協力関係を構築する方が先決だ。

「えーと、それじゃあ、赤犬のボスを倒さないと先には進めないってことなんだ」

「そうそう、単純だろ?」

「別ルートとか、抜け道とか隠し通路とかは?」

「ここの階層はロの字型の簡単な構造で、必ず奥のボス部屋に続くようになってるんだよね」

 西山さんの説明によれば、まずこの妖精広場を出ると、すぐに左右の分かれ道になっている。そして右に進んでも左に進んでも、どちらも同じ距離の直線となり、その先で再び合流。そして、この妖精広場とちょうど反対の位置に、例のボス部屋が設置されているという。

 左右の通路の途中には幾つか部屋があるけど、他の通路には繋がっておらず、定期的にスケルトンが現れるらしい。

 うーん、どこか別の場所で作り出され、それから転移魔法で各部屋に飛ばしているということだろうか。まぁ、現実にモンスターがポップする現象なんてありえないから、何かしら魔法の力によって行われていると考えるのは妥当だろう。

「隠し通路とかは、残念だけど私らの天職とスキル構成じゃ無理だし」

「そういうのを見つけんのは『盗賊』じゃねぇとな」

 天職『盗賊』がそのテの探知スキルを持っていることは、すでに双葉さんから聞いた夏川美波の話で僕も知っている。

 けれど、この二人も当然のように『盗賊』のスキルを知っているような口ぶりだ。

 となれば、考えられるのは二人のどちらかが『盗賊』か、『盗賊』の仲間がいたかの二通り。よし、ここで天職についての探りを入れることにしよう。

「盗賊のスキルのこと、詳しく知ってるの?」

「あ、ああ、それは、なぁ……」

「平野君、これは言うしかないんじゃないの。どうせ、これを話しておかないとボスのヤバさは伝わんないし」

 そうだな、とやや青ざめた顔の平野君は、意を決したように語り始めた。

「実は、伊藤がいたんだよ」

 というと、男子の伊藤誠二君だろう。女子に伊藤姓はいないから、間違いない。

 彼も僕と同じように、クラスでは目立つタイプではなかったはずだ。部活や交友関係などは、例によってほとんど話したことがないから僕は知らない。

「それじゃあ、伊藤君が『盗賊』だったんだ」

「おう、アイツのお蔭で俺らは結構楽に最初のとこをクリアできたんだよ」

「罠の位置が分かるし、宝箱も開けられるし」

「……宝箱? そんなのあるの?」

 馬鹿な、それじゃあますますここはゲームじみたリアルRPG系ダンジョンじゃないか! という僕の思いをよそに、二人は「マジかよ桃川、宝箱知らないのかよ」みたいな表情である。

「まぁ、盗賊じゃなきゃ宝箱も見つかんねーかもしれねぇか。とにかく、何か知らねーけどマジであるんだよ、宝箱が」

「中には魔法の回復薬とか、運がいいと武器も手に入るの。ほら、私が使ってる杖も、宝箱から出たやつだし」

 見れば、五十センチほどの細い枝に、大きな緑色のビー玉みたいな石が先端についた、如何にも「風属性の杖です!」みたいなモノが彼女の手に握られていた。現代日本で見れば、良く出来たコスプレアイテムにしか見えないが、この異世界においては決して馬鹿にはできない本物なのだろう。

「へぇー、凄い……けど、伊藤君がいないってことは……」

「まぁ、何つーか、そういうこと」

「最初にボスに挑んだ時に、ね。ここの前の階層が楽勝だったから、ちょっと調子に乗ってたとこもあって……」

 鎮痛な面持ちの二人は、現実の人死にに直面して、このダンジョンの厳しさをすでに理解しているようだ。

「けどよ、ずっとここにいてもしょうがねぇだろ。ボスは怖ぇけど、アイツをぶっ倒さないと、先には進めねぇんだ」

 確かに、別ルートを探す余地がないほどの単純構造となっているこのエリアでは、僕らは閉じ込められたも同然となっている。妖精広場のお蔭で、すぐに餓えることはないだろうけれど、そう遠くない内に限界が訪れることは明らかだ。

「だから頼むよ、四人で協力すれば何とかなるかもしれねぇ!」

「うん、まぁ、それはいいんだけど……」

 とりあえず、ボスを倒して先に進むことに否やはない。僕が気になるのは、そこから先のことである。

「二人は、ここから脱出できる人数が三人まで、っていうのはもう知ってるよね?」

「お、おう、そりゃあ、まぁな……」

 ちょっと気まずそうな顔の平野君。この絶望的な人数制限を知っていれば、実に自然な反応だろう。

「桃川君、今はそのことを考えるべきじゃないと思うんだけど。たった三人だけじゃ、そもそもこのダンジョンの奥まではとても進めないんじゃない?」

 なるほど、西川さんの言うことはもっともだ。あの鎧熊だけでも、三人で挑むには危険に過ぎる魔物だ。ダンジョンを進めば、もっと強力な魔物が待ち構えていないとも限らない。いや、ここのボス部屋みたいなシステムがダンジョン全体の基本構造なのだとすれば、まず間違いなく奥に行く毎に強力なモンスターが配置されるだろう。

 その難易度を思えば、三人以上でメンバーを作るメリットは計り知れない。

「でも、そう思わない人もいるよ。協力しない、くらいならまだいいけど、問答無用で殺しにかかってくる奴だって……いるかもしれない」

 正確には、いると断言できる。少なくとも、樋口は容赦なく僕を殺そうとしたし。けれど、それをあえて言う必要はない。この二人にどこまで僕の情報と経験を明かすかは、よく考えないといけないから。

「でもさ、こっちが三人以上仲間を増やしていけば、そう簡単には襲われないんじゃない?」

 数は力だ。それに、天職のある今の僕らは、見た目だけで戦力は図れない。非力な女子ばかり集まっていたとしても、彼女達が全員、ファイアーボールをぶっ放せるかもしれないのだ。

「それじゃあ、ダンジョンの攻略を最優先にして、脱出方法は後回しにしようってこと」

「うん、先に進めば、天送門以外の脱出方法だって見つかるかもしれないし。それに、今の私らはさ、ほら、強いじゃん。外の森だって、歩いて抜け出せるかもしれないよ」

 希望的観測による問題の先送り……と反対するには、まだ早いか。確かに、僕らはこの異世界のことを何も知らなすぎる。何ができて、何ができないのか。まだ選択肢を絞るよりは、可能性を模索していてもいい段階、かもしれない。

「分かった、余計なこと言ってごめん。とりあえず、僕らは協力して、まずはボスの撃破を目指そう」

「おお、サンキューな桃川!」

「ありがとう桃川君、これで希望が持てるよ!」

 互いに笑いながら、何となく握手を交わす。ひとまず協力体制が確立したことで、和やかなムードが漂うが……さっきからずっと沈黙を守っている双葉さんが気になる。

「……桃川くん、本当にいいの?」

 チラリと彼女へ視線をやると、顔を近づけてそっと耳打ちしてきた。

「とりあえず、ここは協力した方がいい。でも……いざという時には、備えておいて」

 当然だけど、僕はまだ平野君と西山さんを全面的に信用しているワケじゃない。西山さんの意見は僕も賛成できる。けれど、二人が正しい論理を口にしながら、密かに騙しているという可能性も否めない。

 情けない話だが、もしも二人に裏切られた場合、僕にはどうすることもできない。まして、双葉さんにも裏切られれば、確実に死は免れえない。仲間のいない呪術師は、あまりに無力だから。

「うん、私に任せてよ、桃川くん」

 そんな当たり前の注意を言っただけなんだけど、双葉さんはやけに嬉しそうな笑顔を浮かべて、力強い返事をくれた。

「平野君、西山さん、私も、これからよろしくね」

 朗らかに微笑みながら、双葉さんも挨拶を交わして、晴れて四人パーティの結成と相成った。

「それじゃあ、まずは自己紹介、というより天職紹介した方がいいかな?」

「おい西山、そんなもん、ちょっとスケルトン狩ってくりゃいいんじゃねーの?」

「あっ、そっか、そうだよね。確かにその方が分かりやすくていいかも。じゃあ、桃川君、双葉さん、これからみんなでスケルトンと戦って、みんなの天職と能力を見ようと思うんだけど、いいかな?」

 さて、早速だけど二人に僕の天職を明かさなければいけない時が来てしまったようだ。

 まぁ、メンバーの能力も把握せずにボス戦に挑むなんてありえない。協力関係を結んだ以上は、自分の能力は最低限、明かさなければいけない。

「……分かった、行こう」

第31話 スケルトン

 妖精広場を出た先は、これまで通って来たダンジョンと同じような石造りの通路だった。けど、今までのよりもかなり綺麗だ。新しい、というより、老朽化していないって感じ。

 石の壁にはひび割れは見当たらないし、苔も生えてない。通路を照らす天井の白光パネルも、心なしか明るいように思えた。

 通路は緩くカーブを描いているようで、ボス部屋があるらしい向こう側までは見えないものの、見通しはかなり良い。いきなり天井や壁が開くか、通路のど真ん中にワープでもされない限り、奇襲の心配はしなくてよさそうだ。

「平野君、何となく想像はつくけど、スケルトンって、どんな魔物なの?」

「そりゃあお前、骸骨に決まってんだろ。まぁ、スケルトンって呼び始めたのは伊藤だけどな」

 どうやら、ステレオタイプなスケルトンで間違いないらしい。真っ白い骸骨がカタカタいいながら襲ってくる様は、RPGやファンタジー映画なんかでよく見られるけれど……よくよく考えると、ここまで非生物的なモンスターを見るのは初めてだ。なんだかんだで、これまで遭遇した魔物は、どれも地球の動物の延長にあるようなものだったし。

「まぁ、見れば一発で分かるから。それに、ただの雑魚だから心配すんな」

 ヘラヘラっとした軽薄な笑みを浮かべる平野君に、僕はそこまで安心感を覚えることはないけれど、少なくともボスでつまずいている以上、雑魚モンスに苦戦していないのは事実だろう。

「あっ平野、スケルトン出たよ、ほら」

 平野君の隣に並んで歩いていた西山さんが発見の報告をしてくれた。

 見れば、通路の壁面にある部屋の入口から、のっそりと白い人影が出てくるところだった。距離は大体、30メートルあるかどうかってくらい。

「うわっ、ホントにスケルトンだ」

 ソイツは、他に言いようがないほど完璧にスケルトンであった。理科室にある骨の方の人体模型がそのまま動き出したかのように、人間の骨格そのもので歩いている。

 服は着ていない。しかし、武装はしていた。

 骨の手がやんわりと握っているのは、木の棍棒。長さは五十センチほど。荒い削りだが、細すぎず、太過ぎず、丁度良い大きさ。そういえば、ゴーマの多くが装備していた棍棒も似たような感じだった。もしかすれば、このスケルトンを倒して鹵獲しているのかもしれない。

「こっちに気づいてはいないみたいだね」

「おう、もっと近づかねーと、アイツら気づかねぇんだよ」

「だから、倒すだけなら私が魔法を撃つだけで楽勝なんだよね」

 なるほど、出来の悪いアクティブモンスターなのか。

「桃川と双葉さんは初めてだろうから、先に俺らがやるか」

 ありがたい申し出である。いくら双葉さんが強くなっているとはいえ、できれば初見で挑ませることは避けたい。先に相手の動きを見ておけば、彼女も安心して戦えるだろうし。

 断る理由はどこにもないから、お願いします、と素直に言った。

「私はどうする?」

「そんじゃ、先に一発だけ撃ってくれ。後の二体は、俺がやる」

 部屋から通路へ出てきたスケルトンは、合わせて三体。特に連携をしている様子はなく、ゾンビが彷徨っているみたいに、ノロノロと歩いている。一体はこちらに向いているが、もう二体は後ろ、ボス部屋のある通路の先の方を向いていた。

「オッケー。それじゃ、先に言っておくけど、私の天職は『風魔術士』だから」

 軽い紹介を終えるなり、西山さんは手にしたワンドを掲げた。いかにも、杖の先から攻撃が飛び出します、みたいな格好。

 思えば、僕が攻撃魔法を見るのはこれが初めてだ。双葉さんから話には聞いているものの、いざファンタジーの代表たる攻撃魔法をその目にできると思うと、ちょっとワクワクする。

 え、『赤き熱病』? 知らない子ですね。

「الرياح قطع شفرة――風刃エールサギタ

 何かよく聞き取れない謎の言語を短く呟いたと思った次の瞬間、構えたワンドの先端にある緑の玉が薄らと発光する。

 すると、淡くグリーンに輝く旋風が、鋭い風切音だけを残して、通路を駆け抜けた。一瞬だけ見えた緑色の風は、弧を描く曲刀の刃みたいな形状。

 そして、風の刃は狙い違わず、ボンヤリとウロつくスケルトンへ直撃した。バキン、という乾いた音と共に、スケルトンの肋骨が強烈な袈裟切りを喰らったように弾け飛んだ。

 どれだけの衝撃がその身に加わったのだろうか。スケルトンは背骨がへし折れるんじゃないかというほどに大きくのけ反ると、そのまま堪えきれないとばかりに、バッタリと仰向けに倒れ込んでいった。ガシャン、と音を立てて倒れ伏すと、もうピクリとも動かない。

 一撃でスケルトンを倒し切った鮮やかな手際に、僕は改めて攻撃魔法というものの凄さと便利さを実感する。同時に、ささやかな嫉みも。ちくしょう、僕にもこんな攻撃が使えれば……

「じゃ、ちょっと行ってくるぜ。俺の天職『剣士』の実力、ちゃんと見ておけよな」

 僕の醜い嫉妬心などまるで察することもなく、平野君は自信気な笑みと共に天職を名乗った。彼の手には、ピカピカに磨き抜かれたような鋼の刀身を持つ、両刃のロングソードが握られている。曰く、宝箱からゲットした、相棒であると。

「うわっ、速い」

 剣を携えた平野君が駆けだす姿を見ての第一声は、それ以外にはなかった。シュッ、という上靴のペラいゴム底と石畳が擦れた音を置き去りにして、彼のそこそこ大きな体が矢のように飛び出していく。

「『疾駆』っていうんだって。効果は見ての通り」

 なるほど、あれが速度上昇系の武技『疾駆』なのか。移動速度上昇、なんて効果の技、RPGだったら大抵は役立たずなことが多い。だって、貴重な1ターンを犠牲にして、ちょっと回避率が上がったりクリティカルが出やすくなったりする効果を求めるプレイヤーはいないし。

 しかし、現実として移動速度の上昇、つまり、凄く速く走れる、というのは戦いにおいて途轍もないアドバンテージだろう。少なくとも、普通の人だったら、真正面から突っ込んできても、今の平野君の速さに対応できない。目にも止まらぬ速さ、とまではいかないけれど、ちょっと人間が走っているとは思えない速さなのだ。テレビで見た世界陸上でだって、ここまでの速さで走ってはいなかった。実際、何キロくらい出てるんだろう。

「でも、夏川さんはもっと速かったよ」

 ボソっと独り言のように小さく漏らす双葉さん。もしかすれば、同じ名前の能力でも、天職によって効果の大小があるのかもしれない。まぁ、一番可能性があるのは、個人差だろうけど。

 夏川美波は我らが白嶺学園陸上部のエース。スプリントに限っていえば、彼女ほど才能のある生徒は他にはいない。

「うぉおおおおおっ――」

 気が付けば平野君は、目測30メートルはあった距離を越え、スケルトンへ剣の届く間合いへと踏み込んでいた。雄たけびを上げながら、剣を力強く大上段に振り上げる。

 一方のスケルトンは、一拍遅れてお仲間が倒されたことに気が付いたようで、ちょうどゆっくりとことらへ振り返り終えたところであった。もうすぐ目の前に迫った敵の存在を、どうにもまだ認識していない様子。

「――大断ブレイクっ!」

 刹那、振り上げられた剣が薄らと光ったように見えた。幻のような瞬きの直後に、ギン、という甲高い音が響いてくる。命中。

 スケルトンは頭蓋骨アタマから骨盤マタまで一刀両断にされたようだ。一瞬の静寂の後、骸骨は左右にパックリと別たれ、ガラガラと力なく崩れ落ちる。

 見事な一撃。だが、敵はまだもう一体残っている。

 スケルトンは今度こそマトモな反応を見せた。剣を振り切った体勢で隙を晒す平野君に向かって、手にした棍棒を大振りで繰り出す。

「へっ、見え見えなんだよ!」

 余裕ぶった台詞通り、スケルトンの単調な打撃を完全に見切っているように、平野君は身を屈めたまま棍棒のスイングを潜り抜ける。

「そりゃあ、『見切り』があれば見えるって」

 カッコつんなよ男子、みたいな冷ややかな雰囲気で西山さんが言う。

「いや、でも、見切った上でちゃんと動けるだけで凄いよ」

「桃川君、その台詞アイツに言わないで。絶対、調子に乗るから」

 苦笑いを浮かべる西山さんの顔は、何だろう、この、おバカな彼氏オトコのことなんて全てお見通し、みたいな余裕を感じさせる。

「――しゃあ! やったぜ!」

 おっと、僕が二人の関係を邪推している間に、平野君は二体目のスケルトンを切り倒し終えていた。

『見切り』で敵の攻撃を掻い潜ると同時に、『疾駆』の速度が乗ったまま背後に回り込んでいた。この高速移動に、何だお前眠いのか? ってほど鈍いスケルトンはとても反応しきれない。

 あとは無防備な背骨セナカへ、好きな一撃を撃ち込める。

 そうして、平野君は危なげなくスケルトンを制して見せたのだった。

「お疲れ様」

「おう、こんなもんはまぁ、準備運動くらいだけどな!」

 はっはっは、と笑いながら戻ってきた平野君は上機嫌。僕らというギャラリーに、剣士の鮮やかな戦いぶりを見せられて満足といったところだろうか。腰のベルトを通して提げられた鞘に剣をしまう動作も、どこか堂に入っているように見えた。

「で、どうだったよ?」

「ああ、うん、スケルトンのことは何となく分かったよ。それに、二人ともしっかり天職を使いこなしてて、凄く頼りになる」

「いやー、それほどでもねーって。俺なんかまだ一個も新しいスキル覚えられてねーし」

 ということは、今の戦闘で見せた『大断ブレイク』『疾駆』『見切り』が、平野君が持つ能力の全てということか。

 こんな僕でも、まぁ、鎧熊撃破というラッキーは除いたとしても、『汚濁の泥人形』という新スキルの獲得に成功している。

 勿論、これも個人差はあると思うけど……うーん、やっぱりスケルトンとの戦闘くらいじゃ、大した経験にはならないってことなんだろうか。

 しかしながら、能力をぶつけるにあたって都合の良い木偶の坊ならぬ木偶の骨である。少なくとも、実際に能力を使いこなす練習相手としては十分役に立つ。

「西山は結構早く新しい魔法憶えられたのによー」

「最初はビビって私の『風刃エール・サギタ』ばっかり使って倒してたからでしょ」

「はぁ、ビビってたんじゃねーよ! それに今はスケルトンなんか余裕だし!」

「ちょっ、あの骨ヤベェ、マジヤベェ、とか涙目で言ってたくせに」

「言ってねーし! っつーか昔の話すんなし!」

 何だか二人きりで仲良く喧嘩を始めたな、と思いながら眺めていると、平野君がハっとしたように僕の視線に気づいた。そんなに生温かい目をしていたのだろうか。

「ま、まぁ、ボスを倒せば俺も新しいスキルをゲットできる気がするんだよな」

「うん、そうだね」

 と言うのは、決して適当な相槌ではなく、割とマジな返事である。

 双葉さんの狂戦士へのクラスチェンジ、という特殊な事例は除き、委員長グループの話を聞いた上では、そのまま戦っていれば割と普通に新スキルを獲得していた。だからボス、この剣士と魔術士のコンビでも倒せない強い魔物を撃破できれば、まず間違いなく新たな能力を授かるだろう。

「西山さんは、他にどんな魔法が使えるの?」

「え、他のはあんまり大したことないよ。周りに強い風を出すとか、風でちょっとだけ高くジャンプできるとか――」

 前者は『風衣エールドレス』という名前で、一種の防御魔法だと思われる。自分の周囲三メートルほどに突風を全方位に発し、接近する相手を吹き飛ばす、あるいは一時的に足止めすることができる。弓矢や投石といった軽い遠距離攻撃も、弾き返したり軌道を逸らしたりできそうだ。

 集中し続ければ数十秒は出しっぱなしにできるらしいし、もっと習熟すれば安定した防御ができると思うのだけれど……どうやら彼女は今までほとんど『風衣エールドレス』は使わなかったようなので、熟練度は上がっていない。

 後者は『浮風エールフォロー』という、移動強化、いや、支援魔法というべきなのだろうか。自分に対して上昇気流を発生させて、ジャンプすれば高さを少しだけ稼ぐことができる。しかし、これはジャンプ力アップの効果よりも、高いところから落下した時でも安全に着地できる、という転落防止の方が役に立ちそうだ。

 もっとも、自由落下の真っ最中でも冷静に魔法を発動できるかどうかは分からないが。少なくとも、これもほとんど使っていない今の西山さんには無理だろう。

「けどよ、新しい魔法がかなり強いんだぜ」

「そりゃあ、『風連刃エール・ブラスト』の威力は凄いけど……呪文が長いから、あのボス犬みたいに動く奴にはあたんないって。それに、一発撃つとすっごい疲れるし」

 そして、『風刃エール・サギタ』でスケルトンを狩りまくったお蔭で獲得したと思われる新たな攻撃魔法が、この『風連刃エール・ブラスト』だ。

 発動に必要な詠唱時間は、およそ二十秒。コンマ一秒を争うバトルの世界では、あまりに長い時間だ。ちょっとスピードの速いアクションRPGでもやったことがあれば、スキルのクールタイム二十秒というのが、どれほど待ち遠しいものかお分かりいただけるだろう。

 おまけに、一発撃つと『風刃エール・サギタ』が三発撃てるかどうか、というほどにまで疲れる……つまり、魔力を消耗するという。

 ほとんど一発勝負の大魔法。これを実際の戦闘で使うには、かなりの博打である。

「けどよ、コイツが一発当たれば、アイツを倒せるぜ」

「当たんないから、困ってるんでしょーが」

 そりゃそうだ。ゲームだったら命中するまでセーブ&ロードでいいけれど、現実ではそうもいかない。赤犬のボスと対峙して、『風連刃エール・ブラスト』を外した場合、疲れた西山さんを連れてボス部屋から逃亡するのも命がけ。そう何度も気軽にチャレンジできる難易度じゃないだろう。

「だからよ、絶対当たるように動きを止めるとか――」

「そこまでできるんなら、アンタの剣でトドメ刺せるでしょーが」

「とりあえず、西山さんの魔法は分かったよ、ありがとう。一発で倒せる手段があるっていうだけで、まずは心強いと思うよ」

 また仲良く喧嘩を始めそうな二人に、僕は呆れ半分本心半分の台詞を言いながら割って入る。

「それじゃあ次は、桃川君と双葉さんの番、ってことでいい?」

「スケルトンが出るまで待つか? それとも適当に部屋覗いてみっか?」

「他の部屋がどうなってるか気になるから、見てみようと思うけど……双葉さんはそれでいい?」

「うん、いいよ」

 快く了承してくれる双葉さんだが、どこか作り笑い染みた微笑みを浮かべているのが引っかかる。うーん、やはり二人への警戒心が先に立っているのだろうか。

 とりあえず、今は仲良くできるならそうしておくべき時だと思うから、余計な不和を招く態度はまずいのだが……その辺は彼女自身も分かっているから、こうして表面上は笑っていられるのだろう。

 麻薬でラリっているならともかく、双葉さんは馬鹿でもないし短絡的な思考でもない、と思う。だから、今は僕からどうこう言うよりも、とりあえず一緒に行動を続ける中で打ち解けるのを待つ方がいいだろう。少なくとも、四人で協力してボスを撃破できれば、多少は信頼関係ってのが生まれるはず。

「よし、じゃあ行くか」

 平野君の適当な掛け声で、僕らは再び通路を歩き始めた。まず目指すのは、ついさっき倒したスケルトン三人組が出てきた部屋。

 勿論、ゲームのようにモンスターの死体が光の粒子となって消えてドロップアイテムとささやかな金貨が残される、なんて現象は起きず、扉の前には砕けた人骨が散乱しているのみ。スケルトンからコアが採取できないことは、一目瞭然である。

「うーん、やっぱこん中にはいねぇな」

 おいおい大丈夫か、ってくらい無防備に部屋を覗き込んだ平野君が、敵影ナシの報告をしてくれる。ここの部屋は扉がなく、ただ開きっぱなしの構造となっている。正面から見れば中は見えるものの、隅々まで確認するには入ってみるしかない。

 もし入り口部分の左右に、スケルトンが棍棒を振り上げて待ち構えていたならば、平野君は一発で七人の侍選抜に落ちること間違いなしの醜態を晒すだろう。

 まぁ、あのスケルトンの様子からいって、罠や奇襲をしかけるような知恵が回るようには思えないけれど。でも油断は禁物だろう。こういう雑魚モンスって、群れを統率するボスキャラがいると、途端に精鋭兵士になったりするし。

「桃川、一応部屋ん中、見ておくか?」

「あ、うん」

 ごちゃごちゃ考えていた僕は、やや間抜けな返事をしながら、安全が約束されたスケルトン召喚部屋へと踏み込む。

 うん、パっと見で分かるほど、ここには何にもないな。ただの石壁に囲まれた、教室くらいの広さの部屋。それ以上でも、それ以下でもない。天井の白光パネルが過不足なく部屋全体を照らし出し、ここには何ら探すべき不審な所などないということを明らかにしてくれる。

「スケルトンが出てくるところって、見たことある?」

「いや、ねーけど……おい、出て来るまで待とうとか言うんじゃねぇよな?」

「そこまで暇じゃないよ」

 そんなワケで、さっさと次の部屋へと移動する。あんなに何もない空っぽの部屋なら、もし隠し扉なんかがあっても、盗賊のサーチスキルがないと発見なんて無理に決まってる。調べるだけ時間の無駄。

「まぁ、他の部屋もさっきのとほとんど同じなんだけど――お、ちょい待った」

 通路を進み、二つ目の部屋に到着した当たりで、平野君が待ったのお声をかける。

「ツイてるな、スケルトンいるぜ」

 平野君に続いて僕も部屋を覗き込んでみると、確かにいる。

 ここの部屋はさっきの倍くらい大きく、部屋の中央に石の円柱が三本並んでいる。その右奥の柱の影に隠れるように、スケルトンが一体……いや、二体、ぼんやりとウロついていた。

 例によって、こちらにはまだ気づいていない様子。先制攻撃を仕掛ける、絶好のチャンスだ。

「そんじゃ、頼んだぜ」

 教室の掃除当番でも頼むような気軽さで言う平野君の言葉に了承し、僕と双葉さんは初めてのスケルトン討伐に挑む。

「双葉さん、いつも通りで行こうと思うけど、いい?」

「うん、足だけ縛ってくれたら、あとは全部、私に任せて」

 力強い返答をくれる双葉さん。それにしても、さりげなく『赤き熱病』の援護が省かれてるな。まぁ、即効性のない呪術なんか使っても、魔力の無駄だし、別にいいか。

「桃川君と双葉さんの天職は、何なの?」

 いざバトル、という前に、二人には天職を紹介しておかなければいけない。すでに二人とも天職も能力も明かしている。

 だが、ここで馬鹿正直に全てを明かすのもまずいだろう。

「僕は『呪術師』で、双葉さんは『戦士』だよ」

 とりあえず、クラスチェンジのことは黙っていよう。別に『狂戦士』になったからといって双葉さんは正気を失っているわけではないし、表向きは何の変化もない。特殊な事例だとは思うけど、だからといって過度に期待されても困る。

「じゃあ、行くよ」

 詳しい能力の説明は後回し。まずはスケルトンを倒して、デモンストレーションを終えるとしよう。

「逃げ足を絡め取る、髪を結え――『黒髪縛り』」

 部屋に踏込み、先手を打つ。柱の近くをウロウロしているスケルトンの足元に広がる影から、俄かに雑草の如く黒髪の束が湧き出る。ウネウネと触手モノみたいに気持ち悪く蠢きながら、髪の毛は骨の足首にきつく絡みついた。

「今だっ!」

 という僕の掛け声と共に、双葉さんが斧を振り上げ駆け出す――かと思いきや、彼女は隣に並んだまま、一向に走り出す気配がなかった。

「あれ、双葉さん、どうしたの?」

 急にヤル気がなくなった、というワケではなさそう。双葉さんは油断なく、真っ直ぐにスケルトンを睨んでいる。

 彼女からの返答はなく、武器であるはずの斧を手離すと、空いた右手を腰に装着したゴーマのポーチに突っ込んだ。

「――えい!」

 という可愛らしい掛け声とは裏柄に、ブォン、と力強い風切音が聞こえた。直後、乾いた破砕音が盛大に響き渡る。

「……え?」

 気がつけば、スケルトンの頭が消えていた。あれ、双葉さん、貴女いつの間に攻撃魔法の使い手に――

「やぁ!」

 続けて、二体目の頭部もバチコーンと砕け散る。最初から内側に爆薬でも仕込んでいたのかっていうほどに、綺麗な弾けぶり。

「終わったよ、桃川くん」

 本日のヒーローインタビューである。

 流石にすぐ真横で見ていれば、双葉さんがどうやってスケルトンを仕留めたのか分かった。何て事はない、彼女はただ石コロを投げただけ。

 僕が牽制くらいにはなるかと思って渡した投石用の石コロ袋だったけど、まさか一撃必殺の投擲武器になるとは。狂戦士の腕力に、ただただ驚くばかりである。

「うわっ、マジかよ双葉さん、凄ぇな……」

「双葉さんの天職って、実は『投手』とかじゃないよね?」

 二人の驚きようも、さもありなん。

「けどよ、これならボスも倒せるんじゃねぇか!?」

「うん、なんだか行ける気がする」

 しかしながら、彼女の圧倒的パワーが伝わるパフォーマンスであった。大変ウケがよろしい。

 少しばかり楽観的かもしれないけれど、確かに、この面子なら赤犬のボスくらいは倒せるような気がする。

第32話 練習(1)

 それぞれの天職の紹介もつつがなく終了し、僕らは一旦、妖精広場へ戻ってくることにした。

「しっかし、武技も使わねーでスケルトンを倒すなんて、双葉さん、かなり強ぇえんじゃねーのか? っていうか、凄ぇ技とか持ってるんじゃね?」

 純粋な好奇心といった感じで聞いてくる平野君だけど、これの解答には細心の注意を払わなくては。

 さっきはあえて僕らのスキル構成を詳しく話さなかったけれど、やはり、どんな技、魔法が使えるのかは教えなければいけない。

「実は双葉さんも、まだ戦士の初期スキル三つしか使えないんだ」

 視線で双葉さんに合図、まぁ、伝わったかどうかは分からないけど、とりあえず、ここは僕に任せてくれ、とばかりに彼女に代わって説明役を買って出る。

「え、マジで?」

「『恵体』っていう強化スキルみたいなのがあるんだけど、これのお蔭でパワーが上がっていると思うんだよ」

「ふーん、ケータイね」

 勿論、嘘だけど。でも、狂戦士のことを伏せている以上、『狂躯』のことも言えない。まぁ、本当に双葉さんのパワーがこれによるものかは、まだイマイチ分かってないんだけど。

「だから、他のスキルは『見切り』と『弾き』だけなんだよね」

「『弾き』って? 攻撃を弾き返すの?」

「うん、大体そんな感じ。上手く決まれば、相手がよろめいて倒れたりもするから、カウンターとしても使えるかもしれない」

 あの大カエルも一発でひっくり返ったのだから、小型のモンスターなら大抵はブッ飛ばせるだろう。赤犬ボスも、サイズ次第では可能かも。

「でもよ、そのケータイってのがあれば、ずっとあのパワーになれんだろ? それって凄くね? っつーかレアスキルってやつ?」

「平野君は能力ナシでも、何か力強くなったとか、速くなったとか、そういうのはないの?」

「おう、やっぱ武技使った時しか強くはなんねーな」

 なるほど、だからこそ常時発動のパッシブスキルは便利に見えるだろう。

「でも、双葉さんにはまだ攻撃技がないから、決め手に欠けると思うんだよね。一撃の強さだったら、やっぱり『大断ブレイク』の方が威力ありそうだったし」

「一長一短ってことね」

 今の双葉さんは頼りになるが、過信は禁物だ。

「ところで、気になったんだけど、桃川君の『呪術師』って、もしかして、攻撃魔法なかったりする?」

 うわ、やっぱりそこ、聞いちゃうのか……いや、そりゃあ聞くよな。僕としても、この辺はぶっちゃけておかなきゃ、この先やっていけないところだし。

「うん、僕の『呪術師』は攻撃できないんだ。実際、かなり弱い天職だよ」

「うおっ、マジかよ」

 明らかな落胆な声をあげる平野君。何も言わないけど、西山さんも微妙な顔をしている。

「敵を拘束する『黒髪縛り』が今のところ一番使える呪術だよ」

「他には何があるの?」

「次に役立つのは『直感薬学』かな。薬を作れる」

「おお、それって待望の回復職じゃねーか!」

「でも、材料に限りはあるし、見たところ、このエリアじゃ薬草は一本もないし、多用はできないよ」

「ふーん、効果はどんなもんなの?」

「そこは大丈夫、かなり効果あるよ。双葉さんは瀕死の重傷を負ったことがあるけど、薬で回復したし」

「マジで、すげぇじゃん! 回復ってあの四葉しかねーから、かなりヤバかったんだよな」

「うん、それじゃあボスと戦って、少しくらいなら怪我しても大丈夫そうね」

 二人の様子からいって、魔法陣で紹介されていた四葉のクローバーの薬草は十分な数が確保できていないようだ。見たところ、この妖精広場にあるプランターにも、四葉はほとんど見当たらないし。

 委員長チームもそうだったが、やはり回復手段の確保には苦労するようだ。しかし、だからこそ呪術師の僕にもワンチャンあるってこと。

「他には相手を微熱にする『赤き熱病』とか、弱っちい『汚濁の泥人形』とかあるけど」

「え、微熱って何? どういうこと?」

「そこは深く聞かないで」

 うん、この辺の呪術は現状、攻略では全く役に立ちそうにないから、本当に聞かないでおいて欲しい。というか、なかったことにしてくれてもいいよ。

「あと、最後に『痛み返し』っていう呪術があるんだけど、これ、僕に攻撃するとダメージが相手に跳ね返るから、誤射とかには注意してね」

 要するに、裏切るなよ、ってこと。僕の戦闘能力は皆無だけど、殺した奴を100%道連れにする呪術があるというのは、ある意味で究極の保険でもある。

 ゴーマみたいな群れる敵にはほとんど無意味だけど、人間の味方には有効だ。誰だって、自分の命は惜しい。それに、あの樋口みたいに奴隷扱いの手下を作れる奴も、そう多くはないだろう。まぁ、いくら勝のバカだって、自分が死ぬと思えば刺す勇気なんて持てないだろうけど。

「そ、そうなんだ。それって、何か本当に呪いっぽいね」

「攻撃しない限りは、何ともないから」

 ちょっと引いた様子の西山さんに、一応ことわっておく。あからさまに距離をとられるのも、それはそれでつらい。

「けどよ、とりあえずこの面子ならボスも何とかなるんじゃねーか?」

「ちょっと、いきなり今から倒しに行く、とか言わないでよね。少しは段取りしとかないと……ほら、伊藤君の時みたいになったら、困るでしょ」

「おう、分かってるよ」

 二人の雰囲気からいって、どうも最初にボスに挑んだ時はほとんど無策で突っ込んで行ってしまったようだ。調子に乗っていた、とも言っていたし。

「それじゃあ一応、作戦会議しとこうか」

「つっても、最初に桃川が足止め、後は俺と双葉さんがボスを斬って、西山は援護。で、運よく足でも切れて動きを止めれたら、ブラストぶちこめばいいだろ?」

 平野君の作戦は大雑把ではあるものの、それぞれの天職からいってこれ以外の陣形はないだろう。

「ボスはどんな攻撃してくるの? 対処も考えておかないと」

「まぁ、ただのデケー犬だよ」

「ただの、って言っても、動物園で見たライオンくらいの大きさだけどね。実際に見たら、かなり迫力あるよ」

 ライオンサイズということは、少なくとも僕の記念すべき初エンカウントである鎧熊よりかは小さい……けれど、だからといって何ら心の余裕は生まれない。大型犬を越えるデカさの赤犬って、それどう考えてもヤバいだろ。

「あ、でも一番ヤベーのは、火ぃ吹いてくるんだよ」

「え、ホントに? どれくらい?」

「結構ドバーっと、ドラゴン花火みてぇに」

「いや、アレはどう見てもドラゴン花火よりも炎でてたでしょ」

「ちょっと、その辺詳しく」

「うーん、えっと――」

 西山さんの説明によると、どうやらボスは火炎放射というほど激しくはないが、それでもはっきり炎を吹いていたという。牙をガチガチならすと火花が散り、次の瞬間に勢いよく発火するように、炎が広がったらしい。

 魔法で炎をぶっ放しているのか、それとも可燃性のガスを撒いてから点火しているか、この際、原理は割とどうでもいいだろう。

「接近する平野君と双葉さんは、かなり危険じゃない?」

「でもまぁ、剣士と戦士だし、しょうがないんじゃね? ガチガチやってきたら、気を付けっから」

 注意して回避に専念。言うのは簡単だけど、果たしてどうだろうか。ゲームだったら、敵のモンスターなんて所詮はAIに従って動くだけのプログラムに過ぎない。特に大技は放つ時なんかは、必ず決まった予備動作が組み込まれていたりする。だから、プレイヤーはそれに対処できる。できなくても、何度もコンテニューし続ければ、馬鹿でも覚えられるのだ。

「とりあえず、挑む前に水くらい被った方がいいかもね。あと、僕の薬でも火傷は治ると思うけど……あんまり酷いとダメかもしれないなから」

「おう、気合いで避けるわ」

 今の僕らにできる準備などたかが知れている。結局は、本人のプレイヤースキルに頼ることとなってしまう。

「他には、何かある?」

「うーん、特にはないと思う。動きも、見た目取りの犬だったし。ほら、警察犬が犯人捕まえるみたいなのって、テレビで見たことない? あんな感じで、凄い勢いで飛び掛かってくるよ」

「ぶっちゃけ、これが一番怖ぇんだよな。俺は『疾駆』があるからギリギリで逃げられるし、西山は魔法使いだから離れてるし。けど、伊藤はダメだった……一回倒されたら、それでスゲー血塗れになってよ」

「え、もしかして、即死だった?」

「いや、フツーに生きてた。で、俺が助けようと思って近づいたんだけどよ、そん時に火ぃ吹くし、伊藤は乗っかられたままだから、攻撃魔法をぶち込むわけにもいかねーし」

「それで結局、どうにもならなくて……私らは逃げたの」

 初戦の顛末は、油断によりあっけなく仲間を一人失うという大敗に終わったということだ。それでも二人が無傷で逃げられたのは幸いだろう。

「ふーん……そう、なんだ……」

 頭を過るのは、伊藤君も二人に見捨てられただけなんじゃないかという予想。しかし、彼は『盗賊』としてダンジョン攻略に貢献していたことから、そうそう簡単に切り捨てられるような人材ではない。

 ボスとの戦いは、本当に戦力不足で負けたとみて間違いないだろう。

「で、どうするよ? 休憩したら、ボスに行くか?」

「いや、僕と双葉さんは、もう少しスケルトン相手に練習したいから、二人は待っててもらえないかな」

「別にいいけど、二人で大丈夫?」

「スケルトンしか出ないなら、大丈夫だから。じゃあ、行こうか双葉さん」

 半ば強引ながらも、僕はそう言い切って立ち上がる。

 正直、練習なんてのは二の次。重要なのは、そう、双葉さんと二人で話をしておくことなのだから。




「……双葉さん、かなり二人のこと警戒してるよね?」

 スケルトンがいないことを確認して、適当な部屋に入るなり僕はそう切り出した。

「うん、他の人を信用するのは、まだ危ないと思うの」

 心優しい双葉さんだけど、流石に今までの過酷な経験があるからか、迷いなく二人への嫌疑を口にした。

「僕もそう思う。だから、嘘もついたし」

 そのことに罪悪感はない。バレないかとドキドキはしたけれど。

 つまるところ、向こうだって嘘をついている可能性もあるのだ。実は西山さんは無詠唱で『風刃エール・サギタ』を撃てるとか。平野君も別な武技を習得しているとか。

 隠し事をするのは、お互い様だろう。

「嘘って、私のこと、だよね?」

「黙っててくれて助かったよ。もしかしたら、本当は狂戦士だって言い出すんじゃないかと」

「そ、そんなこと言わないよ! ちゃんと空気くらい読めるから!」

 だからこそ、ほとんど会話に入らず黙り切りだったのだろう。事前に打ち合わせもしていなかったから、話を合わせるのも難しい。説明を僕に丸投げした双葉さんの判断は正しい。

 あらかじめ、不意の遭遇を想定した対応を決めておけば良かった、というのはただの後悔でしかない。今は反省している。

「でも、飛んだ先でいきなりクラスメイトがいるとは思わなかったよ」

「次からは気を付けた方がいいよね。いきなり攻撃されるかもしれないし」

 双葉さんの警戒心全開な台詞である。けど、それくらいの注意は必要だろう。

「分かってると思うけど、とりあえず二人とは協力しようと思う」

「……いいの?」

「二人の実力はさっき見た通り。少なくとも、僕なんかより役立つ天職だよ」

「そんなことないよっ!」

 僕の微妙な自虐に思わぬ大きな否定の声が返ってきて、少しばかり驚く。そんな全力で否定しなくても。

「あ、ご、ごめんなさい」

「いや、いいよ、フォローしてくれる気持ちは嬉しいから」

 まぁ、これでも双葉さんの命は一度救っているわけだし。中途半端な戦闘職よりも呪術師で良かったと、この一点だけで言い切ってもいいかもしれない。

「ともかく、二人は今のところは話も通じるし、仲間を増やした方が安全に先に進めるっていうのも、間違いないと思う」

「それは、そうだけど……ボスを倒した後も、やっぱり一緒にいる、んだよね……?」

「え、何か問題ある?」

 むしろ、ボスを倒してはいサヨナラ、という方が気まずいだろう。

「ううん……でも、いつ裏切られるか、分からないから。私の時みたいに」

「あっ、そ、そうだよね」

 僕としては自分の実体験である樋口一行に襲われたパターンに警戒感が先に立っているから、ピンチになると見捨てられる、というパターンはまだ実感を持つほどではないのかもしれない。頭では分かっているけど、やっぱり実際に見捨てられた経験のある双葉さんからすると、ちょっとばかり友好的に接することができても、そうそう簡単には信用できないのは当然かもしれない。

「できれば、ピンチにならないのが一番なんだけどね。誰だって自分の命は惜しい。土壇場になれば平気で仲間を見捨てられるだろうし……でも、逆に安全に攻略が進めば、そんなことにもならないはずだよ。僕らに必要なのは、信頼関係よりも、安全を確保できる力だと思う」

「それじゃあ、これから先も、できるだけクラスメイトは仲間にした方がいいんだね?」

「まぁ、樋口とかは絶対にお断りだけど。アイツらは僕が呪い殺すから!」

 ふふん、と冗談半分本気半分で言い切る。

「うん、桃川くんならできるよ」

 しかし、穏やかな微笑みを浮かべながら全肯定されると、それはそれで微妙な気分になる。双葉さんはもっと、平和主義なイメージがあるから余計に。

「とりあえず、先に進むためにまずはボスの撃破だ」

「えっと、練習って、する?」

「うん。双葉さんとちゃんと話はしておきたかったけど、練習したかったのもホントだから」

 スケルトンは実に都合の良い練習相手である。ここより前のフィールドなら、どんな魔物がどんなタイミングでどれだけ飛び出してくるか分からなかった。基本的に遭遇戦となってしまうから、避けられる戦闘は避ける、というのが最善策だった。

 けれど、ここでなら安全にスケルトンと戦える。開けたフィールド、決まった相手、少ない数。もしかすれば、この先にはこんな初心者用エリアはないかもしれないのだ。

「僕は黒髪と泥人形をもう少しどうにかできないか試してみたいんだよね。双葉さんも、『弾き』と『見切り』をもっと練習してみたら自信つくんじゃない?」

「うん、そうだね桃川くん。私、やってみるよ!」

 かくして、僕らのレベリングは始まった。

第33話 練習(2)

「――黒髪縛り」

 通路をウロつくスケルトンの足首に、影から飛び出した黒い髪の束が巻きつく。けれど、今回は雑草のようにバラけることなく、しっかりと一本のロープのようにまとまった上で、絡みついていた。

「やった、三つ編み成功だ!」

 そう、発動した黒髪の戒めは、見事な三つ編みとなって現れていたのである。

 大カエルとの戦闘で、僕の『黒髪縛り』は何の足止めにもならなかった。少しばかり髪の毛が絡みつく程度では、魔物相手では簡単に振り払われてしまう。

 現状、僕が戦闘において役に立ちそうなのは『黒髪縛り』によって身動きを封じることくらいだから、まずなによりもコイツの強化は優先される。しかし、いざ強化しようと思っても、手持ちのスキルポイントを振り分けて、なんてゲーム的なことはできない。

 では、どうすれば強化できるのか? 今のところ思いつくのは三つ。

 一つは、単純により強力な能力を授かること。要するにレベルアップ。けど、これは神様の気まぐれみたいなものだから、どの程度戦えば新スキルを獲得できるのか、あるいは、どんなスキルを与えられるか、というのは自分で選べない。文字通り、神頼みなパワーアップである。

 二つ目は、繰り返し能力を使うことによる習熟。熟練度システム、とでもいえば、ゲーマーな僕にはピンとくるし、そうでなくても、練習すればそれだけ上手くなるっていうのは分かりやすい話だ。

 これがただの気のせいではないというのは、コンスタントに同じ技と魔法を使い続けた平野君と西山さんの存在によって証明されている。劇的に威力が向上するというワケではないけれど、それでもスキルそのものに使い慣れる、というのは戦いにおいて非常に重要なことに違いはない。鍛える価値は十分にある、というよりも、これから攻略を進めるにあたって必要不可欠な要素になるだろう。

 最後の三つ目は工夫、である。これは能力そのものの威力や効果は変わらなくても、使い方に一工夫することで、色々と応用を利かせようというものだ。双葉さんが狂戦士パワーで投石をしたのも、一種の工夫だといってもいい。

 そして僕は、『黒髪縛り』の髪の毛を三つ編みにする、という工夫を、今正に成功させたのだ。効果は一目瞭然。バラけた髪の束よりも、一本の無駄なくまとまっている方が遥かに強度があるだろう。

「うーん、意外とやればできるもんだね」

「やったね、凄いよ桃川くん!」

 双葉さんの賞賛の声が、素直に心地いい。

 ちなみに、三つ編み縛りで拘束されたスケルトンは、双葉さんがバトルアックスの一撃で速やかに粉砕してくれた。

「ありきたりだけど、やっぱりイメージが大事なんだ」

 とりあえず最初に何も考えず試した時は、見事に失敗した。けれど、三つ編みの編み方を思い出しながら、自分のちょっと長めの髪を使って実際に編み編みしてイメージを固めてからやってみると、結果はご覧のとおりである。

「よし、次は長さと数に挑戦だ!」

 双葉さんを連れて通路をグルグル回ること十数分。覗き込んだ部屋の中で、見事に二度目のエンカウント発生である。気分は正にRPGのレベル上げだ。

「はぁ……とりあえず、今はこんなもんか」

 結果は、髪の長さ二メートル。三つ編みの本数は二本同時が限界。二本出すと、長さは半分の一メートルが限界というのが判明した。

 散々スケルトンを縛って弄んだ後は、例によって双葉さんが粉砕。よくよく考えるととんだ鬼畜の所業であるが、科学の発展のためには犠牲はつきもの的な発想で割り切る。向こうだって、僕らを殺そうと襲い掛かってくるのだから。

「凄いね、桃川くん。こんなに呪術が成長しているなんて!」

「い、いやぁ、別に、あはは……」

 ニコニコ笑顔でストレートに褒めてくる双葉さんの言葉が、堪らなく恥ずかしい。基本、僕は褒められ慣れていないし、いくらなんでもこんな連続でベタ褒めされれば、恥ずかしさの方が勝るというものだ。

 こんな程度でここまで大袈裟に褒められると、速攻でダメになってしまいそう。優しくて料理もできて褒め上手だなんて、双葉さんはダメ男製造機にでもなるつもりなのだろうか。

「と、とりあえず、次は泥人形を試してみるよ」

「うん、頑張ってね桃川くん」

 慈母のような眼差しに見守られながら、僕は気持ちを切り替えて呪術の行使に集中する。

 今回試すのは、泥以外で人形ができるかどうか。というより、魔物の素材などを利用することで、より強力な人形を作り出せないか、といった方が目的としては大きい。

 泥人形の役立たずぶりは、大カエルとの一戦だけで明らかだ。せめてもう少し耐久性が上がってくれないと、囮にもならない。せいぜい、大道芸の見世物として小金を稼ぐくらいしか、使い道は思いつかない。

 しかし、もしも素材次第で強力な人形を作り出せるのだとすれば……夢は一気に広がる。さぁ、出でよ、僕の最強のサーヴァント!

「……あ、泥がない」

 と気づいたのは、スケルトンの残骸を利用して、正しく人形の骨格となる形を整えた時点であった。ウナギ登っていたテンションが、その事実を前に急降下を始める。

 呪術名として『泥』とついているのだから、流石に泥が原材料に含まれていないと成功するビジョンが見えない。

「やっぱり泥は必要なの?」

「うん、スケルトンの骨を骨格にして、泥を筋肉に、みたいなイメージだから。水は持ってるから、もうちょっと砂だけでもあるといいんだけど――」

「そっかぁ……じゃあ、えいっ!」

 軽快な掛け声とは裏腹に、鋭い破砕音が鳴り響く。何事、と思いながら見ると、バトルアックスをフルスイングで部屋の壁に叩き付けている双葉さんの姿が。

「あ、ほら、やったよ桃川くん! 砂が出てきたよ!」

 双葉さんが叩き割ったのは、レンガのように分厚い石の壁。斧の刃が食い込んだ部分は完全に石壁を叩き割ることに成功したようで、その向こう側にある地下の砂をサラサラと吐き出していた。

 ダンジョンの構造からいって、ここが地下にあるのは間違いなさそう。だから壁を壊せば、そのまま地層がお目見え、という理屈なんだろうけど……試しに叩いてみるには、この石壁はあまりに頑丈だろうに。

「あ、ありがとう」

 どこまでもナチュラルに狂戦士パワーを発揮する双葉さんに若干引きながらも、望みのモノは揃ったのだから素直に礼を言うより他はない。

 ともかく、これでスケルトン素材の泥人形の制作実験に取り掛かれる。

 重要なのはイメージ。呪術の発動手順そのものは、前に一回やって十分に覚えた。だから、あとはひたすら完成形を出来る限りリアルに思い描きながら、やってみるだけだ。

「混沌より出で、忌まわしき血と結び、穢れし大地に立て――」

 床の上に、スケルトンの骨の欠片を人型になるように配置。その上から双葉さんがくれた砂と、ペットボトルに入れておいた妖精広場の水を混ぜ混ぜして作った泥を被せる。構造としては単純至極。だから複雑なイメージも必要ない。

 これで失敗したら、恐らくは他にもう何をやってもダメだろう。

 だから、マジで頼むよルインヒルデ様。僕にもう少しくらい、希望を持たせて――そんな祈りを奉げながら、僕は泥の人型に鮮血の雫を垂らした。

「――『汚濁の泥人形』っ!」

 果たして、効果は即座に現れる。

「やった、立った!?」

 呪いの命を吹き込まれた泥人形は、僕の願い通りにすっくと立ち上がる。

 見た目は最初に作った泥人形とほぼ同じ。組み込んだ骨は内部にあるから、外見は相変わらずの泥一色、なのだけれど……決定的に違う点が、一つだけ。

「わ、この子、何だか仮面を被ってるみたいだね」

 そう、双葉さんの感想通り、今回の泥人形は仮面を被っているのだ。それは頭の位置に置いておいた、骨の一欠片である。60%の円グラフみたいな形をした欠片が、泥人形の顔にピッタリと張り付いているのだ。

「や、やった、多分これ、ちゃんと素材として適応しているんだ!」

 役立たずの『汚濁の泥人形』に、無限の可能性を垣間見た瞬間である。

「よーし、次はもっとデカいのを作るぞ!」

 ついにウナギも滝を登っちゃうくらいの勢いでテンション急上昇の僕は、すぐさま次なる実験にとりかかる。

 さて、次に使用する材料は、すでにご用意してあります。

 この部屋で倒したスケルトンは二体いる。一体は胴体がバッキバキに砕け散って原型を留めていないが、もう一体の方は、完全に頭部だけが消え去り、体は綺麗に丸ごと残っているのだ。

 これは事前に双葉さんに頼んでおいた倒し方だ。いくら鈍重なスケルトンが相手といえど、ここまで見事な結果を出してくれるのだから、彼女もかなり戦闘に慣れてきたといっていいだろう。少なくとも、ゴーマや赤犬の雑魚モンスに囲まれても、負ける姿が浮かばない。

「ねぇ、桃川くん。もしかして、大きいのを作ると、その分だけ血が必要になったりするんじゃない?」

 僕が意気揚々と等身大スケルトンへ泥んこ塗れになりながらせっせと被せていると、不意に双葉さんがそんな疑問を投げかけた。

「うん、まぁ、そうかもしれないね。でも、どこまで泥人形ができるかの限界は知っておきたいから。ヤバそうだったらすぐやめるし、大丈夫だよ」

 いくらなんでも、失血死するまで血を垂れ流すのをやめない、なんてことはない。傷薬を使えば、どうせちょっとした切り傷なんてすぐに塞がる。危険は何もないはずだ。

「そ、そっか、それならいいけど……気を付けてね?」

 うん、と空返事をしてから、どれくらい時間が経っただろう。何分、等身大の骨格全てを覆うほどの泥をシャベルなしで被せなきゃいけないから、かなり手間がかかってしまった。

 途中で水汲みに戻ったりもしたし。泥まみれで慌てて噴水から水を汲んで行く僕らの姿を、平野君と西山さんから何とも胡散臭そうな目で見られたが、今は気にしちゃいられない。

「よし、完成だ!」

 苦心の末、ようやく泥人形の素体ができあがる。構造としては、ついさっき作り上げた奴と全く同じ。サイズが完全に人間大と大きくなっただけである。

 一応、デカい泥人形制作という目的と並行して、複数体を作り出せるか、という実験も兼ねている。だから、最初に作った奴はこのまま。

 もし、全てが上手くいって等身大泥人形が動き出したなら、それなりのサイズで人形を作れると同時に、ある程度の数も同時に生み出すことが可能ということになる。目指せ、最強サーヴァント軍団、である。

「じゃあ、行くよ」

「う、うん」

 固唾を飲んで見守る双葉さんの視線を感じながら、僕は二度目の呪術行使に挑む。

「混沌より出で――」

 まずは血を一滴、垂らす。

 真っ直ぐ落下した赤い雫は、ちょうど人型の額にあたる部分で弾けた――瞬間、くらり、と立ちくらみに襲われる。

「忌まわしき血と結び――」

 何だ今のは、気のせいか。なんて思っている間に、さらに血の雫は二滴、三滴、と零れ落ちていく。

 そして、それらが泥人形に触れた瞬間。

「穢れし大地に立っ――」

 世界が、反転する。

 グラリと視界が揺れて、僕が見ていたはずの泥人形の姿は急速に視界から流れて行き、気が付けば、目に映るのは真っ白い光。あ、これ、部屋の白光パネル? それじゃあ僕、倒れたのかな。

「――桃川くん!」

 大声で叫んでいるような雰囲気だけど、彼女の声はやけに遠く感じた。

 大丈夫、と一応は言おうと思って双葉さんの方を振り向いたところで、僕の視界は暗転。もう、何も考えられなくなっ――

第34話 男子高校生の日常会話

「いや桃川、お前ソレ、魔力切れじゃね?」

 呆れたような苦笑顔で、平野君が言う。

「やっぱりアレ、そういうことなのかな……」

 僕は等身大泥人形の制作実験の最中に、突然、意識を失って倒れた。倒れた瞬間のことはよく覚えていないけれど、双葉さんの話では、そういうことらしい。

 西山さんの話によれば、僕をお姫様抱っこで抱えた双葉さんはとんでもない形相で妖精広場へ駆け込んできて、そのあまりの鬼気迫る姿に思わず二人は武器を手に取ったとかなんとか。

 ともかく『魔力切れ』という現象に思い当たる節のあった二人は、すぐに僕の症状がソレだと気付き、その場で寝かせてくれた。

 魔力切れ、とは読んで字の如く、体内にある魔力が切れた、つまり、欠乏した状態のことを指す。この魔力、という如何にもなファンタジーエネルギーがどれくらいの量、僕らの体内にあるのかは分からないけれど、ともかく、これを消費することで魔法や呪術は発動しているらしい。

 少なくとも、魔法使いである西山さんは体感的に分かるという。調子に乗って『風刃エール・サギタ』を撃ちまくった結果、この魔力切れの症状に陥ったことがあるからという、確かな経験則だ。

 流石に、一瞬で気絶するほど魔力を瞬間的に全消費したことはないと言っていたけど……つまり、僕が倒れたのはそういうことだろう。等身大の泥人形を稼働させるには、僕自身の魔力が全く足りていなかったと。

「それじゃあ、MPってどうやって上げるのさ」

「そりゃあまぁ、魔法使って戦ってりゃ、その内に上がるんじゃねーの?」

 セオリー通りの解答が、平野君から返ってくる。やはり、体力と同じように自分を鍛えることで獲得するものなのだろう。

「まぁ、西山も最初の頃よりは魔法撃てるようになってっから、レベルアップは間違いねーだろ」

 魔法使いとしての西山さんの経験はどこまでもありがたい。

「とりあえず、今は休んでおけばいいよ。その内、魔力も回復して元通りになるから」

「ありがとう。悪いけど、そうさせてもらうよ」

「いいって、どうせ俺らも、もう一眠りしてからボスに挑もうと思ってたところだからな。今、ちょうど夜の十二時だぜ」

 平野君が左腕に巻いたGショックをチラ見して教えてくれた。スマフォだとあっというまにバッテリー切れだけど、腕時計なら常時時間を確認できる。こういう時、時計って便利だな。

「桃川くん、ご飯できたよ」

 それじゃあもう一回寝ようかな、とボンヤリしているところに、噴水の向こう側から双葉さんの声が聞こえてきた。

「え、あ、そうなんだ」

 ありがとう、とは言うものの、僕にはそこはかとなく嫌な予感がする。

 僕が目覚めた後、ひとしきり双葉さんとは無事を喜び合った。その後、彼女は勇んで料理を始めたのだ。

 すでに高島君の遺体からライターを頂戴していたから、火を起こすのは難しくない。パチパチと焚火が弾ける音は、さっきからずっと聞こえていた。

 そして、漂ってくるのは香ばしい肉の匂い。素直に美味しそうではある。しばらくリスみたいに胡桃しか食べていなかったから、この香りは実に空腹感をそそる。

 だがしかし、ちょっと待ってほしい。僕らの持ち物の中に、カルビもベーコンもソーセージも、ありはしない。一体どこの高校生が、鞄の中に食肉を詰めて登校するというのか。

 それじゃあ、双葉さんが美味しそうに炙っている肉の出どころは、一体……

「はい、これ一番肉付きの良いところだから。これを食べて、元気出してね!」

 眩しいほどの母性に輝く優しい笑顔で、双葉さんから湯気を上げる熱々の肉塊、ウナギのかば焼きみたいに開かれたモノが差し出される。大きい妖精胡桃の葉っぱの上に乗せられていて、実に原始的な一皿である。

「あ、ありがとう……」

 ゴクリ、とつばを飲み込む。ごちそうを前に意気込んでいるのではない。これは、緊張からくるものだ。

「味付けは塩しかなかったけど、きっと美味しく焼けているはずだから」

 本当だろうか。本当に、異世界の蛇なんて、美味しく焼けるものなのかっ!

 そう、コイツは大カエルの湖があったところで捕まえた蛇だ。双葉さんは熟練の狩人みたいに、見事な手際で血抜きをして、貴重な食肉として確保したことを僕はよく覚えている。

 ソイツが今正に、僕の目の前に一皿の料理となって提供されている。蛇の開き、異世界岩塩風味である。

 僕は添えられた箸、恐らくは双葉さんの弁当のモノだろう、それを手に、素直に食べることにした。双葉さんの好意は裏切れない。この笑顔を前にして、一口もせずに拒否する勇気は僕には持てなかった。

 チラリと横目で見れば、若干、引いたような表情の平野西山カップルの姿がある。二人も、僕がこれから口にしようとする肉の正体を知っているのだろう。

 援軍は期待できない。覚悟を決めて、僕はこの蛇肉を食べてやろうじゃあないか。毒を食らわば皿までの心意気だ。

「い、いただきます!」

 パク、っと男らしく僕は箸でつまんだ肉厚のかば焼きへとかぶりついた。

「っ!? 美味しいっ――」




 ささやかな夕食を終えて、僕ら四人は本格的に就寝することにした。妖精広場は安全だから、常に見張りを立てておく必要がないのは幸いだ。ただの学生である僕らが、数時間ごとに交代する見張り役を続けていれば、疲労も回復しきらないだろうから。

「なぁ、桃川。蛇って、意外に美味いもんなんだな」

「うん、あんなに美味しいんだったら、もっと捕まえくればよかったよ」

 ゴロンと柔らかい芝生の上に横になって、平野君とそんな会話を交わす。

 流石に年頃の男女が一緒に寄り添って寝るのはアレということで、噴水を挟んで男女で寝床を分けている。回り込まなければ、反対側の様子は窺えない。大声を出さなければ、向こう側に会話が聞こえることもない程度には距離もある。

「他に食えそうなヤツいたら教えてくれよな。えーっと、直感薬学だっけ?」

「うん。でも、そっちがゴーマから岩塩を回収してくれなかったら、もっと味気なかったよ」

 これは完全に僕の落ち度になるけど、実はゴーマの所持品の中には岩塩の塊が存在していたのだ。ダンジョン内に狩りに出ているゴーマ戦士達の必需品とでもいうように、薄汚れてはいるものの、大抵は岩塩を持ち歩いているらしい。

 これで妖精胡桃だけでは補えないミネラルも補給すると良い、というのは今は亡き伊藤君のメール情報で早々に明らかとなっていたという。そういう攻略情報は、きっちり全員に配信しろよと、王国の不手際を呪う。

「ところでよ、ちょっと聞いていいか?」

「え、なに、どうしたのさ、改まって」

 不意に、ずいっと顔を近づけて平野君が切り出した。これは、何やら秘密の話をする体勢だ。

「お前、もう双葉さんとヤったのか?」

「……えっ」

 その質問の意図が理解できないほど、僕は純真無垢でもなければ、保健体育の成績が悪くもない。

「な、な、何言ってんのさ……そんなの、あるワケないって」

「おっ、その反応は怪しいなぁ、実は一回くらいヤったんじゃねぇのか?」

「ヤってないって!」

 ふーん、とかちょっとやらしい微笑みを浮かべながら、とりあえず平野君の追及は収まった。

「っていうか、急に何なのさ」

「いや、だって気になるだろ?」

 それはそうかもしれない。でも、だからってそこまでストレートに聞くか。いや、まぁ、男同士なら、聞くか。

「それじゃあ、平野君はどうなのさ。えっと、その、西山さんと」

「へへっ、そりゃあお前、まぁ、なんつーか……ヤった」

「マジで!?」

「馬鹿っ、声がデケーって」

 もしかして、と思ったら本当にそうだったとは。

「え、じゃあ、付き合ってるの?」

「まぁ、そういうことになんのかな」

 どこか自慢げな照れ笑い。しかし、そこには童貞を卒業した一人前の男としての自負のようなものが窺える、ような気がする。

「マジな話、伊藤が死んで、俺もアイツも相当ヤバくてよ」

「うん、何て言うか、そういう事に発展しても、おかしくはないよね」

「い、いや、俺だってただ勢いでってワケじゃねーって。これでも、今は結構マジんなってんだからよ」

 うんうん、そういうことにしといてあげよう。純愛なんですね。

「もしかして、僕ら邪魔だった?」

「そんなことねーって。二人きりだったら、やっぱボスはどうにもならなかったしよ」

「お楽しみの最中に転移してこなくて良かったよ」

 コノヤロー、と平野君に小突かれる。痛いじゃないか。やらしい顔してるくせに。

「お前の方はどうなんだよ。その気はあるんじゃねーのか?」

「えっ、そ、そんなこと……ないって……」

 つい、あからさまにそんなつもりあるようにしか聞こえない返事をしてしまう。ほら見ろ、平野君が「へへっ」とニヤけている。

「まっ、双葉さんはあの爆乳だからな。気持ちは分かるぜ」

「うん、それは……うん、そうだよ」

「アレをモノにできたらヤベーぜ、桃川。西山のじゃ挟んだりはできねーからな、羨ましい」

 妄想が飛躍しすぎであるが、男である以上、そういう発想をしないはずがない。だから、僕は平野君を下品だと批判はできない。悪いけど平野君、僕は君よりももっと業の深いプレイを妄想してしまうんだ。

「それによ、双葉さん、ちょっと痩せてね?」

「えっ、そう?」

 言われてみれば、そんな気がしないもでない。うーん、どうなんだろう。何かにつけて僕は双葉さんの巨大な胸や尻に注目しているが、その凄まじい存在感と重量感ばかりに目が奪われて、痩せる、という発想がなかった。

「でも、確かに何度も戦ってきてるし……僕は結構最初の方で出会えたから、ずっと一緒にいると逆に気づかない、みたいな」

「そうだよ、双葉さん絶対痩せてきてるって」

 パワーシードは服用すると激しくカロリーを消費するから、ダイエット効果もありそうだし。ダンジョン生活の中では、自然と食事制限もされるし、強制的に運動もせざるをえない。

「うーん、もう少ししたら、僕でも分かるくらい、はっきり痩せるかもね」

「なぁ、双葉さんって、痩せたら結構ヤバくね?」

「そ、そうかな……」

 なんて曖昧な答えをするけど、考えるまでもなく、ヤバいに決まっている。

 だって双葉さん、今の状態でも結構可愛い顔してるし。あれで頬と顎の肉が落ちれば、パッチリした大きな目の、やや童顔の癒し系美少女フェイスになるだろう。

 そして何より、多少ボリュームダウンしたところで圧倒的な大きさを誇るおっぱいとお尻。ドラム缶みたいなウエストがもう少しでも引っ込めば、今すぐ爆乳を売りにするグラビアアイドルになれるレベルの超絶エロボディになることは確定的に明らかだ。

「まっ、その気があんなら協力してやっから。ほら、カップル成立したら、お互いに二人きりの時間ってヤツを送れるだろ?」

 ははぁ、なるほどね。どっちもカップルでお互いにヤることヤるなら、あまり気兼ねなく致せるということだ。確かに、片方だけがイチャつくっていうのなら、ちょっと気まずいし、最悪、恨みを買うことになりかねない。いわば、ダブルデート方式だ。

 もっとも、僕が双葉さんとエロいイチャイチャができるなんてことは、妄想できても現実でできる気がまるでしない。別に双葉さんでなくても、僕にとって女の子というのはそういう幻想的な存在だ。だって僕、オタクだし、童貞だし。リアルな女心なんて、さっぱり分からない。

「別に、僕が双葉さんとそういう関係にならなくても、その内に二人きりになれるように、それとなく取り計らうから安心してよ」

「へへっ、悪ぃな、桃川」

 別に、僕としては特別に西山さんに対して女性的魅力を感じているワケでもないから、平野君に格別の嫉妬心などは湧かない。むしろ、これからの協力関係をより強固にするためには、ちょうどよい気遣いだと思う。

 できれば、僕としても双葉さんと二人きりの時間は欲しい。いや、決していやらしい意味じゃなくて、信頼できる仲間としてだ。

「よし、そんじゃあボスを倒したら、いっちょ頼むぜ」

「うん、ボスを倒して、次の妖精広場を確保したらね」

 その時は、気を利かせて、どうぞゆっくり二人きりの時間をお楽しみくださいよ。


第35話 オルトロス

「――九時だ。学校だったら、ちょうど一時間目が始まる頃だな」

 平野君がGショックで時刻を確認してから、やや強張った口調で言い放つ。

「準備はいいな?」

 その言葉に、僕らは揃って頷く。出来る限りの武装は整えた。作戦もしっかり立てた。後は、挑むだけ。

「よっしゃ、ボスに行くぞっ!」

 オー、っと掛け声をあげて、僕らは妖精広場を飛び出した。

 スケルトン共もボス戦に挑む僕らのために空気を読んだのか、ノコノコと通路へと飛び出してくる者は一体もいなかった。自然、さして長くもない通路をあっという間に通り過ぎ、すぐさまボス部屋、と呼ぶべき転移の魔法陣がある部屋の前へとやってくる。

「最後の確認だ、桃川、頼む」

「部屋に入ったら、まずは双葉さんの投石と西山さんのサギタで先制攻撃。一応、僕も熱病はかけるけど、効果は期待しないでほしい。向こうがこっちに距離を詰めるまで、とりあえず投げて、撃つ」

 この先制攻撃で多少なりとも負傷させられればそれで良いし、牽制として向こうが警戒してくれてもいい。怖いのは、いきなり飛び掛かられて、あっという間に誰か一人が犠牲になることだ。伊藤君の二の舞だけは、何が何でも避けなければいけない。

「ボスが接近してきたら、平野君と双葉さんの二人がかりで止める。僕は動きの隙をついて、ボス犬を黒髪で縛れるかどうか狙ってみる。西山さんは、そのまま援護射撃に徹して」

 魔力切れの心配は必要ない。西山さんは『風刃エールサギタ』だけならかなり撃てるし、僕も『黒髪縛り』だけに集中すれば、それなりに維持できる。

「一度接近を許したら、もう後はそのまま戦うしかないけれど……誰か一人が押し倒されたら、その時はピンチと同時にチャンスだから。敵は一体だ。双葉さんと平野君のどちからが倒されても、残ったもう一人が強力な一撃を叩き込めるはず」

 伊藤君を失い、二人きりとなった平野西山カップルの弱みは、ボスの捕食行動時という隙をつけないことだ。先に平野君を倒された場合、強力な武技を持たない西山さんでは上手く仕留めきれないだろう。最悪、『風連刃エール・ブラスト』を撃ちこめれば勝機はあるけど、恐らく、広い効果範囲を持つというその魔法が炸裂すれば、下敷きになっている平野君も無事には済まない。

「もし、前衛を突破されて、僕か西山さんが押し倒された時は、僕は双葉さんが、西山さんは平野君が、先に一撃を入れて」

 わざわざ順番を断っておくのは、土壇場になって二人が譲り合いみたいになったら困るからだ。テニスのダブルスで、ちょうどペアの中間地点にボールが来た時、どっちが打つか、みたいな判断がつかず、どちらもがラケットの届く範囲にありながらあえなくスルー、という現象はよくある。

 この戦いでも、そういうロスは避けたいのだ。まして、今の僕らは急造パーティ。とても阿吽の呼吸での連携攻撃などできるはずもない。

 それに、自分が助けるべき人、という役割をハッキリ決めておいた方が、いざその時になっても思い切って動けるはず。戦いの素人だからこそ、いざという時に「どうしよう、どうしよう」と頭が真っ白になったりするもんだ。

 もっとも、こんなことを決めていても、立ち位置などの状況によってはいくらでも最善手は変わってくる。でも、それでも一応は決めておいた方が、マシなのかもしれないという判断だ。

「ボスが少しでも弱ったら、一気に畳み掛けよう。負傷者には悪いけど、倒すのが最優先だ。少しくらいの傷なら、僕の薬で治るはずだから」

 作戦は以上だ。後は、自分達の力を信じて戦うしかない。頼れるモノなんて、他には何もないのだから。

 最後に僕はもう一度、三人の姿を見る。ついこの間まで、僕らは教室で顔を合わせても挨拶すらロクにしない、単なるクラスメイトでしかなかった。それが今、こうして命を預け合う仲間として、恐ろしい魔物に挑もうとしている。

 何だか現実感が湧かない。けれど、それぞれの武器を手に、薄汚れた制服姿の僕らは、どこまでもリアリティのある格好。

 ただのサバイバルを超えた、命がけの戦いが始まる。

「それじゃあ、行こう」

 おっしゃあ! と力強い平野君の雄たけびと、双葉さんと西山さんの元気な返事が薄暗い通路に反響する。

 そうして、人食いの獣が眠る、洞窟のようにぽっかりと空いた扉のない入り口を僕たちは潜り抜ける。

 前衛は双葉さんと平野君。双葉さんの後ろに僕、平野君の後ろに西山さん、という二列縦隊のような陣形。後衛の僕らも、二人からは離れすぎない。狙われる危険性は高いけど、下手に遠いとヘルプが間に合わない。

 これがきっと、最適の陣形のはず。

「……ボスは?」

「多分、あの上だ」

 体育館ほどの広さの部屋だ。スケルトンの湧く部屋と同じように、左右に何本かの円柱が見える。神殿のような造りに思えるけど、円柱以外には何の装飾もない、殺風景な石の部屋。天井にはぼんやりとしか光を出さない発光パネルが数枚あるだけで、あまり視界はよくない。部屋の隅の方は暗くてよく見えない。

 だが、部屋の四隅なんかよりも気にするべきなのが、平野君が示した『上』である。正しく体育館にある壇上のように、部屋の奥には一段階高くなっているステージがあった。両サイドに階段があって、ステージの高さはちょうど二階建てくらいか。恐らく、そこに転移の魔法陣も刻み込まれているのだろう。

 そんなことを予測しながら、じっとステージを見上げていると……聞こえた。

 グルル、という獣の呻き声。

「いる、やっぱり、アイツがいるぞ」

「……桃川君」

「待って、向こうから出てくるみたいだ」

 嫌な緊張感の漂う中、僕はライトに照らされて天井に浮かび上がったボスと思しき影が動くのを確かに見た。どうやら、ヤツも僕らの存在に気づいているみたい。

 予想した通り、ボスはステージの上から、新たなる獲物である僕らの姿を捉えるために、そっと顔を覗かせてきた。

 見えたのは、赤犬と同じような、けれど、あの痩せ細ったヤツとは別種と思えるほどに大きく、精悍な、それでいて血に飢えた獰猛な顔つき。それは正に、犬というよりも狼と呼ぶべき面構え。そんな、恐ろしい真紅の狼の顔が――二つ。

「……え? 二匹いる」

 二つの頭が、僕らを睥睨していた。

「違う、桃川くん、アレは――」

 ありえない。ボスが二匹もいるなんて、あってはならない。双葉さんも否定したように、ほら見ろ、やっぱり、ボスはちゃんと一体だけだ。何故なら、獅子のように大きく筋肉質な体躯は、ちゃんと一つだし。

「な、な、何だよ、アレ……頭が、二つついてる!」

「嘘、あんなの、前に見たのと違う!?」

 二つの首を持つ赤毛の狼。それが、僕らの前に現れたボスの姿であった。

「撤退だ!」

 僕は一も二もなく叫んだ。

 ビビってる? 当然だろう。今の僕らは、二頭を持つ赤犬、いわばオルトロスというべき姿のボスを前に大きく動揺している。このまま戦闘に流れ込めば、まず間違いなく悪い流れへ引き込まれるだろう。

 そして何より、アイツが見かけ倒しなワケがない。少なくとも、想定していた大きな赤犬よりも高い戦闘能力を持つと考えるべき。

 以前、平野君達が戦った時とボスが違っているのは、ダンジョンシステムの気まぐれで新たにコイツがボスとして召喚されたのか、それとも伊藤君を喰らって進化でもしたのか。ダンジョンにも魔物の生態にも詳しくないから、今はこんな予想はどうでもいい。

 重要なのは、何よりもまず、この場を脱して仕切り直し――

「危ない、桃川くん!」

 真っ先に踵を返して、入り口へ駆け出そうとした僕だったが、双葉さんの叫び声と共に、ガクンと体が大きく揺れる。どうやら、後ろの襟首を掴まれて、思い切り引っ張られたようだ。

「うわっ!」

 と、叫んだ気がするけど、僕は自分の声も耳に届かなかった。

 眩しいほどに瞬く紅蓮の炎と、耳をつんざく炸裂音。それは、目の前に赤く尾を引く光の玉みたいのがバツの字に横切った、と思った次の瞬間にやってきたのだった。

「うおっ! ちくしょう、何だよ今の、火ぃ噴いたのかっ!?」

「魔法、魔法だよアレ! 炎の魔法を撃ってきた!」

 平野君と西山さんの叫びが聞こえた時には、僕は双葉さんの手を離れて、再び自分の足で立っていた。

「ありがとう、双葉さん」

「ううん、それより、あの狼……どうするの」

 僕は再びボスのいる上を見やる。赤犬、改めオルトロスは、鋭い牙を覗かせる口元から、ぶっ放した火球の残滓のように、チロチロと火の粉を吐いていた。赤い軌跡が二筋見えたことから、どっちの頭でも火炎弾を吐き出せるようだ。

 幸い、双葉さんのお蔭でちょっとだけ熱風を感じたくらいで済んだ。でも、結構ギリギリの距離で炸裂したことを思えば、爆発力はそれほど大きくはないのだろう。けれど、厄介なのはその燃焼力。着弾した火球はいまだ、油に火がついたように轟々と燃え盛っている。

 そう、僕が飛びこもうとした、入り口の前で。

「おいっ、どうすんだよ桃川! お前が逃げようとしたから出口が潰されたじゃねーかよ!」

「なっ、そんなの僕のせいじゃないだろ!」

 反射的に言い返してから、しまった、と思った。こんなことを言い争っている場合じゃない。けれど、僕の行動を我先に逃げ出した臆病者という風に平野君がこの瞬間に感じてしまった以上、その心証は一言二言で翻せるものじゃない。

 あのボスは狡猾にも、僕らの逃げ場が壁の出入り口一つきりであることを理解した上で、まず真っ先にそこを潰しにかかったのだ。僕が逃げ出そうとしなくても、恐らくは同じタイミングで爆破されていたはずだ。

「でも、ボスを見て真っ先に逃げ出したじゃない」

 ああ、そうだよ、僕が最初に逃げようとしたことは紛れもない事実。あのまま上手く撤退が成功していれば、正しい判断だったと落ち着いた上で納得してくれたと思うけど、この状況では、この通り。

「待って、分かった、僕が悪かった。けど今ここで言い争ってる暇はない。出口が塞がれた以上、あとはもう作戦通りに戦うしか――」

「ふざけんな、お前のせいだろが! なんとかしろよ桃川!」

「どうしてくれんの、逃げ場がもうないでしょ!」

 くそ、くそっ! ちくしょう、ダメだ、二人はもう半ばパニック状態で、冷静に状況を把握できてない。というか、僕自身も冷静になれてるかどうか分からない。どうしようもなくマズい状況下に、心臓がバクバクして頭が真っ白になりそうだ。

 ヤバい、マズい。何とかしないと。焦りばかりが募る。

「ちょ、ちょっと待って、落ち着いてよ!」

 まず二人が冷静になってくれないと、戦いにならない。ならないけど、ボスはもう現れてしまっている。

「来るよっ、桃川くん!」

 双葉さんの鋭い警告に、弾かれたように顔を上げる。左右にいる平野君と西山さんも、はっきり目に見えるほど、ビクンと体を震わせていた。二人だって、怖いのだ。混乱だってする。

「あ、ああ……おいおい、待て、ちょっと待てよ!」

「きゃぁーっ!」

オルトロスは、もう狩りは始まっているぞ馬鹿な人間共、とでも言いたげに、余裕たっぷりの軽やかな動作でステージから飛び下りた。二階相当の高さから、猫みたいにしなやかな着地を決める。犬のくせに。

 やけに優雅に見えた飛び下り動作は、地に足がつくと一転。疾風のように、一直線に駆けだした。見た目に違わず、引き締まった四足は凄まじい加速力と走力を発揮する。疾走する姿は、正に猛獣。テレビで見たサバンナのライオンが狩りをする映像の何百倍もの迫力だ。もう、これだけで気絶しそうなほど。絶叫をあげる二人を、僕は馬鹿にできない。

 でも、ここでやらなきゃ、殺られる。気をしっかり持て、桃川小太郎。まだ、勝負を投げるには早いだろう。

「双葉さん、投げて! 逃げ足を絡め取る――」

 西山さんが作戦通り、サギタを撃ってくれるかどうか分からない。頼れるのは、僕を責めようとしなかった双葉さんだけと考えるべき。いざ戦闘が始まれば、いくら混乱していても否応なしに二人だって戦ってくれるだろう。

 とりあえず、ボスが速攻を仕掛けてきたので、もう悠長に『赤き熱病』をかけている暇はない。選んだのは、物理的な拘束が望める『黒髪縛り』だ。

 双葉さんの投石はなびく赤い毛皮をかするのみで、僕の黒髪に至っては、足元から噴き出したところを素早いジャンプでかわされた。そして、その飛んだ勢いのまま平野君へと飛びかかる。

「うっ、うわぁああああっ!? やめろぉおおおおおおおおっ!」

 野太い悲鳴を上げて、平野君の体が仰向けにドっと倒れ込む。硬い石の床に、ロクに受け身もとれずに背中を打ちつけたようだ。苦しげなうめき声をもらしながら、すぐに立ち上がる様子はない。

 ボスから見れば、伊藤君を食い殺した時と同じハメパターンに入れるチャンスだが、ヤツはそのまま平野君に圧し掛かるような追撃はしなかった。二つの首は揃って、真横を向く。

「やぁああああああああああああああっ!」

 高らかに斧を振り上げた双葉さんが、勇敢にもボスへと斬りかかっていた。

 だが、すでにボスは彼女の攻撃に反応しており、素早いステップでその場を飛び退き、余裕を持って双葉さんの振り下ろしを回避した。強烈に床を叩いた斧の刃先が、ガキンと音をたてて火花を散らした。

「しっかりして、平野君! 早く立つんだ――『黒髪縛り』っ!」

 倒れた剣士に声をかけつつ、僕は双葉さんの援護に入る。といっても、非力な僕では手にした槍で接近戦に割って入るわけにもいかず、『黒髪縛り』を放つしかないけれど。

 双葉さんは二度、三度、と切りつけるが、その斬撃を見切っているように、ボスは華麗に身を翻してかわしている。おまけに、ほとんど死角となる足元から噴き出る黒髪の束も、やはりヒラリとステップでよける。髪の毛一本たりとも、絡みはしない。

「それなら、これでっ――」

 半ば反射的に、僕は右手を掲げる。手足の制御を手離すほど、僕の意識は呪術の行使に集中する。もっと、もっと正確に、鮮明に、イメージするんだ。

 長い髪の毛を、三つの束に。そして、それを交互に、順番に、丁寧に、編む。ほら、出来る、出来た、綺麗な三つ編み。

「――どうだぁ!」

 何度目かの『黒髪縛り』は、一本にまとまった三つ編みとなった黒髪が、大蛇のように地面から飛び出て来た。その刹那もボスは見切り、サイドステップ一つで回避。

 けれど、この『三つ編み縛り』はリーチが長い。

 僕は思い切り、掲げた右手を振るう。その動きに連動するように、三つ編みは足元を薙ぎ払う。髪の長さはおよそ三メートル。ボスがステップで逃れた範囲に、ギリギリで届く。

「とった! 双葉さん!」

 ボスの左後ろ足。足首の辺りに、ヒュンヒュンと空を切って飛来した三つ編みが見事に絡みつく。二重、三重、と確かに巻きつき、その機敏な機動力を奪い取る。

「はぁああああああああっ!」

 決まった。ボスはもう一足飛びに回避はできない。

 とんでもない勢いを乗せた刃が目前に迫ったその時、ボスはそれぞれ、別の方向を向いた。

 右の頭は、真正面から斬りかかる双葉さんを睨む。左の頭は、大きく後ろを振り向くように、首を伸ばす。視線の先にあるのは、忌々しい黒髪の戒め。

 ガチン、と一つ牙を鳴らす音。直後、左頭が炎を吹く。

「あっ」

 と思った時にはもう遅い。金属でもなんでもない、ただの繊維でしかない黒髪はあえなく焼け落ち、一瞬にして拘束力が失われる。

 左足が紅蓮の炎によって解き放たれると共に、再び機動力を取り戻したボスは紙一重で双葉さんの斬撃をよけきった。

 今度は余裕を持ったステップではなく、半歩、よろけるように動いた程度。それでも、またしても斧は床を叩く。

 そして、そのギリギリのところで回避したが故に、ボスはカウンターの機会を得る。手を伸ばせば届く距離に、斧を思い切り振り下ろして隙だらけの敵がいるのだ。

「ぐ、ううっ!」

 双葉さんは呻き声と共に、その巨体が嘘みたいに吹っ飛ばされていた。腹部にオルトロスが放った痛烈な犬パンチが突き刺さったのだ。あっという間に何メートルもの距離を、双葉さんの体はゴロゴロと転がって行き、部屋の隅に立つ円柱に当たってようやく動きをとめていた。

「双葉さんっ!」

 僕がそう叫んだのは、彼女の身を案じただけではない。強力な前衛である彼女が、吹き飛ばされたことで非力な後衛の僕と距離が空いてしまった。この立ち位置ならば、ボスはまだ倒れたままの平野君にトドメを刺すこともできるし、ターゲットを変えて、僕か西山さんを狙うことだってできる。

 次はどう出る。『黒髪縛り』以外に有効な対抗手段を持たない僕には、ボスの出方を見ていることしかできない。そして、何者の邪魔も入らないボスは、この戦いにおいての最善手を打つ。

 ガウっ、と吠えながら、二つの頭が牙を鳴らす。双口から、炎の帯が赤々と吐き出される。まるで火炎放射だ。

 燃え盛る火炎は、不思議にも空中で緩やかなカーブを描きながら、起き上がろうとしている双葉さんに、いや、彼女の周囲をグルリと囲むように着弾していった。

「あ、くそっ……分断、された……」

 その高度に戦術的な行動に、思わず息を呑む。双葉さんを最大の脅威と判断したのか、彼女の周りを炎で囲い、閉じ込めたのだ。半径五メートルほどの範囲で、部屋の隅に火炎の牢屋が形成された。

「う、うぅ……桃川くん!」

 メラメラと勢いよく燃える炎の揺らめきの向こうから、双葉さんの声が届く。どうやら、豚の丸焼きみたいに全身を炙られているわけではなさそうなので、ひとまず安心か。

 ボスはあのまま火炎放射を双葉さん本人に浴びせていれば、それだけでトドメを刺せたはずなのに、なぜかそうしなかった。舐めているのか。それとも、肉は生で食べたいのか。

 双葉さんが無事なのは幸いだけど、それでも僕自身の置かれた状況に変化はない。

「待って、双葉さん! 無理に出ようとしたら危ない。もう少し火の勢いが弱まるまで待ってて。こっちは何とかするから!」

 僕はチラリと最初に潰された出入口を見ながら叫ぶ。心なしか、出入口で燃える炎の勢いは弱まっているように見えた。炎の壁は永遠に持続するわけではない、何よりの証拠。

 だからこそ、無理して双葉さんが炎の壁を突っ切って火達磨になる必要はない。彼女が大火傷を負えば、ボスを倒すための攻撃力を失うことになる。だから、ここは耐える場面だ。何としても、双葉さんが戻って来るまで時間を稼ぐんだ。

 そんな僕の決心を嘲笑うかのように、ボスは余裕ぶってグルグルという楽しそうな唸り声を上げて、二つの頭をしきりに動かして僕等を睨む。誰から食ってやろうか、考えているのか。

 僕は槍をぎこちない動作で構え、隣の西山さんは呆然と杖を握りしめるだけ。獣の呻きだけが響く、奇妙に静かな時間が過ぎ去る。

「う、ぐう……ちくしょう……」

 結果、ボスが選んだのは再び立ち上がろうと膝をつく平野君であった。

 二つの頭は獰猛に牙を剥いて、今度こそ彼の体を押し倒しにかかった。

「う、うわぁああああっ!?」

「きゃああああああああああああああああああ!」

 平野君と西山さんの絶叫が轟く中、僕はとりあえず黒髪縛りでの拘束を試みる。

「縛れっ!」

 さっきよりも、さらに集中。今回は二本の三つ編みを呼び出すことに成功した。ちょっと進歩してる、と喜ぶ余裕もなく、叩きつけるように地面から生えた三つ編みの蛇をボスの頭へとふるう。

「があああっ! 痛っ! 熱っ、くそぉ!」

 しかし、僕の成長した『黒髪縛り』も、やはり炎の前では無力。二本とも、再び吐き出された火炎放射によってあえなく焼失。ボスの平野君へ加える追撃は、いささかも弱まらない。

「う、う……うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 僅かな逡巡を経て、覚悟完了。ここで平野君をみすみす失うわけにはいかない。僕は使えない呪術を諦めて、手にする槍で直接攻撃をする決断をした。

 情けないほど甲高い悲鳴みたいな雄たけびを上げて、僕は震える両足でボスに向かって駆け出した。ああ、近い、近い。近くで見ると、マジでデカいよ。

「でやぁあああああああああっ!」

 ボス部屋に入る前に飲んだパワーシードの効果で、多少なりとも力強さの増した一撃を放つ。平野君に圧し掛かるボスの脇腹を突くように狙う。まさか、この近距離で、ボスのデカい体を外すわけがない。

 しかし、無情にも僕の渾身の一閃は空を切る。

 なんてことはない、素早い身のこなしを誇るボスが、ヒラリと飛び退いて回避したに過ぎない。

「ぎ、いいぁああああああああっ!」

 重さを感じさせない軽やかな着地と共に、平野君がいよいよ死にそうな叫び声を上げた。見れば、首筋から勢いよく血が噴き出ている。

 ボスが回避する寸前、かなり深く牙が首を裂いたようだった。

「平野君!」

 まずい、今すぐ止血しなければ確実に死ぬ。幸い、僕の鞄の中にはそれなりの傷薬Aが常備されている。コレを塗りたくれば、一命はとりとめられるだろう。

 けれど、そんなことをしている暇はない。だって、これは現実の戦いで、ゆっくり次の一手を考えた上で実行できる、ターン制のRPGではないのだから。

「うっ、うわぁーっ!?」

 ボスの逆襲が始まる。すでに瀕死な平野君は放っておこうという判断なのか、次は攻撃を仕掛けてきた僕を狙ってきたのだ。

 勿論、剣士でも狂戦士でもない、最弱な呪術師という天職の僕に、この距離、このタイミングでの反撃に、打つ手など一つもない。

 どうしよう。考える間もなく、凄まじい勢いでボスの体が迫っ――

「――ぁああっ!」

 女の子みたいに情けない悲鳴を上げながら、僕はドっと床へと倒れ込んだ。痛い。肺の中の空気が全部抜けていったような苦しさだ。

 けれど、そんな痛みなど序の口。すでに、オルトロスの餓えた凶悪な頭が、僕のすぐ目の前で涎を垂らしていた。

「うわっ、わぁああああっ!?」

 牙を剥く狂暴なアギトを前に、僕ができたことといえば、反射的に腕を掲げるだけだった。当然、槍なんてとっくに手離しているし、サブウエポンのカッターナイフかゴーマの短剣も、引き抜く余裕などありはしない。

 妖精胡桃の枝さえ満足に折れない僕のか細い腕に、狼の牙が深く突き立つ。

「いぃっ、ぁあああああああああああっ!!」

 恥も外聞もなく、絶叫を上げた。腕に走る痛みに、早々に我慢の限界はあっけなく突破する。

 もうこのまま腕を食い千切られる、そう思ったが、逆にボスの口は腕から離れていた。ギャウ、というやや苦しげな呻きも同時に耳に届く。

「あ、は、はは……そうだ、僕を食えば……お前も、傷つくんだよっ!」

 第二の呪術『痛み返し』は効果を発揮。僕の腕に穿たれた牙の一撃は、同じくボスの前足へと等しく刻み込まれる。

 一瞬の怯みによって、僕は反撃の機会を得る。今度こそ、ベルトに刺したゴーマの短剣を引き抜いた僕は、そのまま何も考えず、目の前にある毛むくじゃらの赤い体を斬りつける。

 思ったよりも、硬い。薄らと錆びた刃は、毛皮と少しばかりの肉を切り裂くに留まり、致命傷には遠く及ばない。

 ちくしょう、こんな倒れた体勢じゃあマトモにナイフを振るえない。でも、なんとか突き刺してやらないと――

「ぎゃうっ!」

 という悲鳴は、僕とボスの両方とも重なる。僕の斬撃を受けたことで危機感が増したのか、痛み返しのダメージを省みることなく、ボスは容赦なく爪を僕の肩口に食い込ませてきた。

「ぐ、がぁ……ば、バッカ、やろぉ……」

 コイツ、そもそも痛み返しでダメージが自分に跳ね返っていることを理解してもいないのかもしれない。僕の肩には皮膚を破る爪の鋭い痛みと、かなりのパワーで前足が押し付けられ、そのまま肩の骨が砕けるんじゃないかというほどの重圧感を喰らう。ボスも同じだけの痛みを味わっているはずなのだが、コイツ、力を緩めようとしない。

 しかし、まだ首筋を食い破るような致命的な攻撃も来ない。やろうと思えば、僕の細い首なんて一口で噛み千切れるだろうに。だとすれば、やはり痛み返しを警戒して、トドメまでは刺し切る踏ん切りがついていないのか。

 僕とボスは共に同じ痛みを味わいつつ、一進一退の攻防を続ける。ジワジワと体を蝕む鋭い痛みと、息が止まりそうなほど重たいボスの体重。もしかして、このまま僕はボスを道連れに共倒れなのか、なんて思ったその時だ。

「に、西山ぁーっ! 撃てっ! 今だぁ!」

 平野君の声だった。チラリと視線を向ければ、必死に出血する首筋に手を当てながら、ヨロヨロよ立ち上がる彼の姿が見えた。

「平野! で、でも――」

「いいから、撃てっ! 撃てよ! ブラストで桃川ごと撃つんだよ!」

 背筋が凍りつく。いけない。先に逃げた臆病者のレッテルが、仲間ごと撃つ抵抗感を失わせる。ああ、ちくしょう。僕は間違った行動はしていない。けれど、こんなことなら、しなければよかった。

 どうしようもないほど屈辱的な後悔を噛みしめながら、僕は目の前に迫るボスの牙を必死で抑えつけることしかできない。

「う、うん、分かったよ! العديد من ريش تبادل لاطلاق النار الرياح」

 死へのカウントダウンが聞こえた。

 くそ、くそっ! やめろよ、馬鹿、馬鹿野郎! ここで味方ごと撃つ馬鹿がいるかっ!

 呪詛の言葉で頭の中が満ちていく反面、ああ、しょうがない、最弱の呪術師を犠牲にボスが倒せるなら、万々歳だろう。そんな冷めた思考も過る。

 ボスはボスで、自分に向けられようとしている攻撃魔法の気配に気づいていない。僕を痛めつける度に自分も傷つくせいで、かえって冷静さを失い、ヤケになって襲い続けているといった感じだ。

 どいつもこいつも、僕を含めて、もう、どうにもならない。

「――『風連刃エール・ブラスト』っ!」

第36話 取捨選択

 轟々と燃え盛る炎の壁に囲まれ、双葉芽衣子は純粋に命の危機を覚えた。

 身を焦がすような灼熱を感じるが……幸い、その火炎が実際に体を焼いているワケではないことに気づく。恐らく、入り口を塞いだ炎のように、自分の周囲にだけ燃えあがっているのだろう。

「うっ、く……早く、ここから出ないと」

 体に火こそついていないものの、このままずっと立ち尽くしていれば、ジワジワと余熱だけで炙られて死んでしまいそうだ。

 炎の壁が芽衣子に大きなプレッシャーを与えるのは、それだけが理由ではない。小太郎達はかなりの苦戦を強いられているだろう、悲鳴やら怒号やらが聞こえてくること。高熱に苛まれる芽衣子は、その叫び声がよく聞き取れなかったが、とにかく、今すぐにでも戦線に復帰しなければ、全滅の危険性があると思われた。

 急がなければ。けれど、小太郎が言ったように、無理に炎の壁を突破しようとすれば、戦闘に支障をきたすレベルで負傷する可能性もある。

 脱出すると同時に、火傷のダメージも最低限に抑えなければ。

 無理難題とも思える条件、だが、すでに勇気を得た芽衣子は、この土壇場でも冷静に機を待った。

 小太郎の言葉を信じれば、火の勢いは短時間で減少し始める。

 そして、芽衣子にとって彼の言葉ほど、この残酷な世界ダンジョンで信じられるものはない。

「そこっ!」

 僅かに自分を囲む炎の勢いが弱まったのを見て、芽衣子は意を決して火炎の牢屋からの脱出を図った。幸い、一瞬の熱さを感じたことと、制服の裾が少し焦げた程度で、無事に抜け出すことに成功した。

 勢いよく飛び出したせいで、二度三度、硬い石の上を転がった芽衣子は、立ち上がるなり、その絶望的な光景に唖然とした。

「嘘、でしょ……桃川君」

 視線の向こうに、血塗れの桃川小太郎がボロ雑巾のように転がっていた。手足を投げ出して、ピクリとも動かない。

 死んでいる……のだろうか。一目では、とても判断がつかない。否、そもそも、彼の死など、芽衣子にとって到底、受け入れられるものではない。


――ガァアアアっ!


 と、呆然とする暇もなく、ボスの獰猛な咆哮が響きわたる。

 すでにして狂戦士の肉体と感覚を得ている芽衣子は、鋭くボスへ視線を向ける。恐ろしい双頭のオルトロスはしかし、全身血塗れで、先ほどのような力強さは感じられない。

 深刻なダメージを負っている。ボスが弱っていることは、一目瞭然だった。

「あっ――」

 ボス撃破のチャンスを喜ぶよりも、芽衣子は気が付く。血塗れなのは、小太郎もボスも同じ。その傷痕はどれも同じように見えて、そして、この場にはもう一人、同じく血塗れで倒れる者がいた。

「……『痛み返し』」

 その呪術の効果を思い出して、芽衣子の中では全てが繋がる。

「西山さん、桃川くんのこと、撃ったの?」

 芽衣子の柔和なたれ目からは、想像もつかないほど鋭い眼光が発せられる。その先には、血だまりの中で、杖を抱えて震える女子生徒が一人。

「い、痛い……何で……私、そんな、つもりじゃ……」

 西山の、取り返しのつかない過ちを犯してしまったような絶望的な表情だけで、十分だった。

 幾筋もの切り傷が刻まれた体。小太郎と、オルトロスと、西山。『風連刃エールブラスト』と『痛み返し』。

 オルトロスに組みつかれた小太郎ごと、西山が撃った。それ以外に、この状況はありえなかった。

「そう……桃川くんのこと、裏切ったんだ」

 冷ややかにそうつぶやいてから、芽衣子は動き出した。手にした斧を油断なく構えて、ボスと西山、双方の位置関係を冷静に見やる。

 芽衣子が動くのと同時に、オルトロスも牙を剥いて駆け出す。流した血を求めるように、新たな獲物を食らうべく。

 餓えた狼が狙ったのは、自然、より近くにいる、それでいて、楽に捕食できる獲物。何ら超人的な身体能力を誇らない、脆弱な風魔術士の少女である。

「う、あっ――『風刃エール・サギタ』っ!」

 自分自身も風の刃で負傷しているにも関わらず、反撃の風魔法を撃ち出せたのは、多少なりともダンジョン攻略をしてきた経験故か。しかし、血に飢えたボスは今更、わずかに体を切り裂く風の刃をものともせず、そのまま非力な少女を押し倒した。

「きゃああっ! いやぁ! 助けて! お願い、双葉さんっ!」

 芽衣子はどこまでも冷静に、餌にがっつくボスを観察した。裏切り者の悲鳴など、いくら聞いてもまるで心は痛まなかった。

 冷静に、冷徹に、どこまでも心は澄んでいく。眼の前の戦いのみに集中。敵を、殺すためだけに集中するのだ。それが、狂戦士としての基本的な心構え。純粋にして合理的な、殺意。

「ふっ――」

 呼気を整え、静かに、鋭く、斧を振り上げ、一歩を踏み出す。

「きゃぁーっ! あぁあああああっ!」

 ボスは殺意を研ぎ澄ませた自分に見向きもせず、一心不乱に倒した獲物を貪る。荒々しく喰いかかる牙と爪は、西山の体を制服ごとズタズタに裂きながら、乙女の白い柔肌を刻む。

 腸を食い破るように、二つの首が彼女の腹部へ食らいついたその瞬間。

「――はあっ!」

 気合い一閃。それが必殺のチャンスとみた芽衣子は、凄まじく速く、それでいて重い踏込みでもって間合いを侵略し、斧を振り下ろす。

 ガアっ! と鋭く鳴き声を上げて、ボスは慌てて回避に動く。だが、最高のチャンスを窺って繰り出された狂戦士の一撃を、避けきることはできない。

 苦しげに、甲高い鳴き声をあげながら、オルトロスは胴を深々と切り裂かれた。

「いっ、ぎぃいああああああああああああああああっ!」

 同時に、西山の絶叫が轟く。

 芽衣子の振り下ろした斧は、オルトロスだけでなく、食らいつかれていた彼女の脇腹をも断ち切っていたのだ。

 噴き出す赤黒い鮮血と共に、ドロリ、と細長くうねった肉の塊が傷口から零れ落ちる。腸が、大きく裂かれた腹から飛び出てしまっていた。

 運悪く、手元が狂ったワケではない。そこに当たると分かっていた。けれど、やった。オルトロスを切るために、仲間の体ごと、芽衣子は断ち切った。

 その選択に、後悔など、あるはずない。

「はっ、あぁああああああああっ!」

 死に体の西山を超えて、芽衣子は猛然と手傷を負ったオルトロスに追撃をしかける。

 ギャン、と悲痛なうめき声をあげるボスの動きは、完全に衰えている。あまりに血を失い過ぎたのか。最大の武器であり、盾でもある機動力は見る影もなく落ち、足元さえおぼつかない。

 今や双頭の狼は、ただの大きな的にすぎなかった。

 嵐のように振りまわされる斧の連撃を前に、オルトロスは足を叩き切られ、首を切られ、脳天を割られる。瞬く間に、芽衣子の圧倒的な暴力の前に惨殺された。

「ぬんっ!」

 最後に、残った頭を足で踏みつけて、頭蓋ごと砕いて、ボスの息の根は完全に止まった。両の頭はどちらも、無残にも脳漿をまき散らしている。もう二度と、蘇ることはないだろう。

「あ、うぅ……あぁああ……」

 最大の脅威を排除した芽衣子は、すぐにでも小太郎の元へと駆けつけたかったが、瀕死のくせに、必死に動こうとする西山の姿が目に入ったことで、優先順位を入れ替える。

 彼女は腸を零したまま、手元に転がった鞄に手を突っ込んで、一つの小瓶を取り出していた。

「ふーん、そんなモノを隠し持っていたんだ。ねぇ、ソレってポーションっていうんでしょ?」

「ふ、双葉さん……お願い……助けて……」

 ポーション。それは宝箱から入手できる、魔法の回復アイテム。その存在は魔法陣の情報で明らかとなっているし、盗賊クラスの伊藤がパーティにいたから、二人が隠し持っている可能性を、小太郎は前に指摘していた。

「やっぱり、桃川くんの言う通りだった」

「お、お願い……痛い、の……」

 仰向けに倒れ込む西山の元へ、芽衣子はそっとしゃがみ込む。そして、彼女が手離すまいと固く握りしめたポーション瓶を、あっけなく奪い取る。

「あっ、あ、あぁ……やめて、返して……お願い……」

 さっと封を開けて、やや青みがかって透き通った液体に指先をつけ、芽衣子は毒見。次いで、手の甲についた僅かな火傷の跡に一滴だけかけてみる。

「うん、間違いなく、魔法の回復効果があるみたいだね」

 なるほど、これはそのまま飲んでも、患部にかけても、どちらでも治癒効果がある。

 その高い治癒力を確認して、満足したような表情の芽衣子は、もう西山の存在など忘れてしまったかのように、さっさとその場を反転。

「待って……お願い……お願い、します……」

「桃川くん、今、私が助けるからね」

 グッタリと倒れ込んだ小太郎に向かって、芽衣子は瓶の中身を引っくり返してぶちまけた。キラキラと光の粒子が舞い散ると共に、青い液体は小太郎の小さな体に降り注ぐ。

 その効果は劇的であった。

 見る見るうちに、手足や首元に見える悲惨な傷痕は塞がり、少女のような綺麗な白い肌へと戻っていく。

「よかった、桃川くん……」

 可愛らしい小さな寝息を聞いて、芽衣子はお昼寝する子猫を見たように温かい微笑みを浮かべた。呼吸はしているし、顔の血色も良い。念のために脈拍も測ってみるが、正常に鼓動を刻んでいる。

 桃川小太郎は、無事であった。

「あとのことは、全部、私に任せてね」

 静かに小太郎を寝かせたまま、芽衣子は面倒な上に血生臭い後始末へ、笑顔で向かう。

 斧の代わりにナイフを抜いた彼女は、あっという間にオルトロスの死体を捌き、腹の中からゴロっとしたコアを摘出する。血塗れた結晶をかざせば、すぐに、ボスは最初に寝ていた壇上に描かれている魔法陣が反応した。大カエルの湖と同じように、赤い光が室内を満たしていく。

 転移の魔法陣が無事に発動することを確認してから、芽衣子は小太郎にならって、抜け目なく二人分の荷物を回収。使えそうなモノは全て、拾っていく。

 そうして、芽衣子は戦利品と、あどけない寝顔を晒す小太郎だけを抱えて、ボス部屋を後にする。暗い室内に、首元から大量の血を流して力尽きていた平野と、もう呻き声一つもらさなくなった西山の、二人のクラスメイトを置き去りにして。

第37話 剣崎明日那と小鳥遊小鳥

「はぁ……はぁ……仇はとったぞ、宏樹……」

 おびただしい数のゴーマの躯が転がる。その死体の山の頂で、妖刀を持ったボスゴーマは光の粒子と化して散っていった。


 習得スキル

反撃カウンター』:近距離攻撃に対する反応強化。極めれば、刃も炎も弾く。

反射リフレクター』:遠距離攻撃に対する反応強化。極めれば、矢も雷も弾く。

『一の正拳』:蒼真流武闘術の格闘技の基礎。繰り出される拳は、速く、重く。


 獲得スキル

大断ブレイク』:打撃攻撃力強化。重い一撃が、敵を打つ。

狂化バサーク』:状態異常『狂化バサーク』を自らにかける。理性と痛覚を失う代わりに、圧倒的なパワーを得るだろう。


 脳裏に刻み込まれる、新たなる力の情報。能力だけでなく、俺自身の肉体も、さながらRPGでレベルアップするかのように、力が満ちてくる。

 こんなにボロボロになってしまったのに、力が湧いてくるとは、ちょっと自分でも不安になる感覚だな。

「兄さん、大丈夫ですかっ!」

「ああ、何とかな。俺はいいから、他のみんなを先に回復――」

「何を言っているんですか! そんなに傷だらけになってる兄さんが最優先に決まってます!」

 致命傷ってほど深手は負ってないから、別に大丈夫なんだが。確かに、あちこち刀傷を受けたから、ちょっと派手に血塗れになって痛そうには見えるかもしれないけど。まぁ、実際、痛いんだけど、我慢できないほどじゃない。

「本当に、無茶ばかりするんですから、兄さんは――『癒しの輝き(ヒーリングライト)』」

 桜が手をかざすと、ぼんやりと淡い白光が体を包み込んで行く。うわ、何だコレ、温かくて、気持ちいい。温泉に浸かってるみたいだ、とか言ったら、失礼なんだろうか。

「悪い、心配かけてしまったな。自分でも、無様な戦いぶりだと思うよ」

 心の底から反省すべき、怒りの感情だけに任せた、酷い戦い方だった。もし、あのボスゴーマに少しでも剣術家としての心得があったなら、簡単につけこまれていただろう。コイツがただ自分の優れたパワーと妖刀の切れ味に頼った稚拙な立ち回りだったから、どうにか勢いで押し勝てただけのようなものだ。

「いや、親友の死を目の当たりにしてしまったのだ。少しばかり、我を忘れてしまうのは仕方ないだろう……それに、蒼真が代わりに怒ってくれたお蔭で、私は冷静に立ち回れた」

「ありがとう、明日那がいなかったら、アイツに負けていた。いや、他のみんなも同じだ。一人でも欠けていたら、俺は――」

「にはは、私達は仲間なんだから、助け合うのは当然だよっ!」

「ええ、悠斗君にばかり、負担はかけさせられないしね」

 ボスゴーマと戦い始めれば、奴は俺達の力を危険と判断したのか、すぐに周囲で様子見に徹していた群れをけしかけてきた。熾烈な大乱戦を生き抜けたのは、仲間全員の協力があってこそ。

 桜の光の矢がゴーマを散らし、委員長が氷の壁で分断。俺が出来る限りボスゴーマと一対一で戦える状況を作り出してくれていた。夏川さんは、現状で戦力になれない小鳥遊さんを上手く連れて、後衛の元まで護衛してくれたし、明日那は俺を狙う雑魚を排除し、場合によってはボスゴーマにも攻撃を仕掛けていた。

 どこかで一歩間違えれば、誰が死んでもおかしくないギリギリの戦況だった……けど、こうして無事に勝利できて、良かった。

「それでも、もう少し俺が冷静になれていれば、もっと安全に戦えたかもしれない」

「反省するのは、後でもいいだろう。今は素直に、勝利を喜べ。そして、高坂のために、祈ってやろう」

 明日那の言葉に、俺は気付かされる。ボスゴーマと戦っていた時の怒りはすでに引いていき、その代わりに押し寄せてくるのは、大切な親友を失った、悲しみだけだった。

「ああ、そう、だな……」




 ボスゴーマと戦闘した大広間は、どうやら俗にいう『ボス部屋』と呼ぶべきものであった。広間の奥には転移用の魔法陣があり、ボスゴーマから獲得したコアを消費して、先のエリアに飛ばされるという仕組みだ。『天送門』とやらを使う前に、こうして空間を一瞬で移動するワープを体験したお蔭で、脱出用魔法陣の有用性もより信じられるといった感じだ。

 幸い、飛ばされた先はいきなり魔物の群れがいる危険なエリアではなく、妖精広場だった。そこで俺達は休息を、というより、心の整理をつけたのだった。

「それにしても、『光の守りホーリーエンチャント』にこんな使い方があるとは」

「私も、まさかこんなに上手くいくとは思わなかったです」

 ちょっと困惑したような桜の前にあるのは、神聖な白い輝きを発する、美しい刀。そう、これはあのボスゴーマが振るっていた妖刀である。

 赤いオーラを発して、如何にも呪いの武器といった感じで、実際に触ってみると、凄まじい悪寒に襲われ、とてもマトモに扱えないというのだけは理解できた。

 けれど、この凄い刀をそのまま捨て置くのはもったいないと思い、ダメ元で『光の守りホーリーエンチャント』をかけてみれば……

「うん、やっぱり今は大丈夫そうだな」

 試しに振るってみても、ごく普通の刀――というには、大きさの割に随分と軽く感じるが、ともかく、異常はない。これならいけそうだ。

「効果が切れても、そのままならいいんですけど」

「ダメだったら、その時はその時で」

 とはいうものの、少し時間が経てば効果は終了し、すぐに答えは出る。

 結論からいうと、大丈夫だった。この刀は浄化されたように、赤いオーラを発することはなくなった。『光の守りホーリーエンチャント』が切れると、白い光は消えるものの、見た目は普通の刀へとなるだけ。手にして振ってみても、何の問題もなかった。最早、妖刀ではなく、立派な業物というべき。完全に呪いが解かれた、ということだろう。

「この刀は明日那が使ってくれよ」

「何を言っているんだ、アイツを倒したのは蒼真だろう。なら、それは蒼真が持つべき、戦利品だ」

「確かに、俺もこの刀を使いたいのはやまやまなんだけど、明日那はさっきの戦いで、剣をダメにしているだろ? 俺はこの長剣がまだ大丈夫だし。それに、これまで使ってきて、もうかなり慣れて来たから、あまり、他の武器に変えたくないんだよ」

「し、しかしだな……」

 男らしい性格、といったら失礼かもしれないが、義を重んじる堅苦しい性格の明日那からすれば、素直に受け取りずらいだろう。そんな彼女の気持ちを察してフォローに入ったのは、やはりというべきか、我らが委員長である。

「悠斗君もこう言っていることだし、ここは素直に受け取りなさい、明日那。私達はもう、一つのチームなんだから、装備を適切に配分するのは大切なことよ」

「確かに、私の力と天職ならば、この刀を存分に振るえるだろうが……」

「だったら、この先の戦いで活躍してくれれば、それでいい話よ。まだまだダンジョンは続くだろうし、これから、より強力な魔物も現れるはず。だから、『双剣士』の明日那には、頑張ってもらわないと。頼りにしてるんだから」

「ふふっ、そこまで言われてしまっては、受け取らないわけにはいかないな。期待には、必ず応えてみせよう」

 委員長の説得により、ようやく明日那も納得してくれたようだ。

「では、蒼真、この刀はありがたく、使わせてもらう」

「ああ、俺と一緒に、みんなを守るために、頑張ろう」

 最大の戦利品の分配も終わったところで、改めて俺達は、新たに仲間に加わった明日那と小鳥遊さんから、これまでの詳しい事情を聞くことになった。

「さっきの戦いですでに知っていると思うが、私の天職は『双剣士』だ」

「ねぇねぇ、それって『剣士』とどう違うの? やっぱり二刀流なの?」

「ああ、その通りだ」

 夏川さんの素朴な疑問はそのまま的中のようだ。なるほど、二刀流だから、長剣と短剣を持っていたのか。

「剣が一本しかないと、どうなるんだ?」

「別に能力が使えなくなるわけじゃない。天職のお蔭で、本来の能力そのものを底上げしているようにも感じるから、未熟な私でも、今は達人級の腕前だ」

 いや、元から明日那は強かっただろう。達人を名乗るほど自惚れてはいないが、少なくとも、一般的な高校生としては破格の能力を誇っている。

 けど、それも剣術の名門、剣崎家の一人娘となれば、当たり前かもしれない。こと剣術に限れば、俺よりも厳しいしごきを彼女は受けているだろうから。実際、ルール無用で真剣勝負を明日那とすれば、鍛錬を積んだ男の俺でも、絶対に勝てるとは言えない。恐らく、勝負は時の運によって決する。つまり、五分五分。剣さえ持っていれば、剣崎明日那は日本で一番強い女子高生じゃないかと、俺は思っている。

 ちなみに、強さは置いておくとしても、明日那はかなりの美人でもある。切れ長の鋭いクールな目元に、きりっと凛々しい顔立ちは男女ともに人気。いや、若干、女子の人気が勝るかというほど。背は170センチを超えるほどの長身で、彼女より大きい女子はウチのクラスでは双葉さんとバレー部の木崎さんくらいだ。それでいて、スラリと伸びた手足は日ごろの鍛錬から引き締まっており、出るところは出た、女性らしいボディラインを描く。

 美しい容姿にモデルのような抜群のスタイルを誇る明日那が、モテないはずがない。宏樹が惚れるのも当たり前だろう。けど、恋のライバルとして、明日那をお姉さまと慕う女の子達と醜い小競り合いを繰り広げるのは、ちょっとどうかと思ったけど。

 まぁ、そういうイザコザを、俺もあんまり馬鹿にはできないか。

 一年の時に、うっかり明日那の勘違いから勝負をしかけられて、これまたうっかり彼女を打ち負かしてしまったものだから、「私を倒した以上、お前を婚約者として認めよう」とか謎の剣崎家ルールを持ち出されて、一悶着あったりしたもんだ。

 いくらなんでも、現代日本で剣の勝負で結婚相手を決めるのはいかがなものかということで、婚約云々の話は無事に流れたけど。明日那だって、俺じゃなくて、本当に心から好きな人と結婚したいだろうし、そうするべきだ。

 ともかく、剣崎明日那という少女は、俺にとって仲の良い大切な友達の一人だ。そして今は、背中を預け合う、頼れる仲間でもある。

「だが、武技を使う時は二刀流の方がしっくりくるからな。間違いなく、一刀よりも二刀を持った方が、今の私は強い」

「なるほど、それじゃあもう一本、マトモな剣が欲しいところだな」

「こんな業物が手に入っただけで十分、ツイてるだろう。もう一本の方は、しばらく錆びた剣で我慢するさ」

「ちょっと待って、明日那ちゃん! こういう時こそ、小鳥の出番だよっ!」

 唐突に話に割って入ってきたのは、さっきの戦闘で無事に救助された小鳥遊さんである。

「小鳥、もしかして、使えるのか?」

「うん! 桜ちゃんも委員長も、ちょっとだけ余ったコアがあるっていうから」

 なるほど、と納得しているのは相棒である明日那だけ。俺には事情がさっぱりである。

「えっと、小鳥遊さんの天職って、何だっけ?」

「えっへん、よくぞ聞いてくれました! 小鳥の天職はー、なんとぉー」

「『賢者』だ」

「わぁーっ!? 酷いよ明日那ちゃーん! なんで言っちゃうのぉーっ!」

 もったいぶるからだ、と冷たくあしらう明日那に向かって、小鳥遊さんは短い腕をグルグル振り回して襲い掛かっている。微笑ましい光景だ。

「それで、賢者ってのは?」

「えっとねー、賢者っていうのはねぇー」

「ああ、戦闘能力こそないが、色々と役立ちそうな力が揃っている。初期能力は――」

「わぁーっ! まだ言っちゃダメぇーっ!」


『古代語解読・序』:古代語を読み解ける。第三種制限。

『簡易錬成陣』:簡易的な略式錬成を行える。理解と解明。分解と再構成。

『神聖言語「拒絶の言葉」』:思いを乗せた言葉を、神聖言語へ翻訳する。拒絶に類する単語に限る。


「それと、習得したスキルが一つだけ」


『魔力解析』:魔力を持つもの、その作用を見通し、解析する。


 以上、この四つが『賢者』小鳥遊さんのスキルだという。

「それで、この能力で具体的に何ができるんだ?」

「実は妖精広場にあるこの噴水には、隠された機能がある。そして、その機能を使うには、古代語を読めなければいけない」

 そこで『古代語解読・序』のスキルが役に立つということか。

「その機能っていうのは?」

「装備を修理したり、新しく作り出したり。ただ、小鳥の魔力と、相応の材料が必要になる」

 必要な材料の見極めは、『魔力解析』でできるという。ただ、『魔力解析』には他にも色々と分かるらしいが、今は置いておく。

「最後に、『簡易錬成陣』を使うことで、噴水が機能する」

「それは噴水の機能じゃなくて、『簡易錬成陣』だけの効果じゃないのか?」

「勿論、試してみたさ。結果は、同じ素材で同じ武器を強化した結果、雲泥の差が現れた。恐らく、この噴水には元から高度な『錬成陣』としての機能はあるが、『簡易錬成陣』による初期入力がなければ動かない、という推測だ」

 つまり、錬成陣に準ずるスキルを持たない者が、小鳥遊さんと同じことをやっても、何の変化も起きないということか。

「もしかして明日那、意外にゲームとか好きだったりする?」

「いや、これらの予想は、全て高坂の受け売りだよ」

 自分で地雷を踏んでしまった。心が痛む。宏樹、アイツは結構ゲームとか好きだったからな。そういえば、借りたゲームをまだ返していない。

「ともかく、小鳥のお蔭で修理や新しい武器を作り出すことができるのは事実だ。もっとも、これまではコアを含めて大した材料を入手できなかったから、結局は錆びた剣のままだったが」

 逆にいえば、素材さえ手に入ればいくらでも強力な武器を作り出すことができるということ。これは、ロクな補給が見込めないダンジョンの中にあって、かなり役に立つ能力だ。

「拒絶の言葉、ってのはどういう効果なんだ?」

「かなり曖昧なのだが、どうやら小鳥が来るな、近づくな、などと言うと、襲いかかろうとする魔物の動きを止めることができるようだ」

 かなり強く念じて叫べば、相手を吹き飛ばすこともできるという。それも、一体だけでなく、複数まとめて。おまけに、飛んでくる石なども弾いたというから、魔物限定ではなく、自分に対する物体、遠距離攻撃も効果に含まれるということになる。

 物凄く万能な魔法に思えるが、あくまで小鳥遊さんを狙ってくるモノ限定で、戦闘においては確実な援護手段にもなりえないらしい。『拒絶』の概念はあくまで自分と相手の間にのみ成立するらしく、都合よく敵だけの動きを止めることは難しいという。最悪、戦っている味方の動きも止めてしまいそうになるらしい。

 下手に使うのも危険だから、とりあえずは小鳥遊さんの護身用としてのみ使っているそうだ。

「新しい『神聖言語』を覚えられれば、可能性は広がりそうなんだが……今の段階では、とても戦えるとは言えないな」

「いや、ある程度、自分の身を守れるだけで十分な能力だよ。なにより、小鳥遊さんの能力で凄いのは、武器を作ることだ。今なら多少、コアもあるし、何か出来るかもしれない」

「そうか、それじゃあ早速、小鳥に――なんだ、小鳥、泣いてるのか?」

「うー、うぅーっ! 明日那ちゃんのバカーっ!」

 何で拗ねているんだ、と俺は明日那と二人して首をかしげていると、そこですかさず夏川さんがフォローに入ってくれた。

「ほら、小鳥ちゃん頑張って。ここでその錬成? とかいうのを成功させたら、蒼真君にいいところ見せられるから」

「そ、そっかなー、えへへ、小鳥、蒼真くんに褒めてもらえるかなぁ?」

「うん、絶対、喜んでもらえるって」

「そっか、そっかぁ……えへへ、よーし、小鳥、頑張ります!」

 おお、話の内容はよく聞こえなかったけど、小鳥遊さんがヤル気を取り戻してくれたようだ。流石は夏川さん、仲の良い友人同士だけある。

 実のところ、俺は小鳥遊さんとそこまで仲が良い、というほどでもない。ここにいる俺以外のメンバー、桜、委員長、夏川さん、明日那、四人とも名前で呼ぶほど仲が良いのだが、俺自身とはあまり接点がない。いつも女の子同士の輪の中にいるから、といった感じだ。

 だから、俺にとって小鳥遊さんは、とても可愛らしい、明るく元気な女の子、というイメージしかない。まぁ、傍から見ていれば、実際にその通りだというのは、誰でも分かるだろうけど。

 小鳥遊さんは、レイナと同じくらい小柄で、顔立ちも幼い。おまけに髪型も、同じくツインテール。勿論、レイナと違って小鳥遊さんは黒髪だが。とても良く似合っている。こう言ってはなんだが、小学生にしか見えないほど。

 けれど、レイナと決定的に違う点は、胸が大きいことだろう。いわゆるロリ巨乳である、というのは俺の友人の一人による弁だ。かなりの熱弁だった。小鳥ちゃんこそ男の欲望を叶える奇跡の属性『ロリ巨乳』の持ち主であると。いやしかし、小鳥遊さんは俺らと同い年なんだから、少なくともロリではないと思う。巨乳ではある、というのは賛成せざるをえないけど。

 ともかく、そんな童顔と小柄な体には不釣り合いなバストを誇ることで、彼女もまた明日那と違った意味で人気が高い。こちらは100%男子の支持率だ。

 女子の中では、そんな密かにモテまくる小鳥遊さんのことを嫉んで「あざとい」だとか「調子に乗っている」とか「キャラ作りキモい」などと、陰口を叩かれていることを、実は知っている。

 もっとも、小鳥遊さんの周りには桜をはじめとした多くの頼れる友人達がいるから、まかり間違ってもイジメなんてことには絶対に発展しない。あまり感心しないが、それでも小鳥遊さんほど恵まれた容姿の同性がいれば、多少なりとも疎ましく思ってしまうのは、人の心理として仕方ないのかもしれない。

「それじゃあ蒼真君、小鳥に剣を貸して!」

「ああ、お願いするよ――」

「言い忘れていたが、小鳥の錬成はたまに失敗する」

「……失敗したら、どうなるんだ?」

「勿論、壊れる。二度と使い物にならないほどにな」

「小鳥遊さん、やっぱり先に、こっちの錆びた剣をお願いできるかな」

「うん、いいよーっ!」

 そうして小鳥遊さんは、嬉々として噴水に錆びた剣を放り込み、錬成の儀式を始めるのだった。




 ボスゴーマと百体近いゴーマ軍団との戦いを終えた俺達だから、今回はゆっくり休息をとることにした。ゴーマが持っていた武器の中から、比較的マシなものを厳選して持ってきたし、小鳥遊さんの錬成もあれば、装備を整えることもできるから、その時間も欲しい。

 勿論、戦いで汚れてしまった制服と、そして体を洗うことも、心理的にも衛生的にも必要不可欠だ。つまり、何よりもまず、水浴びが優先されるということである。

「うわぁー、桜ちゃんの肌、やっぱり綺麗だよねー」

「ちょ、ちょっと小鳥、そんなに触らないでください」

「私は桜のスタイルが羨ましいが。委員長でもいい」

「何言ってるのよ明日那、スタイルなら貴女の方がいいでしょう」

「いや、最近また少し大きくなってしまったみたいでな、正直、戦うには邪魔なだけだから」

「羨ましくない、私は羨ましくなんかない……」

「どうした委員長、大丈夫か?」

「大丈夫じゃないよ。涼子ちゃん、これでも結構、気にしてるんだから」

「何のことだ?」

「にははっ、おっぱいの大きさに決まってるじゃん!」

「ちょっ、ちょっと美波!」

「でも涼子ちゃん、明日那ちゃんのを羨むよりも、ここにもっと凄いモノの持ち主がぁ――」

「きゃぁあああああっ!?」

「こっ、このボリュームは、掴み切れないっ!?」

「美波、いい加減にしなさい!」

「美波ちゃんのエッチぃーっ!」

「にゃはっ、ごめん、二人とも、ごめんって! だからちょっと、そこは、待っ、キャーっ!」

 どこまでも楽しげな声が響いてくる。

 そう、今、彼女達五人は、妖精広場の噴水で、楽しい水浴びの真っ最中なのだ。勿論、唯一の男である俺は、広場を追い出されている。流石に単独でダンジョンを彷徨うのは危険なので、すぐ入り口のところに、広場からは背を向けて立っているだけなのだが。もし、ここで俺が振り向いたとしても、パラダイスを拝むことはない。彼女達だってできるだけ死角になるよう、こちら側からは反対側に立って水浴びしているはず。

 しかしながら、俺はここで不用意に振り向くほど愚かではない。

「――いいですか、兄さん。絶対、覗いたりしないでくださいよ」

 と、桜に厳命されている。

 俺も男だ。健全な男子高校生であり、人並みに欲はある。しかし、男としての信頼を賭けてまで、覗きたいというほど愚かでもない。

 だというのに、あんなに桜に警戒されるとは、俺ってそんなに信頼されていないんだろうか。

「こういう時の兄さんは、何かとトラブルが多いので、要注意なんです!」

 そんな念押しもされている。確かに、中学の時の修学旅行とか、友達同士で海に遊びにいったりとか、そういう時に限ってうっかり着替えを覗いてしまったり、そういう不慮の事故に見舞われたことは何度かあったけど……でも、いくらなんでも、こんなあからさまに警戒されると、兄貴として悲しい限りだ。

「ふぅ、平常心、平常心」

 いいだろう、桜。ならば俺は、今こそ高潔な紳士的な態度で示そう。まかり間違っても、俺はお前や、他の女の子達の裸を目にするようなことなど、決してありはしないと。

 そうして、苦しい我慢の時は流れ、彼女達の話声からして、ようやく水浴びを終えて着替え始めたらしいことが察せられた。よし、これで無事に乗り切ったな――と、気を緩めたその時。

「きゃぁあああああああああああああああああああっ!」

 絹を裂くような悲鳴が響きわたる。これは、そう、ボスゴーマに襲われていた時にも聞いたのと同じ、恐怖と絶望の悲鳴だ。この声は、小鳥遊さんか。

 あまりに緊迫した叫び声に、俺の中で浮ついた気持ちは瞬時に臨戦態勢へと切り替わる。まさか、妖精広場にいきなり魔物でも現れたか。腰に差した長剣を手に、俺は素早く振り返った。

「どうしたんだ、小鳥遊さ――んんっ!?」

「いやぁーっ! 助けて蒼真くーん!」

 そこには、白い下着姿で駆け寄ってくる、涙目の小鳥遊さんがいた。眩しいほどに真っ白い乙女の柔肌と、揺れて弾む、二つの双丘が、この目に焼き付く。サイズがあってないのか。零れ落ちそうだぞ。

「うわっ!? ちょっと、小鳥遊さん、その格好はっ!」

「ふぇええーん!」

 何が何だか分からない内に、俺は下着姿の小鳥遊さんに正面から泣きつかれて、ギュっと抱き着かれてしまっていた。い、いかん、これでは剣が抜けない。違う、そうじゃない。この胴体に感じる柔らかい感触は、だから、それも違う!

「待ってください、小鳥! そっちには兄さんが――」

「全く、危ないからいきなり走り出すのはやめろと言っただろう」

「ごめんね、涼子ちゃんも悪気があってやったわけじゃないから」

 俺が小鳥遊さんに拘束されて、完全に無防備な状態となって立ちすくんでいると、新たな下着が次々と目に入ってくる。ピンク、黒、水色、色とりどりの下着を身に着けるのは、家族として、友達として、ひいき目がなくても、適当なファッション雑誌のモデルよりもずっと可愛かったり美しかったりする、美少女達である。

 要するに、桜と明日那と夏川さんが、それぞれの下着姿のまま、俺の目の前に現れたのだった。

「きゃっ! 兄さん、どうして――」

「なっ、そ、蒼真……」

「ふええっ!?」

 恐らく、三人は突如として逃走を始めた小鳥遊さんを慌てて追いかけてきたのだろう。自分達もまた同様に着替える途中の下着姿であることも忘れるほど。

「ふぇーん、蒼真くぅーん、小鳥、怖かったよぉー」

「……兄さん、これはどういうことですか」

 俄かに剣呑な気配が、桜から漂う。ああ、何でだろう、それとなく胸元を腕で隠すような女性らしい仕草をしているのに、この可愛い妹のことが、俺は恐ろしくて仕方がない。

「ま、待ってくれ、桜、これは誤解なんだ!」

 俺にこれといった落ち度はないはずだ。ただ、小鳥遊さんがあんまりにも大きな悲鳴を上げたから、緊急事態だと思っただけで。だから、こうして下着姿の小鳥遊さんに抱き着かれているのは、俺の意思ではなく彼女の自由意思であって、決してやましい意味はどこにもない。

「ま、まぁ、別に、私は蒼真と婚約したこともある身だから、下着姿くらい、見られたところで……ど、どうという、ことはない……」

「にははっ、ごめんね、蒼真君、私のなんか見ても、そんなに嬉しくないよね」

 二人とも、そんなに顔を真っ赤にしながら涙目で言っても、あんまり説得力ないよ。すまない、二人とも、とても恥ずかしい思いをさせてしまった。

 この償いはするから、とりあえず今は……ヤバい気配を発する桜を止めてください、お願いします。

「待て、落ち着くんだ桜、これは不慮の事故なんだ。俺はただ――」

「もうっ、兄さんの、馬鹿ぁーっ!」

 ああ、『光矢ルクス・サギタ』って、別に弓がなくても撃てるんだな。俺は白い光に包まれながら、そんなことを思った。

第38話 ハーレムレベリング

「――前衛は俺と明日那と夏川さんの三人で。後衛は桜と委員長。小鳥遊さんは後衛と一緒に離れず、常に安全な位置で守ってもらうように」

 晴れて六人パーティとなった俺達は、簡単に陣形の打ち合わせをしてから、ダンジョン攻略を始めた。

 色々とアクシデントはあったが、準備は万端。小鳥遊さんの錬成の成果も上々だし、汚れた制服も綺麗さっぱり洗濯済みの補修済み。

 そもそも事件の発端となった小鳥遊さんの絶叫逃亡は、あれが前もって委員長がみんなの制服を繕っておこうと擬態蚕を取り付けていたことが原因らしい。あくまで委員長はよかれと思ってやった結果だったが、小鳥遊さんがうっかり着替えとして用意していたジャージではなく、制服をそのまま着ようとして手を伸ばしたら、そこに、彼女が大の苦手とする虫、つまり擬態蚕に触れてしまったということだ。

 何とも悲しい事件だった。誰も悪くない、誰もが被害者の、やるせない結末だ。

「いやー、ごめんね悠斗君、まさかこんなことになるなんてねー」

 と、あんまりやる気のない表情で適当な謝罪の言葉を投げかけるジャージ姿の委員長に対しては、ちょっとだけ怒りが湧いたけど。委員長め、自分だけ下着姿を晒す失態を免れたから、物凄い余裕の態度である。

 ともかく、今は過去の恨みより、目の前のダンジョンだ。

 元より安定していた戦力の四人パーティに、強力な剣士である明日那と、戦闘能力はないが、装備の強化や補修に加え、その他さまざまなサポートを可能とする小鳥遊さんが加わったことで、さらに強力となっている。

「この辺は、スケルトンがメインのエリアのようですね」

 進み始めて一時間ほど。その間にエンカウントした魔物は全てスケルトンであったから、桜の見解には同意できる。

 これまで何度も倒してきた雑魚モンスターの代表ともいえるスケルトンであるが、このエリアに出没するのは、より質の良い装備を持ち、また、動きも素早く、力強い、より強力な奴らであった。おおよそ五体から十体ほどで群れ、というより小隊とでもいうべきか、で組んでおり、よく見れば連携らしき動きもする。

 特筆すべきなのは、小隊を率いる隊長のスケルトンがいることだ。普通の隊員スケルトンは、すっかり黒ずんだ元は白かったであろう、ボロボロのサーコートを身に纏い、薄らと錆びが残る鉄の剣や槍で武装している。だが、隊長スケルトンは鉄の兜を被り、胴鎧に籠手と具足まで身に着けた完全武装だ。手にする武器も、錆びがなく、鈍い鋼の光沢を宿す鋭い刃を備えた、一回り大きなハルバードと、明らかに品質が良い。おまけに、鉄のラウンドシールドまで装備しており、防御にも優れていた。

「『スラッシュ』でも鎧ごと斬るのは、ちょっと大変だよー」

「流石に、鎧兜で武装されると、固く感じるな。蒼真は『大断ブレイク』が使えて楽そうだ」

「ああ、やっぱりゲームみたいに、スケルトンには打撃の方が有効みたいだからな」

 ボスゴーマは妖刀を振り回しては、たまに武技が発動するように、一際に強力な一撃が飛んでくることがあった。それは刃に当たっていなくても、近くにいるだけで吹っ飛びそうになるほどの衝撃波を感じられた。恐らく、アレが『大断ブレイク』なのだろう。

 アイツが使う技だから、倒したら獲得スキルとして入手できたに違いない。

「でも、一番活躍しているのは、やっぱり光属性の桜よね」

 これもゲームのように、スケルトンをはじめとした、いわゆるアンデットと呼ぶべき魔物に関しては光属性が非常に有効なことは、まだ俺と桜が二人だけだった攻略序盤の頃から、すでに明らかになっていることだった。

 単純に『光矢ルクス・サギタ』を放つだけで、スケルトンは灰になったように崩れ去る。当たり所など関係なく、光の矢が手足にかすっただけで、即死するのだ。

 これまでの戦闘経験のお陰か、桜も新たな能力を習得している。


光盾ルクスシルド』:光属性の下級防御魔法。白く輝く光の盾が、邪悪を防ぐ。

光砲ルクス・ブラスト』:光属性の下級範囲攻撃魔法。白く輝く光の奔流が、闇を祓う。


 要するに、光の盾とビームである。

 魔法で作り出す盾、いわゆる防御魔法と分類されるモノについては、すでに委員長の『氷盾アイズ・シルド』で見ている。盾といっても、別に自分が手に持って装備するわけではなく、足元から自分を覆い隠せる程度の面積を持った壁が現れる、というのが基本的な形態だ。

 しかし、大きさは魔力や習熟度合いによって変化できるし、強度も同様。また、自分から離れた距離でも作り出すことも可能で、前衛をサポートすることもできる。

 委員長と桜、二人の頼れる魔術士が援護射撃だけでなく、際どいタイミングや、回り込みなどの敵の動きに応じて、適切に防御魔法を展開してくれるから、より安全かつスムーズに戦闘が運ぶ。

 もう一方のビームこと『光砲ルクス・ブラスト』だが、こちらは単純にパーティの火力に貢献する。これもすでに委員長がある程度の広さを同時に攻撃する、範囲攻撃魔法に分類される『氷結放射アイズ・ブラスト』があるから、その扱いはすぐに分かった。

 委員長のは冷気を吹雪のように放出するが、桜は灼熱の閃光を放つ。

 こちらを見つけ、真正面から馬鹿正直に突撃を仕掛けてくるスケルトン部隊など、桜の『光砲ルクス・ブラスト』一発だけで殲滅することさえできた。

 そして万が一、こちらの先制攻撃を凌いで間合いに踏み込んで来ても、前衛の俺達が使う武器には全て、『光の守りホーリーエンチャント』が施されているのだ。聖なる刃を振るう俺達を前に、スケルトンなど多少手強くなった程度では、束になっても敵わない。

「――あ、また新しい能力を習得しました」

「おおぉーっ! 桜ちゃん凄ぉーい!」

「活躍しているだけあって、レベルアップも早いわね」

 桜が順調に強くなっているのを喜ぶ後衛組みを横目で見つつ、俺達前衛組みは倒したスケルトンの白骨死体を漁る。

「おっ、ツイてるな、ただのスケルトンだが、コアがあったぞ」

「死体を捌くより、骸骨を砕くだけだから、スケルトンは楽でいーよねー」

 やはり強くなったせいか、スケルトンでもコアが入手できるようになった。大抵は頭蓋骨の中に入っていて、眼窩や口から赤い光が漏れているから、あるかどうかは非常に分かりやすい。隊長スケルトンなら必ずコアがあり、隊員スケルトンでも、たまにコアを持つ個体もいた。

 コアの収集も順調だ。この調子で入手できるのなら脱出用の『天送門』を作動させるエネルギー源も確保できそうだし、それに、ある程度はまた小鳥遊さんの錬成で使って、強化をしても良い。

「うーん、コイツのハルバードの方が、質が良さそうだな……この辺で替えておくか」

 ついでに、真っ当な武器も手に入るのは美味しい。俺もいつまでも騎士の長剣一本きりでいるのは心もとない。ナイフや短剣といった予備の武器は勿論のこと、扱えるならメインとして長柄武器を持っていても良い。

 一応、剣術ほどではないが、槍や薙刀といった長柄武器の扱いは爺さんから習っている。ウチは武芸百般がモットーだったから。

 流石に、斧の刃と槍の穂先を併せ持つハルバードなんて西洋の武器を使ったことはなかったが、まぁ、いざ使ってみれば、意外と何とかなるもんだ。斬ることも突くこともできて、慣れると便利だし。

「――やったぁ! 小鳥も新しい能力を授かったよ! 神様ありがとーっ!」

 スケルトンエリアに突入してから三度目の妖精広場で、小鳥遊さんが噴水で武器の修理をしていると、不意に大喜びで叫び出した。

 戦闘を繰り返すことで、桜を筆頭に、みんなが順調にレベルアップしていたが、戦闘職ではない小鳥遊さんはそれを羨ましそうに見ていたことを知っている。明日那も、小鳥遊さんがなかなか新スキルを習得できていないことを、本人は凄く気にしているようだ、と心配していた。

「そうか、やったな小鳥。どんな能力なんだ?」

「えへへっ、あのねぇ――」


『基礎錬成陣』:基礎的な錬成を行える。森羅万象の真理を解き明かす、第一歩。

『古代語解読・熟』:古代語を読み解ける。第二種制限。


「これでもっと、スッゴイ武器が作れるようになるよ!」

 どうやら新たに獲得した能力は、それぞれ『簡易錬成陣』と『古代語解読・序』の上位互換のようだ。これまでの武器修理と強化は、この二つの能力を中心に行われていたから、成長したと考えるべきか。

 小鳥遊さんの様子からすると、この新能力のお陰で、同じ武器、同じ素材でも、一線を画すほどの性能を引きだして錬成することができるらしい。さらに嬉しいのは、錬成の失敗率も大幅に低下するという効果だ。「もう壊れる気がしない!」と小鳥遊さんは豪語している。

「凄いよ、小鳥遊さん、これは期待できそうだ」

「うん! 蒼真くんのために、頑張って強い武器作って、プレゼントするからね!」

「ありがとう」

 よほど、みんなの役に立てるのが嬉しいのか、輝いて見えるほどのニコニコ笑顔ではしゃぐ小鳥遊さんが微笑ましい。

「……兄さん、その手はなんですか」

「はっ! これは、つい」

 つい、頭を撫でてしまっていた。だって、ちょうどいいところに頭の位置があるから。それに、小鳥遊さんも嫌がらないし、何だか昔ウチで飼っていた犬みたいに嬉しそうにするのだ。

「つい、何ですか?」

「ごめんなさい」

 調子に乗っていたことは否めない。でも残念だ。手を離したら、小鳥遊さんも、どことなく残念そうにしているのは気のせいだろうか。

「――それで、小鳥がより強力な武器錬成ができるようになったようだし、この辺で一旦、装備を整え直してみるのもいいんじゃないかしら?」

「そうだな、ここを拠点にして、適当に周囲を回れば、素材になる武器とコアもそれなりに集められそうだ」

 うーん、うーん、と悩ましげな声を出しつつも、噴水に向かって集中して錬成の最中である小鳥遊さんを背景に、俺達は攻略方針を話し合う。

「私も委員長の意見に賛成だ。小鳥の新しい錬成は、少し時間もかかるようだ。終わるまで、ただ休んでいるよりかは、より良い素材を求めてスケルトン退治をする方が建設的だろう」

「うん、私も実戦でもうちょっと色々試してみたいことあるから、練習したいかも!」

「しかし、いくら妖精広場が安全といっても、小鳥を一人で残すわけにはいきませんから……誰か一人は留守番することにしましょう。兄さん以外で」

「えっ、何で俺だけ」

「賛成ね」

「賛成だな」

「賛成しかないよね」

「ちょっと! 小鳥は反対だよぉーっ!」

「決まりです。いいですね、兄さん?」

 多数決の原理には逆らえない。何故、俺だけ小鳥遊さんと留守番することが禁止されるのか意味が分からないが、そこまで言うなら、従うしかない。

 けど、俺としても、自分が留守番していると、みんなのことが不安で仕方ないだろうし。もしかしたら、その辺のことを桜はすでに見越していたのかもしれないな。流石は我が妹、というより、俺の思考回路が単純すぎるだけか。

「よし、そうと決まれば、早速、行くとしようか――」

 それから、実時間にすると二日ほどかけて、俺達はここの妖精広場を拠点に、いわゆる一つのレベル上げに勤しんだ。その結果は、以下の通りである。


 蒼真悠斗・勇者

 習得スキル

空脚ハイステップ』:移動速度強化。その一蹴りは残像を生み、虚空さえ踏みつける。

『嵐蹴り』:蒼真流武闘術の格闘技の基礎。繰り出される蹴足は、速く、重く。

『体崩し』:蒼真流武闘術の格闘技の基礎。掴み、崩し、投げ落とす。

衝破インパクト』:範囲打撃攻撃。叩きつけた一撃は、更なる衝撃となって広がる。


獲得スキル

『活性骨身』:全身強化。逞しく成長した骨格は、あらゆる身体能力を強くする。


 俺の方は、こんな感じ。『疾駆ハイウォーク』を駆使して飛んだり跳ねたりしていると、いつの間にか空中でもう一段蹴って動ける、いわゆる二段ジャンプができるようになっていることに気が付いたら、『空脚ハイステップ』を習得していた。

 他には、体に染みついた蒼真流武闘術を状況に応じて使っていれば、『一の正拳』に続き、蹴り技と投げ技の二つの基礎も、いつの間にか習得スキルの仲間入りを果たしていた。

 それと『活性骨身』については、やはりスケルトンが相手だからこそ、なんだろうか。全身強化の効果は微々たるものだが、それでも全ての身体能力が底上げされていると思えば、かなり有用なスキルだろう。

 一方、桜の方は新たな能力の習得はなかった。すでにスケルトン相手の戦闘では、成長も頭打ちといったところなのだろう。ただ、同じ相手でも繰り返し戦い続ければ、単純に技や魔法の反復練習にはなるから、これまでに習得した能力の習熟には存分に役立った。


 如月涼子・委員長――じゃなくて『氷魔術士』だな。


氷結槍アイズ・クリスサギタ』:氷属性の中級攻撃魔法。大きな氷の槍が敵を貫く。

『氷精霊召喚』:下級の氷精霊アイズ・エレメンタルを召喚する。


 委員長も基本的には、桜と同様にすでに習得しているスキルの習熟に徹していた。『氷結槍アイズ・クリスサギタ』は彼女が最も使用する攻撃魔法の上位技であるから、この辺で習得したのは順当といえるかもしれない。

『氷精霊召喚』は委員長にとっても初めてのタイプの魔法である。この召喚される氷精霊アイズ・エレメンタルというのは、水色に輝く靄のようなモノが直径三十センチほどの球状となり、妖精みたいな羽らしきものがついた、生物なのか魔力の塊なのか、判別のつかない不思議な存在だ。言葉を話すこともなく、鳴き声も発したりしないが、どうやら委員長の意のままに動くらしい。

 精霊本体には大した攻撃力、つまり氷の魔力による冷気はないものの、敵の頭や足元で炸裂させることで、動きを封じたり攪乱できたりして、これまでにないサポートが可能となった。もっとも、ただのスケルトン相手では、そこまでの援護を必要としないのだが。


 剣崎明日那・双剣士

『骨断ち』:剣崎流剣術。骨すら容易く断ち切る、剛の太刀。

『震い穿ち』:剣崎流剣術。刺突に加えられた捻りは、衝撃波となって体を打つ。

『鎬削り』:剣崎流剣術。鍔迫り合いの際に、相手を突き崩す突破力。


 明日那はスケルトンとの戦いを重ねる内に、もう骨ごと斬れればいいよね、という力技を得ると同時に、骨の体に有効な打撃技も習得していた。『骨断ち』は脳天から入れば、そのまま背骨まで綺麗に縦に割るほどの鋭い威力を発揮する。また『震い穿ち』は、放った刀身そのものが凄まじい勢いで震動しているかのように、突き刺すと同時に骨を粉微塵に粉砕してみせる。

『鎬削り』は、今回は練習ということで、あえて敵の攻撃を受け止める、防御を試した際に習得したという。基本的に明日那は自前の『空跳ね』という『疾駆ハイウォーク』と『空脚ハイステップ』の合いの子みたいな速度強化武技を駆使して、敵の攻撃は受けずに避ける、を徹底した立ち回りだった。安全確実、それでいて自身の能力をフルに生かす動きだが、万一に備えて『鎬削り』のように、ガードせざるをえない場合を想定したスキルを成長させておいて損はない。

 ちなみに、明日那のスキルの説明には全て『剣崎流剣術』と最初に表記されているらしいが、そのどれもが実在する『剣崎流剣術』ではない。双剣士の神様が適当に名付けているか、実は『剣崎流剣術』の源流がこの異世界にあるか、どちらの理由かは不明だ。できれば、後者であってほしいと、明日那は願っているようだ。


 夏川美波・盗賊


空脚ハイステップ』:移動速度強化。その一蹴りは残像を産み、虚空さえ踏みつける。

『弾き』:武器や防具を用いて、敵の攻撃を弾き返す。

『デュアルスラッシュ』:二連撃のスラッシュ。

『影残し』:相手に一瞬だけ分身したように見せかける。幻術の一種。

『影渡り』:影を移動する際に、隠密性が増す。

『ハイドアタック』:真後ろから敵を狙う際に、的確に急所を刺せる。


 さりげなく、最も多くの新能力を獲得したのは夏川さんだったりする。『空脚ハイステップ』の習得は、俺と同じく。『弾き』は明日那が『鎬削り』を習得したの同じく、である。

『デュアルスラッシュ』は、一撃でスケルトンを倒し切れなかった時の為に、手数でカバーするための武技だ。『影残し』で相手を惑わせられれば、隙をついて攻撃もできるし、いざという時の回避にも役立つ。分身を見せるのは一瞬だけ、と厳しい制限つきだが、速さに優れる夏川さんなら、上手く使いこなすだろう。

『影渡り』と『ハイドアタック』は、こちらが先にスケルトン小隊を発見した際に、先手を打つ奇襲を行った際に習得したようだ。この二つを使えば、五体程度の少数だったら、夏川さん一人で一方的に殲滅できるほど。彼女の天職は『盗賊』というより、最早『暗殺者』の如くである。

 俺や明日那のように、元の世界で何の武術の経験も積んだことのない夏川さんが、華麗に前衛として活躍する姿を見ると、やはり才能というものを感じさせる。明日那は日本に帰ったら、夏川さんを剣崎流の門下生として勧誘する気満々であった。

 そんな感じで、俺達は順調にレベルアップを果たした。今では、それぞれが単独でスケルトン小隊と遭遇しても、危なげなく倒せることだろう。

 そうして、百以上にも上るスケルトンの犠牲によって、獲得した様々な彼らの装備は、賢者・小鳥遊さんの手によって、俺達の新たな装備となるのであった。

「はふぅ、やっとみんなの装備を作り終わったよぉー」

 お疲れ様、とみんなで小鳥遊さんを労いながら、グレードアップした武器がそれぞれの手に渡る。

 まずは俺から。


『聖騎士の剣』:とある聖騎士パラディンが愛用した剣。赤い獅子を模ったエンブレムが刻まれている。

『鋼鉄のハルバード』:良質な鋼鉄を用いて作られたハルバード。

『鉄のダガー』:一般的な品質のダガー。


 スキルのように、武器に名前と説明文が付随するのは、小鳥遊さんが錬成し終わった後に判明するのだという。命名は賢者の能力の内なのか、噴水の機能なのか、まぁ、どっちでもいいか。

 とりあえず、俺の装備は最初に手に入れた騎士の剣が『聖騎士の剣』として、より切れ味の鋭い刀身へ生まれ変わり、隊長スケルトンのハルバードは、同じものを何本も素材として噴水に投入することで鋼鉄の質を高めている。相応にコアも消費したが、強化の前と後では、その品質には雲泥の差がある。

『鉄のダガー』は、俺がボス犬を倒した時のように、投げナイフを使いたい場合もあることを見越して頼んだものだ。品質は一般的、とはいうものの、ほとんど錆びた刃しか手に入らないスケルトン装備を見れば、これでも十分すぎるほどの強化結果といえるだろう。


『聖女の和弓』:聖女サクラが愛用している弓。ほのかに光の力が宿る。


「……聖女サクラって」

「な、何ですかこの恥ずかしい説明は、もう、小鳥っ!」

「ええーっ! だって、これ考えるのは小鳥じゃないもーん!」

 何故か説明文からして聖女認定されている桜である。天職を授かる前は、桜だって普通の高校生だったはずなのに、昔から聖女でした、みたいな書き方だ。

 一応、小鳥遊さんの錬成を経て、見た目こそ弓道部で使っていた和弓と変わらないが、その耐久性などは段違いに向上しているらしい。弦が切れても、錬成すればすぐに修理できるのはありがたい。

「涼子ちゃんの杖は、ごめんね、まだ魔法の武器は上手く強化できないみたい」

 氷魔術士の委員長が愛用している長い杖は、魔術士タイプの隊長スケルトンを倒した際に鹵獲したものである。魔術士タイプは割と珍しい奴で、今回のレベルアップを含めて三回しか遭遇していない。幸いにも、二回目の時に、氷の塊をガンガンぶっ放してくる氷魔術士だったので、倒したらそのまま委員長の武器としていただいた。

「魔法の杖は、普通の武器とは別な扱いなのかもしれないわね。錬成陣のスキルが成長するか、全く別の『魔法陣』みたいな名前のスキルが必要なのかも」

「うーん、どうやったら覚えられるのかなぁ?」

「とりあえず、これ以上、私の杖を弄るのは止めてね。私が使える、唯一の武器なんだから」

「もぉーそれくらい小鳥だって分かってるもーん!」

 プンスカとお怒りをアピールする小鳥遊さんであるが、鹵獲した他の火属性の杖と風属性の杖を錬成で合体させようとして大失敗したことを、俺達は知っている。

 杖の強化は今後の課題にするとして、明日那と夏川さんの装備は、俺と同じく順当に強化を果たしていた。


『清めの太刀』:呪いが浄化された太刀。邪悪な力に替わり、聖なる輝きが新たな力をもたらす。

『ナイトサーベル』:騎士が扱う片刃のサーベル。刺突、斬撃、ともに扱う汎用型。

『鉄の長剣』:一般的な品質の長剣。

『鉄の短剣』:一般的な品質の短剣。


『バンデッドナイフ』:ギラつく刃は、脅しにも殺しにも適する。強盗殺人のお供。

『人斬り包丁』:調理用ではなく、より殺人に特化した、血に飢えた包丁。

『鉄の短剣』:一般的な品質の短剣。

『鉄のダガー』:一般的な品質のダガー。


 それぞれ、明日那の装備と夏川さんの装備である。今回の強化で、予備のサブウエポンからもついに錆ついたものはなくなり、説明文曰く『一般的』な性能の武器に刷新することができた。勿論、明日那の二刀流と夏川さんのナイフ二刀流のメイン武器もしっかり強くなっている。

「この刀は『光の守りホーリーエンチャント』がかかっていなくても、刀身が光り輝いているぞ」

「桜の光で完全に浄化された、って感じの説明文だよな」

「ああ、何にせよ、頼もしい刀だ。こっちの『ナイトサーベル』も、手に馴染む。これなら、私の二刀流を存分に生かせそうだ」

 素晴らしい剣の質に満足げな笑みを浮かべて、明日那は小鳥遊さんを撫でる。勿論、桜からのツッコミはない。おのれ、女の子同士だからOKなのか。

「よし、みんなの装備も整ったことだし、先に進むとするか」

「そうね、十分な成果だったわ」

「新しい素材が手に入ったら、小鳥が頑張って錬成するからね!」

「……ね、ねぇ、なんで私のナイフだけ、ちょっと怖い説明なのかな」

 夏川さんは、ゴツいサバイバルナイフみたいな大振りの『バンデッドナイフ』と、元々は普通のサイズだった包丁が、一回り大きくなり、刀のように波打つ刃文が浮かぶ『人斬り包丁』をそれぞれ手に持ち、ちょっと涙目で訴えかけていた。

「ねえっ、蒼真君! 何で私だけこんなんなのぉ!」

 うわっ、そこで俺に振るんだ!? この話題に触れないように、気合いを入れて出発しようと思っていたのに……くそっ、どうする。

「え、それは……」

 チラリと右を見ると、桜に視線を逸らされた。左を見ると、夏川さんの一番の親友である委員長も、同じく目を逸らす。明日那は期待の籠った応援するような視線をくれるだけで、完全に俺へと対応を丸投げしている。そして、この不吉な名前と説明文のナイフと包丁を作り出した張本人である小鳥遊さんに至っては、背中を向けていた。

 みんな、なんて薄情なんだ。これが女の友情ってやつなのか。恐ろしい……ええい、こうなったら、俺が夏川さんを悲しませずに納得させられる、上手い解答をしてやろうじゃないか。

「それは、えっと……盗賊、だから?」

「わ、私、悪い盗賊じゃないよぉーっ! ふぇーんっ!」

 泣き出した夏川さんを落ち着かせるため、俺達の出発は三十分ほど延期となるのだった。

第39話 ケルベロス

 レベルアップを果たし、装備も整えた俺達は、これまでにも増してダンジョン攻略がはかどった。相変わらず現れ続けるスケルトン小隊は、奥へ進むごとにその数を増してくるが、今の俺達をそれだけで止めることなどできはしない。隊員スケルトンが全て隊長クラスにまで強くなっていれば、もう少し苦戦するかもしれないが。

 しかしながら、俺達が敵の弱さに慣れるほど慢心する前に、そこへ辿り着いた。

「ここは、どう見てもボス部屋じゃないか」

 一際大きな扉、否、それは最早、門といって良い大きさだ。レイナの家はかなりの金持ちで、立派なお屋敷に住んでいるが、そこの正門と同じくらいには大きい。つまり、開けば大型トラックでも余裕で通れるだけの幅と高さがあるってこと。

「ボスもスケルトンだといいのですけど」

「どんな魔物が住みついているかは、入ってみなきゃ分からないわね」

 ゲームじゃないんだから、そんなに分かりやすく関連性があるとも限らない。でも、確かにここで登場するのがデカいスケルトンのボスであれば、対処は楽なので大歓迎だが。

「どの道、倒さなければ先へは進めないのだろう。ならば、自分達の力を信じて、押しとおるまで」

「うん、今の私達なら、大丈夫だよ!」

「小鳥も応援するからね!」

 できる限りの準備はした。気力、体力、共に充実し、コンディションもばっちり。

「よし、それじゃあ……行くぞっ!」

 意を決して、俺達は重厚な門扉を押し開き、ボス部屋へと足を踏み入れた。

「――っ!?」

 部屋へ入ったその瞬間、凄まじい気配を感じた。元の世界でも、感覚が研ぎ澄まされている時なら人の気配というのは何となく察することはできたが……これほど強大な気配を感じたのは初めてだ。感じたというより、叩きつけられている、というべきか。

 どうやら、この部屋の主は隠れる気はないらしい。

 プロ野球の試合ができるドームほどもある、大きな円形の空間だ。薄暗く、奥まで見通せなかったが、ひとりでに壁際に等間隔で設置されていた松明に、一斉に火が付いた。

「ひゃあっ!? な、なにアレ……大きい……」

「ああ、これは、とんでもない大物だぞ……」

 前衛として、俺の両隣に立つ夏川さんと明日那が、同じように息を呑む。無論、俺も二人と同じく、炎の灯りに照らされて浮かび上がった、ボスの巨躯を見て驚愕していた。

「……ケルベロス」

 ボスは、そうとしか言いようのない姿をしていた。ドーベルマンのようにしなやかで引き締まった肉体でありながら、その身は象ほどもある。燃えるような真っ赤な毛皮は、これまで散々、倒してきた赤犬とよく似た色合いであることを思えば、奴らの進化系なのだろうか。

 そして最大の特徴は、三つの頭。狼のような鋭く獰猛な顔が三つ並び、舌を垂らして荒い息遣いで睨みつけてくる様は、地球に伝わる『地獄の番犬』そのままの姿であった。

「兄さん、この魔物は、今までの相手と格が違いすぎますよ」

「分かってる。けど、コイツを倒さなきゃ先には進めない……日本には、帰れないんだ」

 あの鎧熊を超えるほど強大な魔物を前に、恐れる気持ちはある。敵わないかもしれないという恐怖。誰かが犠牲になるかもしれない恐怖。何より、自分が死ぬ恐怖。

 でも、一歩も退く気はない。

「ええ、そうね、その通りよ、悠斗君。みんな、覚悟を決めましょう」

 委員長の言葉に、全員が力強く頷く。

「見た目からして、アイツは赤犬と同じだ。けど、大きさが桁違いだから、突進だけで蹴散らされないよう注意だ。桜と委員長、二人の防御魔法で止めてくれれば、俺達が隙を突く」

「はい、兄さん」

「足止めだけで、狙わせてくれればいいがな。小鳥、奴の火力は見えそうか?」

「えっと、えっとね……スッゴイ炎をブワーって吐き出せるから、みんな、注意してね! 多分、本気になったら三つの頭も全部、火を吹くかも!」

「火炎放射を抑えるなら、私の氷が一番ね。少し攻撃の手数が減るかも知れないけど、私はみんなの防御を固めるわ」

「それなら、私達が頑張らないとね!」

「ああ、いつも通りでいこう。攻撃は前衛に任せて、後衛はサポートに徹してくれ」

 さて、ケルベロスの方も空腹が限界といった感じで、のっそりと体を起こして動き始めるようだ。凶悪に血走った六つの目が、美味しい獲物であろう俺達に突き刺さる。

 悪いが、この場にいる一人たりとも、お前なんかに食われてやるつもりはない。必ず、全員で生き残る。

 だから、白い光の女神様、俺に『勇者』としての力を、みんなを守るための力を、貸してくれ――




 ケルベロスとの死闘が続いている。

「はぁ……はぁ……あと、もう少しだ……」

 大きく鋭い牙や爪が幾度もかすり、全身切り傷だらけな上に、時折ぶっ放される火炎放射によって、火傷まで負っている。それでも、常に直撃だけは避け続けたことと、絶妙のタイミングで飛んでくる桜の『癒しの輝きヒーリングライト』のお蔭で、まだ致命傷には至らない。まだ動ける、まだ、戦える……だが、俺も、みんなも、消耗が激しい。その分、ケルベロスにもダメージが入っている。奴の全身も、俺と明日那と夏川さんの斬撃が幾重にも刻み込まれ、血塗れになっている。三つの首はどれも息が荒く、疲労の色を隠し切れていない。

 ここまで、どうにかこうにか、上手く立ち回って来れた。まだ誰も倒れてはいない。しかし、油断はできない。俺達も集中して戦い続けるにはギリギリだし、何より、ケルベロスは正しく手負いの獣というべき状況だ。

「――蒼真君! 気を付けて、ボスの魔力が高まってるよ!」

 警告を発したのは、やはり小鳥遊さんだった。彼女は『魔力解析』によって、相手の魔法発動なども、何となく察せられる。この能力のお陰で、俺達はケルベロスが火炎放射を放つのを事前に察知し、防御や回避を成功させることができた。

 だから、小鳥遊さんが声を上げたということは、炎を吐くのとはまた違った『何か』をケルベロスが行おうとしている予兆に他ならない。俺も何となく、奴が纏う気配……魔力の気配、とでもいうべき強い力の流れ、みたいなものが薄らと感じ取ることができた。

「まずい、みんな一旦、下がれ!」

 疲労していながらも、明日那と夏川さんはそれぞれの移動強化武技を切らすことなく行使し続け、素早く離脱。前衛が一足飛びに距離をとったと同時に、ケルベロスは大きくのけ反るような格好で、一際に巨大な咆哮を上げた。

「――ォオオオオンっ!」

 その瞬間、ケルベロスの赤い毛皮が黒に染まった。全身に墨を被ったように、真っ黒。だが、燃え盛るような赤い瞳だけが、ギラギラと狂暴に輝いていた。

 これは、ヤバい――直感的に、ただそう思った。

「みんな、危ない! 火がっ――」

 小鳥遊さんの警告をかき消すように、三つの頭は同時に炎を吹き出した。まるで、ここまで自分を追い込んだ俺達に対する、怒りそのものを吐き出すかのように。

「くっ、滅茶苦茶に撃ってくる」

「これじゃあ、近づけないよっ!」

 ケルベロスは怒りのままに轟々と火炎を吐き出す。狙いも何もなく、視界に入る全てを紅蓮に染めるように、全方位にまき散らされる。夏川さんの言う通り、目の前に二重、三重となって立ち上る炎の壁を前に、俺達は接近できない。

「ガァアアアアウ!」

 攻撃するどころか、炎にまかれて退路さえ失いかけていた俺達を無視して、ケルベロスがついに動き出す。無論、ケルベロスは自ら吐いた炎で焼けたりはしない。燃え盛る火の海を悠々と突っ切っていく。

 向かう先は、前衛の誰でもなく、その後ろ。しまった、奴の狙いは後衛だ。

「委員長!」

「分かってる――『氷壁アイズ・デファン』っ!」

 後衛に向かって突進を仕掛けるケルベロスを遮るのは、委員長が最後に覚えた氷属性の範囲防御魔法『氷壁アイズ・デファン』だ。個人を守る『氷盾アイズ・シルド』とはそもそも作り出す氷の壁の大きさが桁違い。ケルベロスくらいの大型モンスターの動きさえ止めるほどの、何メートルもの巨大な氷の壁が瞬時に現れる。

 実際、この魔法のお蔭でケルベロスが後衛に狙いを定めた時も、凌いだのだ。

「ガアアッ!」

 しかし、怒り狂って漆黒に染まったケルベロスを、止めきることはできない。勢いよく目の前に立ちはだかる氷の壁に体当たりをかますと、バキバキと大きな亀裂が縦横に走り、今にも崩れそうなほど。

 完全に邪魔な障害物を破戒すべく、ケルベロスは左右の首から轟々と火炎放射を吐きかけると、両の前足を振り上げ、圧し掛かるように壁を叩いた。

「きゃああああああああああっ!」

 小鳥遊さんの悲痛な叫びと同時に、委員長の『氷壁アイズ・デファン』は粉砕される。ケルベロスを阻むものは、もう何もない。

 いまだに轟々と周囲で燃え盛る炎の壁が、俺達前衛にケルベロスの追撃を許さない。ほんの十数メートル先なのに、灼熱の迷宮となって俺達の接近を阻む。もう一刻の猶予もないというのに。

 くそ、頼む、間に合ってくれ。俺が駆け付けるまで、あともう少し、持ちこたえてくれ!

「ああっ!? 桜ちゃん、逃げて! 狙われるっ!」

 小鳥遊さんの呼びかけに、俺の背筋が凍る。さらに炎の向こうで、一際に大きく息を吸い込むケルベロスの真ん中の頭を見て、嫌な予感は確信に変わる。

「桜ぁーっ!」

 ケルベロスは、これまでの戦いでは一度も見せなかった、灼熱の火炎を一点に圧縮させたよような、大きな火球を放ってみせた。速い。撃ち出された火の玉は、直後に着弾。この高い広間の天井に届かんばかりにまで、巨大な火柱が立ち上った。

「さ、桜……そんな……」

 嘘だろ、とは言えなかった。あれほどの威力の火球だ。ほんのちょっと狙いが逸れただけで、助かるようなモノじゃない。そして、桜が持つ防御魔法は、光の壁を一枚展開させる『光盾ルクスシルド』だけ。あんな大爆発を、光の盾だけで防げるはずがない。

「桜ちゃん! 桜ちゃーん!」

「ダメよ、小鳥! それ以上は危険だわ!」

 炎の向こうから、委員長と小鳥遊さんの声が聞こえてくる。桜と二人とで、後衛も左右に散開していたのは幸いだった……そう、素直に思えない自分が腹立たしい。

 いいや、違う、そうじゃない。そういうことじゃない。

「ゆ、許さない……」

 今は、自分の不甲斐なさ、己の無力を、嘆く時ではないだろう。

「絶対に、許さない――」

 最愛の妹を失った悲しみに、泣く時でもない。

「――お前だけは、絶対に許さないっ!」

 そう、今はただ、仇を討つべき時。だって、俺は兄貴なんだから。


光の聖剣クロスカリバー』:白き神より勇者に授けられる、唯一無二の聖剣。


 ソレが脳裏に浮かび上がると同時、握った『聖騎士の剣』が、俄かに光を放つ。思い出す。この感覚は、俺が勇者に目覚めた時と同じもの。

 ああ、そうだ、そうだった……これが、俺に与えられた、勇者だけが持つ『固有スキル』なんだ。

「はぁあああああああああっ!」

 眩しいほどに光り輝く白銀の剣を振るう。すると、あれだけで俺の行く手を阻んだ炎の壁が、あまりにあっけなく切り払われる。

 これで、道は切り開かれた。

「ゴォアアアっ!」

 俺の気配を鋭く察知したのか。ケルベロスの三つ首は俺へと向き直り、牙を剥いて威嚇の声を上げる。いや、威嚇というより、もうすでに攻撃態勢に入っているが。

 人間の体など容易く押し潰せそうなほどに、野太い獣の腕が飛んでくる。その勢いと、備えた鋭い爪。直撃すれば一たまりもない恐るべき凶器だが――遅い。

「はあっ!」

 身を捻ってかわすと同時に、一閃を叩き込む。武技で切りつけても毛皮と僅かな肉にしか裂けなかった強靭なケルベロスの肉体だが、今は熱したバターのように光の刃があっさりと通っていく。

「ギョォオアアアアっ!?」

 一刀のもとに、ケルベロスの前足を切り飛ばした。これまでにない、苦しげな絶叫をあげる。流石にこんなモンスターでも、足を一本失うのは痛いか。

 だが、この程度では終わらせない。この『光の聖剣クロスカリバー』もいつまでもつか分からない。一気に畳み掛ける。

「うぉおおおお――『三裂閃トライ・スラッシュ』っ!」

 切り飛ばした足と同じ側にある頭を、まずは斬り伏せる。ほとんど同時に刻み込まれた三連撃は、舌を裂き、鼻先を切り、目元を抉った。この頭はもう使い物にはならないだろうが、トドメは必要だ。眉間に『一穿スラスト』を叩き込み、完全に沈黙させる。

「――ガアっ!」

 流石に二つもの武技を叩き込むだけの時間をかければ、残った頭が反撃に動く。真ん中の頭が大口を開けて噛みついてくる。単純だが、最短距離で一撃必殺の牙を見舞う、有効な反撃行動であった。

「『反撃カウンター』」

 人間など丸飲みにできそうなほどに巨大なアギトが閉ざされる瞬間を見切り、剣で弾く。横薙ぎに振るったカウンターに、真ん中の首は思い切り殴られたように頭を揺らす。

「コォオオオ――ゴォアアアっ!」

 残った首は、噛みつきではなく火球を放とうとしていた。大きく息を吸い込む、分かりやすい予備動作だ。どうやら、即座に撃ち出すためか、桜に放ったものよりも一回りは小さい。多少、威力は劣るだろうが、人間一人を丸焼きにするには十分すぎる火力だ。

 けれど、俺は引かない。この程度、捌けないようでは、この化け物を殺すには足りない。

「『反射リフレクター』」

 目前に迫った灼熱の火球を、斬る。個体ではない炎を切り裂く、というのは妙な話かもしれないが、この『光の聖剣クロスカリバー』は一振りで炎の壁を払ってのけたのだ。ならば、火の玉だって切り裂けない道理はない。

 俺を避けるように二つに別たれた火の玉の残骸が、斜め後ろの左右で爆発するのを感じながら、俺は一足飛びに頭へと斬りかかる。『反撃カウンター』で弾いた真ん中の頭を踏みつけて、火球を放った残り火が口元から零れる頭部を狙って、光の剣を振り抜く。

 輝く刃は鼻先から入り、そのまま真っ直ぐ上へ駆け抜け、眉間の辺りまで深々と切り裂く。

「あと、一つ!」

 振り向き見れば、二つの頭を潰されたというのに、まだまだ元気で牙を剥く最後の頭がある。再び、俺をかみ殺そうと大口を開けて迫って来るが、チロチロと口元から炎が漏れているのは――なるほど、そのまま火炎放射を放ちつつ、食らいつこうという魂胆か。

 流石に炎を浴び続けられれば「『反撃カウンター』」でも「『反射リフレクター』」

でも捌き切れない。回避しかない、が、この間合いからあまり離れたくはない。もう一度アタックを仕掛けるだけの体力と魔力が、俺にはなさそうだ。情けないが、この肉体はもう限界だとでもいうように、ギシギシと軋みを上げ始めている。

 攻撃できるのは、あと一回が限度。回避に徹して、隙を窺った上で、攻撃を仕掛けるには、あまりに余力がなさすぎる。ならば、このまま決めてやる。

「はあっ!」

 その場を飛びあがると、足のすぐ下を紅蓮の奔流が駆け抜けていく。跳躍の判断が一瞬遅れていれば、丸焼きだった。しかし、焼死の危険性は変わらず。ケルベロスはジャンプして避けた俺を冷静に捉え、そのまま火炎放射を放ちながら、射線を上へ向けて今度こそ俺を消し炭にしようと動き出していた。

「うぉおおおおおおおおおお――」

 炎の渦が迫るその瞬間、俺は虚空を蹴って、前へ飛んだ。すでに『空脚ハイステップ』は習得している。僅かだが、確かに空中で移動する術が、俺にはある。

 空中でステップを一つ刻めば、もう、そこにはケルベロスに残った最後の頭、その付け根となる首元へ辿り着いていた。

「――『刹那一閃ネロ・ライトニング』っ!」

 振るった『聖騎士の剣』に宿る白い光が、さらに眩しく、神々しく、輝いた。それは『一閃スラッシュ』でもなく、『三裂閃トライ・スラッシュ』でもない、新たな武技。放つ輝きは、それそのものが新たなる光の刃となって、敵を切り裂く。

 さながら、光輝く巨大な剣となったかのような『聖騎士の剣』を、俺は目の前にあるケルベロスの首筋へ力の限り叩き込んだ。

 弾ける光の奔流に、頭が真っ白になりそう――だが、どうにか俺は、着地を決めた。

 そこで、全ての力を使い切ったかのように、刀身に宿った白光が消え去る。同時に、全身を襲う重苦しい疲労感。重い、体が重い。今にも、倒れてしまいそうなほど。

「ふっ、はぁ……」

 大きな溜息のような深呼吸をしてから、ようやく俺の体は、振り向けるだけの活力が戻った。

「……やったぞ、桜」

 そこには、ケルベロスの巨躯が横たわっていた。左右の頭は無残に切り裂かれ、真ん中の頭に至っては、完全に首が落ちていた。死んだことは、一目瞭然。

 しかし、凄惨な死に様を晒すモンスターの死体は、すぐに光へと変わる。倒した怨敵の姿を前にしながらも、何らかの感想を抱くよりも先に、いっそ機械的ともいえる吸収が始まってしまった。これまでで最大の輝きと量を発する光の粒子は、やはり瞬く間に俺の体へと吸い込まれ……そして、後にはコアだけが残される。恐るべきモンスターの名残は、どこにも見えなかった。

 ああ、終わったんだ、これで。俺は、桜の仇を――

「――本当に、兄さんは無茶ばかり、するんですから」

「なっ……さ、桜……なのか」

 聞こえたその声は、幻聴でも構わない。そう、心から思った。

「すみません、心配をかけてしまいました……兄さん、私は無事ですよ」

 いまだ残る炎と黒煙の内から、大きな白い光球が現れる。燃え盛る火も煙も全くよせつけない、美しくも不思議な光りの球の中に、見覚えのある人影がボンヤリと浮かび上がって見えた。

「『聖天結界オラクルフィールド』という、聖女の固有スキル、らしいです」

 理由なんて、何でも良かった。俺はただ、そこに、輝く光の向こうに、桜の無事な姿があるだけで、十分だった。

白嶺学園二年七組出席簿 2

 白嶺学園二年七組・出席簿・四十一名


 男子・二十二名


出席番号1番・東真一アヅマ シンイチ・男子クラス委員長


出席番号2番 死亡 伊藤誠二イトウセイジ『盗賊』

 オルトロス戦にて死亡。


出席番号3番・上田洋平ウエダ ヨウヘイ・弓道部


出席番号4番・大山大輔オオヤマ ダイスケ・空手部


出席番号5番 死亡 高坂宏樹コウサカヒロキ『騎士』 サッカー部

 妖刀使いのボスゴーマ戦にて死亡。


出席番号6番・斉藤勝サイトウ マサル・弓道部


出席番号7番・桜井遠矢サクライ トオヤ・弓道部


出席番号8番・佐藤裕也サトウ ユウヤ


出席番号9番・下川淳之介シモカワ ジュンノスケ


出席番号10番・杉野貴志スギノ タカシ・柔道部


出席番号11番・蒼真悠斗ソウマ ユウト『勇者』 剣道部


出席番号12番 死亡 高島雄大タカシマユウダイ・野球部

 森の中で怪死。


出席番号13番・天道龍一テンドウ リュウイチ


出席番号14番・中井将太ナカイ ショウタ


出席番号15番・中嶋陽真ナカジマ ハルマ・美術部


出席番号16番・葉山理月ハヤマ リライト・バスケ部


出席番号17番・樋口恭弥ヒグチ キョウヤ


出席番号18番 死亡 平野浩平ヒラノコウヘイ『剣士』 サッカー部 

 オルトロス二戦目にて死亡。


出席番号19番・桃川小太郎モモカワ コタロウ『呪術師』 文芸部


出席番号20番・山川純一郎ヤマカワ ジュンイチロウ・演劇部


出席番号21番・山田元気ヤマダ ゲンキ・野球部


出席番号22番・横道一ヨコミチ ハジメ




 女子・十九名


出席番号31番・レイナ・アーデルハイド・綾瀬アヤセ


出席番号32番・飯島麻由美イイジマ マユミ


出席番号33番・北大路瑠璃華キタオオジ ルリカ・料理部


出席番号34番・木崎茜キザキ アカネ・バレー部


出席番号35番・如月涼子キサラギ リョウコ『氷魔術士』 女子クラス委員長


出席番号36番・剣崎明日那ケンザキ アスナ『双剣士』 剣道部


出席番号37番 死亡 佐藤彩サトウアヤ『射手』

 ゴーマの群れとの戦いにて死亡。


出席番号38番・篠原恵美シノハラ エミ・イラストレーション部


出席番号39番・蒼真桜ソウマ サクラ『聖女』弓道部


出席番号40番・小鳥遊小鳥タカナシ コトリ『賢者』


出席番号41番・長江有希子ナガエ ユキコ・文芸部


出席番号42番・夏川美波ナツカワ ミナミ『盗賊』 陸上部


出席番号43番 死亡 西山稔ニシヤマミノリ『風魔術士』 吹奏楽部

 オルトロス二戦目にて死亡。


出席番号44番・野々宮純愛ノノミヤ ジュリア・テニス部


出席番号45番・雛菊早矢ヒナグク サヤ・弓道部


出席番号46番・姫野愛莉ヒメノ アイリ


出席番号47番・双葉芽衣子フタバ メイコ『狂戦士』 料理部


出席番号48番・芳崎博愛ヨシザキ マリア・テニス部


出席番号49番・蘭堂杏子ランドウ キョウコ

第40話 遺品と戦利品

「……ハっ!?」

 パッチリと目が覚めるなり、僕は慌てて飛び起きる。

「ぼ、ボスはっ!」

「おはよう、桃川くん」

 あの恐ろしい赤毛のオルトロスの代わりに、僕の目の前では双葉さんがニコニコと和やかな笑顔で座り込んでいる。敵はもう、どこにもいなかった。

「え、あ……おはよう」

 どうやら、ここはもうボス部屋ではないらしい。というか、どう見ても妖精広場だ。

 そこまで認識すると、僕はとりあえず双葉さんに事情を聞くことにした。

「平野君と西山さんは、私が火の壁から出て来た時には、もうボスに……でも、弱っていたから、私一人でも倒せたの」

 やはり、最後は狂戦士の力が頼りか。最後の一人が僕だったら、完全に詰んでいた。

 ともかく、双葉さんは見事にボスを打ち倒し、フレンドリーファイアで瀕死の僕だけを連れて、ボス部屋を脱し、次のダンジョンエリアであるここの妖精広場まで逃げ延びることに成功したという。

 本当に、最後の最後まで、頼りになりっぱなしだ。

「そう、だったんだ……ごめん、双葉さん」

「どうして、桃川くんが謝るの?」

「僕は全く、役に立たなかった……いや、それどころか、僕の行動のせいで、連携が乱れて、そのままボスにやられてしまったんだ」

 僕が撤退ではなく、覚悟を決めてそのまま正面対決を選んでいれば、あるいは、平野君か西山さんのどっちか片方くらいは生き残れたかもしれない。

「桃川くんは、何も間違ってないよ! だって、あの二人が勝手に――」

「いいや、僕が最初に逃げ出したことは事実だから。あそこで、信頼を失ってもしょうがない場面だったよ」

「でもっ、西山さんは、桃川くんを撃ったんだよ! 私、分かるよ、ボスと西山さんが傷だらけだったの、桃川くんの『痛み返し』があったからでしょ」

 その通り。僕はボスに組みつかれた状態で、西山さんの『風連刃エールブラスト』がクリティカルヒットしたんだ。人質をとった犯人を、人質ごと撃ち殺すような所業である。

「それも、自業自得だよ……」

 正直、僕を撃てと言い出した平野君、そして、本当に僕ごと撃ちやがった西山さんに対しては、恨み言の一つや二つじゃすまない。ありえないだろ、なに撃ってるんだよ、馬鹿野郎。

 けれど、それは口にはしない。死者に鞭打つ、という意味でもなく、やっぱり、僕自身がパーティの連携を崩す発端となってしまったのだから……本当に、自業自得なんだ。僕はもっと、上手くやれるはずだった。

「桃川くんは、悪くない! 何も、悪くないよっ!」

「ありがとう、そう言ってくれるだけで……ううん、双葉さんが、僕を見捨てずに助けてくれたってだけで、十分すぎるよ」

 こんな役立たず、瀕死のままボス部屋に置き去りにした方が良かったんじゃないのか。それに、噂の回復ポーションまでつぎ込んだというじゃないか。信じられない、もったいない。

 あの瀕死の傷をこんなに綺麗に回復させるなんて……僕の傷薬が馬鹿らしく見えるくらいのチート回復アイテムだ。こういうモノは、前衛を務める双葉さんにこそ必要だというのに。

「私は絶対、桃川くんを裏切ったりしない。もう逃げない、必ず、私が守るから!」

 ありがとう。本当に、ありがとう、双葉さん。その信頼は、涙が出てくるほど嬉しいよ。僕らの性別が逆だったら、僕はラブコメのヒロインよりもチョロく惚れちゃう。

「うん、僕もこれからは、もっと頑張るよ」

 次はもっと、上手くやる。平野君と西山さんは、ちゃんと仲間になれるはずの人だった。

 信頼。そう、信頼が大事だ。僕にはまだ、ちゃんと他人を信じようと思う気持ちがある。

 友達のはずの勝にはあっさり裏切られ、ついさっきは二人のせいで僕は瀕死になった。けれど、双葉さんは僕を助けてくれた。だから、人に絶望するには、まだ早い。

 いや、そもそも人間ってのは、極限状況下で試されるべきモノじゃないだろう。身の安全を確保して、衣食が満ちて、人は初めて理性的になり、ルールを守る社会的な動物となれる。

 だから、モンスターと生きるか死ぬかの戦いばかり続くようじゃダメなんだ。仲間を増やして、十分な戦力を整えて……たとえ偽りでも安心できる環境ができて、ようやく十全に力を発揮できる。僕らは精神的にも未熟な子供、ただの高校生だ。尚更だろう。

「桃川くん……あ、そうだ、二人の荷物も拾ってきたから、使えるモノがないか、見てみようよ」

「ああ、うん、そうだね」

 よくそこまで気が回ったな、と感心しながら、僕は彼女と一緒に、二人の遺品を漁り始めた。

 もしかして、二人が犠牲になったことに、泣き叫んで悲しむほどの感情が湧いてこないのは、僕の神経が、このダンジョン生活の中で早くも狂いだしたからなのか。だって、僕は今、平気で死んだクラスメイトの鞄を、ただ役に立つものがないかという即物的な理由だけで、漁っているんだから。

「……桃川くん、泣いてるの?」

「えっ……ああ、うん、ちょっと、泣いてる、かも」

 何が「泣いてるかも」だよ。僕の両目からは、こんなにハッキリとポロポロ涙が零れ落ちてきているじゃないか。

 ああ、良かった。どうやら僕は、まだ、人として正常でいられるらしい。

 ごめん、平野君、西山さん。二人には恨みもあるけれど、それでも、死んでいいと思えるほどじゃなかった。きっと、もっと、仲良くなれたはずだったのに……本当に、ごめん。

 僕は静かに泣きながら、犠牲の重さに体を震わせた。




 自分の良心を再確認できたが、それはそれとして、装備は整え直さなければいけない。

 まず、一番の収穫は、何といっても平野君が使っていた質の良い長剣だろう。

「はい、この剣、桃川くんが使って!」

「いや、どう考えても双葉さんのサブウエポンにすべきだよ」

 本命のバレンタイチョコを渡すみたいな勢いで差し出された長剣を、僕は速攻で突っ返す。

「え……で、でも、私ばっかり、悪いよ」

「最前線で戦う一番危険な役割は、双葉さんに任せきりになっちゃうから、質の良い武器はどんどん装備すべきだよ。そのゴーマの斧だって、あとどれくらい持つか分からないし」

「けど、桃川くんだって、もしもの時のために、ちゃんと良い武器は持っていた方がいいと思うの」

「それも一理あるけど……残念だけど、僕の腕力じゃあ満足に長剣なんて振れないんだよね」

 無用の長物というヤツだ。僕は目の前から迫りくる魔物に対して、この剣一本で華麗に切り捨ててみせる自分の姿を全く想像できない。

「どうせ僕じゃ使いこなせないから、双葉さんが有効活用してよ」

「そ、そういうことなら……分かったよ、私、この剣でたくさん敵を殺して、桃川くんに絶対、近づけさせたりしないから!」

 凄い意気込みだ。やっぱり狂戦士だから、女の子の双葉さんでも良い武器を手にすると、ちょっと興奮するんだろうか。

 そんなワケで、最大の取り分がスムーズに決まり、あとは順当に物資を配分する。といっても、二人の持ち物にはそこまでめぼしいアイテムはなかった。

 僕を瀕死の重傷から一発で救った魔法の回復ポーションも、西山さんが所持していた一つきり。あとはせいぜい、例のクローバーが数枚あるのみ。傷薬Aを持つ僕らからすると、さしてありがたいモノではない。

 それと、西山さんが使っていた風魔法の杖。これは分かり切っていたことだけど、やっぱり僕も双葉さんも、全く使うことはできなかった。ひょっとしたら、と一縷の希望をかけたけど、どれだけ念じても、ついに杖からはそよ風さえ吹くことはなかった。使えない装備は単なる邪魔物。けど、ケチな僕はこの本物の魔法の杖を丸ごと置いていくのは気が引けて……

「よし、やって、双葉さん!」

「えーいっ!」

 金太郎みたいに堂の入った斧の振り下ろしによって、杖を切断。いかにも魔法の力の核です、みたいな先端についた緑の玉だけを切り離す。双葉さんの一撃は力強くも正確無比で、見事に玉と杖のつなぎ目部分を両断し、綺麗に玉だけをゴロっととることに成功した。

 とりあえず、何かの役に立つかもしれないと信じて、緑の玉を鞄の奥底に仕舞い込んだ。

「役に立つかどうか分からないけど、ボスの大きい牙をとってきたよ」

 モンスターから素材を剥ぎ取るゲームのプレイヤーキャラみたいな真似を双葉さんがしてくれたお蔭で、オルトロスの牙×2をゲットした。いわゆる、ドロップアイテムである。違うか。

 手にしたオルトロスの牙は、流石にナイフよりは小ぶりだけれど、それでも僕の親指より一回りほど太くて長い。恐竜の牙かと思うほど、立派である。

「これ、ちょっと強く叩くと、火花が出るんだよ。火打石みたいに」

「うわっ、ホントだ、凄いよコレ!」

 試しに妖精広場の噴水の縁を叩いてみると、ボっと結構派手に火の粉が散った。どうにも、ただ摩擦の衝撃だけで火花が散っている以上に、火が噴いているように見える。

 オルトロスが炎を吐いていたことを思うと、魔法の牙なのだろうか。それとも、可燃性のガスを風魔法で誘導するだけで、この牙は点火用にすぎないのか。

「これ、使えるかな?」

「火炎放射は出せそうにないけど、火種としては使えるよ。今はライター持ってるけど、燃料が尽きたらお終いだから」

 実は隠れ喫煙者だったらしい野球部高島君の荷物から拝借したライターが、手持ちの火種である。これのお蔭で、ヘビも美味しく焼けたわけだ。

 とりあえず、ちょうど二本あるから、僕と双葉さんとで一本ずつ分け合うことにする。

「そうだよね、ふふっ、良かった」

「魔物の中には、コア以外にもそのままで役に立つ部位があるかもしれないから、何かあったら出来るだけ集めておこう」

 うん、と笑顔で快い返事をくれる双葉さん、何て良い子だろう。本当に剥ぎ取りなんて血生臭い作業を、苦とも思ってなさそう。

 でも、僕もあんまり人任せにしないで、少しは覚えて手伝うべきだろう。今度、それらしいモンスターを倒したら、それとなく教えてもらおう。

「あ、そうだ、桃川くん、これ」

 最後に双葉さんは、ポケットをゴソゴソしながら取り出したモノを、僕に差し出す。果たして、そのプレゼント第二弾は――

「あっ、これ、平野君のGショック!?」

 黒いバンドにシルバーの本体をした、アナログ式の腕時計。その見覚えのあるデザインに、僕は一発でピンときた。

「腕時計、欲しそうに見てたから」

「あ、うん、便利だから欲しいとは思ってたけど……」

 まさか、僕はそんなに物欲しそうな顔をしていたのだろうか。自分はそこまで物欲に塗れた人間ではないと思ってたけど……気を付けよう。

「ホントに、貰っていいの?」

「勿論!」

 断言する双葉さんだけど、僕としては平野君の気持ちの方が気になる。死人に口なし、といえばそれまでだけど……折角、使えるモノをセンチメンタルな感傷で放棄するほど、僕はロマンチストじゃない。

 一日にも満たない、ほんの短い間だったけど、それでも仲間として、この遺品はこれからのダンジョン攻略に役立たせてもらおう。

「ありがとう」

 さて、これで準備は整った。もう少しだけこの妖精広場で体を休ませたら、また、先の見えないダンジョンを進んで行こう。

第41話 毒沼

「あっ……ルインヒルデ様」

「我が信徒、桃川小太郎。ほんの僅かだが、確かに呪術を成長させておるようだな」

「あ、ありがとう……ございます……」

 気が付けば、またしても死神じみた呪いの神様が目の前にいた。

 出発前にもう一眠りしたから、その間に、またこのありがたーい神様時空へご招待されたのだろう。いやホント、何度来ても慣れない。前回は痛い思いをせずに済んだけど、今回はどうだかわからないのだから。もうこれ、ちょっとした拷問ですよね。

「強い思い、願い、それは呪術を成長させる糧となる。しかし、ただの感情だけでは、意味はない」

「えっと……ちゃんと魔物を倒したりして、成果を上げないと結果は伴わない、みたいな感じ、ですよね?」

「然り」

 どこか満足そうに、不気味な髑髏頭が鷹揚に頷く。

 でもまぁ、敵を倒さないと経験値が入らないってのは当然の理屈だ。倒してもいないのに、強力なボスモンスを相手に「俺はコイツに負けるわけにはいかないんだ! うぉおおおっ!」みたいな感じで気合いを入れただけで、さらなる力をポーンと授かって華麗に勝利、なんてことが許されるのは、チープなシナリオのRPGのイベント戦だけだろう。

 つまり、僕がどんなに攻撃技を渇望したとしても、神様が納得するくらいの戦果を重ねなければ、授けてはくれないということだ。下手したら、呪術にはそもそも攻撃スキルなど存在しない。大人しく素振りでもして剣の練習した方が、戦闘力の向上になる、みたいな非情な現実が待ち受けているのかもしれない。

 いや、ホント、そういうのないですよね。ちゃんとルインヒルデ様の呪術に、攻撃系のスキル、ありますよね?

「よかろう、そなたが望みし、他者を傷つける力、与えよう」

「えっ、ホントですか!?」

 というか今、僕の心読みませんでした? ひょっとして僕の心のモノローグ、全部、貴方に筒抜けですか? す、すみません、割と失礼なこと考えたりしてるかもしれないですけど、でも、しょうがないことなんです!

「よい、そなたはこの呪術を授かるに足る、成長をみせた。ただ、それだけのことよ」

「うわぁ、あ、ありがとうございます!」

 ストレートに褒められて、何かちょっと嬉しい。僕って今まで褒められて育った記憶があんまりない。両親も手放しで何でもかんでも子供を褒めるような教育方針じゃなかったから、お蔭で僕は妥協の連続、褒められないのが当たり前。怒られなければOKという主義思想となっている。

 要するに、褒められ慣れていない。ちょっとおだてられたら調子に乗りそう、と自分でも不安だったりする。

「あの、でも僕、さっきのボス戦じゃあ大した活躍、できてないんですけど……ホントにいいんですか?」

「呪いの強さは、業の深さに比例する。くだらぬ感情で逆恨みをするような者に、深淵なる呪いの理を解することはかなわぬ」

 もしかして、平野君と西山さんを恨まなかったことを言っているのだろうか。ちょっとしたことでいちいちキレて、憎んだり恨んだりするようなヤツは、呪術師としては才能ナシってことになる。

 それじゃあ、僕はどのタイミングでキレればいいのだろうか。少なくとも、樋口に対しては復讐心しかないけれど。

「大いなる呪いは、強靭なる理性と正気の果てにある――さぁ、桃川小太郎、手を出すがよい」

「は、はい……」

 あ、ついに来ちゃったよ。新呪術を授かる時が。さて、今回は痛いのか、痛くないのか。僕の興味は新しい攻撃スキルらしい呪術の効果よりも、この一点のみに集約される。

「呪術師は己が心だけでなく、その肉体もまた呪いであると知れ。呪印を受け入れよ」

 僕が差し出した右手の甲に、ルインヒルデ様の真っ白い、ナイフのような骨の指が刺さっ――

「ぎゃぁああああああああああああああっ!」

 切れてる! 切れてる、っていうか、抉れてるぅ!?

神の指先はガリガリと容赦なく、僕の手の甲を肉ごと削って、深い傷跡を刻み込んでいく。

「それが、真に呪術師となるための、第一歩である」

 ああっ、ちくしょう、今回は痛い方だったかっ!

 ありがたいルインヒルデ様のお言葉を右耳から左耳にスルーしながら、僕は喉が張り裂けんばかりの絶叫をあげて、神の試練をいつの間にか気絶することで、乗り越えるのだった。




「……それじゃあ、行こうか」

「うん!」

 薬草の補給や制服の洗濯・修繕含め、休息を終えた僕らは、再びダンジョン攻略へ乗り出す。双葉さんは心身ともに充実といった様子だけど、悪夢じみたレベルアップの儀式を終えたばかりの僕は、例によって気分が沈んでいる。

 でも、あんまりドンヨリオーラを漂わせるのも幸先が悪い。頑張ってアゲていこう。

「この階層、最初のところと似てる感じしない?」

「うん、でも……少し暗くて、ちょっと嫌な感じがするよ」

 僕らが歩いているのは、先の見えない石造りの通路だ。点々と発光パネルがあるだけで、薄暗いのはこれまでと同じような感じだけれど……双葉さんが「嫌な感じ」というからには、何かあるのだろう。まぁ、別に狂戦士のスキルに直感とか第六感とか、そういうモノがあるわけじゃないけど。

「もしかしたら、罠とかあるかも」

「でも、ここの罠はどれも、盗賊じゃないと気付けないものばかりだったよ」

 確かに、話で聞く限りでは天職が盗賊以外の者で、罠や宝箱を発見できたことはない。やはり、スキルがないと察知は不可能だろう。

 というか、特殊な能力もナシに、ただの高校生に見破られるほど低レベルな罠なんて、よほどの間抜けじゃなければ仕掛けない。いや、このダンジョンには人型のゴーマがいるし、奴らの罠に引っかかったこともあるから……奴らが仕掛けたモノくらいなら、何とか事前に察知なり警戒なり、できそうな気がする。次こそは、あんな見え見えの罠になんて、かかってやらないんだからねっ!

「それでも、注意して進むに越したことはないよ」

「あっ、桃川くん、止まって」

 細い通路から、開けていそうな部屋へ抜け出せそうなその時、手前で双葉さんが急停止。危うく、目の前のでっかいお尻に飛び込んで行きそうになった。すんでのところで衝突を避けて止まれた自分を、褒めてやりたくもあり、残念でもある。

 そんな僕のささやかな葛藤など露とも知らない双葉さんは、真剣な面持ちで通路の先を見るように促す。その様子から、敵がいるのは明らか。僕も気を取り直して、慎重に通路の先を覗き込んだ。

「うわっ、アレってもしかして……ゾンビじゃない?」

「やっぱり、そうだよね」

 そこは以前にも見た、幅が広く、天井も高い立派なトンネルのような大きい通路で、そこに二つの人影がウロついているのがはっきりと見えた。それは大人と子供のように、はっきりと背丈も体型も異なっている。

 そして、そのどちらもが全身がドス黒く変色しており、大部分の皮膚が剥がれ落ちて筋肉の筋が剥き出しとなっていた。腕の一部や脇腹なんかは、ごっそりと肉が欠け落ちて、白い骨が覗いていたりもする。

 身に纏う衣服は、どちらも腰元に巻いた一枚のボロキレのみ。そんな格好でフラフラと通路を行ったり来たり、「うぅー」とか低い声で唸りながらやっているのだから、それはもう、どこからどうみてもゾンビにしか見えなかった。

「……小さい方は、ゴーマのゾンビだ」

「でも、大きい方は……なんだろう、普通の人間には見えないけど」

 小さいゾンビは、その大きさと体格からして、今や双葉さんが軽く蹴散らせる雑魚へと成り下がった食人鬼のゴーマとみて間違いない。けど、大きい方は僕らがこれまで見てきたゴーマより明らかに背が高いし、ヒョロっとしていてシルエットも微妙に違う。デカい、といってもゴーマと並べば、という対比があってこそ。実際の身長は、170センチくらいか。僕よりは大きいし、双葉さんよりは小さそう。

 だから、パっと見では細身の成人男性みたいに思えるけど……どうにも、その皮膚の色からして、ゴーマの特徴をそのままに、より人間っぽくなったような感じだ。もしかして、進化系、なのかも。

「あれなら、スケルトンと同じくらい楽に倒せそうだよ」

 倒す前提の発言をする双葉さん。本当に彼女は、ダンジョンで出会った頃とは見違えるほど、逞しく、勇ましく成長をしたものだ。男気、というステータスがあるとすれば、もう僕の十倍以上は差がついていることだろう。

「あのゾンビが本当にスケルトン並みに弱ければ、新しい呪術を試してみたいんだ」

「それじゃあ、先に大きい方を仕留めるね」

 その方が確実だ。ゴーマはゾンビになったところで、生前よりも遥かに強力になっているとは考え難い。ゾンビは脳のリミッターが外れてるから身体能力が100%発揮されて凄いパワーとスピードが云々、みたいな設定のヤツもいるけど、もしそれがアンデッドモンスター全般に適応されるなら、あのスケルトンはもっと強敵であって然るべきだ。

 大丈夫。きっと倒せる。

 僕と双葉さんは、揃って通路から躍り出た。

「えいっ!」

 まずは双葉さんの先制攻撃。スケルトンの頭蓋骨を一撃で粉砕する驚異の打撃力を発揮する、投石攻撃だ。

 唸りを上げて綺麗に直進する石つぶては、ボっ! と鈍い音を立てて、デカいゾンビの胸元に直撃。悲鳴のような短い唸り声をあげて、ゾンビは仰向けにバッタリと倒れ込んだ。

「ウボァアアアっ!」

 一方、ゴーマゾンビの反応は思ったよりも鋭かった。こちらの存在を、すでに飛び出した段階で気づいていたように思える。ゾンビ仲間が撃たれたその時には、もうこっちに向かって一目散に駆け出した。

「うわっ、コイツ走るゾンビかよ!」

 思わずそんな文句が出てしまう。ちくしょう、ゾンビならゾンビらしく、フラフラ歩いてゆっくり接近してくればいいんだよ。なに腕を振った綺麗なフォームで全力疾走してくるんだよコノヤロウ!

 けれど、こうして僕の目でも走っている姿が捉えられる程度だから、脳のリミッターで超人化、みたいなことはなさそうで一安心。ひとまずは、生前と同じ程度には運動能力があるとみるべきだ。

「ふんっ!」

 そして、その程度の能力で、双葉さんの攻撃を耐えられるはずもない。振るわれた斧の一閃により、ゴーマゾンビはあっけなく胴を両断され、腐肉とドス黒い血潮をまき散らして、通路に転がる汚物と化した。

「あっ、ごめんね桃川くん! 凄い勢いで走って来るから、つい……」

 ついで一刀両断にできるあたり、双葉さんは立派な狂戦士だろう。

「いや、別にいいよ。とりあえず、即死級のダメージが入れば死ぬってのは分かったし」

 ゴーマゾンビの死体は、ピクリとも動かない。てっきり、頭を潰さない限り、手足だけでも動き続けるとか、そもそも頭がなくても生き続ける、とかいうタイプも聞くけれど、そういうことはない模様。

「それに、アイツはまだ死んではいないみたい」

 視界の向こうで、のっそりと起き上がるゾンビの姿がある。胸元は目に見えて陥没しているものの、それでも、今すぐ飛び起きて襲い掛かって来そうな躍動感は感じられる。

「双葉さん、ちょっと僕の後ろまで下がって」

 こっくりと頷いて、双葉さんは素早く下がる。けれど、油断なく斧は構えつづけ、すぐにでもフォローできる体勢だ。何とも頼もしい。

「それじゃあ待望の攻撃呪術、試させてもらいますよ、ルインヒルデ様――」

 僕はそっと右腕を伸ばして、まずは正式に詠唱を口ずさむ。

「受け継ぐは意思ではなく試練。積み重ねるは高貴ではなく宿命。選ばれぬ運命ならば、自ら足跡を刻む――『黒の血脈』」

 掲げた右手の甲に、鮮血で描いたような文様が俄かに浮かび上がる。円形の魔法陣、というよりも、大きな一つ目のようなデザインだ。恐らく、これこそがルインヒルデ様の鋭い指先で僕の手をガリガリと血肉を削って刻み込んだ、神の紋章。いや、呪印っていうんだっけ。

 この呪印は手の甲だけでなく、掌にも及んでいる。こっちの方はバツの字みたいな単純な形状をしている。僕は手の平をヒラリと返して地面に向けると、バツの字の呪印から、一滴の血が零れ落ちた。

 これでようやく、攻撃呪術の発動準備が整った。

「朽ち果てる、穢れし赤の水底へ――『腐り沼』」

 手の平から零れ落ちた『黒の血脈』の一滴。小さな血痕となって床を汚したその瞬間、ゴボゴボと泡を立てて溢れ出す。まるで、この床そのものから鮮血が噴き出しているかのように見える。

 けれど、これこそが初めての攻撃呪術『腐り沼』の効果。僕の血を発動の起点として、ある程度の範囲、任意の形状と広さで、血の池地獄みたいな猛毒の水たまりを作り出す。大きさと毒性は、僕の血の濃さと量によって比例するらしい。そして、今の僕の血はただの人間としてのものではなく、『黒の血脈』によって何らかの特殊性が宿っている。


『黒の血脈』:その血は呪いか祝福か。祖より受け継ぐものがなくとも、血は命の源の一つに変わりない。肉体、呪術、魔法、信仰――様々な要因に影響を及ぼす。


 頭の中にある『黒の血脈』の説明は以上のようなものだ。何となく、血脈、だからといって僕自身には特別な出自なんてないよ、でもこの呪術のお蔭で色々と影響あるよ、みたいな感じだと思える。

 当然、僕には確実に何の変哲もないごく普通の日本人である両親がいるから、特殊な血筋なんてモノは一切ない。実は桃川一族に代々伝わる特殊な能力が、みたいなことも断じてない。

 けれど、この『黒の血脈』が宿った時点で、僕の血には『腐り沼』を強化するだけの効果が発揮されている、というのは理解できる。何となくの実感だけど、ただの血液だけで『腐り沼』を発動させても、今ほど大きく、強く、毒沼を作り出すことはできなかったと分かる。

 だからこれは、僕の呪術師としての成長が重なって起こった、割とラッキーなコンボなのである。

「よし、双葉さん、もうちょっと下がって!」

 ブクブクと勢いよく通路に広がっていく赤黒い血の池。僕の目の前、半径二メートルほどの大きさとなっている。真っ直ぐ突っ走ってくるだけのゾンビを引っ掛けるには、十分な大きさだろう。

 万一、ジャンプで飛び越えられたり、迂回された時に備えて、僕と双葉さんは立ち回りの邪魔にならないよう腐り沼から少し下がり、猛然と突進してくるゾンビを待ち構えた。

「ブォオオアアアアアっ!」

 怒り狂ったような絶叫をあげて、ついにゾンビが猛毒の沼地へ、足を踏み入れる――


『腐り沼』:一歩踏み込めば、たちまちに肉が溶け、腐り落ちる猛毒の水辺。


 果たして、その説明文の効果の通り、ゾンビは踏み込んだ足からジュウジュウと肉が焼けるような音をたてながら、その場で崩れ落ちた。

「ブアっ! ギョォオオアアアっ!」

 踏み込んだ一歩目で転倒。足の裏が溶けたせいで、靴底がツルっと滑ったみたいな感じで、全力疾走の勢い余って転んだのだろう。受け身もとらず、ゾンビは思いっきり前のめりになって、頭から毒沼のど真ん中でズッコケた。

 面白衝撃映像みたいなテレビ番組で紹介されそうなほど、見事に間抜けな転び具合だが、僕と双葉さんは指を指して笑うことはできない。

「うわっ、うわぁ……」

 自分の呪術でやっておきながら、その凄惨な融解ダメージの様子に、思わずドン引きな声が漏れる。

 頭から突っ込んで倒れたゾンビは、もう全身に猛毒の、というより強酸性というべきか、肉体を溶かす恐るべき液体に塗れ、ジュワァアアアっ! と激しい音と共に、濛々と赤みがかった煙が立ち上る。

 苦痛にのたうつような声をあげながら、ゾンビは立ち上がろうとして……地面についた手首が消えた。ボトリ、と音を立てて手首が根元から千切れてた、と思ったら、さらに肘が落ち、ついでに膝も崩れ落ち。

「オッ……アアァ……」

 蠢く手足を失い、あとは泡立つ血色の水面に虚しく浮かぶ胴と頭だけが残る。そうして、あっというまに頭が崩れ去り、最後は背中が、船が沈むようにゆっくりと毒沼に溶けてゆき、ついにゾンビの肉体は完全に消滅するのだった。

「おお……やった」

「やった! 凄いよ桃川くん、一人でゾンビ倒せたよっ!」

 本当にこんな倒し方でいいのか、と改めて思ったところで、素直に喜びを爆発させた双葉さんが声を上げた。

 呪術の効果から、この結末は分かってはいた。分かってはいたけど、いざこの凄惨な敵の死に様を観察すると……あんまり手放しで喜べない。もうちょっとカッコいい倒し方できないものか、なんて思うのは、あまりに贅沢だろう。

 とにもかくにも、僕は呪術師となってから、初めてマトモに勝利した。鎧熊戦のような幸運の連続でもなく、ゴーマの罠のように双葉さんに助けられただけでもない。純粋に、僕が、僕の呪術師の力で、勝ち取った戦果だ。たかがゾンビ一体。されどゾンビ一体だ。

 だから喜ぼう。どんなに見栄えが悪くても、どれほどグロテスクな死に様でも、勝ちは勝ちだ!

「え、えへへ……ありがとう」

 僕は、ちょっと変な笑いがもれる微妙なはにかみ顔になりながら、ニコニコ眩しい笑顔の双葉さんと、初めての勝利を喜び合った。

第42話 マンドラゴラ

 この階層には、どうやらゾンビとスケルトンしかいないようだ。スケルトンは相変わらずぼんやりとしていて反応が鈍く、攻撃も単調で、出来の悪いAIで動く雑魚モンスターみたいだ。ゾンビの方は小型のゴーマゾンビと、より人間に近い成人型ゾンビの二種類が闊歩している。こっちはスケルトンのように武器こそ装備していないものの、僕らを発見するや、奇声を上げて一目散に突撃してくるから厄介だ。

 出会いがしらでかち合ったりすると、奴らは躊躇なく戦闘モードで飛び掛かって来るから、結構ビビる。でも、双葉さんはどんなに近い間合いからでも、冷静にゾンビを斬り捨てられるだけの対応力と度胸があった。今のところ、どんな奇襲に対しても適切に処理している。

 索敵の失敗さえなければ、ゾンビもそれほど脅威ではない。先にこっちが発見できれば、あらかじめ通路に『腐り沼』を展開した上で、双葉さんの投石で注意を引きつければ、奴らは簡単に釣れる。

 数が少なければ、そのまま沼の後ろで待っているだけでゾンビが勝手に飛び込んでは溶けてくれる。五体以上と数が増えてくると、沼の中で溶けている最中のゾンビの肉体が橋代わりになって、無事に渡り切る者も出てくる。もっとも、その場合でも生き残りは大した数じゃないので、双葉さんの斧の餌食となるだけ。

 もっと数が増えた場合は、僕が『黒髪縛り』でフォローすれば、ある程度は安全に捌ける。流石にオルトロスのように、火を噴く能力もなければ、鋭い爪も刃のある武器も持たないゾンビでは、そう簡単に黒髪の戒めを脱することはない。

 まぁ、足首一本程度なら、そのまま勢いで千切って拘束を振り解かれることもある。だから、縛る際はきちんと両足を捕えるか、グルっと胴体に回すのだ。

 そんな感じで割と楽勝でゾンビを狩れるようになった僕らは、大きな通路を進んだ先に広がっていた、墓地の森、とでもいうべき大きな広間に集っていた結構な数の群れも、危なげなく殲滅を完了した。

「ふぅ、やっと片付いたね、桃川くん」

「楽に倒せるのはいいけど、やっぱり手間はかかるよね」

 ゲームでも、群れる雑魚敵を少しずつ自分の方へおびき寄せては数を削っていく戦法はよくやるけれど、結局は単なる作業と化して来る。早くレベル上げるか強い武器を手に入れて、雑魚なんてまとめて薙ぎ払えるようになりたいな、と思うのは、それがゲームだからに過ぎない。

「私一人でも、あれくらいの数なら行けそうな気がするよ」

「楽に倒す方法があるなら、それに越したことはないよ。安全確実に。危ないのは、ボスみたいに、どうしてもって時だけにしよう」

 だって、これはゲームじゃなくて、命がかかったリアルの戦いだから。安全というのは、これ以上ないほど価値のある贅沢品である。手間がかかろうが、時間がかかろうが、僕は喜んで作業をこなそう。

 惜しむらくは、スケルトンは勿論、ゾンビからもコアの収穫は全く期待できないことか。

「それじゃあ、行こう。木陰とかにゾンビがまだ潜んでいるかもしれないから、警戒はしよう」

 通路から見える限りのゾンビを殲滅した上で、僕らはようやく墓地の森へと足を踏み入れる。

 墓地とはいうが、要するに森林ドームの地面に、墓のように木の枝が突き刺さっているだけ。パっと見では墓に見えるけど、もしかしたら、全く別の意味なのかもしれない。

 少なくとも、枝はどれも折られたような跡があるから、人為的に刺したことは間違いない。ゴーマがここを墓と定めたのか、それとも枝を折っては地面に突き刺す習性を持つモンスターがいるのか、それは分からない。

 でも、やっぱり枝が点々と地面に刺さっている光景は、墓地を連想させる。おまけに、ここの天井の発光パネルは壊れているのか節電しているのか、やけに薄暗い。そうやって雰囲気出すの、止めて欲しいんですけど。

「……ん」

 魔法陣のコンパスで報告確認しつつ、周囲の木々にも警戒しながら歩いていたけれど、不意に、僕の視線は一点に吸い寄せられる。

「双葉さん、ちょっと止まって」

 どうしたの、何ていう質問は飛んでこない。ただ「うん」と一言だけ肯定の返事をくれて、黙って僕の背中を守るような配置につく。双葉さんの護衛としての動きも、いつの間にか洗練されてきているような気がする。

「うーん」

 と、双葉さんへの感想はさて置いて、僕は気になったあるモノを凝視する。それは一際太い木の枝の墓標が突き刺さった根元から生えていた、緑色の草。一見するとただの雑草っぽいけれど、その根元には如何にも毒々しい鮮やかな紫色をした果実みたいな部分が僅かに覗いている。どうやら、ニンジンみたいな感じで土に埋まっているものと推測される。

 さて、その紫色から気になって、直感薬学で調べてみると……

「人型の不気味な根を持つ、魔物に近い植物。一種のテレパシーで、食べる者、引き抜く者に対して不快なノイズを発して抵抗する。古来より妙薬や霊薬として利用される薬草であり、毒草でもある。特殊な生態から、人の精神に深く作用する効能があるといわれる」

 いつも投げやりな説明文をくれる直感薬学にしては珍しく、気合いの入った説明だ。どうしたんだ、ウィキペディアでも見たのか。

 ともかく、そんな気まぐれな直感薬学の効果よりも、その説明から僕は一つの名前が思い浮かんで仕方ない。

「要するにコレって、マンドラゴラじゃないのか」

「あ、それって、何かで聞いたことあるよ」

 まぁ、名前だけは有名だしね。ゲームではお馴染みの素材アイテムだし、他にもファンタジー作品でもよく登場する。

 人型の根をしていて、抜くと絶叫をあげて、それを聞いた者は死ぬ、みたいな感じのファンタジー植物だ。マンドレイクともいう。同じ名前で、伝説の元となった植物も実在する。けど、説明を聞く限りでは、まず地球にある植物としてのマンドラゴラではないし、伝説上のマンドラゴラとも、微妙に違う。よく似た、この異世界特有の別種なのだろう。

「ちょっと抜いてみようかな」

「えっ、抜くと死ぬんじゃなかったっけ!?」

「即死する、とは言ってないから、大丈夫じゃない?」

 テレパシーで抵抗する、という何ともファンタジーな生態である。それがどんなもんなのか、ちょっと気にもなる。勿論、呪術師として、由緒正しい立派な薬の材料であるというこの薬草を、手に入れないという選択肢はありえない。

「本当? 大丈夫? 危なくなったら、すぐ手を離してね!」

 小さい子供を持つ過保護なお母様ですかってほどに心配してくる双葉さんを余所に、僕は好奇心のままにマンドラゴラの葉へと手をかける。

「えいっ!」

 掛け声と共に、グイっと引く。すると、頭の中に「キョワーっ!」という甲高い鳥の鳴き声というか、声の高い人の絶叫みたいな、妙な声が響いてきた。

 なるほど、これがテレパシーによる不快なノイズってヤツか。うーん、思ったより、大したことはない。これなら黒板やガラスをひっかいた音の方がキツい気がする。それにこれ、やけにボリューム小さくない?

「あっ、抜けた」

 気が付いたら、ポンって感じで、思ったよりも軽く引き抜けた。

「桃川くん、大丈夫っ!?」

「ああ、うん、別に、全然なんともなかったよ」

 ブラブラと振って、双葉さんに収穫したマンドラゴラをドヤ顔で見せびらかす。私が育てました、みたいな。

 見れば、確かに人型っぽく思える。二股に別れた先っぽなんて、足に見えるし。エッチな大根、とかあったよね。まぁ、大体そんな感じ。

 でも、ちょうど頭に当たる部分には目と口を表すような丸いくぼみがあるし、全体的に鮮やかな紫色で、ボコボコした質感からいって、とても食べようとは思えない不気味な見た目ではある。確かにコイツなら、何か凄い薬が作れそうな気がする。

「双葉さんもやってみる? そこにもう一本あるし」

「えーっ、大丈夫かなぁ」

 大丈夫大丈夫、えーでもぉ、みたいな感じでちょっとキャイキャイはしゃぎながら、結局、双葉さんは抜いた。

「やった、抜けたよ!」

「おお、声はどうだった?」

「全然、何も聞こえなかったよ」

 だよねー、とか言いながら、あっさりとマンドラゴラの収穫ができたことに喜んでいるところで、異変が起こった。

 最初に気が付いたのは、勿論、狂戦士として鋭い感覚、みたいなものを発揮しつつある双葉さん。

「何かいるよ」

 僕は素早く二つのマンドラゴラを鞄に放り込み、いつでも逃げ出せる体勢を整える。

「入り口まで退く。後ろは」

「まだ大丈夫、完全に囲まれてはいないみたい……でも、左右から気配を感じる」

 残念ながら、僕にはその気配とやらは察知できない。右を見ても、左を見ても、静かな森が広がっているようにしか見えない。

 チラリと振り返り見れば、数十メートルほど先の地点に、通路からこの広間に至る入り口部分が見えた。

「桃川くん、走って!」

 未知の敵を相手に、背中を見せて逃げ出すのは愚策なんじゃ、とは思うけど、僕は双葉さんの判断力を信じる。すでに戦闘に関しての直感力は、狂戦士の彼女の方が圧倒的に信頼できる。僕の屁理屈じみた考えなんて、二の次でいい。

 そうして躊躇なく走り出したその瞬間、ガサリ、と激しい音を立てて、周囲から魔物が現れた。

「バウバウっ!」

 と、犬みたいな鳴き声をやかましくあげるのは、これまでに見たことのない姿の魔物だった。

 一見すると、子供の頃に図鑑でみた肉食恐竜みたいな体格。大きさはちょうど人間と同じくらいか。二足歩行のトカゲのような姿で、手のような前足は小さく、尻尾は長い。体色はコンクリートブロックみたいな灰色で、背中の辺りには金属光沢のある鱗がびっしりと生えているのが見えた。

 けれど、何よりも特徴的、というより異様なのは、頭がやけにデカいことだ。角ばった四角いブロックみたいな頭部の形状。それが真ん中からギザギザと割れるように、大きな口が覗く。鳴き声同様、犬みたいに長い舌を垂らして、汚らしく涎が滴る。

 小さな赤い瞳をギラギラさせて、これ以上ないほど餓えた様子で僕らに向かって踊りかかって来た。

「ゴアだっ!」

 初見のモンスター、けれど、名前は知っている。出発前に、魔法陣のメールをチェックした時に、この魔物の情報が更新されていた。

 ゴアは群れを作る小型の地竜種。地竜ってのは、恐らく恐竜みたいなタイプの魔物を指す分類だろうと思われる。雑食性だが肉を好み、基本的に死肉を漁るが、手ごろな獲物を見つけると喜び勇んで攻撃を仕掛けてくる、好戦的で、獰猛な魔物。

 特殊な魔法能力はないが、それでも地竜種特有の強靭なパワーと俊敏な機動力とでもって、体に不釣り合いな巨大なアギトで獲物を仕留める。

 そんな危険なゴアだが、現れたのは五体。もしかしたら、まだ茂みの中で潜んでいるかもしれない。ともかく、結構な数だ。どう考えても、二人だけで捌き切れる量じゃない。

 これはちょっと、ヤバいかも。

「ふんっ!」

 気合いの入った双葉さんの声が上がる。見れば、彼女に飛びかかったゴアが腹を見せてひっくり返っていた。騎士の第二スキル『弾き』によるカウンターを食らったのだろう。

 ドっと倒れ込むゴアは、ただ弾き飛ばされただけでなく、きっちり斧による一撃も叩き込まれていたらしく、鱗のない白い腹部がバックリと割れて赤黒い臓物と鮮血を噴き零していた。

 鮮やかな手際で一体仕留められたが、お仲間はこの程度の損害で諦めるつもりはないようだ。

「双葉さん!」

「大丈夫、桃川くんは沼の後ろまで下がってて」

 後続のゴアが正面と左右に展開し、包囲するような陣形で踊りかかってくる頃には、全力疾走のお蔭で僕はどうにか、通路入り口の辺りまで戻ってきた。

 ここには、ゾンビの群れを安全に始末するために展開させた、通路の端ギリギリまで広がった大きな『腐り沼』がある。この呪術は任意で消せるわけではなく、一度作ったらそのまま。ただし、空気に触れるとペンキみたいにどんどん乾燥していって、固まり切ると毒性は失い無害な土となる。

 さっきまで使っていた毒沼は、まだまだ効果の継続時間内。赤黒い水面はゴボゴボと不気味に泡立ち、さらなる獲物を求めていた。

「よっ、と!」

 自分が沼には落ちないように、ギリギリ端っこを渡り切る。一応、この猛毒が僕の体には全く効果がない、ということは確認済み。だから、誤って僕が落っこちてもドロドロにはならない。

 けど、それは僕本人の肉体に限った話で、衣服や装備品はその限りではない。僕限定で服だけ溶かすエロい消化能力のスライムに襲われた、みたいなサービスはいらない。割とマジで、装備の損失は死活問題だし。

 ともかく、これで貧弱な呪術師である僕は安全な場所まで退避完了。ゴアの体格からいって、両端のギリギリ沼のない部分だけを歩いて渡るのは不可能だ。

「――その身を呪えっ! 『赤き熱病』っ!」

 後衛の配置についたなら、あとは双葉さんの援護に徹するのみ。とりあえず、速攻で全てのゴアを対象にかけられる呪術を放つ。効果のほどは相変わらず微妙だけど。少しでも相手の動きが鈍くなることを、祈るより他はない。

「やあっ!」

 果たして、僕の支援効果があったのかなかったのか、いまいち不明だが、双葉さんは見事なフルスイングで、ゴアの胴体をぶった斬っていた。

 これで二体、残りは三体だ。双葉さんは入り口からやや離れた位置に陣取っている。僕が『黒髪縛り』でギリギリ援護できそうなくらいの距離だ。あの調子なら、僕のフォローがなくても、そのまま倒し切れそうだけど――あれ、双葉さんを囲っているゴアが、二体しかいない。あと一体はどこに。

「うわっ!?」

「バォオオオオっ!」

 とけたたましい雄たけびを上げて、通路の前に一体のゴアが飛び出してくる。コイツ、双葉さんをスルーして、僕を追いかけてきやがった!

「桃川くん、一体抜けちゃった! すぐに――」

「何とかするから、双葉さんはそのまま倒して!」

 ここで双葉さんが背中を向けて僕の救援にかけつけるのは、立ち位置的にあまりよろしくない。二体のゴアはすでに間合いのギリギリで飛び掛かるタイミングを見計らっているような距離感だし、何よりも、森の奥からさらに三体、四体と新手が顔を覗かせているのが見える。あの後続組にまとめて襲いかかって来られたら、流石の双葉さんでも持ちこたえられない。

 だから、雑魚の一体くらいは、自分で始末をつけないと。

「どうした、来いよっ!」

 沼の反対側に立ち、僕は震える声で挑発する。対するゴアは、明らかに『腐り沼』を前にして警戒している。

 ちっ、低能なゾンビだったら怪しい真っ赤な泥水も気にせず突っ込んでくるけど、流石はマトモな野生動物に近い魔物。生物としての本能がきっちり働いて、危険物を警戒しているんだ。

 フンフンと荒い鼻息を鳴らしながら、通路の前をウロウロ。すると、一転してゴアは後退。もしかして諦めたのか、と思いきや、もう一度反転して、勢いよくこっちに向かって走り出してきた。

 そのまま勢いに任せて突っ切るつもり――否、ヤツの思惑が、僕には一瞬で分かった。

「さ、させるかぁーっ!」

 予想通り、ゴアは強靭な脚力を生かしてジャンプしていた。沼のサイズは4メートルほど。男子高校生だって、走り幅跳びで5メートルくらいは飛べるのだから、脚力に優れたモンスターなら、余裕でもっと飛べるだろう。つまり、この大きさの『腐り沼』では、ゴアにとって一足飛びに越えられる程度の低い障害物でしかないってこと。

 勿論、飛び越えられたら、こんな本物の恐竜みたいなモンスターを相手に、僕が接近戦で仕留めることは不可能。『痛み返し』による道連れは、勝利に含まれない。

「落ちろぉおおおおおっ!」

 だから、落とした。まだ飛んでいる途中、ちょうど沼のど真ん中を飛び越すあたりで、僕はゴアを引きずり落とす。

 それは初めから沼地に潜んでいたモンスターのように、漆黒の触手が飛び出した。無論、その正体は三つ編みの『黒髪縛り』だ。

 ここに来るまで、ゾンビ相手に繰り返し繰り返し、別に双葉さんにフォローが必要なくても、練習がてら無駄に使いまくってきたから、オルトロス戦の時よりも成長している。より長く、より太く、そして、より力強く、相手を縛る。

「ギャオォアアアアアアっ!」

 激しい水音を立てて、ジャンプ中で無防備なゴアは黒髪触手に捕まり、猛毒の沼地へと引きずり込まれる。ゾンビが突っ込んできた時よりも、盛大な溶解音がたつ。まぁ、明らかにゾンビよりも体の体積は大きいから、当然かもしれないけど。

「ォオアアアっ! バウっ! バォアアアっ!」

「うっさい、大人しく……沈んでろっ!」

 さらに、黒髪触手でのたうつゴアを縛り付ける。新たに呼び出した三つ編みは二本。ビタンビタンと激しく水面を叩く尻尾を縛り、もう一本は、牙を剥いて唸りを上げる頭を抑える。合計三本の『黒髪縛り』が、強烈な溶解力を誇る沼へと縛り付ける。

 どうだ。僕の体と同じように『黒髪縛り』もまた『腐り沼』の影響を受けないことに気づいて編み出した、今の僕が持ちうる最強の必殺コンボだ。

「バオっ! バッ……オォ……」

 拘束を破られかけない、危ういところで勝負がついた。まだまだ、魔物のパワーを真っ向から封じられるほど、僕の呪術は強くない。

 あれほど暴れていたゴアが、すっかり生気を失い毒沼の真ん中で倒れ込んでいる姿を、緊張感の解放から、ちょっとぼんやりと眺めてしまう。

「はぁ……はぁ……あっ、双葉さんはっ!?」

 ハっとして、僕の戦いはまだ終わってないことを思い出して、慌てて顔を上げる。

「桃川くん、大丈夫? 群れはもう逃げていったよ」

 見れば、周囲に七体ものゴアの惨殺死体をまき散らして、双葉さんが一心に僕の身を案じているような表情で振り返っていた。

 うわっ、僕が生きるか死ぬかの一騎打ちを演じていた間、余裕で七体も仕留めるなんて……やっぱり、本物の戦闘天職は凄い。

「ああ、うん……大丈夫、何とか生きてるよ。怪我もしてない」

「そっか、良かった。それじゃあ私、コアを探してみるね」

 朗らかな笑顔で、ナイフ片手にゴアの死体を漁り始める双葉さんを見て、僕はもう、彼女なしには生きていけないかも、なんて割と本気で思ってしまった。

 双葉さん、いつもありがとう。

第43話 秘密の素材採取

 それは、墓地の森を抜けて、次の妖精広場を見つけ、さらにそこから出発して、似たようなゾンビ徘徊エリアを超えて、三番目の妖精広場まで辿り着いた時のことである。

 僕は思い切って、双葉さんにこう言った。

「あ、あの、双葉さん、さ……」

「えっ、なぁに?」

 にこやかに振り返った彼女は、それなりに日数も経過したダンジョン生活の真っ最中とは思えないほど、血色もよく、お肌もツルツル。そんな素敵な笑顔をされると、ちょっと言いづらい。でも、もういい加減、誤魔化せることではなくなったから、言おう。

「そ、その……痩せたよね」

「ええっ!?」

 驚きで目を丸くさせる双葉さん。でも、その驚き方がどことなくわざとらしい、と感じるのは僕の気のせいだろうか。

「そ、そんなことないよぉ! ホントに、全然、変わんないって!」

「いや、痩せたよ、絶対、痩せたって!」

 ヘタレな僕でも断言できるほど、双葉さんの体は目に見えて細くなっているのだ。

 だって、それも当然だろう。これまでドラム缶みたいにドーンとしていたウエストが、気が付いたらくびれているんだから。

 いや、正確にはまだまだ通常の女性よりも太い胴回りだけど、バストとヒップのボリュームが圧倒的すぎて、相対的にくびれているようなシルエットに見えるのだ。それでも、明らかに体型が変化したことは一見して明らか。

 さらにいえば、大木みたいにぶっとい太ももも、どこかシュっと引き締まってきているようで、スカートから覗く真っ白い生脚のラインも、洗練された美しい曲線を描きつつある。

 双葉さんの体は今正に、世の女性が嫉妬し、男は総員起立させられるほどのワガママボディになろうとしていた。

「そっかなぁ……えへっ、えへへ……」

 テレテレと恥じらう様子は、やっぱりわざとらしい。でも、喜んでいるようなのは間違いない。いくらなんでも、体型のことを気にしていないはずないもんね。

 今の痩せた双葉さんは、もう顔をプックリ丸くしていた肉がだいぶ落ちて、クリクリした目が魅力的な、可愛らしい童顔系のアイドルみたいな感じになりつつある。このままのペースで痩せ続ければ、もう少しで、完璧にアイドル並みの容姿になることは間違いない。

「うん、本当に、凄い痩せたよ。やっぱり、激しい戦いが続いているからかな。パワーシードも服用しているし」

「うん、そうだね……学校にいた時よりも、運動はしていると思う」

 斧一本で狂暴なゴアの群れを相手に無双するのって、運動ってレベルじゃないんですけど。

「カロリー消費はかなり激しいと思うんだけど、今のところ、体調不良とかはない? 立ちくらみするとか」

「ううん、全然、大丈夫だよ。だって、狂戦士になってから、凄く体が軽いの」

 その割に、繰り出す一撃は重い。一発でゴアの固くて分厚い頭蓋骨だって粉砕できるんだし。

「それならいいけど……あんまり、急激に痩せすぎて、やつれてしまったら大変だから」

「ええっ、そんな、私なんてもっと痩せないと普通にもならないからっ!」

 そういう問題でもないと思うけど。

 というか、僕としてはこれ以上痩せ細って、双葉さんが細身の美少女になってしまう方が惜しくてたまらない。その日本人離れしたスーパーサイズのバストとヒップを手離すなんて、とんでもない。

「とりあえず、無理だけはしないでね。ちょっとでもおかしいと思ったら、すぐ休もう。妖精広場は安全に休めるし、それに、蛇くらいなら僕でも捕って来れるし」

 もっと太れ! とは流石に言えないけど、今くらいの体型は維持して欲しい。

 しかし、これほど目に見えてウエストは引っ込んでいるのに、バストとヒップはそう変わらないように見える。いや、この僕が「変化ナシ」と見切ったなら、本当に変化はないはずだ。僕が毎日、どれだけ熱心に見ていると思っているんだ。勿論、こっそり。バレてないといいな。

「うん、ありがとう、桃川くん……」

 恥ずかしそうにはにかむ双葉さんは、今やもう立派な美少女である。これなら、圧倒的な爆乳を武器に、蒼真桜やレイナ・A・綾瀬に匹敵する、二年七組の美少女第三勢力として台頭してきてもおかしくない。僕なら率先してファンクラブを立ち上げて会長に就任しちゃうくらい、熱をあげることだろう。

 まぁ、こんなに綺麗に変わっても、女性に免疫のない僕が、頭が真っ白になるくらいドキドキせずに済んでいるのは、やっぱりこれまでの苦楽を共にした経験があるからだろう。すでに戦友にして親友、といっても過言ではない。少なくとも、僕にとっては。

「あ、あのね、桃川くん……私もね、前から言おうと思ってたこと、あるんだ」

「えっ、なになに?」

 もしかして、僕もちょっと逞しくなってるとか、そういう話? うわぁ、どうしよう、こんな僕でも、ついに男らしくグレードアップしちゃう時はきたのかなぁ。

 なんて、相変わらず妖精胡桃の枝も満足に折れない、細い腕を見て落胆する。

「名前、で呼んでも……いいかなぁ?」

「あっ、いいねソレ! 僕と双葉さんはもう立派なパーティだし、名前で呼び合った方がソレっぽいもんね」

 命を預けられるほど信頼に足る人物なのに、いつまでも苗字呼びというのも、余所余所しい気がする。それに、こういう些細なことでも、より一層に仲間としての結束が深まったりするから、あまり馬鹿には出来ない心理効果もあるだろう。こっちからお願いしたいくらい、素晴らしい提案だ。

「ホントに、いいの?」

「うん、いいよいいよ」

「わあっ、あ、ありがとう……その、えっと……小太郎くん」

 うわっ、なにコレ、ちょっとドキっとしたんですけど。破壊力ヤバいんですけど。

 そうだ、そうだよ、僕、女の子に名前で呼ばれるのなんて生まれて初めてな気がする。だって、幼稚園の頃に仲の良かった女の子だって、桃ちゃん呼ばわりだったし。

「あれ、えっと……何か、変だった?」

「うわっ!? 全然、いいよっ!」

 あまりの衝撃に、ちょっとボーっとしてしまった。いかん、恥ずかしい。変な風に思われないよう、しっかりしないと。

「それじゃあ、私のことも、名前で呼んでね」

「あ、うん、えっと……芽衣子」

「っ!?」

 ビクン、とよほど呼び慣れてないのか、双葉さんの体が反応する。

 というか、いきなり呼び捨てはあんまりだったか。今の今まで双葉さんだったのが、いきなり「芽衣子」だなんて。彼氏気取りかよ。

「や、やっぱり呼び捨てはなんかアレだから……えっと、そうだ、メイちゃん、って呼んでいい?」

「う、うん……いいよ、小太郎くん」

 うわぁ、いいです、名前呼び。素晴らしいね、女の子に名前で呼んでもらうのって。おのれ蒼真悠斗をはじめとしたクラスのリア充ども、こんな幸せな気持ちを、毎日当たり前のように享受していただなんて……やっぱりイケメンは特権階級だな。

「ありがとう。それじゃあ、改めて、これからもよろしくね、メイちゃん」

 そうして、僕らは握手を交わして、結束を深めたのだった。

「……」

 と、ここまでは高校生らしい爽やかで甘酸っぱい、女子との交流エピソードなんだけど、僕はその日の晩に、彼女の純粋な思いに泥を塗るような酷い行為をした。

 時刻は、ちょうど夜の12時。Gショックのお蔭で、今は正確な時刻を計れる。夜中でも決して暗くはならない、光に満ちた妖精広場の中で、僕は双葉さん、もとい、メイちゃんがしっかりと眠りこけていることを、噴水から覗きこんで確認する。

「や、やっぱり……やめようかな」

 罪悪感と自己嫌悪と、もしバレたらどうしようという恐怖が、僕の決意を鈍らせる。

「いや、ダメだ、これ以上は先延ばしにしても仕方ない……今、やるんだ」

 再び僕は、決意を固める。だって、これは必要なことだから。

「今こそ、役に立つ泥人形を、作らないと」

 僕の目的は実戦レベルで使える『汚濁の泥人形』を創造すること。前は等身大スケルトンで作ろうとしたら魔力切れでぶっ倒れたけれど、今ならもっと、上手くやれる。

 ここ最近のゾンビエリア攻略で実感したけれど、呪術の効果は目に見えて成長している。使用頻度の高い『黒髪縛り』は言うに及ばず、唯一の攻撃手段である『腐り沼』も、ある程度の形状変化ができたり、酸性の濃度を強めたりできるようになっている。この短期間の戦闘経験だけで、こんなにハッキリと上昇効果が確認できるのだから、きっと『汚濁の泥人形』だって、強力になっている、あるいは、なれるはず。

 え、『赤き熱病』? 知らない子ですね。

 ともかく『汚濁の泥人形』はクソ能力筆頭の第一呪術とは違い、やればできる子だと僕は確信している。

「素材は十分、集まった」

 僕はすでに、これまでの戦いで収集してきた素材の配置を終えている。スケルトンの骨、ゴアの鱗と甲殻、マンドラゴラ。これらを埋めるように、妖精広場の土で人型に盛る。

 あとはこれに僕の血、そう、今や『黒の血脈』が宿る強力な呪術師としての血を垂らせば、きっと前よりも強い泥人形が産まれるだろう。

 けど、ここで僕はふと思ってしまった。僕の血がただの呪術発動のキーアイテムというだけでなく、素材の一つとして組み込まれていた場合……他の体液は適応されるのか。唾のことじゃない。ぶっちゃけて言うと、精子だ。

 別に変態的な意味で思いついたワケではなく、錬金術でホムンクルスを作る時に、馬の精液と人間の精液を混ぜる、みたいな話があるからだ。マンドラゴラを見て思い出した。この異世界ならば、人の精液にも何かしら、魔法的な効果が含まれていてもおかしくない。

 もし、それを加えるだけで呪術の足しになるのだとしたら、試す価値はある。僕のモノなど、どうせ他に使い道などないのだから。

「よ、よし、やるぞ……平野君、コレはありがたく、僕の呪術に使わせてもらうから」

 僕の手にあるのは、大人のゴム風船ことコンドーム。平野君の遺品である財布の中に、こっそり一枚だけ入っていたモノだ。

 残っているということは、平野君は西山さんを相手に使わなかったということなのか。それとも使いまくった結果、一枚しか残らなかったのか。いやホントに、お楽しみ中に転移しなくて良かった。気まずいってレベルじゃない。

 当たり前だけど、僕がこのアダルトなアイテムを使用するのは初めてだ。けど、これを適切に使用した映像資料は何度も見ている。熱心に毎日見て学ぶくらいだから、使い方はバッチリのはず。

 まぁ、呪術の素材に使う自分の精液を集めるため、なんて悲しい理由で使用することになるとは夢にも思わなかったけど。それでも、使わないでそのまま泥人形にぶっかけるのも気が引ける。流石にちょっとそういうのは、ダンジョン攻略開始から禁欲生活に突入した僕でも厳しい。オナニーくらい落ち着いてやらせてくださいよ、お願いします。

「……はぁ」

 そして、滞りなく素材の採取は終了する。目的は達成できたけど、僕の心の中には罪悪感がいっぱいだ。

「双葉さん、ごめんなさい」

 早くも名前で呼べないほど、僕は彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 見抜き、という言葉を皆さんはご存知だろうか。どっちかというと、こんな言葉の意味なんて知らない方が間違いなく幸せで健全だろうけど、残念ながら僕は知っている。

 ネットゲームなどで、女のプレイヤーキャラを見ながらオナニーすること、らしい。

「見抜き、いいですか?」

 とか聞くらしい。ネトゲの闇は深い。

 そんな罪深いネトゲプレイなどしたことないけれど、もう僕は彼ら見抜き紳士達を馬鹿にはできない。そりゃあ、リアルで見抜きするのと、ゲーム画面でするのとでは、大違い。ぶっちゃけ、犯罪行為に該当するのではないだろうか。

「ホント、ごめん……」

 最初はそんなつもりはなかったんです。ただ、本当に双葉さんが眠っているかどうか、入念に確認していただけなんです。

 でも、でもですよ? 噴水の向こう側に、今やエロで売れる爆乳グラドル並みの美少女が、ゴロンと無防備に寝転がっているんですよ。妖精広場に布団や毛布なんてものは完備されてないから、そのまま寝ることになる。つまり、何かに遮られることもなく、彼女の豊満な体が露わになっているわけだ。

 勿論、裸などでは断じてない。双葉さんは寝間着としてジャージを利用している。全く露出はない。ないけど、見ろよ、あの厚手のジャージさえものともしない、胸とお尻のパツパツ具合を。一体どれだけの大きさがあれば、あんなに布地が伸びるというのか。男の僕には想像つかないし、女の子でもちょっと想定の範囲外だろう。

 それだけで、僕には十分すぎた。禁欲生活ウン日目に突入する僕には、あまりに十分すぎた。

 なのに、双葉さんときたら、完全に僕を殺しにかかってきた。心の中で「しょうがないにゃあ」という彼女の声が聞こえた気がした。

 そんな幻聴を聞いた瞬間、彼女の体はゴロンと寝返りを打ってこっち側に向いた。というか、見えた。ジャージの上着、結構、開いてる。妖精広場は温かいから、上下でジャージ着るとちょっと熱いくらい。僕みたいにTシャツ一枚くらいでちょうどいい気温。

 だから、双葉さんも暑かったんだろう。僕という、これでも一応れっきとした男がいるにも関わらず、彼女は平気で上着のチャックを半ばまで開いていた。

 目に飛び込んでくる、真っ白い胸の谷間。それは、どんな深山幽谷でも敵わないほど、神々しい白の渓谷だった。

「――っ!?」


『淫紋』:精と魔の相転移。愛は一種の呪いでもあり、性交はそれを成す儀式として――


 なんか一瞬、呪術の説明っぽいのが頭に過った気がするけど、その時の僕は冷静に読み解く余裕なんてあるはずない。というのは、男なら分かってくれることだろう。

「……はぁ」

 というわけで、今に至る。溜息をついてしまうのは、単純に気分的なものである以上に、体力的なものだ。まさか二回連続になるとは。こんなにいらねーよ。

 だが他に使い道もないし、こっそり広場の隅っこで処分するのも怖いので、予定通り、採取した素材アイテムはありったけ泥人形の生成につぎ込むことにする。

 そうだ、僕は『汚濁の泥人形』のためにやっているんだ。決して自分がスッキリするためではない。

「よーし、やってやる、僕は、やってやるぞぉ」

 煩悩を振り払った今の僕は、ただ呪術の行使に集中する。

 微妙な気持ちで泥人形の上に、最後の素材アイテムをぶちまけて、準備完了。

「受け継ぐは意思ではなく試練。積み重ねるは高貴ではなく宿命。選ばれぬ運命ならば、自ら足跡を刻む――『黒の血脈』」

 もう詠唱しなくても血は出せるようになったけど、こういう時は、ちゃんとした方が効果的かなと思って、念のために。

「混沌より出で、忌まわしき血と結び、穢れし大地に立て――」

 滴り落ちる、血の雫。一滴、二滴。もっとくれてやる。

 鮮血は泥に落ちればそのまま沁み込み、白濁の上に落ちれば、混じり合って気持ちの悪い色合いを見せる。

 いいさ、気持ち悪くても、禍々しくても。だって、これは呪術なのだから。どんどん邪悪になって、強くなってくれればいい。

「――『汚濁の泥人形』」

 そして、僕はしっかりと呪術の詠唱を終える。倒れた時は、言い切る前に問答無用で気絶したから、今回はやはり大丈夫だったということ。ただ、体には二連発以上の体力の消耗を感じるから、かなり魔力は持っていかれたようだ。

 さて、その効果のほどは。

「うわっ!」

 思わず声が出てしまうくらいの変化が訪れる。

 泥人形を中心にして、『腐り沼』のようにドロドロしたものが湧き上がってくる。まさか、使う呪術を間違えたはずはない。詠唱は完璧だし、イメージだってバッチリだ。

 それに、よく見ればそのドロドロは『腐り沼』ほど赤くなく、真っ黒い。けれど、その合間に鮮血みたいな赤もまた、入り混じっている。

 もしかして、これが『混沌』なのだろうか。

 僕の想像に応えるかのように、泥人形は煮えたぎる混沌の沼に沈み込む――

「あっ」

 と気づいた時には、混沌の沼は幻であったかのように消失していた。そして、後には一つの小さな人影だけが、残されていた。

「や、やった……成功だ……」

 それは、真っ黒い骨の、スケルトンだった。黒光りして、かすかな金属光沢らしい表面なのは、ゴアの素材が良かったからか。

 大きさは、僕の腰くらいまでしかないから、小さい子供みたいだ。手足もやや短いし、やはり子供の骨格のままスケルトンと化したような感じだ。

 まぁ、見た目はいい。問題なのは、その性能。

「使ってみて」

 僕は今のところ戦闘でまるで役に立っていないゴーマの手作り槍を、黒スケルトンこと新泥人形へと手渡す。

「ガッ、ガガ」

 心得た、とばかりにガチガチ骨の顎を鳴らして、スケルトンが槍を受け取る。そして、構え、突く。槍の素振り。僕からみても、ちょっとぎこちない、とても上手とはいえないけれど……

「よし、よし! それだけ動ければ、十分だ」

 見極める、このスケルトンの性能を。槍を振るえる、ただそれだけで、コイツがもう人並みのパワーを獲得していることの証。それでいて、きちんと槍で突きを放てるスピード。恐らく、身体能力は僕とどっこいか、やや下回るといったところだろう。

 けれど、あの水に浸かっただけでボロボロと分解するようなヤワな泥人形ではない。いわばコイツは、囮でも特攻でも、死亡確実な行動をとらせても問題ない、都合の良い使い捨ての仲間が一人分、増えたようなものだ。これだけのサイズがあって、槍で突く攻撃手段もとれるなら、今度こそ魔物の注意を引くことだってできるだろう。いざという時、僕の盾にしたっていい。

 直接的な攻撃力には結びつかない、けど、とても便利な人形兵を、僕は得た。

「ああ、本当に、上手くいって、良かったぁ……」

 安堵の気持ちと共に、僕はプッツリ糸が切れたように寝ころんだ。体力、魔力、共に消耗しきって限界だ。瞼が重くて、しょうがない――

第44話 ゾンビエリア攻略

「キャっ! な、なにコレぇ!?」

 という双葉さんの悲鳴で、僕の意識は目覚めた。

「んあー、ど、どうしたのさ双葉さん」

 ぼんやりした頭で、寝ぼけ眼をこすりつつどうにか起き上がる。

「大変だよ小太郎くん! 妖精広場なのに、魔物がいる! あと、名前で呼んで!」

「ええっ、魔物!? マジでっ!」

 そいつは一大事だ。妖精広場は僕らの安全を確保する唯一の安息地。実は侵入できるモンスターがいる、なんてことになったら、見張りを立てなければいけない。

「ほらっ、アレ! 黒いスケルトンだよ!」

「うわっ、ホントだ! なにアレ、スケルトンの亜種か!?」

 ソイツは子供くらいの小さな骨格だが、金属質な黒光りする骨を持つ、漆黒のスケルトンだった。広場の隅っこで、槍を手に、一心不乱に鋭い突きを繰り出しては、鍛錬に励む騎士みたいに素振りをしていた。

「あ、ごめん、メイちゃん、アレ、僕が作った泥人形だから」

「えっ、そうなの?」

 起き抜けの頭で混乱してしまった。どこからどう見て、昨晩作り上げた『汚濁の泥人形』である。

 とりあえず、その旨の説明を終える。

「へぇー、そうなんだぁ」

「うん、これでもう少しくらいは、メイちゃんを援護できると思う」

「ありがとう、小太郎くん」

 弾ける笑顔のメイちゃんは、もう完璧に美少女だ。凄いな、ダンジョンダイエットって。

「それで、あの子はなんて名前なの?」

「えっ、名前?」

「ないの?」

「ないよ?」

 でも、名前か。確かにあった方が便利かもしれない。メイちゃんが泥人形に指示を出したい時とか、名前で呼べたらスムーズだろうし。

「よし、じゃあレムで」

 泥人形、ゴーレムだから『レム』と呼ぶ。見た目はスケルトンだけど。

 安直なネーミングを決めたところで、僕はいまだ律儀に素振りを続ける泥人形ことレムを呼び付ける。戻ってよ、と念じれば、レムは明確に僕の意思をテレパシーで受け取ったかのように、ピタリと素振りを止めて、こちらへ骨の体をガシャガシャいわせてやってきた。

 僕らの前に立つと、背筋というか、背骨をピンと伸ばして直立不動。手にした槍は真っ直ぐ縦に持ち、鎧でも着せればアンティークの騎士象みたいなポーズとなる。

「礼儀正しい、良い子だね」

「うーん、確かに、スケルトンやゾンビみたいにボンヤリしてないね」

 これといって僕がこの姿勢での待機をイメージしたわけではないけれど、こういう風に動いてくれたということは、もしかすれば、多少の自我があるのかもしれない。あるいは、簡単な自立行動をさせるAIみたいな術式が刻み込まれているだけの可能性もあるが。

「今から、お前の名前はレムだから」

「これからよろしくね、レムちゃん」

「ガガ」

 返答するように顎を鳴らして、レムはカクンと頭蓋骨が落ちるような感じで、頷いて見せた。

 こうして、晴れて使えそうな泥人形レムを仲間(?)に加えて、僕らはさらにダンジョンの奥へと進んで行く。

「――うん、やっぱりそこそこ戦えるね」

 相変わらずゾンビエリアは続いているようで、出現する魔物の種類に変化は見られない。石の通路に、たまにある大通り。そして、大小さまざまだけど、墓地の森があった。

 まず確認したのは、レム単独での戦闘能力。スケルトン、ゾンビ、共に一対一なら、十分に勝利できる。

 スケルトンはボンヤリしていて鈍いから、僕が明確な立ち回りのイメージを出せば、その通りに素早く動いては、躊躇なく槍で骨の体を打ちすえる。槍の一撃で地面に転倒させたら、トドメに石突で頭蓋骨を砕く。

 ゾンビの場合は、スケルトンよりもやや苦戦を強いられる。槍で刺しても、怯む個体と怯まない個体がいる。大抵はゴーマゾンビのような小型の奴は大抵怯むから、そのまま滅多刺しにすれば倒し切れる。怯まなかった場合は、そのまま組みつかれて、押し倒されてしまうことが多かった。

 けれど、レムの体は硬質な黒い骨のみ。ゾンビの腐った顎でガブガブされても、表面が多少、削れる程度。痛みはない。レムは痛がらないし、僕にダメージがフィードバックするなんてこともない。

 だから、そのまま噛みつかれた状態で、レムに持たせた、元は僕のサブウエポンだったゴーマのナイフを使って、刺しまくる。ほどなくすると、ゾンビは動かなくなる。ある程度、肉体が欠損すると活動停止するのか、それとも腐った血を一定量失うと死ぬのか、死亡条件は分からないが、ともかくゾンビはそんな風に殺せる。普通の人間より、死ぬ寸前まで動き続けてちょっとタフ、くらいの体力といったところだ。

「レムちゃんは、小太郎くんの傍に置いて、守りに徹した方がいいかもね」

 レムのいいところは、なんと『腐り沼』に浸かっても溶けないことだ。『黒髪縛り』も溶けなかったことを思えば、僕の呪術なら互いに干渉しない、あるいは無効化の耐性を有している、ということなのだろうか。

 ともかく、沼のど真ん中で格闘できるレムは、僕の護衛としては最適な人材だ。

 レムには正式に僕が持っていたゴーマ製の槍とナイフを授けて、僕は手ぶら……というのは流石にまずいので、最後のサブウエポンとして鞄に仕舞っておいた、鞘のないナイフを布を巻いてベルトに差して持つことにした。それと、無いよりはマシということで、恐らくこのダンジョンにおける最低ランクの武器である、スケルトンの持つ棍棒を装備することになった。

 僕の武器だけワンランク下がってしまうが、それぞれの役割を考えれば、これが適切な配分だろう。

「本当は少しでも前衛の戦力になればと思ったんだけど……ごめんね、流石にいきなり前衛で活躍できるほど、強くは作れなかったみたい」

「あはは、いいの。うっかり、私の斧が当たっちゃったら、レムちゃん壊れちゃいそうだし」

 壊れそう、というか確実に壊れますね。メイちゃんが豪快にスケルトンを木端微塵に吹っ飛ばすように、レムもボロボロに砕け散ってしまうのは確実だ。

「その内、前衛同士でも連携がとれるように練習しておいた方がいいかもね」

 今度こそ仲間が出来た時、それくらいの注意を払って戦えないと厳しいだろう。

 そんな感じで、レムは僕を守る盾としての役割を得て、ダンジョンを進む。メイちゃんの圧倒的戦闘力のお蔭で、やはり道行は順調そのもの。墓地の森で時折出没するゴアも、彼女は難なく処理する。最初に遭遇した時のが一番数が多かったから、二体や三体くらいだと、ゴアもそれほど脅威ではない。

 一応、ゴアからは小さいながらもコアがとれる。脱出するのにどれほど必要になるのかは分からないけど、少しずつでも、集めておいた方がいいだろう。このテの素材取集って、いざ必要になってから始めると、途端に面倒くさくなるのは、ゲームでのセオリーだ。

 ゴアはコアの入手という一面に加えて、その鱗と甲殻で順次、レムを修理していく。レムを寝かせて、再び『汚濁の泥人形』を使うと、例の黒い混沌の沼が現れて、素材とレムを飲みこみ、ピカピカとなって帰ってくる。

 割とお手軽な回復手段があるということで、レムの運用も思い切ってできるのがありがたい。ちょっと無茶させて、手足が砕けてしまっても、スケルトンとゴア素材があれば、それくらいなら問題なく修復できる、という確信めいた感覚が僕の中にある。ただ、完全に砕けて行動不能にさせられた場合、またイチから作り直しとなるのは間違いない。

 流石に、もう見抜きの罪悪感はこりごりだ。でも、この先ずっと我慢がきく自信も、ないんだよなぁ……

 そんなことを考えてしまう僕にバチを与えるかの如く、不意に危ない場面に直面することもあった。

 それは、普通の通路を進んでいた時のこと。突如として、前後から挟み撃ちするように、ゾンビの群れがワラワラと現れたのだ。

「メイちゃんは前を食い止めて! 後ろは沼を張って、何とか僕とレムで持ちこたえるから」

「うん、早く全滅させて、そっちに回るから!」

 中々に厳しい防衛戦だった。ゾンビの数は、思ったよりも多い。

「――くっ、沼ももうイッパイかよ」

 戦闘開始から一分と経たず、僕が展開させた『腐り沼』は突撃してきたゾンビの死骸で溢れてしまう。倒れながらも這いずって突破しようともがくゾンビを、レムが槍で突っ突いては押し返して食い止める。僕も手にした最弱武器であるスケルトンの棍棒で、ゾンビを水際で上陸阻止。

 触手の操作と同時並行で直接攻撃もしていたから、ついうっかり手元が狂って棍棒がすっぽ抜けて、自分の沼にドボンさせて消滅させてしまうというドジを踏んだりもした。

それでも、棍棒を失った頃には、かなりのゾンビを血色の水面に沈めることができていた――しかしながら、まだゾンビは残っている。

 ここからさらに下がって、もう一度『腐り沼』を張り直すほどのスペースはない。メイちゃんはバッタバッタと前方のゾンビを薙ぎ払って進んでいるようだけど、通路が死体で一杯なら、沼を展開させても意味はない。

「くっ、捌き切れない……」

 ゾンビの数は、あと十体くらいだろうか。レム一体で食い止められる数じゃない。僕はたった一体のゾンビと接近戦になったら、その時点でもうお終いだ。首筋に噛みつかれたら、もう取り返しのつかない致命傷となる。最悪、ゾンビモノではお馴染みの、噛まれたら感染ということだって。

『腐り沼』は広げられない。けれど、コレ以外で十体のゾンビを始末する攻撃力は得られない。何としても、新たに『腐り沼』を展開させないと――

「いや、場所ならまだ、あるっ!」

 僕は左右の手を掲げて『黒の血脈』を呼び起こす。両の手の甲に浮かび上がるのは、同じく一つ目の紋章。

 両手を左右に振るうと、呪いの血が数滴の飛沫となって、両サイドの壁に付着する。そう、壁だ。地面がダメなら、壁に張ればいいのだ。

「朽ち果てる、穢れし赤の水底へ――『腐り沼』っ!」

 壁面に付着した血痕は、瞬く間に猛毒の血の池と化して広がって行く。成功だ。垂直の壁面でも、『腐り沼』は壁そのものが変化したかのように、そこに強酸性の水面を張りつかせていた。

 そこまでで、もう全力疾走で通路を駆け抜けてくるゾンビとの間合いはギリギリだった。

「沈めっ!」

 壁の沼のど真ん中から呼び出す『黒髪縛り』は、獲物を見つけた大蛇のように、鋭い動きで走り抜けるゾンビを捕えた。

「ブォアアアアアアアアアアアアっ!」

 ゾンビでも痛覚はあるのだろうか。強かに壁面の猛毒沼に叩きつけられて、絶叫を上げる。

 今の僕が呼び出せる三つ編み縛りの黒髪触手は最大で四本。四体までなら、同時にゾンビを捕えきれる。

「ちいっ、やっぱり即死は無理か、けどっ――」

 しっかり溶かし切らないとゾンビは動き続けるが、壁面に叩きつけられた左右のどちらか片方はすでにかなり溶けてしまっているので、ここで触手を手離しても、再び走ってくることはできない。大ダメージが入って、もうロクに戦闘行動がとれないならば、放っておいてもいいってことだ。

 僕は四体をリリースすると、さらに駆け込んでくる新たなゾンビを捕えた。これで、合わせて八体のゾンビは戦闘不能。

 けど、相手の数は十体。いや、よく見れば十二体はいる。

 その内の二体は、溶け終わった路面の沼地に足をとられて、いつものように自滅していく。けど、残った二体は仲間の死体を踏み越えて、さらに四体の尊い犠牲によって黒髪触手から逃れ、いよいよ僕へと迫ろうとしていた。

「ガガァーっ!」

 そこで、気勢をあげて立ちはだかったのはレムだ。初めて見た素振りよりも、鋭くなった突きを繰り出して、ゾンビの胸元を正確に貫く。だが、今回の挟撃で出現したゾンビは全て成人型。突進の威力を殺し切れない。

 ゾンビは胸のど真ん中を貫かれたまま、ズブズブと構わず穂先を自らの肉体を貫通させてレムへと迫る。刺されたまま前進されたら、引いて二撃目を繰り出すことはできない。

「頑張れ! そのまま叩きつけろ!」

 レムは心得たとばかりに、槍を手放し、迫るゾンビの腰元へとしがみつく。真っ向からのパワー勝負ではゾンビに分があるけれど、一突きでもして多少はダメージの影響があるのか、ゾンビの足取りはふらついて怪しい。小柄なレムでも、渾身の力を振り絞れば、どうにかこうにか、壁面の沼へ押し込むくらいのことができた。

 けたたましい絶叫をゾンビがあがる、と同時に――

「アァアアアアアアアアアっ!」

 最後の一体が、僕に向かって飛びかかってきた。

 全十二体。八体は触手で無力化。二体は自滅。一体はレムが喰いとめた。けれど、最後に残った一体、あと一体を、止める手段がもう、僕には残されていなかった。

 槍はレムが持ってるし、棍棒はさっき失くしたし、僕には今、ロクな武器がない。サブウエポンとして引き抜いたナイフは、あまりにちっぽけで、猛り狂うゾンビを前にすれば、お守りほどの効果もない。僕はブルブルと震える両手で固くナイフの柄を握るだけで、急所を一発で貫けるクリティカルヒットを繰り出せるような自信はなかった。

 あっ、ヤバい、これ死んだ――

「私の小太郎くんに触るなぁああああああああっ!」

 物凄い雄たけびが轟いた、と思った次の瞬間、ゾンビの頭が弾け飛んだ。

 一拍遅れて、僕の長めの髪がブワっと強烈な風圧を受けたように舞う。

 腐った血と脳漿とをまき散らしながら崩れ落ちるゾンビを見送るよりも、僕は振り返っていた。

 そこで一瞬見えたのは、後ろに伸びきったメイちゃんの左手。まるで、後ろ向きに何かを放り投げた直後のような格好。それでいて、右手の斧は目の前のゾンビを縦に叩き割っていて、気が付けば、もう左手は斧の柄にかけられ、再び両手持ちとなり、まだ群れているゾンビを刻み始めていた。

 ゾンビの頭が弾けた結果と、メイちゃんの腕の動きから見ると、どうやら、後ろ手に石を投げて、見事にヘッドショットを決めたようだった。

「ま、マジで……メイちゃん凄ぇ……」

 これもうメイちゃん、とか馴れ馴れしく呼んでいいレベルじゃないんですけど。今からでもメイちゃんさん、と呼びたくなるほどの、神業的なスーパーフォローだ。

 お蔭で、これで後方のゾンビは殲滅完了。瀕死のゾンビも順次、触手で捕えてトドメを刺していく。

「はぁ……はぁ……あ、危なかった……」

 と、そういう際どい場面も、ゾンビエリアではありましたということで。やはりダンジョンは、どんな場所でも気が抜けない。

 こんなこともあったお蔭か、メイちゃんがやっぱり最後の防衛手段として、平野君のロングソードを持っていた方がいい、と再主張し始めたので……とりあえず、次の武器が調達できるまで、僕は剣を借り受けることにした。

 そうした装備変更しつつ、その後もぽつぽつと姿を現すスケルトンとゾンビとゴアを倒しながら進み続けると、これまでとは雰囲気の違う広間へとたどり着いた。

 うーん、ボス部屋ではないようだけど……どうか、何もでませんように!

第45話 鎧熊(1)

「……この部屋、何もないね」

 注意深く通路から室内を覗いたメイちゃんの感想である。見れば、確かにそこは何もない。最初のスケルトン部屋みたいな石造りの空部屋、というよりも、荒野のような平らな土が広がるだけの造りだった。壁はブロックではなく、洞窟みたいに荒い岩肌が剥き出し。

「コンパスは真っ直ぐの道を指してる」

「じゃあ、あっちの入り口は行かなくてもいいんだね」

 この洞窟部屋はそれほどの広さはない。面積は体育館の半分くらいで、ほぼ円形のホールみたいな感じ。何もないから、岩の壁際はここからでも全て見渡せる。コンパスが指し示す、ちょうど向かいの通路と、三時と九時の方向にそれぞれ開いた通路が見えた。僕らがやってきた道を合わせれば、綺麗に十字路ということになる。入り口はどれも同じで、コンパスがなければ正解は導き出せない。

「多分、ここを抜ければ妖精広場があるはずだ」

「うん、結構進んできたし、そろそろだよね」

 けど、こういうところがボス部屋として設定されてたりするんだよな。パっと見でオルトロス部屋のような感じではないし、明らかに誰もいないから、本当に何もない空部屋なのかもしれないけど。転移魔法陣らしきものも、見当らないし。

「ボスは……やっぱり、いないのかな」

「どうだろう。土になってるし、いきなり地中から飛び出してくるかも」

 音に反応して襲い掛かる、凶悪な地中モンスターと戦う映画を見たことある。ファンタジーでも、モンゴリアンデスワームみたいな巨大なミミズの化け物なんかは定番だし。

「どうするの?」

「レムを先行させよう」

 こういう時に、囮人形ってのは便利だよね。僕は躊躇どころか、本格的に泥人形が役に立って喜んでいる。

 命令には絶対服従、とあの説明不足な脳内説明文でも明記されている通り、レムは僕の囮指令を即座に実行。トコトコと何の気負いもなく、レムは洞窟部屋へと歩き出した。

 僕は使命を果たすレムを満足そうに見守るけれど、メイちゃんはちょっと可哀想かも、なんて風な憐みの視線を送っていた。あんまり酷い命令すると、ひょっとして軽蔑されるかも? いやでも、背に腹は変えられないし。

 そんなことをグルグルと無駄に考えつつ、歩き続けるレムを眺めていると、

「ゴォアアアアアアアアアアアっ!」

 その巨大な咆哮に、僕はビクリと体を震わせた。大きい音にビビった? いいや、違う。これくらいの声量なら、オルトロスも同じだ。けれど、僕はこの雄たけびを聞いた瞬間、明確な恐怖を抱いた。何故か。その答えは簡単だ。

 だって僕は、この声の主を、すでに知っている。

「よ、鎧熊だ……」

 九時方向の通路から、のっそりと姿を現したのは、巨大な鈍色の体躯。刺々しい鋼の甲殻装甲で武装した、現状で僕が知る限り最強の魔物だ。

 鎧熊は悪夢の続きとでもいうように、あの時と全く同じ姿、全く同じ威圧感を持って、再び僕の前に現れた。

「小太郎くん、あの魔物って――」

「僕が倒せたのは奇跡だ。できればアイツとは、戦いたくない」

 鎧熊との死闘は、最初に出会った時に話している。その分かりやすい特徴的な姿から、初見のメイちゃんでもすぐにピンと来たのだろう。

 僕は出来る限り刺激しないよう、その場でレムを停止。糸が切れた人形のように、部屋の真ん中あたりでピタリと止まって見せた。

「引き返した方がいいかな」

「アイツは鼻が利く。多分、もう僕らがここにいることに、気づいている」

 鎧熊は僕がばら撒いた弁当やジャージの時と同じように、完全停止したレムに対して鼻先を突きつけてはフンフンしている。けど、視覚的にも嗅覚的にも、金属質の骨しかないレムが美味しい餌になりえないことには即座に気づく。鎧熊はすぐにレムからは興味を失い、そして――

「ああ、くそっ……これは、ダメかな」

 通路に立つ僕らを見つけては、咆哮を上げた。

 鋼の巨体を揺らしながら、ゆっくりと、ああ、あの時と同じように、これぞ王者の余裕とばかりに、悠然と近寄ってくる。

「私が止めるから」

「待って、できれば接近戦は避けたい――『腐り沼』」

 僕は鎧熊が全力疾走で突進してこないのをいいことに、手早く猛毒の防衛線を展開させる。流石に鎧熊の体型で、ゴアみたいに何メートルも跳躍できるとは思えない。今のところの最大面積である五メートルの沼を張っておけば、奴が僕らへ近づくにはどうしても足を踏み入れざるを得ない。

 ゴボリと血色の沼地が出現すると、鎧熊はもうすぐ目の前。突如として出現した怪しげな水辺を前に、流石に足を止めた。そしてやっぱり、鼻先を近づけてフンフンする。そのまま誤って飲んでくれれば、勝手に死んでくれそうなんだけど……

「ゴォアアっ!」

 いくらなんでも、そこまで間抜けではないらしい。

 けど、この沼が危険地帯だと理解しているなら、お前がどう足掻いても僕らには近づけないってことが――

「えっ」

 鎧熊は、堂々と猛毒の沼へと足を踏み入れた。当然、凄まじい溶解力を誇る血色の水は、ジュウジュウと音をたてると共に、濛々と白い煙が噴き上がる。

「ガアっ!」

 しかし、それだけ。鎧熊はこんな汚ぇトコロを歩かせやがって、と不機嫌そうに鋭い鳴き声をあげる。平然と、ヤツは必殺の『腐り沼』を渡って来た。

「部屋に出る!」

「うん!」

 僕は右方、メイちゃんは左方、同時に入り口から飛び出す。ついでに、中央で止まっていたレムを僕の方へと呼び戻す。

 通路を撤退ではなく、あえて部屋に飛び出したのには理由がある。

 まず、『腐り沼』が鎧熊にあまり効果がない以上、接近戦は避けられない。通路を戻ったところで、執念深いヤツはどこまでも僕らを追いかけてくるだろう。鎧熊に追いかけられている状態で、ゾンビやゴアと鉢合わせたら、状況は最悪だ。その挟撃は、いくらなんでも僕らの戦力じゃあ対処しきれない。

 だから、鎧熊と戦うなら確実にヤツ一体だけに集中できる場所がいい。そして、メイちゃんもリーチの長い斧を存分に振り回せるような、広いフィールドの方が戦いやすいだろう。つまり、この部屋でヤツと決着をつけるのが、最善であり、僕らが生き残る唯一の方法だ。

 ちなみに、この先にあるだろう妖精広場に駆け込んだとしても、状況は変わらない。妖精広場はあくまで魔物が自主的に寄りつかないというだけで、目の前に美味しい餌が逃げ込んだなら、奴らは躊躇なく踏み込んでくる。妖精広場はゲームのように絶対的な安全地帯でもなければ、都合よくモンスターだけを排除する万能な結界機能なんてものもない。

 ともかく、僕の決戦の意思を、メイちゃんは即座に汲んでくれた。理由の全てを彼女が理解しているかどうかは分からない、けど、何の躊躇もなく、僕なんかの指示に従ってくれるメイちゃんは、本当に得難い仲間だ。

 やれる、彼女と一緒なら。鎧熊だって、真っ向勝負で倒せる!

「絡めとれ――『黒髪縛り』」

 鎧熊はゆったりと振り向き、のそのそと沼から戻ってくる。

 メイちゃんを見て、僕を見て、そしてやっぱりメイちゃんを見て、ターゲットを彼女に選んだようだった。そんなに肉が喰いたいか。

 卑しい奴め、という感想は置いといて、鎧熊が真っ当にメイちゃんと対決する構図となり、援護に徹したい僕としてはありがたい限りだ。そういうワケで、僕は一も二もなく『黒髪縛り』を全力で放つ。今は最大で三つ編み五本。一本だけでゾンビ一体を足止めしきるパワーを誇るし、長さだって五メートル以上伸ばせるんだ。

 僕が今出せる最大出力で、五本の黒髪触手は鎧熊を縛り上げる。両手と両足、そして首元、それぞれ一本ずつ絡みつかせて全身を拘束。ギリギリと軋みを上げながら、鎧熊の歩みは止まった。

「はぁあああああああああああっ!」

 そして、この絶好のチャンスを逃すことなど、今やすっかり狂戦士が板についてきたメイちゃんにはありえない。僕の援護を待っていたかのように、拘束が決まる完璧なタイミングで、渾身の振り下ろしを炸裂させ――

「ガアアアッ!」

 鋭い咆哮が響いた瞬間、僕の呪術は全く無意味であることを悟った。気が付けば、鎧熊を縛っていたはずの黒髪は全て、ズタズタに寸断されて儚く舞い散る。

「ぐうっ!?」

 兜ごと脳天を叩き割るように迫った斧を恐れることなく、鎧熊は自ら突っ込んだ。それはちょうど、カウンターのタックルとなって、メイちゃんの体を弾き飛ばしていた。

 いくら大柄なメイちゃんといえども、直立すれば身長四メートルを超すほどの巨躯を備えるモンスターを相手に敵うはずもない。彼女は本当にか弱い女の子になってしまったかのように、フワリと体が宙に舞った。

「あ、くっ……斧が……」

 結構な勢いで吹っ飛ばされ、土煙をあげて地面を転がりながらも、素早く起き上がったメイちゃんの第一声はソレだった。痛い、と喚くでもなく、ふぇーん、と泣くでもなく、彼女は自分の身よりも何よりも、武器の喪失にショックを受けていたようだ。

「うわっ、ま、まずい……」

 メイちゃんの女子力について思うところはあるけど、やっぱり僕も彼女と同じく武器を失ったことに焦りを覚える。

 凄まじい勢いで振り下ろされた斧は、鎧熊が自ら突っ込む勢いと正面衝突した結果、あっけなく敗れ去った。刃が命中したのは、一際に太い棘の生えた、かなりの厚さを誇る肩の装甲。太いスパイクを粉砕し、鋼の甲殻にヒビを入れたが、そこで限界を迎えた。

 斧の刃はバッキバキに砕け散る。おまけとばかりに、木の柄も半ばから折れてしまった。もう武器として機能しないことは、一見して明らか。メイちゃんの手には、ただの棍棒以下に成り下がった木の棒しか残らなかった。

「メイちゃん! 剣をっ!」

 装備変更が裏目に出た。まだ鎧熊相手に多少は通用しそうな鋼の長剣は今、僕が持ってしまっている。メイちゃんが持ったままなら、すぐに反撃へ移れた。

 彼女に残された装備は、あまり切れ味のよくない鉈とナイフが一本ずつ。この長剣と比べれば、品質の差は明らか。そして、その差が直接、生死に結びつくほど際どい相手と戦っているんだ。

 だから、僕は迷わず剣を渡すべく、走り出していた。

「だめっ、小太郎くん!」

「僕はいい! 熊はまだメイちゃんを狙ってる!」

 心配してくれるのは嬉しいけど、ここは僕だって命をかけなきゃいけないところだ。沼の毒が通用せず、全力の黒髪拘束も破られた時点で、僕の呪術で援護する意味はなくなった。ならばせめて、マトモな武器を彼女に渡すくらいの行動は必要だろう。

 鞘からぎこちない動作で剣を抜き放ちつつ、僕は重ねて指示を叫ぶ。

「行け、レム!」

 護衛任務を外し、メイちゃんの援護に投入。ゴーマ手製のしょぼい槍が、あの鎧を貫けるとは思えないけれど、少しでも注意を逸らせれば御の字。

「ゴォアアアアアアアアっ!」

 僕が動く一方で、鎧熊は猛然とメイちゃんへと追撃を仕掛けていた。タックルで吹っ飛ばした後は、ついにドスドスと巨体を揺らして走り出し、膝をついた彼女を押し倒そうと突進。

「くっ……」

 すでに体勢を立て直していたメイちゃんは、マタドールみたいに鎧熊の突進をヒラリと回避する。だが、武器の無い彼女に、無防備な背中を刺す手段はなかった。

 鎧熊はそのまま反転し、今度はナイフのように大きく鋭い鉤爪が並ぶ剛腕を、嵐のように振り回す。僕なら一瞬でミンチにされる自信のある乱れ裂きだけど、メイちゃんは騎士の第三スキル『見切り』を十全に発揮させ、紙一重での回避を成功させている。

「ち、ちくしょう……隙がない」

 メイちゃんの神業的な回避も、いつまで持つか分からない。終わりの見えない一方的な連続攻撃の中で、彼女は鉈かナイフを抜く暇もないほど、集中しきっている。

 無論、そんな苛烈な攻撃の真っ最中に、僕がのこのこ飛び込んで、上手く剣を渡すことなどできるはずがない。レムがちょっかいをかけても、果たして微妙なところだ。隙もできず、無意味にレムが破壊される結果になりそう。

 どうにも、あと一手が足りない感じ……

「こんなのでも、使わないよりマシか――『赤き熱病』」

 一応、鎧熊に対してかけてみる。しかし、アカキノコを服用していないヤツにとっては、微熱効果はさして気にかけるべき変化足りえない。興奮して猛攻撃を繰り出しているアイツにとっては、僅かな体温の上昇など気づいてさえいないかも。

 でも、いいさ。これはあくまで念のため。本命はこっちだから。

「熊の視界を一瞬だけ塞ぐから!」

 多分、メイちゃんならそれが分かっていれば、対応できるはず。相手がモンスターだから、作戦を思いっきり叫んでも問題ないってのは、強みだよね。

 そんなことを思いつつ、再び僕は『黒髪縛り』を発動させる。今度は五本ではなく、全ての力を一点集中で、より大きく、長い、一本だけの三つ編み――いや、繊維が一本ごとに規則正しく絡み合う、帯状に広げた。艶やかな光沢を宿す漆黒の帯は、いつも通りの触手染みた動きで、暴れ回る鎧熊の背後から襲い掛かる。

「ガウッ――」

 僕の思うがまま、自由自在に動く触手は、狙い通りに鎧熊の頭に絡みつく。何重にもグルグルと巻きつけると、瞬く間にターバンのように膨れ上がっていく。

 しかし、コイツは自分の鎧のスパイクを利用して、簡単に髪を切ってくる。両手両足の拘束がほとんど同時に破られたのは、甲殻に生えるトゲトゲを引っ掛けて上手く切り裂いたからだ。兜を被ったように、頭部までこの棘付き甲殻で覆われているから、この拘束方法も即座に脱して来るだろう。棘などなくても、牙でも爪でも、好きな方法で裂いてしまえばいい。

 けれど、これで確かにヤツの視界は封じられ、メイちゃんへの攻撃の手を止めた。

「ありがとう、小太郎くん!」

 素早く鎧熊から距離をとり、僕の方へ駆け寄るメイちゃん。

 鎧熊は怒り心頭といった様子で、顔の前に羽虫を振り払うようにブンブンと腕を振り回して、あっという間に黒髪帯を寸断して振り解く。

 でも、鎧熊が再び視界を取り戻す頃には、もう僕の目の前にはメイちゃんがいる。すでに僕らは鎧熊の間合いの外。このままあと一歩踏み込めば、この手に握った長剣を安全確実に渡せる。

「ガァアアアアアアアアアっ!」

 怒りの咆哮が耳をつんざくと同時に、僕の体に衝撃が走った。鈍い痛みが、体中を穿つ。

 何が起こったのか、分からなかった。意味が分からない。突然、意味もなく殴り飛ばされたかのような感覚だ。

「う、あっ……あぁ……」

 気が付いたら、地面に倒れていた。痛い。背中を打って、とかじゃなくて、体中が……いいや、左腕と、脇腹と、太もも、かな。そこが特にジンジンと鈍痛を発している。小学生の頃、雪合戦をした時に、中に石を入れた殺意に満ちあふれる雪玉を腹のど真ん中にクリティカルヒットしたのと同じ痛みだ。

 ああ、そうか、これ、石だ。石が当たったんだ。バラバラっと、散弾銃をぶっ放されたみたいに。

 土属性の魔法――なんて最初に思ったのは、僕がゲーム脳だからか。馬鹿だな。この口の中に感じる屈辱の味を思えば、ことはもっと単純だと分かるだろう。僕の口中には、錆っぽい血の味と、ジャリジャリと気持ちの悪い、土の味が広がっている。

 そう、鎧熊は手が届かないことを悟って、土を投げて来たんだ。アンダースローみたいなフォームで、地面を抉ってそのまま土砂を浴びせかける。あの巨大な熊手は、たった一かきでも相当量の土を掘り起こし、そして、その内にゴロゴロっと埋まっていた石を含めて、僕へと投げつけた。

 ヤツにとっては、八つ当たり染みた、大した意味のない行動だったのかもしれない。けれど、その物理的な攻撃は僕にとって効果は抜群だ。

「ゴアアアアアアっ!?」

 思わぬ痛みに、驚いたような声をあげる鎧熊を見れば、どれだけ僕に深刻なダメージが通ったか分かるというものだろう。土壇場でお世話になってばかりの『痛み返し』は、こんな時でも効果を発揮して、鎧熊に打撃の痛みを教えていた。

「小太郎くんっ!?」

 ああ、ごめん、メイちゃん……衝撃の余り、僕は剣を手離してしまった。拾ってくるには、ちょっと遠い。

「うっ、うぅ……痛っ、痛ったぁ……」

 情けなくも、涙を滲ませながらヨロヨロと立ち上がる。何が「痛い」だよ、ここはせめて、「全然、大丈夫!」くらい虚勢を張れよ。あまりの痛みに、僕はどこまでも正直に苦しみながら、それでも、どうにか行動を再開。

 けれど、すでにボロボロな僕でも動き出せるというのなら、タフな肉体を持つ鎧熊は、もっと速く行動を始めているということでもある。

『痛み返し』で僕と同じくらいの打撃を被ったはずの鎧熊だけど、もう痛みなんて忘れました、みたいな勢いで、ちょっとのけ反っていた体勢を整え、再び突進してきた。

「くっ……やぁああああっ!」

 メイちゃんは一瞬だけ、転がった剣と僕と鎧熊、全ての位置をチラ見で確認すると、腰から鉈とナイフを同時に抜いて構えた。剣の回収を諦め、僕という足手まといが間合いのすぐ傍にいて、やむなく、その貧弱な武器で荒れ狂う鎧熊と正面から戦う決断を、彼女は下したのだ。

「ガァアアアアっ!」

 嵐のような攻防が、再び始まる。すぐ眼の前で吹き荒れる錆びた刃と研ぎ澄まされた爪の剣戟。とても、僕のショボい呪術で割って入れるような領域ではなかった。そもそも、両者の激突はあっという間に終わりを迎えてしまう。

「――っ!?」

 大きく欠けたナイフ、半ばから折れた鉈。いよいよ武器として使い物にならなくなった二刀を握りしめながら、メイちゃんの体が凄まじい勢いで吹っ飛ばされていた。宙に舞った血飛沫の量が、傷の深さを物語る。

 鎧熊との切り合いは一瞬だったけど、少しは目で追えた。メイちゃんが繰り出す刃は、ほとんど正確に鎧熊の甲殻の切れ目、肩や腕の関節部などをなぞったが、浅い。彼女の持つ低品質の刃では、僅かに皮を切り裂くだけで限界だったんだ。

 凶悪な乱れ裂きの合間を縫って、メイちゃんはそんな攻撃を仕掛けたのだから、今回ばかりは『見切り』で回避に徹しきれない。だから、当たってしまう。防御を捨てた決死の攻撃は、狂戦士の腕をもってしても、絶対的な能力差を覆すことはできなかった。

「メイちゃん! 大丈夫っ!」

「うっ、ん……」

 地面を転がり、土まみれになった彼女の体が、僅かに動く。けれど、それだけ。さっきのように、即座に起き上がって攻撃の構えをとることはなかった。

 見たところ、メイちゃんは両腕を深く傷つけられているようだった。爪の一閃を喰らう寸前、咄嗟に腕でガードだけはしたのだろう。

 けれど、生身の肉体で鋭い爪を防ぎきることなどできるはずがない。袖ごとズタズタに裂かれた腕からは、流れ落ちる鮮血がはっきりとみてとれた。あんな負傷では、もう剣があったとしても、マトモに振れないかもしれない。

「時間を稼ぐから! 何とか回復して!」

 メイちゃんにはそれなりの傷薬Aをはじめとした、各種の薬を渡してある。両腕の傷は酷いものだが、傷薬Aと『恵体』の回復コンボがあれば、ギリギリで使いものになるくらい治癒できるはず。

 逆転するには、それしかない。呪術師の僕では、万に一つも鎧熊を倒す手段はない。こうして面と向かって戦闘が始まった時点で、毒餌のようなトラップも使えないのだから、当然だ。

 鎧熊を倒せるのはメイちゃんしかいない。何としても攻撃手段を取り戻さなければ、戦いではなく一方的な虐殺、いや、鎧熊からすれば、単なる捕食行動に過ぎないか。

 だから、僕は命を張ってメイちゃんが回復する時間を稼ぐしかないのだ。不思議と、逃げたいとは思わなかった。

 一人で逃げたところで、生き残ることはできないと、もう本能レベルで理解してしまっているのだろうか。

「ガルルっ!」

「ひいっ!?」

 しかしながら、怖くないわけではない。メイちゃんへの針路を阻むように飛び出したはいいものの、鎧熊に睨みつけられただけで、僕は恐怖で声が上ずり、体が震えあがる。圧倒的なモンスターの巨躯が眼前に立ちはだかり、すでに生きた心地はしない。奴の気まぐれで、僕の命はあっけなく散らされる。

「こ、こ……来いよっ! 僕が相手だクマヤローっ!」

 倒れたメイちゃんを背中に庇うように、僕は鎧熊の前に立つ。ちっぽけなナイフを手に、哀れなほどの震え声で挑発の台詞を叫ぶ僕に、鎧熊は「なんだこのチビ、邪魔くせぇ」と言わんばかりに、荒い鼻息をつきながら、僕を睨み続けた。

 一応、注意は僕に向いている。鎧熊は街中で黒高の不良とエンカウントした時みたいにガンを飛ばしているだけで、まだこう着状態。けれど、もう次の瞬間に、巨大な腕を振るわれて、僕の首が飛んでもおかしくない。

「どうした、やれよっ! できれば死なない程度に攻撃しろよ、お願いしますっ!」

 賭けるならば、土壇場で頼れる『痛み返し』だ。爪で引き裂かれても、僕が即死しなければ、そのダメージは鎧熊に跳ね返る。ザックリと甲殻が抉れるほどの深手を負わせれれば、メイちゃんの勝率も一気に高まる。

 だから、今の僕が狙うのは、捨て身の自爆攻撃しかない。

 見ろ、しっかりとヤツの攻撃を見切るんだ、桃川小太郎。ここで紙一重の回避を成功させれば、鎧熊を倒せる。だから、眼を見開いて、ヤツの動きを――

「あっ」

 と、気づいた時には、巨大な爪が目の前にあった。爪はもう、僕の体をそのまま切断できるほど、深くかかろうとしている。肩口から食い込めば、この四本並んだ大振りのナイフに血と肉と骨と、そして内臓を全てまとめてズダズダに寸断されていくコースを辿るのは確実。

 間違いなく即死のオーバーキル。

 分かっていながら、僕の体はピクリとも動かなかった。動けるはずがなかった。呪術を除けば、貧弱な高校生男子の身体能力しか持ち得ないこの僕に、モンスターの一撃を凌げるわけがない。

 考えが、甘かった。

「――ああっ!」

 血飛沫が舞う。熱い物が体を撫でていく感触は、前と同じ。そう、鋭い爪で切り裂かれると、痛いというより、熱いのだ。

「あっ、あぁあああああっ!」

 そして、一拍遅れて激痛がやってくる――けど、なんだ、僕の体、割と大丈夫。ちゃんと学ランを着た胴体がある。内臓も零れてはいない。

 代わりに、僕の胴体には真っ黒い骨の残骸が、しがみついていた。

「あ、ああ……レムっ!」

 そこで僕は、ようやく理解する。レムが咄嗟にタックルを決めてくれたことで、僕は鎧熊の一閃をどうにか潜り抜けたのだと。

 そして、僕は助かった。代わりに、レムが犠牲になる。黒いスケルトンの体は、胸から上までしか残っておらず、そこから下はバラバラに砕けて、そこら辺に散らばっていた。

 レムはピクリとも動かない。倒れた僕の胴体にしがみついた格好のまま、その機能を完全に停止させていた。

 ごめん、ありがとう……よくやった、レム。

「ゴァアアアアアアっ!」

 雄たけびを上げる鎧熊を見れば、その鋼の胴体に、四本の創傷が刻まれている。分厚い胸元の甲殻はザックリと裂け、その下にある腹部にかけて、傷痕は走っていた。どうやら、爪先は僕の体を上から下にかけて、わずかになぞっていっただけのようだ。

 僕も鎧熊も、傷痕からドクドクと鮮血を流しながら、襲い来る苦痛に吠えた。

「ちいっ、やっぱり、傷が浅い、か……」

 僕がこうして意識を保っていられる程度のダメージだ。甲殻が少しばかり裂けたとはいっても、鎧熊はまだまだ元気。

 こんな雑魚に自慢の鎧を破られ、血を流すほどの傷をつけられたことが癇に障ったのか、血走った怒りの眼つきで、僕を睨みつけた。

 振り上げられる、丸太のような、いや、鉄の柱みたいな鎧熊の右腕。これが振り下ろされれば、今度こそ僕は死ぬ。地面に倒れた体勢のまま、起き上がれてすらいない。

 ちくしょう、追撃が速すぎる――そんなことしか考えられず、死への覚悟も固まらないまま、僕は涙目で振り上げられた熊の手を見上げていた。

「――ガア!」

 けれど、鎧熊の一撃はいつまで経ってもこなかった。気が付けば、腕は何も切り裂くことなく降ろされていて、鎧熊は僕のことなど忘れてしまったかのように、遠くへ視線を送っていた。鋭い目つきは、警戒しているのだと、傍からみてもすぐに分かる。

 鎧熊の大きな体が、一度だけ、ブルリと身震いしていた。

 何だ、コイツを恐れさせるほどの何が、そこにあるというのか。疑問のままに振り返ると、ちょうどメイちゃんが立ち上がっていた。

 両腕から滴る鮮血はそのままに、真紅のオーラを纏って、彼女はそこに立っていた。

「メイちゃん、もしかして……『試薬X』を使ったのかっ!?」

第46話 鎧熊(2)

「メイちゃん、もしかして……『試薬X』を使ったのかっ!?」

 それは、メイちゃんを暴走させたゴーマの麻薬をそのまま流用した、薬ともいえない、危険な代物だ。事実、今の彼女はゴーマを殺戮し、僕をも食い殺そうと暴走したあの時と、全く同じ気配を漂わせている。

 ゆらり、と彷徨うゾンビのように力なく一歩を踏み出す。二歩、三歩、進む度に、ダランと下がったままの傷だらけの両腕から、血の雫が流れ落ちていく。

 四歩。進んだところで、彼女は顔を上げた。

 そこに、いつもの優しげな面影はどこにもなかった。眉は跳ね上がり、眉間に深い皺が刻まれた憤怒の形相。その瞳は煌々と真紅に輝きを放ち、最早、人というより鬼のそれ。

 大きく息を吸い込み、狂戦士が吠えた。

「がぁああああああああああああああああああああっ!」

「ゴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 三度、彼女と鎧熊が激突する。

 体から濛々と立ち上る真っ赤なオーラを残像のように残し、メイちゃんが急加速。人間とは思えない速さと、そして、土の地面が上靴の形で陥没するほどの強烈な踏込みを持って、瞬く間に間合いを詰める。

「うわあっ!?」

 メイちゃんの進路上に座り込んでいたことを思い出した僕は、慌てて横に転がり道を開ける。けれど、僕がそんな間抜けな回避行動をとる頃には、もう彼女は僕の遥か頭上を通過していた。高らかにジャンプをして、直立した鎧熊の鼻先に、ということは四メートルのジャンプか。人間離れした跳躍を生かし、メイちゃんの靴底は強かに鎧熊の鼻っ面を蹴飛ばしていた。

「フガアっ!」

 己の身長の半分にも満たない相手に、顔面に飛び蹴りをくらったのは初めての経験だろう。堪らず、鎧熊の巨躯が傾ぐ。

 しかし、それだけ。軽く頭を振って、後ろ足を踏ん張り、鎧熊は力強い反撃の腕を振るった。

「ふんっ、はあっ!」

 鋭い呼気と掛け声が響く。大振りの引っ掻き攻撃をかがんで回避した直後、上半身を跳ね上げ、メイちゃんは両の拳を順に繰り出す二連撃を鎧熊の腹に叩きこむ。インパクトの瞬間、僕の目の錯覚か、硬い皮膚に覆われた腹部が、衝撃で波打ったように見えた。

「ゴアっ!? グアアアアっ!」

 信じがたいことに、人間の拳が鎧熊に効いていた。『痛み返し』で刻まれた腹の傷に叩きこんだから、というのもあるだろうけど、それでも、どれほどの威力があればパンチだけで四メートルの巨躯を揺らすことができるというのか。

 腹の傷から、新たな血飛沫が噴くと共に、苦痛に満ちた鎧熊の悲鳴があがる。

「やぁあああああああああああっ!」

 続く、メイちゃんの連打。一方的に乱れ裂きを浴びせられた仕返しのように、嵐のような乱打が鎧熊の体をサンドバックのように容赦なく打ち据える。

 舞い散る血飛沫は、果たしてメイちゃんのものか、鎧熊のものなのか。彼女の両腕は血に塗れながらも、オーラはますます勢いを盛んにして炎のように噴く。その火炎のオーラを纏った拳に打たれて、鋼鉄の鎧は歪み、割れ、刻まれた傷口が開いていった。

「ガっ、ォオアアアアアアアアアアアアアっ!」

 しかし、それでもタフな肉体を持つ鎧熊は押し切られない。恐るべきパワーを誇る人間を前に、魔物の意地とでもいうように、大きく振りかぶった、カウンターのような腕の一撃が放たれる。

 対するメイちゃんも、一際に大きく右腕を引いて、渾身のストレートを放つ体勢。弓でも引くかのように、大きく、そして力強く、拳を振りかぶる。

 燃え盛る炎のようなオーラが、握りしめた拳の先で竜巻のように鋭く渦巻いていくのが、一瞬だけ見えた。

「――『鎧徹しパイルバンカー』」

 赤く渦巻く炎の拳が、鎧熊の胸をぶち抜いた。人間の素手が、頑強な鋼の胸部装甲を穿ち、貫く。ありえない、けど、僕は確かに、メイちゃんが深々と鎧熊の胸元に右腕を突きこんでいる姿を目にしている。

「ゴッ、ハァアアア……」

 腕が引き抜かれる。胸元の甲殻は大きなドリルで穴を開けられたかのように、ぽっかりと丸い傷口が穿たれていた。そこから、ドっと滝のように血の塊を噴き出しながら、鎧熊はついに、その巨躯を地面へと投げ打った。

 鎧熊は大口を開けた苦悶の絶叫のまま、動かない。胸の穴から止め処なく血を垂れ流し、自らを血の海へと沈めていく。

「はぁ……はぁ……やった、私……やったよ、小太郎くん」

 ベットリと右腕を血色に染め、大量の返り血で真っ赤に汚れたメイちゃんが、僕を見て笑った。それはもう、いつも通りの優しい微笑み。そして、掲げた右手には、血塗れていてもギラギラと輝きを放つ、大きな真紅の結晶――鎧熊のコアがあった。

 そして、彼女は糸が切れたように倒れた。

「メイちゃん!」

 いけない、体力魔力、共に限界を迎えたのだろう。致命傷を受けずに鎧熊を倒し切ったけど、あのクスリを使った以上、生命に危険が及ぶほど消耗する可能性がある。一応『試薬X』は多少なりとも強烈な麻薬の効果を抑えるために、解毒の青花を混ぜてあるけど、それがどこまで効果があるのかは分からない。

「くそっ、とりあえず解毒と……いや、先に腕の治療が先か」

 地面に仰向けに倒れたメイちゃんを前に、僕は鞄を引っくり返して急いで治療の準備をする。といっても、初めて彼女を妖精広場で見つけた時みたいに、綺麗に洗って、薬を塗ることしかできないけれど。

 まずは血の海にドップリ浸したってほどに汚れた両腕を、ペットボトルに残った飲料水を使って最低限、洗い流す。やはり、メイちゃんは自前の傷薬Aで腕を回復する手間を惜しんで、『試薬X』を真っ先に使ったようだ。その判断のお蔭で、僕はギリギリでトドメを刺されずに済んだのだろう。生きるか死ぬか、運命の分岐点だったか。

 ありがとう。感謝してもし足りない。見ろ、この酷い腕の傷痕を。幸いにも、腱が切れたり、骨が見えるほど抉れてはいないが、それでもかなりの出血量。こんな状態の腕で、鎧熊を殴り殺したのだから……メイちゃんはすでに、人間をやめてしまっているのかもしれない。

 それでも、今すぐ治療が必要な重症であることに変わりはない。恐らく狂戦士の第二スキル『増血』があるから、多少は出血してもそう簡単に致死量には至らないはず。結構な血を流したはずなのに、気絶した彼女は顔色も血色も良い。

 命に別状はない、と思いたい。

 僕は神に、果たして呪いの神であるルインヒルデ様に祈るのは正しいのかどうか分からないけど、それでも、祈りながら、メイちゃんの治療を済ませた。

「はぁ……こ、これで何とか……」

 大丈夫、だと思いたい。気が付けば、メイちゃんはスヤスヤと安らかな寝息を立てている。呼吸、脈拍、共に異常はない。両腕の負傷も、これだけ傷薬Aを塗っておけば、『恵体』持ちのメイちゃんならすぐによくなるだろう。

 けれど、安心するのは妖精広場への避難が完了してからだ。今この状態で魔物に襲われれば、一たまりもない。僕一人だけでは、せいぜい、ゾンビ一体くらいが限界。ゾンビが群れだったり、ゴアが一体でも現れれば、そこでゲームオーバーだ。


 ゴァアアアアアアアアアアアアアっ!


 その方向が耳に届いた瞬間、僕の思考は氷りついた。

 いや、嘘だ、ありえない。こんなの、あっちゃならない。現実逃避めいた僕の考えを嘲笑うように、ソイツは姿を現した。

 二体目の鎧熊。ここで胸に大穴が空いて死んでいる一体目と同じように、通路からのっそりとこの部屋へと踏み込んできたのだ。

「あ、う、あぁ……」

 目が合う。ヤツはお仲間の死骸になど見向きもせず、真っ直ぐに僕を見つめた。血塗れの人間が二人。さぞや美味しい獲物に見えることだろう。

 ダメだ、もう、対応策が何も考えつかない。

 逃げるのか。逃げよう、そう思っても、僕の足はピクリとも動かなかった。

 ここで逃げて、僕が一人寂しく野垂れ死ぬくらいなら……ここで、メイちゃんと一緒に心中した方が、死に様としては魅力的かな。

 心中? いや、何いってるんだ、僕には、一対一なら確実に相手を道連れにできる最強の呪術があるだろう。

「ふっ、はっ、はぁ……だ、大丈夫……できる……メイちゃん、今度は、僕が守る番だから」

 二体目を『痛み返し』で道連れにして死んでやる。そしたら、もうすぐメイちゃんは目を覚ますかもしれない。彼女一人なら、このダンジョンでも進んで行ける。戦い抜ける。

 そして、ダンジョンを脱出して、王国に逃げて、それから、どれだけ時間がかかってもいい、彼女が元の世界へ帰れたならば……こんな僕でも、生きていた価値はあるかもしれない。

 女の子を守って死ねるなんて、素晴らしい。男としては、最高の死に様じゃあないか。

「はぁ……はぁ……はっ、ひ、ひはは……」

 あまりの絶望感と緊張感に、変な笑いが漏れてくる。心臓の音がやけにうるさい。

 何だよ、ちくしょう、死ぬときくらい、もうちょっとカッコつけさせてよ。こう、毅然として、俺は好きな女を守って死んだんだぜ、みたいな。

 でも、こんなことになるんだったら、ぶん殴られてもいいから、一回くらい、メイちゃんのおっぱい揉ませてもらえば良かったよ。

 頭に浮かぶのは、そんな下品で下らないことばかりで、走馬灯のように記憶が、なんてことは全くなかった。本当に、最後の最後まで、しょうもないヤツだな、僕は。

「ふふっ、あははは……来いよ、お前も道連れだ」

 獰猛な咆哮が耳をつんざく。鎧熊は牙を剥いて、無力な餌でしかない僕に向かって、真っ直ぐ襲い掛かってきた――

「――『光矢ルクス・サギタ』っ!」

 白い光が弾けた。目がつぶれそうなほど強烈な、真っ白い光。うわっ、これ、僕もう死んだのかな。即死? 良かった、楽に死ねて。

「うぁああああああっ! 熱っ、熱っち!?」

 生きてる、と実感したのは、肌を焼くような熱風を浴びて、無様に叫んで転げまわってからだった。

「大丈夫! 貴方たち、まだ生きている!」

「コイツが鎧熊というヤツか。大物だな」

「うわっ、この熊さん、なんだかすっごい硬そうだよー」

「み、みんな、頑張ってぇ!」

 ワイワイと女の子の声が聞こえてくる。流石に、これを天国で遊ぶ天使たちの声だと錯覚するほど、僕は馬鹿じゃない。まだ生きてる。だから僕は、まだこの地獄のダンジョンに居続けることができる。

「助けて! 僕らにはもう、戦力がない!」

 安らかな死に対する未練なんて、これっぽっちもありはしない。喜び。まだ生きていることに対する圧倒的な歓喜が、僕の意思を生存へと導く。さっきまで自爆しようとしていたことが、もう信じられないくらい、死にたくない。

 どんなに無様でも、苦しくても、やっぱり、生きていたいんだ。

「ガウっ! ゴアアアっ!」

 鎧熊は部屋に現れた新たな人間たちを前に、鋭い威嚇の声を上げたが……自身の不利を悟ったのか、身を翻して、元来た通路へと引っ込んで行った。

「はぁ……はぁ……や、やった……助かった」

 気絶しそうなほどの安堵感の中で、僕は本物の天使の笑顔を見た。

「良かった、無事なようですね、桃川君」

 そう言って微笑む蒼真桜は、ただひたすらに、美しかった。ああ、こんな風に笑いかけられたら、そりゃあ一目惚れもする。

 でも、今の僕はただ生き残ったことの喜びだけで胸がイッパイで、特に恋愛感情を抱いたりピュアな思いでときめいたりもしなかった。ほら、僕はやっぱり、おっぱいがいっぱいじゃないと無理だから。

 そんな失礼な感想を抱きつつも、僕はこうして、蒼真桜と、彼女の仲間達と出会った。

第47話 蒼真ハーレム

「そう、ですか……平野君と西山さんが……」

 蒼真桜とその仲間達により、無事に救助された僕とメイちゃんは、やっぱりすぐ先にあった妖精広場へと移動し、そこでお互いの事情説明をすることにした。

 とりあえず、出来る限りの治療を施したメイちゃんは、命に別状はなさそうだけど、まだぐっすりと眠っている。説明が二度手間になりそうだから、まずは僕の方から話をしていた。

「二つ首のオルトロスか。私達がいれば、犠牲を出さずに勝てたものを……」

「しょうがないよ、明日那ちゃん。だって、みんなバラバラになってるんだもん」

 新たに知った犠牲者の存在に、悔しそうに顔をしかめるのは、サムライガールな剣崎明日那と、あざといロリ巨乳の小鳥遊小鳥だ。

 いつもの高校生活の中では、こんな美少女達と面と向かってお話することなんて絶対にありえなかっただろう。彼女達はただ綺麗だとか可愛い、というよりも、何かこう、やっぱり凡人とは違うオーラみたいな、雰囲気が漂う。ちょっと前の僕だったら、頭が真っ白になってロクに受け答えできなかったに違いない。

「それで、あそこまでメイちゃんと二人だけで何とか進んできて……後は、見ての通りだよ」

 ざっとダンジョン攻略だけに絞って話せば、僕が語れることはあまり多くない。少なくとも、蒼真さんにとって気になるべき点といえば、樋口と行動を共にしていた、幼馴染の親友であるレイナ・A・綾瀬のことと、犠牲になったクラスメイトのことくらいだろう。これまで僕が確認したクラスメイトの死亡は、高島君、伊藤君、そして平野君と西山さん。それと、最初の頃に見かけた、ゴーマに食われていた女子。顔も見えなかったから、今でも彼女がクラスメイトの誰であったのか、皆目見当はつかない。それにしても、気づけばもう五人も死んでいるのか。

「助けが間に合って、良かったです」

「本当にありがとう……流石に、鎧熊が二体も現れたら、どうにもならなかったから」

「しかし、一体だけでもよく倒せたものだ。見たところ、大した武器も持っていないようだし、双葉さんはよほど強力な天職を授かっているのか?」

「っていうか、この人、本当に双葉さんなの?」

 小鳥遊さんの疑問はもっともだ。今のメイちゃんと、かつてのメイちゃんを見比べて、一発で同一人物と認定するのは親でも無理だろう。

 静かな寝息を立てて横たわるメイちゃんは、白雪姫でも眠り姫でも演じられるほどの美少女ぶりとなっている。うーん、やっぱり、さらに痩せたような気がする。

『試薬X』を服用した影響か、彼女の肉はさらに落ち、というより引き締まり、今ではもう、あの丸い顔と体が想像できないほど、しなやかなボディラインを描いている。でもバストとヒップは変わらず圧倒的な質量をもって存在し続けているし、正に奇跡の肉体だ。

 そのくせ、急激なダイエットで起こると言う皮のたるみ、なんてのも全く見当たらない。綺麗な体でいるのは、恐らく『恵体』の恩恵だろう。実は美容健康の面でいけば、これって凄いチートスキルなんじゃないだろうか。

「桃川君、双葉さんはまだ起きないようですし、先に私達のことを話してもいいでしょうか」

「うん、いいよ、僕も気になってたから」

 まぁ、最も気にするべき点は他にあるんだけど……多分、それがあるから先に僕に話を通しておきたいという思惑も、もしかしたらあるのかもしれない。何にせよ、まずは情報がないと判断のしようもない。まずは聞くだけ聞いてみよう。

「私達もこの異世界に飛ばされてから、すぐに『天職』を授かり、ダンジョンを進んできました――」

 しかし、蒼真さんのダンジョン攻略は、僕の無様な戦いぶりとは一線を画す、正しくRPGをプレイしているかの如き順調さであった。それもそうだろう、なにしろ、スタートした直後に、すぐ兄貴である蒼真悠斗と出会ったのだから。

「『勇者』……ホントに、そんな天職があるんだ」

「はい、私は『聖女』ですし、明日那は『双剣士』なので、特殊な天職は他にもあるのでしょう」

 あからさまに特別待遇な天職名に、僕は軽くめまいを覚える。これが格差社会か。どうやら異世界にきても、僕のような凡人と蒼真兄妹みたいな天才とでは、如何ともしがたい差があるということだ。

「けれど、兄さんの『勇者』はさらに特別だと思います」

「ああ、悔しいが、蒼真の力は圧倒的だった。蒼真でなければ、あのケルベロスに犠牲なしで勝利することはできなかっただろう」

「蒼真くんは凄いんだよ、一人でケルベロスを倒しちゃったんだから!」

 ケルベロスか……完璧に僕らが必死こいて倒したオルトロスの上位種だ。どうやらサイズもオルトロスよりも遥かに巨大だし、おまけに容赦なく火炎放射をぶっ放してくるというのだから、その戦闘力には雲泥の差がある。まず間違いなく、鎧熊よりも強い魔物だろう。

 そんな文字通りの化け物を、たった一人で斬り伏せて倒すとは、なるほど、冗談でも皮肉でもなく、蒼真悠斗は確かに『勇者』の名に恥じない活躍ぶりだ。

「それじゃあ、どうして今は蒼真君がいないの?」

 蒼真さん達が、この妖精広場へやってきたのは、ボス部屋のケルベロスを倒した後に、例の転移で飛ばされたのだという。ボスは無事に倒したのだから、蒼真悠斗が一緒にいないのはおかしい。

「それは……転移の直前に、妨害が入ったんです」

「えっ、妨害? ボスを倒した直後でも、部屋に魔物が出たりするの?」

「いいや、魔物ではなく、人だ」

 暗い表情で俯く蒼真さんと、いらだたしげに細い眉をしかめる剣崎さん。

「まさか」

「ああ、同じクラスメイトの男子達だ――」



 ケルベロスのコアを使い、転移が発動しかけたその時、突如として三人の男子がボス部屋へと現れた。上田と中井と下川、通称で上中下トリオと呼ばれ、あの樋口の取り巻きポジションといった奴らだ。樋口ほどヤンキーしてないが、それでも真面目ってほどでもない。髪を染める勇気はないが、ワックスでツンツン頭にはする、進学校にありがちな中途半端な不良生徒である。

「よっしゃあ、今だ、やれ!」

「おうよっ――『水流鞭アクア・バインド』っ!」

 そんな三人組の一人、下川は手にした青い色の杖を掲げるや、その先端から細長く伸びる水の鞭を繰り出した。獲物に襲い掛かる蛇のように、素早く蛇行しながら空中を飛び、転移の魔法陣に立っていた小鳥遊さんの体へと巻きつく。

「小鳥遊さん!」

「小鳥っ!」

 蒼真君と剣崎さんが真っ先に反応するが、手を伸ばすよりも前に、小鳥遊さんの体は水の鞭によって攫われていった。

「しゃあっ! 小鳥ちゃんゲットだぜーっ!」

「おい、何で桜ちゃんじゃねーんだよ!」

「剣崎を狙えよ!」

「うるせー、一人しか無理なんだから、俺の趣味でいいだろが!」

 そんなやり取りをギャアギャアとやかましく言い合いながら、小鳥遊さんは成す術もなく、三人に捕まってしまったという。



「アイツらの目は、汚らわしい欲望で濁り切っていた。小鳥に何をしようとしていたか、考えたくもない」

「うぅ、怖かったよぅ……」

 小さな体を震わせて、剣崎さんにすがりつく小鳥遊さん。

「きっと、この異常な状況が、彼らを狂わせてしまったのだと思います」

「まぁ、天職っていう力もあるしね」

 命がけのダンジョン攻略を男三人でやってきて、クラスメイトを見つけたら、蒼真ハーレムだったんだから……まぁ、襲いたくなる気持ちも、分からないでもない。もっとも、そんな安易な行動に走るとは、度し難いほどにバカなのか、それともゴーマのクスリでも決めていたのか。僕だったら、絶対にあの蒼真悠斗の怒りを買うような真似だけはしないね。

「それじゃあ、蒼真君がいないのは、小鳥遊さんを助けて、転移し損ねたから?」

「ええ、その通りです。兄さんは、何とか小鳥だけは助けて、魔法陣まで戻したのですけれど……」

 自分も戻ろうとした時に、獲物を逃したくない三人組と競り合いになり、結局、そのまま転移の発動に間に合わず、蒼真君だけ置き去りにして、ここまで飛ばされてしまったのだという。

「ごめんね……小鳥がトロかったから、捕まっちゃって……」

「もう気にするな、小鳥、仕方のないことだったんだ」

「それに、兄さんならきっと、一人でも大丈夫ですから」

 蒼真君は単独でケルベロスを撃破できるほどの能力を持つ。ならば、一人でもダンジョン攻略は進められるだろう。まして、上中下トリオに負ける姿など想像もつかない。

 それに、ボス部屋の魔法陣で転移しなくても、他にもルートがある。オルトロスのエリアは、どう見ても一本道の行き止まりだったから転移する以外に脱出方法なんてなかったけど、ケルベロスのエリアは、魔法陣のコンパスが示さないだけで、幾らでも迂回路があったという。

 恐らく、三人組も蒼真パーティとは別のルートを辿って、ボス部屋まで辿り着いたに違いない。

「とりあえず、蒼真君ともう一度合流することを目標にして、先に進むという方針でいいのかな?」

「そうですね、私達には、進む以外の道はないですから」

 蒼真さんは力強く頷く。兄貴のことは心配で仕方ないだろうが、流石に僕みたいな相手を前に、泣き言を言わないだけの理性は残っているようだ。まぁ、取り乱されても困るんだけど。

「一応、確認しておきたいんだけど……僕らも同行させてもらっていい、んだよね?」

「勿論です。一人でも多くのクラスメイトと合流して、みんなで一致団結してこのダンジョンからの脱出を目指します」

「それなら良かった、ありがとう」

 とりあえず協力する姿勢を見せていれば一安心だ。蒼真君がいなくても、話に聞く限りで、このメンバーの能力は相当なものだ。少なくとも、あの鎧熊が不利と見て退散していくくらいだし。

『聖女』の蒼真さんは光の魔法で攻撃も防御もできる上に、貴重な回復魔法まで使える。『双剣士』の剣崎さんは純粋に強力な前衛だ。『賢者』の小鳥遊さんは、戦闘力こそ皆無だが、装備を強化できるというだけで破格の能力だろう。彼女達が装備している武器は、一見して僕らが使っていたモノとは格が違う。

 充実した装備があれば、メイちゃんだって鎧熊を相手に引けはとらなかっただろう。

「しかし桜、先の一件のように、私達に対して協力的ではない者もいるということが、すでに明らかだぞ」

 剣崎さんの鋭い視線が、僕に突き刺さる。うわ、これって、もしかしなくても……疑われてるよね。

「……えっと、僕は男だけど、弱い天職だから、何かしようと思っても、何もできないから」

「だが、小鳥なら襲えないこともないだろう」

「ひえっ!」

 忌まわしい記憶を思い出したのか、またしても剣崎さんにすがりつく小鳥遊さん。けど、そんな怯えた目で僕のことを見るのは止めて欲しい。

 だが、僕がその気になれば小鳥遊さん一人だけなら、どうにでもできる、というのは事実でもある。そもそも天職なんかなくたって、いくら貧弱チビな僕でも、自分より小さく華奢な女の子を相手にしてパワー負けすることなんてありえない。まして、今なら『黒髪縛り』もあるのだから、下川のように彼女を拘束することも簡単にできる。

「ちょ、ちょっと待って、僕は本当に、そんな気はないから。僕もみんなと同じように、ただ元の世界に帰りたいだけなんだ。そのためなら、何でも協力する」

「明日那、流石に少し、疑いすぎですよ」

「すまない。だが、あんなことがあったのだ、常に最悪の状況は想定すべきだろう。何より、私はあの時、小鳥を蒼真だけに任せきりになってしまった……今度こそ私は、小鳥を守ってやりたいんだ」

「明日那ちゃん……ありがとう」

 麗しき友情である。だが、それのせいであらぬ疑いをかけられるのも、堪ったもんじゃない。この面子を敵に回したら、僕は瞬殺だ。

「まぁ、僕は元々、蒼真さんや剣崎さんと仲が良かったわけじゃないから、いきなり信用はできないのは分かるよ。今は男というだけで疑われるのもしょうがないけど、ちゃんと協力はするから、えっと、長い目で見て欲しいというか……」

「そうですね、お互いに疑心暗鬼になってしまうこともありますが、共に苦難を乗り越えていけば、きっと信頼できるようになるでしょう」

 お互いに、か。そっちは気に入らなければ力づくで排除できるけど、僕にはそれがない。ご機嫌伺いをしなければいけないのは僕だけ。正直、精神的にツラい、何ともストレスの溜まる関係性だが……仕方ない。最弱の名をほしいままにする天職『呪術師』の運命だと割り切ろう。

「それで、桃川君には、一つお願いがあるのですけど」

「うん、なに?」

 問い返しはするが、そのお願いに心当たりは十分すぎるほどあった。それは――

「んっ……」

「あっ、メイちゃん!? 起きたの!」

 僕のすぐ後ろで、妖精広場の柔らかい芝生の上で横たわる彼女が小さく声を漏らしたのを確かに聞いた。見れば、ぼんやりとだが、メイちゃんは目を開く。

「……小太郎くん、良かった、無事だったんだね」

「うん! メイちゃんが鎧熊を倒してくれたから」

 優しく微笑むメイちゃんの顔は、正に女神の如し。僕はあまりのありがたさに、涙目で拝んでしまうくらいだ。本当にありがとう、メイちゃん。

「良かった、本当に、良かったよ……私、ちゃんと小太郎くんを守れて」

「ごめん、メイちゃんには無理ばかりさせちゃった。僕はまた、大した活躍はできなくて」

「ううん、いいの、気にしないで。戦うのは私の役目だから……それより、小太郎くん」

 まだちょっと疲労が残っているのだろう。メイちゃんは体を重そうにして、ゆっくりと、上体を起こした。

 けれど、彼女は疲れなど感じさせない、鋭い眼光でもって、僕を、いや、僕の後ろにいる人物を睨んだ。

「――どうして、その二人がいるの?」

 僕らを助けてくれた蒼真さんのパーティには、あと二人、メンバーがいる。我が二年七組が誇るクラス委員長、如月涼子。白嶺学園陸上部のエース、夏川美波。

 そう、以前にメイちゃんを見殺しにした、元パーティメンバーである。

「お、落ち着いて聞いて欲しいんだけど、えっと、あの二人は、今は味方で――」

 要するに、蒼真さんが僕に頼もうとしていたのは、委員長と夏川さんの二人について、メイちゃんへ恨まないよう、ぶっちゃけて言うといきなり殺しにかかったりしないよう、説得して欲しいってことだ。

 勿論、そんなことは頼まれなくたって、承知している。二人が双葉さんを見捨てた是非については置いておくとしても、今この場で、協力できる仲間を失うのはどう考えてもデメリットしかない。この先、安全にダンジョン攻略を進めるなら、『氷魔術士』の委員長と『盗賊』の夏川さんは重要な戦力となる。

 メイちゃんに恨みがないはずない、けど、今はひとまず、抑えてもらわないと――

「ごめんなさい、双葉さん。あの時は、ああするしかなかった……なんて、言い訳をするつもりはないわ。私は貴女を見捨てたことを、心の底から悔いているの」

「ごめんね、本当に、ごめんね……助けて、あげられなくて……」

 先手必勝、というほど打算に満ちた対応ではないだろう。委員長も夏川さんも、沈痛な面持ちで、誠心誠意、謝罪をしているように見える。二人だって、マトモな倫理と正義感とを持っている。クラスメイトを見捨てたことを、仕方なかった、お前が悪い、と割り切って正当化できるほど、図太い神経はしていないはず。きっと、それなりに悩んではいたはずだ。

 しかし、だからといって被害を受けた張本人が、そう簡単に許せるはずもない。

「メイちゃん、とりあえず、今は抑えて欲しい。言いたいことは色々ある、と思うけど……」

「ううん、いいの、大丈夫だから、小太郎くん」

 何かを悟ったように、メイちゃんは表情を緩めた。

「委員長も夏川さんも、あの時のことは、もういいの。見捨てるしかなかったっていうのは、私、ちゃんと理解も納得もしているから」

「でも、私達はっ――」

「本当にいいの。怨むどころか、私はむしろ感謝しているくらい。だって、あそこで見捨てられたから、私は……ふふっ、小太郎くんと出会えたんだもん」

 背筋がゾっとするような、微笑みだった。なんだ、この妙な迫力は。今や間違いなく美少女のはずのメイちゃんだけど、こう、何というか、美しいからこそ凄味を感じさせてならない。

「小太郎くんに助けてもらって、それから、凄く迷惑もかけて……それで、私はようやく、強くなれたの。もう、役立たずの豚なんかじゃない。私は、小太郎くんを守る――騎士、になれたから」

「そ、そう……そう言ってもらえると、助かるわ。でも、双葉さんが許してくれたからと言っても、私はやっぱり自分で自分が許せないの。だから、せめて少しくらいは、罪滅ぼしをさせてちょうだい」

「わ、私もっ! 今度は絶対、力になるから!」

 あ、メイちゃん今『狂戦士』のこと誤魔化したな。あえて騎士を名乗ったのは、まぁ、そういうことなんだろう。

 とりあえず、蒼真さん達のことをまだ頭から信用するわけにもいかないから、平野君と組んだ時と同じように、ある程度の隠し事はさせてもらおう。

「それにしても、無事に仲直りというか、和解ができて良かったよ。ここでメイちゃんに暴れられたら、流石に困ったし」

「もう、私だってそれくらい、ちゃんと考えてるんだから!」

 あはは、といつもみたいに笑い合うと、緊張しっぱなしだった委員長と夏川さんも、ようやく顔を綻ばせた。

 さて、これで一応のメンバー間での問題は解決となった。あくまで、表向きは、だが。あとは実際にこの面子で、どこまで戦えるか……不安だが、まずはやるだけやってみるしかない。

第48話 充実の装備(1)

 僕らはひとまず、攻略を進めるよりも、装備を整え直すことを目的として行動し始めた。

「ここから先のエリアは大きく二つに分かれています」

「片方は魔法陣が示す、奥へ続くルート。もう片方は外の森へ続くルートになっているわ。森ルートの方には、兵士のスケルトンと、それらの装備を奪ったと思われるゴーマ、両方が出没するエリアになっているの。ひとまず、こっちで素材を調達すれば、ある程度の装備は整えられるわね」

 このエリアに飛ばされてから、蒼真さん達は多少の探索はしていたようだ。もし、一回目の探索で装備を整え終わっていれば、早々に出発して、僕らのピンチに駆けつけることはなかっただろう。

「森に繋がっているから、鎧熊がこっちに来たりもするんだね」

「あの熊と戦ったのは蒼真だけだが、今の私達なら倒せるだろう」

 充実した前衛戦力に、攻撃魔法の援護もアリとくれば、流石の鎧熊も分が悪いか。剣崎さんの物言いも、あながち過信というわけではないだろう。事実、鎧熊はすぐに退いたし。

「では、もう少し休んでから出発しましょう。双葉さんも、まだ目覚めたばかりですし」

「ううん、私は別に大丈夫だから。今すぐでも行けるよ」

 歴戦の傭兵みたいなカッコいいことを言いながら、栄養補給のために妖精胡桃をボリボリとワイルドに食べるメイちゃん。何という男らしさ、正に狂戦士に相応しい風格だ。

「双葉さん、あまり無理しないでもいいのよ」

「本当に、大丈夫だから。ほら、腕の傷ももう治ってるし」

 うわ、ホントに完治してるよ。メイちゃんが見せつけるように掲げた両腕は、制服の袖こそズタボロだけれど、その下には傷痕どころか、シミ一つない綺麗な玉のお肌があった。

「蒼真さんが回復する魔法、使ってくれたんでしょ? 凄い効果だね、ありがとう」

「え、ええ……でも、私の『癒しの輝きヒーリングライト』は万能ではないですから、あまり過信はしないでください。というより双葉さんが、特別に治りが速いんですよ」

「うん、そうかもね。私、それっぽいスキルあるみたいだし」

 あの蒼真桜に対して飄々と受け答えするメイちゃんは、何というか、もう最初から彼女達と対等の関係性であったかのようだ。この揃いも揃って、二年七組が誇る美少女ばかり集まったメンバーの中でも、全く見劣りしない美貌を手に入れたメイちゃんは、どこか堂々としているように見える。

 ちょっと遠い世界の住人になってしまったみたい。正直、こんな美少女六人で男は僕一人だけというハーレム状態だけど、全く喜べない。肩身が狭すぎる。この面子の中で堂々としていられるのなんて、蒼真悠斗か天道龍一の二人くらいだ。あとの男子は、僕のように気まずい思いで縮こまっているか、馬鹿みたいに浮かれるかのどちらかだろう。

「あ、そうそう、夏川さん、私の包丁って、まだ持ってる?」

「へえっ!?」

 可哀想なくらい、ビクンとする夏川さん。優しく微笑むメイちゃんを前に、彼女はすでに涙目だ。うん、明らかに恐れられている。

「良かったら、返してもらえるかな? さっきの戦いでほとんど武器を失くしちゃったの」

「ひゃい! すぐに返しましゅ!」

 ひー、と涙を堪えながら、夏川さんはガチャガチャと腰に提げた一振りの短剣を外して、メイちゃんへと差し出した。小柄な夏川さんの前に、クラスの女子で最もデカいメイちゃんが立ちはだかると、凄まじい威圧感。その身長差はまるで子供と大人。並ぶと胸の差も圧倒的だ。

「ありがとう」

 朗らかな笑顔で包丁を受け取ったメイちゃんは、不良のカツアゲという次元を超えて、財産を差し押さえたヤクザみたいな風格であった。

 さて、無事に持ち主へと返還されたこの包丁だけど……


『人斬り包丁』:調理用ではなく、より殺人に特化した、血に飢えた包丁。


 さて、この不吉な名前と説明文の『人斬り包丁』を手にしたワケだが、小鳥遊さんの錬成によって強化された武器の威力を、僕はすぐに目の当たりにすることとなった。

「やったよ小太郎くん、ほら見て、この槍、全然錆びてないよ!」

 僕が使っても、レムに持たせても、とても有効そうな綺麗な状態の鉄の槍を片手に、メイちゃんが喜び勇んで駆け寄ってくる。

 彼女の後ろには、鉄の鎧兜で武装したスケルトンソルジャーが、その防具ごと固い骨を一刀両断された状態で、折り重なるように倒れていた。これらは全て、メイちゃんの振るう『人斬り包丁』によるものだ。

 一度、鞘から抜き放てば、ギラつく刀身に、薄らと赤いオーラが立ち上る。『試薬X』を使った時のメイちゃんと同じ、あの禍々しいオーラである。もう、その見た目だけでただならぬ威力を思わせるが、実際に振るえば、この通り。

 今の彼女の武装は、右手に平野君の長剣、左手に『人斬り包丁』という二刀流。リーチが長い長剣はメインで使うが、切れ味に優れる包丁も積極的に使いたいということで、二刀流に落ち着いた。『狂戦士』のメイちゃんの膂力はすでに人間離れしつつあるから、重い鉄の剣でも軽々と片手で振り回せるのだ。

「それにしても、双葉さん、本当に強くなったわね……まるで別人みたい」

 僕に槍をプレゼントしてから、また張り切って前衛へと戻っていくメイちゃんの逞しい背中を見て、委員長が心中複雑そうな表情で言う。

「まぁ、色々あったから。それにメイちゃんは騎士の天職なんだし、本人にその気があれば、強い力は得られるよ」

「でも、そのキッカケを桃川君が与えた。あんなに臆病だった彼女を、勇敢な騎士に変えるなんて、一体、どんな魔法を使ったのかしら」

「あはは、僕は別に、何もしてないよ……ただ、一緒になって必死で戦っている内に、吹っ切れただけ、だと思う」

 乾いた笑いで適当に誤魔化す。メイちゃんを変えたのは素敵な魔法なんかじゃなくて、理性をブッ飛ばす麻薬クスリだったんだから。とてもじゃないけど、馬鹿正直に語れない。

「もう少し先まで進んでみるか?」

「ええ、そうですね。行きましょう」

 剣崎さんの呼びかけに蒼真さんが答えて、僕らは相変わらずの石の通路を進む。

 これでもう何度目かの戦闘になるけど、すでに彼女達の凡その能力は把握できている。

 前衛は『双剣士』の剣崎さんと『盗賊』の夏川さん。後衛は『聖女』の蒼真さんと『氷魔術士』の委員長。同時に、護衛対象となる『賢者』の小鳥遊さんがいる。そして新たに加わった『狂戦士』のメイちゃんは前衛に、『呪術師』の僕は後衛へと配置。今までにないほど充実したメンバーだ。なるほど、これなら確かに、雑魚モンスターなんて軽く蹴散らして、ゲーム気分でダンジョン攻略もできるというもの。

「あのさ、蒼真さんから見て、勇者の蒼真君と双剣士の剣崎さん、二人にはどれくらいの実力差があるか、分かる?」

「えっ、兄さんと明日那、ですか? そうですね……二人には、それほど大きな力の差はないと思います。ただ、勇者には何か、特別な力のようなものがあると感じます」

「ケルベロスを倒した時、みたいな?」

「ええ、どんな危機に陥っても、逆転できる。そんな、底知れない強さがあるのです」

「でも、それがなければ、基本的には剣崎さんと同じくらいなんだ」

「そうですね。二人とも、幼いころから剣の鍛錬は積んでいますし、天職の能力も似たようなものですから」

 うわ、凄いよ僕、あの蒼真桜と普通に会話しているよ。サラっと話を振れた自分にちょっと驚きつつも、得られた情報を冷静に頭の中で分析する。

『勇者』というだけあって、やはり特別な天職なのだろう。正しく『覚醒』とでもいうべきパワーで、土壇場から大逆転できる、というのが蒼真さんの話の肝だ。しかし、そんな謎のパワーでどんなピンチも切り抜けられると、楽観視はできない。とりあえず、蒼真君は剣崎さんと同程度の剣士として見るべきだろう。

「それじゃあ、メイちゃんはどう? 剣崎さんと比べて」

「信じがたいことですが、双葉さんは明日那と同じだけの技量を持っているように見えます」

 蒼真さん曰く、夏川さんは知っての通り陸上部で、決して武術の経験などはない。しかし、盗賊の天職を得て、高い戦闘能力を手に入れた……だが、それでもこれまでの経験というものは大きく、彼女は明確に蒼真君や剣崎さんのような『経験者』には劣るという。考えてみれば、当然の結果でもある。

 天職で超人的な力を手に入れても、相手も同じく天職の能力があるならば、結果的に自力の差というものが出てくる。だがしかし、である。

「双葉さんは、間違いなく何の経験も積んでいない素人、いえ、ごく普通の女の子だったはずです」

「それなのに、剣崎さんに匹敵する能力がある、と」

「彼女の才能なのか、それとも、天職の能力に差があるのか、理由は分かりませんが」

 天職の成長にも個人差ってものがある。あるいは優れた能力を授かったなら、それだけで経験の差も覆せるだろう。

「でも、それを聞いてちょっと安心したよ」

「安心? 何故ですか?」

「だって、剣崎さんも夏川さんも、かなり色んなスキル使って戦ってるよね。メイちゃんはそこまで豊富なスキルがあるわけじゃないから」

「……桃川君には、分かるのですか?」

「そりゃあ、見てれば分かるよ」

 だって二人とも、明らかに空中で二段ジャンプとか決めてるし。あれが素の能力だとは思えない。

「剣崎さんは『一閃スラッシュ』みたいに強力な斬撃を放つ技が二種類。一発のやつと、剣の両方で出すやつ。あと、刺したら衝撃波みたいなのが出る技。とりあえず、さっきまで使ってたのはこの三つだけかな」

「美波の技は、分かりますか?」

「『一閃スラッシュ』が使えるっていうのは、メイちゃんから聞いてたから知ってたよ。でも、今は二回連続で出せるようになったんだね。でも、夏川さんの凄いところは、『疾駆ハイウォーク』で高速移動しながらでも、『見切り』でしっかり回避できてるとこかな。一応、『弾き』も使えるみたいだけど、パワーに不安があるのか、滅多に使わないよね」

「もしかして桃川君、格闘技の観戦が趣味だったりします?」

「ううん、全然」

 そういうの全く興味ないです。僕はどっちかというとアニメや漫画やゲームで、ド派手なエフェクトの必殺技や大魔法が入り乱れるファンタジーバトルの方が好きなんで。格闘技なんて、見ていてもどういう技で、どんな駆け引きで、みたいなの全く分かんないし。

 でも、あえては言うまい。余計なオタクアピールを控える程度には、分別はある。

「そう、ですか……よく、見ているのですね」

「命かかってるからね」

 前衛の働き如何で、僕ら後衛はあっという間にピンチだし。個々人の能力の把握は、大事な事だろう。まぁ、僕みたいな素人が見たところで、分かることなんてたかが知れているけど。

「戻ったら、もう少し詳しく、お互いの能力を知りたいんだけど、いい?」

「ええ、そうですね。それぞれの力を知っておかないと、上手く連携はとれませんから」

 とりあえず、そんな感じで装備集めは順調に終わった。スケルトンとゴーマの集団など、あの前衛三人組の相手じゃないから、僕らの出番はあんまりなかった。それでも、僕の呪術が如何にショボい能力であるかは周知の事実となっただろう。

 慣れてないメンバーだから、下手なところに『腐り沼』を張るわけにもいかないし、レムもまだ作り直してないし。結局、僕にできることといえば、『黒髪縛り』で嫌がらせ程度の妨害だけだった。両隣で光と氷の攻撃魔法をジャンジャンぶっ放す蒼真さんと委員長が羨ましくて仕方ない。

 でも後衛にいて一番気になったのは、小鳥遊さんがいつでも僕を盾にできるような、すぐ後ろに立っていることだ。まぁ、陣形的にしょうがないのは分かるけど……あんな真後ろにいられると、気になって仕方ない。

 そもそも、非戦闘員を連れてくるなよ、と突っ込みたいところだが、妖精広場は魔物の侵入を防げても、ケダモノは入れてしまうのだ。つまり、上中下トリオみたいな性欲を持て余したヤロー共が現れると危ないから、戦闘でも常に一緒に行動しようってこと。

 まぁ、小鳥遊さんは『神聖言語「拒絶の言葉」』というスーパー護身用スキルがあるから、ぶっちゃけ僕よりも安全が保証されていたりする。立ち回り次第では、僕の方がお荷物ってことも十分にありえる。

 さらに彼女には、『魔力解析』という、錬成機能がついていた噴水みたいに、何らかの魔法が宿った物体だけでなく、魔物が放つ魔法なんかも、モノによっては分かるというから、完全に戦闘で役立たずというワケでもないのだ。さりげなく、この『魔力解析』って、『直感薬学』の上位互換な気がしないでもない。魔力があれば、モノでも魔法でも、というのだから、少なくとも汎用性では完敗だ。

 でも、せめて護身用に槍かナイフくらいは持とうよ、とは思う。非力な小鳥遊さんは、自分の鞄にコアを入れて持つくらいだ。まぁ、今のところ僕もほとんど足手まといみなもんだから、そんな注意なんて言える身分ではないけど。

 ともかく、気になる点はありつつも、結果的に収穫は上々だったし、おおよそメンバーの能力や戦い方も把握できた。とても有意義な練習だったといえよう。

 ちなみに、あまりに調子よく進んだので、外の森に繋がる出口まで来てしまったので、折角ということで、ちょっと探してみれば……やったよ、あの美味しい蛇が、三匹もゲットできた。やったねメイちゃん、今夜はご馳走だ。

 まぁ、嬉々として蛇を捕まえては、豪快に皮をぶっちぎって血抜きする僕とメイちゃんを、美少女五人組みはドン引きの目で見ていたけど……ふふん、彼女達も、この肉の味を知れば、必死こいて蛇を探すスネークハンターと化すだろう。

第49話 充実の装備(2)

「……おお、錬成って、やっぱり凄いな」

 小鳥遊さんがみんなで集めた材料を錬成し、完成した装備品の数々を見て、改めて僕は実感した。


『鉄の槍』:一般的な品質の槍。

『鉄の短剣』:一般的な品質の短剣。


 僕に与えられた装備は、前衛組みと比べれば二線級のモノだけど、錆びのないピカピカの刃というだけで十分すぎる。信じられない品質だ。恐らく、錬成は錆びた刃から綺麗に鉄の成分のみを抽出した上で、再び同じ形状の刃に再構築できるのだろう。錆びた短剣を二本か三本つぎ込んで、鉄の短剣が一本できる、というのが彼女の錬成結果である。質の良い部分だけ寄せ集めて、品質の高い一本を作り上げるという理屈はいいけど、じゃあ使わなかった錆びた部分とかはどこにいったのか? という疑問の答えは不明だ。だって、完全に消滅しちゃうから。錬成の後、噴水の中には完成品が一つあるだけで、他には何も残らないのだ。

 しかし、細かいことはどうでもいいだろう。質の良い武器を作り出せる、というだけで十分すぎる。けど、錬成のさらに凄いところは、魔物の素材も混ぜることができる点だ。合成、とでもいうべきか。


『レッドサーベル』:ケルベロスの爪を用いた片刃のサーベル。軽く一振りするだけで、火の粉が舞い散る。


 いわゆる、属性付きの武器である。蒼真君がケルベロスを倒すと、勇者の特殊能力なのか、光の粒子になって吸収されて死体は残らないという。しかし、コアだけは残るという都合の良い分解能力。さらに都合がいいことに、何と錬成で使えそうな部位も残されることがあるという。一応、魔物の中でコア以外で特に魔力の籠った部位、という判別理由らしいが。

 それで、ケルベロスでは牙と爪が残った。

 なにそれ、ゲームのドロップじゃん――というツッコミは、置いておこう。

 ともかく、そうして入手したケルベロスの爪をつぎ込んで、剣崎さんの『ナイトサーベル』を強化した結果がこの『レッドサーベル』である。

「凄いな、これは……本当に炎が出るぞ」

「文字通り、魔法の剣ね」

 クールな剣崎さんと委員長も、振るった刃から勢いよく火炎が迸る様を見て、目を丸くしている。僕なんか「うわっ!」とか声に出ちゃうくらいリアクションしちゃったよ。

 それにしても、こんな材質の向上や属性付きまで出来るとは、正にゲーム感覚で武器を、というより物質を加工できるってことだ。本来、製鉄や金属製品の加工、成型などにかかる設備と知識と手間とその他諸々を考えれば、これら全てを省略できる『錬成』ってのは、生産におけるチート能力といってもいいだろう。

 この魔法の技術は、地球人類が積み重ねてきた工業の歴史を「無駄無駄ぁ!」と嘲笑うかのように全否定するも同然の存在だ。偉大な科学技術をあっさり超えてくる魔法の力を前に、ちょっと複雑な気分だけど、命のかかったこの状況下では、ありがたく利用させてもらう。僕のレムも、似たようなものだしね。なんにしろ、小鳥遊さんのチート生産能力は、僕らが生き残るのに必要不可欠な要素だ。

 そんな僕の期待なんかはさて置いて、彼女はさらにもう一本、火属性付きの武器を作っていた。


『レッドナイフ』:ケルベロスの牙を用いたナイフ。かつての邪教徒は、この刃を生贄に突き刺し、火あぶりにしたという。


「ねぇ、なんでまた私の武器だけ怖い説明文なの!?」

 夏川さんはケルベロスの牙で錬成した新たな火属性ナイフを手に入れ、大喜びだ。赤熱化したように赤い刀身のナイフをブンブンと振り回しては火の粉を散らし、製作者の小鳥遊さんへ感謝の気持ちを送る。

「うわぁーん! 焼き鳥にしてやるぅーっ!」

「だ、だからそれは小鳥のせいじゃないよぉーっ!」

 凄い火力だ。あれならタフな魔物が相手でも通用しそう。是非、メイちゃんにも装備して欲しいところだけど、流石にオルトロスのちっぽけな牙では、ケルベロス級の火属性は引きだせないようだった。


『剛鉄のハルバード』:良質な鋼鉄と魔物の上質な金属甲殻を用いて作られたハルバード。大振りの斧刃が特徴的。

『剛鉄の剣』:良質な鋼鉄と魔物の上質な金属甲殻を用いて作られた剣。通常よりも、刀身は長く、幅も広い。

『鋼鉄の短剣』:良質な鋼鉄を用いて作られた短剣。


 属性こそつかないが、メイちゃんの装備はこれまでとは比べ物にならないほどの高品質なものに更新された。何よりも注目すべき点は、合成素材としてあの鎧熊の甲殻を用いたことだ。

 鎧熊の金属甲殻が合成されることで、『鋼鉄』から『剛鉄』へとグレードアップしているようだ。小鳥遊さん曰く、この『剛鉄』は普通の鉄と比べて重いが、その分だけ硬質。武器そのものも一回り大きな造りになっているので、夏川さんのようなスピード重視のスタイルには不向きだが、メイちゃんくらいのパワーファイターなら、これ以上ないほどうってつけの武器となる。

 ちなみに斧ではなくハルバードなのは、ベースとなるいい感じの大斧が入手できなかったからだ。隊長スケルトンの持つハルバードが、手軽に入手できる武器の中では高品質なので、今回のメインウエポンとして選ばれた。

 ハルバードって槍と斧が合体したような刃の形状で、斬ることも刺すこともできて便利、みたいに見えるけど、汎用性が高い分、扱いもテクニカルになっていると聞いたことがある。でもまぁ、メイちゃんの様子を見ていると、とりあえず武器でさえあれば、狂戦士のスーパーパワーでぶん回すだけで、十分すぎる威力を叩き出せる。使っていれば慣れもするだろうし、その辺はあまり心配していない。

 それと『剛鉄の剣』は、平野君の長剣を強化した結果だ。鋼鉄の短剣の方は予備。まぁ、『人斬り包丁』があるから、出番はないだろうけど。

 さて、こうして各々の装備は整ったわけだけど、僕にはもう一つだけ、やらなければいけないことがある。

「……よし、みんな寝てるな」

 ダンジョンの奥へ向かう正規ルートの攻略は、一旦、睡眠をとってから出発しようということになった。時計を確認すれば、現在時刻は夜中の一時を僅かに回ったところ。各々、十二時前には就寝となったので、今はみんな、夢の世界へと旅立っているはずだ。

 僕は例によって女子と隔離された、噴水を挟んだ反対側が寝床となっている。向こうは五人の美少女が並んで眠る楽園だが、こっちは男の僕一人という孤高のぼっち空間だ。しかし、今はそれでいい。その方が、都合がいい。何故ならば――まぁ、詳しくは語るまい。こういうのは二回目だし。

「広場の外は……流石に危ないから、やめておこう」

 いそいそと、妖精広場の角へ向かう。おあつらえ向きに、いい感じの妖精胡桃の木もあって、噴水側からのブラインドにもなってくれる。

「はぁ……い、いかん、緊張する……」

 ドクン、ドクン、と心臓の鼓動が高鳴る。それでも、最初の時より幾分かマシなのは、もう二回目でちょっとは慣れたからか、それとも、メイちゃんを見ながらするわけではないからか。

「落ち着け……これは必要なこと、レムを蘇らせるために、避けては通れないことなんだ」

 いや、落ち着いたらそれはそれでやりにくいけど。多少は興奮しとかないと。頑張れ僕。

「……はぁ」

 重い溜息と共に、再びレムこと『汚濁の泥人形』を作り出すための、最後の素材の採取に成功。専用の採取道具であるコンドームは、こんなこともあろうかと、綺麗に洗ってとっておいた。色んな意味で使いたくはなかったけど、背に腹は代えられない。まさか、この面子で「誰か持ってない?」と聞くわけにはいかないし。

 正直、こんなに危険な橋を渡るくらいなら、最初からコレは抜きでレムを作ればいいだろう、と思うところだが……どうやら、あのレムの性能はしっかりと『精液』が素材として反映されているからこそ、らしい。

 推定なのは、レムと一緒に戦って、触ったりしたりしている内に、何となくその造りが理解できたからだ。別に、唐突にステータス画面が開かれたり、説明文やらアイコンやらが表示されるゲーム的な演出はなにもない。

 でも、これまでの呪術の感覚からいって、普通は知りえないような事柄が『何となく分かる』というだけで、確信するには十分だってのは、理解している。だから、精液は必要素材だ、と感じた以上は、必要なのだ。素材にも限りがあるから、実際に精液ナシで作って性能が下がるかどうか試すだけの余裕もないし。

 かなり悩んだ。いっそ説明して事前に了解をとるという安全策も考えたけれど、このテの話題を切り出した時点でアウトな気がして、やめた。

 今の僕には、レムの力は必要不可欠だ。メイちゃんだけに頼るわけにはいかない。レムがいなければ、鎧熊を相手に死んでいた。

 そして、これからもダンジョン攻略は続くのだから、またいつレムが身代わりにならなければ即死してしまうような際どい場面が来るか分からない。

 女子にバレるかもしれない、という危険よりも、僕は身の安全が脅かされる恐怖の方を優先した。あの時、レムをちゃんと創っていれば、と後悔して死ぬのは御免だ。

 ともかく、無事に採取は済んだからOKだろう。

 一度完成してしまえば、レムを見て元の素材が何かなんて分かるはずもないし、誰も気にしない。普通に魔物の素材から合成しましたけど何か? で押し通せばいい話。僕は恥ずかしくないし、女子は何も気にならない。ウィンウィンの関係ってヤツだ。

 さて、前回同様、すでに『汚濁の泥人形』の準備は万端。今回はメインフレームに隊長スケルトンの骨を用い、そのコアもつぎ込んでいる。さらに、前はゴアの鱗だったのが、鎧熊の甲殻へと変わっている。素材は質、量、共に上回っている。まず間違いなく、前よりも強力な泥人形レムが作れるだろう。

 おまけに、レムが使うようにしっかり二本目の『鋼鉄の槍』も小鳥遊さんに用意してもらっている。ばっちり武装も強化だ。

「ふふっ……これは楽しみだな」

 明らかな戦力アップを目の間に、僕は思わず笑みを浮かべながら、たっぷり素材が詰まった大人のゴム風船を手に、妖精胡桃の木陰からすっくと立ち上がる――その時だった。

「桃川、お前、そこで何をしている」

 背筋が凍った。

 バレた。見られた。何で、どうして。一瞬にして嫌な思考が次々と湧いて、頭の中は気持ちが悪いほどの大混乱に見舞われる。けれど、そんな頭でも、誰が、という疑問に対しては、即座に解答が得られた。

 僕がゆっくりと振り向いた先には――

「動くなっ!」

「ひいっ!?」

 鬼の形相で僕を睨みつけながら、刀を喉元へつきつける剣崎明日那の姿が、そこにあった。

第50話 亀裂

「質問に答えろ、桃川! お前は、何をしていた!」

「ちょ、ちょっと……待って、待ってよ、刀、降ろして……」

 ギラつく刃を向けられて、気が気じゃない。剣崎さんは憤怒という言葉さえ生ぬるいほど怒り狂っているようで、どんな正論も、些細な一言でも、逆鱗に触れてそのまま刺してきそうなヤバい気配しかしない。いや、このまま黙っていても、怒りのあまりに無意識に手が動いて、そのまま刃が僕の喉を貫きそう。

 唐突に訪れる理不尽な命の危機を前に、僕の頭はとてもじゃないけど冷静ではいられない。

「や、やめて……僕を殺したら、剣崎さんの、命だって……」

「貴様っ! この期に及んで、私を脅そうと言うのか!」

「うわっ、ごめんなさい! で、でも、誤って僕を刺したら、剣崎さんも同じ傷を負うのはホントだから、剣は引いて、お願いだから――」

 刺されてからでは、遅いのだ。『痛み返し』の効果は前にもまして、きちんと説明したってのに、ちくしょうめ、人間、怒れば我を忘れて平気で危険を冒せるってことか。いや、単純に『痛み返し』が目に見える物質的な凶器ではないから、直感的に手出しを躊躇させる効果が望めないんだ。

「ふざけるな、あまり、私を舐めるなよ、桃川――ふんっ!」

「ぐうっ!?」

 剣崎さんは刀を引いた代わりとばかりに、僕の腹へ拳を叩き込んできた。とても女の細腕とは思えない、鉄球でも喰らったみたいに重く、痛烈な打撃。

 無論、屈強な腹筋なんかもたない僕に、その衝撃を耐えられるはずもない。膝から力が抜けたように、その場でガックリと体が崩れ落ちる。

「う、うぐぅ……い、痛い……ひっ、く……痛いぃ……」

 情けない声を漏らしながら、僕は泣いた。腹を突き抜けてくるような鈍痛は、今すぐ死んだ方がマシなんじゃないかってほど苦しい。痛みに堪えるのに必死で、恥も外聞もあったもんじゃない。

 この苦痛と屈辱は、ゴーマにリンチされた時と全く同じだ。二度目だけど、こんなの慣れるはずないだろう。

「ちっ……これが、呪いの力か。まったく、忌々しいものだ」

 ひーふーと苦痛の吐息を漏らしながら、どうにか上体を起こす。見上げると、言葉以上に忌々しげに表情を歪ませる剣崎さんの顔がある。

 間違いなく僕と同じだけの痛みが伝わっているはずなのに、このリアクションの差はなんだ。どうしてこの女は、あんなに思いっきり腹をぶん殴られても平気な顔をしていられる……いや、これもまた、天職の差なのかもしれない。戦闘に優れた『双剣士』の剣崎さんは、恐らく、痛みに対する耐性も高いんだろう。あるいは、幼少の頃から積んできた過酷な剣術修行の成果なのかもしれない。

「はっ、はぁ……はぁ……け、剣崎さん、どうして……こんな、ことを……」

 追撃を喰らっては堪らない。強烈な鈍痛が少しだけ引いたことで、僕はどうにか声を上げる。今の僕には、会話による平和的な解決を目指すより他はないのだ。どんな理不尽な奴が相手でも「よくもやりやがったな、このヤロウ!」と罵倒することは自殺行為に他ならない。

 ああ、本当に『弱い』ってのは、辛いよな。

「どうして、だと……お前こそ、自分が何をしているのか分かっているのか」

 何だよ、分かってるんだったら、最初から聞くなよ。

「ああ、汚らわしい。よくも、私達が寝ている横で、こんなことができたものだな、桃川!」

 ふざけんな、こっちはわざわざ気を遣ってやったから、こんな隅っこの方でしてやったんじゃないか。さも寝こみを襲ったみたいな風に言いやがって。

「蒼真はこんなこと一度もしなかったというのに……これだから、男というものは」

「はぁ……はぁ……剣崎さん、これは、誤解だよ……僕は、どうしても呪術に必要だったから、それで……」

「言い訳するな! 見苦しいぞっ!」

 胸倉を掴まれ、強引に立たせられる――どころか、メイちゃんに次ぐ身長を誇る剣崎さんに掴み上げられて、僕の小さな体は完全に浮く。必死で爪先を伸ばしてみても、地面にかすりもしない。

 ちょっと、首も締まってる。苦しい。

「ごめ……待って、やめて……殴らないで……」

 命乞い同然の台詞を吐きながらも、もう一発くらいは殴られる覚悟を決めた。

「こんなことをして、ただで済むと思って――」

「ちょっと、明日那、どうしたの? 何を騒いでいるのよ」

 その時、噴水の方から声が、この声音と口調は、委員長か。

 名指しでお声がかかったせいか、剣崎さんは僕を一旦、離した。痛い。そのまま落ちて尻もちをついた。

 これで助かった――と、素直に喜ぶべきか、否か。もしかしたら、仲裁に入るどころか、集団リンチにグレードアップかもしれない。

「涼子か、起こして悪かった」

「明日那、私も目が覚めてしまいましたよ」

「うーん、なにー、みんなどうしたの?」

 委員長に続き、蒼真さんと夏川さんも声をあげた。

「問題が起こった。みんな、ちょっと来てくれ――」

「……小太郎くん?」

 メイちゃんも、起きた。あれだけ騒げば、目が覚めない方がおかしい。

 けれど、噴水の向こうから、寝ぼけ眼をこするメイちゃんが、僕の方を見るなり、眼つきが変わった。それは、魔物を屠る、狂戦士の目だ。

「小太郎くん!」

 一瞬の内に、メイちゃんは僕の前に現れた。どんな超スピードだろう、ほとんど走っている最中の姿が、見えなかった。

「あっ、メイちゃん……」

 でも、彼女の大きな体が、僕を庇うように立つのを見て、ああ、ちくしょう、情けないけど、涙が止まらない。やった、これで、命だけは助かった。心の底から、安堵する。

「ちょ、ちょっと、一体どうしたっていうのよ、これは」

 僕と剣崎さんと、そして超高速で助けに来てくれたメイちゃん。何とも剣呑な気配のする空間へ、流石に異常を察知して、委員長達は足早にこちらへ駆け寄ってきた。小鳥遊さんの姿が見えないのは、彼女だけぐっすり寝ているのか。

「桃川、今度こそ自分で説明しろ。あんなおぞましい行為を、女の私に語らせるな」

 オナニーしてました、って男でも堂々と言うには憚られるに決まってるだろ。それも、揃いも揃って二年七組を代表する美少女達を前に、そんなことをカムアウトしろってのかよ。いや、別に美少女じゃなくても、クラスメイトの女の子相手に言うなんて、精神的な拷問に等しい。

「……僕は、ここでオナニーした」

 でも、言った。言わないと、この場はどうにもならないから。

「え、ええっ!? ちょっと、それって……」

「嘘、ですよね……」

「に、にはは……」

 羞恥心だけで死ねるかも。本気で驚いた、といった表情の委員長。吐き気がするほど汚らわしいモノを見たような蒼真さんの顔。夏川さんの完全に引きつった苦笑い。メイちゃんの表情だけは、僕は恐ろしくて確認できなかった。

「で、でも、僕は決して、やましい気持ちでしたわけじゃないんだ。どうしても、呪術の発動に必要なことだったから……けど、人には絶対に見せられないから、バレないように、するつもりで……」

「桃川、お前はまたそんな言い逃れを――」

「やめてよ、剣崎さん。小太郎くん、怖がってるでしょ」

 今にも拳を繰り出してきそうな剣崎さんの前に、メイちゃんが堂々と立ち塞がる。僕を庇う彼女の背中は、あまりに大きく、逞しい。

「それじゃあ、そういうことだから、みんなはもう戻って」

 もう何も問題はない、とでも言うように、メイちゃんがこともなげに言い放つ。勿論、それで「なるほど、そういうことだったのかー」とみんな納得して解散、となるはずもない。

「双葉、お前まさか、桃川を庇うつもりか」

「庇うも何もないよ。小太郎くんが何か悪いことした?」

 メイちゃんの物言いは、僕の言い分を頭から信じ切ったようなものであった。悪意など一切ない、やって当たり前のことをしただけ。クラスメイトの女子が眠っている同じ部屋で、自慰行為をするという罪悪感さえも無視するような、言い方だ。

「桃川が何をしたのか、聞いただろう。コイツはずっと私達をいやらしい目で見ていたということだぞ。しかも、それを呪術のためとかなんとか、言い逃れまでする始末。許せるはずがないだろう」

 剣崎さんの言い分を、僕は全て認めることなどできないが……それでも、女性としては正しい反応だろうと、半分くらいは認められる。刀を突き付けて脅し、思い切り腹パン喰らわせるほど怒り狂うのは流石に理不尽が過ぎるとは思うが、それでも、野郎が同じ部屋でシコってましたと聞かされれば、不快感を覚えるのは当然だろう。生理的に無理ってやつだ。

「私は、その、いい気はしないけど……」

「に、にはは、私はそういうの、ちょっとよく分かんない、かも……」

 委員長と夏川さんは、「気持ち悪いんだよ、このオナニー野郎」とストレートに不快感を表しはしないものの、明らかに誤魔化すような曖昧な物言いである。二人が意識しているのは、僕に対する配慮じゃなくて、全てメイちゃんに対するものだ。二人には彼女に引け目がある。だから、強く言えないんだ。

「双葉さん、たとえ桃川君の言い分が本当だったとしても、私はよくないことをしたと思います。彼の行いは、男性として、明らかにデリカシーを欠いたものです」

 しかし蒼真さんは、二人と違って毅然と言い放った。女性にこう言われてしまったら、世の男は何を言っても言い訳にしかならない、伝家の宝刀だ。配慮がない、デリカシーがない。女性にとってそれは、男を非難するのに十分すぎるほどの理由となる。

「デリカシー? ねぇ、蒼真さん、本気でそんなくだらない理由で、小太郎くんを責めてるの?」

 今はつまんねー冗談を言ってる場合じゃねぇんだぞ分かってのかコラぁ! という心の声まで聞こえそうなほど、メイちゃんの言葉には静かな怒気が混じっている。

「とても大事な理由です。いいですか、今は貴女も含めて、私達女子が六人。そして、男子は桃川君一人だけです。たとえ一人だけでも男子がいる以上は、きちんと理性的な行動をしてもらわなければ、チームの不和を招きます」

「それって要するに、小太郎くん一人だけに我慢を強いるってことでしょ?」

「今は一人というだけで、この先、他の男子が仲間に加わっても、それは同じことです」

「同じでしょ、自分達は我慢したくないって、素直に言ったらどうなの」

「無茶を押し付けているとは思いません。少なくとも、兄さんは私達と何の問題もなくやってこれたのですから。そもそも、このような状況下で女子と男子、両者が行動を共にしなければいけない以上、明確な規律は必要でしょう」

「その規律を決めるのは、貴女ってわけ、蒼真さん」

「いいえ、私ではなく、私達です」

 多数決の原理。それは、僕ら日本人にとっては錦の御旗に等しい。

 僕の行動が罪であるか否か。そんなのは、わざわざ匿名投票で採決するまでもない。僕を庇おうとしてくれるのは、六人の女子の内、メイちゃんただ一人。過半数など、夢のまた夢である。

「双葉、どうしてそこまで、桃川を庇い立てする」

「そっちこそ、どうして……どうして小太郎くんの邪魔をするの」

「こんなことを平気で仕出かしたんだ。これまで一緒だった双葉こそ、コイツに何をされたか分かったものじゃないぞ」

 グサリ、と心に罪悪感の矢が刺さる。レムを創り出したあの日の夜、僕が見抜きした罪は重い。触ってないからセーフ、とか言い出したら、僕は今度こそ剣崎さんに刺されるだろう。

「双葉さん、貴女と桃川君の関係について詳しく聞き出したりはしません。けれど、たとえ将来を誓い合った仲であったとしても、今の状況下で性的なことの一切を許すわけにはいきません」

「ふん、自分が蒼真君に手を出してもらえないからって、ひがんでいるの?」

「に、兄さんのことは関係ありませんっ!」

 突如として声を荒げる蒼真桜。す、凄い迫力だ。前々から、兄貴である蒼真君に対しては、そこらのバカップルでも太刀打ちできないほど甘い雰囲気を漂わせていたけど……まさか、これほどとは。冗談でも何でもなく、蒼真桜は実の兄を、愛しているんだろう。

「ちょっと、桜、落ち着いて……お願いだから、双葉さんも、あまり煽るようなことは言わないでもらえるかしら」

「そう、悪かったわね。貴女の気持ち、わからないでもないから。馬鹿にする気はないの」

 委員長の絶妙なアシスト。メイちゃんも、ここで引いてくれて助かった。

「いえ、私も……少し、取り乱してしまいました……」

 今のは少しってレベルじゃないだろう。蒼真桜ファンクラブ会員が見たら、卒倒するんじゃないかってくらいの迫力だった。

「ともかく、男女が共にいる以上、一定の秩序が必要だということは、双葉さんも反対はしないでしょう?」

「そうね」

「桃川君のことは、今回は、全員が明確なルールを周知していなかったということで、不問ということにしましょう。幸い、誰かに手を出されたというワケでもないもの」

 出すわけないだろ、この面子の女子に。命が幾つあっても足りない。でも、改めてそう言ってくれた委員長には、感謝する。

「たった一発で不問とは、寛大な処置に感謝するんだな、桃川」

「剣崎さん、一発って……もしかして、小太郎くんのこと、殴ったの?」

 ヤバい。僕はこの時、メイちゃんの震える両肩から、薄らと例の赤いオーラが滲み出るのを見た。

「呪うぞ、などと脅しをかけてきたからな。腹に一発くれてやった。軽く小突いてやっただけなのに、大袈裟に痛がっていたぞ。男のくせに、情けない奴だ」

「……殺す」

 メイちゃんの拳が握られ、オーラが渦巻き始めていた。思い出すのは、胸の装甲をぶち抜かれて即死した鎧熊の姿。そうだ、彼女は素手でも、人を殺せるだけの力を持つ。

「ダメだっ! メイちゃん!」

 僕はアメフト選手になりきったように、思い切りメイちゃんの腰にタックルを決める。だが、近所の神社にある樹齢ウン百年という大きな御神木にぶちかましたように、彼女の体は微動だにしない。でも、柔らかい。腰細い。マジで痩せてるよコレ――って、そんなことに感動してる場合じゃない。

「キャっ!? こ、小太郎くん!?」

 殺意にかられた狂戦士から、嘘みたいな可愛らしい声が上がる。必死なのは、慌てて止めた僕だけか。剣崎さんは、今、自分が生きるか死ぬかの岐路に立っていたことに、気づいているのだろうか。

「メイちゃん、庇ってくれてありがとう。でもやっぱり、今回のことは、僕の不注意が招いたことだから!」

 いつまでも抱き着いていると女子達から厳しい視線が突き刺さりそうだったので、僕は早々に彼女の腰から手を離し、そのまま、地にひれ伏す。いわゆる一つの、土下座である。

「ごめんなさい、僕が悪かったです。どうか、許してください」

 屈辱はある。でも、呪いたいほどではなかった。メイちゃんが、僕の代わりに怒ってくれたことが、こんな時に不謹慎かもしれないけど、嬉しかったのだ。こんな僕でも、味方がいるのだと。彼女の信頼が、今の僕にとっては何よりもありがたい。

「明日那も、桜も、こうして桃川君が頭を下げたのだから、許してあげましょう」

「ええ、そうですね。これ以上は、彼を責めても不毛なことですから」

「次はないぞ、桃川」

 とりあえずお許しをいただいたことで、僕はようやく立ち上がる。あ、ちょっと足が震えてる。プライドを捨てたダメージだろうか。メイちゃんがあっけなく土下座して折れた僕のことを、今どんな顔で見ているのか、怖くて見れない。

 落ち着け、落ち着けよ、僕。正直、また泣きそうだけど、まだこの場で言っておかなければいけないことがあるだろう。

「……あの、悪いんだけど、僕がやろうといていた呪術を、使わせてもらっても、いいかな」

 ここで『汚濁の泥人形』ができなければ、こんな大騒ぎしてまで精液を手に入れた意味がない。

「桃川! お前はっ――」

「待って、明日那。桃川君、その呪術は、どうしても必要なのね?」

「『汚濁の泥人形』はゴーレムを創り出す呪術なんだ。コレがあれば、いざという時に身を守る盾になる。鎧熊と戦った時も、ゴーレムが庇ってくれたお蔭で、僕は死なずに済んだ」

「それを使うには、えっと、その……どうしても、必要なの?」

「コレがないと、性能が極端に落ちる。錬金術師が創るホムンクルスの材料って、聞いたことない?」

「……分かったわ、そういうことなら、仕方ないわね」

「おい、涼子、どういうことだ。ホムなんとかの材料って、どういう意味だ」

「後で説明してあげるから、今は黙ってて」

 流石は委員長、博識だ。おまけに察しもいい。本当に助かるよ。

「とりあえず、今回はその『泥人形』というのは作ってもいいわ……材料は、もうあるのよね?」

 ちょっと言いにくそうに聞いてくる委員長は、妙に可愛らしい。てっきり、そのテのことは天道君で慣れているのかと思ったけど……もしかして、まだ経験はないのか。報われないな、委員長。

「うん、あとは呪文を唱えるだけだから」

「そう、それならいいわ……次回については、また後で考えることにしましょう」

「おい涼子、コイツ全然懲りてないんじゃないのか。やはり制裁は必要――」

「明日那がこういうことに厳しいのは分かるけど、貴女も、もう少し抑えるべきよ。ルールを決めてなかった以上、罰則も存在しない」

「ウチの道場なら、袋叩きでも済まないぞ」

「桜の言う通り、ルールはこれから、私達がみんなで決めるの。あまり厳しくしすぎるのも、それはそれで軋轢が生まれるわ……とにかく、今日はみんなもう寝ましょう。明日の朝には、ここを出るのだから」

 渋々、といったようだが、これ以上の揉め事は御免でもあるのだろう、メイちゃんを除いた女性陣は黙って寝床へ戻り始めた。

「あの、委員長、ありがとう」

「……お礼なら、双葉さんに言って」

 どこか疲れた微笑みを浮かべて、委員長は足早に去った。

「メイちゃんも、本当に、ありがとう。助かったよ」

「どうして……止めたの」

「止めるよ、こんなくだらないことで、彼女達と揉め事は起こしちゃいけない」

「でも、小太郎くんは……だって、酷いよ、あんなの、土下座までして……」

 どうして、メイちゃんが泣きそうな顔をしてるんだろう。無様に頭を下げたのは、僕なのに。

「いいんだよ、僕が頭を下げるだけで丸く治まるなら、それで」

「でも、でもぉ……」

「大丈夫だから。メイちゃんが信じてくれたから、僕は全然、大丈夫だよ」

「……ごめんね、小太郎くん」

 彼女の両目から、とうとう涙の雫が、零れ落ちた。

 参ったな。こういう時、なんて女の子を慰めればいいのか、僕にはとんと見当がつかない……

第51話 虫の洞窟

「キャァーっ!? な、なにコレ! なんでモンスターが広場にいるのぉーっ!?」

 朝、夏川さんの絹を裂いたような悲鳴で、僕は目を覚ました。

「なに、魔物が現れただと!」

「え、ちょっと、何よこの、棘の生えた黒いスケルトンは」

「何て禍々しい姿……恐ろしい魔物に違いありません。みんな、下がって。ここは私の光魔法で――」

「うわぁっ! ちょ、ちょっと待って蒼真さん!」

 というワケで、僕は間一髪のところで新生レムを倒されずに済んだのだった。

「――なるほど、これが桃川君の作ったゴーレムなのね」

 みんなの前で、改めてレムを紹介する。

 見た目は漆黒のスケルトン。だが、鎧熊の素材を使ったせいか、体の一部には鎧のような甲殻が形成され、頭の天辺からは鬼のような一本角が生えている。肩と手足には鎧熊とよく似た、棘のついた黒い甲殻が腕の骨と一体化していた。サイズも、前よりも頭一つ分くらい大きい。今はちょうど僕の胸元くらいまで、身長がある。

「レムちゃん、成長したんだね、おめでとう!」

「ガガっ!」

 メイちゃんが温かい言葉を送ると、心なしかレムも嬉しそうにうなずいた。昨晩、『汚濁の泥人形』を行使して何となく察したが、レムの記憶とか経験、みたいなモノは全て引き継がれているようなのだ。レムを自立行動させるAIみたいな部分、仮にこれを『魂』と呼ぶが、新しいレムを作ると、転生のように魂が引き継がれるわけではなさそうだ。魂そのものがレムを創り出す『混沌』の中にあって、黒いスケルトンの肉体はあくまで器に過ぎない、といった感じだ。

 最初のレムは短い間だったけれど、それでもゾンビとの戦いを何度も経験することで、明らかに動きがよくなっていた。その成長が変わらず引き継がれているのなら、こんなに良いことはない。ついに僕の呪術にも、チートじみた便利機能の片鱗が見えた気がする。

「ねぇねぇ、桃川君、コレ、本当に大丈夫なの? いきなり襲って来たりしない、よね?」

「大丈夫だよ、自我はほとんどないし、命令通りに動くロボットみたいなものだから」

 うへぇ、とあからさまに訝しげな顔でレムをジロジロ見る夏川さんに教えるけど、あんまり信じてない模様。まぁ、見た目は完全に魔物でしかないから、しょうがないかもしれないけど。

「呪術なんていうくらいだから、いつ人を襲うか分かったものじゃないぞ」

「いざという時は、すぐに『光矢ルクス・サギタ』を撃ちます」

「ま、まぁ、天職の能力が暴走した、なんてことは一度もないから、大丈夫じゃないかしら。多分、私の『氷精霊召喚』と同じようなものよ」

 不審の目でレムを睨む蒼真さんと剣崎さんは、警戒心全開だ。レムを疑うというより、きっと、僕自身を疑っているのだろう。二人にとって昨晩のオナニー事件は、僕を汚らわしい変態男と認定するには十分すぎるものだったに違いない。

 委員長、マジで二人のことを抑えてください、お願いします。

「とにかく、そろそろ出発しましょうか。明日那、小鳥を起こしてもらえる?」

 それにしても、昨晩も今も、こんなにみんなが大騒ぎしているのに、全然目覚めない小鳥遊さんって……いつか眠っている間に悪戯でもされるんじゃないかと、他人事ながら、僕は心配になった。




 天職『盗賊』の恩恵か、目と耳と勘の良い夏川さんを先頭に、僕らはダンジョンの奥地へと向かう。偵察役の夏川さんの後ろには、前衛戦士たるメイちゃんと剣崎さんが続く。それから、委員長、間に小鳥遊さんを挟んで、蒼真さんが続く。僕は最後尾だ。勿論、僕の背中を守るために、『鉄の槍』と『鉄の短剣』という本格的な装備に身を包んだ新生レムを配置している。

 この陣形は前衛後衛を基準として、後衛組みは小鳥遊さんを最も安全な場所に配置するという並び方だ。最後尾の僕が一番安全というワケでは断じてない。背後から奇襲された場合、最前線に立たされるのは僕だからね。レムがいなければ、モンスターパニック映画であっさり犠牲になるモブキャラみたいに瞬殺されそうだ。実際、こういう一列に並んで進む時って、真ん中が一番安全だというし。戦闘なんてなくても、最後尾の人は置いてけぼりにされても、気づかれにくくて放置、みたいな危険性もある。今の蒼真さんなら、わざと僕を放置してもおかしくない気がする。要注意だ。

「わわっ、ねぇ、本当にこっちであってるの!? っていうか、ここに入っていいの!?」

 先頭の夏川さんが立ち止まる。当然、列も止まる。

「魔法陣は……間違いなく、この先を指しているわ」

 委員長が改めて断言する。疑うわけじゃないけど、僕もこっそり自分の魔法陣を確認したら、うん、やっぱりこのルートを指している。

「これは、嫌な予感がするな」

「ええ、しかし……進むしかないでしょう、この洞窟を」

 そう、僕らの前に開かれているのは、見慣れた石造りの通路などではなく、壁面を無理矢理にぶち抜いたような、巨大な洞窟だった。ダンジョンのトンネルタイプの大通りとそん色ない大きさ。片側二車線道路並みの幅と、大型トラックも余裕をもって通過できるほどの高さがある。

 無論、この遺跡風のダンジョンとは違い、路面は土でボコボコとしていて歩きにくそうだし、何よりも照明となる発光パネルがない。

「ひぇえ……真っ暗だよ、ここぉ……」

「進むには、灯りが必要ね」

「大丈夫です、ここは私が――『光精霊ルクス・エレメンタル召喚』」

 蒼真さんが呪文を唱えると、白い光を発する妖精みたいな輝く光球が、一つ、二つ、合わせて四つ、フンワリと飛び交う。

「桜、四体も使役して大丈夫なの?」

「戦闘用ではありませんから、それほど魔力は消費しません。それに、周囲を漂わせるだけですから、制御に集中しなくても問題ないですから」

 なんて便利なランプだろう。この光の精霊とやらは、勝手に周りを飛ぶし、勝手にこっちについてくる。当然、フリーハンドだ。僕の呪術にも、これくらいの利便性が欲しい。

「では、行きましょう」

 蒼真さんの力強い言葉と共に、僕らは怪しい洞窟へと足を踏み入れた。

「ねぇねぇ、これ、どこに続いてるのかなぁ……」

「魔法陣が示している以上は、またダンジョンの内部に繋がるのだと思いますけど」

「この洞窟は、明らかにダンジョンの建物とは別物よ。抜けるまで、妖精広場はないわね」

「ええぇー、困るぅーっ!」

「早く抜けられることを、祈りましょう」

 怪しい洞窟を進み始めて十五分ほど。僕は最後尾で、後衛組みのお喋りをラジオ代わりに聞きながら、黙々と歩き続けている。幸い、まだ置いてけぼりにされてはいない。メンバーに小鳥遊さんがいるから、体力に優れる前衛組みも気を遣って、ゆっくりと進んでくれる。これで僕一人だけだったら、みんなガンガン進んでいたことだろう。こういうところで、その人物の魅力や地位ってのが、試されるよね。

 僕がそんなクラス内カーストについて思いをはせていると、異常アリ、と夏川さんが声を上げた。

「みんな、気を付けて! 周りに何かいるよ!」

「桜、もっと広く周囲を照らしてくれ。脇道の方で、魔物が動いているようだ!」

 この洞窟を本道として、いくつも岐路のように小さな穴が合流している造りになっているということは、これまで歩いてきてすぐに明らかになったことだ。この構造を見て、もしかして、とは思っていたが……やはり、魔物が出てくるんだ。恐らく、ソイツがこの洞窟を掘った張本人だろう。

「来るぞっ!」

 現れたのは、巨大な蟻だった。高さはレムと同じくらい、一メートルちょっとというところ。光精霊の白い灯りに照らされて、漆黒の甲殻が不気味に輝く。全身の姿が露わになると、昆虫の蟻との違いが、よりハッキリと見えた。

 足は昆虫と同じく六本。だが、地に足を付けているのは四本で、前足は腕のように掲げられている。その骨格はカマキリと似ている。けれど、ギチギチと唸りをあげる横開きの大顎を備えた頭部は、蟻とそっくりだ。だから、やっぱり全体的に蟻に似ている。

 そして、巨大蟻はどこまでも蟻らしく、群れを成して現れた。ゾロゾロと列になって、横穴から次々に飛び出てくる。

 僕らの前には、あっという間に美味しい獲物を見つけたと喜ぶように、ギーギーと甲高い耳障りな鳴き声をあげる、蟻の山ができていた。どう見ても、戦闘は避けられそうもない。

「コイツら、酸を吐くかもしれないから、気を付けてっ!」

 僕がそう前衛に注意を叫んだと同時に、戦いは始まった。

第52話 アリとカマキリ

 幸いにも、巨大蟻にそれほどの強さはなかった。こちらの被害はゼロで、二十匹ほど仕留めて完全勝利。

 黒い甲殻は鎧熊ほどの固さはなく、十分に刃は通る。流石にゴーマや赤犬よりは固いようなので、夏川さんは出来るだけ関節を狙っていた。『レッドサーベル』と『レッドナイフ』の炎がかなり有効だったことも、圧勝できた要因の一つだろう。ちょうど弱点武器を装備できていて、ツイている。

 それと、心配された蟻酸による攻撃も見られなかった。緑色の返り血をたっぷりと浴びた前衛組みの武器は、溶けたり、錆びたりしたといった様子もない。この巨大蟻には、毒腺がないのだろうか。残念ながら、コイツらはコアもなかった。

「うぅ……気持ち悪いよぅ……」

 巨大蟻はいわゆる一つの雑魚モンスターとして処理できることが明らかとなったが、やはり虫の姿をしているからか、女子の評判はすこぶる悪い。

「耐えろ、美波」

「ううぅ、無理ぃ……明日那ちゃんは平気なの?」

「私だってギリギリだ」

「双葉ちゃんはー?」

「え、私は別に何でもないけど」

 うわ、メイちゃん男前。血塗れの死体にはそれなりに慣れたつもりだったけど、デカい虫の死骸はまた違ったキモさがあって、男の僕もちょっと顔をしかめたくらいだ。蒼真さんも委員長も、あんまり見ないようにしているし。小鳥遊さんなんて、もうすでに涙目だし。

 ともかく、巨大蟻の襲撃に気を付けながら、僕らはさらに洞窟……いや、蟻の巣、というべきか、さらに進んで行く。

 すると、僕はさらに気づかされる。ここは蟻の巣ではなく、虫の洞窟だと。出るわ出るわ、他の巨大昆虫がワラワラと。

 もっとも、その大半はただの昆虫で、明確な敵意をもって襲い掛かってくる魔物とは違うようだった。バッタやら芋虫やらワラジ虫やら、見たこともない妙な姿の奴やら……ゾロゾロと群れを成して、横道を横切っていったりするだけ。大きさも、デカいとはいっても、せいぜい手の平サイズ。

 だから、気持ち悪いとは思っても、安堵感の方が先に立つ。

 僕は別に虫が得意でもなんでもない。けれど、不思議と今は平気なのだ。一匹だけでも現れれば、卒倒モノの巨大昆虫を前にしても割と平然としていられるのは、やはり生きるか死ぬかのダンジョンサバイバルのお陰なのだろうか。

 まぁ、怪しい虫を見たらとりあえず直感薬学で、毒などで危険かどうかの判別がつくからこそ、心に余裕もできるってものだが。

「きゃぁあああっ!」

 と、また性懲りもなく小鳥遊さんが悲鳴をあげている。見れば、洞窟を照らす松明代わりの光妖精へ、大きな蛾がたかっていた。

「また、ですか……光を強くして焼くので、みんな、少し離れていてくださいね」

 別に毎回、駆除しなくてもいいのに。面倒くさいし、魔力の無駄だろう。ほら、メイちゃんなんて蛾が肩にとまっても一瞥すらせず、黙々と歩いているというのに。でも、そんな不動の心を女子に求めるのは酷か。

 とりあえず、コイツらに毒がないことは、直感薬学がすでに教えてくれている。恐れることは何もない。

 それから、何度か巨大蟻の群れを捌いて、割と順調に進んでいたその時だ。

 ブゥン、という不気味な羽音が、洞窟に反響した。

「気を付けろ、コイツは……大物だぞ」

 ゆるやかなカーブを描く洞窟の向こうから姿を現したのは、カマキリだった。暗緑色の甲殻に包まれた、独特の細長いフォルム。なにより特徴的なのは、その長く、鋭い鎌。昆虫のカマキリは鎌というよりも、実際は獲物をガッシリとフォールドするための腕なのだが、どうもコイツの両前足は、獲物を切り裂くことを目的としたように、ギラギラと輝く金属質の鋭い刃と化している。

 高さはニメートルほどで、蟻と比べればかなりデカい。細長い腹を含めた全長でいえば、三メートルも余裕で越えそう。そんな巨躯を誇りながらも、広がった扇状の羽をブンブン言わせて、かなりの高速で洞窟の地面を滑るように飛んできた。

 長大な刃物で武装し、さらには羽による高速機動もこなす。それだけで、今の僕らにとっては十分すぎる脅威である。

「まずは魔法で攻撃します。アレに不用意に近づくのは危険です」

「アウトレンジで仕留められればいいけど……もし接近戦になったら、十分に気を付けてね」

 蒼真さんが光の矢を番えた弓を引き、委員長が氷の杖を構える。前衛組みはそれぞれの武器を引き抜いた。

 対するカマキリは両手の鎌をバンザイするように大きく広げる、威嚇のポーズで応える。両者共に臨戦態勢。次の瞬間に、光と氷の矢は放たれ、戦端が開かれるだろう――そんな緊迫した中で、僕の学生服の裾がクイクイと引っ張られた。

「レム?」

 なんだよこの忙しい時に、なんて思いながら振り向くと、レムは後方に向かって、鉄の槍を構えた。馬鹿野郎、敵は目の前にいるだろう。バグか。なんて思うほど、僕は鈍くない。

「後ろから蟻が来るっ!」

 気が付けば、僕らが歩いてきた道の向こう側から、ギチギチという唸りが響きわたってきた。

「えっ、そんな――」

「来るぞっ!」

 カマキリが耳障りな羽音を立てて、高速で突撃を仕掛けてきた。ここで、正確に蒼真さんと委員長の攻撃魔法が炸裂するはずだったけど、僕が後方の襲撃を訴えかけたことで、集中を乱した。

 蒼真さんも委員長も、一瞬だけ後ろを気にしてしまい、でも、もう動き始めたカマキリを撃たないといけないと焦り、そのまま甘い狙いのまま魔法をぶっ放してしまった。結果、光と氷の矢は一直線に駆け抜けてくるカマキリを綺麗に避けるように、左右の足元に着弾するのみ。何の足止めにも、牽制にもなりはしなかった。

 そうして勢いのままに前衛達へと襲い掛かるカマキリだが、僕はこれ以上、ゆっくり観戦している暇はない。後方から迫りくる蟻の群れが、いよいよ姿を見せ始めたのだ。

「小太郎くん!」

「後ろは何とかするから、カマキリを頼む!」

 ついこの間、ゾンビに挟撃された時を思い出す。今回もそれと同じ。メイちゃんがカマキリを倒してくれるまで、持ちこたえられれば僕らの勝ちだ。

 ただし、巨大蟻は明らかにゾンビよりも強いけど。

「朽ち果てる、穢れし赤の水底へ――『腐り沼』」

 僕にできることは、前と同じ。とりあえず『腐り沼』で敵の侵攻を食い止めるしかない。硬い甲殻に守られた昆虫型の魔物に、果たして酸の沼は効果があるのかどうか怪しいが、祈るしかない。ダメなら『黒髪縛り』で耐える。

「蒼真さんは前衛を援護して、委員長はこっちを手伝って!」

「えっ、でも――」

「ちょっと、桃川君、勝手に指示を出されては困ります!」

 まずい、そもそも僕にリーダーシップの欠片もないんだった。頼んだところで、メイちゃんみたいに素直に従ってくれるはずもない。蒼真さんも委員長も、目の前のカマキリと、着実に後方から距離をつめてくる蟻の気配を察して、どうするべきか判断しかねている。というか、半分くらいもうパニックに陥っているかも。

 ええい、僕の方だって、今はゆっくり指示のお願いをしている暇なんかないのに。

「委員長、お願いだから! 『腐り沼』っ!」

 最初に展開させた沼は、地面。今のは、左右の壁。巨大蟻は昆虫らしく、平然と壁面も走ってくるのだ。垂直の壁だろうが、天井だろうが、重力を無視するようにスイスイと移動する。

 つまり、地面と両壁を沼で塞いでも、また足りないってことだ。

 しまった、どうする。沼を出すには血を付着させなければいけない。手の平の呪印からは、ブシャっと飛沫を飛ばすくらいのことはできるけど、天井に届くほどの飛距離はない。

 どうする、早く塞がないと、蟻は悠々と僕に向かって接近できてしまう――

「委員長の壁があれば、蟻の動きは止められるから! ええい、これでどうだっ!」

 委員長への説得と並行して、僕はこれまで使ったことのなかった、投石用の袋に手を突っ込み、小石を一つだけ取り出した。

 握りしめると同時に、呪印から血を滲ませる。それなりに血がついてくれればそれだけで良かったのだが、『黒の血脈』の効果なのだろうか。滲み出た血は不気味に泡を吹きながら、小石へまとわりつくように蠢き、完全に覆い尽くしてしまった。

 何となく、イケそうな気がする。そんな確信を持って、僕は血に包まれた小石を天井に向かって放り投げた。

「広がれ、『腐り沼』」

 やった、成功だ。コツンと小石が天井に当たると同時に、ドロドロと弾けるように赤黒い沼が広がり、天井を覆った。

 よし、これで四方全てに猛毒の防壁が展開された。あとは、こっちの水際に委員長が『氷盾アイズ・シルド』でも立ててくれれば、防備は完璧なんだけど。

「行くよ、レム! 構えろ!」

「ガガガ!」

 ああ、素直に従ってくれるレムが可愛くて仕方がない。さぁ、今こそ鎧熊の力を得た、新生レムの力を見せる時だ!

 僕はレムと並んで槍を構え、いよいよ『腐り沼』へと足を踏み入れる巨大蟻を待ち構えた。

 ギイイイっ! というけたたましい鳴き声が轟く。

「やった! 効いてる!」

 ありがとうございます、ルインヒルデ様。アナタ様の呪術は、見事に昆虫野郎どもにも効きました。

 ジュウジュウと音を立てて、鋭い足の先が溶けて、少しずつ体勢を崩す。そのままもがくように進み続けるものの、半ばまで足が溶けた段階で、ついにベシャリと胴体が水没。巨大蟻もゾンビと同じように、この強酸性の毒沼の前に、敗北を喫していた。

「『黒髪縛り』っ!」

 だが、溶けて行動不能となるまでの時間が、蟻はゾンビよりも遥かに長かった。やはり甲殻の方が溶けにくいのだろう。最初に踏み込んだ一体は、何もせずにそのまま沼の中で息絶えたが、二体目になると、もうすでにギリギリで沼を突破しそうな勢いだ。

 当然、ここを超えられたら後がない。僕は黒髪縛りで沼に沈めるコンボを用いて、後続の蟻を押しとどめる。

 けれど、僕の『腐り沼』はたかだかゾンビ十体ちょっとで溢れてしまうのだ。人型のゾンビと比べて体の大きい蟻が雪崩れ込んで来れば、あっという間に埋まる。

「うわっ!? 何か降って来た!」

 ドシャっ、と音を立てて、黒々とした塊が沼のど真ん中に落っこちてくる。盛大に酸の飛沫が噴き上がり、ちょっとこっちまで飛んできそうなくらいで、危なかった。

 見れば、落ちてきたのは足を溶かされた蟻。どうやら天井の沼に引っかかると、足先を溶かされて、体を支えきれずに落ちてきてしまうようだ。

 人間の僕らでは手出しが難しい天井ルートを簡単に封鎖できるのは行幸だが、肝心の地面の沼は、上から降ってくる蟻の体と相まって、さらに埋立速度が加速する。

 まずい、これは思った以上に、死体の橋が完成するのが早いぞ。

「ああっ、ちくしょう!」

「ガガーっ!」

 僕は『黒髪縛り』を併用しつつ、もう目の前で沼から上がって来そうな巨大蟻を、水際で迎え撃つ。力いっぱいに槍を繰り出し、猛毒の水辺へと押し返す。僕もレムも、まだまだ貧弱なパワーしかないけれど、流石に体が半分溶けた相手に負けるほどではなかった。

 とはいっても、かなりギリギリ。正直、これであと三十秒ももつかどうか分からない。

「頼むよ委員長! 早く助けてくれーっ!」

「くっ、貫け、『氷矢アイズ・サギタ』っ!」

 やった、ついに攻撃魔法の援護がきた、これで勝つる!

「涼子っ!」

「桜は前衛の援護に集中して、後ろは私が抑えるから――『氷盾アイズ・シルド』」

 ドンドン、と僕の目の前に分厚い氷の壁が一瞬にして突き立った。今しも沼から溢れ出ようとしていた蟻どもは、あと一歩というところで壁に阻まれ、氷の壁面を虚しく溶けた足でガシガシと叩くのみ。

 その様は、血の池地獄に落ちた亡者が、苦しみもがいているようだ。はははっ、そのままゆっくり溶けていくがいい。

「よし、いける、いけるぞ……沈めぇっ! 『黒髪縛り』っ!」

 援護射撃と、敵を食い止める頼もしい氷の防壁のお蔭で、状況は一気に優勢へと傾く。僕のテンションは上がり、黒髪の触手を大暴れさせると同時に、ガンガン槍でぶっこんで行く。

 氷の盾はちょうど蟻が通り抜けられない程度の隙間を空くように、二枚、三枚と配置されている。その隙間に向かって僕とレムは毒沼で苦しみもがく蟻をいたぶるように突っ突くのだ。

「――『氷矢アイズ・サギタ』」

「うおおおおおおっ!」

「ガァーっ!」

 そうして、僕らはどうにかこうにか、二十そこそこの蟻の群れを防ぎきった。

「はぁ……はぁ……や、やったか……」

 と、一瞬でも気を緩めたのがいけなかったのだろう。

「ギキーっ!」

 一匹の蟻が、氷の壁を飛び越えるようにして、乗り込んできた。

 しまった、最後の生き残り。それも、かなりの数が水際で死んで折り重なっていたから、ジャンプして飛び越えられるほどの高さになってしまっていたんだ。

 そんなことに思い至っても、もう遅い。蟻はもう、目の前に現れてしまった。

「ガガーっ!」

 真っ先に反応したのはレムだ。何も指示を出さずとも、即座に迎撃に動いてくれる辺り、本当に優秀だ。

「ガっ!」

 しかし、まだまだレムの力は弱い。たとえ巨大蟻一匹が相手といえども、正攻法で楽勝というほどではない。いや、むしろ負ける。レムは果敢に槍を振るうが、力強く両腕と顎を振り回し大暴れする蟻の前に、劣勢を余儀なくされている。

 けれど、僕がいる以上、レムを一人にはさせない。蟻の一匹くらい、僕が縛れば十分に抑えつけられる。行動さえ封じてしまえば、他のみんなの手を煩わせるまでもなく、僕とレムが槍で滅多刺しにして仕留められる。

 蒼真さんと委員長の攻撃魔法でもいいが……蟻の立ち位置がまずすぎる。後衛のほぼど真ん中に躍り出ているから、遠距離攻撃は味方にあたる危険性がある。激しく動く蟻を前に、やはり委員長も撃つべきか否か、迷いが見える。

 それなら、やっぱり誤射の危険性がなく安全に捕縛できる『黒髪縛り』がこの状況ではベストな選択だ。だから、僕は何の焦りもなく、冷静に、呪術を発動させた。

「黒髪縛――りいっ!?」

「キャァアアアアアアアアアアアアっ!」

 絹を裂くような悲鳴と共に、僕の呪術は遮られた。ドン、という衝撃で、僕は前へとつんのめる。危うく転びそうだった。

「キャァーっ! イヤァーっ!」

「うわっ、ちょっと、小鳥遊さん!?」

 僕の背中に飛び付いてきたのは、小鳥遊さんであった。僕は彼女に力一杯、盾にでもされるように背中にしがみつかれて、ロクに身動きがとれない。そんなにガクガクと体を揺らされたら、落ち着いて呪術も行使できないし、体勢的に、槍も振るえない。凶悪な魔物を目の前に、僕らは馬鹿みたいに揉みあっているだけ。

 けれど、この中で唯一、何の戦闘能力を持たない彼女は、魔物がすぐ近くに現れて、パニックになったのだろう――などと、冷静に分析している暇はない。

「離して! 離してよっ! これじゃ、戦えな――」

「イヤァっ! 助けて! 蒼真くーん!」

 勇者様はここにはいないっての! 蟻一匹くらい蒼真君じゃなくても何とかなるんだから、邪魔するな。

 というより、お前は『拒絶の言葉』で僕よりもずっと安全に身を守れるだろうが! どうしてそれを使わないんだよ、この間抜け!

「はっ、離せっ!」

「キャっ! 痛いっ!?」

 僕は強引に小鳥遊さんを振り払った。流石に、小柄で華奢な小鳥遊さんくらいなら、貧弱ボーイな僕でも力づくでどうにかできる。でも、加減ができるほどではない。

 結果、彼女は思い切り地面へと倒れ込む。あまり運動神経はよろしくない小鳥遊さんは、見事に受け身も失敗し、ドっと体から倒れ込んで行った。確かに、痛そう。

 でも、同情するよりも先に、まずは蟻を倒さないと――

「あっ――」

 目の前には、鋭い前足を振り上げた、巨大蟻が迫っていた。レムは――槍を蟻の腹に突き刺して、必死に動きを止めようとしてくれている。けれど、蟻の生命力は、槍の一突き程度では尽きたりしない。

 ダメだ、この一撃は、止められない。

「ぐわぁあーっ!」

 即死しなかったのは、ほとんど奇跡だった。振り下ろされた蟻の両腕は、僕の左肩と、右脇腹をかする程度ですんだ。かする程度、なんて言っても、今すぐ地面にもんどりうって、泣き叫びたいほど痛いけど。

 いや、ここで少しばかり我慢したとしても、どうせ反撃手段を持たない今の僕には、意味のないことか。次の一撃は、もう凌ぎきれない――

鎧徹しパイルバンカー

 パン、とあっけないほどに、蟻の体が炸裂した。あの金属のように固そうな黒い甲殻が、実は風船であったかのように、軽く弾け飛ぶ。

「小太郎くん、大丈夫?」

 ああ、やっぱり、最後に頼れるのは、メイちゃんだよね。

「ありがとう、助かったよ……カマキリは?」

「ちょっと苦戦したけど、倒したよ」

 優しく微笑むメイちゃんの視線を追うと、その先には首が落ち、両鎌をへし折られ、羽をズタズタに引き裂かれた、それはもう無残なカマキリの死骸があった。結果だけ見ると一方的な虐殺、みたいに見えるかもしれないけど、メイちゃんがあえて「苦戦した」と言った上に、剣崎さんと夏川さんの疲れた表情を見ると、やはり強敵であったのは間違いないだろう。

「それより、小太郎くん、怪我してるよ!」

「あっ、うん、大丈夫……痛いけど」

 どこまでも強がれない、弱い僕である。だって痛いんだもん。かすり傷っていっても、普通に痛いよ。もうちょっとで完全に肉が抉れるところだったし。こんなダメージを「くっ!」とカッコよく呻くくらいで耐えられる、メイちゃんがイケメンすぎるんだよね。

「蒼真さん、小太郎くんの傷を治してもらえる?」

「いや、いいよ、これくらいの傷、自分の薬で……」

「ダメだよ、薬は限りがあるんだから。それに、魔法の方がすぐ治るし。だから、蒼真さん、早くしてくれる?」

「……小鳥を先に治します」

 蒼真さんは険しい表情で、そう言い放つ。一瞬だけ、僕をチラっと見てから、すぐに倒れてメソメソしている小鳥遊さんへと歩み寄る。

「蒼真さんって、意外に察しが悪いんだね。私、小太郎くんに償う機会を与えてあげるって、言ってるんだけど?」

「何のことか、分かりかねます。ただ、傷を治す順番は、女子を優先すべきというだけのことです」

 気まずい沈黙だった。メイちゃんの表情は微笑んだままで固まっているけれど……ヤバい、素直にそう感じた。

「桜っ! よく見て、桃川君の方が、重傷だわ。血も出ているし、先に手当をしてあげるべきよ」

 危うい空気を一変させてくれたのは、頼れる我らが委員長であった。

 一拍の間をおいて、蒼真さんは頷く。

「……そうですね。すみません、よく見ていませんでした」

「あ、うん……別に、大丈夫だから……」

 そうして、僕は物凄く気まずい思いをしながら、蒼真さんから『癒しの輝きヒーリングライト』を受けるのだった。初めて体験する治癒魔法。その効力は、本当に僕の傷薬が馬鹿馬鹿しくなるくらいの、高性能であった。

第53話 リーダー(1)

「――やったわね、妖精広場よ」

 幸いにも、強敵カマキリの襲撃を切り抜けたすぐ後、洞窟を抜け、僕らは無事に妖精広場へとたどり着くことができた。

 戦闘による疲労と緊張感。何より、虫という生理的嫌悪感を掻き立てる存在を前にして、いつもよりもみんなグッタリしている感じ。これといった号令も会話もなく、誰もが装備を投げ出し、柔らかな芝生の上に座り込み始めた。

「レムも、お疲れ様」

「ガガ」

 座ればいいのに、レムは槍を携えたまま、直立不動でゴロンと寝転がった僕の傍らに立つのみ。

「小太郎くん、大丈夫?」

 と、笑顔でひょっこり僕の顔を覗き込んでくるメイちゃん。寝転がった僕のすぐ傍で立っているから、うわ、あ、ちょっと、これ、スカートの中、見え――

「メイちゃん! うん、全然、大丈夫!」

 一瞬だけチラっと見えた、むっちりした太ももの奥にあるピンクの布地から視線を振り払うように、僕はガバリと上体を起こす。あ、危ねー、今マジでガン見するところだったよ。

 オナニー野郎に加えて、覗き野郎の称号がついたら、僕は本格的にこのハーレムパーティでの立場は終わる。メイちゃんにまで幻滅されたら、僕の味方は誰もいない。その恐ろしい末路を考えると、パンチラの誘惑にも打ち勝てるというものだ。いのち、だいじ、とてもだいじ。

「傷も蒼真さんの魔法で、完璧に治ってるし」

「そっか、良かった。治癒魔法で治っても、また傷口が開いたりするみたいだよ。すぐに傷を塞げるだけの応急処置みたいなものだから」

「えっ、そうなの?」

「そうだよ。剣崎さんも夏川さんも、経験あるんだって」

 前衛は前衛同士で有意義な話し合いができていたようだ。現状、蒼真さんの僕に対する心象は最悪に近いから、迂闊に話しかけることもできないでいる。メイちゃんが少しずつでも、彼女達のより詳しい能力をリサーチしてくれるとありがたい。

 それにしても、治癒魔法も万能ではないということか。あまりの深手は治し切れないし、一時的に塞いでも、完治はさせられないと。となると、僕の傷薬のように、一瞬で傷を塞ぐわけじゃないけど、完治を前提として治癒させる系統の治癒魔法もあるかもしれない。

 良かった。僕の薬にも、まだちゃんと存在価値はあるようだ。少なくとも、蒼真さんが完治タイプの治癒魔法を習得するまでは。

「ねぇ、お腹空いてない?」

 今のメイちゃんの姿を見れば、「お前いっつも食うことばっか考えてるな」と馬鹿にすることは誰にもできないだろう。

「うん、胡桃でも食べようか」

「それなんだけど、ちょっと小太郎くんに見て欲しいものがあって――」

 と、僕の隣に座り込んでいるメイちゃんが、自分の鞄をガサゴソと漁る。何だろう。

「――この虫って、食べられるかな?」

「うわっ!?」

 僕の目の前に突き付けられたのは、何本もの細長い足に、ザリガニのような赤い甲殻をまとった、芋虫、のような虫であった。

「虫っていうより、エビみたいな甲殻類っぽく見えたから、もしかして食べられるかもって思ったんだけど……ダメ、かな?」

 メイちゃん、何て食の探求に貪欲なんだろう。リアルで食べられる蛇ならまだしも、とうとうこの異世界の怪しい生き物にまで食指を伸ばそうとは。とんでもない恐れ知らずだ。きっと彼女のような人が、フグを食べたに違いない。

「え、ええっと……毒はないし、一応、食べられるみたいだけど」

「ホントっ!? 良かったぁ」

「でも一応、火は通した方がいいと思うよ」

 それでは早速、とばかりに僕とメイちゃんは蛇のかば焼きを作る時と同じように焚火を集め、竈を作り、準備を始める。蒼真さん達は、いそいそと料理の準備を始める僕らに何事かと聞いてきたが、このエビ芋虫を見ると、顔を真っ青にして離れていった。

 恐らく、コイツがメイちゃんの理想通りの味であえば、再び彼女達の中で食の革命が起こるだろう。すでにして、あの小鳥遊さんでさえ、蛇を積極的に捕まえようという気概に溢れている。やはり、肉の美味さは偉大だった。

「――よし、出来たよ!」

「おお、凄い、本物のエビみたいだ!」

 体長三十センチほどの、大きなエビの尻尾だけが動いているような姿の不気味な芋虫は、今や実に美味そうな色艶をもって、串に刺されて湯気を上げている。

 殻を剥いたら、白みがかった透き通った肉がみっちりと詰まっており、火にあぶると白さが増し、同時に薄らと朱色の縞模様が浮かび上がってきた。どこからどうみても、デカいエビの尻尾の丸焼きにしか見えない。

「じゃあ、行くよ、小太郎くん」

 僕は固唾を飲んで、串焼きを口へ運ぶメイちゃんを見守る。

「……っ!? こ、これは!」

「どうなの!?」

 果たして、コイツの味はエビなのか、芋虫なのか。

「旨味が薄くて、すっごい大味だけど……エビだよコレっ!」

「よっしゃあああ!」

 こうして、僕らはダンジョンに食の革命を起こした。エビ芋虫は、エビの味。コイツを見かけたら、きっと根こそぎ捕獲されることだろう。

「ごちそうさま」

 醤油とマヨネーズが欲しいよね、なんて言いながら楽しくエビの塩焼きを食べ終えた僕らは、再び芝生に腰を下ろして談笑する。遠くの方では、蒼真さん達がおすそわけしたエビ芋虫の丸焼きを、おっかなびっくり食べようとしているところだった。

 ちなみに、こういう時に貧乏くじを引かされるのは、夏川さんであるらしい。剣崎さんに羽交い絞めにされて、キャーキャー言いながら委員長に串焼きを投入される様子は、彼女の芸人魂を感じさせる。

「ねぇ、小太郎くんは……つらくないの?」

「えっ、どうしたのさ、急に」

 真面目な顔で問いかけるメイちゃんに、僕はきっと間抜けな顔をしているだろう。つらいといえば、こんな生きるか死ぬかの状況はつらいけど、それは今更というものだ。

「今のメンバーは危ないよ。カマキリと戦った時、小太郎くん、蟻にやられそうだった……蒼真さんと委員長、二人も仲間がいたのに」

 言葉尻は、少し、刺々しい。

「そ、それは……奇襲みたいなものだったから、上手く対応できなかっただけだよ」

 メイちゃんがあの時の不手際について、多少なりと不満を覚えていることは、あの蒼真さんとの険悪なやり取りを見て察していた。とりあえず、あの場は委員長のとりなしでどうにかなったけど、やはり、気にしているのだろう。

「小太郎くんの指示に大人しく従っていれば、何の問題もなかった」

「僕が勝手に命令しても、誰も動いてくれないのは当然だよ。僕は別に、みんなが認めたリーダーってワケじゃないからね」

 これが蒼真君だったら、咄嗟の指示でもみんなは動くだろう。認められる、ってのはそういうことだ。一体誰が、クラスで目立たない地味なチビのオタクの言うことなど聞くと言うのか。少なくとも、僕なら従わないね。

「じゃあ、誰が命令すればいいの?」

「それは……まぁ、この面子だったら、蒼真さんか委員長でしょ。あとは剣崎さんだけど、前衛が落ち着いて指示を出すってワケにはいかないだろうし」

「私ね、やっぱりちゃんと、リーダーを決めておく必要があると思うの。本当は、彼女達と一緒になってから、ずっと思ってた」

 メイちゃんの懸念は正しい。どんなに優れた能力を持った者達が集まっても、連携がとれなければ、それは所詮、烏合の衆でしかない。事実、僕らの現有戦力であれば、あのカマキリと蟻の挟撃だって、難なく捌けたはず。

「小太郎くんが、リーダーになるべきだと思う」

「えっ、いや、無理だよ、僕じゃあ」

「ううん、小太郎くんなら出来るよ。だって、さっきの戦いだって、結局は小太郎くんがいなければ、小鳥遊さんあたりが犠牲になってたよ」

 確かに、蒼真さんと委員長は何とか凌ぎきれるだろうけど、小鳥遊さんはダメだったかもしれない。彼女の様子を見るに、強力なスキルがあっても、咄嗟の判断で発動させられずに死んでしまう、なんてことは十分にありうる。

 強敵であるカマキリを前に、あの瞬間、全員が前方に集中してしまい、後方への備えは完全におろそかとなっていた。僕だって、レムが呼んでくれなければ『腐り沼』を展開する余裕さえ失っていただろう。

「蒼真さんも、委員長も、無理なの。彼女達には、命をかけた戦いの中で、決断を下すことはできない。今、それができるのは、小太郎くんだけ」

「そ、そんなこと……」

 ないよ、とは言い切れないか。正直、僕としてもさっきの戦闘での蒼真さんと委員長の動きの悪さには、文句の一つでもつけたいところだ。

 だがしかし、である。僕の行動も結果的にたまたま上手くいっただけであって、もし、あのカマキリが蒼真さんと委員長、二人の援護射撃がなければ倒せないほど強ければ、あの場で委員長を呼んだ僕の判断ミスとなり、前衛壊滅からの、後衛も襲われる、全滅エンドとなる。

 かといって、後方の蟻を放置するわけにもいかない。僕とレムだけじゃあ、まず間違いなく突破された。実際、一匹は突っ込んできたわけだし。カマキリが強ければ、僕が犠牲になってでも、単独で蟻を止める、というのが最適解となる。

「だから、僕だって常に最善の指示ができるワケじゃあ……」

「私は小太郎くんになら、命を預けられる。何でも言う事、聞いてあげられるよ」

 ゾクゾクするほど魅力的な微笑みを浮かべて、メイちゃんが見つめてくる。そんなこと面と向かって言われたら、どんな無茶でもやってやろうと奮起しそう。

「うん、メイちゃんはさ、僕と二人だった時から、ずっと僕の指示に従ってくれたよね。あの時は何となく、僕が命令ばっかりしていたけど……それがどんなにありがたいことか、今になって分かる気がする。ありがとう、メイちゃん」

「私は当然のことをしただけだよ。狂戦士になったお蔭で、ほんの少しだけ強くなれたけど……それだけ。私はいっつも、小太郎くんに助けられてばかりだから。鎧熊の時だって、小太郎くん、二体目が現れても、逃げないで、ずっと私の傍にいてくれたんだよね」

「そりゃあ、最悪の場合、僕が食われれば鎧熊を道連れにできるから……なんて、本当はただ、腰が抜けただけかもしれないよ」

 蒼真さん達が駆けつて助かった直後、足がガクガクしててすぐに立ち上がれなかったし。

「ううん、私には分かるよ。だから、小太郎くんじゃないとダメなの」

 信頼されるって、こういうことをいうのだろうか。何か、真面目な話をしているのに、思わず、頬のあたりがムズムズしてきて、ニヤけてしまいそう。いかん、ダメだ、やっぱり僕、褒められると弱い。チョロインもいいところだ。

「……でも、僕がリーダーになるってのは、やっぱり無理だよ」

「どうして」

「メイちゃんは僕のことを信じてくれても、他の誰も、僕を信じてないから。分かるでしょ、レムを作ろうとした時のこと。あの一件で、僕の信用は地に落ちてる」

「でも、それはっ――」

「委員長が理解を示してくれているだけ、まだマシだよ。蒼真さんと剣崎さんは、特に嫌悪が強い。二人ともあのテのことには潔癖そうだから、これでもまだ、抑えてくれている方なのかもしれない」

 ついでに、小鳥遊さんなんて僕を平気で盾にするしね。実は死んで欲しかったんじゃないのか、なんて悪態を心の中でついてしまうくらいには、僕だって不満がある。

「信用のない奴を、無理にリーダーにしても意味がない。僕だって、今のパーティが烏合の衆だってのは分かってる……でも、下手に僕がしゃしゃり出ると、パーティそのものが崩壊する」

 というより、僕が排除されるだけか。

「でも、形だけでもはっきりリーダーは決めておいた方がいいよね。メイちゃんの方から、後で蒼真さんか委員長、どっちかがやってくれないか、話してみてくれないかな」

 最初から、こうしていれば良かったんだ。たとえば、委員長も最初から自分が指揮官だという心構えがあれば、挟撃の際にも冷静に指示を出せたかもしれない。

 そうでなくても、奇襲や挟撃、罠にはまった時にどう対処するか、細かく話し合ってシミュレートするくらいの段取りは必要だった。

 天職なんて特殊能力があっても、所詮、僕らは学生に過ぎない。訓練を受けた兵士でもなんでもない。能力だけを頼りに生き残れるほど、このダンジョンは甘くないってことだ。

「小太郎くんは、本当にそれでいいの?」

「今はそれしかないと思う。大丈夫、上手くチームが機能するようになれば、もっと余裕も出てくるし……僕のことも、少しは許してくれるようになるかもしれないから」

 僕は精一杯の笑顔を浮かべて、メイちゃんにそう言った。まぁ、僕の笑顔に、人を安心させる効果なんて露ほどもないだろうけど。でも、大丈夫だというアピールはしておかないと。

「そう……分かったよ、小太郎くん」

 どこか心配されるような表情のメイちゃんに見つめられて、僕は少しだけ、自分を情けなく思ってしまうのだった。

第54話 リーダー(2)

「……双葉さんは、おかしいです」

 桃川小太郎と双葉芽衣子の二人が、揃って広場の隅の方で話し込んでいるのを幸いと、蒼真桜は如月涼子と剣崎明日那へと、そう話を切り出した。

「ああ、私もそう思う」

「ちょ、ちょっと、桜、明日那まで……いきなり、何を言い出すのよ」

 否定的な声をあげる涼子だが、実のところ、彼女自身が一番、双葉芽衣子の豹変ぶりについては実感しているだろう。なにせ、いつもオロオロしていて、まるで戦いの役に立たない彼女の姿を間近で見続けてきたのだから。

「私は、あまり双葉さんと仲が良かったわけではありませんが、それでも、彼女が平然と魔物と戦えるような性格ではなかったのは間違いありません」

「あまりにも、人が変わりすぎている。アイツの戦いぶりは……まるで、狂戦士だ」

 前衛として隣で戦った明日那だからこそ、分かるのだろう。桜や涼子も、後衛として後ろから芽衣子の戦い方は見ている。大振りのハルバードを力に任せて振り回し、嵐のような連撃で次々と蟻を叩き潰す様は、華麗な立ち回りの明日那や美波とは一線を画す、荒々しさだ。

「いいえ、実際に彼女は『狂戦士』なのです」

 実のところ、双葉芽衣子の天職は最初から判明している。

 それは他でもない、『賢者』小鳥遊小鳥の能力によって。


『真贋の瞳』:真なる賢者は、人、物、全ての真贋を一目で見抜く。


 この能力は小鳥が最近獲得した能力で、他人の天職や与えられた能力を知ることができるというもの。ステータス画面を盗み見る、と美波は表現していたが、ゲームに疎い他のメンバーから理解は得られなかった。

 今のところは、天職と、所持する能力も全てではなく一部までしか見えないようだが、恐らく小鳥自身が賢者として成長すれば、さらに得られる情報は増すと思われる。

 ともかく『真贋の瞳』で双葉芽衣子を見た時点で、彼女の嘘は見破られていたということだ。もっとも、こちらも『真贋の瞳』を隠しているのだから、こういった嘘についてはお互い様ということで、あえて責めることはしなかった。

「でも、今はこんな状況なのよ。きっと、彼女も変わったのよ」

「桃川君に、変えられたんじゃないですか?」

「それって、どういう……」

 涼子は思わず息を呑む。問い返しているものの、聡明な涼子なら察せられないはずがない。蒼真桜が口にした、その恐ろしい予測を。

「彼の天職は呪術師。『痛み返し』を見て分かるように、私や涼子のような普通の魔法とは違う。かなり異質な効果です」

「どんな怪しい呪術を持っているか、分かったものじゃない」

「そうです。たとえば……人を洗脳する、呪いだとか」

「そんなっ、まさか……」

「ありえない、とはいいきれないだろう」

 しばしの沈黙が、三人の間を支配する。

 洗脳、などというあまりに恐ろしい効果の魔法が存在する……認めがたい、認めたくない、だがしかし、明日那の言う通り可能性は否定しきれない。すでに、ここは魔法という超常の理がまかり通る異世界。どんな魔法があったとしても、おかしくはない。

「もし、そうだとしても……少なくとも、私達はまだ誰も、洗脳なんてされてないわ」

「条件があるのでしょう。双葉さんは、涼子たちと別れてから、ずっと桃川君と二人きりだったようです。その間に、何をされていてもおかしくはありません」

「私達だって、隙を晒せばどうなるか分かったものではないぞ」

 桃川小太郎は洗脳の呪術を持ち、虎視眈々と自分達の支配を狙っている――馬鹿馬鹿しい妄想の類だと、涼子は言い切ることができなかった。

 それはきっと、自分もまた、その可能性を恐れているからだろう。

「双葉さんがおかしいのは、その戦いぶりだけではありません。一番おかしいのは、桃川君に対する従順さです」

「前の妖精広場での一件は覚えているだろう。あの時、双葉は桃川を責めるどころか、庇った。私達の全員を敵に回しても、構わないという気概さえ感じた」

「あの時は本当に、肝が冷えたわよ」

 はぁ、と重苦しい溜息をつく涼子。少しは仲介に入った自分の苦労を、友人二人も分かち合って欲しいものだ。

「でもね、双葉さんが私達よりも桃川君を優先するのも、当然でしょう。だって、彼女にとって桃川君は、命の恩人なのよ」

「しかし、それにしたって――」

「桜も明日那も、まだ誰かを見捨てたことがないから、分からないわよ。この罪悪感は」

「涼子……ごめんなさい、貴女にばかり、苦しい思いをさせてしまって」

 いいや、本当に苦しい思い、それこそ、死ぬほどの思いをしたのは、双葉芽衣子の方だ。涼子は今でも覚えている。背中越しに聞いた、彼女の苦しげにすすり泣く声を。

 もしかしたら、双葉芽衣子はあそこで孤独に死んでいて、今、目の前にいる女子生徒は、同じ名前を騙る別人なのかもしれない。それこそ、小太郎がレムと名付けたゴーレムのように、彼の呪術によって創り出された存在なのかも。

 しかし、涼子にはさらに二人を疑心暗鬼に陥れそうな予想を語ることはしなかった。

「私は、今のところは二人を疑うような真似をするべきじゃないと思うわ。もし、二人が本当に無実だとしたら……私達は、とんでもない誤解をしていることになる。謝って済むような問題じゃなくなるわよ」

「そう、ですね……分かりました。でも、注意だけはするべきだと思います。もし、桃川君が本当に狡猾で残酷な呪術師なのだとしたら、まず、取り入ろうとするのは、双葉さんを見捨てた罪悪感を抱える、貴女です」

「そう、かもしれないわね……でも、私は信じたいわ」

「私は、桃川の奴はあまり信じられないがな。アイツは小鳥を平気で突き飛ばすような男だぞ」

 蟻に後方を襲われた時のことを言っているのだろう。涼子も、小太郎が必死の形相で泣いて縋りつく小鳥を思いっきり振り払っていた姿を見ている。

 それで小鳥が負傷したからこそ、あの後、桜は最初に彼女の治癒をすると言い張ったのだ。明日那と同じように、か弱い女子を守るどころではない態度の小太郎の姿に、桜も嫌悪感を覚えたに違いない。むしろ、幼いころから強くて優しくてかっこいい兄を見続けてきた桜の方こそ、許しがたい光景だったかもしれない。

「あのことは、私達にも責任の一端はあるわ。私も桜も、すぐに動けなかったもの」

「そうですね。あの時は、不覚を取ったことは確かです。ですが、あそこで桃川君の指示に大人しく従うことは、どうしても抵抗が……」

「あのまま従って、こっちが言いなりになるとでも思われたら困るからな。次は、あんな無様は晒さないよう、桜か涼子が、しっかりと全員の指揮をとるべきだろう」

 明日那の言い方はどこまでも小太郎への不信感で溢れていたが、それでも、指揮系統を確立すべき、という意見には賛同できる。

「そうね、悠斗君がいなくなって、その辺を曖昧にしたままだったのは、反省すべき点だわ」

「えっと、それでは、どうします? やっぱり、委員長の涼子がリーダーになるべきだと思いますけど」

「えっ、私はちょっと……戦うことなら、桜の方が向いているんじゃない?」

「私はどちらでも構わないがな。ゆっくり話し合ってくれ」

 我関せずの明日那に、互いに譲り合いな桜と涼子のリーダー決めは難航するかと思われた、ちょうどその時。

「――ねぇ、その話、ちょっと待ってくれないかな」

「双葉っ!?」

 どこか不気味な薄ら笑いを浮かべる、双葉芽衣子が現れた。思わず、明日那が警戒するほど、異様な雰囲気が彼女から漂う。

 チラリと確認してみれば、小太郎は芝生の上で横になっているから、仮眠をとっているようだ。美波と小鳥も、食事の後に眠っているから、今の話し合いに参加はしていない。

 道中の戦闘の激しさを思えば、夜を前に眠ってしまうほど体が休息を求めるのは無理もなかった。

「聞いていたのですか、双葉さん」

「リーダーを決めた方がいい、みたいな話をしてたよね? ちょっと、聞こえたから」

 流石に、最初の疑惑については聞かれていなかったようだ。当然、本人に聞かれたら困る類の話題だから、ちゃんと芽衣子が小太郎と二人で離れたところで話し合っていたのを確認した上で、桜は話を切り出している。

「ええ、その通りよ。さっきの戦いの反省もあるし」

「そっか。良かった、みんな、考えることは同じみたいだね」

「それで、双葉は何か意見でもあるのか? 自分がリーダーに立候補でもしようと思ったか?」

「まさか。私は前衛だから、みんなの指示なんて出せるポジションじゃないよ。それは、剣崎さんも同じでしょ?」

 どうやら、双葉芽衣子は冷静にチームの動きを把握する理解力はあるようだった。

「そこまで分かっているなら、話は早いですね。端的に聞きますけれど、双葉さんは私と涼子、どちらがリーダーになるべきだと思いますか?」

 桜は全く気負った様子もなく、毅然と言い放つ。その台詞には、言外に桃川小太郎に指揮権は絶対に譲らない、という強い意思もまた籠められていることに、果たして彼女はどう答えるのか。

 臨戦態勢のような鋭い気配を発するのは、桜と明日那。涼子としては、胃が痛くなる思いだが。

「あえて聞くけど、小鳥遊さんじゃあダメなのかな?」

「残念ながら、小鳥は向いていない」

 明日那が即答する。親友だからこそ、忌憚のない意見も述べられるといったところだろうか。

「あはは、やっぱりそうだよね。戦いに向かない性格って、あるもんね……うん、よく分かるよ、私も言われたから、向いてないって」

 如月涼子のクールな美貌も、当てつけのような芽衣子の発言には、思わずギョっとしたような表情を浮かべてしまう。

「あ、ごめんね、別に怒ってるわけじゃないの。事実だし、もう気にしてないし」

 ヒラヒラと手を振って、男を惑わす小悪魔のような微笑みで言われては、涼子に返す言葉はない。

「それで、どうですか、双葉さん?」

 改めて最初の問いを促す桜に、芽衣子は面と向かって答えた。

「うふふ、残念だけど、蒼真さんも委員長も、向いてないと思うな」

「……どういう、意味ですか」

「私に言わせれば、小鳥遊さんと二人には、そう違いなんてないよ。とても命を預けるに値しない」

 薄ら笑いの芽衣子と、きつく眉根を寄せる桜。視線で火花が散るとは、正にこのことか。

「それじゃあ、双葉さんはやっぱり……桃川君が、リーダーに相応しいと思っているのね」

 渋々といった様子で、涼子が二人の間に割って入った。

「当然だよ。みんな、さっきの戦いを見ても、まだ分からないの?」

 小太郎くんの指示に委員長が従ったから、全員、助かった。小太郎くんの指示に、もっと委員長が早く従っていれば、楽に勝てた。

 そんなことを、芽衣子は幼い子供に言い聞かせるように、滔々と語る。

「確かに、あの戦いでは、私も涼子も不手際があったことは認めます。しかし、次はもう、あのような無様は決して――」

「次? 何を言っているの、蒼真さん。命がけの戦いに『次』なんてないよ」

 次は気を付けます。もう二度と、同じミスは繰り返さない。

 それは、学生生活においても、社会においても、大切な心がけであることに違いはない。人は失敗を繰り返し、反省することで、成長していくのだ。

 だがしかし、それが全て許容されるのは、安全な日本においての話である。

 ここは生きるか死ぬかの、過酷なダンジョンの真っただ中。恐ろしい魔物が徘徊し、要所には強大な力を持つボスが待ち構える……一度の失敗も許さない、残酷なまでのサバイバルだ。

「ねぇ、もしかしてみんな、今の状況をゲームか何かだと勘違いしてない?」

 芽衣子は言う。みんな、魔物と戦うことに慣れてしまっている。自分は慣れた。相手が魔物だと思えば、何の躊躇もなく刃を振るえると。

「命がけの戦いは、みんなもしてきたと思うよ。相手は魔物だし、負ければ、間違いなく食い殺される……でも、負けなかった。ピンチになったことも、ないんじゃないの?」

 絶対的な力の差。どうあがいても、死ぬより他はないという絶望を、彼女達はまだ、味わっていない。死の危険どころか、大した怪我もしていないだろう。

「そんなことはありません。ケルベロスと戦った時など、私は危うく死ぬところでした」

「そうだ、ケルベロスでも苦戦したが、私はその前に戦った大柄なゴーマが相手でも危ういところだった」

「でも、蒼真くんが助けてくれた」

「そうです、兄さんはどんな時でも、必ず私達を助けてくれます」

「ふーん、そうなんだ。じゃあ、今から私が蒼真さんを殺すとしたら――」

 刹那、一振りの白刃が煌めく。

 目にも止まらぬ高速の抜刀術。音もなく引き抜かれた刃は、芽衣子の喉元に突き付けられていた。

「急にどうしたの、剣崎さん? 危ないなぁ」

「双葉……今、本気で殺気を発したな」

「殺気? あはは、なにそれ、漫画の話? そういうの、気のせいって言うんじゃないのかな」

「ふざけるな!」

 ピタリ、と明日那の持つ『清めの太刀』の刃が芽衣子の首筋に押し付けられる。ほんの僅かでも引かれれば、その瞬間に乙女の柔肌を切れ味鋭い刀身が無残に引き裂くだろう。

 冗談では済まされない凶行。しかし、先に動きを見せたのは芽衣子であるという確信が明日那には、いや、桜も涼子も、感じているに違いない。

 殺気、という気配は、紛れもなく存在する。少なくとも、この魔法の異世界では、分かるのだ。『双剣士』として鋭い知覚能力も有する明日那には、殊更にハッキリと感じられてならない。

 そしてソレを、芽衣子もまた同様に察知しているということは、肩を並べて戦えばすぐに分かる。彼女は自分と同じくらいには、鋭く魔物が発する殺気を感じ取り、立ち回っていると。

「怖がらせちゃったみたいだね、ごめんなさい。でも、私の言いたいことは分かるよね? 今、蒼真君はいないんだよ。もし、私が本気で蒼真さんに斬りかかっていたら……ねぇ、蒼真くんは、助けてくれたかな?」

「それはっ――」

「待って、桜、落ち着いて……分かったわ、双葉さん。確かに、私達は悠斗君に頼りすぎていたかもしれないわ。戦力的にも、精神的にもね」

 涼子は不満げに口を尖らせる桜をなだめると同時に、明日那へ剣を引くよう目で訴える。察しの良い友人は、鮮やかな動作で長い刀身の太刀を鞘へ納めてみせた。芽衣子の首筋には、一ミリも傷痕を残さずに。

「別に、そのことを責めるつもりはないの。蒼真君は強いから、頼りにしちゃうのも分かる」

 話に聞く限り、蒼真悠斗は運命に導かれるが如く、タイミングが良い。妹を襲う鎧熊の時も、明日那と小鳥を追い詰めたボスゴーマの時も。勿論、ケルベロス戦でも。助けに入るタイミング、強くなるタイミング。全てが絶妙だ。あるいはその運の良さも、蒼真悠斗の力の一つというべきなのかもしれない。

「でも、それを言い訳にして、何もしない、精一杯努力しないのは、私には許せない」

「それは、どういう意味かしら。私達は、みんなで力を合わせて、このダンジョンを脱出しようと、頑張っているじゃない」

「それじゃあ、どうして小太郎くんを認めてあげないの? 彼の指示に従いたくないのは、プライドが許さないから。彼のことを下に見ているから。そんなに自分より弱い男の言うことは聞きたくないの? それとも、自分の好きな男以外の言うことだから、聞きたくないのかな」

 些細なことにこだわっている場合ではない。泥を啜ってでも生き残りたい。そういう覚悟が、あるかどうか。いや、なくても、するのだ。

「小太郎くんは弱いよ。でも、だからこそ、弱くても生き残る方法を彼は知っている。知らなくても、考え出せる。それは、力に頼る私や剣崎さんにはできないし、無力に怯えることしかできない、かつての私や小鳥遊さんにも、できないこと」

 あるいは、強い力を持ち、幸運の女神にさえ愛される、『勇者』蒼真悠斗にも、できない。奇跡に頼らず、手持ちの札のみを駆使して最善を尽くすということを。

 言外にそう語っているように思えたのは、涼子だけだろう。蒼真悠斗をあえて引き合いに出さなかったのは、芽衣子なりの気遣いか。

「ねぇ、お願いだから、少しは小太郎くんの言うことも、聞いて欲しいの。心配しないで、小太郎くんは無茶なことは言わないし、いつも気遣ってくれる。だって、こんな私でも、見捨てずに――」

「信用できない」

 芽衣子の訴えを、明日那はきっぱりと言葉の刃で切り捨てた。

「明日那っ!」

「いや、分かっている、涼子。双葉の話にも一理はある、と言いたいのだろう。私とて、双葉の言い分を理解するくらいはできている」

 そこまで分かっているなら、何故。問う、涼子。

「感情的、というならその通りだろう。だが、私は桃川をとても信じられない。命を預けるに値しない、という言葉、そのまま返すぞ、双葉」

「……どうして、と一応は、聞いてあげる」

 どこまでも冷めた無表情を貫く芽衣子に、恐れることなく正面から睨みつけて、明日那は言い切る。

「前の妖精広場の一件も、小鳥を無碍に突き飛ばしたことも、アイツを信用しない理由としては十分だが……あえて言おう。私は、自分より弱い者に従うつもりはない」

「それは、女として?」

「否、剣崎流の剣士として!」

 明日那の答えを、笑う者は誰もいなかった。あまりに時代錯誤な物言い、というより、いっそサムライに憧れる痛々しいオタク、という方がしっくりくる。少なくとも、現代日本でそんなことを真顔で言える人間は、そのテの輩しかいないはず。

 しかし、友人だからこそ、蒼真桜も、如月涼子も、剣崎明日那という少女がどういう人物であるかを知っている。その人となりだけではない。彼女がこれまで積んできた、厳しい剣術の鍛錬、その努力と、それに対するひたむきさも、理解しているからこそ。

「ふーん、そうなんだ。それじゃあ、私が剣崎さんより強ければ、大人しく私の言うことに従ってくれるんだ?」

「一対一の決闘で勝てば、私は桃川だろうが、お前だろうが、従ってやろう」

「うん、良かった。それじゃあ話は簡単だね――決闘、しよっか」

 そう、双葉芽衣子は友達同士で買い物に行く約束でもするかのような気軽さで、言い放った。

「ちょっと待って! そんなのダメよ、というか、いいわけないでしょ!?」

「止めるな、涼子。私は正気だし、本気だ」

「そうだよね。だって剣崎さんって、蒼真君に決闘で負けたから婚約するって話もあったもんね」

 剣崎明日那が決闘で大事な選択を決定する、という前科はすでにある。クラスで知らない者はいない。いや、蒼真悠斗との婚約騒動は、最早、白嶺学園の生徒全員が知る伝説である。

「涼子、明日那がここまで言うなら、もう止められませんよ」

「でも、だからって……仲間同士で、争っている場合じゃ……」

「ごめんね、委員長。でも、剣崎さんとは、こうでもしないと分かり合えないんだって。だからきっと、本当の仲間になるためには、これしかないんだと思うの」

 決闘に乗った張本人に慰められるという滑稽な状況に、涼子はもう涙を流して泣き出したい気分だった。というか、もうすでに、涙目だった。

「明日那も、双葉さんも、本当にこれでいいのね?」

「ああ、双葉が私に勝てば、言い分に従おう」

「剣崎さんが勝てば、私はもう、小太郎くんをリーダーにしようなんて言わないよ」

 流石に、負けたら勝った者の言いなりになるという約束まではきないけど、と芽衣子は続けるが、明日那は了承する。

「お前は別に剣士ではないからな。その条件で十分だ」

 明日那の言う剣士とそうでない者との明確な線引きなど、芽衣子は全く分からないだろうが、話はそれでまとまった。

「まさかとは思うけど、武器で切り合ったりはしないわよね」

「死なせてしまったら意味はないからな、お互いに」

 いくらなんでも、それくらいの分別はあったようだ。しかし、きっちり確認しておかないと、涼子としては安心できないだろう。

「それじゃあ、素手でやるの? あ、でも、剣崎さんは『双剣士』だし、うーん、じゃあ、妖精胡桃の木の枝を木刀代わりにしてやろうか?」

「私は素手でも構わないが、その方が遺恨もなさそうだ」

 お互いにとって、武器がないせいで負けた、などと言い訳されては困るだろう。

「お願いだから、怪我しないで……とは言わないけど、せめて、桜が治せる範囲の負傷にしてちょうだい」

 涼子としては、もうそれくらいのことしか言えなかった。

 かくして、双葉芽衣子と剣崎明日那は、互いの主張をかけて決闘することと相成った。

第55話 剣崎明日那

「ふーん、そうなんだ。それじゃあ、私が剣崎さんより強ければ、大人しく私の言うことに従ってくれるんだ?」

「一対一の決闘で勝てば、私は桃川だろうが、お前だろうが、従ってやろう」

「うん、良かった。それじゃあ話は簡単だね――決闘しよう」

 まさか、女相手にこうも堂々と決闘を申し込まれるとは、剣崎明日那は思いもよらなかった。

 自分が、ごく一般的な女子高生とはかけ離れた感性の持ち主であるという自覚は持っている。そのことに悩んだ時期もあったが、高校生の今となっては、心も決まった。

 そう、自分はただの女ではなく、剣崎流の剣士であるのだと。

 だからこそ、女でありながら戦いを恐れぬ覚悟を持つ、双葉芽衣子の存在は異質である。

 いや、天職という戦うための力を得た今の状況だからこそ、女性の身であっても、戦闘という行為に自ら臨める精神性を獲得できたともいえよう。平和な日本では、個性的という言葉では言い足りないほどぶっ飛んだ常識の剣崎明日那だが、生きるか死ぬかのダンジョンへやって来たことで、ごく普通の女子も彼女と同じ感性にまで近づいたのだ。事実、陸上部員でしかない夏川美波も、今では明日那と肩を並べて立派に戦えている。

 だがしかし、その中でも堂々と決闘に挑める双葉芽衣子は、そんな彼女達の中でも異質。それが『狂戦士』という恐ろしい名前の天職の影響か、それとも、桃川小太郎による邪悪な洗脳の結果か。

 明日那としては、どちらでも構わない。決闘をすると約束した以上は、自らの誇りにかけて、挑むのみ。

「――準備はいいか、双葉」

「うん」

 二人がやって来たのは、妖精広場を出たすぐ先にある土の広場。小太郎と芽衣子が鎧熊を倒した場所とよく似た、何もないグラウンドのようになっている。また、いつ魔物が乱入してくるか分からないが、妖精広場のど真ん中で大立ち回りをするのは気が引けた。

 ひとまず、軽く周囲と通路を見て安全確認はしている。長々と戦うつもりもないので、問題はないだろう。

「では、始めるぞ」

 決闘の場には、当事者たる芽衣子と明日那の二人きり。審判は、あえてナシとした。

 小太郎も桜も委員長も、誰もが二人に対して中立を貫ける立場にあるとは言い難い。下手に横槍が入れば、遺恨が残ってしまう。故に、何者の邪魔も入らないよう二人だけの決闘となった。

 開始位置は、自然と剣道の試合と同じような距離。明日那の手には『双剣士』らしく二振りの木刀が握れている。対する芽衣子の手には、櫂型木刀のような大振りな木剣がある。どちらも、妖精胡桃の木の枝を素材として、小鳥遊小鳥を叩き起こして作らせたものだ。

 今回の決闘は命をかけたものではなく、互いの信条をかけている。これも遺恨がないよう、きちんとした武器を互いに持たせるという配慮だ。

 もっとも、寝ぼけ眼でワケも分からず木刀を作らされた小鳥としては、堪ったものではなかっただろうけど。

 ともかく、全ての準備も整い、いよいよ、剣崎明日那と双葉芽衣子の決闘は始まった。

「いつでも、いいよ」

「では……いざ、尋常に、勝負!」

 明日那は芽衣子のことを、侮ってはいない。彼女の戦闘能力は、最早、本物の戦国武将もかくやというほど力強く、荒々しい。剣道の大会でも、剣術の非公式試合でも、明日那を唸らせる猛者は何人かいたが……『狂戦士』双葉芽衣子ほど迫力を持つ者はいない。

 事実、天職の力がある以上、今の芽衣子は現実に存在する達人よりも強いだろう。その身体能力も、自衛隊のレンジャーさえも軽く凌駕する。

 普通の人間では決して到達しえない、化け物じみた強さ……しかし、それは明日那とて同じこと。

 今の私は、お父様よりも、最盛期のお爺様よりも、遥かに強い。

 剣術の腕は及ばずとも、この身に宿る能力はささやかな技術の差など軽く覆せる。

 明日那も芽衣子も、共に人間離れした身体能力を持つのは同じ。ならば、強さは技術の差によって決まる。

 双葉芽衣子は、狂戦士の力を十全に発揮するだけの戦闘経験を確実に積んでいる。度胸も気迫も凄まじい。だが明日那も同じくダンジョンを進んできた以上、魔物相手での実戦経験を積んでいる。二人の間に、そこまで大きな経験の差もないだろう。

 ならば、幼少のみぎりより、剣術に打ち込んできた自分には、まだ大きなアドバンテージがあると、明日那は確信していた。

「ふんっ!」

 だから、開始早々、奇襲のように芽衣子が投げつけてきた木剣に対処することも、容易であった。

 この程度、驚くことはない。普通の剣道部員だったら驚くだろうが、剣崎流剣士として、他の流派との非公式な試合経験もある明日那は、こういった手合いも慣れたもの。剣士を名乗っていても、短刀を飛ばしてくることはあるし、忍の流派なら大抵、手裏剣もクナイも投げてくる。

 普段なら弾くところだが、狂戦士のパワーで投げつけられた大きな木剣を、手裏剣を弾くのと同じように対応するのはまずいと考え、回避を選ぶ。

 素早く横にステップを踏んで避けた明日那に向かって、芽衣子が猛然と突撃を仕掛けてくる。元より、さして遠くもない位置からスタートしているのだから、彼女の脚力をもってすれば、距離を詰めるのは一瞬。

 だが、その速さを見切るだけの能力と勘と経験とを、明日那は持っている。

 突進の勢いを殺し切るのは無理と断じて、さらにもう一つ、ステップを刻む。

「これでっ――」

 紙一重で、通り過ぎていく芽衣子。回避が成功し、ガラ空きとなった背中に向けて、明日那は二つの木刀を叩きつけた。

「――終わりだ!」

 手加減はしない。それができる相手でもないと、明日那は芽衣子を認めている。しばらく立ち上がれないほど悶絶するに違いないダメージが入っただろうが、蒼真桜の治癒魔法があればすぐに治る。

 確かな手ごたえを感じ、自身の勝利を確信した明日那に、

「はぁあああああああああああああああああっ!」

 狂った獣が、牙を剥いた。

「なっ――」

 芽衣子は背中に叩きつけられたダメージの影響をまるで受けることなく、そのまま体を素早く翻し、木刀を振り切った直後の明日那へと飛びかかった。

 まるで自分の攻撃が当たっていなかったかのような動きもさることながら、その間髪いれない反撃に、さしもの明日那も対応が一瞬、遅れる。

 だが、かろうじてバックステップが間に合う。芽衣子の伸ばした手に掴まれることなく、ギリギリで避けた――

「くうっ!?」

 そこに、芽衣子は手に握り絞めていた砂を投げつけてきた。いつ拾ったのか、それとも、最初から持っていたのか。どちらにせよ、嫌なタイミングで仕掛けられた目つぶしによって、明日那はさらに無理な回避を迫られる。

 大きく体を振って、まき散らされた砂から逃れ、どうにか視界を奪われることだけは避けたが、それで限界だった。

「あっ――」

 腕を掴まれた。

「木刀じゃあ、私は殺せないよ」

 微笑む芽衣子の顔を見て、明日那は悟った。決闘、という命の安全が保証された儀式。木刀という非殺傷武器を使った時点で、芽衣子の勝ちが決まっていた。

 当てれば勝ちだという、試合的な決闘ルールだと思い込んでいた、明日那。けれど、芽衣子は倒した方が勝ちという喧嘩ルールに基づいて、行動していたのだ。

 明日那が木刀の一撃を決め、勝負が決まったと思ったその瞬間を、芽衣子は最初から狙っていた。それ以外に、経験の差で勝る明日那を捕まえられないと、そう考えたのだろう。

「はあっ!」

 芽衣子の気合いの声と同時に、視界は反転する。直後、明日那の背中を凄まじい衝撃が駆け抜ける。掴まれた腕で、そのまま投げられた。空いた方の手で受け身はとってみたものの、そんなモノは無意味なほど、勢いよく地面に叩きつけられた。

「かっ、は……」

 肺の中の空気が全て押し出されてしまったような感覚。全身を襲う鈍痛の中、明日那はとにかく、大きく息を吸い込もうと、

「ふん!」

 したところに、芽衣子の爪先が腹部を突く。サッカーボールを蹴るように、一切の容赦も躊躇もなく叩きこまれたキックが、明日那の細く引き締まった腹部に炸裂した。

 体をくの字に曲げて吹き飛んだ明日那は、ドっと地面を転がってから、腹を蹴られた強烈な痛みに呻く。喉の奥からこみ上げてくるモノを吐き出さないよう、必死に堪える。

 だが、芽衣子の足という無慈悲な鉄槌は、再び叩きこまれた。

「ぶっ、うげぇっ――」

 血反吐混じりのゲロを、盛大に口から吹き上げる明日那。端正な美貌が苦痛にゆがみ、吐瀉物をまき散らす悲惨な彼女の姿を、芽衣子はゴキブリでも踏みつぶしたかのように、冷たい軽蔑の眼差しで見下ろしていた。

「ねぇ、剣崎さん、痛い?」

 朦朧としかけた意識だったが、芽衣子の問いかけは何故かはっきりと聞こえた。

「ぐっ、うぅ……な、なん、だと……」

「痛いか、って聞いてるの」

「こ、この程度の痛みで……私が……」

 ガツン、と視界が一瞬暗転。すぐに戻ってきた視界の中で、明日那は口の中に広がる鉄臭い味と、鈍痛と共に鼻が詰まった感覚を覚えた。

 顔面を蹴られた。鼻血は両穴から流れ、さらに明日那の綺麗な顔を汚して見せた。

「どう?」

「うっ、わ、私は……」

「まだ、足りないみたいだね」

 今度は、顔と腹、両方蹴られた。転がった明日那の体は土に塗れ、ぐったりと倒れ込む。だが、そこで芽衣子の問いかけはなかった。そのままドリブルでも続けるように、明日那を蹴飛ばし、地面の上を転がし続けた。

「はっ、あぁ……ま、待て、やめろ……私の、負けだ……」

「鈍いね、剣崎さん。決闘の勝ち負けなんて、聞くまでもないでしょ。私は、痛いかどうかって、聞いているの」

 これみよがしに、明日那の頭上に足を振り上げる。見上げた、この上靴の靴底が降り下ろされればどうなるか。その苦痛と屈辱は、考えるまでもない。

「ひっ……もう、やめてくれ……痛い、痛いから……」

 凛々しい女剣士の表情は、すっかり恐怖に怯える少女の顔となる。それを見て、芽衣子は満足そうに言った。

「そうだよ、剣崎さん。人を殴ったり、蹴ったりすると、痛いの。それは、とても痛くて、怖いこと。だから、暴力はいけないことなの」

 それはまるで、喧嘩をした幼稚園児に言い聞かせる保母さんのように、優しい語り口。

 しかしその一方で、芽衣子は振り上げた足を明日那の顔面へと無慈悲に振り下ろしていた。

「がああっ!?」

「分かる、剣崎さん。これが、暴力だよ」

 完全に鼻骨が折れ、痛みに呻く明日那に、芽衣子は尚も語り続ける。

「でもね、人は暴力に慣れるもの。自分が暴力を振るうことにはすぐに慣れて、その内、それを振るうことを望むようになる」

 何故なら、それは人間の本能に根差した快楽に繋がるから。支配欲、征服欲。自分が他人より勝る優越感。そして、時には暴力を肯定する正義感まで。一方的に暴力を振るうことは、実に様々な快楽を与えてくれる。

「剣士の誇り? 弱い者には従わない? 笑わせないで、自分が暴力を振るえる強者だから言える、戯言以下の醜い言い分だよ」

 強いからこそ、プライドを持てる。自分が強いからこそ、弱い相手を見下せる。

「剣崎流の剣士だ、なんて言っちゃって、可哀想だよね、剣崎さん。小さい頃から、ずっと修行してきたんでしょ? 女の子なのに、あの蒼真君と張り合えるくらい、強くなったんだから」

 そう、剣崎明日那は強い。一年の時にあった、婚約をかけた蒼真悠斗との決闘は、接戦であった。剣の腕は明日那の方がやや勝る。しかし、蒼真悠斗は男としてのパワーと、さらに、剣崎流剣術にはない、蒼真流の体術を駆使して、辛くも勝利を拾ったのだ。

 当時の蒼真悠斗も、全力を出し切らなければ勝てなかった、名勝負である。

「だから、勘違いしちゃったんだよね。誇りという大義名分で、自分の暴力を正当化した。本当の暴力が、どんなに恐ろしいものか、知らないまま――」

 今度は足ではなく、芽衣子が体ごと降ってくる。いわゆる一つの、マウントポジション。

 痩せた今となっても尚、豊満な体つきの上に、二年七組の女子で最高の身長を誇る大柄な芽衣子がドスンと腹の上に乗っかり、明日那は強い圧迫感にあえぐ。

「――だから、私が教えてあげる」

 聖母のような穏やかな微笑みを浮かべて、芽衣子は固く握った拳を、すでにして酷い怪我を負った明日那の顔面に叩き込んだ。

 それは、どこまでも理不尽な暴力。

 剣崎明日那、過酷な剣術修行を続けた彼女が、初めて体験する、純粋なまでの暴力であった。

「ああっ!」

「この痛みは、小太郎くんの痛み」

 痛みには、慣れているはずだった。

 痣や打撲は当たり前。激しい稽古の結果、骨折することもあった。試合の中で、運悪く相手の木刀が目を突き、危うく失明しそうになったことさえある。

 けれど、それはあくまで『危険』であって『恐怖』ではない。

 稽古の時も試合の時も、負傷をすれば誰もが治療の為に駆けつけた。あの厳格な父親でさえ、明日那が大怪我をすれば、血相を変えて飛んできたものだ。

 そう、剣崎明日那は愛されていた。道場を営む剣術一家の家族全員は勿論、その門下生にも。他流派の試合相手であっても、高名な剣崎流を継ぐ一人娘の明日那に、敬意を表したものだ。

 痛みや怪我はある。けれど、そこに恐怖はなかった。

「あっ、がっ……や、やめ……」

「この恐怖は、小太郎くんの恐怖」

 いつ、止まるとも知れない、暴力の嵐。明日那の身を省みず、ひたすら拳が叩きつけられる。

 女の子なんだから、顔の怪我には気を付けなさい。負傷を厭わず突っ込む自分に対して、そんな注意を父から受けたのは、十歳の頃だったか。常に剣士たれと教える父がそんなことを言うとは、これでも一応、娘として思っていたのかと、子供心に驚いたものだ。そして、それが少し嬉しくもあった。

 剣崎明日那は、剣士であり、同時に、女でもあり、その結果、彼女は誰もが振り返る凛々しい美貌の少女へと成長を果たした。

 そんな彼女の綺麗な顔は今、狂戦士の圧倒的な暴力の前に破壊される。

「分かる、剣崎さん。貴女は、こんなに酷いことを、小太郎くんにしたんだよ」

 明日那の視界が、血で滲む。

「謝って」

 赤く霞んだ視界の向こうで、拳を振り上げる人影が、恐ろしくてたまらない。

「小太郎くんに、謝って」

 痛い。痛い。こんなに痛くて苦しいのに、どうして止めてくれないのだろう。

「小太郎くんに、酷いことしないで」

 止めて。

「小太郎くんに、痛いことしないで」

 助けて。

「これからは、ちゃんと小太郎くんの言うことを、素直に聞いてあげてね」

 朦朧とする意識の中で、明日那はようやく、拳の雨が止んだ事に気づいた。

 ああ、良かった。やっと、終わった。これで、助かる。

「だって、剣崎さんは、私に決闘で負けたんだから」

 いい、負けでも何でもいい。この苦痛から、この恐怖から解放されるなら、何でもいい。

「ほら、ちゃんと言って」

「……ご、ごめん、なさい……私の、負け、です……」

 ちゃんと謝ったから、負けを認めたから、だから、もう止めて。止めて、お願い。どうして、止めて、何で、助けて、嫌――もう、殴らないで。

 そんな心の声をかき消すように、最後に芽衣子は思い切り振りかぶった拳を喰らわせた。

 バキリ、と頭の中を突きぬけて行く鈍い音はきっと、心が砕ける音に違いない。その、鍛え上げた刀のように、誇り高き女剣士の心が、木端微塵に砕け散る音。

 絶望の音色の中で、明日那の意識はついに闇へと沈んだ。

「あはは、やった、小太郎くん。私、剣崎さんに決闘で勝ったよ。ふふ、喜んでくれるといいなぁ――」

第56話 反旗

「キャァアアアアアアアアアアアっ!?」

 という、いつもの小鳥遊さんの悲鳴が耳をつんざいて、僕は慌てて飛び起きた。

「うわぁ!? なんだっ、敵襲かっ!?」

 キョロキョロと辺りを見渡すが、魔物の姿は見えない。いつもの見慣れた妖精広場に、まだちょっと見慣れないメンバー達の姿が。どうやら、僕が仮眠していた噴水とは反対側の女子エリアで、女子連中で集まって何やら騒いでいる。三人集まれば姦しい、なんて聞くけれど、今の悲鳴は流石にちょっと緊急事態を思わせる響きだった。叫んだのは小鳥遊さんだけど、委員長や夏川さんも似たような反応だ。

 うん、アレは間違いなく、何かあったようだ。

「あのー、ちょっと、何かあった? 大丈夫――」

 何て呑気に問いかけた僕の言葉は、それを目にした瞬間に凍りついた。

「あ、小太郎くん。やったよ、私、剣崎さんとの決闘に勝ったんだよ!」

 これで剣崎さんは、小太郎くんの言うことを何でも聞いてくれるよ、という朗らかな奴隷宣言は、僕の耳を右から左に通り抜けていく。

 にこやかな笑顔のメイちゃんが、ごみ袋でも引きずっているかのように、無造作に掴んでいるのが剣崎明日那であった。

 後ろの襟首を掴まれて、ぐったりと力なく手足を投げ出している。ピクリとも動かないのは、まるで死体のようだ。それも、凄惨な暴行事件の被害者にでもなったかのように、酷い有様の。

 顔が、酷く腫れていた。ありていにいえば、ボコボコだ。痣で青くなる、なんてレベルを遥かに超えて、赤黒く変色したように顔面全体が腫れ上がっている。剣崎明日那の、凛々しい美少女の面影は、どこにも見えなかった。

「あ、う、嘘……明日那……」

「そんな、なんてこと……」

 剣崎さんの変わり果てた姿に息をのむのは、僕だけでなく、蒼真さんと委員長も同じ。夏川さんと小鳥遊さんなど、もう声も出ないほどに震えあがり、小動物のように身を寄せ合って固まっているだけだった。

「どうしたの皆、大丈夫? あ、もしかして剣崎さんのことを心配しているの? あはは、それなら大丈夫だよ、ちょっと気絶してるだけだから――」

 えい、と可愛らしい掛け声と共に、空き缶でも放り投げるような気軽さでもって、メイちゃんが剣崎さんの体をぶん投げた。とても人に対する態度ではない、物扱いである。

 ゴロゴロと粗大ごみのように転がった彼女の体は、ちょうど蒼真さんの足元で止まった。

「はい、蒼真さん、早く治してあげた方がいいよ」

 蒼真さんは、呆然とした表情で剣崎さんを見下ろすだけで、治癒魔法を使う様子はない。現状を理解できていないのか。それとも、この残酷なまでに無様な姿の少女を、友人であると信じたくないのか。

「――剣崎さん!」

 ボーっとしている場合じゃない。剣崎さんは、かなりの重傷だ。下手したら、外傷だけじゃなくて、頭に致命的なダメージが入っているかもしれない。

 恐らく、顔面を執拗に殴られ続けたのだろう。それも、ただの人間ではなく、恐るべき狂戦士のパワーを持つ、メイちゃんに。僕だったら一発だけでも耐えられるかどうか分からないのに。

 ポケットの中から携帯用に小分けにしておいた傷薬Aの入った袋を取り出しながら、僕は地面に力なく身を横たえる剣崎さんの元へ駆け寄った。

 うわっ、近くで見ると、本当に酷い。目を背けたくなるほど。それでも、呼吸はしているし、手首の脈もある。死んでるようにしか見えないけど、どうやらメイちゃんの自己申告の通り、気絶状態にあるとみえる。

 だからといって、安心などできる状態ではない。僕は袋に手を突っ込んでどっぷりと薬をとると、緊張と動揺に震える指先で彼女の顔にそっと塗り始める。

「蒼真さん! 早く治癒魔法をかけて!」

「えっ、あ……」

「手遅れになるかもしれないから! 顔に一生傷痕が残ってもいいの!?」

 僕の必死の呼びかけにようやく我を取り戻したのか、蒼真さんは祈るように手を重ねて、僕には聞き取れない魔法の詠唱を始めた。

「お願い、明日那を癒して――『癒しの輝きヒーリングライト』っ!」

 ぼんやりとした優しい輝きが、剣崎さんの頭を包み込む。すると、流石は聖女の治癒魔法。見る見るうちに腫れは引いていき、ひとまずは、顔を直視できる程度には回復した。

 けれど、『癒しの輝きヒーリングライト』は魔法の力で一時的に元通りにするだけだから、こうして薬もちゃんと塗っておかないと、効果が切れるとまたすぐに腫れ上がってくるだろう。完治するには少しばかりかかりそうだけど、僕の傷薬Aなら、とりあえず動くに問題ないくらいには。一日もかからず治してくれるだろう。

「はぁ……」

 ひとまず治療も終えたところで、僕は重苦しく息を吐きながら、恐る恐る、顔を上げてメイちゃんを見た。

「あれ、こ、小太郎くん……?」

 酷く、困惑した表情をメイちゃんは浮かべている。正直、困惑しているのは僕の方なんだけど。

 少なくとも、剣崎さんがボコられた姿を見て、「あははっ、暴力女ザマァ!」とは、とてもじゃないけど喜べない。たとえ嘘でも、こんな酷い姿を見せられては、笑顔なんて浮かべられないよ。自分でも、今の顔が眉をしかめて険しい表情に強張っているのが分かる。

「どうして、こんなことしたんだよ」

 まずは、これを聞かないことには始まらない。僕の聞き間違いでなければ、何やら、剣崎さんと決闘したとか、それで勝った、とか言っていたような気がするんだけど。何がどうなって、そんな決闘騒ぎになったのか、僕には皆目見当がつかない。

「え、あれ、何で……喜んで、くれないの?」

「喜ぶわけないだろっ!」

「あ、あの、私……ごめんなさい……小太郎くんのためだと、思って……ごめん、なさい……」

 しまった、焦りのあまりに、声を荒げてしまった。

 メイちゃんの解答は要領を得ない。そんなに、僕のリアクションが予想外だったのだろうか。あるいは、少しばかり恨みはあるけれど、それでこんなに女の子がボコボコにされて喜ぶような外道だとでも思われていたのか。

 ああ、ダメだ。何が何だか分からな過ぎて、ロクに頭が回らない。メイちゃんは今にも泣き出しそうな、というかもうすでに薄らと涙を円らな目の端に浮かべて、とても冷静ではない。

 ぶっちゃけ、僕だって今すぐ泣き出したい。メイちゃんが剣崎さんを一方的にボコった。この状況は、確実に今後のパーティ関係に修復不能なほどの亀裂を生むことになるだろう。

「分かった、いい、もういいよ、メイちゃん。大丈夫だから。落ち着いて、無理に話そうとしなくていいから」

「で、でも、でもぉ……私は、ただ……うぅ……」

 こうしていると、ダンジョンで出会ったばかりの頃を思い出すなぁ、なんて、現実逃避的に浸っているわけにはいかない。ともかく、状況確認ができないと、対処のしようがない。

「あの、委員長は、何があったのか、分かる?」

「……ええ、説明するわ、桃川君」

「待って! 違うの、私は本当に、小太郎くんのために――」

「大丈夫、分かってるよ、分かってるから、メイちゃん。ありがとう、僕のために、やってくれたことなんだよね」

 今にも震える両腕で委員長に掴みかかりそうな雰囲気だったから、僕は慌てて、メイちゃんの手を掴んだ。とても鎧熊を殴り殺したとは思えない、白くて細い、綺麗な手を、握る。温かい。こんな状況下でも、ちょっとドキドキと異性を意識してしまう自分に嫌悪感が募った。

「こ、小太郎くぅん……」

 とうとう、さめざめと涙を流して泣きじゃくり始めるメイちゃんを、大丈夫大丈夫、と慰めながら、僕は貴重な真実の証言者たる委員長へと、視線を向けて話を求める。

「ごめんなさい。こんなことになるのなら、無理をしてでも止めるべきだったわ……桃川君、決闘を言い出したのは、明日那の方なの――」

 そうして、委員長は教えてくれた。

 彼女達も、明確にリーダーを決めようと相談していたこと。そこに、メイちゃんが割って入って、僕こそがリーダーに相応しいと熱弁を振るったこと。

 彼女の意見に一理はある、と認めようとした時に、剣崎さんが強く反発した。自分より弱い奴には従えない、と。どんな誇り高い戦士キャラだよ、とツッコミたくもなるが、あの剣崎明日那ならそういうことを言い出してもおかしくはない。

 そして、売り言葉に買い言葉、というべきなのだろうか。ならば、お前より強ければ言うこと聞くんだな、とメイちゃんが決闘で白黒つけようと言った。そして、それを剣崎さんは自信満々で受けて立ち――今に至ると。

「そ、そんな……なんてこった、本気でそんなことするなんて……」

 もう溜息しか出てこない。あまりに荒唐無稽な話の流れだ。お前らは週刊少年誌で連載している格闘マンガの登場キャラかよってくらい、血の気の多すぎる展開。しかも、それをやってのけたのが、女の子同士というのがもう意味が分からない。

 女の喧嘩って、もっとこう、靴に画びょうを仕込むとか、トイレ入ってる時に上からバケツで水ぶっかけるとか、援助交際しているとデマを流すとか、そういう物理ダメージ一割、精神ダメージ九割、みたいな精神攻撃が中心になるんじゃないのかよ。なんだこれ、100%物理攻撃じゃないか!

「本当にごめんなさい。よくない結果になることは、分かり切っていたけれど……何としてでも、止めきるべきだったわ」

「いや、委員長だけの責任じゃないよ」

 因果応報、といえば蒼真さんあたりが文句を言いそうだけど、正直、僕はそう思う。決闘を言い出したのはメイちゃんだけど、それは相手がこの剣崎明日那だからこそ。実質、剣崎さんが言い出したも同然だ。

 覚悟はあっただろう。怪我の一つや二つ。勝負が甘いものではないということも、彼女なら知っていたはず。そして、メイちゃんの狂戦士としての力を多少なりとも見ていれば、決して楽勝できる相手でないということも、理解していた。

 それでも、彼女は決闘を承諾した。その結果、手酷い傷を負って敗北しても、結末としてはありえるものの一つに過ぎない。勝つか負けるか、二つに一つ。まさか剣崎さんだって、絶対に自分が勝てると確信できる、格下にしか決闘を挑まないクズではないだろう。格ゲーの初心者狩りでもあるまいに。

 その覚悟を背負って負けたのなら、甘んじてこの負傷も受け入れるべき。そして、約束の通り、剣崎さんはメイちゃんの言うことに従う。奴隷のように。それだけのことを、彼女は賭けたのだから。

 と、そんな結果をみんなが納得できるはずもない。この酷い有様を見れば、僕だって感情的に思ってしまう。やり過ぎだと。

「うっ、うぅ……ごめんなさい、小太郎くん……私、こんなことに、なるなんて……」

「いいんだ、僕のことを、いや、これからのみんなのことを思って、メイちゃんは言ってくれたんだから」

 それから、ややしばらく、メイちゃんがすすり泣く声だけが、虚しく妖精広場に木霊した。

「――リーダーは委員長にしよう」

 そもそもの発端となった、リーダー議論を決着させるべく、僕は沈黙を破って言い放った。

「えっ、でも、私は……桃川君は、それでいいの?」

 あからさまに困惑の表情の委員長。蒼真桜は、てっきり僕がリーダーと言い放つのかと思っていたのか、やけに驚いた顔をしていた。

 夏川さんと小鳥遊さんは、すでに話についていけないよーとばかりに、いまだに身を寄せ合って震えている。

「みんなとしては、蒼真さんか委員長、リーダーになるのは正直、どっちでも構わないといったところでしょ?」

「それは、まぁ……」

「ええ、その通りです。どちらがリーダーになっても、特に遺恨はありません」

「なら、僕は委員長の方を支持する」

 立候補者を除き、剣崎さん、夏川さん、小鳥遊さん、三名が「どちらでもよい」と投票を辞退しているなら、決定権は僕とメイちゃんに委ねられる。メイちゃんがこの期に及んで僕の反対意見を言い出すとは思えないから、実質、これで委員長に二票の賛成票が投じられることとなる。これで、決議を出す過半数意見の成立だ。

「一応、涼子をリーダーに推す理由を、聞いてもいいですか」

「蒼真さんとは、まだ誤解が解けてない、と言うべきなのかな……僕のことを、あまり信じてくれていないから」

 要するに「お前、俺のこと嫌いだろ」ということである。でも、あえて波風の立つ物言いはするべきじゃない。まして、僕みたいな弱者はね。

「確かに、私は桃川君のことを信用していません。ですが、私はそれで扱いをあからさまに差別するような、卑劣な人間ではありません。そう思われるのは心外です」

 まぁ、よほど察しの悪い奴じゃなければ、僕の本当の言い分に気づかないはずもないか。蒼真さんは、ちょっとムっとした表情である。

「別に蒼真さんの心根を疑ってるワケじゃないけど、でも、委員長にはこれまでも色々と庇ってもらったからね。リーダーとして彼女を選ぶのは当然だよ」

 蒼真さんと委員長、その信頼度など、比べるべくもない。

 ぶっちゃけ、僕はもう蒼真桜との関係修復は不可能だと思ってる。彼女は人間的には正しい。だが、潔癖だ。そして、感情的。一度でも嫌った相手には、容赦がない。土壇場になれば、彼女は何の躊躇もなく僕を切り捨てるだろう。あるいは、悪意もなく、無意識に死地へ差し向けるような命令を出しそうな気さえしてくる。

 その点、委員長はかなりの安パイだ。みんなを公平に見ている、それこそ、こんな僕の肩だって持つことも――なんて、素直に評価するほど僕はお人よしでもない。

 委員長が僕を庇ってくれるのは、他でもない、メイちゃんへの罪悪感があるからだ。剣崎明日那をここまでフルボッコにした以上、それに加えてかなりの恐怖心もあるだろう。一度見捨てた、罪がある。次は、自分がこうならない保証はない。

 だから、委員長はメイちゃんがいる限り、メイちゃんが信じる相棒である僕を、そうそう軽んじることはできない。

 恐怖心はシンプルであるが故に、絶対的。それに背くことはできない。委員長はよほどのピンチにでも陥らない限り、僕に無理をさせることはないだろう。だから、委員長のことは、信頼できる。彼女が、メイちゃんよりも弱い限り。

「分かったわ、私がリーダーになる。至らないところもあると思うけれど、みんな、よろしくね」

 パチパチと寂しい拍手で、委員長のリーダー就任を祝う。

 けど、これで終わりじゃない。どうせ、このパーティ全員が和解を果たすのは、もう不可能だ。だったら、僕は多少強引にでも、居場所は作らせてもらう。

 方針転換をする、覚悟は決まった。これを言い出したら、もう、後には引けなくなる。

 でも、言う。だからこそ、言うんだ。

「それと、もう一つ。メイちゃんが剣崎さんと決闘までして、僕をリーダーに推してくれたんだ。だから、それに応えたい――僕は、サブリーダーに立候補する」

「そっ、そんなの、認められるはずありません!」

「勿論、無理矢理になるつもりはないよ。公平に、多数決で決めればいい。蒼真さんが立候補しないなら、自動的に僕に決まるけど――」

「私はサブリーダーに立候補します。これで、私に決まりです」

「いいや、まだ決まらない。お互い、同数だよ」

 察しが悪いな、蒼真桜。お前の足元に転がってる奴が、誰だか忘れたのか。

「夏川さんと小鳥遊さんは、蒼真さんに賛成でしょ。でも、剣崎さんは――僕に賛成だってさ」

「なっ!?」

「そうだよね、メイちゃん?」

 ありがとう。これは、メイちゃんが勝ち取ってくれた、清く尊い、血塗れの一票だよ。

「あっ、小太郎くん……うん、うん、そうだよ! 私も剣崎さんも、小太郎くんに賛成するよ!」

 晴れやかに言い放つメイちゃん。良かった、ようやく、泣きやんでくれた。

「ふざけないでください! 桃川君、貴方は、人の意思を何だと思っているのですかっ!」

「意思も何も、これは剣崎さんの自由意思でしょ。負けたらメイちゃんの言う事を聞く。誇り高い剣崎流剣士の剣崎明日那さんが、そう誓ったんだよ。部外者の蒼真さんが、口を挟むことじゃあない」

「詭弁です!」

「それは、剣崎さんが起きたら本人に聞いてよ。決闘で賭けた約束なんて、嘘なんだろって。どうせ、ただの女子高生が冗談半分で口にする、軽い口約束なんだろうって、ね」

 剣崎明日那は裏切れない。その誇り高さが故に。メイちゃんには、もう逆らえない。そして、メイちゃんは僕のことを信じてくれる。

 本当にありがとう。メイちゃんのお蔭で、僕は剣崎明日那という駒を手に入れられた。多少の無茶は、これで通せる。

「僕は、あの剣崎さんなら、ちゃんと自分で言い出した約束は守ってくれると思うな。だから、メイちゃんが賛成してね、と『お願い』すれば、剣崎さんも本意ではないだろうけど、賛成してくれるはずだよ」

「そ、そんなことが……許されない、そんなの、許してはいけません……」

「ともかく、これで獲得票はお互い二つ。決定権は、委員長に委ねられたワケだけど――」

「涼子っ!」

 懇願するように、蒼真桜は叫んだ。委員長も、流石に僕がこんな無茶を言い出した以上は、危険と考えて二つ返事で蒼真桜をサブリーダーにするだろう。

 だから、ここは売り込もう。僕をサブリーダーにすることのメリットを。

「委員長、答えを出す前に、先に聞いて欲しいんだけどいいかな?」

「……何よ、桃川君」

「僕がサブリーダーになったら、基本的には委員長の指揮に従うよ。カマキリの時みたいに、奇襲を受けたような非常時でもなければ、僕が戦いで口を挟むことはしない。アドバイスが欲しいなら、いくらでもするけどね。僕も大したことはできないけど、それでも、みんなと協力して、精一杯、頑張ることを約束するよ」

「そ、そう、それは、どうもありがとう……それだけ?」

「もし、万が一だけど、僕がサブリーダーになれないなら……僕はこのパーティを離れる。メイちゃんと、剣崎さんを連れてね」

「っ!?」

 剣崎明日那は人質だ。蒼真悠斗とはぐれた以上、剣崎さんは蒼真パーティに残された貴重な前衛だ。小鳥遊さんというお荷物を抱えた状態で、果たして夏川さん一人だけで、前衛を支えきれるのかな。見ろよ、あの蟻の数を。そして、メイちゃんをして強敵と言わしめたカマキリ。まだ続く虫の洞窟を、お前ら四人だけで、無事に抜けられると思うなよ。

「悪いけど、ここで僕が支持を受けられないようなら、もうこの面子でやっていく自信はないよ。だから、多少の不満はあるかもしれないけど、そこは、こういう緊急事態だから、ちょっと我慢して、受け入れて欲しいと思うんだ」

 言いたいことは、それだけ。僕は手札を切った。ターンエンド。

「さぁ、選んでよ、委員長」

「……」

 気まずい沈黙が、再び場を支配する。本気で悩んでいるのか、それとも単なる悪あがきか。聡明な委員長なら、もう答えなんて出ているはずなのに。

「残念だけど、桜、桃川君の言う通りよ」

「そんなっ、涼子!?」

「悠斗君がいない今、私達に余裕なんてない。誰一人欠けても、この先を進むことは、きっとできない。仲間割れすることだけは、絶対にダメよ……いいわ、桃川君、貴方がサブリーダーよ。よろしくね」

 悲壮な覚悟を決めたように、委員長は険しくも、どこか疲れた表情で、僕へ手を伸ばした。

「よろしく、委員長。もう、一人の犠牲者も出さないように、頑張ろう」

 固く握手を交わして、この決定的に亀裂の入った、最悪のハーレムパーティが続くことに決まった。

第57話 横道一

 俺の名前は横道よこみちはじめ。ちょっとオタの入った、どこにでもいる普通の男子高校生だ。

 九月二十一日、今週もやってきやがった気だるい月曜日。はぁ、マジやってらんねぇ、こちとら深夜アニメのリアルタイム実況で寝不足だってのに、こんな朝っぱらに登校させてんじゃねぇよ。月曜日の登校時刻は午後にする。これくらい国の法律で定めておけよ、無能政治家どもめ。高い税金払ってんだぞ。消費税とか。

 と、そんな高度に政治的なことをつらつら考えながら、表向きは真面目な俺は時間通りにクラスへ到着した。

「ふぅー、ぶふぅー」

 めっちゃ息が切れる。ちくしょう、何でウチの教室は三階なんてバカみたいなところにあるんだよ。朝から疲れるだろうが。高い学費払ってんだ、エスカレーターくらい完備しろ。もう21世紀だぞ。

「ぶふっ、見ろよ、キモ豚が喘いでるぜ」

「マジでブーブー言ってね?」

「ちょっ、やめろって、もう豚の鳴き声にしか聞こえてこないべや」

 おい、聞こえてんだぞ、雑魚モブ風情の上中下トリオが。ガチで喧嘩したら、圧倒的にウェイトに勝る俺の方が強ぇんだよ。そんなことも分かんねーのかよ、格闘素人が。

 あー、クソ、今日はマジで胸糞ワリぃ。ムカつく、クソ雑魚どもが。

 けど、面倒事は起こさない。平和主義者の優しい俺は、あのクソどもをちょっとばかり睨みつけてやるだけで、許してやる。

 ふん、雑魚め。俺がちょっと睨んでやっただけで、話を止めやがった。俺の殺気にビビってやがるな。所詮、あんな雑魚なんて俺の鋭い眼光だけで――

「――おい、キモ豚、なに見てんだよ」

「ぶうっ!? べ、別に……」

「あ? 見てただろうが。何か言いてぇことあんなら、言ってみろよデブ」

「ちょっと、止めなって樋口ぃー、横道めっちゃビビってんじゃん」

「イヤ、だってよ、杏子、今絶対――」

「つーか、さりげに名前で呼ぶなし」

「別にいいだろ、って、イテっ、やめれ、叩くな、やめれって」

 く、クソ……クソが……このクソDQNの樋口。上中下トリオを手下にして、猿山のボス気取りで調子に乗ってんじゃねぇぞ。テメぇだって、俺が本気出せばマジでヤレるんだからな。いつかシメる。ぜってぇシメる。

 樋口恭弥。いわゆる不良。この成績優良進学校の私立白嶺学園にあるまじき、ゴミクズみたいなDQN男だ。俺がこの世で一番嫌うタイプの、正真正銘のクズ。

 どうしてこんなヤツを平気で生かしておけるのか、日本の法律は緩すぎだろ。アイツみたいなDQNなんて即刻抹殺対象にすべきだろうが。ああいうゴミクズ野郎を野放しにしておくから、いつまでたっても世界は平和にならねぇんだ。

 俺が完全犯罪思いついたら、テメェは即ギルティーだぜ。

 今はせいぜい、そのクソビッチとつるんで、ヘラヘラ楽しそうにしてやがれ。

 ちっ、あのクソビッチ女、蘭堂らんどう杏子きょうこ、テメぇも俺のことを助けてやったとか、勘違いしてんじゃねぇぞ。クソDQN樋口と付き合ってるような女は、ソイツと等しくクズなんだからな。

 大体、この杏子とかいう女、もう見た目からして完全にビッチだ。援交してない方がおかしいレベル、一発三万とかで売ってそう。

 髪は見事に、染めた金髪。レイナみたいな天然モノじゃない汚ねぇ色しやがって、似合ってねーんだよドブス。化粧濃すぎ、ケバい、テレビに出てるモデル気取りの若作り女優ババァみてぇだ。

 おまけに、黒い。おいおいマジかよ、今時黒ギャルかよってほど、日に焼けた褐色肌。上中下トリオの女バージョンみたいな、取り巻きの雑魚ビッチ共でさえ、肌は焼いてないってのに。

金髪で肌黒いとか、もうビッチ以外の何者でもない。小5で処女卒業してそうなクソ女だ。

 でも、そのデカ乳とデカ尻だけは評価しといてやる。胸だけなら美少女揃いの我が二年七組でも一番。サイズも一番――と、双葉芽衣子という規格外のメスブタを除けば、一番だろう。俺には分かる。剣崎明日那と小鳥遊小鳥もかなりデカいが、遥かに杏子の方がデカいと。

 お前なんてさっさとAVデビューしろ。二回位は使ってやるから――ヤベぇ、ちょっと勃ってきた。

「ぶふぅー」

 落ち着け、俺、心頭滅却だ。この状況がバレたら、俺のクールなイメージが崩れてしまう。とりあえず、樋口と杏子がイチャつき始めた隙に、着席。

 ふぅ、やれやれ。こういう時は、あんなクソビッチではなく、本物の美少女を堪能して、心をリフレッシュするに限る。

「もう、兄さんから目を離すとすぐにこれです、少しは自重してください」

「あはは、そんなに心配するなよ桜。俺は大丈夫だって」

 教室の前の方で談笑している、蒼真桜。あの女は、間違いなくこのクラスで、いや、この白嶺学園で一番の美少女だ。顔、スタイル、性格、総合評価で満点。正に完璧美少女、神の造りたもうた造形美。

 でも、そんな桜に惚れるような奴は素人だな。俺みたいな玄人は、もっとこう、ダイヤの原石のような子に目を付けるのだ。

「ぶふっ……有希子……」

 机に突っ伏して寝るフリをしながら、ちょうどよく横の席に陣取る、俺の推しメンこと、長江ながえ有希子ゆきこを見つめる。

 有希子は地味で、小柄で、大人しくて、俺と同じように決してクラスで目立つようなタイプではない。今時の流行に反するような、ダサい黒縁眼鏡をかけている点も、文芸部に所属しているという点も、彼女の地味属性に拍車をかけている。

 けれど、俺は知っている。桜だとかレイナだとか、あるいは明日那だとか小鳥だとか委員長だとか、そういうのに夢中になる、見る目の無い奴らとは違う。だから、俺だけが知っている。有希子の魅力を。

「……やっぱ、似てる」

 柔らかそうなサラサラの黒髪のショートヘアに、黒縁眼鏡。抱きしめたら折れてしまいそうな、小さく華奢な体つき。そして何より、彼女の纏う儚げなオーラが――そう、俺がオタの道に入るキッカケとなった歴史的名作『鈴原ハルカは憂鬱』のヒロイン、長江ユキにソックリなのだ。というか、名前ソックリって、どんな奇跡だよ。

 運命だと思った。俺の大好きな、数多の作品を網羅、制覇してきた今でも『俺の嫁』不動の一位に君臨するユキ。二次元という次元の壁に隔たれた向こうにしか存在しない女神が、この、現実世界に降臨しているのだ。

 つまり、長江有希子は俺の嫁だ。

 そうして俺は、有希子だけをこのクソつまらない退屈な学校生活の中での唯一の潤いとしながら、今日という日を乗り越える――はずだった。


 ギ、ギギギッ、ギィイイイイイイっ!


 その不協和音と共に、俺の平和な日常は崩れ去る。向かう先は、剣と魔法のファンタジー世界。

 そう、ある日突然、このどこにでもいる普通の男子高校生である俺、横道一は、異世界召喚されることになったのだ。

 え、あれ、もしかしてこのパターンって――

「ぶっ、ぶふふっ、なれる……異世界に行けば、俺はっ、最強チートのハーレム王になれるうぅ!?」

 教室から漆黒の空間に放り出された時、俺はそんな歓喜の声を上げた。




「はぁああああああああああああああ!? お、俺の天職が『戦士』とかっ、はぁああああああああああああああああああ!」

 ふざけんな、何だよこのフツーすぎる天職は!? 戦士って何だよ、マジふざけんなよオイ、コレどう見ても雑魚かモブの職業だろうが! 戦士じゃ一見クソでも実は超絶チート性能みたいな展開も望めねぇ……俺は絶対、斧なんていうあらゆるゲームで不遇にして、あらゆるアニメでかませにされるクソ武器なんて使わねーからな!

「何でだよ、何で戦士なんだよぉ……この俺がぁ……」

 神様出てこいコラぁ! 俺を異世界に送ったのは手違いでしたっつって、白い空間で謝罪に来いよ! そして元の世界には戻せない代わりにチート能力満載で送り出せや!

 天職『戦士』ってどういう了見だよ、俺に死ねってのかぁ!?

「チート! 俺のチートがぁ!? よこせよ、限界突破の超絶ステータス! オンリーワンの固有スキル! 技盗ませろよ! 賢者の知識授けろよ! 超強い俺だけのオリジナル魔法とか現代兵器とか作らせろよ! 異世界行ったら最強になれるんじゃねぇのかよぉおおおおおおおおおおおおおお!」

 と、ひとしきり神のクソヤロウに正当な怒りをぶちまけたところで、俺は渋々、ハーレム王を目指してダンジョン攻略を始めましたとさ。

「――ふっ、ぶふっ、ふふ……あー、なるほど、こういうコトね」

 要するにコレってさ、成長チートってやつだよね? そうだよね?

「ぶふっ、なぁにが魔物だよ、ビビらせやがって。所詮、スライムレベルの雑魚ばっかじゃねぇかよ」

 俺が最初にぶち殺してやった獲物は、RPGの序盤に相応しいゴブリン、正式な名前はゴーマとかいうらしいが、異世界のルールなど知ったことか。俺はコイツをゴブリンと呼ぶ。

 ともかく、このクソ気持ち悪ぃゴブリンが、間抜けにも一匹だけでウロウロしていたから、俺は足元に落ちてたレンガみたいな石材ブロックを拾って、後ろから一発かましてやった。モンスター相手に容赦などしない。今は生きるか死ぬかの極限状況。俺は生き残るためなら、どこまでも冷酷になってやる(キリッ)

 まぁ、ゴブリンは一撃だった。はじめ、は、経験値3をてにいれた!

 いや、経験値とかないけど。つーか、異世界のくせにステータス画面も出ねぇのかよ。レベルアップシステムがないと、成長が分かりづらいだろうが。これはアレか、冒険者ギルドでギルドカードを手に入れないと、自分のステータス画面は見れない仕様なのか。

 まぁいい。ともかく俺は、最初のゴブリンを倒したことで、コイツが持ってた錆びた剣を手に入れた。握ったら柄はなんかベトベトしてるし、何か臭ぇし、最悪な武器だけど……くくっ、こう、本物の剣を持つと、血がたぎるっていうの? どうやら俺は、平和な学園生活の中では品行方正な紳士でいられても、その心は生粋の戦士だったようだ。

「ぶへへっ……負ける気がしねぇ」

 やせいのゴブリンがあらわれた!

 一匹目の奴のお仲間なのだろうか。俺が剣をちょうだいした辺りで、ゾロゾロと出てきやがった。でも、所詮はただの雑魚。

「俺の実力があれば、チートなんかなくても楽勝だっぜ!」


剛力フォルス・ブースト』:筋力強化。戦士の力強さ。


気力充填タフネス』:体中に活力が満ちる。疲れにくく、長い戦いの中でも勇気が湧き続ける。


反応速度強化アクセル・ブースト』:反応力強化。速度強化。敵の攻撃を見切り、弾く。


 戦士の初期スキル3つは、どれも大したことないステ上昇系のありふれたモノだ。でも、そのありふれた能力で最強クラスになれるのが、俺の実力だな。

 錆びた剣一本で、俺は十匹くらいのゴブリンどもを華麗に返り討ちにしてやった。


一閃スラッシュ』:斬撃攻撃力強化。鋭い一撃が、敵を斬る。


 そうして、早くも俺は武技を覚えた。

「ぶははっ! すげぇ、すげぇよ俺! めっちゃ強ぇ……どんどん、強くなるぅ!」

 ゴブリンとかスケルトンとかゾンビとかゾンビ犬とか、色々殺しまくった。殺せば殺すほど、俺は強くなる。レベル表記がなくても、分かる、分かるんだよ。俺のステータスがマジでガンガン上がってるって実感が湧く。スキルも武技も、新しいのを幾つも覚えた。

 ああ、これが、これこそが、成長の喜びってやつなのか。マジ凄ぇ。こんな経験したら、もうゲームなんてやってられねぇよ。あんなもんガキの遊びだわ。

「っしゃあ! さっすが俺! ツイてるぅーっ!」

 あきらかに宝箱ですっていうボロい箱から、俺はついにマジモンの剣を手に入れた。錆びた刃の剣なんてゴミだよね、使ってられるかよ。

 コイツは錆び一つない、新品同様の綺麗な刃だ。そして何より、デカい。刀身の幅はゴブリン剣の倍くらい広いし、長さも軽く一メートルは超えている。バスターソード、みたいな感じ? 知らんけど。

 けど、普通の人間じゃあとてもマトモに振るえないだろうってほどの長さと重さがあるのは間違いない。そう、普通の奴ならね。

 俺は違う。俺の力をもってすれば――ほら、この通り。ちょうどいい重さ。それに、群れてる雑魚をチマチマ切るのもダルいんだよな。やっぱ大剣で薙ぎ払ってこその無双っしょ。

「うほっ!? すっげ、コレすっげぇ!」

 ゴブリンとか、一振りで三匹まとめて切り飛ばしてやったぜ。強すぎる。俺、強すぎてヤバい。

 この大剣で雑魚を斬りまくる爽快感といったらない。ブシャブシャ飛び出る血飛沫が汚ぇけど、そんなもん気にもならないくらい、コイツをぶん回しているとハイになる。脳汁出まくり。

「ぶふぅー、もう雑魚とか相手んなんねーわ。そろそろボスとか出てこいよなぁ――」

 なんて、ダンジョン攻略にさらなる意欲を燃やしている、ちょうどその時だった。

「誰か、助けて――」

第58話 長江有希子

 長江有希子は地味な女子生徒だ。蒼真桜を筆頭に、それぞれ違った魅力でキラキラ輝くような美少女が揃った、宝石箱のような二年七組の教室にあっては、特に。少しばかり可愛らしい顔立ちをしているだけでは、目立てるはずがなかった。

 けれど、それでいい。有希子はアイドル願望があるわけではない。目立つのは苦手、注目されるのも苦手。静かに、ひっそりと、平穏な学生生活を送れれば、それでいい。いや、すでに有希子の生活には、ちょっと楽しい刺激もあるくらい、充実したものと変わったのだから、これまでにないほど幸せな時を過ごしていると、自分でも思えた。

 しかし、その幸せな学生生活は、九月二十一日の朝に、唐突に終わりを迎えた。

「うっ……なに、どこなの、ここ……」

 目覚めたのは、薄暗い石の部屋。謎の校内放送の説明を信じるならば、ここはすでに、異世界のダンジョンの中、ということになるが……ごく普通の女子高生である有希子に、すぐ現状を理解しろ、というのは酷な話であった。

 ひとしきり絶望に涙した後、有希子は結局、男の言葉通りに行動を始めた。

「天職……『氷魔術士』?」

 三つの初期能力、『氷矢アイズ・サギタ』、『氷盾アイズ・シルド』、『氷霧アイズ・ミスト』を得た有希子は、何はともあれダンジョンで散り散りになっているはずのクラスメイトを探し、勇気を振り絞って不気味な通路が続くダンジョン探索へと乗り出した。

「ひっ、い……な、なに、何なの、アレ……」

 攻撃、防御、そして霧を発生させることで攪乱や逃走に適した魔法まで揃える有希子だが、十全な戦闘能力があるからといっても、必ずしも戦えるというワケではない。銃の撃ち方を知り、装備はしていても、いざ戦場で撃てるとは限らないのだから。

 有希子には、野良犬サイズの赤い犬の魔物でさえ、氷の矢を撃ちこむことに躊躇してしまう。まして、人間離れした醜悪さでありながらも、確かに人型であるゴーマなど、相手にできるはずもなかった。

 有希子はただひたすら、恐怖におののきながら、必死に息を殺してダンジョンを進む。彼女が使う魔法は、敵に見つからないための『氷霧アイズ・ミスト』だけとなった。

「うっ、ぐすっ……もうやだ……やだよ、こんなの、いつまで続くの……」

 妖精広場で、うずくまっている時間が多くなった。けれど、どれだけ待っても助けなど来ない。クラスメイトは皆、この天職の力を頼りに、先へと進んでいるはず。仲の良い友達と、頼りになりそうなクラスメイトと、そして、何よりも大切な人との合流を果たすには、とにかく進むしかない。

 なけなしの勇気を振り絞って、有希子は自分の身を隠してくれる冷たい霧だけを頼りに、さらにダンジョンを進みゆく。自然、『氷霧アイズ・ミスト』の習熟度だけは高まり、任意で霧を展開できる操作性や、濃淡の調整。さらには、新たな魔法も習得するに至った。


幻影氷像アイズ・ミラージュ』:『氷霧アイズ・ミスト』の中で、自分の姿と同じ虚像を映し出すことができる。


 自在に操れる深い霧と、幻影のデコイを用い、幾度となく魔物の群れをやり過ごしてきた有希子。隠れることに関しては、かなりの実力となってきた。

 だがしかし、限界は訪れる。逃げ隠れするだけで、無事に進めるほどダンジョンという場所は甘くはなかった。

「はっ、はっ……いや、助けて……」

 背後から轟く、獣の呻き染みた怒声。それは、ゴーマの雄たけびだった。無力な獲物を追いかける、狩りの興奮と嗜虐の喜びとに満ちた、野蛮な叫びである。

 とある森林ドームの一角にて、有希子はとうとう、ゴーマの集団に捕捉されてしまった。

「いや……いやっ……」

 一度見つかってしまえば、有希子の隠密能力は半減。ゴーマの数をもってすれば、視界不良の霧の中でも、誰かはぶつかるだろう。

 必死に逃げる有希子。足は速い方ではない。そもそも、運動が得意じゃない。けれど、走る。どれだけ息が切れようとも、今にも足が折れそうになっても。

 相手はゴーマ。その残虐な食人の習性を、有希子は魔法陣の情報で知っている。たとえ知らずとも、あの醜悪な姿の鬼に捕まればどうなるかなど、考えるまでもない。考えずとも、本能が訴える。

 捕まれば死ぬ。無残に死ぬ。これ以上ないほどの地獄を見て、苦しみ抜いて死ぬことになると。

「いやっ……助けて……誰かっ――」

 助けを求めずにはいられない。誰でも良い。助けてくれるなら、誰でも良い。

「誰か、助けてぇえええええっ!」

 果たして、そこに救いの手は差し伸べられた。

「ヒャァッハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」

 突如として現れる、大きな黒い人影。それは、ギラリと輝く大振りの刃を携え――

「――『一閃スラッシュ』ぅううううっ!」

 一振りで、すぐ背後まで詰め寄っていたゴーマの集団を切り飛ばした。

「ひっ!?」

 首が、手が、足が、飛ぶ。人型をしたモノが、無残にもあっけなく、バラバラに切り裂かれる。しかし、それは表現の規制された映画やアニメと違って、どこまでもリアルに生物の死として、有希子の目に焼き付く。

 魔物であるゴーマ。けれど、その血の色は同じ赤であると、有希子はこの時、初めて知った。

「ぶふっ、ふふふっ! 死ね!」

 早々に獲物を諦めることはせず、ゴーマは雄たけびを上げて仲間の屍を超えて襲い掛かる。それを、大剣を振るう男は、嬉々として切り刻み始めた。

「死ね、死ねっ! 死ねよぉ、クソ雑魚!」

 嵐のように、滅茶苦茶に振り回される剣。型も太刀筋も何もあったものではない。しかし、強靭な膂力によって振るわれる大きな刃は、ただそれだけで十分な凶器となる。

「このっ、カスほど経験値にもならなそうな雑魚モンスがっ! 死ね、死ねよ、オラっ!」

 それは、戦いというよりは蹂躙。敵を剣でもって屠る一方的な殺戮であり、同時に赤い果実をミキサーで擦り潰すように作業的でもある。

「ぶひゃひゃひゃぁーっ! 死ねーっ! 死ね、死ね、死ね、死ね、オラオラオラオラオラぁ――」

 それは最早、絶対的なステータス差によってなされる、稚拙な無双よわいものいじめだった。

「――オレっ、強ぇえええええええええええええええええええええええええっ!」

 そうして、ゴーマは有希子の前から一体もいなくなった。全て切り刻まれて肉塊と化したのか、それとも生き残りがいて逃げ出したのか。

 どちらにせよ、有希子の目に映るのは、汚らしい肉と汚物とに塗れた、血の池地獄の真ん中に立つ、自分を救った男――返り血で真っ赤となって、生臭い臭気を放つ、ゴーマよりも醜い、救世主の姿しかない。

「ぶふぅーっ、ふぅー、ふぅーっ……」

 男は大きく肩を上下させながら、豚のような荒い息を少しずつ収めていく。事実、彼の体は豚を思わせるほどに肥え太っている。身長こそ170センチ半ばと標準的だが、その異様なほどに膨れ上がった腹と横幅が、見た目以上に大きく見せた。

 小柄な有希子からすれば、大男、と呼んでも過言ではない、威圧感を覚える。

 そんな男が、ゆらり、と揺れるように、有希子の方を振り返り見た。分厚い眼鏡のレンズの奥にあるのは、濁った黒い瞳。

「ひいっ!?」

 感謝の言葉など、出るはずもなかった。

 そもそも、女性というのは血が苦手だ。もし、自分にしつこく絡んでくるナンパ男がいたとして、そこに見ず知らずの男が助けに入ったとしよう。だが、この助けに入った男が強ければ、あるいは、拳を振るえばとまらない狂暴性を持っていれば……憐れ、ナンパ男は顔をボコボコにされ、鼻血を垂れ流し、前歯は折れ、それはもう酷い有様となる。

 そんな生々しい暴行現場を間近で見せつけられれば、普通の女性なら、こう思う。「怖い」と。恐怖心しか先に立たない。「ありがとう、何て素敵で逞しい男性なのかしら」などとトキメクことなど、断じてない。

 長江有希子はどこにでもいる普通の女子高生だ。いくら命の危機に瀕していようが、凄惨な殺戮現場を前に、素敵な恋の予感に胸を高鳴らせることなど、あるはずがない。有希子の小さな胸に去来するのは、ゴーマに追いかけられた時と大して変わらぬ、真っ赤な恐怖と真っ黒い絶望感のみ。

「ぐふっ……あ、あー、あっ、あの、長江さん、大丈夫?」

 血塗れの顔が、歪に笑う。有希子は思わず、視線を逸らした。

「……う、うん……だい、じょうぶ……」

 涙を堪えて、どうにか、そう答えた。

「あぁーっ、そ、そっかぁ、良かった、あー、良かったぁ! あぶ、危ないトコだったから!」

「っ!?」

 一歩、にじよる。弾かれたように有希子の体は震えあがった。けれど、喉元まででかかった、悲鳴は、どうにか押し殺す。

「も、もも、もしかして、震えてる?」

「あ、う……その……す、すごく、怖かったから」

「そっかぁ、そっか、そぉーだよねぇ! ぶはははっ! でも、安心してよ長江さん! 俺がいるからにはもう大丈夫だから! ゴーマとか、マジ雑魚いし、大抵のモンスは俺の力なら余裕だしぃ――」

「ひっ、い……」

 ジワリ、と我慢の限界を超えたように、有希子の目から涙が零れた。抑えないと、堪えないと。思うものの、一度流れ出た涙は、もう止められなかった。

「え、えっ、泣いてる!? 何で、何でだよ、俺、助けたし、ゴーマはぶっ殺してやっただろ!?」

「ご、ごめ……ごめん、なさい……ま、まだ、怖いの……私、怖くて……気持ちがまだ、収まらないの……」

 恐怖と絶望とで頭がおかしくなりそうな中で、有希子は生存本能を振り絞って、必死に抵抗した。それは、いわゆる一つの演技。男を騙す、女の演技である。

「あ、あぁー、そういうコト、そういうコトね! うん、分かるよ、俺は鈍感系主人公じゃないから、そういうのちゃんと分かる、すげー分かるから!」

「う、うん……だから、まだ、ちょっと……涙、止まらない、かも……」

「ぶふっ、ふふっ、大丈夫、ふひー、大丈夫だよ、長江さん。俺が、まもっ、守る、からぁ」

 おぞましい息遣いが、耳に届く。あまりの恐怖に、有希子は顔を上げられない。男はもう、自分のすぐ目の前に、立っていた。

「長江さんのことは、絶対、俺が守るから! ふひっ、ふひひ……」

 ヌルリとした感触が、頭に降ってくる。

「っ!? ん、くっ……」

 頭を撫でられていた。ドロドロに血塗れた手の平で。

 気絶しそうなほどの生理的嫌悪感。今すぐ自殺したいくらいの屈辱感と共に、有希子は歯を食いしばりながら、かろうじて、答えた。

「う、うん……ありがとう……横道、くん……」

「ぶひっ! いいって! 俺のことは、はじめって、名前で呼んでくれよ! 俺も長江さんのこと、ゆ、ゆゆ、有希子って呼ぶからぁ!」

 それは一体、どんな残酷な神の悪戯だというのだろうか。

 長江有希子。彼女の死地に遣わした救世主は――二年七組で最も忌み嫌われる男子生徒。横道一なのだから。




「誰か、助けて――」

 聞こえた。有希子の声。

 運命だと思った。

「ぶふっ、ふふっ、大丈夫、ふひー、大丈夫だよ、長江さん。俺が、まもっ、守る、からぁ」

 マジで運命だった。

 かけつたら有希子、ゴブリンに追いかけられて絶体絶命。捕まったら薄い本展開確実。

 そこに、助けに入る俺!

 マジ、マジかよ……こんな、ラノベみたいな展開、マジでいいのかよ!?

 ただでさえ無双すると気持ちいいのに、有希子が見てる、あの、俺が恋い焦がれた有希子が、俺を見ているんだ。男として、超絶カッコいい戦う姿を、見せた。惚れた女を守った姿を、見せつけてやった。

 これ、もう完全に堕ちただろ。有希子ルート確定だろ。

「長江さんのことは、絶対、俺が守るから! ふひっ、ふひひ……」

 ほら、だって有希子、俺に頭を撫でられて嬉しそうにしてるもん。肩を震わせて泣きじゃくっているのは、恐怖に打ちひしがれていたところを、救世主たる俺に救われて、安堵したからだろう。

 大丈夫だよ有希子。俺がついてる、ずっと俺がついてるからな。もう有希子には指一本触れさせねぇ。

第59話 横道一と長江有希子

 長江有希子は絶望していた。ただでさえ、危険な人喰いモンスターが闊歩するダンジョン。そんな場所でサバイバルする仲間が、よりによってあの横道一なのだから。

 俗に言う『キモオタ』という名称が、これほど相応しい男もいない。

 ただ漫画やアニメやゲームを好むというのなら、男子の大半はどれか一つくらいはお世話になっている。あの蒼真悠斗だって、健全に剣道に打ち込む傍らで、ほどほどにゲームで遊び、漫画を楽しみ、クラスメイトの友人達とそれについて談笑したり、妹に苦言を呈されたりしている。

 それに、普通以上に好む男子もまた存在している。斉藤勝と桃川小太郎の凸凹コンビはいわゆる一般的な『オタク』というイメージだと有希子は思っているし、他のクラスメイトもそう感じているだろう。他にもオタっぽい男子は何人もいるから、取り立てて目立つこともない。基本的に彼らはクラスにおいてはひっそりと、目立たないように静かな学園生活を送っているので、よほどのことがなければ、クラス内に軋轢を生じさせることはないし、殊更に嫌悪感を持たれることもなく、クラスの一員として受け入れられていた。

 だがしかし、横道一は違った。斉藤勝は彼と似たようにオタクでありデブでもあるが、嫌われてはいない。調子の良い性格は、むしろクラスメイトにとってはプラスの印象を与えている。

 横道一と斉藤勝、二人の決定的な違いは、ありていに言えば性格であろう。彼の詳しい心理など有希子は知らないし、知りたいとも思わない。それでも、クラス内で度々問題を起こすようであれば、それは『性格が悪い』と断定するには十分すぎる。

 口を開けば文句ばかり。斜に構えたように、何に対してもヤル気を見せず、否定的。二年七組になったばかりの春先、同じオタと見込んで斉藤勝は孤独に過ごしていた一に声をかけたことがあった。その結果、

「――チイッ! これだから『にわか』はクソなんだよ!」

 そう激高し、流石の勝も怒って口論に発展したことは、有希子はその場に居合わせたから良く知っている。

 担任教師が出張って来たり、生活指導室に呼び出しを喰らうほど大事になったことはないが、一は他のクラスメイトとも度々、そういった口論をすることがあった。

 そうして、ゴールデンウィークが明けた早々に、ついたあだ名は『キモ豚』。男子からはその捻じ曲がった根性を憎まれ、女子からは性格以上に醜悪な容姿を忌み嫌われ、横道一は、クラスで孤立した。触らぬ神に祟りなし、とでもいうように、イジメに発展することもなく、ただひたすらに、無視であった。けれど、それが二年七組というクラスの平穏を保ったのも、また事実。基本的に一は自ら、誰かに声をかける、絡むことだけはなかったのだから。

「ほら、有希子。胡桃しかねぇけど、食えよ」

 それが今や、あの一が自分に対して無二の親友であるかのように――否、まるで恋人になったかのように、しつこいほどに馴れ馴れしく接して来るのだ。ただでさえ気が弱い有希子にとって、それは途轍もなく恐ろしいことであった。

「あ……うん、ありがとう……」

 震える指先で、一が差し出す妖精胡桃を受け取る。ついさっきまでゴーマを殺戮していた一の手は、べったりと血に塗れている。当然、その手に包まれていた胡桃も……しかし、有希子には「汚い!」と叫んで拒絶することは許されない。

「――ひっ!?」

 それでも、思わず小さく悲鳴を上げてしまったのは、次の瞬間、手を握られてしまったからだ。指先が触れるだけでも、とんでもない嫌悪感が伴うというのに、ギュっときつく握られてしまうとは、それは掌にゴキブリがとまったに等しい精神的苦痛を覚える。

「あっ、ゴメン、つい」

 何がついなのか。一の脳内でどういう論理が展開されているのか知りたくもないが、さして仲良くもない女子の手をいきなり握るという狼藉を、少なくとも彼は「つい、ウッカリ」で済まそうとしている魂胆なのは伝わってしまう。

「有希子の手、温かいな」

 背筋が凍る。女としての身の危険を、雷に打たれたほどに強く感じた。

 それでも、か弱い有希子にできる反応は、ガタガタと肩を震わせることだけ。手を振り解くことなど、できるはずもない。

「べ、別に……普通、だから」

 せめてもの抵抗は、限りなく素っ気ない応答をすることだけだった。この男に、恐怖を悟られてはならない。まして、嫌悪感など、絶対に気取らせてはいけない。

「俺はこの手を離したりしない。有希子は絶対に俺が守るから……」

 意味不明なほど勝手なことを言ってから、一は名残惜しそうに、有希子の手を解放した。

「うっ……うぅ……」

 胡桃と水だけの味気ない食事を終え、一が寝入ってから、ようやく有希子は手を洗う。ずっと手を沈めているには冷たすぎる噴水の水だが、有希子は指先が凍りついたように麻痺してきても、ひたすらに洗い清め続けた。

「いや……もう、いやだよ……」

 横道一は強い。天職『戦士』の能力を、力任せではあるが、それでも十全に引出し、使いこなしている。

 やけに「俺が守る」という台詞を臭い息と共に吐き出すのをみると、少なくとも一には有希子を守る意思があることだけは窺える。事実、道中に魔物と遭遇する度に、一は有希子を背後に庇い、一人で果敢に襲い掛かる敵と戦った。戦う一の姿が、血と暴力に酔いしれた快楽殺人者のようであっても、恐ろしい魔物から有希子を守ったのは、紛れもない事実ではある。

 一と共にいる限り、有希子単独で行動するよりも遥かに安全。当面、命の心配はせずに済む。

 だがしかし、一と二人きりという状況は、女性にとっては命の次に大切なモノを賭けた、これ以上ないほど危ういものだ。

 今のところ一は、有希子に強く迫ってきたことはない。けれど、頭を撫でられ、さっきは手を握られ……その行動がエスカレートすることは目に見えている。

 あまり男性経験が豊富とは言えない有希子ではあるが、それでも、女性である以上、情欲に濁った男の視線くらいは分かる。横道一が正しい意味で長江有希子に恋しているかどうかは知ったことではないが、自分という女を相手に、彼が盛りのついた雄犬のように興奮しているのは、どうしようもなく理解できてしまう。

 もし横道一が樋口恭弥ほど強引な性格であったなら、最初に辿り着いた妖精広場で体を許してしまっていたに違いない。戦士の力を使いこなす一に対し、氷魔法の力があっても、魔物一匹撃つ覚悟の持てない有希子が、敵うはずがない。一がその気になった時点で、有希子は成す術もなく蹂躙される。

 いっそのこと、一思いにやってくれた方が、かえって諦めもついたかもしれない。一は少年漫画の主人公にでもなったかのように、やけに格好をつけて自分に接するから、余計に恐怖心が煽られる。いつ何時、一の性欲が理性を上回り、襲い掛かって来るのか分からない。いや、その時は遠からず、訪れるだろうことは間違いない。

 せめてもの希望は、他のクラスメイトと合流することだが……有希子はそれも素直に望めない。今の一の様子から察すると、下手をすればクラスメイトを邪魔者と見て排除するかもしれない。排除、いや、いっそ殺害といってもいい。有希子には、自分を疎んだクラスメイトの首を、あの血塗れた大剣で嬉々として撥ねる一の姿が容易に想像つく。

 この状況を脱したい。横道一の呪縛から解放されたい。けれど、そのせいで地獄を見ることになるのも、恐ろしくて仕方がない。

「お願いだから……誰か、助けてよ……」

 神は今度こそ、有希子の願いに応えることはなかった。

 そして、ついに『その時』は訪れる。

「――俺、有希子のこと、す、すす、好き、だから」

 一際に大きな赤い犬の魔物、いわゆるボスモンスターを倒し、その部屋の転移魔法陣で妖精広場へ辿り着いた時、一は血塗れのまま、何の脈絡もなく突然そう言いだした。

「えっ……」

 予想はしていた。けれど、覚悟など決められるはずもなく……有希子は、必死に困惑の表情を浮かべるにとどめることしかできない。

「好きだから……い、いいよね」

 一の血で汚れきった両手が、有希子の小さな肩を掴む。

「ひっ! い、あ……」

 考える猶予などなかった。告白の言葉ではあるものの、それは実質、一の理性がついに限界を迎えた警報でしかない。

「いいよね? ね?」

 ギリリ、と少しずつ、肩を掴む力が締め付けられる。痛い。

「嫌――」

 肉体的な痛みよりも、精神的な苦痛の限界だった。命の危険があろうとも、そのまま一の良いようにされてしまうのは、無理だと悟る。

 あるいは、有希子の女としてのプライドが、恐怖を上回ったのかもしれない。

「――嫌ぁっ!」

 有希子の細腕が力いっぱい、一の体を突き飛ばす。無論、そのままでも百キロありそうな巨漢であり、戦士の力を宿す一の体が揺らぐことはない。有希子は自分自身がよろめきながらも、一の手を脱することはできた。

「え、はっ?……な、なんで……」

 手放してしまった手を、何がそんなに驚きなのか、呆然とした表情で一は見ていた。自分が拒絶されることなど、夢にも思わなかったのだろう。

「わ、私……好きな人が、いるの……」

 口をついて出たのは、告白を断るにあたって最もオーソドックスな台詞であった。

「は、はぁ!? 嘘……だよね」

「嘘じゃないよ」

 嘘ではない。真実、長江有希子は恋をしていた。

「ま、まさか、蒼真――」

「蒼真君じゃない」

「じゃあ、天道かよ!?」

「ううん、違うよ……好き、というか……もう、付き合ってる、から」

「なん……なんだよ……なんだよソレ、ありえねぇ、誰だよっ!?」

「――樋口くん」

 それもまた、嘘ではない。紛れもない真実として、長江有希子は同じクラスメイトの樋口恭弥に恋しており、さらに、付き合っている。

「は、はは……嘘、だろ……嘘に決まってるだろ、そんなの」

 一の反応はきっと、クラスメイト全員に共通するものだろう。

 クラスで目立たない、地味で大人しい長江有希子。蒼真悠斗と天道龍一という例外を除けば、クラスのトップに立てるであろう、良くも悪くも強烈な人格を持つ樋口恭弥。スクールカースト、という基準をあえて当てはめるなら、二人が属する階級は確実に異なる。

 実際、普段の学園生活において二人の接点など皆無。教室で話している姿を見たことある、という者は誰もいないだろう。

「嘘じゃない、本当に私は、樋口くんと付き合ってるの」

「嘘だっ! 嘘だ、嘘だ、ありえねぇ……証拠なんてないだろうが!」

「あるよ」

 有希子はポケットから、このダンジョンに来てから電源は切りっぱなしにしておいたスマートフォンを取り出す。白魚のような指先が、そっと優しく、デジタル式のアルバムを開く。

「これ、初めてデートした時の写真」

 そこには、決して二年七組の教室では見られない、長江有希子と樋口恭弥の二人が仲良く身を寄せ合っている光景が映し出されていた。

 休日なのだろう、二人は私服姿だ。イメージ通りに地味な格好の有希子と、シルバーのアクセサリーが目立つ派手な恭弥。並んだ姿はお世辞にもお似合いのカップルとはいえないが、有希子の恥ずかしそうにはにかむ表情と、樋口の妙に照れくさそうな顔が、二人の幸せな仲を見る者に思わせた。

「嘘だ……有希子が、樋口なんかと……あんなクソDQNとぉ……」

「私の樋口くんカレシを悪く言わないで」

「か、カレシとか……あ、あり、ありえねぇだろぉお! ふざけんな、そんなもん嘘に決まってる、お、俺のこと、馬鹿にしやがって、騙そうとしてんだろぉ!」

 怒りの叫びと共に、一は有希子の手元から証拠の品たるスマホをひったくる。

「あっ、ダメ――」

 一の黒ずんだ野太い指が、隠された乙女の思い出を容赦なく暴く。そう、有希子のスマホには初デートのツーショット以外にも、沢山の彼氏との素敵なシーンが収録されている。

 付き合い始めの頃、近場のショッピングモールでデートした時、偶然居合わせた蒼真兄妹と鉢合わせしそうになって、慌てて隠れただとか。夏休みには海だプールだお祭りだ、と定番と言われながらも今までロクに楽しんだ事のないイベントを、彼と二人で初めて心行くまで遊んだこと。

 そして、夏の内に済ませた、初体験のこと。

「あっ、あ……うぁあああ……」

 この世のものとは思えないおぞましいモノを見た、とばかりに一は苦悶の表情と呻き声をあげながら、ショックのあまりスマホを落とす。光る画面には、ベッドの上で身を寄せ合う裸の二人の姿が映っていた。

「ビ、ビ、ビビ、ビィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッチ!」

 それは正に、獣の咆哮だった。突如として絶叫した一の声は、ついさっき倒してきた大きな赤犬のボスの雄たけびを上回る。

「くおぉんんのぉ、クソビッチがぁ! よ、よくも俺を騙しやがったなぁああああああああああ!」

「――『氷盾アイズ・シルド』っ!?」

 一匹の獣と化したように、意味不明の鳴き声をあげながら、猛然と一が飛びかかってくる――ところを、ギリギリで発動させた氷の盾が防ぐ。

「ぶげっ!?」

 顔面から固く冷たい氷の壁に当たった一は、カエルが潰されたような声をあげてよろめいた。

 しかし、恐るべきは戦士の突進力か。間抜けにも顔から突っ込んだ格好だが、それでも分厚い氷の壁にヒビが入っていた。

「『氷霧アイズ・ミスト』!」

 すかさず発動させた得意技。モンスターから逃れる術は、有希子には元よりこれしかない。

「クソっ! おい、どこだっ、どこに行きやがった有希子ぉ! マジで許さねぇぞテメぇ、清楚なフリしてずっと俺を騙していやがった、この超絶クソビッチの地雷女がぁ!」

 真っ白い霧の向こうから、聞くに堪えない罵詈雑言と共に、魔術士となった有希子だからこそ感じる、荒ぶる魔力の気配を覚えた。魔力はただ魔法の行使に必要なエネルギーではなく、超人的な身体能力を発揮する戦士の力の源にもなっている。それは、人ではなく魔物も同様。

 その気配こそ、いわゆる一つの殺気として、有希子にこれまでで最大の危機感を訴えかける。安全地帯の妖精広場を捨てでも、逃げ出すより他はない。

「はぁ……はぁっ!」

 無我夢中で石の通路を駆ける。走っても、走っても、背後から聞こえてくる怒鳴り声は遠ざからない。一にはまだ足を速くする能力、彼曰く『移動速上昇系スキル』は授かっていないのは幸いだが、『気力充填タフネス』による無尽蔵のスタミナがある限り、まくことは難しい。一の足は遅いが、有希子もまた足は遅い。これで夏川美波のような俊足があれば、難を逃れることもできただろうが、生粋の文学少女で魔術士クラスの有希子には、無い物ねだりもいいところであった。

「はぁ……はっ、あっ!?」

 そして、ついに有希子の命運は尽きる。逃げ込んだ細い路地裏のような通路を進んだ先は――行き止まりであった。




「ぶふっ……ぶふぅ……有希子ぉ……待てよぉ、有希子ぉおおおお」

 復讐だ。これは、全てを裏切られた俺の正統なる復讐だ。

 長江有希子。俺の純粋な愛を裏切ったその罪はあまりに大きい。許さない、絶対、許さねぇぞ……ちくしょう、この清楚ビッチのクソ女め。マジでNTRはクソ、はっきり分かんだね。

「――ふぅー、ふっ、ぶへへへ、や、やった、行き止まりじゃねぇか」

 長い通路の先は、暗い石造りの殺風景な部屋だった。このダンジョンではそこら辺にいくらでもある、特に意味のない空き部屋だ。隠し扉や通路なんてないし、崩れてさえいなければ、部屋は大体閉ざされている。

 つまり、この一つしかない入り口に俺が立った時点で、有希子は完全に追い詰められたというワケだ。

「へへっ、有希子ぉ……」

 これは復讐だから、有希子は何をされても文句は言えない。何をしても俺は悪くない。俺は今、有希子に、あの可愛い有希子に何でもできる権利を持っている……そう、何でも、だ。

「ゆ、有希子……」

 部屋に踏み込む。教室くらいの広さの中で、すぐに有希子の姿を見つける。部屋の隅で、もう逃げるのは諦めたのか、丸まっている。

 ただでさえ薄暗い室内だ。隅の方はほとんど見えない、けど……投げ出された有希子の白くて細い両足がチラっとかすかな明かりの中に浮かぶ。

「あ、謝っても、もう遅いからな……お前が悪いんだ……お、俺に黙って、彼氏なんか作りやがって……それも、よりによってあの樋口とか……マジで許さね――っ!?」

 俺の怒りとか理性とか、そういうのが限界になって、座り込む有希子に飛びかかろうとしたその瞬間だった。俺は気付く。まず、鼻につく。ここ最近、物凄く馴染んできた臭いに。

 そして、見る。有希子の体の下に広がる、真っ赤な血溜まりを。

「し、死んでる……」

 嘘だろ……ま、マジで? マジで死んだの、有希子?

「な、なんで……」

 意味が分からない。分からな過ぎて、急に震えがくる。足がガクガクする、けど、俺はよろけるように、有希子へとさらに近づく。

「うわっ、マジで……死んでる」

 有希子の首から、血が噴き出ていた。まだドクドクと流れている。ついさっき、刺したばかりなんだ。

 右手にはべったりと血の付いたナイフがある。俺が護身用として、有希子にプレゼントした、かなり綺麗で質の良いゴーマのナイフだ。これで自分の喉を突いたのは間違いない。

 そして、左手に握りしめているのは……生徒手帳?

「あっ、クソが……そ、そんなに俺より、樋口の方がいいのかよぉ……」

 生徒手帳には、有希子と樋口が抱き合ってキス、いや、キスしてる口元だけハートで塗りつぶされた、ふざけたプリクラが張ってある。ユキコ、キョーヤ、恋人一周年記念、これからもずっと一緒ハートとか色々書いてある。

「ちくしょう……有希子ぉ……」

 本気の恋、だったのに。何で、どうしてこんなことになった。おかしい、全てがおかしい。

 俺はこの異世界でハーレムを築き上げて、でも有希子だけは特別に正妻にして幸せな生活を送るはずだったのに……有希子とダンジョンで出会えた瞬間、もう絶対、それが運命だと確信したのに……こんなの、嘘だ。悪い夢に決まってる。

 そもそも、樋口と有希子が付き合ってるのがありえない。有希子は『鈴原ハルカは憂鬱』のユキと全く同じ、大人しくて、地味で、でもめっちゃ可愛くて――

「ゆ、有希子……」

 綺麗な死に顔だ。まるで、眠っているよう。喉の刺し傷と血の海さえなければ、寝ているとしか思えない。

 有希子の寝顔は、これまでも何度か見てきた。妖精広場で仮眠する時、こっそり見た。俺、よく我慢できたなと思う。

 だって、この無防備な可愛らしい有希子の姿を見るだけで、俺は……

「あっ」

 勃った。ほら、今も、死んでると分かってるのに……やべぇ、なんだ、めっちゃ勃ってるんだけど。

 いやいや、おかしいだろ。有希子は死んでるんだぞ。寝てるのとは違う。死んでるってことは、もう二度と起きないんだぞ。何をしても、絶対、起きたりしない……

「うあっ、あ……まだ、温かい……」

 触れる。有希子の安らかな死に顔、その白い頬を指で突いた。びっくりするほど、温かかった。

「うおっ、やっべ……これ、やっべ……」

 両手で顔を掴む。手の平いっぱいに広がる、有希子の頬の感触はどこまでも柔らかく、温かい。人形フィギュアとは違う、本物の女の感触。

「はぁ、はぁ……有希子……有希子ぉっ!」

 俺のファーストキスだ。レモンの味とか、古いフレーズで聞いたことあるけど……有希子の唇の味は、もっと衝撃的なモノだった。

「んまぁあああああああああああいっ!」

 何だよコレ。美味い。めっちゃ美味い。口の中がとろけるほど甘いような、舌先がビリビリ痺れるほど辛いような。めちゃくちゃな味、けれど、あらゆる味覚を同時に刺激して、かつ、その全てを満足させるような、ありえない美味。

 マジで何なの、女の子ってみんなこんな味するの? 何でだよ、唾液の味なんてあるわけない。でも、ガチで感じるこの美味さは――

「あ、血」

 無我夢中で吸いついて、俺の唾液でベタベタになった有希子の口元。半開きの唇から、ツーっと一筋、血が流れてきた。まぁ、喉を刺したんだから、血ぃくらい溢れてきてもおかしくない。

 それにしても、真っ白い有希子の肌を流れる血の赤が、鮮烈に映る。白と赤、ありふれたツートンカラーの組み合わせなのに、それが有希子の肌と有希子の血だと思えば、妙にそそる。そそられる。

 それは、性欲なのか食欲なのか、よく分からない。でも、とにかく思った――美味そう。

「っ!?」

 唇から零れる血を、舐める。それで、俺は理解する。

 ああ、そうか、コレか。あの味覚が爆発しそうな強烈な美味は、血の味だったんだ。

「ゆ、有希子っ――」

 それから先のことは、夢を見ているかのように意識が朦朧としていたように思う。けれど、記憶にははっきりと残っている。記念すべき、俺の初体験だった。

 最初はキス。唇と舌の味をたっぷりと堪能する――ブチ、ブチリ――有希子は口も舌も小さいから、一口で飲み込んでしまいそう。

「ハッ、ハァ……」

 次は胸。男なら、何といってもおっぱいだろう。桃の皮を剥くように、もどかしい気分になりながら有希子のセーラー服を脱がせ――ズッ、ブッ――慎ましい雪原のような有希子の胸――グチャっ! 綺麗だよ、有希子。

「フハッ、ブハァアア……」

 胸ばかりに囚われていては、女の子に失礼というものだろう。俺は全身、隈なく愛してやれる男だぜ――グチャリ、グチャリ――順番に、丁寧に、俺は有希子の体を余すところなく味わっていく。けれど、俺も男だ、ここまできて、そろそろ我慢も限界ってやつだ。

「ブフッ、フッ、フッ……」

 有希子の清楚なイメージに相応しい純白の下着を目にした瞬間――ブツリ。

「ブルォオオオオオオオオっ!!」

 有希子を喰らう、夢中で、一心不乱に、この女の肉体を貪り食らう。

 射精による性的快楽、なんてもんじゃない。この満たされる感覚は、ただのエロだけで得られるものじゃないだろう。支配欲? 征服欲? 独占欲?

 いや、違う。きっと、これが愛ってヤツなんだろう。

 俺は有希子を愛している。有希子も俺を愛している。だからこんなに美味しくて、こんなに気持ちいいのだろう。そうとしか思えない。

 だからやっぱり、有希子は俺の有希子だったんだ。有希子は俺だけのモノなんだ。こうして、二人で一つになった。これで安心、心配いらない。樋口なんかに、指一本触れさせない。俺の有希子に、アイツは触れることなんてできない。

 ああ、愛するって、何て素晴らしいんだろう。

「――ブフゥ、ゲェエエーップ!」

 行為を終えると、腹の奥底から湧き上がってくるように、赤いモヤのかかった盛大なげっぷが出てしまった。腹が膨れたせいか、急に眠くなってくる。

 まぁ、ヤルことヤったらそのまま寝るのは当たり前のことだよな。俺はヒンヤリ冷たい石の床の上で、火照った体を冷ますように大の字になって寝転んだ。

 隣には、何もない。もう、誰もいない。

 だって、有希子は俺と一つになったんだから。

 俺はついに有希子と結ばれた感動と快楽の余韻に浸りながら、最高の気分で眠りに落ちた。


「――喰らえ」


 だから、それを聞いたのは夢の中ってことだろう。


「喰らえ、喰らえ」


 誰かの声。というより、うるせぇな、獣が吠えるような感じ? そんな鳴き声にしか聞こえないのに、何故か言ってる意味が分かるような気がする。


「存分に餓え、渇き、満たせ」


 薄らと映る視界の向こうに、吠える獣の姿が見えた、ような。何だアレ、ライオンみたいな、いや、狼? それとも豚? 分からない。でも、凄いデカい。デカくて、黒い、獣だった。


「迎えよう、汝は我が眷属――『食人鬼』」


 眷属『食人鬼』


『悪食』:あらゆるモノを喰らう。肉、骨、毒、魔法、時には能力までも、喰らい尽くす。


『オオアギト』:あらゆるモノを喰らうための、大きな口と強靭な顎。


『底無胃袋』:喰らったあらゆるモノを収める、巨大な胃袋。


捕食スキル

『長江有希子の氷魔法』:下級氷魔法の一部を再現する。


 頭の中に、何かが物凄い勢いで流れ込んでくる妙な感覚。あまり気持ちのいいもんじゃない、けど、そんなことより、今はとにかく眠い。

 俺はよく見えない変な獣のことなど忘れて、今度こそ安らかな眠りへと落ちていった。

第60話 蝶々

 うわ、マジですか、神様によるありがたーい新能力授与のお時間ですか。と、いつもの暗黒空間にいることに気づいた瞬間、理解する。

「新たな加護を授ける」

「はい、ありがとうございます、ルインヒルデ様!」

 だから痛いのは勘弁してください! 毎度恒例の懇願である。

「混沌とは、原初のうねりのみを意味するわけではない」

 あ、また何だかよくわからない神様説法が始まったよ。正直、この加護授与のタイミングで意味深なことを語られても、僕としては痛いかどうかで気が気じゃないから、ほとんど頭に入って来ないんだよね。

 いやでも、出来るだけ頑張って聞こうとはしてますよ。その姿勢は評価してはもらえないでしょうか。

「人が二人集わば、敵か味方となる。三人寄らば、さらに中庸か、あるいは蝙蝠となる。さらに増えれば、思惑は入り乱れる。すなわち、混沌である」

 ルインヒルデ様は混沌の概念について滔々と語りながら、大きく両手を広げた。すると、どこからともなく光が灯る。四方八方、全方位から桜吹雪のように舞い踊る。

 赤、青、黄、緑。色とりどりの光点が明滅して――いや、違う。それは蝶。黒アゲハみたいな黒い縁取りの羽に、それぞれの色を輝かせながら羽ばたいている。何百、何千もの光る蝶が乱舞する様は、なるほど、如何にも神の奇跡に相応しい幻想的な光景だ。

「我が信徒、桃川小太郎。そなたはまだ人の身であるが故、まずはとっくりと混沌に沈むがよい。我を失い入り混じり、流されることがなければ……ふむ、ひとまずは上出来であろう」

「は、はぁ……って、ぶわぁっ!?」

 多分、物凄くありがたいのであろう神のお言葉を理解するべく考え始めた時点で、闇を舞う蝶が一斉に僕へ殺到する。ば、馬鹿野郎、僕は美味しい蜜を出す花じゃないっての、見れば分かるだろう!

「わっ、うわっ、ふわぁああああああああああああ――」

 蝶の嵐に飲み込まれて、僕は神様時空からログアウトした。


『逆舞い胡蝶』:薬を触媒に、逆効果の鱗粉を放つ蝶を作る。


 という新たな呪術を授かってから、僕が晴れてサブリーダーに就任した新生『最悪ハーレムパーティ』は、ダンジョン攻略を再開した。

 当然のことながら、メンバー間の雰囲気は悪い。皆、表面上は何てことはないすまし顔でいるけれど、常に一触即発のヤバい気配が漂っているのを感じ取れない者はいないだろう。

 それでも、道行そのものは順調だった。ひとまずは、僕も認めるリーダーとして、委員長が責任をもって指揮をとり、戦闘での連携がそれなりに上手く機能するようになったからだ。ちょっとその判断はどうなの、と思うことは何度かあったけど、大した問題ではないから、口は一切出さなかった。

 委員長の仕切りで無事に戦い抜けるなら、それに越したことはない。僕が口出しする時は、自分の身が脅かされるヤバい敵と遭遇した時だけでいい。

 そう、例えば、あの強敵のカマキリ――魔法陣情報の更新によって『ナイト・マンティス』という正式名称が判明した、ソイツが二体同時に出現した時だとか。

「委員長、メイちゃんを前に出す」

「でも、後ろは――」

「沼を張った後に氷で塞いで。カマキリ二体は全力で当たらないと、そのまま押し切られる危険性が高い」

「小太郎くん、大丈夫?」

「支道は何百メートルも前に通過してきた。後ろから蟻が来ても、沼と氷で時間は稼げる。その間にカマキリを片方だけでも仕留めれば、あとは楽勝だから」

「分かった、じゃあ、行ってくるね!」

 晴れやかな笑顔を残して、メイちゃんは疾風となって前衛へ向かっていった。

 現在、僕らの基本的な陣形は、前衛に剣崎・夏川、中衛に委員長と蒼真桜、後衛に僕と小鳥遊、そしてメイちゃんを置いている。以前との変更点としては、委員長・蒼真桜の魔術士コンビをはっきり中衛として一段階前に出したこと。そして、前衛からメイちゃんを後衛に下げて、後ろの守備を固めたことだ。

 この変更はどっちも、出発前に僕が言い出したことだ。委員長は理由を二つ三つ質問してきただけで、それに僕が答えればすぐに納得してくれた。

 前衛からメイちゃんを抜くのは不安が大きかったが、ダンジョンである以上、いつでも挟撃の危険性はある。どっちみち、後ろを固める必要性はあった。ついでに、剣崎さんとメイちゃんの関係を考慮すると……とりあえず、剣崎さんは夏川さんとだけのコンビの方が、戦いに集中できる。彼女の双剣士としての能力を最大限に引き出すための、配慮でもあった。

「『腐り沼』――っと。カマキリは剣崎さんと夏川さんで片方、委員長と蒼真さんはそれを全力で援護してあげて。もう片方は僕とメイちゃんで止める」

「二人だけで大丈夫なの?」

「足止めするなら何とかなる。その間に、早くカマキリを倒しちゃって!」

「……そんなの、言われなくても」

「了解だよ!」

 あからさまに忌々しげな蒼真桜と、とりあえずは真面目な返事をくれる夏川さん。剣崎さんからの返事はないが、作戦は伝わってるだろう。

「そういうことだから、剣崎さん、なるべく早くお願いね?」

「む、無論だ……私に、任せておけ……」

 カマキリ二体との接敵前に、どうにか前衛に加わったメイちゃんが、微笑みながら剣崎さんに言うと、彼女は震える声で答えていた。うん、やっぱり、剣崎さんとメイちゃんを一人の敵を相手に連携させるのは、しばらくは無理そう。

 そうでなくても、お互いの人間関係と信頼関係を思えば、僕とメイちゃん、そして蒼真チームとで役割分担した方が断然、動きが良いのは間違いない。

「――みんな、来るよっ!」

 天職『盗賊』の優れた聴覚によって、洞窟を飛ぶ二体分のカマキリの羽音をきっちり聞き取った夏川さんが、いよいよ敵が目の前に現れることを伝えてくれる。彼女の察知能力があるから、僕が悠長に指示を出しては説明する時間も稼げるってものだ。

 さて、あとは戦うだけ。今のみんなの実力なら、カマキリ二体同時でも上手く捌けるはず。折角だから、ここで新たな呪術の力も試してみよう。

「『光矢ルクス・サギタ』」

「『氷矢アイズ・サギタ』」

 カーブの先から予想通りに現れた二体のカマキリに向かって、まずは中衛の魔術士コンビから魔法の先制攻撃。二人はそれぞれ別の相手を狙う、なんて間抜けなことはなく、きちんと片方、右側のカマキリ、コイツをカマキリAと呼称しよう。ソイツに光と氷の矢は同時に殺到した。

 けれど、敵もさる者。鋭い両手の鎌を俊敏に翻しては、二発の攻撃を弾いてみせた。

 防がれはしたものの、これで剣崎さんと夏川さんも、どっちを狙うか理解できただろう。四人にAを任せて、僕とメイちゃんはカマキリBの封じ込めにあたる。

「『赤き熱病』、『黒髪縛り』っ!」

 一応、AB双方に『赤き熱病』をかけておいてから、僕はBにお馴染みの触手を伸ばす。

「――シャアッ!」

 鋭い鳴き声と共に、四本の足元に向かう三つ編みの触手は、大鎌の一閃によってあっけなく刈り取られる。でも、メイちゃんくらいの実力者になると、こんな程度でも十分な援護となるのだ。

「はあっ!」

 気合いの声と共に繰り出された『剛鉄のハルバード』による一撃。カマキリは素早く引き戻した鎌で、大振りの斧刃を受け止める。

 止めた。けれど、僅かながらカマキリがそのまま押し戻されていた。

「うわっ、メイちゃん凄ぇ……」

 魔物をパワーで押すとは。メイちゃん、実は敵を倒すたびに経験値が入って、密かにレベルアップとかしてるんじゃないだろうか。

 順当にステータスが伸びているとしか思えないメイちゃんの力は羨ましいことこの上ないが、僕は自分のやることに集中しよう。どうせ、僕は呪術師。せいぜい、戦う敵の嫌がらせくらいしかできないのだから。

「羽ばたけ、不幸を撒く羽、かの元へ――」

 脳裏に刻まれた呪文の詠唱をしつつ、僕はこれまで作ったはいいが全く出番のなかった解毒薬を取り出す。いつもの傷薬Aは白花とニセタンポポと妖精胡桃の葉を少々混ぜたモノ。こっちの解毒薬は、青い花をベースに、あとはニセタンポポと妖精胡桃の葉は同じ比率で配合したモノだ。

 果たして、この解毒薬がどんな毒に対して効果があるのかは、ざっくりとした説明しかくれない『直感薬学』のせいで僕もよく分かっていない。でも、何かしらの解毒効果が宿っていることには、疑いようもない。

 つまり、『薬を触媒に、逆効果の鱗粉を放つ蝶を作る』という能力の新呪術でこの解毒薬を触媒として用いれば、本来の薬で治るような毒性を持った蝶を作り出せるのだ。

「――『逆舞い胡蝶』」

 掌に盛ったペースト状の解毒薬は、次の瞬間には青い輝きを放つ黒アゲハへと姿を変えて、僕の手からヒラリと舞う。薬の量に応じて数が変化するのか。青い毒の胡蝶は十匹目が飛び立った時点で、解毒薬は綺麗さっぱり手の中から消失した。

「よし、行けぇ!」

 レムに命令するのと同じ感覚で指示を出せば、毒蝶は僕の思い描いた通りにターゲットへ向かって飛翔する。ヒラヒラと優雅に飛ぶ蝶は決して速くはないが、縦横無尽に空を飛べるというだけで、命中させるには十分な機動力であった。

 目標たるカマキリBは、メイちゃんと壮絶な切り合いの真っ最中。青い光を放つ蝶の姿は、そのデカい眼でとっくに捕捉しているだろうけど、まるで脅威と感じていないのか、避けるどころか振り払う素振りも見せなかった。

 万が一にもメイちゃんにヒットしたりしないよう、背面に回り込ませて――命中。

 蝶がカマキリの背にとまったその瞬間、自らが呪術という魔法であることを思い出したかのように、青い燐光となって弾け飛んだ。キラキラと散る青白い輝き、それこそが、毒を宿した鱗粉なのであろう。

「ちっ、やっぱり即効性はないか」

 全弾命中。しかし、カマキリBにこれといって変化は見られない。

「ダメだな、これならやっぱり黒髪で縛った方が――」

「そんなことないよ。このカマキリ、さっきより力が弱まってる!」

 やぁ! という勇ましい声と共に繰り出されたハルバードの一撃は、初撃の時よりも、さらに大きくカマキリを押し返していた。

「それに、反応も――鈍いっ!」

 鋭い追撃。下からすくい上げるような一閃は、見事、右腕の鎌を根元から切り飛ばした。

 両手の鎌が二本揃って、ようやくメイちゃんと切り合える腕前のカマキリだ。片方でも失えば、もう、勝負にはならない。

「だから、小太郎くんの毒はちゃんと効いてるよ。ありがとう、凄く助かったよ」

 右腕をぶった斬った返す刀で、左前足を切り落とし、そこから体勢を崩したカマキリをダルマ落としみたいに下から順々に切り飛ばして、緑の血の海に沈んだバラバラ死体を背景に、メイちゃんはニコニコ笑顔で僕の毒蝶援護を讃えてくれた。

 正直、まるで褒められている気がしない。どう考えも、ちょっぴり弱体化させた僕よりも、それを一方的に斬り刻んだメイちゃんの方が凄いでしょ。

 というか、蒼真チームはまだカマキリと戦ってるんですけど……

「ふぅ、何とか倒したわね」

 メイちゃんに遅れること三十秒、光と氷の矢で蜂の巣にされ、二刀流使い二人に滅多斬りにされて、カマキリAは倒れた。

 剣崎さんはカマキリを先んじて倒してしまったメイちゃんを、どこか怯えたような目でチラチラと見ていた。

 僕の薬と蒼真桜の治癒魔法によって、ひとまずはフルボッコされた顔面の負傷は治っている。彼女が目を覚ました後、委員長が中心となって事情説明をした。剣崎さんは今までの強気が嘘だったみたいに、一言の文句もなく大人しく従った。

 そんな剣崎さんの様子に、誰も、メイちゃんも、何も言わなかった。触れられなかった、と言うべきか。

 たぶん、みんな察しているのだろう。剣崎明日那、彼女の誇り高き刃のような心は、狂戦士の圧倒的な暴力の前に、へし折られてしまったのだと。

 今や剣崎さんは、メイちゃんの言うことは勿論、僕の指示だって聞く。以前では考えられない対応だ。果たしてそれを、進歩と呼ぶべきか、退化というべきか……どっちにしろ、僕にとっては都合がいい。

 これで、表だって僕にケチをつけてくるヤツは、蒼真桜ただ一人。

 いっそのこと、メイちゃんにボコってもらった方が楽なんじゃないのか……なんて邪悪な考えが浮かぶが、僕はそこまで後先考えない馬鹿ではない。今後、蒼真悠斗が合流したら一巻のお終いである。あまりにもストレートに悪いことをすれば、僕に未来はないだろう。

第61話 先客

「――ここの洞窟、随分、長いわね」

 委員長が、どこかうんざりしたような口調で言う。

 ダブルカマキリとの勝負を終えてから、僕らは虫の洞窟と石壁のダンジョン、両方を行ったり来たりしながら進み続けている。洞窟での戦いもかなり慣れてきたけれど……今、僕らが進んでいる洞窟は、委員長の言う通り、これまでにないほど長い。

「これ、もしかしたらボスが来るかもしれない」

「そうね……大きな蜘蛛、『ルーク・スパイダー』だったかしら」

 何故かチェスの駒の名前を冠している、洞窟の虫モンスターシリーズ。蟻は『ポーン・アント』、カマキリは『ナイト』、そして、蜘蛛の魔物は『ルーク』であると、魔法陣情報ですでにお知らせされている。まだ『ビショップ』『クイーン』『キング』のモンスターがいるのは確定だけど……できれば、全部相手にはしたくない。情報もないし、このダンジョンには生息していないことを願う。

「――うわっ、蜘蛛の巣だ! 涼子ちゃん、これ絶対、蜘蛛いるよーっ!」

 先行していた夏川さんが、嫌な予感の的中を教えてくれる。覚悟を決めて夏川さんに追いつくと、そこには、確かに巨大な蜘蛛の巣が見えた。

 如何にもボス部屋に相応しい、広大な空間。蟻が掘った地下空間であることに変わりはないのだろうが、吹き抜けになっているように、天井が見えないくらい高い。飛び交う光妖精の輝きだけでは、とても全体を照らし出せないほど、広さと高さがあるようだ。

 そんな巨大な縦穴に、大きな蜘蛛の巣が何重にもなって張ってあるのが見えた。まず間違いなく、巣の大きさに見合った馬鹿でかい蜘蛛が潜んでいることは明白だ。

「委員長」

「分かってるわ、桃川君。みんな、『ルーク・スパイダー』がボスだった場合の作戦は、前に話した通りよ」

 といっても、あまり大袈裟なモノではないけど。

 有効そうなのは、粘着力の強いだろう蜘蛛の糸を切り裂ける、炎の武器。剣崎さんと夏川さんは、それぞれ『レッドサーベル』と『レッドナイフ』を持っているから、対処はできるだろう。メイちゃんだけ火属性武器はないけど、蒼真桜の『光の守り手ホーリーエンチャント』があれば、十分に代用できる。

 城、戦車を表すルークの名を持つ以上、蜘蛛はナイトのカマキリよりも大型の魔物だと予想される。カマキリの時点で、魔法の矢は致命傷にならなかった。さらに分厚い外殻を誇るだろう蜘蛛に、あまり攻撃魔法の威力は頼れない。

 基本的には三人の前衛を総動員で蜘蛛を叩き、中衛はとにかく前衛を守り、アシストすることに集中する、というのが作戦だ。取り巻きのように蟻が現れれば、ある程度までは後衛組みは自分達だけで凌ぎ、前衛の手を煩わせないようにする。

 蜘蛛が予想以上に固く、増援でカマキリまで出現するようなら、即時撤退だ。

「それじゃあ、みんな、行くわよ。桜、お願い」

「はい――『光妖精ルクスエレメンタル召喚』」

 蒼真桜はこれまで灯りにつかっていたものよりも、さらに煌々と激しい光を放つ光妖精を照明弾のように縦穴へと放つ。

 かなりの範囲をバスケットボールサイズの大きな光球と化した光妖精が照らし出し、ひとまず地面には何もいないことを確認してから、僕らは意を決して縦穴へ突入した。

「蜘蛛はきっと、巣が張ってある上から来るわよ、気を付けて――」

 と、委員長が注意を呼びかけたその時だ。

 ドズンっ! と重苦しい衝撃音が響きわたる。

「うわっ、いきなり降ってきたっ!?」

 それは、一発でコイツこそ『ルーク・スパイダー』なのだと理解できる、巨大な蜘蛛の魔物であった。灰色がかった外殻は鎧熊のように刺々しい。八本の足と大きな腹には、真っ赤な毛が生えていて、毒々しいカラーリングだ。実際、あの毛そのものに麻痺毒とか仕込まれていそう。

 人間など頭から丸飲みにできそうなほどに大きく、凶悪なアギトを備え、不気味な赤い八つ目が僕らを射抜き――って、何だコイツ、目に輝きがない。

 虫の眼なんてそんなもんだろうけど、ポーン・アントもナイト・マンティスも、目はギラギラと輝いていた。暗闇でもはっきり光って見えるほどに。でも、コイツにはそれがない。

「……死んでるのか」

 落ち着いてみれば、それは一目瞭然だった。ルーク・スパイダーはぐったりと八本の足を投げ出し、完全に体が地面についてしまっている。足先も顎も、ピクリとも動かない。

 コイツは僕らを捕食するために、上から飛び出して来たんじゃないのか。どうして死んでるんだ。

 いや、誰が殺したんだ?

「――ぶふぅー、なんだぁ、眩しいぞオイ」

 声が聞こえた。蜘蛛が発する威嚇音などではなく、間違いなく、日本語の男の声。というか、僕にはその声に聞き覚えがあった。

「ま、まさか……横道君」

「ぶふっ、何だよ、とうとうクラスメイトのご登場ってかぁ!」

 モゾモゾと蜘蛛の背中の上で人影が蠢いた。ソレは勢いよく飛び出し、そのまま僕らの目の前で重い音を立てて降り立った。

 その男は、紛れもなく横道一であった。

「ひっ!?」

 と、生理的嫌悪感を覚えたような悲鳴を上げたのは、僕の後ろに立つ小鳥遊さん。でも、きっと気弱な彼女でなくても、蒼真桜や委員長も、似たような反応だろう。

 二年七組で『キモ豚』と仇名されて忌み嫌われる……無論、僕も揉めた経験があるから嫌いだ、その、誰もが避けるキモオタ系問題児、横道一が現れた。それだけで、女子なら悲鳴を上げるには十分だ。

 まして、今のコイツの格好は、僕と同じ学ランこそ着込んでいるものの、お前絶対、石鹸の実で一度も洗濯してねーだろと突っ込まざるを得ないほどに、汚らしい。相当量の返り血を浴びながら、ずっとそのままだったのだろう。

 つーか、臭い。

「お、おっ、うぉおおおおおおおおおおおっ!? マジかよ、凄ぇ! 蒼真桜に、剣崎、委員長……おいおい、我らが七組の美少女勢ぞろいじゃねぇかっ!」

 何がおかしいのか、横道は下品な笑い声を盛大にあげる。指を差して、ゲラゲラ笑ってる。

 怖い。

 素直に、そう思った。誰も、何も、言えない。リーダーの委員長だって、馬鹿笑いの横道を前に凍りついた表情だし、僕だってサブリーダーとして何かしらのアクションができないくらい、体が硬直してしまっている。

 こんなことなら、そのままルーク・スパイダーと一戦交えた方が、まだ精神的に楽だった。

 全く予想していなかった異常事態を前に、僕らはただ、固まることしかできないでいた。

「凄ぇ、マジ凄ぇよコレ、運命だろ! ぶふふっ、ロリ巨乳の小鳥遊小鳥にぃ、元気っ子の夏川美波――って、ちょっ、おい、その女は誰だよ!? 胸デカっ! 爆乳ってレベルじゃねぇぞぉ!?」

 いつかのように、僕を盾にして震える小鳥遊さんを、今度こそ責められない。夏川さんも、明らかにブルブル震えているのが分かる。

 けれど、まざまざと不躾な横道の視線を一心に受けながらも、静かにハルバードを構えたメイちゃんは、あまりに男前だった。

 臨戦態勢に入ったメイちゃんの背中を見て、僕も少しだけ落ち着きを取り戻す。

 そうだ、相手はあの横道一だが……それでも、同じクラスメイトだ。いきなり殺し合いをするよりかは、まずは話をするべきだろう。

 硬直するメンバーをそのままに、僕はみんなの前に出た。

「あ、あの、横道君、もしかして、一人でこの蜘蛛を倒したの?」

「ああっ!? テメぇは桃川かよ、にわかオタの桃川! かぁーっ、男はいらねーだろ、常識的に考えて。マジで男の娘枠とかそういうの俺いらないから!」

 くそっ、コイツが何を言っているのか大体分かってしまう自分が腹立たしい。

「横道君、ちょっと、落ち着いて、話がしたいんだけど」

「話ぃ? お前らさぁ、普段は俺のことシカトしといてよぉ、こーいう時だけ話したいだなんて、それはちょっとムシが良すぎるんじゃねーのかファッキン!」

 クラスから総シカト状態なのは自業自得だろ、とは言えない。

「でも、今は本当に非常事態なワケだし、みんなで協力して――」

「ぶははっ! 非常事態の大ピンチなのは、桃川、お前がただのモブキャラだからだろ」

「……確かに、僕は大した力を授かってはいないけど、命の危険があるのはみんな同じだよ」

「あるわけねーだろ! 俺は主人公だ! 主人公になったんだよぉ、人生リアルとかいうクソゲーを辞めて、この異世界で奴隷ハーレム作ってチート能力で無双する最強成り上がりテンプレファンタジーモノみたいな主人公になぁ、俺は、ついになったんだぞぉ!」

 二度目だが、コイツの言ってることが何となく分かって悔しい。

 他のメンバーは道のど真ん中で奇声をあげる手遅れな薬物中毒者を見るような目で、絶叫する横道を見ていた。

 落ち着け。支離滅裂で意味不明な内容を叫んでいるとしか思えない横道の話を解読できるのは、この場では同じオタ知識を持つ僕だけだ。頑張って翻訳して、もう少し、会話を続ける、もとい、ヤツの情報を集めなければ。

「えーっと、横道君は、そんなに強い天職の力を授かった、ってこと?」

 まさか、ただ異世界に放り出されただけでチート能力を授かった難易度ベリーイージーな異世界英雄譚ができる、と思うほどおめでたい思考はしていないだろう。横道のこの異様なまでの強気とハイテンションは、満足のいく力を本当に手に入れたからに他ならない。

 まぁ、僕だってメイちゃん並みの戦闘能力が最初っから手に入って鎧熊をパイルバンカーのワンパンKOできていたら、確実に「異世界チート始まった!」と思うだろう。

「ぶふっ、ぶふふふっ! 桃川ぁ、それ聞いちゃう? お前、それ聞いちゃうのぉーっ!?」

 やけに嬉しそうに身をよじる横道。薄汚れたキモオタのデブがクネクネする様は、男の僕でも生理的嫌悪感を覚えずにはいられないほどキモい。洞窟の虫たちが聖なる生き物に見えるレベルだよ。

「なぁ、桃川、お前さぁ『最強』って、何だと思う?」

 どこか悟ったような表情で、横道が聞いてくる。

「最強の力、ってこと? それなら……軽く宇宙を創造したり破壊したりできる、神様、みたいなヤツのことかな」

「お、いいな、中々いいじゃん。神様かぁ、そういうのもアリだよなぁ」

 うんうん、と頷きながら、勝手に何かを納得している。

「でもさぁ、お前、宇宙創造とか、ぶふっ、幾らなんでも高望みだろソレぇ。いきなり神様チートはねーよ」

「うん、天職の力じゃ、そういうのはどんなに極めても無理だと思うよ」

「まっ、無理だよな、お前らモブの雑魚どもじゃ。でも、俺は……ぶふふっ、できるかもしれねーんだな、これが」

 いや、無理だろ、どう考えても。

「俺はさぁ、最強ってのは『可能性』だと思うんだよ」

「可能性? 何でもできるってこと?」

「そうだよ! いわゆる一つの成長チートってやつ? できないことが、できるようになる。俺ができないことは、できるヤツから奪えばいい――」

 ニヤリ、と己のコレクションを自慢でもするかのような、いやらしい笑みが横道のキモメンいっぱいに浮かんだ。

「まさかっ!」

「『スキルイーター』とでも呼んでくれよ。俺は、食った奴の能力スキルを奪えるんだよ――こんな風になぁ!」

 横道がデカい口を開いた、と思った次の瞬間、白いモノがブワっと勢いよくぶっ放される。

「ぶわっ、こ、これっ……ルーク・スパイダーの蜘蛛糸!?」

 大量の蜘蛛の糸が束となって、僕の体を拘束していた。槍を持った手と、両足、それと腹のあたりにグルグルと白い粘着性の糸がまとわりついている。

「コイツの肉、淡泊な味だけど結構、美味かったぜい。糸もいい感じだし、アタリだったなぁ、この蜘蛛は」

「小太郎くん!」

「待って、メイちゃん!」

 蜘蛛糸に巻かれた僕を指差して、ゲラゲラと笑い声を上げる横道へ、怒り心頭でハルバードを叩き込もうと動き始めたメイちゃんを制止。

 まだだ。まだ、戦いを避けられるかもしれない。戦いたくない。

 クラスメイト、だからではない。コイツが、他人のスキルを奪う能力者だからだ。

「す、凄い能力だね、横道君」

「だろぉ?」

 動きを封じた僕に、背負った大剣と思しき武器を抜いて斬りかかってこなかったところを見て、横道的にはこの程度、軽い冗談か、自分の力を示すデモンストレーションのようなものだったのだろう。

 まぁ、普通だったら、こんなキモい野郎から気持ち悪い糸を吐きかけられた時点で、敵意ありとみなされるだろうけど。

「良かったら、その凄い力でみんなを守ってもらえると助かるんだけど」

「ぶへへっ、おう、守る、守ってやるよぉ、だって俺、主人公だし?」

 敵意はない、と見ていいのだろうか。

 思うに、横道一はラノベ的な主人公、みんなに、特に可愛い女の子に言い寄られてはチヤホヤされる立場というものに、強烈な憧れを抱いているように思える。現実と空想の区別がつかない馬鹿だろ、と思うかもしれないが、この男は僕と同じ二年七組の一員。故に、毎日見ているのだ。

 そう、あの蒼真悠斗という完璧な存在を。

 身の程を弁えている僕だって、たまに羨んでしまうくらいだ。横道は樋口とはまた違った意味で、我が強い。クラスでシカトされて明らかに疎まれていると理解はしていても、常に上から目線で、他者を見下す。僕のことを何かにつけて「にわかオタ」と呼んで馬鹿にしようとするのは、そのスタンスの現れだ。

 ともかく、他人にとっては恐ろしく不愉快な人物だが、ここで味方になってくれるというのなら、それも悪い選択ではないはず。いや、こういうヤツに敵対されてネチネチと付け狙われるより、多少の我慢をしながら味方でいてもらったほうが、マシなはずだ。

「それなら、良かった。僕らは天送門だけじゃなくて、みんなで脱出できる方法も探ってるんだ。協力してくれるクラスメイトは、一人でも多い方が良い」

「うーん、そうだなぁ、正直、他の男とかいらねぇんだけどなぁ……でも、俺の最強ハーレムを見せ付けてやるのもいいかもな! とりあえず桃川、お前はエロゲでいう友人枠として置いといてやってもいいぞ」

「そりゃどうも」

「あと、樋口は殺す」

「それは喜んで、僕も協力させてもらう」

「お、いいじゃん、話が分かるな、桃川」

 好感触、といっていいのか。横道一を、ひとまずは引き込めそうな気がする。

 ただ、問題はただでさえ女子に蛇蝎の如く嫌われている上に、スキルイーターという夢の力を得てハイになってる横道が、自分の欲望だだ漏れな下品発言をこの短い間に何連発もかましていることだろう。僕だってこんな男、仲間になんてしたくはない。

 したくないが、背に腹は代えられない。コイツがどれだけのスキルを喰らってきたか分からない。いや、すでに単独でルーク・スパイダーを倒して捕食していたのだから、もしかすれば、一人で僕ら全員分に匹敵する戦闘能力を獲得してしまっているかもしれない。

 だとすれば、敵対は正に自殺行為。殺し合いをするというなら、せめて、蒼真悠斗と天道龍一の二人が揃ってからにして欲しい。この二人がいれば、まず間違いなく、治安は保たれるはずだから。

「それじゃあ、ひとまず僕らに協力してくれるってことで、いいのかな?」

「おいおい、俺の力で守って欲しいって頼むのはお前らの方だろぉ? なら、みんなちゃーんと頭を下げて、お願いして欲しいもんだなぁ」

 チラリ、と後ろ振り返って、まずはリーダーの委員長にお伺いをたてる。

 固唾を飲んで僕と横道の交渉を見守っていた委員長は、どことなく青ざめた顔をしているが……それでも、やはり状況は正確に理解してくれているようで、渋々ながらも、僕に頷いて見せた。

 一方の蒼真桜は、おぞましいモノを見るような目で横道を睨んでいる。警戒心MAXだ。まぁ、それは女性としては当然の反応だろうし、メイちゃんや剣崎さんも同じようなものだ。あきらかに怯えた表情の夏川さんが、何とも女の子らしくて一番可愛らしく見える。

 そういえば、一番ビビっていそうな小鳥遊さんはといえば――

「い、嫌! イヤぁああああああああああああああっ!」

 僕が小鳥遊さんを見た瞬間、彼女は涙を浮かべて、そう叫んだ。

第62話 牙を剥く食人鬼(1)

「ちょ、ちょっと、小鳥!?」

 とうとう我慢の限界か。恐怖の表情で泣き叫びながら、近くにいた委員長に抱き着く小鳥遊さんを見て、そう直感する。

 まずい。これは交渉決裂か……いや、まだだ。どんなに嫌だろうが、ここは小鳥遊さんをはじめ女子達には我慢してもらうよう説得しなければ――

「逃げて! みんな、早く逃げて! 小鳥達も、食べられちゃうよっ!」

「……えっ?」

 一瞬、思考が固まる――けど、小鳥遊さんが叫んだ言葉の意味を、僕はすぐに察した。察してしまった、というべきか。

 横道一は『スキルイーター』を持っている。ルーク・スパイダーの糸を吐いたこと、かつ、その肉を喰らったと明言したこと。この二つから、自然と『スキルイーター』は倒した魔物を食べることで、能力を奪う効果であると導き出される。

 ありがちな能力だ。そのテの能力で主人公が最弱から成り上がっていく作品を、僕は幾つも見たことがある。最初はゴブリンとかスライムとか、角の生えたウサギとかを偶然倒して、そこから能力を獲得して成長チートしていくというワケだ。

 でも、僕は失念していた。食べてスキルを奪う対象は、やられ役の魔物モンスターだけなのか? その疑問の答えを。

「教えて、小鳥! 横道一の天職を!」

 蒼真桜が叫んでいた。僕が何か言う暇もなく、小鳥遊さんは即答していた。

「『食人鬼』だよ! もう、長江さんを食べてるのっ!」

 彼女の答えを聞いて、僕はきっと、名前の知れないクラスメイトの女子を喰らっていたゴーマを見た時よりも、戦慄を覚えていた。

 ゴーマは見た目通りの醜悪な魔物だ。人間ではない化け物。ならばこそ、人間を餌として喰らうのも、おかしくはない。

 だが、人間が人間を喰らうというのは――

「『光矢ルクス・サギタ』っ!」

 気が付けば、光の矢が横道のすぐ足元に突き刺さっていた。

「横道君、これは警告です。私達も人殺しはしたくはありません。大人しく立ち去ってください。そして、二度と私達の前に現れないで」

「……はぁ?」

 呆れたような横道の返事。悔しいけど、僕も同感だった。

 蒼真桜の警告。その意味と意図が分からないほど、僕は鈍くはない。

 小鳥遊さんは、恐らく僕には秘密にしていた相手の天職や能力を盗み見るスキルによって、横道のステータスを見た。そんな秘密の賢者スキルがあったことも驚きだが、今は置いておく。

 そして、長江さん、というと、僕と同じ文芸部員の女子生徒、長江有希子であろう。彼女を『食べた』、つまり、殺して捕食した、という情報を知った。

 いくらなんでも、人を殺してその肉を食べる、マジモノの猟奇殺人鬼を、仲間に引き入れるワケにはいかない。僕としても、この事実を知った以上は……いや、もし勘違いであったとしても、僅かにそういう可能性がある、というだけで、横道と手を組むことはキッパリ断念しよう。

 けど、その言い方はないだろう、蒼真桜。

「なに、なんなのその態度? 折角、この俺が守ってやるっていうのにさぁ」

「貴方のような殺人鬼と交わす言葉など、これ以上はありません。さぁ、早く立ち去りなさい。さもなければ――」

 勝手なことを言いやがって、と、横道じゃなくても思う。どうしてお前は、そこまで高圧的な物言いができるのか。完全に横道を舐めている、いや、勘違いしているというべきか。

 要するに、蒼真桜は横道を自分達が一方的に追い返せるような、取るに足らない存在だと認識している。

 ああ、ちくしょう、馬鹿野郎。どうして僕がここまでへりくだって横道と話していたのか、この女はまるで分かっちゃいない。

 僕は確信している。この『食人鬼』横道一と戦うのは、こちらも犠牲者を出すほど危険だと。だからこそ、戦う道を選ぶなら、警告なんて余裕ぶったことなどせず、奇襲のように一発で始末するべきだった。

 蒼真桜の勝手な警告行動によって、僕は貴重な先制攻撃の機会を失ってしまった。

「――うるっせぇんだよ、このビッチがぁ! 有希子みたいに大人しくしてりゃあ、俺のハーレムメンバーとして可愛がってやろうと思ってたのによぉ!」

 案の定、横道は激高した。完全にキレている。交渉決裂というのは、一目で明らか。

 覚悟を決めよう。もう、後戻りはできない。

「やれっ! メイちゃん!」

 叫ぶと同時に、突風が吹く。

 いや、風じゃない。ハルバードを振り上げて飛び出す、メイちゃんがすぐ傍を通っただけ。

「『黒髪縛り』っ!」

 蜘蛛糸に縛られたお返しとばかりに、横道へ最大本数での黒髪触手をけしかける。

 ヤツは僕の能力を知らない。そして、メイちゃんの強さも。触手拘束からの狂戦士の一撃、そう簡単に捌けるものじゃないはず。

 僅かながらの罪悪感はある。横道というクラスメイトの人間を殺すという、殺人に対するものではない。メイちゃんにそれを押し付けてしまうことにだ。

 まぁ、いくらメイちゃんでも何の躊躇もなく殺人はできないだろう。恐らく、利き腕の一本でも切り飛ばすつもりで、ハルバードを振り下ろしているに違いない。

 そのはずだ。どう見ても脳天目がけて振り下ろされているけど……ヤバい、横道、死んだか?

「――とぉっ!? 危ねぇじゃねぇかオイ! 桃川ぁ、このヤローテメェ、いきなり裏切りかコノヤローっ!?」

 横道は僕が目に見えないほどの早業で、背負った大剣を抜き放ち、脳天直撃コースの刃を見事に受け止めていた。ちいっ、すでに戦闘に気が向いていたお蔭か、横道の反応は早い。

 けれど、それ以上に驚くべきなのは……何だ、あの腕は。肘の辺りから、刃が生えている。見覚えのある刃は、間違いない、アレはナイト・マンティスの鎌だ。コイツで僕の黒髪を一息で切り裂き、自由になった両手で剣を握りメイちゃんの一撃を防いだのだ。

 なるほど、コレがスキルイーターの力か。成長チートのスキルマスターっていうより、ただの化け物じゃないかよ。

「桃川君、双葉さん! なんてことを、人を殺すつもりですかっ!」

「黙れ、このバカ女! 戦うしかなくなったのは、お前のせいだろう――『逆舞い胡蝶』っ!」

 信じがたいごとに、罪の十字架を背負う覚悟で先陣を切ってやった僕とメイちゃんを罵倒する蒼真桜に、思わず怒鳴り返しながら、イマイチ効果の怪しい新呪術である毒の蝶を飛ばす。

 すでに、メイちゃんと横道は切り合いに突入している。カマキリブレードは邪魔なのか、いつのまにか肘から消え去っていた。

 それにしても、真正面からメイちゃんと斬り合えるということは、それなりの剣術スキルもヤツは持っているということ。ええい、厄介なキモブタめ。

 でも、その隙に僕はレムを呼び寄せて、ヤツに吐きかけられた蜘蛛糸の拘束をナイフで切ってもらう。とりあえず、体の自由は戻った。

「がっ、ぐっ、クソっ、マジで殺る気かよテメぇら! そういうつもりなら、しょうがねぇ、ヤってやんよ、クソ女ども」

 剣戟の最中にありながら、横道はこれまでで最高にいやらしい笑みを浮かべた。男の僕でもゾっとするほどの、醜い笑顔。

 殺すしかない。そう思った。

「全員、横道を攻撃しろ! 委員長、指揮をとって!」

「涼子! 人殺しなんて絶対にダメです!」

「ここでコイツを殺せなきゃ、犯されて殺されて食われるんだぞ、分かってんのかよ、お前らぁーっ!」

「ぶひゃはははっ! 安心しろよ桃川ぁ、俺は紳士だからビッチが相手でも優しく食ってやるからよぉ! そぉい、アイスブレスっ!」

 僕らの馬鹿らしい言い合いに勝手なツッコミを入れた横道は、口から真っ白い息を大量に吐き出した。

「――くっ!?」

 メイちゃんの反応は素早い。唐突に放たれた『アイスブレス』という、名前と見た目からして氷魔法の『氷結放射アイズ・ブラスト』らしい白いブレスの直撃を避けるように、ギリギリで後ずさっていた。でも、僕の放った毒蝶達は一瞬で吹き飛ばされてしまう。

 横道はそのまま、アイスブレスを吐き出し続け――なんだ、あっという間に霧になった!?

「メイちゃん、下がって! みんなも離れすぎないで!」

 冷たい真っ白い霧が、どんどん周囲に立ち込めていく。気が付けば、ブレスを吐きまくっていた横道の姿も、白い霧のカーテンの向こう側に消えてしまった。

 まずい、視界を塞がれた。

 向こうも、こちらが見えていないのだろうか。それとも、完全に見通すスキルを持っているのか。

「み、みんな、こうなったら戦うしかないわ! 武器を構えて!」

「でも、涼子!」

「殺すかどうかは、今は考えないで。とにかく、自分の身を守ることだけに集中しましょう」

「……仕方ありませんね」

「わ、分かったよ、涼子ちゃん!」

「了解した」

「ふぇえええ、怖い、怖いよぅ……」

 委員長がようやく再起動してくれたお蔭で、ひとまず、全員が戦闘態勢に移行している。

「委員長、陣形を変えよう。どの方向にも対応できるように、円形で」

「えっ、あ、そうね……小鳥を中心にして、私と桜と桃川君で囲んで、私の前に美波、桜は明日那、桃川君には双葉さんがついてちょうだい。どこから攻撃が飛んでくるか分からないわ、油断しないで!」

 円形というより、三角形の陣形が完成する。小鳥遊さんを中心において、僕を含めた後衛三人組が背中に庇うように立ち、さらにその前にコンビとなる前衛が立ちはだかる。この人数と天職とで可能な、全方位対応の陣形だ。

 それにしても、決して迅速とはいえない陣形変更だったけれど、その隙をついて横道が襲ってこなかったのは、舐めているのか。

「桃川君、ここから脱出はできないかしら」

「入り口はそう遠くないはずだけど……この視界じゃあ、探すのに手間取りすぎる。それに、あの蜘蛛糸で塞がれているかもしれない」

 恐らく、横道が僕らを即座に襲わなかったのは、このためだろう。自分で言ってて、正解だと思った。

「それより、小鳥遊さん!」

「ひゃいっ!?」

「横道の能力で、他に分かることはない?」

 ほとんど視界ゼロでも、僕はレムと並んで槍を構え、目を凝らして前方を凝視する。すぐ後ろでは、えっと、あっと、と、しどろどもどろな小鳥遊さんの気配が感じられた。そういうのいいから、早く教えてよ。

「あ、あのね、見えてないと、見えないから……沢山あって、よく、覚えてないの」

 相手の姿が見えていないと、天職名や能力などのステータスは見えない、ということだろうか。

「何か覚えてないの?」

「えっと、氷の魔法が……長江さんのモノだった、とかぁ」

「――その通り! いやぁ、小鳥ちゃん、マジで俺のステ見えてるんだ」

 霧の向こうから、横道の声が届く。方向は判然としない。でも、こっちの会話を聞ける程度の距離にはいるようだ。

「有希子は『氷魔術士アイスマージ』だったんだよね。臆病で気弱な有希子らしくてさぁ、折角、『氷矢アイズ・サギタ』とかの攻撃魔法あるのに、怖くてモンスと戦えなかったんだってよ。だから、この『氷霧アイズ・ミスト』で姿を隠して、敵はやり過ごしてきたんだってさぁ。そういうとこ、マジで女の子らしくて可愛い――」

「――そこだっ!」

 裂帛の気合いと共に、剣崎さんは大きく一歩を踏込み、二刀を振るった。

 見れば、横道らしき人影が切り裂かれていたが……何だ、幻影なのか。すぐに色を失って崩れて行き、漂う霧と同化してしまった。

「ぶふふ、コレ、『幻影氷像アイズ・ミラージュ』。どう、俺だと思った?」

 ちいっ、と不機嫌そうに舌打ちをしながら、剣崎さんが元の立ち位置に戻る。

「霧の中で幻影を作れるみたいだ」

「あぁん、このスキルを使うと、有希子の温もりを感じるナリィ」

 どこかで聞いたような言い回しを聞きながら、僕の視界にも一つ、二つ、と横道らしき太い人影が見え始めた。薄く霧がかかってぼんやりとしか見えないが……ちくしょう、これは本物と区別がつかないな。

「ね、ねぇ、これ、どれが本物なのかな」

「落ち着け、美波。襲ってくる時は、大きく動きがあるはずだ」

「――そうとも限らないんだな、それが」

 ヒュン、という軽い風切音が耳に届く。何故か、聞き覚えがある気がした。

「痛っ!?」

 と、悲鳴をあげたのは夏川さんだった。慌てて振り向き見れば、彼女はナイフを握りながらも、頬を手で押さえていた。

「美波、大丈夫なの!?」

「う、うん、大したことない、かすり傷だから――っ!?」

 一筋の血が頬を伝っている。確かにかすり傷。蒼真桜の治癒魔法なら一瞬で治るレベル。だというのに、夏川さんの顔面は一瞬の内に青ざめた。

「やだ、なにコレ……ベタベタして、く、臭い……」

 よく見れば、血に混じってドロリとした透明な粘液が付着しているのが分かった。

「うーん、美味しい、美味しいよ美波ちゃん! 有希子とはまた違った味わい……流石は陸上部のスーパーエース。生命力と躍動感に溢れた、ワイルドながらも女の子らしいマイルドな血の味がするよ!」

「……舌だ」

 僕は霧の向こうで、舌なめずりする横道の姿を幻視した。

第63話 牙を剥く食人鬼(2)

 飛んできたのは、舌だ。長い舌。そう、転移魔法陣のある湖で、僕を捕えた大カエルみたいな舌を、アイツは持っているんだ。

 つまり、夏川さんの頬を汚したのは、ヤツの唾液。ベロリと顔を舐められたようなものだ。

「い、イヤぁ! ヤダっ、汚い、やだぁ――あっ、う、くうっ……」

「どうしたの、美波!?」

「お、いいねぇ、もう効いてきた? 効果はばつぐん、ってやつ? 良かったぁ、麻痺耐性とかスキルあったら詰んでたんだよねぇ、実は」

「まずいっ! ヤツの舌には麻痺毒が仕込んであるんだ!」

「正確には、毒の棘を生やせるんだよーん。変な黄色いカエルを食ったらゲットした、役に立たないクソスキルだと思ったけど……いいねっ、このクソスキルが思わぬところで役に立つっていう展開!」

 俺マジ主人公! と喜び勇んだ横道の声を聞きながら、僕は慌てて鞄を漁る。

 麻痺を治す薬はない。でも、元は黄色のカエルから得た麻痺毒だから、毒蝶にしか使ってなかった解毒薬だけでも、効果はあるかもしれない。

「お願い、美波を癒して――『癒しの輝きヒーリングライト』!」

「ぶははっ、マジすか蒼真桜ちゃん! それ回復魔法だろ! 回復魔法はHPを回復するだけで状態異常は治せねーだろ常考!」

 果たして、そうなのだろうか。蒼真桜は聖女というチート臭い名前の天職だ。もしかしたら、状態異常も問答無用で一発回復させる効果があったりするかもしれない。

「ごめん……ダメ、みたい、桜ちゃん」

「そ、そんなっ!?」

「ぶはははははっ! ウケるーっ!」

 ちいっ、蒼真桜、回復でも役立たずかよ。もし今のメンバーで一人だけ戦力外通告を出せるなら、僕は迷わずコイツを選ぶね。

「委員長、僕の解毒薬なら多少は効果があるかもしれない。使ってみて」

「分かったわ」

「おおっ、何だよ桃川、お前、薬とか作れんのか? さてはお前の天職……『薬師』だな!」

 違うよ、バーカ。でも、教えてやる義理はない。

「沈黙は正解とみてよろしいか? ぶふふ」

 コイツ、マジで馬鹿だな。駆け引き上手なキレ者キャラにでもなったつもりか。

 しかし、横道が一人で勝手にこの状況を楽しんでいるお蔭で、夏川さんが僕の解毒薬を使う余裕くらいはできていた。

「美波、どう?」

「動ける、けど……あんまり、力は入らない、かな」

 弱々しく、ヤツには聞こえないような小声で委員長に症状を伝える夏川さん。やはり、解毒薬を塗ったくらいでは、速攻で全回復とまではいかないか。

「危ない、美波――ぐうっ!?」

「あっ、明日那ちゃん!」

 麻痺で動けない夏川さんの分をカバーするように動いていた剣崎さんだったが、やはり無理が生じたのか、同じように舌の餌食になってしまったようだ。ナイフで切ったような一筋の傷痕が薄らと、白い太ももに浮かぶ。

「おほっ、これは……美波ちゃんよりさらに濃厚でワイルドな味わい! みなぎる、力がみなぎるぞぉーっ!」

「明日那、薬を――」

「渡さないよーん、っつーか、俺にもくれよソレ」

 ヒュンヒュンと素早い風切音が、剣崎さんの周囲からしきりに鳴り響く。手渡ししようとすれば、腕を絡め取られそうだし、投げ渡せば薬を中空で掴み取られてしまうだろう。

「薬はいい……多少、痺れを感じる程度だ。戦闘に支障はない」

「へぇ、明日那は耐性高い感じ? でも、さっきより動きのキレってやつが感じられないなぁ」

 夏川さんも卒倒するほどではなかったし、剣崎さんは僕から見れば変わらず剣を鋭く構えているように思える。だが、戦士や剣士などの接近戦に特化した能力を持つ者なら、麻痺による衰えが分かるのだろう。あながち、横道は調子に乗って格闘マンガみたいな台詞を語っているだけはないかもしれない。

「くそ……」

 早くも、前衛二枚が弱体化されてしまった。ボスモンスでもないのに、たった一人の敵に一方的に攻められているこの状況はまずい。

 しかし、霧による目隠しと幻影の囮で、横道の防御はほぼ完璧。委員長と蒼真桜は何度か攻撃魔法を放ってみてはいるが、効果はみられない。二人ともすでに『氷結放射アイズ・ブラスト』、『光砲ルクス・ブラスト』と広い範囲に効果を及ぼす範囲攻撃魔法を習得している。それで霧の向こうを薙ぎ払ってはみるものの、それでもダメなのだ。

 横道はただ姿をくらますだけでなく、攻撃魔法を耐える防御手段も備えているのだろう。それが長江さんから奪った氷の防御魔法だけなのか、それとも、他のスキルがあるのか。

 どちらにせよ、こちらが安全に攻撃する手段に欠ける。勿論、一か八かで前衛を突撃させるのはありえない。突っ込んだ先にあの蜘蛛糸による粘着トラップでも仕掛けられていれば一網打尽だし、逆に前衛を放置して僕ら後衛を狙ってもいい。

 僕らはこの陣形を維持する以外に動きようがない。

 しかし、横道はあの便利な長い舌によって、徐々に、だが確実にこちらの戦力を削り取って行く。

「くっ、痛っ!?」

「委員長!」

「むおおっ、これは一転して、何て繊細な味わい! クールで知的なこの口当たりは――」

 いよいよ、ヤツの舌は後衛組みにまで伸びてきた。ヤツは男の僕を舐めたいとは思わないだろうから、次に狙われるのはメイちゃんか蒼真桜か小鳥遊さんか……確率は三分の一。誰が狙われるか予測がつけば、迎撃のしようもあるってもんだけど――

「さぁーって、お次は誰の味見と行こうかなぁ……やっぱ我らが二年七組代表美少女の蒼真桜かぁ? それとも甘ぁいスイーツの味がしそうな、ロリ巨乳小鳥ちゃんか、あるいはぁ、肉汁滴る特大ステーキみたいに美味そうな爆乳ちゃんかぁ!」

 横道は自分の優位を理解しているのだろう。隙を窺いつつ麻痺舌攻撃を徹底している。こうして、これみよがしな台詞を言い放つのも、テンション上がってるのと同時に、こちらの焦りと動揺を誘う心理的な作戦の一環のつもりかもしれない。

「ヒャッハーっ! もう我慢できねぇ! ここはやっぱり最強美少女の蒼真桜だろぉーっ!」

「――っ!?」

 空中をジグザグに動く不規則な軌道で飛来してきた麻痺舌は、麻痺で反応が鈍った剣崎さんをすり抜け、その背後に庇う蒼真桜へと延びる。来た、と思った時には、もう遅い。この霧の中では、目前に迫ってから出ないと、とても視認などできない。蒼真桜に、これを防ぐ術はない――はずだった。

「あぎゃぁああああああああああああっ!?」

 絶叫を上げたのは、汚らしい舌を這わされたはずの蒼真桜、ではなかった。耳障りな叫び声は、霧の向こうから発せられている。つまり、ダメージを負ったのは横道の方だった。

「なっ、なんだよソレ……バリアかっ!?」

 蒼真桜は身をすくませて硬直した、どこまでも無防備なポーズをしているが、その身の周囲には薄らと輝く球形の光に包み込まれていた。綺麗な光の球の内にいる彼女の姿は、もう一見して、全方位を防ぐバリアかシールドか、といったようにしか思えない。

「……それは、聖女の固有スキル『聖天結界オラクルフィールド』よ。ケルベロスの火炎放射も防いだ、強力な光の結界なの」

 委員長は、どこか諦めたように教えてくれた。

 ちっ、蒼真桜の奴、というか、お前ら、こんな能力を隠していたのかよ。

「いっ、イデぇ! くそっ、舌、火傷してんじゃねぇかっ! バリアとかチート臭ぇ技使ってんじゃねぇぞクソがぁ!」

 釈然としないが、横道の発言には同意する。蒼真桜は自分を守る結界があると知りながら、平然と後衛に居座っていたことになる。

 ちくしょう、最初から僕がこの能力を把握できていれば、絶対安全な蒼真桜を囮に利用して、横道を引きずり出す作戦ができたというのに。こんなタイミングで、しかも蒼真桜が自分の身を守るためだけに発動してしまったのでは、大した効果は望めない。

「ちいっ、蒼真桜は最後にしなきゃダメかよ……へへっ、まぁいいさ、メインディッシュってことにしといやんよ」

聖天結界オラクルフィールド』の存在がバレてしまえば、もうその能力は彼女自身を守るためだけの防御手段としてしか機能しなくなる。今更この力を作戦として利用するには……いっそ、単独で突っ込んでもらうか。このジリ貧な状況を変えるには、悪くない手かもしれないが、蒼真桜がそんな汚れ仕事を素直に引き受けるとも思えない。

 ええい、どこまでも面倒かけやがって。

「メイちゃん、次は小鳥遊さんか自分の二択だ。捉えられる?」

「それなら、多分、なんとか見切れると思う」

 小声で問いかけてみれば、中々に頼りがいのある答えが返ってきた。ここで馬鹿正直に横道が次の獲物を狙ってくれれば、メイちゃんが上手く迎撃できるかもしれない。この麻痺毒の舌さえ切って使い物にならなくすれば、恐らく横道も遠距離攻撃の手段を失い、僕らの襲撃を諦めるか、接近戦を挑むしかなくなる。

 無為な犠牲を払ってしまったが、それでもまだ、勝利の可能性は残っている。

「……どっちだ」

 僕も『黒髪縛り』を瞬時にぶっ放せるよう集中する。ほんの僅かでも舌の動きを止められれば、その一瞬の隙を必ずメイちゃんならついてくれるはず。

 確率は二分の一。横道が狙うのは、果たして、メイちゃんか、小鳥遊さんか。

「どっちの女子を味見してやろうかなぁ――っと、見せかけてぇ!」

 だから、僕は反応できなかった。自分に向かって飛んでくる、奴の舌先に。

「うあああっ!」

「小太郎くん!?」

 首筋に走る、鋭い痛み。まずい、首はまずい――メイちゃんの叫びを聞きながら僕は大出血を覚悟するが、感じたのは一筋の血がドロリと首筋を伝う感触だけだった。

 幸い、傷は浅かった。

 毒の棘、と言っていたから、鋭利な刃物のように肉を切り裂く威力はないのだろう。

「はっ、はっ、はぁ……」

 急激に心臓の鼓動が跳ね上がる。命の危機を一瞬でも実感して、冷静さが失われようとしている。落ち着け、大丈夫だ。大したことない、かすり傷だ。

 自分に言い聞かせるのと同時に、今にも僕の方へ駆け寄って来そうな雰囲気のメイちゃんを止めるためにも、僕はそんなことを叫んだ。

 それにしても、横道の野郎、なんだかんだで男の僕も狙ってくるとは。アイツなりに、真面目に戦っていたということか。クラスの美少女を蹂躙できると欲望に突き動かされているだけだと思っていたが……

「……い」

 その時、ポツリとつぶやくような声が、霧の向こうから届く。てっきり、まんまと僕に麻痺毒を与えたことで高笑いを上げながらベラベラ喋るのかと思ったが、奴は、不気味なほど静かに、そう言った。

「……んまい」

 美味い。そうとしか、聞こえなかった。

「美味いぃーっ! うぅ、まぁ、いぃ、ぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 それは、登場してから一番ハイな叫びだった。

「なっ、なん、なんだよコレぇ! 美味ぇ、マジヤバい、これっ、美味い、美味すぎる! 桃川ぁ、テメぇの血はぁ、なぁんでこんなに美味いんだよぉおおおおおおおおおおっ!?」

 知るか。

「うぉおおおおおおおっ! 男の娘の時代キタコレ! 俺は今、新時代の幕開けを見たぁああああっ!」

 ドン引きである。人喰いの血液ソムリエと化している横道なんぞに、君の血は美少女よりも遥かに美味しい、と太鼓判を押されても嬉しいはずがない。

 それにしても、この異常な反応。僕の血はそんなに特別に美味しい、というか、違いのようなモノがあるのか――あっ、もしかして『黒の血脈』が影響しているのか?

「が、我慢できねぇ……こんなモン味わっちまったら……我慢できねぇよぉ、桃川ぁ!」

 まるでゴーマのクスリでぶっ飛んでいるかのように叫ぶ横道。

「お前をぉ、食わせろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 来る。

 そう、戦士でもない僕が思ったのだ。

「させない。小太郎くんは――」

 狂戦士が、捉えられないはずがない。

 僕に向かって真っ直ぐに伸びてきた舌。その先端が麻痺毒針を生やしてサボテンのように刺々しい舌の鞭を、メイちゃんは左手でしっかりと掴み取っていた。

「いぎっ!? い、あぁあっ!?」

 鎧熊さえ殴り殺す剛腕で、思い切り掴んだ舌を引く。横道は汚らしい悲鳴とともに、あっという間に霧の向こうから引きずり出される。

 もう限界まで舌が伸びているのだろう。大口を開けた横道は無様にもがきながら、ズルズルと舌を引っ張られてメイちゃんの元へ――そう、右手一本で高々とハルバードを振り上げ、必殺の構えを見せる狂戦士の元へ引き寄せられた。

「――私が、守るっ!」

 欠片も容赦のない一撃は振り下ろされる。

「ぎぃああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 それは、断末魔の叫び――否、致命傷を逃れるために、犠牲を払った苦悶の声だった。

 横道は逃げられないと悟ったのか、思い切り口を閉じて、一息に舌を噛み千切ったのだ。

「いいっ、痛っでぇええええええええ!」

 死ぬほど後悔してそうな苦痛の叫びを上げる横道へ、思わぬ回避行動によってハルバードの一撃を空ぶってしまったメイちゃんはすぐに引き戻し追撃を仕掛ける。

 しかし、横道も伊達に魔物との戦闘経験を積んでいるわけではなかったということか。舌を切った痛みに身をよじりながらも、迫るメイちゃんへ対応してみせた。

「クソッ、このっ、死ねよっ、うがぁあああ――っ!」

 メイちゃんが間合いを詰める直前、横道が血塗れの口から吐き出したのは、蜘蛛糸でも氷の息吹でもなく、真っ赤な炎だった。コイツ、赤犬のボスでも喰らって、火炎放射まで獲得していたのかよ。

「ん、くっ!?」

 流石のメイちゃんも、真っ向から火炎を浴びせかけられて無事ではいられない。紅蓮の猛火にその身を炙られながらも、素早く後退して逃れる。

 いけない、かなり距離をとられた。火炎放射に押されるように、メイちゃんは間合いを突き放されてしまう。

 横道の舌は根元から噛み千切ったことで無力化したが、もしかすれば、まだ遠距離攻撃の手段はあるのかもしれない。再び『氷霧アイズ・ミスト』の中に逃げ込まれる前に、何としても、ここで仕留めるべき。畳み掛けるのは、今だ。

「みんな、攻撃しろ! レム、行けぇーっ!」

 後退するメイちゃんと入れ替わるように、槍を構えたレムが突撃を仕掛ける。それに一歩遅れて、僕も続く。

「黒髪縛りっ!」

「ぬあああっ、おいぃ、またコレかよぉ!?」

 炎を吐き終わったところで、黒髪縛りをけしかけ拘束。手首と足首、それと腰元に三つ編みの黒髪触手は絡みついた。

 勿論、これはすでに一度破られている。やはり、横道は瞬時に肘からカマキリブレードを生やし、髪を切って逃れる――だが、今は最初の時ほど余裕はない。

「ちいいっ、クソが!」

 肉薄するレムを前に、全ての拘束を切るのが間に合わない。足首の黒髪は断念し、自由になった両手でレムを防ぐ。そういえば、横道は大剣を持っていない。メイちゃんに引きずられた時に手放したのだろうか。間抜けめ、だが、都合がいい。

「砕け散れぇえええええっ!」

 剣がない代わりに、横道は拳を振り上げた。その腕にはカマキリブレードは消え、その代わりに、トゲトゲした白い骨でできた籠手のようなモノが形成されていた。もしかすると、スケルトンか、それに準じるモンスターを捕食して、獲得した能力なのかもしれない。

 スパイククラブも同然の腕でもって、横道は槍を繰り出すレムを迎え撃つ。

 まずは、突き出された穂先を弾く。たったそれだけで、木でできた槍の柄は砕けてしまう。しかし、武器を失っても人間ではないレムは、何の恐れもなく前進を続ける。ただの小柄なスケルトンに過ぎない骨の体では、何の迫力もないけれど、それでも横道へと体当たりを敢行してみせた。

「おいっ、コイツ、死ねよクソ雑魚がっ!」

 しがみつくレムに、骨の籠手を纏った腕がハンマーのように振るわれ、あっけなく粉砕する。けれど、その一瞬、横道は意識をレムに集中してしまった。舌を切った痛み。一気に接近戦に引きずり込まれた焦り。今の横道には、余裕がない。

「やぁあああああああああああああっ!」

 だから、僕でも刺せる。

 レムの突撃から間髪入れずに、僕も槍を構えて攻撃した。どうせ呪術に大した威力は望めない。でも、こんな立派な鉄の槍があるのだから、これを使うのが一番手っ取り早い。

 僕は呪術師で、何のスキルも能力補正もないけれど、槍のリーチと綺麗な鉄の刃、そして、ここまで隙を見せる横道が相手ならば、やってやれないことはない。

 殺人の忌避感や罪悪感なんか遥か彼方にブッ飛ばしながら、僕は何の躊躇もなく、本気でこのクラスメイトの、このどうしようもなく醜くおぞましい食人鬼の死を願って、力の限りに槍を繰り出した。

「うがっ!?」

 槍の穂先は、横道の脇腹に刺さる。でも、何だ、硬い。赤犬を刺した時とは、比べ物にならない反発力みたいなものを感じる。まるで、厚くて硬いゴムタイヤにでも突き刺したようだ。

 刺さりはした、けど、浅い。

「がっ、あぁ……痛ってぇだろうがっ、桃川ぁあああ!」

「うわあっ!?」

 振るわれる横道の剛腕。それによって、僕の槍もレムと同じ末路を辿る。あっけなく槍はへし折られ、腹に刺さった穂先の方はカランと虚しく地に落ち、柄を握る僕はレムほどガッツがあるわけでもなく、勢いに負けて無様に地面へと転がった。

「はぁっ、はぁ……痛ぇ……痛ぇよ……血が足りねぇ……」

 ドクドクと血が流れる脇腹の傷を抑えながら、横道は荒い息を吐いて僕を睨む。血走ったその眼は、なるほど、コイツは確かに、人殺しの目だ。

「ちっ、血、血ぃいいいっ! 食わせろ、桃川ぁ、お前を、食わせろぉおおおおっ!」

「小太郎くん!」

 飛びかかってくる横道。そこに、いつの間にか駆け寄ってきたメイちゃんが、僕の襟首を掴んで引き寄せてくれる。

 攻撃よりも救助を選んでくれた、メイちゃんに感謝だ。

「苦しみもがけ――『逆舞い胡蝶』」

 エスケープと同時に、僕は追撃の呪術を放つ。飛び立った『逆舞い胡蝶』の材料は、今まで一番お世話になってきた『傷薬A』だ。

 魔物の爪や牙による裂傷を即座に癒してくれる、素晴らしい効果は今、真逆の効果をもって、横道に襲い掛かるのだ。そう、致命傷とは程遠い刺し傷も、コレに触れれば――

「いぃいいああああああああああああああああああああああっ!?」

 傷口が開く。出血量も増加。あるいは、痛みも増幅されているのだろうか。

 僕のささやかな刺し傷などものともせずに反撃してきた横道だが、『逆舞い胡蝶』によって抉られた傷の痛みで絶叫を上げる。

「あああああっ! クソぉ! ちくしょあああああ――」

 苦痛にのたうちながらも、横道は再び火を吹く。メイちゃんは僕を抱きかかえ、素早く下がる。

「僕はいいから降ろして! 今だ、横道にトドメを――」

「……ごめんね、小太郎くん。ちょっと、無理みたい」

 滅茶苦茶に吐き出された火炎放射により、周囲は炎の壁ができあがり、容易に一歩を踏み出せない状況。そして、揺らめく炎の向こう側に、背を向けて走り出す横道の姿を見た。

「うぁああああっ! 桃川っ! 桃川ぁあああああああああああああああっ!」

 何故か僕の名前を絶叫しながら、横道は走り去って行った。

「逃げた、か……はぁ」

 安堵の息をついたのは、窮地を脱したからか。それとも、人殺しをせずに済んだからか。

 今の僕には、よく分からなかった。

第64話 人殺しの覚悟は

 横道一の襲撃を辛くも凌いだ僕らは、ルーク・スパイダーの縦穴を出発した。残念ながら、ここには転送用の魔法陣は見当たらなかった。もっとも、あったとしても蜘蛛のコアがないから起動できなかっただろうけど。

 再び始まる洞窟の行軍。無言。誰もが、無言だった。

「……」

 僕からすれば、言いたいことは山ほどある。結局、横道にトドメを刺し損ねたのは、誰も援護をしてくれなかったからであり、アイツを撃退したのも僕とメイちゃんの活躍が大きい。

 ふざけんな、お前らヤル気あんのかよ。特に蒼真桜、お前はいつもいつも余計なことばかりしやがって……と、不満など言い出せばキリがないが、そんなことを正直に叫ぶほど、僕は馬鹿じゃない。

 とりあえず、反省会は後回しだ。あんな危険な場所で、ダラダラと言い合っている場合じゃない。妖精広場についてから、今後の方針を話し合おう。

「あっ、そ、そんな……」

 陰鬱な雰囲気で洞窟を歩き続ける中、先頭を行く夏川さんが何だか絶望的なニュアンスの言葉を発した。嫌な予感がする。

「うわっ、マジで……ここも、蜘蛛の巣なのかよ」

 進んだ先にあったのは、横道と戦ったのと同じような、巨大な蜘蛛の巣が張られた縦穴であった。しかも、さっきのよりも二回りは広いような気がする。

「桃川君、このまま飛び込むのは、危険じゃないかしら」

「でも、ここを進むしかないんじゃない?」

「そうね……今から前の妖精広場に戻るというのも、現実的ではないし」

 今の僕らに必要なのは、確実な休息のとれる妖精広場である。

 というのも、横道との戦闘によって、僕らの戦力は半減している。夏川さん、剣崎さん、そしてメイちゃん、前衛組みは全員、横道の麻痺毒によって体の痺れがとれていない。僕の解毒薬で多少は緩和されているらしいけど、回復させるにはより効果的な薬か、時間が必要だ。

 委員長も麻痺は受けているけど、魔法職だから影響は軽い。ついでに、僕も麻痺は受けているはずだけど……呪術師だからなのか、全く体に麻痺の影響が出ていない。毒無効、とかの隠しステータスがあったりするのだろうか。

 あったとしても、とりあえず実際に毒を煽って確認しようとは思わないけど。

 あとは、横道にタックルをかましたレムが半身を砕かれて消滅してしまった。僕にとっては貴重な駒を失ったことになる。次の妖精広場に着き次第、素材を集めて再召喚しなければ。

「それじゃあ、ここで一旦小休止して、それから覚悟を決めて突入、ということになるけど」

「ええ、そうしましょう」

 他の人からも、反対意見は出なかった。かといって、賛成といった風でもないけど。

 僕らは縦穴を目前にした洞窟で、そのまま腰を下ろして休憩に入る。勿論、いつ縦穴の方か後ろから、蟻やカマキリが襲来するか分からない。洞窟の前後に交代で見張りを置いて、順番に休むしかなかった。

 正直、そんな体勢では休んだ気がまるでしない。安心して休息できないということが、これほど辛いとは。

「……小太郎くん、ごめんね」

 最初の見張り当番を終えて、ぼっち状態だった僕の隣にメイちゃんが座り込むなり、そんなことを言った。

「どうして、謝るのさ」

「横道君を、逃がしちゃった。あと、もう少しでトドメを刺せたのに」

 横道君、と当たり前にクラスメイトの名前を呼びつつも、殺し損ねたことを真面目に謝るとは、道徳心やら倫理観やらが狂いそうになる。

 メイちゃんが悔いているのは、ただ、あのチャンスの時に、舌を掴み取ったせいで左腕が痺れてしまい、攻撃するまで余力が回らなかったという点に尽きる。左腕が使えれば、僕を飛びかかる横道から引っ張って助けるだけでなく、そのままハルバードを叩きこめたという。

「人殺しをせずに済んだんだから、アレが最善だったのかもしれないよ」

「ううん、横道君、また必ず小太郎くんを狙って襲ってくるよ」

 どこか確信を持っているように、メイちゃんが断言する。否定したいところだけど、僕もそんな気がする。

「安全のために、あそこでトドメを刺すべきだった」

 そう、何より、奴の『スキルイーター』は食えば食うほど強くなる。次に会った時は、間違いなく新たな能力を宿して、襲い掛かってくるに違いない。

 今でもギリギリの勝負だったのだ。あれ以上、厄介な能力を身に着けてしまったら……ああ、くそ、今はそんなこと、考えたくもない。

「……メイちゃんはさ、躊躇したり、しなかったの?」

「何が?」

 本気で、何を聞いているのか分からないというような顔。その意味を、あえて気づかないフリをして、僕はそのまま質問を捕捉することにした。

「人を殺すこと」

「しないよ。小太郎くんを守るためなら、私、クラスメイトだって殺せる」

 その淀みのない解答に、安心感を覚えてしまう僕は、最低だろうか。

 メイちゃんは狂戦士の影響なのか、人の道を平気で踏み外しそうな気配がする。きっと、横道との戦いだって、本気で殺すつもりでハルバードを振るっていた。

 けれど、彼女が僕を守ると言ってくれるなら、殺人さえも厭わず敵と戦えるというのなら……人として、男として、そんなことは許されない、そう、蒼真桜のように綺麗事を言うべきだ。

 でも、僕は嬉しかった。こんなに心強い味方はいないと。やっぱり、頼れるのはメイちゃんだけだと。そんな風に、自分を守ってくれる彼女の存在を喜んでしまった。

「そっか。ありがとう」

「うん、だから、気にしなくていいんだよ、小太郎くん」

 ああ、見抜かれていたか。僕のくだらない葛藤なんて。

「ごめん」

「いいの。横道君は、もう長江さんを殺している。殺人鬼、じゃなくて、食人鬼、だっけ? だから、もう人間じゃない。ゴーマと同じように、倒さなきゃいけない敵だから」

「そう、だよね」

 横道は化け物だ。人を喰らい、血をすする化け物。一体、どんな邪神が『食人鬼』なんて天職を授けたのか知らないが、横道には最早、人間らしい理性がないのは明白だ。

 あんなモンスターを前に、道徳や倫理に悩んでいれば、あっけなく殺されるだけ。

 そうと分かっていても、簡単に割り切れないのが人間ってものか。

「大丈夫……僕だって、槍を刺せたんだ。迷いはなかった。だから、もし次があるのなら、僕も一緒に、やるよ」

「うん、ありがとう、小太郎くん」

 終わってみれば、悩みもする。蒼真桜の言うことは正しかったのでは、と考えもする。本当に、僕なんかが人を殺せるのか。人を殺すことに、耐えられるのか。分からない。

 けれど、殺人という罪の十字架があるのならば、それをメイちゃん一人に押し付けようとは思わなかった。せめて、一緒に背負おう。

 それだけは、こんな僕でも、はっきりと決意できるのだった。

第65話 ラッシュ

「――それじゃあ、行こうか」

 幸い、魔物の襲撃はなく、休息を終えることができた、無論、あまり疲労の色はとれてはいないし、麻痺も全快というほどではない。

「いい、みんな。この中には恐らくルーク・スパイダーがいるわ。けれど、さっきの縦穴のように、転移の魔法陣があるかどうかは分からない。ボスじゃないのなら、戦う必要はないわ」

「それでは、まずは魔法陣を探して、あるのならば蜘蛛を倒し、なければそのまま通過する、という作戦でいいのですか」

 蒼真桜の問いに、その通りと委員長が頷く。

 何も、待ち構える魔物たちを一本道RPGよろしく馬鹿正直に撃破する必要はないのだ。コアは欲しいけど、今は無理して集めるほどでもない。敵はスルーするに越したことはないだろう。

「じゃあ、私が先頭だね!」

「ええ、頼んだわよ、美波」

 索敵と捜索能力の高い盗賊にまずは魔法陣を探してもらい、素早く確認を済ませる。僕らは同時並行で、出口を探す。

 作戦の最終確認を終えて、いざ、蜘蛛の縦穴へと僕らは足を踏み入れた。

 夏川さんの周囲を飛び交う光精霊が、暗い穴の中を照らし出す。やはり、見た目はさっきの場所とそう違いはない。ど真ん中でまた横道が待ち構えているんじゃないかと思うくらい、変わり映えしない。

「ここ、結構広いね」

「うん、もしかしたら、森林ドームくらいあるのかも」

 実際、ドーム球場くらいの広さはありそうだ。蒼真桜が繰り出す光精霊だけでは、端から端まで照らし出すことはできない。

 とりあえず、蜘蛛や他の虫たちの姿は見えないけれど……

「涼子ちゃん! 魔法陣はないっぽいよー」

 捜索することおよそ五分。夏川さんの可愛らしい声が反響しながら、残念な調査結果が届く。

「分かったわ、美波、戻って」

「しかし、涼子、出口が見つからないぞ」

 剣崎さんの言う通り、困ったことにこちらも道の先となる出口を、いまだに探し出せないでいた。少なくとも、縦穴の壁はぐるっと一周して確かめたのだが、ここに至る入り口は、僕らが入ってきた一つきりしかない。

「……もしかして、行き止まりなのかしら」

「いや、少し上の方にあるのかもしれないよ」

 ここは虫が作り出した穴だ。だとすれば、人間に合わせて一番下の地面に入り口を作らなければいけない道理はない。垂直の壁面だろうと天井だろうと、自由に歩ける虫からすれば、どこでも好きな場所に入り口を作ればいいのだから。

「でも、そうなると、場所によっては登れないかもしれないわね」

「うーん、頑張れば僕の黒髪縛りで、ロープ代わりにできるかも」

 と、漠然と暗い天井を見上げたその時――目があった。

 暗闇に光る、真紅の八つ目。

「ルーク・スパイダーだ、いや……」

 さらに八つの目が光り、合わせて十八の光点。数え終わった瞬間には、赤い点はさらに倍するように増え、三十、四十、五十、とても数えきれない。

 輝く赤い瞳が、星空のように無数に天井を覆っていた。

「撤退だ! 凄い数が来る!」

 小鳥遊さんが縦穴いっぱいに響き渡るほどの悲鳴を上げると同時、奴らは堰を切ったように襲い掛かってきた。

 まず、僕らの立つ地面に降り立ったのは、灰色の外殻を纏った八本脚の巨躯。ルーク・スパイダーだ。

「まずい、出口がっ!?」

 退路を塞がれた。天井から降ってきたルーク・スパイダーは二体もいて、そのルークの名に相応しい威圧感をもって、出口の前に立ちふさがる。

 それだけでなく、膨らんだ大きな腹部から、横道が吐いたのとは比べ物にならないほど大量の蜘蛛糸をドっと噴き出し、出口を塞いだ。蜘蛛の巣というより、粘着質の白い塊となって、完全に封鎖されてしまった。

「罠、だったのか……」

 僕らは、最初から判断を誤っていたんだ。曲がりなりにも、ここまで進み続けてこれた。戦力が消耗したことで、先を急ぎ、焦っていた。無理を押せば突破できると、心のどこかでみんな、思っていたに違いない。

 何て馬鹿な、ゲーム感覚だったのは僕の方だ。

 見ろ、あの虫の数を。奴らは必ずしも、僕らが倒せるだけのちょうどいい数で出現しなければいけないルールなんてものはない。この洞窟に巣食う虫モンスターは、ちょっと本気を出せば簡単に僕ら程度の小勢など押し潰せるほどの頭数が揃っていたんだ。

 今まで無事だったのは、ただ単に運が良かったに過ぎない。

「ど、どうするのよ、このままじゃ――」

「無理にでも突破するしかない! メイちゃん、蜘蛛を頼む!」

 まんまとモンスターハウストラップにでもかかった間抜けさを、後悔している暇はない。とにかく今は、死にもの狂いで現状を打破するより他はないだろう。

 たとえ、すでに手遅れだとしても、座して死を待てるほど、僕は悟っちゃいない。

「メイちゃんと剣崎さんで蜘蛛を止めて! 蒼真委員長は防御魔法で壁を造りつつ蟻の群れを止めて、夏川さんは抜けた蟻を始末! あと、僕に『レッドナイフ』を貸して! 小鳥遊さんは僕について来て、出口を開くのを手伝って――広がれ、『腐り沼』っ!」

 従ってくれるかどうか怪しいけれど、矢継ぎ早に指示を飛ばして、ついでに足止めの呪術も放つ。

 すでにメイちゃんは雄たけびを上げてルーク・スパイダーの巨躯へ斬りかかっている。降り立った蜘蛛に続くように、縦穴の壁面を伝って、ゾロゾロと蟻の大群が押し寄せる。あまりのんびり考えている暇はない。

「みんな、ここを脱出するわよ! 桃川君が出口を開くまで、何とか耐えるの!」

「じゃあ、頼んだよ、桃川君!」

 委員長が僕の指示を認める発言で、蒼真桜をはじめ、ようやく動き出してくれる。夏川さんは自慢の俊足で僕の前までやって来て、レッドナイフを渡してくれると、すぐにまた戻る。

「小太郎くん、行って!」

 メイちゃんが嵐のような斬撃を見舞って、ルーク・スパイダーを入り口前から押しのける。見れば、剣崎さんも太刀と炎のサーベルの二刀を振るい、同じく道を開けてくれた。よし、行くなら今しかない。

「小鳥遊さん、行くよ!」

「で、でもぉ……」

「どこにも安全な場所なんかない、いいから来い!」

 オロオロする小鳥遊さんの腕を掴んで、僕は走り出す。三十メートルもない距離だけど、前衛組みと大型モンスターが戦う最前線を駆け抜けるのは、正直、生きた心地がしない。

 それでも、転ぶなんて間抜けなことはせず、どうにか無事に走り抜ける。小鳥遊さんも、涙目ながら、何とかついて来れた。

「はぁ……はぁ……くそっ、ベッタリ固めやがって……」

 いざ、出口の前までやってくると、とんでもない量の蜘蛛糸の塊に心が挫けそうになる。このまま突っ込めば、三十センチも進まない内に身動きが取れなくなるのは明白。普通の刃で切っても、すぐに糸がベトついて切れ味を封じるだろう。

 だから、道を切り開くには、炎の刃を持つレッドナイフが必要だった。ビバ、属性武器である。

「これで――うわっ、熱っ!? 熱っつぅ!?」

 目論み通り、蜘蛛糸は炎を発するレッドナイフで簡単に焼き切ることができた。けど、火の粉が飛び散り、炙られた糸は火がついたままドロっと溶け落ちるし、大変、危ない。無理にでも切り進めれば、大火傷だ。

「桃川君、まだなの!? こっちはもう限界――『氷結放射アイズ・ブラスト』!」

 委員長からの催促が厳しい。チラリと振り返れば、氷と光の壁で蟻の進行を防ぎつつ、攻撃魔法を矢継ぎ早に撃ちまくる、激しい迎撃戦の様子が見て取れる。流石、攻撃魔法の火力は優秀だが……蟻共は恐怖という概念など存在しないように、死兵と化してひたすら突撃を続けるのだから、今にも押し切られてしまいそう。夏川さんのフォローだって、限界はある。

 メイちゃんと剣崎さんの方も、厳しい状況だ。別に奴らからすると、二人と蜘蛛がそれぞれ一対一で戦わなければいけない義理はない。そっちの方にも蟻は現れ、二人は器用にも蜘蛛の相手をしつつ、邪魔な蟻を随時始末しているようだった。

 けれど、いくら二人でも全ての蟻を引きつけられるわけでもない。当然、僕らを狙う奴らも出るわけで――

「い、イヤぁあああああっ!? 来ないでぇーっ!」

 真っ直ぐ僕らに向かってくる蟻を前に、小鳥遊さんが悲鳴を上げる――だけじゃない。そう、これはただの悲鳴じゃない。賢者である彼女の言葉には、力が宿る。

『神聖言語「拒絶の言葉」』。賢者のスキルは適切に発動し、小鳥遊さんが「来ないで」と拒絶した通りに、相手の動きは止まる。

 蟻は僕らに向かって飛びかかる直前、思い切り鋭い爪のついた前脚を振り上げた格好のまま、金縛りにあったようにピタリと動きをとめていた。触覚や爪先が、少しピクピク動いているのは、魔法の言葉に対する抵抗の証だろうか。

「いいよ小鳥遊さん、そのまま蟻を止めて!」

「ひぇええええ! む、無理だよぉ!」

 無理と言いつつも、蟻の動きは止まったままだから、大丈夫だろう。

 小鳥遊さんを、この場まで連れてきた甲斐があった。こんな凄い能力なのだ。蒼真桜の『聖天結界オラクルフィールド』みたいに、自分の身を守るためだけに使うのでは勿体ない。こういう時くらい、仲間の盾になってくれよ。

「よし、あと半分くらいか……」

 みんなが決死の防戦を演じる一方で、僕は蜘蛛糸の封印を焼き払い続ける。この調子なら、何とか出口をこじ開けて、逃げることができそうだ。

 そんな、僅かな希望を見出した瞬間に、ソレを打ち砕く絶望の羽音が響いた。


――ブゥウウン


 それは、すでに何度か聞いた覚えのある、羽音であった。耳障りな、大きな羽音。こんなに大きな音を立てて飛ぶ虫は、一体、どれだけ大きいのだろうと身の毛のよだつ想像を掻き立てるほどの。

 そして、その存在を僕らはすでに知っている。

「そ、そんな……カマキリまで、出てくるのかよ……」

 縦穴の上から飛来するのは、二振りの鎌を備えた緑の騎士。ナイト・マンティスであった。

「くっ……」

「おのれ、増援か」

「わぁああああっ、こ、こんなのもう、無理だよぉ!?」

 現れたナイト・マンティスは、全部で四匹。蜘蛛との死闘を演じるメイちゃんと剣崎さん、それと、蟻を食い止める夏川さん。前衛組みそれぞれの前に、ダメ押しのように降り立った。

 ウチの前衛は三人。それぞれが一匹ずつ担当するというのなら、最後の四匹目は――

「あ、あ、あぁ……」

 メンバーの中で最も弱い、僕と小鳥遊さんの目の前に、カマキリが降り立つのだった。

「嫌ぁっ!? 来ないで、来ないでぇええええええっ!」

 発せられる拒絶の言葉。カマキリは蟻と同じように動きを止めるが……だ、ダメだ、鎌が少しずつだけど、確かに動いてる!

「いや、いやっ、そんな、いやだよぉ……」

 祈るようにギュっと手を握って、文字通りの泣き言を零す小鳥遊さん。恐らく、これで彼女なりに『神聖言語「拒絶の言葉」』の威力は限界まで発動させているはず。

 それにも関わらず、カマキリは僅かだが、動ける。恐らく、このまま後一歩、小鳥遊さんの拒絶する領域に踏み込めれば……もう、止められないだろう。

「くそ、くそっ……こ、こんなところで……」

 死んでたまるか。

「死んでたまるか!」

 火傷も構わず、無我夢中でレッドナイフを振るう。けれど、焦って振り回すほどに、蜘蛛の糸が上手く焼け落ちてくれない。進みが遅い。いや、早くなってるのかもしれないけど、これでは、手遅れになってしまう早さだ。

 ダメだ、もう僕らが抑えきれる敵の限界量を超えた。次の瞬間にでも、蟻が雪崩れ込んでくるかもしれない。

 もしかして、もう、誰か死んだか?

「く、くそ……」

 嫌だ。怖い。あまりの恐ろしさに、僕は後ろを振り向けない。

「死にたくない……死にたくない……」

 仲間のことは心配だ。特にメイちゃんは。けれど、僕の心は自分の命の心配だけでイッパイになってるし、実際に出来る行動も、無様にもがきながら蜘蛛の糸を振り払うことだけ。

 押しつぶされそうな恐怖のプレッシャー。視界が真っ白になったようで、今にも気絶しそう。すぐ後ろでは必死に拒絶の言葉を叫んでる小鳥遊さんがいるはずなのに、その声さえ、聞こえない。何も見えない。何も、聞こえない。

 けれど何故か、耳に届いた言葉がった。

「助けて、兄さん」

 蒼真桜。ああ、コイツは、最後の最期まで、なんて馬鹿な女なんだろう。

 心の底から軽蔑した、その時だった。

「――『光の聖剣クロスカリバー』ぁあああああああああああああああっ!」

第66話 勇者参上

 白い、光が瞬いた。

 その強烈な白光は、嵐のように吹き荒れては、地の底に蠢く虫達をバラバラに吹き飛ばす。人間と同じくらいの大きさがあるポーン・アントだけど、群れごと一塊になってぶっ飛んでいる。光に焼かれ、切り裂かれ、脚や胴が千切れ飛び、灰のようにボロボロと崩れ落ちていく。

 光の奔流はさらに荒れ狂い、巨大な輝く刃となって大地を抉りながら迸る。群れる蟻を切り裂き、さらに、その向こうにどっかりと構える灰色の砦、ルーク・スパイダーさえ、一刀両断して見せた。

 一瞬の内に二体の蜘蛛は崩れ落ち、カマキリも蟻も、その数を半減させていた。信じられない火力。これぞまさしく、魔法の力と呼ぶべきか。

 いや、違う――これが『勇者』の力だ。

「助けに来たぞ、桜」

 揺れる黒髪の向こう、強い意思の光を瞳に宿した、美しくも逞しい少年は、白く輝く光の剣を携えて、そこに立っていた。

 これが勇者。これが、蒼真悠斗。

 白嶺学園が誇る、清く正しく美しい、最強の男子。誰もが認める、真に勇者の称号に相応しい男である。

「兄さん!」

「無事で良かった、桜。みんなも。けど、ここは危ない、早く逃げるんだ!」

 叫ぶや否や、さらに光の剣を一閃。すると、刃がそのまま巨大化したように、あの白い光が竜巻のように吹き荒れる。

 その輝く破壊力の前に、ポーン・アント如きでは成す術がない。群れる蟻と、ついでに夏川さんを襲っていたカマキリまで巻き込んで、一気に消し去って見せる。

「みんな、行きましょう! 悠斗君が退路を開いてくれたわ!」

 委員長が言うまでもなく、みんなの動きは早かった。強いて言えば、僕がちょっと呆然として、動きが鈍かったくらいか。

 けど、それもしょうがないだろう。蒼真君の力は、あまりに圧倒的だった。僕らが散々、苦労して戦ってきたのは何だったんだと思えるくらい。

 あはは、馬鹿だな横道。ここに、本物のチートがいるぞ。

「行くぞ、小鳥!」

「うん、明日那ちゃん!」

 拒絶の言葉で停止していた蟻とカマキリを一刀のもとに切り伏せ、剣崎さんが小鳥遊さんを迎えに来た。僕のことなど眼中にないように、彼女の小さな手を引いて、さっさと走り出す。

「小太郎くん!」

「僕は大丈夫、蟻を近寄らせないで」

 僕のことを心配してくれるのは、メイちゃんだけか。涙が出るほどありがたい。でも、僕まで手を引かれて走らなきゃいけないほどではない。まだまだ蟻は沢山いるから、蒼真君が切り開いてくれた退路が埋まらないよう、メイちゃんにはあともう少しだけ頑張ってもらわないと。

「みんな、こっちだ!」

 蒼真君が、さっきほど激しくはないけど、光の剣を振るい続け、群がる蟻を倒していく。彼の後ろには、最初に探した時には見つからなかった、大きな穴が開いていた。

 なるほど、通路が埋まっていたのか。恐らく、蒼真君は閉ざされた通路側からやってきて、壁を壊してこの縦穴へと現れたんだ。

 そんな、待望の出口へと向かって、僕は息を切らせて全力疾走して、どうにかこうにか、滑り込むことに成功した。

「僕で最後だから! 塞いで!」

「分かった、下がってくれ、桃川」

 転がるように避けると、蒼真君は光の剣を構えた。すぐ向こうには、僕らを逃がすまいと蟻達が黒い津波となって押し寄せる光景が映る。

「ハアっ!」

 気合いの声と共に、再び光の刃が一閃。迫りくる蟻ごと、縦穴と通路の境目を切り払えば――ガラガラ、と激しい崩落音と共に、大量の土砂が崩れ落ち通路を潰すように塞がれた。

「……はぁ」

 そこで、ようやく僕は安堵の溜息を吐く。

「ああ、兄さん、良かった、本当に……」

「ごめんな、桜、心配をかけて」

「……はぁ」

 次いで出てくるのは、呆れの溜息だった。蒼真兄妹、感動の再会、といった場面だが、僕にとっては割とどうでもいい。

「みんな、疲れているとは思うけど、すぐに移動しよう。この先に転移魔法陣がある。それで、この虫の洞窟から脱出するのが先決だ」

 おお、と感動の声が上がる。誰もがこの、気持ちの悪い巨大昆虫の巣窟から逃れたくて仕方がない。

 そうでなくても、蟻の能力をもってすれば、この程度の崩落なんてすぐにどかせて開通できるだろう。こんなところで、のんびりしている余裕はない。

 疲れた体に活を入れて、僕らは蒼真君の先導で、洞窟を歩き始めた。

「――本当に、またみんなと合流できて良かった」

「それにしても、よく、私達の居場所が分かったわね」

「近くまで来れたのは、偶然だった。でも、ある程度まで近ければ、光の精霊が桜の居場所を教えてくれるんだ」

「えっ、兄さんも『光精霊ルクスエレメンタル召喚』を覚えたのですか?」

「うん、気づいたら、出来るようになってたよ。でも、桜のと違って、俺のはちょっと青いんだ」

 ほら、と人差し指を立てると、その先に淡いブルーの燐光が灯る。ホタルのようにクルクルと飛び回ると、すぐに消えた。

「探知能力があるなんて、初めて知りました」

「同じ精霊を使える桜だから、分かったのかな。他の人は、上手く見分けがつかないみたいだ」

 と、都合よくあの場に駆け付けられたカラクリを披露したところで、蒼真君は僕の方へと向き直った。

「ところで、桃川と、その隣の人は……」

 蒼真君からすれば、妹をはじめ、他の面子ははぐれる前と一緒。新顔となるのは、僕とメイちゃんだけ。まぁ、挨拶は必要だよね。

「僕は『呪術師』。こっちは『狂戦士』の双葉さんだよ」

 嘘偽りなく、自己紹介をする。小鳥遊さんが他人の天職とスキルを見抜く能力を持っている以上、すでにメイちゃんの天職を偽る必要性はない。

「天職の力で戦った影響なのか、凄く痩せたんだ」

「そ、そうなんだ……えっと、よろしくね」

 若干、というか、かなり面食らった様子の蒼真君。

 まぁ、ウチのクラスメイトが今のメイちゃんを見れば、誰でもこんな反応になるか。胡散臭いダイエット食品の広告でもお目にかからないような、劇的すぎるビフォーアフターだし。

「さっきは蒼真君のお蔭で、助かったよ。ありがとう」

 学園一のイケメンたる蒼真君に対しても、メイちゃんは全く気恥ずかしさなど見せず、堂々とした心からの笑みで感謝の言葉を述べていた。戦闘に慣れたお蔭で、度胸もついているのだろうか。

 あるいは、救世主の如き超カッコいいタイミングで救出に現れた蒼真君に惚れてしまったか。

 女性というのは現実的な生き物だという。最弱呪術師な僕なんかより、遥かに頼りになる上にカッコいい勇者様に、速攻で気が向いてしまうのもおかしな話ではない。

 今は何かと僕のことを気にかけてくれているけれど、その内、露骨に避けられるようになったりして……や、やめよう、これ以上考えたら鬱になりそうだ。

「あそこが、転移魔法陣の部屋だ」

 どうやら、目的地に到着したようだ。蒼真君が示す先には、なるほど、洞窟は途切れて、再び石壁の遺跡ダンジョンへと戻ってくる形になっていた。

 中へ入ると、ダイレクトに魔法陣部屋へと繋がっているようで、オルトロスのボス部屋で見たのと似たような、ぼんやり輝く魔法陣が床に刻み込まれていた。

「あっ、そういえば、ルーク・スパイダーからコアを回収していないわ」

「大丈夫だよ、委員長。この部屋の手前にいたボスを倒してきたから、ソイツのコアがある」

「流石ね、悠斗君」

「ケルベロスよりも弱かったから、大したボスじゃなかったさ。それより、早く転移してしまおう。これまでの構造と同じなら、飛んだ先は妖精広場になっているはずだ」

 一刻も早く休息をとりたい僕らからすると、ありがたい提案である。ここは素直に、蒼真君のコアをゴチになろう。

 みんなはすでに慣れたとばかりに、円形の魔法陣の中へと入る。最後に、ソフトボールみたいな大きさの赤い結晶、コアを手にした蒼真君が入った。

「それじゃあ、始めるよ」

 コアはすぐにビカビカと光を放ち始めて、反応を示す。その激しい輝きに溶けるように、コアは少しずつ形を崩していく。それと同時に、魔法陣も明滅を繰り返す。その輝きが、視界全てを覆うほど激しく瞬いた瞬間に、転移は発動する。

 この調子なら、もうあと十秒もしない内に、転移す――

「――わっ」

 突如、体に衝撃が走る。押された。背中を、ドンと、強く。

 間の抜けた声を上げると、もう、目の前には硬い石畳が迫っていて、僕は咄嗟に手を突き出して顔面を強打するのを防ぐだけで精々だった。

「痛っ!?」

 ドっと全身に走る衝撃。前のめりに、地面に倒れ込んだ。僕はただ、黙って立っていただけなのに、どうして転んでいるんだろう?

 そんなの決まってる。突き飛ばされたんだ――誰に?

「け、剣崎さん……」

 振り返ると、両手を突き出したままの格好で固まっている、剣崎明日那の姿があった。その顔は、自分でも何をしたのか分からない、というほど、大きく目を見開いた、驚愕というか、呆然自失というか、そんな表情であった。

 そして、それが僕の見た最後の光景となった。

「小太郎くん!?」

「ダメだ、双葉さん、今飛び出すのは危険だ!」

 視界が真っ白い光で塗りつぶされた、その向こう。焦りで上ずったメイちゃんが僕を呼ぶ声と、それを止める蒼真君の声。

「あ、あっ――」

 何か言葉を返す間もなく、静寂が訪れた。そして、視界も戻ってくる。

 そこには、ただぼんやりと魔法陣が輝く、伽藍堂。

 誰もいない。何もない。

「そ、そんな……」

 つまり、僕は置き去りにされたのだった。

第67話 怒り

 転移魔法の白い光に包まれながら、剣崎明日那は、あの時の決闘――最悪の恐怖と屈辱の記憶が、脳裏にフラッシュバックしていた。

「あっ、あ……」

 自分の両手を見つめる。

 掌に、小太郎の背中を押した感触が、まだ残っている気がする。

 明日那の頭の中は真っ白で、けれど、転移の光はすぐに収まる。

 目の前に広がる光景は、すっかり見慣れた、どこも同じ造りの妖精広場。しかし、ここは絶対安全の安住の地ではない。

「ひっ――」

 明日那は、自分がたった今、地獄に落ちたのだと思った。

 何故なら、彼女の目の前には、怒りに燃える、悪鬼羅刹の如き狂戦士が立っているのだから。

「剣崎ぃ、明日那ぁああああああああああああああああああああああああああっ!」

 その瞬間の状況を、正しく認識できていた者は、きっと、この怒り狂った咆哮を上げる『狂戦士』双葉芽衣子だけだったろう。

 転移魔法は、適切に発動した。しかし、転移が始まるその瞬間、剣崎明日那が桃川小太郎を突き飛ばした。

 そして、魔法陣から弾き出された小太郎を置き去りに、妖精広場までやって来た。

 間抜けな事故でも何でもない。剣崎明日那は、明確な意思を持ち、狙って桃川小太郎を突き飛ばしたのだ。

 そんな凶行を目の前で見せつけられて、双葉芽衣子が怒らないはずがない。

「ひっ、い、いやぁあああああああああっ!」

 絹を裂くような悲鳴を上げたのは、メンバーで一番の怖がりである小鳥遊小鳥ではなく、剣崎明日那。

 だが、そんな悲痛な声をあげるのも無理はない。何故なら、彼女にとって双葉芽衣子は、絶対的な恐怖の象徴。理不尽な暴力の権化。つまり、トラウマである。

 芽衣子の殺意と怒気を真正面から浴びた明日那は、戦意喪失どころか、今にも気絶せんばかりに恐れおののいている。

 そして、そんな無防備にして惨めな姿の明日那に、怒り狂った狂戦士は、力の限りその拳を――

「やめるんだ、双葉さん!」

 バァン! という衝撃波さえ伴う炸裂音が妖精広場に響き渡る。

 繰り出された拳、いや、『狂戦士』の武技『鎧徹しパイルバンカー』が発動した、赤いオーラを纏った拳という名の凶器を、蒼真悠斗がその手でもって受け止めたのだ。

 荒れ狂う破壊力が炸裂し、悠斗の掌はズタズタに裂かれたような傷が走り、俄かに血飛沫が舞う。真正面からしっかりと受け止めたはずなのに、あまりの衝撃にズズズと踏ん張った足が芝生を抉りながら滑る。ほんの少しでも気が緩めば、そのまま吹っ飛ばされてもおかしくない。それほどの威力。

 もし、この赤く燃える拳が、無防備に泣き叫ぶだけの明日那の顔に当たっていれば……悠斗の背筋が凍る。

「どいてくれる、蒼真君」

 双葉芽衣子のその声に、さらに体が震えた。まるで、浄化する前の呪われた刀から発せられる怨念の声のよう……否、それ以上に、恐ろしい響きであった。

「それはできない。頼む、双葉さん、やめてくれ」

 だが、どんなに恐ろしくても、いや、本当に人を殺せるだけの恐ろしい相手であるからこそ、蒼真悠斗は引けない。引くわけにはいかない。

 剣崎明日那が泣き叫ぶところなど、見たのは初めてだった。今起こった状況に、完全に理解は追いついていない。それでも、明日那を守らなければ。それだけは、決して揺らがぬ意思として、悠斗の体を突き動かしていた。

「……そう」

 芽衣子の目が、鋭く周囲を見渡す。

 まずい。蒼真悠斗は直感で分かった。双葉芽衣子、彼女はもう、この場にいる全員を敵に回しても構わない。それほどの覚悟でもって、剣崎明日那を襲おうとしているのだ。

 その異常な敵意は、皆も察したのだろう。

 蒼真桜は弓を構え、夏川美波も緊張に強張った表情ながらも、その手にナイフを握っていた。

「くっ……双葉さん、頼む、明日那を、許し――」

「明日那っ! 貴女はなんてことをしてくれたのよ、この大バカ者っ!」

 悠斗の台詞をかき消す、ヒステリックな絶叫と共に、バチーン! と音が響きわたった。

 誰もが見た。委員長・如月涼子が、明日那の頬を思いっきり引っ叩くその瞬間を。

「あっ、涼子……」

「バカ、バカっ! 貴女は、最低ですっ!」

 二度、三度、容赦なく明日那の頬を叩く委員長の姿に、硬直しかけた桜と美波が動き始めた。

「や、止めてください、涼子!」

「涼子ちゃん!」

 慌てて明日那に掴みかかる涼子に、二人が駆け寄り、両脇から抑えにかかる。

 かなり本気で叩かれたのだろう。明日那は頬を真っ赤にしていて、何が起こったか分からないような、呆然とした表情をしていた。

「い、委員長、どうして、そんな……」

 芽衣子の前に立ちふさがりつつも、悠斗は背後で抑え込まれている涼子へと振り向いて問うた。

「どうしても何も、明日那は人として許されないことをしたのよ。転移の寸前に桃川君を突き飛ばした」

「あれは……何かの事故じゃないのか? 確かに、明日那が突き飛ばしたようには見えたけど、でも、そんなことをする理由なんて――」

「理由なら、あるわ」

 つい今しがた、虫モンスターの大群に襲われたピンチに駆けつけた、蒼真悠斗は知らない。悠斗と離れた彼女達が、どういう経緯でダンジョンを進んできたのか。そして、道中で出会った桃川小太郎と双葉芽衣子。その二人と、どう関わってきたのか。

「双葉さん、ごめんなさい……謝ってすむ問題じゃないっていうのは分かるわ。でも、これからのこと、桃川君を助けるなら、私達が協力しあうのが最善のはずよ。明日那を許してとは言わない。けれど、償いはできるはずだから!」

 そう訴えかける涼子を、芽衣子は冷たい視線を向けたが……目を閉じ、一つ、深呼吸をしてから、静かに言った。

「いいよ、聞いてあげる」

 その言葉に、誰もがホっと安堵の息を吐いた。ひとまず、芽衣子は今すぐ明日那を殴り殺さんばかりに襲い掛かるほどの、怒りの矛を収めてくれたのだから。

「まずは、悠斗君に聞かせてあげる。これまで、私達と桃川君の間に、何があったのか――」

 その複雑に絡み合ってきた恨みと不信の関係性など知らない悠斗は、一体何があったのかと困惑した表情を浮かべながらも、静かに語り始めた涼子の話に耳を傾けた。




「そ、そんなことが……」

 涼子がこれまでの経緯を話し終え、悠斗はようやく状況を理解した。いや、彼からすると、話に聞くだけでは、信じがたい出来事である。

 桜と委員長の二人が揃いながら、お世辞にも一致団結とはいえない険悪なパーティになっていたこともそうだが……温厚な双葉さんが、あの剣崎明日那と決闘し、その結果、見るも無残なほどの暴行を加えて勝利したこと。

 一度、本気で明日那と戦ったからこそ分かる、彼女の強さ。けれど、ついさっき芽衣子の一撃を受け止めたことで、狂戦士の強さもまた、悠斗は実感してしまった。

 双葉芽衣子という女子生徒は、その姿も心も、全く変わってしまったのだ。そんな彼女に、明日那は変えられた……圧倒的な暴力に晒されたことで、剣士としての誇りをへし折られてしまった。

 信じがたい。いや、信じたくない、という方が正確か。

 けれど、明日那が現実に、お化けを恐れる子供のように怯えきった姿を見せつけられると、真実であると理解せざるを得ない。今や剣崎明日那にとって、双葉芽衣子という存在は恐怖のトラウマなのだと。

「明日那は、双葉さんが桃川君の呪術によって洗脳されていると思っていた。だから、彼を排除すれば――」

「ち、違う! 私は、ただ……」

「何が違うのよ、明日那。貴女は恐怖に負けて、桃川君を……殺そうとしたのよ」

 この世の終わりのような表情で、頭を抱える明日那の姿を、涼子はかすかに痛ましい表情を浮かべながら、見下ろしている。

 明日那のトラウマは分かる。同情したいし、助けてやりたい。だがしかし、彼女は人としてやってはいけないことをした。

 善悪の境界など、この法律の及ばないダンジョンでは無意味かもしれない。けれど、涼子は一度、仲間を見捨てるという罪を犯したからこそ、許せない。もう二度と、あんな思いはしたくないし、そういう真似を許すこともするまいと。

「お、おい、委員長、それはちょっと、言い過ぎなんじゃないのか」

「そうです、涼子。明日那だって、とても思いつめた末に、こんなことを――」

「やめて。悠斗君も、桜も、これ以上、明日那を擁護するような発言はしないでちょうだい」

 キっと鋭く睨みつけられて、蒼真兄妹も流石に黙らざるを得ない。

 これは、軽い気持ちで「しょうがない」と許してしまっていい問題ではない。明日那はかけがえのない大切な友人だからこそ、自分の罪に向き合ってもらわなければいけないと、涼子は強く思う。

 そして何より、剣崎明日那の命を救うには、ソレしかないことを、如月涼子だけが気づいていた。

「明日那、貴女の言い分も、一応は聞いてあげる。どうして、桃川君を突き飛ばしたの?」

 恐怖と不安でかなり混乱した様子の明日那に話を聞く意味はあまりないように思えたが、それでも、聞いておかなければ納得はできない。芽衣子でも自分でもなく、明日那を信じる、友人達が。

「も、桃川……アイツが悪いのだ……全て、アイツのせいで……」

「桃川君が、何か悪いことをしたというの?」

「アイツが来てから、おかしくなったんだ!」

 明日那は叫んだ。桃川小太郎は、呪いを操る邪悪な男だと。

 みんなが寝静まった後の広場で、平気で自慰行為を仕出かすのは、女子をいやらしい目で見ているからに他ならない。小太郎は、この見目麗しい美少女が揃ったことを幸いにと、全員を自分のモノにしようと画策している。そう、この双葉芽衣子のように、小太郎に対して異常なまでに従順となる、恐ろしい洗脳の呪いをみんなにかけようと、虎視眈々と狙い続けている。

「明日那、そんなのは、ただの妄想よ」

「違う! 妄想なんかじゃない、そうじゃなければ、私は……私は、どうして、あんな……」

 明日那は訴えた。

 邪悪な洗脳に支配されているからこそ、双葉芽衣子はあそこまで残虐な暴行ができたのだと。普通じゃない、正気じゃない。小太郎くんのために、そう言って拳を振るう芽衣子の姿を、狂気と言わず何というべきか。

「……なぁ、そんなに酷い怪我だったのか?」

 悠斗の問いに、誰もが頷く。明日那が傷痕一つなく、元の綺麗な顔に戻れたのは、桜の即効性の治癒魔法と、高い自然回復力を持つ小太郎の傷薬、両方が揃っていたからに他ならない。

「双葉さん、どうしてそこまで」

「だって剣崎さん、なかなか降参してくれなかったから。それに、先に小太郎くんを殴ったのは剣崎さんの方だよ。そんなの、絶対に許せない」

「そ、そんな理由で――」

「言ったでしょ、悠斗君。双葉さんにとって、桃川君は命の恩人なのよ。私が見捨てた彼女の命を、桃川君が救ったの」

 救世主たる桃川小太郎と、残酷に見捨てた女とその仲間達など、どちらが大切か。そんなことは、聞くまでもないことだ。

「あの決闘の結果は、もう誰も文句なんかつけられないのよ。私だって、止めればよかったと今でも後悔しているわ……けれど、明日那も双葉さんも、お互いに譲れない思いをかけて決闘をしたの。その戦いに部外者が口を挟むことが、どれだけ無粋なことか、悠斗君ならよく分かっているんじゃないのかしら?」

「……ああ、そうだ、その通りだ、委員長。明日那が自らの意思で決闘をしたのなら、その結末がどうであれ、俺に口出しする権利なんてないんだったよ」

 それでも、凄惨な暴行を加えられた明日那の姿を見てしまったら、そうは割り切れなかったかもしれないと、涼子は思った。すでに過ぎ去った出来事を話に聞くだけだから、悠斗も理解を示せる。

 だから、結局のところ、あの決闘を過去のものではなく、今でも引きずって、あの恐怖と苦痛に苛まれているのは、トラウマを刻みつけられた明日那だけなのだ。

「明日那が本当に、心の底から桃川君が洗脳を企んでいると思い込んでいるのか、それとも、自分のトラウマから逃避するための理由でしかないのか……今は、そういう心理の分析をするつもりはないわ」

 そして、大切な友人の明日那に対して、優しく心のケアをする暇もない。

「いい、皆、よく聞いてちょうだい。確かに、私達はこれまで、桃川君を疑ったことはあったし、心から信用していたともいえない。でも、だからといって、私達に対して何の危害も加えていない桃川君を、怪しいからと一方的に排除することは、人として、同じクラスメイトとして、絶対に許されないことだわ」

 改めて、涼子は語る。桃川小太郎との間にある確執は、最初に感情的となって責めた自分達の方に非はある。一度、否定的な見方になってしまえば、彼の一挙手一投足が怪しく思えて、不信は募る一方。

「あの決闘をする前に、私は言ったわよね。もし、桃川君に何も非がなかったら、どうするのって」

 小太郎が小鳥の『真贋の眼』さえ欺いて洗脳の呪術を隠し持ってはいない、と証明することはできない。だがしかし、現実として小太郎の行動には怪しいことは一切なかったし、桜と口論することも、彼の立場を考えれば当然の言い分でもあった。

「どう言い訳しようとも、先に桃川君に危害を加えたのは明日那よ。転移魔法から突き飛ばすなんて、人殺しも同然の重罪。それだけは、よく理解してちょうだい」

 明日那はただ、小太郎の背中を押しただけ。刃物で刺したわけでもない。しかし、その行動はいわば、電車のホームに向かって突き落とすことに等しい。

 仲間とはぐれ、ただ一人取り残された小太郎がどれほど命の危険があるのか。それは、ここまでダンジョンを経験してきた者なら、誰でも分かる。

「それで、その重罪をどう償ってくれるのかな?」

 ここからが話の本題とばかりに、芽衣子は委員長に向かって問いかけた。

「桃川君を、助けるしかないわ」

「どうやって?」

「それは……ダンジョンを進みましょう。転移してしまった以上、後戻りはできないから」

「探すつもりはないってこと?」

「向かう場所は同じなのだから、先に進むのが合流できる最も確実な方法のはずよ。アテもなく探し回るより、可能性は高いわ。それに、桃川君なら自分も進むのが一番だって、すぐに気づくはず」

 小太郎は単独でダンジョン攻略するには、あまりにも心もとない能力である。しかし、かといって居場所を伝える手段もなく、近場の妖精広場に引き籠って救助を待つ、なんて希望の無い消極的な行動をとるとも思えない。結局のところ、小太郎だってダンジョンを進まなければ、生き残る希望はないのだから。

「……いいよ。でも、出来る限り、捜索は手伝ってもらうから」

「ええ、これからはダンジョンを探索する範囲も少し広げていきましょう」

 攻略としては魔法陣が示す通りに真っ直ぐ進むのが一番だが、人を探すのなら多少なりとも広い範囲を見て回るしかない。本人を見つけられなくとも、何かしらの手がかりが残っている可能性もある。このダンジョンは複雑に入り組み、それでいて無数のエリアとルートが存在しているから、もし小太郎が同じエリアにいても、魔法陣は違うルートを指していることもあるのだ。

 かといって、広大なエリアを延々と探し続けるのも時間を無駄にする。運よく、小太郎の方が先に進んでしまっていたら、合流できるチャンスを逃がしてしまうことにもなるし、ダンジョンを進むのは全員の目的でもあるのだから、これをおざなりにするわけにもいかないのだ。

「それで、剣崎さんには何もお咎めはナシってことにするの?」

「双葉さん、貴女の怒りはよく分かるけれど……でも、ダンジョンを進むにしても、探すにしても、明日那の力はきっと必要になるわ」

 単純に人手としての意味もあるが、それ以上に、彼女の『双剣士』としての力は貴重な戦力だ。

「合理的なのは分かるよ、でも、それじゃああまりにも甘いんじゃないの? 人を殺そうとしたんだよ? 本当にそれで、いいと思っているの?」

「そ、それは……」

「それに私、剣崎さんのこと、信用なんてできないんだけど? こんな頭のおかしい殺人女を仲間に入れておくくらいなら、ここに置いて行った方がマシ。ううん、その方がいいよ。小太郎くんが助かったら、迎えに来てあげるから」

「なっ!?」

 それでは、まるで人質ではないか。

 しかし、芽衣子の提案もあながち理不尽とも言えないだろう。

 剣崎明日那は桃川小太郎を、殺意を持って転移から弾き、遭難させた。小太郎の生死によらず、その行動は罪であり、罰が課せられなければならない。

 芽衣子の提案は要するに、明日那をこの妖精広場という牢屋に入れておこうというものだ。その懲役は、小太郎が救助されるまで。そして、もし小太郎が死んでいれば、明日那の罪は殺人未遂から殺人へと確定し……無期懲役。実質の死刑である。

「待って、双葉さん! お願いだから、考え直して」

「小太郎くんを助けたいと思っているのは私だけ。本当はみんな、死んでもいい、死んでくれた方がいい……そう、思っているんでしょ? ねぇ、蒼真さん?」

「わ、私は、決してそのようなことは思いません!」

「でも、助けたいとも思わないでしょ? 面倒くさいし。それに、自分はもう蒼真君と出会えたんだから、他の人のことなんてどうでもいい」

「私はそんな身勝手なことを考えたりなどしません。だから、桃川君を助けることにも協力します」

「協力? あはは、協力だってさ、委員長。蒼真さん、今までの話、聞いてなかったのかなぁ」

 乾いた笑いを浮かべる芽衣子に視線を向けられた涼子は、まさに蛇に睨まれた蛙の心境。蒼真桜の潔癖な性格を、涼子は恨んだ。

「協力、じゃなくてさぁ、義務でしょ?」

「え、ええ……その通りよ、双葉さん」

 震える声で、涼子は同意を示す。

 協力、とはつまるところ、善意による労力の提供であろう。明日那の罪を償うために、小太郎を助けよう。蒼真桜にとって、大切なのは友人である明日那。小太郎の命など、二の次、三の次。「クラスメイトの命が危ないから、助けにいかなくては!」ではなく「友達の悩みを解決するために協力してあげよう」という意識に近い。

 人一人の命と友人の感情を天秤にかけている、ということを果たして蒼真桜は自覚しているのかどうか。涼子には分からない。だが、少なくとも蒼真桜の抱く正義感や友情が、双葉芽衣子にとっては単なる悪意でしかない、ということは分かる。

「でも、これで分かったでしょ、委員長。みんな、小太郎くんの命なんてどうでもいい……だからさ、剣崎さんの命でもかけとかないと、みんな、小太郎くんのこと真剣に探してくれないでしょ?」

 今、ここで双葉芽衣子と戦えば、一体、何人死ぬだろうか。

氷矢アイズ・サギタ』で先制攻撃をしかけたら、ヘッドショットで仕留めることができるか……無理だ。芽衣子は『見切り』を持ってるし、魔物との戦いを見る限り、『見切り』に頼る以上の反応を見せている。ここで魔法を撃てば、悠々と回避され、次の瞬間には自分の首の骨がへし折られている未来しか予測できない。

 そうなれば、あとは地獄だ。きっと、生き残れるのは蒼真悠斗だけだろう。『勇者』の悠斗なら、『狂戦士』さえ倒せるだろうが……その時には恐らく、他の仲間は皆、血の海に沈んでいるに違いない。

 双葉芽衣子と敵対してはならない。

 涼子は必死に、自分に言い聞かせる。諦めるな。まだ、希望はあると。

「お願い、双葉さん……私が、ちゃんとみんなに言い聞かせるから、だから……もうこれ以上、仲間の命をかけるようなことは、やめてください」

 ついに、涼子の切れ長の目元から、涙が零れ落ちた。肩が震える。きっと、仲間の身の安全を懇願する、その声も震えていた。

「そう、委員長がそこまで言うなら、いいよ。この先、まだまだ魔物は沢山でてくるし、強いボスもいるだろうから、剣崎さんには働いてもらわないといけないもんね」

 悲痛な姿の委員長をどこか冷めた目で見ながら、芽衣子は言った。

「でも、剣崎さんの命は、小太郎くんの命がないと保障しないってことは、ちゃんと自覚しておいてよね」

 そうして、如月涼子の決死の説得によって、血の一滴も流さずに、狂戦士を治めることができた。

 しかし、誰かの命を、また別の誰かの命で贖おうとする歪な契約は、ここに集ったメンバーの間に、どうしようもなく絶望的な深い亀裂を刻み込んだ。桃川小太郎への疑心暗鬼から始まり、恐怖の暴力装置と化した双葉芽衣子、そして、剣崎明日那がトラウマに負けて凶行に及んだ……それはまるで、呪いによって徐々に狂気で蝕まれていったかのような変遷。

「剣崎さん、委員長のお陰で命拾いしたね」

 笑顔で言い放つ芽衣子の言葉に、明日那はついに肩を震わせてさめざめと泣き始めた。

「待っててね、小太郎くん。絶対に、私が助けてあげるから……」

 大泣きにくれる可哀想な明日那へと、慰めの言葉をかける沢山の友人達を背景に、芽衣子は一人、桃川小太郎の救出を、固く心に誓った。

第68話 木崎茜と北大路瑠理華(1)

「キャアアアアアアっ!」

 絹を裂くような少女の悲鳴が、虫の洞窟に響き渡る。

「ちょっと、茜! もうそういうのはいいから、早く援護してよ!」

「だ、だ、だってぇー虫だよ、蟻だよ、無理だよぉーっ!?」

 光の差し込まない暗い洞窟の中に、燃え盛る炎の灯火があった。浮遊する『火精霊イグニス・エレメンタル』が照らし出すのは、白嶺学園のセーラー服を着た少女が二人と、彼女達の前にギチギチと大顎を鳴らせて立ちはだかる、ポーン・アントの群れであった。

「いいから早く撃てーっ!」

「イヤァーっ! 『火炎槍イグニス・クリスサギタ』ぁーっ!」

 涙ながらに、無詠唱で火属性の中級攻撃魔法を、茜と呼ばれた少女は放つ。

 彼女は不運にも突然の異世界召喚に巻き込まれた二年七組の一員、木崎茜きざき あかね

 如何にも年頃の少女らしく、巨大な蟻の魔物を前にイヤイヤと泣き叫んでいるが、スラリとした長身に、バレー部の厳しい練習で鍛えられた体は、あまり小さく儚いといったイメージからは遠い。

 ただ、ボブカットの髪に、大きなタレ目が可愛らしい茜は、身長と恵まれたスタイルの割にはあどけない顔立ちで、彼女のちょっと気弱な性格を表しているようだった。特に、虫全般が苦手な茜である。こんな巨大昆虫という化け物を前にすれば、取り乱すのは火を見るよりは明らかだった。

「熱っつーっ!? バカぁ! 火力強すぎるって!」

「ごめーん、ルリちゃーん!」

 天職『炎魔術士』を持つ木崎茜の援護射撃にケチをつける少女は、その手に鉄の剣を握っていることから、前衛であることは明白。この狭い洞窟内で一気に炎が広がる魔法を後先考えずにぶっ放されては堪らない。

「でも、まぁ、数は減ったからいいか……後は私に任せて!」

「うん、頑張ってルリちゃん! えいっ、『炎熱化イグニス・エンチャント』」

 炎を刃に宿す付加魔法エンチャントの支援を受けたルリは、赤熱化して火の粉を散らす灼熱の剣を携えて、蟻の群れに突撃した。

 勇猛果敢な戦いぶりを見せる、天職『剣士』を持つルリ、本名、北大路瑠璃華きたおおじ るりかもまた、同じく二年七組の一員である。

 バレー部らしい長身の茜よりも、頭一つ分ほど低い背丈。二年七組ではレイナ・A・綾瀬や小鳥遊小鳥と共に、最底辺の身長争いを繰り広げている。

 小柄な体躯に小動物めいた可愛らしい顔立ち。長い黒髪のポニーテールは、凛々しい剣崎明日那に憧れて真似した、という微笑ましいエピソードもある。

 だが、その見た目に反して、剣を手に恐ろしい魔物と戦う彼女の心には、大きな勇気が宿っていた。

「――ふぅ、大したことはなかったわね」

 蟻に対して火が有効だったこと、そして、ルリの武技で難なく甲殻を切り裂けたことで、危なげなく全ての蟻を切り捨てることに成功した。最後にルリは大きく剣を振るって、付加された炎を散らしてから、慣れた手つきで鞘へと刃を収めた。

「こ、こんなところ、早く抜けようよぅ」

「うん、逃げ場もないし、危ないわよね。先を急ごっか」

 二人の少女は、仲良く手を繋いで、洞窟を歩き出す。

 そう、木崎茜と北大路瑠璃華は、親友である。幼い頃から、ずっと一緒だった幼馴染。しかし、今は……

「――やったぁ! 妖精広場だよ、茜!」

「はふぅ、良かった、これで休めるねー」

 幾度か遭遇した蟻の群れと、強敵だったカマキリをどうにか倒し、二人はついに虫の洞窟を抜け、ダンジョンのオアシスたる妖精広場へとたどり着いた。

 涼やかな水音をたてる噴水を前に、ルリは喉が渇いていたのか真っ先に駆け寄り、満ちる冷たい清水をすくって飲んだ。

「はぁー、美味しい」

 もう一口、と水をすくい上げた時、ルリの小さな唇が塞がれた。口の中に入ってくるのは、清涼な冷たい水の代わりに、熱く蠢く肉。艶めかしい舌の感触が、絡みついてきた。

「――ん、んんっ! プハぁ!? もう、いきなり何なのよ、茜!」

「だ、だって……怖かったから……」

 いつの間にやら、茜の胸に抱かれていたルリは、突然のディープキスに怒り心頭……とは、言えない程度には、頬を赤らめ、潤んだ瞳である。見上げると、すぐ上には、自分と同じような、いや、それ以上に赤くなっている茜の顔があった。

「だから、ね、いいでしょ、ルリちゃん」

 うっとりしたように目を閉じて、再び迫る茜のふっくらした桜色の唇。

「よ、よくなーい!」

 興奮よりも恥じらいが勝ったか、ルリは叫びながら、その細腕で茜の顔と体を突っ返した。

「そ、そんなっ!? 私、ルリちゃんにフラれた!?」

「フってない! っていうか、いきなりはちょっと……体、洗ってないし……今の私、絶対、汗臭いから……」

 モジモジと恥ずかしげに身をよじるいじらしい様子に、茜の鼻息が荒くなった。

「大丈夫だよ、私、全然気にしてないから! ルリちゃんの匂い、大好きだから!」

 一度突き放されたにも関わらず、めげずに再びルリの小さな体に飛び付く茜。絶対に逃がさない、とばかりに固く両腕でホールド。クラスでは上から数えた方が早い大きな胸の中に、ルリの顔が埋まる。

「わ、私が気にするんだっての!」

「ああっ!?」

 やはり突き放され、茜は「よよよ」と崩れ落ちては、地面にのの字を書く。

「もう……落ち込んでないで、早く立ちなさいよ。どうせ、一緒にするんでしょ、水浴び」

「いいのっ!?」

 ガバリ、と猫のような軽やかな身のこなしで起き上がる茜。

「一人じゃ上手く背中とか洗えないし……だから、手伝ってよね」

 フン、と照れ隠しのお手本のようなそっぽの向き方であった。

「うん! 一緒に洗いっこしよう、ルリちゃん!」

 そうして、二人は互いに互いの制服を脱がせ合う。しばしの間、妖精広場には水を流す音と、乙女のはしゃぐ声が響きわたる。

 けれど、それは徐々に熱を帯びたものに変わってゆき、水辺に踊る白い少女の裸体は、熱く、固く、激しく、絡まり合ってゆく。

 そんな二人の秘密の戯れを覗く者は、噴水の上に鎮座する、愛らしい妖精像しかいなかった。




 汗まみれになった体を洗い清めて、寝間着代わりのジャージを着た茜とルリは寄り添うように並んで、柔らかな芝生の上に寝転んでいた。

「……なんだか、夢みたい」

 ぽつりと、茜がつぶやく。

「うん……戦いにも、ダンジョンにも、慣れてきたけど、やっぱり夢みたいだよね」

 そういう意味で言ったんじゃないんだけどな、とは、口にしなかった。

 木崎茜は、北大路瑠璃華を愛している。子供の頃から、ずっと好きだった。何度か喧嘩もしたけれど、本気で嫌ったこと、憎んだことは一度もないと、自信を持って言える。

 幼い頃の茜は、今よりも輪をかけて気弱で、人見知りで、上手くお喋りのできない子だった。自然、そういう子供は孤立しがちなのだが……彼女には、ルリがいた。

 好奇心旺盛で、勝気で、何事にも物怖じしない元気の塊みたいなルリは、いつも茜の手を強引に引っ張っては、方々を遊び歩いていた。当時のルリからすれば、茜は連れ回すのに都合の良い子分、みたいな感覚だったのかもしれない。

 いつも、どんな時も、姉妹のように一緒にいた。いつの間にか二人は無二の親友となり、振り返り見れば、茜の思い出は、どれもルリの笑顔で彩られた素敵なものとなっていた。

 彼女のお蔭で、こんな自分でも楽しく幸せにやってこれたのだと自覚したのは、中学生になってからだった。特別な何かが、あったわけではない。そう思えたのは、それだけ茜が成長した証といえよう。

 このままではいけない。いつまでもルリに頼っていてはいけない。しっかりしなければ。

 茜がバレー部に入ったのは、そんな思いがあったから。勿論、恥ずかしくてルリには言えない。ただ、身長が高いから上手くできそう、という安直な理由を語ったものだ。

 幸い、茜にバレーの才能はあった。中学生の時点で、すでにクラスメイトより頭一つ大きな彼女は、その身長だけで十分に恵まれた才能があるともいえる。

 勝負には向かない気の弱い性格でも、そこそこの運動神経と、粘り強く諦めない根気を持つ茜は、心身ともに成長した。もう、人見知りもしない。相手の目を見て、はっきり話せるようにもなった。バレー部の部員は、チームメイトであると同時に、みんな大切な友人となっている。

 けれど、ルリへの思いだけは、心の奥に残っていた。

 どんなに友達が増えても、自分がバレー部のエースとして活躍しようとも、ダメなのだ。ルリ、彼女がいないと、自分はダメになる。もう、彼女に頼らなくてもいい、手を引いてもらわなくてもいい。けれど、傍にいてくれないと、寂しくて、苦しくて、どうにかなってしまいそうになる。

 自分にとって北大路瑠璃華という少女が、どうしようもなく特別なのだと心から理解したのは、白嶺学園に入学してから、すぐのことだった。


「――ねぇ、蒼真君って、すっごいカッコよくない?」


 中学の頃のクラスメイトだった男子とは、比べるべくもない美男子であり、明るく、爽やかで、本物の王子様みたいだ。そう、キラキラした顔でルリは話していた。

 嫉妬した。

 それは同時に、性の目覚めでもあった。

 茜は、自分が異性に興味がないことを悟る。かといって、女性に対して性的興奮を覚えることもない。

 ただ、愛した人が、自分と同じ性別であったというだけのこと。

「……はぁ、早く、帰りたいなぁ」

「うん」

 ルリに対する愛に気づいてから、茜は苦しんだ。悩み苦しみ続けてきた。これは、道ならぬ恋であると。

「ねぇ、芽衣子と姫、大丈夫かな」

「きっと大丈夫だよ。私達だって、何とかなっているんだから、二人とも絶対、元気だよ」

 ポツリとルリが漏らす、友人への不安を、茜は優しくフォローする。

 双葉芽衣子と姫野愛莉。この二人と茜とルリの四人が、いつも二年七組で一緒にいた友達グループである。

 料理が苦手だから覚えたい、と高校入学で一念発起したルリが、クラスメイトであり、かなりの腕前を誇る双葉芽衣子と仲良くなったのは、至極当然の流れであった。芽衣子の温和で、やや気弱な性格は昔の茜を思い出させるせいか、ルリはすぐに彼女と打ち解けた。

 芽衣子の縦にも横にも大きな体に抱き着いては、プニプニして戯れる姿は、結構、茜の嫉妬心を燃やしたものだが。

 姫野愛莉は、茜が一年の頃に同じクラスになり、席が近かったから何となく声をかけたら、いつの間にか一緒にいるようになった感じの友人である。自分や芽衣子ほど目立つような大きさはないし、かといってルリほど小さく子供っぽくもない。地味で大人しい、どこにでもいるごく普通の女子生徒だが……茜の気持ちを知る、数少ない理解者の一人であった。

 茜にとっても、ルリにとっても、芽衣子と愛莉の二人は、大切な友達である。他のクラスメイトも心配だが、真っ先に二人の安否を気にしてしまうのは当然のことであろう。

「茜はさ、帰ったら、何がしたい?」

 自分が振った話題だが、その不安を振り払うように、ルリは自らそう切り出した。

「えっ、うーん、遊びに行きたいかな。ルリちゃんと二人で……どこ行こっか」

「それなら、まずはショッピングだよ。くふふ、今なら欲しいモノ、全部買っちゃいそう」

「だよね。それじゃあさ、ディナーもちょっと高いところ行っちゃう?」

「あ、なんだっけ、ほら、あの有名な高いレストラン。駅前のビルに入ってるところ。あそこ行こうよ」

「ねっ、ご飯食べたら、その後は……私、ちょっと、その、ホテル、とか、行ってみたい、かも」

「も、もう……さっきしたばっかなのに、エッチ」

 頬を朱に染めて、そんなことを言うルリが、隣で寝てくれている。ああ、こんなに幸せなことがあるだろうか。

 ダンジョンでのサバイバル、という過酷な環境が、同性にして親友たる茜に、体を許すに至ったのか。それとも、実はルリも自分のことを、同じように愛してくれていたのだろうか。

 木崎茜にとって、最早理由などどうでもよかった。

 自分の愛に、彼女が応えてくれた。ただ、それだけで。

第69話 木崎茜と北大路瑠璃華(2)

 束の間の休息を終えた二人は、再びダンジョンを進む。

「――『炎砲イグニス・ブラスト』っ!」

 バレーボール大の火球が、茜の力強いアタックのフォームで撃ち出される。狙い違わず、群れる白い骨のスケルトンのど真ん中に飛び込んだ次の瞬間、大爆発。バラバラと貧弱な骨は砕け散った。

「やぁああああああああっ!」

 そして、攻撃魔法の大爆発で半減した残りを掃討するのは、灼熱の剣を振るうルリの役目。すでに、スケルトン程度の相手では、武技を使わなくとも圧倒できる。茜の『炎熱化イグニス・エンチャント』を宿した刃であれば、硬い骨を簡単に溶断できた。

「やったぁ! 流石ルリちゃん、圧勝だね!」

「これくらい当然よっ!」

 無邪気に喜ぶ茜に対し、ふんすっ、と平たい胸を張るルリ。けれど、本当はこう思っている。茜の方が、私なんかより、よっぽど凄いと。

 今でこそ、スケルトンを容易に何体でも切り伏せることができるけれど、ダンジョンで初めて遭遇した時、自分は怖くて震えるだけで、何もできなかった。

 怖かった。ワケも分からず、こんな異世界のダンジョンなどという危険な場所に放り込まれて。心の底から恐怖した。いや、絶望した、というのが最も正しいルリの心境であろう。

 あまりの絶望に、最初の部屋から一歩も動けず泣いていた時に、茜が現れてくれたのは唯一の救いであった。

 けれど、初めて見る骨の化け物、スケルトンと遭遇し、追いかけられた時、今度こそルリの心は折れた。


「ねぇ、茜、一緒に、死のうよ……」


 こんな場所では生きられない。あんな魔物に襲われて、無事でいられるはずがない。これは、全部、悪い夢――自殺という現実逃避を図るには、十分すぎる絶望だ。

 茜と一緒なら、自殺するのも怖くない。


「――大丈夫だよ。ルリちゃんは、私が守るから!」


 けれど、木崎茜は立ち上がる。その手に神から授かった炎を宿して。

 茜が『火矢イグニス・サギタ』でスケルトンを撃ち倒し、もう大丈夫だよ、と優しい笑顔で手を差しだされた時、ようやく、自分も勇気を出そうと決意できた。


「知らなかった……茜が、こんなに強いなんて」


 彼女の手をとり、そんなことを言った。


「ううん、ルリちゃんが一緒だから、私は頑張れるんだよ」


 太陽のように眩しい笑顔で、茜はそう答える。

 本当は、知っていた。ずっと前から。茜は自分なんかよりも、強い心を持っているのだと。

 それに気づいたのは、何時の頃だろう。小学三年生の時に、茜に身長を追い越された時か。いや、体の大きさなんて、関係ない。

 自分は、子供の頃ほど怖いもの知らずではいられないと、悟った。誰とでも仲良くなれるワケでもないし、クラスの女子も自然と派閥ができる。どんどん自分を追い越して大きくなっていく、男子のことも、少し怖かった。

 けれど、茜は強くなった。あんなに人見知りで、幼馴染の自分としかお喋りできないような茜が、気が付けばクラスの中心にいて、バレー部のエースとして大活躍していた。

 きっと、自分は弱くなった。心も体も、成長しなかった。

 それなのに、茜は……コンプレックスばかり、膨れ上がる。親友に対して、途轍もない劣等感を覚える。

 けれど、それに比例して、彼女を、木崎茜を求める心が強くなってしまう。

 離れたくない。見捨てられたくない。

 茜の友人が一人、また一人と増える度に、不安が募る。クラスの男子とも、何の抵抗もなく普通に話す茜の姿を見ると、焦りを覚える。

 弱い自分、強くなった茜。不釣り合いでも、一緒にいたい。これからもずっと、変わらず傍に居続けたい。

 思いばかりが募る。

 そして、それが『愛』と呼ばれる感情だと気付いたのは――命を賭けた極限状況となった、今になってからだった。


「ルリちゃん、絶対、元の世界に帰ろうね」

「うん、二人で一緒に、必ず」


 初めての戦いを切り抜け、薄暗いダンジョンを突き進み、ようやくたどり着いた妖精広場で、二人は、どちらともなく唇を重ねた。

 茜は、自分のことを愛してくれているのだろうか。女の子同士でキスすること、それ以上もしちゃうこと。ただの気の迷い、サバイバルのストレスから逃れる逃避行動なのか。彼女の、本当の気持ちは分からない。

 けれど、少なくともコレが、この最早友情とは呼べない爛れた関係性こそが、本当に自分が求めていたモノに違いない。

 茜が自分を捨てて去ってしまう、漠然とした不安も焦燥も、手と手を取り合い、唇を重ね、体を合わせて一つになると、忘れられる。茜は自分にとって特別で、自分もまた、茜の特別になれている。そう、信じられる。

 刹那的な快楽。卑しい性欲。非生産的な女同士の行為。

 けれど、それが今のルリを剣士として勇敢に戦わせる、最も大きな理由である。

 愛し、愛し合う親友、木崎茜のためならば、命を賭けて戦える。彼女が私を守るというのなら、私もまた、彼女を守ろう。

「それじゃあ、先に進もうか」

「うん、スケルトンじゃコアも落とさないしね。さっさと行こう」

 本来あるべき動かぬ屍と化した髑髏を蹴飛ばして、ルリは通路の先を睨む。そこはちょうど十字路のようになっていた。

「ねぇ、次はどっちに行くの?」

「ちょっと待って、今確認するから」

 一歩遅れてついてくる茜に応えつつ、ノートに描いた魔法陣のコンパスを見る。輝く光の矢印は、左の道をを示していた。

「ん、分かった、左だって――」

 顔を上げて、茜の方を振り向こうとした、その時だった。

 黒い、大きな影のようなモノが――

「ンガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」

 獣じみた、醜い大声。そのはずなのに、耳に届く音は、やけに遠い。

「――ルリちゃん!?」

 グルン、と視界が反転する。何故だろう。茜の姿が、上下逆さまに見えた。

 何で。どうして。

 そんな、ささやかな疑問が脳裏に浮かんだまま、北大路瑠璃華の意識は、永遠の闇に沈んだ。

「うっ、美味ぇえええええっ! やっぱり肉は、美少女に限るぜぇえええ!」

 木崎茜は、我が目を疑う。いや、信じたくない光景だった。

 ルリが、死んだ。

 十字路から突然、飛び出してきたのは、一人の男。血と泥で汚れに汚れた黒い衣装は、ゴーマの着るボロキレなどではなく、見慣れた白嶺学園男子の制服、学ランだ。クラスメイトの顔は、男女問わず全て覚えている。すぐに分かった。

「……横道、一」

 二年七組の汚点、キモブタと忌み嫌われる醜い男の姿が、そこにあった。

 何事かを絶叫している。酷く興奮したように。それは人の言葉というより、ゴーマが騒いでいるのに近いものに思えた。醜悪にして、邪悪。

 横道の口に、鮮血が滴る。ルリの血だった。

 彼は大口――元々大きいが、今は頬の半ばまで割けて開けるようだ――その人間離れした化け物の口をもって、ルリの喉を喰い千切っていたのだ。

 気配を殺す術を持っているのだろう。剣士として順調に強くなっていたルリが、全く気付けなかったのだから。出会いがしら、文字通り不意打ちでもって、彼女の急所に喰らいついたのだ。

「おおっ、何だよぉ、そこにいるのは木崎茜ちゃんじゃあないかよ! ツイてるなぁ、二年七組の百合カップルを一度に食え――」

「うわぁあああああああああああああああああああああああっ!」

 茜の視界は、真っ赤に染まる。感情的な比喩表現ではなく、事実、目の前に轟々と紅蓮の猛火が迸る。

 それは魔法であって、魔法ではない。激情のままに発した、彼女の身に宿る炎の魔力の発露。

「うおおおっ!? 熱ち、熱っち、あぶねーっ! なんだよ茜ちゃん、炎魔術士かよ!?」

 火炎放射に炙られて、堪らないといった様子で横道は太った巨躯に見合わぬ素早い動作で、身を翻しては後ずさる。

「ルリちゃん! ルリちゃん!」

 横道が視界から外れた時点で、茜にはもう、冷たい石の床に転がるルリの姿しか見えない。真っ直ぐに駆けより、彼女の小さな体を、血の海から抱き上げる。

「あっ、ああ、うあああぁ……」

 言葉もでない。名前を呼びかけることさえ、できなかった。

 ルリの死亡は、あまりに一目瞭然。

 食らいつかれた喉は、ごっそりと肉も骨も抉り取られている。文字通りに、首の皮一枚で繋がっている状況。何の支えもない頭部は、ちょっとでも体を浮かせれば、ブラブラと揺れ動き、そのまま千切れて本物の生首と化しそうだった。

 茜は、片手でルリの上半身を抱き起こし、もう片方で頭を支えた。

 大きく見開かれたルリの目。死に顔は驚愕の表情で固まっている。もう二度と、あの愛らしい笑顔が浮かぶことはない。

「ふっ、へへっ、危ねぇーな。危ねーけどぉ、炎だけで俺に勝てると思うなよぉ! 俺はなぁ、炎に対するスキルだって持っ――」

 夢だ。これは、悪い夢。最悪の悪夢。

 そう思う。そうとしか、思えない。

「ごめんね、ルリちゃん」

 だから、自分が間違っていたんだ。

 魔法の力を得て、調子に乗っていた。この力があれば、ルリを守れる。彼女のためなら、幾らでも頑張れる、強くなれる。一緒にいれば、ダンジョンだって越えられる。

 そんなこと、考えるものではなかった。

「やっぱりあの時、一緒に死ねば、良かったんだよね」

 そしたら、すぐに目覚められたのに。悪い夢は醒めて、また、あの楽しい学園生活が始まるのだ。こんな暗く危険なダンジョンの中で、恐ろしい目にあわずに済んだのだ。醜い化け物に食い殺される結末なんて、見なくて済んだ。

「ごめん、ごめんね……私も、すぐに行くからね、ルリちゃん」

 早く、自分も目を覚まそう。こんな悪夢は、終わらせよう。

 そして、また学校でルリに会ったら、すぐに伝えよう。自分の気持ちを。本当の気持ちを。包み隠さず、ありのままに。告白しよう。

 木崎茜は、そう、最期の瞬間に思った。

「ルリちゃん、大好き。ずっと一緒だよ――『火焔葬イグニス・フォースブラスト』」

 木崎茜と北大路瑠璃華。二人の姿は、太陽が爆ぜたような、強烈な紅蓮の輝きの向こうに消えた。




「――ぶはぁ!? あっ、危ねーっ! ちょっ、マジでヤバかっただろ今のは!?」

 凄まじい灼熱の爆風が過ぎ去った後、横道一は顔を上げる。変わり映えのしない石造りの灰色の通路は、今や全面、真っ黒に煤けていた。

「ああー、くそ、ちくしょう……茜ちゃん、自爆とかマジかよ、ありえねぇ……」

 いわゆる一つの勘。主人公特有の鋭い直感で、無防備に背中を晒す木崎茜に飛びかかろうとしたその時、危機を察知した。

 あ、これヤバい。そう思って急ブレーキ、全力後退。それを始めた時には、茜の背中は赤熱化した鉄のような輝きを放ち――次の瞬間には、大爆発を起こした。

 見通しの良い通路には、人影は皆無。この黒いすす汚れだけが、途轍もない威力の爆発があったことを物語る。

 地下であるらしいダンジョンの通路が崩落しなかったのは、魔法の力でとんでもなく頑丈にできているからだろう。地形って基本的に破壊不能オブジェクトだし、と、横道は思っている。

「うへっ、肉片一つ、残ってねぇ……」

 程よく腹が減った時、もう美味そうな料理が目の前に並んだというのに、いきなりテーブルをひっくり返された気分だ。結局、口にできたのは北大路瑠璃華の喉元だけ。

 比べて分かる、美少女の味。

 ここに来るまで、何体かの魔物を喰らってきたが、不味い。食えないことはないが、不味い。スーパーで投げ売り同然のクソ安い価格の怪しい中国産の肉のように、硬い、不味い、臭い、そして、不味い。

 しかし、一番の問題は味ではない。

「ちくしょう……茜ちゃんとルリルリを食えば、腹の傷も塞がりそうだったんだけどなぁ」

 思い出すと、またジクリと痛む。咄嗟に脇腹を抑えると、掌にヌルリとした血の感触を覚えた。

「くそ、痛ぇ……」

 そう、桃川小太郎に槍で刺された傷である。

 大抵の傷は、放っておけば治る。傷が深ければ、肉を喰えば治る。魔物の肉でも、食えば己の血肉となり、すぐに外傷を塞ぐ。

 だがしかし、この傷だけは別だった。いつまでたっても、塞がらない。治らないのだ。

 原因は間違いなく、小太郎の放った謎の魔法だ。光る蝶の形をしていた。あの蝶が傷口に触れて弾けた瞬間、激痛が走った。

 天職『戦士』を得て、痛みに強くなった。『食人鬼』になれば、ほとんど痛みなど忘れられた。それなのに、あの蝶は自分に、人間が持つ『痛み』という概念をこれ以上ないほど思い出させるものだった。正しく、痛感である。

「くそがっ、これ完全に『出血』とかの状態異常だろ……」

 RPGでは大抵、毒や麻痺といった状態異常効果があるが、ゲームによっては『出血』というモノもあったりする。その効果はおおよそ、毒と似たようなものだ。徐々にHPが削れたり、あとは、敵から受けるダメージが増えたりするだとか。

 今の自分は、正にこの『出血』状態と呼ぶに相応しい。血は固まってかさぶたとなるが、傷口が固まりかけたところで、思い出したようにバックリと開くのだ。そして、またジワジワと少しずつ出血を強いる。

 幸い、出血量は大したものではない。ずっと血が流れ出ているわけでもないし、魔物の肉も食っているから、今の肉体ならば体内で血が作られる方が早いだろう。

 しかし、この傷はずっと自分に苦しい痛みを刻み続けるのだ。痛みのせいで、剣士や戦士との接近戦で後れをとる可能性もある。早く治すに越したことはない。

「次の獲物を、探すしかねぇか……あー、あとウチのクラスの可愛い子って、誰がいたっけなぁ」

 消し炭となってしまったからには、木崎茜と北大路瑠璃華の肉体は諦めるより他はない。未練を断ち切るように、横道は二人の焦げ跡から背を向けて歩き出す。

「早く、早く食って治して……へへっ、今度こそ食ってやる」

 思い出すだけで、自然と涎が溢れてくる。

「桃川小太郎ぉ……」

 アイツの血は特別だ。初めて長江有希子を喰った時も衝撃だったが、桃川小太郎の血の味はそれを遥かに上回るものだった。

 有希子をはじめとした、美少女の血が最高に美味しい料理であるとするならば、小太郎の血は、麻薬だ。つまり、同じ土俵にはない全くの別物。格が違う、と言ってもよい。

『食人鬼』の自分にとって、女の子を食べることは、食欲と性欲を同時に満たすことに等しい。これを覚えたら、もうマトモに食事をしようとは思わないし、あれほど憧れたセックスにさえ興味が薄れる。満たされない。喰わないと、この餓えも渇きも満たされない。

 この食人だけで、すでに麻薬級の依存性が発生しているのだが……桃川小太郎の血の味は、それを上回る。要するに、『食欲』と『性欲』の二つに、さらにもう一つ、何か別の、物凄く満たされる『何か』が含まれている。

 その『何か』が何なのかは、分からない。分からないけれど、一度でも味わったからには、もう、求めずにはいられない。忘れることなど、とてもできない。

「絶対、絶対にぃ、喰らいつくしてやるぜぇ、桃川ぁ、小太郎きゅーんっ!」

第70話 ソロ攻略再び

「うわぁあああああああああああああああっ!」

 と、叫んでみたり、床の転移魔法陣をバシバシ叩いてみたり、泣いて喚いて転げまわって、ひとしきり絶望的なリアクションを堪能してから、僕はようやく現実と向き合うだけの落ち着きを取り戻した。

「ち、ちくしょう……剣崎明日那めぇ……」

 まさか、まさかの裏切り行為である。

 蒼真君の登場で、完全に助かったと油断しきっていた。彼がいれば、僕はもうこれ以上、蒼真桜をはじめあの女子面子とギリギリの駆け引きをしながら気まずいパーティプレイをする必要もない、なんて安堵してしまっていたかもしれない。

 実際、彼女らからすれば、蒼真悠斗さえいれば、何の不安もなくダンジョンを進んで行ける。もう僕の存在を疎む必要もないし、メイちゃんを恐れることもない。蒼真君を中心に、このままみんなで協力して、ダンジョン攻略を進めていけばいいだけの話。あえて、殺人同然の行為で僕を置き去りにする必要性なんてない……はずだった。

「くそ、これが高貴な女剣士様を精神的に追い詰めたツケってことかよ」

 恐らく、剣崎明日那の犯行は、突発的なものだろう。ひょっとしたら、自分がやったと認識していないかもしれない。

 どうやら、メイちゃんにフルボッコにされて、僕の傀儡になってしまった自分の境遇に、剣崎明日那の気高い心は耐えられなかったと。

 蒼真君に助けられて、いざ転移で洞窟から脱出というところで……気が緩んだ。いや、この瞬間こそがチャンスなんだと、彼女は知っていた。何故なら、似たような方法で蒼真君と離されてしまったのだから。

 転移の瞬間に魔法陣から押し出せば、確実にソイツを分断できる。僕という存在を排除する、絶好のチャンス。狂戦士のメイちゃんは押しても動かなそうだけど、貧弱な呪術師の僕なんて、ちょっと背中を押されれば、このザマである。

「怒ってるだろうな、メイちゃん」

 メイちゃんじゃなくても、剣崎明日那への糾弾は避けられないだろう。そりゃあ彼女は少なからず僕に恨みはあるだろうけれど、それでも、一応はパーティということで、ここまで協力してやってきた。それを、危険だと分かっていながら、故意に僕を置き去りにしたのだ。

 彼女の行為は、仲間に対する明確な裏切り。純粋に犯罪行為といってもいい。電車のホームに突き落とすようなものだ。

「勢い余って剣崎を殺さなきゃいいけど」

 まぁ、蒼真君がいるから、そこまでは発展しないだろう。いくらメイちゃんでも、蒼真君と他のメンバー全員を敵に回せば、取り押さえられてしまう。できれば、委員長には頑張って仲裁してもらって、穏便に事を収めて欲しいけど……その前に、委員長の胃に穴が空いてぶっ倒れそうな気もする。胃薬、作っておいてあげればよかったかな。

「っていうか、人の心配している場合じゃないんだよね……」

 そう、切実な問題として直面しているのは、僕自身のことである。

 仲間はみんな、転移でダンジョンの先へ。一人取り残された僕には、当然、もう一度魔法陣を発動させられるコアの持ち合わせもない。

 つまり、ここから先は、僕一人でダンジョンを進まなければいけないのだ。そう、最弱の呪術師である、この僕が。

「ど、どうするよ……」

 ダンジョンに飛ばされた直後の、あの時以来のピンチである。こんなところで、もう一度僕にソロプレイをしろというのか。

 無茶がすぎる。完全に無理ゲーだ。

「いや、落ち着け、諦めるな……今は僕だって、多少は出来ることが増えてるんだ」

 まず、確認しよう。今の僕にある、全てを。



『赤き熱病』:相手を微熱状態にする。お前はマジで、もっと、こう、さぁ……


『傷み返し』:自分の負ったダメージをそのまま相手に返す。負傷はそのまま。戦闘にも駆け引きにも使えるけど、文字通り諸刃の剣。コイツに頼る時は、もうだいたい詰んでいる。


『直感薬学』:素材の効能を直感で理解し、それに応じて様々な薬品を作ることが出来る。僕にとっての命綱。呪術師の存在価値的な意味で。そろそろ毒薬も欲しいな。


『黒髪縛り』:影の触手を相手の足に絡みつかせる。三つ編みにすると便利。汎用性抜群。でも、もっとパワーが欲しい。


『汚濁の泥人形』:主の意のままに動く人形。絶対服従。レムはマジでいい子だよね。


『黒の血脈』:その血は呪いか祝福か。祖より受け継ぐものがなくとも、血は命の源の一つに変わりない。肉体、呪術、魔法、信仰――様々な要因に影響を及ぼす。人によっては、美味しいらしい。


『腐り沼』:一歩踏み込めば、たちまちに肉が溶け、腐り落ちる猛毒の水辺。攻撃系呪術のエース。


『逆舞い胡蝶』:薬を対価に、逆効果の鱗粉を放つ蝶を作る。薬を消費するから、乱発できないのが惜しい。



 この八つが、僕が使える呪術だ。

 次に装備。


『レッドナイフ』:ケルベロスの牙を用いたナイフ。放火魔も愛用する、火つけに適した一本。


『鉄の短剣』:一般的な品質の短剣。


『カッターナイフ』:僕が元から持ってた文房具。替刃付き。


『石コロ』:投石用に集めた丸い石。『腐り沼』を天井に張る時にも使う。


 僕のメインウエポンである鉄の槍を、横道戦で失ってしまったのは痛いが、夏川さんの『レッドナイフ』をそのまま持ち続けていたのは、本当に不幸中の幸いである。

「これがなかったら、洞窟も進めなかったよ」

 革製の鞘から抜き放つと、赤熱化した刀身に、薄らと炎が纏うように立ち上る。これを掲げるだけで、ひとまずは松明の代わりになる程度には明るいのだ。

「洞窟はまだ続いてるみたいだし……行くしかないのか」

 この魔法陣の部屋は遺跡ダンジョンの一角だが、どういうワケか、ここだけ離れたようにポツンと存在しているようだった。洞窟の途中に、遺跡の転移部屋が一つだけ繋がってるような感じ。

 つまり、僕らがやって来た洞窟とは別に、蒼真君が辿って来た方の洞窟がまた繋がっているのだ。

「蒼真君はボス部屋を通って来たと言ってたから、遺跡に戻るまでそんなに遠くないはず」

 少なくとも、彼の『光精霊ルクスエレメンタル』で妹を探知できるくらいの距離。歩けばすぐ、だと思いたい。

 現状、僕にこの魔法陣を起動できない以上、別ルートで進むしかない。まずは蒼真君がやって来た方の遺跡に戻って、それから道を探して行こう。その前に、まずは妖精広場で一息つきたいところだけど。

「覚悟を決めて、行くしかない」

 このままここでジっとしていても、助けは来ない。メイちゃんは僕を探そうとしてくれるだろうけど、魔法陣で飛んだ以上、後戻りはできない。最も合流できる可能性があるのは、最深部の脱出用転移魔法陣を目指して、進むことだけ。だから、僕も一人で先へ進むしかない。

 メイちゃんと再会できるか、それとも別にマトモなクラスメイトと出会えるか。あるいは、魔物かイカれたクラスメイトに襲われて死ぬか。後者の可能性の方がダントツで高いが、もう運を天に任せていくしかない。

 けれど、自分で出来ることは、少しでもやっておこう。

「一応、レムは作っておくか」

 僕はそそくさと洞窟から泥を集めて人型を造り、他に何の魔物素材もない、最弱スペックの泥人形モードのレムを創り出した。

「うーん、やっぱり頼りない」

 泥だけで構築できるレムは、初めて作った時と同じように小さなサイズであった。今なら、泥オンリーでも普通の人間サイズまでデカく作れそうな感じがしたけれど、この脆い体のまま大きくしても、あまり意味がない。魔力だって消費するし、最悪、作ったはいいけど、動けば自重で潰れるかもしれない。

 だから、人形サイズにしておいた。

 復活したレムは、どこか申し訳なさそうに縮こまっている。いや、気にしないでよ、横道戦ではよく頑張ってくれたし。

 それに、こうしてレムを呼び出すと、一人の寂しさも紛れる。精神的に、これほどありがたいことはない。

 さて、あまりこの魔法陣部屋に留まっているワケにもいかない。別に妖精広場ではないから、蟻共が定期的にここを巡回して来ないとも限らない。塞いできたルークスパイダーの縦穴とも、今頃は開通しているかもしれないし。

 できる準備は整った、いざ出発。

「レムは先行して、敵を探って」

 了解、とばかりに大きく頷いて、レムは暗い洞窟へ走り去っていった。

 今のレムはちょっとした浅瀬に突っ込むだけで、ボロボロと体が崩壊するほど脆い初期状態だから、戦闘面では何の役にも立たない。一応、知覚能力はあるので、敵を警戒するくらいには使える。僕は夏川さんみたいな探知スキルや気配察知はできないから、これだけでも大分気が楽になる。

「うっ、ナイフで照らしても、やっぱ暗いな」

 これまで進んできた明るさとは、かなり違う。届く視界も半分に満たない。見えない、というだけで、もう飽きるほど進んで慣れたと思ったこの洞窟も、途端に未知の領域のような恐ろしいものに思えてくる。

 前方の警戒はレムに任せ、僕は後方と、あと自分の足元に注意しながら、暗い洞窟を歩き始めた。

「――っ!?」

 ガサ! とか、カラン! とか、ちょっとした音が響いてくる度に、体がビクンと反応する。

 今の僕は、蟻の群れに挟撃されればそこでお終いだ。群れ、というか、二体以上いればもうダメな気がする。

「お、落ち着け……蟻が出た場合は、まず、沼を張って、髪で足止めして……」

 僕は必死に、いつ敵が飛び出してきてもいいように、何度もソロでの迎撃を頭の中でシミュレーションを繰り返しながら、進んで行く。

 まるで生きた心地がしない。とんでもない緊張感だ。

 頼れる仲間がいる、というのがどれほど幸せなことなのか、僕は今、身をもって思い知らされている。

 どれだけ進んだのだろう。酷く、体が疲れてくる。けど、あまり足場のよくない洞窟内だ。まだ、そんなに距離は稼げてないはず。この緊張感のせいで、余計に体力も削られてしまう。

 いけない。こんな調子じゃあ、すぐにバテてしまって、いざという時に動けな――

「あっ、レム! 戻って来たってことは、もしかして」

 足元に、ピョンピョン飛び跳ねるようにして、慌てて戻ってくるレムが目に入った。

「蟻が出たのか」

 聞いたところで、喋れないレムには答えようがない。けれど、首を横に振っている。どうやら違うようだ。

「蟻じゃない、ということは……」

 洞窟の出口を見つけたのか、なんて甘い考えは、即座に否定される。

 ブゥウウン、という、あの絶望的な羽音によって。

「く、くそっ……よりよって、カマキリかよ」

 すぐに、あのシルエットが前方から姿を現す。レッドナイフの頼りない炎が照らす、薄暗い洞窟に佇む巨大なカマキリは、これまでに見てきたヤツよりも恐ろしく思えてならない。

「シャアアアっ!」

 向こうも僕を見つけて、両手の鎌を振り上げる威嚇のポーズ。次の瞬間には、羽を震わせて襲い掛かってくることだろう。

 勝てない。僕なんかでは、とても敵う相手じゃない。

 頭の中が真っ白になる――けれど、生存本能が恐怖を抑えつける。怖い。けど、大丈夫だ。体は動く。勝てはしないけれど、逃げ切れない相手ではない。

「広がれ、『腐り沼』」

 掌の呪印から血を飛ばして、目の前に『腐り沼』を展開。カマキリは羽で飛ぶホバー移動ができるから、ただ地面に広がるだけの毒沼にかかることはないだろう。

 けれど、僕が持てる最大の攻撃力がコレである。まず、これを出さなければ始まらない。

「――『黒髪縛り』」

 カマキリ自身の影から飛び出す、黒い髪の触手。それらが手足を縛り上げる――その前に、奴は動き出していた。

「シャッ!」

 鋭く鎌を左右に振るい、黒髪を切断。やはり、メイちゃん達前衛組みと真正面から斬り合える反応力を持つだけある。まるで寄せ付けず、カマキリは僕に向かって前進してきた。

 すぐ目の前に広がる毒沼の存在を認識しているのだろう。四足で歩くのではなく、やはり羽で飛んできた。

 洞窟の地面を滑るように飛んでくるカマキリは、その足先さえ猛毒の水面に触れることはない。

「引きずり込め」

 再度、黒髪縛りを出す。今度は『腐り沼』の中から。

 けれど、これも鎌によってあっけなく切り払われてしまう。沼の上で僅かにホバリングして動きが止まったが、的確な斬撃で、水面に引きずり込む触手の化け物のように襲い掛かる三つ編みの『黒髪縛り』を捌き切る。

 やっぱり、コレじゃあダメか。簡単に切断されるから、大した足止めにもならない。

 それなら、これでどうだ。

「「混沌より出で、忌まわしき血と結び、穢れし大地に立て――」

 詠唱はギリギリ。もう、カマキリが触手を全て斬り終えて、沼を通過しようかという際どいタイミング。けれど、なんとか間に合った。

 僕は呪印からさらに多くの血液を絞り出して、投げつけるように『腐り沼』の水面に放った。

 その先には、どっぷり毒沼につかって、泥の体をジャブジャブに溶かして崩壊しつつあるレムがいた。

「――『汚濁の泥人形』っ!」

 再召喚、というよりも、再構築だ。

 レムの体を泥ではなく、『腐り沼』の猛毒液で作り上げるのだ。泥人形の作成に必要なベースとなる人型は、最初から人形状態だったレムの体をそのまま流用。原型が崩れ去る前に、詠唱を終えて発動させることができれば――

「そのまま抑えろ、レム!」

 僕の命に応えるように、腐り落ちる毒液を纏った、汚泥の巨体が沼から立ち上がる。

 手足は丸太のようで、胴も野太いずんぐりむっくりな体型。それでいて、今にも崩れ落ちてしまいそうなほどドロドロと毒混じりの泥が滴り落ちている。

 けれど、レムは確かな人型をもって、目の前にいるカマキリへと掴みかかった。

「キョワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」

『腐り沼』が人の形となって抱き着いてきたようなものだ。虫型モンスターの固い甲殻さえ溶かす強烈な酸性毒液を全身に喰らって、カマキリは堪らずといったように絶叫を上げた。

 よし、今だ!

 トドメのチャンス、ではなく、逃げるチャンスである。

「そのまま抑えてて!」

 レムは足止めのための捨て駒だ。僕は沼が広がり切っていない洞窟のギリギリ端っこを、レムとカマキリが激しく揉みあうのを間近で感じながらも、どうにかこうにか渡り切る。

 レムの体は、やはり泥だけで大きくしたせいか、刻一刻と崩壊へと近づいていた。カマキリは激しくもがいて、鎌をレムの体に突き立てるが、半液状の体に斬撃はあまり効果がない。けれど、斬って、刺して、暴れる度に、着実にレムの体は崩れていく。

 恐らく、毒液でカマキリを溶かし切るより前に、レムは倒れる。そしてカマキリは、歩けるだけの脚さえ残っていれば、僕を追いかけて殺すには十分、事足りる。

 次はもう、レムを出すための泥の人型がないから、同じ手は使えない。カマキリのダメージ次第では『黒髪縛り』だけで対応しきれないかもしれないのだ。

 決め手に欠ける以上、無理に畳み掛けるよりかは、逃げの一手を打つ方がまだ安全性が高い気がする。別にカマキリを倒したところで、レベルアップして次からは楽勝、みたいなワケでもないしね。

「はっ……はっ……」

 前方への警戒は諦め、僕はとにかく洞窟を走る。今はとにかく、後方のカマキリから逃れることを最優先。

「広がれ、『腐り沼』」

 効果があるかどうかは分からないが、適当な間隔で『腐り沼』を張っておく。もしカマキリが羽を失い、かつ、壁面や天井を走れないほど脚を負傷していれば、沼にかかるか、諦めてくれる可能性がある。

「くっ、やっぱり血を使うから、多用はできないか……」

 三度目の沼を張ったところで、ちょっとクラっときた、気がした。人間は半分の血液を失うと死ぬんだっけか。量は平均して2リットルくらい。僕は平均よりも小柄だから、それよりも少ないだろう。

 呪印を使えば傷付けずに血をだせるからって、調子にのってあんまりジャブジャブ撒いていたら、危険だな。

 そんなカマキリとは別の方向性で命の危険について考えていると、行く先に光が見えた。

「もしかして、出口!」

 よく頑張った、感動した。そう僕のソロ洞窟探索を労うように、その光は確かに、洞窟と遺跡の境目にあたる、ゴールであった。

「はぁ……はぁ……やった、何とか、着いたぞ」

 転がり込むように出口を通れば、そこは、オルトロスのボス部屋とよく似た造りの一室であった。ただ、壁にはこの洞窟に繋がる穴が大きく開いている、というのが決定的な違いだが。

 うん、ここは蒼真君が道すがら倒してきたボスのいた部屋で、間違いなさそうだ。見通しのよい室内には、一見して何者の影も形もないことが分かる。

 流石にリポップはまだか。それとも、一回倒せば、もう二度と現れないのか。何にせよ、ありがたいことだ。ただでさえソロ攻略なのだ、ボス戦なんてもっての外である。

 けれど、ここはボス部屋だから一度立ち入ったからには絶対に強敵と戦ってもらおう、とでもダンジョンが訴えかけるように、魔物が乱入してきた。

「ギョァアアアアアアアアアアっ!」

 言わずもがな、僕が華麗なスルーを決めてきたナイト・ナンティスである。

 かなりレムにやられたようで、左の鎌は落ち、羽はボロボロで飛行不能。体の各所に溶けた痕は幾つもあって、今にもぶっ倒れそう。

「ちいっ、この死にぞこないめ!」

 あのまま倒れていれば万々歳だったのだが。よほど僕のことを恨んでいるのか、満身創痍になっても追いかけてくるとは、なかなかの執念である。

「……ここで、倒すしかないか」

 追いつかれてしまった以上、背中を見せて逃げるのは危険だ。奴は羽こそ失っているが、四本の脚は健在。走れば僕より早いし、通路に毒沼を張っても、ジャンプで飛び越えるか、根性で突っ切ってきそう。

 レム本体を失ってしまったので、次は一瞬で毒沼レムを召喚することもできないし。

 それでも、カマキリは死に体だ。あともう少しダメージを与えれば、倒せそう。

 しかしながら、そのダメ押しの一発を当てる方法が、僕にはない。

 カマキリはボロボロの体でも、尚、油断なく片方だけとなった鎌を構えている。対する僕の武装は、レッドナイフと普通のナイフのみ。こんなリーチの短い刃物を、接近してカマキリに突き刺すなんて無理に決まってる。

 奴の鎌は長剣を超えるほどの長さを誇っている。僕がナイフを構えて「死ねやぁーっ!」とヤクザの鉄砲玉よろしく突撃したところで、あっけなく斬り捨てられるだろう。もし鉄の槍が健在でも、僕の腕前では返り討ちにされる。

 ダメだ、呪術師の僕にとって、とにかく接近戦はダメだ。全く勝機がない。

「シャっ! シャアアアア……」

 カマキリも警戒しているのか、甲高い威嚇の声をあげながら、一定の距離を保ったまま襲い掛かって来ない。ピンと張りつめた緊張感のにらみ合い。

 けれど実質、僕にはカマキリと張り合うだけの強さはない。もう、いつカマキリの奴が「コイツ、さては弱いな」と断じて斬りかかって来るか分かったものじゃない。そうなれば、勝負は一撃でついてしまう。

 悩んでいる時間はない。考えろ。あの瀕死のカマキリにトドメを刺す方法を。

 何かないのか。いや、何がいる? 何があれば、この炎のナイフを奴の体に届かせることができる。

 レッドナイフの威力は十分。届きさえすれば、あの鎌を超えるリーチがありさえすれば……くそ、今から枝を調達して槍に仕上げるなんてできないし、僕の腕がゴムみたいにビョーンと伸びるワケでも――いや、待てよ。

「シャアアアっ!」

 そこで、ついに痺れを切らしたのか、カマキリは一際に鋭い声を上げて、動き始めた。

「『腐り沼』っ!」

 反射的に、毒沼を展開。

 大した広さではないけれど、一度やられた『腐り沼』を前に、カマキリは明確に警戒心を露わに、咄嗟に後ずさる。

 よし、効果は十分だ。物理的な壁というより、心理的な障害となって、『腐り沼』はカマキリを遠ざけてくれた。

 これで、僕のターンだ。カマキリがこの小さな沼を超えたり、迂回したりする前に、先に手を打つ。

「――『黒髪縛り』」

 僕の足元に落ちる自分の影の中から、三つ編み触手を二本、呼び出す。そして、その先端にレッドナイフと鉄の短剣を、それぞれ握らせた。

 ああ、僕はなんて馬鹿なんだろう。土壇場にならないと、こんな当たり前の使い方を思いつかないなんて。

 そう、僕自身の腕は伸びないけれど、この『黒髪縛り』なら、伸びる。

「行けぇ!」

 二本のナイフを受け取った黒髪は、矢のように真っ直ぐカマキリへ向かって飛んで行く。

『黒髪縛り』は、最初こそ相手の足元を絡ませるだけの長さしかなかったけれど、色々な相手を縛ったり、毒沼に引きずり込んだりしている内に、今では結構、何メートルも伸ばせるようになっている。動くパワーもスピードも、少しずつだが着実に成長している。

 そんな『黒髪縛り』にナイフを持たせれば、槍のリーチを遥かに超えた、最早、遠距離武器といってもいい。鎖鎌みたいな武器に近いが、コレはそんなテクニカルなモノじゃない。なんといっても、触手は僕の思うが儘に動かせる。自由自在の縦横無尽、これ以上ない、抜群の操作性。

「キョォアアアアっ!」

 狙い違わず、カマキリの胴に二振りの刃が突き刺さる。片方は普通の刃だが、もう片方は炎の刃だ。刺さった瞬間、ボウっと勢いよく火を吹いた。

「よし、当たった――っと、危なっ!」

 苦しげなうめき声を上げて、確実にダメージが通ったことが確認できるが、僕はすぐに触手を引いてナイフを抜く。

 カマキリは狙っているのか、それとも苦し紛れに暴れているだけなのか、鎌をブンブン振り回している。アレに当たれば触手はあっさり斬られる。そして、斬られてしまえば当然、その先端に握っているナイフも落ちる。武器を失うわけにはいかない。

「なるべく、鎌の届かない範囲……背中と後ろ足だな」

 圧倒的に有利なリーチを生かして、相手が瀕死でもさらに地道に削っていく戦法。名付けて、チクチク作戦である。

 一息にトドメを刺し切れないのはもどかしいが、それでも、万全に万全を期さなければ、呪術師が攻撃役などやっていられない。

「当たれぇーっ!」

 部位ごとに正確に狙っていきたいところだけれど、カマキリは置物ではない。狙われていると分かって、いよいよ激しく抵抗を始める。つまり、滅茶苦茶に動くのだ。

 とても狙いなどつけられない。背面狙いはあくまで目安。どこでもいいから、当たりさえすればいい。

「うわっ、ちょっ、来るな!?」

 カマキリが些細なダメージなど気にしないとばかりに、僕に向かって決死の突撃を仕掛けてくる。まずい、そういうストレートな手段は、非常にまずい。

 僕は『腐り沼』をさらに張りつつ、それを壁にするようにしてカマキリの接近をとにかく避ける。

「キョァアアっ、キシャァアアアアっ!」

「くそっ、来るな! あぁー、やめろっ、近い、近い、近いってぇーっ!」

 沼を張りつつ、カマキリから逃れ、隙を見て触手でナイフを刺す。何度も何度も、鎌が体をかすめていく際どい場面があったけれど、僕は必死にボス部屋の中を涙ながらに叫びながら逃げ回り続け――

「キョオオ、キアアア……」

 度重なる攻撃と毒沼によって、カマキリの動きがついに止まる。あの恐怖の鎌も、力なく垂れ下がり、もう振り回す元気もないと見える。

「死ね、死ねっ――」

 動けないカマキリ。その足元には毒沼を張り『黒髪縛り』で拘束し、傷の追加ダメージを与える『逆舞い胡蝶』をけしかけ、その上で、二本のナイフで滅多刺し。

 これで、勝負ありだ。

「死ねぇえええええええええええええええっ!」

第71話 呪術+呪術

「は、はは……やった、妖精広場だ」

 カマキリとの死闘を征した疲労困憊の僕を祝福するように、妖精広場はボス部屋のすぐ近くにあった。

 幸か不幸か、先客はいない。

 僕は長きに渡る緊張感から解放され、一気に気が抜けてそのまま芝生に倒れて泥のように眠る――その前に、貴重な魔物の素材と思い直し、最後の気力を振り絞って、ボス部屋に放置してきたナイト・マンティスの死体運びをするのだった。

「……んがっ」

 気が付いたら、倒れていた。目が覚めて真っ先に目に入ったのは、デカいカマキリの生首。なんて寝覚めが悪い。

 死体を回収したところまでは良かったけど、そこでついに限界を迎えて、僕はぶっ倒れたようだ。

 そういえば、ソロでナイト・マンティスを撃破という偉業を達成したのに、ルインヒルデ様からはレベルアップ代わりの新呪術授与がなかったな。やはり、ゲームみたいにただ敵を倒すだけで、機械的に新スキルを獲得できるわけではないようだ。

「あー、ダルい……」

 体の疲れが抜けない。結構な時間、眠っていたのだろうか。眠気はないけれど、今すぐ戦えるようなコンディションではなかった。きっと、魔力もかなり消耗しているだろう。

 うん、もうしばらく、ここで休んで行こう。あまり先を急いでも仕方がない。十分な休息をとると同時に、次の攻略に向けて準備も整えなければ。

「えーっと、洗濯して、薬作って、レムも造り直して……いや、その前にご飯か」

 蛇もエビ芋虫もないから、胡桃だけのわびしい食事だけど致し方ない。味気ない胡桃をボリボリしながら、噴水の冷たい水をガブ飲み。本当に寂しい。肉が食べたい。いや、米が食べたいな。

「……はぁ」

 休日は家でゴロゴロしてるだけで潰してしまう、割と怠惰な僕だけど、今はこんなにもダルいダルいと感じつつも、体は動いてくれた。全くヤル気は湧かないけれど、度重なる戦闘で酷使した学ランを手洗いで洗濯し、擬態蚕で繕い、同時進行で妖精広場の草花を採取しては薬を作る。

 今や傷薬Aをはじめとした各種の生薬は『逆舞い胡蝶』を撃つための弾薬でもある。回復に消費する分よりも、大目に持っておかなくては。

 それから、武器の手入れも忘れずに。特に『レッドナイフ』なんかは、もう二度と手に入らないレア武器みたいなものだ。灯りにもなるし、焚火を起こすのにも便利と、強い上にサバイバルでも役に立つ。もうこのまま借りパクしちゃおうかな。

「さて、次はレムを……いや、やっぱ止めておこう」

 一通り手入れと準備を終えたあたりで、僕の体もようやく調子を取り戻してきたようにダルさは感じなくなったけれど、まだ無理は禁物だ。

 今回レムを作るにあたっては、この死闘の末に撃破したナイト・マンティスの素材がある。コイツを使えば、鎧熊素材で作った時と同じか、それに近いくらいの性能でボディを作り出すことができるだろう。けれど、性能が良くなる分、それに見合って魔力の消費も大きくなる。

 疲れた状態で下手に作ると、また魔力切れでぶっ倒れるかもしれない。戦いで消費した僕の血だって、どの程度回復しているのかも分からない。最悪、魔力切れと失血のダブルパンチで死亡とか、ありえなくもない。

 ここは慎重に、時期を見極めたい――なんて、まるで公約を実行する気の無い政治家みたいな考えで、僕はもう一つ、別に気になっていることを試してみることにした。

「攻撃の練習をしよう」

 それは勿論、『黒髪縛り』による武器攻撃方法である。すでにカマキリを仕留めたのだから、この攻撃法が実戦で有効であることは証明済み。間合いの外から一方的かつ自由自在に攻撃できるこの方法は、僕みたいな戦闘素人でもそれなりの威力を発揮できるのだ。

 恐らくメイちゃん並みの前衛戦士になってくると、あっさり触手を斬って無力化してきそうだけど、ゴーマやスケルトンなんかの雑魚相手には十分な効果があるはず。安全に相手を刺せるなら、沼を張って引きずり込む、という方法よりも即効性があるし、なにより魔力と血の消費も少なくて済む。

 メイちゃんが狂戦士として覚醒してから、僕は無意識的にも武器を使う戦闘そのものは彼女に任せきりだった。自分が強くなるより、どうすればよりメイちゃんという戦力を生かせるか、あるいは、邪魔をしないか。そういう発想が中心だった。

 まぁ、彼女の圧倒的な戦闘力を思えば、その考えは正しかったと思う。実際、それでやってこれたワケだし。

 けれど、今はもう彼女はいない。他に誰も頼れない、完全無欠のソロプレイ。だから今こそ、僕自身の戦う力が求められるのだ。

 目指せ、最弱天職の汚名返上。呪術師は強い、アタリ天職、これからは呪術の時代、ルインヒルデ様万歳!

「よし、まずは一本ずつ行ってみよう」

 さて、対峙するのは一本の妖精胡桃の木。ちょうど幹が人の胴ほどの太さがあって、二本の枝が両腕のように広がっている形だから、コイツを人型の的代わりにする。鞄の底で眠っていた筆箱から油性マジックを出して、頭なんかも書いてみたり。ダーツの的みたいに同心円を描いて、命中精度の目安も分かるようにしておく。

 使用する武器はレッドナイフ、だと火事になりそうだからやめて、鉄の短剣を、と思ったけど、調子に乗って斬りまくってたら切れ味が落ちるからやっぱりやめて、結局、ナイフのサイズに合わせて折った枝を代用品とすることにした。

「逃げ足を絡め取る、髪を結え――『黒髪縛り』」

 何だか、久しぶりにフルで詠唱したような気がする。すでに何度も使ってきたこの呪術、すっかりイメージは定着して、通常のロングヘア状態でも、三つ編み状態でも、好きに出せる。

 足元の影から、一匹の蛇が鎌首をもたげるように、ゆっくりと三つ編みの黒髪触手が姿を現す。

「そういえば、影以外からも出せるんだっけ?」

『黒髪縛り』を出す基本条件は、影の中だ。光の当たる場所では、何故か出せない。でも、影さえあれば、自分のでも、相手のでも、ただの地形でできる自然のものでも、出すことができる。ただし、その出現させる影は僕の視界に映ってないといけない。

 これが今のところ僕が認識している『黒髪縛り』の発動条件だけど……たとえば、僕の手、あるいは、頭から本物の髪の毛のように生やすことはできるのだろうか。

「――うわっ、出来た」

 実験の結果、できました。自分でもビックリするくらい、あっさり成功したのだった。

「おお、長い、フッサフサだよ」

 今、僕の髪の毛は踵に届かんばかりに長い、スーパーロングヘアと化している。それでいて、動けと念じれば、毛先はワサワサと蠢き、自由自在に操作できた。その気になれば、武器を握ることも。

 ナイフを振るってみても、不思議と頭そのものが引っ張られるような感じはない。どうやら、普通に使うのと同じような感覚で扱えるようだ。触手の根元がどういう支えになっているのかは謎だけど、この際、細かいことはどうでもいいだろう。

 でも『黒髪縛り』をわざわざ頭から生やして使うメリットは思いつかない。動かせはするものの、パワーはそれほどでもない。即戦力にはなりそうもない。爺になってハゲたら使えばいいんだろうか。

 ちなみに、解除すると長髪は綺麗に消え去り、元の髪型に戻った。良かった、普通の髪の毛も一緒に消えなくて。

「あっ、でも手の方は、何かいい感じだぞ」

 次に試したのは、掌から生やすパターン。ちょうど呪印のところから、三つ編みにして生やすと、ロープを握っているような感じ。

 けれど、自在に動かせる触手だから、何て言うか、自分の手がそのまま伸びたような感覚がする。

「うん、武器を振るうなら、こっちの方がいいかな」

 妖精胡桃の木の的に向かって何度か振るってみるが、感覚的には手から伸ばした方がしっくりくる気がする。まぁ、普通に地面の影から生やしてやっても、あまり命中率や操作精度に変化はみられないから、あくまで僕の気分、武器を使うイメージ上の問題なだけだと思うけど。

 しかし、こういう気分的な面というのも、あまり馬鹿にはできないだろう。特に、武器を使って戦うような感覚的な動きなんかは、大きくメンタルが影響するというし。

「こうなると、いよいよ鎖鎌使いみたいだな」

 正確には鎌でも鎖でもないけれど。こういうのは、えーと、飛刀、とかいうんだっけ? まぁ、なんでもいいか。

 両手にナイフ代わりの枝を握り、適当なポーズをとる。

「風魔流忍術……疾風刃!」

 ゲームか何かで見たような覚えのある曖昧な技名を叫びながら、黒髪触手を掌から伸ばし、枝で幹を二連撃。僕が狙った通り、というより、思い描いた通りに触手は動いてくれるので、寸分の狂いもなく、マジックで描かれた首元と胴をそれぞれ薙いでから、ヨーヨーみたいに手元へと戻ってくる。

「ヤバい、これカッコいい」

 正に自画自賛、である。

 いやしかし、冷静に考えてみて欲しい。この数メートルの距離を隔てて、現実に鎖鎌で正確に狙い通りの場所を切り裂ける人が、一体どれだけいるのか。恐らく、達人並みの腕前でなければ、思い通りの場所を切るどころか、的に当てることも、上手く投げて回収するのもままならないだろう。

 それを思えば、自由に動かせる上に、伸縮自在の『黒髪縛り』という『鎖』を持つ僕は、十分にチートな武器を持っているということになるのではないだろうか。実際、僕はこれでカマキリをアウトレンジから切り刻んでトドメを刺すことにも成功しているのだ。

「これは『黒髪縛り』と武器さえあれば、僕は鎖鎌の達人になれるんじゃないのか、マジで」

 いや、ダメだ、待て、落ち着け。僕の名前は小太郎というだけで、風魔一党のお頭とは何の関連性もないから、忍びの才能なんてものは欠片も持ち合わせてはいない。

「これで満足してたらダメだ。もっと、もっと強くならないと」

 この先のダンジョンでは、カマキリ級の敵が雑魚としてワラワラ湧いてくるようになってくるかもしれないのだ。ただの人間を相手にするには十分だけれど、上手に鎖鎌的な攻撃ができるというだけで、やっていくには威力不足も甚だしい。

 なにか、今のスキルの範囲内で火力に貢献できるモノはないだろうか。

「うーん……」

 とりあえずは、手数を増やす、だろうか。今では『黒髪縛り』もそれなりの本数を同時に出して使える。ということは、何も二刀流にこだわる必要はない。三本でも四本でも使って、四方八方から斬りつければよいのだ。

「ゴーマあたりから、適当な武器を奪えればいいけど……それに、数が増えれば制御も難しい……でも、これは練習次第かな……」

 武器が確保できれば手数を増やし、そうでなくても、本来の使い方である敵の動きを縛るようなサポート技として併用できれば、より安定した攻撃ができそうだ。

 心配なのは、複数制御だと一人の相手に集中しすぎて、周囲への警戒がおろそかになることだ。メイちゃんをはじめ、前衛がいたから僕は割と余裕をもって後方へも注意を向けられた。 でも、自分が最前線で戦うとなると、あんなに分かりやすい蟻の挟撃にさえ、気づけない可能性がある。

 けれど、こういった部分はどうあがいてもソロの弱みであろう。近接戦闘とは別に、方法を考えよう。

「単純に火力を上げるには……火でもつけてみるか」

 火は、ただそれだけでダメージを与える凶器だ。小さかろうが、大きかろうが、そこに宿る高熱は同じ。レッドナイフがあれば、炎魔法を使えない僕でもお手軽に種火を用意することができる。

 モノは試しとばかりに、早速、黒髪触手に火を灯す。普通の髪の毛と同じ質感だから、炙れば火はつくと思うのだけれど……

「うわっ!? 臭っ! ちょっ、これ無理だ!」

 すぐに解除。幸い、触手が消えるのと同時に、火も消えた。

 火が点くからといって、綺麗に燃えるとは限らない。変な煙を出して、チリチリと燃え広がるのだが、とても相手に炎で攻撃ができるほど燃え盛るワケではない。

 そして何より、臭い。

 当たり前だけど、髪の毛は焦げると嫌な臭いがするもんだ。これは確か、髪の毛を構成するタンパク質に硫黄が含まれているから、だったような気がする。『黒髪縛り』も髪の毛と成分は同じなんだろう。

 何にせよ、威力に繋がるような炎にはならないし、嫌がらせのように臭くなるだけなのだから、使い物にはならない。赤犬みたいに臭いに敏感そうな魔物だったら、こういう刺激臭は有効だろうか。まぁ、あまり積極的に使いたい手ではないな。

「火属性のエンチャントは無理か……他に付加できそうなモノなんて、もうないし――」

 あ、待てよ、何か肝心なことを、僕は忘れてないだろうか。

「――そうだっ、『腐り沼』!」

 つい先ほどのカマキリ戦では、ほとんど思いつきのぶっつけ本番で、レムの肉体を『腐り沼』を取り込み再構築してみせた。その効果のほどは、ご覧のとおり。

 レムが頑張ってくれた、というのもあるだろうけど……もしかすれば、呪術同士は組み合わせて使うこともできる仕様なのかもしれない。

 そもそも『腐り沼』は僕の肉体を溶かすことはないし、『黒髪縛り』を溶かすこともない。そのお蔭で、触手で沼に引きずり込む僕の必殺コンボが成立しているわけだ。

 お互いの効果が邪魔しあわないようになっているのは、偶然というより意図的なものを感じる。まぁ、天職の能力ってのは元々は神様の技のはず。それなら、ルインヒルデ様がそういう風に呪術を創ったのだとすれば、このゲームシステムのように都合の良い呪術の仕様も納得がいく。

 すでにレムの毒沼人形は成功しているんだし、他にも複合技ができる可能性は十分にある。そうとくれば、早速試してみよう。

『黒髪縛り』と『腐り沼』の合体呪術だ。

「朽ち果てる、穢れし赤の水底へ――『腐り沼』」

 実験する時くらいはフル詠唱で。こっちも『黒髪縛り』と並んで、久しぶりに呪文を唱えた気がする。

 ちなみに、妖精広場の芝生に毒沼を広げるのは気が引けたから、入り口から外に向かって展開させておいた。『腐り沼』は適切に効果を現し、石の通路の幅ギリギリの大きさで広がった。

 さて、本番はここからだ。魔法はイメージ、しっかりと思い描く。

「逃げ足を絡め取る、髪を結え――」

 正しい『黒髪縛り』の呪文であるが、合体させるときは本当にこれでいいのだろうか。レムの時はこれでも大丈夫だったけど……うん、何事もチャレンジだ、この際、思い切って呪文もイメージに沿うよう変えてみよう。

 文芸部員舐めるなよ。このテの呪文詠唱を考えるのは、中二病的ラノベ作者の得意分野なのだ。

「穢れし赤の水面から、血肉を侵す髪を編め――」

 完全に勢いだけで適当なイメージ詠唱を口走った瞬間、ソレは現れる。まるで、僕が呼び出すのを待っていたかのように、勢いよく『腐り沼』の水面から飛び出してきた。

「おおっ、赤い『黒髪縛り』だ!」

 ユラユラと背の高い草むらのように、水面から生え出た赤色の黒髪触手である。その鮮血のようにドロリとした質感を一本一本に纏っているのを見れば、僕が思い描いた通り、『腐り沼』の毒性を宿した『黒髪縛り』であるように思えた。

「よし、試してみるか」

 期待に胸を高鳴らせながら、僕はナイフ代わりの枝を放り投げる。放物線を描いて、広げた毒沼を越えていく途中、僕はこの赤い黒髪触手を操り、枝を絡め取る。

 不気味な赤い毛先が枝に届いた瞬間、ジュっと音を立てて、枝は綺麗に両断された。

 二つになって落ち行く枝へ、さらに絡みつかせると、触れる端から切り落とされ、細切れになってから毒沼へ落ちて沈んで行った。

「お、おお……成功だ……」

 いや、想像以上の大成功である。

「これは、凄い攻撃呪術だぞ!」

 いわば地雷のような設置型の『腐り沼』であったが、コレを使えば、自ら望んで相手にこの強烈な酸性毒液をけしかけることができるのだ。僕はついに待ち望んだアクティブな効果の攻撃呪術を手に入れたといっても過言ではない。

「行ける、これは行けるぞぉ!」

 鰻登っていくテンションのままに、僕はこの記念すべきオリジナル攻撃呪術に名前をつけた。

「よし、この呪術を『アシッドワイヤー』と名付けよう!」


『赤髪括り』:触れれば皮膚を焼き、絡めば肉を腐らせ、括れば骨さえ溶け落とす。猛毒を宿した赤い髪。


 と、次の瞬間に頭に思い浮かんだ名前と説明。ああ、ルインデヒルデ様、呪術の名前に横文字を使ったらダメですか、そうですか……

 神様からのダメ出しもあったけど、ともかく、僕はこうして新たな呪術を編み出すことに成功したのだった。

第72話 呪術師VSゴーマ

「――いよいよ、旅立ちの時か」

 試行錯誤と厳しい呪術の修行を終えて、僕はいよいよ妖精広場を出発する決意を固める。ここでやれることは全部やった。あとは実戦あるのみ。

「よし、行くぞ、レム!」

「ガガっ!」

 元気よく返事をくれるのは、ナイト・マンティスの素材をふんだんにつぎ込んだ、新生レムである。

 妖精広場の土、僕の血とアレ、それ以外に使用したのは全てカマキリオンリーだから、誕生したレムもかなりその影響を受けているようなデザインだった。

 まず、全体的に緑色が目立つ。基本骨格となる黒いスケルトンはそのままだが、全身鎧のようにカマキリの鮮やかなグリーンの甲殻を身に纏っている。鎧熊素材の時はゴツくて刺々しかったけれど、こちらは緩やかな曲線を描く流線型でスマートな印象。

 けれど、最も特徴的なのは、その右腕。そう、ナイト・マンティスご自慢の大鎌が、その手に備わっているのだ。

 手首のところで、五本指の手と大鎌がそれぞれジョイントされている。普段は肘側に折って鎌を収納し、戦闘の際には前方に展開させて剣のように振るうのだ。ちょっとロボのギミックっぽい。

 僕と同じくらい小柄なレムの体型だから、それに合わせて本物より一回り小さくリサイズされているようだが、それでも、その研ぎ澄まされた鋼の刃のような鋭さはそのまま。ナイト・マンティスの斬撃を、レムは再現してくれることだろう。

 今回のレムは、かなりの自信作だ。カマキリの亡骸を丸ごとつぎこんでいるから、当然、奴が持っているコアも材料に含まれている。カマキリは鎧熊と同等か、やや格下、くらいの強さはあるから、コアの大きさもそれなり以上にあるのは間違いない。

 メイちゃんには及ばなくても、僕が槍をもって戦うよりかは遥かにマシな前衛役として期待している。

 けれど、一番大きいのは孤独感が紛れることだろう。まるで本当に自分の意思があるかのように動き回るレムがいてくれるだけで、僕は一人じゃないんだ、と安心できる。

 やっぱり、人は一人では生きてはいけないんだ。僕だって無人島で一人きりになったら、ボールとだって友達になってしまうだろう。

 ともかく、こうして僕は自信と不安を半々に抱きながら、レムと共に薄暗いダンジョンの通路を歩き出した。

 先頭をレムに歩かせ、すぐ後ろを僕が続く。石造りの遺跡ダンジョンの中だから、灯りがあるのは幸いだ。レッドナイフを松明代わりにする必要はない。けど、僕はいつでもすぐ抜けるよう、左腰に差してある。

「できれば、スケルトンあたりが出てきてくれればいいんだけど」

 木の的を相手に練習はしたけれど、動く相手となればまた勝手は違ってくる。未だに戦闘素人というべき僕としては、新たな攻撃呪術を使った戦いを、ほどよい強さの雑魚モンスター相手に順当に重ねて行きたいところである。もう、ここでナイト・マンティス級の強敵とエンカウントなんてイベントは御免だ。

 いざ歩き始めてみると、段々と自信よりも不安感の方が増してくる。

 もう、それなりの時間歩いてきたような気がする。Gショックで確認したら、出発して一時間は経とうとしていた。それなりに大きな広間を過ぎること二回、円柱の柱が並んだ広い回廊や、森林ドームを抜けてきたが……不思議と、魔物の気配はない。

「もしかして、蒼真君が大体片付けてきたのかな」

 一応、魔法陣のコンパスは行く先を示してくれているけれど、恐らく僕が今通っているルートは蒼真君が歩いてきた道ではないかと思う。彼はここからずっと先にある、ケルベロスのボス部屋から、あの虫の洞窟まで辿り着いたはず。

 ダンジョン内には幾つもルートがあるから、必ずしも転移魔法陣を利用しなくても奥には進んで行けるはずだ。だからコンパスも僕が飛ぶ予定だった虫の洞窟の転移魔法陣の部屋の方向とは、別なルートを指しているんだろう。

 まぁ、ダンジョンが繋がっていたとしても、一体どれだけ長い道のりになるのかと思えば、さらに胸中の不安感は加速するのだけれど。

「ガッ」

 その時、レムが立ち止まる。

「……何かいるのか」

 立ち止まって警戒するけど、周囲から魔物が飛び出してはこない。どうやら、レムはこの先にいるだろう魔物の気配を先んじて察知したようだった。

「ガガ」

「ついて来いってか、いいよ」

 どの道、避けては通れない。今、僕らが歩いているのはゆるやかなカーブを描く大きな通路だ。二車線道路くらいの幅がある上に、両脇にはどこぞの神殿のように太い円柱が等間隔に並んでいる。

 レムの先導で、円柱に隠れながら、ソロリソロリと足音を殺して慎重に道を進んで行った。それから、僕も敵の存在を聞きつけるのは、すぐのことだった。

「この声は、ゴーマかな」

 カーブの向こう側から、あのやかましい不快なゴーマの鳴き声が響いてくる。奴らの言葉なんて相変わらず分かるはずもないが、それでも酷く興奮しているらしいニュアンスは感じられた。

 仲間内でクスリを巡って喧嘩でもしているのか、それとも、狩りの真っ最中か。

 さらに慎重に声の方向へ進み、答えを得る。

「……なるほど、蟻を狩っていたのか」

 そっと円柱の陰から覗き込み、ゴーマの戦闘の様子を窺う。奴らは十人くらいの群れで、三体のポーン・アントを囲むようにして戦っていた。周囲はすでに血塗れで、引き裂かれたゴーマの死体が三つと、滅多刺しにされた蟻の死骸が一つ転がっている。

 ゴーマも蟻も目の前の敵に夢中で、僕のことには気づいてないようだ。

「雑魚モンス同士も戦うことってあるんだな」

 考えてみれば、それも当たり前のこと。分かっていたつもりではあるけど、いざ目の前にすると、なかなかに驚きである。

 ただのRPGだったら、野生のモンスターも魔王軍の配下も、人類が見習うほど見事な団結力でもって、勇者御一行に襲い掛かって来るもんだ。まぁ、大抵のゲームでは敵同士が潰し合いするような、余計なプログラムなんて組まないからね。ゲームの敵キャラなど、所詮はプレイヤーのために用意された存在でしかない。

 けれど、このリアルなファンタジーワールドでは、魔物は一つの生物である。ゴーマはダンジョンに住んでいるし、ポーン・アントは巣を作っている。互いに異なる種の両者がかち合えば、戦うことだってあるだろう。

 どっちが先に仕掛けてきたのかは分からないが、このゴーマと蟻による血みどろの戦いは、ダンジョンという一つの環境下における立派な生命の営みであるといえよう。

「これは、チャンスだぞ」

 互いに命を賭けて激闘に興じるところを、漁夫の利を狙う第三者がいるというのも、また自然ではよくあることだろう。

 僕にとってゴーマと蟻は、どちらも試しに戦ってみるにはちょうど良い相手。けれど、十体のゴーマと三体の蟻、合計十三もの敵を同時に相手できると考えるほど、僕は思いあがってはいない。

「いいぞ、潰し合え」

 けれど、このまま戦いの行く末を見守り続ければ、勝負のついたその瞬間に奇襲をかけることができる。ゴーマは数で勝っているが、非力で貧弱な武装。一応は蟻対策のつもりなのか、何体かは武器の代わりに柄の長い松明を振るっている。

 一方、蟻は雑魚とはいえ巨大昆虫に相応しいパワーと硬い甲殻を持ち、錆びた刃より強力な爪と大顎という凶器もある。

 戦力は拮抗状態といったところだろう。どちらが勝つにせよ、犠牲と消耗は避けられない。

 そうして、観戦すること十五分。ついに、魔物同士の戦いに決着がつく。

「グゴゴ、ゲブラァアアアっ!」

「ンバ、ンバっ!」

 高らかな勝利の雄たけびをあげるのは、ゴーマだ。流石に十対三の数の不利を覆すことはできず、善戦虚しくポーン・アントは全て討ち取られた。

 しかり、やはりゴーマ側にも犠牲は多い。生き残っているのは六体、その内一体は重傷で虫の息。三体は軽傷、無傷なのは僅か二体のみ。

「ゲバ! ゴーザ、ジュバ!」

 無傷の二体と軽傷の三体は、喜び勇んで倒した蟻に群がる。重症者は完全に放置のようだ。彼らの中では、重傷ゴーマはすでに死んでいることになっているのだろう。

「よし、レム……今だ、行こう」

 死闘を征して獲得した戦利品に夢中になっている、今こそ奇襲する絶好のチャンス。奴らは本当にこのダンジョン内で狩りをして生きている種族なのかと疑問に思えるほど、全員が周囲への警戒を怠り蟻の死体から甲殻を剥ぎ取る作業に熱中し始めている。

 それだけゴーマがバカなのか、奴らが飛びぬけてバカなのか。どちらにせよ、いいカモだ。

「逃げ足を絡め取る、髪を結え――」

 意識を集中。すでに、奇襲の手順はシミュレート済み。相手は隙を見せているとはいえ、五体。下手を打てば、返り討ちにされてもおかしくない数の差がある。

 静かに、素早く、そして確実に、仕留めるのだ。

「穢れし赤の水面から、血肉を侵す髪を編め――」

 呪文を二つ、繋げて詠唱。同時行使だけど、同じ系統の呪術だからそれほど難しいワケでもない。

 右手にはお馴染みの黒髪触手で飛ばすためのメインウエポン、レッドナイフを握る。

 左手には、新たな攻撃呪術のために選び抜いた、石コロを持つ。

「――『黒髪縛り』『赤髪括り』」

 どちらも掌の呪印から生えるように、一本の三つ編みとなって――いや、これはもうすでに、完全に一本のロープ状となり、編み方そのものが進歩している。

『黒髪縛り』の編み方については、実は前々から改良したかったところだ。三つ編みでも縛ったり絡んだり、十分な性能はあったけれど、ロープにした方が多少なりとも頑丈になるだろうと思って。

 小さな改善点の割に、僕自身がイチからロープの編み込み構造を理解しないといけないなど、地味に手間がかかるから後回しにしていた。他のメンバーがいる状態では、幾らでも休憩時間がとれるわけでもないし。

 だから、ソロとなった今こそゆっくりじっくり『黒髪縛り』を試行錯誤する時間が生まれたのだ。手元に本物の縄はないけれど、そこは靴紐やゴーマから奪った戦利品などから、それらしいものを見本品として利用した。これが中々、チマチマと手間のかかる作業で、思った以上に時間がかかったりもした。

 ともかく、地味なロープ研究の結果、この新生『黒髪縛り』は見事な縄状となって、炎の刃を振るう触手と化す。

 このロープ編みになっているのは『赤髪括り』も同様だ。

『腐り沼』の強い酸性毒液を宿すコイツは、沼を張る以外にも、そもそも毒沼の源泉となる僕の血『黒き血脈』を直接取り込める呪印からなら、即座に呼び出すことが可能だ。

 毒性があるから、『黒髪縛り』のように武器を持たせることはできない。柄が溶けて、すぐにボロボロになっちゃうし、握る先端だけ黒髪にする、なんて器用なことも、少なくとも今はまだできなかった。

 赤髪はそれそのものが毒としての攻撃力を持つから、そのまま飛ばすだけでも十分ではあるけれど……僕としては、先端に何か握らせておく方が、武器として扱い易い気がした。

 だから、毒沼でも溶けない石コロを握らせた。イメージはヨーヨー。そういえば小学生の時、ヨーヨーが大流行した時期があって、僕もブームにのっかり遊んだことがあった。実はアレ、結構得意だったんだよね。

 幼き頃に習得したハイパーなヨーヨースキルが生かされるとは、夢にも思うまい。この『黒髪縛り』と『赤髪括り』の二刀流は、ヨーヨーを二つ持ってループしまくってたあの頃を思い出させる使い心地である。

 かくして、片方は刃、もう片方は石を持ち、それぞれ隙だらけなゴーマの背中へと飛んで行く。狙うのは、一番元気な無傷のゴーマだ。ここは欲張らず、一体だけに狙いを絞る。

「ギッ!?」

 命中。レッドナイフは深々と背中のど真ん中に突き刺さり、赤髪は綺麗に首元に絡みついた。どちらの触手も手から生やしているお蔭か、はっきりと手ごたえを感じる。

「ゲァアアアアアアアアアアアアっ!」

 刺さったレッドナイフは濛々と火の粉を吹き、発火能力を解放。肉を焼きつつ、僕は力を籠めてさらに刃を奥へとねじ込む。

 同時進行で、赤髪への締め付けを強める。細めに編んだ血色の触手はそこに宿す毒性を遺憾なく発揮して、細いゴーマの首を腐り溶かしてゆく。ズブズブと少しずつ、けれど、確実にゴーマの首の肉に食い込んで行くのを感じた。

「ガブラ!」

「ゼブっ、ダゴーバ!」

 すぐ隣のお仲間が絶叫を上げれば、当然、即座に他のゴーマも異常事態を察知する。味方を襲う触手の根元を追えば、僕の姿を見つけるのもすぐのこと。

 この辺が限界か。いや、すでに十分なダメージは与えたので、わざわざトドメにこだわる必要性もないだろう。

 ゴーマは今にも武器を振るって、絡む触手を切り裂きそう。素早く引いて、一旦、二本を手元に戻す。攻撃を受けたゴーマは、その場に倒れてピクピク痙攣するように動くだけで、立ち上がる様子はない。

 まぁ、あんなザックリ刺された上に、首を半ばまで溶かされているのだ。すでに戦う力など残ってはいない。

 虫の息の奴に構っている暇はない。僕はまだあと四体はいるゴーマに対応しなければいけないのだ。奴らは僕を見つけてギャーギャー喚いていて、すぐにでも全員突撃してきそうな気配。でも、そうはさせない。まだ、奇襲を仕掛けたこちら側に戦いの流れがある。

「広がれ、『腐り沼』」

 右手にレッドナイフが戻ってくると同時、左手の『赤髪括り』には僕のちょっと手前に落として、そこを起点に『腐り沼』を展開させた。

 元々、石コロに血を付けて投げても沼を張ることができたのだ。赤髪が掴んだ石コロからでも、『腐り沼』を発動させるのは十分可能。勿論、前もって実験済み。

 頑張って沼を広い通路の両端まで広げ、完全に封鎖。とりあえず、これを壁代わりとして使う。

「次は、お前だっ!」

 左手に赤髪を戻すのと同時に、レッドナイフの黒髪を放つ。狙いは、僅かに先頭を走るゴーマ。近い奴から、順番に。

「ダムンっ!」

「弾かれたっ!?」

 何の捻りもなく真っ直ぐ飛ばしたせいで、軌道を読まれたのか。ゴーマは手にしたナイフを一振りし、レッドナイフを弾いて見せた。

 おのれ、ガードするとはゴーマのくせに生意気な。

 悪態をついている場合じゃない。防がれたせいで、僕の攻撃プランにワンテンポの遅れが生じる。このままだと、他の奴にギリギリで迫られてしまう。ゴーマといえども、根性で駆け抜ければ毒沼を突破できるかもしれない。

「ちいっ」

 レッドナイフをその場で適当に二度三度振るって、ナイフ持ちのゴーマを牽制。奴が足を止めている間に、他の三体が追い抜き接近してくる。

 まずい、もうそんなに距離がない。くそ、近い。いや、落ち着け、焦るな。まだ大丈夫、猶予はあるし、打つ手もある。

 僕は手元に戻った『赤髪括り』を撃ち出す前に、別な呪術を繰り出した。

「捕えろ、『蜘蛛の巣絡み』」

 これは待望の新呪術、ではなく、僕が編み出した『黒髪縛り』の派生技だ。効果は単純、黒髪触手のロープを蜘蛛の巣みたいに編んで、大きな網となって敵に飛ばして絡め取る。

 そもそもヒモ状の技を持っているなら、網を編まなきゃ嘘だろう。これも当たり前に思いついて然るべき発想だったが、横道に蜘蛛糸を吐きかけられて、ようやく気付いたというのは内緒だ。

 そういうわけで、ロープ編みの開発を終えると、次にこの網も作れるようにしておいた。一応、瞬時に出せるように練習はしたけれど、より複雑な構造となるせいか、三発も四発も同時に出すことは難しかった。今は網を二発撃つのが限度。発射速度も、せいぜい僕が力いっぱいに投げつけた程度で、お世辞にも早いとは言えない。

 けれど、こっちは『黒髪縛り』が元だから、僕の手元だけでなく、視界に入る影なら、どこからでも射出できるのが利点だ。

「ンバっ!?」

 立ち並ぶ円柱が作り出す影から、僕は『蜘蛛の巣絡み』を放つ。横合いの視覚から不意打ちのように飛んできたせいで、ゴーマは対応できずにあえなく黒髪の投網に囚われる。

 狙ったのは、槍を持ったゴーマだ。他の二体はそれぞれ松明と錆びた剣を装備していた。下手すればすぐに網を切られると思って、一度捕まったら対応しづらい長柄武器の槍持ちを意図的に狙った。

 思い通り、槍ゴーマは体に絡みつく黒髪の網を解こうと必死にゴロゴロと転がるだけ。バカめ、素手ではそう簡単に網から脱することはできない。

 これで槍ゴーマは一時的に無力化に成功。残るは、順調に距離を詰めつつある松明ゴーマと錆びた剣ゴーマ。それと、ナイフゴーマも再び走りだし、二人に追いつこうとしていた。

「今度こそっ!」

 僕はレッドナイフが戻るのを待ってから、次こそ確実に仕留められるよう、最初と同じように黒赤両方の触手二連撃を放つ。

 狙いは、ついに『腐り沼』のところまで辿り着いた剣ゴーマ。奴は明らかにヤバい雰囲気を漂わせている毒沼を前に、どうするべきか迷っているようだった。それが、絶好の隙となる。

「グギャァアアアアアアアアっ!」

 首尾よく、レッドナイフは胴に刺さり、赤髪も体中に巻きつき、全身の肉を酸で焼いた。

 一、二、三、この辺が限界だ。

 三つ数えてから、剣ゴーマを解放。刺さりが浅かったのと、首に絡まなかったこと、そのお蔭で剣ゴーマは痛みにのたうちまわる程度の元気が残っていた。さらにあと三秒攻撃をかけ続ければ致命傷まで至れたかもしれないけど、今は無力化させただけで十分。トドメは後回し。

「次はっ――」

 松明ゴーマは剣ゴーマがやられている隙に、助走をつけて沼を飛び越えようとしていた。

「ソレはもう対策済みだ――『黒髪縛り』!」

 毒沼のど真ん中から、待ち構えていたようにドっと黒髪触手が飛び出し、間抜けなゴーマを捕える。

「ンゴォオオオっ!?」

 飛んでる最中に足首を掴まれ、そのまま毒沼に真っ逆さま。猛毒の水面に頭から叩きつけられ、強打と酸の痛みによって、苦悶の絶叫を上げた。もっとも、『腐り沼』にどっぷり全身を浸せば、すぐに叫ぶ元気もなくなり沈黙するだろうけど。

「ウゴォオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 と、気合の入った叫びが耳をつんざくと、僕は気付いた。

「まさか、味方を踏み台に!?」

 遅れてやってきたナイフゴーマが、毒沼に沈む仲間の背中を情け容赦なく踏みつけて、『腐り沼』を華麗に飛び越えてきたのだった。

「ガル、ダゴヴァ!」

 僕と奴との距離は、もう三メートルもない。軽やかに着地を決めたナイフゴーマは、さらに腰からもう一本のナイフを引き抜き、二刀流で構えた。

 対して、僕の両手にもレッドナイフと赤髪がすでに戻ってきている。

「同じ二刀流同士、サシで勝負か……」

 その瞬間、僕はコミュニケーション不可能な野蛮な魔族と、心が通じた気がした。ニヤリ、とナイフゴーマが自信気に笑う。

 だから、僕も笑った。

「プギャー」

 と、指を差して嘲笑ってやる。だってそうだろう。自信満々にナイフを構えて、格好よく勝負を付けに来たその瞬間、後ろからバッサリ斬られるんだから。

「ブギャァアアアアアアアっ!?」

 絶叫と共に、ナイフゴーマの背中からドっと血飛沫が舞う。「え、マジで? なにこれ、ドッキリ?」とでも言いたげな、間抜けな表情でゴーマは前のめりに倒れ込んでいった。

「よくやった、レム」

「ガっ!」

 ナイフゴーマを襲ったのは、勿論、ナイト・マンティスの鎌を装備したレムである。僕のすぐ脇に建つ円柱に隠れてもらっていたのだ。

 前衛といっても、最初から敵の前に姿を現しておく必要もないだろう。もし『腐り沼』を飛び越えて、僕に迫る奴が現れたら、もう敵は目前だと頭がいっぱいになるはず。そこを、横合いから斬りつけて、確実に始末する。

 僕の最初の攻撃も奇襲なら、レムの初撃も奇襲である。計算上では、これで確実に二体は殺せる。問題は、残り三体を上手く殺し切れるかどうかだった。だから、松明ゴーマが沼に落ちた時点で、勝負は決していた。

「ふぅ、上手くいって良かったぁ……」

 ホっと一息つく。

 一通り、僕の予定通りに戦いは進んで、首尾よく全滅させることができた。大成功といってもいい。

「けど、反省点は色々あるな」

 これだけ上手くいっても、戦闘中、僕は内心、気が気じゃなかった。特に、ナイフゴーマにレッドナイフを弾かれた辺りとか。

 あと、ほんのちょっとでも冷静さを欠いていれば、あっけなく負けていたかもしれない。あるいは、レムを犠牲に無様な敗走を選んでいたかも。

「やっぱ、ソロで戦闘は大変だ……」

 いや、前向きに考えよう。どうせ一人での戦いは避けられないのだから、せめて、この鮮やかな勝利を喜び、次の戦いに自信を持って挑めるようにしよう。

「よーし、それじゃあ早速、戦利品を回収だ!」

第73話 毒の沼地

「――ふふん、結構な収穫だぞ」

 瀕死のゴーマにトドメを刺して回ってから、まずは奴らの持ち物から漁ることにした。勿論、背後にはレムを立たせて、後方警戒は怠らない。

 さーて、今回の戦利品は。


『欠けたナイフ』:錆びてはいないが、刃こぼれが目立つナイフ。二刀流だったから、二本ある。


『ゴーマの槍』:木の棒に大きな魔物の爪を括り付けた、手作り感溢れるゴーマの短槍。


『錆びた剣』:刃が錆びついた剣。ボロい。


『松明』:長めの柄を持つ松明。すでに火は消えている。


『骨の棍棒』:魔物の骨を加工したと思しき、硬い骨の棍棒。


『石の手斧』:原始人が使ってそうな、磨製石器の刃がついた手斧。


 とりあえず、武器としてはこんなモノ。小鳥遊さんの武器錬成を見ている僕からすると、どれもガラクタレベルのクソ武器ばかり。けれど、こんな産廃でも無いよりはマシ。

「うーん、使えそうなのは、ナイフと剣と……一応、槍、かなぁ」

 松明、棍棒、手斧はポイーで。使えないこともないけど、持ち歩く労力には見合わない。

 個人的には、ゴーマからは武器よりもその他のアイテムの方がありがたい。


『松明の油』:松明を燃やすための油。この油をボロ布につけて、燃やしているようだ。


『ゴーマの麻薬』:例のヤバいクスリ。いざとなったら、僕も使う覚悟はしている。


『ゴーマの酒』:ヒョウタンに入れられた、物凄くアルコール臭い液体。恐らく、酒なんだと思う。まさか消毒用エタノールということはあるまい。ナイフゴーマの遺品。


『岩塩』:ミネラルが豊富、だと思いたい、ダンジョン産の岩塩。蛇にかけてよし、エビ芋虫にかけてよしの、万能調味料。


『アカキノコ』:僕の命を鎧熊から救った恩人キノコ。まさか、ゴーマの奴らも採取しているとは。


『ムラサキノコ』:初めて見る、紫色のキノコ。超ヤバそうな見た目に反して、これ単体では毒性はないようだが……


『ゴーマの革リュック』:ナイフゴーマが背負っていた、革製のリュック。汚いが、奴らの中では一番マシな品質。


『ゴーマの革鞄』:蟻にやられたゴーマが持っていた革製の鞄。かなり汚いけど、奴らの中では二番目にマシな品質。


 以上のラインナップである。

 今すぐ役に立ちそうなのは、レムにも荷物を持たせられるリュックと鞄の存在だ。アカキノコと、お初となるムラサキノコ、としか名づけようのない毒々しい紫色のマイタケみたいなキノコなどなど、これからは今まで以上に素材取集にも力を入れて行きたいところ。僕の学校指定鞄だけでは、容量不足も甚だしい。

「折角だし、レムも強化しておこう」

 ここに、ポーン・アントの死骸が三つあるじゃろ? ゴーマ達が犠牲の上に勝ち取った尊い戦利品であるコレらは、全て残っている。蟻素材はカマキリ素材よりも価値は低いだろうけど、今のレムには色々足りてないから、取り込めば少しはプラスになるかと思う。だからといって、ゴーマまで取り込んでみようとは思わないけど。もう、直感で分かる。ゴーマを取り込んでも何のプラスにもならないというのは。

「混沌より出で、忌まわしき血と結び、穢れし大地に立て――『汚濁の泥人形』」

 さて、蟻三体分の素材をそのまま取り込ませた結果は……

「おお、結構いい感じじゃないか!」

 一度、混沌の沼みたいな魔法陣に蟻素材と共に沈んで、再び戻ってきた時には、レムの姿は目に見えて変化があった。

 メインになっているカマキリ甲殻の鎧はそのままに、各所に空いた隙間を埋めるように、蟻の黒い甲殻が新たに形成されていた。ベースとなる黒スケルトンの骨格が見えるのは、今では頭部のみ。体は立派な全身鎧に包み込まれたかのようだ。

「ガガ!」

 レム本人も満足そうである。

 よし、これでこの場でできることは全て終えた。さっさと先に進んで行こう、と、このまま出発できれば、完璧だった。

「――バウっ!」

 犬のような鳴き声が、通路の向こうから響きわたって来た。

「こ、この声は、もしかして……」

 聞き覚えがある。その正体を明確に思い出すよりも早く、奴らは姿を現した。

「バウ!」

「バウバウ!」

 けたたましい鳴き声を上げるのは、四足歩行の犬ではなく、二足歩行のデカいトカゲ。

「ゴアだっ!?」

 ちょっと久しぶりに見る、恐竜型の魔物だ。

 角ばったデカい頭に、鋭い牙の並んだ大口を開いて威嚇。三体、四体、五体……なんてこった、全部で七体もいる。

「広がれ、『腐り沼』っ!」

 一斉に飛びかかって来られたら、一巻のお終いだ。ほとんど反射的に、僕は壁代わりの毒沼を目いっぱいに広げた。

「バウっ、ゴアァーッ!」

 前もそうだったが、ゴアは鼻が利くのか、毒沼の危険性をすぐに察知して、迂闊に足を踏み入れたりはしない。なんか臭ぇぞコノヤロー、とばかりに苛立った声を水際で上げている。

 そんな奴らが沼を飛び越えようと動き出す前に、先制攻撃だ。

「――『赤髪括り』!」

 沼からそのまま腐り溶かす赤髪触手を呼び出し、近くで吠えてるゴアを叩く。

「ウゴっ、ギャウウンっ!」

 ジュウジュウと石のような灰色がかった甲殻を、絡みついた触手は溶かしているようだが……ゴアが苦痛の叫びと共に激しく身を捩ると、あっけなく『赤髪括り』がブチブチ引きちぎられてしまった。

「あっ、ダメだこれ、撤退だ!」

「ガっ!」

 勝てない。即断し、身を翻して全速力で走り出す。

『赤髪括り』ではゴアに大きなダメージを与えることはできない。石の甲殻に阻まれて、レッドイナイフも同様に、効果は薄いだろう。

 手持ちの戦力でゴアを倒すには、沼に引きずり込んだ上で、しばらくもがくのを頑張って縛り付けていなければいけない。前の時は、そうやってどうにかこうにか、メイちゃんの前衛を突破して僕に迫ってきた一体を倒した。そう、たった一体倒すだけで、そこまで集中しなければいけないのだ。

 七体どころか、二体同時に相手するのも無理である。

「バウバウ!」

 赤髪の攻撃を受けた奴を筆頭に、もう二体ほど僕をターゲットにして、沼を飛び越えようと動き始めていた。他の四体は、そこらで倒れているゴーマの死体漁りを始めて、こちらに注意を向けてはいない。実質、相手は三体か。

「落ちろっ! 『黒髪縛り』!」

 以前と同じように、勢いよく沼を飛び越えてくるゴアに向かって、黒髪触手で沼に引きずり込む。バシャーンとけたたましい音と毒水しぶきを上げて、一体のゴアが沼のど真ん中に叩きつけられる。

 けど、後続の二体まで触手で捕えるほどの余裕はない。

「『蜘蛛の巣絡み』!」

 着地した瞬間を狙って、二体同時に蜘蛛の巣を投げかける。勿論、ゴーマの時と同じように、柱の影から出現させたものだ。

「行くぞ、レム! 走れーっ!」

 僕にできる足止めは、ここまで。ゴアの甲殻を通すほどの火力を持っていれば、上手く行動を封じたチャンスを生かして三体とも仕留められるだろうけど、決め手に欠ける僕には無理な話だ。

 沼に落としたゴアは、あともう少しふんばれば黒髪の戒めを解いて脱して来るだろうし、『蜘蛛の巣絡み』の二体は、さらに早く網を振り払って追跡を始めるだろう。

 僕としては、この僅かな時間でゴアとの距離を開き、完全にまくか、どこか丁度良い逃げ場を探さなくてはならない。

「ああ、チクショウ、やっぱり呪術師の力なんて、こんなものかよ」

 輝かしい勝利の直後に、無様な逃走劇を始める自分が情けないやら悔しいやら。けれど、今はとにかく、生き残るために、頑張って走ろう!




「はぁ……はぁ……た、助かった……」

 幸運にも、僕は人一人がギリギリで通り抜けられるサイズで亀裂の走った石壁を見つけ、そこに転がり込むことで怒れるゴアの追跡を振り切ることに成功した。

 九死に一生を得た気分だが、また、同じような状況にこの先も陥るだろうことは火を見るよりも明らかだ。戦闘スキルよりも、逃走スキルを磨くべきだったか。

「それにしても、ちょっとルートが逸れちゃったよ」

 逃げる時は無我夢中で走るから、当然、魔法陣のコンパスなんて確認していられない。元来た道を戻るのが一番だけど、壁の亀裂を戻ればゴアが待ち構えているかもしれないし、そもそも、どういう道順を辿って走って来たか覚えてもいない。

「ここからでも、上手く戻れるといいんだけど……」

 とりあえず、先に進んでみるしかなさそう。

 広かったり狭かったりする、変わり映えのしない石の通路が、相変わらず続く。

「あっ、スケルトンだ」

 道中、何度かエンカウントもした。けど、スケルトンにゾンビに赤犬などなど、大した魔物ではない。何より、どいつもこいつも二体か三体、多くても四体という少数なのが幸いした。

 これといった問題もなく、僕は『赤髪括り』を中心とした呪術攻撃と、レムの力で乗り切った。そうそう、こういうのでいいんだよ。

 雑魚が相手でも、侮ったりはしない。僕でも倒せるくらい、弱く、数の少ない相手に巡り合えるなんて、この先、何度あるか分からない。戦いの練習相手として、ありがたく倒させてもらおう。

 そんな感じで、ささやかな実戦経験の他には、大した収穫のないままダンジョン探索は続く。

 いくら弱い相手との戦闘とはいえ、戦う度に疲労は蓄積されていく。いや、戦わなくても、歩いているんだから、それだけで疲れてくる。

 そろそろ妖精広場に辿り着ければいいんだけど、なんて思っていると。不意に、変化が訪れた。

「……何だ、ここ、壁が紫っぽいぞ」

 ふと、コンクリートみたいな灰色の石壁が、うっすらと紫がかった色になっていることに気づく。恐らく、ちょっと前から徐々に紫の色味がつき、この辺まで進んできて、ついに色の変化に気づくほど色濃く出た、といった感じだ。

「こ、この方向であってる、んだよな」

 いつの間にやら、コンパスは新たな進行方向を示すように、矢印を僕がゴアから逃げてきたルートとは違う方向を指すようになった。今現在は、この通路の先を真っ直ぐに示している。

 正直、嫌な予感がする。ダンジョンで変化が起こるということは、そこに生息する魔物も変わってくるだろう。きっと、スケルトンよりも魔物が弱くなることはないと思う。

 虫の洞窟のように、カマキリ級の強敵を含めた、新モンスターが跳梁跋扈する恐ろしいエリアになっていることは想像に難くない。

「でも、行くしかないよね……」

 メイちゃんとの合流を果たすには、奥に進むしかない。元より、引き返すという選択肢は存在しないのだから。

 覚悟を決めて、僕は怪しさ満点の紫の石壁となった通路を突き進む。

 更なる変化が起こるのは、そこを抜けてすぐのことだった。

「うわ、これヤバい、絶対ヤバいよここ」

 壁の色は紫がかった、というより、完全にド紫に染まり切っていた。それだけで、かなり毒々しいが、さらに猛毒っぽい雰囲気を醸すのが、何やら紫色の木の根っこみたいのが、グネグネと脈打ちながら石壁を浸食していることだ。


『紫の木の根』:多少の毒性を含んだ根。元は普通の樹木。


 壁の根っこを凝視していると、『直感薬学』がサラっと教えてくれた。

 元は普通の木なのに、毒を持つということは、この木が根付いた土壌そのものが何らかの毒に汚染されているということだろう。

「毒のエリアか……生身で進んで、大丈夫なの?」

 大丈夫じゃないだろう、どう考えても。けど、今更引き返して別のルートを探してみるというのも……うーん、ここまで来たんだ、もう少し進んでみよう。

 けど、少しでも異臭や異変を察知したら、人間には通行不能と諦めて、引き返そう。

「……意外と大丈夫、なのか」

 進むごとに、どんどん壁の根っこが増えて行き、もう石壁の通路というより、木の通路といった風情になってくる。もう足元にはほとんど平坦な床はなくて、うねった木の根をソロリソロリと歩いていく。

 いい加減、そろそろ歩行が困難になってくる、というところで、ようやく視界が開けた。

「なるほど、ここは――」

 森林ドームのような広い場所だ。けれど、緑の葉っぱが生い茂らない、白い枯れ木ばかりが立ち並ぶ。森というよりは、林といった風情。地面は泥みたいで、点々と雑草が群生している。

 死んだような枯れ木の林だけれど、ここにはもっと、相応しい名前がある。

「――毒の沼地、なのか」

 そう、毒沼、としか言いようのない、毒々しいまでに濃い紫色に濁り切った水質の沼が目の前に広がっているのだ。ヤバいのは色だけじゃない。どんな化学反応が水底で起こっているのかしらないけれど、マグマみたいにボコボコと水面が湧いている。

 まさか、こんなRPGのステージをそのまま現実化したような光景にお目にかかるとは。これまでのダンジョンも大概ファンタジーだけどさ、でも、わざわざ毒沼ステージまで再現しなくてもいいだろう。

 僕には見える。紫の髑髏マークが点灯しては、ジリジリとHPゲージが削れていく幻影が。

 いや、とりあえず、毒の継続ダメージをくらっているような感覚はしない。どこか痛いところもないし、咳の一つも出ない。体に異常は感じられないから、ひとまず、この辺を散策するくらいは問題なさそう。

 正直、この毒一色なエリアにいると、たとえ害はなくても気分は滅入りそうだし、やっぱり何か害はありそうだしで、今すぐ引き返したい気持ちになってくる。

 けれど、ちょっと歩いてみると、僕は見つけてしまった。

「うわっ、妖精広場だ。こんなところでもあるのかよ」

 それはまるで、森に建てられた小屋のように、四角い石壁で仕切られた一つの建物と化していた。扉はない。けど、中を覗くと、そこは確かにいつも通りの綺麗で清浄なセーフゾーンの、妖精広場であった。

「うーん、ひとまずは、ここを拠点にして探索してみようかな」

 今までの感じからすると、恐らく、このエリアはただの通過点じゃない。そう、ここにはきっと、ボスがいる。

 大抵のボスに僕は勝てないだろうけど、でも、今ならあの大カエルくらいなら何とかなりそうな気もする。倒せそうなボスなら、できれば倒しておきたい。ひょっとしたら、どこかしらでボスを倒して転移しなければ、奥地には接近できない構造になっているのかもしれないし。

 もしダンジョン全体がそういう構造なのだとすれば、コンパスは道を示しているのではなく、各階層にあるボス、もしくはそれに守られている転移魔法陣を探知しているのかも。

 まぁ、検証できないことを考えても仕方ない。まずは折角見つけた妖精広場で休息をとってから、それからこの毒沼エリアの探索といこう。

「……よし、そろそろ行こうかな」

 一眠りして、それから解毒作用のある青花を入念に集めて、さらにややしばらくダラダラしてから、いよいよ毒沼探索に出発する決心がつく。レムなんかは入り口のところで門番みたいに直立不動で立っており、ヤル気満々だ。

 広場を出ると、薄らと霧がかかっていた。吸い込むと激しく咳き込む毒霧、ってこともないし、進行方向を見失うほど濃くもないから、そのまま行くことに。大丈夫だとは思うけど、毒沼の雰囲気をさらに怪しいものにしてくれる程度の演出効果はあった。

 いつもの如くおっかなびっくり散策していると、最初に見つけたのは毒沼に住む新モンスター、ではなかった。

「あっ、これマンドラゴラだ!」

 ちょっと久しぶりに発見した、秘薬の原料にもなるらしい人型植物である。コイツを使った薬のレシピなんて全く知らない僕にとっては、今のところマンドラゴラはレムの素材につぎ込む以外に使い道はない。薬を作るといっても、ただ混ぜればいいってもんでもないし。傷薬Aや解毒薬と見比べてみても、『直感薬学』は何の反応も示さないから、やはりマンドラゴラをこれらに加えたところで効果は得られないのだろう。

「で、どう?」

「ガガ?」

 とりあえず、とれたての新鮮なマンドラゴラをその場でレムに与えてみた。外観には、これといって変化は見られない。カマキリと蟻の複合鎧のまま。

「うーん、動きはちょっとよくなった、かも?」

 何となくの勘でだけど。でも、こうしてとり込めたということは、何かしらのプラス効果はあるということだ。どんな些細なモノでも、あるに越したことはない。

「お、コイツはムラサキノコじゃないか」

 次に発見したのは、ゴーマが持っていたのと同じ、紫色のキノコである。枯れ木の根元には、そこそこの確率でコレが生えているのを見つけることができた。

「アカキノコもあるし……アイツら、ここで採取したのか」

 ムラサキノコとアカキノコ、どちらも同じようにちょっと探せばすぐに見つかる程度には群生しているようだ。ここを拠点にする限り、キノコの補充には事欠かないが、今のところ有効な使い道がない。

 僕としては、鎧熊さえ殺せるアカキノコの毒性を生かした毒薬を作りたいところだけれど、良い方法はいまだに見つからない。経口摂取しなければ効果が得られないし。そもそも、触れるだけでダメージを与えるなら、すでに『腐り沼』とその派生である『赤髪括り』もあるし。

「うーん、レムみたいに何でも吸収できれば楽なんだけど――」

 横道のスキルイーターが羨ましい、何てしょうもないことを考えたその時、僕の目は妙なモノを見つけてしまった。

「なんだ、デカいムラサキノコ?」

 一言で表現するなら、そうとしか言いようがない。デカいキノコだ。具体的には、僕と同じ程度には背が高い。キノコってこんなにハッキリと大きくなるもんだっけ?

「クゥ、クェエエ……」

 ついでに、不気味な鳴き声とかも出したっけ?

「うおおっ、モンスターかよ!?」

 慌てて一歩後ずさると同時に、枯れ木に寄りかかっていたように、巨大ムラサキノコがのっそりと起き上がる。クエ、クエ、と鳥とも虫ともいえない甲高い呻き声のようなものを発しながら、ソイツは確かに、二本の足で立っていた。

 人型、というよりは、出来の悪いキノコのゆるキャラ着ぐるみみたいな姿だ。足は短いし、手なんだかヒレなんだかよく分からない形状。胴体のキノコ部分だけやけに太く大きい。

 名前をつけるなら、マタンゴ、といったところか。

 身じろぎする度に、頭部にあたる鮮やかな紫色のマイタケみたいな形状のヒダから、バッサバッサとヤバそうな粉が舞い散る。胞子だろう。アレを吸ったら泡を吹いてぶっ倒れるか、ハッピーな幻覚でも見てしまいそうだ。

「ええい、植物系モンスならどうせ火が弱点だろ!」

 ゲーム脳全開で、僕は迷いなくレッドナイフを抜き放ち、黒髪触手で振るう。

「ケッ、クェエエエエッ!」

 火を吹く刃を突き刺し、間髪入れずに左右へ薙ぎ払う。ゴアのような甲殻を持たない、柔らかい菌糸の体など、この鋭い上に炎を纏うレッドナイフの刃なら難なく切り裂ける。

 あっという間にマタンゴの体は炎に包まれ、轟々と巨大な焼きキノコと化す。

 毒と思しき胞子の外から、強力な火属性武器で一方的に攻撃できれば、楽に倒せる相手のようだ。

「うわっ、ちょっ、来るな! 燃える!」

 強いていえば、火達磨になってからもややしばらくもがき苦しんで動き回るから、接近されないよう注意が必要というくらいか。

「よ、良かった、大したモンスじゃなくて……」

 すっかり灰になったマタンゴの残骸を見ながら、ホっと一息つく。残念だが、何かしら回収できる素材はないみたい。

 しかしながら、やはりここには新たな魔物が出現するようだ。

 未知の魔物に対して警戒しつつ、さらに探索を進める。基本的には、変わり映えのない風景が続くだけ。点々と大小様々な毒沼があり、枯れ木とキノコとマンドラゴラが生えて、時折、フラフラしているマタンゴと出くわす。

 他にあったことといえば、美味しそうな蛇を一匹捕まえたことと、大カエルの湖で見た巨大ヒルに足を噛まれてパニクったことくらい。マタンゴは弱いし、群れることもないし、鈍感だ。毒さえ気を付ければ、スケルトンよりも弱い。

 思ったほど、この沼地は危険で満ちているわけではないのだろうか。いや、油断は禁物。本番はここから。そう、僕はこれから、ボスがいると思しき中心地を目指すのだ。

「うわ、何か地面も紫っぽくなってる」

 あからさまな変化が見える。泥の地面が毒の水だけを吸い込んだかのように紫色に染まっている。踏み込めばダメージ床みたいになるのかと思いきや、とりあえず大丈夫ではあるようだ。

「っつーか、何だここ、やけにマンドラゴラが多い」

 この紫の地面はよほどマンドラゴラの栽培に適しているのか、そこらじゅうに埋まっている。誰かが意図的に集めて、畑を作っているとしか思えないほどの密集具合だ。

 そんな毒々しいマンドラゴラ畑の先に、これまで見た中で一際に大きな毒沼が見えた。

 視界いっぱいに広がるパープルの水面は、三日月のような形状。その猛毒の水辺にグルリと囲われた中心地に、ソレは堂々と横たわっていた。

「間違いない、アイツがボスだ」

 デカいトカゲ、いや、あの妙に丸みを帯びた形状は、オオサンショウウオにそっくりだ。かの有名な天然記念物を生で見たことはないが、あの特徴的な姿は知っている。

 本物のオオサンショウウオと決定的に違う点は、オルトロスよりも大きな五メートル級の巨躯を誇ること、あと、色が不気味なほどに真っ白いことだ。

 元々そういう種なのか、アルビノなのか。赤い目は見えないけど……というか、目そのものがない。

 丸い頭部はどんなによく注視しても、目が見つからない。目をつぶっている、ということもなさそう。代わりにあるのは、ヤツメウナギの鰓孔みたいに、横一列に七つ並んだ穴だけ。

 何というか、非常に不気味な姿だ。

「シロサンショウウオ……いや、あえて言おう『バジリスク』と」

 あくびでもしたのか、クワアっ! と大きく口を開くと、そこからモヤモヤと濃い紫色の煙が立ち上る。何故か反応した『直感薬学』が教えてくれる。アレは、『腐り沼』を超えるほどの劇毒であると。

 アイツはまず間違いなく、猛毒のブレス攻撃を持っている。

「ぼ、僕一人でどうにかなる相手じゃなさそうだなぁ……」

 とりあえず試しに戦ってみる、なんて馬鹿な真似はしない。僕はこうして、遠巻きに太い枯れ木の幹から顔を覗かせて、寝そべるバジリスクを観察するので精一杯。

 これ以上接近して気づかれたらお終いだ。もしかしたら、奴は僕の存在にとっくに気づいているかもしれない。本当に目がない、つまり、視覚が存在しないのだとすれば、別な感覚器官で周囲を認識しているということ。

 例えば嗅覚が発達したタイプだったら、こうして姿を隠しているのは全くの無意味だし。

 ならば、奴が動きを見せない隙に、さっさと撤退すべきかと思うのだが……

「あれ、間違いなく転移魔法陣だ」

 僕は気付いてしまった。どっかりと寝転ぶバジリスクの体の下にある、石版みたいな床に円形の模様があることに。コンパスも、アレこそが目的地だぜと断言するように、ピタリとバジリスクの方向を示している。

 あれで転移できれば、先に進める。

 僕はこれまで、結構な距離を歩いてきた。ゴアの縄張りも突っ切って来た。それを、ここであっさり諦めて戻るのかと言われると……

「もう少し、観察してみよう」

 まずは情報収集だ。幸いにも、ここはオルトロスのボス部屋みたいに閉鎖空間ではない、自然のオープンフィールドだ。野生動物の決定的瞬間を追うカメラマンみたいに、遠くから奴の動きを観察することは十分に可能。

 バジリスクについて知り、その上で、打てる手はないかと考えよう。戦うか、引き返すか、決めるのはそれからでも遅くはない。

第74話 新生ハーレムパーティ

 青く輝く『光精霊ルクス・エレメンタル』の導きだけを頼りに、俺ははぐれてしまった桜達パーティメンバーを探してダンジョンを突き進んできた。不安と心配ばかりが先に立ち、一刻も早く合流しなければという強迫観念じみた焦りを抱きつつも――俺はついに、彼女達と再会を果たした。

 洞窟の縦穴で昆虫型魔物の大軍に襲われているところだったが、多少は使い方を覚えてきた『光の聖剣クロスカリバー』の力もあって、間一髪で救助に成功。ああ、良かった、本当に……心から、この勇者の力を授けてくれた女神様に感謝の祈りを捧げたい気分だった。

 みんなは無事で、俺は間に合った。ちゃんと、みんなを救うことができたんだ――けれど、それが大きな勘違いであると、すぐに思い知らされた。


「剣崎ぃ、明日那ぁああああああああああああああああああああああああああっ!」


 右手に受けた、狂戦士の拳の傷。その強さ、その重さ、今は桜の治癒で傷こそ治っていても、俺の右手には強烈な一撃の感覚が確かに刻み付けられている。これを受けた時の衝撃と、目が覚めるような痛みが、俺に彼女達の現実を教えてくれたんだ。

 委員長から、事情は聞いた。

 合流した桃川小太郎と双葉芽衣子。鎧熊に襲われ、危ないところを助けたという彼女達の行動は、素直に賞賛される。クラスでは決して目立つ方ではない二人の生徒、友達と呼べるほどの交流はない、けれど、こんな状況下だからこそ、協力して、助け合って……すでに犠牲者が出てしまった以上、全員で、とはもう言えないけれど、出来る限り多くのクラスメイトと共に、このダンジョンを脱出する。

 俺は、いや、桜も委員長も、みんなも、そう思って行動し、勇気をもって戦ってきたのだ。

 けれど、それがどれだけ難しいことなのか、過酷な現実をまざまざと見せつけられた気分だった。

 俺は桜のことは信じているし、委員長を信頼している。明日那の正義感も、小鳥遊さんの優しさも、夏川さんの明るさも、俺はみんなを信じていたし、信じられるだけの絆を結んできたと思っていた。

「俺が……俺がもっと早く、戻っていれば……」

 厳しい戦いの連続を強いる、極限のダンジョンサバイバル。それが、清く正しく美しい、彼女達のありようさえ歪ませてしまったのだと、俺は悔やまずにはいられない。

 桜と桃川の確執。明日那と双葉さんの決闘。

 集ったメンバーの中で、唯一の男子の桃川に、不審が募ってしまったのは仕方のないことかもしれない。双葉さんにとっては、命の恩人である桃川を非難されて、怒り狂うのも当然だろう。

 けれど、桜も明日那も、桃川を決定的に疑ってしまう事件というのも、確かにあったわけで。

 きっと、誰か一人が悪いワケではなかった。誰も悪くはなかった。そう、誰も悪くなかったはずなのに、軋轢は生じてしまったんだ。

 そして、一度走り始めた亀裂を修復できるほど、誰にも、心の余裕はなく――

「俺が、いれば……」

 その結果、取り返しがつかない悲劇が招かれ、俺はこうして、無様に頭を抱えて悔やむことしかできなかった。

 それでも、俺達に立ち止まることは許されない。

 桃川小太郎を転移の魔法陣から突き飛ばしてしまった明日那。怒り狂った双葉芽衣子。それを決死の説得で止めた委員長。

 集団としてやっていくには致命的なまでに亀裂の入った最悪の雰囲気だが、このダンジョンを進むには全員の力が必要だ。委員長のお蔭で、どうにか、双葉さんも俺達と行動を共にする意思を示してくれた。

 そうして、俺達は再びダンジョンを進み始めた。

 幸いにも、これまでと似たような石造りのエリアが続き、強力な魔物も現れなかった。通路でスケルトンの集団とかち合えば蹴散らし、森林ドームで赤犬の群れが襲って来れば返り討ち。

 すでに慣れた相手。危機感のない魔物との戦いは順調で、けれど、終始無言。必要最低限の言葉だけを交わし、あとは淡々と目の前の敵を処理していくだけ。

 双葉さんは驚くほど強かったし、精神的に不安定なはずの明日那も、魔物との戦いでは技の冴えに陰りはない。桜と委員長の援護は的確だし、夏川さんのフォローも完璧だ。戦えない小鳥遊さんだって、怖いのを頑張って堪えている。勿論、俺だって、もう誰も傷つく姿は見たくないという想いばかりが募って、自分でも抑えきれないほどのパワーで、魔物の群れを薙ぎ払う。

 ああ、ダメだ、気持ちばかりが先行して、俺は何もできてはいない。結果として、双葉さん一人を加える形となった、七人のパーティ。一致団結、と呼ぶには程遠い。

 今はまだいい。けれど、この先より過酷なエリアが続き、強力なボスが立ち塞がれば、こんな俺達が、果たして乗り越えていけるのだろうか――先行きの不安感が、さらに自分自身の無力を煽り、焦りばかりが膨れ上がっていく。

「悠斗君、随分と思い悩んでいるみたいね」

「あ、委員長……」

 あれから二つほど妖精広場を経て、三つ目となる広場で休息をとっている。

 ここはいよいよ石造りのエリアも終わりだと告げるように、出た先は久しぶりに見た空と大地が広がっていた。小高い岩山の頂上付近に、この妖精広場を含む建物があって、俺は真っ赤な夕焼け空と、地平線の向こうまで広がる深い密林という、雄大な大自然の景色をぼんやりと一人で眺めていたところだ。

「悩みはするさ……俺は、何もできてない。このままでいいとは思えないのに、どうすればいいか、分からないんだ」

「何かしたくても、どうにもできない時っていうのはあるものよ。今はみんな、落ち着くための時間が必要なの」

「けど」

「私は、少しずつだけど、良くなってきていると思うわ。良くなった、というより、持ち直してきた、といった感じだけれど」

「そ、そうなのか?」

「ええ……双葉さんのお陰でね。一番、私達を恨んでいるはずなのに、彼女は驚くほど協力的でいてくれる」

 確かに、双葉さんはもっとみんなに当たり散らしてもいいだけの恨みを抱えている。明日那が桃川を突き飛ばしたのは、擁護しようもないほどの重罪だけれど、結果的に俺達は何の罰も彼女に課してはいない。そんな場合ではない、明日那の力がこの先も必要になる、という理屈なんか抜きにしても、犯人である明日那を許せない気持ちは双葉さんにあって当然だ。

 それでも彼女は、そんな気持ちを全く出さないどころか、些細なことに文句一つをつけることなく、ここまで行動を共にしてきている。戦いでは明日那を上回る前衛役として大活躍だし、おまけに、広場での生活ではメンバー全員のために料理までしてくれている。

 彼女の作る蛇のかば焼きは絶品だ。今はエビ芋虫とやらが大量にとれたと、喜んで広場の中で調理中である。何故か、アシスタントに指名された夏川さんが、涙目になって手伝わされていたけど。

「正直、一番ホっとしているのは、私よ」

「委員長が一人で責任を負うことはないって」

「それなら、次は悠斗君も私と一緒に説得する側になりなさいよ」

「うっ……ごめん……」

 あの時は、事情説明される側だった俺は、ほぼ蚊帳の外だった。委員長の交渉を援護する余裕などとてもなく、とりあえず双葉さんが明日那に手を上げることを物理的に止めるくらいしかできなかった。

「次、なんてないことを祈った方がいいけれどね。もう一度怒らせてしまったら、もう、止められないわよ」

「仲間同士で殺し合うなんて、考えたくもないな……」

「けれど、もし桃川君が死んでいると分かってしまった時、どうするのか……覚悟を決めておいた方がいいわよ」

「っ!? 委員長、それは――」

「あくまで、もしもの話。最悪の場合を想定したってだけ。でも、そうなった時にどうするのか、悠斗君、よく考えておいて」

 言うべきことは言ったとばかりに、委員長は踵を返して、背中を向ける。

「あと、みんなの前で、そんな顔はしないでね。空元気でも、悠斗君が明るく振る舞ってくれれば、それだけみんなも希望が持てるんだから」

「……ああ、努力はするよ」

「あと、明日那のことは、しばらくお願いするわ。桜には私から、ちゃんとフォローはしておくから」

 最後にそう言い残した委員長の言葉が胸に刺さり、俺はもうしばらく、一人でここに残ることを選んだ。




「兄さん、ご飯ですよ」

 結局、桜が呼びに来るまで俺は一人で居続けてしまった。何も答えなどでない、堂々巡りの悩みを深めるばかりだったが――それでも、委員長の言う通り、せめてみんなの前では、いつも通りに元気でいよう。

 たとえ表向きだけでも雰囲気が良くなれば、気持ちの方も後からついてくるというものだ。暗い時に暗いままでいると、より気分が滅入るだけ。空元気にだって、意味はある。

「な、なぁ……本当にコレを食べるのか?」

 そんな俺の覚悟を嘲笑うかのように、ドーンとデカい芋虫の丸焼きが皿の上に用意されていた。コイツがエビ芋虫なのか。確かに湯気をあげて、白身に薄らと赤い横縞模様はエビに似ているが、外観は完全にカブトムシの幼虫である。

「凄く大きなエビ芋虫ね、美味しそう」

「まだあの水辺に沢山いたから、後でまたとってくるよ」

 委員長と双葉さんが笑顔で会話しながら、箸で丸々と太った芋虫の姿焼きをつついている。

「見て見て! 小鳥の魔法でついに、醤油とマヨネーズが完成だよ!」

「複製魔法は凄いですね。本当に全く同じモノができるなんて」

 ついこの間、小鳥遊さんが新たに習得したという『小型複製陣』によって、彼女の弁当箱とセットで眠っていた小さな醤油とマヨネーズをコピーして増やしたらしい。

 『複製陣』は何でもコピーできる夢の複製魔法を使えるようになる……のだが、『小型複製陣』ではごく小さなモノしか複製することはできなかった。また、モノによっては発動の魔力の他に、何かしらの素材が要求されることもあるらしい。

 凄い能力なのは確かだけれど、今すぐ戦闘で役立つような使い道は思いつかなかったが、なるほど、調味料を増やすとは冴えている。醤油もマヨネーズも、恐らくはこの異世界で手に入れることはできないだろうから。

 小鳥遊さんはニコニコ笑顔で芋虫めがけてドバドバとマヨネーズをかけ、桜はそっと醤油を垂らしていた。やはりこの二人にも、エビ芋虫を食べることへの躊躇は微塵も感じない。

「うん、美味い。やっぱり、調味料があると味が全然違うな」

 挙句の果てに、最も気遣わねばならないはずの明日那さえ、穏やかな微笑みと共に芋虫に齧りついていた。

「……みんな、何で平気なんだ」

 あまりに平然と芋虫を食べている女性陣に、俺だけがついていけてない。勿論、みんなが昆虫も平気で食べられるゲテモノ喰いなんてことはなく、桜も人並みには虫が苦手だったし、小鳥遊さんなんかはちょっと大きな虫が現れただけで悲鳴を上げて逃げ回るようなレベルだったはず。

 そして俺は、素手でゴキブリの相手ができるほどには虫相手にも怯まないし、爺さんとの山籠もりの経験もあって、蛇とか普通じゃ食べないようなモノもある程度はイケる。そこらの男子よりは、サバイバルに強いという多少なりとも自負はあったのだが……

「蒼真くぅーん、なんでエビ芋虫食べてないのー」

「うわっ、夏川さん!?」

 戦々恐々と女性陣の和やかな食事風景を眺めるばかりで硬直していた俺に、やけに恨みがましいジト目の夏川さんが、盗賊特有の気配殺しで急速接近されていた。

「こ、これから食べようと思ってたところなんだ」

「ふぅーん」

「っていうか、なんでそんなに睨んでるのさ?」

「だって、私があんなに苦労して剥いたエビ芋虫食べたくないのかなーって」

「そんなことないって、ありがたくいただくよ」

 そして視線を下ろすと、そこにはやはり、巨大なカブトムシの幼虫としか思えない姿が。

 い、いかん、意識してしまうと、箸が止まってしまう。

「蒼真くーん」

「食べるよ! 今、食べるから!」

 だから、もう少し心の準備というものを……

「みんなー、蒼真君がエビ芋虫食べるのに抵抗あるみたいだから、ちょっと協力して欲しいなー」

「えっ!?」

 俺の硬直に業を煮やしたのか、煮えるのが早すぎる気もするけど、突如として夏川さんがそんな余計なお世話ってレベルじゃない協力を呼び掛けてしまった。

「ああ、そういえば、エビ芋虫食べるのって、悠斗君は初めてだったかしら」

「確かに、見た目は大きな芋虫のようですが、味はほとんどエビですので安心してください、兄さん」

「ちょっ、委員長、桜、何で俺の腕を抑えてんの?」

 訳知り顔で語りながら、俺の右腕を桜、左腕を委員長が、ガッシリと捕らえてくる。何故ここで腕を抑える、離してくれ、一人でちゃんと食べられる!

「蒼真くん、エビ芋虫美味しいよ! マヨネーズかけるともっと美味しいよ!」

「クルミ以外の貴重な食事だ、食える時にしっかりと食っておけ」

「食べるから! 食べるから抑えるのはやめて!」

 さらに小鳥遊さんと明日那が、エビ芋虫を強くオススメしながら、俺の肩を掴んで抑え込みに入る。

「はい、最初はシンプルに塩で食べて欲しいかな」

「それじゃあ蒼真君、いくよ、あーん!」

 穏やかな微笑みと共に双葉さんが差し出した丸々とした芋虫焼きを、夏川さんが邪悪な笑顔で箸で掴んで俺へと差し出す。湯気の上がる熱々の丸焼きは匂いこそ食欲をそそるが、太った白身がプルプル揺れているのを見ると、ああ、コイツ、芋虫なんだなぁと、強く実感してしまう。

 あ、やっぱりダメだコレ。コイツにかぶりつく勇気が出ない。俺、勇者なのに。

「ま、待ってくれ、まだ心の準備が!」

「にはは、私の苦しみを味わうがいい、あぁーんっ!」

「心の準備がっ――あぁああああーっ!?」

第75話 バジリスク観察記

 バジリスク攻略を目指し、僕はその準備と観察を始めることにした。

「まぁ、こんなもんかなぁ」

 僕が最初に作成したのは、身を隠すための装備。いわゆる一つのギリースーツである。

 ベースはゴーマを倒して奪った衣服を、黒髪縛りで適当に繋ぎ合わせたボロ布のマント。ジャブジャブと毒沼に浸すと、あっという間に紫色に染まって、いい感じだ。後は適当に雑草とキノコを黒髪で括りつけて、完成。

 まぁ、バジリスクは視覚に頼らない魔物っぽいから、ギリースーツとか全く無意味かもしれないけれど、一応、念のために。もしかしたら何かしらの隠蔽効果があるのかもしれないし、これを作ったお蔭で『黒髪縛り』を縫い糸として活用するという新たな使い道も発見できた。糸くらいの細さだと、影や体から分離しても結構な時間、そのまま保持できる。

 これも練習次第では、より太く長い触手でも、切り離した状態を維持し続けることができそうだ。

 それと『黒髪縛り』の使い道についてはもう一つ、今回初めて、木に登るのに使用してみた。すでに僕の触手は当初の貧弱な性能から大きな成長を遂げ、暴れるゴアを抑えつけるくらいのパワーを持つ。そりゃあ、体重50キロにも満たない僕の体を、吊るして支えられないはずもない。

 もっとも、調子に乗ってターザンロープみたいにビュンビュン木から木へとスタイリッシュに飛び映る機動なんて、とてもじゃないけど無理だけど。とりあえずは、高い木に登って、周囲を見渡す時にしか使わない。

 ギリースーツ製作と木登りの練習だけで、ほぼ一日費やしてしまった。

 さて、そんなこんなで毒沼地のボス、バジリスクの観察を始めたワケだ。

 まず、僕がこうして観察結果を語れているという時点で、観察そのものは成功しているこということ。バジリスクは全く付近をウロウロしている僕に対して注意を向けることはない。無視しているのか、それとも本当に気づいてないのか。まだ、それを確認してみるのは怖いから、遠巻きに見ているだけに留めている。

 ひとまず、一日観察して分かったことは三つ。

 一つ目。バジリスクの主食はマンドラゴラ。

 昼前になると、奴は塒からのっそり体を起こして、ノロノロと三日月毒沼の周囲にあるマンドラゴラ畑へと出てくる。前脚についた短いけれど太い爪でザクザク地面を掘って、マンドラゴラを食べる。ボリボリ食べる。そんなに美味しいのか、と僕も釣られて食べたくなってしまうほど、豪快な食べっぷりだった。

 それにしても、こんな勢いで食べてたら、あっという間にマンドラゴラ畑は全滅じゃないのかと思うが……翌日、昨日食べて更地になった場所に、早くも点々と生え始めているのを見て、僕は理解した。どうやらここは、異常なほどマンドラゴラの生育に適した特殊な環境なのだと。もしかしたら、ボスモンスターであるバジリスクを養うために、ダンジョンそのものに設定された何らかの魔法設備なのかもしれない。

 とりあえず、ボスが飢えて弱まるのを待つ戦術は無理そうだ。

 二つ目。主食はマンドラゴラだけど、他の魔物も食う。

 これは、ゴロゴロしているバジリシクを観察していて、僕もウトウト眠くなってきた時のことだった。

 マタンゴを追って、ゴーマの群れが現れたのだ。この時、ギリースーツを着ていて良かったと心底思った。奴らがキノコを獲りに来るってことは、普通にこのエリアは徘徊ルートの一部ということ。僕を見つければ、喜び勇んで襲い掛かってくることだろう。

 視覚的にも隠れ潜んでいる体勢だった僕には全く気付かずに、ゴーマ御一行様は相変わらずギャーギャーやかましく声をたてながら、マタンゴを追いかけ回していた。

 やはりマタンゴがまき散らす胞子には毒があるのか、ゴーマは近づこうとはせず、石や松明を投げたり、弓を撃ったりして、遠距離攻撃のみに徹していた。そのせいか、大して素早くもないマタンゴを仕留めるのに苦労している模様。だから、奴らはウッカリ、バジリスクの縄張りである三日月毒沼までやってきてしまったのだ。

 マンドラゴラ畑の辺りに奴らが足を踏み入れるなり、バジリスクは動き出す。大きな体で動きは緩慢、だが、驚くほど静かに奴は動く。水音一つ立てずに毒沼に入ると、ワニのようにスイスイ進み、そして――

「ボォアアアアア!」

 水辺で顔を出し、騒いでいるゴーマ達へ猛毒ブレスを噴く。グワっと開かれた大口から、あくびの際に漏れるものよりさらに濃密な、黒に近い紫色の煙が嵐のように噴き付けられる。

 毒煙に撒かれたゴーマは、皆すぐに苦しみ出し、口から大量の血を吐いてぶっ倒れる。黒い肌は瞬間的に沸騰したかのようにブスブスと泡立ち、真っ赤に爛れて、溶け落ちた。

 ゴーマの食人とはまた違った意味で、背筋が凍る凄惨な死に様である。

 けれど、そこそこ人死を見てきた僕には、無残な死に方に呆然とすることなく、細かいところまで観察できるだけの冷静さが残されていた。

「……服は溶けないのか」

 ゴーマの死体は二目とみられない、まぁ、元からキモい外見だけど、それでも明らかにヤバい肉塊と化しているのだが、身に纏う服や武器はそっくりそのまま残っている。僕の『腐り沼』なら、こうはいかない。ということは、無機物には作用しない、腐食性や強い酸性を持つモノではないということ。身体機能にのみ異常をきたす類の毒物、あるいは生物を殺すことに特化した猛毒の魔法そのものなのかもしれない。

 それにしても、恐ろしく強力な毒性だ。ゴーマは一呼吸置くくらいで即座にぶっ倒れたし、おまけに、よく見たらマタンゴも苦しみもがいて死んでいる。こっちは吐き出す血はない代わりに、シオシオに枯れるといった死に様だけれど。

「あんなの、当たったら即死だよ」

 呼吸だけでなく、皮膚に触れるだけでもヤバいだろう。何だか、昔見たハリウッド映画でテロリストが使う毒ガスみたいな超絶性能だ。VXガス、だっけ。

 そんな超強力な猛毒ブレスで仕留めた獲物を、沼から上がったバジリスクは残さず喰らった。

 三つ目は、生活サイクル。

 ここは曲がりなりにもダンジョンの中だから昼夜の区別はなく常に一定の明るさが保たれている。けれど、僕が左手にはめている平野君の遺品である時計のお蔭で、正確な時刻を把握することが可能。時間を基準に、バジリスクの生活サイクルを確認できるというわけだ。

 主食のマンドラゴラは午前中に食べる。一回だけだ。けど、魔物が現れたら、眠っていなければ捕食しに動く。もっとも、今のところ確認できたのは、ゴーマのマタンゴ狩りと、あとはマタンゴが単体で毒沼をウロウロ歩いていた時に食べられたのを目撃した、二回だけ。

 夜は睡眠時間のようだ。ちょうど日暮れから日の出あたりの時刻までは、ジっと動かずに寝転がっている。昼間の時は同じように寝そべってはいるが、よくゴロゴロ動いたり、頭をもたげてキョロキョロしたりしているので、起きているのは間違いない。夜はその動作が全く見られないから、眠っているとみていいだろう。

 と、以上の情報を、僕は三日かけて得ることができた。ニートのようにほとんど寝床から動かないバジリスクを観察し続けるのは退屈この上ないが、睡眠確認のための徹夜観察も含め、僕はやり遂げた。

 より正確な生態を把握するには、もっと長期間の観察を擁するのだろうけど、あいにくとそんな時間はない。一応、これでバジリスクのおおよその行動は掴むことができた。

 さて、その上で持ち上がってくる問題点がある。

「うん、やっぱり火力が足りない」

 バジリスクを殺すに足る攻撃手段の不足だ。

 堂々と夜は寝込んでいることから、寝こみを襲うことはできそう。けれど、一度目覚めれば、もう真正面から戦ってどうこうなる相手じゃない。ブレスを一発撃たれればお終いだし、寝返りを打った拍子に下敷きになっても僕は死ぬ。

 あんな巨大な生物を一撃で葬り去るとなれば、ダイナマイトでも用意しなければ難しい。無論、そんなノーベル賞モノの素晴らしい火力など、僕は持ち合わせてはいない。せめてメイちゃんがいれば、脳天を一撃で叩き割ってくれそうな気がするけど、今となってはない物ねだりもいいところである。

「寝こみの一撃必殺がダメなら……うーん、罠にかける、とか」

 気分はさながら、マンモス狩りに挑む原始人である。真っ向から立ち向かえばあっけなく踏みつぶされてしまう巨大な相手でも、罠にかけて動きを封じ、その隙に総攻撃をしかけ、ついには打ち倒す。歴史の資料集の最初に紹介される、マンモスを落とし穴にかけて、みんなで槍を投げつけているイラストみたいなイメージだ。

「ダメだな、あんな大勢いないし、そもそも、どうやって落とし穴を掘るんだよ」

 使える人員は僕一人。レムを含めても二人。たった二人で、ゴーマから奪った槍をポイポイ投げつけても、バジリスクはいつまでたっても殺せないだろう。

 落とし穴を用意するのも現実的ではない。人間の手は大穴を掘れるだけの機能性はないし、シャベルを持っていても、5メートル級の体躯を誇るバジリスクを落とす穴を掘り切れるとは思えない。

 たとえ、気合と根性で巨大な落とし穴ができたとしよう。そして、まんまとバジリスクが落ちたとしよう。けれど、アイツの体を見るに、どうにも垂直の穴くらいなら、よじ登って来そうな気がする。壁を這うイモリのように。

「何もかも足りない。そもそも、僕にあるものって……」

 やはり、呪術しかない。大した特技もなく、屈強な肉体も、天才的な頭脳も持たない、平々凡々なオタク高校生の文芸部員の僕にある、特別な力はルインヒルデ様から授かった呪術しかないのだ。

 ならば、もっと、もっと呪術を活用できるよう考えて、努力するしかない。

「うーん、しばらく実験が必要だな」




 というワケで、僕の新たな可能性を模索するために、呪術の実験をすることに。この際、試せることは何でも試そう。

「よし、まずは『泥人形』だな」

「ガガ?」

 いや、レムお前じゃない。

 今回は二体目にチャレンジしようと思っている。そういえば、オルトロスがいるエリアで実験した時は、初の魔力切れを経験して、中途半端なまま終わってしまっていた。これまでの感覚からいって、普通に二体目も行けそうな気がするけれど、とりあえず限界点は探っておきたい。

 マンティス装備のレムには及ばなくても、槍を持って振り回せるパワーのある奴を作ることができれば、貴重な戦力となるだろう。

「とりあえず、材料はこんなもんで」

 まずは基本となる泥は、この毒沼エリアで現地調達。骨格は信頼と実績のスケルトンで、他には目ぼしい魔物の素材は入手できなかった。あとは、ここで採れるマンドラゴラを一株。

 ひとまず、素材としては十分だろう。

「いざ――」

 呪印から血を垂らし、呪文をフル詠唱。果たして、その結果は……

「――ハっ!?」

 ふと、目が覚める。開いた眼に飛び込んでくるのは、今やすっかり見慣れた妖精広場の白い天井。

「もしかして僕、気絶してた?」

「ガッ」

 枕元に立つようなポジションにいたレムが、大きく頷く。うん、やっぱり、もしかしなくても倒れていた。

 原因は明確。魔力切れである。

「ちぇっ、ダメだったかぁ」

 今の僕ならイケると思ったんだけど、どうやら自分で思っているほど成長していないということか。ちょっと期待していただけに、この情けない体たらくに我がことながらガッカリというか何というか。

「ガ、ガッ」

「なんだよレム、慰めなんていらないよ」

 空気を読んだのか、レムが僕の肩をポンポンとしてくる。慣れない気遣いなんてしなくていい、と思ったところで、気づいた。

 レムがもう一体いる。

 いや、今のレムは緑のカマキリ仕様だ。二体目の方は、ちょっと懐かしい小柄な黒いスケルトンの姿をしていた。

「や、やった! 成功だっ!」

 ぶっ倒れるほどの魔力を消費した甲斐もあってか、見事、二体目の『汚濁の泥人形』爆誕である。

「よーし、お前の名前は――」

 張り切ってネーミングを考え始めると、すぐに気づいた。いや、気づいたというか、最初から知っていたというか、何というか。いつもの、呪術に対する謎の理解力が働いた。

「――もしかして、コイツもレムなのか?」

「ガガ」

 レムも二体目も、同時に頷いた。コンビネーションばっちり、ではなく、単純に二体ともレムが一人で操っているのだ。

 そもそもレムを一個の人格としてみるのは違うかもしれないけど、肉体を操る頭脳、いわばAIの機能があるというのは間違いない。だから、僕はてっきり二体目を作れば、自動的に新たなAIがその体を操って動くのだと思い込んでいた。

 けれど、どうやら二体目の体もレムが動かしているようだ。一つの意思で二つの体を動かす、というのは人間の僕には全くピンと来ない感覚だけれど、呪術で生まれたレムなら出来て当たり前のことなのかもしれない。

「えーと、どんな感じ? ちゃんと動ける?」

「ガガーッ!」

 任せろ、と言わんばかりにレムは自分と二体目とで、素振りを始める。レム本体はカマキリブレードを振るい、二体目のスケルトン型はそのままボクシングのシャドーみたいに素早く拳を繰り出す。あっ、今キックもした。

「なるほど、どっちも制御できてるんだね」

「ガ!」

 何の不足もありません、と強くアピールしているように感じるのは、僕の気のせいだろうか。

 ともかく、性能の方は申し分なさそうだ。別にレムが一人で二つの体を操っても、どっちもちゃんと動けるのなら問題はない。どうやら右手と左手を同時に動かすくらいには、難しいことではなさそうだった。

 しかしこれは、連携という以前に、二人とも自分という究極のコンビネーションで行動できるということではないだろうか。

「これでさらにレムの性能が上がれば……」

 何体もの泥人形全てが、レムという一つの意思で統率された、完璧なチームワークを実現するだろう。おお、僕の最強サーヴァント軍団も、夢じゃないかも!?

「よーし、何だか希望が見えてきたぞ」

 とりあえず、二体目の方は二号と呼ぼう。

第76話 六芒星の描き方

 幸先の良いスタートだ。ひとまずは魔力の回復を待つついでに、その時はレムと二号の両方を連れて日課となりつつあるバジリスクの観察に出向く。

 今日も三日月毒沼の真ん中でゴロゴロしているバジリスクを、僕もゴロゴロしながら眺める。でも、気分は野生動物の決定的シャッターチャンスを待つカメラマンみたい。

 今日は馬鹿なゴーマがやってくることも、マタンゴがフラっと近づいてくることもなく、バジリスクはマンドラゴラを食べた以外には何の動きも見せずに就寝した。

 けれど、僕は一つの収穫を得た。

「うん、やっぱこれ、バジリスクの皮だ」

 奴が食事をしたマンドラゴラ畑で見つけたのは、白い皮の破片。大きさは三十センチ四方といったところか。コレは決して、僕が無謀にもバジリスクに攻撃を仕掛けた結果、剥がれ落ちたモノではない。

「アイツも脱皮して、成長するんだな」

 自然と剥がれ落ちただけのこと。その出自は不明だが、バジリシクは食事も睡眠も排泄もするしで、魔物という立派な生物だ。成長もするだろうし、そうでなくても、単純に代謝の一環で古い皮膚が剥がれていくだけなのかもしれない。

 ちなみに、畑に落っこちたコイツを回収してきたのは二号である。

「うーん、素材として利用するには……イマイチか」

 この程度のサイズでは、レムに取り込ませても大した効果は出そうもない。せいぜい、体のワンポイントを白皮で覆ってオシャレできるとか。今はファッションにこだわっていられるほど、余裕はない。

「あっ、そうか、コレで試せばいいんだ」

 ピコーン、と電球のアイコンが頭上で点灯したかのように、閃いた。日中、バジリスクと一緒に寝転がっていたお蔭で、魔力もそこそこに回復している。寝る前に多少の呪術は使えそうだ。

「――『腐り沼』」

 血を一滴だけ垂らして、水たまりサイズの小さな毒沼を作り上げる。そこへ、ナイフで切り取ったバリシスクの皮の破片を投入。すると……

「ダメか……いや、溶けてる、ちゃんと溶けてるぞ!」

 僕がこの実験で知りたかったのは、バジリスクに『腐り沼』が通用するかどうか、という点である。

 ゲーム的に考えるなら、猛毒ブレスという技を持つバジリスクは、自分自身も非常に毒に対して高い耐性を持つと予想される。炎を吐くドラゴンに火を放つように、バジリスクに毒の攻撃は効果がないと思われた。

 けれど、奴の巨体を仕留められる可能性があるのは、いまだ僕にとって最大の攻撃法である『腐り沼』だ。もし、これが多少なりとも通用するというのなら、勝機の目も出てくるというものだ。

「これは、イケるんじゃないのか、もしかして」

 毒沼に入れて数秒、何の変化も見せなかったバジリスク皮だったが、そのまま浸し続けると、ブクブクと小さな泡をたてて、徐々に、けれど、確実に溶け始めた。反応を見るに、カマキリの甲殻よりも酸耐性はありそうだが、それでも、完全ではない。これで鎧熊の装甲並みに溶けなかったら、僕はバジリスク討伐をすっぱりと諦められたかもしれない。

 ともかく、これでバジリスクに『腐り沼』が効く可能性は高くなった。まさか、皮を溶かした先の筋肉で防がれる、なんてことはないと思いたい。

「となると、問題はどうやってデカい『腐り沼』を作るか、だな」

 僕が普通に戦闘で使う『腐り沼』は、最大でも四メートルかそこらといったサイズ。それなりに耐性がある上に、五メートル級のバジリスクを仕留めようと思うなら、少なくとも体全体が余裕で収まるくらいの広さは欲しい。十メートルくらいの面積に、深さも奴をドップリ沈められるくらいはないとダメだろう。

 問題となるのは、まず、魔力。次に展開速度。果たして、僕の血液は足りるのか。

 やってやれないことはなさそうだけれど、バジリスクを沼に落とせばそれで即死というワケではない。その後、かなりの長時間にわたって、奴を沼の中に縛り付けておく必要がある。

 つまり、かなり本気で『黒髪縛り』で拘束し続けないといけない。そして、ソレをするにも結構な魔力を消費するだろう。

 巨大な『腐り沼』を張り、バジリシクが息絶えるまで拘束し続ける、巨大な縄となる『黒髪縛り』。今の僕の保有魔力では……かなり心もとない。

「何かで魔力を補うか、それとも、呪術の魔力消費を抑える方法とか……」

 さて、どうするべきか。うんうんと頭を悩ませながら、僕は就寝した。

 その翌日、僕は一つの決意を固めて、第二の呪術実験に挑むことにした。

「呪術といえば、やっぱり生贄だよね!」

 名付けて『お願いルインヒルデ様、生贄儀式で超強化呪術をぶっ放そう作戦』である。

 実のところ、この生贄というのが本当に呪術に対して有効なのかどうなのか、僕には全く分からない。けれど、分からないからこそ、やるのだ。それに、この異世界の魔法はイメージで結果が左右されることがある。ということは、ソレっぽいことをするだけでも、何かしらの効果を得られる可能性は十分にあるということだ。

 一応、レムの『汚濁の泥人形』では魔物素材を取り込めることから、呪術には様々なモノを材料として取り込む余地があるのではないかと僕は考えている。だから、その呪術に見合った生贄、もとい素材を用意すれば、上手く取り込んでくれるんじゃないかと、まぁ、そんな感じである。

「それじゃあ早速、材料の調達に行こうとしようか、レム」

「ガガガ!」

 いつになくヤル気を見せるレムと二号を従えて、僕は毒沼エリアから引き返し、再び遺跡ダンジョンへと潜った。

「――やっぱり、一人増えるだけで安定感が違うよね。よくやったレム、戦果は上々だよ」

「ガガッ!」

 というワケで、獲ってきました材料の数々。本日の戦果をご紹介しましょう。


『ゴーマの死体』:殺したばかりの新鮮なゴーマの死体。触手で首を絞めて殺したので、出血はなく死体は綺麗な状態。レムと二号に一体ずつ運ばせたので、二体ある。


『マタンゴの死体』:毒沼エリアの妖精広場近くをウロウロしてたのをゲット。触手ナイフの遠距離攻撃コンボに、毒無効なレムと二号がいれば、楽に狩れる。僕にとっては、最も相性のいい相手だろう。


『魔物の鮮血』:ゴーマや赤犬など、生きた魔物から採取した血液。ゴーマの持ち物には、水や酒を入れている皮袋やヒョウタンなどがあるので、ソレに入れている。合わせて二リットルくらいはありそう。


『コアの破片』:コアとも呼べない、小さな結晶の欠片。雑魚モンスからでも、たまにこれくらいのモノは採取できる。レムが摘出してくれました。


 どれも死体なので、生贄というと違うけれど、まぁ、呪術の素材に使えそうな、血生臭いモノを揃えた。

「まずは血だけで試してみるか」

 簡単に集められる素材から使って実験していく。魔力の結晶であるコアは、たとえ破片でも貴重だし、ほぼ確実に効果が期待できるので、こっちは本番まで使わない方針で。

 ゴーマの血を満たした器を、ドバドバと地面にぶちまけてから、血を一滴だけ垂らして『腐り沼』を発動させる。

「多少は大きくなってるけど……劇的な効果はない、か」

 血一滴分の沼のサイズは、昨日バジリスクの脱皮皮を溶かした際に確認済み。それと比較すれば、一回り大きな沼となっているのが分かる。

「でも、ちゃんと効果が出てるってだけで十分だ」

 何となれば、大量の鮮血を集めればいい。僕とレムと二号とで分担して持てば、かなりの量でも運べるし。

「よし、どんどん行こう」

 それ以降は、各素材を順番に試していく。その後は総当たりで組み合わせ。

 魔法陣以外で久しぶりにノートを使ったよ。ペンを握るのさえ懐かしく感じる。僕は集められた素材を一覧表にして、総当たりの効果を記録していく。それが埋まれば、今度は、三種類、四種類、とパターンを増やしていく。

 素材は無限ではないし、現地で使うモノは少ないに越したことはない。最も効果的な素材を割り出し、無駄を省く。

 この作業だけで、さらに三日を擁した。実験だけでなく、血と魔力を回復する休息時間に、新たな素材調達の時間もかかる。

「結構、溜まって来たなぁ……そろそろ整理した方がいいかも」

 ゴーマを中心に魔物を狩り続けた結果、拠点にしている毒沼エリアの妖精広場は色々な鹵獲品で雑然としている。流石に死体などの生モノは外に置いてるけど、ゴーマを狩ればその分、奴らの装備や持ち物を奪える。今は奴らが着こむ汚らしいボロキレさえも何かに使えないかと思い、余さず剥ぎ取っている。そして裸の死体は、呪術の実験材料として。

 でも、その甲斐あってか実験も順調だし、細々とした道具なんかも揃い、新たな発見などもあった。

「やっぱり、間違いない……これは、魔法陣だ」

 魔法陣。それは、天職を授かる儀式と、行き先を示すコンパス、イマイチ使えないメール情報などなど、すでに立派な魔法装置として存在していることを僕は知っている。

 今回、発見したのは、呪術にも魔法陣の法則らしきものがある、ということだ。

「素材の配置によって、効果がちょっと違ってくる」

 そう、たったそれだけのことで、目に見えて『腐り沼』の広さと深さは変化するのだ。

「基本は円」

 ノートにある最初の魔法陣も円形だ。きっと、魔法でも呪術でも、魔法陣は円形なのが基本なのだろう。少なくとも、三角や四角よりは確かな効果が出ることが実験によって証明済みだ。

 円は血で描く。できるだけ正確な方が良い。

 真円を描くのは簡単だ。中心点に槍を突き刺し、そこから描きたい半径だけ触手のロープを伸ばして、その先にもう一本、槍を括り付ける。これで、地面を削りながらグルっと一周すれば、綺麗な円が描ける。

 この下書きを元にして、器から血をドボドボすれば、第一段階の鮮血の円陣は出来上がる。

「素材の配置は、六芒星」

 円の中に六芒星を描き、円の接点となる六ヶ所の位置に各素材を配置するのだ。内円に接する正確な六芒星の描き方を思い出すのに、ちょっと悩んでしまったのは内緒だよ。

 まず、適当な円上に槍をぶっ刺す。A点。次に、円を描く時に決めた中点にも槍を刺しておく。中点Oだ。このAとOを結んだ先に交わる円上の交点がB点。これで、ABは円の直径になる。

 AB点を割り出すことができれば、次はA点を中心にして、この円と同じ半径で円弧を描く。当たり前だけど、Aの槍を刺しっぱなしにして、触手で結んだ中点Oに刺した槍の方を動かして描けば、ピッタリの半径で円弧を描ける。で、この描いた円弧と、円の線上で交わる点を、それぞれC点、D点とする。A点を真上として見れば、それぞれ左右にCとDがあることになる。同様にB点を中心にして円弧を描き、それぞれE点、F点を求める。

 これで、AEFを結ぶ正三角形とBCDを結ぶ正三角形を描けば、見事、全ての辺が等しい綺麗な等辺六芒星の完成である。

 この六芒星も円と同じく血で描けば、基礎となる魔法陣は完成する。

 ここから、最後に呪術らしい要素を加えるために、すでに僕の手に刻まれた『呪印』である、目のようなデザインの印をフリーハンドで書いておく。

 あとは、六芒星の六つの頂点に素材を配置していくだけ。

 使う素材は上から時計回りに、『スケルトンの髑髏』、『マンドラゴラ』、『赤犬の鮮血』、『ゾンビの生首』、『ゴーマの酒』、『ムラサキノコ』、である。中心にはマタンゴとゴーマの死体を積み重ねて、中点を示す槍で串刺しにして貼り付けておく。

「完成だ」

 これが、数々の血生臭い実験の果てに僕が割り出した、今使えるモノで最大限の効果を発揮する『腐り沼』の魔法陣である。それにしても、如何にも魔法陣の基本形っぽい六芒星に効果があるとは、地球の呪いもあながち的外れではなかったのか。それとも、術者自身にイメージが沁みついた結果、効果が上昇している個人に依存するものなのか。どちらにせよ、血も魔力も消費せずに、大きな効果を発揮する魔法陣の発見は大きい。

 この魔法陣を『六芒星の眼』と名付けた。

 とりあえず、六芒星は僕のオリジナルでも何でもないので、そのまま名付けておかないと。本家はリスペクトしないと、パクりになるし。

 僕のオリジナル要素は、ルインヒルデ様の呪印である目玉マークだけだしね。

「イケる……これなら、バジリスクを落とせる」

 ようやく勝機が見えた。

 やろう。バジリスクを倒そう。僕はついに、一人でボスに挑む覚悟を固めた。

 それから、さらに二日ほどかけてバジリシク討伐に向けての本格的な準備を始めた。まぁ、やることはダンジョンでゴーマを中心に狩りつつ、装備や素材を集めるという何とも変わり映えの無いものだが。

 でも、僕の心には静かな緊張感がくすぶる。鎧熊のような遭遇戦でもなく、メイちゃんという仲間に頼ることもなく、この最弱天職『呪術師』の僕が自分の意思で強大な敵に戦いを挑もうというのだ。命を賭けた戦いに自ら臨む、なんてことは初めて。緊張しないはずがない。

「いいか、レム、作戦を説明するぞ」

「ガガ」

 素直に頷くレムに向かって、全ての準備を完了させた僕は確認の意味も込めて、あえて口に出して説明する。

「まずは、二号がゴーマを背負ってバジリシクをおびき出す」

 ゴーマなどの魔物が畑付近に近づけば、それだけでバジリスクは積極的に捕食しようと動く。長きにわたる観察結果で、間違いない。

 けれど、より確実性を得るために、ゴーマの死体ではなく生きた奴を使う。すでに妖精広場の外には、二号を見張りに立てた上で、縄で縛りあげたゴーマが用意してある。今の僕らなら、ゴーマ一体を生け捕りにするくらいはできる。

「あらかじめ用意した『六芒星の眼』まで誘い込む。もし、途中で二号が食われれば、その時点で作戦中止、すぐに撤退する」

 一つでも上手くいかなければ、どこかで必ず無理が生じる。それに、この時点ならまだまだやり直しがきく。相手は魔物だ、こちらの罠を一度や二度で気づけるほどの知能はない、と思いたい。

「バジリスクが陣まで来たら、『腐り沼』を発動させて落とす」

 戦いは、ここからが本番だ。

「すぐに、僕が『黒髪縛り』で奴の動きを封じる。縛る箇所は頭のみ」

 ブレスを一発でも撃たれれば、そこで終了。バジリスクの口を塞いでおくのは、最優先。

「体全てを縛るほどの余裕はない。だから、体の方はレムと二号で攻撃して、少しでもいいからダメージを与える」

 出血を強いれば、それだけ消耗も早い。最悪、毒沼を脱しても瀕死の重傷を負っていれば、そのまま追撃して討ち果たすことだってできる。

「かなり暴れるだろう。あの巨体に当たれば無事じゃ済まないから、遠距離攻撃に徹する」

 そのための装備も用意した。


『レッドナイフの槍』:ゴーマの槍にレッドナイフを括り付けたもの。バジリスクの巨体を刺すなら、リーチは長い方が安全だろう。


『松明の油』:ゴーマが松明を燃やすのに使う油。可能な限り収集し、全部で二リットルほどある。


「二号は油をかける役。レムはレッドナイフで刺しつつ、着火。奴を火達磨にしてやる」

 バジリスクの巨体をチンケな刃でチクチクと刺してもさして効果はないだろう。現状で大ダメージを与えられそうなのは、この油を利用して火を点けるより他はない。

「燃やすのは下半身だ。頭の方まで火が回ったら僕の触手も焼き切れるから、注意して」

「ガガ」

 実際、何処まで上手く拘束しつつ燃やせるかは、実際にやらないと分からない。けど、心がけてはいて欲しい。

「油が尽きたら、あとはもうひたすら刺して。槍も斧もナイフも、できるだけ集めた。全部、バジリスクにくれてやれ」

「ガガっ!」

 勇ましくレムが頷く。刺さったり切れたりしそうな、刃のついたゴーマ製武器は全てつぎ込む。

「あとは、僕がどこまで奴を抑えていられるかが勝負だ」

 最大の不安点である。僕が触手でバジリスクを抑え込むことができなければ、全ての作戦は瓦解する。責任重大。どうせソロなのだから、責任は全て僕のものなのは当たり前だけど。

 不安はある。恐ろしくて仕方がない。それでも、挑まなければ先には進めない。

「それじゃあ、行こう――」

第77話 バジリスク討伐

 妖精広場と三日月沼まで、僕とレムと二号で荷物を運んで三往復ほど。

「はぁ……はぁ……ごめん、ちょっと休憩」

 勇んで出発したはいいけど、荷物運びだけで思いの外に体力を消耗してしまった。一旦、小休止を経て、現場での準備にとりかかる。

 焦ることはない。どうせバジリスクは今日も明日も明後日も、塒でゴロゴロしているだけ。獲物は逃げない。こっちの好きなタイミングで仕掛けられる、というのはボス戦の唯一のメリットだろう。

「よし……よし、上手く書けた」

 会心の『六芒星の陣』を書き上げる。実験で何度も書いてきたせいか、地面にガリガリ書くのがちょっと上手くなった気がする。

 この魔法陣を刻むのは、悩んだ末に、マンドラゴラ畑の端っこにした。これ以上踏み込めば、餌が来たと感づいてバジリスクが動き出すのでは、というギリギリのラインを攻める。ビビってあんまり遠くに書いたら、縄張りの外だからもういいや、と思って追いかけてこないかもしれないし。

 さて、これでいよいよ準備は整った。覚悟を決めて、作戦開始と行こう。

「それじゃあ、頼んだぞ、レム」

「ガガっ!」

「グギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」

 バジリスクをおびき出す餌役のゴーマをナイフで刺す。即死しないよう、けれどそれなりに出血はするよう、とりあえず脇腹をサクっとやった。けたたましい絶叫を上げるが、手足どころか全身グルグル巻きにされているので、ロクに身じろぎすることもできない。

 こうして血の臭いと叫び声がした方が、バジリスクも喰いつきやすいだろうという配慮である。ついでに、万が一ゴーマが自由を得ても、瀕死の重傷なら何の問題もない。

 そうして、ゴーマは僕の期待通りに素晴らしい苦悶の声を叫びながら、二号に背負われバジリスクの塒目指して進んで行くのであった。

「レムはそこで伏せてて」

「ガっ」

 僕もレムもお手製毒沼仕様ギリースーツを被って、釣りの結果を待つ。

 周辺はこれといった遮蔽物もなく、見通しは非常に良い。堂々とマンドラゴラ畑を進んでゆく二号と、塒でのんびりしているバジリスクの姿が遠目に見える。

「……気づいた」

 畑も半ばまで進んだ辺りで、のっそりとバジリスクは体を起こした。反応するタイミングも、大体、これまで襲ってきた時と同じ感じ。特別に警戒している様子は見られない。

「そこでいい、引き返して」

 バジリシクが動き出すのを待っている必要はない。奴が本気で追いかけてきたら、大して足が速いわけでもない二号はすぐに追いつかれてしまう。まして、ゴーマという荷物も背負っているのだ。

 魔法陣トラップまで誘導するには、スタート距離で合わせるしかない。

「よし、いいぞ、ここだ……来い!」

 さもゴーマがバジリスクの存在に今気づきました、みたいなイメージで引き返し始めた二号。それを、バジリスクがノロノロと塒から抜け出て追いかけはじめる。

 よし、釣れた!

「来い、来い……」

 走る二号。追うバジリスク。奴の動きはお世辞にも機敏とは言えないけれど、妙に静かな足取りで、着実に二号との距離をつめていく。

 これは、どうだ、届くか。いや、離れすぎてるか、いやいや、こんなもんか。どうなんだ。

「――来たっ!」

 ごちゃごちゃ考える暇もなく、気が付けば、バジリシクは所定の位置の一歩手前までやって来た。

「ガ!」

 レムが気合いを入れたような声、というか音を出した瞬間、二号はホームベースに帰還する高校球児のような勢いでダイブ。滑り込んだちょうどその位置は、ピタリと魔法陣の真上。

 素材は全て配置済み。中央の供物としては、すでにマタンゴのちょっとしなびた死骸が横たわっている。

 そこに、二号が担いだゴーマを背負い投げで叩きつけるように降ろす。これで、最後の生贄も揃った。

 二号は地面を這うゴキブリのように素早くその場を離脱。次の瞬間――

「ボォオアアアアア!」

 大口を開けたバジリスクが、転がったゴーマに向かって飛びかかっていた。

 今だ。

「朽ち果てる、穢れし赤の水底へ――『腐り沼』っ!」

 変化は劇的にして、一瞬。魔法陣と供物は瞬時に血色の毒沼へと変わり、弾けたように一気に広がる。

 そうだ、もっと広く、もっと深く。猛毒の魔物を酸の水底に沈めるほどに。

「ブボッ、バァアアアアア!」

 バジリシクの体が、半分ほど沈んだ。耳をつんざく象のような鳴き声が上がると共に、僕にとっては聞きなれた、ジュウウ、という溶解音が届く。

 よし、効いてる。やっぱり、奴の皮膚だけで『腐り沼』の酸を防ぎきれないんだ。前脚と後足、そして腹の方までどっぷりと浸かっている。それなり以上に、痛みを感じているだろう。少なくとも僕は、バジリスクがここまで大きく吠えているのを聞いたことはない。

「そのまま腐り殺してやるっ――」

 僕の手に握るのは、敵を刺し殺す刃ではなく、供物。右手には雑魚モンスからちょっとずつ集めたコアの欠片。左手には、ちょっと久しぶりに活用するパワーシード。

 それぞれを毒沼目がけて放り投げた。

「――『黒髪縛り』!」

 そうして毒沼から現れたのは、これまでにないほど太く長い、漆黒の触手。

 魔法陣、ひいては供物の恩恵を得られるのは、何も『腐り沼』だけではない。『黒髪縛り』でもモノによってはちゃんと適応される。手持ちの乏しい素材では、僅かにパワーが上がるパワーシードと、魔力によって純粋に強化されるコアの二つしか選択肢はなかったけれど。

 でも、ないよりはずっとマシ。完全な力勝負となる『黒髪縛り』の拘束にこそ、なけなしのコアを使うに相応しい。

 伸びる極太触手は全部で四本。バジリスクの頭に素早く絡みつき、ブヨブヨの表皮にきつく食い込む。恐ろしい猛毒ブレスを吐き出す大口は、これで完全に閉じられている。

 ワニは口を閉じる力は物凄いけど、開く方はそうでもない、というのを聞いたことがある。コイツも同じような顎の構造であることを切に願いながら、僕はバジリスクの頭を縛り付けるのに、全ての魔力と集中力とを費やした。

「ぐっ、あ、ヤバっ、これ……うぅううううううう!」

 バジリスクは今にも戒めを振り解きそう。分かってはいたけれど、とんでもないパワー、抵抗力を感じる。一瞬でも気を緩めれば、黒髪がバラバラに解けてしまいそうだ。

 だから僕は集中のあまり、暴れるバジリスクの鼻の先で、両手を前に突き出した格好のままピクリとも動けずに固まっている。傍から見れば、とんだ間抜けなパントマイマーだよ。

 でも、少しでも安全な位置に移動とか、僕も武器で攻撃とか、そんな余裕はマジでまったくない。もし、拘束を解かれたら、その時点でバジリスクは沼を脱するために直進し、その気がなくても巨体で以て僕を轢き殺すだろう。

 なんてこった。予定では、もうちょっと安全に立ち回れるはずだったのに。

「ゴッ! ウゴゴゴゴ!」

 閉じられた口から、大きな呻き声が漏れ出す。レムが攻撃に転じたのだ。

 背中の方から、モクモクと黒い煙が登るのが見える。どうやら、上手く火を点けることに成功したようだ。

 バジリスクも文字通りに尻に火がついた状況となり、必死に呻きながら暴れ回る。野太い脚が毒沼の水面を叩き、首から下の体は大きく左右に揺れ動く。

「くそっ……まだ、まだなのかよ……早く、死んでくれぇ……」

 思ったよりも『腐り沼』のダメージが弱い。いや、単純に僕の体感時間が長いだけで、素晴らしいほどの大ダメージがちゃんとバジリスクには通っているのかもしれない。

 でも、現実として僕の方はもう限界で、バジリスクはまだまだ元気いっぱいにケツを振っているしで、進退窮まりつつある。

 もう油も使い果たしたか、レムと二号は手当たり次第に持ち込んできた武器を投げつけている。刺さったり、弾かれたり。あまり効果があるようには見えない。

 決定打に欠ける。ダメだ、ヤバい。もうヤバい。死ぬ。助けてメイちゃん。

「う、ぐぅうううう……」

 いいや、それでも僕は絶対に言わないぞ。まだ力が残っているのに、できることがあるのに、全てを諦めて、ただ助けを祈ることなんて。


「助けて、兄さん」


 そうつぶやいた蒼真桜の姿が、目に焼き付いて離れない。

 あの時は、本当に助かった。兄が、勇者が、蒼真悠斗が、救世主として現れた。なるほど、これなら信じる。信じ切って、甘えてしまってもおかしくない。

 でも、僕は信じない。人の助けを信じられない。

 他人を信用していないワケじゃあない。メイちゃんはきっと、今でも僕を探してダンジョンを進んでいるだろう。

 信じられないのは、つまるところ、運だ。僕は幸運の星の元に生まれているとは思っていない。でも、特別に不運ってこともない。誰かの助けが入ったことで命拾いしたのは、このダンジョンに来てからもう何度もあるし、呪術師の僕が生き残っている時点でかなりの幸運だ。

 けれど、絶望的な相手を前にした時、絶体絶命のピンチになった時。そんな時、助けを求めれば必ず誰かが助けてくれる。そんな100%の確信なんて、得られない。

 当たり前だろう。人間にはできることとできないことがある。現実はどこまでも現実。ヒーローはいない。いたとしても、常に現れるとは限らない。大抵の場合、現れないし、間に合わないものだ。

 そんな当然のことを、蒼真桜は忘れているように、いや、全く知りもしないかのように思えてならないのだ。彼女は心の底から信じている。兄、蒼真悠斗を。

 つまりアイツは、自分は絶対に救われる人間だ、と信じているということだ。

 僕にはとても、そんな馬鹿にはなりきれない。

「ぐ、あ、あぁあああああああああああああああ!」

 だから、僕は諦めない。最後の最後まで、あがいてみせる。

「ガガーっ!」

 その時、暴れるバジリスクの背に、レムが飛び乗っていくのが見えた。

 武器投げ攻撃がイマイチだから、業を煮やして直接攻撃に打って出たのか。いや、でも、そんな命令は、僕は出していない。

 まさか、レムが『自分で考えて』やったというのだろうか。

「ガ! ガっ!」

 左手に握ったレッドナイフを背に突き刺して支えとし、右腕のカマキリブレードを何度も叩きつけている。

 やめろ、危ない、振り落とされたらお終いだぞ。

「ガガァアアアアアアアっ!」

 僕の心配などよそに、レムは刺して、切って、大暴れ。

 何度も体勢を崩しては落ちそうになるけれど、その度に踏ん張り、刃を繰り出し、バジリスクに縋りつく。

「――オォオオオ、ボォオオ」

 そうして、ついにバジリスクの抵抗が弱まり始めた。

「や、やった……」

 まだ動いてはいる。触手の拘束も緩めたりはしない。けれど、確かにバジリスクの力が弱くなっているのを感じる。

 イケる。勝てる。大丈夫、僕の魔力も集中力も、限界近いけど何とかなりそう。このまま大人しく沈ませていれば、あとはそのまま『腐り沼』が殺し切ってくれる。

「は、はははっ……よくやった、レム!」

 油断はしてなかった。手も緩めてはいなかった。

 だからそれは、単純にバジリスクが僕の想像を上回っていただけのこと。

「ブォオオオオオオオオオオっ!」

 それは一瞬にして、僕の視界を紫一色に染め上げた。

「えっ」

 何だコレ。ブレス? ブレスなのか。バジリスクの猛毒ブレス。

 何で、どうして。口はまだ、しっかりと閉じているはずなのに。

「あ、あっ……」

 そうか、あの顔についたヤツメウナギみたいな鰓孔。そこから噴き出したんだ。一瞬、だけど、僕は確かに見ていた。あの気色の悪い穴から、ジェット噴射でもするかのように、凄まじい勢いで毒々しい紫煙が吐き出されたのを。

 ち、ちくしょう、そこからも出せるなんて、聞いてないぞコノヤロウ……

 そんなケチをつける反面、僕はどうしようもなく理解してしまう。

 ああ、僕、死んだのか。

第78話 器

「――ハッ!?」

 目が覚めた。まだ暗いお蔭で、目には優しい。

「我が信徒、桃川小太郎」

 ヌっと、恐ろしい髑髏フェイスが目の前に現れた。

「うわぁあああああああっ!?」

 すわ、スケルトンの襲来かと慌てて飛び起きるが、この髑髏は見覚えのある髑髏だ。顔見知りというか、味方というか、信仰すべき神様というか。

「あっ、あ、あの……ルインヒルデ様、僕はやっぱり……その、死んだんでしょうか」

 ここはいつもの神様空間だ。

 目覚めて、寝起きに悪いルインヒルデ様のお顔が気付け代わりとなって、僕ははっきりと記憶を思い出す。

 バジリスクをあと一歩で仕留められるというところまで追いつめたというのに、鰓孔からぶっ放されたブレスに直撃したこと。不幸中の幸いだったのは、全く苦しみもがくことなく逝けたことだろうか。ゴーマは凄まじい絶叫をあげて転げまわっていたから、てっきり地獄の責め苦を味わうと思ってたんだけど。

「よい、そなたは二つの真理に辿り着いた。褒めて遣わす」

「えっ、はぁ、ありがとう、ございます……」

 すみません、今はいつもの意味深な話よりも、早いとこ僕の生死と処遇について教えて欲しいのですが。でも、何か珍しく褒められてるみたいだし、これはちょっと期待してもいいんでしょうかね。

「一つ、そなたの描きし異界の星は、魔法陣とも呼べぬ代物だが、そこに『理』を宿したことも、また事実」

「えっと、『六芒星の眼』のことですか?」

 然り、と鷹揚に髑髏が頷く。六芒星は地球の概念だから、ルインヒルデ様から見ると異界の星という扱いになるのか。

「授けるは今しばらく先になるかと思うたが、予期せぬこともまた一興――受け取るが良い、桃川小太郎」

 ルインヒルデ様が骨の手をかざすと、僕の足元が毒沼のようにボコボコと沸き立ち、真っ黒い泥の塊みたいのが現れる。

「あのー、これは一体」

「混沌の器。無限の可能性と聞かば、人は希望を思うが、所詮はかようなモノに過ぎぬ。善し悪しもない」

「ははぁ、使い方次第ということでしょうか」

 適当な相槌を打ちながら、僕はこの正直貰っても嬉しくない『混沌の器』なるものを観察する。うん、まずは見るだけ。いやだって、こんなドロドロした真っ黒いもん素手で触りたくないよ。

 でもまぁ、確かに鍋のような深みのある丸い器の形状に見えなくもない。

 その鍋底は奈落に続いているかのように真っ黒、それでいて、全てが満たされているかのようにグルグルと混沌が渦を巻く。

 何とも呪術らしいエフェクトだけど、うーん、すでに見覚えが。

「これは……泥人形と同じ」

「使い方にさしたる相違はない。この釜より、そなたの思うがまま、呪いを振り撒くがよい」

 ふむ、小鳥遊小鳥の『錬成陣』みたいに、素材を投入すると色々できるということなのか。やはり、クリエイト系の新呪術みたいだ。

「ありがとうございます」

 できれば、バジリシスクを即死させられるくらいの強力呪術が欲しいです、とは口が裂けても言えない。

 いやしかし、そんなことより……この話の流れだと、僕、生きてるってことになってる?

「二つ、泥人形に魂が宿った」

「あっ、やっぱり、レムには自我が!」

 こっちの話はすぐにピンときたから、思わず乗ってしまう。

「随分と可愛がっておるようだ」

「そりゃあ、可愛いですから」

 見た目はスケルトンベースだけど、僕の言うことは素直に聞くし、何だかんだで活躍してくれている。愛着が湧くには十分すぎる理由だ。

「ふむ、人形遣いの心得をそなたに説く必要はなさそうだ。心のままに、泥人形を扱うがよい」

 珍しく、分かりやすいお話だった。僕は一も二もなく、素直に「はい」と頷いた。

「行け、桃川小太郎。そなたはすでに、可能性の門を開いておる――」




「……ああ、本当に、生きているって素晴らしい」

 しみじみと、僕はそうつぶやく。生きるか死ぬかの戦いを潜り抜けた後は、いつもそう思うけれど、今回はアレだ、初めての鎧熊戦以来の達成感だ。

「やった、バジリスクを倒したんだ」

 僕の目の前には、巨大なトカゲ型の白い骨格が転がっている。すでに『腐り沼』は跡形もなく消えていて、ただの湿った土の地面へと戻っている。けれど、この大きな骨の残骸が、バジリスクの亡骸に違いなかった。

「あー、良かった、コアもちゃんと残ってる」

 あばら骨の下にあった、真っ赤に輝くコアはすぐに見つけられる。どうやら『腐り沼』は、僕が気絶した後も残り続け、そのままバジリシクの全身を溶かし切ったようだ。魔力の結晶であるコアは酸で溶けないということなのか、それとも『腐り沼』が空気を読んでくれたのかは知らないけれど、ともかく、最も大事な部位が残っていて本当に助かった。コレがなければ、苦労してバジリシクを倒した意味がないからね。

「あっ、そうだ、レムも、よくやってくれた」

「ガガ!」

 相変わらず僕の傍らで、直立不動で待機状態を維持していたレムは、どこか嬉しそうに首を縦に振って応えた。ついでに、隣に立たせている二号の首も連動していた。

「あそこでバジリスクに飛びかかってなかったら、多分、抑えきれなかったよ。ありがとね」

 思わず頭をなでなで。ただでさえ髑髏のうえに昆虫系装甲を纏ったレムの頭は、触り心地がいいとか悪いとかいう以前に、下手に触れば指を切りそうなくらい刺々しい……でも、撫でてやりたくなるだけの圧倒的感謝である。

 きっと、鰓孔からブレスをぶっ放したのは、バジリスクとしても普通なら絶対にやらないような無茶な攻撃手段だったのだろう。レムの乗り攻撃によって、拘束と沼から脱するだけの体力がないと悟ったからこそ。イタチの最後っ屁、みたいなものか。

「それにしても、何であのブレスが直撃しても無事でいられたんだろ」

 とりあえず、体のどこにも以上は感じられない。事前の観察結果で分かっていたことだけど、学ランをはじめ僕の装備品にも、やはり痛んでいるなどの影響もない。

「うーん、ルインヒルデ様がサービスしてくれたんだろうか……」

 何て、適当な解答を思い浮かべていると、それを否定するように一つのイメージが急激に脳裏を過った。


『蠱毒の器』:百毒に耐える混沌の臓腑。呪を以て毒を征さば、致死と苦痛の理を得ん。


「え、なに、臓腑ってことは……勝手に変な内蔵ができてるってこと!?」

 それ禁忌の人体改造じゃないですか、ルインヒルデ様ぁーっ! と、叫びたい気持ちを抑え込みつつ、僕は自分の体をペタペタ触って確かめる。

 当たり前だけど、体の中にあるモノの存在など、外から触って分かるはずない。少なくとも、心臓のようにドックンドックンと脈動している怪しい部位は感じられない。

 けれど、ルインヒルデ様が見せてくれたアレみたいに、混沌渦巻く怪しい器官が僕の体のどこかに存在するということなのだろう。

「いや、待て、落ち着け、減るならともかく、増えているなら大丈夫だろう」

 別に腎臓が一個摘出された代わりに、ぶち込みました、ということでもなさそうだし。コイツの存在を精一杯好意的に解釈するならば、毒無効化のパッシブスキル、といったところだ。

「バジリシクのブレスもきかないなら、かなりの毒耐性があるってことになるな」

 しかしながら、アカキノコでも食って本当に耐えられるかどうか、試してみる勇気はない。

 うーん、相変わらず不親切なフレーバーテキストオンリーのせいで、効果がイマイチ分からない。でもまぁ、コレのお蔭で助かったというのなら、もうそれだけで十分だろう。今後、もしまた毒攻撃を喰らうような時がくれば、『蠱毒の器』が無効化してくれるかもしれない。

「でも、蠱毒といえば、毒虫をバトルロイヤルさせて生き残った一匹が最強の毒として使われる、みたいな呪術だけど……」

 いやいや、こっちこそ試すワケにはいかないだろう。『蠱毒の器』に毒虫を投入するってことは、僕が口から丸飲みするってことになってしまう。そんなのはマジで御免、虫喰うくらいだったら、アカキノコの方がまだマシだよ。

 でも実際、上手くいけば取り込んだ毒を使えそうな雰囲気の漂う文章だから、無効化だけでなく、何かしらの効果があるとみて間違いないだろう。

「ダメだ、やっぱりこの呪術は効果の検証ができないな」

 やはり、ここは毒耐性のパッシブスキルをゲットできたということで、大人しく満足しよう。いや別に、残念とか思ってないですよ、ルインヒルデ様。『蠱毒の器』があっても今すぐ僕の火力向上にはクソの役にも立たないという厳然たる事実を、僕はありのままに認める次第でございます。

「つ、次に期待しよう」

 という僕の不敬にイラっときたかのように、さらなるイメージが湧き出る。


『魔女の釜』:魔女の持つ釜は、ただ煮炊きするものに非ず。魔法と呪いと薬毒とを生み出す混沌の器。


「えっ、もしかして呪術二つ授かってる?」

 いや、もしかしなくても、授かってるだろう、コレは。

 説明文を見るに、なるほど、こちらの方がイメージに近い。恐らく、この呪術を使うと、ルインヒルデ様が見せた『混沌の器』みたいなモノが現れて、ソレを釜として使えるのだろう。

 もし本当に『錬成陣』並みの性能があるならば、戦力の拡充に大いに役立ってくれる。何せ今の僕には、ゴーマや赤犬などの雑魚モンス程度なら、ほぼ確実に仕留められるだけの力がある。最低限の素材集めは十分に可能ということ。モノさえあれば、後は作るのみ。

「これを使えば、より効果の高い傷薬が作れそうだ。いや、毒薬も作ったり……あ、毒薬があるなら、毒付き武器とかも作れるようになるかも」

 夢は広がる一方だが、今すぐ試すのは止めておこう。小鳥遊小鳥は『錬成陣』で武器を作ったりすると、それなりに魔力を消費していた。

 現在の僕のコンディションとしては、神様空間に導かれて一眠りできた結果として、普通に立って歩くくらいは問題ないけど、呪術を行使するにはかなり不安な魔力量しか回復できていない。

「さっさと転移して、妖精広場で休息だな」

 ボスを倒して消耗しているところを襲われては堪ったものではない。僕はそそくさと、持てるだけのバジリスクの骨を拾い集め、速やかに撤収準備にとりかかる。

 最近の拠点と化していたこのエリアの妖精広場には、持ち込み切れなかった武器などが多少残ってはいるけれど、わざわざ取りに行くほど価値あるものはない。使える武器はバジリスク戦で全て消費し尽くしてしまった。

 まぁ、レムがしっかりレッドナイフだけは無事に持ち続けてくれただけで万々歳だ。腐り沼に落っことしていたら、貴重な魔法の武器を失うところだった。

「それじゃあ、行こう――」

 僕とレムと二号は、堂々とバジリシクの腹の下に敷かれ続けていた転移魔法陣に立つ。

 コアを持って魔法陣の上に立てば、あとは自動的に転移が発動する。今度こそ、僕を後ろから突き飛ばすような不届き者はいない。

「――んっ」

 真っ白い光に包まれて、僕は無事に転移を果たした。

「ああ、良かった、ちゃんと妖精広場に来てる」

 目を開ければ、すでにして実家のような安心感のある妖精広場の平和な風景が広がっている。やはり、転移先は必ず妖精広場に出るように設定されているんだろう。大カエルの時も、オルトロスの時もそうだったし。

「あぁー、疲れた!」

 何よりもまず、休息。僕は腕一杯に抱えたバジリシクの大きな骨をその辺に放り投げては、すぐに柔らかな芝生のベッドに身を投げ出す。

 瞼を閉じれば、すぐにでも睡魔がやってきて、僕を安寧なる眠りの世界へと誘ってくれ――

「――おいおい、マジかよ、桃川、テメーまだ生きてたのか」

 その声が耳に届いた瞬間、僕の眠気は全て吹き飛び、文字通りに、飛び起きていた。

「スゲーな、あのクソ天職で、よくここまで来れたよお前」

 目に映る、その人を舐めた薄ら笑い。茶髪とピアスと、お手本のようなチャラいファッション。けれど、その軽薄な見た目の内には、確かな悪意が秘められていることを、僕はすでに知っている。

「よう、久しぶりだな、桃川。感動の再会ってヤツ?」

 忘れもしない、この異世界に来て最初にして最大の屈辱をくれやがった怨敵の名を、僕は苦々しく口にした。

「樋口、恭弥……」

第79話 樋口恭弥(1)

「……ちっ、『盗賊』とか、舐めやがって」

 思わず、悪態をつく。恥ずかしながら、ちょっと期待していた。何かスゲー能力が当たるんじゃねーのかと。

「やっぱ、中学の頃にやりすぎたからか」

 万引きの最盛期だったからな。盗める物は何でも盗んだ。別に欲しくもないのに盗ってたし。あの頃は、盗むこと、そのものが目的であって、遊びだった。

 まぁ、馬鹿な奴は調子に乗りすぎてお叱りを受けるわけだが、俺は違う。中坊ながらも、「あっ、そろそろヤベーな」と思った。勘みたいなもんだ。

 俺が手を引いて一ヶ月ほどしてから、万引き仲間の一人がカードショップからバカ高い値段の超絶レアカードを盗ろうとして御用となり、そこから芋づる式に仲間が炙り出されて一網打尽にされた。たった一ヶ月ではあるが、すでに万引きを止め、盗った品物も手元に一切残さず捌き切った後だったから、俺を告発するには弱い状況だったろう。けど、万引きしてました、ってことは流石にバレたから、ちょっと親に叱られたが。


「まぁ、お前ぐらいの歳のガキは、みんなヤンチャするもんだ、ガハハ!」


 そんなことを散々ぶん殴ってから言う親父だった。この親にして、この子あり。その言葉の意味を、俺は中学生ながら理解したもんだ。

 そんな経験もあったから、俺の天職が『盗賊』になったのも、すぐに納得したっつーか、諦めたっつーか。

 で、不思議なことに、自分が『盗賊』であることを認めたら、急に頭の中に思い浮かんだ。


『スロウダガー』:ナイフ投げは盗賊の基本だぜ。


『サーチ・ハイセンス』:一番大事なのは勘だ。お宝を探す勘、ヤバイのに気づく勘。お前は結構、良い勘してるぜ。


『アンロック』:鍵を開けるのは盗賊のお仕事ってね。とにかく数こなせ、日々精進。まっ、たまには勘で開くこともあるがな。


 なるほど、コレがスキルってヤツか。

 しかし、この頭の軽そうな説明文はなんなんだよ。神様が言ってんのか。やっぱ盗賊の神になるだけあって、ロクな奴じゃなさそうだ。

 しかし、魔物との戦いに役立ちそうなのは『スロウダガー』だけか。それも、ナイフがなけりゃ使い物にならない。

 まぁ、一本だけなら、持ってるんだけどな。護身用ってヤツだ。一昔前に流行ったバタフライナイフを、俺は中学の頃からの癖で、高校生になった今でも持ち歩いている。実際、コイツのお陰で黒高ヤンキーどもに絡まれた時も、切り抜けることができたワケだ。

 ナイフを使うコツは、刺すんじゃなくて、相手の手先をちょっとだけ切ること。流石に人殺しはヤバい。使い慣れれば、ナイフは脅しのための道具としては最高だ。空手だ、柔道だ、ボクシングだ、と粋がるヤローも、刃物の前には無力。手の甲でもサクっと切ってやれば、ビビって手を出せなくなる。

「けど、ここじゃあ殺しができねぇと、ダメってことか――っとっ!?」

 唐突に脳裡に駆け抜ける危険信号。ゾクリと背筋が震える。

 いきなり、何だってンだよ、クソ。

 思うが、ソレが『サーチ・ハイセンス』が教えてくれる勘であると、すぐに気づく。俺がいる、石造りの何もない部屋。そこの扉から外を覗くと、ソイツがいた。

「おいおいおい、マジかよ、アレが魔物ってやつか。マジモノのバケモンじゃねぇかよ」

 チビの人型だが、人間ではない。ゴキブリみてぇな汚らしい黒い肌と、気持ちの悪ぃ魚面。手には錆びた剣を持っている。

 フゴフゴと鼻息荒く、薄暗い通路をウロウロしていた。

 あっ、ヤベぇ、こっち来るぞ、アイツ。

「……やるしかねぇか」

 覚悟は、すぐに決まる。落ち着け、ヤツは一人だ。周囲に仲間がいても、今は一人だ。殺るなら、今しかねぇ。

 ブルリと一度、身震いする。けれど、それだけで震えはすぐに収まった。握ったバタフライナイフは、今まで以上に、手に馴染む感覚がする。

「死ねよ、バケモンが」

 そうして、俺、樋口恭弥のダンジョン探索が始まった。




「――げっ、樋口」

「おいおい、助けてやったってのに、随分な挨拶じゃねーかよ」

 ゴーマとかいう気持ち悪ぃチビどもを相手に、そこそこ『盗賊』の戦いに慣れた俺は、ある時、女の子の悲鳴を聞いて、すぐに駆けつけた。

 すでに『疾駆』とかいう足が速くなるスキルを習得していたから、マジで素早く駆けつけられた。飛び込んだ先は、森になってるドーム。そこで、一人の女子がゴーマの群れに囲まれていた。

 その女子は小柄で、ショートヘアの黒髪。まさか、有希子か。そう思って、速攻で助けに入った。これで横道みたいな奴だったら、勿論見殺しにする。

 そして、いざ助けてみれば、別人だったとさ。

「何よ、アンタだって、長江さんだと思ったんでしょ」

「ああ? 別に」

「付き合ってるって噂、マジだったんだ」

「うるせーな、どうでもいいだろ」

 根掘り葉掘り聞きたそうにしているコイツは、密かに付き合っている俺の彼女『長江有希子』と背格好がよく似た、篠原恵美しのはら えみという女子だ。あくまで、似ているのは髪型と体型だけで、顔は全然違う。有希子は地味だが整った可愛い顔してるけど、この女は中の下といったところ。有希子が75点なら、篠原は45点。ついでに、ダサい黒縁眼鏡をかけてることを加味すれば、さらにマイナス5点といったところか。

 俺と篠原は、これといってクラス内で絡みはない。コイツは女子の中でもオタクグループ、みたいな派閥に属している。けど、その中のトップだから、目立つことは目立つ。

 確かに、こうして俺に対して平然とタメ口きいてくるあたり、度胸はある。まぁ、自分は女だから殴られない、とか馬鹿みたいに信じ込んでる勘違い女だけなのかもしれないが。

「おい、篠原一人かよ?」

「こっちが聞きたいわよ。ねぇ、蒼真君とか天道君とか、いないの?」

 テメーコノヤロウ、助けてもらった矢先に別の男の話かよ。

 まぁ、いいけどな。篠原は蒼真と天道のホモカップルを妄想して楽しんでいる、腐ったタイプの奴らしい。

「お前、天職は?」

「『水魔術士』だけど」

「何ソレ、使えんの?」

「使えるわよ!」

「ゴーマにヤラれそうになってたじゃねーか」

「い、いきなり出てきたんだから、しょうがないでしょ!」

 何がしょうがねぇんだよ。殺し合いにズルいもクソもねーだろが。頭数を揃えて、奇襲を仕掛けたゴーマが正しい。

「はぁ……最初に会ったのが樋口なんて、最悪」

「おい、聞こえてんぞ」

「早く行くわよ。またゾロゾロ出てきたらどうすんの」

「ついて来る前提かよ」

「当たり前でしょ、しっかり女子を守りなさいよね、男子」

 うるせぇ、今の世の中は男女平等だぜ。テメーの身はテメーで守りやがれ。

 そうは思いつつも、結局、何となく流れで、俺は篠原と二人でダンジョンを進むことになった。




「……何か、誰もいないわね」

「まだそんな進んでねーだろ」

「結構進んでるわよ! 何なのよ、何で誰とも会えないのよ……」

 篠原と合流してから、まぁ、確かに色々とイベントはあった。ゴーマをはじめ、他の魔物とも何度か戦ったし、いよいよ俺の盗賊スキルの本領発揮とばかりに、宝箱を見つけたりもした。

 中身はポーションとやらで、魔法の力で傷を癒す凄い薬らしい。胡散臭いが、魔法陣の情報で説明されていたから、まぁ、間違いはないのだろう。

 学園生活とは程遠い、リアルRPGみてーな濃密な時間を過ごしたが、実のところ、まだ大して日にちは経ってない。

「おい、いいから黙って進めよ」

 このダンジョンに来てから、日数はまだ二日くらい。進んだ距離は二キロか三キロか、そんなもんだ。これも盗賊の勘なのか、俺にはおおよその時間と距離の感覚が分かる。さらに言えば、このダンジョンって場所が、まだまだ奥深くまで続くとんでもなく巨大だってことも。

 クラスの連中がバラバラに飛ばされたってんなら、そう簡単に出会えないのは当然だ。

「うるさい! ああ、もう、何で私がこんな奴と二人きりに……」

 しっかし、俺にとって問題なのは、篠原のヒスがスゲームカつくところだ。このクソ女、黙ってきいてりゃグチグチと文句ばっか垂れやがって。戦闘でもビビって大した役にたたねーくせに。

 こういう状況だから、正気を保てずイカれちまうのも分かるけどよ、いい加減、こっちにも限度ってもんがある。そろそろ、一発ぶん殴って立場ってもんを分からせてやらないといけねぇか……

「くそっ、落ち着け……そういうのは、まずいんだっての」

 分かってる、こんな状況だからこそ、キレてやらかすのはまずい。

 天職の力を持っているのは、俺だけじゃない。クラス全員、何かしらの能力を授かっていると考えるべきだろう。能力次第じゃあ、か弱い女子でも俺を楽に殺せるスゲー魔法の力を持っていたって、おかしくない。クラス全員、平等に凶器を持っているということだ。

 このままダンジョンを進み続ければ、遠からず誰かしらと合流できるだろう。その時に、恨みをかっていれば……とにかく、クラスの和を乱さない、というのは今の俺らにとっては最上の生存戦略ってことだ。こんな俺でも、多少の我慢はしなきゃいけねぇ。

「――は? 脱出できるのは、三人……とか、おい、マジかよ……」

 しかし、その前提が崩れたら、どうなるよ。

 何度目かの妖精広場に辿り着いた時、定期的に届く魔法陣の情報で、俺はその衝撃的な事実を知った。

 ダンジョンの最奥にある転移魔法陣で脱出できるのは、三人まで。そう書かれていた。

 嘘かもしれない。嘘だ。そう信じたいのはやまやまだが……クソがっ、俺の盗賊の勘が告げている。コレは「マジだ」と。

「はぁ!? ちょ、ちょっと、何よコレ、嘘でしょ、三人だけって……」

「おい、落ち着けよ、篠原。これがマジだと決まったワケじゃねぇし、他にも脱出手段はあるかもしれねぇ。それによぉ、天職を持った蒼真や天道、クラスの連中が全員集まれば、何とかなるだろ」

 俺はすかさず、心にもないフォローを言った。

 脱出人数は三人。これは間違いない。少なくとも、俺はそう確信している。

 なら、ここから先は、方針変更だ。

 俺がクラスの連中の半分くらいからは嫌われている、というか、恨まれてる、ってのは知っているっつーか自覚あるっつーか。まぁ、恨んでる奴の大半は、必要以上に不良生徒、いわゆるヤンキー、DQNとか呼んで恐れる根暗やオタクの底辺共だ。普通ならそういう雑魚カス共のことなんて気にもならねぇが、天職という凶器を持つ現状では、危険な敵となる。

 僅か三人の脱出枠を奪い合うなら、恨みのある奴は真っ先に排除していくだろう。要は、俺みてぇな奴は罪悪感もなく殺しやすいってこった。

 さらに困ったことに、自分と、それ以外にあと二人だけ助けられるというなら、自然、その二人ってのはかなり親密な奴に限定される。

 例えば、蒼真兄妹。他にも、天道委員長コンビ、剣崎小鳥遊コンビ。あとは、桜井雛菊のバカップル、木崎北大路のガチレズカップル、大山杉野のガチホモカップル。この辺の奴らは、本気で命を賭けて互いが互いを庇い合い、助け合うだろう。それは同時に、他の奴を犠牲にしてでも、という覚悟も抱かせるに違いない。

 そして、俺にそういう相手は……命まで賭けられるかどうかは分からねぇが、有希子くらいは、何とか助けてやりたいと思う。何だかんだで、彼女だしな。有希子自身がどう思ってるかは、正直ちょっと分からねェが。

 まぁ、要するにだ。俺は、俺と有希子の二人は絶対に助かりたいと思っている。もう一人はまだ決まっちゃいないが……少なくとも、篠原をこの大事な大事な脱出枠に座らせてやろうとは、思わないね。

「とりあえず、先に進もうぜ。他の奴らと合流できりゃあ、何かいい解決策も出るかもしれねぇからな」

「そ、そうよね……」

 だから篠原、悪いけどお前、どっか適当なところで、死んでくれや。

 そんな風に割り切れたお蔭か、俺の心は、急に軽くなったような気がした。

第80話 樋口恭弥(2)

 案外『その時』ってのはすぐに来るもんだ。

「おーい、篠原ぁ、生きてっかぁ?」

「……ん、くっ……はぁ、はぁ……」

 返事する余裕もねーってか。篠原は血の気の引いた真っ青な顔で、ひたすら荒い吐息を零すのみ。鬼気迫るマジ顔で、色気もクソもあったもんじゃねぇな、ブスめ。

「まだ死ぬんじゃねーぞぉー、もうちょいで妖精広場に、っと、見えたぜ」

 薄暗い通路の先に輝く、白い光。妖精広場に違いない。つい数十分ほど前に出発したばかりの場所だからな。

「で、どうよ、気分は?」

「……少し、痛みは、ひいたみたい」

「へぇー、あの草、ちゃんと効果あんのな」

 驚きの回復力である。あんな四つ葉のクローバーにしか見えない雑草みてぇなモノに、確かな治癒力があるとはな。今度からは、もうちょい真面目に探してみるか。

「しっかし、馬鹿だよなお前も、ドジこきやがって」

 笑い話にもなりゃしねぇ。

 この妖精広場を出発して、俺達はすぐにまた森のドームに出た。で、そこでギャンギャンうるせー赤い野良犬の群れに襲われたワケだ。今の俺の能力なら、あの程度の犬コロなら何匹相手にしても返り討ちにできるが……あまりの数の多さに、このバカ女、ビビって逃げやがった。俺を捨石に、何の躊躇も罪悪感もなく、背中を向けて逃げ出したのだ。

 マジでホームラン級のバカだよ。あのまま真面目に水魔法で適当に援護し続けていりゃあ、順当に殲滅できていた。全部殺さなくても、半分くらい数が減れば、奴らも敵わないと逃げていく。

 だが、篠原はその僅かな戦闘時間、いや、自分が戦わなければならない負担にすら耐えられず、逃げてしまったのだ。

 その結果どうなったか? 篠原は、逃げた先に潜んでいたゴーマに刺されましたとさ。あ、ここ笑うところね。

 とりあえず、篠原は脇腹をゴーマの汚ぇ錆びたナイフで刺されて、深手を負った。けど、トドメを刺される寸前で、俺が間に合って『スロウダガー』でゴーマを始末した。

 最初はイマイチとか思ったけど、ナイフが揃ってくると、この投げナイフの技も結構便利なんだよな。銃は勿論、弓や攻撃魔法なんかの遠距離攻撃手段が盗賊の俺にはないからな。

 ともかく、結構ヤバい傷だったけど、篠原は自前の回復クローバーをつぎ込んで、なんとか傷口を塞ぎ、一命をとりとめる。けど、完治しきってはいないし、そこそこ失血してるしで、立って歩くこともままならない。

 これはしばらく休ませないとイカンということで、仕方なく俺が背負って、この妖精広場まで運んでやったというところだ。おい、マジで感謝しろよ篠原。こんな距離背負って歩くなんて、彼女の有希子でさえ体験してねーんだからよ。

「うっさい……そんなことより、ちょっと、傷……傷が、塞がらないの……」

「えー、マジで?」

「まだ、血が少し……出てくるの」

「ふーん」

 気のない返事。見れば確かに、まだ血は滲み続けているようではある。

 まぁ、かなりザックリとナイフでいってたからなぁ。あんな傷を、何本かの草だけで完治させようってのは、欲張りな話だよな。

「ね、ねぇ……アレ、あるんでしょ」

「アレ?」

「ポーションよ!」

 青ざめた顔のくせに、苛立ったように声を荒げる篠原。おいおい、無理すんじゃねーぞ、傷口が開くぜ。

「あぁ、アレね、あるよ」

 俺が一番最初に『アンロック』で開いた宝箱から入手した、魔法の回復役。ゲットした時は、すぐ隣に篠原もいたから、当然知っている。

 流石に、俺が自分のスキルで開けた宝箱から手に入れた品を、私に寄越せと叫ぶほど、傲慢ではなかったが。

「使ってよ、ねぇ、早く……アレを使えば、どんな傷も、すぐ、治るんでしょ?」

「らしいな」

「だったら、早く、っていうか、何で先に使わないのよ、このバカ」

 バカはお前の方だぜ、篠原。なぁ、どうして俺がポーションの話をしなかったのか、本気で分からないのか? 全く、俺なりの気遣いだってのに。

「まぁ、クローバーで治りかかってんだし、このまま休んでりゃ大丈夫っしょ」

 よっこらせ、と俺は立ち上がる。

「はぁ!? な、なによソレ、ふざけないで!」

「おいおい、デカい声出すなって。そんなんじゃ治るもんも治らなくなるぞ」

「治んないのは、アンタがポーションを――痛っ!?」

「だから、落ち着けって。ポーションは一個しかねーんだぞ、んなポンポン使ってられるかよ」

「っつ! くっ……」

 何か言いたげな顔の篠原だが、傷が痛むせいで凄い顔で声にならないうめきを発している。うん、それ女子が見せていい顔じゃねーぜ。ただでさえブスなんだから、せめて表情くらい取り繕おうぜ。

「コイツはもっとヤバい傷を負った時のためにとっておく。お前の傷は治りそうだから、このまま歯ぁ食いしばって我慢して治せよ。次にコイツがなけりゃあ、即死かもしれねーんだぜ」

 なんて、心にもないことを言ってから、俺は篠原に背中を向けて歩き出す。

「んじゃ、俺はちょっとブラっとその辺を探索してくっから、お前は静かに寝てろよー」

「ちょっ、ま、待ちなさい、よぉ……」

 全く、どうしようもねぇ女だな。いい加減、気づけよ。俺がお前なんかに、貴重なポーションを使うはずねーってよ。

 見当はずれな恨みがましい声を聞き流しながら、俺は妖精広場を後にした。

 それから、ざっと二時間くらいか。さして収穫もなく、俺は妖精広場に戻ってきた。その辺をブラっと探索、を俺は真面目に実行してたワケだ。

 けど、探索そのものに大した意味はない。強いて言えば暇つぶし、いや、我ながら情けないが、実はちょっとソワソワしてた。

 落ち着かない気分だが、覚悟を決めて行こうじゃないの。どうせ俺の進む道は、これしかねーんだからよ。篠原の傷が良くなっていれば、それはそれでいいし、死んじまっても、それも構わねぇ。

 けど、どうしてもポーションをつぎ込まなきゃ治らない中途半端な負傷のままだったら――

「よう、篠原、まだ生きてっか?」

「……うるさい」

 篠原は生きていた。傷の具合は、大して変わりはなさそうだ。うーん、こりゃあ、このまま放置し続けたら、マジで失血死かもしれねーな。

 クローバーの治癒力も、限界を越えていたらそれ以上の作用はしてくれないってところか。あるいは、ほとんど即死だったのを、クローバーのお蔭でここまでもったのか。

 まぁ、どっちにしろ、この草だけに治療を頼るのは危険だな。

「篠原、ポーション、使ってやってもいいぜ」

「ホントっ!?」

 現金な奴め、急に元気になりやがる。

「ああ、マジだ、嘘じゃねぇ……けど、条件がある」

「何よ! 何でもいいから、早く言って!」

「ちょっと一発ヤラせてくれよ」

 おい、どうした、何黙ってんだよ。何でもいいから言えつったのはお前だろ。

「あん? 何だよ、聞こえなかったのか、ヤラせろって言ったんだよ。セックスだよセックス、まさか、知らねーなんてこと――」

「ば、馬鹿じゃないのっ!」

 だから、そんなデカい声出したら、また痛い思いするだろうが。

 まぁ、これから声も出すし、傷口も開くくらい動くだろうし、もしかしたら、ついでに傷口以外のところからも余計に血が流れるかもしれねーけど。

「落ち着けよ。俺ら、ここに来て大体、三日くらい経つ。その間、俺は一発も出してねーんだからよ、溜まるのは当然だろうが」

「だからって、そんな……こ、このクズ男! 私をレイプしようっての!」

「人聞き悪いこと言うなよな。コイツはただの取引だって。もし、お前が男だったら、俺はこんな取引は持ちかけねぇ。払えるもんがねーからだ」

 けど、女のお前は違うだろ。

 俺は男で、お前は女。なら、立派に売れるモンがあるってことだ。

「別に、俺はどっちでもいいんだぜ? ただちょっとムラムラするくらいのとこを我慢すれば、いいだけの話だしよ。なぁ、ホントに俺が我慢できねー男だったら、とっくにお前を襲ってるだろうが」

 コイツ、馬鹿みたいに眠りこけてやがったからな。噴水を挟んで、ちょっと距離置いてるくらいで、この女、アホ面かまして爆睡だぜ。悪戯する気も起きねーっての。

「な、何が我慢よ……アンタなんて、どうせ女とヤルことしか考えてない猿のくせに……」

「そうか、じゃあ、この話はナシってことで。悪かったな、篠原。俺もちょっと溜まってて、どうかしてたわ。っつーわけで、ポーションはやれねぇな」

 ここで、これみよがしにポーション瓶を俺は篠原の前に取り出して見せてやる。

「そ、それを――」

「やらねーよ。コイツは俺の宝物、大事な大事なポーションだぜ」

 力なく手を伸ばす篠原からは、ギリギリ届かない位置をキープ。

「コイツの効果は、魔法陣情報のお墨付き。この水色の液体をチョロっとかけるだけで、傷は全快。今すぐ傷の痛みともオサラバできるってワケだ。凄ぇよな、魔法の力ってのはよ」

「――るわよ」

「あん?」

「やるわよ、ヤラせてあげるから……早く、ポーション寄越しなさいよ、このゲス」

「おいおい、酷ぇ言い草だなぁ、萎えるじゃねーか。俺は別にお前となんざヤレなくてもいいんだっての。お願いすんのは、篠原、お前の方だろ?」

 歯ぎしりが聞こえてきそうなほど、食いしばった悔しい表情。とうとう我慢の限界なのか、涙も零し始めている。

「わ、分かったわよ……お願い、だから、私を――んんっ!?」

 別に、そういう台詞をコイツから聞きたいワケじゃない。色々、言わせたりやらせたりして楽しいのは、有希子みたいな美少女に限る。篠原みたいな平均以下の女は、黙って股開いてりゃいいんだ。

 まぁ、それでもこうしてキスから始めてやるあたり、俺は優しい方だろう。

 篠原は意を決して言おうとした屈辱的な台詞の途中でいきなり唇を奪われたことに、反射的に体をこわばらせて、俺を突き返そうとしたが……覚悟はもう済んでることを思い出したのか、諦めたように力は抜けた。口の中も、されるがまま。

「――ん、お前、ちょっと汗くせーぞ」

「……最低」

 有希子はいつもめっちゃいい匂いするんだけどな。こんな状況じゃ仕方ねーか。俺も似たようなもんだろうし、萎えるほど酷くもねーし。

「お、なんだよ篠原、結構胸あるのな」

「別に……普通だから」

 かもしれない。見た目からして、俺の期待値も低すぎた。

 いやしかし、こうして掴んで揉めるだけあるってのは、ありがたいことだぜ。有希子は小さいからな、胸だけなら勝ってるぜ、篠原。

 まぁ、欲を言えば一度は蘭堂杏子くらいの爆乳を相手にしたいもんだが。

「で、篠原って処女?」

「そんなの、どっちだっていいでしょ」

「どっちでもいいけど、一応、聞いてやってんだろ。初めてだってんなら、少しは手加減してやらんでもない」

 有希子とだったら手加減とか温いこと言ってられねーし。アイツ、ベッドの上だと急に強気だからな。

 折角の機会だ。こういう時くらい、自由にやらせてもらおうじゃないの。有希子のことは愛しているから、ちゃんと相手してやるし、気持ちよくさせてやっている。でも篠原はただの風俗嬢みたいなもんだ。遠慮がいらない分、気も楽ってもんだな。

「で、どうなのよ?」

「……処女よ。悪い」

「別に、フツーだろ?」

 さて、そろそろ我慢も限界だ。さっさとヤルことヤって、それから……悪いな、篠原。お前とは、ここでお別れだ。




「――おお、凄ぇ、マジで一瞬で治った」

 ポーションを傷口にかけると、見る見るうちに傷痕が塞がっていく。

「……あ、痛く、ない」

 どうやら、痛みも綺麗さっぱり消えているようだ。クローバーのお陰で治りかけってのもあったと思うが、それでも、驚異の治癒力である。

 いや、本当に驚きなのは、そんなポーションの劇的な効果じゃねぇ。

「あ、ありがと……本当に使ってくれるとは、思わなかった」

「あ? お前、俺のことどんだけ酷ぇヤツだと思ってんだよ。猟奇殺人鬼じゃねーぞ」

「いや、だって」

「いい、聞きたくねぇ。俺はお前の処女をポーションで買った。それだけのことで、そういうことでいいだろが」

 よくねーよ。何やってんだよ、俺。何でこんなブスに大切なポーションくれてやってんだよ。この馬鹿さ加減というか、ヘタレぶりに、自分でも驚く。

 俺は篠原をヤリ捨てて見殺しにするつもりだった。それが、俺にとって最大の『利益』をもたらす最適行動ってヤツだからだ。放っておけばどうせ死ぬ役立たず、なら最後に一発ヤってもいいだろうと、まぁ、そういう論理。

 実際、篠原とヤったところまでは良かった。

 別に、たぶらかされたワケじゃねぇ。処女だからといって、特別に気持ちいいとか、そういうのは一切ないし、あるはずない。普通に慣れてる有希子とした方が、気持ちいいに決まっている。

 けれど、何だ、終わってみれば……ポーション使ってもいいか。何故かそんな気になった。

 ちくしょう、こんなブスでも、一度抱くと情が湧くってことなのかよ。

「樋口、もしかして、照れてる?」

「バカヤロー、童貞じゃあるまいし、どこに照れる要素があんだよ」

 調子に乗んなよ、篠原。あんまり舐めたこと言ってると、今度こそ見殺しにしてやるぞ。

「なにそれ、ツンデレ?」

「笑ってんじゃねーよ」

「あはは、おかしいわよ。私、レイプされたっていうのに、そんな悪い気がしないのよ」

「レイプじゃねーし、合意の上でテメーが売ったんだろうが」

「はぁ、やっぱ命の危機ってなると、大抵のことってどうでもよくなるもんなのね」

「聞けよコラ」

 何か勝手に悟った顔してる篠原がやけに腹立つ。この野郎、処女じゃなくなった途端に大人の女気取りかよ。

 ちったぁ有希子を見習え。アイツ、あんな淫乱のくせして普段はシレっと清楚可憐な乙女ですって顔してんだぞ。騙される男子の多いこと。

「何か私、これからアンタとちょっとは上手くやっていけそうな気がしてきたわ」

「俺はちょっとダメそうな気がしてきた……なぁ、俺ら、ここで別れね?」

「馬鹿言ってんじゃないわよ。溜まったらまた相手してやってもいいから、私のことしっかり守りなさいよ」

「うわ、開き直りやがったなテメー」

 この女、ますます面倒臭くなってきやがった。

 けど、まぁ……もう少しくらい、面倒みてやるか。半ば諦めのような気持ちで、そんな風に思えてしまった。

「――んっ、これからもよろしくね、樋口」

 女の顔しやがって、篠原。わざとらしいキスを交わしてから、俺は渋々、答える。

「おう、しょうがねーな」

 しっかし、これ、有希子と再会したらどうるすよ……ちょっとどんよりした気持ちで、気だるい体で立ち上がった、その時――あっ、これ、ヤベぇ。

「はぁ、とりあえず体洗うから、覗くな――きゃっ!?」

 同時に立ち上がっていた篠原を、俺は完全に無意識の内に突き飛ばしていた。

「……はっ?」

 気づいたのは、視界いっぱいに鮮血の華が散ってからだった。

 生暖かい、血を浴びる。痛くはない。俺の血じゃない。篠原の血だ。

 そうだ、篠原、お前、どうなった?

「な、んだよ、これ……」

 篠原はうつ伏せに倒れていた。俺が突き飛ばしたんだから当たり前だ。けど、ただ転んだだけで、その傷はねーだろ。

 何でだよ。何で、お前の背中、そんなにザックリ斬られてんだよ。

 俺とヤった後だ、篠原は裸のまま。その白い背中に、切れ味鋭い刃で切られたような、深い傷跡が刻み込まれていた。その一撃で、致命傷だと分かるくらい、派手な斬られ様だ。すげー血が出てる。

 血の海に沈むってのは、こういうことを言うのかよ。

 意味が分からねぇ。どうして、こうなった。

「ああああああっ!? ちょっと、何で恵美に当たってんの!」

「ちゃ、ちゃんと狙ったって! 樋口がいきなり篠原を突き飛ばしたから、それでっ――」

 見覚えのある顔が、妖精広場の入り口にあった。

 クラスメイトの男子と女子。男は佐藤、女は飯島。

 佐藤は如何にも俺のような男が苦手そうな、眼鏡のオタク系男子。横道ほどキモくはないし、斉藤ほどうるさくはない、かといって桃川ほど可愛げのある顔もしていない、マジで目立たない地味なヤツだ。

 なるほど、篠原を攻撃魔法で撃ったのは、テメーか。

 飯島は、確か篠原の女子オタグループの一員だった気がする。一応、友達だったと思う。けど、詳しいことは知らねぇ、有希子と交友もなかったし、篠原からも飯島について何も聞いてないからな。

 ともかく、すぐに状況は飲み込めた。

「おい、テメぇら――」

 奴らが殺したかったのは、俺だ。篠原は助けるつもりなのか、それとも見捨てるつもりなのか、そこまでは分からないが、どうでもいい。

 とにかく、奴らは妖精広場で篠原と一発ヤって裸でいる俺を、隙と見て攻撃魔法で狙い撃ちやがった。けど、俺の『サーチ・ハイセンス』が反応した。

 危ない、とにかく、それだけしか思えなかった。

 その結果、俺にはその気がなくても、反射的に体が動いて篠原を突き飛ばし――結果、彼女を盾にしてしまった。

 俺のせいで、篠原が死んだ。俺が篠原を殺した。俺が悪い――なんて、思うわけねーだろ。悪いのは、撃った奴。

 ふざけんなよ、佐藤、テメぇ、殺す。

「――なにしてくれてんだよぉ!」

 こんなにキレたのは久しぶりだ。有希子と付き合ってからこっち、中学の頃みてぇにヤンチャすることもなく、すっかり丸くなっちまってた。だから、こんな後先考えずにブチキレたのは、本当に久しぶり。

 けど、燃えるような怒りとは裏腹に体はどこまでも迅速、正確に動き出す。サっと身を伏せて、近くで脱ぎ捨ててある学ランの上着に手を伸ばし、そのままポケットに滑り込ませる。

 引き抜くと同時に、金属音を立ててバタフライナイフが展開。狙いを定める。

 落ち着け。攻撃魔法ってのは、マシンガンみてぇに連射は効かねぇはず。モノによっちゃ詠唱も必要らしい。無詠唱だとしても、まだ、次が飛んでくるには僅かな余裕がある。

 杖を持ってるのは、佐藤。飯島の方は剣を持っているから、天職は剣士か戦士か、ともかく、後回しでいい。

 すっかり使いなれた『スロウダガー』のお陰で、投げナイフの速さと命中率はかなりのもんだ。逃げるべきか、追撃すべきか、悩んで突っ立ってるだけの間抜けな魔術士なんざ、いい的だぜ。外す気がしねぇ。

「うぎぃいっ!?」

 俺の投げたナイフは見事、佐藤に命中。刺さったのは右肩辺り。致命傷には程遠いが、魔法を撃つだけの余裕は完全にない。死ななくても、痛ぇもんは痛ぇからな。

「ぁあああああああああああああああっ!」

 ここで、畳み掛ける。俺は落ちてるベルトから他のナイフを抜くよりも、佐藤と飯島が思わぬ反撃にウロたえている隙こそチャンスと心得て、威嚇するような声をあげて走る。靴を履かない裸足でも、というか全裸でも、『疾駆』は変わらず俺に人間離れした速度を与えてくれる。妖精広場を横切って、奴らに間合いを詰めるのは一瞬だ。

「オラァっ!」

 加速した勢いのまま跳躍。肩を抑えて痛みに呻く佐藤の顔面に、踵を叩きこむ。渾身の飛び蹴り。

「ぶっ、んはぁ!?」

 潰れた鼻から鼻血を噴き出し、ついでに割れた眼鏡の破片をまき散らしながら、佐藤が倒れる。

「よう、よくもやってくれたよなぁ、ああ!」

 すかさず、腹を蹴り飛ばす。みぞおちに深々と爪先が突き刺さり、さらに衝撃で佐藤の体はちょっと浮いた。

 ぐったりした様子の佐藤だが、これで終わりではない。

「なぁ、おい、俺を殺ろうとしたんだ、当然、殺り返される覚悟、できてんだろうな?」

 俺はできている。一度は緩んだ殺人への覚悟ってヤツをよ、佐藤、テメーがもう一度、決めさせてくれたんだぜ。

 感謝すべき、なのかもしれねーな。やっぱこの状況で、甘さをもったままじゃあ、生き残れねーよな。

 もう、迷いはない。くだらねぇ感傷もない。今なら、殺れる。

「死ねよ」

 肩口に刺さったままのナイフを引き抜き、返す刀で喉を掻き切る。

「かっ! あ、はっ……」

 息が漏れるような、気の抜けた佐藤の声。勢いよく噴き出る鮮血の下で、俺は握りを逆手に変えて、さらに振り下ろす。

 狙いは心臓。一度、二度。まぁ、こんなもんだろう。

「う、あっ……」

 血の泡を吹いてもがく佐藤は、もう一分もしない内に死ぬだろう。けど、今はコイツの死に様をじっくり観察している暇もねーんだよな。

「い、いやっ! いやぁーっ!」

 広場にやかましく響きわたるデカい悲鳴をあげながら、震える両手で剣を構えた飯島は、今にも俺に斬りかかってきそうだ。

 コイツも、始末しておかねぇとな。

「飯島、テメーも、俺を殺る気か?」

「来ないで! わ、私の天職は『剣士』なんだから! アンタだって、殺せるんだからぁーっ!」

「へぇ、そうかよ」

 その割には、素人丸出しの構えじゃねぇか。腰が引けてるぜ。

「よっと」

 手だけを突き出すようにして構えられた剣。その柄尻を、俺は蹴飛ばす。

 相手が握った武器を下から蹴り上げることで、手から叩き落とすというか、スポーンと飛ばす技。前に黒高のかなりヤバめのヤンキーに絡まれた時に、一回だけ成功したことあるんだよな、コレ。

野郎、キレてナイフを抜きやがったが、構えが甘かったから、物は試しとやってみれば、思いのほか上手くいって自分でも驚いたもんだ。勿論、その後はソイツに本当のナイフの使い方って奴を、身をもって教えてやったが。

「ああっ!?」

 あの間抜けなヤンキーと同じように、思わぬ方向から加えられた衝撃によって、飯島の手からあっけなく剣がすっぽ抜ける。

 ガラン、と虚しく音を立てて地に落ちる剣。バカか、失った武器の行く先を、ボーっと見つめるだけかよ、お前。

「おらっ」

 軽い掛け声だが、割と本気で放った拳を、容赦なく飯島の顔に叩きこむ。

「んがっ!」

 有希子ほどじゃあないが、細身の女子らしいスタイルの飯島は、俺の体重ののったストレートパンチをモロに食らって、吹っ飛ぶように倒れこむ。

 落ちた剣を蹴っ飛ばして広場の端の方まで転がしてから、佐藤の時と同じように、腹を蹴っておく。女子なら、しばらくは起き上がれねーだろ。

「よう、まだやるかい、剣士様よ」

「ご、ごめん、なさい……許して……お願い……」

 おいおい、ちょっと殴られて蹴飛ばされただけで、もう命乞いかよ。剣士の神様が泣いてるぜ。

「なぁ、飯島、お前さぁ、もしかして俺と篠原がヤってるとこ、見てた?」

「み、見てない……です……」

「あっそう、まぁ、この格好を見りゃ分かると思うけど、さっきまで篠原とヤってたんだけどさぁ」

 俺はバタフライナイフだけを握りしめたままで、相変わらずの全裸だ。篠原と佐藤の返り血のせいで、ボディペイントみてぇに結構汚れちまってるが。

「アイツ処女でさ、痛がるしうるせーしで、全然、満足できてねーんだわ」

 結局、一回出しただけで終わってしまった。有希子だったら、さぁ、ここからが本番とばかりに盛り上がってくるところなのだが、そこで、篠原とはお終いになってしまったんだ。

 だから、まぁ、まだ全然、勃つワケよ。

 恥ずかしげもなく、見せつけるように、俺はいきり立ったモノを堂々と飯島の前に晒す。

「ヤラせろよ」

「う、うっ……お願い、許して……許してください……」

「じゃあ、殺してやってもいいけど、佐藤みたいに楽に死ねると思うなよ?」

 死ぬか、犯られるか、好きな方を選べ。ギンギンに勃ったナニと、血塗れたナイフの刃。突っ込まれるのは、どっちの方がいいよ?

「わ、分かった……す、好きにして、いいから……だから、殺さないで……」

「そうそう、それでいいんだよ」

 そうだ、これでいい。

 もう一度、俺はやり直すんだ。篠原の時にはできなかった、生き残るための残酷な選択を。

「俺の言う通りにしてりゃあ、篠原みてぇに可愛がってやるからよ」

 俺はやる。今度こそ。殺して、犯して、あははと笑って馬鹿どもの死体を蹴っ飛ばしてやるさ。

「――あ、なんで……嘘……どう、して……」

「ふぅ、結構よかったぜ、飯島。じゃあ、安らかに逝ってくれや」

 散々やってスッキリした後、俺は飯島の胸に刃を突き立てた。後始末は早い内につけとかなきゃな。篠原みたいに、情が湧いたら面倒だ。

「あっ、が……あぁ……」

 信じられない、といった驚愕の表情を浮かべて事切れる飯島を、俺は……

「はっ、なんだよ、ヤレばできるじゃねーの」

 俺はちゃんと、笑って眺めることができた。

 罪悪感。倫理観。嫌悪感。そんなもん、ここじゃあクソほどの役にもたたねぇ。持つだけ無駄、余計なストレスってもんだ。

 即死させてやっただけ、俺は優しい方だろう。

「で、テメーはいつまで、そこで見てるつもりだ?」

 やることやったら、早速、次の行動に移るとしようかね。

 飯島に一発目を喰らわせた辺りで、俺はその存在に気付いた。けど、ビビっているのが丸わかりだったから、放っておいた。これも勘ってヤツか。ソイツには、佐藤のように不意打ち仕掛ける度胸もねーってな。

 だから対処は後回しにしておいた。

 俺の直感の通り、こうして飯島をヤリ捨てるまで、隠れているヘタレ野郎はその場を動かずジっとしていた。

「出てこいよ」

「……ひ、樋口」

「なんだ、お前、斉藤かよ。スゲービビってるから、桃川あたりだと思ったんだけどなぁ」

 血の気の引いた、青ざめた顔をした斉藤勝が、妖精広場の入り口から現れる。

 コイツは飯島と似たような剣を一本と、俺のと同じゴーマのナイフを一本、それぞれ右手と左手に握った二刀流スタイルだった。横道ほどじゃねぇが、肥えた体は佐藤や飯島よりもパワーはあるだろう。

 けど、クラスメイトの女子が犯られてるってのに、助けようと斬りかかる勇気もなければ、不意打ちで始末してやろうという気概もない、クソみたいなヘタレメンタルだ。コイツの天職が何かは知らねーが、何であっても、こんなヤツに負ける気はまるでしない。

 盗賊の勘が訴えかける。そう、コイツはカモだと。

「あ、あっ、あの……どうして、こんなこと……」

「斉藤、質問するのは俺の方だぜ」

 ここでコイツを始末するのは容易い。けど、大した持ち物もないし、殺したところで特にメリットはない。

「お前、ここで死ぬか、それとも俺の奴隷としてついて来るか、どっちがいいよ?」

 一人でダンジョンを攻略するのは難しい。仲間はいるに越したことはない。

 だが、俺のクラスでのポジションじゃあ、背中を任せられる頼れる仲間、なんて素晴らしい少年漫画の登場キャラみたいなヤツは得られない。

 なら、誰でもいいから多少なりとも役立つヤツを置いておくのが、次善策ってところだろう。

「ど、奴隷って……なんだよ、それ」

「別に荷物持ちでも、囮でも、いざという時の盾でも、何でもいいだろ。テメーみてぇなのでも、少しは使い道があるってことだ」

「そ、そんなの……」

「嫌なら死ね。俺は、お前に生きる権利を与えてやるって言ってんだぜ」

 ちっ、グズめ。斉藤は苦しげに油汗を垂れ流すだけで、いつまでもグダグダ悩んでいるように、答える素振りを見せない。

 さっさと決めろよ。いつまでも悩んでいられるほど、贅沢な身分じゃねーぞ、テメーは。

「そんじゃ、ちょっとヤル気がでるようにしてやっか」

「おい! ちょ、ちょっと待て、待ってよ! 何するつも――」

 鈍い。俺が『疾駆』で間合いを詰めるその瞬間を、斉藤は全く目で追えていなかった。その両手に握る二刀流は、単なるお飾りかよ。

「――ぶはぁああっ!?」

 思い切りぶん殴ってやると、おいおい、デカい図体しておいて、飯島と同じように一発でぶっ倒れてんじゃねーよ。

「どうだ、斉藤、俺は、お前より強ぇ! 俺について来りゃあ、ダンジョンを攻略できる。働き次第じゃあ、ちゃんと最後は解放してやるから――よぉ!」

 まるで、鎖が切れて転がるサンドバックだな。適当に蹴って、踏んで、ボコってやる。

「う、うぅっ! やめて、やめて……分かった、なるから! 奴隷になるから!」

「よぅし、契約成立だ」

 最後に、ビール樽みてぇな腹を思いっきり蹴り上げてから、俺は踵を返す。

 とりあえず、血塗れだし汗まみれだし、噴水で洗ってから、佐藤と飯島の装備を漁ってと――

「じゃ、行くとするか」

 準備を終えて、いよいよ妖精広場を後にする。

「おら、テメーが先を歩くんだよ。トラップがあったら、まぁ、気が向けば教えてやるから、安心してサクサク進めや」

「うっ、わ、分かりました……」

 斉藤の尻を蹴り飛ばして、妖精広場の入り口まで進ませる。

 最後に、俺は広場の中で一番デカい妖精胡桃の木の前に立ち寄る。

 その木の根元に寝転がっているは、篠原の死体だ。

 佐藤と飯島の死体はそのまま放置しておいた。けど、コイツはそのまま転がしておくのは、何故か気は引けた。

 面倒だったが、血を拭いて、セーラー服を着せてやり、顔には白いハンカチを被せておく。篠原、お前、女子なんだからハンカチの一枚くらいもっとけよな。俺が有希子からいつだったかプレゼントされた、彼女の刺しゅう入りのハンカチを、しょうがないから使ってやった。

「……悪ぃな、篠原」

 何に対して謝っているのか、自分でも分からないが、そうつぶやいた。

 他に、言葉は出てこない。

 その代り、俺が持っていた分の回復クローバーを一本だけ、彼女の傍に供えて、俺は立ち上がった。

「じゃあな、篠原。お前、ブスだし性格悪いしうるせーけど、そんなに悪くない女だったぜ」

 そうして、俺は振り返ることなく、進み始める。

 ただ、自分が生き残るために。どんな手段を使っても、他の何者を犠牲にしてでも、俺は俺のために、ダンジョンを進む。

 かかって来いよ。蒼真だろうが、天道だろうが、関係ねぇ。

 最後まで生き残るのは、この、俺だ。

第81話 敵意

「よう、久しぶりだな、桃川。感動の再会ってヤツ?」

「樋口、恭弥……」

「おっと、そんな警戒すんなよ、別にヤル気はねーよ」

 アホか、警戒しないワケないだろう。お前が僕にした仕打ちを忘れたとは……いや、もしかしたら本気でコイツは忘れてるかもしれない。

 こういうヤツって、他人に仕出かした悪行を平気で忘れられるもんだ。イジメられる方は覚えてても、イジメる方は覚えてない、みたいな。

 全く、メイちゃんさえいてくれれば、こんなヤツ有無を言わさずフルボッコにして、身ぐるみ剥いでパンツ一丁の黒髪縛り逆さづりでダンジョンのど真ん中に放置してやったのに。

「止まれ、それ以上、近づくな」

「ははっ、そうビビんなって」

 言いつつも、一応は樋口の足は止まる。おまけに、敵意はないアピールらしく、両手まであげてくれた。

 多少の距離は空いている、けど、天職『盗賊』である夏川さんの戦闘能力を見れば、一足飛びに斬りかかって来れないというほどでもない。恐らく彼女と同じく『盗賊』だと思われる樋口も、この程度の距離は十分に間合いの範囲内といったところか。

 レムと二号は僕の警戒心に刺激され、立派な前衛戦士のようにそれぞれ武器を構えて樋口の前に立ちはだかる。でも、残念ながら本物の天職持ちが相手では、レムには荷が重い。少しでも足止めできればマシな方か。

 けれど、転移直後という隙を狙って刺しに来なかったことを思えば……樋口には何か、思惑があると見える。以前、あっさり殺そうとした僕の手でも借りたい状況なのか。

「僕も戦う気はない。けど、お前に協力する気もないし、話もしたくない。僕は今すぐここを出ていくから、それぞれ別の道を進もう」

「まぁ、そう言わずに付き合えよ。ここのボスが結構強くてよ、困ってるんだわ」

「他のルートは?」

「一番楽なとこが、このボスんとこなんだよ」

「勝と綾瀬さんはどうした、死んだのか」

「心配すんなよ、ちゃんと一緒にいる。おい、もう出てきていーぞ」

 隠れていたのは、転移の気配を察して避難させておいたということなのか。

 樋口が呼べば、広場の入り口からレイナ・A・綾瀬が天使のような顔をひょっこり覗かせてから、すぐにテテテと可愛らしく駆け寄ってきた。といっても、僕とは挨拶を交わすような距離にはない。

「小太郎……」

 それから、何とも気まずそうに、勝が現れる。あからさまに何か言いたそうにしている雰囲気だけど、それに構ってやるつもりもなければ、気を遣ってやるつもりもない。裏切り者の友人に、変わらず情けをかけていられるほど、僕は人間できちゃいない。

「なぁ、俺はこう見えて、結構仲間思いなんだぜ。だから、こうして二人も無事なまま、ここまで連れてこれた」

「でも、四人目の僕はいらないでしょ」

「そう思ってた時期が俺にもあったけど、やっぱ数は力ってやつ? 三人で挑むのも限界があるってワケよ」

 その限界が、このエリアのボスってことか。

 樋口の言い分としては、そこまで不自然なモノではない。実際、ボスが倒せなくて進めないから協力してくれ、というのはすでに平野西山カップルの時と同じだし。いくら樋口でも、三人の脱出制限よりも、まずは目の前の障害を乗り越える方を優先するだろう。

 だとするなら、少なくともここのボスを倒すまでは、樋口と協力関係を結んでも寝首をかかれる危険性はない。

「じゃあ、僕が協力するとして……ボス戦の活躍次第じゃあ、僕を三人目ってことにしてよ。四人目は勝ってことで、奴隷は使い捨てちゃってよね」

「おう、全然いいぜ。脱出する優先順位は、当然、チームの貢献度で決めるもんだろ?」

「公平でいいと思うよ」

 ふむ、どうやらいまだに勝の地位は向上していないようだ。いまだに平然と切り捨てても構わない旨の発言を樋口がしている以上、所詮その程度の存在でしかないことの証。

 実際、勝はチラチラとわざとらしく様子を窺うのみで、僕と樋口との会話に全く口を挟もうとしてこない。自分が発言権もない底辺階級って理解させられてるんだろう。

「で、どうよ、桃川? その気になったか?」

「正直、あんまり気のりはしないけど……いいよ、協力する」

「話が早くて助かるぜ、サンキューな桃川。まぁ、前ん時は悪かった、この機会に、水に流してくれや」

「とりあえず、協力関係でいる内は、個人的な恨みは持ち込まないよ」

「そいつはどうも、そんじゃ、契約成立ってヤツだ。ヨロシクな」

「こちらこそ、樋口君」

 そうして、僕はにこやかに樋口と固い握手を交わした。そこで、僕の覚悟も決まった――樋口は殺す。ここで、絶対に殺す。




 ひとまず、僕は休息をとることにした。レムと二号に警戒はさせておくけれど、正直、ここが一番不安でもあった。

 けど、樋口は僕の寝こみを襲うことなく、大人しくしていた。ナイフを刺されて目覚めることもなければ、縄でグルグル巻きにされてるってこともない。とりあえず、より殺しやすい大きな隙を窺っていたワケではないようだ。ボス戦に協力の件が、さらに現実味を帯びてくる。

「ふわぁ……」

 と、間の抜けた大あくびをしつつも、僕は早速、頭を働かせる。

 まず、樋口の殺害は絶対条件。

 何故か? 決まってる、コイツが危険だからだ。

 もし、樋口の言うことが全て本当で、本心であったとしよう。それでも、僕はコイツを信用しきることは絶対にない。

 鎧熊の時の態度、勝への対応。樋口恭弥は鬼畜の所業を平然と行えるだけのメンタリティを備えている。それそのものを人道に反するだとか、非難するつもりはない。こういう状況下では、むしろ一切の慈悲も容赦もなく、残酷な行動をとれるというのは大きな強みである。

 けれど、それは同時に人と人との信頼関係を大きく損なう心理的要因だ。樋口とは、なるほど、このエリアのボスを倒すまで協力はできるかもしれない。でも、そこから先はどうなる。この男は、他人の働きや頑張りに、恩義だとか温情だとか、そういうのをかけるタイプではない。たとえ僕が重傷を負った樋口を傷薬で治癒して治してやったとしても、メイちゃんのように本気で庇ってくれるようになるとは到底思えない。

 樋口恭弥は、どうあっても将来的な危機としかならない存在だ。ならば、出会ってしまった以上、早急に排除しなければいけない。

 こんなことを真面目に考えて、本気で実行しようと思える僕も、いよいよ狂ってきているだろうか? いいや、違う。僕は学んだんだ。

 鎧熊を倒して、樋口にまんまとコアを奪われた時。心の底から湧き上がる屈辱という感情を知った。

 横道一に襲われた時には、本当に人を殺せる人間の存在を知った。

 樋口を殺す動機はあるし、合理的な理由もある。ならば、殺さなければならない。

 今更、迷ったりはしない。このダンジョンに法律なんてない。自分の身は自分で守らなきゃいけないし、僕はすでに横道を槍で刺したこともある。あれと同じようにやればいい。刺し殺す寸前で、良心が邪魔をして手が止まる、なんてことはないはずだ。

 さて、僕の殺人への覚悟なんて、割とどうでもいい。

 最大の問題は、どうやって強力な『盗賊』の能力を持つ樋口を『呪術師』の僕が殺すか、という現実的な方法である。頭を悩ませるべきは、ここにしかない。

「よう、起きたか桃川」

「ああ、うん……おはよう」

「あんだよ、そんな睨むなって。お前、寝起きは不機嫌なタイプ?」

「別に、元からこういう眼つきだよ」

「おっ、それもそうだな」

 やけに樋口が馴れ馴れしい。ボスを倒すまでの協力関係で、それが終わればご苦労さんと労いの言葉と一緒にナイフをくれそうな奴と、素直に仲良くなろうと思えるほど僕は純粋という名のバカではない。

 コイツは今、腹の内で何を考えているのだろうか。この馴れ馴れしさは僕に油断を誘うための演技か。それともただの気まぐれか……あまり考えすぎるのも馬鹿らしい。適当な言葉には、適当な返事をくれてやればいい。

「飯まだだろ、クルミ食うか?」

「やっぱクルミしかないのか……蛇とかないの?」

「はっ、蛇?」

「ここの蛇は美味しいんだよ。あ、普通の奴ね」

 毒蛇とか、蛇の魔物とかまでは、味の保証はできない。

「マジ? 食ったの? 蛇、桃川、お前マジで食ったのかよ」

「食べたよ。こう、かば焼きみたいにして、ゴーマの岩塩を振って」

「スゲーなお前、勇者かよ」

 蒼真悠斗は関係ないだろう。

「見つけたら、捕まえてみてよ」

「ははっ、考えとく」

 樋口のヤツ、異世界の蛇を食うくらいなら味気ないクルミで我慢する方がマシって顔をしているな。バカめ、どうせお前も蛇のかば焼きを実食すれば、肉の快楽にあっけなく屈するのだ。

 記憶に留めておくのも馬鹿らしくなるような、下らないやり取りを樋口とポツポツ交わしながら、僕は侘しいクルミ朝食セットを食べ終えた。結局、大していい考えは思い浮かばなかった。

「よし、んじゃあボスに行くか」

「はぁ?」

 僕の朝食が終わるや否や、もう全ての準備は万端だとでもいうように、いきなり樋口がそう切り出した。勿論、止めるより他はない。

「あ? んだよ桃川、行かねーのかよ」

「行かないよ。全然、準備も何もできてないし」

「そうか? 別に大丈夫だろ」

「大丈夫じゃないから、ボスで詰んでるんでしょ」

 これで僕がメイちゃん並みの狂戦士だったら、大抵の奴はパワーで何とかなるし、いくらでも戦闘で貢献できるだろうけれど。言っとくけど、呪術師なんて相手の情報をある程度知った上で、弱みにつけこんでギリギリ勝てるかどうか、という天職だ。

「まぁ、それもそうか」

 バカかコイツ……いや待て、バカを装っているだけじゃないのか。

 うん、恐らく、樋口はバカな男ではないはずだ。曲がりなりにも、ダンジョンをここまで進んできた。それも、メイちゃんや委員長のような頼れる仲間とは言い難い二人も連れて。

 横道のようにただ天職の能力に優れているだけだったら、綾瀬さんと勝とは絶対にどこかで別れているはず。それに樋口は元々、クラスに友人は多いし、上中下トリオは舎弟みたいなもんだし、女子とも交流がある。

 噂では、メイちゃんを除外すれば二年七組トップクラスの巨乳を誇る蘭堂杏子と付き合っているとか何とか。

 要するに、毎日クラスの隅っこで勝とオタ談義をして呑気に過ごしている僕なんかよりも、遥かにコミュ力に優れていることは明らかなのだ。そんな奴が、何も考えずに話しているとは思えない。

 僕は今、樋口のつけこむ隙を探っているけれど……コイツもまた、僕のことを探っているはず。

 だとすれば、わざと馬鹿みたいに何も考えてないような発言をすることで、それに僕がどう対応するのか試している可能性が高い。

 例えば今の話なら、僕がそのまま樋口の勢いに流されて、ロクにボスの情報も聞かず、準備も作戦も立てずに、何となく出発してついて行ったとしたら、どうだろうか。チョロい、そう思うに決まってる。

 そうと分れば、樋口は容赦なく僕を使い潰すだろう。勝と同じく、都合の良い奴隷二号。

 全く、冗談じゃない。

「まずはボスについて教えてよ。どんなヤツで、どんな動きをして、何に強くて、何に弱いか。知ってること、予想されること、全部」

「まぁ、そう焦んなって。どうせボスは黙って待ってんだからよ」

「うん、だから、ゆっくりでもいいから話してよ」

「あー、俺そういうのメンドくせ、じゃなくて、苦手なんだよな。だからまぁ、代わりに――おい、斉藤、オメーが桃川に教えてやれ」

「えっ」

 と、あからさまに困惑した声を漏らしたのは、視界の隅でジっとしていた勝である。

「それはちょっと」

 いやだなーと。

「なぁ、桃川、前ん時のことは許してくれや。アイツも俺が無茶言ったせいでやったワケだし、スゲー反省してるんだぜ」

 そりゃ勝だって僕が憎くてやったワケじゃないのは知ってるし、あの後アイツがショックを受けて凹んでるだろうことも簡単に想像がつく。でも、だからといって僕の恨みが晴れるワケでもないし、っつーか、お前が言うな。

「俺ら、これからボスに挑む仲間じゃん? それに、お前ら元々ダチだろ、サクっと仲直りしてくれや」

「……まぁ、仲直りは無理そうだけど、協力はするよ」

「おう、まずはそういう歩み寄りってのが大事だよな」

 うるせーよ、どの口が言いやがる。

「そんじゃ、頼んだぜ」

 表向きは楽しそうな笑みを浮かべながら、樋口は勝を呼び寄せた。

第82話 殺意

「あ、あー、久しぶり、小太郎……」

「いいよ、そういうのは。さっさと話して」

 今の僕に勝と和解する気はないし、できるだけの余裕もない。意識すべきは勝への対応じゃなくて、説明をコイツに丸投げした樋口の意図だ。

「そ、そうだよな……えっと、ここのボスは、結構デカくて、何て言うか……ゴライアスっぽいヤツだった」

「ゴライアスって、『アンバ』の?」

「そうそう」

 なるほど、アイツか。確かに、あのデザインならこの異世界ダンジョンに現れてもそれほど違和感はない。

 ゴライアス、ってのはゴリアテの英語発音で、そのゴリアテって奴は旧約聖書に登場する身長三メートルくらいあるバカデカい兵士だ。で、あの世界的に全裸が有名なダビデによって石を投げられ倒されている。ちなみにあのダビデ象は、このゴリアテを石でヘッドショットするために狙いをつけているシーンを再現しているらしい。

 まぁ、そんな由緒正しいかませキャラの名前は、色んな作品で使われていて、僕と勝がプレイしていた『アンデッド・バウンティ』、通称『アンバ』と呼ばれるゾンビ撃ちまくる系シューティングゲームにも、ゴライアスという名のボスが登場する。どうやらここのボスは、ソイツに似た外見をしているらしい。

 で、このアンバ・ゴライアスというヤツは、デカいゴリラみたいな姿だ。何か色々、角とか棘とか生えてたり、怒ると禍々し赤い文様が全身に浮かんだりするけど、ゴリラはゴリラだ。

「まさか、何の脈絡もなく胸からビームぶっ放したり、何もないところから大岩を取り出して投げつけて来たりはしないよね?」

「いや、流石にソレはねーよ」

 良かった、あの謎のビームも投石攻撃も、ハードモードだとどっちも即死級の威力だったからな。そこまで再現されてたら、堪ったもんじゃない。

「でも、俺らもちょっと戦ってすぐ逃げてきたから、何か魔法とか持ってるかも分からん」

「ふーん、どんな感じだったの?」

「フツーに殴ったり、掴みかかったりしてくるだけなんだけど……デカいし、速いし、かなりヤバかった。綾瀬さんの援護がなかったら、多分、逃げられなかったと思う」

 なるほど、単純に身体能力に優れるタイプか。参ったな、僕、こういうストレートに強いヤツには弱いんだよ。

 けど、気になるのは綾瀬さんの能力か。

「綾瀬さんの天職って何なの?」

「あ、それは……」

 チラリ、と勝が樋口に窺うような視線を向けたのを、僕は見逃さなかった。

「レイナちゃんの天職は『精霊術士』っつーレアなヤツだ。火も氷も雷も、何でも使える万能魔法使い。ああ、霊獣っつーペットみてーなヤツを使うから、魔法使いってよりは召喚士みたいな感じ? ゲーム的に言うと」

 特に隠し立てする必要はないのか、樋口は自らレイナ・A・綾瀬の天職とその能力を明かした。

「ふーん……」

 しかし、本当だとすると、かなり強力な天職に思える。基本的に魔術士系の天職は、一つの属性しか扱えない。委員長は氷だし、西山さんは風。聖女、という特殊な天職の蒼真桜でも、光属性だけだった。

 それが、火と氷と雷と三つ、いや、もしかすれば風とか土とか、あるいは光とか闇とか何だかよく分からない謎の属性なんかも、扱えるかもしれない。

 それでいて、ただ色んな属性が使えるというだけの器用貧乏ではなく、そこそこ強力な威力で以て行使できるというのは、ゴライアスから撤退する時の援護に役立ったという話で推測が立つ。

 それに、もし本当にショボい能力だったら、綾瀬さんもまた樋口の奴隷扱いにされていてもおかしくない。今でも丁重なお姫様扱いをしているのは、つまり、樋口をしてもそう簡単に手出しはできないくらい、強い能力者だということの証明だろう。

「分かった、それじゃあとりあえず、みんなの能力、どんな感じで戦うのか知りたいから、適当にこの辺の魔物と戦ってみたいんだけど、いい?」

「お、なんだよ桃川、探りを入れようってワケ?」

「みんなの戦い方が分からないと、上手く連携はとれないから」

 疑うような問いかけは、冗談なのかマジなのか。

「へへっ、分かってるって。それじゃ、すぐ行くか?」

「ちょっと待って、もう少し休ませて欲しい。僕もボス戦を終えてきたばかりだから、色々、準備もしたいし」

「オーケー相棒」

 特に疑うことなく了承した樋口は、これ以上は別に話すことはないとばかりに、妖精胡桃の木の下でゴロンと寝転び昼寝の体勢を決め込んだ。

「あ、なぁ、小太郎、俺、何か手伝うことあるか?」

「ないよ、っていうか、離れてて。裏切り者に手の内を見せるほど、馬鹿じゃないから」

「そ、そうだよな……」

 あからさまに傷ついたような表情をしても、僕は罪悪感を抱いたりはしないぞ、勝。

 とりあえず、コイツのことなんて放っておいて、今の情報を元に、どうするべきかよく考えてみよう。




 それからさらに半日ほどの休息時間を経て、僕の提案の通り、全員の能力確認のために適当な雑魚モンスを狩るべく、妖精広場を出発した。

「うわ、ここって、これまでとはちょっと違う雰囲気だ」

 基本的に石造りかコンクリート製か、みたいな灰色ベースだったダンジョンだけれど、ここは随分と白が目立つ。というか、壁がほとんど白塗りで、かなり綺麗だ。心なしか、天井の発光パネルもこれまでよりも明るく見える。

「おう、この辺は生きてるトラップも多いから、気を付けろよ。まぁ、盗賊の俺なら分かるから、安心してついてこいや」

 トラップか。幸いにも、これまで僕は全くトラップに遭遇したことがない。せいぜい、メイちゃんから話を聞いたくらい。だから、僕にはダンジョンのトラップに対するノウハウが全くない。

 この機会に、トラップ対策のいろはくらいは知っておきたいが……そんなことをしっかり学ぶよりも前に、樋口は始末しておきたい。さっさとしなければ、向こうもまた、僕の能力を見切ってしまう。

「何かここ、病院みたいだ」

「そうかー? 別にそんな気はしねーけど、おっ、そっちの道は入るなよ。何か仕掛けてあっから」

 確かに、ベッドの並んだ病室があるとか、消毒液の匂いがするとか、そういうらしさは全然ないけど、綺麗な白塗りの大きな建物といえば、それだけで病院っぽく感じられる。森林ドームの代わりのように点在する、大きな白いドームなんか、ちょっと洒落た病院のエントランスみたいに見えなくもない。

 部屋も通路も広間も、自分の位置を見失ってしまいそうなくらい、白一色で変わり映えの無い景色が続くけれど、樋口はトラップの有無がしっかり分かっているようだった。仕掛けてある、と注意を促した通路にしても、今、僕らが歩いている通路と何の変化もないように見える。そりゃあ、トラップなんだから分からないように仕掛けるだろうってのは当然だけど。

「樋口は何でトラップ見つけてんの?」

「勘。まぁ、盗賊以外のヤツには分かんねーわ」

 夏川さんも同じようなことを言っていた。やはり、天職『盗賊』には罠を探知する能力が高確率で備わっているようだ。

 いや、盗賊には罠だけでなく、敵の気配察知にも優れている。

「スケルトンがいるな。ちょうどいいから、相手してくか?」

 ポケットに手を突っ込んだまま悠々と先頭を歩く樋口は、まだスケルトンが曲がり角から姿を現していなくても、その存在を教えてくれる。

「この辺は、スケルトン以外は面倒な魔物ばかりなんだっけ」

「おう、適当に相手すんなら、コイツ以外にはねーな」

「じゃあ、やろう」

 そうして、平野西山カップルの時と同じように、僕らはスケルトンを相手にそれぞれの戦い方を見せる。

「――っと、まぁ、こんなもんだ。天職が『盗賊』だからな、派手な必殺技とかはねーんだよな」

「いや、十分強いと思うよ」

 現れたスケルトンは、僕がまだ委員長パーティで装備を整えるためにスケルトン小隊を狩りまくった時と同じような数と武装であった。あの時点でも危なげなく倒すことはできていたけれど、樋口はほとんど一人で何体ものスケルトンを圧倒して見せた。

 武器はゴーマから奪ったと思しきナイフが一本きり。『一閃スラッシュ』などの武技を使った感じはなかった。けど、ただナイフをそのまま振るうだけで、スケルトンの手も脚も、背骨さえも一息で両断してみせ、挙句の果てにはただのキックで頭蓋骨を粉々に粉砕していた。

 単純な身体能力が、人間離れしている。もしかすると、夏川さんや剣崎明日那よりも、素の能力は高いかもしれない。

 そして勿論、樋口の本当の実力はこんなもんじゃない。習得した武技も一つや二つじゃ済まないだろうし、あの素早い動きで『疾駆』なんか使われたりしたら、目で追えないかもしれない。それに、普通の攻撃技の他にも、『盗賊』固有の特殊能力なんか持っていたりすると……やはり、樋口は強い。

 ちなみに、勝の戦いぶりも少しだけど見ることができた。単独で突っ込んだ樋口を無視して、二体のスケルトンが真っ直ぐこっちに向かってきた。ソイツらを迎え撃ったのが勝だった。

 天職『戦士』らしいけど……お世辞にも、上手な戦いぶりとはいえない動きだ。まぁ、メイちゃんに夏川さんに剣崎明日那と、優秀な前衛戦士ばかりを見てきたワケだけど、勝の戦い方は彼女達とは比べ物にならないほど危なっかしいモノだった。というか、二体相手にギリギリの攻防を経て、武技を使ってようやく一体倒して活路を開くなんて、余裕がないにもほどがある。

 いやでも、天職の力があっても、コレが普通なんだろう。恐らく、僕が『剣士』や『戦士』だったとしても、勝と同じような、素人丸出しの立ち回りしかできなかっただろう。

 それにしても、勝の弱さを見ると、樋口の奴隷としてこき使われながらでも付き従っているのは、このダンジョンを生き抜く上では正解だったということだ。あんな程度の戦闘能力でソロやってたら、最初のボスにすら辿り着けない。

「この次の広間には、必ずスケルトンが湧いている。次は桃川がやれよな」

「うん、いいよ」

「ヤバくなったら言えよ。ほら、今の俺らは、仲間じゃん?」

 白々しい台詞に頷きながら、僕の順番が回ってくる。

 先の戦闘でそれなりの歩兵装備を整えたスケルトンから戦利品を回収している。レムは剣と棍棒の二刀流。まだパワーに劣る二号は打撃重視で棍棒一本のみ。そして僕は、定番の鉄の槍を手に入れた。

「行くぞ、レム。無茶はしなくていいから」

 僕はレムと二号を前衛として、スケルトン小隊に挑む。スケルトンはバジリシク攻略の時に、素材調達のために何度も戦った相手だ。装備はこちらの方が充実しているが、さっきの戦闘を見た限り、スペックに大きな違いはない。

 僕は黒髪縛りの触手で、ハンマー代わりに石を振り回して打撃攻撃に専念。槍の出番はない。レムと二号が身を挺して動きを止めてくれれば、僕だってスケルトンの頭蓋骨を叩き割ることができる。

 もっとも、僕が狙うよりも先に、レムと二号が棍棒でボコボコ叩いてスケルトンを崩す方が早いんだけど。結局、半分以上は泥人形コンビがスケルトンを片付けてくれた。

「まぁ、こんな感じ」

「……へぇ、結構やるじゃん、桃川」

「いや、これで精一杯だよ」

 とりあえず、僕の呪術能力を隠すことはできた。黒髪触手も、石ハンマー用の一本しか行使してないし、『腐り沼』と『赤髪括り』は全く出していない。火属性武器であるレッドナイフだって、隠し持ったままだ。

 まぁ、今の戦闘能力が僕の全力であると、樋口は頭から信じ込んではいないだろうけど。

 奴がどこまで僕の能力を見切っているか、そして、僕が明確な殺意を抱いていることに感づいているのか。嫌な緊張感と不安感を抱えたまま、僕は樋口と表向きは適当な雑談を交わしつつ、ダンジョンを進んだ。

「――っと、ここだ。この広間の先がボス部屋になってんだよ」

 ひとまずの目的地へと到着する。これまで見てきたのと似たような円形の白いホール。けれど、向こう側にあるこれみよがしに大きな門と、中央にある墓石みたいな真っ白いオブジェが、はっきり他の広間との違いを示している。

「あの白い石版は何なの?」

「セーブポイントじゃね?」

 なるほど、ご丁寧にボス部屋の手前にセーブポイントを用意してくれる系のダンジョンということか。

「要するに、わかんないってこと」

「なんだよ桃川、折角、お前に合わせたギャグだったのに」

「妖精広場を見た時に、同じこと思った。二番煎じだよ」

「なるほど、流石は本物のオタク、目の付け所が違うってヤツ?」

 バカにしてんのか、ナチュラルで煽ってるのか。どっちにしても、不快なことに変わりはない。やはり樋口のような純正DQNとは反りが合わないな。

「うーん、こんなあからさまに設置されると、何か意味がある気がするんだけど……ねぇ、これってコアを近づけても反応しない?」

「ソレはもうやった。何も起こりはしねーよ。ついでに、俺の勘もコイツはトラップの類じゃねぇって感じるぜ」

 僕は無遠慮に謎の白い石版をペタペタ触って調べてみるが、何も怪しいところはみられない。樋口から適当なコアを借りて、あちこち当ててみたりもしたけれど、やはり、反応はない。

「転送装置じゃあないのか」

 そうだったとしても、これじゃあ起動方法が分からない。スイッチがあったり、燃料になるコアの投入口みたいなものもない。

 これはアレだろうか、蒼真悠斗みたいな選ばれし者が触れなければ動かない、みたいなイベント用オブジェクトだろうか。

「よう、気は済んだか?」

「うん、やっぱり、ただのオブジェみたいだ」

 コアを返却し、僕はもう一度、グルリと広間を見渡してから、踵を返した。

「ボス部屋は覗いていかないのか?」

「もう少し、装備を整えてからにしたい。ここのスケルトンは、割といいモノ持ってるし」

「悠長だなぁ、おい」

「命がかかってるんだ、しっかり準備は整えないと」

「はぁ、面倒くせぇ……けど、一理あるよな」

 ひとまず納得したのか、樋口は僕に背を向けて元来た道を戻ろうとしている。

 今だ。

 完全にただの直感だけれど、そう思った。樋口の背中は今、無防備だ。ズボンのポケットに両手を突っ込んでダラダラと歩く後姿。黙って僕が後ろをついてくると信じ切っている。

 しっかり準備は整えないと。僕はそう言ったばかりだ。でも、一番大事なのは機を逃さないこと。

 だから、今だ。今しかない。これ以上、樋口と一緒に居続けると、恐らく、行動の主導権は奴に握られてしまうだろう。事実、アイツは僕よりも強い。その力関係を樋口が確信した時、僕は勝と同じく奴隷の仲間入りだ。

 よし、やろう。今ここで、樋口を殺す。

「逃げ足を絡め取る、髪を結え」

 そう、心の中で詠唱。奴は盗賊だ。小さな囁きみたいな詠唱でも、聞き取る可能性がある。僅かでも気取られる要素はなくす。

 それと、勝と綾瀬さんは……よし、二人は広間の外で、見張っている。すぐに近づけるような距離にはない。

 落ち着け、大丈夫。僕には今、無防備な人間くらいなら、一瞬で殺せるだけの技と武器がある。できる。やれる。僕は人を、殺せるんだ。

「――『黒髪縛り』っ!」

第83話 友達

 まずは足止め。歩く樋口の影から、ドっと噴き出す全力全開の『黒髪縛り』だ。

『赤髪括り』は僕の血を触媒にしないといけないから、奴の足元近くで即座に発動とはいかない。手で出して飛ばすよりも、大人しく黒髪で影から不意を打った方が確実に縛れる。

「うおっ!?」

 よし、絡んだ!

 最悪、樋口の勘が僕の奇襲作戦を上回り、即座に飛び退いて触手を回避するかも、なんて思ったけれど、杞憂で済んで良かった。

 凄い勢いで噴き出した黒髪触手は樋口の足首に絡みつき、そのまますぐ上へと登り腰の辺りまで完全に飲み込むようにグルグル巻きに縛り付けていく。同時に、ポケットに入りっぱなしの手にも触手は伸びて行き、完全にヤツの動きを封じる。

 僕の殺意を現すように、樋口の首を絞めるべく細いロープ状と化した触手が絡む。でも、窒息を狙うほど僕は呑気じゃない。

「行けっ!」

 持っていた槍は手離す。レッドナイフと普通のナイフを抜き放ち、ただのカカシとなっている樋口に向けて投げつける。勿論、触手で縛ってあるから命中率は100%だ。この距離で動かない、人間サイズの標的なんて、外すわけがない。

 さらに、レムと二号はそれぞれの武器を手に樋口へ向かって一直線に突撃させている。

 僕の二刀流と、レムと二号からの刺突を一気に喰らえば、いくら人間離れした身体能力を得ている樋口でも、致命傷となるはず。そうでなくても、死に至るまで、何度だって刺しまくってやる。

「死ねっ、樋口ぃいいいいいいいっ!」

「――っと、危ねぇな、桃川」

 放ったナイフが空を切る感触。なんで、外した?

 いや、違う。どうして、そこに樋口がいない。

「『縄抜けスルーバインド』なんて使えねークソスキルかと思ったけど、へへっ、こんなに早く役に立つ時がくるとは、流石、盗賊の神って奴は抜け目がねぇよな」

 縄抜け。ああ、そうだ、その通り、樋口は僕がかけた黒髪の縄を、見事に抜けていた。

 一瞬の早業、というより、最早一種の魔法だろう。あれだけ完璧に決まっていた拘束を脱するその瞬間を、僕は全く認識できていなかった。

 だから、放った攻撃は間抜けにもいまだに樋口を絞めているつもりでその場に残り続けている黒髪触手の塊だけを切り裂く。

 樋口はその一歩後ろに立っていた。

 なんてことだ、こんなの予測できるはずがない。まさか、よりによって拘束を脱するのに特化したスキルが存在するなんて……いや、けれど、これこそ天職『盗賊』だからこそ授かる、固有スキルというべきものなのだろう。

「くそぉ! レム!」

「ははっ、遅ぇっ!」

 樋口はポケットに手を突っ込んだまま、無造作に蹴りを繰り出す。剣崎明日那のような武術を修めた者が放つ流麗な動作ではないけれど、超人的な身体能力になりつつある樋口ならば、素人のような蹴りでも凄まじい速さと威力が宿る。

 剣を振りかぶって斬りかかるレムの胴体に、樋口の足の裏がクリーンヒット。カマキリ装甲などで、今は僕と同じくらいには重量があるはずのレムが、軽々と吹っ飛んで行く。

「おっ、何だよコイツ、見た目より結構カタいじゃん」

 胴の装甲を砕くつもりで蹴っていたのか。けれど、それなりに強力なカマキリ素材のお陰か、無様に床を転がったレムの体にヒビは入っていなかった。

「けど、こっちの奴は――はははっ、やっぱただのハリボテだったな」

 レムとほぼ同じタイミングで、棍棒を振り下ろしていた二号は、素早い切り返しで放たれた二度目の蹴りを喰らっていた。スケルトン骨格の他にはマンドラゴラくらいしか素材として使わなかった二号は、レムより遥かに耐久性に劣る。ハンマーの一撃みたいな樋口の痛烈なキックによって、胴体はバラバラとなってあっけなく弾け飛ぶ。

 大きく腹部が抉れ、上半身と下半身が離れた状態でぶっ倒れた二号は……ダメだ、もう反応が感じられない。完全に壊れてしまった。

「弱ぇ、弱ぇなぁ、桃川。テメーが頼りにしてる泥人形は、へっ、こんなもんガラクタ同然だぜ。最弱の天職って肩書きは、今も変わらねーようだな」

「待て、樋口、僕の能力を忘れたワケじゃないだろ」

「モチ、よく覚えてるぜ、あのクッソ面倒くせぇ呪いだろうが」

 まずい、まずい、まずい……考えろ、桃川小太郎。ことここに及んでは、樋口の殺害は諦めて、逃走に専念するより他はない。

 落ち着け、樋口は僕の奇襲でかなりキレてるし、そうでなくても完全に敵対へと意識は切り替わるだろう。それでも『痛み返し』がある限り、奴が真っ直ぐ僕を殺しにくることはできない。

「僕を殺すなよ、樋口。お前と一緒に地獄行きなんて絶対に御免だから」

「へへっ、分かってるって、桃川」

「もう二度とお前に関わらないから、僕を見逃せ」

 さぁ、どうする樋口。ここで本気で僕を殺しにかかってきても、あの時みたいに一方的にボコることはできないぞ。

 奇襲は失敗したけれど、今の僕にはそれなりに力がある。戦士の能力を十全に使いこなせていない勝をけしかけたところで、腐り沼黒髪触手コンボで返り討ちにできるはずだ。そう上手く事は運ばなかったとしても、僕が死にもの狂いで抵抗すれば、窮鼠猫を噛むじゃあ済まない痛手を被ることになるぞ。

「まぁ、落ち着けよ、桃川。実は俺、そんなにキレてねーんだわ」

 肩をすくめて薄ら笑いの樋口。なんだ、この期に及んで、何が言いたいんだ。まさか、僕を本気で仲間に引き込みたいってワケじゃあないだろうに。

「桃川、お前、スゲーよ。まさか、こんなに早く俺を殺しにくるなんてなぁ、ヘタレの斉藤じゃあ絶対できねーぜ。っつーか、大体の奴はここまで思い切りよく仕掛けられねーだろうな」

 ソイツはどうも、僕も命がかかってるんでね。必死なんだ。

「まだ人を殺ったことはなさそうだけど……マジな殺意、感じたぜ」

 盗賊の勘ってヤツか。やっぱり、僕が仕掛ける気配を察知していたのかもしれない。『縄抜け』スキルがあるから、わざと触手に捕まった可能性だってある。

「……何が言いたい」

「認めてる、って言ってんだよ。テメーは俺の敵だ。こんなクソみてぇな呪術だけで、この俺に挑んだ、スゲー奴だ、強敵だよ、お前はな」

 その割には、余裕の笑みを浮かべているという事は……

「だから、俺も考えたさ。テメーを殺すための作戦をな」

 やはり、樋口はもう、僕を殺すための攻略法を思いついているんだ!

「黒髪――」

「はっはぁ! 遅ぇぜ、桃川ぁ!」

 再び樋口の影から触手を出すが、足に絡むよりも早くその場を飛び退く。ちくしょう、やっぱり面と向かった状態だと普通に回避されるのか。流石は盗賊の素早さ。

 というか、待て、今、樋口は避けるだけじゃなくて、何かしなかったか?

「痛っ!?」

 カツン、という刃が硬い石版を叩く音を聞くと同時に、頬に走った鋭い痛みに気づいた。何だコレ、投げナイフか。くそっ、全然投げたモーションが見えなかった。樋口の素の技術じゃなくて、これも盗賊スキルと見るべきだろう。

「うおっ、痛ぇ、やっぱ痛ぇな」

 しかし、僕を傷つけたということは、当然、樋口もまた同じ傷を受ける。見れば、奴の頬にもはっきりと血が流れ落ちるほどの切り傷が、横一文字に走っている。

 だが、気味の悪いニヤニヤ笑いは変わらない。

 落ち着け、どこをナイフで狙われても、絶対に樋口にダメージが返る以上、奴は僕の急所を狙えない。動きを封じるために手足を刺すのも同じこと。状況は変わらな――

 ガコン、という機械的な動作音と共に、不意に体が浮遊感を覚える。

「えっ」

 床がない。今さっきまで踏みしてめいたはずの、白い石の床が綺麗さっぱり消失していた。

 あれ、なんだコレ、っていうか、もしかして……落とし穴?

「うわぁああああああああああ!?」

 無我夢中で、僕は手を伸ばす。けれど、消え去った床の面積は、とても手を伸ばして届くほど小さくはない。かなりデカい穴だ。苦し紛れに手を伸ばしたって、意味はない、こともない。

「レムぅうううううううううううう!」

 手から放つ、黒髪縛り。ロープ状の触手を全力で伸ばす。この部屋には中央の石版以外には何もない。触手で掴んで固定できるのはレムしかいない。

「ガガっ!」

「うおおっ!?」

 ガクン、と大きな揺れを感じながら、僕の落下が止まる。肩が引っこ抜けそうな衝撃が加わるけど、どうにか耐えられた。

「う、うわっ、うわぁ……」

 下を見ると、底が見えなかった。暗い闇が広がっているだけで、底の方からヒュウン、と冷たい風が静かに吹き抜けてくる。これ、確実に落ちたら助からない高さがある。

 とりあえず、早く上がらないと心臓に悪すぎる。僕はゆっくりと触手を収納することで、上へと登っていく。

 黒髪触手をしっかりと胴体に巻きつけて、レムは心配そうに僕を覗き込んでいた。よし、レムは何とか踏ん張ってるし、触手も僕一人分の体重は支えられるし、このまま無事に脱出できそうだ。

「へぇ、落ちる一瞬でロープ伸ばすなんて、やるじゃねぇか、桃川。便利な技だから、熟練度は高いってとこか?」

「ひ、樋口……」

 心の底から愉快そうな顔で、樋口は踏ん張るレムの髑髏頭を掴んで、穴に落ちる僕を見下ろしていた。

「なぁ、桃川。俺がこの泥人形ちゃんを突き落とせば、どうなるよ?」

「く、くそっ、最初から僕を罠にかけて殺すつもりだったのか」

 直接刺したら、樋口は死ぬ。だが、間接的に殺せばどうか。たとえば、落とし穴のスイッチを押すとか。背中を押して穴に突き落としたら死ぬかもしれないが、罠のスイッチ、あるいは、罠のスイッチを僕に押させるようにするだとか。

 そういう間接的な手順を挟むと……果たして『痛み返し』は発動するのか。

 試したことはない。けれど、直感で分かった。

『痛み返し』は、発動しない。今、ここで僕を支えているレムを突き落としても、樋口には何のダメージも返らないと。

「正確に言えば、コイツはただの落とし穴じゃねぇ。何でコレが発動したか、分かるか?」

 妙な動きをすればすぐに落とす、という意思を示すように、グラグラとレムの頭を揺らしながら、樋口は問いかける。

 冥途の土産に、っていうヤツか。間抜けなやられ役みたいな真似だが、相手の命を握っていると、これがまた楽しいのだろう。樋口は今、実に楽しそうに笑っている。

「ナイフ……いや、血か」

「お、察しがいいな、正解だよ」

 樋口の投げナイフの直後に、この落とし穴は作動していた。ナイフは僕の頬を切り裂いた後、後ろにあった石版に当たって止まる。もしナイフを石版に当てるだけで発動するなら、わざわざ自分も傷を負うことを承知で、僕にあたるようにナイフは投げないだろう。

 となると、僕の血液を石版に付着させることが目的だったと推測できる。

「血で動くってことは、この石版は生贄用の祭壇か何かじゃないのか。それを知ってて、ここに誘導したな」

「おお、スゲーな桃川、そこまで分かるなんて、流石は本物のオタクってか? ゲームとかじゃありそうなモンだからなぁ」

「おい、樋口、これが本当に生贄で発動する魔法の祭壇だったら、何が起こるか分からないぞ。こういうのって大抵、ヤバいモンスターが出てきたりするもんだ」

「ソレはねーよ、コイツはただの転移魔法陣だからな」

 何故分かる。ただの否定ではなく、確信を持って樋口は言っている。

「古代語って、何のことか分かるか?」

「まさか、解読スキルを持ってるのか!?」

「お前も読めるのか? それとも、読めるヤツが仲間にいたか……まぁ、気づかなくて残念だったな」

 そうか、樋口は小鳥遊小鳥の『古代語解読・序』のような、解読スキルを習得していたから、石版トラップの発動方法も知っていたし、これが生贄用で発動させるタイプの転移魔法陣ということも分かった。僕が見た時には、ソレらしい文字列は見当たらなかったけど……もしかすると、解読スキルを持つ者にしか、そもそも見えないのかもしれない。

「コレを使えば、ヤバそうなボスを倒さなくても、先に進めるってこった。結局、このダンジョンを賢く生き抜くにはスキルが重要ってワケよ。使えねークソスキルしかくれなかった呪術師の神様でも呪って、死んでくれや、桃川――」

「ま、待てよ樋口っ!」

 と、そこで制止の言葉を叫んだのは、僕じゃなかった。

「ああ? うるせーぞ、斉藤、っつーか、さんを付けろよクソデブヤロー」

「話が違うじゃないか! 小太郎と協力して、ボスを倒すって言ってただろう!」

「うるせぇな、黙ってろっつってんだろコラぁ!」

 何だよ、どうして勝がここでしゃしゃり出てくるんだ。お前は関係ないだろう。死にそうになってるのは僕で、樋口の奴隷のお前は痛くもなんともない。今更、くだらない罪悪感でゴネられたって、感謝もクソもないぞ。

「頼む、やめてくれよ、なぁ、何も殺すことはないだろう! そうだ、小太郎の天職は弱いんだから、別に大丈夫だろ――」

「ふざけんな、寝ぼけたコト言ってんじゃねぇぞカスが。コイツはその弱ェー天職でも、平気で俺を殺しにかかってくるヤベー奴だ。テメーみてぇなヘタレじゃねぇ、殺す覚悟があるんだよ」

 そりゃそうだ、天職の能力なんかなくたって、ナイフの一本でも持っていれば、寝首をかくには十分すぎる。明確に殺意をもって襲い掛かってくる僕を、仲間にしておくなんてできるはずがない。

「そうだろう、桃川! テメーは俺をずっと恨んでいた、コアをとられたあの時から、ずっとな!」

 ああ、その通りだ、樋口。

「けどなぁ、俺はテメーなんかに殺されてはやらねぇ。どれだけ恨もうが、どんだけ憎もうが、意味はねェ、知ったことじゃねぇ……俺はそういうヤツを、笑ってぶっ殺してやるだけよ!」

 ああ、そうだろう、樋口恭弥。お前は、そういう男だ。

「今更、つまんねーことで喚いてんじゃねぇよ、斉藤! 折角の機会だ、テメーはそこで見とけ、お友達が死ぬところをなぁ!」

 樋口はついに、レムの体を押す。いや、蹴り飛ばす。僕を支えるので精一杯のレムに、それを回避することも防ぐこともできはしない。そのまま、暗い奈落の底に向かって、僕と一緒に放り込まれるだけ。

 伸ばした手の先に、イカれた笑い顔の樋口と目が合う。勝利を確信していながらも、抜け目がない。僕が最後のあがきに黒髪触手を伸ばすことを、見透かしているような目だ。いつの間に抜いたのか、その手に握るバタフライナイフが、絶対の殺意を示すようにギラリと輝いていた。

 恐らく、切られる。けど、僕にはもう、やるしかない!

「うわぁあああああああ、小太郎っ!」

 再び、僕の体に自由落下が止まる衝撃が走る。何だ、まだ触手は伸ばしていない。

「ちっ、斉藤、テメェ……」

「大丈夫か、小太郎! 助ける、俺が絶対、助けるからな!」

 勝は穴に落ちかけたレムの足首をギリギリで引っ掴んで、腹ばいになって倒れ込んでいた。

「なんで……今更、なんで僕を助けようとする!」

 勝、お前は僕を裏切ったんだ。だから、期待なんてしていない。お前は僕の友達だったけど、そんなのは所詮、平和な学生生活が保証された上で付き合ってられるだけの、薄っぺらい関係。友情の正体なんて、そんなもの。

「友達だからに、決まってんだろ!」

「ふざけるな、僕を裏切って、樋口に従ったくせに!」

「そうだよ! 俺は一度、小太郎を裏切った! だからもう、二度と裏切ったりしたくないんだよっ!」

 な、なんだよ……なに、カッコいいこと言ってんだ。お前、本当に馬鹿だよ。今はそんなカッコつけられる状況じゃあないだろ。蒼真悠斗の武勇伝を羨んで、俺も同じくらいのことできるなんて大言壮語するのとはワケが違う。

 本当に、命をかけた状況なんだぞ。

「ごめん、小太郎……殴って、ごめん……俺が弱かったから、『戦士』なんてのになっても、弱くて、ビビりで……」

 やめろ、やめろよ。そんな懺悔、聞きたくない。

 僕はお前を恨んだんだ。裏切ったお前を。樋口の次くらいには恨んでいた。呪ってやろうって、思っていたんだ。

「あんなに殴って、置き去りにして……無事で済むワケないって、分かってたのに、あのまま小太郎が、し、死んだんじゃないかって、凄い、不安で、怖くて……だから、俺、謝らなきゃって、ずっと思ってた!」

 やめて、やめてよ。そんな告白、聞きたくなんかない。

 僕はお前を恨んでいたというのに……ああ、ちくしょう、呪術師失格だ。涙が、止まらない。

「でも、謝って済む問題じゃないよな! だから助ける、俺は、小太郎を絶対、助けるんだっ!」

「勝っ!」

「――はぁ、萎えるわ、そういうのホント、萎えるんだよなぁ」

 必死の泣き顔で謝罪と覚悟を叫ぶ勝、その後ろで、残酷な盗賊は無慈悲な視線で僕らを見下ろす。

 奴の手にしたナイフは、ついに振り下ろされた。

「ぐぁあああああああああああああああっ!」

「斉藤、友情ごっこはもう十分、堪能したろ?」

 勝の肩口に、ナイフが突き刺さる。結構、深くいってる。ドクドクと流れ出た鮮血は、伸ばした腕を伝い、レムの体を流れ、僕の顔にまで滴り落ちてきた。

「そろそろ、桃川を死なせてやれよ。安心しろよ、掴んだ手を離すだけなら、桃川が落ちて死んでも大丈夫だからな、多分」

「ぐっ、う、ぐぅ……ダメだ、そんなの……頼む、樋口、小太郎を……」

「おいおい、マジかよテメー、こんなところでいらん根性みせてんじゃねーぞ、ったく」

 再び響く、勝の絶叫。深く刺したナイフをさらにグリグリと押し込み、傷口を抉る。

「もういい、勝! 僕を離せ! 落ちても何とかするからっ!」

「な、何とか、なるわけない、だろぉ……小太郎、大丈夫だから、大丈夫、俺、絶対に、助けるから……」

 どうして、そこまで頑張れる。ナイフで刺されてるんだぞ、耐えられる痛みなんてとっくに超えてる。カッコつけた強がりなんて言ってられないほど、残酷なまでの痛覚に襲われているはず。

「いい、いいから、もう離せよっ!」

「いやだ……ここで離したら、俺はもう、小太郎の友達に、戻れなくなる……そんなのは、嫌だ。俺は、そんな最低なクズになんか……もう、なりたくないんだ! だから離さない、この手は、死んでも離さないぞっ!」

「あっそう、じゃあ死ねよ」

 人の覚悟を、願いを、叫びを、全て嘲笑うように、樋口はバタフライナイフを一閃。肩から引き抜かれた刃は鮮血を散らしながら、燕のように翻る。

「あっ、か、はっ……」

 ヒュウウ、と奇妙な呼吸音が勝の口から漏れる。同時に、首から噴き出す血。大量の血飛沫だ。樋口の一撃は、的確に勝の頸動脈を切り裂いていった。

「そんな、勝……おい、勝……」

 返事はない。勝の口からは逆流してきた鮮血が溢れ、自らの血に溺れている。言葉を話すどころじゃない。

「あーあ、ったく、コイツもバカだよな。大人しく俺の奴隷やってりゃあ、もうちょい長生きできたってのによ。つまんねー意地なんか張りやがって。この俺に逆らうってんなら、、もう殺すしかねーだろが」

 苛立たしげに、樋口はナイフを勝の背中に突き刺す。首を切った一閃のような鮮やかさはなく、ただの八つ当たりのように、乱暴に刺す。ザクザクと、無遠慮に、無慈悲に、同じ人間の、クラスメイトの背中に、刃を何度も突き刺すのだ。

「ま、勝……」

「おっ、なんだよコイツ、もう死んでんのに手を離さねーな」

 今まで、何体も魔物を殺してきたし、人の死も見てきた。だから分かる。勝は死んでいる。全く生気を感じられない。もう、僕の薬をどれだけ塗りたくっても、目を覚ますことはないのだと。

 それでも勝は、レムの足を、奈落に落ちる僕を、掴み続けてくれていた。

「ははっ、スゲー、男のプライドってやつ? こんなグズでも最後に根性みせたな。おう、良かったなぁ、桃川――」

 そんな勝を樋口は笑いながら、蹴飛ばした。

「――最後に仲直りができてよ。あの世で仲良くやってくれや」

「樋口ぃいいいいっ! このっ、ゲスがぁあああああああああああああああああああああ!」

 そうして、僕は勝の死体諸共、生贄の落とし穴へと三度、突き落とされる。

第84話 呪術師VS盗賊(1)

「――っち、流石にこの深さじゃあ、底は見えねーか」

 桃川とクソデブが揃って落ちて行った深い落とし穴を、俺は覗き込む。

 この高さでは助かるまい、なんつって実は生きてました、なんてオチがよくある。そういうのを見る度に思う、ちゃんと死体を確認しないバカがいるか。今、こうしてダンジョンの魔物をぶっ殺すようになってから、尚更に思うね。瀕死の奴でも、完全に死んで止まるまでは油断できねぇ。窮鼠猫を噛む、イタチの最後っ屁、なるほど、ことわざってのは真理だぜ。

「おいおい、これホントにちゃんと動くのかよ」

 この生贄型の転移魔法陣は、人間一人分を捧げれば発動する、と古代語の説明文には書いてあった。他にも何か色々あったけど、今の俺の解読スキルじゃあ、最低限しか読めなかった。それでも、普通に使うには問題ないとは思ったんだが……

「まぁいい、もうちょい待ってみるか」

 桃川と斉藤の二人分も生贄を放り込んだんだ。これで動かなかったら、諦めるしかない。流石に三人目も追加、とはいかない。

 まだ、レイナ・A・綾瀬を失うわけにはいかないからな。殺したくない、というより、戦いたくない。コイツの能力はマジで厄介だからな。本気で抵抗されたら、恐らく、俺も返り討ちに遭う。

 問題なのは、レイナ本人じゃなくて、コイツが使役する『霊獣』だ。術者本人から独立して意思を持っているから、レイナが眠っている間も、常に周囲を警戒している。精霊、つまり魔力でできた魔法の生命体だから、動物のように疲労もしない。レイナの魔力さえあれば、24時間オールタイムで警護し続けるってことだから、隙がねぇ。

「なぁ、盗賊の神様よ、二人もぶっ殺したんだ、何か新しいスキルをくれよな。できれば、魔法に対抗できるようなヤツがいいなー、なんつって……」

 不意に、直感が働く。間違いない、俺の『サーチハイセンス』が反応した。この感覚だけは、もうすっかり慣れて体に染みついている。気のせい、なんて間抜けはしない。

「なんだ、この感覚……何が来るってんだ……」

 まさか、桃川が言ったように、生贄を捧げられた結果、ヤバい魔物が召喚される、なんてことはねーだろうな。転移はきっちり一人分じゃないと発動しなくて、二人以上になると魔物召喚って機能だったり……クソ、全文解読してねぇから、確証がもてねぇ。

 けど、違う。分かる。

「ちっ、マジかよ、桃川、テメぇ――」

 ハッキリと感じた。この危機は、俺の命を狙う、殺意に燃えた『敵』は、この奈落の底から這いあがってくるのだと。

「樋口ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」

「生きてやがったのか、桃川ぁっ!」

 桃川の恨みがましい絶叫と共に、大きな黒い影が落とし穴から飛び出す。

「こんなところで死ねるかよ、僕も、勝も――」

「クソっ、何だってんだよ、ソイツは……斉藤は、確実に殺ったはずだぜ」

 現れたのは、野良猫みたいな生意気な童顔を怒りに歪ませた桃川と、斉藤、いや、斉藤のような、奴だ。

 ような、ってのはアレだ。微妙に姿が違うからだ。

 全体的には、学ラン着て腰に戦士用の長剣を下げただけの、斉藤と変わらない。強いて言えば、その目には生気がなく白目を剥いていて、完全に死人の表情ってくらい。死んでる。間違いなく、斉藤は死んでいる。

 けど、斉藤はこうして俺の前に立っている。桃川を背負って、あの落とし穴を凄ぇ勢いで駆け上って、再び現れた。

「樋口、お前を殺すまでは、死んでやれない!」

「テメェ、死体を、操ってやがるのか……」

 そうとしか思えないし、そういう風にしか見えない。

 斉藤の死体には、あのレムとか呼んでいた泥人形が、体の各所に鎧のようにくっついている。頭には髑髏がバイクのヘルメットみたいに被さってるし、肩や手足には、妙に硬かった緑色の装甲がくっついてる。おまけに、右手にはカマキリみたいな刃も生えてやがる。

 泥人形を通して死体を操作してるって感じだ。それも、落とし穴を登って来たってことは、かなりの運動性能。穴の壁面はここの床と同じ、石畳のような感じで凹凸はある、けど、それは爪の先が引っかかるかどうかってくらいの僅かなもんだ。普通の人間じゃあ、とてもグリップして登れない。

 それでもあんな勢いで登ってきたのは、それだけのパワーと、あとは指先を覆う鋭い爪の泥人形パーツのお陰ってところか。

「ちっ、どこまでも舐めた真似しやがって、往生際の悪ぃ奴だ。けどなぁ、そんな斉藤みてぇなクソ雑魚の死体を操ったところで、俺は倒せねぇよ」

「僕と勝、二人でかかれば、お前を殺すには十分だ」

「余裕こいてんじゃねぇぞ、桃川。テメェをぶっ殺す方法なんて、他にいくらでもあるんだからなぁ――」

 例えば、お前を縛って、目の前のボス部屋に放り込むとかな。上手くいけば、テメぇもボスも共倒れ。俺はコアを手に入れ、先に進めるってワケだ。

 そして、俺のスキルを、ただナイフを投げるだけだとは思うなよ。縛る方の技だって、俺にはあるんだぜ。

「覚悟しろ、樋口。お前は苦しんで、死ね」

「はっ、来いよ、桃川。最弱の呪術師の力ってヤツ、見せてみろやっ!」




 正直、上手くいったのは奇跡だった。あるいは、勝の無念が不可能を可能にしてくれたのかもしれない。そう思ってしまうほど、それは劇的な効果だった。

「――『汚濁の泥人形』っ!」

 奈落の底に向かって真っ逆さに落ちている最中、僕は『汚濁の泥人形』を発動させた。

 今、ここには僕の血と、ベースとなるレム、そして、新たな『素材』である勝……勝の死体がある。やって、やれないはずがない。

 新たな泥人形は即座に完成する。僕がソロでカマキリと戦った時、泥人形レムを『腐り沼』に入れて、速攻で毒沼の肉体に再構築した経験があったから、すでに完成しているレムという素体があれば、一瞬でできる確信はあった。それこそ、落とし穴の底に叩きつけられるまでの、僅かな時間でも。

 無駄に高い落とし穴が仇になったな、樋口。これが人の手で掘ったような深さしかなければ、こうも鮮やかに復帰することはできなかったから。

「グ、ゴ、ガガ……」

 呻き声のようなモノが聞こえると同時に、レムと勝の体が、いつも見る混沌の影みたいなモノに覆われた。不気味な黒い球体になったけど、次の瞬間には消えてなくなる。

 そして、混沌が晴れた時にはもう、そこにはレムのパーツを鎧のように装着した勝がいた。

 勝は空中で機敏に身を翻すと、片手で僕を掴み、もう片方の手で落とし穴の壁面へ爪をたてる。レムの骨の手をそのまま合体させたように、鋭い金属質の爪先は、ガリガリと火花を散らして壁を掴む。

「と、止まった」

 僕は勝の背中にしがみつき、勝は両手両足を虫みたいに壁にはりつかせて、ようやく落下が止まってから、そうつぶやいた。

 下を向けば、ようやく底が薄らと見えた。落ちた者を殺す気満々な、鋭い円錐形の柱がビッシリと並んでいる。本当に、危ないところだった。

「勝じゃなくて、レム、なんだよね」

 分かってる、これは死者を蘇らせる奇跡の魔法なんかじゃない。これまで何度も使ってきた、単なる『汚濁の泥人形』。要するに、勝は単なる材料に過ぎないんだから。

「ごめん、勝……でも、僕は呪術師だから、これしかできない」

 友人の死体を利用するなんて、非人道的だとか、倫理がどうとか、問題大ありなのは分かっている。けれど、僕は友達だから、勝の気持ちは理解しているつもりだ。

「だから、力を貸してくれ。僕と勝で、樋口を殺すんだ」

 復讐せずにはいられない。アイツを殺すまでは、死んでも死にきれない。自分の死体が素材として利用されるくらい、何てことはない。それくらいの恨みがある。

 僕が呪術師だからじゃない。この恨みの感情は、人間として当たり前のもの。あんな外道、恨んで当然。この手で殺してやらない限り、勝の無念が晴れることはないんだ。

「ゴォオアアア……」

 声をあげるのは、勝の死体を取り込んだ、というより操っているレム。素材と融合して自分の体と一体化させていないところを見ると、不完全なように思えるけど……

「泥人形じゃない。これが、屍霊術ネクロマンシーか」

 死体を操る魔法。なるほど、確かにこれも呪術の一種といえば、それらしい。僕の天職が『屍霊術士ネクロマンサー』だったら、最初からこういう技が使えたのか。それとも、ネクロマンサーみたいな技も使える、呪術師が上位互換な天職なのか。

 僕も今の状態が、『泥人形』の能力なのか、全く別の新呪術に派生したのかは分からない。けど、詳しいことなんか、どうでもいい。

 重要なのは、勝が僕の願いに応えてくれるように、落とし穴の落下を壁に張り付いて止まるくらいの、凄まじい運動能力を持った『屍人形』として、動き出してくれたことだ。

「行こう、勝!」

「ガアアアっ!」

 そうして、虫の洞窟を駆け抜けるポーン・アントよりもパワフルに、勝の屍人形は落とし穴を這い上って行った。

「樋口ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」

「生きてやがったのか、桃川ぁっ!」

 流石に、ここから復帰したのは驚きといったところか。けれど、僕らが現れるのは盗賊の直感で察知していたのだろう、しっかり構えはとっている。

 右手には、勝を殺したバタフライナイフ。左手には、かなり質の良さそうな、大振りのナイフを握っている。どちらも逆手で握ったナイフの二刀流は、かなり使い慣れているのだろう、その構えは堂に入っている。

「こんなところで死ねるかよ、僕も、勝も――」

「クソっ、何だってんだよ、ソイツは……斉藤は、確実に殺ったはずだぜ」

 ああ、確かに、勝は死んだよ。首を斬られた上に、あれだけザクザク刺されたんだ、死なないはずがない。

 けど、そんな死に方すれば、どれだけ人の恨みが溜まるか、今こそ思い知るがいい。

「樋口、お前を殺すまでは、死んでやれない!」

「テメェ、死体を、操ってやがるのか……ちっ、どこまでも舐めた真似しやがって、往生際の悪ぃ奴だ。けどなぁ、そんな斉藤みてぇなクソ雑魚の死体を操ったところで、俺は倒せねぇよ」

「僕と勝、二人でかかれば、お前を殺すには十分だ」

「余裕こいてんじゃねぇぞ、桃川。テメェをぶっ殺す方法なんて、他にいくらでもあるんだからなぁ」

 そりゃそうだ。僕を縛ってボス部屋に放り込むだけで十分だしね。『痛み返し』だけでどうにかなると思っているほど、僕は戦いを舐めてはいない。

「覚悟しろ、樋口。お前は苦しんで、死ね」

「はっ、来いよ、桃川。最弱の呪術師の力ってヤツ、見せてみろやっ!」

 ああ、見せてやるよ。僕の全身全霊をかけて、お前を呪い殺してみせる。

第85話 呪術師VS盗賊(2)

「穢れし赤の水面から、血肉を侵す髪を編め――『赤髪括り』」

 両手で石コロを握り、『赤髪括り』を掌から飛ばす。

 同時に、元から勝が装備していた腰の長剣を引き抜いて、レムが駆け出す。

 フォーメションは基本に忠実でいい。今のレムは前衛で戦士を張れるだけの十分な性能を持つ。お蔭で僕は後衛に徹することができる。

「おっ、何だよ、赤いヤツも出せるのかよ。これって当たったらヤバい系?」

 僕の単調な赤髪触手攻撃なんて、余裕で見切っているのだろう。樋口はゆらり、ゆらり、と体を左右に動かすだけで、薙ぎ払うように飛ばした触手攻撃を回避して見せる。いや、避けただけじゃなくて、二度目の回避の際には、ナイフで触手を斬り飛ばしていた。

「うおっ、刃がちょっと溶けてるじゃねーか」

 ジュウウ、と小さな音を立てて、僅かにナイフの刃が欠けている。まぁ、『赤髪括り』は見た目からして溶解能力持ってそうだし、すぐに効果は分かるだろう。

「ガァアアアアっ!」

 と、僕の先制攻撃を華麗に捌いたあたりで、樋口にレムが斬りかかる。

「へぇ、なるほど、斉藤よりはいい太刀筋してるじゃねぇのっ!」

 勝の天職『戦士』としてのスペックを上手く引き出しているのか、レムの斬撃はこれまでよりも鋭く見えた。だが、樋口を一刀のもとに叩き切るには足りない。

 レムは流れるような動作で長剣を振るうが、やはり樋口は見切っている。さして危機感を覚えてないような表情で、剣戟をかわし、受け、反撃していた。

「ちっ、流石は死体、痛みは感じねーってか」

 樋口のバタフライナイフが、レムの脇腹を軽く裂いた。僅かな血飛沫が出るだけで、動きは鈍らない。

 無理に攻めるのは危険と判断したのか、樋口は素早いバックステップで距離をとった。

「そこだっ!」

「当たるかよ!」

 レムとの距離が離れれば、僕も赤髪で狙いやすい。呪術で編まれた髪は、切断されてもすぐに再生できる。

 避けられても、切り払われても、僕はひたすら『赤髪括り』の遠距離攻撃で樋口を狙い続ける。

「――ちいっ、キリがねぇな」

 同感だ。僕の攻撃は、まるで当たる気配がない。

 レムは距離を離されれば、僕の攻撃タイミングと合わせて、再び樋口へと追いすがっては斬撃を見舞う。それを適当にいなし、斬り返してくる樋口。レムが下がれば、また僕の赤髪が襲う。それの繰り返しだ。

 樋口は焦れているのか。いや、このまま続けてもジリ貧になるとは思ってない。スタミナも集中力も自信があるのか、奴は焦っているというより、ただ煩わしいといったような雰囲気だ。

 どうする、このまま続けて、押し切れるか。いや、恐らくそれは難しい。

 単純な戦闘能力は樋口の方が上だ。これ以上、同じ攻撃を続けていれば、レムの性能、僕の攻撃、全てを見切って反撃してくるかもしれない。そうでなくても、僕の方が先に集中力が途切れてしまいそうだ。

 仕掛けるなら……そろそろか。

「広がれ、『腐り沼』」

 これまでの攻防で、樋口が切り払った『赤髪括り』はあちこちに飛び散っている。それは、僕の血が落ちているのと同じ。今なら、どこでも好きな場所に『腐り沼』を展開できるということだ。

「うおっ、何だ、クソっ!?」

 待ち構えていたかのように、奴の足元から急速に広がる赤い毒沼。その危険性は、盗賊の勘で瞬時に察したことだろう。

 樋口が毒沼に足を着ける。だが、すぐに跳ねて沼の範囲を脱するように飛ぶ。足がついたのは一瞬だから、上靴を少しばかり溶かすだけで、足そのものにまではダメージは通らなかった。

「広がれ、もっと!」

 僕は魔力を振り絞って、さらに沼を広げ続ける。すでに『腐り沼』は見せてしまった。ここで樋口を沼に叩き落とせなければ、二度目はもう見切られて通じなくなる。

「くっ!?」

 予想外の広がりを見せる沼に、樋口の顔に初めて焦りの表情が浮かぶ。

 よし、届いた。『腐り沼』は樋口が跳躍した距離に追いつくまで大きく広がり、奴の着地点を越える。

「落ちろっ!」

 もう一度、僅かでも足が触れれば上靴は完全に消えて、溶解ダメージは免れえない。盗賊にとって足をやられるのは致命的だ。その素早さを鈍らされれば、天職『戦士』の力を宿すレムのパワーに耐えられなくなる。

 足は守らなければならない。樋口は手をついた。

 無論、武器を握る手がやられても、戦闘力の低下は同じこと。犠牲にできるほど、安いものじゃない。

「くっ、そがぁああっ!」

 だから、樋口は自分の手も守り切った。

 沼に着けた左手、そこに握られているのは、大振りのナイフだ。そう、ソレを思い切り突き立てていた。

 刃が強酸性の毒沼に浸かり、ジュウジュウと激しい音を立てながら溶け始める。けれど、溶けて折れるまでの僅かな時間があれば、樋口には十分だった。

 奴はそのまま左手一本の力で自分の体を跳ねあげて、さらなる跳躍力としてみせた。曲芸染みたその動きは、なるほど、天職『盗賊』の身体能力があればこそと納得できる鮮やかなものだった。と、感心している場合じゃない。

「ちっ、ダメだったか……」

「今のは結構ヤバかったぜ、桃川ぁ」

 ナイフ一本だけを犠牲に、樋口は無傷で『腐り沼』から脱していた。

 くそ、沼に深さがあれば落とせていたのに。でも、あそこで深くするほどの集中力もなかったし、魔法陣もなかった。無理な勢いで広げたせいで、普通よりもかなり底が浅くなってしまっていた。

 仕方がない、僕の力不足だ、と反省するのは後回し。虎の子の『腐り沼』が不発に終わった以上は、次の手を打たないと――

「やっぱ、魔法使い相手にノンビリ構えるのは危ねーな。速攻で仕留めるべきだったか」

 樋口の目つきが変わる。舐めていたところに、手痛い一撃をくらいそうになって、本気にさせてしまったか。

 盗賊の直感なんかなくても、ヤバそうだと思いつつも、すぐに次のプランも浮かばない僕には、とりあえず赤髪を飛ばすことしかできない。

「疾っ!」

 強酸性の赤髪を華麗に掻い潜りながら、樋口はこれまでにないほどの鋭い声を発した。

 動いたのは、ナイフを失った左手。腰元から、新たなナイフを抜いて、投げた――ようにしか、僕には見えなかった。

「ガガっ!?」

 剣を振りかぶって迫っていたレムが、そこで急に倒れた。

 レムは痛みを感じない。ナイフ程度の刃渡りで刺されても、その行動に支障はきたさないはずだ。樋口の投げナイフでは、一発でレムをストップさせるほどの威力はない。

 だから、レムの転倒は投げナイフが原因じゃない。

「なんだ、ワイヤーかっ!?」

「へへっ、縛る技を使えるのが、テメーだけだと思うなよ!」

 さらにもう一度、ナイフを投げる。それで気づいた。樋口な投げたナイフは二本ある。同時に二本投げているのだ。

 そして、その二本のナイフの柄には、金属質の細いワイヤーみたいなのが繋がっている。相手にあてるのは刃そのものではない。飛んでいく二本の間、ワイヤーが張っている範囲にターゲットが入りさえすればいいのだ。そうすると、投げナイフの勢いでワイヤーが体に絡みつくというカラクリだ。

 樋口は一投目でレムの足元を絡め取り、今の二投目で上半身を縛り上げた。

「レム! 鎌でワイヤーを――」

「させるかよ!」

 倒れたレムに盗賊の脚力で急接近。樋口は思いきり蹴り飛ばす。

「ガッ!」

 うわ、マジかよ。勝の体そのままなのに、ちょっと宙に浮いてぶっ飛んだぞ。あんなキック、僕が喰らったら一発で骨はバラバラ、内臓はグッチャグチャだ。

「う、うわぁああああっ!」

 レムが退けられたことで、樋口の接近を止めるものはなくなった。後衛の僕まで、奴は一直線だ。

 無我夢中で赤髪を繰り、さらに自分の影と、樋口の影から『黒髪縛り』を放つ。縄抜けスキルがあっても、絡みつけば多少の足止めにはなるはずだ。

「おっと、こんなもんで、俺を――」

 ちくしょう、どうして当たらない! この距離、これだけの触手をけしかけているというに。

 樋口の影から触手を生やすといっても、動き続ける影にずっとくっついているワケではない。影はあくまで、触手を生やすスタート地点に過ぎない。樋口の速度をもってすれば、触手が飛び出る直前には、その場を離れていることもできる。だから、どれだけ生やしても捕まらない。右に左にステップを刻んでは、巧みに黒髪と、ついでに僕が振り回す赤髪をすり抜け、あっという間に距離が――まずい、奴はもう目の前だ!

「捕えられるかよっ!」

「うわっ!?」

 樋口の腕が動く。まさか、僕をナイフで刺したわけではあるまい。この距離で、何をするつもりだ。速すぎて見えない。いや、違う、何も見えない。

「あっ、うわっ! なっ、見えなっ――」

「おらぁ!」

 突如として暗転した視界に動揺した瞬間、体に走る重い衝撃。僕は潰れたカエルみたいな無様な声を上げながら……ぐっ、い、痛い……床を転がった感触を覚えた。

「あー、くそっ、痛ぇ、もうちょい加減して蹴りゃあ良かったぜ」

 全くだ。でも、骨も折れてなさそうだし、内臓破裂ってこともなさそう。手加減としては成功してるよ、樋口。

 そんなことを思いながら、僕はようやく、視界を塞がれたカラクリに気づく。

 なんてことはない、これはただの目隠しだ。感触からして、ハンカチか何か。その小さな布地で僕の目元が覆われていて、それを固定するようにワイヤーが巻かれているようだ。

 一瞬の早業で目隠しを決めたのは、これも盗賊スキルなのか。それとも、超人的な身体能力と、樋口の器用さで成立するただの技術か。どちらにせよ、視界を塞がれていては戦いにもならない。僕はどっかの武術の達人みたいに、目を潰されても相手の殺気だか気配だかを察知して正確に反撃できる心眼スキルなんて欠片も持ち合わせてないからね。呪術師の僕には、恐らく、一生縁のないスキルだ。

 そんなワケで、早く目隠しをとらなければ、と思うけど、今度は僕の手が動かない。

 腕をとられた。

「動かない方がいいぜ、桃川。このワイヤー、そこそこ切れ味あるからな」

 僕がキックの痛みと衝撃から復活するよりも早く、樋口に腕をワイヤーでグルグル巻きに縛り上げられてしまう。同じダメージが入っても、強靭な肉体を持つ樋口の方が痛みには強い。剣崎明日那に殴られた時と同じ原理だ。

 僕にとっては必至で歯を食いしばらないと耐えられないような痛みだけれど、樋口は「くそ、痛ぇ」の一言で済む程度。痛みでダウンした僕はさぞや隙だらけ。手ずからワイヤーで縛るくらいの余裕はあるってことだ。

 キツく食い込んでくる硬いワイヤーの感触。もうすでに痛い。腕だけじゃなくて、指にまで絡みついている。どういう縛り方してるんだ、これ、下手に拳を開いたら、指がとれそうになるぞ。

「よし、こんなもんか。これで呪術も使えねーだろ、桃川」

 何言ってんだ、視界と手を塞がれたくらいで呪術が使えなくなるわけ――

「その気味の悪ぃ髪の毛、どこでも出せるみてぇだが、出すポイントは目で見て決めてるだろ。視線の動きでバレバレだぜ、だから読まれる。まぁ、剣士でもねー桃川に、そういうのを誤魔化せってのは無理な注文か」

 そうだ、僕の呪術って、全て目が見えてないとどうもならないモノばかりだ。黒髪も赤髪も、出せることには出せるけど、見えてないとどこに飛ばせばいいか分からない。『腐り沼』も『逆舞い胡蝶』も、あの使えないクソ呪術不動の一位の『赤き熱病』だって、見えてなければ当てられない。

 視界を潰された僕は、完全に無力であった。

「終わりだぜ、桃川」

「うわっ!? ああっ、やめろぉーっ!」

 ワイヤーを解こうと身じろぎする暇もなく、今度は足をとられる。足首を掴まれ、僕は強制的に仰向けに倒された。その体勢のまま、ズルズル引っ張っられていく。

 穴に落とす気、いや、それだと樋口に『痛み返し』される。なら、向かう先はボス部屋かっ!

「クソッ、放せ!」

「ははっ、結構いい声で泣くじゃねーの、お前、そこらの女子より可愛いぜ」

 ちくしょう、ああ、ヤバい、ヤバいぞ、半泣きで喚いたところで、事態は好転なんかしない。考えろ、この状況を脱するには――

「おい、あんま暴れんなって。俺にダメージが入ったらどうすんだよ」

 ぐううっ、痛い。必死になって暴れすぎて、変な方向に体をねじってしまった。

 けど、それくらい僕が全力でもがいたところで、樋口の拘束はビクともしない。奴のパワーを考えると、正に赤子の手を捻る、ってくらい力の差はあるんだ。僕が体一つで暴れても、何の効果もない。

 どうする。ボス部屋はすぐそこだ。レムはまだ復帰しないのか。今この瞬間にレムが拘束を解いていたとしても、もう間に合わないか。やっぱり、自分で何とかするしかない。

 でも、非力な僕にはこの体勢をひっくり返すほどのパワーはなくて、というか、僕にあるモノといえば、呪術しかないわけで。

 けれど、触手で反撃できるものならとっくにやってる。樋口は僕が掌から『赤髪括り』を放ったのを見ているからこそ、手の指にまでワイヤーで縛って開けなくしたのだろう。実際、それは正解だ。拳を握った状態だと、太さのある触手は出せない。出そうとすれば、その分押し広げられて、僕の指は落ちるだろう。

 本物の髪の毛みたいな細さなら、何本か隙間から出すことはできるが、そんな程度じゃ何もできない。いや、赤髪ならワイヤーを溶かして切断できるか……ちくしょう、視界が塞がれたこの状況で、素早く細い赤髪だけで拘束を溶断できる自信がない。妙な動きを見せれば、次の瞬間には樋口の蹴りが飛んできて、再び悶絶することになるだろう。

 この状況を覆すには、せめて普通に行使するくらいの量で触手が必要だ。少なくとも、樋口を牽制できるくらいには。

 どうする、イチかバチかで適当に触手を出してみるか。それとも赤髪でワイヤー切断を狙うか――いや、待てよ、僕にはまだ、目が見えなくても、腕が封じられていても、安定して触手を発生させられる場所がある!

「……『黒髪縛り』」

 その瞬間、頭がちょっとだけ重くなったような気がした。それは集中力のせいでもなければ、魔力を消費したからでもない。物理的な重量が増したからに他ならない。

 そう、僕は今、自分の頭に生える髪の毛をそのまま伸ばす形で『黒髪縛り』を発動させた。前に一度、実験で髪の毛発動はやっている。今の今まで忘れていた自分がバカみたいだ。

「なっ!?」

 伸ばす。僕の足を掴んだ腕を辿れば、流石に目が見えなくても体の位置はなんとなく分かる。頭から大量に伸びた黒髪触手は、今、確かに樋口の腕を絡め取ったぞ。

「ちいっ!」

 スルリ、と滑るような妙な感触と共に、髪で縛った感覚が消える。縄抜けを発動させたようだ。

 樋口は僕の縛りを脱したが、その分だけ、僕も縛られたワイヤーを解くだけの余裕も生まれる。

 伸びた前髪のあたりをワサワサと動かして、まずは目隠しを解除。ハンカチをズラして、視界を確保する。

 ちくしょう、グルグルに縛り付けやがって、と自分の腕の惨状を見ながら、即座に掌から赤髪を伸ばす。『腐り沼』と同じ強酸性の性質を宿す赤い髪の毛が、指に食い込むワイヤーに絡みつくと、シュウシュウと音を立てて溶かし始めた。

 こういう時、本当に呪術の効果が僕の生身には通じなくて良かったと思う。もし呪いの酸が僕の体も平気で溶かしてきたら、自爆もいいところである。

 指を解放すると、掌を開けるから、より多くの赤髪を使って、腕のワイヤーを切りに行ける。

「よし、これでっ」

 僕の体に再び自由が戻る。けど、樋口がそれを大人しく待っててくれるはずもなかった。

「逃がすかよぉ!」

 左手にはワイヤーナイフを構える樋口が、すぐ目の前に立つ。

「広がれ!」

 咄嗟に、僕は頭を振ってスーパーロングヘアと化した黒髪触手の束を、盾のように体の前に広げた。樋口のワイヤーナイフは、魔法でも何でもない、ただワイヤーを仕込んだだけの武器だ。障害物があれば、それに当たって阻まれる。

 僕には樋口が盗賊の腕前で放つ投げナイフなんて見えはしないけれど、飛んでくる場所が分かっていれば、こうして防ぎようもある。

「くそがっ、手間かけさせやがって!」

 黒髪触手が、上手く放たれたワイヤーナイフを絡め取った。ナイフの刃が少しばかり髪を切り裂いただけで、膨大な量の黒髪を前には鋭いスローイングナイフも止まってしまう。

 しかし、樋口の反応も素早い。投げナイフだけじゃ僕を捕まえられないと即断し、自ら黒髪触手を右手のバタフライナイフで切り払って急接近。

 まずい、縄抜けスキルを持つ樋口が相手では、接近戦の分が悪すぎる。

「ガガァアアアアアアアアアアアアっ!」

 そこで、横合いから雄たけびを上げてレムが飛び出してくる。

 よく間に合ってくれた。割と無茶してワイヤーを脱してきたのだろう。勝の肉体には幾筋もの切り傷が走っている。

 けれど、痛みのない屍人形に軽傷など無意味。思い切り剣を振り上げ、樋口に斬りかかってゆく。

「邪魔すんじゃねぇっ、このクソデブがぁ!」

 素早い反応で、樋口は狙いを僕からレムへと切り替える。振り下ろされた力強いレムの一撃は、樋口が繰り出すナイフで受け止められる。

 このままでは、振出しに戻ってしまう。レム一人だけじゃあ、樋口を斬り伏せることはできない。僕が距離を置いて赤髪でちょっかいをかけても、それでも樋口は捌ききる。

 奴を仕留めるには、もうひと押しが必要だ。

「うぉおおおおおおおおおおおっ!」

 考えている暇はなかった。だから、僕は頭の黒髪触手の束と共に、そのままレムと斬り合いを演じる樋口に突っ込んで行った。

 もう、奴の動きを止めるには、直接この体で抑えるしかないだろう。

「桃川っ、テメェ――」

 僕の意図を瞬時に理解してくれたレムが、あえて鍔迫り合いに持ち込み、樋口の足を止める。

「だぁーっ!」

 お蔭で、僕は樋口の背中に飛び付くことができた。

 伸ばした黒髪触手で、自分ごと樋口を縛り付ける。何でもいい、とにかく、少しでも樋口の動きを鈍らせることができれば、それでいいんだ。

「やれっ! レム!」

「ああああっ、クソがっ!」

 当然、樋口は僕を振り解こうとするが、レムに真正面から斬りかかって来られれば、そっちに対応せざるをえない。僕は樋口の背中にぶら下がりながら、必死に振り落とされないようにしがみつく。

 僕という重量を背負いながらも、樋口はそれでもレムの攻撃を捌き続けた。まだ決めるには足りない。だったら、僕も攻撃だ!

「『赤髪括り』っ!」

 出せるだけ出す。僕は樋口にしがみついて振り回されている真っ最中だから、首を狙うとか、そういうのまでは無理。でも、赤髪ならとりあえずどこでもいいから触れれば、そのままダメージになるはずだ。

「あっ、熱っ、く、そぉおお――『ガードスキン』っ!」

 樋口の手足や胴に、僕の掌から伸びた赤髪が絡みついた直後、その体がボンヤリとした青白い輝きに包まれた。赤髪はシュウシュウと溶解音を発してはいるが、樋口の学ランは無傷。

 この光のオーラが全身をガードしているのか。ちくしょう、こんな便利なガード技まであるなんて、盗賊といっても完璧に戦闘職じゃないかよ!

「ガッ、ガアッ!」

「ぐっ、くっ、ヤベぇ――」

 しかし、樋口も魔法の全身防御で余裕というワケでもなさそうだ。これの発動には魔力も集中力も使うのか、樋口の動きは明らかに精彩を欠いている。追い詰められた苦し紛れに、奥の手を使わざるを得なかったといった感じか。

 いける、勝てる。あと、もう少し――というところで、僕の方も限界だった。

「オラァっ!」

 レムとの攻防の隙を突いたその一瞬で、樋口は縄抜けを発動。黒髪の拘束と赤髪の攻撃は一時的に全て解除され、僕の非力な腕だけでしがみついただけの体勢になる。そうなってしまうと、樋口の身じろぎ一つで簡単に吹っ飛ばされてしまう。

「うわっ!?」

 ドっと体を打つ鈍い痛みを振り払って、僕は立ち上がる。いけない、すぐに戻らないと、形成をひっくり返される――けれど、黒髪触手が、出ない。

「うっ、こ、この感覚は……魔力切れ、かよぉ……」

 触手を編めないほどではない。けれど、さっきまで出していた頭の分は全て消え去り、もう一度、同じ量を出そうとしたら、僕はその瞬間に気絶してしまうという確信があった。

『黒髪縛り』と『赤髪括り』、あとは広い『腐り沼』一回と、そこまで激しい魔力消費はないと思ったけれど……恐らく、レムと勝を合体させた『屍人形』の創造にかなりの魔力が持っていかれていたのだろう。

 ちくしょう、ここに来てガス欠だなんて、冗談じゃない。

「グガァアアアアアアアっ!」

「うぉおおっ! 死ね、死ねっ! 死ねや、クソっ、舐めやがって、この、俺をっ!」

 レムが奮戦している。樋口は右手のバタフライナイフはそのままに、左手にはまた新たなナイフを握り、その素早い二刀流でもってレムを切り刻む。

 刃の短いナイフでは、そうそう致命傷にまで至らないのか、レムは無数の斬撃に刻まれながらも、強引に剣で攻め続ける。

「ぶっ殺してやる! 何度でも殺してやるよ、斉藤ぉ、この俺が、テメェみてぇなグズのヘタレ豚に、やられるワケがねぇだろがっ!」

 今の樋口はもう限界ギリギリなんだろう。傷はないが、かなり消耗していると感じているが故の焦り。だから叫ぶ。こんな、最弱の呪術師と奴隷のデブ、圧倒的な格下相手に追い詰められていることが腹立たしいのだ。

「ガアっ!?」

 鋭い二連撃が、レムの手首を刻む。ガラン、とけたたましい音を立てて、長剣が床に落ちる。

「ははっ、これでぇ――終わりだっ!」

 さらに二連撃、いや、四連撃か。目にも止まらぬ早業で、もう一度、勝の首を深々と切り裂いた。

 肉を切り、さらには骨まで断ち、勝の首が落ちる。いや、皮一枚で繋がり、凄惨な生々しい赤い断面を晒して、ブランと後ろ側に垂れさがった。

「はっ、どうだぁ、思い知ったかよ、テメェの身の程ってヤツ――ぉおおおっ!?」

 一閃。首を断たれて力なく倒れこんでいくレムは、その途中で右腕を跳ね上げた。その手に剣はない。しかし、死闘の末に獲得した、カマキリブレードがそこにある。ガキリ、と手首の関節が稼働し、刃が前へとマウントする。そうして、新たな剣を手にした右手が繰り出した一撃は、首を斬って油断していた樋口を襲った。

「がぁあああああああああああああああっ!」

 樋口の左腕が落ちる。これでも、致命傷は免れるよう、ギリギリで回避しようとしたのだろう。それでも、完全に避けきれなかった。追い詰められた焦りと、勝利への油断が、盗賊の勘を鈍らせた。

 ついに、樋口は大きな痛手を負った。

「うわぁあああああああああああああああああああああっ!」

 好機。ここが最後の勝負どころと心得て、僕はナイフ、今の今まで隠し持っていた最終手段のレッドナイフを携えて、樋口に突撃した。

 魔力がない? 呪術が使えない? だからなんだ、僕の体はまだ動く。炎が迸る魔法の武器があるんだ。手負いの獣を、刺して、焼いて、トドメを刺すくらいはできるだろう!

「ぐ、が、あぁ……も、もかわぁっ!」

 左腕を失いながらも、樋口は僕を迎え撃つ。右手には、元から自分の所持品だったに違いないバタフライナイフが、今もまだ力強く握られている。

「あっ、痛っ、たぁあああああああああっ!」

「ぐあぁああああ、痛でぇえええええええ!」

 樋口のナイフは、容赦なく僕の体を襲った。最早、『痛み返し』のことなど頭になく、ひたすら目の前に迫った『敵』を切り裂くのに夢中だったのだろう。

 僕が振るったレッドナイフは見事に空振り、その代わり、樋口のバタフライナイフが僕の右肩を深々と突き刺した。

 激痛。僕も、樋口も。どっちも痛みに叫んだ。

「こ、殺す……桃川ぁ、テメェは、絶対に、俺がぁ……・」

「う、あ、あぁ……痛い、痛いぃ……」

 痛みへの耐性は、やはり樋口の方が高い。それとも、脳内麻薬がドバドバ出てハイになってるのか。

 僕は思わず手離してしまったレッドナイフを、無事な左手で拾い上げるので精一杯。一方の樋口は、右肩に深手を負っても尚、僕を始末するためにナイフを握り続けていた。

「俺がっ、ぶっ殺す!」

 ゆらり、と樋口は幽鬼のような足取りで一歩を踏み出す。マズい、樋口はもう僕を躊躇なく刺し殺す気だ! ここまで追い詰めたんだ、こんな奴と相討ちだなんて、冗談じゃない!

「グガァアアアアアアアアアっ!」

 その時、倒れていたレムが蘇った。いや、まだ活動停止まで追い込まれていなかっただけだ。人間ではない、魔力で動くだけの屍人形であるが故の、耐久性。

 首が皮一枚で繋がっているだけでも、その顔は、勝の顔は怒り狂った形相に歪み、まるで狂暴な猟犬のように、樋口へと噛み付いた。

「あっ、な、あぁあああああああああああああっ!?」

 樋口が絶叫を上げて倒れる。足首の裏を食い千切られていた。

 その一撃で、ついに活動停止したのだろう。レムと繋がる感覚が消えた。肉片を口にして、憤怒の形相のまま表情が固まった勝の生首だけが残る。

 ありがとう、勝。最後の最後まで、僕を助けてくれて。

「死ねぇええええええっ、樋口ぃいいいいいいいいいいいいいっ!」

 痛みを堪えて、僕はレッドナイフを樋口に突き込む。狙いなんてつけてる余裕はない。ただ、外さないよう胴体を狙って、体ごと突っ込んだ。

「ぐぼぉっ! おっ、が、あが、あぁ……」

 腹のど真ん中に、レッドナイフが突き刺さる。樋口はいよいよ、悲鳴にもならない呻き声のようなものを発し――それでも、強烈な力で僕を突き飛ばした。

「あ、あぁああああああああああ!」

 燃え盛る炎を噴き出すレッドナイフ。突き刺さった腹部から、樋口の体を容赦なく焼いていく。

 ブスブスと人間の肉が焼ける臭いが早くも漂い始めるが、それでも、樋口の底知れない生命力は、まだ、自分の死を拒絶し続ける。

 レッドナイフの柄を握り、強引に引きぬいた。血反吐を吐きながら、白目を剥きながら、それでも炎の刃を腹から抜き放ち、放り投げてみせた。

「ぜぇ……はぁ……」

 これでもう、僕の手持ちの刃は尽きた。ゴーマのナイフ一本、残っちゃいない。あ、カッターナイフはある、けど……斬ったり刺したり、する必要もないんだ。

「が、あぁ……桃川、なぁ……おい……」

 僕は傷薬Aをポケットから取り出し、肩口に塗りたくる。とりあえず、応急処置はこれでいい。

「俺を、助けろ」

「ふっ……ふふ、あははははっ」

 乾いた笑いが漏れる。

 僕は魔力切れと、右肩を刺された痛みでフラフラになりながらも、樋口に近づき――蹴飛ばした。

「ぐあっ! ぐ、うぅ……桃川、頼む……助けてくれ」

「ははっ、命乞いを聞くってのは、いい気分だよ、なぁ、樋口ぃ!」

 さらに、もう一度、床の上でぐったりと倒れる樋口の背中を蹴り飛ばす。

 うん、大丈夫、これくらいなら、何とかなりそうだ。

「や、めろ……俺を殺すな」

「いいや、殺す。樋口、お前は絶対に、僕が殺す……ついでに、僕の糧になれよ!」

 倒れた樋口の体を押す。ガタイがいいだけあって、流石に重い。肩の傷も痛い。でも、動かせないほどではなかった。

「なぁ、桃川、お前、人を殺したこと、あるのかよ」

「ないよ、お前が初めてだ」

 そうだ、これから僕は、初めて人を殺す。ズルズルと樋口を押し出していく――まだ、生贄を寄越せと言うように開いている、落とし穴へ。

「だったら、やめとけ……人殺しだぞ、マジで、後悔することになる」

「なら、お前はどうなんだよ、人を殺したこと、少しでも、後悔なんてしてるのかよぉ!」

「ぐ、はっ……ははっ、俺は……クズだからな、大した罪悪感はねぇよ」

「ふん、それなら、僕だって同じだよ」

「いや、違う……お前は、俺とは違う、いいヤツだよ……だから、やめとけ」

 僕がいいヤツだって? そりゃあ、お前みたいな外道と比べれば、僕のような凡人もいいヤツってことになるだろう。

「お前は必ず、人殺しを後悔することになる……やめろ、俺を殺すな、このまま置いていけ」

「後悔、だって……」

 そんなの、するはずない――とは、言い切れない。僕は樋口ほど邪悪に染まったつもりはない。だから、もしかしたら、こんな憎い相手でも、命を奪えば後悔するかもしれない。死んだ樋口の幻影なんかを枕元で見たりして、その気がなくても思い悩むかもしれない。

 だって、僕は弱いから。天職も弱ければ、力も弱い。心だって、弱いだろう。

「だから、行けよ、俺を置いて、先に進め……約束する、もう、二度とお前を襲ったりしねぇ、関わらねぇって」

「馬鹿じゃないのか……そんなの、信じるワケないだろ!」

 この際、僕の心の問題なんてどうでもいい。論理的に考えて、樋口を生かすことの危険性は計り知れない。

「どっちにしろ、お前はもう、勝を殺したんだ……僕の友達を……許せるワケがない」

「やめとけって……復讐なんて、いいもんじゃねぇ……よく、言うだろ」

「黙れっ、どの口が!」

「頭冷やせよ……くだらねぇ感情に、流されるなって」

「いいか、樋口、よく聞け……僕はお前を殺す。そして、お前を殺したことを後悔もしない!」

 そうさ、こんな奴のために、僕は苦しんでなんかやるものか。

「マジだ、一生……後悔する、ぜ」

「するかよ! たとえ僕に子供が生まれても、お父さんは昔、物凄く悪いヤツをぶっ殺してやったんだって、自慢だってしてやるよ!」

 僕は正しい。間違っていない。正義――人殺しという大罪が、正義の実行という究極の矛盾。けれど、僕にはそれを信じるしかない。それしか、信じられない。

「桃川……頼む」

「もうやめろっ! これ以上、命乞いなんて聞きたくない!」

「いや、違ぇよ……頼みが、ある……」

 この期に及んで、頼みごとだと。一体、どこまでふざければ気が済――

「あのナイフを……有希子に、渡してくれ」

「……は?」

 ナイフって、あのバタフライナイフのことか。レッドナイフを抜くために手放した、樋口が右手に握っていた凶器。刃は血塗れのまま、床に転がっている。

「まぁ、形見、ってヤツか……俺、有希子と、付き合ってたんだ……」

「な、長江さん、と?」

「ああ……結構、マジだったんだ……ガキが出来たら、もう、結婚してもいいかなって、思うくらいには、な」

 なんだソレ、初めて聞いたぞ。樋口、お前って蘭堂さんと付き合ってたんじゃなかったのかよ。長江さんとなんて、一度も話しているところ、見たことない。

「だから、頼むよ……あぁ、渡す時は、ついでに……俺は、ボス相手にカッコよく戦って……死んだってことに、しといてくれや……」

 バカだ。本物の馬鹿だよ、お前。こんな最期の瞬間に、彼女にカッコつけようとする姿がじゃない。

「……それは、できない」

「おい、ざけんな……いいだろが、ソレくらい、よぉ……」

「無理なんだよ……長江さんは、もう、死んでるんだ」

 そう、長江有希子は死んでいる。あの食人鬼、横道一によって、食い殺されているんだ。

 言うべきかどうか、迷った僕は馬鹿だ。これから殺そうとしている奴を相手に、何を気遣っているんだと。

「……そうか……へ、へへっ、何だよ……有希子のヤツ、もう、死んでたのか……」

 今更、躊躇なんてしない。まして、後悔もしない。

 僕は殺す。樋口を殺す。僕の命を狙い、友人を殺し、この憎いクソDQNを、ぶっ殺してやるんだ――たとえ、樋口の目に純粋な悲しみの涙が、浮かんでいるように見えても。

「もういい……殺れよ、桃川」

「うん、樋口……さよならだ」

 最後の最後に反撃――そんなこともなく、自分の死を素直に受け入れているかのように、樋口の体は、何の抵抗もなく、生贄の落とし穴へと落ちて行った。

第86話 生贄転移

 しばらくの間、僕は何も考えられなかった。

仇を討ったという達成感もなく……かといって、人殺しの罪悪感に押しつぶされるワケでもなく……こんな時、何を思えば正しいのか、分からなかった。

 疲れた。ただ、疲れた。ようやく、僕のやるべきことを終えたという、疲労感だけが残る。

「……そろそろ、行かないと」

 樋口を落とした後、アイツの言う通り、転移の魔法陣が発動した。念のために確認してみれば、魔法陣コンパスは間違いなく、ここを指示している。ボス部屋の向こうではなく、この光り輝く魔法陣を。

 ひとまず、回収できるモノを淡々と拾い集めた。勝の肉体は、いつのまにか灰になって崩れ去っていた。僕が屍人形として行使した結果だろう。ゴメン、勝、こんなマトモに死体も残らない形になってしまって……でも、仇は確かに討ったから、勘弁して欲しい。

 ゆっくりと悲しんでいる暇はない。この魔法陣だって、いつまでも転移準備OKの状態を維持してくれるか分からない。ボンヤリしていて効果時間終了、乗り遅れる、なんて馬鹿らしくて仕方がない。

 僕は重い体を引きずるように、落とし穴が再び床へと戻り、石版を中心に展開された光り輝く転移魔法陣に向かった――その時だ。

「行って! エンちゃん!」

 鈴の音を転がすような少女の声と同時に、「ガウガウ!」とけたたましい獣の咆哮が木霊した。

「なっ――」

 咄嗟に振り向いた時には、もう僕の目の前に燃えるような真っ赤な毛並みの巨躯がいる。

「――うわあっ!?」

 激しい衝撃と共に、硬い石の床を転がされる。痛い、けど、大丈夫、血は流れてない。右肩の傷も開いてはいないし、どこにも致命傷は負ってない。

 ズキズキする鈍痛に苛まれながらも、突如として僕を襲った存在を確かめるために、無理にでも起き上がる。

「あっ、レイナっ!」

 金色のツインテールをなびかせ、いかにも可愛らしい女の子走りで広間を駆け抜けていくのは、間違いなくレイナ・アーデルハイド・綾瀬である。当然だ、彼女は樋口パーティの一員だった。僕と樋口が戦っている間も、広間の外で待機していたに決まっている。

「ガァアアウッ!」

「うわっ、何だよコイツ、来るなっ!?」

 そして、僕を襲った犯人が、赤い毛並みのデカい犬だ。雑魚モンスターの赤犬とはけた違いの巨躯。オルトロス並み、いや、それ以上か。犬というか、完全に獅子というべき面構え。首の周りにはライオンのような立派なタテガミが広がっている。赤と黄色のグラデーションがかかったタテガミは、正に燃え盛る火炎そのもの。

 炎の獅子は、僕が怨敵であるかのように、獰猛な赤い瞳で睨みつける。ヤバい、こんなモンスターに飛びかかられたら、僕は即死だ。

「もういいよ! エンちゃん、戻って!」

「ガウ!」

 命拾いしたな小僧、とでも言うように、僕を見下した目と鳴き声を残し、真紅の巨躯を翻して、素早くレイナの元へと駆け戻っていく。

 完全にレイナの命令を聞いている。そうか、コレが天職『精霊術士』の行使する『霊獣』ってヤツか……なるほど、あの樋口がレイナをお姫様扱いで手出ししない理由が分かった。こんな屈強なガードマンがいるんじゃあ、ちょっかいなんてかけられるワケがない。

「く、くそっ……待て!」

 彼女は戻った『エンちゃん』なる霊獣と共に、僕が命とプライドをかけた死闘を征して起動させた、転移魔法陣へと立つ。

 横取りなんて、許せるはずがない。

 けれど、レイナは何も悪びれることなく……それこそ、怨嗟の声を叫ぶ僕を一瞥すらせず……

「待てよっ、レイナぁああああああああああああああっ!」

 彼女はただ、自分が純真無垢な少女であるかのように、霊獣を抱きしめながら、転移に怯えるようにギュっと固く目をつぶった愛らしい表情で、光の彼方に消えてゆく。

「なっ、あ……」

 何だ、何なんだ、あの女は……思えば、彼女は一言も僕と口を利かなかった。樋口と合流して、ちょっとの間パーティで行動していた時も、まるで僕なんて見えていないかのような無関心ぶり。

 正直、会話する理由もないし、必要性もない。レイナが樋口とどれくらいの関係性であるかも分からなかったから、下手に探りを入れる真似も簡単にはできなかった。

 彼女の立ち振る舞いから、僕は勝手に『精霊術士』という強い能力を持っているけれど、女の子らしく戦いに向いた性格じゃないから、基本的にダンジョン攻略は樋口と勝の二人に丸投げして、一緒についてきているだけ、みたいなポジションだと思い込んでいた。だからこそ、レイナ・A・綾瀬を脅威とはみなさなかった。僕が樋口と戦い始めても、樋口に肩入れして手出しはしないと。

「くそ、くそっ……ちくしょう、あの女……この瞬間を、待っていたのかよぉ……」

 今なら分かる。レイナ・A・綾瀬は、樋口の仲間ではなかった。そして、僕を仲間としてもみていない。助けるべきクラスメイト、という認識さえない。

 だから僕に負けた樋口を助けることもなく見捨てたし……こうして、平気な顔で僕を置き去りにできた。自分の手を血で汚すこともなく、あの女は、邪魔な男二人を排除してみせた。

 そうして、進んだ先で蒼真悠斗と出会えたならば、「ユウくん、怖かったよぉーっ!」とか言いながら、いつも教室でやるように抱き着くのだろう。

「アイツも殺しておくべきだった……いや、ちくしょう、あんなモンスターを飼っているんじゃあ、僕には無理か……」

 最初から、勝負は決まっていたようなものだったか。樋口の話では、他にも雷だか氷だかの属性を司る霊獣もいるのだと言っていた。あのエンちゃんは見た目からして間違いなく火属性担当だ。あれ一匹だけでも手に負えそうもないというのに、さらに二匹、三匹、と霊獣を従えているのなら……悔しいが『勇者』に匹敵するチート能力だ。

「はっ、はぁ……くそ、落ち着け……」

 腸が煮えくり返るほどの屈辱を覚えるが、すでに転移魔法を横取りされた事実は覆せない。

 考えろ。先へ進むための、新たなルートを見つける必要がある。

「そんなの、あるのかよ……樋口だって生贄で転移しようとしたんだぞ……」

 他のルートは幾つかある。それでも、樋口がわざわざこの転移魔法陣を使おうとしたのは、僕を排除するという以上に、これが最も安易で確実な攻略手段だからだ。樋口の戦闘能力をもってしても、この扉の先にいるゴライアスは倒せない。取り返しのつかない傷を負うかもしれない危険な相手ということ。そして、他のルートもボスに挑むのと同じ程度には危険度があると、アイツは判断したはずだ。

 ひょっとしたら、今度こそ僕は、詰んだのかもしれない。

 魔力は底を尽き、体はボロボロ。残った武器はレッドナイフと、樋口の形見のバタフライナイフくらい。運よく倒せたカマキリ素材をつぎこんだレムも壊れ、勝も、もういない。

 このまま、妖精広場まで帰りつけるかどうかも怪しい。この広間はボス部屋前ということで特別な造りになっている気はするが、妖精広場ではない以上、近くをモンスターが通りかかれば、普通に侵入してくるだろう。あるいは、すでにこの死闘でまき散らされた血の臭いに惹かれて、獣系の魔物が向かっている真っ最中なのかも。

「大丈夫だ……落ち着け、大丈夫だ……」

 まだ、全てを諦めるには早い。けれど、足に力が入らない。手に入れたと思った希望の光を、あまりにもあっけなく横取りされて、僕の体は震えたように動いてくれない。

 何だったんだ、僕の戦いは。勝は何のために犠牲になった。このまま僕が死んだら、結局は、樋口と刺し違えて負けたのと同じじゃないか。

「だ、大丈夫……」

 大丈夫なワケがない。頭を過るのは絶望の未来ばかり。どんな選択をしたところで、力及ばず倒れる想像しかできない。そんな情けない末路を辿るなら、大人しく樋口と相討ちになって派手に散った方が、よほどカッコついただろう。

 そんなことを思いながら、僕はどれだけ情けなくもうなだれていただろう。

 コツコツ。足音が聞こえた。

「っ!?」

 まさか、魔物か。ついに来たか。

 足音は複数。音を隠すことなく、堂々と歩いている集団といえば……スケルトン部隊しかない。

「う、あ……」

 どうする、今の僕には、レッドナイフとバタフライナイフの二刀流を、黒髪触手で振るう通常攻撃くらいしかできそうにない。『腐り沼』を張れば、恐らく完全に魔力切れでぶっ倒れる。

 無理だ。この攻撃手段のみで、スケルトン部隊に勝つなんて。

 終わり、ここで、こんなところで、終わるのか、僕は――

「――ああ? なんだ、桃川か、お前」

 二つのナイフを握りしめたまま、半分涙目で硬直していた僕の前に現れたのは、一人の男。

 校則違反な金髪に、鍛え上げられた筋肉の鎧を纏った逞しい体。学ランの前は全開で、くわえ煙草。紫煙を漂わせながら、堂々と立つ大柄なガチの不良生徒など、ウチのクラスにはたった一人しかいない。

「あっ、あ……天道、くん」

 蒼真悠斗と対を成す、天道龍一がそこにいた。

「何だ、お前、やんのか?」

「えっ」

 ちょっと待って、僕は名前呼んだだけで、喧嘩上等でイチャモンつけたみたいな真似は一切してないんだけど。アレか、僕の目つきが悪いのか。勘弁してくださいよ、この野良猫みたいな生意気なジト目は生まれつきなんです。見た目ほど生意気なコトは思ってないです、自分、マジでただの小市民なんで……

「やるんなら早くしろ。やらねーなら――」

 ズンズンと大股で突き進んでくる天道君を前に、僕は全く何の反応もできない。

「――退け、ボスは俺がやる」

 ギラギラした金色の瞳を輝かせて、僕を見下ろす。その、あまりの威圧感に、僕はうんともすんとも、返事すらできなかった。

 僕が完璧にビビって固まっているのを、流石に察してくれたのか、それ以上は何も言わず、天道君はそのまま真っ直ぐ、ボス部屋の門に向かって歩みを進める。

 な、な、何だよ、やんのか、ってボスに挑む順番のことだったのかよ。やるワケねーだろ、僕の姿を見ろよ。こんな瀕死状態でボスに挑むバカがいるかっ!

 なんてことを思えたのは、圧倒的な気配を放つ彼の姿がもう見えなくなったからで。というか、天道君、武器は何も持っているようには見えなかったけど……あんな自信満々にボスに殴り込みに行くってことは、やっぱり、強いのだろう。蒼真悠斗の『勇者』に匹敵する天職を授かったとしか思えない。レイナの『精霊術士』に続いて、またしてもチート級の天職能力かよ。

 そんな僻み根性全開で、天道君の睨み顔を思い出すと……あれ、何で目の色が金色なんだ。髪はもともと脱色して金髪にしてたけど、流石にカラコン入れたりはしてなかった。普通に黒目だったはずなのに、でも、あんなにハッキリとギラギラ金色の輝いていたということは――

「うわぁー、桃川のヤツ、ガチでビビってんじゃーん」

「かわいそぉーっ、もうちょっと優しくしてあげなよ天道くーん」

 俯いてグルグルと考えていた僕の頭の上から、かしましい女子の声が降りかかる。見上げると、そこには見覚えのある女子生徒二人の顔がある……けど、名前なんだっけ。

 この二人はクラスの中では割と派手なタイプの女子で、ただでさえ女子に縁のない僕にとっては、さらに縁遠い存在だ。同じクラスだから顔は分かる、というだけで、名前から何から、全く知らない、知りようがない。

 そして、そんな彼女達はやっぱり僕なんかに興味ないように、颯爽と歩いていく天道君の背中を追って、さっさと進んで行く。

 何なんだ、というか、パーティなんだろう。ちょっと、いや、かなりうるさそうなハーレムパーティだなぁ、なんて思っていると――

「おぉー、桃川、アンタ大丈夫ぅ?」

 二年七組で一番派手な女子が登場した。気だるげに、ゆったりとダラダラしながら歩いてくるのは、縁がなくてもフルネームで名前は知っている女子生徒。そう、あの樋口と付き合っているともっぱら噂であった、蘭堂杏子である。

 緩く波打つ長い金髪を一本でしばり、眠そうな、興味の欠片もなさそうな半目で僕を見下ろす。

「うわ、血まみれじゃん、結構、ヤバい感じ?」

「あ……うん」

 何とか僕はそう返事した、けれど……前かがみになって僕に話しかけた体勢のせいで、蘭堂さんの、二年七組ナンバー1と呼ばれる爆乳が、目の前で圧倒的な存在感を放つ。凄い、デカい、流石はクラスナンバー1(※ただしメイちゃんは除外する)のサイズだ。

 僕の視線は、彼女の雰囲気と同じようにゆるゆるに開いたブラウスの胸元から覗く、日焼けした褐色肌が眩しい深い谷間に釘付けになってしまう。

「ふーん、とりま、ウチらと来る?」

 凄いな、ついさっきまで命のピンチとか未来への絶望とかで悩み苦しんでいたのが、この褐色おっぱいを見ただけで全部ぶっ飛んだ。体のそこからみるみる生きる活力が湧いてくる。

 ありがとう、蘭堂さん、貴女は僕の命の恩人です。

「よろしくお願いします」

 こうして、僕は幸運にも、天道龍一率いる、新たなクラスメイトのパーティと合流を果たしたのだった。

第87話 宮殿エリア

「……ここは、また随分と雰囲気が変わったな」

 ダンジョンの最奥を目指しつつ、はぐれた桃川を探して、俺達が進んだ先に出たのは、これまでの石造りとは異なる、美しい白い宮殿のような場所であった。

 真っ白い壁と通路。白一色の回廊だが、ヨーロッパの宮殿みたいな精緻な装飾が施されており、灯りも白光パネルではなく、シャンデリアみたいな美しいクリスタルの照明装置が等間隔でぶら下がっている。うわ、天井に描かれているのは天使の絵だろうか。白い翼を背中から生やした、裸の少年少女が雲の漂う晴天に舞い踊っている様が、写実的に描き出されている。

 そんな気合いの入った天井画も、白い造りも、シャンデリアの輝きも、何もかもがつい最近完成したばかりのように、真新しく綺麗に見える。一体、どんな魔法を使えば、こんな状態を維持できるのか。まさか、ここにだけ異世界の人が住んでいて、ハウスキーピングしているってことはないだろう。

「綺麗、ですね」

「ええ、でも、それがかえって不気味だわ」

 俺と違って美術とか芸術にも関心が深い桜は、見事な異世界宮殿造りに目を奪われているが、委員長は様変わりしたエリアに強く警戒している様子。

「ここ、多分、ゴーマとか普通の魔物は住んでないよ」

 盗賊の勘が働いているのか、夏川さんが確信をもって言う。

「だが、何もいない、というワケでもなさそうだが」

「ううぅー、お化けとか、出るのかなぁ」

 明日那の言う通り、俺も、ここには何かがいると思っている。これもまた、一つの勘だろうか。何となく、スケルトンとか、ダンジョンの機能で生み出されたような無機質な魔物が、この宮殿エリアを支配している気がする。

 でも、お化けはいないと思うけどな、小鳥遊さん。

「早く行こうよ」

 そして双葉さんは、桜のように宮殿に興味を抱くわけでも、委員長のように警戒するでもなく、同じ石造りのダンジョンが続いているかのように、どこまでも無関心に言い放つ。

 いや、分かっている。彼女は油断をするような性格ではない。このエリアの異様な気配、みたいなものだって、『狂戦士』として鋭い直感を持つ彼女も悟っているはず。

 それでもいつもと変わらないのは、彼女にとって、見た目が変わろうと、ここも所詮は踏み越えていくべきダンジョンの一部に過ぎないからだ。

「ああ、何が出てくるか分からないから、警戒して進もう」

 そうして、俺達は白い宮殿エリアの探索を開始した。

 先頭は勿論、夏川さん。そのすぐ後ろに、俺と双葉さんが続く。そこから後衛の委員長と桜が並び、殿として明日那が最後尾につく。先頭と後ろだけ一人で、真ん中は二列。これが、今の俺達の基本的な陣形である。

 不気味なほどに静まり返った、美しい回廊を進んで行く。神経を尖らせるが、今のところ、何の気配も感じられない……

「っ! みんな、止まって」

 不意に、夏川さんの鋭い制止の声があがる。何だ、と問うより前に、みんなはまず言う通りに歩みを止めた。

「そのまま、少し下がって」

「分かった」

 盗賊の能力に疑いを持つ者は誰もいない。恐らく、彼女は罠を感知したのだ。

 俺達がその場を少しだけ後退するのとは反対に、夏川さんだけが前に進む。そして、すぐに足を止める。

 腰を落として、すぐに跳躍できる体勢。一秒、二秒、俺達は固唾をのんで見守った、その時だ。

 夏川さんが、バックステップで俺達の元まで一足飛びに跳ねてきた。直後、彼女の頭上にあったシャンデリアが落下してきたのだ。

 けたたましい音を立てて、水晶のような輝くシャンデリアは粉微塵に砕け散る。

「このトラップは、真下を通った人じゃなくて、その後ろに続く人を狙うように、わざと落ちるタイミングを遅らせてるみたい……酷い、悪質なやつだよコレ!」

 むー、っとトラップの設定に怒る夏川さんは、頼もしくもあり、可愛らしくもあった。

「本当に、危なかったな。あのまま進んでいたら、ちょうど桜と委員長のあたりで落ちていた」

「多分、パーティで隊列を組んで進んでくることを見越しているのね。そして、後ろや真ん中に位置するのは、自然と反応が鈍い魔術士クラス……美波の言う通り、悪質だわ」

「ここのエリアは、魔物よりも罠に気を付けた方がいいかもね」

「それじゃあ、頼りにしているよ、夏川さん」

「にはは、私に任せてよ!」

 ひまわりの様な明るい笑顔で答えた夏川さんは、事実、本当に頼りになった。

 まだ一体の魔物と遭遇してもいないというのに、その後、シャンデリア落下トラップが発動すること二回。落とし穴三回。矢が飛んで来たり、槍が振ってくることもあった。

 ここまで立て続けに罠が発動すると、俺も何となく、気配というか予感というか、そういった感覚が分かるようになってきた。でも、まだまだ不確かな弱い感覚で、とても夏川さんのように鋭く罠を探知するのは難しい――


 習得スキル

罠探知トラップサーチ』:仕掛けられた罠を探知する。


 と、思っていたら、習得してしまった。夏川さんには何か申し訳ないから、まだ黙っていよう。まぁ、警戒の目が二つに増えたことだし、良しとしようじゃないか。

「あっ、ここ! ここに隠し部屋があるよ!」

 夏川さんが、嬉々として何もない白塗りの壁を示す。俺も『罠探知トラップサーチ』を念じるように発動させて、注意深く壁を見ると……うーん、隠し扉の類は罠ではないから、イマイチ反応が鈍い気がする。でも、確かに、普通の壁とは違うという感じがするな。

「もしかしたら、久しぶりに宝箱あるかも!」

「この宮殿の宝箱なら、何だか凄いモノが入ってそうですね」

「うんうん! やったー、お宝ゲットだよ!」

 正直、トラップサーチで大活躍だった夏川さんだったから、不覚にも彼女が隠し部屋を喜び勇んで開くのを、誰も止めなかった。

 白い壁が自動ドアのようにスライドして、隠されていた部屋が開かれる。

「お宝は――あっ」

 真っ先に部屋に飛び込んだ夏川さんは、直後に、硬直。

「あ……ご、ごめん……」

「どうしたの、夏川さ――っ!?」

 中を見れば、彼女が涙目で固まった理由が分かった。

「コォオオオ……」

 白い隠し部屋の中に、漆黒の騎士がいた。背丈は2メートル近く、重厚な鎧兜を身に纏っている。分厚い大盾に、ゴツい刃のハルバードを持ってたり、身の丈ほどもある大剣を持ってたり、トゲトゲ鉄球のフレイルだったり……つまり、そんなヤバそうな外観の黒騎士が、三人も待ち構えていたわけで。

「下がれっ! 桜、委員長!」

 咄嗟に隠し部屋の入り口から退避。入り口前に立っていた俺と夏川さんは転がるよう回避し、すんでのところで、凄まじい速さで突っ込んできた黒騎士の攻撃を逃れた。

「『光矢ルクス・サギタ』!」

「『氷矢アイズ・サギタ』!」

 一定の距離を下がると同時に、桜と委員長の攻撃魔法が即座に放たれる。

 だが、大盾のシールドバッシュで入り口から飛び出した黒騎士は、そのまま盾を構えたまま、二人の攻撃魔法を受け止める。

「やっぱり、あの盾は相当硬いか」

 揺るぎ無く攻撃魔法を受け止めながら、後続の大剣騎士とフレイル騎士が入り口から素早く回廊へと出てくる。

 これで、黒騎士三人衆は、俺達の行く手を塞ぐように回廊に立ちはだかる格好となった。

「兄さん、ここは退いた方が」

「いや、奴らはデカいけど素早い。背中を見せれば、追いつかれる」

 俺と明日那と夏川さん、あとは双葉さんなら、走って奴らから逃げられそうだが、それでも武技を使っての全力疾走でなければ無理だろう。あまり大きな身体能力の強化がない、桜と委員長、そして完全に元の人間のままの力しか持たない小鳥遊さん、彼女達を抱えて逃げるのはどう考えても不可能だ。

「ここで、倒すしかないのね」

「コイツら、強いぞ……並みのボスよりも、強い」

 覚悟を決めた委員長と、危機を察知して前に出てきた明日那が、異様な気配を放つ黒騎士を前に息を呑む。

 俺達はそれぞれの武器を構え、門番のように泰然と佇む黒騎士と向かい合う。

「蒼真君、私、あの盾の人の相手をするね」

「双葉さん、援護は」

「大丈夫。残りを抑えてくれれば、それで何とかなるから」

「分かった、剣は俺がやる。フレイルは明日那と夏川さんに任せた」

「心得た」

「ふ、フレイルってなにー?」

「美波、鉄球のついた武器のことよ! っていうか、消去法で分かるでしょ!」

「ごめーん、涼子ちゃーん!」

 夏川さんが、緊張のあまり間の抜けたやり取りをしてしまったが、黒騎士は空気を読んでいるのか、それとも先手を譲ってやるという余裕なのか、ただジっと構えたまま、襲い掛かってはこなかった。

 いいだろう、それなら、その態度に甘えて、こっちのタイミングで行かせてもらおう。

「――小太郎くん、私に力を貸してね」

 合図も兼ねて、チラと視線を横に向ければ、双葉さんはそんなことをつぶやきながら、小さな赤い木の実を口に放り込んでいた。

 何だろう、アレは――疑問が浮かんだその瞬間、

「はぁああああああああああああああああああああああああっ!」

 爆ぜる、燃える様な気迫と魔力の波動。耳をつんざくような雄たけびをあげて、双葉さんは『狂戦士』に相応しい勢いをもって、盾を構える黒騎士へと大砲のように突撃していった。

 その、あまりの迫力に、つい俺は出だしが遅れてしまった。

「い、行くぞっ、みんな!」




 宮殿エリアの妖精広場は、ここの雰囲気に見合った豪華な造りであった。妖精胡桃の並木は綺麗に切りそろえられ、咲き誇る花々は計算された配置となって、明らかに庭園としての形となっている。白一色の噴水も、ここのは一回り以上大きく、さらに金色の装飾までされている。

 しかし、機能としては普段の妖精広場と変わりはない。俺達はここに辿り着くなり、すぐに休憩に入った。

「はぁ……ここは、なかなか厳しいエリアね」

「ああ、でも、収穫は大きかったよ」

 噴水の冷たい水を飲んで一息つくと、委員長がため息交じりに言う。

 確かに、あの隠し部屋に潜んでいた黒騎士三人衆をはじめ、出現数こそ少ないものの、ここで現れる魔物はどれも強力だった。確実にダンジョン序盤のボスよりも、奴らは強い。

 ここの魔物は、基本的にはあの黒騎士と同じように、鎧兜で全身を武装した、騎士の様な姿をしていた。フルアーマーのスケルトンか、と思ったが、鎧の中には何も入っていなかった。

「あっ、もしかしてこの魔物って、デュラハンってヤツ!?」

「鎧だけで動く魔物なら、リビングアーマーって言うんじゃない?」

 黒騎士を倒した後、夏川さんと委員長のそんなやり取りを経て、とりあえずコイツらを、俺達はリビングアーマーと呼ぶことに。

 このリビングアーマーは、そもそも本体が鋼鉄の鎧兜だ。装甲を貫通させたとしても、中に誰もいないから傷つく肉体が存在しない。つまり、弱点がない。普通なら決め手となるような一撃も、奴らからすれば痛くもかゆくもないのだ。

 無敵に思えるリビングアーマーだが、弱点はあった。それは、光属性。

 切っても突いても、怯まず向かってくる奴らに苦戦している中で、委員長が気づいたのだ。リビングアーマーの鎧を動かしているのは、大抵は鎧にとり憑いた悪霊とか、そういう類の奴だから、光属性の魔法なら、当たれば一発で浄化できそうじゃないか、と。

 実にゲーム的な発想だが、俺もそうとしか思えなかった。俺だって小学校の頃から、それなりにRPGとかやったし、ファンタジーな漫画とかも読んでたしな。

 そんなサブカル知識がなくても、目の前であの大剣騎士と切り合っている最中に、どこか異様な魔力の気配を強く感じられたから、何かあるとは確信できた。すでに俺は『光精霊ルクスエレメンタル』という生物ではない、魔力で体が構築された魔法生命とでも呼ぶべき存在を知っているから、リビングアーマーも似たような存在が本体なのだと自然に納得がいった。

 そして、それに気づけば後は早い。桜の『光矢ルクス・サギタ』が狙ったのは、俺が袈裟懸けにして大きな亀裂を入れていた、大剣騎士の胴鎧。鎧の装甲そのものは、『光矢ルクス・サギタ』を軽々と弾くが、その内側の伽藍堂に届けばどうか――大当たりだった。

 奴らの鎧の中が、本体精霊の居場所。光の攻撃が届いた瞬間、人の肉体が貫かれたかのように、血飛沫代わりの真っ黒い不気味な魔力の靄が噴き上がった。

 一発当たっただけで、騎士は苦痛に身を捩り、二発、三発、と撃ち込まれれば黒い煙が爆ぜ、直後に鎧兜はガランと音を立てて崩れ落ちたのだった。

 強固な鎧を物理攻撃で破壊し、内部に光属性攻撃を届かせる。分かりやすいリビングアーマーの攻略法が確立されたことで、明日那と夏川さんが苦戦していたフレイル騎士も、すぐに撃破することができた。

 桜の『光矢ルクス・サギタ』が通るのなら、同じく武器に光属性を付与させる『光の守りホーリーエンチャント』も効果がある。桜が弓を撃たなくとも、光属性が付与された刃を、確実に鎧の内側へと通せば、それだけでリビングアーマーを停止にまで追い込める。

 今回は桜の光属性の力に大いに助けられることになったが……実は、同時に光属性がなくてもリビングアーマーを倒す方法が発見された。

 それは、完膚なきまで鎧を破壊すること、である。実行したのは、双葉さんだった。

 弱点を見抜き、二体の騎士を俺達が倒した頃に、彼女はボコボコに凹んだ大盾の騎士を殴り飛ばしていた。

 その時には、大盾の騎士はハルバードも盾もその手にはなく、双葉さんも素手だった。だが、奴を倒すにはそれだけで十分だったようだ。

 倒れた騎士の足を双葉さんが掴み上げると、そのままメキメキと金属の悲鳴を上げながら鋼鉄の右足が引っこ抜かれた。もげた右足をゴミのように放り投げて、今度は左足に手をかける。そっちも抜くのかと思いきや、足首を持ったまま、騎士の体をぶん投げた。

 無造作に、思い切り床へと叩きつけられる騎士。二度、三度、もう数えるのが馬鹿馬鹿しいくらい、連続かつ猛スピードでドッカンドッカン叩きつけ。

 その内に、腕が外れ、首が外れ……転がった兜を、双葉さんが踏みつけて、空き缶のようにペチャンコにしたところで、ついにリビングアーマーは昇天した。

「あれ、私が最後? ごめんね、倒すのが遅れちゃって」

 にこやかな笑顔が、かえって恐ろしい。

 これが『狂戦士』の戦い方。リビングアーマーを物理100%の圧倒的暴力だけで叩き潰すとは。ちょっと、俺には真似できそうもない。

「久しぶりに、良い武器が手に入った」

 強敵揃いのリビングアーマーだが、奴らの装備している武器はどれもスケルトン部隊を上回る高品質なモノばかり。切れ味鋭い刃、というだけでなく、魔法の宿った武器も何本かあるのだ。

 そのまま使ってもいいし、小鳥遊さんの『錬成陣』で使い慣れた武器と融合強化させてもいいだろう。ここでメンバーの装備を一斉に更新するのだと、小鳥遊さんはヤル気をみなぎらせていた。

「ええ、私もついに魔法の杖が手に入ったしね」

 リビングアーマーの中には、全身鎧にローブを羽織った魔術士タイプの奴もいた。委員長が満足げな顔で手にする、先端のオーブから青白い輝きを放つ、如何にも魔法使い、みたいなデザインの長い杖は、その魔術士タイプからの戦利品である。委員長、敵が氷魔術士だと見るや、速攻で撃ちまくってたな。ずっと欲しかったんだろう。

 武器の他にも、夏川さんの勘が冴えわたり、幾つかの宝箱も発見している。中には定番のポーションが多かったが、幾つか、魔法のアイテムらしきモノもあった。

 指輪やネックレス、髪飾りといったアクセサリーで、ただの装飾品ではないというのは、何となく魔力の気配で分かるのだが……どういう効果を持つのかは、調べてみないと分からない。といっても、ノーヒントで実証もできないので、これも『賢者』である小鳥遊さんに頼るしかない。

「武器の強化にアイテム鑑定なんて、小鳥は大忙しね」

「まぁ、ゆっくり取り組んでいけばいいさ」

 今は先を急ぐのが最優先、ってワケじゃない。俺達は要所で、桃川の捜索も行っている。勿論、成果なんて全く上がらず、桃川の行方どころか、人の痕跡すら見当たらない。

 この超巨大なダンジョン、それも転位なんていうテレポートもある広大な空間から、たった一人の人間を探し出すなんて、魔物がいなくたって難しい。やはり桃川がどうにか先に進んでくれていなければ、合流の可能性はかなり低いだろう。

 まだまだ先が長そうなダンジョン攻略だ。現段階では、桃川の捜索はほとんど不毛な行いに思えるが、ここのような使える武器やアイテムが収集できるエリアなら、空振りに終わっても大きなメリットが見込めるだろう。

「蒼真君、この辺の捜索に行きたいんだけど」

 ちょうど桃川捜索について考えていると、察したかのように双葉さんがやって来た。まさか、本当に察したワケではあるまい。彼女はついさっきまで、戦利品である大盾を噴水で水洗いしていたし。

「リビングアーマーの戦いは厳しかったし、もう少し休んでからにしよう。それと、今日は広場の近くだけにしておいて、本格的な捜索は明日からの方がいいんじゃないかな」

「うん、そうだね。メンバーはどうするの?」

「小鳥遊さんは色々と仕事があるから残るとして……桜と明日那と委員長は残ってもいいんじゃないか?」

 とりあえず、まだ余力のある俺と、探知のできる夏川さんは必須メンバーだ。それに双葉さんを加えた三人なら、かなり身軽に移動できる。いざという時の撤退も、フルメンバーよりも遥かに迅速に行える。

「私も行くわ」

「いいのか、委員長?」

「ええ、もう少し、この杖を使って戦ってみたいから」

 なるほど、武器に慣れる、ってのは大事だからな。でも、委員長が杖で魔法をぶっ放すのが、ちょっと楽しそうにしているのは、気のせいだろうか。

「分かった、それじゃあ、また後でね」

 柔らかな微笑みを残して、双葉さんは休息するべく、騒がしくない広場の隅へと向かって行った。

 本当に、リビングアーマーとの戦いは、他の魔物よりも遥かに危険で、集中力も必要とする、激戦の連続だった。体力的にも精神的にも、疲労感はこれまでのエリアの比ではない。誰も「もう疲れた」なんて弱音こそ吐いたりしないが、彼女達の表情には隠し切れない疲労の色が見て取れる。俺だって、まだ戦えるだけでの余力こそあるが、今までほどの余裕はない。

 けれど、双葉さんだけは、本当に疲れた様子は全く見せずに、戦いを終えた後も、こうして会話している時も、微笑みを絶やさない。余裕というより、いっそ優雅といってもいいくらい。

「はぁ……双葉さんは、強いな」

 そんな風に、本気で感心してつぶやいてしまう。

 けれど、それがどれだけ馬鹿な言葉だったのか――俺は、その日の夜に、思い知ることになるのだった。

第88話 微笑みの裏

 リビングアーマーと遭遇することもなく、無事に妖精広場周辺の探索は終わった。今度こそ、これで今日のお仕事終了。明日に備えて、ゆっくり休もう。

 そうして就寝した、その日の夜のことである。

「そ、蒼真……」

 パーティ唯一の男子である俺は、女子達とは一人離れて広場の隅で眠っている。壁こそないものの、広場の寝床はお互いにとって、男子禁制であり、女人禁制である。

 しかし、遠慮がちに俺を呼ぶ少女の声に、俺は目を覚ました。

「ん、明日那か」

 目を開けば、すぐ隣に屈みこんでいる明日那の姿が映る。寝巻代わりのジャージを着て、普段の凛々しいポニーテールも解かれている、ラフな格好。

 何かあったのか、なんて、今更もう聞く必要はない。

「そ、その……今夜も、いいだろうか……」

「ああ、いいよ」

 俺の即答に、あからさまに安堵した様子を見せつつも、彼女の顔は恥ずかしさで真っ赤に染まっている。それでいて、躊躇もなく、明日那は俺の隣で寝転んだ。

 これは、いわゆる一つの夜這い……などでは、断じてない。ただの添い寝である。

「うぅ……蒼真……」

 明日那は甘えたような声で、ピッタリと体を密着させてくるが、それでもこれは添い寝なのだ。

 くっ、ヤバい、俺だって健全な男子高校生だ。自制心はある方だと思ってはいるが、それも絶対というワケではない。

 押し当てられる明日那の体の感触が、どうしようもない魅力となって俺の理性を溶かしてくる。くそっ、これで明日那がちゃんとジャージの上着も着込んでいれば、まだ余裕をもって耐えられたのに。薄いシャツ一枚だけで、ベッタリされると、なんだ、その、物凄い柔らかい感触がほぼダイレクトに伝わってきて……

「う、うぅ……ううぅ……」

 しかし、そんな魅力的な女体の誘惑も、彼女のすすり泣く声が聞こえて来れば、あっさりと吹き飛んでいってしまう。

「大丈夫だ、明日那。俺がついている」

 泣いた子供をあやすように、俺も明日那を抱き返す。

「だから、安心して眠れ。俺はずっと、明日那と一緒にいるから」

「うん……うん、蒼真……」

 幼児退行したような、この明日那の反応は、今夜が初めてじゃない。

 明日那が桃川を突き飛ばしたあの事件、その日の夜からだ。双葉さんとの決闘で心を折られ、取り返しのつかない過ちを犯し、彼女の心はとうとう限界を迎えてしまった。

 普段は、いつも通りに見える。みんなと普通に会話もするし、魔物との戦いだって問題なくやれている。

 だが、夜になって眠る頃になると……ダメなのだ。起きている間は、明日那としても気を張って、いつもと変わらぬ様子で振る舞える。けれど、寝る時だけは気持ちも緩み、彼女の心に刻み込まれた傷の痛みに、あるいは、圧し掛かるストレスの重さに、耐えきれなくなる。

 その結果が、これだ。明日那は、俺が添い寝しないと、安心感を得られずに眠れなくなってしまう。

 特に、双葉さんが魔物と激しい戦いを繰り広げた時などは。『狂戦士』の名に相応しい、凄まじいパワーファイトで敵を屠る姿は、ダイレクトに凄惨な敗北と屈辱が刻まれた決闘の記憶を思い起こしてしまうのだろう。

 今日なんかは、最初の大盾騎士を相手に、双葉さんは大暴れだった。あの狂気的な戦いを見た時に、今夜こうなるだろうことは簡単に予想できていた。

 いや、それは何も俺だけの話じゃないな。

 俺も桜も委員長も、夏川さんだって、真剣にスポーツに励んでいる身からすると、トラウマだとか、人の心の弱さ、というのは、知識としても学んでいるし、体感的にも知っている。だから、明日那がこうなってしまった時、誰もが、仕方のないことだと思った。

 この異常な状況下で、日常では決してありえない出来事を体験すれば、あの剣崎明日那だって、こうなってしまってもおかしくないのだ。明日那の強さは俺も知っている、だが、それでも彼女がまだ16歳の少女であることに変わりはない。

 心は傷つくし、傷つけば、その痛みに苦しみ、泣いてしまうのも当然のこと。

「明日那……」

 痛ましい彼女の姿に、俺の心は揺り動かされる。傷つく明日那を、こうして添い寝して、仮初の安堵を与えることしかできない自分の不甲斐なさに、苛立つほどに。

 だが、心の傷というのがどれほど厄介なものなのか、それもよく知っているつもり。これは今すぐ、どうにかなるような問題ではない。しかし、嘘でも誤魔化しでも、抑えていかなければ、生きていくこともできない。過酷なダンジョンサバイバルは、ゆっくりとトラウマを癒す時間など、与えてくれるはずもなかった。

 だから、俺はこうして明日那を抱いて寝るしかない。傍から見れば不純な行為に思えるだろうが、今の彼女を見て、反対する者はいるはずがなかった。このテのアレに厳しい桜でさえ、嫌な顔一つせずに、俺に明日那を任せてくれたのだ。

 一応、これでも俺が間違って手を出すようなことにはならない、と信用してくれていたってことだろうか。分かっている、明日那は魅力的な女性ではあるが、だからといって、こんな状況で性的にどうこうなろうなんて、最低の考えはない。

 こうして薄着でくっつかれると、煩悩の誘惑こそあるが――心から泣いている明日那を抱きしめていれば、そんなことなど些細な雑念でしかない。

「ん、うぅ……」

 彼女を抱きしめて、どれくらい経っただろうか。それほでもない気がする。

 今日の戦いは激戦だったから、疲労の溜まった体はすぐに明日那を眠りの縁へと誘ってくれたようだ。

「おやすみ、明日那」

 ふぅ、これでようやく、俺も安心して眠りにつける。




「……んっ」

 不意に目が覚めた。妖精広場は明るいから、夜明けの感覚が分からないが、それでも、まだ夜中だと何となく察した。時計は持っているが、わざわざ確認する必要もないだろう。

 起きるには、まだちょっと早すぎるかな。体も疲れているし、大人しく二度寝しようと思ったその時、視界の向こうに動く人影を見た。

「あれは……双葉さん?」

 寝ぼけ眼で見間違えた、ということはありえない。彼女は確かに、静かに一人で妖精広場を出て行ったのだ。

「まさか、一人で捜索するつもりなのか」

 命の恩人である桃川を心配する気持ちは分かるが、幾らなんでも、それは不安感に苛まれてやるには短絡的で危険すぎる。

 説得、できるかどうかは彼女の心の持ちよう次第だが……最悪、止められない場合は俺だけでも同行しないと。

 みんなを起こすか、と思うが、悠長に起こして回って説明している暇もなさそうだ。それに、あまり騒ぎは起こしたくない。明日那だってこの調子だし、桜も双葉さんには強い警戒心を抱いている。

 ここはどうにか、俺一人だけで上手く収めたい。

 隣で静かな寝息を立てる明日那を起こさないように、そっと抜け出して、俺は双葉さんの後を追った。

「ここか」

 意外にも、双葉さんは広場を出てすぐ隣にある小部屋へと入っていった。その部屋は、中に何もないただの空き室で、どこにも繋がってはいない。夏川さんが調べても、隠し扉の類もなかった。

 そんなことは、彼女も今日の探索で知っているはず。ならば、何故ここに。

 ささやかな疑念が、俺を双葉さんの様子を探らせる行動をとらせた。

「っ……」

 声が聞こえた。小さな声。俺の気配に気づいたワケではなさそうだ。

「う、うぅ……」

 そして、すぐに気づく。彼女の声は、泣き声だと。俺にすがりついて、弱々しく涙を流す、明日那と同じように、双葉さんは、泣いていた。

「小太郎くん……」

 何度も桃川の名前を呼びながら、双葉さんは何もない部屋の中で、ただ静かにすすり泣いていた。

「……」

 俺は、黙って広場へ戻るより他はなかった。今の彼女に、かけられる言葉なんて、見つかるはずもない。

 いや、慰めるとか、それ以前の問題だ。

「俺は……何て馬鹿だったんだ……」

 何が、双葉さんは強い、だ。彼女だって、俺達と同じように、傷つき、悩み、苦しんでいたんだ。

 明日那はいい。桜も委員長も心配してくれるし、こうして俺が抱きしめて眠ることだってできる。

 けれど、双葉さんはどうだ。元から大した親交のない、ただのクラスメイト。深い悩みを抱えたところで、俺達ではそれを打ち明けるに相応しい相手たりえない。むしろ、彼女との経緯を思えば、俺達のことは信用できない敵と見られていてもおかしくない。

 だから、彼女はこうして、一人で泣いている。

 慰めの声をかける友もなく、抱きしめてくれる頼れる相手もなく。双葉さんはたった一人で、こんなダンジョンの一室ですすり泣いているのだ。

「双葉さん、俺は……」

 本当に、何て俺は馬鹿だったんだろう。彼女が『狂戦士』として、あまりに激しく、勇ましく、戦う姿が眩しくて……きっと、俺も無意識の内に、その力に頼っていた。甘えていた。双葉さんは強いから、大丈夫なんだと。

 気にかけることはしなかった。俺にとって彼女は、心強い味方だったから。

 でも、俺はもう知ってしまった。彼女が一人で泣いている姿を、見てしまった。

 だから、もう知らないフリはできない。目を背けることはできない。

 双葉芽衣子。彼女は『狂戦士』の強さを持つが、同時に、年相応の少女でもあるのだ。

「……俺が、君を守るよ」




 宮殿エリアに入って、一週間が過ぎようとしていた。

「ふぃー、やっと終わったよぉー」

「お疲れ様、小鳥」

「今回はかなりの大仕事だったな」

 額に汗を浮かべて、寝転ぶ小鳥遊さんに、委員長と明日那が労いの言葉をかけている。今しがた、ようやく全員の装備を強化し終えたところだ。

 結構な数の武具を錬成したのもあるが、リビングアーマーが持つ良質な武器集めや、アタリが多い宮殿エリアの宝箱を探していたせいで、結局、これだけ時間がかかってしまった。

 しかしながら、その時間に見合っただけの成果はあったといえるだろう。

 まずは、俺の装備から。


『聖騎士の名剣』:とある聖騎士パラディンが愛用した剣。切れ味鋭い白銀の刀身と、種々の魔法によって守られる、真の性能を取り戻した。刻まれた炎獅子エンガルドのエンブレムが、真紅に輝く。


『蒼炎の剣』:燃え盛る炎魔法を宿す片刃の剣。刃に迸る烈火は、不思議な青白い輝きを放つ。


『蒼雷の剣』:閃く雷魔法を宿す片刃の剣。刃に迸る雷光は、不思議な青白い輝きを放つ。


『ホワイトダガー』:光魔法の宿るダガー。刃は常に淡い白光に包まれている。


『ガード・リング』:武技『硬身ガード』と同じ効果を発動させる指輪。


『生命の雫』:どんな傷も癒すという『生命の水』を一滴だけ結晶化させた、小さな宝石をあしらったネックレス。


 武器はここまで愛用してきた、妖精広場の騎士の白骨死体からちょうだしてきた長剣をメインに、相手に応じて弱点属性をついたり、魔法での遠距離攻撃もできるよう、炎と雷の剣を用意した。

 魔術士でなくても、ちょっとした攻撃魔法を放てる魔法の剣が手に入ったので、今まで遠距離攻撃用だった投げナイフや、リーチが必要な時の長柄武器であるハルバードを、思い切って装備から廃止した。そりゃあ、何でもあるに越したことはないが、持ち運ぶ手間と、戦闘時での身軽さを考慮すれば、手持ちの武器は絞らざるを得ない。

 かなり強力な武器へと強化できたことに加え、魔法を宿すアクセサリーが手に入ったことも大きい。

 防御用の『ガード・リング』に、いざという時、一度だけ回復できる『生命の雫』。どちらも、戦闘における安全性に大きく貢献する装備品だ。

 まぁ、俺にはすでに鎧熊を倒して獲得した『鉄皮アイアン・ガード』があるし、『生命の雫』は命綱みたいなモノだから、普通に戦う分にはあまり影響はないのだが。そりゃあ、あると安心だし嬉しいが、俺としては……

「私の弓は、あまり変わりがですね」

「桜ちゃんの弓は、使ってる内に勝手に強くなってるから、私が錬成してもダメな感じなんだよね」

 一方、桜だけは武器強化の恩恵を受けてはいない。まぁ、小鳥遊さんが言っている通り、勝手に強化されているようだから、問題はないのだが。桜が使っている『聖女の和弓』は、最初の頃に比べて、微妙に形が変わってるし、色も白くなりつつある。

「だから、そんな桜ちゃんには、これ!」

「なるほど、矢ですか。ありがとうございます」

「数に限りがあるから、大事に使ってね!」

 桜には光以外の属性がついた魔法の矢が渡された。桜の光魔法も強力になってきているが、他にも複数の属性が撃てるようになれば、戦術の幅も広がるだろう。

「ねぇねぇ、本当に杖は強化しなくてもいいの?」

「だから、私のはいいって。失敗したら、また素手になるじゃない」

「もぉー、今は大丈夫だってぇ!」

「万が一ということもありうるわ。他の杖が手に入ったら、やってもらうわよ」

 頑なに小鳥遊さんの錬成強化を拒んだのは、委員長である。


『スノウ・ブルーム』:氷属性魔法専用の長杖スタッフ。注がれる魔力に応じて、オーヴが変化し、最大時には氷の花が開き、真の威力を解き放つ。


 魔術士型リビングアーマーから入手した、そのままにしてある。無理に強化をしなくても、十分な性能を持っているので、委員長の言う通りに破損のリスクを避けるのが、やはり無難だろう。

 小鳥遊さんは、まだあまり弄れていない魔法の杖を錬成してみたいようだけど、今回は我慢してもらおう。

 それから、桜と委員長の魔術士コンビが装備するアクセサリーは、俺と同じく『ガード・リング』と『生命の雫』、その他に、


『矢避けの護符』:矢をはじめとした、遠距離攻撃の回避率を上げるお守り。


『コンセス・カフス』:魔法を行使する際の集中力を上げる。


 桜には『ガード・リング』、『生命の雫』、『矢避けの護符』を持たせている。委員長には『ガード・リング』と『コンセス・カフス』だ。

 俺も持っている『ガード・リング』は沢山手に入っているので、全員分ある。しかし、『生命の雫』は二つしか入手できなかった。

 俺はパーティで最大の攻撃力にして、最も危険な持ち場を担当するから、桜は唯一の治癒魔法持ちでパーティ全体の生命線だから、結果的に俺と桜で『生命の雫』を持つことにしたのだ。

 その代り、委員長には『コンセス・カフス』で攻撃を頑張ってもらおうという方針。

「明日那ちゃん、魔法の剣にはもう慣れた?」

「ああ、慣れれば、これほど便利なものはないな」

 明日那の装備も、俺と同じく魔法の剣に更新されている。


『フレイムレッドサーベル』:ケルベロスの爪を用いた片刃のサーベル。燃え盛る炎魔法を宿す。

『ストームサーベル』:吹き荒れる風魔法を宿す騎士剣。


 メインは『清めの太刀』をそのままに、左手に握る二本目は『レッドサーベル』を強化した『フレイムレッドサーベル』になる。『ストームサーベル』との二刀流にすれば、風で炎を煽って、より強力な攻撃魔法となる。敵に合わせて、二刀を入れ替えることができ、より戦術に幅ができた。

 アクセサリーは共通の『ガード・リング』と、


『毒消しの護符』:多少の毒を無効化し、毒への耐性も上昇させるお守り。


 という状態耐性のお守りを持つ。化け物になったという横道と戦った際に、麻痺毒に苦しめられたという話も聞いているので、持っていて損はない。

 ちなみに『毒消しの護符』は三つあるので、明日那と夏川さんと小鳥遊さんで持っている。

 小鳥遊さんには武器こそないが、他にもアクセサリーを持たせている。


『バイタル・ブレスレット』:体力、スタミナを増強させる腕輪。


『疾駆の羽飾り』:武技『疾駆』を宿したように、速く走ることができる。


『勇気のメダル』:胸の奥から勇気が湧きあがり、恐怖心に打ち勝つ。


 これらは、最も非力な小鳥遊さんが、いざという時でも素早く逃げられるための装備だ。天職『賢者』は身体能力の成長強化がほぼないので、普通にダンジョンを歩き回るだけでも、彼女には大変だったりする。だが、『バイタル・ブレスレット』があれば、進む速度もかなり上がるだろう。

 そういえば『勇気のメダル』の鑑定結果が出た時、すぐに小鳥遊さんの持ち物にすると決まったけれど、双葉さんが随分と羨ましそうに見ていたのが印象深かったな。

 どうしたの、と委員長が聞けば、彼女はこう答えた。

「ううん、何でもないよ。今の私には、もう必要のないモノだから」

 無力だった最初の頃を思い出したのだろうか。俺がダンジョンで見た双葉さんは、すでに教室で見かけた時と容姿も変わり、天職『狂戦士』となっていたから、彼女が魔物相手に怖がって泣いていた、という姿が全く想像できない……なんて思うのは、失礼だよな。

 そんな双葉さんの武器も、より『狂戦士』に相応しいよう強化された。


『黒鉄のナイトハルバード』:黒一色の不気味なハルバード。黒き刃は硬く、重く、無慈悲な一撃となって放たれる。


『ダークタワーシールド』:黒一色の不気味な大盾。頑強な黒き装甲が、敵の攻撃を弾き飛ばす。


『黒鉄の剛剣』:高品質の鋼鉄と金属甲殻を用いた、黒い剣。通常よりもさらに、刀身は長く、幅も広い。


 双葉さんは、さらに頑強な物理攻撃力を求めて、こういう強化となった。魔法の武器も試してみたが、どうやらあまり合わなかったらしい。だから、魔法の武器は俺と明日那と夏川さんに任せると。

 その代り、パーティで唯一の盾持ちとなった。ただでさえ『狂戦士』の圧倒的なパワーがありながら、強固な盾によるガードも加われば、リビングアーマーが相手でも真っ向から叩き潰せる。

 しかし、ここでの戦いによって獲得した新たな武技を習得してからは、盾によるガード術など使わなくても、一発でぶっ倒せるだけの攻撃力を叩き出せるようになってしまった。双葉さん、もうちょっとしたら、俺の『光の聖剣クロスカリバー』を越える火力を手に入れるんじゃないだろうか。俺ももっと頑張らなくては。

 あ、それと一応、夏川さんの装備だけど……


『ワイルドバンデッドナイフ』:強盗殺人を繰り返し、より凶悪な形状と化した、極悪人のナイフ。


『海魔の水流鞭』:水魔法で形成された、伸縮自在の鞭。海蛇を模した先端部には毒針も仕込まれており、痛烈な鞭打と合わせて、相手に地獄の苦痛を与える。武器というより、拷問道具。


『ショッカーボルト』:電撃を放つダガー。流れ込んだ電流は、相手の心を砕く激烈な苦痛と化し、拷問から死刑執行まで幅広く悪事に応用できる。


「な、な、な……」

「えっとぉ、もう一度言っておくけど、武器の説明文を考えているのは、小鳥じゃな――」

「なんでだぁーっ! 小鳥ぃーっ!」

「ピギャーっ!?」

 水魔法の鞭と、雷属性のダガーを手に入れた、『盗賊』夏川さんの活躍に期待しよう。彼女は決して、悪い盗賊ではない。

「可愛い武器よこせぇーっ!」

 などと絶叫しては、非力な小鳥遊さんを追いかけ回しているが、それでも彼女は、悪い盗賊ではないのだ。頑張れ、夏川さん。

「いよいよ、ここも出発ね」

「このエリアのボスは、恐らく、これまでで最も強力な魔物になるでしょう」

「万全の準備は整えた。今の私達なら、大丈夫だろう」

 さぁ、覚悟を決めて、宮殿エリア突破に向けていよいよ出発だ――と、その前に一つだけ、俺にはやっておかなければいけないことがある。

「双葉さん、ちょっといいかな」

「なに、蒼真君?」

「これを」

 俺は『生命の雫』を双葉さんに差し出した。

「えっ、でも、これは蒼真君の」

「いいんだ、俺は、君に持っていて欲しい」

 情けない話だが、双葉さんを守るためにできることは、今の俺にはこれしかないんだ。

 こと戦闘能力に限っていえば、双葉さんは強い。今では、明日那よりも確実にその実力は上だと言える。

 だから、そんな双葉さんがピンチに陥ったならば、それは同時に、俺もまたかなりの苦戦を強いられる厳しい戦況であろう。とても、彼女が危ないからと、一目散に飛び込んでいける状況ではないはずだ。

 そんな時だからこそ『生命の雫』に価値がある。万が一、俺のフォローが間に合わなかったとしても、一度だけなら、双葉さんを致命傷から守ってくれるはず。

「ちょっと待ってください! それは、兄さんが持っていると、みんなで話し合って決めたことではないですか。だって、兄さんが一番、戦いでは危険な――」

「桜は黙っていてくれ。これは、もう決めたことなんだ」

「……悠斗君、本当にいいのね?」

 これまでの経緯から、双葉さんを良く思っていない桜は反対するだろうと思っていた。でも、こればかりは譲れない。俺も男だ。守ると決めたのなら、意思は通す。

 桜なら、そんな俺の覚悟もすぐに察しただろう。まだ何か言いたげではあったが、委員長が素早く彼女を制してくれたお蔭で、それ以上の追及はなかった。

「ああ、委員長、これでいいんだ。それに、戦いでの危険なんて、俺と双葉さんとでそう違いはないさ」

「うーん、私は別に大丈夫だけど。盾もあるし」

 双葉さんからすれば、メンバーで揉めるくらいなら、最初に決めた通り、俺が持っていればいいだろうという程度の気持ちだよな。

「ごめん、ほとんど俺のワガママみたいなものだけど……本当に危険な時、俺は君を助けられるか、正直、自信がないんだ」

『勇者』のくせに、本当に情けない話だ。

 だからこそ、俺はもっと、もっと強くならなければ。

「そっか、うん、分かったよ。心配しなくても、私は大丈夫だけど、それで蒼真君が安心して戦えるなら、その方がいいよね」

 俺のちっぽけな意地と悩みなんか、全て分かっているというように、双葉さんは穏やかな微笑みを浮かべながら、『生命の雫』を受け取った。

「ありがとう、蒼真君。大事にするね」

 すぐにネックレス型の『生命の雫』を首にかける双葉さん。うっ、小さな雫の結晶が胸の谷間に落ちて見えなく……落ち着け、俺、心頭滅却だ。今はそういう、煩悩はいらないだろう。

「それじゃあ、みんな、行こうか」

 これで、出来ることは全てやった。後は、これからの行動で証明しよう。

第89話 天道龍一(1)

「――ったく、妙なことになったもんだぜ」

 天道龍一は冷たい石の台座の上に大の字に寝転びながら、つぶやく。

 見上げた灰色の天井、そして、周囲を囲む岩壁。およそ現代の日本ではお目にかかれない、石造りの倉庫のような室内で目覚めたことに、これが現実であると認識せざるをえない。

「とんだ厄日だな……いや、それを言うならウチの奴ら全員同じか」

 白嶺学園二年七組の生徒達は全員、地球とは別の異世界に飛ばされた――ということになっているらしい。

 校内放送で聞いた男の説明、魔法の存在、崩壊する教室、そして、今の目覚め。常識的に考えてありえないことが起こった。だが、どこまで本当のことなのか、確かめようはない。

 しかし、龍一の中には不思議と納得の感情が湧きあがる。普通なら「胡散臭ぇ」と一顧だにしないだろうが、何故か、分かるのだ。まるで、この異世界の存在を最初から知っていたかのように。

「ふぅ……あっ、ヤベぇな、異世界ってコトは、もう煙草も手に入らねぇかもしれねーのか」

 のっそりと起き上がっては、台座の上に座り込んだまま、龍一は手馴れた動作で煙草を吸う。吸ってから気づいた、もう、あまり残りがないことに。

「くそっ、涼子に一箱とられたのが痛かったな」

 口うるさい委員長から没収された、まだ封を切ってもいない新品の一箱に思いを馳せても、もう遅い。手持ちの煙草は、隠し持っていたこの一つで最後だ。

「そんじゃあ、そろそろ行くとするか」

 特に何も考えず、ボーっと煙草をふかし終えた龍一は、落ち着いたように、いや、目覚めてから特に慌てることもなかったが、ともかく、ようやく行動を始める気になった。

「っと、その前に、魔法陣だったか……胡散臭ぇな」

 ノートを広げて改めてみると、実に怪しい。こんなモノに縋ろうとする自分が情けなくなってくる。

 しかし、ここは魔法の存在する異世界であるに違いない。そして、危険な魔物が闊歩するダンジョンであるとも言われている。龍一は腕っぷしには多少の自信はあるものの、普通の人間である。どんなに鍛えた人間であっても、体一つでは野生動物にすら太刀打ちできはしない。非常に怪しいが、まずはこの魔法陣を使って、例の魔法の力とやらを授かるしか選択肢はない。

「天上の神々よ――」

 びっくりするほどヤル気の棒読みで、龍一は呪文を唱える。神頼みのような一文は、自分の性に会わない。もっといえば、手書きの魔法陣に手を置いて大真面目に堅苦しい呪文を朗読するなんて、オカルトをこじらせたアホしかやらないような真似を、自他ともに認める不良の自分がやることになるとは。一体、どんな罰ゲームだろうか。

 すでにして、龍一の心は重い。

「――ここに天命を果たすことを誓う」

 いざやってしまえば、短い一文を読み上げるなどすぐに終わる。説明の通り、滞りなく儀式を終えたのだが……

「おい、なんだよ、やっぱ何も起こらねーじゃねーか」

 何の変化も起こらない。あの黒板で見たような、如何にも魔法が発動していますと示すように、光ったりもしない。

「ちっ、何が魔法だよ、こんなもんに一瞬でも頼った俺が馬鹿だったか――ぐうっ!?」

 その時、龍一の全身に途轍もない衝撃が走る。

 十人の不良を相手に大立ち回りをしても、ナイフを持ち出した不良に腹を刺されても、バイクに轢かれても、決して膝を屈さずに戦い続けられるタフさを持つ龍一であったが、苦しみに呻いて倒れるしかないほどの、激痛であった。

「ぐあっ!」

 ドクン、と一際大きく心臓が脈打つのを感じた。痛い、苦しい。体中に駆け巡る血液の量が二倍にも三倍にも膨れ上がったかのように、全身が破裂しそうな感覚。

「ぐ、おっ、あぁああああ……」

 死ぬ。それほどの苦痛。

 心臓のある胸元を抑えながら、もがき苦しむ龍一はしかし、死ぬとは思わなかった。

 今までに経験したことがない、正に死んでもおかしくない激痛と症状であるが……違うのだ。苦しいのは、病気でも毒でもない。

 これは、力だ。

 とんでもない力が、心の奥底から湧き上がってくるようにあふれ出て、自分の肉体だけでは器が小さすぎるとでも言うように、体内で荒れ狂っているのだ。

「があっ……く、そが……何が、魔法の、力だ……」

 魔法に対するイメージが甘かった。てっきり、おとぎ話に登場するような、呪文一つで不思議なことが起こるとか、技の名前を叫んだだけで火の球がぶっ放せるとか。そんな、安直なイメージ。

「こ、この、力は……」

 もし、これがこの異世界における魔法の力だというのなら、それはきっと、夢と希望に溢れた奇跡の力などではなく……どこまでも純粋な『暴力』であった。

「う、ぐぁあああああああああああああああああっ!」

 ついに体が爆発する。そんな痛みが最高潮に達した瞬間、龍一の目の前に、いや、頭の中に刻みつけられるように、強烈な情報のイメージが駆け巡った。


 王位継承・天道龍一

 天職・『王』

 第一固有スキル『弱肉強食』――第二固有スキル『――』――

 継承スキル・『覇道』・『王剣』・『宝物庫』


 どれだけの時間、気絶していたのか。最初の目覚めよりもさらに重苦しく、体を起こした龍一は、まず、煙草を探してポケットを漁った。

 ついさっき全部吸い終わってしまったことを思い出し、舌打ちを一つ。そして、さらにもう一つ、思い出す。

「……ははっ、まるでゲームの世界だな」

 脳裏に焼きついた情報。天職、固有スキル、継承スキル、そんな言葉の数々。こんな単語、日本ではゲームの中でしかお目にかかれないだろう。

「ゲームなんざ、ガキの頃に悠斗とやった以来だが……」

 小学生の辺りまでは、自分も普通にゲームで遊んでいた覚えがある。あんな子供だましの機械でも、純粋に楽しく遊んでいた時代もあったもんだ。

 龍一にとっては遥か過去の懐かしい思い出の一ページでしかないが、今は、その記憶と経験だけで、事を理解するには十分だった。

「……とりあえず、これでやってみるか」

 そうして、天職『王』天道龍一はダンジョン攻略を始めた。




 目覚めの部屋と同じような、石造りの通路を歩くこと五分。ソイツはフラリと曲り角から現れた。

「おいおい、出てくる奴までゲームと同じじゃねぇかよ」

 その魔物は、中学の理科室に置いてあった、人体模型の骨だけの方が、そのまま動き出したような奴であった。要するに、人間の全身骨格そのままの姿である。

「スケルトン、とか言う奴だろ、お前」

 龍一の問いかけに答えるはずもなく、動く全身骨格、すなわち『スケルトン』は、ゆらりと接近してくる。カタカタと骨を鳴らしながら、その手に握った木の棍棒を振り上げた。

「へぇ、骨野郎でも、ちったぁヤル気ってのはあるんだな――オラぁ!」

 スケルトンが振り上げた棍棒を叩きつけるよりも前に、龍一は急接近して一気に間合いを詰める。相手の獲物は棍棒。黒高の不良が振り回す金属バッドのようなものだと思えば、慣れたものである。

 ただ、肉も皮もない骨だけの体、そして、一応は『魔物』と呼ばれる存在との、初めての戦いということで、龍一は手加減なしの全力で殴りつけた。

 本気のパンチをぶちかますのは、思えば久しぶりであった。中学の頃からの相棒である、メリケンサックを装着したのは、もっと久しぶり。

 けれど、体は鈍ることなく一連の攻撃動作を流れるように実行。ポケットに忍ばせていたメリケンは抜刀術のような素早さで引き抜き装着。握った拳を鋼鉄のリムで固めた、素手というより最早、鈍器に近い威力でもって、スケルトンの顎を撃ち抜く。

「うおっ、なんだよ、拍子抜けだな、おい」

 覚悟していたよりも、遥かに脆い衝撃が拳に伝わった。アッパー気味に放った一撃は、綺麗にスケルトンの顎を捉え、その頭を吹き飛ばす。

 ガシャリ、と音を立てて、鼻骨のあたりまで砕け散った髑髏が、石の通路に転がった。それと同時に、全ての動力を失ったように、スケルトンは棍棒を振り上げた間抜けな格好のまま、力なく倒れた。

「弱ぇ……いや、コイツが特別弱いのか?」

 ゲームのような能力。ゲームのような敵。ならば、このダンジョンもゲームのように、レベル1からスタートして順当に成長できるよう、敵の強さもほどよく調整されているのかもしれない。あるいは、たまたま最弱の魔物と出会ったか。

 別にどっちでもいいか、と深く考えても仕方がないことを打ちきる。

「まっ、こんなモンでも、無いよりはマシか」

 そして、とりあえず初の戦利品である棍棒を手にした時、それは起こった。


『王剣』:王に相応しい剣を拵える。


 コレを使え、と訴えかけるように、頭の中に刻み込まれたスキルの名前が強く反芻された。

「王剣って、この原始人しか使わねーような棍棒が――うおっ!?」

 その時、黄金の輝きが、龍一の手にする薄汚れた棍棒から発する。眩しい。よく見れば、転がったスケルトンの死体も、同じような金色に光り輝き始めていた。


 対象素材設定

『木の棍棒』

『スケルトンの骨』


 王剣精製開始――完了


 そんな言葉が脳裏を過ると共に、眩しい金の光も収まった。

 そして、龍一の手には『王剣』として形成された武器が握られていた。

 それは、荒い削りの木の代わりに、骸骨の背骨がそのままくっついたような、刺々しい太い骨が伸びる――

「いや、釘バットだろコレ」

 どこらへんに剣の要素があるよ、と龍一は突っ込まざるを得ない。この形状、この長さ、そして、ほどよく生える骨の棘。どれをとっても、黒高四天王の一人『釘バットのマサ』が振り回していたモノと一致する。奴は愛用の釘バットを骨のようなペイントにして使っていたのだ。一目見て「うわ、ダセぇ!?」と思ったものだが、まさか似たようなモノを自分が手にするとは……正確には、スケルトンの骨で作った棍棒、というべき武器であるが、その形から釘バットであるとしか龍一には思えなかった。

「別に、何でもいいけどよ」

 少なくとも、木の棍棒よりかはしっかりした造りで、武器としては上等になったと思えば、悪くはない。

 龍一は剣とは名ばかりのスケルトン釘バットを携え、さらに通路を進んで行った。

「――骨、骨、骨ばっかじゃねーか」

 進んだ先に出現するのは、ただひたすらにスケルトンであった。

 スケルトンは手に棍棒や槍などの武器を持ってはいるものの、どこか動きは緩慢で、複数同時に現れても、さして脅威にはならなかった。

「もう飽きたっつーの!」

 何十体目になるか分からないスケルトンを、釘バットのフルスイングで打ち砕く。

 一応『王剣』が反応しているのか、定期的にスケルトンの体を金色の光で包んでは消していく。見た目は変わらないが、恐らく、補修しているのだと思われた。龍一のパワフルなスイングで、次々と硬い骨の体をぶっ叩いていては、ヒビの一つも入るし、骨の棘も欠けたりもする。

 しかし、王剣が反応した後は、新品同様にツルツルピカピカの綺麗な骨になっている。

「それにしても……妙な感じだ。どうなってんだ、こんだけ動いてんのに、全然、疲れねぇ」

 龍一として気になるのは、王の棍棒と化している王剣の能力よりも、自分自身の変化であった。

 それなりの距離を歩き回っては、気まぐれに出現するスケルトンを潰している。体力にはそれなりに自信がある龍一だが、一度も休息することなく歩いて戦い続けても、息切れ一つしないのには流石に違和感を覚える。

「もしかして、レベルアップ、とかしてんのか?」

 このゲームのような世界なら、ありえない話ではない。敵を倒せば倒すほど、体力やら攻撃力やらが段階的に引き上がっていく、ゲームならではのシステム。

「それとも、魔力ってヤツで強くなってんのか……」

 すでに、魔法陣からのメール情報によって、基本的なことは知っている。だが、それだけでは自分の体の変化を説明できるものはなかった。

「これも、どっちでもいいか。どうせ、先に進むしかねーんだからな」

 そうして、龍一のダンジョン攻略は進んだ。

 半日ほどダンジョンを彷徨い、最初の妖精広場を発見した時に、龍一は第三のスキルの効果を知った。


『宝物庫』:王の財宝を収める蔵。


 その、蔵に収めるべき、最初の王の財宝となったのは、妖精胡桃であった。

「何だコレ、四次元ポケットじゃねーか」

 正確には、ポケットではなく、魔法陣であるのだが。

 発動を意識すれば、手元に金色に輝く円形の魔法陣が描かれ、そこに物体を入れると、どこともしれない謎の空間に収納されていくのだ。

 中に入っているモノは、何となく分かる。魔法陣さえ展開していれば、出し入れは自由自在。広さは、流石に四次元といえるほど無限の広大さはないが、少なくとも、人間が持って運べるよりも遥かに多い物量を収納できるだけのスペースがあると感じられた。

「こんな便利なモンがあるんなら、骨どもの武器も回収しとけば良かったか」

 スケルトンは必ず武器を持っており、中には刃のついた剣などもあった。もっとも、錆びついていて、とても上等なモノではなかったが。

 骨の体のスケルトン相手に、品質の悪い剣や槍などはあまり有効ではなさそうなこと、何より、手持ちの荷物が増えることを嫌って、龍一は最初の棍棒以降、一つも戦利品を回収しなかった。

「いや、どうせこの先もゾロゾロ出てくるだろうし、別にいいか」

 もし質の良い武器を持ってる奴がいれば、いただけばいい。そんな風に割り切って、龍一はクルミと水の侘しい食事を終え、すぐにダンジョン攻略を再開した。

 結局、道中に現れるスケルトンからは、欲しいと思えるほど良い武器は得られなかった。

「……ちょっと大きくなってる気がする」

 数多のスケルトンを撲殺した果てに、『王剣』こと骨の釘バットは、どんどん大きくなっていた。

 人の力で振るうなら、バットくらいのサイズがちょうどいい。しかし、今の骨釘バットは、一メートル以上もの長さを誇る。太さも二回りはサイズアップしていた。

 これほど大きなサイズになると、ただ振るうだけでも力がいる。武器は大きければいいというものではない。下手に大きすぎるサイズだと、マトモに振るえず、スケルトンにさえ後れを取るかもしれないのだが……今の龍一には、この大きさ、この重さが、不思議と手に馴染んだ。

 どうやら、戦い続けても疲労を感じないスタミナだけでなく、単純な腕力までもが強くなっているのだと、龍一ははっきりと実感したのだった。

「レベルアップも武器の強化も上々……それで、いよいよボスのお出ましってか」

 これまでに見たことがない、大きな両開きの扉を潜った先に、ソレは現れた。

「にしても、ボスまで骸骨かよ」

 他のスケルトンとは、比べ物にならない大きなスケルトンであった。ドーム球場のマウンドのような円形広場の中心に、全長3メートルほどのボススケルトン、としか言いようのない魔物が佇んでいた。

「けど、お前は楽しめそうだ」

 ちょうど、愚鈍なスケルトンを片っ端から叩き潰す作業には、もう飽き飽きしていた頃だ。

 ボススケルトンは、その巨体でありながらも、意外なほど機敏な動作で身を翻す。そして、入り口から堂々と入場してきた龍一を獲物と見定めたのだろう。傍らに突き刺していた、長大な大剣を引き抜いた。

「来いよ」

 ドっと音を立てて、ボススケルトンが素早い踏込みで急接近。両刃の十字剣の形をした大剣を振り上げる動作も早い。およそ、普通の人間では反応できないほどの、速度、そして、恐ろしいほどのリーチでもって、龍一へと襲い掛かる。

「――っと、デカい割に、結構速いじゃねーか」

 遥か頭上から振り下ろされた大剣の一撃を、一歩だけ横にずれて回避。凄まじいパワーで叩きつけられた巨大な刃が、地面から土埃を盛大に舞い上げる。

 迸る風圧に金色の髪を揺らしながら、龍一は笑った。

「けど、悠斗ほどキレはねーな。お前、剣術は素人かよ」

 そんな言葉を置き去りにするように、龍一はボススケルトンの懐へと飛び込む。すでに両手には、骨釘バット(大)が握られ、大きく振りかぶられていた。

「オラァっ!」

 気合い一閃。全力で振り抜かれた骨の鈍器は、ボススケルトンの膝の関節にクリーンヒット。鈍い音と共に、膝の皿にビキビキとヒビが入った。

「流石に一発じゃあ、砕けねーか」

 足を崩せば、二足歩行の人型である以上、倒れざるを得ない。

 しかし、ボスの動きは明らかに鈍ったように見えた。痛みを感じている様子はないが、動作に支障が出るほどのダメージを負ってしまったということ。

「勝負はついたようなもんだが……ボス相手に油断するのは危ねーよな。悪ぃな、全力で潰させてもらう」

 そこから先は、龍一の一方的な打撃の嵐が吹き荒れた。

 まず、すでにヒビの入った膝を完全に破壊する。片足を失い倒れた後は、破壊すれば動きが止まる弱点らしき頭と、唯一の武器である剣を握る右手を中心に叩く。

 倒れたボスにできたのは、二度ほど大剣を薙ぎ払うように振るう、苦し紛れの反撃のみ。龍一は無尽蔵のスタミナを生かして、素早くステップを刻み続けてボスの悪あがきに囚われることなく、殴打を加え続けた。

「おっ、先に右手の方が壊れたか、それなら――」

 指の骨が砕かれ、ついに大剣を手離してしまったボス。龍一は地に落ちた大剣を、ボスの左手が伸びるより前に、抱え込むようにして拾い上げる。元より、身長3メートル級の大型スケルトンが使う剣。その柄は、とても人間が握り絞められるほどの細さはない。

 だが、地に倒れて死に体の相手に振るうには、十分な凶器であった。

「――これで、終わりだっ!」

 首に向かって、ボスの大剣を叩きつけた。さしもの大型スケルトンも、規格外の巨大な刃にかかれば、その太い頸椎も耐えられない。

 大きな髑髏の首が転がり、戦いはその幕を下ろした。

「……転移って、本当にコレ、大丈夫なのか?」

 ボスとボス部屋、そして転移魔法陣の使用については、魔法陣メールで確認済み。しかし、いざ広間の中央で大きな魔法陣が光り出すと、飛び込むにはちょっと尻込みしてしまった。

 すでに、ボスからコアは回収している。分厚い頭蓋骨の中に、コアは転がっていた。

「飛ぶ前に、試しておくか」

 ボスを倒せば自動的に転移魔法陣が展開されたが、ここには倒れたボスの死骸と、トドメとなった大剣がある。

「コイツを使えば、今度こそ剣になりそうだしな」

 龍一の期待は、明確な意思となって、スキルの発動を導いた。


 対象素材設定


『ラージスケルトンの骨』

『グレートソード』


 王剣精製開始――完了


 そして、金色の輝きが過ぎ去った時には、龍一の手には一振りの大剣が握られていた。

「おお、結構いい感じじゃねーか」

 白い骨の柄に、ボスの大剣『グレートソード』の刃が生えたような、無骨な造り。綺麗でもなければ、精密でもない、荒い剣。しかし、今の龍一にとってちょうどいい重さとリーチを備え、なにより、ギラリと輝く巨大な刃が、棍棒とは比べものにならない絶大な破壊力を与えてくれる。

 この武器ならば、もし次に同じボス、『ラージスケルトン』とやらが現れても、一刀のもとに切り伏せられる自信があった。

 王剣の出来に満足した龍一は、いよいよ出発の覚悟を固めて、いざ魔法陣へ。最後に、王剣の精製で中途半端に骨が消え去った残骸となっているボスを、何ともなしに振り返り見た時に、気が付いてしまった。


『弱肉強食』:喰らえ。倒した敵を糧に、さらなる高みへ


「お、おい、もしかして……」

 龍一は戦闘の時では一度も見せなかった、眉をひそめて硬く目を瞑り、深く思い悩むような渋い表情。実際、悩んだ。この固有スキルを試すかどうか。

 龍一は結局、親指ほどの小さな骨の一かけらを、煙草の代わりとでも言うように、口にくわえたのだった。


 捕食スキル


『ボーンクラッシャー』:骨に対する攻撃力を高める

『ニューボーン』:骨の再生力が上がる

第90話 天道龍一(2)

「……コイツは、またえらく雰囲気が変わったもんだ」

 転移魔法で飛んだ先は妖精広場であったが、そこから続くダンジョンを覗くと、そこはスケルトンの彷徨う石造りの通路とは打って変わって、まるで密林のように緑の溢れた道が続いていた。

 本物のジャングルというワケではないようだ。通路そのものは、スケルトンエリアと同じ石造りだが、単純に植物に侵蝕されているだけ。しかしながら、エリアの構造はかなり違っており、これまでは大小の通路中心だったところが、植物園のように密林を模したような大広間が幾つもあって、通路はそこを繋いでいるだけだった。つまり、このエリアは実質、ジャングルといってもよい。

「グベェァアアアっ!」

「うるせーよ」

 ここで最初にエンカウントしたのは、ゴーマと呼ばれる黒い人型の魔物であった。草木の生い茂る密林の地形を生かし、前後左右、さらには木の上から弓を射かけるなど、スケルトンにはなかった連携をとって襲い掛かってきたのだが、龍一にとってはさして脅威ではなかった。

「コイツも、分かりやすい雑魚モンスターってヤツか」

 一目見ただけで、実力差を何となく察した。コイツらは弱い。何匹まとめてかかってきても、まるで負ける気がしない。一応、人を殺すには十分な刃物で武装しているものの、やはり何の脅威も感じられなかった。

 あくびが出るほど弱そうな魔物であったが、折角の団体客である。大剣と化した新たな王剣の試し切りとばかりに、龍一は真面目に柄を握る。

 そして、鎧袖一触。粗末な武器を手に襲い掛かってくるところをまとめて切り伏せ、木の上に陣取る射手はその木を一刀両断して、地面へと叩き落としてやった。

「思ったより、切れ味は悪くねぇな」

 半ば鈍器くらいの覚悟で臨んだが、意外なほどに良く切れた。ボススケルトンの大剣は業物だったのか。それとも『王剣』の効果か。

 結果に満足した龍一は、頼もしい剣と共に、悠々と密林エリアを突き進んだ。

「……はぁ、やっぱボスくらいにならねーと、強ぇヤツはいないってことか」

 このエリアはスケルトンオンリーだった前と違い、色々な種類の魔物が現れた。人型はゴーマだけだったが、動物型と昆虫型の魔物が多い。

 火の粉を吹く赤い野良犬。ピョンピョン飛び跳ねながら鋭い爪で襲ってくる猿。ひたすら猛突進のイノシシ。毒を持ってそうな黄色いカエル。虫の魔物は、どれも人間並みにバカデカい蟻と蜂とカマキリがいた。


捕食スキル

『レッドスパーク』:激しい火花を散らす

『サイドステップ』:素早く横にステップを踏める

『チャージダッシュ』:溜めに応じて強力な突進ができる

『パラライザー』:麻痺毒を発生させる

『パワーアント』:重い物を運べる

『ディゾルバー』:溶解液を発生させる

『マンティスラッシュ』:鋭い大鎌による二連撃


 二回目の妖精広場にて、かろうじて口に含んでもよさそうな部位を厳選して……主に骨の欠片であるが、それらによって色々とスキルを獲得した。ゴーマだけは食べなかった。人型の魔物だから躊躇したというより、単純に食っても何も得られないと直感が訴えたからだ。

 結局、獲得したスキルは、どれも今すぐに必要性を感じないモノばかりだったが、こんなゲームのような世界では、何かの役に立つこともあるかと思い、一応、頭には入れておく。

 そうして、密林エリアとここに生息する魔物も見慣れてきたと感じる程度には進んで行った頃。これまで以上に広く、さらに高さもあるエリアへと踏み込んだ時だった。

「――うおっ」

 ドン! という大きな爆発音と共に、強い熱風が駆け抜けて行った。その爆風は激しく木々を揺らし、入り口から密林ドームに足を踏み入れた直後だった龍一の金髪もなびかせた。

「ボスが暴れてんのか?」

 思いつつも、特に身を潜めることもなく、これまで通り堂々と突き進む。すると、すぐに爆発の原因を発見した。

「ん? 君は……天道龍一か」

 広い草原と化しているドームの中心に、赤色の巨躯が堂々と立っていた。

「おお、コイツは……ドラゴンってヤツか」

 赤いドラゴン。そうとしか呼べない存在が、そこにいた。

「ふふん、驚いたかい? このサラマンダーは俺が使役している使い魔サーヴァントなんだ」

 トカゲともワニとも異なる、獰猛な鋭い顔つき。鋭利な牙の並ぶ口からは、チロチロと火の粉が漏れている。大きく広がる赤い翼に、二本の逞しい足でしっかりと大地に立つ姿は、王者の風格というべきか。長い尾はユラユラと揺れているが、金属質の赤い竜鱗に覆われており、軽く当たるだけでも人間なら簡単に骨が折れてしまいそうな重量感があった。

 しかし、全体的にはどこか色褪せて見えるのは……どうやら、このドラゴンはかなり老いているらしい。

「安心しなよ、俺が命令しない限り、勝手に襲い掛かったりはしないからね」

「ああ? 何だお前、いつからいた」

 気が付けば、赤いドラゴンの前に、偉そうに腕組みをして立つ一人の男……まぁ、同じ学ランを着ている以上、クラスメイトの男子生徒に違いはないのだが。

「最初からいた! 俺がこのサラマンダーの主人だ!」

「っつーか、誰だっけ、お前」

「だ、誰……って、ふざけるのも大概にしろよ! 俺は二年七組の委員長だぞ」

「はぁ? 委員長は涼子だろ――あ、そういや男子にも委員長がいたか、一応。えーと、確か、西だっけ?」

「東だ! 俺の名は東真一あずま しんいちっ!」

「あー、そうそう、いたな、そんなヤツ」

 どうにも人の顔と名前を覚えるのが苦手、というか面倒くさいというか興味ないというか。それでも、何度か教室で見た覚えがあるし、何かの行事につけて涼子と一緒に教壇に立っていた覚えもないでもない。

 龍一はようやく、二年七組の男子のクラス委員長、東真一のことを思い出すのだった。

「それで、どうするよ? そのご立派なドラゴンで、俺を襲わせようってか?」

「襲う? 俺が? 君を? はははっ、不良らしい実に短絡的な考えだ。全く、君のような奴がいるから、近頃の若者はキレやすいとか何とか言われ続けるんだよ。全ての若者が血気盛んな単細胞だと一緒くたに見る大人の方が、脳みそ衰えているとしか思えないけれど――おっと、話が逸れたね。とりあえず、俺に君を襲う理由なんてまるでないと言っておこう。考えれば当たり前のことだろう。どうして、こんな異常事態に巻き込まれた最中に、助け合うべき仲間であるクラスメイトを襲おうだなんて、全くもって、ナンセンスな――」

「俺を見て、お前、ドラゴンを止めただろ」

「……何だって?」

「テメーの殺気に反応して、ドラゴンが襲い掛かりそうになったところを、慌てて止めただろって言ってんだよ」

 龍一はドラゴンが視界に入った瞬間から、ちゃんと東のことは認識していた。ただ、東真一という人物であるということを忘れていただけであって、この狂暴そうな赤いドラゴンを従えている怪しい人物がいる、と最初から注意はしていた。

 そして、東が龍一の名前を呼ぶと同時に、後ろに立つドラゴンに向けて、まるで飼い犬に「待て」と言うかのように、掌で抑えつけるようなジャスチャーを小さくしていたのを見た。

「隠し方が下手なのは、クソ真面目だけが取り柄の優等生だからか?」

 男子委員長、東真一の顔から、余裕ぶっていた笑みが消える。あからさまに顔をしかめた、睨むような表情……だが、まだ感情を抑えようという理性は働いているのだろう。すぐに、表情を引き締め、龍一へと視線を向けた。

「何のことだか、俺には分からないな。けれど、そういうように君が見えてしまったのなら、これ以上、俺が否定しても仕方のないことだろう」

「そりゃあ、認めてるんだったら、とっくに俺に炎をぶっかけてただろうしな」

「その挑発的な物言いはやめたまえよ」

「なら、さっさと俺と戦るのかどうか、決めてくれよ。その気がねぇなら、俺は先に行かせてもらうぜ」

 少しだけなら待ってやる、と言わんばかりにポケットに両手を突っ込んで、ボーっと暇そうに立ち尽くす龍一。コンビニの入り口にこんな男が立ち塞がっていたら、絶対に近づかないだろう威圧感をナチュラルに発している筋金入りの不良生徒を前に、委員長・東真一はすぐに口が開けなかった。

「すぅ、はぁ……なぁ、天道龍一、このダンジョンを進んできたのなら、ここがどういう場所か、分かっているだろう?」

「まぁ、それなりにな」

 リアルなゲーム世界であるという認識と同時に、魔物にやられてゲームオーバーはイコールで現実の死であるということも理解している。

「ここは、とても危険な場所だ。俺達は『天職』という力を授かったが、魔物の力は未知数、いや、まず間違いなく、ダンジョンの奥地には強力なボスが待ち構えているはず」

「だろうな」

「君は喧嘩自慢で有名だけれど、そんな素人に毛が生えた程度の力量、あってないようなモノだ。『天職』の力は普通の人間を遥かに超えている。このダンジョンを生き抜くには、『天職』の能力が大事だし、そして、それは一人ではなく複数人集まれば、さらに強力となるだろう」

「おい、さっきから当たり前のことをグダグダ言ってんじゃねーぞ。結論から言えって」

「ちっ……要するに、ここはクラス全員が協力すべきだ、と言っているんだよ。天道龍一、一人で先に進むだなどと、勝手な行動は慎んでもらおう」

「あぁ? なんで俺がテメーに指図されなきゃならねーんだよ」

「だから、クラスが一致団結すべき状況なんだと、あれほど、はっきり、分かりやすく、明確かつ論理的に説明したばかりじゃあないかっ!」

「おい、そんな興奮すんなって、眼鏡曇ってんぞ」

 はぁ、はぁ、と鼻息荒く叫ぶ東は、確かにスタイリッシュな黒縁眼鏡のレンズが曇ってもおかしくないほどの高ぶりようではあった。

 しかし、それを冷静に指摘することは、火に油というものであろう。

「真面目に話を聞けよっ!」

「なに熱くなってんだよ。協力するのが大事なんじゃあなかったのか?」

「黙れ!」

 完全にキレている。これは面倒くさいことになってきたぞと、龍一は溜息こそつかないが、すでにうんざりしてきてしまった。

 ここはもう、一発ぶん殴って黙らせた方が早いかと考えたが、後ろの飼い犬みたいなドラゴンがそれを易々と許してくれるとも思わなかった。本当に、面倒な奴に絡まられたものである。

「……天道龍一、今度は真面目に答えろよ。お前はクラスのみんなと協力する気があるのか、ないのか、どっちなんだ」

 おい、二人称が「君」から「お前」に変わってるけどいいのか、と言いかけたところで、そう答えたらまた東のキレ芸が炸裂すると、かろうじて思い直した。

「とりあえず、俺は勝手にやらせてもらうぜ。クラスの奴らを集めるってんなら、まぁ、頑張ってくれや。邪魔はしねぇよ」

「そんなワガママが通用するような状況だと、本気で思っているのか?」

「テメーこそ、俺がクラスのみんなと仲良しこよしのお手手繋いでダンジョン攻略に励むと、本気で思ってんのかよ?」

 どこまでも真剣に問いかけてくる東の姿が、むしろ滑稽である。龍一はやれやれといった様子で、教えてやった。

「よく見ろ、この金髪に、この服装、オマケに煙草も……おっと、煙草はもうねぇんだったか。どっからどう見て、不良だろうが。テメーの言う通り、俺はただの不良生徒だ」

 覚悟というほど立派なモノではない。ポリシーと呼ぶほど、こだわりもない。

「この程度でビビって慣れ合うようじゃあ、不良はやってられねーぜ?」

 ただ、何となく不良と呼ばれるようになっただけ。グレたのではなく、自然とそうなった。

 そして、その自然体を、わざわざ曲げるほどの状況でもない。龍一は心の底から、そう思っていただけのこと。

「ふ、ふ、ふざけるなよ!」

 しかし、その答えを東委員長はお気に召さなかったようである。まぁ、分かってて言ったのだが。

「落ち着けよ、別に俺一人いようがいまいが、大した影響ないだろが。むしろ、いない方がスムーズに進むんじゃねぇの?」

 幼馴染のような腐れ縁を除き、クラスの連中と仲良くやっていく自信はない。こっちは気にしなくても、向こうがビビる。不良であることも、自分の容姿も、ちゃんと自覚はある。

「一人たりとも、自分勝手は認められない! まして、こんな状況なら尚更だ!」

「別に誰も気にしねーよ、んなことは。それに、悠斗がいれば上手くいくだろ」

「……悠斗? 蒼真悠斗君のことか。何故、ここで彼の名前を出す」

「そりゃあ、アイツが仕切るからだろ」

 ある日突然、クラス全員、異世界に放り出されてダンジョンサバイバル。そんな教室にテロリストが乱入してくるよりも起こる確率の低い異常事態に見舞われたなら、混乱する生徒をまとめ、導くのは蒼真悠斗にしかできない。

 あの腐れ縁の幼馴染は、それができる男だ。自分にはできないし、他のクラスの奴もできない。

「い、委員長は俺だぞ! こういう時こそ、この俺が、委員長として責任を持ってクラスのみんなを導かなければ――」

「ははっ、そりゃ無理だろ」

 とんだ見当違いの責任感である。クラス委員長ってそういう仕事じゃねーだろ。鼻でせせら笑ってしまう。なかなかに面白いジョークだった。

「合わねーことすんな、こういう時は、大人しく悠斗に任せときゃいいんだ」

 心からのアドバイス。あくまで龍一の親切心から出た言葉であるが、果たして、お前は器じゃない、と真っ向から言われて素直に頷ける男はどれだけいるだろうか。

「黙れぇっ! 黙れ、黙れ、天道龍一……お前はどこまで、俺をコケにすれば気が済むんだ!? これか、これが喧嘩を売っているってコトなのかぁ!? ああ、そうなんだろぉ!?」

「何だよ、結局、やるだのやらねぇだの、最初の話に戻るんじゃねぇか」

 全く、無駄話させやがって。時間を返せといいたくなるが、あまりにも方向音痴なキレ方に、龍一もそこまで喧嘩を買ってやろうかという気は起きない。コイツのイチャモンの付け方は、ムカつくというより、げんなりしてくるのだ。

 これなら「ああん、テメェ、白嶺の天道だなぁコラぁ!」と、情熱的なまでにストレートに絡んできてくれる黒高ヤンキー共の方が、まだ可愛げがあるというもの。

「二年七組は俺が仕切る! 蒼真悠斗君には部下として協力してもらうし、天道龍一、お前の勝手も許さない!」

「はぁ……そこまで言うなら、一つ聞くけどよ、もし、俺が大人しく言うこと聞いてやるっつったら、それで満足なのかよ?」

「ふん、口ではどうとでも言える。信頼というのは行動で示すものだからな」

「テメーの言うことは聞くし、クラスの連中を俺が真面目に守ってやったとしたら、どうだ。本当に俺のこと、認められるってのか?」

「無論だ。そこまで殊勝な心がけで働くというのなら、俺も公正公平、適性に評価を下そうじゃないか」

「ふーん……で、話は変わるんだけどよ、涼子の奴、妊娠してるんだわ」

「へっ!?」

「俺の子なんだ」

 素っ頓狂な声を上げて、さきほどまでの傲岸不遜な表情はどこへやら、東はピエロでもなかなかできないような驚き顔へと変わる。

「な、な、なにを、言ってる……う、嘘だ、そんな、ありえない……如月君が……」

「いや、マジだ。夏休みに悠斗達とハワイ旅行ん時に、何か勢いでヤっちまって」

 嘘である。如月涼子の妊娠も、俺の子も、全て真っ赤な嘘。あの口うるさい委員長とクラス一の不良生徒の自分が関係を持つなど、どこの少女マンガかと言いたい。

 だが、今年の夏休みにハワイ旅行に行ったのは本当。半ば強引に悠斗に引きずられて連れて行かれたようなものだが、それでも、行くことは行った。そして、クラス全員にお土産も配ったし、しばらくは旅行の話が流行ったから、二年七組で知らない者はいない。

 ちなみに面子は、蒼真兄妹、天道龍一、高坂弘樹、如月涼子、夏川美波、剣崎明日那、小鳥遊小鳥、レイナ・A・綾瀬、以上の九人である。二年七組の美少女総取りのような人選に、男子連中の嫉妬はかなりのモノだったが、龍一に面と向かってガンを飛ばせる者など樋口恭弥くらいなもので、その樋口も妙に興味なさそうだったから、結局、男の醜い嫉妬心は、哀れ、高坂弘樹一人に向けられるのだった。

 もっとも、女性陣の好意は全て蒼真悠斗に向けられているから、高坂弘樹は何の美味しいメにもあわず、甘い思い出も作れなかったので、最大の被害者ともいえるのだが。

「そんな、馬鹿な……」

「いやぁ、本当に馬鹿だったよ。帰ってからも、調子に乗って生でヤリまくってたからな」

 当たって当然だよ、はっはっは、と自分でも大根役者ぶりだと思うほどの白々しい笑い声を上げた。

 さて、この突然のカムアウトに対する、男子委員長・東真一の反応たるや……

「――決めた」

 妙にはっきりと、そう言った。

「決めた。もう、やめる」

「ああ?」

 東の顔は、目だけがギョロリと見開かれたままの、異様な無表情に固まっていた。そして、意味不明な宣言。

 おかしい。どう見ても、異常な様子であった。

「天道龍一、俺はね、正しくあろうと思ったんだ」

 てっきり、またギャアギャア叫んでキレるかと思いきや、その口調はやけに平坦。これまでの怒りや苛立ちといった感情が、丸っきり抜けてしまったかのよう。

「俺は強いから。強い力を授かったから、それを正しく使おうと、それが俺の運命なんだと。だから、俺がこの力でクラスのみんなを守って、導いて、無事に元の世界に帰れるようにしようと、そう、思ったんだ。たとえ――」

 ジワリ、と見開かれた目元に、涙が滲んだ。

「――たとえっ、このダンジョンから脱出できるのが、三人だけだったとしても!」

「三人だけ? おい、どういう――っ!?」

 ドラゴンが動いた。

 大きく開かれた口。ヒュウウウ、という呼吸音と共に、口腔内にオレンジ色の光が輝くのを見た。

 ドラゴンとは、火を噴くものだ。それは地球の伝説の定番ではなく、どうやらこの異世界では純然たる事実であるのだと、龍一はすでに知っている。

 ドラゴンブレス。このエリアに入って聞こえてきた大きな爆発音の正体は、このドラゴンがぶっ放した炎のブレスであると察していた。


 ドドンっ!


 耳をつんざく爆発音と衝撃に、流石の龍一も目が回った。咄嗟に捕食スキル『サイドステップ』で飛んで回避し、さらに強固な王剣を盾にして爆風を防いだ。それでも、軽く吹っ飛ばされてしまったのだから、もし、直撃を許せば、跡形も残らず消し飛んでしまうだろう。

「ちっ……コイツの相手はちょっとばかしヤベぇか」

 龍一は開けた場所は不利と見て、吹き飛んで転がされると、すぐにそのまま立ち上がって、木々が生い茂る密林へと逃げ込んだ。

「ふっ、ふふ、ふはははは! どうだぁ、天道龍一ぃ、これが、俺の力だ!」

 いや、ドラゴンの力だろ。声に出して突っ込みそうになるのを耐える。

 ひとまず、姿を見失ったことでドラゴンの炎は飛んでこない。調子に乗って撃ちまくって、辺り一面火の海になったら東も困るからだろうから。

「お前が悪いんだぞ……俺は、この最強の力でみんなを助けてやろうと思っていたのにぃ……お前が、お前がぁあああああっ!」

 どうやら、如月涼子を孕ませた、という嘘がよほどショックだった様子。こんなに頭がおかしくなるレベルでキレるとは、正直、天道龍一も予想外であった。

「はぁ……涼子、お前は本当に、ロクな男に好かれねーよな」

 東真一が如月涼子に惚れていたことは知っていた。別に龍一でなくても、クラスの半分くらいは知っている、割と有名な恋の一方通行情報である。それほど、東の涼子に対する態度はあからさまであった。

 だから、あえて嘘をついて東の反応を試した。

 絶体絶命のダンジョンサバイバル。クラス全員で一致団結して乗り切ろう。素晴らしい考えである。しかし、本当に団結などできるのだろうか。

 例えば、惚れた女を孕ませてやったと豪語する、いけ好かないクソヤロウなんかが、クラスの仲間に含まれていれば。果たして、本当にそんな人物とも、今は争っている場合じゃない、と冷静に割り切って、協力しあえるのだろうか。

 その答えがNOであると、東が身を持って証明してくれた。

「もういい、クラスのことなんて知ったことかぁ! 俺は生き残る! 俺は、俺と、俺の愛する人だけで、生き残って、そして、日本に帰って、結ばれるんだぁ!」

「そうかよ、ならそん時は、俺と涼子のガキを頼んだぜ。立派に育てて、公務員にでもしてやってくれよ」

「うぁああああ! やれぇっ! サラマンダぁあああああああああああああっ!」

 再び轟く爆音。瞬く間に密林が灼熱の紅蓮に蹂躙されていくが――やはり、視界が悪いせいか、大きな火の球の形状をしたドラゴンブレスは、龍一のいる場所へと正確に飛んでは来ない。

「東、ようやくテメーの答えが聞けた。いいぜ、俺とやろうってんなら――」

 声を上げる度に、その方向に向かって火球が撃ちこまれてくる。だが、狙いは不正確なお蔭で、凌ぐには十分。そして、その分だけ、ドラゴンの火球攻撃を観察することはできた。

 発射速度。威力。攻撃範囲。命中精度。

 今の龍一の能力なら、イチかバチかの賭けが成立するくらいには、何とかなりそう。

 面白くなってきた。龍一は自分でも気づかぬ内に、笑みを浮かべていた。

「――その喧嘩、買うぜ」

第91話 ヤンキーチーム

「……た、助かった」

 僕は転移魔法陣で妖精広場に飛んでいた。絶体絶命のピンチが一転、僕は新たなクラスメイトの一団に合流を果たし、無事に妖精広場へと生還したのだ。

「はぁ、もしかして、あのままもうちょっと粘ってたら、樋口とあんな死闘をしなくて済んだのかも……」

 今更ながら、そう思ってしまう。もし、あの場に、まだ、誰も死んでいない内に、天道龍一が現れていたら……きっと、結末は変わっていたように思う。僕の呪いも、勝の友情も、樋口の欲望も、全て、天道龍一の力の前には意味を成さない。

「強すぎる。蒼真君の『勇者』並みだよ、アレは」

 僕が彼の力を目にしたのは、勿論、あの後すぐに始まったボス戦、ゴライアス(仮)との戦いである。

 ボス部屋の中で待ち構えていたのは、確かに勝の言う通り、『アンデッド・バウンティ』のゴライアスに似ていた。デカいゴリラのようなマッチョ体型に、鬼のように角が生えた凶悪な顔つき。そして、その全身は鎧熊と同じような、灰色の金属質な甲殻の鎧で覆われていた。

 なるほど、コイツは樋口をしても真っ向勝負を避けるだろう。一目でそう思わせるだけのビジュアルであった。無論、魔物が見かけ倒しということはありえない。

「一体、何の天職なんだろう。『勇者』ではなさそうだけど、『剣士』とか『戦士』ってこともないか。まさか、『魔王』とかじゃないだろうな……」

 僕は開け放たれた扉の外から、こっそりと天道君がゴライアスに挑む姿を見ていた。

 堂々と獲物が入って来たことで、ゴライアスは餓えた獣のように、耳をつんざく獰猛な雄たけびをあげる。ヤル気満々で、次の瞬間には飛びかかって来そうな迫力。

 対する天道君は、キラキラ輝く黄金の光の魔法陣が手元に浮かんだかと思えば、いつのまにか、真っ赤な刃の大剣を手にしていた。

 大剣といえば、僕が見た中では横道一が持っていたクレイモアみたいな剣が一番大きかったけど、天道君のはそれ以上のサイズだった。刀身の長さはニメートル近く、それでいて、刃の幅もかなり広い。

 現実のツヴァイハンダーなんかも、刀身が二メートルほどあるらしいけれど、幅は細いし、使いやすいよう3キロくらいの軽さに仕上げているらしい。

 けれど、天道君の赤い大剣は、そんな現実的な造りを全く無視したような、正しくRPGの主人公が使うようなバカデカい形状だ。普通の人間なら持ち上げることさえできない、巨大な鋼鉄の塊。僕なんか持つどころか、潰されてしまうだろう。

 そんな超重量のファンタジックな大剣を、天道君は片手で軽々と持ち上げた。

 そして、凄まじい速さで飛び掛かってくるゴライアスを、一閃。同時に、真っ赤な炎が迸る。

 切っ先から走る紅蓮の尾と、赤く輝く刃の軌跡を虚空に残し、ゴライアスは頭から縦に真っ二つ。右と左に両断されて吹っ飛んで行く最中、その残骸が轟々と勢いよく燃えだす。あらかじめ灯油でもかけていたのかってくらい一瞬で火に包まれ、ベチャリと地面に落ちると、後には真っ黒い消し炭が残るだけだった。

 そうして、ゴライアス戦が一瞬で終わり、僕らは転移魔法で飛んできたというワケだ。

「とりあえず、天道君と一緒にいれば安心かな……ってこともない、か」

 これで、今は非常時だから、クラスのみんなと協力してダンジョン攻略を目指そう! という方針で固まっていれば流石の僕も気を抜けるというものなのだが……どうも天道君のパーティと、僕はあんまり仲良くやっていける自信がない。

 というのも、面子を見れば分かるだろう。あの黒高生も恐れる最強の不良、天道龍一に、二年七組の派手な女子トップスリーのギャルが三人。そう、このパーティにはヤンキーしかいない。ヤンキーチームだ。僕とは人種が違う。

 まぁ、平和な学生生活を送るだけなら、狭い教室の中で住み分けという名の共生関係も成立するのだが、この状況下では多少なりとも意思疎通は必要である。僕は彼らがどんな天職で、どうやってダンジョン攻略を進めて来たか、そして何より、その行動方針さえ知らない。もしかしたら、次の瞬間には「桃川はいらないわー」と気まぐれにポイ捨てされる可能性もなきにしもあらず。

 何はともあれ、情報収集である。

 さて、この面子の中では誰もが僕にとっては話しかけるには難易度が高いけれど……強いて言うなら、蘭堂杏子だろうか。いや、別におっぱいが大きいから好みだとか、そういう判断基準ではない。

 一緒に来るか、とパーティ入りを誘ってくれたのは彼女である。天道龍一と女子二人は僕のことなど全く眼中にない様子。現状、声をかけてマトモな返事が期待できそうなのは、蘭堂さんだけなのだ。

 それに、この妖精広場に到着するなり、休憩に入る天道君の両脇を、女子二人が座り込んで固めて、キャーキャーと黄色い声を上げてお喋りし始めている。内容はゴライアス戦について、天道君を褒め称えている模様。「スゴーイ」とか「超つよーい」とか、聞こえてくる。ちょっとしたキャバクラ状態だ。まぁ、天道君は面倒くさそうな顔をしているけれど。

 ともかく、あんな状況に「すみませんーん、ちょっとお話いいですかー?」と突っ込んで行く勇気なんて僕にはない。

 そういうワケで、話しかけるには彼らとはちょっと離れた場所である、噴水の淵に一人で腰掛ける蘭堂さんしかありえないのだ。

 改めて考えると、少しばかり緊張するものの……僕は蒼真桜を筆頭として、最悪のハーレムパーティを経験したお蔭か、あんまり女子に対して幻想は抱いてない。今更、冷たくあしらわれた程度で、ショックを受けたりもしない。

「蘭堂さん、ちょっといいかな。聞きたいことがあるんだけど」

「んー、なによ桃川、別にいいけどぉ――」

 こうして目の前に立つと、蘭堂さん、ちょっと迫力がある。清楚可憐を地で行く蒼真桜とは真逆の魅力だ。大きな胸元は無防備に開かれてるし、かなり短いスカートからは、肉付きのいい太ももが伸びている。あっ、これみよがしに目の前で足を組み替えたりするの、やめてくれませんか。気になって仕方ない。

 蘭堂さんのあふれ出る色香に抗いながら、僕は彼女と向き合う。

「――先に洗いなよ。臭いよ」

「うっ! す、すみません……」

 ショックだった。女の子から面と向かって「臭い」とか言われると、こんなに傷つくとは……甘かった。僕の女子属性の精神耐性は、まだまだそれほどでもなかったというワケだ。

 ちょっと泣きそうになりながら、僕は彼女が座る噴水の反対側へ移動しようと思ったところで、掴まれた。

「ほら、動くなって。顔、めっちゃ汚れてるし」

「え、はっ……なに、ちょっ!?」

 気が付けば、僕は蘭堂さんに顔を拭かれていた。彼女が手にする濡れたハンカチが、僕の血糊がついた頬をゴシゴシ。冷たさと、心地よい刺激が気持ちい――じゃなくて、何だこのプレイはっ!

「あっ、桃川、アンタ……」

「ええっ、なに、近っ!」

 グイっと蘭堂さんの顔が寄ってきて、焦る。化粧は濃い目だが、顔立ちは美人な方だから、何か尚更に困る。

「カワイイ顔してんじゃん。化粧したら化けるわコレ」

「……そうですか」

「そーだよ、したげよっか?」

「結構です」

「えー、勿体ない。肌も白いし、プニプニしてるしー」

「いやホント、そういうの興味な、むぐぐ――ちょっ、やめて」

 いきなりほっぺたプニプニすんのやめて。嫌なワケじゃないけど、今の話の流れでされたらリアクションに困る。

「いいじゃん、いいじゃーん」

「よくないって!」

「あー、やっぱこれ顔だけ拭いてもダメだわ。桃川、服脱いで」

「はぁああっ!?」

 ちょっと待って、急に話題を変えられるとついていけない。それ以前に、言ってることが何かおかしい。

「ほら、早く脱ぎなって。脱がせて欲しいの?」

「いや、そ、それはちょっと……」

「そんな気にすんなって。ほら、ウチは弟いっぱいいるから」

「気にするよ! 弟いるとか知らないし!」

「だからー、男の裸は見慣れてるから、気にすんなって言ってんの」

「いや、その理屈はおかし――」

「いいからさっさと脱げーっ!」

 キャー、と悲鳴を上げたい心境で、僕は渋々、血塗れの学ランを脱いだ。蘭堂さんは、僕が目の前でパンツ一丁になっても、眉一つ動かさないクールな表情のままだった。

 いや、まぁ、彼女なら確かに、男の裸なんて見慣れてるだろうけど……複雑な心境である。

「洗っといてあげるから、桃川はその辺で虫とってきてよ。糸で治せるヤツ」

「……うん、分かった。ありがとう、蘭堂さん」

 ひとまずジャージに着替えることで事なきを得た僕は、言われるがままに擬態蚕の採取に勤しむ。何にしろ、学ランの洗濯は必要だったし、補修もしなければいけなかった。蘭堂さんが洗濯してくれただけ、楽ができるのだから、素直にお礼を言う筋合いもある。

 でも、だからって、当たり前のように男の服を脱がせては洗濯できる女の子って……なんか蘭堂さん、すでに男と同棲とかしてるんじゃなかろうか。

 樋口の最後の告白によって、どうやらアイツの彼女は長江さんで、蘭堂さんではないらしいし。なら、他に男がいてもおかしくない。大学生とか社会人の彼氏がいても、彼女なら釣り合いそう。

 いや、違う。蘭堂さんの男性事情なんか、果てしなくどうでもいいだろう。今、僕が彼女に聞かなければならないことは、天道龍一を筆頭とした、このヤンキーチームについてだ。

 よし、擬態蚕を集め終わったら、もう一回、話を切り出そう。

「ねぇー、天道ぉー」

「何だよ、蘭堂」

「桃川の服、乾くまで待っててくんない?」

「はぁ? 天道君は先を急いでんのよ」

「空気読みなよ、杏子」

「おう、じゃあお前ら二人はここで待ってろ。俺は先の様子を見てくる」

「ありがとね、じゃあヨロシクー」

「別に、ただ待ってても暇なだけだしな」

 昼寝から目覚めるライオンのようにのっそりと立ち上がった天道君は、一人で先のエリアへ続く扉へと向かっていく。

「待ってよ、天道くーん!」

「アタシらも一緒に行くーっ!」

 天道君を追って、女子二人も退室していった。二人の手には、それぞれ槍と斧が握られ、腰には似たような剣を下げていたから、どっちもただのお荷物というワケではない、近接戦闘系の天職持ちなのだろう。

 それにしても、何だ、今のやり取り。蘭堂さんと女子二人とでは、天道君の態度があからさまに違った。

 あ、もしかして天道君、蘭堂さんのこと好きなのか!?

 てっきり委員長一筋かと思ったが……そう考えれば、天道君の普段から委員長に対して素っ気ない態度も説明がつく。それに、この二人なら容姿的にもお似合いである。どっちも金髪だし。

 となると、天道君に対してあからさまに媚を売ってるような態度の二人は、蘭堂さんを快く思ってなさそう。だから一人で離れている。

 でも、蘭堂さんとあの二人は教室でいつも一緒の三人組の友人グループを形成していたと思うけれど……やっぱり、この非常時だと簡単に友情に亀裂が入ったりするよね。経験者の僕から言わせると、仲直りは早い方がいい。なんて、偉そうには語れないよね、勝。

「桃川はさー、今まで何してたの?」

 不意に、蘭堂さんの方から問いかけられた。

「それって、このダンジョンに来てからってこと?」

「うん。桃川、全然強そうに見えないし」

 パっと見で僕を強そうと思う奴がいたら、ソイツの目は節穴ってレベルじゃねぇぞ。

「……もしかして蘭堂さんって、鑑定スキルがあるとか、魔力が見えるとか、そういう能力持ってたりする?」

 天職という超常的な力が存在するこの異世界において、人の見た目はイコールで強さに直結しない。だから、僕みたいな貧弱ボーイを見ても、一概に見た目通りの雑魚とは言い切れない。か弱い乙女の代表みたいなレイナ・A・綾瀬だって『精霊術士』というかなり強力な能力を持っているワケだし。

「は? なにそれ、意味わかんないんですけどー」

「あれ、見た目通りに弱そうって話だった?」

「それ以外になにがあんのさ」

 真面目に蘭堂さんの問いを考察した僕が馬鹿みたいだ。

 彼女は何で言葉の意味が通じなかったのか本気で信じがたいんですけどーみたいな目をしているけれど、僕からすると、本気でそんなストレートな意味の台詞を言う方が信じがたかった。

 ひょっとして、蘭堂さんって思ったことをそのまま言うタイプだったりする?

「そう言われると、まぁ、その通りだよ。僕はそんなに強い天職ではないから」

 樋口との決闘を征した今、僕はもう『呪術師』を最弱の天職とは言うまい。かといって、強い! 凄い! カッコいい! と豪語できるほどではないけれど。すみません、ルインヒルデ様、僕、嘘つくのは苦手なんです。

「へぇー、よく今まで生きてられたね」

「途中までは、心強い仲間と一緒だったから」

「そっかー、そうだよねー、ウチも一緒だから、分かるわー」

 うんうん、と大袈裟に頷く蘭堂さんは、果たして本気で共感しているのか、それとも馬鹿にしているのか。気だるい顔つきで、彼女の本心が読めない。

「じゃあ、何で一人だったのさ? 迷子?」

「説明すると、ちょっと長くなるけど、聞く?」

「うん、聞く聞くぅー」

 凄い食いつきなのは、蘭堂さんも僕と同じく情報収集したいからか。

 まぁいい、どっちにしろ、自分の事情もある程度は明かしていかなければならない。先に話すか、後に話すか、くらいの違い。

「それじゃあ、えーっと、僕が最初に会った仲間、っていうかクラスメイトは――」

 話しながら、言うべき内容と、言わざる内容を考える。

 とりあえず、メイちゃんと出会って、ダンジョンを進んでいる中で、蒼真桜一行と合流を果たした、という部分は話してもいい。

「ふぅーん、ソーマ妹と委員長と夏川と剣崎とチュンが一緒って、桃川スゲー、二年七組ウチの綺麗どころばっかじゃん」

「綺麗なだけで、いいコトなんて一つもなかったよ」

 恐らく、チュンは小鳥遊小鳥のアダ名だろう。裏でそんな名前で呼ばれていたとは。でも、双葉さんのブタバよりは、悪意を感じないだけマシなネーミングであろう。

「でもー、あの子ら凄い才能あるっぽいからさー、やっぱ強いんじゃないの?」

 なかなか鋭い指摘である。蘭堂さんから見ても、やっぱり彼女達にはそれぞれ輝くモノがあると思えたのだろう。

「うん、みんな強かったよ。小鳥遊さんは戦闘職じゃなかったけど、便利なサポートスキルと生産スキルがあったから」

 今でも羨むのが、賢者の錬成陣である。アレがあれば、戦闘担当の天職持ちには、その時点で最高の装備品を用意することができるのだから。

 ついでに、古代語解読スキルがあれば、噴水の隠し機能だけじゃなく、樋口が利用した生贄型転移魔法陣みたいな、ダンジョンの仕掛けを使えるようになるかもしれない。この先もダンジョンを進むことを思えば、何とも可能性に満ちた能力だ。

「へぇー、なんかよく分かんないけど、スゴいんだ」

 ふむ、どうやら蘭堂さんにはゲーム用語的な言い回しは通じない様子。適切に意味を伝えたい時は、分かりやすく、かみ砕いて説明しないといけないようだ。

「で、桃川は何ではぐれたのさ?」

「転移魔法陣で飛ぶ寸前に、剣崎明日那に突き飛ばされたんだ。みんなは転移して、僕だけ置き去り」

「ぶっ! ぷっ、あははははははっ! マジでっ!? ナニそれぇー」

「笑いごとじゃないよ」

 ここまで腹を抱えて爆笑されると、どこか清々しい気分にもなってくる。まぁ、何だかんだで、僕が無事でいられるからこその感想だろう。

「突き飛ばされるって、桃川ドンくさすぎー」

「いきなりやられたら無理だって」

 無防備な背中を突発的に押されるのを回避できるって、どんな達人だよ。

「っていうか、何でそんな、ぶふっ、突き飛ばされてんのさー?」

 なにちょっと笑ってんだよ、もういいだろ。僕が魔法陣からブッ飛ばされるイメージ映像はそんなに面白おかしいかよ。いや、ケチはつけまい。恨むべきは、蘭堂さんではなく、剣崎明日那の野郎だ。

「剣崎さんには、ちょっと、恨みをかってたみたいだから」

「えっ、桃川マジで!? ああいうのが好みだったんだ、っていうか、よくあの女に手ぇだせたねアンタ、命知らずだわ」

「ちょっと、僕が夜這いかけたみたいな勘違いやめてくれる!?」

「違うの?」

「違うに決まってるだろ!」

 まったくもって心外である。確かに剣崎明日那は巨乳の部類に入るが、メイちゃんという絶対強者の前では、あの程度のバストサイズなど無に等しい。特に心が惹かれることはない。

「じゃあナニしたのよ?」

「それは……秘密ということで」

 またしてもクラスの女子にオナニー告白するなんて絶対に御免だ。ガチのイジメだろ。

「ふーん、まぁ、あの子ってプライドめっちゃ高いから、つまんないことでもガチギレしそうだもんねー」

「そうそう、そうなんだよ! っていうか、剣崎明日那もそうだけど、蒼真桜もかなりヤバいから」

「ああー、分かるぅ! アイツ、自分の身内以外にはめっちゃ厳しいんだよねー」

「うわ、やっぱりそうなんだ」

「そうだよー、この前さー」

 と、気が付けば僕らは蒼真桜の悪口大会で盛り上がっていた。

 何やってんだ、僕は。いや、決して他人の影口を叩くのは良くない、なんて倫理的な理由ではなく、天道君らの情報収集という本筋からズレてしまったことについて、思い直すべきなんだ。

 しかしながら、自分の心の内で抱え込んでいた不満を遠慮なく吐き出せたことで、何だか清々しい気分になれた。やはり、悩みや不平不満を誰かに話す、というのは大切なことなんだと実感する。まして、それが否定や説教ではなく共感してくれたなら、最高だ。

 だが、凄いのは蘭堂さんのトーク力だろう。多分、話したのは今日が初めてだし、そのルックスから苦手意識さえあった彼女だが、いつの間にやら、前から付き合いのある友達みたいに話せていた。

 もし、僕が辛い残業続きの企業戦士サラリーマンだったとして、気まぐれにフラリと立ち寄ったキャバクラで蘭堂さんが嬢として接待してくれたら、間違いなくハマっただろう。この僕と楽しくお喋りできる話術に、華のある容姿、おっぱいも大きいし。給料全部貢いじゃいそう――って、もしかしてコレが蘭堂さんの能力じゃあるまいな!?

「ところで、話は変わるんだけど」

「えー、なにー?」

 僕はすんでのところで思いとどまり、話題の軌道修正を図る。蒼真桜に対する悪口はまだまだ言い足りないが、今は置いておく。

「蘭堂さんは、今までどうやってきたの? ダンジョンの進み方とか、天職とか」

 ここは直球で聞く。ストレートな聞き方をしてもおかしくないタイミングの内に、聞いておくべきだ。

「んー、ウチも一緒についてきただけだから。天職? とかいうのも弱いし。だから、骨のオバケと戦ったこともないんだよねー」

「最初は一人じゃなかったの?」

「や、部屋出たらすぐにジュリとマリに会えたから。一生分の運使い果たしたってくらい、マジでツイてたよー、二人とも何か凄い強いし、頼りになるなる」

 お友達が強いのが嬉しいのか、それとも自分が楽ちんで嬉しいのか、にへらと蘭堂さんは笑う。ひとしきり雑談して打ち解けた今になると、そんな顔も妙に可愛らしく見えてくるから不思議だ。

「えーと、その二人は、今いる二人のことだよね」

「あー、さては桃川、名前忘れてたなー?」

「うん、ごめん」

「ダメだぞー、クラスの女子の名前くらい、ちゃんと憶えておかないと。いつチャンスが来るか分かんないんだから」

 そのチャンスはフラグが立つ的な意味なんだろうか。だとすれば、僕はクラスの女子の名前は双葉芽衣子と蘭堂杏子の二人だけ覚えていればいいや、バストサイズ的に考えて。

「ショートの方が野々宮純愛ジュリアのジュリ、ロングの方が芳崎博愛マリアのマリ。名前忘れたってのは、黙っといたげる」

「ありがとう」

 そういえば、そんな名前の女子がいた。純愛でジュリア、博愛でマリア、と読ませる一種のDQNネームだから、名前だけなら憶えていた。でも、どの女子がその名前なのか、顔と一致させていなかったけど……なるほど、あの二人の名前だとすると、妙に納得がいく。

 ジュリとマリは、豊満な体つきの蘭堂さんとは対照的に、シュっとした細身のモデルみたいな体型だ。というか、実際に読者モデルになったとか何とか、勝から聞いたことがある。

「あの二人も、ウチのクラスじゃなかったら、もうちっと目立ったかもしれねーけどな」

 なんて、勝が言っていた気がする。読モとして雑誌に載ったことが! と言われても納得できるルックスの二人であるが、蒼真桜を筆頭とする何人ものハイレベル美少女を擁する二年七組では、残念ながら中の上、くらいの容姿判定となってしまう。同じギャル系ファッションの女子としても、蘭堂さんほど二人には存在感や華やかさ、といったものが劣ってしまう。まぁ、蘭堂さんの方が体も大きいし、化粧も派手だし、金髪だし、肌も焼いてるし、爆乳だし、目立つのは当然といえば当然なんだけど。

「二人の天職は何なの? もしかして、珍しいヤツだったりする?」

「えーっとぉ、ジュリは『騎士』でマリは『戦士』だったかな。っていうか、珍しいのって何?」

「蒼真悠斗は『勇者』だったし、桜の方は『聖女』とか」

「あー、なんか分かるぅ、っぽいよねー」

 ぽいぽい、と納得する蘭堂さんを後目に、僕はジュリマリの二人はどうやら普通の天職で、順当に強くなったタイプだとアタリをつけた。少なくとも、ダンジョン攻略の序盤は、戦力外の蘭堂さんを連れて、二人だけで戦い抜いた実力はある。

「天道君とはいつ頃、合流したの?」

「ウチらのスマホ、もう電源切れちゃったから、いつなのかは分かんないなー。でもぉ、うーん、割と最近かな」

「天道君の天職は?」

「知らなーい」

「秘密、とか言ってた?」

「さぁー? でも、あの二人も知らないっぽいよ」

 どうやら、天道君は自分の天職を秘密にしているようだ。本命は『魔王』なんかの超レア天職で、対抗が『狂戦士』か『食人鬼』とかのちょっとヤバそうな天職、大穴は『呪術師』などの人に言うのが恥ずかしい類の天職、といったところか。

 何にせよ、天道君にストレートに天職を聞く、あるいは、能力を探るような真似はするべきではない。秘密にしたい、という動機がどれほど強いのかは分からないが、何となく、みたいな理由であっても、僕のような雑魚に嗅ぎ回られたらウザいだろう。そして、彼には「ウゼェ」と思ったら、一発でぶっ潰せるだけの力がある。

 強者のご機嫌取りってのは、弱い奴が生き残るのに必須のスキルだ。うーん、僕もプライドを消費して、お世辞スキルの熟練度でも上げるべきだろうか。

 いや、それはダメだな。どうせ僕が媚び諂ったところで「目つきが気に食わない」「生意気な目だ」とか言われて不興を買うに決まってる。

「てかさー、桃川の天職は何なのさ?」

「僕は……呪術師だよ」

「えっ、ソレってもしかして、呪ったりするヤツ?」

「まぁ、僕の能力は魔法じゃなくて呪術ってことになってるから、呪い、だと思う」

「えーっ、マジそれヤバスギでしょ!? 呪いって……うわ、コワーい、もうちょっと桃川に優しくしとけば良かったぁー」

「いや、別に蘭堂さんのこと呪ったりはしないから。恨みもないし、むしろ拾ってくれて感謝してるし。というか、それ以前に僕の呪術に大した力はないから」

「ホントぉー? テレビの中から出てきたりしない?」

「そういう能力はないし、多分、この先も一生、できるようにはならないから」

「そう? じゃあ大丈夫かも」

 蘭堂さんのセーフとアウトの判断基準がよく分からない。どっちにしろ、この先、僕が行使する数々の微妙な効果の呪術を見れば、恐ろしさも感じなくなるだろう。

 もっとも、天道君の能力を前にすれば、大抵の天職が雑魚に見えるんだけど。ジュリマリの二人も、恐らくは天道君から見て戦力には数えられてないはずだ。

「あ、そういえば蘭堂さんの天職は何なの?」

「んー、ウチのはねぇ――」

 彼女の天職は男を惑わす『淫魔』とかじゃないことを祈るが、果たして。

「――『土魔術士』なんだって」

「……へぇ、そうなんだ」

 予想の斜め上をいく回答に、僕は何とも微妙な気持ちになってしまった。

第92話 素材取引

 意外と話しやすかった蘭堂さんと、時間を忘れてダラダラとトークしている内に、偵察に向かった三人が帰って来た。

「おかえりー、どうだったん?」

「別に、大した奴はいなかった。広さもそこそこ、ボス部屋もしばらく先だな」

 蘭堂さんの気さくな問いかけに、つまらなそうに答えながら、どっかりと噴水の淵に腰掛ける天道君。その両脇に、すかさずジュリマリの二人が座り込んだ。

 天道君はあからさまにウザそうな顔をしたけれど、もう何度か注意したけど効果がなかったという経験でもあるのか、黙って二人が発する黄色い声を聞き流していた。

 そんな三人は、僕のことなど存在していないかのように、まるで興味を示さないが……僕としては、それじゃあ困る。

 三人からすれば、桃川小太郎なんてクラスでは底辺に近い貧弱チビのオタク野郎で、戦力としてもサポートとしても、何も期待なんてしていないだろう。

 また、僕としても天道君に黙ってても守ってもらえるなどと期待はしていない。恐らく、彼は本当に僕のことに興味がないのだ。生きてても死んでても、どっちでもいい。そんな感じがする。

 そのスタンスを恨んだりはしない。天道君は強者であるが故の余裕、唯我独尊を貫いている。樋口や横道のように、他人を食い物にしようとしないだけ、はるかにマシだ。敵でも味方でもない、中立といった関係性が正しいか。

 だけど、僕はより確実に守ってくれる戦力が欲しい。天道君がメイちゃんのような素晴らしいパートナーになってくれることは万が一にもありえないだろうけど、せめて僕のことを、どうでもいい中立モブから、ついでに守ってやってもいいかなと思う味方モブ、くらいには思わせたい。

 要するに、僕は天道君に自分を売り込まなければいけないということだ。

 というワケで覚悟を決めて、天道君に話しかけることにする!

「どしたの、桃川、汗かいてるけど、熱いの?」

「いや、大丈夫、大丈夫だから」

 僕の緊張はそんなに顔に出ているだろうか。まぁいい、どうせポーカーフェイスも愛想笑いも苦手だ。オタクらしく、不良相手には堂々と青ざめた顔で絡んで行こうじゃないか。

 熱っぽいなら休んだ方がいいよー、とか母親みたいなことを言う蘭堂さんを置いて、僕は単身、天道君の下へと乗り込んだ。

「天道君、ちょっと話がしたいんだけど、いいかな」

「ああ?」

 ギロリ、と擬音が見えそうなほどの鋭い視線が僕を射抜く。

 うっ、何だ、この感覚は。とても気のせいとか、ただの雰囲気だとか、そんなモノでは説明がつかない、ハッキリとした威圧感のようなものを感じる。キュっと心臓が苦しくなるような、そんな感覚。

 この感じ方はちょっと異常だ。いくら僕がビビりだからといっても、ただ睨まれただけで、コレはない。

 もしかして、睨んだ相手に精神的な圧力をかける『威圧』とか、そういう類のスキルでも持っているのかもしれない。

 だとすれば、無用に恐れる必要はない。僕は僕の予定通りに、話をさせてもらう。

「あっ、あの……」

「まぁ、いいぜ、言ってみろ」

 くっ、心では威圧スキルかもと分かっていても、いざ声に出すと言葉が喉でつかえてしまった。情けない、というより、やっぱり、間違いなく何らかの効果が働いていたと確信する。

 言ってみろ、と天道君が明確に発言を許可した瞬間、圧迫感は消え去った。

「お前ら、ちょっとあっち行ってろ」

「えぇー」

「でもぉー」

「さっさと行け」

 はぁ、ふぅ、と一息ついて呼吸を整えている間に、天道君はジュリマリの二人に席を外させていた。どうやら、少しは真面目に取り合ってくれるつもりのようだ。

「天道君は多分、魔物の素材やコアを持っていそうだから、取引がしたい」

「ねぇよ、つったら?」

「何でもいいから、その辺にいる魔物を狩って、その死骸を貰いたい」

 今、何よりも必要なのは、レムを復活させるための素材である。レムがいなければ、僕は一人で素材集めをしなければいけない。呪術師の僕がソロでもスケルトンや赤犬くらいの雑魚モンスを安定して狩れるのは、あくまでレムというサーヴァントの存在があってこそ。

「桃川、テメーは何を持ってる?」

 僕のような男が、ここまで堂々と取引を持ちかけた以上、それ相応の対価があると天道君も察しているのだろう。

 普通だったら、天道君は利益追求よりも、自分の気分を優先させて平気で「面倒臭ぇな」と断るイメージがあったけれど……このダンジョンサバイバルの状況下では、彼としても何かしら欲しいモノはあるとみた。

 その、天道君が欲しいと思うモノが、もしかしたら僕が持っているかもしれない。そう踏んだから、すぐに話に乗ったのだろう。

 さて、僕の提示する品が、彼のお目当てに叶えばいいのだが、果たして。

「僕は薬を持っている」

「四葉か?」

「いいや、四葉以外の素材を使って、僕の能力で傷薬を作ることができるんだ」

 ふーん、と天道君はあまり興味なさそうな顔。あの圧倒的な戦闘能力があるから、回復薬なんていらねーよ、とでも思っているのか。

 いや、幾らなんでも、そこまで自意識過剰なバカではないだろう。

「四葉よりも効果は高いよ。流石に一瞬では治らないけど、時間があればそれなりの深手も完治させられるから、いざという時の為に、あると役に立つと思うけれど……もしかして、治癒魔法とか持ってて、必要なかったかな?」

 ジュリマリの二人は『戦士』と『騎士』で、蘭堂さんは『土魔術士』。そして、天道君は謎の天職だけど、バカデカい剣を召喚して使ってたことを思えば、戦闘系ではあるはずだ。少なくとも、『治癒術士』ではないはず。

 つまり、このパーティには回復役ヒーラーが一人もいない。

 だから、意外と採取できない四葉だけでは心もとない。宝箱から入手できるという回復ポーションを持っていたとしても、そうそう使いたくはない貴重品。

 そこで、僕の傷薬Aのように、それなりの量が手に入る、それなりの効果の回復薬というのは、この先も決して避けられない魔物との戦闘のために、必要なモノのはず。

 片手間で始末できる雑魚モンスターの素材一式くらいが対価なら、すぐに飛びつくような一品だと自負しているのだが……

「見せてみろ」

 話に乗る前に、効果は確かめておきたいといったところか。意外と抜け目がない。

 でも、胡散臭いスキンケア商品をオススメする詐欺師ではなく、本物の治癒力を宿す薬を持っている僕からすると、実際に効果を確かめてもらった方が、ベラベラと宣伝するよりもよっぽど効果的。

「はい、コレだけど」

 高島君の弁当箱代わりのタッパーに入った、ドロドロの傷薬Aを差し出す。漂う青臭ささに眉をしかめることなく、真剣な目つきで薬を凝視。

「嘘だな」

 薬から、僕の方へと鋭い視線を移す。思わず、悪くなくてもゴメンナサイと言ってしまいそうな威圧感だけど、こればっかりは謝る気はない。

 この僕とメイちゃんの命を救ってくれた傷薬Aを『嘘』と断じるとは、お前の目は節穴か。それとも、カマをかけているのだろうか。

「嘘じゃない、ちゃんと回復効果はあるよ。疑うんだったら、実際に切り傷つけて、治すところを見せてもいい」

「薬は本物だ。けど、コイツはお前の能力で作ったモノじゃねぇだろ」

 天道君が何を言っているのか、一瞬、理解が遅れる。

「妖精胡桃の葉っぱと、あそこに生えてる白い花が傷薬になるとは、知らなかったぜ。他にも何か混ざってるようだが……思い出した、確か、タンポポみてぇなギザギザの葉っぱのヤツだろ」

「なっ、なんで……」

 まさか、薬の素材を見破られた!? どうして、いや、もしかして、鑑定スキルかっ!

「同じモノを混ぜりゃあ、誰でも薬ができるってか。ありがとよ、桃川、タメになったぜ」

 く、く、くそっ! なんてことだ、まさか、一目で傷薬の正体を知られるとは。メイちゃんにだって傷薬のレシピは秘密にしていたというのに……最悪だ。薬の現物を盗まれるよりも、性質が悪い。レシピがバレるということは、僕の回復役という存在価値を全て失うに等しい。

 気分はまるで、世紀の大発明をパクられた上に先に特許とられてしまった間抜けな科学者である。

「で、話はそれだけか?」

 天道君には、僕が大事に守ってきた傷薬レシピを盗んだことに対する罪悪感なり謝礼なりは、一切ないらしい。すでに、僕の傷薬には何の価値もない。素材さえ分かっていれば、自分で幾らでも作れる。いや、ジュリマリの二人にでも作らせれば、自ら採取と調合の面倒な作業さえする必要がない。

 くそ、くそっ、どうする。恐らく、これで話が終われば、もう天道君は僕の話を真っ当にとりあおうとはしてくれないだろう。

 僕は一方的に貴重な情報が漏洩した上に、手に入るモノはスケルトンの骨の一欠けらもない。

 ちくしょう、そんなの、冗談じゃない。このまま引き下がれるか。

「ま、まだ……まだ、あるよ」

「傷薬の次は、毒薬でも紹介してくれんのか?」

「タバコ」

「……なんだと」

「僕、タバコ、持ってるけど」

 天道君の目が、大きく見開かれる。初めて、マトモなリアクションを見た気がする。

「マジか」

「うん。一箱だけ。未開封の新品」

「ガラは?」

「ワイルド・セブン」

「買った」

 商談成立を宣言すると同時に、天道君は右手をかざし、黄金に輝く魔法陣を展開させた。あの赤い大剣を取り出したのと、同じヤツだ。

 けれど、今この金色の円環から出てくるのはゴライアスも一刀両断できる大剣ではなく、雑多なモンスター素材がドバドバと大放出である。って、何だコレ、凄まじい量があるぞっ!?

「全部くれてやる。これで足りるか?」

「十分だよ、ありがとう」

 僕は精一杯の営業スマイルを浮かべながら、通学鞄の底を漁ってタバコを取り出す。

「桃川、お前も吸うのか?」

「いや、コレは、高島君が持ってたヤツ」

 そう、僕はタバコなんて吸わない。口をつけたこともないし、吸いたいとも思わない。そんな僕がタバコを持っているのは、この異世界で最初に発見した犠牲者、森の中で死んでいた、高島君、彼の鞄から回収したモノだ。

 高島君の弁当は鎧熊を倒すのに役立ってくれたMVPアイテムだけれど、まさか、ポカリとカロリーメイツのついでに、何となくで回収しておいたタバコが、こんなところで役立つとは。

 いや、ホントにありがとう、命の恩人だよ、高島君。今、改めてご冥福をお祈りします。

「そうか、高島のか……アイツは、死んだのか?」

「うん、僕が見つけた時には、もう死んでいた」

 鎧熊に追いかけられて気が動転していたけれど、あの時点で高島君が死んでいたのは間違いない。目は開きっぱなしで、血涙に鼻血に吐血と、顔の穴という穴から血が流れているという、割と壮絶な死に様であった。

 でも、待てよ。一体、どういう死に方をすれば、あんな風になるのだろうか。少なくとも、モンスターに襲われたようには見えない。死体も鞄も、漁られた形跡は皆無。

 だとすれば、高島君の死因として考えられるのは……猛毒を持つ虫か蛇にでも噛まれたのだろうか。あんな酷い死に方をする毒があっても、この異世界ではおかしくはない。

「もしかして、仲良かった?」

「別に。アイツがタバコ吸ってたことも知らなかったぜ。野球部のくせに、いいのかよ」

 そんなことを言いながら、流れるような手つきでタバコの封を切っては、一本、口にくわえる。

 パチン、とタバコの先で指を鳴らすと、かすかに火が灯る。そして次の瞬間には、タバコはチリチリいって燃え始めた。

 何その、超カッコいいつけ方。じゃなくて、火属性魔法だろうか。ゴライアスを切った時も、燃えてたし。

 けれど、天道君がただの『炎魔術士』だとは思えない。火の能力はオマケだろう。

 整理してみると、天道君の能力は多岐に渡る。

 まず、赤い大剣を振るうパワー。天職『剣士』や『戦士』でも、ああはいかないだろう、見事な腕前だ。さらに、ゴライアスを焼く大火力に、タバコに火を灯せるほど器用な制御で、炎を操る。

 けれど、最も恐るべきなのは、そんな戦闘能力よりも……僕の傷薬を一目で見抜いた鑑定スキルと、この大量の素材を保管している黄金の魔法陣インベントリ

 まるでゲームの便利な機能をそのまま現実として再現したかのような能力だ。便利なんてもんじゃない。その価値は計り知れない。

 天道君の能力で最も凄いのは、戦闘スキルではなく、鑑定にアイテム保管などのサポートスキルなのかもしれない。もしかすれば、あの赤い大剣だって、宝箱から偶然手に入れたレア武器ではなく、自分で創り出したモノなのかもしれない。だとすれば、小鳥遊さんを凌ぐ、武器錬成能力を持っていることにもなる。

 さらに確証のない推測だけで語るなら、天道君は横道のようなスキルを奪う能力と、樋口のような直感スキルも備わっている可能性もある。

 彼が扱う炎は、自前の天職のモノではなく、赤犬やケルベロスなどの火を噴く魔物を倒して獲得したスキルかもしれない。

 直感スキルは、天道君が偵察から帰った時に、蘭堂さんの質問に「ボス部屋はしばらく先」と語ったことから、何となくダンジョンのエリアの広さを察知する、盗賊的なマッピング能力があるんじゃないかと思ったからだ。地図のないダンジョン、この先どれだけ進めばボス部屋に辿り着くかなんて、あてずっぽうでもわかるワケがない。魔法陣のコンパスだって、方向を指し示すだけで、距離は分からないし。

 もし、僕の推測が正しくて、これら全ての能力を兼ね備えているならば……うん、完全にチートです、ありがとうございました。

 考えるのも馬鹿馬鹿しい。

 というか、今は天道君の能力を探るよりも、まず、この目の前にドッサリとある素材の山を漁るのが先決だろう。

「ふ、ふふふ……これだけあれば、かつてないほど充実したレムを創れるぞ」

 待ってろよ、レム。最高の装備で、復活させてやるからな!

 そう心に固く誓いながら、僕は期待と興奮でワクワクしながら、モンスター素材の吟味にとりかかった。

第93話 厳選素材

「す、凄い……宝の山だぞコレは」

 満足そうにタバコをくゆらせている天道君を背景に、僕は大量のモンスター素材の山から発掘作業を行っている。これがまた、凄い。

 スケルトン、赤犬、蟻、などといった、これまで見慣れた雑魚モンスの素材に加えて、猿やイノシシやトカゲみたいな、見たことのない種類もある。でも、何より凄いのは、それらの雑魚素材に混じって、当たり前のように鎧熊やナイトマンティスの素材まであることだ。雑魚以上、ボス未満の強敵系の素材は、僕にとっては貴重である。

「っていうか、コレ……も、もしかして、ドラゴンの鱗じゃないのか!?」

 最大の衝撃が、この赤いドラゴンの鱗があったことである。デカい。鱗一枚だけで、僕の掌くらいある。

「火竜の鱗を薬に用いるには、並みでは足りない技術と経験を要するが、高い効果が期待できる……って、マジでこれ、ドラゴンの鱗だよ」

 働いた直感薬学の説明によって、さりげなく本物の竜鱗であることが証明されてしまった。まず間違いなく、今の僕にはコイツを何かの薬として精製できる実力はないけれど、これがかの有名なドラゴン素材であると判明したのは大きい。

 血眼になって漁っても、この『火竜の鱗』は三枚しか見つからなかった。でも、ドラゴンの素材なら、何か効果があるような気がする。いや、たとえなかったとしても、ワンポイントアクセサリーとして、満足できる。

「でも、いよいよ天道君は『スキルイーター』も『錬成』も持ってるっぽいなぁ」

 ドラゴンの鱗があるということは、つまり、その持ち主を倒したからである。偶然拾ったとは思えない。

 この鱗の色艶は、天道君の赤い大剣と同じ輝きを放っている。火竜素材によって、あの赤い刃が形成されているに違いない。

 そして火竜というくらいだから、当然、火を噴くのだろう。もしかしたら、口から吐き出すブレス以外にも、魔法陣を描いて火球を乱発してくる、なんて火属性魔法みたいな真似もしたかもしれない。竜の咆哮は自然に魔法と化している、とかそういう設定の作品もあるし、この異世界のドラゴンが魔法使いのように多様な炎の使い方をしないとも限らない。

 そんな火を操る能力があるドラゴンを『喰った』からこそ、天道君が炎の攻撃を繰り出せるようになったと考えられる。

 横道とは大違いだな。アイツはカエルの麻痺毒を取り込んで喜んでたけど、天道君はドラゴンのブレスを持っているんだから。

「うーん、レムも火属性魔法とか使えるようになってくれればいいんだけど、流石に高望みしすぎかな。せめて、火耐性が高くなるとかあればいいんだけど……」

「ねぇー桃川ぁー、なにしてんのー」

 いい加減、暇になったのか、蘭堂さんが声をかけてきた。

「僕の呪術に使う素材を見繕ってる」

「さっきからずっとやってなーい?」

「そうかな」

「そうだよー」

 そうかもしれない。宝の山を前に、つい興奮して素材吟味に熱中してしまったし。

「何か手伝おっか?」

 うーん、特にこれといって人手が欲しい作業ではないし、ゆっくり一人で見ていたい気分だけれど……

「じゃあ、この素材の中から、蘭堂さんが『良い』って思えるものがあったら、教えてくれる?」

「良いって、何がどういい感じなの?」

「別に基準はないよ。土魔術士の蘭堂さんが見て、何か感じるモノがあったりするなら、僕が気づかない何かが秘められている可能性とか、あるかもしれないと思って」

「ふぅーん、ウチのセンスが問われてるってこと?」

「まぁ、大体そんな感じ」

「オッケー、こういうの自信あんだよねー」

 めちゃくちゃ適当な理由で、適当な仕事をでっちあげたと思うかもしれないけど、僕は割とマジで言っている。僕には直感薬学があるから、火竜の鱗みたいに、反応したモノは何かしらの説明が得られる。でも、コイツは天道君の鑑定スキルと比べれば天地の差がある性能だし、説明文は妙に投げやりなパターンは多いし、何も教えてくれないのも多い。

 蘭堂さんが都合よく鑑定スキルを持っているとは思わないけれど、でも、魔術士の天職として、素材に含まれる魔力とか、そういうモノを自然に感じ取れる能力があったりするかもしれない。他の天職の人で、素材を見る目が増えるというのは、何も分からない今の段階では、無意味ってほどでもないだろう。

「んー、コレは色はいいけどぉ、ガラはイマイチかなぁー」

 僕の思惑をよそに、蘭堂さんは意外にも真剣に素材の吟味に取り組んでいた。山を半分ほど切り崩して散らばった素材を、しゃがみこんでは手に取って――って、やば、パンツ見えそう!?

「うわっ、これ血ぃついてんじゃん! ちょっと、やだもぉー、桃川ぁー、水ぅー!」

「あっ、うん、どうぞ」

 ヤバい、ヤバいぞコレは。素材はテーブルの上に並んでいるワケじゃなくて、地面に直接ぶちまけられているから、自然、しゃがみ込んだり屈んだりする動作が多い。ズボンの僕はいい。でも、スカートの女子はどうだ。それも、クラスで一、二を争うミニの蘭堂さんがすれば、どうなるよ。

 そりゃあ、見えそうになるに決まってる。女子の基本スキルである、足を閉じるしゃがみパンチラガードの構えは発動しているものの、パンツが見えなくても、もう太ももだけでかなりヤバい。蘭堂さんのムチムチした褐色の太ももが、ただでさえ短いスカートから惜しげもなく晒されていることにより、僕の注意力は散漫ってレベルじゃない。

 き、気になる……気になって仕方がない。

「あっ、コレ! コレいいかもぉー、桃川、どう?」

「気になったのは、そっちの方に避けて置いといてもらえるかな」

「かしこまりー」

 表向きは平静を装いつつも、僕は視線を蘭堂さんの下半身から完全に逸らすことができないでいた。これ、バレてるだろ。チラチラ見てること、絶対バレてるだろ。女子はそういう視線に敏感なんだゾ的な情報、聞いたことあるし。

 だとしたら、これは試練なのか。僕は今、蘭堂さんに男としての紳士力を試されているのだろうか。

 ちょっと、そういうの、マジで勘弁してくださいよ。僕が女の子に免疫ないの、分かってるでしょ。分かっててやってるでしょ。なるほど、小悪魔とはよく言ったもんだ。僕には見える、蘭堂さんの大きなお尻から悪魔尻尾が生えて、ユラユラ揺れているのが。

 くっ、負けない……僕は絶対に、こんな悪魔の誘惑になんて、負けないんだから!(キッ)

「――ふぃー、まっ、こんなもんでしょ。どうよ桃川?」

「ありがとう、蘭堂さん」

 全ての素材確認を、ようやく終える。結構な量があったけれど、選ぶだけで楽しいし、蘭堂さんとダラダラ喋りながらやってると、作業は遅れるけど、精神的にも楽だった。

 僕が厳選した素材と、蘭堂さんのセンスで選ばれた素材は、『汚濁の泥人形』を発動させるには、ほどよい量になっていた。

 これから魔法陣『六芒星の眼』を描いて、それっぽく素材を配置していく作業が残っているけれど、その前に……

「ちょっとトイレ行ってくる」

 結論から言おう。見えたか、見えてないかといえば、見えた。蘭堂さん、意外とガードが甘い。割とチラチラ見えてしまった。

 豹柄だった。

「――おかえりー、ちょっと長くなかった?」

「すみません」

 平謝りである。でも、大の方だと、ちょっとばかり長くなってもしょうがないし、いくら妖精広場の外とはいえ、多少は後始末もね。

 さて、これで使うかどうか迷っていた、僕由来の例の素材も確保できたし、気分もスッキリしたしで、集中してレムの再生に取り掛かるとしよう。

 今回、贅沢に選び抜かれた素材は、以下のとおりである。


『上質なスケルトンの骨』:スケルトン小隊の隊長級の奴よりも、白く、艶やかで、硬い、上質な骨。こんな骨を持つスケルトンの上位種を、僕はまだ見たことない。


『謎の魔物の骨』:元が何のモンスターなのか分からない、骨の数々。何となく良さそう、と蘭堂さんが選んだモノである。僕は何も感じないし、直感薬学も反応しないけど、多少の魔力が宿っているのかも、と思い、使うことにした。


『バジリスクの骨』:僕とレムが苦労の末に倒したバジリスクの、溶け残った骨の一部。ボスの素材なので、持てる分だけは持ってきていた。


『ゴライアスの焦げ肉』:天道君は瞬殺だったけど、コイツは樋口も恐れる強ボスだ。焼け残った焦げ肉だけでも、何かしらの力が秘められているかもと思い、こっそり布にくるんで持ってきた。


『火竜の鱗』:これまで見てきた中で、間違いなく最強の魔物であり、最高品質の素材である、ドラゴンの鱗。コイツを使わない理由はない。どうか、火耐性ください!


『鎧熊の甲殻』:何かと因縁のある鎧熊。正直、もう会いたくもない強敵だけれど、コイツの甲殻の頑強さは、防具にするには最適だ。


『ナイトマンティスの鎌』:バジリスクを追い込んだ、レムのメイン武器となるカマキリブレード。折角あるんだから、また装備してもらおう。


『ゴアの甲殻』:メイちゃんが倒したことあるけど、その時はコアだけ採取して、剥ぎ取りが難しい甲殻は放置だった。でも、鎧熊には及ばずとも、コイツの甲殻もなかなかの強度。少なくとも、蟻よりは頑丈そうなので、こっちを採用してみた。


『ビショップ・ビーの毒針』:虫の洞窟では出会わなかった、チェスのビショップの名前を冠する蜂の魔物だ。カマキリの鎌ほどじゃないけれど、毒針はサブウエポンとして使えそうだ。


『ルーク・スパイダーの大爪』:元々はボス設定だったはずの、大蜘蛛だ。素材の強度は、鎧熊にも匹敵する。この巨大な爪先が、果たして武器になるのか、防具になるのか。やってみないと分からない。


『大猪の蹄』:分厚く、巨大な、黒光りした蹄。コイツを靴底にすれば、それだけで強力な鈍器になるだろう。


『フサフサした白毛皮』:蘭堂さんイチオシの一品。カシミヤのコートがどうこうと力説してたけど、どうやら、素晴らしい毛並みであるらしい。確かに、触るとフサフサしてる上に、スベスベで、めっちゃ手触りがいい。ちなみに、元がどんな魔物だったのかは不明。


『大きな巻角』:これも蘭堂さんが選んだ素材。ピカピカ輝く、大きくて立派な巻角は、部屋のインテリアにもできそうだ。これも、元の魔物は不明。


『尖った牙』:色んな魔物のモノが混ざっているけど、どれも鋭く質の良い牙。


『鋭い爪』:牙と同じく、色んな魔物から質の良いモノを集めた。


 魔物の素材は以上である。後は、基礎となる素材として、僕の血と精液、マンドラゴラとコアの欠片となる。

 それと、蘭堂さんが土魔術士だということで、今回は彼女が魔法で作りだした土をベースとして使ってみることにした。魔法で作った土なら、そこらの土よりも魔力が含まれてそうな気がする。

 さて、これで全ての準備は整った。いよいよ、レムを創り出そう。

「おおぉー、なんかスゲー呪いっぽい!」

 完成した六芒星の魔法陣を見て、感心してるのか引いているのか、微妙な反応を蘭堂さんがくれる。今回の魔法陣は素材の量も相まって、かなり大きなモノになっているから、堂々と妖精広場に広げたお蔭で、かなり目立つ。話しかけてはこないものの、ジュリマリコンビも天道君の傍らで、チラチラと様子を窺っている模様。

 ちなみに天道君は、タバコをもう一本吸うべきか、それともとっておくべきか、真剣に悩んでいるようで、難しい顔をしてタバコを箱から出したり戻したりを繰り返していた。

 さて、ギャラリーの反応は放っておいて、僕は呪術の発動に集中しよう。

「混沌より出で、忌まわしき血と結び、穢れし大地に立て――『汚濁の泥人形』」

 うっ、これまでにないほど、急激な魔力の消耗を感じる。これ、ちょっと前の僕だったら、そのまま魔力切れでぶっ倒れていたかも。やはり、かなりの量の素材をつぎ込んだせいで、求められる魔力も増大しているんだ。

 や、ヤバい、ちょっと意識が遠くなってきた……でも、もうすぐ、完成する……

「――や、やった、できた!」

 魔法陣全体が混沌の渦と化した中から、ついにレムの全身が現れた。

「よし、成功だ……良かった、おかえり、レム」

「ガっ! ギギ、グゲ、ゴォオオ!」

「おお、レム、ついに『ガ』以外の言葉も発音できるようになるなんて」

 混沌が消え去った魔法陣の上で、仁王立ちしながら復活の雄たけびをあげるレムの姿に、ちょっと感動。

 涙が出そうになりつつも、僕はしっかりとレムの新形態を見つめた。

 ベースになっているのは、やはり黒色のスケルトンであることに変わりはない。けれど、その身に纏う防具型の甲殻は、これまでよりもかなり洗練された形状になっていた。

 漆黒の髑髏面は剥き出しだが、その頭部は鎧熊の甲殻をベースにした鈍色の兜を被っている。そこには、あの立派な巻角がついていて、武将クラスの豪華さだ。

 立派なのは兜だけでなく、黒い骨格が見えないほど、隙間なく全身を覆う鎧も同様。全体的には鎧熊とゴアの甲殻をベースにした、鋼鉄のフルプレートメイルみたいな形。でも、胸元にはドラゴンの赤い鱗が輝き、首にはフサフサの白毛皮があしらわれ、何ともオシャレ。蘭堂さんのセンスが光ってるよ。

 勿論、見た目だけではない。右腕にはしっかりとカマキリブレードが装着されているし、左腕の掌の中に、蜂の毒針が仕込まれているようだ。背中には、もしかして、腕のように稼働するのだろうか。槍のように鋭い蜘蛛の爪が二本、くっついていた。足の先には鋭いスパイクがついていて、靴底は猪の蹄だ。

 うーん、やはり今回のレムは、これまでにない完成度となっている。まだ見ぬレム新形態の戦闘力には、期待せざるを得ない。

「うーん、桃川ぁ、コレさー」

 僕が満足げにレムを眺めていると、蘭堂さんが神妙な顔で言った。

「なんか、あんまり可愛くなーい」

 悲しいけど、これ、戦闘用なのよね。

 思いはするものの、僕は「ごめん」と謝ることにした。

第94話 下水道

 生まれ変わった豪華装備のレムを従えた僕は、ちょっと強気になって天道君と、相変わらず彼にベッタリなジュリマリの三人に向かって、簡単に説明をした。レムは僕の使い魔であり、見た目は魔物だけど、魔物ではないこと。それと、呪術師の能力で『痛み返し』があり、僕にフレンドリーファイアをかまそうものなら、自分も痛い目にあうから気を付けろよと、最低限の忠告をしておいた。

 三人の反応は別にそんなのどうでもいいし、そもそも聞いてないし、みたいな感じで芳しくなかったけど、まぁ、頭に入れておいてくれればそれで十分だ。僕としては、彼らと上手に連携して戦闘ができるとは思っていない。

 そんな冷たい会話を終えて、あとは蘭堂さんと適当に雑談したり、仮眠したりして、いよいよ、妖精広場を出発することになった。

「ねぇー、なんかちょっと臭くなーい?」

「うん、臭いよ。だってここ、どう見ても下水道だもん」

 うげー、と嫌な顔をする蘭堂さんには共感する。ここには淀んだ水が放つ生々しい臭気が立ち込めている。でも呼吸困難になるほどの臭さではないから、ひとまず進むのに支障があるほどではないけれど。

 僕が言ったように、ここは下水道だとしか思えない。相変わらずの石造りのトンネルだが、道のど真ん中は濁った水で溢れる水路になっていて、僕らはその両脇にある歩道みたいな通路を歩いている。水路側には柵もなく、うっかり足を踏み外せば、汚水へ真っ逆さま。ビビりな僕は、なるべく壁際によって歩いている。

 ちなみに隊列は、先頭から順に天道君、ジュリ、マリ、蘭堂さん、僕、レム、である。

 たまに「臭いー」と文句を言う蘭堂さん以外は、みんな黙って、この暗い下水道を進んで行く。水が流れる音と、コツコツという石畳を叩く音の他は、これといってなにも聞こえてこない。静かな行進はしかし――

「ギョァアアアアっ!」

 黒い水面が揺れた、と思った次の瞬間、汚水の川から奇声を上げて人影が飛び出してくる。

「うるせーよ」

 天道君が一閃。僕は川から飛び出してきた人影がどんな姿なのか、はっきりと捉えるよりも前に、真っ二つに両断されてボチャンと水音を立てて消えて行った。黒ずんだ川面に、ジンワリと赤い色が広がっていく。

 そして、何事もなかったかのように、僕らはそのまま歩き続けるのだ。

 普段の僕なら大騒ぎだろうけど、この下水道エリアを歩き始めてから、同じことが何回も繰り返されていれば、いい加減、理解する。

 この水路から奇襲を仕掛けてくる人型の正体は、魚人、サハギン、とでも呼ぶべき人型の魔物である。魚とカエルの合いの子みたいな醜い面に、青い鱗と白い腹部、手足の指は五本だが水かきが指の股にはついていて、背中には小さなヒレも生えている。尻尾はなく、完全に人型で、何て言うか、ゴーマの魚バージョンみたいな感じの魔物だ。

 メール情報によると、正式名称も『ジーラ・ゴーマ』となっているので、ゴーマの亜種って分類にされているようだ。

 で、この下水道は彼らジーラの縄張りであるらしい。威勢のいい鮮魚みたいに飛び跳ねては、下水道を進む僕ら、というか、先頭を行く天道君に襲い掛かってくるのだが、まぁ、ご覧の有様である。

「ギョァアアアアっ!」

「ちっ」

 もう剣を抜くのすら面倒くさいと思ったのか、天道君は飛びあがってくるジーラの白い腹に、痛烈な蹴りを叩きこんで水路へと送り返した。ザバーン、と汚い飛沫を上げてダイブした後、体をくの字に曲げたままピクリともしないジーラがプカリと浮かび、そのままドンブラコッコと下流へ流されていった。

 天道君、やはり強い。この様子では、ジーラ如きでは束になっても、彼の強さの半分も引き出すことはできないだろう。これだけ強ければ、鼻歌混じりにダンジョン探索も気軽にできる。全くもって、羨ましい限り。

 天道君にとっては剣を抜くまでもない雑魚でも、僕にとっては、一体が相手でも油断せずに戦わなければいけない相手である。

「ギョアっ!」

「ギギョオオオオっ!」

 ちょっと広めの下水道に出た途端、複数のジーラが現れた。これまでは律儀に一体ずつだったから、出現と同時に天道君が始末してくれてたけど、群れているだけあって多少の知恵が回るのか、挟撃するように、僕らの前後へと飛び出してきたのだ。

「ふふん、ここは私らの出番かな」

「うん、そろそろ働かないとねー」

 前方に立ちふさがったジーラは五体。お相手は天道君ではなく、ジュリマリのコンビが受け持つようだ。

「好きにしろ」

 天道君はその場で腕を組んで仁王立ち。動く気配を見せない。あのー、僕の方にもジーラが現れてるんですけど、こっちは無視ですか。そうですか。

「うわっ、キモ! 魚面、超キモいんだけど!?」

 マジ無理ぃー、と緊張感に欠ける焦り方の蘭堂さんは置いておいて、僕は自力で後ろのジーラを対処することに決めた。

 新たなレムの力試しには、ちょうどいい相手かな。数は二体だけ。油断はしないけど、負ける気もしなかった。

「蘭堂さん、ちょっと下がってて。行け、レム」

「ガガゴォーっ!」

 待っていましたご主人様! とでも言うように、レムは勢いよくジーラへと突撃していった。

うん、踏込みの速度も迫力も、前のレムよりも凄いように思える。贅沢に素材をつぎ込んだ甲斐があったということか。

 どこかメイちゃんを彷彿とさせる、力強い勢いでジーラに迫ったレムは、その右手に備えたカマキリブレードを展開させた。

「ウギョオッ!」

 そのまま、先頭のジーラをばっさりと切り捨てる。奴も手にはシミターみたいな片刃の曲刀を持ってはいたが、それで受けることもなければ、避けることもなく、ほとんど一方的に斬られていた。レムの斬撃に全く対応できていない。

「逃げるなよ――『黒髪縛り』」

 前の奴があまりにあっけなく斬殺されたせいで、後ろの奴がビビったのか、水路へ逃げ込もうとする素振りをみせていたので、僕はレムの突撃と同時に伸ばしていた黒髪触手を足へと絡ませた。

「ギョギョっ!?」

 突如として足を縛られていたことに、驚いた次の瞬間、レムのカマキリブレードが無慈悲に魚頭を襲う。憐れ、魚人は三枚に下ろされる。

 それからさらに、レムは自分に追加された新たな装備を確認するかのように、次のジーラには左手の毒針を顔面に叩き込み、その次の奴には第二の腕と化しているルークスパイダーの爪を稼働させては、胴体を貫き、大きな風穴を開けてみせた。

 大暴れするレムにキルカウントは全て譲り、僕はひたすら、黒髪縛りで実験台もといジーラが逃亡しないよう手足を狙って縛り付けるだけだった。

 そうそう、呪術師の戦いってのは、こういうのでいいんだよ。敵を屠るパワーとか火力を、術者本人に求めてはいけない。

 そんなワケで、レムのお蔭で実にあっさりとジーラの殲滅に成功したのだった。

「おおぉーっ! 桃川、強いじゃん!」

 ご声援ありがとう、蘭堂さん。でも強いのは僕じゃなくて、レムだから。間違っても、僕自身もレム並みの戦闘力があると思わないで欲しい。

「よし、レム、よくやっ――たぁっ!?」

「あははっ、桃川つえー、これでウチも安心して守ってもらえるわー」

 突如として、後ろから蘭堂さんにギュッとされる。うわ、良い匂い、じゃなくて、この後頭部に感じる柔らかい感触は、もしかして――

「いや、その、いざという時のために、蘭堂さんも戦えるようになった方がいいと思うんだけど」

「えぇー、ウチそういうのマジ無理ぃー、ホントに弱いんだってぇー」

 僕はハニートラップにかかって、無謀なガードマンになるつもりなんかないぞ! 強い意思を込めて、僕は蘭堂さんに言い返せたのは、ひとえに、さっさと素敵な抱擁が解かれたからだ。もし、あのまま僕の頭がおっぱいに埋まったままお願いされたら、断るどころか、命を賭けてお守りします、と忠誠を誓っていたかもしれない。げに恐ろしき、おっぱいの魔力である。

「僕だって弱かったけど、試行錯誤して何とかやってきたんだから」

「でもぉー」

「あっ、前の方も終わったみたいだ。早く行こう」

「うわっ、マジで、ちょっと待って、置いてくなよぉーっ!」

 後ろの僕らをガン無視で、ジーラを掃除し終えた先頭組みが歩き始めていた。彼らにおいていかれたら、この下水路で詰みだろう。薄情な三人組みを怨めしく思いながらも、僕と蘭堂さんは駆け足で去りゆく背中を追いかけた。

 通りがかりに、僕はチラっと前を塞いでいた五体のジーラの死体を見た。大きく体を切り裂かれているか、心臓や喉などの急所を一突きにされている。なかなかに鮮やかな手並み。ジュリマリのコンビはやはり、順当に『戦士』と『騎士』としての力を身に着けているようだ。

 ジーラは小柄なゴーマよりも大きく、成人男性と同等のサイズ。基本、泳いでいるせいか、体つきも割とガッシリしていて、鱗の下には筋肉が盛り上がっているのが見た目にも分かる。そんな奴らを五体も相手にして圧勝なのだから、単純にパワーも上がっているとみるべき。見た目こそ読者モデルやれるスレンダーボディだが、普通の女子を遥かに超えた腕力が宿っているのだろう。

 うーん、戦闘系の天職は、こういうスキル以外での成長が強いな。戦うにしても、長いダンジョンを攻略するにしても、身体能力が高いというのは物凄く有利だ。スキルなんかなくたって、この基礎ステータス成長、みたいな効果が一番役に立っているんじゃないだろうか。

 呪術師の僕だって、少しはそういう恩恵があってもいいと思うのだけれど……ないものねだりは、虚しくなるからやめよう。

「そういえば、蘭堂さん」

「んー、なにー?」

「何か、武器って持ってる?」

「えっ、持ってないよそんなの、危ないじゃん」

「いや、何も持ってない方が危ないよ」

 ダンジョンだよここは。格闘技に全てを捧げた武術家でもなければ、丸腰で歩いていい場所じゃあない。

「でもぉ、剣とか持ってても、どうせ使えないしぃ」

「僕だって使いこなせないけど、こうして槍は持ってるでしょ。魔術士クラスでも、槍とナイフくらいは持ってた方がいいよ。まぁ、お守りみたいなもんかな」

 魔力が尽きて素手の僕は、ゴーマ一体が相手でも勝てないだろう。でも、ナイフを持ってれば、何とかなる気がする。素人の上に、戦闘系天職で身体能力のボーナスもない僕らでは、武器を持ってて対処できる敵なんてたかが知れてるけど、それでもゼロではない。実際、こんな僕でも何だかんだで、槍を振るう機会は何度もあった。使えないからと手ぶらのままだったら、通路のゾンビラッシュも防げなかったに違いない。

 ちなみに、現在の僕とレムの装備は、以下の通りである。


『鉄の槍』:樋口戦では全く使わなかった、スケルトン小隊から鹵獲した槍。僕が持ってる。


『勝の長剣』:勝が装備していた長剣。鉄の剣よりも質は良いので、レムに持たせた。


『レッドナイフ』:貴重な魔法の武器。樋口にトドメの一撃を刺した感触が、まだ残っているような気がする。


『樋口のバタフライナイフ』:樋口が長江さんに形見として渡そうとした、バタフライナイフ。安っぽいけど、刃は異常なほどギラついていて、切れ味はそこらのナイフの比じゃない。何らかの強化を果たしているのか、それとも、樋口の怨念でもついているのか。


 数こそ少ないものの、どれも厳選された装備である。しばらくの間は、下手な鹵獲品を使う必要もないだろう。強いて言えば、レムも槍くらい持っていていい気がするけど、あ、しまった、さっきのジーラから槍を奪って来れば良かったよ。天道君がさっさと先に行ってしまうから、つい回収を忘れてしまった。

「グガガ」

 僕の心を読んだように、声を上げたレムの手には……ジーラが持っていた鉄の槍が握られていた。

「もしかして、自分で拾ったのか」

「ガ」

「いい子だ」

 ひょっとして、レムは知能も成長しているのだろうか。バジリスクに飛び乗ったことから、レムはもう、僕の明確な命令がなくても、自分で判断して行動に移すだけの能力がある。となれば、役に立つと思って武器を拾うくらいしたって、おかしくない。

「成長してくれて、僕は嬉しいよ」

「ガガゴ」

 褒められて喜んでいるのか、レムが骨の顎をガタガタ言わせている。僕のレムだと思えば、この黒い髑髏面も、段々と可愛く見えてきた。

「ねぇ、桃川、もしかしてアンタってさ、この子がガーガー言ってる意味、分かるの?」

「ううん、全然分かんない」

「だよねー」

 何となく、フィーリングである。別にいいじゃないか、犬の鳴き声くらいの意味合いでも、十分だ。

 でも、もしこのまま順調にレムが成長していったなら……いつか、言葉を喋る日が来るのかもしれない。

 文句とか言われたら、イヤだなぁ。どこまでも後ろ向きな想像をしながら、僕は暗い下水道を進み続けるのだった。

第95話 ジュリアとマリア

 下水道を抜けた先には、バジリスクがいた毒沼のような水辺のフィールドが広がっていた。ただ、ここは土も紫色ではないし、水もそれほど濁ってはいないので、ごく普通の沼地といった雰囲気だ。

 幾つか見える、大き目の沼のどれかにジーラの巣でもあるのか、ここには奴らが徒党を組んで現れた。この辺は俺らの縄張りだぜ、とでも言うように、地上でも水かきの付いた両足で、バタバタと大地を駆けて襲い掛かってくる。

 ソロだったら速攻で逃げ出すほどの人数だったけど、まぁ、天道君がいれば消化試合みたいなもんだ。

 引き抜いた火竜の剣を一閃すると、紅蓮の業火が迸り、前方から駆けてくるジーラは揃って焼き魚へと早変わり。魚が焼けるちょっといい匂いを漂わせながら、僕は黒焦げの死体が転がる道を歩くだけだった。

「今日はここで休む」

 下水出口から少し歩くと、沼地エリアの妖精広場が建っていた。バジリスクの毒沼よりも、造りが立派な感じ。小さな神殿のように、石造りの建物である。

「お前らはここにいろ。周囲を見てくる」

 それじゃあ私達も一緒に、と駆け寄るジュリマリ。

「お前らもだ。飯の用意でもしてろ」

 そうして有無を言わさず、天道君は一人で周辺警戒に向かっていった。

 もしかして、ジーラを倒して新たなスキルを獲得したから、一人で試したいとか、そういう意図があるのだろうか。食べてたようには見えなかったけど……まぁいい。天道君の同行を不用意に探るのは死亡フラグだ。情報は欲しいが、下手に嗅ぎまわって不信を買えば、元も子もない。

「んあぁー、疲れたぁー、ってか、臭くなってなーい?」

 蘭堂さんはいつものようにヤル気のない文句を言いながら、だらしなく足を投げ出して、綺麗な芝生の上に座り込む。うおっ、このアングルは、危険だ。

「水浴びする?」

「天道君もいないし、まぁ、ちょうどいいんじゃない?」

 どうやら、ジュリマリも蘭堂さんと同意見らしい。確かに、下水道をずっと歩いてきたのだから、臭いが体や服に沁みついていそうな不快感は覚えるだろう。僕だって、出来ることならお風呂に入りたい。

「蘭堂さん、水浴びするなら、僕は外に出ているから。終わったら、呼んで」

「桃川ぁ、覗くなよー?」

「そういうの、ホントやめて。野々宮さんも芳崎さんも、簡単に僕を殺せる力を持ってるんだから。つまらない誤解でも、僕にとっては死を招く」

「えっ、あ、ゴメン……」

 僕のかなりマジな反論に、蘭堂さんは驚いたような、それでいて、罰が悪そうな表情で謝ってくれた。そこまで考えてはいなかったのだろう。実際、これが元の世界だったら、僕だって冗談の一つで笑って流せる。

 でも、もう二度と、剣崎明日那に詰め寄られた時のような事は御免だ。あの時は僕のオナニーバレでああなったけど、もし女性陣の水浴び覗きが容疑だったなら、きっと僕は即死だった。

 力を持つ、ってのはそういうこと。男女に限らず、些細な諍いでも、簡単に人を殺せてしまうのだ。そして、弱い僕はまず間違いなく、何かのはずみでウッカリ殺されちゃうマヌケ野郎の側。

「じゃあ、何かあったら呼んで」

「うん、ゴメンね、桃川」

「気を付けてくれるなら、それで十分だから」

 なんてカッコつけたことを言い残して、妖精広場を出た僕だけれど――水浴び、めっちゃ覗きたいよ! ジュリマリの二人はどうでもいい。でも蘭堂さんのダイナマイトバディは是非とも拝みたい。日焼けした褐色肌の豊満な肉体は、メイちゃんとは違った魅力炸裂である。

 ええい、レムと視覚共有とかして、上手く中を覗けないものか。

 そんなことを、僕は大真面目に考えてしまうのだった。そりゃあ、命は惜しいけど、性欲だってある。

 結局、心頭滅却して、我慢する苦しみを味合わなければいけないのだった。

「はぁ、薬草でも探すか」

 バカなことを考えてないで、暇つぶしがてら、周囲を散策しよう。勿論、妖精広場の建物から、何十メートルも離れたりはしない。

 周囲は背の低い草むらになっていて、木々もまばら。もしジーラの群れが攻め寄せてきても、すぐに発見できる。念のため、用心はするけども。

 レムを護衛に立たせて、僕は四葉のクローバーを探す女子小学生のように、草むらをガサガサやり始めた。

「あっ、こ、コレはっ!?」

 そこで、僕は大発見をする。

「蛇だ!」

 草むらの中で、シャーと威嚇しながら舌をチロチロさせているのは、魔物には分類されない、純粋に動物の蛇である。

 そう、メイちゃんが首を飛ばし、皮をはぎ、そしてかば焼きにして食べた、思い出の蛇だ。

「黒髪縛り!」

 僕は何の恐れも躊躇もなく、黒髪を出して拘束。このダンジョンで安全確実に食える、貴重な肉。逃がしはせん、逃がしはせんぞぉ!

「レム!」

「ガガッ!」

 全身を黒髪でグルグル巻きにされて、焦ったようにもがく蛇を、レムはカマキリブレードでもって首を叩き落とした。

「よし、よくやった! えーと、ついでに皮も剥がせる?」

「グガァーッ!」

 任せろ、とばかりに首なし蛇を拾い上げ、鋭い爪を引っ掛け、一気に皮をバリバリと剥いでいく。ああ、レム、こんなに逞しくなって。あの時のメイちゃんと全く同じモーションだ。

「やったぁ! 肉ゲット!」

 血抜きのために、蛇は近くにあった木の枝に引っ掛けておく。

「よし、レム、もっと蛇を探そう」

「ガガ」

「もしかしたら、蛇の血の臭いに誘われて、ジーラや魔物が寄ってくるかもしれないから、警戒は続けて」

「グガ」

 そうして、僕は水浴びを終えて、濡れた髪の毛が色っぽい蘭堂さんに呼ばれるまで、血眼になってヘビ捜索に熱中した。幸い、魔物の襲撃はなかった。

 結果、四匹捕まえた。今夜は蛇肉パーティだ。

「うへぇ……無理無理、マジでコレは無理だって、桃川ぁー」

「え、蘭堂さんって、全く料理できないタイプ?」

「料理はできるけど、蛇は無理だっつってんの!」

 僕は得意げな顔で蛇の収穫を蘭堂さんに伝えたら、この反応である。飼い猫がドヤ顔で飼い主に仕留めたネズミを披露している、そんな感じのリアクションだった。

「でも、この蛇は美味しいし、頑張ってみてよ」

「うぅー、ウチだって肉は食べたいけどぉ……」

 さて、蛇を捌くためのナイフを手に硬直している蘭堂さんには、調理を頑張ってもらうとして……僕は天道君がいない今の内に、ジュリマリの二人と話をしてみたい。

 もし、蘭堂さんがどうしても無理だったら、僕が捌いてみよう。どうせ肉は焼くだけだし、適当に切っても大丈夫だろう。

「あのー、二人にちょっと話があるんだけど」

「はぁ?」

「ウチらは別に、桃川に話すことなんてないケドぉ?」

 けんもほろろ、とはこのことか。以前の僕なら、女子からこんな冷淡な反応をされれば、ショックで三日くらい学校休みそうな気がするけど……ふっ、今の僕に、言葉だけでダメージを与えられると思うなよ。なにせ、僕はオナニーバレで女子にボコられた男だぜ。この程度の冷たい返事、屁でもない。

「僕は、二人と協力したいと思っている。話し合いができれば、お互いに、もっと上手く助け合えるよ」

「別に、いらないんだけど」

「桃川って、弱いんでしょ? いる意味なくない?」

「確かに、僕は自分の身を守る最低限の力しかないよ。でも、僕には傷薬が作れる」

 ふーん、と興味なさそうな二人の反応で、僕は勝利を確信する。

 なぜなら、天道君から傷薬を貰っていれば、すでに持っていると言うはずだから。

「実は、天道君には僕の薬の材料も作り方もバレてるんだけど、二人は傷薬、貰ってない?」

「……ないけど。マリは?」

「アタシもない」

 そりゃあ、そうだろう。あの天道君が、付き纏っている女子二人に、自分で傷薬をこしらえては分け与えるなんて、甲斐甲斐しい真似するはずない。

 ぶっちゃけ、天道君から見れば、野々宮純愛ジュリアと芳崎博愛マリアの二人は、僕と同じ程度に興味がない。それを「冷たい男だ」と罵ることに、意味なんてない。恐らく、クラスでは最強級の能力を誇る天道君は、自分自身の意思を貫くことができる。このダンジョンの中では、力が全てなのだから。

「僕の傷薬は、ポーションほどの即効性はないけれど、クローバーよりも効果はあるし、数もそれなりに用意できる。最前線で魔物と戦う二人には、いざという時のために、傷薬は持っていて役に立つと思うけど」

「そりゃあ、まぁ」

「薬はあった方がいいけどぉ」

 よし、喰いついた。天道君の時は、現物を見せた瞬間に敗北確定であったが、今こそ、正しい意味で回復薬の価値を生かせる交渉ができる。

「でも、僕にとっても傷薬は貴重なモノだから。魔法で作り出すワケじゃないから、材料が必要だし、数にも限りがある。誰にでも配れるほど、沢山はないから」

「なに、私らには渡せないっての?」

「舐めんなよ、桃川のくせに」

「僕は、野々宮さんと芳崎さん、二人とロクに話したこともない。二人がどういう人なのか、僕はまだ分からない」

 敵なのか、味方なのか。脱出人数が三人までという脅し文句が利いた、この極限のダンジョンサバイバルでは、ただ同じクラスメイトというだけでは、信用するには足りない。

「これまで、僕は他のクラスメイトに襲われたこともある。でも、二人がちゃんと協力して、一緒に戦ってくれるというなら、僕は信用して、傷薬も提供するし、戦闘の時には、ささやかだけど、呪術で援護もするよ」

「呪術とか、何かアヤシーんだけど」

「でも、薬はやっぱ欲しいかも」

 よし、いいぞ。何だかんだで、薬については有用性を認めている。

「友達になって、とは言わないけど、せめて、一緒に戦う仲間として、最低限のコミュニケーションはとりたいんだよ」

「そこはフツーにダチって言いなよ」

「だからモテないんじゃね、桃川」

 うっ、心に刺さる。やっぱり僕、クラスではモテない男扱いだったんだ! いや、分かってたけどさ、でも、現実を突きつけられるのって、残酷なことだよ。

 ちくしょう、過酷な経験で、女の子の言葉で一喜一憂する軟弱な精神ではなくなったと思ってたけど、普通に傷つくよ!

「え、じゃあ、お友達から始めてください」

「ええー、桃川じゃちょっと」

「好みじゃないしー」

「ちょっと、何で僕がフラれたみたいな感じになってんのさ!」

 勇気を出して言ったらコレだよ。ふざけんな、これだから女子って奴は……ちくしょう……

「あはは、桃川、いいリアクションできるじゃん」

「うんうん、そういう方が可愛いよー」

「やめてよ、僕は弄られて喜ぶキャラじゃないから」

 でも、僕がなけなしの精神力を削られて、二人にバカにされたお蔭で、ちょっと警戒心と無関心は解けたような気がする。結果オーライというべきか。心の傷の度合いからすると、ちょっと割りに合わない気がしないでもないけど。

「でさー、桃川はどうしたいワケぇ?」

「協力つってもさー、今のままで別によくなーい?」

「それは、天道君が強いから?」

「そーだよ、天道君メッチャ強いじゃん」

「うん、マジ最強だよねー」

 確かに、僕も天道君が魔物相手にそう簡単に負けるとは思わない。まだまだ強い魔物はいるのだろうけど、敵が強ければ、それだけ成長できる余地が、彼の能力にはあるはず。

 でも、だからこそ、天道君一人に頼ってはいけない。けれど、それをそのまま言っても、二人は納得しないだろう。

 きっと、天道君と合流するまでは、二人も苦労してきただろう。蘭堂さんというお荷物も抱えて来たんだし。そこで、圧倒的な強さを誇る天道君と出会えば、その信頼度は相当なもの。下手に彼の強さを疑うような物言いをすれば、速攻でシメられるに違いない。

「ねぇ、二人はさ、天道君のこと、どう思ってるの?」

「どうって、フツーに好きに決まってんじゃん」

「アレで惚れない方がおかしいって」

 恥ずかしげもなく、二人は天道君への好意を告げる。なるほど、浮ついた気持ちというよりも、かなり本気なのかもしれない。命を賭けたダンジョンサバイバルだからこそ、強い男ってのは真の魅力を発揮する。

「でも、天道君は僕のことも、二人のことも、全く興味がないように見えるけど」

「っ!」

「おい!」

「勘違いしないで欲しいけど、二人に魅力がないとか、そういうことを言ってるんじゃないよ。ただ、天道君は誰に対しても興味がなさそう、どうでもいい、と、そういう風に感じる。自己中だとか、無気力だとか、そういうのとは違う、もっと、こう……自分が認めたモノにしか、価値を見いだせない。そんな性格に思える」

 僕に人を見る目があるなんて思わない。僕は呪術師であって、占い師ではない。多くの人と接してきた、長い人生経験などあるワケないし。

 でも、そんな僕でも、天道君はそういう男なんじゃないか、と察するくらいはできる。ある意味で、分かりやすい。

「うん、まぁ……ね」

「そんな感じは、するけどさ」

 二人だって、分かっている。あんなに、あからさまに愛想を振りまいて、好意を剥き出しにして迫っているというのに、天道君はいまだに、彼女達をその他大勢のモブキャラみたいな扱いのまま。

 そんなの、より人の心の機微には敏感な、女の子である二人が気づかないはずがない。きっと、彼の無関心に一番、傷つき、悩んでいるのは、彼女達である。

「正直、僕はいつ天道君に見捨てられるかと、不安に思っている。彼に悪気はないのかもしれない。ただ、いきなり、お前はもうこれ以上ついてくるな、足手まといだ。そんな風に言われるかもしれない」

 戦力外通告の可能性が最も高いのは、ダントツで僕である。すでに虎の子の傷薬製法が知られてしまった以上、僕にさほどの価値はない。

「いくら天道君でも、流石に、そこまでは」

「しない、と、思うけどぉ……」

「野々宮さんも、芳崎さんも、強いよ。でも天道君はもっと、遥かに強い。二人じゃ敵わない強いボスが現れた時、きっと、天道君は何の迷いもなく、一人で行くと思う」

 そう、何の気遣いもなく、ついて来れない奴には、振り返ることもせず、ただ、己の道を歩み続ける。そんな意思を、彼の大きな背中からは感じられる。

「天道君はいつ、自分一人で進んで行ってしまうか分からない。だから、頼り切りにはできない。天道君に置いて行かれた時、少しずつでも、自分の力で進んで行けるようになりたい」

 考え込むような、二人の表情。

 本当は、考えるまでもない。二人は僕以上に、天道君に置いて行かれる未来の不安を感じているはずだから。

「まぁ、そう難しく考えないでよ。みんなで仲良くやっていこうってだけのことだから」

「ふーん、そっか、そうだよね」

「アタシらだって変に揉めたいワケじゃないし、別にいいけどさ」

 よし、ひとまず、協力体制の取り付けは成功ってところかな。

 さて、難しいのは、ここから何だけど……

「さしあたって、二人には頼みたいことがあるんだよね」

「なにさ?」

「あんま無茶は言うなよー」

 もしかしたら、無理かもしれない。でも、まずはここから取り組まないと、意味がないんだ。

 僕は意を決して、二人にお願いした。

「蘭堂さんと、仲直りして欲しい」

第96話 土魔術士の力(1)

 ジュウジュウと肉の焼ける匂いに誘われたように、天道君はフラっと帰って来た。

「……なにやってんだ」

「あー、天道君、おかえりぃー」

「肉焼いてるんだよ、食べる?」

 語尾にハートマークがついていそうな、ジュリマリの台詞。だが、協力体制が約束された今となっては、そんな媚びた態度の二人も、どこか微笑ましく思える。

「何の肉だ」

「その変にいた普通の蛇だよ。食べても大丈夫ってのは、『見れば』分かるよね」

 ギロリ、と鋭い視線で僕と、手に持つちょっと不恰好なかば焼きを睨まれる。気にしない、天道君は元々目つきが悪いから、普通に見ただけでも睨まれたように感じるだけ。余計に恐れる必要はない。

「まぁな」

「ただの塩味だけど、焼き立てだから美味しいよ」

「悪いな、それじゃあ、貰うぜ」

 僕らが囲む焚火の輪に、どっかりと天道君が座った。

「はい、コレあげる!」

「大きいの、とっておいてあげたんだー」

「ああ、ありがとな」

 久しぶりに味わう肉の欲求には抗えないのか、差し出された蛇のかば焼きを大人しく受け取る天道君。

「……美味ぇ」

「でしょ」

 僕らはこの日、初めて五人集まって、食事をとった。まだまだ、気持ちはバラバラだけれど、きっと、傍から見れば、僕らは仲間に見えたことだろう。

 さて、天道君を肉で釣ったところで、僕は交渉に入る。

「天道君、ちょっと頼みがあるんだけど」

「素材はもうねぇぞ」

「素材はもう十分だよ。全然、違う件だから」

「言ってみろ」

「蘭堂さんの、土魔術士としての訓練を積みたい。少しの間、ここを拠点にして、育てる時間が欲しい」

 下水道の進軍を通して、僕は蘭堂さんの育成を決意した。いくら弱い天職だからといっても、そこで諦めてしまっては、無力な一般人のまま。初期スキルがクソ構成だったとしても、新たなスキルはチートかもしれない。成長の可能性に賭ける価値は、十分すぎるほどある。

 このままダンジョンを進み続ければ、いずれスケルトンやゴーマのような手頃な雑魚は全くいない、強力な魔物ばかりが住みつくエリアになるかもしれない。手遅れにならない内に、レベル上げをしておくべきだ。

 そうでなくても、すでにして蘭堂さんは他のみんなと、僕と比べたって、大きく遅れてる。遅れてるというか、完全に初期状態、つまりレベル1のままだ。一刻も早くその差を埋めなければ、結局はお荷物のままで、攻略が厳しくなってくれば、抱えることも難しくなってくる。そうなると、最早、仲間だ友達だ、なんて言ってられない。

 合理的だが、残酷な末路を迎えるだけ。そう、腹を刺されても、治してもらえず放置された、メイちゃんのように。僕は、蘭堂さんにそんな風になって欲しくはない。

「……できるのか?」

「できる。蘭堂さんは、必ず強くなる」

 僕だって、今やそれなりに強くなったのだ。あの、樋口と真っ向勝負しても、辛うじて勝利を拾えるほどに。

 蘭堂さんの『土魔術士』は、小鳥遊さんの『賢者』みたいにサポート前提の天職ではない。委員長の『氷魔術士』と同じように、その魔法でもって敵を撃ち、身を守る、立派な戦闘職のはず。

 あくまで初期スキルがハズレだっただけで、新スキル、あるいは、習熟した初期スキルが真の威力を発揮する可能性は極めて高い。

「好きにしろ。ただし、あんま長くは待ってられねーぞ」

「十分だよ、ありがとう」

 よし、最大の難関はクリアした。天道君は一度約束したら、それを守る男だと思う。律儀、なのではなく、ダサい真似はしない、カッコつけるだけのプライドがあるからだ。

 これで、全ての根回しは完了した。後は、蘭堂さんの頑張り次第。

「――というワケで、早速、蘭堂さんのレベル上げに行きたいと思いまーす」

「うぇー、マジでぇ……」

 妖精広場の入り口で、あからさまに蘭堂さんが嫌な顔。

「まっ、今までサボってた分、頑張んな、杏子」

 どこか晴れやかな笑顔で蘭堂さんの肩を叩くのは、ジュリマリのジュリの方、野々宮さんである。

 今回、蘭堂さんのレベル上げ編成は、言いだしっぺのパーティリーダーとして、僕、主役の蘭堂さん、そして、いざという時の護衛として、野々宮さんがついている。勿論、レムもいる。

 妖精広場では、天道君と芳崎さんが留守番となる。どうぞ、二人きりの時間をお楽しみくださいよ。

「天道君の話だと、この沼地には、ジーラとゾンビが出るらしい。この面子でジーラの群れを相手にするのは危険だから、ゾンビを狙っていこう」

「うぇーい」

「ほーい」

 どこまでもテンション低い蘭堂さんと、軽い野々宮さん。僕だけが張り切ってもしょうがないんだけど……でも、蘭堂さんだって自分の能力の使い道が分かれば、きっとヤル気も出るだろう。

「それじゃあ、出発の前に、蘭堂さんの土魔法を確認しておきたいんだけど」

「えー、それはさっき教えたじゃん。もー忘れたのかよ桃川ぁー」

「忘れてないよ。でも、実際に効果を見てみないと――って、グリグリしない!」

 何が不満なのか、蘭堂さんが僕の頭を拳でグリグリしてくるのだ。大して痛くはないけど、スキンシップするなら、もうちょっと気持ちいい方が……ともかく、真面目に説明しているんだから、邪魔しない欲しい。

「……分かった。んじゃあ、いくよぉー」

 気だるげに両手を前に突き出し、蘭堂さんが構えた。

「――『石盾テラ・シルド』」

 唱えた次の瞬間、彼女の手前の地面がボコっ! と音を立てて、盛り上がっていく。そうして、下からシャッターでもせり上がってくるかのように、四角い土の壁が現れる。

 たっぷり十秒ほど時間をかけて、高さ二メートル、幅一メートル、厚さ三十センチ、といったサイズの土の壁が完成していた。

「石じゃないっ!?」

「それは言うなし」

 魔法名は『石盾』なのに、出てくるのは、どう見ても土の壁。触ってみても、やはり土の感触だ。

「でも、結構しっかり固まってるし、それなりに防御力はあるんじゃない?」

「さぁ」

 他人事のような蘭堂さん。こんな立派な防御魔法があるというのに、どうして使ったことがないのだろう。

「桃川さぁ、こんなゆっくり出てくる壁があったら、ゴーマだって避けるって」

「なるほど、それもそうか」

 一瞬の油断が命取りになる戦闘。雑魚と名高いゴーマだって、人間並みに動きはする。十秒かけて二メートル、つまり、秒速二十センチでせり上がってくる壁なんて、無視するに決まってる。

 目の前に迫られた時に発動したのでは、遅い。

「あっ、もしかして、二つ目の土魔法も……」

「――『岩長槍テラ・クリスサギタ』」

 今度は名前の通りに、灰色の石で形成された、大きな槍が現れる。槍といっても、穂先と柄に別れた形ではなく、粗削りの円錐形といった感じ。人の胴体ほどもありそうな、硬く鋭い岩の槍が……やはり、地面から秒速二十センチほどの速度で、ズズズと隆起していく。

 十数秒後、そこには三メートルほどの高さの円錐柱が、立派に突き立った。

「ねぇ、これって真っ直ぐにしか立たないの?」

「斜めくらいにはできるけど」

 それは良かった。ただの柱にしかならなかったら、さらに使い道が限られる。

「やっぱり、致命的なのは、この発動速度か」

 どうして蘭堂さんが、早々に戦いを諦めお荷物化したのか、納得である。もしかしたら、僕の初期スキルよりも外れだったり――いや、この『岩盾テラ・シルド』と『岩長槍テラ・クリスサギタ』があれば、攻撃は難しくても、逃げる時に通路を塞いだりできる。最悪、妖精広場に駆け込んで、コレで入り口を塞いでしまえば、籠城作戦だって可能だ。

「蘭堂さん、魔力は大丈夫?」

「なにそれ?」

「魔法を使うために必要な力。魔法を使いすぎると、普通に疲れてくるんだよ。最悪、倒れて気絶する」

「ええっ、マジでっ!? なにそれ、ヤバくない!?」

「無茶な規模で魔法を使わなければ、いきなり気絶はないから」

 でも、一度くらいは魔力切れで気絶する経験はしておいてもいいかも。自分の限界を知っておくって、大事だよね。特に、魔力の概念すら知らなかった、蘭堂さんのような魔法初心者は。

「それで、どう? 疲れた感じする?」

「んー、全然」

「どれくらい魔法が使えるか、試したことはある?」

「えー、最初の頃、ちょっとだけ練習してぇー、でも全然速くなんないから、それきりかなー」

「あの時は、結構使ってたよね。この壁、百枚くらい出してなかった?」

「あー、出してた出してた。めっちゃ出して迷路みたくなったよねー」

「え、その時は、疲れたりしなかったの?」

「別に、何も感じなかったけど」

 もしかして、蘭堂さんかなりの魔力量だったりする? それとも、石になりきれてない土壁が、よほどコスパがいいのか。

「ねぇ、桃川、やっぱ三つ目も使った方がいいの?」

「うん、お願い。今出した、コレにかけてくれればいいよ」

「ほい、そんじゃあ行くよ――『永続エタニティ』」

 蒼真桜が使う『光の守り手ホーリーエンチャント』のように、白い光が、作り出したばかりの土壁と岩槍を包み込む。けれど、それも一瞬のこと。発光が治まった後は、何の変化も起こらない。

 そう、この変化を起こさないことこそが、『永続エタニティ』という魔法の効果なのだ。

 本来、魔法で発生させたモノは、ある程度の時間経過で消滅する。それは、委員長の氷魔法もそうだし、僕の黒髪縛りもそうだ。魔法だから、現象や物質はあくまで魔力で形成された疑似的なモノなのだろう。魔法が形を成したその瞬間から、魔力が霧散して、その内に構成を維持するだけの魔力がなくなり、最終的に消滅。まぁ、だいたいそんなところだろう。

 しかし、この『永続エタニティ』という魔法は、魔力で作った物質を、完全に本物の物質として変化させることができる。

 だから、何もせずにこのまま放っておけば、固い土壁も、立派な岩槍も、すぐにガラガラと崩れて、最終的には跡形もなく消滅する。でも、『永続エタニティ』をかければ、コレらはずっとこのまま。誰かがわざと壊すか、それとも長い時間の果てに風化するまで、変化は起こらない。なぜなら、これはすでに、本物の土で固めた壁と、本物の岩を削ってできた槍になっているのだから。

 考えれば考えるほど、摩訶不思議で、凄い魔法の効果だと思う。けれど、これが即座に戦闘で役立つかと言われると……

「うーん、即戦力というと厳しいけど、使い道は色々とありそうなんだけどなぁ」

 土壁百枚を連続で作っても、全く疲労を感じない蘭堂さんなら、そのまま並べて大きな防壁だって、時間さえかければ作れるだろう。岩槍と組み合わせ、最後に『永続エタニティ』をかければ、それなりに立派な防御陣地とかできそうだ。

 まぁ、ダンジョン攻略という性質上、相手を迎え撃つ戦い方をする機会は滅多になさそうだけど。

「とりあえず、後は実戦あるのみだから、行こう」

 さて、このゆっくり土魔法をどう活用するか。蘭堂さんをがっかりさせないよう、頑張って考えよう。




 沼地を散策すること五分、ターゲットはすぐに見つかった。

「あ、ゾンビいるじゃん」

「ねぇ、やっぱやめない? ゾンビとかキモすぎて無理なんだけど」

「臭いしキモいけど、すぐ慣れるから」

「うぇー」

 どこまでも女子高生らしい駄々をこねる蘭堂さんに、騎士として成長した野々宮さんが平然と諭す。確かに、僕も腐りかけの体に、生々しい傷跡が目立つゾンビは気持ち悪いと思うけど、いつかのエリアで必死こいて戦い続けたお蔭で、そのキモさにしり込みしないほどには慣れた。

「数は四……野々宮さん、他に潜んでいそうな気配はする?」

「んー、大丈夫じゃない?」

 盗賊の樋口や夏川さんには気配察知や索敵能力は及ばないけど、純粋な戦闘天職である騎士の彼女が、この中では最も敵を感知するのに優れているだろう。ここは、沼から少し離れた林になっているから、いきなり水の中からジーラが強襲、なんてこともない。

「どうすんの? あれくらい、アタシ一人でも余裕だけど」

「蘭堂さんがゾンビ倒さないと、意味ないでしょ」

「あ、そうだっけ」

 おいおい、大丈夫かよ野々宮さん。もしかして、敵を前にすると槍で刺し殺したくてウズズズしているとか、そういう性格になってたりする?

「ねぇ、桃川ぁー、ウチどうすればいいのさー」

 急かす蘭堂さんの声を無視して、僕はゾンビの立ち位置、周囲の地形、その他諸々を含めて、落ちついて考える。

「よし、蘭堂さん、ここから、あそこの木の間に、等間隔で槍を斜めに生やして」

「えー、どこぉ」

「この辺から、これくらいの角度で」

 僕が直接、欲しいポイントを鉄の槍で刺して教える。

「槍の長さって、変えられる?」

「知らなーい」

「じゃあ、やってみて。長さは一メートルくらい。えーと、伸びてる途中で、魔法を止めるようなイメージで」

「……おー、できたわ」

 蘭堂さんは、見事に『岩槍テラ・クリスサギタ』を短く生やすことに成功。委員長と蒼真桜の魔法を見る限り、魔法はある程度、術者の意思でサイズや威力をコントロールできていた。僕だって、当たり前のように呪術を色々と調節して使ってるし。

 だから、蘭堂さんも壁と槍のサイズ変更くらいはできると思った。大きくするのは難しいだろうけど、標準サイズよりも小さくするくらいなら、簡単なようだ。

「できたら、永続かけといて」

「ほい」

 次々と突き立ってゆく岩の穂先に、『永続エタニティ』の効果を示す白い光が灯る。

「これもお願い」

「なにこれ」

「僕の呪術、『黒髪縛り』だよ」

 木と木の間に、高さ三十センチくらいで、黒髪のロープを張る。多分、『永続エタニティ』は他の人の魔法にも付与できるはずだ。

「どう? これちゃんとかかってんの?」

「光ったから、大丈夫だと思う」

 永続の発光を確認して、準備完了。

「これから、ゾンビをこのトラップまで誘導して、倒す」

 仕掛けは単純明快。説明するまでもないだろう。

 僕らを追いかけて、ゾンビがここまでやって来ると、間抜けな奴らは必ず、この黒髪ロープに足をひっかけて、倒れる。そして、倒れた先に待ち構えているのが、蘭堂さんの岩槍というワケだ。

「ゾンビは目の前の相手を追いかけるだけの馬鹿だから、こんな見え見えの罠でも、必ず引っかかるはずだよ」

「えー、マジ? ダメだったらどうすんのさぁー」

「その時は、野々宮さんとレムで始末すればいいでしょ」

 そのための、護衛役でもある。上手くいかなった時に備えて、普通に強い人が片付けてくれれば、安全に試行錯誤できるというワケだ。

「僕と野々宮さんで、ゾンビを引きつけてくる。蘭堂さんは、ここで待ってて。万一に備えて、レムを護衛に残すから」

「は、早く戻ってきてよねー」

 ちょっとでも離れることが心配なのか、若干、震え声の蘭堂さん。

「よし、行こう」

「オッケー」

 僕は鉄の槍を、野々宮さんは鋼の槍を手に、ゾンビを呼ぶべく駆け出した。

 トラップ地点から五十メートルほど進めば、ゾンビどもが群れている。最初に見つけた時は四体だったけど、今は六体に増えている。まぁいい、許容範囲内だろう。

「へいへい、ゾンビ、ビビってるーっ!」

「やっほー」

 石を投げつけ、適当な声を出して、奴らの注意を引く。

「グッ、オオオ……」

「ウォオアアアアっ!」

 生きた人間という獲物を見つけ、ゾンビ共は一斉に駆け出す――って、思ったより速い!

「ちょっ、何だよアイツら、普通に走ってる!?」

「ここのゾンビは元気だねー」

 割とマジで焦ってる僕とは対照的に、野々宮さんは呑気なもんだ。

「ってか、桃川、足遅っ!」

「置いてかないでよ、野々宮さん!」

「アンタ、世話焼けるなぁ」

 身体能力が強化されてる戦闘天職と違って、僕は貧弱なままなんだよ!

 なんて、恨み言を叫ぶほどの余裕はない。

「ウガァアアア!」

「アア! ヘァアアア!」

 涎をまき散らしながら、ゾンビ共が全力疾走で追いかけてくる。僅か五十メートルの距離が、長い。

「桃川、頑張れー、追いつかれるぞー」

「はっ、はぁ……ああっ、クソっ! 黒髪縛り!」

 ゾンビ集団の先頭をひた走る奴が、本当に僕まで追いつきそうだったから、足だけ絡めて転ばせる。

「あーあ、ここで転ばせたら罠の意味ないじゃーん」

「僕が死ぬ方がもっと意味ないよ!」

 こんなことなら、レムに行かせればよかった。安易な決断を後悔しつつ、僕は残りの距離をどうにか走り抜けた。

 勿論、自分で仕掛けたロープに引っかかって、槍で串刺しなんて、間抜けなことはしない。

「ゴール」

「はぁ……はぁ……」

 汗一つかいてない野々宮さんと、ぜぇぜぇと息切れしてる僕。でも、のんびり休んでいる暇はない。罠の効果を見届けなければ。

「さぁ、かかって来いよ、この腐れゾンビ共っ!」

「グガァアアアア――ブボォオっ!」

 案の定、奴らは思いっきり突っ込んできた。眼の前に、明らかにヤバそうな岩の槍があるのに。足元に、こんなにはっきり黒いロープが張られているのに。

 人間という生肉しか見えていないゾンビは、目の前にある殺意の仕掛けをまるで理解することもなく――そのまま、僕の意図通り、静かに突き立つ岩の穂先へ飛び込んでいった。

「うわっ!? キモい、キモい! ヤバいって、うわぁああああ!」

「おおー、入れ食いじゃん」

 ゾンビの腐った体を、岩の槍が貫き通す。かなり太い岩槍だけれど、全力疾走の勢いもあってか、易々と胴体に大穴をあけて完全に貫通。

 後続のゾンビも続々とトラップに飛び込んできては、見事に串刺しの憂き目に合う。

 蘭堂さんも目の前の惨状に、さっきからキモい、ヤバい、と叫びっぱなしだ。

「オオッ、ガァアア……」

 岩槍は適当な間隔で並べただけなので、中には、肩や脇腹が抉れたくらいで、完全に突き刺さるのを免れた、運のいい奴もいた。自分の体の欠損などまるで気にせず、ゾンビは這うように、尚も僕らへと近づこうともがいていた。

「黒髪縛り」

 そんな奴らを、そのまま地面へ縫いとめる。

「蘭堂さん、岩槍を使って」

「え、えっ、でもぉ……」

「動かなければ、どんなにゆっくりでも、当たるでしょ」

「杏子、頑張れ!」

「う、うぅ……えーい、『岩長槍テラ・クリスサギタ』!」

 腹の下からズブズブとタケノコみたいに生えてくる岩槍に、僕の触手で拘束されたゾンビは成す術もなく、その身を貫かれて、完全に息の根を止められた。

第97話 土魔術士の力(2)

 初めてのゾンビ戦に、蘭堂さんはぐったりしていたので、しばし休憩。

「……ねぇ、桃川」

「なに、蘭堂さん?」

 神妙な顔で、ポツリと話しかけてきた。もしかして、やっぱり戦うのは精神的にキツいとか、そういう悩みだろうか。

「なんか、新しい魔法、覚えたんだけど」

「ええっ、マジで!?」

 ゾンビとの一戦だけで、もう新魔法を授かるなんて。僕なんか、あの鎧熊を倒したって、獲得したのは『黒髪縛り』一つきりだったというに。

 いや、まぁ、『黒髪縛り』は僕が一番お世話になってる、万能呪術だけれど。

「へぇー、やったじゃん、杏子。何てやつ?」

「えーと、『石矢テラ・サギタ』、だって」

「名前からして、一番基礎的な攻撃魔法だね」

 委員長と蒼真桜の初期スキルに『氷矢アイズ・サギタ』、『光矢ルクス・サギタ』があったから、『石矢テラ・サギタ』も同じように、土属性の基礎となる攻撃魔法に違いない。

「ちょっと使ってみなよー」

「えー、またどうせゆっくり生えてくるだけでしょー」

「いーからやってみなってー、気になるじゃーん」

「まぁ、いいけどさー」

 ノリノリで試し撃ちを進める野々宮さんに乗せられて、蘭堂さんが渋々、両手を突き出し構えた。僕もその効果のほどは気になるので、黙って見学する。

「『石矢テラ・サギタ』」

 ビュン、ドッ、バキバキ、ドシーン――という擬音が、連続的に響き渡った。

 僕の目には、すぐ前に立っていた林の細い木の幹に、突如として穴が空き、そのまま支えを失った木が倒れていった、一連の動きが映った。何が起こったのか、それは理解できるけど、すぐに納得することは難しい。

「おおぉ、凄ぇ威力! やったじゃん、杏子!」

「え、えっ、今の、ウチがやったの?」

「そうだよ、だって、石の弾みたいのが、凄い速さで飛んでったし!」

 流石は騎士の天職持ち。僕には全く見えなかったけど、野々宮さんには、蘭堂さんが放った『石矢テラ・サギタ』が見えたんだ。凄い動体視力である。

「これなら、杏子も立派な戦力になるよ!」

「そ、そうかなぁ……なんかコレ、撃つの怖いんだけどぉ」

「ゾンビにでも向かって、バンバン撃てばすぐ慣れるって!」

「んー、そっか、そーだよねー、これでウチも、ちょっとは役に立てそうな気がする」

 普通に立派な遠距離攻撃魔法だ。このパーティには、普通に攻撃できる魔術士はいないから、蘭堂さんは貴重な戦力となるだろう。

「ありがとね、桃川」

「うん、強い魔法が手に入って、良かったね、蘭堂さん。おめでとう」

 純粋な感謝の言葉を送られて、僕はそう返したけれど……あれ、何でだろう、どうしてこう、納得いかないんだ。

「でもさー、杏子がこんな強い魔法撃てるんならさー、アタシらの中で、桃川が一番弱くない?」

「……そ、そうですね」

 はい、そうです、私が最弱です。

 すみません、蘭堂さんのこと、初期スキルのまま成長していない格下だと思って、実はちょっと調子に乗ってました。ああ、僕より弱い人がいるんだなぁ。最弱呪術師な僕も、ついに人を教える立場になったのだなぁ。

 そんな風に、驕っていた時期がありました。

「よし、それじゃあ蘭堂さんが強くなったことだし、張り切ってゾンビを撃ちに行こう!」

「ねぇ、桃川、なんか無理してない?」

「してないよ」

「ちょっと泣いてる?」

「泣いてない!」

 いいんだ、蘭堂さんが早くも立派に成長してくれて、速攻でパーティのお荷物を脱出してくれたのだから。

「ほら、早く、行こう!」

「んもー、分かったってばぁー」

「ぷぷっ、桃川、ガキすぎる」

 半ば呆れた蘭堂さんと、あからまさに小馬鹿にした野々宮さんを連れだって、僕は新たな練習台を求めて、歩き出した。

 いや、ほんと、悔しくないし!




「ただいまー」

「あっ、おかえりー、どうだった?」

「杏子、マジで凄くなった」

「ええっ、ウソォ!?」

 第一回目にして大成功すぎる結果を収めた、蘭堂さんのレベル上げ作戦を終えて、僕らは妖精広場へと戻ってきた。野々宮さんは早速、留守番組みである相方、芳崎さんへと元気よく報告している。

「蘭堂さんは、行かなくていいの?」

「あー、そんな元気ないわー、寝る、すぐ寝る」

「もしかして、魔力切れが近い?」

「や、そういうのじゃなくて、精神的に疲れた感じだから」

「なるほど、初陣だったしね」

 ちょくちょく確認はしたけど、やはり蘭堂さんは何度も土魔法を行使しても、魔力の消耗を感じることはないと言っていた。だから、今すぐ横になりたいという疲れは、単純にあちこち移動した体力的な面と、初めての戦いの連続という精神的な面によるものだろう。

「桃川は平気なの?」

「うん、ちょっと歩き疲れたくらい」

「一番騒いでたのに、よくそんな元気あるね」

 最初のゾンビダッシュをはじめ、ちょくちょく、危ない場面があった。いきなり沼からジーラが飛び出たりとか。思ったよりゾンビが集まって来たりとか。

「まぁ、そういうのは、慣れたから」

 焦りはするけど、本気で死の危険性を意識するほどのピンチではない。いつも、これくらいの難易度ならいいんだけど。

 できれば、もう命を賭けた死闘なんてのは、樋口との戦いを最後にしたいものだ。

「ふーん……桃川、やっぱ強いよね」

「今はもう、蘭堂さんの方が強いよ」

 お世辞抜きで、そう言い切れる。『石矢テラ・サギタ』を手に入れた蘭堂さんは、一気に魔術士として即戦力と化した。

 ゾンビをトラップで始末し、『石矢テラ・サギタ』を習得したあの後、僕らは沼地でゾンビ相手にひたすら試し撃ちを行った。

 その結果、蘭堂さんの『石矢テラ・サギタ』は、委員長の『氷矢アイズ・サギタ』と同じく、非常に使い勝手がよいと判明した。むしろ、攻撃力だけなら蘭堂さんの方が確実に高い。

 作りだされる石の矢は、見た目は、円錐形である岩槍を、より小さく細くしたような感じ。矢というより、ライフル弾のような形状だ。

 で、そんなモノが目にも止まらぬ速さ、あくまで、常人の動体視力である僕から見て、であるが、ともかく、高速で飛ぶ。射程も弾道も、それなりに安定している。流石に、マシンガンみたいに連射はできないけれど、五秒に一発は撃てる。習熟すれば、発射間隔はさらに縮まるし、威力や射程、命中精度も向上するはずだ。そして、消費魔力コストも軽い。

 正直、隙がない。今や蘭堂さんは、コッキングアクションで装填する、弾数ほぼ無限のライフル銃を装備しているに等しい。

 土魔法の神様は、どうしてこの『石矢テラ・サギタ』を初期スキルに入れなかったのだろうか。どう考えてもデカいタケノコ同然な『岩槍テラ・クリスサギタ』よりも、『石矢テラ・サギタ』が先に必要だろうと。とんでもない無能采配か、スキルセットを間違えたドジっ子か、あるいは、蘭堂さんみたいなギャル系女子は嫌いなのか。

 まぁ、こうして無事に魔術士の基本攻撃を習得できたのだから、よしとしよう。

「ねぇ、桃川、ちょっと来て」

「なに?」

 相変わらず噴水で座って、煙草を吸おうかどうか悩んでいる天道君。蘭堂さんの成長ぶりを、素直に喜びながら話している、ジュリマリ。彼らからちょっと離れた端っこの方に、僕らは座り込んだ。

「ありがとね、桃川」

「お礼なら、最初に聞いたよ」

「ううん、土魔法のことじゃなくて、や、それもあるけど……ジュリとマリのこと」

 ああ、もしかしなくても、気づいていたのか。

「桃川がさ、二人に何か言ってくれたんでしょ」

「うん。あの二人が、あからさまに蘭堂さんのこと避けてたのは、見てればすぐ分かったから」

 女子グループの友人関係なんて、僕にはさっぱり分からないけれど、流石に一緒に行動していれば、分かる。

 蘭堂さん、野々宮さん、芳崎さん。三人は同じギャル系の女子として、クラスでは仲良くしていた。蒼真グループを除けば、女子のグループでは中心的で、最も目立つ三人組だった。

 それが、僕が合流した時から、二人は一度も蘭堂さんと話しているのを見ていない。

「蘭堂さんはこれまで、正直、お荷物だったからね。苦労して二人が戦ってきたことを思えば、快く思わないのは当然だよ」

 理解はできる。だが、それではいけない。

 少なくとも、天道君以外のメンバー全員が協力体制を確立できなければ、この先のダンジョン攻略は怪しい。本当に、仲間内の不破で揉めるなんて、もう御免だ。

 僕らが相手にするのは、この先も間違いなく待ち構えているだろう、強力なボスモンスター。そしてボス以外にも、いつ何時、予想外の強敵や大きな群れが出現するか分からない。

 困難を乗り切るためには、結束力は必要不可欠。でも、その結束というものが、ただ黙っているだけで手に入るようなモノじゃないってことは、僕はもう嫌というほど理解している。

 だから、僕はなけなしのコミュ力を振り絞って、二人と交渉し、根回しをした。

 二人と蘭堂さんの不仲は決定的。だが、それをどうにかしなければ、未来は暗い。

 だから、感情ではなく、第三者の僕は、理を持って二人を説いた。実際、頭を下げて頼んだだけ、だけど。

「二人の気持ちは分かる。でも、僕はせめて同じパーティにいるなら、仲間として最低限の協力は必要だと思ったから――」

「ううん、そうじゃない。それもあるかもしんないけど、一番の理由じゃないんだ、そんなのは」

 はぁ、と物憂げな溜息を一つついてから、彼女は言った。

「二人とも、天道のこと好きだから」

「……蘭堂さん、もしかして、天道君と付き合ってた?」

「天道とは、たまに話すくらいだったかな。でも、アイツとフツーに話せるってだけで、嫉妬しちゃう子も多いんだよね」

 確かに、天道君は蒼真君と違って、誰に対しても愛想がいいわけじゃない。どうでもいいと思う人物に対しては、徹底的に無関心だろう。

「野々宮さんと芳崎さんって、元々、天道君のこと好きだったの?」

「や、二人は彼氏いるから。ジュリは三組に、マリは別な学校の男、大学生とかだったかな」

 今更、あの二人に彼氏がいることには驚かない。むしろ、いて当然だろう。

「二人が言ってたけど、この状況で天道君に惚れない方が、おかしいよね」

 二人がどこまで真剣に彼氏と付き合っていたのかは分からない。けれど、二年七組のメンバーではない以上、最早、その彼氏くんは遥か遠い過去の人。ここは魔法の異世界で、地球の日本とは次元レベルで隔絶されているのだから。

「ウチはさ、二人のどっちが天道と付き合ってもいいし、二人とヤっても、別にいいじゃんって思う。天道のこと、狙ってるワケじゃないし」

「じゃあ、素直に二人を応援してあげれば、それで良かったんじゃないの?」

「うん……でも、結局、ウチも天道に頼ってた」

 それは、悪いことなのだろうか。確かに、蘭堂さんは一工夫して、適当な雑魚モンスターを倒していれば、きっと『石矢テラ・サギタ』を習得できていた。でも、それはあくまで結果論であって、あの微妙な土魔法だけで、魔物と戦って倒せ、というのは中々に酷な話。それも、さして戦力に余裕もなく、先行きも全く分からない、転移したばかりのダンジョン攻略序盤では。

「あの二人より、ウチは天道とちょっとはマシな仲だから。ヤバい時も、天道はウチのこと守ってくれると思ってた。でも、だからって、本気で天道とくっつこうってほどの気持ちもなくて……二人のために、天道と距離をとる勇気もなくて……あはは、ウチ、最低だよね」

 もし、蘭堂さんが本気で天道君を愛しているのだと宣言するなら、二人と対立はするだろうけど、筋は通る。でも、二人の恋路を応援するというだけのために、あえて天道君と疎遠になると、今度は自分の命の危険もある。

 筋を通すためだけに、命はかけられない。だから、曖昧で優柔不断な現状維持。

「蘭堂さんが、悪いとは思わない。でも欲を言えば、二人ともっと、ちゃんと話し合っていれば、理解してもらえたと思うよ」

 だって、僕なんかが仲裁に入っただけで、二人はまた元通りに、蘭堂さんと接するようになったのだ。あの二人だって、本気で蘭堂さんのことを憎んでいたワケじゃない。

「うん、そう、だよね……」

「そうだよ。二人も蘭堂さんのこと、本当はずっと、気にかけていたはずだよ」

「うん、うん……でも、ウチ一人じゃダメだった……それに、桃川が一緒になった時、ウチ、ちょっと嬉しかった……今のウチと同じ、誰にも気にかけてもらえない、ダメな子仲間ができたって」

「あはは、やっぱり僕、そんな風に見えた?」

 樋口との戦いが終わった後の僕は、精根尽き果てて、そりゃあもうみすぼらしかっただろうから。魔力が付き、武器もなく、レムもいない。あの時ばかりは、完全に無力だった。

「ごめんね、桃川。ホントに、ごめん。ウチ、自分のことばっかりで、ダメなまま、弱いまま、変わろうなんて思いもしなくて……そんなウチと桃川は同じだなんて、勝手に見下して」

「いいよ、別に。僕、蘭堂さんが話しかけてくれるだけで、嬉しかったから」

「ううん、結局、ウチは何もできなかった。『石矢テラ・サギタ』を覚えて強くなったのも、ジュリとマリと、また普通に喋れるようになったのも……全部、桃川のお陰だから」

 ここまで素直に謝意を表されると、流石にちょっと、いや、かなり気恥ずかしい。

「自分のためでもあるから……でも、どういたしまして」

 蘭堂さんの感謝が本物なら、それを素直に受け取るべきだ。別に、僕はツンデレキャラで売ろうとは思ってないし。

「ふふふっ、マジでありがとね、桃川。アンタ、思ってたより、ずっといい男だよ」

「そう思うんだったら、頭撫でるの止めて欲しいんだけど」

 ねぇ、これ完全にいい男扱いじゃなくて、子ども扱いだよね。僕、ちょっと蘭堂さんとフラグ立ったかもとか、一瞬、期待しちゃったんだけど。

「あははっ、いいじゃん別に。なんか桃川見てると、ウチのチビ共のこと、思い出しちゃって」

 ああ、うん、分かってたよ、僕のこと、男として見てないなってことは。

 恨むべきは、やはりこの童顔と身長か。へへっ、所詮、男は見た目ってことね。

「はぁ……別に、いいけどさ」

「そんな拗ねるなってぇ、うりうり!」

「んあぁー、やめれーっ!」

 そんな風に、僕は嬉しさ半分、がっかり半分で、蘭堂さんとひとしきりじゃれ合ってから、その日は一旦、就寝となった。

第98話 地底湖に潜むモノ

 今日は、芳崎さんを護衛に連れて、引き続き蘭堂さんのレベリングを行っている。

 天道君に待っててもらうよう許可を得た僕だけれど、野々宮さんと芳崎さんの二人にも、護衛役として協力してもらう以上、彼女達にも労力に見合った対価を提供することにした。それが、天道君と二人きりで過ごす、素敵なアプローチタイムである。

 二人とも本気で天道君が好き。当然、もっとお近づきになりたいワケだ。でも、常にパーティメンバーとして、蘭堂さんと僕、そして、一応は協力関係だが、野々宮さんと芳崎さんはお互いに目下最大のライバルである。そんな状況が続く中、天道君と二人きりになるチャンスというのは、喉から手が出るほど欲しいに決まっている。

 というワケで、僕は天道君を勝手に餌にして、順番に護衛役に協力してもらうという建前で、二人になる時間を作ってあげることにしたのだ。

 だから、昨日は野々宮さんで、今日は芳崎さんが、護衛役なのである。

「おおぉー、凄ぇ、マジで凄いじゃん、杏子!」

「へへっ、ウチのこと、もうお荷物とは呼ばせないし!」

「うんうん、めっちゃ頼りにするわ! 今までごめんね、杏子ぉーっ!」

「いいってことよ」

 大口径のライフル弾なみの威力を誇る『石矢テラ・サギタ』でゾンビをぶち抜いて見せれば、芳崎さんも蘭堂さんのことをすぐに認めた。

 これで、蘭堂さんとジュリマリの、仲良しギャル三人組は完全復活である。

「今日はジーラも狙ってみよう」

「オッケー」

「今の杏子なら、あんな魚野郎、楽勝だわ」

 油断するのはよくない、とは思うものの、芳崎さんの言う通りだった。

 水辺でまったりしているジーラを見つけ、蘭堂さんがスナイパーよろしく『石矢テラ・サギタ』をぶっ放せば、あの気持ち悪い魚面が見事に吹っ飛んだ。ジーラの体は腐ったゾンビよりかは、鱗も筋肉もあるし固いとは思ったが、そんなものはお構いなしに、石の弾丸が情け容赦なくその身を穿った。

「よし、次は群れも狙ってみよう」

 調子に乗った僕らは、さらに水辺をウロつくジーラを襲った。数は十体。結構な数だ。

 けれど、遠距離からの射撃で頭数を削り、こちらに気づいて接近してくるジーラをさらに狙い撃ち――念のためにと用意しておいた土壁と岩槍の簡易防壁まで辿り着いた時には、その数は四体にまで減っていた。

 戦士として申し分ない実力を持つ芳崎さんと、いよいよ本物の天職持ちに近い戦闘力を発揮するようになったレム、そして、僕の触手による妨害があれば、たった四体のジーラなど、一方的に倒せる雑魚でしかない。

「いやー、マジで杏子スゲーわ。ちょっとくらい数いても、こんなの楽勝じゃん」

「でも、やっぱ近づかれると怖いんだけどぉ」

「大丈夫だって、そういう時こそ、アタシらの出番っしょ」

 蘭堂さんには万が一にも誤射がないよう、前衛組みが戦い始めたら、『石矢テラ・サギタ』の発射は禁止と言いつけてある。危ない! と思っても、今の芳崎さんの実力なら、自分でどうにかできる。

 そもそも、戦いにおいてはド素人の蘭堂さんが見ても、本当にピンチなのかどうか、瞬時に判断は下せまい。僕が見たところ、芳崎さんも野々宮さんも、すでにフェイントや、わざと相手に攻撃させて後の先をとる、などといった高度な駆け引きもしているように思えた。素人判断で援護射撃したら、かえって危険。

 その代り、蘭堂さんには後方警戒をしてもらっているが、今のところ、思わぬ方向からの奇襲や増援が現れたことはない。ジーラも所詮、ゴーマと同程度の知能しかないようだ。

「でも、ゴーマよりは、コアのドロップ率は高いかな」

 僕は汚れ仕事であるコアの摘出を、完全にレムに丸投げするという徹底した怠惰ぶり。いや、だって、僕がやってもあんまり上手く取れないし、下手にザクザクやってると、無駄に刃の切れ味を消耗させるだけだったりもする。適材適所ということで。

 レムがメイちゃんのように、手際よくジーラの胴体からコアを取り出し、回収してくれる。それと、質の良さそうな武器も回収して、使うかどうか僕に確認してくれたり。本当に、細かい気遣いというか、戦闘以外の仕事もこなせるようになってきて、レムの成長度合いは著しい。

「おお、この槍は結構、いい感じだよ」

 よし、これは蘭堂さんにプレゼントしよう。何だかんだで、魔術士といえども槍の一本くらいは持っていた方がいい。お守りみたいなものだ。本当は、魔法の杖がいいんだろうけど、宝箱が見つからないから、期待はできない。

 お目当ての杖を手に入れるまで、僕も蘭堂さんも、とりあえず最低限の防備として槍を持つしかなさそう。というワケで、彼女にジーラの槍を進呈しよう。

「あっ、桃川!」

「え、なに、どうしたの?」

 急に振りかえって、真剣な表情の蘭堂さん。もしかして、ジーラが使ってた槍なんて、ベタベタしてそうでイヤとか、そういうアレだろうか。

「新しい魔法、覚えた!」

「おお、やった!」

 蘭堂さんは、驚くほど、順調に成長している。本当に、羨ましくなるほどに。




 蘭堂さんの新魔法の試し撃ちもほどほどに終えて、僕らは妖精広場へと帰還した。

「桃川、蘭堂は強くなったのか?」

 一日たって、いよいよ焦れて来たのか、天道君は開口一番、僕にそう聞いた。

「うん。お蔭様で、蘭堂さんはもう、魔術士として立派な戦力になったよ」

「そうか……じゃあ、お前らが少し休憩したら、出発だ」

「分かったよ」

 僅か一日、だが、それでも結果を思えば、貴重な一日であった。蘭堂さんは、すでにして僕を遥かに超える火力を誇る、土魔術士だ。当初の予想を上回る、凄まじい成長。

 これから再開するダンジョン攻略に、さらなる希望の光が灯ったような気がする。

「行くぞ、お前ら」

 一時間ほどの休息を終え、僕も改めて出発の準備を整え、いよいよ、沼地の妖精広場を出発した。

 すでに一度、偵察済みだからか、先頭を行く天道君の歩みに迷いはない。僕らも丸一日、沼地を駆けまわったから、それなりに地形も理解している。ここを抜けて先に進む、最短ルートを進んでいるのだと分かる。

 林を抜けて、エリアの最奥にあたる大きな沼にまで、僕らは一度の戦闘もなくやってきた。そこで、どうしてすんなりここまで来れたのか、その理由を知った。

「うわっ、ジーラの大群! まさか、待ち伏せしてたのかっ!?」

 沼には、百近いジーラが群れていた。勿論、全員武器を手に、かなり殺気立った様子。このまま林を抜けて、堂々と奴らの前に姿を晒せば、濁った魚の目を血走らせて、猛然と襲い掛かって来るに違いない。

「ちょっと、この数はヤバくなーい?」

「うん、絶対ヤバい」

「えーと、ウチ、とりあえず撃とうか?」

「馬鹿! やめろ、杏子!」

「あんなのチマチマ撃ってもしょうがないって!」

 僕が止めるまでもなく、ジュリマリの見事な連携で浅はかな蘭堂さんを制止。いやぁ、仲直りしておいて、本当に良かった。

 しかし、どうするか。先に進むには、どうしてもここを通らなければ、エリアを抜ける通路には辿り着けない。かといって、これだけの数のジーラが相手なら、天道君が一人で戦っても、全員叩き潰すには時間がかかるだろう。奴らの半分でも、一気に僕らへ襲い掛かって来られたら……まずい。

「天道君、ここは一旦引いて、作戦を――ってぇ、ちょっと待って!」

 僕の言葉などまるでおかまいなしに、天道君は一人でずんずんと進んで行った。

「ギョアっ!」

「ギョギョエエエェエエ!」

 案の定、ジーラ軍団がのこのこ姿を現した天道君に気づいた。もうダメだ、戦いは避けられない!

 僕が決死の覚悟を決めた、その時である。

「――邪魔くせぇ」

 うんざりしたような天道君のつぶやきが、耳に届いたかと思った次の瞬間、大爆発が轟いた。

 ジーラが群れている沼の浅瀬が、盛大な水柱と、そして、それ以上に巨大な紅蓮が迸る。とんでもない爆発。当然、爆心地にいたジーラが、無事でいられるはずがない。派手に飛び散る水飛沫に入り混じって、青い手足の欠片や肉片が散る。

「こ、これは……炎の魔法……」

 見れば、天道君の手元には、轟々と燃え盛る大きな火球が浮いていた。バスケットボールよりも、さらに大きなサイズ。軽く手をかざすと、矢のような速さで火球は飛んでゆき、赤い光の尾を引いて――さらに、大爆発。

 圧倒的な破壊力と、紅蓮の蹂躙劇を前に、僕はそれが、ただ爆発する炎魔法ではなく……思わず、ドラゴンブレスという言葉を連想してしまった。そう、あのレムの胸元に煌めく真紅の竜燐の持ち主こそ、この絶大な威力の火球を放ったに違いない。

「ギョオァアアア!」

「アァアアア!」

 二度の大爆発によって、ジーラは一網打尽。群れごと吹き飛ばされ、生き残っているのは、もう数十体もいない。

 いくらゴーマ並みの知能でも、流石に敵わない危険な相手だと悟ったのだろう。沼をザバザバと必死で泳いで、遠くへと逃げ去っていく。

「お前らも、魚共の相手は飽きてただろう。さっさと、次に行くぞ」

 一度だけ振り返って、そう言い放った天道君は、何事もなかったかのように、歩き出した。

「やっぱ、天道君、超カッコいいわぁ」

「うん、マジ最強」

 愛しい彼の雄姿に、さらに胸を打たれたジュリマリコンビは、嬉しそうに天道君の背中を追いかけた。

「……ねぇ、桃川」

「なに、蘭堂さん」

「もしかして、ウチの魔法ってさ、地味?」

「そんなことないよ」

 成長したことで、少なからず自信のようなモノを持ったのだろうか。そんなことを神妙な顔で言う蘭堂さんに、僕は諭すように言った。

 天道君と張り合おうとするだけ、無駄だよって。

 だって、彼はあの『勇者』蒼真悠斗と対をなす、我らが二年七組の英雄だから。いまだ謎の天職である天道龍一、その実力の底は、全く知れない。




 それから、ややしばらく下水道風の通路を進み、小さな沼地エリアを越えていくと……いつしか、僕らが進む通路は、洞窟風の水路へと変わっていた。水路というか、洞窟の中にただ小川が流れているだけというか。粗削りの岩や土肌が剥き出しの壁は、虫の洞窟を思い出させる。

「ふぅー、ようやく到着か。無駄に歩かせやがって」

 そんな天道君の言葉と共に、僕らの視界が急に開ける。ついに長い洞窟を抜け、目的地、つまり、このエリアのボス部屋へと到着したのだ。

「うわっ、凄い……これは、地底湖なのか」

 全体の作りとしては、ルーク・スパイダーが出現した場所と同じ、巨大な縦穴である。しかし、その大きさは桁違い。そして何よりも目立つのは、水龍でも住んでいそうな、円形の大きな湖がど真ん中に広がっていることだ。

 僕らが歩いてきた洞窟の川も、湖へ繋がっているし、他にも、似たような支道から水が流れ、中には、遥か数十メートルの高さから湖へと注ぐ、滝になっているのも何本か見えた。

 人工的な造形なのか、それとも大自然の奇跡か。どちらともいえない、異様ながらも壮大な、地底湖の景色に、僕らは息を呑んだ。

「さっさと行くぞ」

 天道君は何の感動も示さず、ついでに注意を払うこともなく、ズンズンと魔法陣のコンパスが指し示す地底湖へと向かって歩き出す。

「ねぇ、桃川、あの真ん中にあるちっこい島、魔法陣っぽくない?」

「うん、僕もアレがそうだと思う」

 蘭堂さんが示す先には、地底湖のちょうど真ん中に、円形の島がある。ここからでははっきり確認できないが、それでも、その地面に転移の魔法陣が描かれる石版になっているだろうことは容易に推測できる。そういえば、大カエルを倒した湖のエリアも、そんな風になっていた。

「なんか、灯台みたいのも建ってない?」

「うん、建ってる」

 島の真ん中には、小さな塔が建っていた。どう考えても、このダンジョンの遺跡の一部であろう。

もしかして、魔法陣はこの塔にあるのかもしれない。まぁ、ボス部屋の魔法陣は隠してあるわけではないし、調べればすぐに分かることだ。

 地底湖の周囲は、大きな岩がゴロゴロしていて、迂回しながら進んでいたせいで、湖にまで辿り着くのに五分以上もかかってしまった。

 湖には、やはり中島へ向かうための橋がかかっていた。崩れかけの石橋だが、僕らが渡る分には問題ない。そうして、これといった苦労もなく、島まで到着すると――

「お出ましだな」

 ザボーン! と、けたたましい水音と、水柱をたてて、湖面から巨大な影が飛び出してくる。

 塔を背後に島へと降り立ったのは、巨大なワニ……いや、二足で立ってるし、微妙に人型っぽい姿だから、リザードマンとでも呼ぶべき種族なのかもしれない。

 ワニベースのリザードマンは、ずんぐりむっくりした巨躯で、手足は短いが、大木のような太さを持つ。手と足の指の股には、ジーラと同じような水かきもついている。水中に適応した姿であるのは明らかだ。実際、湖の中から出て来たし。

「うわっ、なにコイツ、超デカっ!?」

「こ、これはちょっと……」

「アタシらでも、無理かも」

 彼女達のリアクションから分かるように、現れたワニ型リザードマンのボスは、途轍もない大きさだ。あの鎧熊をさらに倍するほどのデカさ。最早、魔物というより怪獣である。

 そして、体がデカい分、その身を覆う鱗も大きく、分厚い。ギラギラと金属質の光沢を宿す藍色の鱗は、正直、僕の『腐り沼』で溶かせる気もしないし、蘭堂さんの『石矢テラ・サギタ』でもヒビが入るかどうかといったところ。

「お前らじゃあ、無理だ。邪魔んなんねぇよう、隅っこでじっとしてろ」

「よろしくお願いします!」

 天道君の戦力外通告を二つ返事で引き受ける。ここはどう考えても、僕らの出る幕じゃあない。下手にちょっかいをかければ、天道君の足を引っ張るだけだろうし、最悪、無駄にタゲにとられて即死しかねない。

 見ろよ、奴のバカデカい口を。あんなのに噛み付かれたら、それだけで即死だよ。

「久しぶりの大物だ……楽しませてくれよ、ワニ公」

 そう言って、天道君はあの赤い大剣を手に、一気にボスへと突進。凄まじい速さだ。ただ真っ直ぐ走っているだけなのに、一瞬、その姿を見失ってしまった。


 ゴァアアアアアアアアアアアアアアアっ!


 腹の底から震えるような重低音の咆哮を響かせて、ボスは迫りくる天道君を迎え撃ち――

「うわっ!?」

 衝突の瞬間、爆発が巻き起こる。ゼロ距離であの炎の魔法を炸裂させたのだろうか。無茶なことをする。いや、自分は火炎ダメージ無効とか、そういう能力持ってるのかも。

 吹き抜ける爆風に一瞬だけ顔をそむけて、再び視線を戻すと、そこにはすでに、両者の姿はない。

 代わりに、ボスが登場した時と同じような、水飛沫が上がった。

「ウソっ、天道君、落ちた!?」

「ちょっ、それは流石にヤバくない!?」

 うん、いくら天道君が強かろうと、水中に引きずり込まれれば勝機はない。人間は水の中で自由自在に動けるようにはできてないんだから。大剣なんて持っても、ただの錘でしかない。

「天道君!」

 流石に僕も心配して、思わず落ちた方向の水面を見るが――

「やっぱお前、水の中じゃねぇと本気は出せねぇか」

 湖面に、天道君が堂々と立っていた。

 マジかよ。水の上に立つとか、どういうスキルだよ。

「いいぜ、付き合ってやるよ」

 そして、次の瞬間には自ら湖面を蹴り飛ばし、水の中へとダイブ。湖には、巨体をユラユラとくねらせて不気味に水中を泳ぐ、ボスの巨大な影だけが見えた。

「あー、とりあえず、ボスの相手は天道君に任せておこうか」

 自ら進んで、ボスのホームで戦おうとしているのだ。きっと、彼の能力を持ってすれば、水中戦でも勝てると踏んでの判断だろう。

 心配して損した、とここまで思ったことはない。

「うん、賛成ぇー」

「私、天道君のこと信じてたし!」

「そうそう、天道君があんなデカいだけのワニに負けるワケないし!」

 湖の底では、今正に天道君とボスの激闘が繰り広げられているのだろう。ドォン、ドォン、と水底から鈍い爆音が響き、静かな湖面に波紋を広げていた。

 やはり、ここは天道君に任せよう。全員の意見が一致したところで、僕らは彼の言う通り、隅っこの方で大人しく待っていよう。

 そうして、そそくさと移動しようとした、その時である。


 ギョッ、ギョッ、ギョォアアアっ!


 聞き覚えのある、というか、最近ではすっかり耳に馴染んだ鳴き声が響き渡った。

「ジーラっ!?」

 見れば、いや、見るまでもない。湖の畔に、次々と青い魚人達が姿を現した。

 奴らは湖全体を包囲するかのように、四方八方から岩場を乗り越え続々と集まってきている。その数は、天道君が吹き飛ばした群れよりも、さらに多い。二百、三百、正直、パっと見では分からない。

「くそっ、まだこんな大群が残っていたなんて……」

「ちょ、ちょっ、桃川、どうすんの!? これヤバくない、っていうか、絶対ヤバいよ!」

 言われるまでもなく、ヤバいに決まってる。

 まるで、ボスを助けに駆けつけたような感じだが、奴らが現れた理由など考えても意味はない。完全に僕らをターゲットとして認識しているジーラの大軍団が、すぐ目と鼻の先にいる。今、必要なのは、それに対する現実的な打開策である。

「ちょっと、この数は無理! さっきよりも多いじゃん!」

「桃川! マジでどうするのさ!」

 どうする、たって……天道君がボスを倒すまで、どれだけかかるか分からない。瞬殺してすぐに戻ってくる可能性もあるけれど、あの中二病ではなくガチの戦闘狂っぽい台詞からして、ボスとの水中戦を心行くまで楽しんでから、戻ってくる方がありえそう。

 水中にいる天道君には、恐らく、地上で僕らがジーラ軍団に完全包囲されてピンチ、なんて状況には気づかないだろう。今すぐ、彼が助けに戻ってくるなんて期待はもてない。

 つまり、しばらくの間、僕らだけでジーラ軍団の総攻撃を耐えなければならない。

「あの塔に逃げて! 天道君が戻ってくるまでの間、あそこで何とか耐えるんだ!」

 いよいよ湖へと飛び込み進軍を開始したジーラ軍団から逃れるように、僕らは全速力で目の前の塔へと駆けこんだ。

第99話 地底湖塔の攻防(1)

 ジーラ軍団が湖を渡り切って上陸してくるには、まだ幾ばくかの猶予はある。だが、僕らの唯一の脱出路でもある橋の辺りにも、ワラワラと大量に現れているので、強行突破で逃げるのは無理だ。勿論、この島に上陸するのを水際で食い止めるだけの戦力もない。レムを入れても僅か五人。こんな広さの水辺をカバーできるはずがない。

 やはり、ここは塔に逃げ込み籠城するしかない。

「早く閉めてよ!」

「扉ないんだけどっ!?」

 一足先に駆け込んだジュリマリが、開けっ放しの塔の入り口でうろたえている。

「うわ、マジでない、どうすんのよぉ、桃川ぁー」

 少し遅れて駆け込んだ僕と蘭堂さんも、扉がないのを確認。扉ごと外された、というより、シャッターのようになっているのだろうか。壊れた蝶番などは見当たらない。

 どっちにしろ、ガラガラと引っ張って閉じられそうなシャッターの取っ手もないようだし、ここは完全に開けっ放しの入り口ってことだ。

「蘭堂さん、ここに土壁を張って」

「あっ、そっか!」

 こういう時こそ、土壁と永続のコンボが役に立つ。

「ここと、ここに二枚。上の方は少しだけ開けておいて。ここで撃って、奴らの数を削っておこう」

「う、うん」

「野々宮さんと芳崎さんは、塔の中を見てきて。立て籠もれそうな部屋とか、使えそうな武器とか設備とか。あと、階段も屋上までちゃんと壊れずあるかどうかも確認して欲しい」

「分かった!」

「行ってくる!」

 焦って逃げて、階段が崩れていましたー、じゃあシャレにならない。せめて、少しでも塔の中を確認しておかなければ。

「桃川、こんな感じ?」

「うん」

 入り口を塞ぐ土壁がそそり立つと、早くもジーラの先頭集団が見えてきた。

「撃って」

「『石矢テラ・サギタ』!」

 ドヒュン、という大きな風切音と共に、石のライフル弾が放たれる。眼の前を埋め尽くすほどのジーラの大群が迫りつつあるのだから、どこに撃っても当たる。

「ギョアっ!」

 胸元に大穴をあけて倒れるジーラが見えたが、すぐに突撃する仲間に飲み込まれて見えなくなる。何体か倒したところで、止められる勢いじゃあない。

「とちかく撃ち続けて」

「うん!」

 発射音が響く度に、ジーラが悲鳴を上げて倒れる。しかし、あまりにも多勢に無勢。蘭堂さんの『石矢テラ・サギタ』の発射間隔は五秒に一発。幸い、水棲魔物のジーラはあまり足が速くない。それでも、僕より少し遅い程度。十秒あれば五十メートルを駆け抜ける。

 何発も撃たない内に、ジーラ軍団はこの入り口へと押し寄せてきた。

「今だ!」

「――『石砲テラ・ブラスト』」

 瞬間、一際大きな炸裂音が轟く。同時に、無数の石礫がメキメキとジーラの鱗を砕き、肉を裂く生々しい音が重なる。

 蘭堂さんが『石矢テラ・サギタ』の訓練中で習得した次なる土魔法が、この『石砲テラ・ブラスト』である。いわゆる一つの範囲攻撃。委員長の『氷結放射アイズ・ブラスト』の土属性バージョンみたいなものだろう。

 だが、冷気を放出する氷とは違い、こちらは石という物理的なモノを発射する。弾は『石矢テラ・サギタ』よりも小粒で、射程距離も短いが、一瞬にして前方方向を圧倒する無数の石弾は、ショットガンも同然。

 遠距離は威力と弾道と射程が安定するライフルのような『石矢テラ・サギタ』で、近距離は一発で広範囲に弾をバラまけるショットガンな『石砲テラ・ブラスト』。異なる二丁の銃を装備したも同然な蘭堂さんの火力は、確実に上昇している。

 この入り口に向かって殺到してくる暴徒のようなジーラ軍団など、一網打尽にしてくださいと言っているようなもの。放たれた小粒の石弾は、ほとんど無駄なくジーラの体に炸裂したことだろう。

 しかし、『石砲テラ・ブラスト』がフルヒットしたところで、奴らの勢いを止めることなど到底できない。この魔法もまた、マシンガンのように連射はきかない。クールタイムは約七秒と、『石矢テラ・サギタ』よりも長い。

 瞬く間に、倒れた仲間を踏み越えて、今度こそジーラが入り口の土壁にまで押し寄せる。

 よし、この距離なら、ようやく僕の出番だ。

「朽ち果てる、穢れし赤の水底へ――『腐り沼』」

 隙間から手を伸ばして、僕は呪印から血を飛ばす。土壁のすぐ向こうに落ちた鮮血の雫は、瞬く間に『腐り沼』として広がった。

「ギョオっ!?」

「ァアアアアアアアアアアアアアっ!」

 突撃の勢いに任せて、明らかにヤバい色の毒沼へとジーラ共は突っ込んできた。そして、その赤い強酸性の湖面に触れて、初めて絶叫を上げるのだ。

 馬鹿め。お前らの鱗程度で防げるほど、ルインヒルデ様の毒沼は甘くない!

「うわぁーっ、なに、なにこれ桃川ぁ!」

「僕の呪術、酸の沼だから絶対に触らないように」

 今まで紹介する機会はなかったからね。蘭堂さんが初見なのもしょうがない。でも、そんなにビビらなくてもいいじゃない。

「いいから撃って、すぐにここも溢れてくるから!」

「う、うぅー、もうヤダぁーっ!」

 早くも泣き言を叫び始めた蘭堂さんは、もう土壁を挟んですぐ目の前まで溢れてきたジーラに向かって、ヤケクソ気味に『石砲テラ・ブラスト』をぶち込んだ。

「穢れし赤の水面から、血肉を侵す髪を編め――『赤髪括り』」

 僕も負けてられないと、展開した『腐り沼』と、両腕の呪印から『赤髪括り』を放出。殺すには時間がかかるが、負傷させるだけでも十分。どうせ倒れた時点で、後ろから押し寄せるお仲間に踏みつぶされて勝手に死ぬのだ。

 僕は目につく限りのジーラに酸の触手をぶつけ、少しでもこの入り口に突入してくるタイミングを遅らせる。

 蘭堂さんの容赦ない近距離射撃と僕の酸攻撃によって、結構な数が屍となっていくが――その死骸が完全に『腐り沼』を覆い尽くした辺りで、限界が訪れる。

 仲間の死体を足場に、ジーラは体ごとぶつかってくる。

「退こう、蘭堂さん!」

「うぃーっ!」

 あまりの激戦にあって、蘭堂さんもかなりテンパってる。でも、変な返事をあげながらも、僕の指示はちゃんと耳に届いているらしい。

「入り口に向かって槍を立てて。短くていいから」

 どうせ奴らの勢いなら、土壁を破ったらそのまま雪崩れ込んでくる。堂々と岩の槍が立てられていても、先頭の奴は後ろに押されて突き刺さるに決まってる。

「野々宮さん、芳崎さん、そっちはどう!」

 吹き抜けになっている塔を見上げて叫ぶ。すると、壁面に沿って続く螺旋階段の中ほどから、ひょっこりと二人が顔を覗かせる。

「階段は上まで大丈夫―っ!」

「でも部屋は何もない! 屋上まで続いてるだけだから!」

 外観からして予想はしてたけど、塔の天辺まで何もなしか。都合よく、侵入者撃退用のトラップとか、脱出用の転移魔法陣とか、あるわけないか。

「もう外の奴らが雪崩れ込んでくる。これから、階段に壁を張って第二ラウンドだ!」

「私らはどうすればいいのさー?」

「蘭堂さんについて、守って。奴らが武器を投げつけてくるかもしれない」

「オッケー、杏子、アタシらがついてっから、頑張れ!」

「ありがと、ジュリ、マリ!」

 蘭堂さんの土魔法は、籠城戦における生命線だ。土壁がなければ敵の足止めもままならない。うっかり事故死でもされたら、そのままジーラに飲み込まれてしまう。

「蘭堂さん、もう下がって。階段のここと、あの辺に、壁を作っておいて」

「桃川は?」

「もう一発呪術をかましたら、すぐに行くから」

 彼女の土魔法の最大の欠点は、壁を出すのに時間がかかること。一足先に作らせておかないと、建設が間に合わない可能性が高い。

 それを自分も心得ているのか、蘭堂さんはすぐに階段に向かって駆け出した。

「さぁ、見せてやるよ、僕が編み出した新呪術を!」

「ガガーっ!」

 僕のボディーガードみたいに、ぴったり寄り添っているレムも声をあげる。この呪術は、レムにも関わりがあるから、是非とも頑張ってもらいたい。

「酸毒の血肉を纏い、赤の水底より起き上がれ――」

 土壁の向こうで、ガリガリと破ろうとしている音が聞こえる。奴らは、足元の毒沼はすっかり仲間の死体で埋めつくされたお蔭で、安全な足場が築けていると思っていることだろう。

 けれど、お前らの足の下では、腐り沸き立つ猛毒の水面が、まだ残っているということを、思い知らせてやる。

「――『腐れる汚泥人形』」

 その瞬間、ザバリ、と激しい水音が響きわたった。土壁に取りついていたジーラ共が、勢いで吹っ飛んで行くのが隙間から見える。

 そして今、壁の前に立っているのは……赤黒い泥の肉を纏った、泥人形だけ。

 そう、僕はソロになって最初に遭遇したカマキリとの戦闘で、レムを『腐り沼』を利用して作ったのを、新たな呪術として完成させたのだ。


『腐れる汚泥人形』:腐り沼より出でる、酸と毒の泥人形。


 ルインヒルデ様も認めてくれたのか、そんな名前と説明文とをちょうだいした。『赤髪括り』に続く、第二弾となる僕のオリジナル呪術。いや、もしかしたら最初から派生技として設定されているだけかもしれないけど。

 ともかく、これのお蔭で、死体で埋まるとほぼ無効化される『腐り沼』を、さらに有効活用できるようになった。毒沼そのものが人型となって暴れることで、より多くの敵に、その強力な酸を喰らわせるのだ。

 天道君と合流してから、レムだけを作って二号を作らなかったのは、ただ素材がなかったからという理由だけではない。大事な護衛であるレムをそのままに、『腐れる汚泥人形』を行使するために、二号の操作を空けておいたのだ。

 出現する『腐れる汚泥人形』は、レムがコントロールする『汚濁の泥人形』と統一されている。だから、二号を普通に作っていると、『腐れる汚泥人形』を発動させることができないのだ。

 近い内に試したいと思ってはいたけれど……まさか、こんな土壇場でやることになるとは。

「よし、行こう、レム。二号は暴れるだけ、暴れさせておいて」

「ガガ!」

 心得た、とばかりに頷くレムを連れて、僕も蘭堂さんを追って階段を駆けがある。彼女が作る壁が完全に階段を塞ぎきる前に、ギリギリで滑り込んだ。

「桃川!」

「奴らが雪崩れ込んでくるまで、まだもうちょっとだけ時間がある。落ち着いて、今の内に階段の防備を固めよう」

 蘭堂さんに言い聞かせるというよりも、僕自身、落ち着いてどうバリケードを構築すべきか考えなければいけないからだ。

 彼女の土壁と岩槍は、何枚でも何本でも出せるが、時間がかかる。ジーラがここに突入してくるまで、あと五分もつかどうかも分からない。下手な作り方をすれば、あっという間に突破されてしまうだろう。

 どうする、どういう形が一番、奴らの侵攻を食い止めて時間稼ぎができる? 何も考えず、ただひたすらに土壁を重ね続けた方がいいのか。槍と組みわせて殺せる罠も作るとか、斜めに壁を張ってスロープみたいにして落とすとか……うん、そうだ、下手な工夫をするよりも、時間いっぱいに使って壁を厚くした方がいい。蘭堂さんも、その方が魔法の行使に集中できる。

「壁、できたけど! 次はどうすんの!?」

「あそこまで上がって、そこから連続して壁を立てよう。とにかく壁を厚くして、時間を稼ぐんだ」

「分かった!」

 ここの塔は四階建てくらいの高さで。階段もそれほど長いワケではない。何か所に分けて防衛線を構築するだけのスペースもない。

 階段は塔の内壁に沿って敷かれている螺旋階段だ。中央は吹き抜けになっていて、簡素な手すりがあるのみ。

「野々宮さん、芳崎さん、その辺の手すりって壊せる?」

「ちょっと待って――ウラぁっ!」

「オラぁっ!」

 女の子にあるまじき声をあげて、二人は思い切り細い金属製らしき柵を蹴飛ばす。細くしなやなか足から繰り出された豪快な蹴りは、見事にスカートが翻り、あっ、パンツ見えた。赤と黒だった。

「桃川、いけそう」

「斧も使えば、一発だわ」

「その辺の手すりを全部落としておいて!」

 オラオラ、ガンガン、とけたたましい音が響き、見る見るうちに手すりがひしゃげて、その機能を果たさなくなっていく。

 どうせ登って来るのはジーラだけ。安全性なんてくれてやるつもりはない。せいぜい、大勢のお仲間で押し合いへし合いしながら、勝手に落っこちればいい。

「グガ、ゴ、ガガ!」

「えっ、そろそろ二号が限界?」

「グガァーっ!」

 何となく、レムの素振りから『腐れる汚泥人形』もジーラの数に飲み込まれたことを悟る。

 いよいよ、来るか。

「ギョォオオアアアアアアアアアアアっ!」

 土壁を崩して、ジーラが雪崩れ込んでくる。案の定、入り口の前に突き立てた岩槍にブッスリと刺される間抜けな奴らが発生するが、それも、何体か刺されば死体が重なって無効化されてしまう。

 その様子を、土壁で階段を封鎖した最上階付近から、僕らは眺めていた。

「うわっ、来たぁ……」

「ここから先はもう、後がない。頑張ろう、蘭堂さん――行くよ」

「う、うん――『石矢テラ・サギタ』!」

「『腐り沼』っ!」

 ゾロゾロと突入を果たし、階段へ群がり始めたジーラに向かって、蘭堂さんが射撃を行う。僕もあらかじめ階段に点々とバラまいておいた血痕から、『腐り沼』を発動。再び、ジーラ達は石の弾丸と酸の水辺によって一方的に死にゆく。

 ここの階段は人二人が余裕を持ってすれ違える程度には幅がある。階段としては広めの作りだが、それでも地形的な制約は免れえない。自然とジーラは二列になって階段を進む。蘭堂さんはその先頭集団を狙い撃った。

「ギョアっ!」

「アァアアア……」

 一体が撃たれて倒れれば、真後ろを走る奴が死体に躓き転倒。さらにその後ろも、と、ドミノ倒しになっていくが、それでも奴らの異常なまでの戦意は衰えない。倒れたならば、這ってでも登って行くのみ。

 けれど、階段には僕が展開させた『腐り沼』もあるから、そう簡単に登って行くこともできない。

「黒髪縛り……くっ、流石にこの距離にこの数は、重い……」

 僕は『腐り沼』を最大限に生かすため、折り重なるように倒れ込む死体を、黒髪縛りで掴んで、階下へと放り落とす。ジュリマリコンビがほどほどに手すりを破壊してくれたお蔭で、死体除去も幾分か楽だ。

 けれど、多少の距離が離れている上、次々と倒れ込んでくるジーラに、触手の作業速度も追いつかない。

 くそ、地形的にも能力的にも、こっちの方が有利なはずなのに……やはり、圧倒的な数の前には押し切られてしまう。

「危ない、桃川っ!」

「うわっ!?」

 ガキン、と鋭い金属音が目の前で響く。

 よく見えなかったけど、どうやら野々宮さんが槍で、ジーラが投げた武器を弾いてくれたようだ。

「やっ! ちょっ、危なぁーっ!」

「いいから、杏子、撃って! アタシがちゃんとガードしてやっから!」

 ジーラ共も、上から一方的に攻撃を加える僕と蘭堂さんを、優先的に狙うようになってきた。手にする武器を、やたらめったらに投げつけてくる。ここまで届くのは一部だけれど、際どいコースに飛んでくるのもある。数撃ちゃ当たる理論。

「このっ、死ねよ魚ヤローっ!」

「いい加減、しつけーんだよ!」

 ガランガランと飛び込んでくるジーラの武器を拾い上げ、野々宮さんと芳崎さんがお返しとばかりに投擲攻撃を敢行。流石は戦闘天職の二人、ただ武器を投げつけるだけでも、かなりの威力だ。ジーラのノーコン投法とは異なり、矢のような勢いで飛んでいく武器は、見事に奴らの体に突き刺さる。

「レムは二人に武器を拾ってあげて」

「ガっ!」

 向こうから矢弾が飛び込んでくるお蔭で、こっちの手数も増えた。二人の投擲は、槍を投げれば二体同時に貫くほどの威力で、非常に強力だ。流石に今のレムでも、ここまでのパワーは出せないだろう。だから、二人の手数を稼ぐために、武器を拾っては渡してあげるサポート役に徹させた。

 僕ら四人の決死の応戦は、もう数えきれないほどジーラを屍に変えていく。それでもやはり、焼け石に水。

「ちいっ、魚のくせに、余計な知恵を回しやがって……」

 次第に塔の階段構造と、僕の『腐り沼』戦法を理解したのだろう。ジーラ共の中には、階段の毒沼を避けるように、肩車をして頭上を走る一段上の螺旋階段へ登ろうとしていた。他にも、階下から鉤爪のような刃のついたロープを投げて、それで登ろうとする者。原始的ではあるが、あの手この手で、塔を登ろうと試行錯誤している。

「ああぁー、クソ、来るなって、『石砲テラ・ブラスト』ぉーっ!」

 ついに、土壁を重ねた防御壁にジーラ共が辿り着きはじめた。蘭堂さんは遠くの奴を狙うのをやめて、とにかく土壁前の奴を薙ぎ払うために『石砲テラ・ブラスト』で応戦。

 僕も、もう他のところに呪術を撃ってる余地はないと判断して、『赤髪括り』をけしかけて邪魔をする。

「グギョオッ!」

「ギョアっ!」

 どんどん壁を前に倒れていくジーラ。その死体はあっという間に階段に溢れ、ゲーセンのお菓子を落とすゲームみたいに、後続の奴らにちょっとずつ押し出されては、下に落っこちていく。

 けれど、奴らの数は一向に減る気配を見せない。

「ああっ、ちくしょう……盾なんか使ってんじゃねーよ、魚野郎!」

 その小賢しさに、僕も思わずキレる。

 奴ら、土壁を削る作業の仲間を守るために、死体を担いで盾にしているのだ。いや、その死体の数を生かして、土嚢のようにズンズンと手すり側に積み重ねていっている。

「桃川っ! ブラストが通らないんだけど!」

「ちっ、こっちも槍じゃないと貫通しない!」

「斧とかナイフじゃ死体に弾かれるし!」

 全身が鱗に覆われているジーラは、人間よりもやや硬い。急造の肉壁だが、こっちの攻撃の幾つかを封じるには十分な効果をもたらしている。

 ちくしょう、天道君のドラゴンブレスみたいな大爆発を起こせる火力があれば、あんなジーラの集団なんて……ええい、ないものねだりをしても仕方がない。

「蘭堂さん、先に屋上に行って。そこが最終防衛線だから、入り口を槍で囲んでから、壁をたてて」

「わ、分かった、やってみる!」

 身を翻し、蘭堂さんは塔の屋上へと向かう。その短いスカートの後ろを隠すことなく、勢いよく階段を駆け上がっていったせいで、ムチムチのお尻を覆う豹柄のパンツが――いいだろう、こんな窮地なんだから、それくらいのラッキーがあったって!

「死ねよ、オラぁ!」

「キメぇんだよ、この魚面がぁ!」

 それから土壁が破られる寸前まで、僕と野々宮さんと芳崎さんは奮戦した。といっても、五分も時間が稼げたかどうかといったところだが。

「受け継ぐは意思ではなく試練。積み重ねるは高貴ではなく宿命。選ばれぬ運命ならば、自ら足跡を刻む――『黒の血脈』」

 最後に、屋上前の階段に血を落として『腐り沼』の仕込みをしてから、僕もついに最終防衛線となる屋上へと上がった。

第100話 地底湖塔の攻防(2)

「桃川、こんなんで大丈夫かな?」

 階段を上り切り屋上へ入ると、四方からズラっと鋭い岩の槍がお出迎え。一列並べば御の字だろうと思っていたけど、岩槍はファランクスのように、角度を変えて二列も立ち並んでいる。そして、その後ろには三メートルはありそうな、立派な土の壁がそびえ立っていた。

「おお、凄い! 十分だよ、よくここまで作れたね」

「うん、何か、急に早く作れるようになったから」

 ここにきて熟練度レベルが上がるとは。やはり、実戦に勝る訓練はないということか。

「っていうか、桃川、壁登れる?」

「大丈夫、これで何とか――」

 完全に入り口周りを塞ぐように壁は立っているから、閉じ込められた形になるけれど、僕には便利な触手があるからな。

「――よっ、と。結構、難しいな」

 どうにか、よじ登ることに成功。

 黒髪縛りを利用して、壁を登ったのは初めてだ。もっと上手くスイスイと登れるかと思いきや、意外とこれが上手くいかず……高さが三メートルそこそこで良かった。五メートルくらいだったら、ダメだったかもしれない。今度、練習しておこう。

「ねぇ、これ……そろそろ、来るよね」

 ジーラ共は着々と土壁を破っているのだろう。もう、すぐそこまで奴らのやかましい鳴き声が聞こえてくる。残った壁は、あと一枚か、二枚か。

 たった四人で、この最終防衛線を支えきれるのか。一体、ここだけで何分もつ。

「……見ての通り、僕らにはもう逃げ場はない。背水の陣ってヤツだ」

 たとえ一分ももたなかったとしても、僕は後悔しない。やれることは、全部やった。そして何より、蘭堂さん、野々宮さん、芳崎さん、全員が最善を尽くしたんだ。蒼真桜の、最悪のハーレムパーティの時とは違う。

 ここまで、みんなが頑張ったんだ。だから、後悔はない。でも――

「僕はこんなところで、死にたくないし、みんなが死ぬところも見たくない。だから、頑張ろう。最後まで、諦めずに」

 そうして、ついに奴らは現れた。

「ギョアっ!」

 ついに土壁を突破してきた、最初のジーラと目が合う。槍を手に、鱗を泥で汚しつつも、その無機質な魚の目は、確かな殺意を秘めて、僕を睨んでいた。

 舐めるなよ、魚野郎。死ぬのはお前らの方だ。

「これでもくらえっ、『石矢テラ・サギタ』ぁあーっ!」

 蘭堂さんが放つ渾身の土魔法が、吠えるジーラの顔面に突き刺さった、その瞬間。


 ドゴォオオオオオオンっ!


 とんでもない爆発音と共に、塔がグラりと揺れた。

「うわあっ!?」

 何だ、と思う間もなく、爆発音は二度三度、連続的に響く。そして爆発が起こる度に、塔が身震いするように、不吉な震動に襲われる。

 立っていられないほどではないが……それでも、この土壁の上で踏ん張っていることに意味がない、いや、むしろ危険だと僕は察した。

「みんな、壁から降りて!」

 すでに危険な予感はしていたのだろう。 野々宮さんと芳崎さんは転がるように壁から飛び下りていた。二人の天職能力なら、三メートルくらいの高さから落ちるなど、なんてことないだろう。

 けど、普通の身体能力な僕は、

「桃川、待って! 高い! ウチ、降りらんないよーっ!?」

 ああ、そうだ、魔術士クラスの蘭堂さんも、身体能力強化の恩恵はないんだ。

 落ちて足をくじくくらいならいいけど、万が一、頭でも打ったら大事だ。僕と蘭堂さんが安全に降りるには……

「逃げ足を絡め取る、髪を結え――『黒髪縛り』。蘭堂さん、来て!」

 耐久性が不安だったから、フル詠唱で黒髪縛りをロープ編み。今の僕なら大丈夫だと思うけれど――

「桃川ぁーっ!」

「むおおっ!?」

 すぐに意図を察してくれたのはありがたいけれど、だからって、真正面から抱き着かれると、なんだ、この、僕の視界を塞ぐ凄い柔らかいおっぱい、おっぱいだよ、コレ!

「行くよっ!」

 身長差があるから、蘭堂さんが正面から僕を抱きしめれば、当然、僕の頭は彼女の胸元に当たるわけで。で、蘭堂さんの胸元といえば、無防備なんだか挑発してんだか分からないけれど、ブラウスの隙間から晒される褐色の深い谷間を見れば分かるように、そのバストは非常に豊かで、メイちゃんを除けばクラスで一番で、ソレが今、僕の顔面にあるわけで。

「――ぷはぁ! はっ、はぁ……走って、蘭堂さん」

「うん!」

 気が付けば、無事に床へと着地を終えていた。

 今、僕は物凄く幸せな体験をした気がするけれど、もうさっきから頭の中で生存本能がガンガンとレッドアラームを鳴らしている。一刻も早く、入り口から離れなければ――


 ズドォオオオオオオオオオオっっ!


 突如として背後から襲った灼熱の衝撃波と轟音で、僕はゴロゴロと石の屋上を転がった。

「痛っ、たぁ……」

 振り向き見れば、僕らが最終防衛線だと意気込んで待ち構えていた入り口から、巨大な火柱が立っていた。轟々と燃え盛る紅蓮は、間違いなく、塔の下からここまで、貫いていることだろう。

 つまり、塔の中にひしめいていたジーラの大群は……

「――よう、お前ら、無事だったか」

「キャァーっ! 天道くぅーん!」

「天道君、マジ助かった、ありがとぉーっ!」

 僕はよろよろと屋上の淵まで歩いて、下を覗き込めば、そこには黒焦げとなった大地と、その真ん中に堂々と立つ天道君の姿があった。

「……ありがとう、天道君。危うく死ぬところだったよ」

「ツイてたな、桃川」

 天道君に皮肉は通じない模様。ボスを倒し、ジーラを焼きつくし、一仕事終えた気分なのだろうか。彼の口には、例の煙草ワイルドセブンがくわえられていた。

「天道ぉー、ありがとねー、でも髪焦げそうになったし、もっと気を付けれ!」

「あー、悪ぃ」

 流石は蘭堂さん。堂々と天道君にクレームをつけられるのは、彼女しかいない。これで次回から、助けに入る時は気を遣ってくれればいいんだけど……

「桃川もさ、ありがと」

「僕は別に、蘭堂さんの方がMVPだよ」

 石弾での遠距離攻撃に、土壁によるバリケード。今回の戦いにおいて、最も貢献度が高いのは蘭堂さんに違いない。

「ウチは桃川の言う通りにしただけだし。多分、ウチらだけだったら、フツーに死んでたよ。や、桃川いなかったら、ジュリとマリともヨリ戻せなかったし、もっと前に死んでるわ」

 あはは、と今だからこそ、そんな風に冗談として笑えるのだ。

「ありがちな言葉だけどさ、みんなが頑張ったから、ってことだと思う。誰が欠けても、生き残れなかったよ」

「うんうん、そーだよね。でも、ウチが一番、桃川に感謝してるってのは、ホントなんだから――」

 不意に、蘭堂さんが近づいた。フワっと鼻に香るいい匂いに、ドキっとした時には、唇が重なっていた。

「んっ!?」

 え、なにこれ、キス? これが、僕が、蘭堂さんと、ありえない、なんだソレ、めっちゃ柔らかいんですけど!

「――へへっ、初めてだった?」

 ああ、サキュバスって奴がいたのなら、こんな顔で笑うに違いない。蘭堂さんの浮かべる悪戯っぽい微笑みに、僕は脳みそが溶けるかと思った。

「なっ、な、なんで……」

 夢のような時は一瞬にして過ぎ去り、僕は何が起こったのか理解してから、ようやく言葉を発した。なんとも情けない、キョドった台詞である。ええい、心臓がドクドクとうるさい。

「あ、ごめん、イヤだった?」

「い、嫌じゃない、けど……」

「けど? 彼女いるとか? 好きな子いたとか?」

「いや、彼女もいないし、別に好きな人がいるワケでも――」

「なら、いいじゃん」

 うん、いいのかもしれない。満面の笑みでそう言い切られると、心の底から納得できた。

 そうだ、いいに決まってる。ファーストキスの相手が蘭堂さんなら、一体なんの文句があるというのか。

 だいたい、付き合ってもいるワケでもないのにキスするなんて、けしからん! とかいう思想でもないだろう。だから、蘭堂さんが軽い気持ちで僕にサービスしてくれたというのなら、深い感謝の気持ちと共に、ありがたく受け入れようじゃあないか。

 えっ、蘭堂さんが僕に惚れたという可能性? ないない、そこまで期待しちゃうのは、実に愚かなことだよ。これで相手がメイちゃんだったら「うわっ、マジで僕に惚れた!?」とか思うかもしれないけど、まぁ、蘭堂さんのキャラ的に、キス如きであたふたしている僕なんて……やめよう、なんか虚しくなってくる。

 というワケで、これは素敵な思い出の一ページということにしておこう。

 そう結論づけても、ああ、ちくしょう、恥ずかしすぎて、蘭堂さんの顔、マトモに見れないんですけど!

「ねぇ、桃川、ウチさ――」

「えっ」

 蘭堂さんが何か言った、と思って視線を上げるが――何も、見えなかった。

 僕の視界は、白い……何だこれ、糸?

「――んんっ!?」

 僕は何かに捕まった。蜘蛛糸のような真っ白い粘着質な糸の束で、僕は自分が拘束されたのだとすぐに気づいたのは、『黒髪縛り』を愛用しているからこそか。

 白い糸は僕の全身を一息で覆いつくし、全く身動きがとれないまま――急に足が床から離れる。一気に空を飛んだような感覚。けど、これはただ、引き寄せられているんだ。

「桃川っ!?」

 目元に糸がかからなかったのは幸いだった。僕は凄い勢いで引っ張られていく最後の瞬間に、初めて見るほど必死な蘭堂さんの顔を見た。

「――ぐうっ!」

 二秒か三秒か。そんな浮遊感を経験した直後、固い地面にドっと体を打ちつけ、苦痛の声を漏らす。十重二十重と厚く巻きついた糸がクッションになったお蔭か、怪我をするほどではなかったけれど。

 そうして、一本釣りのように捕まった僕は、ようやく捕食者の姿を見た。

「キシシ、キシ、キシキシキシキシ」

 それは、白い糸の持ち主に相応しい、立派な蜘蛛であった。

 巨大でタランチュラのような外観だった『ルーク・スパイダー』とは異なり、背丈は人と同じ程度。だが、異様なほどに細長い八本の足と、大きく膨らんだ腹部から、そのシルエットは女郎蜘蛛に近い。黒と黄色の不気味なカラーリングも、実にそれらしい。

 けれど、蜘蛛の胴体に繋がる上半身だけは、やけに人らしい形状をしている。固そうな黒い表皮に覆われた、女性、らしきラインを描く。心なしか胸元は丸く膨らんでいるようにも見えるし、腰も細くくびれている。けれど、同じく真っ黒い表皮を被った頭は、赤く輝く八つの目と、大きく裂ける口元と鋭い鋏角を備えて、実に化け物然としていた。

 蜘蛛の下半身に人の上半身を持つアラクネって、大抵は人の部分が美人のお姉さんじゃないのかよ――そんな筋違いの不満を抱いたところで、僕の視界は再度吹きつけられた蜘蛛糸によって、完全に潰されたのだった。

 目も見えない。体も動かない。仲間とは一気に引き離されて、レムさえ傍にいない。

 あれ、もしかして僕、ここでゲームオーバー?

「……っ!?」

 その瞬間、雷に撃たれたような衝撃と鋭い痛みが全身を駆け抜ける。ああ、噛まれたんだ。そう認識したものの、あまりの痛みに、僕の意識はもう――

第101話 追跡者

「桃川っ! 桃川ぁーっ!」

「無駄だ、蘭堂、もう諦めろ」

 蜘蛛のような魔物に、一瞬の内に桃川小太郎を攫われて、天道龍一を除く一同は大騒ぎになった。

 ピンチになってもどこか能天気な蘭堂杏子も、初めて見るほど大泣きに泣いて取り乱している。ジュリアとマリアも攫われた桃川を慌てて追いかけようとするが……魔物が現れたのは、遥か頭上の天井付近に開いた穴。塔の屋上からでも、天井までは何十メートルもある。この地底湖の地形では、天井の穴へと逃れた魔物を追うのは不可能だと、一目で分かるだろう。

 レム、と小太郎が呼んでいるスケルトンの使い魔も、主人を追うための道が見つからず、キョロキョロとしているだけ。動くに、動きようがなかった。

「ふざけんなっ、天道! 桃川は――」

「見ただろう、アイツは魔物にやられた」

 凄まじい剣幕で怒鳴る杏子に対し、龍一はどこまでも冷静に事実をつきつける。

「まだ生きてる! 死んでない、桃川は絶対、まだ生きてるって!」

「今すぐ追いつくなら、助けられるかもな」

 蜘蛛が消えた天井の穴へ、辿り着く方法がない。

 どこかしら繋がっているダンジョンの構造を考えれば、他の道から入れば、いつかは合流できるかもしれないが……そんな探索を行って、桃川を救出できる可能性はどれだけあるか。

 彼を攫ったのは、身代金目的の誘拐犯ではなく、単に捕食行動をしている自然の魔物だ。桃川が餌として捕まった以上、長時間、彼を生かしておく道理はどこにもない。すでに、頭から齧りつかれていても、おかしくはないのだ。

「いいか、蘭堂。俺達には、アイツを見つける方法も、助け出す時間もねぇんだ」

 天道龍一は強い。魔物を喰らい、その身体能力もスキルも相当なレベルに達しつつあるが……空は飛べないし、千里眼を持っているわけでもない。現状、打つ手がないのは誰の目にも明らかなのだ。

「杏子……天道君の言う通りだよ」

「アタシらじゃ、桃川を助けには行けないんだよ」

 ジュリアとマリアも事実を悟り、後はもう感情を抑えきれない杏子の説得をするのだった。

「でも、だって……ウチ、桃川のこと……」

 簡単に、諦められることではない。特に杏子のような情に厚い人間ほど、誰かを失うことは耐えがたい悲しみである。

「大丈夫、大丈夫だよ、杏子」

「そうだよ、桃川はアレでしぶといから、一人でも何とかするって」

 嘘でも誤魔化しでも、ありえない希望に縋るより他はない。そうでも思わなければ、頭が、心が、どうにかなってしまう。

「そうか、お前は行くんだな」

「グガガ」

 ようやく、泣きわめく杏子が落ち着いた頃、レムが再起動した。どうやら、天井の穴ではなく、別のルートを行くことを決めたようだ。

 言葉の喋れないレムだが、何故だか龍一は彼、あるいは彼女、の意思を理解しているようだった。

「コイツは餞別だ、もって行け」

「ガ」

 龍一が『宝物庫』の黄金の魔法陣から取り出したのは、一つの髑髏。ダンジョンにいくらでもいるスケルトンの頭のように見えるが……それは、本物の人間の頭蓋骨であった。

 そう、これは『召喚士』としてドラゴンをけしかけ龍一を殺そうとして、返り討ちに遭った、二年七組の男子クラス委員長、東真一のモノである。

 何を思って龍一がこれを託したのか、レムには分からない。だが、必要なモノだと分かっているように、この不吉なクラスメイトの頭蓋骨を受け取った。

「じゃあ、私もコレあげる」

「持ってきなよ、武器がないと困るでしょ」

 これから桃川を追うレムへ、ジュリアとマリアはそれぞれ自らの武器を与えた。どちらも、それなりの品質の槍と斧だ。今のレムのスペックであれば、槍も斧も十分に使いこなすことができる。

「グガ、ガガガ」

「いいって、私らは適当に調達するし」

「遠慮しないで持ってきな」

 言ってることは全く分からないが、二人は笑って、それっぽい適当な言葉を返してあげた。これでもレムは、一緒に地底湖塔の死闘を潜り抜けた仲間だから。

「杏子はいいの?」

「何か持たせてあげなって」

「えっ……ウチ、役に立ちそうなモノ、何も持ってないんだけど……」

 魔術士の杏子はこれといった武装はない。小太郎にいざという時のためにと、押し付けられるように持たされたサブウエポンのナイフくらい。小太郎もレムも杏子のより良い品質のナイフをすでに所持しているから、これを託す意味はないだろう。

 良いモノがないかと鞄を漁る杏子は、

「んー、じゃあ、コレ!」

 何かを掴むと、一瞬の内にレムの持つリュックへと突っ込んだ。

「えっ、杏子、今のなに?」

「何あげたのよ?」

「……秘密。見たら殺す」

 珍しくも、頬を染めて恥らう杏子は、相当なモノをレムへ託したようだった。

「ガガ、グガガッ!」

 そうして、メンバーからそれぞれの餞別を持ち、レムはご主人様探索の旅へと出発した。

「元気でなーっ!」

「頑張りなよーっ!」

「桃川のこと、頼んだからね! 絶対、助けてよ!」

 声援を骨の背中に受けながら、レムは地底湖から伸びる、どこに続くとも知れない洞窟の一つへと走り去って行った。

「それじゃあ、俺らもさっさと行くぞ」

「むぅー、天道、なんか冷たくない?」

「やれることはやっただろ。それに、桃川が生きていりゃあ、先に進めばいつかは合流できる」

「まぁ、そうだけどさー」

 桃川を失った四人は、今度こそ本来の目的通り、転移で先に進むべく、地面の魔法陣へと集まった。

「スーハー」

 魔物の息遣い、のようなモノを、全員が聞いた。

 ついさっき、桃川が蜘蛛に襲われたばかり。再び、魔物がここへ現れてもおかしくない。

 杏子含め、すでに死線を潜り抜けてきた四人の反応は鋭い。

 ジュリマリはその辺から回収したジーラの武器を手に、音が聞こえた方向へ油断なく構える。杏子も瞬時に石の弾丸を撃ち出せるよう、腕を向ける。

 龍一だけは、ポケットに手を突っ込んだままの体勢だが、鋭い注意は向いていた。

 全員が注目する中、ソレは現れた。

「クンカクンカ、スーハー」

 犯人を追う警察犬のように、いや、地面に生えるキノコでも探す豚のように、荒い鼻息を立てながら、のっそりと四足歩行の魔物が――

「クンカクンカ……匂うぅ、にぃーおぉーうぅーぞぉー」

 魔物が喋った。

 否、それは、人だった。

「んあぁーっ! 匂うぞぉおおおっ! この芳しい香りはぁー、紛れもなく、マイハニーのモノっ!」

 地面を這うような四足から、意味不明な絶叫を上げて二足で立ち上がった男は、確かに、白嶺学園の男子制服を着ている。

 大きくもない身長に、ぶくぶくと横にだけ太った、醜い体型。耳が汚れる様なダミ声を喚きながら、その男子生徒はノシノシと歩いて、魔法陣のある地底湖の島へと乗り込んできた。

「お前……横道か」

「ああ!? なんだぁ、テメぇは――うげえっ、天道!?」

 向かい合う、天道龍一と横道一。

 いわゆるクラスカースト、というのを如実に表すかのように、冷めた目の龍一に対し、横道はあからさまに動揺した気配。

 だがしかし、ここはもう平和な学園の教室ではなく、魔物が跋扈する異世界ダンジョン。曲がりなりにも、この場所を踏破してきた経験が、横道を奮い立たせる。

 そう、最強の不良生徒と呼ばれる天道龍一を恐れる理由は、横道にはもうどこにもないのだ。

「へっ、へ……うぇへへへ! 天道ぉ、お前ぇ、天道龍一かよぉーっ!」

「随分と上機嫌じゃねぇか。そんなに俺に会いたかったか?」

「テメーみてぇなクソDQN野郎に会いたいワケねーだろが!」

 クラスでは絶対に言えない、龍一に対する罵倒も、今の横道は平気で口にする。もっとも、本人は罵倒そのものには何ら気にする様子はない。

 注目すべきは、横道の出で立ちであろう。

「ねぇ、横道なんかヤバくない?」

「あー、アレ、ヤバいわ」

 これまで真っ当に天職『騎士』『戦士』として戦い、成長してきたジュリマリコンビは、揃って横道の発する異様な気配を察した。

「うん、ヤバい、アイツ絶対水浴びしてないじゃん」

 一方、つい最近ようやく『土魔術士』として活動しはじめたばかりの杏子は、横道の酷く汚れた姿から、激しい異臭がしそうという感想しか抱けなかった。

「悪ぃな、ここのボスならさっき倒した。次が出てくるまで待つか、別の道を行け」

「はぁああーっ!? 俺を一緒に連れていくっていう選択肢はなしですかぁーっ! おいおいおぉーい、折角クラスメイトと会ったってのにハナから助ける気ゼロかよオーイ!」

「いや、だってお前臭そうだし」

 割と本気で嫌そうに顔をしかめる龍一。すでに、五感も鋭くなっているから、距離を置いても横道の汚れた体と学ランから放たれる異臭と腐臭を鼻が感じ取ってしまう。

「て、てっ、てんめぇ天道ぉーっ! 人のこと平気で臭いとか言うなぁ! 言われた方は傷つくんだぞ、意外なほど傷つくんだぞ臭いって言葉はよぉーっ!」

 うっかりトラウマでも刺激してしまったのか、口角泡を飛ばしてマジ反論の横道に、龍一は頼むからもうその臭い大口を開かないでくれとうんざりした表情。

「分かった、もういいから失せろ。お前のことは見なかったことにしといてやるから」

「ちょっ、待てコラぁ! なに勝手に話終わらそうとしてんだよ! こっちの用件は済んでねーぞコラぁ!」

「ほら、お前らさっさと集まれ、転移するぞー」

「おおぉーい! 待て待て待てーっ! 無視すんな! シカトすんな! お前らイジメだぞソレ、イジメカッコ悪い!?」

 本当に全員が横道の登場を見なかったことにしたいのか、龍一の言う通り魔法陣に集まり、地底湖に響き渡る虚しい叫びを全力スルーである。

 この横道の姿と態度を目にすれば、誰だって仲間に加えたいとは思わない。そもそも、関わり合いになりたくない。非常時だから助け合うとか、過酷なサバイバルだから見捨てるとか、それ以前の問題であった。

 お近づきになるのが生理的に無理な人は、黙って距離をとられるに決まっている。

 故に、横道が彼らを引き留めるのに必要なのは、言葉ではなく、力でしかありえない。

「くぅおぉんのぉ、テメーら、揃いも揃っていつものクラスみてぇに俺のことをシカトこきやがってぇ! 調子に乗ってんじゃねぇぞ、クソDQNとクソビッチども――があっ!」

 罵声と共に、横道の口から何かが吐き出される。魔法で放った水のボールのようなモノだが、それが小便のように黄色く濁っていることから、毒物か汚物、あるいは両方のイメージを瞬時に抱かせる。


捕食スキル

『麻痺毒液』:触れると中度の麻痺状態になる毒液を精製する。舌の毒腺が発達し、分泌量が増加。


 突然のブレス攻撃だが、速度はそれほどでもない。すでにして鋭い感覚と素早い脚力を持つジュリアとマリアは咄嗟にその場を飛び退く。

 だが、魔術士クラスの杏子はそこまで素早い回避行動は無理だった。しかし、一歩も動かずに立つのは、彼女だけでなく、龍一もまた同じであった。

「ちっ、汚ねぇな」

 つぶやくと同時に現れたのは、水の壁であった。突如として地面から噴き出したように、波打つ水流は数メートル四方の水の壁と化して、龍一とその後ろに立つ杏子を守るように突き立った。

 直後、横道の汚物ブレスが水壁に着弾。そこに秘められていた麻痺毒と強烈なアンモニア臭を、波打つ水の防壁は全て洗い流すかのように防ぎきった。

「はあぁ!? なんだよクソ、水魔法かオイ!」

「ああ、さっき使えるようになった」

 地底湖のボスだった巨大ワニ型リザードマンは、その巨躯を生かした物理攻撃だけでなく、水流操作を中心とした水魔法も行使していた。


捕食スキル

『アクア・マギア』:水属性の下級魔法を全て行使できる。


 喰らえば、水魔法のスキルが獲得できるのは当然である。

「へっ、けど、水魔法かぁ! ふへっ、ふひひ……あの天道がよりによって『水魔術士』かよ」

「はぁ?」

 どうやら、龍一の水壁を見て、天職が『水魔術士』だと判断したようである。

 あまりに短絡的な判断であり、どうしようもなく間違っているが、それをあえて指摘してやる義理はない。

「ぶへへ、馬鹿が、この異世界は天職で強さが決まるんだっての。『水魔術士』なんてモブみてぇなクソ天職で調子に乗ってるとか、ブフッ、マジで笑えるぜ天道ぉ! やっぱDQNってホンマモンのアホですわ!」

 高笑いを上げる横道。

 龍一は「やれやれ」と面倒くさそうに溜息をついてから、言い放った。

「おい、やるんなら、さっさとかかって来い」

「お? おおぉ? やんの? やっちゃうの? クソザコ確定な水魔術士の天道くんが、この主人公補正全開の最強チート天職持ちの俺とやろうってんのぉ!?」

「お前らは塔のとこまで下がってろ。危ないっつーか、多分、汚い」

 かすかに、だが確かに龍一の体から、戦意としか言いようのない気配が発せられたのを、ジュリアとマリアは感じた。

「えー、横道やめなって、天道めっちゃ強いよ。いいから逃げとけって」

 しかし、いまだ戦いの気配に鈍感な杏子は、純粋な優しさ故にそんな心からの注意を発してしまった。

「うわっ、バカ!?」

「ちょっと杏子、ソレはっ!」

 慌ててジュリマリコンビが止めに入り、自分の失言に気づかない杏子をそのまま引きずるように塔へと向かう。

 そして、彼女の優しさに気づけるはずもなく、案の定――

「な……なっ……舐めてんじゃねぇぞクソアマがぁあああっ!」

 横道は激怒した。

第102話 天道VS横道

 横道は激怒した。

「テメぇらはいつまでクラスカースト頂点のつもりだよ、このカスが! いいかぁ、この異世界では俺が主人公なんだ、お前らみたいなテンプレDQNキャラはいいからさっさと蹂躙されとけよ! っつーか、今やる、俺が蹂躙する、復讐タイムキタコレ! 蘭堂ぉ、テメぇのバカみたいにデケぇ爆乳をぉおおおっ、喰い千切ってやるぜぇあああああああああああっ!」

 狂ったような絶叫と共に吐き出されたのは、矢のように飛んでゆく、長い舌であった。人間のモノではない。カエルのように長い舌は真っ直ぐ伸び、塔へ退避しつつある杏子の体へと迫る。

 舌の先端は拳大に膨らんでおり、そこから無数の棘が生えている。黄色くヌメっているのはただの唾液ではなく、麻痺毒液。肌に触れれば、たちどころに身体能力に影響を及ぼす。

 あるいは麻痺の効果よりも、横道が繰り出す異形の舌で舐められる、生理的嫌悪感の方が人にとっては重大な影響かもしれない。

 物理的にも精神的にも毒である、魔物のカエルの舌は狙い違わず杏子の体へ――

「お前の相手は俺だ。間違えんなよ」

 射られた矢を掴むような早業で、龍一の右手は飛んでゆく舌先を掴んでいた。

「ンギィッ! いっ、いっでぇーっ!?」

 舌が容赦なく握り潰されそうになる、その寸前でヌメりを利用して手から脱することに成功。どうにか、双葉芽衣子にやられた時の二の舞にならずに済んだ。

「このぉ、いきなりヒデぇことしやがる! 舌はデリケートなんだぞぉ!」

「ちっ、いきなり汚れちまった。素手じゃなくて、良かったぜ」

 軽く手を振って、指先についた毒の唾液を飛ばす龍一。その右手には、いつの間にか黒い手甲が装着されていた。

「んあぁ? なんだよ、その手は、ガントレットかよ!」

「さぁな。コイツも、最近出せるようになったばかりのもんだから、俺もよく分かんねぇ」


 継承スキル

『王鎧』:王に相応しい鎧を拵える。


 どうやら、『王剣』の鎧バージョンらしいことは、すぐに分かった。強いて違いをあげるとするなら、素材の質をそのまま反映する『王剣』とは異なり、『王鎧』は最初から黒い金属製の装甲が形成されるという点だろう。

 それと、スキルが成長しなければ、全身を覆うまで鎧は作り出せない。まだ習得したばかり、具体的には、小太郎が杏子を連れ回してレベルアップに明け暮れていた頃、広場でゴロゴロしている内にいつの間にか授かっていた。

 特にキッカケもなく得た新たな継承スキルだが……この鎧はなかなかに強力である。まだ右手の肘までしか形成できないが、それでも拳一つで、地底湖ボスである大ワニの一番厚い甲殻を叩き割れるほどだ。

「ちいっ、防具なんか使ってんじゃねーぞチキン野郎が!」

「しょうがねーだろ、ちょっとお前は素手で殴りたくねぇからな」

 ここまで汚らしい風体の相手と喧嘩をするのは、いくら天道でも初めての経験である。特に潔癖というほどではないが、誰だってクソした後の便器に触れたいとは思わない。

 今の横道は、あのゴーマの方がまだ清潔感のあるファッションしてると思えるほどに、酷い姿である。

「人のことを汚物扱いしやがってぇ……そぉーゆうナチュラルな差別がイジメってのを引き起こすんだよこの社会のゴミクズがぁーっ!」

 我が身を省みることなく、もっともらしいことを叫びながら、横道の怒りはさらにヒートアップしていく。いよいよ本気で殺意を抱いたのか、背負った大剣の柄に手をかける。

 急激な前傾姿勢は大猪を彷彿とさせ、次の瞬間には爆発的な猛ダッシュで駆けてくると予想できた。いや、恐らく横道の突進は予測以上のモノとなる。

 短く太い両足だが、筋肉が膨れ上がったように太さを増し、さらに足の裏からは本物の大猪の蹄が現れていた。上靴を履いているように見えたが、どうやらゴムの靴底はとっくに抜けてしまっていたようだ。

「今こそ俺はぁ、このクラスカーストという腐った制度に反旗を翻すぅ! かぁ、くぅ、ごぉ、しやがれ天道ぉおおおおおおおおおおおおおっ!」

 ドン、と足元の地面が爆ぜると共に、凄まじい速度で横道が走り出した。丸い体が一直線に疾走してくる姿は、さながら砲弾。

 そして、人間大砲な勢いで迫る横道を前に、天道はピクリと眉をひそめた。

「やっぱ殴れるほど近づきたくもねーわ」

 漆黒のガントレットを纏う右手に、俄かに炎が灯る。掌の上に形成された拳大の火球は、軽く放り投げる様な動作とは裏腹に、200キロの剛速球を繰りだすピッチングマシンが投げたような速度でもって放たれた。

「はぁ、火ぃっ!? なんでっ、ナンデ火ぃいいいいいいいいいいいいいいいっ!」

 火球が直撃し、絶叫を上げながら火だるまとなって横道は転がる。

「熱っちぃいいい! 熱っ、アッツァアアアアアアアッ!」

「なんだ、意外と元気じゃねーか」

 全身火傷で死亡確実と思えるほど、激しい炎に全身が包まれながらも、地面を転がり回る横道はリアクション芸人のように威勢よく声を上げ続けていた。

 そうして、その内に炎は消えて、一見すると黒焦げになったように思える姿だったが、

「熱っちいだろこの馬鹿! 火耐性スキルなかったら死んでるわぁ!」

 ガバリ、と勢いよく起き上がった横道は、黒こげになった学ランを脱ぎ捨てる。激しい炎によって原型をとどめぬほどボロボロとなった学ランだが、その下から現れたのは横道のたるんだ体ではなく、赤とオレンジと黄色のグラデーションを描く毛皮であった。

「随分と立派な毛皮を着こんでるじゃねーか。いや、着てるんじゃなくて、生えてんのかよ、ソレ」

 火の粉を噴く赤い犬の魔物と同じ毛皮と思われるが、横道が纏うのはソレを材料にしたコートではなく、間違いなくその体から直接生えていた。

 魔法でもなければ、武技でもない。強いて近いものを上げるのなら、素材を取り込んで形状を変化させてゆく、小太郎の泥人形レムであろうか。

「ぶふっ、ぶへへぇ……そうさぁ、コレが俺に与えられた最強の力、喰らった魔物の力を奪う『スキルイーター』だ!」

「喰らった魔物の力を奪う、か……はっ、どっかで聞いたような能力だな」

「そうさぁ、主人公に与えられるテンプレ能力だっ、けっ、どっ! リアルでこの力を得た俺は世界最強のオンリーワン! チート無双でハーレム王に、俺はなる!」

「あー分かった、分かった、それじゃあ世界最強のハーレム王さんよ、さっさとかかって来い」

 喧嘩はまだ、終わっていない。むしろ、ここからが本番。

 炎の魔法を耐えてみせた横道だ。どうやら、倒すにはいよいよ接近戦をするしない。汚いのは嫌だが……それでも、コイツと戦り合うのは楽しそうだと、ようやく気が乗って来たところだ。

「イキってんじゃねぇぞ、天道ぉ! 俺が喰らってきた真の力っ、見せてやるぜぇえええぁあああああああああああああっ!」

 叫びながら、大きくバンザイをするような格好の横道。すると、メキメキと音を立てて、毛皮に覆われた背中から、まるで翼でも生えていくかのように、急激に盛り上がっていく。

 毛皮を割き、少しばかりの血飛沫を上げて背中より飛び出してきたのは、一対の腕。

 右は、鋼の甲殻を持つ野太い腕。ナイフのように大きく鋭い爪が並んだ、鎧熊の腕である。

 左は、鮮やかな緑色の細腕。しかし、その肘関節から先は、鋭利な大鎌と化す、ナイトマンティスの腕だ。

 人間でありながら、毛皮に覆われ、背中から鎧熊とナイトマンティスの腕を生やし、合わせて四本腕と化した横道は、最早、魔物と呼ぶべき姿であった。

「へぇ、意外と似合ってるじゃねーの。教室で寝たフリしてるお前より、今の方がカッコいいぜ?」

「ぬわぁあああああああっ! 俺の孤高をぉ、馬鹿にしてんじゃあぁねぇぞぉ、天道ぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 さりげなくクラスでの振る舞いをディスられたことで、さらに横道の怒りが燃えあがる。再び両足はパンプアップされ、爆発的な勢いで天道へと飛び掛かって行く。

 今度は、火球に正面からぶつかっても、そのまま突っ切ってこれるだけの勢いがあると、天道は察した。

「死ぃ、ねぇ、やぁ――『大一閃ハイスラッシュ』ぅうううううっ!」

 猛ダッシュから大ジャンプ、人の両腕で握った大剣は大上段の構えから、必殺の武技が解き放たれる。そのスピード、パワー、たとえなまくらの剣であったとしても、人間を縦に真っ二つにするだけの威力を秘めていることは明らか。

「――出ろ、『王剣』」

 横道の必殺『大一閃ハイスラッシュ』を、黄金の輝きと共に虚空から引き抜かれた、真紅の大剣が受けた。

 衝突、刹那、激しく散る火花。

 しかし、火竜を征して得た王剣を握る天道の体は揺らがない。両手持ちで武技を放った横道に対し、天道は抜刀した格好のまま、右手一本だけで剣を握っている状態であった。

「デブなだけあって、重いな」

「ぐっ、く、クソがぁ、片手で止めて調子乗ってんじゃねぇぞぉ、コラぁっ!」

 渾身の武技をあっさり受け止められたことに、正直、かなり動揺はする。

 だが、今の横道は剣一本を頼りにする剣士ではない。人の体の制約を越えて、さらに二本の魔物の腕を持つ横道にとって、剣術と武技など、自身の戦闘能力のごく一部に過ぎない。

 剣を止めた格好の天道。すかさず、そこに鎧熊の爪とナイトマンティスの大鎌を叩き込む。

「おっと、流石に四本腕となると、迫力が違うな」

 素早く身を翻し、王剣を両手で握った天道は、合わせて四本の腕から繰り出される攻撃を的確に弾いた。

 横道が持つ大剣よりも、さらに刃が大きく、幅も広い、重厚かつ長大な王剣だが、天道はそんな大型武器を軽々と振り回す。

「ちっ、いっ、喰らいやがれ!」

「この程度の早さと手数じゃあ、喰らってやれねーな」

 大剣と爪と鎌、三つの武器が一人の相手から同時に繰り出される、嵐のような連撃を前にしても、天道は涼しい顔のまま。

 横道は自分の能力を十分に活かしている。熊とカマキリの腕も、自由自在に動かし、まるで最初からある本物の自分の腕であるかのようだ。大剣による太刀筋も、なかなかに鋭い。天道でも、生身で直撃すれば容易に肉も骨も断ち切るだろう。

「くそっ、当たれっ、オラっ! オラオラオラオラっ!」

「おいおい、速さばっかに集中してっと、パワーが落ちるぜ」

 横道の力は脅威に値する。だが。恐れる必要はない。

 なぜなら、その攻撃は実に単調。武技といっても、所詮は決まったモーションでのみ、威力が上がるだけの大技。モノによっては、溜めさえ必要とする。横道の攻撃を見切ることは、天道にとっては容易いことだった。

 こういうヤツを相手にすると、改めて、剣術という技を修めている、蒼真悠斗の強さを実感する。

「はああっ!? おい、今の絶対当たっただろ!」

「さぁな、残像でも斬ったんじゃねぇのか?」

 剣と爪と鎌で、嵐のような猛攻をしかける横道だが、天道はどこまでも余裕の表情で攻撃を捌き続ける。

 横道は人間離れした姿に見合った、凄まじい力がある。しかし、そこに技はない。ただ真っ直ぐ、どこまでも正直に、狙った場所へ、狙った通りに攻撃がくるだけ。動作の隠蔽やフェイントなど、そういった駆け引きが一切なければ、あとはもう、反射神経とそれについてくるだけの体があれば、避けられない道理はない。

「お前は、この辺が限界か――」

 その時、防御と回避に徹して、一方的に攻撃を受けるがままだった天道が、初めて剣を振るった。

 武技でも何でもない、横薙ぎの一閃。

「んあっ?」

 しかし、輝く真紅の軌跡を残す斬撃は、横道が生やす熊とカマキリの両腕を、肘から断ち切っていた。

「あぁああああああああああっ! う、腕ぇ!? 俺の腕がぁああああああああっ!?」

「いや、お前の腕じゃあねーだろ」

 果たして生やした魔物の腕に神経は通っているのかどうか、よく分からないが、一瞬の内に二本の腕が飛んでショックを受けているらしい横道へ、天道はツッコミ代わりに蹴りを叩き込む。

 軽く放った回し蹴りは、横道の脇腹に直撃。

「んぎぃいいああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 横道はたまらず、地底湖いっぱいに響くほどの大絶叫をあげながら、その場に倒れてもんどりうった。

「痛がりすぎだろ。体は脆いのか?」

「い、い、いっ、痛ぇ……イデェよぉ……ち、ぢくしょぉ……折角、治りかけ、だったのにぃ……」

 不運にも、そこは最近ようやく塞がりつつあった、小太郎の呪いの傷を受けた箇所であった。

「古傷か、悪ぃな」

 悲痛なほどの呻きをあげながら、さめざめと涙を流してマジ泣きの横道に、天道は冷たく声をかける。

「まぁ、結構楽しめたぜ」

 すでに、戦いは終わったとでも言うように王剣を黄金の粒子に変えて消えてゆく。

「ぜぇ……はぁ……く、くそぉ……この傷がなけりゃあ、お、お前なんて、俺の本当の力で――」

「じゃあな、横道。たまには水浴びくらいしろよ」

 最早、言葉を交わすつもりもないと、一方的に天道はトドメの蹴りを放った。長い足から繰り出される、華麗かつ強烈な回し蹴りは情け容赦なく、古傷が開いて血が滲む脇腹に再度クリティカルヒットした。

「いぃいいぎゃあああああああああああああああああ!」

 壮絶な悲鳴を上げながら、横道の丸い体が吹っ飛んで行く。100キロ近い肥満体だが、超人的な脚力による回し蹴りで軽々と五メートルは宙を舞い、さらに勢いのままに地面を転がり――ドボーン! と、激しい水音を立てて、地底湖へと落ちて行った。

「天道くーん、終わったの?」

「ってか、横道、死んだの?」

 戦いの終りを察して、塔に一時避難していたジュリアとマリアが戻ってくる。杏子はまだ入り口の辺りで、警戒していた。

「さぁな、根性がありゃあ、生きてるだろ」

 龍一が横道にトドメを刺さなかったのは、彼にとってこの戦いはちょっとばかり激しい喧嘩であって、何が何でも命を奪わなければいけない殺し合い、ではないからだ。

 せめて男子クラス委員長の『召喚士』東真一が使役したドラゴンほどの戦闘能力がなければ、確実にトドメを刺そうと思えるほどの危機感は覚えない。かといって、こちらを本気で殺そうと襲いかかって来た相手ではあるから、倒すにあたっても命は奪わないよう配慮してやる義理もない。

 これで死んだなら、横道はそれまでの男だったということ。今の龍一にとっては、この敗北を糧に、更なる力を得てリベンジに来てくれる方が、喧嘩のし甲斐があるとさえ思えた。

「それじゃあ、行くぞ。もう変な邪魔が入んねー内にな」

 この地底湖では、ボス以外に大量のジーラに攻められたり、蜘蛛の魔物に小太郎が攫われたり、横道が喧嘩をふっかけてきたりと、イレギュラーが多すぎた。流石の天道も、これ以上の突発イベントは勘弁してくれと、やや疲れた表情である。

 そして、それはジュリアとマリアも、転移するために魔法陣へとトボトボ歩いてきた杏子も全く同じ。

 むしろ、彼女達の方が疲労感は色濃い。特に杏子はジーラとの激しい戦いを経たせいか、否、彼女の心残りは、初めて失った仲間についてのみであろう。

「桃川……ごめんね……」

 天道が掲げるコアによって、適切に発動した魔法陣が輝く中、杏子のつぶやきだけを残して、彼らは転移の光の中へと消えて行った。

「――ぶはぁ! はぁー、ああぁー、しぃ、死ぬかと思ったじゃねぇかクソ、天道テメぇこら、よくもやりやがったなぁーっ!」

 すっかり転移を終えた後、地底湖の水面から横道が這い上がって来た。

 全身ずぶ濡れなのは当たり前、だが、すでにその体から魔物の腕も毛皮も消えており、姿は素の人間のもの。

 しかし、すでに学ランはなく、湖から這い上がる途中でズボンも靴も脱ぎ捨てた結果、横道はほぼ裸。唯一残る衣類は、股間を覆う黄ばんだブリーフ一枚きり。

 人の姿ではあるものの、実に変態的な格好へと成り下がっていた。

「って、いねーのかよ! くっそぉ、天道の野郎ぉ、さっさと転移して勝ち逃げ気分かよぉ!」

 どれほど鼻息荒く憤ったとしても、すでに当事者が存在しない以上、どこまでも虚しく横道の叫びは地底湖に響くのみ。流石に八つ当たりのしようもなければ、怒りの発露も長続きはしない。

「ちいっ、仕方ねぇ、今日のところは見逃しといてやるぜ。命拾いしたな、天道」

 とりあえず、そういうことにしておいた。

「それにしても、あの野郎ただの『水魔術士』じゃねぇのかよ、騙しやがって」

 天道は最初に水の壁を作る魔法を使い、次に炎の魔法を放ち、最後には赤い大剣を取り出しては、自分と真っ向から切り合いをした。天職『戦士』の初期スキルを引き継ぎ、今や数多の魔物の力を取り込んだ自分の力は、接近戦でも負けないパワーとスピードを誇ると思っていたが、天道はかなりの余裕を持ってこちらの攻撃を凌いでみせた。

 天道が持つ水と炎の魔法、そして大剣による近接戦闘能力。その力は、現実として認めざるを得ない。

「剣も魔法も使えるってことは……なるほど、奴の本当の天職は『魔法剣士』だな」

 何もないところから、赤い大剣を取り出したのも、いわゆる一つの空間魔法とか、そのテの類だとアタリをつける。

「ちっ、アイテムインベントリーとか、便利な魔法もらいやがって……許せねぇ、復讐されるだけのクソDQNキャラのくせに、俺が持ってねぇチートがあるなんて!」

 この異世界で、チート能力持ちは自分一人だけ。その思考は最早、たんなる希望を通り越した、信仰とさえ呼べるほどの強烈な思念と化している。

「へっ、へへ……まぁ、いいか。チートはチートでも、俺は成長チートだから、要するにコレはあれだろ、強敵DQNキャラをぶっ殺して、更なる高みへ登る的な展開だな。今回のは負け確のイベントバトルってことだろ?」

 強力な能力を持つ誰かがいるということは、すなわち、ソレを自分のモノにできるということでもある。強敵の出現は、能力を喰らう、眷属『食人鬼』にとっては脅威であると同時に美味しい獲物でもあるのだ。

「最近は大した能力も喰らってねぇからな。あの天道を殺りゃあ、しばらくは最強……はっ、ってことは、男を食わなきゃなんねぇってことか!? うわー、マジかよ萎えるーグルメの俺が男肉とかマジありえないんだぜー」

 食人へのこだわりをのたまいながら、しばらく独り言が続く横道だったが、ふとした拍子に当初の目的を思い出す。

「っと、そうだ、あんなクソDQNのことより、小太郎きゅんの匂いを追わなければ」

 急にキリっとした表情で気持ちの悪いことを言いながら、横道はこの地底湖へ現れた時と同じように、手をついた四足となって、豚の様な鼻を地面に近づけた。

「くっそぉ、派手にバトったせいで匂いが消えかけ……むむっ、こ、これはぁ!」

 ドタドタと四足歩行のまま、かすかな臭いを辿って横道は地を這うように駆けてゆくと、そこには、一本の槍が落ちていた。

「クンカクンカ……うーん、これは間違いねェ」

 何の変哲もない鉄の槍、だが、どうやらコレは小太郎が使っていたモノらしい。恐らく、自分の脇腹を刺したのと、同じ槍。

 そんな因縁のついた槍を、上から下まで舐めるように鼻をつけて嗅ぎまわると――ベロリ、と本当に横道は舐めた。

「ふへへっ、コイツは小太郎きゅんの味だぜぇーっ!」

 ベロベロと長い舌を振り乱し、絡ませ、恐らく小太郎が握っていただろう柄の部分を味わう。当然、味など錆臭い鉄でしかないのだが、ほんの僅かに小太郎の匂いが残っているというだけで、横道を狂わせる。

 地面に落ちて土や砂がついているにも関わらず、横道は一心不乱に柄を舐めまわし、小太郎の血を口にしたあの時の快楽を思い出してはもだえる。言葉にならない奇声をあげながら、横道は槍を思う様に涎でドロドロにし、ついでに、酸を吐く赤い蟻の魔物を喰らって獲得した酸性の唾液で槍が溶けるまで、その奇行は続いた。

「ぜぇ……はぁ……あー、堪んねぇ……喰いてぇ、小太郎きゅんを喰いてぇよぉ……」

 酸で溶け落ち原型を留めぬ槍を放り投げ、横道はクスリでもキメたように虚ろな顔と覚束ない足取りで、ゆっくりと歩き出す。

「あぁ……腹ぁ、減ったなぁ……」

 そうして、餓えに狂った『食人鬼』は、さらにダンジョンの奥地へと進んでゆくのだった。

白嶺学園二年七組出席簿 3

 白嶺学園二年七組・出席簿・四十一名


 男子・二十二名


出席番号1番 死亡 東真一アヅマシンイチ『召喚士』 男子クラス委員長

 天道龍一と戦い死亡。


出席番号2番 死亡 伊藤誠二イトウセイジ『盗賊』

 オルトロス戦にて死亡。


出席番号3番・上田洋平ウエダヨウヘイ・弓道部


出席番号4番・大山大輔オオヤマダイスケ・空手部


出席番号5番 死亡 高坂宏樹コウサカヒロキ『騎士』 サッカー部

 妖刀使いのボスゴーマ戦にて死亡。


出席番号6番 死亡 斉藤勝サイトウマサル・『戦士』弓道部

 樋口恭弥により殺害。


出席番号7番・桜井遠矢サクライトオヤ・弓道部


出席番号8番 死亡 佐藤裕也サトウユウヤ『風魔術士』

 樋口恭弥により殺害。


出席番号9番・下川淳之介シモカワジュンノスケ


出席番号10番・杉野貴志スギノタカシ・柔道部


出席番号11番・蒼真悠斗ソウマユウト『勇者』 剣道部


出席番号12番 死亡 高島雄大タカシマユウダイ・野球部

 森の中で怪死。


出席番号13番・天道龍一テンドウリュウイチ『王』


出席番号14番・中井将太ナカイショウタ


出席番号15番・中嶋陽真ナカジマハルマ・美術部


出席番号16番・葉山理月ハヤマリライト・バスケ部


出席番号17番・樋口恭弥ヒグチキョウヤ 『盗賊』

 桃川小太郎と戦い死亡。


出席番号18番 死亡 平野浩平ヒラノコウヘイ『剣士』 サッカー部 

 オルトロス二戦目にて死亡。


出席番号19番・桃川小太郎モモカワコタロウ『呪術師』 文芸部


出席番号20番・山川純一郎ヤマカワジュンイチロウ・演劇部


出席番号21番・山田元気ヤマダゲンキ・野球部


出席番号22番・横道一ヨコミチハジメ『食人鬼』




 女子・十九名


出席番号31番・レイナ・アーデルハイド・綾瀬アヤセ『精霊術士』


出席番号32番 死亡 飯島麻由美イイジママユミ『剣士』

 樋口恭弥により殺害。


出席番号33番 死亡 北大路瑠璃華キタオオジルリカ『剣士』 料理部

 横道一により殺害。


出席番号34番 死亡 木崎茜キザキアカネ『炎魔術士』 バレー部

 自殺。


出席番号35番・如月涼子キサラギリョウコ『氷魔術士』 女子クラス委員長


出席番号36番・剣崎明日那ケンザキアスナ『双剣士』 剣道部


出席番号37番 死亡 佐藤彩サトウアヤ『射手』

 ゴーマの群れとの戦いにて死亡。


出席番号38番 死亡 篠原恵美シノハラエミ『水魔術士』 イラストレーション部

 事故死。


出席番号39番・蒼真桜ソウマサクラ『聖女』弓道部


出席番号40番・小鳥遊小鳥タカナシコトリ『賢者』


出席番号41番 死亡 長江有希子ナガエユキコ『氷魔術士』 文芸部

 横道一により殺害。


出席番号42番・夏川美波ナツカワミナミ『盗賊』 陸上部


出席番号43番 死亡 西山稔ニシヤマミノリ『風魔術士』 吹奏楽部

 オルトロス二戦目にて死亡。


出席番号44番・野々宮純愛ノノミヤジュリア『騎士』 テニス部


出席番号45番・雛菊早矢ヒナグクサヤ・弓道部


出席番号46番・姫野愛莉ヒメノアイリ


出席番号47番・双葉芽衣子フタバメイコ『狂戦士』 料理部


出席番号48番・芳崎博愛ヨシザキマリア『戦士』 テニス部


出席番号49番・蘭堂杏子ランドウキョウコ『土魔術士』

第103話 姫野愛莉

 彼女の名前は姫野愛莉。どこにでもいる普通の女子高生……いや、野暮ったい眼鏡にそばかすの散った華のない顔立ちと、痩せてはいるが起伏に乏しい貧相な体型。単純に容姿だけでいえば、どちらかといえば普通以下の女子である。

 見た目もパッとしなければ、その経歴もパッとしない。学業成績だけは割と優秀な方だが、天才的でもなければ、熱烈な努力家でもなかった。特別な才能もなければ、家柄に恵まれているわけでもない。

 けれど、それが普通。誰もが特別な何かを持っているとは限らない。地球人口が70億を超えているのだから、70億通りの個性なんてものはあるはずないだろう。誰もが特別なオンリーワン。そんなフレーズに憧れるのは、ソレが現実離れした夢幻の類であるのだと、心の底では理解しているからに違いない。

 故に、姫野愛莉は普通さを恥じることは何もない。堂々とその普通さを、見栄を張ることもなく、ありのままに貫き通せばいい。それが分相応というもの。

 そして、姫野愛莉はその辺のことを、中学校を卒業した15歳の時点できちんと分かっていた、はずだった。

「な、な、何よ、このクラスは……」

 期待よりも不安ばかりが募った、新しい高校生活。白嶺学園に入学したのはすでに一年も前の話で、案ずるよりも産むが易しというように、これといったトラブルや悩み事もなく、平穏無事に一年生として過ごし終えていた。

 しかし、彼女にとっての波乱は、すっかり高校生活にも慣れて二年生へと上がると同時に発生する、クラス替えと共に幕を開けた。

「蒼真桜、レイナ・A・綾瀬、如月涼子、剣崎明日那、小鳥遊小鳥、夏川美波……」

 姫野愛莉が所属することになった二年七組、そのクラス名簿に並ぶのは、一年の頃からすでにして学園に名をはせる美少女達の名前。

「う、嘘でしょ……蘭堂杏子にジュリマリコンビ、木崎さんとセットで北大路瑠璃華もいるし、おまけに隠れファンの多い長江有希子ぉ……」

 学園に知れ渡るほど有名、とはいかずとも、クラスにいればそれだけで話題になる容姿の優れた女子の名前が、さらにクラス名簿に続いた。

「このクラス、女子のレベル高すぎぃ!?」

 意図的に選んだとしか思えないほど、学年の綺麗どころがほとんど全員、揃っている。蒼真桜を筆頭とした、それぞれ綺麗で可愛くて、それでいて個性的な美少女。そして蘭堂杏子以下、並み以上の容姿レベルを誇る女子達。

 そんな彼女達が勢揃いで顔を並べる二年七組の教室は、さながら大人数の国民的アイドルグループの控室も同然だ。何だお前ら、これから武道館でライブか。ああ、チクショウ、お前らの顔なら、そのまま制服姿でステージに上がって全国中継でも恥ずかしくないレベルだよ。

 なんて、冗談も冗談にならないほどの美少女揃い。いや、本当に、姫野愛莉にとっては、冗談ではない。

「ないわー、この人選はないわぁ……」

 文字通りに頭を抱えて、愛莉は悩んだ。

「ふっ、ふざけんなし! こんなクラスにいたら、ブスだけ浮くに決まってるってのぉ!」

 本来なら、女子クラスカーストの上位に君臨するべき美少女など、クラスに一人か二人。三人いるだけで、女子勢はあっという間に三国志が始まる。

 だというのに、二年七組はさながら美少女戦国時代。数多の美少女ひしめく群雄割拠の教室は、まるでキラキラ輝く宝石箱のよう。

 そして、もしも美しい宝石が整然と詰め込まれたケースの中に、河原で拾ったような小石が紛れ込んでいたら、どうなるか。

 あえて言おう。誰もが振り返る美少女の集団の中に、誰もが眉をひそめるブスが一人だけ混じっていたら、どうなるのか。

「マジでヤバいよコレ、どうすんの、私、友達一人もいないんですけどぉ……」

 幸いというべきか、二年七組の女子19名の内、自分を除いた全員が可愛いワケではない。知ってる名前と知らない名前が半々の残りの女子は、恐らく自分と同じかチョイ前後くらいの、平々凡々な容姿に決まっている。

 自分一人だけが場違いなブスとして、光り輝くように侮蔑の視線を集めることはあるまい。

 だがしかし、相対的に並みレベルの容姿の方が少ないこのクラスにおいて、自分の顔面偏差値では悪目立ちしがちなことに変わりはない。

「こ、こんなクラスで下手に孤立しようもんなら……ゴクリ」

 いわゆる『ボッチ』と呼ばれる孤立現象にも、程度の差ってものがある。

 致命的なまでにクラスメイトの相性が悪く、教室の空気は最低、文化祭すらヤル気にならないクラスなら、ボッチも乱立し、友人グループがあっても大人しいものだ。実に退屈でつまらないクラスなら、一人でいることもさほど苦痛にはならない。

 だがしかし、学園ドラマのような理想的なほどに明るく元気で活気の溢れる、美男美女の集まるクラスであったなら……そこは正に、ボッチにとっての地獄であろう。リア充達の天国が光り輝くほどに、ボッチの孤独地獄にはより色濃く暗い影が差すのだ。

 そんな生き地獄に耐えられるほど、愛莉の精神は図太くないし、悟ってもいない。

 高望みなんてしていないはずだけれど、身の丈以上を望まなければ、この二年七組という奇跡のクラスにおいては、自分はきっと孤独のボッチ地獄へ真っ逆さま。華やかな美少女達が戯れる楽園の片隅で、暗く寂しい禁断の森を形成すること確実。おい待て、ふざけんな、そこは封印されし呪われた場所じゃねぇ、私の机だ!

「いやいやいや、マジでないわソレ。待って、でも、七組で私がこの先生きのこるには……」

 クラス名簿を血眼になって見つめながら、必死に打開策を考える。

 考えろ、考えるんだ、姫野愛莉。このまま何となく、何の考えも策もなしに二年生を始めたら、お前は絶対にボッチだゾ。

 何となくの流れだけで慣れ合えそうな平均レベルの連中は、軒並み知らない名前ばかり。知ってる名前でも、一年の頃には全く関わり合いのなかった、他のクラスの女子である。

 自分の適正レベルではあるものの、彼女達だけですでに友人グループを形成している場合、新参者として入り込んで行くのは、コミュ力低めの愛莉には難しい相談だ。

「か、賭けにでるしかない、かなー、なんて」

 平均レベルの女子グループ参加に失敗すれば、愛莉は学園生活二年目にして無事死亡。首尾よく成功したとしても、この超ハイレベルな二年七組において、平均グループにいることはそれなり以上にコンプレックスとの戦いとなるだろう。

 成功しても茨の道。最悪の場合、あの女子グループよりも、桃川の方が可愛くない? とか、男子にさえ可愛さで敗北するという辛酸を舐めることになるかもしれない。

 桃川小太郎は一年の時も同じクラスだった。童顔チビのくせにちょっと髪の毛長くしているせいで、下手な女子よりも可愛らしく見える、一種の男の娘である。奴の中性的な顔立ちを、生意気でムカつくと見るか、猫のようで可愛いと見るかは、人によって大きく好みが別れるところだが……ぶっちゃけ、愛莉の容姿レベルを超えた魅力が桃川にはあるので、割と本気で女子のプライドが危うい死活問題に直結する。これでいっそ、レイナのようなハーフで美少女、みたいに見えるほどの超絶美少年だったなら、むしろ喜んで敗北も認められたというものだが、小太郎の微妙なラインの男の娘ぶりが、事態を深刻化させていた。

「いや、賭けよう……私、覚悟決めろよ」

 遥か高みに設定された、二年七組女子の容姿レベル。バカ高い上限だけでなく、桃川という平均未満の女子のプライドクラッシャーな、微妙な男の娘の最低容姿ラインまでが存在することで、愛莉に更なるプレッシャーがかかる。

 どうせ、これまで通りで行っても、平穏な生活とは程遠い環境となる。ならば、目指してやろうじゃないの、少しでも上に、クラスカーストの高みへ!

「だ、だ、大丈夫……木崎さんは、ガチレズだけど超絶お人よしだから、大丈夫なはず……」

 愛莉の狙いは、木崎茜の一点張り。彼女とは一年で同じクラスであり、なおかつ、多少ながらも交友関係があった仲だ。茜にとっては、彼女の朗らかな人柄による広い交友関係のごく一部に過ぎない愛莉との関係性。しかし、二年七組に理想的な居場所を作るためには、彼女のグループに収まるのが最善であるとの結論を愛莉は導き出した。

 木崎茜は一年の頃では間違いなくクラスカーストの最上位にいる女子生徒だった。垂れ目の温和な可愛らしい顔立ちに、バレー部のエースを張る恵まれた長身、そのくせ、胸も尻も大きく女性的魅力が満ちている。そして見た目を裏切らない心優しい性格と、細かな気遣いの出来る、とても良い子。割と捻くれた性格だという自覚のある愛莉をしても、木崎さんマジでいい子だなー、と素直に認められる人格者だ。

 そんな木崎茜の友人グループにいられれば、この二年七組においても頂点は無理でも、並み以上の立場があるのは確実。

「北大路瑠璃華の扱いにさえ気を付ければ、木崎さんは問題ないはず」

 木崎茜が冗談抜きの本物のレズであり、そのお相手が幼馴染の北大路瑠璃華である、というのは当人だけが内緒だと思っている、公然の秘密というやつだ。直接、本人に問いただした者はいないのだが……一年間も二人の関係を見ていれば、それが事実であると確信するしかない。アレはどう見ても、ただのバカップルです。本当にありがとうございました。

 ともかく、北大路瑠璃華とは当たり障りなく接してさえいれば、木崎茜は素晴らしい人格者のままでいてくれるし、こんな自分でも受け入れてくれるとの打算が愛莉にはあった。

「あー、でも、あの子がくっついてくると、容姿レベル倍増だから、私の他にブス担当が欲しいなー」

 晴れて同じクラスとなった、茜と瑠璃華が四六時中くっついているのは確定。北大路瑠璃華は、茜とは対照的に小さく可愛らしい容姿に特化した、ロリータ型の美少女である。タイプの異なる美少女が組めば、華やかさは二倍以上。愛莉の石コロぶりも磨きがかかる。いわば、二年七組で起こっている容姿カースト問題が、今度は友人グループで発生するということだ。

 そうでなくとも、茜と瑠璃華のバカレズカップル空間に、自分一人だけ友達面して居座るのは最悪の居心地だろう。

「あー、ないわー、これは何としても、もう一人いるなー」

 クラス名簿を見ただけで、ああだこうだと一人勝手に散々悩んだ愛莉だったが……とにもかくにも、彼女は賭けに勝った。というより、実に上手く、都合よく、事が運んでくれたのだ。

「あ、私は双葉芽衣子。姫野さん、よろしくね」

 学年最大、最重量を誇る大横綱ブタバ、もとい双葉芽衣子を、料理部で一緒だからと北大路瑠璃華がお気に入りのクマのぬいぐるみにでも抱き着くようにしながら、友人グループに引っ張ってきたお蔭で、愛莉の最後の懸念も晴れた。

 白嶺学園最強のデブ女であるところの双葉芽衣子が仲間内にいれば、自分の凡庸さなど隠れて目立たなくなる。木崎茜、北大路瑠璃華、姫野愛莉、双葉芽衣子。この四人組みを見た時、人は茜と瑠璃華の麗しい百合カップルに微笑むか、芽衣子の規格外の巨体を嘲笑うか。劣った容姿に向けられる嘲笑の的、それを愛莉は双葉芽衣子という盾を得たことで、都合よく回避できるという理屈。

 自分の立場を上げるために、可愛い友人が欲しい。

 自分の立場を下げないために、醜い友人が欲しい。

 なるほど、姫野愛莉は確かに、普通以下の女子である。

 自分が傷つかないために、単なる保身のためだけに、誰かを見上げて、見下して。利己的な損得勘定で得た安寧の中で、それを省みることもなく、認めることもなく、無意識に無自覚に自己肯定の正当化。

 女の友情など、所詮はそんなモノ。訳知り顔でそう言う者もいるかもしれない。

 しかし、それを当たり前だと豪語して、そんなモノを友情だと勘違いしているならば、その精神性は気高いものではないだろう。捻くれた性格と自嘲し、冷たいリアリストと驕る、ただ捻じ曲がっただけの性根に過ぎない。

「はぁー、良かった……これでとりあえず、七組でもやっていけそうだわー」

 顔はイマイチ、体は貧相。おまけに心根もほどほどに濁っている。

 姫野愛莉は、普通以下の女子であった。




「あぁ、うぅうええ、あああぁあああ……」

 涼やかに清水が湧く妖精広場の噴水、その傍らで、姫野愛莉は滂沱の涙を流しながら嗚咽を漏らし、おまけとばかりにゲロも吐いていた。

 泥で薄汚れたセーラー服に、ボッサボサに飛び跳ねた髪の毛。あまり身なりに気合いを入れている方の女子ではない愛莉をしても、「ないわー」と言わしめる酷い有様だが、現在の状況――そう、突然の異世界召喚からのダンジョンサバイバルにおいて、自分の見た目など気にしている余裕など一切ありはしなかった。

「む、無理……マジで無理、こんなの絶対無理だからぁ……」

 嫌な予感は最初からしていた。やった、憧れの異世界召喚ファンタジーだ、これで私も王子様とか執事とか騎士とかに囲まれて超絶イケメン逆ハーレム爆誕! とか、いくらなんでも理想と現実を混同するほどバカではない。

 しかしながら、いざ本当に見知った教室から、見覚えのない石造りの部屋に放り出され、さらには魔法の力――天職『治癒術士』を授かれば、期待しちゃう。もしかして、本当に私だけの素敵な異世界ファンタジー始まったのでは、と。

 そして、その期待は始まりの部屋から出発して、三分もしない内に木端微塵に打ち砕かれる。

「ゲブラッ! ゼバッ、ウバァアアアアアアアアアアッ!」

 ゴーマ、という魔物の名前を知ったのは、泣きに泣いて、胃の中のモノを全部吐き出して、呆然自失として数時間の時を過ごしてから、ようやく思考が再起動した後になってからのことだ。

 ともかく、愛莉はゴーマと出会ってしまった。そして、この異世界ダンジョンの現実を知る。

 生で見る魔物の、なんと恐ろしいことか。ゴキブリのような黒く滑った肌の人型生物。キモい、あまりにキモすぎる。そして、血走った眼で、涎をまき散らし、錆びついた刃物を振り上げて、一直線に襲い掛かってくるのだ。

 そんなの、女子高生じゃなくても耐えられない。ピストルを所持している現役警察官でも、果たして発砲して反撃できるかどうか。

 だから、『治癒術士』の初期スキルに含まれていた攻撃魔法『光矢ルクス・サギタ』を持っていても、愛莉には一発たりとも放つことはなく、ひたすら絶叫を上げて、無我夢中で逃げ回ることしかできなかったのも致し方ないだろう。

 魔物と戦う覚悟も固まらない内にゴーマと出くわしたのは不運だったが、最初のエンカウントから逃走し、妖精広場に辿り着くことができたのは、幸いであった。

「終わったー、私の人生、完全に終わったー」

 呆然自失のショック状態から回復し、魔法陣情報をチェックして、ひとまず水を飲みながら妖精胡桃をポリポリ齧っているのだが……冷静になって考えても、自分にダンジョン攻略など不可能だとしか思えなかった。

「なんで異世界に来る奴はみんなチートなのか、分かったわー」

 ある日突然、剣と魔法の異世界にやって来た普通の女子高生が、ドキドキワクワクの素敵な大冒険、勿論イケメン達の逆ハーレムは標準搭載、な作品を幼いころからそれなりに嗜んでいた愛莉からすると、「またチート、またご都合主義、いい加減にしろテンプレ作品め」などと馬鹿にすることもあったものだが、いざ自分が巻き込まれてみれば、理解せざるを得ない。

 甘く優しい文明社会である現代日本で生まれ育った女子高生が、もしも異世界に飛ばされたならば、自分自身がチート能力者になるか、チート級の保護者がいなければ、生きていけないのだ。

 モンスターと戦うなどとんでもない。敵などいなくても、ダンジョンなんて場所を延々と歩いて探索するのも難しい。リアルの世界でも、山やら洞窟やら密林やら、未開の地を探検するには、相当の装備や物資といった準備、さらには本人のサバイバル技能といったスキルも求められる。

 素人を危険なモンスターが闊歩する異世界に放り出しておいて、生き残れ! というだけでも無理なのに、魔物を倒してダンジョンの最奥を目指せ! などとは無茶ぶりもいいところだ。

「っていうか、回復職でソロはないわー」


微回復レッサーヒール』:負傷を微かに回復させる、光の治癒魔法。


光矢ルクス・サギタ』:光属性の下級攻撃魔法。


閃光フラッシュ』:目が眩むほどの強い閃光を放つ。


 以上が、愛莉の授かった『治癒術士』のスキル構成である。

 天職の基礎となる治癒魔法に、最低限の攻撃手段としての『光矢ルクス・サギタ』、多数を相手にしても目くらましで逃走などのアシストにも使える『閃光フラッシュ』と、その性能だけで見ればバランスのとれた構成ではある。実際、試しに放ってみた『光矢ルクス・サギタ』を見れば、なるほど、コレが命中すればあの恐ろしくキモいゴーマだって倒せるだろうと思えるほどの威力。

 しかし、立派な武器があっても、本人がそれを駆使して戦えるかどうかは、また別の問題である。確信を持って言える、姫野愛莉は次にゴーマと相対しても、決して魔法で反撃することはできない。

「だって私ぃー、女の子だもーん」

 甘ったれたクソみたいな言い訳はしかし、紛れもない事実でもあった。どこにでもいる普通以下の女子高生に、命をかけた魔物との戦いなんて、できるはずがないのだ。

 力はあるが、戦いはできない。

 妖精広場という安全地帯はあるが、脱出するにはダンジョンを進むしかない。

「いや、だから無理だから、こんなRPGの初期能力みたいな力でやっていくとか、普通の女子の私には無理なんだってぇ……」

 戦うことも、進むこともできない。けれど、死にたくないし、帰りたい。

 理解する。自分自身の能力だけでは、決して乗り越えることはできない事態に直面していると。

 そういう時、姫野愛莉はどうするか。普通の、普通以下の女の子は、どうするのか。

「うっ、うぅ……うううぅ……」

 決意も覚悟も持たない日本人の女子高生は、泣くしかない。泣いて、絶望するしかない。

「うぅううう、あぁあああああ!」

 そうして、生きるための戦いを放棄した者から、このダンジョンという環境では死んでゆく――はずだった。

「誰か、誰かいるの!」

「ハッ!?」

 声が聞こえた。男の声。一瞬、自分が現実世界の教室に戻ったかのように錯覚した声は、間違いなく、クラスメイトの男子の声だから。

「あっ……えっと、姫野さん、だよね?」

「えっ、あっ……中嶋君?」

 現れたのは、クラスメイトの男子、眼鏡のフツメン、中嶋陽真であった。

「あの、なんか凄い泣いてたみたいだけど、その、大丈夫?」

「な、中嶋くぅうーんっ!」

「うわぁっ!? ちょ、ちょおっ!?」

 一も二もなく、愛莉は中嶋へ抱き着いた。泣きながら、それでも、さっきのようにショックのあまりに鼻水もゲロもまき散らすような無様なモノではなく、か弱い女子を演出するための、大袈裟ながらも可愛らしい泣き方で。

 果たして、二人の出会いは運命なのか。絶望の中で死にゆくだけだった愛莉の元に、中嶋陽真という一人の男子が現れたことで、一筋の希望が灯ったことは事実である。

 よっしゃあ! 男子キタ! これで勝つる! さぁ、か弱い女子の私を守るために、キリキリ戦いなさいよ中嶋陽真!

第104話 中嶋陽真

 彼の名前は中嶋陽真。どこにでもいる普通の男子高校生――だが、これといってケチのつけようはない平凡な顔立ちに、勉強も運動も、遊びや流行りも一通りこなす彼は、総合的に見れば普通以上といえよう。

 交友関係も広く良好。女子との接点も多少はある。クラスの中では、目立ちすぎることもなく、かといって空気ということもない。

 そんなバランス感覚に優れた平凡男子である中嶋陽真は「どうしてこうなった」、と、もう何度目になるか分からない無意味な自問を繰り返していた。

 とりあえず、ある日突然の異世界召喚でダンジョンサバイバルという現状は、この際もう事故みたいなものだと思って割り切れる。巻き込まれたものは仕方がない。納得できないが、目の前にある現実から目を背けることはできないのだから。

 戦うことにも、少しだけど慣れてきた。

 天職『魔法剣士』、それが自分に授けられた力である。


一閃スラッシュ』:斬撃攻撃力強化。


火矢イグニス・サギタ』:火属性下級攻撃魔法。


疾駆ハイウォーク』:移動速度強化。


 接近戦用の武技、遠距離攻撃の魔法、高い機動力を得た脚。素人の男子高校生が魔物と正面切って戦うには、十分な性能を誇る初期スキル構成。あとはほぼ、自分との戦いであった。

 中嶋陽真は、恐怖に立ち向かう勇気があるわけでもなければ、あらゆる行為を必要と割り切れば淡々と遂行できる冷酷さもない。怖いものは怖いし、余計なことに心を囚われたりもする。つまりは、ごく普通の精神性しか持ち得ていない。

 それでも、この突如として放り出されたダンジョンの中で、天職の力を使い、一人でダンジョンを歩き始め、立ち塞がる魔物と戦い、倒して進むことのできた彼は、普通よりも立派と呼んでもいいだろう。中嶋陽真は正しく知恵と勇気を振り絞って、ダンジョン攻略に挑んでいた。

 だが、そんな姿勢も、ついこの間までの話である。

「陽真くぅーん、大丈夫? 怪我、してない?」

「いや、僕は大丈夫だよ、愛莉、特に怪我はしてないから」

「ああぁーっ、ヤダっ、この手のところ、擦り傷みたいになってるぅ! 陽真くん、すぐに私が治してあげるからね――『微回復レッサーヒール』!」

 スケルトンとの戦いを終えた陽真に、甘い声ですり寄って来ては、その手をとって小さなかすり傷にわざわざ治癒魔法をかけるのは、最初に辿り着いた妖精広場で出会ったクラスメイトの女子、姫野愛莉である。

 男の自分でも怖いダンジョン攻略を、まして女子である姫野が立ち向かえるはずがない。絶望の悲しみに泣き暮れる彼女を見て、陽真はすぐに事情を察する。

 ひとまず、出会ったクラスメイトと協力しない理由はない。後に脱出人数が三人という衝撃的な制限の情報を知ることになるが、現状、自分と姫野の二人きりであることから、今すぐ解散する必要性もなかった。

 故に、何となく、ごく自然に、当たり前のように……中嶋陽真は、姫野愛莉を守るナイト様になったのだった。

「はい、これでもう治ったよ」

「あ、ありがとう、愛莉」

 ギュっと手を握られながら、潤んだ瞳の上目使い。男の陽真でも、あまりにあざとい仕草だと感じてしまう。

 これでレイナ・A・綾瀬や小鳥遊小鳥のような、小さ目の美少女にされたら完全にヤラれてしまうが、平均以下、顔面偏差値40といったところの姫野愛莉にやられても、陽真としては対応に困るばかりである。

 そもそも、姫野愛莉ってこういうキャラだっけ。

 特にクラスで接点はなかったが、地味で大人しい、ひたすら目立たないタイプの女子だったというイメージがあるし、それはきっとクラス全員の共通認識のはず。決して、下手なギャルゲーのヒロインみたいに、不自然なほどに男に媚を売るような態度のキャラではない。

 だがしかし、姫野愛莉の命を守って戦うこの現状を思えば……単刀直入に言って、愛莉が陽真に惚れてしまうのは、半ば当然といってもいい。

「はぁ……」

 それを素直に喜べない、複雑な男心もある。正直、姫野愛莉は全くもって好みのタイプではない。好みとかどうとか以前に、彼女はどちらかといえばブスよりで、容姿を重視するならそもそも選択肢にも上がらない類の女子だ。

 そして何より、中嶋陽真には好きな女子がいた。

「長江さん、大丈夫かな……」

 長江有希子のことが、好きだった。一年の頃からずっと。

 地味で大人しくて目立たない、というキャラでいえば姫野愛莉と似ているが、その儚い文学少女的な可愛さに、陽真は一年で同じクラスになったその時から心惹かれてしまった。

 少しでも接点が持ちたくて、同じ文芸部に入ろうかどうか、悩んだ挙句に、流石にあからさま過ぎて止めておこうと諦めた瞬間、平気な顔で文芸部に入部した男子の桃川に対し、筋違いの恨みをもったこともあった。いや、この際それはいい、桃川は本気でライトノベルを書きたい類のオタクで、長江さんと全く接点がない様子から、彼を恨んで羨む必要は全くなかった。

 結果的に図書委員となって、図書室で定期的に長江さんと本について話ができる立場を確立したことで、ひとまずお近づきになれたと満足している。

 クラスの男子は蒼真桜を筆頭とした美少女軍団に目を奪われているが、長江有希子の魅力に気づいているのは自分一人であり、全く男の気配がない彼女に近づいているのも自分だけであり、遠からず告白して――と、甘い青春の夢を思い描いていたものだが、今、陽真の隣で寝ているのは姫野愛莉であった。

「……はぁ」

 妖精広場の片隅で、肩を寄せ合うように自分と愛莉は寝ている。文字通り、ただ寝ているだけで、それ以上のことは何もない。まだ、ない。

 この妖精広場という安全地帯で休息をとっていても、怖いと怯える姫野愛莉が「お願い、一緒に寝よ、陽真くぅーん」と媚びた態度でお願いしてくるので、無碍に断ることもできず、こんな状況となっている。

 すぅすぅと小さな寝息を立てる愛莉を見下ろすと、やっぱり大して可愛くもない寝顔がそこにはある。

 これで隣にいるのが長江有希子だったら、と何度も何度も思ってしまう。出会ったのが愛莉ではなく有希子であったら、きっと自分はもっと奮闘していただろうと確信もしている。

 僕が本当に好きな人は、長江さんなんだ。姫野愛莉のことなんて、何とも思っていない。いくら、彼女が甘い声で自分の名前を呼ぼうとも、初めて女子を名前で呼び捨てで呼んでも。絶対に、きっと、姫野愛莉が中嶋陽真の特別になることなど、ない。

「うっ、うぅ……」

 そのはずなのに、男の本能が反応してしまう。

 多少アレでも、クラスメイトの女子が無防備に自分の隣で眠っているこの状況。愛莉の好意をわざとらしいほどのアピールで受け続け、彼女は見え見えの罠で自分のことを誘っている。

 冗談じゃない、僕は揺らがない。浮気なんて絶対しない。

 付き合ってもいない憧れの女子に対して操を立てる決意はしかし、ダンジョンサバイバルという極限状況下に置かれた男の肉体が反旗を翻す。

 男は死の危険に直面すると、一刻も早く子を残そうとして性欲が増進する。そんな説を何かで聞いたことがある。

 たとえその説が間違っていたとしても、ダンジョンに来てから三日以上、ただの一度も自慰行為をしていない、する暇も心の余裕もなかった陽真の体は、平和な学生生活を送っていた頃とは比べるべくもないほど高ぶってしまっているのは確かな事実であった。

 そこへさらに、魔物との戦い、という強い興奮状態となる出来事が重なる。普通を地で行く陽真は、黒高ヤンキーのように血気盛んなこともなく、心の内に殺人欲求や破壊衝動を秘めた異常性なんてのも持ち合わせてはいない。だが、一人の男である以上、それ相応の闘争心というのも存在する。

 この手で魔物という敵を打ち倒す時、そこには確かな快感がある。自分の命を守るため、自分が生き残るため。正当な理由と共に、純粋な暴力の快楽が伴う。

 そんな戦う男の隣に、いつでもどうぞと誘う女がいれば……

「ね、寝よう……明日もダンジョンを進まなきゃならない。ちゃんと寝て、休まないと……」

 煩悩を振り払うように、陽真は無防備な寝顔を晒す愛莉に背を向けて、固く目を瞑った。

 興奮とは別に、体にまとわりつく確かな疲労感が、さほど時間をかけずに陽真を眠りの世界へと導いた。

「……もうそろそろ、いいかな、陽真くん」

 背中越しにかけられた囁き声は、すでに眠りに落ちた陽真の耳には届かなかった。




「ねぇ、陽真くん、今日はお休みにしようよ」

 気だるい体を起こし、疲労感の抜けきらない陽真に、愛莉が心配そうに言いだした。

「えっ、でも、先を急がないと……」

「うん、だけど私、陽真くんの方が心配なの!」

 過剰なほどの気遣いの言葉。

 しかしながら、疲労の回復しきっていない状態で、ダンジョン攻略に乗り出す危険性も確かにある。大した装備もなければ、準備のしようもない現状で、唯一できることといえば、魔物との戦いに備えて万全のコンディションを整えることくらい。

「ね? だから今日は、お休みにしよ?」

「そう、だね……それじゃあ、一日休むことにするよ」

 心も体も、休息が必要だと陽真も思った。

 愛莉と共に行動することで、孤独は紛れるし、彼女を守らなければという男らしい使命感で闘志も湧く。それに『治癒術士』の彼女がいるから、多少の負傷も問題ない。

 しかしながら、魔物との戦いを恐れる愛莉は、『光矢ルクス・サギタ』という立派な攻撃魔法を持ちつつも、ロクに戦闘に参加することはない。逃走する時に『閃光フラッシュ』を放ってくれれば御の字、といった程度の貢献度。

 故に、陽真一人に戦闘の重責が圧し掛かる。疲労が溜まってしまうのも当然の結果であった。しかし、そのことを面と向かって愛莉にケチをつけない、仕方がない、責めようという気がおきない陽真は、まだ多少の余裕があるともいえた。

 戦いは大変な仕事だが、スケルトンや赤犬くらいの魔物なら、十分に対応できる。魔物の弱さに、救われている部分も大きい。

「ねぇねぇ、陽真くん、膝枕してあげよっか?」

「えっ、い、いいよ別に……」

「遠慮しなくていいから、ほらほら、おいでー」

 いやほんとマジで嬉しくもなんともない、けど、愛莉の勢いに流されて、陽真は半ば強引に膝枕に持ち込まれる。

「どう?」

「あ、うん……いい、かも」

 残念な容姿レベルの姫野愛莉だが、それでも女は女。ふとももの温かさと柔らかさには、抗いがたい魅力を感じてしまう。まして、つい昨晩は必死に煩悩を押し殺して眠りについたものだから、こんなことをされればまとムラムラと湧き上がってしまうのも致し方ない。

 気持ちいい、が、生殺しみたいなものだった。

「陽真くん、いつも私のこと、守ってくれてありがと」

 好きでもない女から、笑顔でかけられる甘い言葉は、受け取っても困る苦しいもののはずなのに、どこか心地よさを感じてしまうのを、陽真は否定しきれなくなってきた。

 その日、愛莉は片時も陽真の傍を離れず、膝枕をはじめとしたスキンシップ攻撃を繰り返した。特に意味もなく、手を握って来たり、抱き着いたり。けれど、その一つ一つはここ最近、彼女と出会ってから何度もされてきたことで、わざとらしいほど執拗にベタベタされても、最早、違和感を覚えなくなっていた。

 そうして麻痺した感覚のまま、今日も陽真は愛莉と共に寝る。昨日と同じ、広場の隅。光がほどよく遮られる、大きな妖精胡桃の木の下で。

「陽真くん、まだ起きてる?」

 気を遣うように、小さな囁き声。そのくせ、吐息が耳にかかるほどに、近い。

 横になってからややしばらく、今夜も煩悩を振り払うかのように愛莉に背中を向けていた陽真に、不意打ちのようなタイミングで彼女は声をかけてきた。

 いや、かけてきたのは、声だけではない。

「あ、愛莉っ!?」

「ごめんね、少し、このままでいさせて……」

 背中全体に密着する温かい感触は、振り向かなくとも、後ろから抱き着かれているのだと分かる。そっと優しく、いじらしく、体を寄せては、ゆるく腕を絡ませる。勝手に抱き着いてきたくせに、か弱い態度でお願いされれば、陽真はとても振り解けない。

「いや、うん、別に、いいけど」

「ありがとう、優しいね、陽真くん」

 ちょっと、抱き着く力が強まった。これ以上は、適当な相槌さえも危険な気がすると、陽真は静かに息を呑む。

「私、怖いの……明日になったら、また、ダンジョンを進んで行くのが……」

「そ、そうだよね、俺も怖いよ。怖いけど、進まないと帰れないから」

「うん、戦うのも、進むのも怖いけど……でも、私、陽真くんが危ない目にあうのは、もっと怖いの!」

 何言ってんだコイツ、と冷静に落ち着いた時に聞けば即レスできたはずなのだが、しかし、この愛莉の台詞を聞いた瞬間、陽真はついうっかり、不覚にも、ちょっと嬉しかった。

 心のどこかで、愛莉は都合よく自分だけを戦わせて、盾にしているだけなのでは、と考えてしまっていた。

 それでも、自分の身の安全だけでなく、陽真のこともちゃんと気にかけて心配する気持ちがあった、戦う役目を押し付けることに負い目を感じているのだと、そう思えたことで、今までの戦いの苦労も多少は報われた気がした。

 単なる演技だろ、という当たり前の可能性すら、今の彼には思い浮かばなかったのだ。

「陽真くんのことが心配で、陽真くんが傷つくのがすっごく怖くて、もし、私でも治せないほど怪我しちゃったらどうしようって……」

 どれほど健気に身を案じていようとも、愛莉が陽真一人に戦いを押し付けているのは、紛れもない事実である。

「いや、まぁ、大丈夫だよ、多分……愛莉がちゃんと治してくれるし、本当に危ない時は何とか逃げるから」

「うん、うん……ごめんね、陽真くん……もっと、私が力になれたらいいんだけど、でも、私、魔物が目の前にいると、怖くて、とっても怖くて、手が震えて止まらないの!」

「いいよ、そんなこと気にしないで、仕方ないって。愛莉は、その、お、女の子だし……魔物と戦うとか、無理なのはホントにしょうがないって思ってるから」

 陽真が絶対に文句を言いだせない流れを作ってから、戦えない言い訳を切り出す愛莉のズルさに気づかないのは、現在進行形で密着されて理性が揺らいでいるからか。

 女子に抱き着かれて、ドキドキと鼓動が高鳴る高揚感と同時に、好きでもない相手にそれをされて感じていることに対する自己嫌悪のせめぎ合い。

 少しでも平静さを保とうと、愛莉の言葉に集中しているはずなのに、彼女の温もりばかりが気になって仕方ない。

 早く終われ。いや、終わるのも惜しい。

 どっちつかずの感情は、いつもなら結局は睡魔に負けて終わるのだが――

「ありがとう、陽真くん。私、戦うのは無理でも……もっと、陽真くんの力になりたいなって、思うの」

 今夜は終わらない。否、これから、始まるのだ。

「えっ、ちょっ、愛莉、えっ」

「えへへ、陽真くーん」

 スルリ、と蛇のように陽真の下腹部へと愛莉の手が滑り込む。脇腹をくすぐるように通り抜け、ゆっくり撫でるように腹部を過ぎ、さらにその下へ――

「いやっ、待っ、ええぇ……」

 そこに触れられた感覚に、思わず口から情けない吐息が漏れる。ゾクゾクと快楽が背筋を駆け昇って行き、体は硬直し、愛莉の触れたソコはさらに硬く、熱く、いきり立つ。

「ねぇ、私にして欲しいことない?」

 弄ぶように、愛莉の掌は陽真の股間を撫でまわす。

「陽真くんのためなら、何でもしてあげるぅ」

 つかず離れず、生殺しのような手つきに、禁欲状態で脆くなった理性が溶かされてゆく。

「だから、教えてよ、陽真くんが私にしたいこと、私にして欲しいこと」

 最早、葛藤する意味すら見失う。自分は何をこんなに我慢して、抵抗しているのか。愛だの恋だの、くだらない。男と女が二人きりで寝ているこの状況で、何もしない方がどうかしている。

 何がいけない、何が悪い。男は女が欲しいし、女も男が欲しい。この行いが罪だというなら、誰か助けてくれよ――だって、ここには僕と愛莉の二人しかいないのだから。

「あ、愛莉……」

「うん、なぁに?」

 振り向いた先で微笑む彼女の顔は、何故かいつもよりずっと綺麗に見えた。

 愛してはいない。けれど、欲しいと思った。

「愛莉、愛莉っ!」

「あん、いやーん」

 性欲に流された哀れな少年を、少女はその身で受け止めた。




「いやー、男ってチョロいわぁー」

 初体験の感想がソレだった。自分にはしばらく、もしかすれば一生、縁がないと思っていた行為だったが、終わってみれば大したことはない。

 そして、そんな『大したことないコト』だけで、男という存在は喜んで尻尾を振って尽くしてくれる……これまではリア充だとかビッチだとか、男に媚びた態度の女性を忌み嫌い蔑んできたものだが、愛莉は彼女達の真意が初めて理解できた。

 そして、女の武器を使いもせずに、ただ何となく縁がないと言い訳しては男を遠ざけ、積極的に近寄ろうともしなかった、これまでの、そう、呑気に学園生活を送っていた自分が酷く愚かだったと悔やんでしまう。

「ふふ、あはは、あーあ、ホントに馬鹿みたい」

 以前の私も、こんな平均以下の女を必死に求める中嶋陽真も。

 でも、これが正しい男女の在り方。人間という生物の真理なのだと、愛莉は心の底から悟った。

「これで、陽真くんは私のモノ。自分から手を出したんだから、ちゃんと責任、とってよね?」

 意地の悪い笑みを浮かべながら、隣で眠る裸の陽真の頭を撫でる。

 既成事実。この先、もし他のクラスメイトと合流することがあっても、陽真は愛莉から離れることはできない。たとえ、彼の本当の思い人である長江有希子が現れたとしても、彼女に近づくことさえできはしない。

 男女の関係を結ぶ、という事実は、それほどまでに強固な心理的強制力を持つ。特に、日本人の学生の恋愛観ならば。

 逆に言えば、セックスさえしなければセーフ、という側面もある。だからこそ、愛莉は陽真に抱かれなければならなかった。彼を、今後もずっと自らを守り、尽くす、手駒として持ち続けるためには。

「それじゃあ陽真くん、明日からまた、ダンジョン攻略、頑張ってね」

 一つの目的を達成した満足感と共に、愛莉は陽真に寄り添うように眠りについた。


「――愛されたい?」


 夢の中で、愛莉は声を聞いた。


「男の子に愛されたい? 素敵な男性に尽くされたい?」


 深夜アニメのヒロインみたいに、わざとらしいほどに可愛らしく甲高い少女の声音。普通の女性なら耳障りと感じるソレも、不思議と耳に心地いい。


「バカなオス共を、いっぱいいっぱい従えたい?」


 ぼんやりと霞がかった視界、淡いピンク色の怪しい霧の向こうに、声の持ち主と思しき女性のシルエットが浮かぶ。


「うんうん、いいよ、叶えよう、みんな叶えてみよう!」


 自分よりも、小柄で華奢な少女には、鞭のような長い尻尾と大きな蝙蝠の翼が生えていた。安直な女悪魔のような人影は、今にも見失ってしまいそうに揺らいで見える。


「ようこそ、アナタは私達の眷属――『淫魔』でーっす!」


 眷属『淫魔』


吸精ユメミルチカラ』:エッチして力を吸い取っちゃう。ごめんネ、ちょっとだけだから?


共感カサナルキモチ』:アナタもワタシも気持ちいい。だから、エッチなこといっぱいしよう!


甘言アマイコトバ』:まずはお話して仲良くならないとね? 心地いい言葉で酔わせてあげる!


 体の中に、熱いナニかが注ぎ込まれるような感覚に、身もだえしながら絶叫を上げているはずだが、自分の体の感覚さえも判然としない。熱いのか、痛いのか、気持ちいいのか。自分の身に何が起こっているのか全く分からない。

 だが、不思議なほどに強い確信だけがあった。

 ああ、これがきっと、私のあるべき姿なのだと。

第105話 アラクネの巣

「痛ってぇ……」

 アラクネに捕まり、糸にくるまれた上から噛み付かれた僕は、そのあまりの痛みに気絶……したのはほんの一瞬で、自分がズルズルと地面を引きずられていることに、すぐに気が付いた。

 幸い、分厚い糸が繭のように僕の全身を守ってくれているようで、洞窟の中を引きずられても痛くはない。ついでに、痛くないのは別に僕の体が麻痺しているからでもなく、きちんと五感は働くし、手足が動くことも分かっている。噛まれた背中がジンジンと鈍痛を放っている以外は、全くの無事である。

 どうやら、僕を噛んだのは殺すためではなく、毒を流し込んで身動きをとれなくするためのようだ。

 でも、僕が全然無事でいられるのは、『蠱毒の器』があるからに違いない。あのバジリスクのアシッドブレスだって防いだのだ。蜘蛛の麻痺毒くらい、無効化してくれるだろう。

 僕がそんな毒耐性スキル持ちなんて、アラクネが知るはずもない。ジっとしていれば、僕に毒が効かなかったとは気づかないはず。

 それで、恐らく普通だったら、毒と糸で身動きを封じたまま生かして、捕まえた獲物を新鮮に保存するのだろう。

 僕の推測を裏付けるように、しばらく引きずられた後は、ミノムシみたいにどこかへ糸の繭ごと吊り下げられた感覚がした。それきり、アラクネが動く気配も感じなくなった。まぁ、奴は静かに歩くし、ちょっとジっとされたら気配なんて分からないけども。

 僕は糸の中でモゾモゾと身を捩って手を動かし、まずは外の様子を把握するべく、慎重に目元の糸をかき分けた。繭と化した糸はベタベタしている上に結構な厚さもあり、ほんのちょっとの隙間を作るだけでもえらい苦労した。生身のままだったら、脱出するのは難しいだろう。

「やっぱり、ここは蜘蛛の巣か」

 隙間から覗き込むと、予想通りの光景が広がっていた。

 ルーク・スパイダーの縦穴洞窟とは異なり、森林ドームのような場所に、このアラクネは巣を構えているようだ。下の方に、巨大な蜘蛛の巣が床のように張られていて、その向こう側には、木々の頭が緑の絨毯と化しているのが見える。かなり高い位置に巣を張っている。天井があるから、森の真上にも巣を張れるのだ。引っかかる奴いるのか?

 もしかしたら、アラクネにとって蜘蛛の巣は餌を捕らえるトラップではなく、ただの生活拠点でしかないのかもしれない。高い位置にあるのは、単純に外敵の侵入を防ぐためで。

 僕を蜘蛛糸で一本釣りしたのは、そういう方法で獲物を狩るのが主流なのだと考えれば、納得も行く。あの面子の中で僕を餌に選んだのは、一番弱いと判断したからか。だとすれば、アラクネの目は確かだ。他のメンバーだったら、噛み付く前に反撃されてやられてしまう可能性は高い。

「はぁ……まさか、またはぐれることになるなんて」

 折角、いい感じにチームワークが生まれてきたところだったのに。

 前衛のジュリマリコンビに後衛の蘭堂さんで、普通に強いパーティ構成。その上さらに、気分屋だけれど、どんなボスでも楽勝できそうな天道君という秘密兵器まで抱えているんだ。恐らく、今の天道ヤンキー組は蒼真悠斗の勇者パーティに匹敵する戦力だろう。

 離脱するには、あまりに惜しいパーティだった……

「合流は、無理だろうな」

 今から戻っても、どうしようもない。そもそも、道も分からないし。

 地底湖のボスを倒し、ジーラの大群も殲滅した以上、彼らがあそこに留まっている意味はない。

 僕は不意打ちでモンスターにやられた哀れな犠牲者として、助けに来ることもないだろう。ちょっとくらい、僕の死を惜しんでくれればいいのだけれど。

 まぁ、僕がこうして生きている以上、またソロで頑張るしかない。レムを再召喚すれば、それほど寂しくもないし。あ、でも折角、豪華な素材で強くなった体を失うのは勿体ないな。でも、しょうがない、あれはボーナスみたいなものだったと諦めよう。

 こんなにあっさりと割り切れるのは、野生に生きる魔物の仕業だということ。そして何より、一回似たような経験をしているからだろう。

 もっとも、魔物相手にはさして恨まないけど、人間相手なら普通に呪ってやるけどね。

「それじゃあ、まずは脱出だな」

 少しずつ隙間を広げて、周囲をグルっと見渡したところ、やはりアラクネの姿は見えない。再び狩りに出かけているのだろうか。それとも、僕からは死角になっている巣の真上に陣取っているのか。

 どちらにせよ、いつまでも繭の中にいても仕方がない。今回は一噛みされるだけで済んだけど、次は本格的な食事が始まるかもしれないのだ。物理的に肉体を食い千切られてしまえば、無敵の毒耐性スキルなんて意味はない。やっぱり、物理防御が欲しいよね。

 ないものねだりをしても仕方ない。とりあえず、噛まれた背中の傷を治す薬もあるだけ、呪術師の能力で良かったと思おう。

 アラクネが僕を着の身着のまま、丸ごと糸で縛ってくれたお蔭で、鞄も装備も失ってはいない。種々の傷薬と貴重な魔法武器レッドナイフ、あと僅かばかりの厳選素材とコアの欠片。全て手元に残ったままなのは、本当に幸いだ。

「うっ、くっ! 背中、届きにくい……」

 繭の中で、背中の噛み傷に薬を塗るのに四苦八苦してから、いよいよ脱出を試みる。

「くそっ、やっぱ普通のナイフじゃ切れないか」

 この蜘蛛の糸は、その粘着性もさることながら、結構な柔軟性も備えている。ちょっとくらい、刃物で切ったり突いたりしても、目だった傷がつかない。

「ちょっと危ないけど、レッドナイフで……」

 どうか一気に燃えませんように! と祈りながら、僕は慎重に炎の刃で繭を切り裂く。思い切り振り回さなければ、炎も噴き出ず、ただ刀身に灼熱が宿るだけで、ゆっくりと切っていけば、かなりいい感じに糸の壁を焼き切ることができた。

 縦に両断し、脱出路を確保。さらに視界も開けたところで、もう一度、周囲をよく見渡す。

「……よし」

 アラクネの影はなし。その代りに、僕と同じような繭が幾つもブラ下がっていた。黒い手足が飛び出ているのを見ると、ゴーマの捕獲率は高いようだ。アイツらバカだからなぁ、アラクネにとっては、いいカモだろう。

 さて、今の内に脱出しよう。かといって、この高さで飛び下りるのは……

「ああ、今ほど『黒髪縛り』があって良かったと思ったことはないよ」

 これまで幾度となくお世話となった、呪術師のメイン武器といっても過言ではない万能呪術こと『黒髪縛り』を、僕の運命を全て預ける、命綱として使うのだった。

 どうか、無事に下まで降りられますように!




「はぁ……つ、疲れた……」

 恐怖の黒髪降下をようやく終えて、僕は地面に足がつくことの幸せを噛み締める。

 いくら自在に操れる黒髪触手といえども、これを使って特殊部隊員みたいに華麗な動作でラペリングができるはずもない。地上まで届くほどの長さ、そして僕の体重を支える太さを備えたのを一本作るだけで、思ったより大変だった。そこからさらに、僕の体を固定するための支えなどを構築し……結果的に、この高さから安全に脱出するには、限界ギリギリの出力となった。ああ、今まで鍛えておいて、本当に良かった。

 ともかく、恐怖の黒髪ラペリングも無事に終えて、地上へと生還することができた。

 息を整え直したら、すぐに出発しなければ。アラクネに見つかれば、また巣に逆戻りか、今度こそトドメを刺されてしまうかもしれない。

「とりあえず、こっちか」

 魔法陣を確認して、示す方向に向かって僕は歩き出す。今は少しでも遠くへ離れておきたい。レムを再召喚する時間も惜しい。素材がないから、大した性能にもならないし。

 すぐに妖精広場まで辿り着ければベストだけれど、遠ければ、どこか適当なところで準備を整えたい。

「キシキシ」

 緑の茂みの向こうから聞こえたその声に、僕の心臓は止まるかと思った。止まりはしない代わりに、鼓動は急速に高まっていく。

 今の鳴き声は、まさか、もう脱走がバレて見つかったっていうのか!?

「キシャァーっ!」

「っ!?」

 気配を隠すことなく、ガサガサと茂みを突っ切り、ソイツは姿を現した。

 アラクネ……ではない、けれど、別の蜘蛛だ。蜘蛛型魔物というべきか。

 サイズはアラクネよりもさらに一回り以上は小さいが、それでも虫としてはありえない大きさ。頭の位置は僕の腰よりも低い位置にあるけれど、長い脚は広げるとニメートルくらいありそうだ。

全体的な形はアシダカグモのようで、色はこの森林ドームに適応しているためか、緑と茶色のまだら模様で、迷彩柄のようだ。

 そんな新たな蜘蛛型魔物の八つの目が、僕を見つめていた。

「『蜘蛛の巣絡み』っ!」

「シャアアアっ!」

 早撃ち対決は、僕の勝ちだった。

 逃げるか、戦うか、悩む間もなく。僕は黒髪で編んだ投網である『蜘蛛の巣絡み』を放った。戦うにしても、逃げるにしても、相手の動きを封じなければ、どうにもならない。

 アシダカの奴も、僕をちょうどいい獲物と判断したのだろう。口から黄色い液に塗れた、太目の糸を放っていた。僕の『蜘蛛の巣絡み』が先に命中した結果、照準は大きくズレて、当たることはなかった。

 外れた黄色い糸攻撃は、僕の代わりに緑の葉を生い茂らせた枝にかかり、ジュっという溶解音と共に腕くらいある太さの枝を両断していった。どうやら、あの黄色い液は強酸性らしい。当たってたら即死か、いや、もしかしたら『蠱毒の器』で無効化できるかもしれない。でも、試すつもりは毛頭なかった。

 走って逃げて、後ろから酸の糸で撃たれたら堪らない。奴はここで始末しよう。

「くらえっ!」

 レッドナイフを抜き放ち、黒髪縛りに絡めて飛ばす。樋口戦以来、しばらく出番のなかった飛刃攻撃だ。

「シャオ!」

 黒髪の投網から脱する間もなく、アシダカの顔面に灼熱の刃が突き刺さる。触手でコントロールされているから、相手が動かなければ正確に狙える。でも、ここまで綺麗に決まったのは初めてな気がする。正に、会心の一撃!

「シャっ! キシャァアアアアアアアっ!」

 突き刺さったレッドナイフが、刀身に秘める火炎によってアシダカを焼く。頭の中を焼き尽くされたのだろう、奴はビョンっとバネ仕掛けのオモチャみたいにひっくり返るなり、長い足先をピクピクいわせて、完全に動きを止めた。

「や、やった……上手くいって良かったぁ……」

 出会いがしらに即戦闘に突入し、よく勝てたものである。何だかんだで、僕の戦闘能力も向上していると舞い上がってもいいだろうか。

 いや、喜んでいる場合じゃない。コイツが二匹同時に出現すれば、もう僕の手には負えない。見たところ、岩や大きな木の根がボコボコしている上に、起伏の大きなこの地形では、僕が走るよりも、蜘蛛の方がよほど速く走るだろう。いや、平地で走っても蜘蛛の方が早そうだけど、こんな足場の悪い場所なら、尚更に追いつかれるのも早い。

 思わぬところで機先を制されたが、さっさとここを離れなければ――

「いや待て、落ち着け……コイツで、試してみるか」

 今すぐダッシュで逃げたい衝動を抑え込み、僕は倒したアシダカの死体へと向き直る。

「よし、間違いなく、死んでいるな」

 頭から胴体にかけて、ほとんど黒焦げになっている。足先が動くこともなく、長い足を丸めるような形になって、死体は固まっていた。

 そう、死体が相手なら、使えるはずだ。

「死出の旅路を祝い、晒される骸を呪う。黒い血。泥の肉。空っぽの頭。最早その身に魂はなく、ただ不浄の残滓を偽りの心と刻む。這い、出で、蘇れ――『怨嗟の屍人形』」

 


『怨嗟の屍人形』:無念の隙間を呪いで塞ぎ、ただ肉体のみをつき動かす、恩讐の人型。


 そう、これは勝の体にレムをとりつかせて行使した経験から、新たに編み出された呪術である。文字通り、死体を操る呪いだ。

 っていうかこれ、呪術っていうよりただの屍霊術ネクロマンシーなのでは。

「……よし、成功だ」

 泥人形と同じような、黒々とした混沌の影が現れる。だが、そこに死体は沈まず、その代わりに、混沌が侵蝕するように、黒いドロドロしたモノが這い上がって、死体を覆い尽くしていく。

 そうして、スッポリと全身が包み込まれてから少しすると、シャワーで汚れを流すように黒い泥のようなモノが落ちて行き――そうして、ついに死体が蘇る。

「キシ、キシキシ」

 迷彩柄から、黒っぽいシティ迷彩みたいな体色に変化したアシダカは、素早く体をひっくり返して元に戻し、僕に向かって鳴き声をあげた。分かる。威嚇ではなく、恭順の声だ。

「これ、一応、中身はレムなんだよね?」

「キシ!」

 頷くように、体が縦に揺れた。

 やはり、泥人形二号と同じように、制御はレムが司っている。

「レム本体の方は、まだ動いてる?」

「キシ!」

「レムは、僕の居場所が分かる?」

「キシ!」

「こっちに向かってる?」

「キシ!」

「それじゃあ、もしかして……蘭堂さん達も、僕を助けに一緒に来てる?」

「キシシ」

 悲しい否定の声である。いや、うん、分かってたけどさ、救助に来るわけないって。

「分かった、それじゃあとりあえず、レム本体と合流したい。行けそう?」

「キシ!」

 任せろ、とばかりに僕へと背中を向けるアシダカレム。もしかして、乗れって言ってるのかな?

 うん、小柄な僕なら、乗れないこともなさそう。こんなデカい蜘蛛の魔物なのだから、45キロの重りくらい乗せたって、平気で走り回れそう。

「よし、それじゃあ頼――うわぁ!?」

「キシャアアアーっ!」

 蜘蛛の背中に乗った途端、アシダカレムは勢いよく発進した。長い八本脚をシャカシャカ動かして、思いのほかに速いスピードで起伏のある森を駆け抜けていく。

「うわっ、ちょっ、これは――わぁーっ!」

 僕は必死になって、背中にしがみつくことしかできなかった。

 ねぇ、レム、君は一体、いつ止まるの?

第106話 糸使い対決(1)

「はぁ……はぁ……」

 アラクネの巣がある森林エリアを脱し、見慣れた石造りの通路に入ってしばらく進み、ようやくアシダカレムの暴走が止まった。

「レム……もう二度と、勝手に走り出さないで……」

「キシィ……」

 僕に怒られたせいか、レムがあからさまに落ち込んだように、がっくりと脚を折りたたんで、胴体を地面にペターンとさせている。心なしか、ギラギラ光る赤い八つ目も、輝きがくすんでいるように見えた。

 そういえば、レムのことを怒ったのって、初めてだったような気がする。魂があるそうだし、やっぱりご主人様からお叱りを受けるのはショックだという感情なんかも、育っているのだろう。

 そう思うと、より一層、可愛く見えてくる。不気味なデカくて黒いアシダカグモの姿でも。

「基本的に、僕が乗る時は指示に従って。でも、魔物に襲われて危ない時は、レムの判断に任せるよ。レムのことは、信じてるから、命を任せられる」

 そりゃあ、僕が創り出したサーヴァントだし、当たり前のことだけど。見るだけで相手を支配しちゃう系のチート能力者でも敵にしない限り、レムが僕を裏切ることはありえない。

「キシャっ、シャアアアア!」

 そんな当たり前の言葉でも、ヤル気を取り戻したのか、レムは元気に吠えた。うーん、蜘蛛のモンスターに威嚇されてるようにしか思えないけど、喜んでいるからいいか。

「それじゃあ、行こう」

「シャ!」

 再び蜘蛛の背に乗っかると、シャカシャカと通路を歩き出した。

 改めて思うけど……これ、物凄い便利だぞ。

 何だかんだで、僕はこれまでダンジョンを歩いて進んできた。時に一人で、時にメイちゃんに裾を握られ、そしてまたある時は、二年七組の美少女達に囲まれて。そんないい思い出なんて何一つないダンジョン歩きだけど、これだけは言える。歩くと、疲れる。

「す、凄い……楽チンだ……」

 人類が初めて馬を乗りこなした時、こんな感動を味わったのだろうか。ほどよいスピードで進んで行くアシダカの背中の上で、僕は乗り物の偉大さを心の底から実感した。

 自分で歩かなくてもいい。何かもう、これだけで物凄いチート能力な気がしてきたよ。

「シャッ」

 通路を抜けて、次の森林ドームへと入ると、ピタリと蜘蛛の足は止まった。

「何かいるの?」

「シャシャ」

 どうやら、魔物とエンカウントしたようだ。

 僕はソロソロと背中から降りて、レッドナイフを抜く。今のところ、僕には気配というか、物音みたいなのは何も聞こえないのだけれど……

「ブゴォオオオっ!」

 すぐに、レムが察知した魔物は現れた。獲物に対して忍び寄る、という概念はないのだろう。怒り狂った豚のような鳴き声をあげながら、ドスドスと大地を駆ける音を響かせて、ソイツは猛然と真正面から突進してきた。

「大猪だ!」

 ずんぐりした体格の茶色い毛皮の獣を見れば、猪というより他はないだろう。黒い蹄をしているから、天道君から貰った素材の中で、レムの足パーツに使ったのと同じ種類と見て間違いない。

 大猪、と言ってもいいくらいのサイズはあると思うけど、ボスではないから、まだ常識的な大きさだとは思う。もっとも、普通に動物の猪に突進されても、ボッキリ骨が折れて重傷だろうから、油断はできない。この大猪は、牙が二本じゃなくて、欲張りにも四本もついてるし。正面衝突したら、貧弱な呪術師など一撃で逝ける。

「糸で迎え撃つ、レム、合わせて」

「キシャアア!」

 真っ直ぐに突進してきてくれるなら、僕でも確実に命中させられる。それに今は『赤髪括り』と似たような酸性の糸を吐けるアシダカの体を持つレムもいる。二人で仕掛ければ、突進も止められ――

「ボォオオオオオオオオ!」

「っ!?」

 ダメだ。僕が投げた『蜘蛛糸絡み』も、レムの黄色い酸性糸も、少しばかり体に絡みついたくらいじゃ大猪はビクともしない。突進の勢いとパワーでもって、糸の波状攻撃を真っ向から突っ切ってくる。

「キシャ!」

「うわっ!」

 吹っ飛んで倒れた。大猪に轢かれたか、と思ったけれど、すぐにレムがすんでのところで弾き飛ばしてくれたのだと気付く。

 危ない。真っ直ぐ突進してくるだけ、といっても相手はゲームのプログラムではなく、現実に生きている魔物という生物。ちょっとくらい横に移動したくらいでは、普通に軌道修正してぶつかってくるに決まってる。

 突進を回避するには、『騎士』や『戦士』の運動能力と瞬発力がなければ、確実とはいかない。

「ブゴっ、フゴっ!」

 僕もレムも何とか突進を避けたせいで、大猪はしばらく進んでから止まり、すぐにまた僕らを狙って振り返る。

 まずい、次の突進は避けきれないだろう。衝突の前に何としても奴を止めなければ。

 けど、どうする、あの勢いじゃあ『腐り沼』を張っても確実に突破してくるぞ。黒い蹄は凄い硬質で頑丈だから、最悪、全く毒沼でも溶かせないかもしれない。いや、『腐れる汚泥人形』なら……ダメか、アレも所詮は泥で体が構成されているから、衝撃にはさほど強くはない。

 ああ、マズい、マズいぞ。少しは強くなった気がしてたけど、ストレートなパワータイプが相手だと、こうも相性が悪いとは。

「ブゴォオオオっ!」

 ちょ、ちょっと待てよ、まだ作戦決まってないから!

 なんて心の叫びをあげたところで、モンスターが止まってくれるはずもない。

「キシャアア!」

 レムは自分の身を盾にしてでも僕を守ると吠えているけれど……体格差を考えると、アシダカの体では、大猪の突進を喰らえばバラバラになるだろう。それは、無為な犠牲というものだ。

「ああ、ちくしょう……あんまり、技みたいなのに頼りたくないんだけど」

 仕方がない。上手くいく保証はないけれど、今、僕が持つ呪術を駆使して、奴の突進を止めてみようじゃないか。

「広がれ、『腐り沼』」

 血の付いた小石を投げて、僕の数メートル手前に展開させておく。ないよりはマシ、あと、目印代わりみたいなものだ。

 不気味な沸き立つ毒沼の出現を目にしても、大猪は全く怯むことなく走り続ける。まぁ、突破力には自信があるだろうから、そうするだろう。

 さて、ここからが本番だ。後はもう、僕がこれまでで培った戦闘経験に頼るより他はない。

「やまない熱に病みながら、その身を呪え――『赤き熱病』」

 久しぶりに使ったから、フル詠唱で。今は少しでも、相手の動きを鈍らせて欲しい。

 効果のほどは、全く実感できないけど。

 ともかく、次の一撃が本命だ。外せば、次はない。

「やあっ!」

 渾身の一投は、黒髪縛りで握ったレッドナイフによる飛刃攻撃。狙いは、奴の左前脚。

「ブォオオオオオオオオオオオオオオオオっ!」

 よし、命中だ!

 やや胴体よりの肩口だけど、ちゃんと当たった。突き刺さったレッドナイフは轟々と火を噴いて焼いてくれているだろうけど、もう相手まで十メートルを切った至近距離にまで詰め寄っていれば、大猪も根性を見せて走り続ける。

 だから、奴を止めるにはもうひと押しが必要なんだ。

「行けっ! 『逆舞い胡蝶』!」

 左手にケチらずたっぷりとっておいた傷薬A。それを全て発動につぎ込む。輝く蝶が群れとなって飛び立ち、迫りくる大猪へと殺到していく。

「プギィイイイっ!?」

 そして、突き刺さるレッドナイフの傷口に触れれば、奴はもう走っていられないほどの激痛に襲われる。甲高い悲痛な叫び声を聞きながら、僕は無我夢中で左側へとダイブした。

「――やった、倒れたぞ!」

 ダイブから起き上がって、僕はようやく、大猪が転倒したことを確認する。倒れる瞬間を眺めていられるほど、余裕はなかったからね。

 蝶による激痛で、大猪は左前足の機能を失い、そこから崩れ落ちるように転んだ。それによって突進のルートがズレたから、僕がダイビングする程度の回避力で何とかなったのだ。

 けれど、『逆舞い胡蝶』は傷に当たると痛いだけで、さらに傷口を広げて追加ダメージを与えるワケではない。大猪はガクガクと足を震わせながらも、すぐに立ち上がろうとする。

 けど、奴が足を止めたこのチャンス、逃すワケがないだろ。

「行けっ、レム! 『黒髪縛り』!」

「キシャアアアアアアアアアアっ!」

 僕は渾身の黒髪縛りで立ち上がろうとする大猪を地面に繋ぎ止め、その間に、レムが飛びかかって圧し掛かる。

 アシダカレムは酸性糸を吐きまくり、大猪の野太い胴体をグルグル巻きに縛りあげた上で、鋭い鋏角を備えた口で頭に齧りついた。

 それからは、死にもの狂いで大猪が暴れ回る。まるで、蜘蛛の巣に捉えられた羽虫のように、もがき、苦しみ……それでも、僕とレムは、一度捕らえた獲物を決して離しはしない。

「……はぁ、はぁ……やっと、死んだか……」

 どれだけの間、僕は奴を縛り続けただろう。ブヒブヒ叫びながらのたうち回る大猪が、ついに沈黙した。

「キシャ!」

 レムは口元を真っ赤に染めながら、勝利の雄たけびをあげるように、大猪の上で叫んだ。

「結構、危なかった……やっぱり、ソロだと厳しいな」

 きっと、野々宮さんや芳崎さんからすると、この大猪など片手間で倒せる雑魚モンスターでしかないだろう。相性が悪かった、というのもあるけれど、ダンジョンの中では言い訳にもならない。

 僕を倒すには、大猪くらいのパワーさえあれば楽勝なのだ。ボスモンスターでなくても、そこらの魔物でも普通に持ち得るスペックだ。

 初期の頃に比べれば、今の僕はかなり強くなった方だけど……やはり、呪術師のソロプレイは雑魚モンス相手に即死もありうるハードモードである。

「これは、誰でもいいから、早いところ仲間を見つけないと」

 ただし横道は除く。ガチの猟奇殺人鬼はノー、アイツはもうゴーマと同じ魔物みたいなものだし。

「レム、とにかく先を急ごう」

 この際、大猪からとれるコアも諦めよう。こんな血生臭いところにいると、他の魔物がいつ寄って来るとも限らない。

「シャっ!」

 と、レムが鋭く鳴いたのは、ただの返事ではなく……うわ、マジかよ、もう次の魔物が現れたってのか!?

「レム、どこから来る!」

 鈍い僕は相変わらず、魔物の襲来を察知できない。静かな森にしか思えないけれど……

「キシャっ!」

 答えの代わりに、レムは口から糸を吐いた。酸性糸のシャワーは、前後左右、そのどこでもなく、頭上であった。

「っ!? 『蜘蛛の巣絡み』っ!」

 ピンと来たのは、二度目だったからか。僕は何も考えず、直感に従ってレムが噴き出した空中へと黒髪の投網を放った――次の瞬間、上空より真っ白い糸が絡みついてきた。

「うわっ、わあっ!」

 慌てて走り、木陰へと移動。蜘蛛糸の網は、殺到する白い糸の束をへばりつかせながら、ゆったりと落下していく。その糸の塊が地面に落ちるよりも前に、襲撃者は僕の前へと姿を露わした。

「キョアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」

 女の金切声のような不気味な雄たけびを上げるのは、上半身が人型で、下半身が蜘蛛型である、

「アラクネ……まさか、僕を追いかけて来たのか」

 そうとしか思えなかった。アラクネの顔の見分けなんかつかないけれど、コイツらがゴーマみたいに何匹もその辺をウロウロしているとも思えない。

「キシシ、キシ、キシキシキシキシ」

 必殺の奇襲が失敗したのに、逃げずに堂々と正面対決を選んだのは、よほど自信があるからか。それとも、危険を承知でも一度捕らえた獲物は逃がさないという執着心があるからか。

「ここで、倒すしかない」

 全力疾走のアシダカレムに乗って移動したにも関わらず、こうも簡単に追いつかれたのだ。移動速度は圧倒的にアラクネの方が上。ついでに、逃げた獲物を追いかける追跡力も。

 僕がアラクネから逃げ延びるには、もう、倒すより他はないのだ。

「来いよ、欲張って僕を追いかけてきたこと、後悔させてやる!」

 後がないから、せめて威勢よく声をあげながら、僕はアラクネへと挑むことを覚悟した。

第107話 糸使い対決(2)

 動いたのは、同時だった。放つのは、糸。

 僕もレムもアラクネも、メインの攻撃手段はコレである。糸の撃ち合いになるのは当然だった。

 立ち位置はアラクネを中心に、僕が前、レムが後ろ。二体一の構図を生かして、僕は『蜘蛛の巣絡み』を放ち、レムは酸性糸のシャワー。

「うっ――クソ、流石は本職か」

 前後の糸攻撃を、アラクネはこともなげに防ぎきり、なおかつ、僕らに対して反撃までやってきた。

 アラクネが糸を放つのは、尻の先だけではなく、両手の指先と口。レムの糸を尻から出した糸束で絡め取り、僕の『蜘蛛の巣絡み』は両手で放った糸で払いのけられ、残った口から吐き出す糸が、僕へと襲い掛かった。

 僕は蜘蛛の巣を撃つと同時に、身を隠そうと木陰まで移動しようといていたところに、アラクネの口糸が飛んできて、そのまま体を隠れようとしていた木に縛り付けられるように着弾した。

 けれど、幸い、それほど大量の糸束ではなかったこと、腕は封じられなかったことから、すぐにレッドナイフで切り裂いて拘束を脱する。

 しかしコレ、レッドナイフだから簡単に切断、というか溶断、できるけれど、普通のナイフだったらベタベタ引っ付いてすぐに切れなかったろう。危ない、装備次第では、速攻で詰んでいた。

「キシャっ、シャーっ!」

 僕が脱出している間、レムがアラクネの注意を引いてくれていた。木々の間をシャカシャカと素早く動き回りながら、糸を吐きまくる。狙いを定めるというより、とりあえず撃ちまくって注意を引くことに専念している感じ。

 流石はレム、自分の役回りをよく理解している。体は違っても、魂が共通だとこういう時に強い。知識と経験は、全て引き継がれているのだから。

「キシシ」

 しかし、アラクネはレムの思惑など見えているとばかりに、その場を動かずに、優雅に糸の波状攻撃を放ち始めた。

 尻から糸束を撃っては逃げ回るレムを狙い撃つ。両手は振るうと、指先から放たれた糸がネットのように絡まり合って大きな面を形成し、木々の間に張り付いて臨時の盾として展開させていた。レムが撃ちまくる酸性糸は、このネットの防壁によってラッキーショットさえも許さずに防がれる。

 口の方は、いざという時に備えているのか、糸は出していない。

 攻撃に防御に、非常時の保険。アラクネの戦い方は単なる野生の魔物というより、人に近いような気がする。曲がりなりにも、半分は人型の体を持つからだろうか。

 そんなことより、僕も早く援護しなければ、レムが危ない。

「逃げ足を絡め取る、髪を結え――『黒髪縛り』」

 奴がレムの方を向いている今が、正攻法での『黒髪縛り』を仕掛けるチャンス。アラクネの地についた六本脚の先から、フル詠唱によって十全な耐久力を備えた黒髪の束がドっと湧き上がる。

 どこまで拘束力があるかは疑問だが、とにかく、目いっぱいの出力で足を絡め取る。

「キシ、キョォアアアア!」

 突如として地面から生えた髪の毛に六本脚を掴まれ、アラクネは声を荒げる。これをやったのが僕だと認識しているのだろう。上半身を捻るように、僕の方へと向き、両手を振り上げる。

「今だ、レム! 食らいつけ!」

 叫びながら、右手にレッドナイフ、左手に普通のナイフ。アラクネに向けて、飛刃攻撃を仕掛ける。アラクネにはまだ口と両手が空いているから、僕の二刀投擲は防がれるだろう。

 けれど、その真後ろからレムが飛びかかって来れば、対処のしようはない。腹から生える六本足を縛っているから、尻の糸も射角は制限される。自ら直撃コースを進むほど、レムは間抜けではない。

「キシャアアアアアアアっ!」

 素早く地を駆けて、大きく跳躍してアラクネの無防備な背中に向けて牙を剥くアシダカレム。アラクネも背後の脅威に気づいてはいるだろうけど、奴の両手は僕が飛ばしたナイフを防ぐのに使ってしまっている。器用に編まれた指先ネットによって、ナイフはあえなく絡め取られ、僕が繋がった触手を操っても簡単には抜け出せそうもない有様。

 でも、これでいい。アラクネはどう見ても接近戦に長けたタイプじゃない。レムが食らいつけば、振り払うのは難しい。一度レムが張りついてしまえば、僕はさらに黒髪縛りで援護して、そのまま押し切る。

 行ける――という希望は、次の瞬間にあっけなく砕かれる。いや、一刀両断されたというべきか。

「キッ、シャァ……」

 レムの体が、真っ二つに割れた。まるで、剣士の武技によって袈裟懸けに斬られたように。

 アラクネの背中に、もう爪先が届こうかというところで、レムの蜘蛛の体はあっけなく二つに分断されて崩れ落ちた。

 断面から噴き出る青い血が、不気味な血だまりを作る。そこへ、ポタリ、と青い血の雫が落ちた。

 ソレは、アラクネの背後に引かれた、一本の線。

 見えないほど細い、けれど、魔物の体を引き裂くほどの強度を持つ、鋼のようなワイヤーであった。

「く、くそ……最初から、誘っていたってことか……」

 アラクネが動かず糸で応戦するだけだったのは、このワイヤートラップを張っていたからだろう。

「キシシ」

 アラクネが笑う。笑いながら、両手の指先から放ったのは、レムを切り裂いたのと同じ硬質な蜘蛛糸ワイヤー。コレを地面の影から生える黒髪縛りに絡みつかせる。ブチブチとあっけなく引き裂かれていく音が、妙に響いて聞こえた。

「やばい、やばいぞ、これ……」

 アラクネは僕の『黒髪縛り』を遥かに凌駕する糸使いだ。量、質、操作性。僕が優れているのは、影からも出せるというくらい。

 だから、コイツと真正面から糸の撃ち合いをしたって、すぐに負ける。

「ちくしょう、『腐り沼』――っああ!」

 勝負すら、させてはもらえなかった。

『腐り沼』を展開して、『逆舞い胡蝶』をバラ撒いてめくらましにして、ひとまずは逃げの一手、とか思ったけれど、僕は血の付いた石を投げようとしたところで、あっけなくアラクネがぶっ放した糸の一斉発射の前に捕らえられる。

「キシシ、キシ、キシ」

 逃げ出した獲物を無事に回収できて、満足しているのか。捕まった時と同じような声をあげながら、糸が巻きあげられていく。

「くそ、くそぉ!」

 気を付け、をするように腕と胴体が糸の束に巻きつかれて、身動きが取れない。両足は自由だけど、バタバタさせたところで意味はない。僕は無様にジタバタしながら、糸に引かれてズルズルと地面を引きずられていくのみ。

 アラクネの足元には、すぐに到着してしまう。

「キシ、シャアアアアアっ!」

「ひいいいっ!」

 僕の頭上で、アラクネは鋏角のついた大顎を開く。

 一度、脱走した経験があるから、今度は麻痺毒を注入されるだけでなく、本格的にトドメを刺されてしまうかもしれない。

 一撃で致命傷を貰えば『痛み返し』で道連れにできるけど……それじゃあ、意味がないんだって!

 でも、ダメだ、もう僕に残された手札では、どうにもなら――

「キッ、ギィイイアアアアアアアアアアアアアアアっ!」

 突如として、アラクネの胸から鋭い刃が生えた。

 刺されたんだ。後ろから。

 誰が? いや、そんなの、見れば分かる。アラクネの胸を貫いた刃の形は、ナイトマンティスの鎌と同じなのだから。

「レム!」

「グゴゴ、ガァアアアアアアアアアっ!」

 雄たけびと共に、アラクネの胸元を大きく切り裂き、さらに、返す刀で首を落とす。突然の不意打ちによって致命傷を負ったアラクネは、あっけなく地面へと倒れ伏した。ドクドクと流れゆく血を見て、コイツのは赤いのか、なんてことをボンヤリと思ってしまった。

「はぁ……ありがとう、レム、マジで助かったよ……」

「ガガ」

 アラクネの背中から、人型の初号機レムが降り立つ。ガキン、と血の付いたカマキリブレードを格納する様が、今はやたらカッコよく見えた。

「よくここが……いや、アシダカの感覚もあるから、場所はすぐ分かるんだよね」

 だから、よく間に合ってくれた、という方が正解だろう。レムの方も、いきなりアシダカがやられたから、かなり焦ったんじゃないかなと思う。

「ともかく、これで一安心だよ」

 追跡者たるアラクネは倒れ、僕の最大戦力である初号機レムとの合流も果たしたのだから。ようやく、僕のソロ攻略にも光明が見えたというものだ。

「よし、それじゃあ……」

 早速、出発だ、と、その前に、やるべきことが僕にはあった。

 ほら、そこに、アラクネの死体があるじゃろ?




「おお……中々の出来じゃないか!」

 魔力切れが心配だったけれど、無事にアラクネを『怨嗟の屍人形』に仕立て上げることに成功した。

 黄色と黒の女郎蜘蛛のようなカラーリングは、黄色部分が紫色になり、如何にもアンデッド的な色合いに変わっている。目に見える変化といえばその程度で、あとはアラクネそのままの姿をしている。まぁ、泥人形と違って屍人形は素材をそのまま生かす形で使うから、外観の変化は色くらいのものだ。

 姿がそのままということは、その身に宿す能力もそのままということで……

「キシャっ!」

 僕の思いに応えるように、アラクネはさっきの戦いの中で見せた、蜘蛛糸テクニックの数々を披露してくれる。口と尻から糸を吐き、指先から放つ糸は瞬時にネットのように編むこともでき、そして、アシダカを仕留めた例の鋼鉄ワイヤーも出せた。

「改めて見ると、やっぱり凄いな……僕も、これくらい使えるようにならないかな」

『黒髪縛り』の三つ編みから始まり、『赤髪括り』の発明、それから『蜘蛛の巣絡み』という技も編み出した。これまで『黒髪縛り』は僕の期待に応え続けてきた。ならば、練習次第では僕もより硬質な鋼鉄の黒髪触手とか、より蜘蛛糸に近い粘着質の糸だとか、そういうのも再現できるようになるかもしれない。

 思うに、新たな技の習得に重要なのは、本物を目で見て触って理解を深めること。イメージが明確な形になっていれば、魔法の理はそれに応えてくれる……はずだ。

 折角、アラクネというちょうどいい見本がいるのだから、この機会に練習していこう。まぁ、こんなところでのんびりしていられないから、妖精広場についてから詳しく考えよう。

 さっさと出発すべきではあるけれど、僕はもう一つ、確認しておきたいことがあった。

「ねぇ、レム、それってもしかして……」

 レムはその背中に、二振りの武器を背負っていた。それを問えば、レムは右手と左手に、どこか見覚えのあるソレを握って、僕に見せてくれた。

「やっぱり、野々宮さんの槍と、芳崎さんの斧だ」

 見覚えがあるのも当然。短い間だったけれど、それでも共に蘭堂さんのレベリングと、地底湖で死闘を潜り抜けた、仲間の武器である。

「ひょっとして、餞別ってやつ?」

「ガガ」

 レムが頷く。人の言葉を喋れないレムには、それ以上の説明をすることはできない。でも、十分だった。

 あの状況下で、僕は死んだとみなして追いかけないという判断は正しい。残念ではあるが、恨む気持ちはない。

 それでも、僕の下へ向かうレムを見て、みんなはそれなりに応援してくれるだけの気持ちはあったということなのだ。それも、野々宮さんと芳崎さんが、わざわざ使い慣れた愛用の武器を持たせるくらい、思ってくれた。

「ギ、ゴゴ」

 レムは続けて、鞄の中から、布に包まれた丸いモノを取り出す。

「これもそうなの?」

「ガガ」

「蘭堂さんから?」

「ガッ」

 ノー、ということは、天道君からってことになる。一体、何なんだろう……

「うわっ!?」

 布の包みをとると、出てきたのは髑髏であった。

「な、な、何だよ、スケルトンの首なんか寄越して、どういうつも――」


『召喚術士の髑髏』:天職『召喚術士』を授かった者の髑髏。


「っ!? ま、まさか、これ……」

 直感薬学が働き、これがスケルトンの頭ではなく、別物であると教えてくれた。その名前、説明文からして……間違いなく、クラスメイトの誰かの髑髏だ。

 このダンジョンで天職を授かった者といえば、僕ら二年七組の生徒しかありえない。そして、この髑髏を天道君が持っていたということは、彼もまた、すでにクラスメイトの誰かを殺しているということだろう。

 もし、敵ではなく仲間として認めていた者の遺骨であったなら、僕に餞別としてくれるはずはない。これは、天道君にとっては、数ある戦利品の内の一つに過ぎないもので、呪術師という禍々しいイメージの天職を持つ僕に贈るには、ちょうどいい餞別だったといったところか。

「こんなの、どう使えっていうんだよ……」

 今すぐレムの素材として取り込んでも効果はない、っていうのは何となく察した。直感薬学が働けば、他の呪術の素材としてどうなのかも、ある程度まで分かるといった感覚。

 現状、僕にとっては無意味に不気味なインテリアにしかならない本物髑髏だけれど……わざわざレムに持たせたということは、天道君なりに、何か思うところがあるということだろう。

 とりあえず、天道君の思惑なんて、本人がいない以上、知る由もない。召喚術士だった誰かの髑髏の利用法は、ひとまず保留。

「ところで、蘭堂さんからは何もないの?」

「ガガ、ゴ、グガガ!」

 どうやら、これが本命らしい。蘭堂さんとは一番仲良くなれた気がしてたのに、何も餞別がなかったら、ちょっと、いや、結構寂しかった。別に、何か役に立つモノをくれよってワケじゃない、こういうのは気持ち。この際、ボールペンとか消しゴムとか、彼女のモノなら何でもいい。

「ゴガガっ!」

 ジャーン、と鞄の中からもったいぶって取り出したのは、何だこれ、小さな布きれ?

 もしかして、ハンカチでも持たせてくれたのかと思って、レムから受け取り開いてみると……僕の目の前には、野性的な魅力全開の、豹柄の布地が翻った。そしてソレは、ハンカチのような四角形ではなく、三角形に近い形状をした、つまり、その布の正体は――

「うわっ、これ、パ、パンツ……圧倒的パンツ!」

 どこからどう見ても、そうだとしか思えない。

 蘭堂さん、サービス良すぎだろ。

 でも、ぶっちゃけて言おう。嬉しい。僕はコレを貰って、心の底から湧き上がる歓喜の念を抑えられないでいる。ワクワクが止まらねぇ……

「ありがとう、蘭堂さん……僕、頑張るよ」

 この際、僕が蘭堂さんのパンチラを期待して見ていたことがバレていたのかとか、僕がパンツ貰って喜ぶような男だと思われていたのかとか、今の蘭堂さんはノーパンでダンジョン攻略しているのかとか、気になることは色々あるけれど、ひとまず置いておこう。

 僕は彼女の豹柄パンツを貰って、確かに、この過酷なダンジョンをソロで進み続ける勇気が湧いたのだから。

 マジでありがとう、蘭堂さん。実に男心が分かっていらっしゃる。

 ちなみにこのパンツ、洗濯したての石鹸の香りがした。べ、別に、ちょっと残念とか、思ってないんだからね!

第108話 鍋

 温かい皆の気持ちを受け取り、ほどほどに勇気と希望が湧いたところで、今度こそ出発だ。貰ったモノは気持ちだけでなく、しっかりと有効活用させてもらおう。レムは芳崎さんの斧を握り、アラクネは野々宮さんの槍を握り、僕は蘭堂さんのパンツを握り、いや、貴重品として厳重に鞄の底に保管して、準備も万端。

「うーん、乗り心地はアシダカの方が良かったかも」

「キシ、キョアァ……」

 乗り物の快適さの味を占めた僕は、颯爽とアラクネの背中に跨ってみたが、アシダカよりも腹部が丸く膨らんでいるから、足場があまりよろしくない。乗れないほどでもないけど、長時間乗っていると確実に疲れるだろう。

「別に謝らなくてもいいよ。とりあえず、このまま行ってみて」

「キシャっ!」

 ソロソロと歩き出したアラクネと、それに続くレム。今やレムの人型は、すっかりご主人様である僕よりも肉体的にはタフになったようで、この起伏の大きな森の中でも、飛んで跳ねてよじ登って、元気よく突き進んで行く。

 これだけの移動力がなければ、アラクネ戦にも間に合わなかっただろう。本当に、天道君からの報酬の素材を贅沢に使って、強化しておいて良かったよ。

 そんなワケで、レムの健脚と、アラクネの蜘蛛としての機動性が合わさり、道行は順調そのもの。

「ブゴ、ブゴッ! ボォオアアアアアアアアアアアアアっ!」

 茂みの向こうから、突如として大猪が突撃してきても、

「シャアアアっ!」

「ガガォオッ!」

 アラクネの圧倒的な量の粘着糸により大猪も突進を止められて、グルグル巻きになって転んだところで、大振りの芳崎アックスを振り上げたレムが、情け容赦ない強烈な一撃を叩き込む。

「おお、この二人が揃えば、大猪も瞬殺だよ」

 僕とアシダカのコンビであれほど苦戦した強敵を、こうも一方的に仕留められるのだ。感動もひとしおである。ついでに、レムが鋭い貫手で大猪のどてっ腹をぶち抜いたかと思えば、血塗れのコアを一発で取り出してくれたりして、さらに嬉しい。レム、戦闘能力だけでなく、コアの摘出技術も上がっているとは……どこまでも向上心の高い奴である。

「僕一人でも、こんなに戦力が充実する日が来ようとは」

 レムとアラクネのコンビ、いやまぁ、中身はどっちもレムなので実質一人だけど、ともかく、頼れる味方のお蔭で、ちょっとくらい雑魚モンスターに絡まれても、余裕で対処ができる。

 ゴーマの小隊や赤犬の群れといったお馴染みの面子をはじめ、この大きな森林ドームには他にも、鋭い爪を持ってピョンピョン跳ねて襲い掛かってくる猿のような奴や、麻痺毒持ちの黄色い毒カエルや、腐食液を吐いてくる小っこいバジリスクみたいなトカゲなど、色々と出現した。だが、どれもレムとアラクネの敵ではない。一応、僕も『黒髪縛り』とかで援護なのか嫌がらせなのか、微妙なラインの支援もできるし。

「結構、素材も溜まってきたなぁ」

 折角、いろんな魔物を倒してきたから、コアは勿論、使えそうな素材もできるだけ剥ぎ取って来た。ゴーマからは例によってマシな武器を厳選して、他の魔物は爪や牙や毒腺など。大猪は美味しい肉が食べられると直感薬学が教えてくれたので、ほとんど丸ごと持ってきた。

 数々の素材は、アラクネが糸で包んで背中に置いている。大猪なんかの大物は、僕を捕まえた時のように繭で包み込んだ上で、そのまま引きずっている。アラクネは細身だけれど、普通の人間よりも遥かに強いパワーを持っているから、多少大きな獲物を引きずって歩いても、さして労力にはならないようだ。

 でも流石に嵩張った荷物を持って歩くのはアレだし、そろそろ妖精広場につきたいものだ。あんまり遠いようだったら、捨てていくこともやぶさかではない……

「ガ」

 先導するレムが、敵発見の合図を上げる。ピタリとアラクネは止まり、僕は静かに降りて、レムが示す方向をそっと覗きこんだ。

「うわっ、結構な数がいるな」

 茂みを覗き込んだ先にいたのは、ゴーマの群れだった。ここから、ゆるやかな傾斜を下った先に川が流れていて、そこの河原でゴーマの部隊が休憩をしているようだった。

 赤犬や猿、他に鹿のような魔物の死骸があって、それぞれ血抜きをしたり、皮を剥いだりと、狩った獲物の加工も行っていた。

「なんだ、アイツ……一体だけ、随分とデカいヤツがいるぞ」

 ゴーマは僕と同じ程度の背丈で小柄だから、奴らの中にあって、確実に頭一つ分は大きい個体がいた。どうやら、部隊の隊長のようで、獲物の加工は下っ端に任せて、自分はふんぞりかえって、何かギャーギャーと言っている。

「あっ、もしかしてアイツ、ゾンビになってた奴なのか」

 初見のはずなのに、どこかで見覚えあるような気がしたのは、これまで散々、戦ってきたゾンビと似たような姿だからだ。あのゾンビ、どうにも背は高いけどゴーマっぽいから、そういうタイプの奴もいるのだと思っていたけど、こうして実物を前にすると、それが本当であったと証明された。

 もっとも、コイツは狩り部隊のリーダーだからか、ゾンビになってた奴らに比べると、逞しく筋肉が隆起しているマッシブな体型だけど。

 ともかく、明らかに普通のゴーマよりも強そうな奴が率いている以上、要注意だ。初見の相手はできれば避けたいところだけれど……ここは先に奴らを発見した、先手をとれる状況を生かそう。この先、マッチョゴーマも普通に出現するようになるかもしれないし。

「それじゃあ、やるか」

 まずはアラクネに動いてもらう。蜘蛛の魔物だし、元から粘着糸を飛ばして獲物を捉える狩人だから、隠密行動はお手の物。のんびり狩りの獲物を処理しているゴーマ部隊に気づかれないよう、周囲に蜘蛛糸を張っていく。

 開けた河原で、大人数を相手に突っ込むのは愚策。それは、奴らが何体いても平気で蹴散らせる戦力がなければ、やってはいけない。今のレムならやってやれないこともなさそうだけど、リスクは避けたい。あのマッチョゴーマの実力も、未知数だし。

 そんなワケで、できるだけ有利な状況を作り上げてから、仕掛けるのだ。

「キシシ」

「よし、準備完了だな」

 最後に、僕はアラクネが木の上に作ってくれた、粘着力のない糸だけで編んだ蜘蛛の巣の上に陣取る。別に、僕もわざわざ敵の前に姿を晒さなくちゃいけない道理はない。木の上に隠れ潜み、援護に徹するだけで十分だ。他のクラスメイトが仲間だったら、こんなチキンプレイは許してくれそうもないけど、レムもアラクネも僕の忠実な下僕だから、こういう保身的なこともガンガンやっていけるのは、精神的にも強みだ。

「――広がれ『腐り沼』」

 木の上から、遠隔展開用の血の付いた小石を投げ込んで、戦闘開始だ。

『腐り沼』はちょうど砂利が広がる河原と森の境目あたりに展開。音もなく、ドロドロと毒沼が広がるだけだから、これだけでは、まだ奴らは気付かない。

「シャアアアっ!」

 そこに、アラクネが尻尾から糸を飛ばし、河原で作業中のゴーマを捕え、そのまま展開中の『腐り沼』へと引きずり込んで、ようやく、ゴーマ部隊は奇襲されたことに気が付いた。

 強酸性の水辺に放り込まれてゴーマが絶叫を上げると共に、お仲間が襲撃者の姿、つまり、アラクネと、その隣に立つレムを確認して、一斉に憤怒の雄たけびを上げて駆け出す。隊長のマッチョゴーマも、やっちまえ、とばかりに剣を振り回して手下をけしかけている。

「キシャっ!」

「――『赤髪括り』」

 真っ直ぐに突撃してくるゴーマ達に対し、アラクネは続けて糸で絡め取っては沼に放り込み、僕は沼からそのまま編み上げた『赤髪括り』を出せるだけ出して、届く範囲の奴らにけしかける。

「ンバァアアアアアアアアアっ!」

「オガァアアアアアアっ!!」

 毒沼に落ちた者、あるいは、『赤髪括り』の束に巻きつかれた者は、即座に皮膚が焼け爛れ始め、その苦痛にのたうちまわって叫び声を上げる。即死はしない、けど、とてもマトモに戦える状態ではない。そういう負傷者へのトドメは、後回しでいい。

 五体か六体は、これだけで戦闘不能まで追い込んだ。だが、まだまだ奴らは怯まず押し寄せてくる。この毒沼だけで防ぎきれる数ではない。

 僕が指示の声を出すまでもなく、レムとアラクネはちょうどいいところで見切りをつけて、森の中へと引き返す。

「ゾブラ、ゲブ、ボァレェエエエ!」

「奴らを逃がすな、追え!」 とでも言っているのだろうか。相変わらず意味不明な汚いゴーマ語を叫びながら、マッチョ隊長も大振りの斧を携えて最後尾を駆けだす。

 よし、いいぞ、森の中はバッチリ蜘蛛の巣を張りまくったトラップゾーンだ。無策に突っ込んできてくれるのは大歓迎。

「ムゴっ! ウガァアアアア!」

 早速、間抜けな獲物が一匹かかったようだ。続けて、二匹、三匹、同じような声が響きわたってくる。

 ゆっくり逃げるアラクネとレムに対し、左右から挟み込むように動いた奴らが、その先で蜘蛛の巣に引っかかったのだ。アラクネの粘着糸で編まれた蜘蛛の巣からは、そう簡単に逃れることはできない。レッドナイフのような、焼き切ることができる魔法の刃でもない限り。

「広がれ、『腐り沼』」

 ほどほどにゴーマが追いついてきたところで、『腐り沼』の第二陣を展開。こっちは、あらかじめ六芒星の魔法陣付きでセッティングしたモノだから、第一陣よりもさらに広く、深い。その『腐り沼』を盾にするように、アラクネが回り込む。背後と左右は蜘蛛の巣で封鎖済み。そしてレムは、泥人形は『腐り沼』で溶けないという性質を生かし、沼のど真ん中に堂々と立って、追ってくるゴーマどもを待ち構えた。

「バァアアアアアっ!?」

 そして、例によってアラクネの糸に囚われて沼に引きずり込まれ、僕もまた『赤髪括り』の束を操作して、ゴーマにダメージを入れていく。

 勿論、それだけで全滅まで追い込めるほど甘くはない。まだまだ僕とアラクネの攻撃が及ばない連中は沢山おり、そいつらは武器を構えて……明らかに、毒沼に踏み込むのを躊躇していた。

「ガァアアアアアアアっ!」

 そんな水場でビビってるゴーマを、レムが斧で一撃。それから、メイちゃんのように雄たけびを上げながら、斧を振り回して次々とゴーマへと斬りかかっていく。狂戦士を真似するかのような荒々しい戦いぶりだが、ちゃんと自分は毒沼も平気、敵は毒沼で溶ける、というアドバンテージを理解した上で、ゴーマに囲まれないよう、毒の水辺を行ったり来たり、上手く立ち回りながら戦っている。

「グォオオオラァアアアアアアアアアアアアアアっ!」

 ゴーマの半分以上が死亡か負傷といった中で、ついに奥の方から手下の情けない体たらくに業を煮やしたように、怒り狂った雄たけびを上げて、マッチョゴーマが駈け込んで来た。いよいよ、ボスとの戦いだな。

「シャアアっ!」

 アラクネは真っ先にボスゴーマへと糸束を飛ばす。

「ウォガっ!」

 尻から放たれた粘着糸の束は、ボスゴーマが振るった斧の鋭い一撃によって、あっけなく切り裂かれる。あの斧、そんなに業物なのか……いや、あれは『武技』だ。恐らく『一閃スラッシュ』あたりだろう。委員長パーティの時に、剣崎や夏川さんが使っているのを散々見てきたから間違いない。

 ちっ、ゴーマのくせに、武技まで習得しているとは。ただ図体がデカいだけでなく、武技の力まで持っているとなると、見た目以上の危険度だ。

「厄介だな……」

 けど、どうにもならないレベルでもない。

「キシャアアっ!」

「――『黒髪縛り』」

 アラクネは尻と口の両方から糸を吐き出し、僕はそれと合わせて『黒髪縛り』を発動。

 再び『一閃スラッシュ』でアラクネの糸を迎え撃つが、それで切り払えるのは尻尾の糸のみ。タイミングと軌道を変えて放たれた口の糸までは防げないし、同時に僕の『黒髪縛り』も足元から這い上がってくる。

「ムガガっ、ンガァアアアアアアアアっ!」

 腕に絡みつくアラクネの糸と、足首を縛る黒髪。けたたましい雄たけびと共に、そのマッチョな筋肉が大きく隆起し、力づくで解こうとするが、

「グガアアアっ!」

 その隙を逃さず、レムが襲い掛かる。

 肉厚の斧の刃は、情け容赦なくボスゴーマを袈裟懸けに切り裂いた。かなりの深手。だが、ボスゴーマは血飛沫を上げながらも、さらに吠える。

「ガガ!」

 けれど、それだけ。隙なく、二撃目をレムが叩き込めば、ついにボスゴーマも膝を屈して倒れ込む。そこからさらに、レムはボスの首を斧で落とし、完全にトドメを刺し切った。

「グゲっ!?」

「ブベァアアアア!」

 ボスが割とあっけなく斬殺され、ようやくゴーマ共も勝ち目がない戦いだと理解したようだ。情けないダミ声を上げながら、一目散に逃げ出していく――その先で、張ってあった蜘蛛の巣に絡め取られて、結局、逃げ切れた奴は一匹か二匹かといったところ。

「ふぅ、大した奴じゃなくて、良かった……二人とも、お疲れ様!」




 マッチョゴーマ率いる狩猟部隊を倒した後、進むこと約三十分。僕らはついに、妖精広場を発見した。

「あぁー、やっと落ち着いて休めるぅ……」

 ソロになると、安全地帯のありがたみも倍増である。

 荷物を放り出し、ゴロンと柔らかい芝生の上に寝そべると、もう起き上がれない。ちょっと、おやすみなさい……

 そんな感じで、一も二もなく眠りついた僕は、思うさま惰眠を貪ってから、ようやく目覚める。

「んん……?」

 ぼんやり寝ぼけ頭に、パチパチという音が聞こえてくる。見れば、赤々とした焚火が灯っていた。

「ガガ!」

「ああ、うん、おはよう」

 レムが仰々しく頭を下げて挨拶してくれる。どうやら焚火を起こしたのはレムのようで、その傍らには薄らと白い油と筋の浮いた赤い肉の塊が、大きな葉っぱの皿の上に乗っていた。

「もしかして、大猪の肉?」

「グガ」

 頷いて肯定してくれるレム。

「キシシシ」

 そこに、妖精胡桃と水が満タンになったペットボトルの水を持った、アラクネも現れた。

「ありがとう、ご飯、食べるよ」

 食事の用意までしてくれるレムの成長ぶりに感動しながら、僕はありがたくいただくことにした。

 起き抜けではあるけれど、沼地の妖精広場で蛇のかば焼きを食べて以来、肉を口にしていない。普通に腹は減っていたし、レムがメイちゃんの見よう見まねで大猪の肉を焼いている内に、さらに空腹感は増していった。ああ、この肉の焼ける臭いが、堪らない。

「――ん、ちょっと固いし臭みもあるけど、普通に美味い」

 やはり豚肉に近い味わい。固さと臭みは、処理と調理の問題だろうか。メイちゃんがやってくれたら、きっと絶品になりそうな気がする。

 早く合流して、一緒に猪肉にかぶりつきたいものだ。

「ごちそうさま」

 さて、睡眠もとって、腹も膨れて、次の行動を考えよう。

 とりあえず、一人でもダンジョンを進むことに変わりはない。一応、コンパスもこの広場を出た先に広がる、次なる大森林ドームの奥を示しているから、道は開けている。

「先は急ぎたい、けど……」

 レムとアラクネは心強い味方だけれど、やはり呪術師の僕としては、他の仲間がいないのは大いに不安なところ。少なくとも、地底湖の巨大ワニ型リザードマンみたいなボスが相手になれば、勝ち目がない。

「出来る範囲で、備えるしかないか」

 メイちゃんか蘭堂さん達、どちらかでもいいから一刻も早く合流したい。けど、焦ったところでどうしようもない。

 いいさ、どうせ一人なのだから、時間も気にせずゆっくりと準備に実験と、色々やっておこう。

「そういえば、コレ、まだ一度も試したことなかったんだよなぁ……」


『魔女の釜』:魔女の持つ釜は、ただ煮炊きするものに非ず。魔法と呪いと薬毒とを生み出す混沌の器。


 そう、『蠱毒の器』とセットで獲得した、ルインヒルデ様の言う『混沌の器』シリーズである。

 この呪術を習得したのは、バジリスクを倒した後だったから……転移した先で樋口と再会して、奴をぶっ殺してやった後は、蘭堂さんに拾われて、と、立て続けに仲間が変わっていったから、このどう見てもクリエイト系の呪術をゆっくりと試す時間も余裕もなかったのだ。

 でも、一人になった今こそ、コイツの性能をじっくりと検証できるというもの。

「ちょうど、毒が作れそうな素材もあるし」

 僕が呪術師となってから、もう随分と経ったような気がするけれど、今こそ、毒薬デビューを果たす時なのかもしれない。

第109話 鍋のある生活

「よーし、やるぞっ!」

 初めて発動させる『魔女の釜』は、土などで鍋状の土台を作るところから始まる。『汚濁の泥人形』のお蔭で、泥遊びスキルには多少の自信がある僕としては、鍋の形を作るなんて楽勝だ。手早く作った後、鍋底に呪文と魔法陣を刻む。

「うーん……こんな感じで」

 妖精胡桃の枝をペンにして、サクサクと泥の鍋底に頭に浮かぶ文字と陣を書き込んだ。

 文字はいわゆる古代語、なのだろうか。よく分からない、アルファベットのような、漢字のような、象形文字のような、これといって統一性が見当らない文字というか記号の羅列である。

 魔法陣の方は、僕の掌の呪印とはまた違ったデザインで、太極図のようなグルグルした感じだ。

 適当に書き上げた後は、一言呪文を唱えれば発動である。

「開け、『魔女の釜』」

 すると、『汚濁の泥人形』と似たような混沌のエフェクトが鍋底からドロドロと溢れだし――あっという間に、不恰好な泥の鍋は、真っ黒い大鍋へと変わっていた。

 触れてみると、冷たくもなく、温かくもなく、金属のような、陶器のような、なんとも判別のしがたい、不思議な感触だ。

 泥で作ってはいないけど、蓋も形勢されていた。こっちは普通に取り外せる。

 開いた鍋底には、グルグルと混沌の影が渦巻いているように見える、ような、見えないような。目の錯覚なのかどうなのか、よく分からない不思議な感じ。鍋底を触っても、特に感触の変化はなかった。

「で、コイツで一体、何ができるというんだ……」

 出てきたはいいけど、特にこれといって反応はない。とりあえず設置型の呪術らしく、地面から動かすことはできなかった。

「とりあえず、慣れたモノから作ってみるか」

 結果が分かり切っているからこそ、変化も分かるというもの。まずは、すっかり常備薬として定着した傷薬Aを、この『魔女の釜』で作ってみよう。

「ニセタンポポの葉」

 大森林ドームを進む最中にも見つけたから、十分な量がある。鞄から一束取り出し、鍋へ放り込む。

「妖精胡桃の葉」

「ガっ!」

 コレは現地調達できるので、すでにレムがとってくれてまーす。

「白花の花」

「キシャ!」

 コイツも妖精広場の花畑で現地調達なので、アラクネがとってくれた上に、花の部分だけちゃんと千切って渡してくれた。

 料理番組のような、レムのアシスタント能力が嬉しい。

「で、これを混ぜ――」

 いつものように、ぶち込んだ材料を乳棒代わりの枝で混ぜ込もうとした次の瞬間であった。鍋底に渦巻く混沌が俄かにギュルギュルと速さを増したかと思えば、葉っぱと花の材料たちがズブズブと沈み込んで行く。

「うわっ、こ、これはっ!?」

 数秒後、渦の回転が元の速さに戻ってくると、よく見慣れた緑の青臭いペースト状のドロドロが、鍋の中へと浮かび上がってきた。

「もしかして、自動で完成させてくれるのか!」

 凄い、凄い便利機能だぞコイツは。これでついに、僕も小鳥遊小鳥のような、魔法一発で楽チン作成の『錬成』スキルを手に入れたということなのでは。

「よし、これなら、あとはもう素材さえあれば、全て魔法が良い感じに作ってくれて――」

 と、喜んだのが、十五分ほど前の僕である。

「……分かった。分かったよ、ルインヒルデ様」


『魔女の釜』:魔女の持つ釜は、ただ煮炊きするものに非ず。魔法と呪いと薬毒とを生み出す混沌の器。一見すると、ただの真っ黒い大鍋だが……実は、コレ一台で様々な調理ができる、万能器具なのです。

 材料を放り込むと、僅か三秒で傷薬Aも出来上がります。見てください、この仕上がり。トロトロでしょう? こちら、手で混ぜたモノと比較すれば、その差は一目瞭然! もう、面倒な手作業とはオサラバ。パワーだってあります、固い妖精胡桃の殻だって、コイツにかければ、ガリガリガリ! ほら、一瞬で粉砕です。

 ミキサーだけではありませんよ。こちら、噴水から汲んだばかりの冷たぁーい、水。コレを鍋に入れて……はい! どうです、もう沸騰してきましたよ。おっと、驚くのはまだ早い、今度は、一、二の三、はい、氷った! グツグツと沸騰していた熱湯が、何と一瞬の内に氷の塊に!

 そう、この鍋にかかれば、急速な加熱も冷凍も自由自在。

 さらに、鍋の中を煙で満たせば燻製に、空っぽのままなら急速乾燥で乾物だって、すぐにできます!

 これ一台で、焼く、煮る、炊く、冷ます、燻す、乾かす、すり潰す……ありとあらゆる調理が少々の魔力消費で簡単便利に即完了! 正にキッチンの革命児『魔女の釜』、一家に一台、料理のお供に。今ならさらに、もう一台つけて――


 と、まぁ、こんな感じの性能であることが、僕の実験結果によって判明した。

「いや、凄い、凄い鍋だよ、コレは……」

 それは認めよう。コレさえあれば、僕だって一人暮らしで自炊する自信が持てそうなほど、素晴らしい調理器具である。

 そう、コレは所詮、魔力で動くだけの、調理器具でしかなかった。

「マジで『錬成』とかチートだろ」

 魔力で様々な調理法を再現するのは現代の科学技術でも難しい便利能力だけれど……僕はすでに、呪文と魔法陣一発だけで、思い通りのモノを創造する『賢者』の力を見てしまっている。そう、小鳥遊小鳥の手にかかれば、魔物の素材とベースになる武器があれば、『レッドナイフ』が作れてしまうのだ。

 けれど、僕の『魔女の釜』はどう使っても、魔法の武器を作り出すことはできない。薬の材料を手で混ぜなくても済むようになっただけ。その薬にしたって、材料が揃っていたとしても、調合方法が間違っていれば、何の効果も発揮しないゴミが出来上がるだけ。

 素材と魔法さえあれば、後は全自動で最高の結果をもたらしてくれる、安易なクラフト能力なんて……そうだよね、呪術師の僕が、得られるはずがないよね……

「いい、いいんだ……泥人形は自動で素材をいい感じに取り込んでくれるし……この鍋だって、製法さえ確立できれば、薬も毒も作れるはずだし……」

 それでも、楽チンな錬成能力キタコレと期待してから沈んでしまった僕のテンションが元に戻るまでは、ややしばらくの時間を要するのだった。




「おおっ、良い匂い!」

 付属品の黒い蓋をとると、モワっと湯気が噴き上がる。鍋の中は薄らと茶色く濁ったスープがグツグツと煮えたぎっており、食欲をそそる油の香りがほんのりと鼻を刺激した。

 もう、こんなもんでいいだろう。

 僕はゴーマの所持品にあった木のお椀みたいな器と、枝を組み合わせて作成したおたまで、熱々の鍋をすくった。

「――うん、美味い。そのまま焼くより、こっちのが美味しいかも」

 というのが、僕が初めて作った大猪の牡丹鍋の感想である。

 折角『魔女の釜』という万能調理器具があるというコトで、本日の食事に作ってみたのだ。鍋で調理ができるということで、森林ドームを探索して食べられる食材がないか調べて回った。その結果、得られたのはデカいシメジみたいなキノコと、一応、食べられるらしい野草。

 そうして大猪と謎のキノコと草の、ダンジョン牡丹鍋が完成した。

 食材も怪しければ、料理の知識もスキルもない僕が作っても、ほどほどに美味しいと思える出来栄えなのだから、やはりメイちゃんが作っていれば……というか、この『魔女の釜』って、彼女にこそ必要なスキルだったのではないだろうかと、切に思う。

「これ、余ったらそのまま冷凍できるの、めっちゃ便利だよね」

 小さ目の鍋に作ったとはいえ、元から小食な僕が鍋一杯を空にすることはない。半分ほど余ったら、そのまま冷凍モードにすれば、勝手に冷えてくれる。設定温度は0度で。温度計なんてないから、水がギリギリで凍らないあたりの温度を狙って調整した。

 加熱も冷凍も、魔力を使うけれど、大した消費量ではない。それに、ある程度の魔力を注いでおけば、別にずっと念じていなくても効果は維持される。だから、魔力が続く限りはこのまま冷えててくれるのだ。

「よし、それじゃあ……毒薬、試してみるか」

 この妖精広場に辿り着いてから、もう三日以上は経過している。僕は『魔女の釜』で色々な製法を試せるようになったから、それだけ実験するにも時間を費やした。ひとまずは、ここを拠点にして先へ進むための準備を整えようと思っている。

 だから、この広場の前後に広がる大森林ドームを探索しては、雑魚モンスターを狩っての素材集めや、薬草毒草の採取も本格的に行っている。僕一人ではどれだけ時間があっても厳しいけれど、レムとアラクネがいれば、魔物狩りも採取もかなり捗る。

 特にアラクネの糸があれば、獲物を生きたまま捕らえられるから、凄い便利だ。

「キシシ」

「あっ、おかえり」

 ちょうど、アラクネが狩りから戻って来てくれた。首尾は上々。ズルズルと引きずられる蜘蛛糸の繭が、三つある。その内の一つからは、ゴーマの黒い足がはみ出しているのが見えた。

「良かった、上手く捕まえてこれたみたいだね」

「シャアっ!」

 いい子だ、と撫でてやると、アラクネは喜んでいるのか威嚇しているのか、よく分からない感じで唸った。ちなみに撫でた場所は、アラクネの人型でおっぱいみたいに膨らみがある胸元なんだけど、やっぱり硬質な外皮に覆われているので、柔らかくもなんともなかった。セクハラじゃないよ、純粋な学術的な探究心というやつだよ。

「ようこそゴーマ君、呪術師の秘密の実験室へ……」

 むふふ、と暗い笑みを浮かべながら、僕は無様に捕まって繭の中でもがいている元気のいいゴーマへ言い放った。

 初日の段階で、試作品となる毒薬は完成してある。といっても、傷薬と同じように、ただ混ぜただけの簡単なモノだけれど。

 用意したのは三つ。


『アラクネの毒』:アラクネの牙から分泌される毒。僕には通じなかったけれど、獲物を捕まえるための麻痺の効果がある。


『黄色カエルの毒』:恐らく横道一が使っていたのと同じ麻痺毒。黄色いカエルで、奴と同じように、よく伸びる舌先にはトゲトゲがついていて、そこから毒液が染み出るようになっていた。


『クモカエルの毒』:アラクネと黄色カエル、両方から採取した毒液を混ぜただけのモノ。


 ひとまず、この三つをゴーマ相手に試してみる。単体で使った方がいいのか、それとも混ぜると倍増とはいかずとも多少は効果が増すのか。他の材料と組み合わせたり、熱したり冷ましたりで、どう変化するのか、などなど、試したいことは色々あるけれど、まずはこれだけで使ってみよう。

「それにしても、これ、人体実験だよなぁ……」

 広場のすぐ外に、大木の間に巨大な蜘蛛の巣の壁をアラクネに作らせて、ここに哀れな実験動物を張り付けている。

 まずは記念すべき実験体一号であるゴーマ君が、手足と頭を縛り付けられ、大の字になって磔になっている。ムガムガ、と呻きながら身を捩っているが、ただのゴーマ程度の腕力では、アラクネの拘束など破れるはずもない。

 見ていてちょっと哀れな気もしてくれるけど……まぁ、お前らだって僕を見つけ次第殺そうとするし、すでにクラスメイトを殺して食べているから、酷いことしているのはお互い様だろう。残念ながら、我らが人類は野蛮で薄汚いゴーマと和平を結ぶことは永遠にないのだ。

 今更、ゴーマ相手に躊躇なんてあるはずもない。というワケで、僕は粛々と、この麻痺毒効果検証のための、人体風実験を開始した。

 やり方は簡単。採取した毒液を小さなナイフの刃先に着けて、軽く切りつけるだけ。この程度の接触で、どの程度の麻痺が見られるのか、観察する。これで、即効性のありそうなモノだけを選んで、改良していけばいい。

 どうか、上手くいきますように。そう祈りながら、ゴーマの腕をサクっと。

「ムグっ、グムム、グムォアア――」




 それから、さらに三日が経過した。

「……ひとまず、これで完成かな」

 僕はついに、実戦に耐えられるだけの即効性を持つ麻痺毒の精製に成功した。と言っても、元からモンスターの毒は強力だったから、後はほんとちょっと手を加えるだけのことだったけれど。


『クモカエルの麻痺毒』:アラクネと黄色カエルの毒液をベースに、バジリスクの骨粉、マンドラゴラの粉末、松明の油を混ぜ合わせ、僕の血を少々加えたもの。ゴーマなら、この麻痺毒を塗った針の一刺しで、白目を剥いて気絶する。


 作るのに素材も手間もそれなりにかかるけれど、それでもかなり強力な麻痺毒が出来たと思う。

 コイツを塗った刃物で切り付ければ、ほんのちょっとの切り傷でも、ゴーマや赤犬といった雑魚モンスターなら、一発で麻痺る。麻痺というか、体を痙攣させながら、白目を剥いて気絶するのだから、かなり効いていると見える。

 あの大猪だって、クモカエルの麻痺毒にかかれば、突進の最中でも転倒して、動きが止まるのだ。これなら、バジリスク級のボス相手にも、効果が期待できそうだ。

 それにしても、マンドラゴラと僕の血液は、泥人形の時にも効果を発揮してくれる、割と万能な素材である。本人の血液ってのはあらゆる呪術の基本なのだろうか。マンドラゴラについては、まぁ、流石は有名なだけあるということで。やはり、集めておいて損はなかった。

「そろそろ、ここも出発かな」

 気が付けば、一週間近く、ここに籠っていた。素材の採取に森に行くし、毒薬精製のためには、器などの小物も用意しなければいけなかったし、やることはいくらでもあった。こういうことは一度始めてしまうと、つい熱中してしまうしね。

 今回は立派な毒が完成したという確かな成果も得られたし、一週間かけた甲斐はあったと思う。

「アラクネのお蔭で、僕の黒髪縛りも成長できたしね」

 蜘蛛の巣に磔にされ、クモカエルの麻痺毒でビクンビクンしながら痙攣中の実験体ゴーマに向かって、僕は手を伸ばす。

「切り裂け――『銀髪断ち』」

 中空にキラリと光る、一筋の線。それは美しい銀色の長い髪の毛が、一本だけ抜けて風に舞ったように見えるけれど、ソレがゴーマの首へと絡みつくと――ブチリ、と肉を裂く音を立てて、首元からドクドクと黒い鮮血が迸る。

 僕の手の平から放たれる、硬質な鋼線のような触手、それが『銀髪断ち』だ。アラクネの必殺技である鋼鉄ワイヤーをじっくりと観察し、時には指先を切りながら、ソレを真似て作り上げた『黒髪縛り』の新たな派生技。

 その威力は見ての通り。細い髪の毛のような一本だけで、首をくくれば容易く肉を引き裂く。さらに魔力を込めえれば……ゴキリと太い首の骨までも、断ち切ってみせる。

 これまでの触手に比べれば、その質は格段に高い。それだけ、発動にも時間がかかるし、一本だけでもそれなりに魔力を消耗したりするけれど。この辺は使い込んで行けば、解消できる問題だから大丈夫だろう。

 勿論、コレとセットで粘着質の糸を再現する『蜘蛛糸縛り』も習得した。こっちの魔力消費は黒髪以上、赤髪未満といったところ。発動にも時間はほとんどかからない、便利な呪術だ。すぐにでも『蜘蛛の巣絡み』と組み合わせて、実戦投入できるだろう。

『黒髪縛り』の派生技を編み出すコツは、『魔女の釜』にある。実は、釜の中で弄り回すと、上手くいく。というか、生やした黒髪の質を変化させやすいし、変化を正確に感じやすい。

 果たして、単純に魔法的な影響で形質変化が発生しているのか、それとも、分子の配列を変更したりといった科学的な変化が実行されているのか。そこまでは分からないけれど、求める方向性への変化を、『魔女の釜』を利用することで上手く実現できるというのは間違いない。

 ある意味で、呪術の改造手段とも呼べるだろう。なんだかんだで、『魔女の釜』には色々と可能性がありそうだ。

「やれるだけのことは、やったはず」

 薬、毒、装備、呪術。もうこれ以上、この場に留まっていても、向上できそうなモノはない。満を持して、出発の時が来た――

「その前に、お風呂入って、寝てからにしよう」

 英気を養うのも大切だしね。

 簡単に湯を沸かせる『魔女の釜』を使えば、お風呂に入れると気付いたのは、広場生活二日目の夜だった。少しばかり魔力は使うけれど、全身が入るほどの大きさで泥の型を作り上げれば、そのままのサイズで鍋として形成してくれるのだ。

 水は勿論、噴水から引く。幸い、妖精像の足元にある高い位置から水が湧き出ているので、ここにホースを突っ込めば、地面に置いてある低い位置の浴槽へと、サイフォンの原理で自動的に水を引き込める。

 えっ、ホースなんてどこから持って来たのかって? 今の僕にかかれば『黒髪縛り』を、水を漏らさないホース状に作り替えることなんて造作もない。二時間くらいで完成したよ。試行錯誤しつつ、集中力と魔力、かなり消耗してしまった。

「ああー、生き返るぅー」

 素っ裸でザバーンと熱い湯の満ちた鍋、『魔女の湯』に身を沈めると、もうダンジョンにいながら天国の気分が味わえる。やっぱり日本人は、風呂に入らないとダメになるよ。

「あー、もう、メイちゃんと蘭堂さんと一緒に入れたら、マジで極楽浄土だよ」

 その場に本人がいないのをいいことに、僕は欲望だだ漏れのだらけきった態度。こういう時は、一人だと本当にリラックスできる。

 ついでに、『蜘蛛糸縛り』でしなりのあるやわらかい質の糸が出せるようになってるので、ソレを利用してハンモックも作ってある。ある意味では風呂以上に重要な、柔らかい寝床である。

 僕、ハンモックってちょっと憧れだったんだよね。最初、あやふやなイメージで適当に張ったら、飛び乗った瞬間にグルンッ! って一回転して落っこちたのは、僕とレムだけの秘密だよ?

 ともかく『魔女の釜』のお蔭で、ダンジョン内でも一気に文明的な生活が送れるようになったけれど……やはり、こんなところに一生住むのは御免だ。

 さぁ、明日から頑張って、命がけのダンジョン攻略に挑もう。

第110話 バナナイモ

 一週間お世話になった妖精広場を出発してから、森林ドームを一つ抜けると……外に出た。

「おお、何か久しぶりにお日様を見た気がするよ」

 見上げれば、緑の木の葉の隙間から抜けるような青空が広がっている。夏の日差しのように太陽はギラギラと輝いていて、暑いくらい。

 ダンジョンの中はどこも白い光に照らされて視界に不自由はないけれど、それでも太陽の光というのは格別だ。久しぶりに屋外に出られて、結構な解放感を覚える。

「道を間違えた、ってワケじゃないよね」

 一応、コンパスを確認すれば、矢印はダンジョンへ戻る方向ではなく、外の森を抜けて行けと言うように、真っ直ぐ奥を指し示している。

 恐らく、虫の洞窟の時のように、ここを進んだ先で、またダンジョンへ戻ることになるのだろう。

 さて、あんまりいい予感はしないけれど、コンパスが示す以上、先へと進もう。

「うーん、植生もかなり変わってるなぁ」

 ダンジョン内の森林ドームは広葉樹林といった感じだったのが、ここは熱帯雨林のようにギザギザした葉っぱや、妙に曲がりくねった木々などが目立つようになってきた。気分はアマゾンの探検隊。

「でも、出てくる魔物は同じなんだ」

 ジャングルといえば俺達だろ! とアピールするかのように、鋭い爪のステップ猿の魔物が、よく飛び出してくる。

 勿論、コイツらの強さはゴーマとどっこい。素早い木登りによる立体的な機動性は高いが、猿だから武器は持たない。レムとアラクネがいれば、楽に返り討ちにできる雑魚モンスターである。

 そんな感じで、新種の魔物にはお目にかからないが、普通の昆虫や動物などは、色んなのを見かけた。蚊なのか蛾なのかよく分からない、デカい羽虫はブンブン飛びまわってるし、蛇かよってほどに長大なムカデモドキがたまに足元をシャカシャカ横切って行く。虫の洞窟を思い出すくらい、この熱帯ドームは昆虫パラダイスなようだ。

 多少、気持ち悪くはあるけれど、この普通の虫達は毒もなければ敵意もないので、これといって恐怖や嫌悪は感じない。やはり、警戒すべきは視界に入り次第、ガチで殺しにかかってくる魔物だよね。

 かといって、動物なのか魔物か、明確な線引きが分からない。アナコンダのようにただ巨大な蛇なんかもいたりする。アラクネが大蛇を見かける度に「どうする? 捕る? 食べる?」と言いたげに僕をチラチラ見てくるけど、向こうが襲い掛かって来ない限りは、スルーだ。流石にあのサイズの大蛇を、かば焼きにして食べる勇気はない。

 無害な虫や動物については、割とどうでもいい。僕にとって重要なのは、この熱帯雨林風の場所で、新たな薬草・毒草の発見があるかどうかだ。

 結論からというと、激しく微妙なラインで「あった」と言うべきか。

「組み合わせ次第、ケースバイケース、効果あるかも、あったような気がする――」

 おい、ふざけんな『直感薬学』、お前ちょっと最近、弛んでるんじゃないか? 何だよ、この曖昧極まる投げやり説明のオンパレードは。

「どれも、それほど目立った効果はないってことなのかな……」

 ニセタンポポや妖精広場の花畑のように、明確な効果がある方が珍しい、と考えるべきだろうか。いくら魔法の異世界だからといって、その辺に生える雑草にも全て、何かしらの効果が宿っていると言う方がおかしい。新しい植生のエリアだからといって、勝手に期待しすぎてしまったかもしれない。

「うーん、マトモな収穫はコイツだけか」

 偶然、藪の中に紛れていたマンドラゴラが一株。『直感薬学』もマンドラゴラと言ってるし、抜く時にショボい叫び声も聞こえたから、間違いなくマンドラゴラではあるんだけど……エリアが違うせいなのか、ポーズが違っていた。普通の奴はただの棒立ちポーズだけど、コイツはやたら躍動感のある走るポーズをしている。まぁ、触媒として使えれば、形なんて別に何でもいいけども。

「んっ、あれは……どう見ても、バナナだ」

 黄色い房がたわわに実ったバナナの木、にしか見えない樹木が、僕の前に堂々と立っている。

 僕が小学生の頃に植物園で見たバナナの木とは明らかに異なる、妙にデカい大木だけれど、あの黄色い部分が食用であることは間違いない。毒はないし、栄養もそこそこ豊富だからたんとお食べ、と直感薬学が囁きかける。

 呪術師的にはパっとしない収穫だったけれど、食べ物という面では、コレは大発見かもしれない。いい加減、クルミは飽き飽きしていたし、大猪鍋に入れたキノコと野草はそこまで美味しいワケでもないし。甘い果実が食べられるというのなら、これは贅沢というものだろう。

「よし、貴重な美味しそうな食料だ、根こそぎ収穫してやる」

 こういう時、『黒髪縛り』って便利だよね。まずは味見とばかりに、一本だけ黒髪を伸ばして絡みつかせ、そっともぎ取る。

 特技を生かして楽に収穫したバナナを、いざ手に取ってみると、うーん、これ、普通のバナナよりも一回り以上は大きい感じがする。結構、太めだし。

 しかし、皮は同じようにペローンと向けていくし、中から出てくる白く柔らかそうな実も、全く普通のと同じように見えた。とりあえず、食用なのは保証されているから、思い切って一口。

「……ん?」

 あれ、バナナって、こんな味気ないモノだっけ? 柔らかな食感は間違いなくバナナだが、味というか、風味というか、香りというか、どれも薄いというか。

 ぶっちゃけ、甘くない。独特のトロピカルな甘みが、コイツにはまるで感じられないのだ。

「バナナってより、芋だろコレは」

 命名、バナナイモ。

 とりあえず、魔女鍋で蒸かしたら立派な炭水化物の主食としていけそうな気がしないでもないから、一房分くらい落して、もって行くことにしようかな。正直、甘味としては期待ハズレもいいところだけど、収穫しないのももったいないよね。

 というワケで、僕がバナナイモの房を落として、下でアラクネが蜘蛛の巣ネットでキャッチ、という華麗な連携でもって、難なく収穫を完了する。

「ァアアアアアッーっ!」

 それじゃあ出発、というところで、待ったのお声をかけるかのように、けたたましい獣の鳴き声が響きわたった。この鳴き声は聞き覚えがある、というか、このエリアで一番聞いたものだ。

「なんだ、サルどもめ、バナナイモを奪われて怒ってるのか?」

 激しく威嚇するような声をがなり立てて、猿の魔物が高い木の枝の上に何匹も集まって来ていた。このバナナイモの木は奴らの縄張りなのだろうか。

 そうだとしても、お前らのルールで勝手に決めたモノなんか、人間様が気にするものかよ。

「ふふん、悔しかったら取り返して見ろよ。このバナナイモは、もう僕のモノだ」

 うーん、美味しい、と見せつけるように一本食べてやる。

 ついそんな挑発をしてしまうのも、奴らはこのエリアでやたら執拗に絡んできて鬱陶しいくせに、楽に撃退できる雑魚だと分かり切っているからでもあるから。

 実際、鳴き声を叫び狂っているだけで、一向に攻撃してくる気配がないのは、これまで散々、お仲間がやられてきたのを、いい加減に奴らも学習したからだろう。そう、お前らの力では、このレムとアラクネのコンビには敵わないんだよ。

 いやー、戦力が充実してるって、本当にいいことですね。

 そんな満足感と、レムとアラクネに対する信頼感を胸に、僕はやかましい猿どもを無視してやろうと意気込んだ、その時だ。

「ウガァアアアアアアアアアアアアっ!」

 猿とはけた違いの、巨大な咆哮。森の木々を揺らさんばかりに、凄まじい鳴き声が響きわたると共に、ドスドスと重苦しい地を駆ける音を鳴らして、あっという間に、ソイツは跳び出してきた。

「うわっ、なんだコイツ、ボス猿かっ!?」

 ボス猿、なんて可愛いもんじゃない。デカい。他の猿とは明らかに種族が異なるだろっていうほどに、バカデカい巨躯だ。これは、ボスモンスのゴライアスに匹敵する大きさを誇る、猿、というより、完全にゴリラだった

「ウゴゴ! ガッ、ムガァアアアアアアアアっ!」

 とか叫びながら、ドスンドスンと逞しい毛むくじゃらの胸板を叩くドラミングを披露しているし。

「キャキャっ! キャッ!」

「ウキャァーっ!」

 そんなゴリラの雄姿に喝采を送るように、樹上の猿どもがキャーキャー喜んでいるのを見ると、やはり、奴らのボスでもあるらしい。

 ゴリラが猿を率いてるって、お山の大将ってレベルじゃねぇぞ。そんな格下を従えて、恥ずかしくないのかお前は。森の賢者としての矜持はないのかよ。

「ウゴ、ウゴ、ンガ!」

 僕の侮蔑など全く察しないボスザルは、偉そうに手下の猿どもに命令している。

 え、何で分かるかって? そんなの、猿が明らかにボスの声に反応して動き始めたからに決まっている。

 木の上から猿達は次々と降下して、僕らを囲んでいく。特に、ボスゴリラの近くに侍る奴らなんか、綺麗に整列までしていやがる。戦闘準備完了といった感じ。

 けれど、準備していたのはお前らだけじゃあない。相手の体勢が整うのを、黙って待っているだけの馬鹿がどこにいる。

「ゴリラはレム、猿はアラクネ――広がれ、『腐り沼』」

「ンゴォオオオオオオオオオオオオオっ!」

 ボスの咆哮が、開戦の合図となる。

 戦意にあふれるけたたましい猿の鳴き声を響かせながら、全方位から一斉に襲い掛かってくる――だが、僕を中心に四方に張られた『腐り沼』が防壁代わりの障害物となって、猿どもに真っ直ぐ突撃することを許さない。

 見るからにヤバい水面を前に、猿は慌てて迂回するように走るが、遅い。まして、危険とみて一瞬、立ち止まった奴など、いい獲物でしかない。

「黒髪縛り」

「シャアアっ!」

 最短距離での一斉攻撃ができなかった猿どもに、僕とアラクネから放たれた糸が襲い掛かる。狙いは正確、というより、自在に動かせるのだから、多少素早くステップできる程度の猿を捕まえるのに難はない。

 足の一本でも絡みつかれれば、もうお終いだ。そのまま『腐り沼』にまで引きずり込まれて――猿の声が戦いの雄たけびから悲鳴に変わるのに、そう時間はかからなかった。

「ウゴァアアアアア!」

 僕とアラクネが雑魚を片付けている一方、目下最大の強敵であるボスゴリラは、レム一人に対処を任せた。

 ゴリラはその巨躯に見合った頑強な肉体、ついでに、皮も分厚く毛もかなりの剛毛なのだろう。『腐り沼』を前にしても躊躇なく踏み込んでくる。そして、実際に何のダメージもないかのように、平然と突っ切ってくる。

『腐り沼』を突破できる耐久性の持ち主が相手となれば、下手な足止めは通用しない。だから、こういう時は、力に限る。

「ガァアアアアっ!」

 猛然と突進してくるゴリラに対し、真正面から迎え撃つレム。右手には芳崎アックスを握り、左手には勝の剣を持つ、パワフルな二刀流でもって、ゴリラへ刃を振るった。

「ウゴォ!」

 流石に、斧と剣が直撃したらヤバいと悟ったのか、ゴリラはどっしりした巨体に似合わず、機敏な動作で身を翻し、二刀の間合いから逃れた。

 そうだ、とりあえず強い奴が僕のところへ真っ直ぐ突っ込んでくるのを防ぐだけの圧力があれば、それでいいのだ。レムの任務は僕に敵を近づけさせないことで、単独でゴリラを倒すことではない。

 レムが奴を足止めする時間だけ、僕とアラクネで猿を片付けて行けるのだ。

「地底湖のジーラに比べれば、この程度の数、大したものじゃない」

 僕らに戦いを挑んできた猿の群れは、全て合わせて百匹もいかない。そんな数じゃあ、僕の『腐り沼』を死体で埋めて突破するにも足りない。

「ウキキーっ!」

 地面がダメなら上から、と猿なりに考えたのだろう。木に登り、枝を伝い、出来る限り近くまで来てから、思いっきりダイブ。鋭い爪を振り上げたジャンピングアタックは、直撃すれば僕の貧弱な体などザックリ切り裂くだろう。

「――ウギィっ!?」

 でも、切り裂かれるのはお前らの方だ。

 僕の周囲には、すでに『銀髪断ち』を張り巡らせている。森という地の利は、猿だけにあるものじゃあない。ダンジョンの部屋の中では何もないから無理だけど、この周囲に生える木々という支柱があれば、全方位にこの鋼糸の結界を張り巡らせることができるのだ。

 魔物であるアラクネが必殺の策として使っていた通り、森の中においては非常に危険なブービートラップとなる。体一つで突破するなら、それこそボスゴリラ並みの巨躯と耐久力が必要だろう。

 いつかのアシダカと同じように、勢いよく飛び掛かって来た猿は、自らの運動エネルギーによって、その身をあえなく切り裂かれる。キンキンと甲高い断末魔を上げて、体をザックリと半ばまで裂かれた猿が無様に落ちてゆく。

 後には、中空に血の雫を滴らせる鋼の銀髪が、薄らと輝いて見えるのみ。

「キィーっ!」

「ウギィーっ!」

 無駄、無駄、馬鹿な猿どもめ。抜け穴はないのかと、四方から飛び込んでくるが、そんな隙間なんか残してあるわけないだろう。

 無駄な犠牲を払って、ようやく死角はないことを悟ったのか。そのついでに、もうお前らに勝ち目がないことも、悟ってくれればいいのだが。

「よし、半分以上は削れたな。そろそろ……」

 毒沼と鋼糸の結界を前に、明らかに攻めあぐねている猿の相手は、もうアラクネ一人に任せてしまってもいいだろう。

 視線を前へ向ければ、レムとゴリラが一進一退の激しい攻防を演じるのが映る。うん、これはなかなか、いい感じに拮抗している。ちょうど、僕がちょっかいをかけてやれば、ひっくり返る流れだよ。

「コイツの出番かな」

 スラリと抜き放ったナイフは、赤く燃える魔法の刃ではなく、ゴーマから鹵獲した何の変哲もない鉄の短剣である。でも、このちょっと刃先の欠けたボロい刃を、コイツに浸すと、

「さぁ、麻痺毒の威力、見せてくれよ!」

 今こそ、『クモカエルの麻痺毒』を試す時。

 レムと激戦を繰り広げるゴリラ向かって、僕は黒髪触手で麻痺毒付きナイフを握って飛ばす。サシで戦っているところに、援護を加えるのというのは、下手すれば味方にあたるというリスクもあって意外と難しいものなのだが、僕のナイフがかする程度で、レムの硬質な外殻はビクともしないし、生物ではないせいか麻痺毒の影響も受けない。

 つまり、フレンドリーファイアをあまり気にせず、横槍を入れられるということだ。

 もっとも、ゴリラは的としても大きいし、わざとレムに当てるつもりもない僕は、この自由自在に動かせる便利な黒髪縛りのコントロールでもって、麻痺の刃を振るう。

 狙うのは、その毛深い大きな背中。

「ウゴォッ!」

 流石はボス猿だけある。真後ろから音もなく飛び込んでくる僕の刃を、直前に察知して、野太い腕を振るって弾き飛ばす。背中につき立てるはずだったナイフは勢いよく弾かれ、不運にもザックリと刃が木の幹に突き刺さった。

 あっ、マズい、これ、なかなか抜けないぞ!

「ゴッ、オゴッ!?」

 ナイフが抜けない、と焦る必要がなくなったことを、ゴリラが僕よりも焦った上ずった鳴き声をあげたことで察した。

「動きが鈍った……凄い、あんなちょっとだけ、腕を切っただけなのに」

 パっと見では分かりにくい。けれど、僕も今まで数々の戦いを目撃した。だから、強い奴の動きというのは、僕の動体視力で追いつく範囲でなら、分かる。

 その上で、レムと戦うゴリラの動きは、明らかに鈍ったのだ。

 特に顕著なのは、やはりナイフを弾いた時に直接傷がついたのだろう、右腕。ハンマーのような力強いパンチを放つ剛腕が、今やすっかり重くなってしまったように、ダランと下がったまま。

 心なしか、右半身の動きも鈍いように思える。

 決して、僕がプレイしていたゲームのように、黄色いビリビリした電撃エフェクトが出てモンスターの動きが硬直する、なんて現象は発生しない、非常に地味な麻痺の効果だが……けれど、戦う相手が、自分と拮抗するほどの実力の持ち主であれば、その僅かな体の鈍りは、勝敗を決める要因足りうる。

「グガァアアアアアアアアア!」

 レムの鋭い一閃が、ゴリラの隙を逃さずに叩き込まれる。

 ゴリラが麻痺にかかり、右腕が使えなくなったことで、攻撃にも防御にも、明確な影響が出た。おまけに、右半身まで効果を及ぼし始めた麻痺の効果は、その機敏な回避力にも影を落とす。

 それだけの弱体化を受ければ、もう、レムの猛攻撃を凌ぐことはできない。

 すでに、勝負は決まった。

「キシャァアアアアアアアアア!」

 勝負は決まったというのに、ゴリラの後ろから、猿を掃除し終わったアラクネが参戦してきた。

 そこから先は、一方的な惨殺である。

 アラクネが糸で動きを封じるや否や、レムは斧と剣の二刀流で、アラクネは野々宮ランスで、それぞれ手にした武器でゴリラを滅多刺し。ゴリラはその体の大きさから、猿よりも遥かにタフなことが、かえって悲劇的であった。

 とうとうゴリラが呻き声一つもらさなくなった頃には、ほぼ原型をとどめていない、赤黒い肉塊があるだけだった。

 誰が、ここまでやれと言った。

「まぁいいや、よくやった、レム!」

 とりあえず、麻痺毒が期待通りの効果を上げてくれたことと、無駄に縄張り意識が強いヤンキーみたいな猿軍団に勝利を収めたことを、僕らは血塗れの武器を掲げて、喜び合った。

 本日の収穫。


『ボス猿の肉』:滅多刺しの滅多斬りにされた、惨殺死体。食欲が失せるほど凄惨で獣臭く、血生臭い大きな肉の塊は、『汚濁の泥人形』にかけると、レムの傷を修復する材料としては役に立つ。


『バナナイモ』:バナナのような色と形をした、イモみたいな味のする果実。妖精胡桃よりかは、主食に向くと思う。

第111話 二枚の鱗

 ボス猿軍団を割と楽勝で倒した僕らに、調子に乗るなよとイチャモンでもつけるかのように、ソイツは不意に現れた。

「うわっ、コイツはヤバい……」

 一目で、今の僕らでは勝てないと悟る。

 その姿は、毛の生えたサイだ。しかもデカい。元々、サイは大きな動物だけれど、僕が動物園で見たサイの倍以上、コイツは高さも幅もある。そのサイズは、僕が美味しく鍋にした大猪を遥かに上回る巨躯。

 それなりに多彩になってきた呪術を駆使して、そこそこ戦えるようになってきたけれど……ああ、ダメだ、僕はとにかく、こういうストレートにデカくて強い、パワータイプの敵にはめっぽう弱いのだ。

「ブルルッ!」

 巨大なサイの魔物は、あの大猪と同じように荒ぶっている様子。どうにも、目の前の僕らに全力の突進をぶちかましたくて仕方ない、みたいな雰囲気が伝わる。っていうか、もうすでに突進の前準備みたいに、前脚でガシガシと地面をかいてるし。

「グガガ」

「ダメだ、レム。回避に集中する」

 我が身を盾に、僕を庇うように立つレムの忠誠心はありがたいけれど、このバカデカいサイの突進を受けて、レムが盾になろうがなるまいが変わりはないだろう。お手本のような無駄な犠牲ってもんだ。

 今の僕らは、あの大猪の突進を崩すのが精々。それが、アイツの倍近くありそうな巨躯となれば、最早、手も足も出ない。

 かといって、ただ左右に全力ダイブするだけでは回避しきれないに決まってるし、まして、背中を向けて逃げ出すなんてのはさらに選択肢としてありえない。横にも後ろにも逃げ場がないのなら……上にいくしかない。

 幸い、僕らの頭上にはかなり立派な大木が立っていて、太い枝を目いっぱいに広げて緑の天井を形成している。僕の黒髪とアラクネの蜘蛛糸で、レムを抱えて樹上に逃れる。この大木なら、一発くらいはサイの突進でも受け止められそう。

 その先は――ええい、まずは避けてから考える!

「来たっ!」

「ブルっ、ブゴォァアアアアアアアア!」

 そして、ついに大型ダンプカーのような威圧感を伴って、巨大サイが走り出す。ヤバい、めっちゃ怖い、ってか、速い。こんなバカデカい図体していて、トップスピードに乗るのが早すぎる。

 まずい、これもしかして、触手で上がっている真っ最中のところでぶち当たるんじゃなかろうか。ちょうど、あのぶっとい一本角が、こう僕の体をブッスリと貫通するような格好で。

「うわぁああああ、いけぇっ! 黒髪縛りぃーっ!」

 身の毛もよだつ最悪の未来が脳裏をよぎりつつ、僕は全力で黒髪縛りのロープを放った、その時だ。


 グォオオオオオっ!


 鼓膜が破れんばかりの大爆音が耳をつんざくと同時に、僕の体は木の葉のように吹っ飛ばされていた。

 あ、これ死んだわ。っていうか、もう死んだ?

「うわあっ! な、なん――痛ったぁ!?」

 フワっとした浮遊感の直後、全身を打つ強い衝撃。ジンジンと鈍い痛みが駆け抜けるけれど……まだ、生きてる。

 というか、大した怪我でもない。打ち所が良かったのか、僕は目立った外傷もなく、すぐにヨロヨロと立ち上がった。

 それにしても、あの巨大サイの突進を受けたなら、こんなダメージで済むはずがない。

 そんな疑問は、即座に解決。

「なっ、あ、あ、アレは……」

 ソレは、あまりに巨大だった。ダンプカーのようなサイの魔物と比べても、尚、巨大。格が違う。魔物としての、いや、生物としての格が違うのだ。

 その堂々とした、あまりに強く逞しい姿に、恐怖すら通り越して一種の感動すら覚える。なぜなら、それは僕が思い描く『最強』のイメージに相応しい姿だったから。

「……ドラゴン」

 真紅に輝く鱗。力強く羽ばたく両翼。しなやかで長大な尾。そして、鋭い二本角の生えた獰猛な頭は、その口元から炎の吐息が漏れていた。

 火竜・サラマンダー。

 そうとしか呼べない、ゲームやアニメでよく見た、翼を備えた火吹き竜そのものの姿だった。

「うわ、うわぁ……」

 そんなあまりにイメージ通りのサラマンダーだが、この異世界においてはどこまでも純粋に野生の存在であることを、僕にまざまざと見せつけている。

 どうやら、サラマンダーは空中から急降下して、僕に向かって突進の真っ最中にあったサイを捕らえたようだった。あまりに巨大な魔物同士の衝突によって、小さな人間に過ぎない僕はその余波を受けてあっけなく吹っ飛ばされたということらしい。

 捕食の決定的瞬間こそ目にできなかったが、今は胴体に深々と後ろ脚の爪を突き立てられて掴まれるサイの姿が見える。

 あんな巨大なサラマンダーの接近に、全く気が付かないほどの超スピードで空中から飛び掛かられたのだ。その脚に蹴られただけで、内臓が潰れるほどの衝撃があったに違いない。その上、しっかりと鋭い爪を突き刺されて、サイはほとんど致命傷。

 ブルル、と苦悶の声をあげて身を捩るサイだが、サラマンダーが火の粉が漏れる口で、その首筋を一噛みすると――サイの口と鼻から一瞬、ボっと炎が漏れ出て、それきり、ピクリとも動かなくなった。

 首を噛んだ上で、炎を吐いて内側から頭を焼いたのだろう。あまりに鮮やかなトドメである。

 狩りの成功を喜ぶように一声鳴いたサラマンダーは、捕らえた獲物を掴んだまま、大きな赤い翼を力強く羽ばたかせて、再び空へと舞いあがろう、としていたんだと思う。

 不意に、サラマンダーが僕の方を向いた。

「あっ」

 気づかれた。今更、気づかれたというのか!?

 気分は正に、蛇に睨まれた蛙。いや、僕とドラゴンとでは、それ以上の格の違いがあるってものだろう。だってコイツは、僕を軽く轢き殺せるサイを難なく捕食する、食物連鎖のピラミッドで二段階は上にある生き物だ。

「いや、それはないだろ……」

 サラマンダーは兎を狩るのにも全力を尽くす獅子の心でも持っているのか、あまりにちっぽけな僕という存在に向かって、大口を開けると、その内に轟々と真っ赤な炎を灯らせる。

 どこからどう見ても、ファイアブレス発射の予備動作ですね。分かります。

 バカ野郎、オーバーキルもいいところだ。足の爪先でちょっと蹴飛ばしただけで即死するような小動物の僕に向かって、思いっきり息を吸い込んでぶっ放すブレスを吐きかけようと言うのだ。

 恐らく、いや、間違いなく、放たれれば僕は消し炭となる。

 やめろ、考え直せ、僕を撃てば『痛み返し』でお前も焼け死ぬぞ。火にはめっちゃ強いサラマンダーだろうけど、焼死するんだぞ。お仲間に情けないと笑われるような死に様だ。ここは僕のような雑魚のことなんて、見なかったことにして立ち去るのがお互いにとって最善の――なんて交渉が、野生のドラゴンに通用するわけないよね。


 ヒュウウッ――ボッ!


 と、紅蓮の猛火が弾けた。

「うわぁーっ!」

 何も考える間もなく、僕の目の前に灼熱の火球が迫って来る。サラマンダーの口腔より放たれた火の球ブレスは、とんでもない速さで飛来してきているはずなのだが、死が迫る寸前にはスローで見える、みたいな現象のお蔭か、不思議とはっきり見えた。

 火を噴く魔物はオルトロス以来だが、アイツの攻撃がただの火遊びだったのだと理解させられる。これが、本物のブレス。なるほど、天道君がジーラの大群を一撃で殲滅したあの炎魔法と同じ、いや、それ以上の威力が籠っているのだと分かる。

 僕の体よりも大きいサラマンダーの火球は、ただ火の球になっているだけでなく、そこに莫大な熱量が圧縮されていると感じる。これが炸裂すれば、きっとミサイルのような爆発力も発揮して、直撃すれば塵も残らず消え去るだろうし、近くにいても余裕で焼死か爆死できるだろう。

 そして、そんな超威力のブレスを、僕の手札でどうこうできるはずもなく――

「熱っつ!」

 と、思わず叫んだ声は、直後に轟いた大爆音によってかき消された。

 その大音量に耳がキーンとなりつつも、吹き荒れる熱波に晒されて、僕の体は二転三転して地面を転がり、ドーンと木の根元に当たってようやく止まった。痛い。

「い、生きてる……」

 頭を振って、立ち上がる。

 何で僕は生きている。外したのか。いや、ドラゴンがそんなノーコンなワケがない。

 あの火球は僕の数メートルは頭上を通過して行って、背後の密林の奥で炸裂した。

 つまり、サラマンダーは最初から僕を狙っていたのではなく、別の相手に向かって攻撃したのだ。

 その正体が何なのか――振り向き見れば、僕は三度、その巨大な魔物の姿に息を呑む。

「こ、今度はティラノサウルスかよ!?」

 子供の頃、恐竜図鑑で何度も見たままの姿が、目の前にあった。

 サラマンダーに匹敵する巨躯は、逞しい二本脚によって立っている。手のような前脚は小さく、長い尻尾と大きな頭部が水平になる体は、ゴアと同じ肉食恐竜そのものの体型だ。

 だが、コイツは人間サイズのゴアを遥かに上回る、人類が想像した古代の大型肉食恐竜そのものの姿だから、迫力は桁違い。こんなデカい奴が、一体いつ現れたんだ。全然気づかなかったよ。

 鼻の頭から尻尾の先まで黒一色。見るからに固そうな、金属質な光沢を宿す大きく分厚い黒鱗に覆われて、なるほど、この黒鉄の巨躯ならば、サラマンダーのブレスが直撃しても耐えられるだろうと思えた。そして、事実として奴は耐えた。だから、まだ立っている。


 ゴォアアアアアアアアアアアアアアっ!


 お返しとばかりに、ティラノが吠えると同時に、巨大なアギトを開き――なんだ、バチバチとスパークが散っている。まさか、コイツは雷のブレスを撃てるのか!?

 バリバリと音を立てて、黒い巨体に鮮やかな紫に輝くラインが浮かび上がる。ソレは背中から尻尾にかける背面が特に強く輝き、全身から電力を振り絞っているかのような現象だった。

 そして次の瞬間、目いっぱいに開かれた口腔より、眩い雷光が迸った。

「わぁあああああああああああああああ!」

 またしても、僕の間近で炸裂する巨大モンスターのブレス攻撃。爆音と爆風が僕を翻弄して、また別の木へとぶち当たる。

「い、痛ったぁ、あ、うわぁああああっ!」

 立ち上がろうとしたところで、僕はすぐに頭を引っ込めて地べたを這った。

 サンダーブレスを放った直後、ティラノは雄たけびを上げて突進を開始。ティラノサウルスって、確か時速50キロくらいで走ると推測されてたけど、明らかに100キロ超えてそうな物凄い速度でダッシュしてきるんですけど!

 あ、今度こそ轢かれて死んだな、と思った瞬間、その重厚な巨躯からは信じられないほどの大ジャンプ。無様に伏せった僕の遥か頭上を、悠々と飛び越えていくティラノは、サラマンダーが仕留めたサイの下へ、大地を揺らして着地を決めた。

 重なる、ドラゴンと恐竜の咆哮。

 見れば、サラマンダーはサンダーブレスを回避したためか、サイから離れた距離に立っていた。そして、離れた隙に飛び込んでいったティラノが、サイの体に齧りつく。

 獲物を横取りしようとするティラノに対し、サラマンダーが怒りの声をあげる。

「うわぁーっ! やめて、もうやめてくれぇーっ!」

 僕の涙の叫びなど届くはずもなく、二体の大型モンスターによる熾烈な獲物争いが始まった。

 僕にできることは、もうその場で小さく蹲って、嵐が去るのを待つだけだった。

 何が起こっているのか、もう分からない。ただ、恐ろしいほどの轟音と震動が響きわたり、激しい戦いが繰り広げられていることが、何となく感じられるだけ。

 そして、いつしかその音が遠のいて行っていることに、しばら経ってからようやく気が付いた。

「は、はは……やった、助かったぞ……」

 このダンジョンに来てから、もう何度目になるか分からないけれど、生の喜びを噛み締める。

 周囲の木々はほとんど薙ぎ倒されて、巨大な魔物が争った形跡が生々しく残っている。僕が無事なのは奇跡みたいな荒れ果てよう。

 よく見れば、大きな獣道のように、一方向に向かって倒れた木が続くところがあり、どうやらその方向に向かって二体は去って行ったようだ。耳を澄ませば、風に乗って獰猛な竜の咆哮が聞こえてくるような気がした。

「レムもアラクネも、無事で良かった」

「ガガ」

「キシャ」

 頭を上げてから、ようやく、僕の上に覆いかぶさるように守ってくれていた、レムとアラクネの存在に気が付いた。マジで涙が出るほどの忠誠心である。ありがとう、レム。たとえ、健気なガードが全く無意味なレベルの戦いだったとはいえ、それでも、ありたい気持ちは本当だよ。

 そうして、奇跡的に僕らは全員無事で嵐を乗り切った。

 それにしても、こんな規格外のモンスターバトルに巻き込まれるとは……改めて、異世界の魔物の強大さを思い知った。やはり、ゴーマや犬や猿なんて雑魚に過ぎず、上には遥か上がいるのだ。

「ああ、どうかこの先、あんな奴がボス部屋にいませんように……」

 途端に先行きが不安になってきた。

 でも、いいこともあった。

「おお、こ、これは……サラマンダーと、ティラノの鱗!」

 同格のモンスター同士が争ったせいで、強固な鱗も剥がれるほどの戦いだったのだろう。よく探せば、そこら辺に何枚か、真紅の鱗と、漆黒の鱗が落っこちていた。あまり綺麗ではなく、割れたような破片だけれど、僕にとってはありがたい収穫だ。


『火竜の鱗片』:火竜の鱗の欠片。成体になったばかりの若い個体だが、十分な硬度と火耐性を持つ。


『大型地竜の鱗片』:大型地竜の黒い鱗の欠片。成体になったばかりの若い個体だが、十分な硬度と雷耐性を持つ。


 二枚の鱗を見比べていると、『直感薬学』がそう教えてくれた。

「アイツら、あれからまだ成長するのか……」

 そして、あの二体の将来性に僕は戦々恐々とするのだった。

第112話 密林の古塔

 不運にもサラマンダーと黒ティラノの争いに巻き込まれた後、僕は改めてこの異世界の危険性を再認識して、足早にジャングルを進んだ。

「……なんか、やけにゴーマが増えてきたな」

 すでに三度目となる、殲滅したゴーマ部隊の死体を見て思う。襲ってくるのがコイツらだと、今だとちょっと安心してしまう。やはり見知った相手というのはいいものだ。

 ともかく、同じような密林を歩いているというのに、猿共はすっかり姿を見せなくなった。その代りに増えたのがゴーマだ。それも、ちょっと前にこの面子で襲ったゴーマの狩猟部隊のように、より人間に近い姿の中型ゴーマを含んだ奴らだ。

 戦ったのは三度、だけど、先にこちらが発見して、上手くスルーしてきたことはすでに何度もある。かなりの範囲に、かなりの数の部隊が展開していることが分かる。

「いや、これはむしろ、奴らの住処に近づいてるってことなんじゃ……」

 ありえない話ではない。人型モンスターであるところのゴーマは、ゴブリンよろしく洞窟などに住居を構えて、集落を形成している生態なんじゃないのかと、安易な想像をしてしまう。どの程度の住環境なのかは不明だが、ともかく、猿以上人間未満の知能であろうゴーマは、どこかに生活拠点を築いているのは動物的に考えて間違いないだろう。

 スケルトンはどうにも、このダンジョンを形成する古代遺跡風の建造物の魔法機能によって生み出されているように思えるが、ゴーマはまず間違いなく、自然に生活しているタイプの魔物だ。だから、ゲーム的にリポップする召喚魔法陣があるのではなく、女子供を抱える集落がどこかにあるはずなのだ。

 だから、このゴーマと異常なエンカウント率を誇るのは、奴らの巣へ近づいているのではなかいという推測は、あながち的外れな妄想ではないと思う。

「正直、これ以上先に進みたくないんだけど」

 今はまだいい。最悪、戦闘になってもゴーマの小隊程度で後れをとるような戦力ではない。

 だがしかし、奴らの数も中隊、大隊規模、オマケに行く手を阻むように柵で囲われた砦のような拠点があるとすれば……いくらなんでも、たった三人で攻城戦は無理だろう。

 奴らが最大でどの程度の戦力があるのかは分からない。でも、地底湖に現れたジーラの大群を思うと、ゴーマだってアイツラと同じくらいに繁殖していてもおかしくない。

「でも、コンパスは真っ直ぐこっちを指してるしなぁ……」

 困ったことに、僕の唯一の道しるべたる魔法陣のコンパスが、来た道を戻るでもなく、迂回するでもなく、ひたすら真っ直ぐ前へと指し示したままなのだ。未来を信じて突き進め少年、とでも言うが如く、その矢印には揺るぎ無い。

 ちくしょう、お前の示す未来に嫌な予感しかしないから、こんなに二の足踏んでいるんだっての。

「はぁ、でも、行くしかないか」

 コンパスの他には、道を示すものはなにもない。つまり、この広い密林で完全に迷子ということになる。そうなると、もうダンジョンを脱出どころの話ではない。

 結局、僕はこのまま進み続けるより他はないのだ。

「……ガガ」

 悩みながらも密林を歩き続けていると、先頭を行くレムが敵影発見を知らせてくれる。

「またゴーマ?」

「ガガ、グ、グゴガ」

 いつもなら頷き一つくれるところだが、どうやら少しばかり様子が違うらしい。レムの言葉は相変わらず解読不能だけど、ニュアンス的に「見つけたのはゴーマだけど、その数と様子がいつもと違うですご主人様」と僕は勝手に翻訳した。

 とりあえず、レムの案内で僕自身が確認すればすぐに済む話だ。足音を立てないよう、息を殺してゆっくりと進み、僕はゴーマ部隊が展開しているらしい方向を木陰から覗き込む。

「うわ、あんな塔の遺跡があったのか」

 真っ先に目についたのは、大きな塔だ。あの地底湖でジーラ軍団を相手に籠城したのとよく似た形の塔である。けれど、ここにあるのは灯台のような地底湖塔と比べると、高さはさほど変わらないものの、その太さは倍以上もあって大きい。

 そんな目立つ巨大な人工物であるのだが、この鬱蒼と生い茂る密林のせいでここまで近づくまで全くその存在に気づけなかった。塔の周囲は不思議と木々が生えずに開けた平地になっており、だからこそ、そこにゾロゾロと集まっているゴーマ達の姿もよく見えた。

「なんだ、もう誰か戦っている」

 どうやら、この密林の塔に観光目的で訪れているのではないようだ。奴らは明確に、何者かと激しい戦いを繰り広げている。

 まぁ、何者か、といっても……あれはどう見ても、クラスメイト以外の何者でもないのだが。

「クソっ、ヤベぇ!」

「ちょっ、数多すぎだろ!?」

「もう無理だべコレ!」

 百には届かないまでも、何十体もの数を擁するゴーマ中隊を相手に、わざわざ開けた平地で戦いを挑んでいるお馬鹿さんは、三人の男子。かなり切羽詰っているのだろう。悲鳴染みた情けない叫びが、そよ風に乗ってちょっとだけ僕の耳にも届いた。

「上中下トリオか。まだ一緒にいるなんて、アイツらほんとに仲良いな」

 上田、中井、下川、の男子三人組。通称、上中下トリオ。別名、樋口と愉快な仲間達。奴の取り巻きポジションのような奴らだ。

 彼らの話は、ああ、そうだ、蒼真悠斗があのハーレムメンバーと一時的に離れる原因となった事件で聞いたのだった。転移の直前に襲い掛かり、小鳥遊小鳥を下川の水魔法で攫おうとしたところを、飛び出した蒼真君が助け、そのまま置き去り……女の子を助けて置き去りになるとは、僕とは比べ物にならないほどカッコいい理由である。

 そんなことよりも、あの勇者蒼真と敵対して三人とも無事でいられたことの方が驚くべきだろう。流石に蒼真君も、殺人には大きな抵抗があったということか。そうでもなければ、三人もいてこの程度の数のゴーマ相手に苦戦を強いられている実力で、蒼真君から逃げられるはずもない。

 とりあえず、話からすでに下川は『水魔術士』というのは判明していた。そして、彼らの決死の戦いぶりを観察する限り、上田は『剣士』で中井は『戦士』だと思われる。

「おい、テメーラ! もっと気合いいれろや、コラァ!」

 数に押されてヘタれはじめた三人組を、僕の耳にもはっきり届くほどの大声で怒鳴り散らしている、一人の男子がいた。

「アレは、えーっと、確か……山田君、だっけ」

 いかにもキャッチャー体型といった感じに、坊主頭の芋っぽい顔は、どこかステレオタイプの野球部員を思わせる。実際、野球部で、ポジションはキャッチャー。

 僕が最初に見つけた高島君も同じく野球部だったけど、山田君とは別に仲が良かったワケでもないし、ピッチャーとキャッチャーでバッテリーを組んでいるワケでもない。

 まぁ、同じ部活でクラスメイトだけど、特に絡みはないっていうのは、よくあるよね。僕も同じ文芸部でも長江さんとは事務連絡以外に話もしない関係の薄さだったし。ウチの文芸部、男子と女子でちょっと距離があるんだよね。

 そんなことより、三人を激りながら、単身で果敢にゴーマに応戦している山田君のことだ。

 いつかのメイちゃんを思わせる、大振りの斧を手に戦う姿は『戦士』の天職だと思われるが……同じ『戦士』の中井と比べると、随分と実力に差があるように感じる。というより、戦い方、立ち回りが異なる。

 それは、短い間だけど、すぐ傍でその戦いぶりを見た『戦士』の芳崎さんとも、異なるように思える。何だ、何がこんなに違うんだろうか……

「あっ、そうか、攻撃を全て受けているんだ」

 戦士は斧をメインとして、重量武器を軽々と振り回すパワーに優れた天職だ。その一撃はゴーマなど容易に頭を割り、体を真っ二つにする。だが、凄い腕力を誇っていても、刃物で刺されば負傷はする。だから、敵の攻撃は普通に避けるか、武器で受け止めるかの二択となる。

 だが、山田君は学ランすら脱ぎ捨てた、ちょっと汚れた白いタンクトップ姿だというのに、まるで鋼の全身鎧でも着込んでいるかのように、その身で平然とゴーマの攻撃を受け止めているのだ。

 錆びたナイフや槍が体をかすめていっても切れない。棍棒で叩かれても、全く揺るぎなく、矢を受けても刺さることなく弾いてしまう。

「蒼真桜の『聖天結界オラクルフィールド』みたいな、いや、こっちは純粋な肉体強化って感じかな」

 何にせよ、山田君にはゴーマの攻撃を無効化するほどの硬い防御を宿す能力があるということだ。攻撃が通じないなら、回避する必要もない。そして、当たっても痛くないから、怖くもない。

 そりゃあ、三人よりも果敢にゴーマの群れに突っ込んで暴れ回れるワケだ。

「オラっ! ウラァ! ああ、クソっ、キリがねぇ!」

 無敵の防御を誇る山田君だけど、攻撃に関しては普通の『戦士』並みといったところか。ダメージこそないものの、次々と押し寄せるゴーマを前に、勢いが押され始めている。

 上中下トリオも敵の猛攻の前に士気はダダ下がりで、味方が頼りないこともあって山田君にも焦りが見えた。この防御力も、永遠に効果が続くパッシブスキルではなく、時間制限やダメージ上限なんかの条件がある能力だったら、解除した瞬間に滅多刺しだろう。

「おいおい、マジで無理だろ!」

「死ぬ、死ぬって!」

「これもう逃げるしかねーべ!」

「バカヤロぉ! 俺達が逃げるワケにはいかねぇんだよ!」

 クラスメイト四人とゴーマ中隊の戦いは一進一退の攻防。いくら劣勢とはいえ、戦闘天職の持ち主が四人もいて、ゴーマ相手に完全敗北はないはず。だが、このまま戦い続ければ上中下トリオの誰か一人くらいは犠牲になりそうな、ギリギリの戦況だ。

「どうするか……」

 一も二もなく助太刀に飛び出さない僕は、人として最低のクズだろうか。もし、そんなことを大真面目で怒鳴りつける奴がいたら、ソイツは温い現代日本社会に染まり切った平和ボケのマヌケ野郎である。

 このダンジョンでクラスメイトと出会う時は、最大限に警戒するのが当然だ。果たして二年七組の生徒達が、この状況下で敵となるか味方となるか、全く分からないのだから。まして僕は、蒼真君や天道君のように、どんなピンチも切り抜けられるほど強力な力を持っていない。万が一、樋口のような危険思想に染まっていた場合、僕は再び人間クラスメイト同士で命がけの死闘を繰り広げることになるだろう。

「正直、あの面子に関わりたくないけど――」

 樋口の取り巻きであるDQN仲間の上中下トリオは、普段の学園生活でもお近づきにはなりたくない人種だ。すでに小鳥遊小鳥を拉致しようとした前科もある、性犯罪者も同然。

 野球部の山田君も、クラス内での評判はあまり良いとはいえない。同じ野球部だけど高身長フツメンの高島君のことを、あからさまにやっかんでいたのは、特に関わりの無い僕から見ててもそれとなく感じたくらいだし。

 少なくとも、僕と仲良くできそうなタイプじゃないというのは間違いない。

「――けど、どうせ接触するなら、ここで助けに入った方がマシだよね」

 この広大なダンジョンで出くわしたということは、彼らも僕のコンパスと同じ方向に導かれているはずだ。つまり、ここから先は、彼らが寄り道でもしない限り、進む道は同じというわけ。

 彼らの後ろをこっそりついていって露払いしてもらう、という作戦はなかなかに魅力的だけれど……万が一、バレて敵対されると厄介だ。それに、盗賊でもない僕が、つかず離れずの絶妙な追跡ができる自信もない。

 小賢しい真似をして反感を買うよりかは、ここで堂々と助けに入ることで、僕の善良さをアピールすると同時に、恩を売りつけた方が得だろう。

 彼らはあまり上手な戦い方ができているとは思えないけれど、天職がもたらす戦闘能力そのものは本物だ。僕がソロで進むよりも、彼らとパーティを組んだ方が戦力的に充実するのは間違いない。

 それに、すでに彼らが四人組になっていることは、脱出の三人制限もあまり枷にはならないはずだ。僕が加入して五人になった場合、切り捨てられるのは二人。一人を捨てるよりも、二人捨てる方が難しい。当然、二人は徒党を組んで決死の抵抗をするからに決まっている。

「よし、行こう、レム」

 考えた末に、助太刀することを決断。

 そうと決まれば、行動は早い。相手はすでに戦い慣れたゴーマ。少しばかり数は多いが、目の前の敵に集中して、容易に背後を突ける状況だ。実は超強力なボスゴーマが混じってるとか、増援で大軍が現れるとか、イレギュラーがなければ危なげなく対処できる。

「広がれ、『腐り沼』」

 まずは、群れるゴーマ中隊の背後に『腐り沼』を展開。平地になってしまうから、いつもよりも広めに。

 馬鹿なゴーマは全員、決死の応戦を繰り広げる男子四人に集中していて、すぐ後ろにドロドロの毒沼が出現したことに気づく奴は一人もいなかった。まぁ、沼が発生するにあたって、特に音とか臭いが出るわけじゃないし。呪術の発動は、いつも静かなものだ。

「近い奴から順番に行こう――『黒髪縛り』」

「シャアアアアアアア!」

 僕とアラクネとで、部隊の一番後ろをウロウロしている奴から糸で攫って沼に引きずり込む。

「ブゲェっ!? ギョァアアアアアアア!」

 全身を酸で溶かされて絶叫を上げるゴーマだが、激しい戦いの音と興奮に呑まれているせいか、その悲痛な叫びもすぐに仲間には届かない。

 結局、五体ほど毒沼の犠牲になった辺りで、ようやく自分達が背後から襲われていることに気づいたのだった。

「気づいたところで、意味はないけどね――『蜘蛛の巣絡み』」

 より大人数を拘束するために、粘着質の蜘蛛糸で編んだ網、形も質もより本物に近づいた『蜘蛛の巣絡み』に切り替える。アラクネも本物の蜘蛛の糸の網を飛ばして、こちらに気づいて向かってくる奴を優先的に捕らえている。

「グガァアアアア!」

 そこで、毒沼を堂々と突っ切って、レムが突撃していく。蜘蛛の巣に捕らわれ、間抜けのように転んでジタバタしている奴らに、素早く、鋭く、刃を振るって致命傷を刻んで行く。

 僕とアラクネの蜘蛛糸コンビによる妨害と、目の前で暴れ回るレム。ゴーマからすると、まずはレムから狙わざるを得ない。

 けれど、毒沼からつかず離れずの立ち回りを崩さない上に、僕とアラクネの援護を受けるレムを、ゴーマの雑兵如きでは、そう簡単に打ち破れない。奴らは数こそ多いが、無理に突っ切るにはあまりに痛すぎる毒沼が邪魔をして、たった一人の敵であるレムを攻めきることができないのだ。

 もし、中隊規模の数をフルに生かして攻め続けたなら、この毒沼と蜘蛛糸の不利を覆して圧殺することもできたかもしれないけれど……お前らの敵は、僕らだけじゃあないだろ?

「おおっ、何か、勢い弱まった?」

「おい、奴らの後ろで誰か戦ってるっぽいぞ!」

「チャンスじゃね?」

「よっしゃあ、お前ら、一気に押し返せ! 流れに乗るんだよ!」

 僕の後ろの奇襲は、どうやらうまい具合に挟撃へと化けてくれたようだ。

 最前線の攻めにまで背後の混乱が影響を与えた結果、ゴーマ軍団は最初の勢いを目に見えて失った。真ん中ら辺にいる奴らなんて、前の敵を攻撃すべきか、後ろの邪魔者を攻めるべきか、決めかねてちょっとウロウロしている。

 すでに奴らの指揮官となるゴーマは討ち取られてしまったのだろうか。勢いだけで攻め続けた集団が、その勢いを失えば、烏合の衆へと逆戻り。

 そして、逆に攻め立てられる立場となれば、ゴーマは弱い。

「ンギィ! ヴェェアアアア!」

 ほどなくして、そんな悔しそうな叫び声をあげながら、ゴーマは散り散りに敗走していった。

「おぉ、勝った」

「あぁー、マジで死ぬかと思ったぁ」

「つ、疲れた……もう魔力ねーべや」

「よっしゃああああああああああ、俺達の勝利だ! ザマァみやがれ、雑魚のゴーマ野郎が!」

 山田君の勝利の雄たけびが一際うるさく響いて来るけど、僕にとってはここからが本番である。

 さて、この面子を相手に、上手く取り入ることができるかどうか……

第113話 使い魔達

「なんだ、桃川、お前だったのかぁ!」

 勝利で気分がいいのか、山田君は僕の背中をバンバン叩いて大笑い。痛いんですけど。

「おい、桃川、そのモンスターって……」

「これは僕の使い魔、みたいなものだから」

「ってことは、桃川の天職は魔物使いとか、そういう系か?」

「うわっ、コイツやっぱアラクネだべ。こんなの使えるってことは、もしかして桃川かなり強ぇーんじゃねーのか?」

 ひとまず、ゴーマ中隊の撃退を支援したことで、四人とは良好なファーストコンタクトをとることに成功した。僕の顔を見るなり、問答無用で襲い掛かって来ない時点で、最低限の課題はクリアといったところ。

「とりあえず、みんな無事で良かったよ」

「おう、まぁ、助かったぜ。今回は流石に数が多かったからなぁ……そういや、お前一人か?」

 上中下トリオは僕が従えるレムとアラクネが珍しいのか、ちょっと距離をとりつつ、あーだこーだと騒ぎながら盛り上がっていた。自然と、会話は山田君だけとなる。

「ちょっと、事故って仲間とはぐれてしまって。今は一人なんだよね」

「そうか、なら、俺らと行こうぜ。この辺はゴーマの巣が多いし、ゴーヴもかなり増えてきやがったからな。進むのが厳しかったんだよ」

 ゴーヴって何だろう。まぁいい、後回し。

 そんなことよりも、向こうから仲間になることを求められるとは都合がいい。僕は最弱天職であるところの『呪術師』の自分をどう上手に売り込むか、ということにばかり意識が向いていたけれど……ピンチを救っただけの戦力をすでに見せたワケだから、わざわざ言葉で伝える必要もないほど、僕の価値は伝わっているということか。

 思えば、僕も強くなったものだ。まぁ、戦力の大半はレムとアラクネのお陰だけど。僕個人に限定すると、前よりもちょっとずつマシになってきたかな、といった程度。

「山田君は、みんなでダンジョン攻略を目指しているっていう方針でいいのかな?」

「当たり前だろ、クラスメイト同士で殺し合いするワケにはいかねーだろ。それに今は……まぁ、そんなことより、どうなんだよ、桃川」

「ああ、ごめんね。勿論、仲間になるよ。僕も一人じゃ不安だったし、早くみんなと合流したいと思っていたんだ」

「よっし、決まりだな!」

 びっくりするほどすんなりと、僕のパーティ入りが決まってしまった。

「お、桃川、やっぱ仲間になんのか」

「魔物使いだからな、期待できるんじゃね?」

「これでゴーマの砦も攻略だべ!」

 上中下トリオも、快く僕のパーティ入りを認めてくれた。

 いつも、これくらいすんなり決まれば楽なんだけれど。そんなことを思いながら、四人と握手を交わして歓迎されている、真っ最中の時だった。

「きゃぁああああああああああっ!」

 いきなり、何の脈絡もなく、あまりに唐突に、甲高い少女の悲鳴が響きわたった。何だ、と思う間もなく、反射的に僕の視線は悲鳴の発生源へと向いてしまう。

 そこで、今度は僕が、悲鳴をあげそうになった。

「なっ、なんで――」

 そこにいたのは、男なら誰でも守ってあげたくなるような、小さな少女だ。目の端に大粒の涙を浮かべて、恐怖に泣き叫ぶのは、金髪碧眼のアンティークドールのような超絶美少女。

 そう、僕を見て悲鳴を上げるのは、紛れもなく、レイナ・アーデルハイド・綾瀬であった。

「いやぁああああ! 魔物、魔物だよ! 助けて、エンちゃん!」

「ガァオオオオオオオオオオオオオっ!」

 その咆哮を聞いたのは二度目。だが、登場シーンを見たのは初めてだった。

 攻撃魔法でも放つかのように、中空に大きな円形の魔法陣が浮かび上がる。これまで見てきた魔法陣は、ただ光っているだけだったが、コレが陣を描く図形と文字は、全てメラメラと燃える炎のラインで描かれていた。

 これが『精霊術士』レイナの持つ、火の霊獣を呼び出す魔法陣か。

 そして燃え盛る火炎の魔法陣の向こう側から、サーカスで火の輪潜りでも披露するかのように、『エンちゃん』と呼ばれた炎の獅子が飛び出したのだ。

「うおっ!?」

 と、驚きの声を上げたのは僕も、男連中四人も同じ。だが、どうにもピンチに陥っているらしいのは僕一人だけのようだ。

「ちょっ、ちょっと待って!?」

 レイナの登場はまったくもって意味不明だが、それでも彼女の叫び声とエンちゃん召喚の指示からして、レムとアラクネを襲ってきた魔物だと誤認しているらしい。

 和気あいあいと僕らが会話している雰囲気からして、敵じゃないってのは一発で分かるだろうがこの間抜け! と罵倒する余裕もなく、僕は制止の言葉を投げかけるにとどまってしまった。

 そして、その誤解を解こうとする常識的な対応を、僕は直後に後悔することとなる。

「グゥオオオオっ!」

 獰猛な唸り声を置き去りに、火の霊獣エンはアラクネへと飛び掛かっていた。

「シャオっ!」

 凄まじい勢いの飛び掛かりを、すんでのところで回避。だが、アラクネは避けただけで、糸を吐こうとはしていなかった。

 反応できないほどの超高速ではなかった。アラクネの性能ならば、蜘蛛糸の一つでも吐きかけて牽制できたところだけど――相手は野生の魔物ではなく、クラスメイトが繰り出す霊獣。そして、今の話の流れから、アラクネは、正確にはその意思を司るレムは、迫りくるエンを明確な敵と定められず、攻撃するのを躊躇したのだ。

 つまり、自分の身を守るよりも、主である僕の立場を考えた、ということである。

 しまった。まさか知能の発達が、こんな時に判断を迷わせることになるとは。

 いや、違う。

 レイナのパニックぶりを見て、気づくべきだった。それが演技なのか、それとも本気の天然なのか、どちらにせよ、コイツは平気で同じクラスメイトである僕の身の安全など省みず、自分だけ逃げ出すために転移魔法陣を横取りするような女なのだ。

 だから、僕なんかが「待て」と言ったところで、彼女が聞く耳をもつはずがない。

 きっと、レイナにとって僕はとんでもなく無価値な存在だ。ただのクラスメイトどころか、好きでも嫌いでもない、そもそも興味がない、いっそのこと存在を認識していない。路傍の石コロ程度にしか、僕のことを思ってないかもしれないのだ。

 要するに、僕は判断を誤ったってこと。僕が最初にすべきだったのは、レイナの姿を目にした瞬間、有無を言わさず黒髪縛りで拘束することだった。

「レム! 構うな、アラクネを援護――」

 己の迂闊さを呪いつつ、瞬時に思考を切り替えて指示を飛ばす……だが、遅きに失した。

「グガアアア!」

 エンはライオンサイズの巨躯でありながらも、猫のように素早く身を翻すや、赤く燃える爪先を逃げるアラクネへと叩き込んでいた。

「シャッ、ァア!」

 人型の上半身を、無理矢理にでも捻っていたが、避けきれずに右腕を肩ごと抉られていた。なんて威力だ。アラクネだって大型の昆虫にあるべき分厚い甲殻を持っているというのに、そんな装甲などものともせずに腕ごと砕け散っていた。

 エンが一撫でしただけで、この有様だ。真っ向から戦っても、勝機はない。

「やめろ、レイナ! 山田君、誰でもいいから、早く彼女を止めてくれ! アレは敵じゃない!」

 僕の叫びで、ようやく事態を飲み込めたのか、ハっとしたように山田君以下、上中下トリオが「レイナちゃん!」と呼びかけたが――

「きゃぁーっ! 怖いよう、早くやっつけて! ラムくん!」

 仲間達、多分だけど、山田君らの呼びかけを一蹴するかのように、けたたましい雷鳴が轟いた。

 それはすなわち、二体目の霊獣の登場を意味する。

「キョァアアアアアアアっ!」

 眩しく輝く雷光の魔法陣から飛び出したのは、紫色の大きな鷹だった。鮮やかな紫の羽には、バチバチと紫電を纏っている。

 ラムくん、と呼ばれていたコイツは、どう見ても雷属性担当だ。

「くそっ、レム、アラクネ! とにかく逃げろ!」

 エン一体だけでも勝ち目が見えないのだ。ラムもエンと同等の能力を有すると考えるべきだろう。ただでさえ勝てないのに、敵の戦力が二倍になった。

 もうレムとアラクネが生き延びる道は、逃げるより他はない。

 僕の意図をこれ以上ないほど察してくれただろう。アラクネは無事な頭と尻からありったけの蜘蛛糸をバラ撒きながら、猛然と後退。レムも多少は牽制になるかと、退きつつナイフと剣を投げつけていた。

「やっちゃえ、エンちゃん! ラムくん!」

 けれど、そんな幼稚な掛け声一つで、炎の獅子と雷の大鷲は、いよいよ本気になったかのように、その身から凄まじい気配を放った。

 ヤバい、この肌にビリビリくる感覚。蒼真悠斗が光の剣撃を放った時と、天道龍一が塔を焼いた時、それぞれに感じ取った、大きな魔力の気配だ。

「レムーっ!」

 僕の叫びをかき消すように、エンとラム、大きく開かれた口腔から、渦巻く火炎と、閃く雷光のブレス、としか言いようのない強大な攻撃魔法が迸った。

 密林へ向かって一目散に逃げることしかできないレムとアラクネは、その巨大な炎と雷の二重螺旋に飲み込まれて――跡形もなく、消滅した。

「あ、あ、あぁ……レムが……僕の、レムが……」

 過去最高の性能を誇ったレムだった。天道君の魔物素材を惜しげもなくつぎ込んだ一品。僕だけでは、もうあのクオリティの素材を収集するのは不可能だろう。

 アラクネだって、ギリギリで助けに間に合ったレムが不意打ちを決めて、奇跡的に倒せたようなものだ。もう一度、奴を見つけて倒せるかと言えば、かなり難しい。

 呪術師の僕が現状で揃えられる、最高の戦力だった。レムとアラクネ、両方揃っていたから、僕はソロでもここまで来れたんだ。

 そんな二人を、僕は……こんな、こんな下らない誤解で、失ってしまったというのかっ!

「ふぅー、よかったぁ、ありがとね、エンちゃん、ラムくん」

「グルル」

「キョア」

 耳がとろけるような甘い声をあげながら、レイナは駆け寄った二匹の下僕をニコニコ笑顔で撫でていた。あの驚異的なブレスをぶっ放す強力なモンスターであるはずのエンとラムは、主であるレイナの手で撫でられるたびに、気持ちよさそうに目を細め、甘えるような声をあげていた。

「く、そ……レイナぁ……」

 無自覚の勝者と、全損の敗者。分かっていたことだけど、改めて、それをまざまざと見せつけられたような気がした。

 何の罪悪感もなければ、樋口のような悪意すらなく、僕へと理不尽な仕打ちをするレイナに対する怒り。そして、最大の戦力を一瞬にして失った絶望。

 血の涙でも流れそうなほど、今、僕の腸は怒りと悔しさで煮えくり返っている。

「んんー? あっ、桃川くんだ! ねぇねぇ、どうしたの、何で桃川くんがここにいるのー?」

 その怒りをギリギリで抑えていた心の蓋を、レイナは鼻歌混じりで蹴飛ばすかのような、言葉であった。

 そんな気はしていた。けれど、コイツは、本当の本気で、今の今まで僕がこの場にいたことを認識していなかったとでもいうのか?

 気づかなかったのだから、レムとアラクネを魔物扱いで消し飛ばしたのも無罪チャラになると?

「ふざけるなっ! レイナ、お前のせいでぇえええええええええっ!」

 僕は自分自身の弱さなんて忘れて、とぼけた顔のレイナ・A・綾瀬へと掴みかかっていた。

「キャアアアっ!?」

「ガァウ!」

 しかし、当たり前のことだけど、僕が彼女の胸倉を掴むよりも先に、まだ召喚されているエンによって取り押さえられる。コイツに圧し掛かられるのは二回目だ。

 くそっ、痛い……けど、この程度の痛み、明確に出血を伴うような傷がないせいか、エンにダメージが入っている様子はない。もしかして、精霊だから物理無効だとか。

「ああっ、くそ、離せ!」

「いやぁ! なに、怖いよ! エンちゃん!」

 体は押さえられても、怒りを収めない僕の反応に、レイナがさらに悲鳴を重ねる。そして、愛らしいご主人様を泣かせる不逞の輩を始末しようというのか、僕の背中にかかる重圧が急激に増した。

「ぐっ、が、あぁ……」

 あっ、ヤバい、とあまりの痛みによって、この辺で僕の正気が戻りかけてくる。

 なんて馬鹿なことをしたんだ、という後悔は、か弱い女の子であるレイナに対してマジギレを決めたことではなく、単に自分の弱さも忘れて掴みかかったことだ。怒りをぶつけるというのなら、呪術師の僕は拳で訴える以外の方法でなければいけないのだった。

 大猪の牡丹鍋でも振る舞って、アカキノコの毒を盛るとか、そういうやり方じゃないと、屈強で忠実なボディガードに守られているレイナを害することなどできない。

 けれど、何もかも忘れて殴り掛かろうとした、僕の怒りもまた、本物だった。まだまだ自分の感情を抑えられるほど、大人にはなりきれないらしい。

 でも、その未熟の代償がこの屈辱的な拘束と痛みだというのなら、あんまりだろう。ああ、くそっ、マジで痛い、そろそろコイツの爪先が、背中に食い込み始めた。

「やめるんだ、綾瀬さん! それ以上やったら、桃川君が死んでしまう!」

 唐突に聞こえた仲裁の言葉は、山田君のものでも、上中下トリオの誰でもない、また別の男子の声だった。なんだ、まだ誰かいたのかよ。

「やだ、やだ! だって、怖かったんだもん!」

 涙を浮かべて叫ぶレイナ。いや、何で襲ってるお前の方が泣いてんだよ。

「落ち着いて、綾瀬さん。君の力はとても強力なんだから、加減を誤れば簡単に人を殺してしまう。もし、事故とはいえ綾瀬さんがクラスメイトを死なせてしまったら、蒼真君はとても悲しんでしまうよ!」

「あっ、ユウくんが……そ、そうだよね……」

「そう、そうだよ。大丈夫だから、さぁ、桃川君を離してあげて」

「うん……戻って、エンちゃん」

 その一言で、急に背中の重圧と鋭い爪の痛みは消えうせる。

「山田君、みんなも、綾瀬さんを連れて、先に広場に戻って欲しい。少しショックを受けているようだから、みんなで慰めて、落ち着かせないと」

「おっ、そうだな。よし、そういうことなら俺に任せろ! レイナちゃん、さぁ、行こう!」

 そうして、俯くお姫様を気遣う騎士のように、いや、そんな上等なもんじゃないか。ともかく、無理のある甘い声でなにやら優しい言葉を発しながら、山田君以下男子四人組みは、塔の中へと去って行った。

「大丈夫かい、桃川君? すぐにボクが治癒魔法をかけるから――『微回復レッサーヒール』」

 ああ、背中がボンヤリと温かくて、気持ちがいい。確かにこの感覚は、治癒魔法のソレだ。

 ひとまず台風の目であるレイナがいなくなり、背中の痛みも一気に和らいだことで、僕はようやく、五人目となる男子へと面と向かい合うことができた。

「あ、ありがとう、助かったよ、ヤマジュン」

「いや、ボクの方こそ、もっと早く止められていたら、こんな大事には……ごめんね、桃川君」

 そうして、心の底から申し訳なさそうに謝ってくれる男子生徒は、山川純一郎君だ。通称、ヤマジュンというストレートな仇名で呼ばれる彼は、何というか、二年七組の良心とでもいうべき、不思議な魅力のある男なのだった。

第114話 クラッシャーレイナ

「うん、もう大丈夫だから」

「そうかい? 痛かったら、すぐに言ってね。『治癒術士』のボクにできることは、怪我を治すことくらいだから」

 そう朗らかに笑うヤマジュンのお蔭で、背中の怪我よりも、僕の心が落ち着きを取り戻してきた。

 このヤマジュンこと山川純一郎君は、決してイケメンではないフツメン。中肉中背、フワフワしたくせ毛に縁なし眼鏡の容姿は、これといって目立つことはない。特に二年七組のような個性豊かなクラスにあっては、没個性的である。

 だが、やたらと穏やかな微笑みが似合うと話題の、弥勒菩薩のような男子生徒だ。

 彼の凄いところは、上は蒼真悠斗から、下は横道一まで、おおよそクラスの全男子とそこそこ会話ができる社交性だ。僕が当たり前のように「ヤマジュン」と仇名で呼んでいるのもその証拠だろう。

だから、蒼真リア充グループには気後れすることもなく、天道君や樋口が相手でも物怖じず、また、僕や勝のような割と底辺のオタクグループにも笑顔で明るく楽しく誠実に接してくれる。あの横道だって、彼が話しかければ多少は耳を傾けていた。

 そして、彼のコミュ力は女子にも及ぶ。男子ほどではないが、クラスの中心になるような女子生徒、つまり蒼真桜や委員長なんかとは、普通に会話できるようなポジションにあった。

 それでいて、蒼真君の親友である高坂君のように、他の男子連中から嫉妬されないのは、ヤマジュンの人徳が成せる業といえよう。

 ぶっちゃけ、何で男子のクラス委員長がヤマジュンじゃなくて東君なのだろう、と誰もが思ったはず。まぁ、委員長決めの時に、立候補した東君と推薦されたヤマジュンが対立候補として上がった時、彼は即座に東君に譲ると笑顔で宣言したから、決まっただけの話なんだけど。

 ともかく、そんなヤマジュンが相手だからこそ、僕もリラックスできたのだと思う。彼が怪我を癒す『治癒術士』になったのは、なるほど、正に天職だろう。どうやら神様ってのは、割とガチで本人の素養ってヤツを見ているらしい。

 今は場所を移し、塔の中に幾つかある空き部屋の一つにいる。いつかのスケルトン部屋のようにガランとしているが、倒れた円柱が腰掛けるのにちょうどいいベンチと化しているから、これに座って僕は彼から治療を受けていた。

 レイナと男子四人組は、塔の最上階にあるという妖精広場に行ったきり。この場に集まったクラスメイトはこれで全員。他に仲間はいない。だから、ここには僕とヤマジュンの二人だけとなった。問題の人物を遠ざけたことが、まぁ、僕が落ち付けた最大の理由だろう。

「ありがとう……僕を庇ってくれた、んだよね?」

 背中の傷は大したことはなかった。僕の傷薬Aでも余裕で治せるレベルだし。だから、こっちの方が感謝の気持ちの比重は高い。

 ヤマジュンはちょっと驚いたような顔をして、それから、またすぐに人を落ち着かせるような微笑みに変わった。

「あはは、あんな情けない対応で、よく分かったね。普通だったら、頼りないって誤解されるところだよ」

「いや、分かるよ……レイナ・A・綾瀬、アイツがここにいる面子の中で、一番強いんでしょ? そして一番、非協力的」

「参ったな、桃川君。そこまで察しているなんて……」

 少しだけ肩を落として、ぽつぽつとパーティの現状について説明してくれた。

「まず、ボクは山田君とずっと一緒に行動してきたんだ」

 例にもれず、クラスではあまり良い立ち位置ではなかった野球部キャッチャー山田君も、ヤマジュンとは仲が良い。コンビとして、特に問題なく進んで来れたという。

「しばらくして、上田君達と合流したよ。だから、綾瀬さんと出会ったのは最後で、割と最近のことなんだ」

 そりゃあ、レイナが樋口から離脱したのはそんなに昔じゃあないからな。多分、僕を押しのけて転移した先で、この男子パーティに取り入ったのだろう。

「何て言うか、綾瀬さんは、その、とても魅力的な女の子だから……」

「すぐにお姫様扱いになった?」

「うん、その通りだよ。特に山田君は、綾瀬さんのことが前から好きだったからね」

 筋金入りのロリコンかよ。あの容姿でロリコンとは、万に一つも幸せなゴールインは無理なんじゃあないのかな、法律的に考えて。

「はぁ……最悪だ」

 僕が気を落としてしまうのも仕方のないことだろう。

 つまりこの六人パーティは、あの自分のことしか考えない、見えていない、脳みそお花畑のレイナ・A・綾瀬をトップとした、半ばファンクラブのようなものなのだ。ダンジョン攻略よりも、お姫様のご機嫌取りを優先されちゃあ堪らない。

「最悪、にはならないよう、努力はしているつもりだけれど……すまない、桃川君。正直、ボクはこのチームがそう長く続くとは思えないんだ」

「うわ、ヤマジュンでも匙を投げるって、相当じゃないか」

 よく就活の大学生が定型句のように「人間関係の潤滑油」などと嘘八百をのたまうが、ヤマジュンに関しては、正にその比喩表現が当てはまる。誰とでも分け隔てなく接することのできる彼は、誰に対しても間に立てるということでもある。

 それこそ、二年になったばかりの春先で、勝が気を利かせて早くも孤立しそうだった横道に声をかけた際、奴が「これだから、にわかは!」と謎の逆ギレをかまして、流石の勝もマジギレして喧嘩に発展しかけた、通称、二年七組アニメオタク口論事件でも、騒ぎを聞きつけて教師連中が教室に駆け込んでくるよりも前に、即座に仲裁に入ったヤマジュンによって解決したのだ。

 無論、勝と横道はこれ以降、一言も口を利くことはなかったが、もしヤマジュンが止めに入ってくれなかったら、二人は殴り合いにまで発展していただろうことは、あの事件を目撃したクラスメイトなら誰もが察していたはずだ。

 そんな彼をしても、チームを維持できない、と弱音を吐くってことは……もしかして、ソロに戻った方がよさそう?

「その辺の事情、詳しく聞かせてくれる? 一応、これから僕も仲間になることだし」

 そうだよね、と苦笑いを浮かべながら肯定の台詞をつぶやいて、一拍、二拍、と間を置いてから、ヤマジュンは語り始めた。

「まず、綾瀬さんについて」

 目下、最大の問題人物である。彼女について知らなければ、話は進まない。

「これは、あくまでボクの見立てでしかないのだけれど……彼女に悪意はないんだ」

「やっぱり、アレが素なのか」

「うん。さっきの、いきなり桃川君を襲ったのも、綾瀬さんが叫んでいたように、ただ、怖がってやってしまったことなんだよ」

 だからといって、僕には欠片もアイツを許そうと思う気持ちは湧かないけど。

「桃川君の気持ちは、よく分かるよ。綾瀬さんを許して欲しいとか、そういうことを言いたいんじゃなくて、ただ、何て言うか、そんな彼女がとても強い力を持ってしまっているのが、一番の問題点だとボクは思っている」

 きっと、レイナが天職の力を授かる前、まだ普通に女子高生だった頃のように、愛らしい容姿の天真爛漫な、小さくか弱いただの美少女のままであれば、今よりも問題は大きくならなかったはずだ。

 もっとも、レイナが僕の『呪術師』並みに弱いか、初期の蘭堂さんのようなハズレスキル構成だったなら、速攻で魔物の餌になるか、樋口の奴隷になっていただろうけど。

「レイナの能力が何か、ヤマジュンは知ってる?」

「全ては知らないかな。一度、聞いてみたけれど、どうやら彼女は、まだ天職というシステムさえよく理解していないようだったから」

 自分の能力を、自分でも把握しきれていないと……つまり、現時点でも相当な強さなのに、追い詰められてピンチになったりすれば、見たことないトンデモ能力が覚醒するかも、ってことか。探りを入れる方からすると、下手に嘘をつかれるよりも厄介だ。

「綾瀬さんの天職は『精霊術士』で、ボクが知っている能力は三つ。その内の二つは、さっき桃川君の見た魔物だよ。『霊獣』と呼んでいる」

 炎の赤いライオンが『炎獅子エンガルド』、雷の鷹の方が『雷鷹ラムデイン』というらしい。レイナは正式名称では呼ばず、必ず愛称で呼んでいるのは、僕が聞いての通りだ。

「三つ目は、水属性の魔法を使う、女性の姿をした『水精霊セイラム』というんだ。このセイラムも、エンガルドとラムデインと同じくらいの強さを持っているようだったね」

 レイナが最もよく使うのはエンガルドで、一体で不安に感じた時にラムデインを呼ぶらしい。大抵の魔物、といってもナイトマンティスや鎧熊まで含めても、エンガルド一体だけで余裕で勝てるから、ラムデインの出番がくるのは、よほど敵の数が多い時だけとなる。

 この辺のジャングルはゴーマの縄張りだから、ラムデインを召喚するほどの大部隊とかち合ったことも、何度かあったらしい。まぁ、あんな派手なブレスをぶっ放すモンスターが二体も揃っていれば、ゴーマなんて物の数じゃないだろうけど。

 セイラムは現状、最も出番がないレアキャラだ。ヤマジュンも、ジャングル行軍中に、大きな川を渡った際に襲ってきたワニの魔物と戦った時の一度しか、セイラムの姿は見ていないという。

「多分、水辺だと強いのだろうね。大きなワニの魔物を、まとめて渦潮のような魔法で一気に倒してしまったから」

 水棲の魔物を水属性魔法で一網打尽にできるのなら、なるほど、確かにその威力は二体のブレスと比べても遜色ないだろう。

「霊獣って、呼び出すのに必ず詠唱とか必要だったりする?」

「いいや、綾瀬さんに身の危険が迫った時には、呼ばなくても現れるんだ」

 何度かゴーマの弓矢で狙撃、というより、ただの流れ矢というべきか、ともかく、レイナが気づきもせずに飛来してきた矢を、瞬時に霊獣が出現しては身を挺して守ったという。飛んでくる矢に反応して出現できるってことは、召喚のタイムラグはほぼゼロと見るべきか。

「……隙がないね」

「うん、本当に凄い能力だよ。綾瀬さんの力があれば、ただ歩いているだけでダンジョンを攻略できるからね」

 襲ってくる魔物も、不意打ちも、そして恐らく罠さえも、強力な三体の霊獣が全て解決してくれるのだから。エンガルドの背中にでも乗っていれば、レイナは自分の足で歩く必要すらない。

 モテない男子だけでなく、魔法の霊獣さえお姫様扱いしてくれるとは、レイナ・A・綾瀬という少女は、つくづく運命に愛されているらしい。いきなり異世界に召喚されてダンジョンサバイバルになってさえ、身をなげうって彼女を庇護する者が後を絶たないとは……ひょっとして、レイナこそ『魅了』とかそういう固有スキルでも持っているのでは。

「けれど、綾瀬さん本人はあの性格だから……戦いなんて、とてもできない」

「なるほど、あんな頼れるボディガードがいるってのに、自分は戦いの場には絶対に近づきたくないと」

「せめて、霊獣のどれか一体だけでも援護に出してくれれば、もっと安全に戦えるんだけれど」

 予想はしていたけれど、聞いているだけで頭が痛くなってくる。

 なるほど、コイツは最悪だ。

 蒼真桜は自ら弓を引いて戦えるだけ立派だった。小鳥遊小鳥だって、戦闘能力がなくとも自分の役目を心得て、それを果たしていた。

 だというのに、レイナ・A・綾瀬は力があるのに、自分自身が戦わずに済む能力があるというのに、戦いには一切手を貸さない、お荷物状態ではないか。僕が苦労と幸運のお蔭で揃えた、レムとアラクネを雑魚扱いで破壊できる戦力がありながら……ただ「怖い」というだけで、その力を腐らせておくなんて……

「と、とりあえず、今のところはみんな無事だし、何とか戦えているから、大丈夫だよ。山田君達は、彼女にいいところを見せたいようだから、尚更に力を借りようとはしてないんだ。それに、いざとなったら、綾瀬さんだって力を貸してくれるはずだから」

 僕はそんなに怖い顔をしていたのだろうか。

 慌てて取り繕うように、ヤマジュンが言ってくれるけど……正直、僕はお姫様のワガママに振り回されるのも御免だし、モテない男子の見栄に付き合ってやる義理もない。

 この先のダンジョンを進むのには、山田君と上中下トリオの四人だけでは、絶対に戦力は足りない。実際、さっきだって僕が助けに入らなければ危なかったところだ。

 そして、もし本当に彼らが犠牲になったその時――レイナは決して、動かない。

 何故なら、アイツは樋口を助けなかったからだ。

 あんなボロボロで辛勝だった僕だ、止めに入ろう、邪魔をしよう、と思えばどうとでもなった。だがしかし、実際にレイナが動いたのは樋口が死んだことで、転移の魔法陣が発動してから。

 つまり、樋口が死に、僕の意識が自分レイナへと向けられて、初めてアイツは動いたのだ。

 今だからこそ、あの時のレイナの気持ちが何となく分かる。彼女にとって僕と樋口の殺し合いなど、勝手に始まった喧嘩みたいなモノだ。ワケも分からず必死になって殺し合う僕らの姿は、そりゃあもう臆病なお姫様の恐怖心を煽っただろう。

 そして、勝者となった僕を見て、レイナの頭では交渉するとか利用するとか、いっそ後顧の憂いを断つために確実に殺しておく、なんてことは全く考えず、ただ怖かったから、逃げ出した。エンガルドという霊獣を行使した、本人にとっては勇気を振り絞った全力の逃亡といったところか。

 結果的に、僕は天道ヤンキーチームに拾ってもらって、蘭堂さんともジュリマリコンビとも友誼を結べたのだから、結果的には良かったものの、それとこれとは、話は別だろう。

「分かった、この際、レイナは戦力から除外するとしても……他に何か問題があるの?」

 百歩譲って、いや、百キロメートルくらい譲ることになるが、それでもレイナの性格を受け入れて戦力外としてカウントしたなら、男子五人、前衛戦士三人、後衛魔術士一人、治癒術士一人、というなかなかにバランスのとれたパーティメンバーである。個々の実力はメイちゃんや蒼真パーティからすると大分、見劣りするレベルだが、それでも天職を成長させればゴーマ軍団とだって対等に渡り合えるようになるはずだ。

「複数人の男の中に、魅力的な女の子が一人だけ。この状況で、問題が起こらない方が、むしろおかしいんじゃないのかな」

「あー」

 今の今まで、レイナに対する恨みと不満で、すっかり失念していた。

「最近流行りのサークルクラッシャーってやつ?」

「そういうのは、昔からあることだと思うけどね」

 あはは、と乾いた苦笑のヤマジュンは、どこか悟ったような雰囲気が漂う。

 確かに、恋愛関係のもつれってのは、人間である以上、どんな時代でも存在する問題だったろう。それが現代においては、サークルクラッシャー、と呼ばれるだけで。

 サークルクラッシャーってのは、仲の良かった男子グループに、女子が一人混じることで、それまでの関係性やグループの雰囲気に変化が生じ、その女子を巡って男同士が恋愛バトルロイヤルを繰り広げるようになり、最終的に仲良しグループが二度と顔も見たくないというレベルで破局を迎える一連の自然現象を指す。

 僕らはサークル、つまり大学生のクラブ活動グループではないけれど、青少年の集まりという意味では同じようなモノだ。恋愛に歳は関係ないとはいうけれど、僕ら多感な高校生では尚更、そのテの話には敏感である。

 ただの男友達の輪の中に、いきなり女の子が飛び込んで来たら、誰だってその子を意識するだろう。たとえ好みでなくとも、多少ブスだったとしても、高校生男子なら意識しないはずがない。

 まして、それがレイナ・A・綾瀬という超絶美少女とくれば……

「この際、山田君も上中下トリオも、全員がレイナを好きだったとして、どれくらいの問題になってるわけ?」

「簡単に言うと、山田君が頭一つリードしていて、三人はそれをかなり妬ましく思っている、ってところかな」

「それは……強さの順ってことでいいのかな」

「うん、このダンジョンにおいて価値を示すなら、それしかないからね」

 妥当なところだろう。要するに、最もお姫様を守るのに貢献した者が、栄えあるアーデルハイド騎士団団長の栄誉を冠するというワケだ。

 さっきのゴーマ戦でも、山田君はその強固な防御力から、明らかに他の三人よりも戦闘能力が高かった。あの硬さがあれば、恐らく三人同時に相手しても勝てるだろう。

「残念ながら、どれだけ戦いで活躍しても、綾瀬さんの目には蒼真君しか映っていないんだけどね」

「だよねー」

 所詮、誰が一番バトルで活躍したか、何てのは男の尺度で勝手に決めた評価でしかない。レイナのことだ、きっと、あの四人の戦いぶりなど全く見ていないだろう。誰が一番強いのかというのも、知らないに決まっている。

「綾瀬さんには、僕らの気持ちを省みる余裕なんてない。山田君達は、それにも気づかず、彼女のご機嫌取りばかりに執心していて……今の雰囲気は、とても良いモノとは言えないよ」

「あのさ、一応聞いておくけど……ヤマジュンはレイナのこと好きなの?」

「ボク、好きな人がいるから。全く、その気はないよ」

「その言葉が聞きたかった」

 ここで、綾瀬さんはボクが狙っているから、桃川君は余計なことしないでね、殺すよ(暗黒微笑)とかマジレスされたら、僕は本気でここを抜けてソロプレイに戻る覚悟を決めるところだったよ。

「こんな状況でボクまで綾瀬さんに熱を上げたら、全滅だよ」

 男はね。レイナは頼れる霊獣がいるから、どれだけ人間関係がこじれたって、万に一つも身の危険はないだろう。

「なるほど、それでヤマジュンはサークルクラッシュされないように、必死になってみんなのギスギスを抑えているってこと」

 まぁ、僕は速攻で大切なレムをクラッシュされたワケだが。

 人間関係だけでなく、物理的にも破壊してくるのが、あの女の恐ろしいところだ。

「正直、桃川君が来てくれて、ホっとしているよ」

「なんで?」

「君なら、絶対に綾瀬さんを好きになることはないから」

「なんでそこまで断言できるのさ?」

「だって、桃川君はクラスで一番の巨乳好きだからね」

 爽やかな笑顔で、そういうこと言うのやめて欲しいんですけど。それってどこ情報? どこ情報よそれ。性癖ダダ漏れで、僕、割とショックだよ。

「女子にはバレてないよね?」

「安心してよ。ボクが知ってるこのテの情報を全て流していたら、二年七組は今頃、学級崩壊しているところだから」

 え、なにそれ、こわい。

 ヤマジュン、実は二年七組の核弾頭なんじゃあ……

「オーケー、ヤマジュン。僕らは仲良くやろう」

「うん、何とかみんなでダンジョン攻略ができるよう、一緒に頑張ろう、桃川君」

第115話 口車

「改めて、これからよろしく」

 ヤマジュンと気分が重くなるようなパーティ事情を聞いた後、僕らは塔の妖精広場へと戻った。

 とりあえず、僕を襲っておきながら、勝手にショックを受けてメソメソしていたレイナは、今は落ち着いたようで、静かに広場の隅で眠っている。麗しの眠り姫を守るように、炎の獅子エンガルドが傍らにどっかりと横たわっており、僕ら男連中へ睨みを利かせていた。

 しかし、僕が気になるのは、レイナが寝ている……何だ、アレ、ベッドじゃないか。小汚い木材を箱型に組み合わせただけの雑な造りだが、どこからどう見てもベッドである。それなりに綺麗な布地がしっかりと敷き詰められており、寝具としては使えないこともない。

 早くもレイナのお姫様待遇の片鱗を目にして、僕はすでにゲンナリしてきた。

「えーと、まずは今の状況を教えて欲しいんだけど。ゴーマの砦がある、みたいなこと言ってたよね?」

「おう、そうだなぁ――」

 僕が話しているのは山田君だけで、隣にはヤマジュンがいる。上中下トリオは、塔の入り口で倒したゴーマ中隊の死体の処分と装備の回収などに出ているようだ。山田君だけが広場に残って、臭くて汚い面倒な仕事を押し付けていることを思えば、パーティ内でのヒエラルキーも自然と見えるというものだ。

「次の転移魔法陣があるのが、そのゴーマの砦なんだよ。奴らはダンジョンの遺跡をそのまま根城にしているから、俺らが転移するにはソイツらをぶっ殺さなきゃいけねーんだ」

「かなりの数がいる感じ?」

「ボク達がその砦まで行ったのは、コンパスに従って向かった最初だけなんだ。一目見ただけで、正面突破は無理だと思うくらいの、大きな集落を形成していたから、すぐにこの塔まで引き返したんだ」

「ゴーマだけならどうとでもなるんだけどよ、流石に、ガッチリ鎧を着こんだゴーヴがあんだけ群れてると、俺でも厳しいぜ」

「ねぇ、ゴーヴってもしかして、あのゴーマよりデカくてマッチョな隊長みたいなヤツのこと?」

「うん。あの大きいゴーマは『ゴーマ・ゴーヴ』と呼ばれていて、彼らの中では戦士階級に位置する存在なんだ」

 やっぱり、そんな気はしてたけど。

「ヤマジュンはゴーマに詳しいの?」

「そうだね、何故か、ボクの魔法陣には多くのメールが届くんだ。それで、色々と詳しいことが分かったんだよ」

 なるほど、やっぱりこの魔法陣には明確に受け取る情報量に個人差があるのか。これも天職の影響なのか……その割には、同じ回復職の『聖女』である蒼真桜のメール情報はこれといって凄いってこともなかったような。まぁ、僕には隠してただけかもしれないけど。

「ゴーヴはただのゴーマとはけた違いに強ぇからな。普通は部隊を率いている隊長が一体だけだけどよ、砦の方にはゴーヴだけで部隊を組んでいやがる」

「なるほど、奴らの精鋭部隊が砦を守っていると」

 そりゃあ、正攻法で挑むのは厳しいな。

「それに、情報によると、ゴーヴの中には魔法を使うタイプもいるらしいんだ。ボクらは砦のゴーヴ部隊を目撃しただけだけど、もしかしたら、奥にはボスモンスターのように、さらに強力なゴーヴのボスである『ゴグマ』がいる可能性もあるよ」

 ゴグマというさらに上位種も存在しているのか。

 このダンジョンに跳梁跋扈しているゴーマだが、なるほど、ちゃんと強い奴らもいるからこその繁栄ぶりといったところか。

 けど、そういう情報は今の僕にとっては悲報でしかない。

「ねぇ、これ詰んでない?」

「マトモに攻められねーから、俺らはいつまでもこんなところで立ち止まってんだよ!」

 どうやら、このニッチもサッチもいかない状況に、山田君はかなり苛立ちを感じている様子。聞けば、この塔で生活を始めて、すでに一週間以上が経過しているという。

「今のボクらはここに籠って、たまに襲ってくるゴーマを返り討ちにしたり、砦の様子を見に行く途中で戦ったりと、そんな感じなんだ。これといって、攻略が進む手段がないんだよ」

 思ったよりも、苦しい状況のようだ。まぁ、ゴーマ中隊に襲われてピンチになる程度の戦力では、砦の攻略など不可能だろう。

「……綾瀬さんが協力してくれれば、いけるんじゃないの?」

「馬鹿野郎、桃川! レイナちゃんに危険な戦いさせるワケにはいかねーだろが!」

 凄い剣幕で山田君が怒鳴る。うわー、これは、ちょっと無理かなぁ……

「でも、綾瀬さんの霊獣って、めっちゃ強いでしょ? 別に綾瀬さん本人は、安全な場所にでも隠れてもらっていればいい話で――」

「そういう問題じゃねぇ! 桃川、テメーも男だろ、男なら、女を守るのは当然だろうが!」

 うーん、ずっとメイちゃんに守ってもらってた僕からすると、まるで共感できない理論だ。女の子でも余裕で男より強くなれるこの世界で、フェミニズムって一体何の意味があるのか。山田君も剣崎明日那みたいに、メイちゃんと決闘してフルボッコにされれば考えを改めてくれるかもしれない。

 あー、メイちゃんと会いたいなー、戦って揺れるおっぱい眺めたいなー。

「おい、聞いてんのか、桃川!」

「あ、うん、聞いてるって。分かったよ」

 レイナの天職は『ニート』ってことで納得しておく。

 とりあえず、メンバーで一番強い山田君がこういう認識でいる以上、レイナをみんなで説得して戦闘に協力してもらう、という策は一旦諦めた方がいいだろう。

 しかし、参ったな、山田君がここまでレイナにイカれているとは……まぁ、今の自分が一番レイナにアピールできるのが、戦いで守る、という点だから、絶対にここは譲れないのだろう。

 モテない男の見栄ってのは、こういう時に頑固になりやがる。

「それじゃあ、砦は何としても男だけで攻略するという方針でいいんだね?」

「あったりめぇよ!」

「うん、それしかないよね」

 ヤル気だけの山田君に、苦笑のヤマジュン。僕も一緒に苦笑いしようかな。

「それなら、次はこの周辺の地形とか出現する魔物の情報と、山田君達の天職能力を詳しく教えて欲しいんだけど」

「お、おう……まぁいいか。俺の天職は――」

 あ、山田君バカだな。

 完全に僕の勢いに押されて、自分の能力を普通に喋りはじめたぞ。これが天然の演技だったら、相当なモノだ。

 特に何かを隠す素振りもなく、正直にベラベラと喋ってくれた山田君と、絶妙のタイミングで補足してくれるヤマジュンとの、二人の話を総合して、ようやくはっきりと現状と現有戦力が明らかになった。




 山田元気・天職『重戦士』


『弾き』:武器や防具を用いて、敵の攻撃を弾き返す。

『弾き返し』:より強く、速く、重く、敵の攻撃を弾き返す。

『鉄皮』:鉄の如き硬さの皮膚となる。

『鋼身』:鋼の如き硬さの肉体となる。

一打スマッシュ』:打撃攻撃力強化。

撃破ブレイク』:強烈な打撃による衝撃波。




 山川純一郎・天職『治癒術士』


微回復レッサーヒール』:負傷を微かに回復させる、光の治癒魔法。

光矢ルクス・サギタ』:光属性の下級攻撃魔法。

光盾ルクス・シルド』:光属性の下級防御魔法。

光精霊ルクス・エレメンタル召喚』:下級の光精霊ルクス・エレメンタルを召喚する。

閃光フラッシュ』:目が眩むほどの強い閃光を放つ。

小回復ヒール』:負傷を回復させる、光の治癒魔法。

『古代語解読・序』:古代語を読み解ける。第三種制限。




 上田洋平・天職『剣士』


一閃スラッシュ』:斬撃攻撃力強化。

一穿スラスト』:刺突攻撃力強化。

『見切り』:敵の攻撃に反応できる。

疾駆ハイウォーク』:移動速度強化。

連撃ラッシュ』:斬撃による連続攻撃。




 中井将太・天職『戦士』


一打スマッシュ』:打撃攻撃力強化。

『弾き』:武器や防具を用いて、敵の攻撃を弾き返す。

『鉄皮』:鉄の如き硬さの皮膚となる。

『投擲』:投擲攻撃力強化。

乱撃レイジ』:打撃による連続攻撃。




 下川淳之介・天職『水魔術士』


水矢アクア・サギタ』:水属性の下級攻撃魔法。

水盾アクア・シルド』:水属性の下級防御魔法。

水霧アクア・ミスト』:霧を発生させて、視界を遮る下級隠蔽魔法。

水流撃アクア・ブラスト』:水属性の下級範囲攻撃魔法。

水流鞭アクア・バインド』:水の鞭を形成し、自在に振るう下級拘束魔法。




 二人の懇切丁寧な説明のお蔭で、かなり詳細な天職能力が判明した。

 もっとも、ゴーマ中隊との戦いを観察した結果から、僕が推測したのとそう変わりないもので、これといって目新しい発見はない。

 隠し事でもされない限り、とは当然思うけれども、下川君の『水流鞭アクア・バインド』も教えてくれたから、恐らくこれで全ての能力だと思われる。

 先の戦闘で『水流鞭アクア・バインド』の出番はないから、僕を騙そうと思えば、この魔法は隠しておける。けれど、僕は委員長達から小鳥遊小鳥が襲われた事件を聞いて、そこで下川君が『水流鞭アクア・バインド』という魔法を使ったことを知っている。

 向こうは、僕がこの魔法の存在を知っていることを、知らないのだ。だから、出来る限り能力を隠そうと思えば、『水流鞭アクア・バインド』の存在は明らかにしないはず。

 なんだけど、こうして普通に教えてくれたってことは、そういうことなのだ。まぁ、こんなレイナファンクラブのメンバー同士、きっちり口裏合わせるような連携なんかとれるはずもないか。

 それにしても、ここまで進んで来たってことは、ボス戦含めてそれなりにダンジョンを攻略してきたはずなのだが、それにしては習得している能力が少ないように感じる。持ってる能力の数だけなら、僕はみんなの倍以上あることになるけれど……よく考えると、みんなの能力って大抵、即戦力級だったり、使い勝手が良い万能だったりと、高性能な効果なものばかり。

 例えば上田君の『剣士』の初期スキル『一閃スラッシュ』『見切り』『疾駆ハイウォーク』だけで、攻撃と回避が両立できて、剣さえ持てばすぐにでもゴーマ相手に戦える。

 要するに、百個のゴミスキルは一個の強スキルには及ばないってことだ。重要なのは、スキルの数じゃなくて効果の強さ。

 それにしたって、四人もいてゴーマ中隊相手に苦戦を強いる彼らを思うと、同じように近接戦闘職であるジュリマリと比べれば、やはり随分と弱いように見える。多分、ジュリマリだって凄い効果のチートスキルを持っている感じではなかったし、スキル構成としては彼らとそう大差はないはず。

 同じスキルを持っていても、実力には雲泥の差が現れてくる。ということは、やはり個人の才能やセンス、というのも戦う上で重要なのだろう。

「ありがとう、よく分かったよ」

「おい、それじゃあ桃川はどうなんだよ」

「ボクも、桃川君の天職は気になるな」

 というワケで、僕の方も天職『呪術師』を紹介しておく。勿論、あまり知られたくないネタは隠しておくけども。

 とりあえず、僕にとってしっかりアピールしておくべき点は、『痛み返し』があるからくれぐれもフレンドリーファイアには注意しろよ、ということと、『汚濁の泥人形』ことレムのことだ。

「さっきの戦いで見た通り、強い魔物の素材があれば、それだけ強力な泥人形が作れるんだよね」

 早速、素材クレクレである。

 さぁ、お前ら、この呪術師様に雑魚モンス素材でいいから、ありったけ献上するがよい。

「泥人形、かぁ……ソレって、やっぱ魔物みてぇな姿になるんだよな?」

「泥人形は基本的にスケルトン型になるし、屍人形だとそのまま魔物の姿だし」

「ふーん、そんじゃあ、ダメだな」

「はい?」

 おい、何言ってんだ山田。ロリコンこじらせてボケたのか。

「だってよ、魔物の姿ってことは、レイナちゃんを怖がらせちまうじゃねぇか」

 なるほど、そう来たか。どうやら、僕は山田君のことを少々、見くびっていたようだ。

 まさか、ここまでレイナにイカレちまってるとは……おいコラ山田てめぇマジでフザけんじゃねぇぞ。

「も、桃川くん、残念だけど、確かに山田君の言う通り、魔物の姿の使い魔を出してしまったら、きっとまた綾瀬さんは泣きながら霊獣をけしかてくるよ。もし作るとしたら、彼女の目の届かないところに置いておくか、見えないような小さいモノにするとか」

「……うん、そうだよね」

 ヤマジュン、物凄い気の利かせ方である。完全に僕がキレそうになってたのを悟って、瞬時にこんなアシストするとは。

 僕は確かに呪術師だけど、すぐに他人を恨んだり、逆恨んだりするほど沸点低くはないつもりだ。でも、僕の可愛いレムの復活を妨害しようってんなら、そりゃあ割と本気で腹も立つってもんだ。

 レムは僕の生命線であると同時に、共に死線を潜り抜けてきた相棒である。一刻も早い復活を望むのは当然……だけれど、ヤマジュンの言うことも、困ったことに正しいのだ。

 多分、いや、まず間違いなく、そのままレムを創れば、またレイナの奴が騒ぐ。下手すれば、あのバカ女は僕のことを邪悪な魔物使いとか勝手に敵認定して、忌々しい霊獣で殺しにかかって来るかもしれないのだ。

 これまで通り、レムを常に僕の傍に置いておくわけにはいかない。

「分かった、綾瀬さんに配慮して、とりあえず目の届かない塔の外に置いておくことにするよ」

「いいや、それもダメだな。レイナちゃんは、たまに散歩しに塔の外まで出てくることもあるからな」

「それ本気で言ってるの? そんな理由でレムを、貴重な戦力を作らないって、本気で思ってる?」

「なんだとぉ、もしまたレイナちゃんを泣かせるようなことがあったら、お前どうすんだ、責任とれんのかぁ!」

 ダメだ、コイツはもう末期だな。完全に手遅れ。どうしてこんなになるまで放っておいた。

 あまりに無茶苦茶な山田の言い分に、僕は怒りを通り越して気が遠くなった。同じクラスメイトと話をしている気分じゃない。これなら、まだゴーマの方が円滑なコミュニケーションが図れそうな気がしてくるよ。

 現実逃避はさておいて、山田がガチでこんなトチ狂ったことを主張しているとすれば、これはつまり、彼にとってレイナの気分ってのは、自分達の命をかけた戦いよりも優先すべき事柄なのだ。たとえ、ほんの僅かな可能性でも、それで彼女が気分を害する危険があるならば、絶対に許さない。

 だから、レイナがレムを見て取り乱してしまった前科がある以上、山田は何が何でも絶対にレムを再生させることを許さないだろう。

 何の論理性もない、単なる感情論。そして、ソレで自分が彼女を守っているという自己満足に繋がると……ちっ、ただでさえ大した戦力じゃないってのに、モテない男の恋愛オナニーに付き合ってる余裕なんかあるわけないだろう。

 はぁ、仕方ない。それじゃあ、ここはちょっとやり方を変えてみるか。

「責任、かぁ……それじゃあ、もしその時は、山田君が綾瀬さんを止めてくれればいいんじゃないかな。ほら、こう、男らしく泣いている彼女を抱きしめて、とかさ」

「なっ!?」

 あからさまに、顔を赤らめて驚く山田。自分がレイナを抱きしめているシーンでも妄想しているのだろうか。どんだけ分かりやすい反応なんだ。

 もし反応がイマイチだったら、ただの冗談で済ませようと思ったけれど、想像以上の食いつきの良さ。これなら、上手くいくかも。

「僕が思うに、綾瀬さんは不安なんだよ。だから、大したことじゃなくても、すぐに怖がったりするんだ。そして、そういう恐怖から守ってあげられるのは、僕らの中で一番強い、山田君だけなんじゃないのかな」

「そ、そっかぁ?」

「そうだよ。綾瀬さんはただちょっと怖がりすぎているだけなんだから、レムのことだって、ちゃんと説明すれば分かってくれるはずだよ。だからさぁ、もし万が一、綾瀬さんが隠しているレムを見つけてしまって、泣き出してしまったら……まず、山田君が綾瀬さんをギュっと抱きしめて、落ち着かせて欲しいな」

「ばっ、ば、ばかやろっ、桃川、お前、そんな……俺が、レイナちゃんを抱きしめっ、とか、できるわけねーしぃ……」

「なに弱気なこと言ってるんだよ! 山田君しかこの役目はできないんだよ? このパーティのリーダーなんだから、メンバーで唯一の女子の綾瀬さんのこと、責任もって慰めてあげなきゃダメだじゃあないか。強い男として、当然のことでしょ」

「でっ、でもよ……そんなのやったら、セクハラとか思われたり……」

「大丈夫だよ、僕もヤマジュンも一緒になって、きちんと綾瀬さんに事情説明するからさ。そもそも、泣き出すくらい取り乱してしまうんだから、それくらいしないと止められないでしょ? これは仕方がないことで、最善の対処方法だよ。やましいことなんて、何もないじゃないか」

「そ、そうか……そうだよな! うっし、そこまで言うなら仕方ねェ、桃川、いざって時は、レイナちゃんのことは俺に任せておけ!」

 山田、チョロい。

 僕の大して上手くもない口車に、ここまであっさり乗ってくるとは、コイツは本当に進学校と名高い白嶺学園の入学試験に合格しているんだろうか。

 いや、学力と頭の良さは必ずしもイコールじゃないし、恋は盲目っていうし、エロいことほど自分の都合のいい方に捉えがちになるし、まぁ、モテない童貞男子高校生なんて、こんなもんなのかもしれない。僕だって、堂々とメイちゃんか蘭堂さんにラッキースケベな感じで抱き着けるチャンスがあるんなら、後先考えずに乗るだろうし。

「とりあえず、僕としてはレムを創れるなら、戦いの準備は十分だよ」

 さて、これで僕の戦闘準備を滞りなく進めることはできるけれど、次に問題となってくるのは、ゴーマの砦を実際にどう攻略するかという方法だ。

「その砦って、ここから近いの?」

「実際に何キロあるのかは分からないけれど、ここから歩いていくと一日かかるよ。朝に出発して、日が暮れそうな頃に、砦を見つけたんだ」

 コンパスがあるから、道に迷うことなく真っ直ぐ進めたはずだけど、それでも結構、時間がかかっている。いや、人の足でジャングルの中を一日もかけずに進んだ距離なんて、大したものじゃないというべきか。

「その時って、綾瀬さんも一緒だった?」

「おう、ボスを倒してそのまんま転移する気で行ったからな」

「このジャングルの中を歩く時は、綾瀬さんはエンガルドに乗っているから、ボクらの方がついていくのは大変なんだよね」

 なるほどね。となると、塔と砦の距離はおおよそ20キロメートルくらいだろう。

 人間が一日で歩ける距離は大体30キロが平均で、歩兵だと50キロくらいだそうな。彼らはただの高校生だけど、今は天職の力がある。あまり足場がよろしくないジャングルの中でも、天職能力があれば、一日で20キロくらいは踏破できるだろう。

「僕らが一日で行けるってことは、向こうも一日あればこっちに来れるってことだよね」

 むしろ、密林暮らしの奴らの方が、行軍速度は早いだろう。

「っていうか、さっき塔の入り口で戦ってたのって、もしかして、砦の奴らがここに攻めてきたからなんじゃないの!?」

「あー、そうかもな」

「ボクらは砦の攻略を諦めて、この塔に引き返してからずっと、レベルアップしようと思って付近のゴーマやモンスターを倒して回っていたんだ。だから、流石にゴーマ側もボクらのことを放っておけなくなった可能性が……」

「なんてこった」

 砦の攻略どころか、むしろこっちが攻略される側じゃあないかよ。

 そもそも、ゲームじゃないんだから、雑魚モンスターは無限湧きのランダムエンカウントと決まってはいない。砦という大きな集落の近くで、何体も仲間が殺害されれば、いくらバカなゴーマでも襲撃者が近くに潜んでいると気付く。ならば当然、戦力を結集させて、その脅威を排除すべく打って出てくるだろう。

「まぁ、大丈夫だろ。奴らはさっき返り討ちにしてやったじゃねーか」

「アレはただの偵察隊で、本隊が控えているかもしれないだろ。全員ゴーヴで構成された、精鋭部隊も出てきてない」

 奴らは砦の守備隊として、絶対に動かないという可能性もあるけれど。

「この塔は危ない。今すぐにでも、一つ手前の妖精広場に撤退するべきだよ」

「うん、ボクもここは一旦、逃げた方がいいかなとは思うんだけど……」

「俺ら、転移してこの塔に来たから、他の妖精広場がどこにあるか、分かんねーんだよ」

 ええい、どこまでも使えない。けど、転移してくるってことは、確かにそういう状況になることだってあるだろう。

「いや、大丈夫、僕は前の妖精広場からここまで歩いてきたから!」

 そうだ、僕がゴーマに毒薬の人体実験したり、魔女の釜で猪鍋を食べたり、お風呂に入ったりした、あの妖精広場にまで撤退できれば、ひとまずは砦のゴーマ軍団からは逃れられそうな気がする――

「でも、桃川君、戻る道が分かるの? コンパスは転移の方向しか指さないから、戻る時の道標にはならないと思うんだけれど……」

 おずおずと、ちょっと気まずそうなヤマジュンの台詞を理解するのに、僕はたっぷり十秒くらいかかった。

 普通の方位磁針は、常に北を指し示す。だから、それを起点として東西南北の全ての方角を確認することができる。

 けれど、この魔法陣コンパスは、最寄りの転移魔法陣の方向を指し示す。その進行方向が分かるだけで、方角を割り出すことはできない。さらに言えば、途中で示す方向が変わることすらある。

 ただコンパスの逆方向へと進めば、手前の妖精広場に戻れるワケではない。

「し、しまったぁーっ!」

 どうやら、僕らはこの塔で覚悟を決めて、迫りくるゴーマ軍団を迎え撃たなくてはいけないようだ。

第116話 密林の素材集め

「ど、ど、どうするよ……」

 と、頭を抱え込んで深刻に思い悩んでいるのは、何故か僕一人だけ。

「なぁ、この剣、結構よくね?」

「うおっ、スゲェ、いーじゃんコレ、ほとんど錆びてねぇ!」

「くそー、やっぱ魔法の杖はねーかー」

「おっ、何だお前ら、いい剣とってきたじゃねぇか」

「げっ、山田!」

「さっきの戦いで、一本ダメにしちまったから、ちょうどよかったぜ」

「ちょっ、待てよ、この剣は俺が見つけたんだし、っつーか俺の剣だってもう限界近いんだって!」

 僕の後ろでは、ゴーマ中隊からの戦利品である剣を巡って、上中下トリオとロリコン山田がワイワイと醜い争いを繰り広げている。お前ら、マジで気楽だな。

「はぁ……私、もうクルミ飽きちゃった」

「まぁまぁ、これでも食べないと元気が出ないから。栄養だけはとっておかないと、体も壊れてしまうかもしれないよ」

「うぅー」

「体にいい薬だと思って、頑張って食べようよ、綾瀬さん」

 そして、ヤマジュンは息を吐くように駄々をこねるレイナ・A・綾瀬のお守りである。

 このパーティに加入して、まだ一時間も経ってないけど、もうすでに辞めたくなってきた。いいよもう、お前らゴーマの大軍に逆襲されて全滅しちまえよ。

「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、現実から逃げちゃダメだ……」

 現実逃避をするには早すぎる。このパーティを見限るのは、もっと早すぎる。

 ここから先に進むには、ゴーマの砦を攻略しなきゃいけないならば、どう頑張っても僕一人では不可能だろう。何とかこの面子で乗り切る方法を考えなければ。

「どうする……塔の防衛強化……いや、レムの復活が最優先か……」

 攻略以前に、ゴーマの逆襲に対する備えをしなければいけない。真っ当に考えるなら、僕らの拠点であるこの塔を要塞化して守りを固めるのと、レベルアップも含めてパーティそのものの戦力を高めること。この二点になるだろう。

「剣士、戦士、重戦士、水魔術士、治癒術士、クソニート……守りを固めるのに、役に立つ天職ではないよね」

 MMORPGみたいに『鍛冶師』とかの生産職が天職にあれば、城壁とまではいわないけど、上手にバリケードを作ったりできそうなものだ。まぁ、どうやら僕らは戦闘系の天職しか授からないような話だったから、このテの天職が存在していたとしても、授かっているクラスメイトはいないだろう。もしいたとしても、この場にはいないのだから、考えるだけ無駄なことか。

「ああー、蘭堂さん、会いたいよぅ……」

 思わず泣き言の一つも零れてくるってもんだ。

『土魔術士』の蘭堂さんがいれば、拠点防衛は完璧だったろう。全く準備の時間がない地底湖塔での戦いでも、あれだけ『土壁』を立てまくってジーラの大群を凌いだのだから。

 これで一日でも準備時間があれば、『土壁テラ・シルド』『岩槍テラ・クリスサギタ』『永続エタニティ』の建築コンボでかなりの防御設備が完成するだろう。さらに、いざ戦いとなれば『石弾テラ・サギタ』と『石砲テラ・ブラスト』を撃ちまくる固定砲台と化すのだ。

 防衛戦に限れば、蘭堂さんはかなりの能力を誇る。

 けれど、やはり彼女も今この場にはいない。僕がどれだけ、あの強力な土魔法と、あの素晴らしい褐色おっぱいを望んだとしても、いないものはいないのだ。

「壁を作る魔法がない僕らが、バリケードなんか手作りしても、たかが知れる」

 天職という特殊な能力がなければ、僕らはただの高校生。周囲の密林から木を伐り出して、簡易的な柵を作って守りを固める……なんて工作・工事は、ゴーマの襲撃がなかったとしても、上手くできるとはとても思えない。

 ロクに防衛設備を整える手段がないのなら、戦力強化の方に力を注ぐのが最善だろう。少なくとも、レムがいれば、二号含めて、二人分は兵士が増えるのだから。

 それに、あっさり敗北したとしても、レムがいれば僕が一人で逃げ出す時には役に立つ。自分の身の安全を考えても、やはりレムの復活は最優先事項だな。

「よし、後はレムの性能次第で考えよう」

 どこまでレムの力を取り戻せるか、あるいは、アラクネのように新しい魔物を屍人形として獲得できれば、選択肢も変わってくる。そう考えると、新たな可能性にちょっとだけワクワクしてきた。

「それじゃ、まずは協力交渉からか……あー、気が重い」

 あんまり進んで、お喋りしたい面子じゃないからな。でもまぁ、天道君に取引を持ちかける時よりかは、気楽だと思っていこう。

 さて、ここでいきなり山田に話を切り出すのは馬鹿のすること。

「ねぇ、ヤマジュン、ちょっと相談があるんだけどー」

 話し合いをするにあたって、根回しってのは大事だ。先に自分の意見に賛成してくれる味方を作っておくのは基本だろう。特に、ある程度みんなに対して発言権を認められている、ヤマジュンのような人物を味方につけておくことは大いに意味がある。

 これは決して、ズルいことではない。別にどちらでもいい、という無党派層みたいな人は多いから、そういう奴らは相応の人物が賛成を示すことで、自分達も賛成へと意思決定をしやすいのだ。逆に、それがなければ大した意見もないのに、頑なに反対したりもするから、人の心ってのは本当に厄介で、面倒くさい。

「――というワケで、桃川くんが協力して欲しいそうなんだけど。どうかな、魔物狩りは僕らも普通にやっているし、そのついでだと思えば大した手間でもないだろう。それに、新しい戦力が増えるのは、ボクらにとって大きなプラスになると思うよ」

「おう、そうだな、やってやっか!」

 レイナ抱きしめ要請の話があったからか、山田は真っ先に乗ってくれた。すでにして、鼻息が荒いんですけど、このロリコン。

「あの使い魔を作るってことか」

「まぁ、いいんじゃね?」

「アラクネとか味方にできたら、強いべ」

 これといった反対もなく、スムーズに協力体制は確立された。

 これで、後は素材を集めて作るだけ……なんだけど、本当にこんなパーティで上手くいくのだろうか。不安でしょうがないが、やるしかないのだから、精々、頑張ろう。




「おかえり、レム」

「ガガ!」

 ひとまず呼び出したレムこと『汚濁の泥人形』は、ちょっと懐かしさも感じる、黒いスケルトンの姿。

 ここにはスケルトンは生息していないけれど、その代わりにゴーマの死体は山ほどある。今までゴーマ素材は使えない予感がしていたから、あえて使わなかったけれど、別に全く使えないワケではない。要はスケルトンと同じ程度の素材レベルというべきか、大した効果はもたないから、使う意味がないだけのことだった。

 でも、スケルトンがいなければ、こうして初期モデルのレムを創る素材としては役に立つ。

 今回使用したのは、僕らが撃退したゴーマ中隊にいた、ゴーヴという戦士ゴーマの死体。普通のチビと違って、成人男性と同じ程度の背丈と、発達した筋肉を持つガタイの良いゴーヴは、どうやらスケルトン小隊の隊長くらいには素材としての質は良い。

 あとは、このジャングルで採取した躍動感あふれるポージングのマンドラゴラと、僕の血液を少々。何かと問題になる僕の例の素材は、まぁ、次の機会でいいだろう。

ともかく、レムは姿こそスケルトンのままだが、最新型と同じだけの背丈にはなっていた。完全に初期型のようなチビっ子じゃないのは、素材の効果の他にも、もしかすればレム自身もレベルアップとかしているのかもしれない。

「おおー」

「スゲー」

「召喚魔法みてーだ」

 黒き混沌の沼からズブズブと現れたレムを見て、上中下トリオが素直な感想を漏らしている。

 今回の素材集め、もとい彼らでいうレベリングの魔物狩りは、この上中下トリオが同行することになっている。

 ヤマジュンと山田は、お姫様と一緒にお留守番。基本的に、レイナを一人で残すことはしない。どうせやるんだったら、全員で行動した方がいいに決まっているのだが……レイナは彼らの狩りに付き合うつもりなど毛頭ないようだ。

 アイツが動く時は、次の目的地へ移動する時か、いよいよあの塔がゴーマに占領されて逃げ出す時だけ。

 まぁいい、僕もレイナがいない方が気楽だし。アイツがウロチョロしていると、何が起こるか分からない。余裕で勝てる雑魚戦でも、一転してピンチに陥りかねないからな。いや、敵がいなくても、何かケチをつけられて霊獣に背中から襲われそうだ。

 そうして、僕らは魔物狩りへと出発した。

「――おい、ゴーマいるけど、どうする?」

 メンバー中、最も目端の利く『剣士』上田が早速、敵を発見してくれる。

 当たり前だけど、僕が樋口の取り巻き野郎である上中下トリオと行動を共にするのは、今日が初めてである。そもそも、口を利いたのも初めてかもしれない。

 だから、実は三人の内の誰が上と中と下なのか、割とあやふやだった。

 流石に、ナチュラルにクラスメイトの名前を間違えたら、余計な軋轢を生じる危険性もあるので、事前にヤマジュンから顔と名前を一致できるようこっそりご教授願っている。

 それで、えーと、剣士の上田は、ロンゲの奴だ。顔は三人の中では一番イケてる方だけど、樋口と並ぶとアイツの方が男前ではあったので、所詮はイケメンぶってるフツメンといったところだ。

「ゴーマはコアも出ないし、素材も使えないし、戦うだけ無駄だから全部スルーで」

「だよな。そんじゃあ、頼んだ下川」

「しゃーねーな、いっちょやってやるべ」

 と、自分の魔法の出番にちょっと嬉しそうなのが『水魔術士』の下川。

 下川は三人の中で、唯一、眼鏡をかけてる奴だ。髪はウニみたいなツンツン頭にしているけど、このダンジョン生活の中でもいまだに維持しているのは、恐らくワックスを持っているからだろう。

 三人の中では一番背が低いし、体系もヒョロいから、魔術士系の天職に当たったのは妥当かもしれない。

 ちなみに、道産子でもないにに「だべ」とか言ってるのはコイツだ。

「――『水霧アクア・ミスト』」

 敵と遭遇した場合は、『水魔術士』下川の『水霧アクア・ミスト』という深い霧を発生させて視界を奪う魔法を使うことで、上手く逃走することができる。

『氷魔術士』の長江さんが持っていたという『氷霧アイズ・ミスト』と効果は同じ。横道によって、その能力を体感している僕からすると、この魔法の隠蔽性は信頼できる。正直、僕もこういうの欲しいんですけど。

 術者は霧の中でも視界不良の影響をほとんど受けない仕様らしいので、先導を下川に交代して、僕らは首尾よくゴーマ部隊から離れて行った。

 どう見ても魔法としか思えない、突然発生した霧に包まれても、ゴーマの奴らが騒ぎ出さなかったことを考えると、奴らはこの怪しい霧を自然のモノだと思い込んでいる可能性がある。僕が同じ状況に遭遇したら、絶対、近くに霧を張る魔術士がいると警戒する。

 下手すれば、自らの存在を示すだけになってしまうのだが、この感じなら、ゴーマ相手には深く考えずに使っても良さそうだ。

「けどよー、ゴーマ以外を狙うっつーなら、何がいるよ?」

「猿とかは結構いたよな」

「そうそう、ピョンピョン跳ねるヤツ」

「あー、その猿もあんまり使えないから、スルーで」

 やはり塔周辺はゴーマの縄張りになっているらしく、他の魔物はあまり見かけないという。

「悪いけど、野宿覚悟でちょっと遠出するかもしれない」

「マジかよ桃川」

「こんなジャングルで野宿とか」

「ないわー」

「僕も嫌だけど、何も収穫がなければ、こうして出てきた意味もないよ」

 うーん、どうするべか、と今更ながらに悩み始める上中下トリオ。

「そんじゃあ、ちょっと危ねーけど、川に行ってみっか?」

 と、建設的な意見を提案してくれたのが、『戦士』の中井。

 三人の中では、一番背が高く、ガタイもいい。身長だけなら樋口に匹敵してる、けど、筋肉がついてるのはアイツの方だった。腹筋とかバキバキに割れてたし。

 他に特徴といえば、ヘアバンドをつけてるくらいか。クラスでは単なるファッションでしかなかったけど、前髪が邪魔にならないヘアバンドは、戦闘においては役に立つといえないこともない。まぁ、今でもカッコつけて装着しているだけだろうけど。

 ともかく、きちんと説明されればそれなりに特徴があって見分けがつく三人組なので、一度覚えれば、間違うことはないだろう。

「その川って、もしかして綾瀬さんが水の霊獣でワニの魔物を一網打尽にしたってところ?」

「そうそう、あん時はヤバかったなー」

「レイナちゃんいなかったらフツーに死んでたべ」

 ははは、と笑いごとじゃないのに盛り上がる彼らは、いっそ清々しい。僕もこれくらい馬鹿、もとい、能天気になれれば、人生もっと楽しいのかも。

「ワニは強い?」

「ゴーマよりはずっと強ぇよ」

「結構、鱗が硬いしな。意外と動きも速ぇし」

「まぁ、倒せないほどじゃねーけど、群れてたら無理だわ」

 なるほど、強さとしてはゴアと同程度、雑魚モンスとしては強い方に分類される感じか。コイツの素材は期待できそうだ。

 ワニといえば、地底湖で天道君が倒したボスを連想するけど、そこまで大型の奴は見なかったという。やはり、特別に強かったりデカかったりする奴は、ボス部屋にしかいないのだろうか。

「よし、それじゃあワニ狙いで行こう。とりあえず、倒すのは一体だけで十分だから」

 それなら何とか、というワケで、僕らはワニ型魔物の住む川へと向かった。

 途中、ゴーマを霧でスルーすること二回、無事に目的地へと到着。

 いかにもアマゾン川です、みたいな密林の中を大きなカーブを描いて流れる、茶褐色の水面のそこそこ大きな川だ。泥混じりの水は全く底まで見通せず、何が潜んでいるのか分からない。

「ピラニアとかいないよね?」

「さぁ、大丈夫じゃね?」

 根拠のない保証をくれる上田。全く安心できないんですけど。

「もしかしたら、ワニ以外にもピラニアみたいなヤバい魔物がいるかもしれないから、血を流した状態で川には入らないようにしよう」

 ああいうのって、血の臭いに物凄く敏感だというし。こんな泥混じりの川に住むなら、視界に頼らない感覚器官が発達させているだろう。

 もっとも、それ以前に傷口をこんな汚い水につけた時点でヤバいだろうけど。

「ワニいるかー?」

「これはいないんじゃね?」

 ひとまず、ターゲットであるワニを探してみるが、茶色い川は静かに流れているだけで、水面に動く影はない。

「じゃあ、適当にブラついて探してみっか」

 軽い提案だけど、それしかない。僕らはちょっとダラけた雰囲気で、川を上流に向かうように歩き始めた。

 ここから下流に向かって行くと、ゴーマが利用している橋があるらしい。今は奴らに構いたくないから、通り道には近づきたくない。

 道中、食べられそうな植物などを採取しつつ、歩いていくが、一向にワニが現れる気配はない。せいぜい、鳥が川に突っ込んで魚をとったり、水面を飛ぶ羽虫をジャンプして捕える魚とか、そんなシーンを目撃するだけ。これで純粋にアマゾンにでも観光に来ているなら、十分な光景だけれど、今の僕らにそんな動物たちの自然の営みに感動している余裕はない。

 いいから、さっさと出ろよワニ。でも、大群で現れるのは勘弁してください。

 そんな自分勝手なお願いを無為に考えていた、その時だ。

「――っ!? ヤベぇ、なんか来るぞ!」

 先頭を歩く剣士上田が鋭い警告の声を上げた――次の瞬間だ。


 キョァアアアアっ!


 甲高い鳴き声を上げて、魔物が飛び出してくる。川から、ではなく、密林の方からだった。

「クソっ!」

 川の方向にばかり注意を向けていて、思わず不意打ちのような形になってしまったが、それでも天職を授かった者は強い。

上田は驚きつつも、素早く剣を抜き放ち、奇襲同然に飛び込んできた魔物を迎え撃った。

「ラプターだ!」

「ってことは、他にもいるべ!」

 現れた魔物は、恐竜型だった。ゴアと同じ、二足歩行の小型肉食恐竜のような、というか、本当に図鑑で見たのとほぼ違いがない姿をしていた。ゴアは頭が大きく、角ばってゴツく見える体格だったけど、コイツはストレートに恐竜らしいシャープな細身だ。

 ジャングルに生きるための保護色なのか、深い緑色。茶褐色の模様のようなモノが混じっていて、迷彩柄によく似ている。鋭い爪と牙を備えているが、分厚い甲殻と鱗に守られたゴアと比べると、まだ刃は通りやすそうだった。

 一応、この密林に出現する魔物として、ヤマジュンからさらっと説明は聞いていたけれど、なるほど、コイツが小型の地竜種の代表というらしい『ラプター』なのか。

「おら!」

「でやぁ!」

 経験のある相手だからか、前衛役の上田・中井コンビは恐れることなく素早く反撃に移る。振るわれた刃は緑の鱗を裂き、出血を強いるが、浅い。

「『黒髪縛り』、『蜘蛛の巣絡み』」

 ラプターはゴアと同じく群れで狩りをする。最初に現れたラプターに続き、すでに二頭、三頭、続々と後続が川辺へと姿を現している。多分、数は向こうの方が上だから、囲まれて一気にかかられるとまずい。

 だから、とりあえず僕は即座に発動できる呪術でもって、一頭でも多くの足止めを図る。

「ギャオッ!」

 鋭い声を上げながらも、ラプターの足が止まる。

 よし、ラプターは僕の『黒髪縛り』と『蜘蛛の巣絡み』、どちらも普通に足を絡め取ることに成功している。一気に引き千切れるだけのパワーがなければ、絡みつく黒髪の束も、ベタつく蜘蛛の巣も、振り払うには苦労するだろう。

「――『水壁アクア・シルド』!」

 どうやら、数に勝る相手の足止の考えは下川も同じらしく、彼は攻撃よりも防御魔法による敵の行動の妨害を選んでいた。

「よっしゃ、行けるぞ――『一閃スラッシュ』!」

「喰らいやがれ――『一打スマッシュ』!」

 僕が動きを封じた二頭に対し、武技をクリティカルヒットさせて確実に息の根を止める、剣士と戦士。

 後続は水魔術士の防壁によって上手く追撃をかけられない。それでも、素早く回り込もうとする奴には――

「ガガ!」

 鋭く槍を繰りだすレムが、体を張って止めてくれる。

「広がれ、『腐り沼』」

 その間に、『腐り沼』を展開させてラプターが動き回る足場を奪い、さらにいつもの如く黒髪触手を生やして、毒沼へと引きずり込もうと蠢き始める。

「キョアッ! クエ、クエッ!」

 そこで、リズムの異なる高い鳴き声が森の中から響く。

 すると、即座にラプター達は踵を返して、バタバタと再び密林の奥へと消えて行った。

 群れのリーダーが不利と断じて、撤退を指示したのだろう。見事な判断と、迷いのない素晴らしい逃げ足だ。

「ちいっ、逃げられたかー」

「もうちょい行けると思ったんだけどよ。この斧、スゲーいい感じだし」

 ひとまず戦闘が終了したことで、前衛二人組が警戒を解いた。

 戦士中井が使っている斧は、実は芳崎さんのモノだ。レムはブレスでやられたけれど、寸前でジュリマリの贈り物である槍と斧を放り投げて、破損だけは避けていた。

 ただのスケルトン状態に戻ったレムでは、戦士用の斧を素早く振るえるほどのパワーはないから、中井に貸すことにしたのだ。野々宮さんの槍は、そのまま今のレムが装備している。

「予想外だったけど、ちょうどいい獲物がとれたよ」

 ラプターは素早く逃げて行ったが、それぞれの武技を受けて、二頭分の死体は残っている。

「ワニはいいのか?」

「うん、ラプターにするよ」

 決して強い魔物ではないけれど、密林の中を音もなく素早く駆け抜けるラプターの機動力は魅力的だ。鋭い爪と牙を備えた肉食恐竜の姿は、攻撃力の面でも及第点だし。このジャングルというフィールドを思えば、ワニよりも使えるかもしれない。

 というワケで、アラクネの後継機はラプターに決まった。

 よーし、帰りはコイツに乗って行こう。人は一度、楽を覚えると忘れられないものなのだ。

第117話 野宿

「あぁ……ごめん、ちょっと休ませて……」

「魔力切れか、桃川。まぁ、しゃーねーべ!」

 息も絶え絶えな僕の気持ちを分かってくれるのは、トリオの中で唯一の魔術士クラスである下川だけだった。

 そう、僕は現在、絶賛魔力切れ中である。

 勿論その原因は、ラプターの死体を利用して、一頭はそのまま『怨嗟の屍人形』として再生し、もう一頭はレムの強化素材として投入したからだ。同時にやるもんじゃなかったよ。

「これ、魔物使いっつーか、ネクロマンサーってやつだよな」

「スゲーな、マジでそのまま蘇ってるし。いやでも、何か黒っぽくなってっから、ゾンビっぽくはあるな」

 そんな上田中井の前衛コンビから感想を貰っているのは、『怨嗟の屍人形』と化したラプターである。

 姿は全くそのままだけれど、やはり色は黒っぽく変わっている。元々が緑の迷彩柄だったから、黒と灰色でシティ迷彩みたいな色合いだ。カラーリング的には、こっちの方がカッコよく見える。

「クルル」

 大人しいと、こんな鳴き声なのか。スリスリと鼻先を僕に擦り付けてくる仕草は、ペットらしくて可愛らしい。

 まぁ、中身はレムなんだけど。

「スケルトンの方も、ちゃんと進化してんだなー」

 下川が感心したように、ラプター素材で強化を果たしたレムを見る。

 胴、腰、手足の各所には緑色のスケイルアーマーのような鱗状の装甲が形成されている。前のレムに比べれば薄い防御だが、何もないスケルトン骨格そのままよりは遥かにマシだろう。

 手首にはカマキリブレードと同じように、ラプター最大の武器である大きな鋭い爪が装着されていた。足にもラプターの爪が生えている。

 ここだけ見れば、順当に素材を取り込んだ予想通りの仕上がりといったところだが……驚くべき追加点は、何と尻尾が生えていることだ。

 ラプターよりもやや細いが、長くしなやかに揺れ動く尻尾が、レムのお尻、もとい骨盤からニョッキリ伸びているのだ。

 ひょっとして、取り込める部位が多くなる、みたいなレベルアップを果たしていたりするのだろうか。グレードダウンしたせいで、また「ガ」しか発音できなくなったレム本人から、直接話を聞けるワケがない。いつか、流暢にお喋りできるまで進化する日が来るのだろうか。

 そんな未来がちょっと楽しみでもあり、僕のご主人様評価が明らかになるのが怖くもあったりする……と、先の話は置いておこう。

「ひとまず、これで大分マシになったよ」

「でもよ、前に連れてた奴の方が強そうじゃね?」

「強かったよ。アレは素材が良かったからね」

 とはいえ、全てが無に帰した、ってワケでもなかった。

 レムがブレスでやられる直前にジュリマリの槍と斧を回収した時に、僕は地面にキラリと光るモノを見つけた。それは、真っ赤に輝く鱗……そう、サラマンダーの竜鱗である。

 流石の防御力と耐熱性能を誇る竜鱗は、ブレスに飲まれてレムが消滅しても、コレだけは残ったようだった。これ幸いにと回収し、そして、今回のラプター強化と一緒に放り込んでみた。

 オマケに、僕がジャングルの中で遭遇した、サラマンダーとサンダーティラノの大喧嘩の跡地から回収した、それぞれの鱗の欠片も使用している。

 結果として、赤と黒の鱗は、レムの左手に小さな盾のようなモノとなって構築されていた。防御力はかなりのモノなんだろうけど、これだけ小さいと使い道が限られるだろう。でも。何だかんだで戦闘慣れしてきた今のレムならば、上手く使ってくれるはず。いやぁ、死んでも経験値は引き継がれるって、素晴らしい仕様だよね。

「おい、そろそろ日が暮れそうだぞ」

「マジかよ、もうそんな時間か」

 思えば、結構歩いてきたからね。決して僕が休憩を長引かせているワケではない。

「これは今から戻っても、塔に着く前に暗くなるべ」

「野宿するしかないね」

 僕が言うと、トリオは一様に「うげー」といった表情。僕だって別に野宿したいワケじゃないさ。でも、沈みゆく太陽なんて誰にも止められないじゃない。

「ちいっ、しゃぁーねーな、覚悟を決めてやるか」

「おう!」

「で、野宿って何すればいいんだべか。テントも何も、俺ら持ってねーけど」

「ここがジャングルで良かったよね。その辺で雑魚寝しても、温かいから風邪はひかずにすみそうだよ」

「ウッソだろおい、マジかよ罰ゲームじゃねーかーっ!」

 これまでダンジョンサバイバルとか言いつつも、妖精広場という安全地帯に甘えていたツケが回って来たな。

 まぁ、僕も初めてなんだけどね、野宿。精々、ジャングルのど真ん中でも快適に一晩過ごせるよう努力しようじゃないか、皆の衆。




「みんなー、お風呂沸いたよー」

「ヒャッハーぁ! 風呂だぁーっ!」

 湯気が煙る熱々の『魔女の釜』の中へと、ザバーンと飛び込んで行く裸の男が三匹。

「あぁ……ヤベぇ……」

「ヤベぇ、めっちゃ沁みる……」

「やっぱ風呂は日本人の心だべ」

 一瞬にしてグデーンと溶けるように湯船の中でダラける上中下トリオ。ひとまず、桃川銭湯に満足してくれたようで何よりだ。

 野宿をするにあたって、僕らはとりあえず河辺をキャンプ地にすることに決めた。どんどん日が沈みゆく中で、良さそうな場所を探す時間もなさそうだったから。

 で、右も左も分からない真のサバイバル素人である僕らだけれど、どうやら今の僕の能力をもってすれば、意外と快適に一晩過ごせることに気が付いた。

 その成果の一つが、トリオが仲良く沈んでいるお風呂である。

 すでに『魔女の釜』の沸騰機能でほどよい温度のお風呂代わりにできることを知っている僕は、さらに大きめに作れば複数人も同時に入れる大浴槽だって作れるのだ。水はすぐ傍の川にある。まぁ、結構な大きさの浴槽に川の水を入れるのが大変だったけど、その辺はレムとトリオに肉体労働してもらった。

 バケツがないって? 大丈夫、みんなズボンは履いてるし。

 ズボンの裾を思いっきりギュッと縛って袋状にすると、意外と水って入るもんなんだよね。

 で、釜の中にイッパイとなった水は、勿論、底が見えないほどドロドロに濁った泥水でしかない。到底、湯だったとしてもこんな汚水に肩まで浸かるのは御免だが、そこは多機能にして万能な『魔女の釜』の力が発揮される。

 そう、コイツは中に入れた水の濾過もできるのだ。

 この汚い泥水を、フルに機能を使って濾過濾過&濾過。小学生の頃、下水処理場だか浄水場だかに社会科見学に行って、濾過の仕組みを勉強したような気がする。その曖昧な知識が役立っているのかどうかは不明だけど、ひとまず、これで綺麗な水にすることに成功したのだった。

「なぁ……俺が水魔法使えば、一発で水をイッパイにできたんじゃないべか?」

 そこまで作業が進んだ時に、水魔術士下川がポロっと零した一言。無言で下川をバシバシ叩き始める上田中井コンビを背景に、僕は心の中で謝った。ごめん、完全に忘れてたよ。

 ともかく、こうして湯船を満たす水が用意できれば、あとはスイッチ一つみたいなお手軽さで給湯が可能。こうして、熱々のお風呂が完成ってワケだ。

 さて、トリオが汗と涙と無駄な努力の結晶であるジャングル風呂を堪能している間に、僕は夕食を作ることにしよう。おっと、入っている間に『魔女の釜』を乾燥モードで回しておいて、バケツ代わりにしたズブ濡れズボンは乾かしておいてあげよう。ついでに、熱と圧をベストな調整でかけると、アイロンがけもできたりする。失敗したらゴメンね。

 さて、僕ができる料理といえば、鍋だけである。『魔女の釜』でぼたん鍋を作った時と同じように、とれた肉をぶつ切りにして入れるだけ。

 流石に都合よく大猪は現れなかったけれど、実はアイツの肉はまだ残っている。大猪、というだけあって奴の体はデカかった。それだけ食える部分も多い。仕留めてから一週間以上は経過しているけれど、食べるのは僕一人で、見た目通りに小食な方。食い尽くすはずがなかった。

 余った肉をそれだけの時間放置していれば、当然傷むに決まっているけれど、『魔女の釜』という万能調理器具があれば、あっという間に干し肉を量産することができるのだ。まぁ、使える調味料は塩しかないので、ちょっと塩辛いし、やっぱり猪の獣臭さも完全には抜けきらない、完璧とは言い難い出来栄えだけど。うーん、塩抜きが足りなかっただろうか。

 ともかく、貴重なタンパク源として僕はそれなりの量の大猪の干し肉を持っている。今回はコレを出血大サービスで振る舞ってしんぜよう。

 あと、川辺でとれた豚みたいな顔したブサイクな蛙もあるので、コイツも使う。だって、『直感薬学』が食べられるって言うから……

 ともかく、まずはこのブタカエルを捌くところからいってみよう。

 レムもラプターアーマーで強化されたことだし、任せておけば猪の時のように上手く捌いてくれそうだけど、今日は僕も自分で挑戦してみた。蛙なら、こういうのの練習にもちょうど良さそう。

「銀髪断ち」

 普通にナイフや包丁で捌くつもりは毛頭ない。呪術の練習も兼ねて、この鋼線同然の『銀髪断ち』を使って皮を剥ぎ、肉を切る。

「うーん、やっぱりそう簡単にはいかないか」

 手足がある蛙は、いざ剥いでみると色々とつっかえてしまった。メイちゃんみたいに慣れてる人は、こういうところを上手に裂いていけるのだろう。

 多少不恰好にはなったけど、切れ味鋭い銀髪によって、何とか捌くことはできた。

「ご飯できたよー」

 生焼けと寄生虫にだけは注意して、しっかり火を通して鍋を仕上げる。今日の道中で採取してきたバナナ芋と、食べられるらしい山菜が数種類あるので、コレを入れてみた。味付けは基本であるゴーマ産の岩塩に加えて、これも今回採取してきたハーブみたいなのを入れて、ちょっと風味を変えてある。

 この赤い実の粉末は、見た目通りに辛味のある香辛料となってくれた。唐辛子ほど辛くはないけど、臭いもクセもなくていい感じだ。

 そうして、オリジナル要素の増した、桃川流ぼたん鍋(中辛)の完成である。

「おぉ、美味ぇ!」

「肉なんか食ったの久しぶりだよマジで」

「桃川、お前マジでスゲーよ!」

 胡桃オンリーの生活を過ごしてきた彼らにとって、肉が食えるというだけでご馳走としては十分すぎる。ちょっと獣臭い猪と、普段は口にしない蛙、という現代の日本人にとってはやや抵抗感のある肉でも、彼らは何も気にせずガツガツと食べていた。

 きっと、適当な獲物を焼いて食べようと思ったことはあるだろうけど、異世界の怪しい生き物を食べずに、安全が保障されている胡桃だけで凌いできたのは賢明だろう。

「それじゃあ、僕は寝床を用意しておくから」

 先にさっさと美味しいところをいただいて食事を済ませていた僕は、鍋で盛り上がる三人を背景に、ベッドの作成に勤しむ。

「蜘蛛糸縛り」

 そのままジャングルの湿った地面に葉っぱを引いて寝転ぶのはちょっと御免な僕としては、蜘蛛糸でハンモックを作るのは当然の選択だろう。

 寝心地も保証できる。

 粘着性さえなくなれば、蜘蛛の糸は柔軟で触り心地は良い。実際、やろうと思えば蜘蛛糸で服を作ることだってできる。ただ蜘蛛は肉食で共食いとかも平気でするから。蚕みたいに養殖しにくいから誰もやらないらしいけど。

「よしよし、いい感じだな」

 ハンモックを吊るすための木は幾らでもある。適当に見繕って、蜘蛛糸を張りまくる。以前と同じ失敗はしない。ハンモックの張り方も編み方も、バッチリだ。

「おおー、いいぞーコレ」

 その沈み込むような柔らかな寝心地に、思わずだらしない声が漏れてしまう。やっぱり、コイツを味わったら、もう妖精広場の芝生で雑魚寝には戻れないよね。

 一晩保てばいいので、耐久性はそれなりで。『永続エタニティ』があれば一度作ればそのまま使い続けられたけど、コレがなければ僕の触手は時間経過で魔力を失って消えてしまう。

 でも、今の僕なら上手く魔力を込めることで、ある程度の時間は維持できるような質で、『黒髪縛り』シリーズを発動させることができるし、おおまかな持続時間を狙って作ることもできる。さらに習熟できれば、より長く維持できるようもなるし、より正確な持続時間に合わせることもできそうだ。

「うーん、吹きさらしってのもアレだから、もうちょっと作り込んでみるか」

 就寝までの時間と魔力には、まだ幾ばくかの余裕がある。ハンモックは上手くできたけど、吹きさらしだとやっぱりどこか落ち着かない。屋根と壁が欲しいところだけど、蘭堂さんじゃなければ魔法建築は難しいだろう。

 だから、ここはハンモックと同じように、蜘蛛糸を織ってテント代わりに広げることにしよう。ジャングルだから、普通の羽虫もブンブン飛んでいるし、テントの方は普通に粘着糸にして、少しでも虫を防げるようにした方がいいだろう。

「うん、結局ただの蜘蛛の巣になったけど……まぁ、いいか」

 僕がアラクネに囚われていた巨大な蜘蛛の巣を思い出すような、白い蜘蛛糸の壁が四方に張り巡らされた感じで完成してしまった。これを見たら、きっと中には蜘蛛型モンスターが巣食っているに違いないと思われるだろう。

 どうせ、来たとしてもゴーマだけだろうから、別にいいけど。

「それじゃあ、おやすみー」

「うおお……ヤベぇ、これヤベェ……」

「俺、ハンモックで寝るのってちょっと憧れてたんだよなぁ」

「これもう芝生の上で寝れなくなるべや……」

 柔らかな蜘蛛糸ハンモックに寝転んで、上中下トリオはすぐに眠りの世界へと落ちて行った。

 熱い風呂に入り、美味い飯を食って、綺麗な寝床で眠る。サバイバルとは何だったのか、というほど快適な野宿になったもんだ。

 思えば、『直感薬学』で食料を見分け、『魔女の釜』で風呂も料理もできるようになり、『蜘蛛糸縛り』で寝床を作れる。呪術師って、実はどんな環境でも快適な生活を提供する、素晴らしい天職なのかもしれない。これはもう、呪われているというより、恵まれている。

「さて……これだけ良い思いをさせてやったんだ。明日から、少しは僕の話を真面目に聞いてくれるようになるだろう」

 半分は行き当たりばったりだったけれど、僕が三人を快適に野宿させてあげたのには、そういう思惑も半分くらいはあった。

 彼らはまだ、僕のことを何となく成り行きで仲間に加わった奴、程度の認識。話をしたとしても、どこまで真面目に聞いてくれるかは分からない。

 けれど、僕が彼らに明確な利益を提供する相手であると認識させれば、自然とその対応の姿勢も変わってくる。お互いに対等か、いや、できればそれ以上の関係性の構築が望ましい。多少のお願いくらいなら、すぐに聞いてくれるようになってくれれば、このパーティで僕も随分とやりやすくなる。

 僕の他に、一体誰が風呂と料理と寝床を用意できるというのか。それが手に入るというのに、誰が妖精広場だけの味気ない胡桃と冷たい水浴びと芝生の雑魚寝という生活を続けられるのか。

「仲良くやっていけるといいな」

 明日のことは明日に考えよう。ということで、僕もおやすみなさい。

 見張りはレムに任せておけば大丈夫だろう。

 いやぁ、本当にジャングルのど真ん中で最低限に健康的で文化的な生活をさせてくれる、呪いの神、ルインヒルデ様に感謝だよ。ありがとうございます。これからは、もっとまじめに信仰したいと思います。

第118話 贅沢

「おおー、早いっ、けど、お尻が痛い!」

 ラプターの乗り心地の感想である。

 屍人形で中身はレムだから、大抵のワガママは聞いてくれるし、乗馬、もとい乗恐竜の素人である僕に気を使った走りもしてくれる。それでも、身体構造上どうしても走れば揺れの一つや二つは起こるわけで。

 古代の騎馬民族でも何でもない、生粋の現代日本のもやしっ子である僕としては、動物に跨る、というのがなかなかどうして上手くいかない。揺れるとグラグラして怖いし、何より、固い鱗がお尻に当たって座り心地が非常によろしくない。

 けれど、問題といえば僕という軟弱な乗り手だけで、騎乗動物としてラプターは十分以上に優れている。

 その見た目通り、走れば早い。ダチョウのような、というべきか。大きさも近いし、二足歩行だし。そもそもダチョウが恐竜みたいというか……ともかく、ラプターが本気を出して走れば時速50キロは固いだろう。

 単純な速力よりも、元々このジャングルに生息する魔物だから、多少足場が悪くても平気で駆け抜けていく走破性が素晴らしい。アシダカもアラクネも、人間よりは遥かに早く密林を走るが、飛ぶように走るラプターには敵わないだろう。

 でも残念ながら、その素晴らしい機動性を生かすには、僕がもっと上手に乗れるようにならなければいけない。というか、騎兵として使うなら、そのままレム本体を乗っけた方がいいだろう。

 とりあえず、ラプターについてそんな感想を抱きつつ、僕は上中下トリオと拠点たる塔へと戻った。

 帰り道は順調。ゴーマの小隊をそこそこ見かけたけど、基本スルーしたし、向こうも積極的に襲ってくることはなかった。

 だから、塔に帰るまでは、奇跡のエンカウント率ゼロなのである。普段もこれくらいだと、楽できるんだけどな。

「ただいま、ヤマジュン。ちょっと頼みがあるんだけど」

「おかえり、桃川くん。えっと、何かな?」

 戻って来るなり、僕は開口一番、ヤマジュンに話を持ちかける。正直、僕の話なんかより、僕が跨っているラプターと、傍に控えるスケイルアーマーなレムの方がよほど気になっているようだけれど、こっちの説明は後回し。

「綾瀬さんと話がしたいから、同席してくれない?」

「ええっ、綾瀬さんと!?」

 驚くのも無理はない。ヤマジュンは僕がレイナに気がないことは一番よく分かっている。僕にとってあの女は、疫病神以外の何者でもない。

 それでも、僕の方から話を持ちかけなければいけない理由がある。時間もないし。

「どうかな。綾瀬さんに、砦の攻略を手伝ってもらうようにお願いしたいんだよね」

「そっか、でも……難しいと思うけど」

「断られたなら、それはそれでいいよ。ひとまず、素直に頼んでみようと思って」

「分かったよ、桃川くん」

 僕はヤマジュンと連れだって、妖精広場へと向かう。

 広場へ入るなり、ヤマジュンは山田に一言二言、声をかけると、山田はそそくさと退室していった。

「ありがとう」

「いいよ、この方が話しやすいでしょ」

 頼んでもいないのに、わざわざ人払いをしてくれる、この気遣い。流石だな、僕にはちょっと真似できそうもない。

 さて、それじゃあ、僕は僕にできることを、やるとしよう。

「綾瀬さん、ちょっといいかな?」

「んー、なにー?」

 ヤマジュンの呼びかけに、広場の奥で昼寝でもしていたのか、レイナは気だるい様子で体を起こす。傍らに寝そべる、赤毛の獅子エンガルドの大きな体をソファ代わりに背中を預けていた。モフモフした立派な毛皮は、実に触り心地が良さそうだ。

「近い内に、僕らはゴーマの砦を攻略することになるんだけど……綾瀬さんの『精霊術士』としての力を貸して欲しい」

 コイツに回りくどい話し方は意味がない。ただストレートに聞いて、イエスかノーと答えさせれば、それでいい。

「えっ……む、無理だよ、私……戦うなんて、そんな、怖い……」

 レイナはその愛らしい外見の通り、実にか弱く恐れてみせた。

 それじゃあ、今、お前がソファにしているモンスターはなんなんだよ、と問い詰めたくなるが、今は抑えよう。

「別に綾瀬さんが戦えなくても、そのエンガルドと、他の霊獣は勝手に戦ってくれるでしょ? 綾瀬さんは安全な場所で隠れているだけでいいよ」

「いやっ! みんなと離れるなんて、怖いよ! 何で、そんな酷いこと言うの!」

 レイナの癇癪に反応して、エンガルドが僕を睨んでガルルと唸る。

 なるほど、とことん正論は通じないようだ。

 こういう反応は予想していた、というか分かり切っていたけれど……いざ目の前でやられると、本当に腹立つな。

「お、落ち着いて、綾瀬さん。桃川くんは別に、無理に綾瀬さんを戦わせようとしているワケじゃないから。ただ、その霊獣はとても強力だから、力を貸してもらえたらと思っただけで」

 マジでフォローありがとう、ヤマジュン。お蔭で、レイナが泣き叫んだ勢いで、僕にエンガルドをけしかけられることはなさそうだよ。

「うん、ヤマジュンの言う通り、あくまで確認しておきたかっただけなんだ。それじゃあ、綾瀬さんは、僕らが砦を攻略する戦いに、一切手は貸さない、霊獣を一体も出さない。そういうことで、いいんだよね?」

「私はみんなと一緒にいるの……」

 曖昧な言い方してんじゃねぇよ、このダボが。とガラにもなくヤンキーみたいなキレ方を誘うほど、レイナの反応はよろしくない。いやホント、こういうどうとでも言い逃れできるような言い方されるの、困るんだよなぁ。

「分かった、もう無理に戦ってくれなんて頼んだりしないよ。でも、もし、僕らに少しでも力を貸す気になったら、いつでも言ってよね。『精霊術士』の力は、僕らが束になっても敵わないほど、とても強力なんだ。綾瀬さんがその気になってさえくれたら、ゴーマの砦も余裕で攻略できるから」

 僕の言葉に対して、レイナは無言だった。こんな話、聞きたくもないといった風だ。

 恐らく、レイナにとって僕は、戦いだ何だと怖い話を持ちかけてくるだけの嫌な奴、としてしか認識されていないだろう。自分にとって、快か不快、だけが彼女にとっての判断基準だから、話の内容はまったく考慮されていない。

 いいだろう、それなら、僕の話を嫌でも考えたくなるほど、お前に快楽をくれてやろうじゃあないか。

「ごめんね、怖がらせてしまったみたいで。その気になるまで、僕はもう綾瀬さんには関わらないから、安心してよ」

 ひとまず、今回の話はこれで終わりだ。僕は何の未練もなく、レイナに背中を向けて歩き出す。

 あっさり引き下がったのが意外だったのか、ヤマジュンはちょっと驚いたような雰囲気で、慌てて僕に続いた。

「桃川くん、えっと、あれで良かったのかい?」

 広場を出ると、すぐにヤマジュンに問いかけられた。まぁ、あんな無意味な会話もないだろうってくらい不毛な話し合いだったからね。

「うん、予想通りの反応だったから」

「でも――」

「そんなことより、ヤマジュンさ、ご飯にする? お風呂にする? それとも……」

 なんて、どこかで聞いたことのあるありふれたフレーズを、僕は心からのいやらしい笑みと共に言い放った。




「桃川ぁーっ! お前の言ってた大猪ってコイツのことだろ!」

 その日の夕方、勇ましい上中下トリオの叫びが塔に響き渡る。呼ばれた僕が急いで向かえば、なるほど、たしかに大猪がいた。三人とレムがそれぞれ足を一本ずつ持って、疲労感はあれども誇らしげな笑みが浮かんでいる。彼らは今日の糧を手に入れた、立派な狩人であるといえよう。

 どうやら、僕が頼んだ猪狩りは大成功したようだ。

 もし見つからなければ、蛇でもブタカエルでも何でもよかったんだけど、最高の獲物がとれたとはツイている。

「ありがとう。コレがあれば、しばらく肉には困らないよ」

「よっしゃあーっ!」

 すでにして、肉の味の虜となっている三人は子供のように大喜び。ふむ、期待されると、張り切ってしまう。

「まずは血抜きから。これからも獲物を解体することもあると思うから、手伝ってよ」

「おう、肉が食えるならなんでもやってやんよ」

 一狩り行ってきて疲れてるところ申し訳ないと思うけど、覚えておいて損はないから。一人でも多くできる人を増やして、僕も楽したい。

 そんなワケで、ワイワイと僕らは大猪を捌いていく。

「おい、お前ら、何の騒ぎだ」

「あっ、桃川くん……本当に、やってるんだね」

 猪解体祭りに誘われて、塔から山田とヤマジュンが顔を覗かせる。ヤマジュンの方には、僕が呪術師の能力で食べられる獲物を見分けることができること、そして、昨晩は実際に上中下トリオに肉を振る舞ったこと、結構美味しかったこと、などは伝えてある。

 面倒だから、その辺はヤマジュンが山田に説明しておいてよ。

「マジかよ、魔物って食えんのかよ……」

 うげぇ、という表情の山田。顔に似合わず潔癖なのだろうか。まぁ、どうせ食えばすぐにその気になるだろう。味気ない胡桃オンリーという精進料理も真っ青なメニューを食べ続けた者が、肉の魅力に抗えるワケがない。

「――さぁ、どうぞ、召し上がれ」

 そうして完成させた、渾身の牡丹鍋。バナナイモを筆頭に、塔の周辺で僕が採取してきた野草&キノコも入っていて、これまでで一番豪華な出来栄えだ。

「ッ!? う、美味ぇっ!」

 予想通りのリアクションをくれる山田。すでにして、鍋が美味いことを知っている上中下トリオは、無言でガツガツと喰らっている。

「凄い、本当に美味しいんだね」

「ちょっと獣臭いけど、気になるほどじゃないからね」

 というか、適当に入れた食える野草のどれかが、いい感じに臭みを消してくれている。ハーブの一種だったんだろうか。とんだアタリを引いたものだ。

「こんなことなら、ちょっと無理してでも調理するべきだったのかな」

「いや、中には本当に食べられないヤツもいるから、止めておいて正解だったよ」

 流石のヤマジュンも、久しぶりに味わう肉の美味さの前に、判断を誤りそう。

 実際、このジャングルは、ダンジョン内よりも遥かに動植物の種類が多い。きっと、ここがダンジョンの外にある普通の自然だからだろう。

 ダンジョン内では食えるのも、メイちゃんがとった蛇とエビ芋虫くらいだったけど、ジャングルは探せば幾らでも食用可能なモノが見つかる。正に食材の宝庫……だが、その分、毒を持つのも多い。ヤバそうな菌や寄生虫が宿るのもあるだろう。

 見分けるスキルのない者が、イケるだろうと思って口にしたら、ハズレを引く確立は非常に高い。勿論、植物やキノコ系となれば、さらに危険性は跳ね上がる。鎧熊も一口でぶっ倒れる、アカキノココとかのヤベーヤツもいるからね。

「とりあえず、僕の『直感薬学』があれば、このジャングルで食材には困らないよ。優秀な狩人もいるし」

「本当に、ありがとう、桃川くん。正直、クルミだけの生活は限界で……綾瀬さんも、喜んでいるよ」

「うん、それは良かった」

 と、答えた僕の声は、自分でも分かるくらいに白々しかった。

 チラリと視線を横へ向ければ、そこには湯気の立つ器を手に、フーフーと小動物めいた可愛らしい仕草で鍋を食べるレイナ・A・綾瀬の姿がある。

 何もしていなくても飯が食えるとは、正にニートの生態そのものだ。働かずに食う飯は美味いか?

「はふぅ、美味しい」

 クルミは嫌だと、駄々をこねていたからな。そりゃあ、脂ののった新鮮な肉は美味いだろう。

 料理人ならもっと腕を揮いたくなるほど、自然な愛らしさに溢れるレイナの笑顔を見ても、僕の心は温かくなるどころか、どんどん冷え込んで行く。

 もっとも、僕の鍋を美味しいと満足してくれたのは、素直に喜ばしいことだけど。計画通りで。不味い、こんな臭い肉食えるか、と言われたら、正直かなり困ったところだ。

「沢山あるから、どんどん食べなよ、レイナちゃん」

「ここが美味いんだよ、よそってあげようか?」

 気が付けば、山田を筆頭に、笑顔で鍋をつつくレイナを中心に輪ができていた。流石、お姫様の本領発揮といったところか。

 上中下トリオは、恐らく小鳥遊小鳥狙いだった下川以外は、ロリコンの気はないはずだ。だが、趣味でなくとも、その容姿と雰囲気とで男を惹きつけ、優しくさせるレイナの魅力は凄まじい。

 この僕だって、レイナに何の迷惑を被ることなく過ごしてきたなら、彼女のことを放っておけなくなっていたかもしれない。見た目完全に小学生なレイナに対して、僕は一切の劣情を抱くことはないとルインヒルデ様に誓えるが、男ってのは、エロとは別に、庇護欲ってのもあるもんだ。そういう部分を刺激されると……僕もあの輪の中に入っていたかもしれないと思うと、心底、恐ろしい。

 僕はレイナから一番離れた位置で、彼らの様子をひとしきり眺めてから、風呂の準備をするべく楽しい食卓を後にした。

「――こっちの大きいのは男湯、あっちの小さいのは女湯だから」

 食べ過ぎて、みんな芝生の上でゴロゴロしていたけれど、お腹も落ち着くころあいを見計らって、僕はそう切り出した。

「お、女湯って……ゴクリ」

 おい、反応するな山田。目が完全に性犯罪者のソレになってるぞ。

「まぁ、綾瀬さんが入浴する時は、みんな出て行かないと」

 出て行かないと、怖い獅子のボディーガードにケツを焼かれそうだ。というか、すでにグルルーとか唸ってるんですけど。

 ともかく、すでに浴槽からは濛々と湯煙があがり、準備は万端。あ、流石に今回は、下川の水魔術士としての能力をいかんなく発揮してもらったので、浴槽は一瞬で満杯にできた。

「わあっ、お風呂、お風呂だ! やったぁ!」

 久しぶりに見るであろう風呂を前に、レイナが無邪気にはしゃぎだしたせいで、自然と一番風呂が誰のものになるのかが決まった。おい、せめて誰か「ジャンケンで順番決めようぜ!」くらい言い出せよ。男だって、風呂には早く入りたいだろう。

 お姫様の笑顔を前に、文句など言い出せる奴などおらず、僕らは黙って、唸るエンガルドに見送られて、すごすごと女湯と化した妖精広場を退散していった。

「さて、後はベッドか……」

 僕にできる最後の用意が、昨晩も使った蜘蛛糸ハンモックだ。コイツは見た目完全にデカい蜘蛛の巣だから、レイナは気持ち悪がるかもしれないと思ったけど、

「わっ、なにコレ、凄い! ハンモックだ、きゃはは!」

 風呂上りのレイナが、小学生みたいなはしゃぎぶりで、ハンモックに寝転がってはブラブラ揺れて楽しんでいるのを見て、杞憂だったと悟る。

「エンちゃんも一緒に寝られたらいいなー」

「……いいよ、エンガルドが乗れるくらい、大きくしてあげる」

 僕はサービス精神の叩き売りで、レイナの天井知らずなワガママを叶えるために、さらに巨大なハンモックをイチから張り直した。アラクネ直伝の蜘蛛糸は、しっかり魔力も込めているから強度もそれなり。大暴れされなければ、大きな獅子であるエンガルドが寝転がってもハンモック、というか最早アラクネの巣というサイズだが、ともかく落ちることはないだろう。

「わーい、おやすみー」

 モフモフ毛皮のエンガルドは毛布代わりなのか、巨大ハンモックの上で寄り添うように寝転がったお姫様は、さっさと眠りの世界へと旅立って行った。最後の最後まで、僕に対して「ありがとう」の一言もなく、レイナは自分だけ満足して寝たのだ。

 それもいいさ。僕は自分のために飯も風呂も寝床も提供してやっただけ。お礼を言われる筋合いはないし、むしろ、レイナの目に映る僕の存在価値を再認識できて良かった。

 これで、何の気兼ねもなく交渉のテーブルにつくことができる。

「おい、桃川」

 レイナも寝たことだし、そそくさと妖精広場を退散しようとしたところで、山田に声をかけられた。何だよ、ちゃんとお前のハンモックも用意してやっただろう。

「まぁ、飯も風呂も世話んなったのは、ありがたかったけどよ……お前、それでレイナちゃんに近づけると思うんじゃねーぞ」

 はぁー、これだから恋愛脳は嫌なんだよ。男の嫉妬の醜さ、ここに極まれり。

 まったく見当違いの勝手な勘繰りに、カチンとくるという以前に、ウンザリしてくるけれど、僕はヤマジュンを真似るように、微笑んでみせる。

「山田君、実は僕、双葉さんと付き合っているんだ」

「えっ!?」

 突然のカムアウトに、山田は素で驚く。

「デブ専なんだ」

「えっ、あっ……そうか」

 ありがとう、メイちゃん。この場にいなくても、メイちゃんは僕のことを守ってくれるんだね――という綺麗事で、どうか勝手に名前を借りたことを許して欲しい。太ってる頃のメイちゃんでも、僕は普通にイケるのは本当だから。

「それに、今の僕らはチームだろう? 僕は戦闘能力が低いから、こういうところでチームに貢献すべきだと思うんだよね。だから、みんなには、特に戦いの矢面に立つ山田君にはしっかり英気を養って欲しいんだよ」

「お、おう」

 爆弾発言で矛先を逸らしてからの、急に真面目な話に戻って理詰めの説得。すでにしてイチャモンつけてきた勢いはなく、完全に僕の話の流れに呑まれている。

 僕が言うのもなんだけど、山田、チョロすぎるんじゃないの?

「それじゃあ、ゆっくり寝て、また明日頑張ろう。おやすみ」

「おう、おやすみ」

 上手く山田のケチをかわして、僕は今度こそ妖精広場を後にする。ヤマジュンが「ボクが仲裁に入る必要もなかったね」と言いたげな苦笑で、僕を見送ってくれた。

「……ふぅ」

 妖精広場じゃなくても、寝る時は一人部屋の方が落ち着くよね。みんなは安全性の観点からか、それともすっかり習慣化したのか、普通に広場で寝ているけれど、僕は別室で寝ることにした。

 この塔は地底湖のやつとは違って、幾つか空き部屋がある。その内のこじんまりとした小さな部屋を、勝手に僕は自室に決めた。すぐ外にはレムが立ってるし、塔の入り口付近にはラプターを待機させているから、ゴーマがやって来ればすぐに気づける。今日も警備任務、ご苦労様。

「……ふぅ」

 それにしても、やっぱり自分の部屋っていいよね。例の素材の採取も、気兼ねなくできるし、堂々とオカズを広げても大丈夫。

「蘭堂さん、マジでありがとう」

 僕は素敵な豹柄パンツを丁寧に畳んで鞄に仕舞い込んでから、ようやく眠りにつくのだった。

 さて、明日はいよいよみんなに対して、僕が考え付いたゴーマの砦攻略作戦を提案することになる。今日の仕込は上手くいったはずだけど……心配してもしょうがない。せいぜい、呪術師らしく、頑張ろうじゃないか。

第119話 対価

「朝ごはんの前に、みんなに聞いて欲しいことがあるんだよね」

 冷凍モードで魔女鍋に保存していた昨晩の牡丹鍋を、朝食として解凍する直前に、僕はそうみんなへと切り出した。

 みんな、そう、今この塔に集まっているクラスメイト全員だ。つまり、みんなはすでにして、こうして僕が朝食を用意するのは当然だし、ソレに自分達がありつけるのが当然だと思っているということだ。

 全く、ケチなオタク男子でしかない僕が、そんな母性溢れるママキャラみたいに、みんなに無償で美味しい料理を振る舞うとでも思っているのかよ。僕にそんな奉仕の精神なんか、あるわけがないだろう。

「おう、なんだよ桃川、飯の後じゃあダメか?」

 よほど腹が減っているのか、山田が不満そうに口を尖らせる。

「大事な話だから」

「けどよぉ」

「まぁまぁ、桃川くんは真剣なようだし、まずは話を聞いてあげようよ」

 ありがたいヤマジュンの援護射撃によって、山田はひとまず引き下がった。まぁ、飯は逃げないしね。

「ゴーマがこの塔を狙っているかもしれない、ってのはみんな、薄々気づいているとは思う」

 はっきり、ソレを重大な危機として認識していない時点で、大甘だけど。ただ、レイナの手前、みっともなく騒ぐような真似をしたくない、って意識のブレーキがかかっているのも一因だろう。

「はっきり言うけど、遅かれ早かれ、砦のゴーマは大軍でこの塔に攻めてくるよ」

「なんでそんなこと分かるんだよ。なんか証拠あんのかよ」

「ゴーマの小隊が、ずっとこの塔を監視しているの、気づいてる?」

 昨日、僕と上中下トリオがラプターをゲットした帰り道、一度も戦闘が発生しなかったのは、奇跡でも何でもなく、ゴーマの方から避けたからだ。

 戦力差を理解している……本当にそれだけの合理的な理由で僕らを襲わないなら、これまでの道中での、ゴーマのアクティブモンスターぶりは説明がつかないだろう。基本的に、奴らは人間を見つけると、襲わずにはいられないのだ。

 そんな奴らが、人間の集団を見かけても襲ってこないということは、襲うな、と命令が徹底されているからだと、僕は予想した。確かにゴーマは低能だが、だからこそ、ゴーヴのように格上の存在には絶対服従でいるはずだ。つまり、砦のボスが「監視しろ」と命令を下したからこそ、ゴーマは僕らという餌を前にしても、我慢がきいて任務を遂行しているのだ。

「そうなのかぁ? おい、お前らは気付いていたのかよ?」

「えっ、いや、別に……」

「でも、昨日は襲われなかったし」

「そういえば、見つかってるのに、向こうの方から逃げてったりとかは、あったよな」

 流石に昨日のことだから、上中下トリオもよく覚えている。何より、彼らにとってもゴーマは慣れた魔物だ。ソイツらが普段とは違う行動を見せれば、自然と違和感も覚える。

「その通り、僕らは昨日、ゴーマに襲われなかった。奴らは意図的に僕らを見逃しているんだよ」

「今は監視しているから、ゴーマ達が戦いを避けているということなんだね」

 ヤマジュンが端的に結論を述べて、男連中はようやく頷いた。

「奴らが監視をしているのは、僕らのことをまだ諦めてないからだ」

 ちょうど僕が参戦した、ゴーマ中隊との防衛戦、アレはきっとゴーマからしてもそれなりの戦力を投入した作戦だったのだろう。

 見事に返り討ちにされた結果、流石に奴らも慎重になった……あるいは、そういう戦略的な判断を下すだけの知能を、砦のボスは持っているのかもしれない。

「俺らの力をビビって、見張っているだけなんじゃあねーのかよ?」

「それを証明する証拠はあるの、山田君?」

「ね、ねぇけど……」

「でも、ソレは桃川の話も同じだべ?」

「そ、そうだ、そうだよ、お前の話だって、はっきりした証拠はないじゃねーか!」

 ポロっと漏らした下川のツッコミに乗っかるように、山田が吠える。

 ふむ、意外なところで頭が回るというか、粗に気づくというか。下川って、実は口喧嘩とか得意な方なんだろうか。

「まぁね、僕の説だって、別にゴーマのボスから聞いたワケじゃないから、推測の域は出ない……けれど、可能性がある以上、それに備えるのは必要なことなんじゃないのかな? もし、僕が間違っていて、山田君の言う通り、ゴーマはビビって遠巻きに見張っているだけだったなら、それはそれで何も問題がなくて良かったじゃあないか。僕らはこの塔に籠って、何日でも砦の攻略作戦を考えられるし、準備もできる」

「もし本当に、桃川くんの言う通りだとしたら……ボクらは、次にゴーマが本気で攻めてきたらお終いだよ」

 ゴクリ、と唾を飲む音が聞こえた。

 同じような話は、合流した初日にもしたんだけどね。今更になって、ようやくこの危機感を直視した、といったところか。

「じゃあ、どうすりゃいいんだよ! 砦は普通にやっても落とせねぇぞ!」

 山田さぁ、僕にキレてどうすんだよ。

 ゴーマが必勝の大戦力を率いて攻めてくるのも、砦をゴーヴの精鋭部隊で鉄壁の守備をしているのも、全て奴らの勝手で、その軍事行動に対して僕の責任は1ミリもないだろう。

 と、感情的になっている相手に、真っ当な論理で言い返すのは意味がない。

「そこで、僕に作戦があるんだけど」

 ゴーマが攻めてきても大丈夫、かつ、砦も攻略できるという、素晴らしい作戦がね。

「おい、なんだソレ、教えろよ!」

「簡単だよ。奴らが大軍を率いて塔に攻めてきたところで、逆に僕らがゴーマの砦を攻めるんだ」

 戦力を揃えてのこのこやってくるということは、連れてきた分だけ、手元の兵士の数は減る。ゴーマにとっても一大作戦であろう、僕らの密林塔攻略戦は、少なくともあのゴーマ中隊以上の戦力を投入する。

 そして、それだけの大戦力を外に出せば……

「なるほど、確かに、普通に砦を守っている時に攻め込むよりは、勝機はあるよね」

 おおー、と声があがる。

「けどよ、桃川、ここにゴーマどもが攻めて来たら、もう逃げられないんじゃねーのか?」

「前みたいに、入り口のところに来られたら塔から出れねーだろ」

「そうならないために、少しでも敵の接近を早く察知できるようラプターを見張りに出しておくよ。あと、最悪の場合に備えて、塔の屋上でも窓でも、どこからでも逃げられるような脱出口も準備しておく」

「でも目の前で逃げるのを見られたら、アイツラだって追いかけてくるべ」

「下川君、そこで君の出番だよ」

「……あっ、『水霧アクア・ミスト』か!」

 この魔法の効果のほどは、僕も昨日見ているからね。その上で、あれだけ濃霧を発生させられる性能があれば、近くにゴーマの大軍が潜んでいても、僕らのような少人数が脱出できるだけの隙はつけそうだ。

 たとえ、周辺に散ったゴーマ小隊に見つかったとしても、奴らは無線機などの通信手段は持たない、原始人並みの装備だ。せいぜい、大声で呼ぶくらい。一度見つかれば、即座に全軍が僕らの追撃に移行できるだけの体勢も整ってはいないはず。

「脱出と同時に、ゴーマの目を塔に引きつけておく準備もするよ」

「まさか、誰か残れとか言わねーよな?」

「お、俺は嫌だぞ!」

「俺だって無理だって!」

「あ、俺は『水霧アクア・ミスト』やらなきゃいけないから、残らなくてもいいべ」

 こら男子、捨て駒役の醜い押し付け合いしない。

「大丈夫、塔にはレムに残ってもらうから」

「おおっ、桃川の使い魔!」

「なるほどなー」

 僕が『汚濁の泥人形』を授かってから、最初に想定したような使い方をする時が、ついにやってきたのだ。死ねばお終いの、普通の人間なら絶対に無理な捨て駒作戦でも、素材さえあればいくらでも復活させてあげられる、痛みも恐怖もない人形だから躊躇なくできるのだ。

「レムが粘れば粘るほど、僕らも安全に脱出できるし、なによりゴーマが帰って来るまでの時間稼ぎができる。できれば、そのために塔の守りも固めておきたい」

 土木工事の技術もノウハウもない僕らにできることは限られるけどね。でも、時が来るまで何もしないで待っているよりは、遥かに建設的な行動だ。一応、コレくらいはできるだろう、ってアイデアはあるし。

「なるほど、凄いね桃川くん。これなら、何とかいけそうな気がしてきたよ」

「うん、僕も塔からの脱出は大丈夫だと思うけど……一番の問題は、砦の攻略になる」

 こればかりは、僕も現地を偵察したわけじゃないから、完全に彼らの証言に基づく推測でしかない。

「ゴーマが砦の守りを空にするくらいの馬鹿だったらいいけど、最低限の防衛力は残しているはずだ。戦いは避けられない」

 そして、グズグズしていれば塔攻略の本隊も戻ってくる。

 僕らも奴らも、移動方法は同じく徒歩。レムが頑張って塔に敵を引寄せてくれても、稼げる時間はたかが知れるだろう。

「僕らは速やかに砦を攻略して、ボスを倒し、転移しなくちゃいけない」

「なぁ、あそこにボスっているのか?」

「ゴーマが住んでるから、ボス部屋って感じじゃねーよなぁ」

「正直、こればかりは賭けになる。ボスがいなければ、起動用のコアが手に入らないから、飛べない」

 もし、魔法陣のコンパスが単純に転移魔法陣のある方向だけを示す機能であれば、それとセットであるべきボスまでは感知していないってことになる。だから、ボス部屋としての機能を失い、ゴーマの住処になっていても、転移魔法陣があるから示してくれている、という状況の可能性もある。

 だとすれば、僕らはこの塔に来た時点で、すでに詰んでいるってことになるから、その可能性を信じたくはない。

「でも、大丈夫だと思うけどね。だってヤマジュンのメール情報から、ゴグマっていうゴーマのボスみたいな奴の存在が明らかになってるから」

 ゴーマより上位の戦士階級たるゴーヴ、そのさらに上の存在となれば、転移に使えるコアを宿すボスモンスター足りえるだろう。

「まぁ、いいじゃねぇかよ。どうせ、俺らも砦は攻略するつもりだったんだ。今更、ビビってんじゃねーよ」

 僕の作戦に乗り気になっているお蔭か、山田が賛成意見を示す。

 ボス不在の不安を口にした、上田中井の二人も、元より砦の攻略を諦めるつもりはないのだろう。山田に言われれば、そうだよな、と納得を示した。

「ともかく、確定情報に乏しいけれど、僕はこのゴーマの襲撃に合わせて、砦攻略に向かう作戦が、現状では一番可能性があると信じている」

 作戦の荒なんて、探せばいくらでも出てくる。でも、どんなにケチをつけたところで、他にもっといい案は、少なくとも僕には思いつかなかった。そして、他のみんなも考えつかなかったから、こんなところでダラダラしているんだ。

 けれど、それももう終わり。作戦が決まったなら、あとはもう、精一杯、その命を張ってもらうよ。

「確認させてもらうけど、僕の作戦に反対する人は?」

 誰の手も、上がらない。

「他にもっといい作戦があるっていう人は?」

 手が上がるはずもない。

「それじゃあ、僕の作戦に賛成するという人は、手を上げて」

「ボクは桃川くんの作戦に乗るよ」

 ヤマジュンは明確な賛意を示すと共に、真っ先に手を上げてくれた。

 ありがとう。どうも日本人ってのは、自分から手をあげていくのが苦手な種族だ。特に学生は。ヤマジュンみたいな立場の人が、率先して手を上げてくれると、他の人は安心して手も上げやすいってもんだ。

「よっしゃあ、いっちょやってやっか!」

 すっかりその気になったのか、山田も勢いよく手を上げた。

「よし、俺も桃川に賛成するぜ」

「俺も」

「水魔術士の俺がやらないワケにはいかねーべ」

 上中下トリオも、覚悟を決めたように手をあげる。

 さて、これでめでたく全員の賛成を得られた……とは、いかないよね。ほら、だってそこにもう一人、このパーティで唯一の女子がいるだろう?

「綾瀬さんは、どうするの?」

「ほえっ?」

 何でそこに私に話を振るのだろう、と本気で疑問に思っているようなすっとぼけた表情で、レイナは間の抜けた、まぁ、ロリコンからすると可愛く感じるのだろう、声をあげていた。

「綾瀬さんは、僕の話を聞いてた?」

「うん、聞いてたよ?」

「分からないところとか、疑問とか質問とかはない?」

「うん、ないよ?」

「これから僕らが何をするのか、分かっているってことだよね?」

「うん、みんな、頑張ってね!」

 弾ける笑顔でエールを送るレイナ。うん、予想通り、この期に及んでもまーだ勘違いしちゃってるよ、このお姫様は。

 いいか、レイナ・A・綾瀬。僕はお前を助けて当たり前、尽くして当たり前のお姫様として扱ってやるつもりは毛頭ない。レイナを甘ったれたクソニートから、最前線で立派に戦う『精霊術士』にしてやるために、ここまでお膳立てしてきたんだ。

「ゴーマの砦攻略は、固い守りにボス戦もあることを思えば、厳しい戦いになる。僕らだけで、勝てるかどうかは分からない――けど、綾瀬さんの『精霊術士』としての力があれば、勝率が一気に高くなる」

「おい、ちょっと待てよ、桃川! お前、まさかレイナちゃんを戦わせるつもりかぁ!?」

「僕にそんなつもりはないよ? 命を落とすかもしれない、危険な戦いだ。綾瀬さんは女の子だし、男の僕にはとても、戦ってくれなんて無理強いすることはできないよ」

 あーあ、僕がレイナの弱みでも握っていれば、有無を言わさず戦えって命令できて楽だったんだけどな。どっかに落ちてないかなぁ、レイナの弱みとか、洗脳の魔法とか。

「だから、僕らと一緒に戦うかどうかは、綾瀬さんが自分自身で決めることだよ」

「わ、私、戦うなんて無理だよぉ!」

 すでにして円らな瞳に涙を湛えて訴えるレイナ。

 そうか、戦うのは、泣くほど嫌か。

「うん、分かったよ。それじゃあ、綾瀬さんはご飯もお風呂もハンモックのベッドもナシということで、いいんだね」

「えっ」

「僕の力は、一緒に戦ってくれる仲間にしか使わない。戦わない人に、僕は何一つ与える気はないから」

 さぁ、選べよ、レイナ・A・綾瀬。

 戦わないクソニートとして、クルミと水浴びと芝生の上で寝る妖精広場の野宿生活か。

 それとも、その便利なボディーガードをちょっとばかしレンタルして、僕の料理と熱いお風呂と柔らかいハンモックで寝る、健康で文化的な最低限度の生活か。

「ふえっ、えっ、なんでぇ」

「僕らは命をかけている。君は何もしていない。その差はあまりに、大きいとは思わない?」

「でもっ、だって、私、戦えないもん!」

「うん、戦えないなら、それで別にいいよ? 僕は綾瀬さんに、何もしないだけだから」

 いい加減、そろそろ気づいてくれないかな。その可愛らしいお顔でどれだけ涙目のお願いされたところで、僕は絶対に揺らがない。

 ふはは、この僕を魅了したいなら、メイちゃん並みのエロボディを用意してくるんだな。

「うーうぅーっ!」

「うんうん、綾瀬さん、これは自分の命をかけた大事な判断だからね。ゆっくり考えていいよ――さぁ、その間に僕らは朝ごはんを食べるとしようか」

 恵まれない人々に炊き出しを行う慈愛に溢れるシスターが如き優しい笑顔で、僕は猪鍋に火を入れて解凍を始める。

 みんなは涙目で唸るレイナと、グツグツと煮えてきて食欲をそそる香りをあげる鍋を、困惑した表情で交互に見やっていた。

「どうしたの、みんな食べないの? もう十分、温まって来たよ」

 ゴロゴロと味の良くしみた肉の塊が浮かぶ鍋。昨晩に食べたばかりだから、その美味しさは舌もよく覚えているだろう。自然と誰かのゴクリという唾を飲む音が聞こえた。

「ほら、早く食べようよ」

「……れ、レイナちゃん! 俺の分を食べろよ!」

 覚悟を決めた男の表情で、山田が叫んだ。

 まぁ、やっぱり、そういう手段に出るよね。

「ああ、山田君、悪いけれど、それはルール違反だよ」

「なんだとぉ!」

「綾瀬さんに自分の分を分けるのは禁止する。それをやった人にも、食事は与えない」

「ふ、ふざけんな! なに勝手なこと言ってんだよ!」

「勝手なことくらい言うさ。だって、この料理は僕が、呪術師の能力で作ったものだよ。お風呂もベッドも、全て僕の力があるからできるんだ。だから、全部僕のモノ。使い方は、僕が決める」

 急速冷凍開始。熱々の牡丹鍋は、俄かに冷え固まって行く。

「綾瀬さんを憐れんで、一緒にクルミを齧るのは、君の自由だよ。でも、ルールを守ってくれるなら、すぐにでも温かくて美味しいご飯を提供するよ。特に、山田君は一番の戦力だから、僕としてはしっかり食べて欲しいんだけどね」

「ぐっ、くそ……桃川ぁ……おい、テメーラも食うんじゃねぇぞ!」

 ああ、全く、どうして日本人ってのは、みんなで一緒に苦しみたがるんだろうね。そんなマイナスの気持ちをシェアしたところで、苦しみは半分こにはならないんだよ? 僕、喜びは共有できても、苦しみってのは並列繋ぎだと思うんだよね。

「えっ、いや、でも……」

「まぁ、レイナちゃんは可哀想だけどよぉ……」

「けど、俺らだって、食わないと力は出せねーべ……」

 山田の無茶な我慢命令に、流石にもろ手を上げて賛成を示す馬鹿はいない。目の前に美味い飯があると分かっているのに、それを指をくわえてみているだけの生活なんて、人間にはとても耐えられない。ちょっとした拷問だよ。

「お、お前ら、男として恥ずかしくねーのか!」

「上田君、中井君、下川君、君たちもゴーマの砦攻略には絶対に必要な戦力だよ。だから、僕と一緒にご飯を食べて、戦いに備えようよ。我慢しなくて、いいんだよ?」

 メイちゃんを真似るように、優しい微笑みを浮かべたつもりで、僕は三人に語りかける。

 正直、僕は上中下トリオのことはそんなに嫌いじゃない。小鳥遊小鳥を襲った前科はあるけれど、僕にとっては割とどうでもいいし、こんな状況だから情状酌量の余地もあるってもんだろう。

 少なくとも、三人はきちんと戦ってくれているし、僕に協力もしてくれた。現状、彼らは僕が求める働きをしっかりとこなしてくれている。

 だから、レイナみたいなつまらない女のために、自分を犠牲にするような真似はして欲しくないんだよね。

「くそ、くそぉ! ふざけんな、桃川ぁ、テメぇ絶対ぇ許さねぇぞ!」

「それじゃあ、僕を殺す? そうしたら、この先もう二度と、美味しいご飯もお風呂もベッドもない、サバイバル生活を頑張ってよね。まぁ、僕を殺した時点で、『痛み返し』で君も死ぬけど」

「こ、このヤロォおおおおおおおおおおっ!」

「山田君、落ち着いて」

 いよいよ怒りのままに立ち上がり、鍋をひっくり返しそうな勢いの山田を、腕を掴んで制止の声を上げたのは、やはりヤマジュンだった。

「なんだよ、ヤマジュン! 止めんなよ!」

「君が怒る気持ちは、僕もよく分かるよ。綾瀬さんのことも、本当に可哀想な仕打ちだと思う」

「そうだ、当たり前だろうが!」

「でも、ボクらだって、命をかけて戦っていることに変わりはないんだよ。山田君、君は強いけれど、でも、いつ魔物と戦って死んでしまうか分からない」

「んなの、分かってるっての!」

「うん、だから……残念だけど、今のボク達には、綾瀬さんを養うだけの余裕もないんだ」

 真面目な説得の台詞なのに、思わず僕は噴き出しそうになってしまった。ヤマジュン、養う余裕がないって……生活が苦しい両親の台詞だよ。

「な、なんだよソレ! 俺らがレイナちゃんを守ってやらねーで、誰が守るってんだよ!」

「いいんだよ、山田君。もう、無理して頑張らなくてもいいんだ……綾瀬さんのことは、蒼真君に任せよう」

「なっ!?」

 流石にこれは、山田が可哀想になって――ぷぷっ、ダメだ、笑うな、まだ笑うな……

「蒼真君は、生きているんだよ。『勇者』というとても強力な天職をもって、桜さんや委員長や剣崎さんと合流して、クラスのみんなを助けるためにダンジョンを進んでいる」

「はぁ……な、な、なん、だよ、それ……」

 山田さぁ、本気でレイナを守り続けていれば、いつか自分になびいてくれるとでも思っていたのかよ? よりによって、あの蒼真君のことを忘れるなんて……ああ、本当に、モテない男子って憐れだよね。どこまでも、自分に都合のいいようにしか考えられないんだ。

 その気持ちは分かる。分かるけど、滑稽だよ。

「桃川くんがボクらと合流する前は、蒼真君達と一緒にいたんだよ」

 それで、剣崎明日那の手酷い裏切りにあって、置いてきぼりにされたんだよね、テヘっ。

「蒼真君のパーティは、今のボクらとは比べ物にならないほど強い。だから、彼らはきっと、この先でボクらのようなクラスメイトの到着を待っていてくれるはずなんだ」

「なんだよ、じゃあ、俺は……」

「だから山田君、もう、君が綾瀬さんを守るために、無理して頑張る必要はないんだよ」

 友人に残酷な真実を伝え、沈痛な面持ちでヤマジュンは山田の肩をポンポンと叩いた。

「お、俺は……あ、う、うぅううあぁあああああああああああああああ!」

 そうして、戦う前から恋に破れた憐れな男の、悲しい慟哭が妖精広場に響き渡った。

 ねぇ、これ、笑うところ? 僕、そろそろ本気で爆笑してもいいかなぁ。

第120話 偽りの結束

「ありがとね、ヤマジュン。ひとまず、丸く収まって良かったよ」

 待望の朝ごはんをがっつくメンバーを背景に、僕はヤマジュンと広場の噴水の淵に座って話していた。

「ううん、ボクは何も……桃川くんが、凄いんだよ」

「そんなことないよ。ヤマジュンが説得してくれたから、山田君も大人しくなってくれたし、綾瀬さんだって、やっとその気になってくれたんじゃないか」

 美味い美味いと今日も元気に鍋をがっつく上中下トリオ三人組と、空回りの失恋大爆死をかまして生気の抜けた顔で鍋をつつく山田君と、その中に、ニコニコ笑顔で肉を齧るレイナの姿もあった。

 彼女が牡丹鍋を食べているということは、つまり、交渉成立というワケだ。

「蒼真君の話、いいタイミングで切り出してくれたよ」

 今にも僕に殴りかからんばかりの勢いだった山田君を撃沈したのは、ヤマジュンが勇者蒼真大活躍、の話を持ち出したからに他ならない。

 ヤマジュンは綾瀬さんには蒼真君がいるから、と残酷な現実を突きつけると共に、僕にはとてもできない気の利いたフォローの言葉を尽くして、失恋男を懸命に慰めていた。これでヤマジュンが女子だったら、速攻惚れるってレベルの甲斐甲斐しさである。

 そして、山田のメンタルケアと同時並行で、ヤマジュンはレイナに対して、戦いに協力するよう説得を始めてくれた。

 主な内容は、「蒼真君が待っているから、一緒に頑張ろう」というモノである。さしものレイナも、大好きな幼馴染の名前が出れば食いつく。

 勇者蒼真の話は、レイナをヤル気にさせるための餌だ。けれど、馬鹿正直に話すだけでは、ふーん、そうなんだ、で終わってしまう可能性が高い。つまり、上手く話をもって行かなければ、効果が見込めないネタなのだ。

 そして、恐らく僕にそういう上手なトークはできない。僕にできる話術といえば、明確な利益か不利益を提示した、シンプルな取引、あるいは、脅しだ。

 僕はレイナに対して飯抜きという脅しをかけて揺さぶった。一種の鞭。そこに、ヤマジュンが切り出した蒼真君の話で希望を抱かせる。コイツは飴だ。

 蒼真君と一刻も早く再会するために、という前向きな理由と、戦いに協力すれば飯も風呂も寝床も保障されるという、欲望的な理由。この両方が重なることで、クソニートのレイナもついに働く理由となった、といったところだろう。

 特にこれといって打ち合わせもしなかったというのに、ヤマジュンが僕の期待通り、いや、期待以上の大活躍で話を成功させてくれた。

「こういう展開を見越して、ボクにだけ教えてくれてたんだよね」

 まさか、この流れを正確に予測して話したワケじゃあない。それができたら預言者か、死に戻り系ループ能力で二週目か、ってところだろう。

 僕がこれまで経験してきた話、クラスメイトの誰が死んで、誰が仲間で、誰と敵対してきたか……そういった情報は、出会った者に全て教えればいいってものじゃあない。

 僕が樋口を殺した、ということを伝えていないから、彼の友人だった上中下トリオとはこれといった軋轢や忌避感もなく、付き合えているわけだし。

 僕は単純に、ヤマジュンならそれなりに信頼を置いてもいい、と思ったからこそ、彼には他のみんなにはまだ話していないような内容も、最初の段階である程度までは打ち明けている。蒼真君の話は、その内の一つだったというだけ。

「あんまり、買いかぶらないでよね。僕、割と行き当たりばったりだから」

 ゴチャゴチャと余計なことを考えている割に、出たとこ勝負ばかりな気がする。

「それでも、桃川くんのお蔭で、みんなの流れが変わったよ。ボク一人だったら、きっと、どうしようもなくて、何も変えられなかったと思う」

 まぁ、あのレイナを戦いに引っ張り出すってだけで、凄い快挙だからね。

「でも、僕のやり方だけじゃあ、すぐにチームはバラバラになるよ。今、僕らはゴーマの砦攻略に向けて、ようやく全員が協力する態勢が整ったけれど……これは、いつ分裂してもおかしくない、信頼もクソもあったもんじゃない、脆い偽りの結束だよ」

「それを、ボクがどうにかなだめて、誤魔化して、やっていこうってことだよね。うん、大丈夫だよ、桃川くん。ボクだって、自分の役割くらい、ちゃんと理解しているから」

 本当に、ヤマジュンは頼りになる。彼はきっと、これまで出会った誰よりも、メイちゃんよりも僕の考え方を理解してくれている。

 僕のやり方は感情的には間違いだらけで大いに反発を招くけれど……戦力を結集させる、という一点においては合理的。というか、全員が協力しないと、そもそも勝利できない前提条件なのだ。

 僕はみんなの気持ちを慮って、みんなで仲良く死ぬのなんて絶対に御免だ。どれだけ反感を買おうとも、僕は絶対に勝つために、生き残るために諦めない。

「ありがとう。もし、砦を突破して、いつか蒼真君達と合流して安心できたら、その時は、僕のこと庇ってよね」

「あはは、うん、そうだね、その時はボクが、桃川くんを必ず守るよ」

 それじゃあ僕は、その時、が少しでも早く訪れるように、頑張るとしよう。




 さーて、チームのみんなが一致団結したところで、早速、砦の攻略に向けて動き出そう! と、無理にでも前向きに考えないと、やってられないよね。

「だから、綾瀬さんに塔の周りの監視を倒して来て欲しいんだけど」

「ええー」

 と、可愛らしくゴネるレイナ。そのプクっと膨らませた小さなほっぺた目がけて、思いっきりぶん殴ってやりたくなる。

 落ち着け。まだフルボッコにするような時間じゃない。

 ひとまず、僕はレイナに初仕事として、監視役のゴーマ部隊の殲滅を命じた。

 レイナは強い、というか、霊獣が強い。今更、ゴーマ如きを倒したところで、レベルアップも望めない。

 だがしかし、自発的にレイナが戦った経験はゼロだ。これまで彼女が霊獣を行使したのは、全て主人の身に危険が迫ると霊獣自身が判断したもの。レイナが恐怖の叫びを上げるのは、心から恐れおののいているだけで、敵を攻撃しろ、と霊獣に対して明確な攻撃命令を下しているワケではないのだ。勿論、僕がレムに対するように、こういう風に攻撃しろとか、あそこを狙えとか、そういった作戦を伝えたこともないだろう。

 戦い、とは人任せではない。人任せで、あっていいはずがない。

 覚悟とか責任とか、そんな大それたことまで求めはしないけど。僕だって、そんなのあるかどうかは怪しいし。

 とにかく、レイナには自らの意思で戦う、という経験を少しでもつませなければいけない。ようは、慣れ、だ。戦うことに慣れさえすれば、余計な恐怖もない。いざという時も、咄嗟の判断で動けたりするようもなるものだ。

 まぁ、レイナの能力で戦いに慣れてしまったら、最悪、飼い犬に手を噛まれる、なんて状況もありえそうで怖いけれど……今のところは、まずなによりも、レイナを戦わせることが重要なのだ。

「綾瀬さんは作戦に協力してくれるんだよね?」

「うー」

 と、気のない返事のレイナ。

 いやホント、初っ端からこの非協力的なヤル気のなさは、こっちの方が何もかも全て投げ出したくなるレベルで腹立たしい。頑張れ僕、まだ作戦は1%も進んではいないんだから。

「やらないなら、別にそれでもいいよ。やっぱり怖くて戦えない、っていうなら、無理に引き留めないし」

 僕はレイナの上官ではないし、給料を払って雇っているワケでもない。だから、怒鳴り散らして「いいからやれよ、このバカ女!」と頭ごなしに命令する権利はないと思っている。

 まぁ、権利はないけど、切れるカードはあるんだけどね。

「でも、そうするなら、今日のお昼ご飯はクルミだし、蒼真君と合流したら、綾瀬さんは約束を破る女の子で守るのに苦労したよ、とありのままに報告するだけだから」

「むぅー、私、ちゃんとやるもん! エンちゃん、ラムくん、行くよっ!」

「いってらっしゃい、晩御飯までには帰って来るんだよ」

 プリプリと不機嫌さ全開で出てゆくレイナを、僕はぐったりと疲れた表情で見送った。やれやれ、ニートを働かせるのって、本当に大変だよ。

「レイナちゃん……大丈夫かな……」

 ジャングルに向かって小走りに駆けていく小さな背中を、山田は酷く心配そうな、でも俺には声をかける資格もないんだ……みたいなウジウジした悩みも抱えた、実に暗い表情で見つめていた。

 ああ、全く、ウチのメンバーは面倒くさい奴ばっかりだな!

「エンガルドとラムデインを最初から出しているんだから、あのまま砦に一人で突っ込んで行っても綾瀬さんは絶対無事だから」

 レイナのことなんてどうでもいいから、自分の仕事に集中してくれよ。

「それじゃあ、山田君、頼んだよ。くれぐれも、綾瀬さんが心配で探しに行ったり、なんてしないように」

「ああ、分かってるよ……へへっ、どうせ、俺なんていたところで、レイナちゃんは……」

 どこまでも暗い表情で自嘲の笑みを浮かべながら、山田はとぼとぼと柴刈りに出かけましたとさ。

 柴刈り、ってのは半分冗談で半分マジだ。火を燃やすための薪は沢山、あった方がいい。でも一番欲しいのは、ひとまずこの塔の正門を固めるための資材となる木材だ。

「うぉおおおお、『一打スマッシュ』っ!」

 猛々しい雄たけびと共に、バキバキ、ドシーン! と木が倒れるけたたましい音が聞こえてきた。失恋男の八つ当たりとしては、向かう先は健全で実によろしい。

 山田はただの野球部員で、斧一本で大木を切り倒す樵の経験など皆無だろうけど、天職『重戦士』のパワーと武技の威力があれば、楽勝だろう。最悪、自分の方向に誤って木を倒して下敷きになっても、彼の『鉄皮』&『鋼身』のダブルガードスキルがあれば安全だし。

「桃川ぁー、俺らはどうすんだよ」

「俺、『戦士』だし、木を切った方がいいのか?」

「水魔術士の俺は力仕事はちょっとなー」

 上中下トリオには、貴重な男手として、山田が材木を確保した後、運搬から正門封鎖まで手伝ってもらう予定だけれど、それはまだ早い。

「三人は『倉庫』から使えるモノを集めて欲しい」

 ここでいう『倉庫』とはゴーマ中隊を倒した後、奴らの装備や荷物をとりあえず回収しては放り込んでおいた部屋のことだ。山田も日本人らしいもったいない精神を発揮して、ゴーマの死体の片付けとセットで、物資の回収も一応は指示していたようだ。もっとも、集めたからといって、全て使えるとは限らないけど。基本的にゴーマの持ち物なんてゴミだし。

「つっても、ロクなもんは残ってねーけど」

「いい武器も集めたし」

 品質のいい剣を巡って、揉めたりしてたもんね。でも、今の僕が欲しいモノは、綺麗な武器じゃあない。

「これ、欲しいモノをメモにまとめておいたから。分からないことがあったら聞いて。僕も後で行くから」

 久しぶりに文房具として役立ったノートに走り書きしたメモを渡す。三人は仲良く頭を付き合わせてメモをざっと眺めはじめた。

「弓矢って、『射手』は誰もいねーから、使える奴いなくね?」

「松明の油って、あの汚ねー皮袋に入ってるやつだっけ?」

「この白い粉ってなんだべ」

 ワイワイと言いながらも、三人はひとまず了解の意を示して、倉庫へと向かって行った。

「桃川くんは、すっかりチームのリーダーだね」

「まぁ、言いだしっぺだし」

 みんなの指示を終えると、にこやかにヤマジュンが声をかけてきてくれる。

 別に、どうしても僕はリーダーをやりたいワケではないよ。自己顕示欲とか支配欲とかで、みんなの先頭に立って頑張れる性格じゃない。できることなら、僕だって誰かに全て任せて言われた通りに無責任な仕事をダラダラしていたい。

 ただ、自分の命がかかっているから、柄にもなく仕切っているに過ぎないのだから。いやホント、そろそろ誰か変わってくれてもいいと思うんだよね。

「その割には、随分と様になっているように見えるよ」

「そうかな?」

「そうだよ……きっと、色々と大変なことがあったんだよね、桃川くん」

 こんなクラスの隅っこで大人しくしているチビのオタクが、あのレイナ・A・綾瀬とDQNグループな上中下トリオ、おまけに野球部員の山田にまで、命令しては働かせているんだからね。元の学園生活の中では、考えられない状況だ。

「でも、大変なのはみんな同じだから」

「そうだね。だから、みんなで一緒に頑張らないと。桃川くん一人に、つらい思いはさせないよ」

「うん、ありがとね」

 こういうことを素面で言えるから、ヤマジュンは凄いんだよな。普通の奴なら照れくさくて言えないようなことも、堂々と言葉にして伝えてくれるから、きっとみんな、彼には心を開くのだろう。

 僕には一生、真似できそうもない。

「それじゃ、僕も墓荒らしのお仕事に行ってくるから」

「ボクも手伝おうか?」

「ヤマジュンは料理しててよ」

 料理は魔女鍋を使える僕の役目、ではあるけれど、下ごしらえとか、色々とできる作業はあるものだ。

 幸いにも、最初に大猪を狩れたことで、かなりの量の食肉が確保できている。コイツをただ鍋にして毎日消費していくだけではいけない。

 干し肉なりベーコンなり、多くの部分は保存食として、これからも続く長いダンジョン攻略の食料としたい。今はジャングルにいるから、探せば大猪の他にも、蛇とか蛙とか沢山いるけれど、石の地下遺跡に戻れば、いつ肉が手に入るか分からないし。

 手元に沢山の肉がある内に、出来る限り加工しておきたいのだ。『魔女の釜』の機能を遣えば、乾燥も発酵もあっという間にできる。

「一人で大丈夫? それに、汚い仕事だし、桃川くんだけにさせるのは大変じゃない?」

「レムがいるから大丈夫だよ。あと、僕は触手が使えるから、直接触るワケじゃないし」

「うん、分かった、それじゃあ、僕はありがたく、こっちに専念させてもらうよ」

 納得してくれたヤマジュンは、僕が冷凍しておいた、ほぼ手つかずの猪肉の巨大な塊に大振りのナイフを片手に向かって行った。

 簡単に料理といっても、ああして肉を切り分けていくだけでも結構な作業になるからね。僕が全部やっていたら、いくら時間があっても足りないよ。まして、素人だし。

 ちなみにヤマジュンは、多少は料理の経験があるというだけで、流石にメイちゃん並みの腕前があるわけではない。当たり前だよね。クラスに一頭丸ごと解体余裕です、なんて料理スキルの持ち主が、何人も揃うわけないし。

「さて、それじゃあ僕もやるか」

 晴れて全員に仕事が行き渡り、僕は僕にしかできない作業に取り掛かるとしよう。

 向かう先は、塔のすぐ裏。ゴーマ中隊の死骸を葬った、墓場というより、ただの死体置き場である。

 使えそうなのがあるといいけど……

第121話 密林塔防衛計画

 すでにみんなに話した通り、僕の砦攻略作戦は、敵がこちらの密林塔に攻め込んできたタイミングで脱出し、奴らの砦に逆襲を仕掛ける、というものだ。

 僕らの戦いの本番は砦に攻め込んでからとなるけれど、敵本隊を出来る限り空っぽの塔に引きつけておきたい。どれだけ塔に引き留めていられるかで、砦の攻略の難易度も大きく変わって来るだろう。僕、時間制限のあるゲームとかって苦手なんだよね。持ち時間ってのは、沢山あるに越したことはない。

 というワケで、密林塔の時間稼ぎと、僕らの砦攻略、両方の戦いの準備していくことになる。

 で、まずは塔について。

 これもすでに語ったように、塔にはレム本体が残ってもらう。空城の計、といきたいところだけれど、完全にもぬけの殻にしてしまえば、いくらバカなゴーマも速攻で引き返してくるだろう。

 しかし、一人でも戦って抵抗する者がいれば、奴らは何も考えずに殺し切るまで絶対に攻撃を諦めない。

「でも、レム一人じゃあ限界もあるし、うっかり事故って即死したら困るからね」

 不測の事態に備えて、残れる奴は多ければ多い方がいい。

「さぁて、今の僕に、あと何体泥人形が作れるか……限界に挑戦だ」

 二号が作れたのだから、三号、四号、と数を増やせるはず。問題はただ一つ、僕の魔力と『汚濁の泥人形』が、何体目までの作成を許してくれるかといったところ。

「死体オーケー、魔法陣オーケー、供物オーケー」

 塔の裏で遺棄したゴーマの死体を厳選して並べた。描いた『六芒星の眼』に、魔物の血肉や骨、あとはジャングル産のマンドラゴラとムラサキノコを供物として配置しておく。

 投入する素材は、基本骨格となるゴーマの死体。あとは僕の血とアレだけで十分だ。

 今回は質を落としてでも、数を確保したい。人型になって、武器を扱えるだけの性能が発揮できればいい。

「よーし、それじゃあ、出でよ、レム三号!」

 張り切って、泥人形の量産開始。果たして、その結果は……

「――桃川くん!」

「ハッ!?」

 目を覚ますと、心配そうなヤマジュンの顔が目の前にあった。ちょっと近いんですけど。

「桃川くん、大丈夫かい!? 魔力切れで気絶していたようだけど」

「あー」

 またやってしまったか。『汚濁の泥人形』で新たな力に挑戦すると、大体いつも気絶しているような気がする。つい、まだまだイケると思って、やってしまうんだよね。

「レムは……」

「ガっ!」

「ガガ!」

「ガガガ!」

 見れば、元気よく返事をするレムが三人。

 一人目はラプター素材で強化したレムで、あとの二人はノーマルの黒スケルトンタイプである。どうやら、僕の視界がボヤけて見えているワケではなさそうだ。

「よかった、ギリギリで四号まで作成に成功したか」

「ガ、ガガ」

 おめでとうございますご主人様、と祝福するように、レム達が骨の掌でカラカラと拍手をくれた。

 さて、これで塔の防衛につく捨て駒が、一人から三人にまで増えた。これで、もうちょっと派手に奴らの注意を引くこともできるだろう。

「あっ、桃川くん、まだ寝ていた方が」

「大丈夫だよ。今日はもう大きな呪術を使うことはないから」

 別に貧血で倒れたワケじゃないし。呪術師という天職のお陰か、体力よりも魔力が回復する方が早い感覚もする。だから、ちょっと歩き回って動くくらいなら、そのまま順調に魔力は回復してくれる。

 いつ何時、奴らが攻め込んでくるか分からない。寝ている時間も惜しい。

 ヤマジュンの心配を振り切って、僕は上中下トリオが作業中の倉庫へと向かった。

「やぁ、調子はどう?」

「荷物漁ってるだけで汚れるっつーの」

「今日は俺らが一番風呂だぞ」

「腹も減ったべ」

 顔を見せれば文句はたらたらだけれど、倉庫の脇に集められた物を見る限り、仕事はしっかり果たしてくれた模様。

「うんうん、ありがとね」

 僕はおざなりな労いの言葉をかけながら、早速、物資を見分。

 よし、結構な量がある。松明の油も、矢の数も。よかった、しっかりゴーマの麻薬も回収してあるな。コイツは特に使う予定はないけれど、いざという時の為に、前衛組みには持たせておいて損はない。

「レム、弓矢は全部もって行って」

「ガ」

「レムと三号四号は、ずっと外で弓の練習」

「ガガ!」

 弓と矢の束を抱えて、駆け足でレム三人組が出て行く。

「なぁ、桃川の使い魔、なんか増えてね?」

「さっき増やしたんだ」

 上田の素朴な疑問に適当に答えつつ、僕はレムの弓の腕前が少しでも上がりますように、と願うしかなかった。

 塔に立て籠もって戦うなら、遠距離武器がなければいけないだろう。正門を含めて、侵入できそうな箇所は全て塞ぐ予定だから、後は上から群がってくるゴーマ共を弓でピュンピュン撃ちまくって欲しい。きっと敵の数は膨大だから、あんまり上手じゃなくても、とりあえず矢が飛べば誰かしら当たるだろう。

 それに、松明の油と、それを染み込ませる布きれは沢山あるから、火矢だって作れるし。こっちは屋外で作業ができない夜にでも、みんなで作るとしよう。

 その前に、午後の作業もあるけれど。

「昼食を食べ終わったら、切り倒した木を運んで、正門を塞ぐ工事に入るから」

「うぇーい」

「いよいよ本番かよ、ダルいなー」

「だから水魔術士の俺はパワーがねーんだって」

 相変わらずヤル気のないトリオだが、気にせずガンガン行こう。

 昼食は、朝で鍋は食べ尽くしたので、別な料理……といっても、どうせ肉を焼くだけなんだけど。肉付きのいい部分は保存食に回したので、それ以外の部位を今の内に食べておきたい。というワケで、今回は肝、すなわちレバーを食べることにした。

 半分は薄切りにして塩焼き。もう半分は魔女鍋のミキサー機能で挽いてみた。

「美味ぇ」

「やっぱ新鮮な肉は美味ぇよな」

「謎のハーブもいい感じだべ」

「私これきらーい」

 猪レバーは割と好評だった。約一名、ちゃっかり昼飯には戻って来てはケチをつけるクソニート少女もいたけれど。レイナ、嫌いとかケチをつける割りにはいいところをバクバクと喰らいやがって。

 そして、食ったらさっさと出て行った。

 まぁいい、ゴーマの監視部隊を潰すという仕事はやってくれている。労働の次は、礼儀というのを教えてやりたいものだ。レイナに礼儀か、気が遠くなりそうだな。さっさと蒼真君が引き取ってくれないかな。

「はい、それじゃあ山田君が頑張って木を切ってくれたので、これから工事に入りたいと思いまーす」

 正門封鎖工事は、男子全員集合。まずは倒木を移動させなければいけないので、力仕事の重労働は避けられない。

「せーの!」

 凄い一体感を感じる、材木運搬作業である。山田と上中下トリオ、そしてヤマジュンと僕、さらにはレムを全機出撃させて、大きな木も何とか運び出すことができた。

 塔の前には、失恋男が力の限りに切り倒しまくった木材が山のように集まった。

「はぁ……はぁ……よ、よーし、次はこの木材を……」

「も、桃川くん、もう暗くなってきたし、みんなも疲れているみたいだし、今日はこの辺にしない?」

 気が付けば、もうすっかり夕方。

「ただいまー、晩御飯はまだなのー?」

 男全員、重労働でぐったりしているところに、エンガルドに乗ってレイナが余裕の凱旋である。

 時間は惜しい、けど、今日の作業はもうこの辺にしておこう。

「綾瀬さんは、お風呂一番最後だから」

「ええぇーっ!」

 レイナに嫌がらせしつつ、僕はみんなのお風呂を沸かして、ヤマジュンが下ごしらえしておいてくれた材料を火にかけて食事を用意するのだった。

 食事に風呂の世話は、僕が提供できる大切なカード。

「……桃川くん、まだ起きていたんだ」

 夜、僕が自分の部屋でボンヤリしながら作業をしていると、ヤマジュンがひょっこりと顔を覗かせた。

 良かった、あと30分くらい遅かったら、ハンモックの上で蘭堂さんのパンツを広げているところだったよ。

「ヤマジュンこそ、どうしたのさ」

「ボクももう寝るところだよ。桃川くんも、あまり一人で頑張り過ぎないでね」

「大丈夫だよ、別に無理しているつもりはないから」

「それならいいけど……ところで、何をしていたんだい?」

「鞍と鐙を作ってた」

 といっても、ゴーマの衣服や鞄から剥ぎ取った汚い革や布きれを材料にした、ゴミみたいなもんだけど。

 それでも、ないよりはマシ。僕はラプターを立派に騎竜として活用したいから、そのために必要な装備も今の内に整えておきたい。

「ラプターってそのまま跨ると、乗り心地悪いんだよね」

「あっ、そうだよね。馬だって、そのまま乗るのは難しいし。あっても難しかったけど」

「もしかしてヤマジュン、乗馬の経験あるの?」

「夏休みに旅行に行った時、何度かあるよ」

「おおー、セレブだ」

「そんなんじゃないって」

 そんな特に意味のない雑談をしている中で、そういえば、と僕は気になったことを聞いてみた。というか、お願いしてみた。

「ヤマジュンってさ、『古代語解読・序』っていうスキルあるでしょ?」

「うん。今まで、全然役に立ったことはないし、どうしてこれが習得できたのかも、よく分からないんだよね」

 どうやら、初めて習得したスキルであるらしい。攻略序盤の頃、ただ山田にくっついて進んで行き、妖精広場の発見と同時に授かったという。

「古代語、読めるの?」

「ほんの一部分だけだよ。簡単な文章しか解読できそうもないし、何か秘密のありそうな文章とかは、肝心の部分が読めなくなっていたりするね」

 なるほど、より重要度の高い文章や単語の解読は、さらに上位のスキルが解禁されなければできないのだろう。

「桃川君、古代語に興味があるのかい?」

「うん、古代語が読めたお蔭で、ダンジョンの隠し機能が使えた、っていう経験があるから。たとえば、妖精広場の噴水とかは、武器を錬成する魔法陣になってるよ」

「ええっ、そうだったの!?」

「まぁ、錬成スキル持ってる人じゃないと、利用できないから、あんまり意味ないけどね」

 けれど、樋口の生贄型転移システムのような設備なら、知っていれば有効利用できるだろう。

「それじゃあ、えっと……ボクが分かる限りになるけど、古代語のこと、教えようか?」

「うん、是非ともお願いするよ」

 こうして、ヤマジュン先生による古代語講義が始まった。

 もしかすれば、解読スキル持ちじゃなければ、絶対に読めない魔法の文字だったりするのかも、とは思ったが、その心配は無用であった。

 古代語は立派な言語であるようで、その文字が読めればちゃんと文章が解読できるようになっている。『古代語解読・序』では、特定の単語の意味と、一部の短文をそのまま読めるようになる能力であるらしい。

 だから、ヤマジュンは読めた部分を、そのまま古代語の文字とセットで教えてくれれば……なんてこった、ノートに翻訳を書き写すだけで、スキル効果をほとんど丸ごとゲットじゃないか!

「なんか、物凄い発見のような気がするけど、ヤマジュン、いいの?」

「別に、秘密にするようなことじゃないよ。ボクだけが読めたって、仕方がないからね。それに、桃川くんなら何かに役立ててくれそうだし、ボクとしても覚えてもらえれば、心強いかな」

「そっか、ありがとう」

 素直な期待と善意が、本当にありがたい。

 けれど、今日は一日働きづめで、体力を消耗している。つまり、眠い。申し訳ないけれど、何時間も勉強できるほどの、気力が残ってはいなかった。

「ふふ、今日はこの辺にしておこうか」

「あー、ごめん。もっと、色々と教えて欲しいことあったんだけど」

「いつでも聞いてよ。ボクの方でも、読める単語をノートに書き出して、準備をしておくから」

 ホントにありがとう。ヤマジュンには感謝しかない。

 そうして、睡魔に負けつつある僕に対して、ヤマジュンは「オヤスミ」と妖精広場へと戻っていった。

 わざわざ僕を訪ねてきたのは、リラックスできるように、気を遣ってくれたんだろうか。たしかに、お喋りして普通に楽しかったから、張りつめていた気分もいくらか楽になった気もする。

 古代語を教えてくれたお蔭で、大きな収穫にもなったし。

「はぁ、何だか、支えられてばかりな気がするな」

 これで作戦が失敗したら、僕は確実につるし上げを喰らうだろう。まぁ、作戦失敗の時点でみんな死ぬか。

「そんな時は、せめて僕だけでも逃げられるように……なんて、ははっ、本当に、最低だよ」

 それでも僕は、いざという時の為に、ラプターの俊足を生かして逃げられるようにする、というのを第一の目的として、こうして鞍と鐙を用意しているのだ。

 許してくれ、とは言わないよ。でも、みんなの気持ちのためだけに殉職するつもりも、僕にはないんだ。

「だから、頑張らないと」

 作戦が成功すれば、それで八方丸く収まる。みんなハッピー。これでいいんだ――そうでも信じ込まないと、僕は自分で自分のことが、嫌いになりそうだった。




 ゴーマにヤル気がないのか、それともレイナの監視潰しの成果が上がっているのか、五日過ぎても奴らが大軍を率いて現れることはなかった。

「はぁ……とりあえず、こんなもんだろう」

 五日間かけて、ひとまずは最大の進入路である正門を封鎖することができた。道具もなければ知識もない僕ら大工素人の高校生が、大きな門という空間を塞ぐ壁なり柵なり、綺麗に作れるはずもない。

 だから、完成したのは門の幅より長い丸太を、とにかく通路に並べて積んだだけの、大きな障害物に過ぎなかった。けれど、天井近くまでビッシリと詰め込まれた長い木は、そう簡単にどかすことはできない。まして、門から見れば押しても引いてもビクともしないのだから、この入り口は実質、完全封鎖といってよい。

 その代り、ここに住む僕らも正門からの出入りは不可能だし、通路を通ることも出来なくなって、不便なことこの上ない。僕らが塔を出入りする方法は、二階にある一番大きな窓のところに、僕の黒髪触手で編んだ縄梯子である。

 レイナは「こんなの降りられないよー」とかキャーキャー言って駄々をこねていたけれど、今では大鷲であるラムデインの足に掴まっては、勢いよく窓からダイブするアトラクション感覚で楽しそうに降りて行っている。なんていうか、女の子が怖がってキャーキャー言うのは、そこに意味なんてないんだな、というのがよく分かる事例であった。

 今日も監視のゴーマ狩りに出発したレイナのことは置いといて、正門以外にも色々と準備は進めておいた。

 まず、正門前をはじめ、塔の周りには『六芒星の眼』を供物とセットで描いておいた。これは僕らが逃げる時に、『腐り沼』を発動させるためのもの。奴らが大軍で塔に押し寄せてくるなら、『腐り沼』を張っておけば後ろに押されて勝手に引っかかってくれる間抜けもでてくるだろう。単純に、動ける範囲も狭まるから、奴らの攻めの勢いを多少は削ぐこともできるはず。

 他にも、物凄くわざとらしく、枯木と枯草が小山となって積んでおいた。これは塔の周りにも、塔の中にも設置してある。

 コイツは勿論、火をつけるためだ。

 どうせこの塔には討ち死に前提のレムと三号四号しか残らないのだ。塔も周りも火の海になってくれた方が、奴らも大勢道連れにできるし都合がいい。まぁ、そう上手く火の手が広がるか、奴らが火事に巻き込まれてくるかは分からないけれど。

「レム、調子はどう?」

「ガガ!」

 塔の裏手は、レム達の弓の練習場と化している。僕が顔を覗かせて様子を見ると、レムは張り切った様子でギリギリとゴーマの弓を引き絞り――ヒュッという鋭い風切音の直後、ドっと鈍い音が響いてくる。

 レムの放った矢は、狙い違わず的にした木の幹のど真ん中を貫いていた。

「凄い上達したね」

 偉い偉い、と硬質な髑髏頭を撫でまわしてやる。

 正直、レムの弓の上達ぶりには驚くばかりだ。的に当たったのは、ただのラッキーショットではない。三号も四号も、次々と矢をつがえては木に向けて放っていくと、その大半は木の幹にしっかり命中しているのだ。

 思えば、レムに槍を持たせて戦わせ始めてから、その戦い方は確実に上達している。他にも、蛇の皮を剥いだり、火を起こしたり、コアを取り出したり、特に僕が命令して練習させたワケでもないのに、レムはかなり色んなことを自ら学習していることは明らかだ。

 だから、弓矢だって練習させればそれなりに上達するとは思っていたけれど、まさかこんなに即戦力レベルで上手くなるとは。実はレム、エルフみたいに生まれながらに弓の才能があるとか。

 そんな裏設定よりも、多分、僕が練習を命じてから、片時も休まず弓矢を放ち続けた単純な練習時間が効果を現しているように思える。レムは魔力があれば、睡眠も休息も必要としない人形だから、弓矢を放つ、くらいの動作は延々と続けられるのだ。きっと、練習する際の集中力、みたいなものも途切れないのだろう。普通の人間には不可能な練習法である。

 レムがこの五日間、練習の手を止めたのは、僕が弓の改良を試した時くらいだ。

 こんな長時間、ぶっ続けで矢を放っていたら、ゴーマお手製のショボい弓は、速攻で弦が切れてしまった。このままでは、回収した弓を全部使い潰す勢いだったから……その代替手段として、弦を黒髪触手で代用してみた。

 そして、これが割とアタリだった。

 ノーマルの黒髪は、本物の髪の毛と同じ質感だから、弓の弦に使うには全く不向きだ。欲しいのは強靭な伸縮性。そして、アラクネから蜘蛛糸を学んだ今の僕にとって、それくらいの性質を再現するのは、そこまで難しいものではなかった。まぁ、多少の試行錯誤は必要だったけど。

 レムに弓を引かせては、その感触を聞いて改良を繰り返した。勿論、レムは喋れない。だから、簡単な手話を教えることにした。

 イエス・OKは手で丸を作る。ノー・NGはバツを作る。分からない・どちらともいえない、という場合は三角形。

 まぁ、レムの態度と仕草から、今までもこれくらいのことは何となく分かったけれど、明確にサインを決めたお蔭か、よりスムーズにレムと意思疎通が図れた気がする。お蔭で、上手く黒髪の弦は作り上げることができたのだった。

「防衛準備はおおよそ整った。レムの弓も上手くなった。今、できることは大体、やり尽くしたはず……」

 ひとまず、準備中にゴーマ軍が襲来することはなかったのは幸いだ。これ以上は、もうあまり備えられそうなことはない。

 あらゆる面で不安は残るものの、あえて言おう。

「さぁ、いつでも来いよ」

第122話 暴露大会

 その日の晩は、なんとなく、すぐに眠らずダラダラとお喋りをしていた。面子は、僕とヤマジュンと上中下トリオの五人。

 お子様のレイナは、飯を食って風呂に入ったら、さっさと眠り、野球部として規則正しい生活習慣を貫いていたらしい山田も、無駄な夜更かしはせず早々に就寝していた。

 眠った人がいる妖精広場でお喋りするのは悪い気がしたので、場所は僕の部屋へと移した。レイナと山田を二人きりで寝かせるってヤバいけど、どうせ霊獣がついているから万に一つも危険はない。別に、僕にはレイナの身の安全に配慮してやる義務はないから、心配なんて欠片もしていないけど。

「こういう時に、酒があったらなー」

「だよな」

「ツマミはあるのになー」

 などと、上中下トリオがのたまっている。未成年のくせに飲酒が云々と、説教しようなどという気は毛頭ない。高校生にもなれば、アルコールにチャレンジしてみる年齢だろう。無意味にクソ真面目な僕は、飲んだことないけどね。

 しかしながら、下らない雑談に興じつつ、クルミと干し肉のカケラをツマミにしている状況を思えば、確かにここは酒の一杯でも飲んでいるべき場面だろう。ああ、悲しいかな、僕らが飲める飲み物は、いまだに妖精広場の美味しい水しかないのだ。喉は潤うが、心は満たされない。

「ヤマジュンはお酒、飲んだことあるの?」

「うん、まぁ、嗜む程度でね」

 なにその新入社員みたいな無難な受け答え。ヤマジュン、すでにしてアルコールとの適切な付き合い方をマスターしてたりするのか。

「飲んだことないの、僕だけか」

「おっ、なんだ桃川、酒飲んだことねーのか」

「人生、損してるぜ」

「桃川アルコール童貞だべ」

 ははは、と三人で笑ってやがる。いいだろう、どうせトリオには酒飲み自慢くらしかできないし。

「童貞とか言ったら、どうせみんなも一緒でしょ」

「おっ、桃川、その話題いっちゃう?」

「酒もないのにいっちゃうのぉ?」

「うぇーい! エロトークの時間だうぇーい!」

 僕の童貞返しに、謎の盛り上がりを見せるトリオ。なんだ、この自信は、まさかコイツら――

「うそっ、みんな経験あるの?」

「それくらい、あるに決まってんだろぉー?」

「あるある!」

「俺らは一年の時に、ちょっとな、へへっ」

「ちょっと、ってなにさ?」

「えぇー」

「それはなー」

「ちょっとなー」

「いいじゃん、教えてよ」

 如何にも聞いて欲しそうに、はぐらかすトリオが果てしなくウザい。でも、気になる気持ちも確かにある。

 ねぇ、高校生男子って、いったいどうすれば童貞卒業できるんですか?

「まぁ、アレは全部、恭弥のお陰だったんだけどなぁ――」

 彼らの口から語られた初体験のメモリーは、お世辞にも甘酸っぱい青春の恋愛とはほど遠いものであった。

 簡単に言えば、樋口から女を紹介してもらった、というだけのこと。一時間一万円だったらしい。

「そういうの、なんか怖いんだけど」

「ビビっててもしょうがねーぜ?」

「相手も同い年だったから、へーきへーき」

「実際、俺らなんともなかったべ」

 いや、性病の心配だけをしてるワケではないけども。僕としては、樋口のツテというのが最も恐れるべきポイントだ。変に弱みとか握られそう。紹介された女の子も、おさがりなのでは。

「まぁ、俺らも最初は、ちょっとビビってたとこあったけどな」

「恭弥は一年の頃からアレだったしよ。中学からの筋金入りってやつ?」

「そうそう、俺らみたいな半端なのとはレベルが違うべ」

 本人不在でも、そういう評価が出てくるってことは、やはり樋口は不良として別格だったようだ。

「そういえば、三人とも入学した頃はもっと普通だったよね」

「おいおいヤマジュン、昔の話はやめるべー」

 僕は上中下トリオとは、二年に上がってから同じクラスになったので、一年の頃の彼らの姿は知らない。見たことあるかもしれないけど、覚えはまったくない。

 どうやら、三人はいわゆる高校デビューのようなタイプらしい。入学早々に、本物の不良生徒な樋口とつるみ始めて、あっという間にDQN化。

「へぇー、なんか大変だったんだね」

「恭弥はコエー奴だけど、スゲー奴だから」

「女のこともそうだけど、色々、世話になってっからな」

「蒼真と天道以外で、黒高生に勝てるのは恭弥だけだべ」

 と、樋口のことを語る彼らは、どこか誇らしげに笑っていた。

 やっぱり、僕が樋口を殺した件については、彼らには永遠に語らない方が良さそうだ。少なくとも、今はこの三人と良好な協力関係を続けていきたいし。

 そんな利害関係について考えなければ、僕の頭の中に罪悪感と言う名の魔物が、首をもたげそうになる。


「お前は、俺とは違う、いいヤツだよ……だから、やめとけ。お前は必ず、人殺しを後悔することになる……」


 そう言って命乞いする樋口に、僕は「後悔なんてするかよ!」と啖呵を切ったのだ。ならば、僕は意地でも後悔しないし、罪悪感に苛まれて、悩み苦しんだりもしない。

 たとえ、上中下トリオにとって、樋口は特別な友人だったとしても……僕にとってお前は、最悪の敵だったんだから。

「っつーか、桃川はどうなんだよー」

「えっ、僕?」

「へへっ、山田から聞いたぜ」

「お前、実は双葉さんと付き合ってたんだべ?」

「ええぇーっ!?」

 と、ガチで驚いているのが、ヤマジュン。

「えっ、ヤマジュン驚きすぎじゃない?」

 僕も、まさか山田の追及をかわすための適当な口八丁が、ここで自分に回って来るとは思わなかったけど。

「あっ、いや、ゴメン……なんか、その、物凄く意外で」

「だよなー? まさか、桃川に彼女がいるとはな」

「けど、相手が双葉さんって、すげーカップルだな」

「桃川、潰されて死ぬなよ? なはは!」

 いやぁ、メイちゃんに潰されて死ぬなら、本望かなぁ。このダンジョンで死ぬよりは、遥かにマシな死に様だよ。

「桃川くん、本当に双葉さんと付き合ってるの? 山田君が綾瀬さんのことで何か言ってきて、それを誤魔化すための嘘をついたとか?」

 流石はヤマジュン、鋭いというか、大正解だよ。でも、僕が双葉さんと付き合ってるという話を、頭から信じなかったことについては、それはそれでショックだったり。やっぱり、僕ではメイちゃんとは釣り合わないだろうか。

「えっ、嘘なのか?」

「まぁ、ヤマジュンも知らねーってのは、不自然だよな」

「いや、でも、ダンジョンに飛ばされる前の教室で、魔法陣のノートを桃川が双葉さんに渡してるとこ、見たぞ。やっぱ、密かに関係してたんだべ」

 下川、目ざとい奴め。あのシーンの目撃者がいたとは。

 しかし、あっさりと嘘を見抜かれて、疑われるのも癪だなぁ。

「嘘じゃないよ。僕、本当に双葉さんと……メイちゃんと付き合ってるし」

 見栄を張って、嘘を貫き通すことにしました。

「おおー、名前呼びかよ」

「桃川のくせに生意気だぞ」

「俺も彼女欲しいーっ!」

 ふふん、モテない男共の嫉みの視線が心地いい。ああ、これで本当にメイちゃんと付き合ってたら、もっと気分が良くなれたのに。

 嘘を塗り固めて手に入れた栄光って、虚しいものだね。

「そ、そ、そうなんだ……本当に、付き合っているんだね……いや、でも、桃川くんなら、双葉さんとはお似合いだよ」

 それって、おっぱい的な意味で? そうだよね、絶対そうだよね、僕の性癖を完璧に把握しているヤマジュンさんよ。

「なんかヤマジュン、ショック受けてね?」

「えっ、それって、もしかしてーっ?」

「ヤマジュン、実は双葉さんのこと好きだったんだべか!?」

「ええぇーっ! そうだったの!? でもゴメン、メイちゃんは譲れない!」

「い、いや、違う違う、全然、そんなんじゃないから」

 あはは、と苦笑いの表情がかえって怪しい。

 ちくしょう、レイナを巡って男同士の醜い争いなんて、と馬鹿にしていたけれど、まさか、自分が三角関係の泥沼にハマってしまうとは。なるほど、これは確かに、退くに退けない戦いだ。僕、マジでメイちゃんを譲る気はないよ。あのおっぱいとお尻と、狂戦士パワーは誰にも譲れない! 僕の生命線的な意味で。

「くそー、女の話したらムラムラしてくるじゃねーか」

「あー、最近は溜まってるからなー」

「レイナちゃんがいる手前、しょうがねーべ」

 実際、それで我慢しているんだから、凄いよね。この場合、三人の理性が凄いのか、レイナの魅了が凄いのか、分かんないけど。

「頼むから、他の女子と出会った瞬間に襲うのはやめてよね」

「はぁ?」

「んなことしねーって」

「心外だべ」

「でも前科はあるよね?」

「げっ!?」

 僕の一言に、急に顔色を悪くするトリオ。

 蒼真パーティが転移する寸前に、下川が『水流鞭アクア・バインド』で小鳥遊小鳥を攫おうとした、レイプ未遂事件。

 ふむ、一応、反省の色はあるらしい。

「桃川、知ってんのかよ?」

「なんで桃川が知ってんだ」

「あっ、そうか、桃川、前に蒼真と一緒だったからだべ!」

「うん、正解」

 正確には、蒼真君本人じゃなくて、その場に居合わせた委員長達からだけどね。

「い、いやぁ、あれは、その……なぁ?」

「あん時は一番溜まってたっつーか、精神的にもヤバかったっていうか」

「男三人で死ぬ気でダンジョン進んで来たら、蒼真の野郎がハーレムしてんだぞ! あんなの見せられたら、もう黙ってられねーべ!?」

「うんうん、その気持ちはよーく分かるよ」

 僕も蒼真君の、割と楽勝なダンジョン攻略模様を聞いて、結構な嫉妬をしたものだ。妬ましいのはその強さだけで、彼のハーレムについては、それほどでも。どうぞ、妹を筆頭に、あのヒステリックな女どもの面倒を見ていてくださいよ。今ならもれなく、レイナをつけてあげるから。

「僕としては、蒼真君を相手に、生きて逃げ切れた方が驚きだよ」

「そこはほら、俺の『水霧アクア・ミスト』で」

 視界を塞ぐ魔法に習熟していたお蔭で、命拾いをしたようだ。咄嗟の時には、下川の行動力はなかなかのもの。

 しかし、あの蒼真君を相手に、ただ霧を撒くだけで逃げおおせるとは考え難い。恐らく、彼自身にも葛藤があったはずだ。

 人間を殺すのか、という葛藤が。

 まぁ、これで本当に小鳥遊小鳥が攫われて、三人にレイプされていたら、きっと蒼真君も迷うことなく殺していただろう。ただの未遂で済んでいたから、殺すまでの踏ん切りはつかなかったに違いない。

「なぁ、桃川、蒼真はあの事について、なんか言ってたか?」

「許すとか、許さないとか」

「うん、三人のことは絶対に許さないって言ってたよ」

 うわぁ……と、目に見えてテンション下がってる三人組。そりゃあ、あの蒼真君に恨まれたら、恐ろしいに決まってる。文字通りの死活問題。

 実のところ、僕は蒼真君と一瞬しか一緒じゃなかったから、何も話してないけども。許さない、と主に言ってたのは剣崎明日那だし。許されないのはテメーだろ。

 それでも、蒼真君の性格を思えば、時間の経過で忘れるように何となく許す、みたいなことは絶対しないと思うけど。ほら、ああいうタイプって、ケジメってのを大事にするし。

「安心してよ。もし、蒼真君達と合流することがあったら、僕が上手く仲裁するからさ」

「おお、頼むぞ、桃川!」

「マジで頼むぞ!」

「絶対だぞ、絶対だからな!」

 命がかかってるから、必死だなぁ。

 けれどこの先、順調に僕らのダンジョン攻略が進めば、いずれ、蒼真パーティと合流する可能性は十分にありうる。というか、そうじゃないと僕が困る。メイちゃんとは必ず再会しなきゃいけない。

 ともかく、その時に備えて、余計な軋轢や因縁なんかは、できるだけ水に流していきたいところだ。僕としては、今のままの面子で合流を果たしたいと思っている。

 いざとなれば、僕が明日那に突き飛ばされた件があるから、十分に蒼真君とは司法取引できる余地があるから、大丈夫だろう。それにヤマジュンもいれば、仲裁役としても最適だし。やったね委員長、もう君だけが胃を痛くする必要はないんだよ。




 そんなこんなで、しゃべり場はお開き。三人は、やはり仲良く三人で広場に戻って就寝した。

「ごめんね、ヤマジュン、もうかなり遅い時間なのに」

「いや、いいよ、ボクもまだあんまり眠くはなかったし」

 ヤマジュンだけ引き留めたのは、勿論、古代語講習の続きである。

「それにしても、さっぱり分からん」

「うん、残念だけど、文字そのものがアルファベットみたいに、シンプルじゃないからね」

 何も知らずに英文を解読しようと思ったら、まずは、同じ文字が何度も繰り返し使用されていることに気づくだろう。なにせ、アルファベットはたったの26文字だ。構成される文字は、すぐに全部が明らかとなる。

 だが古代文字は、まるで漢字のように多種多様な文字が存在している。基礎的な文字と思われる、比較的、多く登場する簡易な文字はあるものの、まだそれがアルファベットや平仮名のような存在であるかどうか、確定することも難しい。

「規則性が全然、見られないのも厳しいよね」

「うーん、もしかしたら、平仮名、片仮名、漢字、の三種類が混じる日本語のように、複数種類の文字を組み合わせているのかもしれないよ」

 そうなると、解読の難易度は一気に跳ね上がる。『古代語解読・序』という明らかに初級スキルだけで、古代語の全容を解明していくのは、まず間違いなく不可能だ。

「とりあえず、今は単語だけ暗記していくことにするよ」

「うん、それが一番だよ」

 そうして、ほどほどに勉強会も進んだところで、不意にヤマジュンが言った。

「ねぇ、桃川くんは、天職とは違う能力について、心当たりはあるかな」

 ちょうど、『天職』という古代語について、説明を受けている時だった。

 天職と違う能力といえば、超能力とか、気の力とか? いや、違うな。そんな、漫画やアニメに登場するフィクションのことではなく、この異世界における現実的な力のことだ。

「あるよ」

 ヤマジュンがわざわざ二人きりの時に、持ち出した話だ。何の事だか分らない、と嘘ではぐらかすことは簡単だけれど、僕はこの話に乗るべきだと思った。

「それは、どういう……いや、まず、ボクの方から話すべきだろうね」

 少しだけ悩んだ素振りを見せて、ヤマジュンは語り始めた。

「実はね、姫野さんがいたんだ」

 誰だっけ、と言いかけたけど、確か、メイちゃんの友達の一人だったと、ギリギリで思い出せた。いつだったか、メイちゃんが話してくれたのだ。クラスで仲の良かった友人、木崎さんと北大路さんと姫野さん、三人のことが心配だと。

「もしかして、死んだの?」

「……分からない。ここに来る途中の、ジャングルではぐれてしまったんだ」

 正確には、逃げ出したのだと、おおよそのことの顛末を聞いて、僕は理解した。

 ヤリサーの姫と化していた姫野さんは、僕から奪った生贄転移でやって来たレイナが合流した結果、男共はブサイク中古を捨てて、ハーフのロリ美少女に夢中になったと。

「ボクはね、姫野さんが、ただここで生き残るための処世術として、体を使っていただけとは思えなかった。彼女には、何か別の……男に取り入るための能力、を身に着けていたような気がしたんだ」

「天職『売春婦』だったんじゃないの?」

「可能性はあるよね。でも、天職とは違うんじゃないのかと、ボクの、いや、治癒術士の勘で、そう感じたんだよ」

 なるほど、勘ね。元の世界では単なる気のせいってのが九割九分九厘だけれど、この魔法の異世界においては、かなり頼れる第六感だ。

 きっと、天職『治癒術士』には、そういうのを嗅ぎ分ける勘が、裏ステータスのように備わっていると考えるべきだろう。

「僕は、横道に会ったよ」

「えっ、あの、横道一君に? えっと、その、大丈夫だったの?」

「何とか撃退はしたよ。アイツは、長江さんを殺したから……殺して、食ったんだ」

 食った、という言葉に、ヤマジュンが絶句している。

「あの、それって、性的な意味で?」

「いいや、文字通りの意味だよ。死体を食べたんだ、丸ごとね。まぁ、その現場は直接、見たワケじゃないから、骨とかは残ったのかもしれないけどね」

 でも、奴が長江有希子の死体を食べたのは、紛れもない事実だ。『賢者』小鳥遊小鳥によって暴かれた真実であり、アイツもそれを認めた。

 そして何より、実際に僕達を、喰らおうとしていた。

「そ、そ、そんな、ことが……」

「分かるよ、ヤマジュン。きっと、横道は天職とは、別の能力を得たんだと思う」

 確か、『食人鬼』と小鳥遊小鳥は叫んでいたと思う。今にして思えば、アレは単に人を殺して食ったことに対する侮蔑ではなく、『賢者』のスキルで奴が授かった力の名前を言ったんだろう。

 だから、アイツは『スキルイーター』などと呼んでいたけれど、きっと正式名称は別にある。死体を捕食することで相手の能力を奪う、おぞましいスキルを奴は持っている。

「危険度の度合いは違うけど、姫野さんと横道、二人は同じように、天職以外の力を授かったんだ。多分、邪神とか魔神とか、そういう邪悪な感じの奴からさ」

「ああ、やっぱり、そうなんだ――『眷属』は実在するんだね」

「けんぞく?」

 聞きなれない単語を、確信を持ってヤマジュンが口にしている。一体、何を知っているのか。

「ボクも詳しいことは何も分からないよ。ただ、僕が最初のボス部屋で見つけた、古代語の一文、ここに、『天職』と対になるような感じで、『眷属』と書かれているんだよ」

 眷属、と実際にノートに文字で書いてくれて、ようやく意味を理解する。よく『眷』の字を書けたね。

 眷属ってのは、親族や同族、または配下の者など隷属的な身分の者を差す。そして、神の使者という意味でもある。

「だとすれば、姫野さんは『サキュバス』の眷属とか、そういうのってことになるね」

「天職の力は強力だから、山田君のように、それで調子に乗ってしまったりするのは仕方ないことだと思う。けれど、眷属の力は……その人の人格、そのものを歪めてしまうほど、恐ろしい能力のような気がするんだ」

 山田とトリオとヤリまくりだった姫野さんは、まだまだ可愛い方なのだろう。横道のように、お前を殺して食ってやるぜ、と大真面目に言う奴は、最早、同じ人間であるとも言い難い。

「だから、今すぐにどうっていう話ではないんだけれど……それでも、桃川くん、これからクラスメイトと合流する時は、天職なのか眷属なのか、よく、見極めた方がいいかもしれないよ」

「うん、そうだね、ありがとう」

 横道との遭遇で、薄々察してはいたが、ヤマジュンが『眷属』という言葉と、古代語に記されるほどの存在であることを教えてくれたお蔭で、明確にその脅威を認識できた。

 古代語が分からなければ、はっきりとつかめなかった情報だろう。こういうのは、貴重だよね。

「ごめん、変な話をして。でも、早めに話しておいた方が、いいかなと思って」

「いや、全然、凄くためになったよ。ホントにありがとね」

 そうして、真面目な話でちょっと気疲れしたのか、急激に眠気も襲ってきた。もう、勉強を続けられるコンディションではない。

 ここらで解散するとしよう。

「あっ、そうだ、ヤマジュン、最後に一つだけ」

「えっ、何だい?」

「本当に、メイちゃんのこと、何とも思ってないの?」

「あはは、思ってないよ。安心して、桃川くん」

 と、心の底から苦笑いを浮かべるヤマジュンに、僕はようやく、安心できた。これで、気分よく眠れるよ。

第123話 ゴーマの砦・攻略戦(1)

 さぁ、いつでも来いよ。

 そんな僕の気持ちに応えるかのように、その時は訪れた。

 この日、久しぶりにクルミも交えたささやかな昼食の後だった。

「キョッ、キョッ、キョワァアアアアアアアアアアア!」

 けたたましい鳴き声が響きわたる。この声は、屍人形にしたラプターのものだ。

 レイナとは別に、ラプターには常に塔の周辺に偵察に出している。それが戻ってきて、大声で僕を呼んだということは――

「来たか。いよいよ、この塔ともオサラバだね」

 敵の襲来を確認し、僕らはついに密林塔を出発する。あらかじめまとめておいた荷物を手に、避難訓練もしておいたお蔭で、静かに、それでいてスムーズに塔を出る。

「ضباب المياه مخبأة――『水霧アクア・ミスト』っ!」

 下川がフル詠唱で、気合いを入れて霧を展開する。あっという間に辺り一面、真っ白い霧に包まれ、何も見えなくなった。今にも、霧の向こうから下品な笑い声と共に、汚らしい舌が飛んできそうな気がするよ。横道戦はちょっとしたトラウマだよね。

「よし、行こう。まずは、急がなくてもいいから、静かに進もう」

 視界不良の霧の中、唯一、先を見通せる術者の下川を先頭にして、僕らは一列になって慎重にジャングルを歩き始めた。はぐれてしまったら大変だから、険しい山を登山する時のように、黒髪縛りのロープでお互いの体を結んでいる。

「ウォオオオオオオオオオ!」

「ンガァアアアアアアアアアア!」

 歩き始めてほどなくすると、けたたましい叫び声が響きわたって来た。

「どうやら、始まったみたいだね」

 緊張の面持ちで、僕の前を行くヤマジュンが言う。

 ゴーマ襲来、を察知したのは僕のラプターと、レイナが偵察に飛ばしたラムデインだけ。誰も実際にゴーマ軍団を目撃してはいないが、わざわざ僕らが肉眼で確認できるまで接近してしまっていたら、逃げるタイミングを失ってしまう。この場合は、シモベを信じて行動するしかない。

 そして、大勢のゴーマがあげる騒がしい声を聞いて、本当に大軍が塔に押し寄せたのだと実感できる。僕としては、むしろ奴らの声が聞こえて一安心といったところ。

「塔は大丈夫かな」

 ヤマジュンが小声で、不安そうに聞いてくる。

「どうだろう。まだ戦いは始まったばかりだと思うけど」

 残念ながら、レムの視界を共有して見るとかはできないので、僕にも塔がどういう状況になっているのかは分からない。分かることと言えば、レムと三号四号が健在かどうか、ということだけ。泥人形は破壊されると、呪術としての繋がりが切れる様な感覚が、何となくするので分かるのだ。

「今は、先を急ぐしかないよ」

「うん、そうだよね」

 もう後戻りはできない一歩を、僕らはすでに踏み出してしまっている。その意味を、みんなも薄々感じているだろう。僕らは深い霧の中を、黙って進んで行くより他はなかった。

 そうして、強い緊張感を覚えながら丸一日の行軍を続けた。酷く疲れたが、流石のレイナも文句を言わず、っていうか、アイツはエンガルドに乗ってるだけだから楽チンだけど。まぁ、僕も自作の鞍と鐙で、乗り心地がマシになったラプターに騎乗しての移動だったから、随分と楽させてもらったけれど。

 ともかく、各自が精一杯に進んだお蔭で――無事に、僕らは、目的地へと辿り着いた。

「アレが、ゴーマの砦か」

 ちょうど、僕らは切り立った崖の上に出るような形となって、ゴーマの砦、と呼ばれる場所が一望できた。

 周囲一帯は、円形に木々が伐採されて拓けている。そのど真ん中に、密林塔と同じくらいの高さを持つ、石の塔が建っていた。違いは、一階部分に太い円柱に支えられた造りの平屋みたいな神殿が繋がっていること。

 これまでの遺跡の構造から考えて、あの塔の最上階か地下室に転移魔法陣があるのだろう。

 砦、と呼ぶべき部分はこの建物群を中心に構成されている。周辺には粗末ながらも、太い丸太を突き立てた柵がグルっと一周張り巡らされていて、四隅には櫓も立っている。遠目に、櫓の上には弓を持ったゴーマ、いや、あの体格からしてゴーヴか、弓兵が二人一組となって配置されていた。

 門は正面に一か所。ここにも槍と斧をもった筋骨隆々の逞しい体格のゴーヴが立っている。他にも、歩哨のように、武器を手にそこら辺をウロウロしている奴らが見えた。

 やはり、僕らの密林塔の攻略に出かけていても、本丸の防備は手薄にはしなかったようだ。

「けど、ここは砦っていうより、完全に奴らの集落だよね」

 砦の外には、汚い布やら毛皮やらをつぎはぎしたような、粗末な造りのテントが幾つも広がっていた。どうやらゴーマの建築能力は、木造家屋を建てることはできないが、丸太を支柱としてテントを張るくらいはできるようだ。

 よく見れば、ゴーマ達が忙しなくテントの間を行きかっている様子が窺える。僕はこれまで、奴らが武器を持っている姿しか見てこなかったが、土器みたいな食器や、袋イッパイの食材を抱えて、点々と設置されている竈に集まって食事をしているところを見ると、この異世界に住む住人なんだと実感する。さらによく観察すれば、メスらしき個体や、明らかに子供と思われる小さな個体も見えた。

 どうやら、ゴーマのメスは胸が膨らむのではなく、腹が膨らんでいるようだ。妊婦のように、丸々と腹部が大きくなっている。もしかしたら、見かけた奴が全員、妊婦なだけかもしれないけど。あと、色も真っ黒ではなく、茶褐色。ますますゴキブリっぽい色合いで、キモさがヤバい。

「桃川くん、どうするの? 前に来た時と、あまり砦の様子は変わってないように見えるけど」

「まずは、少し休もう。ずっと歩きずめで、みんな疲れているし」

「大丈夫かな?」

「もう陽も暮れる。奴らも夜中にジャングルは歩けないから、明日の昼ごろまでは、まず本隊は戻ってこないはずだよ」

 砦攻略の時間的猶予は、僅かだがあるはず。このまま焦って、疲れた体で突撃するのはちょっと勘弁したい。

 それに僕としても、砦全体を眺めた上で、攻略の作戦……というほど立派なものじゃないけど、手順は決めておきたい。

 日が暮れて見えなくなる前に、軽くノートに全体像をスケッチして、簡単な地図にしておこう。

「今の内に、食事も済ませておいて。何なら、仮眠をとってもいい。砦には、夜襲をかけるから」

「分かった、みんなに伝えておくよ」

 さて、どうするか。ここまで偉そうに主導権を握ってはみんなを引っ張って来たものの……参ったなぁ、あの砦、結構、守りがしっかりしているぞ。

 すでに、塔に残してきたレムと三号四号の反応は消えてしまっている。僕らが歩いた道のりの半ばまでは、反応があったことを思えば、かなりの時間、奮戦してくれたことが分かる。

 レムの働きぶりを思えば、しばらく休ませてあげたいところだけど、

「――『汚濁の泥人形』」

 あらかじめ、再召喚のために用意しておいた基本素材とラプター素材の余剰分を使って、僕はレムを創り直した。

「ありがとう、よく頑張ってくれたね。でも、ごめん、砦攻略のために、もうひと頑張りしてくれ」

「ガ、ガガ!」

 任せろよ、とばかりに元気なポージングで返事をくれるレム。温存しておいた、メインウエポンである野々宮さんの槍と、サブウエポンの短剣、あとは厳選した弓矢を与えれば、今すぐ突撃できるぜと言わんばかりの、ヤル気を感じられた。レム、お前はいつも元気で羨ましいよ。

 三号、四号は作らない。というか、作る余裕がない。魔力もないし、無理して作っても、大したスペックのない泥人形が二体増えたところで、さほど戦力には貢献しないだろう。

 改めて、現有戦力を確認しておこう。

 まずは『呪術師』の僕。騎馬として、屍人形のラプターが一頭。ラプター素材で強化したレムが一人。

 前衛は『重戦士』山田、『剣士』上田、『戦士』中井。後衛は『水魔術士』下川、『治癒術士』ヤマジュン。

 そして、どこにも組み込めないフリーター、もとい、独立遊撃隊長『精霊術士』レイナだ。

 やはり攻略の要は、どこまで上手くレイナを使うかにかかっているだろう。コイツが本気になってくれれば、正直、正面突破も普通にイケるんじゃないかと思うくらいだが……あまり負担をかけさせると、ヤケになって逃げだすかもしれないしなぁ。

 いや、逆に考えれば、逃げ込む先である転移魔法陣から遠ざけておけばいいのではないだろうか。そうだ、レイナの能力なら、一人だけ分断されても、戻って来れるだけの力もあるし。

「ヤマジュン、みんなを集めて。作戦が決まったよ」

 息を潜めて、それぞれ小休止していたところを、ヤマジュンが声をかけて全員集める。メンバーを集合させる、という些細なことでも、人によっては集まりに差ができるもんだ。きっと、僕が直接声をかけるより、ヤマジュンが呼んだ方がみんな早く動くだろう。

「で、どうすんだ桃川。このまま一気に行くのか」

 まぁ、そう焦るなよ山田。作戦説明するって言ってるだろうが。

「まず、転移魔法陣はあの塔の中にあると思う。だから、あそこに潜入するのが第一目的になる」

 すでに日は沈んでいるから、僕が夕暮れの中に急いで描いておいたゴーマの砦の略地図を、みんなで囲んで眺める。

「つっても、門は締まってるし、見張りはいるし、木の柵だってあるだろ」

 上田がまずパっと見で分かるレベルで気にするべき点を問う。単純だが、その分だけクリアが難しい。

「基本的には『水霧アクア・ミスト』に隠れて、僕の『黒髪縛り』で縄梯子をかけて、柵を乗り越えて侵入する。塔の扉が閉まっていても、窓は開いていたから、そこも縄梯子をかけて入ればいい」

 塔の窓辺は、密林塔と同じく開きっぱなしで、ガラスは勿論、戸もついていない。後から板などで塞ぐ、などの処置も施しているようには見えなかった。

 上手くいけば、霧に紛れて戦うことなく塔まで侵入できるかもしれない。

「でも、そこまで上手くいくか? いくらゴーマでも、自分のところに霧が出たら警戒するべ?」

 まぁ、そうだよね。

 砦含む集落周辺は、木を切り倒してある程度の範囲まで見通しが効く。だから、僕らが接近するには、割と遠くから霧を展開させなければ、姿を隠して近づくことはできない。

 櫓に陣取る弓兵ゴーヴからすれば、あからさまに怪しい霧の塊が、ゆっくり砦に向かって接近してくる様子が、上から良く見えることだろう。きっと、僕らが柵に辿り着くよりも前に、異常事態発生と判断して、鐘とか太鼓とか鳴らして、危機を伝えるだろう。

「うん、だから、陽動作戦を仕掛ける」

「陽動? っていうと、えーっと、相手の注意を引くような騒ぎを起こす、ってことだよね?」

「そう、ゴーマのテントの集落に、火をつける」

 奴らの集落は、凄い小規模ながら、城下町、というべき構成だ。柵に囲まれ、櫓が立つ、堅固な守りを誇るのは、あくまで中心にある砦だけ。そこから同心円状に広がる一般ゴーマの集落は、ただテントが並んでいるだけで、他に防衛設備は何もない。

 夜闇にまぎれて接近して、放火をするのは容易い。松明の油もまだあるし?

「え、ええぇ……」

 素晴らしい作戦だと思うけど、いくらゴーマ相手でも、明らかに一般市民みたいな奴らの住居に火を放つのは非道に感じるのだろうか。みんなの反応は、あまり芳しくない。

「気にすることないよ。あそこにいるのは全部ゴーマで、メスだろうが子供だろうが、どうせ僕らを見れば牙を剥いて喰らってやろうと襲い掛かってくる、ただの魔物だよ」

 その代り、人型で、まるで人間のような生活を送っているけれど。でも、その程度の理由で、殺すのに躊躇することはないだろう。僕らのご先祖様だって、ネアンデルタール人とか絶滅させたんでしょ?

「問題なのは、誰がこの陽動をやるか、なんだけど――綾瀬さん、お願いするよ」

「ええーっ!?」

 あからさまに驚くリアクションが果てしなくウザい。いいから黙って引き受けろよクソニート、と思うのは流石に勝手だろう。レイナじゃなくても、こんな捨て駒みたいな役目、絶対に御免だし。

「危険な役だけど、これができるのは綾瀬さんしかいない。エンガルドで火を付けながら、派手に暴れ回って、僕らが塔を確保したところで、ラムデインに乗って戻ってくればいい」

 陽動として、テント群を瞬時に火の海にする火力、集まって来たゴーマを蹴散らすだけの戦力、そして、最後に転移魔法陣の塔にまで帰って来れる機動力。

 全て揃っているのは、優秀な霊獣を従える、精霊術士のレイナ以外にはありえない。

「綾瀬さんができなければ、多分、砦は攻略できないから」

 僕らは僅か六名で、敵の本丸に乗り込むことになるのだ。正面切っての戦いとなれば、ゴーマの数に押されてあっという間に全滅だ。

 けれど、集落が火の海と化せば、慌てて消化に砦の兵も飛び出てくるだろう。レイナが暴れ回れば、敵の襲撃だと分かって、さらに兵力を繰りだす。

 砦から兵を引き離すことができれば、僕らだけでも塔を占領できる可能性はぐんと上がるはずだ。

「れ、レイナちゃん! 俺も一緒に行くから!」

「山田君、それは無理だよ。塔の確保にも戦力はいるし、山田君じゃあラムデインも運んでくれないと思う」

 つまり、レイナ以外のメンバーが陽動側に参加しても、最終的には置き去りになるのだ。無駄な犠牲のお手本みたいなパターンになるよ。

 流石に死亡確実の置いてけぼりと言われれば、山田も食い下がれない。ええい、泣きそうな顔をするな、女々しい!

「綾瀬さん、申し訳ないけど、ここは桃川君の指示に従ってもらえないかな……きっと、ボク達みんなが生き残るには、この作戦しかないんだ」

 お、流石ヤマジュン、ここで説得モードに入ったぞ。

「えぇ、で、でもぉ……私、怖い……」

「大丈夫だよ、エンガルドとラムデインがいれば、綾瀬さんはゴーマなんかに負けたりしないよ」

 いやホント、お世辞じゃなくてマジでその通り。僕がこの二体を従えていたら、二つ返事で陽動作戦に参加してやんよ。それくらい、霊獣は強いのだ。

「お願いだよ、ここで綾瀬さんが頑張ってくれれば、みんなで生き残れるんだ」

 それから、僕らは固唾をのんでヤマジュンのネゴシエーションの成り行きを見守り、この期に及んでゴネ続けるレイナの態度にイライラさせられながらも、ついに、

「……うん、分かったよ、しょーがないなー」

「ありがとう、綾瀬さん!」

 無事、交渉成功。作戦実行にあたって、最大の山場を越えた。

 いやこれ、ヤマジュンいなかったら完全に詰んでたよ。僕だったら絶対、こんな粘り強い交渉なんてできないから。僕じゃなくても、途中、誰も口を挟めなかったし。

「よし、これで決まりだ。綾瀬さんがテントに火を放って陽動。騒ぎになったところを見計らって、『水霧アクア・ミスト』で隠れて砦に接近。そのまま、一気に乗り込んで塔を確保する」

 一度中に入り内側から正門を閉じれば、それなりに時間稼ぎもできるはず。僕らが塔内部のゴーマを殲滅して、転移魔法陣を探すくらいの時間は確保できる。

「問題は、転移魔法陣を動かすためのコアを持つ、ボスがいるかどうか。多分、ゴーマの大将らしい『ゴグマ』がいると思うけど、もしかしたら普通にボス部屋のボスモンスと戦闘になるかもしれない」

 起動用コアについては、あとはもう完全に博打だ。最悪、ゴグマすらいない可能性もあるし……けれど、魔法陣のコンパスが頑なにこの砦を示し続けていることを思えば、僕らが転移する場所はここしかないのだと、信じるしかない。

「ぶっつけ本番で、退路のない背水の陣だよ。作戦決行は深夜2時にする。あとは、覚悟を決めて、砦に挑もう」

第124話 ゴーマの砦・攻略戦(2)

 午前二時。基本的に人間と同じ生活習慣を持つゴーマは、この時刻は見張り役の戦士以外は皆、静かに寝静まっている時間帯だ。

 故に、櫓から周囲を見張る弓兵ゴーヴが、夜闇の中で光る、燃える様な輝きを見つけても、すでに手遅れだった。ソレは突如として森から飛び出すなり、ラプターよりも素早い動きで、一直線にテントの集落へと向かって行った。

 なんだアレは、と相方に呼びかけ、その正体を見破らんと目を凝らした次の瞬間、ゴウっ! と本物の炎が迸るのを見た。

「ンバッ、グオンガァアアア!」

 敵襲を知らせる大声が櫓から反響する。砦に控える兵士たちは跳び起きて、即座に動き始めるが……集落を襲う敵は火の嵐のように、瞬く間に灼熱の災厄をまき散らしていた。

「いっけぇ、エンちゃん!」

 エンガルドの背中の上で、レイナがビシっと指をさせば、その方向に火炎の竜巻が迸る。エンガルドの口から、轟々と逆巻く炎のブレスは放射された。

「ヴェエアアアア!」

 汚いボロキレのテントを、燃やすというよりは吹き飛ばし、炎のブレスはそこにある命を焼き尽くす。ぐっすりと眠りこけていた安寧の世界から一転、突如として灼熱地獄に叩き落とされたゴーマは、混乱と苦痛に絶叫を上げるが……そんな声もすぐに消え去る。

 エンガルドのブレスが直撃すれば、ほとんど苦痛を感じる前に焼失してしまうからだ。

 悲惨なのはむしろ、激しいブレスの余波によって、燃えやすいテントに引火することで発生した火災に巻き込まれた者だ。

 俄かに騒然とする集落。夜中にも関わらず、煌々と周囲を照らし出す大きすぎる炎の輝き。そして何より、鼻をつく異臭。臭い、そう感じた時には、薄らと立ち込めてくる黒い煙にも気づくというもの。

 火事と断じて、誰もが叫ぶ。折り重なるように無造作に床に寝転んでいても、テントの中にいるのは皆、家族。父は声を上げて逃げろと先導し、母は子を抱きかかえて走り出す。

「燃えて、燃えて! 早く、燃えちゃえーっ!」

 風が吹く。強い風とともに、広がりつつある火の手はさらに勢いを増し、今しばらくは避難の猶予があったはずの者達さえも巻き込む。一人も逃がさぬというかのように、炎の魔の手はどこまでも伸び続ける。

「グヴェェアアアアアアアア!」

「ンバァアアアアアアアアア!」

 炎にまかれて、四方八方から絶叫が響きわたる。オスもメスも、大人も子供も、一切の区別なく、家族諸共、燃え盛る炎に焼かれて死にゆく。ブレスとしての威力はなく、ただ自然に燃え広がった火事によって、炎の熱さを存分に味わいながら、焼け死んでいくのだ。

「いやぁーっ! もうヤダぁ、気持ち悪い、怖い! 早く、全部、燃えちゃってよぉ、エンちゃん!」

 阿鼻叫喚の灼熱地獄の中で、レイナの声は場違いなほど可愛らしく響く。そして、それはさらなる地獄を広げるための合図に他ならない。

 エンガルドはレイナを背に乗せたまま勢いよく駆け出し、まだ火の手が上がっていない箇所に向けて、火球を次々と撃ち込んで行く。狙いは適当、まだ燃えていないところは、全て燃やせばいい。

 放たれた火球は、逃げ惑うゴーマを群れごと吹き飛ばす。武器を持った戦士らしきオスも、丸っこい赤子を腕に抱えたメスも。老いた両親を背負った若者も。どこまでも無慈悲に、平等に、爆風は命を散らしてゆく。そうして散った先で、テントという火種を糧に、さらなる命を奪うため、灼熱の魔手を伸ばし続ける。

「んあぁー、ちょっと暑いかもー、水ぅー」

 首元をペシペシ叩いて荒ぶるエンガルドを一旦停車させ、レイナは鞄から取り出した水筒を呑気に空けては、カップに注いでチビチビと水を飲み始めた。

「ゲバッ、ブベラ!」

「グバァアアアア!」

 エンガルドの動きが止まったのを好機と見たか。その瞬間、炎の向こうから、ゴーマの勇ましい掛け声と同時に、無数の矢が飛び込んできた。

 粗末な弓は命中率こそ低くとも、数を揃えて一斉に放てば問題ない。相手は一人と一頭。とても一足飛びで避けられないほどの範囲に、ゴーマ弓兵隊渾身の一斉射が降り注いだ。

「あー、もー、やっぱりちょっとぬるくなってるぅ」

 呑気に水のぬるさに不満をつぶやくレイナに、粗削りの矢が殺到する――だが、一本たりとも、この可憐な少女の身に届くことはない。

 吹き荒ぶのは、炎の風。否、それは意図的に形成される、灼熱の防御魔法である。エンガルドを中心に、ドーム状に展開される火の壁は、簡単に突き抜けられそうなほどに薄らと向こう側が透けて見えるほどだが、そこに触れたモノは瞬時に灰となる。小さな石と木の枝で作られた矢など、どれだけ撃ち込んでも、この炎の結界を突破することは不可能。

 レイナはゴーマの弓攻撃を嘲笑うように、いや、そもそも気づいてすらいないように、のんびりエンガルドの背の上で喉を潤していた。

「あっ、またイッパイ出て来たよ、早く倒してよ、エンちゃん!」

 威勢のいい獣の咆哮と共に、次の矢を番えようとしていた弓兵隊に、大きな火球が飛び込んで行く。その一発で、部隊は全滅。成す術もない、とは正にこのことだった。

「ねぇ、もうそろそろ戻ってもいいかなぁ?」

 見渡す限りを火の海と化し、レイナは自分の役目は果たしたとばかりに声を上げる。その問いに答えたのは、エンガルドとは異なる、鋭い鳥の声。

 闇夜に紫電の輝きが閃くと共に、レイナの頭上からラムデインが舞い降りた。

「えっ、何か強そうなのが出てきてるって?」

 霊獣は高い知能を持つが、当然、人の言葉は話せない。だが、精霊術士たるレイナは、おおよそ彼らが何を言っているのか、思っているのかが分かる。一種のテレパシーが通じることで、レイナの常識からすれば化け物同然の霊獣達のことも、一目見た瞬間に自分の味方だと理解することができたのだから。

「そっかぁ、じゃあ、戻るのはもうちょっと後にしよっかなー」

 クルル、とうめきを上げて問い返したラムデインに、レイナは子供らしく口を尖らせて不満げに言った。

「いいの! だって桃川君、私にイジワルばっかりするから嫌いだもん」

 フン、とそっぽを向くような主の仕草に、ラムデインはそれ以上、余計な進言はしなかった。

「あーあ、早くユウくんに会いたいなぁ……私、もうこんなのヤダよー」

 そうして、エンガルドとラムデインの二頭は、いつものようにグズり始めた主を慰めるべく、甘い声を上げ始めた。

 砦の方で、激しい爆発が起こっていても、一切気にせず、ただレイナの心だけを、忠実なシモベである彼らは気遣うのだった。




「――よし、今だ、行こう!」

 遠目から見てもはっきり分かるほどに大きな火の手が上がったことを確認して、僕はいよいよGOサインを出す。流石はエンガルド、凄まじい勢いでテント群に炎が広がっていく。アイツが一匹いれば、コソコソと油をまいて放火する必要もないのだから、楽なもんである。あまりにお手軽過ぎて、火計と呼ぶのもおこがましいレベル。

「おっしゃ、『水霧アクア・ミスト』!」

 幸先の良いスタートを切れたことで、下川も張り切って霧を目いっぱいに展開。僕らも勢いに任せて、一気に砦へ向けて走り出す。砦周辺はグルっとテント群で囲まれているから、まずはここを抜けなければ辿り着けない。

 レイナはすでに三分の一ほどの範囲を火災に巻き込んでいる。この勢いなら、あっという間に全域を焼き尽くしてしまいそう。すでにして、集落は蜂の巣を突いたような大騒ぎ。離れた待機場所にいても、奴らの汚らしい叫び声は聞こえてきた。

 これこそ正に浄化の炎。汚物は消毒だ、と叫びたいほどの一網打尽ぶりであるが、僕らだって火事に巻き込まれたら普通に死ぬ。なので、まだ火の手が上がっていない反対側から侵入した。

 深夜二時過ぎの暗い夜の中を、ヤマジュンが放つ『光精霊ルクスエレメンタル』を灯火代わりに展開させて、ぼんやりとした薄明りに包まれる霧の中を進んで行く。

「どけよっ、オラァ!」

 野太い怒声と共に繰り出された山田の一撃が、霧の中にフラっと現れたゴーマをブッ飛ばす。

 ちょうど僕らは奴らのテントが立ち並ぶ居住地を突っ切っている最中。この辺はまだ炎に巻かれていないが、大規模火災発生の情報はとっくに集落全体に伝わっている。大慌てで荷物を手に、テントからゴーマ達が飛び出しては右往左往しているのが、霧で見えなくても分かった。

水霧アクア・ミスト』の範囲内に入っている奴らは、ただでさえ火事でヤバいというのに、謎の霧が立ち込めて視界を奪われているのだから、尚更に焦るだろう。僕らの前に立ち塞がるのが、敵を迎え撃つべく隊列を揃えたゴーマ部隊ではなく、武器さえ手に持たない一般ゴーマがウロウロしているだけ。

 先導する下川の両サイドを固めるように、山田と上田が進路上の邪魔になるゴーマを吹き飛ばすだけで、僕らはどんどん先へと進む。たまに横合いから、ワケも分からず飛び込んでくる奴もいたけれど、その辺はレムと中井がフォローして対応。僕は特にゴーマ相手に攻撃する必要は今のところなかった。せいぜい、道の真ん中に転がっていた赤ん坊らしきゴーマを、ラプターが蹴飛ばしたくらいか。

「桃川! 壁まで来たぞ!」

 ついに砦を囲む丸太の柵にまで辿り着く。こうして間近で見ると、結構な高さがある。剣士や戦士の身体能力なら、ひょっとすれば登れたりするのかもしれないけど、少なくとも普通の人間では不可能。

「よし、黒髪縛り!」

 僕は予定通り、黒髪ロープで編み込んだ縄梯子を放つ。『蜘蛛の巣絡み』を習得してから、ある程度までは、編んだ形を一発で放つことができるようになっている。今の僕の習熟度なら、五メートルほどの縄梯子くらい、問題なく発射可能。

「よし、かかった! 山田君、先行して!」

「おう!」

 一番乗りは危険な役だが、防御に優れる重戦士なら安心して任せられる。少数くらいなら、待ち伏せされても山田の能力なら蹴散らして、上陸地点を確保できるだろう。

「いいぞ、俺に続け!」

 一体か二体、ゴーマを叩き潰した音の後、山田が叫んだ。即座に、後続の上田が登り、次に下川、中井、ヤマジュンと続く。ここ何日かは密林塔の出入りで縄梯子の上り下りはみんな慣れているので、実に迅速な侵入である。避難訓練とかも、やった甲斐はあったかな。

「いいよみんな、引いて!」

 最後に僕が柵の上に登ると、そのまま下りずにラプターの引き上げ作業に入る。ここで乗り捨てていくには勿体ない。というか、鋭い牙と爪のあるラプターは白兵戦力としても使える。体格も人間よりちょっと大きいくらいのサイズだから、問題なく建造物にも入れるし。

「せーの!」

 掛け声と共に、僕がラプターに巻きつけた黒髪ロープをみんなが引く。僕は柵の上から見てるだけ。ほら、黒髪縛りの制御があるし?

「キョァアアア!」

 男五人+レム、六人分のパワーが合わされば、小型恐竜として百キロ超の重さがあるラプターも、グイグイと持ちあがっていく。ラプターの方も、鋭い鉤爪の足をガシガシと食い込ませ、垂直の壁を走るように登りゆき――無事に踏破。

 柵を乗り越えれば、あとはそのまま自由落下でラプターは降り立つ。強靭な足腰を持つラプターにとっては、この程度の高さでは落下ダメージはない模様。そして、僕は縄梯子でスルスルと降り、再びラプターの背中へと収まった。

「下川君、塔の方向は?」

「こっちだ! 砦の奴らも混乱してるみたいで、まだ俺らの侵入に気づいてねぇ、これはイケるべ!」

 よし、このまま一気に塔へ突入だ――と、駆け出した僕らの足を一発で止める、大爆音が轟いた。

「――っ!?」

 なんだ、と叫んだ気がするけれど、耳がキーンとなって音が遠い。

「くっ……なんだよ、爆発か……って、霧が!」

 一瞬にして、白い霧で塞がっていたはずの視界が綺麗に晴れ渡っていた。砦の中は篝火が絶えず焚かれているので、こんな夜中でも十分に視界が効く。炎が照らしだすゴーマの砦の中の様子を、僕は初めて見る。

 そして、何が起こったのかも、一瞬で悟った。

「そうか、アイツが『ゴグマ』だな」

 開け放たれた塔の正門、その前に門番の如く立ち塞がる大きなゴーマが堂々と仁王立ち。大柄で筋肉質な精鋭たるゴーヴと比べても、ソイツは頭抜けて大きい。3メートルくらいあるんじゃないだろうか。それでいて、体格は横綱のような筋肉ダルマ。

 頭の天辺からドリルみたいな捻じれた一本角が生えており、顔つきもゴーマ特有ののっぺりした魚面というより、肉食獣のように険しく、同じ種族とは思えないほど造形が異なる。しかし、そのゴキブリブラックな肌色と、ゴーヴ共を従えてふんぞり返る態度から、奴らの大将であることは明白。

 これで、ただ体がデカいだけで威張っているボス猿みたいな野郎なら、さして脅威ではなかったが……どうやらコイツ、力士のようなパワー系の見た目に反して、魔法を使うらしい。

 奴の野太い右腕には、カトラスみたいな形をしたバカデカい曲刀が握られていて、もう片方の左腕に、赤い玉がついた杖を握り絞めているのだ。

 大柄にすぎるゴグマが握るには、随分と貧相な細い杖に思えるが、先端に誂えた鷲の足みたいな鋭い爪のついた飾りに、ガッチリとはめ込まれているルビーみたいな球体は、魔力を宿す魔石だろう。すでに風魔法の杖の本物を見たことがあるから分かる。というか、西山さんの杖からとってきた風の魔石は、貴重な素材としてまだ鞄の中に入っているし。

 まぁ、魔法の杖なんか見たことなくても、赤い魔石がビカビカと明滅する度に、火の粉が散るのを見れば、その効果はお察しであろう。耳をつんざく爆音と、一発で『水霧アクア・ミスト』を払った正体は、奴が炸裂させた炎の魔法であることは明白だ。

 まぁいい、これで転移用のコアを探す心配はなくなった。

「アイツがボスだ! 何としてでも倒して、コアを貰う!」

「ダヴァ、ゴブ、ダッハ、ズッダルバァアアアアア!」

 僕の叫びと、ボスの雄たけびは同時に響いた。故に、互いの配下が動き出すのもまた、同時。

「うぉおおおおおおおお!」

 ウチのメンバーで先頭切って飛び出したのは、やはり『重戦士』山田。鉄壁の防御力による安心感もあるだろうが、こういう場合では最適解。能力があっても、いざという時に動けない奴もいるからね。

「行けよっ、山田!」

「ボスをブッ飛ばせ!」

 ゴグマに向かって真っすぐ突っ込む山田に対し、手下のゴーヴが斬りかかるが、これを上田と中井が阻止。中々に素早いフォローだ。曲がりなりにも、密林塔まで一緒に戦ってきただけはある。前衛組みの連携は悪くない。

「『光矢ルクス・サギタ』っ!」

「『水流撃アクア・ブラスト』ぉおおおっ!」

「レム、行け――『黒髪縛り』」

 僕ら後衛組みも、即座に山田の突撃を援護。さりげに、ヤマジュンが攻撃しているところを初めて見た。蒼真桜と同じ光の攻撃魔法である『光矢ルクス・サギタ』を習得しているが、その輝きの大きさを見ると、彼女のモノよりも一段劣るように思えた。

 やはり『聖女』とかいう明らかに特別な天職によって魔力ステータスが恵まれているとか、光属性強化の裏スキルとかあるのだろうか。それとも、単に武器の差か。桜の弓は小鳥遊さんに強化してもらって『聖女の和弓』とかいう専用装備っぽくなってるし。

 たとえ威力は桜よりも劣っていても、ヒーラー役のヤマジュンが攻撃に参加できることの意義は大きい。ほら、味方が負傷するまでやることがない、って微妙に間が持たなくない?

 ともかく、ヤマジュンの『光矢ルクス・サギタ』はちゃんとゴーヴを牽制できていたし、下川の『水流撃アクア・ブラスト』も攻撃力は低そうだけど、足止めには十分に役立っている。

水流撃アクア・ブラスト』は消防車の放水みたいに、勢いよく水流がぶっ放される魔法だった。左右に薙ぎ払うだけで、強烈な水の圧力に押され、マッチョなゴーヴも力任せに突っ切ることができないでいた。

 後衛の援護の効果もあって、ボスに向かって斬りかかる山田をゴーヴ共は止めることができなかった。みんなでしっかり、フリーにしてやったんだ。まずは一発、ボスに武技をぶちかませ!

「はぁああああああああ――『一打スマッシュ』!」

「ウゴァアアアアアアアアアアアアっ!」

 金属バッドをフルスイング、みたいなフォームで繰り出された山田の武技『一打スマッシュ』と、ゴグマが右腕一本で放った剣の一撃がぶつかり合う。

 ゴーヴでも『一閃スラッシュ』と思しき武技を使っていたのだ。ボスであるゴグマも使えないはずがない。

 山田とゴグマの武技対決は、僅差でゴグマに軍配が上がる。

「くっ、おおっ!?」

 クラスでトップ5に入る重量級のはずの山田の体が、押された。けど、その程度だ。

 山田は高い防御力を誇るが、一方、攻撃力やパワーは並みの戦士。つまり、武技を使えば上田も中井も同様に、一発まではボスと切り合えるということになる。

 ゴグマ三人まとめてブッ飛ばすほどの、圧倒的なパワーがあればお手上げだったが……大丈夫だ、僕らとアイツに、そこまで絶望的な能力差はない。

「ウゴ、ンゴ、ブンガァアアアアアアアア!」

 そこで、奴の魔法が炸裂した。

 武技に押されて体勢を崩した山田に向かって、ゴグマは間髪入れずに左手に握る杖から魔法を、というか、その杖は実は棍棒だったとでも言わんばかりに、思いっきり叩きつけていた。

 素早い二連撃に、山田は避けることも防ぐことも叶わず、直撃。

 真っ赤な爆炎が瞬き、耳に爆音が突き抜けていったと同時、山田の体は凄まじい勢いでぶっ飛んで行った。

 打撃と同時に爆発する魔法なのか。自分に爆風ダメージは喰らわないのかよ。ゴグマは頑丈だから平気なのか、それとも使用者には爆風は及ばない仕様なのか。どっちにしろ、躊躇なく思いっきりぶっ放した以上は、普通に使っても問題ない爆破攻撃なのだろう。

 なんて、敵の魔法攻撃を冷静に分析していられるのは、吹っ飛ばされたのが山田だからだろう。別に好き嫌いの問題じゃなくて、あれくらいの爆発力なら『重戦士』の防御力で防ぎきれる。流石に痛いかもしれないが、重傷ではないはず。

「山田君!」

 ヤマジュンだけが、心配そうに彼の名を呼ぶ。大丈夫だって、まだ治癒魔法の出番はないはず。

「ぐっ、くそぉ……アイツ、強ぇぞ」

 地面を転がった山田は、そんなことを言いながらのっそりと起き上がる。ほらね、やっぱり大丈夫だった。

「おい、どうするよ、ボス結構強そうだぞ」

「俺らがアレ喰らったらヤベーな」

 ゴグマの一際大きな巨躯と、インパクト抜群な爆破魔法を前に、前衛担当の剣士・上田と戦士・中井はややビビっている模様。あんなのと切り合えって言われたら、そりゃあ怖いに決まってる。

 けど、すでにしてボス戦の幕は切って落とされている。ビビって足踏みしている場合じゃあない。

「山田君と上田君の二人でボスを狙って! 残りはゴーヴを抑えるんだ!」

「ウブラァ、ブダッ、ガヴォアアアアッ!」

 とりあえず適当に戦闘指示を叫んだ。幸い、全員が自分の役割を理解し、すぐに動き出してくれた。

 ここであと一拍、動くのが遅れたら一気に劣勢になっていただろう。ゴグマが叫んだゴーヴへの命令は、僕の指示の直後だったし。

 ゴグマは先陣を切って突っ込んできた敵の戦士、つまり山田を見事に吹き飛ばしてみせたから、ゴーマ軍からすると士気が上がる光景だった。ここで一声かけるだけで『コレはイケる!』と勢いに任せて部下のゴーヴ共も元気よく攻撃を始めるのだ。

「――広がれ、『腐り沼』」

 奴らの勢いに呑まれる前に、何としてでも食い止める。ああ、こういう時は、広範囲に効果が広がる『腐り沼』は便利だよね。

 両手の呪印から左右に血を飛ばし、両側に二つ展開。ナイトマンティスのように羽で飛ぶこともできないゴーヴにとって、地面に大きく広がる毒沼は重傷を覚悟しなければ超えられない危険な障害物と化す。

「撃ちまくれ!」

「『光矢ルクス・サギタ』!」

「『水矢アクア・サギタ』!」

 光と水の矢が、猛毒の水辺を前にたたらを踏んだゴーヴへと襲い掛かる。

 魔法の矢に混じって、鉄の矢じりの普通の矢も飛来してきた。コレはレムの援護射撃。

 最初に攻撃を命じた時、僕はレムだけは別な指示を与えていた。狙いは、僕らが立っている地点から最も近い位置に建つ、見張り台の櫓だ。

 ここにはまだゴーヴの弓兵がいるはずだから、戦闘が始まれば奴らは頭上から僕らを狙撃し放題。流石に放置しておくには危険すぎるので、僕が黒髪縛りで縄梯子だけかけておいて、後はレムがこっそり侵入し、弓兵を始末させる。

 そして今、櫓の上から放たれる矢が、僕らではなくゴーヴに向かって飛んで行っているのを見れば、レムの櫓制圧は成功したようだ。もっとも、この騒ぎの中で櫓がどうなっているか理解しているのは、僕だけだろう。ゴーヴ共も山田達も、櫓の方になどまるで注意を向けてないからね。

 とりあえず、これで櫓の方は一安心。僕も集中して、援護に参加しよう。

 といっても、僕にカッコよく発射できる攻撃魔法はないので、沼から『赤髪括り』の束を生やして、届く範囲の奴らに嫌がらせのような酸攻撃をしかけた。

 筋骨隆々で気力体力に優れるゴーヴは『赤髪括り』で叩きつけられても、そう簡単には倒れない。けれど、こういう状況ではとりあえず負傷させれば十分だ。

 トドメ、あるいは致命傷を与えてくれる仲間がいるのだから。

「はぁああああああああっ、『乱撃レイジ』っ!」

 ゴーヴの足止め役には戦士・中井を残してある。ギリギリまで奴らが迫って来ても、彼が始末してくれる。

 中井にとって最大威力である武技『乱撃レイジ』は、その名の通りに連続攻撃の技だ。タフな魔物にも、武技の威力を連続で叩き込むことで一気に致命傷を与えられそうな必殺技だが、援護の攻撃魔法か僕の酸攻撃で手負いになったゴーヴを始末するには、その連撃の内の一発だけで十分。

 負傷を厭わず強引に僕ら後衛組みの攻撃を突っ切ってきたゴーヴは、中井の『乱撃レイジ』によって次々と切り倒されていった。彼が振るう芳崎さんの斧も、流石の品質で、まだまだ奴らをぶった切れそうだ。

 そうして、上手くゴーヴの突撃を征した隙に、山田と上田のコンビはボスへと肉薄していくが――

「ウゴ、ブルア、ダヴァ!」

 叫ぶゴグマの視線は、何故か目の前まで肉薄している前衛二人には向けられていない。奴は興奮した血走った眼で、真っ直ぐに――僕を睨んでいた。

「あっ、マズい……」

 狙われた。そう、直感で理解した。

第125話 ゴーマの砦・攻略戦(3)

「ブルァアアアアアアアアアアアアアっ!」

 けたたましい唸り声を上げ、ボスゴーマが猛然と突進を始めた。

「うおおっ!?」

「くそっ、危ねっ!」

 今正に切りかかろうとしていた山田と上田を、ゴグマは巨大カトラスと爆破杖を振るって軽くあしらい、一気に突破。ただ真っ直ぐ、親の仇でも見たかのようにボスは僕に向かって迫りくる。

「な、なんでだよ!」

 と理不尽なボスの行動に叫ぶものの、傍から見ていればこのパーティの指揮官は偉そうに指示を飛ばす僕だと分かるだろうし、何より……一人だけラプターに騎乗しているのだ。

 ゴーマが人間の文化についてどこまで理解しているのかは不明だが、それでも一人だけ乗り物に乗って周囲の奴らに命令を叫んでいれば、ソイツが頭だと一発で分かるに決まってる。

 つまり僕の失敗は、目立ち過ぎたことだ。

「走れっ、ラプターぁあああああああっ!」

 後悔も反省も全て後回しにして、僕は即座に逃げの一手を打つ。手綱を握り絞め、急速に反転して駆け出すラプターから振り落とされないよう、必死にしがみつく。

「も、桃川くん!」

「おい、どうすんだコレぇ!」

「ボスは僕が引きつけるから、ゴーヴを始末しといてっ!」

 僕には全く囮になるつもりなんかないけれど、ボスにロックオンされた以上は致し方あるまい。

 果たして、急な作戦変更にみんなが理解を示してくれたかどうかは分からない。すでに走り始めたラプターは塔の正門から離れてしまい、みんなの姿は見えない。ここは柵に囲まれた砦の敷地内で、門も開けてないから、外には逃げられない。競馬場のコースを走るように、グルグルとまわり続けるしかない。

「ダゴォアア! ウゴ、ンガァアアア!」

 そして背後からは、おぞましい雄たけびを上げながらゴグマが猛追してくる。力士みたいな体型のくせに、疾走するラプターに引き離されないほど足が速い。恐らく『疾駆』のような移動速度強化の武技を使っているんだろう。

 巨体に見合わぬ異常な速さと身軽さで、ボスは逃げる僕の背中に向かって魔法を放つ。赤い宝玉がビカビカと激しく明滅し、バレーボール大の火球が形成されるのを見た。

「撃って来る! 3、2、1――今だ!」

「キョォアアア!」

 死ぬ気で奴の杖を観察し、発射のタイミングを見極め、ラプターに伝える。中身のレムは頭の良い子だから、これだけ教えてやれば、上手くラプターの身体能力を生かして回避してくれる。

 そう信じて、僕は赤い尾を引いて飛来した火球が間近で炸裂するのを見た。

「――だぁあああああああああああ!」

 激しい爆風と震動に揺られて、今にも吹っ飛んで行きそうだ。けれど、こうして元気に絶叫を上げていられるということは、ひとまず無事に回避は成功したということ。

 立ち込めた黒煙を突っ切って、僕らはちょっと煤けただけで、まだ走り続けているのを確認できた。

 よし、奴の火球攻撃は回避できないほどじゃない。そこそこの爆発力で、単発。連射も誘導性能もない。ちょっと強力な火属性攻撃魔法を撃てるといった程度。

「けど、何度も飛んできたらヤバいな……」

 次は回避に失敗するかもしれない。直撃を免れても、爆風に煽られて僕が落馬しても、そこでデッドエンド確定だ。

 一方的に攻撃され続けるのはまずい。通用するかどうかは別にしても、魔法攻撃を妨害するためにも応戦しなくては。

「『腐り沼』!」

 ひとまず、後ろ向きに放った『腐り沼』を目いっぱいに広げる。急速に地面に広がっていく毒沼に、僕らのすぐ後ろを追いかけてくるゴグマは、避ける余裕もなく真っ直ぐ突っ込んでくるが――

「ヌガァアアアアアアアアアアアア!」

 ジュウジュウと音と煙を上げながらも、ボスは勢いのまま毒沼を突っ切ってくる。酸の毒は効いてはいるが、大したダメージにはなっていないようだ。コレで殺し切るには、しばらくの間は沈めておかないとダメだろう。無論、今の僕に奴をそんな長時間縛っておけるほどの力はない。バジリスク戦並みの準備がいるよ。

「ええいっ、『蜘蛛の巣絡み』!」

 次は出来るだけ固く編み込んだ『蜘蛛の巣絡み』を射出。コイツにかかれば、ゴーマは網にかかった魚みたいに囚われるが、

「オガァ!」

 カトラスの一閃で、あえなく切り裂かれる。

 ただ投げつけただけでは、投網を絡みつかせることでもできないか。もしかかったとしても、コイツのパワーならそのまま引き千切って走り続けるだろうし。

「それならコレは、どうだぁ!」

 右手にレッドナイフ、左手に鉄の短剣、その他にも五本ほどナイフを黒髪縛りに握らせて、一斉にけしかける。

 あまり出番のない僕の飛刃攻撃は、頑張れば両手だけでなく、他にも複数生やした黒髪触手もつぎ込んで飛ばすことはできる。かなりの集中力を割くが、ラプターに乗ってボスが追いかけてくるこの状況下は、実質、一対一だ。これなら、ボスへの攻撃だけに集中しても大丈夫なはず。

「ガブラッ、ブガハハハァーッ!」

 しかし、奴は襲い来る幾つもの刃を前にしても、回避も防御もせずにそのまま突っ込んできて、全てを受けて立つ。胸元、肩、腹、レッドナイフなんかは頭に命中したにもかかわらず――ダメだ、全く傷がついてない!

「くそっ、どんだけ固いんだよコイツ! 『重戦士』なのか!?」

 見た目にもタイヤみたいな分厚く硬そうな皮膚で、人間の肌よりもよっぽど防御力はあるだろう。けれど、それなりの品質の刃を真正面から受けて、傷一つつかずに全て弾くということは、山田と同じ『鉄皮』か『鋼身』、あるいは両方持っているのかもしれない。

「行けっ、『逆舞い胡蝶』!」

 無傷のように見えても、実はカスリ傷でも負っていれば、コレで多少の苦痛は与えることができるはず。というか、どうか効いてくれ!

「ブハハハ、ハッハー!!」

「ちいっ、足止めにもならん!」

 やはりゴグマは殺到する光る蝶を前にしても、躊躇なく突っ込み、そのまま突破を果たす。やはり、それなりの手傷がなければ、『逆舞い胡蝶』で傷薬Aの回復力を反転させたダメージを与えるのは無理だろう。

 でも、それにしたって、初見の怪しい光る蝶の魔法を前に、そのまま受けることを選ぶとは。もうちょっと悩む素振りくらいしろよ。よほど自分の肉体に自信があるのだろうか。

 ともかく、これで早くも手詰まり。

 だから僕は、こういうストレートに強い奴の相手は苦手なんだって、何度も言っているだろう!

 悔しいが、このゴグマはかなり強い。パワー・スピードにも優れ、おまけに防御も固く、本職ではないが魔法も行使する。これまで相手にしてきたボスの中でもトップクラスの強さ。それでいて、能力のバランスが優れている。

 だからといって、ここで大人しく負けてやるつもりはない。僕にだって、まだ手の内の一つや二つくらい……

「せめて、傷一つつけられれば」

 活路を開く、最初の一手がない。本来なら、山田と上田の二人が武技を叩き込んで負傷させれば良かったのだが、この状況下では仲間の援護が期待できない。メイちゃん並みのパワーがあれば、ボスの前に強引に割って入って止められるだろうけど、彼らでは跳ね飛ばされるのがオチだ。

 だから、僕の手で奴の鋼の皮膚を破らなければいけないが……『腐り沼』の毒は効果が薄く、レッドナイフの火力と切れ味で突っついてもダメだった。

 僕にこれ以上の攻撃力があるとすれば……

「そうだ、コイツなら」

 ポケットの中に手を突っ込んで、取り出したのは一本のバタフライナイフ。ちょっとたどたどしい手つきで開いてみると、安物のナイフのくせに、妙にギラつく刃が映る。

 そう、コイツは樋口が愛用していたバタフライナイフだ。せめてもの戦利品として回収したが、嫌な思い出が蘇りそうで、積極的に使ってはこなかった。

「コイツの切れ味なら!」

 ゴグマを切り裂ける。不思議と、そう確信する。

 左手の短剣をバタフライナイフに持ち替え、狙いを定める。恐らく、チャンスは最初の一回だけ。僕が奴の防御を越える武器を持っていると気付けば、警戒して狙ってくる。ナイフを握る触手部分を斬られてしまえば、武器を失ってしまう。

 だから、狙うならば慎重に。かつ、できるだけ大きく切り裂ける方が望ましい。

「――とぉおおおおっ!?」

 再び、火球が着弾。またしても大きく体を揺すられるが、どうにか耐える。

 やはり、これ以上の攻撃を受けるだけの余裕もない。これで決める!

「さぁ、行けよ――『黒髪縛り』っ!」

 さっきとほとんど同じように、僕は飛刃攻撃を放つ。ついさっき自慢の防御力で全て弾いてみせたのだから、次も必ず弾けると思うだろう。今更、回避なんてダサい真似しないよね?

「ブガァアアアアアアアア!」

 奴らかすれば、火球攻撃で追い詰められた僕が、苦し紛れに無意味な反撃をしているように見えているのだろうか。ゴーマの顔色なんて分らないけど、不思議と奴が勝利を確信して大笑いしているように思えた。

 ふん、馬鹿め。図体がデカくて、強くなっても、所詮はゴーマか。その低能ぶりに、僕は救われる。

「そこだぁ!」

 絶妙な触手操作。盗賊のハイドアタックのように、静かに、素早く、動きの精度は冴えわたる。

 ああ、そうか。樋口、お前はきっと、こんな感じで人を刺していたんだろう。

 不思議な共感を覚えながら、僕はバタフライナイフをゴグマの背中に突き刺した。

「ンガァアアアァ!?」

 硬い皮膚と肉を切り裂いていく感触と共に、ボスの苦悶の叫びが上がる。

 よし、通った!

 放った飛刃は全部で七本。レッドナイフは頭部付近を狙いつつ、火花を散らして目くらまし。他の五本は適当に狙いをバラけさせて誤魔化す。

 どこを狙おうと奴は絶対防御の自信があるから全くの無警戒。だから、本命で飛ばしたバタフライナイフが、大きく迂回して背後を狙っても、奴は全く気にしなかった。

 その結果がこれだ。

「やった!」

「ブゴォ、ムガァアアアアアアアアアっ!」

 パっと血飛沫を背中から吹き上げながらも、ボスはいよいよ憤怒の雄たけびをあげて、僕へと迫る。

 背中を大きく一文字に切り裂くことはできたが、全く致命傷たりえない。多少の痛みは感じたようだが、それで転倒することも、足を止めることもなかった。ダメージとしては、ごく小さなもので、戦闘の継続に影響はない。

 けれど、これで十分なんだ。

「この僕を相手に傷一つ負った時点で、お前はもうお終いなんだよ――撃て、レム」

 闇夜を切り裂く風切音。飛翔する一本の矢が、ゴグマの背中に突き立った。

「ンガッ!? グッ、オォアアァ……」

 そのたった一本の矢で、ボスはあれほどの速さで走っていた脚がもつれ、勢いのままに激しく転倒した。

「うぉおおお、何だ!?」

「マジかよ、やったのか桃川!」

 ボスと追いかけっこを初めて、ちょうど砦を一周回ってきたところ。塔の正門前でゴーヴ部隊と戦いを続けていた山田達が、盛大にゴグマがずっこけたのを見て驚きの声をあげていた。

「ボスは倒した! 塔の入り口を確保して!」

「マジで、桃川スゲぇ!?」

「嘘だろオイ……」

「でも、これで脱出できるべ!」

 正確には、まだゴグマは死んじゃいない。でも、もう死んだも同然だから、関係ない。僕の勝利宣言に、メンバー達は活気づいて、襲い来るゴーヴ共を次々と跳ね除けていく。

 一方のゴーヴは、あまりにあっけなく頼れるボスが倒れたことで、明らかに動揺を隠せない様子であった。士気も形勢も、一気に逆転である。

「はぁ……それにしても、上手くいって良かった」

 楽勝みたいな感じだったけれど、これは僕の作戦が全て一発で上手くいったからこその結果。ただのラッキーといってもいい。

 ゴグマを仕留めた矢の射手は、勿論、櫓の上に陣取り続けていたレムだ。上から見れば、僕とアイツの追いかけっこの様子はよく見えただろう。

 密林塔防衛の練習で、予想以上に弓の腕を上げていたから、射程圏内に入り、かつ遮蔽物や妨害がなければ、レムの放つ矢の命中精度は結構なものだ。その腕前を信じて、僕はレムに必殺の武器を託していた。

 それが『クモカエルの麻痺毒』を塗った毒矢だ。

 ゴーマ相手に人体実験を繰り返した末に開発した、僕の毒薬シリーズ記念すべき第一弾であるが、如何せん、量はそれほどでもない。抽出できたのは、雑魚に使っていてはあっという間に消費してしまう程度の少量だ。

 しかし、ほんの一滴肌に垂らすだけで、ゴーマはビクビクと痙攣しながら全身麻痺するという劇的な効果がある。

 高威力だが少量。ならば当然、手ごわいボスにつぎ込むに決まっているだろう。

 僕はここにボスがいた場合、最初からこの麻痺毒矢を使って勝つつもりでいた。麻痺で動きを封じることが出来れば、後はどうとでもなる。

 そして登場したのが、このゴグマである。ゴーマと同種族であるなら、クモカエルの麻痺毒が通じる可能性は非常に高い。正直、ただのゴーマ族のボスでしかないゴグマが出てきた時、勝った、と思ったもんだ。

 まぁ、僕を一点集中狙いの行動に打って出るのは予想外だったけれど。

 ともかく、ボスに麻痺を通せばこちらの勝ち。確実にコイツへ麻痺毒を喰らわせるために、何としても分厚い皮膚を切り裂いておきたかった。もしかすれば、皮膚だけで麻痺毒を弾いてしまうかもしれない。

 だから、体内に毒を届かせるための傷口が欲しかった。できれば、毒矢を命中させやすいように、大きな傷が望ましい。

 それと、万が一に備えて、より麻痺毒の効果が上がるよう、毒消しで放った『逆舞い胡蝶』もかけておいたしね。傷薬Aの方の蝶は、ダメージ狙いというより、本命としては毒消し蝶を隠すためといったところ。まぁ、余裕ぶっこいてたゴグマ相手には、あまり意味のないフェイントだったけど。

 いやホントに、上手くいって良かったよ。樋口のナイフがなければ詰んでたし、レムが弓矢を扱えなければ、麻痺毒を届かせることはできなかっただろう。

「だから一応、感謝しといてやるよ、樋口。このナイフは、凄い切れ味だよ!」

 僕は手にしたバタフライナイフで、うつ伏せに倒れ込んでピクピクしながら唸っているボスの脇腹に向かって、思いっきり刃を突き刺した。そして、横一文字に切り裂く。

 非力な僕でも、ザクザクとゴムタイヤみたいな質感のボスを切り裂けるのだから、本当にとんでもない切れ味だ。実はこのバタフライナイフが凄い業物だった、というよりは、何らかの魔法的な強化の恩恵をうけていると考えるべきだろう。

 まさか、ガチで樋口の怨念とか宿ってないよね?

 ちょっと怖い考えを振り払うように、僕は目の前の作業に集中する。ボスにトドメを、ではなく、コアを摘出するのだ。

「この辺でいいの?」

「キョァアア!」

 僕が切り開いた腹の傷口に、ラプターは思いっきり頭を突っ込んだ。鋭い牙で肉を食い千切り、内臓へ食らいつき、ズルズルと腸を掻きだしてから――ついに、血塗れのコアが現れる。

「よし、コアは手に入った! 塔に急げ!」

 生きたまま腸を漁られて、まだ生きているのか死んでいるのか分からないゴグマを放置して、僕らは一目散に正門へと駆けだした。

 これでようやく、ゴーマのジャングルからおさらばだ!

第126話 姫野愛莉と中嶋陽真と

 晴れて童貞を卒業した中嶋陽真は、男としての覚悟が決まったかのように、ダンジョン攻略に奮闘した。

 これまでは魔物との戦闘も可能な限りは避けてきたが、今では新たな力を求めるかのように、果敢に挑んで行く。たまに、多勢に無勢で慌てて逃げることもあるが、陽真の戦闘能力は少しずつだが確実に磨かれていった。

 今日は初めてとなるボス戦。これまで相手にしてきた魔物とは一線を画す巨躯を誇る、大きなカエルの魔物がボスであった。

 麻痺毒を持つ長い舌を振り回すのは厄介だったが、遠距離でひたすら『火矢イグニス・サギタ』を撃ち続け、動きが鈍ったところを剣でトドメを刺して、無事に勝利を収めた。

「陽真くーん、今日もお疲れ様!」

 そして、辿り着いた妖精広場で、姫野愛莉と体を重ねるのも、当たり前のことになっていた。

 正直なところ、今でも愛莉はブスな方だと思うし、心の底から愛しているとは言い難いし、長江有希子に対する未練もある。

 けれど、男としての本能が目の前にいる女を求めてやまない。そして、一度手を出してしまった以上、もう我慢することもできない。

 歪な関係、と感じつつも、それを止めることも出来ず、陽真はダンジョン攻略を続けるより他はなかった。

 だが、それもすぐに限界が訪れる。

「陽真くん、危ないっ!」

「――くっ!?」

 頭上から降ってくる巨大な鉄塊を、陽真は間一髪で回避する。

 石畳の床が粉みじんに破砕され、陥没する様を見て、その破壊力に戦慄。あんなのを一発でも喰らえば、即死である。ひとまず追撃されないよう『疾駆ハイウォーク』の速度を生かして間合いから離脱した。

「つ、強い……」

 今、陽真の前に立ちはだかるのは、大カエルに続く二回目のボス。姿は見慣れたスケルトンと何の変りもないが、そのサイズは倍以上に大きい。そして、手にする武器も巨大なモノで、普通の人間では持ち上げることすらできないほどの、大きなハンマーだ。そんな巨大武器を振り回されれば、そう簡単に近づけない。

 かといって、遠距離から『火矢イグニス・サギタ』を当てても、大した効果はなかった。体育館ほどの広さのボス部屋という閉じた環境も、一方的に遠距離攻撃を続けるのを難しくさせている。

 太く頑強な巨大スケルトンの骨を壊すには、『一閃スラッシュ』をクリティカルでヒットさせなければいけない。だが、その一撃を放てるだけの隙を見出すことが難しい。

 このボスを倒すには、命を賭けて、必殺の間合いにまで踏み込んで行かなければいけないだろう。しかし、それだけの覚悟はまだ、陽真には持てなかった。

「もういい、もういいよ、陽真くん! 逃げよう!」

「……分かった、そうするよ」

 幸い、ここのボス部屋は一度入れば入り口が閉じる様な構造はしておらず、いつでも撤退することが可能。ボススケルトンも、部屋から出れば追いかけては来ないし、そもそも、通れるサイズではない。

 すでに、ボススケルトンの撃破を諦め、撤退したのは三度目になる。

「――はぁ、もう陽真くんだけじゃ限界かなー」

 ボスから逃げた悔しさをぶつけるような激しい行為の後、ぐっすりと寝入った陽真を、愛莉は冷めた目で見下ろしていた。

 愛莉との関係のお蔭で、陽真のヤル気と向上心は確かに上昇したが、それはあくまで気持ちの問題である。戦いにおいて精神論というのは重要ではあるが、絶対ではない。気持ちだけで、強い力は手に入るはずもなく、ボスを相手に苦戦を強いられるのは当然の結果ともいえる。

 しかし、愛莉にとって重要なのは、頑張って戦い続ける努力の過程ではなく、ボスを倒すという結果。引いては、ダンジョン攻略を進めることそのものである。

 ボスを相手に三度も退き、いまだこれといった突破口を見いだせない陽真の評価は下がる一方。

「あーあ、あんなデカいだけのスケルトンなんて、蒼真君とか天道君とかだったら、楽勝なんだろうなー」

 くだらない妄想でしかない無為なことをつぶやきながらも、都合よく助けなど来るはずもない現状に、結局のところ、愛莉自身も陽真に頑張り続けてもらうしかない。

 最悪の場合、どうしても陽真一人でボススケルトンの撃破が不可能なら、自分も『光矢ルクス・サギタ』を撃って援護するしかないだろう。

「はぁー、ヤだなー、絶対戦うとかムリー」

 ボスの攻略は、陽真の努力が実るか、愛莉の覚悟が決まるか。このどちらかによってのみ、突破される――かに、思われた。

「おっ、マジかよ、誰かいるじゃん!」

「中嶋と、えーっと、姫野だったか?」

「クラスの奴に会ったの、ちょっと久しぶりだべ」

 四度目の挑戦が案の定失敗し、最寄りの妖精広場へと引き返してきた時のことだ。その中には先客、いや、先にこのエリアに到達していたのは二人なので、後続組というべきか。

 ともかく、三人の男子がそこにいた。

「えっ、どうして――」

「ああーっ! 上田君と中井君と下川君!? 良かったぁ、無事だったんだねーっ!」

 上中下トリオと呼ばれるさして仲良くもない男子生徒三人組の登場に、正直なところ陽真は喜ぶよりも困惑の感情が先に立ったが、愛莉は素直に彼らの無事を祝うように、喜び勇んで駆けて行った。

 まるで彼らとは最初から親しい友人同士であったかのような愛莉のリアクションだが、陽真の知る限り、三人と愛莉にクラス内での交流は皆無だったはず。そして、それは事実でもある。姫野愛莉は間違いなく、上中下トリオの誰とも、これまで一度も口をきいたことさえない、知人未満の関係であった。

「お、おう、姫野も無事で良かったな」

「つーか姫野ってこんなキャラだっけ?」

「まぁまぁ、いいんじゃね、素直に合流を喜んでもよー」

 話したこともない上に、しかも容姿に優れたワケでもないクラスメイトの女子に、キャーキャーとテンション高めに来られれば、困惑もするだろう。しかし、多少ブスでも女子に素直な好意を向けられれば、悪い気がしないのも男という生き物である。

 愛莉のノリに引きずられるように、三人はすぐに笑顔を浮かべて彼女の接近を許した。

「クラスのみんなのこと、私、ずっと心配してたの。三人だけでも無事だって分かって、本当に良かったよぉ!」

「まぁ、そこそこ苦労はしたけどな」

「俺らも天職の力はあるし」

「三人もいれば大体なんとかなるべ」

「ええっ、もしかして三人とも、凄く強いの!? わぁっ、すごーい、私なんて、全然ダメでぇ」

 気が付けば、三人と愛莉の話は大きく盛り上がり始めていた。そして、陽真は完全に蚊帳の外に置かれている。

 その日、陽真は実に久しぶりに、高ぶった性欲を抑えながらの苦しい眠りについた。愛莉は三人と話に満開の花を咲かせていて、陽真の相手どころではない。

 何だか、嫌な予感がする。

 叫ぶ男の本能と共に、陽真は不安も不満も抑えて、とにかく眠りにつこうと硬く瞼を閉じることしかできなかった。

「それじゃあ、今日こそボスの突破を目指して、頑張ろーっ!」

 と、わざとらしいほどに張り切った愛莉の声が妖精広場に響き渡る。

 陽真が目覚めた時、すでに話はついていた。

「良かったね、陽真くん。三人がボスを倒すのに協力してれるって! 心強い味方ができたよ、やったね!」

 この三人を仲間にするのか。陽真は反射的に彼らと行動を共にすることを「嫌だな」と思ったが、実際にボスでつまずいていること、天職を持つ男子三人という戦力、理性的に考えれば、彼らと協力する以外の選択肢はありえない。

 しかし、新しい仲間を受け入れるにあたって、きちんと話し合いの場が設けられなかった、少なくとも陽真が寝ている間に、愛莉と三人が勝手に話を進めて決まったことに、不満を覚えるのも当然のこと。どうして愛莉は、自分に何も聞いてくれないのか……

 彼女に対する不満と不信が湧くものの、結局のところ、愛莉と三人の話の輪に入っていけなかった自分の消極性が情けないだけでもある。

「あ、うん、そうだね……三人もいれば、ボスも倒せるかもね」

 これで、ボスを倒せなければいいのに、なんて思ってしまった陽真であった。

 そして、三人そろっても彼らが自分よりも弱い、などという都合の良い力関係になど、なるはずもなく――

「オラァっ! 『一閃スラッシュ』っ!」

「ウラァ! 『一打スマッシュ』ぅ!」

 天職『剣士』の上田と『戦士』の中井、二人は巨大スケルトンのボスを相手にしても、全く怯むことなく果敢に攻撃を仕掛けている。その勢いは、まるで自らがアクションゲームのプレイヤーキャラクターとなっているかのように躊躇がない。

 だが、その戦い方は単に天職という力を得たことで調子に乗っている、というだけではなかった。

「おい、危ねーぞ! 『水流鞭アクア・バインド』!」

 直撃すれば致命傷は免れない、ボススケルトンの巨大ハンマーによる一撃が、接近戦を挑む上田と中井を叩き潰そうと振り上げられるが――天職『水魔術士』の下川が放った『水流鞭アクア・バインド』がスケルトンの腕を絡め取り、動きを封じる。

 大蛇のようにうねる水の鞭は、スケルトンのパワーによって次の瞬間には破られるが、そのワンテンポだけ攻撃が遅れた猶予を生かし、上田と中井は素早く間合いの外に脱していた。

「へへっ、遅ぇ、ハズレだぜ!」

「大振りの攻撃だけだ、チョロイぜコイツは!」

「俺がサポートしてるから安全に避けられるんだべや!」

 案の定、ボススケルトンの一撃が外れたところで、再び上田と中井が間合いを詰めて斬りかかる。そして、攻撃動作や、二人の立ち位置がマズい時などを、的確に下川の水魔法が援護に入り、危機を乗り越える。

 三人はいつものクラスで見かけるような、ちょっとやかましいほどに声を上げて盛り上がっている。そう、それは油断ではなく、確かな経験からくる自信。

 それぞれの実力は突出したほどではないが、彼らには『チームワーク』という確かな武器があった。今までの学生生活を通して培ってきた友情の力が、このダンジョンにおいて素晴らしい連携力となって開花したのだった。

「よっしゃーっ!」

「ボス撃破ぁっ!」

「ふぅー、大したことないボスだべ」

 三人の連携攻撃を前に、ついにボススケルトンが倒れる。幾度も膝に剣士と戦士の武技が炸裂したことで、ついに関節部が砕け散る。二足歩行である以上、片方でも膝が砕かれれば、倒れざるを得ない。

 そして、一度でも地に屈してしまえば、高い位置で届かなかった弱点、すなわち頭部を集中狙いでカチ割られ、ロクに反撃も許されずに敗北するより他はない。

 ボスを征した証ともいえる、大きなコアを砕いた髑髏の中から取り出し、三人は勝利の雄たけびをあげながら、赤く輝くコアを掲げた。

「キャアァーっ! すっごーい! ボスを倒しちゃった、やったぁーっ!」

 そこで、わざとらしいほど黄色い歓声をあげて、姫野愛莉は喜ぶ三人の輪に加わって、彼らの戦いを褒め称える。自分は見ているだけだったが、自らも彼らと共にボス撃破という偉業を成し遂げたかのように、涙を流して感激。その姿は、まるで甲子園優勝校をただ応援していただけで、一緒に泣いて喜ぶ全校応援の女子生徒のよう……だが、この感動的で喜ばしいシーンにおいて、その姿勢にケチをつける者は一人もいない。

「凄い、凄いよ三人とも、こんなに簡単にボスを倒しちゃうなんて、強すぎだよ! 私、もしかしたら、もうここでダメなんじゃないかと思って……でも、三人が来てくれたお蔭で……うぅ!」

「ははっ、おいおい、泣くことねーだろ」

「まぁ、そんだけ追い詰められてたんだろ、姫野ちゃんも」

「これからは俺らがついてるから安心だべ」

 感動にむせび泣く愛莉へと、三人は温かい言葉をかけていく。どうやら、ボス撃破を讃えられて彼らとしても満更ではないらしい。まして、褒めて泣いて喜んでくれるのが女の子とあれば、男としての自尊心もより一層にくすぐられる。

「ありがとう、本当にありがとう!」

 涙ながらに感謝の言葉を叫んで、三人に抱き着いていく愛莉を、陽真は黙って眺めていることしかできなかった。




 ボススケルトンを撃破した、愛莉の五人パーティは順調にダンジョン攻略を進めていく。上中下トリオの三人がいれば、陽真一人だったら避けていたような魔物の群れが道を塞いでいても、難なく突破することができる。逃げることも、迂回することも減り、進む速度は以前の比ではない。

「っしゃあっ! 今日は俺の剣が冴えてたぜ!」

「ちくしょー、ゴーマ共が逃げ回らなければ俺の方が倒せたんだけどよー」

「俺ももっと攻撃力のある魔法があれば楽勝なのに……早く新魔法習得できねーべか」

 森林ドームで遭遇したゴーマの群れを蹴散らした三人。一応、陽真も戦ったが、やはり連携して戦える三人に比べ、その戦果は芳しくない。

 十体以上もその剣でもって切り伏せた剣士・上田が、パーティで一番の活躍を笑って誇る。ここまで素直に喜べるのは、単なる自己満足だけが理由ではない。彼が、いや、彼らが競うように魔物と戦うのは、そこにご褒美があるからだ。

「それじゃあ、今日のMVPは上田君だね!」

「おうよ! いやー、今日はマジで調子良かったからな。っつーか、剣士として一回り成長した、的な?」

 ははは、と調子のいい笑い声をあげる上田に、愛莉は「うんうん」と見事な笑顔で相槌を打っている。

 そうして、妖精広場の噴水に腰掛けて談笑する二人を残して、他の面子はそそくさと退散。

「愛莉……」

 出て行く直前に振り返った陽真の目には、噴水の向こうで、上田が愛莉の肩を抱き寄せて、強引に唇を重ねている姿――

「おい、何やってんだよ中嶋、さっさと行こうぜ」

「へへっ、覗き見なんて趣味が悪いべや」

「そ、そんなんじゃないって……今、行くよ」

 下品なニヤケ顔を浮かべる中井と下川の後に、陽真は大人しくついていった。

 一体、いつからこんな事になったのだろうか――なんて、無意味だと分かっていても、陽真は考えてしまう。

 いつから、と問われれば、すぐに、と言うのが正解だろう。ボススケルトンを倒した後、戦いで頼りになる上中下トリオの三人に、愛莉はベッタリになっていった。

 そして、次に妖精広場に辿り着いたその日の夜、愛莉が上田の寝床に潜りこんで行く姿を目撃した。次の日は中井の下へ、その次の日は下川――それ以降、一日の戦いで一番戦果を挙げた者が、愛莉と一緒に寝る、というルールが出来上がっていた。

 誰かが言いだしたワケではない、だが、自然とそうなっていった。つまるところ、陽真は何も言えなかったのだ。

「愛莉は俺の女だ!」

 三人と敵対することを覚悟してでも、そう言い切って宣言することはできなかった。

 陽真は、愛莉と付き合っているつもりはない。ただ、何となく、彼女が許してくれるから、受け入れてくれるから、これでいいんだと割り切って、甘えていただけ。

 それはきっと、心地よかったし、気持ちよかった。こんなダンジョン生活でも、頑張って進んで行けるほど、心の活力であり、癒しであった。

 だがしかし、その快楽を享受するのが、自分一人ではなくなった時、果たして人は正気でいられるのかどうか……

「くそー、明日は絶対俺の番だぜ」

「いや、相手次第じゃあ俺の圧勝だし」

 前を歩く二人は、今の『ルール』を当然のものとして受け入れている。一人の女を複数の男で使い回す、そんな乱れた関係性の中で、彼らが平然としていられるのは、きっとそこに愛などないから――でも、陽真にだって、愛なんてなかったはず。

「なぁ、そういえば中嶋ってよぉ、俺らが来てから愛莉とヤってないんじゃね?」

「えっ」

 急に中井から話をふられて、陽真は間抜けな声を上げてしまった。

「あーあー、別に隠さなくたっていいべ? お前らが二人だけだった時、毎日ヤリまくりだったってのは知ってるし」

 下品な笑い声を漏らしながら、下川は気安く中嶋の肩をバンバンと叩く。

「お前らが付き合ってるワケじゃなくて、マジで良かったぜ。流石にカノジョだったら、罪悪感ってのもな?」

「あるある! あるけど、我慢はできねーべ?」

「うん、ああ、そう……」

 陽真は、二人のノリについていけない。適当な相槌を挟むだけで精一杯だった。

「まぁよ、こういう状況だから仕方ないっつーか、なぁ?」

「安心しろよ中嶋、その内、お前にもちゃんと順番回してやるからさ」

「いや、僕は別に、そういうのは……」

「ぶはは、今まで散々愛莉とヤっておいて、それはねーだろ!」

「我慢は体に毒だべ、中嶋。俺らも愛莉ちゃんと出会うまではそうだったから、気持ちはよーく分かる」

 彼らの下世話な言葉を拒絶しようにも、一言一句その通りなのだから始末に負えない。

「お前からすれば、好きにヤレた女をとられたみてーで不満かもしれねーけどよ、そこはちょっと俺らにも分けてくれねーと」

「そうそう、順番に愛莉ちゃんに相手してもらって、俺らも仲良くやっていかねーとな」

 二人の言い分は、悔しいけれど正しい。少なくとも、この状況下では最も合理的な選択といえよう。一人の女を巡って醜い男同士の争いを起こさず、それでいて性欲も満たせる、最善の対応。

「うん、そう、だよね……」

 彼らの意見が正しいことも分かる。

 そして、愛莉がより強い男を頼っていくのも分かる。

 誰も、間違ってなどいない。誰も、恨むべきではない。

 全部、分かっている……はずなのに、もう陽真には今の環境には耐えられなかった。

 愛莉のことが好きなのか嫌いなのか。彼女は自分のことが好きなのか嫌いなのか。どうしたいのか、どうなりたいのか、ヤリたいだけなのか。

 最早、自分の気持ちさえ分からない。そして、愛莉が他の男とセックスしている事実を目前にされれば、心の中はグチャグチャで何もかも割り切ることさえできはしない……




 翌日、中嶋陽真の姿は妖精広場のどこにもなかった。

 一人で行方をくらませた彼を、愛莉も、三人も、探すことも追いかけることもなく、ただ、予定通りに、四人でダンジョンの先へと進んで行くだけだった。

「あーあ、陽真くん逃げ出しちゃったのかぁ。ちょっと残念だけど……アレが小さいと器も小さいのかな、意気地なしの女々しい奴。でも、強くなって帰ってきてくれたら、また相手してあげる」

 弱い男には何の未練もなく、『淫魔』はただ、逃げた陽真を嘲笑った。

第127話 姫野愛莉と山川純一郎

「ああ、良かった、まだちゃんと生き残りのクラスメイトがいたなんて!」

「おう、何か、久しぶりに女子とか見た気がするな」

「山川君と山田君! 二人とも、無事で良かったよ! 大変だったでしょ? とりあえず、広場でゆっくり休みましょう?」

 新たに合流した男子は、ヤマジュンと呼び親しまれている山川純一郎と、野球部のイマイチな方、山田元気の二人。ちっ、同じ野球部なら、高身長フツメンの高島君の方が良かったのに。

 でも、このタイミングで新戦力が加入するとは、実に都合がいい。

 陽真くんが逃げ出してから、少し進んで辿り着いた、大きな森林ドームが幾つも繋がるエリア。ここの攻略に、かなり苦戦しちゃってる。全く、情けないぞ、上中下トリオ。

 この辺にはすっかりお馴染みの雑魚もいるけれど、問題なのは『ゴア』とかいう恐竜みたいな魔物。体は石みたいに硬くて、簡単に剣で一撃とはいかないみたい。

 でも、恐竜だから牙とか爪とかヤバいし、凄い暴れるし、しかも必ず、群れてるし。

 正直、この三人じゃあ防戦一方で、ゴアの数が五体以上になると、逃げるしかなくなる。ぶっちゃけ、コイツらを蹴散らすための戦力が足りない。

 けれど、ここで男子二人の登場である。

 これも、淫魔の女神様のご加護ってことでいいのかな? ウフフ、だって、私が一番頑張っているんだし、これくらいのご褒美はあってもいいよね。

「上田君、中井君、下川君、久しぶりだね。無事で良かった」

「おう、ヤマジュンも、無事で良かったな」

「もし、怪我とかしていたら教えてよ。ボクは『治癒術士』だから、ちょっとした負傷ならすぐに治してあげられるよ」

「なんだよ、ヤマジュンも『治癒術士』だったのかよ。愛莉も同じだから、俺らは戦いの怪我は大丈夫なんだよな」

「あっ、そうなんだ。それじゃあ、ボクにできることは『光矢ルクス・サギタ』で援護するくらいかな。あんまり役に立て無さそうで、ごめんね」

「マジかよヤマジュン、攻撃魔法撃てるのかよ! いやー、良かったべ、やっぱりもう一人くらい、魔法撃つ奴が欲しかったんだよなぁ」

 流石は二年七組の良心とも呼ばれるヤマジュン。上中下トリオとも普通にお喋りできている。

 彼は元からクラスにおいて男女問わずに交友関係は広い。まだ馬鹿で根暗な処女だった私でさえ、ヤマジュンとは会話したことがあるくらい。

 彼の素晴らしいコミュニケーション能力は、是非とも欲しい。女子ともそれなりに仲の良かったヤマジュンは、他の男子に比べれば女への免疫は高そうだけど……ふふ、所詮はヤリたい盛りの男子高校生。『淫魔』の私にかかれば、楽勝でしょ。

「おい、この辺はもう探索してんのかよ?」

「まぁ、してるっちゃしてるけど」

「ボス部屋は?」

「まだだけど」

「何だよお前ら、雑魚に足止め喰らってんのか? 情けねぇなぁ」

「ゴアが硬くて強ぇーんだよ。山田も戦ったら分かるべ」

 早くもパーティの雰囲気を悪くすることを言っているのは、やっぱり山田元気。コイツ、フツメン以下のイモ面のくせに、やけに偉そうな言動のウザいキャラだ。俺様発言が許されるのはハイスペック超絶イケメンだけって決まってんの。まぁ、こういう身の程知らずの男って、どこにでもいるもんよねー。

 でも、そういう奴に限って、チョロいんだけど。おだてると豚でも木に登るっていうし? 山田は豚ってよりもゴリラだけど。

「まぁまぁ、これだけ人数が揃ったんだから、きっとダンジョンの攻略も上手くいくよ」

「うん、そうだよねーっ! だからみんな、仲良くやっていこうね?」

 そう、みんな仲良く私の下僕になれば、全部上手くいくんだから。ご褒美はちゃんとあげるから、汗水たらしてしっかり働いてよね、男共。




「――しゃあ! オラぁっ!」

 思いのほか、山田が強かった件について。

 ヤマジュンから聞いたけど、山田の天職は『重戦士』というちょっとレアな感じで、実際、かなり優秀な能力を持っていた。特に凄いのは、ゴアに噛み付かれても全然平気な防御力。何でも防御系のパッシブスキルが二つ重複発動しているから、異常に固いらしい。

 ゲームだと防御全振りとか絶対使い物にならないけれど……現実の戦いで、大抵の攻撃をノーダメージにできるというのは、物凄い有利よね。

 山田の文字通りに体を張った奮闘によって、上中下トリオがあれだけ苦戦したゴアの群れも、普通に撃退できるようになった。山田の防御力を前にすれば、ゴアの牙も爪も通じない。対して、『重戦士』として成長している山田は素で結構な腕力があるし、普通に攻撃系の武技も習得している。

 うん、山田、マジで普通に強いんですけど。

「山田くぅーん! すっごーい、今日は大活躍だったね!」

「お、おう、別にこれくらい、普通だし」

 私、強い男は好きよ?

 顔は全然好みじゃないというか、普通にブサメンカテゴリーだけど、山田、アンタの強さは凄く魅力的。コイツ一人で、上中下トリオ三人を同時に相手しても勝てるくらい。

 アンタのお蔭で、無事にゴアの縄張りエリアも突破できたし……ふふふ、今夜はいーっぱいサービスしてあげる。




 最初から、嫌な予感はしていた。

 姫野さんと、上田君、中井君、下川君、の四人組と出会った時、彼らの関係性は一目で分かった。そして、ソレが単なる邪推ではなく、事実であると確認するのに、三日とかからなかった。

 複数の男子の中に、女子が一人だけ。しかも、ルール無用のダンジョンサバイバルときたものだ。

 けれど、ある意味では彼らの関係性は健全であるともいえるだろう。姫野さんは、彼ら三人とほぼ公平に肉体関係を持っている。そして、三人もソレを許容している。恋人として姫野さんをとりあっているというより、風俗店を利用しているような感覚に近いのだろう。

 三人が本当に仲の良い友人同士であり、ダンジョン攻略を進める上で信頼できる戦友である、という友情の要素を差し引いて考えても、彼らが反目せずにいられるのは、姫野さんが上手く舵取りをしているからこそ。

 だからといって、このパーティが安泰だとはとてもじゃないけど言えない。男女関係の機微というのは、とても繊細で、そして、恐ろしく強固であり苛烈でもある。特にこんな状況下では、一度でも女に対する独占欲が出てしまえば、内部分裂は避けられない。

 少なくない期間、三人は上手くやってきただろうし、姫野さんもそういうつもりだったはず。何かキッカケでもなければ、そのバランスが崩れることもなかっただろうけれど……変化が訪れた。

 そう、ボクと山田君の二人が、彼らと合流してしまったからだ。

 山田君はボクの友人で、クラスでも割とよく話はしていた。彼は少しばかり口が悪いし、自己中心的な性格ではあるけれど、根は悪い人ではない。友人であるボクには、何かと良くしてくれるし。要するに、彼の中で親切にするに足る仲間・身内と認めるハードルがちょっと高いだけなのだ。だから、認めていない他の人には、自然と当たりがキツくなってしまうだけで。

 事実、ボクは山田君と二人で、無事にダンジョンをここまで進んでこられた。彼は『重戦士』として勇敢に戦ってくれたし、回復の他には戦いでは多少の援護しかできないボクに対しても文句一つ言わず、今まで守ってくれた。その行動こそ、山田君がボクという友人に対して抱く、本物の友情の証といえるだろう。ちゃんと仲良くなれば、彼はとても友達思いで、自ら苦労を背負える男なのだ。

 そんな風に、山田君の性格にはとても素晴らしい面はあるのだけれど……不運なことに、この状況下では、僕の知る彼の性格は悪い方向に働いた。

「ったく、だらしねぇぞ、お前ら。もうちっと戦いで役に立ってくれよな。気合いが足りないんじゃねぇのか」

 良くも悪くも体育会系な性分の山田君は、人の上に立ってしまうと割と平気でパワハラとかしてしまう横柄なタイプだ。

 そして、このダンジョンサバイバルにおいて、男の立場の上下を決めるのは戦闘能力の一点に尽きる。上田君、中井君、下川君、三人の力は明らかに山田君よりも劣ってしまっていた。これで、せめて対等くらいなら問題は表面化しなかったかもしれないけれど、幸か不幸か、山田君は強かった。

 だから、上下関係ができてしまったのだ。山田君は好き勝手に文句は言うし、怒鳴るし、三人の意見に耳を傾けようともしない。

 でも、三人はいざ山田君と敵対すれば敗北は避けられないから、多少の反抗はしても、それ以上は強く出られない。弱いからこそ、言われるがまま。

「こんな働きじゃあ、今日も愛莉は俺のモノってことで決まりだな」

 そして何よりも決定的なのは、山田君が姫野さんを独占し始めたことだ。

 お世辞にも優れた容姿とは言えない山田君には、当然だけれど、彼女がいたことはない。健全な男子高校生の野球部員として、性欲も旺盛。しかし、女性に対する免疫はほぼない。

 そんな彼が、姫野さんの体に夢中になるのは火を見るよりも明らかだった。

 悪いことに、姫野さんもそれを良しとした。

 恐らく、彼女は強い男に媚を売ることで、この過酷なダンジョンを生きることに決めたのだろう。

 それを、女として最低だとか、貞操観念が云々と、否定も批判もするつもりはない。こんな状況下で、一体誰が彼女の行いを責められるだろうか。

 姫野さんは、クラスで接した限りでは、とても平気で男に体を売れるような性格の女子ではなかったはずだけれど、今では何年も水商売をやってきましたというほどに、男の相手に慣れた様子。

 ひょっとして、これが姫野愛莉という女子の本性だったのかも――そう割り切ってしまいたいところだけれど、そこそこ人と接したボクの経験と直感、そして天職『治癒術士』としての嗅覚が、彼女に対する違和感を肯定してくれる。

 まだ推測の域を出ないけれど、恐らく、姫野さんは……

「こんばんは、山川君」

「ああ、こんばんは、姫野さん。珍しいね、一人でどうしたの?」

 姫野さんと男子の関係もあって、妖精広場で休息をとる際は、意図的に二人きりになれる時間というのを作っている。目安としては二時間くらい。とりあえず、本日の二人きりの休憩時間は終了しているので、ボクらは全員、安全地帯である妖精広場で就寝していた。

 眠る時はみんな好きなところで横になっていて、ボクも基本的には一人で、広場の隅にある妖精胡桃の木陰を寝床と定めている。

 そして、いつも一人で静かに眠るボクの下へ、今日に限って姫野さんがやってきた。

 それとなく周囲に視線を巡らせると、山田君は今日も姫野さん相手に張り切ったせいか、すでにぐっすりと眠りについている。他の三人も、静かに芝生の上で横になっているのを見ると、眠っているようだ。

 となると、姫野さんがボクの下を訪れた目的は、一つしかない。

「うん、ちょっと、山川君とお話したくて」

「そう、勿論いいけど、ボクも姫野さんも疲れていると思うから、あんまり遅くならないようにね」

「あはは、もう、真面目なんだから」

「そうでもないよ。真面目そうに見せてるだけ」

 ただ生真面目なだけでは、人は寄りつかない。学生同士なら、色んなバカをやってみたり、ちょっとくらい悪いコトをした方が、友情も深まるというもの。

「えーっ、そうなの? そういう風に見えなーい」

「あはは、ボクだってこう見えて、みんなと色々――なんて、話はしない方がいいかな。寂しくなりそうだし」

 もう、元の世界のことが懐かしく感じてくる。パニックを起こしたり、自暴自棄になったりしないよう、気をしっかり保ってはいるつもりだけれど……ボクだって今すぐにでも、平和な日本に帰りたい。

「ふふ、私は聞きたいな、山川君のこと」

 けれど、こうして微笑む姫野さんは、どう思っているんだろう。彼女は本当に、元の世界に帰りたいと望んでいるのだろうか。男子との絡みなんて一切ない、クラスの隅で静かにしている、地味な女子生徒の一人、という彼女の学生生活に戻りたいと、心から願っているのだろうか。

「あんまり、ボク自身のことは面白い話はないと思うけど――」

 確認の意味も込めて、ボクは姫野さんの話に乗ることにした。

 彼女に対する疑念は当初から抱いてはいたけれど、こうして二人きりで話をするのは今が初めてだ。

 姫野さんとは何度かクラスで話したことはあったけれど、恐らく、いや、まず間違いなく、あの頃の彼女と、今、目の前にいる彼女は、別人といってもいい変化を遂げているはず。

 こんな状況なのだ、変わることが悪いこととは言わない。けれど、程度の問題というのはある。そして何より、天職や魔法といった超常的な現象の存在するこの異世界において、人の心というのは、本当に精神的な影響だけで変質するのかどうか……ボクは、それを確かめたい。

「――うふふ、凄い、やっぱり山川君って、とっても顔が広いよね。こんなに誰とでも仲良くなれるなんて、物凄い才能だよ!」

 キラキラした上目づかいで、ボクの交友関係を褒めてくれる姫野さん。

 彼女はぽつぽつと語るボクの学園での話を、とても楽しそうに、そう、なかなか演技だとは気づけないほど、心から楽しそうに聞いてくれた。

 うん、ここまで上手に話を聞ける姫野さんの方が、凄い才能だとボクは思うな。こんなの絶対、山田君じゃあ気づけない。

「みんな良い人ばかりだから。大抵の人は、ちゃんと話せばそれなりに分かってくれるものだよ」

 謙遜じゃなくて、これは本当の話。

 普通の人というのは、話が通じるに決まっている。同じ日本人で、同じ価値観を持って育っている。まして同年代となれば、共通の話題は幾らでもあるんだ。差し障りなく会話するには、何の問題もない。

 勿論、普通じゃない人、話が通じない人、というどうしようもない人間も存在するのだけれど。例えば、ボクの両親だとか。

「でも、山川君はやっぱり凄いよ。人と普通にお喋りできるって、ただそれだけで凄いことなんだよ」

「ありがとう。まぁ、ボクも自分にはコミュ力くらいしか、取り柄はないと思っているし」

「それだけあれば人生大成功だよ。山川君ってホントに察しがいいっていうか、人の気持ちが分かるっているっていうか……まるで、心が読めるみたいだよね」

 ソレができたら、どれだけ良かったか。あるいは、ソレが全くできないほど、他人に対して鈍くて無関心でいられれば、ボクの人生はもっと気楽なモノだったろう。

「流石に、心が読めるは言いすぎだよ」

「でもぉ、私の考えていることは、分かるよね?」

 ほどほどに仲良くお喋りしたところで、距離を詰めてくる。オーソドックスだけど、上手い手だ。姫野さんの手が、それとなくボクの手へと重ねられた。

「うん、分かってるよ。ボクのところに来た時点で、察しはついていた」

「ごめんね、山川君が最後になっちゃって。私、ちゃんとみんなで仲良くやっていきたいなって、そう思っているの」

「ボクも同じ気持ちだよ」

「ふふ、でもね……それでも私、ちゃんと山川君の魅力は知ってるつもりだよ。だから、何も気にしないで。これは、私が好きでやることだから」

 輪を賭けて甘い声音で、男にとっては都合の良い言い訳を囁きかけてくれる姫野さん。すでに彼女の両腕はボクの体に絡み、もう、唇が重なり合いそうな距離にまで顔も近づく。

 流石にこういう経験はボクとしても初めてだけれど、なるほど、やっぱり、女の子っていうのは凄いな。男が女に溺れるのも、みんなが彼女に夢中になるのも、よく分かる。

 女性の体に触れるというのは、本当に男の本能を刺激して、どこまでも魅了するものなのだ。

「ありがとう、姫野さんの献身的な気持ちは嬉しいけれど……大丈夫、ボクには必要ないよ」

 やんわりと、彼女の体を押し返す。

 キスの寸前。ここまで行って、断られたのは初めてなのだろう。一瞬、姫野さんは驚いたような表情をした――けれど、すぐに誤魔化すような微笑みを浮かべる。

「山川君、我慢なんてしなくていいんだよ? それとも、みんなに対して遠慮してる?」

「ううん、そんなことないよ」

「それじゃあ……私って、そこまで魅力がない?」

「いいや、違う、それは違うよ。姫野さんはとても魅力的な女性だと思うけれど、それと、ボクが断ったことは別な問題だから。強いて言えば、ボクの性癖が普通じゃない、ってところかな」

「むぅー、なにそれ、ホモなの?」

 不機嫌そうな顔と声、でも、探りを入れるにはちょうどいい程度に冗談めかしている。

 ホモ、か。惜しい、凄く近いけれど、そういうのとは、少し違う気がする。

「うん、そういうことにしておいてもらえると、ボクにとっても、姫野さんにとっても、都合がいいと思うんだ」

「なーんか、納得いかなーい」

「姫野さん、ボクは君の邪魔をしない。むしろ、協力してもいいとさえ思っている」

「ふーん?」

「と言っても、大したことはできないけどね。今まで通り、空気を読んで行動するし、出来る範囲で気を利かせてあげることもできる。もし、姫野さんの方で誰と一緒になりたいか、事前に言ってくれれば、ボクの方でそれとなく二人にしてあげることもできるかな」

「あっ、ソレはいいかも。四人も相手してると、やっぱり結構、気を遣うしー」

 どうやら、姫野さんはボクを誘惑相手ではなく、協力相手として見ることにしたようだ。あからさまに、男を誘うような気配はすでにない。

「何か相談事があれば、アドバイスもするよ。逆に、ボクの相談も聞いてくれると嬉しいけどな」

「相談? なになに、例えば?」

「山田君とばかり寝るのは、そろそろやめた方がいいと思う」

「なんで? だって山田強いじゃん。トリオ三人がかりでも、山田なら倒せそうだし」

「うん、今はね。でも、天職は戦えば成長するんだ。三人がいつ、山田君の防御スキルを破るくらい強力な攻撃技を授かるか、分からないでしょ?」

「あぁー、なるほどぉ」

「仲良くやっていくなら、もう少し平等にしていった方がみんなも嬉しいし、姫野さんも力関係が変化する時に対応しやすいよ。勿論、自分の番が減る山田君は不満を覚えるだろうけど、その辺はボクがフォローしておくから」

「すごーい、やっぱ山川君、よく考えてるよねー」

「それほどでもないよ」

「ありがとね、フツーに感謝だよ。お礼に一発やっとく?」

「あはは、そうそう、ボクにはそんな感じでいいよ。みんなに良い顔するのも、疲れるでしょ」

「うふふ、それは山川君も同じでしょ?」

「ボクはほら、慣れているから」

「そっか、そーだよね。でも、息抜きしたくなったら、相手してあげる。手でも口でもオッケーだから、気軽に言ってね?」

「こうして姫野さんと話ができたから、しばらくは大丈夫そうだよ」

「遠慮しなくていいのに。本番じゃなかったら、浮気にならないから大丈夫だって」

「付き合ってる相手もいないけどね」

「でも、好きな子はいるんでしょ?」

 しまった、一瞬、硬直してしまった。

 その隙を、今や随分と男の表情を見抜くのに長けてしまった姫野さんが、見逃すはずもなかった。

「……はぁ、よく分かったね」

「そこはホラ、あれよ、女の勘ってやつ?」

 どうやら、探られていたのは、ボクの方だったのかもしれない。

 結局、その日の晩は姫野さんとこんな話だけをして終わった。そう、話だけで終われたということは……姫野さんは男と見れば食わずにはいられない、異常な能力、または精神スキルを持っているというワケではなさそうだ。

 でも、姫野さんからは怪しい気配はするのだが、ひとまず、理性的に話し合える内は、大丈夫だろうと思う。

第128話 レイナ・A・綾瀬と男達

 ヤマジュンと愛莉が語り合った日から、また何日かが経過した。ひとまず、愛莉は素直に彼のアドバイスを受け入れたようで、これまで放置気味だった三人の相手をするようになっていた。

 一方の山田はあからさまな不満を漏らしていたが、それでも友人であるヤマジュンになだめられると、実力行使に訴えるほど短絡的な行動は自制できるようだった。

 この感じなら、しばらくはやっていけそうだ。ヤマジュンは再びバランスと取り戻しつつあるパーティの雰囲気を実感し、そう思った。

 紅一点であり、最大のトラブルの元である女子生徒の姫野愛莉は、口先と体を使って男を手玉にとれるだけの能力を持つ。それでいて、ヤマジュンの意見に耳を傾ける理性と損得勘定もできる。男が五人も集まった中で、一人きりとなる女子が、むしろ愛莉で良かったとさえ思えるほど。

 きっと他の女子だったなら、こうはいかない。女が貞操を守れば、男は餓える。誰か一人に身を捧げても、選ばれなかった男の嫉妬は避けられない。あるいは、不特定多数に体を売ったとしても、果たして愛莉ほど上手く立ち回れるかどうか。

 少なくとも、ヤマジュンが知る限り二年七組の女子で、今の愛莉のように振る舞える者は一人もいなかった。愛莉が隠れた才能、または謎の能力が覚醒したことで、奇跡的に彼女が男を操るサキュバスのようになれただけのこと。

「あるいは、そうなることが、この異世界の神の意思なのかも……」

 なんて、確かめようのないことを、ヤマジュンもつい考えてしまう。

 しかし、異世界に呼び出された二年七組の生徒達、彼らの命運を神が握っているというのなら、その出会いもまた、神に定められたものなのかもしれない。

 それは、いつものように妖精広場で休息をとっている最中のことだった。

 そこで、これまでは偶然巡り合っただけの彼らだったが、初めて妖精広場に転移してくる者の様子を目撃した。

 噴水の前、広場のほぼ中央に、突如として白く眩い光で魔法陣が描かれる。すでに彼らも利用経験のある、転移の魔法陣と全く同じ文様だ。

 その魔法陣が芝生の上に踊ると共に、閃光のように白い光が弾ける。あまりの眩しさに、誰もが目を瞑り――そして、再び開いた時に、彼女はそこにいた。

「ふぅー、良かったぁ、ありがとね、エンちゃん!」

 輝くような笑顔は、きっと目の錯覚ではない。魔法陣より現れた、その小さく可憐な少女は、淡雪のように真っ白い肌に煌めくプラチナブロンドのツインテール。そして、爛々と輝く大きなスカイブルーの瞳は、子猫のように大きく円ら。

 金髪碧眼のクラスメイトなど、二年七組にはたった一人だけ。その姿を、他の誰かと見紛うことはないし、彼女の容姿を忘れることもありえない。

 レイナ・アーデルハイド・綾瀬。

 美少女揃いの二年七組にあっても、一二を争う最高の美貌を誇る女子生徒が、ここで合流することとなったのだった。




「な、なに……なによ、これ……」

 姫野愛莉は、異世界召喚される前の冴えない地味な女子生徒に戻ったかのような錯覚に襲われていた。

 妖精広場の噴水、その縁にちょこんと腰掛ける金髪美少女レイナ。そして、彼女の前に傅くように集まる、男達。

「うぅ……怖かったよぅ……早くユウくんに会いたい……」

 どこまでも庇護欲をそそる、か弱い乙女のすすり泣き。その声音は、良くも悪くも戦いに慣れた、勇敢な男子生徒諸君の心に火をつける。

「大丈夫だよ、レイナちゃんのことは、俺が絶対守るから!」

「そうだ、俺らと一緒なら安全だから」

「戦いにも慣れてるからな、俺らはかなり強いぜ」

「レイナちゃんは、ただ俺達についてくるだけでいいべ」

 愛莉も聞いたことがないほど、彼らの言葉は勇ましさと優しさと、くどいほどの甘さに溢れている。

 レイナがこの妖精広場に現れてから、まだ五分と経ってはいない。

 だが、今や男子連中はすっかりレイナに夢中。本来なら、同じ女子である愛莉が率先してレイナに声をかけて、話をしていくべきなのだが、あまりの彼らの熱狂ぶりに、全く入り込む隙がなかった。

 結果、愛莉だけ噴水から離れ、一人で様子見という寂しいポジション。それは、単に蚊帳の外という疎外感だけではなく、玉座から転がり落ちた女王の気分に近い。

 噴水に座るレイナと、彼女を囲む男、そして、その外側にいる自分。この立ち位置が、イコールでパーティ内での序列を現すのだと、無意識的に理解してしまった。

「まぁまぁ、皆ちょっと落ち着いて。綾瀬さんも大変だったようだし、まずは落ちついて、ゆっくり休んでもらった方がいいんじゃないかな」

 男の中でも、ヤマジュンだけが冷静で建設的な意見を出すが、登場から僅か五分で姫の座から転落した愛莉としては、最早、冷静に同意することもできはしない。

 レイナがパーティに加わるのか。冗談じゃない。

 愛莉は恐れた。レイナ・A・綾瀬、ただ彼女がそこにいるだけで、このダンジョンに落とされてから、築き上げた己の魅力と努力の結晶が、脆くも崩れ去ろうとしていることに。

「お、落ち着け、私。まだ、慌てる様な時間じゃない……」

 あざといほど悲劇のヒロインぶる涙のレイナを見るだけで、怒りで目の前が真っ赤になりそうだが、愛莉の理性はどうにかそれを抑え込むだけの力がまだ残っていた。

 認めよう。確かに、レイナ・A・綾瀬は可愛い。美貌という点では、自分と彼女とでは天と地ほどの差がある。そんなの、分かり切っていたこと。

「ふ、ふふ……頭の中お花畑のアンタは知らないでしょ。所詮、男ってのは性欲の塊なのよ」

 私には、まだ体がある。

 可愛い見た目だけでは、男の性欲は満たされない。実際に触れて、女の体で奉仕してやることで、初めてソレが満たされる。

「蒼真悠斗のことしか眼中にないアンタじゃあ、他の男の相手なんてできるわけない」

 けれど、私はできる。事実、今までもそうしてきたし、これからもそうするつもり。

 容姿が劣っているなど百も承知。体を使って、強い男に取り入ること。それが、愛莉が身に着けたダンジョンでの能力であり、生存戦略。

 そう『淫魔』である自分しか、餓えた男達を満たしてあげることはできない。

「ふん、せいぜい今だけ、ちやほやされてりゃいいのよ……どうせアンタみたいな他人に気の一つも使えない天然ワガママ女なんて、すぐに面倒くさいお荷物になる。可愛いだけのアンタは、女としてじゃなくて、ただのペット扱いがいいところよ」

 男に性欲という、決して切り離せない生理的欲求が存在する以上、愛莉の女としての価値は絶対だ。どうせ高嶺の花など見ているだけで、男なら必ずヤラせてくれる手近な女を選ぶに決まっている。

 それは、これまで彼らと少なくない回数、体を重ねてきた愛莉が感じた、真理である。

「――いや、今日はいいわ」

 しかし、その日の晩、愛莉は山田に断られた。

「えっ……ど、どうしたの、山田君? もしかして、体調が悪いの?」

 的外れなことを聞いていると、自分でも思った。すでにして、愛莉は気付いている。

 いつもなら、一も二もなく覆いかぶさってくる、盛った野良犬のような山田だが……今、愛莉を見る目には、まったく情欲の色が映っていない。

 まさか、ありえない。思いつつも、認めざるを得なかった。

 男の性欲という真理が、今正に、覆ったのだと。

「おい、レイナちゃんがいるんだから、もうこういうのはあんまよくねーだろ」

「なに言ってるの、山田君。我慢するのは良くないよ。あの子だって寝てるし、いつもより静かにやれば大丈夫だし――」

 と、いつものように山田の体へ両腕を絡ませるが、それはすげなく振り払われた。

「うるせぇな、とにかく今はそんな気分じゃねーんだよ。いいから今日は寝ろって」

 禁欲の決意は固い、とでも示すように、山田は目を瞑り、愛莉に背を向けて転がった。

「う、嘘……嘘よ、こんなの……」

 山田が自分を拒絶した。正常な性欲を持つ男が、この『淫魔』である愛莉を前に、断った。

 今だけ、こんな反応は、きっとレイナがやってきたばかりの今だけに決まっている。三日もたてば、我慢の限界で必ずしたくなる。男の性欲は、絶体――

「うーん、今日はやめとくわ」

「いやー、レイナちゃんがいるしなぁ」

「こういうのは、もう控えた方がいいべ」

 次の日は上田、その次の日は中井、そしてまた次の日は、下川に断られた。さらに翌日、三日が経過し、禁欲など限界であろう山田へ再び誘いをかけたが……

「俺、もうお前とはヤラねぇ……レイナちゃんに、ダセェところは見せられないっつーか、後ろめたいことは、したくねぇ」

 覚悟を決めた男の目で、そんな自分勝手な宣言を愛莉は突きつけられた。

「ふ、ふっ、ふざけんな、このクソ野郎! 今まで散々ヤラせてやったってのによぉ、どの口が誠実ぶった戯言ぬかしてんだ! なにがレイナちゃん(ハート)だよ、腐れロリコンかよテメーは、キモいんだよ、自分の顔考えてモノ言えよ! なに、好きなの? レイナちゃん(笑)のこと好きなの? ガチ恋なの? 無理に決まってんだろ、頭湧いてんのかよ、鏡貸してやるからもう一回よく自分のブサイク面を直視しろ。大体、あのぶりっ子クソロリ女は蒼真悠斗のことしか見てねーから、お前らなんか眼中にないから、尽くすだけ無駄だから。命張ってアイツ守っても、何の見返りもねーし、ありがとうの一言も言えるかどうか怪しい奴だって。そんなドクズ相手にマジになるとかイカれてるから、現実見ろよ、お前みたいのは、いいから黙って私を守ってりゃいいんだよ。大体、あんだけ好きにヤっておいて、今更、真面目に恋愛なんかする権利なんかお前らにはねーから! アホみたいな夢みてないで、私を見ろ! 私に尽くせ! バカな男共はみんな、私の奴隷やってりゃいいんだっての!」

 なんて、怒り狂って叫ぶはずだった罵声を、喉元ギリギリで抑え込む。

 愛莉は自分の立場を理解している。男の力を借りねばならない彼女は、究極的には男の機嫌を損ねるワケにはいかない。感情的に怒って喚くだけでは、男の気持ちを戻すことはできない。

 自分にあるのは、男をその気にさせて気持ちよくさせてやることだけ。決して、自らの命令を一方的に従わせる、洗脳のような強制力はないのだ。

 故に、女として、『淫魔』としての魅力が通じなくなった今……姫野愛莉は、正に無力な女子生徒に戻ってしまったのだった。




 レイナ・A・綾瀬を加え、ダンジョン攻略は続く。

「しゃあ、行くぞテメーら!」

「おう!」

「やってやるぜ!」

「へへっ、レイナちゃんにいいとこ見せるべ」

 戦闘担当の男達の士気は高い。彼らは武勇を競い合うように、勇ましく魔物へと挑みかかり、蹴散らしていく。

 決して、戦いで一番活躍した者が、レイナからご褒美がもらえるというワケではない。彼女は一切、彼らに何も与えない。レイナはただ、見ているだけ。

 応援することも、励ますことも、まして、戦いに疲れた彼らを労うこともない。

 それでも、彼らは嬉々として戦う。

 何故か――決まっている、レイナが魅力的だからだ。

 彼女が何も与えなくても、男は尽くす。ただ、彼女が見ているというだけで、尽くしてしまうのだ。

 男にとっては、それでいい。何も得るモノがなくとも、心はそれで満たされるのだから。

 しかし、そんな悪魔的な魅力を放つ女を、同性たる別の女が見れば、どう思うか。

「くそ、くそ……クソクソクソクソ……」

 嫉妬に狂うとは、正にこのこと。

 己の女としての魅力を武器にする『淫魔』である姫野愛莉は、同じく女の武器を無自覚に使うレイナを前に、手も足も出ず圧倒的な敗北を喫したのである。

 愛莉は、自分の体まで使って、ようやく彼らを味方につけた。だというのに、レイナは自ら一切何もせず、ただ悲しそうにすすり泣いてグズっているだけで、男全員を従わせたのだ。

 これを同じ女として、屈辱じゃなくて何というべきか。理不尽、圧倒的理不尽。

 女性であれば、容姿の格差、というのは誰でも身に染みて理解できている。男とて、イケメンとブサメンの格差など言われるが、女性のソレに比べれば無きに等しいレベルだろう。

 分かってはいる。とっくに分かり切っている、女性として至極当たり前の格差はしかし……今、この時ほど姫野愛莉は憎んだことはない。

 そして、その憎悪に近い強烈な嫉妬心の向かう矛先は、当然、一つしかない。

「クソ、クソ……レイナ殺す、マジで殺す」

「ちょ、ちょっと、落ち着いて、姫野さん」

 今すぐ噴水でちやほやされているレイナを、渾身の『光矢ルクスサギタ』でスナイプしないのは、ひとえにヤマジュンの甲斐甲斐しい説得の成果である。

「お、おち、落ちついてなんて、いられるワケないでしょ!」

「声が大きいよ、今、騒ぎになったら、よくないことになる」

 ギリリ、と歯ぎしりして、愛莉は押し黙るより他はない。ヤマジュンの言う通り、あまり大声で騒ぎだすのは得策ではない。

 演技なのかマジなのか、ともかくレイナはとんでもなく怖がりだ。魔物でなくとも、同じクラスメイトが大声でわめき散らせば、それだけで怯えて泣きだすかもしれない。そうなれば、今やレイナの虜となっている男連中の敵意が、一斉に向けられるのは自明の理だ。

「姫野さんの気持ちは分かる、なんて安易には言えないけれど、今がどういう立場にあって、姫野さんがとても辛い気持ちを味わっているというのは、分かっているよ」

「そう、そうだよ……そうなの……私、辛い、こんな仕打ち、耐えられないよ!」

 うんうん、とヤマジュンが優しく肩を抱くと、愛莉は静かに泣き始めた。そのまま、恋人のように抱きしめながら愛莉をなだめ続ける。

 彼女が泣きやむ頃には、すっかりパーティメンバーは寝静まっていた。

「姫野さん、辛いとは思うけれど、今は耐えるしかないよ。とにかく、女子が綾瀬さんと姫野さんの二人だけ、っていう状況が悪いんだ」

「無理、無理だよぉ……もぅ、マジ無理ぃ……」

 今にも手首を切りかねない、落ち込み具合の愛莉。ヤマジュンはそんなダウナー状態の彼女を相手にしても、嫌な顔どころか、溜息一つつかずに、親身になって励まし続けた。

「ボクらが合流したのはつい最近だし、きっとそう遠くない内に、他のクラスメイトとも会えると思うんだ」

「でもぉ、そんなの、いつになるか分かんないじゃん」

「ボクらみたいな普通の生徒でも、天職の力があれば、こうして進んで来れたんだ。他のみんなも必ずダンジョンを進み続けている。だから、絶対にまたクラスのみんなが集まる時が来るよ」

「……本当?」

「本当だよ。そうしたら、もう姫野さんは、何も辛い思いをしなくてもいいし、無理をしなくたっていい。だから、それまで一緒に頑張ろう」

 ヤマジュンの言う通り、努力はした。愛莉は頑張った。

 極力、レイナのことは無視して、気にしないように、意識しないように努める。けれど、ついこの間まで自分の体に夢中になっていた奴らが、甘い声でレイナに媚を売っている姿を見る度に、フツフツと腸が煮えくり返るような憎悪と、再び彼らを振り向かせるだけの魅力はない自分のブサイク加減に絶望しそうになる。

 それでも、何とか耐えた。ヤマジュンが励ましてくれたから。自分は魅力的な女性なんだと、抱きしめて寝てくれたこともあった。

『淫魔』としての本能か、ヤマジュンとヤってみたくて堪らなかったが、愛莉の人としての理性が、ただ母親のように優しく抱きしめて添い寝してくれる彼に対して、襲い掛かるのを止めてくれた。

 愛莉は理不尽な現状に耐え、女としてのプライドもギリギリで保ち、何とかダンジョンを進み続けたが――張りつめた糸のような我慢は、ちょっとしたアクシデントで、切れてしまうものだった。

 その日その時、ついに限界が訪れる。

「キャァーっ!」

 けたたましい、レイナの悲鳴が響きわたる。耳障り極まる彼女の悲鳴だが、この状況下においては、気にするだけの余裕もなかった。

「キョォアアアア!」

「バウ! バウバウッ!」

 襲いかかって来た魔物は、ラプターとゴア。ここは、とうとうダンジョンを抜けたのか、外に広がるジャングルだ。

 おっかなビックリ、どこまでも開けた広大なジャングルへと分け入った、すぐ後のことである。

 まず、前方にラプターの群れが現れ、戦闘が始まった。順当に男四人で対処できる強さと数。しかし、ここで獲物の横取りを狙ってか、背後からゴアの群れが奇襲をしかけてきた。

「うぉおおおお! レイナちゃん、大丈夫かっ!」

 真っ先にフォローに駆けつけたのは、山田である。ラプターの残りは三人に押し付け、自分だけレイナのピンチに登場する美味しいとこ取りだが、ゴアと正面きってやり合える力を持つのは『重戦士』の彼だけである。

 最善の迎撃体勢ではあるが、山田一人だけでは止められるゴアの数も限られた。

「バウッ! バォオオオアアアアッ!」

「いやぁああああああああああああっ!」

 大口を開けて迫りくるゴアを前に、死ぬほどの絶叫を上げる愛莉。これまで最優先で守られていたのが、レイナ中心の陣形になったせいで、愛莉は自然と敵の接近を許しやすい立ち位置にまで追いやられてしまったのだ。

「いや! 助けて、死ぬ! マジ無理っ!」

 正に死にもの狂いの叫びをあげながら、無様に転がるように愛莉は安全地帯を求めて走る。

 山田の近くは危険。最前線。上中下トリオも諦めの悪いラプターの群れと戦っていて、まだまだ危ない。ヤマジュンは果敢に光魔法でゴアに対して応戦しているが、攻撃をしているだけ、ゴアの注目も引いて狙われやすい。

 当然、最も安全な場所は、中央に位置するレイナの傍。なにより、彼女の『精霊術士』としての能力によって呼び出された、強力な霊獣『エンガルド』が控えているのだ。

 最悪、ラプターかゴアに突破されても、とんでもなく強い炎魔法を行使する獅子のエンガルドがいれば、どうとでも防げる。レイナは『重戦士』山田よりも遥かに強くて頼りになるボディガードを引き連れているのだから、彼女の安全は絶対的に保障されている。

 これまでの道中で、すでにレイナの力を理解している愛莉は、一目散にレイナの下へと向かった。

「ガアッ!」

「ひゃああっ!?」

 しかし、飛び掛からんばかりの勢いで走って来た愛莉を危険とみなしたのか、エンガルドは獰猛な牙を剥き出しにして威嚇。人の言葉は通じない獅子の精霊だが、これ以上近づくと命はない、という意思はこれ以上なく明確に伝わった。

「ちょ、ちょっと、何でよ、助けてよ! 今はヤバいんだって!」

「キャァー、いやぁー、怖いよぉーっ! ユウくん助けてぇーっ!」

 必死にピンチを訴えかけるが、安全圏にいるはずのレイナ自身が、子供のように泣きわめいていて、まるで話が通じない。

 無理に通れば、エンガルドは容赦なく愛莉に噛み付く。愛莉も護衛対象として受け入れさせるには、レイナの命令が必要。

 しかし、そのレイナが全く聞く耳を持てなければ……

「バウバウっ!」

「うわぁああああああああああっ! 『光矢ルクス・サギタ』ぁああああああああっ!」」

 人間、追い詰められれば、何でもやるものだ。この時、愛莉は初めて、魔物に対して攻撃魔法を放った。彼女にとっての、初戦闘である。

「はぁ……はぁ……」

 気が付けば、戦いは終わっていた。どうやら、ラプターもゴアも、不利を悟って退散したようだ。

 愛莉は呆然としていて、ほとんど戦っていた記憶がない。ただ、ひたすらに目の前に迫って来たゴアに向かって、魔法をぶっ放していた、ような気がするだけ。

 けれど、それが曖昧な夢ではなく確かな現実であると、魔力を消費した疲労感が証明してくれる。そして何より、命の危険を感じた鮮明な恐怖が、脳裏に焼き付いて離れない。

「レイナちゃん、大丈夫だったか!?」

「怖い思いさせて、ごめんな」

 そんな男共の声を聞いて、同時に、思い出す。

 そうだ、レイナ、あの女が……

「えっ、なに、姫野さん、どうしたの?」

 愛莉は無言でレイナに近づいた。彼女を囲む、山田と上田の間に強引に割り込んで、レイナの前に立つ。

 戦いが終わって、エンガルドはもう魔法陣に戻っている。ボディガードはいない、今だからこそ、その一撃は実現した。

 パァン! と、乾いた音が静けさを取り戻した密林に響き渡る。

 見事なまでの、平手打ち。

 姫野愛莉、渾身のビンタが、レイナの小さなほっぺたに炸裂した。

「ふぇっ、えっ――」

「このクソアマがぁっ! よくも私を見殺しにしようと――」

 頬をぶたれてレイナが大泣きするのと、罵倒と共に殴り掛からんと再び愛莉が手を上げるのは、ほぼ同時だった。

 突如として発生した、女同士の仲間割れ。だが、目の前でレイナが叩かれた、というだけで、山田以下、男子の行動は早かった。

「おいっ、なにやってんだよお前!」

「やめろって!」

 二度目のビンタが叩き込まれる前に、山田と上田が慌てて愛莉を取り押さえる。

「あああぁーっ! クソっ、レイナぁ、テメーマジで許さねーからなぁーっ!」

 聞くに堪えないレイナへの罵詈雑言を発しながら、鬼のような形相で暴れる愛莉。髪を振り乱し、全力でもがく愛莉だが、今や天職の力で腕力も増大した男二人に抑えられれば、身動きがとれなくなる。

「ふぇえーん、ええぇーん! 痛いよぉーっ!」

「綾瀬さん、大丈夫、大丈夫だから! ボクがすぐ治すからね――『微回復レッサーヒール』」

 ヤマジュンが真っ先にレイナの治療、というにも大袈裟だが、ともかく彼女の相手を優先したのには、理由があった。

 これ以上、レイナが泣きわめくままにしておけば、彼女に仕える忠実なシモベたる霊獣が黙ってはいない。今、どれか一体でも現れれば、レイナをぶった犯人である姫野愛莉の命はない。最悪の場合、周囲の者全てがレイナを泣かせる敵と断じて、襲い掛かってくるかもしれないのだ。

 霊獣はレイナの言うことを理解しているし、並みの動物よりも遥かに高い知能を持っていると判断できるが、人の言葉が通じない以上、いざという時に話し合いでの解決は不可能。機嫌を損ねた時点で、誤解を解く機会もなく、強制バトルに突入である。

 ヤマジュンはそれとなく、レイナから漂う魔力の気配で、もう次の瞬間にはエンガルドが飛び出してきかねない雰囲気を察していた。

 故に、とにかくレイナを落ち着かせるのを最優先として、治癒魔法でビンタの痛みを消すことにしたのだが――その対応が、愛莉の心を傷つけた。

「そんな……山川君も、レイナの味方、なの……」

 怒り狂いながらも、愛莉は心のどこかで、期待していた。言い逃れできないほど、レイナから理不尽な仕打ちを受けた今こそ、自分は彼女を糾弾する権利がある。そして、それをヤマジュンだけは擁護してくれる、味方であると。

 しかし、真っ先に泣きわめくレイナの傍へ駆け寄り、治癒魔法を施すヤマジュンの姿が、愛莉の身勝手ながらも、確かな信頼を裏切ったのも、また事実。どうして、自分の傍に来てくれないのか、助けてくれないのか、レイナが悪いと、言ってくれないのか。

 その絶望は、とうとう愛莉から怒りで暴れるだけの元気を奪い去る。

「ふ、ふふっ……そう、そういうこと、どうせ、私なんて……ふふ、うっ、うぅうう……」

 突然、暴れるのを止めて、メソメソと泣き始めた愛莉に、困惑しつつも、山田と上田はとりあえず解放した。

 拘束を解かれた愛莉は、崩れ落ちるようにその場にへたり込み、両手で顔を覆って泣きだした。

 だが、そんな悲痛な姿を、山田も上田も一顧だにしない。すでにして、二人の注目はレイナに向けられていた。

「レイナちゃん、大丈夫か? 痛くない?」

「すげー音してたからな、腫れてないべか」

「治癒魔法をかけたから、もう痛みも何もないよ。これで大丈夫だから」

「けど、ヒデェことしやがる」

「可哀想に、レイナちゃん」

 ああ、またしても、レイナは男達に囲まれてる。涙で霞む視界の向こうで、愛莉はその光景を眺めていた。

 身に沁みるほどの疎外感と孤独感。どこにも味方なんていない。

 けれど、愛莉にとっての不幸は、そこで終わりではなかった。

「おい、レイナちゃんに謝れよ、愛莉!」

「いきなり平手打ちかますとか、どうかしてるぜお前!」

「そうだ、謝れ!」

「これはいくらなんでも姫野が悪いべ」

 その言葉は、さながら罪人に振るわれる鞭のように、愛莉を打ちのめした。雷に打たれたようなショックに全身が震える。

「なっ……あ……」

 何故、自分が責められなければいけないのか、愛莉は本気で分からなかった。ワケが分からない。

 自分はさっきの戦闘で、死にそうになったのだ。ゴアが目の前まで迫っていて、あの恐ろしい大口に、今にも咬みつかれそうで。本気で、死ぬと思った。

 だから、助けを求めた。

 けれど、それを拒絶したのはレイナの方だ。助ける力がありながら、私を見捨てようとした。いや、あのタイミングで拒絶するなど、間接的な殺人も同然だ。

「あっ、違っ、私……悪くな……」

 私は悪くない。助けようともしなかった、レイナが悪い。

 けれど、言葉となって出てきてくれない。胸がつかえて、息が苦しくて、思いは上手く声になってくれない。

「謝れよ!」

「謝れ!」

「お前、レイナちゃんをぶったんだぞ!」

「いいから早く謝れって!」

 糾弾の言葉、一つ一つが鋭い刃となって、愛莉の心を貫く。

 どうして、どうして、どうして――私は何も、悪いくないのに!

「待って、みんな、落ち着いてよ! 姫野さんだって、さっきの戦いで危なかったから、少し混乱してしまっただけで――」

 愛莉には、もう何も聞こえなかった。

 レイナは誰のことを省みることもなく、メソメソし続けるだけで。山田も上中下トリオも、そんな彼女の姿に、怒り心頭で愛莉を責めるだけ。ヤマジュンのなだめる言葉は、虚しく響く。その理性的な正しい言葉は、レイナにも山田にもトリオにも、愛莉にだって、届くことはなかった。

 ここが、限界だった。ただでさえ、我慢の限界。その上さらに、お前が悪い、謝れよ、なんて責め立てられれば――

「あぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 今度こそ、本当に狂ってしまったかのような絶叫をあげて、愛莉は走り出した。いや、逃げたのだ。現実から。あまりに、自分に対して冷たく厳しい、残酷なほどのリアル。

 そんなものから逃げ出して、何が悪い。

「あっ、待って、ダメだ、姫野さん!」

 あまりに突然の逃亡に、一瞬、呆気にとられたのがまずかった。ヤマジュンが慌てて彼女の背中を追おうとした時には、もう、深く生い茂る密林の影に、僅かに翻るセーラー服のようなものが見えただけだった。

「姫野さん、戻って! お願いだから、早く、戻ってきてれくれーっ!」

 ダンジョンで一人はぐれることの危険性など、今更、言うまでもない。だがしかし、そんな当たり前のことも忘れて、愛莉はただ、何もかもから逃げ出したくて、走り始めてしまった。

 どうしようもないほどの自暴自棄。省みる余裕などあるはずもなく、ただ怒りと絶望とに狂いそうになりながらも――しかし、悲しいほどに卑しい、人間としての生存本能は、残っていた。

「キョァアアア!」

「ひいっ!?」

 不意に、耳に届いたラプターの鳴き声に、愛莉は我を取り戻した。

 そして、その時には何もかもが手遅れだった。

「ひっ、あ……ヤダ……どこ、ここ……」

 右を見ても、左を見ても、アマゾンのジャングルが如き深緑の密林。しかし、仲間の姿はどこにもない。声も聞こえない。

 代わりに響いてくるのは、獰猛な魔物の鳴き声のみ。ラプターの甲高い鳴き声が、そこかしこから聞こえてきた。

「あ、ああぁ……やだ、やだやだ、無理だから、ホント無理だからぁ」

 ことここに至って、ようやく愛莉は現実を見つめ直す。

 耐えがたい精神的苦痛から逃げ出した結果、愚かにも、心どころか、命そのものを散らす危険な状況に、自ら足を進めてしまったのだと。

 元『治癒術士』にして『淫魔』の愛莉に、戦闘能力は使い慣れない『光矢ルクス・サギタ』一つきり。とても一人では生きてはいけない。そんなこと、分かり切っていたから、体を売って男に取り入って来たのだろう。

 だというのに、愛莉は自ら、その命綱たる男の庇護を捨ててしまったのだ。

「キョア、キョァ」

「キオオッ、アアー」

 一人きりの愛莉を、チョロい獲物だと判断したのか。あるいは、先ほど戦った群れの生き残りで、彼女を知っていたのか。

 ラプターは堂々と緑の茂みを割って、愛莉の前に姿を現した。

「ひ、ひいいいっ!?」

 完全に四方を囲まれている。囲まれてなどいなくても、愛莉に勝ち目はない。

 絶対的な命の危機、真の恐怖を前に、愛莉の頭の中は真っ白。最早、馬鹿なことをしたと後悔する余裕も、レイナに恨みの炎を燃やす気力も、根こそぎ奪われている。

 あっ、死んだ。最後に頭の中に残ったのは、どこまでも冷静で現実的な、つぶやきだった。

「――『炎砲イグニス・ブラスト』っ!」

 その時、紅蓮の猛火が目の前を駆け抜けて行った。鮮やかな赤い炎は、今にも飛び掛からんとしていた餓えたラプターの姿を、一気に塗りつぶしていく。

「キョァオオオアアアアアっ!」

「はぁあああああ――『双烈ブレイザー』っ!」

 揺らめく炎の向こう側で、連続した剣閃が瞬く。轟く、ラプターの悲鳴。次々と血飛沫が舞い、的確に、迅速に、踊る刃はラプターを屠っていった。

「キアアアアアアアアアアっ!」

 突然の乱入者を前に、危機を察知したラプターは一目散に逃げ去っていく。敵が去ったのを見届けたようなタイミングで、密林で燃え盛っていた炎は急激に衰えて行き、あっという間に消えていた。

「あっ……」

 そして、幻のように消え去った炎の壁の向こうに、一人の少年が佇んでいるのを、愛莉は見た。

「あっ、あー、えっと……愛莉、大丈夫?」

 間の抜けた、ちょっとしまらない声をかけるのは、眼鏡の少年。

「は、はっ、陽真くぅうーん!」

 かくして、『淫魔』姫野愛莉は、『魔法剣士』中嶋陽真と、元鞘に収まるのだった。

第129話 密林の遺跡群

 宮殿エリアのボス、身長3メートルほどもある大型のリビングアーマーは他の奴らとは比べ物にならない腕前と装甲を誇ったが……装備を整えた、俺達の前にあえなく敗れ去った。

「何というか、数は力ね」

「ああ、これなら正直、最初に遭遇した三人組の方が手ごわかったよ」

 やや拍子抜けしたように言う委員長の台詞に、俺も同意する。

 多少大きいとはいえ、相手はボス一人だけ。対して、こっちは全員がボスへ集中できる。これまでで最も強い戦闘能力を持つだろう相手だったが、結果はほぼ完封だった。

「すまない、双葉さん。君に一番、負担をかけてしまった」

「ううん、盾があるから平気だよ。それより、蒼真君の光の剣があるから、こんなに楽に倒せたと思うな」

 笑顔で応える双葉さん。

 トドメは俺の『光の聖剣クロスカリバー』からの『刹那一閃ネロ・ライトニング』だったのは確かだ。しかし、それはあくまで真正面から双葉さんがボスを抑えてくれていたからこそ、クリティカルヒットさせることができたに過ぎない。

 多少、慣れてきたとはいえ、『光の聖剣クロスカリバー』を解放すると、その激流のように迸る魔力に振り回されてしまい、完全に制御するには程遠い。ダンジョンでの戦いを重ねて、俺自身も強くなっているはずなのだが、その成長に従って『光の聖剣クロスカリバー』の威力もさらに増大していっているように感じる。

 きっと、ただ自分が強くなるだけでは、この光の剣を完璧に操ることはできない。剣術と同じように、さらなる鍛錬を重ねるか……あるいは、全く別の何かが必要なのだと思う。

 ともかく、そんな不完全ながらも俺の持つ最大威力の攻撃を当てるには、仲間のアシストが必要不可欠なのだ。今回はその役目を、ほぼ双葉さん一人に任せきりになってしまった感じである。

 鮮やかな勝利に、浮かれている場合じゃない。反省すべき点は、いくらでもあるだろう。

「ほらほら、反省会は後回し。今はさっさと、転移してしまいましょう」

 手をパンパンと叩いて、委員長が実に委員長らしく場を仕切る。すでに回収したボスのコアを掲げて、俺達は宮殿エリアを脱するのだった。

「――今度はジャングルか」

 次に俺達が飛ばされてきたエリアは、密林としか言いようのない場所であった。

「屋外で開放的なのはいいですが……少し、暑いですね」

「ねぇねぇ、外に出てるってことは、ダンジョンの奥から離れてるってことなんじゃないの?」

「それはどうかしら。私達が今まで進んできたダンジョンとは繋がっていない、全く別のエリアが、この先にあると考えれば辻褄は合うわ」

「この魔法のコンパスとやらを信じれば、だがな」

「うーん、小鳥はこのコンパスあってると思うよ。だから、委員長の言う通りだと思うな!」

 この異世界に来てから、初めて太陽の登る青空が広がる外へと出たことで、色々と憶測が飛び交う。もしかしてあらぬ方向に出てしまったのでは、という夏川さんの疑惑ももっともだが……俺としては、ごく普通に青い空と緑の大自然が広がっている光景が確認できて、それだけで一安心だった。

「とりあえず、例の『天送門』がダメでも、このジャングルからそのまま歩いて脱出することもできそうで良かったよ」

「そうね。外が極寒の雪山とか灼熱の砂漠だとか、あるいは、もっと酷い環境っていう可能性もあったから」

 こういうジャングルならばサバイバルしつつ進んで行くことはできそうだと、委員長も同意してくれた。

 この異世界には、少なくともアストリア王国という人間の国家が存在していることは聞かされていたが、実際に外がどうなっているかは分からなかった。実はこの世界で人が生きていける空気と水と適度な温度が保証されているのは、ダンジョンの中だけで、外はエイリアンのような魔物が跳梁跋扈する荒廃した環境……なんて、SF的な状態も想像してたりした。

「ああ、ちょっと希望が見え――」

 その時、けたたましい咆哮が響きわたる。ビリビリと腹の底から震えがあるような、圧倒的な気配を持つ巨大な鳴き声。

 なんだ、と思った次の瞬間、俺達の頭上を、途轍もなく大きな影が飛び去って行った。

「今のは……まさか、ドラゴン?」

 見えたのは、本当に一瞬だったが、そうとしか思えない姿だった。鋭い角の生えたトカゲのような頭部に、細長い首。そして何より、大空に広がる巨大な翼。

 太陽の光を浴びて、キラキラ輝く鱗は鮮やかな赤色だった。レッドドラゴンとか火竜とか、そんな名前が相応しい、ファンタジーで思い描くイメージ通りのドラゴンであった。

「あんなのが沢山、空を飛んでいるっていうなら、外を行くのはダンジョンを進むより危険かもね」

「そうだな、やっぱり、外に脱出は最後の手段と考えておこう」

 そんな情けないことを委員長と話す一方、

「……ドラゴンのお肉って、美味しいのかな」

 なんて、空を見上げてポツリとこぼす双葉さんは、どこまでも肝が据わっていた。




 巨大なドラゴンさえ空を飛ぶ、危険なジャングルエリアの探索を始める。

「キキーっ!」

 と、奇声を上げながら、真っ先に襲いかかって来た魔物は、鋭い爪を持つ猿だった。かなり数が多く、ピョンピョンと木の上を飛び交いながら、頭上からも同時に襲い掛かって来るが……今更、その程度の攻撃で、どうこうなる俺達ではない。

 俺も明日那も夏川さんも、飛びかかってくる順に切り伏せればそれで済む。双葉さんなんて盾で飛び込んでくる猿を弾き飛ばしていた。彼女のシールドバッシュを喰らった猿は、大型トラックにでも激突されたように酷い有様だ。

 慎重に木の上で隙を窺ってる奴らには、桜が光の矢を放って、眩しいフラッシュを炸裂させれば、それだけで目がくらんでバタバタと落ちてくる。

 瞬く間に群れが半分ほど壊滅し、いくらなんでも敵わないと悟ったのだろう。猿は撤退していった。

「このお猿さん、ゴーマと同じくらいのレベルの魔物だから、コアは全然とれないよ」

「それでは、解体の手間は省いて、先に進んだ方が良さそうですね」

 小鳥遊さんの『魔力解析』は、それなりの魔物や魔法を見てきたことで成長しているらしく、今ではコアの有無も、一目で分かるという。魔物の強さは、頑強な肉体もさることながら、魔力の影響も大きい。だから、魔力の高い奴は、まず間違いなく強い。

 もっとも、魔力がみなぎるほどの魔物だったら、俺達も直感だけで、ヤバいと判断がつくけれど。

「ねぇ、あそこの木になってるの、バナナじゃないかな」

「そうかもしれないけど、食べない方がいいわよ、双葉さん。毒があるかもしれないし」

「小太郎くんがいたら、食べられるかどうか分かったのになー」

 双葉さんは、猿の死体には目もくれず、木の上になってる大きなバナナのような果実が気になって仕方がない模様。ややサイズは大きいものの、確かにバナナそっくりで、食べられるような気がするが、委員長の言う通り、食べるべきではないだろう。

「変なモノを食べるリスクは冒せないわ。お腹を壊しても、治癒魔法で治せるかどうかは分からないから」

「んー、バナナ……」

 物凄く名残惜しそうにバナナを見つめる双葉さんには悪いけれど、ここは手出しをせずに、先に進もう。

 それからは、猿と同じ程度か、ちょっと強いか、といったほどの魔物としか遭遇しなかった。赤犬の亜種のような、緑の野犬をはじめとした獣型。ラプターやゴアといった恐竜型。たまに、大きなアシダカグモのような昆虫型の魔物とも、遭遇した。基本的には群れで行動し、魔法など特殊な攻撃をする個体はいなかったので、どれも問題なく返り討ちにできた。小鳥遊さんの『魔力解析』で、コアが出そうな奴だけ解体しつつ、俺達はジャングルをさらに進む――すると、鬱蒼と生い茂る深緑の景色に、変化が訪れた。

「なるほど、確かにこのジャングルも、ダンジョンの遺跡の一部みたいだな」

 不意に開けた場所に出ると、そこには幾つもの遺跡が。崩れかけの石造りの建物は、ほとんど木々や植物の緑に侵蝕されていて、時間の経過というのを感じさせられる。

「なんだか、カンボジアの遺跡のようですね」

「えっ、アンコールワットってこんなんだっけ?」

「カンボジアの遺跡は、アンコールワット以外にも沢山あるのよ。こういう風に、ジャングルに覆われた遺跡の風景は独特で、有名なの」

「へぇー」

 と、委員長の講釈に、呑気に応える夏川さんを見ていると、ちょっとだけ学校生活を思い出す。なんだかんだで、強くなったお蔭で、少しずつでも心の余裕が取り戻せているのだろうか。

「この辺は、ずっと遺跡が広がっているようだな。小鳥、何かありそうか?」

「んー、薄らと魔力の気配は感じるから、ダンジョンの中みたいに、魔法の仕掛けが動いてるところが、まだある、かも」

 明日那の問いかけに、小鳥遊さんは「うーん」とテレパシーでも発しているかのように唸りながら、やや曖昧な返答をしている。

 最初に発見した場所から歩き出しても、そこかしこに遺跡の建築物が見えた。特に目立つ、三階建てくらいの大きなところには、一応、探索も兼ねて調べてみたが、特にこれといって気になるものはなかった。宝箱もトラップもなければ、人が訪れた痕跡も見当たらない。桃川も、他のクラスメイトも、この密林遺跡のエリアは通っていないのだろう。

「妖精広場もなさそうですね」

「ここの遺跡は、ただの廃墟のようなものかもしれないわね」

「むむっ、そんなこともなさそうだよ、涼子ちゃん! 私の盗賊の勘が、アソコに何かあると訴えている!」

 夏川さんが自信満々に指を差した先には、なるほど、他の箱形の建物とは趣の違う、円筒形の塔の様な遺跡が建っている。

 そして、その塔の裏側から、のっそりと大きな魔物が、姿を現した。

「……確かに、何かはあったわね」

「あわわ、あの魔物、結構強そうだよ」

 頭に大きな一本角が生える、サイのような大型獣の魔物だ。ずんぐりした巨躯は分厚い毛皮に覆われていてる。確か、ケブカサイ、という毛皮を持つ大きなサイが絶滅した動物でいたはずだ。マンモスと並んで、氷河期を代表する動物らしいが……コイツはどう見ても、地球の絶滅種とは全く別の、狂暴な魔物である。

「ブルルッ!」

 鼻息荒く、こちらを睨みつける大サイの魔物は、今にも突進を始めそうな気配。元から気性が荒いのか、それとも繁殖期だったり巣を守ってたりするのか、どちらにせよ、このまま大人しく引き下がったとしても、突っ込んでくるのは止めてくれそうもない。

「明日那、アイツが突っ込んで来たら、左右に避けて足を切って止めるぞ」

「分かった、任せておけ。小鳥達は下がっていろ」

「それじゃあ、私が突進を止めるね」

「えっ」

 俺と明日那が肩を並べて前へ出たら、盾を構えた双葉さんがさらに前へと進み出た。

「双葉さん、アイツの突進を正面から止めるのは危な――」

「ブルルルォオオアアアアアアアッ!」

 俺の説得の言葉が届くよりも前に、大サイが突進を始めた。見上げるほどの巨躯だが、信じられない速度だ。まるで、アクセル全開で突っ込んでくるダンプカーのような迫力。

 いくら双葉さんが『狂戦士』で力強くても、あまりに両者のサイズが違いすぎる。

「フンっ!」

 だが、止まった。

 双葉さんの気合いの入った声と同時に、ガン! というけたたましい衝突音が響く。彼女が構えた『ダークタワーシールド』は、見事に巨大な魔物の突進を真正面から受け止めてみせたのだ。

「フウッ、ハァアアア……」

 完全に足の止まった大サイに対し、双葉さんは右手に握った漆黒のハルバードを大きく振りかぶった。やけにゆっくりとした動作。しかし、その腕には凄まじい力が集中していくのを感じる。

 それは、今ではすっかりなじみ深い感覚。魔法とは別に、超常的な威力を発揮する技。そう、武技である。

「――『撃震』っ!」

 爆発的な勢いで振るわれる、黒鉄の斧刃。轟々と唸りをあげて、双葉さんのハルバードが漆黒の一閃と化して、大サイの側頭部に叩きこまれた。

 ドっという鈍い音が響くと共に、バキリ、と耳に残る嫌な音がやけに大きく聞こえた。

「ブルッ、ルォオアアア……」

 途端に大人しくなる、大サイ。それも当然だ。なぜなら、アイツの頭の中は、超震動の一撃によって、頭蓋骨ごと脳みそを粉砕されただろうから。


『撃震』:撃ち震える刃、敵を崩す。


 リビングデッドのボス戦を終えて、双葉さんが習得した武技の一つだ。

 はっきりと効果が分からない説明文だったが、実際に試し切りをして、小鳥の目で分析すれば、どうやら刃を超震動させて、威力を高めると共に強力な衝撃波を発生させている、ということが判明した。

 試し切りでは、そこそこの大きさの岩を、あっけなく木端微塵にしてみせた。あんなのが頭に直撃すれば、無事で済むはずがない。

「あれ、もしかして、倒しちゃった?」

 バッタリと横向きに倒れ込んでは、もうピクリとも動かなくなった大サイに対して、双葉さんが拍子抜けしたように言った。

「ふぅ、良かったね。この魔物、大きいだけであんまり強くなかったよ」

 果たして、本当にただの見かけ倒しの魔物だったのか。あるいは、『狂戦士』の力というものが、俺が思っている以上に……

「そうだね、すぐに倒せて良かったよ。ありがとう、双葉さん」

 俺は、女の子らしい笑顔を浮かべる双葉さんに、とりあえず同意しておくことにした。

 参ったな。俺、もっと頑張って、強くならないと……




 大サイの魔物が双葉さんによって瞬殺されたことで、夏川さんが示した塔の探索は、つつがなく開始された。

 内部は灯台のような造りで、幾つかある部屋はただの伽藍堂。やはり、何もない。強いて言えば、最上階の部屋には、転移魔法陣を小さくしたような、円形の魔法陣が刻まれた石の台座があった。

 触っても叩いても乗っかっても、何の反応も示さなかった。

「小鳥遊さん、これが何か分かるかな?」

「うーん、これはねぇ……」

 とりあえず、何か分かりそうなのは『賢者』の小鳥遊さんだけ。彼女が見て分からなければ、この台座は単なるオブジェに過ぎないのだが……

「あっ、これ、この辺のことが、何となく分かるよ!」

 とは言うものの、俺達には何も分からなかった。

 どうやら、魔法陣に何かしら反応できる者だけが、触れるとそこに秘められている情報を見ることができるらしい。

 確かに、小鳥遊さんが台座の魔法陣に触れると、かすかに白く発光して、稼働しているような雰囲気。俺を含めて、他のメンバーでは誰も魔法陣は反応を示さなかった。

「それで、どうなのですか、小鳥?」

「んー、えっとねぇ……ここから真っ直ぐ進んだところに、大きなお城? お寺? みたいなのがあって……そこに、転移魔法陣があるよ」

「凄いな、転移魔法陣がある場所が分かるのか」

「この台座は、私達のノートのコンパスよりも、ずっと性能がいいみたいね」

 なるほど、委員長の言う通り、ノートに書いた魔法陣のコンパス機能を、地図とセットで教えてくれる高性能なモノということか。もしかしたら、今まで進んできたダンジョンの中にも、これと同じものが設置されていたかもしれない。

「小鳥、他には、何か分かるのか?」

「うーんと……うわっ、こ、これは……お城のところ、ゴーマが沢山、住んでるみたいだよぉ」

 小鳥遊さんが、マップ機能付き台座から得られた情報は、以上であった。

 唯一、この台座を使える彼女の言葉によれば、これで見えるのは、本物の地図のように正確な絵や図ではなく、その場所のイメージが直接、伝わるらしい。夢の中で、見たことない景色を眺めているような、そんな感じだとか。

 そうして見えた景色の位置関係は、何となく直感的に分かり、結果的に近辺のおおまかな地理が分かるという。

 それから、マップの範囲内に生息する魔物も、ある程度まで感知できる。一体ずつの動きは分からないが、特に強力な個体、または、大きな群れを形成する魔物は、その存在と、大まかな場所が分かるらしい。

 小鳥遊さんが感知できたのは、たまたまこの辺の空を飛んでいたらしいドラゴンが一体と、俺達が歩いてきた方向にある、猿の魔物の群れ。

 そして、これから向かう先である、転移魔法陣があるらしい城。そこを根城にしている、ゴーマの軍団だ。

 このゴーマの軍団の規模は、猿の群れとはけた違いに大きいらしい。正確な数は分からないが、少なくとも、百や二百では済まないだろう。

 正直、ゴーマが陣取る城なんて、近づきたくはないのだが……俺達には、進むより他はない。他の道を探すにしても、まずは様子を見るくらいはしなくては。

 そうして、緑に飲まれた遺跡が点々と転がるジャングルを再出発すると――

「ブゲラッ! グバ、ガドォーバッ!」

 案の定、ゴーマの集団に遭遇した。

 今更、ゴーマと鉢合わせても驚くこともなく対処できるのだが、コイツらが城に住んでる軍団の一部なのかと思うと、また感じ方も変わってくる。

「ただのゴーマにしては、良い装備をしていますね」

「きっと、このジャングルの遺跡から装備品を漁っているんだわ」

 塔を過ぎてから、調べた遺跡の中にチラホラと宝箱を発見することがあった。ほとんどは、新品の鉄の剣や槍、斧、それから頑丈な造りの弓矢などの武器で、今の俺達に役立つモノはなかった。しかし、原始人レベルのゴーマからすると、綺麗な鉄の武器というのは正にお宝。

「ドゥバ! グル、ゼガァアアーッ!」

 そして、三度目に遭遇したゴーマ部隊は、全員が『ゴーヴ』と呼ばれる大柄な筋肉質の戦士階級のゴーマで構成された、エリートであった。

 ゴーヴの持つ武器は、これまで出会ってきたどのゴーマよりも品質の良いもので、さらには、魔法のアイテムまで装備していた。

「くっ、『氷矢アイズ・サギタ』が防がれるなんて」

 俺達も持っている『ガード・リング』と似たような、防御用のアクセサリーだ。今回のゴーヴは全員これを装備しているらしく、下級攻撃魔法や、夏川さんのナイフ投げ程度の威力なら、完全に防ぐだけの防御力を発揮していた。

「ハァアアアア――『破断』っ!」

 しかし、双葉さんの武技を防ぐには、まるで足りなかったようだ。


『破断』:破り断つ刃、敵を斬る。


 リビングアーマーのボスを倒して習得した、武技の二つ目がこれだ。例によって試し切りと、小鳥遊さんの分析によって、どうやらこの『破断』は、俺や明日那が使う『一閃』と同じように、単純に斬撃力を向上させる技だと判明した。

 打撃の『撃震』と斬撃の『破断』。

 早くも、この二種類の武技を使いこなし始める双葉さんにとって、エリートゴーヴ部隊など、ちょうどよい試し切りの相手にしかならなかったようだ。

 彼女が『破断』を繰りだせば、マジックアイテムの防御ごとゴーヴを三体まとめて両断し、『撃震』を振り下ろせば、三体が吹っ飛んで行き、最後の方では、普通のハルバードの一撃で、三体斬り殺していた。

「戦士といっても、ゴーマだから全然強くないね」

 もしかして、このまま双葉さん一人でゴーマの城を落とせるんじゃないのか。割と本気でそんなことを思ってしまった俺は、情けない。

 しっかりしろよ、俺が、双葉さんも守るんだ!

 今のところ、何の役にも立てていないが……ボス戦の時は、気合いを入れて頑張ろうと思う。

第130話 ゴーマの城

 ジャングルを進み始めて、三日が過ぎた。そこらに立ち並ぶ遺跡は、ダンジョンの一部ではあるのだろうが、これまでのようにちょうどいい位置に妖精広場は見つけられなかった。だから、初日と二日目の晩は、順番に見張りを立てて、適当な遺跡の中で宿泊。三日目の今日は、幸いにも、夏川さんの勘によって、崩れかけの遺跡の奥にあった妖精広場を発見した。

 やはり、妖精広場の安心感というのは非常に大きいのだと、三日目の夜に誰もが実感した。昨日、一昨日の夜は、いくら見張りを立てているからとはいえ、呑気に安眠とはいかなかったからな。俺も山の中で野宿こそ経験は何度もあるが、それでもかなり気を張って、精神的な疲れがあることを認めざるを得なかった。

 こういう時に、強力な魔物と遭遇せずに済んだのは、幸運だったな。もしかしたら、あの空を飛ぶドラゴンが気まぐれに襲い掛かって来るのではないかと、内心で警戒していたものだ。結局、あのドラゴンは最初に目撃して以来、一度も見ていない。あれは偶然だったのか、それとも、縄張りを飛び回るのに何日もかけているのか。ドラゴンに関する情報は、魔法陣のメールでもなかったので、いまだその強さも生態も謎のままだ。

 結果的に、ジャングルの魔物を順当に倒しながら、俺達は無傷でここまで進んでこれた。進むごとに、ゴーマ軍団の根城に近づいているせいか、ゴーマとの遭遇率が明らかに上がっている。逆に、他の魔物が姿をみせなくなっていた。この辺はもう、完全にゴーマの縄張りだと考えるべきだろう。

 ゴーマとゴーヴを相手するのも飽きてくるほどだが、確かな収穫があった。

 それが、『魔石』の発見である。

 魔石とは、コアとまた別の種類にあたる、魔力の結晶だ。基本的には火や水、風などの属性に分かれており、衝撃を与えたり、魔力を流したりすることで、そこに込められた属性の魔力が反応する。例えば、火属性の魔石を叩けば、炎が噴き出るのだ。

 ゴーマの精鋭戦士たるゴーヴは、この魔石を用いた、単純な構造の魔法武器を使ってくる奴が多かった。主に、矢じりとして利用され、火や雷の矢を放ってくる。たまに、槍の穂先を魔石にしている奴もいた。

 魔法陣のメール情報によると、魔石はコアの代わりにはならないとのことだが、俺達にとっては、また別に利用価値もあった。

「これだけあれば、いっぱい練習ができるよ!」

 色とりどりの宝石のような輝きを放つ魔石の数々を前に、小鳥遊さんがヤル気をみなぎらせている。

 どうやら、この魔石を材料として、魔法の武器を錬成するつもりらしい。

 今まで魔法の武器を作るためには、その魔法属性を持つ魔物の素材が必要だった。魔石でも同じように製作、あるいは、今ある武器を強化できるのなら、かなり役立つだろう。

「……ごめんね、失敗しちゃった」

 だが、なかなか上手くいかなかった。鉄の剣と火の魔石で、炎の剣を作ろうとしたが、完成したのは、刀身がほんのり温かいだけの剣だった。

 どうやら、魔石の一つや二つでは、大した効果は出ないらしい。もっと大きな魔石か、あるいは純度の高いモノでなければ、実戦レベルの威力は引き出せないだろう。

 かといって、小さな魔石を大量に投入すれば、今度は錬成そのものが失敗した。まだ小鳥遊さんの腕前では、高い魔力を扱うには足りていないということなのか。

 これからのレベルアップが望まれるが……即戦力ではないものの、また別の可能性が開けたりもした。

「んーっ、できた!」

 数多の失敗作の果てに生み出されたのは、魔法のアイテムだった。

「魔石だけで、錬成したのか」

「これは、赤い指輪のようですが」

 最初の試作品は、火の魔石だけを材料とした、赤く輝く指輪。ルビーのように、透き通った真紅の結晶である火の魔石を、そのままリング状にしたような質感である。

「うん、これをつけると、ちょっとだけ火が出せるよ!」

 早速、小鳥遊さんが自分の小さな指にリングをはめて、実践してくれる。

「はぁあああ……ファイヤーっ!」

 勢いのある掛け声とともに、小さな火が指の先にポっと灯った。ロウソクに灯った火のような大きさで、強く息を吹きかけたら、消えてしまいそうだ。

 うーん……思ったより、ショボい。

「名付けて、『チャッカ・リング』だよ! ふふん、どう? 小鳥、凄い?」

 自信満々の小鳥遊さんに対して、一瞬、言葉に詰まる俺。同じく、ノーコメントを貫く桜は、チラチラと俺に視線を向けてくる。こら、こういう時だけ、兄に頼るんじゃない。

「えーっと、その」

「なんだ、大したものじゃないな。その程度なら、ライターで十分じゃないか」

 一緒に眺めていた明日那が、親友として忌憚のない意見を述べていた。

「むぅー、明日那ちゃんのバカーっ!」

 むくれる小鳥遊さんだったが、何事も小さな一歩からというべきか、このライター並みの火力である『チャッカ・リング』の錬成によって、彼女は新たな魔法を習得した。


『魔導錬成陣』:基礎的な錬成に、自らの魔力によって術式を刻む。永遠なる魔道探究の始まり。


 この『魔導錬成陣』によって、これまではほぼランダムのような出来だった錬成が、ある程度、自分の思い通りの形状や効果にすることができるようになった。だが、やはり小鳥遊さん自身の熟練度が足りていないせいで、強力な魔法効果などは難しい。これまでの武器錬成よりも、大幅な強化が望めるのは、まだしばらく先になりそうだ。

 だが、小鳥遊さんは『魔導錬成陣』の驚くべき使い道を発見した。

「むっふっふ、これ、なーんだ?」

 再び、自信に満ち溢れたドヤ顔で、小鳥遊さんは次なる作品を紹介する。

「えっと、スマホ、にしか見えないけど」

 俺は見た通りのことを答える。だって、彼女が手にしているのは、どこからどうみてもスマートフォンに他ならない。ナントカいうマイナーなご当地ゆるキャラのカバーがついたスマホは、小鳥遊さんのモノのはず。

「はい、蒼真君、正解! そうです、スマホです!」

「あれ、でも小鳥遊さんのスマホって、確かバッテリーが切れたって――まさか」

 ふふん、と得意げに鼻を鳴らしてから、小鳥遊さんは堂々と宣言をした。

「なんとっ、雷の魔石を錬成すると、スマホが充電できるのでーっす!」

「おおー」

 と、素直に感心してしまう。俺と同じように、他のメンバーも素直に凄いと感じたのだろう、興味津々で見ている。

 電気とは無縁な異世界ダンジョンに来てから、もうスマホの充電など二度とできないと思い、万一に備えて電源を切って温存していたのだが、まさか、充電できるとは。

「この小さい魔石の欠片みたいなの一個で、なんとフル充電!」

 確かに、スマホのバッテリーアイコンはフルになっている。

 雷の魔石は、ゴーヴの矢から何個もとれている。今、持っている分だけでも、メンバー全員のスマホを複数回、充電できるだろう。

「これでスマホも使い放題! 電話もかけ放題だよ!」

「いや、小鳥遊さん、電話は無理だよ」

「えっ?」

 そんな馬鹿な、と目を丸くする小鳥遊さんの仕草は可愛いが、正直、スマホがつきさえすれば、電話が通じると思っているらしい彼女の考えに、俺は戦慄している。

「だって、電話っていうのは――」

 ピルルルッ! と、盛大な着信音がけたたましく鳴り響く。

「兄さんの、鳴ってませんか?」

「ええっ!?」

 そんな馬鹿な、と目を丸くするのは俺の方だった。

 電源は切ったままで、いつもの癖で制服のポケットに入れっぱなしにしておいたはず。けど、桜に言われるまでもなく、俺のスマホが威勢よく着信音を上げている。ポケットの中で、ブルブル震えているのも分かる。

「う、嘘だろ、本当に通じているのか」

 恐る恐る、取り出してみれば、明るいスマホの画面には、小鳥遊小鳥、と大きく書かれていた。

「……もしもし」

「もしもし、蒼真君! 小鳥だよーっ!」

 ああ、知ってるよ。眼の前で、無邪気な笑顔でスマホに喋ってるからね。

 ダイレクトに小鳥遊さんの声は聞こえるが、俺の耳には、確かに、スマホから彼女の声も聞こえているのだった。

 通じている。間違いなく、俺と彼女のスマホは今、通じていることを、認めざるを得ない。

「これは一体、どういうことなんだ……」

「もしかして、小鳥の思い込みが、そのままスマホに魔法として組み込まれたのではないかしら」

 俺の疑問に、委員長が真面目に答えてくれた。

「いや、でも、そんな都合よくいくものなのか?」

「それじゃあ悠斗君は、このダンジョンの中に無線基地局があると言う方が納得いくのかしら」

 当たり前の話だが、携帯電話、スマートフォンで電話・メールなどの通信をする際は、直接、お互いの端末が無線電波で繋がっているワケではない。たとえ目の前の相手に電話をかけたとしても、携帯端末は最寄りの無線基地局へ電波を飛ばし、そこを経由して、相手の端末に辿り着く。お互いの距離は関係ない。

 直接、電波でやり取りするのは、トランシーバーだ。

「分かった、賢者の魔法ということにしておこう」

「ええ、小鳥にはこのまま、勘違いしてもらったままの方が良さそうね。変に理解すると、魔法がかからなくなるかもしれないし」

 というワケで、理解と納得、それと口裏合わせを完了。

「凄いよ、小鳥遊さん! これでみんなと連絡できるよ! 早速、みんなのスマホを充電してもらえないかな」

「うん、この『賢者』小鳥遊小鳥に、任せてよ!」

 こうして、俺達は魔法のスマホを手に入れた。

 小鳥遊さんが『魔導錬成陣』で、スマホを充電。その際に重要なのは、恐らく、充電したらスマホで連絡ができるようになるんだ、と彼女自身が思うこと。その願いにも似た強い思いが、無意識的にスマホへ魔法を刻むのだ。

 本当にそんなことで、上手くいくのか。半信半疑ではあったが、実際に、全員のスマホが問題なく電話もメールもSNSも利用できることを確認して、その効果を信じるより他はなかった。

「うーん、でも、ネットも繋がらないし、他の人には電話もかからないね」

「ここは異世界だから、元の世界とは繋がらないのよ。でも、近くにいる人とは、電波が届くから繋がるのよ」

「そっか! そうだよね!」

 委員長が完全にトランシーバーの説明で、小鳥遊さんの勘違いを確固たるものとしていた。彼女の通信技術に対する理解の低さは、高校生として嘆かわしいレベルだが、それでも、その勘違いの思い込みが、役に立ったとここは喜ぶべきだろう。

 たとえ、近距離の仲間としか連絡ができないトランシーバー状態だろうと、離れた相手と通信する手段を持つ、というのは非常に有用な効果だ。天職が『賢者』であり、そして、それが小鳥遊さんだからこそ誕生した、奇跡のスマホ魔法である。

 実際、他のみんなも大喜びだ。ただ一人、残念そうにスマホを握りしめる双葉さんを除いて。

「小太郎くんと、アドレス交換しておけば良かったな……」

 俯く彼女に、かける言葉は見つけられなかった。




『チャッカ・リング』と魔法のスマホを開発した小鳥遊さんは、その後も少しずつ魔石を利用した魔法の道具、マジックアイテムと呼ぶべき小物の製作を続けている。即戦力になるような凄い効果のモノはそう簡単にはできないようだが、このまま毎日、練習を続けていれば、彼女ならすぐに様々なマジックアイテムを開発できるようなるだろう。

 小鳥遊さんが頑張る一方で、俺達も次なる転移魔法陣があるというゴーマの城を目指して慎重にジャングルを進む。

「――うわわっ、あった! やっぱりあったよ、ゴーマの巣!」

 常に先頭を行く『盗賊』夏川さんが、ついにゴーマの住処を発見した。後続の俺達が慎重に進むと、その先には確かにゴーマの住処があるのだった。

 目的地である城ではなさそうで、ただの小さな集落といったところか。

 ゴーマはスケルトンのように、ダンジョンから自然に湧き出てくる類の魔物ではない。必ずどこかに巣があると、前から予想はしていたが、実物を目にするのは今回が初めてだ。

「巣、というよりは村のようだな」

「そうね。最低限、建築するだけの知能はあるみたい」

 鬱蒼と木々が生い茂る密林の中にあって、明確に切り開かれた場所だ。薄汚れた目の粗い布地をかけた、テントのような家屋が所狭しと並んでいる。

 周囲には不恰好ながらも、木の杭を地面に突き刺し、蔦のようなロープで固定した木柵も張り巡らせてあった。

「兄さん、どうします?」

「奴らはこちらに気づいてないし、奇襲はできそうね」

 ゴーマはさほど脅威にならない魔物だが、数は多いし、奴らにしつこく狙われれば消耗もするし、厄介な存在であることに変わりはない。委員長の言う通り、ここで奇襲を仕掛ければ、今の俺達なら一気に全滅できそうだ。

 しかし、ああして集落の中で、ごく普通に子供を抱えて生活している姿をみると、いくら魔物が相手とはいえ……

「いや、ここは無視して、先を急ごう」

「そうですね、余計な戦いは避けるにこしたことはありませんから」

「それもそうね。放っておいても、大した脅威はなさそうだし」

 俺のささやかな罪悪感に気づいているのかいないのか。ともかく、桜も委員長も、他のメンバーも納得して、その場は奴らに見つからないよう静かに離脱していった。

 こういう小さな集落は、無視していっても問題ない。

 俺達の前に必ず立ち塞がるのは、転移魔法陣がある城だ。そこに行きついてしまえば、女子供のゴーマがいようとも、戦場と化すのは避けられない。

「……あれが、ゴーマの城か」

 そうして、一週間近くかけてジャングルを歩き回った果て、ついに辿り着いた。

 密林の中で、山のようにどっかりとそびえ立つのは、巨大なピラミッド。マヤ文明の遺跡を彷彿とさせる。

 石造りの巨大建造物は明らかにゴーマの建築能力を超えており、どう考えてもダンジョン遺跡の一部だ。このピラミッドの頂点を、魔法陣コンパスは指し示しており――そして、ピラミッドは大量のゴーマの兵士が駐留する要塞と化していた。

 ピラミッド城を中心として、ジャングル行軍中に見た、ゴーマの集落と同じテントがかなりの範囲で広がっている。ここは最早、集落というより、城下町というべきだろう。

「……兄さん、どうします?」

「あそこを正攻法で攻略するには、ちょっと厳しいかもしれないわね」

 流石に桜も委員長も、これほど大規模なゴーマの町を前に表情が暗い。これは、今までのようにダンジョンで遭遇したから戦闘する、というのとはワケが違う。あそこに突撃するのは、ちょっとした戦争だろう。

「けど、先に進むにはあそこに行くしかない。ここは外のジャングルだから、今までみたいに回り道を探すのは無理だろう」

「そうだよ! 私が塔の台座で見たのも、転移魔法陣がありそうなのは、ここしかなかったもん」

 小鳥遊さんが、強く断言する。

 可能性はないワケでもないとは思うが、台座のマップ機能に引っかからなかったということは、少なくともこの辺の一帯には、他の転移魔法陣も、地下ダンジョンへの入り口もないということだ。

 捜索するなら、かなり遠くまで行かなければならない。そして、探したとしても、見つかる保証はどこにもない。

「でも、あそこはちょっと……」

「ああ、多勢に無勢になりそうだ」

 夏川さんも明日那も、あまり乗り気ではない感じ。

「うーん、別に大丈夫じゃない?」

 しかし、双葉さんだけはいつもの調子で平然と言い放つ。

「双葉さん、あまり軽率な発言は――」

「だって、いつもみたいに、ボスを倒して転移すればいいだけでしょ? あそこにいるゴーマを全部、相手にする必要はないんだから、サっと行って倒して来れば、そのまま逃げられるんじゃないのかな?」

「そんな簡単に……」

 半ばあきれ顔の桜だが、双葉さんの言うことも一理ある。

「いや、結局、そうするしか方法はない。できれば、奴らにバレないよう城に潜入して、素早くボスを倒し、コアを入手。それからすぐに、転移で脱出だ」

「そうね……他に道はないのだから、やるしかなさそうね」

 あまり乗り気はしないが、一度決めれば話は早い。みんなも不安はあるだろうけれど、それを押し隠して、勇ましく武器を手に立ち上がる。

 とはいえ、このまま勢いで潜入に向かうワケにはいかない。出来る限り、下調べと準備を整えるべきだろう。

第131話 ゴーマ城の戦い

「こっそり忍び込むなら、やっぱり『盗賊』の私だよね!」

「ええ、美波にしかできないことだわ。でも、くれぐれも無理だけはしないで。収穫がなくても、無事に戻って来るのが第一よ」

 ゴーマの城の下調べは、ほぼ夏川さんに一任することになった。まずは、出来る限り潜入ルートを探って欲しい。

 幸い、ゴーマ城の近くにも妖精広場があったので、身を隠すにはうってつけ。自分達の町のすぐ傍にある妖精広場のある遺跡の建物だが、魔物であるゴーマは明らかにここの近くを避けて通っているのだ。俺達が直接、出入りするところさえ目撃されなければ、奴らが襲ってくることはない。

 ここの広場では、主に夏川さんの情報待ちとなるので、俺達にできることは少なかった。せいぜい、いざという時に夏川さんが撤退する援護ができるよう、いつでも飛び出して行けるよう準備しておくくらい。何かあれば、スマホで電話できる。連絡手段があると、多少は心も落ち着く。

 そうして、二日ほどかけて探りを入れ、いよいよ決行の時が来た。

「夜は城の周りまでしか見張りはいないから、テント町は簡単に抜けられるよ」

 一般ゴーマの居住区であるテントの町は結構な広さだが、夏川さんの調べ通り、夜になると全員ぐっすりと寝静まるので、誰にも見つからずに通り抜けるのは難しくない。

念のために、目立たないようテントにも使われている大きなボロ布をマント代わりに纏ったりもした。勿論、この布をチョロまかしてきたのは、夏川さんである。流石は盗賊。

 息を潜めて、ゆっくりとゴーマの居住区を進む。原始的な生活を営むゴーマだから、夜になると灯りは一切ない。煌々と篝火が焚かれて、夜間でも警備体制が敷かれているのは中央のピラミッド城だけだ。

 天職のお陰か、月灯りだけでもさほど夜闇を進むのに苦労はしなかった。『盗賊』の夏川さんは明らかに夜目が利くようになっているけれど、俺と明日那、それと双葉さんも結構なものだ。一方で、やはり魔術士クラスな委員長と桜はそれほどでもなく、小鳥遊さんに至ってはやはり常人並みであった。

 委員長に手を引かれて歩く小鳥遊さんは、何度かテントの周囲に散乱しているゴミなのか道具なのか分からないモノに躓いたり、蹴っ飛ばしたりして、音を立ててしまったが……どうやら、ゴーマ達の眠りは深いようで、見つからずに済んだ。

「みんな、ここからが本番だよ! 城に潜入する時は、もう見つからないことよりも、スピード勝負だからね!」

 テント町を抜けて、いよいよ城のある中央へとやって来て、夏川さんはあらためて宣言する。城の周囲には、他の集落とはけた違いに高く、大きな木でできた柵で円形に囲われており、幾つも櫓が立っている。

 櫓に陣取るのは、どれもゴーヴの精鋭兵。二人一組で櫓に立ち、周囲一帯を見渡している。もし、テント町を進んでいる時に『光精霊ルクス・エレメンタル』で灯りをつけていたら、一発で奴らに見つかったことだろう。

 しかし、監視の視線すら何となく分かるという夏川さんの巧みなルート選択によって、俺達は無事に柵が建つ地点までやって来れた。

「私が上の兵士を倒してくるから、柵は明日那ちゃん、お願いね」

「ああ、任されよう」

「それじゃあ、三十数えたら突入して」

 そう言い残して、夏川さんは凄まじい勢いで垂直の木柵を音もなく登って行った。三十秒きっかりで、夏川さんはここのすぐ上に建っている櫓へと乗り込み、二体の射手ゴーヴを始末してくれる。

 その間に、明日那が柵をぶった斬って、進入路を開くのだ。

 ちなみに、俺と明日那のどっちが柵を切るかはジャンケンで決めた。俺は負けたので、活躍の機会を譲ることに。

「――疾ッ!」

 武技でもない、ただの斬撃。しかし、明日那の振るう『清めの太刀』は見事に丸太の柵を切り刻み、綺麗に人が通り抜けられるだけの空間を開いてみせた。

「お見事、明日那」

「ふん、今の力があれば、鉄でも切り裂ける。この程度、ワケもない」

 言うものの、ちょっと褒められて嬉しそう。分かるよ、俺もこれやったら絶対、ドヤ顔しちゃう。

「――っと、さぁ、あそこの入り口に急いで!」

 忍者のように、上空からシュタっと降り立った夏川さんが、すぐに走り始める。

「みんな、行くぞ!」

 櫓の見張りを排除し、本来の門とは違う場所から潜入したお蔭で、まだ警備兵には見つかっていない。

 遮蔽物もなく、篝火で照らされた場所を突っ切るしかないが、今、この瞬間なら見つからずに城内へと滑り込めるかもしれない。急ぎながら、それでいて、できるだけ足音はたてないよう、俺達は一列になって走り抜け――

「きゃっ!?」

 あまりに緊張しすぎたのか、小鳥遊さんが道半ばで転んでしまった。転倒の衝撃による悲鳴と、倒れた音が、静かな夜に響く。

「ブゲラ、ウゴッ、ヴェァアアアアアアアアっ!」

 瞬間、耳障りなゴーマの声がけたたましく上がる。考えるまでもなく、俺達は見つかった。

「しまった、みんな急げ!」

「あ、うぅ……ご、ごめんなさいぃ……」

「謝るのは後だ、行くぞ小鳥!」

 すでに涙目の小鳥遊さんを明日那が拾い上げ、猛ダッシュで入り口へと向かう。俺達ももう足音を消す意味はないとばかりに、全力疾走で走り出した。

「ゲバァアアア!」

「ウォガァアアア!」

 すぐにゴーマとゴーヴの兵士がすっ飛んでくるが、ギリギリで城の入り口へ滑り込むことに成功した。

「頼んだ、委員長!」

「よし、全員入ったわね――『凍結防壁アイズ・ウォルデファン』」

 入り口となる通路を、委員長が放つ氷属性の中級防御魔法で塞ぐ。分厚い氷の壁が二重三重となって、通路を完全に埋め尽くす。

 よし、これで外の奴らはしばらく入っては来れない。

「この先にゴーマのボスがいるみたいだけど、私もここから先に進むのは初めてだから、何があるか分からないの。みんな、気を付けてね!」

 流石の夏川さんも、城の中を全て調べることはできていない。それでも、最上階の天辺に通じる階段が、内部からしかない、というのを突きとめてくれただけで十分だ。

 俺達はピラミッドの内部中央へ続くと思われる通路を、途中で立ち塞がる警備兵を斬り伏せながら進んで行く。

 そうして、ついに開けた大きな空間へと出た。

「グブブ、ボハハハハ!」

 そこには、明らかにゴーマのボス……確か『ゴグマ』というのだったか。そんな、デカい奴がいた。

 身長は3メートルを越えるほどで、相撲取りのような体型だ。頭から生える捻じれた一本角に、ゴーヴよりもさらに獰猛な顔つきとなっている。

 丸太のように野太い手には、その巨躯に見合ったサイズの武器を握っている。両刃の大剣、だが柄の部分に緑色の目立つ宝玉がついていることから、恐らく、風属性の魔法を使う、魔法の武器だと思われる。

 しかし、一番問題なのは、このボスであるはずのゴグマが……この広間に4体もいることだ。

「アブル、ゼバ、ブルォオオアアアアアッ!」

 いや、本当のボスは、一番奥にいた。

 4体のゴグマと比べ、さらに大きい、身長と体格を誇る。しかも、大きいだけでなく、目は一つで、猛牛のような大きな二本角。ゲームに出てくるサイクロプスとミノタウロスとか、そういうのを合体させたような印象だが、他にもっと目立つ特徴があった。それは、コイツの腕が四本もあること。

 四本の腕には、それぞれ、剣、斧、ハンマー、そして魔法の杖を握りしめている。

「俺があの四つ腕を止める。その間に、みんなはできるだけ早く他の四体を倒してくれ」

 委員長の氷の壁で、自ら退路は塞いできた。退くことはできない。どんな敵が現れようとも、俺達はここを進むより他はないのだ。

「分かりました、兄さん」

「それしかなさそうね」

 四本腕の大ボスゴグマに、四天王染みたゴグマ4体。これまでにない数で襲い来る強大な敵を前にしながらも、みんなは即座に覚悟を決めて武器を構えた。

「よし、行くぞっ!」

 手加減など、できる余裕は全くなさそうだ。最初から、全力で行かせてもらう!

 かくして、ゴーマ城の決戦が始まった。

「――『光の聖剣クロスカリバー』っ!」

「ブゥウラァアアアアアアアアアっ!」

 輝く白き光の刃は、四つ腕ゴグマが怪力をもって繰り出す、風の大剣も、震動するハンマーも、灼熱の斧も、そのことごとくを真正面から受け、弾いてみせる。

 圧倒的な体格差はパワーの差となり、四本ある腕もそのまま四倍の手数だ。普通ならロクに打ち合うこともできず、軽く叩き潰されるだけだが、俺はこの光の剣一本だけで渡り合う。

 そう、今の俺は『光の聖剣クロスカリバー』の力を借りて、ようやくボスと対等に戦えているだけなのだ。一進一退の攻防、というより、俺の方が押されている。

 奴は自分の巨躯も四本の腕も、おまけにそれぞれの武器も、しっかりと使いこなしている。達人のような術理こそないものの、十全に武器を振るい、ある程度の武技と魔法まで行使してくるのだ。

 一方の俺は、まだまだ『光の聖剣クロスカリバー』を使いこなすには程遠い技量でしかない。相手と同等の力があるだけでは、それを扱う力量に劣る俺の方が不利である。

 ダメだ、正面から切り合うだけでは、押し切れない。

「ブラ・ダブラ・ディゴラ――ジグラズドッ!」

 四本目の腕に握る杖から、俄かに雷光が迸る。意味不明のゴーマ語、だが、明らかに魔法の詠唱らしき旋律を謳っている。奴は魔法の武器に頼るだけでなく、ゴーマ流の魔法を修めた魔術士でもあるのだ。

 一旦、俺が奴の間合いから離れても、休むことを許さないように雷の魔法でしつこく追撃をかけてくる。杖の先端に輝く紫色のオーヴから、バリバリと何本もの雷が鞭のように襲い掛かってくるのを、どうにか避けたり防いだりするが……それもいつまでもつか、自信がない。

「くっ……強い……」

 恐らく、強さとしては宮殿エリアで完封してきたリビングアーマーのボスとそう大差はないはず。しかし、やはり一対一での正面対決となれば分が悪い。

 これが、今の俺の限界か――歯がゆい思いは焦りを生むが、しかし、これくらいの劣勢で心を揺らがせるほど、俺だって甘くはない。

 今は無理をする時ではない。耐える時だ。そう、俺は一人じゃない。仲間を信じて、コイツの猛攻を食い止め続ければそれでいい!

「俺は、いいや、俺達は負けない!」

「ムゥガァアアアッ!」

 仲間を信じる鋼の心をもって、俺は光の剣を振るい続けた。




 四つ腕の大ボスと光の剣を振るう悠斗は、嵐のように激しい攻防を大広間の中央で続けている。ここは身長3メートル越えのゴグマが暴れ回っても、尚、広々とした面積を誇る。広さだけなら、野球ドームほどもあるだろう。

 その広大な広間では、それぞれが散って激戦を繰り広げていた。

「――っ!? 大きい魔法が来るよ! 気を付けて!」

 小鳥の叫びに応じて、桜と涼子は素早く防御魔法の行使に踏み切る。

「――『氷結大盾アイズ・アルマシルド』」

「――『輝光防壁ルクス・ウォルデファン』」

 瞬時に突き立つ氷の壁に、白く輝く光のカーテンがかかる――直後、轟々と唸りを上げて火炎の竜巻が到来。ゆっくりと舐めるように、灼熱の渦は防御魔法を横薙ぎに振るわれ、瞬く間に守りの輝きを吹き散らし、凍てつく氷壁を溶かしていく。

「ギリギリだったわね」

「小鳥、無事ですか?」

「だ、大丈夫だよ!」

 展開させた防御魔法をほぼ壊されたが、どうにか炎の竜巻攻撃を凌いだ。三人の額に流れる大粒の汗は、熱風に煽られたせいだけではないだろう。

 思えば、桜も涼子も、正統派の魔術士を相手に魔法で真っ向勝負、という経験は今回が初めてであった。火を噴く魔物は珍しくないが、このダンジョンで詠唱を口ずさみ、杖を振るって魔法を放つ敵というのは非常に限られる。

 その稀有な例が、今正に二人が、いや、小鳥も含めて三人で相対しているゴグマの炎魔術士である。

 真っ赤なカラーリングの錫杖のような杖を振り回し、次々と灼熱の猛火を放ってくる魔術士ゴグマは、その火力だけならケルベロスの火炎放射を上回る。さらに、炎魔法を扱うが故に、放つ火炎の形状は多種多様。爆発する火球であったり、鋭く何連発もできる火の矢であったり。あるいは、今辛うじて防いだように炎の竜巻であったりもする。

 こちらは魔術士二人とはいえ、火矢が一発でも直撃すれば即座に戦闘不能となる。対して、ゴグマは魔術士クラスといえども、その巨躯は見た目通りに頑強。すでに『光矢ルクス・サギタ』と『氷矢アイズ・サギタ』を何本もその身に受け、出血や火傷を強いているのだが、さして効いている様子はみられない。

 かといって、こちらも中級以上の攻撃魔法を放てば、向こうも危険を察知して防御魔法でガードする。その展開速度とタイミングは、こうした魔法合戦に慣れていることを感じさせる。魔術士として、単純に魔法戦闘での経験も向こうが上のようであった。

 桜も委員長も、ゴグマの火力と防御力の前には決め手に欠けるのは当然。普通なら、とっくに競り負けているところだったが、『賢者』小鳥が『魔力解析』によって相手の魔法行使の一手先を読んでくれるから、何とか凌げているというのが現状だ。

 小鳥が攻撃と防御に必要な情報を教えてくれる、さらに、隙を見てゴグマが味方を援護しようとするのも見切って、何とか悠斗たちへ援護射撃をするのを防げている。

「このままでは埒が明きませんね……」

「けど、桜が治癒魔法でフォローできているだけ、まだマシでしょう」

 唯一、こちらが勝っているのは、桜が行使する治癒魔法である。

 桜は魔術士同士の魔法戦こそ素人ではあるが、悠斗や明日那のような剣士の戦いはよく見慣れているし、自分も多少なりとも剣術の心得はある。その経験のお蔭で、ここぞというタイミングで、ボスと激戦を演じている悠斗達へ最低限『癒しの輝きヒーリングライト』をかけることだけは成功している。

「しかし、それでは私達の方も救援待ちということになってしまいます」

「今の私達じゃあ、アイツを止めるだけで限界よ。何とか、美波と明日那に突破口を開いてもらうしかないわ」

 悔しいが、どうあがいてもこれ以上のフォローは味方にできないし、三人でこのゴグマを打倒することも叶いそうもない。

「信じるしか、ないのですね……」

 自らの未熟、力不足に歯噛みしながらも、桜には一縷の望みを託して、隣で激しい戦いを演じる明日那と美波へ『癒しの輝きヒーリングライト』を施すことしかできなかった。




「うわぁーっ、痛ったぁ……くない!?」

「桜の治癒か。命拾いしたな、夏川」

「ありがとー桜ちゃーん!」

 意外と元気で余裕のありそうな夏川美波だが、このテンションを無理にでも維持しないと、心が折れてしまいそうだった。桜の『癒しの輝きヒーリングライト』が間に合ったから良かったものの、今さっき、美波が受けた一撃は戦闘継続が困難になるほどの手傷であった。

「フォガ! ムゴ、ウゴァアアアア!」

 美波と明日那の二人が相手にしているのは、四つ腕ボスが握る剣と全く同じ、風魔法の宿る大剣を持つ、剣士ゴグマだ。力士のような体型の上に、身の丈3メートルもの巨躯を誇りながらも、そのスピードは驚異的。圧倒的なパワーで繰り出される斬撃と、風の魔法によって放たれる『風刃エールサギタ』の合わせ技は、美波と明日那を追い詰めていく。

「それにしても、頑丈な奴だ」

「ううー、まだ倒れてくれないよー」

 前衛二人で、一人の敵を相手にしている。現在、この広間で行われている戦闘では最も恵まれた状況なのはここである。

 剣士ゴグマは強敵だが、いざという時に桜が治癒魔法をかけてくれるし、敵の剣が宿す風魔法の情報を小鳥が叫んで教えてもくれた。巨大な風の刃で薙ぎ払うという、敵の必殺技に気を付けながら、二人は果敢に攻撃を仕掛ける。

 美波は『ワイルドバンデッドナイフ』で刻み、深々と背中に突き刺してきた『ショッカーボルト』が今も電撃を発し、さらには『海魔の水流鞭』に仕込まれた毒も喰らわせている。

 明日那は『清めの太刀』でさらに深く切り裂き、突き刺し、出血を強いて、『フレイムレッドサーベル』で焼き焦がす。

 二人の猛攻を受けて、剣士ゴグマの肉体は毒と痺れに蝕まれて運動能力は確実に低下し、体には無数の切り傷を受け、さらには黒焦げとなった火傷も大きく広がっている。満身創痍という他はない見た目だが……

「ブガ、ブゴッ、ヴンガァアアアアアアアアアッ!」

 全く、攻撃の勢いは衰えない。むしろ、血が流れ出る度に、怒りと興奮でヒートアップしていっているようだ。

 それでいて、頭部などの急所への攻撃だけはしっかりと防ぎきっている辺り、完全に狂っているわけでもないらしい。

「まずは一体、早く倒して突破口を開かなければならないというのに……」

「もぉー、しつこい! 早く倒れて、よっ!」

 過ぎ行く時間に焦りを覚えつつも、二人はひたすらに暴れ回るゴグマを切り続けるより他はない。

 一刻も早く、目の前の敵を倒し、仲間を、悠斗を助けなければ――そう、ここで戦う誰もが思っていた。強大な敵と、これまでにない不利な状況での戦いで、目の前の相手で精一杯。

 桜も委員長も明日那も美波も、そして、悠斗でさえ、他に目を向ける余裕さえなくなっていた。故に、誰も気づかない。

 四つ腕の大ボスは悠斗が。魔術士ゴグマは桜と委員長と小鳥が。剣士ゴグマは美波と明日那のコンビが。

 しかし、この広間で待ち構えていたゴグマは、まだあと二体いる。

 ハンマーを持つ者と、斧を持つ者。ただでさえ一体相手に拮抗状態のメンバーだ。どこかの戦いに、どちらか一体だけでも乱入すれば、即座に戦局は覆される。

 しかし、いまだにどのメンバーも敵を相手に互角の戦いを演じ続けている。

 ならば、ハンマーと斧の二体はどこに消えたのか。

 否、消えたのではない。彼らもまた、戦っている。

 激戦が繰り広げられる大広間、その一角で、『狂戦士』双葉芽衣子は、たった一人で、ハンマーと斧のゴグマを、二体同時に相手をしているのだった。




「ぜぇ……はぁ……」

 流石に、息が切れた。

 ここのところ連戦連勝で、リビングアーマーは強敵の部類に入ったが、強力なパーティメンバーのお蔭で苦戦すらしなかった。

 しかし、今は誰からの援護も望めない単独で、一体でボスモンスターに匹敵する力を持つゴグマを二体同時に相手をしている。

 桜の治癒魔法すら、一度も飛んでこない。いかに『狂戦士』といえども、苦戦は免れない強敵の揃い踏みであった。

「こんなのは、鎧熊以来かな」

 命をかけて、勝てるかどうかギリギリの戦いを最後に経験したのは、蒼真桜達と合流する直前に遭遇した鎧熊との戦いであろう。

「はぁ……小太郎くん、今どうしてるのかな……」

 一瞬でも気が緩めば、思い出すのは彼のことばかり。考えただけで、胸がいっぱいになり、そして、すぐに不安感と恐怖とで泣きだしてしまいそうになる。

 一言で言って、情緒不安定。自分でもはっきり、そう自覚できてしまうほどに重傷だ。

 戦いの最中であるにも関わらず、そうして自身の感情に振り回される芽衣子は、殺意をもって繰り出される凶器を前にしても、ソレに気づいていないかのような亡羊とした顔。

「ウォガッ!」

 確実に殺った、と燃え盛る斧を振るうゴグマは思っただろう。

 しかし、直撃の寸前で滑り込むように動いた黒い盾によって、渾身の一撃は弾かれる。いや、受け流される。スルリと滑るように直撃軌道は逸らされ、灼熱の火炎を纏う魔法の斧の刃は、虚しく石の床を叩き割るだけに終わった。

「ムガァアアアアアアアッ!」

 相方の一撃が空を切った隙を埋めるように、超震動によって触れるモノをことごとく粉砕する能力を持つ巨大なハンマーヘッドが芽衣子を襲う。

「ふっ、むん!」

 対するは漆黒のハルバード。人間が持つにはかなり大型の刃を備えた長柄武器だが、ゴグマの体に合わせて造られたハンマーと比べれば、随分と細く、小さく見えてしまう。

 しかり、芽衣子が片腕で握るハルバードは、ゴグマが両手持ちで振り回すハンマーと真っ向から打ち合い、弾き、逸らす。

 そこに宿るのは、狂戦士のパワーだけでなく、ハンマーと同じく震動能力を誇る武技『撃震』が込められているからだ。

「ふぅ、はぁ……」

「ブグルル……」

「ムググ……」

 強い、と、芽衣子も、ハンマーと斧のゴグマも、全員が思っていた。この一方的に見える様な二体一の戦況だが、実質、限りなく拮抗状態にある。

 芽衣子は『狂戦士』として、悠斗のパーティ内では随一の腕力を誇る。自慢する気などないが、それでもパワーには自信があったし、きっとそれが最大の武器であるとも芽衣子は思っていた。

 そのパワーで一蹴できないほど、重く、力強い敵が、このゴグマである。

 しかしゴグマからすれば、人間サイズでありながら、自分達と全く同じ怪力を誇る芽衣子は素直に脅威を覚える強敵であった。もし一対一で戦っていれば、遠からず彼女のパワーだけに押されて負けていたと、こと戦闘に関しては冴える勘が教えてくれる。

 この脅威の腕力を誇る、恐ろしく重くて強い人間の女を、二人がかりで相手できて良かったとさえ思えた。他のところの戦いは、どこも優勢に進んでいるようで、近い内に必ず決着がつく。最終的には、全員で彼女の相手ができる。流石にそれだけの人数差になれば楽勝だ。

 不思議と、悠斗達人間と魔物であるゴーマ達の考えは、全く同じものとなっていた。

「あの時と同じだというなら、使ってもいいかな――」

 追い詰められる。打破するためには、一時的でもいいから、今よりも強い力が必要だった。

 芽衣子は激しい攻撃を捌きつつ、決意を固める。怖くはない。むしろ、心が安らぐような嬉しさすら感じる。

 何故なら、ソレはもう今の芽衣子に残された、唯一、小太郎がくれたモノだから。

「――小太郎くん、私に、力を貸してっ!」

 一瞬の隙をつき、ポケットの中から抜き出した小さな革袋。中には白い粉末が、まだ半分ほど詰まっている。

 使用するのは、これもまた、鎧熊との戦い以来。

 そう、芽衣子は小太郎がいざという時の為に渡した、ゴーマの麻薬こと『試薬X』を使うことにしたのだった。

第132話 聞こえた声

「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 狂える獣の咆哮が、城の大広間を揺るがした。その瞬間だけは、戦いの手は止まり、思わず目を向けてしまう。

 そして、誰もが見た。

 燃え盛るような真紅のオーラを全身から迸らせる、双葉芽衣子――そう、本物の『狂戦士』の姿を。

「ぉおおおがぁああああああっ!」

 オーラの残像を残すような、超高速の踏み込み。餓えた猛獣よりも殺意に満ちた、赤い狂獣を目前にして、斧持ちのゴグマはギリギリで反応した。

「ヴゥウウッ、ヌガァアアアッ!?」

 自分よりも遥かに小さな、人間の女の一撃。だが、それを受けた瞬間に、揺らぐ。いや、吹き飛ぶ。

 今までは、腕力では拮抗していたはず。しかし、腰を落として踏ん張っても、堪えきれないほどの重さと勢いが、真紅のオーラを纏った、漆黒のハルバードには宿っていた。

「ブグゥウウ!」

 ガードした炎の大斧が弾かれ、勢いのまま、尻餅をついてしまう。

 その致命的な隙を見逃す狂戦士ではないが、仲間のピンチを見逃すほど、ゴグマも甘くはない。

「ブンガァアアアアアッ!」

 超震動ハンマーを振り上げ、追撃をかけようとする芽衣子に向かって襲い掛かる。

 そのままダウンした斧ゴグマを刺せば、ハンマーに潰されて死ぬ。殺意に狂っていながらも、冷静な判断力が残っているのか、あるいは、皆殺しにするための最適解を知っているのか、芽衣子は襲い来るハンマーへの対応に動いた。

「ぐうっ、ごっおおぉあああああっ!」

 人間を一発で床のシミへと変える、巨大な鉄槌が頭上から降って来るのを、芽衣子は『ダークタワーシールド』で真っ向から受け止める。ガギン! と強烈な金属の悲鳴が響きわたるが、リビングアーマーの大盾は、ヒビ一つ入らずに、震動粉砕の痛打を受け止めきった。驚くべきは、盾の頑丈さだけにあらず。

「うっ、うぉおおおおおおおおおおおおお!」

 踏みしめた両足が、石畳の床を砕きつつも、芽衣子の体は全く揺らがなかった。その身は肉ではなく、鋼でできているかのように、強烈な打撃を受け止めきる。

 そして、即座に反撃。

 渾身の一撃を振り下ろしたハンマーゴグマは、実は腕に痺れが走っており、すぐに反応ができなかった。一瞬の遅れが、致命的。

「ブギィイイアァアアアアアアアアアアッ!」

 芽衣子が振るったハルバードは、武技『撃震』の威力をもって、一瞬の硬直という隙を晒すゴグマを股下から襲った。

 下から掬い上げる様な一撃は、まず、ゴグマの股間を直撃。そこにぶら下がっている馬並みの男性器を、無慈悲に粉微塵の血霞へと変える。

 男の急所を完全破壊された痛みは想像を絶するが――幸いにも、その激痛を感じることはなかった。

 股間から入った『撃震』は、たっぷりと肥えた脂肪と、分厚い筋肉と、そして何でも消化し吸収する強靭な腸を抱えた腹部を、そのまま吹き飛ばす。まるで、腹の中でダイナマイトが爆発したかのような、弾け様。

 下半身を丸ごと失い、ゴグマは完全に沈黙。自らの血肉で作られた鮮血の海に溺れながら、意識が薄れゆくのみ。

「がぁあああああああああああっ!」

 ハンマー大ゴグマの上半身が床へと落ちるのを見届けることなく、芽衣子はすでに、立ち上がろうとしている最中だった斧大ゴグマへのトドメに向かっていた。

 あと1秒、相棒のハンマーが芽衣子を止めていれば、体勢を立て直すのも間に合った。だが、現実には、立ち上がる途中にある無防備な自分に向かって、勢いよくハルバードを振り上げる狂戦士が目の前にいる。

 成す術など、あるはずなかった。

 振り下ろされた『破断』は、丸太の様な太さのゴグマの首も、難なく跳ね飛ばす。

 盛大に噴き上がる鮮血のシャワーを背景に、芽衣子は転がり落ちてきたゴグマの首を、蹴飛ばした。

 敵に対する恨みがあったワケじゃない。死者を冒涜したかったワケでもない。

 ただ、次の獲物を狙うのに、ちょうどいい道具だったから、利用したまでのこと。

 頭蓋骨にヒビが入るほどの強烈な脚力によって蹴り飛ばされた斧ゴグマの生首は、投石機で飛ばされた大岩のような勢いで、隣の戦場へ飛んでいく。

「ムガァアッ!」

 横合いから飛んできた仲間の首を、風の魔剣を振るうゴグマは、軽く刃で弾いてみせた。

 剣士ゴグマは、余計な邪魔が入ったことに不満げに鼻をならしながら、自分の相手である二人へと向き直る。

 明日那と美波のコンビを相手に、戦力が拮抗している以上、ゴグマもそう易々と注意を逸らせない。

 だからこそ、もう彼の運命は決していた。

「はぁあああああああああああああああああああっ!」

 生首の直後に飛び込んできたのは、狂戦士の一撃。

 真紅のオーラを纏った、異常な殺意の塊を前に、さしものゴグマも注意を向けざるを得ない。

 本来なら、その隙を晒しただけで、明日那と美波に襲われて、致命傷を受けるはずだった。しかし、二人は動かなかった。否、動けなかったのだ。

 芽衣子の圧倒的な力の発露を前に、美波の足はすくんでいた。明日那にいたっては、ガチガチと歯を鳴らしながら、全身に震えが走って、もう身動き一つとれない有様。

 結果、狂戦士と剣士の一騎打ち。

 同じ程度の実力を誇る二体を、瞬殺してきたのだ。決着は一瞬でつく。

「ギィイイイガァアアアアアッ!」

 閃く真紅の一閃。

 まず、足首を切られて、体勢が崩れる。

 次に右腕を切り飛ばされて武器を失う。

 体が石畳へと倒れ込んだ時には、脳天に深々とハルバードの刃が叩きこまれていた。

「バラ・バラダ・――ブラドーヴァ!」

 直後、魔術士クラスのゴグマが詠唱を叫ぶ。三体もの仲間が殺され、流石に危険度の優先順位を、狂戦士へと変えざるを得ない。

 桜と涼子と小鳥の三人組を相手にしていた魔術士ゴグマは、彼女達に対して大きな炎の壁を張ることで、一時的に守りを固め、剣士を倒した直後の狂戦士へ、火力を集中した。

 轟々と迸る火炎の竜巻。巻き込まれれば、骨まで焼け焦がす大火力。

「おぉおおおああああああああああああ!」

 しかし、灼熱の炎の真正面から、突っ込んでくるとは流石に予想外であった。

 芽衣子は両手で『ダークタワーシールド』を正面に構えて、炎の竜巻の中を突っ切っている。女子としては破格の大柄な芽衣子だが、リビングアーマーの大盾は、彼女の全身を覆うだけの大きさがあった。

 際どいタイミングで炎に襲われたため、剣士ゴグマの頭に叩き込んだハルバードは引き抜く暇はなく置き去りに、芽衣子は盾のみを頼りに、魔術士ゴグマへと襲い掛かる。

「ウガ、ブギラ!」

 炎の魔法を力技で突破した芽衣子は、その勢いのまま、魔術士ゴグマへと体当たり。ガツン、という鈍い音を立てて、タワーシールドがゴグマの胴体と正面衝突。

「ブウッ、グ、オガ――」

 剣士と戦士のクラスであるゴグマでも、今の芽衣子のパワーに押されていたのだ。同じゴグマとはいえ、魔術士クラスが力で勝てるはずもない。

 体当たりをぶちかまされた勢いのまま、魔術士ゴグマは倒れ込み――気づいた時には、拳を振り上げた狂戦士が頭の上に、

「はぁああああああああああああああっ!」

 黒く渦巻くオーラの拳『鎧徹しパイルバンカー』が、ゴグマの顔面を貫き、絶命させた。

 これで、四体のゴグマは全て死亡。残るは、勇者と激戦を演じる、四つ腕の大ボスゴグマ一体のみ。

「ふ、双葉さん、もう……」

 もうこれ以上、一人で戦う必要はない。すでに戦いの趨勢は決した。後は全員で協力すれば、この大ボスは問題なく倒せる。

 しかし、悠斗は止める言葉を言い切ることはできなかった。

「ふぅー、ふぅ……」

 荒い息を吐きながら、芽衣子は腰の後ろに差していたサブウエポンの『人斬り包丁』を抜き放つ。いまだにメラメラと赤いオーラを発する彼女の目は、悠斗ではなく、ただ真っ直ぐと大ボスゴグマしか見つめていなかった。

 言葉では、止められない。

 そして何より、狂戦士の戦いに、誰も割って入ることはできないのだと、悠斗も、他の誰もが、認識した。

「うぉおああああああああああああああっ!」

「ォオガァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 最早、どちらが人で、どちらが魔物か分からない。激しい雄たけびをあげならが、狂戦士と四つ腕のボスがぶつかりあう。

 剣が、斧が、ハンマーが、同時に、あるいは連続的に、間合いへ飛び込んできた芽衣子を襲う。彼女の武器は、ハルバードに比べれば、遥かに小さな刃の包丁。どれも巨大で、さらに強力な能力を持つボスの武器と打ちあうには、あまりに頼りない。

 しかし、これはただの包丁ではなく、『人斬り包丁』である。血に飢えたその刃は、強大なボスの武器とも真っ向から渡り合う。

「ふっ、ぐ、ぬぅうううううううっ!」

「グハハ、ウォガァアアアアッ!」

 しかし、手数が二倍の四本腕を相手にすると、流石に分が悪い。押される。小太郎秘蔵の試薬Xによって、リミッターが外れたような力を発揮する芽衣子でも、大ボスゴグマの手数とパワーは簡単に覆すことはできない。

「ブラ・ダブラ・ディゴラ――ジグラズドッ!」

 そこへ、四本目の腕に握られた、魔法の杖が雷を放つ。バリバリと迸る稲妻は、蛇のようにうねりながら、肉薄する芽衣子を正確に狙う。

 魔法の行使と同時に、武器を振るい続ける大ボスゴグマを前に、芽衣子は回避も防御も許されない。

「――弾けっ、『反射リフレクター』っ!」

 そこへ、勇者の剣が割って入った。

 芽衣子の背中を襲うはずだった雷の束は、悠斗の振るう光の剣によって、ことごとく打ち払われた。

「ごめん、双葉さん、動くのが遅れた。俺も戦う、いや、俺なら、君に合わせて戦える」

 芽衣子に礼の言葉はない。だが、彼女が一瞥だけしてくれただけで、悠斗は十分だった。

「はぁあああああああああああっ!」

「うおぉおおお――『一閃スラッシュ』っ!」

 二体一となり、形勢逆転。元々、ボスは悠斗一人を相手に拮抗状態だったのだ。ここに、狂戦士が加われば、捌き切れる限界を越えるのは明白であった。

「ムガッ、ブグッ、ヌガァアアアアアアアアアアッ!」

 四本腕による連撃も、勇者と狂戦士の二人を相手に振るわれれば、手数は半分、普通の相手をするのと大差はない。そして、その程度の力で、この二人の猛攻を抑えるには、到底足りなかった。

「がぁああああ――ふんっ!」

「そこだ――『三裂閃トライ・スラッシュ』」

 赤いオーラが渦巻く『人斬り包丁』の一閃が、右腕を切り飛ばす。光り輝く剣から繰り出す高速の三連撃が、左腕を寸断する。

 ボスは両腕と、剣とハンマーを失った。単純に戦力は半減。戦いの趨勢は、一気に傾く。

「ヌグググゥ……ゴブル・ゼン・ジブラルガ――」

「あっ、危ない! 蒼真君、逃げて! ボスが自爆しようとしてるよーっ!」

 小鳥遊小鳥の叫びに、踏み込もうとした悠斗の足が止まる。

 勝負は決したことを、ボスもまた悟ったのだろう。このままでは勝てない。ならば、強敵達を諸共に道連れ。魔物であっても、大勢のゴーマを率いる王としての矜持、または、戦士としての誇りがあるのかもしれない。

 その精神性は、悠斗としても素直に讃えられるものだが、それに巻き込まれて死んでやるつもりは毛頭ない。故に、後ろへ退く。

「うぉおおおああああああああああああっ!」

 しかし、狂戦士に後退の二文字はありえなかった。

 自爆用の魔法が走り始めた雷の杖が眩しく発光しつつ、ボスは残った斧一本を振り回して、発動までの最後の時間を稼いでいる。

「双葉さん! くそっ――」

 ボスは意地でも倒れない。芽衣子であっても、あと数秒で完全にボスを殺し切るのは難しい。かといって、今の彼女を抱きかかえて、逃げるだけの余裕もなかった。

「兄さん、逃げて!」

 一瞬、桜の声に甘えそうになった自分を、悠斗は心の底から恥じた。

 逃げられるか。この状況で、自分だけ、逃げてなるものか。

 双葉芽衣子を、彼女も守ると、誓ったばかりだ。今こそ、彼女を守るべき時。

 覚悟が決まれば、不思議と力は湧いてきた。手にした光の剣に、更なる輝きが宿る。

「――『刹那一閃ネロ・ライトニング』っ!」

 迸る、白い光の斬撃。長大な輝く刃は、壊されまいと高々と掲げた、ボスの握る雷の杖を、腕ごと消し飛ばす。

 超威力の必殺技をピンポイントで狙い撃ち、もとい狙い斬れたのは、ただの偶然か。あるいは、誰かを守るために呼び起された、新たな勇者の力か。

「グガッ、ブゥウウウガァアアアアアアアアっ!」

 ボスの叫びは、腕を消滅させられた苦悶の声か。それとも、道連れの自爆技を止められたことの無念か。

 最後の雄たけびを上げるボスに向かって、狂戦士がトドメの刃を振り上げていた。

 今の芽衣子には、誰の声も届いていない。

 自爆を見切った小鳥の叫びも、桜の兄を呼ぶ声も、悠斗の決死の援護も、そして、目の前で死に抗うボスの絶叫も。

 クスリを使って暴走したとは思えないほど、芽衣子の頭の中は冷静だった。心が落ち着く。

 それは、声を聞いたから。


「殺せ」


 確かな殺意の籠った声だった。


「斬れ」


 自分でも、仲間の誰でもない声。


「切って、斬って、殺せ」


 男のものか、女のものか、判然としない謎の声音だった。けれど、その言葉は確かに芽衣子の耳に届いた。

 否、頭の中に響いていた。それはさながら、神の声のように。


「斬り殺せぇええええええええええええっ!」


 殺意の叫びを、芽衣子はどこまでも落ち着いた心で聞き届けた。

「うん、いいよ」

 子供の我がままを叶える、母親のような気持ちで、そう心の中で答えた。

「斬ってあげる。殺してあげる。私が、この手で――」

 それは、ただの慈悲でもない。気まぐれでもない。芽衣子には分かっていたから。それが、一番、お互いにとっての利益になると。

「――だから、力を貸してね、『人斬り包丁』」

 そして芽衣子は、呪われた武器『人斬り包丁』の声を聞き届け、その力を引き出すに至った。


『声を聞く者』:遥かなる声を聞け。拒まず、狂わず、しかと聞き届けよ。


 天職『狂戦士』となって得た、三つ目の初期スキル。頭の中に刻まれた、その説明の通り、芽衣子は呪いの声を、拒まず、狂わず、しかと聞き届けてみせた。

 故に、握った『人斬り包丁』から、力が湧き上がる。

 ジワジワと火だねが燻り、そして、いよいよ火が点いて広がったように、その刃から、黒いオーラが噴き出した。

 すでに放出されている真紅のオーラと、呪いの力の具現である漆黒のオーラは、互いに混ざり合い、赤黒い禍々しい揺らめきとなって、刀身を迸っている。

 抑えきれないほどの、力がみなぎる。

 いや、抑える必要などない。この力を全てぶつけるに相応しい敵が、もう、目の前にいるのだから。

「――『黒凪』」

 その一撃は、ボスの首を薙いだ。

 あっけなく飛ぶ、一つ目に雄々しい二本角の頭。一撃必殺とばかりに、綺麗に命を刈り取り、勝負を決した。

 しかし、一度解放された力は、それだけでは収まらなかった。

「あぁあああああああああああああああああああああああっ!」

 返す刃で、首元に突き立てる。深々と差し込んだまま、思い切り、斬る。ボスの硬質な皮膚、分厚い筋肉、そして身に着けた鎧。全てまとめて、上から下まで切り裂いた。まるで、上着の閉じたチャックを下ろすかのように、軽々と『人斬り包丁』の刃は通り過ぎて行った。

 胸と腹、胴体を真正面から切り開かれて、ドっと噴き出る血飛沫と、零れ落ちる臓物の数々。

 芽衣子は、目の前にいっぱいに広がる、赤黒い血肉の塊に向かって、さらに刃を振るった。

「うぅうううがぁあああああああああああああっ!」

 切って、切って、斬りまくる。刺して、引き裂き、八つ裂きに。

 芽衣子の凶行を止められる者は、誰もいなかった。

 鮮血の嵐の中で、踊るように刃を振り続ける彼女の姿に、流石の悠斗も声のかけようがなかった。

「――ふぅ、はぁ……あぁ……お腹、空いたな……」

 どれだけの間、その凄惨な解体ショーを見せつけられたのか。時間の感覚がマヒしそうな中で、芽衣子のつぶやきと共に、それは唐突な終わりを迎えていた。

 同時に、彼女の体は糸が切れた人形のように、その場にばたりと崩れ落ちた。

「双葉さん!」

 真っ先に駆け寄る悠斗。

 それに続いて、涼子が正気を取り戻して、その後に続いた。

「双葉さん、大丈夫か! しっかりしてくれ!」

「悠斗君、落ち着いて、彼女は無事よ。前に、似たような状態になったのを見たことあるわ。多分、桃川君のクスリを使ったせいで、体力を大幅に消耗したの。今は、疲れて眠っただけだから」

 初めてダンジョンで、小太郎と芽衣子のコンビの遭遇した時のことを、涼子ははっきりと覚えていた。あの時、倒れていた芽衣子は、ゴーマの麻薬を使用したことで、体力の限界を迎えて寝込んでいたのだと、小太郎から説明されている。

 今回も同じパターンだというのは、すぐに察しがついた。

「く、クスリって、それって危険なモノなんじゃないのか! 双葉さんの狂いぶりは、どう考えても以上だったぞ」

「桃川君は『呪術師』だから。リスクはあるけど、強力な効果の薬を作る能力があってもおかしくないわ」

「前にも、と言ったとよな? その時は大丈夫だったかもしれないけど、今回はどうなるか分からないじゃないか」

「見たところ、呼吸もしっかりしてるし、脈拍も正常よ。何より、双葉さんは強靭な肉体の『狂戦士』だから、すぐに回復するはず。それよりも、今は一刻も早くコアを回収して、ここを脱出しましょう」

 涼子の冷静な呼びかけに、悠斗も頷かざるをえない。

 ここで、危険な薬を芽衣子に与えた桃川小太郎に対する疑念を深めている暇はない。ボスは全て倒したが、芽衣子は倒れ、他のみんなも消耗している。

 ゴグマのボス達の戦いに手出しするつもりはなかったのか、城のゴーマ兵達は、まだ戦いの終わった広間へ踏み込んできてはいない。しかし、いつ奴らが雪崩れ込んできてもおかしくはなかった。

 涼子の指示で、美波は手早く、倒れた四天王ゴグマと大ボスゴグマからコアを回収し、武器も拾おうとしたところで、大きすぎて誰にも扱えないと察して、諦めて戻ってきた。

「さぁ、行こう! 転移魔法陣のある部屋は、あの階段の向こうだよ!」

 美波の先導に従って、悠斗達は死闘を繰り広げた大広間を後にした。

「くそ、結局、俺はまた彼女の力に頼ってしまっただけなのか……」

 気を失った芽衣子を背負って走る悠斗に、勝利の喜びは微塵もなかった。背負った芽衣子の体は、今の悠斗にとっては、羽根のように軽い、ただの女の子だとしか思えない。

 そのことが、さらに悠斗の心を悔やませた。

 自分自身の悩みに沈んでいたからこそ、気づかなかった。背負った芽衣子の、さらにその背中に担がせてきた、彼女の武器にして、ボスを仕留めた『人斬り包丁』が、変化を始めていたことに。

 黒いオーラに包まれた中で、その刀身が、さらに長く、分厚く、凶悪に、進化を果たす。


『八つ裂き牛魔刀』:人も魔物も、等しく切り裂く牛刀。

第133話 強い男

 眩い転移の輝きが収まり、目を開くと、そこにはもう鬼気迫る表情のゴーマの大群の姿はなく、静かな妖精広場であった。

「……みんな、無事に転移できたみたいだね」

 ちっ、レイナの奴め、ちゃっかり転移するっていうタイミングで戻ってきやがって。

 お前、本当はもっと早く戻って来れたけど、僕らのボス戦に参加したくないから、わざと遅れただろう。

 ギリギリでセーフだったよぉ、ふぅー、みたいな幼稚な演技で、僕を騙せると思うなよ。

「良かった、レイナちゃん、無事に戻ってきて……本当に良かったあぁーっ!」

 しかし、はじめてのおつかいから帰還した孫娘を見るお爺ちゃんみたいな勢いで、レイナの無事を喜ぶ山田のせいで、レイナを責める雰囲気でもない。

 まぁいい、今回は見逃してやろう。相手の非を叩くのにも、タイミングってのがある。その辺を分かってないと、蒼真桜とか剣崎明日那みたいに、余計な軋轢を生むことになるのだ。ああ、嫌だね、無駄な正義感ってのは。

「とりあえず、みんなお疲れ様。まずは、ゆっくり休もう」

 食事も風呂もあとでいいや。僕としては、今すぐ眠りたい。実際、戦いは真夜中だったしね。

「桃川くんも、お疲れ様。一人でボスを倒してしまうなんて、凄いよ……けど、ごめんね、ボクらがあまり役に立たなくて」

「みんな十分、頑張ってくれたよ。今回は、たまたま僕が上手く倒せる手段を持ってただけのことだから」

 実際、『クモカエルの麻痺毒』はあの一発で使い果たしてしまった。補充できない限り、二度目はない。

「それでも、やっぱり桃川くんは凄いよ。ボクらだけだったら、絶対にここまで辿り着けなかった」

 まぁ、それはそうかもね。あのバラバラでドロドロなパーティ事情じゃあ、勝てるモノも勝てない。

「ふわぁ……」

「あっ、疲れているところを、ごめんね。みんなのことはボクが見ておくから、桃川くんは、ゆっくり寝てて」

「あー、ごめん、そうさせてもらうよ」

 魔力消費はそれなりだけれど、何よりもイチかバチかの大勝負を終えたことで、ドっと疲労感と安堵感に満たされて、体が休息を求めているのだ。ああ、もう動きたくないし、何も考えたくない。

 ヤマジュンのお言葉に甘えて、お休みなさーい。




「……ちょっと、久しぶりな気がするな」

 目覚めると、暗黒の神様時空。前にここへ来たのは、バジリスク討伐後に『蠱毒の器』と『魔女の釜』を授かった時だ。

「我が信徒、桃川小太郎」

「はい、どうも、ルインヒルデ様、ご無沙汰しております」

 お決まりの呼びかけで登場してくる、漆黒の髑髏こと呪術の神ルインヒルデ様。今回は目覚めからして意識がハッキリしてたから、その恐ろしい死神フェイスにビビることなく、僕は折り目正しく返事をすることに成功した。

「うむ、そなたは成すべきことを、自ずから成しておる」

「ありがとうございます!」

 多分、褒められているニュアンスだから、元気よく感謝の言葉を叫ぶ。

 正直、僕もこの残念なメンバーを率いて、よくゴーマの砦を越えたと思っている。努力が認められれば、素直に嬉しい。

「そなたの欲するところを成せ」

「はい」

 今更だけど、ルインヒルデ様を崇めるにあたっての、教義とかタブーとかってあるんだろうか。

「自ら課すが故に誓約は力となる。王であれ、神であれ、その言に縛られるは鎖でしかない」

 ふむ、どうやら自由を尊重してくれる模様。難易度を上げたければ、自分で縛りプレイしてどうぞ、って感じか。

「新たな呪術を授ける」

 いよいよか、と体をこわばらせていると、ルインヒルデ様がそっと僕の両肩に手を置いた。

 あっ、これ、何か嫌な予感が――バリッ!

「えっ……」

 気が付けば、僕は自分で自分を見つめていた。僕の姿は、半分になっている。右半身と左半身だけ。体を縦に真っ二つ、ってな状態で。

 いや、ちょっと、嘘でしょ。久しぶりにコレは、エグいやられ方――

「うぅわぁあああああああああああああっ!?」




「ハっ!?」

 目が覚めて、まず自分の体がくっついてることに安堵する。

 こ、これは久しぶりに強烈なヤツがきたな……一瞬の内に体を頭から股まで引き裂かれたんだろうけど、痛みを感じる前にショックが大きすぎた。本当に、このテの凄惨な授け方はいい加減にやめて欲しい。けど、ルインヒルデ様の芸風としては無理なんだろうな。

 強力な新呪術は欲しい、けど残酷体験はイヤだ、というジレンマはこの異世界で戦い続ける限り逃れられそうもない。

 そんな辛い体験を乗り越えて、今回授かった新たな呪術の能力は……

「んっ?」

 声が聞こえた。話し声だ。

 うーん、何だよ、ちょっとお喋りの声が大きいんじゃあないのか。僕はこれから新呪術の確認という大事なお仕事が、などと文句を脳内でこねながら、不快な騒音へと、うすぼんやりと目を開けて見やる。

「……んん?」

 そこで、僕は見知らぬ人影を見た。何だ、誰だ。

 そう認識した瞬間、寝ぼけた頭は急速に回転を始める。当然だ、無防備に眠りこけているって時に、知らない野郎が現れたら、危機感は瞬時にMAXだ。

「ちょっと、そこにいるのは……」

「あん?」

「ああ、起きたのかい、桃川君。ふふふっ、おはよう、お寝坊さん」

 知らない奴は、二人。どちらも男。すでに眠気は吹き飛び、僕は警戒心全開で目の前の光景を確かめる。

 一人は、坊主頭に、錆びたナイフのような眼つきの男子。一昔前の暴走族にいそうな険しい雰囲気だが、彼は天道君や樋口と違い、品行方正なスポーツマンである。

 彼は空手部、大山大輔だ。

 もう一人は、平均身長の大山君と並んでも頭一つ分は大きい、クラスで一番デカい男子だ。ソフトモヒカンをバッチリとキメているが、丸眼鏡をかけた目はいつも微笑んでいるように細く、大山君とは対照的に温和な印象を与える。しかし、その上背に加えて、熊のような体格の大男であるため、笑っていてもどこか威圧感が漂う。

 彼は柔道部の、杉野貴志である。

「……どうして、二人がここに」

「はぁ? なぁに寝ぼけたコト言ってやがる。俺らが戻ったら、テメェらが勝手にいたんだろうが」

 眉をひそめて、全力で僕にガンを飛ばしながら大山が言う。

「ふーむ、私達が出かけている間に、ここへ転移してきたと見るが、どうだい?」

 一方の杉野は、一種のポーカーフェイスともいえる微笑み顔のまま、僕を見下ろしている。

「あー、うん、その通りだよ。そっか、先に二人がここまで来てたんだね」

 二人の厳しい視線には、気づかないフリ。何気ない会話を装いながら、僕は全力で二人の様子を探り、考える。

 今のところ、言葉通りに嘘は特にないだろう。大山杉野コンビは、先にこのエリアに辿り着き、ここの妖精広場を拠点にして探索を続けている最中だった。そこへ、僕らが一番乗りだと思ってやってきたワケだ。

 落ち着いて、よく妖精広場を見渡せば……隅の方に、生活をしている跡が確かにある。

 くそっ、転移に成功して安全地帯に逃れた安心感で、僕はロクに広場を点検もせずに眠りこけてしまった。先に確認して、この痕跡を発見していれば、クラスメイトの登場を予想できたのだが……落ち着け、まだ交渉は始まったばかり。寝首をかかれなかっただけ、十分だ。

「けっ、そんなモン見りゃあ分かんだろうが。眠てーなら、まだ寝てろや、桃川」

「うん、話ならヤマジュンとつけられそうだしね。桃川君は随分とお疲れのようだし、私達のことは気にせず、寝ててもいいよ」

 僕のことを馬鹿にしているのか、それとも心からの優しさなのか。いつも怒ってるような雰囲気の大山に、いつも笑っているような感じの杉野である。二人の本心は、いまいち分かりづらい。

「ごめん、悪いけれど、ボクだけじゃあ話はできないよ。ボクらのリーダーは、桃川くんだから」

 二人へと先頭切って相対しているのは、やはりヤマジュンである。彼の後ろに、野次馬のようなお気楽な表情で、成り行きを見守る上中下トリオと、さらにその後ろに山田が立つ。

 そして案の定、こういう時だけ山田を盾にして、レイナは隠れていやがる。おい、そこのクソニート、引き籠ってんじゃねぇぞ、コラ、部屋出てこい、ちゃんと親戚に挨拶しないさい。

「へぇ、桃川が? おいおい、お前らよぉ、こんなチビに頼るとか、男として恥ずかしくねぇのか」

「ふむ、ということは、よほど強力な天職を授かっているのかなぁ」

 大山が僕のことを何だか盛大にディスっているようだが、彼は何かにつけて「男らしさ」とやらにこだわっているらしい、というのは聞いたことがある。だとすれば、見た目からして、すでに男か女か子供か分からない僕みたいな人間は、ハナっから気に食わないのだろう。

 まぁ、苦手な人とか、ちょっと生理的に無理っていう人はいるもんだから、別にいいけども、この状況下で余計な反感を買っている状態からスタートするのはよろしくないな。

 杉野の方は、顔の通りに基本的に温和な性格で、ヤマジュンほどではないがそれなりに社交的だ。基本的には良い人で、悪い噂は聞いたことがない。

 けれど、彼もまたこのダンジョンを突き進んできた者の一人。明らかに、僕を警戒している。

「えーと、そんなに警戒しないで、まずはお互いに自己紹介でもしない? 僕の天職は『呪術師』で、大した戦闘能力はないよ。リーダーってのは、ただ何となく、そんな感じになってるだけかな」

「ボクは『治癒術士』だよ。桃川くんは、確かに戦う力は弱いけれど、とても頭が回るんだ。彼の機転のお蔭で、ボク達はここまでやって来れたから、名実ともにリーダーに相応しいと、みんなが認めているよ」

 いやぁ、それほどでも、と照れている場合ではない。流石はヤマジュン、僕の胡散臭い自己紹介を、見事にソレっぽくフォローしている。ヤマジュンが言うから、僕は頭脳面で活躍してリーダーやってます説に、信憑性が出るのだ。

「……へぇ、そうかよ」

「なるほど、ふむふむ、桃川君の意外な才能が開花といったところだね。それじゃあ、私達も天職を紹介しようかな」

 なるほど、とはこっちの台詞だよ。どうやら、会話の主導権は杉野が握っているらしい。大山は明らかに間を置いて、適当な相槌の台詞しか言わなかった。

 つまり、大山は流れに任せて自己紹介、つまり自らの天職を明かすべきかどうか、迷ったのだ。

 その直後に、平然と杉野が自己紹介に乗った。

 杉野はバカじゃない。学業成績もクラスで上から数えた方が早いくらいだし、何より、全く感情の揺らぎを見せない微笑みのポーカーフェイス。

 間違いない、彼は樋口と同じように、腹の底で何を考えているか、どこまで考えているのか、決して他人に悟らせないだけの強かさを持っている。

 ああ、嫌だな、このテの人間を敵に回したら、相当に厄介だ。できれば、いや、何としてでも、ここは上手く協力の方向にもっていかなければ。

「俺の天職は『炎魔術士』だぜ」

「私は『重戦士』だよ」

 二人の天職は、概ね予想通りであった。まぁ、格好を見れば大体、察しはつくよね。

 大山は、学ランをどこかで脱ぎ捨ててきたのか、上半身は真っ赤なタンクトップが一枚きりだ。普段の制服姿では分かりにくいが、彼の体は空手部に相応しい、いや、普通の高校生の空手部員でも稀なほど、相当に鍛えられている。タンクトップの胸元はガッチリとした胸筋でピチピチになってるし、剥き出しの肩から二の腕にかけては、見事な筋肉の盛り上がりを見せている。それでいて、全体的には細身に見えるほど引き締まっているのだから、彼の鋭い雰囲気を含めて、まるでカンフー映画の主人公のようだ。

 鍛え上げられた肉体を誇る大山だが、その身には武器が一つもない。タンクトップに制服のズボンだから、ナイフを隠し持っているようには見えない。もし暗器使いなら、隠し場所のために学ランは絶対に着込むはず。

 天道君のように武器を召喚するタイプでなければ、大山の戦闘スタイルは自然と、武器を使わない方向性に限られる。で、武器ナシの天職といえば、最も可能性が高いのは魔術士クラス。彼の自己紹介が嘘でなければ、まぁ、順当に予想通りだといえるだろう。

 そして、相方である杉野の方だが、彼の姿は……正直に言おう、アホだと思った。

 学ランもワイシャツも下着としてのシャツすらない、上半身裸。流石に制服のズボンは履いているのだが、上半身は完全無欠に裸であるのだ。

 僕が一瞬で危機感を覚えて眠気が吹き飛んだのは、主に杉野のトップレスファッションのせいである。

 あえてツッコまずに話をここまで続けてきたが……ああ、下手にツッコまずに本当に良かった。一応、その格好には妥当性があるのだから。

 杉野の天職は、山田と同じく『重戦士』。となれば、当然その肉体は、二重の防御系スキルによる、強固な守りがあるはずだ。体そのものが、鋼の如き硬さを誇るが故に、衣服も鎧も必要としない。

 でも、それにしたって、シャツくらいは着ててもいいんじゃないだろうか。もしかしたら、激しい戦闘の末に擬態カイコでも修復不能なレベルで衣類が破れ去ったのかもしれないが、いやでも、ゴーマのボロ布でもいいから羽織ってくれ。

 大山とは対照的に、横にも大きくなるよう鍛えられた肉体は、オリンピック中継でみた柔道選手と比べて、遜色がないほど立派なものだ。

 そんなガチムチボディを惜しげもなく晒しつつ、巨大なメイスを背負っている。鉄の鎖の固定具だけが、彼の体にたすき掛けに巻かれていて……うん、どこからどう見ても、変態だぁ……

「――と、三人はそれぞれ『剣士』『戦士』『水魔術士』だよ」

 僕の代わりに、ヤマジュンがみんなの天職を紹介していく。その間に、僕は次の出方を考える。

「はぁーん、まぁ、見た目通りだな」

「あと、山田君も『重戦士』」

「へぇ、私と同じ天職に出会ったのは初めてだよ」

「それと最後に、『精霊術士』の綾瀬さん」

「なんだ、もう一人いたのかよ。隠れてんじゃねーよ」

 そーだぞ、隠れてんじゃねーぞクソニート。

「まぁ、女の子が一人だけというのなら、怯えて隠れているのもしょうがないだろうねぇ」

 ちょっと、ニートを甘やかすようなことは言わないでくれよ。速攻で調子に乗りやがる。

「それで、僕達はみんなでダンジョンを脱出しようと思って、一緒に行動しているんだ。良かったら、大山君と杉野君も仲間に加わって欲しいんだけれど――」

 結局、僕は単刀直入に本題を切り出すことにした。

 この二人は、是が非でも仲間に入れておきたい。二人がここにいる、というだけで、すでにダンジョンを攻略してきた実績が証明されている。そうでなくても、大山と杉野からは、山田や上中下トリオとは一線を画す、気迫というか凄みというか、そんな気配を感じる。

 恐らく、戦えば負ける。レイナが本気を出さない限り、勝てないだろう。

 さて、自分よりも強い者に出会ったならば、どうするか。選択肢は二つ、逃げるか、媚びるかだ。そして、こうして会話が成立しているならば、さらに交渉という新たな選択肢も生まれる。

 ここは二人が、クラスのみんなで助け合って脱出を目指そう、という正義と平和と友愛に満ちた蒼真桜も納得の大義名分に同意してくれれば、話は丸く収まる。緊張のピンチは一転、強力な新メンバー加入によって、これからのダンジョン探索も明るい。

 さらに言えば、杉野なら、僕に代わって力も知恵もあるリーダーになってくれそうだ。正直、僕はもうこのポジションに疲れた。今まではどうにかこうにか、みんなのイニシアチブを口先と悪知恵で奪ってきたが、決定的に力に劣る僕は、常に反乱の危険が伴う。いつまでも、僕が上手にみんなを従わせることができるかどうか、他ならぬ僕自身が疑っている。

 だが、僕の直感通りに杉野が強ければ、多少の無理も押し通せる強力なリーダーシップを持つ人物ということになる。支配構造は、シンプルな方が盤石なのだ。

 そんな僕の思惑はさておいて、二人の答えは如何に。

「はんっ、どうやら、まだ寝ぼけているようだな、桃川」

「うん、素晴らしい協力関係だと思うけれど……残念ながら、私達は協力できそうもないねぇ」

「僕らが五人以上でパーティを組んでいる時点で、寝首をかく意味はないと思うけど」

「ああ? なぁに言ってやがる」

「別に、君たちの罠や裏切りを警戒しているワケではないんだよ」

「だったら――あ、そうか、やっぱり、脱出枠にかけてるんだね」

「ご名答。なるほど、桃川君、確かに君はリーダーに相応しい」

 ニヤリと杉野の笑みが深くなる。同時に、背筋に悪寒が走った。まるで、獰猛な肉食獣が獲物を見る様な、いや、違う、コレは同種のライバルに向ける威嚇の顔つきだ。

 焦って話を略しすぎた。もっと馬鹿なフリをするべきだったか。お蔭で、杉野は油断なく、僕と相対することになってしまった。

 つまり、この二人とは始めから交渉の余地などなかったんだ。なぜなら、三人の脱出枠を大前提に行動しているから。杉野は、大山とただ二人きりで、このダンジョンを脱出すると決意しているに違いない。

 そうだとすれば、あ、なるほど……二人がガチホモカップルでかなり進んだ関係にあるという噂は、本当だったんだ……

「分かった、僕らは二人に構わない。今すぐ、この妖精広場を出ていくよ。それとも、先にスタートしたい?」

「無益な争いは避けたい、といったところかな?」

「そっちも同じのはずだ」

「それはどうかなぁ」

「僕の天職は『呪術師』だ。僕を殺せば、相手も道連れに殺せる呪術を持っている」

「おっと、安心してくれ桃川君。何も私達は、他のクラスメイトを皆殺しにしたいワケじゃあないんだよ」

 微笑みのポーカーフェイスが破れない。くそ、出して当然の妥協点だというのに、どうして乗って来ない。杉野、コイツは僕らと戦うつもりなのか、それとも見逃すつもりなのか。

 腹の底で、何を考えている――

「おい! グダグダといつまでも下らねぇこと喋ってんじゃねぇぞ、桃川! いいからテメーらは、ありったけのコアを出しやがれ!」

 なるほど、そう来たか。僕が結論を出すよりも前に、短気な大山が答えを教えてくれた。

「まぁ、簡単に言えばそういうことになるね。どうかな、桃川君、ここは私達に、大人しく君らの集めたコアを全て譲ってはくれないかなぁ」

 つい目の前のダンジョンやボスの攻略に集中しがちだが、最終的には相当量のコアを集めなければいけないことが予想されている。真っ当に天送門でも脱出を考えている彼らなら、起動用のコア収集は優先事項の一つだ。

 勿論、僕らだって要所でしっかり回収している。特に僕はレムの強化にも使えるし。全員での脱出予定とはいえ、そう簡単に集めたコアを手離すわけにはいかない。

「……半分でどうかな」

「ふふふ、あまり欲をかきすぎるのは良くないよ、桃川君。折角、穏便に事が済むところだったのに――」

 という台詞の途中で、杉野の姿がブレる、と思った瞬間には、もう視覚の外へ。

 は、速い!? あの巨体で、なんて速さだ。突如として動き出した杉野を視線で追う。

「うわっ!」

「うおっ!?」

 走り出した杉野は、呑気にボーっと野次馬していた上田と中井をタックルの要領で軽く弾き飛ばす。攻撃のつもりはなかったのだろう、二人に負傷は見られず、ただ突き飛ばされて転んだだけ。

 ならば、杉野の狙いは――

「うわっ! なんだ、なんだよオイ!?」

 気が付けば、山田が杉野に捕まっていた。チョークスーリパーのように、ガッチリと太い腕を首にかけて拘束しており、すでにして山田は苦しげな表情だった。

「いいかい、桃川君。今すぐ、全てのコアを渡すんだ」

「お、おいぃい、やめっ、苦しっ……う、うぐっ、く……」

 ギリギリと首を締め上げられ、あっという間に山田は白目を剥いて気絶した。

「ふふ、見たところ、君たちの中で一番、戦闘能力が高いのは山田君だろう? 重戦士の防御の固さは、私もよく知っているからね」

 正に、プロの格闘家が素人を相手するように、圧倒的な勝利。まさか、僕もあの山田がこんな一瞬の内に無力化されるとは予想もしていなかった。

「まぁ、だから弱点も知ってるんだけどね。体は硬くても、息はしているし、血も流れている。首を締めてやれば、ほら、この通り」

 杉野がパっと腕を解放すると、山田は力なく膝から崩れ落ちて、無造作に地面へと倒れ込んだ。

「分かった、コアは全部くれてやる」

「ありがとう、桃川君、賢明な判断だよ。お蔭で、私達もクラスメイト相手に強盗せずに済む」

 山田のダウンを見て、杉野の要求に従わない者などいない。少なくとも、普通の面子な僕らの中には、彼の戦闘力に抗う力も、精神力もありはしない。こういう時、蒼真桜とかあのテの頑固な輩がいると、余計に話が拗れて被害も拡大するんだよね、横道の時みたいに。

 そうでも思わないと、なかなか、素直にコアを差し出すという屈辱には耐えがたい。

 くそ、ちくしょう……樋口は倒したのに、まさか別の奴らに奪われることになるは……

「ふむ、思ったより少ないけど、君たちの力ではこんなものだろうねぇ」

「おい、まだ隠し持ってんじゃねぇだろうなぁ?」

「それで全部だよ。疑うなら、気が済むまで調べればいい」

「生意気な口ききやがって、桃川ぁ」

「まぁまぁ、素直に応じてくれたんだ、これ以上、手荒な真似はしたくないんだよね」

 イキる大山に、杉野が笑顔で肩に手を置いて止める。何気ない動作だけど、どことなく肩を撫でる杉野の手つきがやらしい。あっ、今、鎖骨を指で撫でたよね? そういうの、なんかガチっぽくて怖いんですけど……

「ちっ、しゃあねぇな、これで勘弁しといてやる」

「私が言うのも何だけど、できればクラスメイトと戦いたくはないし、殺しもしたくはない。だから、コアのことは諦めて、またイチから頑張って欲しい」

「分かってる。とり返そうなんて、思っちゃいない」

 それをやったら、今度は殺す、という宣告だ。殺したくない、というのは本音だろうが、かといって、危険とみれば容赦なく殺せる。カッコつけてるんじゃなくて、本当に、杉野はそういうことができる男だ。

「それじゃあ、私達はこれでもう行くよ。君らを含めて、クラスのみんなが、無事にこのダンジョンから脱出できることを、心から祈っているよ」

 そんな皮肉、いや、素直な本心か、それだけ言い残し、二人は去って行った。

第134話 白雲エリア

「えー、見事にコアをカツアゲされちゃいましたが、張り切って新エリアの攻略にいきたいと思いまーす」

 どんよりした表情で、どんよりした雰囲気のみんなに、僕はそう宣言する。

 命あっての物種。コア強盗はされてしまったが、僕らは傷一つ負っていない。合理的に考えれば、さっさと行動を起こして、後れを取り戻すのがベストな選択だろう。

 ゴーマの砦攻略戦では、とにかく転移で脱するだけで精一杯だったから、ロクに武器も素材も回収できていない。

 僕としては、レムの強化素材も早く集めたいところ。性能次第では、杉野大山にも対抗できる可能性があるのだから、現状、最も期待できる戦力はレムだと思っている。何より、レムが強くなればなるほど、僕も安心だし。

「みんな、もっとヤル気を出して、おー、とか言ってよ」

「そりゃあ無茶ブリだべ、桃川」

 だよねー、僕だって正直、ヤル気が急降下だよ。ハクスラゲーで手に入れたレア武器を、雑魚敵の不意打ちで理不尽にやられて失った気分だ。

「気が乗らないのは確かだけど、もう休息も十分にとった。そろそろ動き出さないと、体も鈍るし、もっと気分もダレてくるよ」

「はぁ……しゃあねぇ、行くか」

「あー、くそ、マジで無駄に損した気分だぜ」

 渋々といった様子で、上田と中井が立ち上がる。下川も二人に続き、トリオは出発準備完了といったところ。

「山田君、大丈夫? まだ気分が優れないのなら、無理しなくても」

「……いや、大丈夫だ」

 杉野に瞬殺されたことが意外とショックだったのか、山田の表情はメンバーの中で一番暗い。天職『重戦士』になってから、痛みとは無縁の戦いを続けてきたせいで、その恐ろしさを、敗北してあらためて思い知らされた、といったところだろうか。

 さて、これから山田はビビって使い物にならなくなるか、それとも敗北を糧に成長できるのか……高みの見物を決めたいところだけれど、ちくしょう、前衛の要である重戦士がダメになったら僕が困る。面倒だが、山田が戦士として折れないよう、精神的なフォローってのも考えないと。

 うーん、この案件はヤマジュンに丸投げで。

「それじゃあ、行こうか」

 杉野大山のゲイカップルが荷物をまとめて出発したのは、もう何時間も前のこと。すでに二人はこのエリアを突破する算段がついたといった感じで、イチから攻略を始める僕らが、追いつく可能性はないだろう。しかし、下手に遭遇すると、次は殺し合いに発展しかねないし、慎重に進みたい。

 もっとも、今はあの二人のことよりも、目の前のダンジョン攻略に集中すべきだけど。ただでさえ、大した戦力はないのだ。その上、注意力散漫で士気も低いとなれば、本当に理不尽ハクスラゲーみたいに、雑魚相手に即死かもしれない。

「うおっ、何だよココ」

「なんかモコモコしてて、妙な感じだな」

「どっかのアトラクションみたいだべ」

「わぁー、なんだか雲みたいだねー」

 広場を出てすぐ、これまでにない異様なダンジョンの構造に、それぞれが感想を漏らす。

 確かに、レイナの言うように雲のような場所だ。より正確に言うなら、雲の王国的なイメージで、遊園地のメルヘンチックなアトラクションを作りました、みたいな感じ。

 通路の広さや、空き部屋など、構造自体はこれまでの石造りの基本エリアとそう変わりはない。しかし、壁にはフワフワモコモコの雲をデフォルメしたような、クッションみたいな柔らかい素材で全面が覆われている。試しにナイフで切って見れば、あっさりと刃は通る。どうやらスポンジのような素材らしい。

「明らかに今までのエリアと違うってことは、多分、見たことない新種の魔物が出てくるはずだ。気を付けて進もう」

 警戒を促しつつ、僕らは白雲エリアを進む。

 歩いてしばらく経つが、杉野大山が先行しているお蔭か、モンスターはいまだ出現していない。道すがら雑魚モンスを間引いてくれている、かと思うが、不思議と戦いの痕や、魔物の死体は見当たらない。血の一滴もなく、どこまでも綺麗な純白の空間が続いていた。

 何だか、真っ白フワフワなところをずっと歩いていると、眠くなってくるな……

「クルル」

 注意力が途切れそうになった時、すぐ隣に連れているラプターレムが声を上げた。ここではラプターも通常戦力として扱おうと思い、僕は乗っていない。

「レム、どうかした?」

「おい、壁から何か出てくるぞ!」

 レムの返事よりも先に、先頭を行く上田が声を張り上げた。どうやら、いよいよ白雲エリアのモンスターがお出ましのようだ。

「おいおい、何だよコイツ、キグルミかぁ?」

「気味の悪ぃ、雲野郎だぜ」

 前衛を務める、上田と山田がそれぞれ、現れたモンスターへの感想を漏らしている。キグルミの雲野郎とは、言い得て妙である。

 ソイツは、壁と同じような白いモコモコ素材に全身が覆われた、人型であった。サイズは普通の人間程度にまちまち。頭は大きく、手足は短めで、雲スポンジの体のせいでかなりずんぐりむっくりした感じだ。

 武器はナシ。動きはゾンビのように遅い。だが――数が多い。

「桃川、俺も前に出るか!」

「いや、後ろからも来てる、中井君はそのまま。下川君とラプターの援護をつける」

「分かった!」

「了解だべ」

「レム、弓を引け、ヤマジュンはサギタ、お願い」

 まずは遠距離攻撃で先制。見た目からして、矢が刺さっても平気そうな感じだが、さて、雲野郎の実力はどんなもんなのか――

「モォアアアア!」

 放たれたレムの矢と、ヤマジュンの光の矢が、それぞれ別の雲野郎に突き刺さる。すると、随分と根性ナシなのか、それだけで低いうなり声のようなものを上げて、ばったりと倒れ込んだ。

「コイツ、弱いんじゃね?」

「一気に行くか」

「ヤマジュンがもう一発撃ったら、突っ込んで!」

 後方に『腐り沼』を張りつつ、僕は前衛の突撃支援。レムも弓から野々宮ランスに持ち替えて、一緒に突撃の構えだ。

「よし、行け――」

 そうして、ものの数分で雲野郎の群れは殲滅した。

 ダメージを負っても超回復で復活とか、倒しても無限湧きだとか、本気出すと超スピードの超パワーだとか、そんなことは全くなく、あまりにあっけなく、奴らは次々と討ち取られていた。

「随分と弱かったな。スケルトン以下じゃないか」

 トロイ動きでヨタヨタと接近してくるだけのモーションは、毒のないマタンゴみたいなもんだ。こんなの、僕でも白兵戦で倒せるよ。どう考えても、ダンジョンで出会った中では断トツで最弱のモンスターである。

「ちぇっ、やっぱコアは一個もねーか」

「まぁ、しょうがないんじゃね、コイツらめっちゃ弱かったし」

「いくらなんでも雑魚すぎるべ」

 僕らにはカスリ傷一つもなかったが、収穫も全くない。こんなカカシのような奴らを何十体と倒したところで、レベルアップも望めないだろう。戦った体力を無駄にしただけの感じ。

 もしかして、僕らはダンジョンの初心者エリアみたいな場所に飛ばされたワケじゃないよね?

 そんな疑念を抱くほどに、僕らはその後も定期的に湧き続ける、雲野郎の群れを蹴散らしながら、順調に先へと進んで行った。

「……うわ、あからさまに怪しい広間だなぁ」

 辿り着いた大きな広間には、やはり同じように雲のようなモコモコとなっているが……薄らと、ピンク色の靄がかかっているのだ。

 ただの霧なら、バジリスクの毒沼エリアでも、ゴーマのジャングルでも、よく見た自然現象だ。しかし、薄くとはいえ、目に見えて分かるほどピンク色の気体となれば、怪しくないワケがない。

「おい、なんだよコレ」

「なんかキモくね?」

「うーん、臭いはしないし、別に大丈夫なんじゃね?」

「あっ、馬鹿! いきなり吸うな!」

 信じられないことに、上中下トリオはピンクの霧が満ちる広間に平然と踏み込んでいた。

「早く戻って!」

「そんな怒んなくていいだろ」

「そうだぜ、別に俺らなんともねーし」

「桃川、焦りすぎだべ」

 臭いもなく、実際に吸っても平気な様子の三人。ひとまず、一呼吸で即死確定なバジリスク級の猛毒ガスではないことは、確かに安心できる。

「これが普通に毒ガスだったら、三人とも死んでるよ。今は何ともなくても、遅効性かもしれないし。っていうか、これ絶対、遅効性だよ。あー、ごめん、もう手の施しようはないから。あと半日くらいで三人とも苦しんで死ぬけど、遺言くらいは聞いてあげる」

「はぁ、何言ってんだよ」

「そんな嘘でビビらそうってのか?」

「僕の『直感薬学』、忘れたの?」

「あっ!」

「えっ、いや、マジで?」

「はぁ……無駄だと思うけど、一応、解毒薬、飲んでみる?」

「う、嘘……嘘だべ、桃川?」

「うん、嘘」

「このヤローっ!」

「ビビらせんなや桃川!」

「本気で死ぬかと思ったべや!」

「今回は嘘で良かったけど、次からは怪しいモノに不用意に近づくのはやめてよね。変な罠とかだったら、僕ら全滅なんだから」

 と、三人に今更すぎる注意を促してから、あらためてピンクの広間への対応を考える。

「ねぇ、桃川くん、この霧、本当に毒はないのかい?」

「正直、分かんない。『直感薬学』も反応しないし。まぁ、三人のお蔭で、即効性の毒ガスではないってのは証明されたけど」

 さて、どうしたものか。僕の嘘が実は本当で、遅効性の毒ガスだった、という可能性は、何となくないとは思う。直感薬学じゃないけど、本当にただの直感だ。

 かといって、ただ色がついているだけの無害な霧とも思えない。即座に死に結びつくほど致命的ではない、けれど、何らかの効果はあるような気がする。

 こういう時に、小鳥遊小鳥の『賢者』スキルにあった『魔力解析』が役立つんだけどな。正直、アレって完全に直感薬学の上位互換だと思う。魔力さえあれば、モノでも魔法でも現象でも、なんでも反応して教えてくれるらしい。

「僕としては、霧の毒性よりも、これに紛れてどんな魔物が潜んでいるか、っていう方が怖いかな」

「確かに、ちょっと先までしか見えないもんね、この霧じゃあ」

「下川君はここの霧って見通せる?」

「俺が見えるのは自分の魔法だけだべ。他のは無理」

 一応確認してはみたが、やはり視界不良への打開策はナシか。

「ここは危なそうだし、他のルートを探そうか?」

「いや、多分このエリアは、どう進んでも似たような広間に突き当たるような気がするんだよね」

「それじゃあ……行ってみる?」

 うーん、結局、無策で突っ込むことになるってのは、大いに抵抗がある。しかし、他に今の僕らにできることと言えば……

「分かった、レムを先行させて、広間の様子を探る」

「なるほど、流石だね、桃川くん」

 いやぁ、素直に褒められると照れる。むしろ、すぐアイデアが出なかった僕の頭の回転の悪さを非難されてもおかしくないのでは。

 ともかく、毒無効の上に、物理的に死んでも問題ないレムなら、こういった危険なエリアの偵察に最適だ。

「よし、頼んだぞ、レム」

「グガガ!」

 そうして、勇んで広間へ突っ込んで行ったレムの帰りを待つこと、一分ほど。

「グガガ!」

「早っ、もう戻ったのか」

 レムの仕事ぶりは疑う必要はないので、それだけ広間には何もなかったということだろう。

「出口はあった?」

「ガガ」

 手で丸のマークをつくりながら、頷く。出口は見つけたようだ。

「一つだけ?」

「ガ」

 首をふりながら、バツのマーク。出口は二つ以上、ということは、複数本の通路が合流していることになる。

「T字路?」

「ガ」

「十字路」

「ガガ」

「中に石版とか柱とか、目立つオブジェクトは?」

「ガ」

「木とか、魔物が隠れられそうな遮蔽物は?」

「ガ」

「何もない?」

「ガガ」

「広さは森林ドーム以上?」

「ガ」

「ドーム以下、妖精広場の倍以上」

「ガガ」

「三つの出口の先にボス部屋は見えた?」

「ガ」

「うん、分かった。ありがとう、レム、よく調べて来てくれたね」

 髑髏頭を撫で撫でしながら、霧に隠れる広間の全景をまとめる。

「ここの広間は十字路型に通路が繋がってて、何もないし、広さも大したことないみたい――思い切って突っ切ってみようか」

 反対意見は、特に出なかった。

 ひとまず、目指す出口はここの反対側にある通路に定める。真っ直ぐ走って行けば、そのまま辿りつける。

 念のために、もう一度レムを行かせて、ルートを確認。間違いなく、真っ直ぐ行けば反対側に出られる。

「じゃあ、言いだしっぺの僕から渡るよ」

「大丈夫かい、桃川くん? ここは、襲われても大丈夫なように、山田君を行かせた方が」

「大丈夫、みんな不安だろうし。でも、僕はレムを信じてるから」

 と、ラプターレムに颯爽と跨り、僕は心配そうなヤマジュンと、順番待ちでソワソワしてる他の面子を置いて、さっさとスタートを切った。

 ラプターに乗ってれば、うっかり方向を見失って、左右に逸れることもない。レムからすれば、すでに三度目となる広間の横断だから、何の迷いもなく駆け抜けていった。

「到着っと……やっぱり、何もなかったね」

「グガ、ガガガ」

 うんうん、と頷くレムは、一緒に並走してきた。これで、僕とレムとラプターは広間の横断に成功だ。

 これなら、後は全員一緒に渡って来ても大丈夫そうだけど、まぁ、一人ずつ順番でって言ったから、それでやってもらおう。二人以上の人数で反応するトラップなんかも、ないとは言い切れないし。

「おーい! 次の人いいよーっ!」

 今にも落ちそうな吊り橋を渡る時みたいに、僕は次の順番を呼んだ。大した広さがないのは分かっているから、大声で叫べば普通に聞こえる。

「おーう! 次、行くぞーっ!」

 返事をしてきたのは上田だ。僕が無事に渡ったことが証明されて、声には特に不安の色はなかった。

「……」

 しかし、遅い。ただ真っ直ぐ走り抜けてくるというだけなのに、上田はまだ現れない。

 Gショックでタイムを確認すると、すでに一分以上は確実に経過している。おかしい、どう考えてもおかしい。広間は直線距離で50メートルもない。

 やはり罠、何かがあったのか。しかし、それにしては何の声も聞こえない。ええい、悩むくらいなら、声をかけた方が早い。

「上田くーん! 大丈夫―っ!」

「おーう!」

 僕の不安に反して、すぐに声が返ってきた。特に切羽詰った様子もなく、最初と同じように気軽な声音だ。

「もしかして、霧の中で迷ってる?」

「おーう!」

「だったら、レムを迎えにだすから、一旦、そこで止まっててもらえる?」

「おーう! 次、行くぞーっ!」

 瞬間、僕の背筋が凍る。この声は、上田じゃない!

 声音こそ上田そのものだが、喋ってる台詞が同じなのだ。僕が順番を呼んで、返事をしたのと全く同一。まるで、録音した音声を再生しているだけのような――

「くそっ! レム、戻るぞ!」

 再びラプターに跨り、僕は元来た道を戻る。もしかすれば、この霧の向こうで上田は隠れ潜んでいたモンスターにでも襲われているかもしれない。

 戦闘準備と覚悟を決めて戻ったのだが……

「なっ!? だ、誰もいない!?」

 何事もなく、僕は最初の入り口へと辿り着いた。そして、そこには順番待ちしているはずのメンバーが、一人もいなかった。

「何で、そんな、何時の間に……おーいっ! 誰か! いないのかーっ!」

 僕の叫びは、どこまでも虚しく反響するのみ。

 ただ、唯一、僕の呼びかけに答えるかのように、広間に満ちる霧が、スウっと引いていった。

「く、くそ、やられた……誰もいないぞ……」

 完全にピンクの霧が晴れて、レムが調べた通り、本当に何もない大広間の中が露わになる。遮蔽物など一切ない、円形のホールは一目で端から端まで見渡せる。だから、この広間の中にも、誰もいないってことも一目瞭然であった。

第135話 無慈悲なる霧の罠

 突如として、仲間全員が忽然と姿を消す、なんてまるでサスペンスホラーみたいな状況だが、ここで泣いて喚いてどうこうなるはずもない。必要なのは、的確かつ迅速な行動。

「ふぅー、落ち着け……落とし穴とか転移でもない限り、まだそれほど遠くへは行ってないはずだ」

 落とし穴で下の階層に落とされたというなら、合流は難しい。転移が発動してどこかへ飛ばされたとなれば、それもまた難しい。だから、その場合の対処は考えるだけ無駄。

 だから残された可能性として、メンバーが消えた方法は、アラクネの時みたいに、魔物によって連れ去られたか、催眠術だか幻術なんかで操られて、自分の足でどこかへ向かった、というのが考えられる。

 ほら、あのピンク色の靄なんて、如何にも幻覚見そうな感じがするし。

「元来た道を戻ったか、左右の道に行ったか……」

 何かしらの危険を察知して、僕を置き去りに元来た道を戻るように全員で逃げ出した、という可能性もありえなくはない。けど、何となくソレはないような気がする。

 別に仲間を信じてるとか、そういう少年漫画的な熱い信頼の理由があるわけじゃない。わざわざ、ピンク霧のトラップ部屋が用意されていたのだ。ここまでやって来た者を、そう簡単に逃がすような温い仕掛けではないはず。

 そして、霧が引いていったのは、間抜けな獲物がまんまと引っかかったから。つまり、用意された罠は適切に作動している。

 僕だけ平気なのは、まぁ、『蠱毒の器』があるからだろう。

「よし、右の道から探しに行こう」

「グガガ!」

 呪術師のソロ行動は危険だが、今更な話でもある。仲間とはぐれた以上は、多少のリスクをおかしてでも捜索するべきだ。

 僕はラプターの手綱を引いて、すっかり霧の晴れた広間に飛び込み、右側の道へと入った。

 相変わらずモコモコの通路を駆け抜けていく。これまで進んできた場所と、特に変わった様子はみられない。

「モァアアア!」

「どけーっ!」

 たまに通路上に立ちはだかる雲野郎を、そのままラプターで轢き逃げしつつ、僕はしばらく周辺を散策する。

「くそ、無駄に広いエリアだな……」

 思えば、コンパスに従わずに、誰かを探すように広い範囲でエリアを回っていく、というのは初めての経験だ。せいぜい、妖精広場周辺と、ボス部屋までのルート近辺の探索くらいがせいぜいだった。

 こういう時に、初めてマッピングの重要性に気づかされる。

 これといった特徴がどこにもない、白雲エリアは非常に道に迷いやすい。本格的に元来た道が分からなくなる前に、僕はヤバいと思って慌ててノートに道順を記し始めるのだった。二次遭難だなんて、シャレにならないよ。

「ダメだな、戻って左の道の捜索に切り替えるか――」

 僕、クジ運悪いし、やっぱり最初にハズレを引いたかな、と思って戻ろうかと考え始めたその時だ。

「――っ、あ――」

 声が聞こえた。確かに、人の声。

「レム、今の、聞こえた?」

「クルル!」

「そうか、ラプターの方が耳がいいんだ」

 意外な能力発覚、というワケで、僕よりも明確に声を聞き取ったと主張するラプターに任せて、発信源を探し始めた。

 僅かながらでも、人間の声が届く範囲だ。探せばすぐに、見つかった。

「ここか」

 他に幾らでもあるような、何の変哲もない空き部屋だ。入り口は一つきり。その中からは、唸るような男の声が、というか……この声は上田か。

 とりあえず、悲痛な絶叫ではないから、中で凄惨な拷問だとか、ゴーマに踊り喰いされる的な、残酷なことにはなってないと思う。聞こえてくる声と音からして、僕がアラクネに捕まった時のように、拘束されてもがいている、ような気がする。

 上田の呻き声の他には、魔物の鳴き声や足音なども聞こえない。ここには上田一人だけが捕まっているか、魔物がいても、せいぜい一体か二体。

 背後をとられないよう、もう一度、部屋入り口の周りを確認しておく。

 これで、上田が偽物の幻覚じゃなければいいんだけど。

「よし、一気に行こう」

 こっくりと頷く、レムとラプター。僕を含めれば三人分の戦力だ。魔物がいても、一気に抑えられる、はず。

 どうか、アラクネ以上の強敵系雑魚モンスがいたりしませんように、と祈りながら、僕は部屋へと突入を仕掛けた。

「喰らえーっ! 黒髪しば――」

「桜っ! 桜ぁああああ! あぁあああああああああああああああ!」

 と、素っ裸で絶叫している上田がそこにいた。

 何が何だかわからない。僕は今、これほど目の前の状況が飲み込めない事態に遭遇したことはない。

 落ち着け、とりあえず、見たことをありのままに理解しよう。

 まず、上田。何故か蒼真桜の名前を叫んでいる。そして、全裸である。

 もうこの時点で考えることを放棄したいが、これも罠による異常事態のせいだと言い聞かせて、真面目に観察した。

 変態的な状態の上田は、部屋のど真ん中でうつ伏せになって、激しくもがいている。特に腰の辺りが……と、これだけなら床でオナってんのかと思える体勢なのだが、上田の下にはやけにモコモコとした白い人型、そう、雲野郎がいるのだ。

 まさか溜まりに溜まって、最弱モンスな雲野郎を押し倒したワケではないだろう。コイツはむしろ、誘ったほうと考えるべき。

「あー、なるほど、ハニートラップだったってワケか」

 この状況から察するに、それが最も妥当な解答だろう。

 あのピンクの霧は、人間に幻術をしかけるガス。そして幻術にかかった者は、この雲野郎のことが自分の好きな人、あるいは超エロい人に見えて、あとはご覧の有様というワケだ。

 果たして、このまま淫夢の中でヤリ続けた結果どうなるのかは不明だが、まぁ、ロクなことにはならないだろう。多分、雲野郎は魔力を吸収する魔物なんじゃないかと思う。

 それにしても、僕がこの罠に引っかかっていれば、メイちゃんか蘭堂さんが現れて誘惑してくれたんだろうか。もし、この先に力及ばず倒れることがあれば、僕は絶対、この罠で死ねなかったことを後悔するに違いない。ああ、夢でもいいから、爆乳ハーレムを体験したかったなぁ……

「おのれ上田、自分だけイイ夢見やがって――喰らえ、黒髪縛り!」

 そして死ね、雲野郎の偽蒼真桜! おらっ、桜死ねっ!

 ルインヒルデ様にお叱りを受けそうなほど、超個人的なダサい恨み節全開で、僕は上田を黒髪縛りで拘束して雲野郎から引き剥がし、間髪入れずにレムをけしかけ雲野郎を倒す。

 手足を縛られた裸の上田が無様に床に転がるのと、レムがナイフで雲野郎の頭を一閃するのは、ほぼ同時。

「モォオオアア……」

 重低音のショボい断末魔を響かせて、雲野郎は風船が萎むように息絶える。

 さて、問題なのは、強引に中断させた上田が、ちゃんと目覚めるかどうか。つい勢いで、思いっきり引っぺがしてしまったが、幻術とかって、途中で無理に目覚めさせると心が帰って来れないとか云々で正気には戻らない、なんてパターンもある。もし雲野郎のハニトラ幻術がこのテの設定だったら、僕は上田を間接的に殺したようなものになってしまうのだが……

「おい、上田! しっかりしろ!」

「んっ、うぅ……さ、桜?」

「馬鹿野郎! 僕の顔が超絶美少女に見えるかよ! いいから目を覚ませ!」

「……ハっ!? あ、あれ、桃川!? な、なんで桃川がここに、っていうか、俺の桜はどこに」

 フゥー、力技でなんとかなって、良かったよ。この幻術は叩けば目覚めるチョロいタイプなようだ。

「上田君、君はダンジョンの罠にかかって、今まで幻を見ていたんだよ」

「ま、幻……? う、嘘だ、俺は確かに桜と……」

「蒼真桜とヤった?」

「うっ、そ、それは……なんで、っていうか……そうか、ハハっ、夢、だったのかよ……」

 うわぁ、ここまで愕然とした表情をする人を見るのって、僕はじめてだよ。

 いやしかし、上田のリアクションを笑えまい。僕だって双葉蘭堂コンビで淫夢をお送りされていたら、泣いて喚いて夢の続きを望んだに違いない。早々に現実を受け入れた上田は、かなりマシな方だろう。

「とりあえず、ガッカリするのと、詳しい事情説明は、服を着てもらってからでいいかな?」

「うおっ! そ、そうだよな、悪ぃ……」

 物凄くバツが悪そうに、いそいそとそこら辺に脱ぎ散らかされた制服と下着を拾い集める上田の姿は、男としてこの上なく、情けなくも悲しいものだった。




「――というワケで、他のみんなも近くで罠にハマってるというか、ハメているというか、そんな感じでいるのは間違いない」

「桃川、今はそういう下ネタは勘弁してくれや」

 元気のない上田を仲間に加えて、他のメンバー探しを続行。

 上田がこの辺にいたということは、やはり僕の見立て通り、それほど遠くにまでは行っていない。雲野郎の幻術にかけられたまま、どこか適当な場所まで歩かされているのだと思われる。

 とりあえず、近くにいると分かれば、捜索のヤル気もでるってもんだ。手作りのエリアマップを確認したり書き足しながら、僕らは少しずつ捜索範囲を広げていく。

「おっ、声が聞こえたぞ。多分、これは中井だな」

 盗賊ほどではないけれど、剣士上田は鋭い五感を持つ。ラプターよりも、さらに耳がいい。

「こっちだ」

 上田の先導に従って進めば、すぐに僕の耳にも声が届いてきた。

「うぉおおおおおっ! 明日那っ! なかに出すぞっ!」

 ふむ、中井のお相手は剣崎明日那の模様。あんな暴力ヒス女の、いったい何がいいんだか。

「今いいところみたいだから、もう少し待ってあげようか?」

「その親切心は残酷すぎるだろ、桃川」

「そんなこと言って、自分がイケなかったからってひがんでるの?」

「お前俺になんの恨みがあるんだよ!?」

 僕の下ネタ攻撃を前に、上田は頭を抱えている。いいじゃないか、僕なんか1秒もイイ夢見れてないんだから。

「おああああ、い、イクっ! でるっ、でっ――」

「はい黒髪縛りー」

 そして、さぁ行け、剣士上田。雲野郎の偽剣崎明日那をぶっ殺せー。

「……へ、へへっ……嘘、だよな……こんなの、ドッキリだろ」

 さっきと同じように、力づくで幻術を解いてやると、中井はこれが現実だと信じたくないのか、虚ろな目でそんな腑抜けたことをのたまった。

「中井君、残念だけど、嘘じゃないよ」

「おら中井、寝ぼけてねーで、さっさと目ぇ覚ませ」

「く、くそっ……ちくしょう……俺、本気だったのに、マジで明日那のこと……」

「あーもー、そういうのいいから、早く服着てよね」

「う、うぅ……」

 どこまでも女々しくメソメソしながら、中井も脱ぎ散らかしていた制服を拾い集めて、着替えるのだった。

 まったく、山田みたいに女のことでナイーヴになるのは止めて欲しい。傍から見ているこっちからすると、果てしなくメンドくさい。

 しかしながら、そう突き放す物言いというのも、可哀想だろう。

「……なるほど、ただエロいだけじゃなく、シチュエーションまできっちり用意するとはね」

 上田と中井の二人から、さらに詳しく幻術にかかった時のことを聞いた。

 まず、僕が先頭切って広間を渡りに行った直後、ピンクの霧が入り口を越えて通路にまで溢れて来たと言う。あまりに濃密で完全な視界不良。それでいて、四方から魔物と思しき唸り声まで聞こえてくる始末。

 これはどうにもならない、と思って桃色の五里霧中を逃げ出し、結果、全員が離れ離れになったらしい。

「うわっ、コレはヤベぇことになったな、って思ってたらよ……」

「通路の向こうから、傷だらけのあす、け、剣崎が歩いてきたんだよ」

「俺は桜ちゃんだった」

 つまり、ここから本格的な幻術のスタートってワケだ。

 自分の思い人と、偶然を装っての出会いを演出した上で、二人きりの悲劇的に絶望的なシチュエーションを盛り上げる。

 上田が見た偽桜も、中井の偽明日那も、揃って自分の友人達で組んでいたパーティが全滅し、命からがら逃げてきた。もうダメだ、助けてお願い、貴方にしか頼れないの! みたいな感じで男心をくすぐって、そのままベッドイン……

「そんな理由で男と寝る尻軽女は、ハリウッド映画のヒロインだけで十分だよ」

「うるせー桃川、お前にあの時の俺の気持ちが分かってたまるか!」

「そうだ、俺は本気で明日那を守るんだって、マジで誓ったんだぞ!」

「そんな都合のいい展開、あるわけないじゃん」

「分かってるよ!」

「分かってる、けど、よぉ……」

「いや、ごめん、気持ちは分かるよ。僕だって同じメにあったらコロっと騙される自信あるし」

 それにしても、中々に高度な幻術である。雲野郎がこれらの筋書きを考えているとは思えないから、本人の記憶を利用している……自己暗示、みたいな感じ? 自分がこの女を抱くに相応しい理由を自らでっちあげるから、どんなにご都合主義でも違和感もないし、気づきもしない。いや、気づきたくない、これが現実なんだと信じたくなるほどの、甘い夢となる。

 こんな真似ができるとなると、ピンクの霧にあるのは、単なる麻薬的な幻覚成分というより、テレパシーみたいな魔法能力が効果の本質である可能性もでてくる。

 うん、まぁ、魔法も呪術も普通にある異世界なら、テレパシーくらいあってもおかしくない。

 待てよ、そうなると、『賢者』小鳥遊小鳥が僕らの天職を見抜いていたのは、ゲーム的にステータスを隠し見ているのではなく、テレパシーによって心を読んでいるから、という線も考えられるのか。

 そうでなかったとしても、『賢者』ならこのテのテレパシー能力を持っていてもありえなくはないし、最悪、誰にも秘密で隠し通している可能性も……ただのビビりかブリっ子かと思っていたが、次に合流した時はもっと気を付けて接しよう。

 ああ、そういえば、小鳥遊小鳥といえば……

「ねぇ、下川君のお相手は」

「ああ、小鳥遊さんで間違いねぇな」

「うん、違いねぇ」

 上田と中井を連れて捜索すること十五分、僕らは下川の声を捕捉したのだった。

「はぁ、はぁ……こ、小鳥ちゃん、それはヤバいって、ヤバっ、あっ、んぁあああーっ!」

 三度目ともなると、うんざりしてくる。ただでさえ男のあえぎ声なんて、聞くに堪えないと言うのに。自己主張の激しいAV男優はマジで消えて欲しい。

「桃川、せめてもの情けだ」

「俺らにやらせてくれ」

「うん、二人に任せるよ」

 正直、全裸で盛ってる男子を止める作業なんて、きつい、汚い、危険、と3K仕事もいいところ。代われる人がいるなら、積極的に代わっていきたいし、わざわざそれを買って出てくれると言うなんて、うん、下川君、友達に恵まれたね。羨ましいよ、ホント。

 なんて、樋口のような感想を抱きつつ、早くも上中下トリオが揃うのだった。

第136話 夢を現に

「こ、これは……違うんだ……」

 一旦、罠の広間へ戻り、左側の通路へ捜索範囲を切り替えたら、早々に山田を発見した。

「違うんだ、これは……たのむ、レイナちゃんには、このことは……」

「うん、分かってるよ。大丈夫、安心してよ、山田君が女子小学生と乱交してたとか、絶対に言わないから」

 発見当時、山田被告は部屋の中で複数の雲野郎に囲まれ、

「うぉおおお、やっぱ女子小学生は最高だぜぇえええっ!」

 などと叫び、酷く錯乱した状態で、速やかに取り押さえられた。取り調べを進めるものの、「よく覚えていない」と容疑を否認する一方で、「俺はお兄ちゃんだから、みんな可愛い妹だから」などと意味不明な供述を繰り返し、精神鑑定にかける必要が――うーん、これは重度のロリコンを患っていますね。

 いや、知ってたけど。

「これで、残りはヤマジュンと綾瀬さんだけだ」

 死んだような虚ろな目でトボトボついてくる山田を加えて、僕らは捜索を続ける。

「分かれ道ばっかだな」

「迷いそうだ」

「二手に分かれてみっか?」

「いいや、分断されたらまた罠にかけられるかもしれない。効率は悪いけど、全員で固まって動こう」

 順調にメンバーを回収しているが、これもいつまで続くか。もし、これでレイナを見つけて、ヤマジュンだけ発見できなければ、僕はこのパーティを維持する自信がない。パーティの要としても、純粋に友人としても、ヤマジュンは何としてでも見つけ出さなければ。

 そんな、僕の珍しく純粋な思いが天に届いたのか、ついにその声を捉えた。

「ヤマジュンの声だ!」

「おい、どっちだ」

「ちょっと待て、静かにしろ……こっちだ、行くぞ!」

 上田が耳ざとくヤマジュンの声を聞き取り、現場へ急行。みんなもヤマジュンのことは友人として大切に思っているし、クラスでもダンジョンでも何かとお世話になっているからか、山田発見の時よりも緊迫感があった。

 特定された部屋の周囲を素早く確認し安全確保。そして、速やかに突入。五度目ともなれば、実に慣れたものだ。

 そして案の定、ヤマジュンは雲野郎と一緒に床に転がっていて、

「う、うぅん……だ、ダメだよ、こんなのは……違うんだ、ボクはただ、君のことが……」

「す、すげぇ、ヤマジュン、まだ服着てるぞ」

「マジかよ、コレにかかってヤってねぇとか」

「流石ヤマジュンだべ」

 これまで盛った野良犬のように、アホみたいに叫びながら腰を振っていた彼らとは異なり、ヤマジュンは多少乱れているが制服姿のままで、雲野郎も添い寝のような格好になっている。

 この状態には、僕も驚きだ。ヤマジュンも男だ、性欲だって普通にあるはずなのに、どこまでも都合の良い淫夢を前に、まだ行為に突入せずに粘っているとは。とんでもない理性だ。あるいは、ヤマジュンのお相手はそこまで手を出すのに躊躇するほどの女性なのか。

 どちらにせよ、その鋼の理性に感服する。

「ヤマジュン、今助けるから!」

 黒髪縛りで雲野郎から一気に引き剥がし、取り残された野郎へ、上中下トリオと山田の四人によって怒りの攻撃が叩きこまれた。完全にオーバーキルだが、ヤマジュンに手を出したこの雲野郎は最も罪深い。

 さて、これで無事に救助完了である。

「んっ、うぅ……」

「あっ、目が覚めた?」

「ごめん、ボク、もう我慢できないよ、好き……好きなんだ、心の底から!」

 と、いきなり熱い愛の告白と共に、僕へと抱き着いてくるヤマジュン。

「うわぁっ!? ちょっと、ヤマジュンまだ寝ぼけてる! 助けて!」

「おい、しっかりしろ!」

「目を覚ませ!」

「ソイツは女の子じゃなくて桃川だべ!」

 危うく、セカンドキスを男としそうになるギリギリのところで、ヤマジュンはみんなの手で引き剥がされた。

 危ない、雲野郎を倒した時点で大丈夫だろうと油断していた。夢をみているようなモノだから、目覚めた直後はまだ現実を認識してない可能性もあるんだと、備えておくべきだった。

「ヤマジュン、大丈夫?」

「えっ、あ……桃川、くん……これは……」

 ようやく正気を取り戻して、呆然とするヤマジュンに、僕はすでに五度目となる罠の説明を語った。

「あっ、そ、そんな……ごめん、桃川くん、ボクは……ううぅ……」

「えっ、いや、泣かないでよ。みんな罠にかかってたし、そんな気にしないで」

「そうだぜヤマジュン、気にすんな」

「ヤってなかったのヤマジュンだけだし、マジですげーよ」

「へへっ、ちなみに相手は誰だったんだべ?」

「別に、誰だっていいだろ……俺なんて、くっ……」

 それぞれが、それぞれに慰めの言葉を口にする。珍しく本気の涙を見せるヤマジュンだったけど、僕らの思いもすぐに察してくれたのだろう。

「ごめんね、本当に迷惑をかけてしまったみたいで。もう、大丈夫だから」

 ヤマジュンはいつものように穏やかな微笑みを浮かべて、すぐに立ち直ったのだった。

「さて、それじゃあ、みんな揃ったことだし、先に進もうか」

「おい、桃川」

「お前、レイナちゃんのこと忘れてんじゃねーよ」

「わざとやってるべ?」

 上中下トリオのコンビネーションばっちりなツッコミを受けて、僕は渋々、レイナの捜索をすることになった。

「なぁ、けどよ、レイナちゃんがこの罠にかかってたら」

「えっ、おい、おいおい、それってまさかー?」

「うおっ、ソレってヤバくね? 児童ポルノ的な?」

「お、おい! お前ら、見るなよ、絶対見るなよ!?」

 ちょっと男子、エッチな想像するのやめてよね。

 というかお前ら、散々エッチな気分は味わったんだから、もういいじゃないかよ。少しは僕にも分けろよ、爆乳ハーレム体験させろよ。

「もし、レイナが裸でヨガってたらさ、ヤマジュンが上着でも何でもいいから被せてよね」

「えっ、ボクがかい?」

「それが一番適任だよ」

 唯一の女子であるレイナが、この罠にハマっていた場合でも、当然、本人が行為に及んでいる可能性がある。相手はまず間違いなく蒼真悠斗だろう。

 見た目こそ小学生だが、レイナだって僕らと同じ年頃の少女。あそこまで熱烈に思いを寄せる蒼真君に言い寄られれば、あっけなく陥落。とんでもない痴態を雲野郎相手に繰り広げている可能性はある。

 僕としてはそんなレイナの姿を、電源切りっぱなしでバッテリーを温存していた携帯で動画撮影して、脅しのネタの一つとしてストックしておきたいところだけど、流石にソレはまずいんだよなぁ。

「なぁ、おい、桃川、ちょっとくらい眺めたっていいよな?」

「それくらいは役得っつーか、不可抗力っつーか」

「まぁ、見ちゃうのはしょうがねーべ?」

「だから、見るなっつってんだろ!」

 いや、気持ちは分かるけどね。見るなと絶叫しながら股間がすでに盛り上がっている山田の気持ちは分かりたくもないけれど。

「悪いけど、レイナのサービスシーンは見ない方がいいよ」

「なんでだよ」

「これくらいいいだろ」

「そうだべ」

「なんでだよ! ちょっとくらい見えちゃうのはしょうがねーだろが!」

 おい山田、お前いい加減にしろよ。裸のレイナに我を忘れて襲い掛かるのは勝手だけど、それを止めなきゃいけない僕らの苦労を少しは考えろ。

「もし、レイナが僕らに裸を見られたことでショックを受けたら、全員、エンガルドに八つ裂きにされるよ?」

 瞬間、誰もが黙った。そりゃそうだ、あんな女の裸に、自分の命をかけるなど割りにあうってレベルじゃないからね。

「だから、レイナ救出の際は、細心の注意を払って行う。みんな、いいね?」

 しっかり意思を統一して、僕らはレイナを探し続けるのだった。




 結局、広間の左側通路から続くエリアを探し続けても、レイナを発見することはできなかった。

「となると、真ん中の通路を進んで行った可能性が一番高い、か」

 僕が異常を察して慌てて戻った最中に、レイナは正面通路へと進んで行ったのだろう。もしかしたら、すぐ横をすれ違っていたのかもしれない。

 正直、僕はこのまま行方不明でもいいかなーって思っているけれど、他のみんなは本気で心配している様子。でも、流石にこのエリアを捜索しても発見できなければ、諦めざるを得ないだろう。

「だ、ダメだ、見つからねぇ……レイナちゃん、どこにいるんだよ」

 山田が絶望的な声音で言う。この辺も結構な範囲を捜索したが、いまだに見つからなかった。

「くそ、声も全然、聞こえねぇし」

「もっと先に行ってるんじゃねのか?」

「でもよ、もし転移とかしてたら……見つけるの、無理じゃね?」

 下川の言う通り、レイナがどっかで転移魔法にかかった可能性もゼロではない。このダンジョンは必ずしもボス部屋にのみ転移魔法陣があるワケではない。樋口が利用しようとしていた、生贄転移装置のように、他にも色々とあるはずだ。単純に転移トラップなんてのもありそうだし。

「あそこの部屋が、ちょうど妖精広場になってるみたいだ。みんな、ちょっと休んで行こう」

 広間の正面通路から、そのまま真っ直ぐ進んで行くと、妖精広場の入り口が見えた。

 ずっと歩きづめだったのもあるし、レイナ捜索があまりに芳しくない精神的な疲労感も強いのか、みんなも素直に休憩案に賛成してくれた。

 疲れているのを体で表すように、ダラダラと歩きながら、僕らは妖精広場へと踏み入った。

「……うん、ユウくん、大好き」

 そこに、レイナがいた。

 入り口からは見えなかった、噴水の影。そこには、確かに雲野郎がいて、そのモコモコの大きな体に、半ば埋もれるようにレイナが抱き着いていた。

 制服はそのまま。着衣の乱れはない。小さな子供が母親に甘えているように、無邪気な笑顔を浮かべていた。

「レイナちゃん!」

 トリオと山田がほぼ同時に、彼女の名前を呼ぶ。

 すでに幻術のタネは割れている。僕の指示なんかなくても、次の瞬間には、可愛いお姫様を救うべく、彼女を抱える雲野郎に怒りの刃が叩きこまれる――はずだった。

「あっ、みんな……どうして、ここにいるの?」

 レイナが、こちらに気づいた。

 あんな大声で名前を呼ばれたのだから当然の反応。だが、それはおかしい。

 レイナは今、雲野郎の幻術にハマっている真っ最中なのだから、現実の僕らの声なんて、彼女の耳には届かないはずだ。

 何かがおかしい。

 でも、そんな違和感を覚えたのは僕だけで、レイナを救うべく動き出した四人は、彼女の言葉に普通に応えていた。

「レイナちゃん、今助けるからな!」

「雲野郎、ぶっ殺してやるぜ!」

「ソイツは本物の蒼真悠斗じゃねーべ!」

 気炎を上げる上中下トリオに、さらに山田が叫ぶ。

「うぉおおおおっ! レイナちゃんは、俺が、絶対に助ける!」

 そんな彼らに対する、レイナの答えは、

「いや……いやぁっ!」

 拒絶だった。まるで、僕らが幸せを破壊する恐ろしい魔物であるかのように、レイナは激しく泣き叫んでは、雲野郎の胸に顔を埋めた。

「いやっ、やだ、やだよ! 来ないで、私はユウくんと一緒にいるの!」

「な、何言ってるんだレイナちゃん!?」

「ソイツは偽物なんだって!」

「なぁ、きっとまだ幻術にかかってんだべ」

「よっしゃ、さっさとアイツをぶち殺すぞ」

 本当に、幻術にかかっているからなのだろうか。あるいは、それは彼女の本心なんじゃないのか。

 いくら僕らが、レイナを大切に思って、必死こいて守ってやっても、それを彼女が感謝するとは限らない。

 レイナにとって僕らは、ただ自分の周囲でギャアギャアとやかましく騒いでいるだけの、馬鹿な男子としか思っていないのでは。自分が助けられていて、精一杯に気を遣われていて、守られていることにすら、彼女は本気で気づいていないのかもしれない。

「私はユウくんと一緒にいる、ずっと一緒にいるの! それだけでいいのに、どうして……どうして、みんな邪魔するの!」

 その言葉を聞いて、僕はようやく、レイナ・A・綾瀬という少女を、理解できたような気がする。

レイナに悪意なんかない。他人の好意を無碍にするような、クズでもない。

 ただ、彼女はあまりに純粋で、あまりに、その心は、子供だったんだ。

 親の心子知らず。親でなくても、小さな子供に大人の気持ちなど、分かるはずもない。子供は子供の価値観、尺度でしかモノを計れないのだから。

 それを思えば、大好きな蒼真悠斗の傍にいられるだけで、全てが満たされていたレイナにとって、彼と離れてしまったこの状況は、酷く可哀想なのかもしれない。彼女が泣いて叫ぶように、蒼真悠斗と一緒にいられれば、それだけで良かった、というだけのこと。

 けれど、その望みがどれだけ小さかろうが、大きかろうが、この異世界ダンジョンに放り出された時点で、叶わないのは当然。ただ現実として、蒼真君とレイナは、違う地点に落とされたという事実があるのみ。泣いて喚いても、すでにある現実は変えられない。

「嫌だよ、私はもう絶対に、ユウくんから離れない! みんな嫌い、私とユウくんの邪魔をする、みんなみんな、大嫌い! 助けて、ユウくん! 私を守って、ずっと離さないで!」

 だから、どれだけ純粋で、どんなに悲痛な思いであっても、ただ叫んだところで、現実は変えられない。この場に、蒼真悠斗はいないのだから。

「――ああ、俺が、レイナを守るよ」

 けれど聞こえた、蒼真悠斗の声。

 ありえない、まさかこのタイミングで、本当に転移で現れたのか――否、この妖精広場に転移魔法が発動した際の、強烈な光は出ていない。

 何も起こっていない。誰も来ていない。そのはずなのに、

「ユウくん!」

「俺は、レイナとずっと一緒にいるよ……約束だ」

「うん、約束だよ、ユウくん!」

「ありがとう、レイナ――ここに、契約やくそくは結ばれた」

 声の主は、雲野郎だった。

 奴は、レイナを抱きしめたまま、のっそりとした動きで立ち上がる。まるで、モコモコの体はただのキグルミで、中に本物の蒼真君が入っているかのように、彼とソックリ同じ声で、流暢に喋りやがる。

「な、何なんだ、お前は」

 絞り出すような僕の誰何に、奴は堂々と答えた。

「俺は蒼真悠斗――レイナを守る、霊獣『ソーマユート』だ」

 刹那、白い雲の体が弾け飛ぶ。

 そして、その中から現れたのは、紛れもなく、蒼真悠斗の姿であった。

第137話 ソーマユート

「おいおい、嘘だろ!?」

「何だよコレ!?」

「はっ、マジで? マジで、本物の蒼真なのか?」

 どこからどう見ても、ソイツは蒼真悠斗だった。実は雲野郎の体の中に転移が発動して、今ここに飛んできました、と言われても素直に信じられるほど。

 だがしかし、奴は自ら偽物であると名乗った。

 霊獣・ソーマユート。

 まさか、そんな偶然の一致なネーミングの霊獣が最初から存在していたとは思えない。だとすれば、最もありえそうな可能性といえば――

「みんな、落ちついて。多分、アイツは雲野郎が進化した魔物だ」

「し、進化って、どういうことなの、桃川くん」

「恐らく『精霊術士』の力で、レイナを襲うはずが、逆に取り込まれたんだ。魔物を従わせる能力と、従わせた魔物を進化させる能力が、両方合わさって、偽物の蒼真君を霊獣として造り上げたんだ」

 何の物的証拠もないけれど、状況からしてこんなもんだろう。もっとも、僕の推測が正解だろうと、実は神様が本気でレイナを助けるために奇跡を起こしただけ、とかだったとしても、目の前の状況には何も変わりはない。

 蒼真君にソックリではあるけれど、所詮は雲野郎という魔物に過ぎず、倒すのに躊躇する必要は一切ない。今のレイナにどこまで幻術がキマっているのかは分からないが、まずは霊獣ソーマを倒してから、説得フェイズに入るしかないだろう。

「あの偽ソーマを一気に倒す! アイツはただの魔物で、蒼真君でも人間でもない」

「よっしゃ、分かったぜ、桃川!」

「へっ、蒼真の奴には一回ヤベー目に遭わされたからな」

「偽物ぶっ殺して憂さ晴らしだべ」

「うぉおおお、蒼真を倒して、俺がレイナちゃんを救う!」

 よし、皆もほどほどにヤル気になってくれている。これで偽物の姿がウチの可愛い女子生徒だったら、男として躊躇したところだけれど……ごめんね、蒼真君。男子はそこまで、君のこと慕ってるわけじゃあないから。

「行けっ、『黒髪縛り』っ!」

 最弱の雲野郎が相手だと、侮ることはしない。奴は精霊術士の力で進化した霊獣である。その力がどこまで強くなっているのかは未知数だ。

 だから、僕は前衛組みに丸投げすることなく、きっちり援護のために『黒髪縛り』を伸ばした。

 レイナを背中に庇いつつも、優雅に立つソーマユートに向かって、僕が放った黒髪の触手は蛇のように素早く足元に忍び寄り、動きを封じるべく襲い掛かる。

 よし、両方の足首にキッチリと絡んだ。

 そして、次の瞬間には、上田と中井と山田の三人組が、これまでの戦闘で鍛えられた連携でもって、三方向から斬りかかる。

 完全に決まった――はずだった。

「ぐはぁっ!?」

 苦悶の声を上げて、三人は三人とも吹き飛ばされていた。

「シャアアアア!」

「グガアーッ!」

 間髪入れずに、さらに僕がけしかけていたラプターとレムのコンビが飛び掛かる――だが、結果は同じ。

 本物と同じように、流れるような素早い動作で、レムが繰り出す槍の穂先を交わしつつ、カウンターの拳を叩きこむ。それとほぼ同時に、跳躍力を活かして頭上から飛び掛かってくるラプターを、長い足が正確に腹部を蹴り抜き、弾き飛ばしていた。

 足、そう、気づいた時には縛っていたはずの黒髪縛りも、バッサリと断ち切られていたのだ。

「このっ、喰らいやがれ!」

 見事に打ち倒された前衛組みへ、ソーマが追撃へ移行しようか、というタイミングで、下川とヤマジュンが援護の攻撃魔法を放つ。

 正確な狙いをもって放たれた水と光の矢は、命中する寸前にかき消された。

「ちいっ、アイツは風属性担当の霊獣だったのかよ」

 僕の目の錯覚でなければ、前衛組みを吹っ飛ばした時も、攻撃魔法を防いだ時も、淡い緑色に輝く風のような流れが見えた。

 その緑色の風は、天職『風魔術士』だった西山さんが行使していた風魔法と全く同じ。

 霊獣ソーマユートは、剣を持たない無手に思えたが、すでに風魔法という強力な武器を手にしていたということだ。

「レイナの願いを邪魔する者は、この俺が全て排除する」

 蒼真君と全く同じ微笑みを浮かべながら、物騒なことを言い放つ奴の周囲には、俄かに輝くエメラルドグリーンの旋風が渦巻く。

「おいおい、ヤベェ、コイツ強いぞ!」

「ど、どうするよ、勝てんのか俺らで!?」

「くっそぉ、許さん、許さんぞ、蒼真ぁ!」

 吹き飛ばされはしたものの、さほどダメージは負っていない前衛三人組みが立ち上がる。ラプターとレムも、さして損傷はなく、のっそりと起き上がり攻撃構えをとる。

 風魔法使いのソーマは、かなり強そうではあるが……みんなを一撃で殺せなかったことを思えば、絶望的な戦力差というワケではないだろう。

 ならば、何としてでもコイツはここで倒しておきたい。ただでさえ、エンガルドやラムデインの霊獣は、レイナのみを最優先に行動する面倒なケモノ風情だというのに、この上さらに、人の言葉を喋る奴まで加わるとなれば、厄介なことこの上ない。

 そして何より、蒼真悠斗そのものの姿をしているソーマユートがいる限り、元々現実の見えていないレイナは、ますます現実を見ずにワガママ放題だろう。全く、冗談じゃない。ゴーマの砦攻略で、ようやくこのクソニートが働き始めたというのに。

 気は進まないが、レイナを仲間としてこれからも連れていくことを思えば――いや、待てよ。

「みんな、退いて! 撤退だ!」

 叫びつつ、今度は僕から先に逃げ出す真似はしない。撤退命令を出すなら、命令者は最低でも逃げ出すのは二番目じゃないと、恨まれるってのはオルトロス戦で学習済みだ。

「撤退だぁ?」

「いいのかよ?」

「おい、桃川! ここで退けるかよ!」

 強そうな霊獣ソーマを相手に、気が退けるのか上田と中井はすぐに動きを止めてくれた。山田もアホみたいなことを叫んでいるが、一人で斬りかかる勇気もないのか、明らかに攻撃には躊躇していた。

 下川も次なる攻撃魔法の詠唱こそ済ませているものの、冷静に成り行きを見守るために、放つ素振りはみせない。勿論、ヤマジュンも攻撃の手を止めている。

 よし、ひとまず、何となくの流れで戦いに突入することは避けられた。これで、話をするだけの状況は整った。

「レイナ! 僕らはお前の邪魔はしない! すぐにここから出ていく!」

 そう、レイナと決別する、お別れの話だ。

「おい、桃川、何勝手なことを――」

「みんなも、言いたいことはあると思うけど、今は退いて。このままじゃあ、殺し合いになるだけだ」

 山田を筆頭に、レイナを見捨てる主張をする僕に反対意見が出ようとするが、機先を制して黙らせる。みんなだって、分かっているだろう。コイツと戦えば、無事じゃ済まないってことは。

「けどよ!」

「レイナちゃんを、見捨てるワケにはいかねーべ、桃川」

「今のレイナは、僕らに助けを求めてはいない。このまま無理に戦えば、嫌がるレイナは絶対にエンガルドとラムデインを出す」

 霊獣二体、いや、ソーマユートを加えれば三体か。ソレら全てを相手にすることの意味は、僕よりもレイナとの付き合い長いみんなの方が、よく知っているはず。

 今のレイナは、別に霊獣ソーマに捕まって人質になっているワケじゃあない。自ら望んでアイツと一緒にいるんだ。邪魔をすれば、レイナは怒り心頭で、平気で霊獣を繰り出すのに躊躇はない。

「だから、今は退くんだ」

 僕らとレイナの戦力差は歴然だ。ここで戦っても、得られるものは何一つない。

 だから一旦ここは退いて、レイナを救出するための作戦を練り直す――と、みんなにはこの場では思わせておいて、僕の本命は、レイナを諦めるよう、みんなを説得することだ。

 そもそも、非協力的に極まるレイナは、パーティメンバーとして置いておくには非常に危険な存在だ。そりゃあ『精霊術士』としての能力は魅力的だが、その強さを補って余りあるほどのお荷物ぶりを発揮するのがレイナという女だ。

 何より、彼女は僕を嫌っているだろう。その強い力が、いつ僕へと矛先が向けられるか、分かったものじゃない。ムシャクシャしてやった、という動機がお似合いだ。

 そんなレイナでも、山田を筆頭に、みんなにとってはクラスを代表する超絶美少女であり、命に代えても守ってあげたいと思える、大切な女の子である。その容姿という魅力のみで、コイツはどんなに非協力的でも、メンバーから甘く優しい庇護を一身に受けてきた。

 しかし、その魅力が全く通用しない僕のような男からすれば、こんなに邪魔な役立たずの仲間など、全く必要性を感じない。

 そう、だから今こそ、レイナ・A・綾瀬を、パーティから切り捨てる時が来たのだ。

 霊獣ソーマユートという、まやかしの思い人を得て満足している彼女は、僕らの説得や呼びかけなんかでは、絶対に甘い夢から覚めることはないだろう。彼女は今も雲野郎の幻術に囚われたままなのか、それとも、自ら望んで幻惑の世界に浸り続けているのか、どっちなのかは分からない。けれど、彼女自身が、現実を受け入れることを拒絶しているのだということは、ハッキリと分かっている。

 こうなってしまった以上、もう、僕らではどうしようもない。恐らく、本物の蒼真君を連れてこない限り、レイナは何が何でも動かない。

 何故なら、彼女にとって、ここが蒼真悠斗と一緒にいられる、楽園なのだから。

「なぁ、これはしょうがないだろ」

「ああ、確かに、このまま戦ったらヤバいしな」

「戦略的撤退だべ」

 よし、上中下トリオの、意思は決まった。

 風を纏って立つ霊獣ソーマの姿に、警戒しつつも、ゆっくりと上田と中井の前衛コンビは後ずさりを始めた。無論、僕もラプターとレムを下がらせ始める。

「く、くそ……レイナちゃん、必ず、俺が助けに行くからな……」

 未練タラタラな山田だが、仲間がみんな引けば、流石に一人でいく勇気もない。大人しく、撤退の構えを見せてくれた。

「桃川くん、これで、いいんだね?」

「うん、こうするしかないよ」

 ヤマジュンだけは、僕の意図を察しているのだろう。彼が見つめるのは、置き去りにされてゆくレイナではなく、彼女を斬り捨てる決断を果たした、僕なのだから。

 その残酷な選択を、分かっていても、彼は止めない。本当に、ありがたいことだよ。

「レイナ、その霊獣を引かせろ。僕らは大人しくここから出ていくし、もう二度とお前の邪魔もしない」

 いまだ風を纏い続けて臨戦態勢をとる霊獣ソーマが不安だ。こちらが背中を向けた途端に『風刃エール・サギタ』をぶっ放されては堪らない。

 こちらの意図を伝えて、レイナの方にも引かせなければ、安全に撤退できる保証がない。

 まぁ、流石にアイツだって余計な殺し合いをしたいワケじゃないだろうし、今回ばかりは大人しく言うことを聞き入れて――

「嘘」

 細い眉をひそめて、愛らしい、けれど、確かに怒ったような表情で、レイナは僕に向かってそう言った。

「嘘、嘘……桃川君は、嘘ばっかり」

「なんだって」

 聞こえなかったワケじゃない。ただ、レイナの台詞の意味が、本当に分からなかっただけ。

「嘘吐き、本当は私の邪魔するんでしょ!」

「な、なに言ってるんだよ、何で僕がここで嘘をつかなきゃ――」

「私にホントのことなんて、一度も話したことないくせに!」

 コイツが何でこんなヒスってんのか理解不能。だけど、その台詞だけは不思議と納得できる。

 ああ、そうだよな、僕は一度もレイナに、本心を語ったことはない。

 なんだよお前、意外と鋭いじゃないかよ。

「嘘吐きは嫌い、嘘ばっかりで、騙そうとして、意地悪で、嫌い、嫌い、桃川君は大嫌い!」

「だから、何だって言うんだよ。僕はもう二度と、お前の前には現れない。そんなに僕のことが嫌いなら、それでいいじゃないか」

「嘘だっ! 絶対、また私に意地悪なことするんでしょ! 私、やっと、やっとユウくんと会えたのに――私とユウくんの邪魔を、桃川君は絶対にするっ!」

 感情が爆発したように、レイナはもう半泣き状態で絶叫した。

 正直、あまりに馬鹿らしくて、もう付き合いきれない。僕の言葉を全て嘘だというならば、もう何も語るまい。どうせ、ここでコイツとはオサラバだ。黙って出て行けば、それで全て済む話――

「――ああ、分かったよ、レイナ。俺が、桃川を殺そう」

「なっ!?」

 俄かに迸る、肌をビリビリ刺すような恐ろしい気配。これが殺気というやつなのか、それとも、魔力の余波なのか。

 僕を殺すと宣言したのは、他でもない、霊獣ソーマユートである。

「桃川、お前はレイナを傷つけた」

「なん、だと……」

「俺は、レイナを傷つける全ての存在を許さない」

 無造作に掲げられたソーマの右手には、目に見えるほどの濃密なグリーンの輝きが集う。

 まずい、コレは、かなり強力な風魔法が来るっ!

「待て、やめろっ、僕は――」

「レイナは俺が守る――『疾風剣「(エール・クリスサギタ)』」

 言い訳する暇もなく、大きな風の刃が霊獣ソーマより放たれた。

 ああ、ダメだ、これは死んだ。

 僕の反射神経と運動能力では、一度、放たれた攻撃魔法を見てから回避することなど不可能だ。無論、防ぐ手段もない。黒髪縛りを一本、出すのさえ間に合わないだろう。

 ああ、こんなことなら、レムかラプター、どっちか片方だけでも、傍に置いておけば良かった。どっちも攻撃を任せたせいで、少し離れた位置。

 僕が攻撃されて慌てて戻って来るだろうけど、二人のスピードでは間に合わない。

 つまり、僕は全く無防備なまま、攻撃魔法の直撃を許すより他はない――

「桃川くんっ!」

 ドンっ! という衝撃は、僕が押された時のものか、それとも間抜けに芝生を転がった時のものか。

 気が付けば、僕は鮮血の花が咲き誇るのを、馬鹿みたいに見上げていた。

「……ヤマジュン」

「うっ、あ……もも、か……」

 ヤマジュンの胴体から、凄まじい勢いで血が噴き上がり、そのまま仰向けに倒れ込んでゆく。

「ヤマジュン!? そんな、何で――」

「邪魔が入ったか。まぁ、いい、次は当てる」

 他人事のように平坦なソーマの声が耳に入る。その台詞の意味は分かっているはずなのに、僕はただ、血塗れのヤマジュンの体を前に、頭が上手く回らない。

 何で、どうして、僕を庇ったんだ。

「――『水霧アクア・ミスト』っ!」

 ワケが分からず呆然としていた僕の意思に反して、状況はめまぐるしく変わる。俄かに白い濃霧が立ち込め、どんどん視界を覆っていく。

「桃川、しっかりするべ!」

「おい、さっさと逃げるぞ!」

「山田ぁ! お前も早く来い!」

 僕の腕を掴んで、強引に立ち上がらせてくれたのは、下川だ。

 そこでようやく、下川が『水霧アクア・ミスト』を張って、霧に紛れて逃げようとしているのだと理解できた。

 この状況下で、よく咄嗟に動けたものだ。素直に感心する、と同時に、ショックで真っ白になりかけていた頭が、やっと再起動してくれた。

「ラプターにヤマジュンを乗せて! まだ息がある!」

「よっし、中井、足の方持て!」

「うし、いくぞ、せーの!」

 少々手荒だが、滑り込むように僕の下へとはせ参じたラプターへ、上田と中井が一気に血塗れのヤマジュンを乗せた。

 誰かが背負っていくよりも、ラプターに乗せた方が素早く搬送できる。なにより、モタモタしていたらソーマの追撃が飛んでくる。

「下川君、先導して!」

「こっちだ、行くべ!」

 唯一、この霧の中を見通せる術者の下川を先頭に、僕らは妖精広場からの撤退を図る。

 すぐ近くに、ビュンビュンと霧を割いて飛来してくる風の刃を感じたが、霊獣といえども視界不良のせいか、見当違いの方向へ飛んでいくのみ。

「広がれ、『腐り沼』っ!」

 最後に、一応の足止めとして『腐り沼』を出入り口の前に広げてから、僕らは妖精広場から這う這うの体で逃げ出すのだった。

第138話 告白未遂

 僕らはそのまま、このエリアのスタート地点である妖精広場へと戻ってきた。

 ヤマジュンの怪我はかなりの重傷だ。早く処置したかったが、妖精広場以外の場所でやれば、雲野郎をはじめ、どんな邪魔が入るか分かったものではない。

 とりあえず、最低限の応急処置として、手持ちの薬をざっと塗った上で、少しでも止血するために体を黒髪で縛っておいた。揺れるラプターの背中に固定するためにも、黒髪縛りは役に立った。

 そうして広場へ戻ると、すぐに治療に入る。といっても、医者でも治癒術士でもない僕に、できることなど限られているが。

「ゆっくり下ろして」

「おう、揺らすなよ」

「や、ヤマジュン、しっかりしろ!」

 まずは噴水の傍に、血まみれのヤマジュンを寝かせ、上着を脱がせる。学ランとワイシャツのボタンを外して前を開けて、真っ赤に染まったシャツをまくる。

「うっ、これは……」

 ダメかもしれない。素直に、そう思った。

 風の刃は、左肩から右の脇腹にかけて、大きな斜め一文字となって体を切り裂いていた。大きな創傷はとめどなく鮮血を溢れさせ、体中を赤く染めている。

 こんな深手を、本当に傷薬Aだけで治せるのか。治ったとしても、もう手遅れなほど血が流れ出てしまっていたら……ええい、考えるな、今は集中しろ!

 手早く水でざっと体を洗い流し、引っくり返した鞄からタッパーに詰め込まれた傷薬をすくう。多ければいいってもんでもないが、ケチっている場合でもない。傷口を埋めるように、薬を塗りたくっていく。

「う、くっ……うぅ……」

 薬が沁みるのか、苦しげにヤマジュンが呻き声をあげる。悪いけれど、こればかりは我慢してもらわなければならない。

「おい、桃川、ヤマジュンは治るのかよ!?」

「やめろって、山田、騒ぐなよ」

 狼狽して半泣きの山田に詰め寄られても、僕は「大丈夫」とは答えられなかった。無責任でもいいから、ここは大丈夫だと言わなければいけない場面だったと、上田が山田を止めている辺りで気づいたのだが、言い直すには遅かった。

「……桃川くん……そこに、いるの」

「ヤマジュン!?」

 苦悶の声で呻くだけだったヤマジュンが、はっきりと言葉を話した。今にも消え入りそうな小さな声だが、確かに意識はあるようだ。

「無理して喋らない方がいい、傷に響くかも――」

「いいんだ……き、聞いて欲しい……多分、最後だと、思うから……」

 こういうやり取り、漫画で読んだこと何度もあるな、なんてくだらない思考が頭の片隅を過るのは、目の前の現実から目を背けようとする、一種の逃避なのだろうか。

 そうであったとしても、僕には、死にゆく仲間の言葉に耳を傾ける、という定番の役目を演じるより他はない。

 だって、そうだろ。現実として、大切な仲間が死ぬかもしれないというのに、その最後の言葉を聞き逃そう、遮ろうなんて、思うはずがない。

「古代語のこと、分かる限りノートに書いておいたから……ごめんね、桃川くん、もっと、ちゃんと教えたかったんだけど……」

「いいよ、そんなの、十分だよ。ありがとう、必ず見るから」

 ちくしょう、そんな形見を残すみたいなこと、言わないでくれよ。

「上田君……君は、一番勇気がある……この先、恐ろしい魔物が立ちはだかった時、きっと、君が最初に斬り込んで、活路を、開いて……」

「くそ、何だよヤマジュン、そんなカッコいいこと、今聞きたくねぇよ!」

「中井君は、ふふ、意外と気遣いができるよね……三人の連携の要は、君だ……君なら、誰とだって、上手く戦っていける、はずだから……」

「へ、へへっ、よく見てるじゃねぇか。そうだよ、俺のお蔭で、上手く戦えてんだ!」

「下川君、咄嗟の判断力と機転は、君が一番だ……ありがとう、さっきも、君のお蔭で、あの場を脱することができたよ……」

「そんなこと……お、俺がもっと、早く動けていれば……」

「山田君とは、この中じゃあ一番、付き合いが長いよね……今まで、僕と友達でいてくれて、本当にありがとう」

「ばっ、バカヤロぉ……そんな、死ぬみたいなこと言うなよ!」

「みんなを、守ってあげて……君が一番、強いんだ……だから、怖がらないで、もっと、みんなのことを、仲間として信じてあげて欲しい」

「分かった、分かったよ! だから、頼むよ……ヤマジュン……」

 僕も、誰も、今ばかりは大泣きに泣く山田のことを馬鹿にはできない。みんな同じだから。涙をこらえるなんて、できるはずない。

「桃川くん……君がリーダーだ。みんなを導いて行けるのは、君しかいない……」

「僕は、そんなんじゃないよ……今までだって、ヤマジュンがいたから、何とかやってこれただけなんだ」

「大丈夫だよ……天職の力が及ばなくても、桃川くんには、勇気も知恵も、優しさだって……たとえ、人を殺めてしまっていたとしても、ね」

 まさか、ヤマジュンは僕が樋口を殺したことに、気づいていたっていうのか。

「ボクは、君が正しい行いをしたと、そう信じているし、信じられる」

「どうして、そこまで言い切れるのさ。僕は何も、大したことはしてない……」

「それは……ボクが君のことを……んっ、ぐっ、げほっ!」

 ついに限界が訪れたのか、ヤマジュンは台詞の半ばで激しくせき込んだ。同時に血も吐いて、口元を赤く汚していく。

「はぁ、ふぅ……ごめん、ボクはもう……」

「ヤマジュン、しっかりして。大丈夫だから、ちゃんと傷薬は塗った。僕が鎧熊にやられて瀕死だったけど、それでもこの薬で治ったんだ。だから絶対、大丈夫!」

「そう、だね……ありがとう……」

 もう意識すら保っていられないのだろう。血の気の失せた顔で、ヤマジュンはとうとう瞼を落とす。

「お願い、桃川くん……手を、握っていて、くれないかな……少し、寒いんだ」

「うん」

 僕は静かに、ヤマジュンの手を両手で、祈るように握りしめた。

「ありがとう……これで、もう、怖くないよ」

「大丈夫、安心して……次に目が覚めたら、傷は、治っているから……」

 ダメだ、泣くなよ。こんな泣き顔で言っても、説得力は皆無だろう。

 信じなければ。他の誰でもない、僕が、ヤマジュンの傷は治るんだと、今この瞬間だけでも信じないといけないのに……

「みんな……おやすみ」

「うん、おやすみ、ヤマジュン……」




 最初に行動を起こせたのは、上田だった。

「……なぁ、いつまでも、ヤマジュンをこのままには、しておくワケにはいかねぇだろ」

「そう、だよな……」

「おう、そうだべ」

 中井と下川が、続いて立ち上がる。

「ま、待てよお前ら! なに、勝手なことしようとしてんだよ!」

 そして、上中下トリオが動き始めたところで、山田が叫んだ。

「勝手なことってなんだよ」

「落ち着けよ、山田。まぁ、気持ちは分かるけどよ」

「もう、ヤマジュンは――」

「うるせぇ! ヤマジュンはまだ、死んでねぇ!」

 ああ、馬鹿だ、本当に馬鹿だよ、山田。

 ヤマジュンはもう、死んだんだよ。

 呼吸が止まった。心臓も止まってる。オマケに瞳孔反射だって確認した。死の三徴候というらしい。

 光を当てても、瞳孔が開きっぱなしになる、反応しないということは、脳の機能が失われていることを示しているらしい。瞳孔反射は脳幹から出る神経が司っているからだ。

 肺、心臓、脳、これら全ての不可逆的な機能停止を医学的には『死』と定義されている。

「ヤマジュンは、死んだんだよ」

 だから、僕ははっきりと言い切った。

 綺麗な死に顔ではある。眠るように、というありふれた表現だけれど、正にその通り。今にも、目を覚ましそうな気さえするが……所詮、それは残された者の願望にすぎない。

 僕は、僕自身でヤマジュンの死を確認した。まだ、これから傷薬が効くんじゃないのかと、変な希望を持たないように。きっと神様が助けてくれるとか、ありえない奇跡を願って、時間を無駄にしないように。

「現実を見るんだ、山田君」

 僕も立ち上がる。

 まず、するべきことは、ヤマジュンの遺体を埋葬することだろう。

「ち、ちくしょう……ちくしょう……」

 いまだ大粒の涙を零しながら、僕らと一緒に、妖精胡桃の木の根元に穴を掘るのを手伝った山田は、なんだかんだで、この中ではヤマジュンと一番の友人だ。実に情が厚く、友達甲斐のある山田の傍らで、僕はすっかり涙が乾いて久しい。

 頭の中では、すでに悲しみとは別な思考が走り出していた。

 ヤマジュンは、僕ら全員に惜しまれ、悲しまれ、痛ましい死を迎えた。テレビドラマでありそうなほどの、悲痛な散り様。

 だがしかし、その死には何も、意味はない。正直に言って、ヤマジュンは無駄死にだ。

 確かに、彼は僕を庇って致命傷を負ったのだから、命を救ったことにはなる。だが、それだけだ。

 誰かを助けることは、実に尊い行いだが、それで自らの命を落としては本末転倒というものだろう。誰かを助けるならば、自分の命に代えてはいけない。必ず助ける者も、助けられる者も、生還しなければ意味なんてない……いや、違う。意味がないんじゃなくて、ただ、納得がいかないだけなんだ。

 どうして、僕を助けた。あの風の刃を喰らったら、ヤバい、なんてのは分かっていたはずだろう。少なくとも、僕だったらあの状況下では動けない。絶対に動かない。自分の命が、何よりも大切だからだ。

 命を捨ててでも僕を守りたかったのか、それとも、そこまで考える間もなく、反射的に庇ってしまうほどのお人良しだったのか。今となっては、あの瞬間のヤマジュンの気持ちなど、誰にも分らない。

 重要なのは、いつも結果だ。気持ち、なんてのは所詮、後付けの理由でしかない。今はただ、山川純一郎という少年が、死んでしまった。それが全て。

 理不尽だと思った。納得なんて、いくはずもない。彼が死んでいい理由なんて、どこにもなかったはずだろう。一体、どこの誰が、二年七組の良心、ヤマジュンを恨むというのだ。

 こんなこと、あってはらない。あっていいはずがない。

 そういう気持ちを、人は何と呼ぶか――『怒り』だ。

 だから、もう悲しみはない。涙も流れない。

 掘った穴にヤマジュンの遺体を下ろして、最後のお別れとばかりに、妖精広場の花畑から作った花束を捧げて、土を被せていく。その時、皆はまた泣いていた。馬鹿にする者もいないし、カッコつける必要もない。

 泣いていなかったのは、僕だけだった。

 つまり、皆の中で、僕だけが、怒り狂っていたのだ。

「レイナ……お前は殺す」

 それは、二度目の誓い。人を殺す、という確かな怨念の発露。

 ヤマジュンに無為な犠牲を強いた、レイナ・A・綾瀬は、僕が必ず呪い殺してやる。

第139話 嘘吐き

 ヤマジュンを失ったことに対する、あらゆる感情を押し殺し、ただ、必要な行動のために心を凍てつかせる。冷静に、冷徹に、今、すべきことを考えるのだ。

「それで、皆どうするの?」

 埋葬を終えて、ぐったりとした様子で黙って座り込むばかりの彼らに、僕は真っ先に口火を切った。

「どうするって」

「どうするよ……」

 上田と中井のリアクションは、実にパっとしないものだ。特に、これといって何も考えてないのだろう。普通、こんな状況下で何か考えようともしないけどね。友人の死、というショックは途轍もなく大きなものだ。

 これが平和な高校生活の中の出来事ならば、そのままショックを受けつつ、少しずつ現実を受け入れて行けばいい。けれど、今の僕らにそんな贅沢な時間の使い方など、許されてはいない。

「僕らは、これからもまだ先に進まなきゃいけないだろう。ヤマジュンを失ったことはとても残念だし、ショックだし、そう簡単に割り切れるものじゃあないけれど……いつまでも、悲しんでいるワケにはいかないでしょ」

「そりゃあそうだけどよ、今すぐってのは、ちょっと、こう、気分も乗らねーべ」

 確かに、すぐに気持ちなんて切り替えられないよね。

 まぁ、だから今、こんな話をするんだけど。まだ頭の中が落ち着かないこのタイミングだからこそ、皆のことも騙しやすい。

「今すぐ出発しようとは言わないよ。休息は必要。でも、どうするのかは考えておかないと」

「うるせーな、どうしろってんだよ」

 山田の苛立ちが大いに籠った発言。大切な友人を失って悲しみに浸っている時に、ゴチャゴチャ言われたら、そりゃあ不機嫌にもなる。

「皆はさ、気にならないの? 綾瀬さんのこと」

「っ!?」

 さしもの山田も、これを言われたら、何も言い返せないだろう。だって、一番心の整理がついてないのは、山田だろうからね。

「れ、レイナちゃんのことは……」

「うーん、なんつーか……」

「ヤマジュンを撃ったのは、あの偽蒼真だべ」

「そ、そうだ、アイツがヤマジュンを殺したんだ! アイツは許せねぇ!」

 正直、その答えはガッカリだよ。君たちはこの期に及んで、まだレイナのことを庇おうっていうのか。

 庇うつもりはなくても、彼女を、あの見た目も心もか弱いハーフの超絶美少女を、責める気にはならないのだろう。やれやれ、全く、現実が見えていない。

「うん、その通りだよ。綾瀬さんは、まだ雲野郎の幻術にかかっているんだと思う」

「くそっ、やっぱりそうなのか!」

 そんなワケねーだろ、アホか。

 でも、そう信じたいならば、信じさせてやればいい。その方が、いざ行動に出る時にも迷いがない。自分が正しいと信じていれば、どんな悪事だって人は成すことができるのだから。いやホント、信じる心は、大切だよね。

「みんなで、綾瀬さんを助けよう」

「そ、そうだよな」

「おう、やるしかねーよな」

「そんなこと言って、本当は桃川、レイナちゃんの力がないと、この先も困るからだべ?」

「あはは、まぁね、それもあるよ、否定はしない」

 やはり、下川は鋭い方だ。まぁ、これまでの経緯を見てれば、僕がみんなほどレイナに尽くす性格じゃない、ってのは誰でも気づくだろうけど。

 面倒だし、お荷物だし、と僕が嫌々、レイナと付き合っていることを下川はちゃんと察しているし、それでも僕がレイナを見捨てないのは、ダンジョン攻略という一点において、『精霊術士』の力が絶大だから、っていう論理的なメリットも理解している。そして、下川は多分、僕は感情よりも、そういう確かな利益をとる男だと、思っているだろう。

 その評価は、半分正解だ。実際、僕はそういうつもりでレイナと接してきたし、何が何でもパーティから切り捨てたくて仕方がない、っていうほどでもなかった。ゴーマの砦攻略の時も、彼女の力は大いに役立ったしね。

 けれど、そんな僕にだって、我慢の限界ってのはあるんだよ。

「僕らがこれから、ダンジョンを進むためには、綾瀬さんの力は必要だし、みんなだって、ここで彼女を見捨てる様な真似はしたくないでしょ」

「当たり前だろ! 俺がレイナちゃんを助ける! そして、ヤマジュンの仇も討つ!」

 今までの悲しみはどこへやら、山田はこれまでにないほどの奮起を見せる。

 こんなに都合のいい解釈があれば、飛びつかないワケないよね。

 ヤマジュンを失った悲しみは、彼を殺した仇という存在によって、復讐心へと昇華する。きっと、人間ってのは悲しむよりも、誰かを憎んでいるほうが、心が楽なんだろう。敵とか仇とか、憎むべき相手がいれば、悲しみの責任を全て被せられる。

 おまけに、可愛いお姫様であるところのレイナを助けるという美味しい役目もプラスされれば、そりゃあ山田も元気百倍だろうよ。

「けれど、彼女を助けるには、今までにないほど厳しい戦いになる」

「つっても、あの偽蒼真を倒すだけだろ?」

「あん時はいきなりでビビったけどよ、奴一人だけなら、俺ら全員でかかればなんとかなるんじゃね?」

「アイツは風魔法使いだべ。剣を使わねーなら、本物の蒼真よりはチョロイだろ」

 確かに、僕も霊獣ソーマユートの戦力は、そこまで高く評価してはいない。この面子でも、全員で決死の覚悟でかかっていけば、恐らく、倒しきれるはずだ。何より、アイツは本物の蒼真悠斗、つまり『勇者』じゃない。土壇場で起死回生の覚醒で大逆転って展開もありえないだろう。

「敵は、ソーマだけじゃない。今の綾瀬さんは、まだ幻術にかかっている。だから僕らを見ても、敵だと思う――つまり、僕らが戦わなきゃいけないのは、彼女が繰り出す『エンガルド』と『ラムデイン』も含まれるってことだよ」

 もしかすれば、水属性担当の『セイラム』という女性型の水精霊も出してくるかもしれない。コイツは多分、水場でしか使えないか、能力が弱まるか、と僕は予想しているけれど、別に普通にどこでも使える可能性だってある。

 レイナが本気を出せば、この炎・雷・水、の属性を持つ強力な霊獣三体を躊躇なくけしかけてくるだろう。これに加えて、風属性のソーマユートがいるのだ。

 僕らは五人で、霊獣は四体。実質、数の有利など皆無だ。むしろ、能力的にみれば、僕らの戦力の方が確実に劣る。

「で、でもよ、レイナちゃんが敵になるとは限らねーだろ! 幻術で操られてるだけなんだ、そんなこと――」

「するよ。綾瀬さんは、確実に僕らを敵とみなして、全力で排除してくる」

 頭の中お花畑な山田の言葉に、僕は勘違いしないようにキッパリハッキリ断っておく。

「残念だけど、そもそも綾瀬さんは、このダンジョン攻略っていう環境に、精神が耐えられないんだ。まぁ、女の子だし、それはしょうがないことなんだけれど」

 全然しょうがなくないし、ただ甘えたクソ女でしかないけれど、この際それは置いておこう。

「そんな彼女が、雲野郎の幻術にかかって、大好きな蒼真君と一緒にいられるという、幸せな夢に浸ってしまうのは、当然だよ」

 それだけならば、放置で安定だった。でも、そうはならなかった。そうするわけには、もういかない。

「今の綾瀬さんにとって、幻術の夢は何が何でも守りたい世界だ。僕らの呼びかけは、嫌で仕方がない、ダンジョン攻略という過酷な現実に戻そうとする、悪魔の呼び声にしか聞こえないだろう」

 思うに、雲野郎の幻術にかかっても霊獣が何の反応も示さなかったのは、きっとそれをレイナ本人が望んだから、敵だと認定されなかったから。結果として、名もなき雑魚モブ魔物の雲野郎から、霊獣ソーマユートへと進化を果たしたお蔭で、晴れてレイナの忠実な下僕へと仲間入り。

 ソーマは、つらい現実に傷ついたレイナの心を癒す、精神安定剤として大活躍、というワケだ。

「けど、俺らがちゃんと呼びかければ、レイナちゃんだって、きっと目覚めてくれるはずだ!」

「山田君、そう信じたい気持ちは分かるけど、それは絶対に無理だよ」

「なんでだよ!」

「だって、ヤマジュンは死んだじゃないか」

 そう、つまるところ、これが全てだ。

 レイナは、僕らのことなど何とも思っちゃいない。自分の願望ワガママを叶える、暴力装置である霊獣が殺意をもって動き出していると知っていても、決してそれを止めたりしない。

 レイナ、お前が、お前だけが、あの瞬間にヤマジュンを助けられたんだ。霊獣ソーマの攻撃を、口先一つで止められた。なんなら、気持ちだけでも、テレパシーか何かが通じて、止まったかもしれない。

 そんな簡単なことだったのに、あの女は、どこまでも目の前の現実を見るのを拒否したんだ。その甘えが、人を殺した。ヤマジュンを、殺したんだ。

「僕らの声なんて、届くワケないでしょ」

「そ……それは……」

 ようやく分かったかな、山田君。もう、僕らは大切な仲間を一人、失ってしまっているんだ。取り返しのつかない事態になってしまった。

 そうである以上、くだらない希望や、都合の良い願望に、頼ることなど有っちゃいけない。

 レイナが僕らの呼びかけに答えて正気を取り戻す?

 実に馬鹿げた作戦だ。そんなの、僕が死に戻りのタイムリープ能力者だったとしても、百万回繰り返したって、成功させるのは不可能だよ。

「だから、今回の戦いは綾瀬さんの持つ霊獣全てを相手にするだけの、覚悟と作戦が必要ってことだよ」

「マジかよ、あの霊獣を全部相手にするとか……」

「普通に無理じゃね?」

「でも、それじゃあレイナちゃんを置いていくってことになるべ」

「ふざけんな、そんなのは認めねーぞ! ヤマジュンを失って、この上さらにレイナちゃんまで、失うわけにはいかねーだろが!」

 山田の台詞だけならカッコいいけれど、論理的に考えれば下川の言う通り、レイナ放置の方が安全確実である。

 実際、ヤマジュンが死にさえしなければ、僕は迷わずレイナ放置の案を支持した。というか、僕が絶対に全員を説得してみせた。アイツの持つ戦力はあまりに強大で、立ち向かうのは愚の骨頂。

 それでも僕が戦いを挑むのは、それだけの憎悪があるからだ。あの女は許せない、何が何でも、ここで殺さなければ気が済まない。

 ヤマジュンが聞いたら、そんな危ないことしなくていいよ、と優しく復讐の無意味さを説いてくれただろうけれど。復讐なんて彼自信が望まない。そんなことは、誰に言われなくても分かり切っている。

 だから、これはどこまでも、僕自身の気持ちの問題だ。復讐の理由を、ヤマジュンのため、なんていう綺麗事で誤魔化すつもりはない。僕がレイナを許せない、ただその怒りでもって、アイツを殺すのだ。

 そして何より、復讐心と同時に、レイナは僕のことを明確に憎い敵だと認識している。ヤマジュンが死んだショックで忘れそうになるが、そもそも、僕はあの時、レイナのことは放置しようとしていた。戦う気はなかった。

 だが、アイツは僕が逃げることそのものを許さなかったのだ。レイナは、僕の死を望んでいる。最早、よりを戻すことは不可能なほどに、敵対関係にある。

 こんな危険な奴を、放置していくことはできない。たとえ復讐心などなくても、僕にとってレイナは、殺さなければならない危険な敵になっているのだ。

「正攻法では、まず霊獣は倒せない」

「そりゃあ、考えるまでもねーべ」

 全員が頷く。気合いや根性で、どうにかなる相手だとは、流石の山田も思ってないようだ。

「かなり危険な賭けになる、けど、僕に作戦がある」

「おお、流石」

「なんだよ桃川、もったいぶんなよ」

「ゴーマの砦も何とかなったんだから、大丈夫だべ」

「俺はレイナちゃんを助けるためなら、何でもやってやるぜ!」

 みんな、ヤル気があって実によろしい。僕の作戦への食いつきがいいのも、やはりゴーマの砦攻略が上手くいったという実績も生きている。信頼があるっていうのは、素晴らしいね。

「そう難しいことじゃない。多分、綾瀬さんはあの妖精広場に陣取ったまま、動かないはず」

 作戦の前提条件は、レイナがソーマと共に妖精広場に立て籠もっていること。

 もし、何かの気まぐれで、とっくにレイナがどこかへ行ってしまっていたら、追跡は不可能だ。流石に、その時は僕も今すぐ復讐するのは諦めざるを得ない。

 けど、アイツがあの場所を動かない確信が、僕にはある。レイナは生粋の引き籠り体質だ。偽物とはいえ、蒼真悠斗を手に入れたレイナは、それで満足しているはず。他には何も望まない。求めるモノがなく、満ち足りた環境になったなら、それをわざわざ手離す真似はしない。

 だから、レイナは今もあそこで、偽物の蒼真君を相手に、イチャイチャダラダラしていることだろう。

「まずは適当に挑発して、霊獣ソーマを引っ張り出す」

 アイツが単独でのこのこ出て来れば、最高だ。僕ら全員で、まずはソーマを一気に叩き潰せばいい話。

「出てきたソーマを、できるだけ広場から離れた場所まで誘導。そこで、一気に倒す」

「でも、アイツ一人だけで、そんな都合よく追っかけてくるべか」

「うん、恐らく、ソーマとセットで、エンガルドとラムデインも出てくると想定すべきだよ」

 早くも真打登場となるが、最初の時点であの二体が出てくると思う。レイナは余裕ぶっこくタイプの敵キャラじゃないから、僕らが邪魔だと思えば全力で対処してくる。というか、レイナが本気で嫌がれば、霊獣共が黙っていないから、命令がなくても自発的に現れるだろう。

 レイナは僕を差して、嘘吐きだのイジワルだのと、幼いなりにあらん限りの憎悪をぶつけてきた。だから、アイツは僕を見かければ、必ずマジになって排除にかかるに違いない。

 やれやれ、随分と恨まれたもんだね。僕もお前のことが大嫌いだよ。

「霊獣が総出でかかってきた場合は、逃げる」

「おいおい」

「逃げてどーすんだよ」

「奴らが追いかけてきてくれれば、それだけでいい。時間稼ぎだよ」

「時間なんか稼いだって、どうしようもねーだろが! 霊獣を倒さなきゃ、レイナちゃんの下には辿り着けねーぞ」

「それだよ、山田君」

 珍しく、冴えているじゃあないか。

「要するに、レイナの元にさえ辿り着ければ、後はどうとでも……幻術を解ける」

 霊獣という屈急なボディガードが全員出払っていれば、レイナは単独だ。そして、霊獣の行使に特化した『精霊術士』だからこそ、自分自身は果てしなく無力。アイツは今でも、見た目通りのか弱い少女でしかないのだ。

「霊獣を全て広場からおびき出して、術者の綾瀬さんを単独にする。囮役が霊獣を相手に時間を稼いで、その隙に、本命が綾瀬さんの解呪に乗り込む。これが、作戦の基本方針だよ」

「けど、その本命を見逃すほど、霊獣も馬鹿じゃねーべ」

 奴らはただの獣じゃないからね。それくらいの知能はあるし、隙もない。

 適当な部屋に隠れ潜んで、奴らが通り過ぎていくのを待つ、という作戦もありえるが、絶対ではない。僕らのメンバーの内、誰か一人でも姿が見えなければ、奴らも警戒して、ラムデインあたりが広場に残りそうなのだ。

「うん、だから、霊獣を誘い出す囮役には、僕ら全員が揃ってないといけない」

「それじゃあ、誰もレイナちゃんのとこには行けねーべや」

「僕が行く」

「桃川が?」

「どうやって?」

「『呪術師』のお前じゃあ、速くも走れねーし、隠れ潜むのも無理だろが」

 もう、みんなして、僕の素の能力を甘くみてるんだから。まぁ、その通りなんだけど。

「大丈夫、僕には霊獣の目を誤魔化せる、呪術がある――」

 それは、ルインヒルデ様に体を真っ二つに引き裂かれる、歴代でもトップクラスに無残な方法で授けられた、新しい呪術。

 この呪術を得たからこそ、僕はレイナの殺害が可能だと踏んだのだ。

「――僕の新呪術『双影ふたつかげ』。効果は、分身だよ」

第140話 霊獣への備え

 さて、全員が僕の作戦に乗ってくれたところで、具体的な準備を進めて行こう。

「やっぱり一番難しいのは、霊獣オールスターの足止めだよね」

「おう、簡単に言うけどよ、フツーに戦うだけでアイツらはヤベーぞ」

「霊獣相手じゃあ、逃げるのだって厳しいからな」

 上田と中井の前衛コンビが、割とマジな顔で言う。

 それもそうだろう。僕もこれまで、霊獣の力は目にしている。特に、天道君から貰った素材をつぎ込んだ豪華装備のレムと、貴重なアラクネのコンビを一発で無に帰してくれやがった、あのブレス攻撃は非常に危険だ。

 背中を向けて逃げている最中に、アレを撃たれればお終いだ。直撃すれば、山田でも耐えられるかどうか怪しい。

「なぁ、霊獣を引きつけとくのに、どっかの部屋に誘導するのはいいけどよ、それだと、俺の『水霧アクア・ミスト』もあんまりよくねーべ。俺らを見失って、レイナちゃんのとこに戻られたら、桃川死ぬぞ」

「追撃をやめて戻ってくる段階なら、僕は別に大丈夫だよ。でも、作戦を遂行するには、確実に奴らに追って来てもらえるように逃げなきゃいけない」

 逃げる時の陣形は、まず最後尾に壁役として山田を配置。そこから、足止め用の障害物として防御魔法を張れる下川、弓が使えるレムが並ぶ。

 前は、逃げてる途中は特に打てる手はない上田と中井が走り、そして先頭はラプターに跨った、『双影』で分身した偽物の僕だ。

「一応、陣形以外でも、霊獣の足を鈍らせる罠は仕掛けるつもりだけど、あんまり大した用意はできそうもないよ」

 実は一番困っているのが、この何もない白雲エリアという場所そのものだ。前にいたジャングルエリアなら、木々や石ころと、何か作ろうと思えば材料は沢山あった。しかし、ここにあるのはフワフワの白雲素材だけ。出現する魔物も、あの雲野郎だけなので、魔物素材も一切入手はできない。手持ちのモノだけで、何とかするしかないのだ。

「で、桃川、上手く逃げられたとして、どの部屋におびき寄せるんだ?」

「ガスの罠が出た広いとこなら、戦いやすそうだけどよ」

 正攻法での足止め狙いなら、中井の言う通り例の広間で戦うべきだろう。けれど、そもそも普通に戦う状況になった時点で、僕らの方が不利なのだ。まともにやり合うことを考えるべきではない。

「ここの妖精広場に、奴らを閉じ込めようと思う」

「マジかよ桃川、入り口にドアなんてねーんだぞ、無理じゃねぇのか?」

 流石に山田でもそれくらい気づくか、というと馬鹿にしすぎだろうか。

「まず、綾瀬さんからできるだけ奴らを遠ざけたい、ってのが一つ」

「ここまで離れすぎると、警戒して戻ったりしねーべか?」

「その時は作戦中断。僕は分身を通して、霊獣がこの妖精広場にまで来たのを確認してから、綾瀬さんの下へ向かう。だから、途中で奴らが退いても大丈夫」

 この段階で作戦が失敗したら、また別の部屋を選んでリトライすればいいだけ。ここまでならば、大したリスクはない。

「それから、入り口を塞ぐなら、この妖精広場が一番マシかなってのが、二つ目の理由」

「で、どうやって塞ぐんだ?」

「まずは僕らが、追い詰められたように見せかけて、広場まで全力で駆けこむ。それを追って、霊獣が広場に入ったら、そこで下川君が全力で『水霧アクア・ミスト』を張る。視界を奪っている間に、みんなは外に退避。全員出たのを見計らって、次は『水流大盾アクア・アルマシルド』で封鎖。それと同時に、みんなは丸太の壁で塞ぐ」

 霊獣三体と正面対決するより、壁を挟んで押し合いしている方がいくらかは安全だろう。

パワーのあるタイプは、奴らの中でもエンガルド一体だけ。鷹型のラムデインは壁を押す動作そのものが難しいし、ソーマもさほどパワーがあるようには思えない。エンガルドのタックルに負けさえしなければ、入り口を塞ぎ続けることができるはず。

「確か、本物の水があれば、それを利用して水魔法を楽に発動したり、水量を増やしたりできるんだったよね?」

「まぁ、あんまやったことねーけど、盾を張り続けるなら、水があった方が全然楽だべ」

「けど、丸太の壁はどっから用意すんだよ?」

「ここはもうジャングルじゃねーぞ」

「立派な木なら、ここにあるじゃないか」

 と、僕は並木道のように立ち並ぶ、妖精胡桃の木々を指す。

「えっ、それって切っちまって大丈夫なのか?」

「なんかバチあたりそうじゃね?」

「それに、切ったらクルミもとれなくなるべ」

 意外なほど妖精胡桃の木の伐採に躊躇する面々。これまで妖精広場は僕らの安全を保障してくれた大切な場所だから、自然と神聖視してしまっているのかもしれない。僕としても、積極的に木を切ったり、噴水壊したり、広場を荒らしたいとは思わないし。

「今回ばかりは、妖精さんにごめんないさいしよう」

 生きるか死ぬかの瀬戸際なんです。どうかここは、平にご容赦を。そんな感じで、噴水の上にある妖精像にお祈りしておこう。

「それと、作戦が成功するにしろ、失敗するにしろ、どの道、長くここには留まれない。クルミの心配をする必要はないよ」

 レイナを突破できるかどうかで、僕らの進退が決まる。

「それじゃあ、早速、準備と作戦のリハーサルと行こう」

 おう、と元気の良い返事が響きわたるのと同時に、

「ただいまー」

 と、間の抜けた声が広場に響き渡った。

 声の主は、僕だ。

 ラプターに跨った、学ランのチビ助。生意気な眼つきの、微妙なレベルの女顔。この容姿と見間違うような男子は、クラスにはいないし、他でも見たことはない。

「おかえり」

 そうして、僕は僕を出迎えた。

 ラプターから降り立った僕が、僕の方へと歩み寄ってくる。そして、目の前に立つと、瞬時に黒い霧と化し、まるで幻であったかのように消滅した。

 正確には、僕の影に戻っただけなんだけど。

「いやぁ、改めて見ても、分身って不気味だべ」

「そう? 慣れれば面白いよ、ゲームみたいで」

 僕は広場でみんなを相手に作戦説明している間、早速、新呪術にして今作戦の肝でもある『双影ふたつかげ』を使い、分身を動かす練習をしていた。



『双影』:己を映す、影二つ。自身に他ならず、話し、歩き、感じ、そこに在っても、影に過ぎず。


 と、相変わらず説明文は要領を得ないフレーバーテキストだったので、分身の性能ってどんなもんよと実際に試したワケだ。

 結論から言うと、コイツ、マジで分身である。影分身というべきか。

 僕の意識は一つきり。だけど、『双影』を発動させれば、視界は二つになって、動かす体も、喋る口も、二つになるのだ。

 初めて分身が現れて、自分で自分を見た時のマヌケ面といったらない。

 なるほど、確かにコレは、説明にある通り、「話し、歩き、感じ、そこに在る」というワケだ。いきなり二つになった感覚に、最初こそ混乱したものの……あ、コレは要するに、ゲームでプレイヤーキャラを操作しているのと同じなんだ、と気づいてからは、違和感はなくなった。

 僕だけど、僕じゃない。僕が動かすけれど、僕ではない。正に、コントローラーを握りしめて操作する、ゲームキャラクターである。

 この『双影』は、ゲームのコントローラーよりも、直接的、感覚的に自分の分身を動かせるから、その自由度たるや……もしかして、僕は今、最新鋭のVRゲームを遥かに超えた、新世代のゲームを体感しているのかもしれない!

 という謎の感動を抱きつつも、僕はひとまず想像以上だった『双影』の性能に満足。これならば、上手くラプターを乗りこなしつつ、僕本人の囮役を全うできるだろう。




 みんなと準備を進める一方で、僕は影分身の習熟にも努める。ラプターに乗せて、ここからレイナの広場付近まで行ったり来たりを繰り返す。

 分身は動かすだけなら何の問題もないのだが、僕自身と同時に動かす、となると、これがなかなか難しい。右手と左手で、それぞれ別々の動きをさせるのも難しいのだから、同時操作の難易度の高さは当然だろう。

 今のところ、僕がお喋りしながら、分身を歩かせる、くらいのことならできる。でも、どっちも歩く、となるとまだ上手くいかない。

 幸い、今回の作戦では、囮の分身は妖精広場までゴールできれば、そこで役目は終了。あとは本物の方の僕がレイナとの決戦に挑むだけ。僕と分身が同時に動かなければならないタイミングはない。

 だからといって、何が起こるかは分からないし、これから先のことを考えても、同時操作は是非とも習得しておきたい技術である。慣れるには、まだまだ時間がかかりそうだけれど、頑張ればモノにできそうな気がする。

 そういうワケで、練習に打ち込んでいるのだが、ただ、それだけというのも時間と体がもったいない。

 分身は視界が共有できることを活かして、監視役としても利用することにしたのだ。

「……やっぱり、今日も動かずゴロゴロしてやがる」

 目を閉じれば、分身の視覚に集中できる。逆に、自分が目を開けて、分身の方を意識しなければあまり気にもならない。

 今、僕の分身はレイナが立て籠もる妖精広場の前、その開けた扉からこっそりと中を覗き込んでいる。堂々と扉の前に立てば確実にバレるので、広場から最寄りの曲がり角に体を潜めて、頭だけ出している状態。この白雲エリアは真っ白いモコモコ外装だから、黒髪の頭だけでも発見されやすいので、ちゃんと擬装もしてある。

 千切れば簡単にモコモコ素材がとれるのをいいことに、僕はバジリスクの毒沼エリア以来となる、ギリースーツを作成した。集めたモコモコを黒髪縛りでくくっているだけの、簡単な造り。でも、コイツを被って壁に張り付けば、そう簡単には見つからない。

 白雲ギリースーツのお蔭で、今日も無事に発見されずに、監視任務を遂行中。

 分身の視界には、遠く広場の入り口の向こう側、やはり噴水の片隅で、霊獣ソーマユートに抱きしめられた、レイナの姿が確認できた。眠っているのか、と思うほど動きはないが、何とか口が動いているのが見えたので、今はお喋りに興じているようだ。

 偽物の蒼真君を相手に、果たしてどこまで会話が成立するのか疑問だが、そもそも白雲野郎は他人の記憶を利用することで、何の違和感もなく夢の世界で獲物を誘惑しているのだ。当然、ソーマも同じような能力を駆使して、レイナにとって都合の良い受け答えだけをしていることだろう。

 ここが危険なダンジョンということをすっかり忘れて、まるで教室の中にでもいるかのように談笑しているレイナ。それを、霊獣という絶対的な力を持つ、強者の余裕とみるべきか。それとも、現実逃避した憐れな少女とみるべきか。

 まぁ、いいさ。レイナ、お前にとって、今が最後の安息だ。たとえ夢幻の虚構であっても、せいぜい楽しんでおくといい。

 さて、定期的なレイナの監視は置いといて、僕も自分の作業を進めよう。

「はい、みんなちゅうもーく、これから罠の説明をしまーす」

 入り口封鎖用の丸太壁作りのために、男らしく汗水たらして妖精胡桃の木の伐採に励んでいた前衛組みを呼ぶ。僕は頭脳労働担当なので、作業してないよ。適材適所ってやつ?

「くそ、桃川、テメーだけ涼しい顔しやがって」

「まぁ、そう言わないでよ山田君。これが終わったら、僕もちゃんと手伝うから」

 力仕事をサボりたい気持ちは勿論あるけれど、ちゃんと僕にしかできない優先すべき仕事があるっていうのも本当だから、いちいちズルいとかケチつけんのは止めて欲しいよね。

「まずは、これを見て欲しい」

 噴水前で車座になった真ん中に、僕はノートを広げる。

「逃走ルートの略地図。で、この印のところが。罠を仕掛けるポイント」

 前回のゴーマの砦攻略と違って、今回は僕らが戦う場所の地形は明らかとなっている。ほとんど直線で、迷う要素はないけれど、こうして地図に起こして確認、しっかりと頭に叩き込んでおくのは、多少なりとも役に立つだろう。逃げる時も、見知った道の方が自信を持って走れるというものだ。

「罠ったってよ、大したことはできねーだろ」

「せいぜい、桃川の毒沼くらいか?」

 僕も最初は、点々と腐り沼を張って僅かでも時間稼ぎができれば御の字、くらいにしか考えていなかったけれど……思いつきでやってみたことが意外なほどに上手くいったので、かなりいい感じの仕掛けができた。男は度胸、何でもやってみるもんだね。

「下川君、僕らの罠を見せてやってよ」

「了解だべ」

 伐採作業をサボっていたのは、僕だけでなく、下川も同様。僕ら後衛組みが協力することで、この罠は完成した。さぁ、括目して見るがいい、これぞ呪術師と水魔術士の合体魔法――

「――『酸盾アシッド・シルド』っ!」

 あらかじめ展開させておいた小さな腐り沼から、赤髪括りが飛び出るように、ドロリとした毒々しい水面が激しく波打ち、急激に持ち上がる。

 毒の水流はうねりをあげて宙を舞い、引き寄せられるように一か所に集まってゆく。それはすぐに大きな塊と化し、次の瞬間には、水魔術士が作り出す防御魔法『水盾アクア・シルド』と全く同じ形状の、液体の盾が完成した。

 しかし、この盾は透き通った水ではなく、僕の腐り沼の酸性毒液で形成されている。つまり、コイツは触れるだけで、肉を腐らせ骨まで溶かす、強力な酸の塊なのだ。

「下川君の『水盾アクア・シルド』を、僕の毒沼で作ったんだ」

「いやー、ここまで上手くいくとは思わなかったべ」

 会心の出来に、僕も下川も笑顔を隠せない。

 対して、前衛組みは「ふーん」みたいな感じ。全く、これだから脳筋の戦士共は、という微妙なリアクションへのケチはさておいて、この地味な合体技を編み出すにあたって、僕は色々と考えさせられた。

 まず、水魔術士は水だけじゃなくて、液体全般を操る能力があるという点。水は操れるが、お湯になると操れない、というほど融通が利かないモノじゃないってのは、下川がお風呂のお湯で魔法の水鉄砲して遊んでいることから、分かっていた。

 水とお湯の間に、明確な差異が水魔法には設定されていない。さらに言えば、塩水も砂糖水も、水と同様に操れるのだ。その気になれば、下川は僕が作った牡丹鍋の汁を操作することもできる。

 そうして、結果的には水でも水溶液でもない、呪術の産物である腐り沼の毒液すらも、操作の対象としてみせた――が、厳密には違う。

 最初に試した時は、全く操作ができなかった。『腐り沼』は呪術であり、水魔法で操作可能な液体として認識されてはいないのだろう。

 ウンともスンとも言わない毒々しい水面と、右手を掲げて必死に魔力を送ってる風の間抜けな格好の下川を眺めながら、僕は思いついた。これ、毒沼に水を混ぜたら動かせるんじゃね?

 結果から言うと、失敗だった。ただ水を混ぜただけでは動かない。毒性が薄まるほど大量に水を投入すれば、流石に操作可能になったけれど、その段階ではもう、毒沼ではなく、毒液混じりの水である。肌がピリっとする程度のうっすい毒液では、意味がない。

 水だけでダメなら、じゃあ他のも混ぜてみようといろいろ試した結果、最も上手くいったのが、下川の血も混ぜることであった。

 下川から採血しようとした時は散々に渋ったけれど、僕の呪術師としての勘が、術者本人の血液というのは是が非でも試すべきだと叫んでいたので、半ば強引に出血させた。

 物凄く恨みがましい涙目で睨まれながらも、下川が水魔法を唱えれば……晴れて、『酸盾アシッド・シルド』の感性である。

 そんなこんなで、『腐り沼』は条件付きだが水魔法で操れる、という思いがけない新発見となったのだ。これができたのは、下川が水魔術士としての才能があってのことかもしれない。まぁ、世間一般の水魔術士のレベルなど知ったことではないが。

 なんにせよ今の僕らにとって非常に有益なことだ。素直に喜ばしいが、裏を返せば、僕の腐り沼の弱点にもなりえる。

 もし、この先で下川を敵に回したら、または水魔術士の敵が現れたら、注意はしておこう。

「逃走中に、下川君は普通の『水盾アクア・シルド』と、この『酸盾アシッド・シルド』を混ぜながら、通路に張っていってもらう」

 ただ『水盾アクア・シルド』一枚を張るだけなら、エンガルドの突進一発で破られる可能性もあり、さほど障害物としての期待は持てない。けれど、突っ込んだら毒液を喰らうこの盾ならば、多少は躊躇してくれるかもしれないし、構わず突っ込んできても少なからずダメージは与えられるはずだ。

 果たして僕の腐り沼の毒液が、霊獣相手にどこまで通用するかは未知数だが、現状で最も効果がありそうな罠というか、仕掛けをするならコレで精一杯なのだ。

 いや、精一杯ってこともないか。この腐り沼と水魔法の合体技には、色々と可能性がありそうだし。

「作戦を成功させるためには、少しでも有効な足止めの仕掛けを用意すること。霊獣とガチバトルするのは、本当に最後の手段だから」

「まぁ、そうだよな」

「俺らも霊獣とはなるべく戦いたくねーし」

「そういうワケで、僕らはもうちょっと魔法の練習するから」

「なんだよ、結局、力仕事は俺らがやんなきゃいけねーんじゃねーか」

 ケチはつけつつも、それ以上は何か反対しようと山田はしなかった。

「さぁ、あんまり時間もかけてられないし、みんな作業に戻ろう」

 おう、と素直に返事をしてから動き出す面々を見て、僕の心は一抹の罪悪感でチクリと痛む。彼らは全員、レイナを助けるための作戦だと思っているからこそ、こんなに頑張っているのだ。その想いを利用して、こんな労働どころか、命さえ賭けて戦わせようというのだから、僕はとんだ極悪人かもしれない。勝を脅して奴隷にしていた、樋口とどれほど違いがある。

 けれど、今更そんなささやかな良心のせいで、悩み、躊躇することはない。

 僕が何も言わなければ、彼らはレイナ救出作戦を勝手に実行しただろう。もしかすれば、本当にただレイナに呼びかけるだけの、作戦とも呼べない単なる自殺行為をやらかしてしまう可能性だって高い。

 呪術師である僕がダンジョンを進むには、仲間である彼らの力は必要。純粋に、これまで一緒にやってきた経験もあるし、無駄死にして欲しくはないと思えるほどの情だってある。

 論理的にも感情的にも、彼らをここで死なせるべきではない。これ以上、仲間の犠牲は許容できない。まして、レイナなんていうクソ女のために。

「報いは必ず、受けさせてやる」

 燃えがある復讐心は本物。だけれど、僕は確かに、誰かを憎むことで、大切な仲間を失った悲しみが紛れていると、心のどこかで感じるのだった。

第141話 霊獣囮作戦

 作戦準備と魔法の練習とリハーサルとで、三日ほどの時間を費やした。人事は尽くしたつもりだ。後は天命を待つのみ。お願いしますよ、ルインヒルデ様。

 最後の晩餐、というと不吉だけど、景気づけに残っている猪の欲し肉をつぎ込んで、みんなで食べた。

「それじゃあ、行こうか」

双影ふたつかげ』の分身をラプターに乗せ、本物の僕は徒歩で、広場を出て現地へと向かう。道中、僕らは仕掛けた罠の位置を再確認しながら、すっかり雲野郎がなりを潜めた通路を歩く。

 最初にここを通って以降、雲野郎は全く現れなくなった。奴らはリポップするのが遅いのか、ここにいる限りの魔物だったのか。何にせよ、魔物というエンカウントが予期できない、不確定要素がないことは、今回の作戦にとって大きなプラスである。

 魔物は出ないと知りつつも、僕らは静かに通路を進む。誰も、何かお喋りする気分でもないのだろう。レイナの妖精広場が近づくごとに、緊張感が強まっていくのが分かる。

「僕はここで待つ。後は、みんな頑張ってね」

「おう、任せろよ」

「その代わり、レイナちゃんのことは頼んだぜ」

「あんだけ準備したんだ、しっかり時間は稼げるべ」

「桃川……マジで頼むぞ。レイナちゃんを、助けてくれ」

「うん、任せてよ」

 みんなの期待を、僕は冷たい心で受け止める。みんなの方こそ、最悪の事態になるのを、覚悟しといてよね。

 そうして、僕は一人で白雲ギリースーツを被り、広場から近い小部屋にて身を潜める。壁の隅っこに座り込み、目を閉じて分身の操作に意識を集中する。

「うん、視界良好」

「うおっ、いきなり喋るなよ桃川」

「やっぱ、桃川二人いるの気持ち悪ぃよな」

「えー、なにその言い草、酷くない?」

 ラプターの背中の上で揺られるがままだった分身の僕が、いきなり動き出したことで、ちょっとビビられた。

 実際、全く同じ人物が二人同時に存在している様は、酷く違和感のあるものだろうけど。分身は体が透けてもいなければ、2Pカラーリングになってもいないから、完全に見分けはつかない。少なくとも、外見からでは。

 まさか、この期に及んで、魔力の気配だかいう第六感的なモノで、一発で偽物だと看破されはなしないよな。と、今更ながら不安になってくる。

 しかし、本物の方の僕がスタンバイ状態に入った今、もう後戻りはできないし、いよいよ決戦場たるレイナの妖精広場にも、30秒と経たずに到着してしまう。

「いるな」

「レイナちゃん……」

 通路から、開け放たれた扉の向こう側に、今日も変わらずソーマとイチャイチャしているレイナの姿を確認。ここ三日、監視役をしていた僕にとっては見慣れた光景だけど、山田にとっては思わず声を漏らしてしまうほど、ショッキングではあるらしい。

 実にくだらない男心の嫉妬だが、それで霊獣ソーマに対する敵対心が強くなるなら、僕としては特に文句はないよ。

「さて、それじゃあ作戦開始と行こう」

 名付けて、逆天岩戸作戦! 引きも籠ったアマテラスを、外で楽しそうに騒ぐことで、間抜けにものこのこと顔を出したところを捕まえたという、小学生レベルのやり取りである『天岩戸』にこじつけた命名。楽しそうに騒いで興味を惹くところを、単純な罵詈雑言によって挑発するから、逆みたいな感じ。まぁ、ただの挑発行為といえばそれまでなんだけど。

 ともかく、ここはいっちょ、景気よくレイナの野郎に罵詈雑言を直球ストレートで投げつけてやろうじゃあないか。

 僕は妖精広場の入り口の前に立ち、思い切り息を吸い込み、宣戦布告代わりの叫びをあげた。

「くぉらぁーっ! クソニートレイナァーっ、働けぇーっ!」

 瞬間、大きな音を聞いた猫のように、ビクンと反応して、慌てて声の方である入り口へとレイナが目を向けた。無論、彼女を抱きかかえている、霊獣ソーマも同様。

「甘え根性全開のクソガキが! お前の無能がどれほどの罪か、今から叩きこんでやる、覚悟しやがれーっ!」

 どこまでも素直な、僕の気持ちを真っ直ぐに叫ぶ。

 あくまで挑発という体だから、みんなは特に僕の過激な発言内容に対して、いぶかしむことはない。

「ほら、みんなも叫んで」

「レイナちゃーん! 帰ってきてくれぇーっ!」

「目を覚ますんだぁーっ!」

「ソイツは偽物の蒼真なんだってーっ!」

「オラァっ、かかってこいや蒼真悠斗、テメーマジで今すぐぶっ殺してやるぁっ!」

 山田は僕と同じく本心ダダ漏れの叫びだが、挑発の台詞としては上々だ。

 さて、アイツの反応は……

「いやぁーっ! どうして、なんでみんな邪魔するの! もう嫌だよ、みんな嫌い、あっちに行ってよ!」

「ああ、そうだね、レイナ。今すぐ俺が、いや、俺達が、邪魔する奴らを排除するよ」

 案の定、精神的に不安定なレイナは子供のように泣き叫ぶ。そして彼女の感情に呼応して、ソーマが立ち上がり、同時に、その左右に魔法陣が展開される。

 中空に描かれるのは、燃え盛る炎の円環と、迸る紫電の四角形。勿論、そこから飛び出してくるのは、レイナの主戦力である炎獅子エンガルドと雷鷹ラムデイン。

 やはり、水のセイラムは出してこなかったか。

「お願い、ユウくん、エンちゃん、ラムくん……私を守って」

「任せてくれ。レイナを泣かせる奴は絶対に許さない。すぐに倒して、帰って来るよ」

 外見だけは本物ソックリに、爽やかな笑みを浮かべるソーマに、怒りの咆哮を上げるエンガルドとラムデイン。

 どうやら、これ以上の挑発行為は必要なさそうだ。セイラムを引っ張り出せなかったのは残念だが、致し方ない。

「かかってこいよ、ケモノ風情が人間様の相手になるかよ。返り討ちにして、お前らの毛皮を剥いでやる!」

 僕の叫びを合図に、まずはレムが弓を引いて一発。みんなに聞かせてはいないけれど、レムにはレイナを狙うよう、事前に指示してある。

 もし、ラッキーショットがここで決まれば、僕の目的は達成される――けど、そう簡単に事が運ぶはずはないよね。

「レイナを傷つける者は、全て――」

 ソーマが無詠唱で発動させた風の盾によって、あえなくレムの矢は明後日の方向へと弾道が逸らされる。次の矢を番えている余裕はない。

「――排除する」

「退けぇーっ!」

 霊獣共が勢い込んで駆けだす直前に、僕は退却の号令を下す。

 みんなも、待ってましたと言わんばかりに、踵を返して猛ダッシュ。さて、命がけの鬼ごっこの始まりだ。

「『水盾アクア・シルド』――どわぁっ!?」

 単純に走る速度では奴らの方が上。早々に時間稼ぎのために、下川が速攻で『水盾アクア・シルド』を展開させるが、エンガルドがぶっ放した火球攻撃によって一瞬で爆散。

 ヤバい、想像よりも突破力が高そうだ。これは、下手すると逃走中に誰か一人くらい脱落するかもしれない。

「急げ!」

 唯一、身の安全が確保されている僕は、ラプターの上で叫ぶ。みんな必死の形相で走っているから、特に返事らしいものはない。まぁ、そりゃあそうだよね。

「下川君、行くよ――『腐り沼』!」

 分身だけれど、呪術は問題なく行使できる。ただ、少しばかり勝手が違う感じがするから、発動速度は劣るし、分身に分け与えた分の魔力でしか呪術も使えない。調子に乗って呪術を使いまくっていれば、体が破壊されなくても魔力不足で自然消滅するのだ。

 とりあえず、囮役を全うするのに必要な魔力は与えているから、予定通りに呪術を繰り出していく。

「よっしゃあ、喰らいやがれー、『酸盾アシッド・シルド』ぉーっ!」

 最初の仕掛けポイント、つまり、僕があらかじめ血を垂らしておいた地点にさしかかり、いよいよ『酸盾アシッド・シルド』を発動させる。

「グルォアアアアアアアアアアアッ!」

 奴らが突っ込んでくる絶妙のタイミングと位置で、下川が『酸盾アシッド・シルド』を出してくれたお蔭で、先頭を走るエンガルドは火球で吹っ飛ばすほどの猶予はない。だったら、こんなもん構わず突破してやるぜ、という気合いがみなぎっているかのように、躊躇なく獅子の巨躯は突っ込んできた。

 衝突の瞬間、ボシュウウウッ! と腐り沼特有の溶解音と共に、毒々しい赤色の液体は弾けたように吹っ飛ぶ。やはり『酸盾アシッド・シルド』そのものには、エンガルドの突進を受け止めるだけの、物理防御はない。

 だが、酸の毒液はモロに被ったはずだ。

「どうだ……」

 吹き飛んだ酸の飛沫と湧き上がる白煙の向こうから、威勢よく雄たけびをあげて飛び出すエンガルド。見た目では、大してダメージを負った様子はない……だが、僅かに走る速度は鈍っていた。

 だが、それも一時的なもので、すぐにまた加速して元の速さで走り出す。

「思ったより効いてない。コレは辿り着くまで、かなりギリギリになるか」

 厳しい状況だが、それでも僅かでも足を鈍らせるだけの効果があるだけ、マシだと思おう。エンガルドが『酸盾アシッド・シルド』を突破した直後に、レムが弓を放って多少、怯んでいた。ダメージはないが、こういう嫌なタイミングで矢を撃ち込んでやれば、奴の加速を僅かながらも遅らせることができる。

 けれど、ただ追いかけられるだけならいいけど、霊獣は揃って遠距離攻撃手段を持っている。

「『水盾(アクア――うわぁああっ!?」

「うおっ、危ねーっ!」

 ソーマが放った風の刃と、ラムデインの雷撃が飛んでくる。下川の魔法発動が中断されるが、際どいところを山田が自慢の防御力でもってガードに成功。辛うじて、被害は免れる。

「くっそ、バンバン撃ちやがって、危ねーべや――『水盾アクア・シルド』」

 攻撃を凌いで、今度こそ防御魔法が発動。通路を塞ぐように水の盾が形成されるが、それもすぐに破られる。

 今回はソーマがぶっ放した、大きめな『風刃エール・サギタ』によって、切り裂かれた。あの威力、もしかすれば下級じゃなくて中級かもしれない。

「おい、まずいぞ桃川、このままじゃ追いつかれるんじゃねーか!?」

「俺らも何かできねーのかよ」

 霊獣の追撃の圧力が凄まじい。まだ出番のない上田と中井が焦りの声をあげるが、事実、その通りだと僕も思う。

 そろそろ、逃走路の中で最も広い空間である、例の桃色ガスの罠があった広間へとさしかかる。

 ここまで通路を走って来たから、霊獣もお互いの攻撃で味方を巻き込まないよう、攻撃力は控えめだった。特にエンガルドやラムデインは、大技が炸裂すれば通路一杯に爆風や雷撃が荒れ狂う。僕らを仕留めるなら、それくらいの威力のブレスを撃つのが最も確実なのだが、こんな雑魚相手に味方が傷つくデメリットは負いたくないのだろう。

 実に舐められたものだが、そのお蔭で僕らは無事に逃げ続けていられる。

 しかし、それなりの面積を誇るあの広間に入れば、より強力な攻撃を撃ってもフレンドリーファイアの危険性はなくなる。おまけに、広さを生かして、三体が挟み込むように動くこともできる。

 一番デカいエンガルドは通路の幅をほぼ占領しているので、ソーマとラムデインはその後ろについてほぼ一列となっている。天井もさほど高さはないから、頭越しにラムデインが飛来してくることもない。

 だが、これも広間という大きな空間にでれば、狭さのデメリットは消える。ここに入った瞬間、奴らはその攻撃力と機動力をフルに活かして襲い掛かって来るだろう。

 正直、逃げるにあたって、この広間が一番の鬼門だと分かってはいた。けれど、僕らに打てる手はあまりに少なすぎる。

「桃川、このまま広場に入ったらやばいべ!」

「ちくしょう、もうアイツら止められねーぞ」

 下川も山田も、悲鳴染みた焦った声を上げている。このまま行くだけなら、確実に捕まる。

 仕方ない、決断すべき時だ。

「レム、奴らを止めろ」

「ガガガ!」

 ついに僕らが広間へと踏み入った。そこで、レムは弓を捨てて、剣を抜く。勝の長剣を構えたレムからは、不退転の決意がにじみ出る。

 ここで捨石になってもらうのは、レム一体だけでなく、ラプターも同様。霊獣三体をレム一体で相手したところで、瞬殺に決まっている。少しでも長く時間を稼ぐなら、レムとラプターの二体をけしかけるより他はない。

「頼んだよ。次はもっといい体で、復活させてやるから!」

 せめてもの償いの言葉を叫んで、僕はラプターから転がるように降り、自分の足で走り出す。

 振り返ることはなく、僕は真っ直ぐに全力疾走を開始。分身だから、体力という概念がないので、僕自身の全力疾走の速度をずっと保ちながら走り続けることができる。単純に走力だけでみれば、魔力だけで動く分身は、人間である本物の僕よりもハイスペックだろう。

 お蔭で、貧弱な体力しかない僕でも、多少はマシなペースで駆け抜けることができる。

「一気に広間を抜ける!」

 ここが逃走中の勝負どころであると全員が察している。みんなは無我夢中で広間を駆けた。

「ガガァァーッ!」

「ギョォアアアアアアアアアアアアッ!」

 後ろからは、レムとラプターの激しい雄たけびが響きわたる。同時に、炎の爆発音や、雷の炸裂音。霊獣相手に真っ向から立ち向かっている、戦いの音色。

 やはり、戦力差は歴然。天道君から貰った素材で作った、過去最高のレムとアラクネのコンビでも、エンガルドとラムデインの霊獣二体に瞬殺だったのだ。ただのラプターと、ラプター素材だけのレムでは、まるで相手にならない。

 しかし、あの屈辱的な一戦が、多少なりともレムにとっての経験となったのか、思った以上に戦闘時間は長かった。

 約10秒といったところか。僕らが広間を駆け抜けるには、十分すぎる時間であった。

「よくやった、レムーっ!」

 無事に広間を駆け抜けて、再び通路へ入れば、もうゴールは目前だ。

「よし、これで最後だべ――『酸盾アシッド・シルド』!」

 エンガルドの獰猛な咆哮を置き去りに、僕らは飛び込むように妖精広場へと入った。

 さて、ここからが本当の勝負だ。

 まずは、上田と中井が素早く左右に散って、まだ何本か残っている妖精胡桃の並木へと隠れるように走り込む。二人の後に続き、下川と山田も散る。

 そして、僕だけが堂々とど真ん中を走り抜け、噴水の目の前で立ち止まる。

「ようやく、追い詰めた」

 複数の風の刃が乱れ飛び、入り口近くに仕掛けた最後の『酸盾アシッド・シルド』が吹き飛ぶ。ここが行き止まりであると、レイナの霊獣である奴は知っているのだろう。ソーマは悠然と妖精広場へと足を踏み入れる。

「グルル」

「キョォアアア!」

 そして、何度も酸の盾に突っ込んで、少しばかり毛皮に汚れが見えるエンガルドが唸りを上げ、ラムデインがバチバチと威嚇代わりの紫電を迸らせながら、ソーマに続き広場へと侵入を果たした。

「まぁまぁ、落ち着いてよ。話せば分かる」

 勢い込んで襲い掛かって来ないのをいいことに、僕はお喋りで1秒でも時間を稼げるなら儲けものと、適当な言葉をソーマに向かって投げかけた。

「桃川、君は敵だ。敵は殺す」

「僕は敵じゃないよ、レイナの仲間だし、僕が死んだらレイナが困るよ」

「レイナの望みだ。君は死ななければいけない」

「僕はあえて、憎まれ役を買ってやってるんだよ。お前ら霊獣は強いけど、美味しいご飯も温かいお風呂も用意できない。僕がいなければ、レイナはこのダンジョンで快適に生きてはいけないし、そもそも生き残れない。ああ、もしかしたら、偽物の蒼真君でも、言うことは効くかもしれないから、どうだろう、今から戻って、レイナに僕に従うよう頼んできてよ。素直にごめんなさいができるなら、まぁ、許してやらないこともないよ?」

「レイナは俺が傍にいればいい。それを邪魔する君は敵でしかない。だから殺す。ここで、必ずね」

 うーん。これ以上の会話を引き延ばすのは無理みたい。

 どうやら霊獣ソーマは、表向きは人間のような受け答えが出来ているように聞こえるが、所詮、中身は魔物同然の獣。レイナという人間が、このダンジョンで生きていくことへの最適解を考えるだけの頭はない。ただ、レイナ自身の望みによってのみ、動くことしかできない、犬以下の奴隷だ。

 今の僕とのやり取りは、恐らく、ソーマにとっては人型になったが故に、お喋りすることを本能的に行っただけ。奴はレイナの命令に従って僕らを殺しに来ただけで、多分、それ以上の感情は何もない。僕の傲慢な物言いを聞いても、怒り狂うこともなければ、一理あると考える素振りもみられないってことは、レイナのことを心から思いやっている人格があるというより、単なるロボット的な思考回路しか持たないのだろう。

 まぁ、元々はあの白雲野郎を、レイナの『精霊術士』の力で強引に霊獣に仕立て上げただけの存在だ。高い知性を持つことなど、望むべくもないか。

「上等だ、かかってこいよ偽物野郎。そこのバカ犬とアホウ鳥も、まとめて相手にしてやる」

 挑発的な台詞で、臨戦態勢に入った霊獣共の注意を、僕一人に集中させる。

 こんな真似をしなくても、奴らの最優先ターゲットは僕だろう。レイナが最も忌み嫌うのは、僕だから。彼女の拒絶に呼応して、霊獣も僕のことを最も憎んでいるはずだ。

「グルル、ゴァアアアアアアアアっ!」

 まず、真っ先に飛びかかって来たのは、エンガルドであった。

 思えば、コイツは僕が初めて見た霊獣であり、樋口を殺して発動させた生贄型転移魔法陣を奪われた時に僕を襲いやがったクソ犬だ。次にレイナとジャングルで遭遇した時も、僕のことを抑えやがって、豪華素材のレムも消し炭にしやがって。ぶっちゃけ、僕が一番ぶっ殺してやりたい霊獣はコイツである。

 その恨み、今こそ晴らす――

「ガアアッ!」

「ぐはぁっ!?」

 残念ながら、エンガルドを直接的に倒せるだけの手段は、ないんだけどね。

 野生のライオンのように、魔法に頼らず己の牙と爪でもって、僕に飛びかかって来たエンガルド。その俊敏な巨躯に襲われ、僕に成す術などあるはずもない。

 小鹿よりもチョロい獲物である僕は、あっけなくエンガルドによって押し倒される。鋭い爪は、深く体に食い込み、ギラついた牙の並んだ大口が、僕の細い首筋に今にも齧りつかんと迫る。

 死亡確実な体験であるが、コイツは分身。痛みはない。あるはずもない。

 痛くないのは物凄いメリットだが、『痛み返し』は発動しないというデメリットもある。他にも『直感薬学』とか、僕の本体のみに適応されている類の呪術は、分身では使えない。

 けれど、今はこれで十分。僕は無事に囮役が全うしきったことに満足しながら、涼しい声で最後の指示をみんなに下した。

「それじゃあ、後は頼んだよ、みんな――」

 そこで、エンガルドによって完全に喉笛を食い千切られた僕は、意識が途切れた。

 分身が破壊されて、『双影』は効果を失った。そしてすぐに、僕は自分自身の体で目を覚ます。

「……さぁ、覚悟しろよ、レイナ」

第142話 呪術師VS精霊術士(1)

 白雲ギリースーツを身に纏って、僕はゆっくりと壁伝いに動いてゆく。

 僕の目的はレイナの殺害。ただ、この一点のみ。

 今、レイナは妖精広場で一人きり。殺すならば、有無を言わさず最初の一撃で仕留めたい。アイツにはまだ、水精霊『セイラム』という霊獣が残っているのだから。

「……よし、まだ気づいてないな」

 そっと入り口から中を覗けば、不安そうに膝を抱えて座り込むレイナの姿が見えた。小さな美少女が一人ぼっちで項垂れている様子は、なんとも庇護欲をそそるが、僕にとっては楽な獲物に過ぎない。へへっ、チョロいもんだぜ……きっと、僕にとって最大の強みは、レイナという美少女に対して、一切の同情や誘惑がされないことだろう。

 アイツはその可愛い外見だけで、ありとあらゆる人間から、善意と庇護を一身に浴びて生きてきた。それが奴にとって当たり前の世界の在り方だとするならば、なるほど、僕みたいな存在はまさに天敵に等しいか。

「ちっ、ちょっと距離があるな」

 僕の持てる手段で、人間を素早く一撃で殺傷するには、黒髪縛りでナイフを振るう飛刃攻撃しかない。

 だが、ここから一発で刺し殺すには、少しばかり遠い。黒髪縛りのコントロール性能なら外すことはないが、急所を一撃で刺せるかどうかは、正直怪しい。

 どうする、思い切って飛び出して、距離を詰めるか。

 いや、一瞬でも危機を察知すれば、レイナの反応に関わらず自発的に霊獣は飛び出してくる。ならば、まだ気づかれていない、この状況をギリギリまで利用するべきだろう。

「這い寄れ――『黒髪縛り』」

 ナイフ一本を握らせて、蛇のように静かに黒髪縛りを伸ばしてゆく。広場の芝生で隠れよう、ゆっくりと地を這わせていく。

 音は立てなかったはず、けれど、隠すには芝生では足りな過ぎたか。

「っ!? な、なに! 誰かいるの!?」

 レイナに勘付かれてしまった。くそっ、あともう一息だったというのに。

「ちいっ、勘のいいガキは、嫌いだよっ!」

 僕は入り口から飛び出し、一気に黒髪縛りをレイナへと伸ばす。地面から飛び出すような勢いで一直線に跳ね上がったナイフは、僕の狙い通りに奴の首に伸びるが――

「キャアアアアアアアアアアっ!」

 レイナの悲鳴と共に、広場の噴水から何かが飛び出す。いや、中から飛び出したのではなく、水そのものが動いたのだ。

「コォオオ……」

 静かに、うめき声のような、呼吸音のような不思議な音を発するソレは、確かに女のような姿をしていた。水で構築された、透明な体。流水のロングヘアに、マネキン人形のような無機質な美人顔。モデルのような体型で、ワンピース状の衣装を纏ったシルエット。

 コイツが最後の霊獣、水精霊『セイラム』と見て間違いない。

 そして、セイラムは主を守るという霊獣の使命を、見事に全うしていた。

「触手を触手で止められたのは、流石に僕も初めての経験だよ」

 僕の飛刃攻撃は、セイラムの腕から伸びる『水鞭アクア・バインド』によって、見事に絡め取られていた。ナイフはどっぷりと水の塊が纏わりつき、どう頑張っても振り解けない。

 くそ、触手のパワーは向こうの方が上か。

「い、いや……どうして、桃川君がここに……」

「さぁ、どうしてだろうな。でも、僕が何しに来たのかは、分かってるだろ?」

 言いながら、黒髪縛りを解除。奴の水に捕まった以上、もうどうしようもない。

「お願い、やめて……なんで、どうして私のこと、放っておいてくれないの! 私、なんにも悪いことなんてしてないのに!」

「ああ、そうだよ、よく分かってるじゃあないか。レイナ、お前は何もしなかった――だからこそ、こんなに許せないっ!」

 パワーで敵わないなら、数ならどうだ。

 僕は両掌の呪印を解放し、『赤髪括り』を何本もの束となって繰り出す。一本一本は大した太さはないけれど、レイナに傷を負わせるには十分な溶解力がある。この内の一本でも、アイツの体に届けば――

「やだぁーっ! 助けて、セイさん!」

「ルルルァアアア」

 レイナの呼びかけに応えて、セイラムが歌うような声と共に動き出す。魔法を放つように両手をかざすと、次の瞬間には怒涛の如き水流の渦が放たれる。僕の触手の数に対抗するために、奴が選んだのは量ってことか。

 圧倒的な水量に、針金のような細さの赤髪の束は、レイナの前であっけなく押し流され、効力を失ってゆく。元々は『腐り沼』の毒液を触手状に仕上げたものだから、大量の水に晒されれば、洗い流されるように溶けてゆく。

 水流の渦をぶち抜いて、赤髪をレイナにまで届かせるのは不可能だ。くそ、防御は完璧かよ。

 さて、次はどうするか……と考える余裕は、僕には与えられなかった。

「ぐほっ!?」

 突如として、腹に剛速球のデッドボールを食らったような、強烈な衝撃と痛み。僕は思いっきり苦悶の声をあげて、膝をついて倒れ込む。

「う、ぐぅ……い、痛ってぇ……いきなり撃ちやがって、このクソ精霊が」

 どうやら、僕はセイラムから撃たれた水の攻撃魔法を喰らったらしい。小さな水の球が、一直線に飛んでくるのがチラっと見えたから。

「オオッ、コォオオ……」

「ああっ、どうしたの、セイさん、痛いの!?」

「は、はは……そんな精霊みたいな奴でも、『痛み返し』は効くのか」

 ああ、良かった。と、腹部を抑えて痛がるような素振りをみせるセイラムを見て、心の底から安堵する。

 これで最悪、『痛み返し』でダメージを与える、鎧熊戦法も通用する。けれど、瀕死の重傷でセイラムを仕留めるところまで持って行っても、その後でレイナを殺すだけの力は残しておかないといけない。

 逃げられたら厄介だし、最悪、レイナ自身にトドメを刺されてしまう可能性だってある。あまり、無茶はできないし、したくもないが――

「ルルッ、オォアアアアッ!」

 思わぬ反撃に怒ったように、粗ぶった声を上げて、俄かにセイラムが浮かび上がる噴水が激しく波立つ。ザブンザブンと溢れんばかりに波打ちながら、渦を巻いてゆく。

 何だ、津波みたいな大技でも繰り出そうってのか。けど、範囲攻撃で僕を叩き潰せば、アイツだって無事では済まないと、すでに体で分かっているはずだ。

 だが、どういうつもりにしろ、このまま大人しく敵の動きを待ってやる義理はない。でも残念だけど、こういう時に邪魔できるような遠距離攻撃手段なんてないんだけどね。

 仕方ないので、とりあえず嫌がらせ程度にでもなればいいかと割り切って、目いっぱいに黒髪触手を伸ばす。セイラムに、ではなく、レイナに向けて。

「ァアアアアアアアアアアアッ!」

 しかし、僕が黒髪を伸ばした半ばで、セイラムが襲い掛かってくる。文字通り、女の姿の本体そのものが、僕に向かって飛びかかって来たのだ。

 ワンピースのスカート状の中には、僕の赤髪括りを洗い流したような激しい水流が渦巻いていて、噴水に繋がってはいるようだ。その姿は、どこか半人半蛇のラミアのよう。水の竜巻が蛇の下半身のように、うねりながら伸びている様なんてそっくりだろう。

 そして、凄まじい勢いで飛び掛かってくるセイラムに対し、僕にできる対処などたかが知れる。

「う、うわぁーっ!?」

 などと無様に叫びながら、慌てて身を翻して逃げよう――としたところで、あっけなく捕まった。水の両腕が僕の体をホールドし、目の前には透き通った女の体。

 そのまま抱きしめられるようにして、僕は――溺れた。

「ふがっ! あっ、がぼぼぼっ!?」

 当たり前だ。セイラムの体は全て水で作られている。精霊の体として、魔力や何やらが通っていて、特別な液体になっているのだろうけれど、物質的には完全に水のまま。

 そんな中に、生身の人間である僕が取り込まれれば、溺れるに決まっている。

「がっ、ぶがが!」

 でも、『痛み返し』が通用するなら、僕が溺れて苦しむのも、そのままセイラムに反映され――ない!?

「コォオオオオ……」

 僕を体の中に沈めたセイラムは、静かな声を漏らすのみ。必死で手足をバタつかせてはもがき苦しむ僕とは対照的に、奴は全く苦しんでいる様子は見られない。

 ま、まさか……水の精霊だから、溺れる、つまり、溺死という概念が存在しないのか!?

 概念云々はさておいても、セイラムには呼吸器官がない。生きるために呼吸という機能が備わってない以上、僕の窒息という苦しみは、生体的に反映させることが不可能なのだ。

 水の球を喰らって苦しんでいたから、多少は物理攻撃が通るってことなんだろうけど……ちくしょう、まさか、あの一撃で攻略法を編み出されるとは。思わぬ『痛み返し』の弱点発覚である。

 霊獣のくせに、意外と頭が回る。

「がっ、ごぼぼ……」

 相手を賞賛している場合じゃない。早いところ、具体的にはあと一分くらいで、この状況を打開しなければ、僕は死ぬ。

 時間もなければ、僕に打てる手段も乏しい。体の内側から、一発でブッ飛ばせる破壊力の技なんて、あるはずもない。

 そして何より、援軍という誰かの助けを期待することができない。何故なら、僕自身の作戦によって、レムもみんなも置いてきたのだから。

「ぐ、ごふ……」

 あっ、ヤバい、もう息が苦しくなってきた――





「――く、くそっ! もうダメだぁーっ!」

 悲鳴染みた上田の叫び声は、直後に響き渡った爆音によってかき消される。

 妖精広場の前で、上田と中井、そして山田の三人組みは、爆発の衝撃によって吹き飛ばされては、仲良く床へと這いつくばった。かなりの衝撃によって、一瞬、意識が飛びかけた。

「おい、大丈夫か! しっかりするべ!」

 魔術士クラスとして、後ろに控えていた下川だけは爆発の難を逃れており、倒れ込んだ仲間達に向かって必死に呼びかける。その甲斐もあってか、三人は苦しげな呻き声をあげながらも、どうにかこうにか立ち上がる。

「さて、いい加減に、死んでもらおうか。早く戻らないと、レイナが寂しがるから」

 濛々と煙る黒煙の向こうから、忌まわしい男の声が響く。無論、それは霊獣ソーマユートのもの。

「なぁ、これもうヤバくね?」

「あー、ダメかもしんねーな」

「クソッ! まだなのかよ、桃川はなにやってんだ!」

 作戦は成功していた。

 霊獣をおびき出し、この妖精広場まで誘導。しかも、最後は分身の小太郎が発動させた捨て身の『腐り沼』のお蔭で、飛びかかったエンガルドにそれなりのダメージを与えることもできた。

 それと同時に、再び広場の外へと飛び出た仲間達は、その場に用意していた荒い作りの丸太の柵を立てて、入り口を塞ぐ。さらに、下川がフル詠唱込みで、渾身の『水盾アクア・シルド』を構築させて、守りを固める。

 小太郎の作戦通り、おびき出した霊獣を全て広場へと閉じ込める形となった。

 それからは、ひたすら耐えるだけ。小太郎がレイナを説得して、霊獣の召喚を解除させるまでの間、時間を稼がなければならない。

 しかし、当たり前のことだが、閉じ込められた霊獣は、全力で入り口の突破を図る。エンガルドの巨躯に体当たりされたり、ブレス攻撃を撃ちこまれたり。

 どれだけの間、霊獣の猛攻撃に耐えられたか分からない。正確な時間など確認する余裕など、誰にもないから。

 そうして、すぐに限界は訪れる。

 エンガルドが放った何度目かの火球。その爆発に、とうとう下川の水の守りも、頑張って作った丸太の柵も、あえなく吹き飛ばされる。力いっぱい柵で入り口を抑え込んでいた、三人組のパワーとスタミナの、限界でもあった。

「グルルルゥ……」

 と、獰猛な唸り声をあげて、黒煙の向こうから歩み出てくるエンガルドは、実に不機嫌そうである。余計な手間をかけさせやがって、という心の声が聞こえてきそうなほど。

 小太郎の嫌がらせのような毒沼攻撃によって、真紅の毛皮の体には、ところどころ爛れたような傷跡があるが、エンガルド自身の戦闘能力にさほど衰えはみられない。

 怒りに燃えるエンガルドに、静かな殺意を迸らせるソーマ。おまけに、ほぼ無傷のラムデインも背後に控えている。

 作戦通り、時間は稼げた。しかし、まだ戦いが終わらない。小太郎がまだ、レイナの幻術解除に成功していことは明らかだ。

 あと、どれだけ時間を稼げばいい。どれだけ耐えればいい。終わりの見えないゴールが、途轍もない不安となって圧し掛かる。

「こ、これはもう……最後の手段を使うしかねーべ」

 引きつった顔で、下川が言う。

「マジか」

「でも、それしかねーよな……」

「おい、こんなの絶対ヤバいだろ!」

 小太郎が授けた、最後の策はまだ残っている。いや、それは苦肉の策という表現に相応しい、非常に効果の怪しいものであった。

「そりゃあ、ヤバいに決まってるけどよぉ」

「こんな状況じゃあ、もう、コイツに頼るしかねーだろが!」

 覚悟を決めた、上田と中井。己を奮い立たせるように叫びながら、ポケットから小太郎に託されたモノを取り出した。

「くそっ、くっそぉ……もう、どうなっても知らねーぞっ!」

 二人の勢いに流されて、ついに山田を意を決してポケットをまさぐった。

 三人組が取り出したのは、小さな皮袋。すでに口は半開きで、中身が少しばかりこぼれている。

 ソレは、白い粉だった。

 そう、ゴーマの麻薬である。


「柵が破られて、霊獣と真っ向勝負になったら、コレを使って。普通に戦うよりは、時間を稼げるはず――だって、この麻薬を使えば、痛みも恐怖も、感じなくなるからね」


 淡々と本物の麻薬を、前衛三人に手渡す小太郎を前に、彼らは初めてこの小さな男子生徒を恐ろしいと思った。同時に、悟る。なるほど、これが『呪術師』かと。

 こんなヤバいモノを託す小太郎に文句の一つでもつけたかったが、全くもって、彼の言う通り。真っ向勝負で霊獣相手に敵うはずがない。そこそこのダメージを喰らえば、もう痛みで戦闘を継続するのも困難となる。

 そして、相手は慈悲の心など持たない、レイナの忠実な奴隷たる霊獣。戦う力と意思を喪失したところで、降服を認められることなどありはしない。

 だからこそ、体が動く限り、戦い続ける。それが、生き残るために、最も長く時間を稼げる方法だ。

 そして、そんな無茶を実現させるのは、小太郎の言う通り。痛みも恐怖も消し去る、麻薬の他には手段がなかった。


「大丈夫、ちゃんと解毒薬を混ぜて調整してあるから、一発で廃人になったりジャンキーになったりはしないから。一回だけなら、本当に大丈夫だから、ね」


 何の慰めにもならない、桃川の怪しいフォローを信じるワケではないが――この期に及んでは、頼らざるを得なかった。

 かくして、上田と中井と山田は、禁断の薬物へと手を染めた。

「うっ、ぐぅ!」

「おごごごぉ……」

「うっ、ぉおおおおおおっ、あぁああああああああああああああああああああああっ!」

第143話 呪術師VS精霊術士(2)

 セイラムの腹という水底の中で、僕は抵抗することをやめた。手足をバタつかせたところで、外に出られるワケでもない。ゆらゆらとした水の流れを感じるセイラムの体内は、一度囚われれば、どんなに激しくもがいたところで脱出は不可能なのだろう。この肉体そのものが、水の牢獄なのだ。

 さて、僕の酸素ゲージもいよいよ限界に近づき、そこから先はダイレクトにHPが削られる感じで死まで一直線なのだが……慌てる必要はない。

 弱い『呪術師』の能力、しかも、今回は十分な準備を整える時間も環境もなかったという状況。今の自分の強さがどんな程度か、僕は自分でよく分かっているつもりだ。

 それでも、僕は挑んだ。このセイラムという霊獣がレイナを守っていると知りつつも、何の躊躇もなく、作戦を決行した。

 相手は一体といえど、霊獣だ。強いに決まってる。豪華装備のレムがいても、あるいは、僕ら全員で挑んでも、セイラムは倒せないかもしれない。ほら、水の体だし、物理攻撃はあんまり有効そうじゃないし。一応、通ったけど。

 ともかく、セイラムは「コイツ一体くらいならなんとかなるわ、余裕」と調子に乗れるほどチョロい相手ではないということだ。

 だが、あえて言わせてもらおう――コイツ一体くらいならなんとかなるわ、余裕。

「……ぶっ!」

 呪印、解放。広げた両の掌から、じんわりと血が滲む。僕の血だ。『黒き血脈』を宿す、呪術師の血。

 にじみ出た鮮血は、すぐに水中へと溶けるように揺らいでいくが、量としては十分だろう。いつもは一滴だしね。

 それじゃあ、気合いを入れていってみよう――広がれ、『腐り沼』。

「ルォオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」

「ぶげぇーっ!?」

 耳をつんざく絶叫と共に、僕は思いっきり外へと放り出されていた。あまりの勢いで、ロクに受け身もとれず、顔面を芝生の地面にぶつけた。痛い、鼻が痛い。

 ジーンとした鼻の痛みをこらえながら、僕は女性にあるまじき絶叫を上げる、水精霊のお姉さまを見やる。

「ぜぇ……はぁ……はっ、はははは! どうだぁ、体の中から、毒に犯される気分は!」

 作戦成功。思わず悪役みたいな高笑いを上げてしまうほどに。

 セイラムは今、悲壮な金切声をあげて苦しみもがいている。原因は勿論、僕が奴の体内で炸裂させた『腐り沼』だ。

 僕の血を元に、適切に発動した『腐り沼』は、そこが地面ではなく精霊の体内であっても、そのままそこへ酸性毒液を呼び出した。本来、それなりの範囲に渡って毒液の沼ができるほどなのだから、その量は実際のところ結構なモノだろう。少なくとも、バスタブをイッパイにしても余裕なくらいの水量が発生する。

 それだけ大量の毒液を、腹の中でぶちまけられたのだ。水の精霊も、コイツは効いただろう。

「きゃぁああああっ! セイさん! そんなぁ、セイさん!」

「ォオオオオッ、キィイアアアア!」

 流石にレイナも、セイラムの異常な様子に声を上げる。苦しみもがく姿もそうだが、何より、体内で毒沼が発生した結果、水の体と混じり合うように全身に広がり、瞬く間に透き通ったシルエットが、毒々しい赤黒い色に変わり果てているのが、見た目に物凄いインパクトを与えてくれる。

 恐らく、多少の毒や汚水なんかが彼女の体に混じったとしても、すぐに浄化すると思われる。それくらいの防御力というか免疫力というか洗浄力というか、戦闘前提の霊獣としては当然、備わった機能のはず。

 しかし、全身を赤黒く変色させるほどに、大量に入り混じってしまえば、即座に回復するのは厳しい。というか、最早、戦いどころではない苦しみ。

 セイラムは敵であるはずの僕の方など見もせずに、主であるレイナの呼びかけに反応することすらできず、ひたすら、清らかな水の体を犯し尽くす、呪いの毒液に苦しむだけ。

 それでも即死しなかった以上は、油断できない。刺せる時に、トドメは刺しておかないとね。

「羽ばたけ、不幸を撒く羽、かの元へ――『逆舞い胡蝶』」」

 ちょっと久しぶりに使った『逆舞い胡蝶』。今回、元にした発動材料は青花素材の解毒薬。この呪術にかかれば、毒を治すその効能の真逆を発揮させることができる。

 今正に、毒液によって肉体を蝕まれて苦しんでいる、セイラムにはお似合いのダメ押しだろう。

 羽ばたく青い蝶の群れが、腐れる毒に爛れた赤黒い汚水の体へと向かう。まるで、それが美しい花であるかのように、静かに、そして無慈悲に、毒強化の力をもって、胡蝶が舞い降りる。

「ルォオオアアアアアアアアアアアア――」

 どこか幻想的な青い輝きとなって、蝶々が弾けると同時に、セイラムは断末魔を上げながら、その体がドロドロと崩れ落ちる。汚らしいドブのように、汚染されたヘドロのように、変色した水精霊の肉体は形を失い、ついに妖精広場に倒れた。

 僕は弱い『呪術師』で、コイツは強い霊獣の水精霊。それでも、勝てたのは完全に相性だろう。

精霊なんて言っても、所詮はケモノ風情の知能しかないね。セイラムは相討ち覚悟で、僕を水の球で撃ち殺すべきだったんだ。そうしたら、自分は死んでも、レイナは確実に助けられる。

 自分の命を惜しんで、『痛み返し』を喰らわないよう、僕を体内で溺死させようとなんて横着をするから、こういうメに遭うのだ。

 まぁ、僕如きをセイラムが我が身を犠牲にしてまで倒そう、なんて絶対に判断しないと確信してたけど。究極的には、レイナ自身がセイラムの喪失を望まなかったから。

 そう、レイナが真面目に術者としてセイラムを行使していれば、僕の『腐り沼』を警戒して、コイツでは相性が悪いと自爆覚悟で殺害を命令する選択もとれた。霊獣が死んだら、復活できるのか、そのまま完全にロストするのかは分からない。

 でも、自分の命には変えられない。たとえセイラムを失ったとしても、『精霊術士』としてレベルアップすれば、さらに強力な霊獣や、完全上位互換な水の大精霊みたいな奴だって、獲得できたことだろう。

 つまるところ、レイナはやはり『何もしない』という己自身の無能によって、敗北するのだ。

「……レイナ」

「ひいっ!?」

 頼みの綱の霊獣が倒れ、レイナの顔は恐怖に引きつる。アイツの目に、僕は死神か悪魔にでも見えているのか。実際、その通りなんだけどね。

「言い残すことがあるなら、一応、聞いてやるよ」

 僕は必殺の魔法武器『レッドナイフ』を抜いて、レイナに迫る。

「い、いやっ、やだ、やだよぉ……」

 早くも大粒の涙をポロポロ零して、大泣き状態に入るレイナ。おいおい、折角、一時的には仲間だったよしみで、遺言は聞いてやると言う僕の気遣い台無しかよ。本当に、お前はどうしようもなく自分勝手だよな。

 でも、その方がレイナらしくていい。お蔭で、お前を追い詰めたこの状況になっても、罪悪感やら躊躇する感情ってのは、まるで湧いてこない。

「まぁ、いいや。どうせ、お前とは話は通じない。これ以上、語ることもないし……命乞いを聞くほど、悪趣味でもないからね」

 レイナとは3メートルほどの間合いをとって、僕は足を止める。レイナ自身は無力だから、僕でもナイフ一本あれば刺殺は余裕だけど、何が起こるか分からない。たとえ、レイナに奥の手なんてなかったとしても、直接刺しに行ったら、つまらないサスペンスドラマのように、もみ合ったら襲った方が事故って死ぬ、みたいなことになるのは絶対に御免だ。

 だから、レッドナイフには黒髪縛りを絡ませて、今度こそ、飛刃攻撃で確実に殺す。この距離なら、首でも心臓でも、好きに狙える。

「死ね、レイナっ!」

「キャァアアアアアアアアアアアアアーっ!」

 狙い違わず、僕のレッドナイフはレイナの細い首を切り裂く――はずだった。

 赤い炎の刃は届かない。泣き叫ぶレイナ、彼女の目の前で、ピタリと止まっている。

「なっ、なんだ!? どうして動かない! くそっ、動けーっ!」

「イヤァアアアアっ!」

 どれだけ力を、魔力と意思を籠めても、黒髪縛りは動かない。完全に硬直して、フリーズしてしまっている。

 何だよこれ、超能力のサイコキネシスがレイナのピンチに覚醒したとでもいうのか! ありえない、ちくしょう、そんな馬鹿なことがあってたまるか――いや、待てよ。

 ありうるかもしれない。念力ではなく、すでに似たようなスキルを、僕は知っている。

「まさか……『神聖言語「拒絶の言葉」』かっ!?」

 それは『賢者』小鳥遊小鳥が持っていた、特殊な魔法。本人の感情と叫びだけで、物理的に迫る脅威を停止させることができる、お手軽な自衛の魔法である。

 それを実際に見たことがあるお蔭で、ピンときた。

 天職は違っても、同じ名前と効果のスキルを授かることはある。だから、『神聖言語「拒絶の言葉」』が賢者の専用スキルではなく、魔術士クラスの汎用レアスキルという可能性も十分ありうる。そうであるならば、レイナが霊獣の守りを全て失ったこの土壇場において、自衛のためのスキルが覚醒するのも、まだありえそうな話。

 もしくは、これが初期スキルだったのかも。

「くっそぉ……最後の最後まで、手こずらせやがってぇーっ!」

 ピンチ、覚醒、大逆転! なんて展開、許してなるものか。

 僕は手元に戻したレッドナイフを自分で握って、直接、レイナを刺しに行く。

 幸いなのは、『神聖言語「拒絶の言葉」』そのものに、攻撃力はないことだ。突っ込んで行っても、ダメージを受けることはない。

 アリが殺到し、さらに強力なカマキリが迫れば、その不思議な停止力も限界があった。気合いと根性で耐えれば、突っ切れないこともないはず。

 だから、僕はここが最後の頑張りどころと心得て、レイナに向かって突撃する。

「イヤアアッ! 来ないでっ! 嫌い、嫌い、嫌い、大っ嫌いーっ!」

「――んがあっ!?」

 レイナの拒絶の意思に阻まれて、レッドナイフを構えて突っ込んだ格好のまま、僕の体は金縛りにあったように、ピタリと止まった。

 うお、こ、これは……マジで全然、動けない! っていうか、なんかちょっと息苦しい感じもするし、何だ、か、体全体がギシギシと軋みを上げて……い、痛いっ!?

「ぐっ、が、あぁ……」

「桃川君は嫌い!」

 う、うるせぇ、キンキン声で叫ぶなよ。頭がガンガンする……くそ、なんだよ、「拒絶の言葉」で止められるのって、こんなに負担がかかっていたのかよ。

 いや、違う、もしかしてコレは「拒絶の言葉」ではなく、止めた相手に謎のダメージも加える、より上位のスキルかもしれない。

「もう、私に近づかないでっ!」

「ぐぅうぉおおおおおっ!?」

 筋肉痛のような痛みが全身に走り、さらに、頭が割れるように痛い。どういう原理か知らないが、確実に、僕の体には何らかのダメージを受けている。物理的に切ったり突いたり叩かれたりしているワケではないのに、この苦痛は、テレパシーのような精神攻撃とか、純粋な魔力による影響とか、そういう類のものか。ああ、ちくしょう、そんな謎の攻撃、防ぐ手段なんて全く思いつかないよ。

 というか、どうしてこの痛みがレイナに返らない。僕の呪術も無効に……いや、違う、レイナはただ『止めている』だけで、ダメージを受ける様な謎の魔法に対し、僕が自分から突っ込んで行っているだけだから、『痛み返し』は発動しないのだ。

 いわば、レイナは罠を張っただけ。で、僕はその罠に自分からかかっているだけ。相手からの直接攻撃でなければ、『痛み返し』の対象にはならない。

「いなくなれ!」

「がっ、あぁががああああぁ……」

 鼻血が噴き出た。とうとう、出血が始まるほどのガタがきてしまった。まずい、このままだと、確実に僕は死ぬ。謎の攻撃によって、体中の穴という穴から血を噴いて死に晒すに違いない。

 どうする、退くか? 後ろに下がって、レイナから距離を取るようには動けるような気がする。退路はまだ、残されてはいる。

 けど、ダメだ。ここで退けば、もう二度と僕はレイナに接近することはできなくなるだろう。証拠はない、けど、不思議と確信できる。この拒絶の圧力に晒されて、一度でも負ければ、突破は不可能。そんな気がしてならない。

 だから、僕がレイナを殺せるチャンスは、きっと、今、この瞬間にしかないんだ。

「いなくなれぇーっ!」

「かっ、あ、あぁ……」

 でも、どう頑張っても体は動かない。それ以上に、心が折れる。

 ダメだ、届かない。あと少し、僅か30センチそこそこの距離が、永遠に縮まらない。僕のちっぽけな気合いと根性では、とても破れない、分厚い不可視の壁が立ちはだかる。

 体と頭を、苦痛が侵蝕する。痛みは加速度的に酷くなってゆき、鼻血はますます勢いを増し、目の端に浮いた涙は、どうにも血涙っぽい。

「う、ぐっ、ごはぁっ!」

 おまけに、吐いてしまった。折角、最後の晩餐として食べてきた牡丹鍋が台無しだよ。

 ああ、ヤバい、これはもう、本格的に死ぬ。もう無理、マジ無理、やっぱり、僕みたいな奴には、復讐を遂げることなんてできはしないのか。

 痛み、という絶対的な障害を前に、僕が燃やしたはずの殺意は、どんどん衰えていく。もういい、僕は十分、頑張った。人にはできることと、できないことがある。『呪術師』の僕が、チート級天職の『精霊術士』には敵わない。当然の結果を、受け入れだけのこと。

 ヤマジュンだって、復讐なんて望んでない。きっと、今の僕の姿を見たら、心配そうな顔で、「桃川くん、そんなに無理しなくていいんだよ」と言ってくれるに違いない。

 だから、もう、いいのかもしれない。ここまでレイナを、追い詰めたというだけで。

 いいじゃないか、こんな女、偽物の蒼真君と一緒に、一生このダンジョンに引き籠っていれば。

 ああ、もう、殺意が、足りない――

「……す」

 そうだ、僕にはもう、レイナを殺すんだと言う意思が足りない。

「……殺す」

 だったら、借りればいい。

「レイナぁ……お前は、僕が……」

 頼むよ、樋口。お前の殺意を、僕に貸してくれ。

「殺すっ!」

 レッドナイフを捨てる。

 代わりに、ポケットから抜いたのは、樋口のバタフライナイフ。

 異様なほどに切れ味抜群で、そして、握ると何故だか、かすかに殺意が湧いてくる。まるで、アイツの怨念が籠っているかのように。

「あぁあああああああああああああああっ!」

 気のせいかもしれない。けれど、このナイフを握った僕は、動いた。動けた。

 あれほど遠かった30センチが、ついに0へと縮まって行く。

「やぁああああっ! 嫌っ、イヤァアアアアアアアアアっ!」

「うぉおおおおお――」

 鼻血をまき散らし、血涙を流し、盛大にゲロを吐き出しながら、僕はゾンビのようにレイナへと襲い掛かる。全身は千切れそうなほど痛くて、何より、重い。

 ナイフを構えるのもままならず、詰め寄った拍子に足がもつれる。

「――ああっ!」

 気が付けば、僕はレイナを押し倒していた。

 一瞬、意識が飛んでた。でも、ナイフは硬く握りしめたまま。

「キャァアアーっ! ワァアアアアアッ!」

 僕の下敷きなっているレイナが、いよいよ狂ったように泣き叫びながら、バタバタと激しくもがく。だが、よほどの非力なせいで、僕みたいな小柄な男子の体すら、押し退けるには力が足りなかった。

 レイナの拒絶の力は、まだ効力を発揮している。コイツが子供のような力で暴れるだけでも、僕にはズキズキと抉り込まれるような痛みが走る。

 早く、ケリをつけなければ。僕がこのまま死んでしまう。

「はっ、はぁ……レ、イナぁぁああ……」

 震える右手でナイフを握りしめ、そのまま、レイナの小さな胸元へと切っ先を振り下ろす。もう、ナイフを突き立てるほどの力も残ってない。だから、僕は自分の体重をかけるような格好で、その胸を貫けるように押し込もうとするが――これが、最後の抵抗か。レイナの小さな両手が、刃を阻む。

「イヤァっ、ヤダっ、やだよっ! 死んじゃう、助けてっ!」

「し、死ぃい、ねぇえええ……」

 レイナは全力を振り絞って、僕の手を抑えてナイフの侵攻を防ぐ。

 ちくしょう、今にも意識が飛びそうだ。もう、ナイフの切っ先が、セーラー服の布地まで届いたってのに。

 あと、少し、もう、少しで……

「助けてっ! 助けて、ユウくん!」

「――死ね、レイナ」

 ゆっくりと、ナイフの刃が突き刺さる。

 セーラー服の生地を破り、玉の肌がとうとう切り裂かれる。そうして、一度届いてしまえば早かった。まるで吸いこまれるように、レイナの胸元に、バタフライナイフの刃は沈んで行った。

「あっ、あ……ユウ、く……」

 見開かれたレイナの青い瞳には、きっと、僕は映っていなかっただろう。

 だって、彼女はただ、蒼真悠斗という男、ただ一人だけを見つめ続けていただけの、恋する乙女に過ぎないのだから。

「はっ……はっ……はぁ……や、やったか……」

 ちょっと、自分でも何を口走っているか分からない。あまり縁起のいい言葉ではなさそうだけど、正直、頭の中が真っ白で、しばらく、何も考えられなかった。

 僕にはもう、指一本すら動かす気力が残っていない。だから、レイナの胸にナイフを突き立てたまま、覆いかぶさるように倒れ込んで、そのまま。傍から見たら、絶対、誤解される体勢である。

 でも、どうでもいいや。とにかく、疲れたんだよ、僕は。このワガママ女に振り回されて、僕は、とても、疲れたんだ……

「……やった……やった、んだ……」

 果たして、10秒か20秒か、それとも五分以上なのか。あれほど全身を苛んでいた苦痛が綺麗さっぱり消え去ったことに気づいて、ようやく、頭が回り始めた。

 レイナが死んだのなら、『神聖言語』が解除されるのも当然である。けど、それまでに負ったダメージはそのままだから、全身が大嫌いなマラソン大会が終わった後よりも酷い疲労感に包まれたままだ。でも、動けないほどでもない。それに、いつまでもレイナの死体に抱き着いているのも、趣味が悪いし、気持ちも悪い。

 どうにかこうにか、上半身を起こす。そうして、改めて、レイナの死に顔と対面した。

「死に際は、樋口の方が遥かにマシだったな」

 己の死を覚悟した樋口に対し、レイナは最後の瞬間まで、どうして自分が殺されなければならないのか、本気で分からなかっただろう。互いに殺意をもって戦った以上、樋口とは立派な決闘だったといってもいい。けど、レイナとの戦いは……果たして、これは呪術師と精霊術士の決闘だったのか、それとも僕の復讐劇だったのか、あるいは、単なる殺人か。

 法的に、倫理的に、第三者が見て『正しい』と思えるだけの行動を、僕はとったのだろうか。

 いいや、そんなことは、どうでもいいことか。だって、僕は僕自身が正しいと信じて行ったんだ。レイナ・A・綾瀬という少女を、殺すしかない。他でもない、この僕が殺さなければならないんだと、そう、覚悟して挑み、そして今、達成したんだ。

「はぁ……疲れた」

 やった、と喜ぶ気にも、笑う気にもなれない。でも、悔いはない。

 だって、驚愕の表情で固まったレイナの憐れな死に顔を見ても、僕は何の感情も湧かなかったのだから。

 ただ、やるべきことを終えた。大変だった。疲れた。それだけのこと。

 終わったならば、後片付け。ぼんやりと、特に考えもなしに、僕はレイナの胸に刺さりっぱなしだったバタフライナイフを抜く。まだ、刺殺したばかりだから、引き抜けば結構な勢いで血が噴いた。

「うぇ」

 ちょっと、顔にかかった。汚いな。

 まぁいい、後で洗おう。僕の体も、血塗れのナイフも。

「……」

 やはり、まだ疲れているのか。なかなか、立ち上がれなかった。いっそ、このまま倒れて眠ってしまいたい気分だったけど……そういうワケにもいかないだろう。

「あぁ、来たか……」

 妖精広場の入り口の向こうから、あーだこーだと言い合う、仲間達の声が聞こえてきた。

 レイナが死んだことで、霊獣もその瞬間に強制退場。やはり、思った通りである。

 聞こえてくる声は、ちゃんと全員分、上田と中井と下川と山田。ああ、良かった、一人も犠牲がでなくて。

 だって、ダンジョン攻略はまだまだこれからだし、彼らは大切な仲間である。こんなところで、脱落してもらっちゃあ困る。

「はぁ……何て言い訳しようかなぁ……」

 それなりに考えていたはずなのに、レイナを殺してしまったことに対する弁解の論理が、頭からすっかり抜け落ちてしまってる。

 どうしよう、何て切りだせばいいか、と頭を悩ませる暇もなく、彼らは勢いよく犯行現場たる妖精広場へと駆けこんできた。

「おい、桃川! レイナちゃんは――」

 その瞬間、全てを見失う。多分、入り口に最初に顔を出して、僕に呼びかけたのは、上田だったような気がする。でも、もう確認のしようがない。

 光。光だ。

 あまりに眩しい真っ白い光が、広場を包み込んでいた。

 なんだこれ――答えなんて、すぐに分かるはずなのに、疲労の極致で、頭が全然働かない今の僕には、分からなかった。あるいは、無意識的に、理解を拒んでいたのかもしれない。

「――桃川」

 その声は、今ばかりは、聞こえてはいけない声だった。

 振り返る。よせばいいのに、でも、僕は反射的にその声の方を向いてしまう。

「……レイナ?」

 目を見開いて、酷く驚いた表情をしたその人物は、なんてことだ、霊獣ソーマ・ユートめ、コイツだけはまだ生きていたのか――と、それだけだったら、どれだけ良かったことか。

「そ、蒼真、悠斗……」

 本物だった。

 そこにいるのは、本物の『勇者』、蒼真悠斗に違いなかった。

 転移魔法陣によって、ここの妖精広場へと現れた。簡単に現状を示すなら、ただそれだけのことだった。

「げえっ、蒼真悠斗!?」

「おいおいマジかよ!」

「ちょっ、これはヤバいんじゃねーべか」

 上中下トリオが騒ぐ声は、全く耳に入らなかった。恐らく、目にも入ってないだろう。僕にとっても、蒼真君にとっても。

「な、なんだ……レイナ、なのか……」

 だって、彼は真っ直ぐ、僕を、いいや、僕の足の下で、血だまりに沈んでいるレイナを見つめているのだから。

「そんな、まさか……死んで……」

 この世の終わりを見たかのような、絶望的な表情。

 けれど、蒼真悠斗は勇者である。勇者は絶望に屈しない。勇者は絶望に抗うものだから。

 そして、勇者は戦う。そう、絶望の根源たる、悪を憎んで。

「――桃川、お前がやったのか」

第144話 分かれ道

 死んだと思った。

 何も言えなし、何もできなかった。

 本気の怒りに震える『勇者』の圧倒的な力の発露を前に、僕は一切、何の抵抗もできず、ただ呆然とするより他はない。

 かろうじて、剣を振り上げる蒼真君の姿が見えた、気がした。ああ、流石は勇者、実に剣を構える姿が様になってるなぁ。

「桃川っ! お前が、レイナを殺――」

 蒼真悠斗の怒りの叫びは、凄まじい金属音によって途中でかき消された。ガキン! と響く甲高い音は、このダンジョン攻略生活をしていればお馴染みとなってくる、刃と刃がぶつかり合う剣戟の声に違いない。

 目の前で、パっと大きな火花が散る。呑気にも、綺麗だ、なんて思ってしまった。

「わふっ」

 突風が僕を襲う。髪の毛がブワっと逆巻き、顔に当たる風圧で、反射的に目をつぶる。

「――小太郎くん」

 そして、再び目を開けたそこに、彼女は立っていた。

「……メイちゃん?」

「うん、小太郎くん、助けに来たよ」

 天使の、いや、女神の微笑みと言うべきだ。可愛らしく整った美少女の浮かべる笑み、その慈愛の眼差しは、ただ僕にだけ向けられている。神を信じる、人の気持ちが分かった気がする。ああ、こんな時に、こんな顔をされたら、心の底から信じたくなるさ。

 けれど、彼女は全知全能の神でもなく、美を司る女神でもない。

「ああ、良かった……待ってたよ、メイちゃん」

 双葉芽衣子。天職『狂戦士』。僕が出会った中で、心から信じられるただ一人の、仲間であった。

「双葉さん、どういうつもりだ!」

 蒼真悠斗の鋭い声が上がる。

 僕はいきなり、蒼真君に切り殺されそうになった。レイナの死体を見て、犯人が僕だと思い込んで。思い込みも何も、真実、その通りなのだが。

 そうして、僕を切って『痛み返し』で自分も死んでレイナの後でも追うつもりだったのか、剣を振り上げて襲い掛かって来たその半ばで、メイちゃんが動いた。蒼真君を本気で殺すつもりで、その背中に目がけて、手にした黒い大きなハルバードを振り下ろしていた。

 だが、流石は勇者、危険を察知し、僕に向かって剣を振り下ろす寸前で身を翻して、背後からの一撃を受け止める。ガードには成功したが、十全な体勢で受け止められなかったため、踏ん張りもきかなかったのだろう。長身の部類に入る蒼真君の体は、メイちゃんの一撃を受けてそのまま大きく弾き飛ばされていた。それでも、バッチリ着地を決めたのは、流石の身体能力だけど。

 ともかく、こういう経緯で僕は一命をとりとめた。

 蒼真君が再び、一足飛びに切りかかって来ないのは、僕を背中に庇うように、メイちゃんが立ちはだかっているからだ。右手にはハルバードで、左手には巨大な黒い大盾を携えている。ズン、と大盾を地面につけて、僕の体を隠すようにして守ってくれていた。

 こうして、メイちゃんの後ろ、というこのダンジョンで一番安全な場所に身を置いたことで、僕もようやく突然の恐怖で固まっていた思考が再起動を始め、現状を正確に確認していく。

「双葉さん! 貴女はやはり、裏切るつもりですね!」

「ちょっ、ちょっと待って、悠斗君も双葉さんも、落ち着いて!」

 ああ、ちょっと懐かしい声が飛び交っている。一目見て、全員の無事を確認。

 どうやら、僕が置き去りにされてから、蒼真パーティは一人の増員も欠員もなく、あのメンバー構成のまま、ここまでやってきたらしい。

 メイちゃんと、その後ろに庇われる僕を、親の仇でも見る様な目で睨む、蒼真桜。そして、すでに剣を抜いてしまった蒼真君と、同じく武器を振るったメイちゃんに対して、必死に呼びかけるのは、うーん、相変わらずの苦労人、もとい仲裁役の委員長。ちょっと、顔がやつれた気がする? 大丈夫? ちゃんと食べてるのかな、今度、牡丹鍋をご馳走するよ。

 それから、桜と委員長の後ろには、早くも突然の修羅場が発生したことで、小動物のように震えながら身を寄せ合う、小鳥遊小鳥と夏川美波。

 そして、僕を転移魔法陣から突き飛ばす殺人未遂を犯した犯人である、剣崎明日那の姿もあった。すでに臨戦態勢に入ったメイちゃんを見て、若干、青ざめた表情をしている。狂戦士にフルボッコされたトラウマは、いまだに克復できていない模様。

 でも、こうして僕と再会したんなら、真っ先に言うべき言葉があるよね? 「すみません」とか「ごめんなさい」とか「もうしません」とか。まぁ、謝ったところで、それで許すワケもないけどさ。

「そこにいるのは、上田と中井と下川か……お前達もグルになって、レイナを殺したのかっ!」

 山田君もいるよ。省かないであげて。

 そして、彼らは無実だよ! 彼らは一生懸命、引きこもりニートの目を覚まそうと頑張ったんだよ。命をかけて霊獣の足止めをしてくれたんだ。彼らを責めるのは、全くもって筋違いだ。

 恨むなら、僕だけを恨め!

 そんな弁解をするのは、ひとまず後回しでいいだろう。

 殺意をもって凶器を抜いた人がいる以上、話し合いは成立しない。武器を向けている以上、その言葉の内容は単なる脅しにしかなりはしない。暴力を持ち出すってのは、そういうことだよね。

「お、俺らは違うって!」

「そうだ、俺らはレイナちゃんを助けるために――」

「なぁ、これ、もう逃げた方がよくねーべか」

 下川君、正解。コイツら、キレたら基本的に人の話も聞かないし。

 もっとも、すでにレイナが死んだ、という事実がある以上、どう言い訳のしようもないのだけれど。

 きっと、蒼真桜あたりに言わせれば、僕は絶対にレイナを救わなければいけなかったし、自分の命が危なかったからといって、正当防衛的にレイナを殺してしまうなんて、あってはならないこと。そんなことになるくらいなら、お前が死ね。そういうことを平然と言い切るタイプだ。レイナの命大なり、越えられない壁、僕の命。アイツにとっては、そういう価値基準になっているから。

 だから、僕が本当にやむをえず、裁判で認められるレベルでの正当防衛が成立していたとしても、蒼真兄妹が僕を許すことはないだろう。

「許さない……絶対に、許さないぞ!」

 ほら、蒼真君も許さないって言ってるし。今にも『光りの聖剣クロスカリバー』をぶっ放しそうな雰囲気だよ。

 それでも、まだ僕が無事でいて、多少の余裕をもって考え事ができるのは、ひとえにメイちゃんが守ってくれているお蔭。

 きっと彼女から見ても、僕がレイナを殺した、ってことは分かっているのだろう。それでも、迷うことなく、仲間であるはずの蒼真君に対しても躊躇なく刃を向けて、僕についてくれたのは、ただ、メイちゃんが信じてくれているからこそ。そう、彼女に限っては、この世で唯一、僕の命大なり、越えられない壁、レイナの命、という価値観でいてくれる人間だ。

 いやぁ、本当に、仲間の信頼っていうのは、素晴らしいね。

 これで中途半端な正義感を持つような奴だったら、「自首して、罪を償おう?」とか、本人にとってはクソの役にも立たない説得コマンドをしてくるところだろう。

 そんな素晴らしい仲間がいるんだ。これで、この窮地を切り抜けられなければ嘘だろう。

「あのー、とりあえず、事情説明がしたいから、みんなちょっと落ち着いてくれないかな? 綾瀬さんが死んでしまったのは、不幸な事故で――」

「よくも、そんなことが言えますね! 桃川君、貴方がレイナを殺したことは、言い逃れなんてできませんよ!」

「委員長、お願いだから蒼真さんを黙らせてくれないかな? これじゃあ、落ち着いて話し合いもできないよ」

「桃川、悪いが、俺にはもう話し合うつもりはない……」

 蒼真君が、実に憎悪の籠った眼で僕を睨む。ああ、恐ろしい。メイちゃんに守られてなかったら、失禁してもおかしくない殺気だよ。

 桜に比べて、まだ冷静で、話はできるかと思っていたけれど――どうやら、蒼真君にとって、幼馴染であるレイナの死というのは、彼の理性を容易く吹き飛ばすほどの威力があったようだ。

「クソ、忌々しい……死んでも僕の足を引っ張るとは……」

 思わず恨み言が口から漏れるほど、レイナのことが憎くてたまらない。ここで、もう一つ先の妖精広場で合流できれば、全員と口裏を合わせて、レイナの存在をなかったことにして、ただお互いの無事を喜べたというのに。

 レイナは己の命を賭して、『勇者』蒼真悠斗に、僕を憎悪させるという役を果たした。これは最早、呪いと呼んでもいい因縁かもしれない。呪術師の僕が呪われるとは、とんだお笑い草。

 けれど、この最悪のタイミングで転移に出くわしたこと……ただの偶然とは考えられない。恐らく、狙われた。僕ら全員のダンジョン攻略の状況を把握する、黒幕のような奴か、あるいは、本物の神が見ている。精霊術士の神が、レイナを殺された腹いせに、僕がピンチになるよう蒼真パーティの転移に介入した、と言われても今なら信じられる。

「たとえ、どんな理由があろうとも、俺は……俺は、レイナを殺したお前を、許すことはできないっ!」

 さて、いるかどうかも怪しい黒幕について考えるよりも、目の前の窮地に対処しなければ。蒼真君の殺意は本物だ。おまけに、お前の言い分に聞く耳もたないと、堂々と宣言までしてくれる始末。

 こうなってしまえば、もう、誰にも止められないだろう。

 いや、天道君ならできるのかな。お前ちょっと落ち着けよ、とかいって、一発ぶん殴ってくれないかな。

 チラッ、やっぱり、新たな転移は発動しない。

「それじゃあ、僕が死ねばよかったと言うの? 僕は彼女に本気で襲われて、殺されるところだった。正当防衛だよ」

「黙れ! 言い訳なんて、聞きたくもない」

「待って、お願いだから落ちついて! ここで私たちが争って、何になるというの!」

「涼子、もう話し合いなんてできませんよ。桃川君は、レイナを殺した。それが彼の本性です」

「誰が好き好んで人なんか殺すかよ……僕は、僕が生き残るためだけに殺した! それに文句があるなら、お前らが先にレイナを助けてみろよ! 『勇者』と『聖女』が、揃って人に責任を押し付けるな! 僕を恨むな、レイナを助けられなかった、自分の無力を恨めよっ!」

 どの道、交渉は決裂だ。そもそも、テーブルにすらついてない。何を言っても、ただの時間稼ぎにしかならないなら、もう好き勝手に言ってやれ。

「お願いだ、双葉さん。そこを退いてくれ。俺に、レイナの仇を討たせてくれ」

「蒼真君の方こそ、剣を引いてよ。小太郎くんが、言ってるでしょう、綾瀬さんが死んだのは、しょうがないことなの。小太郎くんは、何も悪くないんだよ」

「たとえ、そうだったとしても……俺は、桃川を許すことはできない。レイナの胸に、ナイフを突き立てた犯人を、俺には絶対に許せない」

「やめなよ、蒼真悠斗。復讐なんて、綾瀬さんは望んでないよ?」

「ッ!」

 言葉を失ったのは、心を打たれたからではない。断じて、蒼真悠斗の脳裏に、「ユウくん、私のために争うのはやめて」みたいな甘いことをレイナが囁いているイメージが湧いてはいないはず。

 火に油を注いだ。お前が言うな、おまいう。

 あまりの怒りに、言葉に詰まっただけだ。

「僕らがここで、本気で戦えば……三人は道連れになるよ? 死んだ人のために、まだ生きている大切な仲間の命を潰そうっていうの? それは、あまりに酷いんじゃあないかな」

 ガチバトルが発生した場合のシミュレート。まず、僕が『痛み返し』で誰か一人を道連れにします。で、キレたメイちゃんが試薬X全消費で本物の狂戦士モードで大暴れ。確実に、二人以上は殺傷できる。上手くいけば、蒼真悠斗以外は皆殺しにできるかもね。

 まぁ、そのパターンだと、僕もメイちゃんも死んじゃうから、絶対やらないけど。

「双葉さん、これが最後だ。そこを退いてくれ。さもなければ――俺は、君を傷つけてでも、桃川を討つ」

「小太郎くんは私が守る。彼を傷つけるなら、蒼真君も敵……敵は殺す。容赦は、できないよ?」

 一触即発。もう、次の瞬間には問答無用のバトルロイヤルが、この妖精広場で始まってもおかしくない。

 ならば、僕はここで動くとしよう。

「死出の旅路を祝い、晒される骸を呪う。黒い血。泥の肉。空っぽの頭。最早その身に魂はなく、ただ不浄の残滓を偽りの心と刻む。這い、出で、蘇れ――『怨嗟の屍人形』」

 消耗したのは主に体力だから、魔力は足りるはずだ。ほら、ちょうどそこに、出来立ての死体があるじゃないか。

 レイナ、お前が死んでも僕を呪うなら、僕は死んだお前すら呪ってやる。さぁ、僕のために、僕が生き残るために、お前を働かせてやる!

「動くな、一歩でも近づけば、コイツを切る」

 レイナの死体が起き上がり、僕の隣に立つ。そして僕は、一度は仕舞った樋口のバタフライナイフを抜いて、『怨嗟の屍人形』と化したレイナの顔へと突きつける。

 精一杯の笑みを浮かべて、僕は言った。

「死体でも、傷はつけたくないでしょ?」

「桃川ぁあああああああああああああああっ!」

 憤怒の絶叫を上げる蒼真悠斗。妹さんも、この世のモノとは思えないほどおぞましいものを見た、というような表情だ。

 けれど、動かない。誰も、動けない。ただの死体でも、彼らにとっては、十二分に人質としての価値があるからだ。

 良かったな、レイナ。お前、死体になっても、大切に思われてるよ。

 お蔭で、僕も命拾いできるってもんだ。

「このまま僕らを見逃してくれれば、レイナの死体は綺麗なままで置いておくよ。でも、精霊エレメンタルでも飛ばして追跡する素振りがあれば、品質の保証はできない。可愛い幼馴染をブサイクに整形されたくなかったら、大人しくしててよね」

 レイナの人質に、隙はない。なにせ、今、この体を動かしているのは、僕の忠実なシモベにして、可愛いカワイイ泥人形であるレムだ。

 すでに僕の意図は、レムは理解している。だから、人質の方から隙を見て脱出、なんてことはない。人質そのものが犯人とグルだから、決して隙を見せずに細心の注意を払っている。たとえ蒼真悠斗が切りかかって来ても、むしろレムの方から僕を庇ってくれる。

 そんなレムの献身的な協力もあるから、僕が人質として抱えていても、スムーズに移動することができるのだ。

「行こうか、メイちゃん。また二人に戻っちゃうけど、ごめんね」

「ううん、いいよ。私は小太郎くんがいてくれれば、それだけで」

 何とも男心に響くことを言ってくれる。本気で惚れちゃうよ。いや、もう惚れてるか。二度と離れられない、依存してしまいそうで、怖くなるくらい。

 落ち着け、理性を保て。とりあえず、油断せずにこの場を脱してからだ。

「下川君、悪いけど、『水霧アクア・ミスト』をお願い」

「えっ」

 急に話を振られて、ビクっとなってる下川。しっかりしろ、僕が抜けた後、パーティを引っ張っていくのは君だぞ。

「みんなは悪くない、レイナを殺したのは僕だから。一緒についてきたら、アイツらに恨まれる。だから、ここでお別れだね。今まで、ありがとう」

 本当は、貴重な仲間としてついてきて欲しいところだけれど、レイナを殺し、完全に蒼真パーティから恨みを買った僕に、彼らがついてくるメリットはない。上手いこと弁解して、誤解を解くか、それとも、あまりに気まずくて逃げ出すかは、彼らの自由に任せよう。

「そ、そんな、桃川……本当に、いいんだべか?」

「大丈夫、僕にはメイちゃんがついてるから。もし、この先で出会えたら、また協力しよう」

「分かった……じゃあな、桃川! 『水霧アクアミスト』っ!」

 薄らと漂い始めた霧の中で、僕とメイちゃんは、妖精広場から歩き去る。

「桃川……俺は、お前を絶対に許さない」

「僕は、いつでも蒼真君を許すよ。次に会う時までには、頭を冷やして、平和的な話し合いができることを祈っているよ」

 蒼真悠斗の燃える様な視線と、僕の冷めた視線とが交差したのは一瞬のこと。すっかり、広場の中には霧が満ちて、お互いの姿を覆い隠していく。

 そうして、次のエリアへと続く通路に出た僕とメイちゃんは、二人で、いや、レイナの体にとり付いてるレムを含めて、三人か。実に懐かしいメンバー構成となって、さらなるダンジョンの奥地へ向かって、歩き出した。

第145話 懺悔

 幾つかの分岐を経て、僕らは次の妖精広場へと辿り着いた。分かれ道では、あえてコンパスとは違う方向を選んできたから、蒼真パーティが追跡できる確率は、分かれ道の数の分だけある。ひとまずは、これで安心だろう。

「あー、ごめんね、蒼真君。レイナの死体、なくなっちゃったよ」

 呪術で使役した影響で、妖精広場に到着するなりレイナの屍人形はサラサラと灰になって、原型を留めず消滅した。勝の時と、同じ現象である。

 だが、勝の屍人形は、樋口によって限界以上のダメージを受けて崩壊したが、レイナの方は一切の傷はつけていない。

 それでも崩れ去ったというのは、レイナなりの抵抗の証かもしれないな。本当に、忌々しい女だよ。

「はぁ……」

 と、僕はどこまでも深い溜息を吐く。

 とりあえず、難を逃れて休憩場所に辿り着いたことで、すっかり気が抜けてしまう。考えるべきことは、沢山あるはずなのに、頭の中が真っ白になっていく。

 どう考えても、極度の疲労である。肉体的にも、精神的にも。

「小太郎くん、大丈夫?」

「ちょっと、疲れたから……少し、眠るよ」

 抱えてきた荷物を放り出して、柔らかい芝生の上に座り込む。蜘蛛糸でハンモックを作るほどの元気さえない。

 そのまま、横になって寝ようとした、その時だった。

「わっ」

 抱きしめられていた。びっくりするほど柔らかくて、温かくて、良い匂いがする。メイちゃんは真正面から、僕をその大きな胸に抱いていた。

「えっ、あの、なに?」

「ごめんね……傍に、いてあげられなくて」

 僕の顔は規格外の爆乳に埋もれているから、メイちゃんの顔は見えない。でも、容易に想像はついた。

 メイちゃん、泣いてるの。

「ううん、いいんだよ……だって、ちゃんとメイちゃんは助けてくれたから」

 こうして、今、僕を抱きしめてくれている。ただ、それだけ僕は救われる。身も心も、何もかも。

「本当に、無事で良かった……でも、ごめん、ごめんね、小太郎くん」

「どうして、謝るのさ」

 命より大事なことなんて、あるワケないのに。

 僕は生きて、窮地を脱した。メイちゃんのお蔭で。彼女が、蒼真悠斗と、他のメンバーに対する抑止力となるだけの、戦闘能力があるからこそ。

 狂戦士の力を持つ彼女が、僕の味方についてくれている。ただそれだけで、僕には感謝の念しかないというのに。一体、何を謝る必要があるというのだろう。

「大変、だったよね」

 うん、大変だった。

「辛いこと、苦しいこと、沢山、あったんだよね」

 辛かった。苦しかった。死ぬほどのメに、何度も遭ったさ。

 でも、それが何だと言うのだ。ここは魔物が跳梁跋扈する、過酷な異世界ダンジョン。人間が生き抜くには、そんな苦労は当たり前のことだよ。

「ごめんね、小太郎くん……泣かないで」

「えっ」

 泣いてはいない。

 泣いてない、はず。

「私がずっと、傍にいるから。辛いことも、苦しいことも、私が背負う。だから、小太郎くんはもう、傷つかなくていいんだよ」

「僕は、別に……」

 泣いてないし、傷ついてもいない。

「私が守るから。何があっても、絶対に」

 ただ、生き残るために、必死に足掻き続けただけなんだ。

「だから、私は小太郎くんがどんなことをしていたって、全て許して、受け入れるから」

 そう、僕は、生き残るために……

「たとえ、神様が許さなくたって、私は許す。小太郎くんは悪くない、罪なんか何もない。だから、ね、泣かないで。もう、苦しまないで。私を、信じて」

 ああ、やめて、やめてよ。そんなこと言われたら、折角、抑え込んできたのに、忘れようとしたのに、必死に、気づかないフリをしてきたのに――全部、溢れてしまう。

「苦しかった……怖かった……メイちゃんと別れて、一人になって」

「うん」

「レムがいたから、何とかなっただけなんだ。バジリスクだって倒した……でも、限界だと思った」

「うん」

「なのに、次に会ったのは樋口で……僕は、ああ、クソ、やるしかなかったんだ」

「うん」

「他のクラスメイトにも、出会ったよ。今度は仲良くなれて、良かった……けど、取り入るのに必死だった。信頼を勝ち取らなきゃいけなかった、僕は呪術師だから、一人では生き残れないから」

「うん」

「また、一人になって、また、出会って……どうにもならなかった。どうして考えない、どうして分からない、どうして、本気で、生き残ろうとしない……恨むべきは、僕じゃないっていうのに」

「うん」

「僕は……人を、殺したんだ」

「うん」

「樋口を殺した。勝を殺したから」

「うん」

「レイナを殺した。ヤマジュンを殺したから」

「うん」

「僕のやり方は、間違っていたのかな」

「ううん、小太郎くんは正しいよ。だって、こうして無事で、いてくれるんだから」

「うっ……」

「小太郎くんは、生き残るために精一杯、頑張ったんだよ。誰も信じられないのに、たった一人で……誰かの力が必要なのに、誰かと一緒にいるのは、苦痛で、不安で、ストレスで、プレッシャーで、つらいだけなのに」

「う、うぅ……」

「おかえり、小太郎くん。私の前では、もう何も我慢しなくて、いいんだよ」

「うぅうう、わぁあああああああああああああああっ!」

 ああ、メイちゃんの言う通りだ。確かに、僕は泣いているよ。

 大声を上げて、涙が止まらない。

 でも、泣いたっていいだろう。今くらいは、泣いてもいい。

 だって、僕はようやく、心の底から信頼できる人の下へ、帰ってくることができたのだから。




「ふはぁ……」

 泣いて、寝て、起きて、口から出たのは、大きな溜息。

 も、物凄く、恥ずかしい真似をしてしまった……まさか、あんなにメイちゃんへ泣きついてしまうとは。そんなことするつもり、無かったんだけど。

「はぁー」

 いや、認めよう。僕の心は、自分でも気づかないほどに、過度のストレスでボロボロになっていたのだと。

 明日那のせいで、転移に弾かれて一人ぼっち。まず、これで命の危機。

 バジリスク戦は、レムの活躍がなければ負けていた、激戦だった。

 そして、よりによって、次に出会ったのは樋口だ。ダンジョンの魔物は恐ろしいが、同じ人間というものは、また別の恐ろしさがある。奴の顔を見てからずっと、僕は生きた心地がしなかった。

 結局、勝は犠牲になって、樋口を殺すことには成功した。でも、レイナによって転移を奪われた。心身ともに限界で、心が折れるには十分な状況。

 でも幸い、蘭堂さんに拾われた。天道君のヤンキーチームとは、結果的には凄く上手くいった。良好な関係を築けたと思う。僕も、今では彼らのことを仲間として信頼することができるほどなのだが……全く、ストレスがなかったワケではない。

 乏しいコミュ力を振り絞って、どうにか僕の存在を認めてもらったのだ。立ち回り次第では、僕は蘭堂さん以下の役立たずとして、ゴミ扱いか、捨てられた可能性だって十分にある。

 上手くいくかどうかは、自分の行動に全てがかかっている。それは、途轍もないストレスであり、プレッシャーでもある。パーティの底辺からスタートするっていうのは、そういうことなのだ。

 努力の末に、いや、純粋に蘭堂さん達の人柄に救われて、僕はちゃんと仲間になれた……けど、それも一瞬の油断でおじゃんだ。警戒していたって、あのアラクネの一本釣り奇襲は防げないよ。

 そうして、次に出会ったのが、あのレイナのお姫様サークルである。

 思い返せば、このパーティは蒼真桜のハーレムパーティに匹敵するクソさだったな。真っ当に協力を求められない、ということの苦しさを、思い出させてもらったよ。

 だから、温かい食事と熱い風呂と柔らかい寝床を使って、奴らを懐柔した。文化的な生活水準ってのは、レイナですら無視できない魅力に溢れている。普通に協力体制が築けるのであれば、こんなものは無償で提供しても良かったというのに……交渉材料として利用しなきゃいけないほど、彼らは信用できない相手だったということだ。

 曲がりなりにも、彼らに指示を出せる程度には影響力を確保した。多少の信頼関係も生まれた。それでも、いつ壊れてもおかしくない、脆いモノだ。ヤマジュンがいなければ、維持することすら困難なほどに。

 もし、レイナを殺した後に蒼真悠斗が転移してこなかったら。僕は彼らを率いて、ダンジョンの攻略を進めることになる。でも、ヤマジュンを失った今、僕には遠からず、パーティが崩壊するとしか思えなかった。自分でも、自信がなかった。この面子では、大きな困難に直面しても、きっと乗り越えることはできないだろう。

 そして、そうなれば僕は絶対に、彼ら全員を見捨てて一人で逃げ出した。

 けれど、呪術師のソロプレイで、これからさらに難易度を増しそうなダンジョンを攻略など、お先真っ暗としか言いようがない。結局、僕が生き残るには仲間の存在が絶対に必要不可欠なのだ。

「これで、良かったんだ……」

 だから、メイちゃんと再会できて、本当に良かった。

 蒼真悠斗の恨みを買ったのは最大の失態だが、それでも、メイちゃんと一緒になれたことで、僕は救われた。あんなに大泣きするほど、僕の心は追い詰められていたのだから。

「恥ずかしい醜態を晒したのに、変わりはないけどね」

 男として、アレはないだろう。メイちゃんは優しいから、僕がわんわん泣いて抱き着いたとしても、幻滅したりはしないだろうけど……確実に、男としてみられることはないよね。

 おのれ、蘭堂さんも僕はチビの弟扱いだったというのに、メイちゃんには泣き虫なお子様扱いとなってしまうのか。僕の恋愛フラグはどこ?

「小太郎くん、着替え、終わった?」

「あっ、うん」

 メイちゃんに呼ばれて、僕は恥ずかしい後悔の気持ちを一旦脇において、いそいそと木陰から出ていく。

 僕が泣き疲れてそのまま眠ったせいで、戦闘直後で汚れた制服姿のままだった。

 そんな汚い格好なのに、黙って膝枕をしてくれた彼女は、どこまで僕を甘やかせば気が済むのだろう。実はメイちゃん、知らない内にユニークスキル『母性』とか獲得してない?

 ともかく、ひと眠りしてようやく落ち着いた僕に対して、メイちゃんは女神の微笑みで「洗濯するよ」と申し出てくれた。

 最近は自分で自分の洗い物するのは当たり前になってたけど、メイちゃんと一緒だった頃は、率先して彼女がやってくれたから、すっかり甘えてお任せしていたものだ。今更ながら、正直ちょっと手間をかけさせて悪いかなと思ったが、僕の甘え根性がここはお願いしたくてしょうがなかった。

 そんなワケで、僕はジャージに着替えている。ついでということで、メイちゃんもジャージに着替えてセーラーを一緒に洗濯するということなのだが――

「っ!?」

 ジャージ姿の彼女を見て、硬直。

「どうしたの、小太郎くん」

 どうしたもこうしたも、凄いおっぱいの谷間が見えるんですけど。見えるんじゃなくて、見せてつけているの? これがダンジョンに生きる女子高生のジャージ着こなしの流行なの?

 紺色の学校指定ジャージの上着、そのチャックは半分程度までしか閉まっていない。それだけならば、体育の授業で見てもさして違和感はない。

 だが、洗濯するために、彼女はシャツもブラも全てパージし、上着の下はただの裸。おっぱい、生おっぱいである。

 そんな状態でチャックを半分も開けてみろよ。見えるだろ、見えないワケない、見ないワケにはいかないよ……ああ、神々しいまでの白く深い谷間。そして、暴力的なまでに圧倒的な肉感。

 蘭堂さんはクラスナンバーワンの爆乳の称号を手にしていたが、メイちゃんはそもそも殿堂入りの規格外。純粋なバストサイズでいけば、彼女に敵う者はクラスにはいないし、学園にもいないし、ひょっとしたら白嶺の都市にもいないかもしれない。

 そんな最強レベルの爆乳を、この僕に見せつけるとは……誘っているのか。誘われて、いるんだろうか……というか、僕、あの胸に思いっきり顔を埋めて泣いていたのか。なんてこった、あの時は感情が溢れすぎてて、その感触を実感する余裕などまるでなかった。ただ、包み込まれるような安心感だけで、スゴいとかデカいとかエロいとか、一切の雑念が湧かなかったものだ。

 ああ、僕のバカ、大バカ野郎、どうして、もうちょっと感触を確かめておかなかった。自分がこの世の極楽浄土に足を踏み入れて、いや、顔を突っ込んでいたというのに、全く、何にも、覚えていないなんて!

 いや、しかし、これはヤバい……正気に戻った僕にとって、これ以上に目の毒と呼べるモノは存在しないだろう。おい、僕は今、毒攻撃を受けているんだぞ、『蠱毒の器』仕事しろよ!

 くそっ、だ、ダメだ……ジャージが弾け飛びそうなほどパッツンパッツンになってる生おっぱいの谷間から、目が逸らせない。いかん、このままでは、誤魔化すこともできぬ。

「め、メイちゃん、その……ちょっと、胸元、開き過ぎじゃない?」

 なけなしの理性を総動員しながら、必死に視線を逸らしつつ、でもやっぱりチラチラしながら、僕は言った。

「胸がキツくて、これ以上、上がらないの」

 なにそのエロい理由!? エロマンガでしか聞いたことがない台詞が飛び出したもんだ。

「そ、そうなんだ」

「うん、多分、前より大きくなってるんだと思うな」

 まだ育ってんのその胸!?

 いや、違う、ただ大きくなっているだけじゃない。分かる、僕には分かるぞ。クラスで一番の巨乳好きと公認された僕だから分かる……形も変化していると。

 初期状態のメイちゃんは、その巨大な乳房はどう頑張っても重力に打ち勝つことはできない。かなり垂れていた状態のはずだ。

 だがしかしダンジョンダイエットと『恵体』スキルによって、今や巨乳グラドルを鼻で笑える奇跡的なプロポーションを手に入れ、その胸は少しずつ、上を向き始めたのだ。重力圏を脱するロケットのように、サイズだけの爆乳から、ロケット爆乳へ進化を果たしている。

 より大きく、前へと突き出る形となったから、XLオーバーなサイズのメイちゃんの特注ジャージでも、ついに、その巨大な胸を抑えつけることはできなくなったに違いない。

 なんて恐ろしいことが起こってしまったんだ。メイちゃん、完全に僕を殺しにかかってきている……

「あんまり、気にしないで」

「うん、頑張るよ」

「えっと、その……少しくらいなら、見ても気にしないから」

 はい、死んだ。僕の理性、今死んだよー。

「ほら、私、胸が大きい方だから、よく視線は感じるし……でも、小太郎くんなら、嫌じゃないし、気にしないから」

「そうなんだ、大変だね」

 と、僕はもう完全におっぱいに向かって話しかけていた。

 ごめんなさい。そろそろ、トイレ行ってきてもいいですか?

第146話 互いの成長

 その母性でもって僕の心を癒し、その爆乳でもって僕の理性を殺し、メイちゃんには精神的に上げたり落とされたり大変だったが、ひとまず、落ち着いた。トイレにも行ってスッキリしてきたし。

 洗濯物は僕が張った黒髪ロープで干されていて、お互いにジャージ姿、つまりメイちゃんは惜しげもなく爆乳の谷間を見せつけるエロファッションのままなので、とりあえず彼女の自前のブランケットを羽織ってもらっている。いくらスッキリ状態の僕でも、あんなものを継続して見せつけられれば、再び理性が崩壊する。ただでさえ、おっぱい相手には弱い僕の理性が、砂山に立てた割り箸よりも脆く崩れ去ることだろう。

 そういうワケで、非常に残念ながら、メイちゃんの胸元は世界平和のために隠されたのだった。ああ、もうちょっと拝んでおけば良かったかな……次回に期待しちゃってもいいかな……

「ところで、お腹空いてる?」

「うん」

 メイちゃんにお腹空いてるかと聞いて、ノーと聞いたこと一度もないけど。

 まぁ、食料に乏しいダンジョン生活である。妖精胡桃のお蔭で栄養的には耐えられても、満足に腹が膨れる機会は皆無だ。誰だって、お腹はいつでも空いている。決して、メイちゃんに腹ペコキャラのレッテルを張りたいワケではないんだよ。

「僕、まだちょっとだけ食材残ってるから、食べようか」

「ええっ、いいの!?」

 いいに決まっているじゃないか。僕とメイちゃんの仲だろう。野郎共に振る舞うより、よっぽど料理のし甲斐があるってもんだ。

 しかし、レイナ討伐の景気づけに、大猪の肉の残りはほとんど解放しちゃったから、本当にあと一食分くらいしか残っていない。肉の他には、割と好評だった謎ハーブと、バナナイモと、あとはとりあえず食べられる野草とキノコが少々といったところ。

 とりあえず、僕の得意料理と化した牡丹鍋でいこう。

「ああっ、そ、それはもしかして、ベーコンなの!?」

 僕が取り出した、最後の猪ベーコンの塊を見て、メイちゃんが食いつく。いや、文字通りの意味じゃなくて。

「うん、そうだよ」

「凄い、保存食に加工しているなんて……時間、かかったんじゃないの?」

「ううん、僕の呪術にかかれば一発だよ」

 そういえば、『魔女の釜』はメイちゃんと別れた後に習得した呪術だから、彼女はこれの存在を知らないのだ。これから色々と生活面でお世話になる能力だから、早速、お披露目といこう。

「――で、これが『魔女の釜』」

 噴水の隣に、さっさと器を作って、発動。調理用にぴったりな、鍋サイズの『魔女の釜』が完成する。

「水を入れたら、結構すぐ沸騰するから、火力もそれなりなんだよね」

「ええっ、なにこれ、火が出てないのに、温まってる! IHなのかな?」

 違うと思うけど。多分、魔法的に熱を加えているだけかなと、勝手に思っている。自分の呪術なのに、あんまり詳しい原理が分からないのは、ちょっとアレだよね。

「この鍋は温めるだけじゃなくて、そのまま冷凍もできるし、乾燥させたりもできるんだ。だから、生肉を放り込むだけで、簡単に干し肉ができるんだよ」

「ええっ、しゅごい……」

 メイちゃんの驚きようが、尋常じゃない件。

 だがしかし、彼女は料理部で、筋金入りの料理好きである。ならば、ダンジョンの中でも、これ一台で様々な調理を可能とする、万能調理器具である『魔女の釜』というのは、夢をかなえる魔法のお鍋に見えるのかもしれない。料理なんて、食べられればいいや程度の認識だった僕と比べれば、感動も一入だろう。

「他にも、ミキサーにしたり、混ぜたり、色々とできるけど」

「凄い! 凄いよ、小太郎くん!」

「えーと、今度使ってみる?」

「うん! これがあれば、色んな料理ができるよ!」

 目がキラキラしている。『魔女の釜』一つで、ここまで喜んでくれるとは、呪術師冥利に尽きる。というか、この能力はやっぱり、僕よりもメイちゃんが授かるべきモノだったのでは……




 完成した牡丹鍋に舌鼓を打ちながら、僕らはお互いに気になっていた、別れて以降の経緯を話し合った。

 メイちゃんに泣きついた時に、大まかな事は喋った気がするけど、こうして落ち着きながら順を追って僕の経験を説明すると……メイちゃんは涙ながらに、僕の苦労話を聞いてくれた。あんまり真剣に感情移入して泣かれると、僕もまた泣きそうになってくるよ。

 でも、今のメイちゃんの胸元に飛び込んだら、確実に性欲の方が先行してしまう。生おっぱいの谷間だし。

 さて、僕の話は割とどうでもいい。大した収穫もなかったし、新呪術を授かったくらいのものだ。現状、レムも失ってしまっているし。

 気になるのは、メイちゃんの方だ。

 こうして、躊躇なく僕の味方につき、蒼真悠斗に刃を向けたことから、どうやら寝取られた心配はせずにすみそうだ。メイちゃんが彼の魅力にメロメロだったら、僕はあのまま切り殺されてデッドエンドだった。

「私の方は……順調、だったよ」

 腹立たしいほどに、とでも言いたげに、メイちゃんはあまり、蒼真パーティとの旅路を、良い顔で語らなかった。

「しばらく一緒にいて、私、分かったの……ああ、誰も、小太郎くんのことなんて、心配していないんだなって」

 何気なく言ったその言葉に、僕の背筋がゾっとした。僕の身を案じてくれた、彼女の優しい気遣いの台詞のはずだけど、まるで、底知れぬ恨みを秘めているような気がしたんだ。

「一応、探しはしたよ? でも、きっとみんな、小太郎くんのことを見つけるつもりはなかった。ううん、見つからなければいい、そう思ってたんだよ」

 そりゃあ、そうだろうね。彼女達の立場を思えば、僕なんて永遠に見つからない方がいい。

 僕が突き飛ばされた直後、明日那の非道にメイちゃんは怒り心頭ではあったが、蒼真悠斗の武力的な抑止力&委員長による決死の説得によって、どうにか殺し合いは避けられた。

 メイちゃんはダンジョンを進み、僕を探すには彼らの力が必要だということを分かっていた。でも、蒼真桜にしてみれば、僕が見つからなければ、メイちゃんが反逆することもないし、そもそも死んでた方が気分的にも良いだろう。

「まぁ、いいけどね。そもそも僕の好感度は、あの時点じゃあマイナスだったし」

「うん、結局ただの好き嫌いのくせに、綺麗事ばかり。私、怒りを抑えるのに、とにかく必死で……あの時のこと、実は、あんまり覚えてないの」

 ヤバい、メイちゃん、目がマジだ。そこまで怒らなくても……いや、しかし、メイちゃんからしても、僕は本当に理不尽に殺されかけたのだ。それでいて、犯人グループは反省の色を見せずにヘラヘラしていたら、そりゃあ、キレそうにもなるか。

「あっ、でも、みんなの能力はちゃんと覚えているよ」

「そっか、それは良かった」

「うん、いつ敵に回してもいいように、みんなの強さは注意して見ていたから」

 最初から裏切る気満々だったんだね。彼らにとっては悪夢だけど、僕にとっては涙が出るほど嬉しいスタンスだよ。

「あれから、ダンジョンを進むごとに、魔物もボスも強くなっていって――」

 それから、詳しく蒼真パーティでの攻略模様を聞いた。どうやら、僕が遭遇してきたボスよりも、遥かに強い奴らと戦ってきたようだ。

 宮殿エリアのリビングアーマーに、ピラミッド城のゴグマ&四つ腕ゴグマ。

 僕もゴグマを倒してジャングルを脱出してきたけど、アレが四体いる上に、さらに強い四本腕の大ボスまでいるとは。とてもじゃないけど、相手にならない。蒼真パーティ以外で対抗できる可能性があるのは、天道君だけだろう。

「よく、そんなの倒してこれたね」

「敵が強くなった分だけ、武器も良くなったから。それに、ゴグマのボスを倒せたのは、小太郎くんのお陰だから」

 えっ、僕、どう考えても何もしてないんですけど。

「あのね、試薬X……全部、使っちゃったの」

「ええっ!? ぜ、全部!?」

 メイちゃんにはそれなりの量を持たせていたけど、まさか、アレを全て使い切るとは。いくら解毒薬を混ぜて調整しているとはいえ、まだまだ素人の目分量。絶対的に安全な服用は保証されてはいない。

「大丈夫なの!?」

「うん、なんともないよ」

 確かに、メイちゃんにおかしな様子は見られなかった。意識はしっかりしているし、顔つきだって、やつれたりとかもしていない。顔はむしろ、美しさに磨きがかかっているみたいだ。ジャンキーの兆候は見られない。

「でも、無理しちゃダメだよ」

「ごめんね」

 心配ではあるが、メイちゃんだって馬鹿ではない。ピラミッド城のボスを倒すためには、どうしても必要だったのだろう。正しく、僕が想定した緊急事態に該当する。

 ちゃんとピンチを切り抜ける役に立ったというのなら、素直に喜ぶべきだろう。なんだかんだで『試薬X』は有用だ。今後も一定量は確保しておこう。

「私の方は、こんな感じ。装備は良くなって、武技を覚えたり、前より少し、強くなれただけだよ」

 話を聞いていると、少しというより、かなり強くなっているように思えるのだが。

「あっ、あと、そういえば、スマホが使えるようになったよ」

「……はい?」

「スマホが使えるようになったよ」

 笑顔で繰り返されても、意味が分からないんだけど。

「小太郎くん、アドレス交換しよ?」

 あまりににこやかな笑顔に押されて、僕は素直にアドレス交換に応じた。めっちゃ久しぶりに携帯の電源をつけたよ。鞄の奥底で眠っていたコイツは、どうやら無事に生きていたようだ。

 それにしても、もしかしてメイちゃん、バッテリーさえあれば、携帯電話はトランシーバーのように通話ができると思っているのだろうか。

 残念だけど携帯電話というものは、それそのモノが無線で繋がっているワケではなくて――ピルルルルッ!

「ええっ!?」

 電話がかかってきた。開いてみれば、今しがたアドレス交換を終えたばかりの、双葉芽衣子の名前が。

「小鳥遊さんの賢者の魔法で、電話とメールだけは繋がるようになったんだって」

「あっ、そうなんだ……」

 おのれ小鳥遊小鳥、携帯電話の通話まで可能とするとは、やはり、賢者の魔法はチートか。というか『錬成』がチートなのだ。魔石だかいう、ありがちな魔力結晶的な素材アイテムを使って、マジックアイテムの製造まで始めているとは。

 このままでは、どんどん装備の質の差が広がっていく。さっきは、メイちゃん一人でも十分な対抗戦力になっていたけれど……もし、ロープとかネットとか麻痺とかの、捕獲用の武器・マジックアイテムなんかが存在していれば、その非殺傷性から躊躇なくメイちゃんに使って行動不能にしただろう。で、僕に対してもそのテの拘束系武器を使われれば、『痛み返し』も発動せずに、成す術がない。

 うーん、そろそろ本格的に、良い武器やアイテムの収集というのも、考えないといけないかもしれない。あのゴグマは良い武器に加えて魔法の杖まで持ってたから、意外とお宝を隠し持っていそうだし。

「そうだ、小太郎くんに、プレゼントがあるの」

「えっ、なになに、気になるー」

 まさかのサプライズに、素直に浮かれてしまう。実は呪術専用の禍々しい杖を宝箱からゲットしていたとか? それとも、ひょっとして蘭堂さんみたいにパンツか。うーん、どっちも実用的で即戦力だよ。

 などとセクハラ染みたことを考えながらワクワクテカテカしていると、あっさり手渡されたのは、キラリと輝くアセクサリーが二つ。

「ネックレスが『生命の雫』で、指輪が『ガードリング』っていうんだって。どっちも、身を守るのにとっても役立つ魔法のアイテムだから、小太郎くんに持ってて欲しいって、ずっと思っていたの」


『ガード・リング』:武技『硬身ガード』と同じ効果を発動させる指輪。


『生命の雫』:どんな傷も癒すという『生命の水』を一滴だけ結晶化させた、小さな宝石をあしらったネックレス。


 まるで交通安全のお守りのように気軽にプレゼントされたが、実際の効果の説明を聞いて、思わず絶句する。

「こ、こんなモノまであるのか……凄い効果だよ!」

 まさかここに来て、身を守るためのマジックアイテムが手に入るとは! 安全確実な防御力というのは、貧弱な呪術師の僕にとって、攻撃力に勝るとも劣らないほど欲しい力だった。

 やったねメイちゃん、安全策が増えるよ!

「ありがとう、これで、まだまだダンジョンを進んで行ける気がするよ!」

「良かった、喜んでもらえて。あっ、ネックレス、つけてあげようか?」

 是非ともお願いします。自分で装着するより、女の子に着けてもらう方が断然いいに決まってる。

 と、安易に答えたのが、地獄の始まりだった。

「それじゃあ、ちょっとジっとしててね――」

 僕へ抱き着くように、首に手を回して急接近したメイちゃんの体から、はらりとブランケットが落ちる。それは、世界平和を維持するために、凶悪な双子の魔物を封印するための聖なるブランケットだった。

 今、再び解放される、爆乳ノーブラジャージ。前かがみで、急速接近中!

 目の前に、これ見よがしにぶら下げられる巨大な生おっぱい。あと10センチほど顔を突き出せば、僕の顔面はその白き神々の谷間へと埋まることだろう。サイズ的に、本当に顔面全部埋まりそう。

 埋まりたい、溺れたい……いや、ダメだ、落ち着け……めっちゃいい匂いとかもするんですけど……ああ、神よ、ルインヒルデ様、助けて……こんな仕打ち、僕もう耐えられないよ……

「――はい、ついたよ」

「ハっ!?」

 一瞬、意識が飛んでいた。きっと、天国の扉付近にまで飛んでいたに違いない。危ないところだった、もう、二度と戻って来れないかと。

「あっ、ありがとう!」

「指輪もつけようか?」

「ああーっ、残念だなー、僕もう自分でつけちゃったよーっ!」

 バカみたいに叫んでいないと、やってられなかった。僕の理性はもうズタボロだ。もう一度、あんな風に迫られたら、マジでもう耐えられる自信がない。イエスおっぱいノータッチ。

「装備も完了したし、そろそろ出発しようか」

「もう少し、休んで行った方がいいんじゃない?」

「まだ追撃の可能性はあるし、早くレムも再生したいから」

「そっか、そうだよね」

 そうだよ、もうダンジョン攻略でもやらないと、僕の気分が悶々としてヤバいんだよ。

 メイちゃんは、心の底から信頼できる最高の仲間だ。だけど、僕にとっては最高にエロい女性でもある……彼女と二人きりでいることが、こんなに苦しい我慢の連続なのだと、僕はようやく思い出したのだった。

 どれだけ苦しかろうと、彼女の信頼だけは失うまい――そう、固く心に誓って、僕はメイちゃんと共に、久しぶりとなるダンジョン攻略へと出発した。

「ねぇ、小太郎くん。私、どうしても一つだけ、聞いておきたいことがあるの」

 覚悟を決めた矢先に、メイちゃんから待ったのお声がかけられる。

 見れば、随分と思い詰めたような、とても真剣な表情だ。

「うん、なに、どうしたの?」

 一体、どんな重大な質問が飛び出すのか。僕はやや身構えながら、彼女の問いを待つ。

「あの、さっき洗濯した時に見つけたんだけど――このパンツ、誰の?」

 真顔で差し出された、豹柄パンツ。

 あっ、これ詰んだわ……

第147話 豹柄パンツは誰が為に

「ごめんなさい。これは偶然、手に入ったモノで、どうか一つ見逃してください」

 色々と言い訳は考えたけれど、素直に謝罪することが一番だと僕は結論を下した。だってメイちゃんは、蒼真桜や上中下トリオのように、口八丁で丸め込めればそれでいい相手ではない。心から信頼の置ける彼女だからこそ、僕も嘘は吐きたくない。

「ううん、謝らないで、小太郎くん。たとえ、どんな経緯で手に入れたものでも、私は気にしないから」

「ありがとう、メイちゃん」

 僕の誠実な気持ちを分かってくれて、本当にありがとう。

「それで、誰のパンツなの?」

 ちいっ! いい感じで話が流れなかったかチクショウ!

 ど、どうする、素直に白状してしまえば、蘭堂さんの命が危うい気がする、何となく。だって、真顔のメイちゃん怖いんだもん。これ完全に狂戦士の顔ですわ。

 彼女に嘘を吐きたくない気持ちは本当だけれど、かといって、全ての真実を洗いざらい話すのが、お互いにとって良いことだとは限らない気もするという、都合のいい言い訳も脳裏の片隅に過る。

 おいおいおい、マジでどうするよ……黙秘権を行使するのにも、限度ってもんがあるだろう。僕はできる限り、メイちゃんには誠実でありたい。だがしかし、本当に正直にありのままを告白するってのか? 蘭堂さんの豹柄パンツ最高です、毎晩使ってます、もう手離せない素晴らしい一品、星5です! などと、言えるのか?

 言えるワケねーだろ、羞恥プレイとセクハラのダブルインパクトかよ。無言でハルバード叩きこまれても文句言えないぞ。

「……」

 結局、僕は顔に冷や汗だか油汗だか知らないけれど、とにかく嫌な感じの汗ダラダラで、無様にも黙りこくるしかなく、

「これ、蘭堂さんのでしょ」

 ッ!? と、ピンポイントで的中させてきたことへの動揺は、どうにか、顔に出さずに堪えられたと思う。これまで、それなりに死線を潜り抜けてきた経験は、伊達ではない!

「か、カマをかけようたって、その手には乗らないよ」

「ウチのクラスの女子で、このサイズのパンツを穿くのは蘭堂さんだけだよ」

 し、しまった、体型とサイズで一気に特定された!

 蘭堂さんはクラス一の爆乳の持ち主だが、デカいのは胸だけではない。お尻も大きいのだ。

 そして二年七組の女子は、蒼真桜を筆頭とする美少女グループは勿論のこと、そうでもない西山さんとかの普通からちょいブサ女子を含めても、ほぼ標準体型。女子で太っているとハッキリ言える体型の持ち主は、かつてのメイちゃんしかいなかった。

 そして、あらゆる意味で規格外のメイちゃんを除外した場合、二年七組の女子でヒップサイズのトップは、間違いなく蘭堂さんであろう。バスト、ヒップ、共に堂々のワンツーフィニッシュを飾る、ワガママボディである。

「私ほどじゃないけど、蘭堂さんも大きいから。海外製の特注品なんて、普通の子は持ってないよ」

 それ、海外製の特注品なんですか!?

「しかもこれ、結構、有名なブランドだよ。蘭堂さんらしいよね」

 その豹柄パンツ、そんなに高価なモノだったんですかぁ!?

 男の僕では気づけない、衝撃の新事実である。これは次に使う時から、さらにありがたみも増すというか……っていうか、次なんてねーだろこのパターンは……

「そ、そ、そうなんだ、凄いね」

 すでにして蘭堂さんを庇う意味もなくなった僕は、酷く適当な相槌を打つことしかできなかった。ごめんね蘭堂さん、女子高生のパンツ事情に僕が詳しくないばっかりに、あっけなくメイちゃんに持ち主を看破されてしまったよ。

 申し訳ないとは思うけれど、かといってこれから女子のパンツに詳しくなる気もないけれど。

「ねぇ、小太郎くんって、もしかして……女の子の体より、下着の方に興味があるタイプなの?」

「いいえ、中身の方が全然興味あります」

 メイちゃんに嘘は吐けないからね。正直に答えるしかないよね。

「そうなんだ」

「そうだよ、決して僕が無理いって蘭堂さんからパンツ譲ってもらったワケでは断じてないから。これはアレだよ、僕がはぐれた時に、探しに向かったレムが餞別にもらったらしくて、えーっと、ほら、蘭堂さんならこういうキツめの冗談かますこともなきにしもあらずかなといったところで」

「そっか、良かった」

 良かった? 本当に? ねぇ、本当にそう思ってるのメイちゃん、こんな怪しい言い訳が通じた感じで大丈夫なのか。逆に心配になってくる。

 けれど大体、今の釈明に嘘はない。正直なところ、蘭堂さんがどういうつもりでレムにこのパンツを託したのか、その本心は僕があずかり知るところではない。強いて言えば、男慣れしている彼女が、童貞少年丸出しな僕を相手に、コイツにはコレが喜ぶだろうと思ってくれたのかと。

「それじゃあ、このパンツ、私がもらってもいい?」

「えっ」

「やっぱり、下着が一枚しかないのは、ちょっと……」

 ちょっとばかり、恥ずかしそうに言うメイちゃん。そのリアクション、見ている僕の方が恥ずかしくなってくるんですけど。

「それに、今の私なら、このサイズでちょうど良さそうだし」

「そ、そうだよね! 是非、メイちゃんが使ってよ!」

 ここが落としどころだ! そう僕は見極めて、もろ手を上げて彼女の提案に賛成した。

「ありがとう、小太郎くん」

「いやぁ、お礼なら、蘭堂さんに言ってよ」

 大切な夜のお供だった、豹柄パンツを失うのは、非常に寂しいことである。

 だがしかし、この海外有名ブランドの豹柄パンツが、メイちゃんという新たなマスターと出会ったことは、とても素敵なことのように思える。

 豹柄パンツのメイちゃんか。うん、悪くない。普通の女子生徒なら持て余す特注サイズでも、彼女が穿けばはちきれんばかりにパツパツになるであろう。

「……はぁ、丸く収まって良かったよ」

 流石に今回は、メイちゃんからの信頼も失墜するレベルのスキャンダルかとマジで焦った。いくら命の恩人といっても、ダンジョンサバイバルの極限状況下で下着ドロする奴だと思われれば、そりゃあ見限られたっておかしくない。

 生きた心地がしないプチ修羅場だったけれど、どうにか上手く解決した。また一つ、僕は死線を潜り抜け、強くなった気がする。もう二度と御免だけど。




 メイちゃんが豹柄パンツ発見で揉めたりしながらも、無事に妖精広場を出発した僕らは、ちょっと久しぶりに遭遇したスケルトン小隊を速攻で始末し、その骨を素材にして、ひとまずレムを再創造した。完成した形態はやはり、素材の味を活かしたシンプルな黒スケルトン形態。

 とりあえず、装備品もそのまま拝借して、剣と槍を持たせておいた。

「おかえり、レム」

「ガガ!」

「レムちゃん、久しぶりだね。小太郎くんのこと、ずっと守ってくれたんだよね……本当に、ありがとう」

「ガガガ!」

 メイちゃんに髑髏頭を撫でられて、レムも喜んでいる。なんだかんだで、二人もかけがえのない戦友だしね。レムもメイちゃんと再会できて嬉しいだろう。

 そうして、僕、メイちゃん、レム、と懐かしの編成となって、ダンジョンを進む。ここから先は、コンパスに従って真っ当にボス部屋の転移魔法陣を目指している。

 この辺のエリアは、スケルトンが出現したように、最初の頃と同じような石造りとなっている。ジャングルに白雲エリアと、変な場所を進んできたせいで、むしろこっちの方が落ち着くくらいだ。

 だが、油断は禁物。なんだかんだで、ここは最初の頃とは比べ物にならないほど、ダンジョンの奥へと近づいた場所。罠があるかもしれないし、単純に強力な雑魚モンスも――

「あっ、ボス部屋あったよ」

 めちゃくちゃあっさり、ボス部屋まで辿り着いてしまった。まぁ、こういう時もあるだろう。

 ボス部屋は、オルトロスを相手にした時の様な両開きの扉になっており、そっと中を覗き込めば、ただの大広間となっている。

 ボスは奥にいるのか、まだ見えない。

「よし、行こう」

 今回は正攻法で挑む。せいぜい、退路だけは確保して、ヤバかったら逃げられるように注意はしておく。

 僕はレムを前に立たせつつ警戒心全開で、メイちゃんは全く恐れ知らずにズカズカとボス部屋へと踏み入っていく。

「ゴルルルゥ……」

 薄暗い広間の奥から、獰猛な獣のような唸り声が響く。どうやら、ちゃんとボスはいるようだ。

「小太郎くん、下がってて」

「扉の前にいる。ヤバい時は、すぐ出よう」

 了解、と後ろ手にハンドサインだけを出して、メイちゃんは現れたボスと対峙した。

「アイツは……ゴライアスだ!」

 筋骨隆々のゴリラ体型に、角の生えた凶悪な面構え。一度、その姿を見たことがあるから間違いない。

 天道君はゴライアスを瞬殺したけど、樋口はコイツとの戦闘は避けていた。単純な戦闘能力は極めて高いボスモンスターである。

「メイちゃん、気を付けて、アイツはパワーもスピードもかなりある!」

 と、僕が叫んだその時には、ゴライアスは動き出していた。あのゴグマと同じくらいにはデカい、3メートル超の巨躯だが、シュタっと小さな音だけを立てて、凄いスピードで跳躍。

 真っ直ぐに、最も近い相手であるメイちゃんへと、ゴライアスは鋭い牙を剥いて飛び掛かる。あまりの速さに、僕が『黒髪縛り』で足止めのフォローをする隙もなかった。

 まずい、これは正面きってのガチンコ勝負に持ち込まれそうだ。果たして、メイちゃんでもフィジカルモンスターなゴライアスを相手に、勝てるだろうか……

「ふんっ!」

 と、僕の心配をブッ飛ばすように、メイちゃんのちょっと女の子とは思えない勇ましい掛け声と、ガツン! と大きな鈍い衝突音がボス部屋いっぱいに響き渡った。

 なんだ、と思った時には、『ダークタワーシールド』という大盾を突き出した体勢のメイちゃんと、無様に腹を向けて仰向けにひっくり返ったゴライアスの姿が。

「――『破断』」

 そして、無防備に転がるゴライアスに向かって、高々と掲げられた『黒鉄のナイトハルバード』は、武技の威力を持って無慈悲に振り下ろされた。

 キン、という澄んだ金属音を響かせて、ゴライアスは頭から股下まで、縦に一刀両断されていた。

「ふぅー、良かった、あんまり強いボスじゃなくて」

 と、真っ二つにされたゴライアスの死体を背景に、爽やかな笑顔を浮かべるメイちゃん。うーん、この圧倒的な狂戦士の力。惚れ惚れするね。もう、メイちゃんなしで、生きていけないかも。

「凄いよ、メイちゃん。こんなに強くなってるなんて」

「そんなことないよ。武技が強力なだけ」

「でも、武技使わなくても倒せたでしょ?」

「うん」

 笑顔が眩しいよ。

 しかし、メイちゃんの戦闘能力は明らかに成長している。僕と離ればなれになったあの時点では、きっとゴアイラス相手に負けはしないまでも、かなりの接戦となったはずだ。

 単純にパワーやスピードといった身体能力、新たに習得した武技の力、強化された質の高い武器、そして何より、メイちゃん自身の戦闘経験が積み重なり……成長、しているんだろう。そして、それは今もまだ、成長中なのだ。

「やっぱり、メイちゃんは頼りになるなぁー」

「私も、小太郎くんの役に立てて嬉しいよ」

 うふふ、あはは、と和やかに談笑している内に、レムがさっさとコアを回収してくれた。

「それにしても、早速、いい材料が手に入ったよ」

 ゴライアスはパワフルな巨躯に加えて、要所には刺々しい甲殻も備えている。コイツをレムの材料にしてやれば、確実な強化が望めるだろう。

 というワケで、製作開始。

 スケルトンレムをそのまま素体として、『六芒星の眼』に二分割されたゴライアスの死体を転がし、あとはジャングルで採取した最後のマンドラゴラをつぎ込む。

「混沌より出で、忌まわしき血と結び、穢れし大地に立て――『汚濁の泥人形』」

 うおっ、や、やっぱり、ゴライアス丸ごと一頭を使って作ると、かなり魔力を持って行かれるな。 でも、休憩はしてるし、道中でもボス戦でも僕の出番は皆無だったから、魔力は満タン。魔力切れで気絶するほどではない。

 堪えろ、あと、もう、少しだ……

「グ、ゴ、ガガルァアアアアーっ!」

 レムの雄たけびと共に、魔法陣からブワっと黒い煙が、演出のように噴き上がる。

「はぁ……できた、完成だ」

 漂う黒煙が晴れて行き、その向こうから大きな人型が現れる。

 うん、大きい……コイツ、デカいぞ!?

「わぁー、レムちゃん、背が伸びたね」

「ガル、グラ、ゴルガララ」

 完成したレムは、僕の身長を遥かに超えて、メイちゃんに迫る背丈と化していた。170センチは確実に超えている。

 しかし、気になる点は他にある。

「おお、筋肉ついてる」

 そう、これまで骨格のみのスケルトン状態がデフォルトだったレムに、筋肉のようなモノがついているのだ。でも、肉がついている方の人体模型のような感じではなく、この筋肉は鉄のように光沢のある灰色で、触ってみると……かなり固い。これは生々しいタンパク質の感触ではなく、完全に金属の手触りだ。細い鋼線を束ねて、筋線維の代わりになっている。

 何故、金属質で伸縮性のある筋肉の役割を果たせているのか……魔力で収縮する仕様なのか? よく分からん。

 そんなレムの鋼の筋肉は、ほぼ全身を覆っていて、特に手足は逞しい。そのシルエットは、最早スケルトンではなく、完全に人と同じだといってよい。

 名残といえば、頭だけは黒髑髏のままで、ゴライアスから受け継いだような角が二本生えている程度。

 鋼鉄の筋肉を全身に纏った、鬼の髑髏顔のレムは、その成長した背丈もあって、かなりの威圧感がある。正直に言って、これまでで一番強そうだ。あと、全体的にサイボーグみたいで、一番カッコいい。レムはゴーレムじゃなくて、ロボを目指す方向性なのだろうか。

「レム、立派になって……僕は嬉しいよ」

「グルル、ガガガ!」

 この鉄の筋肉を持つ新形態は、きっとゴライアス素材を使ったことだけが原因ではないはず。メイちゃんも成長したように、レムもまた成長してるんだ。

 こうして、目に見えて成長が分かるというのは、実に喜ばしい。

 これからは、メイちゃんがいるからゴライアス級の魔物なら幾らでも狩れる。そして、強力な魔物の素材が手に入れば、さらにレムを強化できる。

「よし、それじゃあ、行こうか」

「うん」

 コアを手に転移魔法陣に乗ると、いきなりメイちゃんに背後から襲われた、じゃなくて、抱きつかれた。

「えっ、な、なに?」

「こうしていれば、転移する時も安全だよ」

 ああ、なるほど、そうだよね。明日那の時は勿論、僕はなにかとボスを倒した後に重大なトラブルに直面することが多い。飛んだ先で樋口が待ち構えていたり、アラクネに攫われたり、蒼真悠斗が飛んで来たり……僕にとって最も警戒すべきタイミングが、今なのだろう。

 周囲には他に誰もいない、と侮ってはいけない。いつ何時、敵が乱入してくるか分かったものではないのだから。

「ありがとう。これで、僕も安心だよ」

「うん、絶対に離さないからね」

 本当にありがとう、後頭部が完全におっぱいに埋まるサービスは最高だよ。もう、ずっとこのままでいたい……そんな極楽気分で、僕らは転移の光に包み込まれていった。




 今回は何事もなく無事に転移を果たして、妖精広場に到着する。先客もいない。なんか、クラスメイトがいない方が安心できるって、僕も相当、人間不信になってきたな。まぁ、こんな経験をしていれば、ならない方がおかしいか。

 こういう体験を繰り返していると、信頼できる仲間を得る喜びよりも、邪魔でしかない無能な味方を抱えたり、殺し合いをするほど憎い敵と遭遇する、というストレスの方が大きくなってくる。

 メイちゃんは心の底から信頼できる唯一の仲間だけれど、同じように信頼できる味方が、今後も二人、三人、と増えていく気は全くしない。彼女との信頼関係は、最早、単なる奇跡といってよい。

 メイちゃんには人を一心に信じられるだけの素晴らしい人格があって、なおかつ、僕が命を救ったり、敵と戦えるよう練習したり、一緒にピンチを切り抜けたりと、そういった全ての出来事の積み重ねの果てに、これだけの強い絆が結ばれたのだ。逆にいえば、人格と経験、どちらか一方でも欠ければ、強固な信頼関係は得られない。

 一方、信頼を失うのも、失望するのも、恨むのも、憎むのも、実に簡単なことだ。たった一度、失敗すればそれでいい。

 女子の前でオナニーかませば即刻処刑の汚物扱いになるし、男子は好きな女子が被れば、もう醜く女々しい嫉妬の嵐が巻き起こる。基本的に人間というのは、ネガティブな感情に振り切る方が容易なのだ。信じるよりも、疑う方が簡単お手軽。

 何でも不安だし、何でも恐怖するし、何でも嫉妬する。そういう臆病な本能があるからこそ、人間は原始時代を生き残ってきたんだろうけど。

 ともかく、今はクラスメイトが誰もいない方がいい。

 もし遭遇するならば、味方になっても敵になっても、大丈夫なように万端の準備を整えておきたい。敵に回るなら、単純に戦力を強化していればいい。逆に、味方として仲間に加えるならば、絶対に裏切らないような鎖が必要だ。

 その『鎖』というのは、人によって様々だろう。けど、僕の『魔女の釜』による、食事と風呂、それと蜘蛛糸のベッド、という健康で文化的な最低限度の生活環境は、かなり有効な拘束力だと、すでに判明している。あの、レイナですら、あっさり切り捨てるのに躊躇するほどの魅力がある。甘く優しい現代日本人なら、当たり前だけどね。

 それに、今はメイちゃんという暴力装置もある。天道君並みの力があれば分が悪いけれど、今なら樋口だって迎えいれてもやっていけるだけの自信が持てる。やっぱり最高の安全保障ってのは、武力だよね。

 さて、クラスメイトとの遭遇に備えることも大事だけど、まずはダンジョン攻略が第一。とりあえず、この辺のエリアがどうなっているのか、探索するところから始めるわけだ。

 ボス戦でも消耗しなかったので、小休止だけを経て、僕らは広場を出発した。

「うわ、これはまた、凄いところに出たな」

「わー、これ、街だよね? 私、似たようなの、何かの映画で見たことあるよ」

「それ、文明が滅んだ後の世界で、ゾンビみたいな化け物と戦うやつでしょ」

「そうそう、そんな感じのやつ」

 いわゆる一つの、ポストアポカリプスな街並みが、僕らの眼前に広がっていた。

 見上げるほどに高い天井に、視界いっぱいに広がる大きな街は、ロボットアニメでお馴染みのスペースコロニーの景色のようだ。もっとも、宇宙空間ではなく地下空間だから、ジオフロントと呼ぶのが正解なんだろうけど。

 街の主な建築物は、やはりダンジョンと同じく石造りで、ヨーロッパ風に見えなくもない。だが、マンションのような無骨な箱型の建物が多く立ち並ぶ様は、何の面白みもない日本の住宅街や団地のようにも感じる。

 ざっと見て、高層マンションのように20階建て以上の高いビルもちらほらと建っているし、10階建ての大きな建物もそう珍しくはない。建築物のサイズ感でいえば、現代の日本と遜色ない。

 アストリア王国とかいう、この異世界に現在ある人間の国家が、どの程度の文明度なのかは分からないけれど、少なくともここを作り上げた奴らは、21世紀の地球に匹敵する建築技術を誇っているのは間違いない。こんな広大なジオフロントをこしらえるくらいだから、確実に地球を越えているか。まぁ、この超巨大なダンジョンが存在している時点で、分かっていたことだけど。

 さて、この明らかに人が住んでいたとしか思えない、ダンジョンの地下街なのだが、今は無人だというのは一目瞭然だ。

 建物は崩れかけで、道路は荒れ果て、おまけに太陽の光もないのに、ジャングルで見かけたような木々や植物がそこかしこを侵蝕している。ちょうど、人間が死に絶えて無人となった街が、少しずつ自然の緑に飲み込まれていっている最中、のような感じだ。

 この街からはとっくの昔に人はいなくなり、今は野生の魔物が闊歩する、危険なダンジョンの一部であるに違いない。

 それにしても、こんなに広大な廃墟の街が広がっていると、実に探索し甲斐があると、ワクワクしてくるね。

 それじゃあ早速、この街に何が潜んでいるのか、確かめに行こうじゃないか。

第148話 リトルプリンセス

 あれは確か、俺が幼稚園に入園にしてすぐの頃だった。桜が舞う小さなグラウンドの中を駆け回る園児たち、その中で俺は彼女を見つけた。

 輝くような金色の髪に、澄んだ青色の瞳。初めて見た時、人形が動いているのかと思った。それか、テレビの中から出て来たのかと。それほど、現実離れをしていると感じたのだ。

「なに、見てるんですか、兄さん」

 俺の視界を遮るように、ちょっと不機嫌そうな桜が横から顔を出す。

「なぁ、桜、あの子って外国人ってやつ? 俺、初めて見たよ」

 アメリカ人なのかな、とか、当時は金髪碧眼の人種といえばそれしか名前を知らない俺は、全く無遠慮に勝手な感想を、面白くなさそうな桜を相手に語っていた気がする。

「……アーデルハイドさん、のことですか?」

「アーデ……なに? すっごい長い名前だな」

「レイナ・アーデルハイド・綾瀬、というそうです」

 一度聞いただけでは覚えられないような、長い名前に、流石は外国人だと謎の感心をする俺だった。

「あの子のこと、気になるのですか、兄さん」

「だって凄いじゃん、本物のアメリカ人だよ!」

「ああいうのは、ハーフ、というそうです」

「おお、桜、よく知ってるなー」

「私も、ついこの間、知ったばかりです」

 というのも、隣のクラスにいるレイナ・アーデルハイド・綾瀬について、俺より先に桜の方が色々と聞いていたからだそうな。あの容姿で、目立たないはずがない……という以上に、彼女が噂となる別の理由があった。

「あまり、近づかない方がいいですよ」

「えっ、なんで?」

「見て分かりませんか」

 再びレイナへ視線を向ければ、彼女の周りには沢山の園児が集まって、何やら物凄い盛り上がりを見せている。

「大人気だな!」

「いえ、男の子ばかり、集まっているでしょう」

 言われてみれば、確かに、レイナの周りには水色のスモックを着た男子しかいないようだ。ピンク色の女子は、それを遠巻きに眺めていて、あまり面白くなさそうな顔をしている。

「なんでだ?」

「さぁ、どうしてでしょうね」

「たまたまじゃないのか?」

「そうだと、いいのですけれど――そんなことより、兄さん、早く探検に行きましょうよ」

「おおっ、そうだ! よーっし、行くぞ桜! どんなモンスターが現れても、俺が倒してやるからな!」

「はい、兄さん」

 その辺で拾った木の枝を愛剣として、まだほとんど見知らぬ幼稚園の敷地内への探検に、俺は張り切って出発した。

 そうして、レイナのことはそれ以上、気にすることもなかった。毎日、桜と、同じハト組の友達と一緒に遊ぶことに夢中で、関わりのない隣のクラスの子のことなど、全く思い出すことすらなくなる――はずだった。

「うわぁーん、ああぁーっ!」

 と、グラウンドの片隅で大泣きしているのは、ハト組の友人達だ。

「ここはレイナちゃんの城だから、お前らは入っちゃダメなんだからな!」

 怒鳴り声を上げて、友達を泣かせている奴は、いいや、奴ら、というべきだった。何人もズラズラと立ち並んで、凄んでいる。

 城、というのは、ちょうど春先に完成したばかりの新しい遊具のことだ。公園に置いてある大きなアスレチック遊具のようなもので、ファンタジックな城をモチーフにしたデザイン。一番高い場所には、尖った屋根がついていて、長い滑り台が伸びている。

 園児の誰もが、この滑り台を滑ってみたくて堪らなかった。けれど、設置して以来、まだ誰もこれを滑ってはいない。

 何故か。城の天辺には、いつもレイナがいるからだ。

 不思議と、彼女は滑り台を滑ることなく、そこに居続ける。そして、彼女を押し退けて、滑り台を滑る者は誰もいなかった。レイナの周囲に常にいる、同じ組の男児達が決してそれを許さない。まるで、お姫様を守る騎士のように。

 彼らのあまりの気迫に、他の園児たちは気圧されて手出しはできなかった。年長組でさえ、近寄らせなかったのだから、相当なものだろう。

 だが、ハト組の友人達もとうとう我慢ができずに城に突撃した結果、レイナの騎士によってあえなく撃退。

 こっちは高々数人。対して、向こうは本当に組の男児全員が揃っているような人数である。勝てる道理はどこにもなかった。

「いい加減にしなさい! そんな勝手なことは許しませんよ!」

 しかし、友達全員が泣き出している中、一人だけ毅然と叫ぶ園児の姿が……案の定、桜であった。アイツは小さい頃から、気が強かったからな。

「う、うるせー、ここはレイナちゃんのなんだよ!」

「ハト組の奴らは帰れ!」

「帰れ! 帰れ!」

 十数人もの相手から、悪意の籠った帰れコールを浴びせられ、流石の桜も、今にも泣き出しそうになっていた。

 そんな時に、ようやく俺は城の前に駆けつけた。

 友達がみんな泣かされ、桜も泣きそうで。そして、それをした奴らは、みんなに謝るでもなく、勝ち誇ったように嘲笑っている。幼心に、正義を燃やすには、それだけで十分だった。

「やめろ! 桜をいじめるなっ!」

「兄さん!」

 すかさず割って入り、桜を庇うように立ちはだかる。

「なんだよお前」

「コイツもハト組だろ」

「あっち行けよ、滑り台は使わせねーぞ」

 彼らの勝手な言い分に、俺の怒りもどんどん高まっていく。

「ふざけるな! ここはみんなのモノなんだぞ、勝手に独り占めするのは、悪いことだ!」

「うるせー、ここはレイナちゃんの城なんだ!」

「そうだそうだ、俺達が守ってんだぞ!」

「絶対、他の奴らには使わせねぇからなっ!」

 子供らしい暴論、けれど、彼らの気持ちは頑なで、そして、俺達の我慢や悲しみは本物なのだ。

 敵意をむき出しに怒鳴り散らす彼らのことが許せない。けれど、一番許せないのは、ただ一人、城の上に立ち続けるレイナだ。

 彼女のために、組の男児は無茶を始めた。そして、他のみんなは困っている。たった一人のワガママで、幼稚園の園児全員を振り回している――だというのに、レイナは足元で繰り広げられている大喧嘩になどまるで気づいていないかのように、ただ城の高みから、ぼんやりと遠くを眺めているだけだった。

 その姿に、俺は何よりも彼女が許せないと思った。まるで他人を省みないその姿は、さながら、当時やっていた特撮ヒーローに登場する、悪の組織の首領のような冷酷さを感じたからだろう。こうして、大勢の手下を従えている姿もよく似ている。

 だから、理不尽を強いる彼女を倒そうと、俺は思った。

「このヤローっ! さっさと帰れよコラぁ! 死ねぇーっ!」

 一歩も引かずに吠える俺に対して、とうとう痺れを切らしたのか、先頭に立つ男児が手を出した。

 右の拳を握り、大きく振りかぶる。いくら幼稚園児といえども、それは人を殴るという明確な暴力の行使。

 だが、すでに爺さんによる修行が始まっていた俺にとって、それは全く恐れるには足りない、あまりに稚拙な力だった。

「やあっ!」

 向かってきた男児に対し、俺がとった行動はタックルだ。相手はあの頃の俺よりは大きな身長をしていたが、所詮は幼稚園児。まだまだ頭が大きく、手足は短い幼児体型で、立った状態ではバランスが悪い。子供が転びやすい理由の一つである。

 そんな園児を相手に、俺はしっかりと腰を落として、肩からぶつかる。タックルの威力はそれほどでもない、けれど、幼稚園児を転ばせるには十分すぎるパワーだった。

「んぁあああーっ! いーたぁーいーっ!」

 俺のタックルによって弾き飛ばされた男児は、転ぶなり盛大に泣き出した。転倒のショックに、手足が擦り剥き負傷もしている。この状態で喧嘩を続けられるガッツのある幼稚園児などいないだろう。

「おい、お前なにやってんだよ!」

「なに泣かしてんだ!」

 俄かに殺気立つ、と言うほど鋭くはないが、騎士の園児達は仲間がやられたことで騒ぎ出す。痛い、痛い、と激しく泣き叫ぶ犠牲者がいるせいで、すぐに全員で襲い掛かってくる動きはないものの、ふとしたキッカケで攻撃に転じるか分からない、微妙な状況だ。

 いくら俺でも、十人以上の相手に同時に襲われればどうしようもない。だから、先手を打つ。

「どけ! 滑り台は、みんなに返してもらうぞっ!」

 もう後には退かないという覚悟を決めて、俺は近くにいた男児を突き飛ばす。拳は使わない、未熟な手でパンチをすれば、かえって手を痛める危険がある。

 相手は幼稚園児、ちょっと転ばせればすぐに泣いて無力化できる。あっという間に、三人ほど地面に転がしてやった。

「うわっ、コイツ、強ぇぞ!」

「やべー、強ぇ」

 次々と仲間を倒されたことで、他の男児は明らかに二の足を踏んでいる。最早、俺という敵に対して、怒りよりも、恐れの方が勝っている。こうなれば、相手の数は怖くない。

「おい、テメー、よくもやりやがったなぁ」

「くふふ、コイツ、殺しちゃうよー」

 そこで、城から二人の男児が降りてきた。

 一人は、もう小学生かと思うようなデカい奴。もう一人は、ズル賢そうな嫌な顔をした奴で、ソイツの手にはヒュンヒュンと音を立てて回される、縄跳びがあった。

 幼稚園一の巨漢に、喧嘩に武器を持ち出す卑劣漢。しかし、その力は園児としては最大級であろう。普通なら、まず勝てない。俺も、ちょっと泣きそうになった。

「兄さん、頑張って! 兄さんは負けない、みんなのために、必ず勝ちます!」

 けれど、桜の声援が俺の情けない背中を押してくれた。そうだ、俺は妹のためにも、みんなのためにも、ここで負けるわけにはいない! なんて、子供のくせに使命感なんて燃やしていたりしたものだ。

「相手になってやる、さぁ、かかってこい!」

「うるせぇ、死ねーっ!」

 まず、襲ってきたのはデカい方。俺よりも頭一つ分は大きい彼は、もの凄い迫力で突進してくる。流石に体格差、体重差が大きすぎて、真正面からタックルしても押し負けそうだ。

 だから、ギリギリまで引きつける。衝突まで、あと三歩、二歩、一歩……

「ふっ!」

 右に飛ぶ、と見せかけて、左に動くフェイント混じりのステップを踏んで、突進を回避。そのまま、奴の後ろに回り込む。

「はあっ!」

 振り向くよりも早く、俺は彼のひざの裏に蹴りを叩きこむ。乱暴な膝カックンのような一撃は、見事にデカブツの膝を折ってみせた。

「うわぁっ!?」

 体勢を崩したその隙に、さらに彼の大きな背中に渾身のタックルをかます。奴はそのまま、受け身もとれず、顔面から地面にぶっ倒された。

 耳をつんざく、大きな泣き声を聞きながら、俺はすかさず、なわとび装備の野郎へと向く。

「へへっ、どうした、来なよ。怖いのか? あー?」

 デカい相棒がやられたというのに、なわとび野郎は余裕の表情だった。それほど、武器に対する信頼があるのか、あるいは自信か。

 頭の上で、思い切りブンブンなわとびを回している彼は、言うだけあって、こうして武器として使うことに慣れているように感じた。ああやって、何人も泣かせてきたのだろうか。

 所詮はただのなわとび。鎖鎌のように、鋭い刃も、重い分銅もなく、くっついているのはプラスチックの持ち手だけ。けれど、思い切り振り回したまま体に当たれば、堪らず泣き出してしまうだけの痛みを与えるには十分な威力を持つ。

 恐らく、一発勝負。リーチは圧倒的に向こうの方が長い。必要なのは、パワーでもスピードでもなく、相手の間合いに飛び込む勇気。

「行くぞっ!」

 鋭い掛け声とは裏腹に、俺は慎重に歩を進めた。だが、その姿は相手からすると、ビビって及び腰になっているだけの、実に狙いやすい的に見えたことだろう。

「そりゃっ、喰らえぇーっ!」

 凄い速さで飛んでくるなわとび。薙ぎ払うように弧を描いて、プラスチックの握りが俺に向かって飛んでくるのを、確かに目で捉える。予測通りの軌道に、まだ目で追える程度の攻撃速度。

 ここだ、と確信をもって、俺は身をかがめながら、軽く手を上げた。

 掲げた俺の右手に、なわとびのやわらかいビニール製の縄が引っかかる。瞬間、薙ぎ払われたなわとびの軌道は変わる。俺の手を起点として、半分に折りたたまれる様に、速度の乗った先端は戻って行く。そう、なわとび使いの彼に向かって。

「ひぎゃあああっ!」

 割と悲痛な叫びを上げて、自分で投げたなわとびが、顔面にヒットしていた。うわ、痛そう、とちょっと同情したが、こんな無慈悲な攻撃をけしかけてきたのだから、自業自得ということだろう。武器を使う危険性というのを、きっと彼は学んだはずだ。

「俺の勝ちだ! まだ、他に相手になる奴がいるなら、かかってこい!」

 大泣きに泣くデカブツとなわとび使いを背後に、高らかに叫ぶ。それに応える奴は、もう一人もいなかった。

 全ての敵を排除し、ついに俺は城へと登る。

 この城は彼らが占領していたせいで、滑り台どころか、近づくことすらままならなかった。だから、斜めに張られた縄の網を登るだけで、ちょっと楽しかった。

 そうして、すぐに滑り台の最上階まで登り詰める。城といってもただの遊具、登ればあっという間だ。

「……だぁれ?」

 そこで初めて、レイナは俺の方を向いた。

 真っ直ぐ向けられた青い瞳は、吸いこまれそうなほど綺麗で、一瞬、見惚れてしまったのは桜には内緒だ。今でも内緒だ。

「そこを降りろ。みんな、滑り台を使いたがっているんだ」

 どんなに可愛くても、コイツは悪の親玉だ。俺はそう気を取り直して、毅然と言い放つ。

「すべりだい?」

「そうだ、お前がさっさと滑らないから、みんな待たされているんだぞ」

 レイナがここを滑り終えれば、ようやく順番が回り始める。いくら悪い奴とはいえ、この高さから蹴り落としてやろうというほど、野蛮なことは考えなかった。

「……いや」

「な、なんで!」

「こわい。すべるの、こわい」

 ギュっと目をつぶって、本当に怖がってそうな表情を浮かべる彼女に、俺は困惑した。

「じゃあ、何でここにいるんだよ」

「ここ好き。サクラ、きれい」

 そこで初めて俺は気付いた。レイナは滑り台を占領しているのではなく、ただ、ここからグラウンドに生える桜並木を眺めていただけなのだと。

 絶景、というほどではない。けれど、小さな子供が下から眺めるよりは、ずっと高い視点で眺められるここは、幼稚園児だからこそ魅力的に感じる風景なのかもしれなかった。

「そうか……お前が、滑り台を意地悪して止めていたんじゃないんだな」

「うん、とめてない。そんなの、しらない」

 ということは、ここでレイナが並木桜を眺めているだけだったのを、他の奴らが勝手に勘違いして、城を占領し続けていたというだけなのか。

 何で、誰も気づかなかった。どうしてこうなった。

 レイナは何も悪くなかった。なのに、他の奴らが勝手に「彼女のため」と言って事を大きくして、みんなに迷惑をかけて、挙句の果てに、こんな大喧嘩だ。

「はぁ……バカじゃないのか……」

 レイナの城、とあれだけ騒いでいた彼らの気持ちが、俺には欠片も理解できなかった。少なくとも、まだ幼稚園児の俺に察しろというのは、酷な話だったかもしれない。

 けれど、城の上に立つレイナを見て、勝手に悪いボス認定した俺も、彼らのことは決して馬鹿にできないだろう。

「でも、良かった。お前が悪い奴じゃなくて」

 そう、本当に良かった。俺はやっと、レイナも同じ子供なのだと理解できたから。

 きっと、あまりに異質で、あまりに綺麗な、金髪碧眼の容姿のせいで、みんなが彼女の気持ちに気づかない。本当は、妹の桜と何も変わらない、ただの女の子なのだ。

「それじゃあ、滑り台は俺が滑るからな」

「うん」

 レイナが桜並木を鑑賞しているだけなら、好きにすればいい。俺が滑れば、後に続いてみんなも滑れるようになる。ここにレイナが立っていようがいまいが、もう関係はない。

 いざ、凱旋。俺は城の滑り台の初使用者として、ちょっと誇らしげに思いながら、身を乗り出した。

「……すべるの」

 しかし、何故かレイナが凝視していて、気持ちよく滑り出せなかった。

「滑るよ」

「こわくないの?」

「全然、すっごい楽しいよ」

 少なくとも、近所の公園にはない高さと長さを誇る、なかなか立派なお城滑り台である。自然と期待値も高まる。

「なんだよ、やっぱりお前も滑りたいのか」

「でも……こわい」

「でも滑りたいんだろ?」

「……うん」

 どうやら、レイナはいざ他人が滑り台に挑戦するところを見ると、俄然、興味が湧いてしまったようだ。別に、滑りたいなら滑ればいい。だが、こんなところまで登っておいて、滑るのは怖いってのは、難儀な話である。

 俺としては、滑り台に二の足を踏む彼女を放って、さっさと滑っても良かったのだが……何となく、放っておくのは躊躇われた。彼女は悪い子じゃない、ただ少しだけ見た目が違うだけの、普通の子。なら、普通に友達にだってなれるだろう。

「じゃあ、一緒に滑るか?」

「うん!」

 初めて見たレイナの笑顔は、とても眩しかった。

 彼女を前に、俺が後ろから抱え込むように座り、ようやく城を飛び出した。高く、長い、お城の滑り台は、けれど、滑ってみればあっという間だった。

「ねぇ、あなたのお名前は?」

 滑り終わったレイナは、俺を真っ直ぐに見つめて、そう問いかけた。

 ああ、そういえば、名前も名乗っていなかった、と俺は今更ながらに気づかされる。一方的に相手の名前を知っていて、向こうは知らない、というのはフェアじゃない、と子供心にも思った。

 だから、快く答える。

「俺は悠斗、蒼真悠斗だ!」

「ゆうと……じゃあ、ユウくんだ!」

 嬉しそうに「ユウくん」と叫んで、思いっきり抱き着いてきたレイナ。あまりの不意打ちに、俺は彼女を抱きとめることもできず、バランスを崩して後ろ向きに倒れ――ガンっ!

「うっ、あ、あぁ……」

 痛烈に後頭部を滑り台に打った俺が、さっき泣かせた彼らを上回る勢いで泣き出したのは、言うまでもないだろう。まさか、最後の最後でレイナにやられるとは思わなかった。

 何とも締まらないオチがついたけれど……これが、俺とレイナの出会いだった。

第149話 暗黒街

「んっ……」

 なんだか、懐かしい夢を見ていた気がする。無邪気に遊びまわっていた、幼い子供の頃のような……

 夢見は悪くなかったはずなのに、いざ目を覚ますと、酷く体が怠かった。睡眠時間もちゃんと確保しているはずなのだが、どうにも疲労がとれた気がしない。

 いや、分かっている、疲れているのは体ではなく、心の方だということは。

「起きたのね、悠斗君」

「ああ」

「酷い顔色よ。かなり具合が悪いんじゃないの?」

「大丈夫だよ、委員長。顔を洗ってくる」

 起き抜けで最初に会ったのが、委員長で良かった。心配の言葉こそかけてくれるが、それ以上は突っ込まない。ありがとう、今はまだ、俺のことは放っておいてほしい。

 ひとまず、委員長に言った様に顔を洗う。よく冷えた噴水の水ではなく、生ぬるい井戸の水が半端に眠気をぬぐう。

 ここは妖精広場ではなく、レンガ造りの建物の廃墟である。

 現在、俺達は新しいエリアの攻略を始めた。運悪く、あるいは難易度が上がっているのか、初日の探索で妖精広場を見つけることができなかった。仕方なく、順番に見張りを立てて、適当な場所で野宿をすることとなったのだ。

 見張りは平等にくじ引きで決めた。委員長の次が俺で、最後でもある。時刻は午前3時。せめて、みんなが起床する時間までには、ちゃんとしよう。

「……」

 そう思うものの、いざ一人でジっとしていると、堂々巡りの思考が始まる。何故、どうして……レイナは死ななければいけなかった。

 血の海に倒れる彼女と、傍らに立つ、血塗れのナイフを握る桃川。あの光景が、俺の目に焼き付いて離れない。

 悪魔のような男だ。レイナを殺し、あまつさえ、その死体を操り人質とした。

 あれで見逃した俺は馬鹿だ。目くらましの白い霧が晴れてから、俺達はすぐにアイツの後を追った。けれど、見つからなかった。桃川と、共に逃げた双葉さんの二人も、そして、レイナの死体も。

 俺は彼女の死を、弔うことすらできず、みすみす仇を逃すだけの結果に終わってしまったのだ。

 もっと他に、上手くやりようがあったはずだろう……いや、違う、どうして俺は、間に合わなかったんだ。レイナを、助けられなかったんだよ……

「くそ、俺のせいだ……俺が弱いから、レイナを守ることができなかった」

 レイナを殺した桃川のことは許せない。けれど、俺が一番許せないのは、彼女を守れなかった自分自身だった。

 このダンジョンに落とされてからずっと、自分ではベストを尽くしてきたつもりだ。人間離れした身体能力も当たり前になってきたし、魔法やら武技やら、超常の能力も身に着けた。何より、魔物との戦いという、日本では絶対にできない本物の実戦経験をすることで、俺の戦闘能力は自分でもまだ限界が見えないほど上がり続けている。

 天職『勇者』を得て、ここまで戦い続けた俺は強い。前よりも、昨日よりも、確実に強くなっている――けれど、足りなかった。レイナを守るには、まるで足りなかったんだ。

 何がベストを尽くしたつもり、だ。所詮は「つもり」に過ぎず、結果が出なければ何の意味もない。

 俺はすでに、親友だった弘樹を失っているというのに……俺は、もっと死にもの狂いで強さを求めるべきではなかったのか。桜や委員長、頼れる仲間と共に戦うなどと言わず、全員、俺が一人で守り切るくらいの覚悟を決めなければいけなかったんじゃないのか。

 俺は甘かった。

 その甘さが、きっと、双葉さんに負担をかけることにもなっていた。四本腕のゴグマをはじめ、彼女の力に頼って勝利を拾った戦いは何度もあった。

 しかし、『勇者』の俺と肩を並べて戦える『狂戦士』は、今は敵となってしまった。

 俺には、双葉さんが何を考えているのか分からない。桃川に命を救ってもらった恩がある、という話は聞いている。

 そのたった一つの義理だけで、レイナを殺した罪を犯した桃川を、あそこまで庇えるものなのか。桜が言うように、桃川の呪術で心を操られているのか。あるいは、誰も知らない、もっと深い事情や、大きな秘密があるのか――俺には分からない。でも重要なのは、彼女が桃川の味方になる理由じゃない。

 分かっている、桃川がレイナを殺したのは、偶然のようなもの。最悪と呼べるほどの、めぐり合わせに過ぎないのだと。

 死と隣り合わせのダンジョン攻略。俺や桜と違って、レイナには何の武術の心得もなければ、サバイバル技術もなく、勿論、過酷な環境に耐えきれる強靭な精神力なんてものもない。

 だって、彼女は普通の女の子だから。レイナは、初めて出会った幼稚園の頃から、何も変わらず、ただ純粋無垢な少女なのだ。

 この場所は、そんなレイナにとってあまりに酷だ。ダンジョンに跳梁跋扈する無数の魔物、あるいは、脱出枠をかけたクラスメイト。誰が、レイナを死に追いやってもおかしくなかった。

 結果的に、桃川がそうなっただけのこと。正当防衛などと叫んでいたが、あれは言い訳などではなく、本人は本気でそう思っているのかもしれない。

 いくらなんでも桃川が平和な学園生活の頃から、レイナを殺したかった狂人だったとは考えられない。桃川だって、殺したくて、殺したワケじゃない、そう思いたい。

 だから、俺がレイナを守らなければいけなかった。獲物を喰らう本能で襲い掛かる魔物から、狡猾に命を狙うクラスメイトから、そして、桃川のように理由があると叫んで人を刺すような奴からも――どんな奴らが相手でも、俺が傍にいれば、レイナを守れたのに!

「ちくしょう……どうして、俺は間に合わなかったんだ……」

 結局、何をどう考えても、そんな後悔に行きつく。

 今更、どれだけ悔もうと、どんなに涙を流しても、時間は戻らないし、レイナは生き返らない。ただの後悔に、何の意味もない。

 いつまでも悔やんではいられない。そんなことは分かっている。分かっているけれど、そう思わずにはいられないから、後悔なのだろう。

「兄さん」

 不意に呼ばれ、俺はハっと顔をあげる。そして、まだ人に見せられるような顔色をしていないだろうことを思い出し、不自然なまでに、顔を背けてしまった。

「な、なんだ、桜……まだ、起きるには少し早いんじゃないのか」

「レイナのこと、悔いているのですね」

「当たり前だろ」

 言ってから、棘のある台詞だったと気付く。妹に対して、この物言い。どうしようもなく、情けないな、俺は。

「……心配するな。ダンジョン攻略はまだ続くし、このエリアの敵はなかなか強い。油断しないよう、気を引き締めて――」

「いいんです、兄さん。私の前では、無理をしないで」

 俺の隣に腰を下ろし、そっと身を寄せて桜が言う。

「別に、無理なんて」

「していますよ。だって、みんなにも、私にも、泣き言一つ言わない、言ってくれないではないですか」

 言えるわけがないだろう。俺も男だ、いや、それ以前に、こんな状況で俺が取り乱せばみんなも不安になる。ダンジョン攻略は終わってないし、レイナの死を嘆き悲しむ暇もない。

「兄さんの気持ちは、よく分かりますし、とても立派な心構えだと思います。けれど、少しくらい、私を頼ってくれても、甘えてくれてもいいでしょう……今の兄さんを見ているのは、私、とても辛いです」

「桜……すまない、心配をかけて」

 そうか、そうだよな。俺の気持ちも意地も、桜には全てお見通しだ。彼女は俺の妹で、ずっと一緒に育ってきた仲である。

「お願いですから、何でも一人で背負いこまないでください。ただ、兄さんに守られるだけでは嫌なんです。私を頼って、必ず力になります。『聖女』として、私はもっと強くなりますから」

「ああ、そうだな。強くなろう。今の俺達にできることは、それしかない」

 俺に力がないばかりに、レイナを失ってしまった。

 けれど、俺にはまだ、守らなければならない人がいる。桜も、みんなも、俺が守る。そして、みんなを守るためには、力がいる。もっと、誰にも負けない力――本当の『勇者』の力だ。

「はい、兄さん。必ず、みんなで生き残りましょう」

「ああ、もう絶対に、誰も死なせない」

 レイナの死を受け入れられたワケではない。悲しみも、悔いも、何もかも忘れることはできない。

 それでも俺は、目の前にいる大切な人を守るために進み続けなければいけないんだ。俺にはまだ、桜がいる。両親に、必ず守ると誓った、誰よりも大切な妹が。

 だから、行こう。必ずこのダンジョンを攻略し、全員で日本に帰る方法を見つけ出すんだ。




 俺達が進むここは、薄暗い廃墟の街だ。石と鉄で作られた精緻な建造物が立ち並ぶ、ヨーロッパの観光地にでもなりそうな、瀟洒な造りの街並み。

 あまり荒れ果てた様子はなく、崩れた建物も少ない。だが、人気は皆無で、生活感というものは欠片も感じられない。

 ここに漂うのは、淀んだ空気と、どこからともなく漂う血臭。そして、人ならざる者の呻き声だ。

「――っ! 狼男だよっ!」

 先頭を進む『盗賊』の夏川さんが、鋭い声を上げる。

 同時に、ウォオオーン! と響き渡る獰猛な咆哮と、鋭い殺気が迸る。すでに、向こうもこちら側に気づき、戦闘態勢に入っていた。

「明日那、後ろは頼む」

「任せろ」

 挟撃を警戒し、明日那を後衛に残して、俺が前へと出る。

 夏川さんの叫びから3秒もせずに彼女と肩を並べたが、狼男の襲撃も迅速であった。狂気を宿す赤い目をギラつかせて、血に飢えた獣がもう目前にまで迫っていた。

 狼男は、その名の通り、狼のような獰猛な獣の頭を持つ人型の魔物だ。全身、黒い毛皮に覆われており、筋骨隆々の逞しい男の体型を誇る。

 元々は人であったかのように、ほとんど何かしらの衣服を身につけている。いたるところが破れ、裂け、衣類としての体を成さないほどボロボロになってはいるが。中には、鎧の一部を纏った奴もいる。

 目の前にいるコイツは、破れて半分になったズボンに、千切れかけのベストを着た、よくある出で立ちをしている。

「ウォオガァアアアッ!」

 ただ真っ直ぐ飛び掛かってくるだけなら、これまでの魔物と変わりはない。

 しかし、この狼男はただ己の牙と爪を頼りに襲ってくるだけの単なる獣ではなく、その手に武器を握り、そして、それを十全に活かした隙のない立ち回りをする強敵だ。

 強さとしては、リビングアーマーと同格といったところだろうか。鎧兜を纏うだけあって、防御力はリビングアーマーの方が上だが、狼男はその分、スピードに優れる。強靭な脚力は速く走り、高く跳び、壁を蹴って三次元的な機動で獲物へと襲い掛かってくる。

 そんな奴らが徒党を組んで、しかも、結構な頻度で遭遇するのだ。ダンジョン攻略の難易度は、ここに来てさらなる上昇を見せている。

「二体……いや、三体か。夏川さん、俺に任せてくれないか」

「えっ、でも」

「俺は大丈夫だから。それより、他に隠れ潜んでる奴が出てこないか、警戒していてくれ」

「うん、分かったよ!」

 現れる魔物は強くなっている。しかし、ここまで進んできた俺達だって、強くなっているんだ。

 そして俺は、俺だけは、みんなよりもさらに、今よりももっと強くならなければいけない。俺は『勇者』だから。みんなを守る使命がある。もう、誰も、失いたくない。

「――『一閃スラッシュ』」

 昂ぶる心とは裏腹に、剣を振るう動作は、静かに、それでいて素早く、正確に。

 剣の武技『一閃スラッシュ』は最初に習得した基本的な技だが、だからこその使いやすさがある。しっかりと相手の動きを見極め、かつ、それについていけるだけの体があれば、真正面から『一閃スラッシュ』を叩き込み、一刀両断できる。

「ウォアアッ!」

 飛び掛かって来た狼男は、左右に断ち切られて地に伏せる。少しばかり切ったり突いたりした程度では、怯みもしないタフな狼男だが、バッサリと体を両断されれば即死は免れない。

 一体目を一撃で処理し、次の攻撃へ俺は備える。

「フシュゥ……ヴロロロロォアアアッ!」

 次に道路を駆けてきたのは、上半身が筋肉で肥大化し、丸太のような両腕で大きなハンマーを握りしめた、見るからに力自慢な狼男だ。

 鼻息荒く突進してくる奴と同時に、俺は傍らに建つ民家の屋根の上から、別の奴が奇襲をかけてきたことにも気づいている。

「グルァアアッ!」

 赤い三角屋根の上から降って来るのは、槍を持った細身の狼男。ハンマーとはコンビを組んでいるのか、それとも偶然なのか、結果的には派手に目を引きつけるハンマーを陽動として、槍持ちは相手の不意をついて襲えるような格好となっている。

 どちらか一方に対処すれば、もう一方にやられる。つまり、二体同時に倒さなければいけない。

光りの聖剣クロスカリバー』を一振りすれば、狼男くらいならまとめて消し飛ばせるのだが、それではいけない。ただ生き残るためだけの戦いをしているようではダメだ。強くなるためには、魔物との実戦も貴重な修行と捉え、己の技を磨く機会として利用させてもらう。

 後先考えずに、強力な『勇者』の力を振りかざすだけでは、更なる成長は望めない。

 だから、ここは自分の持てる武器と技だけで対処する。

「『剛力フォルス・ブースト』」

 鎧熊を倒して得た、腕力を強化する魔法を発動させると同時に、俺はもう一本、別な剣を鞘から抜く。ただし、その鞘は物理的には存在しない、見えざる鞘である。


『ソードストレージ』:武器を呼び出す、光の空間魔法ディメンション


 俺の左手に、俄かに青白く輝く魔法陣が浮かび上がる。そして、己の欲する剣をイメージ。

「『ソードストレージ』、セレクト、『蒼雷の剣』」

 ゴグマとの戦いを経て習得した『ソードストレージ』は、何もないところから武器を取り出す、割ととんでもない魔法だ。

 説明を読むに、こういった類の効果は空間魔法ディメンションと呼ばれる魔法らしい。俺の『ソードストレージ』はあらゆるモノを、無限に詰め込める、という効果ではなく、刃のついた武器だけを、一定のサイズで一定量を魔法陣に収納できるというものだ。

 ソード、と名はつくものの、槍でも斧でも入れることはできるし、ゴーマが振り回す粗末な木の棍棒も入れることはできた。収納する武器の制約は、わりと緩いようだ。この緩さを利用して、非常用の『ポーション』なんかも入れてあるが、基本的には説明にある通りの使い方をしている。

 そして、俺が『ソードストレージ』の魔法陣から抜いたのは、雷の力を宿す『蒼雷の剣』である。ゴーマのピラミッド城に挑む前に、小鳥遊さんが錬成してくれた魔法剣だ。

「『飛雷槍ライン・クリスサギタ』っ!」

 片刃の刀身を持つ『蒼雷の剣』を、突きを放つようなモーションで、頭上から槍を繰り出す狼男を撃つ。

 剣と槍では、リーチの長い槍の方が有利である。その差を覆すには、素手で剣に対抗するための実力差を現す『剣道三倍段』と同じくらいの力量を求められる。

 だが、剣そのものが槍を上回るリーチを持ち得るならば、三倍以上の実力差は必要としない。もっと簡単に、素早く確実に、槍を持った敵を倒すことができるのだ。

 だから、同時攻撃を仕掛けられた俺がとった対応が、『蒼雷の剣』で雷魔法を撃ち、槍持ちのアウトレンジから撃ち殺す、ことである。

 俺が放った雷魔法『飛雷槍ライン・クリスサギタ』は、バリバリと雷鳴を轟かせる、青く輝く雷撃と化して、頭上の狼男を貫いてみせた。

「ギョォアッ!」

 真っ黒い毛を逆立たせて、痛烈な雷撃に焼かれて槍の狼男があえなく落下していくのを視界の端に捉えながら、ちょうど俺の目の前で大きな鋼鉄のハンマーを振りかぶる狼男へと剣を振るう。

「グルルッ、ヴォアアアッ!」

「ハアッ!」

 狼男の巨漢が振るうハンマーと、俺が右手一本で薙ぎ払う剣が、真っ向から衝突する。

 結果、弾き飛ばされたのは明らかにパワーと重量に勝る、狼男の方だ。

 やはり、あらかじめ『剛力フォルス・ブースト』をかけておいて良かった。素のパワーだけだったら、普通にこちらが押し負けていたぞ。

 俺は蒼真流の剣士としても、『勇者』としても、力押しで戦うパワーファイターではないのだが、常に正々堂々の一対一というルールに守られた戦いができないダンジョン攻略では、単純なパワーを要する場面も出てくるだろう。魔物は群れを成す奴は多いし、味方を守るためにどうしても攻撃を避けるわけにはいかない、なんて状況も想定される。

 このハンマー狼男のようなパワータイプな敵と戦うなら、普通だったらこっちの素早さを生かして立ち回るが、今回はあえて自分のパワーがどこまで通じるか、という実験の意味も込めて、正面から受けて立ったのだ。

剛力フォルス・ブースト』一つで、これだけ筋力が上昇するなら、桜を含めて他の強化魔法を受ければ、更なる恩恵が望めるだろう。

 けれど、人間サイズを遥かに超えた大型の魔物も、ボスを筆頭に存在する。やはり、ただの人間に過ぎない俺が、パワーだけを頼りに戦うのは危険だろうな。

 そんなことを考えながら、俺は右手にした『聖騎士の名剣』と左手の『蒼雷の剣』、合わせて二刀流でもって、力負けして大きく体勢を崩していたハンマー狼男へ、トドメの連撃を叩きこむ。

蒼雷双烈ボルテック・ブレイザー

 二刀流による連撃武技『双烈ブレイザー』は、俺が『蒼雷の剣』を使って繰り出せば、その刀身から発せられる青い雷が、相方の剣にも移り、雷属性の威力も加わった『蒼雷双烈ボルテック・ブレイザー』へと派生する。

 これで、炎を宿す魔法剣『蒼炎の剣』を使えば、『蒼炎双烈バーニング・ブレイザー』になる。魔法による属性が付与されることで、発動する武技にも変化が起こるということだ。

 もっとも、実戦においては狙って発動させるというよりも、戦況に応じて持っている武器の組み合わせで、たまたま発動するという方が多いと思うが。今回も、槍持ちを倒すのに『蒼雷の剣』が有効だと判断した結果、この二刀流になったに過ぎない。

 ともかく、大きな隙を晒した狼男を倒すのには、普通の『双烈ブレイザー』でも十分な威力を誇っている。これに雷撃の力まで加われば、全ての斬撃を叩きこむのを待たずとも、死に至ってしまう。

 ブスブスと黒焦げになった狼男のバラバラ死体を前に、少しばかりオーバーキルになってしまったと反省する。人道的な配慮ではなく、過剰な威力の攻撃は、その分だけ余計な力を消耗することになる。ダンジョンに居る限り、魔物との戦いはずっと続く。出来る限り消耗を抑えながら戦い続ける、というのもダンジョン攻略においては重要な要素であろう。

「よし、これで全部片付いたな。夏川さん、他に敵はいそう?」

「……ううん、大丈夫だよ。もう近くに敵はいないみたい」

 耳を澄ませて、より広い範囲で敵の気配を探っていた夏川さんが報告してくれる。場合によっては、戦いの音にひかれて、仲間が集まって来たり、別な魔物が寄って来たり、ということもあるからな。

 なんだかんだで、『盗賊』として広い索敵力を持つ夏川さんの能力には、非常に助けられている。

「蒼真君、ゴメンね、一人だけに任せちゃって」

「いや、俺が自分で言いだしたことだから。気にしないでくれよ」

「うん……でも、わ、私も、蒼真君の力になりた――」

「兄さん、早く進みましょう。今日こそは妖精広場を見つけておきたいですし」

 不意に背後からかけられた桜の声で、両拳を握りしめた気合いの入ったポーズで何か言おうとしていた夏川さんの発言が遮られた。一人で戦ったのは俺の勝手だし、本当に、気にしなくてもいいのに。真面目だよな、夏川さん。

「ああ、そうだな。それじゃあ夏川さん、行こうか」

「う、うん、そうだね、はぁ……」

 何故か残念そうな表情で項垂れる夏川さんを先頭に、再び暗い街を進み始めた。夏川さん、もし疲れているのなら、俺、交代するけど……ホントに大丈夫?

白嶺学園二年七組出席簿 4

白嶺学園二年七組・出席簿・四十一名


 男子・二十二名


出席番号1番 死亡  東真一アヅマ シンイチ『召喚士』 男子クラス委員長

 天道龍一と戦い死亡。


出席番号2番 死亡  伊藤誠二イトウ セイジ『盗賊』

 オルトロス戦にて死亡。


出席番号3番・上田洋平ウエダ ヨウヘイ・弓道部 『剣士』


出席番号4番・大山大輔オオヤマ ダイスケ・『炎魔術士』 空手部


出席番号5番 死亡  高坂宏樹コウサカ ヒロキ『騎士』 サッカー部

 妖刀使いのボスゴーマ戦にて死亡。


出席番号6番 死亡  斉藤勝サイトウ マサル・弓道部 『戦士』

 樋口恭弥により殺害。


出席番号7番・桜井遠矢サクライ トオヤ・弓道部


出席番号8番 死亡  佐藤裕也サトウ ユウヤ『風魔術士』

 樋口恭弥により殺害。


出席番号9番・下川淳之介シモカワ ジュンノスケ 『水魔術士』


出席番号10番・杉野貴志スギノ タカシ・『重戦士』 柔道部


出席番号11番・蒼真悠斗ソウマ ユウト『勇者』 剣道部


出席番号12番 死亡  高島雄大タカシマユウダイ・野球部

 森の中で怪死。


出席番号13番・天道龍一テンドウ リュウイチ『王』


出席番号14番・中井将太ナカイ ショウタ 『戦士』


出席番号15番・中嶋陽真ナカジマ ハルマ・美術部 『魔法剣士』


出席番号16番・葉山理月ハヤマ リライト・バスケ部


出席番号17番・ 死亡  樋口恭弥ヒグチ キョウヤ 『盗賊』

 桃川小太郎と戦い死亡。


出席番号18番 死亡  平野浩平ヒラノコウヘイ『剣士』 サッカー部 

 オルトロス二戦目にて死亡。


出席番号19番・桃川小太郎モモカワ コタロウ『呪術師』 文芸部


出席番号20番・ 死亡  山川純一郎ヤマカワ ジュンイチロウ・演劇部 『治癒術士』

 レイナ・A・綾瀬の霊獣による攻撃により死亡。


出席番号21番・山田元気ヤマダ ゲンキ・野球部 『重戦士』


出席番号22番・横道一ヨコミチ ハジメ『食人鬼』




 女子・十九名


出席番号31番・ 死亡  レイナ・アーデルハイド・綾瀬アヤセ『精霊術士』

 桃川小太郎と戦い死亡。


出席番号32番 死亡  飯島麻由美イイジマ マユミ『剣士』

 樋口恭弥により殺害。


出席番号33番 死亡  北大路瑠璃華キタオオジ ルリカ『剣士』 料理部

 横道一により殺害。


出席番号34番 死亡  木崎茜キザキ アカネ『炎魔術士』 バレー部

 自殺。


出席番号35番・如月涼子キサラギ リョウコ『氷魔術士』 女子クラス委員長


出席番号36番・剣崎明日那ケンザキ アスナ『双剣士』 剣道部


出席番号37番 死亡  佐藤彩サトウアヤ『射手』

 ゴーマの群れとの戦いにて死亡。


出席番号38番 死亡  篠原恵美シノハラ エミ『水魔術士』 イラストレーション部

 事故死。


出席番号39番・蒼真桜ソウマ サクラ 弓道部 『聖女』


出席番号40番・小鳥遊小鳥タカナシ コトリ『賢者』


出席番号41番 死亡  長江有希子ナガエ ユキコ 文芸部 『氷魔術士』

 横道一により殺害。


出席番号42番・夏川美波ナツカワ ミナミ 陸上部 『盗賊』


出席番号43番 死亡  西山稔ニシヤマミノリ 吹奏楽部 『風魔術士』

 オルトロス二戦目にて死亡。


出席番号44番・野々宮純愛ノノミヤ ジュリア テニス部 『騎士』


出席番号45番・雛菊早矢ヒナグク サヤ・弓道部


出席番号46番・姫野愛莉ヒメノ アイリ 『淫魔』


出席番号47番・双葉芽衣子フタバ メイコ 料理部 『狂戦士』


出席番号48番・芳崎博愛ヨシザキ マリア テニス部 『戦士』


出席番号49番・蘭堂杏子ランドウ キョウコ『土魔術士』

第150話 桜井遠矢と雛菊早矢(1)

 俺と早矢ちゃんは、幼馴染だ。家が隣同士で、物心ついた頃にはもう一緒に遊んでいた。そして、気づいた頃には……好きになっていた。

 告白したのは幼稚園の年少組みの時。そして、結婚の約束をしたのは、幼稚園の年長組の時だ。マセていた、とは思わない。俺は本気だったから。あの頃も、そして、今でもだ。

 結局、小学生になっても、中学生になっても、何度も告白することにはなったけど。俺が何度告白しても、早矢ちゃんの答えは決まっている。

「私も、大好きだよ」

 ああ、俺はきっと世界で一番、幸せな男に違いない。

 こんなに大好きな、愛する運命の女性と、幼いころからずっと一緒に居続けることができたのだから。

 俺と早矢ちゃん、お互いの思いは子供の頃から通じ合っていたけれど……恋愛小説でもないっていうのに、障害っていうのもあった。

 ソレを最初に感じたのは、小学三年生の時だ。

 男女の差ってのは幼稚園の頃でも多少あったものだが、小学生にもなれば、さらに輪をかけて男子と女子という意識も強まってくる。男子は男子で集まって遊ぶし、女子は女子で集まってお喋りしている。

 そんな中で、学校でも放課後でも、ずっと早矢ちゃんという女子と、一緒にいたいという男子がいたら、どうだろうか。

「遠矢ぁー、お前また雛菊と一緒にいただろー」

「俺、昨日、雛菊と手ぇ繋いでるとこ見たぜ!」

「マジかよ、お前ら付き合ってんのかよー」

 そんなことを言われ、俺は……当時、どうしようもないクソガキだった俺は、あろうことか『恥ずかしい』と思ってしまった。クラスみんなの好奇の視線と、囃し立てられる声に、俺は屈してしまったのだ。

 そして、俺は彼女に何て言ったと思う?

「お、俺……もう、早矢ちゃんと一緒に帰らないから!」

 もし、俺がタイムマシンで過去にさかのぼれるならば、必ず、この瞬間の俺をぶん殴りに行く。今でも後悔している、自分の人生の中で最大の汚点だ。

 俺はつまらない自分の恥ずかしさのために、早矢ちゃんを遠ざけ、悲しませてしまったのだ。

 早矢ちゃんが泣いていた、と知ったのは、それから三日も経ってからのことだった。

「ごめん、早矢ちゃん……ごめん……お、俺ぇ、好きだから! 早矢ちゃんのこと、大好きだからぁ……」

 死ぬほど泣いて謝った。体中の水分を全て絞り出すような勢いで、俺は泣いた。あまりの大泣きっぷりに、早矢ちゃんの両親も慌てて止めに入るレベルだったらしい。

 ともかく、俺は許された。早矢ちゃんは優しいから。彼女の優しさに甘えて、俺は許されたのだった。

 それ以降、俺と彼女の仲を阻む者には、断固として抵抗することを心に誓った。

 どれだけ噂されようと、馬鹿にされようと、嫉まれようと、俺は早矢ちゃんへの愛を貫く。そうと決まれば、もう、俺の心は揺れ動かなかった。

「ああー、なんだよ遠矢、また雛菊と一緒かよ。マジであのブスと付き合ってたのかー?」

「殺すぞ」

 容赦はしない。俺の恋の邪魔をする者。俺の早矢ちゃんを侮辱する者。

 幸い、俺は発育がいい方だった。おまけに、運動神経もそこそこ良い。小学生の喧嘩で、負けることはまずない。なにより、覚悟が違うからな。

 愛は、最強の力だ。

 けれどそんな俺のことを、心優しい、優しすぎる早矢ちゃんは心配してくれていた。

「遠矢くん、あんまり、私のことで喧嘩なんてしないで。私がブスなのは、事実だから……」

「何言ってんだよ、そんなことない! 早矢ちゃんは世界一可愛いよ! 俺にとっては、早矢ちゃん以外の女なんて、全部どうでもいい!」

「それに、遠矢くんはカッコいいから……私と遠矢くんとじゃ、不釣り合いに見えちゃうんだよ」

「そんなっ、釣り合ってないのは俺の方だよ!」

 俺は世界で一番、可愛くて優しくて、最高に素敵な早矢ちゃんの彼氏に相応しいように、日々努力を重ねているくらいだ。体は鍛えているし、勉強だってしてる。ファッションなんて微塵も興味なかったけど、彼女の前でカッコつけるために、色々と調べたつもりだ。

 その努力は、一応、それなりに実を結んでいるはずだ。

「ありがとう。でも、私と遠矢くんが一緒にいること、嫉妬しちゃう子も多いの……だから、あんまり気にしないで。私は、何か言われても、大丈夫だから」

「でも、そんな……くそ、俺はただ、早矢ちゃんと一緒にいられれば、それだけでいいのに」

「うん、遠矢くんが一緒にいてくれるから。だから、私は何があっても、大丈夫なの」

 あまりの愛おしさに、胸が張り裂けそうだった。

 俺達の邪魔をする奴らは許せないけれど、揉め事を大きくしてしまうと、それはそれで早矢ちゃんが悲しんでしまう。

 恋愛関係っていうのは当事者同士だけでなく、周囲の人にも関わりのあることだっていうのを理解したのは、中学生の頃だったかな。多感な時期だ。男女の恋愛ってのに、特に敏感にもなってくる頃でもある。

 幸いというべきか、俺は覚悟が決まっていたし、早矢ちゃんからこういう話も小学校高学年のあたりからされていたので、思ったよりも簡単に人間関係の面倒事を回避する術を身に着けた。

 中学に入ると、本当に色気づいてくる、特に女子が。だから、大して関わり合いにもなってないくせに、すぐに好きだとか言い出しやがる。

 お蔭で、俺は何度も女子から告白された。いや、お前の名前すら知らないんだけど、みたいな子も何人かいたな。

 俺なんて、他の男子よりちょっと背が高くて、ちょっと運動ができて、ちょっと勉強ができて、そんな程度だ。顔は別に普通だと思うし、もし他の奴よりカッコよく見えたとしたら、それは髪型をカッコつけてるだけのことだ。あと、自分の体型に見合った服を着ていれば、スタイルもそれなりに良くみえるし。

 そんな、他よりちょっとだけマシという程度の理由で告白してくる女なんて、あまりに軽すぎて軽蔑の感情すら湧いてしまう。本当の愛がどういうものか、知りもしない、頭の軽い女ばかり――しかし、俺のくだらない感情など抑え込んで、告白してきた女どもは、丁重にお断りしなければいけない。

 女ってのは、すぐに嫉妬する生き物だ。俺は早矢ちゃんが好きだから、お前なんぞ眼中にねーよ、と馬鹿正直に語れば、奴らは100%の確率で早矢ちゃんを恨むのだ。おいおい、自分の魅力のなさを棚に上げて、世界一の女の子に嫉妬するなんて、どこまで愚かで醜いんだと思うが、女ってのはそんなもんだ。つまり、早矢ちゃんは女ではなく、女神なのだ。

 慣れれば、そう難しいものじゃない。流石に十人以上も経験すれば、告白の上手な断り方っていうのも身につくものだ。少なくとも、断った途端に激高されたり、泣き出されたりすることはなくなった。

 そうやって、俺は中学時代を乗り切った。

 高校生になると、多少は落ち着いて来るのか、中学の頃よりは色恋沙汰で大騒ぎするようなことは減った。堂々と「俺達は付き合っているんだぜ!」と公言するカップルも、クラスに一組や二組はあるようになっていた。

 俺にとっては過ごしやすい環境になったと言えるが……

「わー、蒼真君って、なんか凄いね。アイドルみたい」

 蒼真悠斗の存在に、俺は生まれて初めて、男として嫉妬を覚えた。

 俺は早矢ちゃんに相応しい男となるため、あの小学三年生の頃から出来る限りの努力を重ねてきた。そのお蔭で、クラスメイトの男子よりもちょっとはマシな魅力を持つくらいにはなっているという自負がある。

 だが、蒼真悠斗は格が違った。生まれもった美貌、何より、その身から発するオーラ。綺麗なテレビドラマの中から飛び出してきた、フィクションの世界の人物のような、圧倒的な美男子だ。

 そりゃあ、嫉妬もするさ。焦りもするさ。

 も、もしかして、早矢ちゃん、もう俺のことなんて……

「でも、私は遠矢くんが一番カッコいいと思うよ。だって、私の彼氏だもん」

 早矢ちゃぁーん! いいんだよね、その言葉、俺、信じていいんだよね。

 なら、信じるよ。だから、蒼真悠斗に嫉妬もしない。

 アイツは俺が見てきた中で、最強にカッコいい男だが……でも、早矢ちゃんが俺のことを一番だと言ってくれるなら、それで十分だ。

 俺は、世界で一番の男になりたいワケじゃない。ただ、早矢ちゃんの一番になれれば、いいだけだから。

「早矢ちゃん……他に、気になる男子っている?」

 でも、俺の弱い心が、ついこんな情けないことを聞いてしまったのを許しておくれ。

「他にって、あ、天道君とか? 天道君も、凄く女子に人気あるよね」

 天道龍一。確かに、アイツもカッコいい。少なくとも、努力を重ねてイケメン枠に滑り込んだような俺よりも、遥かに。蒼真悠斗に匹敵する男は、彼だけだ。

「でも、怖い人はちょっと……」

 うんうん、そうだよね、早矢ちゃんは不良生徒になんて見向きもしないよね。

 大丈夫、いざとなったら、俺は天道でも、黒高四天王が相手でも、君を守るから。

「他には?」

 しつこい、と怒られそうだけど、聞いてしまった。

「うーん、あの二人を除いたら、本当に遠矢くんが一番カッコいいと思うよ? なんだかんだで、その、女子の間では気になるって、噂になってるし」

 ふーん、他の女子の話とかは、どうでもいいや。蒼真悠斗と天道龍一が、せいぜいミーハーな女子生徒達を引きつけてくれればそれでいい。俺はその間に、早矢ちゃんと心置きなくイチャイチャできる。

「あっ、気になるっていったら、えっと、その……桃川君、かな」

「ええっ!?」

 桃川って、あのクラスで一番小さい女顔の奴だよな。も、もしかして早矢ちゃん、ああいうのが好みだったんじゃあ……

「桃川君って、女の子みたいに可愛い顔してるよね……正直、私よりも全然、可愛いよね……まさか男子に顔で負けるとは思わなくって……」

 早矢ちゃんが、どんよりと暗いオーラに包み込まれている。

 お、おのれぇ、桃川ぁ……早矢ちゃんの、ささやかな女子としてのプライドを、その可愛い顔であっけなくへし折りやがって。ええい、月のでない晩に、狙撃してくれようか。

「ねぇ、遠矢くんは、その……気になる女子とかって、いないの?」

「いないよ」

 俺達と同じ学年の生徒には、目を見張るほどの美少女が何人もいる。蒼真悠斗の妹の、蒼真桜を筆頭に、今すぐアイドルで通用しそうな子が、かなりの人数が揃っていた。

 けれど、それはあくまで、客観的な容姿の話に過ぎない。

「早矢ちゃんが、俺の一番だから」

「ふふっ、私も、遠矢くんが一番だよ」

 自然と重なる、唇。

 初めてのキスは、幼稚園の頃に済ませた。小学生の頃でも、何度か、いや、割と何度もやった。

 でも、恋人同士なんだと意識してキスしたのは、中学の頃が初めてか。

 それから、俺は早矢ちゃんを、女性として意識しながらキスをする。そのたびに、心臓が張り裂けそうなほどにドキドキしてしょうがないんだ。

 好きで、好きで、大好きで……ああ、本当に、愛している。

 俺は君に出会うために、生まれて来たんだ。俺は、君と共に歩むために、生きているんだ。

 ずっと傍に。一生、一緒にいる。

 だから――

「はぁ……はぁ……早矢ちゃん!」

 この、忌まわしい異世界ダンジョンに放り出されて、俺は真っ先に早矢ちゃんを探しに飛び出した。

 辛うじて残っていた理性が、ここでは戦う力が必要だからと訴えかけ、急いで天職だけは授かって来た。

 俺の天職は『射手』だった。

 当然だ。弓道は小学生の頃から続けている。なんのことはない、ただ何となく、早矢ちゃんがクラブ活動で始めたから、俺も一緒になって始めただけのこと。

 でも、彼女と同じことをやるならば、カッコ悪いところは見せられない。真剣に打ちこんださ。腕前は、それなりのつもり。全国大会で優勝できるほどではないが。

 しかし、弓を持たない『射手』に、一体どれだけの力があるっていうんだ。

 弓道部の弓矢? そんなもん部室に置いてあるに決まっている。教室に持ち込んでいた蒼真桜がイレギュラーなだけだ。

 こんなことになるなら、教室で無理にでも強奪するべきだったか。

 いや、でも、あの時は崩壊する教室の中で、離れないよう早矢ちゃんを抱きしめているのに精一杯だったから……くそ、確かにこの腕に抱いていたはずなのに、崩れ去った教室から暗闇の空間に落ちて、意識を失ってしまった。恐らく、その間に手離してしまったのだろう。

 せめて、すぐ近くに早矢ちゃんも落とされていると信じたいが……

「きゃああああーっ!」

「早矢ちゃん!」

 悲鳴。その声を、聞き違えるはずがない。この俺が、彼女の声だけは。

 俺の彼女、世界で一番大切で、ただ一人愛する女性、雛菊早矢の下へ。俺は全力疾走で向かった。




 私と遠矢くんは、幼馴染です。家が隣同士で、物心ついた頃には、もう一緒に遊んでいた。そして、気づいた頃には……好きになっていました。

 告白されたのは幼稚園の年少組の時。

「早矢ちゃん、大好き!」

「私も大好きだよ」

 笑顔で答えた。嬉しかった。

 私は幼稚園児の頃に、すでに思いが通じ合うことの喜びを知ってしまったのだ。なんていう、贅沢なんだろう。

 だから、なのかな……私は、男の子と恋愛するのが、恥ずかしくなるほどの、ブスだった。

「ああー、なんだよ遠矢、また雛菊と一緒かよ。マジであのブスと付き合ってたのかー?」

 小学生の頃、クラスの男子が教室中に響くほどの声で、そんなことを言い放った。

 酷い台詞。でも、事実なの。

 あの男子が、特別に意地が悪かっただけじゃない。むしろ、彼は遠矢くんと一緒に遊びたかっただけの、良い子な方。

 誰だってそう思う。

 遠矢くんは、あの頃から、もうカッコよかったから。

 小学生の男子は、足が速いとモテる。遠矢くんは、学校で一番だった。運動会のリレーは、いつもアンカーで、そして、必ず1位でゴールするヒーローでした。特に、6年生の最後の時なんかは、前の人が転んじゃって最下位になっちゃったけど、遠矢くんが一気にごぼう抜きして1位になって……ああ、あの時の遠矢くんは、本当にカッコよかったな。

 はっ、違う違う、彼のカッコいい思い出話ではなく、とにかく、遠矢くんはモテるのです。

 凛々しい目元に、鼻筋の通った端正な顔立ちは、成長と共にどんどん男性としての魅力が増していく。背もスラリと高く、それでいて筋肉もついていて力強さもある。足が速いだけじゃなくて、運動神経も抜群。

 勿論、球技大会でも遠矢くんはヒーローだった。遠矢くんがいれば、絶対に優勝した。

 カッコよくて、スタイルもよくて、そんな男子が、スポーツで大活躍した後、汗まみれだけど最高に爽やかな笑顔を浮かべれば、もう、遠矢くんのことを、好きにならない女子なんていないよ。

 でも、その笑顔はいつも、私にだけ向けられていた。

 嬉しかった。とっても嬉しかった――けれど、嬉しいだけじゃない。あんなに素敵な遠矢くんを独占しているのが、こんな、私のようなブス女なのだ。

 一重まぶたの細い目に、丸顔の下膨れ。鼻は低いし、髪の毛は変な天パでワカメみたいだし……唯一、私の顔で褒められる部分があるなら、歯並びくらいです。

 体だって、女性としての魅力に欠ける貧相なもの。胸なんて、ブラをつけている意味がないほどのサイズだし。足も短いし。太ってはいないだけ、マシだと思いたいです。

 それが私。こんな、どうしようもない石コロのような女が、ダイヤモンドのようにキラキラ輝く遠矢くんの好意を、一身に受けていればどうなるか。

 嫉妬、嫉妬、嫉妬の嵐。罵詈雑言と誹謗中傷の雨霰。

 ねぇ、遠矢くん、中学の頃に私といっつも一緒にいた、可愛い女子のお友達。彼女達はね、私の友達でも何でもないの。私と一緒にいれば、遠矢くんと一緒にいられるから、友達のフリをしていただけなの。

「おい、早く遠矢と別れろよ」

「テメーみてぇなクソブスと付き合ってる遠矢君が可哀想とか思わないの?」

「スマホ持ってんだろ? ちょっと今から電話かけて別れろよ」

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 彼女達に対する恨みよりも、私は自分の弱さが、情けなくて仕方がなかった。

 遠矢くんは私の彼氏だから。そう言い張って、抵抗することすらできない。

 だって、心の片隅で思ってしまうの。本当は、ずっと思っていたの。

 遠矢くんには、もっと、彼女として相応しい女の子が、いるんじゃないのかって。

 私は可愛くもないし、美しくもない。それでいて、容姿を補えるほどの豊かな才能も、天才的な頭脳もない。そして、容姿も才能も劣るくせに、何よりも、心が弱く、劣っている。

 もし、私の心がもう少しだけ強ければ。あと、ほんの少しの勇気と、自信を持てれば……私はきっと、堂々と彼の愛を受け入れて、幸せに過ごせたはず。

 けれど結局、私にはその、ほんのちょっとの強さすらなかった。

 どれだけ酷いことを言われても、一言も言いかえすことなく、ただジッと耐えるだけ。ううん、耐える、なんて立派なモノじゃない。ただ言われるがまま、なすがまま、それだけのこと。

 何も言わず、何もせず、ただ、メソメソと泣くだけの弱い私。

 そうしていると、彼女達も我慢ができなくなってきて、遠矢くんに告白するのです。こんなどうしようもない、顔も心も醜い最低の女から男を奪うなんて、きっととても簡単なことだと感じたのでしょう。

 確かに、私は弱い。でも、遠矢くんは強いから。

 結局、どんなに可愛い女子に告白されても、遠矢くんは即答でフっていた。

 その度に私は……ああ、よかった。まだ私は、遠矢くんの彼女でいられるんだ。そう、身勝手に安堵する。

 自分は何もできないくせに、遠矢くんの強さに、甘えて、頼って……本当に、どうしようもないほど、私という女は最低です。

「ねぇ、遠矢くんは、その……気になる女子とかって、いないの?」

「いないよ。早矢ちゃんが、俺の一番だから」

「ふふっ、私も、遠矢くんが一番だよ」

 白嶺学園に入学してから、ようやく、陰湿なドロドロの嫉妬の嵐は収まった。

 きっと、遠矢くんよりもカッコいい、蒼真君に天道君という男子がいるから。ほとんどの女子は、彼らに夢中。中には、学園のアイドルのような二人のことは諦めて、カッコよさでは三番手の遠矢くんを狙う子もいるみたいだけど。

 それでも、中学の頃よりは、ずっと平和だった。

 友達も、本当の友達ができた。特に、長江有希子さんは特別だ。

 クラスの中では地味で大人しい、けれど、私なんかよりはずっと可愛らしい顔立ちをした長江さんだけど、彼女は私と遠矢くんの仲を素直に祝福してくれた。そんな人は、同年代の女子で初めて出会った。

 遠矢くんに気がなくても、私みたいなブスにイケメンの彼氏がいれば、嫉まれないはずがないでしょう。

 でも、不思議と長江さんには、そういう気持ちが全くなかった。

 ううん、不思議でもなんでもない。だって、彼女は心から愛する人がいるのだから。でもでも、それがよりによって、あの怖い樋口君だとは思わなかったけど……大丈夫、今でも、このことは誰にも言ってないから、安心して長江さん!

 ともかく、そんな長江さんとの交友は、私の気持ちに大きな変化を与えてくれた。今でも覚えている、彼女の衝撃的な一言。

「雛菊さん、ちゃんと桜井君の愛に応えてあげないと、ダメだよ」

 結局のところ、私は自分のことしか考えていなかったのだと、打ちのめされた。その言葉は、中学時代に浴びせられた、どんな酷い台詞よりも、私の心を深く抉った。

 けれど、そのことに気づいて、認めて、受け入れられて、私はようやく、少しずつ変わっていくことができました。

 遠矢くんは、私なんかよりもずっと体も心も成長して、どんどんカッコよくて素敵な男性になっていくけれど――ブスでダメな私は、そんな彼に、少しずつでも釣り合えるように、努力したいと思えるようになったのです。

 私は、自分のダメなところに絶望している場合じゃない。

 遠矢くんは、子供の頃からずっと、変わらずに、私のことを愛してくれているのです。

 それなら、私は彼の愛に報いなければいけない。

 本当に、相応しいかどうかじゃない。今この瞬間に彼が求めてくれるなら、私は、私の全部を捧げよう。

 だから、怖くもないし、恥ずかしくもない。本当は、ちょっと怖かったし、すっごく恥ずかしかったけど……初体験は痛いってよく聞くけど、ねぇ、どうして痛かった私じゃなくて、遠矢くんの方が泣いてるの? でも、嬉しいよ、本当に優しいね、遠矢くん。

 私の名前は雛菊早矢。桜井遠矢の恋人。

 愛する彼のためならば、私は何でもしてあげたいし……きっと、何でもできる。

 だから……だから……神様、私に、勇気をください!

「早矢ちゃん、大丈夫……俺が絶対、早矢ちゃんを、守るから……」

 突然の異世界召喚。

 ワケも分からず、いきなり放り出されたダンジョンで、私は魔物に襲われた。

 真っ黒い、ゴキブリが人型になったみたいな、あまりに醜悪でおぞましい魔物は、その手に錆びたナイフや斧などの凶器を握り、私達を取り囲んでいた。

 魔物に遭遇して、あまりの恐怖に泣き叫んだら、すぐに遠矢くんが来てくれた。

 でも、本当は……遠矢くんだって、怖いのです。

「と、遠矢くん、でもぉ……」

「大丈夫、だから」

 魔物の数が、多すぎる。

 黒い魔物は、背も小さいし、手足も細くて、あんまり力が強そうには見えない。でも、十人以上の集団で、全員が武器を持っている。

 対して、遠矢くんは素手。あの崩れ落ちる教室から、そのまま放り出されたままの格好のようです。

 こんなの、いくら遠矢くんでも、勝てないよ。

「ブゲゲ!」

「グバ! ガブラァ!」

 魔物は、私達が無力な獲物だと分かっているようで、笑いながら取り囲んでいる。まるで、これからどうやっていたぶって殺そうか、もったいぶるように、襲い掛かって来ない。

 でも、もう、次の瞬間には、四方から錆びついた凶器が振るわれるのではないか。

 死ぬ。死んでしまう。

 怖い……けど、遠矢くんが、死んじゃうほうが、もっと怖い。

 私なんて、死んでもいい。どうなってもいい。だって、遠矢くんが、今までずっと、ずうっと、愛してくれたから!

 彼が生き残ってくれるなら、私は――

「お、お、お願い、効いて――『ポワゾン』っ!」

 授かった天職の力を信じて、私は祈るように両手を組んで叫んだ。

「ブッ、ゲ……オバァアッ!?」

 すると、今にも遠矢くんへナイフを刺そうと構えていた魔物が、血を吐いて倒れた。

「『ポワゾン』! 『ポワゾン』! 『ポワゾン』っ!」

 私は、とにかく叫んだ。毒の魔法らしい、その力をひたすらに解き放つ。

「ウゲェエエーっ!」

 次々と、魔物は苦しみもがいて倒れていく。一人、また一人。私の魔法、効いてる!

「ブググ、ブルガァアアアアアアアッ!」

 でも、私は魔法を叫ぶのに無我夢中で、前の方しか向いていなかった。魔物は十人以上いて、私達を取り囲んでいたのだから、当然、後ろに何人もいる。

 毒の魔法『ポワゾン』は、一回につき、一人しか倒せない。順番に、見える範囲で。

 だから、後ろに陣取っている魔物に、対処できない。

 おぞましい奇声に反応して、慌てて振り向いた時には、もう斧を振り上げて襲い掛かってくる魔物が、すぐ目の前にいた。

「――俺の早矢ちゃんに、手ェ出してんじゃねぇぞゴキブリ野郎ぉ!」

 遠矢くんの激しい叫びとは裏腹に、ストン、と静かに、魔物の額に矢が突き刺さった。

「グッ、ゲェ……」

 突き刺さった矢の勢いに負けたように、斧を高々と振り上げたまま、ぱたりと魔物は後ろへと倒れ込んだ。

「ははっ、弓さえ手にはいれば、余裕だな」

 遠矢くんは、私が『ポワゾン』で倒した魔物が持っていた、今にも弦が千切れてしまいそうなボロっちい弓を構えて、笑っていた。

 わー、遠矢くん、カッコいいなぁ……なんて、場違いにも見惚れていたら、もう、戦いは終わっていました。

「ふぅ、矢の数が足りてよかった。しかし、天職の力ってのは凄いな、百発百中だよ」

「遠矢くん……よかった、よかったよぉ……」

「ごめんな、早矢ちゃん、すぐに助けることができなくて。それどころか、俺の方が助けられたよ」

 恐怖と緊張から解放されて、私は遠矢くんに抱き着いて泣きだした。

 本当は、その場で泣きわめいているなんて危なかったのだろうけど、彼は嫌な顔ひとつせずに、いつもみたいに私のことを優しく抱きしめ続けてくれました。

 そうやって、心が落ち着いてから、私はようやく聞くことができた。

「ねぇ、遠矢くんの天職って、やっぱり『射手』なの?」

「ああ、そうだよ」

 ある意味、当然かもしれない。私も一緒に弓道は続けてるけど、大して上達しない下手くそのまま。でも、遠矢くんには才能があった。白嶺学園の弓道部で、蒼真さんと張り合えるのは、遠矢くんだけだし。

「でも、早矢ちゃんは違う天職みたいだね」

「あっ、うん……わ、私の天職は、ね……」

「早矢ちゃん、言いたくなかったら、無理に言わなくてもいいよ」

「ううん、いいの、遠矢くんには聞いて欲しい」

 もう、遠矢くんは心配しすぎだよ。

 でも、言い淀んでしまったのも本当。だって、ちょっと言いにくい感じだったから。

「私の天職は……『呪術師』なの」

第151話 桜井遠矢と雛菊早矢(2)

 俺の授かった天職は『射手』だ。


『一射』:よく狙いを定めることで、弓の威力と命中率が上がる。


『気配察知』:敵の気配を察知する感知力が鋭くなる。


『弓を引く者』:弓を扱う才能の証。


 初期スキルの構成は、ものの見事に弓矢を持っていなければ一般人と変わらないことを示している。早矢ちゃんの助けに飛び込んだはいいものの、ゴーマに囲まれて手も足も出ない情けない状態だったのは、俺が素手だったことが根本的な原因だ。

 早矢ちゃんが倒してくれたゴーマの中に、偶然にも弓を持っている奴がいて、本当にツイてた。

 そして、あの窮地を脱する大活躍を果たした早矢ちゃんの天職は、『呪術師』というものらしい。


ポワゾン』:敵を毒の状態異常に陥れる。


付加エンチャント』:魔法の効果を物質に付加することができる。


『簡易錬成陣』:簡易的な略式錬成を行える。理解と解明。分解と再構成。


 どのスキルも、実際に使ってみないとイマイチ効果のほどが分からない。『ポワゾン』がゴーマをほぼ即死させるほどの威力があったのは、幸いだ。

 もし、よくあるRPGみたいに、時間をかけてしょっぱいダメージを与えるだけの強さだったら、毒が回っている間もゴーマは元気に襲い掛かって来て、そのままやられていただろう。

 どうやら、この異世界の魔法ってのは、相当に強力みたいだな。

 いや、早矢ちゃんが魔法の天才だから、あれだけの威力が叩き出せたのではないだろうか。ありうる、この異世界に来て、彼女の秘められた才能が開花するとか、マジでありうるよ。

 だがしかし、それならそれで、早矢ちゃんにはもっと相応しい感じの天職を与えてほしかった。そうだな、『聖女』とか?

「えっと、とにかく、ダンジョンを進んで行くしかないんだよね」

「ああ、そうみたいだ」

 ダンジョンの最奥にある『天送門』を使えば、この危険な場所からひとまずは脱出することができる。俺の早矢ちゃんを、こんなヤバいところに一秒たりともいさせたくない。何としてでも、『天送門』にまで辿り着かねば。

「なんだか、先は長そうだよ」

「大丈夫だよ、俺が早矢ちゃんを、必ず無事に『天送門』まで連れていくから」

 ひとまず、弓が手に入ったのだ。これでゴーマ程度の魔物なら、いくらでも撃退できる。過信ではなく、純然たる事実。

 辿り着いた安全地帯である妖精広場、ここへ来るまでの道中に、何度もゴーマの襲撃を返り討ちにしている。奴らの群れの内で、何体かは弓を持っているから、倒せば矢の束も手に入る。ただ、品質の方はお察し。お前ら、原始人だってもうちょっと綺麗に矢じりを削るぞ。

「遠矢くん、私も戦うよ」

「そんなのダメだ、危ないよ早矢ちゃん。最初にゴーマと戦った、あの時だけで十分だよ」

「私を守ろうとしてくれる気持ちは、凄く嬉しい……でも、私だって、遠矢くんのことを守りたいの!」

 な、な、なんてことだ……怖がりな早矢ちゃんが、あんな経験をしても自ら戦うと言い張るとは。しかも、俺の身を案じて、だなんて……くそ、ダメだ、まだ泣くな。まだ感動で泣くタイミングじゃない!

「でも俺は、早矢ちゃんにもしものことがあったらと思うと」

「それは私も同じだよ。ねぇ、遠矢くん、私にも天職の力があるの。だから、一緒に頑張ろう。遠矢くんと一緒なら、私は怖がらずに戦える。必ず、遠矢くんの力になるから!」

「さ、早矢ちゃん……うぅ……」

 もうダメだ、涙腺崩壊。俺は彼女の気持ちが嬉しくて、もうこれ以上の意地を張ることはできなかった。

 そして、全く彼女の言う通りだったということが、すぐに判明した。

「す、凄ぇ……普通に弓矢だ」

「ふぅ、錬成が上手くいってよかった」

 早矢ちゃんは早速、『簡易錬成陣』を使って、ゴーマの鹵獲品であるボロ弓を改造した。

 錬成、というのは、どうやら魔力を使い、術者の意思に従って自由自在に物質を変化させることができるらしい。なんか、錬金術師みたいだ。そういう漫画あったよな。

 オンボロの弓でも、錬成で修復すれば綺麗になるし、補強材料として木材を錬成陣に放り込めば、融合させて、強化することもできた。とりあえず、今回は妖精広場にあった胡桃の木の枝を使った。

 そうして完成したのが、立派な屈曲型短弓である。

 ゴーマの弓は弧を描くシンプルな形だったが、錬成後にはM字型になっている。たしかこういう形状の方が、反発力が高まるんだったか。

 勿論、外観だって今にも弦が切れそうなオンボロではなく、新品同様の綺麗さ。

 さらに、セットで矢の方も束で錬成し直すことで、鋭い矢じりの美しい矢にしてくれた。この弓矢を使えば、威力も射程も精度も段違いだ。

 そして、それを使うのは天職『射手』の力を持つ俺である。

「やっぱり、遠距離武器は強いな」

 相手がゴーマ程度なら、戦いというより、一方的な虐殺だ。

 まず『気配察知』で、先に俺が敵を発見できる。

 ゴーマの群れは、基本的に十体前後の数。先手を打てれば、まず二、三体は射殺できる。これで正確に矢が飛んでくる方向が判断できず、右往左往しているようなら、そのまま順番に撃っていくだけ。

 俺の居場所が分かって、矢を撃ち返したり、武器を構えて突撃してきても……俺と奴らの間には百メートル以上も距離がある。『射手』の力を得た今の俺なら、歩いて後退しながらでも、それなり以上の命中率を誇る。落ち着いて、近づいてきた順に射殺していけば、十体程度など辿り着く前に軽く全滅だ。

 矢で反撃してくる奴は、無視していい。こっちは早矢ちゃんの短弓の射程を生かして攻撃しているのだ。ゴーマの弓では、その場から撃っても矢が届かない。たとえ、射程内にまで近づけたとしても、ゴーマの腕前ではまず命中することはない。お前ら、もうちょっと練習してから狩りに出かけろよ。

 こんな感じで、ゴーマとか狼とかスケルトンとか、それくらいの魔物は難なく倒してダンジョン攻略は進んだ。

 たまに強敵っぽい、矢一発で倒せなさそうな大きな魔物が出ても、

「――『ポワゾン』・『付加エンチャント』」

 早矢ちゃんが俺の矢に『ポワゾン』の効果を付加した毒矢で射れば、図体のデカい奴、深く矢が刺さらない固い奴、などでも、毒が回って簡単に倒せる。

 その代表例が、俺達が初めて遭遇したボスだろう。

 ソイツは、メイスと盾を装備した巨大なスケルトンだった。

 ただのスケルトンは道中に何度も戦って、ヘッドショット一発で頭蓋骨を砕いて倒してきた。だが図体がデカいだけあって、矢が直撃しても分厚い頭蓋骨には僅かにヒビが入るだけ。

 しかし、矢じりに『付加エンチャント』された『ポワゾン』が効いた。どう見てもスケルトンは命のある動物ではないが、それでも魔法の毒は骨の体も蝕むらしい。

 早矢ちゃんが直接放つ『ポワゾン』の援護もあって、ボススケルトンの動きは鈍り、固い骨がボロボロと風化したような変化が起こっていた。

 そこへ矢を撃ち込めば、あっけないほどボスの骨格は砕ける。毒の影響を受けると、骨が脆くなるようだ。

 ダメージが通るようになれば、後は一方的。ボススケルトンが振り回すメイスの間合いに入る前に、矢を撃ちまくって全身を粉砕する。

「ふぅー、早矢ちゃんの『ポワゾン』が無かったら、ヤバかった」

「ううん、遠矢くんの力があるから、倒せたんだよ」

「俺は別に……いや、そうだ、やっぱり、俺と早矢ちゃん二人の力がないとダメなんだ」

 ボスを相手してハッキリとそう実感した。この巨大スケルトンは、俺だけでも、早矢ちゃんだけでも、倒すことはできなかった。

「うん、そうだよ、遠矢くん。ふふふ、これからもよろしくね」

「ああ、早矢ちゃん、ずっと一緒だよ」




 俺と早矢ちゃんのダンジョン攻略は、何度かピンチもあったけど、割と順調な方だろう。

 思えば、最初の頃に比べて、俺達も随分と強くなった気がする。


『穿撃』:放った矢の貫通力を高める。


『衝波』:矢の貫通力を衝撃波へ変換する。


『流星』:流れ落ちる星の如く、光り輝く重き一撃は、大地を穿つ。


 弓の武技である、攻撃スキルが増えたお蔭で、単純に攻撃力は上昇している。『穿撃』を使えば、最初のボスの巨大スケルトンの頭蓋骨も一発でぶち抜けるだろう。あるいは『衝波』なら砕くこともできる。

『流星』は、何故か着弾すると爆発を引き起こす、いわゆる一つの必殺技みたいなモノだ。コイツを使う時は、えらく弓を引くのが重くなるし、放つまでに溜めを要する。早矢ちゃん曰く、俺の魔力が矢へと収束しているのだとか。攻撃魔法と似たような原理らしい。

 確かに、矢じりが青白い輝きを放つのは、如何にも魔法っぽい。そして、文字通り流星のように輝く尾を引きながら飛んで行っては、着弾と共に大爆発。

 弓矢一発とは思えない威力だが、あまりに派手すぎて俺の基本戦法である狙撃に向かないんだよな。コイツを撃ち込んだら、一発で潜伏場所がバレちまう。

 だから、普段はあまり『流星』の出番はない。


『索敵』:敵の存在を、より鋭く、正確に察知する。


『直感』:第六感により、様々な危険を直感的に察知する。


 まず、俺の探知能力が向上し、ほぼ確実に先手をとれるようになった。『索敵』は『気配察知』よりも高性能だし、『直感』のお蔭で、罠などを含めて危険を回避できる。

 この二つのスキルのお蔭で、より安全な立ち回りが可能となった。


『気配遮断』:気配を断ち、影のように身を潜め、静かに行動できる。


 さらに、このスキルを習得したことで、俺は先制攻撃で一発決めても、なかなか相手に居場所が悟られにくくなった。ゴーマ程度では、俺を見つけることはできない。


『隠形』:完全に気配を断ち、影に溶け込み身を隠し、無音で行動できる。


 繰り返し奇襲を成功させることで、スキルが強化というか進化というか、より強力な効果のある『隠形』となった。

 これになると、ゴーマよりも感覚が優れる魔物でも、容易に俺を発見できなくなった。狼や恐竜みたいな奴らでも、隠れ潜む俺を見つけられないのを思えば、臭いもかなりのレベルで誤魔化せているようだ。

 あまりに敵が俺の存在に気づかないので、透明人間にでもなったような気分だが、姿を晒せば普通に見つかる。あくまで隠れ潜んでいる状態の時に、非常に見つけづらくなる、という効果だ。

 他にも、攻撃以外のサポートスキルみたいなのが充実してきた。


『鷹目』:鷹の目のように、遠くのモノを正確に捉えることができる。


『風読』:風の流れを感じ、予測できるようになる。


『疾駆』:疾風の如く、走ることができる。


 双眼鏡を覗いたように遠くが見える『鷹目』に、矢の弾道に大きな影響を与える風を正確に感じとれる『風読』。これらの能力が合わされば、俺の奇襲能力は更に高まる。

 ついでに、いざという時も『疾駆』で走れば、素早く逃げ出すこともできるから、安心である。早矢ちゃんは軽いから、抱えて逃げても結構な速度で走れるんだぜ。

 しかし、俺の『射手』としての力に最も大きな影響を与えているのは、初期スキルの中で、効果が全く分からなかった『弓を引く者』だった。

 どうやら、コイツの効果は弓矢を扱う動作全般に作用しているらしい。戦い続ける中で、自然と分かって来た。

 矢の命中率は勿論、走ったり跳んだりしながらでも、弓を引いて放つ動作の安定性。さらには、矢を二本、三本と同時に番えては正確に射る器用さ。矢羽を千切って、狙ってカーブさせる曲芸染みた真似だってできる。

 俺が弓を使えば使うほど、そして矢で敵を射殺せば射殺すほど、このスキルの力が増大していくのを感じた。最早、スキル補正というより、これくらい出来て当たり前、と自然に感じさせるところが『弓を引く者』の凄いところだ。

 そうして、正しく超人的な弓の腕前を持つに至った俺だが、勿論、成長しているのは早矢ちゃんも同じだ。


『呪導錬成陣』:基礎的な錬成に、自らの魔力によって呪術を刻む。深淵なる禁忌探究の始まり。


 まず、早矢ちゃんがちょっとヤバそうな感じの新しい錬成陣スキルを習得した結果、俺の弓矢が物凄いことになった。


『黒角弓』:上質な地竜の角を用いた大弓。呪術の影響により黒化している。


 今の俺が装備している、トリケラトプスみたいな恐竜型ボスの巨大な二本角を材料に作りだされた、大きな黒い弓。漆塗りみたいに艶やかな黒一色に染まった二本角の弓は、最初の頃に使っていたものに比べると、弦を引くのが何倍も重い。普通の人では、この弓を引くことすらできないだろう。早矢ちゃんでは何センチも引けなかったし。

 しかし、俺ならコイツを十全に扱える。『射手』として身体能力が上がっているのか、それとも『弓を引く者』の恩恵か、今の俺にはコイツぐらいの強弓がよく馴染む。

 そして、この『黒角弓』より放たれる矢の威力は、強烈の一言に尽きる。

 正面から突撃してくる大猪を撃てば、眉間から入り、体内を完全に貫通し、尻を飛び出し、百メートルは後方にあった木の幹に深々とつき刺さる。おおよそ百メートル以内なら、大体の魔物の毛皮も甲殻も貫通する威力だ。流石に、鎧熊クラスの硬さになると、武技を併用しなければ貫けないが。

 ゴーマのような雑魚なら、百メートルを超えたさらに長い距離でも、当たれば即死級の威力を維持できる。

 普通に矢を射かけるだけで、これだけの攻撃力。

 だが『呪術師』である早矢ちゃんの真価は、弓よりもむしろ、矢の方だろう。


『毒矢』:『ポワゾン』が付加された毒の矢。


『猛毒矢』:『猛毒ヴィオラ・ポワゾン』が付加された強い毒の矢。


『麻痺毒矢』:『麻痺パライズ』が付加された毒の矢。


『黒矢』:黒化した矢。


『黒化』:黒色魔力による基本的な浸食作用。


 まず、毒矢が強くなった。『猛毒矢』になると、大きな魔物でも一発でぶっ倒れるほどの強烈な毒性を誇る。

 だが、魔物の中には毒に対する耐性を持つヤツもいるようで、必ず効くとも限らない。しかしながら、耐性があるからといって、全ての毒を防げるわけでもないようだ。『ポワゾン』は効かなくても、『麻痺パライズ』は効く、という魔物もいたし。

 どっちも通用しない毒に強い上に、防御も固いような奴を相手にするときは、『黒矢』を使う。

 早矢ちゃんの『黒化』という呪術は、魔力をモノに流すことで、強化できる。彼女の力によって、黒一色に染まった矢は、普通の矢と比べて遥かに威力が高い。

 この『黒矢』を用いて武技を放てば、分厚い甲殻を持つルークスパイダーも易々と貫いてみせる。どうやら黒化したことで付与された魔力が、武技の威力も増大させる効果もあるようだ。『黒矢』で『流星』をぶっ放すのが、今の俺が持ちうる最大威力の技だ。

 矢の他にも、先端が矢じりではなく、着弾すると衝撃で割れる玉に変えた、グレネードみたいなのもある。


『炎玉』:火の魔石を用いた点火装置と可燃性の油を詰めた玉。


『煙玉』:『黒煙スモーク』を封じた玉。


『毒煙玉』:『毒(ポワゾン』の煙を封じた玉。


『眠り玉』:『睡眠シエスタ』の霧を封じた玉。


 これらの玉はテニスボール大で、全て彼女の錬成によって作られている。玉がくっついているから、普通の矢に比べて貫通力も飛距離も大きく落ちるが、敵の集団の真ん中に落とせばそれでいい話だ。放物線を描いて、いい場所で炸裂すれば、上手くいけば敵を一網打尽にできる。

 特に『眠り玉』は、相手に効果が気づかれにくいので、使い勝手がいい。コイツのお蔭で、ゴーマの根城に楽勝で侵入できた。

 城にいた、デカいゴーマの大ボスであるゴグマも、黒角弓と黒矢と武技があれば、頭に一発撃ち込むだけでカタがついた。

 苦難を乗り越え、俺達は強くなった――そう、思いあがってしまった。




 ゴーマ城から転移を果たして、広大な遺跡の街の攻略を始めた時、俺達はこれまでにない強敵と出会ってしまった。

「くそ、相性が悪すぎる……」

 ソイツは、鎧兜で完全武装した騎士だった。だが、中には誰も入っていない。鎧だけで動く、リビングアーマーと呼ぶべき魔物。

 上等な武器を持ち、スケルトンとは比べ物にならない戦闘能力を誇る。そして、何より恐るべきなのは、その頑丈さとタフさだ。

 スケルトンには『ポワゾン』も通って骨が脆くなったりしたが、リビングアーマーには全く通用しなかった。毒も猛毒も麻痺も、どれも効果がない。コイツは状態異常全般に、完全な耐性を持つのだろう。

 ならば、あとは力押し。あのゴツい鎧は、かなりの防御力を持つが、俺の矢なら貫ける。そう、確かに俺の矢はリビングアーマーを貫いた。だが、それだけだった。

 奴はコレといった弱点がない。兜に矢が突き立っても、リビングアーマーは平然と動き続ける。胴体に何十と矢を撃ち込んでハリネズミにしてやっても、痛がる素振りすらない。膝を撃っても、動きが鈍りすらしない。

 基本的に、先手を打って頭などの弱点を狙撃することで勝利を重ねてきた俺にとって、どこを射抜いても大してダメージが通らないリビングアーマーは、最悪の相性にある敵だった。

「遠矢くん、逃げよう。あの鎧は多分、光とかの属性じゃないと倒せないし、止めるならバラバラにするくらいにしないと」

「流石に『衝破』だけじゃ、アイツを粉砕するのは無理だ……逃げるしかないか」

 あるいは『黒矢』の『流星』なら、半壊くらいはさせられるかもしれない。だが、リビングアーマーはボスとして現れたワケじゃない。奴らは普通に、複数で組んで街中をウロついているのだ。全てを倒していくのは不可能だった。

「行くよ、遠矢くん――『黒煙スモーク』!」

 早矢ちゃんが逃走用の煙幕をバラまくと同時に、俺もこっちに向かって襲い掛かろうとしているリビングアーマーに対し、『煙玉』を撃ち込む。

 俄かに漂う濃密な黒煙は、完全に奴らの探知能力を奪う。せいぜい、弓矢を装備している奴が、苦し紛れに射かけてくる程度。

 そんなの、当たるワケがない……はずだった。

「――あっ!?」

 最悪に不幸な事故だった。

 煙幕の向こうから飛来した一本の矢が、偶然にも、早矢ちゃんに命中した。逃げるために、背中を向けて走り出していた彼女を、後ろから貫く。血塗れの矢じりが、早矢ちゃんの脇腹から飛び出してる。

「早矢ちゃん!? そ、そんな……」

 矢が刺さった彼女を目撃した瞬間、俺の頭の中は真っ白になってしまう。

「と、遠矢くん……止まったら、ダメ……早く、逃げないと」

 凄まじい激痛に襲われているはずなのに、早矢ちゃんは悲鳴一つ上げることなく、気丈にそう訴えかけた。確かに、彼女の言う通り。煙幕の向こうでは、リビングアーマーがこっちを追いかけてきている。ここでグズグズしていれば、奴らに追いつかれてしまう。

 ああ、早矢ちゃん、君は何て強い人なんだろう。俺なんて、その傷ついた姿を見ただけで、何も考えられなくなりそうだったというのに。

 落ち着け、俺がパニックになれば、どうしようもない。

「早矢ちゃん、しっかり掴まってて!」

「うん、ごめんね、遠矢くん……」

 俺は早矢ちゃんを背負って、『疾駆』を駆使した全力疾走でその場を急速離脱。幸い、リビングアーマーの移動速度はそれほどでもない。

 それに、この遺跡の街の攻略を始めて一週間近くが経過している。その間に、どうやら奴らは決まった場所を巡回しているだけで、そこを外れれば追いかけてはこない、というのも分かっている。

 妖精広場まで戻るには遠すぎる。

 だが、リビングアーマーの活動範囲外、それでいて、周囲の見通しが良く、守りやすい、比較的安全な場所は幾つか心当たりをつけている。

 とりあえず、俺はその内の一つである、大きな川の岸辺に建つ、高層マンションみたいな建物に駆け込み、最上階まで登った。

 ひとまず、ここまで来れば一安心。一刻も早く、早矢ちゃんを治療しなければ。

「はぁ……はぁ……と、遠矢くん、ごめんね、私がドジだから、矢に、当たって……」

「大丈夫、大丈夫だから、すぐに治るよ、こんな傷!」

 早矢ちゃんの顔から、血の気が引いて真っ青になっている。矢傷は一つ、まだ抜いてもいないから、それほどの出血量でもないはずだ。けれど、顔面蒼白で弱々しくつぶやく彼女を見ているだけで、どんどん俺の心の中に不安感が広がっていく。

 怖い、怖い……早矢ちゃんを、彼女を失ってしまうのが、何よりも恐ろしい。

 ああ、ちくしょう、こんなことならポーションを温存しておけば良かった!

 前々回のボスには苦戦させられて、俺もかなりの手傷を負ってしまった。確かに、生きるか死ぬかギリギリの重傷ではあった。偶然、宝箱から一つだけ入手した魔法の回復薬であるポーションを、早矢ちゃんが泣きながら俺に使ってくれたのだ。

 本当に、こんなことになるなら、彼女の好意に甘えず、俺はどんな重傷でも我慢して耐えるべきだったんだ……しかし、後悔しても遅すぎる。

 今、俺達の手元にある薬といえば、最初の頃からコツコツと集めてきた、四葉のクローバーしかない。

「遠矢くん……私……」

「喋らない方がいい。俺がずっと傍にいるから、安心して……必ず、傷は治るから」

 矢を抜き、傷口にクローバーをつぎ込み、できるだけの処置は完了した。

 だから、もう俺にできることは、彼女の白くて細い手を、握りしめて励ますくらい。

「ありがとう、遠矢くん」

 ああ、神様、お願いだ……どうか、どうか早矢ちゃんの命を助けてください……彼女が救われるなら、俺は何でもする。どんなことでもできる、だから、どうか、早矢ちゃんを……

第152話 はじめての宝箱

 チチチチ、と甲高い鳴き声を上げて小鳥の群れが頭上を飛び去ってゆく。ジャングルでも見かけた覚えのある鳥だ。

 この地下街にはジャングルと同じ動植物もあるようだ。少なくとも、その辺に生い茂っている緑の木々は、ジャングルと同じ熱帯風味なデザインだし。探せばマンドラゴラもあるかも。バナナイモはあった。

 注意するべきは、このエリア特有の新モンスだろう。あるいは、ダンジョンも奥に近づいてきたということで、これまでの魔物の進化系みたいな奴がいる可能性も。

「とりあえず、今日はこの辺の探索だけにしよう」

 新エリアということもあって、あまり妖精広場からは離れない近場だけに留めておく。警戒の意味もあるけれど、物資を集めることも考えている。

 僕の『直感薬学』と『魔女の釜』があれば、割と容易に食料を確保できる。メイちゃんもいるから、大猪だってチョロい獲物でしかない。

 恐らく、他のクラスメイトでここまで食料の確保に優れたスキル持ちはいないはず。水と妖精胡桃だけで生きていけるとはいえ、しっかり肉も野菜も食っている方が、より長い期間で見れば健康的、つまり、気力も体力も優れる。ささやかな影響力かもしれないが、これは僕が持ち得る数少ないアドバンテージの一つだ。

 少なくとも、蒼真パーティでも食料調達に優れてはいない。せいぜい、食用のヘビと、あとエビ芋虫の存在を知っているくらい。

 でも、傷薬の材料を見抜いた鑑定スキル持ちの天道君なら、食べられる動植物の見分けは容易だろうな。あと、人間も魔物も喰らえる『食人鬼』の横道か。この辺の奴らは、あまり食料に苦労はしなさそうである。

「私、頑張っていっぱい獲物を狩るよ! そして、美味しいお料理を沢山作るからね!」

 食べ物の話をしたから、メイちゃんが物凄い張り切っている。キョロキョロと忙しなく周囲を窺い、獲物の出現を今か今かと待ちわびていた。

「狩りも大事だけど、僕は建物の中も気になるんだよね」

 街と呼べるだけの、無数の建物がこの辺には軒を連ねている。民家のような小さな建物は、ざっと覗き込んだ限りでは、道中のダンジョンにある部屋と同じように、ただの伽藍堂だったり、元々は家具であったのだろう残骸が転がるだけの、見るからに収穫のない室内であった。

 だがしかし、このエリアに飛んできた妖精広場は、ちょっと大きな寺院のような建物の中にあった。同じ寺院があれば、妖精広場がある可能性が高い。他にも、大きな建物ならまだ中に何かしら残っているかもしれない。具体的にいえば、宝箱とか。

 僕、なんだかんだで、一度も宝箱ってお目にかかったことないんだよね。大体みんな、一回くらいは宝箱を見つけていると話は聞いているんだけどな。

「うん、建物の中にも、獲物がいるかもしれないね」

 僕は宝に目がくらみ、メイちゃんは肉に目がくらんでいる。まぁ、宝が先か、肉が先か、どっちでもいいけれど。

 他にも、メイちゃんから密林の遺跡で、小鳥遊小鳥が賢者スキルで古代のマップ装置を起動させたという話も聞いている。ヤマジュンに習ったお蔭で、ほんのちょっとだけ古代語が読める今の僕なら、もしかしたら使える装置やら設備やらがあるかもしれない。

「とりあえず、あの倉庫というか工場というか、そんな感じのあそこに入ってみよう」

 近場で目についた最も大きな建物を目指す。

 シンプルな箱型の建造物で、半分ほど緑に覆われている。だが、太いパイプが何本も各所に走っている無骨な外観。壁はレンガのようだが、パイプは金属製なのか、すっかり錆びた赤茶色でボロボロになっている。

 まずは、古代工場を外からグルっと一周して観察。正面には大型トラックが出入りできるような、シャッターなのか門なのか判別はつかないけど、大きな入り口が目につく。だが、固く閉ざされているようで、パイプと同じく錆びついた上に、いい感じに緑も生い茂っていて、ロックがかかっていなくても、開閉できるとは思えなかった。

 他には、裏口のような扉が二か所。その内の一つは正面入り口と同じように閉ざされていたけれど、片方は空きっぱなしになっていた。内部へ侵入するなら、ここがいいだろう。

「よし、それじゃあレム、先行してくれ」

「グガガ!」

 気合いの入った返事と共に、屋内戦でリーチの長い槍は不利と考えたのか、剣を手にしてからレムは先頭を行った。

 メイちゃんは超強いけれど、命のある人間であることに変わりはない。どんな危険があるか分からないダンジョン探索において、即死トラップにかかっても問題ないレムを先に行かせるのは当然だろう。素材さえあれば、レムはいつでも何度でも復活できるんだから。

「こんな廃墟でも、まだ電源は生きてるんだ」

 正確には、電気ではなく魔力がエネルギー源だろうけど。

 踏み入った古代工場の中は、ダンジョン内と同じく点々と白光パネルが点灯していた。ただ、かなり薄汚れていたり、壊れて消えていたり、今にも消えそうなほどチカチカしているものも見受けられる。

 ここは窓がほとんど見当たらない造りだから、灯りがついてて助かった。レッドナイフを松明代わりにするのは、あんまりやりたくはなかったし。

「うーん、やっぱり、荒れ果ててるなぁ」

「小太郎くん、そこ木の根が出てるから気を付けて」

 薄暗い廊下を歩く。覗き込んだ部屋の中には、他の民家と同様にこれといって何も見当らない。何かの残骸が散らばるか、自然に侵蝕されているだけ。

 今のところの収穫は、食べられるキノコと野草が一束といったところ。暗くてジメジメした場所が、生育に良いのだろうか。

「グガ」

 廃墟探索というより、単なる山菜取りのような状況の中、先頭を行くレムが立ち止まる。

「この先は大きな広間になってるみたい。それに……そこから、音が聞こえるよ」

 メイちゃんがレムに代わって僕に異常を伝えてくれる。今のところ、僕には何も音なんて聞こえないけど、狂戦士のメイちゃんの方が耳も良い。

「クラスメイトが魔物と戦っているのか、それとも魔物同士の争いか。どっちにしても、まずは見つからないよう観察しよう」

 君子危うきに近寄らず、とは言うけれど、ここにクラスメイトがいるならば確認しておかないワケにはいかない。

 姿勢を低く、ソロリソロリと広間の方へと僕らは進む。

 外れた扉を踏みつけて、例の広間へ入ると、なるほど、やはりここは何かの工場だったようだ。サイロのような円筒形の大きな設備が、二つ、いや、三つも並んでいる。曲がりくねったパイプが入り組んでおり、周りにはかなりの量の残骸が転がっている。残骸は製品なのか工作機械なのかただのガラクタなのか、原型を留めていないので元が何かまでは分からない。

 うっかり蹴飛ばして音を立てないよう、足元に気を付けながら慎重に歩く。

「ウォオオーァアアア!」

「グヴェラ、オバァアアッ!」

 広間に入ると、僕にも声が聞こえてきた。この声はゴーマと、もう片方は、人のように感じるが、恐らくはゾンビとかその辺だろうと思われる。

「どうするの?」

「そこに階段があるから、登って上から眺めてみよう」

 錆びついた階段を上ると、ちょうど上から工場内を見下ろせるような通路が張り巡らされている。声と音からして、ゴーマは奥にある三つ目のサイロの辺りで戦闘中だと察せられる。二階通路は、奴らの奮戦を見物するにはちょうどいい位置だ。

 そうして、冷やかし気分で僕は奴らの戦いを覗き込む。

「……精鋭のゴーヴ部隊か」

 七体のゴーヴが、そこで剣や斧を手に激しい戦いを繰り広げていた。チビのゴーマは一体もおらず、戦士階級のゴーヴのみで構成されているから、彼らは精鋭部隊と見ていいだろう。

 手にしている武器もそれなりの品質の良さだし、全員が綺麗な弓も背負っている。充実した装備は、それだけ偉い証でもある。

 ゴーヴ達は円陣を組み、四方八方から押し寄せてくる敵に対して、的確に対処をしていた。この戦いぶりだけでも、奴らの技量の高さが窺える。

「相手は何だ、ゾンビなのか?」

 ゾンビのように人型の魔物だ。しかし、エリート戦士なゴーヴに勝るとも劣らない筋骨隆々のマッチョで、アグレッシブに襲い掛かる様子から、これまで僕が相手にしてきたゾンビとは比べ物にならないパワーとスピードを秘めていることが分かる。

 人としての皮膚はなく、生々しい赤い筋肉がそのまま露出している。外見的には、骸骨じゃなくて筋肉がついてる方の人体模型みたいな感じだ。だが、全身の各所に、白い甲殻のようなものが点々と形成されていて、ゾンビというよりは、立派な別種の魔物らしい印象も抱く。

 うーん、とりあえず『ハイゾンビ』という名前で。

「でも、ゴリラのボスよりは全然弱いから、大したことない魔物だよ」

 ゴライアスのことだろうか。アイツは曲がりなりにもボスなんだから、強いに決まってる。メイちゃんからすればクソ雑魚ナメクジだろうけど。

 あまりアテにならないメイちゃんの戦力評価は置いといて、あのハイゾンビは真っ当に相手をすれば、なかなかの強敵だと僕は思う。

 元々、この工場に潜んでいたのか、それとも外から追いかけて来たのか、奴らは数十体もいる。数を生かしているのか、本能のまま戦っているのか、結果としてゴーヴを包囲している状態だ。奇声を上げてただ飛び掛かる奴らに対し、ゴーヴの精鋭戦士でも防戦一方。このまま順当に数を削れば勝てるだろうが、途中で誰かが脱落すれば一気に不利になる。そんな、緊張感のあるギリギリの戦況と見た。

「ハイゾンビはあの数が相手でも、何とかなる?」

「なるよ。体は脆いし、頭を潰せば動かないし、戦い方も単純だし。リビングアーマー一体の方が、厄介だよ」

「それじゃあ、ゴーヴの方は?」

「ゴーマの城で戦った時、あれくらいゴーヴは沢山倒してきたよ。カッコつけてるだけで、大して強くもないから、安心して」

 うん、安心します。

 とりあえず、必死こいて戦っている奴らの中にメイちゃん単独で乱入させれば制圧余裕というワケだ。僕からすれば、どっちも単なる敵の魔物でしかないから、さっさと死んでほしい。

 かといって、メイちゃん一人に何でもお願いするのもアレだし、ここは、軽くちょっかいをかけるくらいにしておこう。

 よく、タイミングを見計らって……よし、今がいいところかな。

「逃げ足を絡め取る、髪を結え――『黒髪縛り』」

 ちょっと久しぶりにフル詠唱。仕掛ける先は、勿論、奮戦するゴーヴ共だ。

 影から生やすことのできる『黒髪縛り』は、弓矢や攻撃魔法のように、弾道から位置を割り出されないから、隠れて仕掛けるには非常に都合が良い。

「グブッ、ムガァッ!?」

 突如として足元の影から這い出た黒髪の触手が、手足にまとわりついて来て、ゴーヴは切羽詰った悲鳴染みた叫びを上げていた。

 奴らのパワーなら、頑張れば普通に引き千切れる程度の拘束力でしかない。だがしかし、彼らは殺到するハイゾンビを相手にギリギリ限界バトルの真っ最中。

 そんな中で、一瞬でも動きを阻害されればどうなるか。それも、互いに命を預け合う七体の仲間も同時に縛られていれば。

「ブガッ、グッ、ゲヴァァアアアアアアアッ!」

 悲痛な悲鳴と共に、ゴーヴがハイゾンビの猛烈なタックルを喰らって押し倒された。

「ゼバ!? ジェグバ――ンバァアアアアアアアッ!」

 あっ、倒れた仲間を助けようとして、背中から飛び掛かられてやられている。

 一気に二体の仲間が倒れたことで、ゴーヴの円陣は崩れ――あとは、割とあっけなくハイゾンビの群れに飲み込まれた。

「がんばれー、一体でも多くハイゾンビ共を道連れにしてくれよー」

 僕の温かい声援に応えるように、押し倒されてもがくゴーヴは、全身を噛み付かれながらも、最後の武器であるナイフを振るって刺しまくる。

 そうして、最後の最後まで激しく抵抗しながらも、ついにハイゾンビの猛攻を前に、ゴーヴ部隊は全滅となった。激戦を経た結果、勝利を収めたハイゾンビ軍もかなりの数を減らしている。奴らはもう、十体も残ってない。

 いやぁ、いい戦いだった。感動した。君たちの奮闘は忘れないよ。

「それじゃあ、メイちゃん、レム、あとはよろしく」

「うん!」

「ガガ!」

 ガチムチマッチョで食べごたえのありそうなゴーヴの死体を、勝利の美酒としてガツガツと貪りはじめた生き残りのハイゾンビ達の後ろから、情け容赦ない狂戦士と、殺人マシーン同然の泥人形が襲い掛かった。




 ゴーマVSポーンアント以来の漁夫の利を得た僕は、まずコアを回収。ゴーヴもハイゾンビも、どっちも小さな欠片ではあるが、確実にコアを持っている。

 メイちゃんは基本的に自分で仕留めた魔物の分のコアは、自分のモノとして所有しているから、結構ある。でも、僕は大山杉野のガチホモカップルにカツアゲされたせいで、一欠けらも手元にない。

 彼女の貯金に頼らず、僕もコツコツと溜めていかなければ。ヒモ生活は御免だよ。

 次に装備品を回収。とはいっても、メイちゃんの武器は『賢者』謹製の高品質というか、超品質である。レムの装備が更新できたくらい。

 剣と槍とナイフ。それと、トマホークのような小ぶりの斧も一本、頂戴した。

 今やすっかり身長も高くなり、鋼線筋肉のお蔭でガタイも良くなったレムは、マッチョなゴーヴが身につけている防具などもそのまま装着できるようになっている。汚らしい服はいらないけど、武器やポーチを下げるベルトなどは使い道がある。

 肩や腰の各所にベルトを装着し、回収した武器を装備させた。

 でも、そこそこの質の弓矢が手に入ったのは一番の収穫だ。今やレムの弓の腕は、かなりのモノだ。天職『射手』には色々な面で及ばないだろうが、狙って、撃って、当てられる、というだけで弓兵としては十分すぎるほどの実力である。これで、『クモカエルの麻痺毒』に次ぐ毒薬を生成できれば、攻撃面でも期待できる。

 レムに弓を持たせ、予備で僕がもう一つ持って、出発。

 工場では、他に魔物と遭遇することはなかった。せいぜい、デカい虫が群れてキモかったり、蛇がチロチロと横切って行ったりといった程度。蛇の奴、危機を察したのか、さっさと壁の亀裂に逃げて行った。メイちゃんが「食べられそうだったのに」と酷く残念そうだった。

「結局、大した収穫はなかったな。この部屋を見たら、もう出ようか」

 工場の最上階にあたる三階、その奥にある両開きの扉で閉ざされた部屋。この中に何もなければ、工場探索は完全な空振りということになる。

 まぁいいや、どうせ一発でアタリを引けるほど、僕の運が良くないってのは十分承知してるし。

 それでは、大した期待も込めずに、オープンザドア。勿論、メイちゃんによる力技である。

「あっ……宝箱だ! 小太郎くん、あれ、宝箱だよ!」

「えっ、どこどこ!?」

 バーンと派手に扉をぶっ放した先で、メイちゃんが嬉しそうに叫んだ。

 まさかの大当たりに、僕は勇んで部屋に踏み込むが、ゴホゴホ、換気悪いぞこの部屋!

「宝箱って、どれ?」

 積もった埃でケフケフしながら、中をざっと見渡すが、ソレらしいモノは見当たらなかった。ソレらしいとは、勿論、デカい鍵穴のついた金属で補強された木箱である。

 室内には、ロッカーらしき金属の棚と、大小のコンテナのような錆びついた箱が転がっているだけだ。

「アレだよ、アレが宝箱なの」

「あっ、そうなんだ」

 転がっているコンテナの内の一つをメイちゃんが指差す。大きさは縦1メートル、横50センチ、高さ30センチといった直方体。黒っぽい色で、金属のような、そうでもないような、不思議な質感をしている。そこに転がり落ちて久しいのか、宝箱コンテナの周りには雑草が生い茂って、半ばまで覆い尽くしていた。

 なんかちょっと、思ってたのと違う……けど、中身があれば箱なんてどうでもいいや。

「うーん。やっぱり、鍵がかかってるみたい」

 とりあえず宝箱だという箱を引っ張り出して、ガタゴトしてみるが、全く蓋が開く気配はない。というか、これ、蓋ってどこについてるの?

「えっと、魔力を流すと開くんだって」

「そうなんだ。っていうか、魔力を流すってどうやれば――うおっ!?」

 特に意識してなかったけど、突如として宝箱がヴォンと音を立てて光を放った。縦横に青白い光のラインが走り、そして、次の瞬間には、カチリとロックの外れる音と共に、箱の上部がスライドして開いていった。

「お、おおぉ……」

 魔法的というより、どこかSFチックな開き方に感動する。中を覗けば、ラインと同じように青白い光が灯っていた。

 そして、そこに保管されていたのは……

「これは、杖なのか」

 魔法の杖、なのだろう。黒っぽい木の杖で、微妙な捻じれを描きながら、先端は鷲の足のような、鋭い爪を備えた手がついていた。

「この杖、どっかで見たことあるような――あっ!」

 ゴーマの砦のボスが持っていた、爆破杖だ。炎の赤い魔石こそ嵌っていないが、アレにそっくりなのだ。

「待てよ、それなら」

 僕ははやる気持ちを抑えながら、鞄の奥底で完全に肥やしとなっていた、緑色の玉を取り出す。そう、風属性の杖を持っていた西山さんから拝借してきた、風属性の魔石である。

「頼む、動け……おおっ!」

 拳大の風魔石を、爪の手が動いてガッチリと握り込んだ。

 そして、僕はドキドキしながら、その杖を振るった。

「――『風刃エールサギタ』」

 ヒュウン、という音と共に、一陣の風が薄緑色に輝く光となって、解き放たれた。

 それは、間違いなく、攻撃魔法の発露。呪術師となって、苦節ウン十日。僕はこの異世界において、初めて呪術ではなく、魔法を行使したのだった。

「や、や、やったーっ!」

「よかったね、小太郎くん。おめでとう」

 こうして、僕ははじめての宝箱から、魔法の杖を手に入れたのだった。

第153話 ドキドキ新生活

 魔法の杖を手に入れた僕は、ウキウキ気分で工場を出た。

「は、早く試し撃ちをしてみたい」

「次に魔物が出て来たら、撃っていいよ」

 欲しかったオモチャを買ってもらってハイになってる息子を見る様な、母の如き優しい眼差しのメイちゃんである。

 とりあえず、大変実りのある工場探索だったが、この辺のエリアの探索そのものは継続中。まだ妖精広場に帰るには早い。僕はしっかりと杖を握りしめて、遺跡の街を歩く。

「ねぇ、小太郎くん、アレも魔物なのかな?」

 例によって隠れながら、僕らは新たに発見した魔物らしき複数頭の群れを眺めていた。

 そこは元々、公園だったのか、開けた場所となっている。草木が生い茂り、小さな池もあるようだ。

 そんな場所に、羊みたいな草食動物が群れていた。その辺の草をモサモサ食ってるし、草食なのは間違いない。

 白くてフワフワしている体はあの雲野郎を連想したが、奴らとは違って、コイツらは純粋に毛皮によって膨れているだけだ。白毛皮のモコモコの草食動物といえば完全に羊だろと言いたくなるが、妙に体は丸っこいし、首が長い。羊より、アルパカの方が近いかもしれない。

「いや、アレは普通の動物だよ。『ジャージャ』っていうんだったかな」

 ヤマジュンから教えてもらったメール情報の中で、コイツと一致する特徴を持つのがジャージャだ。

 魔法陣のメール情報は個人間でかなりバラつきがある。僕が知る限りでは、ヤマジュンのメール情報は一番充実していた。

 なので、古代語練習帳とセットで、別のノートにヤマジュンが知る限りの魔物情報も書いてもらっている。貴重な彼の遺品でもあり、大切な情報源でもある。

「食べられるの?」

「うん、アイツは食用に適した草食動物だから、見つけたら狩るのをオススメされてたよ」

 パァアーっと、目がキラキラしてるメイちゃんは、今にもハルバード片手に飛び出していきそうだ。

「でも、ジャージャは鹿みたいに警戒心も強くて逃げ足も速いらしいから、ここはレムの弓に任せよう」

 偶然にも風下から接近した形となったので、僕らはまだジャージャに気づかれていない。動物を狩るならば、遠距離武器である弓矢が適切だろう。まぁ、メイちゃんなら槍を投げつけるだけでも、十分な威力と射程でジャージャを仕留められそうだけど。二匹まとめて貫通とかしそう。

「じゃあ、頼んだよ、レム」

「グガガ……ガガ?」

 レムが背負っていた弓を下ろして、構えようとしたちょうどその時、夢中で草を貪り食っていたジャージャが一斉に顔を上げた。

 まさか、気づかれた?

 ジャージャは「マァー、モォアアー」と変な鳴き声を上げながら、さっさと逃げ去って行った。

「ああー、逃げちゃった」

「何で気づかれたんだろう」

 美味しい生肉が遠ざかっていくのをとても残念そうに見送るメイちゃんは置いといて、僕は原因を考えた。もし音で気づかれたのなら、僕らがジャージャを発見したその瞬間に逃げられているはず。臭いも、風向きはまだ変わっていないし、嗅ぎつけたとも考え難い。

 ならば、魔力の気配とか、殺気を感じられるのか……なんて思ったところで、答えは出た。

「ブフゥー、ブルルッ!」

 街角からひょっこりと現れたのは、大きなサイの魔物。立派な一本角に、全身を覆う茶色の毛皮。間違いない、アイツは以前、ジャングルで遭遇したのと同じ魔物だ。

『ロイロプス』という名前だと知ったのは、ヤマジュンの魔物情報を教えてもらってからだ。

 初遭遇の時はサラマンダーみたいなドラゴンが、急降下で捕食していったから助かったが、今回はそんな奇跡的な横やりが入ることはないだろう。

 現れたロイロプスは、この辺に天敵などいないかのような余裕の態度で、堂々と公園に乗りこんできては、さっきまでジャージャが食っていた草を食べ始めた。あの草、大人気かよ。

 どうやら、ジャージャが逃げたのはロイロプスがやって来たからなのだろう。

「うーん、流石にアイツを矢一発で仕留められるとは思えないなぁ」

「それじゃあ、私がやるよ」

 強烈な肉への執着心か、メイちゃんが名乗りを上げる。危険とかどうとか以前に、もっと大きい獲物が出て来てくれて僥倖、とか思ってそう。

 ロイロプスは見た目通りのパワーを誇るが、ゴライアスを雑魚扱いのメイちゃんならば、十分に対抗できるだろう。

「……うん、アイツの肉も美味しく食べられそうだから、狩ってみよう。ロイロプスは普通に魔物だから、人を見たら逃げずに襲い掛かって来るよ」

「任せてよ、小太郎くん。よーっし、頑張るぞ!」

 そうして、勇んでメイちゃんはロイロプスの下へと飛び出して行った。

「ブルル、ブゴォーッ!」

 現れたメイちゃんを見て、ロイロプスは鼻息荒く興奮している様子。食事の邪魔をされてお怒りなのか、人間を見るといつもこういう反応なのか。僕の時は、最初から怒り狂っていたような様子だったから、人を敵だと認識しているのだろう。だからこそ、魔物なのかもしれない。

「さっ、おいで」

 ハルバードを両手持ちで、大きく体を捻って構えるメイちゃん。完全に一撃必殺を狙っているようだ。

 メイちゃんとロイロプスの間で、僅かな睨み合い。

 だが、牽制も読み合いもない、常に全力勝負の魔物であるロイロプスは、すぐに突進を開始した。やはり、トラックが全力で突っ込んでくるかのような迫力だ。恐らく、今のレムでもあれほどの巨躯を相手にすれば、真っ向勝負で勝ち目はない。

 けれど、メイちゃんは『狂戦士』だ。

「ふうっ――ハアッ!」

 裂帛の気合いと共に繰り出されたハルバード。その重厚な斧の刃は、突っ込んできたロイロプスの側頭部へとクリティカルヒット。

 ドッ! という重い音を響かせながら、ロイロプスの巨体は一気に横倒しとなり、地面をズザザーっと滑っていった。起き上がる様子はない。ピクリとも動かない。

 メイちゃんの一撃によって、完全に脳まで破壊され、死んだのだろう。

「うわ……やっぱメイちゃん凄い……」

 自分の何倍も大きな魔物を相手に、武技すら使わず、たった一発で殺し切るその恐るべきパワー。今の彼女は、僕が思っている以上に強くなっているのかもしれない。

 正直、蒼真君や天道君と同じくらい、底が見えない。だからこそ、頼もしい。僕にとって、彼女はこのダンジョンで一番の希望だ。




 仕留めたロイロプスはあまりの巨体故に、これを引きずって探索するのは無理だ。公園の池で血抜きと大まかな解体をしてから、妖精広場へと一旦帰還。

「今日はもう、肉の加工だけにしよう」

「うん、こんなに沢山あると、作り甲斐があるね!」

 流石、筋金入りの料理好きのメイちゃんは、大量の生肉を前に嬉しそうだ。『魔女の釜』という万能調理器具があるから、料理の幅は広がるし、調理の手間も省ける。

 というワケで、僕はまず『魔女の釜』の製作に入る。大量の肉を保管する冷凍庫も必要だから、風呂桶並みにデカいのもセットで用意しておこう。

「ねぇ、小太郎くん。このお鍋、私でも使えるようにならないかな?」

「えっ? うーん、どうだろう……」

『魔女の釜』で熱したり冷ましたりミキサーしたり、といった効果を作用させるのは僕自身である。術者だから当然だけど。他の人には操作できない。というか、今までの面子を考えると、勝手に操作される方が困る。釜を使って色々できるのは、僕自身にとっての大切な役目、価値であったから。

 しかし、メイちゃんと二人コンビに限っていえば、料理担当の彼女が自分で釜を使えた方が断然、便利。むしろ、料理素人な僕が毎回手伝う方が、かえって足手まとい。

「それじゃあ、ちょっと使ってみる?」

「うん!」

 というワケでトライしてみた結果……半分成功、半分失敗、であった。

「なるほど、発動だけなら魔力でできるけど、効果を操るのは術者だけってことか」

 釜に、その時に発動させる能力を決めておけば、メイちゃんでも使うことができる。ちょうど、あの宝箱の開け方と同様に『魔力を流す』という感覚的な操作で、完成させた状態の『魔女の釜』を作動させることができるワケだ。

 しかし、効果の切り替えは、どうやってもできない。つまり、冷蔵庫に設定してある釜を、メイちゃんではオンオフだけはできるけど、それで煮炊きする効果に変えることはできないのだ。

 ということは、用途に応じた数だけ、釜を作っておけばいいってことだよね。ちょっと手間だけど、メイちゃんのためなら惜しまない。

「ありがとう、小太郎くん。これなら、色々できるから、楽しみにしててね!」

「うん、じゃあ、料理はメイちゃんにお任せするから」

 というワケで、メイちゃんが嬉々として調理に入ったので、僕はお風呂と寝床の準備でもしておこうかな。

 風呂桶代わりとなる『魔女の釜』のために、今日何度目になるか分からない泥遊びをしながら作っていく。メイちゃんが入浴するなら、いつもより大きめに作っておいた方がいいかな。

 大漁の泥をレムと一緒にペタペタやりながら、僕はぼんやりと考える。

 ロイロプスを運ぶのに、少々苦労させたれた。というか、ほぼメイちゃんによる力技である。今回は、真っ直ぐ妖精広場へ帰ってくることができたが、こういう時に魔物に襲われれば面倒だ。欲をかいて荷物を持ち過ぎたせいでやられました、となったら馬鹿みたいだし。

「荷物持ちが欲しいかな」

 今の僕は、レムを最大で五体まで行使できる。密林塔では、豪華装備のレムとラプターに加えて、二号、三号、四号、まで作り出した。合わせて五体。あるいは、僕の魔力ステータスが成長していれば、六体まで行けるかもしれない。

 無論、レムの性能が上がれば、その分だけ魔力消費も増えるので、作れる人数は減る。これは、ただ魔力の回復を待ちながら、素材をつぎ込んで高性能レムの生産をしても同じだ。

 魔力全消費するレベルのレムを、五体作ることはできるだろう。しかし、そうして出来上がったレムが、五体全て十全な性能を発揮できるかといえば、恐らく、無理だ。

 泥人形の製作とは別に、行使するにも魔力、いや、制御力というべきか、そういう能力が必要となっている。今はレムが一体だけだから何も感じないけれど、人数と性能に比例して、術者である僕の制御力にどんどん負担がかけられる。そして、どこまでレムをフルに行使できるか、というのが僕の『汚濁の泥人形』の習熟度によるってことだ。あるいは、魔法の制御力、というパラメータが一つの能力・才能としてあるのかもしれないけど。

 素材さえ揃えばいくらでも強くなれる、とはいかないのが残念だけれど、できる範囲で自分の能力は生かしたい。今なら、まだ二体、三体くらいは、それなりの性能でレムを作れる。

 その内の一体を、戦闘用ではなく荷物持ちと割り切って作り出すのもアリじゃないかと思ったわけだ。

 戦闘系の天職の者は、武器の他にこれといって必要なモノは少ない。せいぜい、コアを回収するくらいだろうか。妖精広場のお蔭で、飲食と寝床が保証されているから、手ぶらでも何とかなる。

 しかし、呪術のための素材に、肉などの食材も確保できるとなれば、僕としては色々と持ち運びたいモノがある。予備の武器や各種薬なども、あるに越したことはないし。

 欲張りとは言うなかれ。この物量こそが『呪術師』である僕にとっての貴重なアドバンテージの一つなのだから。

「とりあえず、ゴーヴかハイゾンビでもいいから、作ってみるかな」

 そんなことをダラダラと考えながら、お風呂を作って、寝床を作って、それから薬の製作とヤマジュンから託されたノートで古代語の勉強などなど、色々している内に、美味しそうな匂いが漂ってきた。

「小太郎くーん、ご飯できたよー」

 さぁ、料理部ガチ勢のメイちゃんが作った、待望の夕食だ。ロイロプスの肉の味がどの程度かは未知数だけど、正直、かなり期待している。

「やっぱり、シンプルにステーキがいいと思うの」

 と、熱い鉄板状態となっている浅く作った釜で、すでにジュウジュウと音を立てて、肉汁が滴る分厚い肉が焼かれている。

 隣の釜をそのまま器にして、焼き加減がレアの肉がドーンと鎮座している。どこの部位なのかは分からないけど、脂がのって、赤々とした新鮮な肉は実に美味そうである。

「スープもあるよ」

 さらに隣の深めの釜には、ぐつぐつと煮えたぎったキノコと葉野菜のスープが。二品用意するとか、僕にはなかった発想だ。いっつも牡丹鍋で、みんなごめん。

「本当はご飯が欲しいけど、バナナイモのマッシュポテトで我慢してね」

 まさかの炭水化物まで登場である。吹かして潰すだけのマッシュポテトなら、確かに簡単に用意できる。けど、やっぱり僕にはこんなのを作る発想が欠けていた。

「ほとんど手抜きみたいなメニューでごめんね。手元にある食材で美味しく食べられそうなのは、これくらいが限界だったから」

「いや、全然、凄いよメイちゃん! いまだかつてないご馳走揃いだよ!」

 このダンジョンにおいて、主食と汁物とメインディッシュの揃った食事をとった者は、きっと僕らが史上初だよ。僕は今、歴史的なご飯を食べようとしている。

 最早、これ以上の言葉は不要。発するのは、ただ一言だけ。

「いただきます!」




「小太郎くん、こ、これは……」

 メイちゃんが用意してくれた夕食は衝撃的だったけど、今度は逆に彼女の方が衝撃を受けていた。

「お風呂だよ」

「お風呂! 凄い、なんで、どうやって!?」

「大きい『魔女の釜』でお湯を沸かしただけだけど」

「凄い、小太郎くん天才だよ!」

 いや、絶対誰でも思いつくと思うけどな。でも、ここは素直に褒められたことを喜んでしまう。

「先に入っていいよ」

「いいの!」

「いいとも」

 無邪気に喜ぶメイちゃんが微笑ましい。日本人なら誰だって風呂には入りたいだろうし、まして女子ならば尚更だろう。あのレイナだって風呂の魔力には抗えなかったワケだし。

「それじゃあ、僕は広場を出るから」

「ダメだよ」

 踵を返したところで、ガシっとメイちゃんに肩を掴まれた。えっ、なに、どういうことなの。

「妖精広場の外に出たら、危ないよ」

「いや、でも出ないと、その、覗けるような状態になっちゃうし」

「そんなこと気にしてる場合じゃないよ。もしものことを考えて、小太郎くんは一人で離れたら絶対ダメ」

 凄い、流石はメイちゃんだ。女子の入浴を覗くのは重罪という、日本人女性の価値観をあっけなくぶち壊して、危険なダンジョン生活に見事に適応した先進的な思想である。

 実際、僕はこの女子の裸を見ないための配慮によって余計なリスクを背負ってきた、という思いは持っていた。

 その最たるモノは、最悪のハーレムパーティである。例のオナニー事件がなくても、僕が何らかの事故、あるいは冤罪によって、女子の水浴びを覗いた、などという嫌疑がかけられれば、結果的には同じ末路を辿っていたに違いない。容疑の時点でギルティーとか、魔女裁判もいいとこだよね。

 蘭堂さん達だったら、たとえ覗いたとしてもまだ情状酌量してくれる余地はありそう……だけど、信頼を失うというリスクにはさほど変わりはない。

 レイナの場合に至っては、アイツが覗かれたと思って泣いた時点で、全ての霊獣とヤマジュン以外の男共が敵に回る。

 女子の入浴を覗く。犯罪的な意味ではなく、主に不可抗力で。僕が愛するマンガやアニメやラノベでは、定番の展開、ラッキースケベの王道。そのシチュエーションに多少の憧れは抱いていた。

 だがしかし、現実では死の危険が付き纏う、最高に理不尽な即死トラップも同然だ。

 だからこそ、僕はスケベ心云々よりも、女子の裸を目撃することの致命的な危険性を最重要視して、行動してきた。蘭堂さんに「覗くなよ」なんて冗談を言われても、僕にとっては冗談じゃないと半ギレになるほど、心に余裕が持てない重大案件である。

 僕は自分自身の命のために、女子の着替え、水浴び、入浴の際には万が一にも誤解がないよう細心の注意を払って行動してきたんだ。正に、命がけの気遣いである。

 なんてくだらない、とんでもない理不尽だ。そう思ってイラだつことは、何度もあった。けど、命には代えられない。そして、感情に生きる女子に対して、僕のこの危機感を理解することはできないだろう。

 そう、思っていたのに、メイちゃんは僕のささやかな危険を優先してくれたのだ。

「ありがとう、そう言って貰えて、凄く嬉しいよ」

 泣きそうなほどに嬉しいね。感情とリスクを天秤にかけて、合理的な判断が下せる、というのがこんなにもありがたいことだと、心の底から実感するよ。

「うん、それじゃあ……一緒に、入る?」

「えっ」

 えっ、え、えぇ……思考が止まる、殺し文句であった。

 いや、待て、落ち着け、これはメイちゃんの罠だ。

 ただの冗談、かもしれない。いや、冗談ならまだいい方だ。

 恐らく、メイちゃんは僕のことを男として見ていない。小学生くらいの子供だと思われているような気がするのだ。保護すべきか弱い存在だと認識しているからこそ、一切の危機感ナシにこんなことを言いだしている可能性を考慮すべきと進言します。だから、どうか落ち着け、僕の性欲。期待なんてするんじゃない!

「は、ははは」

 かろうじて、冗談だと受け取りました、というリアクションで笑ってみる。

「あっ、折角だから、脱がせてあげるね」

 何が折角なのか意味分かんないし、メイちゃんの手が自然な動作で僕の学ランのボタンを外してるし、えっ、ちょっ、これ、冗談とかじゃない、ガチ、ねぇ、ガチなのメイちゃん?

「……メイちゃん、五分待っててくれるかな」

「えっ? いいけど」

 僕は努めて冷静に、彼女から距離をとる。そして、右を見て、左を見て、周囲の状況を確認。

 よし、これならいける。

「『黒髪縛り』ぃいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」

 全力で発動させる。まずは、黒髪のロープを風呂のすぐ隣に張る。妖精広場の両サイドには胡桃の木があるから、その両端を結んで、頭上3メートルくらいの位置でロープを張るのだ。で、風呂のところに『蜘蛛の巣絡み』の要領で黒髪を編み合わせて布状にしたモノを全力で展開して、被せる。短い時間で、まだあんまり慣れてない布地を編んだものだから、かなり目は荒いけど、向こう側が透けて見えなければそれでいい。

 そうして、僕は五分の持ち時間をギリギリいっぱいに使って、無事に風呂場の仕切となる黒髪製カーテンを完成させた。色が黒一色なので、カーテンというより暗幕みたいな出来である。

「はぁ、はぁ……それじゃあ、僕はこっち側にいるから。気にしないでお風呂に入っててよ」

 と、半ば捨て台詞のように言いながら、僕はカーテンの向こう側へ歩き去った。この仕切があれば、妖精広場にいても風呂場を視覚的に隠すことができる。

「もう、そんなに気にしなくてもいいのに」

「い、いやぁ、でも、こういうのがないと、落ち着かないし」

「ふふふ、気遣ってくれたんだよね。ありがとう、小太郎くん」

 気遣ってくれたのは、むしろメイちゃんの方だと思うけど。

 メイちゃんが僕に対して全幅の信頼を寄せているとしても、僕の方は彼女に対して信頼と同時に、かなりの下心も抱いてしまっている、というのが問題だ。実はメイちゃんのこと、ずっとエロ目線で見てました、と知られてしまったら、その信頼がどうなるかは分からない。

 つまるところ、メイちゃんが相手でも、これまで通りにリスクは冒せないのだ。

 もしかしたらマジでただの自惚れかもしれないけど、メイちゃんが僕のことを男として本気で惚れていたとすれば、そりゃあお風呂も一緒に入って、それ以上のことも期待できて最高だけれど……そうではない、可能性がある。100%両思いで男女の関係が成立する、というのが保証されなければ、その可能性に踏み込むことはできない。

 ヘタレ? いいや、違うね、これが僕にとっての安全保障条約だ。

 平和な学生生活の中でなら、僕の方からイチかバチかで告白ということはできた。けど、このダンジョン生活の中でフラれてしまえば、それは死を意味するに等しい。

 メイちゃんが信頼をもって僕と行動を共にしてくれる、という状態は、今の関係性の維持が前提にあるのだ。良い方向でも悪い方向でも、これを崩すリスクだけは冒せない。

 ならば、あえて言おう。僕、このダンジョンを脱出したら、メイちゃんに告白するんだ。

 そういうことにしておかないと、僕だって、気持ちの整理がつかないよ……

「わぁー、凄い、これハンモックっていうんだよね?」

 心がボロボロになりながらも、無事にお風呂イベントを乗り越えて、いざ就寝。メイちゃんは僕が用意した蜘蛛糸のハンモックにも、大いに喜んでくれた。

「ふふふ、一緒に寝る?」

 メイちゃん、実は僕のこと殺そうとしているんじゃないだろうか……どうやら、彼女との二人パーティは、自分自身の理性との戦いになりそうだ。

第154話 二度目の奇襲

「朝食が昨日の残りモノじゃないって、凄いことだよね」

「そう? 別に、普通だよ」

 メイちゃんが当たり前のように用意してくれた朝食は、昨日のロイロプスステーキ食べ放題とは打って変わって、起き抜けにやさしいアッサリ系の料理であった。

「ねぇ、このスープに入ってる団子ってどうしたの?」

 手元にある食材は肉と芋と野菜が少々。団子など所持していない。コイツは一体どこから出て来たんだ?

「それ、バナナイモからとった片栗粉で作ってみたの。ジャガイモとは微妙に風味が違うけど、まぁまぁ美味しくできたと思うんだけど……もしかして、口に合わなかった?」

 とんでもない。

 そういえば、片栗粉って本来はカタクリっていう植物の根で作るけど、店で売ってるものは馬鈴薯デンプン、つまりジャガイモを原材料にしているらしいと、小学校の家庭科の授業で聞いたことあるような、ないような。

 ともかく、イモがあればデンプンが抽出できて、片栗粉の製造も可能ということなのだ。僕には全く思いつきもしなかったアイデアだ。そして何より、『魔女の釜』を使いこなしているからこそ、片栗粉を作り出すことに成功したのだろう。

「美味しいよ。っていうか、団子まで作るとか凄いよ」

 メイちゃんの凄いところは、一つの食材から、様々なバリエーションに展開できる、料理の知識と、それらを美味しく作り上げる腕前であろう。テレビで一流の料理人がありあわせの材料で美味しい一品料理を仕上げてスタジオ大興奮、みたいな番組見たことあるよ。上手な人は、縛りプレイをさせても上手なものなのだ。

「これ、ハーブティーのつもりなんだけど、どうかな?」

「うーん、独特の臭みあるけど、お茶として飲めないことはないと思う」

「やっぱり、風味が強すぎるよね。これはちょっと失敗かなぁ」

「でも水以外のモノが飲めるのって、凄い進歩だよ」

 食後のハーブティーまで嗜んで、僕はダンジョン生活始まって以来の満足感ある朝食を終えたのだった。

「それじゃあ、探索の続きと行こうか」

「うん!」

「グガァッ!」

 元気のいい返事と共に、昨日は途中で中断した広場周辺地域の探索を再開。探索だから、まだ次の広場へ向かうつもりはない。だから、大量のロイロプス肉の他、メイちゃんズキッチンと化している沢山の魔女鍋に、風呂場もそのままにしてある。

 荷物持ちを含め、レムの戦力も最大化させておきたいし、まだ二三日はこの広場に滞在することになるだろう。

 そんなワケで、今回は昨日の工場とは反対側を進む。

 こちら側は、特に目立つことはない民家風の建物が雑然と続いている。工場のような目立って大きな建物はない。せいぜい、三階建てのアパートみたいな箱型の建造物があるくらいか。

「ひとまず、あの高いマンションみたいなところまで行ってみようか」

 ここから目立って見えるのは、10階建て相当と思われる、背の高いビルである。外観からしてマンションっぽいけれど、ひょっとしたら違うかもしれない。宝箱、あるといいな。

 そうして、歩き始めること五分。

「あっ、ジャージャがいるよ、小太郎くん」

 街角をトコトコ歩いていくジャージャの小さな群れを発見。大きいのと小さいのが混じっている。家族なのだろうか。

 こういう廃墟の街を、草食動物が闊歩していく光景は長閑さながらもポストアポカリプスな雰囲気を感じる。ほら、ここゾンビも出てくるし?

「ロイロプスの肉があるから、今回は見逃そうよ」

「でも、種類が違えば、また違った味わいがあって美味しいよ?」

 なるほど、一理ある。飽食の現代っ子の僕らは、代わり映えしない食事にすぐ飽きが来ることだろう。同じ肉でも、バリエーションは多い方がいい。

「荷物になるから、帰りがけに発見したら、一頭狩ろう」

「うー、そうだよね、そうするよ」

 見つける度に新しい肉をゲットしていたら、探索がいつまでたっても進まないよ。天道君の黄金魔法陣アイテムインベントリーがあれば、好きな時に好きなだけ回収できるのに。マジチートだよね。

 メイちゃんが名残惜しそうな視線でジャージャを見送りつつ、探索を続行。

「キョォアアアアアアアアアッ!」

 直後、けたたましい叫び声が響きわたった。この声は、つい昨日も聞いたばかり。

「ハイゾンビだ!」

 言うと同時に、予想に違わず民家の角から、筋線維丸出しの赤いマッシブボディなハイゾンビが姿を現した。声か、臭いか、それとも魔力察知か、明らかに僕らのことを認識しており、アスリートみたいな逞しいフォームで全力疾走だ。

「ちょうどいい、今度こそ杖の試し撃ち――」

「アァアアアア!」

「ちょっ、早い、来るの早いから――ええい、『風刃エール・サギタ』っ!」

 折角の初攻撃魔法に、カッコつける暇もなく僕は杖から『風刃エール・サギタ』をぶっ放した。

 微かに魔力が杖に流れてゆく感覚と共に、即座に薄緑に輝く風の刃が放たれる。矢のような速度で飛翔してゆく『風刃エール・サギタ』は、狙い違わず、一直線に突撃してくるハイゾンビに命中。

 マッシブな胴体を横一文字に切り裂き、激しい血飛沫が上がる。ハイゾンビはのけ反り、全力ダッシュが止まった。

「ウォオアアッ――グ、ギ、キィイアアアアアッ!」

 だが、胸元に深い切り傷を刻み込んだまま、血塗れのハイゾンビは倒れることなく、再び走り始めた。

「うわっ、マジかよ、HP高すぎじゃない!?」

 一撃で倒し切れなかったこともショックだし、痛々しい傷痕のままで元気いっぱいに猛ダッシュのハイゾンビに、僕はかなり焦る。

 早く、もう一発、っていうか、二発で倒したら、速攻で他の奴に距離を詰められる!

「ウォガッ、アァ……」

 けれど、僕が二発目を発射するよりも前に、ハイゾンビはあっけなく倒れた。

 その額には、深々と矢が突き刺さっていた。ヘッドショット。

「レムぅ!」

「グル、グガガ」

 頼れる相棒のナイスアシストに、僕は感動する。

「ふぅううう――『撃震』」

 そして感動している間に、メイちゃんが武技で殺到してきた後続のハイゾンビの群れをブッ飛ばしてくれた。

風刃エール・サギタ』の一撃にも耐える、タフなマッチョボディを持つハイゾンビは、メイちゃんの武技を受ければ、首や手足があらぬ方向にねじ曲がりながら激しく地面を転がり、二度と起き上がることはなかった。

 僕の攻撃魔法と、メイちゃんの武技に、威力の差がありすぎる件について。

「メイちゃん、僕やっぱり『呪術師』として、後衛に徹しようと思うんだよね」

「うん、小太郎くんは私が守るから、安心して!」

 そういうワケで、魔法の杖を手に入れてちょっと調子に乗っていた僕は、心していつも通りのチキンプレイをしようと思うのだった。




 魔法の杖の残念な威力にガッカリしながらも、探索は続く。

 ひとまず目指した高層マンションに向かう途中、二回ほどエンカウントが発生した。一回は、さっきと同じハイゾンビ。二回目は、赤犬、よりも一回り大きく、面構えも獰猛な、狼と呼ぶべき獣型モンスターだった。とりあえず『赤狼』と呼称。

 どっちの戦闘でも、僕は適当に『黒髪縛り』でちょっかいかけるだけで、メイちゃんとレムの頼れる前衛コンビによって、難なく討ち果たされた。

「ふぅー、ようやく到着か」

 ヌルい戦闘を乗り越えて、マンション前まで辿り着く。

「入り口のところ、崩れてるみたいだね」

 とりあえず正面玄関にあたる部分は、派手に瓦礫が崩れていて、小柄な僕でも通り抜けられそうな隙間もなかった。

「じゃあ、裏口か、適当に窓からでも――」

 と、お喋りしている最中に、僕の視界に白いラインが横切った。

 あっ、これ、デジャビュ、じゃなくて、間違いなく以前に経験したことだ。そう、すぐにピンときた。

 そして、ピンときたときには、もう白いラインこと蜘蛛糸が、僕の体をグルグル巻きにしていて――

「うわぁああああ――」

「小太郎くん!」

「――ああああ?」

 蜘蛛糸に捕らわれて、物凄い速さで上昇していく勢いを感じたところで、僕の体はガクン、と止まった。

 見れば、僕に巻かれた蜘蛛糸の根元を、メイちゃんが掴んでいる。僕の体は現在、マンション二階の窓辺を越えた辺り。マジか、ジャンプして掴んだのか。

「ふんっ!」

 気合いの入ったメイちゃんの声と同時に、ブチリ、という音が響いて僕を吊る蜘蛛糸が千切れた。僕はメイちゃんに抱え込まれて、うわっ、おっぱい柔らか、じゃなくて、自由落下を始め、地上へと無事に帰還。

「アラクネだ! 逃がすな、レム!」

「グルルガガァアアアッ!」

 僕の指示が分かっていたかのように、レムはすでに弓を引き真上へと構えていた。

 見上げれば、そこにはやはり、上半身が人型で下半身が蜘蛛のアラクネが、マンションの最上階付近の壁にへばりついていた。

 このエリアにも生息しているとは。高いビルもあるから、実は森林ドームよりも住みやすいのかもしれない。

 ともかく、レムが放った矢は運よく、いや、確かな弓の腕前によって、壁面から逃げようとしていたアラクネへ命中。人型の腹の辺りに、矢が刺さっていた。

「キアアアア!」

 悲鳴を上げて、グラリと体が傾ぎ、そのまま落下――だが、すぐに体勢を立て直し、六本の蜘蛛足でマンションの外壁に踏ん張った。

「よくも、小太郎くんを――はああっ!」

 レムが二の矢を番えるよりも前に、メイちゃんが雄たけびと共に、愛用のハルバードをぶん投げていた。

 凄まじい勢いで高速回転しながら、壁面スレスレを水平に飛んでゆくハルバードは、その巨大な斧の刃でもって、見事に壁に張り付くアラクネを刈り取った。

「ァアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 女性の投身自殺者か、と思うような悲痛な甲高い悲鳴を上げて、30メートルはありそうな高さを落下し――ドズンッ!

 重苦しい音を上げて、アラクネは自由落下の勢いのまま、地面へと叩きつけられた。

 一拍遅れて、ヒュンヒュンと音をたてながら、アラクネを斬り飛ばしたハルバードが返ってくる。うわっ、危なっ!? と思ったのは僕だけで、メイちゃんは上を見もせずに、手を上げて難なく掴みとっていた。なにその達人技。

「小太郎くん、大丈夫!? 怪我してない?」

 アラクネへ向けていた実に狂戦士らしい殺意の視線は一変、子供を心配するママみたいな慈愛溢れる顔で、メイちゃんは僕へと向き直る。

「大丈夫、メイちゃんが速攻で助けてくれたから」

 まさか、アラクネの奇襲を防ぐとは。凄まじい超反応である。

 今のメイちゃんなら、僕がスナイパーライフルで狙撃されても、対処できるんじゃないだろうか。

「本当に? ホントに大丈夫?」

「糸に捕らわれただけだから。というか、先にこれ解いて欲しいんだけど」

「あっ、ごめんね!」

 僕自身にグルグル巻きの糸は、そのままである。ひとまず、コイツを解いてくれないことには、落ち着かない。

「ありがとう、助かったよ。メイちゃんじゃなかったら、多分、そのまま捕まってた」

「ううん、ごめんね、あんなに高いところから襲って来るなんて、思ってなくて……ギリギリのところだったよ」

 不意を突かれても、救出が間に合う瞬発力はヤバいよね。

 しかし、本当に助かった。これでまた、アラクネのせいで強制パーティ離脱させられていたら、今度はしばらく立ち直れないかもしれない。

「それにしても、ちょうどいいところで、ちょうどいい奴が現れてくれたよ」

「グガガ」

 レムが同意してくれる。アラクネの有用性は、すでに証明されているからね。

「よーし、それじゃあ早速、屍人形だ!」




 完成したアラクネ二号機を伴って、僕らは探索を続行。アラクネが陣取っていたマンションをざっと調べてみたけど、これといって収穫はなかった。宝箱は二つほどあったけど、中身は空だった。恐らく、クラスメイトかゴーヴの野郎共が持ち出した後なのだろう。

 でも僕にとっては、このアラクネ二号機そのものが最大の収穫といえるだろう。

「よし、完璧な輸送機だ!」

 僕の前には、空っぽの宝箱を二つ蜘蛛の背中に搭載した、輸送仕様のアラクネ二号機の姿がある。

 この宝箱は恐らく、モノを長期間保管するのに適した機能を有している。魔力を通すと開閉する機能が生きている内は、保管機能も維持されているだろう。

 つまり宝物じゃなくても、食料品を入れるだけでも十分に役立ってくれるということだ。食料の他にも、『傷薬A』をはじめ、僕の作り出す薬は基本的に生モノだから、長期的な保存に向かない。でも、この宝箱に仕舞っておけば、それなりに品質を維持したまま、とっておけそうなのだ。

「宝箱をクーラーボックスにするなんて、小太郎くん、頭良いね」

「いやぁ、ちょうどいい箱を探していただけだよ」

 些細なことでベタ褒めしてくれるメイちゃんにデレデレしながら、今日のところは広場へと帰ることにした。

「あっ、ジャージャ! まだいるよ!」

「輸送手段も確保できたし、狩っていいよ」

 わーい、とハルバード片手に、温厚な草食動物に襲い掛かるメイちゃんを、僕は温かい眼差しで見送った。

 アラクネの蜘蛛糸でグルグル巻きにしたジャージャを抱えて、妖精広場へ帰還。

 もう少しだけ準備を整えたら、そろそろ出発しよう。

第155話 橋

「よし、今日はいよいよ、次の広場を目指して行こう」

「うん!」

 アラクネ二号機をゲットした二日後、十分な準備が整ったと判断して、出発を決意。

 宝箱には目いっぱいのロイロプス肉とジャージャ肉を詰め込み、さらに、これまでは持ちきれなくて作らなかった量の傷薬に、その他の素材も搭載している。

 それから、晴れてアラクネが仲間になったことで、再びアラクネの毒が抽出できるようになったので、『クモカエルの麻痺毒』もようやく補充することができた。ただし、今度はカエルの毒が不足気味なので、数に限りはある。

 ついでにアラクネの毒は、『魔女の釜』の機能を使いつつ、逆に麻痺毒を薄めることで、痛みを鈍くさせる薬としても活用してみた。

 名付けて『痛み止め』。痛みに弱い僕には、心強い新薬である。

 あとは、この辺をウロついているゴーヴから鹵獲した予備の武器もほどほどに積み込んで、準備は万端だろう。

 あと、ハイゾンビをベースにして泥人形のレム三号機も製作しておいた。僕の制御力では、この辺が限界値である。

 そうして僕らはちょっと久しぶりに、コンパスに従って進んで行った。

 広場周辺はおおよそ探索しているので、しばらくは見覚えのある道のりを進んで行く。

「ウェエエアアアアアアアアッ!」

 ほどなくすると、この遺跡街で最もエンカウント率の高い、ハイゾンビが今日も元気に駆けつけてくれた。コイツら、一体どこから湧いているんだろう。スケルトンと同じように、どっかで召喚されてるんだろうか。

「小太郎くん、下がって」

「メイちゃんも下がっていいよ」

「えっ、でも」

「レムだけの戦闘力も確認しておきたいから。今回は任せて」

「うん、分かったよ。それじゃあ、頑張ってね、レムちゃん!」

「グルル、ガガガッ!」

 僕の期待とメイちゃんの応援に応えるように、レムと三号機は、真正面から突撃して来るハイゾンビの群れの迎撃に出た。

 一方のアラクネ二号機は、後衛として蜘蛛糸での援護射撃を敢行している。

 真っ直ぐ走って来るだけのハイゾンビは、飛んでくる蜘蛛糸の網に絡まって、突っ込んできた勢いのまま、頭から派手に転倒する。

 そこで、レムと三号がすかさず、頭に刃を叩きこむ。

「ウヴォオオアアアアアッ!」

 後続のハイゾンビは、お仲間があっさり殺られる様子にもまるで臆することなく、やはり同じように突っ込んでくる。

 上手く機先を制したレムは、焦ることなくそのままアラクネの援護を生かしながら、順番にハイゾンビを仕留めていく。初号機、二号機、三号機、と中身は全てレムだから、その連携は完璧の一言に尽きる。

 前衛を張る、ゴライアス素材のレム初号機はハイゾンビよりもパワーは十分に勝っているようで、危なげなく剣と斧の二刀流で次々と切り伏せている。素材のグレードが落ちる三号機も、ゴーヴとハイゾンビをベースにして、ちょくちょく他の素材を混ぜているお蔭か、ハイゾンビと真っ向から組み合っても、力負けしないだけのパワーはあるようだった。

「よし、レム、よくやった」

「グガガガァーッ!」

 ほどなくして、勝利の雄たけびが響いて、ハイゾンビは掃討された。

 うん、かなりいい感じに仕上がっているぞ。メイちゃん抜きでも、かなりの戦力だ。

 レムの大活躍に満足しつつ、僕らはどんどん、先へと進んで行った。

 それから、三度のエンカウントがあったけど、全てレムだけで片付いた。かなり順調な道行である。

 正午も間近となった頃、僕らの行く先は不意に視界が開けた。

「ここは、川なのか」

 緑あふれる綺麗な河辺、というよりは、コンクリートでガッチリ護岸工事の施された、人工的な都市部の川といった感じである。

 両岸は灰色の石材で固められており、川面まで何十メートルもありそうな高さだ。危ないな、と思ったのは当時ここを建設した古代人も同じなのか、川に沿って走る道は、それなりにしっかりした鉄の柵が張ってある。もっとも、かなり錆びついていて、ところどころ破れたりしているけど。

「小太郎くん、あっちの方に大きな橋があるよ」

「うーん、向こうに渡るには、あの橋一本しかなさそうだね」

 両岸を繋ぐのは、大きなアーチ橋が一つきり。これといって特徴はない、四車線道路くらいありそうな幅の、無骨な大きな橋である。

 右を見て、左を見ても、遠くにこのジオフロントの壁面があるだけ。どこをどう見ても、橋が一本しかかかっていないのは、一目瞭然であった。

「うーん、何だか、嫌な予感がするなぁ」

「そうなの?」

「開けた場所で、通るところは橋だけ。待ち伏せするにはもってこいだよ」

「なるほど、そうだよね」

 けれど、ここを渡らなければ先には進めない。僕らには、渡る以外の選択肢はない。

 それに、ゴーヴ共だって欲しいのはここにあるお宝や食肉になる獲物だけだろうから、わざわざ橋に陣取って、何に対して待ち伏せするというのか。

 こういう襲撃されたらマズそうな場所を無駄に警戒するのは、FPSプレイヤーだけで十分だろう。

「……うん、敵はいないな」

 念のため、よく周囲を見渡して、敵影がないことを確認。メイちゃんも集中して、気配を探ってくれたけど、特に魔物の気配は感じなかったという。

 今なら、一気に橋を渡り切っていけそうだ。

「よし、それじゃあ行こう」

「――待って、小太郎くん!」

 いよいよ橋を渡り始めようとした、正にその瞬間、鋭いメイちゃんの静止の声が上がった。と、同時であった。

 バキンッ!

 鋭い破砕音と共に、コンクリートみたいな地面に、深々と何かが突き刺さった。

 何か、じゃない。羽根と、柄と、鏃のついたソレは、どこからどう見ても、矢であった。

「なっ、なんだ、どこから――」

「――そこで止まれ!」

 どこからともなく、男の声が響いてきた。

 その声に従ったワケではないが、僕の足はとりあえず止まらざるを得ない。だって、コンクリの地面に突き刺さる威力の矢が、飛んできたのだ。すぐ足元に、あともう一歩でも踏み込んでいれば足の甲は貫かれて、僕とスナイパーは揃って苦悶の絶叫をあげたことだろう。

「誰だっ! どこにいる、出てこい!」

「俺は桜井だ。桃川、今の一撃は警告だ。それ以上、橋を進めば、次は当てる」

 桜井、っていうと、桜井遠矢君か。

 あの蒼真桜と同じ弓道部員、だけど、珍しく桜には何の気もない、純粋な弓道ガチ勢だ。腕前は全国クラスだし、おまけにかなりの爽やかイケメン。勉強も運動もできるし人当たりもそれなりに良い、けど、どれにおいても蒼真悠斗ほどではない、といった感じ。蒼真悠斗が規格外なだけで、桜井君は一般的な男子高校生とすれば、かなりのハイスペック男子である。

 まずいな。こういう元から優れている人ってのは、『天職』を得るとさらに才能が開花して強くなるんだよね。

 すでに、一方的に僕を弓の狙撃で撃ち殺せる状況に持ち込んでいる時点で、戦術的には彼の勝ちである。

「分かった、橋は渡らないよ……一発目で、僕に当てなくて正解だったよ桜井君。僕は、受けた攻撃を相手に返す能力を持っているから」

「道連れにするだけの能力なら、身を守るには不便だな」

 いや全くその通り。でも、これで桜井君がいきなり僕をヘッドショットで一撃キルすることはないだろう。試してみるには、リスクが高すぎるよね。

「それで、桜井君の要求は?」

「随分と察しがいいな、桃川」

「似たような経験してるから」

 一発で僕にヘッドショットをかまさなかったのは、殺害が目的ではないからだ。わざわざ警告に留めるということは、僕のようなクラスメイトに何かしらの要求があるからに決まっている。

 まぁ、大体はコアが目的なんだけどさ。

 それに、察しているのは桜井君の事情だけでなく、彼の能力も含めてだ。

 僕には彼がどこから狙撃してきたのか、分からない。橋を渡った先の対岸に潜んでいるのは間違いないし、その辺に立ち並んでいる背の高い建物のどこかだとは思う。しかし、そうなると、数百メートルもの距離があるということになる。

 その距離で正確に狙ってくる精度と射程も十分すぎるほど脅威だが……よく考えて欲しい、それだけ遠くにいる狙撃手と、普通に会話が通じるのはおかしい。

 桜井君の声は、風に乗って響いてくるような感じで僕の耳に届いている。対して、僕の声は普通に喋っているだけでも、ちゃんと彼の方に聞こえているようだ。

 つまり、桜井君には数百メートル以上離れた相手の声、その程度の音でも正確に聞き取ることができる聴力か、音を集める魔法を習得しているということだ。

 驚異的な長射程と命中精度に加えて、些細な音も聞き逃さない耳による索敵力。今の桜井君は、神がかり的なスナイパーである。絶対に、こんな開けた場所で相手にしたくない。

「桃川、お前はポーションを持っているか?」

「宝箱からとれる、魔法の回復薬のことでいいんだよね?」

「ああ、ソレだ」

 どうやら、桜井君はコアよりもポーションをご所望のようだ。

 負傷しているのか……いや、自分ではない、別な誰かが怪我をしているのだろう。

「もしかして、雛菊さんが怪我したのかな?」

「どうして、そのことを知っている!」

「桜井君がクラスメイトを脅してでもポーションを求めるってことは、それだけ大事な人が負傷してるってことでしょ。なら、それは雛菊さんしかありえない」

 いくら僕でも、桜井遠矢と雛菊早矢のバカップルは知っている。一年の頃から知ってるよ、同じクラスだったしね。

 二人のラブラブ空間ぶりは、両想いであるが故に、蒼真兄妹よりも遥かに強烈だ。クラスメイトに「お前ら本当に付き合ってるのかよ?」と言われて、教室でキスをかましたら、そのまま生活指導の先生に連行されたのは、有名な事件である。

 ともかく、二人の関係を知っていれば、誰だって簡単に推測はつくのだ。

「その通りだ。早矢ちゃんは、かなりの重傷を負っている」

「残念だけど、ポーションは持ってない」

「お前の命は俺が握っていることを忘れるな。もう一度聞くぞ、ポーションを持っているか」

「本当に持っていない。ポーションはないけど、傷薬なら持っている。それで代わりにならないかな」

「傷薬ってのは何だ? クローバーのことか?」

「僕が『天職』の力で作った薬だよ。クローバーよりも、回復効果は高い」

「……ダメだ、信用できない。薬を作れるってことは、毒も作れるだろう」

 嫌なところで察しがいい。

 けれど、ここで傷薬に飛びついてくれれば、恩を売って仲間になる可能性も見えたというのに。警戒心が強く、慎重になっている相手は、厄介だな。

「雛菊さんを助けたいなら、僕を信じて欲しい」

「いいや、信じられない。俺はすでに、お前に弓を向けた。お前は敵を許さない、違うか?」

「僕、桜井君に恨まれるようなことした覚えは、ないんだけどな」

「ああ、恨みはないさ。けどな、分かるんだよ……桃川、お前は随分と、修羅場を潜って来たんだろう。もしかして、もう何人か殺しているんじゃないのか」

 恐ろしいほどの直感力か、ただカマをかけているのか。あるいは、僕の顔は一目で人殺しだと分かるほどに、ヤバいことになってるのだろうか。

「もしそうだとしても、冷静な取引はできるつもりだよ。僕はここを通りたいし、桜井君と戦いたくもない。だからポーションはないけど、代わりに雛菊さんを治せる傷薬を差し出すよ」

「悪いが、桃川、俺も万に一つも危険は冒せない。だから、ポーションじゃなければ、取引には応じない。ここを渡りたければ、ポーションを探し出してもってこい」

「……分かった、ポーションを探してくるよ。でも、もし気が変わって、今すぐ僕の傷薬が欲しいなら、この辺に矢文でも撃っといてよ」

「想像はついているだろうが、俺の天職は『射手』だ。今の俺は、この河原全てを射程範囲に収めている。こっそり渡れるとは、思うなよ」

「うん、それじゃあ、また来るよ」

「脅しておいて、こんなこと言うのはなんだが、ポーションを探し出してくれるのを祈ってる。俺は早矢ちゃんを助けたいだけだし、お前らと殺し合いをしたいワケじゃない。なにより、その双葉さんと戦うのは、かなりヤバそうだしな」

 おおお、桜井君、今のメイちゃんを見て一発で双葉芽衣子と見抜くとは、慧眼である。さらに、狂戦士の強さも感じ取っているようだし、桜井君の直感力は盗賊並みの鋭さだな。

 そうして、僕はすごすごと橋を後にして、思わずつぶやいた。

「桜井遠矢……とんでもない強敵だな」




 スナイパー桜井によって完全封鎖されている橋から退避して、ようやく、人心地がつく。

 正直、橋の上で話している時は、生きた心地がしなかったから。自分に銃口を向けられ続けて落ち着いていられるほど、僕の肝は太くはない。

 銃じゃなくて弓だけど、『射手』の能力があれば、軽く本物のスナイパーライフルを凌駕する。もしかして弓の武技とかあったら、アンチマテリアルライフルみたいな威力も叩き出すんじゃないのだろうか。

 そんなことを考えながら、近場にあったマシな建物に入り、腰を落ち着ける。周辺と入り口をレムに見張らせて、小休止。

 その辺に転がってた木箱の残骸みたいなのに腰かけて、はふぅー、と気の抜けた溜息を吐いていると、ブルルンと爆乳を揺らしてメイちゃんが目の前に立った。

「小太郎くん、桜井君を倒そう」

 あ、ごめん、おっぱいに注目しすぎて、よく聞いてなかった。

 えーと、なんだっけ、随分と好戦的な意見が出たようだけど。

「……まぁ、落ち着いてよ。敵対的な接触になっちゃったけど、まだ交渉の余地はあると思うんだよね」

「ううん、違うの。小太郎くんを狙ったのは許せないけど、それだけじゃなくて……桜井君は多分、仲間になれない。彼の一番は、雛菊さんだから」

「脱出枠を譲らない、ってこと?」

「うん。桜井君は、雛菊さんと二人で脱出することを決意しているよ。たとえ、他のクラスメイトを皆殺しにしても。それだけの覚悟がある」

「僕は桜井君がそこまで狂気的になっている、とは思いたくないけど……」

 けれど、このダンジョンにおいて他人の理性と善意に期待することほど、愚かなことはない。

 メイちゃんの言うことは、よく分かる。僕が考えをまとめるよりも前に、直感的に桜井君の危機と脅威とを、メイちゃんは察していたのだろう。

「桜井君は、本当に雛菊さんのことを愛しているから。彼女のためなら、何でもするよ」

「それだけ聞くと、美しい愛なんだけどね」

「愛しているから、他の全部を犠牲にできるの」

 全く、恐ろしい理論だ。誰か一人を愛することは、その一人を特別扱いするということ。相対的に、他人の価値というのは著しく低下する。一種の差別といってもいい。

 まぁ、今は愛について論じているほど暇を持て余してはいない。ひとまず、現状の打開策を考えなければ。

「桜井君と敵対を選んだとしても、正直、戦いたくないんだよね」

「うん、あんなに遠くから攻撃されたら、私もちょっと、どうしようもないから」

 近接最強な狂戦士と、遠距離最強の射手。相性は悪いと言わざるを得ないだろう。

「とりあえず、他の道を探そうと思う」

 ポーションを渡して見逃してもらう、という手段は考えない。

 そりゃあ、今は彼と戦うことなくスルーできて安全だけれど、これで雛菊さんが治れば、そのまま戦力が増強されるってことだ。

 雛菊さんは、どうして桜井君ほどのイケメンがベタ惚れしているのか全く理解不能なほど、平々凡々な女子である。美少女揃いの二年七組においては、容姿レベルは最底辺。他に、文武に優れるってこともないし、少なくとも、何か非凡な才能や魅力がある、という風には思えない。

 そんな平凡女子でも、天職を得れば立派な戦力だ。まして、桜井君との絆があれば、普通の女の子であっても、頑張って戦うだろう。

 霊獣のないレイナ、みたいな完全な足手まといだったらそれはそれでいいけれど、もしも雛菊さんの天職が並みレベルでも戦闘能力があるならば、桜井君とのコンビは非常に危険な敵と化す。

 だから桜井君と戦うなら、彼が単独の今か、あるいは、雛菊さんが死んでソロになった後、という状況が好ましい。

 そういうワケだから、僕が傷薬で治して恩が売れないのであれば、雛菊さんにはこのまま死んでもらうのが、今後のため。ただポーションをプレゼントして彼女を回復させるなど、絶対にありえない選択肢だ。

 自分でも中々に冷酷な選択だとは思うけれど……悪いけど、先に武器を突きつけて脅してきたのは、桜井君の方だよ。これで、彼女を助けてくれと泣きついてくれたなら、僕としても温情をかける、仲間に取り込む余地はあったのだけれど。

 本当に、残念だよ。

「でも、桜井君の力なら、あの川の端っこを渡っても撃たれちゃうよ?」

「うん、川をそのまま渡るのは無理だろうね。でも、その下だったらどうかな」

「下?」

「下水道、通っていると思うんだよね」

 というワケで、下水道を通って超人スナイパーはスルー作戦でいこう。

第156話 渡河作戦(1)

「ほら、ここにマンホールあるでしょ」

「あっ、本当だ」

 道端にあるのは、どこからどう見てもマンホールとしかいえない、丸い金属の蓋。この遺跡街の探索を始めて、すぐにマンホールの存在には気づいたけど、汚らしい下水道を通る理由はなかったので、今まではあえて入ろうとは思わなかった。

「いくら桜井君でも、地下を通れば対応できないだろう」

「うん、流石に地面を貫通したり、下水道にいる人を感じ取ったりはできないと思う」

 メイちゃんが直感でそう感じたなら、事実なのだろう。

 これで、問題は本当に下水道が対岸まで繋がっているのかどうかだ。この中に入っていくのは、正直、気は進まないけれど、背に腹は代えられない。

「よし、それじゃあ行こう……ところで、マンホールってどうやって開けるの?」

 確か、穴にひっかけて開く金属の棒みたいな専用器具があったよね。

 このダンジョンマンホールも、小さな穴が開いているだけで、指がひっかけられるほどの穴や溝はない。

「うーん、参ったな、こういう形だと、上手く触手を絡ませてとるってわけにも――」

「ふん!」

 と、メイちゃんが足踏みしたら、バコっとマンホールが浮いて、ズレました。

「開いたよ、小太郎くん」

「ありがとう。それじゃあ、危険がないかどうか、とりあえずレムに先行させるから」

 メイちゃんの力技に素直に感謝しつつ、先行偵察として捨て駒役筆頭である、レム三号機を投入。

 穴を覗き込むと、どうやらダンジョンの通路と同じく発光パネルでも埋め込まれているようで、薄明かりが灯っていた。最低限の視界は確保できそうだ。

 下水道といっても、ただ汚いだけならいいけれど、虫とかワニのモンスターが大繁殖してたら大変だし。そういえば、下水道みたいなエリアで、魚人なジーラがいたから、アイツラが湧いてる可能性もあるな。

「グゴ、グガガ!」

 ほどなくすると、マンホールから下水道に降りて行ったレム三号機から、返事がきた。

「どうやら、大丈夫みたいだね」

「私、先に入るよ」

「うん、お願い」

 そうして、メイちゃんが降りた、というか、飛び降りた。穴の壁についてる梯子を使わず、そのままストーンと落ちて行ったよ。

 下までそこそこの高さがあったように見えたけど……狂戦士の身体能力なら、何でもないんだろう。

 一切の躊躇なくこういう行動ができるのは、狂戦士の力が馴染んできた証拠かもしれない。自分の能力に疑いがある、把握しきれていなければ、飛び降りて大丈夫かどうかの判断もつかないし。

 僕は呪術の効果などは色々と実験して検証していかないと明確に理解できないけれど、他の天職だと、もっと直感的に分かるものなのだろうか。少なくとも、メイちゃんはそんな感じがする。

「小太郎くーん、大丈夫だよー」

 さて、レムが降りて、メイちゃんも降りれば、とりあえず降下地点の安全確認は十分だ。僕も行くとしよう。

「キシャシャ」

「あっ、ごめん、アラクネはちょっとここで待機してて」

 最も体格の大きいアラクネでは、流石にマンホールを降りることはできない。

 それと、ついでにメイちゃんのメインウエポンになっているハルバードと大盾も、サイズの関係上、置いていく。

 今回はルート探索だけだから、別に放棄するワケじゃないし、問題はない。

「――うん、前に通った下水道エリアとあんまり変わらないなぁ」

 天道ヤンキーチームと共に通った下水道エリアと、構造はほぼ同じ。となると、やはりジーラが「ギョギョギョ!」とか言いながら襲い掛かってきそうだけど……エンカウントは今のところ発生していない。

 人の住まない廃墟と化した遺跡の街だから、生活排水も流れてこないせいか、さほど臭いも感じない。むしろ、ジーラのいたエリアの方が臭かった。臭いの原因はあの魚野郎共じゃなかろうか。

「小太郎くん、この辺が川の辺りだと思うけど」

 鋭い直感を発揮するメイちゃんが、特に目印のない下水道内でも教えてくれた。

「このまま真っ直ぐ行けば、対岸まで渡れそうな感じ?」

「うん、方向はあってるよ」

 よし、それじゃあ行くとしよう。分帰路もないから、そのまま真っ直ぐ、僕らは進んで行った――けど、三分と経たずに歩みは止まった。

「うわっ、崩れてるよ」

 よりによって、ちょうど川を渡り切ったくらいの距離の地点で、下水路が崩れていた。大きな瓦礫と石壁の破片で、通路は完全に封鎖されている。

 一応、水路の方には多少の隙間が空いているようで、完全に水の流れが止まってはいないようだけど……

「グ、ガガ」

 念のために三号機を潜らせて調べても、人が通り抜けられるほどの穴は空いてないようだった。たとえ、通り抜けられる隙間があったとしても、崩れた場所を過ぎるまで息が続くかどうか分からない。どっちにしろ、チャレンジしてみる勇気はない。

「仕方ない、戻って別のルートを探してみよう」

「うん、そうするしかないね」

 そうして、アテが外れてトボトボ引き返した。

 アラクネの待つマンホールまで戻ってきて、僕が梯子に手をかけると、

「あっ、待って、小太郎くん。私が先に登るよ。出た先に、魔物がいたら危ないし」

 外にはアラクネが待機しているから大丈夫だとは思うけれど、確かに、その方が安全だ。僕がマンホールから頭を出した瞬間に、暴走トラックのようにロイロプスが走り抜けて行ったら、確実に死亡事故が発生する。流石にあのサイズのモンスターが突進すると、アラクネだけで急停止させることはできないし。

 もっとも、どんだけラック値低かったらそんな事故起こるんだよ、とは思うけど、わざわざメイちゃんが気を使って言ってくれたんだから、快く先を譲ろうじゃないか。

 そして彼女が梯子を上り始めるのを見送る、その瞬間、僕の脳裏に電撃が走る。

 も、もしかして、これパンツ見えるんじゃないの!?

 プリーツスカートをフリフリさせて梯子を登っていけば、当然、下半身のガードはガラ空き。そしてメイちゃんは特にスパッツなどの防具は装備していない。パンツのみのノーガードなのは間違いない。

 今まではチラチラっと、理性と誘惑の狭間に揺られながら垣間見ただけだったけれど、この状況下なら、僕が顔を上げるだけで、パーフェクトにモロ見えになるのは明らかだ。これを千載一遇のチャンスと呼ばずに、何と言おう。

「いや待て、落ち着け、これはメイちゃんの罠だ……」

 理性の溶けたアホ面で、パンツに釣られて顔を上げた瞬間、メイちゃんと目が合ったら僕のダンジョン攻略はここでお終いだ。

 彼女はこのパンモロ状況を分かっていて、あえて僕を試しているのかもしれない。僕の紳士力が、今こそ、試されているのかもしれないじゃないか!

「く、くそぉ……だが、しかし、これは……」

「小太郎くーん、大丈夫だから、上がって来ていいよー」

 あっ、そうですか、もうサービスタイム終了ですか。

 悶々と悩んでいる内に、さして高くもない梯子を登り切ったメイちゃんから、お声がかかった。

 ちくしょう、滅多にないチャンスを棒に振ったか。いいや、これで良かった、良かったんじゃよ……




「はぁー、全滅かぁ……」

 結局、川の向こうに渡れる下水道のルートは見つからなかった。

 まったく、今日は散々な日だ。

 橋はスナイパー桜井によって封鎖されているし、安全な迂回路である下水道は調べた結果全てダメだったし、おまけに梯子を登るメイちゃんのパンモロチャンスも血の滲む努力によって我慢した。

 いいことなんて、一つもなかったよ。

 川付近の下水道のルート探索を終えた頃には、流石に疲労も溜まって来たし、時計を確認してもとっくに夜の時刻となっていたので、ひとまず妖精広場へ引き返すことにした。今朝には、ここもオサラバかと思って出てきたのに、まさか日帰りになるとはね。

「小太郎くん、ご飯できたよー」

 バナナイモとロイロプスのベーコンによるジャーマンポテトみたいなのが、今日のメニューである。

僕がその辺で拾い集めてきた、スパイスみたいなのが効いていて美味しい……けど、僕としてはいよいよ本気で桜井君と戦わなければいけないかと思うと、あんまり味の方には集中できなかった。

「うーん、どうするか……」

 どうすれば、あの神業的な腕前を持つ『射手』の攻撃を潜り抜け、接近することができるか。より具体的にいえば、メイちゃんを無傷で桜井君の前に立たせるか、である。

 彼女の主装備の一つとなっている『ダークタワーシールド』は、かなり分厚い漆黒の大盾だが、果たして、本気になった桜井君の一撃を止められるかどうか、不安が残る。弓の武技を使われれば、この重厚な盾すら貫いてきそうな予感がするのだ。

 だから盾の装甲のみを頼りに、強引に橋を突っ切るだけ、というのは実行するにはリスクが高すぎる。

 ならば、レムを総動員して囮を増やすというのはどうだろうか……いや、数が増えたところで、一緒に渡っても真っ先にメイちゃんを狙うだろう。桜井君の直感力なら、数ばかり増やしたレムの集団を見ても、大した戦闘力がないことをすぐに見抜いて、後回しにする。

 そもそも、接近戦にまで持ち込んだとしても、『射手』を極めつつある桜井君を、ゴライアスの力を取り込んだレム初号機でも太刀打ちできるかどうか。スキルや武技がなくても、超人的な身体能力を獲得していれば、ただナイフや剣を持っているだけで、桜井君は十分な近接戦闘能力を持つことになる。

 やはり確実に彼を倒すには、メイちゃんをぶつけるしかないのだ。

 でも、安全確実に彼女を接近させるための方法が見つからない。

「はぁ……分身にも『痛み返し』が発動すればなぁ」

 やはり本人の肉体そのものに効果があると思しき『痛み返し』は、残念ながら、『双影ふたつかげ』では発動しない。もし、これできたなら、チート級の最強自爆コンボが完成したというのに。

「いや、待てよ、分身が歩いていくだけでも、桜井君は僕本人が来たと思うんじゃないか?」

 最初の接触の時点で、僕は『痛み返し』の効果を彼に伝えている。

 だから、絶対に一撃必殺はしてこない。やるとするならば、カスリ傷でも負わせて、ダメージ反射の効果を実証してからということになる。

「ダメだな、傷をつけられた時点で、次はヘッドショットで消える」

 分身には『痛み返し』がないのだから、傷をつけてもそのまま。桜井君からすれば、僕の言った能力は単なるハッタリだと確信して、二射目は容赦なく殺しにかかってくる。

 結果的に、分身を進ませても橋の半ばで倒れるだけだろう。彼に接近するまでには至らない。

「あっ、そうか、分身を歩かせる必要もないんだ」

 ようやく、僕の頭に閃きが走る。

「そうだ、分身の僕を、メイちゃんの盾にすればいいんだ!」

 その天才的な発想が出た勢いで、僕はザバーンと湯船から立ち上がる。

「小太郎くーん、呼んだー?」

「よ、呼んでない! 呼んでないから!」

 今にもペラい黒髪織の仕切をめくって、風呂場に入って来そうなメイちゃんを慌てて止める。

 あ、あぶねー、止めるのがあと2秒遅れてたら、確実に踏み込まれていたよ。僕は入浴中のメイちゃんをウッカリ覗いてしまうラッキースケベは望むところだけれど、僕の裸が彼女に見られるのは何も嬉しくない。自慢できるほど立派なモノがついてるワケでもないし。かといって、短くとも小さくともない、普通、そう、フツーだよフツー。

「ともかく、上がったら早速、実験してみよう」

 それから五分と経たずに入浴を終えて、僕は今度こそ本当にメイちゃんを呼んだ。

「これから、ちょっとした実験をするから」

「実験?」

「うん、僕の分身を、見分けられるかどうか」

 メイちゃんには、僕の最新呪術である『双影ふたつかげ』のことは話している。効果を説明しただけで、まだ実際に見せてはいないから、これで初披露となる。

「じゃあ、ちょっと後ろ向いてて」

「うん」

 さて、それじゃあちょっと、張り切って分身するか。

「重ね、映し、立て、その身は全にして一なる、虚無の実像――『双影ふたつかげ』」

 気合いを入れて、フル詠唱。僕の足元の影から、モヤモヤと黒い煙のようなモノが立ち上り、次の瞬間には、人型を形成し、僕と全く同じ姿が現れた。

 レイナ戦の時に使った時は学ラン姿だったけど、呪術を使ったその時の服装が反映されるため、今回はジャージにTシャツ姿である。

「もういいよ。こっち向いて」

「うわぁ、本当に小太郎くんが二人いる!?」

 素直なメイちゃんの驚きリアクション。僕も散々確認したけれど、外見的には本物と分身は全く同一。しげしげと眺めてみても、角度を変えて見ても、色が違うとか艶が違うとかちょっと透けているとか、そういうことも一切ない。

「見ての通り、外見は完璧だけれど、直感の鋭い人にはバレるかもしれないから」

「だから桜井君に挑む前に、狂戦士の直感力があるメイちゃんに見分けがつくかどうか、試してみたかったんだよね」

 先に分身を喋らせ、次に僕が喋る。こうして実際に声に出して喋らせても、分身と本物に違いはない。CVが変わるとか、そういう演出もありません。

「な、なるほど……でも、うーん、これはどっちが本物なのか、分からないよ」

「本当に分からない?」

「僕が本物の小太郎だよ!」

「騙されないで、僕が本物だよメイちゃん!」

「え、えっ!? う、うぅーん、分かんないよぉー」

 調子に乗って、漫画でよくある仲間に化ける能力の敵が現れた的なことをやってみる。メイちゃんは割と本気でオロオロして、僕と分身を交互に見つめては、うんうんと唸っている。

「やっぱり、見分けはつかいないんだ?」

「うん、どっちが本物なのか、全然分かんないよ。でも――こっちが本物な気がする!」

 と、彼女は迷いなく、本物、というか、本体の方の僕へと迫り、勢いのまま抱き着かれた。

「うわっ、ちょっ――」

 胸が当たってる、顔に。当たってるっていうか、これ、もう埋もれるよ。す、凄い、顔面に温かく柔らかい感触が、とにかく凄い良い匂い。何言ってんのか、よく分かんない。

「どう、当たり?」

「う、うん、当たり」

「やったー」

 とか言いながら、さらにギュっと抱きしめられて、ヤバい、溺れる、おっぱいに……

「ふぅ……それにしても、何で本物が分かったの?」

「何でだろう、勘、かなぁ? こっちが本当の小太郎くんの体だ、って何となく思ったの」

「そっか」

 まずいなぁ、そんなアバウトな勘で分身を見分けられてしまったら、桜井君にも速攻で正体を見破られてしまうかもしれない。盾役の僕が偽物の分身と判断されてしまえば、その時点で盾としての意味を失う。

「ちょっと、もう一回いい?」

「うん、いいよ」

 彼女の勘がどの程度の的中率か、それも検証しておく必要がある。これで、五分五分の結果になるのなら、ただのヤマ勘ってことで心配する必要はないのだけれど……

「――こっちが本物の小太郎くん!」

 そして、おっぱいに溺れ続ける僕。

 メイちゃん、どうしていちいち抱き着くんだろう。

 十回連続でその大きすぎる爆乳に顔を埋めては、完全に理性のとろけきった僕の頭では、そんな疑問を抱くこともなかった。何かもう、ずっとこのままでいたい……

「ハッ!?」

「小太郎くん、ボーっとして、どうしたの?」

 そのでっかいおっぱいに顔を埋めてどうにもならない男がいたら、ソイツは真正のホモだけだろう。

 けれど、ここは意地でも平静を装わなければいけない場面だ。ちくしょう、メイちゃんに抱き着かれまくって、おっぱいがいっぱいで完全に頭が回ってなかった。

「と、とにかく、メイちゃんの正解率が100%なんだけど。そんなに、分かるもんなの?」

「うーん、私は何となく分かる、けど……多分、他の人は絶対に分からないと思うな」

「付き合いが長いから、微妙な気配の違いとか分かるのかな」

「うん、きっとそうだよ。小太郎くんのこと、分かってあげられるのは、私だけだよ」

 この甘く危険な実験の果てに、とりあえず分身の正体が即座に看破される可能性は低そう、ということは分かったけれど……やはり、不安は残る。

 ここはもう一つくらい、何か手を打っておきたいところだけれど、さて、今の僕に、他に何ができるだろうか。

第157話 渡河作戦(2)

「――『風刃エールサギタ』」

 放たれた風の刃は乾いた地面に炸裂し、砂埃を巻き上げる……だが、それだけ。

「ダメだ。こんなんじゃとても、煙幕代わりにはならないな」

 狙撃を防ぐ手段で最も簡単なのは、遮蔽物を設けることと、隠れることであろう。

 桜井君は弓矢を撃ってくる。飛んでくるのは、サーモグラフィーやソナーで自動追尾能力を持つ誘導ミサイルでも無人ドローンでもない。要するに、煙幕などで視界を遮ることが出来れば、多少なりとも彼の精密狙撃から逃れることができるのではないかと思ったワケだ。

 普通、的が見えなくなれば弓の達人でも命中させるのは無理だけど、そこは超人的な能力を授かる天職『射手』である。視界を遮っても、ある程度は狙ってあててくると想定すべきだろう。

「うーん、下川の『水霧アクアミスト』は凄い魔法だったんだなー」

 なんだかんだで、アレでピンチを切り抜けてきたこともあった、優秀な魔法だ。一発でお手軽に、広範囲の視界を防ぐ『水霧アクアミスト』の汎用性は抜群だ。おまけに、術者は視界が遮られないという機能もついてるし。

 煙幕一つ張るにしても、魔法やスキルがなければ難しい。試しに『風刃エールサギタ』を地面に撃ってみたものの、人の姿を覆い隠すほどの砂埃は巻き上がらないし、上がったとしても、滞留せずにすぐに収まってしまう。

 現実的な手段で煙幕を張るならば、やはり、継続的に煙を発生させる仕組みが必要だ。

「ダンジョンのど真ん中で、スモークグレネードを作れというのか」

 クラフトゲームだったら割とありそうな展開だけれど、いざリアルでそういう工作をしようと思うと、なかなか難しい。工具も材料もなければ、製作方法も見当がつかない。

「松明の油くらいは抽出できそうだけど、ただ燃えるだけじゃあんまり意味ないし……」

 うんうんと頭をひねりながら、一旦、広場へと戻る。

 現在の妖精広場は、噴水周辺がメイちゃんのキッチンと風呂場になっており、並木の辺りはハンモックを吊った寝室、で、入り口近くは雑多な素材を並べた倉庫と化している。

 スナイパー桜井攻略戦のために、何か使えるモノはないか、組み合わせて新しいモノができないか、考えるためにこの辺で集めてきた素材をとりあえず並べて置いてある。今いる遺跡街は、植生そのものはジャングルとほぼ同じなので、様々な植物由来の素材が採取できる。ハイゾンビ以外のモンスターや動物なんかも、探せばそれなりにいるものだ。

 周辺探索と宝箱探しを経て、現時点でもかなりの種類の動植物素材が集まっているのだが、どれも劇的な効能を持つようなモノはない。せいぜい、料理に使えそうな食材が増えて、食生活が豊かになったくらい。今日のメイちゃんは、複数のハーブや香辛料を組み合わせて、オリジナルスパイスの作成に熱中している。今日も夕食が楽しみだ。

「はぁ……これで『簡易錬成陣』だけでも使えれば、もっと新しい武器とかアイテムが作れたかもしれないのに」

 ないものねだりをしていても仕方がない。とにかく、手持ちのモノと、この場で集められるモノでどうにかするしかないのだから。

 かといって、今の僕の所持品で、特別な何かがありそうなモノといえば……うーん、天道君が選別でくれた『召喚術士の髑髏』くらいだろうか?

「なんとかコイツをレムに組み込んで、召喚術を使えるように……」

 無理なんだな、それが。

 そんなの、最初にこれが手に入った時に、試してみたよ。ダメだったよ。ついこの間も試してみたけど、やっぱりダメだった。上手く取り込めなくて、なんかレムが凄い申し訳なさそうにしている感じが不憫だったので、もう無駄に試すのも戸惑われるし。

「どこまでも期待外れの髑髏め。いっそぶっ壊してやろうか」

 この魔法の杖で『風刃エールサギタ』の的代わりにしてやってもいいんだぞい。

 などと、半ば八つ当たり気味に杖を構えたところで、ふと思いつく。

「髑髏って、なんかこの杖にハマりそうだな」

 ふと、杖にある風属性の玉と、髑髏を見比べてみると、そう思った。

 サイズとしては、人間の頭蓋骨である『召喚術士の髑髏』の方が大きいが、鳥の足のようになっている杖先端の掌ギミックなら、上手く握り込めそうなのだ。

「いや、まさか、そんな安直な」

 どうせこういうのは期待外れのパターンだろ、と思いつつも、一旦、風の玉をパージして、髑髏をセットしてみる。

 ガチリ、と鋭い爪の手が白い頭蓋骨を確かに握りしめた。軽く振って見ても、外れる様子はない。しっかり固定されているようだ。

「出でよ、サラマンダーっ!」

 バッっと杖を振りかざしてポーズを決めて叫ぶ。

 しかし、なにもおこらなかった。

「ですよね――っ!?」


『愚者の杖』:愚か者は杖を振るう。神の奇跡と知らず、聖者の冒涜と解さず、ただ振るう。


 頭の中に走り抜ける、電撃のような感覚。前にもあった。けど、今回は見えた。

「こ、これは……新しい呪術、ってことでいいのかな」

 今までも、ふとした拍子にルインヒルデ様から授かった覚えのない呪術が、脳裏に過ることがあった。『黒の血脈』や『蠱毒の器』などがそうである。僕自身の肉体そのものが呪術専用に変質しているタイプのものは、このパターンが多い気がする。

 しかし、今回のは僕の体というよりも、杖という武器を持ったが故の反応といったところか。

 確かに、呪術師なら魔術士みたいに杖がメイン装備なイメージがあるし、その杖を入手したのもコイツが初めてだし。

「もしかして、なんでもいいから杖を使っていたら、『愚者の杖』とやらは発動できていたのでは……」

 ただでさえ手段に乏しいのに、隠しスキルとかマジで勘弁してくださいよルインヒルデ様。僕はピンチの覚醒に期待するよりも、手札は全て把握した上で戦術を決めるタイプなんで。

「まぁいいや。相変わらず、クソの役にも立たないフレーバーテキストだけど、どんな能力があるのか、試してやる」

 そして、僕は再び杖を構えて、ポーズを決めて叫ぶ。

「出でよ、サラマンダーっ!」

 しかし、なにもおこらなかった。

 ちっ、やっぱりサラマンダーはダメか。別に、雷属性の黒ティラノの方でもいいんだけど。そうそう、強モンスをノーコストで召喚とか甘い話はないようだ。

「ええい、何でもいいから出ろよ! 召喚術士だろうお前!」

 と、雑に杖を振ってみると――

「うわっ、なんだこれ……魔力を吸い取られているのか……」

 気合いを入れてレムを再創造している時のような、急激な魔力消費の感覚が僕を襲う。呪術行使の時は全身から抜け出ていくような感じだけれど、今回は明らかに掌から、杖の方に魔力がダバダバ流れ出ているのを感じた。

 そして、湯水の如く流れ出た僕の魔力は、そのまま『愚者の杖』の魔法発動のエネルギーとして使われたようだ。

 具体的には、魔法陣が描かれた。

 見たことのない、僕の知らない円形の魔法陣だ。直径は約一メートル、図柄と文字はさほど複雑ではなく、割と簡素な模様。魔法陣は光のラインではなく、呪術師らしく、血のようなドロドロした赤い液体によって描かれていた。

 そんな不気味な魔法陣が、一、二、三……次々と妖精広場の芝生に描かれてゆき、最終的には十三もの数になる。

 そして、全ての魔法陣が出そろったところで、ついに、その内より人影が姿を現す。

「こ、これは……」

 魔法陣の内部が、『汚濁の泥人形』作成と同じように、ドロドロとした混沌が渦巻く。そこから、のっそりと起き上がるように現れた人影は……スケルトンだった。

 初期型のレムと同じ、色が黒いだけの貧弱なスケルトン。身長も僕と同じ程度だし、明らかにパワー不足なロースペックボディ。

 しかし、それが十三の魔法陣の全てから現れたのだ。合わせて、十三体もの黒スケルトン部隊は、僕の前に並び立った。

「おおお、流石にこれだけ数が揃ったのは初めてだよ。もしかして、これが召喚術の力ってことなのかな」


『簡易召喚陣』:使い魔を呼び出す、簡易的な略式召喚陣。呪術の影響か、血で描かれる。


『スケルトン』:基礎的な使い魔の一種。呪術の影響か、色は黒い。


同調波動エコー』:己の魔力を相手に同調させることで、意思疎通や従属を図る。基礎的な精神魔法。


 頭の中に思い浮かんだそれは、いつもの呪術の説明のようでありながら、異なる。これら三つのスキルは、恐らく、天職『召喚術士』のモノだ。

「もしかして、召喚術士の初期スキルが使えるのか」

 だとすれば、凄い能力ではなかろうか。

 ざっと要約すれば、『愚者の杖』は、天職持ちの頭蓋骨を杖にすることで発動し、その天職の初期スキルを行使できる、といったところだろうか。

 使い続ければ熟練度が上がって、さらに新しいスキルも獲得、なんてことになれば、僕は呪術師でありながら、他の天職の能力も同時に習得することができる、成長チート染みた効果ということになる……けど、僕の呪術師としての勘によると、そんなに優秀かつ便利に万能な力があるわけない、と強く確信できる。

 初期スキルしか使えない、という可能性は高いし、熟練度システムが実装されていても、莫大な経験値を要求されるレベル調整だとしか思えない。そもそも、本職だって相応の経験と苦労の果てに新スキル解放でレベルアップするのだから、ただの呪術一つでお手軽な成長など望めるはずもない。

 だがしかし、たとえ初期スキルのみ、だとしても今の僕にとっては十分すぎる効果である。

「よーし、それじゃあ早速、召喚術の力ってのを、試してみようじゃあないか」




「……うん、やっぱり弱いなコイツら」

 意気揚々と十三体の黒スケルトン部隊を連れて、いざ実戦に臨んでみれば、半分以下の数である六体のハイゾンビ相手に余裕で負けました。

「グルル、ガガガ」

「キシャー」

 結局、レムとアラクネコンビによってハイゾンビは倒し切った。

 この結果は、なんとなく予想はしていたけれど、ここまで弱いと戦力としてまるで頼りにならない。

「というか、幾らなんでも弱すぎる……やっぱり、中身がレムじゃないんだ」

 その通り、と肯定のハンドサインをレム初号機が出してくる。

『愚者の杖』による召喚術で呼び出した黒スケルトンは、体の弱さもさることながら、その動きもどこか緩慢であった。僕と共にダンジョン攻略を続けて、それなりに戦闘経験を積んだレムは、今なら黒スケルトンの体になったとしても、そこそこ動ける。パワーもスピードも上だが、単調な動きのハイゾンビを相手にしても、かなり粘れるはずだ。

 しかし、先の戦闘では十三体の黒スケルトンはどいつもこいつもそのままぶん殴られるだけで、その動きは野生のスケルトンと同等といったものであった。

「いや、本当に野生のスケルトンと同じなんだろうな」

 僕が使役する使い魔的な存在は、全て中身はレムだった。『汚濁の泥人形』と『怨嗟の屍人形』。屍の方は、泥人形の派生であるせいか、中身はレムで統一されていたけれど……恐らく、呪術ではなく召喚術という、別のカテゴリーの魔法で誕生させた存在だから、中身は別物になっているのだろう。

 果たして、彼らを動かす自我はどこから生まれるのか。よく分からないが、ともかく、召喚術によって行使するスケルトンは、ロースペックな体というのみならず、中身の方もクソゲーチックなAIで動いてるってことになる。

 彼らも戦闘経験を積ませれば、レムのように成長するのだろうか。なんとなく、ダメな気がする。

「これだけ数がいても、この程度の戦闘力じゃあ使い物にならないなぁ……」

 現状、スケルトン召喚のメリットといえば、そこそこの魔力量で十三体を同時に呼び出せるコストと時間。いざという時の囮や捨て駒としては実に使いやすい。

 けれど、その程度の役目であれば、適当な素材で作り出したレムだけでも十分だ。中身がレムなら、戦況に応じての対応力もあるし。

「召喚術で出したり引っ込めたりできるのは便利なんだけど」

 いわゆる空間魔法、とでもいうのだろうか。召喚術で呼び出したスケルトンは、消すことができるのだ。

 最初にスケルトンを作っておけば、次に召喚陣を使えば即座に現れるし、役目を終えれば再び召喚陣へと帰すことができる。一度作った奴を呼び出す時は、当然、魔力消費も召喚陣の発動分しか使わない。

 しかし、スケルトンを戦闘員として行使するには割と致命的な問題点が一つ、今回の実戦によって明らかとなった。

「せめて、武器くらいは持ち返ってくれよ」

 そう、召喚陣で出し入れできるのは、スケルトン本体のみ、なのである。今回は予備の武器もアラクネという荷物持ち係もいるので、スケルトンにも剣や槍を支給することができたのだが、コイツラを帰すと、持っていた武器はその場に残して自分だけ消えてしまうのだ。

 推測だけど、召喚陣での出し入れは、魔力に変換することで行っているのではないだろうか。スケルトンは召喚術という魔法で生み出された存在だから、魔力というエネルギーへと再変換することが可能。しかし、最初から物質である武器や防具といった装備品は、魔力へ変換できずに残る。召喚術での出し入れは不可能というワケだ。

「くっそ、やっぱ天道君のアイテムインベントリがチート性能なのか」

 あの黄金の魔法陣は、なんでもかんでも好きなだけ放り込めていた。『王剣』と呼んでいたメインウエポンも、僕にくれたモンスター素材も、全て一緒に扱っているようだった。特に制限がないって、素晴らしいことだよね。

 もしかすれば、『簡易召喚陣』がレベルアップして次の召喚スキルになれば、物質の出し入れも可能になるかもしれない。

「ええい、ないものねだりをしても仕方がない。何か利用法を考えないと……」

 ひとまず、この一戦だけで『簡易召喚陣』と『スケルトン』の効果はおおよそ把握できた。あとは、三つ目のスキルである、『同調波動エコー』である。

「要するに、自分の魔力が強ければ、モンスを従わせることができるってことだよね」

 いわゆる一つのテイムというやつだ。

 これもまた、実にゲームライクな能力である。きっと天職『召喚術士』は、最初はこの『同調波動エコー』を使って、弱い魔物から少しずつ手下を増やして、戦力増強を図っていく、というプレイスタイルなのだろう。

「多分、強いモンスを従えるのは無理そうだから……まずは、ハイゾンビあたりから試してみるか」

 というワケで、毒薬開発以来、ちょっと久しぶりとなる人体実験をするとしよう。こういう時に、アラクネがいるのは本当に便利だよ。

「ヴォオオアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 そして三十分と経たずして、元気にデスボイスを上げるハイゾンビの捕獲に成功した。

 ゴーマよりかはずっとパワーがあるので、厳重に蜘蛛糸でグルグル巻きにして、木から逆さ吊りにしている。

「さて、それじゃあ実験させてもらうよ、ハングドマン君」

 僕は吊るされたハイゾンビに向かって、『愚者の杖』を突きつけた。




 そして一時間後。そこには、物言わぬ躯と化した、逆さ吊りのハイゾンビの姿が。

「……まさか失敗するとは」

 ハイゾンビのテイムは失敗に終わった。全然ダメだった。

同調波動エコー』という魔法そのものは、問題なく発動できた。しかし、その効果がクソすぎた。

「ちくしょう、この感覚だとかなり弱い奴が相手じゃないと、従属させるなんて無理だよ」

 この魔法の使い心地は、正に感覚、と言うより他はない。精神魔法、というこれまでにない独特な系統だからだろうか。明確なダメージ判定などが見えない、精神面に作用する魔法というのは効果の確認というのがなかなか難しい。

 強いてその効果の度合いを説明するならば、色を塗る、といったところか。

 相手の精神、心にある色を、自分の色で塗りつぶしていく。自分の色の方をより多く塗ることが出来れば、相手を従属させるだけの影響力が持てるだろう。

 つまり、俺色に染まれ! である。

「ハイゾンビが無理なら、ゴーヴも無理だし、この感じだとゴーマや赤犬相手でも怪しいなぁ」

 ちょっと待って、それじゃあ僕が従わせることができる魔物って、存在しないってこと?

「そ、それはないだろ……」

 おいおいおい、魔物を使役する魔法なのに、使役できる魔物が存在しないとか、どんなクソゲーだよ。

 一応、僕は呪術師という魔力をメインに使う天職だから、魔力量というステータスは魔法職としては人並みだと思っている。特別に、僕の魔力ステが低いということはないはずだ。

 だというのに、このダンジョンにおける最弱の雑魚モンスであるゴーマですら『同調波動エコー』をかけられるかどうか、という性能である。オブラートに包んでも、クソとしか言えない効果だ。やったね『赤き熱病』、仲間がふえるよ!

「今更、元来た道を戻ってゴーマなんか使い魔にしたって、意味なさすぎだろ」

 だったら、大人しくスケルトンを使った方が時間もコストも労力も、あらゆる面でマシである。

「はぁ……どうすんだよ、これ」

 吊るされたハイゾンビを背景に、ガックリと項垂れながら『愚者の杖』に嵌め込まれた召喚術士の髑髏と睨めっこ。

 この頭蓋骨の持ち主がクラスメイトの誰かは知らないけれど、ひょっとして、とんでもないクソ性能の召喚術士だったせいで、死んでしまったのではないだろうか。だとすれば、同情するよ。でも、本物の召喚術士は超性能だったら、特に同情はしない。調子に乗って天道君に喧嘩売って返り討ちにされても、お好きにどうぞ。

 どうしようもないことを考えて現実逃避していると、後ろの方でチュンチュンという小鳥のさえずりが耳に届いた。

 ジャングルに生息している、いつもチュンチュン朝チュンと鳴いては、一日の始まりを伝えてくれるスズメ的な小鳥さんである。遊ぶ方の小鳥と違って、素直に可愛らしいと思っていたけれど、実は肉食なのか、死んだハイゾンビにたかっては、小さなクチバシでその体をつついていた。

「……『同調波動エコー』」

 かけた瞬間、一羽の小鳥がピタリと動きを止めた。

「せ、成功した!?」

 なんとなくの気まぐれだった。ただ、近くにいた、目についた、それだけの理由である。

 けれど、『同調波動エコー』を発動した瞬間、その手ごたえは抜群であった。

 ハイゾンビに試した時は、広大なキャンバスを0,3ミリのシャーペンで塗りつぶすような徒労感だったのが、スズメ相手だと、ペンキ缶をぶちまけるが如き勢いで、精神の同調が進行したのだ。

 こっちに来い、と軽く念じてみれば、パタパタと羽ばたいては、僕の肩へと止まった。

「おおお、凄い、マジで言うこと聞くよ」

 ひょっとして、魔物は最初からある程度の魔力を保有しているから、魔力でもって支配するのは難しい、抵抗力がある。けれど、魔物ほど魔力を持たないただの動物なら、その抵抗力も低い、ということなのか。

 まぁいい、原因はなんにせよ。こうまで容易く従属させることができたというのは朗報だ。

 さて、『同調波動エコー』で従属させた動物は、召喚陣で出し入れできるのか。

「おおお、できた!」

 杖を一振りすれば、肩乗りスズメちゃんは地面に描かれた小さな血の召喚陣へと降り立つと、そのまま黒い靄のように消え去っていった。

 そして、もう一振りすれば、再び靄が溢れると、スズメの姿を形成していた。

「よし、よし、いいぞ!」

 スズメほどの小動物なら、簡単に『同調波動エコー』が成功できる。従属させた動物は召喚陣での行使も可能。

 スケルトンなら、召喚陣で行使できるのは十三体。だが、この肉食スズメだけで使うなら、百羽でもいけそうだ。

 いや、そもそもスズメではなく、もう少し大きな鳥を使役できれば……

「やった、いける! これなら、桜井君を相手にできる!」




 ようやく、超人スナイパー桜井が封鎖する橋を突破するための、手札が揃った。

 まず、第一のカードは、『双影ふたつかげ』で分身した僕をそのまま盾としてメイちゃんに装備させ、桜井君の射撃を躊躇させるというもの。

 そして第二のカードは、僕ごとメイちゃんを撃つのに迷った隙をついて突入させる、鳥類による即席空軍だ。

「いやー、空を飛べるって、もうそれだけでちょっとしたチート能力だよね」

 僕は召喚術士の髑髏が嵌った『愚者の杖』を握りしめながら、ニヤニヤ満足気な笑みを浮かべて空、もとい、ジオフロントの遥か高い天井を見上げる。

 そこには、大小さまざまな鳥たちが、グルグルと仲良く飛び交っている。

「よし、戻れ」

 言いながら、杖を一振りすると、鳥たちは真っ直ぐこっちへと降下を始め、バタバタと地面へと降り立った。

 僕の下に集った鳥は、この辺で見かけた奴らを手当たり次第に『同調波動エコー』をかけてきたものだ。スズメのような小鳥サイズから、派手な色合いのオウムみたいなちょっと大きめの鳥まで、雑多に混じっている。

 けれど、僕が「戻れ」と命じれば、等しく召喚陣で送還されて消えていく。召喚術による使い魔として、しっかりと機能している。

 だが、一羽だけ召喚陣が展開されずに、取り残された鳥がいる。

 カラスのように黒一色で、見た目も良く似た、どこにでもいそうな、ごく普通の鳥。コイツだけは、屍人形のレムである。

「やっぱり、レムをリーダーにした方が動かしやすいな」

 最初のスケルトン部隊の実験で分かったことだけど、召喚術で生み出した使い魔や、同調波動エコー』によって使い魔とした奴は、あまり頭がよろしくない。命令には忠実、だが、それだけだ。

 少なくとも、一朝一夕で剣術やら戦術的な判断やらを、叩きこむことは不可能である。

 だからこそ実戦の場においては、術者自身が逐一、命令を下さなければならないのだが……これが結構な手間なのだ。特に、今回のように複数の使い魔を一斉に動かすとなると、ただ移動させるだけでもなかなか難しかったりする。

 ストラテジーゲームみたいに、マウス操作の俯瞰視点で簡単に集団を操ることができれば便利なんだけど。この辺も熟練度で操作性は向上するのかもしれないけど、今の僕には命令対象が視界に映っていないと、上手く操れない。あまり遠くに離れすぎても同様。

 鳥なんて飛んで行けばあっという間に、空の彼方である。僕が直接操作しようと思えば、その現実的な操作範囲というのはかなり限られた空間となってしまう。

 これでは、折角の空中機動力が台無し……そこで、レムの出番である。

 レムは初号機から二号、三号、と数が増えても、並列思考能力があるのか、その動きや判断が衰えることはない。だからこそ、使い魔の鳥部隊を統率するためだけのレムを一体、いや、一羽こしらえることで、僕の召喚術者としての仕事を大幅に軽減できる。

 レムならば、作戦概要を説明すれば、それを理解して的確に行動してくれる。ある程度、不測の事態が発生しても、作戦継続か、即時撤退か、くらいの判断だって下せる。

 今や高い知能を持つお利口さんなレムをリーダーユニットとすることで、頭の足りない使い魔達は、ただレム様に唯々諾々と従って行動すれば良いだけなのだ。

 流石にお馬鹿さんな使い魔でも、レムについていけ、とか、レムの合図で攻撃しろ、とか、それくらいのことは覚えられるし。移動、攻撃、撤退。これだけできれば、手駒としては十分である。

「メイちゃん、そっちの調子はどう?」

「うん、大丈夫だと思うよ」

 僕が鳥操作の練習をしている傍らで、明るい笑顔で答えるメイちゃんは、ビュンビュン飛来してくる矢を、黒い大盾で弾いている真っ最中であった。

 相手が射手なので、弓矢を撃ってくることは確定である。敵のバトルスタイル、使用武器が分かっているなら、それを想定して訓練するべきだろう。

 これまで弓矢を相手にするといえば、ゴーマどもがヘタクソなオンボロ矢を放ってくる程度で、メイちゃんもリビングアーマーに稀に弓矢やボウガンを使う奴がいた、というくらいで、あまり大した経験はしていない。

 今回は、分身の僕を上手く盾にしながら橋を強行突破するので、矢の狙撃に少しでも対応できるよう練習中なのである。まぁ、折角、時間もあることだし。

 現在、レム初号機とアラクネと三号機の三人がかりで、盾を構えるメイちゃんに対して情け容赦なく撃たせている。アラクネは人型の上半身だから、実は普通に弓が撃てるんだよね。ケンタウロスも弓が上手い設定とかあったよね。

 ともかく、今やそれなりの技量を持つレムが、三人組みでバラバラの三方向から矢を射かけるのだ。普通だったら死ぬ。一発目で死ぬだろう。

 だがしかし、流石は僕らのバーサーカーメイちゃん。真後ろから矢が飛んできても、苦も無く反転して盾で防いでみせた。

「これくらいなら対処できるけど、桜井君の弓はもっと凄そうだったから、ちょっと不安かも」

「流石に、天職『射手』が相手だからね。武技もあるだろうし、完璧な練習はできないよ」

「うん、でも……小太郎くんのことは、私が絶対に守るから」

「いや、今回はちゃんと、僕のこと盾にしてよね」

「あっ……そうだよね、てへへ」

 これで、本物の僕が盾になってあげられたら、最高にカッコいいんだけどね。メイちゃんの技量なら、桜井君の狙撃に対応して、上手く僕の手足に命中させて『痛み返し』の負傷をさせた上で、接近戦に持ち込むという、より勝率の高い作戦もできるんだけど……ごめんね、やっぱり僕には、自己犠牲の精神ってのは持ち合わせていないようだ。

 結局、一番危険な役目をメイちゃんだけに押し付ける形となるのだけれど、ケチどころか嫌な顔すらせずに、作戦を考え付いた僕のことを天才的だと褒めてくれた彼女には、本当に、何て言うか……いや、やめよう。

 今はただ、作戦の成功を信じて、メイちゃんの力を信じて、『射手』桜井君に挑もう。

第158話 呪術師VS射手

 川辺に立つ高いビルの屋上で、一人、川にかかる橋を眺める。

 ここへ籠って、どれくらい経つだろうか。

 やけに肝が据わった態度の桃川と、どういう魔法なのか誰もが振り返る巨乳美少女へとダイエットしていた双葉さんのコンビが現れてから、三日以上は経過しているとは思う。

「桃川の薬、試してみるべきだったか……いや、ダメだ、リスクは冒せない」

 敵対的な態度をとったことは、絶対に正しかったどうか、正直、自信はない。こんな状況では、何が正解で、何が失敗なのか、省みる余裕も余地もありはしないのだから。

 桃川がポーションはないけど薬はある、という言葉を信じるのは簡単だった。今の俺には、飛びつきたいほど魅力的な話だ。

 だが、俺の『直感』が「桃川は危険だ」と訴えていた。

 天職『射手』となったことで、超常的な、あるいは魔法的なのか、何にせよ、鋭い、の一言では済まないほどの直感力が身についている。天職のスキルとしても『直感』というのを獲得しているし。 だから、俺はそれに従った。

 けれど、こうして時間が経ち、一人きりで先の見えない警戒をし続けていると、不安感と焦燥感ばかりが募っていく。

 もしかすると桃川の薬を使えば、すぐに早矢ちゃんは治ったかもしれない。ひょっとして俺は、彼女を治す唯一の方法を自ら放棄してしまったのではないか。

 そんな、どうしようもないことばかり考え込んでしまう。

 けれど、何度考え直しても、あの桃川の姿を思い返せば、やはり危険は避けなければいけなかった。外見こそ特に変わった様子はない、相変わらずの童顔の女顔だったが……教室の隅でぼんやりしているアイツとは、明らかに気配が違っていた。

 それも当然だろう。曲がりなりにも、ダンジョンをここまで進んできたのだ。それ相応の修羅場を潜り抜けているに違いない。証拠も何もない、完全にただの勘ではあったが、桃川が人を殺した経験すらしている、という予感に間違いはないはずだ。

 そして何より、当てなかったとはいえ、警告の射撃を受けておきながら、あの堂々とした交渉態度。道連れにする能力、だったか。嘘か真かは分からないが、真っ先にソレを口にして俺から射殺の選択肢を奪ったのは狡猾の一言に尽きる。

 今の俺の直感は鋭いが、あらゆる嘘を見抜くことができるワケではない。だから、桃川の道連れ能力も、傷薬のことも、はっきりしたことは何も分からない。アイツの言葉はどこまで本当で、どこからが嘘なのか。

 人に対する疑心暗鬼もあるだろう。それでも桃川の話しぶりを聞くに、アイツは突然の脅迫者を相手にしても、抜け目なく交渉に持ち込める頭のキレがあることに間違いはない。そんな察しの良い奴を相手にするなら、唯々諾々と向こうの言い分を呑むのは危険だろう。

 万が一、早矢ちゃんを人質になんてとられたら、俺にはもう手の打ちようはない。

 そこまで分かっておきながら、桃川の薬を使っていれば……と思ってしまうのは、それがそのまま、俺の心の弱さである。

「はぁ……頼むよ、神様、どうか早矢ちゃんを治してくれ……」

 今の彼女の容体は、安定している、と思いたい。出血こそおさまっているが、痛々しい傷痕は塞がらないし、消毒液や綺麗な包帯もない状態だから、感染症とか他の危険性だってある。出来る限りの応急処置はしているが、彼女の傷を癒すには、やはりポーションのような魔法の薬の力が必要になるだろう。

 このまま安静にしていても、自然に治癒するとは思えない。最近は食欲もかなり失せているのか、全然、食事も食べないし。

「どうする、少し遠出してでも、俺がポーションを探してみるか」

 近場はとっくに探し尽くした。傷ついた早矢ちゃんの傍を離れるのは危険だが、獲物を狩るためにここを離れる必要もあるし、そのついでで周辺の探索も行った。

 この辺には、ポーションの入った宝箱は見つからなかった。けど、この大きな遺跡街ならば、どこかに一つくらいならあるはず。ならば、一日、二日、ここを離れる覚悟でポーションを探しに行くのが、最も希望の持てそうな選択ではあるが……

「くそっ、ダメだ、近くにはまだ桃川が潜伏しているはずだ」

 もし俺が遠出しているのがバレれば、アイツは橋を渡って、誰にも邪魔されずに無防備な早矢ちゃんを人質にとることができる。

「最初に殺しておくべきだったか……」

 いいや、それも短慮に過ぎる。俺が自分でポーションを探し出すのと、桃川が要求に従ってポーションを探すこと、どちらの可能性も五十歩百歩といったところだろう。

 つまるところ、今の俺にはこれといった手が打てない、八方ふさがりの状況でしかないのだ。

「考えろ。考える時間は腐るほどある。何か、早矢ちゃんを治すいい方法が――っ!?」

 どうやら、考える時間すらなくなったのだと、俺の直感が教えてくれた。

 敵の存在を感知する時は、大抵『直感』スキルが先に働いて、次に『索敵』でおおまかな位置を特定。最後に『鷹目』で目視するか、『風読』の副次効果である音を拾って、完全に敵の存在を捕捉する。

 今は、すでに『索敵』にかかっていて、どこにいるかが何となく分かって来た。

 いや、この足取りなら、スキルなんてなくても、すぐに気づいたな。敵は堂々と真っ直ぐに、俺が封鎖している橋へと向かってきたのだから。

「桜井くーん、いるー?」

 小学生のように大声で名前を叫ぶのは、やはり、桃川だった。

「来たか、桃川。ポーションは見つかったのか――って、なんだその格好は!?」

 現れたのは、紛うことなく桃川である。勿論、双葉さんも一緒だ。しかし、その二人の状態が問題であった。

 双葉さんが、デカい盾を持っている。そして、その盾に桃川が磔にされているのだ。

 お前、一体どんな罪を犯したんだよ。巨乳美人になった双葉さんの水浴びでも覗いたか?

 重厚な黒い大盾に、ロープでグルグル巻きにして縛りつけられた桃川は、どこからどう見ても、これから脇腹を槍で刺されるか、火あぶりに処されるか、といった状態の罪人であるのだが、当の本人は余裕の表情で俺を呼んだことから、双葉さんから罰せられているワケではないのだろう。

「桜井君、悪いけれど、こっちも命がけだからね。だから、万全の態勢で来たってことさ」

「そ、そうか」

 そういうプレイで遊んでいるワケではないのだな。

 しかし、その口ぶりでは、どうやら大人しくポーションを見つけて譲り渡すということではなさそうだ。

「ポーションは見つかったのか?」

「いいや、見つからなかったよ。もう一度聞くけれど、僕の傷薬を使う気はある?」

「俺の答えは変わらない」

 薬を試すべきか。躊躇はある、だが、肯定はできない。

「ここを通りたければ、ポーションを持ってくるか、俺と戦うか、二つに一つだ」

「僕らと戦うのは、桜井君にとっても危険があると思う。余計な戦いは避けて、ここは一つ、僕らのことは見なかったことにして、ただ通してくれるワケにはいかないかな」

「スルーするくらいなら、最初から脅しなんてしないさ。お前の方こそ、ポーションを探して持ってきた方が、安全確実だぞ」

 いつでも警告射撃ができるよう、俺は矢を黒角弓に番えて、ギリギリと引き絞る。

 これで、もう一度交渉を試みた、というだけなら終わりだが……さぁ、どう出る、桃川。

「そっか、残念だよ……それなら、君を倒して、押し通らせてもらう」

 そう桃川が宣言した瞬間、双葉さんが走り出した。重そうな装備に反して、その足はなかなかに速い。

「後悔するぞ、桃川!」

 まずは、警告代わりにそのまま矢を放つ。空を切り裂き、矢が一直線に空間を駆け抜ける。

 ガツンッ! と音を立てて、双葉さんが踏み込んだ足元を矢が射抜く。

 だが、彼女に立ち止まる様子はない。むしろ、矢が飛んできたことに気づいてすらいないような反応――いや、違う。アレは、俺が初弾は絶対に命中させないと分かっているから、避けることも、防ぐ素振りも、それどころかビビる様子すらなかったんだ。

 けれど、それを分かっているというだけで実行できるのだから、双葉さん、大した度胸だ。クラスでは早矢ちゃんに負けず劣らず気弱な感じだったというのに。彼女もまた、この過酷なダンジョンサバイバルで変わったということか。

「警告はしたぞ。次は、当てる!」

「僕の能力、忘れたワケじゃあないよね、桜井君?」

「縛られたお前じゃあ、双葉さんと共倒れだろうが――っ!」

 桃川付きの盾を構えたまま、疾走する双葉さんの足に狙いをつけた、その瞬間だ。

 盾が動いた。

 僅かに、足元をガードするように。気のせいじゃない、確かに動いた。

「まさか、狙いが分かるのか。なんて直感力だ……」

 そうだ、天職という超常的な能力を得ているのは、俺だけではない。桃川は異様な雰囲気こそ纏っているが、身体的に大した強さはないというのは何となく察せられる。

 だが、双葉さんは違う。彼女は恐らく、バリバリの戦闘天職を得ている。だからこそ、あの持ち上げるだけでもキツそうな、バカデカい黒盾を構え、さらには、桃川といういくら小柄とはいえ40キロ以上は確実にある重りを縛り付けても、ああして涼しい顔で走ることができるのだ。

 もしかすれば100キロあるかもしれないクソ重い装備を抱え、それでいて陸上部エースの夏川さん並みの速度で走っている。超人的な身体能力を獲得しているのは、これだけでもう明らかだ。

 そして、強化されているのは肉体だけでなく、その直感もそうだ。

「そうか、文字通り、桃川を盾にしているってことかよ」

 ただ盾としてかざしているだけなら、桃川を避けて撃ち抜くことは可能だ。よくハリウッド映画である、テロリストが女子供に銃をつきつけて人質、なんていう体勢でも、今の俺なら正確に犯人だけを狙い打てる。

 だがしかし、多少なりとも射撃に反応して盾を動かされれば、その限りではない。

 双葉さんは間違いなく、俺の狙撃に対して反応できる、直感か動体視力か、あるいは両方の力を持っている。ただ狙い撃つだけでは、桃川に命中する可能性は高い。

 桃川の道連れ能力が事実であった場合、ウッカリ急所を射抜いてしまえばそれでお終いだ。そうでなくても、腕や足に一発喰らえば、それだけで俺はほぼ戦闘不能となる。

 道連れ能力が嘘だったなら、構わず撃ち抜ける。しかし能力を検証しなければ、桃川に致命傷を負わせることはできない。

 嘘か真か、試すのは簡単だ。カスリ傷だけ負わせればいい。

 だが、それを双葉さんが許さない。彼女が盾を動かせば、カスリ傷狙いだった軌道が、桃川の手足直撃コースに変わる。

 いや、むしろ、ソレを狙っているのか。

 俺が負傷すれば、回復手段はない。こっちはポーションを要求しているのだ。負傷を即座に回復する手段がないことを、すでに自ら明かしてしまっている。

 だが、桃川には自前の傷薬がある。それも、その効果は結構なものらしい。だから手足の一本くらい犠牲にしても、後で治せばそれでいい。負傷して動けない俺を始末した後で、ゆっくりと治療できるのだ。

「くそ、どうする……」

 双葉さんの走る速度は落ちるどころか、どんどん速くなっているようにも見える。それなりに長い橋だが、このまま走り抜ければ20秒もかからない。

 考える時間すら足りない……

「落ち着け」

 盾になっている桃川。道連れ能力は、俺の直感でいえば、嘘の可能性が高いと思う。

 本当に自分の命を賭けているなら、もう少し焦りや緊張もあるはずだ。桃川の肝は据わっていることは認めるが、それでも全くないはずではない。

 それでもあの余裕ぶりは、自分の身の安全が確保できているが故。

 しかし、それもあくまで可能性に過ぎない。イチかバチかで桃川を射殺してみるには、あまりに危険すぎる。

 やはり一度、能力検証は必要。

 これで道連れ能力が事実なら、もう腹をくくって桃川抱えた双葉さんと近距離で正面対決に挑むしかない。

 だが、もし嘘であることが確定すれば、まだ遠距離攻撃のアドバンテージはこちらにある。桃川ごと、武技でもって彼女を射殺してみせる。

 そして、この能力検証をするためには……

「そうだ、コイツを使って――んっ、なんだ」

 閃きのような発想が思いついた、その瞬間、新たな異常を察知する。

「ただの鳥か?」

 俺が陣取っているのは屋上だ。だから、空はよく見える。

 夜も曇も訪れない、明るい地下空間の空に、鳥の群れが飛んでくるのが見えた。『鷹目』がなくたって、誰でも普通に確認できる。

 ここは緑の自然に侵蝕されているから、魔物の他にも普通の動物が生息している。鳥だって、何種類もいることは、ここで過ごしていれば当たり前に気づける。

 だから、飛んでくる鳥は見覚えのある鳥ばかりで、これといって異常はない。

 だがしかし、明らかに種類の異なる鳥たちが、まるで一つの群れであるかのように編隊飛行をしてくるのは、正常といえるだろうか?

「くそっ、これも桃川の仕業か!?」

 鳥の群れは、川の向こうから真っ直ぐこちらに向かって飛んできている。どう考えても、桃川があの鳥を操っているとしか思えない。

 ビル屋上の狙撃地点に居座る俺を、空から鳥をけしかけて邪魔しようっていうのか。それも、双葉さんが橋を走り続ける、このタイミングで。

「万全の体勢ってのは、このことかよ、桃川」

 恐ろしい男だ。俺のスナイパースタイルを見て、的確にその対処法を用意してきたのだ。

 アイツは俺を邪魔者とみて、何の躊躇もなく淡々と殺す準備を進めてきたのだろうか。あるいは、感情面でも俺と言うクラスメイトを殺すことに、戸惑いを覚え、それでも先に進むためにやむなく攻勢に出たのか……いいや、そんなこと、今考えることじゃあないな。

 感傷的になる必要はない。

 俺は早矢ちゃんを守るためなら何でもする。そして、桃川も生き残るためなら何でもする。俺と奴は、すでに敵同士。ならば、あとは戦うだけのことだろうが。

「嫌な奴を敵に回してしまったな……けど、俺の弓の腕を、舐めるなよっ!」

 矢を二本、いや、三本番える。相手が群れの時に便利な、同時発射だ。特にスキルではない。けど、射手として戦い続けていれば、当たり前に習得できる自前の技術である。

「疾っ!」

 ヒュウン、と風切音をたてて、三本の矢が同時に、けれど、別々の軌道で飛んでゆく。明後日の方向に逸れたものは、一本たりともない。

 一の矢は、オウムのような大き目の鳥を貫く。二の矢は、鳩のような鳥を。三の矢は、スズメのような小さな鳥を、二羽まとめて射抜いた。

「ちっ、このペースじゃ間に合わない」

 鳥にたかられれば、その時点で双葉さんの接近を許してしまう。まだ、桃川の道連れ能力の検証が終わっていない。このまま、危険な近距離戦に入るのはまずい。

 速やかに、鳥の群れを排除する。そのための手段は、一つしかない。

「すぅ……はぁ……」

 焦る気持ち、乱れる心を落ち着かせる。深呼吸は一回でいい。

 飽きるほど繰り返した弓道の所作で、ゆっくりと、そして、確実に矢を番える。今度は、一本だけでいい。

 すると、番えた矢は仄かに青白い光を宿す。

「――『流星』」

 俺が持つ、最大威力の武技を放つ。

 放たれた瞬間、矢は閃光のように眩しく輝き、真昼の明るさの空に映るほど、輝く光の尾を引いて飛んでゆく。なるほど、その様は確かに『流星』の名に相応しい。

 そして眩い光の矢は、群れの先頭を飛ぶ黒いカラスのような鳥に直撃し――大爆発を巻き起こす。

 青白い光が空中に炸裂し、その爆発は鳥の群れを全て飲み込み、一撃で葬り去った。

熱風が頬を撫でてゆくのを感じながら、大きく息を吐く。

「よし、次だ」

 武技を放った後の、僅か一拍の硬直すら惜しい。『流星』を撃つための、ゆっくりした準備動作に、発射後に俺が動けるまでの時間。この数秒間で、双葉さんはいよいよ橋を渡り切りそうなあたりまで進んできていた。

 けれど、焦るな。

 タイムリミットの緊張感に指先が震えそうだが、それでも道中で何度も繰り返してきた動作として、流れるように矢筒へと手を伸ばす。

 普通の矢は、背負った矢筒に入れている。そして普通じゃない方の矢は、腰に装着した矢筒へと入れて、分別している。

 取り出した矢は、『毒煙玉』だ。


『毒煙玉』:『ポワゾン』の煙を封じた玉。


 玉は着弾の衝撃で弾け、早矢ちゃんが封入した『ポワゾン』の煙、つまり毒ガスが瞬く間に広がる、毒矢のグレネードバージョンみたいなモノだ。牙の生えた鼠とか、歯の生えたゴキブリとか、小型の魔物を殲滅する時に便利な一品である。

 元々、『ポワゾン』は単体にかける魔法だから、毒ガス状にして霧散させると、その分だけ威力は落ちる。殺傷力こそ低いが、即効性は変わらない。

 つまり、コレを炸裂させれば、道連れ能力を検証できるのだ。即効性だから、喰らえばすぐに結果が分かる。弱い毒だから、事実だとしても俺への影響は薄い。というか、早矢ちゃんがいざという時のために、解毒薬も作っておいてくれてるから、俺に対する毒ダメージは皆無。

「コイツで、嘘か真か、見極めさせてもらうぞ、桃川――」

 放った『毒煙玉』は、双葉さんの前方で炸裂。あからさまに毒々しい、濃い紫色の煙が広がり、橋の上を覆ってゆく。毒ガスを避けて、通り抜けるのは不可能な範囲である。

 明らかに危険なガスが目の前に広がっているというのに、やはり度胸があるのか、双葉さんは迷いなく、そのまま走り込んで行った。

「……ふっ、やっぱり嘘だったか」

 体に異常はない。息を止めていたとしても、『ポワゾン』は皮膚に触れただけでもある程度の効果は発する。

 頭痛、めまい、吐き気、倦怠感、どの軽度の症状も現れない。

 ということは、つまり、そういうことなのだ。

「ここからは、全力でいかせてもらうぞっ!」

 惑わされた鬱憤を晴らすように、俺は弓を力いっぱい引き絞り――今だ。

 煙る毒ガスを突っ切って双葉さんが再び姿を現した瞬間を狙い撃ち。

「――っ!?」

 けど、流石だな。やっぱり、俺の狙撃に反応しきってみせた。放った矢は、かざした盾に見事に弾かれる。それも、縛られた桃川を避けた部分で。

「健気だな。だが、もう無意味だ!」

 間髪入れずに、次を、そのまた次を撃つ。撃つ、撃ちまくる。

 天職『射手』だからこそ可能な速射。さながらマシンガンのように、矢を連続で放ってゆく。

「くっ――」

 いくらなんでも、これだけの連続射撃に双葉さんも対応しきれない。十三発目までは、桃川に当たらない部分で受けてみせたが、それから先は、ついに直撃を許す。

 掌に、脛に、肩に、腿に。桃川の小さな体に次々と矢が突き立ったが、やはり、俺の体には何の痛みもありはしない。

「これで終わりだ、桃川」

 心臓と額、両方の急所に同時に矢が突き立った――瞬間、桃川の体が爆ぜた。

 爆発、ではない。何だ、いきなり黒い靄みたいなのが弾けて、桃川の死体が、ない。消えている。

「偽物か、幻覚かといったところか。どこまでも抜け目のない奴だな」

 まぁいい。先に強力な戦士である双葉さんを倒せば、お前を守る者は誰もいなくなる。

 本物の桃川が近くに潜んでいるのは、間違いないはずだ。彼女を倒した後、探し出して確実に殺す。

 桃川、お前は放っておくには、あまりにも危険すぎるからな。

「これで邪魔者はいなくなった。正々堂々、勝負といこうか、双葉さん」

 偽物とはいえ、桃川を撃ち殺した俺に対し、恐ろしい形相を浮かべる彼女に向かって、俺は全力で黒角弓を引いた。

第159話 狂戦士VS射手

 小太郎の『双影』を失った芽衣子。だが、すでに桜井遠矢が陣取るビルのすぐ手前までやって来ていた。遥か遠くに居座る『射手』へと王手をかけるまで、あと一歩といったところ。

 そして、その窮地を遠矢も理解している。ブラフの盾を打ち破った彼は、いよいよ本気で目前に迫った狂戦士を射殺しにかかった。

 芽衣子の頭上から、矢の雨が降り注ぐ。何十人もの弓兵隊がいるかのような大量の矢はしかし、遠矢一人の手によって同時発射と高速連射の技能によって放たれたものだ。逃げ道どころか、回避の隙間さえ埋め尽くす矢を前に、芽衣子は恐れることなく盾を構えた。

「――ちいっ、やっぱ普通の矢じゃ貫けないか」

 芽衣子が掲げる漆黒の大盾『ダークタワーシールド』は、降り注ぐ矢をものともせずに弾き返す。その一発一発は、ゴアの厚い甲殻すら打ち抜く威力を誇るが、ひたすら重く頑強なリビングアーマーの盾を傷つけるには至らない。

「なら、これで――どうだっ!」

 黒角弓をさらに強く引き絞り、放たれたのは一本の矢。だが、武技の力が宿る一射である。

 通常の発射よりも、さらに速く、鋭く、射手の武技『穿撃』は疾走した。

「くっ!」

 ギィインッ! と甲高い金属音が響き、火花が散る。

 流石の芽衣子も呻き声を漏らしたのは、その手に加わった武技の衝撃の重さではなく、目の前に突き出た鏃を見たが故。

 盾は、貫かれていた。

「『穿撃』なら抜ける、が、完全には貫けないか」

 武技『穿撃』の矢は重厚な黒盾を貫いたが、芽衣子の体にまでは届いていない。突き刺さった途中で止まり、盾の持ち手にまで矢は至らないようだ。

 かといって、とても安心はできない。次は、そのまた次は、今度こそ貫かれるかもしれない。あるいは、こんな威力の矢を何発も受け続ければ、先に盾が割れてしまう。

「屋上に着くまで、保てばいい!」

「その前に、邪魔な盾は剥ぐ!」

 全速前進の覚悟を固める狂戦士と、それを妨げる射手。両者の距離は、すでにビルの高さ分ほどしかない。

 ビルの正面玄関にまで至った芽衣子に向かって、遠矢渾身の武技が降り注いだ。

「――っ!」

 ガン、ガンと強い衝撃が盾を構える腕に響く。同時に、盾の裏側に顔をのぞかせる鏃に、再び冷や汗を流す。

 放たれた『穿撃』は二発。武技の二連射は盾を貫いたが、芽衣子には届かず、盾が割れることもなかった。

 防ぎきった――否。そこで三連射目の武技が襲い掛かった。

「あっ!」

 より大きく響きわたった金属音と震動音と共に、『ダークタワーシールド』が芽衣子の手から離れる。

「よし、『衝波』のインパクトには耐えられなかったな」

 三発目の射手の武技は、貫通力強化の『穿撃』ではなく、衝撃波を発生させる『衝波』であった。

 矢が持つ貫通力を衝撃波へと変換させることで、命中した際に盾に加わる震動と衝撃は比べものにならないほど増幅される。二発の『穿撃』を辛くも受けきった直後に、それだけの衝撃が加われば、芽衣子とて盾をその手から弾かれざるを得なかった。

 遠矢の目に、焦りを浮かべた芽衣子の表情が見える。矢を防ぐ唯一の手段を失えば、当然のことだろう。

 しかし、彼女が弾き飛ばされた盾を見送ったのは一瞬のこと。大盾がガランガランと音を立てて地面に落ちる頃には、すでに芽衣子は頭上にある敵へと目を向けていた。

 狂戦士の闘志は、盾を一枚失ったくらいで、消えるはずもない。

「ビルに入れば、勝てると思ってるのか――」

 あと数歩進めば、芽衣子はいよいよ遠矢の陣取るビルへと入ることができる。

 だがしかし、射手としてここに籠ると決めた、大事な拠点。傷ついた最愛の人を寝かせておく、大切なホーム。

 そんな場所を、自分以外に防備を置かないはずはない。

「時間は幾らでもあった。このビルの中はトラップだらけだ。地の利はまだ、俺の方にある」

 遠矢は元々、そのテのことに詳しいワケではなかったが、拙い知識と試行錯誤で、数々のブービートラップをビルの中に設置してきた。

 崩れかけの通路を利用した落とし穴。毒煙玉を仕込んだワイヤートラップ。階段の各所には松明油混じりのオイルで滑らせ、火矢で着火も可能。

 効果のほどは、ゴーヴの集団やフラっと迷い込んできた数々の魔物で実証済み。たとえ、罠一つで殺傷力が足りずとも、少しでも攪乱や足止めになれば、射手である遠矢がトドメを刺すのは容易いことだ。

 仕掛けたトラップの位置と、ビル内の構造は完璧に頭の中に叩きこんである。この中で戦うならば、狂戦士相手でも十分に接近戦でのアドバンテージはとれる。まだ、自分の優位は揺らがない。

 そう思って冷静さを保つ遠矢を、芽衣子は次の一歩で崩しにかかる。

 芽衣子が走ったのは、ビルへ入る玄関ではなく――壁であった。

「ま、まさか、壁を走れるのかっ!?」

 そのまさかの光景が、目の前の現実となって襲いかかる。

 ズン、ズン、と外壁の石材を砕くような力強い足取りで、芽衣子の体は垂直の壁面を走り始めていた。

 人間が壁をそのまま走る、という現実離れした光景に軽く衝撃を受けるが……思えば、自分だって『疾駆』の効果で似たような真似ができることに気づき、納得もする。

「移動系の武技があれば、こういうこともできるってか……」

 芽衣子が『疾駆』を極めているのか、『壁走り』なんていう専用武技を習得しているのか、あるいは素の身体能力で壁を踏み砕いて走っているだけなのか、詳しいことは分からないが、彼女がかなりの速度でビルの外壁を登り続けてくるのは、紛れもない事実である。

 予想外の行動に、遠矢の心に焦りはある。だが、まだ勝負を捨てるほどではない。

「盾はない。壁には遮蔽物もない。射殺すには絶好の場所だぞ、双葉さん」

 ここが、射手にとって最後のキルゾーン。

 壁を走って迫りくる芽衣子から、肌をビリビリと刺すような殺意の気配を感じながらも、遠矢は臆することなく弓を引く。

 屋上から飛び降りるような体勢で大きく壁側に体を乗り出し、垂直であれどもただの平面にすぎない壁を疾走する芽衣子へと、狙いを定める。

「貫け、『穿撃』」

 確実に仕留めるために、武技を行使。

 僅か十数メートルの距離を、瞬時に駆け抜ける必殺の矢はしかし――黒い一閃によって防がれる。

「弾いた!? くそっ、この距離で――」

 芽衣子が手にしたのは、禍々しい赤黒いオーラを纏った一振りの剣。包丁をより大きく凶悪にしたような形状の片刃の剣は、ゴーマ城のボスである四腕ゴグマを倒して進化を果たした呪いの武器『八つ裂き牛魔刀』である。

 魔法の武器とはまた異なる『呪い』という力を宿す牛魔刀は、矢の武技を真っ向から弾き返すだけの性能を持つ。もっとも、それを実現させるのは、狂戦士の驚異的な反応速度あってのことだが。

「奥の手の魔法剣ってところか。けど、それはこっちにもあるっ!」

 方針転換。威力重視の武技よりも、手数が有利となる場合もある。今がその時だ。

 今や芽衣子の身を守るのは、禍々しい黒い剣が一本きり。彼女の能力から、速く重い武技でも弾くことはできる。しかし、肉体そのものは人間。天職の効果で強化されていたとしても、あの漆黒の大盾より硬いことはありえない。

 仕留めるならば、通常の射撃でも十分。剣一本で捌き切れないだけの、数を射かければそれでいい。

 さらに、あえては使わなかった毒矢もつぎ込む。


『猛毒矢』:『猛毒ヴィオラ・ポワゾン』が付加された強い毒の矢。


 雛菊早矢が戦いの中で獲得した、『ポワゾン』の上位魔法、『猛毒ヴィオラ・ポワゾン』の宿った毒矢である。

 武技を除けば、この『猛毒矢』は最も殺傷性の高い武器である。カスリ傷でも致命傷になるだけの、強力な毒性を持つ。『猛毒』の名に偽りはない。

「これで、終わりだ!」

 クラスメイトの女子を毒矢で撃つという躊躇を振り切り、遠矢は情け容赦なく矢を放つ。一本だけではない。矢筒に入っている『猛毒矢』をありったけつぎ込む。

 今、目の前に迫る彼女は、それだけの価値がある強敵である。出し惜しみはしない。

「んっ、くうっ……」

 機関銃のような速さと数で殺到して来る毒矢を前に、芽衣子の迎撃能力も限界を迎えた。

 目にも止まらぬ速さ、それでいて、正確に急所へと飛来する矢を呪いの刃で切り払う――だが、それ以外の部分にはヒットを許す。

 まず、左の肩口に一本の毒矢が突き刺さる。

 鋭い痛み、と同時に、焼けただれるような猛烈な熱を感じた。

 次は頬を鏃がかすめ、その次は右の太もも、そのまた次は脇腹に突き刺さる。

矢に込められた『猛毒ヴィオラ・ポワゾン』は効果を発揮し、激痛となって芽衣子の体を襲う――

「な、何故、止まらないっ!? 毒が効いていないのか!」

 芽衣子は走り続けた。いくら急所は外れているとはいえ、その身に幾本もの毒矢を受けて尚、止まらない。

「破ぁあああああああああああああああああああああっ!」

 腹の底から震えるような雄たけびと共に、狂戦士がついに間合いへと踏み込もうと迫る。

 ダメだ、止められない。

 最早、距離のアドバンテージを完全に失ったことを悟った遠矢は、一目散にビル内へと一時撤退すべく踵を返す。

 芽衣子の速力は相当なものだが、こちらもまた『疾駆』で素早く走ることができる。スプリントでそうそう後れを取ることはない。

 自らがビル内に撤退できれば、今度こそ拠点内での罠という地の利を得られる。今の芽衣子の様子を見るに、その程度の優位性では不安だが、それでも、このまま屋上で正面対決するより遥かに勝機はある。

 そうして、遠矢が一歩目を踏み出した、その瞬間だった。

「キョエエエエエエエエエエエエエエッ!」

 甲高い鳴き声と共に、一羽のカラスが目の前に飛び出してきた。

 上空からハヤブサのように急降下してきたその黒い鳥は、明らかに遠矢を狙っていた。

「くそっ、コイツは、桃川の――」

 芽衣子が距離を詰め切る寸前で、遠矢が距離をとるために逃げの一手を打つだろうことは、分かり切っていた。

 だからこそ、小太郎はもう一羽のカラスレムを用意しておいた。

 芽衣子がビルにまで迫れば、いくら遠矢でもその対応に手いっぱいで、今度こそ川を渡りくる鳥にまで手が回らない。

 そして、遠矢の逃走を阻止するカラスレムが、今の小太郎が行使できる操作能力の限界ギリギリのラインでもあった。

「――やっと追いついた、桜井君」

 届いた芽衣子の声に、ゾっとする。

 すでに、頭上から襲い掛かって来たカラスの使い魔は、ほぼ反射的に引いた矢の一撃でもって、撃ち落としている。

 だが、攻撃をするために足が止まった。ほんの一瞬、僅かな隙。けれど、芽衣子が屋上に辿り着くには十分すぎるタイムであった。彼女は今、遠矢のすぐ、真後ろにいる。

「があああっ!」

 振り向く間もなく、刃の一撃が背中へと叩きこまれる。

 背負った矢筒ごと、あっけなく切り裂かれて、ドっと血飛沫を上げながら倒れ込む。

「ぐっ、うぅ……」

 立てない。たった一撃で致命傷。だが、特に防御に優れるわけでもない射手にとっては、当たり前の結果。

「く、う、くそぉ……」

 それでも、気合いを振り絞って、体を起こし、手放さなかった黒角弓を構え――そこで、音もなく左手首を黒い斬撃が薙ぐ。

「うぁああああああああああああああああああああっ!」

 弓を握った手首ごと斬り飛ばされた。

 深い傷を負っているはずの背中と、断面から勢いよく鮮血の噴き出る手首は、不思議と痛みはなく、ただ、ジンジンとした熱さだけを感じる。しかし、痛みの代わりに、絶望感だけは嫌というほど遠矢の心を蝕む。

 勝てない。毒矢を叩きこんでも止まらなかった、双葉芽衣子という怪物を相手に、逆転できる手段が何一つ思いつかない。

 ついに、心は折れる。

「ふ、双葉さん……頼む……」

「命乞いは、あんまり聞きたくないな」

 だから、遠矢にできることは、もうこれしかなかった。

「俺のことは、いい……でも、早矢ちゃんは、彼女だけは、どうか助けてくれ」

「それは――」

 無理だよ。そう言い切るのは簡単だった。そして、それは紛れもない事実でもある。

 桜井遠矢は雛菊早矢を愛している。そして、雛菊早矢も桜井遠矢を愛している。

 遠矢を殺した相手となれば、早矢もまた決して許さないだろう。

 殺意を持った相手を、小太郎は容赦しない。小太郎の敵を、芽衣子は許さない。

 和解の道は、最初からありはしないのだ。

「――うん、大丈夫。小太郎くんの薬で、雛菊さんはきっと治るから」

「そうか、良かった……」

 心の底から安堵したような、救われたような、そんな純粋な微笑みを浮かべる遠矢の表情は、死の縁にあって尚、神々しかった。

 ああ、愛のなんと美しいことか。

 その愛を踏みにじることの、なんと悲しいことか。

 けれど、立ち塞がった敵である『射手』桜井遠矢を殺すことが、『狂戦士』双葉芽衣子にとっての愛でもある。

 故に、迷いはなかった。

「ごめんね、桜井君。さようなら――」

 呪いの刃は、桜井遠矢の首を切り裂き、確かにその命を刈り取ったのだった。

第160話 守りたかったモノ

 ピルルルルゥ! と、どこか場違いな電子音が鳴り響いた瞬間、僕はホっと安堵の溜息を吐いた。

「――もしもし、小太郎くん? 終わったよ」

「そっか、良かった。桜井君は?」

「大丈夫、ちゃんと殺したから」

 その報告に一抹の悲しさを覚えるのは、勝者の驕りか。

「分かった、今すぐそっちに行くから」

「うん。私はこのまま、屋上で待ってるね」

 短いやり取りを終えて、僕は自分の携帯電話を切った。

 今回の作戦は、敵本陣となる桜井君の狙撃ポイントにメイちゃん単独で突っ込むという、実質ただの強行突破である。

 僕は嘘の盾役である分身と、サポート役であるレムと鳥軍団を繰り出すだけ。僕の本体は、突破作戦に出番のなかったレム初号機とアラクネと三号機の護衛と共に、橋の近くでお留守番である。いざ作戦が始まれば、橋を眺めながら鳥軍団を突入させるタイミングを計るだけしか仕事はなく、後はもうルインヒルデ様にお祈りするくらいしかできることはなかった。

 作戦の立案と準備こそ僕が行ったけれど、やはり、戦場に立たないとどこか申し訳ない気持ちでイッパイになる。ただ作戦の成功を待っているだけ、というのはなかなか精神的につらいものがあった。

 多分、僕は将の器じゃないのだろう。戦地に送り出すのが、見ず知らずの赤の他人だったら、何とも思わないかもしれないけど。誰だってそんなもんか。

 ともかく、長いようで、実際のところは五分にも満たない作戦が終了したことで、ようやく僕もこの橋を渡ることができる。いや、良かった、本当に、上手くいって良かったよ。

 メイちゃんからの戦勝報告を受けて、僕はすぐに待機場所のこじんまりした建物を出て、桜井君のビルへと向かった。

 橋を歩く途中で、道路に幾本もの矢が突き立っているのを見て、あらためて戦闘の激しさを実感する。本当に、こんな矢の雨の中を突っ切っていったのかと、ゾっとするね。

 盾役している時は分身側に意識を通していたから、僕も突っ切る真っ最中の光景はリアルタイムで経験してはいる。激しく盾が揺れるから、視界はブレブレだったけど。

 グルグルと橋の上の戦いについて思いを巡らせていると、あっという間に渡り切る。ここを渡るために一週間近くの準備期間を費やしたというのに、実際に渡ればすぐである。当たり前といえば、当たり前のことだけれど。

 そうして、僕は敵の本丸であったスナイパービルを見上げた。

「メイちゃん、この高さを登ったのか……」

 いやぁ、まさか壁をそのまま走って登るとは。アレは完全に、メイちゃんのアドリブである。本来なら、そのまま玄関に突入して、ビルを登る手はずだった。

 あんなことが出来るとは知らなかったから、遠目に見ていてビックリした、というか、僕の目の錯覚かと思ったよ。一体、いつあんな壁走りが可能になる移動系武技を習得したのだろうか。後で聞いてみよう。

 一瞬、僕も彼女に習って壁を登っていってみようかと思ったけど、速攻でバカな考えは振り払う。アラクネに乗れば登れないことはなさそうだけど、こんな高いところを生身でブラブラしているとか、正気の沙汰じゃないよ。

 というワケで、僕は大人しく玄関から入って屋上まで登ることとする。

「あっ、一応、罠とかあるかもしれないから、三号が先行して」

「グガガ」

 勇ましくレム三号機が正面玄関を潜り、エントランスに入っ――ドズンッ!

「……なにこれ」

 三号機が潰れている。エントランスのど真ん中で、デカい瓦礫に押し潰されたのだ。ここのビルは他と同じように風化しているけれど、まさかこのタイミングに偶然、レム三号機の真上に落下してきたワケではあるまい。

「罠あるかも、とは思ったけど、殺意がガチすぎるよ桜井君」

 すでに死んだはずの桜井君だけど、残された雛菊さんを何が何でも守るんだという怨念染みた意思を感じるようだ。もし、これでブービートラップにかかって僕が死んだら、シャレにならないよ。

「ごめん、メイちゃん、ちょっと到着遅れるかも」

 最大限の警戒をすべく、僕は先行役となるレム三号機を作り直してから、ビルの攻略に取り掛かった。




 またレム三号機を壊されたらたまらないので、魔力だけで幾らでも替えが効く『スケルトン召喚』を利用して、トラップだらけの屋内を進む。四体ほど潰しながらも、どうにか悪質なブービートラップの数々を越えて、僕はやっと屋上まで到着した。

「あっ、小太郎くん。遅かったから、心配しちゃった」

「うん、罠が仕掛けてあったから、ちょっと手間取って――って、メイちゃん、大丈夫!? 凄い血まみれじゃないか!」

 肩に腹に太もも。急所こそ直撃は避けたのだろうけど、それ以外の部分にはかなり矢が刺さってしまったようだ。結果、ほぼ全身血塗れと化している。

 無傷では済まないだろうことは、予想していたし、遠目で見ていても分かっていたけれど、いざ、こうして近くで彼女の姿を見ると、その痛々しい姿に気が動転しそうになる。

「ああ、これ? 大丈夫だよ、もう傷薬も塗ったし」

 僕がビルを登るのに苦労している間に、突き刺さった矢はすでに自分で抜いて治療したようだ。血塗れの矢が、すぐ傍に転がっているのに気付いた。

「いや、でも、これはちょっとヤバいんじゃないの」

「うーん、毒矢はちゃんと解毒薬が効いてるし、痛み止めも飲んでるから、そんなに痛くもないから。それに、ちょっとくらい血が出ても、私は『増血』があるから全然大丈夫だよ」

 桜井君が毒矢を使ってくる可能性も、最初から考慮していた。大体、ゲームでも矢の種類といえば、火矢と毒矢はお決まり。ついでに、魔法が付与されて氷属性とか雷属性の矢が、みたいなことも考えたけど、こっちはなくて良かった。

 ともかく、もし桜井君が毒矢を所持していた場合、メイちゃんのフィジカルだけで押し切れない可能性は高い。だから、これまであまり使い道のなかった、青花から作れる解毒薬を、メイちゃんにはあらかじめ服用してもらったのだ。

 どうやら、ちゃんと効果はあったようで本当に良かった。『痛み止め』も、一応の役にはたってるみたいだし。

「でも、無理はしないで、今日はこのまま休んでて」

「うん、ありがとう。でも、その前に、雛菊さんを」

「ああ、そうだよね」

 重傷を負って寝たきり状態らしい、けど、雛菊早矢はまだ生きている。天職の力があれば、どんな方法で逆襲されるか分かったものではない。すでに桜井遠矢を殺した以上、彼女もまた、殺さなければならないだろう。

 チラリと視線を向ければ、屋上の隅の方に、桜井君の首なし死体が目に入った。傍らには、生首が置いてある。瞼は閉じられているのは、メイちゃんなりの供養か。

 魔物との戦いの中で殺されるならいざ知らず、こうして、ただ死体だけを見てしまうと……いや、やめよう。今の僕には、そんな感傷に浸る権利はないだろう。彼を手にかけたのはメイちゃんではあるが、殺したのは僕だ。あの凄惨な首なし死体は、僕が望んだ結果である。

「それじゃあ、行こうか」

 メイちゃんと連れだって、ビルの中で寝ているだろう雛菊さんを探しに、屋上を後にする。相手は重症者だから、もう戦闘になることはないので、メイちゃんの出番もないだろう。けれど、万が一に備えて同行はしてもらう。

 トラップ対策に先頭をスケルトン二体で行かせ、その次にレム初号機。僕とメイちゃんが並んで、最後尾は三号機だ。アラクネ二号は体がデカいので、あまり屋内での移動には向かないから、エントランスに待機である。

「多分、この最上階にいると思うんだけど」

 桜井君は屋上で睨みを聞かせていた。一日の大半をそこで過ごしているはず。ならば、少しでも近くに彼女を置いておきたいはず。

 また、魔物が襲撃するとすれば、一階から上がって来るより他はない。少なくとも、屋内に突如として出現する幽霊みたいな魔物はいないし。防衛の観点で見ても、生活拠点を構えるなら最上階か、その付近を選ぶはずだ。

「やっぱり、間違いない。トラップもないし、生活の跡がある」

 この最上階だけ、妙に綺麗である。そして、部屋の一角は倉庫なのか作業場なのか、魔物の素材や木材などが転がっている場所もあった。単純に、ここには廃墟としての誇りっぽい空気ではなく、人が住む生活臭のようなものを感じられる。

「……人の気配は感じないけど。誰もいないみたいだよ」

 メイちゃんがつぶやく。ならば、このフロアは生活しているけど、雛菊さんは別の場所で寝かせられているのか。あるいは、彼女の気配察知を掻い潜るような隠れ方をしているのか。能力次第では、ありえないことではない。

「もしかしたら、隠れ潜んで僕らを狙っているのかもしれない。気を付けて探そう」

「うん、そうだね」

 スケルトンをさらに召喚させて、どこから現れてもすぐに対応できるようにして、家探しを始めたが――すぐに、それは終わった。

 雛菊早矢を発見した。

「そうか……そういう、ことだったのか……」

 彼女は、頑張って桜井君が手作りしたであろう、小奇麗なベッドの上で眠っていた。決して目覚めることはない、永遠の眠り。

 雛菊早矢は、すでに死んでいた。

「こ、小太郎くん、これって……」

「雛菊さんは、今さっき死んだようには見えない。少し腐敗が始まってる。もっと前、一週間か、一ヶ月か、分かんないけど、でも、死んでからそれなりの時間は経ってるみたいだ」

 素人目で見たって、雛菊早矢が死亡していることは明らかだ。脈拍や呼吸を図る必要性すらない。外傷こそ見当らない綺麗な外見だが……その顔色は、死人以外の何者でもなかった。

「それじゃあ、桜井君は」

「多分、彼女が死んだ現実を、受け入れられなかったんだ」

 狂っている。そう、一言で切って捨てるのは簡単だろう。

 事実、その通りでもある。桜井君は混乱したり錯乱した様子は微塵も感じられなかった。至極真っ当に、傷ついた雛菊さんを助けるために、クラスメイトを脅してまでポーションを求めていた。

 あまりにも正気なあの姿が、彼の狂気そのものだったとは。

「そ、そんな、桜井君……」

 一番、ショックを受けているのは、彼を殺したメイちゃんだろう。

 もしも、桜井君が雛菊さんの死を受け止めていれば……きっと、彼とは敵対することもなく、すんなりと仲間になることができただろう。

 けれど、そうはならなかった。桜井君が愚かだったわけでも、イカれたわけでもない。

 きっと、彼にとって雛菊さんは、全てだった。

「ねぇ、小太郎くん。せめて、二人を一緒に埋めてあげられないかな」

「うん、そうだね。そうしよう――」

 けれど呪術師としての僕が、ただの感傷に任せて二人を弔うことを許さない。

 桜井遠矢は、僕らの前に立ちふさがった強敵だ。そんな敵を討ち果たしたのなら、その勝利を少しでも価値のあるものにさせてもらおう。

 君たちの死を悼む気持ちはあるけれど、僕には、まだこれから先を生きていく方が重要だ。

「だから、その首だけは貰っていくよ」


『射手の髑髏』:天職『射手』を授かった者の髑髏。


『呪術師の髑髏』:天職『呪術師』を授かった者の髑髏。


 召喚術士に続き、『愚者の杖』で使える新たな髑髏を手に入れた僕だけど、とても素直に喜ぶ気持ちにはならない。

 雛菊さんの首は、レム初号機に落としてもらった。流石に、メイちゃんには頼めない。僕自身の手でやるべきところだけど、非力な僕ではそもそも人間の首を斬り落とすことが難しい。

 そうして手に入れた二人の生首を『魔女の釜』にいれて、時間をかけて焼く。死体を骨にするなら、焼くのが一番だし。

 ついでに、死体も焼いた。ビルの近くに大きく深い釜を作って、二人を入れて焼く。焼き終わったら、そのまま埋め立てる。火葬場と墓場を兼用である。

 わざわざ焼いて骨にしたのは、万に一つでもアンデッドとして蘇るのは避けたいからだ。敵としても、心情としても、もう彼らと戦いたいとは思わない。

 自分で殺しておいてなんだけど、出来る限りの供養はしたつもり。せめて、天国で二人が幸せになってくれ、と思い願うくらしか、僕にはできないけれど。

「……はぁ」

 溜息ばかりが漏れてくる。やはり、心から殺したいと思えるほど憎い相手でなければ、どうにもこうにも、自分の中で割り切れない。とうとうメイちゃんに殺人という大罪を背負わせてしまった、罪悪感もある。

 けれど、何もかも、今更の話だ。割り切れなくても、僕は先に進むため、やるべきことをやらなければ。

 僕は手に入れたばかりの、まだ仄かに熱が残る桜井君の頭蓋骨、『射手の髑髏』を杖に嵌め込んだ。


『気配察知』:敵の気配を察知する感知力が鋭くなる。


『気配遮断』:気配を断ち、影のように身を潜め、静かに行動できる。


『鷹目』:鷹の目のように、遠くのモノを正確に捉えることができる。


 発動した能力は、射手のモノなのに弓に関する技が何一つなかった。もしかすると『愚者の杖』は単純に、初期能力三つ固定ではなく、術者に応じたスキルがセレクトされるのかもしれない。実際、杖を装備している前提なのに、弓矢の武技が発動できても意味がない。手が塞っているから、そもそも弓が引けないわけだし。

「けど、これはなかなか有用だぞ」

 射手というより、盗賊や暗殺者のようなスキル構成である。そして、それらは呪術師の僕がどう頑張っても手に入りそうもない効果だ。

 特に、ストレートに狙われたらヤバい僕にとって、『気配遮断』という隠れ潜むスキルはありがたい。『鷹目』も今回のように離れた位置から作戦に参加する場合では、役に立つし、単純に双眼鏡代わりとしても使える。

『気配察知』に関しては、まぁ、メイちゃんの方が鋭いし、レムもそれなりに敵の感知はできるから、このパーティでは必須というほどではないけれど、持っていて損はない。前衛が戦闘に集中している時、後衛の僕が敵の増援や伏兵、あるいは第三勢力な乱入者が現れる可能性を考えれば、警戒能力の意義は十分にあるだろう。

 さて、次に試すのは、地味に驚きだった雛菊さんの『呪術師の髑髏』である。

「まさか、僕の他に『呪術師』がいるとは……」

 彼女もルインヒルデ様から、凄惨な方法でイマイチな能力の呪術を授かったのだろうか。ひょっとして、能力被って発動ナシなんてことに、と期待半分不安半分になりながら、僕はその力を確かめた。


ポワゾン』:敵を毒の状態異常に陥れる。


付加エンチャント』:魔法の効果を物質に付加することができる。


『簡易錬成陣』:簡易的な略式錬成を行える。理解と解明。分解と再構成。


「……おお?」

 なんだコレ、僕の呪術とは随分と毛色の異なる名前が並んでいる。というか、他の魔術士系と似たようなネーミング。これ、本当にルインヒルデ様が与えた呪術なのだろうか。

「もしかして、同じ天職でも、神様が違うんじゃないのか」

 てっきり、一つの天職には必ず一柱の神という、ゲームライクなイメージがあったけれど……よく考えれば、天職の数だけ神様がいるならば、この世界は唯一神によって創造されたモノではなく、多神教の世界観だということに間違いない。ならば、様々な神様が存在してもおかしくないのだ。

 同じ剣士でも、片手剣か大剣か、あるいは二刀流か、ナイフ専門か、などなど、様々なパターンが考えられる。

 天職としても剣崎明日那の『双剣士』や山田の『重戦士』といった、上位派生のようなものも存在している。つまり、同じ剣という武器を使う天職の神でも、『剣士』と『双剣士』の二種類あることは確定だ。

 だから、天職のバリエーションの数だけ神様がいるのではなく、同じ天職でも複数の神様が存在している可能性も、十二分にありえる。

「なるほど、そういう世界観なのか……もしかして、ルインヒルデ様って呪術の神の中でもドマイナーな存在なのでは」

 おっと、今のはナシで、ナシでお願いします。僕の崇め奉るルインヒルデ様は呪術業界ナンバーワンの神様でございます。もうメジャーもメジャー、呪術といえばルインヒルデ、それ以外は中小零細かモグリのクソザコナメクジばかりに決まってます。

「それにしても、コレは大当たりじゃないか」

 内容的には、『賢者』のモノに近い。『簡易錬成陣』なんかは、完全にモロ被りである。しかし、だからこそその有用性は知っている。

 この『簡易錬成陣』と『付加エンチャント』があれば、ついに僕も本格的な魔法武器、マジックアイテムの製作ができるかもしれない。あっ、そうか、桜井君が使った毒矢は、矢に『ポワゾン』を『付加エンチャント』して作ったんだ。

 他にも、メイちゃんに対して毒煙みたいなのも撃ち込んでいたし、色々と雛菊さんが矢玉を作っていたのだろう。なかなかに強力なコンビである。

 さて、気になるのは、『ポワゾン』がどの程度の威力があるかってことだ。メイちゃんは毒矢を直撃したけど、解毒薬で中和したから、効果のほどはイマイチ分からない。要検証である。

 記念すべき第一呪術であり、不動のいらない子ナンバーワンの座に輝く『赤き熱病』よりは効果があると思いたい……

「小太郎くん、まだ起きてたんだ」

 杖を弄り回していると、メイちゃんから声をかけられる。言われてから、時計を見れば、夜の12時は過ぎていた。基本的に昼行動夜就寝の生活習慣を維持しているので、普段よりも夜更かししているのは事実であった。

「あー、うん、もう寝るよ。大体、検証も終わったし」

 曰くつきの事故物件、といった状態であるが、今日は桜井君の拠点であるビルをそのまま利用させてもらう。今更、前の妖精広場まで戻る気はないし、他の安全そうな廃墟を探すのも無駄な手間である。家主を殺した場所に居座るのは、あまり良い心地はしないけれど、今の僕らに住環境をどうこう言えるような余裕はないし。

「一緒に寝ても、いいかな」

「えっ」

 よしもう寝るかよっこいしょ、と杖を投げ出し起き上がったところで、僕は固まった。

「一緒に寝ても、いい、小太郎くん」

 どうやら、聞き間違いではなかったらしい。ここで難聴スキルを発動させて、聞かなかったフリをしても、今のメイちゃんからは平気で三度目の問いかけがされるだろうことが容易に想像がつく。かなり、表情がマジだった。

「えっ、いや、それは……いいけど、っていうか、どうしたのさ」

 ええい、落ち着け、他意はない。どうせ、きっと、他意はないに決まっているだろう残念ながら。

 だから、あからさまに意識してますみたいに、しどろもどろになるんじゃない。こういう時は、冷静に、クールに対処しなければ……

「ごめんね……怖く、なっちゃって」

「怖い?」

 ゴライアスを力でねじ伏せ、超人スナイパー桜井君を正面突破で斬ってみせた、『狂戦士』双葉芽衣子が、一体何を恐れるというのか。いや、皮肉でも何でもなく、純粋にそう思う。

「うん、もし、小太郎くんが死んじゃったら……私も、桜井君と同じになるのかなって」

 ハっとして、息が詰まる。

 何て、何て言い返せばいいんだろう。

 分かんない、けど、分かる――きっと、それは僕も同じだろうから。

「大丈夫、だよ……そうなるかもしれないけど、そうならないように、頑張るっていうか……」

 あー、もう、何を言ってるんだ僕は。もうちょっとマシな返事はできないのかよ格好悪い。

「僕も、同じ気持ちだから。メイちゃんを失ったら、なんて怖くて考えたくもないよ。だから、必ず二人で、一緒に生き残らないとダメなんだ」

 そのためならば、クラスメイトの生首だって利用してやるさ。だから、僕の呪術師としてのちょっとした非道行為には、目をつぶってくれるとありがたい。

「うん、そっか……良かった」

 何が良かったのかは分からないけど、メイちゃんはどこかホッとしたような、柔らかな微笑みを浮かべた。ひょっとして、君のことは戦力としてしか見てないから、とか無意味に残酷な手駒宣言でもされると思ってたのだろうか。どんな鬼畜だよ僕は。ちゃんと人としての情は持っているはずだよ、多分、まだ、少しだけ……

「ありがとう、小太郎くん。じゃあ、寝よっか」

「うん」

 それで、マジで一緒に寝るの? ベッドイン?

 一瞬、淡い期待を胸に抱いて、今日も寝巻代わりのセクシーなジャージ姿で大迫力の生爆乳を前に、ヤバい期待をさらに抱え、いざ――と男の覚悟を決めた瞬間、ほら、そこに寝袋が二つあるじゃろ? と、弱気にして理性的な僕が、頭の片隅で天使のような悪魔のささやきをしやがった。

 寝袋かぁ……多分、桜井君と雛菊さんが、ダンジョン攻略のお供として作ったモノなんだろうな。割としっかりモコモコした毛皮で作られていて、温かそうで、『簡易錬成陣』で作ったのかな、なんて思いながら、僕はその寝袋に包まれて、ゴロンとメイちゃんの横に転がった。

 うん、分かってたよ、同じベッドにインはありえないって、分かってた……けど、こんなのあんまりだ……

「おやすみ、小太郎くん」

「うん、おやすみ、メイちゃん」

 最後の最後で、桜井君に復讐されたような気分になりながら、僕は黙って就寝した。

第161話 遺跡街攻略(1)

 さて、色々と悲劇的な感じになってしまった桜井戦だったけれど、勝利した以上は存分に戦利品をいただかせてもらう。

「改めて見ても、凄い弓だ。この出来は、小鳥遊さん並みじゃないか」

 まず、最大の収穫はスナイパー桜井の武器である弓。黒光りする大きな角を材料とした、無骨な長弓だ。


『黒角弓』:上質な地竜の角を用いた大弓。呪術の影響により黒化している。


 何故か『直感薬学』が働いて、武器の名前と説明文が頭に過った。長く使ってきたお蔭でスキルレベルが上がったのか、それとも、最初から鑑定の対象設定がガバガバなのかは分からないけれど。

 ともかく、そこらのゴーヴが使っている原始的な弓とは比べ物にならない品質であることは間違いない。ただ、その分だけ扱いも難しそう。

 具体的にいうと、めっちゃ弦が固い。これはアレだな、STRが一定以上ないと装備できない類のヤツだ。

「レム、これどう? 使えそう?」

「グガガ、ゴガァアアアア!」

 金属繊維の筋肉を振るわせて、レム初号機はパワフルに黒角弓を引き絞って見せた。おお、凄い、これなら使えそうだ。ゴライアス素材をふんだんに取り込んだお蔭で、ここまでのパワーに至れたといったところ。試してみたけど、三号機では引けなかった。

 とりあえず、黒角弓はレムのメイン武器に決まりだ。

 勿論、メイちゃんなら余裕で黒角弓を引けるけど、特に弓の扱いに慣れているワケではないし、あの規格外のバストサイズで弓を引け、というのは無理のある話ではないだろうか。

 それから、黒角弓の他にも、桜井君は取り回しが聞きそうな短弓もサブウエポンとして所持していた。こっちは、順当にゴーヴの弓を強化したような感じで、弦を引くのにそこまで強烈なパワーは求められない、扱い易い一品となっている。こっちの短弓は、とりあえず三号機に持たせることにした。

「やっぱり、矢玉も色々用意してたんだな」

 弓とセットで、桜井君は毒矢をはじめとした、様々な矢玉を持っていた。


『毒矢』:『ポワゾン』が付加された毒の矢。


『猛毒矢』:『猛毒ヴィオラ・ポワゾン』が付加された強い毒の矢。


『麻痺毒矢』:『麻痺パライズ』が付加された毒の矢。


『黒矢』:黒化した矢。


『炎玉』:火の魔石を用いた点火装置と可燃性の油を詰めた玉。


『煙玉』:『黒煙スモーク』を封じた玉。


『毒煙玉』:『ポワゾン』の煙を封じた玉。


『眠り玉』:『睡眠シエスタ』の霧を封じた玉。


 どうやら『呪術師』雛菊さんは、毒、麻痺、睡眠、という状態異常魔法を習得していたようだ。それらを矢に『付加エンチャント』することで、様々な効果を持つ矢玉を製造した。

「うーん、残念だけど、今の僕には全く同じモノは作れそうもないな」

 それでも、『ポワゾン』を付加した毒矢は作れるというだけで、十分だ。他のモノにしても、僕が麻痺毒や睡眠薬を作れば、結果的には同じ効果を持つ矢が作れる。というか、麻痺矢はすでに『クモカエルの麻痺毒』で実用化してるし。

 それから、『煙玉』などの玉の方は……見た限りでは、玉そのものは魔法ではなく、単に素材を加工して作ったモノだというのが分かる。魔物の皮か何かで、袋状にして包んでいるようだ。『簡易錬成陣』で製作したのだろう。ならば、僕にも同じモノが作れるはず。

「これは中々、創作意欲の湧いてくる能力だよ」

 モノの加工、というのは地味ながらも非常に手間も労力もかかる作業だ。木を切り倒したところで、ホームセンターで売ってるような綺麗な材木に加工するだけでも、どれだけの作業と工具、機械を要するか。

 人間は道具を使うことで、文明を発展させてきた。数多の道具を発明し、使いこなすことで、僕らの現代文明が築かれている。

 だがしかし『簡易錬成陣』は、そんな人類の進歩そのものである数々の道具の存在を否定する、正しく魔法と呼ぶべき効果があると、僕は思う。

 材木加工? そんなもん、錬成陣にかければ粘土細工でも弄るように、自由自在に変化させられるだろう。

 木も石も金属も、全て術者の思うがままに操れる。

「生産チートって、こういうことを言うんだっけ」

 僕は試しに『簡易錬成陣』で、矢を作ってみた。一分とかからずに、完成した。

 石の鏃は鋭く、矢柄の木は綺麗な直線で質感は滑らか、ちゃんと矢羽もついている。特筆すべきは、この石、木、羽、と異なる材料の接合部分が、綺麗にくっついている点だ。本物の矢は、鏃をはめ込んだり被せたりして接続しているらしいけれど、錬成陣で作った矢は、どう見ても接合部が融合しているようにしか見えない。

 こんな矢一本だけでも、すでに現代の技術では再現不能な加工がなされている。恐るべき魔法の力。ちょっとだけ、漫画で読んだ錬金術師キャラになった気分。まぁ、ド派手なエフェクトで巨大な物体を錬成したり、なんて真似はできそうもないけれど。

「でも、この『簡易錬成陣』だけで、日本に戻ったら一生食っていける技術力だよね」

 ただし、残念ながらダンジョンサバイバルにおいては、武器や道具を細々と作っていく程度の能力にしかならないけれど。いや、それでも、この魔法があれば、今まで足りなかった色んなモノをお手軽に作り出せるだろう。

 とりあえず、最近はすっかりレシピが豊富になってきた、食事を盛り付ける素敵なお皿が欲しいかな。




 余すところなく戦利品を回収して、僕らはビルを後にする。流石に、ここを拠点にして活動していくほど図太くはない。ひとまずは、次の妖精広場を目指す。あるいは、先にボス部屋に辿り着くのかもしれないけれど。ともかく、今日は久しぶりに魔法陣コンパスの導きに素直に従って、遺跡街を進む。

「小太郎くん、来るよ」

「うん、僕も何となく分かったよ」

 通りを進み始めること五分、やはり現れたのは、今日も元気に全力疾走のハイゾンビ君である。君らは本当に、お外を駆けまわる幼稚園児のように活力に満ち溢れているよね。

「キョォアアアアアアアアアッ!」

 すっかり聞きなれたお馴染みの絶叫が、遺跡の街角に響き渡る。

 普通ならこの声が聞こえた時点で、僕は奴らの襲来を察する。でも、今回はメイちゃんとほぼ同じタイミングで、ハイゾンビの襲来を感じ取ることができた。

「うーん、何だか不思議な感覚だなぁ」

 と、僕は桜井君の髑髏が嵌った『愚者の杖』を握りしめながら、そんな感想を漏らす。とりあえず、『気配察知』の効果は適切に発揮されているようで、一安心。何というか、オートで発動するパッシブスキルってのは、リアルにおいては物凄い便利だよね。下手なアクティブスキルは、どれだけ強力でも発動させなければ何もないのと同じだし。使いどころを見極める、ってのは意外に難しい、センスが求められるものだ。

「えーっと、試し撃ちとか、する?」

「勿論。メイちゃんはバックアップお願いね」

 うん、という明るい返事と共に、メイちゃんは道の端に避ける。代わりに前へ出るのは、黒光りする重厚な『黒角弓』を構えるレム初号機と、高品質の短弓を持つ三号機。

 そして、アラクネから手渡された『呪術師の髑髏』へとリロードを済ませた『愚者の杖』を握る僕が、レム二人と並び立つ。

「さぁ、来いよ」

「ウォオオガァアアアアアアッ!」

 半分以上、緑の蔦に覆われた建物の角から、ハイゾンビが先を争うように飛び出してくる。彼我の距離は、50メートルといったところか。奴らの足なら、5秒もあれば駆け抜けてくる距離だけれど、遮蔽物の無い開けた道路のど真ん中を疾走してくるだけなら、良い的である。

「――『ポワゾン』」

 僕が『愚者の杖』で、雛菊さんの呪術『ポワゾン』を放つと同時に、レムの弓から矢が放たれる。

 開けた場所に、ただ真っ直ぐ走り込んでくるだけの的。今のレムにとって、ヘッドショットを狙うことは容易い。

 ストン、と綺麗にハイゾンビの額に矢が命中。ゾンビのセオリーを順守してくれる奴らは、頭部に攻撃を喰らうと素直に死んでくれる。

 ヘッドショットにより仕留められたハイゾンビが、走った勢いのまま三体倒れ込んだ。ん、三体?

「うわっ、黒角弓の方は頭貫通してるよ」

 レム初号機が放った矢は、狙ったハイゾンビの頭を射抜いた。だが、貫通力の衰えない矢は、頭蓋と腐った脳をぶち抜いて、そのすぐ後ろを走るハイゾンビへと襲い掛かっていた。

 結果、一射で二体倒すという名人芸のような結果になったのだった。

 凄い、これほどの貫通力があるなら、ロイロプス並みの大きな魔物が相手でも、毛皮や甲殻をぶち抜いてダメージを与えられそうだ。黒角弓を装備したレムは、間違いなく歴代ぶっちぎりの火力を誇る。

 さて、黒角弓の素晴らしい威力に感動するのもほどほどに、僕も自分の攻撃の結果を確認せねばならない。

 といっても、一目瞭然だったけど。

「うわー、強い、これ普通に高威力だよ」

ポワゾン』のかかったハイゾンビは、口から血を吐きながらぶっ倒れ、その場で数秒もがき苦しみ……そして、二度と立ち上がることはなくなった。

風刃エールサギタ』では二発以上は食わらせないと倒せなかったハイゾンビを、たった一発で仕留めるとは、攻撃力が段違いだ。しかも、『ポワゾン』の強みは威力だけではない。

 実はこの『ポワゾン』、毒の玉や煙などを発射しているワケではない。自分の視界内に収めた相手に対し、ほぼ必中なのだ。

 感覚的には、魔力の波動のようなモノを照射している、といったところだろうか。狙い方としては、弾を撃つ、というよりも、懐中電灯のライトを当てる、くらいの感じだ。で、ちょっとばかり当たれば、あの有様である。

「なんだよこれ、呪術師がこんな攻撃力持ってていいのかよ」

 雛菊さん、ひょっとしてこの『ポワゾン』って、初期スキルだったりします? それって、こう、何て言うか、控えめに言って妬ましい。

 即死級の毒をぶっ放す雛菊流呪術。方や、相手を微熱状態(笑)にするルインヒルデ流呪術。まさか、同じ呪術師でもこれほどまでに攻撃力格差があるとは、思わなかったよ……く、悔しい……ビクンビクン。

「凄い、小太郎くん、全部倒しちゃったよ!」

「ああ、うん、凄いね……凄い威力だよコレ」

「あれ、何故かあんまり嬉しそうじゃない?」

 気にしないで、メイちゃん。これはただ、そう、ほんのちょっとだけ抱いてしまった、つまらない男の嫉妬心みたいなものだから。

 さて、僕の個人的な感情は置いておいて、道中の戦闘でひとまず威力や効果などの性能確認はできた。

 橋を越えた先に広がる遺跡街は、街並みにさほど変化はないが、心なしか緑が増え、より多くの動物・魔物が活動しているようだった。

「ギョア、ギョア、グェエーッ!」

 と、汚い鶏みたいな鳴き声を上げているのは、鶏をモンスターチックな凶暴デザインにして、ダチョウサイズにまで大きくさせた、鳥型モンスターである。ただ、羽毛は茶色いので、ニワトリというよりかはチャボの方が正確だけど。

 鋭い鉤爪のついた逞しい二脚で地をかけては、ぶっといクチバシをガツンと獲物に突き立てる。その獰猛さと凶暴さは、紛うことなく肉食性。そして、奴らは群れていた。

「おー、ハイゾンビ共が食われてる」

 どうやら、遺跡街を駆け抜けるハイゾンビも、自然界においてはキッチリと食物連鎖に組み込まれているらしい。五人組のハイゾンビは、同じく五羽編成の肉食ニワトリによって、次々と仕留められていく。ハイゾンビは痛みも恐怖もなく、死ぬまで暴れ続けるタフネスを持つが、それ以上のパワーを誇る相手に対しては割と無力である。

 トップスピードからのニワトリキックであっけなく地面に倒れ、そのままデカいクチバシでガツガツと突っつかれれば、あっという間にただの生肉と化す。

「鳥型のラプターみたいなものかな。どっちの方が強いんだろうか」

 今は亡きラプターレムに思いを馳せながら、僕は『鷹目ホークアイ』によって、遠くで繰り広げられている魔物同士の弱肉強食の観察を打ち切った。

 とりあえず『コッコ』と名付けたこの鳥型肉食モンスターは、今の僕らにとっては大した脅威ではない。百羽、千羽、と大群になればその限りではないけれど、コイツらの群れは多くても十数羽。戦闘能力は確かにハイゾンビよりは上だが、メイちゃんがハルバードで一撃すればあえなく真っ二つだし、レムが黒角弓で射抜けばやっぱり一体目が貫通して後ろの奴にあたる程度の肉質だし、『ポワゾン』でも一発で倒せる相手である。

 ただ、移動速度がハイゾンビよりも速いから、油断はできない。『ポワゾン』の地味な欠点は、相手をちゃんと視界に捉えていないと発射できないことと、一体の相手にしか効果を与えられないことだ。

 だから、目にも映らぬ超スピードで動かれたり、視界を遮られる深い森の中では、発動ができない。他の攻撃魔法のように、とりあえず撃って牽制、ということもできないのだ。

 これは、場所によって使用する際に注意しなければならない点だろう。

 これと併せて、『ポワゾン』の連射性能も、それほど高くない。連続的に使用するなら『風刃エールサギタ』の方が確実に早いだろう。

 強力だが、確かに欠点はある。『ポワゾン』だけに頼り切るのは危険だと、僕は最終的な結論にいたった。

 ちなみに、僕らが道中で倒したコッコは、今日の晩御飯である。焼き鳥祭りの予定。だって、「コイツは結構、美味しいよ」って直感薬学が言うから……

 新鮮な鶏肉を入荷しつつ、僕らは先へと進んでゆく。

「小太郎くん、これ、本当に大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。みんな温厚な草食恐竜みたいだし」

 芝生のように綺麗な緑一面の絨毯が敷き詰められた大通りを歩く僕らの周囲には、トラックのような巨躯を誇る、四足歩行の奴らがノシノシと歩き回っている。

 外見としては、角のないトリケラトプスといったところだろうか。ロイロプスは僕らを見るなり血走った眼で突撃をかましてくる暴走野郎だったけれど、この角無しトリケラは、牧場で飼われる牛のように、呑気にモシャモシャと草を食べている。なんて平和な奴らなのだろうか。

「食べられるのかな」

「食べられるけど、僕らが返り討ちにする魔物の肉だけで十分だから、無用な殺生は避けようよ」

「そうだよね、食べきれない分は、とらないべきだよね」

 食べきれるなら、狩るつもりなのだろうかメイちゃんは。いや、狩るんだろうな。そして、美味しかったら優先的に狩ることになるのだろう。

 まぁ、僕だってより美味しいお肉は食べたいし、そのスタンスに否やはない。

 そうして、長閑なトリケラ達の群れを通り過ぎた、その時であった。気配察知センサーに感アリ。僕らを狙う、アクティブモンスターが来る!

「クェエエエエエエエエエエッ!」

 と、けたたましい鳴き声を響かせながら、空から大きな影が舞い降りる。

「うおっ」

 吹き抜ける突風は、その巨体を空へと羽ばたかせるに足る力の発露。バサッ、バサッ、と大きな羽音と共に、目の前に大きな鳥型の魔物が着地していた。

「おお、デカいなコイツ……」

 ドラゴンほどではない、が、単なる鳥と呼ぶにはあまりに大きすぎる。

 二本の足に、大きな翼を広げる姿は、あのサラマンダーと骨格は似ているものの、羽毛と甲は半々だ。顔はトカゲのようなドラゴンフェイスではなく、コッコと同じように、ギラついた眼つきに巨大なクチバシを持つ鳥の面構えである。

 でも、翼は羽毛じゃなくて、コウモリみたいな翼膜のあるタイプなんだよな。鳥と竜の合いの子、鳥成分大目、という感じ。

「デカコッコ、だな。顔つきもちょっと似てるし」

 僕らの後ろには、食べごたえのありそうな大きな体の草食恐竜が群れているというのに、コイツは完全に僕らを狙っている。みみっちいのか、それとも、人間を優先して捕食する習性があるのか。

 どちらにせよ、飛行能力を持つ魔物を相手に、逃走するのは難しそうだ。

「メイちゃん、お願い。レムは毒矢で」

 サラマンダーと比べれば小さいが、さっきのトリケラ君と同じ程度には大きい。コッコみたいに、軽くあしらえるとは思えない、大きな魔物である。下手なボスよりもボスモンスターらしい。手加減や様子見することはできない。

 前衛は『狂戦士』に任せ、レムには現状では最大攻撃力に近い毒矢を使わせる。

ポワゾン』と『付加エンチャント』と『簡易錬成陣』の三つがあれば、毒矢は今後も安定して生産が可能。つまり、手持ちの分は使い切っても問題ない。毒矢なんて、幾らでも僕が作ってやるから、遠慮なくぶっ放してよ。

 メイちゃんとレムへの命令はスムーズに決まったけれど、僕自身はどうしようか。

ポワゾン』をかけるか、いや、毒矢を使うなら、僕も毒を仕掛けるメリットはあまりない。ならば、『風刃エールサギタ』で援護射撃……いや、どうせハイゾンビを一撃で沈められないような、しょっぱい攻撃魔法である。このデカコッコの巨躯に撃ち込んだところで、効果は知れる。

「それなら、いつものように嫌がらせ特化で――行くよ、アラクネ、奴を飛ばせるな!」

 全力で『黒髪縛り』を発動。合わせるように、アラクネが蜘蛛糸を飛ばす。

 さらに同時並行で、髑髏をリロード。『愚者の杖』に掴ませたのは、『召喚術士の髑髏』である。

「さぁ行け、スケルトン三等兵!」

 戦力としてはほとんどアテにならないスケルトン部隊。けれど、コイツらは実に十三体もの数を同時に召喚できる。

 パワーもスピードも、おまけにオツムの方もイマイチな奴らだけれど、デカコッコが飛び立たないよう、その足や羽に組みついて妨害するくらいのお仕事はできる。

「クエエッ! キョワァアアアアアアアアアアッ!」

 うわっ、なんだよコイツら、超ウゼぇ!? みたいに思っているのか、黒髪触手と蜘蛛糸と、13体のスケルトンに絡まれて、怒りと焦りが入り混じったような叫びを上げていた。

 僕のソロだったらただのウザい奴で済むけれど、残念ながらウチのパーティには不動のエースにしてメインアタッカーがいるもので。

「――『破断』っ!」

「ギョォオオオアアアアッ!」

 黒いオーラのような靄を纏った、ハルバードの大きな斧刃が、デカコッコの翼を切り裂く。そこに組みついていたスケルトンごと。うんうん、スケルトン6号、君はよくやったよ。ナイスファイト、ナイスアシストである。

 メイちゃんが、頭よりも翼を先に狙ったのは、ちゃんとアイツが飛んだら厄介なのを分かっているからだ。

「うーん、叩いた方がいいのかな――『撃震』!」

 デカコッコが苦し紛れに暴れるのを華麗に避けながら、続けざまにメイちゃんが武技を叩きこむ。

「ゴギョオオアアアアアッ!」

 強烈な衝撃波を伴う武技『撃震』によって、バリバリと翼膜が破れてゆき、明らかに苦痛の声を上げるデカコッコ。片方の翼は、もう使い物にならないだろう。

 そして、翼ってのは片方がダメになれば、必然的に飛行能力は喪失される。これで、危険な空中攻撃も、飛んで逃げられる心配もなくなった。

「オオッ、オゴゴゴ……キアアッ!」

 苦悶の声を漏らしながらも、いまだ闘志は衰えていないのだろう。怒りに燃えるようなギラギラした眼つきで、メイちゃんに向かって巨大なクチバシを――叩きつけるのではなく、大きく開いた。

「ブレスかっ!」

 火の玉でも吐き出そうというのか、クチバシからチロチロと火の粉が漏れる――だが、その開かれた口腔に、二本の矢が飛び込んだ。

「ウゴッ! ゴェエエエエエエエエエッ!」

 うげぇ、炎の代わりにゲロを吐きやがった。

 だが、『ポワゾン』の効果を宿す矢が口の中で炸裂すれば、流石に吐くほど不味い思いをするだろう。

 デカコッコはそのサイズの大きさもあってか、最初にレムコンビが撃ち込んだ毒矢には、さして効いた様子が見られなかった。毒のダメージを通すには、さらなる量をつぎ込むか、あるいは耐性によって無効化されているのか、判別はつかなかったけれど、あの苦しみようから、完全に毒無効というワケではないようだ。

「はぁあああああっ!」

 そして、反撃のブレスも不発に終わり、毒でもがき苦しむというあまりに致命的な隙を晒したことで、ついにデカコッコの命運は尽きる。狂戦士が振るうハルバードの刃は、強かに鳥頭に叩き込まれた。

「どうしよう、小太郎くん、流石にこのサイズは食べきれないよ」

「大丈夫、ソイツの肉は食べられないから」

 甲殻と羽毛と、そこそこのサイズのコアをいただいて、僕らはまた、遺跡街の通りを歩き始めた。

第162話 遺跡街攻略(2)

 デカコッコを倒した後、コッコやラプターや赤狼などの群れる魔物達をほどほどに蹴散らして、無事に次の妖精広場まで辿り着くことができた。

 コッコのねぎまを腹いっぱい食べて、その日は就寝。ネギっぽい野菜をたまたま採取できたし、木の枝を『簡易錬成陣』にかければ串も一瞬で用意できるし、僕の能力ってだいたい料理にばかり使われてる気がするけど、まぁ、美味しいからよしとしよう。

 二つ目の妖精広場にまで来たけれど、遺跡街はまだまだ先が続くようで、ここはただの通過点として、翌日にはさっさと後にする。

 さぁ、今日も元気にダンジョン攻略だ、と張り切って外に出たのと、ほぼ同時であった。

 ズン、ズン、という地を揺らすほどの大きな足音。デカい奴が、デカコッコとは比べ物にならないほど大きな魔物が、そこにいる。

 幸いにも、メイちゃんの直感と僕の『気配察知』とで、その大きな魔物が姿を現す前に、隠れることができた。

「グルルル……ゴフッ、ゴフ」

 荒い鼻息と唸り声を漏らす魔物は、あのサラマンダーと獲物の奪い合いをしていた、サンダーティラノと似たような姿だった。外観は二足歩行の大型肉食恐竜。

 その全身を覆うゴツゴツとした岩のような甲殻と、角ばった頭部の形状から、ゴアに良く似ている。

 ティラノよりは小さいのだが、奴らは三体で群れていた。ラプターを遥かに超える巨躯のくせに、群れで行動するとは、恐ろしい奴らだ。

「アイツが、『グリムゴア』って奴か……」

 ヤマジュンの魔物情報ノートに、ゴアの上位種とされるグリムゴアという魔物について記されていた。

 もっとも、サイズに見合った強さを持ち、少数で群れを形成する、という程度の情報しかないけれど。ああ、それと、地属性の力を使うとかなんとか。恐竜が流暢に詠唱して魔法をぶっ放すとは思えないから、砂とか石のブレスでも吐くってことなんだろう。

「下手なボスよりも厄介だよアレは」

「小太郎くん、どうするの?」

「勿論、スルーの方向で」

 あのグリムゴアを倒せば、かなりデカいコアが手に入るだろうけど、今すぐ必要というワケではない。ここでアイツらに挑むメリットは皆無である。

 なので、隠れ潜んだ廃墟の中で適当に時間を潰しつつ、念のためにスケルトンを率いたレム三号機に偵察もさせて、グリムゴアが付近から去ったことを確認してから、ようやく本日のダンジョン攻略は始まった。

 そして、歩き始めて五分としない内に、再び僕らの足は止まった。

「ねぇ、小太郎くん、あれってもしかして……」

 ゴクリ、と生唾を飲み、欲望の色が燃えるメイちゃんの視線の先には、大きな黄色い塊と、その周辺をブンブンと飛び回る無数の羽虫――

「うん、もしかしなくても、蜂の巣だよね」

 廃墟の軒下に作られた、大きな蜂の巣だ。心なしか、飛び回っている蜂も大きいような気がする。ミツバチなのか、スズメバチなのか、蜂型モンスターなのか。

 どういう種別になるのかは分からないが、とにかく、蜂に近づきたいと思う日本人はおるまい。奴らに目を付けられる前に、さっさと離れるのが吉だと思うのだが、

「ハチミツ、とれるかな」

 ここに、何が何でも蜂の巣に挑みたい勇者が一人。いや、働き蜂が必死こいて集めて回った蜜を丸ごと横取りしようというのだから、盗賊というべきか。

 ともかく、ウチの狂戦士はハチミツという名の黄金を前に、不退転の決意を固めているようだ。

「あー、スズメバチみたいな肉食の蜂だったら、ハチミツはとれないんじゃないかな」

「でも、ミツバチだったらとれるよ!」

 いや、うん、そう力説されなくても、分かっている、分かっているよそんなことは。すでに、僕の『直感薬学』が脳裏に囁きかけている。

「その通りだよ、メイちゃん。あのハチ、ミツバチだよ。スズメ並みのデカさと凶暴さがあるみたいだけど、間違いなくハチミツを溜めこんでるよ」

「やったーっ!」

 大喜びのメイちゃんは、もう完全に蜂の巣を諦めるという選択肢は存在していないだろう。

 そんなに、ハチミツを食べたいのだろうか……食べたいんだろうな。

 このダンジョンに落とされてからは、もう口にすることは不可能と思われた甘味である。女の子はスイーツが大好きなのは、僕でも知ってる常識だ。女の子の上に食いしん坊であるところのメイちゃんが、ハチミツという甘味を見逃すはずがないというのは自明の理であろう。

「じゃあ、ちょっと行ってくるね」

「待って、落ち着いて、ここは準備を整えて、蜂の巣に挑もうよ。えーと、ほら、一滴でも多くハチミツは採取したいでしょ?」

「あっ、そ、そうだよね」

 まぁ、メイちゃんがハルバードで『激震』を炸裂させれば、無数のミツバチをブッ飛ばしつつ、巣を回収できるとは思うけど。でも、万が一、力加減を誤って、蜂の巣が木端微塵に吹き飛んで貴重なハチミツの雨を降らせることになってはまずい。

 そりゃあ、僕だってハチミツは食べたいし、『直感薬学』が割と真面目に反応するレベルで、栄養含めて優れた効果があるらしいし。ここで採取をすることは、そう無駄な贅沢というワケでもないだろう。

「さて、どうしたもんか」

 ひとまずメイちゃんをなだめたものの、あんまり時間をかけていれば、いつ理性を失って飛び出していくか分かったものではない。うーん、僕は特に養蜂業の経験はないから、上手に蜂の巣からハチミツを採取する方法なんて知らないけれど……とにかく、まずはあのブンブンうるさい蜂共を黙らせればいいのだろう。

「よし、任せたよ、レム!」

「グガガ!」

 元気よく返事をする、レム初号機と三号機。そして、二人に続くスケルトン小隊。合わせて十五名が、蜂の巣特攻隊である。

 装備は、その辺で調達した木の棒と、松明と油。あとは、蜂の巣回収用の蜘蛛糸ネット。

 まずは、ガラガラと骨の音を立てながら、松明を持ったスケルトン達が蜂の巣目がけて突撃。当然、やかましい上に、色が黒という蜂を刺激させる色合いのスケルトンに対し、蜂は即座に襲い掛かる。無数の蜂は黒々とした塊と化して、スケルトンへと殺到する。

「その攻撃性が仇となるのさ。焼き払えー」

 怒れる蜂にたかられるスケルトンは、そこで火をつける。自分に向かって。松明の油は、最初からスケルトンの体に塗りたくってある。松明をかざせば、即座に引火。

 一瞬のうちに見事な焼身自殺を決めたスケルトンは、その身にまとわりつく蜂と共に轟々と燃え盛る。

 これをスケルトン十三体分繰り返せば、襲い掛かってくる蜂の大半を焼却処分できる。いやぁ、こういう時、使い捨てできる恐怖心のない下僕ってのは便利だよね。

 レム二人が木の棒で巣をガンガン叩きながら、中の蜂を刺激して追い出しつつ、ほどほどのところで、巣を落とす。アラクネと協力して用意した蜘蛛糸ネットで回収して、そのまま、出発して間もない、妖精広場へと持っていく。

 あとは、ハチミツを巣から絞り出すためだけに用意した、『魔女の釜』に放り込めば、ミッション完了である。

「やった、やったよ……私、もう二度と甘いものは食べられないのかと思ってたから……」

 涙ながらに喜びを表すメイちゃん。すでに巣から垂れてきたハチミツをペロペロと舐めて、ご満悦。やはり、女の子にとってスイーツというのは、必要不可欠な精神安定剤なんだな。

「あー、久しぶりに食べると、すっごい美味しく感じるね」

 かくいう僕も、ハチミツをペロペロし始めたら止まらなくなってきた。この口いっぱいに広がる、まろやかにして濃厚な甘みは、この上ない満足感をあたえてくれる。

「よし、それじゃあ私、頑張って美味しいお菓子を作るからね!」

 ペロペロもほどほどに、メイちゃんが早速、調理用に設置しっぱなしだった『魔女の釜』へと向かっていった。

 あれ、もしかしてこれ、今日はもうダンジョン攻略はしない感じ?

 まぁいいや、休日くらい好きにとらせてくれてもいいだろう。今日はハチミツ記念日ということで。




 翌日、今度こそ本当にダンジョン攻略に出発だ。

 お菓子を作るにはあまりに材料が乏しい中、メイちゃんが完成させたハチミツ団子は、素晴らしい出来栄えだったといえよう。バナナイモのデンプン粉から、甘みを引き立てる団子を作り出したのは、流石である。

 採取したハチミツは、次にいつ手に入るか分からない貴重品でもあるので、余すところなくアラクネが背負う宝箱クーラーボックスに厳重に保管してある。『魔女の釜』でしっかりと凍らせておいたから、しばらくは保つだろう。

 スイーツによって糖分と精神力をチャージしたメイちゃんは、いつもよりもさらに溌剌とした笑顔で、元気に遺跡街を歩き出した。

 遺跡の街は、さらに緑を増やしていく。ビルと並行して、巨大な木々も林立するようになり、そろそろ街並みそのものが大きな森に飲み込まれるような気配となってくる。豊かな自然が色濃くなると共に、野生の動物や魔物もどんどん増えてきた。その代りに、ハイゾンビは随分と成りを潜めているけれど。

「――はぁ!」

 気合い一閃。メイちゃんが振るったハルバードの一撃は、大きく魔物の喉を切り裂いた。そして、それが致命傷となり、ドっと地面に力なく倒れ込む、大きなトカゲ。

 ワニよりも大きい、這うような四足歩行のトカゲは、毒のないバジリスクみたいな奴だ。イモリのようにビルの壁に張り付いていて、僕らが通りかかった時に襲い掛かってきた。

 幸い、体がデカいだけで、毒もなければブレスもはかない、物理攻撃オンリーの魔物だったので、正面対決で普通に返り討ちにすることに成功した。この毒ナシバジリスクや、デカコッコのように、サイズのデカい魔物と戦うことも多くなってきた。

 ゴライアスパワーに毒矢も使うレムは、かつての天道君から貰った素材をつぎ込んだあの頃を凌ぐ戦力を持つが、それでも、レムだけだったら危うかった。メイちゃんがいなかったら、純粋に攻撃力不足で僕はこのエリアで詰んでいただろう。そう思えるほど、この辺からの戦いは激しさを増してきている。

 強いて幸いな点をあげるとすれば、ラプターや狼などの小型モンスの群れには、あまり襲われなくなったことだろうか。敵わない、というのが本能でお察しレベルなのか、それとも、レムにアラクネと、僕らの数が増えたから避けられているのか。なんにせよ、余計な戦いは避けるに越したことはない。

 今はまだまだ余力があるけれど、あまりに連戦続きだと――おっと、またしても『気配察知』に感アリ。この感覚は、結構な強さの奴が、近くをウロついてるようだ。

 速度を落として慎重に進みながら、察知した敵を探すと……いた。

「あ、アレってもしかして」

「うん、アレがリビングアーマーだよ」

 ちょっと久しぶりに、ハイゾンビ以外の人型の魔物を見た気がする。黒い重厚な全身鎧を纏った、大柄な騎士が三体、まるで門番のように、背後にそびえるビルの入り口に立っている。

 リビングアーマーのことは、メイちゃんから聞いている。宮殿エリアという、綺麗な場所で出現したという、かなり強力な魔物だと。この『ナイトハルバード』と『ダークタワーシールド』も、リビングアーマーから鹵獲した品である。

「足はあんまり速くないから、このまま通り過ぎれば追いかけられることはないと思うけど」

「うーん、アイツら、あからさまにビルを守ってるみたいだから、何かありそうなんだよね」

 強敵たるリビングアーマーと積極的に戦いたくはない……けれど、何かレアモノが入った宝箱があのビルにでもあるのならば、多少の危険は承知で挑むだけの価値はありそう。もし、何もなかったとしても、奴らの武器はゴーヴ共が使ってるものの比ではない。今のレム初号機なら、アイツらが持ってる大剣でも扱えそうである。

「メイちゃん一人で、リビングアーマー三体ってどう?」

「うーん、前は厳しかったけど、今なら大丈夫だと思う。武技もあるし」

「よし、じゃあまずはアイツらを倒そう。僕とレムはリビングアーマーを二体、頑張ってひきつけておくから、その間にメイちゃんは一体目を倒して。でも、無理はしなくてもいい……30秒で一体目を倒し切れなかったら、即時撤退。逃げる時は煙玉も使うかもしれないから、注意しといて」

「うん、分かったよ」

 簡単に作戦を伝えて、それから、周囲に乱入してきそうな魔物がいないか確認してから、ようやく、リビングアーマーの門番トリオへと挑む。

「はぁああああああああああっ!」

 裂帛の気合いと共に、メイちゃんが先頭切って飛び出していく。

 堂々と現れた襲撃者に対し、即座に反応して武器を構えるリビングアーマー。奴らが揃って動き出す、そこで、僕とアラクネが拘束を仕掛ける。

「――『激震』!」

 メイちゃんの武技が炸裂する。盾とメイスを持ったリビングアーマーは、流石というべきか、彼女の攻撃に反応し、的確に盾をかざしてガードしていた。だが、奴にとっても想定外のパワーだったのだろう。

 ガガガンッ! という激しい金属音を響かせながら、握った盾が吹き飛ぶ。『激震』の衝撃に耐えきれなかったのだ。

 ガードがめくられたことで、ガラ空きとなった胴体へすかさずメイちゃんが次の攻撃を叩きこむ。

 普通だったら、ここで仲間の二体がフォローに入ったのだろう。けれど、それを僕らが許さない。他人の邪魔をするのは得意なんだ。

 二体目のリビングアーマーは、両刃の大剣を持つ。僕とアラクネは、ソイツに対して黒髪と蜘蛛糸を仕掛けて動きを妨害。無論、それだけではパワー不足で止めきれない。だから、ここでレム初号機と三号機もけしかける。

「グガガ!」

 レムの持つ剣は、ゴーヴから入手したそこそこの品質のモノである。リビングアーマーの大剣と真っ当に打ちあえば、一発でへし折れてもおかしくないほど頼りないが、僕とアラクネによる拘束状態にあれば、多少は対等に切り合うことができる。

 すでに二体目の大剣持ちだけで、僕としては抑えるのは手一杯だけれど、三体目がまだ残っている。

「行けっ、スケルトン三等兵! 全滅するまで戦えーっ!」

 こういう時に、捨て駒スケルトン軍団が役に立つ。いやぁ、数っていうのは正義だよね。

 大振りの槍を振り回すリビングアーマーを相手に、まるで歯が立たない愚鈍なスケルトン達。だが、それでも彼らは十三体もいる。

 槍の一振りで三体がブッ飛ばされても、残りの十体がアメフトよろしく渾身のタックルをかまして、リビングアーマーに飛びつく。

 流石のリビングアーマーも、こうもゾロゾロとひっつかれては、そのまま戦闘続行しようとは思わなかったようだ。一体ずつ、力づくでスケルトン達を引っぺがしては、脆弱な骨の体を叩き潰す。

 それで、君は全てのスケルトンを排除するのに、いったい何秒かけるつもりなのかな?

「――『破断』」

 最後のスケルトンに手をかけたところで、リビングアーマーは胴と腰とで真っ二つになって飛んでいく。

 メイちゃんは、すでに一体目のリビングアーマーを仕留め終わっている。仲間が誰も助けてくれなかったのだから、ガードがめくれたところに、クリティカルヒットを喰らって、あえなく一体目は撃沈。

 そして、スケルトンとじゃれあっている奴の方へ向かったのだ。

 これで、首尾よく二体のリビングアーマーが倒れた。残りは一体。完全に消化試合です。

「メイちゃん、お疲れ様。なんか、思ったよりも全然早く倒せてビックリだよ」

「ううん、小太郎くんの力があるからだよ」

 いやぁ、どう考えてもサシで戦ったら瞬殺できる火力を持つメイちゃんがMVPだけど。僕はマジで、ギリギリで30秒くらいの時間稼ぎに成功しただけで。

「だって蒼真君のパーティだったら、いつ他の魔物が私に向かって来るか分からなかったから。小太郎くんなら、ちゃんと足止めしてくれてるんだって、信じられるよ」

 聞きたくなかった、蒼真パーティの裏事情。そうだよね、蒼真君以外の全員、メイちゃんのこと死なねーかな、と思ってるもんね。信頼して、背中を預けられるワケないよね……

「そっか、僕もメイちゃんのことは信じてるから」

 でも、無理はしないし、無責任に彼女の勝利を祈るだけ、なんてことはしないつもり。だから、常に逃げ道だけは確保しておくよ。

「……とりあえず、他にリビングアーマーはいないみたいだね」

「うん。他の魔物も、近くにはいないと思う」

 よし、それじゃあ、如何にもお宝のありそうなビルに、突入と行こう。

 ついさっき使い捨てた、スケルトンを再召喚して、先頭切ってビルの正面玄関から侵入させる。ほら、いきなりシャンデリアとか落ちて来たら危ないじゃん?

「特にトラップの類はないみたい」

 新たなリビングアーマーのお出迎えもない。ビルの中は、そこそこの広さ、けれどこれと言って何もないガランとしたエントランスが広がっているだけだった。

 いや、何もないってこともないか。エントランスのど真ん中には、これ見よがしに宝箱が設置されていた。

「……あの宝箱、怪しくない?」

「そう? 大丈夫じゃないかなぁ」

 メイちゃんは宝箱を設置した人の善意を信じ過ぎじゃないだろうか。僕だったら、あんな目立つところにポツンと置くなら、絶対に罠を仕掛けるよ。というか、宝箱自体が罠というか、アイツ、ミミックじゃないのか!?

「とりあえず、スケルトンに行かせるか」

 ミミックだろうと時限爆弾だろうと、スケルトンが巻き添え喰らうだけなら何の問題もないし。

 そうして、カシャカシャ歩いていったスケルトン君は、無事に宝箱の元まで辿り着き、蓋を開き、安全を確認してから、僕の下まで持ってきてくれた。

 えっ、これ、本当に何もないの? 罠は? ミミックは?

「ほら、やっぱり大丈夫だったよ」

「そ、そうみたいだね」

 やや拍子抜けしながらも、まぁ、お宝が手に入ったのならそれに越したことはない。さて、宝箱の中身は何なのか、お宝拝見っと。

「これは……ポーション、か」

 透き通ったガラス瓶のような容器に入った、ウスボンヤリと輝きを放つ青白い液体。一度見たことあるから、分かる。コレは間違いなくポーションだ。

「小太郎くん……」

「いいじゃないか、十分すぎるほど、アタリだよこれは」

 メイちゃんは、あからさまに何か言いたげな雰囲気だったけれど、僕はあえて、気にしないことにした。

 もし、桜井君がここのポーションを手に入れることができていたら……なんて、そんな意味のないIFを、考える必要はない。

 だから、このポーションはただ、僕らが先に進むために、生き残るために、使わせてもらう。それでいい、それでいいんだ。

第163話 プレゼント

 そこは、美しい白い宮殿――が、廃墟と化して荒れ果てたような場所であった。

「……大分、雰囲気が変わったな」

 そうつぶやいたのは、天道龍一。

 つい先ほど、ボスを倒して転移を果たし、このエリアへと降り立ったのである。妖精広場の先に続く空間を覗き込む限りでは、宮殿廃墟と呼ぶべき様相を呈していた。

「なんか、お城の中っぽい感じ?」

「あー、そんな感じするわ。シャンデリアとかあるし」

 キョロキョロと興味深げに周囲を見渡しているのは、野々宮純愛ジュリアと芳崎博愛マリアの二人組。

 この妖精広場そのものも、普段と違って白い壁に装飾の跡が窺える。トレードマークの噴水も、どこか豪華な装いであった。

「ねぇ、桃川は、ここに来てないのかな」

 そして蘭堂杏子は、ついこの間はぐれてしまった、男子生徒の行方を気にしていた。

「少なくとも、この広場に転移はしてねぇな」

「なんで分かるのよ、天道」

「転移してくれば、まず広場で準備を整える。アイツはそういう奴だ」

 転移してきた妖精広場には、生活の跡は見られない。つい最近、何者かがここにやって来たような形跡は、どこにも発見できなかった。

 天道の言う通り、もしここに桃川小太郎が降り立ったならば、天職『呪術師』の特性上、しっかりと拠点化を行うだろう。自分達のように、ただの通過点として、そのまま素通りしていくことはあるまい。

「じゃあ、さっさと進むぞ」

 そうして、小太郎を失った天道チームは、宮殿廃墟エリアの攻略を開始した。

「……なんか、出てくる奴らは同じじゃない?」

 歩き始めて五分と経たずに、ガラガラと音を立てて現れたのは、見慣れたスケルトン共であった。一応、それなりの武装はしている小隊だったが、わざわざ鹵獲するほどの品質ではない。

「とりあえず、ウチが撃っていい?」

「どうぞどうぞ」

「桃川言ってたもんね、魔法の練習しとけって」

「別に、そういうんじゃないし――『石矢テラ・サギタ』!」

 ニヤニヤ笑いのジュリマリコンビに口を尖らせつつも、すでに手に馴染んだ土属性の下級攻撃魔法『石矢テラ・サギタ』を放つ。

 下級とはいえ、拳大の石が高速で放たれる以上、そこに秘める物理的な破壊力は銃弾に匹敵する。特に、スケルトンのような打撃に対して脆い体の相手ならば、その効果は絶大。

 二、三発も『石矢テラ・サギタ』を撃ち込めば、前方から駆け足で接近してくるだけのスケルトン小隊は、あっけなく砕け散った。

「やっぱフツーの骨みたいだね」

「城っぽい場所だから、ちょっと強いのかと思ったけど、大したことないわコレ」

 杏子の攻撃であっさり全滅したスケルトン小隊を見て、ジュリマリが感想を漏らす。

 新たなエリアでは、同じような姿の魔物であっても、強さが変わることがある。場所によっては、突然、スケルトンが達人のような動きで攻撃してくることがあるかもしれないのだ。

 だが、これまで相手にしてきたのとさほど変わらない性能のスケルトンが現れたということは、ダンジョンの危険度もそれほど上がっていないと思われた。

「この辺も割と楽勝じゃない?」

「いや、そうでもねぇさ――真打登場、みたいだぜ」

 ガチリ、という重い金属音は、スケルトンの歩みとは明らかにことなる重量感を放つ。薄暗い通路の奥から、そんな重い足音を響かせながら、ソレは姿を現した。

 全身甲冑の騎士。そうとしか呼べない、完全武装の姿が二人。

 長身の龍一よりもさらに高く、重厚な鎧によって幅もある騎士は、かなりの巨漢である。見るからに鋼鉄製の鈍色の装甲は分厚く、ブリキのバケツのような兜は頭部全てを覆い隠していた。

「ここの奴らは、イイモノ着てるじゃねぇか」

 間違っても、人間に出会えたと勘違いすることはない。騎士のコンビからは、スケルトンと似たような、魔物の臭いがする。恐らく、アンデッドモンスターの上位種であろうことは、それとなく全員が察した。

「――『石矢テラ・サギタ』っ!」

 躊躇うことなく、先制攻撃。

 二体の騎士は、それぞれ槍と斧を右手に、左手には大きな盾を携えている。近距離装備しかない以上、間合いを詰められる前に魔法による遠距離攻撃で先手をとるのは当然。もっとも、杏子にはそんな戦術的な考えは全くない。

 ただ、騎士から放たれるその危険な気配を、メンバーで最もこのテの察知に疎い杏子でも感じてしまったが故の先制攻撃であった。

 放たれた石の弾丸は、直後に命中。ガギィインっ! と、うるさいほどの衝突音が、通路一杯に響き渡る。

「ウッソ、効いてない!?」

 見れば、槍持ちの騎士が盾を構えていた。その盾の中央部は僅かに凹みがついており、そこに『石矢テラ・サギタ』が命中したと思われる。

 そして、それが杏子の攻撃が起こした結果の全て。つまり、ノーダメージ。

「下がってろ、お前らじゃ歯が立たねぇ」

「で、でも!」

「アタシらだって!」

「下がってろ、と言った」

 三度目はない、と察せないほど、ジュリもマリも鈍感ではない。

 食い下がったのは、望んだわけではないものの、これまで『騎士』『戦士』として戦ってきた自負もあるから。明らかな強敵を前に、少しでも役に立ちたいと思う健気な乙女心と勇気。

 だがしかし、それを龍一は望まない。優しさでも、甘さでもない。彼の目は、二体の騎士にのみ向けられている。

 彼女達へ一瞥すらせずに「下がってろ」と言ったのは、つまるところ「邪魔するな」の意味しか含まれてはいなかった。

「行くぜ、鎧野郎。一発で砕けてくれるなよ――」

 僅かに口角を吊り上げ、笑いをかみ殺したような表情で、龍一は『宝物庫』より『王剣』を引き抜く。

 赤き火竜の力を宿す真紅の大剣は、片手一本で無造作に振るわれる。対する騎士の対応は、さっきと同じく盾によるガード。

「――らぁっ!」

 通路に響き渡るのは、先の衝突音を倍するほどの爆発音。叩きこまれたのは、大剣による斬撃の威力だけでなく、その刀身に秘められた爆発力も加算される。

 その破壊力に、盾は歪み、大柄な全身鎧の騎士の体も揺らぐ。

 だが、それまで。盾はいまだ原型を保ち、騎士は膝をついてもいない。

 今度はこちらの番とでも言うように、鋭く、大型の穂先がギラつく槍を騎士は素早く繰り出――すよりも速く、龍一の長い足が騎士の胴体に炸裂していた。

「思ったより軽ぃな……」

 ランスチャージのような威力が籠った龍一の蹴りをモロに受けて、今度こそ槍の騎士は後ろへと吹き飛ぶ。

 見た目から判断して、とりあえず転ばせるくらいのつもりで蹴ったが、予想に反して騎士は吹き飛んだ。目測と実際の重量の乖離。それに、蹴ったインパクトの感触。答えを察するには十分すぎるヒントであった。

「そうか、お前、中身は入ってねぇのか」

 鎧兜だけが、彷徨い歩き、襲い掛かってくる。そんな設定のモンスターが小学生の頃にやったRPGにいたな、と龍一は思ったが、そのモンスターの名前までは思い出せなかった。

「ってコトは、アタマ心臓ムネ急所タマもねぇのか」

 どこを狙うか、などと呑気につぶやいている隙に、槍の相方である斧の騎士が猛然と龍一へと襲い掛かる。

 大上段から振り下ろされる大振りのバトルアックスの刃を、やはり右手一本で握り続けるままの王剣で受け止めた。けたたましい鋼の悲鳴を上げて、斧と大剣の鍔迫り合いが始まる。

「メンドくせぇ、とりあえずバラしてみるか」

 鍔迫り合い中に戦闘方針を決めた龍一は、とりあえず斧を押し退ける。ギリギリと火花を散らす中、王剣の刀身が急激に熱を帯びてゆく。緋色の刃が白く輝くほどの高熱へと達し――ドンッ! と爆発音を立てて、刃を火竜の力で爆ぜさせる。

 至近距離で爆破を喰らい、よろめく斧の騎士に向かって、灼熱の一閃が、否、二、三、四、と連続的に叩きこまれた。

 鋼の装甲は、血飛沫の代わりにかすかな白煙のみをあげて、一刀両断。斧を持つ右手が、盾を備えた左手が、野太い腰が、そして、首が飛ぶ。

「まぁ、こんなもんか」

 両腕と胴と首とが別れた斧の騎士は、その場で崩れ落ちると、本当にただの鎧兜に戻ってしまったかのようにピクリとも動かない。どうやら、籠手や兜だけでも、動いて襲い掛かってくるほどのガッツはないようだった。

「三下でコレなら、ココのボスは期待できそうだ」

 どこか満足気に呟きながら、龍一はちょうど起き上がって槍を繰り出してきた騎士を、同じように切り伏せた。

「うわ、やっぱ天道君強いわぁ」

「強すぎでしょ……」

 好きな男のカッコいいところを見て、素直に喜びあうジュリマリ。だが、これまで大抵の相手に通用してきた『石矢テラ・サギタ』が簡単に防がれたせいか、杏子は考え込むような難しい表情をしていた。

「もっと強い魔法がいる、ってことかぁ……」

 自分も戦うようになったお蔭で、『強さ』の価値を杏子はようやく理解する。

 何故、桃川小太郎は天道龍一という強者の元に居ても、あんなに必死で頑張っていたのか。彼はきっと、誰よりも弱者であることの危険性を認識していた。

 強ければ生き、弱ければ死ぬ。弱肉強食の掟とは、きっと、自ら殺生しなければ理解できない概念なのであろう。あのまま、ジュリマリと龍一によって守られ続けていれば、決して実感することはできなかった、この世の真実だ。

「でも、レベルアップってどうすればいいのよ」

 うーん、と頭を捻るが、これといった名案は浮かばない。強くなることの重要性と価値を理解することと、それを実現することはまた別の問題である。

 そして、杏子は考えることが苦手だった。恥ずかしながら、彼女はクラス成績ダントツの最下位である。本当に恥ずかしかった。

「ねぇねぇ、天道くーん、コイツらの武器っている?」

「天道君、いらないならアタシら貰っちゃっていい? 何か普通のやつより強そうだし」

 バカの考えという休憩中だった杏子の前では、あっけなくバラバラ死体、もといバラバラパーツとなった騎士の残骸から、槍と斧を拾っているジュリマリの姿がある。

 天道は特に興味なさそうに眺めていたが、

「おい、ソレちょっとそこに置いとけ」

 彼の一言で「はーい」とジュリマリは素直に騎士の武器をその場に置いた。

「……『従者・錬成士』」

 龍一がそう呟くと、黄金に輝く魔法陣が床に浮かび上がる。『宝物庫』とはまた異なる円形の魔法陣が、置かれた槍と斧を中心にして、煌々と光り輝く。

 すると、魔法陣から蛍の光のようなモノがちらほらと飛び出すと、それは次第に量と勢いとを増し……やがて、人のような形を成してゆく。

 金色の粒子が色濃く集まって象られた人型は、子供のように小さく、手には大きなハンマーを、そして、頭には妖精のような尖った帽子を被った、そんなシルエットで浮かび上がる。その小さな人影が、二人、三人、四人と数を増やし、魔法陣の中で踊るようにクルクルと回り――光が弾け、それらは全て幻であったかのように、全てが消え去った。

 そこに残っているのは、始めから置いてあった槍と斧だけ。いや、その二つの武器は、明らかに形状を変えていた。


 継承スキル

『従者・錬成士』:王に付き従う者。錬成士は、王命に応じて様々な物を作り出す。


 龍一が試したのは、これもまたいつの間にか獲得していた、新たなスキル。強いて心当たりを言えば、小太郎がレムと呼んでいる黒いスケルトンを、アレコレ言って使い走っている姿をなんとなく眺めていた程度だろうか。

 よく分からないが、ともかく、この異世界において『錬成』と呼ばれる魔法の力を行使する精霊を使役できるらしい、ということはおおよそ理解していた。錬成能力については、『賢者』小鳥遊小鳥が、精霊については蒼真桜と如月涼子が、それぞれ能力を獲得している。

 だが、実際にどんなモノかというのは、試しに使ってみなければ分からない。ちょうどいいタイミングだと思い、モノは試しと『従者・錬成士』を発動したのだった。

「ジュリ、マリ、お前らが使え。今のモノより、ちっとはマシになってるだろ」

 龍一の『従者・錬成士』によって形状を変えた槍と斧は、どちらも元よりも細く、小さくなっている。大柄の騎士が振るうに相応しいサイズの大型の武器であったが、普通の女子高生の体に過ぎない彼女達からすれば、扱うには大きすぎる。いくら二人の腕力が、今や男勝りどころか、十人力に匹敵するほどと化していても、握りが太ければ振るいにくいし、リーチが長すぎれば持て余しもする。

 その点でいえば、錬成された槍と斧は二人が扱うにはちょうどいいサイズ。柄は細く握りやすい上に、黒地に流麗な黄金の模様が随所に施され美しい外観へと変わっていた。


『黒金の槍』:王より下賜された槍。


『黒金の斧』:王より下賜された斧。


 二人は、龍一の言葉と、全く形の変わった武器を前に、唖然としたような表情だった。が。いざ槍と斧を拾い上げて手に取れば、すぐに満面の笑みへと変わった。

「こ、これってもしかして」

「プレゼント!?」

 いくらなんでも、スケルトンから鹵獲した低品質で貧弱な武器で、あの動く鎧兜と戦えと言うのは、龍一も酷だと思ったのだろうか。

 それは果たして、プレゼントか施しか、優しさか単なる気まぐれか。どちらにせよ、ジュリマリコンビは、飛び上がらんばかりにキャーキャー喜んでいた。

「ねぇ、天道、ウチにはないの?」

「あー、まぁ、その内な」

「なるべく早く頼むね」

 ふんす、と何故か偉そうな杏子の態度に、流石の龍一も苦笑いを浮かべていた。

第164話 大ボス

 天道チームの荒れた果てた宮殿エリアの攻略は、順調に進んでいる。

「『一撃穿フルスラスト』っ!」

「『強大打ヘヴィスマッシュ』っ!」

 ジュリの繰り出す『黒金の槍』とマリの振るう『黒金の斧』は、共にリビングアーマーの重厚な装甲を打ち破る。龍一の錬成士謹製の武器と、より上位の武技を習得した二人は、今やこの動く鎧兜と真っ向勝負で打ち勝てる力を持つ。ただし、一対一だと分が悪いので、基本は一体に対してコンビであたる。

「はぁ、コイツ固すぎてヤダもぉー、『石矢テラ・サギタ』!」

 一方、杏子は新たな攻撃魔法を授かることはなかったものの、防御の固いリビングアーマーに対してほぼ撃ちっぱなしとなる『石矢テラ・サギタ』の熟練度が上がった模様。威力、精度、連射速度、どれも少しずつ向上し、さらに三発まで同時発射が可能となっている。

 流石に、一発でリビングアーマーの鎧をぶち抜くほどの威力はないが、撃ち続けて一体をボコボコにしながら動きを封じるくらいはできるようになっていた。

「杏子、もういいよ!」

「後はアタシらが――オラァ、『強大打ヘヴィスマッシュ』っ!」

 杏子が文句を言いながらも『石矢テラ・サギタ』を浴びせ続けて足止めされていたリビングアーマーに対し、ジュリマリコンビが武技を叩き込み一気に四肢をバラす。

 中身のない鎧だけの彼らに、死の概念があるのかどうかイマイチ分からないが、とりあえず手足がなくなれば動かなくなる。そして、動きさえしなければ、ソレは最早脅威でもなんでもない。

 ジュリマリコンビの前衛と、立派な『土魔術士』として成長してきた杏子、ギャル三人組だけでも、今は最高で三体まではリビングアーマーを相手にして、勝利できるまでに経験を重ねてきたのだった。

 このエリアの攻略を始めて三日経過した現在では、現れるリビングアーマーの相手はもっぱら三人で、龍一はよほど数が多いか、灰色の奴よりも強力な黒い鎧が現れた時しか、戦うことはない。

 リビングアーマーの装備品は、スケルトンのものよりも格段に高品質であり、戦利品としてはかなり美味しい。おまけに、このエリアではそれなりに宝箱もあり、ポーションをはじめとした魔法のアイテムも入手できる。

 宝箱の設置に伴って、仕掛けられている罠も増加傾向にあったが、龍一の『目』を欺けるモノは何一つなく、片っ端から解除かスルーで、難なくお宝だけを手にしている。

 そうして、武器・アイテム、共に充実してきた今日この頃であるが……杏子待望の土魔術士用の武器は、いまだナシであった。

「やっとボスか」

 合わせて一週間ほど費やして、広大な宮殿エリアを踏破し、ついにボス部屋と思しき巨大な扉へと辿り着いた。

 何の気負いもなく、龍一は重く閉ざされた両開きの扉を、蹴り一発で開け放ち、堂々と中へと立ち入った。

 そして、相手もまた堂々と、巨大な広間の中央で待ち構えていた。

 身の丈3メートルはある、巨大な漆黒の騎士である。本体そのものといえる鎧は、これまで相手にしてきたリビングアーマーよりも重厚、かつ豪奢な装い。艶やかな黒い装甲には、随所に黄金の装飾があしらわれ、その出で立ちは騎士というよりも、将軍という方がしっくりくる。

 そして、床に突き立てられた大剣も、同じく黒地に金装飾の華麗なデザイン。しかし、黒一色の刀身は分厚く、鋭く、そこに秘める破壊力は見た目以上であると察するに余りある。

「一人、か。取り巻きはいねぇようだが――」

「『石矢テラ・サギタ』っ!」

 龍一が将軍アーマーに向かって行くよりも先に、杏子の攻撃魔法が炸裂した。

 元より、ただのリビングアーマーの装甲を凹ませるにとどまる威力しかないため、さほどダメージを与えられるとは思わなかったが……石の弾丸がその鎧に触れる寸前で砂のように小さな粒と化して砕け散ったのは、想像に反する光景だった。

「うわっ、なにアレ、バリア? ズルくない?」

「蘭堂、お前、俺より手ぇ出すの早ぇって相当だぞ」

「え? だって敵だし、魔物だし、っていうかボスじゃん。撃っていいでしょ」

「もうちょい後先考えて……いや、俺が言えた義理ではねぇな」

 やれやれ、とばかりに溜息を吐いてから、龍一は切り替えていくことにした。

「アイツは俺がやるから、お前らは手を出すな」

「ウチの攻撃は通じないみたいだし、天道に任せるわ。あとヨロシクね」

「天道君、頑張ってね! あと、杏子はちょっと向こうで話をしようか」

「天道君なら、絶対に勝てるよ! で、杏子はちょっとあっちで反省しようか」

「えっ、なにこのウチが悪いみたいな流れ?」

 なんなのよー、と不満げな表情で、両脇をジュリマリに抱えられてズルズルと扉の方へ引っ張られていく杏子へ、龍一は一瞥すらせず、真っ直ぐにボスだけを見据えた。

「よう、お前はなかなか強そうだ」

 世辞ではなく、純粋な事実。目の前に石像が如く微動だにしない将軍アーマーからは、あの赤いドラゴンに勝るとも劣らない強力な気配を感じさせる。いや、天職『召喚術士』東真一に操られて意識が乱れていた上に、かなり年老いていたドラゴンと比べて、SF映画の殺人マシーンのように研ぎ澄まされた殺意をみなぎらせる将軍アーマーの方が、戦闘時に発揮するパフォーナンスは高いだろう。 魔物としてのスペックは老いた死にかけとはいえドラゴンの方が上だが、持てる全力を発揮する将軍アーマーは総合的な戦闘能力では大きく上回るに違いない。

 そして、これまでのリビングアーマーの動きを見るに、彼らには剣術の心得がある。槍にしろ、斧にしろ、ただ力任せに振り回すだけでなく、きちんと人間が編み出した武器の効率的な扱い方をしている。ダンジョンをウロついている奴らでも、それなりの腕前を持っていた。ならば、彼らのボスである将軍アーマーは、達人級とみるべきだろう。ただ真っ直ぐ襲い掛かってくるだけだった、横道よりは遥かに厄介な使い手だ。

 久しぶりに、本気で戦えるだけの相手に巡り合えた。

「楽しませてくれよ」

 傲岸不遜に笑う王に対し、将軍は静かに剣を構えた――




「やった、勝った!」

「さっすが天道君!」

 ジュリマリコンビの黄色い声が、若干、頭に響く。だが、激戦を終えた体に『ワイルド7』の一服が沁みて、心はすっかり落ち着いた。

「ふぅー、流石に疲れたな」

 小太郎から買い取った貴重なタバコをしっかり味わってから、龍一は思い出したように、将軍アーマーの兜を貫く『王剣』と、抉りだしたコアを掴んだ『王鎧』の籠手を消した。

 輝く黄金の粒子と共に形を崩し始めた王の剣と鎧は、その場に転がる鎧兜を巻き込む大きな渦と化しながら消えて行った。


対象素材設定

『冥将の大剣・ザムドリンガー』

『冥将の鎧兜・ザムドボゥグ』


王剣精製開始――完了

『王剣』新形態『冥剣・ザムド』


 流石に、久方ぶりの強敵とあって『王剣』も新たな力を獲得した。

 拵えは、将軍アーマーが使っていた大剣と似ており、分厚い刀身の両刃で、黒地に黄金の文様が輝く。その圧倒的な切れ味と重量による破壊力は勿論、その剣に宿す能力も同様に発揮するだろう。

 将軍アーマーの大剣は、振るえば衝撃波を放ち、床を叩けば石畳を隆起させ、挙句の果てには刀身からバリバリと雷撃まで撃ってみせた。

 戦いを終えたボス部屋は、床の三分の一が叩き割れ、壁の半分は焦げ跡が広がっている。もっとも、それらの破壊の跡は、龍一とボスが半々で刻んだものではあるが。

 ともかく、王剣に新たに強力な魔法の力が宿ったのは事実。

 ちなみに、以前の王剣にも、それぞれドラゴンの赤い大剣には『火竜剣・サラマンドラ』、スケルトンボスの大剣には『無骨』と、名前はついており、その気になればいつでも同じ形態にできる。地底湖で戦ったワニ型リザードマンのボスを倒して得た、水属性を宿す青い拵えの大剣なんかもあるのだが、特に出番はなかったので一度も使ったことはない。

 勝手に増えていく剣のことなど、龍一は一々覚えていない。形態変更も、今のところは手加減して戦う時に『無骨』を使う程度である。

 だが、今回ばかりは今までエースであった『火竜剣・サラマンドラ』を越える力を得たので、以後は『冥剣・ザムド』を振るうことになるだろう。

 そして、龍一が得たのは『王剣』の進化だけではない。


捕食スキル


『ファントムメイル』:冥将の鎧兜と同等の防御力を持つ、不可視の鎧を身に纏う。


『ネガウェイブ』:刀身から闇の魔力による衝撃波を発する。


『カースドソイル』:闇の魔力に侵蝕された黒き土。


『エンドボルト』:闇の魔力に閃く黒き雷。


『ネザーヴォルテクス』:冥将が放つ必殺の斬撃。おぞましい闇のオーラが破壊の渦を巻く。


『フィアーゲイズ』:恐怖系の威圧により、敵の注意を引く。


『ホラーブレイク』:アンデッドに対する耐性と威圧。


『テラーブレイク』:ゴーストに対する耐性と威圧。


 ズラズラと頭の中に羅列される情報の感覚にウンザリしながら、龍一はさっさと転移を果たすべくコアを片手に歩き出す。

 ボスの武器も鎧兜も龍一が吸収して糧にしたことで、回収すべきモノはほとんど残ってはいない。だが、全てが消えてなくなったワケではないのだ。

 龍一はチラリと、吸収しきれなかった鎧の残骸に目を向けると、それらに向かって手をかざした。

「……『従者・錬成士』」

 黄金の魔法陣と共に、輝く粒子の錬成士達が、黒金の装甲を元に新たな武具を創造してゆく。一分と経たずに、金の光は弾け、作り出された新たな武器が、主たる龍一の手に握られていた。

「へぇ、なかなか、良く出来てるじゃねぇか」

 龍一にしては珍しく、満足そうにつぶやく。王の賞賛をいただいたその武器は、銃であった。

 黄金に輝くリボルバー。何ともド派手な見た目の銃だ。

 試しにトリガーを引けば、ガキリ、と撃鉄が落ち、六連装のシリンダーが回転する。動作は正常で、見かけ倒しのモデルガンではなさそうだった。

「蘭堂、お前が使え」

「えっ――っと、うわぁ、いきなり投げるなーっ!」

 ヒョイっと放り投げられた黄金銃を、割と鈍い杏子は見事にキャッチし損ねて、ガランガラーンと床へと取り落とす。

「で、コレって使えんの? 弾とかないし」

「ソイツで魔法を撃てば、多少は威力が上がるはずだ」

「えー、ホントにぃー?」

「後で試してみろ。ここでは撃つな、あと、銃口を覗くな、危ねーだろ」

「ほーい。でも、まぁ、ありがとね」

「大したモノじゃねぇ。それより、さっさと行くぞ」

 そうして龍一は、どうにかここのエリアにいる内に杏子へのプレゼントも完成させ、次のエリアへと転移を果たしていくのだった。




「……随分、デカい広場だな」

 転移してきて、その妖精広場の大きさに思わず声を漏らしてしまう。

「うん、これいつもの倍以上あるんじゃない?」

「ちょっとした公園だよこれ」

 ジュリとマリも、これまでにない妖精広場のサイズに周囲を見渡している。

 だが、広いというだけで、これといって特別なことはないと、すぐに判明する。いつもの妖精像の噴水に、並木のような妖精胡桃の木々と、色とりどりの花畑。

 特に気になることもないので、龍一達は早々に広場を出発した。

「うわー、なんにもねー」

 つまらなさそうに言う杏子。目の前には、ひたすらに赤茶けた荒野が広がっている。

 取り立てて目立つものといえば、背後にそびえ立つ大きな塔。ついさっき出てきた妖精広場がある建物だ。

 広場は塔の二階部分にあり、一階は巨大な円形のエントランスとなっていた。空き部屋なども見つけたが、どこもガランとしていて、特に何も見当らなかった。

 恐らく、ここで何かを見つけようとするならば、この荒野を進むより他はないだろう。

 しかし、歩き始めて1時間。変化といえば、左右に大きく岩壁がせり出してくる、渓谷の地形となったことくらい。ちょうど、谷の底を歩いている形となる。

「これ、いつ着くの」

「さぁな、まだしばらく谷は続いているようだ」

 龍一が言うなら、その通りなのであろう。事実、それから30分経過しても、変わらずに谷底の道を進み続けるのみ。

 あまりに退屈な道のりに、はばかることなく大あくびを杏子がかました辺りで、ついに変化は訪れた。

「イー、キキーっ!」

 猿のような鳴き声を上げて現れたのは、灰色の人型。グレーの毛皮の猿、というワケではないのは、そのシルエットに翼が生えていることから一目瞭然である。

「あー、なんだっけ、ああいうの、見たことある。グレムリン?」

「ガーゴイルじゃねぇのか」

 石のような灰色の体に、醜い悪魔染みた顔つき。大きく広げたコウモリのような羽は、どうやら腕と一体化しているらしい。

 この辺に教会や聖堂はないので、飾られている石像が魔法の力で動き出した、というよりは元からああいう形態の魔物であると推測される。

 もっとも、明らかに敵意剥き出しで現れた魔物を相手に、気にするべきはその生態ではなく、力だ。出現したガーゴイルは十数体。どうやら、谷の上から滑空してここまで降りてきたようだ。

「よーっし、そんじゃあ早速、撃っちゃおっかなー」

 地味に試射を楽しみにしていた杏子である。黄金のリボルバーを、へっぴり腰で構える微妙にカッコ悪い姿で、威嚇するようにギーギー鳴いているガーゴイルへと狙いを定める。

「『石矢テラ・サギタ』」

 撃鉄が降りると共に、ドォン! という発砲音。その銃口に奔ったのは、緋色のマズルフラッシュではなく、『石矢テラ・サギタ』を示す魔法陣。

 発射と同時に銃口に浮かび上がったオレンジ色に輝く『石矢テラ・サギタ』の魔法陣は、直後に粉々に砕け散り、結果的にはマズルフラッシュも同然の光となって弾ける。

 そうして放たれた杏子の『石矢テラ・サギタ』は、いよいよ襲い掛かってくるガーゴイル、その先頭を走る胸元に命中し、大穴を穿つ。鈍い音共に、灰色の体が弾け飛ぶ。

 そして、直後にはその真後ろを走っていたガーゴイルも、同じようにその身を貫かれていた。

「おお、スゲー、二匹貫通したよ」

「マジで威力上がってんじゃん」

 ジュリマリの言葉と全く同じ感想を、杏子は抱いていた。

「サンキュー天道、この銃、趣味は悪いけど、凄い強いわ!」

 驚くべきは、威力だけではなく、その連射性。

 ガキン、ガキン、と杏子は立て続けにリボルバーのトリガーを引く。

 すると、今までとは比べ物にならない速度で『石矢テラ・サギタ』は次々と撃ち出されてゆく。リボルバーの形状からして、本来、弾丸を装填するシリンダーには六つの穴が空いており、どう見ても六連発なのだが、魔法を放っているせいか、その装弾数は術者の魔力量に依存する。

 つまり、本人の魔力が続く限りは、リロードを挟まず射撃を続行できる。

 しかし、いくら連続で撃てたとしても、射撃になれない者が動く的を相手に命中させるのは難しい。だが、撃ち出すのは装填された弾丸ではなく、自らの魔法。

 杏子はこれまでの戦闘によって、『石矢テラ・サギタ』を相手に命中させる感覚もまた培ってきた。攻撃魔法を放つ時は、ただ放たれれば真っ直ぐ飛ぶというものではなく、自分の手を伸ばすように飛ばすのだ――少なくとも、杏子はそう感覚的に学んだ。

 撃ち出された弾を当てるのと、伸びる手で触れるのとでは、感覚的に繋がりがある分、後者の方が遥かに容易。要するに、真正面から向かってくるだけの魔物を相手に、一発も外す気はしなかった。

「っしゃーっ! ヤッターっ!」

 勝利の雄たけびを上機嫌に杏子は上げる。そして、その戦果を素直に祝福するジュリマリである。

「この調子なら、しばらく楽できそうだな」

 龍一は雑魚の相手を任せられると、呑気に喜びあうギャル三人組を眺めていた。

 ガーゴイルからは、特に回収すべき素材は見当たらなかった。

 どうやら、全身が石でできているワケではなく、中身は赤い血肉を持つ生物らしい。ただ、見た目通りに灰色の表皮は石のような硬質さがあり、少なくともゴーマよりかは防御力に優れている。

 もっとも、多少の硬度を持つ程度では、今の天道チームの相手にはならない。ジュリもマリも、これくらいの硬さであれば、武技を使わずに刃を通せるだろう。

 大した強さのないガーゴイルは、それから、先に進むたびにその数を少しずつ増していった。

「この先に奴らの巣があるな」

 そんなことは、明らかに数を増やしつつあるガーゴイルを見れば分かる。だが、龍一がわざわざ言うということは、その巣は目と鼻の先にあることを示している。

 一体辺りは弱いガーゴイルだが、それも大群となれば立派な脅威となりうる。龍一はいつもと変わらず堂々と歩を進めるが、杏子達は密かに警戒心と緊張感を高めつつ、後を追った。

 そして、龍一の言う通り、巣は見つかった。いや、目に入らない方がおかしいほどの、それはあまりに巨大な巣であった。

「うわー、これ、ちょっとヤバくない?」

 谷底を抜けた先に広がっているのは、巨大なすり鉢状の盆地。超巨大な蟻地獄とでもいうべき形状の地形であった。

 そして、そのど真ん中に岩山がたっている。軽く高さは100メートルを越えるだろう。ほぼ円形に広がる岩山は、木々の代わりに尖塔のように鋭く尖った岩の柱が何本も突き立つ。中でも、真ん中にあるのは特に高く、東京タワーかスカイツリーかといった趣を感じさせた。

 その岩の柱や塔のそこかしこに、無数のガーゴイルが蠢いている。

 こんな岩しかない場所で、どうやったらあれだけの数の魔物を養えるのか、疑問に思うほどの繁殖振り。だが、ざっと見て奴らが餓えて苦しんでいる様子はなく、巣に近づけば、元気よく一斉に襲い掛かって来るだろうことは想像に難くない。

「流石にこの数は厳しくない?」

「ちょっと無理かも……」

 あまりの数のガーゴイル軍団を前に、三人はどこまでも弱気な発言。対して、龍一は――

「アイツはヤバいな」

 初めて聞いた、龍一の弱音に、三人は息を呑む。

 だが、それも仕方がないと思える。いくらなんでも、あれだけの数を相手に、などと考えていた三人は、龍一の危機感の真意を全く理解していなかった。

 龍一は「アイツ」と言った。無数に蔓延るガーゴイルに対し、明確に一つを指す言葉だ。

 それは言い間違いではなく、純然たる事実。彼が危機を抱く存在は、ガーゴイル如きではなく、もっと別の、より強大で、圧倒的な単一個体に対するものだ。

「まさか、あんなにデカい奴がいるとはな」

「えっ?」

「それって、どういう……」

 その時、ガーゴイル達が一斉に羽ばたいた。ギャアギャアとやかましい声を目いっぱいに叫び、不協和音の大合唱が響き渡る。だが、そんな音もすぐにかき消される。

 大地を揺るがす轟音。いや、本当に、地面が揺れている。

 岩山が、動いていた。

 最初は、目の錯覚かと思った。だが、どうやらこれはただの地震ではなく、超巨大な質量が動いたことによる震動なのだと、理解せざるを得ない。

 そう、彼らの目の前で、ガーゴイルの巣であるはずの大きな岩山は、確かに動いているのだから。


 ォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 地の底から響く重低音と共に、大地を割って、巨大な何かが出でる。それは、太く、長い、木の根のようで――しかし、頭であった。

 無機質な赤い瞳の輝きは、確かな生命の証。土砂の落ちた向こうには、金属質に青白く輝く鱗が並び、ゆっくりと開かれた口には鋭い牙が覗く。その口先にチロチロと蠢くのは、どうやら長い舌であるらしいが、竜の尻尾のようなサイズだ。

 巨大な、あまりに巨大な、蛇の頭がそこにあった。

 そして、大蛇という枠を超えた規格外の超大型モンスターは、ここに現れた小さな人間の存在を確かに感じ取ったようだ。蛇は真っ直ぐ、龍一を睨んでいた。

「お前ら、下がってろ……いや、妖精広場まで、走って戻れ」

第165話 大山大輔

 男たる者、強くあれ。

 俺は、ガキの頃から親父にそう言い聞かされて育ってきた。親父は生粋の空手家で、俺も、弟も、そのまた下の弟も、物心ついた頃から胴着を着せられて正拳突きの練習だ。空手バカの大山三兄弟と、近所でも有名だったな。

 男たる者、強くあれ。

 その信念が正しいものだと、俺は信じていた。

 当然だろ。小学生のガキンチョの時代に、同年代には敵う奴のいない喧嘩最強の実力を持っていれば、全ての男子から一目置かれる。親父に叩きこまれたこの力で、俺は上級生からグラウンドでサッカーする権利も体育館でバスケをする権利も拳で勝ち取り、近所で一番デカい公園を巡って他校の奴らと大喧嘩して勝利し、クラスの男子を率いて野球をして遊んだものだ。

 あの頃の俺は、英雄だった。誰もが俺の強さに憧れ、あるいは、恐れた。俺は強いから、強い男だから、この名声は得られて当然のものだと、信じて疑わなかった。

 男たる者、強くあれ。

 親父の、いや、すっかり俺の信念となっていたソレが揺らいだのは、中学に上がって間もなくしてからか。いわゆる一つの成長期、俺よりも背が高い奴が、次々と現れるようになってきた。

 別に、俺はチビではない。だが、特別に大きくはなかった。背の順で並ぶと、ちょうど真ん中くらいになる位置。

 タッパで強さが決まるワケではない。俺には鍛え続けた技と肉体があるから、ただデカいだけの奴と喧嘩して負けることはない。だが、同年代の奴らに対して、体重差というものをハッキリと感じるようにはなってきた。

 ボクシングも柔道も、おおよそ格闘技ってのは、重量別に分けられている。何故か? 決まってる、重さが違えば、それだけで技では埋められないほどの差がつくからだ。

 中二になって、俺はようやく、自分に才能がないことに気づいた。デカくなる、ただそれだけのことも、生まれもった才能なんだよ。それを、俺は二つ下の弟に背を追いこされて初めて自覚したんだ。

「……俺、白嶺学園を受けようと思う」

 中三になった春、俺は食卓で家族みんなにそう打ち明けた。

「そうか」

「白嶺学園って、あの有名な私立の進学校かい?」

「おおー、兄ちゃんスゲー」

「ダイ兄ちゃんは頭いいからなぁ」

 親父もおふくろも、特に反対はしなかった。むしろ、志が高いと喜んだ。二人の弟は、偏差値の高い白嶺学園を受けられるレベルにある俺を、凄い凄いと讃えていた。俺の白嶺学園進学は、家族全員から認められ、応援してもらった。

 あの時、本当は止めて欲しかった。親父に「馬鹿野郎!」と怒鳴られてぶん殴って欲しかった。弟たちに「空手から逃げるのかよ」と罵って欲しかった。

 男たる者、強くあれ。

 その信念は、もう俺の中でとっくに倒れちまったんだよ。俺は男なのに、強くあろうとしていたのに……強くなれないと悟ったから。だから、学業に逃げた。文武両道、なんていう聞こえのいい建前に隠れたんだよ。

 男は、強くなければいけないんじゃないのか。どうして、誰も止めない、誰も、俺のこの情けない、軟弱な体たらくに怒ってくれない。今じゃもう、空手の練習よりも、受験勉強をしている時間の方が長いんだ。

 勉強なんてどうでもいい。頭なんて悪くていい。ただ、俺は強く、もっと強く、なりたかったはずなのに……

「――寒ぃな」

 白嶺学園の受験当日。早朝に宿泊していたビジネスホテルから出ると、やけに寒さが身に染みた。俺の地元は、もっと温かったからな。

「くそ、なに女々しいこと考えてんだよ。受かったら、俺はここで一人暮らしだろうが」

 いや、必ず受かる。強さから逃げ出しての白嶺学園だが、家族にもクラスメイトにも、俺はここを受けるんだと豪語してきたんだ。有言実行。せめて、それくらいの男らしさは守りたい。

 そう覚悟を決めて、俺は白嶺学園へと向かった。

 昨日の内に、下見も済ませてある。バスの時間も間違いない。何のミスもトラブルもなく、俺は予定通りの時間に校門へと辿り着いた。

 校門前は、すでに多くの受験生で賑わっている。結構、有名な白嶺学園だ。地元の生徒だけでなく、色んなところから、色んな奴が受けに来ている。見たことない制服の奴らばっかりだ。

 けど、負けねぇぞ。お前らは全員ライバルだからな。俺は勝ちに来てんだよ。

「ふわぁ……眠ぃ……」

 静かに燃え上がる俺の闘志に水をかけるような、だらしのない欠伸と声が耳に届いた。おい、コノヤロウ、人がヤル気を出してる時に……イラ立ちと共に、俺はその欠伸野郎の方を睨む。

「――ッ!?」

 うおっ、イイ男……睨みつけた目が、そのまま釘付けになってしまう。それほどの男だった。

な、なんだアイツは、本当に同じ中学生かよ、尋常な色気じゃねぇぞ。

 デカい男だ。いや、デカいだけじゃねぇ、相当に鍛えている。鍛えている上に、その肉体は恵まれている。力だ、圧倒的な力が、ソイツの体に秘められていると、どうしようもなく感じちまった。

 分厚い胸板に、ガッシリとした逆三角形の肩のライン。けど、ただのマッチョな肉ダルマに見えないのは、スラリと伸びた長い足のお陰か。ハリウッドのアクションスターみたいな、日本人離れしたスタイルだぜ。

 髪は金髪、だが、顔つきからして日本人ではある。それでも、とんでもない男前だが。金髪男が大あくびをかましていれば、だらしないアホなヤンキーにしか思えないはずなのに、その男がやっていると、まるで映画のワンシーンのように様になっている。正に、目が離せないほどの魅力に溢れていた。

「龍一」

 と、友人なのか、俺が見つめていた男は、そう呼ばれて声の方へと向いていた。

「おう、悠斗」

「良かった、ちゃんと来てたのか」

「まぁな。今どき、中卒じゃあ流石に格好つかねーだろ」

「でも、龍一ならどこでもやっていけると思うけど」

「お前は俺に落ちて欲しいのかよ」

「まさか。一緒に受かろう」

 そう言ってほほ笑む友人男は、とんでもない美形だった。

 おいおい、何だよ、都会ってのはこんな奴がゴロゴロいるのか? 嘘だろ、テレビドラマでもあんな奴らが並んでいるのは見たことねぇ。

 もしかして、俺は受験のプレッシャーに耐えかねて、夢でも見ているんじゃないのか。

 そんな間抜けなことを考えている間に、彼らは校舎へと歩き去って行った。

「……龍一、っていうのか、アイツ」

 金髪の大男が龍一。友人のアイドルみてぇな方が、悠斗、だったか。

 好みとしては、龍一だが――って、何だよ、好みって。

 待て、落ち着け、俺はホモじゃねぇ。そういう気は全くねぇかんな。

 ただ、俺が夢見たような、理想的な強くてカッコいい男ってのを見ると、どうしようもなく憧れみたいな感情があるってだけで……ああ、ちくしょう、余計なこと考えてる場合じゃねぇだろが!

「ふぅー」

 深く深呼吸して、精神統一。

 グダグダと考え込んでいる内に、気づけばもう受験会場の教室で座っている。もうあと五分もしない内に、試験は始まる。

 いよいよ本番だ。やれることは全てやった。あとは、男らしく正々堂々、受けてやろうじゃねぇか!

「うー、お願いします、お願いします……」

 クソっ、隣のチビがこの期に及んで女々しくお祈りしていて、気が散る。

 女々しくっつーか、女子ならまぁしょうがねぇ……って、コイツ、学ラン着てやがる。お前男かよ。

 何だよその面は、男か女か小学生か紛らわしい。男のくせに半端に髪長くしてんじゃねぇぞ。俺はこういう軟弱な奴は、見るだけでイラつく――

「それでは、試験を開始してください」

 チクショウ、これで落ちたら、呪ってやるぞこのチビっ子め!




「……はぁ」

 無事に、試験は終了した。最初こそ大いに気が散ったものだが、いざ始まれば、終わるまではあっという間だったな。

 手ごたえはあった。これまでの努力の成果は、出しきれたと思う。もしこれでダメだったら、俺の実力はそれまでだったと、納得できるだけの出来だった。

「――ああ、終わったよ。明日は朝イチで新幹線乗って、すぐ帰るから」

 とりあえず親に報告しつつ、宿泊しているホテルまで歩いていく。夕方になった今は、朝ほど冷え込んじゃいねぇが、それでもやっぱ寒ぃ……

「うわぁ! や、やめてください!」

 不意に聞こえたのは、情けない男の声だった。俺の空耳じゃなけりゃあ、すぐそこの路地裏から聞こえた気がするんだが。

「なぁ、オメー白嶺受けにきた奴だろ?」

「その制服、地元じゃねぇよなぁ」

「ってことはさぁ、ちょっとしたお小遣い貰って、ここに来てんだよなー?」

 通りがかりに見れば、何ともまぁ見事なカツアゲの光景が広がっていた。

 如何にも不良といった風体の三人組が、デブの男子を囲んでいる。台詞から察して、奴らは上京してきた受験生なら小金を持ってると踏んで、絡んでいるらしい。

「うぅ……す、すみません、許してください、マジで……」

「おいおい、そんなにビビんなって」

「安心しろや、ちゃんと帰りの電車代は残しておいてやっからさ」

「だから、さっさとだせよ、デブ――オラッ!」

 ヤンキーの一人が、デブに向かって膝蹴りを喰らわせていた。大した勢いも、体重も乗っていない、下手くそな膝蹴りだが、デブは苦しそうな呻き声を上げていた。

 まったく、情けない奴だ。体のたるみは心のたるみ。太ってるというだけで、アイツのだらしなさってのが分かる。

「おい、その辺にしとけよ、テメーら」

 だらしない奴は嫌いだが、群れてカツアゲなんぞするような根性曲がった奴は、もっと嫌いだ。

「あ? なにコイツ」

「誰だよテメーは」

「このデブちんのお友達っすかー?」

「うるせぇよ。目障りなことしてねーで、さっさと失せろヤンキー野郎共!」

 俺のストレートな挑発の言葉に、ヘラヘラ笑っていた三人の雰囲気が変わる。

「なに、ヤル気? ヤル気なのコイツ?」

「オメーもこの辺の奴じゃねぇな。誰に喧嘩売ってんのか、分かってねぇわコイツ」

「キレちったよ、久しぶりに……」

 三人とも全力でガンを飛ばしてくる。

 注意が俺に向いた隙をついて、絡まれていたデブはダッシュで逃げてった。意外に機転の利く奴だ。恩知らず、とは言わねぇよ。

「このハゲは俺がヤルわ」

「ハゲじゃねぇ、坊主だ。目ん玉腐ってんのか」

 三人の内の一人が進み出てきた。短気、ってよりも喧嘩に自信アリって感じだな。まぁ、三人の中では一番背が高いし、俺よりも確実にデカい。

 だが、ヒョロっとした体型で、それほど鍛えているようには見えねぇな。

「……お前、空手やってんの?」

「今更ビビってんのかよ、ヤンキーのくせに」

 すでに構えをとった俺を見て、ヤンキーが言う。別に馬鹿な不良でも、この構えを見れば察しがつくか。

「格闘技やってる奴って、素人に手ぇ出したらダメなんだろ?」

「なんだ、もうボコられた時の心配してんのかよ」

 俺はとっくに黒帯だし、勿論、喧嘩沙汰がバレたら色々とマズい。下手すれば、白嶺学園に合格しても取り消し、なんてことにも……けど、俺も男だ。ここまで来て、退けるワケがねぇだろが。

「マジでムカつくなこのハゲ……殺すわ、マジ殺す」

 そう言って、ヤンキーはナイフを抜いた。

 バタフライナイフだ。小ぶりの刃ではあるが、本物。触れれば肌は切れるし、突けば簡単に刺さる。

 クソが、マジかよコイツ、刃物を持ち出すなんざ、思ってたよりもイカれてやがる。

「テメー、マジで殺すかんなぁ」

 右手に握ったナイフをひらひらさせながら、ヤンキーはジリジリと間合いを詰めてくる。

 流石に、刃物を持った相手とやりあった経験はない。

 チクショウ、ビビってんじゃねぇ……たかがチンケなナイフ一本じゃねぇかよ。こんなヒョロいヤンキー野郎に、俺の空手が負けるかよ!

 けど、あんなナイフでも、当たりどころが悪ければ、本当に死ぬ。

 死ぬかもしれない。もう、ただの喧嘩じゃない、死闘。

 勝てるのか。俺は……空手から逃げた俺なんかが、本当に、勝てるのか――

「オラァッ!」

「っ!?」

 目の前を、ギラついたバタフライナイフの刃が横切って行く。

 危ねぇ、ギリギリで避け、

「シャアッ!」

 足に、衝撃と鈍い痛みが走る! なんだ、くそっ、蹴られたのか!?

「ぐうっ!?」

 予想外のダメージに、体が揺らぐ。けど、倒れるほどじゃねぇ。体勢を立て直し、

「シャアッ! ラァッ!」

「くっ」

 ブンブンと目の前で振り回されるナイフに、腰が引ける。半端に崩れた体勢の中で、一撃必殺も同然な刃が振るわれて、俺はいつものように体が動かなかった。

「シャオラァッ!」

「ぐはっ!」

 そして、再び痛烈な蹴りを足に受け、ついに俺はダウンを奪われる。ドっと冷たい地面に倒れ込んだ、と同時に、すかさず腹に追撃の蹴りが飛び込んでくる。

「うっ……くぅ……」

「オラ死ね! 死ねよハゲこらぁ!」

 倒れ込んだまま、何度も叩きこまれる蹴り。腹を顔を、ガツンと蹴られ、踏まれ……それでも、止まることはない。これは、試合じゃなくて、喧嘩なんだから、当然だよな……

「フゥー、弱ぇー、弱ぇよコイツ。口だけハゲ野郎だわ、ぎゃはは!」

 もう、威勢のいい挑発の台詞など、言えるはずもなかった。

 弱い。確かに、その通りだ。こんな無様を晒して、強いだなんて言えるワケがねぇ……チクショウ、ナイフにビビってこのザマかよ。

 このヤンキーは、ナイフで刺す気はなかった。今更気づく。コイツはこれ見よがしにナイフを振りかざして、相手の隙を作っていた。そういう戦法なんだ。

 俺が目の前で振り回されるナイフに注意を向けたことで、コイツは思いっきりガラ空きになった足元にローキックを叩きこめる。

 こんな安直な方法で、二度も蹴りを喰らって、俺はあっけなくダウン。言い訳のしようもないほど、俺の負けだった。

「うぅ……く、くそっ……」

「なぁ、コイツも白嶺の受験生っぽいよな?」

「デブちんの代わりに、貰っといてやるか」

「なに温いコト言ってんだよ、このハゲは金だけで許せるワケねーだろが」

 好き勝手なことを言いながら、俺の懐や鞄を勝手に漁り始めたヤンキー野郎共。けれど、もう俺には反撃するだけの力も気合いも、残っちゃいなかった。

「そんじゃあ、もうちょいボコっとく?」

「とりあえず前歯でも折っとくか」

「おっ、スマホ発見! そうだ、コイツのフルチン撮って全員に送ってやっか。受験記念でーっす、とか書いてよ」

「ぶはは、いい! それいい!」

「マジ鬼畜! 俺ならそんなことされたら生きていけねーわ」

 奴らの下品な笑い声を聞きながら、戦慄する。空手という格闘技をやってる以上、多少の痛みに泣き言は言わねェ。けど、クソっ、ふざけんな、お前ら、やめろ!

「おらっ、早く脱がせよ!」

「ちょっ、俺がやんのかよ」

「しょうがねぇな、お前らちょっと足押さえてろよ」

「や、やめろ……やめろぉ……」

 二人がかりで抑えられれば、大した抵抗はできない。あっけなくベルトは外され、スラックスが強引に下ろされ――

「君たち、もうその辺で止めておいた方がいい」

 よく通る男の声が、響きわたった。

 良かった、助けが来てくれた! そう思うと同時に、とてつもない嫌悪感を抱く。なんて、情けねぇ……

「ああ? 今度は誰だよ」

「ただの通りがかりさ。けど、少しばかり見過ごせない状況のようだからね。警察にはもう通報したし、君たちは早くどこかへ行った方がいいんじゃないのかな」

「警察? はぁ、アホかよ。ポリにビビってこんなことやってられっかよ」

「テメーも地元の奴じゃねーな。俺ら黒高だって、知らねぇよのかよ」

 どこの底辺高校だか知らないが、コイツらは普通に喧嘩でナイフを持ち出すようなイカれぶりだ。警察に通報した、なんていう程度で、大人しく引き下がるとは思えねぇ。

「そうかい、それじゃあ残念だけど、実力行使をしなきゃいけないのか」

 ヤンキー共が退く気をみせないのは分かっているだろうに、その男もまた退かなかった。

「おっ、なに、お前もやんの?」

「気を付けろ、コイツこのハゲよりはガタイいいぞ」

「はっ、舐めんなよ、喧嘩はガタイじゃねぇーんだよ」

 俺を倒したことで調子に乗っているのか、あのナイフ野郎がまたしても前へ出る。

 対する、助けに入った男は、

「私は柔道をやっている。君たちのような素人では、勝てないよ」

 ただのハッタリではなさそうだ。ヤンキーが言ってたように、コイツはかなりガタイがいい。背もかなり高いし、幅もある。熊のような大男。それも、ただデカくなっただけじゃない。鍛えている。相当に、多分、俺よりもずっと。

 見たところ、穏やかそうな細めの丸眼鏡をかけた彼は、明らかに俺よりは年上。高校生か、いや、大学生かもしれない。

「ははっ、空手の次は柔道かよ。いいぜ、テメーもぶっ倒せば、箔がつきそうだなぁ!」

 威勢よく叫びながら、やはり、バタフライナイフを抜いた。

 そうだ、格闘技をやっているといっても、刃物を持った相手に対抗できるかどうかは、また別の問題だ。所詮、現代では格闘技なんてスポーツの一種に過ぎないからな……

「ふむ、ナイフなんて持ち出されてしまっては、コチラも手加減はできないよ。覚悟はいいかい?」

「馬鹿がっ! 覚悟すんのテメぇのほっ――おごぉ!?」

 多分、ナイフ野郎が柔道男に向かって、接近しようとしていたんだと思う。けど、駆け出したその一歩目で、足が止まる。

 お互いに、まだ手が届くような間合いじゃない。だというのに、ナイフ野郎は悲鳴をあげてよろめいた。

 間合いの外から攻撃が飛んできた。遠距離攻撃。

 要するに、柔道男は、石を投げつけていたんだ。

「なっ、おい、テメェなに石なんて投げてんだよ!?」

「汚ねぇぞ、柔道どうしたオイ!」

「何を言ってるんだい、これは喧嘩だろう? ルール無用。ナイフも使うなら、石を投げたっていいだろう」

 穏やかな微笑みの表情を浮かべながら、柔道男は頭に石を喰らってよろめくナイフ野郎へ悠然と近づき、その襟首を掴んだ。

「では、ご期待に応えて、柔道らしい技を見せようか」

 見事なまでの、背負い投げ。

 ナイフ野郎は綺麗に背中からアスファルトの路面に叩きつけられた。この固い地面に、ロクに受け身もとれずに……どんだけの威力だ、俺でもゾっとする。

「かっ、ひゅっ……ふっ……」

 ナイフ野郎は、金魚みたいに口をパクパクさせながら、妙な呼吸音を漏らしていた。分かる、アレは相当に苦しい状態だぞ。

「それで、次はどちらが相手になってくれるのかな?」

「おい、ヤベぇ」

「ヤベェぞコイツ」

 派手に返り討ちにあった仲間を見て、二人のヤンキーは完全にビビっていた。戦意喪失は一目で分かる。

「ふむ、ヤル気がないなら、さっさと彼を連れて退散してくれないかな。警察を呼んだのは本当だし、グズグズしていると面倒なことになるよ」

 これ以上は、意地を張っても痛いメを見るだけだと、流石にヤンキーでも思ったのだろう。二人は苦しそうに呻くナイフ男を支えながら、路地裏の向こうへと立ち去って行った。

「君、大丈夫かい? 危ないところだったね」

 大きくて、強くて、逞しい。俺が望んだ、強い男、ってのを体現するような人に助けられて、俺は心の底から情けなくて、悔しくて……けれど、どこか嬉しくて。

 きっと、あっけなくナイフ野郎に負けた俺は、この時に男のプライドとか意地とか、そういうのを失ったんだと思う。

 だから、そんな時に助けられた、この柔道男との出会いは運命だったに違いない。

 杉野貴志、という彼の名前と、実は俺と同い年の受験生だったということを知ったのは、桜の舞う白嶺学園の入学式で再会した時だった。

第166話 遺跡街のボス(1)

 それなりの日数をかけて突き進んできた遺跡街だけれど、いよいよゴールが見えてきた。

「どうやら、あそこがボス部屋で間違いないみたいだ」

「うん、そうだね」

 ほとんど深い森と化した遺跡街だけれど、この辺はかなり高いビルが乱立していて、元々は中心街だったのだろうと思われる。

 ここなら宝箱も沢山ありそうだけれど、オープンワールドの洋ゲーみたいに延々と探索していたら時間がいくらあっても足りない。なので、この辺からはほぼ目的地に向かって真っすぐ進んできた。

 そんな高層建築の森の中において、ボス部屋があると思しき建物は、随分こじんまりとしている。高さも5階程度で、ビルにも木々にも埋もれるようだ。

 けれど、魔法陣コンパスは確かにここを指し示し、何より、他とは違う、異様な気配というか、淀んだ魔力のようなものを感じられた。

「レム」

「グゴゴ」

 ややくぐもった返事をあげて、レムが先行してボス部屋ビルへと突入。

 現在のレム初号機は、ポーション入りの宝箱を守っていたリビングアーマー三体の素材をふんだんにつぎこんで、更なる強化を果たしている。

 ゴライアスから得た鋼の筋肉を持つ肉体に、黒い重厚な甲冑を纏い、見た目は完全にリビングアーマーの同類となっている。どこからどう見ても、立派な黒騎士だ。

 ただ、奴らの中身は空っぽだけれど、レムはちゃんと中身が入っている。あのブリキのバケツみたいなフルフェイス兜の奥には、鬼のような髑髏フェイスがあり、爛々と赤い眼光を放っている。

 装備の方は、大剣と大槍、メイスと盾のセット、全てそのまま拝借した。

 残念ながら、僕が使える『簡易錬成陣』程度では、この品質の高い鋼鉄の武器を強化するだけの加工力はない。『賢者』小鳥遊小鳥の錬成なら、ここから魔法の武器にすることもできるのだろうけど、まぁ、これが初期スキルの限界ってところ。

 特に強化はしなくても、リビングアーマーの武器は優秀だ。それを扱う膂力さえあれば、十分に頼れる頑丈な武器だ。そして、欲張りに三体分の武器を全て装備したレムの力は、文句なしに歴代最強であろう。

 そんな黒騎士レムは、盾とメイスを手にビルへと入っていった。屋内となれば、リーチの長い大剣と槍はあまりよろしくない。なので、取り回しやすいメイスを選んでいるのだと思う。

 けど、この武器選択も別に僕が指示したワケではなく、レムが自分で判断して持っているのだ。やはり、レムはスケルトンと違って、自分でモノを考えられるお利口さんである。

「グゴ、ガガガ」

「敵も罠もナシ、か。よし、僕らも行こう」

「うん」

 レムに続いて、僕とメイちゃんもビルへ入った。エントランスはその辺と変わったところはない、ただの伽藍堂。残念ながら、宝箱は置いてない。

「ボス部屋は、地下にあるっぽいな」

 コンパスは明らかに、床の下を指している。となれば、まずは下へ降りる階段を探さなければ。

 ビルの内部は、部屋も通路も、やはりどこも変わり映えがしない。本当にここであっているのか、と若干不安になるくらい、何の変哲もない廃墟ぶり。

 おまけに、ハイゾンビの一体すら出てこない、静かなものだ。

「小太郎くん。多分、この下じゃないかな」

「うん、それっぽいね」

 メイちゃんが一階で階段を見つけてくれた。目立たない避難用の階段なのか、それとも隠し階段だったのか、フロアの隅っこにあって、壁で囲われていた形跡があった。今はすっかり囲いは崩れて、ただ端の方に階段があるのは丸見えだったけど。

「それにしても、目立たない建物に、秘密の地下とは、あんまり良い予感はしないね」

 ハイゾンビというゾンビ系モンスが跳梁跋扈するエリアだと思えば、ここはゾンビパニックを引き起こした黒幕組織の秘密研究所……みたいな設定が頭に思い浮かんでくる。そもそも、このダンジョンそのものが秘密の地下施設のようなもんだけど。それにハイゾンビは所詮、ダンジョンの中では底辺階級なので、その存在には大したインパクトもない。

 そんなことを考えながら、僕らは何のトラブルもなく、ボス部屋へと辿り着いた。

「なんだか、この辺は普通のダンジョンと変わらない雰囲気だね」

 地下に降り立った、メイちゃんの感想には同意する。

 遺跡街の建物は無機質なコンクリっぽい感じだったけれど、ここは僕らが最も見慣れた石造り風となっている。急に序盤のエリアまで戻ったような気分だ。

 けれど、ここのボスは間違いなく、この先に待ち構えている。開け放たれた暗い広間の向こうから、はっきりと魔力の気配が漂う。

「それじゃあ、ここでちょっと休んで行こう」

「うん」

 明らかに不気味な気配と存在感を放っているボスのことは放っておいて、休憩も兼ねてしっかり準備をさせてもらおう。気分は、ボス戦手前のセーブポイント。

 どうせお前ら、ボス部屋から出てこないだろう。だったら、ここでノンビリしててもいいじゃないか。それに、ボスなんて僕らが訪れるまで、永遠に待機状態だったんだろ? なら、その待ち時間がちょっとばかり伸びて、一体何の不都合があるんですかね。

「小太郎くん、お茶沸いたよ」

「ありがとう」

 謎ハーブを煎じたお茶モドキを飲みながら、ハチミツ団子を食べる。うん、やっぱり、甘いモノがあるってのはいいよね。脳に糖分も補給できるし。それに甘味があると、この微妙な風味のハーブティーもそれなりに美味しく感じるよ。

 ふぅー、と一服しながら、ボス戦前に最後の戦力確認をしておく。

 まずは、最強のエースにしてメインアタッカー、『狂戦士』メイちゃん。

 彼女の武器は、これといって更新はない。メインウエポンは『黒鉄のナイトハルバード』と『ダークタワーシールド』のままだ。元々、リビングアーマーの鹵獲品を小鳥遊小鳥が錬成して強化した一品だから、これを越える性能の武器が手に入るとするならば、それこそリビングアーマーのボスでもないと無理だろう。

 ただ、桜井君との戦いで、盾には何か所か穴が空いてしまっている。この分厚い大盾を貫通するとか、本当にヤバい威力だよ。ともかく、穴をそのままにしておくのもアレだったので、ひとまず僕が『簡易錬成陣』で応急処置は施しておいた。

 あまりに硬い素材、あるいは魔法の性質的なせいか、『簡易錬成陣』で加工できるモノには限りがある。具体的には、この『ダークタワーシールド』を構成する漆黒の金属はピクリとも反応しなかった。僕が頑張って扱えるのは、ただの鉄くらいまでだ。なので、盾の穴はゴーヴの剣の刀身を利用した、鉄で塞いでいるだけである。

 こんなのでも、やらないよりはマシだろう。

 それと、メイちゃんにはサブウエポンで呪いの武器みたいに不気味な気配を発する『八つ裂き牛魔刀』がある。桜井君を殺したのも、この剣らしい。切れ味抜群で、使い心地も良いと、メイちゃんお気に入り。やっぱり、元々は自分の包丁だったからかな。

 装備の更新はなくても、現状でも十分以上に通用する武器だと思っている。前のボスである、ゴライアスなんて瞬殺だったしね。

 次に、レム。初号機は、リビングアーマー風の黒騎士にアップグレードできたワケだけど、三号機の方もちょっとだけパワーアップできている。余ったリビングアーマーの装甲を取り込んで、今までのように各所に鎧を形成していた。

 三号機の装備は、初号機の武器をそのままおさがりとして流用。ただ、黒騎士と化した初号機とのスペック差が広がったので、肩を並べて前衛よりも、弓をメインにした方が効率的じゃないかと思ったり。まぁ、状況次第だけどね。

 二号機であるアラクネも、ちょっと久しぶりに輸送コンテナこと宝箱を背中から下ろして、戦闘に集中してもらう。

 それから、ボスに挑む前に『愚者の杖』でスケルトン部隊を召喚して、武装もさせておく。といっても、アラクネの輸送量にも限度があるので、人数分の剣しかないけれど。それでも、普段は丸腰だから、剣を持ってるだけかなりマシだろう。

 さて、あとは僕だけど、真っ当な武器として使えるのは、いまだに『レッドナイフ』と、あとは最大攻撃力として『樋口のバタフライナイフ』だけだ。

 ただ、今のメインウエポンと言うならば、やはり『愚者の杖』になるけれど。さて、どの髑髏を装填するのが一番いいだろうか。

「うーん、ガチバトルなら、やっぱり『呪術師の髑髏』かな」

 その魅力はやはり、『ポワゾン』の圧倒的な攻撃力。『付加エンチャント』で味方の武器に毒をプラスできることも加味すれば、戦闘そのものでは『呪術師の髑髏』で得られるスキルが最も有用だ。

 というか、スケルトン部隊を召喚するには『召喚術士の髑髏』が必要だけど、その後は別に杖がなくても命令と操作はできるから、戦闘中になれば髑髏は変更した方が良かったりする。

 それにしても、本当に戦力が充実してきたものだ。メイちゃんに、レムが三機、そしてスケルトン十三体と、人数だけならかなりの大所帯。ボス部屋って、こんな人数で雪崩れ込むような場所だっけ。

 まぁいいさ、この数も含めて、今の僕らの全力だ。

「そろそろ、行こうか」

「うん」

 まるで、ちょっと立ち寄っていた喫茶店を出ていくような気軽さで、メイちゃんは立ち上がる。その全く緊張を感じさせない頼もしい背中に続いて、僕はいよいよボス部屋へと踏み入った。

「これはまた、趣味の悪い広間だね」

 案の定、ボス部屋は広間となっているのだが……その辺に突き立っている円柱が、妙に捻じれている。壁には、蔦なんだか蛇なんだか、よく分からんウネウネした気持ち悪いレリーフがビッシリと掘られていて、ずっと見ていると気分が悪くなりそうだ。

「大丈夫だよ、戦うのには邪魔にならないし」

 デザイン面ではなく、戦闘における立ち回りのことしか考えていないメイちゃんは、すっかり立派な狂戦士だ。ダンジョンで出会ったばかりの頃だったら、この邪神の神殿みたいな禍々しい内装に、ワンワン泣き出してしまっていたもしれない。ハハッ、そんな姿、今ではもう想像できないよ。

「確かに、悪趣味なデザインってだけで、特別に何か仕掛けがあるワケではなさそうだけど……お?」

 キョロキョロと広間を見渡していると、薄暗い奥の方から、ヒタヒタと静かな足音をたてながら、大きな人影が歩み出てきた。ボスのお出ましだ。

「見たところ、ハイゾンビのボスってところか」

 筋線維剥き出しの不気味な赤い体に、白っぽい甲殻が張り付いた姿は、すっかり見慣れたハイゾンビと似ている。ただし、ボスはかなりデカい、身長3メートルは軽く超えているだろう。

 体型はマッチョ、というか、やけに上半身が肥大化しているような感じだ。これでもかと筋肉の鎧を束ねた分厚い胴体と、ギチギチに張りつめた野太い両腕は、見るからにパワー系である。

 なんだか、コイツもゾンビ撃ち殺す系ゲームで見たことあるようなデザインのボスだった。

「メイちゃん、どう?」

「力は強そうだけど……圧倒的という感じはしない、かな」

 彼女がそう感じたのなら、その程度の実力のボスなのだろう。

 なんといっても、メイちゃんは蒼真パーティ在籍中には、パワーもテクニックもあるリビングアーマーのボスと戦い、さらにはゴグマ四天王と四本腕の大将ゴグマにストレート勝ち、という経験がある。

 実はボスの強さって、パーティの強さに合わせて設定しているのでは、と思ってしまうほどの強敵揃いだったワケだ。でも、今は僕と組んでいるお蔭で補正でも働いたのか、現れたのはハイゾンビのボス。

 コイツなら、それほど苦戦せず順当に勝てるのではないだろうか――などと、思った矢先である。

「ムォオオオ……ヒョォオアアアアアアアアアアッ!」

 膨れ上がったマッチョのくせに、オカマみたいな甲高い男声で、ボスが絶叫を上げた。戦闘開始の合図か何か、かと思いきや、

「ウォオオオオオオオ!」

「アァアアアアアアアアアッ!」

 物凄く聞き覚えのある、元気の良い雄たけびが、広間一杯に響き渡った。

「こ、コイツ、まさか――」

 不気味なデザインの捻じれた柱から、気持ち悪い壁のレリーフから、俄かに赤いラインの歪な魔法陣が浮かび上がり、ハイゾンビが這い出てくる。

 コイツらは、やっぱり魔法陣で召喚されてはダンジョンに解き放たれていたのか、なんてことよりも、奴らが出てくる魔法陣の数は……ざっと見て、十を超えている!

「クソっ、雑魚が湧くタイプのボス戦なのか」

「小太郎くん、下がって」

 少しだけ心配そうな視線を、チラっと僕に送ってくれるメイちゃん。

 ボスと同時に、ハイゾンビ共も一緒に襲われれば、僕の身は危うい。

 でもね、ゲームだとこのテのギミックのボスっていうのは、後手に回ったらジリ貧になるものだ。だって、雑魚敵はどうせ無限湧きだろうから。

「メイちゃんとレム、二人でボスを倒して」

「でも、それじゃあ小太郎くんが」

「僕は残りで何とか凌ぐ。というか、ハイゾンビを受け持つから、その間に一刻も早くボスを倒すんだ!」

「うん、分かった!」

「グルル、ゴガアアッ!」

 僕の指揮を信じてくれるメイちゃんは、二つ返事でハイゾンビボスへと向かって行った。そして、そのすぐ後ろには黒騎士なレム初号機が続く。

 ボスに対する短期決戦を狙うなら、最大戦力をぶつけるしかない。初号機まで僕の下から離れさせるのはかなりの不安があるけれど、この状況下では時間がかかればかかるほど、不利になるのは僕らの方だからね。

 というワケで、エース不在の僕は死ぬ気で防衛戦である。

「それでも、慣れた相手が湧くだけ、マシってものかな――広がれ、『腐り沼』!」

 まずは、多少なりとも地の利を得るために『腐り沼』を展開。退路はないし、必要もないから、僕は壁を背にして、前方全てに沼を広げた。

 ハイゾンビは全力疾走かつ痛みを感じないので、『腐り沼』とはあまり相性がよくない。奴らは平気で数メートルは毒沼を渡ることができる。少しばかり足が溶け落ちた程度では、決して止まらない。

 だから遺跡街ではほとんど使わなかったけど、全く効果がないワケでもないんだよね。

「ァアアア――オヴァァアアアッ!」

 さて、間抜けな野郎が早速、盛大な毒の飛沫をあげて沼に頭っからダイブしてきたぞ。バシャーンと派手に水面を滑るハイゾンビは、相変わらず絶叫を上げているが、流石に全身が溶けていくと痛みなり危機なり感じるものなのか、その声は若干、苦しそうな雰囲気である。

 ハイゾンビは一途な乙女のように、僕らを見かければ真っ直ぐに走り寄ってくる。つまり、足元はかなり不注意なのだ。

 階段ほどの段差があれば、認識してジャンプしたり駆け下りたりもするけれど、毒沼の水面ギリギリで水草のようにユラユラと黒髪触手を漂わせているくらいなら、奴らは全く気に留めない。というか、気づきもしない。

 そして二足歩行の人間型が、全力疾走中に縄に足が引っかかればどうなるか。その答えが、くだらないバラエティ番組の罰ゲームみたいにスっ転んでいるハイゾンビの姿というワケだ。

 ついでに、ハイゾンビにはあまり仲間意識ってのはない。人のフリを見て、我がフリを直せない低能野郎共だ。だから、お仲間が明らかに足を引っかけて転んでいるにも関わらず、俺は絶対大丈夫だし、とでも言うように自信満々にダッシュしてくるんだよなぁ。

「アバァアアアアッ!」

「ウギョォオアアアアッ!」

 前後左右で派手にクラッシュしているハイゾンビ達。とりあえず、先陣を切って駆けこんできた奴らに関しては、ほぼ『腐り沼』だけで止めることができた。

 転んだ奴らは、適度にレム三号機とスケルトン部隊が頭を刺して処理。ついでに、可能な限りは毒沼から死体を避けておく。

 毒沼を死体で埋めて突破口にするのは常套手段というか、群れる奴らが大挙してくるといっつも発生するからね。今はスケルトンという人手もあるから、多少は死体除去作業もはかどるけれど……うーん、やっぱり、それだけで凌げるほど甘いウェーブではなさそうだ。

「参ったな、召喚速度が思ったよりも早い」

 ハイゾンビの第一陣を粗方倒しはしたが、壁と柱の召喚魔法陣は現在進行形で稼働中であり、次々と新たなハイゾンビを送り込み続けている。

 このテの雑魚召喚システムってのは、幾つかパターンがあるものだ。

 召喚数が決まっているもの。召喚速度は一定で無限湧き。召喚速度あるいは召喚タイミングに時間差があるもの。最悪なのは、プレイヤーの実力に応じて、さらに追加召喚するようなタイプだ。

 つまり、大量の敵を一網打尽にしても、召喚魔法がヤル気を出してさらに大量の雑魚を投入してくる、という場合もありうるってこと。そうなると、適度に数を残しつつ防戦するか、または、殺し切らずに無力化させて放置すると、召喚魔法の感知システムを誤魔化せて召喚を防げる、なんてこともできるはずだけど……ボス戦の攻略ウィキでもあれば、正確な情報が分かるのだけれど、そんなのあるわけないし、リアルタイムで分析して予測していくより他はない。

「なんか召喚を止める裏ワザでもないかな」

 ハイゾンビの第二陣が駆け込んでくる。毒沼から片付けられた死体は半分程度。ということは、さっきよりも多くの奴が沼を渡って来られるだろう。

 レム三号機と剣を構えるスケルトン部隊が、駆け込んでくるハイゾンビを迎え撃つが、その討伐速度はさっきよりも明らかに落ちている。

 転んで毒沼に捕らわれた奴にトドメを刺すのは簡単だけど、貧弱なスケルトンは真っ向勝負となるとキツい。僕が触手で援護して、ようやく一体切り伏せることができるかという程度。

 早くも、二体ほどはハイゾンビに捕まれて揉み合ってるところも発生し始めた。

 全く、数の有利はこちらにあると思ったのに、まさかそれを遥かに上回る数の暴力を喰らうことになるとは。

「ちくしょう、まだどんどん召喚してるのかよ」

 ハイゾンビの召喚速度に、変化が見られない。こちらの処理速度が落ちているにも関わらず、同じような数を呼び出しているということは、ハイゾンビの討伐状況に応じて変化することはない、と考えていいだろう。

 召喚速度が一定であり、かつ、僕らの処理速度の限界を上回っていれば、敗北は確定。この調子で行けば、三分と経たずに奴らの数に押し潰されそうな気がする。いかん、思ったよりももたないぞコレは!

「メイちゃんは――」

 チラっとボス戦のメイン会場を見れば、メイちゃんがちょうどボスに一太刀を浴びせているところだった。

 肩口から袈裟懸けに、ハルバードの刃が切り裂いていく。血飛沫を上げて、深々と斬撃を喰らったボスは大ダメージのはず……なんだけど、切り裂かれた断面からは、すぐに鮮血の代わりにウネウネとしたタコ足みたいな触手が何本も飛び出て来た。

「キョォアアア、クェエエエエエエッ!」

 奇妙な絶叫を上げながら、ボスはその体から野太い触手を何本も生やす、更なる異形の姿と化して、戦いを続行していた。

「クソッ、高速回復の上に変形かよ! 今はそういうクソ面倒なギミックいらないっての!」

 剛腕と触手を振り回して元気よく暴れ回るボスの姿に、メイちゃんも苦々しい表情を浮かべていた。

 どうやら、今のように切ったところから触手が生えて再生、というのはすでに何度か目の当たりにしているようだった。よく見れば、ボスの足や脇腹にも、触手が生えている。

 どこを切っても、平然と再生をかましてくる。おまけに、触手が増えて攻撃面でも防御面でも厄介になる。下手なダメージはかえって相手を強化しているだけだ。

「まずい、まずい、これはボス戦も長引くぞ……」

 僕らがボス戦に勝利するためには、まず僕がハイゾンビ軍団をそれなりの時間凌ぎつつ、さらに高速再生能力持ちのボスを倒し切る方法も考え出さなければいけないということだ。

 あれっ、もしかして今回、詰んでない……?

第167話 遺跡街のボス(2)

 あれっ、もしかして今回、詰んでない……?

 いや落ち着け、まだ手は残っている、というか、これから打開策を試すんだ。

 今の僕にこれ以上、ハイゾンビを素早く処理する攻撃力はない。呪術師はいっつも火力不足だけどな。というワケで、まずは奴らの湧きを抑える方向性で考えるべきだろう。

 この異世界の召喚魔法については、最近スケルトン召喚を使えるようになった程度で、詳しいことは分からない。分からないけど、とりあえず魔法陣を塞いでみたらどうよ?

「いいか、アラクネ、まずはあの柱から狙う。合わせて狙ってくれ。1、2の――『蜘蛛の巣絡み』!」

 3の叫びを省略して、僕とアラクネは手近な柱を狙って全力で蜘蛛糸の束を撃ち出す。

 ねじれた歪な柱からは、ちょうど新たなハイゾンビが湧き出たところで、毒々しい赤い召喚陣から、上半身が起き上がっている。そこに、僕とアラクネの蜘蛛糸が殺到する。

「グゥウウ、オォオアアアアッ!」

 全力ダッシュする気満々で呼ばれたところに、粘ついた蜘蛛糸が覆いかぶさり、大いに不満を抱いているのか、ハイゾンビは激しい叫び声をあげながらもがく。でも、それだけだ。

 この蜘蛛糸は火には弱いけれど、物理的な衝撃にはそこそこ強い。ハイゾンビのパワーがあれば、引き千切るのも不可能ではないが……奴らは手足をバタつかせる程度しかできないアホである。ただ腕を振り回すだけでは、蜘蛛糸の持つ伸縮性を振り切って引き千切ることは、永遠にできはしない。

 ハイゾンビを縛り付けておくには、蜘蛛糸はかなり相性のいい材質なのだ。

「これなら一人でも行けそうだ。アラクネは向こうの壁を狙って!」

「シャアアアッ!」

 僕は隣の柱を、アラクネは反対方向で魔法陣を浮き上がらせる壁に向かって、それぞれ次の蜘蛛糸を放つ。ハイゾンビを縛る糸の量は半減だが、奴らをしばらくその場に括り付けているには十分な耐久度はあるはずだ。

 これで、次のハイゾンビの召喚が止まれば大成功なんだけど……

「まぁ、流石にこれで止まるほど、ポンコツなワケないよね」

 やはりというか何というか、縛り付けたハイゾンビを押しのけるように、次の奴が新たに召喚される。魔法陣の上に障害物がある程度では、召喚が中断されることはないようだ。

 召喚陣は機能を失うことなく、新たなハイゾンビを供給し続けるが……しかし、召喚された二体目のハイゾンビも、その場で蜘蛛糸に引っかかって止まっていた。

「これ、別に召喚そのものを止めなくても、普通に足止めになっているのでは?」

 いや、なってる、十分な足止めができているぞ!

「よし、アラクネ、かたっぱしから召喚陣を糸で塞げ! 三号機は増援が止まっている間に奴らを片付けろ!」

「キシャアア!」

「グガガ!」

 元気のいい返事を上げて、レムは役目を果たす。蜘蛛糸の行使だけに集中すれば、僕よりもアラクネの方が優れている。何と言っても、コイツは口と手と尻の三か所から、糸を繰り出すことができるのだから。

 射出された糸は次々と柱と壁の召喚陣を塞いでゆき、追加のハイゾンビを縛り付ける。次の奴が召喚されたとしても、蜘蛛糸の拘束を脱するにはそれなりの人数が必要となるだろう。一つの魔法陣が、五体ほどのハイゾンビを召喚しきるまでには、何秒かかるだろうか。そして、その猶予の間に、僕らがすでに暴れ回っているハイゾンビを減らしていけば――

「ヴォアアアアアアッ!」

「ええい、邪魔すんな、『ポワゾン』!」

 まだ数の有利が傾くハイゾンビ、その内の一体が三号機とスケルトン部隊をすり抜けて僕へと肉薄してきた。けれど一体程度ならば『呪術師の髑髏』を装填した『愚者の杖』で瞬殺できる。いやぁ、安定して雑魚を一撃できる技があるってのは、素晴らしいことだよね。

「よし、いいぞ、流れが傾いた」

 僕は蜘蛛糸で魔法陣を封じつつも、『ポワゾン』乱射でハイゾンビを削って行く。敵の増援の勢いが止まったことで、こちらの処理速度が再び上回り始めた。

 気付いたらスケルトンの数が、ハイゾンビに袋叩きにされて半分ほどにまで落ちていたけど、髑髏を換装して召喚し直せば、すぐに補充できる。召喚魔法で雑魚湧き戦法は、こっちだって使えるんだよ。

「ふぅ、どうにか完封できるようになったな」

 暴れるハイゾンビを全て始末できれば、後は次々と湧いてはその場で食い止められている奴らを、順次処理していく作業に入る。これで完全に召喚陣による増援は遮断できた。

 なんといっても、スケルトン部隊の人数がいるから、一人あたり二つ召喚陣を担当して、囚われているハイゾンビの頭に剣をぶち込んで行けば、全ての召喚陣を封鎖できる。

 ハイゾンビの死体が増えて団子のようになってくるけど、適度に除去しつつ、アラクネが蜘蛛糸を追加していけば、召喚陣の封鎖は維持できるだろう。

「これでようやく、メイちゃんに加勢できる」

「小太郎くーん、ボス倒したよー」

「えっ! 終わったの!?」

「うん、終わったよー」

 ブンブンと笑顔で手を振るメイちゃんの後ろには……うわぁ、派手に体を切り開かれた、実に無残な惨殺死体と化したボスの姿が。体中から生えた太い触手の先っぽが、ピクピクと痙攣するように動いていて、実に生々しい。

「ねぇ、あれどうやって倒したの? 確か、凄い再生とかしてた気がするんだけど」

「うん、斬ったところからタコ足みたいなのが生えてきてキリがないから、体を開いてコアを直接抉りだしたんだよ」

 もの凄いパワープレイ。けど、相手の弱点を的確についた、有効な戦法ではある。このボス部屋にいる以上、コアという魔力の核が存在しているのも確定だし。

「レムちゃんが協力してくれたから、楽に終わったよ」

「グガガ」

 見れば、黒騎士レムは大槍でボスの体を縫い止めて、動きを封じるアシストをしたようだった。やっぱり、初号機をつけて正解だったよ。

「うん、よくやったレム。メイちゃんも、ボスを倒してくれてありがとう」

「ううん、小太郎くんがハイゾンビを引きつけてくれたからだよ」

 いえいえ、実はちょっとだけハイゾンビがメイちゃんの方に流れて行ってたの、知ってたんだよね。知ってたけど、防戦一方でヤバかったから、どうしようもなくて、ごめん。

 なんにせよ、今回のボス戦におけるMVPはほぼ単独でボスを仕留めたメイちゃんであることに変わりはない。僕はもう、彼女の足を引っ張らなければ及第点ってことで。

「それじゃあ、転移しよっか?」

「うん、そうだね」

 身一つのハイゾンビボスだから、大した素材も採取できないし。一応、肉片と骨とぶっとい触手を何本か回収しておく。

 ボス部屋の奥に、いつものように転移用の魔法陣はあった。ボスはすでに倒されたためか、ハイゾンビ共の召喚も完全手に停止している。何者かが乱入してくる気配も……ない。

 よし、大丈夫だ。万全を期して、いざ転移。

「ぎゅー」

 と、メイちゃんに抱きしめられながら、僕は転移を果たすのだった。




 ザザーン、ザザーン、と寄せては返す波の音。眼下に広がるのは、キラキラ輝く紺碧のオーシャンビュー。海、そう、海である。

「ねぇ、もしかして転移魔法の不備で、どっかの無人島に飛ばされたワケじゃないよね?」

 青い空、青い海、そしてどこまでも続く白い砂浜の光景を見て、そんな不安感が過る。

「うーん、ちゃんと妖精広場には出たから、ここもダンジョンの中……かも?」

 確かに、ボス部屋から転移すると、いつものように妖精広場には出た。で、そこから出ると、この南国リゾートのような風情が漂う、美しい海岸線が広がっているのだ。

 妖精広場は海辺を一望できる、ちょっと高い崖の上に建つ石造りの建物となっている。密林塔のように大きなものではなく、広場だけを囲った小さなものだ。

「あっ、小太郎くん、ここ間違いなくダンジョンの中だよ」

 今さっきまで疑問形だったのが、急に確信を持ってメイちゃんが言う。

「その根拠は?」

「ここ、外じゃない。海はちょうど、あの水平線のあたりまでしかなくて、そこから先は壁になってるの」

「え? 嘘、マジで?」

 改めて、雄大に広がる海を眺めてみるが……分からん、僕には全然、分からない。直感力の鋭い狂戦士のメイちゃんには分かるのだろうが。

「ともかく、ここは本物の海じゃなくて、超巨大なプールってことなんだね」

「うん、よく見ないと分からないけど、間違いないよ」

 ということは、この海も空も、壁と天井に映し出された超精巧なグラフィックに過ぎないということか。そんなギミックは今までお目にかかったことはなかったけれど、もしかしたら、森林ドームとかも、本当はこういった自然環境を投影するスクリーン機能があったのかもしれない。

 まぁ、過ぎたことはどうでもいい。重要なのは、ここが海を模したエリアだということ。

「プールでもこれだけ広ければ、きっと水棲の魔物もいるだろうな」

 水棲モンスは、地底湖でジーラとボスのワニ型リザードマンくらいしか見たことがない。ここでは、本格的な海の魔物が出現するかもしれない。どれも初見の相手になるだろうから、注意しないと。

「ボス戦を済ませたばかりだし、半端な時間だから、軽く近くの探索だけして、あとは広場で休もう。本格的な攻略は明日からということで」

「うん」

 さて、それじゃあ早速、あの白い砂浜へ行こう。




「せーの、引けぇーっ!」

「やーっ!」

「グガガ!」

 波打ち際で、僕の掛け声と共に、メイちゃんとレムが大きな蜘蛛糸の網を引っ張る。ズルズルと引き上げられた蜘蛛糸網の中には、銀色に輝く鱗を持つ魚、一匹、二匹、いっぱい。

 はっはっは、大漁大漁!

 さて、軽く周辺探索を済ませるはずが、どうして僕らは投網漁に従事しているのかといえば、そこに魚がいたから、としかいいようがない。

 遡ること二時間ほど前。

「見て見て、小太郎くん、魚がいっぱい泳いでいるよ!」

 と、子供っぽい純真な台詞を、餓えた捕食者の目で言うメイちゃんであった。

 確かに、ちょっと海の方を見ればウヨウヨと群れを成して泳ぐ魚影が確認できた。見たところ、普通の魚であり、食べることはできるだろう。それに、ここ最近は肉ばかり続いたから、魚を食べたい欲求が僕としてもムクムク湧いてくる。僕ですら魚食べたいな、と思うくらいなのだ。メイちゃんからすると、魚影を見た瞬間に海へ飛び込まんばかりの気配であった。

「メイちゃんって、釣りできる?」

「うん。海でも川でも」

 新鮮な食材を求めて、自ら釣りへと赴いたのだろうか。一方、僕は恥ずかしながら釣りの経験はない。インドア派なもので……

「でも、ここなら網を投げた方がとれそうかな。小太郎くん、糸で投網って作れないかな?」

 今や僕はハンモック職人だよ。新しい妖精広場に到着する度に、人数分作っているからね。蜘蛛糸を網状にすることにかけては、それなりの熟練度だ。投網を作るくらい簡単だよ――えっ、これって縁に重りとかつけるんだ? 網の形もただの平じゃなくて、円錐形で……

 地味に四苦八苦しながらも、どうにか投網を作り上げた僕は、早速、投網漁へとチャレンジ。

 そして、釣りどころか投網の経験もあるメイちゃんの手によって、無事、漁は大成功である。

「これは食べられる、食べられる、食べられ……ない、食べられる、食べられない、食べられる、けどあんまり美味しくない……」

 引き上げた網には、複数種類の魚がかかっていた。小さいサンマみたいな銀色の奴とか、熱帯魚みたいな極彩色の三角形とか、どうみても金魚とか、フグのような……ってコイツ、結構ヤバめの毒もってるぞ!?

 僕は丁寧に一種類ずつ、『直感薬学』で食用判定をしていく。半分くらいの奴は食べられて、もう半分は食べられるけど美味しくなさそう、そして極わずかに毒を持つ危ない魚もいた。そういう奴は、新しい毒薬の材料として活用させてもらおう。

「もう陽も暮れてたし、広場に帰ろうか」

「うん、これだけあれば夕食には十分だよ。楽しみにしててね!」

 メイちゃん、よだれよだれ。

 それにしても、投影されている偽物の空だけれど、時間経過には連動しているようだ。時計を確認してみれば、午後六時を少し回ったといったところ。たとえ偽りであっても、こうして空模様が見えるのは、それだけで健全な気がするよ。

第168話 南国生活

「我が信徒、桃川小太郎」

「は、はいっ!」

 やばい、今回は不意打ち気味だったから、ちょっとキョドってしまった。

 さぁ、やってまいりました、我らがルインヒルデ様の神様時空。相変わらず、大宇宙の神秘を感じさせる、雄大で混沌とした、正に神様に相応しい謎空間でございます。

「杖を振るったか」

「あーっと……す、すみません、気づくのが随分と遅れてしまって」

 多分、僕が『愚者の杖』を使ったことを言っているのだろう。それ以外に、杖と聞いて連想できることはない。

「呪術師たる者、杖の一本は振るうもの。また一歩、道を進んだと言えよう」

「ありがとうございます」

 とりあえず、褒められたようで何よりだけど……ここからが怖いんだ。前回はお褒めの言葉を賜った直後に真っ二つだったからねぇ。

 今回は穏便に。マジで頼みます……

「進むも退くも、そなたが選ぶがよい。あるいは停滞。安穏もまた一つの道に過ぎぬ。真実を、変革を望まば、えてして茨の道となるが故」

 おっと、続きますね、ルインヒルデ様の解読不能な謎説法。僕としては、いつも一つの真実を追い求めるよりも、痛いかどうかの方が興味の中心なので、すみません、あんまり頭に入らないです。

「よい、すでに縁は結ばれ、因果は絡んでおる。たとえ、どの道を往こうとも、そなたは――」

 僕は……なに? え、ちょっと、微妙に気になるところで台詞を区切るのやめましょうよ。

「新たな呪術を授ける」

 あーっ、ルインヒルデ様、マジであからさまに意味深なところで台詞とめちゃったよ!

「あ、ありがとうございます」

 ねぇ、こういう重要そうな台詞って、何かのフラグとかが定番だけど、何もないですよね? これ、大丈夫なんですよね? いざこうして、思わせぶりなこと言われると、不安になるんですけどぉ……

「共に歩め。偽りの影であろうと、傍にあることに変わりはない」

 骨の手が、鋭い指先を指し示す。

 これは、指先で刺されるパターン! 額か、目か、心臓か、大穴で金的とかは勘弁……グっと恐怖を堪えるが、何も起こらない。チラッ、と反射的に瞑っていた目を開けると、ルインヒルデ様の指は、どうやら僕の背後を示しているらしかった。

 なんだろう、そこに何かがあるのか?

 気にはなるけど、恐怖心の方が勝るから振り返りたくないけれど……これは、見なければいけないイベントなのだろう。結局、僕は意を決して振り向いた。

「……えっと、何、っていうか、誰」

 そこには、真っ黒い人影が漂っていた。影、本当に影が人のシルエットをしているだけ。そんな文字通りの人影が、ざっと見る限り四つ、所在なさ気にユラユラと漂っていた。

 そこに顔などないし、これといった身体的な特徴もない。ただシンプルな人型というだけで、違いなど一つも見当たらないのに……僕には、何故かそれらの人影には見覚えがあるような気がした。

「あっ、もしかして――」

 そこで人影は弾け、影が僕の視界を、世界を覆って……




 ザザーン、ザザーン、と寄せては返す波の音。眼下に広がるのは、キラキラ輝く紺碧のオーシャンビュー。海、そう、海である。

「あー」

 とかだらしない声を漏らして、僕は本当にだらしない格好でビーチチェアに寝そべっている。

 すぐ傍らには、小さい丸テーブルも置いてあって、その上にはキンキンに冷えたレモネードが。

 燦々と降り注ぐ偽の太陽光を浴びながら、こうして綺麗な砂浜で寝そべっていると、気分はすっかり南国バカンス。うーん、過酷なダンジョン生活が嘘のようだぁ……

「……いかん。いい加減、そろそろ出発しないと」

 この海岸エリアにやって来てから、とっくに一週間以上は経過している。周辺探索は済ませているし、初日の夜にはルインヒルデ様から新呪術も授かったというのに。

 何だか、ここは非常に居心地がよくて、つい長居してしまっているのだ。

 だって、美味しい魚は沢山とれるし、近くには甘いフルーツなんかも採取できる。森の方では、食べてくださいと言わんばかりに、丸々太ったニワトリみたいな鳥がウロウロしていて、肉も卵も取り放題だ。

 新しい美味な食材があればメイちゃんは張り切るし、僕もそれに甘んじてしまう。ダンジョン攻略をすっかり忘れた、平和な狩猟採取生活で、僕は余暇と『簡易錬成陣』を活かして、道具や家具の作成なんか始めちゃったりして。

 このビーチチェアは『簡易錬成陣』で、その辺で伐採してきた木を加工して作ったものだし、丸テーブルもそう。レモネードの入ったカップも木製だ。

 近くで採取できたフルーツの中に、レモンのように爽やかな酸味のあるものがあったから、手持ちのハチミツを使ってレモネードモドキは簡単に作れた。妖精広場には綺麗な水があるし、『魔女の釜』を使えば冷蔵も冷凍もお手軽にできる。

 そういえば、最近はメイちゃんが完全に『魔女の釜』を使いこなしているんだよね。ある程度、機能まで弄れるようになってきた。だから、僕が用途に応じて作る鍋の数も、徐々に減っていっている。

 現在は、メインの加熱用とサブの予備、の二種類が幾つかあれば事足りている。これは、その時に食べる料理だけでなく、保存食や調味料の作成にも使われている。

 魚はそのまま干物にできるし、海水を利用して塩を作ることもできる。ゴーマの岩塩とは一味違う、というか、僕ら日本人が食べているのは海水塩だから、何とも舌に馴染む懐かしい味わいで、また一段階、ダンジョンサバイバルにおける食事レベルが上がった感じがする。

 懐かしい味といえば、ついに醤油……ではないが、その類似品である漁醤も作られた。

 魚醤は、魚を塩漬けにして発酵させて作る調味料だ。ナンプラー、とかが有名らしいけど、僕は名前を聞いたくらいで食べた記憶は特にない。

 原料とする魚の種類によって、かなり風味も違ってくるのだとメイちゃんは力説していて、このダンジョンプールでとれた魚を順番に試して、最も美味しい魚醤の研究に彼女はつい先日まで熱中していたものだ。

 その情熱と研究成果が実を結び、ついにメイちゃん納得の魚醤が完成。ペロっとすると「む、これは醤油!」と一瞬舌が勘違いするほどに、醤油に近い味。けれど、確かな魚の旨味と風味が漂う……もしかして醤油より美味しいのでは?

 調味料の進展も目覚ましいが、何げに果物が普通に採取できる、というのが僕にもメイちゃんにも一番嬉しいことだったように思う。いやだって、普段の食事にデザートがつけられるってことだよ? これは物凄い贅沢、いや、進歩だと断言できるね。

 このレモネードを作ったレモンモドキがとれるように、この辺では柑橘類に近しい味わいの果実がそれなりに発見できている。あと、南国といえばかかせないと言わんばかりに、ヤシの木みたいなのも、よく見かけた。

 でも、一番のお気に入りは、桃とマンゴーの合いの子みたいな芳醇な甘味を誇る、通称『モモマンゴー』である。凄い美味しい、だが、めっちゃレアだ。まだ二個しか見つかってないし。

 コイツは見つけ次第、食うと固く決めている。僕とメイちゃんで半分こ……いや、僕は三分の一、メイちゃんは三分の二でいいよ。遠慮しないで、たんとお食べ。

 ともかく、そんな恵まれた食糧事情もあって、こうして砂浜で日光浴なんていう、平和ボケ極まる所業ができるワケだ。

「はぁ、サバイバル生活を豊かにしたって、しょうがないんだよなぁ」

 正直、ここで一生、のんびりスローライフというのは、そう悪い選択肢ではないかもしれない。食べ物は美味しいし、ルインヒルデ様の呪術があれば快適な生活環境も維持できるし、なにより、メイちゃんと二人なら寂しくもない。まぁ、彼女からすると、ここで僕を相手にアダムとイヴになるのは御免だろうけどね。

「小太郎くーん、お昼ご飯できたよー」

 と、甘い声で僕を呼んでくれる声に振り向けば……あー、やっぱり、アダムとイヴになりたいかも、としみじみ思わせてくれる魅力的な彼女の姿がそこにある。

 にこやかな笑顔で駆け寄ってくるメイちゃんは、いつものセーラー服ではなく、白いビキニだ。惜しげもなく晒される、一瞬で理性を溶かしかねない凶悪なほどの色香を振りまく豊満な肉体が弾む。ああ、上下に揺れる、その特大サイズの胸元が、パツパツになったビキニブラが今にも弾け飛びそうで、というか、弾けてくれ、なんて祈らずにはいられない……あっ、すみません、ルインヒルデ様、今の祈りはナシで、ナシでお願いします!

「うん、今行くよ」

 と、若干前かがみになりつつ、僕は平静を装いながら彼女の呼びかけに答えた。

「水着を作ったのは失敗だったかな……」

 ほら、ここ海だし、暑いし、試しに水着でも作ってみる? 制服が濡れても困るしー、などと軽い気持ちで作ってみたのが、あのメイちゃんの白ビキニである。うん、正直に言うと、下心はありました。というか、下心しかありませんでした。

 実際、今の僕が蜘蛛糸でチョイチョイすれば、多少の衣類を編み出すことは可能だ。なんなら、アラクネから糸を出してもらって、それを『簡易錬成』で編んでもいい。

 今や衣食住の衣すらも担当できる僕の呪術によって、特に難しいこともなく、この海岸エリア探索用の水着装備という名の、蜘蛛糸白ビキニは完成した。

 ぶっちゃけ、作ってる最中からしてムラムラしたものだが、いざ完成した品をメイちゃんが喜んで身に着けた時は……いや、これ以上は語るまい。強いて言うならば、僕の水着である蜘蛛糸製海パンには、急遽セット装備としてパレオを追加したくらいかな。ほら、腰に一枚巻いておけば、隠蔽用に便利なんだよね。

「うん、やっぱこの南国生活は早くやめた方がいいな」

 平和な環境に美味しいご飯、そして魅惑的な刺激もあるこの生活を続けていれば、本当にダンジョン攻略のヤル気が失せてしまうかもしれない。

 それはダメだ。僕は日本に帰りたいし、そうでなくても、いつ何が起こるか分からないダンジョンなんて場所に永住するのも御免だ。

 そして何より、ここに辿り着くまでに、どれだけの犠牲を出したと思ってる……僕が殺した奴。僕が守れなかった人。全て含めて、僕に停滞を許さない。僕自身が、許すわけにはいかないだろう。

「とりあえず、明日から頑張ろう」

 今日がバカンス最後と割り切って、せいぜい、あと半日だけはのんびりさせてもらっても、バチはあたるまい。




「よーっし、行くぞ!」

 名残惜しくも、これまでで最も居心地の良かった海辺の妖精広場を、ついに僕らは出発した。

 コンパスを確認する限りでは、しばらく海岸線を歩いていくことになりそうだ。魔物と遭遇すれば、波打ち際での戦いとなるから、装備はいまだ水着のままである。

 防御力皆無だけど、元々、制服しか着ていないから、大して違いはない。流石に僕は上半身裸なのは落ち着かないので、シャツくらいは着ているけど。

 一方、メイちゃんは堂々たるビキニ姿。今日も僕の隣で、その自慢のたわわがボインボインである。うっ、いかん、落ち着け、このままでは魅了されて冷静な判断力を失ってしまうぅ……

「あっ、小太郎くん、何かでてきたよ」

 ちょうどいいところでエンカウント。ようやく僕は魅惑の肢体から目を逸らすに足る理由を得た。

「やっぱり、ジーラが出るのか」

 押し寄せる波から、次々と飛び出してきたのは、見覚えのある魚影、もとい、人影である。魚人の形容がピッタリな、魚面の人型魔物だ。地底湖で戦った以来だけど、姿は大して変わらな……海に住んでるせいか、若干、色が鮮やかな気がする。

「ちょっと大きいのもいるね。ゴーヴみたいな感じかな」

「うん、確か『ジャジーラ』とか言うんだっけ」

 ほとんど頼りにしてない自前のメール情報だけど、今回は珍しく更新されていた。僕とメイちゃん、どちらのノートにもジーラ系の魔物についての情報が記載されていたのだ。

「なるほど、覚悟はしてたけど、キモいね」

 僕らの前に現れたジーラの群れの中で、頭一つ抜きん出た身長と、がっしりした体格の奴が、何体か混じっている。ゴーマに混じるゴーヴと同じ感じで、見れば一発で判別がつく。

 そして、このジーラ版ゴーヴたるジャジーラの特徴は、ジーラよりも大きなヒレを持つことと、胴や手足がフジツボに覆われていることだ。

 海で膝を擦りむいたら、後日、膝の中にフジツボがビッシリ……という都市伝説があるように、歪な丸い殻が大量に密集している外見は、見る者によっては背筋を凍らせるほどの気味悪さだ。

 で、そんなフジツボを鎧のように張り付けているのがジャジーラだ。実際、ナマクラな刃では、甲殻同然のフジツボを切り裂くことはできないだろう。

「ねぇ、小太郎くん。大きなフジツボは高級食材で、酒蒸しにすると凄く美味し――」

「アイツのは食べられないから、諦めて倒そう!」

 悪いけど、今回はメイちゃんの飽くなき食への探究心は抑えてもらうより他はない。若干、残念そうな表情で、キシャーと威嚇しているジーラ軍団に向かって突っ込んで行った。

 それにしても、ビキニ姿でゴツいハルバードと大盾を振り回す姿は、なかなかにファンタジックであった。




 今、僕の前には黒い鱗を持つジャジーラが、槍を片手に雄たけびをあげていた。

「ギョォーギョッギョッギョッ!」

「ふぅー、なんとか完成できた」

 僕らに喧嘩を売ってきた命知らずなジーラ部隊は、生乳魅惑のマーメイドなメイちゃんによって一方的に殺戮された。ちょっとくらい返り血がついても、すぐ洗い流せるからいいよねー、とか言ってたメイちゃん、マジでバーサーカー。でも、そんなところが魅力的。

 というワケで、僕は残った死体の再利用で、奴らの中で一番強そうなガタイのいいジャジーラを材料に、『屍人形』を作り上げたのだ。

 黒騎士とアラクネと三号機、オマケに最近ではスケルトン部隊も行使していることから、四体目のレムを使うにはちょっとばかり制御がキツい。この数を全員フルで戦闘させたら、それぞれの性能を最大限に引き出すのはかなり難しい。

 だから、このジャジーラを加えたところで、さして戦力には貢献できない。それでも、僕は自分の限界を承知で、コイツを『屍人形』にした。

「それじゃあ、頼んだよ」

「グギョギョ!」

 奇怪な鳴き声で返事をくれながら、黒いジャジーラは海へと飛び込んで行った。

 おお、流石は魚人だけあって、スイスイと泳いで行くぞ。その魚影はあっという間に波間に消えて、見えなくなった。

「小太郎くん、どうして放流したの?」

 血を洗い流してきたメイちゃんが、海を眺めながら問うてくる。うん、濡れたせいで水着姿がさらに艶めかしく……

「ちょっと海の中を探っておこうかと思って」

 何と言っても、ここはダンジョン。そして、正確には海ではなく、海を模した巨大プールである。

 最近ではすっかり、海産物をとる恵みの海でしかなかったけれど、こうして当たり前にジーラが出てくる以上、魔物も生息している。あるいは、この青い海の中には、魔物とは違う別な何かがあったりするかもしれない。

 それが危険な魔法トラップなのか、宝箱満載の沈没船なのか、そんなのは分からないけど。

「海の中がどうなってるのか、全然見えないからね。ちょっと気になってたんだよ」

「うーん、普通の海って感じだったけどな」

 南国生活を満喫していたあの海辺では、ちょっとくらいは素潜りしている。貝とかウニとかとれて、美味しかったよね。

「あの辺は、何故か凄い平和だったからね。でも、この辺になってくると、もしかしたら海底にジーラの巣とかあるかもしれないし」

「流石に、海の底まで潰しに行くのは無理かも」

「いや、そういうのは避けたいねって話で」

 すでに戦って滅ぼす前提で話すのやめようよ。頭まで狂戦士化されるのは、ちょっと困るかな。

「とりあえず、海中調査はレムに任せて、僕らはそろそろ野営する場所でも探そ――」

 その時、ザッパーン! と激しい水しぶきが遠く海面で噴き上がった。遠目に見ても分かるほど、巨大な何かが飛び出したのだ。

「わわっ、なにあれ、クジラみたいな、サメみたいな」

 明らかに大型の水棲モンスターの登場。だが、僕らの砂浜からは遠い海の上にいるものだから、メイちゃんの声はクジラツアーに参加した観光客のように呑気なものだ。

 確かに、今の僕らに危険はない。ないのだけれど、あのサラマンダーやサンダーティラノに匹敵する巨躯と、離れていても何となく分かる圧倒的な気配から、僕の背筋はうすら寒くなってしまう。

「巨大サメとか大王イカとかは想像してたけど、まさか、モササウルスが出てくるとはなー」

 見えたのは一瞬だったけれど、ワニのような頭に、クジラ並みに巨大なヒレと体を持つ姿は、僕が知る限りではモササウルスに最も近い。

 白亜紀後期に生息していた、肉食海棲爬虫類。分かりやすく言えば、海の恐竜である。

 そして、僕が放ったジャジーラは、どうやらアイツに食われたようだった。レムとの繋がりの一つが、たった今、ぶっつり途切れたから。

「まぁ、この海が思った以上に危険ってことが分かったよ」

「アレがボスだったらどうしよう」

 うわっ、メイちゃん、嫌な予想しないでよ。水中戦とか絶対無理。ゲームでも水中ステージは大抵クソだし。リアルで水の中で戦うとか、人間には不可能……ああ、そういえば天道君は、地底湖のボスに水中戦挑んでたっけ。

「その時は、水中戦スキルを授かれるよう、頑張って祈ろうよ」

 僕は多分無理だけど、メイちゃんならワンチャンいける気がしないでもない。

「うーん、今から海の中で戦う練習しておいた方がいいかな。折角、水着だし」

「無理しなくていいよ」

 とりあえず、僕らは海から飛び出す魔物にだけ注意しておこう。海の中にさえ入らなければ、そこにどれだけヤバい奴が生息していようと、安全確実にスルーできるのだから。

第169話 赤ラプター

 モササウルスみたいな大型水中モンスターに速攻でジャジーラが食われたその後、僕らは海岸の反対側に広がる、これまでのジャングルエリアと似たような森に入って野営をすることにした。海辺にはジーラがよく出没するから、見晴らしの良い海岸線で野営するのは避けたい。かといって、森の中も安全とも言い難いけど、今回はジーラの脅威を優先するということで。魚人なアイツらは、わざわざ森の中に分け入って探索はしてこないはずだし。

 僕らの野営地は、大木の間に張り巡らせた大きな蜘蛛の巣となっている。というか、アラクネの巣そのものだ。

 大きな蜘蛛の魔物であるアラクネが巣を張れば、当然、人間が上に乗っても破けることはない。つまり、僕らにとっても立派な足場として利用できるということ。アラクネの屍人形であるレム二号機の能力をフルに使えば、生前と同じように巣を張ることはできるし、利便性を考慮して粘着質ではない糸だけで巣を作らせることも可能だ。

 手間はかかる、けれど、それだけの価値はあるだろう。ここは魔物からの安全が保障されている妖精広場の外である。就寝中に対する備えは、出来る限りするべきだ。

「よし、こんなもんでいいだろう」

 アラクネと協力しながら、ようやく完成した本日の野営地を見て、僕は満足気に頷く。

 眠る時は、上の蜘蛛の巣まで登る。黒髪縛りで縄梯子をかければ、わざわざ木登りする必要もない。

 上には僕とメイちゃんと、あとアラクネが待機となる。地上での夜間警護には、黒騎士レムと三号機。一応、スケルトン部隊も出しておこう。泥人形と髑髏なら、わざわざ獲物として狙ってくる奴もいないだろうし。

「小太郎くーん、ご飯できたよー」

 と、いつものようにメイちゃんに呼ばれて、今日も美味しい晩御飯をいただきます。

 本日の献立は、カニ、カニ、カニ尽くし。たまたまデカい蟹がとれたからね。正確には、蟹型の魔物なんだけど。

 ルークスパイダー並みの分厚い甲殻に、ナイトマンティスのように斬れ味鋭い刃のハサミを持つ、凶暴そうな蟹だった。実際、僕らを見るなり唸りを上げて襲い掛かって来たから、立派なアクティブモンスターである。

 でも、そんな恐ろしい大蟹も、我らが狂戦士メイちゃんの手にかかれば、カニ尽くしフルコースの出来上がりである。いやぁ、食べられる魔物って、ありがたい存在だよね。

「味の方は……かなりタンパクだけど、ほのかな旨味が」

 うん、美味い。魔女鍋でグツグツとボイルした剥き身は、タラバガニを若干、薄味にしたような感じであった。

 肉でも魚でもない、この感じが美味しいんだよね、甲殻類って奴は。

「これだけ大きいと、ミソも沢山とれていいよね」

「ねー」

 とか言ながら、鋭い棘の生える攻撃的な頭の甲羅を皿に、カニミソをつつき合ったりして、存分に堪能させてもらった。

 夕食の後は、装備の手入れをしたり、僕は古代語の勉強とか、メイちゃんは新食材の研究とか、ほどほどに済ませてから、就寝する。火で灯りを確保することはできるけれど、わざわざ火を焚いてまで夜更かしする意味はない。陽が沈めば眠り、夜明けと共に目覚める。これが野宿の基本。まぁ、巨大ダンジョンの屋内だけど。

 というワケで、すっかり辺りも暗くなったので、お休みなさーい。

「……小太郎くん」

 耳元で囁かれたその声に、僕はハっと目を覚ます。

 暗い。真っ暗だ。まだ夜は明けていない、というか、完全に真夜中だろう。

 何も見えない。けれど、すぐ傍にメイちゃんがいることは分かる。多分、顔、めっちゃ近い。

「え、なに」

 起きたばかりの僕は、寝ぼけた間抜けな感じで応えてしまう。

 こんな夜中になに。どうしたの、ついに夜這いイベント到来? 夢オチとかは勘弁してよね。

「敵が来る。多分、もう囲まれていると思う」

「マジでっ!?」

 色気の欠片もありはしない、実に端的な敵襲の報告に、僕の頭は一気に覚醒。驚きと焦りで思考の回転率を上げながら、敵による夜襲を察知した場合のシミュレーションを思い出す。

「敵は」

「魔物で間違いないよ。かなりの数が群れてる……けど、かなり静かに動けるみたい」

 だから、まだレムも敵襲の合図を出していないのだろう。眠ってたメイちゃんの方が先に敵を察知するとは、狂戦士の直感恐るべしと言ったところか。レムは万が一にもサボることはありえないからね。

「クラスメイトじゃないだけマシかな。でも、強敵っぽいなぁ」

 まだレムは敵の存在に気づいてない、というか、僕が報告を聞いたから、もう伝わって警戒態勢に移行してはいるけど、ともかく、僕らを静かに包囲できる行動がとれる時点で、ただのゴーマの群れとは別格だ。ジーラの精鋭による特殊部隊でも攻めて来たか。ネイビージーラズ、みたいな?

「ここは捨てる。海岸まで出よう」

 こんな真夜中に仕掛けてきたということは、相手は夜行性。それでいて、森の中での行動に慣れている。開けた海岸まで出れば、それだけで縄張りを脱して追って来ない、という可能性もある。

 敵が群れで、僕らよりも数が多いことが分かった上で、包囲されやすい開けた砂浜に出るのは悪手に思えるが、夜の森の中で囲まれるよりは、砂浜の方がマシだろう。森の中では、どれだけ松明を焚いても闇は払いきれないからね。地の利は向こうにある。

「それじゃあ、行くよ、小太郎くん!」

 手早く装備を身に着けて、メイちゃんが僕を、盾を持っている左腕で抱える。

 ギュっと柔らかなボディに密着できて役得、でも、すぐに勢いと浮遊感とで、堪能するほどの余裕は吹き飛ぶ。

 敵は今にも僕らへ一斉に襲い掛かって来そうな状況。だから、アラクネの巣の上から、メイちゃんに抱えてもらって一気に飛び降りるのだ。

 ズン、という着地の衝撃。でも大丈夫、僕の頭はエアバックとは比べるのもおこがましい、人類が持ちうる最高の柔らかさによってガードされているから。すっごい、ブルンとして、たゆんとして、顔が埋まって一瞬息ができなくなったよ。すみません、今のもう一回やってもらっていいですか?

「撤退だーっ! 火を灯せぇーっ!」

 内心デレデレしつつも、僕はレムとスケルトン部隊に向かって、大声で叫ぶ。

 夜間警護をさせるにあたって、全員に松明を支給している。彼らだけで瞬殺できる程度の雑魚が近寄ってくるだけなら必要ないが、真っ当に迎撃することになれば、まず灯りはいるだろう。レムはかなりの暗闇でも視界は効くようで、スケルトンも最底辺でもアンデッドというべきか、夜目は効くらしい。だから、真夜中でも行動するに支障はないけど、ほら、僕は見えないじゃん?

 人数分の松明が灯り、周辺はそれなりに明るくなった。少なくとも、足元の木の根に躓くことはない程度には。

 メイちゃんを先頭に、次に僕、隣に黒騎士レムと三号機、そのすぐ後ろにアラクネが。スケルトンは全員後続部隊。ほぼ一列縦隊となって、僕らは夜の森を走り始める。

「キョォオアアアアアッ!」

 静かな森に響き渡る、けたたましい鳴き声。

「フンッ!」

 直後に、狂戦士の裂帛の気合いと共に、鋭いハルバードの一撃が繰り出されていた。

 鈍い肉を叩き切るような音と、短い悲鳴が轟く。包囲の一角に侵入したか、あるいは、逃げる僕らに対して飛び掛かって来たか。判別はつきがたいが、ともかく、いよいよ敵が現れた始めた。

「相手はラプターだったか」

 メイちゃんが仕留めた奴は、派手に血飛沫を上げながら茂みの向こうにぶっ飛んで行ったが、チラっと見えただけでも、その肉食恐竜のシルエットははっきり分かった。

 松明が照らす闇の向こう、そこら中からギャーギャーとラプター達の鳴き声もうるさいほどに聞こえてくる。やはり、僕の見間違いでもなく、相手はラプターで確定。

 既知の魔物で、少し安心する。いつだって初見の相手は恐ろしいからね。

 ラプターは、群れる系の雑魚モンスの中では上位の強さを誇る。俊敏な動作に、鋭い爪と牙を持ち、鱗の防御もそれなりだ。コイツらに勝てる群れ雑魚モンスは、ゴアしかいないだろう。

 メイちゃんの口ぶりからして、今回の群れは今までにないほどの数がいるようだけど、狂戦士として成長を続けた彼女に、リビングアーマーの戦闘力を獲得したレム、それと僕やスケルトンなどのプラスαがあれば、まず戦力的に負ける要素はない。夜の森を抜ければ、さらに僕が死角からピンポイントで狙われ事故死、みたいな可能性もなくせるので、海岸まで出られれば、勝利は盤石――

「小太郎くん、砂浜に出――っ!?」

 深い茂みを突き破るように突破し、砂浜まで出たメイちゃんが動きを止める。

 どうしたの、と問うより前に、すぐ後ろに続く僕は、状況を理解した。

「ウソだろ、大蟹が三匹も……こんな時に!」

 砂浜には、大きく鋭いハサミをジャキジャキさせて、ヤル気満々な今日の晩御飯こと大きな蟹の魔物がいた。しかも三匹。昼間のエンカウントした時は一匹だけだったのに、コイツらも地味に群れるのか。

 一匹だけなら、楽勝だった。メイちゃんが瞬殺してくれる。二匹でも大丈夫。一匹目はメイちゃんが、二匹目は黒騎士レムがあたればいい。

 だが、三匹だとどうだ。少なくとも、瞬殺とはいかない。メイちゃんが、レムが、一匹ずつ仕留めている間、三匹目はフリーとなる。

 大蟹はルークスパイダー並みの甲殻だ。普通に攻撃して叩き割れるのは、狂戦士と黒騎士くらいで、ノーマルよりちょっと強化した程度のレム三号機では難しい。それでも、僕もアラクネもスケルトン部隊もいるから、足止めくらいはできるが……背後からは、ラプターの群れが迫っている。

 前門の蟹、後門のラプター。虎と狼に挟まれるよりマシかもしれないが、あまり良くない形成だ。

「蟹はメイちゃんに任せる! アラクネが援護!」

「うん!」

「シャアア!」

 とりあえず、メイちゃんに任せておけば、大蟹三匹も順当に倒してくれるはずだ。アラクネ二号もサポートにつけてるから、万が一ってこともないはず。

 後は、黒騎士レムと三号機を前衛に、スケルトンを壁に、僕が追撃してくるラプターを迎え撃つ。ハイゾンビの無限湧きよりかは楽な相手だと思いたい。

 それにしたって、こんな時に、まるで僕らを待ち構えているように大蟹という全く別の魔物が現れなくたっていいのに。今日の運勢は最悪なのだろうか。泣きっ面に蜂、不幸が重なりますので、外出は避けるように、なんて――いや、待てよ、これは本当にただの不運、偶然なのか?

「キョォオオアアアアアアッ!」

「いつも通りだ、レム。広がれ、『腐り沼』」

 まずは『腐り沼』を引いて、地の利を得る安定の戦法。ラプターは跳躍力があるから、一足飛びに越えられないよう、気合いを入れて広めに沼を作る。

 レムは黒騎士も三号機も、共に毒沼を活かした立ち回りはすっかりお手の物。十分な助走をつけた上で飛び越えようとする奴がいれば、真っ先に妨害もしてくれる。最悪、飛ばれても黒髪で邪魔をすれば落とすことはできるし。

 スケルトンの方は、あまり良い動きとは言えないが、ただ毒沼の水際で戦っていればそれだけで十分だ。

 あとは、僕が可能な限り援護して敵を食い止めるだけ。『黒髪縛り』で沼に引きずり込み、『赤髪括り』でちょっかいをかけて牽制。それから、『愚者の杖』に『呪術師の髑髏』を装填すれば、ラプターならほぼ即死級のダメージとなる『ポワゾン』もぶっ放せる。

「よし、行ける。これなら、このまま倒し切れる」

 今までも、大体はこの布陣で凌いできたのだ。僕自身にも確かな攻撃力が得られる『ポワゾン』まであれば、若干の余裕があるほど。押し寄せるラプターの群れは、僕らを前に明らかに攻めあぐねていた。

 野生の魔物であるラプターは、馬鹿ではない。そこそこの数が倒されれば、割に合わないと察して必ず逃げ出す。経験則でいけば、そろそろ諦めて退いていく頃なんだけど――

「シャオッ!」

 一瞬、視界の端に赤い影が過った気がした。

 なんだ、見間違いか、それとも目の錯覚か――いや、違う。

「赤い奴が一匹混じってる」

 ラプターの亜種だろうか。それとも、ソイツがボスか。どちらにせよ、赤色のラプターがいるのは間違いない。

 ラプターなら亜種になっても、せいぜい炎を吐くとかそれくらいの強化具合だろう。けれど、どんな隠し玉を持ってるか分からないので、排除するなら最優先。

「どこだ」

 目立つ赤色のはずなのに、かなりの速度で動き回っているのか、なかなか捉えられない。けれど、この開けた場所でいつまでも姿を隠しきれるはずもなく……いた、そこだ!

「シャアアアアッ!」

 赤ラプターは、よく見ればただ色が赤いだけでなく、虎のような縞模様となっていた。全身を覆う鱗は鮮やかな赤色で、そこに原種と同じ暗い茶褐色が縦に走って縞々に見える。

 けれど、最大の特徴は色ではなく、その頭と尻尾だ。

 頭部には、敵を刺し貫くかのように、鋭く尖った二本角が前方へと突き出ている。ラプターに角は生えていないが、コイツには立派な二本角と、さらに頭部には厚みのある甲殻が形成されており、まるで兜でも被っているかのようだ。

 尻尾の方は、ギザギザとしたブレード状になっている。ナイトマンティスの鎌よりは斬れ味は悪そうだけれど、刀身の長さも厚さも上回っており、何より特徴的なノコギリみたいな刃が凶悪さを際立たせている。

 間違いなく、コイツはボスだ。その姿も、気配も、他のラプターとは一線を画す存在であることを感じられる。

 そうであるなら、何が何でもコイツは仕留める。大将首をとってやろう。ここはすでに、『ポワゾン』の射程圏だ。

「喰らえ、『ポワゾン』ッ!」

 毒沼の縁に立つ赤ラプターを、確かに視界の真ん中に捉え、杖を振りかざして不可視の呪術たる『ポワゾン』を発動させる。見つめた先へ一直線に毒を届けるこの呪術は、相手が見えてさえいれば外しようがない――はずだった。

「シャッ、クァアアアアッ!」

 鋭いいななきと共に、赤ラプターの体が大きく傾ぐ。そして、気が付けば、僕の視界から奴は離脱していた。

「嘘だろ、避けたのかっ!?」

 もしかして、アイツには放たれた毒の波動みたいなモノが見えているのだろうか。それとも、僕が正確に視界内に捉えていなければ命中しないことに気づいているのか。ただの偶然ならば、それでいいけれど、

「ああ、くそっ、速すぎる!」

 赤い疾風と化して、毒沼の外周を走り抜けていく。僕は次こそ、と狙いを定めるが、その走る速度に加えて、飛んだり、あるいは戦闘中の仲間の影に入ったりと、奴は華麗に呪術の照準から逃れ続けている。

 ダメだ、僕の並み程度な動体視力ではアイツの動きは捉え切れない。狙い撃つエイムに自信だってそもそもない。FPSって、嫌いじゃないけど、あんまり得意でもなかったんだよね。

「シャアア、シャオッ!」

 僕の狙いを掻い潜り、赤ラプターはついに反撃に出た。手近にいたスケルトンへと、奴はノコギリ尻尾を振るい、思いっきり叩きつける。

 勿論、単なる雑魚でしかないスケルトンに、強烈なノコギリブレードの一撃を耐えきる防御力などありはしない。横薙ぎに振るわれた尻尾は、見事にスケルトンの腰を砕き、真っ二つにしてみせた。

 でも、攻撃したその隙に、『ポワゾン』を撃ち込めば――

「シャアアアアアアッ!」

 甘かった。奴の動きは止まらない。

 流れるような動作で身を翻すや、地面に落ちたスケルトンの上半身、そのあばら骨に片足をかけ、反対側の足で思い切り砂浜を蹴る。

 すると、どうなるか。

 滑るのだ。

 そう、奴はスケルトンの残骸をボード代わりにして、毒沼の上を滑って来たのだ。

 基本的に『腐り沼』の水深は浅い。水深というのもおこがましい、水たまりのような浅さである。だから、死体が倒れればすぐに水面は埋まってしまう。

 沼を深くするならば、準備が必要となる。あの毒沼エリアでバジリスクを倒した時のように、魔法陣と供物という準備が。

 勿論、今回はそんなことはせず、呪印から数滴の血を飛ばして展開させた、通常発動である。その水深はいつも通りに浅い。そして、毒沼を満たす強酸性の液体は、血のようにドロリとしていて、水よりもヌメりがある。つまり、割と滑りやすいのだ。

「なんだと、コイツ――『ポワゾン』!」

 骸骨でサーフボードをかますという、完全に予想外の方法でもって渡ってくる赤ラプターに対し、今度こそ命中させるべく呪術を放つ。向こうは一直線に滑って来るだけ。それだけの動きならば、僕でも当てられ、

「シャアアッ!」

 そこで、赤ラプターは飛んだ。見事なジャンプ、大跳躍である。

「しまっ――」

 しまった、外した。一直線に向かって来ると思ってぶっ放した『ポワゾン』は、高々と跳躍を決めた赤ラプターには当たらない。

 そして、そのまま奴はこちらに、毒沼の向こうに立つ僕へ向かって今度こそ真っ直ぐ飛び掛かって来ている。

 早く、次の『ポワゾン』、ダメだ、連射は効かないんだ。なら、黒髪縛りで、クソ、間に合わない、もう、すぐ目の前にギラついたラプターの爪がっ!

「グガァアアアアアアアッ!」

 気合いの雄たけびと共に、飛来した赤ラプターへと、横合いから飛び出したレム三号機が渾身のタックルをかました。

「レム!」

「ググ、グガガガ」

 とにかく、僕を助けるためだけに飛び込んだのだろう。その手に武器はなく、ただ力いっぱいに赤ラプターへとぶちかましただけ。

 その咄嗟の判断力と行動力で、僕は今、命拾いした。

「シャッ、キシャァアアアアアアアアッ!」

 僕という獲物を目前にして邪魔が入ったことが、よほど気に入らなかったのか。毒沼の上に倒れ込んでも、痛みを感じさせない怒りの声を上げて、赤ラプターは素早く立ち上がる。

 対するレム三号機も、立ち上がってさらに応戦しようとするが、奴の方が早かった。

 怒り心頭といった様子で、赤ラプターは獰猛にレムへと喰らいついた。肩口に牙を突き立て、甲殻の鎧ごとバキバキと噛み砕きながら、さらに投げ飛ばすように大きく振り回す。

「グガッ!」

 成す術もなく地面に叩きつけられたレムに向かって、今度は必殺のノコギリ尻尾が振るわれる。武技の如く、強く鋭い赤い一閃によって、レム三号機の首が飛んだ。

 三号機との繋がりが途絶えるのを感じる。完全に機能停止。

「『ポワゾン』」

 レムを仕留めた赤ラプターへ放つ。だが、怒りながらも僕の呪術のことは忘れていなかったのか、素早いステップで避けられた。ええい、マジかよ、この距離、このタイミングでも回避できるのかよコイツは!

「ギシャァアアアッ!」

 ついに僕へと向かって牙を剥く赤ラプター。手を伸ばせば届かんばかりの間合い。『ポワゾン』はまだ撃てない。

 だから、変わりに投げることにした。

 桜井君が持っていた、雛菊さん謹製の『ポワゾン』が込められた毒煙玉だ。

 この至近距離でも、僕の貧弱な肩で投球しても、超回避の赤ラプターに命中させるのは無理だから、すぐ足元で叩きつける。

 衝撃が加わった毒煙玉は、どういう構造なのか、割れた拍子にブワっと如何にも毒らしい紫の煙を一気に噴き出す。

「ギィイッ、シャアアッ!?」

 警戒するような鳴き声を発する赤ラプターだけど、すでに毒煙は奴の間合いにまで達している。射線から逃れられる俊敏な回避力も、空間そのものを埋め尽くす毒ガス攻撃には無意味だ。毒煙が充満するこの場へ突っ込んできた奴に、避ける術はない。

 けれど、これだけで奴を完全に止めきれるとは限らない。『ポワゾン』に蝕まれて死ぬよりも前に、僕へと牙を届かせるかもしれない。

 同時並行で足止めもいる。この状況下で使えるのは、もう使い慣れた『黒髪縛り』しかしないけど!

「止まれよぉ、黒髪縛り――いいっ!?」

「シャァアアアアアアアアアアアッ!」

 視界を埋め尽くす毒煙の向こうから、赤い刃が、奴のノコギリ尻尾が突きを繰り出すように飛んできた。

 そう認識した時には、頬に走る熱い感触。鋭い痛み。顔を切られた――けど、致命傷じゃない、気にするものか。敵は、すぐ目の前にいるんだ!

「うぁああああああああああああっ!」

 全力で黒髪縛りをけしかけつつ、最後の最後で頼ることになる、近接装備のレッドナイフと樋口のバタフライナイフを抜刀。この間合いなら、もう僕でも直接攻撃するしか――

「小太郎くん!」

「グルル、ガガァアアアアッ!」

 僕を呼ぶ声すら置き去りにして、凄まじい勢いで我らが守護神、メイちゃんが突っ込んできた。ほぼ同時に、大勢のラプターを食い止めていた黒騎士レムの方も駆けつける。

「シャッ、クアッ、キアアアアアア!」

 赤ラプターの対応は早かった。あと一手で僕を切り殺せたかもしれない状況だけれど、奴は高らかに鳴き声を上げながら、退いた。

 薄らと晴れだした毒煙の向こう側に、毒沼に倒れ込んだ仲間の死体を足場にして、沼を渡って戻りゆく赤い姿がチラっと見えた。

「に、逃げたのか……」

 やはり、野生の魔物の引き際は実に潔い。あっという間に戦闘の喧騒は止んで、静かな夜の砂浜へと戻っていた。

 そのくせ、僕はいまだに二本のナイフを握りしめたまま、興奮したように心臓がドクドクとうるさいくらい鼓動を鳴らしている。

「こ、小太郎くん! そんな、顔に、き、き、傷がぁ!?」

「えっ……ああ、大丈夫だよ、カスリ傷だから」

 そういえば、頬を切られたんだった。怪我した自分よりも悲痛な表情で、涙すら浮かべるメイちゃんが凄い勢いで迫って来て、かえって僕は冷静になれた。

「で、で、でも、もし傷痕が残ったら……そ、その時は私が責任をとるからね!」

「いや大丈夫だって、傷薬ですぐ治るから、落ち着いて」

 何故か僕より取り乱しているメイちゃんをなだめながら、僕はさっさと常備薬となっている傷薬Aをほっぺたに塗りたくった。うう、久しぶりに使うと、傷口に沁みるなぁ……

「ごめんね、小太郎くん、私がもっと早く駆けつけられれば」

「いや、いいんだよ。メイちゃんの方も、蟹だけじゃなくて、ラプターも行ってたでしょ」

 彼女は前衛としての役割を十全に果たしてくれていた。大蟹三匹は見事に叩き潰されているし、迫るラプターを全て返り討ちにしている。

「油断があったのは、僕の方だ」

 あと少し、奴の尻尾の軌道が下にズレていれば、僕は首を切り裂かれて致命傷を受けた可能性がある。毒煙が充満して、視界が利かなかったから、アイツも狙いが逸れたのだろう。

 頬を切り裂かれるカスリ傷で済んだのは、単なるラッキーでしかない。そう、僕は今、死にかけたんだ。ボス戦でもなければ、クラスメイトと敵対したワケでもない、ただの雑魚モンスとの遭遇戦で……認めよう、油断はあったと。見慣れたラプターが相手だと、警戒心を一段階下げていた。

 自分では最善手を打ったように思えるけど、もし、もっと危機感を以って対処してれば、結果は変えられたはず。むざむざと三号機を失うことも、無様に負傷することもなく、あの赤ラプターも逃がさず討ち取れたかもしれない。

 たとえば、便利な『ポワゾン』に頼って、僕が赤ラプターを狙うのではなく、黒騎士レムと役割をスイッチすべきだった。三号機とスケルトンとをもっと上手く使っていれば、黒騎士レムが止めていた分のラプターだって捌けたはずだ。

 いくらレムは賢いからといっても、いつも前衛として戦っている以上、戦況の全てを把握することはできない。せいぜい、僕の意思を汲んで多少、情報が知れる程度で……つまり、僕は欲張って攻撃に参加せずに、味方の指揮と援護に集中すべきだったんだ。

「とりあえず、ここからは移動しよう。別な場所にもう一回野営して、休んだ方がいい」

「うん、分かったよ」

 最低限のコアと素材を回収して、僕らはこのすっかり血生臭い砂浜を後にした。

第170話 痕跡

 海岸線を歩き始めて、二日たった。

「……やっぱり、尾行けられてるな」

 どうやら、あの赤ラプターは僕らを執拗に付け狙っているらしい。

 執念深い奴だ。熊は一度自分の獲物と決めたらずっと追いかける強い執着心を持つというけど、ラプターも同じ習性を持つのか。それとも、大勢の手下を殺した、僕らに対する復讐心か。

 理由はどうあれ、奴らが僕らを追跡してることは間違いない。

 夜襲以来、ラプターは一度も襲って来てはいない。いないのだが、奴らはつかず離れずの距離を維持しながら、ずっと追いかけてきている。

 ラプターの群れを時折、見かけるのだ。別の群れならばいいのだが、僕らを見かけても襲ってこないのは、監視の命令が徹底されているから。

 念のために、こちらから偵察もしてみた。

 桜井君との戦いで使ったように、レムを野鳥の『屍人形』とすることで、戦闘力は皆無だけど、飛行による目視の索敵能力を手に入れることができるのだ。赤ラプターによって無残に破壊されたレム三号機の代わりに、このレム鳥を複数作って、全方位に放つ。

 そうして、僕らの後方で赤ラプターの姿をチラっと目撃したと、レム鳥は教えてくれた。この結果を聞いて、奴らもたまたま、同じ方向に動いていると考えるほど、僕は呑気ではない。

 奴との戦いで、僕は色々と反省させられた。あの一戦は、僕に落ち度はあったけれど……ボスである赤ラプターの狡猾さも恐るべきものであった。

 まず、海岸に出た僕らを待ち構えていたように現れた三匹の大蟹は、赤ラプターがあそこまでおびき寄せていたと推測、いや、今なら確信できる。

 ここ二日、海岸線を進むことで、大蟹の魔物の習性もある程度、判明している。餌を探して波打ち際をウロついているか、砂浜に潜って休んでいるか、というのが基本的なパターン。潜ってる状態で近くを通ると、音か震動を感知して襲ってくる。

 しかし、森の方まで逃げ込めば、それ以上は追って来ない。

 僕らがたった数日で分かるような生態情報である。長年、このエリアで活動してきた赤ラプターが、大蟹の習性を知らないはずがない。潜ってる大蟹を起こしてアクティブにすることも、ラプターの俊足を生かして特定の地点まで誘導することも、十分に可能だろう。いざとなれば、自分らのテリトリーである森に飛び込めば簡単に逃げ切れる。

 だから、このエリアでは滅多に見かけないだろう、僕ら人間という初見の獲物に対し、赤ラプターは、自分達の有利な森で戦うだけでなく、海岸まで移動された場合にも備えて、大蟹を用意していた……と、僕は考えている。

 もし、こんなMPKモンスタープレイヤーキラー染みた罠なんて、単なる僕の被害妄想だったとしても、構わない。少なくとも、あの赤ラプターと相対するならば、奴がこれくらいの知能を持っていると想定すべきなのだ。アイツは戦闘能力も高いが、何より恐れるべきなのは、その高い知能だと僕は思っている。スケルトンの残骸をボードにして毒沼を渡るとか、咄嗟の判断力、応用力にも優れている。

 正直、下手なボスモンスターよりもよほど厄介な存在だ。たまにRPGでも、何故かボスよりも強い、調整ミスったとしか思えない強敵雑魚モンスとかいるよね。

「小太郎くん、私が行って倒して来ようか?」

「いや、こっちの方から打って出るには、相手が悪すぎる」

「大丈夫だよ、私ならあの赤いラプターでも倒せるから!」

「戦えばメイちゃんの方が強いよ。だから、アイツは絶対にメイちゃんとの戦いは避ける。むしろ、そんな強敵が僕の傍から離れた時こそ、奴にとって最大のチャンスになる」

 恐らく、赤ラプターの群れが、完全に森に隠れるワケでもなく、それとなく僕らに存在がバレるような動きをしているのは、気づいて欲しいからだ。

 まず、前回の戦いで、こっちの戦力も向こうは把握している。メイちゃんという大蟹もラプターも束でかかっても敵わないとんでもない奴がいること。それに次いで、痛みも恐れもなく戦い続けられる黒騎士レム。最大戦力はこの二人。逆にいえば、この二人以外は、チョロい。

 ならば、赤ラプターは是非とも、その最大戦力が僕の傍を離れる好機を待っている。メイちゃんの戦力を頼って単独で討伐に向かわせれば、恐らくは、群れの半数を囮にして足止めし、もう半分で僕を襲うことだろう。

「だから、絶対にメイちゃんか黒騎士が、僕の傍を離れるような隙を見せたらダメなんだよね」

「そ、そっか……小太郎くん、そこまで考えるなんて、やっぱり凄いよ」

 いや、僕じゃなくても、あの戦いを経験すれば誰でも思いつくレベルだよ。いや、メイちゃんくらい強くなると、姑息な戦術なんてあんまり考えなくなるのかもしれないけど。

 はぁ、僕も狂戦士パワーで無双とかしてみたいなぁ……現実って残酷だよね。『ポワゾン』も発動見てから回避余裕でした、って感じだし。強敵ばっかで嫌になるよ。

「ともかく、明確な隙を見せなければ、奴らは襲ってこない。このエリアはラプターにとってはホームグラウンドだから、きっといつまでだって追跡し続けられる。長期戦で勝つ自信があるんだ」

「それじゃあ、ここのボスを倒して転移するまで、ずっと無視してた方がいいのかな?」

「いや、できれば早めに叩いておきたい。今はいいけど、この先、僕らがまた別の強い魔物と戦って消耗したりすれば、奴らは仕掛けてくる」

 つまり、ちょっとでも苦戦するような戦闘が発生しただけで、赤ラプター部隊の襲撃フラグが立ち、そのまま僕らはデッドエンドまっしぐらだ。

 勿論、ボスまで何事もなく順調に進むことができれば何の問題もないけれど……奴らを放置しておくには、あまりにリスクが高すぎる。

「うーん、じゃあ、どうすればいいのかなぁ」

「そこで、赤ラプター部隊を誘き出す作戦をしたいんだけど」

 夜襲の一戦で、こちらの手の内は奴らにバレてはいるけれど、その全てが開かされているワケではないからね。

「とりあえず、あの遺跡がある場所で拠点を確保してからがいいかな」

 僕らの視線の先には、広々とした綺麗なビーチが続く海岸線に沿うように立ち並ぶ、多くの建造物が見えた。かなり高めのビルもあって、さながらホテルといったところだろうか。本当に、ハワイかどっかの南国リゾートみたいな風情である。

 もっとも、前のエリアである遺跡街と同じように、半分ほど植物に侵蝕されていて、ポストアポカリプス的な雰囲気満点の廃墟だけど。

 森はラプターの領域。けど、人工物たる建物がある場所は、僕ら人間の領域だってことを、思い知らせてやる。




 海岸沿いのリゾート風遺跡群へと辿り着く。これだけ大きな建物が並んでいれば、どこかに妖精広場があるかもしれないし、なかったとしても、一時的な拠点とするには十分だ。

 ということで、まずは拠点探し。

「うーん、とりあえず、あそこが第一候補かな」

 緑に覆われた廃墟の中でも、何故か一つだけやけに綺麗な状態で残っているビルがある。綺麗といっても、廃墟であることは一目瞭然の荒れ具合ではあるものの、崩れた箇所は見当たらず、大きなヒビもない。何と言っても、ここだけ避けるかのように植物が生い茂っていないのだ。周辺に広がる、庭園のような場所にも緑の侵蝕を許してはいない。

 ここだけ植物を枯らす毒素でも満ちているのか、それとも、建築物を保全する魔法の結界が今でも機能しているのか。できれば後者であって欲しいと願いながら、僕らはそこへ足を踏み入れた。

 正々堂々と真正面から入ってみると、なるほど、想像した通り、広々としたエントランスとなっている。外観からして、如何にもホテルっぽいと思ったけれど、三階あたりまで吹き抜けになっている構造に、随所にみられる宮殿のような凝った装飾の名残からして、少なくとも見栄えを重視した造りであることには間違いない。

「ギョギョッ、ギョォオオアアアッ!」

 そして、ジーラの従業員が、何百年ぶりか分からないお客様である僕らを元気にお出迎え。

「この中にジーラがいるってことは、宝箱でもあるのかな」

「いいものがあるといいね」

 数匹のジーラをメイちゃんが瞬殺し、スケルトンを召喚して死体を運び出させておく。ここを拠点にするなら、魔物の死体なんて置きっぱなしにはできないからね。臭いし汚いし、他の魔物が寄って来るし。

 面倒な仕事を都合のいいスケルトン達にお任せしつつ、ホテル探索といこう。

「ジーラ以外、ここに来る奴はいないみたいだ」

 二階と三階で、それぞれ数匹のジーラとエンカウントして始末しただけで、他の魔物は見当たらない。遺跡街でも、何かしらの野生の魔物が廃墟内に住みついていたり、ウロついたりしていたものだけど、ここはそういう感じではなさそう。あくまで、ジーラが宝箱でも探しに、探索しているだけといった様子である。

 やはり、植物を枯らし、魔物も遠ざける毒が……

「小太郎くん、そこの広間に大きいジャジーラがいる、んだけど……死んでるみたい」

 先行してクリアリングしているメイちゃんが、報告してくれる。

 扉が外れて開け放たれたままとなっている多目的ホールみたいな広間を覗けば、確かに床に倒れたジャジーラと、周囲に複数のジーラの死体が転がっている。

 いつかのゴーマの罠、のように待ち伏せを警戒して、僕らは慎重に周囲を探ってから、満を持して広間へ突入する。

 足を踏み入れても、何も起こらない。罠はなく、純粋に、ここにはジーラ共の死体が転がっているだけの模様。

「ねぇ、これって、仲間割れでもしたのかな?」

「このデカいジャジーラは強そうだから、さっき蹴散らしてきた奴らがコイツを仕留めたとは思えない」

 ならば、他の魔物に襲われたのか――という予想は、簡単にジャジーラを検死すれば、すぐに誤りだと分かった。

「胸元が切り開かれて、抉られている……コアを摘出したんだ。クラスメイトがいる」

「っ!?」

 僕の検死結果を聞いて、メイちゃんの警戒心が一段階跳ね上がったようだ。ハルバードを油断なく構え、広間の入り口を向く。

「かなり血が乾いているから、少なくとも半日以上は経過してる。ここを拠点にしていない限りは、もう近くにはいないと思うけど」

 もう少し、死体の検分をしておきたい。メイちゃんとレムには厳重な警戒態勢をとらせて、僕は他のジーラも含めて確認していく。

 まず、一番の大物であるジャジーラは、胸を切り開かれてコアを抉り出された跡がある。けれど、死因は頭部が半分ほど潰れていることから、強烈な殴打による撲殺と断定できる。

 このジャジーラは僕らが今まで見た奴よりも偉いのか、兜のように大きな貝殻を被っている。だが、その分厚い貝殻ごと頭が砕かれているのだ。

 打撃系の武技を使って、一撃で仕留めたと思われる。

 他のジーラも、似たような打撃の跡が見られた。頭がほとんど吹っ飛んだ奴に、胴体が歪に凹んでいる奴もいて、中々に凄惨な有様だ。

「ん、コイツは殴られてない……これは、焼けたのか」

 ここに転がるジーラの半分は撲殺されているが、もう半分は黒焦げになっている。

 これは、どう考えても炎魔法で焼いたとしか思えない。

 焼け焦げているのは全身ではなく、顔面や胸、腹、などピンポイントで狙われてる。室内だから大爆発の魔法は避けたのか。あるいは、急所を正確に焼く攻撃スタイルなのか。

 ジーラはゴーマ並みの雑魚モンスであることを差し引いても、ここでの戦いは中々に鮮やかな勝利を飾ったと思える。まぁ、このエリアまで進んで来れたなら、それ相応の実力も身についていて当然か。

「他に変わった外傷はナシ……ってことは、打撃技の戦士と炎魔術士のコンビかな」

 レイナのようなニート野郎を抱えていなければ、二人組の犯行ということになる。そして、僕には打撃と炎のコンビという条件に、すぐピンときた。

「大山杉野のゲイカップルか」

 まだヤマジュンもレイナも生きていた頃、ゴーマの城を突破して転移した直後に、現れてはコアを奪っていった奴らだ。

 自己紹介をした時、確かに大山は『炎魔術士』、杉野は『重戦士』と言っていた。

「どうするの、小太郎くん。殺すの?」

 殺す、と言えば躊躇なく殺しに行ける、という確固たる意志を秘めた視線で、メイちゃんが僕を見つめている。彼女には、あの二人にコアを奪われた経緯も話しているから、すでに敵対関係に近い状態ということは、理解もしている。

「……あまり、殺したくはないかな」

「でも、コアを奪ったんだよね?」

 ならば、殺されて奪い返されても、奴らは文句言えないだろう。残酷ながらも、実にシンプルな論理。

「命は奪われてないから、なんて言ったら、偽善に過ぎるかな」

「ううん、いいんだよ。小太郎くんがこれ以上、手を汚す必要なんてないから。全部、私に任せて」

 だって、狂戦士だから、なんて本気なのか冗談なのか、笑って言う彼女に、僕の心は少しだけ締め付けられた。

「いや、ごめん、気持ちの問題じゃないんだ。杉野の天職は『重戦士』でかなり強い。大山の実力も未知数だし。彼らと戦うのは、正直リスクが高すぎる」

 馬鹿正直に正面対決をしたとしても、あまりメリットはない。

「もし戦うなら、不意を突いて一気に仕留めたい。大山だけでも始末できれば、完全にこっちが優位に立てる……いや、これはむしろ、チャンスなのか」

 恐らく、このエリアに大山杉野がいると気付いたのは、僕の方が先だ。そう、向こうはまだ、僕らがここにいることを知らないのだ。

「分かった、それじゃあ二人を探して、襲う機会を待てばいいんだね。ふふふ、何だか、私達もラプターと同じことしてるね」

 そうだ、僕らも赤ラプターに追われている状態なのである。

 ラプターは僕らを追い、僕らはクラスメイトを追う。何とも奇妙な一方通行関係の出来上がり。

「下手すると、赤ラプターと二人を同時に相手することになる、けど……」

 上手く処理すれば、赤ラプターも倒し、二人も倒すことができるはず。もしかすれば、赤ラプターを誘導して大山杉野にぶつけることができれば――いや、待て、焦るな。

 二兎を追う者は、と言うじゃないか。それに、僕はこういうギャンブルめいた作戦は性に合わない。これでも僕は堅実な方だから。小心者ともいう。

「よし、決めた。まずは当初の作戦通り、ここを拠点にして赤ラプターの追撃部隊を叩いて、後顧の憂いを断つ。その後に、大山杉野の動向を探って、機会を窺う」

 大山杉野に焦って仕掛ける必要はない。もしかすれば、二人はこのエリアのボスに敗れて死ぬかもしれないし。

 向こうはまだ僕らの存在に気づいていないのだから、放置していても安全だ。急に引き返してこない限り、後ろを追う僕らのことに気づきようもない。

 だから、まずは僕らを狙う赤ラプターの対処が先。各個撃破は戦術の基本ってね。

「それじゃあ、まずはこのホテルをさっさと制圧しちゃおうか」

「うん、分かったよ」

 結論からいえば、もう他に魔物はいなかったので、早々に安全確保は終わった。

 ただし、このホテルには三つもの宝箱があって、それらは全て、先に訪れていた大山杉野コンビによって中身が持ち去られた後であった。

 早い者勝ちなのは当たり前のことだけど、空の宝箱を見つけるのが、こんなに悔しい気持ちになるとは……

第171話 見るからに分かりやすい囮作戦

 僕は今、一人で砂浜へと出てきている。

 無事に制圧して拠点としたホテル、その目の前の広がっているビーチで、のんびり日光浴だ。上半身裸の水着姿で、丸腰であることは一目瞭然。

 その辺の木を材料にして、再びビーチチェアとテーブルを作ってセッティング。キンキンに冷えた水が満たされたカップをテーブルに置いて、準備完了。

 僕は満を持して、チェアに寝そべり、無防備な眠りの体勢へと入った。

「これで釣れればいいんだけど」

 と、僕はビーチでくつろぐ僕を眺めながら、つぶやいた。

 ビーチで日光浴させているのは、勿論、僕の分身たる『双影ふたつかげ』である。

 赤ラプターの一番の狙いは恐らく僕で、そして、夜襲の時に『双影』は使わなかったから、この呪術の存在を奴は知らない。

 だから、これ見よがしに『双影』を囮として、赤ラプターを誘き出すのだ。

 僕とメイちゃんと黒騎士レムは、エントランスの窓辺に陣取り、無防備な半裸の僕に向かってラプター共が襲い掛かって来るのを待ち構える。

 一階エントランスは、入り口を含めて外から中が見えないよう各所に板を張ってある。魔物の侵入を防ぐには役に立たない薄いベニヤ板みたいなものだけど、遮蔽物としては十分。

 こういうちょっとした工作なんかも、『簡易錬成陣』があれば楽に仕上げられる。半日もあれば完了したよ。

 他にも、新しいレム三号機とかも作り直したりも――

「あ、小太郎くん、ラプターが出て来たよ」

「もう来たのか。思ったよりも早い、っていうか、やっぱりずっと監視してたんだな」

 森の方からヒョッコリ現れたラプターを確認してから、僕は一旦、『双影』の方へ意識を切り替える。

「出てきたけど、一体だけか。様子見とは、どこまでも慎重な奴め」

 現れたラプターは、普通の奴が一体だけだ。森の中にお仲間が潜んでいるのだろうが、ビーチの方まで歩み出てきたのはその一体のみで、後続はない。

 明らかに罠を警戒して、偵察のために派遣したとしか思えない。

「やっぱり、あからさますぎたかな……メイちゃんはそのまま隠れてて。ここはスケルトンだけで対処するから」

 本体に口だけ喋らせて、チェアに寝そべる僕は今やっと砂浜に現れたラプターに気づきました、みたいな態度で起き上がる。

「うわぁー、ラプターだぁ! こんなところまで出るなんてー」

 一応、下手くそな演技をしつつ、僕はビーチから慌てて逃げ出す。

「キョォアアアッ!」

 走り出した僕の背中に向かって、ラプターは鋭い鳴き声と共に駆け出す。

「うわー、たすけてくれー」

 緊迫感のない棒読みの悲鳴に合わせて、スケルトン部隊を繰り出す。コイツらは最初から、周囲の警戒も兼ねてホテルの外を歩かせている。スケルトンくらいなら、表に出していても余計な警戒を赤ラプターには抱かせないはずだから。

 ともかく、剣を振り上げてご主人様(偽)のピンチに、スケルトン共はガシャガシャ骨の足音を鳴らしながら駆け寄ってくる。

「キョアッ、キアアアーッ!」

 もう少しで僕の背中に追いつくところまで迫っていたラプターだったが、スケルトン部隊の出現を見て、すぐさま反転。森に向かって真っすぐ逃げ帰って行った。

「余計な戦闘は避けたか……まぁいい、罠を確信させるほどのボロは出てないはず」

 赤ラプター側から見れば、今の一幕は、僕がウッカリ油断して一人になったところを襲われ、運よく近くのスケルトン部隊が駆け付けるのに間に合った、ように思えなくもない。少なくとも、メイちゃんと黒騎士レムが手ぐすね引いて待ち構えている、という部分は一切バレていない

 赤ラプターとしても、これが僕の油断なのか、罠なのか、判断がつききらないはずだ。

「うーん、奴を誘き出すには、もう少し工夫が必要かな」

 結局、その日はもう、僕が再びビーチに出てもラプターが現れることはなかった。




 翌日、念のために僕はもう一度、同じような囮作戦を実施した。ただし、僕が一人きりでビーチでゴロゴロしているのは流石に誘ってるようでわざとらしくなるから、それらしい作業をさせることに。

 近くで狩って来た、アルパカ的な草食動物であるジャージャを、砂浜で解体する。新鮮な食糧の確保はどの道必要だし。まぁ、ついでみたいな作業である。

 僕は新造したレム三号機、ホテルにあったジャジーラの死体を流用した、のを相棒にして、メイちゃんの助言の元で、食肉の解体に挑んでいる。周囲には、それっぽい護衛役として、剣を持たせたスケルトンを二体ほど置いといてる。

 赤ラプター部隊の実力なら、襲えば瞬殺できる弱小戦力だ。

 しかし、昨日の今日で警戒しているのか、今回は偵察という名の捨石ラプターすら繰り出してこない。

「やっぱり、ダメだったか」

「グブブブ、ゴバァアアア!」

「うわぁ!? お前は呼んでない!」

 ラプターが出てこないと思ったら、砂浜から大蟹が現れた。ジャージャを解体した血の臭いにでも惹かれてやって来たのだろう。

「小太郎くん、倒しに行った方がいい?」

 エントランスに隠れている本体の僕に、メイちゃんが尋ねてくる。

「いや、分身と三号機とスケルトンだけで対処するよ」

 できれば、メイちゃんがホテルから飛び出してくる場面を奴らに見せたくはない。彼女がここに潜んでいる、とは当然予測しているだろうけど、予測と確信とでは、その情報の扱いは全く違ってくるからね。

 というワケで、メイちゃん&黒騎士レム抜きという、ちょっとした縛りプレイで大蟹の相手をすることにしよう。

「――あ、危ねー、ギリギリだったよ」

 甲殻の隙間から、剣を刺されて力尽きた大蟹が横たわる。

 ジャジーラベースのレム三号機は、まぁまぁのスペックではあるけれど、硬い甲殻の鎧を持つ大蟹相手には苦戦を免れえない。

 僕が『黒髪縛り』で抑えつつ、さらにスケルトンが捨て身で止めて、ようやく三号機が刃を通せる隙間を狙えるか、という際どいパワーバランスであった。一歩間違えれば、大蟹が僕まで肉薄し、鋭いハサミで一閃し、『双影』の存在がバレるところだった。

 赤ラプターなら、血肉の代わりに黒い魔力の靄を霧散させながら、死体が消滅するところを見れば、ソレが本物ではなく偽物なのだと気付くだろう。

「苦戦の末の勝利だけど……これでも、まだ襲ってこないか」

 大蟹相手に大騒ぎしながら戦っては、四体ほどスケルトンを犠牲にしつつも、勝ちを拾ったこの状況。勝利者であれば、油断も生まれるタイミングだけど、ラプターは現れない。

 やはり、メイちゃんと黒騎士レムが健在であると踏んで、警戒しているのだろう。

「僕の単独行動だけじゃあ、釣りきれないか……それなら、いいだろう、お望みの戦力分断をしてやろうじゃあないか」

 そのための実験も、すでに試している。それに、ちょうどよく大蟹の新鮮な素材も手に入ったことだし、何とかなるだろう。




「というワケで、今日から囮作戦2号でいきます」

 そのために必要なのは、レムの素材だ。とりあえず昨日の大蟹の甲殻は、鎧候補素材として利用させてもらおう。

 他に手持ちの素材としては、あの夜襲で返り討ちにしたラプター素材が少々と、前回のボス戦である触手回復するハイゾンビボスの素材が、これまた少々。いくら荷物持ち係のアラクネがいるとはいっても、積載量に限度はあるから、多少の素材しか持って来れない。

 そして、新たにレムの体を新造するなら、丸ごと死体一つ分くらいの、ベースとなる素材が欲しいのだ。

「なるべく強そうな魔物を狩ればいいんだね」

「でも、あまりに強すぎて、僕らが消耗するような相手は避けなきゃいけないけど」

 隙を見せれば赤ラプターが襲ってくるから、本末転倒である。

 というワケで、強い魔物素材は欲しいけど、あんまり強すぎる奴はスルーという、酷く微妙なラインを狙う魔物狩りを開始した。ついでに、このリゾート風遺跡群の探索も込みである。今度こそ、空けられていない宝箱を見つけられるといいな。

「小太郎くん、ジーラがいるけど、どうする?」

 最初に発見したのは、この辺ではすっかりおなじみのジーラ部隊。遺跡街でのゴーマと同じように、奴らも武器やアイテムを目当てに積極的に探索しているのだろうか。

「あんまり大した装備はしてないけど、探索の邪魔になりそうだから、始末しておこうか」

 こういう時は、先制攻撃をかけられる方が有利ってね。

 黒騎士レムは桜井君からの鹵獲品である『黒角弓』というかなり上等な弓があるし、三号機にだって、雛菊さん謹製の短弓があるのだ。僕は『ポワゾン』があるし、メイちゃんは石を投げるだけで十分な殺傷力を誇る。

 僕ら全員で遠距離攻撃による先制を仕掛ければ、ジーラ部隊はあっという間に全滅した。

 そうして、何の収穫もなく探索を再開。

 しばらくウロつくが、これといった魔物と出会うことはなかった。ジャージャをはじめ、温厚な草食の奴らが多い。この辺は随分と平和なエリアなのだろうか。

 かと思えば、いきなり建物の角から、ゴアの上位種であるグリムゴアが現れたりもして、焦って隠れることも。あの巨体で群れる魔物なんて、まだ相手にしたくはない。あんなのとやりあえば、本気で赤ラプターがトドメを刺しに来るだろう。

 なかなか、良さそうな魔物が見つからない。勿論、宝箱もない。

 いかん、これでは今日一日を無為な散歩で終わらせてしまうことに……と思い始めたあたりで、僕らは見つけた。

 見つけたというか、出くわした。小さな円形ホールみたいな建物の中に踏み込んだ時に、奴らはその中にいた。

「ブモモ、ボォオアアアアッ!」

 と、荒ぶる牛のような鳴き声を上げるのは、牛の頭……だが、体は四足歩行ではなく、二足歩行のゴリラのような体型だ。

 ミノタウルス、と呼んだ方がいいのか。いや、それにしては、ゴリラ成分が強すぎるように感じる。ボスのゴライアスが、頭だけ牛になったバージョンみたいな。

 よし、コイツの名前は『ミノゴリラ』だ。

「二体か……メイちゃん、いけそう?」

「うん。ゴグマよりは弱そうだから」

「それじゃあ、レムと二人でお願い。僕は外のラプターを警戒するよ」

「任せて」

 パワフルなミノゴリラには、こちらもメイちゃんと黒騎士レムのパワータッグで挑んでもらおう。こういう時は安心して任せられるよね。

「――小太郎くん、終わったよー」

 そして、実はミノゴリラには初見殺しのユニークスキルが! などということは一切なく、順当に戦いは終わった。

「よし、コイツをベースに、新しいレムの体を作るぞい」

 それでは、今回のレシピ。

 基本ベースとするのは、とれたばかりの新鮮なミノゴリラの死体。

 次に、完成後の鎧代わりの外殻として、大蟹の甲羅。サブとしてラプターの鱗と爪。

 それから、効果は未知数だけど、ハイゾンビのボス素材を惜しまず投入だ。

 あとは、いつも通りにマンドラゴラや、僕から採取できるアレなどを加えて、

「――『汚濁の泥人形』」

 完成だ。そこそこの魔力を持っていかれて、ちょっとフラつく。けど、ぶっ倒れるほどではない。

「グルル……ウゴォアアアア!」

「おお、何かいつもより魔物っぽい」

 元気な産声(?)を上げて、混沌の魔法陣から立ち上がる、レム四号機。

 黒騎士レムに匹敵するほどの大きな人型だ。その身に纏うのは、筋肉の鎧。マッチョなミノゴリラをベースにしただけある。

 いや、恐らくはハイゾンビボスの肉片も影響している。ベースはミノゴリラだけど、全体的なシルエットは、上半身が一回り大きい人間のようなマッシブボディだ。流石に、クリーチャー然とした異形のハイゾンビボスほど膨れ上がってはいないけど、それでも、似ているのはボスの方だと言える。

 あれくらいの量でも、こういう結果になるとは、もしかしてボスモンスターの素材は影響力が強いのだろうか。それともコレが特殊なのか、あるいは素材同士の組み合わせ・相性なんかもあるとか? ふーむ、これからもっと要検証かな。

 さて、そんなハイゾンビボスのようなパワフル体型の四号機だが、アイツと決定的に異なる点は、ミノゴリラ譲りの凶暴な猛牛染みた面構えと、大蟹から頂いた甲殻の鎧である。

 昨日、僕が必死こいて仕留めた一匹に加えて、さらにメイちゃんが軽く二匹仕留めてきてくれたお蔭で、甲殻だけはたっぷり使用できている。

 マッチョな巨躯を、ゴツゴツトゲトゲした蟹の甲殻でほとんどカバーできている。リビングアーマーの装甲ほどではないにしても、ラプターの牙では文字通りに歯が立たない防御力は軽くあるだろう。

「よしよし、中々の出来だな四号機は」

 ただし、コイツのスペックからして、やはり黒騎士レムと同時に行使するのは厳しい。動かせないこともないけど、やったら性能が落ちる。

 けど、これでいい。僕の制御力の限界を越えるだけのスペックを持つレムの新しい体をこそ、求めていたのだから。

「次は、いよいよ新呪術を試すか」

 正確には、ちょっと違うけれど。僕が授かった新呪術そのものには、目に見える効果はない。強いて言えば、そうだな……レベルアップシステムの解放、といったところだろう。


九十九つくも御霊みたま』:空の髑髏は虚無に非ず。未練と遺志は、まやかしなれども心を成し、途絶えた道を進む。その行く先は、正道か外道か。


 相変わらずの、フレーバーテキストという名の説明不足だが、これを得て変わった点はすぐに気が付いた。それは、何かにつけて便利な駒扱いをしているスケルトンを召喚しようと、『愚者の杖』を握った時のことだ。


『ハイゾンビ』:基礎的な使い魔の一種。スケルトンに筋肉と外骨格が付き、強化されている。


 今まで『召喚術士の髑髏』で召喚できる魔物は『スケルトン』のみだった。これに加えて『簡易召喚陣』と『同調波動エコー』、合わせて3つの初期スキル構成である。どう並べても、絶対に見落としは発生しないスキルの数。

 それが、まさかの4つ目である。

 というか、名前は本当に『ハイゾンビ』でいいのか。僕の勝手なネーミングが、まさかスキル名に正式採用されるとは。いや、僕が使うスキルだから、僕のつけた名前がそのまま反映されているのだろう。

「出ろ『ハイゾンビ』!」

 そして、杖を振るえば、スケルトン部隊召喚よりも多めの魔力が失われる感覚と共に、血のような赤い召喚陣から、つい最近すっかり見慣れた姿が現れた。

「ォオオオ、ウォオオアアアアアアアアッ!」

 元気な雄たけびを上げて、アスリートのような全力疾走。紛れもなく、ハイゾンビの召喚に成功した。

 勿論、呼び出した奴らは僕に向かって襲ってくる凶暴なアンデッドモンスターではなく、僕の命令に絶対服従の下僕である。

 ただし、一度に召喚できる数は7体までと少ない。それでも、ハイゾンビの力はそれを補って余りある。パワー、スピード、タフネス、どれをとってもスケルトンを遥かに上回る。

 そんな奴らが所詮は雑魚敵として処理できていたのは、敵を見つければ真っ直ぐ突撃する以外には行動パターンのないアホだから。けれど、僕の意のままに操作できるのならば、その限りではない。

「この『ハイゾンビ』なら上手くいきそうだな」

 うんうん、とそのスペックに満足して、召喚陣へと戻す。

 こうして、新しい召喚術を習得したワケだけど……これこそが、新呪術『九十九の御霊』の力なのだ。

 天職持ちの髑髏を嵌めた『愚者の杖』で行使できる能力は3つだった。恐らく、『愚者の杖』のみならば、増えることも減ることもなく、3つのままだったと思われる。他でもない、僕が使っていて、そんな気がしたのだ。

 だから、使い続けていれば熟練度が上がって新スキルが習得できるんだろ、みたいなゲーム脳全開の考えを、僕は抱くことはなかった。

 でも、ルインヒルデ様がそれを可能としてくれた。

『九十九の御霊』があれば、単なる遺骨でしかない頭蓋骨も、まるで生きているかのように経験によって成長し、新たな能力を獲得していく。説明文にある『途絶えた道を進む』とは、死んだ天職持ちが持ち得ていた才能、成長の余地を再現する、というような意味だと僕は解釈している。

 そして、それを正しい方向でレベルアップさせられるか、それとも極振り染みた変な成長をさせるかは、僕自身の手に委ねられている。この髑髏には人の魂などなく、ただ、呪術師が扱う道具であり、武器でしかないのだから。

「ここまでお膳立てされて、負ける気はしないな」

 試すべきことは全て試し、上々の結果を得ている。如何に狡猾な赤ラプターとはいえ、所詮は野生の魔物。

「人間に知恵比べで、勝てると思うなよ」

 というワケで、見るからに分かりやすい囮作戦2号、スタートだ。

第172話 囮作戦2号

「ウォオオオオオオオオオオッアアアアアアア!」

 けたたましい雄たけびを上げて、森の中を進む異形の人型達。生々しい赤い筋線維が剥き出しのボディに、骨のような白い甲殻を鎧のように纏っている、ゾンビよりも危険なアンデッドモンスター。 小太郎が『ハイゾンビ』と呼ぶ魔物が七体、海辺の森を全力疾走で駆け抜けていく。

「グゴ、ガガガ」

 そしてハイゾンビ達を引き連れ、先頭を進むのは漆黒の騎士。泥人形の栄えある初号機である、黒騎士レムだ。

 右手に槍、左手に大盾を携え、その重厚な巨躯にも関わらず、ハイゾンビと同じ速度で走っている。

「キー、チチチ」

 小さな羽音と、小さなさえずり。木陰から黒いスズメのような小鳥が飛び出すと、そちらの方向へとレムとハイゾンビ隊は足を向ける。

 黒い羽の小鳥は、勿論、レムである。

 戦闘能力を持たないか弱い小動物は、小太郎の制御力をほとんど消費しない、実に低コストのユニットとして使役が可能。戦う力は持たないが、空を飛ぶ羽と、それなりの視覚を有する鳥は、索敵役としてこれ以上ないほど適している。

 複数羽のレム鳥を放つことで、赤ラプターの率いる群れを探し出すのだ。

 小太郎から与えられた命令の第一目標は、赤ラプターの討伐。

 正確な群れの数は不明だが、黒騎士レムとハイゾンビ部隊ならば一方的に敗北することはない。上手くいけば、黒騎士の力押しで赤ラプターを討ち取ることもできるかもしれない。

 だが、それはくまで、相手と正面対決になった場合に限る。

「キョォオアアアアアアアアアッ!」

 森の一角にて、ついにラプターの群れが、レム達に襲い掛かってくる。

「グガガ!」

 今更、ラプター如きに遅れはとらない。鋭い槍の一突きにて、飛びかかってくるラプターを確実に仕留めつつ、大盾のガードで爪も牙も寄せ付けない。

 配下であるハイゾンビは、殴る蹴る噛み付く、くらいしか攻撃方法はないので、ラプターを一撃で倒すことはできない。だが、スケルトンを遥かに上回るタフネスとバイタリティとによって、ラプターに倒されることもない。アンデッドモンスターの面目躍如とでもいうように、ラプターの猛攻を耐え凌ぐ。

 そうして耐えていれば、すぐに黒騎士レムはトドメを刺してくれる。攻撃役と足止め役という役割分担によって、レムの部隊はラプターの群れを屠って行く――だが、一向にボスである赤ラプターが現れることはない。

 いや、レムはすでに知っている。自分が決して、赤ラプターとあい見えることはないと。

 それは予感でも予測でもなく、単純な事実として、己の目たるレム鳥からの視覚情報によって確定している。

「――ようやく来たな。待ってたよ、赤ラプター」

 そう、不敵な笑みを浮かべる主の姿を、また別の自分の視覚に収めながら、黒騎士レムは、そこで己の役目を全うしたことを確認し、その場で機能を停止した。




「――ようやく来たな。待ってたよ、赤ラプター」

 浜辺のど真ん中に佇む僕の前に、グルルル、と唸りを上げて、赤ラプターは姿を現した。次々と配下のラプター達も森から飛び出し、あっと言う間に包囲網を形成していく。

 うわ、思ったよりも多いな。夜襲で見た時よりも数が多い気がする。奴が率いる全戦力を投入といったところか。

「思ったよりもギリギリの戦いになりそうだ」

 赤ラプターが僕の前に現れたのは、エースの一角、黒騎士レムが僕の傍を離れたからだ。

 僕は黒騎士レムに、ハイゾンビ部隊を随伴させて、赤ラプターの討伐に向かわせた。運よくこれで倒せればいいけど、勿論、そんなことあるわけもなく、護衛の戦力が低下したこのタイミングを狙って、赤ラプターは動いたのだ。

 森の中は奴らの縄張り。そこそこの数のラプターを残しておけば、黒騎士レムをその場で足止めできる。事実、黒騎士レムはつい先ほどまでラプターの群れと戦闘をしていた。

 今は機能を停止して、ただの抜け殻になっているけれど。

「さぁ、来いよ。これで僕を守るのは、メイちゃんだけだぞ」

「キョォオオッ、ァアアアアアアアアアアア!」

 応えるかのように、赤ラプターが高らかに吠える。

 そして、それが開戦の合図となった。

 ラプター達は唸りを上げて、猛然と僕の立つ砂浜へと走り出す。

「朽ち果てる、穢れし赤の水底へ――『腐り沼』」

 珍しくフル詠唱で『腐り沼』を発動させる。

 この呪術は前の夜襲で見せている。すでに効果は明らかだ。

「ふーん、部下にも対策は教えたってとこ?」

 触れるだけで酸の毒によるダメージが発生するが、一瞬で致命的な負傷にはならない。足が絡んだり、長く浸かっていると取り返しのつかないダメージを食らうが、逆にいえばちょっとくらいなら耐えられないほどではない。

 そこでラプターのとった行動は、ジャンプである。

 広げた腐り沼は仕込みのお陰で、結構な面積を誇っている。ラプターの脚力をもってしても一っ跳びには越せない。けれど、途中で一回着地して、もう一回か二回、ジャンプすれば渡り切ることが可能。勢いに任せて飛び跳ね続ければ、ほとんど酸を食らわずに突っ切ることが可能――と、思うだろ?

「ギョアッ、ォボオァアアアア!?」

 先陣を切ってジャンプしてきたラプターが、沼のど真ん中へ着地すると同時に、溺れた。

 ドボーン! と盛大な毒の飛沫を上げて、ズブズブとラプターの体は沈んでゆく。

「馬鹿め! デカい水たまりじゃあないんだよ!」

 魔法陣を描いて、供物を捧げて、と一通りの儀式をすれば『腐り沼』は文字通りに沼のような深さにすることができる。面倒な手間がかかるため、普段の戦いでは使えないけれど、罠として仕掛けておくなら有効だ。

 これを使ったのは、ソロでバジリスクに挑んだ時以来。あれから、僕だって成長している。自分でも、儀式込みの全力発動の『腐り沼』がここまで大きく、深く、なるとは驚きだ。前のハイゾンビボスの時も、これだけの『腐り沼』が展開できていればヌルゲーだったのに。

 でも、久しぶりにデカデカと魔法陣をお絵かきして、せっせと血生臭い供物を用意するのは、やっぱり面倒くさいんだよね。今回は、全て囮役の『双影ふたつかげ』を操作してやったのだけれど、あんまり自分でやるのと手間は変わらない。

 まぁ、今回は囮を砂浜で遊ばせておくという時間もあったし、儀式の準備も良い暇つぶしになった。何より、これだけの効果を得られたのだから、作戦としては上々だろう。

「キョアッ、オウ、グォオウ!」

 一斉に飛び込んで行った先頭の数匹が毒沼に沈んだのを見て、赤ラプターが吠える。その途端に、後続の奴らが足を止めたから、恐らくは攻撃停止の命令を叫んだのだろう。

 毒沼の水際でラプター共はウロウロしたり、無意味に周囲をグルグル回ったりし始める。

今回の『腐り沼』は僕が立つ地点を中心に、ドーナツ状に沼を形成しているので、回り込むことも不可能だ。完全に包囲されるように、沼の向こうにはラプター達がひしめいているが、誰も足を踏み出そうとはしない。

 流石の赤ラプターも、深い毒沼の攻略に悩んでいる模様。あるいは、時間経過で効果が衰えるのか、待っているのかもしれない。

 だが、遠からず聡明な赤ラプターは撤退を選ぶだろう。僕という相手が、罠を張って待ち構えることができるということを学習し、今後二度と、僕が拠点で張っている間は襲わないことを選ぶはず。

 けれど、それではダメだ。より警戒心を高めた赤ラプターに、今後も狙われ続けるのは最悪のプレッシャーとリスクである。

「だから、お前はここで倒す。絶対に逃がさない」

 さぁ、ここでいよいよ、本日の主役の登場だ。ザッパーン! と海から勢いよく飛び出してくるのは、ヒレを持つ魚人ではなく、角を持つ猛牛頭の巨躯。

 レム四号機、通称ミノタウルス。ハイゾンビボスとミノゴリラ譲りのマッシブボディと、大蟹甲羅の鎧兜を纏った、期待の新人、もとい新型機である。

 右手には大剣、左手にはメイス、それぞれ黒騎士から流用した武器を握りしめ、ヤル気満々といった様子。

「よしよし、『乗り換え』は上手くいって良かった」

 黒騎士レムを突出させる、という戦力分断という愚を僕があえておかしたのは、帰って来られるからだ。物理的に存在している黒騎士のボディは、召喚術のように瞬時に呼び戻すのは不可能だけれど……レムそのものは、帰って来られる。正確には、レムの自我や魂といった本質の部分は、どうやら僕の本体の中にあるらしく、常に一緒。泥人形で用意した体は、『双影』と同じように操作するだけの器、アバターみたいなものに過ぎない。

 だから、レムには黒騎士から、この海の中に隠しておいた四号機ミノタウルスへと、操作する体を変更してもらった。

 強力な黒騎士とミノタウルスは、同時に行使することはできない。けれど、どちらか片方を動かすだけなら、十全に能力を発揮できる。そしてレムが体を変更するのに、何のコストも時間もかかりはしない。

 今頃、黒騎士の方は森の中で置物と化しているだろう。放置するのは心配だけど、頑丈だからラプター程度に齧られてもビクともしないから、問題なく後で帰還できる算段だ。

「グルルル、ギョワッ、クアアーッ!」

 ミノタウルスの出現で、赤ラプターが上ずったような声を上げていた。流石に焦っているようだ。

 そりゃあそうだろう。黒騎士レムが分断されたからこそ、有利と判断して襲ってきたのに、黒騎士に匹敵する戦力が新たに出現したのだ。作戦の根底がひっくり返ったも同然。

 僕が張った深い毒沼は、まだいい。一度撤退すれば、次に生かせる程度の障害。だが、このミノタウルスは、自身の退路すら危うくなる。

「雑魚はどれだけ逃がしてもいい。でも、赤タプターだけは絶対に逃がすな」

 前方には、突破不能な深き毒沼。そして今、後方をミノタウルスが塞ぎにかかる。

 ダメ押しとばかりに、ここで魔力を振り絞ってハイゾンビを再召喚。黒騎士に随伴させた方はラプター相手に全滅しているので、魔力さえつぎ込めば、また7体を新たに召喚することが可能である。

 さらにオマケで、今ならスケルトン部隊13体もおつけします!

 召喚術を一気に全力行使したら結構ごっそり魔力が持っていかれたよ。でも、これで戦況は一気に優位に傾いた。あともうちょっとだ、頑張れ僕。

「ウゴゴゴ、グガァアアーッ!」

 ミノタウルスの雄たけびと共に、ハイゾンビとスケルトンが唸りを上げて、大将たる赤ラプターの首を目指して、敵陣に突撃を仕掛けた。

「キョォアアア、アアーッ!」

 そこから先は、ミノ・ハイゾンビ・スケルトン混成部隊と、ラプター軍団との、壮絶なモンスターバトルが繰り広げられた。

 ミノタウルスは黒騎士並みのパワーでもって、大剣とメイスを振り回し、飛びかかるラプターを次々と薙ぎ払う。ハイゾンビとスケルトン達も恐れ知らずにラプターに向かってゆき、赤ラプターへの道を切り開く。

 だが、死にもの狂いで反撃するラプターによって、ハイゾンビの体は爪に引き裂かれ、牙で食い千切られ、次々と散ってゆく。スケルトンは、さらに凄い勢いでどんどんぶっ壊される。

「じゃあ、どんどん追加で」

 まだ僕の魔力は残っている。ハイゾンビもスケルオンも、やられた端から再召喚で戦力補充。戦力の逐次投入って最下策だけど、7体という定数が決まっている以上は仕方がないよね。うーん、使い続けていれば、最大数の上限も上がるのだろうか。

 そんなことよりも、そろそろ僕の魔力ががが……

「グルル、キョアワッ、ギョオアアアッ!」

 さて、事ここに及んで、いよいよ赤ラプターも進退窮まり、覚悟を決めたといったところか。

 毒沼の向こうで、偉そうに腕を組んで仁王立ちしている僕に向かって、射殺さんばかりに鋭い視線を向けてくる。

 どうやら、リスクと犠牲を覚悟で、僕を狙ってくるようだ。

「ォオオオアアアアアアアアアアッ!」

 赤ラプターの号令一下、ラプター達が最初と同じように、一斉に毒沼へと飛び込んできた。

「黒髪縛り」

 当然、次々と沼に沈んでゆき、僕の下には到底、辿り着くことはできない。この深さでは、群れの全てを放り込んで、ようやく水面まで届くかどうかといったところ。

 簡単に、死体で架け橋などできるものか。

 僕は念のために『黒髪縛り』で飛んでる奴らの邪魔をしながら、着実にラプター共を毒の水底へと引きずり込んでゆく。

「グァアアア! ギョォオアアア!」

 悲痛なラプターの叫びがそこかしこで上がり、最早、戦いというより虐殺のような凄惨な光景となりつつある。でも、悪いけど僕には敵に容赦ができるほど、強くはないんだよね。

「グォオオオアアアアアッ!」

 ほらね、油断したら即死だよ。

 獰猛な叫び声を響かせて、僕の頭上から飛び掛かって来たのは、やはり、赤ラプター。

 仲間を次々と毒沼に沈ませて、橋はできなかった。けれど、即席の足場にはなった。

 赤ラプターは沈みゆく仲間を踏み台にして、見事に毒沼を渡り切り、武器も持たずに海パン一丁の無防備極まる僕に――僕の偽物に向かって、その爪と牙を突き立てた。

「ようやく、ここまで来てくれた。待ってたよ――黒髪縛り」

 単なる分身に過ぎない『双影』に、痛みはない。何の危険もない代わり、その身に『痛み返し』も宿らない。

 でも『黒髪縛り』くらいなら使えるんだよね。痛みも恐怖もないから、僕は死の寸前、もとい分身が消滅するその瞬間まで、全力で戦い続けることができる。

「クワァアアアっ!?」

「あはは、やっと気づいたか。僕が偽物だと見破れなかった時点で、お前の負けなんだよ」

 深々と僕の白い貧弱なボディに喰らいついて、ようやく人間ではない、血の通う動物ではないことに赤ラプターは気が付く。

 魔力の塊でしかない影の体は、実に味気ないだろう。悪いね、最後に口にできたのが、こんな水よりも歯ごたえの無い肉体で。

 全て、自分をここまで誘き寄せるための罠だったと、赤ラプターならば悟っただろう。偽物の僕に拘束され、彼の心中は如何ほどか。

 死にもの狂いで、それでいて、冷静な戦士のように、素早い身のこなしで偽の僕を爪で切り裂き、体を縛る黒髪を尻尾のノコギリ刃で切り払う。

 けど、どんなに速くても、この一瞬、ここで動きを止められたお前の運命はもう変えられない。

「ハァアアアアアアアアアアアアッ!」

 死神の鎌、いや、狂戦士の刃が、振り下ろされる。

 ホテル三階で待機していたメイちゃんが、そこから全力の大ジャンプをかまして、ここへ斬り込んできたのだ。

 ホテルからここまでは、それなりに距離はある。赤ラプターとしても、もしホテルからメイちゃんが現れても、すぐに察知して退くことができると考えていたはずだ。

 潜むには近すぎず、ギリギリで襲撃を決意させる程度の距離。この数十メートルを、一度で跳躍できるメイちゃんの身体能力があるからこそ、最後の必殺の罠は完成した。

 偽物の僕を囮に赤ラプターを誘き寄せ、メイちゃんが仕留める。

「ふぅー、囮作戦、成功だ」

 分身が消滅し、本体へと意識が戻った僕は、ホテルの上から、赤ラプターの首を掲げながら、笑顔でこっちに手を振るメイちゃんと、その後ろで、散り散りになって逃げだすラプター達の姿を眺めながら、見事な勝利に満足した。

第173話 赤い新車

「キョォオアアア、グガァアアアアッ!」

 と、猛々しく吠えるのは、燃えるような真っ赤な鱗の赤ラプターである。

「おおー、いいぞー、カッコいいぞー」

 僕はそんな赤ラプターに抱き着いては、頬ずりをして大満足。いやぁ、強敵だったからこそ、喜びも一入といったところ。

 勿論、この赤ラプターは『屍人形』である。

 実は一目見た時から、コイツには乗ってみたいと思っていたんだよね。そもそもラプターの騎乗動物としての有用性は僕自身がすでに証明している。まだまだ先の長そうなダンジョン攻略だ、足があるに越したことはない。

 普通のラプターでも良かったのだけれど、こんな明らかに特殊な個体を見てしまったら、欲しくなるのが人情というもの。

 通常よりも一回り以上は大きい立派な体躯。鋭い二本の角は生えてるし、何よりこの目立つ赤色は、由緒正しい専用機カラーリングだ。

 うーん、素晴らしい。赤いスポーツカーでも買った気分だよ。カウンタックとか渾名でもつけちゃおうかな。

「ねぇねぇ、メイちゃん。スポーツカーって言ったら、どんな名前が思い浮かぶ?」

「うーん、アルファロメオ?」

「よし、お前の名前はアルファだ!」

 いつまでも赤ラプターと呼ぶのもアレだしね。

「それじゃあ早速、アルファの乗り心地を試させてもらおうか」

 僕が言うと、赤ラプターの三号機こと『アルファ』はクルルーと可愛らしい声を上げながら、素直に体を下げてくれる。あの狡猾にして凶暴なボスから、この従順なレムに変わるギャップが堪らない。外見はほとんど変わらないのに、今ではこんなに可愛く見えてくる。

 そんな可愛いアルファちゃんには、この時のために作っておいた、新しい鞍と鐙を装着だ。ラプター用の鞍は密林塔でありあわせの材料で作ったけれど、今回はそこそこ素材は充実しているし、僕自身も一度作った経験値に加えて、さらに『簡易錬成陣』の加工力もあるのだ。前回の作品とは、比べ物にならないクオリティになったと自負できる。

 赤ラプターの外観から、おおよその大きさを推測しながら作っておいたけど……よし、なかなかピッタリじゃあないか。もしかして僕、生産職の方が向いてるのかな。習得した呪術も割と生産系に使えるものも多いし。どうでしょうか、ルインヒルデ様。

 ともかく、気合いの入った革張りの鞍と鐙を装着し、騎乗準備は完了。

「よぉーっし、これで夕日の海辺を爆走だっぜ!」

 颯爽と跨り、手綱を握り、テンションの上がった僕の叫びと共に、赤い新車はエンジン全開で走り出し――って、速っ!?

「小太郎くん、大丈夫? 怪我してない?」

「ふへへ、大丈夫。ありがとね、メイちゃん」

 予想以上の急加速に耐えかねて、あえなく落馬もとい落竜した僕は、万が一のために待機していたメイちゃんによってキャッチされた。ああー、いいっすねぇ、この後頭部を包み込む特大エアバックの感触……などと、デレデレしている場合ではない。

 決して胸の感触など楽しんでいませんよという澄まし顔で、心配そうなメイちゃんに無傷をアピールしつつ、物凄く申し訳なさそうに戻ってきたアルファを撫でる。

「いやー、ごめんごめん、僕の騎乗スキルがクソ過ぎたせいで起こった事故だから、レムは気にしなくていいよ」

「クルルー」

 と、落ち込んだ感じのレムを慰める。そういえば、以前にレムはアシダカ蜘蛛になった時、急に走るな、走り続けるな、と僕にお叱りを受けている。騎乗関係にはレム自身、気を付け続けていた点かもしれない。

 そういう部分でまたミスをした、と思ってしまえばショックもマシマシというもので……しかしながら、今回のは騎乗者としての僕があまりにも貧弱すぎたことが問題だったと思っている。もうちょっとでも握力か根性があれば、手綱を離さずに済んだんだけど。

「とりあえず、アルファを乗りこなすのは、要練習ってことだね」

 あとは、黒髪縛りでシートベルトでもしておくか。完全に括り付けられているだけの姿になりそうだが、背に腹は代えられない。アルファを全力で飛ばさなきゃいけない時なんて、きっと命の危機で決死の逃亡を図っている最中だろうからね。

 ともかく、赤ラプターを倒し、屍人形へと変え、全ての目的は達した。もうこれ以上、この素敵なロケーションのホテルに滞在する理由はない。

 少々名残惜しいけれど、出発するとしよう。




 翌朝、出発準備も整え、僕の魔力も回復し、予定通りにホテルを出た。

 思えば、昨日の赤ラプターとの戦いは、珍しく僕がメインの戦闘だったよね。メイちゃんは確実なトドメ役として最後まで隠し通していたし。

 今やレムだけでなく、スケルトン&ハイゾンビという便利な捨て駒もいるから、毎回メイちゃんを前衛に出す必要性もないわけだ。今まで常に最前線だった彼女には、少しでも楽をさせてあげられたら、という男心と、適当な雑魚相手に連戦して疲れが溜まったらいざという時に困る、という合理的な戦力温存としての理由もある。

 これからは僕とレムだけで対応できる相手なら、それだけで戦った方がいいだろう。もっとも、その程度の魔物ばかりが出てくるなんてことはありえないけど。

「すっごい今更だけど、何か僕だけ乗り物に乗っててごめん」

 意気揚々とアルファに跨り歩き出したはいいものの、隣を歩くメイちゃんを眺めていて、ふと気づいてしまったのだ。女の子だけ歩かせて、自分はバイク乗ってる野郎とかいたらクズじゃん?

「ううん、いいんだよ。全然、気にしないで」

 天使のような笑顔で応える彼女の姿に、罪悪感が。

「それに、私はこっちの方がすぐ動きやすいし、いざという時はレムちゃんが小太郎くんを乗せて逃げてくれるから、安心だよ」

 そして自分の守られっぷりに、情けない無力感が……いや、仕方がない、この貧弱ぶりは僕が天職『呪術師』を授かった時点で定められた宿命なんだから。

 もう今更、ルインヒルデ様に「チートな身体能力くだしあ!」なんてお願いできないし。

「ありがとう。そう言ってもらえると、助かるよ」

「私のことは気にしないでいいよ。小太郎くんも、乗りたかったんでしょ?」

 うわー、僕の子供じみたライディング願望まで見抜かれていて、恥ずかしい。

 ともかく、気持ち的にも現実的にも、メイちゃん用の騎乗レムを用意する必要性はなさそうだ。確かに、いざって時は何かに乗っているよりも、徒歩でいる方が素早い対応が可能。少なくとも、アラクネの蜘蛛糸一本釣りくらいまでは、対処できることが証明されているし。

 そんなワケで、僕だけアルファに乗って、海辺の遺跡街を進んでゆく。

 先頭を行くのは、無事に森から帰った黒騎士レム。次に僕とメイちゃんが続き、後ろにはすっかり輸送部隊ぶりが板についてきたアラクネ。

 それから、最後尾には四号機ミノタウルスがノシノシ歩いてついてきている。

 黒騎士とミノタウルスを同時に使わないのは、あくまで戦闘面でのスペックが落ちるからであって、同時に動かせないワケではない。

 ボス素材もつぎ込んだミノタウルスの性能は、なかなかのものだ。昨日の戦いぶりからでもそれは明らかで、あの一戦で使い捨てるには勿体ないかなと。基本、僕ってケチだしね。

 なので、黒騎士レムの予備機体として、ミノタウルスも同行させることにした。とりあえず、歩いてこさせる分には支障もない。

 しかしこれ、傍から見れば、リビングアーマー、赤ラプター、アラクネ、ミノタウルス、とそれなりの魔物が四体も揃っているんだから、結構なモンスター部隊だよね。これにオマケでハイゾンビとスケルトンもついてくるわけだし。

 うっかりクラスメイトと出くわしたら、弁解の余地なく戦闘に突入してもおかしくない面子だ。

「でも、今回はこっちが先に捕捉できているから……メイちゃん、そろそろ近いよ」

「うん、分かったよ」

 全体、一時停止。僕もアルファから一旦、降りる。ここで休憩タイム、というワケではない。

「ここから1ブロック先にある、僕らが拠点にしてた海辺のホテルみたいなところに陣取っているらしい」

「私が先に行って見てこようか?」

「その前に、レムだけで先行させる。もっと詳しく状況を見てから、接近しよう」

「ねぇ、小太郎くん……殺すの?」

「それは、あの二人の実力次第かなぁ」

 大山大輔と杉野貴志。あの二人のことを、僕はずっと探していた。

 拠点にしていたホテル内に、二人が戦闘した痕跡を発見してから、とりあえずその辺の鳥を出来る限りレム化させて、彼らの捜索も開始した。

 第一の目的としては、大山杉野コンビが、赤ラプター迎撃のためのホテル近辺にいるかどうか、警戒するため。ほぼ敵対が確定している奴らが、囮作戦中に乱入されては堪らない。僕らの存在には気づいていないとは思うが、それでも近くに潜伏していた場合、無用なリスクを背負う事になり、そうなると囮作戦も根本から見直さないといけなかった。

 幸い、レム鳥達の警戒網によって、本命の赤ラプター軍団の動きは捕捉できていたし、大山杉野も近くにはいない、ということも判明した。

 無事に赤ラプターを納車することに成功したワケだが、大山杉野の動向は探り続けなければいけない。囮作戦が終わっても、予期せぬタイミングで奴らと鉢合わせるのは御免だ。

 そして現在は第二の目的として、彼らの捜索と追跡を行っており……今さっき、先行させていた鳥が戻り、現在の二人の正確な所在地を掴んだということだ。

「僕らが先に向こうを発見しているのは、大きなアドバンテージだ。チャンスがあればコアを取り戻すために襲ってもいいし、全く隙がないほど強ければ手を出さない方がいい」

「それじゃあ、ひとまずは観察? 監視? するっていうことになるのかな」

「うん、そういうこと」

 欲しいのは、何よりも情報である。

 あの二人がそれなり以上の戦闘能力を有しているのは明らかだ。特に杉野は山田を瞬殺してみせたように、『重戦士』の硬い防御力に加えて、リアルの格闘スキルも合わせ持っている。多分、いくらメイちゃんでも、首を絞められれば山田と同じようにあっさりダウンさせられてしまうだろう。素手による格闘戦は避けて欲しいところだ。

 大山の方も、ホテルで見たジャジーラの死骸からして、中々の火力がありそうだ。そもそも、火属性といえばファンタジー作品でも攻撃魔法の花形だ。でも個人的には、ホテルのジャジーラとの戦闘の跡を見るに、壁や天井に余計な焦げ跡がみられかなかったことから、大山は大火力をぶっぱなすのではなく、正確に火球をコントロールしてぶつけているように思えた。

 炎の攻撃力に、正確無比なコントロール力もあるとすれば、かなり厄介な後衛である。

 現時点で予測できる二人の能力はざっとこんなところだけれど、切り札なんかを隠し持っている可能性は高い。彼らの手札を、道中での魔物の戦闘とボス戦とで、出来る限り明らかにしておきたい。

「できれば、このエリアのボスを二人に倒してもらって、横取りできればベストかなぁ」

「小太郎くんは、あんまり二人のこと、殺したくないの?」

「どうだろう……今更、人殺しに抵抗が、なんて言っても説得力ないし」

 僕はすでに、二人もの人間を殺している。樋口恭弥と、レイナ・A・綾瀬。そのことを、後悔はしていない。あの二人は、どうしても僕が殺さなくてはならない、紛れもない敵であったから。

 そう思えるだけの動機があったんだ。でも、大山と杉野の二人には……確かに、コアを奪われたのは屈辱だし痛手ではあったけど、殺したいほど憎いかと問われれば、ノーと言わざるを得ない。

 恨みが足りない。憎しみが足りない。

 けれど、二人を殺すことには確かな理がある。敵対者である二人を排除することは、イコールで僕らの安全に繋がるのだから。

「ごめん。やっぱり、積極的に殺したくはないかな」

 己の利のためだけに、躊躇なく殺人ができるのは、樋口と同じ冷酷非道である。そんなアイツと同じになるのは御免だ……なんて、誇り高い理由が言えればカッコいいんだけれど、あんまりそういうプライドは湧いてこない。

 端的に言って、怖いのだ。

 ここまでダンジョンを進んでおきながら、人を二人も手にかけておきながら、それでも僕はいまだに、冷酷な殺人マシーンになれるほど、精神力が強くはない。

 呪い殺してやる。そう心から思えるような相手でなければ、人殺しをする決心もつかないとまぁ、そんな情けない感じである。

「ううん、いいんだよ。小太郎くんは優しいから」

「身内に甘いだけだよ」

 その程度なら、誰だってもってる当たり前の気持ちだよ。ほら、ヤンキーとかヤクザとかも、仲間内とか身内に対しては優しいでしょ?

「ふふふ、私は分かっているから。そう、だから、私がやってあげる。小太郎くんが手を汚す必要なんて、どこにもないんだよ」

「いやぁ、それはそれで、罪悪感のある行いだと思うんだけど」

 トドメだけ人に任せて、自分は不殺を貫いた聖人君子だと胸を張れっていうの? いいね、それ、大真面目にそんなことを言えるなら、自分だけ超高性能なワンオフ機に乗りながら、戦場で敵の雑魚機を手足や武器だけぶっ壊して無力化する、不殺無双も心から楽しめそうだよ。戦場で武器もなく、動けなくなった敵の末路なんて、考えるまでもないというのにね。自分はトドメは刺してないから、人を殺していないから、壊しただけだから。確かにそれは事実ではあるけれど、現代の法律だと、明らかに死ぬと分かっていながら放置するのって、普通に罪に問われるはずだよね。パチンコしに行く間に車に赤ちゃん放置していくのは、ほぼ殺人なんだよね。

「だから、あの二人を殺さなきゃならないなら、一緒に殺人罪を背負ってくれる方が気が楽かな」

 うん、その辺がちょうどいい。一方的に甘えるよりも、共犯者という方がよっぽどマシだ。

「そっか、じゃあ、その時は、二人だけの秘密だね」

 あーあ、折角のロマンチックな台詞が、秘密の内容が血生臭いせいで台無しだよ。

「ともかく、まだ二人を殺すかどうかは未定だから。まずは監視を徹底して、その上で方針を決めよう」

 結局、僕は覚悟をうやむやにしたまま、行動を起こすことにした。

 メイちゃんにここまで言わせて「うん、殺す!」と笑顔で応えられない辺り、男としては情けない気もするけれど、自分で自分のメンタルを守るのも、大切だと僕は思うんだよね。

第174話 トラウマ覚悟の監視任務

 青い海、白い砂浜。燦々と陽の光が降り注ぐ真夏風のビーチを駆け抜ける、二つの人影。

「へへっ、何やってんだ、遅ぇーぞ、タカ!」

 波打ち際を、飛沫を上げながら走る先頭は、大山大輔。

 海パン、ではなくピッチリしたボクサーブリーフ一枚の下着姿である。空手部の練習と自主練とで鍛え上げられた、引き締まった肉体に大粒の汗が浮かぶ。坊主頭に鋭い強面の大山だが、ガキ大将のような無邪気な笑顔を浮かべて、走り続けていた。

「はぁ、はぁ、おーい、待てよぉ、大ちゃーん!」

 やや遅れて大山を追いかけるのは、杉野貴志。

 彼もまた海パンはなく、下着一枚の格好。ただし、履いているのは高校生にあるまじき、際どいV字を描く真っ赤なブーメランパンツである。

 大山よりも一回り以上大きい、熊のような大男の杉野が、汗だくのガチムチボディで疾走する様は、爽やかさの欠片もない凄まじい暑苦しさ。

 それでも、「待て待てー」と追いかける杉野は喜びに満ちた表情であり、「早くしろよ!」と呼ぶ大山も笑顔が絶えない。

 何がそんなに楽しいのか、そもそもどうして追いかけっこをしているのか。良く分からないし、もう理由なんてどうでもよかった。

 あの眩しい太陽の光が、男二匹を熱くさせる。この真夏の海が、野郎二人を盛り上がらせる。誰もいないプライベートビーチ同然の解放感。曝け出した逞しい肉体、噴き出す汗、荒い吐息……今はとにかく、男の野郎が熱くてアツくて堪らない。

「ほらっ、捕まえたぞぉーっ!」

「あっ、くそぉ……離せよぅ」

 野太い杉野の両腕が、ガッチリと大山の体を後ろから抱きしめる。離せ、離せ、と言いながらも、モジモジと身をよじるだけで、全くその拘束から逃れようとはしていない。

 ピタリと密着した男達の肌がこすれ合い、互いの汗が混じり合い、濃密なオスの臭いに包まれて、興奮のボルテージはグングン上がりビンビンに。

「ダメだよ、絶対に離さない」

「ったく……しょうがねぇな……」

 抱きしめられた杉野の腕の中で、どこか艶っぽい溜息を吐きながら大山は正面を向きなおる。

 目の前には、ダンジョン生活でもスタイリッシュなソフトモヒカンを維持している、柔和な目をした大人びた顔の杉野の顔がある。菩薩のような優しい微笑みを浮かべながらも、その上気した肌に、ダラダラと流れ落ちる玉の汗は、愛しさと切なさの向こうで燃え上がる、強烈な欲を感じさせる。

 一方、そんな杉野の目に映るのは、自分の前でしか見せない羞恥で真っ赤になっている大山の顔。鋭いナイフのような一重の目も、固く引き結ばれた口元も、このぶっきらぼうな空手少年の全てが可愛らしくてしょうがない。

「んっ……」

 どちらともなく、重なる唇。

 最初はついばむように、けれど、すぐに蛇が絡み合うような激しいものへ――

「んっ、ちょっ、タカ、これ以上はダメだって」

「ごめん、大ちゃん。でも、我慢できないよ」

「こんなところじゃ、ちょっと……せめて、広場に戻ってから」

「いいじゃないか、どうせ、誰も見てないんだ。ここには私と大ちゃんの、二人っきりだよ」

「そーゆう問題じゃ、あっ、おい、脱がすなって!?」

「大丈夫、大丈夫」

「大丈夫じゃねっ、あっ、ッアー!」

 男達の熱い夏は、まだ、始まったばかりだ。




「……見なきゃよかった」

 それは、僕の心の底から湧き出た後悔の言葉である。

 現在、僕は大山杉野コンビが潜伏していると思しき、第二海辺ホテルを監視するべく、『双影ふたつかげ』を使って、近くの廃墟ビルで隠れ潜んでいる。

 アルファに乗ってここまで来て、レム鳥達のアシストを受けながら、僕は二人を肉眼で監視すべく、こうして出張って来たのだ。本体の方は、臨時で拵えた廃墟の拠点内にて、ごろーんとお昼寝中である。すぐ傍でメイちゃんが料理をしているので、安心して放置できる。

 そうして分身の僕は、監視任務の際には恒例となった、手作りのギリースーツ(廃墟仕様)を纏って、ここまでやって来た。

 上手く二人を見つけることができるかどうか不安だったけれど、幸いにも、あの二人はのこのこと見晴らしの良い浜辺へと現れた。

 そして、きっと僕の幸運はここで使い果たされたのだろう。

 二人は、海パン代わりの下着姿で現れた。この時点で、もう嫌な予感がした。そして、ホテルから出てきた二人が、がっちりと手を繋いでいるのを見て、確信する。だって、恋人繋ぎなんだもん……

 そして始まる、男二人による壮絶なイチャイチャ劇。ゆっくり浜辺を散歩したり、水をかけあって、キャッキャとはしゃいじゃったりしてさぁ……挙句の果てに、あの波打ち際の追いかけっこである。

 お前ら昭和のカップルかよ、と言いたくなるが、彼らは現代に生きるゲイカップルである。そして僕は、生々しい男同士の愛の営みなど、詳しく知りたくない。嫌じゃ嫌じゃ、そんなの知りとうない……

 追いかけっこしていた杉野が、大山を捕まえたあたりから、地獄が始まった。そこから先は、詳しく見ていない。直視するのがはばかれるからだ。

 レム鳥には、二人が離れたら、僕を呼んでとお願いしてある。

 いいねぇ、レムは。人間じゃないから、男同士が濃厚に絡み合っていようが、虫の交尾より感じ入ることが何もない。

「はぁ……」

 気分が落ち込んでくる。もう何も考えたくない。特に男の姿なんて見たくない。ちくしょうめ、監視を終えて戻ったら、不審がられてもいいからメイちゃんのことをジロジロと見てやる。舐め回すように見てやる、特に、胸とかお尻とか、男では決して持ち得ない魅惑の曲線美を、僕は生きて帰ったら堪能するんだ!

「あー、もう帰りてぇー」

 一人でモチベーション保つのも限界だよ。あんなモン見せつけられてさぁ。

 でも、頑張るよ。僕らの進退を決める、重要な任務だからね。僕も言いだしっぺだし、後には退けないし。

 ゲイカップルの生態に詳しくなんかなりたくないけど、きっちり監視任務はこなしてやんよ。

 なんて、決意は固めるけど、今の僕、生気の抜けた青白い顔をしていると思うんだよね。

「クゥーン、キュー」

 テンションがダダ下がりの僕の様子を心配してか、傍らに控えるアルファが、スンスンと鼻先を僕にすりつけてくる。

「あぁー、レムは良い子だなぁー、良い子、良い子」

 ペットって、人の心を癒してくれる、素晴らしい存在ですね。ペットは家族です!

 でもアルファ、お前は真っ赤で目立つから、もうちょっと身をかがめていような。




 大山と杉野は、しょっちゅう盛るために大いに僕の精神力と正気度を削ってくれたが、それでもレムの警戒網と『双影ふたつかげ』による監視体制は、思ったよりも上手くいっている。

 二人の監視を始めて、早三日。

 今のところ、二人に気づかれた様子はない……と、思いたい。こっちはあくまで、僕の視界に届く範囲で見ているだけで、盗聴器で二人の会話まで拾えているわけではない。

 いくら普通の鳥や小動物としてレムを使えるとはいえ、あまりに近づけさせると、天職持ち特有の勘の鋭さによって、使い魔の類であると気取られる危険性が高い。

 三日もあれば、彼らもほどほどに移動を始めている。第二海辺ホテルで熱い夜を過ごした後、スッキリ爽やかな顔で二人は出発している。

 それを、アルファに乗った『双影ふたつかげ』の僕が追いかけ、さらに一定の距離を置いて、本物の僕とメイちゃんがいる本隊が続く。僕の意識は基本的に分身の方に割いて、二人の道中の監視に努める。その間、僕の本体は眠った状態になるけれど、アラクネに、新しい荷物として載せておけば運搬は可能だ。どうせ眠ってるし、乗り心地はそんなに気にしなくてもいい。本隊にはメイちゃんも黒騎士レムもいるし、いざという時はすぐに目を覚ますこともできるから、さほど心配はしていない。

 そうした監視体制の元で、二人の戦力を計っているのだが……この辺で出てくる魔物が、ジーラを中心に、大蟹とか、その他諸々の雑魚が多いので、二人の実力を引き出す相手としては弱すぎる。

 確認できたのは、予想通りの戦いぶりだけ。

 杉野は天職『重戦士』の防御力を活かした大胆な立ち回りで、迫りくる相手を巨大なメイスを振り回して蹴散らし、大山は天職『炎魔術士』の基本的な攻撃魔法である『火矢イグニス・サギタ』という火の玉を放って、援護射撃や弓持ちなどを爆散させている。

 大山は運悪く、いまだに魔法の杖を手に入れてないようで、素手のまま魔法を使っていた。

「セイヤッ! セイヤぁ!」

 と勇ましい掛け声と共に繰り出される拳。その先から、ボウッ! と勢いよくソフトボールサイズの火球が放たれる。その空手っぽい掛け声はいるの? それが詠唱代わりになってるの? 魔術士らしくないスタイルだが、『火矢イグニス・サギタ』を素早く撃ち出し、正確に命中させていることから、やはり炎魔術士としては十分な力を持っていることは間違いない。

 ジーラの数が多かった時などは、ちょっと気合いを入れてから拳を繰り出し、バレーボールサイズの大きな火球なんかも撃ち込んでいた。着弾すると結構な範囲で爆発し、さらには炎がまき散らされ、なかなか凶悪な威力を誇っていた。『火矢イグニス・サギタ』よりも強力な攻撃魔法である。

 現状で確認できた大山の攻撃魔法はこの二つだけ。だが、あの様子ではもう二つか三つくらい、習得していてもおかしくなさそうだ。

「そういえば、防御魔法は使っていなかったな」

 敵を引きつける前衛タンクとしての杉野が優秀ということもあるせいか、委員長や蒼真桜がよく使っていた、それぞれの属性による壁を作り出す防御魔法は見ていない。炎魔術士なら、どう考えても火の壁が、そう、あのオルトロスがメイちゃんを分断した時のような感じで、展開されるはず。

 習得していない、という可能性もありうる。天職の成長には個人差があって、次に獲得する能力や技にも、違いがあるのは間違いない。同じ天職だけど違うスキル構成というのは、すでに分かっていることだから。

 大山の空手部らしい攻撃的なファイティングスタイルから、攻撃魔法に偏った成長をしている可能性は大いにありうるけれど……ここは、炎の防御魔法もある、と想定しておいた方が無難だろう。

 うーん、もっと手の内を引き出してくれる、強敵が現れてくれればいいんだけど――なんて思っている内に、とうとうボス部屋らしき場所にまで、辿り着いてしまった。

 それは入り組んだ入江の中に、ぽっかりと空いた洞窟だ。天然の洞窟、ではあるのだろうけれど、岩壁をそのまま掘り削った神殿のような造りが見える。エジプトのアブシンベル神殿みたいな感じ、だけれど、こっちの方は柱や石像はほとんど崩れ去り、あまり原型をとどめていない。

 ただ、明確に建造物として加工した跡があるから、ここに人の手が加わっていることは一目瞭然ではある。

「ここがボス部屋で間違いないようだね」

「おう、気合い入れて行くぜっ!」

 意気揚々と、大山杉野のコンビは入り江の洞窟神殿へと踏み入って行く。

 昨日の内にここへ辿り着き、そのまま一晩休んでいるので、コンディションも整っているだろう。二人のサバイバル生活ぶりも、ここ最近で明らかになっている。ジャージャなどの草食動物が食用であることを知っているようで、通りがかりに見つければ狩りを行い、肉を手に入れている。

 流石に僕らのようにロクな調理はできていないが、腹の減った男にとって、新鮮な肉を焼いて、塩をふりかけるだけで十分なメニューとなる。少なくとも、クルミだけの侘しい生活から、肉食中心になって久しいようだ。

 特にサバイバル生活における疲労もなく、ついでに、愛し合うパートナーと組んでいるお蔭で、その士気も高い。たった二人、けれど、だからこその強さを発揮する大山杉野のコンビを、僕はボス部屋に入って行くのを見送った。

「仕掛けるなら、今しかないか」

 恐らく、あの二人なら順当にボスを倒すだろう。そして、そのまま転移を果たしたならば、次に偶然の発見をするまでは、出会うこともない。つまり、ここ数日の僕がゲイポルノの精神攻撃に耐えながら遂行した監視任務が無駄になってしまう。

「ここで、二人に奇襲を仕掛ける」

「うん、任せてよ、小太郎くん!」

 笑顔で応じてくれるメイちゃんは、今にもハルバード片手に突撃していきそうだが、まずは引き留める。

「少しでも消耗したところ、ついでにいえば、油断したところを狙いたい」

 つまり、狙うべきはボス戦を終えて、コアを摘出し、いざ次のステージへ、と転移魔法を発動させる寸前だ。僕も何度か経験した、あのタイミングである。今回は、僕の方から仕掛けてやる。

「中の様子は、レムに探ってもらう」

 洞窟の中では、コウモリ以外の鳥は目立つので、その辺の茂みでとっつかまえたハブみたいな蛇をレムとして送り込む。

 さほど大きくもない、茶褐色の縞模様の蛇は、洞窟を這っていても目立たない。コイツがボス部屋の中を覗きこんでいたとしても、流石に戦闘中では気づかないだろう。

「戦いが終わるまで、僕らは待機だ」

「小太郎くん、殺していいの?」

「うん、殺すつもりで斬って」

 殺すか、殺さないか、いまだに迷いのある僕は、もう本人の力に任せることにした。何より、手加減をして奇襲が失敗したら、目も当てられない。

 だから、全力で仕掛ける。死ぬだの生きるだのは、成功した後に考えればいい。

「杉野の方を狙って」

「うん、必ず仕留めてみせるよ」

 大山と杉野、どっちを先に排除すべきかといえば、やはり杉野の方だろう。あの防御力は厄介すぎる。奇襲による渾身の一撃を加え、一息に無力化させておきたい。

 大山の火力も警戒すべきだが、防御に乏しいアイツは、剣を持ったスケルトン一体でも迫られれば危ういはずだ。大山が相手なら、『スケルトン』と『ハイゾンビ』をけしかけるだけでも、十分に効果的となる。逆に杉野が相手だったら、攻撃が通らないから、無意味な存在になるし。

「メイちゃんは、とにかく杉野に集中して。こっちも同時にレムをけしかけて、大山を狙う」

 決断は下した。覚悟は決めたものの、握った手にはじんわりと嫌な汗がにじむ。

 積極的に人を殺そうというのだ。やはり、いい気分はしない。けれど、これが最善の方法だ。こっちが容赦しても、あの二人はすでに、覚悟を決めている。他のクラスメイト全てを犠牲にしてでも、自分達二人が生き残ることを最優先にすると。

 そう決めた時点で、君達は……僕の敵なんだ。

「シャアアア」

 チロチロと舌を出しながら、一匹の蛇が僕の下へと帰ってくる。横を見れば、黒騎士レムがコックリと大きく頷いた。

 どうやら、いよいよ時が来たようだ。

「じゃあ、行こうか」

第175話 初めての奇襲作戦

 薄暗い洞窟の中を進むと、すぐにボス部屋へと辿り着いた。表は神殿風の入り口だったけど、この辺までは完全にただの洞窟だ。ボス部屋もただ大きな空間となっているだけで、扉と壁に囲われた室内になってはいない。

 今、僕らはボス部屋直前の曲がり角に身を潜めている。先頭は、速度重視の奇襲用にハルバードのみを装備したメイちゃんだ。突入のタイミングは、彼女に一任している。

 メイちゃんは僕のアドバイス通りに、手持ちの手鏡で角の先を映し出し、ボス部屋の内部を確認している。

 僕の立ち位置からでは、小さな手鏡にあの二人の姿が映っているかどうかは分からない。けれど、倒したボスからコアを摘出していると思しき音と、洞窟の壁に反響してくる二人の喋り声がかすかに届いてくる。

 そうして突入のタイミングを計り始めて、どれくらい経っただろうか。ついに、メイちゃんが動き出す。

 シュッ――カラーンッ!

 という物音は、メイちゃんが手ごろな石をボス部屋に向かって投げたものである。

 戦闘の終わったボス部屋で、不意に物音が鳴れば、必ずそちらを向く。単純な人の心理である。よく敵拠点に潜入する系のゲームなんかでも、石を投げて敵を誘導することができる。

 現実では、ゲームのマヌケな敵AIのような反応をしてくれるかどうかは未知数だったけれど、少なくとも、今回は視線の誘導に成功したようだった。

「ふっ――」

 鋭い呼気だけを置き去りに、メイちゃんが消えた、と錯覚するくらいの速度でもって飛び出した。

「行くぞーっ!」

 彼女の姿が消えたのを合図として、僕とレム達もボス部屋へと足を踏み入れる。

 広々としたボス部屋、そのほぼ中央に、紫色の甲殻をした巨大な蟹が転がっている。アイツがボスか。デカいし四本腕だし、随所にクリスタルみたいな透き通った結晶を生やしているから、魔法攻撃も使ってきそうな雰囲気……だが、すでに奴はこと切れている。

 死んだボスに、より正確にいえばコアを剥ぎ取られた後のボスに価値はない。気にするべきは、これを討伐した二人の男。

 一人は大山大輔。突然の乱入者に、驚いたような表情を浮かべている。

 もう一人、優先ターゲットである杉野貴志は、ボスを倒して一度背負ってしまった愛用のメイスを、奇襲と見て手にかけているが――遅い。

「はぁあああああああああああああああああっ!」

 漆黒のハルバードを振り上げた狂戦士が、メイスを抜くよりも早く杉野へと襲い掛かっていた。

「うっ、ぐわぁあああああああああああっ!?」

 やった! 黒き斧刃は、深々と杉野の体を切り裂く。

 流石はメイちゃんだ。いくらガードが間に合わない直撃だったとはいえ、重戦士の硬い防御を見事に斬って見せた。上半身裸の杉野へ、深々と斧刃が切り裂く。

 ドっと噴き上がる血飛沫。明らかに致命傷だ。タフな重戦士なら即死はしないだろうが、それでも、もう戦闘は無理な大ダメージである。

「タカぁああああっ!」

「ぐうぅ……わ、私に構うな、大ちゃん! やれぇ!」

 杉野は裸の上半身を真っ赤に染めながらも、踏みとどまって叫んでいた。そして、メイちゃん必殺の一撃を防ぐのには間に合わなかったはずのメイスを、杉野は抜いて両手で確かに握っていた。

 コイツ、まさかまだ諦めてないのか? いや、それ以前に、大山に何を指示したんだ。嫌な予感がする。

「レムぅーっ!」

「グガァアアアーっ!」

 元より、メイちゃんに続いて大山は即座に切り伏せるつもりだった。すでに黒騎士レムは大剣を振り上げ、大山に向かって斬りかかっている――

「よくもタカを……許さねぇぞ、うぉおおおおおおおおおおおっ、『火炎防壁イグニス・ウォルデファン』っ!」

 瞬間、黒騎士レムの前に立ちふさがるのは、巨大な炎の壁。

「グガっ!」

 そのあまりの大きさと勢いに、さしもの黒騎士レムも飛び込むのに二の足を踏む。それでいい、あのまま飛び込んでいれば、かなり深刻なダメージが入っただろう。

 しかし、まずい、これは、

「メイちゃん!」

「ふふっ、くっくっく……桃川君、彼女の心配をする前に、自分を気にするべきだよ」

 返って来たその言葉は、紛れもなく杉野のものだ。轟々と燃え盛る炎の壁に遮られ、向こう側にいる奴の姿はみえない。

 けれど、この余裕のある口ぶりは、とても瀕死の重傷を負っているとは思えない。

「杉野っ! くそ、どういうことだ、効いてなかったのか」

「効いたさ、死ぬかと思ったよ」

「小太郎くん、こっちは任せて! 次は必ず殺し切るっ!」

「おお、怖い怖い。信じがたいけれど、君は双葉さん、なのかなぁ? 劇的なダイエットに成功といったところか、見違えたよ、こんなに美人だったとはね。悪いけれど、私は女性に興味はなかったから、全然気付かなかったよ」

 とりあえず、メイちゃんは戦闘続行の意思はあるようだ。だが、饒舌に喋る杉野の様子からして、やはり奇襲による負傷を完全回復したような状態にありそう。

 これでは、単なる真っ向勝負の構図。最も避けたかった状態だけれど、この期に及んでは仕方ない。

「メイちゃん、無理しないで。火の壁を突破して、どうにか援護するから――」

「へっ、バカが! そんなこと、させるワケねぇだろうが」

 怒りの籠った叫びと共に、炎の壁から、大山が僕の前へと姿を現す。

 どういうつもりだ。火の壁で僕らを分断し、まずは二人がかりでメイちゃんを仕留めにかかると思ったのだけれど。

「よくも舐めた真似してくれやがったなぁ、桃川。テメぇ、覚悟できてんだろうなぁ、ええっ!」

「……男らしく、サシで勝負、ってとこ?」

「女のガキみてぇな面して、よく言ったなぁ。ああ、そうだ、その通りだぜ。桃川ぁ、テメーの相手は、このっ、俺だっ!」

 キレのある動きで、ビシっと空手の構えをとる大山。

 参ったな、二人に分かれてそれぞれ決闘に持ち込まれるとは。完全に予想外の展開に転がってしまったけれど……僕にはレムがついている。相手が大山一人なら、まだ十分に勝機はある!

「行くぞ、レム! アイツを倒せ!」

「かかってぇ……こいやぁ!」




「……どうして」

「さぁ、どうして、だろうねぇ」

 轟々と荒れ狂う炎の壁を背に芽衣子は、血塗れでありながら、全く苦痛を感じさせない余裕の笑みを浮かべる杉野と相対していた。

 すでに杉野は大きなメイスを構え、打ち込む隙を与えないがっちりとした防御の体勢を整えている。芽衣子をしても、何も考えずに切りかかるには躊躇われる威圧感を発している。

 お互いにギリギリの間合いを保ちながら、しばしの睨み合い。その最中で、芽衣子は杉野の姿を観察して、ようやく気付く。

 まず、奇襲による先制攻撃で与えた傷が、癒えていること。綺麗に塞がってはおらず、歪な創傷の痕が残っている。傷痕に、確かに残っている血の跡からして、杉野の幻を斬った、というワケではなさそうだ。重戦士が、小太郎の『双影ふたつかげ』のような分身技を持っているとも考え難い。

 ならば、本人を確かに切り裂いたが、直後に一瞬で回復を果たしたということになる。斬った傍から超回復、などと前のエリアで相手にしたハイゾンビのボスを思い出す。アレと似たような能力を持っているのかとも思ったが、芽衣子は一つの解答に思い至った。

「まさか、『生命の雫』」

「んん、もしかして、同じモノを持っているのかな? いやぁ、凄いレアアイテムが手に入ったと思ったんだけどねぇ」

 どうやら、アタリらしい。

 まだ蒼真悠斗率いるパーティと共にいた頃、リビングアーマーの闊歩する宮殿エリアで手に入れた、緊急蘇生アイテム、それが『生命の雫』である。致命傷を負った際に、一度だけ回復するという効果を有する、使い捨てのマジックアイテムであるが……なるほど、今回のような奇襲を受けた時にも、凄まじい効力を発揮するわけだ。

 チッ、と内心で舌打ちする思いの芽衣子である。

「おお、怖い、凄まじい殺気だ。女の子がしていい顔じゃあないね」

「大人しく降参するなら、苦しまずに殺してあげるけど」

「あの気弱で温厚そうな双葉さんが言うとは、一体どんな経験をしたんだか――おっと!」

 芽衣子の高速の踏み込みと共に、ハルバードが降り下ろされる。

「ぐっ、なんてぇパワーだ!」

 両手で握った大きなメイスで、芽衣子の一撃を見事に受けてみせる杉野。だが、たったの一発で攻撃が終わるはずもない。

「ふんっ、はぁっ!」

「おまけに、このスピード!」

 目にも止まらぬ連続斬撃。叩きつけ、薙ぎ払い、切り上げ、さらには突き。斧の刃と槍の穂先とを併せ持つ、独特の刀身をもつハルバードを巧みに操ってみせる。しかし、超重量の大振りな刃を持つ『黒鉄のナイトハルバード』が振り回される様は、華麗というよりも、圧倒的な暴力の体現。

 その凶暴な斬撃は、さながら黒い嵐と化して重戦士を襲う。

「これは、堪らん――『ハード・カウンター』っ!」

 かろうじて防ぐだけの押しに押される杉野であったが、ここぞというタイミングで、相手の攻撃に対する防御の武技『ハード・カウンター』を発動させる。

 より頑強な力を宿したメイスが、凶悪なハルバードの刃を力ずくで弾き飛ばす。

「んっ」

 これまでにない、強い弾かれ方に芽衣子の体がかすかに揺らぐ。大きな長柄武器のハルバードが災いし、返す刀で叩きつけるには一瞬の隙が生じてしまう。

「ヤァアアッ!」

 鋭い気合いの声と共に、杉野は間合いを詰めて芽衣子へと肉薄。メイスによる打撃、ではなく、繰り出したのは何も持たぬ右手であった。

 元々、柔道部の杉野は武器による斬り合いよりも、近距離での格闘戦の方が強い。狙うは、芽衣子が纏うセーラー服の襟首。

 女子を相手に技をかけたことなど一度もないが、相手は自分よりもパワーとスピードに優れる超人だ。何の遠慮もいらない。

 真っ直ぐ、無駄なく、迷いなく突き出された杉野の手はしかし、虚しく虚空を掴む。

「だぁっ!」

 上半身を後ろに倒れ込まんばかりに逸らして、芽衣子は杉野の掴みを回避してみせた。咄嗟の回避、いや、ブルンと弾む規格外の大きな胸にさえ、突き出した杉野の手がかすることもなく避けきったのは、その動きは完全に見切っていたからこそ。

 流石の杉野も、こんな無茶な動きで掴みを逃れた者は見たことがない。だが、天職を授かり超人的な身体能力を持てば、あながち不可能でもないのだ。真っ当な柔道の経験がかえって仇となったかもしれない。

 杉野が次の有効打を放つよりも、芽衣子の反撃の方が早かった。

 スカートを翻して、芽衣子の左足が跳ねあがる。上体逸らしの回避行動と同時に繰り出した蹴りである。

 むっちりと肉付きのよい長い足だが、そこには筋肉だけでは持ち得ない狂戦士としての桁外れの脚力を宿している。

「ごふっ!?」

 鉄槌のような芽衣子の蹴りが、杉野の分厚い腹筋で守られた腹部を正確に射ぬく。クリーンヒット。だが、耐えた。

 並みの人間だったら、腹に抱える内臓が軒並み破裂するところだったが、重戦士が持つ『鉄皮』と『鋼身』による二重防御をさらに強化された、『鉄壁皮』と『鉄鋼体』を習得している杉野だからこそ、痛烈な鈍痛程度で耐えることができた。

 致命的なダメージは防げたものの、インパクトの衝撃までは上手く散らすことはできなかった。クラス一の巨体を誇る杉野の体は、少しだけ宙を浮いて吹き飛ばされる。

 幸い、芽衣子の追撃は免れた。無理な体勢で蹴りを放っては、即座にハルバードを叩きこむことはできなかったようだ。

 芽衣子が再びハルバードを構え直し、杉野は蹴りで飛ばされた体勢を立て直す。再び間合いが開き、仕切り直しの様相を呈していた。

「キックだけじゃダメか。やっぱり、硬いね」

「恐ろしい、こんな力を女子が持っているなんて」

「蒼真君はもっと強いよ」

「ははは、こんなところに来ても、彼は特別なのかい」

 愛する男と、必ずここを脱出すると心に決めた。どんな手段を使っても、どれだけ犠牲を払っても、彼だけは、必ず。

 固く決意はしたものの、芽衣子の強さに、おまけにまだ上がいると聞かされれば、うんざりしてくるものだ。

「敵わないなぁ、双葉さんには」

「諦める気になった?」

「敵わないけれど、負ける気はしないね」

 言いながら、杉野は開いた間合いからさらに逃れるように、ジリジリと後ずさる。

「逃げるの?」

「逃げるさ、逃げ回って、時間稼ぎが今の私にとっての最善策だよ」

「無駄なことを」

「君は、桃川君のことが心配じゃあないのかな?」

 その問いに、芽衣子は沈黙で答えた。

 心配じゃないといえば嘘になるが、焦りはない。小太郎は一人ではない。黒騎士レムの性能は、自分ほどではないが相当なモノである。少なくとも、火の玉を十発、二十発と当たったところでビクともしない。

 それに今はアルファもいるし、ボス部屋前には荷物を置いて戦闘準備を整えたアラクネもいる。スケルトンとハイゾンビは弱いけれど、小太郎を守る盾としては十分な数が揃っている。

 そして何より、これだけの手駒を揃えていて、小太郎が簡単に負けるはずがない。

 何故なら、もっとも危険とされている『重戦士』杉野は、この自分がしっかりと押さえているのだから。

「ふっふっふ、どうやら君は、一つ勘違いをしているようだ」

「勘違い、何を」

「本気を出した大ちゃんはね、私よりも強いよ?」

 変わらぬ杉野の微笑み、だが、どこか猛獣を思わせる獰猛さ。ハッタリではない、芽衣子は直感でそう思った。

「大ちゃんは必ず、桃川君を倒すだろう。そうしたら、二対一だ。大ちゃんと二人なら、君を倒せる」

「くっ!」

 背後に広がる、炎の壁を見やる。どうする、火傷を覚悟で、今すぐ飛び込んで合流すべきか。

「おっと、背中を見せてくれるなら好都合。隙さえあれば、私も遠慮なくこの鉄棒を叩き込めるよ」

 杉野の力は、芽衣子には及ばない。だが、ほんの僅かな隙で、致命的な一撃を喰らう。両者には、さほどの実力差はない。

 武器を構えた杉野を前に、安易に背中を見せるのは、あまりに危険であった。

「こ、小太郎くん……」

 不安のあまりに、眉をひそめたのは一瞬のこと。芽衣子の心は、すぐに決まる。

 見上げた芽衣子の顔は、正に狂戦士に相応しい、悪鬼羅刹の如き憤怒の色を浮かべていた。

「ああ、分かる、その気持ち、凄くよく分かるよ。双葉さん、いい恋をしたんだね」

 怒りの強さは思いの強さ。杉野はそれを、よく知っている。

「本当に残念だよ。こんな状況じゃなければ、君達の恋路、素直に応援もできたんだけどな」

「私もだよ――じゃあ、死んで」

「ははっ、お断りだねっ!」

 狂戦士の猛攻と、防御に徹する重戦士。見えない時間制限付きの戦いが、始まった。

第176話 呪術師VS炎魔術士(1)

「行くぞ、レム! アイツを倒せ!」

「かかってぇ……こいやぁ!」

 気炎をあげる大山に対して、この場に揃ったレム全機が一斉攻撃を敢行する。

 先頭を行くのは、栄えある初号機にして最強の黒騎士レム。それと肩を並べて走る、三号機アルファ。

 二号機アラクネは、僕と並んで一緒に蜘蛛糸を浴びせる。充実した前衛と、相手の動きを縛る援護を行う後衛。単純ながらも、間違いなく効果的な連携攻撃を前に、大山がとった対応は、

「うぉおおおお――燃えろぉ、『爆熱筋肉マッスルヒート』ぉっ!」

 薄らと赤いオーラに身を包んだ大山が、これまでに見たことがないほどの速さで、拳を繰り出す。

「ブラストぉ、ナッコぉおおおおおおおおおおっ!」

 正拳突きで繰り出された、恐らく『ブラストナックル』という大山のパンチは、すでに黒騎士レムがリーチを生かして拳の間合いの外から振り下ろされた大剣と、真っ向からぶつかり合う。

 素手で刃を殴るなど正気ではない。だが、メラメラと真っ赤に燃えて輝く拳が、真正面から刀身を打った瞬間、爆発が巻き起こる。

「グガッ!」

 燃える拳による爆破パンチは、見事に黒騎士の大剣を跳ね返す。

 爆ぜた威力は相当だったのだろう、大柄で重量のある鎧兜の黒騎士レムもたたらを踏んで体勢を崩す。そして、その隙に大山の追撃がブレストプレートへと炸裂する。

「セイヤァッ!」

 再び弾ける『ブラストナックル』は、黒騎士レムを吹き飛ばして見せた。

 と同時に、ほぼ真横に回り込んでいたアルファが、赤ラプター最大の武器であるノコギリ尻尾を振るう――だが、大山はすでに動いている。

「シャアアッ!」

 大きく赤い弧を描く見事な回し蹴りが、アルファの尻尾を弾き飛ばし、さらにもう一回転を加えた追撃の蹴りで、馬並みのサイズを誇るラプターの体を軽々と蹴り飛ばす。

 なんて奴だ。黒騎士とアルファを真っ向からブッ飛ばした大山のパワーとスピードは、完全に想定を上回っている。

 こちらに残されたアドバンテージは、その動きを封じるための蜘蛛糸による援護だが、

「なんだよ、しゃらくせぇ! 『熱血炎気バーニングパワー』だ、オラァッ!」

 僕とアラクネが放った蜘蛛糸は、その場で堂々と構える大山へ重なるように降りかかるが、雄たけびと共に体が轟々と燃えあがったことで、蜘蛛糸の網は一瞬で消し飛ばされた。

 全身に炎を纏うこともできるのか。アレでは、火に弱い黒髪縛りと蜘蛛糸はまるで役に立たない。近づいただけで、繊維に引火し焼き尽くされる。

 だが、恐らくあの『熱血炎気バーニングパワー』という技、いや、炎魔法は、ただ自分の身に炎を纏うだけでなく、身体能力を上昇させるのが効果の本質だと思われる。

 加えて、大山は最初に『爆熱筋肉マッスルヒート』という、明らかに筋力を増大させるパワーアップの魔法も使っている。どっちも使うということは、効果の重複があるんだ。クソっ、この異世界はバフが重ねがけできるタイプのゲームシステムなのかよ。

 どちらも全身を強化する類の効果だろうが、その二つが合わさった時の上昇率はどれほどのものか……

「へっ、まだまだぁ、こんなもんじゃあねぇぞ――『腕力強化フォルス・ブースト』ぉっ!」

「さ、さらにバフを重ねるだって!?」

 三重強化だと、冗談じゃない!

 大山の両腕には、『爆熱筋肉マッスルヒート』による赤いオーラ、『熱血炎気バーニングパワー』の炎、そして今発動させた『腕力強化フォルス・ブースト』によって、ギラギラと輝く赤い光が宿った。

 見るからに力が溢れる大山の赤い腕は、吹き飛ばされて身を起こす最中にあった黒騎士レムへと無造作に伸ばされる。

「なんだぁテメぇ、中身はスッカラカンかよ。軽い、軽いなぁ、オラァッ!」

 右手一本で、黒騎士の兜を引っ掴んで、力任せに放り投げる。子供が乱暴に扱う人形のように軽々とぶん投げられた黒騎士は、その背後から大山を刺そうと狙っていたアルファとぶつかり、激しいクラッシュを起こす。

「ふん、やっぱ弱ぇな、桃川」

 共に倒れた黒騎士とアルファを背後に、僕の前へ赤く燃える大山が吠える。

「なんてこった、ここまでのパワーだなんて」

 苦々しくつぶやく。僕は、完全に大山の力を見誤っていた。その実力は『重戦士』杉野よりも低いと評価していたが……とんでもない、純粋な攻撃力の一点で見れば、大山の力は図抜けている。

 三重強化を果たした彼のパワーは、『狂戦士』たるメイちゃんすら凌駕するだろう。

 まさか本職の戦士系よりも、魔術士が自分にバフを重ねがけした方が力強くなるなんて、クソゲーバランスかよ。

 流石に、そんな裏ワザ染みた方法で人外の膂力を手にした奴が相手では、黒騎士レムでも分が悪い。

 あっという間に前衛を潰されたせいで、僕の傍に残ったアラクネが、庇うように前へと立つ。

「残ってんのは、そのヒョロい蜘蛛野郎だけか」

「よく見ろよ、胸があるからアラクネは女の子だ――行けっ、『ハイゾンビ』!」

 時間稼ぎの肉壁として、僕は『ハイゾンビ』を最大数の七体を召喚して、大山へとけしかける。

「ウォオオオアアアアアアアッ!」

 相変わらずの絶叫を上げながら、泰然と佇む大山へ向かって、七体のハイゾンビが殺到してゆく。ゾンビ映画だったら死亡確実な絵面であるが、この場において奴らは単なる雑魚に過ぎない。

「桃川ぁ、テメぇこの野郎、まだ俺の力が分かってねぇのか? こんな雑魚共をけしかけるなんざぁ、舐めてんじゃあねぇぞコラぁ――『ブラストナックル』っ!」

 繰り出した燃える拳は、前ではなく、足元の地面を叩く。ドーン、という爆発と共に、手足の千切れたハイゾンビがぶっ飛んでゆく。

 この程度の相手なら、直撃させずに爆風だけで十分ということか。たった一発の拳で、複数の敵をまとめて吹き飛ばせる、爆発パンチは便利だな。

 カスリ傷一つ与えられずに瞬殺されたハイゾンビ達だったが、今の僕に必要な時間は稼いでくれた。彼らを呼び出す『召喚士の髑髏』を外して、『呪術師の髑髏』へとリロードするだけの時間は。

「これならどうだっ――『ポワゾン』っ!」

 大山はすぐ目の前、幾らなんでも、この距離では外さないし、避けられない。今の僕自身が持てる最大攻撃力。不可視の毒を放つ雛菊流呪術を喰らいやがれ!

「……今、何かしやがったか? 妙に臭ぇな」

 ダメだ、『ポワゾン』が通らない。

 耐性もあるってことか。

「そういやぁ、『呪術師』だったか? どんな呪いだか知らねぇが、この炎は魔法も防ぐんだぜ。テメぇのみみっちい力は、俺には通じねぇんだよ」

 案の定というべきか、大山の纏う炎には魔法防御、ひいては状態異常耐性も備わっているらしい。

 明らかに本物の炎が全身を覆っているのに、彼が着用している赤いタンクトップと学ランズボンは燃えていない。肉体のみならず、衣服にも干渉しない炎は一種のバリアのように見えたけれど、おおむねその認識で正しいのだろう。

 そういえば、蒼真桜は『聖天結界オラクルフィールド』という万能バリアを持ってたっけ。似たような防御効果を得られる魔法は、各属性にも存在すると考えてもいいだろう。

 そんな僕の考察を肯定するように、わざわざ答えを明かしたのは、自信の表れか。あるいは、僕に降服でも促すつもりなのか。

「なら、試しに僕を殴ってみなよ。僕の呪術『痛み返し』を、その弱火で防げるかどうか」

「挑発には乗らねぇぜ、桃川。その能力だけは、散々、注意しろってタカから言われているからなぁ」

 チッ、僕が二人を警戒していたように、向こうも僕のことを警戒していたということか。『痛み返し』のことは、最初に接触した時に脅しとハッタリを兼ねて伝えてある。聡い杉野なら、もしも再び僕を敵とした時に、この厄介な能力の攻略法も考えているかもしれない。

 しかし、幸いにも今この場には、代わりに僕を殺してくれる都合のいい捨て駒や罠などは存在していない。ボス部屋という空間が、外からモンスターを引き連れてくる、などの手段を防止してくれている。

「そっか、じゃあ僕はこのまま待たせてもらおうかな。メイちゃんが、君の彼氏をブチのめすまでね」

「平気で女に頼るその根性、反吐がでるぜ」

「そういうのって、今どきの男女平等な世の中じゃあ差別発言になるんじゃない? 気を付けた方がいいよ、まして、大山君はホモなんだし、そんなんじゃあ世間に同性愛の理解は求められないんじゃあないのかな」

「ンだとぉっ、テメぇ……」

「勢い余って、殴りかかったりしないでよね。こんなところで共倒れなんて、間抜けな末路は君も御免だろう」

「チッ、桃川、いつまでも舐めた口きいてられると思ったら、大間違いだぜ」

 狂犬みたいな鋭い目つきで僕を射抜く大山だが、それでも直接的に攻撃を仕掛けてこない辺り、『痛み返し』への警戒は徹底していると見るべきだ。

 ならば、まだ僕の方に分がある。大山の攻撃力は、拳一つで僕を即死させるには余りあるほどだが、だからこそ手は出せない。

 ここから先は半ば賭けにはなるけれど、この炎の壁の向こうで、メイちゃんが杉野をサシで始末するまで待機することが今の僕にできる最善策だろう。杉野が倒れ、メイちゃんが戻って来れば、流石に大山も何とかなる。

 勝敗の行方がメイちゃん一人にかかっているというのは、何とも心苦しいし、万一のことを思えばリスクも避けられない。とても上策とは呼べないだろう。けれど、基本的に賭け事が嫌いな僕でも、メイちゃんならば全財産ベットできる。命を預けるに値する。

 だから、僕は彼女の勝利を信じて待つだけでいい。

 このまま大山を僕の前で釘付けにしているだけで、役目としては十分。流石に、大山が不利を悟って向こうに加勢しようものなら、その背中は容赦なく襲わせてもらう。黒騎士もアルファも軽く蹴散らされてしまったが、まだまだ戦う力は十分に残っている。痛みを感じないレムは、タフなんだよ。

 二人はすでに起き上がり、一定の間合いを保ちながら大山の背中を睨みつけている。隙さえあれば、今度こそ攻撃を叩き込む。

「焦る必要はない、時間が有利なのは、僕の方だ」

「ソイツはどうかな。この俺が、わざわざテメェをサシで相手してやってんのはなぁ――」

 大山が動く。僕もアラクネも、そして奴を挟んで黒騎士とアルファも身構える。

 なんだ、まさか僕の『痛み返し』すらも無効化するような特殊な炎魔法でもあるのか。一体、この状況下で何をするつもりなのか、警戒しながら大山の動向を探っていると、奴は僕の方でも、後ろのレムでもなく、あらぬ方向へと歩き始めた。

 その足の向かう先には、本来のこの部屋の主たる、クリスタルを生やした大蟹ボスの死骸があった。

「ふんっ、オラァっ!」

 力強い掛け声と共に、砕けかけた蟹のハサミを持ち、大山は三重強化のスーパーパワーでもって、その大きな死骸を放り投げた。僕の方に向かって!

「うわぁっ!?」

 あ、危ねーだろ、当たったら死ぬぞ、お前も!

 大蟹ボスの死骸は、僕のすぐ目の前に落下し、重苦しい音と少々の血飛沫をたてて着地する。まさか、本当にこれを投げつけて僕を殺そうとしたワケではないだろう。投擲攻撃だって、普通に直接攻撃として扱われ、僕が潰れれば同時に相手も潰れるのは間違いない。

「桃川ぁ、俺にはな、テメーを倒す手段があんだよ! 焼き尽くせ、『炎砲イグニス・ブラスト』ぉ!」

 大山が手をかざした瞬間、竜巻のような猛火が迸る。火炎放射機のように渦巻く炎に炙られれば、僕はあっという間に焼死してしまう。

「うわっ、なんだよ、熱っつ!」

 だが、この期に及んで炎魔法で僕を撃つはずがない。大山が狙ったのは、ボスの死骸だった。

 まるでこの場で火葬してやろうとでも言うのか、執拗に動かぬ大蟹ボスへと炎を浴びせ続けていた。あっ、ちょっといい匂いがしてきた……

「おう、暑いか、桃川?」

「なんだって」

「暑いか、って聞いてんだよぉ」

 そんなもん、暑いに決まってんだろ。こんな目の前で、デッカい蟹を丸焼きにしているんだ。暑くないはずがない。

 早くも、僕の頬には大粒の汗が滴り落ちた。

「俺はなぁ、炎魔術士になったお蔭か、火は熱くねぇ。せいぜい、フツーの蒸し暑さを感じる程度だぜ」

 呪術師の僕が毒に強いように、天職に見合った一種の隠しステータスのようなものだ。炎魔術士には、初期スキルとは別個で火や熱に対する耐性があるのは、もっともな話。

「だから俺は今、暑くねェ。けど、テメェは暑いだろ?」

 二筋目の汗が流れたところで、僕は大山が何を言わんとしているか気付いた。

「この熱気は、『痛み返し』で返らない」

「へへっ、流石はタカだぜ、読みが当たった! どうだぁ、桃川、俺はただ倒したボスの死骸を焼いてるだけ。テメーには攻撃してねぇんだよ!」

 放った炎は、直撃しなければ『痛み返し』の対象にはならない。近くで燃えて「暑い」と感じることに関しては、全くの無関係なんだ。

「なぁ、人間が生きてられるのが何度までか、知ってるか?」

 人間の生命維持に限界が訪れるのは、確か45度前後。それくらいの温度があれば、人は死ぬ。

 これは、炎魔法を用いた罠だ。僕ではなく、その周辺に火を放つことで、気温を上げてジワジワと熱で体力を奪ってゆく。脱水症状で倒れるか、心臓が根を上げるか、脳が限界に達するか。いずれにせよ、高すぎる気温の中では、人間の生命は危機に瀕する。

「くっ、これが火計ってやつかよ」

「そこを動くんじゃねぇぞ、桃川。お前が動くより先に、俺が『火壁イグニス・デファン』を張る方が早ぇぜ。先に張ってある炎の壁に、テメー自身が飛び込んだら、それは俺の攻撃じゃなくて、自殺になるんだろ?」

 今すぐ僕を火の壁で完全包囲しないのは、どの程度まで火を近づければ『痛み返し』が発動するか、正確な検討がついていないからだろう。僕だって分かんないし。

 それに、あまり調子に乗って炎をまき散らせば、火の壁の向こうで戦う杉野にも高気温の影響が及ぶかもしれない。大山としては、これ以上は火を使いたくはないのだろう。

 それでも、この場で僕を熱で炙り殺すには十分な火力がすでに焚かれている。

「ふぅ、はぁ……」

 早くも、吐き出す息すら熱くなっている。僕が立つ周辺は、最初に展開されていた分断用の炎の壁と、目の前でちょっと美味しそうに焼かれ続けている大蟹ボスのせいで、グングンと気温が上昇していることだろう。

 この温度では、そう長い時間は持ちそうもない。僕、サウナは苦手なんだよね。5分入っていられるかどうか。

 このままさらに気温が上がり続ければ、僕の意識はどれだけ持つ。10分か、15分か。たとえ死ななかったとしても、僕が気絶すれば終わりだ。メイちゃん単独となれば、杉野の防御と大山の火力を前に、どこまで抗えるか……

「さぁ、どうするよっ、桃川!」

 あー、どうしよう……ヤバい、これもう詰んだかも……

第177話 呪術師VS炎魔術士(2)

「ヤバい、マジで何も思いつかないんですけどぉ……」

 これまでのダンジョン攻略で、僕は何度となく命のピンチを迎えては、それを辛うじて切り抜けてきた。僕の何が何でも生にしがみつく生存本能と、咄嗟の機転と土壇場の度胸、どれもそれなりには磨かれてきたとは思うのだけれど……そうそういつも、ピンチを切り抜けるアイデアが閃くとは思うなよ!?

「どうだぁ、桃川、そろそろ暑さでボーっとしてきた頃じゃねぇか?」

 炎の熱気に晒されて、早5分は経過していると思われる。肌を焦がすような、ジリジリとした暑さが纏わりつき、すっかり全身は汗まみれで気持ち悪い。今すぐ妖精広場の噴水に飛び込みたくて堪らない。ついでに、ビキニのメイちゃんもいてくれれば、もっと堪らない。

「あー、堪んねぇ……」

「へっ、いよいよ暑さで頭がやられたか」

 うるせーよ、誰のせいでエロ妄想に現実逃避したくなるような灼熱地獄に陥ってると思ってやがる。いいじゃないか、ポロリくらい期待したって!

「ふぅ……お、落ち着け、まだ手は残っているはずだ」

 命には関わるが、ただ暑いだけ、という痛覚とは無関係の追い込まれ方のせいで、かえって考えもまとまらなければ、覚悟も決まらない。

 こう、目の前で荒れ狂う鎧熊が迫りくるような、僅かな猶予もないような状況だったら、流石の僕も後先考えずに何かしらの行動は起こすのだけれど……いや、待てよ、僕って鎧熊をどうやって倒したっけ?

「赤キノコの毒で」

「ワケの分からん独り言とは、これはいよいよ死ぬか?」

「うるさいな、ちょっと黙ってて」

 ハンバーグおにぎりに混入させた赤キノコは、確かに鎧熊を瀕死に追いやった主なダメージソースだが、トドメは違う。

「『赤き熱病』で体温を上げて、『痛み返し』で腹を割いて」

 そうして、鎧熊は死んだ。たった三つの初期スキルだけで、呪術師の僕が鎧熊を倒した歴史的な瞬間である。アレがなければ、今の僕はない……っと、過去の栄光という思い出に浸っている場合ではない。

「そうだ、『赤き熱病』だ」

 相手を微熱状態にする、というあまりにも微妙なクソ能力のせいで、マジで最近では存在すら忘れていた、記念すべき第一の呪術にして、クソ呪術界の不動のエース。それこそがこの『赤き熱病』である。

 鎧熊攻略を鑑みるに、『赤き熱病』が輝くのは、ほんの僅かでも相手の体温を上げることに意味がある時、つまり、熱に苦しむ状況下に限定される。

 ならば、今ここで大山に対して『赤き熱病』をかければ、多少なりとも熱気の苦痛を与えられる。

 勿論、大山本人はあの時の鎧熊と違って、高熱にうなされているワケではない。微熱状態を加えたところで、何ら命の危険にはなりえない……だが、そうだと思わせることはできるかもしれない。

 つまり、ブラフ。ハッタリで相手を脅すのだ。

 筋書きはこうだ。まず、僕がこっそり詠唱を唱えて、『赤き熱病』を大山に仕掛ける。すると致命的ではないが、明確に体温が上昇したことによる異常は察知するだろう。

 そこで、僕がこう言うのだ。

「ふっふっふ、どうだ大山、炎の熱も『痛み返し』で返せるようになったぞ!」

 と、如何にも戦闘の最中で能力が進化しました風に、アピールするのだ。あるいは、これこそが『痛み返し』の真の力、ということでもいい。

 奴の作戦は、熱で炙れば『痛み返し』で返らない、という前提があるからこそ。それが崩れれば、大山はこの作戦を中断せざるをえない。

 嘘だと疑いはするだろう。だが、もしも本当だったらと思えば、そのまま試す気にはならないはずだ。気づいた頃には、自分も熱でダウンすることになるのだから。

 恐らく、大山は僕を舐めている。というか、男として軟弱野郎と見下している。きっと、水の霊獣『セイラム』と同じように、たかが僕一人を相手に、共倒れするなど絶対に御免だと思っているクチだ。

 だからこそ、大山は僕と相討ちになりそうな展開を避けようとするはず。熱が返されると知れば、必ず他の作戦へシフトする。

 もしかすれば、大山には別の呪術師殺しの策がまだあるのかもしれない。それ以前に『赤き熱病』が『熱血炎気バーニングパワー』の耐性を越えられず、通じないかもしれない。それなり以上の威力を持つ『ポワゾン』すらも、ちょっと臭う、程度で無効化させられたんだ。ダメな可能性の方が高い。

 不安要素を上げれば、数限りない。しかし、とりあえず試してみる価値はあるだろう。これでダメだったら、また別の方法を考えればいい。まだ、あと5分くらいは耐えられそうだし。

 よし、やるぞ。いいか、レム、焦った大山が隙を見せるかもしれない。イケると思ったら、容赦なく攻撃するんだぞ。

「シャッ!」

 僕の目の前にいるアラクネだけが、鳴き声で答えてくれた。

 さぁ、後は出たとこ勝負だ。

「やまない熱に病みながら、その身を呪え――」

 物凄く久しぶりに口ずさんだ呪文だけれど、不思議と馴染む気持ちがした。何だかんだで、付き合いだけは長いせいだろうか。

 この土壇場で、最も頼れないコイツに頼ることになるとは、何とも皮肉だが……頼むぞ、どうかこのピンチを切り抜けるための、突破口となってくれ!

「――『赤き熱病』」

 視界の真ん中にハッキリと大山の姿を捉えながら、第一の呪術、発動。

 果たして、その効果は――

「なんだ、体がっ! ど、どうなってやがる!?」

 よっしゃあ、効いた!

 僕も驚くほどに、大山は大袈裟なリアクションをくれた。カっと目を見開いて、自分の体に起こった異常に酷く動揺している。

 よし、行ける、これなら僕のヘタクソな演技でも、ブラフを貫き通せるぞ。えーと、確か事前に考えておいた台詞は……

「ふっふっふ、どうだ大山ぁ――」

「馬鹿なっ! 俺の強化が、消えてやがるっ!」

「えっ」

 なんか、思ってたのと違う反応。

 強化が消えた。聞き間違いでなければ、大山はそう叫んだように思えるが……

「あっ、マジで消えてる」

 大山の体から発せられる、赤い輝きも炎も、全てが消え去っていた。

爆熱筋肉マッスルヒート』のオーラ、『熱血炎気バーニングパワー』の炎、『腕力強化フォルス・ブースト』の光。強化の発動を示す三つの証は、いつのまにか綺麗に消えてなくなっているのだ。

 なんだ、どういうことだ。

「クソッ、桃川ぁ、なにをしやがった!?」

「……はっはっは! 馬鹿め、かかったな大山!」

「な、なにぃ!」

 なに、って僕の方が聞きたいよ。でも、ここは勢いに任せるが吉と出た。

「体、暑くない? 風邪でも引いたみたいにさぁ」

「ハッ! そうか、この妙な微熱は、テメぇの呪いかぁ……」

「そうさ、これが僕の第一の呪術『赤き熱病』の真の力……強化魔法の無効化だ!」

 なにぃ、そ、そうだったのかーっ!?

 自分で適当なことを言いながら、納得してしまう。

 恐らく、『赤き熱病』には本当に、バフをかき消す効果があるんだ。


『赤き熱病』:相手を微熱状態にする。


 授かった能力への期待に満ちていた僕を絶望のどん底へと突き落とした、思い出すのも忌々しい、クソすぎる説明文。しかし、この簡単すぎる説明が、むしろ広い意味を含んでいたことに、僕は今初めて気が付いた。

『相手を微熱状態にする』とは、相手がどんな状態であっても、『微熱』にするということだろう。

 だから、強化魔法の効果で、パワーアップしてようが、スピードアップしてようが、『赤き熱病』にかかれば、強制的に『微熱のみ』の状態にさせるんだ。

 今まで強化魔法を使う相手はいなかったから、試しようもなかった。いたとしても、気づけなかったはず――いや待てよ、そういえば、メイちゃんが初めてゴーマの麻薬を服用して暴走した時のことだ。

 ゴーマの罠にかかって大ピンチだったところを、麻薬でラリったメイちゃんがゴーマどもを力任せに殺戮し、挙句の果てに僕にまで襲い掛かって来た、あの時である。首筋に噛み付かれながら、僕は『赤き熱病』を発動させて……そしたら、止まったのだ。

 ひょっとして、アレって麻薬による興奮状態っていうのを、『赤き熱病』が無効化してくれたから、止まったんじゃないの?

 うわー、しまった、ちゃんとヒントがあったというのに、今更になって気づいてしまったよ。しょうがないじゃん、あの時はあまりに必死だったから。

 と、ともかく、『赤き熱病』の本当の効果は、バフのみならず、デバフまでも無効化させるというものならば……あれ、もしかしてこの呪術、割とチートじゃね?

 へっ、へへ……僕は最初っから信じていましたよ『赤き熱病』様ぁ……

「強化の無効化だとぉ! クソッ、こんな手を隠し持っていたとは――うおおっ!?」

「シャアアアッ!」

 上ずった叫び声をあげながら、大山はアラクネがいきなり吐きかけた蜘蛛糸を慌てて回避していた。

 あっ、そういえば、隙を見せたら襲え、って言ってたっけ。

「グガガッ!」

「キョォオアアアアアッ!」

 当然、背後でずっとチャンスを窺っていた、黒騎士とアルファも同時に動き出していた。

「ち、ちくしょう、コイツら――うぉおおお、『火矢イグニス・サギタ』っ!」

 猛然と迫りくる黒騎士へ、『火矢イグニス・サギタ』を連打して足止め。突進の速度は鈍るが、それでも大盾を構えた重厚な黒騎士レムを倒すことはできない。

「ギシャァアアーッ!」

火矢イグニス・サギタ』を受け止める黒騎士を壁役として、その肩を蹴ってアルファが飛び上がる。生前の赤ラプター譲りの強靭な跳躍力でもって、一足飛びに大山への間合いを侵略する。

「くっ、『ブラストナックル』ぅぁあーっ!」

 頭上から飛び掛かってくるアルファに対し、大山がとったのは爆破パンチによるカウンター。

 アルファの爪と大山の燃える拳が、瞬間的に交差する。

「ぐわぁあああっ!」

 大山の苦痛の叫びと共に、バァン! という爆破音が響く。

 互いの攻撃はヒットしたようだ。大山の赤いタンクトップには三筋の爪痕が刻まれ血を噴き出している。だが、一方のアルファは、胴体が少しばかり煤けているだけで、大したダメージが通っているようには見えない。『爆熱筋肉マッスルヒート』の強化がないから、一発で殴り飛ばすほどの威力が『ブラストナックル』には出なかったのだろう。

「グルル、シャァアアアア!」

 素早く体勢を立て直したアルファが、胸元を爪で斬られた痛みに呻く大山に向かって即座に追撃の構え。

「ウゴゴゴ、グガァッ!」

 そしてさらに、『火矢イグニス・サギタ』の足止めから解放された黒騎士が、大剣を振り上げて一気に距離を詰めて迫りくる。

「うぉおおおお、もう一度だぁ……燃えろっ、俺の筋肉カラダ! 『爆熱筋肉マッスルヒート』ぉおおおおおおおっ!」

「――『赤き熱病』」

 燃え上がるように大山の体から噴き出しかけた赤いオーラが、僕が呪術を唱えると共に、靄となって虚しく掻き消えた。

 間違いない。『赤き熱病』には、相手の強化魔法を消す効果がある。

 だが、大山が発動しかけたということは、『微熱』状態に陥っていても、もう一度使えば強化魔法を発動できるということでもある。使う度に、『赤き熱病』をかけ直さなければいけないようだ。地味な注意点だな。

「ち、ちくしょう……」

 最大の武器である強化魔法を完全に封じられ、大山の顔には明らかな絶望の色が浮かんでいた。

 大山は強化がなくても、炎魔術士としての真っ当な攻撃もできるのだが、如何せん、黒騎士とアルファが相手ではあまりに分が悪い。そして最早、遠距離攻撃だけで退けられるような余裕があるほど、間合いは開いていない。

 目の前には、黒騎士レムが今度こそ必殺となりうる大剣を振り上げて迫り、横からはアルファのノコギリ尻尾が狙いを定めている。

 三重強化のパワーを失った大山には、レムの連携攻撃を防ぐ力は残されていなかった。

「うおぉおおおおおおおおおおおっ、大ちゃーんっ!」

 両者の間合いに、突如として割って入る第三者が現れた。誰だ、などと考えるまでもなく、それは杉野貴志に違いなかった。

 相棒であり、親友であり、そして何より愛し合う恋人である大山のピンチを察したのだろう。いまだ燃え盛って分断する壁となっている『火炎防壁イグニス・ウォルデファン』を突っ切って、飛び出してきたのだ。

「た、タカぁ!」

「私の大ちゃんにぃ、手は出させんっ!」

 ハアッ! という裂帛の気合いと共に繰り出されたのは、大きなメイスによる二連撃。

 武技の力を宿していると思われるメイスの打撃は、まず一撃目で黒騎士レムを押し返し、続く二撃目で、アルファを弾き飛ばす。

 アルファが放ったノコギリ尻尾は杉野の胴体に直撃していたが、重戦士の防御力でもって防ぎきり、そのままカウンターを放ったのだ。何という防御ゴリ押しによる戦法だろう。

 何にせよ、進退窮まった大山の下へ、杉野が救援に入ったことで、その命を繋ぎ止めるに至った。

「ああ、間に合って良かった。怪我はないかい、大ちゃん?」

「タカ、この馬鹿野郎! どうして、俺なんかの為に――」

 ああ、杉野、本当に馬鹿だよ。確かに君が助けに入らなければ、大山は死んでいた。

 でも、僕はヤマジュンから学んだんだ。誰かを助けるならば、必ず助けに入る者も生き残らなければ、意味はないんだって。

 だから、いつかの僕と同じ境遇に立つ大山のことを、ほんの少しだけ、哀れに思った。

「そんなの、決まっているだろう。愛して――ぐふぉっ!?」

 杉野の腹から、大きな黒い刃が生える。鋭い漆黒の穂先が、文字通り鋼鉄の肉体と化している重戦士の体を、見事に貫き通していた。

「ふぅー、ようやく仕留められたよ」

 炎の壁から、狂戦士が歩み出る。その歩みは散歩するように軽やかで、手には何も握っていない。

 杉野を刺したのは、ハルバードによる投擲だ。

 恐らく、炎の壁の向こうから、狂戦士の全力でもって投げつけたハルバードが、燃え盛る『火炎防壁イグニス・ウォルデファン』に穴を空け、その先に恋人を助けるために無防備にならざるを得なかった杉野の背中に突き刺さった。

 そうだよ、僕が大山と戦っていたように、炎の壁の向こうでも、メイちゃんと杉野は戦っていたのだ。

 狂戦士と重戦士、どちらも戦闘に特化した天職による一騎打ちだ。搦め手で戦う呪術師の僕とは違い、そっちの戦いは一瞬の油断も許されない、激しい接近戦となっていたはず。

 そんな戦いの最中、メイちゃんへの警戒を放棄し、大山への助けに入ったなら、当然その背中はがら空きとなる。そして今やすっかり狂戦士と化した、情け容赦の欠片もないメイちゃんが、その隙を見逃してくれるはずがなかった。

「そ、そんな……嘘、だろ、タカ……」

「すまない、大ちゃん……逃げるんだ」

 串刺しにされた恋人を前に、呆然と佇む大山。一方の杉野は、すでにして己の敗北と死期を悟っているのだろう。

 クラス一を誇る大柄で屈強な杉野が、最早、立つ力すら失ったかのように、ガクリと膝を屈する。倒れることだけは、どうにか耐えているような膝立ちのまま、ゴフゴフ、と血を吐きながら、大山へ逃げろと訴えかける。

「なに言ってんだ、逃げるなんて、できるワケねぇだろ! タカ、お前を置いて、俺だけで逃げられるかよぉ!」

「いいから、逃げるんだぁ! 大ちゃん!」

 ドンっと大山の体を、杉野は突き飛ばした。あっ、とか妙に女々しい声をあげて、大山は地面へと倒れ込む。

「杉野君、悪いけど、大山君も逃がすつもりはないよ? だって二人はもう、小太郎くんの敵なんだから」

 真顔でそんなことを言いながら、メイちゃんはサブウエポンである呪いの剣『八つ裂き牛魔刀』を腰から抜き放つ。

「逃げろぉ! 逃げるんだ、大ちーゃん! 君さえ生き残ってくれるなら、私は――」

「大丈夫、そんなに愛し合っている二人なら、きっと天国で一緒になれるよ」

 ただ恋人の無事を祈って叫ぶことしかできない杉野。その頭を、狂戦士が無慈悲に掴む。ソフトモヒカンの髪の毛を引っ掴んで、メイちゃんは禍々しいオーラを発する刀身を、何のためらいもなく、杉野の太い首筋へかけた。

「ま、待てっ、やめてくれ、頼む、タカを殺さないでくれ! お願いだぁ、タカは俺の全てなんだ、だからっ――」

「もう、いいんだ、大ちゃん。最後まで一緒にいられなくて、ごめんね……愛してる」

 きっと、そこまで杉野が言い残せたのが、メイちゃんの情けなんだろう。そして、そこから先には、もう慈悲はない。

「や、やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 スっと滑るように、杉野の首を呪いの刃が裂く。

 たった一度で『八つ裂き牛魔刀』は、頑強なはずの重戦士の首を刈り取ってみせた。あまりに鮮やかなその手つきは、いつも大きな肉塊を切り裂いて料理をしている時と、何も変わらないようにみえる。無駄のない、正確にして機械的なほどの手つきは、獲物を捌くのに慣れた熟練の動作。

 多分、これでメイちゃんが殺した人間クラスメイトは二人目。けれど、敵の首を落とすことが、あまりに手慣れたように思えた。

「ねぇ、大山君は、何か言い残すことはある?」

 左手に杉野の生首をぶら下げ、右手に『八つ裂き牛魔刀』を握り、メイちゃんは、いっそ慈悲すら感じるような微笑みで、顔面蒼白で震える大山へと声をかけていた。

「あ、う、あぁ……」

「安心して、苦しまないように殺してあげられるし、ちゃんと、杉野君と一緒に埋めてあげるから」

 桜井君と雛菊さんのように、か。

 きちんと弔ってあげるから、安心して死ねというのは、果たして正常なのか異常なのか。

「う、うぅううああああああああああああ、『黒煙スモーク』っ!」

 泣き叫ぶ絶叫と共に、大山から凄まじい勢いで真っ黒い煙が噴き上がる。

「っ!?」

 一瞬、驚いたような表情をメイちゃんが浮かべた、と思っていたら、次の瞬間には彼女の腕が僕へと伸びていて、

「……ただの煙、なのかな。ごめんね、小太郎くん、大山君が逃げちゃった」

 メイちゃんのあまりに素早い対応のお蔭で、気づけば僕は彼女に抱えられた状態でボス部屋の隅にいて、部屋の中央から入り口にかけて濛々と煙る黒い煙の中には、もう大山の姿はないようだった。

 逃走用に煙幕の魔法まで習得しているとは、中々の多芸ぶりである。『水霧アクア・ミスト』の一発屋な下川とは、魔術士としての格の違いを感じさせるね。

「今すぐ追いかけるね」

「いや、いい……もう、いいよ」

「でも、放っておいたら危ないよ」

「もういいんだ。これ以上、進んで手を汚す必要なんてないから」

 一体、どんな顔して僕はそんなこと言ってるんだろう。慈悲でも何でもない、ただこれ以上の殺人をやるのも見るのも、ちょっと御免だなという僕の軟弱な精神から出た台詞でしかない。

 けれど、メイちゃんはもっと素晴らしい思いやりの心とでも受け取ったのだろうか。何も言わずに、そのまま僕を抱きしめるだけだった。

 ああ、荒んだ心に、人肌の温かさと柔らかさは、何て沁みるんだろう。このまま性欲と快楽に流されることができれば、どんなに良いことか……

「はぁ、何かあったら面倒だし、早く転移しちゃおうか」

「うん、そうだね」

 名残惜しくも、彼女との抱擁を解いて、まずは当初の目的であるボスのコアを回収。コアは杉野が持っていてくれて、助かったよ。

 それから、淡々と準備を整えることだけに集中して、僕らは無事に転移を果たす。

 それにしても、自分の方から奇襲しておいて、結果的には成功になったというのに、この嫌な気分を味わう羽目になるんだから、本当に、人殺しってのは嫌になるよ。

 最終的には手を汚さずに済んだ自分に対してか、躊躇せずに殺しができる彼女に対してか、あるいは、ここ数日の熱愛ぶりをこの目で見ておきながら、そんな二人の仲を永遠に引き裂くことをしでかした罪悪感か……何でもいい。

 けれど、いつか言った樋口の「後悔するぞ」という言葉の意味が、今更ながら、ほんの少しだけ、認められるような気がした。

第178話 熱い血肉

「ぜぇ、はぁ……はぁ……」

 ついに体力の限界を迎え、大山大輔は走り続けていた足を止めた。

 途轍もない疲労感の中、荒い息を吐きながら耳を澄ませて追手の気配を探る。聞こえてくるのは、どこかで滴っている水滴が弾ける音と、自分の吐息くらいのもの。

 どうやら『呪術師』と『狂戦士』の魔の手から、無事に逃げおおせることができたようだ。

「はぁ、はぁ……タカ……」

 自分を逃がして、犠牲になった杉野貴志。愛する彼の、最後の姿が目に焼き付いて離れない。

「ちくしょう……どうして、なんでだよぉ……」

 生き残るために、互いに命を賭けて戦った結末としては、妥当なものである。けれど、実際に敗北者となった時、その運命を素直に受け入れられるかどうかは、また別の話。

「俺だけ生き残っても、意味なんてねぇんだよ……タカ、お前がいないと、俺は……」

 どうしようもない後悔と喪失感が、大山の心を苛む。

 こんなことになるのなら、自分も一緒に死にたかった。けれど、現実に自分は逃げ出してしまった。

 確実に殺されると分かっていながら、杉野は狂戦士に背中を向けてでも、自分のピンチに駆けつけた。「逃げろ」と叫び、「愛している」と言い残して。

 けれど、自分が彼の最後の意思に従ったのか、それとも、杉野をあまりにもあっけなく殺して見せた、狂戦士が恐ろしかったのか。少なくとも、自分が逃げ出したことに納得できる理由は、見つけられない。

 自分で自分が許せない。軟弱な女男と、舐めてかかった桃川に負けた自分が。杉野に助けられた自分が。あの瞬間、何もできなかった、そして、こうして無様に逃げたこと。

 何もかもが許せない。けれど、もう取り返しはつかない。杉野は死んだ。最愛の恋人は、死んでしまったのだから。

「タカ、俺は、どうすりゃいいんだよ……」

 答えはない。優しい微笑みで答えてくれる相手は、もうどこにもいない。

「ダメなんだよ、お前がいないと……タカがいない人生なんて、耐えられねぇよ……」

 愛していた、心から。彼と一緒にいられるならば、たとえこんな異世界に落とされたって、生きていける。幸せになれる。

 けれど、それは最早、叶わぬ夢。正しく、死が永遠に二人を別ってしまった。

「タカ、今すぐ、お前の傍に――」

 後を追う。それは、とても魅力的な案だった。

 武器ではなく、生活用品として使っていたナイフを取り出し、その刃先を自分の喉元に突きつけても、恐怖は湧かなかった。これで楽になれる、また彼と出会える。そんな安堵感さえ覚える。

 そうだ、このまま何もかも忘れて、楽になってしまえばいい――本当に、それでいいのか?

「くっ、く……クソッ!」

 カラン、と虚しくナイフを投げ捨てた音が、暗い洞窟に反響する。

「くそ、ちくしょう……どの面下げて、タカに会えるってんだよ!」

 それは大山大輔にとって残された、男としての最後のプライドであった。

「俺のせいで負けた……俺のせいで、タカは死んだ……」

 それでも、あの優しい彼は自分を許すだろう。このまま天国で彼と会ったなら、いつものように抱きしめてくれるだろう。

 けれど、それじゃあダメだ。杉野が許しても、自分が許せない。

「せめて、仇くらいはとらねぇと、俺はタカに会えねぇんだよっ!」

 憎悪、とはまた異なる、その復讐の決意は、きっと男の意地というべきものか。

 桃川小太郎を悪いとは思わない。杉野をその手で殺した、双葉芽衣子ですら、憎いと思わない。男として、命を賭けて挑んだ戦いの結果に過ぎないから。

 潔く、負けは認めよう。けれど、負けたままで終わるわけにはいかない。

「桃川、双葉、お前らを殺すまで、俺は死ぬわけにはいかねぇ……仇をとるまで、俺は何が何でも生き抜いてやるんだっ!」

 絶望の闇に沈んだ大山の心に、闘志の火が灯る。

 後追い自殺をするのは簡単だ。いつだってできる。ならば、もう死んだつもりで、仇を討つためだけに突っ走る。

 それを成し遂げれば、きっと自分は、胸を張って彼に会いに行けるから。杉野貴志という半身を失った自分は、死んだも同然。だから、残りの人生は全て、彼のための仇討に捧げることに躊躇はない。それでしか、もう生きていく理由は残されていないのだ。

「男たる者、強くあれ……そうだ、俺はもっと、もっと強くなるんだ」

 心と体が、再び熱く燃え上がって行く。

『呪術師』桃川と『狂戦士』双葉のコンビは強い。今の実力では、とてもあの二人を相手に勝つことはできない。杉野を失った今、自分はもう誰にも甘えず、頼らず、己の力のみを頼りにしなければいけない。

 辛く、険しく、けれど復讐を果たした先には何もない、不毛なる茨の道。けれど、それこそが無様に一人生き残ってしまった自分に相応しい。

「俺は強くなる。だから、待っててくれ、タカ。俺が仇を討って、お前に会いに行けるその時まで――うおっ!?」

 決意を固めた矢先、水滴が首筋に弾けて、思わず叫び声を上げてしまう。

「クソっ、なんだよコレ……妙にベトついてやがる。水じゃねぇのかよ」

 反射的に、首筋に当たったところを手で拭えば、やけに粘ついた感触がする。それに、やけに生ぬるい上に、妙な臭気を発していた。

「なんだよチクショウ、気持ち悪ぃ、変な虫でもいるのか――あ?」

 謎の粘液が落ちてきた洞窟の天井へと、視線を上げた先に、ソレはいた。

「ハァ……ハァ、ラァ……」

 ゴツゴツした岩の天井に、蜘蛛のようにピッタリと張り付いている。薄暗く、はっきりとは見えないが……どうやらソレは、人の形をしているらしかった。

 ポタリ、とその人型の口から、涎が零れ落ちる。

「ヒッ!?」

 悲鳴が漏れる。息を呑み、背筋が凍る。気づいてしまえば、ソレはあまりにおぞましい姿をしていたから。

「ハラァ、ヘッタぁ……」

 信じがたいことに、ソレは人間だった。

 ぶよぶよと脂肪がたるんだ、だらしない体つきが剥き出しになっている。つまり、裸。辛うじて、股間部には汚れきったパンツらしきモノで覆われてはいる。

 醜い肥満体ではあるが、確かに人間の体だというのに、トカゲのように這いつくばった体勢で天井へと張り付く姿は、ホラー映画のワンシーンが如く怖気をかき立てる。

 しかし、最も恐ろしいことに、その異様な男の顔には、見覚えがあった。

「よ、横道なのか、お前……」

 油汚れにギトついた髪を逆さまに垂らしながら、こちらを向いてる男の顔は、確かにクラスメイトの横道一のものだった。

 二年七組には、軟弱な桃川に不良の樋口、など気に食わない男子は色々といたが、近づくことすら嫌な、正しく生理的な嫌悪感を覚える最低の奴は、横道一だけだろう。

 クラスでハブられるのは当然な態度。最悪の性格に、清潔感の欠片もない出で立ちに、たるみきった肥満体。

 今では自他共に認めるゲイである大山だからこそ、その嫌悪感はより一層に激しいものとなる。もし、この男に不意に尻を触られるなどのセクハラをされようものなら、女子生徒よりも激しく泣き叫ぶ自信がある。

 それほどまでに、嫌う男。ここまで最悪な男は見たことがない。

 けれど、だからこそ横道の顔を、見紛うことはなかった。

「フゥウゥーン……に、臭うぅ……にく、肉ぅ……」

 ドブのように淀み切った横道の瞳が真っ直ぐに、唖然として佇む大山に向けられる。

 身の毛もよだつおぞましさに、大山は一も二もなく魔法の行使に踏み切った。今、目の前にいるのは対話が可能なクラスメイトではなく、餓えた魔物である。

 曲がりなりにもダンジョン攻略をしてきた経験で磨かれた直感が、激しくそう訴えかけたが故の先制攻撃だ。

「うぉおおおおお、『火矢イグニス・サギタ』っ!」

 ほぼ真上に陣取る横道に向かって、拳大の火球をぶち込む。一発、二発、三発、と連射しながら、逃げるように後退を始めるが、

「フシャァアアアアアアアッ!」

 弾けた爆炎を突っ切って、細長い触手のようなモノが飛来する。

「くっ、痛っ!」

 避けきった、つもりだったが、触手の先端が足首に巻きつく。鋭い痛みと共に、足の感覚が鈍ってゆく。どうやら、麻痺毒を受けたらしい。

 しかし、全く動けないほどではない。

「くそっ、こんなモンで俺を止められると思うんじゃねぇ! はぁあああっ、『爆熱筋肉マッスルヒート』っ!」

 急激に上昇してゆく熱き筋力のパワーを感じながら、大山は右の足首に巻きついていた麻痺毒付きの触手を、左足の鋭い蹴りで千切ってみせた。

「ンギョォオオオッ!」

 痛みがあるのか、横道の気色悪い叫びが、『火矢イグニス・サギタ』が炸裂して黒煙の煙る向こうから聞こえてきた。

「マジで気持ちの悪ぃ野郎だぜ。テメーを拳で殴るのも汚らしくて御免だな」

 このまま炎魔法の遠距離攻撃で爆散させるのが最善。そう判断し、大山は一切の情け容赦なく、自身が持てる最大火力を放とうと、両手に魔力を集中させる。

「んぬぅううう、いぃ、痛ぇ、痛ぇええよぉお、ぶぉおおあああああああああああああっ!」

 そんな叫びと共に、今度は何本もの触手が飛来してくる。ヒュンヒュンと音を立てて振るわれる新たな触手は、全部で六本。

 威力を高めるために、溜めの動作に入ったこと。そして、右足が痺れていること。二つの要因が重なって、大山は六本もの触手を避けきることができない。

「ちいっ!」

 両手両足、それから腰と首元に触手が巻きつき、全身の動きを封じる。ジワジワと麻痺の効果で体中が急激に重さを感じるが、焦る必要はない。

「舐めんなやぁ!『熱血炎気バーニングパワー』ぁ!」

 全身から魔法の火炎に包まれると同時に、再び体に活力が戻ってくる。

熱血炎気バーニングパワー』は小太郎が放った毒の呪術を防いだように、状態異常に対する耐性を持つ。すでに喰らっていた状態でも、燃え盛る炎が浄化するように、ある程度までの回復も可能だ。

 すでに麻痺は癒え、体に巻きつく触手も炎に炙られ焼き切れる寸前。

 横道のちんけな麻痺触手など、何本繰り出そうと自分を止めることはできない。今度こそ、汚らわしい最低男子を消し炭にしようと、再び両手に魔力を込めた、その時だ。

 天井に漂う黒煙が晴れて、煙に隠れていた横道の姿が露わになる。そして、この絡みつく触手の正体も、初めて大山は目にしたのだ。

「なっ、あ、あぁ、イイィヤァアアアアアアアアアアアアっ!」

 女のような悲鳴を上げるのも、無理はない。

 その触手は、横道の口から生えていたのだから。つまり、舌。

 根元から何本にも枝分かれして伸びる触手と化している舌は、魔物の持つべき異形な器官だが、現実として横道の口の中から、舌として生えているのだからどうしようもない。

 近づくことすら厭う最悪の男に、自分の体がベロベロと舐められていたのだと理解したその時、大山の嫌悪感は限界を突破する。

 一瞬、正気を失う。最大火力の炎魔法を放とうとしていたことなど忘れ、今すぐにでも、この汚らわしい舌の拘束から脱しようともがく。その姿は、まるで溺れる者のように必死で、合理性に欠ける動き。

 故に、大きな隙を生んでしまった。

「ビッ、ビィ、ビッビガヂュウウウウウウウウウウウウウッ!」

 横道が放ったのは、電撃だった。


 捕食スキル

『発電器官』:雷の魔力を発生させる器官。


 体内に電気を発生させる器官を獲得した横道は、自分の体から放電することができる。『発電器官』を喰らって得た魔物の鳴き声と似たような叫び声をあげながら、横道は獲物を捕らえた舌の触手に放電する。

「ぐぁあああああああああああああっ!」

 全身に容赦ない電撃を喰らい、大山は大きく絶叫を上げた後、ガクリと力を失った様に倒れ込んだ。

 無力化を完了したと判断したのか、スルスルと舌が解かれ口へと戻って行く。

 そして、動けなくなった獲物に対し、いよいよ横道は接近する。

「う、あ、あぁ……来るなっ……」

 天井から地面へと降りてきた横道は、何故か両手を地につけた四足のまま。人間であることを捨てた獣のような格好で、四足歩行で倒れた大山へと近づいてくる。

「肉、肉ぅ……喰わせろぉおおお……」

 かろうじて人の言葉になってはいるが、まるで理性を感じさせない眼つきに、ボタボタと唾液を口から垂らしながら四足歩行で迫るその姿は、完全に餓えた獣である。

 その獣性を示すかのように、舌なめずりをする横道の口が、大きく割れた。

 有名な口裂け女のように、頬が割け、耳の付け根辺りにまで口が開く。だが、真に恐るべきは、裂けた口腔の中に、歪な牙がビッシリと生えそろっていることだ。

 鋭い牙も、固い臼歯も、統一感なく生える歪み切った歯並びは本能的な嫌悪と恐怖を呼び覚ます。不気味な歯列を剥き出しにして、大口を開けながらも、更なる変化を遂げる。

 ギチギチと音を立てながら、横道の顔の側面から角が……いや、それは大きく、鋭い、顎だ。クモやサソリが口に持つ、鋏角と呼ばれる大顎代わりの肢である。

 最早、人間の顔ではない。魔物としてもあまりにおぞましい、裂けた大口に獰猛な鋏角を開く横道の姿は、

「ば、化け物……」

 そうして、血肉に餓えた化け物は、欲望のままに獲物へと襲い掛かる。

「ぐふふ、肉ぅ、んまそぉおおおお!」

「や、やめろっ、来るな、ヤダ、助けて、助けてっ、タカぁ! イヤだぁあああああああ!」

 死にもの狂いの叫びを上げて、大山は痺れる体に鞭を打って逃げ出す。立ち上がって走れるほどには回復してはいない。だから、手足をついたハイハイの状態で、とにかく少しでも前へ進もうと、必死に這いずっていく。

 だが、その歩みはあまりに遅い。蜘蛛の巣にかかった蝶が、羽をバタつかせるのと同じ程度に、無意味な悪あがきに過ぎなかった。

「逃ぃがぁすぅかよぉ、俺のぉ、飯ぃいいいいいいいいいいいっ!」

 荒ぶる叫びとは裏腹に、逃げる獲物を仕留める一撃は、驚くほど静かに放たれた。

 それは、横道の腰元から生えた、長いサソリの尾である。黒光りする甲殻に、発光する紫色の筋が浮かぶ、不気味な色合いの尻尾。その先端には、真っ赤な色の毒針が、槍のような鋭さと巨大さでもって備わっている。


 捕食スキル

『デスストーカーの毒槍尾』:強烈な神経毒を持つ大サソリの尾。


 赤いサソリの毒槍は、無様に逃げ惑う大山の、無防備な背中のど真ん中に突き立てられる。

「かっ! はっ、は、ぁ……」

 刃渡り30センチ以上の刃と化している毒針が突き刺さる、物理的なダメージ。だが、それを上回る圧倒的な効果を発する神経毒により、大山の動きは瞬時に停止させられる。

 最早、悪あがきすら許されない。

「ふっ! は、ふはぁ!」

 この神経毒の恐ろしいところは、獲物の動きこそ縛るが、意識は奪わない点である。大山は金縛りにあったようにピクリとも動かない体のまま、ただ、餓えた化け物が自分の体を貪りにやってくる様子を、まざまざと見せつけられることとなる。

 強烈な臭気を放つ裸の横道が、鼻息荒く圧し掛かってくる姿は、心も体も犯されるような恐怖と屈辱。真の絶望がどういうものであるのか、大山は最期の瞬間に思い知るのだった。

「いっただっきまぁーす!」




「――ハッ! 俺は一体なにをっ!?」

 新鮮な血肉を喰らい尽くしたことで、極限の飢餓状態を脱した横道は、久しぶりに人間らしい正気を取り戻した。

「あー、ヤッベー、完全に無意識だったわぁー」

 と、どうやらクラスメイトの一人を捕食したらしいことに気づく。

 夥しい血の跡が広がる洞窟の床。だが、肉片一つ、骨の一欠けらすら、残ってはいない。見事なまでの完食である。

 肉体は全て食い尽くしたが、その身に纏う衣服までは食わないので、エビの殻でも剥くように、その辺にズダズダになって制服の布地が散らばっていた。

「ん? っつーかコレ、学ランのズボン……ってことは、俺が食ったのは男っ!?」

 うげぇ、と吐きそうな表情でのたうつ横道だったが、臓腑に染みわたる熱い血肉の味は本物である。本人のプライド的に男は食いたくないが、『食人鬼』としては人間の男も美味しい肉として喰らい尽くせる体となっている。

「クソっ、誰だか知らねぇけど、今回ばかりは許してやる。俺もかなりヤバかったからな、非常食だからしょうがねぇ」

 ひとしきり嫌がってから、横道はそう自分を納得させた。

 相手が誰だったか認識できないほど、餓えで正気を失っていた状況に陥っていたことは覚えている。

 そもそもの発端は、転移した先に出たのが、生物の気配がまるでしない一面の砂地だったこと。

「やっぱ砂漠ステージってクソだわ」

 これもダンジョンの一部なのだろう。広大な砂漠を再現したようなエリアを、横道はついさっきまで攻略していた。

 ゴーマすら出てこない不毛の砂漠には、限りある貴重な資源を巡って、狡猾な魔物達がしのぎを削っていた。

 横道は味気ない砂漠の魔物達を、出会った端から喰らっていった。

 石のようなトカゲを食べ、ムカデのキメラみたいな虫を食べ、やけに素早く動くサボテンを食べ、電気を発するデカい黄色の鼠を食べ……そうして、ボス部屋で待ち構えていた猛毒を持つ大サソリの魔物『デスストーカー』を喰らった。

 道半ばで、あまりの飢えと渇きに正気を失いながらも、ただ生存本能に従って進み続けた結果、無事にボスも倒して砂漠エリアを突破したのだった。

「まぁいいか、デスストーカーの能力は強ぇし、誰だか知らんが今食ったコイツも、中々強そうな能力が……おっ、うぉおおおお、キタキタキタぁーっ!」


捕食スキル

『大山大輔の炎魔法』:下級炎魔法と中級炎魔法の一部を再現する。

『大山流炎拳術』:炎系強化魔法を組み合わせた格闘術。


「ってコイツ大山かよぉおおおお! ぐぅうええぇーキメぇ! アイツを食ったのかよクソォ、気持ち悪ぃ、キモいんだよこの空手坊主がコラぁ!」

 不良の天道や有希子を寝取った樋口は当然として、大山のような格闘技やってイキってるような男子も、横道は常日頃から恨んでいた。特に大山は、さりげなく女子のように生理的嫌悪感を浮かべた侮蔑の眼差しを向けていたことに、横道は気付いている。

「人のこと汚物扱いしやがってよぉ……こっちのが汗臭ぇ野郎を食わされてよっぽどショックだよクソがっ! 死ねオラっ! さっさと死んで、早くクソになって俺の体から出てけやこのホモ野郎!」

 嫌な男子を食ってしまった後悔が再燃するものの……獲得した能力は相当なものだ。

 最初に喰らった長江有希子から得た氷魔法は、「下級の一部」という制約つきだった。本人の実力がその程度しかなかったため、それ以上の魔法は得られない。

 だが、大山の場合はここまでダンジョンを進んだ経験があってか、下級に加えて中級の一部まで習得している。おまけに『大山流炎拳術』は、自分なりのバトルスタイルも編み出した結果ともいえる。

「ふへへっ、コレだけありゃあ、もう天道の炎魔法も怖くねぇ」

 今まではせいぜい、火耐性のある毛皮や耐熱効果の高い粘液を出すのが精々だったが、これで本格的に炎魔術士としての力が手に入った。火炎の攻撃は、今となってはさほどの脅威とはならない。

「ちくしょう、クソDQNキャラ天道の復讐イベントはまだかよ。あの屈辱はまだ忘れてねぇからな――っと、おお? こ、この香りは……」

 不意に、鼻をくすぐる匂いに気づく。血生臭い臭気が満ちる洞窟内だが、その中でも横道は全く異なる極上の芳香を確かに感じ取った。

「この匂いは間違いなく小太郎きゅん! ち、近い! これは近いぞぉ!」

 犯人の存在を確信した警察犬の如き勢いで、猛然と洞窟を突き進む横道。ほとんど一本道であることが幸いして、途中で方向に迷うこともない。

 いる、間違いなく、この先に桃川小太郎がいる。

 横道は一歩進むごとに上がって行くテンションのまま、ついに色濃く匂いを漂わせる広間へと飛び込んだ。

「うぉおおおおお、小太郎きゅんはっ、俺の嫁ぇええええええええええ!」

 持てる全能力を解放し、突入した広間は――もぬけの殻だった。

「えっ……あれ、もしかして、ここボス部屋? しかも攻略済み?」

 広間の中央には、焼け焦げた巨大な蟹のような死骸が転がっている。この場に残った匂いをよく嗅いでみれば、小太郎の他にも、大山含む、複数人の匂いと、まだ新しい血の香りも残っている。

 どうやら、ここでボス戦とクラスメイト同士の戦いが行われたようだ。

 そして、それはすでに終了しており、大山があの場にいたことと、もう一人分、嗅いだことのない血の匂いが残っていることから……桃川小太郎は戦闘に勝利して、すでに転移を果たした後ということが、明らかであった。

「ち、ちっ、ちっくしょうぉ……」

 思わぬおあずけを喰らったことで、横道は目に涙をためて、叫んだ。

「会いたくても会いたくてもぉ、会えないよぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 恋を歌う乙女のような台詞はしかし、異形の『食人鬼』たる横道が叫べば、それは荒ぶる野獣のようでしかないのだった。

第179話 葉山理月

 俺の名前は葉山理月。

「りつき」、じゃなくて「リライト」だ。俗にいうDQNネームとかキラキラネームとかいうやつだけど、まぁ、俺くらいの爽やかイケメンになれば、ちょっとした個性の一つに過ぎない、みたいな?

 そう、名前なんて些細なこと。人として、男としての価値を決めるのは、容姿ルックス能力スペック、そして性格ハートの総合力だ。

 その点、俺はどうだ?

 まずは顔、言うまでもなくイケている。風呂上りに洗面所の鏡に映る俺の顔なんてヤベーからな。いやぁ、この時のフェイスを見せられる女の子が、今のところ一人も存在しないことが悔やまれる。

 それに、俺はこの生まれもった容姿にただ胡坐をかくような真似もしない。毎朝髪はセットしているし、香水も軽くつけている。男の嗜みってやつ?

 次に、俺は文句なしに普通にハイスペックだろ。あの有名私立の白嶺学園に合格した時点で学力は完璧……あ? 補欠合格? それはアレだよ、入試の時は腹の調子が悪かったんだよ。

 それに男は頭だけじゃねぇ、身体能力、運動神経の方がモテる上では重要だ。そして俺は、勉強よりスポーツの方が得意だし。

 何と言っても、バスケ部不動のエース。中学三年間はずっとスタメンのレギュラーだったからな。白嶺に入ってからは……さ、流石に文武両道な学園だけあって、バスケ部のレベルもかなり高いから、一年からレギュラーにはなれなかったけどぉ……

 いやいや、やっぱ一番大事なのは中身、性格だろ。

 いくら完璧超人といっても、蒼真悠斗みたいな鈍感野郎や、天道龍一みたいな俺様野郎では、人間としてはどうかってことよ。

 けれど、俺は違う! 俺は蒼真みたいに女の子の好意を全力スルーしないし、それどころか些細な言動でその奥ゆかしい恋するハートも察してあげられる――だから、ウチのクラスの美少女軍団の誰か一人くらい、そろそろ俺になびいてくれてもいい気がするんだが?

 まぁ待て、焦るな俺。まだまだ高校生活はこれからが本番。学園祭はもうすぐだし、冬の球技大会は俺の独壇場であるバスケだ。俺という真のイケメンの存在をアピールしつつ、女子との距離が急接近しちゃうイベントが起こることは、確定的に明らかだろう。

 そう、俺のバラ色の高校生活は、これからなんだ――そう、思っていた。

「ヤベぇ……これ、マジでヤベぇよ……」

 どこからどう見ても、森の中なんですけど。

 チャイムがなって、朝のホームルームが始まるかと思いきや、唐突な異世界召喚宣言。崩壊する教室で、次々とクラスメイトが底の知れない闇へ落っこちていく中で、俺だけは隅にあった掃除用具箱にしがみついて耐えていたというのに……とうとうそれも限界を迎え、俺も闇の中へと落ちてしまった。

 これは夢だ。起きたら布団の中か、教室の机で肘ついていることだろう。

 そう思っていたのに、目が覚めたら森の中だよ。

 どこだよ、マジでどこだよここ。

「魔法の異世界って……ウッソだろお前……」

 あまりに突然の出来事だったから、話半分にしか謎の放送を聞いていなかったが、確かそんな感じのことを言っていた。

 どういう設定のドッキリだよ。今どき、小学生だって騙されねーよ、とは思うが、あの教室崩壊から、こうして森の中に放り出されている以上、信じるしかないじゃん。

「ど、ど、ど、どうすんだよコレぇ……」

 しばし呆然。

 右を見ても、左を見ても、名前の分からない植物と木々が生えているばかり。

「いきなりサバイバル生活ってか……無理だよ、俺、バスケやってるだけのスポーツマンで、アウトドアは専門外だよ」

 林間学校でキャンプの経験と、あとは河原でバーベキューするのは得意なんだけど。この深い森の中では、泥水を啜って、蛇やらカエルやらを獲って喰らうような、ガチのサバイバル術がなければ通用しないパターンだろ。

 まずい、マジでまずいぞこれは。このままだと、何もできずに野垂れ死ぬ。

「ああっ、そ、そういえばぁ!?」

 ここで閃いた俺は、やはり天才!

「ナントカ言って、魔法の力が貰えるんだろぉ!」

 慌てて鞄をひっくり返して、みんながやっているから渋々、書いておいた魔法陣と呪文が記されたノートを取り出す。たしか、コレを使えば魔法が得られるっていう話だ。

「俺オカルトとかは信じないタイプなんだけどぉ……今だけはお願い、神様ぁ!」

 ウチ禅宗だけど、何でもいいから頼むぜ神様。この危機的状況をひっくり返せるドえらい魔法を俺にくれ! 気分は正に10連ガチャ。頼む、SSR来い!



 天職『精霊術士』


『微小精霊使役』:まだ、小さな小さな子どもたち。でも、この子たちはいつも、あなたのすぐそばにいるよ。ほら、耳をすませて、みんなの声がきこえるよ。


『精霊召喚陣』:あなたが呼べば、来てくれる。どんなに離れていても、心は繋がっているから。


『精霊言語解読・序』:ほんの少しだけど、お話できる。心をこめて、声をかけてあげて。あなたの気持ち、きっと届く。



「……?」

 このポエムみたいな説明はなんなん?

 ねぇ、これどうやんの? ちょっと待って、俺、魔法とか完全初心者なんで、ちゃんと説明してくれないと分かんないっす。

 そもそも精霊ってなんだよ。俺にはそれらしい姿は見えないし、勿論、声も聞こえない。

 耳をすませば聞こえるよって言ったじゃないですかーっ!

「い、いや待て、落ち着け、まだあわあわ、慌てるような時間じゃない……そうだ、召喚、召喚ってやつを試そう」

 まずは精霊を呼び出す。そこから精霊さんとお話しでOK? きっと俺が呼べば、途轍もなく強力な光り輝く神々しい奴らがどんどん現れるに違いない。

「よし、いいぜ……来い、精霊!」

 しかし、何も起こらなかった。

「来い! 来いよ精霊!」

 しかし、何も起こらなかった。

「来い、来いよ! 頼むから来てください精霊さん!」

 しかし何も、

「お願いします、何でもいいので来てください精霊様……」

 何も、起こりはしない!

「え、えっ……どういうこと? もしかして俺、騙されてる?」

 ここまで何も起こらないと、そもそも魔法とか精霊とか、そんなファンタジーなもんはハナっから存在しないんじゃねぇのと思ってしまう。

 いや、むしろ実在する方が困る。本当に魔法の力を得られるはずなのに、俺にはこの何も起こらない精霊術士にさせられたってことは、完全に丸損じゃねぇか。

「こ、これは何かの間違いだろ……もう一回、やり直しして、リセマラして……」

 しかし、一度使ったノートの魔法陣は、どんだけ必死こいて呪文を叫んでも、何の反応も見せなかった。

「ち、ち、ちっ、ちっくしょぉあぁーっ!」

 あまりの理不尽に我慢の限界に達した俺は、腹立つくらいに無反応なノートをビリビリに破り捨てる。ええい、こんなモン、ケツ拭く紙にもなりゃしねぇ!

「おい、どうすんだよ、こんな詐欺みてぇな無能力でやっていけっかよぉ!」

 破いたノートの紙片が風に攫われて散りながら、俺の叫びもまた、虚しく響くだけ。八つ当たりの怒りなど、すぐに冷めてゆく。

「な、なぁおい、これマジでどうすりゃいいんだよぉ……」

 どんどん不安が増してくる。こんな深い森の中に居続けたらヤバいことは分かるのだが、これからどうすればいいのか分からないし、どうにかできる自信もない。

 今の俺にあるものは、精霊術士という名の無能力と、教科書の入ったカバンだけ。実質、何もないに等しい。

「っていうか、他の奴はどこにいるんだよ……もしかして、俺だけはぐれてんじゃねぇよな……」

 確か、ダンジョンがどうのこうのと言っていた気がする。でも、俺がいるのはどこからどう見てもただの森で、ゲームで見たような洞窟やら遺跡やらといったモノは見当たらない。

 クラスのみんなは天職の力を得て、RPGのように楽しいダンジョン攻略をすでに始めているのかもしれない。でも、俺だけはぐれて一人ぼっち。

 ありえる、実際に俺は今正に一人きりなのだから。

 そんな最悪の想像を一度してしまえば、更なる不安がどんどん押し寄せてくる。こ、こんな場所で一人とか、やっていけるはずがねぇ!

「そうだっ、助けを呼べば!」

 天才的な閃き再び。俺はガンマンのように素早い動きでポケットにいれてたスマホを抜く。

「け、圏外……」

 あまりに無慈悲な圏外表示。しかし、ここが地球ではない異世界ならば、当たり前のことでもある。

「一人かよ……俺、一人なのかよ……」

 悲しいかな、これがSNSでしか人と繋がれない現代っ子の末路か。スマホが通じない、ただそれだけで世界から隔絶された孤独感に襲われる。

 いや、これはガチの比喩表現抜きで、俺は物理的に一人ぼっちと化している。誰の助けも期待できない。もぅマヂむり、手首切りそう。

「うっ、く、うぅ……」

 どうしようもない絶望感。思わず、涙がこみ上げてくる。

 男として情けない? うるせぇ、なら俺と同じ状況に陥ってみろってんだ。こんなもん、女子じゃなくなって泣くぜ!

「ううぅ……ど、どうしよう……俺、こんな、生きていけねぇよぉ……」

 ガキみたいにメソメソと泣き始めた、ちょうどその時だった。

 ガサリ、と茂みが揺れる。

「だ、誰かいるのかっ!? おい、助けてくれ、俺はここだーっ!」

 瞬時に顔を上げて、俺は叫んだ。

 無様に泣いているところを見られた、という恥ずかしさなどない。誰かいる、俺は一人じゃない。ただ、それだけで一筋の光明が差したように思えてならない。

 そして俺の希望に応えるかのように、ガサガサと茂みをかき分けのっそりと現れたのは、

「プググ、グアー」

 若干、間抜けな鳴き声を上げる、熊だった。

「く、熊……なの、か?」

 薄い茶色の毛皮に身を包み、二足で立ち上がる人間大の獣といえば、熊だとしか思えない。しかし、妙に頭は大きいし、ウサミミみたいな長い耳だし、何より、顔つきがリアルな熊というより、ぬいぐるみっぽい。

 だが、テディベアのように可愛らしいというよりは、やけに眼つきが鋭く生意気な感じである。

「あのー、もしかして、中に誰か入ってます?」

「プガァ!」

 コイツ着ぐるみでは、と思って聞いたら、返って来たのはちょっと刺々しい鳴き声。

 グワっと口を開けて声を上げた時に、その口の中が作りものではない生々しさがあったのを見て、マジでコイツは本物の熊の一種なのだと理解させられてしまった。

 改めて見ると、手足の爪はなかなか鋭いし、毛皮の質感もリアルすぎる。

 いくら着ぐるみっぽい外観とはいえ、本物の熊であることに違いはない。そして、人間は熊に襲われたら勝てない。

 少なくとも、どこぞの猟師のジジイみたいに鼻先にパンチ叩きこんで撃退させる勇気は持てない。

「あ、あ、あばばば……」

 言葉にならないとは、正にこのことか。

 誰かがいると思って大声で呼んだら、まさか異世界の熊を呼び寄せるハメになるとは。俺はなんて間抜けなんだ。

 だが、数秒前の自分を責めるよりも、今この瞬間どうするかが重要だ。

 少なくとも、わき目も振らずに走って逃げるのは無理。

 熊って人間よりも足が速いっていうけど、それ以前に、俺の両足がガックガクに震えて走るどころか歩くことさえままならない。足どころか、全身が硬直したように動かない。

「プグゥ、プガガ!」

「ひいいっ!?」

 いくら着ぐるみっぽい外観とはいえ、俺よりはデカいし、横幅も相当なこの熊に襲われれば、ひとたまりもない。

 牙を剥きだして威嚇の声を上げる熊を前に、ただの人間はあまりに無力。

「はっ、そ、そうだ、こういう時は死んだフリだ」

 天才的な閃き、三度目。

 そうだ、熊に襲われた時の対処法といえば、死んだフリ、と古今東西決まっている。熊に死んだフリ、といえばこんなに有名なんだから、きっと異世界の熊にも通用するに決まってる。

「ぐ、ぐえぇ……死んだぁ……」

 この土壇場でありながら、俺の神がかり的な演技力が発揮され、実に自然な死にざまを演出。ゆっくりと土の上に俺は地面に横たえ、固く目をつぶる。

 これで、とりあえず死にました、というのは野生の熊でも分かるだろう。

 さぁ、獲物は死んだぞ。どうだ、これで諦めて熊はどこぞへ去るに違いない――チラっ

「プググ」

 熊の鼻息を感じる。こ、コイツ、本当に死んだかどうか確かめているのか!?

 か、か、勘弁してくださいよぉ……

「……」

 ここが我慢のしどころだと心得て、俺の鼻先でフガフガしている熊の気配をビンビンに感じながら、必死に息を押し殺す。

 頼む、お願いだから、見逃してください!

 ペロっ。

「ひゃうっ!?」

 普通に声をあげてしまった。いやだって、コイツ、急に頬を舐めるから……

「……プクク」

「な、なに笑ってんだよぉ……」

 熊のペロペロ攻撃により、俺の完璧な死んだフリ演技は見破られてしまった。

 バッチリと目を開けた俺の前には、どこか馬鹿にするように笑った、ように見える熊の顔があった。

「ち、チクショウ……殺せよっ! おら、どうした、食えよ!」

 人間、追い詰められると本当にヤケになるもんだ。

 俺は言葉なんて伝わるはずがないのに、熊に向かって叫んでいた。

「食えよ! 食ってみろよコノヤォーっ!」

「プクク……タ、タ……タベナイ」

「……あ?」

「タベナイヨ」

「しゃ、喋ったぁあああああああああああああっ!?」




 ある日、森の中。俺は、喋る熊に出会った。

「あっはっはっは、なんだお前、良い奴だなぁ!」

「プックック、イイヤツ」

 その辺にあったちょうどいい倒木に、俺と熊はベンチのように仲良く腰掛け、実に友好的なファーストコンタクトを果たしていた。

「流石は魔法の異世界。まさか熊が喋れるとはな」

「オレ、シャベレル」

 かなーり怪しい外人みたいにカタコトではあるが、確かに熊の喋る言葉が俺には分かる。耳の方には、ガウガウ言って吠えているようにしか聞こえないのだが、不思議とその意味が頭の中でカタコト日本語程度に理解できてしまう。

 で、いざ話してみれば、熊には俺を襲う意思はなく、ただ見たことのない変な奴がいるなと思って、好奇心で近づいただけらしい。おいおい、この爽やかイケメンを捕まえて変な奴はねーだろ。まぁ、異世界のお喋り熊さんに大和男児の魅力を分かれってのも無茶ぶりってもんか。

 ともかく、日本語が通じるってんなら、熊とだってコミュニケーションしてやんよ。

「俺、葉山理月ってんだけど、お前は?」

「オレ、ナマエ、ナイ」

「マジで、何で?」

「ナマエ、モテル、ボスダケ」

「へぇ、何か群れ社会の厳しいトコみたいな? 分かるよそういうの、下っ端ってのはどこの世界でも苦労するもんだからなぁ」

 俺もファミレスでバイトしたとき、正社員でもねぇのにバイトリーダーとかいう奴がやけに偉そうに指揮ってやがったしな。フリーターと学生バイトだったら、将来性を見越せば学生の方が上じゃねぇかと思うんだが。

「ムレ、モドレナイ」

「お、もしかして迷子か。なんだよ俺と一緒じゃーん」

「オレ、ボスニマケタ。ムレ、デル。ヒトリデイキル」

 あっ、なんかそういう話、ガキの頃に見た野生動物を追いかける系のドキュメンタリー番組で聞いたことあるぞ。

 ボスの座を巡って戦うことは、群れを成す動物ではよくあることで、負けた方が大抵、良い目に遭うことはない。野生の世界にセーフティネットなどない。

「そうか、お前も色々あったんだな……いや、ここでネガティブになっちゃダメだ! もっと前向きに考えていかないと。えーと、ほら、もうお前を縛るモノは何もない、自由の身だ! 群れのボスがなんぼのもんじゃ、お前は孤高の一匹狼だぜ!」

「オレ、オオカミ?」

「いや、狼ではねぇな」

 そもそも熊って群れで生活する動物じゃねぇし。異世界だから生態が違うのか。

「どっちにしても、名前がないのは不便だし、俺がいっちょ、カッコイイ名前つけてやっか?」

「ナマエ」

「そうそう、名前、いいだろ? 俺、こういうのめっちゃ得意なんだよねぇ」

「ナマエ、ホシイ。リライト、タノム」

「オーケー相棒。よーし、お前の名前は……」

 名は体を表すというが、正にその通り。リライト、というハイセンスな名前を、俺というイケメンは実に見事に体現していると言っていいだろう。流石は俺の両親。決して、当時流行っていた漫画のキャラに影響されたとか、そういうことは断じてない。

 ともかく、俺はこの熊に素晴らしい名前を与えてやりたい。

 出会いは絶体絶命の死んだフリだったが、それでも俺はコイツと話せて、随分と心が楽になった。ついさっきまでメソメソ泣いていた俺がアホとしか思えないくらい、取り乱していたと反省できるほどには、今は冷静になれている。

 だから、そういう恩も諸々込みで、最高にクールなネーミングをかましてやるぜ。

 ずんぐりむっくりの着ぐるみっぽい感じではあるが、本物の熊であることに変わりはない。ならば、やはり力強さ、ワイルドさ、なんかを前面に押し出していきたい。何より、コイツは群れを追われてこれから一匹熊として生きていく孤高の男だ。そういった男の哀愁的なイメージもそれとなく含ませておきたい。

 となると、うーん、コイツの薄茶色な毛皮の色なんかも考慮して――

「お前の名前はキナコだ!」

「キナコ」

「そう、キナコだ!」

 この淡い色の茶色が絶妙にキナコっぽい。そのまま丸くなれば餅っぽくもなりそう。

 あんまりカッコよさとはちょっとズレた感じがするけど、一度呼んでみれば、なんか凄いしっくりくるから、これで正解だろう。俺のネーミングセンスに間違いはない。

「オレ、キナコ。イイ、キナコ、イイ」

「よしよし、気に入ってくれたようで何よりだ」

 浮かれているのか、キナコはこころなしか体をソワソワさせている。それに、長いウサミミも揺れている。体全体で喜びの感情が漏れ出ているところは、なかなかに可愛いじゃあないか。

「で、キナコよぉ、これからどうするつもり?」

「オレ、ヒトリ、タビスル。モリ、デルカモ」

「おおおっ、マジで!? この森から出れんのか!」

「モリ、ヒロイ。ソト、モットヒロイ、キイタ」

「そっか、そうだよな、まだ見ぬ世界が広がってるに決まってるよな!」

 そして、この深い森を抜けたなら、人里だってあるかもしれない。そうなれば、当面の生活に困ることはないだろう。

 キナコと一緒にいれば、まぁ、道端で大道芸でもすれば小遣い稼ぎも余裕だろう。

「オレ、モウイク。リライト、サラバ」

 倒木からすっくと立ち上がり、名残惜しそうだが、しかし覚悟を決めた確かな足取りで、キナコが二足歩行でスタスタ歩き始めた。

「あっ、ちょっ、待てよ! 俺も行く、一緒に行くから、待ってくれよキナコちゃーん!」

 ここで離れれば、また一人ぼっちに逆戻り。なにより、キナコはこの森を出て行くつもりなのだ。

 一緒について行く以外に、俺の選択肢はありえねぇ!

「リライト、イッショ、イクカ」

「おうよ、キナコ、俺と一緒に行こうぜ、外の世界ってとこによぉ!」

 こうして、俺はキナコと名付けた喋る熊と共に、旅立つことにしたのだった。

第180話 親友再会

青白い肌に、スラリとした長躯の壮年男性。身に纏うのは漆黒のマントで、立ち姿は貴族のような優雅さが漂うが、その顔は鋭い牙を剥き出しにした悪鬼羅刹の如き……いや、もっと的確な表現をするなら、ドラキュラ伯爵、とでも呼ぶべき姿をしていた。

「ハァ……ハァ……なんとか、倒したか……」

 そのドラキュラは、俺が振るった『光りの聖剣クロスカリバー』によって一刀両断され、その神々しい青白い光に浄化されるように、灰となって消滅していった。

 長い戦いだったが、これで暗黒街のボスも撃破。攻略完了だ。

「兄さん!」

「ああ、桜、やったぞ、一人でボスを倒せた――っとぉ、いきなり抱きつくなよ」

 真っ先に駆け寄ってきた桜が、疲労感でへたり込んだ俺に思いっきり抱き着いてくる。何とか受け止めたけど、かなり消耗しているから、地味にキツい。

「だって……ボスに一人で挑むなんて、無茶ばっかり……」

「心配かけてごめん。けど、俺はもっと強くならないといけないから」

 今回、俺は一人でこの暗黒街のボスであるドラキュラに挑んだ。

 ドラキュラは、あの四本腕のゴグマを越える強敵であることは、最初に挑んだ時に分かっていた。

 まず、『勇者』の俺に匹敵する超人的な身体能力。パワーとスピードはほぼ互角といっていい。それから、明確な剣術を使うこと。それも、達人級の鋭さだ。

 ドラキュラが振るうのは細身のサーベル一本きりだが、見た目以上に重い斬撃を繰り出す。おまけに、サーベル自体がかなり強力な魔法の武器となっている。

 鮮血を思わせる真っ赤な色をしたオーラが常に刀身に渦巻き、ソレが刃となって伸びたり、赤い風の刃と化して飛んで来たりした。斬撃だけでなく、鞭のように伸ばして、不規則な軌道で広範囲を薙ぎ払う攻撃をされた時などは、かなりヒヤっとした。

 他にも、影を伸ばして黒い槍のようなものを大量に出したり、なびくマントから無数のコウモリ型の精霊を召喚してけしかけてきたり……どれも強力かつ多彩な技と魔法とを駆使する、今まで戦った中で間違いなく最強のボスであった。

 だからこそ、倒す価値がある。



 習得スキル


無双剣舞ライオットブレイザー』:連続攻撃・速度・大強化。流麗な舞いの如き連続斬撃が、数多の敵を斬り伏せる。


千里疾駆グランドウォーカー』:移動速度大強化。千里を駆け抜け、道なき道さえ踏破する。


『縮地』:蒼真流武闘術の高等技。動きを悟らせず間合いを詰める様は、さながら地面が縮まったかの如き錯覚を与える。


『蒼功波動』:より強力な光属性と、勇者の生命力が入り混じった、高密度の魔力オーラ。



 獲得スキル


『聖血刀身』:聖なる血筋の一滴をもって解放される、強い浄化能力を刀身に付与する。


『多重連鎖召喚陣』:下級精霊の召喚に特化した魔法陣。同時に多数の召喚陣を展開し、大量の下級精霊を使役できる。


『白影槍』:光属性の魔力を物質化マテリアライズさせた、白い槍を作り出す。自身が発する光を投影させた場所から、任意に突きだすことができる。



 強力なボスを倒した、という経験そのものが大きな力となるのだが……『勇者』の能力の恐ろしいところは、相手の技や魔法なども覚えてしまうことである。

 習得スキルと獲得スキル、と呼ぶべきイメージがぼんやりと脳内に浮かび、俺が新たに覚えた技などは、そのどちらかに分類されている。

 どうやら、習得スキルは俺自身が戦闘経験を積んだ結果に身に着けたタイプであり、獲得スキルは相手が使っていた能力を覚えたタイプ、という違いがあるようだ。

 だから、習得スキルの方には俺が戦いの中で編み出した技や、蒼真流の技が多い。

 一方の獲得スキルは、やはりあのドラキュラが使っていた技や魔法とよく似た効果のものばかり。流石に『勇者』が鮮血の刃や、闇魔法みたいな力をそのまま扱うことはないようだ。性質的には光属性のような感じで、似た効果を再現しているといったところ。

 新たなスキルの数々は、俺にこの上なく分かりやすく強くなったことを現してくれるが……足りない、こんなものでは、まだまだ足りない。

「悠斗君、おめでとう、と言うべきなのかしら。ともかく、無事にボスを倒せて良かったわ」

「ありがとう、委員長。俺のワガママを聞いてくれて」

「見ていて、何度も参戦しようと思ったわよ。やっぱり、悠斗君一人にボス戦を任せるなんて、よくないわ」

「俺は大丈夫だよ。次も必ず勝つ」

「悠斗君なら勝てるかもしれないけど……黙って見ているだけの私達の気持ちも、少しは考えてくれてもいいんじゃないかしら?」

「うっ」

 それを言われると、弱い。現在進行形で、俺に抱き着いたまま離れない桜がいるから、尚更に実感してしまう。

「すまない……やっぱり、そうだよな」

 ドラキュラとの激闘を征した後だからこそ、俺も多少は冷静になれた気がする。

 結局のところ、俺は焦っていたのだ。レイナを失った衝撃からも、全然立ち直れていなくて。ただ、目の前の強敵を一人で相手することで、現実逃避をしていただけかもしれない。

「桜から聞いているとは思うけれど、私達は仲間なのよ。もっと頼ってちょうだい」

「みんなのことを、信じていないワケじゃないんだが……俺はもうこれ以上、誰かを失うことが怖くて仕方がないんだ」

「でも、それは私達だって同じよ。もう誰も死なせたくない、だからこそ、みんなで協力して戦うの」

「ああ、本当にすまなかった。こういうのは、今回限りにするよ」

「ううん、いいのよ。きっと、私達も綾瀬さんの死を見て、戦うことに恐怖を感じてしまったの。だから、ボスも悠斗君に任せてしまった気持ちもあるわ……お互い様ね」

 そうか、そうだよな。俺だけが、レイナの死にショックを受けていたワケではない。当たり前のことだけれど、あんな無残な死に様を目の当たりにして、桜は勿論、委員長達だって何も感じないはずがない。

 そんなことを今更になって気づかされるとは、俺は自分のことしか考えていなかったワケだ。本当に、情けないな。

「それじゃあ、次からは、ちゃんとみんなで力を合わせて攻略して行こう」

「ああ、そうだな、蒼真。次はお前に後れはとらない、立派な戦働きをしよう」

「私も頑張るよ、蒼真君!」

「こ、小鳥だって頑張るもん!」

 明日那も、夏川さんも、小鳥遊さんも、俺の呼びかけに快く答えてくれた。ありがとう、情けない真似をした俺のことを、まだ信じてくれて。

「よし、それじゃあ行こう。転移するから、みんな集まってくれ」

 そうして、灰となって消滅したドラキュラが唯一残したコアを手に、転移魔法陣と思しき広間中央に全員が集まる。

 サイズこそ掌に収まるほどだか、ドラキュラのコアはルビーのようにギラギラと真っ赤に輝く綺麗な結晶だ。恐らく、普通のものより純度が高いとか、より濃密に魔力が凝縮されているとかで、高品質なのだろう。

 そんなドラキュラコアが、さらに輝きを増すと、転移魔法陣も連動して光を放ち――

「……ん」

 目を開けば、よく見慣れた緑の木々と噴水のある広場。転移は無事に成功した。

 すでに慣れ始めた転移の感覚ではあるが、直後に俺は驚きに目を見開く。

「――悠斗か」

「龍一……龍一じゃないか!」

 俺の前には、いつもと変わらず仏頂面で堂々と立つ、親友の姿があった。




 それから、俺が龍一とゆっくり話ができるようになったのは、たっぷり二時間は経過した後だった。

「あー、疲れた……」

「そう言うなよ。委員長だって、やっと龍一に会えたんだ」

 親友との再会、といったところだったけど、次の瞬間に俺を押し退けて龍一へ飛び込んで行ったのが、委員長であった。

 まぁ、そりゃあそうだよな。本人は隠しているつもりらしいけれど、委員長は龍一のことが好きだ。ようやく思い人と無事に再会できたのなら、わき目も振らずに抱き着いてしまうのも当然だろう。

 というワケで、俺としても積もる話は沢山あったのだが、まずは委員長に龍一の相手は譲ることに。これまでずっと冷静かつ気丈に振る舞い続けてきた委員長だったけれど、大泣きに泣いていて、最初の方はほとんど言葉にならなかった。

 感極まるとはこのことか。だから龍一、そんなあからさまに迷惑そうな顔していないで、もっと優しく抱きしめてやれよ。

 ともかく、そんな微妙に温度差のある感動の再会だったワケだが、今は委員長も泣きつかれたせいか、眠ってしまった。

 他のみんなも、とりあえずは休息モードにはいって、のんびりとしている。

 俺と龍一はくつろぐ女性陣から離れて、男二人で広場の隅に座り込んだ。

「ありがとな、悠斗。涼子の面倒をみてくれたんだろ」

「いや、面倒を見てもらったのは俺の方だよ。委員長がいてくれて、ずっと助けられたから」

「そうか。まぁ、お前と一緒なら仲良くやれねぇワケがないからな」

「けど、委員長には色々と負担もかけてしまったから。龍一と合流できて、本当に良かったよ」

「ふん、どうだかな。奇跡的な再会だなんて、馬鹿正直に信じられる気持ちにはならねぇよ。どういうカラクリかは知らねぇが……いや、今はどうでもいいことか」

 俺は龍一と合流できたことは素直に喜ばしく思っているが、どこか作為的なものを感じる気持ちも分かる。

 そもそも俺達がちょうどレイナの殺害現場に転移してきたことも、偶然の一言で済ませるにはあまりに出来過ぎだ。

 俺達のクラス全員の転移、それからダンジョン攻略。全て何者かの掌の上で踊らされているだけなのではないか。そんな疑惑を薄々感じてはいたが……龍一の言う通り、今は考えても仕方のないことだ。

「龍一だって、ちゃんと蘭堂さん達を守って、ここまで来たんだろう」

「別に、アイツらは勝手について来ただけだ。俺は特に、何もしちゃいねぇよ」

 こういう突き放したような言い方をするってことは、彼女達の力を認めているってことだ。龍一は捻くれたところがあるから、素直にそういうことは言わないから。

 クラスではあまり交流はなかったけれど、蘭堂さん、野々宮さん、芳崎さん、の派手目な女子三人が無事でいることに、少しだけ安堵する。こうして、ちゃんと生き残っているクラスメイトがいることが分かると、希望ももてる。

「それでも、ちゃんと無事な人がいて良かったよ」

「はぁ、良くはねぇだろ……悠斗、誰が死んだ?」

 気だるげな溜息をつく龍一だが、そう問いかける眼光な鋭い。それは全てを見透かしているかのようで。

「敵わないな、龍一には」

「馬鹿、お前は自分で思っているより、顔に出やすいんだよ。気づかないワケねーだろ」

 多少は持ち直したつもり、だったんだけどな。

「別に、隠すつもりはないさ。むしろ、龍一、お前には聞いて欲しい」

「湿っぽい懺悔に付き合うのは御免だが、聞くだけは聞いてやれるぜ」

 相変わらずの物言いに苦笑を浮かべて……けれど、いざ口を開けば、酷く苦々しい気分になった。

「何人かクラスメイトが犠牲になったことは聞いている。その中でも、俺の目の前で死んだのは……弘樹とレイナだ」

 俺のもう一人の親友と言うべき弘樹は、まだダンジョン攻略が始まった頃、妖刀を携えたボス級のゴーヴによって殺された。首なし死体となった彼の姿を見た時の衝撃は、俺にこのダンジョンの本当の恐ろしさというものを叩きこんでくれた。

 けれど、そんな無残な弘樹の死が、まだマシな死にざまだったと思えることになるとは。

「弘樹はボスとの戦いで命を落とした。明日那と小鳥遊さんを守って……」

「そうか。で、綾瀬は誰に殺られた?」

 龍一はどこまで見抜いているのだろうか。その口ぶりは、俺が心の中で抱える苦しみの根本がそこにあると分かっているのように、確信に満ちている。

「樋口か、それとも横道か?」

「クラスメイトに殺された、とは言ってないだろう」

「言ったろ、お前は分かりやすいんだ。全く、らしくもねぇ……ソイツは、誰かを恨んでいる顔だぜ」

 襲ってきて当たり前の魔物ではなく、常に高い死の危険が付き纏うボスでもなく……同じクラスメイトに殺されたからこその、憎悪とでも言うのだろうか。

 確かに、俺は再びアイツと見えた時、自分の殺意を抑えられるかどうか自信がない。

「……桃川だ。レイナは、桃川に殺されたんだ」

 自然と、怒りの感情で声が震えるのが自分でも分かってしまうほどだ。

 俺はレイナを守れなかった自分自身の弱さをこそ恨むが……それでも、彼女を殺めた犯人であり、さらに死体をも弄んだ桃川に対する憎しみが、消えてなくなるワケではない。

「そうか、桃川か。アイツ――」

 龍一はどこか納得したような、そんな表情を一瞬浮かべて、すぐにまた、面倒くさそうに溜息を吐いた。

「悠斗、そのことは黙っておけ。他の奴らにも喋らせんな。面倒事になる」

「どういうことだ。龍一、桃川について何か知っているのか」

「お前にとっちゃ、綾瀬を殺した仇かもしれねぇが……また別の奴には、桃川は大切なオトコってことだ」

「それは、どういう――まさか、あの三人の誰かが、桃川の彼女だっていうのか?」

「それ以上は野暮ってもんだぜ。知ったところで、良いことにはならねぇな」

「龍一、お前は……桃川を庇うのか」

「勘違いすんな、俺は俺だ。俺の邪魔をしなけりゃ、他の奴の事情に、わざわざ首を突っ込んだりはしねぇ」

「……そうか、そうだよな。お前はそういう奴だから、龍一」

 俺はレイナとは幼稚園以来の幼馴染で、龍一はもっと前からの付き合いだ。けれど龍一とレイナの二人には、ほとんど接点がない。

 幼いころから他人を圧する気配と態度だった龍一と、純粋で怖がりなレイナとは最悪の相性だった。顔と名前は知っているが、お互い、言葉を交わしているところは見たことがない。

 龍一にとってレイナは、ただ昔から知っているだけで、単なるクラスメイト程度の関係しかない。彼女の死に対してドライなのは、龍一の性格も相まって当然ではある。

「そんなことよりだ、悠斗。ちょっと手伝え」

「手伝うって、何をだよ」

「この先にとんでもねぇボスがいる。俺一人じゃどうにもならねぇ」

「なんだって」

 龍一でもこう言うってことは、相当な相手なのだろうが……いや待て、そもそも俺は、龍一がどんな天職で、今どれくらい強いのか全く知らない。

「ここでお前らが合流してきたのは、多分、そういうことだ」

「ど、どういうことだよ――っていうか、今すぐ行くのか?」

「当然、こっちは待ちくたびれてんだよ」

「いや、俺達はボス戦終わった直後なんだが」

「お前一人で蹴散らしてきたんだろうが。とにかく行くぞ。アイツとは実際に戦り合ってみなきゃ、分からねぇだろうからな」

「ああー、全く、しょうがない奴だなぁ」

 普段ヤル気ないくせに、たまにその気になったら強引だからな。

 けど、龍一にここまで言わせるボスモンスターというのは非常に気になる。どの道、そのボスを倒さなければ先には進めないのだから、挑むより他はない。

第181話 超ド級ボスモンスター

岩と砂ばかりの荒野を進み、切り立った断崖絶壁が形成する大きな谷の底を、俺達は全員で歩いていく。

 話によれば、ボスのいる現地に到着するまで徒歩で一時間以上はかかるという。その間に、俺達はおおよその情報交換をしておく。

「『勇者』に『聖女』かよ。らしいっちゃあらしいが、あつらえたように出来すぎだな」

「俺は自分が勇者に相応しいとは思っていないけど……龍一の『王』ってのも大概だろ」

「うるせーよ。俺だって好きでコレになったワケじゃねぇ」

 何にせよ、龍一も特殊な天職を獲得していることに違いはない。野々宮さん達から話を聞いた限りでは、自分達とは比べ物にならない、圧倒的な戦闘能力を持っているという。

「それでも敵わないボスか……」

「まぁ、見りゃあ分かる。今回は様子見だ、倒せるとは思っちゃいねぇ」

「そんな奴にちょっかいかけて大丈夫なのか?」

「ツイてるところは、ボスはその場から動かないことだ。こっちが逃げても、奴は追いかけてこれねぇ。お蔭で、俺も命拾いできたってワケだ」

 ボス部屋からは動かない、というのはこれまでと変わりないようだ。もしかして、あのジャングルで見かけた空飛ぶドラゴンみたいなのが相手かも、と思ったのだが、どこまでも追いかけ回される心配がないのは幸いだろう。

 逆に言えば、それくらいしかこちらに有利な点はないという。

「そろそろだ」

 龍一がそう呟くと同時に、谷に漂う空気が変わったような気がした。これは、強い魔力の気配が漂っている。

 気を引き締めながら進めば、すぐに谷底は抜けて、ボス部屋へ――いや、ただボスが居座る広大な岩山が現れた。

「なんて数だ……アレが全部、魔物なのか」

 すり鉢状の大地の中心にそびえ立つ巨大な岩山。樹木のように林立する岩の柱に、岩山の天辺からは天高く塔のように一際高いのがそびえ立っている。

 そんな石の林をもつ岩山に、ガーゴイルという羽の生えたゴーマみたいな魔物が数えきれないほどの群れを成していた。

「俺と悠斗の二人で行く。他の奴らは淵から先に入って来るな」

「龍一、あの数をたった二人で相手するっていうの? いくらなんでも無茶よ」

「そうです、私達だって兄さんと一緒に戦えます」

「涼子、桜、あの猿共を相手にするのはお前らだ」

 これまでにない大規模な魔物の軍勢を前に、委員長と桜が慌てて声を上げたが、龍一はそれをあっさりと切って捨てる。

 いや、そもそも龍一は、あのガーゴイルの大軍すら見てはいない。

「構えろ、悠斗。来るぜ、本命がな」

 瞬間、大地に走る地響き。地震か、と思うよりも前に、目の前にそびえ立つ岩山が変化を迎える。

「な、なんだアレは……大きすぎる」

 巣穴から出てくるように、一匹の蛇が現れる。

 それは最早、蛇、と呼んでいいのかどうか分からないほどの巨大さだ。本当に、何だアレ、電車よりもデカいんじゃないのか。

「行くぜ、悠斗」

 あまりに巨大な大蛇の出現に呆然とする間もなく、さっさと龍一が突撃を始めていた。

 いつの間にか、その両腕は黒と金の籠手に包まれ、手には黒い大剣が握られていた。

「おい、待てよ龍一! ったく、仕方ない奴だな。桜、援護を頼む。俺達はあの大蛇を叩くから、ガーゴイルは任せる」

「分かりました、兄さん。どうか、お気をつけて」

「無理はしないで、いざとなったら龍一を引きずっててでも逃げてきて、悠斗君」

「分かってるさ」

 そうして、俺も龍一の後を追って、見上げるほどに空高く鎌首をもたげる、超巨大な大蛇のボスへ向かって行った。




「――まぁ、そういうワケで、アイツを倒すのには力も数も足りねぇ」

「だから、ここで大人しく他のクラスメイトの到着を待っていたってことか」

「流石にあのデカブツは、俺一人じゃどうにもならねぇからな」

「一人でどうにかしようとしたのかよ」

「喧嘩売って返り討ちにあったのは久しぶりだぜ」

 と、ボロッボロになりながらも、どこか楽しそうに言う龍一。

 ああ、何となく予感はしていたけど、龍一にとってこのダンジョン攻略も、スリリングな喧嘩と同じようなモノなんだろう。純粋に戦いを楽しむ、というメンタリティにおいて、俺はコイツ以上の奴を知らない。いや、爺さんは越えてるかも。戦闘狂だしな、あの人。

「ともかく、あれを正攻法で倒すのは難しいぞ」

 いまだかつてない、超巨大ボス蛇との戦いに、俺と龍一コンビは見事なまでに負けた。言い訳の仕様もなく、俺達はあまりの強さに、奴からの逃走を選び……命からがら、この妖精広場まで戻ってきた。

 龍一もボロボロだが、俺も似たようなものである。

「けど、五匹目まではいったぞ」

「アレ、あと何匹出てくるんだよ……」

 最初、大蛇は一匹だった。あのとんでもない巨躯に圧倒こそされたが、俺と龍一の二人がかりでソイツの首を落とすのに十分はかからなかった。

 思いのほかあっさり倒した――と思ったところで、同じ奴が二匹、岩山から出てきた。

 一瞬、目の錯覚か、さもなくば幻を見せる魔法にでもかかったか、と思いたかったのだが……どうしようもなく、二匹の大蛇が追加されたことは現実だった。

「あ、あのー、蒼真くん……」

「ん、どうしたんだ、小鳥遊さん」

 あからさまに龍一を怖がって、近づいてこない小鳥遊さんだったけれど、意を決した表情で、恐る恐る近づいて、話しかけてきた。

「あ、あのね……あの蛇、全部で八匹いるみたいだよ」

「分かるのか、小鳥遊」

「ひゃうっ!?」

 唐突に龍一に問いかけられて、飛び上がらんばかりに驚く小鳥遊さんだが、涙目になりつつも頷き返した。まるで、獅子に睨まれた小鹿のような反応である。

「わ、私の『魔力解析』には、あの岩山の中に、同じ魔力の反応が八つあったから……間違いない、と思う」

 どうやら、あの岩山はガーゴイルの巣であると同時に、中はあの大蛇の巣でもあるらしい。あんなデカい奴らが八匹も寄り集まって暮らしているのか。

「やっぱり、分析力なら『賢者』の力は頼りになるね。小鳥遊さん、他に分かったことはある?」

「うん、えっと、全部で八匹だけど……本当は、一匹なの」

「はい?」

「あのおっきい蛇は、全部繋がってて、一匹の魔物なの!」

「――なるほど、要するにヤマタノオロチって奴か」

 龍一が的確に、大蛇ボスの正体を言い当てた。八つの首を持つ大蛇の怪物といえば、確かにそうと言うより他はない。

「あの、それでね、そのヤマタノオロチを倒すには、中心にある一番強い魔力の塊、多分、コアがある、そこを壊すしかないとないと思うの」

「もしかして、アイツの首が再生するのって」

「うん、中心のコアから魔力が供給されて、首を治しているんだよ」

 俺達が負けた原因の大きな理由には、大蛇の数が多いというだけでなく、倒したはずの奴も再生することもあげられる。

 俺と龍一は首尾よく最初の大蛇の首を落としたが、次に現れた二匹目と三匹目の相手をしている内に……一匹目の首が再生していたのだ。

 青白く輝く光の粒子が、切断した首の断面を覆いながら、ゆっくりと、しかしそのサイズを考えれば凄まじいスピードで頭部が再構築されていった。

 5分ほどで無傷の頭が再生し、再び俺達に対してその巨大な牙を剥いた。

 それから、頑張って三つの首を相手に大立ち回りを繰り広げ、どうにか三つとも破壊に成功したら、そこでさらに追加で二匹の大蛇が登場し、挙句の果てに口から炎や雷やらを吐き出すブレス攻撃までしてくるようになり――結局、倒した三つの首が再生し、合計五匹と化した状態で、どうにもならなくなり撤退の決断を下した。

「それじゃあ、もし上手く八つの首を全て落とせたとしても……」

「多分、全部再生できると思う」

 絶望的な難易度だ。

 ただでさえ巨大な大蛇が、八匹。頑張って倒しても、最低でも一回は全ての頭部が再生可能。

 それに、あのブレス攻撃をするようになったことから、奴らはまだ強力な大技などを隠し持っている気がする。

「倒すには、中心部のコアを狙うしかないか」

「つっても、そこまですんなり通してくれるとは思えねぇがな」

 当然だ。ヤマタノオロチも自分の弱点くらいは理解しているだろう。きっと、だからこそ八つの首が繋がる中心部分は、あの巨大な岩山という殻の中に閉じこもっているのだ。

「首が出ているところから、侵入できそうだったか?」

「パっと見で、洞窟がギッチギチになってたから、無理だろうな」

 大蛇の首が出てくるのは、岩山の底部にある大きな洞窟からだ。そこを通って行けば、本体のある岩山内部へと侵入できるのは確実なのだが、奴の頭がそれを許してくれるとは思えない。

「岩山の方に、幾つか小さい洞窟のようなものが見えたから、そこから侵入できないかな」

「あの蜂の巣みてぇにガーゴイル共が密集しているところで、山登りに洞窟探検かよ」

 今回の戦い、ガーゴイルは無尽蔵とも思える凄まじい数がいたが、戦闘開始してもその全てが一斉に襲い掛かってくることはなかった。

 ごく一部の奴らが、といっても軽く百は超えていたけど、それらが大蛇と戦う俺と龍一に向かってきた。そして、そういう奴らを桜達の援護で排除していると、ガーゴイルはそっちを狙い始めたが……それでも、岩山に巣食っている奴らが動き出すことはなかった。あくまで、近くにいるガーゴイルが気まぐれに襲ってくる、程度の動きに見えた。

 しかし、奴らの巣である岩山まで到達すれば、流石に大群をもって襲い掛かって来るだろう。

 そうなれば、ヤマタノオロチとはまた別の意味で脅威となる。

「八つの頭を潰した上で、進入路を確保すれば……」

「そもそも、今の戦力で八つ首全部も潰せてねぇんだけどな」

 そう、俺と龍一がどんなに頑張っても、五匹までが限界だった。八つの首を全て相手に回して叩き潰すのは、いくらなんでも無理だ。

 せめてもう一人、同じくらいの強さを持つ仲間がいれば……

「双葉さんがいれば」

 いや、ダメだ、何を考えているんだ、俺は。

 ちょっとばかり強い敵を相手にして弱気になった途端、また彼女の力を頼るのか。なんて馬鹿なことを考えている。そもそも彼女は、もう桃川について敵へと回ってしまった。

 もし、この場に現れて合流できたとしても……恐らく、また肩を並べて戦うことはできないだろう。

「ともかく、今のままであのクソヘビを倒すのは無理だ。俺らが強くなるか、他の奴らを鍛えるか……後は、さらなる増援に期待、ってところか?」

 龍一の言う通りだ。現在の戦力でヤマタノオロチを倒し切ることはできない。ならば、戦力を増強するより他はない。

「大蛇と真っ向から戦うなら、接近戦のできる天職じゃないと厳しいな。明日那と夏川さんの二人と、それから、野々宮さんと芳崎さんも、『騎士』と『戦士』だから可能性はあるわけだ」

「育てるってんなら、お前に全部任せる。俺はもう、誰かのお守りをする気はねぇ」

「分かったよ。お前は好きにやってくれ。どうせ、それで強くなるんだろう?」

「クソ真面目に鍛錬ってのは性に合わねぇんだが、相手がいるなら別だ」

 あ、これは一人でひたすらヤマタノオロチに挑むつもりだな、龍一の奴。コイツの性格からして、本当は自分一人でぶっ倒したいはずなのだ。

 相手が相手だけに、危ないから止せと言いたいところだが……それで止まるような男じゃないのは、俺が一番よく知っている。

「よし、みんな、聞いてくれ!」

 方針は決まった。ひとまず、ヤマタノオロチを相手にできるだけの強さを身に着けられるよう、俺を含め、全員を鍛えることが第一だ。

 すでに、ここには俺と龍一の二人が揃っている。これ以上に、強力な力を持つクラスメイトが来てくれるとは考えにくい。双葉さんのように、心強い味方が増えることは望むべきじゃないだろう。

 だから、さらなる増援には期待せず、今ここにいるメンバーで勝とう――ということを言おうとした矢先だ。

「きゃっ! こ、この光って……転移だよ!?」

 俺のすぐ隣にいた小鳥遊さんが、妖精広場の隅で突如として始まった眩い発光現象を指して、そう叫ぶ。

「このタイミングで誰か来るのか」

 何にせよ、新たに生き残りのクラスメイトが加わってくれるなら、ありがたいことだ。

 いや、待て……必ずしも、真っ当な奴が来るとは限らない。もしかすれば、桃川が現れるかもしれない。

 そうなれば、恐らく、戦いは避けられないか――

「ふぅー、良かったぁ。無事に転移できたみたい。私、この転移って何か怖くて慣れないんだよねぇ」

「大丈夫だよ、俺がついているから、愛莉」

 光の中から現れたのは、男子と女子の二人組。カップルのように、二人は腕を組んで、ぴったりと寄り添い合っていた。

「ありがとっ! それじゃあ、ボス戦を頑張ってくれた陽真くんにぃ、いーっぱいサービスしちゃおうか……な……」

 甘ったるい声をあげて、激しいイチャつきぶりをみせる女子が、この妖精広場に集った俺達の視線に気づいたのか、一瞬にして表情が固まる。

「あー、えっと、姫野さんと中嶋、だよな? と、とりあえず、二人とも無事で良かったよ」

 この二人って付き合っていたのか。と内心思いつつ、俺はひとまず二人の合流を歓迎することにした。

「あ、あっ、ああぁーっ! そ、蒼真君っ!? ウソっ、ホントに蒼真君なのぉ!」

「うわっ、愛莉……」

 熱愛しているラブラブカップルです、みたいな雰囲気だったのに、姫野さんは俺を見るなり腕を組んでた中嶋を邪魔だと言わんばかりに突き放して、凄い勢いで迫ってくる。

 うっ、ちょっと怖い。姫野さんって、こういう子だっけ。

「ほんっとうに良かったぁ! 蒼真君と一緒なら、すっごい安心できるよぉ!」

「あ、ああ、それはどうも……」

 いきなり抱きつかれるかのような勢いに一歩後ずさったら、姫野さんは俺の両手をとって、キャイキャイとやかましいほどに喜びの声をあげている。

「はぁ、ウルセー奴が来たな」

「キャアアアっ! 天道君! 天道君もいるのぉ!? やった、もう完璧じゃない!」

 心の底からウザそうに溜息をつく龍一を見て、姫野さんは何やらさらにテンションが上がっている模様。そんなに嬉しいのだろうか。中嶋と仲良く一緒にやっていたようだから、孤独に耐えかねて、ということはないと思うんだけど。

「ふふふ、蒼真君と天道君が揃ってるなんて、これはついに私の時代が――」

「姫野さん、はしゃぐのもほどほどに。今がどういう状況か、貴女も分かっているでしょう」

 実に冷めた声音の桜が、いつまでも俺の手を握ってそうな姫野さんの前に、物理的に割って入る。

「あっ……そ、蒼真さんも一緒だったのねー」

「当然です、私は兄さんと常に共にありますから」

 冷ややかな微笑みの桜と、引きつった微笑みの姫野さん。同じく微笑みを浮かべているはずなのに、どうしてこう、不穏な気配しかしないのだろうか。

「とりあえず、姫野さんと中嶋君、二人も無事に私達と合流できて良かったわ」

 ちょっと微妙な雰囲気になったけど、委員長が率先して音頭を取って場をまとめてくれた。こういう時は、本当にありがたいよ。流石は委員長。

「それじゃあ、全員集まって。まずはお互いの状況確認からして――って、なに、また!?」

 瞬間、またしても広場の隅で輝く転移の光。

 転移ってこんなに立て続けに重なるものなのか。単なる偶然か、それとも、やはり何者かの意図があるのか。

 そんな疑問の答えなど得られるはずもなく、眩い転移の輝きは、ただ魔法陣に乗った者を送り届けるだけ。

 果たして、次に転移でやってきた者は――

第182話 ナイフの正体

 鬱蒼と生い茂る緑の森の中を疾走する、大きな影と、それを追いかける三つの人影。

「待てやコラぁ!」

「逃がすかオラァ!」

 剣を振り回しながら枝葉を斬り払い、森の中を駆け抜けていくのは『剣士』上田。そのすぐ後ろに、斧を抱えた『戦士』中井が続く。

 二人は気合いの入った怒声を上げながら、逃げる獲物を追いかける。

「ブギィイイイイ!」

 豚に似た鳴き声を上げて森を逃げ回っているのは、猪のような魔物。以前、狩った大猪とは微妙に姿も異なり、サイズも一回り以上小さいが、恐らくは食用可能と思われる貴重な存在だ。

 そんな猪を決死の形相で追いかけ回す彼らは、さながら原始人のようでもあった。

「うおおおおっ、届けぇーっ! 『水鞭アクア・バインド』っ!」

 上田と中井の一歩後ろに続く『水魔術士』下川が、走りながらもどうにか魔法を完成させ、渾身の『水鞭アクア・バインド』を放つ。

 手元に広がる青く輝く魔法陣から、細い水流の如き水の触手が飛び出し、逃走する猪へ迫り――ついに、その後ろ脚を絡め取る。

「ブヒィ!」

 突如として急制動がかかり、猪は走る勢いのまま転倒。後ろを追いかける三人が、猪へと追いつく。

「よっしゃあ、これで終わりだぜ豚野郎ぉ!」

「肉を寄越せぇ、鍋食わせろぉーっ!」

 ギラついた目で上田と中井がそれぞれの武器を振り上げ、猪へと襲い掛かる。

「おい、ちょっと待つべ! ソイツ、何か魔法使うぞっ!」

 魔術士系の天職を得た故か、魔法発動の徴候を感じ取った下川が咄嗟に制止の声を上げた、次の瞬間、

「ブギギィーッ!」

 猪の咆哮と共に、一挙に地面から土砂が噴き上がる。

「うおっ!?」

「ぶほぉ!」

 突如として足元が爆ぜたように、土まみれになりながら上田と中井がたたらを踏む。幸いにも、即死級の威力はないようで、ダメージはない。

「ブギギ!」

 だが、猪が体勢を立て直し、再び逃走を図るには十分な時間を稼ぐことはできた。

「逃がしてたまるかよぉ、『激流鞭アクア・ヘヴィバインド』!」

 先よりも大きな魔法陣を二つ両手に浮かべて、さらに太く激しい水流の鞭となった水属性の拘束魔法が猪の体を縛り上げる。

「今だべ!」

「うぉおおおおおっ!」

「肉ぅううううーっ!」

 野郎三人組の執念により、ついに久方ぶりの猪肉を手に入れることに成功した。




 パチパチ、と弾ける焚火の炎を眺めながら、満腹になった男達はだらしなく寝そべっていた。

「あー、やっぱ肉食うと満足感が違うよなぁ」

「生きてるって感じがするぜ」

 土魔法を駆使して命の限り抗い続ける猪、通称『土猪』を苦労の末に狩ったからこそ、その味も格別。遥か原始の頃の人間たちが、狩猟に命をかけていた気持ちに共感できる。生きることは、狩ることと見つけたり。

「でも、塩しかねーからやっぱりちょっと物足りないべ」

 げふー、とげっぷを吐きながら、満腹になったが故の贅沢を言う下川。

「それは言うなよ」

「もう桃川はいねーんだから、しょうがねぇだろ」

 桃川小太郎と別れてから、早、一週間以上が過ぎようとしている。

 大切な者の存在というのは、失って始めて実感できる。早くも、あの生意気なジト目の男子の顔が、恋しくてしょうがない。

 蒼真悠斗とその仲間達、それから双葉芽衣子がレイナの殺害現場に乱入してからの騒ぎは、小太郎がレイナの死体を操って人質にとりながら離脱するという鬼畜な、でも不思議と「桃川らしい」と納得できるインパクトのある行動のお蔭で、上中下トリオ+山田の四人組は、ひっそりとあの場を逃れることに成功していた。

 小太郎の要請で逃走用の『水霧アクア・ミスト』を撒いた下川は、そのまま仲間達に声をかけて、小太郎とほぼ同じタイミングで妖精広場を後にした。

 レイナが霊獣『ソーマユート』と共に引き籠っていた妖精広場から先の通路は、幾つも分岐があったお蔭で、後から動き始めるだろう蒼真パーティに追いつかれることもなかった。また、先に進んだ小太郎と合流することもできなかったが。

 以前に小鳥遊小鳥の拉致未遂に、レイナ殺害の共謀という嫌疑を蒼真悠斗にかけられていることから、下川はあの場で彼らに取り入るのは不可能と判断し、自分達だけでの離脱を選んだ。その選択を非難できる者はいない……いや、山田だけは唯一、蒼真悠斗に対して後ろめたいことは何もないので、あのまま彼らの仲間に加わることも可能な立場であったが、状況に流されたせいで、今の状態に特に文句は言いだしていない。

 もっとも山田からしても、いざ蒼真悠斗が妹の桜を筆頭に、二年七組の美少女勢揃いで引き連れている姿を見て、あの輪に飛び込もうとは思うまい。

 ともかく、蒼真悠斗からは距離を置きたい三人組と、流れでそのまま一緒にいる山田を含めた四人は、再びダンジョン攻略を進めることになった。

 あれから、石造りのダンジョンを抜けて、今はまたゴーマの砦があったジャングルのように、屋外へと出た。

 あのジャングルと似たような植生の森が広がっているが、その一方で、白い砂浜と紺碧の海も広がっている。どうやらここは南の島のような場所で、その海岸線に出たようだった。

 今までならば、ただノートに描いた魔法陣のコンパスに従って先へ進むだけだったが……小太郎と共に過ごしたことで、最早、妖精広場にある胡桃だけで飢えを凌いで先へ進む、という真似はできなくなった。年頃の男が四人もいるのだ。肉、肉が食いたいに決まっている。

 単純な肉食欲求も理由の大半を占めるが、下川は小太郎が食べきれなかった分の猪肉を、干し肉やらベーコンやらにして、保存食にしていたことも覚えている。そして、レイナ救出の作戦前夜に食べた、猪ベーコンの鍋の味も、忘れていない。

 これからダンジョンを進むなら、ああいった保存食も必要だろうと下川は考えた。勿論、上田と中井、山田も賛成する。

 というワケで、海辺エリアに出た四人組は、まず当面の食料確保から行動開始したのだった。

 そして始まる、男達のサバイバル生活。

 この蛇の肉は食えるのか。あの美味しそうな果物は、本当に美味しい果物なのか。毒があるのでは。もし毒に当たった場合、小太郎から支給されていた解毒薬を飲めばいいが、もしそれでも治せないほどの猛毒だったら……

 食べられそうなものはそこら中にある。けれど、どれが危険な毒、あるいは寄生虫やらウイルスやらがあるか、分かったものではない。

『直感薬学』という呪術がどれほど素晴らしいモノであったか、彼らが改めて実感することになる。

 それでも、ある程度の博打を覚悟で、食べられそうなものは食べてみた。代表的なものが、魚である。

 海の中には、見るからに様々な魚が泳いでいるのが明らかだった。当然、これを捕まえようという発想はすぐに出る。

 山田が、地味に釣りが趣味だったことは幸いだった。ヤマジュンと割とあちこち行ったことがある、と思い出話をしたら、涙が止まらなくなったのは不運である。

 さらに不運なことに、釣竿も糸もないことだ。

 これもきっと器用な小太郎がいれば、蜘蛛糸の呪術などを活用し、チョイチョイですぐに準備できたのだろうが、何か工作ができそうなスキルを持つメンバーは、今は一人もいない。

 結局、二日ほどかけて、木の枝を削り出して作った竿と、植物の蔦を細く編んだ糸と、魔物の骨を削って針を作り、どうにかこうにか、釣り具一式を完成させた。

 釣果は、まぁまぁ。男四人の腹を満たすだけの魚が、常にとれるとは限らない。

 それでも、ある程度の魚と、その釣った魚がちゃんと無事に食べられることが分かっただけでも僥倖であろう。

 釣りによる魚の調達は山田に任せ、上中下トリオは狩人となって、唯一知っている食べられる魔物である大猪を探し、ジャングルへと分け入った。

 茂みの向こうから襲い掛かってくるラプターに、気持ちの悪い昆虫型モンスター。挙句の果てには自由自在に蔦を動かし、消化液を吐きかけてくる植物のモンスターまで現れる始末。

 見るからに食用に適さない魔物との戦いを続けながら、本日、ついに大猪ではないが、良く似た土猪を発見し、今に至るというワケだ。

「はぁ……やっぱ、桃川って凄かったんだな」

「今じゃ風呂もハンモックもねぇからなぁ」

「おい、シャワーがあるだけありがたく思え」

 水魔術士の下川がいるお蔭で、頭から水を浴びることはできている。下川からすると、野郎共の裸体に水を浴びせる作業は、何とも萎えるものであるが。

 せめて、あのブスではあるけどヤリ放題だった愛莉でもいれば、随分と気持ちも違っただろうけれど。

 しかしながら、女が一人もいない、男だけの四人だからこそ、こうして足りないモノだらけのサバイバル生活でも、それなりに面白おかしくやっていけているのか、と下川は今更ながらに思ったりもした。

「なぁ、桃川ってさ……やっぱ、最初からレイナちゃんのこと、殺すつもりだったんだべか」

 たき火をぼんやりと見つめながら、何となく、下川が零した疑問の言葉。

 返事はない。けれど、上田と中井、二人の渋い表情が、答えているも同然だった。

「おい、その話は」

「やめた方がいいんじゃねぇのか」

「いや、山田もう寝てるし、お前らとはちゃんと話したいと思ってたんだよ。だから、聞いてくれや」

 小太郎がパーティに加入してからは、ゴーマの砦攻略に、白雲野郎の幻術で分断され、レイナの乱心からの救出作戦と、心休まる暇のない緊張の連続であった。

 けれどパーティを率いる小太郎がいなくなり、何かと騒動の中心だったレイナが死んだことで、下川は改めて現状と、あの頃の状況を省みることができたのだった。

「アイツはさ、レイナちゃんのこと、最初っから可愛くもなんともねぇクソガキみたいに思ってたんだべ」

「あー、なるほどな。分かる。レイナちゃんによくあんな冷たい態度とれるなって、俺ちょっと思ってたし」

「まぁ、桃川はあのブタバと付き合ってるようなデブ専だからな。好みじゃねーんだろ」

 上田も中井も、小太郎が全くレイナのことを特別扱いしない態度だったことを思い出し、うんうんと頷く。が、その頷きがピタリと止まる。

「おい、ちょっと待て。あの時いた双葉って、なんかすげー痩せてなかった?」

「っていうか、桃川と一緒に行ったあの爆乳女って、やっぱ本物の双葉だったのかよ」

 レイナが刺され、蒼真悠斗が乱入し、あまりに劇的な展開の連続で半ば状況についていけなかったのだが、いざ振り返ってみれば、あの時、小太郎が「メイちゃん」と呼んでいた女子生徒は、自分達が知っている双葉芽衣子の姿とは、あまりにもかけ離れたものだった。

 一目見た時、「あの女子は誰?」とまず真っ先に思ったものだ。

 雰囲気的に、どうやらあの爆乳美女が双葉芽衣子らしい、ということは察したのだが、こうして落ち着いて振り返ってみれば、どう考えてもおかしい。

「あれはダイエット成功ってレベルじゃねーべ!?」

「双葉ってあんなにヤバかったのかよ」

「ちくしょう、それを分かっていて桃川の奴、手を出したってワケか」

 汚い、流石呪術師、汚い。

 奴は天職を授かる前の学園生活の頃から、特大のダイヤの原石である双葉芽衣子をモノにしていたということだ。きっと、付き合ってからはあの手この手でダイエットさせてグラビアアイドルも裸足で逃げ出す奇跡のプロポーションを作り上げるつもりだったのだろう。何という遠大な育成計画。

「桃川ヤベーなアイツ」

「いやでも桃川ならマジでやりそうだし」

「うーん、俺は桃川は普通にデブでも良かったと思うけど。アイツ、おっぱい大きければ何でもいいタイプだってヤマジュンから聞いたことあるべ」

「ったく、胸ってのはただデカけりゃいいってもんじゃねぇってのに」

「あんまりデカすぎるとキモいよな。やっぱ、形もハリもある美巨乳が最強」

「俺はそこまで高望みはしないべ。でも黒乳首は無理」

 そのまま、しばらくの間おっぱい談義が続く。男が集まって、この話題で盛り上がらないはずがない。

「で、何の話だっけ?」

「あー、えっと、桃川がレイナちゃん殺す気だったって話、だったような」

「そうだべ、なんで脱線してんだよ。俺、結構真面目に切り出したんだけど」

 悪い悪い、と言いながら、ようやく本題に戻ってくる。

「けどよ、もしそうだったとして……桃川のこと、恨むのか?」

「山田が聞いたらマジギレしそうだけど」

「桃川が俺らを騙してレイナちゃんを殺る気だったかも、って気づいた時には、酷ぇと思ったけど……よく考えたら、まぁ、それもしょうがねーのかな、って思えてきてよ」

 何と言えばいいか分からない、何が正しいのか分からない。そんな気持ちの滲む複雑な表情で、下川は語った。

 そもそもレイナを失った今となって、どうして自分達があんなにむきになってレイナに構っていたのか、分からなくなっていた。あれほど彼女を守らなければ、と思っていたはずなのに――いざ失ってみれば、不思議と絶望的な喪失感には襲われなかった。

 それは、子供の頃は何よりも大事だった宝物が、何年か経てばただのガラクタに思えるような、そんな感覚。

「桃川からしたら、やっぱレイナちゃんは最初っからお荷物だったワケで。そのくせ、霊獣とかいうヤベー奴らがいるし、下手に扱うこともできねぇ。もし、レイナちゃんが愛莉みたいなブスだったらよ、俺らも桃川と同じ気持ちになるんじゃねーべか」

「うーん」

「それは、まぁ、そうかもだけどよぉ」

 小太郎の行動は、あの時、あのパーティメンバーの中では、誰よりも合理的だった。ゴーマの砦という強大な障害を前にして、もし小太郎がいなければ、彼の推測通りにやってきたゴーマの討伐隊によって、密林塔を襲われあえなく討たれただろう。

 もっとも、その場合はレイナだけは霊獣の力で生き残れるが。

「でも、殺すのはちょっと、な……」

「あの時の桃川、なんかヤバかったからな。本物の人殺しって思ったら、フツーにゾっとしたっつーか」

 レイナを殺され、怒り心頭の蒼真悠斗を相手に、レイナの死体を盾にして、芽衣子を引き連れ悠然と去って行った小太郎。その一連の姿は、魔物を殺すのには慣れても、人間を殺したことはない彼らにとっては、どこか狂気を感じさせるには十分すぎた。

「まぁな。結果的に蒼真から逃げられたワケだけど……あの土壇場でアレができる桃川は、やっぱヤベーよ」

「なぁ、もしかして桃川って、レイナちゃんの前にも誰か殺してるんじゃねぇか?」

「ああ、もう人殺したことあるから、あの時も余裕だったみたいな?」

 上田と中井のやり取りを聞いて、下川は少しだけ考え込む。

 眉をひそめて悩むような表情……だが、すぐに決断を下したように、口を開いた。

「なぁ、お前らさ、気付かなかったか?」

「はぁ?」

「何が?」

「桃川がレイナちゃん刺したナイフ……あれ、樋口の持ってたバタフライナイフだべ」

 何度か見せてもらったことがある、だけではない。

 下川は一度、樋口と街で遊び歩いている時に、黒高の生徒に絡まれて喧嘩沙汰になって、樋口がそのナイフを抜いたことを見たことがある。

 流石に相手を刺すことはなかったが、バタフライナイフという凶器をチラつかせてハッタリかましながら、ビビった奴を蹴り飛ばし、樋口一人で三人以上はいた黒高生を追い散らした光景は、下川の脳裏に今も憧れと共に焼き付いて離れない。

 正直、樋口がナイフを常に持っていることを、最初は内心でガキっぽいと馬鹿にしていたものだが、いざナイフを使いこなして不良共を撃退した姿を見て、評価は一転した。

 樋口はただ、カッコつけてナイフを持っているのではない。彼はナイフを武器として使いこなせる技量と度胸があるからこそ、信頼を置いて持っているのだと。

 だから、下川は樋口が愛用していたバタフライナイフのことは、よく覚えている。これといった目立つ特徴はなくても、一目で樋口のモノだと分かるくらいには。

 だから、小太郎が握りしめていた血塗れのナイフを見た瞬間に、気付いてしまった。

「桃川はさ、樋口のこと……殺しているんじゃねーべか」

第183話 集結(1)

 眩い転移の輝きの向こうから、四つの人影が現れる。

「ああぁー、疲れた! 寝る、俺はすぐ寝るぞ!」

「くっそぉ、あのナマズ野郎、まだ痺れがとれねぇ……」

「あっ、そういえば桃川から貰った薬で、麻痺治すやつがあったような気がするべ」

「おい、お前ら情けねぇことばっか言ってんじゃねぇぞ。気合いが足りてねェ、気合いが!」

 教室でくだらない雑談に興じているようなノリでワイワイと話しているのは、四人の男子。

 上田、中井、下川、と上中下トリオと密かに呼ばれる三人組。それから、野球部の山田。

 彼らの登場を見た、すでにこの場へ集合しているクラスメイト達の反応は、実にさまざまだった。

「げっ」

 と思ったのは、姫野愛莉と中嶋陽真の二人。

 愛莉は彼ら全員からレイナをひっぱたいたことを糾弾されたことで、半ば発狂し飛び出して行った。

 陽真は、愛莉とただれた関係をズルズル続けている内に、途中で合流した彼らに愛莉をとられ、自分の気持ちも分からないままに、自らパーティを抜け出した。

 二人とも、彼らの顔を見て良い思い出はない。それどころか、再び彼らと共にいることが、この先どう考えても面倒で厄介なことにしかならないと瞬間的に察してしまう。それぞれ理由は違えど、二人とも同じように頭を抱えてしまう。

「……」

 特に彼らを見て反応がないのは、天道ヤンキーチームの面々である。そもそも他人にさして興味のない龍一は、彼らのことなどどうでもいい。

 杏子とジュリマリの三人組も、クラスでは多少絡みがあったくらいで、飛び上がって喜びあうほどの関係性にはない。あ、コイツら生きてたんだ、くらいの実にドライな感想しか浮かばなかった。

「お前達も、ここに飛ばされてくるとはな」

 そして、彼らの登場に最も劇的な反応をしたのは、当然、因縁のある蒼真悠斗達である。

「げえぇっ、蒼真悠斗!?」

「ま、マジかよ、何でここにいるんだよ」

「あー、これはもうダメかもしれねーべ」

 転移してきた四人へと、真っ向から向かい合うのは、すでに腰に差した剣へと手をかけ、泣き出したくなるほどの凄まじい威圧感を発している蒼真悠斗。

 彼の後ろには、すでに弓を構えた桜と、同じく抜刀の構えをとる明日那の姿が続く。

 正に、一触即発。

 そして、そうなるだけの理由があることも理解できてしまう。

 こういう時、真っ先に声を上げて口八丁をかますのは、桃川の役目。だがしかし、今はあの不思議と頼りになっていた小さな男子はいない。

 覚悟を決めて口火を切ったのは、下川だった。

「い、いやぁ、みんなが無事な感じで良かったべ!」

 下川が選んだ行動は、蒼真達の敵意に気づかないフリをしてすっとぼけることだ。

 少なくとも、このノリでいる中、問答無用で切り捨て御免はないだろうとの判断。それに、ここにいるのは蒼真パーティだけでなく、他のクラスメイトもそこそこ揃っていることだ。

 より多くの他人の目があれば、特に蒼真のような正義感の強い奴は、過激な行動はとりにくい。

「よくも、そんなことが言えるな、下川」

 目論見通り、いきなり悠斗が切りかかってくることはなかった。だが、いまだ剣に手をかけている状態。

「な、な、何をそんなに怒っているんだべ、蒼真? 俺ら、何かしたっけ?」

「いい加減にしろっ! お前らがしでかしたこと、忘れたとは言わせないぞ」

「ま、待てよ、落ち着けって! レイナちゃ、ああ、いや、綾瀬さんが死んだことを怒ってんのか? 誤解しないでくれ、俺らは関係ねーんだよ、っていうか、むしろ助けようとして頑張った方だから!」

「今更、そんな言い訳が通用すると思っているのか。お前達が桃川とつるんでいたのは明らかだろうが」

「だ、だから、あれは事故だったんだよ! 不幸な事故だべ! どうしようもなかったんだ、俺らは本気で助けようとしたけど――」

「黙れ! レイナを殺したお前達を、俺は許せない」

 まずい流れになってきた。誰か話を聞かずにヒートアップする蒼真を止めてくれよと思うが、そんな者は一人も現れない。

 傍から見ている分には、まさか本当に斬り殺したりはしないだろう、みたいに楽観している節も感じる。

 だが、こうして蒼真悠斗の本気の怒りを真正面から浴びせられると、本気で生きた心地がしない。桃川は、よくこんな奴を相手に最後まで啖呵を切ったもんだと、場違いな尊敬の念が湧いてきた。

 何か、流れを変える台詞を言わなければ。

 しかし、今は何を言っても蒼真にはただの見苦しい言い訳と受け取られ、火に油を注ぐことになりかねない。

 ここは、もう最終手段でもある土下座からの決死の命乞いをかますしかないか――そう下川が決断しかけた、その時である。

「……ざっけんなよ」

 緊迫感の漂う静寂を破ったのは、下川でも、悠斗でもなく、これまで一言も口を発さなかった第三者。

「ふざけんなよ、蒼真悠斗ぉ! レイナちゃんが死んだのも、ヤマジュンが死んだのも、全部テメーのせいだろうがぁああああああああああっ!」

 怒りの叫びを上げたのは、山田であった。

「お、おい、山田!?」

「何言ってんだお前!」

 まさかの逆切れを突如としてかます山田に対して、ギョっと目を剥きながら上田と中井が止めに入る。

「うるせぇ! お前がぁ! お前のせいでぇえええええええええ!」

 上田と中井が抑えようと手を伸ばすが、それを跳ね除けて山田は猛然と駆け出していた。一度、走り出してしまった重戦士を、止めることなどできない。

「うぉおおおおおおおお!」

「くっ、何なんだ」

 怒り狂った山田のことが、理解不能なのだろう。悠斗は驚くが、しかし拳を振り上げ全力で向かってくる相手を前に、冷静に対処する。

 剣は抜かなかった。だが、手心は加えない。

「蒼真流、『体崩し』」


 習得スキル

『体崩し』:蒼真流武闘術の格闘技の基礎。掴み、崩し、投げ落とす。


 元々、悠斗が幼少より習い、鍛えてきた蒼真流の基礎的な投げ技。しかし今では『勇者』のスキルとして、さらに強力な技と化している。

 悠斗は、山田がどのような天職で、どんな能力を持っているのか知らない。しかし、山田が襲い掛かってくるその姿を見た瞬間に、それとなく察した。

 恐らく、山田の体は相当に固い防御スキルで守られている。

 拳や蹴りによる、カウンターの打撃は有効ではない。固い防御ごと、剣で切り捨てるわけにもいかない。

 故に、悠斗は自然と投げ技を選択した。

「ぐおっ!?」

 ただ怒りに任せて突進してきた山田を投げ飛ばすのは、悠斗にとってはあまりに容易いことだった。今の悠斗は、突進してくる大猪だって軽く投げ飛ばせる。

 これといった技もなく、天職で得たのであろう単純なパワーのみを頼りに殴りかかってくる山田など、魔物を相手にするのとそう変わりはない。

 クラスの中では上位に位置する体重を誇る山田の体が軽々と宙を舞い、直後、ドズッ! と鈍い音を立てて、背中から地面に叩きつけられる。

 天職『重戦士』の防御によって、叩きつけられた衝撃そのものは大したダメージにはらない。だが、肺から吐き出してしまった酸素はどうしようもない。

「ガハッ! グッ、ゴホッ!」

 せき込む山田。それから、投げた時に触れた腕の感触で、悠斗は山田の能力に確信を深める。

 やはり、生半可な打撃を無効化するほどの硬さを持つ。だが、苦しげに咳き込んでいることから、呼吸は人並みに必要。

「これ以上、暴れられても困る。悪いが、落ちてろ」

 山田が体勢を立て直すよりも前に、悠斗は素早くその太い首に腕を回し、裸締めを決める。それは、以前に妖精広場で同じ天職『重戦士』を持つ杉野が、山田を瞬殺した時の再現となった。

「ぐっ、が、あぁ……」

 しばしもがいた後、山田はがっくりと力が抜け、気絶に至った。

「ふぅ、一体なんなんだ。急に襲ってくるってことは、それだけやましいことがあるってことじゃないのか」

 山田が狼藉を働いたお蔭で、さらに蒼真悠斗の視線が険しくなる。後ろの桜と明日那も、そのまま気絶した山田にトドメを刺さんばかりの気配を放っている。

 勝手な山田の行動で、状況は一気に不利に傾いた――否、ここが流れの変わりどころだと、下川は見切った。

「おい、蒼真。山田がキレるのもしょうがねーんだよ。お前こそ、何も理由を知らないくせに、一方的に人を悪いと決めてつけているべや!」

 土下座作戦は撤回。ここは、逆に蒼真悠斗の非を攻めるべき時だ。

「こっちはなぁ、ヤマジュンが死んでんだよ!」

「なん、だと……」

 そう、犠牲になったのは、レイナだけではない。

 誰もがヤマジュンと呼び親しんでいた、山川純一郎という男子生徒を失っているのだ。

「お前に山田の気持ちが分かんのかよ! ヤマジュンとは一番の友達だったんだぞ!」

「それが、どうしたって言うんだ。ヤマジュンが死んだ、というのが本当なら悲しむべきことだけど、どうして俺に責任があることになるんだ」

 蒼真悠斗も、ヤマジュンとはある程度の付き合いはあった。細やかな気遣いのできる、凄く良い奴だったと思っている。男女問わず、クラスのみんなと広い交流を持っているのも、頷ける男子であった。

 だがしかし、悠斗はこのダンジョンに来てから、一度もヤマジュンとは会っていない。全く一切の関係がない、その死すら今初めて知ったというのに、何の関係が自分にあるのか。そう思うのは当然であろう。

「綾瀬さんはなぁ、あそこでダンジョンの罠にかかってたんだよ。幻を見せる、みたいなやつだ」

 今、蒼真悠斗は全く身に覚えのない意味不明な嫌疑をかけられた。実際、悠斗の身の潔白は分かり切っているし、本当に何の責任もないのだが、多少の困惑はしてしまう。どういう理由があるのか、事情を知りたいという意識が芽生える。

 だからこそ、ようやく事情説明を悠斗へ、いや、その後ろにいる桜達まで含めて、聞かせてやることができるのだ。

「俺らも罠にかかったけど、目覚めることができた。けど、綾瀬さんは目覚めなかった。俺らは起こそうと頑張ったけどよぉ……そこで出てきたのが、お前だべ、蒼真悠斗」

「ど、どういうことだ」

「綾瀬さんは『精霊術士』っていうスゲー強い天職を持ってた。霊獣、とかいうめっちゃ強い魔物を呼び出す能力だ。で、幻の罠にかかった綾瀬さんが呼び出した新しい霊獣が、お前にソックリな『ソーマユート』って奴だ」

「……つまり、ヤマジュンはその霊獣に殺された、っていうのか」

「な、なんて馬鹿なことを。そんなのはただの言いがかりでしょう! 兄さんは何の関係もないじゃないですか!」

 思わずといった様子で、弓を構えた桜が叫ぶ。

 そりゃあそうだ。お前ソックリな奴に殺されたから、お前が悪い、と。そんな理屈は通じない。

「うるせーっ! 俺らだって見てんだよ、見ちまったんだよ! 蒼真にヤマジュンが殺されるところをなぁ! それでお前、何にも思わないワケねーだろうがっ!」

 だが、理屈は感情論で押し退ける。

 ヤマジュンは蒼真悠斗が殺したワケではない。だが、見た目が悠斗にソックリな奴に、大切な友人が殺されれば、本物の悠斗は別人だから、と早々割り切れるものではないだろう。いわば、トラウマに近い感情である。

「そ、そうだ! 下川の言う通りだ!」

「そうだぞ、俺らは霊獣ソーマのせいで、命がけでレイナちゃんを助けなきゃいけなくなったんだ!」

「分かったか! 俺らはヤマジュンを失いながら、頑張って助けようとしてたんだぞ! それなのにお前ら、後から遅れて来たくせに、偉そうに人のこと悪者呼ばわりしやがって! 謝れよ! まずは山田に謝れよっ!」

 上田と中井もついに声を上げて便乗し始めた流れに乗って、下川は声高に悠斗側の非を叫んだ。

 対して、蒼真悠斗は考え込むような表情で黙り込んでいる。

「いい加減にしなさい、男のくせに見苦しい言い訳ばかり! 兄さん、こんな本当かどうかも分からない言葉、信じるに値しません」

「桜、待ってくれ。俺は……」

「それに、例えその話が真実だったとしても、レイナが桃川に殺されたのも事実でしょう。そして、貴方達はその仲間」

「だ、だから、あれは助けようとした結果に起こった事故だって言って――」

「そもそも、レイナのことがなくたって、貴方達には小鳥を襲った前科がある。忘れたとは言わせませんよ」

「お、おいっ、それ今は関係ねーべ!?」

 悠斗が黙ったと思ったら、今度は桜が、火がついたように糾弾を始めてしまった。

 それも下川が一番突かれたくなかった、小鳥レイプ未遂の件まで引っ張り出されてしまう。

 ああ、どうして女って、こう過去の怨恨をまぜっかえすのが好きなのか……つい、そんなことをぼんやりと思ってしまう下川であった。

「貴方達のことは一切、信用できません。けれど、直接レイナに手をかけたわけではないことを考慮して、命だけは助けてあげましょう。今すぐ、ここから出て行きなさい」

「ちょ、待っ、なに勝手に決めてんだべ!」

「出て行かないというならば、ここで私達と戦う気ですか。ならば、容赦はできませんよ!」

 ギリギリ、と桜の構える和弓が弦を引き搾り、そこに番えられた光り輝く魔法の矢が、今にも下川に向かって放たれそうである。

「ま、待て、マジで待って、俺らは別に争うつもりはなくて――」

 やはり土下座作戦発動か! そんな覚悟を決めた、その時であった。

「うおおおぉーっ!?」

 撃たれた、と思った。

 眩い閃光が視界を覆う。とうとう我慢の効かなくなった桜が、顔面に向かって光の矢を放ったのか。

 しかし、何の痛みもない。それに、この光り方には見覚えがある。

 というか、つい先ほど自分達が体験してきた、すでに馴染み深い白き輝き。

 すなわち、それは――新たな転移の発動である。

 白い輝きの向こうから現れた人影を見たその瞬間、集った誰もがその名を口にした。

「桃川、か」

 天道龍一は、興味はなさそうな冷めた視線のまま。けれど、その目に映った彼の小さな姿を見て、自然とそうつぶやいていた。

「あ、桃川だ」

 本当に何の興味もなく口にしたのは、姫野愛莉と中嶋陽真。ただ、このダンジョンの中でその姿を見たのが初めてだったが故の言葉に過ぎない。

「も、も、桃川ぁ!」

 まるでピンチにヒーローが現れた時のような、情けなくも希望の籠った声音で叫ぶのは、今正に蒼真桜に撃たれようとしていた、下川である。

「桃川……」

 そして、最も強い感情を込めてその名を言うのは勿論、『勇者』蒼真悠斗。

 自分が守らなければならなかった、掛け替えのない大切な幼馴染、レイナ・アーデルハイド・綾瀬を殺した張本人に対する怒りの感情は、いささかも衰えてはいない。

 下川達に向けたものとは次元の異なる、本物の殺意をみなぎらせ、蒼真悠斗は剣の柄をついに握った。

「やぁ、蒼真君」

 桃川小太郎が言う。

 この場に集った者、全ての視線を一身に受けながら、クラスで一番小さくて、地味で目立たない文芸部のオタク男子はしかし――正に『呪術師』を名乗るに相応しい、妖しい微笑みを浮かべて応えた。

 全力の殺意を発する『勇者』と、まったくの無防備ながらも不敵に笑う『呪術師』。

「思ったよりも、早い再会になったね。どうかな、少しは頭が冷え――たばぁ!?」

「桃川ぁあああああああっ!」

 と、小太郎へ襲い掛かったのは、光の剣を振り上げる『勇者』蒼真悠斗ではなく、

「桃川ぁ! このバカッ! めっちゃ心配したんだからぁっ!」

「あ、あー、ごめんね蘭堂さ、むぐぅ……」

 蒼真悠斗の怒りよりも、さらに強い感情を爆発させたのは、アラクネに攫われてよりずっと、一心にその身を案じ続けていた、蘭堂杏子であった。

「よ、良かったぁ……ちゃんと生きてて、よがったぁーっ!」

「ふがふが」

 物凄い勢いで小太郎に抱き着き、そのまま押し倒しては感動の再会で号泣し始める杏子のことを、しばしの間、誰もが黙って見守るより他はなかった。

第184話 集結(2)

「……ふぅ」

 ようやく蘭堂さんが泣きやんで、抱きしめていた僕を離してくれたお蔭で、一息つく。

 いやぁ、なかなかに熱烈な抱擁に、僕、感動だよ。こんなに泣いて僕の無事を喜んでくれるなんて、蘭堂さんは思ってた以上に心配してくれていたようだ。もっとサバサバした性格だと思っていたけど、仲良くなると凄く情が厚くなるタイプなのだろうか。

 などということを、素直に感動できるようになったのは、褐色おっぱいの谷間から無事に生還を果たしたつい今しがたのこと。その大きな胸に抱きしめられて、完全に思考が止まっていたよね。蒼真悠斗? そんなことよりおっぱいだ!

 純粋な意味で感動の再会を喜んでいる蘭堂さんには悪いけど、相変わらず胸元ガバガバで深い谷間が見えている格好で抱きしめられたら、そりゃあ他のことなんて考えられなくなるよ。

 ともかく、ボーナスタイムも終了なので、そろそろ真面目に考えよう。

 転移した先でいきなり蒼真悠斗率いる勇者様御一行と再びエンカウントしたのは非常によろしくない展開……だが、最悪ではない。むしろ、状況有利までありうる。

 そう、このやけに広い妖精広場には、蒼真パーティの他にも、この蘭堂さん含む天道ヤンキーチームに、すでにちょっと懐かしさすら感じる元レイナサークルの面々。それから、ヤマジュンから話だけは聞いていた、姫野愛莉と中嶋陽真の二人組まで揃っている。

 僕とメイちゃんを合わせて、今この場には実に18人ものクラスメイトが集った。

 二年七組は全41名のクラスだから、約半分ほどが揃ったことになる。これほどの人数が一度に集まったことは、間違いなくダンジョン攻略始まって以来、初めてのことだろう。

 そして姫野中嶋カップルを除けば、他の全員と僕はダンジョン攻略中に顔を合わせている。つまり、どんな能力か一切不明かつどういう考えをしているか、という不確定要素は薄い。そして何より、彼らとは概ね友好関係をすでに築けている。

 ならば、この大人数が揃う状況は、むしろ僕にとって有利。あんまり頭の冷えてなさそうな、蒼真悠斗を相手にしても、何とかなりそうだ。

「やぁ、天道君も久しぶり。煙草はまだ残ってる?」

「生きていたか、桃川。意外としぶとい奴だな。煙草はもう最後の一本だ。なんとかしてくれ」

 まず真っ先にこの場で取り入るべきなのは、『勇者』蒼真悠斗と双璧を成すだろうチート級天職の持ち主である天道龍一だ。

 彼が何の天職を授かっているのか、その天職名は明らかになっていないものの、その隔絶した能力の数々は記憶に新しい。正直、今のメイちゃんでも天道君と正面からやりあって勝てるかどうか分からない。

 そんな強さを持つ天道君とは、すでに友好関係を結べている。彼の性格からいって、いくら蒼真悠斗が僕のレイナ殺しを含む悪逆非道ぶりを説いたところで、一気に僕を恨むことはないはずだ。多分、天道君はたとえ親友であっても、他人の言葉を鵜呑みにするような男ではない。

 そして、その予想が正しかったことは、相変わらずぶっきらぼうながらも、普通に僕の挨拶に応えてくれた台詞が証明してくれている。

 天道君に、今すぐ僕と敵対する意思はない。ふふん、勝ったな。

「小鳥遊さんが小物をコピーする能力もってるから、頼んだら増やしてくれるんじゃないかな」

「そうか、やっぱ最後の一本はとっておいて正解だったな」

「意外とみみっちいことしてたんだね」

「うるせーよ」

 などと、実に和やかな会話をしながら、僕は天道君のすぐ隣へと移動。さらに隣には蘭堂さんがついて来ているし、メイちゃんは蒼真パーティから僕を隠すような立ち位置をキープしている。

 これで僕がちょっとくらい失言しても、蒼真悠斗や桜がいきなり攻撃を叩きこむことはできないだろう。天道君と蘭堂さんを巻き込んでみるか? ああん?

「野々宮さんと芳崎さんも、無事で何よりだよ」

「桃川、アンタもね」

「まさかホントに生きてるとは」

 蘭堂さんのギャル友であるところの、ジュリマリコンビも僕との再会を素直に喜んでくれた。

 なんだかんだで、二人とも仲良くさせてもらったからね。あの地底湖の塔でジーラの大軍を相手に籠城戦を経験した以上、僕にとって彼女達は頼れる戦友でもある。

「下川君達も、大変だったみたいだね。っていうか、修羅場の真っ最中だった?」

「ま、マジで助かったべ、桃川!」

「待ってたぞ!」

「すげータイミングで来やがって!」

 案の定、蒼真パーティとエンカして危機的状況に陥っていたらしい彼らが、僕の下へと走り寄ってくる。上中下トリオ三人はすっかり安堵の表情を浮かべていた。

 ところで、山田君はなんで一人だけ寝てるの? 死ぬほど疲れているのかな。今はそっとしておいてあげよう。

「メイちゃん」

「いいの?」

「僕は大丈夫だから。もういいよ」

 僕の周りには、あっという間に人だかりができている。メイちゃんが僕の傍をちょっとくらい離れたところで、安全上はもう特に問題はない。

「姫ちゃん、また会えて良かったよ!」

「あ、う、うん……っていうか、双葉ちゃん、だよね?」

 今のメイちゃんの役目は、僕のボディガードではなく、現状あまり立場が明確ではない、姫野中嶋カップルの引き込みだ。

 何と言っても、メイちゃんは姫野さんのリア友。クラスでいつも一緒いる友達グループの一人であることは、僕でも知っている。

 最初から友人関係が成立していれば、こうして出会った時もすぐに取り込めて楽なものだ。その友情、最大限利用させてもらおう。

「うん、ちょっと痩せたから、やっぱり変わって見えちゃうかな?」

「……ちょっと?」

 姫野さん、的確なツッコミするのはやめてよね。一番変わってるのは、外見よりも中身なんだけど、彼女がお友達の双葉芽衣子本人なのは僕が保証するから、変わらず仲良くしてあげてよ。

「中嶋君は、姫ちゃんのこと守ってくれたのかな? ありがとう」

「いや、俺はその、別に……」

 今や完全に美少女と化したメイちゃんから、眩しい笑顔でお礼を言われた中嶋君は見事なまでのキョドり具合。いやぁ、分かるよその気持ち。

 でも、彼の視線がメイちゃんの美少女フェイスよりも、ドーンと突き出た規格外の爆乳に行ったり来たりしている気持ちの方が、もっとよく分かる。男なら、これを前にして視線が泳がないはずがない。まぁ、僕くらいになると、開き直ってガン見してるけどね。

「本当に、みんなと無事に再会できて良かったよ」

 さて、これでこの場にいる蒼真パーティ以外のクラスメイトは、全員、僕の側についている。勿論、みんながみんな、メイちゃんのように僕のことを心から信じてくれる味方、というワケではないけれど――さぁ、これで分かっただろう、蒼真悠斗。僕のことを殺したいと思っているのは、君とその妹くらいなんだよ。

 こうして再会の挨拶と共に、僕の傍にみんなが集まったことで、僕と彼らの関係性は一目瞭然だ。少なくとも、僕と敵対する強い意思を持つ者は一人もいない。

 いくらレイナが死んで頭に血が上った状態で、今この場で僕を殺せばどうなるか、分かるよね? それとも、開き直ってここにいるクラスメイト全員を殺すかい?

 それもいいかもね。そうすれば、蒼真兄妹は晴れて誰にも邪魔されずに脱出枠を獲得できるんだから。

 けれど、それはできない。だって君ら、『勇者』と『聖女』だもんね。

「ねぇ、委員長」

「な、なにかしら、桃川君……」

 クラスメイトという絶対守護領域が完成したところで、僕は満を持して委員長へと声をかけた。

 蒼真兄妹はスルーで。怒りで我を忘れているような人には、話し合いなんて理性的な行為ができるはずもないからね。

「見たところ、まだみんなここに転移してきたばかりで、お互いの状況把握もロクにできていないように思えるんだけど」

「ええ、その通りよ。姫野さんと下川君達は、本当についさっき転移してきたの」

「それじゃあ、もしかたらすぐまた他のクラスメイトが来るかもしれないね」

「さぁ、どうかしらね」

 委員長としては、蒼真兄妹の理性を容易くブッ飛ばす僕という特大の爆弾が現れたことで、すでに気が気じゃないといった様子。

 また僕が何を言い出すか分からないといった不安の目。それから、再び黙って僕の傍に戻っては警戒態勢をとるメイちゃんに対する恐怖の目。

 それだけではない。僕を中心として、自分達以外の全員がこちら側についている、という数的不利の状況をバッチリ理解している。これは選択肢を一つ間違えば、大変なことになるというプレッシャーが、クールで知的な委員長の顔にもはっきり浮かんでいる。

 僕はまだ、大したことは何も言っていない。脅しの言葉などもっての他。

 でも、委員長は分かっているよね。蒼真兄妹の感情にまかせた行動を許せば、どうなるか。

「まぁ、みんな色々とあっただろうけど、まずは落ち着いて話し合いをするべきだと思うんだよね」

「よくもっ、ぬけぬけとそんなことが言えますね!」

「桜は黙ってて!」

 委員長が頬に冷や汗を流しながら、声高に叫んだ。

 そう、それでいいんだよ委員長。自分の仕事を分かっているじゃあないか。

 委員長は、蒼真兄妹のストッパー。前からそうだったでしょ? 実にストレスの溜まる役柄だけれど、君の他に誰も適任者がいないから、しょうがないね。

 そんな状況を理解しているが故に、叫んでしまうほどの焦りを覚える委員長は対照的に、桜ちゃん、君は実に呑気なものだねぇ。

 この期に及んで、マジで状況が分かっていないのか、委員長に怒鳴られて「何故」みたいな顔をしている桜である。

 うーん、その図太さと鈍感力は一周回って褒めたいくらいだよ。君、今までどんだけ他人の顔色見ずに生きてきたの? 頭レイナかよ。そういえば幼馴染だっけ。

「ぬけぬけ、とか実際に言う人、僕初めて見たよ」

「桃川君も、お願いだから挑発するようなことは言わないでっ!」

 おっと、ごめんね委員長。ついウッカリ、口が滑ってしまったよ。

「涼子、まさか桃川の話に乗るつもりじゃないでしょうね」

「アイツの言い分に従うのは危険だぞ、委員長。俺は、この場で刺し違えてでも、桃川を――」

「いい加減にしてよ! そんなに殺し合いがしたいの、アンタ達はっ!」

 おおお、委員長マジ切れだよ。

 普段の冷静さをかなぐり捨てた、感情剥き出しの叫びに、怒られた張本人である蒼真兄妹も、成り行きを見ているだけの周りのみんなも、かなり唖然とした表情となっている。

 ごめん、僕だけちょっと噴き出しそう……僕が騒動の張本人という自覚はあるし、緊迫するはずの場面だけど、滑稽さを感じてしょうがない。

 とりあえず、僕はこのまま笑いを堪えながら、委員長が蒼真兄妹の説得を待つばかり。今度こそ胃に穴があくかもしれないほどのプレッシャーとストレスだろうけど、頑張って、僕らの委員長!

「おい、もうその辺にしておけ」

 と、そこで声を上げたのは、天道君だった。

 ここで動くとは、僕としても予想外。でも、なんだかんだで憎からず思っているだろう、委員長の取り乱しぶりを見て、渋々ながらも干渉を決意といったところだろうか。

「桜、お前ちょっと黙ってろ。今はお前のヒスに付き合っているほど暇じゃねぇ」

「龍一君、まさか、貴方まで――」

「黙れと言った。女に手ぇ出すのは気が引けるが、できねぇワケじゃねぇってのは、知ってるだろ、桜」

「くっ……」

 す、凄い、天道君、どストレートな脅しの言葉であの蒼真桜を本当に黙らせたよ。昔、天道君を怒らせてボコられたことでもあるのかな。幼馴染だからこそ、通じる脅し文句といった感じがする。

「それから、悠斗」

「なんだよ、龍一」

「歯ぁ食いしばれ――オラァ!」

 ドゴッ! と結構ヤバそうな音をたてて、蒼真悠斗は天道龍一にぶん殴られた。

 元から最強不良であるところの天道君のパンチ力は相当なものだろうけど、今や謎のチート天職を得たスペックで、その拳を振るえば破壊力はどれほどのものか。

 蒼真君はバトル漫画でしか見たことないような吹っ飛び方をしながら、妖精胡桃の木に激突して、その動きを止めていた。

 あれ、もしかして、死んだか? おお、勇者よ、死んでしまうとは情けない……

「ど、どういうつもりだ、龍一……」

 ちっ、死んでなかったか。割と平気そうに蒼真悠斗は立ち上がった。

 天道パンチが直撃したであろう頬には、少々の赤みがあるだけで、それ以上の負傷や深いダメージの様子は見られない。天道君が加減してたか、あるいは、防御力もチート級か。

「言ったはずだろ、らしくねぇ、ってな。悠斗、今のお前はどうしようもなくダセぇよ。俺まで恥ずかしくなってくるだろうが」

「何を……」

「頭に血ぃ登らせて熱くなってんのは、お前だけだぞ。それでキレて暴れて満足かよ。そういうのが許されんのは、俺みてぇな不良だけだ。なぁ、蒼真流の後継者が、そんなアホでいいわけねぇだろが?」

「くっ……俺は……」

「話くらいは聞いてやれ。それから、仇討でも決闘でも好きにしろ」

「……怒りに飲まれた、俺の心が未熟だったか」

「明鏡止水の極意ってやつか。やっぱ、俺には蒼真流は合わねェな」

 何だかよくわからない理論だが、ともかく蒼真悠斗からはあれほど迸っていた殺気と戦意とがすっかり失われていた。

 委員長に変わり、説得成功といったところか。

「龍一……あ、ありがとう」

「別に、お前のためじゃねぇよ」

 テンプレなツンデレ台詞をマジでカッコよく吐きながら、天道君はもう自分の出番は終わったとばかりに、また僕の隣のところまで戻ってきた。

「桃川、お前もあんま回りくどいことしてんじゃねぇぞ」

「ごめんね、これが弱者の身の振り方ってもんで。天道君には分からないかな」

「弱者、か。どの口がいいやがる」

 ふっ、と少しだけ笑ってから、天道君はそのまま押し黙った。これ以上、僕とお喋りするつもりはないらしい。

「それで、どうかな委員長。僕ら全員で、まず話し合いの場を設けてくれるかな」

「そうね、まずはお互いの事情を知らなければいけないわ。これから先、どうするかを決めるには、まずみんなで情報共有すべきだから」

「話し合いは、平和的にお願いね?」

「勿論よ。私達は一切、話し合いの最中に手出しはしない。その代り、桃川君もそれは約束してちょうだい」

「いやだなぁ、メイちゃんは『狂戦士』だけど、いきなりキレて暴れだしたりはしないよ」

「桃川君、真面目に言っているの。分かっているでしょう、天職の力を手にした今の私達が互いに戦えばどうなるか。冗談では済まないわよ」

「そんなことは、誰よりも僕が一番よく分かっているよ。最弱の『呪術師』は伊達じゃない、ってね」

「信じていいわね」

「呪術の神に誓ってもいいよ。僕らは決して、相手が手を出さない限り、こっちから手出しはしないって。専守防衛ってやつ?」

 ちなみに、先制的自衛権は僕の主義では採用しているから。最初の一撃で致命傷もらったら、堪らないからね。

「……分かったわ。お互い、武器は手離して話しましょう」

「ついでに目隠しでもして欲しいけどね」

「ダメよ、これ以上、お互い疑心暗鬼にするような真似は、したくないわ」

 半分冗談だったんだけど、委員長は真面目だなぁ。

 実際、拘束をキツくすれば、それだけで誰もが嫌な思いをする。天道君とかはそもそも従わないだろうし。拘束したとしても、蒼真悠斗が怒り狂えば、そんなもん幾らでも脱するだろうし。

 とりあえず、場を整えるのにあんまり手間もかけていられない。みんなが揃って、みんなが話し合いをする気持ちさえ持っていれば、十分に成立できるだろう。

 なんて言ったって、僕らは高校生だからね。

「それじゃあ、学級会を始めようか」

第185話 学級会(1)

「それじゃあ、学級会を始めようか」

「はぁ?」

 と、誰ともなく声が上がる。というか、委員長にも言われたし。

「クラスのみんなが集まって話し合いをするなら、それは学級会と言うべきだよね?」

「それは、まぁ、そうなのだけれど……」

 僕のド正論にあまり納得のいかない顔の委員長だったけど、構わず進めさせてもらおう。

「それじゃあみんな集まって、適当に座ってよ」

「なんで桃川が仕切ってんのー?」

 こら、蘭堂さん、こういう時に僕がイニシアチブ握るのを邪魔しない! いいかい、会話の主導権っていうのは、往々にして何となくの流れで決まるものなんだよ。特に、自己主張の乏しい日本人の性格的には、尚更ね。

 そして僕は、こういう時に口八丁で積極的に主導権を取りに行かないと、途端に空気化するのは平和な学生生活で証明されている。

「そこはほら、言いだしっぺだし」

「へへ、なんか委員長みたい」

 なんで笑ってんの、僕これでも必死なんだよ蘭堂さん。ガラじゃないって自覚はあるけどね。

 そもそも男子のクラス委員長は東君だし。もっとも、彼も適しているかと問われれば、果たして微妙なところだけど。女子の委員長である如月さんがあまりにも委員長すぎるんだよね。天職『委員長』でいいんじゃないかと思う。

「悠斗君も、桜も、いいわね?」

「……ああ。全員で協力できるなら、それに越したことはないからな」

「この期に及んでは、仕方ないですね」

 流石は天職『委員長』、早速、お仕事している模様。やや渋々といった雰囲気ではあるが、蒼真悠斗は大人しく座り込む。そして、彼が行動を示せば、ハーレムヒロインズも黙って従う。

「学級会とか、また変なこと言い出したな桃川」

「俺はいいと思うぞ。アイツなら上手いことやってくれんだろ」

「桃川、俺らの進退はお前にかかってるべ! 頼むぞマジで!」

 僕の登場によって、すでにして面倒事丸投げの野次馬スタンスの上中下トリオである。そんな彼らだけど、この場においては貴重な僕の味方だ。少なくとも、蒼真組みに対する負い目がある以上、向こう側につくことは不可能だし。

「密林塔の頃よりもいい生活を保障するから、僕の支持はよろしくね」

「おう、桃川に清き一票を捧げるべ」

「それから、可哀想だからそろそろ山田君を起こして来てあげてよ」

「うーい」

 流石に放置はいかんでしょ。僕が言わなかったら、絶対そのままにしてたよね君ら。

「姫ちゃん、小太郎くんの言う通りにしていれば絶対に大丈夫だから、安心していいよ」

「あー、そ、そうなの」

「そうだよ、だから邪魔しないであげてね」

 メイちゃんはお友達である姫野さんへ、そんな派閥工作を邪気のない笑顔で仕掛けながら、座らせていた。彼女と一緒に、何となく中嶋君も着席。

 姫野中嶋カップルは、もともとクラスでも大した発言力はなかったし、天職の力もアレであることはヤマジュンの証言から判明している。この二人が学級会において、変に場を乱すような真似はしないだろう。現状では、メイちゃんによる引き込みだけで十分かな。

「小太郎くん、頑張ってね」

「うん、任せてよ」

 こうして話し合いの場を整えられた時点で、みんなの協力は得られたも同然だ。よほどの下手を打たなければ、僕の、いや、僕らの立場が悪化することはないはずだが……蒼真桜がこのまま黙っているとは思えない。

 蒼真悠斗も、いつまたキレるか分からないし、注意は必要だ。

「それじゃあ、みんな席についたようだし、始めようか」

「学級会の進行は、クラス委員長として私が務めさせてもらうわ。それから、発案者として桃川君も」

 文句を言う者は誰もいない。委員長が議長役なのは二年七組では絶対の真理だ。

 蒼真組みからしても、この場の代表者として委員長が立っているのでケチはない。そして、彼ら以外の面子にとって、僕がこの場に立つのは半ば必然でもある。

 実質、蒼真派と桃川派、この二つの派閥に今クラスは分かれているといっていい。

 それは、僕と委員長の二人がみんなの前に立っているのもそうだし、みんなの座るポジションからも明らかだ。

 不思議とみんな円座ではなく、自然と教室で着席するような配置となっている。

 僕と委員長が教壇に立っているとすれば、向かい合う最前列の席となる場所に座しているのは、メイちゃん、蘭堂さん、蒼真兄妹の四人。勿論。僕が立っている側にメイちゃんと蘭堂さん、委員長の側に蒼真兄妹がいる。

 それから二列目には、僕の側に上中下トリオ、委員長の側に夏川さん、小鳥遊さん、剣崎の野郎が座す。

 そして三列目は、どちらかといえば僕よりの位置に、姫野中嶋カップルが座り、傍らには「うーん……」とか言いながら目を覚ました山田君が起き上がろうとしていた。山田君、おはよう。

 最後に中立派とでも言いたげに、最後尾となる噴水に天道君がどっかり腰を下ろしており、その足元にジュリマリが侍る形となっている。

 悪くない布陣だ。

 僕の目的は、この集ったクラスメイト全員を曲がりなりにも一致団結させてダンジョン攻略に挑むこと。そして、この集団の中における指揮権を、僕が握る。最悪でも、合議制の代表者にはなってやる。

 蒼真悠斗の恨みを買った以上、僕の命を保証するのはクラスメイトの支持に他ならない。メイちゃんの護衛は強力だが、それだけでは、いつまた二人きりのサバイバル生活に戻るか分かったものじゃない。

 あれはあれでのんびりスローライフしながらもドキドキする刺激もあるという魅力的な生活ではあるけれど。

 ともかく僕の方針としては、一人でも多くのクラスメイトと協力して最深部を目指しつつ全員での脱出方法を探すこと。同じクラスメイトで殺し合いバトルロイヤルなどもう沢山だ。ここに来るまでに、何人殺したと思っている。

 これ以上はもういい。三人の脱出枠を巡る殺し合いを、させるわけにはいかないんだ。僕のためにも、みんなのためにも。

 だから、今だ。謎の黒幕の掌の上か、それとも神の気まぐれか、今ここに18人ものクラスメイトが集った。恐らく、もうこんな機会はない。一致団結できるチャンスは、今しかないのだ。

 大丈夫、僕ならできる。今の僕だからこそ、できる。

「まずは自己紹介からしよう」

「そうね、ダンジョンに落とされてから、初めて会った人も多いわ」

「天職と、簡単に能力を教えてね。あと、今まで倒してきた中で一番強い奴も。それじゃあ、委員長からお願いね」

「えっ」

 まずお前からじゃねーのかよ、という鋭いツッコミを秘めた視線が突き刺さるが、素知らぬ顔で委員長にどうぞどうぞ。

「私の天職は『氷魔術士』よ。攻撃魔法と防御魔法は、どちらも最近、上級まで使えるようになったわ」

「おおー」

 素直に感心してしまうのは僕だけではなく、同じ魔術士の天職を持つだろう何人かもそうだった。

 僕がまだ委員長と一緒にいた頃は、まだ中級魔法を覚えたてくらいだったはず。メイちゃんが残っていた頃でも、まだ上級には手が届かなかった。

 ということは、レイナ殺人事件の後のダンジョン攻略によって上級を使いこなすまで至ったということ。最近使えるようになった、とは嘘ではないようだ。

「今まで倒した一番強い魔物は……ごめんなさい、ボスとの戦いは常に誰かと一緒だったから、私が一人で倒した魔物は、ゴーマとかそれくらいなのよ」

「それってかなり初期の頃の話だよね」

「ええ、あの時は双葉さんと二人だけで」

「懐かしいなぁ、今では考えられないお荷物ぶりだったよね、メイちゃん」

「こ、小太郎くん! その頃の話はしないで!?」

 メイちゃんにとっての黒歴史なのか、割と本気で焦って会話を遮ってきた。彼女がまだビックリするほど役立たずの天職『騎士』だった時代の話をこれ以上続けたら、実力行使も辞さない気配が。

「えー、とりあえず、ソロでボスを倒したことがないというパラサイトさんもいらっしゃるようなので、そういう時はパーティプレイで倒した一番強い敵でいいよ」

「桃川君……パラサイトってどういう意味なのかしら」

「それじゃあ、ソロでボスを倒したことがない委員長は、蒼真君に倒してもらったボスを発表してくださーい」

「ぐっ……ま、まぁいいわ。私が参加した中で一番強かったのは、五体のゴグマと戦った時かしら」

「えええぇーっ!? それってメイちゃん一人で全部ぶっ殺したっていうピラミッドのゴグマでしょ? それ自分のボス戦にカウントしちゃっていいの!?」

「……桃川君、ごめんなさい。どうやら貴方と協力できるのは、ここまでのようね」

「あはは、いやだなぁ委員長、ちょっとした冗談じゃあないか」

 半分以上マジだけど、眼鏡の奥で目が据わってる委員長を見て、半分以上冗談ってことにしておいてあげるよ。

「なら、そういう桃川君はどうなのよ」

「えっ、僕? それ聞いちゃうのー?」

 うわウザっ、みたいな冷たい眼差しの委員長であるが、ここは存分にドヤらせてもらおうか。

「僕の天職は『呪術師』。このダンジョンサバイバルの中でも、美味しいご飯と熱いお風呂と柔らかい寝床を提供できる、素敵な天職だよ」

「戦闘能力は?」

「僕を攻撃したら、呪いでダメージがそのまま跳ね返るから、共倒れしたくなければ絶対に攻撃しないでね」

「ねぇ、本当に一人でボスを倒したことがあるの?」

「あるよ、これでも僕はそれなりにソロ攻略の経験が豊富だからね。まぁ、好きで一人になったワケじゃないんだけど……嫌な事件だったね?」

 チラっ、と視線を向ければ、あからさまに顔を逸らす剣崎明日那の姿がある。僕、まだ君から一言も謝罪の言葉を聞いてないんだけどねぇ?

「桃川君、今はそのことは」

「分かってるって、この話はまた後で」

 それで、僕がソロで倒したボスの話だったよね。

「紫色の毒の沼があるエリアのボスで、猛毒のガスを吐き出すバジリスクみたいなデカいトカゲを倒したよ」

「本当に? どうやって?」

「そりゃあ、知恵と勇気を振り絞って」

 今思い返してみても、かなりの激戦だった。というか、毒無効な『蠱毒の器』がなかったら、余裕で死んでたよね。

「全然、分からないのだけれど」

「呪術師の能力は色々あるから、詳しい話はその内ね。ともかく、大した攻撃力がなくても、工夫と作戦次第でボスも倒せるんだから、みんなも諦めずに頑張ろうねって話」

 実のところ、僕が倒した敵で一番強いのは、樋口かセイラムなんだけどね。どっちも人殺しに関わるから、わざわざ言い出しはしないけど。

「じゃあ、次は蒼真君でいいかな」

「ああ、いいだろう」

 素っ気ない返事。だが、怒りや刺々しさは感じない、平坦な声だ。一度、怒りを鎮めたから、僕が声をかける程度では動じないと言ったところか。

「俺の天職は『勇者』だ。剣の武技も魔法も使える。光の剣を使う、勇者らしい大技なんかもあるな。倒した奴で一番強かったのは、ここに来る前のボスだった、ドラキュラみたいな奴だろう」

 どうやら、そのドラキュラも蒼真君と似たような戦闘スタイル、つまり剣技を中心としつつ、魔法も使っていくタイプ。一対一で勝負した結果、ギリギリで勝利を収めたというのだから、相当な強さなのだろう。

 蒼真君の方も、順調にレベルアップを重ねてきているといったところか。一体、今はどれほどの強さに至っているのか……もしも、メイちゃんを圧倒的に凌駕するだけの力を身に着けた時点で、僕は終わりかな。

 勇者の力については、これから詳しく調べていかなければいけない。

「次は私かな」

 最強候補の勇者蒼真に対抗するのは、僕の守護神にしてスーパーエースなメインアタッカー、狂戦士メイちゃんだ。

「私の天職は『狂戦士』。武技は使えるけど、魔法は使えないよ。あとは、えーと、力には自信がある、かな?」

 なかなか上手く自分の能力をぼかした説明である。本人は、本当にちょっと力に自信がある、程度の認識かもしれないけれど。

「ねぇ、そのめっちゃ痩せてんのは天職の力なのー?」

 怖い物知らずの蘭堂さんが、まったく無遠慮な、けれど誰もが気になっているだろうことを質問してきた。実際、他の女子たちも気になるとばかりに、メイちゃんへと視線を送っている。

 しかし悲しいかな、たとえ魔法の異世界であっても、ダイエットというのは食事制限と運動という絶対的な基礎からは免れえないのだ。僕だけは知っている、メイちゃんが狂戦士の力に目覚めて以降、度重なる戦いを経て、ようやくこのグラドルを圧倒するレベルのミラクルボディへと至ったのだと。そう、全ては彼女自身の努力の結果なのだ。

「ううん、私が変われたのは、全部小太郎くんのお陰だよ」

「桃川ぁー、あとでちょっと二人きりでお話しな?」

「蘭堂さん、痩せ薬とかはないからね」

 あからさまにガッカリした顔しないでよ。

 一応、カロリーを燃焼させて力を得られるパワーシードとかソレっぽいといえばぽいけれど、教えない。悪いけど、僕は蘭堂さんを痩せさせるつもりなんてこれっぽちもないからね?

「ボスは色々倒したけど、やっぱり一番強かったのはピラミッドのゴグマかな」

 あの『試薬X』までつぎ込んだっていうからには、相当の激戦だ。うーん、僕もメイちゃんの雄姿を見たかったな。

 もっとも、信頼しきれない仲間と組んでの死闘だから、メイちゃん的にはあまり良い思い出ではないさそうだけど。全部で5体ゴグマいるのに、メイちゃんが一人で2体受け持つってどういうこと? しかも一発の援護も、一度の回復も飛んでこないって、他のみんなは何してたの?

 気持ちはわからないでもない。君らにとってメイちゃんは魔物との戦いで死んでくれるのが一番安心できるだろうからね。

 でも、僕が指揮権を握った暁には、そういうの絶対に許さないからな。

「それでは、次は私が――」

 僕は実に寒々しい思いで、蒼真桜の自己紹介を聞き流す。

 というか、桜含めて以下の蒼真メンバーの紹介と戦歴は、今更さほど聞くに値はしない。だって、どう考えても蒼真悠斗以上の活躍や戦いなんてあるわけないし。

 せいぜい僕が知っている頃よりも、彼女達の能力や装備が順調に伸びて行ったことを確認できた程度だ。

 ちなみに、蒼真桜は紹介の時に自分だけ守れる万能バリアこと『聖天結界オラクルフィールド』のことは言わなかった。お前、そういうとこだぞ。

「ウチの天職は『土魔術士』でぇー」

 勇者ハーレムのように、男一人が一強状態の天道ヤンキーチームも、あまりメンバーの成長性に変わりはないだろう。蘭堂さんとジュリマリの三人が無事にここまで一緒に来ているということは、特別に物凄い何かがあったわけではなさそう。あのまま順当に成長を果たしていると思う。

「おい今笑ったヤツ前でろー、ウチの土魔法舐めんなよ」

「下川だ」

「下川だな」

「おい、ちょっ、俺は違っ――って、蘭堂、その金色のリボルバーなんだべ!?」

 下川君、蘭堂さんの『土魔術士』を聞いて笑ってしまったのか。

 おおよそ、どのゲームでも土魔法ってのは不遇だし、漫画に登場した土魔法使いは大抵かませだし、これといって強力なイメージはないけれど……それは『水魔術士』の君も似たようなものだと思うよ。水魔法の使い手で優遇されるキャラは、メインヒロイン級の清純な美少女のみと相場が決まっているのだから。

 などと、若干の憐みを込めた目で、黄金に輝くド派手なリボルバーを向けられて焦ってる下川を眺めていた。いやホント、なにそのリボルバー? 黄金銃なの?

「まぁ、ウチもほとんど桃川のお蔭で強くなれたようなもんだけど」

「そう言われると照れるなー」

「えっ、桃川、なんだべその蘭堂とフラグ立つイベント経験済みみたいな反応は?」

「照れるなぁー」

「……小太郎くん、蘭堂さんと何かあったの?」

「ヒエッ」

 刹那、脳裏に過るのは蘭堂さんに奪われたファーストキスの思い出。

 実に素敵な青春の1ページになったはずが、アラクネの女郎のせいで感動も何もあったもんじゃない。おのれアラクネ……今は輸送型二号機としてお世話になってます。

 いや、そうじゃない、恐ろしいのはアラクネではなくメイちゃんの反応だ。何でそんな真顔になってんの? ほら、下川君みたいにもっと人の色恋沙汰を茶化すような楽しい表情になろうよ。スマイルスマイル。

「いやぁ、特に何もないってこともないんだけど……」

「双葉は桃川とキスしたことあんの?」

「っ!?」

 いきなり何言い出してんの蘭堂さん! やめて、マジでやめて、僕は別にメイちゃんとも蘭堂さんとも付き合ってるわけじゃないし、浮気とかそれ以前の関係性でしかないけれど、どう考えてもヤバい雰囲気になってるからホントやめて!?

「どういう意味」

「別にー?」

 真顔のメイちゃんと、目が笑ってない蘭堂さん。

 わー、凄いなー、なんか修羅場みたいだなー。

「小太郎くんは……蘭堂さんと付き合ってるの?」

「桃川はもう双葉と付き合ってんの?」

 そして僕は今、修羅場のど真ん中にいるらしい。

 二人とも、その質問はどういう意図なの? もしかして僕のこと好きなの? 可能性にかけて、僕もうこの場で思い切って告っちゃった方が楽になれるかなぁ?

 いや、待て、落ち着け、これで二人とも別に僕と付き合いたいほど好きではないとかだったら、きっと僕はこれ以上ダンジョン攻略を続ける意思がバッキリとへし折れるに違いない。

 そうでなくても、下手な言動は慎むべき。思い出せ、僕の基本方針はダンジョンを脱出するまでは、リスクの高い恋愛沙汰には手を出さないこと――

「えっ、桃川って双葉さんと付き合ってたんじゃねーのか?」

 下川、呪い殺すぞ。

 いつか僕がついた見栄を張るためのささやかな嘘が、巡り巡って最悪のタイミングでメガトン級の爆弾発言となるなんて……ねぇ、マジこれどうすんの……

第186話 学級会(2)

「おい下川、詳しく」

 蘭堂さんの鋭い視線に射抜かれた下川君は、あっヤベっ、みたいな表情をしながら言葉を続けた。

「いや、なんか実は前から桃川は双葉さんと付き合ってるって聞いたんだべ」

「誰から?」

「そりゃ本人から。あと、桃川が自慢げに僕デブ専だから、って言ったってのを山田から聞いたべ」

 言ったよ、僕、確かに言ったよその台詞……でもアレはね、当時レイナにイカれてた山田君が僕にあらぬ疑いをかけてきたから、それを華麗に切り抜けるための冴えた方便なんだよ。

 でもみんなに「付き合ってるんだよねー」とか調子に乗って言ったのは、完全に単なる見栄を張っただけ。こんなことになるなら、止めればよかった……

「はぁ? なにソレ、嘘っぽいんだけど」

「……嘘じゃないよ。私、前から小太郎くんと付き合ってたの」

「メイちゃん!?」

 何故ここで嘘に乗っかる選択肢を!?

 どういうつもりなんだ、これは女子特有の高度な恋愛的駆け引きなのか。それとも、実はメイちゃん前から僕のことが……ええい、都合のいい解釈でドキドキしてる場合じゃない。これもうどこに着地点あるのか分かんないよ!

「やっぱりなー、転移する前に桃川が双葉に魔法陣のノート渡してたからなー」

「下川君はちょっと黙ってて」

「ホントに付き合ってんなら、なんでキスもしてないわけ?」

 蘭堂さんもそろそろ黙って。どうしてそう、メイちゃんを挑発するような台詞ばかり次から次へと出て来るのさ。そんなに僕がメイちゃんと付き合ってたら気に食わないの? もしかして嫉妬してくれてるの? 僕期待しちゃうから思わせぶりなことやめて。

「キスくらいしてるよ」

「嘘でしょ。それならさっき即答できてたじゃん」

 真顔を保っていたメイちゃんの表情が、眉をひそめてガンを飛ばすレベルにアップしてしまった。これはそろそろ殺意を放ち出してもおかしくない。

「ウチはしたよ、桃川と。ファーストってやつ」

 あ、殺意出た……ダメだ、これ以上はマジで危険、冗談では済まなくなる。

 とうとう僕も、覚悟を決めなきゃいけない時が来たようだ。

「蘭堂さん、メイちゃん、二人ともそこまでにして」

 メイちゃんからは厚い信頼を寄せられているし、凄いいい雰囲気になっているという自信もある。一方、蘭堂さんは勢いとはいえキスしてきたし、僕のことを憎からず思っているだろうことは分かる。

 だからきっと、僕にも浮ついた気持ちがあった。ないわけないだろう。自分の好みドストライクな女子が二人も僕といい感じになれているのだ。期待しないはずがない。

 そう、僕は自分の中では「攻略中は恋愛禁止」だと誓っていたけれど……それは所詮、自分の心の中で決めていただけだ。メイちゃんにも、蘭堂さんにも、他の誰にも言ったことはないし、提案したこともない。

 だって、それを公言してしまったら、僕が童貞を貫くことはいよいよもって確定だ。もしかしたら一線を越えることがあるかも……なんて、甘い期待があったから、自分の中の決め事にしかしていなかったんだ。

 けれど、それももうお終いだ。どの道、ここまでクラスメイトが集った時点で、そうしなければいけないと考えてはいた。だって、これからは複数の男子と女子による共同生活なんだから。

「なによ桃川、キスしたのは事実でしょ」

「小太郎くん……そんな、嘘だよね」

「ごめんね、メイちゃん。蘭堂さんとは勢いとはいえキスしたのは本当だし、メイちゃんと付き合ってると言ったのは見栄を張って嘘ついたんだ。でも、これからはもうそういうことは一切しない。僕もそうだし、みんなにもそうして欲しい」

 そう、今まで僕の修羅場を眺めるだけだった君達も当事者だぞ。自分だけ我慢するのって辛いしね。ほら、苦労はみんなで分かち合うっていうの、日本人大好きでしょ。

「だから――恋愛禁止だ!」

 未練を振り切るように、僕は思い切って叫んだ。

「本当は後でちゃんと話し合ってから決めようと思っていたけれど、話の流れが脱線して危ない雰囲気になったから、先に言わせてもらう。これから全員、恋愛禁止だから」

「お、おい桃川、どういうつもりだ!」

「そんなの聞いてねーぞ!」

「なに勝手なこと言ってんだべ!」

 おいおいおい、上中下トリオ、これは君達にとっても大いにメリットになる提案だというのに。条件反射で反対してしまうとは、まだまだ思慮が浅いんじゃないのかな。君らのすぐ隣には、クラスの美少女が集結したハーレムがあるというのに。

「とっくに分かり切ったことだけれど、今ここには僕らしかいないんだ。そして、僕らはこれから全員協力してダンジョンから脱出したいと思っている。まず、これに反対する者はいないと思うし、もしその気だったら、今すぐここから出ていってくれていいよ」

 出ていく者など、一人もいはしない。天道君でさえ動かないのだから、他の誰も動けるはずがないのだ。

「みんなで協力するってことは、これからは四六時中、男子も女子も一緒に生活するってこと。だから恋愛なんていう、人間関係において特大の爆弾を抱えるワケにはいかないんだよ。たとえばさ、蒼真君がこれから毎晩、夏川さんと小鳥遊さんと剣崎さんとエッチしまくるけど、自由恋愛だから放っておいてねと言われたら、他の皆は納得できるのかな」

「おい、桃川、お前」

「兄さんを侮辱するのは許しませんよ、桃川!」

「ただのたとえ話だよ。これくらい大袈裟に言った方が分かりやすいでしょ?」

 ただし桜テメーはダメだ。ガチの近親相姦とか気持ちわるいです。

「委員長はどう?」

「桃川君の言い分は分かるけれど、恋愛禁止とあまり厳しくしても、気持ちが抑えられないこともあると思うわ」

「うん、それじゃあ委員長が全責任をもってみんなの恋愛を適切に管理してくれるなら、禁止しなくても大丈夫だよ」

「恋愛は禁止よ」

 流石にそろそろ、委員長も責任逃れするのが上手になってきたね。正義を貫いたところで、自分の胃がボロボロになるだけって、いい加減に学習したのだろう。

「委員長の言う通り、誰かを好きなる気持ちまでは禁止できないし、したとしても抑えられないと思う。内心の自由ってやつ? ともかく、気持ちまでは否定しないけれど、このダンジョンから脱出するまでは、みんなその気持ちはできる限り抑えて欲しいんだ」

 公の場であるってことを意識して欲しいというだけのこと。僕だって、そんなに厳しいことを要求するつもりはない。

 でも、大人だってこれがなかなか難しいというか、人の心の複雑な部分というか。まして、僕らは健全な高校生だ。こんな閉鎖環境で一度タガが外れてしまったら、速攻で昼ドラかエロ同人みたいにドロドロになるに決まってる。だから、最低限のルールってのは絶対に必要なのだ。

「そういうワケで、おおっぴらに好きとか嫌いとか言わないで。告白するのも禁止。するなら、ここを脱出した後にしてよね」

「……俺は桃川に賛成する」

 おお、蒼真君まさかここで声を上げるとは。

「蒼真君、そんなにハーレムで苦労していたとは」

「桃川、悪いが俺はまだお前と気安く喋ることはできそうもない。真面目にやってくれ」

 美少女に睨まれるのもアレだけど、イケメンにされるのもなかなか心にくるものだね。正直、怒り狂っているよりも、理性を保って冷めた態度をとられる方が怖く感じるよ。

「兄さん、いいのですか」

「共同生活をする上での、最低限のルールというやつだ。当たり前のことだろう」

「それは、そうですけれど……」

 へい桜ちゃん、自分がこの状況を活かして兄貴と一線越えようとか狙ってたから、恋愛禁止には素直に賛成できないのかなー? んー?

「桃川君、お願いだから余計なことは言わないで」

「分かってるって、委員長」

 つまり、委員長も同じこと思ってたってことだよね? 桜、お前は友達の信用ないな。

「蒼真君の言う通り、これは必要なルールだから。もし、どうしても反対というか、僕らの仲は認めて欲しい、というカップルがすでにあるなら話し合うことはできるけど、どう?」

 ざっと見渡してみても、手を上げる者はいない。

 そりゃあそうだろう。すでにクラスを代表するバカップルである桜井君と雛菊さんは死んでいる。そして、ガチなゲイカップルだった杉野大山コンビも解消されている。

 残っているのは、みんながみんな、いまだ思いを伝えずに片思いをする者だけ。勿論、僕も含めてね。

「それじゃあ、恋愛禁止ルールは可決ということでいいかな委員長」

「ええ、まずは一つ決定ね」

 委員長はいつの間にか手にしていたノートとペンで、サラサラと可決案を書き記していた。いやぁ、やっぱりこういうところが委員長だよね。

「そういうワケだから、メイちゃんも蘭堂さんもこれ以上、僕のことで何か言い合うのはやめて欲しい」

「うん……分かったよ、小太郎くん」

「むぅー」

 シュンとうなだれたようなメイちゃんと、この鈍感とでも言いたげにむくれている蘭堂さん。それぞれケチの一つもつけたいところだろうけど、ひとまずは大人しく二人とも引き下がってくれたようだ。

 あ、危なかった……学級会というシチュエーションがなければ、恋愛ド素人の僕では切り抜けるのは不可能な修羅場だったよ。

「すっかり脱線しちゃったけど、自己紹介の続きをしようか」

 さて何の話してたんだっけとみんな忘れるレベルの脱線ぶりだったけれど、まだ自己紹介の途中という序盤も序盤であるのだった。時間なんて幾らでもあるけれど、会議が長引くとみんなダレてくるから、サクサク行こう。

 次の自己紹介は蘭堂さんの次で、蒼真ハーレムの面子になるのかな。彼女達を含めて、後はほぼ僕の知ってる人ばかりだから、僕にとっては確認程度の意味合いしかない。

「えっと、私の天職は『盗賊』で、でもっ、悪い盗賊じゃないからね!」

 やけに悪くないことを強調しながら、夏川さんが自己紹介を始めた。

 その次は剣崎明日那、小鳥遊小鳥と続く。

 委員長と同じく、彼女達も順調に天職の力を成長させているようだ。武技も魔法も充実している。本当に、素直に強いパーティだよ。

「あー、俺の天職は『剣士』だ」

 それから、今度は上中下トリオ+山田の番となる。

 僕と別れてから、彼らは僕の見よう見まねでサバイバル生活を営みつつ、ボスを倒してここまでやって来たようだった。自前で燻製肉を作ったりと、なかなか頑張ってる。でも、その肉ちょっと生焼けなんだけど? 燻し方が足りないよね絶対。

 さらに残念なのは、彼らには蒼真ハーレムほどの目に見えた成長がないことだ。それぞれ、一つか二つ新しい技を習得している程度で、劇的に戦闘能力が上がるようなものはないようだった。

「私の天職は『治癒術士』です」

 と、何食わぬ顔で自己紹介しているのが、姫野愛莉である。

 僕は知っている、今は亡きヤマジュンから彼女について聞いたことははっきりと覚えているからね。

 彼女は恐らく、天職ではなく『眷属』という別系統の能力を授かっていると。

 横道も人間を文字通りに喰らう邪悪な眷属と化していると推測されている。奴の危険度は実際に遭遇した僕だからこそ嫌でも分かる。眷属は人間を止めるような化け物になるのではないかという危険性が非常に高い。

 姫野愛莉に関しては、サキュバスのように体を使って男に取り入ってはいたけれど、レイナの登場によってあっけなく見捨てられ、という顛末も知っている。それを思えば、横道ほど強力かつ危険な力はないと思うのだが……彼女に関しては、注意して監視が必要だ。メイちゃんと委員長には協力してもらおう。

「俺は『魔法剣士』だよ」

 そんなサキュバス姫野の相方を務めているのが、中嶋陽真君だ。彼についても、ヤマジュンから一通り聞いている。

 なんでも、最初に姫野さんと二人きりで、上中下トリオ合流後、見事に寝取られて逃げ出したと。ただ、彼がいた時期は上中下トリオだけで、ヤマジュンが合流した時にはすでにいなかった。だから、ヤマジュンが自分で見たわけではないという。

 この辺は、後でトリオにしっかり裏をとっておこう。もっとも、あっさり姫野さんを寝取られてしまうほど、強くはない天職だったらしいけど……

「魔法剣士は最強か器用貧乏か、ってのは真実だったのかな」

 ひとまず中嶋君の自己紹介を聞いた限りでは、なるほど、これは見事に器用貧乏と言わざるを得ない能力構成であった。

 武技も魔法も使える。なかなか強そうではあるが、どっちも中途半端に止まっていては決定打に欠ける。今の段階だったら、武技も魔法も上級に位置するような技を一つは使えるようになっているべきなのだが、中嶋君は両方ともなんとか中級に手が届いたといった程度。

 色んな雑魚を相手に一人で戦い抜くには役に立つかもしれないけど、ちょっと強いボスに当たったら詰むような頼りになりきれない火力だ。

「私は『騎士』」

「アタシは『戦士』」

 中嶋君の後に聞くことになったジュリマリコンビの自己紹介は、見事に理想的な成長をした前衛職といった感じであった。

 天道君のワンマンチームではあるものの、雑魚戦やある程度の強敵なんかは彼のために役に立とうと健気に尽くすジュリマリは積極的に戦闘をしていた。その経験がしっかりと生きているといったところだろう。

 二人とも上級と思われる武技の大技をそれぞれ持っているそうだ。少なくとも、僕と一緒に地底湖塔でヒーヒー言っていた頃よりかは、格段に成長している。これは、強さを確認するのが楽しみだ。

「ああ、俺か」

 そして最後は天道君。地味に、僕が一番気にしていた自己紹介である。

「天職『王』だ。デカい剣を出して、デカい魔法を撃てる。リビングアーマーの親玉みてぇな奴が、倒した中では一番強ぇだろう」

 思ったよりも、素直に白状したものだ。すでに蒼真君とかには打ち明けていた感じなのかな?

 しかし、なるほど、『王』ときたか。『魔王』ではなかったか。ちょっと残念なような、安心したような。

 しかし天道君、君の能力で一番凄いのは無限収納な黄金魔法陣に、傷薬のレシピを見抜く鑑定眼などなど、充実したシステムスキルだよ。

 この辺を含めた総合力でいえば、『王』は『勇者』を凌駕する。

 しかし、『勇者』は覚醒システムあるからなぁ……

「一通り自己紹介も終わったところで、次は現在の状況確認をしていこう」

 僕が一番最後にここへやって来たので、どうしてこんな人数がここに留まっているのか事情が分からない。

 もっとも、ざっと見たところでおおよその推測は立つけれど。

 この広場での生活の痕跡からして、勇者ハーレムと天道ヤンキーズが先にここに到着していた模様。そして、両チームは特に遺恨がない上に、なにより蒼真君と天道君はマブダチである。協力しない理由がない。

 そんなクラス最強のドリームチームが結成されているというのに、いまだここに留まっているということは……この面子でも突破できない何かしらの障害があるのだろう。

 さて、それが何なのか、大人しく説明を聞こうじゃあないか。

「それについて、まずは私から説明させてもらうわね」

 僕を含め、ここに来たばかりのメンバーは素直に委員長の説明に耳を傾けた。

 そして、僕は速攻で耳を塞ぎたくなった。

「ヤマタノオロチ、というべきとても強力なボスがいるの。私達と龍一のチーム全員で挑んだけれど、ほとんど相手にならなかったわ」

「……ま、マジっすか」

 ストレートにボスが強力なパターンだったか。シンプルであるが故に、その解決は困難となる。というか、いざ蒼真天道コンビで負けたと聞くと、絶望感半端ないんですけど……

「そ、そのヤマタノオロチって、どういうモンスターなの」

「八つの首がある、かなり巨大な蛇というか、竜というか、そういう姿をしているわ。大きな岩山から頭だけ出していて、口からは強力な攻撃魔法を吐き出すし、その上、頭を落としても5分もあれば再生してしまう。小鳥の分析によると、岩山の中に隠れている本体にあるコアを破壊しない限り、八つ首を止めることは不可能だそうよ」

「えっ、なにそのクソモンス……」

第187話 学級会(3)

 モンスターと戦う系のアクションゲームでは古来より「巨大モンスター戦は作業」と呼ばれている。

 ビルのように巨大な体を持つモンスターとの戦闘というのは、それだけで浪漫のある構図ではあるが、そこで実際に行われるのは、延々と特定のポイントに攻撃し続ける、専用のギミックをタイミングよく発動させる、などの単純作業の積み重ねというのがほとんどだ。端的にいってクソである。

 勿論、僕にも経験はあるよ。ただ歩くだけの巨大ドラゴンを相手に、弱点部位目がけてただ攻撃を叩き込み続けては、たまに轢かれて大ダメージとか。単純作業の繰り返しのくせに、巨大だからという理由で桁違いの体力を誇り、挑めば相応のプレイ時間を消費させられる。その上、レア素材やレアドロップなんかもちゃんと設定されているから、周回プレイが不可避という……

「桃川君、ちゃんと聞いているの?」

「ちゃんと聞いているから、こんなに呆然としているんだよ」

 僕はそれなり以上にゲームを嗜むゲーマーである。素人以上、廃人未満の、エンジョイ勢といったところだろうか。

 だからこそ現実とゲームの区別がつくし、理解できてしまう。現実に存在する巨大モンスターを討伐するのが、どれほど危険で困難であるか。

 ゲームは所詮、ゲームでしかない。コレをすればクリアできる、という簡単なタスクなど、リアルに生きるモンスターにとってはあるはずもない。

「蒼真君、ヤマタノオロチにはここにいる全員で挑めば倒せそうな感じなの?」

「無理だな。ただ数を揃えて突撃すれば、どうにかなるような相手じゃない」

 ですよねー。

 これで相手がゴーマの大軍とかだったら、人数が増えればそれだけ戦力差が埋まっていくけれど、一体の巨大モンスター相手は、明確な攻略法が確立していなければ、人数などどれだけ揃えても無意味。身じろぎ一つで、人間など軽く潰してしまう怪物だ。

 それでも、今ここに集っているのは全員が天職持ち。きっと何かしらの役には立つし、彼らの存在がヤマタノオロチ攻略戦には必要不可欠になるだろう。一人残らず全員キリキリと働いてもらおう。ニート死すべし、慈悲はない。

「分かった、とりあえずボスの攻略法を考えるのは後回しにしよう」

 どの道、ヤマタノオロチに関してより詳細な情報収集をするところから始めるしかないのだから、今この場で攻略法を話し合っても意味はない。

 そんなことよりも、僕らには先に決めておかなければいけないことが幾つもある。

「聞いての通り、ここから先に進むためにはヤマタノオロチという強力なボスを倒さなければいけないわ。そのためには今ここに集まった全員の協力が必要よ。だから、次はこの協力体制を確立しなければならない」

 流石は委員長、僕が切り出すまでもなく話を進めてくれてくる。

「まずは一つ、恋愛禁止とルールは決まったけれど、他にも決めなければいけないルールは沢山あるはずよ」

 ヤマタノオロチを倒すまでには、準備も含めて結構な時間がかかる。そうでなくても、『呪術師』たる僕は事前準備に勝敗がかかっている。後先考えずに一発勝負でピンチには覚醒できる『勇者』とは違うんだよ。

 だから、それなり以上の時間をクラスメイト18人が共同生活を円滑にしていける体制を作り上げるのが、この学級会最大の目的だ。

「で、そのための原案はすでに用意してあるから――」

「待ってくれ」

 と、ここで声を上げたのは、やはりというか案の定というか、蒼真悠斗であった。

「なにかな、蒼真君」

「これから全員が長く共同生活を送ることになる。だが、それを始める前に、俺にはどうしても決めておかなければいけないことが……いいや、違う、裁かなければいけないことがある」

「綾瀬さんの件かな」

「そうだ。それもあるが、俺は改めて桃川、お前に問わなければいけない――」

 鋭い視線。それは確固とした意思と正義に満ちた、後ろ暗いことだらけの僕には痛いほどに突き刺さる視線であった。

「――お前は今まで、何人殺してきた」

「羨ましいね、今まで誰も殺さずにやってこれたなんて」

 薄ら笑いの皮肉で返す。まだ、僕は自分の罪状を素直に白状する必要はないからね?

 蒼真君の言うことは、困ったことに正しい。特に、レイナだけでなく、他のクラスメイトも殺したのではないかと嫌疑をかけてきた辺りが、彼の勘の鋭さと、今の冷静さを教えてくれる。

 本当にただ僕のことを貶めたいだけなら、感情的にレイナ殺しの罪科を再び糾弾すればよいだけだ。けれど、レイナ以外にも、と問うた蒼真君は実に僕の弱点を理解している。

 そうさ、僕には何人も殺してきた前科がある。いや、別に警察に捕まってはいないから、前科者ってワケじゃないけれど。

 ともかく、これから一緒に暮らそうって奴の中に、殺人者がいればどう思うか? 僕だったら絶対に御免だね。精一杯に温情をかけても追放処分、普通に処刑が妥当だろう、人間の感情的に考えて。

 その者がどういう人物か、どんな罪を背負っているのか。これから構築される共同生活体コミュニティに入れていいかどうか、本来はまずはそこから問うべきなのだ。

 けれど、そんな裁判は僕にとっては不利にしかならない。だから、分かっていてスルーした。今この場にいる全員が、一人残らず一緒に暮らすことを前提として話を進めようとしたのだけれど――そりゃあそうだよね、ここで言わなかったら、蒼真君にはもう二度と、レイナの件を糾弾する機会はなくなってしまう。少なくとも、表だって言い出すことはできない。

 頼むから言い出してくれるなよ、と半ばお祈りだったが……やっぱダメだったか。蒼真君がこうして切り出してしまった以上、スルーはできない。だから、最善ではないけれど、次善の策を打たせてもらおう。

 というワケで、まず僕がすべきことは、

「メイちゃん、落ち着いて。僕は大丈夫、話し合いはこれからだから」

「……うん」

 明らかに殺意を迸らせて、立ち上がりかけていたメイちゃんを止める。ここで殺し合いに発展したら今までの話し合いがパーじゃないか。僕はまだ、そこまでこの学級会に絶望しちゃあいないよ。

「どうなんだ、桃川」

「そもそも、このダンジョンの中での殺人は罪になるのかな?」

「なんだと」

「僕を殺人罪で訴えたいなら、そうすればいいよ。ほら、今すぐスマホで110番通報すればいい。パトカーが来てくれたら、僕は大人しく手錠をかけられるよ」

「ハハハ、そりゃ無理だべ桃川」

 乾いた笑いの下川だが、そんなことは言うまでもなく全員が分かっている。だって、ここは現代日本どころか、地球ですらない剣と魔法の異世界なのだから。

「警察が僕を捕まえに来るまでは、殺人罪は不問ってことでいいでしょ」

 僕らは日本人だし? 日本人の罪は、日本の法律で定めた通りに裁かれて、初めて確定するものだ。

「だから、その問いかけは無意味だよ。元の世界に帰ってから、改めて僕を訴えてよね、蒼真君」

「ふざけるな、桃川。俺はそんなくだらないことを聞いたんじゃない」

「じゃあ、どういうつもりで聞いたのかな」

「決まっている。俺はお前が殺したレイナと他のクラスメイト、その罪を隠して、誤魔化したまま、お前と共にいることはできない」

「嘘も秘密も許さないって束縛彼氏かよ」

「殺人の罪だけは、これから共に生活する前に明らかにしておかなければいけない」

 おっと蒼真君、僕のジョークを華麗にスルー。でも僕が女だったとしても、ちょっと蒼真君とは付き合いたくはないのは事実だよ。本人はお堅いし、なにより周りが地雷原だし。

 ともかく、流石と言うべきか、蒼真君の意見は正しい。

 僕だって自分の手が綺麗なままなら、この辺は何が何でも明らかにしておきたいところである。少々の罪は誰だってあるものだけれど、やはり殺人というのは別格だ。まして、この状況だから尚更に。

「僕が誰を、どうやって殺したか、全て洗いざらい吐いてもいいよ。でも、条件がある」

「条件だと」

「今、この学級会の場で告白した罪は、全て罪には問わないこととする。つまり、誰を殺しても無罪ってこと」

「ふざけるなっ!」

「ふざけているのは、蒼真君の方じゃない? どうして犯人が、減刑も恩赦も期待できない状況で真実を自供すると思うのかな」

「自分の犯した罪すら逃れるのか! お前には欠片でも正義があるのか!」

「人は正義で生きているんじゃない、欲望で生きているんだよ。現実を見なよ、蒼真君」

「戯言を!」

「悠斗君、桃川君、そこまでにして」

「ありがとう委員長、そろそろ止めてくれると信じてた」

 キッとしたキツめの視線が委員長から送られてくれる。僕はヘラヘラして誤魔化しながら、ここから先は委員長に任せることにした。

「どちらの意見にも一理あるわ。悠斗君は共同生活を始める前に、これまでの罪は清算すべきだという主張よ。対して、桃川君はこの場でただ罪を認めるだけでは、何のメリットも保障にもならないから、認めるつもりはない」

 要約すれば、それだけの単純な利害対立でしかないからね。正義の在り方、などどうでもいい。委員長はちゃんと本質を分かってくれているようだ。

「どの道、ここにいる全員で協力することは決まったことよ。その上で、人を殺した罪があるからといって、今更、排除することはできないし、するべきではないと私は思う」

「けど、委員長――」

「悠斗君、それをすれば、ここに残るのは恐らく貴方と桜の二人だけよ」

「どういう意味だ」

「一度、双葉さんを見捨てた私も立派な殺人未遂よ。もう一度、このダンジョンの現実を思い出しなさい。ここでは、誰も綺麗なままではいられないの」

 絶対的な力と、運命的なめぐり合わせのある『勇者』と『聖女』の蒼真兄妹はそりゃあ誰も殺さずに済んでるよね。それと、天道君の庇護下にあった蘭堂さんとジュリマリコンビも殺しの経験はない、というか、機会もなかったはずである。

「この場で断罪することは、ここにいる全員を罰することになるのよ」

「だからといって、全ての罪をなかったことにしていいのか」

「罪はこの場で認めるわ。けれど、罰は今ここで与えるわけにはいかないの」

 罪が発覚すれば、速やかに罰が執行されなければならない。それはごく自然的な考えであり、きっと人間の本能的な思考でもあるのだろう。

 死刑囚が何十年経っても刑が執行されずに生きていることに不満を覚えるのは、そういう意思があるからかもしれない。

 けれど、現実的な社会制度として考えれば、罪の確定と罰の執行は、必ずしもワンセットである必要性はない。両者の間にそれなり以上の時間を空けることに、大きな意義もあるし、必要性もある。ほら、冤罪ってこともあるわけだし?

 ともかく、この場において委員長の提案は、僕と蒼真君、双方の主張の落としどころとしてはベストだろう。どの道、レイナ殺しの罪は発覚している時点で、僕には徹底して罪を認めない方針にさほどメリットはない。レイナを殺していない、という言い逃れは不可能ならば、認めた上で不問とされた方がやりやすい。

「僕は委員長の意見に賛成するよ。僕もみんなも、この場で先に罪を全て白状しようじゃないか。その上で、それら全てを棚上げすることを認めようよ」

 僕だけつるし上げられるのは御免だからね。全員巻き込んでやる。そうでなくても、僕自身もみんながどんな罪を犯したのか、是非とも知りたいところだ。

 もっとも、僕とメイちゃんよりもクラスメイトのキルスコアを稼いでいる可能性があるのは、天道君くらいだけど。

「悠斗君、どうかしら。罪の告白だけに留めるか、それとも誰もが口をつぐむか。選択肢はそれしかないわ」

「……認めるしかないのか」

「そもそも、ここにいる誰にも人を裁く権利なんてないわ。日本では私刑が認められていないのよ」

 つまるところ、蒼真君は自分が何の罪も犯していない綺麗な身だから、他人の罪を裁く側に立っているからこそ、声高に正義を叫べるんだよね。

 ねぇ、蒼真君、もし君が今まで何かの弾みや事故なんか、その気がなくても襲ってきたクラスメイトを返り討ちにして殺してしまったとしたら、今と同じように「罪を裁くべき」と言えたのかな。あるいは、妹の蒼真桜に殺人の罪を償って死ね、と僕に向かって言うのと同じ台詞を吐ける?

 それを悪いとは言わないけどね。所詮、自分の大切な人を贔屓するのが、人間として当たり前の感情。僕はメイちゃんの殺人は何が何でも庇うけど、桜が人を殺したらここぞとばかりに糾弾してやるよ。

「分かった、いいだろう。だが、全て話してもらうぞ。嘘も誤魔化しも許さない」

「あはは、全然分かってないね。蒼真君は許すしかないんだよ」

「桃川君!」

「まぁ、落ち着いてよ委員長。どの道、僕らが全員共存できるかどうかは、蒼真君にかかっているんだ。究極的に、彼が僕を決して許さないと言うならば、僕はそれに全力で抗わなきゃいけないし、そうなれば、この18人は分裂する。脱出枠の3つをかけて、バトルロイヤルするしかなくなるよ」

「この期に及んで、まだ脅すつもりか」

「いいや、僕は覚悟を問うているんだよ。君が僕を許せば、全員協力できる。許せないなら、殺し合いしか道はない」

 今この場で確定させなければならないことは、僕の殺人罪や他のみんなの罪状ではない。これまで負ってきたそれぞれの罪を、ダンジョンを脱出するまでは決して罪に問わず糾弾しない、という契約なのだ。

 それが成されなければ、ささいないさかいが一つ起これば、各々の罪を引っ張り出して糾弾し合うに決まっている。特に女の子って今は関係ない過去の非をいきなり持ち出して責めたりするの得意でしょ?

 なぁなぁで始めてしまえば、いつか必ず衝突が発生し、そしてすぐに取り返しのつかない事態になるだろう。

「できるはずがない。レイナを殺したお前を許すことなんて、俺には……」

「だから、許さなくてもいいけど、今はそれを我慢してよって話」

「悠斗君、お願いよ、短慮は起こさないで」

「分かっているさ、委員長」

 意外にも、蒼真君は平静に答えていた。ただ、その心中はいかばかりか。怒りの炎を理性で抑えているってところかな。さっき天道君に殴られた甲斐もあるね。

「桃川、俺はきっと一生、お前を許すことはできない。けれど、今だけはここに残ったクラスメイトみんなの命がかかっている。だから、俺はお前に協力しよう。ここをみんなで脱出するまでは、あらゆる罪を不問にする」

「理性的な決断をありがとう、蒼真君。これでようやく、スタート地点に立てた」

 蒼真悠斗、君は実直な人間だから、自らが一度言葉にしたことは滅多なことでは破らないだろう。だから、今はその人間性を担保として、契約させてもらおう。信じているよ、君の正義をね。

「だが桃川、これから犯す罪は、その時に裁きを下す。お前を信用したワケでも、全てを許すワケでもない」

「ああ、そういう共同生活の上での裁判制度は、後で話し合って決めるから」

 あくまで、水に流すのはこれまでの罪である。これから問題を起こした者は、みんなからつるし上げを喰らうのは避けられない。これだけ人数がいて、大なり小なりトラブルが起こるのは避けられないから、真面目に決めておかないと。あー、考えるだけで面倒くさい。

「それじゃあ、話を進めましょう。これから、改めて今まで犯した罪を話してもらうわ。その上で、私達はそれら全てを糾弾しないことを約束する」

「そして、この場で話した罪に関しては、今後一切、話に持ち出すのは禁止――いいや、話さなかった罪も不問にしてもらおうかな」

「どういう意味だ、桃川」

「後になって、実はアイツにはこんな罪があったんだ、だから許せない、なんて言いだされたら結局は同じことでしょ?」

「それは隠し事した方が悪いんだから当然じゃないのか」

「真実は何もかも明らかになった方がいい、なんて考えはいい加減に改めてくれないかなぁ」

「桃川君、それ以上はやめて。要するに、罪を許すといっても、隠しておけるようなことをわざわざ告白する必要はないってことよ」

 許す、と言っても所詮は表面上のこと。この人はこんな罪を犯しました、と知ってしまえば真偽に関わらず、何かしらの悪感情を抱くことは避けられない。悪い噂ほどすぐに広まるってものだ。

「だから、黙秘権も保障してもらう。同時に、告発する権利も認めるよ」

「ええ、それがいいわね。この場で告発しなかった者は、今後はその件に関して口にすることは許さないわ」

 黙っていることを選んだなら、最後まで口を閉ざしておけということ。後だしでケチをつけられる余地を残しては意味がない。

 だから、罪を犯した者も、その罪を知っている者も、今この場で選択しなければいけないのだ。この僕が許されたのだ。どの道、罪を罰することは不可能。あとは、それを明らかにするか、しないかだけの違いのみ。

「はぁ……そんなことまで言い出すとは、お前はどれだけ罪を重ねて来たんだ」

「まぁまぁ、それはちょっと長い話になりそうだから、ゆっくり聞いてよ――」

第188話 学級会(4)

 さぁ、始まりました、ドキドキ殺人裁判。エントリーナンバー1は、今最も注目されているレイナ・アーデルハイド・綾瀬ちゃん殺人事件。蒼真君の熱い要望にお応えして、じゃんじゃん語っていこうじゃあないか。

 とはいえ、僕がやって来る寸前に、下川達と揉めていたお蔭で、レイナが幻術にかかっていた件と、ヤマジュンが犠牲になったことは、すでに伝わっているらしい。僕が話せることは、順を追って詳細説明くらいだ。

「――というワケで、僕が綾瀬さんを殺してしまったのは正当防衛で、悲しい事故だったんだよ」

「……」

 さて、僕の真実7割自己保身3割の弁明を語り切ったワケなんだけど、蒼真君の反応や如何に。ねぇ、なに無言になってんの。僕がどれだけ苦労してあのニートを養っていたか、ちゃんと分かってくれてるのかな。

「やっぱり、俺がついていれば、レイナは……」

「全くその通りだよ。蒼真君ともっと早く合流できていたら、ヤマジュンだって死なずに済んだのに」

 蒼真君は一生、僕のことを許さないと言ったけれど、それじゃあヤマジュンを殺したレイナの罪は、君が背負ってくれるのかな。

「よくもっ、そんなことが他人事のように言えますね」

 蒼真君が大人しくなってしまったからか、今度は妹が口を挟んで来たよ。まぁいいさ、相手になるよ、桜ちゃん。

「いやだなぁ、蒼真さん。僕はちゃんと当事者の自覚はあるよ? だから、胸を張って言えるのさ。僕は綾瀬さんを救うために精一杯の努力はしたんだ。これは義務じゃなくて、純然たる善意によるものだから。ダメだったとしても責められる謂れはないし、むしろ僕らの苦労を労うべきだと思っているよ」

 ちゃんと雲野郎の罠にドハマりしたレイナに対して、正気に戻るよう呼びかけたし。それで目覚めなかったのは、レイナ自身の責任だ。

 霊獣ソーマユートなんて頭のおかしい現実逃避を実現させてしまった、レイナのチート能力と現実を見ない心の弱さが招いた結果に過ぎない。

「嘘ですそんなの! 自分が言い逃れするための、都合のいい言い訳を並べているだけじゃありませんか。私には分かります、貴方はレイナを最初から殺す気だったのでしょう」

「おっと、殺意の有無を問うっていうの? いよいよ裁判染みてきたね。でも残念、これは裁判じゃなくて、ただの事実確認だから」

「自分の犯した罪を認めるどころか、正当化するなどと……恥を知りなさい!」

「恥ずかしいのは蒼真さんの方だよ。君がケチをつける度に、僕を許そうとしている蒼真君の涙ぐましい努力を踏みにじっているって、まだ分からないのかな」

 すでに契約は結ばれているんだ。僕が何を言おうと、その罪を問わない。罰を与えない。ただ話した通り、ありのまま認めるより他はないと覚悟を決めた上で、この罪状告白大会が開催されたんだから。

「ゆ、許せない……こんなこと……」

「大丈夫だよ蒼真さん。どうしても僕を許せない、こんな殺人鬼と一緒にいられるか、って言うなら、ここから一人で出ていく自由はちゃんとあるから」

「やめろ、桃川。お前の言い分は分かったし、俺はそれを呑もう。だから、それ以上はもう喋るな」

 明らかに殺意を必死に抑えています風な気配を漂わせる蒼真君である。おお、怖い怖い。

「余計なケチをつけられなければ、僕だって何も言わないよ」

「悠斗君、桜、気持ちは分かるけれど、ここが落としどころなの。黙って認めるしかないわ」

「くっ……仕方ありません、兄さんと涼子に免じて、私も今だけは認めましょう」

 ようやく桜も引っ込んだか。流石にここまでお膳立てしていれば、これ以上は何も言えはしない。

「それじゃあ、次に殺した話をしようか」

 あっさりとそう切り出した僕に、桜が凄まじい視線を向けてくる。きっと、敬虔なクリスチャンが本物の悪魔を目撃したなら、こんな目になるだろう。

「やはり、まだ殺していたのか」

「友好的なクラスメイトばかりじゃないからね。最初から3人の脱出枠にかけて動いている人もそれなりにいるってことだよ」

 だから、これも勿論、正当防衛だ。僕に後ろ暗いところは、何もない。

「……他に、誰を殺したの」

 表向きは平静を装ってはいるけれど、恐れを隠しきれない様子の委員長が問う。

「桜井君と杉野君」

「待って、小太郎くん。それは私の罪だから」

 あちゃー、メイちゃん素直に名乗り出ちゃったよ。ここは別に、僕に殺人イメージを被せてくれてよかったのに。折角、二人いるんだから、綺麗なイメージ担当とダークなイメージ担当に分かれた方が、人間関係では便利なんだけど。

「どういうことなんだ、双葉さん」

「どうもこうもないよ。桜井君も杉野君も、私達を襲ってきたから殺した。それだけのことだよ」

 杉野の方は僕らから襲ったよね? まぁ、ほぼ敵対関係だったし、細かいことはどうでもいいか。

「他に方法はなかったのか。話し合って、殺し合いだけは避けられるように――」

「小太郎くんのこと殺そうとしたくせに、よくそんなことが言えるね」

 ああー、僕もあえては言わなかったことを、メイちゃん言っちゃったよ。

 そうだよ、そうなんだよね。蒼真君は実質、僕を殺したも同然なんだよね。レイナ殺しの現行犯で、殺意全開で切りかかって来たから。メイちゃんが止めなかったら、どうあがいても真っ二つだったよ。

 つまり、蒼真君も立派な殺人未遂犯である。

「俺は……いや、すまない、その通りだ」

 あれれ、蒼真君、僕とメイちゃんとで態度が違わない? なにその素直な感じ。僕がこんだけ理論武装と状況を有利に整えた上で、ようやく正当防衛を認めさせたって言うのに。

「とりあえず、詳しい状況を説明するよ」

 方や恋人の死を受け入れられずに無意味な戦いを続けた『射手』。もう一方は、恋人のピンチを自ら犠牲として救ってみせた『重戦士』。

 桜井君も杉野君も、どちらも手ごわい、そして、それ以上に強い覚悟を持った相手だった。

 彼らに関して言えば、僕としても「敵に敬意を払う」という気持ちが少なからず実感できる。できることなら、彼らもこの場にいて協力したかったよ。

「そう、そんなことが……何というか、やりきれないわね」

 素直にショックを受けたような暗い表情で、話を聞き終えた委員長はつぶやいた。他の面子も、おおよそ似たような反応だ。

 こればっかりは、誰も文句はつけようのない、避けられない戦いだったから……いや、桜とかは絶対そうは思ってなさそうだけど。

「それじゃあ、桜井君、雛菊さん、杉野君の三人は死亡が確認されたということね」

「うん、これが証拠」

「ひっ!?」

 僕が並べた三つの髑髏を前に、委員長が小さく悲鳴を上げた。まぁ、普通はビビるかドン引きするよね。

 だから、真っ当に僕へ問うてみせたのは、やはりというべきか蒼真君だった。

「おい桃川、それはまさか――」

「そのまさかだよ。右から、桜井君、雛菊さん、杉野君だよ」

 ちなみに、僕には何となく髑髏だけでも誰のものなのかが分かる。呪術師の勘がこんなところで働かなくても、とは思うけど、便利なことは便利。

「お前は、死者を愚弄するつもりか!」

「あー、またそうやって人をすぐサイコパス扱いするんだから。いい加減に、僕を悪者にしようとするのはやめてよね」

 この話の流れで、犠牲者三人の髑髏を当然のように取り扱っている奴がいたら、僕だって「うわコイツ、やべぇ」としか思えないけどね。自分のことだから、棚に上げちゃうだけ。

「も、もしかして、それも何かの呪術に使っているのかしら」

「流石は委員長、ご明察。僕だって死者に鞭打つような真似はしたくないけれど、これもダンジョンで生き残るためには必要なことだから」

 ルインヒルデ様がもうちょっと人道的な配慮の上で能力を授けてくれれば、こんな外道はせずに済んだんだよね。

「だからといって、首を落として頭蓋骨だけを取り出すなんて、人として許される行いじゃないだろう」

「二人を殺したのも、首を落としたのも私だよ。文句があるなら私に言って」

「必要だからといえば、何でも許されると思っているのですか。クラスメイトの亡骸を物のように扱うなど、悪鬼羅刹の所業です」

「許してもらおうなんてハナから思ってないよ。私も小太郎くんも、どんな手を使ってでも生き残る覚悟がある。だから、手段も選ばない。蒼真君に守ってもらっているだけの貴女が、偉そうなこと言わないで」

「なっ、私は――」

「よせ、桜。これ以上は、余計ないさかいになってしまう」

 委員長よりも前に、蒼真君が止めに入るとはね。まさかメイちゃんの言い分に全て納得したとは思えないけど。

「桃川、その髑髏の呪術とやらも認めよう。だが、このダンジョンを去る時には、必ず丁重に埋葬すると約束してくれ」

「ここから出た後も安全とは限らないから、約束はできないね。でも、髑髏が必要なくなる力を得るか、安全が保障される場所まで辿り着いたなら、その時はきちんと弔うよ」

 よし、これで二人殺害をカミングアウトした目的は達成できた。

 どうして、僕とメイちゃんしか知らない殺人をわざわざ白状したのかといえば、この髑髏があるからだ。

 今では『愚者の杖』による他の天職能力を利用することは当たり前となっているし、僕らの戦力と生活とに大きな貢献を果たしてくれている。今更、これの使用を封じることはできない。

 けれど、この髑髏を僕が持っているのを見られただけで、殺したことは露見する。

『賢者』小鳥遊小鳥がいるからだ。

 奴の目をもってすれば、恐らくはこの頭蓋骨が誰のものであるか明らかとなる。そうなれば、僕は殺人を隠蔽したという余計な嫌疑をかけられる。

 どの道バレるというのなら、この機会に白状した方が潔いだろう。黙秘権の行使も認めさせはしたけれど、今後より良い印象を与えるならば正直に話した方が多少はマシ。

 それに、後になってバレたら蒼真君も桜も、さっきの比じゃない騒ぎぶりをしてくれただろうからね。面倒事は御免だよ。

 さて、そんなリスクの観点から、僕は明らかにすべき事は話したつもりだが――

「なぁ、桃川、ちょっといいか」

「なにかな、下川君」

 やけに神妙な顔で声をあげた彼を見て、僕はすぐにピンときた。

「桃川は、まだ他にも殺した奴が、いるんじゃねーべか」

「それを聞いて、どうするつもりなのかな」

 僕にはメイちゃんや天道君と違って、威圧感なんて出るはずもないけれど、下川はかすかな恐れの表情と共に、視線を外した。

 けれど、彼とて覚悟の上で声をあげたのだ。再び戻ってきた下川の表情に、恐れも迷いも浮かんではいない。

「俺は蒼真とは違うからよ、別に桃川のこと責めたいワケじゃねーよ。でもよ、もしそれが本当だったとしたら、俺はちゃんと聞いておきたいんだよ」

 ああ、素晴らしき友情。あんな奴でも、友達には恵まれていたとはね。

「そっか、下川君がそこまで言うなら話さないわけにはいかないかな。上田君と中井君は、それでもいいの?」

「おう、下川から話は聞いてるからな」

「覚悟はできてんだよ」

 それならいい。上中下トリオが三人ともその気があるなら、もう隠す意味もない。

「そうだよ、樋口は僕が殺した」

「やっぱり……樋口はもう……」

「ちなみに、何で気づいたの?」

「あんな堂々とバタフライナイフ使ってて、バレないワケねーべや」

 参ったなぁ、ただの小物じゃなくて、樋口のトレードマークでもあったのか。あのバタフライナイフ、何故か普通に強いから、つい僕としても最終手段として使っちゃうんだよね。これのお陰で、レイナを殺すこともできたわけだし。

「僕を恨むかな」

「いや、そうでもねぇな……アイツのことだから、本気で殺しにかかってきたんだろ」

 よく分かっているじゃないか。もっとも、樋口の恐ろしいところは、ただクラスメイトを敵とみなして襲ってくるだけの単純な行動じゃないところなんだけど。

「それじゃあ、詳しく説明してあげるから、聞いてよ」




「――蘭堂さんって、樋口君と仲良かったよね」

 小太郎が樋口を殺すに至るまでの説明を語り始めた時、芽衣子は隣に座る杏子へと声をかけた。何気ないお喋りのような聞き方だが、それがかえって恐ろしさを感じさせる。

 杏子はすでに理解していた。双葉芽衣子、彼女が最早、クラスメイトが死んだ程度では何のショックも受けないのだと。それを強靭な精神力と呼ぶべきか、それとも、ネジが外れて狂ったというべきなのか。

「まぁ、そこそこね。アイツが絡んでくるから」

 やや硬い声音の返事は、芽衣子への警戒心の表れであろう。

 一方の芽衣子は、杏子の気持ちに気づいているのかいないのか、どこまでも気安く喋る。

「私、二人は付き合っているんだと思っていたよ」

「えー、樋口は無理ぃー」

 周囲からそういう風に見られがち、という認識はしていたが。派手な姿の杏子と絵に描いたような不良の樋口は、並べばお似合いと言わざるを得ないだろう。

 実際、恋愛感情を抜きにした友達同士とすれば、そう悪くない相性ではあった。

「小太郎くんのこと、恨んでる?」

「自業自得ってやつでしょ、アイツらしい。つーか、桃川が樋口に勝ったって方が信じらんない……けど、ウチもアイツも、桃川があんなに強いなんて知らなかっただけなんだよね」

 それは単純に、天職としての性能だけではない。直接的な殺傷力に乏しい『呪術師』の力で、数々の危機を乗り越え、敵対したクラスメイトすら殺してきた、小太郎の知恵と勇気こそが最大の強みである。

 そしてそのことを、すでに杏子はよく分かっている。

「なにちょっと驚いてんの? 桃川の強いとこ知ってんの、自分だけだと思った?」

「ううん、別に。蘭堂さんも、私と同じように小太郎くんに助けてもらったことがあるなら、分かってて当然だよね」

 微笑む芽衣子の顔は、むしろ感情を隠すポーカーフェイス。

「アンタさ、ホントに変わったよね。や、見た目だけじゃなくて、中身も完璧別人じゃん」

「こんな場所でも、あんまり変わっていないみんなの方がおかしい……違うかな、それだけ前の私がどうしようもなく弱かったっていうだけのことだから」

 自嘲の笑みは、以前の臆病だが心優しかった人格との、完全な決別を現しているようだった。芽衣子はすでに、以前の自分は全く別人も同然といった感覚だ。

『狂戦士』に目覚めた時から、きっと自分は生まれ変わったのだと。

「蘭堂さんは、怖くない? 私も小太郎くんも、もう二人も殺しちゃってるから」

「やめなよ、そうやって聞いたら脅してるみたいじゃん」

「あ、ごめんね、そんなつもりじゃないの」

「ウチだって、桃川ほどじゃないけど、ここで色々経験してんだから。蒼真みたいにケチつける気なんかないよ。いいよね、最初から強い奴は。こんなトコでも楽勝って感じ?」

 だから、いつまでも綺麗事を言い続けることができるのだろう。人は所詮、究極的には自分が経験したことしか真に理解し、実感することはない。

 杏子としては、桃川の発言にいちいちつっかかる蒼真兄妹の姿には、冷めた視線を送ることしかできない。

「ありがとう、そう言ってもらえると助かるよ」

「ウチは別に蒼真ハーレムに入ってないから。桃川の方が信用してるってだけ」

 協力してくれる者は、一人でも多い方がいい。純粋な戦闘能力に劣る小太郎にとって、クラスメイトの味方の数というのは、自らの立場に直結する。そのことを、芽衣子は理解している。

 だから、小太郎とキスしたと豪語する杏子であっても、個人的な感情で険悪となるワケにはいかない。

「うん、小太郎くんのことを信じてくれれば、きっと上手くいくから」

第189話 学級会(5)

 さて、僕と勝の親友コンビによって樋口が倒された話も終わり、本当に僕が殺してきたクラスメイトは最後となった。

「それで、他に誰か殺したことある人は?」

 僕の気軽な問いかけに、みんなは重苦しい沈黙をもって応えてくれる。あれー、もしかして、ガチで人殺したことあるのって、実は僕とメイちゃんだけ?

 そんなわけはないんだけどなぁ……

「ふーん、ホントにみんな誰も殺さずにやって来たんだ? 自白するなら今の内だよ」

「桃川君、どうして私を見るの」

「いやだって委員長、殺人罪の次の話は、殺人未遂になるよ。自白するのと、告発されて話すのとでは、印象が違うと思わない?」

「はぁ……さっき話したからいいかと思ったのだけれど、それもそうね、これもケジメだと思って話すわよ――美波!」

「ひゃい!?」

 唐突に委員長に呼ばれて、悪くない『盗賊』こと夏川さんが素っ頓狂な声をあげていた。

 夏川さんさぁ、この話の流れで何で自分は蚊帳の外にいると信じているかのようなとぼけた顔をしていられるのかな。

「改めて言うけれど、私と美波は以前、負傷した双葉さんを見捨てたわ」

「うぅ……ご、ごめんないさいぃ……」

「もう、そのことは別にいいのに」

 メイちゃんは本心から気にしていなさそうだが、罪を許すか許さないかとは別に、犯行の動機解明と事件の全貌を明らかにするのは大切なことである。そして、こういう事があったんだ、とこの場にいる全員に周知しておくことに意味があるのだ。

「どう思いますか、コメンテーターの蒼真君?」

「……何故、俺に話を振る」

「そりゃ勿論、自分の仲間の罪に対してはどう思っているのかなって、気になるでしょ」

 君に散々、罪科を糾弾された身としては。

「俺には何も言えない。何を言っても、綺麗事にしかならないだろう」

「えー、そんならしくない。もっとこう、非常に身勝手な犯行で情状酌量の余地はない、メイちゃんを見捨てた委員長と夏川さんは死んで詫びろ、俺は絶対に許さない、とか言ってよ」

「誰が言うか」

「僕には言ったくせにー」

「黙れ。どの道、ここでの罪は問えないのだから、何も言う意味はないだろう」

 おっと、僕が無罪判決を勝ち取った理論を、今度は蒼真君が言うとは。やっぱり、キレてなければ普通に頭が回るよね、蒼真君。

「まぁ、流石の委員長もこれくらい追い詰められれば、人を見捨てることもあるってことだよね」

「自分の無力さを恥じるわ」

「あの状況じゃあマジで見捨てる以外に選択肢はないよね。僕も最初の頃のメイちゃんには苦労させられたよ」

「だ、だからあの頃の話はしないでーっ!」

 懐かしいなぁ、二人で一緒に痩せた赤犬を槍で刺して、経験値獲得しようと頑張ったりしたよね。

 感傷に浸りつつも、委員長がメイちゃん見殺し未遂事件について理路整然と語り終えてくれたので、次の話題に映って行きたいと思う。

「さーて、他に殺人未遂やらかした奴はいるかーい?」

 返って来るのは、やはり重い沈黙のみ。

 いやいや、絶対いるでしょ、殺人未遂やらかした奴。それも、僕に対しては絶対に隠しておけないほど、犯行が明らかになっている奴がさぁ。

「黙秘権を行使するなら、黙ってさえいればバレないような罪じゃなければ意味ないよね。すでに発覚してるのにだんまりを決め込むのって、一体どういう心境なんだろう――ねぇ、剣崎さん?」

「っ!」

 ビクリと肩を震わせる剣崎明日那。

 顔面蒼白でひたすら俯いている姿は、なるほど、罪の意識はあるようだね。

「明日那、悪いことは言わないわ。このまま桃川君にいやらしく告発されるよりも、素直に自白した方が貴女のためにもなるわよ」

 えっ、ちょっといやらしいって何さ。確かに、やらしい自覚はあるけれど、でも、僕のいやらしい感情はメイちゃんと蘭堂さんの二人にしか向けられてないからね!

「くっ……わ、私は……」

 剣崎は委員長の言葉を聞いて、思いつめた表情ながらも口を開いた。

「剣崎明日那は転移の直前に僕を突き飛ばして置き去りにしたんだ。明確な殺意があり、非常に身勝手な犯行で情状酌量の余地はない、死んで詫びろ、僕は絶対に許さない」

「桃川君、お願いだから自白くらいさせてあげて!」

「いやだって、なかなか白状しないから」

 蒼真君はじめ、ハーレムメンバーの皆さんは剣崎が語り出すまで待ってあげられる優しさがあるだろうけど、僕にはそんな情けをかけてやる義理はないし? 自分の犯した罪くらい、さっさと喋れ、キリキリ吐け。

 と、決して嫌がらせのためだけに、この話題を振ったワケではない。

 ちょうどいい機会だから、ここにいる全員にしっかり周知しておきたいんだよね。あの剣崎明日那がガチでシャレにならない殺人未遂やらかしました、ってね。蒼真ハーレムヒロインズには気を付けよう。

「本当のところ、どうして僕を突き飛ばしたのか、聞きたいと思っていたんだよね」

 全員に当時の状況を説明してから、僕は核心的な問いをした。

 剣崎明日那が僕のことを嫌っているのも、不信感を抱いているのも知ってはいたが、だからといって自ら手を汚すような真似をわざわざするだろうか。

 これでオナニー事件のように言い争っている最中というなら、怒りのあまりに手が出たという事態になってもおかしくない。しかし、ピンチのところを『勇者』蒼真君の登場で助けられ、無事にみんなで転移できるよねという、あのタイミングで僕を排除する犯行に及んだのは、今にして思えばかなりの不自然さだ。

「ちょうどいい機会だから、教えてよ、剣崎さん。どうして僕を殺そうとしたのか」

「そ、それは……分からない」

「はぁ?」

 思わずキレそうになる剣崎の解答だったけれど、被害者である僕以上に怒りを迸らせているメイちゃんの姿を見て、逆に冷静になってしまった。

 うん、怒るのは分かるけど、今この場で殴りかかるのはやめようね、メイちゃん。

 身振りで彼女を止めつつ、僕はさらなる追及をはかる。

「分からないってなに? もうちょっと上手い言い訳は思いつかなかったのかな」

「違う! 私は、あの時のことを、本当に覚えていないんだ……どうして、自分があんなことをしたのか、自分でも、よく分からない……」

 頭を抱えて苦悩する迫真演技――というワケでもなさそうだ。

「桃川君、明日那はあの時、かなり錯乱していたわ。私達も転移した直後に問い詰めたけれど、はっきりとしたことは何も聞けなかったのよ」

「ふーん、あまりにも突発的な犯行だったから、自分自身でもよく分かってないと」

 いいだろう、そこは認めてもいい。僕を突き飛ばす瞬間、剣崎の頭の中が真っ白だったとしても、それほどおかしな精神状態ではない。

 重要なのは、その前段階。ここで僕を突き飛ばそうと、判断してしまったその理由にある。

「まぁ、僕があの時、随分と剣崎さんに恨まれて、怪しまれていたのは知っていたけど、蒼真君が助けに入ってくれたあんなタイミングでやらかしたのが、違和感あるんだよね」

 どう考えても、その後に殺人罪の追及は免れえない。まさか、全員から手放しで僕を排除したことを賞賛される、とは思っていないだろう。

「どうかしら。あの頃の明日那はかなり桃川君を敵視していたから、無防備に背中を向けてしまったから、手を出してしまったのかもしれないわ」

 なるほど、隙を晒した僕が悪いと。

 そこは重々、反省しているところだ。伊達にメイちゃんにハグされて転移されてないよ。ただ豊満な肉感を楽しんでいるだけじゃないよ、ホントだよ。

「チャンスだと思ったからヤった、っていうのはおかしくないか……」

「明日那は双葉さんが桃川君の呪いで操られているとか、自分達も洗脳しようとしているとか、そういう懸念を抱いていたのよ」

「えー、なにそのデンパな被害妄想は」

「私もそこまではないと思うけれど、ありえないとも言い切れないでしょう」

 なるほど、どうやら僕が思っていた以上に、警戒心が強まっていたようだ。早くコイツを何とかしなければ洗脳される、そしてエロ同人のように乱暴されるとか思ってたワケか。

 僕からすれば予想の斜め上を行く変態的発想ではあるが、うっかり信じちゃっていれば、後先考えずに、チャンスとみて僕の排除を衝動的に――といったところか。

「うーん……まぁ、今はそういうことにしておいてあげるよ」

 もう少し突っ込んだ説明を委員長に求めたり、剣崎に聞いたりもしたけれど、これ以上、信憑性のある動機解明には結びつかなかった。

 確かに、それほど不自然ではない。だが、心から納得もできない感じ。気にはなるが、これ以上この場で追及しても仕方のないことだろう。

「ちなみにさ、あの転移の後って、荒れなかった?」

「あまり思い出したくないわね」

「委員長がとりなしてくれなかったら、私、殺してたよ」

「委員長マジでありがとう」

「そう思うなら、桃川君はちゃんと双葉さんの手綱を握っていてちょうだい」

 任せてよ、僕とメイちゃんの信頼関係は完璧だから。僕がGOサイン出せば、今すぐにだって剣崎を八つ裂きにしてくれるに違いない。

 逆に言えば、僕が指示しなければ、メイちゃんだって今は機ではないと抑えてくれるはずだ。

「それで、言い訳の他に、僕に言うことはないのかな剣崎さん?」

「わ、私は……お前のことは、今でも怪しいと思っているし、信用もしていない!」

「メイちゃん、剣崎さんが決闘で勝たなきゃ謝る気はないって」

「任せて、すぐに全裸で土下座させてあげる」

「明日那! 何でもいいから今すぐ謝りなさい!」

「ヒッ……ご、ごめんなさい……」

 ふむ、どうやら剣崎はいまだにメイちゃんに対するトラウマを克服できてはいない模様。いいよね、暴力による恐怖の支配っていうのは簡単お手軽で。

「桃川、いい加減にしろ。この場で告白した罪は問わないというなら、明日那が謝罪する必要もない」

「蒼真君はさ、無罪になるからと自分の罪をしらばっくれる女と、それでも誠心誠意、罪を認めて謝罪する女の、どっちがタイプかな?」

「ふざけるな! お前だって一言たりとも謝ってなんかいないだろう」

「当然だよ、僕は襲ってくる敵を倒しただけ、正当防衛だから」

 でも、剣崎明日那はどうだろうね。いくら僕の存在が怪しかろうが、あの時点では仲間だった。明確な悪事の証拠もないというのに、個人的な感情で仲間を手にかけるのは、誰がどう見ても罪だよ。

「桃川、お前は――」

「やめてくれ、悠斗……いいんだ、これは私がしでかしたことだから……」

「明日那……」

 ほう、剣崎なかなか健気なところがあるじゃないの。まさか自分から蒼真君の止めに入るとは。乙女心的には、自分の為に怒ってくれただけで大満足みたいな? その辺の気持ちも、是非とも根掘り葉掘り聞き出したいところだけど、今そういう雰囲気じゃないね、残念ながら。

「桃川、私が悪かった……本当にすまない、許してくれ」

 有言実行、好きな男の手前、剣崎はとうとう頭を下げて僕へと謝罪した。

「うん、お前のことは絶対許さない。このダンジョンから出たらちゃんと落とし前つけさせてやるから、覚悟しとけよ剣崎」

「桃川ぁーっ!」

「蒼真君、勘違いしないでよね。無罪になるんじゃなくて、処分が保留になるってだけだから」

「ここが落としどころよ、悠斗君。桃川君も、これで矛は収めてくれるわね」

 委員長の仲裁も手慣れたものだ。この学級会が始まって何回目だよ。経験値ガンガン上がってる感じだね。

 ともかく、剣崎明日那の殺人未遂の一件は司法取引の材料とさせてもらおう。本当にみんなでここから脱出できた時、僕を裁こうとするならば、剣崎も道連れだ。

「ついでに、蒼真君が僕のこと怒り狂って斬り殺そうとした件も、貸しにしとくから」

「おい、あんな状況で――」

「悠斗君、後先考えずに手を出してしまったのは事実だから」

「貸しにしとくから」

「……分かった、今はそれでいい」

 サラっと流されそうだったけど、蒼真君がレイナ殺しの現行犯で僕を殺そうとしたのも普通に殺人未遂だからね。司法取引の材料は、多ければ多いほどいい。

 とりあえず、僕が知るところの殺人未遂はこの辺だ。となると、次の罪状は……

「それじゃあ、他に告発されそうな奴は――」

 チラリと視線を向ければ、次に目を逸らしたのは下川だった。その隣の上田は俯き、さらにその隣の中井は寝たふり。

 なるほど、告発される覚悟はあるようだね。

「下川君」

「はい! マジですみませんでした! ほんの出来心だったんです!」

「上田君」

「あの時はどうかしていました! 本当はあんなコトなんてするつもりはなかったんです!」

「中井君」

「でも小鳥遊さんを選んだのは下川だからぁ!」

「蒼真君、判決は?」

「あの時、俺はお前達を見逃したが……どうやら、間違いだったようだ」

「三人とも死刑だって」

「おいおいおい、ちょっと待て桃川! ここで謝れば無罪なんだべ!?」

「話がちげーぞ!」

「俺らなんにもやってねぇだろぉ!?」

 あーもう、ギャーギャーうるさいなぁ。しょうがないじゃない、殺人に比べて、強姦ってのはイメージ面ではさらに悪い罪状だから。

「ごめん、下川君……僕では君達の弁護はこれ以上できそうもないよ」

「諦めんの早ぇーべや桃川! 俺、お前のことちょっと信じてたんだぞぉ!」

 おっと、蒼真君の殺意のオーラにあてられて、割とマジ泣き寸前になっているぞ。

 一方、この件については一番の当事者である小鳥遊さんは、特に何か発言することはなく、如何にも当時の状況を思い出して恐ろしい、とでもいう涙目で震えながら、ここぞとばかりに蒼真君に抱き着いていた。

 果たして、その行動が電気椅子のスイッチを押すに等しいってことを、彼女は理解しているのだろうか。

 抱き着く小鳥遊さんを優しげに蒼真君が撫でる反面、彼の怒りのボルテージはぐんぐん上がっているのを感じるぞ。

 これはあんまりふざけてないで、そろそろ真面目に弁護に入ってやらないとまずいかもしれない。

「とりあえず、三人とも深く反省しているようだから、許してあげてよ小鳥遊さん」

「ううっ、ふぇえ……」

「沈黙は肯定と受け取るね」

「ダメーっ!」

 なんだよ、喋れるじゃないか。ただの泣き真似だったのかな。

「じゃあ、何か言うことある?」

「わ、私……許せないよ、あんな酷いこと……すっごく、怖かったよぅ……」

 うーん、なるほど、この弱々しくも健気に告白する小鳥遊小鳥の姿は、これ以上なく暴漢に襲われた乙女の反応として模範的なほど。これを見れば、誰もが彼女を助けたくなるし、慰めてあげたくなる。同時に、こんな可愛くて良い子を襲った奴は苦しみぬいて死ねと思うことだろう。

 だが、僕には通じない。そういうの、レイナみたいでかえってムカつくんだよね。

「ふーん、でも『水流鞭アクアバインド』にグルグル巻かれただけでしょ? 怪我したワケでもないし、そんなに騒ぐほどのことじゃないよね」

「な、なんてことを! 最低です!」

「桃川君、流石にその言い分は私もどうかと思うわ」

 蒼真君よりも先に、妹が僕を罵倒し、委員長もやや引いた感じで僕を見ている。

「じゃあ聞くけどさ、小鳥遊さんは何で捕まったと思ってんの?」

「そんなの決まっているでしょう!」

「具体的に言ってくれないと、小鳥遊さんはナニされると思ったの?」

「そっ、そ、それは……」

 レイプ! って言えよ。

 桜ちゃん、ここで言いよどむとは。堂々と「レイプ!」と叫ぶのは、流石に戸惑われたか。一応、人並みの羞恥心はあったんだね。

「……男がか弱い少女を捕らえたなら、それは手籠めにすると古今より決まってます」

 手籠め、ときたか。また古風な言い方を。

 しかし、蒼真君が助け舟を出すよりも前に、覚悟と機転を決めて、堂々と言い放ったのは、正直ちょっと桜ちゃんのこと見直しちゃった。

 やはり蒼真桜、ただの美少女ではないか。

「いいや、違うね蒼真桜。僕はそうだと思わない」

「なにを……この期に及んで、また屁理屈をこねようというつもりですか、桃川」

 キっと睨みつけても美しい切れ長の目を、僕は生意気さしか定評のないジト目で見つめ返した。

「あの時、三人は小鳥遊さんを人質にしようとしたんだよ。君らから、コアや装備を奪うつもりでね」

 名付けて、強姦より強盗の方がマシだよね作戦だ!

 上中下トリオ、君達は僕にとっては貴重な味方だよ。だから、桜の言う通り、屁理屈をこねてでも、君らを弁護しよう――もし失敗したら、ゴメンね。

第190話 学級会(6)

「やれやれ、ちょっと捕まったくらいで貞操の危機とか、自意識過剰なんじゃない?」

「そんなワケがないでしょう!」

 いや君ら絶対、自分のこと美少女だと思ってるよね。実際、その通りだから女子クラスカーストの頂点に君臨できているんだけど。

 ともかく、桜の否定の叫びは自意識過剰の部分ではなく、彼らに全く強姦する気はなかった、という部分である。

「でも、小鳥遊さんには指一本触れてないでしょ?」

「それはただの結果論です。あのまま小鳥が彼らに捕まったなら、どんなおぞましい目に遭わされるか、容易に想像がつきます」

「いやそれ想像じゃん」

「くだらない揚げ足ばかり! 彼らの邪な気持ちなど、明らかでしょう!」

 うん、困ったことに、全くもってその通りだから、僕もこんな無茶な屁理屈で戦わなきゃいけないことになってるんだよねぇ……でも、もうちょっと頑張ってみよう。

「とりあえず、三人の釈明くらいは聞いてあげてよ。本当に、小鳥遊さんを性的に襲うつもりだったの?」

「ち、違う! 俺らは、そう、桃川の言う通りコアが欲しかったんだべ!」

「そうだ、蒼真達なら沢山持ってるだろうと思ってよ!」

「俺らは三人で脱出するつもりだったんだよぉ!」

 流石は上中下トリオ、僕の完全に即興なアドリブに、見事に乗っかってくれた。まさかこの話の流れで「いや、ムラムラしてやりました」とは言い出さないだろうけど。

「三人とも、当時は生き残るのに必死だったんだよ。クラスメイトを襲ったこと自体は非があるけれど、強姦容疑をかけるのは一方的に過ぎると僕は思う」

「そんな口から出まかせの嘘が、まかり通ると思っているのですか」

「実際、小鳥遊さんには何もしてないんだから、強姦の意思を証明するのは無理でしょ?」

「自らの罪さえ認めようとしないなど、どこまで性根が腐っているのですか……」

「そっちこそ一方的に余計な濡れ衣を着せようとするなんて、人を信じようとしない醜い心根だと思わないの?」

 間違いなく、今この瞬間、僕と桜の視線の間でバッチバチに火花が散っているに違いない。

「……言い分は分かったわ。この件に関しては保留にしましょう。どの道、ここで裁きを下せるわけではないのだから」

「涼子! こんなあからさまな言い逃れを認めるのですか」

「どうあがいても議論は平行線よ。これ以上、話し合っても時間の無駄どころか、争い事にまでエスカレートしかねない」

 折角、レイナ殺しをはじめ、色々と水に流す、もとい、棚上げして協力体制を築こうとしている最中なのに、上中下トリオの出来心な強姦未遂なんてネタで台無しにされたくはないからね。僕は勿論、ここまでの議論でさらに胃袋にダメージ蓄積させてそうな委員長もそうだろう。

「桜、この件も一時的に棚上げにするしかないのよ。理解してちょうだい」

「分かりました……ですが、こういうことに関しては厳しく取り締まらせてもらいます」

「そうね、恋愛禁止のルールもそうだけれど、このテの揉め事が起きないよう他にも色々と決める必要があるわ」

「その辺のことはまた後でね」

 まだ他にも、今の内に明らかにしておきたい罪状はあるからね。

 ひとまず、この件に関しての処分がうやむやになってくれたお蔭で、トリオの三人はあからさまにホっとしたような気の抜けた表情で早くもダラけていた。君ら、油断すんの早すぎだろ。僕にだって庇える限界はあるんだよ。

 また桜がギャーギャー言い出しても面倒なので、次の告発に移るとしよう。

「さぁ、他に罪を告白したい人はいる? または、コイツ許せないと、告発するのも今しかないよ」

 問うものの、誰も何の反応も見せないのは、そろそろ本当にネタが尽きてきたからだろう。そもそも、今までのダンジョンではクラスメイトのグループがかち合うこと自体が稀だから、何かが起きる機会も乏しい。

 そう考えると、実は僕が一番、クラスメイトとの出会いを経験しているのかもしれない。

 ともかく、もう誰も何もないと言うなら、あとは僕が言わせてもらおう。さっきから、僕しか言ってないけど。

「姫野さんは、何も言わなくていいの?」

「えっ!」

 急に話をふられたせいか、姫野愛莉はかなりキョドった感じで反応した。

 まさか、あてられるとは思わなかったのか。それでいて、突っ込まれると困るようなネタも抱えているからこその反応だろう。

「僕は前に、下川君達三人と山田君と一緒にいたからね。姫野さんが抜けた事情は聞いてるんだよね、ヤマジュンから」

「あっ、そ、そうなんだ……」

 あからさまに目が泳いでいる姫野さん。そりゃそうだよね、これほどの大勢を前に、男に体を売って姫プレイしていました、なんて暴露されたくないよね。

 このダンジョンにおいて、大して強力な天職を得られなかった女子としては、合理的な身の振り方であったとしても、誰もがそれを素直に認められるワケがない。男子からも女子からも、印象としては殺しまくりの僕に次いで最低となるだろう。

「自分を見捨てたんだって、告発してもいいんだよ?」

「私は、その、別に……今はそんなに気にしてない、から」

 姫野さん、それなりに損得勘定はできそうかな。ここでトリオと山田に、好き勝手にヤリまくったくせにこの私を捨てるとはどういう了見だコラぁ! と感情的に糾弾しないということは、ちゃんと今後の自分の立場ってのを考えているからだ。

 ここで下手に騒ぎ立てるよりも、蒼真君や天道君に取り入るなら、何もない真っ新な印象の方がマシだろうからね。それに、他の女子からも余計な事を言われたりもしないし。

「そっか、それなら良かった。姫野さんとはぐれてから、みんなも心配していたし、見つけられなかったことをとても悔やんでいたからね」

 ほら、穏便に過去のいざこざは解決しましたアピールするなら今だぞ。

「そ、そうだべ、俺らも姫野のことはずっと心配してたんだ!」

「あの時は悪かった、姫野を助けられなくて」

「反省してる。もうあんなことにはならねぇようにするよ」

 トリオは空気を読んで、すらすらと心にもない謝罪をしている。でも、少しでも良い印象を見せるなら、そのスタンスは正解。

「山田君も、何か言うことはないの」

「あ、ああ……悪かったよ」

 あまり釈然としない顔をしているが、山田君、細かいことを気にしてもいいことなんてないんだよ。

「ごめんなさい、私もあの時は凄く混乱していて……でも、今はこうして無事でいるし、またみんなと会えたから、良かったと思ってる」

 そうそう、姫野さん。ここは内心は別としても、和解ムードを演出することがお互いにとって最善だよね。姫野さんは以前の関係を暴露されたくないし、トリオと山田もただれた関係のことは明らかになって欲しくないし。

 このまま当事者同士だけで、事情を知らない蒼真君達は「一体、何の話をしてるんだ?」状態のまま、解決したってことになるのが一番だ。

「安心してよ姫野さん。綾瀬さんはいないから、もう理不尽に追い出されるようなことはないよ」

「……そ、そうね、ありがとう、桃川君」

 そのありがとうって、レイナぶっ殺してくれてありがとうって意味で捉えていいのかな?

「おい、それはどういう意味だ、桃川」

 案の定、レイナの名前を出せば、蒼真君が食いついてくれた。そもそも、レイナが以前にどんなパーティ構成だったかも、彼は知らないからね。この辺の事情は初めて聞かせることになる。

「僕が合流する前には、姫野さんと下川君達と綾瀬さんは一緒にいたんだけど、姫野さんのことが邪魔だから追い出したんだよ」

「嘘だ、レイナがそんなことをするはずが――」

「よく言うでしょ、いじめっ子はいじめたつもりはない、ってさ」

 レイナが悪意を持って、姫野さんをパーティから追放した。

 これは、半分正解で、半分嘘ということになるだろう。

 けれど、今回に限っていえば、レイナの悪意100%ということにした方が、他でもない、僕にとって都合がいいんだよね。

「まぁ、僕も姫野さんが追い出された時のことはヤマジュンから聞いただけで、当事者ではないからあんまり詳しいことは知らないよ。だから、姫野さんが綾瀬さんにどんな酷い嫌がらせを受けたのかは、本人から聞いてよね」

「蒼真君、私の話を、聞いてくれるの!?」

 おっ、これは姫野さん、ノリノリでレイナを悪役に自分を悲劇のヒロインとして嘘八百を語る気満々だぞ。いいぞ、その調子だ、もっとやれ。

「……いや、やめておく。これ以上、レイナのことを悪く言われたら、俺は怒りを抑えられる自信がない」

「蒼真君にとって綾瀬さんは可愛い幼馴染だったかもしれないけど、他の人にとってはそうじゃないってこと、よく覚えておいてよね。彼女は純真無垢な天使なんかじゃない、ただの人間だよ。だから、良いところもあるし、悪いことだってあるんだよ」

「黙れ、お前にだけは言われたくない。レイナを殺した、お前には」

「その気になったら、いつでも聞いてよ。僕も姫野さんも、綾瀬さんには死ぬほど苦労させられたからね」

 別に、蒼真君を挑発したくてレイナの話を持ち出したワケじゃない。

 ただ、僕の他にもレイナを恨む人間がいるってことを、しっかり周知させておきたかったんだ。

 僕一人の主張では、都合良くレイナを悪者にしているだけと切り捨てられてもおかしくない。だが、他に関係のない人がもう一人、声をあげればどうか。

 もしかして、レイナも悪いところあったのでは、そう思える余地が生まれる。それこそ、蒼真君、君にもね。

 レイナを殺した僕を、全否定することは簡単だけれど、特に何の関係性もなかった姫野さんに対しては、僕と同じようには扱えない。彼にとって姫野愛莉は、守るべきクラスメイトの一人だから。

 ともかく、僕のレイナ殺しの罪にちょっとでも情状酌量の余地が生まれてくれるなら、利用しない手はないっていうこと。上手くノってくれた姫野さんには感謝しかない。うんうん、君も立派なレイナ・A・綾瀬の被害者だよ。被害者の会でも作ろうか?

「それじゃあ、姫野さんのことは当事者同士での和解が成立したということで」

「なんだか、胡散臭い仲直りだったけれど……まぁ、いいわ」

 委員長じゃなくても、白々しい和解だったと思うよね。でもいいさ、この場で『解決済み』と決まったのなら、それで十分なのだから。

「さて、そろそろ本当にネタも尽きてきたと思うけれど……最後に一つだけ、告発したいことがあるんだよね」

 今度は誰がターゲットになるんだ、とちょっとザワつく面々。

 僕もみんなの事情を全て知っているワケではない。だから、まだまだ隠していることの一つや二つ、あるとは思う。けど、そのどれもが殺人に比べれば些細なことだろう。

 だから、僕の最後の告発は、忘れるわけにはいかない、最後の殺人疑惑である。

「天道君、この『召喚術士』って、誰?」

 取り出したるは、栄えある『愚者の杖』と化した第一号の頭蓋骨こと、『召喚術士の髑髏』である。

 これを僕に託してくれた天道君には感謝の気持ちしかないけれど、それとこれとは話は別。前々から気にはなっていたんだよね。

 そして何より、蒼真悠斗、お前の親友もまた、僕と同じようにすでにその手が血で汚れていると知るべきだ。

「ああ、ソイツは東だ」

 天道君は、拍子抜けするほどアッサリと答えた。

「龍一……本当に、お前が……」

「悠斗、何を驚いていやがる。売られた喧嘩は買うのが俺の主義だ。で、ここで売られた喧嘩となっちゃあ、街のヤンキー共と殴り合うのとはワケが違う」

 ああ、本当に全く以ってその通りだよ天道君。このダンジョンで、そして何より、天職という名の力を、人を簡単に殺すに足る力を得た以上、その争いはシンプルな殴り合いで済むはずがない。

 どちから一方がその気になった時点で、殺し合いは避けられないんだよ。

「『召喚術士』の東君って、強かったの?」

「まぁな、火を噴くデカい竜をけしかられた。アレはかなりヤバかったな」

「えっ、あのサラマンダーって東君のだったんだ!?」

「アイツは運が良かったんだろう。見たところ、あの竜は年老いて死ぬ寸前って感じだったからな」

 なるほど、だから天職を授かったばかりの頃でも、使役することに成功したと。

 それにしたって、いくら老齢とはいえサラマンダーである。それを一発で使い魔にできるとか……その辺のスズメしか支配できない僕とは、能力に差がありすぎませんかね?

 やはり『召喚術士』もチート級天職だったか。

「龍一、お前なら殺さずに済ませることだって、できたんじゃないのか! 人殺しなんて、取り返しのつかないことを」

「おいおい、無茶言うなよ。こっちは火に巻かれまくって焼け死ぬ寸前だったんだ」

 蒼真君の真剣な叫びに、天道君はうんざりしたような表情で応える。

「それでお前は、何も感じちゃいないのか。少しも悔いてはいないと!」

「悠斗、お前もそろそろ認めろよ。俺達は力を持っちまった。そして、その力を止めてくれる奴は誰もここにはいねぇんだ。力の使い方は、自分で決めるしかねぇ。そんな奴らに、そんな状況になっちまってるんだ――殺し、殺されるのは、当たり前のことだろうが」

「認められるか、そんなこと! 俺達は――」

「はっ、キレて桃川を殺そうとした奴が言う台詞かよ」

「それは……そうだ、その通りだが……」

「つまるところ、強い方が生き残った。そんだけの話だろうが」

「けどっ!」

「――けど、それだけじゃないから、僕らはこうしてここにいる」

 弱肉強食が全ての野生動物でも、魔物でもない。僕らは人間だから。

「もうこれ以上、殺し合いをする必要はない。これからは、みんなで話し合って、一致団結してやって行こうよ」

「まぁ、精々がんばりな。邪魔はしないでやる」

 その代り、率先して協力する気はなさそうな天道君である。でも、これが彼なりの誠意というか、譲歩なんだろう。

 多分、男子委員長だった東君は、ここで無理して天道君に「協力しろ!」とか言ったから、殺し合う羽目になったんじゃないかなと、勝手に思ってる。

「桃川、それを言う資格がお前にあると思っているのか」

「当然! 僕はこれまで何人も殺した。だからこそ、誰よりもこれ以上は殺し合いなんて馬鹿げたことは御免だと思っているのさ」

「俺はお前のことは信じられないし、許すこともできない。だが……もうこれ以上、誰かを死なせるつもりはない。桃川、お前も含めて、一人もだ」

「ありがとう、蒼真君がそう思ってくれる限り、僕らは安泰だよ」

 さて、これで炎上不可避の案件は全て出し終えたはずだ。

 姫野さんの一件を除き、全てが全て処分保留に過ぎないけれど、ダンジョン脱出までは解決済みとして無視できる。

 つまり、これでようやく僕ら全員は、何の遺恨もなく共同戦線を張れるというわけだ。あくまで、表向きはね。

「これ以上、他に意見がなければ打ち切るわよ。これまでに話した罪は、ダンジョンを脱出するまでは一切、持ち出さないこと。完全に遺恨を断つことはできないけれど、これから協力するにあたって、争いの種は潰さなければいけないから」

 改めて委員長がそう全員に言い聞かせる。その上でも、ついに誰も声を上げる者はいなくなった。

「それじゃあ、えーと、クラスメイトが死んだ話も色々としたことだし、一旦、誰が生き残っていて、誰が死んでしまったのか、まとめてみたいんだけど」

「そうね、まずはそこをはっきりさせておきましょうか」

 というワケで、委員長が作ってくれました、クラス名簿。




1 東真一 『召喚術士』 死亡


2 伊藤誠二 『盗賊』・死亡


3 上田洋平 『剣士』


4 大山大輔 『炎魔術士』 行方不明


5 高坂宏樹 『騎士』死亡


6 斉藤勝 『戦士』 死亡


7 桜井遠矢 『射手』 死亡


8 佐藤裕也 不明


9 下川淳之介 『水魔術士』


10 杉野貴志 『重戦士』 死亡


11 蒼真悠斗 『勇者』


12 高島雄大 死亡


13 天道龍一 『王』


14 中井将太 『戦士』


15 中嶋陽真 『魔法剣士』


16 葉山理月 不明


17 樋口恭弥 『盗賊』 死亡


18 平野浩平 『剣士』 死亡


19 桃川小太郎 『呪術師』


20 山川純一郎 『治癒術士』 死亡


21 山田元気 『重戦士』


22 横道一 『食人鬼』 逃亡中




31 レイナ・アーデルハイド・綾瀬 『精霊術士』 死亡


32 飯島麻由美 不明


33 北大路瑠璃華 不明


34 木崎茜 不明


35 如月涼子 『氷魔術士』


36 剣崎明日那 『双剣士』


37 佐藤彩 『射手』 死亡


38 篠原恵美 不明


39 蒼真桜 『聖女』


40 小鳥遊小鳥 『賢者』


41 長江有希子 『氷魔術士』 死亡


42 夏川美波 『盗賊』


43 西山稔 『風魔術士』 死亡


44 野々宮純愛 『騎士』


45 雛菊早矢 『呪術師』 死亡


46 姫野愛莉 『治癒術士』


47 双葉芽衣子 『狂戦士』


48 芳崎博愛 『戦士』


49 蘭堂杏子 『土魔術士』




 以上、二年七組41名中、死亡が確認されたのが15名、誰も目撃していない行方不明が6名、生存確認したがここにはいない者が1名、頼むから死んでて欲しい化け物が1匹、そして残った18名がここに集った生存者である。

「改めてみると、凄い数の死者がでているわね」

「行方不明も含めれば、もう半分以上、死んでることになるからね」

 恐らく、行方不明者はみんな死んでいると思う。

 これほどの人数が一度に集まったのは、きっとただの偶然なんかじゃない。だから、この場にいない時点で、そういうことなのだと僕は思っている。

「もう、これから合流してくる人はいないと?」

「可能性は低いと思うよ。ああ、でも、横道だけは生き残ってそうだから、もし現れたら確実に殺そう」

『食人鬼』横道一については、クラス名簿の作成中にみんなに話しておいた。

 まさか、僕がアラクネに攫われた直後に現れたとは思わなかったよ。天道君、どうしてその時に殺しておかなかった……

 アイツは最早、人間ではない。殺人に対する躊躇があるとかないとか、それ以前に人間を食料と認識している時点で、奴は対話不能なモンスターである。

 流石の蒼真君も、実際に桜達が襲われているので、アレの討伐に否やはない。流石にこれだけの面子が揃っていれば、横道が襲撃してきても安心できる。

 しかしながら、目下最大の問題は例のヤマタノオロチである。

「それじゃあ、これからみんなでヤマタノオロチを見に行こうか」

「え、今から? 学級会はどうするのよ、まだ決めるべきことは沢山あるわよ」

「今の最優先目標は、ヤマタノオロチを倒すこと。僕らの今後の行動は、その攻略法によって変わるから」

 ヤマタノオロチを18人で一斉に襲えば簡単に倒せる相手だとは思っていない。けれど、多少、みんながレベルアップすればどうにかなる程度なのか、それともかなり大がかりな準備が必要か、あるいは、思わぬハメ技であっさり倒せそうなのか――最低限、ヤマタノオロチ攻略に向けた方針を固めておきたい。

 それによって、各々の役割も決められるし、僕らがこの場所でどの程度の期間、生活しなければいけないかも定まる。

 何より、僕はまだその噂の最強ボス、ヤマタノオロチをこの目で見ていないから、早いところ確認しておきたいというのが本音でもある。

「確かに、そうかもしれないわね。分かったわ、行きましょう」

 委員長の許可も下りたことだし、いざ、ヤマタノオロチの面を拝みに行こうじゃあないか。

第191話 ヤマタノオロチ攻略会議

「こっ、このクソゲーっ!」

 と、僕は声の限りに罵倒を叫び、メイちゃんに抱えられて命からがら、ヤマタノオロチから逃げ去るのだった。

 遡ること、二時間前。

 まずは全員で倒すべき大ボスたるヤマタノオロチを確認しようと、妖精広場を出発した。

 殺風景な荒野を一時間歩くと、巨大な谷に辿り着き、そこからさらにもう一時間歩けば、谷を抜けてヤマタノオロチの巣となる。

 今回はあくまで様子見なので、無理して攻める予定はない。ないのだが、超巨大モンスターであるヤマタノオロチに加え、マジで無数のガーゴイルが巣食っている岩山。決して軽い気持ちで手出しできる場所ではない。

 なので、とりあえず挑戦経験のある蒼真君に全ての指揮を託し、簡単な役割分担をして、攻撃開始。

 ヤマタノオロチの頭に直接攻撃を仕掛ける最前衛は、最も危険なポジションだ。故に、初回では蒼真君一人、二回目では天道君と二人で。そして今回は、狂戦士メイちゃんを加えて三人となる。

 『勇者』蒼真悠斗、『王』天道龍一、『狂戦士』双葉芽衣子。間違いなく二年七組で最強の戦闘能力を誇るスリートップ。この三人のそろい踏みは、なかなかに感慨深いところもあるのだが……それでも尚、ヤマタノオロチは強大に過ぎた。

 メイちゃんを加えた三人でも、やはり出てくる首の本数が増え、口からとんでもない威力のブレスを撃ちまくってくる段階になると、手が付けられなくなった。

 事前の打ち合わせ通り、無理はせずにこのブレス乱射形態で蒼真君は総員撤退を命令。

 だが、いくら予定通りとはいえ、炎やら雷やらが渦を巻く凶悪なビーム状のブレスが乱れ撃ちされる状況の中で逃げ出すのは、それだけで命がけだった。おい、ブレスが後衛のところまで余裕で届くとか聞いてないぞ!

 逃げ出した背後で盛大に大爆発が連続する中、僕はメイちゃんに抱えられて、谷底の道までどうにか下がることができた。

「いやぁ、これで誰も死ななかったのは奇跡だよね」

「……これで分かったでしょ、桃川君。ヤマタノオロチは途轍もなく危険なボスよ」

 みんなが意気消沈といった様子で塔まで帰りつく。一応、点呼をとって18人全員の無事は確認済み。しかし、いくら様子見とはいえ、誰かが死んでもおかしくないほどの状況だった。

 これでは、安易に仕掛けることは控えた方がいいだろう。

「うん、みんなもよく分かったと思うよ」

 どう考えても無理ゲーです。

 超巨大モンスってゲームにおいて大体はクソモンスなんだけど、そのデカさに見合った威力の攻撃まできっちり繰り出してくるとなると、その難易度も跳ね上がる。ヤマタノオロチ、コイツは詰んでゲームを投げ出しかねないレベルの理不尽ボスである。

 というか、これは最早レイドボスなのでは?

「とりあえず、そのまま戦って倒すのは不可能だね」

 二年七組最強のトリオが挑んでもこの有様である。八つの首を全て叩き潰し、岩山の奥にあるという本体のコアの破壊に向かう、というのは無理がありすぎる。というか、三人の負担がデカすぎるだろう。

「僕らがどこまで三人の負担を減らせるかが鍵になるか……」

 現状、ヤマタノオロチの頭と真正面から戦える実力者はたったの三人のみ。故に、他のメンバーは剣士や戦士の前衛職であろうとも、必然的に後衛に留まることになる。

 攻撃魔法という遠距離攻撃を持つ者は、順当に三人の邪魔をしそうなガーゴイルを排除するという役割を果たせるが、これだけでは貢献度としては足りな過ぎる。

 折角、18人もの人数が揃っているのだ。全員をフル活用できる作戦なり準備なりを整えなければ、レイドボス・ヤマタノオロチの討伐は不可能だろう。

「それで、どうするの桃川君」

「うーん、そうだなぁ……」

 再び、学級会形式で全員集まる。当たり前のように委員長と共にみんなの前に立っている僕は、「どうするか」との抽象的だが究極的な質問をふられて、全員の視線が僕に集まるのを感じる。

 メイちゃんは、あれほど強大なボスと直接戦った後だというのに、僕なら必ず倒す策を出してくれると心から信じきっているような、キラキラした目で僕を見つめてくれている。

 一方の蒼真君は、僕のことなど欠片も信じていないが、何を言い出すのか窺うような、試すような視線を向けている。

 天道君はいつも通りに興味がなさそうな、けれど、僕が何か言い出すのを確かに待っている程度には、目を向けてくれている。

 そうして、十八人それぞれがそれぞれの意思を宿した視線が僕へと一身に突き刺さり、今更ながらのプレッシャーなんかも感じたり。

 まぁ、誰にどう思われようと、僕のやることに変わりはないけれど。

「ヤマタノオロチを倒すには、準備がいる」

「何か策があるのか」

「まだ策と呼べるほど、大したものじゃないよ。でも、まずは蒼真君と天道君とメイちゃん、頭を叩ける三人の負担を減らすことが最優先だと思ってる」

「ああ、このまま無理して戦い続けても、恐らくは倒し切ることはできそうもない」

 流石に「俺が本気を出せば倒せる!」などという頭の悪い発言を蒼真君が言い出すはずもなく、冷静に戦力分析はできている模様。

「アイツを倒すには、岩山の奥に隠れている、本体のコアを壊さないといけない」

 本体コアがある限り、奴の頭は無限再生というクソ仕様らしい。本当かよ、と半分疑っていたけど、さっきの戦いでマジで頭が完全再生するのを目の当たりにして、認めざるを得ない。

 実際は無限ではなく回数制限があったとしても、一回再生されただけでも厳しいのだから、再生数の確認にあまり意味はないだろう。

「だから、少なくとも本体コアを狙う役と、八つ首を止める役、二つは必要になる」

 一つでも頭が自由になっていれば、本体を狙って岩山に接近してくる者の排除に動くだろう。

 岩山はただでさえ、ガーゴイルの巣窟となっているので、頭に狙われなくても厳しい道行となる。

「でも、この三人でも八つの頭を全て相手にすることは無理よ」

「うん、まずは八つ首を完全に封じ込めるだけの手段が必要。次に、本体コアを破壊するための手段。この二つが揃わないと、ヤマタノオロチを討伐できる可能性はゼロだよ」

「それじゃあ、その二つをどうやって揃えるつもりなの?」

「それはこれから考えまーす」

 あからさまにガッカリしたようなリアクションをみんなが返してくれる。おい、これみよがしに溜息とかついてんじゃないよ。

 そう簡単に攻略アイデアが出るわけないだろうが!

「具体的な攻略方法を考えるのにも、それを思いついたところで実行するための用意をするのにも、かなりの時間がかかると思う。つまり、僕らはしばらくの間、ここで生活することは避けられない」

 要するに、この場所で足止めを食らうという状況が確定したに過ぎない。万に一つも、運よくあっさりヤマタノオロチを倒せて先に進めるとか、めっちゃ楽な回り道や隠し通路が見つかる、ということはありえないだろう。

「というワケで、ヤマタノオロチと戦うよりも前に、僕らは何よりもまず、ここでの生活基盤を整えなければいけないんだけど……どうしよう、まわりが荒野だから、食料調達できそうもないんだよね」

「ぇえええええええええええええええっ!?」

 と、白目をむかんばかりに驚愕の絶叫を上げたのは、メイちゃんだった。

「……どうして双葉さんは、そんなに驚いてるんだ」

 誰もがドン引きレベルのメイちゃんのリアクションに、律儀に突っ込んでくれたのは蒼真君だった。そういうところ、やっぱりイケメンだね。

「そりゃあ今更、クルミと水だけの生活になんて戻れないからねー」

 ここの妖精広場は、あらかじめ大人数を集めておく前提であるかのように、やけに広い。通常の倍以上は余裕である広さだ。

 その分、妖精胡桃の並木も多いし、各種草花のお花畑も広い。生存するだけなら、それなり以上の期間は大丈夫。

 けれど、ここ最近は肉どころか、ハチミツや果物によるスイーツまでもが食べられる贅沢な食生活になってきたというのに、ここで再びクルミオンリーの食事は最早、拷問に等しい。上げて落とす、ってのが一番キツいんだよねぇ……

「おい、肉が食えないってヤバくね?」

「が、ガーゴイルがいるから……」

「いやどう考えてもアイツらは食えねーべ」

 僕を見習ってサバイバル生活を始めていたらしい上中下トリオも、メイちゃんほどではないがクルミ以外の食料を入手できないことへの危機感を露わにしている。そうだよね、せめて肉汁したたる肉をたらふく食えないと、ボスと戦う活力は湧かないよね。

「僕としては、早急に食料調達のアテを確保したいと思うんだけど」

「だが、ここにはあの荒野しかないぞ。みんな転移でここに飛んできたし、戻り道もない」

 困ったことに、蒼真君の言う通りなんだよね。

 少なくとも、周囲一帯は不毛の荒野が広がるだけで、動植物を見つけるだけでも困難な有様。どれだけ歩けば、あのジャングルや森にまで辿り着けるだろうか。そもそも、徒歩で行ける範囲にあるのか。

 い、いかん、ヤマタノオロチがいなくても、かなり絶望的な状況が明らかに……え、もしかして、最初っから詰んでる!?

「あ、あのぉ……」

 どうするか、と割と本気で焦り始めたその時、おそるおそる、といった実にあざとい感じで、手を上げる小さな女子が一人。

「どうしたの、小鳥」

 委員長にあてられて、『賢者』小鳥遊小鳥がみんなに見られておどおどしながらも、立ち上がって発言した。

「戻ることはできる、と、思うの」

「本当なの、小鳥?」

「うん、多分……」

 まどろっこしいな、戻り道のアテがあるなら、さっさと言って欲しいものだ。しかし、ここで焦ってキレて問い詰めるほど、僕は余裕のない男ではない。こういうのは、黙って委員長と蒼真君に任せておけば、順当に抱えた情報をゲロってくれるだろう。

「ここの一階にある転移の魔法陣を使えば、他の妖精広場まで飛べそう、なの」

「マジでっ!? よしやろう、今すぐやろう、行先は海辺の無人島エリアで!」

「ぴいっ!?」

「桃川君、落ち着いて。小鳥が怯えているわ」

 いいじゃないか、メイちゃんに飛び掛かられるよりはマシでしょ?

「それじゃあ、まずは小鳥遊さんの言う通り、本当に転移が使えるかどうかの確認をしよう」

 というワケで、みんなでゾロゾロと妖精広場を出て、一階へと移動する。

 ここは密林塔とよく似た造りをした塔であるということは、ヤマタノオロチにちょっかいかけに出て行った時に知った。けれど、ここは密林塔よりもずっと大きい。なかなかに探索し甲斐のありそうな巨大な塔だけれど、ちらっと委員長に聞いた限りでは、空き部屋ばかりで特にこれといったモノは見つからなかったと言う。

 そして出入り口となっている、この一階エントランスとでも言うべき広間も、当然ながら何もない。

 ないのだが、この床に描かれている円形の模様が、どうやら小鳥遊さんの言う転移魔法陣となっているらしい。

「……なるほど、古代文字で書かれているのか」

 やや薄暗いエントランスの中、じっくり観察してみれば、無数の模様の中に、僕でも読める見覚えのある文字が幾つか見つけることができた。

 これを読んで、転移魔法陣の存在と効果を知ったといったところか。

「流石は『賢者』だな。こういう時は、小鳥遊さんは凄く頼りになるよ」

「えへへ、私も蒼真君の役に立ててうれしいよ!」

「小鳥遊さんってどこまで古代語解読できてるの? スキル名は?」

 僕の後ろで呑気にラブコメ空間を形成している蒼真君と小鳥遊さんに、空気を読まずに質問をぶつけてやった。

 あからさまに嫌そうな顔をした小鳥遊さんだったけど、ここで無視すると蒼真君への心象が悪くなることを避けたのか、渋々といった様子で応えた。

「小鳥のは『古代語解読・熟』だよ……まだ、全部が読めるようになったワケじゃないから、分からないことも沢山あるの」

 ヤマジュンのは『古代語解読・序』だったから、それの一つ上と考えるべきか。破、ではなく、熟、なのか。

「も、もしかして、桃川君も古代語が読めるの?」

「ううん、全然、僕は古代語解読のスキル持ってないし、授かりそうもないから」

 嘘は言ってない。

 でも、ヤマジュンに教わってほんの少しだけ読める。

 そこまで言わないのは、僕が小鳥遊小鳥を信用していないからに他ならない。いや、別にポーンアントに挟撃された時に、錯乱して僕を盾にしようとして邪魔したことを根に持っているワケではない。

 小鳥遊さんは剣崎や桜のように、直接的な戦闘能力、つまり暴力によって僕を害することができない、珍しくか弱い少女のままである。しかし、彼女もまた蒼真君に思いを寄せる恋する乙女の一人であることに変わりはない。

 つまり、いざという時は必ず蒼真君の味方となり、そして、そのいざって時は絶対に僕が敵に回っていることだろう。

 小鳥遊小鳥、蒼真ハーレムの一員である彼女は、僕にとっては潜在的な敵も同然。そんな相手に、自分の手の内を僅かでも、馬鹿正直に明かしてやる理由はない。

 とはいえ、僕が古代語解読のスキルがないのは事実だし、読めるのもヤマジュンが残してくれたノートに記された、一部に過ぎない。隠せているのは大した情報ではないのだけれど、こういうのは念を入れた方がいいし、嘘をつくのにも慣れたほうが良さそうだしね。

「それで、どうなの小鳥? 転移はできそう?」

「うーん、えっとねぇ……飛べる先は全部で3つ……ううん、4つかな。それと、動かすのにコアが必要みたい」

 委員長が、古代魔法で記された床の転移魔法陣を読み解いている小鳥遊さんへ色々と聞いている。僕もずけずけと聞きたいところだけど、ここは委員長に任せておこう。

「飛べるのはいいけど、飛んだ先からちゃんと戻って来られるのかしら」

「うん、大丈夫。この転移魔法陣が動いている間は、向こう側も一緒に動いてるみたいだから、好きなだけ行き来できるみたいだよ」

 そりゃあ、送り出すだけで戻って来れない一方通行だったら、それは転移じゃなくてただの追放だからね。僕、そういうのは二度と御免だよ。

「それで、誰か試しに飛んでみたい人いる?」

 安定の沈黙である。

 そうだよね、幾ら転移魔法に慣れたといっても、今まで僕らが使ってきたのは、ボスのコアを持っていればオートで発動してくれるボス部屋の転移魔法陣のみだ。小鳥遊さんを信じて、何でもない場所で転移を使ってみるってのは、ちょっと不安だよね。

 しかしながら、あの樋口が捧げられた生贄型の転移魔法陣なんかもあるので、このダンジョンにはボス部屋以外の転移があるのはすでに判明している。小鳥遊さんも、ここで誰かを盛大に追放処分させる陰謀のために、法螺を吹いているとも思えない。

 だが、本当に飛べるのか、戻って来れるのか、心配になる気持ちは拭いきれないのが人情ってものだ。

「それじゃあ、蒼真君お願いね」

「桃川、お前……」

「小鳥遊さんのこと、信じてるんでしょ?」

「勿論、彼女のことは信じているが、お前に進められると嫌な予感しかしない」

「蒼真君、この転移魔法陣を使ったら絶対にダメだよ!」

「ふざけているのか」

 ちっ、逆のこと言えばまんまと乗せられるほど単細胞でもツンデレでもないってことか。男にはちょっと冷たいんじゃないのかな、蒼真君。僕だけか。

「はい、じゃあみんな聞いてー、勇者の蒼真君がビビって小鳥遊さんの転移は死んでも御免だって駄々をこねるので、僕が行きまーす」

「そ、蒼真くん、小鳥のこと、信じてくれないのぉ……」

「小太郎くん、危ないからやめて!」

 僕の言い方に蒼真君が睨み、小鳥遊さんがグズっては蒼真君が焦り、そして僕の宣言にメイちゃんが反対しつつ、小鳥遊さんをいっそ排除してやろうかみたいな剣呑な目をしていたり、それに気づいた委員長が慌てて取り成そうとしたり……いやぁ、人数が多いと、ちょっとした一言であっという間にカオスになるなぁ。

「桃川君、遠い目をしてないで収拾してちょうだい!」

「僕が行くと言ったけど、行くのは分身だから安心してよメイちゃん」

「そっか、なるほど、それなら大丈夫だね」

 まさか本当に小鳥遊転移の被験者になるつもりなんかないよ。

 こういう時に捨て駒でありながら、自分の目と耳で確かめられる『双影ふたつかげ』は便利だ。

「じゃあ、ビビって転移しなかった蒼真君、起動用のコアはお願いねー」

「……小鳥遊さん、コアはどれくらい必要なんだ」

 わざとらしく僕を無視して、小鳥遊さんに必要経費を聞きに行く勇者様であった。支払いは任せたよ!

第192話 委員と係(1)

 結論から言うと、転移魔法陣は無事に発動した。

 分身の僕を行ったり来たりさせて、転移の安全性と向こう側を確認してきた。

 ここから飛んで出た先は、ボス部屋ではなく妖精広場のようだった。良かった、これでボス部屋に繋がっていたら、リポップしたボスと鉢合わせ、とかありそうだったし。

 それで、このエントランス一階の転移魔法陣からは、四つの場所へと飛ぶことができる。

 一つ目は、僕とメイちゃん待望の海辺の無人島風エリア。アルファの元になった赤ラプターに襲われ、大山杉野コンビを相手にした、ここから一つ手前のエリアということになる。とりあえず『無人島エリア』と呼ぶことにした。

 二つ目は『暗黒街』と呼ばれている、常に夜のように暗い不気味な廃墟の街。ここは、蒼真パーティが攻略してきた、手前のエリアである。

 三つ目は、荒れ果てた宮殿エリア。メイちゃんがまだ蒼真パーティに居た頃に通った、白い綺麗な宮殿エリアを丸ごと廃墟にしたような場所らしい。ここは、天道チームが通って来た手前のエリアだという。

 そして四つ目は、砂漠エリア。見渡す限りの広大な砂漠と、点々と遺跡らしき建物が残っている。この砂漠エリアだけは、誰も見覚えがないそうだけど……パターン的に考えると、ここも一つ手前のエリアという扱いなのだろう。

「要するに、これまでのエリアでレベル上げしたり装備を整えてから、ヤマタノオロチに挑んでねってことか」

 ますます人為的な介入を疑う展開だけれど、今の僕らにとってはこの上なく役立つ。

 ひとまず、これだけのエリアに戻れるならば、ヤマタノオロチ討伐の準備もできそうだ。

「はい、それでは第二回、二年七組学級会をはじめまーす!」

 早くも第二回となった学級会の開会を、僕は宣言する。

「今回の議題は、ここで生活していくにあたってのルール決めと、それぞれの役割分担よ」

 小鳥遊転移魔法によって、本格的にこの塔を拠点として、ヤマタノオロチ攻略に向けて活動していく方針が固まった。

 かねてより委員長が気にしていた、共同生活においての取り決めを、いよいよしっかり固めようというわけだ。

 とはいえ、僕らは一生ここで暮らしていくつもりはないから、ここでの生活は基本的にヤマタノオロチ攻略のための準備を中心に進めていくことになる。その一方で、ただ生活するだけでも色々と仕事はあるから、その辺を含めて、不公平のないように、それでいて適材適所になるように、割り振りを決めていく。

 天職という力がある以上、女子は非力なので危険なことはさせずに家事中心で、とかはありえないし。

「とりあえず、原案は僕と委員長で決めたから、まずはこれをよく読んで欲しい」

 転移魔法の開通と、そこから通じる四か所のエリアの簡単な周辺調査をしている間に、僕と委員長が話し合ってさっさと原案は作っておいた。こういうのは、先におおまかに形にしておかないと、いつまでたっても完成しないからね。

 というワケで、簡単なルールと割り振りを委員長が書いてくれたノートを、みんなで回し読みしてもらおう。

 原案の内容は、以下の通り。



校則1・学級会の決定に従うこと。校則違反、その他の問題が発生した場合は、学級会を開き、そこで処分を決定する。


校則2・恋愛禁止。告白、またはそれに類する宣言、行動を禁じる。


校則3・学園塔内での武装解除。各自の武器は所定の武器庫に保管すること。


校則4・決闘禁止。如何なる問題が発生した場合でも、暴力による解決は許されない。


校則5.無断外出禁止。学園塔外へ出る時は、両委員長の承認を必要とし、行く先・目的・予定の周知を徹底すること。



男子クラス委員長・桃川小太郎

女子クラス委員長・如月涼子


風紀委員長・蒼真悠斗

風紀副委員長・蘭堂杏子


保険委員長・蒼真桜

保険副委員長・姫野愛莉


広報委員長・夏川美波


装備係・小鳥遊小鳥


ヤマタノオロチ監視係・桃川小太郎


清掃係・当番制


洗濯係・当番制


給食係・双葉芽衣子 当番制


天道くん係・如月涼子



 とりあえず、こんな感じである。

 校則に委員、係、と如何にも学校的な名前になっているのは、何て言うか、僕らはまだ学生なんだという、自分のアイデンティティを忘れないための、せめてもの抵抗だ。

 これで風紀委員を監察官、保健委員を衛生兵、給食係を補給部隊、などと呼んでいれば、ただでさえ荒んだダンジョンサバイバル生活が、より過酷な状況みたいな気持になってしまいそうだし。

 こんな状況だからこそ、少しでも学園生活という日常を思い出させる名前が欲しかった。

 なんて、甘えた後ろ向きな考えかと思ったけれど、委員長も「いいんじゃないかしら」と素直に賛成してくれたので、これで行くことにした。

 さて、僕が委員長と並んで、男子委員長の肩書きを手に入れたのは、半ば形式的だけど、立場を明確にしておきたかったからでもある。僕は委員長、その他大勢の男子生徒ではない。貴方とは違うんです。

 ともかく、名実ともにこれでひとまず僕は、この18人だけの二年七組においての確かな立場を確立したことになる。当面はこれを維持できるよう、支持率には気を付けようと思う。

 校則に関しては、とりあえず必要最低限のことだけ書くことにした。

 基本的に学級会で物事を決めるという誰もが納得する素晴らしい民主主義制度に、すでに決定した恋愛禁止。

 他に、『殺すな、犯すな、盗むな』という人間の社会生活を営む上で最低限度のモラルも一応、校則として盛り込んでおこうかと思ったんだけど、

「桃川君、それはないわ」

 委員長が僕のことを、心から人間という存在を信じていない哀れな人を見るような目で言われてしまったので、省くことにした。

 まぁ、現代日本人なら忌避して当たり前の大罪だから、これらをやらかすような状況なら、校則に定められていようがいまいが、関係ないほど切羽詰まってるだろうしね。抑止力にならないなら、わざわざ定める意味もないか。

 そこで、少しでも『殺すな』つまり殺人に発展する可能性を下げるために、次善の策として校則3の武装解除を定めた。校則5は念のための名目に過ぎない。重要なのは実際に武器を手離させることのできる校則3である。

 天職の力があれば、素手でも人を殺せるだけの能力はほとんどみんな持ってはいるけれど、それでも武器が手元にあるかないかでは、大違いだろう。

 ここにはどうせ僕ら以外の人間はいないし、武器庫の管理も適当で問題ない。とりあえず学園塔内で武器を手離しさえしていれば良いのだ。

 あ、学園塔っていうのは、勿論、この巨大妖精広場と転移魔法陣を要する、僕らの拠点となるここの塔のことだ。

 全校生徒18名、クラスは二年七組のみ。それでも、ここに僕らという生徒がいて、一つ屋根の下で集団生活していくならば、ここは学園なんだ。

 僕としては、みんなにはここでの生活が学校にいる頃と同じような感覚でいてもらいたい。

「――それじゃあ、何か質問ある?」

「小太郎くん、委員長就任おめでとう」

「私は納得いきません、ちゃっかり委員長になるなど……それに、何故、私が兄さんと一緒に風紀委員になっていないのですか。蘭堂さんなど、最も不適格な人選です」

「なんでウチが風紀委員になってんのー? 自分でガラじゃないとは思うけど、人に言われるとフツーにムカつくからな、蒼真桜」

「あのー、広報委員ってなにするのー?」

「装備係って、小鳥だけなの……?」

「ヤマタノオロチ監視係って、桃川お前ずっと見張ってるつもりだべか」

「おい……天道くん係ってなんだコレ、なめてんのか……」

 流石に名指しで指定される話だから、みんなからの質問も活発である。

「まぁまぁ、みんな順番に説明していくから、落ち着いて聞いてよ。あ、委員長だけは先に天道君に説明してきてね。天道くん係として」

「はぁ、しょうがないわね。アイツの面倒を見れるのは私しかいないし」

「だからそのふざけた係はやめろ」

「はいはい、文句は聞いてあげるから、ちょっとこっちに来なさい、龍一」

 と、キレかかってる天道君を難なくズルズル引きずって隔離していった委員長の顔は、心なしか晴れやかである。

 うんうん、そうだよね、天道君の面倒を見るのは委員長の仕事であり、生き甲斐だからね。彼女だって色々と苦労して胃に穴が空きそうになるほどストレスを溜めているわけだし、こうして発散できる機会は作ってあげないと。校則で恋愛は禁止にされているけど、二人きりになってはいけないとは書いてないからね。

 そんな感じで、天道くん係は委員長の精神安定剤的な意味合いもあるけど、一番の目的は彼の特別扱いを公のものにするためだ。

 というのは、天道君がアレな感じで特別扱いな生徒だからではなく、この状況下でも真っ当に協力を求められそうにない人物だからである。要するに、僕がクラス委員長の肩書きにかこつけて、一方的に命令はできないってこと。

 こうして曲がりなりにもルールを決めたなら、それを守らなければ反感が生まれる。でも、根っからの不良生徒である天道君には、そういうのは最悪に相性が悪い。気が向けばやってやってもいいし、気に入らなければやらない。自分のワガママを貫き通す覚悟が決まっているのだ。

 実際、僕は天道君が掃除当番してるところ、見たことないし。何回か、委員長に引きずられて渋々やってたのを目撃できたくらい。

 そんなアウトロー上等な天道君は、だったら最初から特別扱いとしてルールの例外として定めおこうというワケだ。みんなとしても、委員長が責任を持って天道君にケチをつけてくれるとなれば、ある程度の溜飲は下がるだろう。

 そういうワケで、天道君は委員長の監視下において、自由行動を許可している。勿論、必要に応じて頼みごとはできるだけしてみるし、ヤマタノオロチ討伐戦には必ず戦ってもらうけど。

「じゃあ、天道君のことは委員長に任せておいて、みんなの質問には僕が順番に応えていくよ。だから、とりあえず蘭堂さんと桜は喧嘩するのやめてね」

「何をいきなり、呼び捨てしているのですかっ! そんなのを許した覚えはありませんよ!」

「えー、でも桜だって僕のこといつの間にか呼び捨てじゃん? てっきり、そういう仲になれたんだと思ってたよ」

「ふざけたことを。貴方は最早、敬称をつけるにも値しないのだと、言わなければ分からないのですか」

「僕も同じ気持ちだよ」

「桃川、いい加減にしろ! 桜も……あまり、つまらないことで揉め事は起こさないでくれ」

「あはは、見てよメイちゃん、委員長が不在だから蒼真君がツッコミ役になってくれたよ」

「でも委員長ほどじゃないよね」

「うんうん、もっと必死さが欲しいよね」

「おい、何でお前は当事者のくせに他人事みたいな顔していられるんだよ」

「いやぁ、蒼真君が妹を止めに来てくれたから、僕の出番はもうないかなと」

「誰のせいでこうなったと思ってる……」

「つーか、大体、蒼真のせいじゃん? 人のことにケチばっかつけてさ、それでちょっと言い返されて逆ギレとか、煽り耐性低すぎでしょ。兄貴ならちゃんと責任もって妹の面倒くらいみとけよ」

 おっと、ここで割とマジな感じで蘭堂さんがブッ込んで来たぞ。

 そう、実際のところ、蒼真桜がギャーギャー騒ぐから、炎上案件になるわけで。大人しくしていてくれれば、大体の事は穏便に片が付いたと思っている。

 でも、それを言っちゃあ、戦争かも……

「分かった、蘭堂さん。揉め事にならないよう、注意させる」

「兄さん! こんな女の言い分を!」

「桜、お前が全て悪いとは言わない。けれど、もうここにいる全員で協力していくことは決まったことだ。余計な諍いは起こすわけにはいかない……だから、俺を風紀委員長にしたんだろう」

「よく分かっているじゃないか、蒼真君」

 その通り。蒼真君、君は僕のことをカケラも信じちゃいないけれど、僕は君のことを結構、信頼してるんだよね。

 言わずもがな、蒼真悠斗は正義漢だ。委員長を除けば、クラスで風紀委員の肩書きに最も相応しいとも言える。それでいて、桜ほど頑固でも融通が利かないわけでもない。

 彼の正義が揺らぐとすれば、それはきっと、僕という幼馴染を殺した犯人に対する憎悪くらいのものだろう。逆に言えば、蒼真君は僕以外の全員には、持ち前の正義と公平性とで見てくれるはずだ。まぁ、前科モノな上中下トリオあたりは怪しいけど。

「風紀委員には、今みたいな争い事を率先して止めて欲しいんだよね。治安維持、と言えば大袈裟だけど、生活する上で色んな揉め事を解決して欲しいなと。で、蒼真君なら、そういうのに一番適任かなと、僕も委員長も思ってる」

「じゃあ、なんでウチは副委員長なワケ?」

「そりゃあ勿論、それが一番公平だからさ。これで蒼真桜が副委員長だったら、あっという間に風紀委員という名の特高警察だよ」

「桃川、お前そういうところだぞ」

 おっと、早速、風紀委員長様から指導が入ってしまった。

「でもさ、綺麗すぎる川に、魚は住めないって言うでしょ?」

「まぁ、確かに……桜は少し、固すぎるところはあるし」

「に、兄さん、そんな風に思っていたのですか!?」

 えっ、そんな風に思われてないと思っていたのかよ桜ちゃん、あの態度で?

「蒼真君が厳しめの担当で、蘭堂さんがゆるめの担当って感じかな」

「ええー、そんなんでいいのかよ桃川ぁー」

「そういうところが良いんだよ。それに、蘭堂さんなら女子にも平気で言えそうだし?」

「蒼真とかあんま絡みたくないんだけどぉ」

「適当に取り成してくれれば、それでいいから。いざって時は、学級会開くし」

 実のところ、蘭堂さんの風紀副委員長の抜擢は、パワーバランスをとるためだ。

 僕には、いや、恐らくみんなが薄々感じているとは思うけれど、ここに集った18人にはすでに派閥が形成されている。

 蒼真悠斗のハーレムを中心とした勇者派閥。

 そして、僕の寄せ集め派閥。

 人数的には僕の方が多いけれど、結束が固いのは圧倒的に蒼真ハーレムの方であろう。数の桃川派と、質の蒼真派。そんな感じ。

 で、そんな蒼真派閥の女子から風紀副委員長を選んだなら、桜を選んだのとそう変わらない結果となってしまう。つまり、身内贔屓である。

 僕は蒼真君の人柄を信じてはいるけれど、それも完璧とは思っていない。彼も男だ、きっとハーレムメンバーが問題行動を起こしても、公平に裁くことよりも、庇う方を優先してしまうだろう。実際、剣崎の殺人未遂を蒼真君が追及したことはないそうだし。

 そういう点でも、蒼真ハーレムの女どもにも一切の情け容赦はない蘭堂さんがいれば、両派閥にとって公平性が保たれるということだ。

 それに、蒼真君と蘭堂さんの二人なら、意見の違いで対立しても、即座に殺し合いにまで発展するようなことにはなるまい。ほら、僕と桜で風紀委員組んだら、速攻で決闘案件だよ。

「だから、引き受けてくれるかな、蘭堂さん」

「まぁ、桃川がそこまで言うならいいけどぉ」

「ありがとね、蘭堂さん」

 如何にも渋々といった感じだけれど、了解してくれてなによりだ。

「それじゃあ、蘭堂さん、これからよろしく」

「あー、そういうのいいよ、蒼真。あんまベタベタしたら、アンタの女子から睨まれるし」

 爽やかな笑顔で差し出した蒼真君の握手を、うんざりした表情で断る蘭堂さんである。

「ええっ、ど、どういうことだよそれ」

「自分で考えなー」

 おお、蒼真君が見事な鈍感力を発揮しているぞ。しばらくは、そのままでいてくれた方が助かる。なにせ、今は恋愛禁止だからね。

第193話 委員と係(2)

 それで、他の係について説明すると、


『保健委員』:回復担当。治癒魔法を持つのが桜と姫野さんの二人だから、自動的に委員長と副委員長に抜擢。戦闘時での回復は勿論、普段の健康管理、公衆衛生に関しても請け負ってもらおうと思っている。


「あ、あの、公衆衛生って、もしかしてトイレも私達が管理しなきゃいけないの?」

 割と「冗談じゃねぇよ」と言った顔でお伺いを立てるのは、副委員長の姫野さんである。

「大丈夫、僕の『魔女の釜』にかかれば汚物も一発で消毒だから」

 実は、すでに魔女釜式トイレは実用化されている。

 ほら、僕って妖精広場での滞在時間が長いから、それだけ用を足す機会も増える。ダンジョン探索で進んで行くだけなら、その場に放置で問題ないけれど、一か所に長く住んでいると地味に気になってくることでもある。

 そこで『魔女の釜』の出番である。要は糞尿が臭わない程度に分解が促進されればいいわけである。トイレというより、超凄いコンポストみたいな感じ。

 そんな漠然としたイメージのまま、試行錯誤した結果……高速で土の中での自然な分解を再現した『魔女の釜』の設定に成功。今じゃ僕は勿論、メイちゃんも愛用。もう手離せません。

 とりあえず、コイツを設置しておけば、十八人分のトイレ問題は解決だ。なんなら、トイレは18個作って完全な個人用として、自分で自分のを掃除してもらってもいいかも。

「あっ、そうなんだ。それなら、良かったわ」

「トイレ掃除なんて誰でも嫌な仕事だからね。誰か一人に押し付けるような真似はしないよ」

 こういう些細な所で、不満や反感というのは溜まるものだ。僅か18人の共同体ならば、誰か一人の強烈な反感は、ただそれだけで大きな影響力になりうる。

 全ての不満を解消できる完璧な組織運営なんて不可能だけど、出来る限りの配慮はしていきたいと思っている。

 さて、トイレの話は置いといて。他の委員についてである。


『広報委員』:要するに連絡係。地味に夏川さんが、皆の中で一番、クラスメイトのアドレス登録数が多かったので、委員長に任命。スマホが通じない場合でも、『盗賊』の俊足を生かして伝令とか頼みたい。体のいい使いパシリとは、絶対に言わない。


『装備係』:名前の通り、みんなの装備について担当してもらう。あと、転移魔法陣の操作も担当する。現状、装備を強化できるのも、転移魔法陣の発動ができるのも、『賢者』小鳥遊小鳥だけ。ここばかりは、他に替えの効かない重要な部分であるから、彼女にはひとまずこっちに集中してもらいたい。


『ヤマタノオロチ監視係』:とりあえず現地に『双影』置いといて、視覚だけ共有してれば監視くらい余裕でしょ。少なくとも、海辺で戯れるゲイカップルを監視するよりかは、精神衛生的によろしい。


『清掃係』:掃除はみんなで順番に。学生の義務ってやつ?


『洗濯係』:洗い物くらい自分で、という方がいいだろうけど、ここの水場は限られるので、当番を決めてやった方が効率はいい。勿論、男女別。


『給食係』:みんなの命を握る、絶対者。逆らうならば、無慈悲なる妖精胡桃の刑罰に処されるだろう。汝、全ての食材を彼女に捧げよ。さすれば、大いなる恵み、与えられん。なお、一人で十八人分は流石に大変なので、男女一人ずつ当番でお手伝いに入ります。


 とりあえず、これで生活していく上での役割分担はおおよそできただろう。

「大まかに役職を割り振ってもらったけど、みんなにはこれから他に今すぐやってもらいたいことがあるんだよね」

 パンパンと手を叩いてみんなの注目を集めながら、僕はまず真っ先にやらなければならない重要な仕事を発表した。

「みんなには、これからちょっと狩りに行って来てもらいまーす」

 という僕の宣言に、

「……はぁ?」

 みたいな反応をくれるのは、主に蒼真ハーレムメンバー達。どうやら、今までイノシシの一匹もロクに狩ったことがなさそうな感じである。このお嬢様どもめ。

「うーん、狩り、か……」

 僕の発言に理解は示しつつも、あんまりピンときてない感じなのは、蒼真君と中嶋君と、あとはジュリマリとか。

「おいおい、いきなりかよ。全く、桃川は相変わらず人使いが荒いべ」

 などと軽口を叩きながらもヤル気に満ちているのが、上中下トリオ&山田だ。流石に、僕を真似してサバイバル生活を始めただけある。

「僕はそれなりの食料は持っているけれど、流石に18人分を賄えるほどの量はないんだよね。だから、まずはみんなの食料確保が最優先」

「確かに、それはそうかもしれないが」

 それが最優先でいいのか、と蒼真君がみんなを代表するように聞いてくる。

「まずはここでの生活が安定しないと、装備を整えることも、レベルアップすることもままならいからね。ヤマタノオロチのことはしばらく放っておくくらいでいいでしょ」

 奴はレイドボスではあるが、イベント期間限定ってワケじゃない。僕らが倒さなければ、永遠にあの場所に居座り続ける存在だ。

「おい桃川、とりあえずイノシシ狙いでいいべか?」

「海辺の無人島エリアには、イノシシ以外にも食べられるのが沢山いるから、もっと狙い目の奴がいるよ」

 警戒心が強くそれなりの逃げ足もあるが、安全に狩れるのはメール情報でもオススメされている草食動物ジャージャだ。

 次点では、積極的に攻撃してくるアクティブモンスターではあるが、肉は食べられる鳥型モンスターのコッコ。

 でも蒼真君がいるなら、ロイロプスとかミノゴリラに挑んでも余裕だろう。

 四号機ミノタウルスのベース素材にもなった中ボス級のミノゴリラは、どっちかといえば人型のモンスターであり、その肉を食べるつもりはなかったのだけれど、気が付いたらメイちゃんが調理していて、そうとは知らずに食べてしまったんだよね。味はほぼ牛肉だった。なかなか美味しいし、食べごたえもある奴だ。

「肉の他にも、あそこには結構な野菜や果物もあるから、その辺もとってきて欲しい」

「つっても、俺らじゃそういうのは見分けつかねーぞ?」

「レムを同行させるから、その場で聞いて選別してきてよ。持って帰って来た後に、僕がもう一回チェックもするから大丈夫」

 レムは頭の良い子だから、しっかり僕らが食べている動植物のことは覚えている。イエスとノーの意思疎通だけでれきば、食材チェックするだけなら十分だ。

「特に、モモマンゴーはレアだから、見つけたら絶対にとってきてね」

「お、おう」

「あとは、そうだ、デカい蜂の巣を見つけたら、場所を覚えておいて。ハチミツとれるから」

「は、はちみつ!?」

 と、甘味の存在に食いついたのは、意外にも夏川さんであった。

 いや、意外、と言うのは失礼か。彼女は普通に女子である。メイちゃんほどじゃないにしても、甘いものに餓えているだろう。

「それじゃあ、今日の夕飯の献立がクルミ尽くし定食になるか、焼き肉食べ放題になるかはみんなの働きぶりにかかっているから、頑張って狩って来てね」

「桃川、お前は来ないのか」

「僕はここでやること沢山あるから。風呂だって入りたいでしょ?」

「おい蒼真、ここは桃川に任せておけばいいんだべ」

 すでに衣食住をお世話してもらった経験済みの下川は、したり顔で言っている。こういうのも、信頼の一つの形ってことなのかな。

「メイちゃんと蘭堂さんはこっちに残ってて」

「桃川、恋愛は校則で禁止されてるべ」

 言うな、白い目で睨むな。

 二人にはちゃんとこっちでのお仕事があるから。決してハーレム気分味わおうとか思ってないから。

「蘭堂さんには土魔法で釜を作ってもらうから。上手くいけば、大浴場だってできるよ」

「は? 釜ってなに? 陶芸?」

「あー、そういやぁ毎回泥遊びするのも手間だからなぁ。うっし、お湯は俺に任せておけ」

 水魔術士って、呪術師の次に生活に便利な天職だと思う。どこでも水道って地味に凄くない?

「だから釜ってなによー」

「メイちゃんは僕のアシスタントってことで。料理の準備もあるし」

「うん、分かったよ」

 あえて口には出さないけど、僕の護衛。

 この状況下で誰かが僕に危害を加えるとは思い難いけれど、何が起こるか分からない。備えは常にしておくことに越したことはない。

 ひとまず、しばらくの間、僕は小鳥遊小鳥が操る転移魔法陣は使わないでおこう。

 僕が飛んだ瞬間に、謎の不具合が起きた、とか言い張って転移魔法陣を閉ざされるかもしれない。

 被害妄想、と言われそうな発想ではあるが……僕としては、蒼真派閥の奴に、自分の命綱を一瞬でも握られる瞬間というのは作りたくはない。

 小鳥遊小鳥は僕が見た限りでは、レイナと似たような感じで、純真だし怖がりで、いかにも女の子らしい性格だと思っているが、腹の底では何を考えているか分からないし、純粋さそのものが僕を殺す凶器になるってことは嫌ってほど理解している。

 本当は、転移も装備も担当する重要なポジションに彼女を就けたくはなかったが、天職『賢者』は彼女だけ。どうやっても替えが利かないのだ。

 だから、利用はするけれど、絶対に隙だけは見せないよう気を付けないといけない。

「それじゃあみんな、行ってらっしゃーい」

 小鳥遊小鳥への疑念を考えながら、転移魔法の光に包まれて狩りに向かうクラスメイト達を僕は見送った。

 これで学園塔に残っているのは、僕、メイちゃん、蘭堂さん、それから転移魔法担当の小鳥遊小鳥と、委員長、天道君である。

 委員長は天道くん係にかまけて置き去りにされたワケではなく、ちゃんと僕と一緒にこれから住むことになる学園塔での生活空間、いわば寮の設営に協力してくれることになっている。

「天道君はどうするの? 寝てるの?」

「人をニートみてぇに言うんじゃねぇ」

 ついさっきまで天道くん係によって色々と言われたらしい天道君は、やや疲れた表情をしながら、僕の率直な問いかけに答えてくれた。

「俺はあのクソ蛇のところに行く」

「じゃあ、僕と蘭堂さんも一緒に行こうか」

「えっ、ウチも行くの!?」

 また二時間も歩くのヤダーっ! とダダをこねる蘭堂さんだが、彼女には土魔法による『魔女の釜』のベース作成という仕事の他に、メインとなる重要な――

「ぶはぁ!」

「桃川ぁー、ウチもう歩きたくねぇー」

 ぶーたれる蘭堂さんによって背後から奇襲を受けた僕は、ほっぺたをモニモニされて邪魔をされてしまう。

「あー、もう、いいから離してよ!」

「だってぇー」

「しょうがないから、僕のアルファに乗っていいよ」

「なにソレ」

「アレ」

「クアーッ!」

 指を指すと、アルファが吠えて存在をアピール。

「アレに乗んの?」

「苦労して手に入れた自慢の新車だよ。中身はレムだから安心して載せてもらってよ」

「そっかー、レムちんの新しい体かぁ」

 こういう時、レムのこと知ってると理解速くて助かるよね。というか蘭堂さん、なにその渾名? ちょっと可愛いね。

「じゃあな、先行ってるぞー」

「ああーっ、ちょっと待って天道君! 蘭堂さんには釜作ってもらってから出発したいんだよね」

「うるせー知るか」

「だから釜ってなんなのよ」

「待ってる間、天道君は小鳥遊さんにタバコをコピーしてもらっててよ」

「そういやぁ、そういう話だったな」

 よし、足止め成功だ!

「おい、小鳥遊、できるのか?」

「ぴぃ!?」

「龍一、アンタこの期に及んでまだタバコなんて持ってたの?」

「おいおい、勘弁してくれ涼子。こんな場所だからこそだろうが――」

 いいぞ、天道くん係。そのまましばらく痴話喧嘩して時間潰ししていてよ。

「それじゃあ、さっさと『魔女の釜』造りを済ませておこうか」

 いい加減、蘭堂さんも釜の正体が気になっているようだしね。もし、彼女の土魔法による高速釜製造ができるようになれば、僕としてもヤマタノオロチ攻略に使えそうな手段の一つになりそうだし。是非とも、頑張ってもらいたい。

第194話 土木工事

 驚くほどあっさりと、蘭堂さんの土魔法による『魔女の釜』作成は上手くいった。マジで一発だ。

 天道君に作ってもらったという金ピカのリボルバーで『石盾テラ・シルド』を発動させると、見事に釜の形が出来上がる。しかも、サイズや形状などもかなりの自由度で変更可能。流石に、大浴場みたいな大きなものになると、中級防御魔法の『岩石大盾テラ・アルマシルド

を使わないと一発ではできなかった。

 というか、中級防御魔法なんか習得してたんだね。自己紹介で軽く聞いてはいたけれど、こうして実際に見てみると、蘭堂さんの成長を実感する。

 そして、この感じなら僕の考えも上手くいきそうだと確信できた。

「よし、それじゃあヤマタノオロチのところに行こうか」

「うわー、マジで桃川が二人いるよ」

 ヤマタノオロチ監視係として僕が『双影ふたつかげ』を発動させると、定番のリアクションを蘭堂さんがくれた。

「すっげ、これどうなってんの? VRってやつ?」

「いやこれ呪術だから、VR関係ないし、ちゃんと実体もあるから」

「おおー、マジだ、触れる」

「ちょっ、服の中はやめて!」

 いきなり学ランの裾から手を突っ込まれて、お腹をプニプニされる。痛覚ではなく、普通に感知するレベルでの触覚だからくすぐったさが本体の僕にまで伝わって、あっ、そこはらめなの!?

「ねぇ、天道はこれ見分けつく?」

「……いや、分かんねぇな」

 非常に危ういところで蘭堂さんのエロい手が引っ込んでくれて、惜しい、もとい、難を逃れる。

 しかし、天道君がいつもよりやや真剣な感じで僕(双影)を見ながら、「分からない」と言ったってことは、本当に見分けがつかないのだろうか。

 ところで天道君、早速タバコをふかしているってことは、小鳥遊さんのコピーは成功したんだね。

「だが、やっぱ偽物か。触れば分かる」

「あーちょっともうやめてよー」

 乱暴に頭をグシャグシャされてしまう。僕は別に俺様男子好きな乙女ではないので、天道君に撫でられても嬉しくもなんともないし、これもまた痛覚判定は入らないから、本体に感触伝わって微妙な思いをする羽目に。本体の僕自身は髪の毛乱れてないのに、思わず直そうとしちゃったよ。

 ともかく、初見の人は恒例の僕の分身弄りもそこそこに、今度こそヤマタノオロチの巣へと出発する。

「おおー、すげーイイじゃんこれ! 乗馬ってこんな感じ?」

「レムが気を使って、乗りやすくしてくれてるんだよ」

 真っ赤なラプターであるアルファに跨った蘭堂さんは、初めての騎乗体験にはしゃいでいる。レムの気遣い含め、乗り心地は保証できる。鞍も鐙も、乗りやすいよう地味に改良を加えてるからね。

 だが、そんなことよりアルファに乗る蘭堂さんの姿はなかなかに刺激的である。

 相変わらずの短いスカートで、堂々と足を開いて鞍に跨っているので、それはもう見えるワケですよ、チラチラと。あの豹柄パンツは今はメイちゃんのモノだけど、ちゃんと替えの下着はあったんだね、蘭堂さん。黒も似合ってるよ。

 おまけに、騎乗すると徒歩よりもずっと上下に揺られるので、魅惑の褐色爆乳がどっぷんたっぷん揺れている。

 僕の視線はすっかり前方不注意に陥っているけれど、騎乗姿の蘭堂さんをチラリとも見ない天道君ってなんなの? ホモなの?

「おい、桃川」

「えっ、なに、別に失礼なことは思ってないよ?」

「なに考えてんだテメーは。そんなことより、もうちょっと早く歩け」

「ごめんね、やっぱりただ歩くだけでも、本体と分身の両方を同時に動かすのはまだ慣れないっていうか」

 折角の機会でもあるし、これから必要な能力とも思っているので、僕は本体の自分自身と『双影』を同時に動かせるように練習することにした。

 ヤマタノオロチへと向かう天道チームに同行している分身の僕は、とりあえず歩かせるだけで、学園塔に残った僕本人の方は、メイちゃんと委員長と共に色々と作業をしている最中だ。

 しかし、当然ながら一つの意思で二つの体を同時に動かすのは難しい。ただでさえ、右手と左手で別々な動作をするだけでも難しいのだから、それが丸ごともう一つ体が増えるとなると、非常に頭がこんがらがる。

 実際、こうして歩いている分身の僕の足取りは、酔っ払いのように怪しい感じになっていた。

 けれど、曲がりなりにも分身を歩かせつつ、僕自身が動くことはできている。これは練習次第で、もっと自由自在に同時操作ができそうな感じがする。

「お前の練習に付き合ってやる義理はねぇ。桃川もその赤ラプターに乗って、さっさと行くぞ」

「えー、しょうがないなー」

 二人乗りとか危なそうだしイヤだなー、などと思い渋ってはみるものの、この時の僕は、二人乗りの本当の危険をまだ知らない。

「ほら桃川、後ろ乗りなー」

 なんだかんだで蘭堂さんの後ろに乗り込む形となった僕は……うん、まぁ、こんだけ密着したらどう考えてもヤバいよね。

「よーっし、飛ばすからしっかり掴まってろよ桃川ぁー」

 しっかり掴まってていいんですか!? うおお、ヤバい、この感触は、恋愛禁止とかどうでもよくなっちゃうぅ……




 徒歩2時間の距離を、30分ほどで踏破し、僕らは再びヤマタノオロチが居座る岩山までやって来た。いやぁ、30分も合法的に蘭堂さんに抱きつけるサービスタイムだったよね。本体の方の僕、完全に動作停止しちゃってたよ。

 さて、ピンク色に染まり切った脳内だったけれど、無数のガーゴイルが巣食うレイドボスのステージを前にすると、嫌がおうにも緊張感は高まってくる。ここまで来ると、いつフラっとガーゴイルが気まぐれに襲って来てもおかしくない距離だ。そろそろ真面目にやるとしよう。

「俺は勝手にやらせてもらう。お前らの面倒まで見るつもりはねぇからな」

「任せてよ、僕、引き際の判断には自信あるんだよね」

「うん、ヤバくなったらちゃんと天道呼ぶから」

「俺の助けは期待するんじゃねぇぞ」

 憮然とした顔で天道君はそう言い残して、一人でヤマタノオロチへと挑みに行った。

 一人で倒せる、とは彼も思ってはいないだろう。天職『王』という底の知れない力を持っている天道君としては、色々と試してみたいこともあるんだろう。いいねぇ、能力に選択肢のある人は。贅沢な悩みだよ。

 さて、こっちはこっちで、やるべきことを試して行こう。

「蘭堂さん、穴って掘れる?」

「あー、どうだろ、分かんね」

 僕の質問に、実に微妙な表情で答えてくれる蘭堂さん。でも、何となくイケそうな気はする。

「とりあえず、やるだけやってみようよ」

「うーい」

 というワケで検証開始。

 蘭堂さんは黄金リボルバーを手に、『石盾テラ・シルド』を次々と撃ちだす。

「まぁ、こんなのが限界かな」

「いや、十分だよ。ちゃんと地面に干渉できてるし」

 結果としては、突き立つ土の壁と、その根元から面積1平方メートル、深さ30センチ、程度の穴というか、掘り下げられた状態にすることができた。『石盾テラ・シルド』一発でこの感じ。

 蘭堂さんの使用感からすると、自分の魔力だけで土の壁となる土を作ると共に、地面の土も取り込むような感覚らしい。恐らく、この掘り下げられた体積分の土が、構築された土の壁の一部となっているはずだ。

「この際、壁の強度はどうでもいいから、とにかく沢山の土を地面から移動できるようにしたいんだよね」

「そんなことしてどうすんの? トンネルでも掘るわけ?」

「それができれば一番楽だけど、多分そこまでは無理そうかな」

 ヤマタノオロチは岩山の奥にある本体コアを破壊できれば良い。もしこの辺の安全圏からトンネルを奴の居座る岩山の真下まで繋げることが出来れば、無数のガーゴイルもビーム全力ぶっぱのオロチ頭×8をスルーして、最終目標を叩ける。

 しかし、蘭堂さんの感じからすると、そんなにホイホイとトンネルを作り出すことはできそうもない。天職『土魔術士』を極めれば可能なのかもしれないが、それにはちょっと、あまりにも時間がかかりそうで、現実的ではない。

「とりあえずは、僕らがそのまま入れるくらいの深さが掘れればいいかな」

「なにそれ、自分が穴に入ってどうすんのよ」

「安全地帯だよ。ヤマタノオロチのビームから避難するためのね」

 ここの地形は、中央の岩山に向かって、超巨大な蟻地獄のようにゆるやかな傾斜を描くお碗型となっている。東西南北、どの方向から接近しても、八つの頭を持つヤマタノオロチは余裕で四方を見渡すことができ、かつ、一切の遮蔽物がないために、ビームで狙い放題だ。

 最初の下見に訪れた時に、ヤマタノオロチがブレスを撃ち始めたあたりから、完全に手が付けられなくなったのは、正に目撃した通り。

 幸い、奴らのブレスはかなり狙いが大ざっぱで、誰にも直撃することはなかったものの、広範囲を盛大な破壊の渦に巻き込む火力は脅威の一言だ。蒼真、天道、メイちゃん、このトップスリーでなければ、あのブレスの嵐の中を体一つで生き残ることはできない。僕は勿論、上中下トリオや剣崎明日那くらいでも、ついていけない。

 ブレスを凌ぐことができなければ、彼ら三人の隣に立つこともままならないのだ。

「だから、塹壕を作ればとりあえず誰でも前線までは出て行けると思うんだよね」

「こんなちょっと掘っただけの道みたいなので、ホントにあのヤバいビーム防げんのぉ?」

「真上から直撃しない限りは大丈夫だよ。さっき見た時も、着弾すると派手に炎やら雷やらが噴き上がってたけど、地面はそれほど抉れてなかったから」

 オロチビームは途轍もない魔力の奔流として放たれているが、貫通力はそれほどでもないようだ。ただ、着弾点の至近距離にいると、爆風や炎、雷、氷、などの各種属性が激しく荒れ狂っているので、範囲攻撃としての危険性は高い。

 しかし、まき散らされる各属性の威力も、塹壕の中に入っていれば頭上を通り過ぎるだけ。どの属性も爆風と同じ広がり方をしているのは、メイちゃんに抱えられながら逃げている最中にちゃんと観測している。

「見た目は頼りないけど、塹壕は頑丈、というか、地面そのものが盾になっているワケだから、貫けるワケないんだよね」

「ふーん、やっぱ桃川、色々考えてんだ」

 力のない者は、知恵を絞るしかないからね。僕もチート能力に頼り切りの脳死プレイしたいんだけど、ルインヒルデ様が許してくれないもので。呪術師の道は険しい。

「あと、塹壕と並行して、トーチカも設置しておきたいな」

「なにそれ」

「コンクリートで作ったかまくらみたいな、頑丈な建物」

 委員長も蘭堂さんも下川も、魔法による遠距離攻撃を可能とする魔術士クラスである。そして、彼らの共通点としては、物理的に打たれ弱いという致命的な欠点も存在する。勿論、防御魔法はなかなか優秀ではあるが、究極的には生身そのものが頑丈になっている剣士や戦士などの前衛職の方が安全だ。

「魔術士クラスの攻撃が届くような位置にトーチカを設置すれば、そこから撃ち放題じゃない?」

「なるほどなー」

 果たして、そこまで上手く行くかどうかは分からないけれど。ブレスの直撃に耐えられるほどのトーチカが建設できれば良いのだが。

「とにかく、このボス部屋代わりの岩山周辺は、敵にとって有利な地形になっている。だから、塹壕掘って、トーチカも建てまくって、少しでも僕らに有利な地形に変えようっていう作戦だよ」

 どうせ奴らはこの場所から一歩も動くことはないのだ。

 敵の居場所が分かっていて、さらに絶対に動けないことが確定しているなら、いくらでも工作ができるってものだ。どこかゲームじみたボス戦の仕様は、僕らにとって数少ないメリットでもある。

 だから、この場所をお前らのホームではなく、僕らのホームに変えさせて貰おう。この天職『土魔術士』蘭堂杏子の力で。

「時間はあるんだ。ゆっくりやって行こう」

「ほーい」

 こうして、蘭堂さんの地道な土木工事が始まった。




「おい、帰るぞお前ら」

 そろそろ日が傾き始めそうな頃、ヤマタノオロチの首を一つ叩き潰してきた天道君が工事を続けていた僕らを呼びに来た。

 そういえば、ここって普通に屋外だから昼夜がはっきりしているんだよね。

「じゃあ、帰ろっか」

 んあー、とやけにオッサンくさく伸びをしている蘭堂さん。地味に魔力量が潤沢な彼女は、魔力消費はそれほどでもないだろうけど、連続で魔法を行使し続けることによる集中力の方が疲労を誘うようだ。多分、こういうのも魔法の修練になるだろう。

 現に、僅かながらだけど、蘭堂さんの掘削式『石盾テラ・シルド』は干渉する土の量が増えている。このままのペースで上昇していけば、数日中には一発で塹壕の深さが掘れそうだ。

「二人ともお疲れ様。僕はこのまま残るから」

「えっ、マジで桃川、残業かよ」

「いやこっちの僕は分身だし」

 監視カメラのように視点だけ共有できればいいだけだから、僕はこのままここで寝そべっているだけでいい。感覚共有もオフにしておけば、野ざらしでも関係ないし。

 あー、でも雨降ってドロドロになった後に感覚戻して動き始めたら、凄い気持ち悪そう。仕方ない、蘭堂さんのトーチカ建設が上手くいくまで我慢だ。

「そういえばそうだっけ」

「うん、だから気にしないで早く帰ってよ。狩りも上手くいったみたいだから、美味しいご飯が食べられるよ」

 すでに狩猟組みの方も順次帰還しており、それぞれの成果を持ち返っている。案の定、一番の大物を仕留めたのは蒼真君だったけれど。このまま『狩人』にジョブチェンジしない?

「それじゃあ、また明日。ばいばーい」

 と、学園塔では僕本人が待ってはいるけれど、アルファに乗った蘭堂さんと、徒歩の天道君の二人を見送って、『双影』である僕一人が残った。

「さーて、それじゃあ夜の生態も観察させてもらおうかな」

 夜はぐっすり寝入っていて隙だらけ、とかそういうアホみたいな弱点あってもいいんだよ? そこまではいかないにしても、夜は動きが鈍るとか、そういうちょっとした変化でも攻略の役には立つだろう。

 ヤマタノオロチは勿論、あの邪魔くさいガーゴイル軍団もそうだ。

 そういえば、ガーゴイルといえば、コイツは一体だけ、屍人形にしておいた。コレは監視係の僕の隣に置いておく。夜中に、ガーゴイルが気まぐれに僕を襲いに来た時に、防衛、または連れて逃げるための護衛である。

 4号機ミノタウルスもあってレムの稼働は限界オーバーだけど、とりあえず体だけ作って置いておくだけなら問題はない。

 ヤマタノオロチ攻略戦では、単純にスペアボディを用意するのは勿論、劣勢な場所にすぐさま救援できるよう、各地にレムの体を待機させておいてもいいかもしれない。

 今は優秀な狩人であるところの蒼真君もいるし、リビングアーマーやミノゴリラくらいの素材だったらいくらでも集められそうだし。黒騎士レム量産化計画も夢ではない。

「うーん、そうなると、僕もレムの操作能力をレベルアップさせた方がいいかも」

 などと、ガーゴイルレムを傍らに、まだ塹壕とも呼べない浅い溝の中に入った僕は、ヤマタノオロチが潜む岩山の向こうに陽が落ちていくのを眺めていた。

「……あっ、これ夜になるとなんにも見えないなぁ」

 そして、光源が何もないから夜間は僕の視力では監視不可能という当たり前のことに、陽が沈み切ってから気が付くのだった。

第195話 学園塔の夜

「はぁ……」

 と、熱い湯に体を沈めると溜息を漏らしてしまうのは、日本人の性であろうか。

 蒼真悠斗は、風呂に入ったのはいつぶりだったろうと、しみじみ思ってしまった。

「本当に、完璧な露天風呂だな」

 温泉宿にも負けないほど広い湯船は、今ここに集った男子全員が入っても尚、十分な余裕がある。クラスメイトと一緒に風呂に入るのは修学旅行を思い出させるが、煙る湯気の向こうに広がる殺風景な荒野が、嫌でもこの場所が非日常のただ中であるという現実を突きつける。

 だが、それでもこの久しぶりに入った風呂は、素直に気持ちよいとしみじみ感じ入ってしまう。

「よう、随分と腑抜けた面してるじゃねぇか」

「龍一、お前もな」

「へっ、言いやがる」

 天道龍一は一人でヤマタノオロチに挑み、ほぼぶっ通しで戦い続けていたという。それほど強くはない食用の魔物を狩って来ただけの悠斗達に比べれば、その疲労感も大きい。そして、そういう時ほど、風呂は身に染みるものだ。

 悠斗と龍一は、周囲ではしゃぐ上中下トリオの声をBGMに、二人で肩を並べて黙って湯につかり続けた。

「こんなことをしていて、いいんだろうか」

「おいおい、こんなどっぷり風呂はいっておいて今更かよ」

 ポツリとつぶやくような悠斗の声に、龍一は心底呆れたように言う。

「ああ、全くだよ……すっかり、桃川に乗せられた気分だ」

 相変わらず否定的な台詞。だが、今の悠斗の表情は、むしろ自分の方が折れてしまったことを認めるように、覇気のない顔であった。

「ここまでさりゃあ、ケチの一つも出てこねぇか」

 この素敵な露天風呂だけではない。入浴の前には、狩って来たばかりの獲物をふんだんにつぎ込んだご馳走と呼ぶべき料理も腹いっぱいに食べてしまっている。

 肉汁滴るワイルドな肉料理の数々は、何種類ものハーブや香辛料でしっかり味付けされている手の込みよう。

 大鍋には魚醤ベースのスープが沸き、大皿には生野菜のサラダが盛られ、小鉢には漬物まで入っている。

 そして、極めつけは食後のデザート。フルーツのハチミツ漬けが、僅かながら、それでも確かに18人全員に配られた。

 悠斗は、芽衣子が離脱して以降、クルミだけで凌いでいた食生活を今更になって恥じた。このダンジョンには、食べられるものがこんなにあったのに。いくら必要な栄養が補給できるとはいえ、クルミだけを食し続けるなど、原始人以下の食生活である。

 もっとも、原始人と同等なサバイバル生活をしていた上中下トリオも、最早フルコースと呼んでも過言ではない料理の数々に絶句していたので、多少の努力で用意できる代物ではないのは確かだった。

 そんな贅沢なご馳走に舌鼓を打ってから、この露天風呂である。

 さらに、この後は妖精広場の芝生ではない、柔らかい寝床で就寝できるという。

 至れり尽くせりとはこのことか。まして、ここがダンジョンのど真ん中だと思えば、夢か幻でも見ているかのような環境である。

 しかし、桃川小太郎はそれを実現してみせた。

 この風呂は、彼の『魔女の釜』という呪術によって作られている。釜のように煮炊きするだけでなく、冷凍や乾燥など、様々な効果をその中で発生させることができるという。

 その能力を応用して、杏子の土魔法で巨大な釜を作り出し、下川の水魔法で湯船を満たし、釜本来の効果で給湯する。三人の力を合わせることで、この巨大な露天風呂は短時間で、男湯と女湯の二つを作り上げてみせたのだ。

 料理の方も、この『魔女の釜』によって成り立っている。

 双葉芽衣子は料理部であり、元から料理の腕前は高かったらしいと悠斗は聞いたことがある。本人の技術に加え、加熱も冷凍も自由自在の万能な調理器具として『魔女の釜』を用いることで、大幅に調理の手間を短縮できている。

 もっとも、それらに加えて、すでに彼女が桃川と共にダンジョン生活の中で現地の食材を使って料理し続けてきた経験もあってこそだが。

「認めざるを得ないさ。俺じゃあ、いや、俺達じゃここまではできなかった」

 小太郎よりも遥かに優れた錬成術を使える『賢者』小鳥遊小鳥に、『王』の力で他に幾らでも補える天道龍一。衣食住の充実を最初から目標として掲げていれば、この二人も不可能ではないだろう。

 だが、現実として二人はそれをせず、小太郎だけがこれを成した。

 それはきっと、単なる能力の差異ではない。本人の資質であろう。

「まぁ、マメな奴だよな。こんなもんまで拵えてやがる」

 と、龍一は湯船の淵に置いた、白いタオルの入った桶を軽く叩く。

 タオルの白い繊維はアラクネの吐き出す蜘蛛糸で、桶は山田にジャングルから切り出してこさせた木材を『簡易錬成陣』にかけて作ったものだ。

 さらに露天風呂の一角には、通称『石鹸の実』と呼ばれる広場で採取できる汚れ落としの木の実を材料として、成分を分離圧縮したより本物に近い石鹸が用意されている。

 入浴に必要となる小物まで人数分、きっちり用意しているのは、小太郎なりのこだわりなのか、あるいは、自分の能力のアピールなのか。

 そんな小太郎は現在、風呂は最後でいいと後回しにして、狩られたモンスター素材の選別と、それを利用した錬成による工作に今も勤しんでいる。

「まさかアイツ、ここに定住する気じゃないよな」

「それはねーよ、アイツはビビりだ。いつまでもこんなところに居座る気はねぇだろ」

「龍一は、桃川と一緒だったことがあるんだろ。もしかして、仲良くなったのか?」

「なんだソレ、裏切りでも警戒してんのか。それとも、男の嫉妬か?」

 小馬鹿にしたような龍一の問い返しに、悠斗は呆れたように溜息をつくだけだった。このテの挑発にいちいち乗るようでは、龍一の幼馴染はやっていられない。

「それで、どうなんだよ」

「別に、何もねぇな。タバコを交換したくらいで、あとはアイツが一人でバタバタやってて、そんで勝手に蜘蛛野郎に捕まって、それきりだ」

「その割には、随分と桃川のことはかっているように見えるけどな」

「当然だろ。天道くん係、なんて舐めた真似しやがって」

「真面目に聞いているんだ。桃川は、お前が警戒するほど、強いのか?」

「弱ぇに決まってんだろ。アイツは見た目通りの貧弱なチビだ」

 だがしかし、それでも桃川小太郎は、蒼真悠斗も天道龍一も押し退けて、今やこの二年七組の中心となっている。

 何故、どうして。理由を上げれば、当事者である蒼真悠斗自身、納得のいくものは幾つも上げることができるだろう。学級会で、あれほど話し合ったのだ。今更、不満のつけようはない。

「だからこそ、アイツは不気味なんだ。レイナを殺したのは桃川だ。けど、こうしてクラスの中心になっているのも、桃川だ」

 まるで、掌で踊らされているような錯覚さえ感じる。

 現に、今日は奴の言うことに素直に従って、狩りをしてきた始末だ。

 しかし、その行動も結果も、全て納得済みなのだから、余計に分からなくなる。

「バーカ、くだらねぇことでグチャグチャ悩みやがって、恋する乙女かテメーは」

「なんだと」

「人から聞いた噂話でソイツを判断するのは女のやることだ。女々しいことやってねぇで、分からねぇなら本人に聞け。強さの底が知りてぇなら、喧嘩の一つでも売ってこい。幼馴染のよしみだ、優等生のお前には、喧嘩の売り方くらいは教えてやるぜ」

「あー、分かった、俺が馬鹿だったよ。お前に聞いた俺がな」

「うるせーよ」

 だが、龍一の言う通りだと思った。

 桃川小太郎がレイナを殺した犯人であることに違いはない。その恨みが晴れることは生涯ないであろう。それでも、今はクラスメイトの一人として、彼も含めて全員で一致団結することを決めた。

 ならばその上で、桃川小太郎が仲間として信頼に足る男かどうか。自分の目で確かめていかなければいけないだろう。

「はぁ……いい湯、だな」

 とりあえず、風呂を作ったことは素直に評価しなければならないだろうと、蒼真悠斗は月を見上げて思うのだった。




「はぁ……」

 と、湯船に沈みながら姫野愛莉は、絶望のどん底に沈みきったような表情で、目の前の光景を眺めていた。

「やはり、お風呂は良いものですね」

「これは流石に、桃川君に感謝するわ」

「ああぁー、気持ちぃー」

「小鳥も早く来ればいいのに」

 順に、蒼真桜、如月涼子、夏川美波、剣崎明日那、の蒼真ハーレムを形成する美少女達である。そう、彼女達は白嶺学園では知らぬ者はいない、それぞれの魅力に輝く美少女なのだ。

 そんな彼女達は今、一糸まとわぬ全裸となってこの露天風呂でくつろいでいる。

「この風呂作ったらさー、なんか新しい魔法覚えたんだよねー」

「へぇー、やったじゃん」

「やっぱ普段と違うことした方が、新技とか覚えやすいのかぁ」

 蒼真ハーレム組みとは反対側に陣取っているのは、蘭堂杏子とギャル友であるジュリマリの二人。

 単純な顔面偏差値では蒼真ハーレムには劣るものの、三人とも高校生としては大人びた綺麗な顔立ちをしている。

 ジュリマリコンビはいつだったか読者モデルになったこともあると自慢していたように、スラリとした美しい細身だ。小顔で、足は長く、腰の位置は愛莉よりも明らかに高い。こうして裸体を目の当たりにすると、骨格からして違っているのだと思い知らされてしまう。

 だがそんなモデル体型のジュリマリよりもさらに凶悪なのが、女子高生とは思えない日本人離れした褐色の豊満な肉体を誇る蘭堂杏子である。文字通りに桁外れのバストサイズ。ムチムチした暴力的なまでの肉感あふれるその体は、本物の『淫魔』である愛莉よりも、遥かに淫魔らしい。

「はぁ……なにこの楽園」

 白目を剥きそうな表情で、愛莉はこの美少女と美女しかいない露天風呂の景色を目の当たりにしている。

 眷属『淫魔』と化して、男をたぶらかすためのスキルすら授かった今の自分には、女としてのプライドもある。だからこそ、その顔一つで自分の地位を追い落としたレイナ・A・綾瀬のことは親の仇のように憎い存在だったが……今ここに、レイナ級の美少女軍団が勢ぞろいである。

 彼女達には、誰一人として愛莉に対し敵意を抱く者はいない。だが、彼女達がそこにいるだけで、愛莉のプライドはバッキバキにへし折られていくのだ。

 彼女達の魅力が、なによりも雄弁に物語る。姫野愛莉が、この中で一番ブサイクだよねと。

「て、底辺……圧倒的底辺……」

 虎やライオンに対し、草食動物以下の雑草レベルの底辺階級が今の愛莉である。

 そして、蒼真ハーレムとも蘭堂ギャルズとも特に友好関係になかった愛莉は、この中でぼっちでもあった。

「姫ちゃーん」

「あっ、双葉ちゃん……」

 孤独と絶望に打ちひしがれている愛莉に気安く声をかけたのは、この面子の中では唯一、学園生活の頃からの友人であった、双葉芽衣子に他ならない。

 孤独感からは救われたような気持ちで呼ばれた方へと目を向けるが、煙る湯気の向こうから現れたのは、あの頃とはあまりにも変わり果てた友達の姿であった。

「ねぇ、背中流してくれないかなぁ? 折角、二人いるんだし」

 などと、修学旅行の時のように気軽に言う芽衣子は、さながら異世界の食物連鎖の頂点に君臨するドラゴンの如き威容。

 顎も頬も肉が落ちて、本来備わっていた美貌が最大限発揮された美少女フェイスは、それだけで蒼真ハーレムに対抗しうる戦力となる。

 しかし最も強大な力は、あの蘭堂杏子をすら上回る規格外のバストサイズ。何故、この大きさで垂れていないのか理解不能。異世界特有の魔法の力は、おっぱいの常識すら覆すと言うのか。

 女子として抜きん出た長身を誇るその身に、圧倒的な質量兵器を搭載した芽衣子は、巨乳をウリにするグラビアアイドルを虐殺できる過剰戦力であろう。

「おっぱいデケぇ……ケツもデケェ、足長ぇ……くびれぇ……コイツも淫魔かよ」

「姫ちゃん? 大丈夫、のぼせてるの?」

「ううん、何でもない、背中流すよ!」

 乙女心の崩壊によって、危うく自我を失うところであったが、すんでのところで理性を取り戻す。

 大丈夫、落ち着け。双葉芽衣子は最早、昔のように自分のブスさを隠すためのデブの盾ではなく、立場の弱い自分を守れる立派な防波堤、いや、堅牢な大要塞といえる。

 芽衣子は今も変わらず愛莉のことを友達として扱ってくれる。故に、彼女との友情がある限り、この18人に減った二年七組の中でもそう悪くない立場のままでいられる。

 この面子でぼっち化したら、確実に死ぬ。心が死ぬ。いつまたレイナの時のように、発狂して逃げ出すか分かったものではない。

「双葉ちゃんも、私の背中流してよ」

「うん、いいよ」

 だから、この身も心も生まれ変わったような双葉芽衣子とは、変わらぬ友人関係を続けよう、と固く決意した愛莉だった。




「ふぅー、まぁ、こんなもんかなぁ」

 ひとまず、蜘蛛糸生地にコッコの羽毛を詰め込んだ、試作型羽毛布団第一号が完成した。

「ううぅ……じゃあ、小鳥もお風呂行っていいの?」

「小鳥遊さんは18人分、この布団コピーしといてよ。みんなに今夜使ってもらって、レビューを聞いて改良するから」

「こ、小鳥もお風呂、入りたいよぅ……」

 小鳥遊さんは全てを諦めたような表情で天を仰ぐと、その円らな目からツーっと涙が一筋零れ落ちた。

 あーあ、泣いちゃったよ。参ったな、こういうところ蒼真君に見られたらまた誤解するじゃん。

「はぁ、しょうがないなぁ。今日はもうここまででいいから、上がっていいよ」

「えっ、ホントぉ!?」

「なんか元気みたいだし、やっぱもうちょっと頑張ろうか」

「無理ぃーっ! 小鳥もう無理なのぉーっ!」

「あ、逃げた」

 おいおい、勤務初日で職場放棄かよ小鳥遊小鳥。

 確かに、みんなが風呂に入っている間に、僕に付き合わせて錬成作業させるのは残業以外の何ものでもないけれど、これは必要なことだし、出来る人間が僕らしかいないんだから、やらざるをえないだろう。だから、決してブラック経営ではないよ。

「しょうがない、今日はこの辺にしておくか」

 小鳥遊が僕の残業指示に泣きながら逃亡してしまったので、もう試作羽毛布団をコピーで増やすことはできなくなってしまった。仕方がないので、コイツは今夜僕が使って、寝心地を試すことにしよう。

「それにしても、出来ることが増えたから、やりたいことが沢山できちゃうなー」

 コピーの魔法である『小型複製陣』もさることながら、『簡易錬成陣』の上位互換である『基礎錬成陣』を使えるのはかなりデカい。単に錬成だけでなく、『古代語解読』との合わせ技で、妖精広場の噴水を高機能な錬成陣として使用できるし、彼女の錬成能力はぶっちぎりだ。伊達に魔法の武器の製造に着手していない、ってことか。

「でも本人がヤル気ないのは、宝の持ち腐れ感が」

 こんなに凄い錬成能力あるというのに、小鳥遊さんのこれまでの成果といえば武器の生産強化とスマホの復活くらいである。

 僕が同じ能力持っていたら、最低でも着替えや野営装備一式、照明具、罠も作る。そして何より、

「なんで防具を作らなかったし」

 これが目下のところ、最優先の生産計画である。

 じゃあなんで布団なんて贅沢品を作っているのかといえば、今日はまだ手元にある素材が狩られてきた食用モンスしかないからだ。

 それに、この学園塔に長期滞在するなら、寝具を整えたっていいじゃない。桜井君も寝袋を作っていたし、ここを去った後のことも考えて、上質な寝袋も用意しておきたいな。

「それじゃ、僕も風呂入って寝るかー」

 しかし、好き勝手に魔物素材を散らかした妖精広場の噴水周辺を片付けるのに思ったより時間がかかってしまった。

 あの小鳥遊とか言う新人、上司に後片付け押し付けて一人だけ定時上がりとかありえないよねー、的な愚痴を思い描きながら、一通りの掃除を終える。

「ありがとね、レムがいなかったら片付けだけで徹夜だったよ」

「グガガ!」

 やはり持つべきものは、忠実なシモベである。ちなみに、護衛も兼ねてここに置いているのは勿論、信頼と実績の一号機こと黒騎士レムだ。

 アルファは外で待機、というか、念のために学園塔周辺の警備をさせている。ここにガーゴイル以外のモンスターがいないとは限らないしね。

 そうして今日の仕事を全て片付けて、僕はすっかりみんなが上がった後の露天風呂に一人でやってくる。

 僕は別に小鳥遊さんみたいに、みんなと一緒がいい、みたいな馴れ合い根性は持ち合わせてはいないし、むしろ単独行動スキル持ちなくらいだし、一人で風呂とか全然気にならないけれど、こうしてクラスメイトが入った露天風呂を眺めると、少々、寂しい感じもする。修学旅行の入浴時間にすっかり出遅れた的な?

 どうでもいい感傷か、と思いながら、簡易的な脱衣所として壁だけ建てた一角で服を脱ぎ、ちゃんと個人用に割り振った桶を手に――ん、なんだ、僕の桶の中に、タオルとは別なモノが入っている。

 手にしてみると、ソレは掌におさまるような布地で、黒いパンツらしい。

 おいおいマジかよ、なにこれイジメ? 誰だよパンツを僕の桶にぶちこんだ野郎は、と思いきや、そのパンツに包まれる様に、一枚の紙切れがあった。


『桃川、お疲れ様! こっそり使えよ 杏子』


「ヤバい、涙が出るほど嬉しいよ……ありがとう蘭堂さん」

 自分のためを思ってくれる誰かの心遣いって、こんなにも温かいものなんだね。ありがたく、使わせていだたきます。

第196話 リライトとキナコ

 俺は葉山理月リライト。どこにでもいない超クールなイケメン男子高校生だ。

 そんな俺はある日突然、クラスごと異世界召喚に巻き込まれたが――類まれなコミュ力をもって、出会った異世界の森の熊さんとコンビを組み、この深い森を脱するべく旅をすることになった。

 で、コイツが俺の相棒、はぐれ熊のキナコだ。

「なぁキナコ、こっちで道ってあってんの?」

「ココ、ナワバリ、チガウ。オレ、ココハジメテ」

「おいおいおい、ソレって大丈夫なのかよ!?」

「モリノオク、ハンタイ。モリデルナラ、コッチ」

「なるほど、方向はあってるけど、今までこっち側まで来たことはないってワケか」

「ナニデルカ、ワカラナイ。リライト、チュウイ」

「はっはっは、そう心配すんなって! こういうのは大体、森の奥に強い奴がいるから、浅いところに住んでるのは雑魚ばっかだぜ」

 まぁ、俺とキナコの最強コンビなら、魔物だかいうモンスターが出て来ても余裕だけどな――と、思っていた時期がありました。

「ブングルドゥガ! グボゼバッ!」

「ンバ、ンバッ!」

「あわわわ……な、な、なんだよこのキモい奴ら……絶対ヤベぇって……」

 一時間も歩き続けて疲れちまったよ、と小休止していたところに、奴らは突如現れた。

 小柄なゴキブリ人間みたいな黒い奴らは、槍とか斧とか原始人のような装備で、俺達を前に今にも襲い掛かってきそうなヤベー雰囲気が漂っている。

 なんかワケの分かんねー汚い言葉で喋っていて、いくら俺でもコミュニケーションは不可能だと一発で分かってしまう。

 こっちは俺とキナコの二人だが、向こうは十人くらい……あ、おい、なに後ろに回り込んでんだよ、囲むのとかやめろよ、コエーだろ!

「ゴーマ!」

「な、なんだって?」

「コイツラ、ゴーマ。テキ。リライト、サガレ」

 グルルル、と実に熊らしい威嚇の声をキナコが上げる。

 ゴーマ、とキナコが呼んだキモい黒い奴らは、体格的には小学生くらいのチビだが、数が多いし、なにより、武器を持っている。

 奴らも自分らの方が有利だと分かってんのか、キナコが威嚇をしてもビビって逃げる様子はない。

「お、お、俺も戦うぜ!」

「リライト、アブナイ」

「お前を一人にさせられっかよ! キナコ、背中は任せろ!」

「リライト……」

 そう心配そうな目をすんなって。どの道、こう囲まれてしまっては、逃げ場なんてないしよ。

「おらっ、かかって来いよゴキブリ野郎共!」

 キナコの威嚇と共に、俺も威勢よく叫ぶが……やべぇ、武器が何もねぇ。

 ちくしょう、こんなことなら、さっき落っこちていたいい感じの木の枝でも拾ってくればよかった。こんな棒きれ喜んで拾うとか小学生かよ、とか思ってスルーしてたけど、素手よりは棒きれ一本持ってた方が遥かにマシだろうが。俺のバカ!

 そんなワケで、俺が手にしているのは相変わらず通学鞄が一つきり。

 まだ教科書もノートも参考書も全部入りっぱなしだから、流石に重いしそろそろ捨てていこっかなー、とか思っていたが……空の鞄よりは、中身が入ってた方がこういう場合ではよさそうだ。

 ゴーマの奴らが手にする武器はどれも貧相で、あんな錆びた刃物じゃ一発でこの鞄を貫通できるとは思えねぇ。できねぇよな? おい、マジで頼むぞ俺の鞄!

「グブブ、ゲブラァアアアッ!」

「うわぁああああああああああ、く、来るなぁあああああああっ!?」

 ついに、ゴーマ共が襲い掛かって来た。

 凶器を手にした奴らが迫ってくる、というだけでもうチビりそうなくらいの恐怖感。けど、俺の背中にモフモフしたキナコがいるからこそ、ギリギリで踏ん張れている気がする。

「うぉおおおお! うわぁああああああああああ!」

 俺はひたすら、鞄を振り回す。半ば泣き叫びながら、右に左に鞄を振り回しては、とにかくゴーマが近づいてくるのを牽制する。

「グバ、ゴブグラァ」

「ンババ!」

 俺の決死の応戦に、ゴーマは接近しきれない……いや、コイツら、嘲笑ってやがる!

 分かってるんだ、鞄に当たったところで、致命傷にはなりはしない。俺という無力な獲物が、無様に足掻いているのを、奴らは笑っているのだ。

「そ、そうだよ、俺は蒼真や天道みてぇに強くはねぇし、オマケに魔法の力もねぇ……」

 派手に鞄を振り回して暴れたせいで、すぐに息が上がってくる。ゴーマどもも、おいそろそろコイツやっちまうか? みたいな気配を醸し出している。

「けどなぁ、俺の相棒は熊のキナコだぞ! テメーらみてぇなドチビが束になって勝てると思ってんじゃねぇーっ!」

「プガァアアアアアアアアアアアアアッ!」

 森に響き渡る咆哮と共に、キナコが俺を狙っているゴーマどもに向かって突撃していった。

 どうやら、奴らは俺に夢中のようで、前方にいたお仲間がすでにキナコによって倒されたことに気づかなかったらしい。

 そう、コイツらが俺を舐めて様子見を決め込んでいた時点で、キナコの背中を守る、という俺の役目は果たされていたんだ!

「やっちまえ、キナコ!」

「プググ、プンガァーッ!」

 見た目はキグルミみたいなずんぐりむっくりな愛され体型のキナコだが、その体に宿るパワーは、人間など遥かに超えた野生動物の熊そのもの。

 フッサフサの毛皮はゴーマどもが振り回すチャチな刃物などものともしない。そして、真っ直ぐ迫るキナコは、鋭い爪の生える太い腕をゴーマへと思いっきり叩きつける。

「ブゲッ――」

 とか言って、軽々とゴーマが茂みの向こうにぶっ飛んで行った。奴らの体重も軽いのだろうが、それ以上にキナコの腕力が強いのだ。

 腕の一振りで、次々とゴーマどもは吹き飛び、地面を転がる。圧倒的なパワーで、首があらぬ方向に曲がっていたり、爪があたってザックリと体が切り裂かれている奴もいる。

 ゴーマはほとんど一方的に、キナコに倒されていった。

 つーか、キナコ強ぇ、マジで強ぇ。これ完全にキナコ無双じゃん。

「プガアアァーッ!」

 最後の一匹をブッ飛ばし、キナコ、勝利の雄たけび。

「やったぜキナコ! お前がナンバーワンだ!」

「プググ、ヤッタゼ」

 バンザイするみたいに両腕をあげて、キナコは勝利を喜んでいる。

「うんうん、やっぱお前について来て正解だった」

 俺もキナコの雄姿を讃えて拍手を送るが――

「ブグル、ゴバ、ウンズルバッ!」

「うおっ、なんだよまだいたのか!?」

 ガサガサと茂みをかき分けて、新たなゴーマが現れた。

 相変わらず汚い言葉叫ぶキモい奴だが……なんだ、コイツ、さっき倒した奴らよりも頭一つ以上はデカい。

「も、もしかして、ゴーマのボスなのか」

「リライト、コイツキケン、サガレ」

「お、おう……」

 どうやら、キナコとゴーマボスはサシの勝負をするようだ。流石に俺の出る幕はない。

「キナコ、気を付けろよ。アイツの持ってる槍は、さっきの奴らのよりも絶対強ぇぞ」

 このゴーマボスは体がデカいのもあるが、手にしている槍も遥かに上等だ。木の枝にナイフをくくりつけた様な手作り槍とは違い、中世の兵士が持っていそうな、しっかりとした作りの鉄の槍だ。穂先も錆付いておらず、ギラギラと凶悪に光っている。

 あの槍なら、キナコの毛皮も貫いてしまいそうだ。

「プググ……」

「ゴブブ……」

 両者睨み合い。緊迫した気配が漂う。

 あまりの緊張感に、俺はゴクリと唾を飲み込んでしまう。

 この勝負、一体どうなるんだ、

「ゲブラァアアアアアアアアアッ!」

 先にゴーマが動いた!

 気合いの入った雄たけびに、なかなか素早い踏み込みと、鋭い突きを放つ!

「プグッ――」

 鉄の穂先は、ああっ、キナコの胴に刺さる!?

「グルルァアアアアアアアアアッ!」

 キナコの咆哮と共に、力強い腕の一閃が繰り出される。

 槍が刺さってもものともせず、キナコ渾身の一撃がゴーマにぶちかまされる。

「ブゲェエエアアアッ!」

 キナコの爪は深々とゴーマを切り裂く。ちょうど喉元にヒットしたようで、首からすげぇ血飛沫を上げながら、ゴーマの野郎は絶叫している。

「ブゥウ……グ、ゲェエエ……」

 苦しげな呻き声をあげて、ゴーマはそのまま倒れた。

 やった、勝った!

 いや、違う、勝つには勝ったが、キナコは刺されてるんだぞ!

「おい、キナコ、大丈夫かっ!?」

「リライト、オレ、ダイジョブ」

「いやいやいや、これ全然大丈夫じゃねぇよ! うわわ、なんだよちくしょう、めっちゃ刺さってるんじゃねぇか! っつーか、血! 血ぃ!?」

 やべぇ、キナコの脇腹あたりに、ザックリと槍が刺さっている。毛皮を貫き、確実に肉にまで刃が刺さっているぞ。お腹まわりの白い毛皮が、流れ出す血で赤く染まっている。

「す、すぐに手当しねぇと!」

「ダイジョブ、ダイジョブ」

「大丈夫じゃねぇって! 血ぃ出てんだぞ、大怪我じゃんよぉ!」

 キナコは俺を心配させるまいと気丈に振る舞っているが、槍に刺されて平気なはずがない。少なくとも、俺なら泣き叫んで死を覚悟し遺言を言い残しているところだ。

「リライト、オチツケ」

「おうよ、そうだ、まずは応急手当で……って何にも持ってねぇよ俺!」

 救急箱どころか、絆創膏の一枚もありゃしねぇ!

 おいおい、どうする、どうすりゃいいんだ。身一つのサバイバル中に出血を伴う負傷をした場合の、適切な処置は――そ、そんなの俺が知るワケねぇだろ!

「くうっ、ち、ちくしょう……すまねぇキナコ……俺にできることは、何もねぇのかよ……」

「キズ、ナオル、シンパイスルナ」

 あまりの無力感に泣き出した俺に、キナコが優しく言う。なんだよ、くそ、痛い思いしてんのはお前の方なのに、俺の方が慰められるなんて。

「くそ……こんなに自分が情けねぇのは始めてだよチクショウ……」

 キナコは命がけで戦ってゴーマを倒して傷まで負ったと言うのに、俺はアホみたいに鞄を振り回しただけで、挙句、現代文明人のくせにコイツの傷一つ、満足に癒してやることもできねぇ。

 なにが相棒だ、とんだ足手まといじゃねぇか……俺に、俺にもっとできることはなかったのかよ……こんな俺にも、何かできることはねぇのかよ!

「キズ」

「チ」

 不意に、声が聞こえた。

 それは、俺が男のくせに情けなく涙を流して、落ちた先から聞こえたような気がした。

「キズ、ナオス?」

「チ、トメル?」

「……あん?」

 俺が項垂れていた足元には、ギザギザしたタンポポの葉っぱみてぇな雑草が生えている。

 けれど、そこから声が聞こえたような気がした。

「キズ、ナオス?」

「チ、トメル?」

「なんだ……コイツら、虫か?」

 しゃがみ込んでよく見てみると、ギザギザ葉っぱの上で、小さい緑色の……虫じゃない、人型の何かが光って見える。

 光る人型は5センチくらいか? 見落としそうなほど小さいが、よく観察すれば、二歩足で立つ、人間のようなシルエットをしていることは分かる。

 でも、ただ全体的に緑色に光っているだけだから、棒人間のような感じだ。

 そんな光る小っこい棒人間は、ギザギサ葉っぱの上に二人いて、俺に声をかけるのだ。

「キズ、ナオス?」

「チ、トメル?」

「……その葉っぱを使えば、傷は治るし、血も止まるのか?」

 なんとなく、薬草なのでは、という予感がよぎる。

「キズ、ナオル!」

「チ、トマル!」

 自分達の言葉が届いたことを喜ぶかのように、グリーン棒人間コンビは叫んでいる。

「いいぜ、そこまで言うなら試してやるよ!」

 俺は足元にあるギザギザ葉っぱだけを選んで、適当にむしる。

 採取したギザ葉には、どれも虫みたいに棒人間どもがくっついて、離れようとしない。というか、軽く指で触って見たら、普通にすり抜けたんだが……もしかして、幻覚?

 いや、何でもいい。とりあえず、試すだけ試してみりゃあいいことだろうが。

「おい、キナコ、ちょっと傷を見せてくれ」

「ワカッタ」

 槍を引き抜き、ドクドクと血が流れる傷口を改めてみると、ううっ、マジで痛そうだ。

「本当にこんな薬草モドキでどうにかなんのかよ……っていうか、これどうやって使えばいいんだよ」

 そのまま傷口に押し当てればいいのか? とか安直なことを試した瞬間、

「うおっ!?」

「プギャ!?」

 突如として光り輝く葉っぱ。緑色に眩しく輝く光の中に、俺はあの幻の棒人間達が、キナコの傷口に向かって飛び込んで行く姿を見た気がした。


 習得スキル

『精霊薬効』:草の精霊たちが力を貸してくれるよ。


 一瞬、頭の中に浮かんだ言葉。それが何だったのか理解するよりも前に、俺は光る葉っぱがもたらした結果を目の当たりにした。

「リライト、スゴイ……キズ、ナオッタ」

「えっ、マジで?」

 見れば、たしかにキナコの傷口は塞がっている。もう血も出ていない。

「マジかよ、アレで本当に治ったのかよ……」

 光ったり幻覚だったり、もしかしてあまりの無力感に苛まれてヤベェ症状が出てしまったのかとも思ったが、いざこうして傷が治ると、さっきのが単なる幻だとは思えない。

「もしかして、コレが『精霊術士』の力なのか」

「リライト、セイレイ、カ?」

「なんだキナコ、精霊のこと知ってるのか?」

「セイレイ、ドコデモイル。デモミエナイ。デモイル」

「あやふやな奴らだな」

「ミドリノセイレイ、チカラ、カンジタ。キズ、ナオッタ」

「おおっ、もしかして、あの棒人間のことか?」

 ということは、アイツらは薬草の精霊で……そうか、精霊の声が聞こえるとかなんとか、意味不明なポエム説明って、こういうことを言うのか。

 今のは正に、精霊が俺に力を貸してくれた結果なのだ。

「うぉおおお、やったぜキナコ! ありがとう精霊!」

「セイレイ、ツカウ。リライト、スゴイ」

「はっはっは、いいってことよ、俺ら親友だろ?」

 良かった、こんな俺にも、少しは役に立つ力があったんだ。

 俺はキナコと肩を組んで大笑いしながら、『精霊術士』の力と、あの薬草精霊に感謝を捧げた。

第197話 探索計画

 学園塔生活2日目は、昨日と同じく生活基盤の安定に務める。

 狩りによる食料の確保と並行して、使えそうな素材も集めて来てもらう。ここでいう使えそう、というのは装備やレムにつぎ込むための魔物素材ではなく、材木や植物素材、その他、遺跡にある残骸などである。

 これらを使って、すぐに錬成で作成できそうなモノから揃えていくことにした。

「はい、それじゃあみんなにパンツ配りまーす」

 という僕の呼びかけに、意外なほどみんなが喜んだのは、まぁ、このダンジョンを今日まで生き抜いてきた者からすると当然の反応だよね。

 僕らは着の身着のまま、制服姿でこの異世界ダンジョンへ放り込まれた。着替えはジャージ程度。

 ならば、シャツ、パンツ、靴下などの下着類はどうなのか。答えは、どうにもならない。

 妖精広場の冷たぁーい水で石鹸の実を片手にゴシゴシ洗濯して、同じパンツを穿き続けるのだ。万一、穴が開いたり破けたりしようものなら……

 でも僕とアラクネの蜘蛛糸にかかれば、シャツとパンツと靴下くらいは幾らでも量産できる。サイズの調整も錬成にかければ一発で終わる。

 それでも、流石に18人分の下着一式とサイズ調整はちょっと大変だったけど。あーあ、僕も女子の下着サイズ調整して、みんなのスリーサイズ情報を正確に記録しておきたかったな。

 小鳥遊さんが女子を担当したので、大元の下着を作った後は彼女に丸投げである。ブラに関しては、メイちゃんに水着作った時の経験が生きたよね。

 見事な完成度の蜘蛛糸ブラを手に、若干冷たい目を僕に向けてきた恩知らずには、サラシでもくれてやることにするかな。

「ああー、やっぱ新品は最高だべー」

「靴下って、こんな履き心地だったよな」

「もうゴーマの布きれ巻いた代用品なんて使ってられねーな」

 サバイバル経験者である上中下トリオは、特にジャストフィットの新品下着を喜んでいる。うんうん、靴下とか、汚れると地味にキツいんだよね。アメリカ軍もベトナム戦争でぬかるんだジャングルでソックスがドロドロになったの苦しかったらしいし。

「これはマジで助かるわ、サンキューな桃川」

「二枚あってもフツーにキツかったしな」

 ジュリマリコンビの物言いから、どうやら彼女達は最初からパンツを二枚所持していたことが窺える。どうして二枚持ち歩いているんだ、と思うが、そこはほら、きっと女子には男子には分からない事情があるんだよ。

 しかし、ならば蘭堂さんも豹柄パンツをレムに託しても、もう一枚持っているからノーパンではなかったことになるのか。

 待てよ、それじゃあ昨晩、替えのパンツと思しき黒を僕に一泊二日でレンタルしてくれたということは、今の蘭堂さんは……そうか、だからジャージを着ているんだね。

「ねぇ桃川ぁ、豹いたら豹柄で作れんの?」

「錬成あるから素材あれば大体なんでも作れると思うけど、蘭堂さん豹柄好きなの?」

「桃川はどうなのよ」

「人を選ぶデザインだけど、似合う人には抜群に似合うよね。だから、蘭堂さんにはとてもよく似合っていると思うな」

「へへー、だろー?」

 ええ、そうでございますね。蘭堂さんは豹柄がとてもよくお似合いでいらっしゃいます。ご自分の魅力を理解なさることは、素敵なファッションの第一歩かと。超エロくて僕は大好きです。

「良かったね、小太郎くん。みんな喜んでくれて」

「うんうん」

「何故、私だけサラシなのですか……」

 桜ちゃんはそれで十分でしょ? 僕の作ったブラなんてつけたくないと顔に書いてあったし。

 さて、みんなに下着を配って調整しているだけで、早くも二日目は終わろうとしている。すでに陽は沈みかけ、夕食の時間となる。

 給食係のメイちゃんは当番と、あと臨時の手伝いとして女子勢を率いて、保存食の量産も始めていた。なので、今夜はそれらの試食もかねて、あえて干し肉や干物などを食べることに。さりげなく、ドライフルーツなんかも用意しているあたり、メイちゃんのこだわりを感じるね。

 それにしても、乾燥や漬け込みなどの時間を丸ごとカットできるのは、錬成陣ではできない、『魔女の釜』だけの機能でもある。ちょっとしたアドバンテージがあると、嬉しくなるよ。

 ちなみに、全員で食事をする食堂は妖精広場で固定だ。噴水という水場がある唯一の場所ということで。水はセルフサービス。

 大人数で集まることを想定したかのように、普通以上に広い妖精広場には、幾らでもスペースがあるから、テーブルとイスもセットしたいところだけど、流石にそこまで今日の内にでは手が出なかった。

 なので、とりあえずデカいテーブルを一つだけ作って、あとは芝生に座り込むスタイルになっている。でも、今まではほぼ全員、テーブルすらない状態だったから、凄い進歩だよね。

「みんな食べながら聞いて欲しいんだけど、明日からは本格的に装備を揃えるための探索もしていこうと思う」

 魔物や動物で溢れているダンジョン、特に海辺の無人島エリアに行き来できるので、食料の確保に困ることはない。昨日と今日で、それなりに獲物はとれているし、後は何人かが行くだけで18人分の食い扶持は十分に維持できるだろう。

 空っぽの宝箱は保存容器としては優秀だ。すぐ痛むようなナマモノも冷蔵庫以上に長く保存してくれる。

 他にも、適当な空き部屋を委員長の氷魔法で凍結し、蘭堂さんの『永続化エタニティ』をかけて、冷蔵室も用意してある。学園塔に居る限りでは、食料保存の心配もない。

「欲しいのは、リビングアーマー級の強力な魔物素材に、コア。それと勿論、宝箱もね」

「基本的に強い魔物を狙うことになるけれど、そこは私達自身のレベルアップも兼ねてのことだから、各自、気合いを入れて臨みましょう」

 委員長の言葉に、おおよそ皆は頷いている。ただし、さっさと食べ終わって噴水に腰掛けて煙草吹かしている天道君は除く。

「それじゃ、明日の探索パーティ発表しまーす」

 そうして、僕はすでに設置済みの黒板に、パーティ編成を書き込む。

 黒板は勿論、錬成で作り上げた。教室にあるものよりも一回り以上は小さいサイズだけど、全員で見るには十分な大きさ。そして、これくらいのサイズになると、錬成できるのは小鳥遊小鳥だけ。

 材料は、荒野に転がってた黒っぽい岩。黒板というより単なる石版だけど、とりあえず使うには十分な黒さと書き心地。チョークは、これも荒野に転がってた軽石みたいな白っぽい石。

 なんだか、子供の頃に石を拾って道路にお絵かきしていたのを思い出す感覚だ。

 そんなことより、重要なのは僕と委員長が頭を捻って考え出したパーティ編成である。



第一探索部隊

隊長・『勇者』蒼真悠斗

副隊長・『治癒術士』姫野愛莉

『戦士』中井将太

『重戦士』山田元気

『戦士』芳崎博愛

レム3号機



第二探索部隊

隊長・『氷魔術士』如月涼子

副隊長・『聖女』蒼真桜

『双剣士』剣崎明日那

『魔法剣士』中嶋陽真

『剣士』上田洋平

レム初号機『黒騎士』

レム4号機『ミノタウルス』



狩猟部隊

隊長・『水魔術士』下川淳之介

『盗賊』夏川美波

『騎士』野々宮純愛

レム2号機『アラクネ』



「こんな感じになってるけど、何か質問ある?」

「何か、随分とバラけてるな」

「ねぇ、これ大丈夫かな?」

 手を上げてハッキリと質問はしないけれど、ザワザワしながらパーティ編成についてお喋りしている。

 この反応も当然だろう。基本的には、これまで組んでいた人とは別々になるよう配置しているからね。それだけで、不安感を覚えるのは当たり前だ。

「この編成には理由はあるよ。委員長、説明はお願いね」

「はいはい、みんな静かにして。今までのパーティとバラバラになっているけれど、そう心配することはないわ。ここにいる誰もが、ダンジョンをここまで進んできた実力者なのは間違いないのだから」

 その代り、実力にバラつきはあるけれど。

「全員、一緒に行動したらダメなのか?」

 いまだにザワつく中、はっきりと質問をぶつけてきたのは、やはりというか、蒼真君であった。

 学園塔で仕事のある留守番メンバーを除いた、13人全員を一つのパーティとする、というのは当然の発想だ。そりゃあ二手に分かれた方が探索の効率はいいけれど、安全面を考えれば戦力の分断は最悪である。

「蒼真君は、みんなで一緒に行動した方がいいと思う?」

「……いいや、思わないな」

「どうして?」

「あまり大人数で行動すべきじゃない。そんな気がする」

「そうだよね、それが答えだよ」

 流石、天職『勇者』ともなれば、鋭い直感でそういうのを感じ取れるようだ。

 僕には全く直感的な危機や忌避感を覚えたりはしないけれど、理由の推測くらいはできる。

「このダンジョンは多分、難易度調整されてるからね」

 僕自身の経験と、一時パーティ離脱していたメイちゃんの体験談、それに、他のクラスメイトの話を総合すると、道中の雑魚でもボス戦でも、ちょうど倒せるくらいの強さとなっている。他にも、今回のクラスメイトの生き残り全員が合流した状況などを合わせて考えると、僕らのダンジョン攻略を管理されている可能性というのは非常に高い。

 それが神の遺志によるものか、異世界人の陰謀か、あるいはこのダンジョンそのものに組み込まれているプログラムに過ぎないのか。何にせよ、ダンジョン攻略の難易度管理システムに抵触するような行動は、余計な危険を招きかねない。

「だから、5人前後の編成で、どんなに多くても10人未満には、パーティの人数を抑えたいよね」

「桃川、やはりお前もそう思っているのか」

「まぁ、大体みんな察しているだろうけどね」

 確たる証拠はない。けれど、誰もが察しているからこそ、全員行動は避けようというワケだ。

 勿論、ヤマタノオロチ戦はどう考えても大人数での挑戦が前提のレイドバトルだから、遠慮なく総力戦を仕掛けさせてもらうけど。

「そんなワケで、こういう編成にしたけど、どうかな」

「これでもパーティバランスはとれるようにしたつもりよ」

 まず、パーティリーダーは当然、リーダーシップのある者に任命している。『勇者』蒼真と委員長を、探索部隊の隊長としていることに、文句をつける者はいないだろう。

「あ、あのー、桃川君、なんで私が副隊長なのかな」

 言う割に、あんまり不服そうな顔はしてないね、姫野さん?

 蒼真君に続いて副隊長のポジションが美味しい、この機会を利用してお近づきに、とか考えているのだろう。

「副隊長は指揮に期待するってよりも、回復担当できるから兼任って感じだよ」

「桜と姫野さんは、私達の中でも貴重な治癒魔法の使い手よ。より大きな危険の伴う探索部隊にそれぞれ配置したし、戦闘では後衛だから、戦況もよく見えるはずよね」

 いざって時は、撤退の決断くらいは下して欲しいね。退路も確保しといてくれると、グッド。もっとも、桜と姫野さんには、あんまり期待はしていないけれど。

「でも私、大した治癒魔法は使えないし……」

「だから蒼真君がいる第一部隊にしたんだよ」

 姫野さんが純粋な天職『治癒術士』じゃないことは、ヤマジュンとの話でとっくに知っている。眷属である彼女が、今後、凄い治癒魔法を習得する可能性はほぼないだろう。

 だが、それでも初期スキルである『微回復レッサーヒール』は即効性のある治癒魔法として有効だ。

 姫野さん自身は回復役として最低限の能力しかないけれど、蒼真君が一緒にいれば大体どうにかなるだろう。

「安心してくれ、姫野さん。君のことは、俺が必ず守るから」

「そ、蒼真君……ありがとう」

 蒼真君、そういうところだよ。

「攻撃魔法を使える後衛が薄くなってしまうけれど、その分、前衛の戦力はどちらも同じくらい充実しているわ。想定されるリビングアーマー級の魔物でも、十分に対抗できるはずよ」

 第一部隊はスーパーエースの蒼真君を除いても、中井、山田、マリ、と戦士クラスが三人揃っている。

 第二部隊は剣崎、上田、中嶋、と剣士クラスが三人。でも蒼真君がいないことを考慮して、黒騎士とミノタウルスのレム主力機体を二機もつけている。

 戦力的なバランスはとれているはずだ。

「なぁ、俺が隊長ってのはホントにいいんだべか?」

「狩猟部隊だし下川君でも大丈夫でしょ」

「扱い雑ぅーっ!」

「安心してよ、下川君はちゃんと指揮能力あると思うし、狩りも慣れてるし、水魔法の拘束はこういうのに最適だし」

「そ、そーかぁ?」

 ヤマジュンも評価していたし、実際、僕が抜けた後にあのパーティでリーダー役を務めていたし、単なる世辞ではない。

 少なくとも、夏川さんと野々宮さんよりかは、状況判断に優れると思うし、基本的に僕と同じビビりだから積極的に危険も避けてくれるだろう。

 だから、下川には是非とも経験を積んで、こういう方向での成長もして欲しい。何も強力なスキルを授かるだけが、成長ではないからね。

「しかし、本当にこんな編成で良いのですか? 慣れない者同士で組むのはかえって危険ですし、何より、信頼も置けません」

「桜ちゃん、いくら大好きなお兄ちゃんと別なチームになったからって、ワガママを言ってはいけませんよ?」

「私は至極、真面目に言っているのです、桃川っ!」

 なんだよ人が折角、子供に接するように優しく諭してあげたっていうのに。そんなに怒らなくても……あっ、委員長、そんなに睨まないで、これは売り言葉に買い言葉というか……

「桜の言うことも分かるわよ。でもね、これから私達は一緒に戦う仲間なの。ここにいる全員がそう」

「別にプライベートで仲良くしろとは言わないけど、戦闘に関しては誰とでも連携とれるようにしとておかないとまずいでしょ」

 ダンジョンでは何が起こるか分からないし、ボスだって何をしてくるか分からない。常に決まったメンバーだけで戦いに臨めるとは限らないのだ。

「それに、ヤマタノオロチと戦う時は、複数のチームに分かれることになると思う」

「そのための練習、というワケですか。人にはやらせて、自分はやらないくせに」

「ん、それって留守番してる小鳥遊さんのこと? それとも今日は寝て過ごしてた天道君のこと?」

「いい、桜。こうして憎まれ口を叩く桃川君にも、いざという時に治癒魔法をかけてあげられるのか、ということよ」

「私が好き嫌いで、人の生死に関わることで手を抜くと思うのですか」

 テメーはゴグマ戦の時にメイちゃんに一回もヒール飛ばさなかった前科持ちだろが。

「桃川君、やめて」

「まだ何も言ってないよ」

「お互いに信用するためには、実際に背中を預けて戦うより他はないのよ」

「はぁ……まぁ、いいでしょう。涼子の言う通り、行動で示さねば人は納得しないものですからね」

 これまでの行動の結果が、僕が桜ちゃんに抱くドン底評価なんですけどー?

「桃川君」

「言ってないよ」

 委員長、もしかしてテレパシー系のスキルでも習得したのかな。釘を刺されるだけの以心伝心って、ロマンチックの欠片もないよ。

「ともかく、明日はまずこの編成で戦ってもらうことにするから。これでずっと固定ってワケじゃないし、編成は色々と入れ替えていくけど、まぁ、最終的にはみんなで仲良く戦えるように頑張ろう」

第198話 密会部屋

 さて、学園塔生活三日目の今日からは、いよいよみんなのレベルアップ&装備強化のための探索も始まり、ヤマタノオロチ討伐に向けての第一歩を踏み出した感じである。いやぁ、ただみんなでスタートを切る、というだけでもえらい苦労の連続だったよね。

 全く、人が集まると面倒事ばかりが増えて困ったものだ……けれど、人間ってのは集団になってこそ力を発揮する生き物だ。僕らが真に一致団結できれば、それぞれの天職の力も合わさり、あのレイドボス染みたヤマタノオロチだって倒せるだろう。どうせ、倒せるように調整してるんでしょ?

「まさか難易度システムがバグった結果、アイツが生まれたとかないよね?」

 不吉なこと考えるのはやめよう。

 ともかく、僕も本格的にヤマタノオロチ討伐の作戦を考えていくことになるわけだ。

「しっかし、なんにも思いつかないなー」

 正直に言って、現状、あの魔物というより最早、怪獣と呼ぶべき巨大ボスモンスを倒すビジョンが全く思い浮かばない。これは、スリートップ以外のみんなが成長して、上級魔法や達人級武技を習得したとしても、そのまま正攻法で勝てるとはとても思わない。

 奴を倒すにあたって、最大の障害は二つ。

 まず、あのブレス乱射する八本の頭をどう抑えるか。

 そして、奴を殺せる弱点である本体コアまで、どうやって辿り着くか。

「頭の数が半分でも今の戦力じゃ抑えきれないし、蘭堂さんのトンネルも無理そうだし……」

 うーん、速攻で行き詰ってしまった。

「とりあえず、目先の装備を整えることにだけ集中するかな」

 装備係たる小鳥遊小鳥を中心として、18人全員の装備を現状で揃えられる最高のものにする、という装備一新計画は、これだけでも相応の時間がかかるだろう。

「ここでのレベルアップ含めた皆の強さと、新装備を足した上で、おおまかな総戦力が揃ってから、実行可能な作戦を吟味しても遅くはないはずだ」

 それに、みんなが魔物素材を集めてくれれば、レムのさらなる成長も望めるし、その他にも何かできることがあるかもしれない。

「僕も全員に行き渡る分の傷薬作らなきゃ――」

 待てよ、とふと思う。

 ここには信頼と実績の『傷薬A』の原材料は通常よりも広い妖精広場のお蔭で、十分な量が確保できる。その上、ここにはお願いすればダンジョンで素材を調達してきてくれる人員も揃っている。

 そして何より、高度な錬成能力を持つ『賢者』がいる。

「もしかして、自作ポーションとかできるんじゃね?」

 傷薬Aは、ただでさえ優秀な薬だ。これをもうちょっと改良できれば、本物のポーションには及ばずとも、少しでも近づけることはできるのではないだろうか。

 それに、僕らの中で治癒魔法が行使できるのは蒼真桜と姫野愛莉の二人だけ。その内、姫野さんの方はほぼ最低限の回復性能だから、傷を癒す薬の需要は非常に高い。

 桜の治癒魔法は順調に成長した結果、今ではなかなかの性能を誇るそうだが……本人がアレなので、全く信頼できない。治せる力を持っていても、治してくれるとは限らないからね。

 なので、僕としてはもう最初っからヒーラーの存在などいないものと想定した上での、傷薬・ポーションなどの回復手段を確保しておかなければいけないワケだ。

 うーん、そう考えると、これは装備一新計画と並行して、かなり優先度の高い計画になるな。

「ねぇ、小鳥遊さんって、最大で何日徹夜できる?」

「ぴいいっ!?」

 あ、逃げた。

 なんだよ、ちょっと質問しただけで涙目逃走とか酷くない?

「小鳥遊さーん、今日のコピーのノルマだけは終わらせといてよねー」

 探索部隊が有用な魔物素材を回収してくるまでの間は暇なので、小鳥遊さんには試作型羽毛布団の他、細々とした生活雑貨なども今日の内に揃えておいて欲しい。本格的に装備の強化生産に入れば、忙しくなるからね。作業の進捗状況によっては、普通に徹夜もありえるから、覚悟しておいてね。

「さてと、これでようやくメイちゃんと二人きりだ」

 今日は探索部隊として委員長も出て行ってるし、天道君も蘭堂さんと一緒にオロチの巣へ向かった。この学園塔に残っているのは、僕とメイちゃんと小鳥遊さんの三人だけ。で、その小鳥遊さんも今は一階で作業に入ったので、昼食までは移動することはない。

「ふふ、なんだか久しぶりに感じるね、二人になるのは」

 どこか嬉しそうに微笑むメイちゃんを見ると、ちょっとドキっとしてくる。この密会しているという雰囲気も含めて。

「ここに来てからは、誰かしら近くにいたからねー」

 思えば、転移してきた瞬間から、口八丁全開で立ち回って安全確保から立場の確立と、心休まる暇がなかった。委員長も大概だけど、蒼真君に恨まれてる僕だってストレス相当だと思うよ?

「これで、やっと腹を割って話せるよ」

 僕とメイちゃんの密会場所は、学園塔の最上階にあたる5階、その内の一室である。

 学園塔の1階は転移魔法陣エントランスに、工房と武器庫として利用している。

 2階は妖精広場。みんなが集まる教室でもあり、食堂でもある。

 そして3階と4階はそれぞれの個室だ。3階が男子寮、4階が女子寮として分けられている。

 部屋の作りはほぼ全て同じ。多少、広さや形が異なるだけ。窓のない石造りの部屋は牢屋かと思えるほどの閉塞感があるものの、僕の部屋に関しては、色々と素材や作りかけの小物などを持ち込んでいるため、すでに雑然とし始めている。

「私にだけ話してくれて、嬉しいよ」

「そりゃあ、メイちゃんには当然だよ」

 現状、僕が心の底から信頼できるのはメイちゃん一人だけ。逆に言えば、彼女に裏切られたなら、もう潔く死んでもいいだろう。いわば、僕にとってのブルータス……いやそれ裏切られてるし。

「でも、今のところはとりあえず、特に悪巧みも思いつかないんだよね」

「それじゃあ、みんなでヤマタノオロチを倒すんだ?」

「ここを突破するには、多分、それしか方法はないだろうから。メイちゃんはどう思う?」

「私も倒すしかないと思う。でも、みんなのことまだ信用はできないかな」

 友達である姫野さん含めてそう言い放つメイちゃんも、相当クレバーになったよね。まぁ、今までの経験があれば、そうなるのも当然だけど。

「僕らに限らず、それはみんなも同じだとは思うけどね」

 あのあんまり考えてなさそうな上中下トリオでも、現状での利益と打算とで僕につくことを選んでいるワケだし。というか、僕の派閥はみんなそんな感じだよ。

「早くみんなも、小太郎くんのこと信じてくれるようになればいいんだけど」

「いやぁ、それはそれでプレッシャーが……」

 これで全員がメイちゃん並みに僕を信用してくれるなら、かなり強力な軍団になるけれど、そうなると作戦の成否は指揮ってる僕一人に圧し掛かってくる。僕の立てた作戦にみんなが心から信じて実行した結果、取り返しのつかない大敗を喫した時、果たして僕は正気を保てるかどうか……まぁ、だからといって蒼真兄妹みたいに、土壇場で勝手なことしたり、逆らったりしそうな不安要素抱える方がマズいんだけどね。

「とりあえず、ヤマタノオロチ討伐作戦に従ってくれるくらいには、信頼は得ておきたい。だから、メイちゃんも今は警戒するより、仲良くする方を優先して欲しいかな」

「それは、蒼真君とも?」

「うん、そこが一番の狙い目だよ」

 蒼真悠斗は幼馴染のレイナを殺した僕を恨んでいる。しかし、僕のことを一番に信じてくれるメイちゃんのことまで、憎んでいるワケではない。

 レイナ殺しに直接の関係性がないことが一番の理由でもあるし、それに加え、メイちゃんが勇者パーティに居た頃の話を聞く限りだと、蒼真君はかなりメイちゃんのことも気にしてくれていたと思う。さらに、ゴグマ戦での恩もある。

 恐らく、蒼真君からするとメイちゃんとは普通に友誼を結びたい相手であるはずだ。ぶっちゃけ深層心理では僕を裏切って欲しいと思ってるよね?

「でも、私が蒼真君に近づいたら、あの子達が騒ぐんじゃないかな?」

「騒いでくれた方が好都合だよ。かえってメイちゃんになびくから」

 大抵の男は女の言うことを鵜呑みにするが……蒼真悠斗には鋭い直感がある。もしメイちゃんを嫉んで、彼女を貶めるようなことを誰かが言えば、それを醜い嫉妬心からくる悪しき感情だと蒼真君なら気づくだろう。

 それは蒼真君が桜の反対を押し切って、メイちゃんに『生命の雫』を譲った件で、証明されていると僕は思う。蒼真君は決して、桜や他の女子の言いなりというワケではないのだ。

 彼には彼なりの意思と正義が、それこそ『勇者』の名にふさわしい強靭さで持っているから、蒼真君自身がメイちゃんとの友好を望めば、くだらない噂や嘘などの横やり程度では決して揺らぐことはない。

「そっか、そうだよね。私が蒼真君と仲良くなっておいた方が、いざという時、殺しやすいもんね」

「できれば穏便に止めてくれるくらいで、そういう非常事態は治めたいんだけど」

 レイナ殺しの現場で出くわしたあの時は、蒼真君自身がメイちゃんには恨みはないため、彼女が僕の盾になってくれたのには非常に大きな抑止効果があった。

 だって、あれで盾になってくれたのが上中下トリオや山田だったら、問答無用で切り捨てられたと思うし。あそこで立ちはだかったのがメイちゃんだからこそ、蒼真君もあれ以上は踏み込めなかったんだ。勿論、『狂戦士』の戦力もありきだろうけど。

「でも私、あんまり上手く近づける自信ないかな」

「別に口説き落として欲しいワケじゃないから」

 色仕掛けとかはマジでやめてね? やめろメイちゃん、NTR属性攻撃は僕に効く。即死だから。

「普通に笑顔で応対してくれるだけでいいと思う。それに、これからは一緒に戦う機会も作るから、戦闘で頼れる仲間みたいなポジションを目指してくれれば」

「それなら前とあんまり変わらないから、大丈夫そうだよ」

「あとは、蒼真君以外とも仲良くしてね。特に、僕の方についてくれてる人には」

「うん、分かったよ」

 それから、大ざっぱに僕の考えをだらだら語って、あまり長引かない内に密会場所の5階部屋を出た。

 二人揃って戻って来たのは、2階妖精広場。

 メイちゃんには、昼食の仕込みと保存食作りの仕事がある。なんでも、今回はフリーズドライによる保存食の製作を目指しているのだとか。

 あの無人島エリアへの行き来が自由になって、様々な食材が安定して調達できるようになったので、料理のレパートリーも増え続ける一方。フリーズドライは干物や発酵食品とは違って、料理そのものから水分だけを抜いているので、お湯をかければ調理品そのままで復活させることができる。上手くいけば、様々な料理を丸ごと保存できるはずだ。

 ヤマタノオロチを倒した後もダンジョン攻略が続くことを思えば、決して保存食の充実は悪いことではない。

 メイちゃんには、是非とも頑張ってもらいたい。

 というワケで、僕も仕事を頑張ろう。

「じゃあ、僕はそこのハンモックで寝てるから」

 レムは全て出払っているけど、メイちゃんと同じ妖精広場にいるから、安全は保障されている。

「それじゃ、おやすみー」

「うん、おやすみなさい」

 笑顔のメイちゃんに見送られて、僕は妖精広場のハンモックから、眠りの世界――ではなく、ヤマタノオロチの巣まで意識を旅立たせる。




「――おはよう、蘭堂さん」

「うわぁっ!? 桃川起きたっ!?」

 目を覚ますと、そこは固い荒野の地面。寝心地は最悪だけど、すぐ近くに蘭堂さんが立ってたものだから、ただでさえ短いスカートをローアングルから眺める絶好のロケーションに。

 あっ、ちゃんと支給した蜘蛛糸パンツを穿いてくれてるんだね。白も似合ってるよ。

「それじゃあ、今日も頑張って工事しようか」

「うーい」

 相変わらずヤル気の欠片もない返事。でも、なんだかんだで延々と土魔法を使ってくれる蘭堂さんは、真面目、というか非常に付き合いの良い人である。

 ここはヤマタノオロチの巣を一望できる、すり鉢型フィールドの端っこ。奴がギリギリで反応しないラインである。

 僕はヤマタノオロチ監視係として現地に残している『双影』をメインに動かしている状態だ。

 蘭堂さんはついさっき、アルファに乗って現場へと到着している。

 今日は天道君も一緒だけど、気分が乗らないのか戦っていない。僕らの近くにどっかりと腰を下ろして、早速、一服している。何しに来たんだろう。

「……桃川ぁー、やっぱ建物作んのは無理だわー」

「うーん、そうみたいだねぇ」

 塹壕の方は着々と掘り進めているものの、トーチカ造りの方は全く進展がない。

 今の蘭堂さんの手にかかれば、土属性の中級範囲防御魔法『岩石防壁テラ・ウォルデファン』で、高さ3メートル超の土壁を十数メートルも一気に展開できるのだが……張れるのはこの壁一枚きりとなる。

 建物とは当然、四方を囲む壁だけでなく、最低でも天井は塞がってなければならない。それから、利用するためには当然、出入り口も必要となるわけで。

 しかしながら、大きな壁を一枚作ることはできても、人が出入りできるような箱形を作り出すことが、どうやら非常に難しいようだ。

「うーん、イメージ力が不足してる? それとも、単に才能の関係か……女性って空間認識能力が低いとか言うし……立体形はダメなのかも」

「あー、なんかウチのことバカにしてるー?」

「蘭堂さんって、小さい頃、積み木とかブロックとか好きだった?」

「ウチすぐ小っちゃいヤツ口に入れちゃうとかで、禁止だったんだよねそういうの」

「じゃあ、プラモデルとか作ったことある?」

「あれ何が楽しいの? 完全にただの作業じゃん。日給一万でもやるかどうか悩むわ」

「これは根本的に向いてないかもねー」

「なにそれぇ、酷くなーい!?」

 どう考えても蘭堂さんに建築の適性はないと思うんだよね。才能云々を別にしても、単純に好きか嫌いか、ってのも大事な要素だし。

 僕なんて幼稚園の頃は、デカい木の積み木がお気に入りで、休み時間の度に築城を志しては、タイムリミットと保育士の手によって邪魔されるを繰り返す日々だったのに。

 他にも、あの世界的に有名なブロックのオモチャも好きだったし、プラモなども男子としては人並みに手を出してはいる。今でも何か作ることは好きな方だと思うし、『簡易錬成陣』を手に入れてからは充実した物作りライフを送っているし。

 だがしかし、僕に適性があってもしょうがない。『土魔術士』は蘭堂さんなのだから。

「何か別な方法を考えるか……なんだったら、建材を用意するだけでも……」

「ちょっとー、ウチだってその気になれば積み木くらいはできるってー」

「いや今から積み木で素養を培っているほど時間は――いや、待てよ」

 いっそのこと、積み木だけでもいいんじゃね?

「蘭堂さん、レンガみたいなブロックを一個だけ作れる?」

「はぁ? そんなの今のウチにかかれば余裕だし」

 と、彼女がさっと手を翳せば、地面の上に最初からそこにあったかのように、一瞬の内にレンガサイズの砂岩でできたブロックが完成していた。

 魔法名の詠唱はナシで、杖代わりの黄金リボルバーも使わなかった。

 この砂岩のブロック一個作ることは、本当に今の蘭堂さんの実力なら余裕なのだろう。

「じゃあ、この上にもう一個、同じの作れる?」

「ほい」

 どうよ、と言わんばかりのドヤ顔で、重なった二個目のブロックが現れた。

「これさぁ、もうこのままブロック重ねていくだけで建築できるんじゃないのかな」

 そもそも、壁も天井も全て一発で出そうとするのが間違いだったのだ。

 防御魔法ってのは、盾や壁を一枚で作り出すのが基本である。例外は蒼真桜の『聖天結界オラクルフィールド』。アレだけは全身を覆うバリアータイプだ。

 例外を除き、防御魔法は一枚単体が基本だとするなら、壁4枚と天井、合わせて5枚の面を同時に一度で出すなら、単純に考えて5倍の手間がかかるわけだ。で、ちょっとした試行錯誤で、同じ魔法を5倍の出力にできるかと言えば、まぁ、無理である。

 しかし魔力さえ続くならば、同じ魔法を5回連続で使うことは容易だ。要するに、防御魔法を4枚張れば、四方を囲む壁はそれだけで建設できる。

「あー、なるほどねー」

「っていうか、なんでこんな当たり前のことに気づけなかったんだ……」

 それまず最初にやるべきことじゃねーのと言わんばかりの発想である。そもそも塹壕だって、『石盾テラ・シルド』の連打で作ってるだけなのに。

 いかん、つい魔法一発でポンと完成させてしまうイメージを優先してしまったかもしれない。蘭堂さんも、いきなりソレでやろうとするから悪いんだ。

「というワケで、まずは壁と柱を作って、連結させる練習から始めよう」

「うーわ、また何か地味ぃーな感じ」

 残念だけど蘭堂さん、天職『土魔術士』を授かった時点で、地味という宿命から逃れることはできないんだよ。諦めて、地道に建設技術を磨こう!

第199話 探索部隊

 蒼真悠斗率いる第一探索部隊は、暗黒街エリアへとやって来た。

「いやぁー、なんだかここ、暗くて怖ぁーい」

「ああ、ここはずっと夜のままになっているし、よく霧も出て視界が悪い。奇襲に注意して進もう」

 如何にもか弱い女の子らしく怯えています感をアピールする姫野副隊長に対し、蒼真隊長は全員に対する至極真っ当な注意喚起を行っていた。

「蒼真君、私、ここすごく怖いの……手、握ってもいい?」

「このエリアを経験したことがあるのは俺だけだから、まずは俺が先行する。次が中井と山田、姫野さん、殿は芳崎さんにお願いする」

「まぁ、妥当なところだな」

「おう」

「じゃあ、頑張れよ男子ぃー」

 淡々と指示を伝える蒼真悠斗である。

 しかし、愛莉の発言をまるっきり無視していたワケではなかった。

「姫野さん、怖いのは分かるけど、手を繋ぐと戦う時に邪魔になる。ここはお化け屋敷じゃないんだ、冗談でもこの場所でそういうことは言うべきじゃない」

 いっそ無視してくれた方がよかったほどの、ガチな注意が入ってしまった。

「は、はい……ごめんなさい……」

 マジ泣きしそうな愛莉である。

「分かってくれたならいいよ。姫野さんはあまり戦い慣れしているようじゃないけど、ひとまずは、ただついて来てくれるだけでいい。安心して欲しい、俺が必ず、君に傷一つつけさせはしない」

「そ、蒼真くぅん……」

 蒼真悠斗、お前ホントそういうところだぞ――他の三人の、誰もが同じ感想を抱いた。

 そうして、蒼真率いる第一探索部隊は歩き始めた。

「ここで一番多い魔物は、狼男だ。武器を持っているし、なによりパワーもスピードもかなりのものだ。今までの奴らに比べると強敵だから、注意してくれ」

 夜の闇に支配された不気味な街を歩きながら、悠斗は簡単にこのエリアに出現する魔物について語る。

 事実、これまでのダンジョンに出現するゴーマやスケルトンと比べれば、この暗黒街に最も多く出現する狼男の強さは桁違い。それだけでも、今までのエリアとは一線を画す高難度エリアと言えよう。

「止まれ。敵が来る……この感覚は、狼男だな」

「えっ、マジで、どこどこ?」

「おい、本当なのかよ蒼真。全然、何も感じねぇ――」


 ウォオオオーンッ!


 と、けたたましい遠吠えが響き渡る。

「おおっ、マジかよ、どこだ!?」

「くそっ、暗くてよく見えねぇ」

 狼男達は静かに奇襲をかけるより、正攻法で襲い掛かることを選んだようだ。すでに周囲には複数の気配が漂うが、立ち並ぶ家屋や夜影に紛れ、その姿はいまだ窺えない。

「落ち着け、そっちの屋根に二体、あの壁の向こうに一体、右の角に二体、あとは……芳崎さん、後ろから一体来てる、注意してくれ」

「マジで蒼真、そこまで分かんのかよ」

 天職『戦士』としてそれなりの実力を身に着けたという自負にあるマリアも、あまりに的確な悠斗の気配察知に驚かされる。

 完全に気配を捉え切れてはいないものの、マリアは回復役である愛莉を背中に庇いながら、鋭く『黒金の斧』を構えた。

「オラぁ、来るな来いやぁ!」

「かかってきやがれ!」

 中井と山田もそれぞれ武器を手に臨戦態勢を取るが、二人の前に悠斗は出る。

「二人は姫野さんを守ってくれ。あとは俺がやる」

 その台詞を置き去りに、悠斗の姿が消えた――否、消えたようにしか見えなかったのだ。


『縮地』:蒼真流武闘術の高等技。動きを悟らせず間合いを詰める様は、さながら地面が縮まったかの如き錯覚を与える。


 正しく瞬間移動としか思えない素早さで動いて見せた悠斗を、仲間達も、敵である狼男も、その姿を捉える事はできない。

「まずは二体」

 通りの曲がり角から、今正に飛び出さんとしていた狼男を先制して切り捨てる。

 光り輝く悠斗の剣が瞬くと、二体の狼男はそれだけで崩れ落ちた。

「ウォオオオオオオオオオオオオアッ!」

 屋根の上から、二体の狼男が、それぞれ中井と山田に向かって襲い掛かって行く。

「この距離なら、ギリギリで届くか」


『聖血刀身』:聖なる血筋の一滴をもって解放される、強い浄化能力を刀身に付与する。


 暗黒街のボスであったドラキュラがよく使っていた、血を刃と化して刀身を伸ばす技である。『勇者』のスキルと化した『聖血刀身』は血ではなく光の魔力で伸びる刀身を形成し――ザンッ! と空中で狼男二体をまとめて切り裂いた。

「あとは、後ろの奴だけか」

 見れば、ちょうど後方の道からマリアに向かって疾走してくる狼男の姿がある。

 流石に、仲間を挟んで数十メートル後方の位置までは『聖血刀身』も届かない。他の遠距離攻撃魔法も、味方が射線に入ってしまう。

 素直にマリアに任せるか、と思う悠斗であったが……いくら『戦士』の天職を得ているとはいえ、槍を構える女子の背中を眺めているだけ、というのには言い知れぬ不安感を覚えてしまう。

「……試してみるか」


『白影槍』:光属性の魔力を物質化マテリアライズさせた、白い槍を作り出す。自身が発する光を投影させた場所から、任意に突きだすことができる。


 一瞬の逡巡を経て、悠斗は魔法を発動させた。

 これもドラキュラがよく使っていた技で、影を伸ばして、任意の場所に黒い槍を生やして下から串刺しにする攻撃であった。

 悠斗が使えば、影ではなく薄らとした白い輝きが地面を走り、仲間達の足元を通り、マリアを越え、今にも大斧を振り下ろさんとする狼男の前へと至る。

 そこで、槍を生やす。

 色は白く透き通った、クリスタルのような美しい質感。だが、その硬度は鋼鉄並みで、強靭な狼男の肉体を容易く刺し貫いて見せた。

「よし、これで全部だな。壁の向こうにいた奴は……逃げたようだな」

 狼男は基本、凶暴だがたまに戦わずに逃げる奴もいるということは、以前の攻略で分かっている。あえて後を追う必要はないので、そのまま逃がすままにしておいた。

 ひとまず、戦闘終了である。

「す、凄ぉーい、蒼真君! 一人で全部倒しちゃった!」

「姫野さん、他の魔物がいつ襲って来るとも限らない。あまり騒がないでくれ」

 今にも走って抱き着いてきそうな勢いだった愛莉を、悠斗はどこまでも冷静に制止した。

 若干、冷たい目の悠斗を前に、愛莉も諦めざるを得ない……というか、こうも立て続けに注意を受けると、普通に凹む。

「俺らの出番なかったな」

「別にいいだろ。こういうこともあるって」

 武器を構えたものの、結局、一度も振るうことなく戦闘が終わった中井と山田は、やや拍子抜けしたような態度で、そのまま武器を収めた。

「なんか、アタシらいる意味なくない?」

 マリアもやや不満気な言葉を漏らしつつ、武器を下ろす。

「それじゃあ、コアだけ回収しておこう」

 このエリアで狼男は雑魚に分類されるが、十分に強力な魔物であり、必ずコアが採取できた。魔力の源になるコアは、小さくても出来る限り回収するよう小太郎に指示されている。

 流石に全員が手慣れた様子で、魔物からコアを回収し、悠斗達はより強力な魔物を求めて暗黒街を進んだ。




「それじゃあ、私達はこっちだから。下川君、野々宮さん、美波のことお願いね」

「涼子ちゃん、何で私だけそんな子ども扱いなの!?」

 委員長率いる第二探索部隊と、下川の狩猟部隊は、共に無人島エリアへとやって来た。

 魔物素材の調達を目的とする探索部隊は、ほぼ小太郎が通ったルートをなぞるように進む。一方、新たな獲物の獲得と、さらなるエリアの調査も兼ねて、狩猟部隊は反対側へと向かうことになった。

 小太郎と芽衣子がのんびりと南国生活を楽しんだ最初の妖精広場を出発点として、部隊はそれぞれの方向へと出発した。

「しかし、桃川の手先が二体もいるのは、不安になりますね」

 歩き始めて早々、桜は涼子へと言う。

「見た目は完全に魔物だけれど、大丈夫よ。私達と一緒にいた時も、特に問題はなかったでしょう」

 小太郎が「レム」と呼んでいる使役型の呪術は、前にも見ている。そして、そのレムを作るために、小太郎が必要素材の採取に勤しんでいるところを明日那に見られたことから、この決定的な亀裂が走ったのだった。

「私はとても、アレに背中を見せる気にはなりませんね」

「分かったわ。まずはあの二体に前衛を張ってもらいましょう。けれど、素材の持ち運びは任せることになるから、帰りはどちらか一体が後衛になるわよ」

「ええ、それは仕方ありませんから」

「人数的に、もう一人くらいは前衛に置くけど……明日那にする?」

「別に私は構わないが」

「いえ、ここは男子が二人もいるのですから、やってもらえばいいでしょう」

「だそうよ、それでいいかしら、上田君、中嶋君」

「まぁ、こんだけ強そうなレムが一緒なら余裕だわ」

「俺は別に、どこでも大丈夫です」

 同じ派閥の女子三人に、男子が二人と、モノ言わぬレムが二体。自ずと、意思決定は女子が握ることとなる。上田も中嶋も二つ返事で前衛を引き受けた。

 そうして、レムと男子だけを前に出す陣形で、第二探索部隊は白い砂浜を進んで行く。

「良い天気、ですね。あの暗闇の街とは大違い」

「でも、ダンジョンの中であることに変わりはないと思うと、ちょっとね」

 などと、他愛もない雑談をぽつぽつと交わしている蒼真桜の姿を、中嶋陽真はチラチラと振り返っては見てしまう。

 思えば、このダンジョンに来てから彼女の姿を見たのは初めて。学級会の折には、どんな因縁があるのかは知らないが、やけに桃川小太郎を相手に非難の言葉を飛ばし、怒りの感情さえ露わにしていたが……やはり、降り注ぐ日差しを眩しそうに手を翳す自然体の桜は、ただそれだけで一枚の絵画であるかのように美しい。

 姫野愛莉と比べれば、その容姿は正に月とすっぽんである。

 いや、今ここに集った女子の誰と比べても、似たような相対評価となってしまうのだが。

「はぁ、やっぱ本物と一緒にいても、夢みてぇにはならねぇよなぁ」

 などと、独り言をつぶやく上田は、自分と同じように桜のことをチラ見しているようだった。

「……夢ってなんのこと?」

 なんとなく、上田と視線が合ったことで、適当なことを陽真は聞いた。

「あー、お前さぁ、ピンクの煙が出てくる罠って知ってるか?」

「え、いや、そんなのは見たことないけど」

「そりゃあ良かったな。アレはいい夢見れるけど、起きた時マジで死ぬほど絶望すっからな」

「そ、そうなんだ。恐ろしい罠があるんだね」

「でももう一回アレがあったら、またかかっちまうかもしれねぇなぁ……そん時は、桃川に3時間くらいは起こすなって言っといてくれ」

「なんで桃川君……」

 だがそれ以上、上田は詳しく語る気はないとばかりに、嫌らしい笑みを浮かべながら、また桜のことをチラ見するのだった。

「あのさ、上田君」

「あん?」

「なんか、やけにみんな桃川君と関わり合いがあるような感じだけど、一体何があったの?」

 陽真は桃川小太郎のことを、自分と同じように、あるいはそれ以上に存在感なく、クラスの隅っこにいるような、目立たない男子生徒だと思っていた。

 しかし、こうして学園塔で沢山のクラスメイト達が合流した時、みんなの中心に立っていたのは、間違いなく桃川小太郎である。

 蒼真悠斗も、桜も、委員長も、あの天道龍一でさえ、小太郎には一目置いている様子だった。それに、蘭堂杏子のギャル組みともやけに親しげだし、上中下トリオなどすっかり小太郎に頼っている。

 挙句の果てに、マジで誰だか分らないレベルでダイエットを成功させて奇跡の爆乳美女と化した双葉芽衣子を、忠誠を誓った騎士のように従えさせていることだ。

 学級会においての話しぶりから、レイナ・A・綾瀬を殺しただとか、酷く物騒な話題が出ていたが、小太郎が実際にこのダンジョンにおいて、何をどうして、こんなクラスの中心に立つに至ったか、皆目見当がつかない。

 全く事情を知らない陽真は蚊帳の外で、気が付けば小太郎は男子クラス委員長として生き残った二年七組を指揮る立場となり、そして自分は彼の命令によって探索部隊のメンバーとして、こうして駆り出されているワケだ。

 もっとも、周囲に流されやすい日本人的な気質を大いに持つ陽真としては、この状況に特に不満があるわけでもないのだが、それでも、あの桃川小太郎が如何にしてここまで成り上がったのか、その経緯くらいは知りたかった。

「そういやぁ、お前は桃川が俺らと合流する前に抜けたんだったよな」

「あっ、ああ、そ、そういうことも、あったよね……」

 好きでもない愛莉だったけど、いざ寝取られ状態で心が耐えきれなくなって逃げ出した記憶は、今も決して振り切れたわけではない。

「まさか、姫野と元鞘になってるとはなぁ! ははは、今でもアイツとヤリまくってんの?」

「いや、別に……っていうか、こういう話はちょっと!」

 すぐ後ろには女子もいるわけだし、と指差しのジェスチャーで訴える陽真に対して、上田はニヤニヤ笑っている。だが、声を大にして言いふらすほど、鬼畜ではなかったようだ。

「そ、そんなことより、どうなのさ、桃川君のこと」

「ああ、桃川の話ね。そうだなぁ、アイツは――おっと、その前に、敵さんのお出ましってやつだ」

 これでも敵の襲来を察知する直感力はなかなかの『剣士』上田は、第二探索部隊の誰よりも先に、魔物の出現を察した。

 上田が注意の声を上げると、黒騎士とミノタウルスのレム二機が素早く武器を構える――と同時に、激しい水しぶきを上げて、波打ち際から幾つもの人影が飛び出した。

「ジーラだ! ジャジーラもいるぞ、気を付けろ!」

 ゴーマの魚人バージョンのような、人型の魔物ジーラ。上田もこことよく似たエリアを攻略していた経験から、ジーラ種とは何度も戦っている。

「ジャジーラって、確か、ゴーヴと同じくらい強いんだよね……」

 陽真はジーラ種との戦闘は初めてだが、ゴーマと、その上位種であるゴーヴと戦ったことはある。相手が完全武装したゴーヴでも、一対一ならまず負けることはない。しかし、三体以上を同時に相手となると、かなり危険である。

 今、目の前に現れたジーラは十数体にものぼる結構な数で、その内、ジャジーラは5体もいる。また、背後にも同じ程度の数が現れている。

 今回は仲間がいるものの、単純な数ではジーラの方が倍以上。これは厳しい戦いになるだろう、と覚悟を決めて陽真は長剣を抜いた。

「グルル、グガァアアアアアアアアアッ!」

「ムグゥオアアアアアッ!」

 激しい雄たけびを上げて、誰よりも真っ先に動いたのは、レムであった。

 黒騎士が振るう大剣は、ジャジーラの体を守るフジツボの外殻を軽く叩き割る。一振りで体を真っ二つにしながら、さらに近くのジーラを巻き込んで切り払う。

 ミノタウルスが振り下ろした大斧は、亀の甲羅のような盾を翳したジャジーラを、そのまま両断しきる。

 初手で桁違いのパワーを見せつけたレム二機に、ジーラ達は明らかに怯んだ様子だった。

「おおー、やっぱ見た目通りスゲー強ぇな。よし、ジャジーラはレムに任せて、俺らは適当にジーラ斬ってようぜ」

「あ、うん……」

 陽真は天職『魔法剣士』として、攻撃魔法を使わずただ剣技だけでジーラを斬り捨てているだけで、あっという間に戦闘は終わった。

 ジャジーラはレム二機の活躍により見るも無残な有様で、普通に剣で切り殺しただけのジーラの死体の方がずっと綺麗である。

「あっ、そういえば、後ろからもジーラが」

 つい目の前の敵にばかり目を奪われてしまった、と今更ながら思いつつ、後ろを振り返ると、

「この程度では、肩ならしにもならないな」

「流石ですね、明日那」

「やっぱり暗黒街より、ここの魔物は弱いわね」

 自分達が相手にしたのと同じ程度には数がいたはずのジーラ部隊は、明日那一人の手によって全滅していた。明日那の手には、それぞれ炎を纏った剣と、風が渦巻く剣が握られている。

「ねぇ、上田君……あれって、もしかして魔法の剣なのかな」

「まぁ、そうなんじゃねぇの? なんか燃えてるし。やっぱ、蒼真のパーティはいい装備持ってんだなー」

「そ、そうみたいだね……」

 これまで、愛莉を除けば上中下トリオと山田の四人しか、ダンジョンで見たことがなかった陽真だったが、ことここに及んで、彼は初めて気づかされる。

 もしかして、自分はかなり弱いのでは、と。

第200話 探索の成果

 下川率いる狩猟部隊は、意外と順調に進んでいた。

 男子一人に女子二人とは、バランスの悪そうな構成ではあるものの、下川にとってジュリアは元々、友達といえば友達という程度には交流があった。なんだかんだ、樋口グループは蘭堂ギャル組みと絡むことがそこそこあったお蔭である。

 一方の夏川美波とは、これといって交友関係はないものの、彼女には生来の明るさと人懐っこい性格から、一度話せば、すぐ打ち解けられるような気安さがあった。横道並みに酷い人格でもなければ、彼女と気まずくなることはないだろう。

「夏川さーん、なんかいるー?」

「んー、この辺は特に誰もいないかなー」

 蒼真パーティにあって不動の偵察役であった『盗賊』の美波は、ここに置いても先頭を行き、その鋭い直感と各種の気配察知、索敵系のスキルを生かして、獲物を探している。

 密林塔のジャングルとよく似た森に分け入ってそこそこの時間歩いているが、いまだ、目ぼしい獲物は見つかっていない。

「つーかさー、やっぱアラクネに後ろついてこられんの、スゲー気になるんだけどー」

「キシシ」

 愚痴るように漏らすジュリアのすぐ後ろには、最後尾につくアラクネレムがいる。捕らえた獲物の輸送役としてアラクネが同行していることに、理解も納得もしているが、いざ真後ろに立たれると、思うところがあるようだ。

「え、なに野々宮、クモとか苦手な感じ?」

「得意な奴もいねーだろ。そうじゃなくて、コイツはほら、桃川攫ってったのと同じヤツだし、やっぱ気になるっつーか」

 地底湖でアラクネによって小太郎が連れ去られた時、最もショックを受けて取り乱していたのは杏子で間違いないのだが、ジュリアもマリアも、それなりに衝撃は受けていた。ふとした油断で、一瞬の内に獲物として捕まってしまう、野生の魔物の恐ろしさを垣間見た気がする。

 そんな印象もあってか、ジュリアは何となくアラクネには忌避感を覚えてしまう。

「つーか、捕まった当の本人がシレっと仲間にしてんのって、どういう神経してんのよ」

「それはまぁ、桃川だしな」

 立ってる者は親でも使え、とばかりに、徹底した合理性に基づいて他人をこき使うのが小太郎の得意技、と下川は思っている。あの究極のお荷物ぶりを発揮したレイナですら、あの手この手で働かせてみせたのが桃川小太郎という男である。

「あっ、二人ともちょっと止まって」

 不意に上げた美波の声に、二人はすぐに警戒態勢へと入る。

 下川とジュリアの雑談する姿は呑気な学生にしか見えないが、腐ってもダンジョンをここまで攻略してきた者である。戦闘への切り替えは、すでに二人とも自然にスイッチできるようになっていた。

「……この感覚は、多分、ゴーマかな」

「マジか、アイツらどこにでもいるな」

 てっきり、このエリアには海に生息するジーラしか人型魔物はいないと思っていたが、どうやら森の奥にはしっかり生息しているようだ。

「どうするの?」

「スルーすんのが楽だけど……向こうも何か獲物を探して森をウロついているなら、邪魔臭ぇよな」

「じゃあ、とりあえず片付けとく?」

「おう。でもゴーヴの数が多かったら退くぞ」

 ひとまず、察知したゴーマの部隊を倒すことに決まった。

 気配察知の能力は、ゴーマ達よりも遥かに美波の方が上である。ここに住んでいるゴーマの方に地の利はあるが、それを軽くひっくりかえせるだけのアドバンテージ。

 狩猟部隊は森を進むゴーマ部隊を一方的に捕捉しながら、襲撃のタイミングを窺った。

「ゴーマ5、ゴーヴ2」

「楽勝だべ」

「さっさとやっちゃお」

 いよいよ美波が目視で敵の姿を確認し、その編成も明らかとなる。この程度の数ならば、美波とジュリアはそれぞれ単独でも勝利は揺るがない。下川は若干、怪しいが。

 ともかく、敵勢力も把握した上で、油断なく奇襲を仕掛ける。

 初手は、美波が部隊のリーダーと思われるゴーヴを、樹上から襲い掛かかる不意打ちで、一撃で殺す。

 同時に、下川とアラクネがそれぞれ敵の行動を妨害しつつ、ジュリアが突撃。

 ゴーマ部隊は体勢を立て直す暇もなく、ほとんど一方的に殺戮された。

「それじゃ、ゴーマも倒したし、早く獲物を探しに行こうよ」

「いや、ちょい待って。クスリ持ってるかもしれねーから、それだけ探すべ」

「……クスリ?」

 あっ、というお察しな表情の美波と、怪訝な顔のジュリア。

 美波は、芽衣子が小太郎から貰ったという『クスリ』で途轍もなく凶暴な力を得て戦った、ピラミッド城のゴグマ戦を知っている。一方のジュリアは、このクスリを使ったことも、使った者をみたこともなく、その存在を知らない。

 そして下川は、レイナ救出作戦で決死の覚悟で霊獣相手に時間稼ぎするため、魔術士である自分も服用して、恐怖と苦痛に耐え抜いた経験があった。

「私、アレは絶対やめた方がいいと思うけどな」

「確かに、アレはマジでヤベェやつだよ。けどよぉ、あのバカデカいボスと戦わなきゃならねぇってんなら、使う必要もあるかもしれねぇべ?」

「えー、なにそのヤバそうなクスリって……」

 それぞれの意見はあるものの、この場はリーダーの指示を優先するとして、下川の言う通りゴーマの荷物からクスリだけ探すことにした。

「おっ、やっぱリーダー格のゴーヴが持ってやがったか」

「なにこれ、マジで白い粉じゃん」

 麻薬のお手本みたいな白い粉末状のクスリを見て、ジュリアはドン引きした様子である。

「大丈夫だって。俺らが使う時は、ちゃんと桃川が調合して、ヤバすぎないようしてくれっから」

「うわー、信用できねー」

「いや実際に俺ら使ってもジャンキーになってねぇし、大丈夫だろ……大丈夫だよな?」

 改めて言われると、薬物依存の危険性が頭にチラついてビビり出す下川だった。

「……ちょっと待って」

 と、やけに真剣な眼差しで下川が発見したクスリを眺めていた美波が、意を決したように、サラサラの粉末へ指先を近づけた。

「ペロっ――こ、これはっ!?」




 日が暮れるよりも前に、探索部隊と狩猟部隊は全員、無事に学園塔へと帰還を果たした。

「みんなお疲れさまー」

 とは言うものの、さほど疲れた様子は見られない。あくまで素材集め程度の目標だから、普段の攻略よりは気も楽なのだろう。

 大半の人は先に風呂へと向かって行ったが、おい小鳥遊、お前の仕事はここからが本番だぞ。

「それじゃあ早速、みんなの成果を見せてもらおうかな」

「うぅ……小鳥もお風呂、入りたいよぅ……」

 入ればいいじゃない、後で一人でゆっくりと。

 そんなことより、同行していたレム達がそれぞれ抱えて持って来てくれた、魔物素材の検分だ。まずは、蒼真君の第一探索部隊から。




『狼男の騎士』:鎧を纏った狼男。元々はそれなりに高位の騎士だったのか、身に纏う鋼鉄の鎧は上質で、細工も施されている。


『血塗れた大斧』:狼男の騎士が使う大斧。刃は血に塗れて錆付きつつあるが、武器の品質としては上等のよう。何らかの魔法も付加してあるようだ。


『錆付いた長剣』:狼男の騎士が持っていた長剣。これも何らかの魔法が付加してある。


『劣化したポーション』:狼男が所持していた、劣化したポーション。僅かに効果は残っているようだ。


『力の腕輪』:強化魔法『腕力強化フォルス・ブースト』が込められた腕輪。




 これらに加えて、それなりのコアと色々な魔石が、第一探索部隊の成果である。

「大した品質じゃないけど、武器にポーションにマジックアイテムと、なかなかの収穫じゃないか」

 流石は『勇者』といったところか。見れば、狼男の騎士は、喉元を一突きにされており、鎧には傷一つついていない。コイツを持ち返ると決めて、綺麗に仕留めたのだろう。

 もしかして蒼真君は単独行動させた方が効率いいのでは? どうせ勇者だから死にそうもないし。

 さて、次は委員長の第二探索部隊だ。




『ミノゴリラの氷漬け』:氷漬けにされて封印されたミノゴリラ。封印らしいので、恐らくまだ生きていると思われる。鮮度抜群。食べた方がいいかも?


『デカコッコの氷漬け』:氷漬けにされたデカコッコ。体にはかなりの傷痕が残っており、死んだ後に凍らせただけのようだ。


『マンドラゴラ』:久しぶりに発見された、万能呪術素材である。




 第一に比べると見劣りするが、僕としてはマンドラゴラが手に入ったのでそれだけで大満足だ。

 しかし、このマンドラゴラを採取するのに、委員長達はかなり苦労したらしい。引っこ抜く時に、伝説よろしくヤバい絶叫が聞こえて、失神しそうになるのだとか。

「うーん、僕もメイちゃんも何ともなかったんだけどな」

 マンドラゴラによる個体差があるのだろうか? それとも、呪術師と狂戦士という正統派ではない天職だと、そういうのに耐性があるのか。

 ともかく、このマンドラゴラを彼らが手に入れるには、桜が光の防御魔法だかを張りつつ、明日那が気合いで引き抜いたという。上田と中嶋ではダメだったらしい。

「マンドラゴラは群生地だけ覚えてもらって、僕が自分で収穫した方が楽かも」

 その内、僕も探索部隊に同行するつもりだし。

 さて、最後は狩猟部隊。こっちのは食材メインだからメイちゃんが見ているんだけど、

「ペロッ――こ、これはっ! ペロ、ペロペロ……」

「ちょっとメイちゃん、いつまで麻薬舐めてんの?」

 ゴーヴの隊長からいただいた、すっかりお馴染み白い粉末状のゴーマ麻薬。それをメイちゃんは、驚愕の表情でペロペロし続けている。

「も、もしかして、とうとう依存症に」

「小太郎くん、これ砂糖だよ!」

「えっ、マジで? どれ――ペロ」

 こ、この甘みは、間違いなく砂糖だ!

 ゴーマが持っている白い粉末、という見た目からてっきり麻薬だとばかり思っていたけれど、確かによく見れば、色艶も粒の形状も違いがある。

「凄い、これほとんど普通の砂糖じゃない?」

「うーん、コレはグラニュー糖」

 僕はグラニュー糖とか上白糖とか和三盆とか砂糖の区別がつくほど詳しくないけれど、料理人たるメイちゃん的には重要なことなのかもしれない。

「でも、なんでゴーマが砂糖持ってるんだろう」

「美味しいからじゃない?」

 そりゃこのダンジョンサバイバルで砂糖の甘さは奇跡的だけど……そういうことではなく、ゴーマがどのような手段で、この明らかに加工された綺麗な砂糖を手に入れたのか、が重要なのである。

「狩りに出ていたゴーヴが持ち歩いていた、ということは、一部の奴には配給されるくらいには手に入る高級品ってところか」

 麻薬は雑魚のゴーマでも持っていることがあるから、奴らにとっては砂糖の方が貴重であるのは間違いない。というか、砂糖を持ってるのはあの無人島エリアに住んでる奴らだけかもしれないな。

 遺跡街の方で入手したのか。僕らが見た限りでは、食料品の類はとても残っているようには思えないけれど。

 ならば、どこかにサトウキビでも生えているってことか。

「いや、原料よりも、砂糖を精製したって方が重要だ……意外と文明を進めているのかも」

 しかしながら、狩猟部隊が倒したゴーマは、これまでの奴らと特に変わりはなかったという。むしろ、装備は密林のゴーマ砦、ピラミッド城の奴らに比べれば貧弱だったそうだ。

 ならば、ここのゴーマが砂糖を自前で生産できるような文明度を誇るのではなく、単にコレを入手できるツテがあると考えるべきだろう。

「なら、この砂糖の出所はどこだ……」

 これは、少し調べてみる必要があるかもしれないな。

「砂糖、欲しい……もっと欲しい……」

 メイちゃんが今すぐゴーマの集落に略奪に乗り込みそうなくらい、欲望に燃えているし。

 しかし、今すぐどうこうできるわけではない。まず取り掛かるべき仕事は、魔物素材を使っての装備作成だ。

「とりあえず、試作品を作ってみるには十分な素材は集まったし、早速、仕事にかかろうか」

「……」

「小鳥遊さん、返事は?」

「はーい」

 ウチの社員のモチベーションが低すぎる件。これはブラック社員化の研修が必要かな?

 良かったね小鳥遊さん、ここで働く限り、終電の時間とか気にする必要はないんだよ。このエントランスのど真ん中に仮眠用ベッドも設置してあげる。これで睡眠時間以外はずっと錬成していられるね。

「まずは武器から行こう。僕が簡易錬成で錆を落として綺麗にしておくから、後は小鳥遊さんがモノを見て、そのまま強化するか、魔法の武器にできるか決めてよ」

「えっ、じゃあ桃川君が作業している間、小鳥は暇になるからお風呂入って来てもいいよね?」

「狼男とデカコッコ、どっちでも好きな方から解体していいよ」

 デカコッコは僕も戦ったことがあるので、防具を拵えるなら使えそうな部位の目星はついている。狼男は初めて見たけど、コイツの毛皮はなかなか丈夫だって言うじゃないか。金属鎧のような装甲には使えなくても、丈夫なインナーや衣服などには利用できるかもしれない。

 とりあえず使えそうな部位は全て解体して、試していきたいと思う。

「か、解体って……? えっ、小鳥がやるの?」

「うん」

「むっ、む、無理ぃ……ムリだよぉ……」

 血塗れで転がる狼男の死骸と、氷漬けのデカコッコを見ながら、小鳥遊さんはフルフルと震えながら涙を流し始めた。

「大丈夫だよ、小鳥遊さん。はい、コレ、ちゃんと汚れても大丈夫なように、作業着は作っておいたから」

 蜘蛛糸で作ったツナギは、白なので汚れはめっちゃ目立つけど、どうせ幾らでも作れるので使い捨て上等だ。他にもっと汚れを弾くような素敵な素材があれば、より高性能な作業着なんかもできたらいいなと思っている。

「無理ぃーっ! 小鳥そんなの無理なのーっ!」

「あっ、また逃げた」

 しょうがない奴だなぁ。作業着より先に、足枷作った方が良かったかも。

「メイちゃん」

「なに、小太郎くん? 小鳥遊さん連れ戻してくる?」

「今はいいよ。お風呂から上がったら、仕事に戻るよう伝えておいて」

 僕だけでも先に作業を進めておこう。

 小鳥遊さんの勤務態度については、また今度、委員長と蒼真君を交えて要相談ということで。

第201話 目安箱

「イヤァアアアアアアアアアアーッ!」

 という甲高い悲鳴が、学園塔生活で起こった最初のトラブルの合図であった。

 悲鳴の出所は学園塔1階エントランスから2階妖精広場まで通じる階段から。

 僕はエントランスで錬成作業中だったので、そのやかましい悲鳴が聞こえてすぐに現場へ向かった。

「なになに、どうしたの?」

「おう、桃川か」

 僕が声をかけたのは、とりあえずすぐ近くにいた山田である。

 これから探索に出発するため、ちょうど通りがかったようで、この場には他にもクラスメイトが何人も居合わせていた。

「なんか、下川が階段の下から小鳥遊のパンツ覗いたとか言って、揉めてるぞ」

「うわー」

 これはまた面倒くさいことになってきたぞ。

 何やってんだ下川……と思うと同時に、小鳥遊がわざと騒いでいるのでは、という冤罪疑惑も持ち上がる。

 もしも小鳥遊が腹黒ならば、スキャンダルをでっち上げて僕の派閥のメンバーを切り崩しにかかってもおかしくない。

 それは考え過ぎだとしても、単に下川のレイプ未遂野郎は気に食わねェから貶めようとか、自意識過剰でとりあえず被害者根性全開で絶叫した、という線もありえる。

「ちょっ、ちょっと待て、俺は何もしてねぇっていうか、見てねぇって!」

「言い訳するな! お前がこっちを見ていたのは事実だろう!」

「まぁ、見てたよな?」

「気持ちは分かるがよぉ、下川」

「言いがかりだべ!」

 すでにメソメソ泣き始めている小鳥遊と、その隣で彼女を庇うように立って叫んでいるのは、案の定、剣崎である。お前メイちゃんいないとこでは強気だよな。

 そして、下川と一緒にいたと思しき上田と中井は、素直に自首を促すよう説得に入っていた。いやぁ、素晴らしい友情ですねぇ。

「おい、桃川、止めに入らなくていいのか?」

「いや、僕の出番はないよ」

 山田君、確かにこういう時真っ先に首を突っ込んで行くのが僕だけれど、決して僕は率先して他人のトラブルに介入したがる正義漢でもなければ、お節介焼きでもない。

 本来の僕はただ野次馬を楽しみたいだけの一般人的根性の持ち主だけれど、このダンジョンに来て以降は、自分で動かないと物事が解決しそうにもないから、渋々、やっていたに過ぎない。

 でも、今はもう僕が直接、仲介に入らなくても良い。

「ここは風紀委員に任せておこうよ」

 見れば、風紀委員長の蒼真君と、副委員長の蘭堂さんが、セットで登場していた。

 どうやら、二人も騒ぎを聞きつけて駆けつけたようだ。

「おい、これは一体なんの騒ぎだ?」

「誰かなんかやらかしたー?」

 鋭い視線で周囲を一瞥する蒼真君と、完全に揉め事を観戦しに来た野次馬気分な蘭堂さんである。

 蘭堂さん、自分が風紀副委員長で、こういう時に事態の収拾にあたるのが仕事だってこと、忘れてない? 君は塹壕掘るだけがお仕事じゃないんだよ。

「……本当に大丈夫なのかよ」

「大丈夫だって、あとは風紀委員の二人に任せるから」

 実に納得のいかない顔つきの山田だったけど、僕は二人を信じるという名の丸投げをして、エントランスに戻ることにした。

 こういう時にしっかり解決してもらわないと、わざわざ任命した意味がないからね。

 いやぁ、面倒くさい人間関係のトラブルを誰かにお任せできるって、精神的に凄く楽だよ。結成して良かった、風紀委員。

 それじゃあ、後は穏便に解決まで導いておいてよね、蒼真君、蘭堂さん。




 それから5分後。

「――大変よ、桃川君! 下川君が殺されそうなの! 蘭堂さんにぶたれて小鳥も泣き喚いてるし、もう収拾がつかないわ! 急いで来て!」

 血相変えて飛び込んできた委員長に首根っこを掴まれて、僕は強制連行されるのだった。

 どうやら、風紀委員の人選は失敗だったようである。




「――というワケで、今回の一件は証拠不十分により不起訴処分ということで」

 委員長と僕が音頭をとって、緊急に学級会を開き、今回の下川容疑者による小鳥遊パンツ覗き見事件の裁判を執り行うことにした。

 結果は、僕が宣言した通り、一切処分ナシの無罪判決である。

 事件の内容的には物凄くくだらないけれど、全容を解明するのは不可能だ。下川が本当に下心を持って階段の下から覗きを行ったか、それとも、小鳥遊の陰謀か被害妄想によって引き起こされた冤罪か。

 下手をすれば泥沼化する危険性を孕んだ事態であったが、幸いにも、物凄く下らないと言った通り、取り返しのつかない致命的な問題が発生したワケではない。その危険性、違法性の低さがあるから、真実の追及を断念して、両者共におとがめなし、で事を収めるのも無理ではなかった。

 無理ではないが、苦労はしたけどね。ホントに疲れたよ。

「蒼真君、正直、君にはガッカリだよ」

「……すまない、申し開きのしようもない」

 学級会の解散後、僕は風紀委員二人を残し、お説教タイムに突入した。

「そうだぞ蒼真、お前もっとしっかりしろよなぁ」

「蘭堂さんも、いきなり手を出すのはダメだから」

 今回のくだらない事件が、学級会で裁判を開くほどの大事に発展したのは、仲介に入った風紀委員の働きが失敗したからに他ならない。

 蒼真君は、泣き喚く小鳥遊と怒り狂う剣崎を抑えきることはできず、蘭堂さんはピーピー喚くばかりの小鳥遊にキレてビンタしたりと、やりたい放題である。

「蒼真君さぁ、正直、下川君が覗いた、と思ったでしょ?」

「それは、そうだろう……アイツには前科があるからな」

「気持ちとしては当然だよね。でも、それを風紀委員が持ち出しちゃったら、公平性はなくなるよ」

 すでに、僕らは最初の学級会において、これまでの罪は水に流す、もとい、一時的に棚上げする、ということで全会一致の決議がとられている。

 ならば、これから先に起こす裁判においては、心情的には別としても、表向きにはそれらの罪を引っ張り出して、非を唱えてはいけない。

 今回の例に照らし合わせれば、小鳥遊レイプ未遂の前科を引き合いに出して、やっぱり下川がやりやがった、と言ってはいけないのだ。それを言ったら、折角ゼロベースで構築し始めた、新たな信頼関係を崩すこととなってしまう。

 信頼関係の喪失は、モラルの喪失に繋がる。

 今、曲がりなりにもクラスがまとまっているのは、誰もがそれなりに信じられるルールがあるからだ。僕らは校則の元に平等である、と。

「君は下川君の信頼を裏切った。風紀委員に必要なのは、誰に対しても公平に扱ってくれるという信頼だよ。そうじゃなければ、誰も言うことを聞かなくなる」

「……ああ、分かっている」

「後でちゃんと、下川君に謝っておいてよね」

 あの状況において、蒼真君が真っ先にしなければいけなかったのは、下川君の味方をすることだ。

 風紀委員長の肩書きを持つ蒼真君が、下川を疑う目を持てば、最早その時点で彼の容疑は確定したも同然である。

 大切なのは、容疑者、ひいては犯罪者、誰か一人を『悪』と決めつけてはいけないこと。

 この僅か18人のクラスというコミュニティにおいて、一人のもつ意味は大きい。

 だから、風紀委員が受け持つ程度の揉め事において、その解決策は犯人を決めることではなく、如何にして犯人を決めつけずに、穏便に事を治めるか、なのである。

 事なかれ主義万歳。

「その点、蘭堂さんの行動は過激だったけど、ギリギリで公平性のバランスがとれたよ」

「だろー?」

 蘭堂さんが小鳥遊をビンタしたのは、ホントに見ててムカついたんだろう。

 実際、これほど大事になってきているのに、本人は泣き喚くだけじゃあ、相手の釈明を聞くだとか、そういう解決に向けた姿勢が見えない。それどころか、泣き続ければさらに事態を悪化させることになる。

 もう一度言おう。重要なのは、如何に穏便に解決するか。

 その上でなによりも大切なのは、双方の歩み寄り。

 この際、多少の不利益を被ろうとも、クラスの秩序と平和維持、という公共の利益のために少しは我慢して欲しい。

 恐らく下川としても、一方的に疑いをかけられていても、一言謝れば許される、という状況ならば、大人しく泥を被って謝っただろう。彼には、それくらいの理性がある。

 しかし小鳥遊のように、被害者自ら落としどころを示すこともなく、一方的に自らの被害のみを主張し続けるような行動は、容疑者に対する罪科を最大限まで高めうるものである。

 こうなれば、最早問題はパンツを本当に覗いたか、覗いていないか、ではなくなってしまう。小鳥遊小鳥という少女が、これほどまでに泣き叫ぶ精神的苦痛を与えた、というより重大そうな罪に見えてしまうのだ。

「蘭堂さんのビンタのお蔭で、下川君も多少は救われた気持ちになったと思う」

「別にアイツを庇う気はなかったけど。小鳥遊がいつまでもウルセーから」

 グーで殴ってくれてよかったよ。

 マジで小鳥遊、アイツ分かっててやってんじゃねぇのと、僕も思ったもん。

「でも手を出すのはダメ。ホントにやめて」

 蘭堂ビンタが決め手となって、いよいよ泣き止まない小鳥遊に、剣崎も激高して状況の収拾が不能となってしまった。そして委員長が僕のところに駆け込むことに。

「反省してまーす」

 全然、反省してない表情の蘭堂さん。

 頼むから、次は一喝するくらいで留めておいて欲しい。

「一応、蘭堂さんも手を出したことについては、小鳥遊さんに謝っておいて。勿論、その謝罪を素直に受け入れられるように、ちゃんと蒼真君も言い聞かせておいて」

「ちっ、しょうがねーなー」

「分かった、それくらいの後始末はさせてもらおう」

「とりあえず、風紀委員を更迭するほどの不手際ではないから、二人にはこのまま続けてもらうよ。でも、次からはお願いね、ホントにお願いね」

 これ以上、余計な揉め事を僕に関わらせないで。毎回、学級会開くのも疲れるの……




「――目安箱を設置します」

 翌日、僕は朝食の折にそう発表をした。

 みんなの反応は、あまり芳しくない。コイツ何言ってんだ? みたいな。

「つーか目安箱ってなに?」

「えっ、蘭堂さん知らないの?」

「知らないし……えっ、フツー知らないよね?」

 残念な子を見た、みたいな顔でジュリマリから肩をポンポンとされる蘭堂さんは、それきり黙ってしまった。

 まさか、名門私立の進学校と名高い白嶺学園の生徒でありながら、目安箱の存在を本気で知らないとは……蘭堂さん、どうやってウチの入試合格したんだろう。裏口とかじゃないよね?

「目安箱とは言うけれど、実際に箱を置くワケじゃないわ。ただ、何か意見や要望、相談事があれば、まずは私か桃川君に、直接メールをして欲しいの」

 目安箱ではなく、正確には目安メールボックスである。

 昨日の覗き見事件を受けて、その直接的な解決策ではないけれど、事前に不平不満などを受け入れる体勢は整えておくべきじゃないかと、僕と委員長は相談して決めた。

 何かあるなら普通に話しかけてくれればいいじゃない、とは思うのだけれど、そういう話こそ切り出しにくいものだし、人の目というものもある。

 幸い、小鳥遊のお蔭で全員のスマホは電話とメール機能は使えるようになっているので、連絡手段には事欠かない。誰の目も気にすることなく、意見や相談を持ちかけることができる。

 誰からの相談か、というのはメールを受け取る僕か委員長には絶対に分かってしまうが、本人の同意がなければ誓って相談者は公表しないという匿名性も保障する。そうじゃないと、わざわざコッソリ相談を持ちかける意味ないしね。

「ねぇねぇ、それじゃあスマホも普段から使えるようにしてくれるの?」

「使用制限に変わりはないわ」

「えぇー、ダメかぁ」

 と、ガッカリする夏川さんだが、他にもちらほらそういう気配の人もいる。

 委員長が宣言した通り、実は全員のスマホには使用制限をかけている。

 設定でどうこう、ではなく、常に指定の場所に保管するようにした。基本、学園塔内でスマホの使用は禁止だ。

 ただし、探索などで外出する時には、貴重な連絡手段として必ず身に着けるようにしてある。

 無事に帰還すれば、また元の位置に戻す。学園塔にいるのに、そこにスマホがなければ無断持ち出しが一発で判明するワケだ。

 何故、こんなルールを設けているかといえば、充電するのにも限りがあるから――というのが建前で、本音は治安維持のためである。

 こんな状況下で、自由に連絡通信、情報交換できるツールなど百害あって一理ない。ふとしたキッカケで、桜ちゃんの我慢が利かなくなり、僕を打倒するためレジスタンスなんかを組織するかもしれない。

 裏でコソコソやるには、スマホのような携帯端末ほど便利なものはない。

 そうでなくても、どうせ悪口、陰口の温床になるなど、ロクな結果にならない。ささいな悪口でも、同調する者が出始めれば、その悪意は正義に成り代わることもある。相手が悪い、自分は正しい、だってみんなも賛成しているのだから。

 実際、僕は悪巧みする方だから、あんまり余計なこと突っつかれたくないのも本音だけど。

「それじゃあ、何かあれば遠慮なく連絡してちょうだい。問題が大きくなる前に、解決できるよう私達も頑張るわ」

 そういうワケで、目安箱制度スタートである。




「おっ、早速メールが来たぞ」

 委員長ではなく僕の方にメールを送るとは、君は見る目があるぞ。

 さて、目安箱初の相談者は――

「おい桃川、ふざけんなよ!」

「なに考えてんだよテメーは!」

 と、僕を糾弾しているのは、ジュリマリコンビである。

 相談者はこの二人。詳しい相談内容は会って話すとのことで、学園塔5階の密会部屋まで出向いたワケだけど……ご覧の通り、ヤンキーに校舎裏に連れ込まれてカツアゲのような状況となっている。

「なんだよ天道くん係って!」

「委員長の一人勝ちじゃねぇか!」

 まぁ、二人の言い分はもっともではある。この二人から話がある、とメールされた時点で、内容もお察しではあった。

「ま、まぁまぁ、落ち着いてよ二人とも」

「落ち着けるかよ、私らは本気なんだぞ!?」

「双葉と杏子に挟まれて自分は余裕かコラぁ!」

「そ、そんなことは、うぼぉあぁ!」

 不平不満を叫ぶ二人に揉みくちゃにされる僕は、とりあえず収まるまで耐え忍ぶ。女の子の愚痴は、一通り吐き出させてあげないといけないんでしょ? 精神的に凄い重労働だよね。

「それで、どーしてくれんのよ桃川」

「まさかアタシらを裏切るつもりじゃねーだろーな」

 ひとしきり叫んだ後で、話が聞ける程度には落ち着いた二人に、ようやく釈明タイムだ。

「二人には悪いなーとは思ったけど、天道くんの自由行動を許容するには仕方ないことだったから。それに、委員長の気持ちだって二人は知ってるでしょ? 委員長には色々と負担かけてるし、これからもかけることになるんだけど……はけ口がないと先に委員長が潰れちゃいそうだから」

 今この状況で委員長がダメになったら、クラスは終わる。二年七組終了。

 僕が男子委員長として威張り散らしていられるのも、委員長が同じく女子委員長としているから、みんなも、特に蒼真派閥のメンバーもまだ大人しくしてくれているのだ。

 委員長がトップから欠けた途端に、蒼真派閥の不平不満は抑えきれなくなるし、他の人からだって、どんな反感を買うか分からない。

 僕は自分が優れた指導者だとは思っていない。最善と信じる方法を考えだし、論理的に説明することはできるけれど……それで誰もが納得してくれるワケじゃないってのは、よく分かっている、というか思い知っている。

 委員長には、これまでの信頼と実績がある。そして、人を治める才能、一種のカリスマといってもいいだろう。そういうトップとしての魅力を兼ね備えた人物だ。

 そして、僕にはソレがない。

 だからクラスを一致団結させて率いていくには、委員長の力は絶対に必要なのだ。

「だからって、これはサービスしすぎじゃねーのか?」

「アタシらどうすりゃいいんだよ」

 確かに、現状で天道君はジュリマリと一緒にいるより、委員長と一緒にいる方が長い。

 でも、それはあくまで状況によるものだ。ジュリマリは普通に探索部隊のメンバーだから、日中、学園塔にいる時間も少ないし。

「いいや、そんなに悲観するほどの状況じゃないよ。良くも悪くも、今の委員長と天道君の関係は、学園にいた頃のままだ」

 つまり、委員長が世話を焼く、天道君が嫌々ながらも従う、といった構図。

「二人の間に、恋愛的な進歩はない。そして、この状況でソレが縮まることもない」

 委員長も妙にヘタレなのか、あれだけ散々世話を焼いて構っておきながら、それ以上、親密になるよう踏み込む様子が見られない。

 学園生活の頃なら甘酸っぱい青春の一ページとしてそれほどおかしな関係性ではないものの、この明日死ぬかもしれないダンジョンサバイバルで、そんな悠長な恋愛ごっこはしてられない。

 委員長の気持ちが強ければ強いほど、距離を縮めきれないこの状況を良しはしないはずだ。

 そりゃ恋愛禁止にはしているけどね。でも、それで止められるほど、心の底から愛する強い気持ちってのは、弱いものじゃないだろう。

「二人の関係に変化はナシだ。委員長はこれ以上踏み込まないし、天道君にもその気はない」

「なるほどな」

「確かに、言われてみれば」

「だから、つけいる隙はある」

 天道君がそれを望むかどうかは別問題だけど、アプローチをかけるのはジュリマリの自由だから。二人のためにも、天道君は存分に付き纏われるといい。

「僕としては、なるべく天道君と一緒にいられるよう、それとなく部隊配置とかをするくらいしかできないけれど、協力はするから」

「ホントかぁ?」

「もっとなんかないのかよ」

「これでも恋愛禁止だから。あんまり、あからさまにくっつけるような真似はできないよ」

 でも、そうだなぁ、二人もこのままじゃあまだ納得しきれないだろう。もう一つ、オマケが必要か。

「でも、二人の気持ち、僕は分かっているつもりだよ。だから、特別に教えてあげる」

 これを教えることのリスクはある。でも、これくらいの希望がなければ、こんな状況で恋愛もやってられないよね。

「天道君の部屋は、一番奥の角部屋だから」

「お、おい」

「それって……」

「これを知ってどうするかは、二人で決めて。そして、もし晴れてカップル成立したなら、その時は学級会開いて、その仲を公認にするよう取り計らうよ」

 僕が今の二人に持たせられる、最大の希望がこれである。

 たとえ我慢の強いられる状況だとしても、一筋の希望があれば、人は耐えられるものだ。実際に叶うかどうかじゃない。叶えられるかもしれない、という希望が、日々を生きる活力に繋がるのだ。




 さて、ジュリマリも無事に納得してくれて、その場は解散となった。

 けれど、僕は密会部屋に残り続ける。

 実は、今日はもう一件、相談の予約が入っているんだよね。

「さぁ、山田君、遠慮しないで何でも話してよ」

「お、おう」

 準備万端の体勢で相談者山田を迎え入れると、何故かちょっと引かれた。なんだよ、折角、飲み物まで用意したっていうのにさ。

「それで、相談内容は?」

 これも会って話すとのことなので、これから聞くこととなる。

 正直、あんまり良い予感がしない。なにせ山田である。あのレイナに一番イカれていた困ったちゃんだ。

 これで、今度は小鳥ちゃん大好きとか言い出したら、諌めるのに相当な苦労を擁するぞ……基本的に、他人の恋は応援するタイプだけれど、どう考えても上手くいかない、トラブルに発展する可能性の方が高い、という場合は勘弁である。

 さぁ、何て言って諦めさせるか。そんなことをグルグル考えながら、山田の言葉を待つ。

「お前、釣竿って作れるか? あと針とかも。まぁ釣り具一式って感じか」

「……釣竿?」

「まぁ、俺が使うもんだからよ、勝手な頼みをしてるってのは分かってるんだが……なんとか頼む。必ず、みんなが食える分の魚は釣ってくるからよ」

 と、素直にボウズ頭を下げる山田を見ながら、ようやく理解が追いつく。

「分かった、僕に任せてよ」

「おお、いいのか、ありがてぇ!」

 いやいやこちらこそ、邪推してしまって申し訳ない。

 そういえば、山田の趣味って釣りなんだっけ。トリオとサバイバルしてた頃も、よく釣りしていたというのは聞いていた。ヤマジュンとよく一緒に行っていたっていうことも。

「いい趣味を持ったね、山田君。そういうのは大歓迎だよ」

「そう言ってもらえると、助かるぜ」

 僕の素直な賞賛の言葉に、やや照れ気味な山田である。

 いや本当、こういう良い方向性の相談を待っていたんだよ。

 いいじゃないか、一人でも定期的に魚を釣りに行ってくれるなんて。それでいて、こんな潤いのないダンジョン生活の中で、立派に楽しめる趣味ができるというなら、それは精神衛生的にも良いことだ。

「僕って釣りしたことないから、詳しいこと分らないんだよね。だから、作る時は立ち会って、アドバイスとか欲しいんだけど、いいかな」

「なんか、そこまでしてもらうと悪い気もするな」

「いやいや、気にしないでよ。これはみんなのためにもなることだし、新鮮な魚が手に入ればメイちゃんも喜ぶから」

 山田の他にも、釣りしたい人がいれば、やってくれてもいいし。今の状況下では、釣りってのは物凄く有益な趣味だしね。

「でも、一人で外を出歩くのは危険だから、行くときは最低でもレムは連れてってね」

「それって実質一人なのと変わらないんじゃねぇか」

「一人でやりたい時もあるでしょ? レムは喋らないから、ただの置物みたいなものだと思えば」

「まぁな……悪いな、桃川。随分と世話になっちまう」

「こんな状況だからこそ、お互いに助け合っていかないと。山田君の釣果に期待してるよ」

「おう、任せとけ」

 固く握手を交わした山田を見て、もしかすれば、彼なりに成長しているのではないかと感じた。

 ヤマジュンの死を乗り越えたのは、僕だけじゃない。一番の友達だった彼が、この悲しく辛い経験を経て、最も成長できたのかもしれない。

第202話 砂漠エリア探索

 探索という名の魔物素材調達のお使いクエストをみんなに押し付け早数日。お蔭さまで、順調に素材は集まり、『賢者』謹製の武器を全員に持たせることができた。



『銀鉄の剣』:錆付いた長剣の本来の姿。銀の刃は、銀のように見える合金らしい。強度は鋼と同等だが、魔法の効果を高めるようで、刻まれた『鋭利シャープネス』の魔法陣によって、鋭い切れ味が付与されている。


『レッドアックス』:僕が今でも愛用している『レッドナイフ』と同系列の、火属性の斧。ただし火力はこっちの方がずっと高く、十分に実戦向け。血塗れた大斧に、ありったけ火の魔石をつぎ込んで作った。


『黒鉄の大斧』:メイちゃんのハルバードと同じ、重く硬い金属で作られた大斧。魔法の効果は一切ないが、その破壊力と耐久性は、狂戦士の戦いぶりにもついていける。遺跡街で発見したリビングアーマーから鹵獲した武器を錬成して製作。


『クールカトラス』:ジャジーラが持っていた上質な短剣を、ありったけの氷の魔石と、あと委員長の協力によって作られた、氷属性のカトラス。短い片刃の刃は、切れ味は並みといったところだが、魔法の力はレッドアックスを上回る。使い手によっては、下級氷魔法まで行使可能。




 これらの武器は、『銀鉄の剣』が上田、『レッドアックス』が中井、『黒鉄の大斧』が山田、『クールカトラス』が中嶋、とそれぞれ装備することとなった。

 今のクラスの中では、彼らの武器が最も貧弱だったので、最優先で装備格差の是正を試みたのだ。

 戦いとは、弱い奴から死んでいく非情な世界である。まして、彼らは蒼真君とは比べるまでもなく弱い。ただでさえ弱いのだから、せめて装備くらいマシにしてあげないと、雑魚モンス戦でも余裕で死にかねない。僕も赤ラプターに殺されかけたし。

 それから、すでに現時点で最高クラスの錬成武器を使っている蒼真君達のメイン武器を強化するなら、さらに厳選された素材にコアなども相当量が必要となるので、自然と時間がかかってしまう。お手軽に作れるそれなりスペックの錬成武器を揃える方が早い。さっさと揃えて、みんなの装備を底上げした方が効果的だろう。

 四人は今まで使っていた武器よりも明らかに高性能な新武器に喜んでいたし、プレゼントした僕の評価も上がるし、いいことづくめ。

 強いて言えば、小鳥遊にヤル気が見られないことか。愛しの蒼真君か、大切なお友達の装備じゃなければ、気合いも入らないといったところ。

 僕の見立ててでは、小鳥遊が本気を出せば、現時点で防具とポーションとその他マジックアイテムも試作品ができているはずだ。それが、四人の武器しかできていないのだから、手を抜いているのは明らかだ。おい小鳥遊、お前に魔力がまだまだ残っているってことはお見通しだぞ。なに魔力切れのフリしてサボっていやがる。

 コイツはそろそろ本気でヤキを入れた方がいいかもしれない。

「おーい、桃川ぁ……俺もいい加減、魔法の杖欲しいんだけどー」

「ごめんね下川君、水の魔石の集まりが悪いから、杖はまだ無理だよ」

 ちくしょー、とあからさまにガッカリしている下川には、うん、本当に悪いとは思っている。

 魔法の杖はかなりレアドロップだからね。極稀に魔術士タイプのリビングアーマーが持っているか、宝箱に入っているか。

 蒼真君の第一探索部隊が、暗黒街で幾つか宝箱を発見してはいるものの、中身はポーションか魔法のアクセサリといったモノばかり。特に物凄い効果を秘めたモノは出ていない。

 でも、魔石が沢山あれば杖も作れるらしいので、水魔術士用の杖も、このまま素材集めを続けていればその内できるだろう。小鳥遊が作ってくれれば、の話だが。

「はい、それじゃあみんな、ちゅうもーく」

 現在は夕食中なので、全員、妖精広場の食堂へと集まっている。

 僕がコツコツとテーブルと椅子を作ったお蔭で、噴水の傍らには巨大な円卓が設置されている。残念ながら、中華料理屋みたいにグルグル回るターンテーブルは作れなかったけど、おい、デカいちゃぶ台とか言うな。

 ともかく、僕らは騎士のように円卓へとついているワケだ。

「明日は砂漠エリアの探索もしようと思うんだよね」

 これまでは、攻略経験のある海岸エリアと暗黒街しか、素材調達の探索には出ていない。ダンジョンのシステムを考慮すれば、僕らでも十分に攻略可能なエリアだとは思うが、やはり未知の領域というのは危険が伴う。

 海岸エリアと暗黒街では、難易度的には暗黒街の方が断然高い。もし、これくらいの難易度差で、砂漠エリアが暗黒街より厳しかった場合、かなりの高難度ということにもなりかねない。

 学園塔の拠点運営も安定していない初日から、砂漠エリアに挑むほど僕らは無鉄砲でも無計画でもない。

 けれど、そろそろ様子見くらいはしていってもいいとは思う。

 もしかすれば、ヤマタノオロチ攻略に役立つお宝なんかが手に入るかもしれないし。

「そうね、いいんじゃないかしら」

「メンバーはどうするんだ?」

 委員長は賛成しているし、蒼真君も面子を聞いているということは、行く前提で話している。

 ざっと見渡しても、反対意見はないようだ。というか、僕の意見に反対できるのは蒼真君と天道君くらいだしね。

 みんな如何にも学生らしく、僕らは多数決の民主主義で決めるのが当たり前だよね、みたいな雰囲気になっているけど、すでに過半数を抱きこんでいる僕の派閥は多数決なら100%勝てるんだよね。戦力的には微妙でも、人数的には多数派なのが我が桃川派閥である。

 しっかり根回しさえしておけば、学級会が始まる前から結果は決められる。ああ、素晴らしきかな民主主義。

「砂漠は誰も行ったことがない未知のエリアだから、最高戦力で行きたい」

 というワケで、ぼくのかんがえたさいきょうのパーティの発表でーす。


砂漠探索部隊


隊長・『呪術師』桃川小太郎

副隊長・『氷魔術士』如月涼子

『勇者』蒼真悠斗

『王』天道龍一

『狂戦士』双葉芽衣子

『盗賊』夏川美波


「この6人で行こう」

「ちょっと待ってください、何故、私がメンバーに入っていないのですか」

 いやぁ、だって桜を入れたら、いざって時に絶対ゴネるじゃん? そんなの面倒じゃん?

 天職『聖女』の治癒魔法は安全策としては魅力的だけど、聖女様本人の性格が致命的なので、予期せぬ災害が起こるより、アホみたいな人災が起こる方がよっぽど高確率なんだよね。

「初めてのエリアだから、索敵力高くて罠の察知も解除もできる『盗賊』の夏川さんは外せないから。7人になると、ちょっと人数増えすぎて、強い魔物も寄ってくるかもしれないからね」

 つまり、オメーの席ねーから!

「桜、今回は軽い調査みたいなものだから。そう心配するなよ」

 じゃ、蒼真君、あとは愚妹のフォローよろしくぅー。

「桃川君が行くなら、私は行かなくてもいいんじゃないかしら?」

「委員長がいてくれないと、天道君が来てくれなさそうだし」

「龍一ぃー?」

「うるせー、睨むな。今回はついていってやる」

 うんざりした顔の天道君だが、とりあえず同行の意思はあるようで一安心だ。

 気が乗らない、などの超個人的な理由で協力を辞退できる自由が彼にはある。だから、僕としてはあまり無理強いさせられないから、使いどころが限られるんだよね。

「ねぇ、これ桃川が行く意味あんの?」

「蘭堂さん、確かにこの面子の中だと明らかに僕が足手まといに見えるけどさ」

「素直に心配してやってんだっての!」

「あっ、そうなんだ、ありがとね」

 てっきり僕みたいなクソザコナメクジが初見エリアの攻略組みとか、調子乗んなとかいう意味合いかと素で思ってしまった。自覚はあるもんで。

「初めて行くエリアだし、自分の目で使えるモノがあるかどうか確かめたいんだよね。別に『魔力解析』使える小鳥遊さんでもいいんだけど?」

 チラッ。

 小鳥遊は聞こえないフリをしている。

 まぁ、蘭堂さんにはそれらしい理由を語ったけれど、本当の理由としては、そろそろ僕もダンジョン探索に出ないと、みんなに危険なこと命令するくせに自分は、などという因縁が出てきそうだからね。誰から、とは言わないけど。

 実に馬鹿馬鹿しいけれど、女のケチってのはそんなものだ。まして、憎い相手となれば尚更。何もなくたって、とんでもない極悪人に仕立て上げるからね。階段の下からパンツ覗いた、とか。

 それに、いざという時の備えもようやくできるようになったから、僕自身がエントランスの転移魔法陣を利用しても大丈夫だ。もし小鳥遊が僕を締め出そうとしても、対策できる。

「それじゃあ、メンバーも決定したことだし、明日はこれで砂漠に行こう。いつもの探索は休み。狩猟だけにしておいて、蘭堂さんもそっちに同行して。小鳥遊さんは仕事溜まりまくってるから、僕がいなくてもサボらず働いてね」




 翌日、朝。僕ら砂漠探索部隊の6人は、初めての砂漠エリアへとやって来た。

「うーん、マジで砂漠としか言いようがない景色だなぁ」

 地平線まで続く砂の海に、ギラギラと照りつける日差し。誰もが思い描くような砂漠のテンプレみたいな景色である。ご丁寧に、遠くの方にピラミッドっぽい遺跡まで見えた。

「ねぇ、ここは外? それともダンジョンの中?」

「多分、ダンジョンだと思うな」

「俺もそう思う。だが、ここは相当の広さだぞ」

「ここ今までで一番広いんじゃないかなー」

 メイちゃん、蒼真君、夏川さん、と直感鋭い勢が断言しているので、ここもダンジョンの中で間違いないようだ。真っ当に攻略するなら大変そうだけど、まぁ、探索だけと思えばちょっと気が楽だ。

「おい、さっさと行くぞ」

「ちょっと龍一、一人で勝手に行かない!」

 早速、天道くん係が世話を焼いている。やはり連れて来て正解だった。

「とりあえず、あの如何にも何かありそうなピラミッドから調べに行こうか」

 あからさまに目立つけど、逆に言えば、それ以外にはマジで何もない。僕らは祠状になっている砂漠の妖精広場を出て、真っ直ぐピラミッドへと進んで行く。

 編成は、先頭は不動の夏川さん。次に前衛として蒼真君と天道君の最強コンビ。後衛に委員長と僕が並び、最後尾はメイちゃんと黒騎士レムが固めている。なにこの滅茶苦茶安心できる陣形は。編成だけなら、正に理想的だ。

「……日差しがキツいし、砂の足場も良くないな。次来る時は砂漠装備整えた方がいいかも」

 ずっとこの炎天下な砂漠を、学生服に上靴の学生スタイルで進み続けるのは、流石にキツいだろう。また仕事が増えるよ、やったね小鳥ちゃん。

 帽子かローブ、ブーツなどが欲しいなーなどと砂漠装備について考えていると、ピラミッドまで到着した。良かった、幻とかじゃなくて。

 思ったほど、ピラミッドは大きくはない。スフィンクスも設置されてないし。

 年季を感じさせる四角い石材で正確に組まれた正四角錐の建造物は、正にピラミッドと呼ぶ他はない。まぁ、僕はエジプトの本物を見たことはないけれど。

「まずは入口を探すために、適当にぐるっと一周しようか」

「その必要はなさそうだぜ、桃川。見ろよ、お出迎えだ」

「みんな、何か出て来るよ!」

 夏川さんの鋭い声が飛ぶと共に、ピラミッドからワラワラと人影が現れる。

「うわー、ミイラだ」

「凄い砂漠っぽい魔物だね」

 定番は外せない、とばかりにミイラの魔物が出現だ。多分、ゾンビかスケルトンの亜種だと思う。

 ミイラ共は汚らしい包帯のような布をグルグル巻きにした如何にもな格好。ホラーとしては及第点のルックスだけど、ガチの戦闘においては裸同然の無防備である。勿論、武器も手にしておらず、素手だった。

 その姿と動きから、ノーマルなゾンビと同等の雑魚だろう。だが、数だけはなかなかのものだ。

「チッ、面倒くせぇな」

 天道君が手を翳すと、デカい火球を三連射。炸裂する爆風と吹き荒れる火炎によって、ミイラ共は一掃された。

「なんだ龍一、意外とヤル気あったんだな」

「そんなんじゃねーよ。おい夏川、入口はその辺にあんだろ、さっさと進めよ」

「は、はひぃー」

 特に僕が何か指示を出す暇もなく、ミイラは始末され、奴らが出てきたと思われる入り口も発見され、探索は進む。いいねぇ、メンバーが強いと楽ができて。

 逆に、このパーティでも僕に仕事ができるような状態なら、相当なピンチだと思うけど。

「それじゃあ、行くよ」

 発見された入口は、普通に外へ開かれていた。扉や門の類はなく、その部分だけ石材を置かずに最初から中へと通じるような造りである。

 入口を隠すような意図は感じない。ピラミッドだけど、特に中への立ち入りを禁止するようなつもりはない施設なのか。

「……なんか、何もないんだけどぉ」

 罠や待ち伏せを全力で警戒して突入していった夏川さんが、非常に物足りない顔で報告してくれる。

 彼女の先導で中へ入れば、確かに、何もない。ただ広いだけの空間があるだけで、とてもじゃないが王様の墓という感じはしない。これは見せかけだけのガッカリオブェクトだったか。

「多分、ここはただの入り口なんだろう。本命はこの下なんじゃない?」

 殺風景なエントランスのように伽藍堂なピラミッド内部だが、広間の両端には下へと続く大きな階段が備わっていた。

 この地下階層からが本番といったところだろうか。

「どっちの階段から行く?」

「夏川さんが選んでいいよ」

「うー、そう言われるとプレッシャーが」

 変なところで責任を感じながら、無駄に悩んだ結果、夏川さんは入り口から向かって右側の階段を選んだ。

「うーん、やっぱり何もない……けど、洞窟っぽい?」

 安全が確認されて、僕らも長い下り階段を降りて行けば、そこには石造りのダンジョンと天然の洞窟が半々といった感じの様子であった。

「ここ、ちょっと虫の洞窟っぽいね」

「あったね、そんなところも。ちょっと懐かしいよ」

 ルークスパイダーがボスだと思ったら横道登場とか、その後モンスターハウス的な罠にかかったり、蒼真君が助けに現れなければ死んでいたヤバい場所だったけれど、最後に明日那の突き飛ばし事件のせいで、印象はすっかり薄い。

「けれど、ここは明らかに人の手が加えられているわ。魔物が掘った洞窟ではなさそうよ」

「うん、何て言うか……坑道って感じ?」

「石炭でも掘っていたのかしら」

「僕はファンタジーらしく、ミスリルの鉱石採掘に賭けるよ」

 さて、ここが炭鉱なのかミスリル鉱山なのかは、先へ進めば分かることだろう。

 剥き出しの岩肌に、ところどころ補強するかのような石柱。そして、点々と灯る小さな白い発光パネル。坑道のような、作りかけのダンジョンのような、そんなところを進んでゆくと――やはり、最初に異変を察知したのは夏川さんであった。

「多分、この先に魔物がいる。一匹だけど……かなり大きくて、強いよ」

 どうする、と無言で問いかける夏川さん。

「でも、ヤマタノオロチほどじゃないでしょ?」

「それは、まぁ、そうだけどぉ」

「じゃあ、挑もう。ちょうど最強のメンバーを揃えて来たんだ」

 そんな安易な判断で大丈夫か、みたいな目を僕に向ける夏川さんだけど、この面子でも瞬殺されるようなヤベー奴がいるなら、どの道、僕らは生き残れないんだよね。

「行こう、夏川さん。大丈夫だ、俺達なら必ず勝てる」

「うん、そうだよね、蒼真君! 私も頑張るよ」

 蒼真君のイケメンスマイルでヤル気を出している夏川さんの一方で、メイちゃんがこそっと僕に耳打ちしてくれた。

「いざという時は、私が抱えてすぐ逃げるから」

 うんうん、やっぱり退路ってのは大事だよね。メイちゃんは本当に僕の求めるところを分かってくれている。

 さーて、保身もそこそこに、夏川さんの言う大きくて強い魔物とやらに挑むとしようか。

 それから、少し洞窟を進むと、いよいよ僕にもその存在が分かった。

 ガツガツガツ、ゴリゴリゴリ。

 そんな硬い物を砕いているような、不気味な異音が響き渡ってくる。

「この先は広間になっていて、魔物はそこにいる」

 小声で、夏川さんから情報が届く。

 ノートの魔法陣コンパスでチェックはしたけれど、この先は別にボス部屋ではない。ただの広間で、そこにたまたま強力な魔物がピンでいるというだけの状況だ。

「突入のタイミングは任せる」

 すでに覚悟は決まっているのだろう。夏川さんは蒼真君と二言三言、言葉を交わすと、広間へと進んで行った。

 意外にも、僕らが広間に入っても、即座に戦闘開始とはならなかった。

 ガツガツゴリゴリと、豪快に音を立てて、この広間の主は食事に夢中だったからだ。

「ねぇ、小太郎くん、あれ、何を食べているのかなぁ」

 メイちゃんが割と真面目に聞いて来るのも、分かる。魔物が、何を食べているのか、パっと見では分からないからだ。

 広間に陣取っている魔物は、簡単に言うと、輝くミノタウルスだ。

 ゴグマに匹敵する人型の巨躯に、雄々しい二本の角。僕らに向けているケツの辺りからは、ちゃんと牛みたいな尻尾も生えているし。

 で、ソイツがギンギラギンにさりげなく輝いているように見えるのは、その肉体そのものが光っているのではなく、どうやら体中にクリスタルのような質感の外殻を纏っているからだ。広間を照らす大きな発光パネルの灯りに照らされ、結晶質の外殻はプリズムの如くキラキラ輝きを放つ。

 なかなかに派手な見た目のクリスタルなミノタウルス、略してクリスタウルスは、洞窟の壁に顔を突っ込んでガリゴリやっているワケだ。

 そう、アイツは何か動物の肉や地面の草などを食べているのではなく、岩肌剥き出しの壁にかじりついている。なに、その岩壁ってそんなに美味しいの? 何味?

「……そうか、コイツは魔石を食ってるんだ」

 ついクリスタウルスの目立つ姿に目を奪われがちだが、チラっと広間の周囲を見れば、その岩の壁面には、キラキラと輝く石が星空のように点々としているのに気づける。アレは人工的な灯りじゃない、天然の輝きだ。

 赤、青、黄色、と色とりどりに光って見えるのは、ここ最近で見慣れてきた採取品である、魔力を秘めた石である『魔石』に違いない。

 そして、クリスタウルスはこの壁にある魔石を喰らっているのだ。

「おい、魔物の観察日記はもういいか?」

「あ、ごめんね天道君、待たせちゃったかな」

「ああ、さっさとやらせてもらうぜ」

 黄金の魔法陣から、王剣を抜刀。僕でも分かるほど、濃密な魔力の気配を迸らせる天道君は、なかなかの大物を前にヤル気は満々だ。

 そんな彼のヤル気に、食事に夢中だったクリスタウルスもとうとう気づいたようだ。

『勇者』と『王』と『狂戦士』の揃い踏みだ。全員から殺意の籠った気配を向けられれば、どんなに鈍い魔物だってお察しというものだ。

「フゥ……グルルル、ブモォオオアアアアアアアアアアアアッ!」

 振り返ったクリスタウルスは、ルビーのように赤く燃える目を輝かせながら、広間を振るわせるほどの雄たけびを上げる。

 そしてそれが、戦い開始のゴングであった。

第203話 光石

 クリスタウルスは強敵だった。

 ただでさえ強靭な肉体を持つ上に、魔石を喰らいことで形成されたと思われる、光り輝く外殻という鎧まで身につけている。その体格と鎧の硬度からして、これだけであの鎧熊を上回るだろう。

 だが奴の真の力は、火、氷、雷、と実に三つもの属性を操る魔法である。

 口からは火を噴くし、天井からデカい氷柱を生やしては落としてくるし、両腕にはスパークを纏ってパンチしてくる。場合によっては、炎や氷の壁を作る防御魔法まで行使する多才ぶり。

 コイツの戦闘能力は、間違いなく今まで僕が倒してきたどのボスモンスターよりも高い。

 さて、そんな強キャラのクリスタウルスは今、見るも無残な有様で、僕の目の前に転がっている。

「はい、小太郎くん。光る牛、倒したよ」

 うん、そうだね、倒したね。フルボッコだったよね。見てるこっちが可哀想だったよ。

「流石に、龍一と双葉さんがいれば、普通の魔物に苦戦はしないな」

「まぁ、サンドバックとしては悪くねぇ奴だった」

 などと、勇者様と王様が涼しい顔で感想を語り合っている。

 並みのボスより遥かに強い、明らかにレアな強個体と思しきクリスタウルスだが、この三人を相手にはあまりに分が悪かった。

 三つの属性攻撃と巨躯を生かして暴れ回るクリスタウルスだったが、三人の息もつかせぬ連携攻撃によって、輝く外殻は砕け、出血を強い、肉を切り裂かれる。結晶の鎧はほぼ砕かれ、片腕が落ち、角が折れてボロボロになると、とうとう敵わないと悟り逃げ出したが、委員長の『氷結大盾アイズ・アルマシルド』で通路を塞いで、詰みだった。

 なまじ生命力に溢れる分だけ、トドメを刺されて絶命するまでが長かった。僕からすると、一方的なリンチを見ている気分である。

 というか僕、クリスタウルスとの戦いで何もしてないんですけど?

「一緒だね、夏川さん」

「わ、私はちゃんと偵察してたもん!」

 いや、分かってる、責めるつもりはないよ。あの三人に混じって攻撃に加われって、なかなかに酷な指示だよね。

 夏川さんも決して接近戦の能力が低いワケではないのだけれど、やはり、三人と比べれば……しかし、僕がいた頃はここまでメイちゃんとも戦闘力の差はなかったように思えるけれど。

 うーん、やっぱり、成長率の差っていうのも、ダンジョンを進んでくると大きくなってくるのだろうか。

「とりあえず、お疲れ様。コイツはかなり良さそうな獲物だよ」

 いきなりこんな上物が手に入ったのは、幸先が良い。

 強靭な肉体に、硬度もそれなりで魔力も含んでいそうな結晶外殻、そして力に見合った大ぶりのコア。クリスタウルスは上質な素材ばかり。歩く宝箱かな。

 フルでミノタウルス4号機をアップグレードしても余裕でお釣りがくる上物素材を前に、すでに僕のテンションは上がり気味だが……クリスタウルスの検分は、学園塔に帰ってからでいい。

 気になるのはコイツよりもむしろ、奴がガリゴリ喰らっていた魔石の方である。

「ねぇ、ここってもしかして魔石の採掘場なんじゃないかな」

「そうかもしれないわね。こんなに沢山の魔石が埋まっているなんて、鉱脈なのかしら」

 魔石鉱脈があるからダンジョンを作ったのか、それとも、ダンジョンの中で鉱脈が精製されたのか。成り立ちなど今の僕らにとってはどうでもいい。

 重要なのは、ここで大量の魔石が採掘できそうということだ。

「もう少し探索を進めよう。もしかしたら、このクリスタウルスが群れで出てくるかもしれないから、注意して」

 最悪、このクリスタウルスの食事場になってたここの広間だけでもいい。魔石の採掘場として利用できたなら……ふっふっふ、これはマジックアイテム量産も不可能じゃないぞ!

 やったね小鳥ちゃん、仕事が山ほど増えるよ。今夜は寝かさないぜ、ベイビー。




「――魔石はね、本当は『光石こうせき』っていうんだって」

「ふーん」

「それで、魔物の中にはこの光石を食べちゃうのがいて、そうして光石の魔力で強くなったのが、『光石種クリスタラー』って呼ぶの」

「なるほどねぇ」

 今日の砂漠探索の成果として、クリスタウルスを持ち帰ると、小鳥遊がコイツについての設定をいきなり語り出した。

 特定モンスを倒すことで情報解禁フラグが立って喋り出すNPCかと思ったが、どうやら、以前に受け取ったメール情報を思い出したらしい。

 天職『賢者』のお陰なのか、小鳥遊はメール情報が豊富に持っているようだ。後で全部、書き出しておいてもらおうかな。

「それで、コレが採掘場でとってきた天然モノの魔石、じゃないや、光石なんだけど、どう?」

「うーん……」

 と、適当に拾ってきた色とりどりの光石を眺めている。

 これまで各所で入手してきたモノに比べると、色艶も輝きも劣って見える。こっちはただの原石といった感じだ。

 多少、魔力の質が落ちるとしても、使い物になればいいんだけど……

「小さくてあんまり光ってないのは、ほとんど魔力はないけど、沢山集めたら錬成して大きくできる、かも?」

「じゃ、光石錬成の仕事もよろしく」

「やっぱり小鳥の錬成能力じゃできそうもないよ」

「オッケー、それなら錬成能力のスキルアップするための特訓しようか。朝練とかどう?」

「光石錬成します!」

 まったく、できるんなら最初からできるって言えばいいものを。

 とりあえず、サンプルとして持ち返った光石を小鳥遊に渡して、僕は別の準備をすることにしよう。

光石種クリスタラー、か。やっぱレアモンスだったんだな、コイツは」

 このクリスタウルスは、ミノタウルスの光石種クリスタラーということで間違いないだろう。実際に光石を食べていたし、取り込んだ魔力を利用し、体も結晶の外殻を形成と、代表的な特徴は全て当てはまっている。

「いい素材だけど……丸ごと4号機につぎ込んで強化は無理っぽいなぁ」

 主に、僕の力不足で。

 もしできたとしても、かなりの制御力を求められるだろう。

 現状、ほぼ同程度の性能を持つ黒騎士とミノタウルスはバランスが良い。今の僕の制御力では、この主力級2体に集中すれば、どちらも十全に力を発揮させられるくらいにはなっている。

 アラクネ、アルファ、その他、ガーゴイルなどの全機体を同時に動かすのは無理だけど、まぁ、レム各機はそれぞれ別々の仕事についているので、全機が戦闘する状況に陥る可能性は非常に低い。リスクはゼロではないものの、現在の仕事量を考えると、どのレムにも頑張ってもらう他はない。

「でも、このペースでレム全機稼働を続けていれば、制御力も成長していくはずだし」

 ヤマタノオロチ討伐時には、できれば現在保有のレム全機を全力で戦闘できるくらいの制御力には伸ばしておきたい。

 ちょっとずつの地道な成長だけれど、それを実感できるというのはありがたいことだと思う。ひとまず、成長度合いが打ち止めになるまでは、このままで行こう。

「4号機の強化はまた今度にしよう。それより今すぐ必要なのは、やっぱり採掘用かな」

 あのピラミッド地下の光石採掘場が有用だと分かった以上、積極的に掘りに行くのは当然だ。しかしながら、男子連中をゾロゾロ引きつれて鉱夫の真似事をさせるのもどうかと思う。少なくとも、あまりテンションの上がる仕事ではないし、士気の低下も懸念される。

 採掘場で良さそうな光石を探し回っては、ひたすら採掘、という単純ながらも重労働な作業は、人形であるレムにこそ向いている。

「黒騎士とミノタウルス、あとはガーゴイルも回すか」

 これで全自動採掘部隊を結成だ。スケルトン小隊とハイゾンビ小隊も同行させることができれば、十分以上の人手は確保できる。

 探索部隊に配置していたレムが抜けることにもなるが、そこは人員の入れ替えで補おう。

 どうせヤル気のない小鳥遊のところで作業が滞っているから、素材ばかりがどんどん溜まっていってもしょうがない。

 この機会に、探索部隊の運用は一つにして、メンバーをローテーション。何人かは常に休めるような、余裕のある勤務体制にしよう。具体案は、委員長に丸投げで。

「さて、光石の安定供給の目途が立ったし、僕も本格的に、使い捨てできるマジックアイテムの開発をしようかな」




 小太郎の提案により、今日から探索部隊の稼働は一つだけとなった。

 本日の編成は、


隊長・『勇者』蒼真悠斗

副隊長・『治癒術士』姫野愛莉

『土魔術士』蘭堂杏子

『剣士』上田洋平

『重戦士』山田元気

『魔法剣士』中嶋陽真



 以上である。

 今回は戦闘経験も必要とのことで、これまでヤマタノオロチの巣で土木工事に従事していた蘭堂杏子も参加することになった。

「今日はコアを中心に集めて欲しいそうだ。手間はかかるが、倒した奴は全て剥ぎ取ることになる」

「マジかよ面倒くせー」

 悠斗の指示に、あからさまに悪態をつくのは上田だけだったが、他の者も似たような気持ちだというのは、表情に現れている。誰も、血生臭い作業など喜んでやりたくはない。

 しかし、それでもコアの摘出作業そのものは誰もができるあたり、ダンジョン攻略の経験が生きている。

「いやぁー、私、こういうの無理ぃー」

 ただし、姫野愛莉だけは倒した狼男を前に、イヤイヤとわざとらしく駄々をこねていた。

「蒼真くぅーん!」

「姫野さん、これはみんなやっていることだから――」

「うるせぇ、いいからやれっての姫野!」

「ひィアアっ!?」

 ごねる愛莉に対し、杏子は割とキレ気味にケツをひっぱたく。

 突然の攻撃に、愛莉はあまり可愛らしくはない悲鳴を上げていた。

「う、ううぅ……」

 あまりの理不尽、とばかりに愛莉は杏子を恨めし気に睨むが、

「あ? なによ」

「な、なんでもないです……やります……」

 これがクラスカーストの越えられない壁か。杏子に睨み返され、愛莉は一言のケチをつけることもできずに折れた。

「蘭堂さん、今のはちょっとキツく言い過ぎなんじゃ」

「蒼真、アンタは女に甘すぎ。そんなんだからつけ上げんだよ」

「えぇ……」

 まさか自分に非難の声が飛び火するとは思わない悠斗であった。

 そんな一幕がありながらも、探索部隊によるコア収集は順調に進んで行った。

 今回の狩場は暗黒街だが、ここ数日は通いつめのため、多少は狼男達との戦闘にも慣れてきた。

 蒼真悠斗を中心として、残りのメンバーが無力な愛莉を守りつつ、後方警戒。

 この布陣ならば、狼男が群れで襲って来ても、より強力な魔物が混じっていても、安定して対処ができる。

 この安全安心な陣形にメンバーも慣れ始めていたが、だからこそ、彼らも忘れてしまったのかもしれない。

 それはあまりに、『勇者』の力に頼り過ぎた陣形であることに。

「――あのさぁ、蒼真」

 昼休みも兼ねて比較的安全と思われる、大きな石造りの礼拝堂のような建物に入った頃である。口火を切ったのは杏子であった。

「これウチらいる意味ねーじゃん」

 最初の戦闘含め、ここに至るまで合わせて4回の戦闘があった。

 その内、悠斗以外のメンバーが倒したのは、狼男が3体ほど。他の魔物は全て、悠斗一人で始末していた。

「そんなことないよ、蘭堂さん。仲間が後ろを固めてくれているから、俺も安心して戦えるわけで」

「ウチはアンタが好きに戦うために、姫野のお守りしてんじゃねーんだよ」

「お、おいおい、蘭堂ぉ、ちょっと落ち着けって」

 明らかに棘のある台詞に、悠斗は面を喰らっている。なだめるように口を挟んだのは、杏子とは多少、交友のある上田だ。

 他の愛莉、山田、中島などは、突如として険悪となった雰囲気に、固唾を飲んで見守るほかはない。

「確かに、俺が戦っている方が多いけれど、これが一番安全な――」

「そりゃ蒼真が倒してくれりゃ楽だけどさぁ、そういうことじゃないでしょ、今の状況は」

 どこまでも気まずい沈黙が漂う。

 安全第一、という方針は決して間違いではない。

 だがしかし、強くなるためには多少のリスクを負うことは避けられない。

「けど、今は安全確実に行くべきだ。俺には、みんなを守る義務がある」

「蒼真、アンタ勘違いしてない?」

「なんだって」

「ウチはアンタに守って欲しいなんて、一度も頼んでない」

 それなら、お前のことは助けない――などと逆上して言うほど、蒼真悠斗は短絡的な性格はしていない。

 杏子が何故そんなことを言うのか、悠斗にはむしろ理解不能で困惑するほどだ。

「蘭堂、流石にそれはちょっと言い過ぎじゃねぇか? 実際、蒼真が一番強ぇんだから、頼るのはしょうがねぇことだろ」

「だからって、こんな戦い方してて強くなれんのかよ。ウチは蒼真に守って欲しいんじゃなくて、守ってもらわなくても大丈夫なくらい、強くなりたいの」

「強さは無理をして求めるものじゃない。まして、ダンジョンでの戦いは命がけの実戦なんだ、無茶をするのは危険だ」

「そのためにアンタが隊長やってんでしょ。保護者じゃないんだから、勝手に一人で守るとか言ってんじゃねーよ!」

 その言葉に、悠斗はすぐに反論できなかった。

 つまるところ、自分は探索部隊のメンバーの力を信じていなかったということ。

 桜をはじめ、今まで組んできた彼女達ならばいざ知らず、ここで合流したばかりの、それも、いくら学級会で話し合いをしたとはいえ、遺恨のある者も含んでいる。

 そうした面子を率いることになった時、悠斗の心には彼らへの信頼が欠けるのは、半ば当然とも言えよう。

「……確かに、俺はみんなの力を信じてはいなかった」

「まぁ、蒼真からすれば、ウチらなんて雑魚みたいなもんだけどさ」

「いや、そ、そこまでは……」

 けれど、その明確な実力差を少しでも縮めるべく、努力しなくてはならない。

 それは最早、向上心などという人間性の問題ではなく、ヤマタノオロチという強大な敵が立ち塞がるこの状況下においての、死活問題だからだ。

 強い者に頼るだけでは、解決できない。一人残らず力を磨き、力を合わせなければ打破できない大きな障害。

「どんな奴でもこき使う桃川を、少しは見習えっての」

「それはちょっと……けど、分かったよ。これからは陣形を変えていこう」

 流石の悠斗も、ここまで言われれば折れるより他はなかった。

 言葉通り、杏子の言い分に一理あると納得もしている。

 だがしかし、芽衣子と同じように、戦いとはまるで無縁だった蘭堂杏子にここまで言わせたのも、桃川小太郎の影響なのかと思うと、少しばかりの不快感と、嫌な予感を覚えてしまう。

「……アイツは、人を戦いに引き込む呪いでも、持っているのか」

第204話 砂糖の秘密

 早いもので、学園塔での生活も一週間が過ぎようとしている。

 今のところ、小鳥遊パンツ冤罪事件の他には表だって争い事はないし、学園塔での衣食住も充実しつつあるし、素材も集まってきている。

 食事関係については、山田が趣味の釣りを始めたのをキッカケとして、狩猟部隊も一定量の漁獲を目的として海に行くようになった。肉ばかりだと飽きるし、なにより僕らは日本人なので、魚の味は誰もが恋しくなるものだ。

 さらにメイちゃん発案で、畜産の真似事も始めてみた。

 無人島エリアの海辺にいるニワトリみたいなドードーみたいな鳥を捕まえては、卵を産ませる。

 さらに遺跡街の方からジャージャを捕まえて、乳搾りでミルクを得ることもできた。

 今や無人島エリアの妖精広場は、お手製の柵で囲われ、海鶏とジャージャを飼う小さな牧場と化している。


 飼育委員長・双葉芽衣子

 飼育副委員長・山田元気


 以上、新たに家畜の面倒を見るための飼育委員も新説された。

 メイちゃんは言いだしっぺと、唯一こういう方面の知識を持っていることから委員長に。

 山田は釣りで無人島エリアに向かうことが多いのと、まだなにも委員はやっていなかったので採用となった。

 山田で大丈夫か、とも思ったが、意外に面倒見がいいのか、楽しそうに世話をしている。

 今は探索部隊の運用も一つだけにいているから、ちゃんと休みもとれるし、生活のために労力を割くこともできるようになった。

 なんだかんだで、クラスメイトのみんなも、すっかりこの共同生活に慣れ始めている感じだ。

 強いて問題といえば、いまだヤマタノオロチの決定的な攻略法が思いつかないことと、小鳥遊の仕事が遅いことくらいだろうか。

 ヤマタノオロチには、ここにやって来た当日から僕が『双影』で監視を続けて来たけれど、驚くほどに動きがない。

 朝も夜も関係なく、オロチは岩山に引きこもりっぱなし。僕らのような外敵が接近しない限り、表に出てくることは絶対にない。

 その代り、ガーゴイル共は割とその辺の荒野まで飛んでいったりもしている。岩山の向かう途中の谷でエンカウントすることもあるくらいだし。

 かといって、そういう奴らも特に何かしているというワケでもない。この荒野には奴らの他には、生き物は見当たらない。小さい虫を見かけたくらいだろうか。

 本当に気まぐれのようにガーゴイルは飛んで来るので、ついこの間、とうとう僕が見つかってやられてしまった。

 朝起きたら、分身との繋がりが切れていたのだ。どうやら、眠っている間にキルされた模様。

 砂漠エリアの光石採掘のために、とりあえずの護衛役にしておいたガーゴイルレムも引き抜いたせいだろう。完全無防備で寝転がっていれば、いつか見つかってやられるとは思っていたよ。

 別に、監視は再び送り込めばいいので何の問題もないけれど。

 しかし、これ以上の監視を続けていても収穫はなさそうである。

 念のために、見てはおくけれど、期待はしていない。 

 監視の成果は特に得られてないけれど、逆に言えば、それだけヤマタノオロチの方に問題は起こってないということでもある。密林塔の時みたいに、ガーゴイル軍団が学園塔を襲いに来たら困るしね。

 そういう、今すぐ対処しなければならない緊急の問題がないのは、幸いであろう。

 クラスのみんなも、円卓で食後のデザートなんかをつつきながら、実に満足そうな笑顔を見せている。

 今日は三日ぶりにメイちゃん特製のデザートが振る舞われ、いつにもまして食堂は大賑わいである。

 メニューは、搾りたてのジャージャミルクによって作られたヨーグルトのハチミツがけ、各種フルーツを添えて。

「んんー、美味しい! やっぱり甘いモノはいいよね!」

「私はそんなに甘いものは好きではなかったけれど、こうして貴重品になると、ありがたみが出るわね」

 満面の笑みでヨーグルトをパクつく夏川さんと、お上品に召し上がっている委員長の差よ。でも、料理人的には幸せいっぱいで食べている夏川さんのリアクションの方が嬉しいだろう。

 やはり女子は甘いものが大好きだ。

 あの蒼真桜も普段のヒスが嘘みたいに綺麗な微笑みを浮かべているし、蘭堂さん達も上機嫌である。

 いいや、甘味を喜んでいるのは何も女子だけではない。

「あー、やっぱ甘いもんっていいな」

「ただのハチミツがこんなに美味く感じるからな」

「いやこれ普通に美味いべ」

「美味ぇ、美味ぇ」

 上中下トリオが駄弁っているのも、山田がひたすら食っているのも、こうして見ていると和むほどだ。

 天道君でさえ、今は大人しく席について食ってるし。

 いやぁ、美味しいスイーツは心を豊かにしてくれるね。厳しいダンジョン生活だからこそ、尚更に甘味ってのは身に染みる。

 僕は初めてメイちゃんがデザートを作ってくれた時から食べているけれど、今だって食べればちょっとした贅沢気分を味わえる。

 ふぅ、今日はいい気分で眠れそうだ。

 などと、和やかな雰囲気に包まれる中、

「……小太郎くん、ちょっといいかな」

 と、一人だけ深刻な表情で、メイちゃんは僕にこっそりと耳打ちしてきた。

「分かった、外に出よう」

 メイちゃんのこの顔つきは、野営中に敵襲を察知したり、強敵が出現した時の感じに近い。つまり、冗談抜きで、かなり深刻な危機的状況の発生を意味する。

 一体どうしたのか。僕は気を引き締めて、メイちゃんと連れ立ってこっそり食堂を抜け出した。

「メイちゃん、どうしたの」

「もう、ハチミツがなくなりそうなの」

 どんな話が切り出されるのか、覚悟はしていたつもりだった。

 けれどコイツは、思った以上に事態は深刻だ。

 デザートというのは、甘くなければ嘘である。

 そして、僕らが満足いくほどの甘味となるのは、現状ではハチミツしかない。果物とは違う、あの濃厚な甘さが必要なのだ。

「あとどれくらい」

「もう、あと一回しかみんなにデザートは出せないよ」

「な、なんてこった、一週間ももたないじゃないか……」

 みんなには学園塔に集って学級会を開いた、翌日のディナーでハチミツ団子を振る舞い、給食係メイちゃんの絶対的な力を見せつけた。

 今日のハチミツヨーグルトで三回目のデザート提供となるのだが、恐らくみんなは、三日ごとに必ずデザートが出ると思い込んでいるだろう。

 だがしかし、狩猟部隊隊長である下川ですら気づいていない。

 狩猟を始めてから、まだ一度も蜂の巣を収穫できていないことに。

 つまり、現在使われているハチミツは、以前に僕がとった在庫分を消費しているに過ぎないのだ。むしろ、よく今までもったと言うべきだ。

「万一に備えて、私と小太郎くんの分は確保しているから」

「双葉屋、おぬしも悪よのう」

「いえいえ、呪術師様ほどでは」

 ひとまず、メイちゃんはアラクネに背負わせた宝箱に、ポーション瓶につめたハチミツを隠し持っているという。最悪、二人だけで消費すれば半月くらいはもちそうだ。

「とりあえず、みんなも甘い物は楽しみにしているようだし、明日は本格的に蜂の巣を探そう」

 同時並行で、甘味の代替物として果物も集めていこう。

 蜂の巣捜索隊と、フルーツ狩り隊の二つで。勿論、小鳥遊は山積みの錬成作業だ。ノルマ達成するまでスイーツはお預けな。




 というワケで、翌日、僕ら二年七組は総出で無人島エリアへとやって来た。

「さぁ、みんな行くよ! 明日のスイーツのために!」

 と、勇敢に先陣を切って森へと分け入っていくのは、夏川さんである。

 彼女は結構な甘党なのだろう。普段のダンジョン攻略より、よっぽど気合いが入っている。

「じゃあ、収穫はよろしくねー」

「おう、いつもの狩りに比べれば、楽なもんだべ」

 フルーツ狩りの方は、狩猟隊長の下川に丸投げだ。

 今回の部隊編成は、特に戦力バランスを考えなくてもいいので、自然と仲良しグループで固定となった。

 上中下トリオと山田、中嶋、姫野さん、と昔一緒だったメンバーだ。

 一方の蜂の巣探索隊は、蒼真兄妹、委員長、夏川さん、剣崎、とこれも昔懐かしの最悪ハーレムが勢ぞろい。これに、メイちゃんと、『双影』の僕。

 いやだって、この顔ぶれで生身で同行したいとは思わないよ。いざって時のためにね?

 ちなみに、天道ヤンキーチームは揃ってお留守番である。

 まったく、自由を与えるとヤンキー共は――うぐぐっ!?

「蘭堂さん! 分身操作してる時に悪戯すんのやめてくれる!?」

「あはは、ごめんごめーん」

 全く反省の色が見られない。

『双影』を操作している本体の僕は、妖精広場でお昼寝が如くハンモックで横になっていたのだが、そこを暇を持て余した黒ギャルに襲われてしまった。戦闘中だったらどうするんだ。この面子で分身の僕で貢献できることなんて、ほとんどないけどさ。

「小太郎くん、どうしたの?」

「いや、何でもないよ。広場の方がなんかちょっと騒がしかっただけだから」

「そう、蘭堂さんが何かしたのかと思ったよ」

 うわー、メイちゃん、分身の僕の制御が一瞬途切れただけで、そこまでお察しとは。

 蘭堂さんには、もうちょっと真面目に釘を刺しておいた方がいいかもしれない。

「僕のことはどうでもいいよ。それより、レムはどんな感じ?」

「クアー」

 と、僕が跨っているアルファは、順調そうだ、という感じで吠えている。

「小太郎くん、どうなの?」

「うーん、この感じだと、もう蜂の巣を見つけてくれた気がする」

 今回、どこにあるとも知れない蜂の巣を探すにあたって、僕はちょいと久しぶりに『同調波動エコー』で野生の鳥さんをテイムした。勿論、指揮官機となるレム鳥に率いらせて、この無人島エリアを覆う広い森へと放ったのだ。

 夏川さんの索敵力はなかなかのモノだけど、所詮は一人分の感知能力。広範囲を探すなら、空を飛べる鳥の機動力と視界には及ばない。

「――んっ、この先に多分、蜂の巣あるよ!」

「本当か、夏川さん」

「うん、急ごう!」

 いやぁ、まさか夏川さんに先を越されるとは。伊達に『盗賊』一筋でやってきてはいないってことだろうか。

 前衛役たる蒼真君と連れ立って、ガサガサと森を突き進む背中を見ながら、僕は天職の能力の高さをあらためて実感した。

「ゴーマだ!」

 茂みの向こうで、そう叫んだのは蒼真君だった。

「またアイツらか」

 そういえば、この無人島エリアにも生息していて、どこからか砂糖を手に入れているゴーマだっけ。

「っていうか、死んでるじゃん」

「ああ、死体しか残っていない」

 てっきりいつものように無謀な喧嘩を売りにきたのかと思ったけど、目の前にはすでに息絶えたゴーマの死体が三つほど転がっているだけ。

「ラプターにでも襲われたんだろう」

「いや、これは多分――」

「ああーっ! は、は、蜂の巣がぁ……」

 僕の検死結果を遮って、夏川さんが絶望的な悲鳴を上げていた。

 驚愕に目を見開く彼女の視線の先にあるのは、トロトロと蜜が滴り落ちている、崩れた蜂の巣であった。

「なるほど、奴らもハミチツを集めているってことか」

 このゴーマの死体は、無残にもボコボコに腫れ上がっている。これはリンチで殴られたのではなく、蜂に刺されたのだ。

 人権意識がド底辺のゴーマらしい作戦だ。ハチミツ欲しさに、生身のまま巣をつついたのだろう。

 ここの蜂はミツバチではあるが、日本のススメバチ並みのサイズを誇る。ゴーマくらい余裕で殺せるだろう。

 見たところ、ゴーマの蜂の巣襲撃は一日も前とは思えない。半日ほど、恐らく、早朝あたりに実行されたと思われる。

 巣は半分以上崩れかけているが、女王は生き残っているのか、ハチ達が元気にブンブン飛び回り続けている。

 しかし、あの残りを回収したところで、大した量が収穫できるとはとても思えない。

「くっそぉ……ゴーマぁ、許さねぇ……」

 うわ、夏川さんのそういう口調、初めて聞いたよ。かなり本気でキレてそう。

「よくも私のハチミツをぉ」

「私のハチミツだよ」

「メイちゃん、そんなところで張り合わないで」

 夏川さんほどではないけど、メイちゃんもまんまとゴーマ共にハチミツを奪われたことに憤然やるかたないといった様子。

 食べ物の恨みは、もとい、スイーツの恨みは深いのだ。

「まぁまぁ、女王が残ってれば、またハチミツはとれるから」

「そんな呑気なことを! それじゃあいつになるか分からないじゃない!」

「小太郎くん、流石に私も養蜂業の経験は……」

 僕も別に本格的に養蜂に手を出したいなと思っているワケじゃないんだけど――いや、待てよ。

「試してみる価値はあるか」

 僕の手には、『召喚術士の髑髏』が装填された『愚者の杖』が握られている。

 前と同じスケルトンの焼身自殺戦法で蜂の巣を確保しようかなと思ってたのだけれど、僕は今、さらに革新的な方法を思いついてしまったのだ。

「――『同調波動エコー』」

 つまり、女王蜂をテイムすれば、好きな場所に巣を作らせることができるのではないだろうか。

「す、凄い、小太郎くん天才だよ!」

「やったぁ! 桃川君、天才!」

 メイちゃんにプラスして、夏川さんも僕をヨイショしてくれる。

「いやぁ、上手くいって良かったよ」

 鳥を『同調波動エコー』にかけられるなら、虫でできない道理はない。あの蜜蜂はデカいけれど、魔物ではないのだ。

 まんまと呪術師によって操られた女王蜂が、生き残りの働き蜂を引き連れて、新天地へと旅立って行った。

 具体的には、妖精広場の軒先である。

 牧場化に加えて、養蜂場にもなるとは……本格的にここで住むつもりか、と言わんばかりの充実ぶり。

 とりあえず、これでいつでもハチミツを取りに行けるだろう。

 再利用ができる程度に採取量は抑えないといけないけれど、ちょっとずつでも溜められると思えば精神的な余裕が違う。

「桃川君は、相変わらず変なことを考えるわね」

「やはり、意思に反して操る呪術を……」

「……」

 大喜びの二人組に対し、委員長達は若干、引き気味であった。

 というか、桜ちゃんはすぐ洗脳と結びつけるのやめて欲しいし、やっぱりみたいな無言の圧を剣崎が発しているのもいい加減にして欲しい。

 これは呪術じゃねぇよ、召喚術だよ。文句は本来の能力者である東君に言ってよね。

「召喚術は優秀だから。色々と応用が効いて便利なんだよ」

 あらぬ疑いをかけられたものの、戦闘、索敵、おまけに養蜂と、地味に髑髏シリーズでは一番役に立っているのではないだろうか。ありがとう東君、大事に使わせてもらってます。

「さて、女王蜂のテイム成功は思わぬ収穫だったけれど……本来の収穫はできていないんだよね」

 夏川さんがどうやってか察知した、この壊れた蜂の巣。ここに溜めこまれていたハチミツは、ゴーマ共に丸ごと奪われたことに変わりはない。

「小太郎くん、ゴーマを倒しておかないと、新しい蜂の巣も狙われるんじゃない?」

「他の蜂の巣だって危ないよ!」

「つまり、ハチミツのために奴らを根絶やしにしようっていうの?」

 おお、なんと残酷な思考であろう。人間の欲望とは、かくも残忍なものなのか。

「ゴーマに食べさせるハチミツはないよ」

「一滴たりとも、食わせてなるものかぁ……」

「そうだよね、あんな奴らに食われたらムカつくよね」

 まぁ、ゴーマだし。絶滅しちゃっても生態系に影響はないでしょ。

「おい桃川、まさかこのままゴーマの拠点を探して、襲撃するつもりか?」

「まさか、とりあえずは様子見で」

 もし、ここに蒼真パーティが遭遇したピラミッド並みの大きな集落があったなら、攻めるのはそれ相応のリスクがある。ヤマタノオロチ攻略に役立つ秘密兵器でも持っているなら、制圧するのもやぶさかではないが……流石に、ハチミツのために命をかけろとは言えない。

 でも、僕らだけで楽に制圧できるような小さな集落だったら、その限りではない。

「砂糖の出所も気になるしね。そろそろ調査しようとは思っていたんだよ」

 この機会に、無人島エリアに蔓延るゴーマの調査を進めてもいいかもしれない。

第205話 ゴーマの開拓村

「ここが奴らの巣だな」

 その日の内に、僕は無人島エリアにあるゴーマの集落を発見した。ハチミツ捜索のレム鳥部隊に空からの索敵を続行させていると、簡単に見つけられた。

 森の少し深いところに、明確に人の手によって切り開かれた場所があったからね。

 中央にはダンジョンの遺跡である石造りの塔がある。そこから、ゴーマ城でも見たような粗末なテントが立ち並ぶ。

 どの程度、魔物に対して効果があるのか分からない雑な木の柵も、一応は集落を囲っていた。

「見たところ、この集落は大した規模じゃない。多分、ゴグマもいないと思う」

「それじゃあ、今から襲うのか?」

 それを僕に聞くのかい、蒼真君。君の後ろには、ゴーマ殲滅に燃える盗賊と狂戦士がいるじゃあないか。

「いや、しばらく様子を見ようと思う。砂糖のことも調べたいし」

「調べるといっても、どうするつもりなんだ?」

「僕が潜入してくるよ」

「そんな、危ないよ小太郎くん!?」

「いや、分身だし」

 別に見つかっても困らない。『双影ふたつかげ』の分身は僕の魔力を除いて失うモノはなにもないわけだし。

「それでも、奴らに見つかれば警戒はされるだろう」

「その時は、調査はそれまでということで」

 所詮、こんなのはサブクエストみたいなもんである。

「だから、今日はみんな解散でいいよ」

「は、ハチミツは……」

「僕がちゃんと置いてある場所を調べておくから」

 まぁ、後先考えないゴーマのことだから、採取した端から食べ尽くしていそうだけど。でも今の夏川さんには言うまい。

「分かったよ。小太郎くん、気を付けてね」

「せいぜい頑張るよ」

 というワケで、僕の単独スニーキングミッションの始まりである。

 みんなとはその場で分かれて、僕はレム鳥部隊だけをお供にして、さらに森の奥にあるゴーマの集落を目指す。分身だから、どんだけ走っても疲れないから、移動する時は便利なものだ。

 幸い、道中でモンスに襲われクエスト失敗、とはならなかった。ここでラプターにでも絡まれていたら、普通に終わってたよ。

「ちょうど夕暮れか」

 僕がゴーマの集落を目視できるポイントまで接近した頃には、空は夕焼けに赤々と染まっていた。まぁ、屋内なんだけど、リアルな空のグラフィックは本当にオーバーテクノロジーである。

「今の内にご飯食べておこう」

 完全に陽が暮れるまでの間、僕は本体に戻って、メイちゃんと和やかに夕食を済ませる。

 こういう意識の切り替えをしていると、分身の操作はVRゲームでもしているような感じだよ。こんなリアルな操作感のVRなんて、まだ日本に存在しないけど。

 さて、お腹も膨れたことだし、そろそろ戻るとしよう。

 木の影に潜ませておいた分身を再び起動。周囲は真っ暗で、いい感じに夜になってくれた。

「奴らが夜行性じゃなくて助かるよ」

 ゴーマが人間と同じ程度の生活サイクルをしていることは、ゴーマ城の攻略で知っている。だから、陽が落ちれば奴らも寝静まって、潜入できる余地も生まれる。

 見たところ警備も手薄だし、僕でも大丈夫だろう。

「こういう時に、射手の髑髏を使えれば良かったんだけど」

 紛失のリスクは冒せない。あの髑髏の付け替え可能な杖は、今のところ一品モノだから。

 さて、そろそろ完全に陽も落ちたし、行くとしよう。

「頼むから真面目に警備なんてしてるなよ」

 集落の周りは木が伐り倒されて開けているので、視界が広い。昼間なら一発で見つかるだろう。

 僕は雑草の生える草地を匍匐前進で、少しずつ集落までの距離を詰めていく。

 ざっと見た感じでは、柵の入り口に当たる箇所にのみかがり火が焚かれ、見張りが何体か突っ立っている。それ以外の箇所は、時折、歩哨が歩いてくるだけで、警備はガバガバである。

「よし、ひとまずは潜入成功だ」

 雑な造りの木柵を越えて、集落へと潜入。この柵はラプターくらいのサイズの相手を想定しているのだろう。ちょっと黒髪縛りの縄梯子をかければ、簡単に超えられた。

「とりあえず、あの塔だな」

 ここの中心地は間違いなくあの塔だ。立地的にもそうだし、なにより、テントしか作れないクソ建築技術のゴーマにとって、堅牢な石造りの建物は自動的に重要拠点となる。ゴーマ城もそうだし、ピラミッド城もそうだ。

 ここの塔はゴーマ城に比べて随分と小さい、本当に3階建て程度の塔が一本あるだけだ。

 集落にある遺跡のサイズは、そのまま集落の規模と強さを示しているように思える。ゴーマ城にはゴグマが一体だったけど、それよりも遥かに巨大なピラミッド城には、ゴグマ四天王に加えて大ボスの四つ腕もいたわけだ。

「まぁ、ゴーヴの一体でも僕相手じゃ瞬殺だろうけど」

 本体だったら流石に対処できるけど、分身では黒髪縛りと腐り沼を少々使えるだけだ。発見されれば余裕で倒される。

「っと、言った傍からゴーヴかよ……」

 ゴーマ共が寝静まったテントが張ってある区画を、相変わらずの匍匐前進で進んでいると、歩哨なのか、それともトイレで起きたのか、ゴーヴがのしのしと歩いているのを発見。

 というかアイツ、このままこっちに来るぞ……まだ見つかってはいないが、距離を詰められれば発見されるかもしれない、

 後退、するにしては匍匐の体勢はよろしくない。身を潜めるだけの遮蔽物も見当たらない。

 おっとぉ、桃川小太郎、ここで任務失敗かぁ?

「レム、お願い」

「チュチュン!」

 困った時のレム頼み。

 連れてきたレム鳥をテイクオフさせ、ゴミ捨て場で縄張り主張するカラスが如く、歩くゴーヴの頭上スレスレを威嚇飛行させる。

「ブゴッ!? グブラ!」

 まさかこんな夜中に鳥に襲われるとは思わなかったのだろう。

 腕を振り回しながら、鋭い怒りの声を上げている。

 おい、あんまりデカい声は出すなよ。

「チュンチュン」

「ムガぁ! ゲブル、ゴンガァーッ!」

 レムの見事な誘導によって、怒ったゴーヴは飛び去るレム鳥を追いかけて、僕が潜む反対方向へと走って行った。

 こんな夜中に鳥を追いかけるとか、マジでゴーマはアホだよね。

「しかし、もうこの手は使えない。一気に塔まで辿りつかないと」

 僕が連れてきたレム鳥はあれで最後の一体だ。

『召喚術士の髑髏』がはまった愚者の杖は、メイちゃんに預けて学園塔に戻してあるので、テイムした鳥も使えない。

 覚悟を決めて、気合いの匍匐前進!

「ふぅー、なんとか到着したぞ」

 塔の扉は開け放たれている、というか、最初から扉がついていない。そして、ゴーマ如きに扉を取り付ける技術もないため、常にオープンである。

 入口には一つだけ松明が設置してあるだけで、警備は誰もいない。実に都合がいい。

 もしかして何か罠が仕掛けてあるのかも、などと疑いながらも思い切って入口へ飛び込んでみれば、特に何もなく、侵入成功。

 さーて、気になる塔の内部は……

「なるほど、祭壇ね」

 広さとしては通常の妖精広場と同じくらい。その中央には噴水の代わりのように、円形の台座と、大きな墓石みたいな石版が突き立っている。

 その祭壇には、如何にも魔法陣ですとばかりに、ミミズがのたうったような文字らしき図形がビッシリと書きこまれ、円を基調としながらも、歪な陣が描かれている。

 そして、その妙な魔法陣は不気味に赤い光を、ぼんやりと輝かせていた。

「古代語でもないし、遺跡やコンパスとかの魔法陣とも形が随分と違う……ってことは、これがゴーマ流の魔法なのか」

 薄らと輝きを発している、という点から魔力が通い、魔法陣が起動状態にあることは間違いない。それでいて、僕がこれまで見てきたどの魔法陣とも類似性が見られないので、奴らのオリジナルだと判断できる。

 勿論、これといった解読スキルはないので、どういうモノなのか効果や機能の判別はできない。適当に弄って見るのアリだけど、それはまだ時期尚早。

「分かりやすく光ってて、物色するにはちょうどいいや」

 真っ暗だろうと思っていたが、石版が光っているお蔭で、多少は室内が照らされている。豆電球をつけてるくらいの明るさだ。

「結構、雑然としてるな。やっぱ倉庫としても利用してるのか」

 部屋の四隅には、雑多なサイズの木箱やら壺やらが転がっている。祭壇の周囲以外は大体、モノが積み重なっているので、僕が隠れ潜むのにもちょうどいい感じだ。

 とりあえず、探すだけ探してみるか。

「うーん、案の定ガラクタだらけかよ」

 まぁ、期待はしていなかったけどね。

 箱の中身は大したモノは入っていない。何かのモンスターの骨やら、雑な作りの革やら。遺跡街に繰り出して収集してきたのか、よく分からん破片やらゴミみたいなモノが入っていることもある。

 ガラクタの他には、保存食のつもりなのか、干からびた果実のようなモノが詰まったものもあった。

「おっ、コレはもしかしてハチミツでは?」

 たまたま覗き込んだ小さい壺の中には、トロトロした黄金の甘味であるハチミツが詰まっていた。

 まぁまぁの量である。とりあえず、これだけでも確保できるよう、隠しておこう。あの辺の如何にも長年放置されているっぽい木箱の中に入れておくか。

「ふわぁ……そろそろ寝るか」

 ひとしきり塔内の物色を済ませ、ハチミツ壺も確保したこで、今夜はこの辺にしておこう。他にできることはなさそうだし、僕本体もちゃんと寝ないと翌日の活動に支障をきたすからね。

 僕は一応、身を隠すつもりで、大きな壺の中に入った。気分はタコか。

 とりあえず、明日一日くらいは昼間の村の様子を観察してみよう。




「……おはようございまぁーす」

 ゴーマ達の朝は早い。

 僕が学園塔で起床し、身支度を整え朝食を終え、相変わらず仕事の進捗状況が悪い小鳥遊を叱ってから、ゴーマ村に潜入中のアバターにインしてみれば、すでにゴーマ達は活発に動き回っていた。

「よし、普段はここの塔には誰も寄りつかないみたいだな」

 祭壇があるせいだろうか。少なくとも、無意味に中に入ってくるような奴は誰もいない。

 ここは村の中心地にあり、かつ、誰も近寄らず、ほどほどに小窓などもあるので、村を観察するにはうってつけのポイントである。

 僕は夜が明けてそれなりに明るくなった塔の中で、物音を立てないよう慎重に歩きながら、窓から村の様子を眺めた。

「こういう生態観察は、バジリスク以来かなー」

 ゴーマは僕らにとっては、最も馴染み深い魔物といえるだろう。

 クラスメイトの中には、序盤で遭遇した雑魚モンスには微妙な差異もあったりしたが、このゴーマとだけは誰でも必ず、かつ頻繁に遭遇している。

 それだけダンジョンに生息域を広げているゴーマであるが、実はあまり多くのことは分かっていない。僕らにとってゴーマは、出会ったらその場で殺す、単なる障害物でしかないからそれで十分な扱いではあるけれど。

 しかし、RPGの雑魚モンス然としたゴーマ共だが、奴らもまたこの世界に生きる生物であることに変わりはない。つまり、奴らには奴らなりの暮らしぶりがあるということ。

「ふーん、意外と普通に生活しているな」

 村の中は、ゴーマらしくギャアギャアと汚らしい言語が飛び交い騒がしい。親もいれば、子供もいる。

 村の各所には共同の竈のような場所があり、そこにメスと思しきゴーマが複数集まり、調理を行っている。その周りには、小さい子供が群がって、追いかけっこやら取っ組み合いやらして遊んでいた。

「っていうか、メスはああいう姿なのか」

 ゴーマのオスとメスの見分け方は、一目瞭然だった。

 いつも僕らがぶっ殺しているのがオス。やはり、集落の外に出張ってくるような奴は、男の仕事になるらしい。

 一方のメスは、こういった集落に来なければその姿を見かけることはない。なので、今回は初見なのだが、メスだとすぐ分かった。

 それは、腹だ。

 ビール腹のように、腹がでっぷりと出ているのだ。

 腹部の膨らみには、かなりの個人差が見受けられる。妊娠状態の進行度でサイズの違いは勿論あるだろうが、恐らく、妊娠していなくても腹はオスに比べてあきらかに膨らんでいる。

 逆にいえば、顔も胸も尻も、オスゴーマと大差はない。けど、腹という目立つ部位が膨らんでいるので、パっと見ですぐ判別はつく。

「……腹がデカいのがモテるのか?」

 ちらほらと、オスがメスの腹を触って喜んでいるような姿が見受けられた。

 醜悪なゴーマの面であるが、僕には分かる。アレは男がおっぱいを揉んでる時と、同じ喜び方だ。それくらいしまりのねぇ面をしている。

 胸も尻もない代わりに、腹がセックスアピール一点突破となっているようだ。多分、腹が大きい方が、沢山子供を産めるとか、そういう本能的な理由づけだろう。

「ふーん、ボスの女ともなれば、特に腹もデカいってワケか」

 入口の方から外を覗き込んでみれば、村の正門となる位置に、これから狩りにでも出かけるのであろう、一団が集まっているのが見えた。

 三体のゴーヴがいて、真ん中の奴は頭一つデカい上に、鋼鉄の鎧を着こんでいる。この村のボスか、少なくとも戦士を率いる立場にいるのには間違いない。

 そんな鎧のボスの周りには、奴の女と思しきメスゴーマが二体寄り添っている。

 二体のメスは、どちらも他のメスよりも一回り以上は大きな、それはもう立派な腹をしている。おっぱい換算でいえばGは越えているレベルだろう。

 そして鎧ボスは、その二体のG級お腹を撫でまわしては、ご満悦な表情。間違いねェ、コレはおっぱいを揉んでいる顔だぜ!

「ゴーマのくせに巨乳ハーレムだとぉ……許さねぇ絶対ブっ殺してやる」

 僻み根性全開でそんな様子を眺めている内に、ゴーマの狩猟部隊は村を出て行った。

 大半のオスは出払って行ったが、やはり最低限の防衛戦力は残している模様。要所にはオスのゴーマと、正門には一体だけゴーヴが残っている。

 この村で確認できた限りだと、ボス含む狩猟部隊のゴーヴが3と、防衛の1で、合わせて4体。たったの4体だ。遺跡街で初めてハイゾンビを目撃した時ですら、ゴーヴ7体編成だったというのに……やはり、この村はゴーマ集落の中でも相当のド田舎だと見た。

「制圧は簡単だな。けど……」

 この際だ、もう少し奴らの生態に関して調査してもいいだろう。

 早くハチミツを奪還せよと夏川さんが本体の方に詰め寄っているが、今日一日くらいは待って欲しい。こんなに奴らを間近で観察できる機会は滅多にない。

 どうせ今後もゴーマとのエンカウントは続くのだから、奴らに関する情報は多い方がいいだろう。物凄い強いゴグマが現れたとしても、ソイツの女を人質にするとか、戦術の幅も広がりそうだしね。

 そんなワケで、僕が説得した結果、今日一日は待ってくれることになった。

 そうして僅か一日ではあるものの、観察結果として得られた情報はなかなかのものだ。

 まず、ゴーマの出産について。

 総人口200といった小規模な集落だが、日中でメスゴーマが子供を産む出産イベントが2回発生した。

 1回目は塔から死角になったので見えなかったが、2回目はかなりいいアングルで見えた。

「アイツら、卵から産まれるのかよ……」

 驚愕すべきは、奴らが卵生だったこと。

 汚らしいダミ声を上げてメスゴーマが股座からひねり出したのは、ソフトボールサイズの卵だ。ゴロゴロと5個か6個は出ていた。

 やはり下等な魔物だけあって、人間よりも多産だ。コイツがたまたま五つ子を産んだ稀有な例とは思えない。最初の方でも、卵の数は5つを越えていたことは、その後の奴らの動きから分かっている。

 卵を生み出すと、すぐに中から赤ちゃんゴーマが殻を割って這い出てくる。

 こんにちは赤ちゃん、世にもおぞましいゴーマベビーの誕生である。

 しかし、卵を割れない奴もいた。

 僕が見た中で、割れなかったのは二つ。片方はヒビが入っただけ。もう片方は、半ばまで這い出てきたが、途中で力尽きた格好だ。

 そういう子は、大人が殻を割って助けるのかと思ったが……

 ところで、話は変わるけど、奴らは地味に畜産業も営んでいる。

 村の柵のすぐ傍には、また別に柵が囲われた小さな池がある。池というか、泥沼みたいな汚い水辺だ。

 そこには、いつか見かけた豚のような顔をしたカエルが住んでいる。

 ゴーマは残飯らしきモノを放り込んでは、そのブタカエル共に食わせている。明らかに、餌をやって飼育していた。

 途中で一匹のブタガエルが連れ出されて、メスに捌かれているのを見たから、食肉として利用されているのは間違いなかった。

 要するに、生まれ損なった赤子は、ブタガエルにとってはちょうどいい餌になるということだ。

「一回の出産で卵5個、内、生まれ損ないが2個。それがメス2体分……一日で6体は増えるのか」

 これは驚異的な数だ。

 6体の内、無事に成長するのが1体だけだと仮定しよう。そうだとしても、僅か一年で365体。200の人口が軽く倍増している。

 もっとも、ゴーマが数字通りに繁殖していればダンジョンはコイツらで溢れ返っているから、何かしら人口が頭打ちする要因はあるだろう。平気で赤子を家畜の餌にするし、強い魔物も沢山いるし。

 ともかく、奴らが弱いくせに無警戒にどこにでも現れては、積極的に喧嘩をふっかけてくる生態も納得がいく。これだけの速度で数を増やせるなら、生まれた端からオスは特攻隊員で問題ない。

「さっさとここを潰さないと、下手すれば無人島エリアで食料の奪い合いになるな」

 僕らがのんびりヤマタノオロチ攻略を準備している間に、この食材豊かな無人島エリアにゴーマが大繁殖しました、となっては冗談ではない。流石にそこまで奴らが勢力拡大するほどの時間、学園塔に滞在するとは思えないけれど、目障りな存在であることに違いはない。

「ゴーマ殺す、慈悲はない」

 と、改めて方針を固め切るには、この一日は十分すぎる時間であった。

「さて、明日の夜に襲撃するとして……今日の観察はもうこの辺でいいかな」

 僕は昨日も隠れていた壺の中に入ろうとした、ちょうどその時であった。

「グルバ! ゼン、ガーダラガ!」

 入口から、ゾロゾロとゴーマ共が入って来た。

 あちゃー、ついに見つかったか、と思ったが……どうやら奴らは祭壇に用があるらしい。

 僕は物陰から、ゴーマの様子を窺う。

「ゴーヴが4体……幹部勢揃いといったところか」

 祭壇の前には、鎧を纏ったボス。

 手には御供え物なのか、小さな壺と、毛皮、それからコアの詰まった籠だ。

 ボスは手ずから、祭壇へとそれらを置くと、両ひざをついてその場でしゃがむ。

 しゃがみこんだボスの隣には、人間でいう巨乳嫁に相当する、腹のデカいメスゴーマが一体、控えている。もう一人の巨乳ちゃんはどうした。コイツが正妻か。

 そしてボス夫婦の後ろに、3体のゴーヴが続き、さらに後ろには、まぁまぁ上等そうな衣服を着用したゴーマ達が複数体いた。

「オーマァーッ!」

 ボスがいきなり叫んだ。

「オーマ!」

「オーマッ!」

 すると、ボスに続いて他の奴らも同じように叫び始めた。

 オーマ、とそう叫んでいる。基本ゴーマは叫んでばっかだが、はっきりと単語を聞き取れたのは思えば初めてのことかもしれない。

 このオーマってのは、奴らの祈りの言葉か、それとも崇めている神の名前か。

 何にしろ、意外に信心深い習性があるのだなと感心ながら眺めていると――

「魔法陣が……動いた?」

 間違いなく動いている。ゾゾゾ、と不気味に魔法陣は石版の上を蠢きながら、その赤い光が強く輝く。

 なんだこれ、ただのお祈り儀式じゃなくて、何かしらの魔法儀式だったということか!?

「オォーマァーッ!」

 そして、一際大きな叫びが塔内に響き割った直後――石版に、魔法陣とは違うモノが現れた。

「ゼブ、グラ、アブラーダヴァ」

 ソレはゴーマだった。石版に映し出されているのは、別なゴーマの姿。

 そうか、この祭壇はテレビ電話みたいなもんで、それで他の場所と通信が可能なのだ。

「ゴーマの王、なのか?」

 見たところ、映し出されたゴーマは、今まで見たことがない姿と出で立ちをしていた。

 付け毛なのか地毛なのか、真っ白い髪と髭が長く伸びている。それでいて、深く刻まれた皺とヒョロっとやせ細った体格は、まるで仙人のような佇まい。

 だが、黄金に輝く冠と、色とりどりの宝石をぶら下げ、白い毛皮のローブのような衣装を纏う様は、実に俗っぽい王様のような感じである。

「ウゴゴォ……オーマ!」

 ゴーマ王が映る石版を前に、ボス達は明らかに緊張した様子で、土下座のような体勢で平伏しきっている。

 奴らが何と喋っているのかは全く分からないが、両者の立場は明白であった。

「ザガラ、ベダブ、ゴルルボガ」

 土下座状態のボス達を前に、至極当然といった様子のゴーマ王は、何やら喋り始めている。

 あっ、これ絶対長くなるパターンだ。

 あの面、全校集会で千を越えるエリート生徒共を立たせていることに優越感に浸りながら、水で薄めすぎたカルピスみたいな内容を長々と語って聞かせる、白嶺学園の理事長と同じだ。

 ああ、嫌だねェ、権力者としての悦に浸るジジイの醜い面といったらないよ。

 などという感想を人外のゴーマ王の演説を聞き流しながら思い浮かべていると、ようやく話は終わるところだった。

「――グフ、ブラガ、ゼド」

 そう締めくくると、再び石版が激しく赤く発光を始める。

 何が起こったのかは、光が収まった時に明らかとなった。

「ンボォ、グバ! オォーマァ!」

 何やら凄い喜んでいるらしいボスは、祭壇の前に現れた小さな壺――お供え物とは異なる、白い陶器の壺を手に、歓喜の雄たけびを上げていた。

「グバラ!」

「ゼバァーッ!」

「オーマ!」

 他の奴らも、何やら盛り上がっている。

 石版の前のお供え物が消え、代わりに白い壺が現れた。

「なるほど、こうやって取引もできるのか」

 ならば恐らく、あの壺の中身は……

「ンバァーッ!」

 歓喜爆発といった様子で絶叫するボスは、白い壺の中身である白い粉を指先につけて、舐めていた。

「砂糖の出所は、そこか」

 最後の疑問も氷解し、実に有意義なゴーマ村観察は終わりを迎えた。

 ありがとう、君達。ここは実にいい村だった。これで気分よく、明日の夜に村を焼き払えるよ。

第206話 惨劇

「ふぅー、この村もようやくカタチになってきたな」

 小さいながらも活気に満ちる村を眺めて、俺はしみじみとそう呟く。

 最初は僅か十数人だったのに、今ではこんなにも人々で溢れている。男達は誰も彼も勇敢で、精力的に働いている。女達は笑顔で、家を、村を、そして子供達を守り、育てている。

 この村は、俺達のような若い奴らが集まって切り開いた、初めての開拓村だ。思っていた通り、この森は豊かな恵みに加え、大きな遺跡もある。とても可能性に満ちた土地だ。

 そんな場所を、俺のような男に任されたのは、当然、理由がある。

「ありがとう、全てお前のお陰だよ」

「何を言っているの、アナタ。全部、アナタが頑張ってきたからじゃない」

 そんなことを微笑んで行ってくれる彼女は、本当に最高の嫁だ。

 彼女は見ての通り、俺なんかには不釣り合いなほどの美人で、おまけに腹もとんでもなく大きい。この大きく膨らんだ腹を揺らしながら歩く彼女の姿は、今も昔も、男達の視線を独り占めだ。

 でも、今はもう俺の嫁だ。手を出した奴はぶっ殺してブタガエルの餌にしてやる。

 まったく、都一番の美人と名高い女を嫁にもらうと、色々と気苦労が絶えない。

「いいや、俺だけじゃない、俺達全員が頑張ったから、こうして村は上手くいっているんだ」

 開拓は順調だ。

 森が豊かなことに加えて、この辺にはさほど強い獣や竜や魔族がいないことは大きい。ただ、海辺の方はジーラ族の縄張りらしいが……まぁ、奴らとかち合うのは俺達が森を支配した後のことだ。今はまだ海にまで進出しないので、ジーラとの戦いについて考えるのは、もっと先でいい。

 大切なのは、今この時の幸せを喜ぶことだ。

「ふふふ、そうやってみんなを導くのが、長に求められる力なのよ」

「オーマ様の娘にそう言ってもらえると、自信が出るよ」

 何を隠そう、彼女はこの国を支配するゴーマの王、オーマ様の実の娘だ。まぁ、この美貌と、体から発せられる気品溢れるオーラは、やんごとなき身分であることは隠しきれないのだが。

 俺は都の王城に務めるしがない戦士でしかなかったが、なんの因果か彼女と付き合うようになり……本当に色々とあったが、こうしてオーマ様は娘を俺に下さり、この新領地の開拓を命じられた。

「今はまだ小さな縄張りの首領でしかないが、必ずこの森を支配して大首領になってみせる」

「ええ、アナタなら必ずできるわ」

 俺を信じてくれる、彼女の気持ちが何よりも嬉しい。

 華やかな都での生活を捨て、こんな不自由ばかりの開拓村での生活になったというのに、彼女は文句一つなく働いてくれている。こんなに出来た女は、この世にはいないだろう。

「愛しているよ」

「私も愛しているわ」

 くうー、これはもう我慢できん。今夜も彼女のでっかい腹に卵を仕込んでやるしかない!

「ちょっとー、なに二人だけで盛り上がってんのよぉ」

「げっ、お前も来たのか」

 いい雰囲気になったところで、二人目の妻が現れてしまった。

「なによ、来ちゃ悪い?」

「いや、悪いとは言ってないが……」

「ふん、沢山卵を産むのが女の役目なんだから、アンタはどんどん仕込めばいいのよ」

「ったく、風情も何もあったもんじゃないなぁお前は」

 コイツは家が隣の幼馴染で、腐れ縁というやつだ。俺の兄弟達の半分は成人する前にブタガエルの餌になり、もう半分は獣にやられたり、他の部族との戦いで死んだ。だから、幼いころからの付き合いがある奴は、コイツだけ。

 それにしたって、まさか開拓村にまでついて来るとは思わなかったが。けど、コイツが二人目の嫁となってくれて、俺みたいな成り上がり者でも多少の箔がついたことはありがたい。

 コイツは男と変わらんほどガサツな性格だが、腹のデカさだけは彼女に匹敵するからな。この大きな腹の女を2人侍らせているだけで、俺に首領としての格を認めてくれる奴も多い。

 いや、たとえコイツが小腹の残念な女だったとしても、俺は嫁にもらっていただろう。俺の隣にコイツがいない生活など考えられないし、他の男の隣にいるのも我慢がならない。

「アナタ、一番は私ですよ?」

「ふん、卵産んだ数は私の方が上なんだから!」

 などと言い争いながら、彼女達は両側から俺の腕をとり、その魅惑の大きな腹を押し付けてくる。

「まったく、しょうがない奴らだな」

 やれやれ、今夜は二人とも寝かせてくれそうもないな、と覚悟を決めながら、俺が二人を抱き寄せた――その時だった。

「て、敵襲ぅーっ!」

「敵襲だぁーっ!」

 けたたましい叫び声が響く。

「なんだと! こんな時に限って!」

 俺はすぐさま武器を手に取る。二人の妻もこういう非常時の心得はある。傍らに置いてあった俺の鎧を手に、素早く装着させてくれる。

「お前ら、子供達を連れて逃げる準備をしろ」

「はい」

「それじゃあ、行ってくる」

 それだけ言い残し、俺はテントを飛び出した。

「おのれ、火を放ったのか!」

 外に出ると、夜とは思えない明るさで、すぐに気づいた。あちこちのテントから火の手が上がり、すでに炎に巻かれた絶叫が響いてくる。

「なんてことだ、祭壇塔にまで火の手が!」

 村の中心であり、最重要施設である祭壇塔の入り口辺りにも、轟々と炎が燃え盛っていた。石で作られた堅固な遺跡の塔は、火で焼け落ちることはないものの、あれではとても中に避難できそうもない。

「おい、敵はどこだ!」

「首領!」

「向こうです!」

 近くにいた奴らが、俺を見つけて集まってくる。

 どうやら、正門付近ですでに戦闘が始まっている模様。激しい怒号に加え、何より、強力な気配が漂っている。

 俺は手近な部下を引き連れ、真っ直ぐに現場へと急行する。

 果たして、そこにいた敵の正体は――

「ブゲゲゲゲ! ゴーマビガゴブルァ!(あはははは! ゴーマは皆殺しだぁ!)」

「アレは、に、ニンゲンだと……」

 言語にならない凶悪な雄たけびを上げているのは、一体のニンゲンだった。

 ニンゲンをこの目で見るのは初めてだが、あの醜く邪悪な容貌をした人型の魔物は、間違いない。見ているだけで、本能的な怒りが湧きあがってくる。

 だが、俺はもう未熟なゴーマではなく、ゴーヴの戦士となって久しい。こういう時も、冷静に対処できるだけの理性がある。

 まず、あのニンゲンは、かなり小柄のメスだ。しかし、両手に握ったナイフを繰り出すたびに、俺の仲間達から激しい血飛沫が舞う。

 は、速い、なんというナイフ捌き。この俺でも、奴と一対一で勝てるかどうか分からん。

「バジギル、ゴボゼゼェア! (ハチミツ寄越せぇーっ!)」

 狂った獣のような咆哮を上げて、両ナイフのメスは疾風のように駆け抜け――まずい、俺を狙っている!

「おのれ、邪悪なニンゲンめ!」

「オバァーグルガァァ! (お前がボスかぁ!)」

 辛うじて、剣で防ぐことに成功する。流石は鎧兜の魔族から手に入れた剣だけある。鋭い奴のナイフも難なく弾ける。

 コイツにあまりパワーは感じない。だが、恐るべきスピードを誇り、その素早さであれば容易く急所を切り裂くだろう。

 ニンゲンの戦士は強い、と聞いてはいたが、まさかこれほどとは……いや、魔族の中でもとびきり邪悪なニンゲンの中には、おぞましい混沌の神から力を授かる特別な奴もいると、王城で聞いたことがある。

 だとすれば、この両ナイフのメスが、ソレだというのか。

「しかし、だからこそ喰らい甲斐がある!」

 ニンゲンを食えば、ゴーマは大いなる力を得ることができる。これほど強いニンゲンを喰らえば、俺は一気にゴグマにまで進化できるだろう。

 ならば、これは俺にとって神が与えた試練かもしれない。これを乗り越えれば、俺は強大な大首領となれる!

「数はこちらが上だ! 奴を囲め! 走らせるな!」

「ドヴァ、ウンバァッ!(退け、雑魚がぁ!)」

 日頃の狩りで鍛えた連携力でもって、仲間達がナイフニンゲンを包囲するよう動き始める。かなりの犠牲は出るだろうが、何としてでもコイツはここで倒す――

「ぎゃあああっ!」

「うわあっ! ま、魔法だぁーっ!」

 左右に展開していた仲間達へ、光と氷の矢が降り注いだ。

 柵の向こう側から、山なりに魔法の矢が飛んできている。

「くっ、何てことだ、魔術士クラスのニンゲンもいるのか!」

 まずい、光と氷ということは、それを操る者が2体いるということ。ナイフ一体だけでも手一杯だというのに、魔術士の援護も込みとなれば、とてもこの村の戦力では太刀打ちできない。

「――ダグバ、ゾルバドゥギ(夏川さん、一人で前に出るのは危ないよ)」

 撤退しなければ、と思った矢先に、さらに新たなニンゲンが現れる。

 ソイツは眩しく輝く光の剣を振るい、こともなげに仲間達を一太刀で何人も切り捨てている。

 驚異的な斬撃力。だが、それでいて光の剣のニンゲンはまるで本気じゃない。

 コイツは、化け物だ。

 都の精鋭ゴーヴが、いや、ゴグマ将でも勝てるかどうか分からない。いまだゴーヴでしかない俺には、到底、力の底が計り知れない。

「ンバ、ゾーマ(あっ、蒼真君)」

「バジュ、ゾグバ、モモ、デゴールガ(ハチミツは桃川が確保しているから、焦らないで)」

 圧倒的強者であるが故の余裕か、光る剣の奴はナイフの奴と何やら呑気にお喋りしている。俺の方には、最早、殺意すら向けていない。

 く、くそぉ、どこまでも舐めやがって、おぞましい邪悪たるニンゲンがぁ……

「おい首領、今がチャンスだ、逃げろ」

 俺が怒りに沸いて一歩を踏み出しかけた時、その前に一人のゴーヴが立ちはだかる。

 コイツは俺と一緒に都で戦士をやっていた同僚であり、友人でもある。幼馴染を除けば、次に付き合いの長い奴だ。

 実質、この村においては副首領の地位にある。

「なんだと、この俺が、首領が我先に逃げられるか!」

「首領だからこそだろうが! それに、お前にはオーマ様の娘もいるだろ」

「くっ」

「何としても、あの方を守り切れ。それがお前の使命だろ」

「だが、それではお前達が……」

「なぁに、心配すんな。適当に時間を稼いだら、俺達もすぐ後を追う」

 馬鹿野郎、俺がそんな嘘に騙されるワケないだろうが。なにカッコつけてんだ、お前の手、震えてるじゃねぇかよ!

「……すまない、俺達は必ず生き延びて、この村の再起を図る」

「ああ、頼んだぜ相棒」

 俺は涙がこみ上げそうになるのを堪えて、走り出す。

「ブガ、ボグドラァ! (あっ、ボスみたいなのが逃げるよ!)」

「ベドゥダ、モモ、ゾガラ(別にいいんじゃないか。桃川に任せておけば)」

 つまらなそうなニンゲン共の声に反し、決死の覚悟で雄たけびをあげて戦いを挑む仲間達の声が聞こえてくる。だが、振り返らない。俺にはまだ、果たすべき使命があるのだから。首領として、いや、一人の男として、彼らの犠牲は決して無駄にはしない。

「おい、お前達! 無事かっ!」

「アナタ!」

「ちょっと、外はどうなってるの? 敵は倒したの?」

 テントに戻ると、子供達を抱えた妻2人が、不安げな様子で待っていた。最低限の荷物は身に着けており、いつでも逃げ出せる格好にはなっている。

「恐ろしく強いニンゲン共が襲ってきた。とても勝てない、逃げるぞ」

「えっ、ニンゲンが!?」

「で、でも、逃げるって言っても、どこに」

「どこでもいい、とにかく今は村から出て森に入るんだ!」

 悩んでいる時間すら惜しい。

 だが、これだけは置いていけないと、つい先日オーマ様より賜った砂糖壺を腰にしっかりと括り付ける。よし、これさえ持てば、後はどうとでもなる。

「よし、行くぞ!」

 俺達はテントを飛び出し、まずは村から脱出するためのルートを探す。

 正門はアイツらが決死の覚悟で足止めしてくれている。村には他に、入り口が二か所ある。

 まずは近い方へ向かうが、

「ドゥバ! ゴルゼェア! (おらっ、死ねやぁ!)」

「ビグ、ザバラーグァ! (一匹も逃がさねーぜ!)」

「ゴルギャバラ、モモ、ジャンドガ (これもう虐殺だべ、桃川は容赦ねーな)」

 剣と斧、それから水魔法を使うニンゲンが、二つ目の入り口付近から侵入していた。奴らの周りには、武器を持ったオスの惨殺死体と……さらには、逃げようとしたのだろう、女子供の死体までゴロゴロと転がっていた。

「くっ、ニンゲン共め、まだあんなにいたのか」

「ああ、何てこと……」

 俺は新たに三体ものニンゲンが侵入してきたことに焦るが、妻や子供達は、目の前の惨状こそを恐れている。

 当然だ、こんな酷い光景など、想像もしたことがない。あんなに平和だった村が、一瞬で凄惨な殺戮現場と化しているのだから。

「いいか、なるべく声は出すな。静かに、奴らに見つからないよう走るんだ」

 妻達は涙を浮かべながらも、健気に頷く。子供達も、流石は俺の子だ、ギュっと口元を引き締めて、声が漏れないようにしている。

「裏口へ回る。行くぞ」

 あとはもう、普段はあまり利用しない小さな裏口しか残っていない。

 俺は家族を連れて、とにかくそこを目指して走る。

「ぎゃああああああっ!」

「助けてくれ! いやだっ、死にたくないーっ!」

「あああ、お願い、やめて! 子供だけはぁああああ!」

 村の中は地獄絵図だ。どこまかしこも悲鳴と絶叫が響き、気が狂いそうになる。

 ニンゲン共は他にも沢山の仲間がいるらしく、見たことのない奴らを何体も見かけた。ソイツらは都の精鋭達のような上品質の武器を手に、目につく限りのゴーマを殺し尽くしていく。

 戦いを挑むオスも、逃げ惑うメスも、そして、何の罪もない無垢な子供も。慈悲の欠片もなく、ただ淡々と殺していく。

「よし、やったぞ、裏口にニンゲンはいない!」

 裏口はブタガエルの飼育沼の裏手に設置してある。近くには誰のテントもないから、ここへ逃げてきた者はいなかったのだろう。あるいは、逃げようとしたが、辿り着けなかったのか。

「いいか、しっかり手を繋げ。これから森の獣道を走ることになる。絶対にはぐれるんじゃないぞ」

 首尾よく裏口を抜けて、地獄と化した村を脱した俺達は、暗闇が支配する森の中へと分け入った。

 都の戦士を辞める時に貰った、魔法のカンテラだけを頼りに、真っ暗な夜の森を進む。

 森の中は不気味なほどの静寂に包まれ、さっきまでの騒々しさが嘘のようである。

 どうせなら、これがただの悪夢であれば、どれほど良かったか――

「アァー、グギガ(あ、来た)」

「ッ!?」

 ソレは獣道の先に、幽霊のように佇んでいた。

 小さなニンゲンだ。まだ子供なのだろう。村を襲ってきた奴らに比べれば、明らかに小柄である。

 アイツらは誰も彼も尋常ではない気配を放っていたが、この子供ニンゲンからはまるで力を感じない。

「ギャバ、ゴンゲルア(やっぱり、こっちに逃げてくる奴がいると思ったよ)」

「俺があのニンゲンを殺す。切り捨てたら、全力で道を真っ直ぐ走れ」

 ここにはあのチビ一匹だけ。一気に殺してすぐに離脱すれば、奴の仲間が駆けつける前に逃げ切れるかもしれない。

 大丈夫だ、落ち着け、まだ希望はある。

「あ、アナタ……」

「安心しろ、いくら相手がニンゲンでも、あんなチビにこの俺が負けるはずないだろう」

 カンテラを腰に固定し、剣を抜く。

 対して、チビは髑髏のついた杖を握っているだけで、構えようともしない。

 舐めやがって。村の奇襲が成功し、もう勝った気分なのだろうか。その油断が命取りだ。

「ハァアアアアアアアアッ!」

 一気に駆け出し、間合いを詰める。

 剣を高々と振り上げ、力と、そして魔力を込める。

 裂帛の声と共に、俺は渾身の武技を振り下ろ――

「ァアアッ!?」

 足、足だ……足が何かに引っかかった!

 気づいた瞬間には、全力疾走の勢いがついた体は完全に俺の制御を離れ、地面へ真っ直ぐ倒れ込んでゆく。勿論、発動しかけていた武技はその瞬間に効果を失う。

「グウウっ!」

 ドっと前のめりに地面へと倒れ込むと同時に、俺は悟る。奴め、最初からこの暗い夜道に罠を張っていたのだ。

 俺の足首には、黒く細長い、奴らニンゲンの髪の毛のような気持ちの悪い毛が絡みついてた。

「クソっ、こんなモノでっ!」

「プギャー (プギャー)」

 瞬時に体勢を立て直し、体を跳ね上げたところで、指を指して俺を嘲笑うチビの顔が見えた。

 そして、次の瞬間には、天地が逆になる。

「なにっ、これは、ぬわぁああああああああああああああっ!」

 再び自分の制御を離れる肉体。転倒とは違う。これは、地に足がついていない――俺は、吊り上げられているのかっ!?

「なにぃ、あ、アラクネだとぉ……」

 宙に逆さ吊りになって停止してから、俺はようやく気が付いた。

 俺の全身に絡みついているのは、白く丈夫な蜘蛛の糸。そして、その糸の主は高い樹上に陣取った、人型の上半身と蜘蛛の下半身を持つ魔族。アラクネである。

「くっ、放せ!」

 よりによって、どうしてこんな時にアラクネが。いや、この森にアラクネは生息していない。いるとしても遺跡の方に――違う、そうじゃない。

 このアラクネは、使い魔だ。

 そうか、このチビはただの子供ではなく、魔物使いだったのか!

「ゾォルブ、レム、ヅダバヴァ(レム、そのままソイツは捕まえておいてね)」

「シャアアア」

 チビが何事かを木の上のアラクネに言うと、律儀に返事をしていた。やはり、このアラクネを完全に操っている。

 まずい、こうして蜘蛛糸に捕まってしまえば、俺一人ではもうどうにもならない。手足は頑丈に絡め取られ、とても拘束は破れない。

 それでいて、地面は頭のすぐ先にある。地面に足さえつけば、まだ動きようもあるというのに……

「お前達ぃー、逃げろ! 逃げるんだぁーっ!」

「くっそぉー、父ちゃんを離しやがれ、このニンゲン野郎ぉーっ!」

 その時、動いたのは、俺の息子だった。

 幼馴染のアイツとの間に生まれた、一番最初の子供である。

 低く吊るされた俺の姿を見て、まだ助け出せると思ったのだろうか。あるいは、ニンゲンを前にして怒りが迸るゴーマの本能故か。

 息子は雄たけびを上げながら、俺がプレゼントしたナイフを手に、真っ直ぐ駆け出し――

「死ねぇっ、ニンゲ――ぶげっ!?」

 息子は、壁にぶつかって転んでしまった。突如として目の前に現れた黒い壁。

 いいや、それは斧だ。とても大きな黒い斧の刃。息子はソレにぶつかったのだった。

「モモ、バザブゲルダ(小太郎くん、やっぱり危ないよ)」

 な、なんだアイツは……黒い斧の持ち主は、大柄なニンゲンだった。ゴーヴ戦士のような逞しさ、だが、その身から迸る強烈な気配はゴグマ将に匹敵する。

 あの光る剣のニンゲンと同じような、化け物ということだ。

 こんな奴までチビのすぐ傍に潜んでいたとは……罠を張るだけじゃない。これはどこまでも周到に準備された待ち伏せだったというのか。

「アー、ゾンゴロバギド(あー、ソイツは子供だから殺しちゃっていいよ)」

「うぅ、痛てて、なんだこ――ぉおおがぁあああああああっ!?」

 黒い斧のニンゲンは、地面を這う虫でも踏みつけるように、俺の息子を潰した。その足で、頭を踏みにじる。

 グチャリ、という音と共に、息子の悲鳴は途切れた。当然だ、もう頭は残っていないのだから。

「いぃやぁああああああああああああああっ!」

 俺は叫んだ、愛息子のあまりに無残な、それでいてあっけない死を前にして。

 けれど、俺の叫びをかき消して、森に響き渡る絶叫を上げたのは、アイツだった。母親なのだ、叫ぶのは当たり前だろう。

「ぁあああああ! ウソォ、こんなのウソよぉおおおおおっ!」

 泣き叫びながら、頭が地面の染みと化した息子の亡骸にアイツは駆け寄って、

「グバ、ゾルダギア(メスもいらないから、殺していいよ)」

 そして、息子の下へ辿りつくより前に、彼女は黒い斧によって両断された。

 刀身の腹にぶつかったのではなく、切れ味鋭い、それでいて途轍もない重量を誇るだろう、黒い鋼鉄の刃にかかって、頭から真っ二つになってしまった。

「なっ、あ、あぁ……」

 もう言葉も出ない。ほんの一瞬の内に、俺は妻子を失った。

 まるで、悪い夢でも見ているかのように、いっそ現実感すらない。

 けれど、綺麗に真っ二つになった愛する妻の体から、転がり落ちるモノに俺は気付いてしまう。ソレは体内から零れ落ちた赤黒い臓腑に混じった、丸い――

「ブゲェ、ダバグギズドォ(うげー、気持ち悪い、卵かよ)」

 それは紛れもなく、俺と彼女の愛の結晶。これから生まれるはずだった、新たな命である。

 彼女が腹に抱えていた卵まで、切断面から転がり出たのだった。

「ン、ゾバビゴ……ギルダ(ん? これだけ人型……胎児になってるのか?)」

 冷たい奴の目が、彼女の血だまりの中で蠢く小さな肉塊を見つめていた。

 ま、まさか、アレは、いや、あの子は……祝福の子だ!

 卵の殻を持たずに生まれる祝福の子は、生まれながらのゴーヴである。あの都でも年に一人生まれるかどうかといった、希少な存在。そして、生まれた時からゴーヴであるため、並みのゴーマとは比べ物にならない成長率を誇る。黙っていても、成人すればゴグマに進化するほどだ。

 そんな、アイツと俺の間に、神によって祝福された子供が生まれていたなんて――ゴーマ一の幸せ者と言われるほどの吉報のはずが、さらに俺を絶望の底へと落とす。

 ニンゲンに母親の腹を裂かれて、その中の子供のことを知るなんて、父親としては最悪の悪夢でしかない。

 しかし、俺は直後に悟る。真の絶望は、これから始まるのだと。

「ダマグラ、ゾア……ギンブルドァ(卵にならない子供もいるのか……気になるなぁ)」

 チビがぶつぶつと何かを喋っている。無論、ニンゲンの言葉など俺達ゴーマに理解できるはずもない。

 けれど、俺は不思議と奴が何を考えているのか分かってしまった。

「――レム (レム)」

 一言、明確な命令の言葉を発した奴の視線は、恐怖で震えあがっている、俺の最愛の妻へと向けられていた。

「や、やめろ……やめろぉ! 彼女にだけは手を出すなぁーっ!」

 その時、彼女の後ろに現れたのは、大きな黒い鎧兜だった。

 遺跡で時折、目撃することができる、恐ろしく強力な鎧兜の魔族である。勿論、たまたまこの場に現れたはずがない。アイツもアラクネと同じく、奴の使い魔なのだ。

「きゃぁああああああああああああああああっ!」

 黒い鎧兜の存在に気が付いた彼女は、耳をつんざく絶叫を上げ――捕まった。

 無骨な鋼鉄の手が、あの美しい彼女の顔を無慈悲に掴む。

「いやぁあああっ! 助けてぇ! アナタぁあああああああああああっ!」

「やめろぉ! やめるぉおおおおおおおおおおっ!」

 どれだけ彼女が助けを求めていても、俺にはただ叫ぶことしかできない。どんなに力を振り絞っても、アラクネの蜘蛛糸は破れない。

 俺は無様に逆さ吊りになったまま、見ていることしかできないのだ。

 そう、鎧兜の腕が、彼女の大きな腹にかかっても。

「ギァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 腹が破かれた。鋼の手が、彼女の腹を力任せに引き裂き、破く。

 耳をつんざく絶叫と共に、大きく裂かれた腹の中から、ボトボトと幾つもの肉塊が零れ落ちる。

 ベチャリ、ベチャリ、と腸が滝のように零れながら、卵も一緒に流れ落ち、地面に落ちては割れた。一つ残らず。俺達の子供は、生まれる前に残らず砕け散ってしまった。

「あ、アァ……私の、赤ちゃん、がぁ……」

 血の泡を吹きながら、そうつぶやいたきり、彼女の目から光が消えた。

 死んだのだ。俺の、最愛の妻が……オーマ様の娘、王国の姫君たる、彼女が……

「グァバ、ゼンダゴブ(コイツは全部、卵だったかー)」

 もう興味はないとばかりに、奴の視線は妻の無残な死体から逸れる。次の瞬間には、鎧兜は彼女の亡骸を暗い木々の向こうへと、ゴミのように放り投げていた。

「モモ、ゴラゲルブー(小太郎くん、子供が逃げてるけど)」

 最後に残った小さな子供達は、事ここに及んでようやく逃げ出してくれた。偶然だが、計ったように皆バラバラの方向へ。

 ああ、そうだ、一人だけでもいい、誰でも良い、頼むから生き残ってくれ――

「ジョバ、ゾングルゼバラ(大丈夫、ハイゾンビに任せるから)」

 チビが髑髏の杖を一振りすると、おぞましい雄たけびを上げて、不浄なる死体の魔族が現れた。

 その数、実に七体。逃げた子供の人数も、ちょうど七人だった。

「キョォアアアアアアアッ!」

「オオォオオアアアアアアアアッ!」

 凄まじい勢いで、亡者の使い魔達は暗い森の中へと走り去って行く。小さな子供の足と、疲れ知らずの亡者とでは、追いかけっこの結末はあまりに目に見えている。

 四方八方からこだましてくる汚らわしい亡者の叫び声に混じって、幼い子供達の悲鳴を、聞いた気がした。

「ザバ、ブグゾンダギア、ガルダ(さて、村の方も片付いたみたいだし、帰ろうか)」

「ジュバ、ゴーヴ、ギズダ(あのゴーヴはどうするの?)」

 あまりに酷い惨劇。

 あまりに深い絶望。

 俺の心はもう、自分で自分が分からない。どうしてこうなった、何が悪かった、一体、俺達に何の罪があってこんなメに遭わなければならないんだ。

 チビとデカいニンゲンが、やけに吊るされた俺を指さして、何事かを話し合っている。

 何でもいい、殺せ。もう、俺を殺してくれ。

「ギヴァ、ドンヴァルゴガ(アイツはしばらく、毒薬の実験体にするから)」

 さぁ、早く殺せ。俺を殺せーっ!

第207話 奪ったモノ

「夏川さん、ゴーマを虐殺して奪ったハチミツは美味しい?」

「うん、美味しい!」

 満面の笑みである。

 心から幸せをかみしめるような素敵な笑顔で、夏川美波はゴーマから奪ったハチミツで作られた、妖精胡桃のハチミツ漬けをパクついていてる。

 今回の作戦で最もヤル気に満ちていたのは彼女であり、そして、成功を喜んでいるのも彼女だ。天職『盗賊』として、略奪の喜びを覚えたといったところだろうか。

 夏川さんだけでなく、他のみんなもおおむね甘味の入荷を喜び、メイちゃんの新作ハチミツスイーツに舌鼓を打っている。

 平和に暮らしていたゴーマの集落を襲っては、大切なお宝である甘味を奪ってこんなにおいしそうに食べて喜んでいるんだから、人間って残酷だよね。

 いやぁ、ゴーマが人間離れしたキモい化け物で良かったよ。女子供を殺し尽くしても、全く良心は痛まないからね。

「けど、アイツらも人の心はありそうだったけど」

 僕はボスだけは上手く村から逃げ出すかもしれないと思い、あえて逃げ道を一つだけ残していた。下手に完全封鎖すると、どこから逃げ出すか分からないからね。

 村の構造は祭壇塔からの監視でほとんど把握済み。裏口みたいな小さい入口が、ブタガエルの養殖場にあることは分かっていたから、ここを手薄にしておけば、必ずここから出てくるだろうと思ったら、案の定である。

 そうしてまんまと村の奴らを見殺しに、自分の家族だけを連れて脱出してきたボスのゴーヴ。

 アイツをアラクネに捕まえさせたまま、目の前で妻子を殺したらやけに激しく叫んでいた。メスゴーマも、メイちゃんが最初に飛び出してきた子供を踏みつぶしたら、奇声を上げて襲い掛かって来たし。

 あの様子から、少なくとも親子、家族、の間における親愛の情がゴーマにもあることが確信できた。

 だからといって、見逃してやる義理はないけどね? 所詮、奴らは人喰いの化け物に過ぎない。駆除するべき魔物であり、その上、僕らに役立つ物資を持っているならラッキーだ。

 ゴーマ相手になら、ヒャッハーと高笑いをあげて略奪できるよね。

「それに、いい練習にもなったし」

 今回のゴーマ村襲撃は、ヤマタノオロチ攻略に向けた予行演習の一環も兼ねていた。

 すでに何度も探索部隊によるクラスメイト達との共闘は行っているけれど、ほぼ全員参加となる戦いは初めてだ。

 ぶっつけ本番で18人フルメンバーを動員するのは無茶だろう。普段の少人数のパーティとは違う、大人数での作戦行動そのものに、僕らは慣れておかなければいけない。

 結果としては、みんな思った以上に上手く動いてくれたので、一匹のゴーマも村から逃がすことなく、無事に殲滅を完了した。戦闘そのものはみんなも慣れたモノだし、あの村の奴らは雑魚ばっかだし。

 心配するほどの問題は起きなかったけれど、また別の問題点を認識することもできた。

「やっぱり、通信手段はちゃんと確立しておきたいな」

 パーティ間での連携は大体みんなできるようになっているけれど、別なパーティの動きをちゃんと把握できているかといえば、かなり疑問が残る。

 今回の作戦だと、夏川さん率いる第一部隊が、村の正門を抑える。下川率いる第二部隊がもう一つの入り口を封鎖。そして、裏口の先に待ち伏せしている、僕の第三部隊。

 おおまかに、この三つの部隊構成となっていた。

 で、第一、第二、第三、の間ではほとんど何のやり取りもなかった。一応、スマホで連絡そのものはとれるようにはなっているが……いざ戦闘となると、悠長に電話もしていられないか。

 今回は何のイレギュラーもなく作戦通りに事が進んだので、初期配置のままカタがついた。けれど、もしこれで祭壇からゴーマ王が救援部隊を召喚! みたいな展開となったら、どこまで対処できただろうか。

 勿論、気を付けるべきは未知の転移能力を誇るゴーマの祭壇なので、分身の僕が塔の中でずっと見張っていたから、異常を察知すれば即座に全軍撤退の指示は出せるようにはしていた。

 杞憂で済んだのは良かったけれど、やはりもっと互いの情報を把握できるような体制が欲しい。ヤマタノオロチ戦では、何が起こるか分からないし。

「でも、流石にテレパシー能力者はいないしなぁ」

 スマホがあるだけ遥かにマシだろう。上手く活用する方法を検討するほうが現実的か。

 とりあえず、複数部隊の効率的な運用方法は今後の課題として、考えておこう。

 さて、今回の収穫は、なにもハチミツと砂糖だけじゃあない。

「桜ちゃんと姫野さんの二人は、これからちょっと僕と一緒に来てもらうから」

「……何を企んでいるのですか」

「えっ、私? 何なの桃川君……」

「そこまであからさまに嫌そうな顔しなくてもいいんじゃないの二人して」

 警戒感全開である。

 まるで街を歩いていた時に、黒高の不良にナンパされたような表情をしている。なんて失礼な。

「心配だったら兄貴でも彼氏でも好きな人連れて来てよ」

 どうせ今日は休みだし、探索に出ている人は誰もいない。気になるならば、誰でも見学すればいいさ。別に、隠すようなことでもないしね。

「仕方ない、俺がついていく」

「はい、兄さん。お願いします」

「蒼真君が一緒に来てくれるなら、安心だよ!」

 中嶋君は連れて行かなくていいの姫野さん? 自分の彼女が他の男と親しそうにしている場面を見てしまったラブコメ漫画の冴えない主人公みたいな表情してるけど。

 まぁいいや。特に中嶋君が一緒に行くと言い出さないなら、このまま蒼真兄妹と姫野さんの三人だけで行こう。

「それじゃあ、さっさと行こうか」

 というワケで、やって来たのは無人島エリアへの妖精広場。つい昨日、みんなでゴーマ村襲撃に集まったばかりの地点である。

 村から奪った使えそうな略奪品はすでに学園塔へと運び終えており、ここには特になにも残ってはいない。けれど、学園塔に持ち帰れない大事なモノが、ここにはあるんだよね。

「はい、実験体1号から3号でーす」

 この妖精広場の裏手に、ボスのゴーヴをはじめとした、生け捕りにしたゴーマを繋いである。

 蘭堂さんの土魔法建築練習の一環で、牢屋モドキを作っており、奴らはその中にいる。

「うっ、これは……」

 中にいるゴーマは見るからに瀕死といった有様で、最も体力のあるゴーヴも息も絶え絶えといった様子で消耗しているのが明らかに分かる。勿論、奴らはただ疲れているだけでなく、相応に出血も強いている。傷による出血よりも、自分で吐いた血の方が多そうだけど。

「なんて酷い……こんなのは人道に反します」

「ゴーマは人じゃないのでセーフでしょ」

「だが、いざこの有様を見せつけられると、いい気はしないな」

「僕だって別に好きでやってるんじゃないし」

 魔物を相手にした実験は、僕にとっては仕方なくやるしかない検証方法だ。

 ゲームじゃないから、数字でダメージや効果は確認できない。そもそも授かったスキルの説明は大体フレーバーテキストだし。

「何でもいいけどさ、とりあえずコイツらを治癒魔法で回復してよ」

「……はぁ?」

「な、何故私がそんな真似を」

 ゴーマを癒すなどとんでもない、とでも言いたげな反応である。

「でも治ればもう一回、実験に使えるし」

「そんなおぞましいことのために、私は協力などしませんよ」

「私もちょっと……」

「いいや、これは僕のためじゃなくて、二人のためでもあるんだよ」

 言うけれど、二人はすでに僕の話を聞こうともしない。

「蒼真君」

「分かったよ、理由くらいは聞いてやる」

 こちらも渋々といった様子ではあるが、ちゃんと聞いてくれるだけ遥かにマシだよね。なんだかんだ、こういうところは生真面目な性格である。

「治癒魔法の練習をして欲しいんだよね」

「練習? そんなのは別に実戦で使っていればいいじゃないか」

「それはそれ、これはこれ」

 実戦における治癒魔法の活用は、確かに効果的だ。なにせ実際の戦闘中に使うのだから、それそのものが経験である。

 だがしかし、実戦の中で常に負傷者が出るとは限らない。むしろ、今の充実した戦力であれば、素材集めの探索だけで負傷することはかなり少ないだろう。

 怪我人が出なければ、治癒魔法の出番はない。そして、使わなければ熟練度は稼げない。

「特に姫野さんなんかは、治癒魔法の使用回数がかなり少ないと思うんだよね」

「そ、そんなこと……」

「そんなことないなら、もっと上位の治癒魔法を習得できてるはずなんだけどね」

「うっ!?」

 という反応は、治癒魔法の熟練度が低いからか、それとも、すでに『治癒術士』ではないからか。

 まぁ、どっちでもいい。たとえ姫野さんが眷属でも、今でも『微回復レッサーヒール』が使えるということは、まだ治癒魔法が伸びる可能性はゼロではないということだ。

「ゴーマが相手なら、好きなだけ傷つけられる。だから、何度でも治癒魔法をかけられる」

「最悪の発想ですね」

 ちゃんと聞いてるじゃないか桜ちゃん。

「傷の深さも自由だから、どこまで治せて、どこまで無理なのか。手足が千切れたらくっつくか、生やせるか、出血はどこまで抑えられるか……治癒魔法の性能を、正確に把握もしておきたいしね」

「この人でなし」

「毒の実験もできるし、治癒魔法の練習もできる、一石二鳥の素晴らしいアイデアだよね」

 僕の自信満々な目と、どこまで冷ややかな桜の視線が交差する。

 果たして、どちらの主張が通るのか。

「……桜、一応、協力はしてやろう」

「兄さん!」

「治癒魔法は俺達にとっての生命線だ。いざという時、命を繋ぎ止められるのはお前しかいないんだ」

「そ、蒼真君、私は……」

「姫野さんはちょっと黙ってて」

 今、蒼真君が桜を説得しているフェーズだから、二人きりの世界にしないといけないんだ。

「ヤマタノオロチと戦うなら、無傷では済まないだろう。治癒魔法を鍛えられるなら、それに越したことはないはずだ」

「……分かりました。確かに、最悪の状況でも命を救える可能性があるのは、私の治癒魔法だけですからね」

「ああ、その通りだ。やり方は、ちょっと問題がある気もするけれど……我慢するしかないだろう」

「仕方がないですね、兄さんにそこまで言われれば、私もやるしかありません」

「じゃ、後はよろしくぅー」

「少しは感謝の気持ちを示したらどうですか桃川っ!」

 やるって言ったの自分じゃないか桜ちゃん。単なる自分の決意表明に、人からの感謝の気持ちまで求めるなんて、浅ましい自尊心なんじゃないのかな。

「僕は次に試したい毒を用意しておくから。完治したら呼んでねー」

 ともかく、これでゴーマの人体実験場も上手く稼働できそうだ。

 正直、ヤマタノオロチにも通用するほどの毒が出来るとは思えないし、二人の治癒魔法が上達するのも難しいとは思うけれど、やれることは全部やっておきたい。

 時間も資源も人手もある。天命を待つには、まだまだ人事は尽くし切れていないからね。




「ねぇ、小鳥遊さん」

「んー、なにー」

 僕が声をかけると、エントランスでチンタラ仕事中の賢者様は、実に嫌そうな返事をくれる。

「あ、手は止めないで、そのまま聞いて」

「むー」

 あからさまにむくれながら、止まりかけていた光石の融合錬成に戻る。ただでさえここが一番遅れているんだから、休まず作業してくれないと。

「これ読める?」

「読めなーい」

「もっとちゃんと見てよ」

「えー」

「手は止めないで」

「桃川君、小鳥の邪魔するならあっち行っててよ!」

 まさかの逆ギレである。

 まったく、これだから最近の若者は。キレる十代って、何年前のフレーズだっけ。

「まぁ、読めたらチラ見でも分かるか」

 と、僕はあらためて彼女に見せたノートを眺める。

 ここに書かれているのは、ゴーマの祭壇の魔法陣である。

 あの祭壇はダンジョン由来のモノではなく、明らかにゴーマ自らの手によって作られていた。メインとなっている石版の、魔法陣が刻まれている面だけは平らに磨かれており、他の面は荒削りの岩のようになっている。それから台座を含めて周辺の装飾も、骨や毛皮、草花などをあしらった実に手作り感溢れる装いだ。

 恐らくあのオーマと呼ばれていたゴーマ王が拵えた、ゴーマ専用の通信用魔法装置だ。

 アレを自作できるというだけで、オーマの魔法の実力が窺える。多分、小鳥遊並みか、それ以上の錬成スキルか、全く別系統の魔法技術を習得しているだろう。

 オーマの実力は未知数だが、気にするべきなのは祭壇の魔法陣そのものだ。

 始めて見るタイプの魔法陣だったから、念のために詳細にノートに書き写してある。塔に忍び込んだ分身の僕が見ながら、実際にノートに書き写すのは本体の僕が妖精広場のテーブルでやっていた。

 ゴーマ魔法陣の写しは、初期状態と、オーマと通信が繋がった時に変化した形状の二種類ある。

 両方とも広げて賢者様に見せたワケだけど、あの反応だったわけだ。

「やっぱり、コレは完全にゴーマ流の魔法陣で、僕らが使ってるのとは別系統の魔法なのか」

 そもそも僕の呪術が、他の魔術士系の魔法と同系統かどうか非常に怪しいところであるが。

 何となく、ネーミング的に雛菊流呪術の方が、一般的な魔術士系に近い気がする。ルインヒルデ様の呪術って、名前がどれもポエミィだし。ついでに説明文も……

「うーん、何かに利用できないかと思ったけど、無理っぽいかなやっぱり」

 でも、ヤマジュンが残してくれた古代語練習ノートと見比べると、古代文字とゴーマ魔法陣に使われている謎文字の中には、似通ったモノも見受けられる。

 さらに、小鳥遊から地道に聞き出している新しい古代語の翻訳と、それからこっそりと奴が使っている錬成陣なども書き写している。

 さりげなく古代語の研究、というほど立派ではないけれど、多少は齧っているので、僕も最近は結構、見慣れたてきたものだ。その上で、やはりゴーマ魔法陣に利用されている文字には、共通点は幾つか見受けられるのだ。

 もしかすると、同じ古代語を源流として、人間とゴーマとで派生していったのかもしれない。

 そうであれば、パっと見で「似ている」と気づける程度の差異ならば、ゴーマの謎文字を読み解くことができるかもしれない。

 もっとも、それ以前に僕は古代語解読スキルがないので、読める古代語はまだまだ少ないのだけれど。

「流石に言語の解読は無理かなぁ……」

 だって、こうして謎の古代文字の羅列を眺めているだけで、段々と眠気が――

第208話 酒(1)

「お酒、造ってみようと思うんだよね」

「お酒かぁ……うん、いいと思うよ」

 密会部屋にて、特に内密の話はないけど単なる雑談の中で言ってみたら、メイちゃんは笑顔で賛成してくれた。

 古代文字の解読が上手くいかないので、気分転換も兼ねている。

「前から興味はあったんだけど」

 無人島エリアについたばかりの頃とか、ちょっとばかりのんびりして攻略に関係ないこともやって遊んでたりはしたけれど、流石に醸造にまで手出しはしなかった。ハチミツレモンをはじめ、果実を材料としたジュースを作る程度に留まっている。

「人も増えたし、需要はあるかなと」

「そうだね、高校生になればお酒を嗜む人もちらほら出てくるから」

 大人が聞けば激怒するか規制してきそうな台詞だけれど、じゃあお前らは学生の頃に一滴もアルコール飲まなかったのかと。どうせ飲んでただろう、麦のジュースとか言ってさぁ。

「恥ずかしながら、僕ってお酒飲んだこと一回もないんだよね」

 無駄に真面目なところもあったから。特に興味も憧れもなかったという方が大きいけれど。酒を買う金があったら、ラノベの新刊でも買ってたよ。

 まぁ、買おうと思っても確実にレジでストップだけど。今って「おつかいです」の言い訳とか通用しないんでしょ?

「そうなんだ、偉いね、小太郎くん」

 言うほど偉くはないけど。メイちゃんの褒めるハードル低すぎて、ダメになりそうだよ。

「そう言うメイちゃんはどうなの?」

「私は、その……少しだけ」

「ああー、ダメなんだーっ!」

「ち、違うの、どうしても美味しそうなお酒とかもあるし、あと、お酒と一緒じゃないと真の美味しさが分からない食べ物とかも沢山あって!」

 オツマミとか? あとなんだっけ、マリアージュ? ワイン関係の単語って気取ったものが多いよね。

「と言うことは、お酒の味も分かるんだ」

 美味しいとか不味いとか、そもそも飲んだことのない僕には判断のしようがない。そもそも、酒の美味さが理解不能な子供舌である可能性が高い。

「私なんて全然だよ。お酒の世界は奥が深いから」

 高校生でその奥深い世界にドップリだったらいかんでしょ。流石に限度越えてるよ。

「でも僕より遥かに知識も経験もありそうだから、お酒造りはメイちゃん主導でやってみよう」

「うーん、でも、流石に私もお酒を造った経験はないから、ちゃんとできるか自信はないよ」

 と、自信なさげにメイちゃんが言っていた、二時間後。

「――できてるよ。これ完全にお酒だよ」

 カップに注がれた赤紫色の液体。

 果実としての甘さよりも、明確に感じる苦味。それも、ただ苦いだけでなく、渋味や酸味といった味わいが入り混じった独特の風味である。

 正直、あんま美味しくはない。

 それが初めて飲んだワインの感想であった。

「ワインってこんな簡単にできるもんだっけ」

 麦も米もないので、酒の原料とするなら現状では果物くらいだ。大体、どんな果物でも果実酒にできるらしいけど、やはり果物原料のお酒で代表的なのは、カシスオレンジ……ではなく、ワインである。

 無人島エリアで採取できるブドウみたいな果実を元にした。メイちゃんがヤマブドウと呼んでいたので、とりあえずヤマブドウということにしている。

「やっぱり『魔女の釜』は便利だよね」

 だが術者本人である僕は、メイちゃんに言われるがままに操作しただけなので、同じ真似はできそうもない。使えることと、使いこなすことは、また別の問題なのだ。

「魚醤を作った時に覚えた、発酵のコントロールが凄く役に立ったよ」

「なにその使い方、僕知らないんだけど……」

 発酵って、確か酵母がないと起こらない現象のはずだけど……目的とする酵母だけを活性化させて、発酵を促進させる使い方もできるのか。僕にはどんな設定をすればその機能にできるのか、よく分らないんだけど。

 この辺は発酵食品に関しての理解力やイメージ力の差が僕とメイちゃんとで大きな開きがあるからだろう。何となくでも分かっていないと、上手く求める効果を発揮させることができない。それは多分、他の魔法でも同じだろうけど。

「この感じなら、熟成も上手くできるかも!」

「凄いよメイちゃん、僕よりも釜を使いこなしているよ」

 予想以上にお酒造りが順調に進んだので、メイちゃんもヤル気が上がって来たようだ。決して、試飲したワインで酔っているワケではない。

「次は甘口と辛口の両方で……白ワインも同時並行で……リンゴモドキでシードルも……」

 早くも酒造職人と化したメイちゃんのために、僕はせっせと新たな釜作り。僕にできることは、最早これしかない。双葉酒造、営業開始である。




 その日の晩、早速、試飲会である。

「飲酒三銃士を連れて来たよ!」

「飲酒三銃士?」

「自他ともに認める学園一のヤンキー、タバコもやるなら酒もやるに違いない、天道龍一!」

「おい、うるせーぞ桃川」

 物凄いウンザリした顔だけど、ちゃっかり席にはついている天道君である。

「学園唯一の黒ギャル、このルックスでお酒を飲んでいないワケがない、蘭堂杏子!」

「えっ、なんなのこのノリは? もう酔っ払ってんの桃川?」

「酔ってないよ。僕には『蠱毒の器』という毒無効スキルあるからね。残念でしたー、泥酔できませーん!」

「うわウザっ、確実に酔ってるわコイツ」

 あっ、蘭堂さん、揺らさないで。頭がフラフラするの。

 多分、本当に『蠱毒の器』で多量のアルコールは無効化してくれるんだろうけど、ホロ酔いくらいにはなれるらしい。ワインって意外とアルコール度数高いんだよね。

 今夜の試飲会に出すための試作品はメイちゃんと一緒に全部味見はしているから、合計するとそれなりの量は飲んでる計算になる。

「そして、大学生の彼氏がいるなら、当然お酒の付き合いもあるんでしょ、ジュリマリ!」

「お前、今そういうこと言うなや!」

「分かってて言ってんだろ!」

 えっ、今更、天道君を前にして男の人とは一度もお付き合いなんてしたことありませんわアテクシ、みたいな清純アピールしたかったの?

「なんだよその目は」

「舐めんなよ、桃川のくせにー」

 僕の真実だけど失礼でもある感想を敏感に察したか、蘭堂さんに代わり、ジュリマリコンビが僕を挟んでグラグラ揺らしてくる刑罰が、あっ、フラフラする、っていうか、フワフワする。

「あー、お客様おやめください、あー、おやめください、あー、お客様あー」

「うるせー」

「この酔っ払いが」

「そろそろ離してやんなよ、吐かれたら誰が介抱すると思ってんだ」

 安心してよ、初めての飲酒で吐くとか、そんな無様は晒さないよ。今ちょっとヤバかった気がするけど、そんなの絶対気のせいだから。

「――というワケで、飲酒三銃士をお呼びしました」

「三銃士なのに四人いるけど」

「えっ、三銃士って何故か四人いなかったっけ?」

「ダルタニヤンは主人公で三銃士ではないんだよ」

 そ、そうだったんだ……なんか子供の頃に見た映画のあやふやな記憶のせいで恥ずかしい勘違いを。でも五人揃って四天王という現象は現実でも稀によくあることだから。

 ともかく、今回お呼びした四人は天道ヤンキーチームの面々だ。

 短い間だけれど、僕としても大変お世話になったし、これからも良好な関係を維持したいと思い、最初の提供者として選んだ。

「この桃川を見る限り、確かに酒はできてるみてぇだな。とりあえず生」

「じゃあカシスオレンジで」

「アタシはファジーネーブル」

「メイちゃん、赤ワイン4つオーダー入りましたー」

 お客様の注文ガン無視で、さっさと試飲してもらおう。

 すでに準備は万端なので、最初に完成したヤマブドウ原料の赤ワインを四人の三銃士に振る舞う。

 ちなみに、ここは食堂ではなく学園塔五階の密会部屋である。まだお酒造りは秘密だからね。風紀委員もうるさそうだし。副委員長が飲酒三銃士に含まれているけど。

「まだ試作品だから、味の方はあんまり期待はしないねで」

 最低限の注意だけしてから、四人はそれぞれカップに注がれたワインに口をつけた。

 あっ、天道君だけ飲む前にちゃんと匂いを嗅いでいる。

「――確かに、言うだけあってあんま美味くはねぇな。けど、ここでこれだけのモンができりゃあ上出来じゃねぇか?」

 天道君から出たお褒めの言葉に、ほっと一安心する。

 どうやら、嗜好品として飲めるレベルにはあるようだ。

「まぁまぁイケんじゃない?」

「あー、このアルコール飲んでる感は久しぶりだわぁ」

 ジュリマリコンビからも、ワインの評価は上々だ。

 というか、本当にこの人ら普通に酒飲んでるよ。

「……うぇー、なにこれまっずぅーい」

「ごめんね、蘭堂さんのお口には合わなかったかな」

「ウチ、初めて酒飲んだんだけど」

「いや、いいよ、いくら風紀委員になったからって、今更そんなとってつけたような真面目アピールしなくても」

「ホントに初めて飲んだんだっての!」

 ごめんなさい、黒ギャルだから絶対飲酒もしてるとか思いこんでてごめんなさい。人は見かけによらず……でも見かけ通りにガブガブ飲み始めた三人がここにいるんだよなぁ。

「甘く作ったやつとかもあるから、一口だけでも試してみてよ」

 お酒といっても幅広いからね。苦手な人でも、これだけは飲めるんだよね、とかそういうお気に入りがあったりすることも。

 折角だから、蘭堂さんにも口に合うお酒があればと思う。現状、選択肢が少なすぎるけど。

「あ、これ美味しい。好きかも」

「アタシはこれかな。ワインは辛口の方が好きなんだよね」

 ジュリマリコンビは次々と試飲して、早くも自分のお気に入りの味を見つけていたようだった。

 二人は身長もあるし大人びた風貌だから、学校指定ジャージ姿じゃなかったら普通に大学生か、さもなくばOLにでも見えただろう。

「天道君ならコレもいけるかな?」

「コイツはブランデーか。こんなもんまで用意するとは、やるな双葉」

 ワインだけじゃ物足りなさそうな天道君に、メイちゃんはちょっと蒸留しすぎて度数が跳ね上がった試作ブランデーを提供していた。マジか、アレいっちゃうのか。

 ブランデーはワインを蒸留して造られる。だから、ベースになるワインがあるなら、釜で蒸留機能さえ再現できれば、造れるのは当たり前。メイちゃんは熟成までこだわってやりたそうだけど、その辺はまだまだ試行錯誤は必要っぽい。

 メイちゃんの説明によると、ブランデーはアルコール度数が40から50%ほどもある。僕は一口含んだらむせたよ。

「……美味い。久しぶりに、酒を飲んだ気分になれた」

 カップに揺れる琥珀色のブランデーを眺めながら、天道君はこころなしか微笑んでいるように見えた。

 どうやら、お気に召してもらえたようだ。

「メイちゃん、みんな満足してもらえたようだし、お酒造りは大成功だよ」

「うん、こんなに上手くいくとは思わなかったよ」

「桃川ぁー、ウチやっぱ酒はダメなんだけどー」

「蘭堂さん、このハチミツレモンは僕のおごりだから」

 アルコールがダメな人は、素直にノンアルコールを飲もう。




 それから三日後。

 メイちゃんは給食係の傍ら、新たな酒造レシピを次々と実用化。急速にアルコール飲料の充実が進んでいる。

 やはり『魔女の釜』があると、製造速度が桁違い。本来、どうしても時間がかかるような部分も、何故かゼロまで短縮できたりするらしいので、物凄くはかどるそうだ。

 というワケで、今夜も新商品を加えて試飲会を開催である。

「飲酒三銃士を連れて来たよ!」

「飲酒三銃士?」

「ただの上中下トリオだけど」

「おい、トリオとか言うなや」

「俺らをひとまとめにすんのやめてくれる?」

「もっと一人一人の個性を見て欲しいっていうか」

 今回も付き合いのあるメンバーからの人選である。山田がいないのは、野球部だし飲酒はしていないだろうと。いや、野球部だからこそ飲酒で不祥事を起こすのか。

 ともかく、あんまり沢山集めても仕方がないので、とりあえずこの三人だ。

「小太郎くん、また四人いるけど?」

 僕はトリオにしか声をかけていない。それじゃあ、今回のダルタニヤンは誰なんだよ。

「――甘いモノの匂いがする」

「うおっ、夏川!?」

「いつからそこに」

「尾行られたんだべか」

 まったく、警戒心が薄いぞ上中下トリオ。そんなんじゃ過酷なサバイバル生活を楽しく快適に生き残れないぞ。

「もしかして、本当に探知されたのかな」

「桃川君、こんなところに隠れてなにやってるの? 甘いモノがあるなら私にもちょうだい!」

 うーん、図々しいこの盗賊。

 どうやらマジで夏川さんは甘味探知でここへやって来たようだ。

「デザートの試食とかじゃないけど、まぁ、折角来たんだし、夏川さんも参加していく?」

「なんか怪しいなぁ。内容次第で涼子ちゃんには報告させてもらうからね」

 警戒しているくせに帰る素振りは見られない。

 そりゃ自分の探知力によって、ここには確実に甘いモノがあるぜと思って来ているのだから、ソイツを口にしない限り、引き下がる気はないのだろう。

 実際、甘いお酒も用意してあるからね今回は。

「それじゃあ、まずは定番の――」

 栄えある試作品一号である赤ワインから。

 最初に造ったからこそ、改良も重ねられている。メイちゃんの凄いところは開発力よりも、むしろ改良を重ねてより美味しさを追求していく、その美味に対する執念だと思う。

「どう?」

「うーん、ワインかぁ」

「ワインの味はあんまよくわかんねーな」

「俺らビールしか飲んだことないしな」

 そんなところだろうと思ったよ。天道君とメイちゃんは知識も味も詳しいけど、この二人を基準にしてはいけない。僕ら余裕の未成年だからね。

「なんかイマイチな反応だけど、カップは空いたみたいだね」

「めっちゃ美味いって感じではねぇんだけど……」

「なんというか、こう、疲れた体に沁みる的な?」

「アルコールってすげぇな」

 なるほど、体が求めていると。伊達に有史以来人類との付き合いがある嗜好品ではないようだ。

 なんだかんだで、トリオもほぼ毎日命がけで魔物と戦う日々である。いくらダンジョン生活にも慣れたとはいえ、無意識にもストレスは溜まっているものだろう。

 そういう時にこそ、お酒は効くのだ。

「っていうか、これお酒じゃん! ダメだよお酒なんて!」

 おっと、普通に飲む流れの中で、待ったの声をあげる奴がいるとは。

 意外と常識人なのか、盗賊なのに。

「まぁまぁ、落ち着いてよ夏川さん」

「だって、私達、未成年なんだよ!」

「それはそうなんだけど、見てよあの三人の顔を」

 そこには、爆乳美女であるメイちゃんが笑顔を浮かべて注いだおかわりを、デレデレした顔で杯を呷る実に幸せそうなトリオの姿が。

 まぁ、メイちゃん並みの女の子がお酌してくれるお店なんて日本中探したってないからね。ここが頂点といっていい……ではなく、大事なのは女の子ではなくお酒そのもの。

「心も体も疲れている僕らに、お酒の癒しは必要だと思うんだよね」

「なんかだらしない顔してるけど」

「もう酔いが回ってきたんじゃないかな」

 アイツら、タダ酒だと思ってどんどん飲んでいるぞ。あくまで試飲会であって、飲み放題じゃあないからな。酔いが一発で冷めるくらいの請求書をくれてやろうか。

「夏川さんも、一杯どう?」

「むぅー」

 スっとワインを差し出すも、渋い顔で受け取ろうとはしない。なかなか頑固だな。

「夏川さん、ワインはダメそう? それじゃあ、こっちはどうかな」

 と、僕の後ろからメイちゃんが差し出したのは、赤紫でも琥珀色でもない、見慣れた透き通るような黄色い液体で満ちたカップだった。

 一見すると、僕も愛飲しているハチミツレモンに見えるけれど……

「ハチミツ酒だよ」

「は、ハチミツ酒!?」

 一気に興味が向いたな。まぁ、夏川さんは恐らくこのハチミツ酒を探知してやってきただろうから。

 コイツは子供舌の僕でも美味しく飲めるくらい、甘いお酒だ。

「う、うーん、折角、双葉さんが作ってくれたものだし、味見くらいはいいかなぁ」

 落ちたな。

 甘いモノ好きの夏川さんが、拒否できるはずがない。

「はい、どうぞ」

「い、いただきます!」

 期待と不安とが入り混じった表情で、夏川さんがハチミツ酒入りのカップを口につけた、その瞬間だった。

「――そこまでよ、桃川君!」


第209話 酒(2)

「――そこまでよ、桃川君!」

「やべぇ、サツが来た! みんな逃げろ!」

「馬鹿なこと言ってないで、事情は説明してくれるわね?」

 突如として委員長が踏み込んできたものだから、つい。

「この匂いは、酒か。まったく、隠れて飲酒とは困った奴らだな」

 おっと、蒼真君もいたのか。マジでサツが来ちゃったじゃないかよ。

「別に隠していたワケじゃないよ? 明日にでもお酒のことは発表しようかなと思っていたところだし」

 メイちゃんが数日で完成させてくれたからね。甘味に続く、新たな嗜好品として支給しようと思っていたのは本当のことだ。決して、隠れて僕らだけ飲むつもりはない。

「少しは相談してくれても良かったんじゃないかしら」

「相談したら開発段階で止められそうだったから」

「よく分かっているじゃない。それで、他に言うことは?」

「ごめんね」

 独断で進めたことに関しては、謝罪する余地もあるとは思っているよ。

「でも、お酒くらいはあってもいいんじゃないの?」

 実際、すでに需要は確立している。僕と委員長の交渉を高みの見物しながら、面白そうにワインを飲んでいるトリオの姿がある。あ、蒼真君、ソイツらしょっぴいてもいいよ。

「それは飲みたい人はいるでしょう。でも、私達はまだ未成年よ、飲酒が許されるべきではないわ」

「俺も反対だ。こんな状況だからこそ、酒に酔えばトラブルの元にもなりかねない」

「おっと蒼真君、それは酒のトラブル経験済みみたいな口ぶりだね」

 もしかしなくても、飲んだ事あるでしょ?

「……まぁ、俺だって龍一と付き合いはあるかなら。色々あったんだ」

「え、ちょっと何よソレ、私、聞いてないわよそんなこと!」

「お、落ち着いてくれ委員長、昔の話だから――桃川も止めろよ! 飲んでる場合か!」

 いやぁ、なかなかどうして、他人がトラブってるところを見物しながら飲む酒は美味しいもので。メイちゃんのハチミツ酒は絶品だよ。

「とにかく、飲酒を認めるわけにはいかないわ。美波も、早くカップを置きなさい」

「うぅー、でもぉ、これ美味しそうだよぉ」

 結局、一口もハチミツ酒を飲めなかった夏川さんは、実に未練たらたらな表情でカップを手離し、テーブルに置いた。

「まったく、貴女まで飲もうとするなんて」

「まぁまぁ、夏川さんは僕らを止めてたんだよ。最初は隠れて飲むつもりなんて全然なかったんだから」

「でも、桃川君の口車に乗せられてあえなく、というワケね」

「そんな、酷いよ涼子ちゃん、私を詐欺被害者みたいな!」

 そうだよ、僕が詐欺師みたいな言い方はやめてよね。

「貴方達もいつまで飲んでいるの、早くやめなさい!」

 観客気分で調子に乗って飲んでたトリオにも、委員長のお叱りの矛先が向く。

「い、いいじゃねぇかよこれくらい……」

「俺らには癒しが必要なんだよ」

「そうだべ、酒くらい飲まなきゃやってられねーべ」

 反抗的なこと言うくせに、カップは大人しく置いているあたり、委員長の圧の強さがうかがい知れる。

「疲れやストレスがあるのは、みんなだって同じよ。安易にお酒なんかに頼るべきじゃないわ」

「ここに歯止めをかける奴は誰もいないからな。自分で自分を律するしかない。酒を飲めば、それが乱れる危険に繋がるぞ」

 委員長と蒼真君は、明確に飲酒反対の立場をとっている。

 さて、勝負はここからだ。

 しかし、参ったな。もっとしっかり飲酒賛成派を増やしてから、学級会にかけようと思っていたのだけれど……なんとかここで二人を説得するしかないか。

 この二人なら、まだ話し合えばイケる可能性もある。

 委員長、桜ちゃんをこの場に連れてこなかったのは英断だよ。

「でも、需要は確実にあるし、すでにお酒が造れる、ってことも知ってしまった。あると分かっていて我慢するのは、耐えがたいものだよ」

「だからこそ、今の内に止めるべきよ」

「そうだ、今ならまだ我慢が効く」

「いいや、無理だね。もう我慢できるような不味い酒じゃないんだ。普通に美味しい酒ができてしまった以上、有効活用するべきだよ」

「ダメよ、危険だわ」

「飲み放題をさせるつもりはないよ。泥酔されても困るからね」

「提供量を制限して、か……だが、それも結局、自らの自制心に頼ることになるぞ」

「酒の管理は徹底するよ。せめて一杯くらいでも、僕はみんなに飲ませてあげたい」

「でも――」

 一進一退の論戦。委員長の言い分にも、僕の言い分にも、一理以上のものがある。

 だからこそ、落としどころを探りながら、ジリジリと互いの意見をすり合わせていく。

「――ねぇ、委員長と蒼真君も、一杯飲んでみたらどうかな」

 と、まるで空気を読まないように、メイちゃんが笑顔で言い出した。

「双葉さん、それは本末転倒よ」

「俺達が飲んだら、示しがつかないだろう」

「お酒は毒じゃない。上手く付き合っていくことが大事なの。私、頑張って美味しくなるように造ったから、まずは味見くらいはして欲しいな」

 邪気のない、純粋な微笑みである。僕もうそんな顔できないかも。

 メイちゃんの、そんな造った者だからこその願いを受けて、流石の委員長と蒼真君も困惑顔である。

 二人との議論はやや劣勢。ならば、僕はここでメイちゃんに賭けるとしよう。

「二人とも、飲んで欲しい。その上でやっぱり禁止にするか、許可するか決めてよ。僕はそれに従う」

「桃川君……本当にいいの?」

 実質、僕の敗北宣言に聞こえるだろう。

 飲んだからなんだというのだ。心の底から「あっ、これ美味しい」と思っても、自分の主張を通すためなら、美味しかろうがなんだろうが禁止にする意見を通せばいいだけだろう。

 でも、僕はメイちゃんを信じる。ここ数日の短い間だけれど、それでも彼女はどこまでも真剣に、お酒の品質向上に努め来てたのだ。

 必ず通じる。

「分かった、それでいいなら飲もう。いいか、委員長?」

「そうね、これで納得してもらえるなら」

 話は決まった。

 二人はメイちゃんからワインの入ったカップを受け取り、口をつける。

「――なるほど、これは確かに美味い。大したものだ」

 すっかり飲みきり、ホウ、と一つ息を吐いてから、蒼真君はそう言った。

「だが、それでも許可をすることはできない。できたとしても、日常的に飲めるようには絶対にしな――」

「おかわり」

 真面目な顔で語る蒼真君を遮って、委員長が空のカップを差し出した。

「……委員長?」

「双葉さん、もう一杯もらえるかしら」

「おい、委員長、何を言ってるんだ」

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 そして、今度はゴクゴクと豪快に喉を鳴らして委員長が飲む。さながら、風呂上りにキンキンに冷えたビールを飲むオッサンの如く。これビールじゃなくてワインなんだけど。

「――ぷはぁ、美味ぇ!」

 叫んだ委員長の顔は、赤かった。

 これ完全に酔ってるよ。委員長、アルコールこんなに弱かったのか。

「もう一杯!」

「委員長、それ以上はやめるんだ。酔っているぞ」

「ああん? うるせぇぞ悠斗ぉ、固いこと言ってんじゃねぇぞコラ!」

「っ!?」

 委員長の豹変ぶりに、流石の蒼真君も絶句である。

 僕も同じで、正直、あまりのキャラの代わりぶりに、何も言えなかった。

「はい、どうぞ」

 笑顔でおわかりを渡すメイちゃんだけが、この場にあってただ一人、動揺も驚愕もしていないのだった。なんでそんな落ち着いてられんの……

「おい桃川ぁ!」

「はい!」

 やべぇ、絡まれちまった。

「へへっ、いいじゃねぇか、酒……美味い、これ美味いよ桃川、よくやったオメー」

 三杯目のワインを飲みながら、据わった目にすっかり赤くなった顔で、委員長は僕の頭を撫でまわしながら言う。

 飲酒に賛成してくれたことは僕の希望通りではあるのだけれど……これはない。流石にこれはないだろう。

「それはどうも」

「でもオメーはいっつも余計なひと言が多いんだよ! 分かってんだろ、テメー分かって言ってんだろ!」

「はい、すいませんでした!」

「煽ってんじゃねぇよ! 誰が後始末すると思ってんだああん!?」

「すいません! すいません!」

「ふざけんじゃねぇぞ、桃川がもっと穏便に事を運んでくれたらよぉ、私は余計な苦労せずにすんだんじゃねぇのか! 胃薬さっさと作れやオラァ!」

「お、おい、委員長、少し落ち着け! どうかしているぞ!」

 暴走する委員長を見かねて、ようやく蒼真君が介入してくる。

 僕の髪をグッシャグシャにしながら日頃の不平不満を叫ぶ委員長に、蒼真君はその手を止めるように握った。

「ああん、悠斗ぉ、どの口が言ってやがる! テメーのせいでこんな苦労してんじゃねぇかよ!」

「ええっ、俺!?」

「あたりめぇだろが、とぼけてんじゃねぇこの無自覚ハーレム野郎ぉ!」

「ま、待ってくれ、委員長、俺は別に――」

「言い訳すんなぁ! 勇者のくせに恥ずかしくねぇのか!」

 よし、いい感じにタゲが蒼真君に移ったことで、僕は脱出を――

「逃げんな桃川ぁ!」

 しまった、捕まった!

 がっしりと襟首を掴まれて、離脱不能となる。

 ちくしょう、この暴走委員長めちゃくちゃやりやがる。

「夏川さん、急いで天道君と桜ちゃんを呼んできて!」

「ハッ!?」

 親友の豹変振りに呆然としていた夏川さんに向けて、僕は叫んだ。

「早く行くんだ広報委員! この委員長を止められるのは二人しかいない!」

「あっ、そ、そうよだね、分かったよ!」

 流石の俊足で、夏川さんは密会部屋を飛び出していく。

 今の戦力では、委員長を止めることはできない。僕と蒼真君では、足止めが精々である。

 チラっと見ると、蒼真君も頷いてくれる。まさか君と、こんなに心が通じ合える時がくるなんてね。

「分かった、俺が悪かったから、委員長」

「いつも苦労をかけてごめんね、委員長」

「うるせぇ口だけならどうとでも言えるわボケぇ!」

 だ、ダメだ、これはそんなに長く持ちそうもない、早く助けて!

「おかわり!」

「はい、どうぞ」

 メイちゃん止めて! ホント止めて! 今僕らピンチなの!

「おいおい、何の騒ぎだよコイツは」

 そこで、いつもの気だるそうな感じで、天道君が姿を現した。

 よし、来た、メイン盾来た、これで勝つる!

「桃川! まったく、貴方はまた勝手なことをして、許しませんよ!」

 そして、すぐ後ろに桜ちゃんも続いて登場。

 ねぇ、この状況を見て真っ先に僕に対して文句をつけるなんて、一周回って僕のこと好きなんじゃないかと思えてくる。こんな地雷女、絶対御免だけど。

「蒼真君、天道君、二人で委員長を抑えるんだ!」

「龍一、早くしろ!」

「お前らマジでなにやってんだよ……」

 必死な僕と蒼真君の呼びかけに、天道君は心底呆れたような顔つき。いいから早くして、やれやれしている場合じゃないんだってマジで。

「桜ちゃんは解毒魔法をかけて!」

「は、はぁ? どうして私が桃川の言うことを聞かねば――」

「いいから、今は桃川の言う通りにするんだ、桜!」

「おい、そうだぞ桜テメー、いつまでもつまんねぇ意地張って反発ばっかしやがってよぉ、いい加減にしろやこのヒス女が!」

「なっ!?」

 予想外の人物から予想外の罵倒が飛んできて、桜ちゃんも絶句である。

「いっつも綺麗ごとのワガママばっか言いやがってぇ、こっちは命かけて戦ってんだぞ! 余計な揉め事増やすんじゃねェ、ギスギスさせてんじゃねぇよ! 大体桃川の言う通りじゃねーかよクソぉ!」

「涼子、そ、そんな、何を言っているのですか貴女は」

「落ち着け、桜。委員長は今、酔って正気を失っているんだ!」

 いやぁ、でも割と本心だと思うよ? こういう時に、普段は押し隠している感情が漏れたりするもんだし。

「桃川、分かっていてもそれ以上、余計なことは言うんじゃないぞ」

「それを言うってことは、蒼真君も分かってるってことなんじゃあ」

「龍一、桜、早くしろ! 委員長を救えるのはお前らだけなんだ!」

 あっ、今ちょっと勇者っぽい台詞だね。

 まるでピンチのヒロインを助けるようなシチュに聞こえるけれど、暴れてんのは本人なんだよね。

「はぁ、流石にコレは見ちゃいられねぇな」

「仕方ありませんね、こうなってしまっては……」

 渋々というか、本当にこれはもうどうしようもない、といった感じで配置につく二人。

「うぉい、龍一ぃ、たまにはお前が酌しろぉ、いつも世話焼いてやってんだろー」

「いいから黙れ、涼子。お前、後で絶対に後悔するぞ」

 どこか憐みの視線を向けながら、絡んでくる委員長の腕をとって、動きを止める天道君。もう片方は蒼真君がさりげなく止めている。

「今だ桜ちゃん!」

「القضاء على الفرز الصحيح――『解毒コレクトリムーブ』」

 発動した解毒魔法が委員長にクリティカルヒットする。

 うすぼんやりとした聖なる輝きっぽいのが発せられて、委員長の体がピカピカと光った。

 よし、よくやった桜ちゃん。もう君の出番は終わった、帰っていいよ。

「う、うぅーん……」

 みんなが固唾を飲んで見守る中、顔の赤みが引いた委員長が目をパチパチさせながら、周囲を見渡す。

 すでに両腕は解放され、フリーになっているが、果たして。

「あれ、私……お酒を飲んだような気がするのだけれど」

「涼子、今日はもう部屋に戻って寝ろ」

「えっ、龍一? いつからそこに……というか、まだそういうワケには」

「いいから来い」

「あっ、ちょっと、いきなり何するのよ!」

 とか反抗的な台詞を口にしているものの、声音そのものは嬉しそうだ。天道君が委員長を問答無用でお姫様抱っこをかましたせいだ。

 ああ、こうして見ると、実に様になっている。僕じゃこうはいかないよ。

「下ろしなさいって、龍一!」

「うるせぇ、いいから黙って担がれてろ」

 そんな甘酸っぱい言い合いをしながら、天道君は委員長を連れて去って行った。

「……桃川、これはどういうことか、ちゃんと説明してもらいますよ」

 ひと騒動終わって、キっと桜ちゃんが僕を睨みつけてくる。

 僕はそのすでにして見慣れた聖女のガン飛ばしを真っ向から見つめ返して、言う。

「ありがとう、桜ちゃん。流石は『聖女』の力だ」

 素直に感謝しよう。

 今回は相当ヤバかった。それくらい僕も追い詰められた。

「ああ、桜、本当に助かった、ありがとう」

「ありがとう、桜ちゃん! 涼子ちゃんを助けてくれて!」

「蒼真さん、ありがとう」

 共に死線を潜り抜けた蒼真君に続いて、涙ながらに言う夏川さん。そして、多分僕が言うからそのまま乗っかっただけのメイちゃん。

「ありがとう」

「ありがとう」

「ありがとーっ!」

 そしてついでに上中下トリオも叫んでいる。

 今、この場に集った全員が、聖女に感謝の言葉を捧げたのだった。みんなで桜ちゃんを囲んで、パチパチ拍手する。

「な、な、なんなんですかこれは……」

 謎の雰囲気に包まれて困惑する桜ちゃんを眺めながら、僕は決めた。

 お酒は原則禁止。僕が裏でひっそりと、必要な人を選んで提供しようと。

 酒癖の悪い人、って本当にいるんだね。今回の失敗を経て、僕は一つ、大人になったような気がした。

第210話 修行(1)

「はい、これから皆さんに、ちょっと修行してもらいまーす」

 新しい朝が来て、皆で揃って朝食を終えた後、僕がそう切り出すと案の定、「はぁ」みたいな空気が漂う。

「じゃあ、蒼真君、後はよろしくー」

「待て、説明くらいしろ」

「いや、特に反応がなかったから了解してくれたのかと」

「そんなワケないだろ。どうしてお前はそう、自分の都合のいい方に――」

 最近、蒼真君の僕に対する小言が姑染みてきてる気がする件。まぁ、憎悪の発露がお小言が増える程度に留まるのならば、安いものだ。

「えー簡単に言うと、蒼真君から蒼真流の技を教えてもらおうかと。前衛職の方は特に」

「はぁー? なんだよソレ、聞いてねーぞ」

「なんで蒼真に教わらなきゃなんねーんだよ」

 と、早速分かりやすいケチをつけてくれたのは、前衛職である『剣士』上田と『戦士』中井のお二人である。後衛職の『水魔術士』下川は、完全に自分は関係ないとタカをくくっている表情だ。

 口にこそしていないが、他の面子も似たような怪訝な反応をしている。

 そりゃあ、よっぽど興味でもなければ、自ら格闘技を習おうなどという意思は持てないだろう。僕は絶対御免だね。人生の幸せって、如何に苦痛から逃れることにあるのだと思う。

「じゃあ聞くけど、二人はここ最近で強くなれた?」

「そ、そりゃあ……まぁ……」

「新しい技覚えてねーんだから、そんな劇的に強くはなれねーだろ」

 実に言い訳染みた返答だが、天職の性質を考えると概ね正解であるとも言える。

 RPGに置いても、レベルが上がらなければステータスは上がらない。次のレベルアップに必要な経験値が100だとすれば、経験値1の状態と99の状態に何の差異もない。レベルが上がる、つまり、明確にステータスが伸びるだとか、新たなスキルを獲得するなどの変化がなければ、強くなることはない。

 天職においても、すでに習得している技の熟練度という点を除けば、新しく授かる技がなければ大幅な強化は望めない。新しい技を覚えられなければ、自身の戦闘能力は自然と頭打ちとなる――というのは、あくまでも天職の能力のみを見た話である。

「それなりに探索で戦闘経験は積んでいるけれど、新しい技が得られないなら、他の方法も試すべきだと思うんだよね」

「なるほど、それで自分自身の鍛練というワケか」

 元から武術やっているだけあって、こういう考えはしっくりくるといったところかな、蒼真君は。

 そもそも、人間が身に着けられる戦闘能力なんて、一も二もなく鍛錬だ。体を鍛える、技を鍛える、心を鍛える。そうやって、人は初めて強くなれるのだから。

 天職、などというくじ引きのようにいきなり当たって力を貰うというシステムがおかしいのだ。物理法則のみが支配する地球世界においてはありえないが、魔法の理があるらしいこの異世界においては、否定しようもなく存在しているのだが。

「実際のところ、同じ天職を持っていても、ド素人と格闘技経験者なら、断然、後者の方が強い」

 同じ『重戦士』という強力な天職を持っていても、杉野は山田を瞬殺してみせた。

 アレは不意打ちみたいなところもあったけど、多分、普通にサシで戦ったとしても、山田の勝率は限りなくゼロであろう。

「そういうワケで、蒼真君という都合のいい師匠役もいることだし、みんなを鍛えてもらいたいなと」

「えー、マジかよ……」

「修行とかダリぃー」

「ついでに根性も叩き直してくれてもいいよ」

「いきなり言い出すのは困り者だが……まぁ、いいだろう。出来る限り、みんなを鍛えてみよう」

 蒼真君はそれなりにヤル気になっている様子。僕が言い出さなくても、近い内に自分から提案していたかもしれないな。

 まぁ、一朝一夕で武術が身につくとは思えないけれど、そこは天職の能力に期待だ。メイちゃんなんて完全に我流だけど、明日那をボッコボコにできるくらい強くなっているワケだし。

 そこまでいかなくても、これがキッカケで新しい技習得のフラグが立つかもしれないし。

 天職の仕様が分からない以上、何事も挑戦である。

「で、他の魔術士系の人には、僕と一緒に錬成の特訓ね」

「はぁ、なんだよソレ聞いてねーべ!」

 そりゃあ、今初めて言ったからね。

 俺は蒼真の特訓なんて受いけなくてもいいべ、みたいに余裕こいてた下川は、僕の発言に割と焦っている。誰が楽なんてさせるか。ニートは許さん、一人残らず苦労させてやる。僕と一緒にデスマーチしようよ!

「実のところ、装備係であるところの小鳥遊さんの働きがすこぶる悪いから、こっちの作業が滞っているんだよね」

「むぅー、そんなことないもん、小鳥は一生懸命頑張ってるもん!」

「とまぁ、こんな感じで言い訳までする始末なんだよね」

「桃川君、その辺にしおいて」

 やれやれ、とばかりに委員長が間に入る。

「小鳥の仕事ぶりは置いておくにしても、確かに、錬成ができる人が少なすぎる。これだけの人数もいるのだから、何か装備一つを用意するだけでも、とても手間がかかるわ」

「少しでも効率上げたいし、そうでなくても、錬成が使えたら色々と役立つし」

 本当に、雛菊さんにはお世話になっている。愚者の杖で使用率トップは間違いなく『呪術師の髑髏』であろう。二番手は『召喚術士の髑髏』だ。

「けどよぉ、俺は錬成の魔法なんてもってねーぞ」

「だから、覚えられるかどうかみんなで試そうよって話」

 各属性の魔術士の天職名からいって、その系統の魔法しか覚えられない印象を覚えるが……本当にそれしか覚えられない、と決まったワケではない。

 それに、少々異質ではあるものの、現実として僕は呪術師以外の能力を行使するに至っている。ならばこの異世界において、自分の天職に沿う以外の能力を使うことは、決して実現不可能ということはないのだ。

 ゲームでも、魔術士系は共通で覚えられる魔法とかもあるし?

「だから、この機会に魔法を使う人は錬成と、あとついでに治癒なんかも覚えられるかどうか試してみようかなと」

「無理だと思うけどなー」

「わ、私もちょっと自信ないかなー」

 ヤル気なさげな下川と姫野の両名である。僕だってそう上手くいくとは思わないけど、だからといって、何もしなくていい理由にはならない。

「どれも上手くいく保証はないけれど、それでも、何か一つ成果があれば儲けものだ。ヤマタノオロチを攻略するには、まだまだ足りないことだらけだから、今は一つでも多くの可能性が欲しい」

「ええ、桃川君の言う通り、今は試せることは全て試していきましょう。時間だけはあるわ、焦らず、しっかりと出来ることからやっていきましょう」

 そうして、ひとまずの納得を得て、僕らはそれぞれの修行と特訓を始めることにしたのだった。




「――とりあえず、この基礎の素振りを500本だ」

「えー、そんなに? まさか根性論で言ってるワケじゃあないよね?」

「一番、性根を叩き直さなきゃいけないのは、お前だと思うよ」

「いやいや、僕なんて天道君に比べれば全然だから」

 などと、蒼真師匠と軽くバチバチしつつ、僕は渋々ながら素振りを始めたみんなを眺めている。

 この蒼真道場の門下生は、『狂戦士』メイちゃん、『盗賊』夏川、『剣士』上田、『戦士』中井、『重戦士』山田、『魔法剣士』中嶋、『騎士』野々宮、『戦士』芳崎、以上8名である。

 一応、僕も含めれば9名になるけど。

「何事も基礎は重要だ。武術は特にな」

「分かったよ。僕もルーチン性能の確認と思って、大人しく素振ることにするよ」

 と、僕もブンブンと木刀を振り回し始める。

 僕の貧弱な細腕では、軽い木刀でも何十回か振ればあっという間にキツくなってくるけれど……うーん、やっぱり『双影ふたつかげ』の体は疲労感とは無縁でいいね。

 僕が一緒に修行に参加しているのは、決して真面目に蒼真流剣術を習得するためではない。この『双影』の操作性向上に利用できないかと思ってのことだ。

 どうせ分身なら疲れないし、痛くないし、とりあえず動かしておくだけで熟練度も稼げそうな気がする。

「――よしよし、やっぱ素振りくらいの簡単な動作なら、意識を切り替えても続けられるな」

「桃川君、今ボーっとしていたけれど、大丈夫なの?」

「うん、ちょうどあっちで修行が始まったところだから。今はみんなで素振りしてるよ」

「分身を操作している、というのは分かっているけれど、いざ目の前で呆然とされていると、少し心配になるわ」

 分身操作している時の僕って、そんなアホ面晒しているのかな。次からは、せめて目くらい瞑っておいた方がいいだろうか。

 いやいや、目指すのは完全な同時操作だから、むしろ気合いを入れて本体の眼は見開かなくては。

「さて、それじゃあこっちも錬成の特訓を始めようか」

 本体の方の僕は、魔術士系メンバーと共に錬成特訓に参加である。

 こちらの錬成会メンバーは、『氷魔術士』委員長、『土魔術士』蘭堂、『水魔術士』下川、『治癒術士』姫野、そして仕方ないから数に入れた『聖女』桜と、あとオブサーバーとして天道君が煙草をふかしながら僕らを眺めている。

 知ってるんだよ、天道君も実は錬成系のスキルを習得しているってことはね。大体なんでも持ってるし、マジチートだよ。

「はい、みんなちゅうもーく。これが錬成の一番簡単な『簡易錬成陣』でーす」

 エントランスの隅に設置した黒板に、僕は大きく『簡易錬成陣』を描く。

「改めて見ると、これだけでも中々に複雑な図形ね」

「これってスキル習得してると、一発で魔法陣が出るんだべ? ずるくねーか」

「ウチこんなの覚えらんなーい」

 錬成スキルを習得している大きな利点は、魔法によるオートで瞬時に錬成陣が描かれることだ。例の如何にも魔法っぽい光の魔法陣として。

 僕も『呪術師の髑髏』を使えば、一発で『簡易錬成陣』を発動できる。

「でも、自分で描いても効果は発揮するんだよね」

 そもそも、僕が一番最初に獲得した魔法陣は『簡易錬成陣』ではなく、オリジナルで描きだした『六芒星の眼』である。

 バジリスク攻略時に編み出し、それからは赤ラプターを倒す時の罠として使ったくらいで、使用頻度は低い。やっぱ事前準備が必要だと、基本的にエンカウントによる通常戦闘では使うことはできないし。

 それでも、ただ自らの手で図形を描くだけで、何かしらの魔法効果を得られる、ということが証明されたのは大発見と言えるのではないだろうか。それはすなわち、神様からスキルを授からなくても、人は魔法陣の力を使えるということだ。

「だから、まずはみんなで錬成陣を描いて、発動を目指そう」

 幸いにも、僕らは沢山ノートを持っているし、筆記用具もあるからね。

 一度書いたノートも、それを素材として複製陣にかけてコピーすると新品同様に戻せるし、失敗を気にせずガンガン書けるぞ。

「はぁー、なんかこうして机に向かうなんて、久しぶりな感じするべ」

「こういうのウチ苦手なんだよねー、速攻で眠くなってくるし……」

 そういえば蘭堂さん、地味にウチのクラスで学力最下位なんだよね。

 でも今は命とかかかってる状況だから、出来るだけ頑張って欲しい。




 本体の僕らが『簡易錬成陣』の練習を始めている一方、蒼真道場の方では素振りをはじめとした基礎トレーニングを一通り終わらせ、次の訓練に入ろうとしていた。

「やはり、みんな天職の力でここまで戦い抜いてきただけある。これなら、いきなり実戦的な技の練習に入ってもいいだろう」

 蒼真君はみんなの高いポテンシャルを見て、満足そうに言う。

 武術に限らず、素人がスポーツを始めた場合、まず重要となるのはその競技に耐えうる体作りであろう。ランニングやら筋トレやら、肉体そのものを鍛えるトレーニングは様々だ。

 ただし、それらは地味である。決して楽しい作業ではないだろう。僕なんて、金でも貰わないと、走ってなんていられないよ。マラソンは拷問。

 しかしながら、蒼真君の言う通り、すでにそれなりのダンジョン攻略を経験してきた僕ら、というか前衛職の面々にとっては、すでに十分、戦闘についていける肉体が出来上がっている。

 ほとんど天職を授かった恩恵だろうが、貰ったモノは有効活用すればいい。

「まずは基本的な技から行こうか」

「ちょーっと待った!」

 と、そこで声を上げたのは僕ではなく、なんと上田であった。

「本当に蒼真は俺らより剣術がスゲーのかよ?」

「どういう意味だ?」

「確かに、お前は強ぇよ。そこは認める。けどなぁ、その強さは『勇者』のお陰なんじゃねーのかよ。俺らだって、お前みてぇにド派手に光る剣を使えりゃあ、同じくらい強くなれんだろうが」

 なるほど、一見すると完全に強い天職に対する嫉妬染みたイチャモンにして、次のページにはこてんぱんにやられるかませキャラみたいな言い草ではあるが、上田の発言はなかなか正しい見解である。

 蒼真君の強さは蒼真流剣術本来の強さではなく、あくまで天職『勇者』によって与えられた破格の強さであるということ。そりゃあ、日本の剣術である蒼真流に、剣を光らせてビームを放つ奥義などあるはずもない。

「それなら、純粋な剣技のみで勝負をすれば、俺に勝てると言うのか、上田」

「へっ、俺だって伊達に『剣士』で戦って来てねぇんだよ」

 ほう、さりげなく剣士としての誇り的な気持ちも持っていたとは。意外に上田、ロマンチストか。

「まぁ、確かにな。木刀だけでやり合うってんなら、勝てないにしても、そう簡単に負ける気はしねぇな」

 上田の啖呵に乗っかって、中井もヤル気のあることを言い出した。

「蒼真君どうする? 生意気言ってんじゃねぇよ雑魚どもが、とか言って『光の聖剣クロスカリバー』でぶった切る?」

「そんなことするワケないだろう。お前は俺を何だと思ってるんだ」

「キレたら弱者相手にも全力で殺しにかかってくるから、怖いなーと」

「ぐっ……桃川、お前がそれを言うのか」

 そりゃあ僕しか言えないよ。僕みたいな貧弱チビっ子を相手に、殺意全開で切りかかってきたんだからね。

「頼むから桃川、少し黙っていてくれ」

 目頭を押さえながら、あからさまに怒りを抑えています雰囲気を出しながら、蒼真君はあらためて上田達へと向き直る。

「上田、お前の気持ちはよく分かる。剣をとる者なら、そういった感情は覚えて当然のものだ」

「へっ、気取りやがって」

「ならば、勝負を受けよう。天職の技は使わない、純粋に剣術だけの勝負だ。勝っても負けても、俺の実力が教えを乞うに値しないと思ったなら、やめてくれて構わない」

「おし、いいぜ蒼真。お前の実力の底を、見極めてやるぜ」

 おお、これはなかなかに面白い展開になってきた。なんかちょっと少年漫画的な展開である。そうなると、やはりどうあがいても上田は噛ませにしかなりそうもないが。

 蒼真流の技と、天職『剣士』の技。真っ向勝負すれば、どちらが上なのか。

 非常に気になるが、僕の見立てではそもそも蒼真君と上田とでは、素のステータスが違う。強化系武技や強化魔法などなくても、単純な筋力において蒼真君の方が上である。土台が違うのだから、純粋な技の勝負にならないのが残念だ。

「他にも、俺の実力に疑問があるならば、勝負は受けて立つ」

 堂々と宣言する蒼真君。みんなの師匠をやるにあたって、その力を証明することは義務だと思っているのだろうか。真面目だねぇ。

 その一方で、隅っこであまり興味なさそうに事の推移を見守っていたメイちゃんが、僕の方をチラチラっと見てくる。

 彼女のアイコンタクを翻訳すると、

「小太郎くん、どうする? 蒼真ボコる?」

 勝負と聞いて、明日那との決闘を思い出して血がたぎったのだろうか。なかなかに好戦的な意見が出たもんだ。

「いや、ここは大人しく蒼真君の教えに従っていいよ」

 ここで狂戦士を暴れさせてもしょうがない。今のメイちゃんなら、マジで蒼真流を覚えてレベルアップとかしそうだし。

「そんじゃあ、言いだしっぺだしな。まずは俺がやるぜ!」

「いいだろう。かかって来い」

 そうして、師匠の座をかけた剣術勝負が始まった。

第211話 修行(2)

 さぁ、始まりました『勇者』蒼真悠斗VS『剣士』上田洋平の剣術勝負。

 両者、同じく正眼の構えで相対し――今、勝負の合図が、

「うわー、蒼真君強ぇー」

 勝負は一瞬で終わった。

 先に仕掛けたのは上田だった。流石は天職『剣士』と思わせるだけある、鋭い上段振り下ろし。

 それを蒼真君は完全に見切って、半歩下がって、いや、地味に体の角度も僅かに傾げていた。そんな動きで上田の一刀を見事に回避。

 だが、剣士上田もさるもの。そのまま素早く斬撃から刺突へと移行。腹部めがけて放たれた強烈な突きは、あえなく空を切り――そこで、ついにカウンターの一撃を蒼真君が繰り出した。

 ピタリ、と上田の額直前で止められた木刀。

 一方の上田は、完全に突きを放って体勢が伸びきっている。

 誰がどう見ても、勝敗は明らかだった。

「く、クソ……」

「どうする、もう一回やるか?」

「……いや、いい。マジで強ぇな、蒼真」

「これが蒼真流の力だ。上田、お前の腕前もかなりのものだ。鍛錬すれば、すぐに強くなるだろう」

「へっ、そうかよ」

 とか言いながら、満更でもない顔の上田。

「意外と素直に負けを認めたね」

「誰もがお前のように、屁理屈を並べて悪あがきをするワケじゃないからな」

「うるせー桃川。これは剣士にしか分かんねーことなんだよ」

 爽やかな勝負の終りに水を差すような失言だったか。決して、上田がゴネて揉め事になると面白そうとか思ってないよ。もしそうなったら、どうせ収拾するの委員長と僕だし。

「ごめんごめん、いい勝負だったよ」

「今更、白々しいぜ桃川」

「そんなことないよ。上田君の振り下ろしから、突きの切り替えしはなかなか良かったよ。もしかして、最初から蒼真君が避けることを計算にいれて、突きの方が本命だった?」

「お、おう、まぁな」

「桃川、意外と目がいいんだな」

「へへっ、褒められちゃった」

 僕、蒼真君のそういうとこ好きだよ。良いところは良いと言う。妹にも是非、見習って欲しい態度である。

「さて、他に俺と勝負をしたい人はいるか?」

「というか、これは全員経験しておいた方がいいんじゃないかな」

「そうだな。先に少しでも、蒼真流の技を体感してもらいたい」

「はい! じゃあ次、私やるね」

「メイちゃんはナシで」

「うーん、双葉さんは止めておこう」

「ええー、なんでー」

 なんでって、いい予感がしないからだよ。

 今この時に必要なのは、蒼真師匠の圧倒的な剣術の技をみんなに理解してもらうこと。でもメイちゃんがやると、技を力で覆してきそうだし。

「仕方ねぇ、次は俺がやるぜ」

 親友である上田に続き、中井が声をあげた。

 メイちゃんはそんなに勝負してみたかったのか、若干、納得してなさそうな表情ながらも、大人しく中井に次鋒の座を譲った。

「いいだろう。さぁ、どこからでもかかって来い」

「『戦士』舐めんなよ、剣もフツーに使えるんだからなぁ」

 そんな感じで、順番に蒼真師匠との勝負が始まった。

 勿論、全員ほぼ瞬殺であった。




「――なるほど、これは予想外の展開が起こったね」

 蒼真師匠による熱血指導の傍ら、僕が主導する錬成会では、ひとまず全員が発動ラインに達した完成度の『簡易錬成陣』を描き上げるところまで来ていた。

 問題は、いざ錬成陣を発動しようとした時のことである。

「でもまぁ、これ半分くらいは成功と言っていいんじゃないの?」

「そうかしら……いや、そうかもね」

「錬成においても、それぞれの属性に沿った効果になるようですね」

 珍しく、桜ちゃんと意見が一致したものだ。まぁ、結果を見れば誰でも同じ見解に至るけれど。

 錬成陣の発動そのものは成功した。全く何の反応も起こらなかった、という者は一人もいない。その辺は流石に、みんな何かしらの魔法適性を持つからだろう。

 で、発動したそれぞれの錬成陣には、各自の属性を反映した効果が現れたのだった。


『氷結錬成陣』:氷属性による錬成。


『水分錬成陣』:水属性による錬成。


『鉄鉱錬成陣』:土属性による錬成。ある程度の鉱物を錬成強化できる。


『光錬成陣』:光属性による錬成。微小な光精霊を宿すことができる。


 と、それぞれ別個の錬成陣となっている。

「っていうか、普通に新スキル獲得してるよねこれ」

「多分、こういうキッカケがあれば、いつでも習得できたのではないかしら」

「俺らも魔術士やって長いからな。習得条件は満たしてた、って感じだべ」

 確かに、僕にもそういう経験ある。『愚者の杖』とか、もっと早くに試していればさっさと習得できていた感じするし。

「あのー、なんか私だけ普通の錬成陣なんだけどぉ」

「いやいや、姫野さんだけでも『簡易錬成陣』を発動できて良かったよ。即戦力だよね」

 何故か姫野さんのみ、『簡易錬成陣』を僕と同じように通常発動ができた。

 特にこれといった属性に偏りがないからだろうか。『治癒術士』がそういう性質なのか、あるいは、『眷属』としの特性か。

 姫野さんが何かしらの『眷属』らしい疑惑はあるけれど、こうして普通に錬成陣を成功させたことを思うと、それほど彼女の力は僕らと大きくかけ離れているワケではなさそうだ。これで悪魔でも召喚しそうな鮮血の錬成陣とか発生したら、一気に魔女裁判フラグだったけど。

 今はそういうトラブルは御免だよ。

 どちらにせよ、姫野さんが『簡易錬成陣』を使えるなら、すぐにでも作業を始められる。習うより慣れろ。よし、早速シフトに組み込もう。

「それじゃあ、みんなはそれぞれの錬成陣の性能確認と行こうか。姫野さんはそこで山積みになってる光石の不純物を分離しておいて」

「えっ、あの、それってどうすれば……」

「まずは自分で試行錯誤してやってから、分からないところを聞いてよね。じゃあ、まずは委員長の冷やすだけっぽい『氷結錬成陣』から行こうか」

「冷やすだけとか言わないで。そんな気はするけれど」

 流石に『氷結錬成陣』と固有の錬成スキルになっているんだから、何かしらの効果があるとは思いたい。

 そんな期待と共に、適当な魔物素材を氷結錬成にかけてみた。

「うーん、マジでこれは凍らせるだけっぽい……」

 そうとしか思えない実験結果に、委員長も非常に残念そうな表情である。

「こういうこともあるよ。元気だして委員長」

「本当のこと言っていいわよ桃川君」

「いやぁ、他人がクソスキル掴まされるところを見ると、ちょっと楽しい気分になるよね」

 僕も呪術師として苦労させられた経験があるので、尚更に愉悦。

「気を取り直して、次いってみようか」

「お、俺の『水分錬成陣』はクソスキルじゃねーべ!」

 委員長の残念な結果を見て、下川は若干ビビりながらも、『水分錬成陣』を発動させた。

 その結果、判明したことは、

「なるほど、液体ならかなり高度に操作できるんだね」

「けどよぉ、海水を水と塩に分離できたところで、あんま使い道はねーべ」

 水分錬成の特徴は、液体の成分を自由に混合・分離できることである。

 下川が言った様に、海水を水分錬成にかければ、真水と塩分とその他に瞬時に分離することができる。この成分分離は『簡易錬成陣』ではできない。

 海水から塩を取り出すだけなら『魔女の釜』でも可能だが、これはあくまで釜の中で水分を蒸発させることで塩を残して得られるという、物理的な工程が存在している。

 だが水分錬成は、いきなり水と塩に分離できるのだ。つまり直接的に成分を操作しているところが強み。

 ということは、加熱・冷凍、蒸留やら遠心分離やら、そういった方法を介さずに、どうやって取り出すか分からない成分も抽出できるし、単純な成分解析もできそうだ。

「よし、下川君は今からポーション担当ね」

「はぁ?」

「なけなしの本物ポーションを託すから、劣化ポーションと成分を比較しながら、何が欠けているか、あるいは何を加えれば本物になるか、割り出して」

「な、なんだよソレぇ、できんのかよ」

「できるかできないか、じゃない。やるんだよ」

 いやぁ、これで行き詰っていた劣化ポーションの再生計画も始動できそうだ。

 劣化ポーションは暗黒街の狼男がよく所持しているし、廃墟からも発見できる。そこそこの数を集めることはできるが、やはり劣化なので回復効果は失われている。だが、コイツを元通りにできれば、一気にポーションの所持数を増やせる。

 僕としては、最低でも全員に1本はポーションを持たせたいと思っている。即効性で高い回復効果を発揮するポーションは、いざという時に頼れる存在だ。

「まぁ、やるだけやってはみるけどよぉ」

 あんまり自信はなさげな様子で、下川は劣化ポーションを保管している倉庫へと向かって行った。

「さて、次は一番期待できそうな『鉄鉱錬成陣』だ」

「いやこれ絶対またなんか地味ぃーな効果な気がすんだけどぉ」

 そんなことないよ蘭堂さん。説明文ですでに『錬成強化』とある時点で、単に物質を弄り回す以上の効果が確定である。

 恐らく、これはまだ基礎的なタイプの錬成陣で、効果も微々たるものだろう。しかし、僕らでは得られなかった強化効果と、その後の成長性を見込めば、一番期待の出来る錬成陣に違いない。

「んー、じゃあ行くぞー、『鉄鉱錬成陣』!」

 と、気合いを入れて黄金リボルバーをぶっ放して発動させた『鉄鉱錬成陣』は、オレンジ色の輝きと共に、その効果を現した。

 今回、錬成の対象にしたのは、どこにでもある普通の鉄の剣である。ただの鉄、あるいは鋼であろうこの剣を鉄鉱錬成にかけて、どういう変化を及ぼすかで、おおよその効果の程度が分かるはず。

 そして、錬成陣の輝きと共に瞬時に鉄の剣はその形を変え――

「なんか鉄の塊になったんだけど」

「だねー」

 自分でやったくせに、どこまでも他人事な態度の蘭堂さんである。

 光の収まった錬成陣の上には、角ばった小さな鉄の塊と、錬成対象にならなかったであろう、柄の部分がそのまま残っている。どうやら、刀身の鉄部分のみが錬成によって、この塊に変化したようだ。

「見た目も重量も、特に変化はナシか」

 触っても、何か特別な力を感じるということもない。本当にただ刃の鉄を塊にしただけのようだが……それだと『簡易錬成陣』でも同じことができる。

「蘭堂さん、発動させる時、何か強くするイメージとか、別の形に変化させようみたいなことは考えなかった?」

「え、なにそれ? 意味わかんないんだけど」

「錬成って自分のイメージでモノを変形させるワケじゃん?」

「ふーん、そうなんだ」

「……ごめん、僕の説明が色々と不足していたみたいだ」

「いいってことよ、気にすんな桃川」

 何で僕の方が慰められてるんだろう。こういうの、何となくのイメージでお察しかと思ってたけど、うーん、蘭堂さんだしそういうところは鈍いか。多分、本当に何も考えずに錬成陣を発動させただけなのだろう。

 特に考えナシで錬成にかけると、雑な塊状になる、ということなのだろうか。

「イメージが足りないと強化の効果もないのかな」

「そうでもねぇさ。その鉄はちゃんと光度が上がってるぞ」

 そこで口を挟んできたのは、まさかの天道君。ただ何となくこの場に居合わせただけで興味の欠片もなさそうだったのに、実は仲間に入れて欲しかったとか?

「光度ってなに? 詳しく、天道君」

「めんどくせーなー」

「委員長」

「龍一ぃー?」

「チッ、分かったよ、そう睨むな」

 やはり天道くん係、任命しておいて正解だった。

「要は魔力が籠ってるってことだ。光石みてぇにな」

「ふーん、じゃあ魔力が宿る量が光度ってワケ」

「ソイツは偏りがねぇから、純光度1ってところか」

「ちょっと待って、魔力ってやっぱ属性と無属性の違いがある上に、魔力量のレベル分けみたいなのもあるんだ?」

「その辺は小鳥遊に聞け。俺よか詳しいだろ」

「たぁーかぁーなぁーしぃーっ!」




 ほうれんそう、が出来ない上に、業務上に必要な情報をわざと出し渋るクソ社員を叱責すると、流石に委員長が間に入って止めてくれた。で、僕の代わりに気になることを聞き出してくれることに。

 やはり中間管理職というのは組織を運営するにおいて大切な役割なのだな、と僕は再認識した。それぞれの錬成を習得してくれたところで、我が学園塔エントランス工房の社員は一気に増えた。これは本格的に会社の組織編制が必要かも。

「それじゃあ、報告を聞かせてよ専務」

「誰が専務よ」

 おっと、つい社長気取りのままで口を開いてしまった。

「とりあえず、おおよそ桃川君が思っている通りよ」

 この世界には、僕らの地球と全く同じような鉄鉱石など様々な鉱物が存在している。その一方で、魔力を含んだ『光石』という異世界特有の鉱物も存在している。

 鉄鉱石に魔力は含まれていないが、精錬を経て鉄となれば、そこに魔力が含む余地が生まれるようだ。

 基本的には、光石を加えて錬成することで、魔力を含んだ鉄を生み出すことができる。金属への魔力付与は光石を利用するのがポピュラーらしいので、付与できた魔力量は『光度』と呼ばれる区分けがされる。また、魔力を宿した金属全般は『光鉄』と呼ばれる。

 光鉄を作り出すには光石との錬成が基本だが、魔術士が自ら作り出すこともできる。それが、蘭堂さんの『鉄鉱錬成陣』だ。

 つまり、光石ナシで光鉄を作り出す土魔法である。

「うーん、控えめに言って神スキルでは?」

「どうかしら。万能な効果ではあるけれど、付与できる魔力量はそれほどでもないみたいよ」

「金属の質にもよるんだろうけど、頑張っても光度2が限界ってとこだしね」

 光度は1から5の五段階評価である。

 光度1は、下級魔法の発動に補正がかかる程度。2になると、単体で下級魔法を撃てる程度。3だと中級魔法、4になると上級魔法を、それぞれ発動できるほどの魔力量となる。

 最高の光度5になると、上級魔法連発から、ヤマタノオロチのブレス級とか、その魔力量に上限はない。とりあえず4以上あれば全部5に分類されるようだ。

「でもコイツを鍛えていけば、光度3とか4も夢じゃないよ」

「魔力付与の他にも、単純な金属加工にも効果があるようだし、普通に光石を錬成することもできるから、装備を作るには便利な魔法ね」

「ねぇ、なんでウチの魔法なのに二人の方が詳しい感じになってんの?」

 そりゃあ、色々と『鉄鉱錬成陣』を試し撃ちした実験結果が目の前にあるからね。効果を確認するには十分だけど、蘭堂さんはもっと自分の力について真剣に考えた方がいいんじゃないかな。

「ウチそういうの苦手だから、桃川が考えて、教えてよ」

「いいよ」

 まぁ、誰だって得て不得手ってのはあるからね。魔法の効果の考察は、僕と委員長とかに任せておけばいいだろう。僕、短所を補うより、長所を伸ばす方が本人のためになると思うんだよね。

「じゃあ、最後は光らせるだけっぽい『光錬成陣』の確認、一応しておく?」

「いちいち人を煽らないと気が済まないようですね――」

 ささやかな煽りでも震えてくれる、実に煽り甲斐のある桜ちゃんの『光錬成陣』の効果は――

「ほらぁ! やっぱり光るだけじゃん!」

「こ、これはただ光っているだけではなく、光精霊ルクス・エレメンタルが宿っていてですね――」

「桜、落ち着いて。錬成の適性が低くてもいいじゃない」

 ともかく、微妙な性能なのもあるけれど、これで工房の生産性も向上できそうだ。

 ヤマタノオロチ攻略用の装備を整えるための、ひとまずの道筋も立ってきた気がする。

 桜ちゃんは隅っこの方で懐中電灯でも作っておいてよ。

第212話 修行の成果(1)

 さて、修行を始めて早三日。蒼真道場は今日も元気に門下生達の元気な掛け声が響いている。

「ぐはぁ、痛ってぇ!?」

「ぐ、うぉおお……化け物かよぉ……」

 乾いた荒野にゴロゴロと派手に転がされたのは、上田と中井のコンビ。

「えー、酷いなぁ」

 そして、二人まとめてブッ飛ばしたのは、我らが狂戦士メイちゃんである。

「ふはは、圧倒的ではないかメイちゃんは」

「うーん、あの二人も凄い早さで強くなっているんだけどなぁ……」

 蒼真流を習って僅か三日で、上田と中井はその腕前を上げたことを蒼真師匠は認めている。元から才能に溢れていた、というよりは大いに天職の補正があるからだろう。

 実際、他の門下生である山田や夏川さんなんかも、普通に実力を伸ばしている。

 ちなみに、今は二人はいない。

 山田は飼育委員として、無人島エリアでジャージャの世話をしに。

 夏川さんは新たなハチミツ探しの散策に出ている。

 修行も大事だけど、生活水準を維持するためのお仕事は必要だからね。

 ともかく、蒼真流の技を実戦レベルで身に着けつつあるみんなは、三日前より確実に強くなっている。

 だが、特にこれといって蒼真流の技を使っていないメイちゃんによって、あえなく転がされるところを目の当たりにすると、師匠としては複雑な気分であるようだ。

「やはり狂戦士の力は別格か」

「メイちゃんから技を引き出すほどにも達してない、って感じじゃないの?」

「ああ、それが恐ろしいところだ」

 伊達にメイちゃんも一緒に修行を受けていたワケではない。

 蒼真流の基礎というか、武術全般に通じるほどの基礎みたいなところから、みんなは教えを受けた。剣の握り方から、体の動かし方、呼吸の整え方まで、色々と。

 この辺の教えは、流石に長い歴史を重ねて研鑽されてきた技術だけある。今までは天職に頼って、自然のままに動いていたけれど、基礎を意識すると、それだけで動きのキレが増している。

 まだたったの三日だが、メイちゃんは今のところ蒼真師匠から教えられた技は全て習得できている。その上で、上田と中井の二人相手の組手で一つも技を使わなかったのは、そういうことなのだ。

「まぁ、双葉さんは元々強かったからな。彼女の強さは別格だとしても、他のみんなだって確実に強くなっている」

「うんうん、成果がすぐ目に見えて現れるのって、本当にいいことだよね」

「ああ、特に成長が著しいのは――」

「――双葉さん、お相手よろしくお願いします!」

「うん? いいよ」

 ジャージ姿で、専用に作った大剣サイズの木刀を構えもせずに持ったままのメイちゃん。彼女に相対するのは、通常の木刀だが、それを二刀携えた中嶋陽真である。

「中嶋との対決か、面白い」

「少しは勝負になりそうだね」

 蒼真君が門下生の中でイチオシの成長率を見せたのが、この『魔法剣士』中嶋である。

「おー、ちょっと剣崎っぽい」

「もう何年も続けたように、様になっている。凄い才能だ」

 地味に二刀流だった中嶋を見て、蒼真君が選んだのは自分の蒼真流ではなく、剣崎明日那の剣崎流剣術であった。

 蒼真流に負けず劣らず、なかなか有名だったという剣崎流。強くなるなら、どちらを習得しても間違いはない。あとは、個人の資質で向き不向きといった感じだろう。

 そして、蒼真君の見立て通り、中嶋陽真は剣崎流に向いていた。

「ハアっ!」

 鋭い掛け声と共に、俊足で間合いを詰める中嶋。

 一方のメイちゃんは、ロクな構えもとらず――けれど、気が付けば凄まじい早さで大剣木刀を横薙ぎに振るっていた。

 一拍遅れて、ヴォオオン! とか凄い音が聞こえてくる。これ、頭に当たったら即死級の威力だよね。

「ぐっ、ううっ!?」

 メイちゃんがただ無造作に振るった一撃を、中嶋は必死の形相で受ける。

 そう、受けたのだ。

「凄い、メイちゃんの一撃を真正面から受けきった!」

「あれは剣崎流の『重ね受け』か。まだ習ったばかりだろうに、見事なものだ」

 中嶋は二刀流を交差するようにして、メイちゃんの攻撃を凌いでみせた。ただ木刀を軌道に合わせて防いだだけではない。それだったらパワー負けして、上田や中井のようにあえなくふっとばされているところだ。

 恐らく、威力を受け流すような防御法なのだろう。

 太刀と小太刀の二刀流とかって、小太刀で防御するのが基本とか聞いたことある。二刀流といえば素早い連続攻撃というアクションゲームでお馴染みなイメージがあるけれど、現実的には意外と防御重視のスタイルなのかもしれない。

「でも、流石に防ぎきれなかったみたいだね」

「それを言うのは酷だろう。一撃、凌いでみせただけで大したものだ」

 本来なら『重ね受け』とかいう剣崎流のガード技で相手の攻撃を凌いでから、反撃に転じる流れなのだろう。

 しかし、中嶋は木刀を交差させた体勢を維持しているだけで精一杯といった様子。メイちゃんの一撃を見事に防ぎきることには成功しているが、とても反撃に映れるような状態ではなさそうだった。

「くっ」

 一拍の隙を晒してから、中嶋は慌てて歩を引いた。

 その間に、メイちゃんなら追撃を加えて楽にブッ飛ばせただろうけれど、あえて見逃したようだ。   まぁ、これは実戦じゃなくて組手だし。なるべく相手の力を引き出してあげる方が、お互いのためになるだろう。

「桁違いのパワーだ……これが『狂戦士』の力なのか」

「凄いね、中嶋君。まさか受け止められるとは思わなかったよ」

「はは、少しは修行の成果が出せたかな」

「次は、もう少し強めで行くね」

 などと気軽に言いながら、メイちゃんはゆっくりと、木刀を上段に振り上げた。

「双葉さんが構えた」

「中嶋君、大丈夫かな。受け損ねたら死ぬよ」

 その危険性は、狂戦士と相対している彼自身が一番分かっているようだ。

 片腕ながらも、確かに剣を振り上げたメイちゃんを見て、一瞬、中嶋の表情は青ざめていた。

「だが、ヤル気だ」

「みたいだね」

 死の危険を意識した、明らかな怯えの表情。だが、次の瞬間には覚悟を決めた、剣士の眼を中嶋はしていた。

「どう攻めるつもりなんだろう」

「流石に、もう一度受けようとはしないはずだ。恐らく、上段振り下ろしを回避してから、一撃を叩きこむつもりだろう」

 剣を真っ直ぐ上に振り上げる上段の構えは、そのまま剣を振り下ろす以外に攻撃方法はない。相手の次の手が分かり切っている以上、相手にとっては読みやすい構えでもある。

 しかし、剣を振り上げた者にとっては、必殺の意思を込めた構えだ。絶対に初太刀で仕留める、って薩摩の示現流だっけ? 薩摩隼人ってリアルで狂戦士らしいし。

「ふぅ……フッ!」

 僅かな睨み合いの中、鋭い呼気と共に中嶋が動く。

 素早い踏み込み。残像すら見えるほどだ。

 対して、メイちゃんの一撃はすでに振り下ろされている。

「ッ!?」

 避けた!

 真っ直ぐ振り下ろされたメイちゃんの木刀は、ただ虚空を切るのみ。

 中嶋は――体が大きく傾き、体勢が崩れながらも、確かに一撃を避けきっていた。

 すでに攻撃を振り切ったメイちゃん。対して、中嶋は体が傾きながらも、ちょうど剣を振りかぶった状態でいる。

 中嶋が勢いのまま倒れ込むよりも前に、メイちゃんの体へ二連撃を叩きこむのは十分に間に合うだろう。

 中嶋、勝った!?

「ぐわぁああーっ!」

 次の瞬間、中嶋はぶっ飛んだ。

 というか、地面が爆ぜていた。

「蒼真流って、剣を地面に叩きつけて衝撃波を出す技とかあるんだ」

「そんな技はない……ないのだが、天職の力はそれも可能にするからなぁ」

 参った、といったような表情の蒼真師匠である。

 僕も、まさかメイちゃんが振り下ろした木刀が地面を叩いた衝撃で、中嶋を吹っ飛ばすとは思わなかった。

「衝撃波を出す武技とかあったよね」

「いや、彼女は武技を使っていない。ただのパワーだけで、アレを発生させたんだ」

 力技も極まると、立派なものだ。

 多分、メイちゃんは初めから中嶋に剣を当てる気はなかったんだろう。衝撃波だけで、男子一人分の体重を吹き飛ばせると思ったから、ただ思い切り地面に叩きつけたのだ。回避するとか、そういう相手の動きは関係なかったのだ。

「く、うぅ……参った、俺の負けだよ」

「えーと、ありがとうございました?」

 一応、組手を終えた礼をして、メイちゃんが僕らの方へ戻ってくる。

「小太郎くん、勝ったよー」

「うーん、やっぱ実力差がありすぎると、あんまり練習にならないね」

「ええぇー、そんなぁ、私頑張ったのに」

 メイちゃんは強いし頑張ったのも認めるけれど、優先されるのはどっちかというと他のみんなの実力向上だから。

 しかしながら、ヤバい怪我もなかったので、これはこれで良い経験になったかもしれない。

 僕としては、中嶋の意外な才能開花も喜ばしいことだが、剣崎の指導力もなかなかのものじゃないかと見なおしたり。

 元々、剣崎は蒼真君と同じくらい長く剣術やってるワケだし、後輩に剣を教えることも慣れているのだろう。

 見れば、組手を終えた中嶋の元に剣崎がやって来て、その健闘を讃えるように肩を叩いている。僕にはゴミを見るような目を向けていたけれど、今の剣崎は純粋に弟子の成長を見守る師匠の目をしている。ああしていると、本当に凛々しい美少女なんだよね。

 だからといって、そうあからさまに頬を赤らめて意識しまくってるのは、どうなんだろうね中嶋君。恋愛禁止だよ? 君は姫野さん相手で満足しておくべきなんじゃないのかな。

「小太郎くーん」

「あー、分かったよ、メイちゃん強くて僕嬉しいよー」

 構って欲しかったのか、中嶋の方を注視していた僕をゆさゆさしてくる。なんだろう、この大型犬に物凄いじゃれつかれているような感覚。

「それじゃあ、僕もそろそろ組手しようかな」

「俺が相手をしようか?」

「組手で殺意ぶつけるような人はちょっと」

 昨日、試しに一回やってみたら、一撃で『双影ふたつかげ』が消滅したよね。

「済まないな、まだ自分の心を完全に御することはできないようだ」

「言う割に反省の色は見られないんですけどー?」

 蒼真流の極意的には、怒りや憎しみなどに心を囚われず、常に冷静でいることをよしとするらしいが、流石の蒼真君でも無理っぽい。レイナ殺しの罪は重い。

 それでも、表向きには割と普通に会話できるようになっただけ、随分と関係が改善されたのではないかと思う。

「お、桃川がやんのか? じゃあ俺が相手んなってやるぜ」

「上田君か。ふふん、いいよ」

 メイちゃんにボロ負けしていた剣士上田だが、早くも復活を果たしている。今度は楽勝で勝てる相手と思って、勇んで参戦を表明した。

「流石に桃川にゃ負けねーぞ」

「それはどうかな」

 と、僕は両手に握った小太刀を構える。この蒼真道場で、僕だけが小太刀二刀流のスタイルを許されている。

 だが、これは二刀流であって、二刀流にあらず。

 そう、この小太刀は『黒髪縛り』で操るのに、最も適したサイズの武器なのだ。

「桃川飛刀流の力、見せてやる!」




『呪術師』桃川と『剣士』上田の組手を、離れた位置からぼんやりと中嶋陽真は眺めていた。

「桃川君は、変わった技を使うよね。なんか、鎖鎌みたいな感じ?」

「器用に動かすことはできるようだが、大道芸と大差はないな。あまりに単調な攻撃だ。上田もそろそろ見切る頃だろう」

 と、鋭い返答をするのは、中嶋の師匠となっている剣崎明日那である。

 隣に立つ彼女の姿は、惚れ惚れするほどに凛々しい。切れ長の涼やかな目は、桃川と上田の組手を真っ直ぐに見つめ、そして正確に分析している。

 事実、黒い触手で振り回される二本の小太刀を前に、上田は一気に前へ出る。

 桃川の攻撃を見切った。迫りくる小太刀を弾き、避け、あっという間に間合いを詰めた。

「あっ!?」

 という間の抜けた声と共に、桃川は上田の一撃によって地面へと転がった。勝負アリ。

「凄い、剣崎さん。本当にその通りになった」

 上田が勝つ、という結果は中嶋にも分かり切っていた。だが、どのタイミングで上田が攻撃を見切って仕掛けるか、ということまでは分からない。

「こういう観察眼も経験がモノを言うからな。しかし中嶋、お前には才能がある。これくらいなら、すぐに分かるようになるだろう」

「そ、そうだといいんだけど」

 照れ隠しのような――いいや、事実、中嶋は照れてしまう。

 剣の才能がある、と褒められることではない。

 剣崎明日那という美少女に、そこまで言ってもらえることに、どうしようもなく頬が紅潮してしまう。

 自分とて、青臭い童貞ではなくなったつもりだったのだが……姫野愛莉と剣崎明日那とでは、同じ女でもあまりに格が違いすぎる。残酷なまでに、美しさ、というのは人の心に与える影響が大きい。大きすぎる。

「ハァ……」

 などと、わざとらしいほどの溜息を吐きながら、ドキドキしてくる胸を落ち着かせる。

「どうした、中嶋?」

「い、いやっ、別に何でも――それより、もう十分に休めたから、また稽古をつけてもらいたいんだけど!」

「あの双葉を相手にしたのだ、無理はするな」

 やや明日那の顔に陰りが見えるように感じるのは、気のせいではないだろう。

 双葉芽衣子と剣崎明日那の決闘騒動のことは、中嶋も話は聞いている。『狂戦士』の力を前に惨敗を喫した明日那は、それ以来、彼女に対するトラウマを負っているらしい、とも。

 もっとも、当時その場にいなかった部外者の中嶋からすると、こうして話を聞いてもあまり実感はできない。

 芽衣子は別人かと思うほど痩せて爆乳美女と化したが、その温和な雰囲気はクラスで見かけた時とそう変わりはない。いつもにこやかだし、彼女の作る料理は最高だ。『狂戦士』の凄まじい力を理解はできるものの、彼女の凶暴な姿は想像できない。

 明日那に対しては、さらに思うところは大きい。

 天職『双剣士』として、いや、それ以上に剣崎流の剣士として、彼女の強さを実感している。傍から見ているだけでは分からない。師匠として、教えを乞う立場になっているからこそ、より正確にその強さを体感できるのだ。

 強さだけではない。明日那の語る言葉の一つ一つが、強い覚悟と信念に基づいていると感じられる。

 そんな彼女と、トラウマを負うという弱々しい姿が、あまり結びつかない。

 しかしながら、双葉芽衣子とは明らかに距離を置いていること、彼女とは絶対に組手をしないこと、などなど、明日那が自ら避けているのは紛れもない事実であった。

「俺は全然、大丈夫だよ。怪我しているワケでもないし」

 怪我はしていないが、あまり大丈夫ではなかった。

 最初に『重ね受け』で芽衣子の一撃を止めた時、両腕が痺れた。剣を手離さなかったのは奇跡に近い。

 こうして話している最中に、ようやくその痺れも抜けてきたところである。

「俺はもっと強くならないといけないから。剣崎さんには、まだまだ教えてもらわないといけないことが沢山ありそうだし、これくらいで休んでなんていらないよ」

「そうか……そうだな」

 ここまで熱意のあることを言われては、師匠として止めるワケにもいくまい。明日那は快く頷いた。

「双葉に負けたあの時から、私の心には迷いが生まれた。けれど、お前に剣を教えることで、初心というものを思い出せた気がする。ありがとう」

「えっ、いや、そんな、礼を言うのは俺の方だし!?」

「ひたむきに剣崎流を学んでくれる、お前の姿にも救われるところがあるんだ」

 不意に聞かされた、彼女の本心のような言葉に、中嶋の鼓動は跳ね上がる。

 何より、まっすぐ自分を見つめて微笑んでくれる明日那は、あまりにも綺麗で――

「……ハァ、これ完全に惚れてるよ」

 その日の夜、ベッドの中で中嶋はしみじみと呟いてしまう。

 男子寮と称される、学園塔3階には各自の個室が与えられている。プライベートが保たれる個室の存在は、思った以上に心が休まるものだと、使い始めてすぐに実感したものだ。

 愛莉とアレする機会は失われてしまったが、今はそれで良かったと思える。

 寝ても覚めても、中嶋の頭に浮かび上がるのは明日那のことばかりである。

 意識している、と言われれば、そんなのは最初からだ。あんな美少女がマンツーマンで自分の剣術指導についてくれているのだ。この状況となっただけで、桃川小太郎には絶大な感謝の気持ちである。

 勿論、修行を始めてからは浮ついた心を引き締め、真剣に取り組んだ。師匠役たる明日那を前にすれば、心身ともに自然と引き締まるというもの。

 その的確な指導で、中嶋は目に見えて強くなった。たった三日の修行でこれだ。才能だと褒めてはくれるが、これが天職『魔法剣士』の力なのだと実感する。

 それでも、強くなれることは、修行をする身としては何よりも大きな励みになる。剣について、戦いについて、中嶋の意識は随分と変わった。

 それほど真剣に修行に打ち込んでいるにも関わらず、不意に見せる明日那の美しさと色気は、大いに心を惑わせてくれる。

 基本的にジャージを着こんでいるので露出こそないが、彼女の玉の肌に浮かぶ汗、艶やかな長い黒髪が振り乱されて漂う香り。愛莉とのだらしない経験程度では、とても抗いきれない魅力ばかりである。それでいて、明日那自身は大して自分が綺麗な女であることを自覚しているような節がない。

 剣崎流の弟子、という立場になったからか、彼女が接して来る距離感も随分と近いように思える。こんな風にされて、好きにならないはずがない。

「恋愛禁止、か……この方が良かったかも」

 桃川が打ち出した、共同生活を送る上での規則は、理性の面で感情を抑えるのに役立ってくれた。このお題目がなければ、いつトチ狂って告白するか自分でも分からない。

「今はとにかく、強くなって、ヤマタノオロチに勝って、ここを脱出するしかない」

 全てはそれからだ。この忌々しいダンジョンを脱することができれば、この気持ちと向き合うこともできるだろう。

 だから、それまでは明日那に自分の気持ちを悟られないよう、努力をしよう――そんなことを思いながら、いよいよ眠りの世界へと落ちようかと時だった。

「ん……?」

 誰かの気配を感じた。

 剣崎流の修行を受けて、剣だけでなく、こういった気配察知も鋭くなっている。

 この部屋のすぐ外に、誰かがいる。

 トイレにでも起きた奴がいるのだろう。最終的に桃川が作ったトイレは、全員の人数分におよび、清掃管理は個々人の担当ということになっている。なので、用を足す場合は男子トイレにまで向かわなければならない。

「違う、男子じゃない」

 これは女子だ。気配だけでも、そう確信できる。

 ここは男子寮であり、女人禁制の男の園。非常時ならばいざ知らず、こんな夜中に女子が一人でこっそりと足を踏み入れて良い場所ではない。

「もしかして……愛莉か」

 彼女なら、意中の相手を狙って夜這いを仕掛けて来てもおかしくない。

 蒼真か天道か、あるいはもっと取り入りやすいところを狙ってくるか。どちらにせよ、良い予感はしない。

 最早、彼女が誰と寝ようがさして気にもならないが、その尻軽な行為によって今の共同生活で問題が発生するのは避けたい。

 今なら、自分がこっそり注意して事を収めることができるかもしれない。

 そんな気持ちで、中嶋は静かに自室の扉を開き、外の廊下を歩く不埒な女子の姿を確認した。

「――っ!?」

 そこにいたのは、姫野愛莉ではなく、剣崎明日那。

 薄暗闇でも見えた、扇情的なまでに薄着の寝間着姿の彼女は、蒼真悠斗の部屋へと入って行った。

第213話 修行の成果(2)

「くっそぉ……『剣士』の天職は伊達じゃないか……」

 僕は負けた。それはもう、ボッコボコに。ちょっと恨みとか籠ってない? 上田にはこれといって酷いことした覚えはないんだけどなぁ。

 分身の僕は、十全に『黒髪縛り』の飛刀を操作することができる。広い間合いを生かして、ゴーマ相手には楽勝できるんだけど、やっぱり天職『剣士』を相手にすると、回避も防御も余裕、みたいな感じ? 完全に見切られている、ってああいうことを言うのだろう。

「剣じゃあ前衛職とは越えられない壁があるってことか」

 もし僕が本気で剣を使って上田に勝とうと思ったら、正攻法ではまず無理だ。毒を盛るとか、罠を張るとか、あとはレム全機出撃でフルボッコとか。

 そうなると、完全に呪術師の戦い方だしね。剣を使う意味はない。

「どうせ僕に剣の才能はないし、ほどほどにしておくか」

 さて、あまり実りのない剣術修行の一方で、本体の僕はエントランス工房に陣取って、今日も作業と研究の日々である。僕としては、こっちが本業。

「姫野さん、手が止まってるよ、なにやってんの!」

「ご、ごめんなさい……ちょっと、手が痛くなってきて……」

「手が痛いのはやり方が悪いんだよ。ちゃんと自分で痛くないやり方を模索しながらやらないとダメじゃないか」

「で、でもぉ……」

「はい、これ傷薬つけたら、すぐ作業に戻って」

 新社員の中で唯一、普通の『簡易錬成陣』を習得できた姫野さんには、レム達が砂漠エリアから採掘してきた光石の原石を、簡単な選別と分離錬成の作業を任せている。

 分離錬成とはいうものの、実際は原石にくっついている邪魔な石や砂を取り除くだけの簡単なものである。成分そのものを直接操る真似は簡易錬成ではできないが、目で見て分かるほど違う物質があるならば、それを変形、分離、させることは十分に可能である。

 そして、『賢者』小鳥遊だけが使える上位の錬成にかける前に、こうしてできる限り不純物を取り除いておく方が、効率化と品質向上につながるのだ。なので姫野さんの仕事は、大事な下ごしらえといったところ。

 さて、次は劣化ポーション再生プロジェクトに取り組んでいる下川君の様子を見てみよう。

「下川くーん、調子はどうー?」

「げっ、桃川……」

 僕が見に来ると途端に嫌そうな顔するのはなんでかな? そんなに後ろめたいことがあるのかなー、んー?

「俺の方は順調に進んでるから、気にしないでいいべ」

「そっかなー? その配合って、昨日も同じでやってなかった?」

「えっ!?」

 下川君、嘘を吐く時は覚悟をもって最後まで貫き通さないとダメじゃあないか。

 まぁ、僕は本当に試作の原材料と配合比率を覚えているから、どう足掻いても誤魔化し切れないんだけどね。

「ちゃんと違う配合で試さないと意味ないよね?」

「い、いや、でもよぉ、正確に成分を比較したりすんのって、スゲー集中力使うからめっちゃ疲れるんだよ。何時間も連続でなんてできねーって」

「確かに、錬成は結構、集中力を酷使するからね」

「だろぉ!」

「だから連続で行使しないで、間の時間に実験結果のレポートをまとめてくれないと。それなりに実験回数やってるんだからさぁ」

 劣化ポーション再生の鍵は、魔力と薬草にあると思っている。

 ポーションはそもそも魔法の回復薬である。魔法の効果を発生させるならば、それ相応の魔力が含まれていなければいけない。

 そして劣化ポーションには本物ポーションに比べ、著しく含有魔力量が低下している、という試験結果を『賢者』小鳥遊から得ている。

 しかし、だからといってただ魔力を込めれば、良いというものでもない。

 今やすっかり万能保管庫と化している宝箱であるが、アレの開閉は魔力で行われている。それと同じような感覚で、劣化ポーションに魔力を流せるか、と問われれば否である。

 宝箱は元々、魔力が流れる仕組みがついているから、作動するよう出来ているのだ。一方の劣化ポーションは、ただ魔力が失われた物質そのもの。

 ただのモノに魔力を与えるには、蒼真桜の『光の守り手ホーリーエンチャント』のように、いわゆる一つの付与魔法でなければいけない。特定の物質に魔力を付与しようと思えば、それに適した付与魔法を使うしかないワケだ。

 劣化ポーションへの魔力付与方法の模索と同時に、薬草も配合しなければいけない。

 これも本物ポーションとの比較検証だが、魔力以外にも、明確に何かしらの成分が劣化ポーションには欠けていることが判明している。これは下川の『水分錬成陣』にかけて分かったことだ。

 この欠けた成分がどういうモノなのか具体的には分からない。正確な物質名やらが分かったとしても、あまり意味はないが。

 しかしながら、そもそも傷を治す薬なのだから、そこに含まれるのは何かしらの薬効成分であろう。そして、現状そういった効果を得られる他のモノといえば、薬草しか存在しない。

 候補となるのは、信頼と実績の傷薬Aの原材料である、ニセタンポポと妖精胡桃の葉、それから花壇の白い花だ。

 他にも、マンドラゴラやその他の野草を用意しては、それぞれ単体、または複合させて劣化ポーションに水分錬成で組み込む。

 そうやって、とりあえず用意できるだけの薬草を総当たりで組み込み、本物ポーションに成分を近づけるよう試すのだ。

 だから、昨日と同じ組み合わせのモノを水分錬成しても、意味は全くないわけだよね。

「他に試してない組み合わせは? 実験結果はちゃんとまとめてる? ちょっと見せてみてよ」

「……ごめんなさい」

「下川君、仕事はさぁ、ただやってればいいってもんじゃないからね? 特に今やってるのは研究なんだから、結果が出なかったら何の意味もないんだよ」

「はい、その通りです、反省してます」

「昼までに、今日の実験結果のレポートまとめておいてね」

「えっ、昼ってもうすぐじゃ……」

「終わってから食べてね。メイちゃんには言っておくから」

「そん、な……」

 まったく、君一人分だけ昼食を遅らせて用意するなんて、我らが支配者たる給食係に余計な手間をかけさせてしまうじゃあないか。反省してよね。

 でもまぁ、全体的に見れば下川の研究は進んでいる方だ。

 そもそも、劣化ポーションを完全に本物に戻すのは無理である。けれど、普通に傷薬として使えるレベルにまで持っていくことは出来そうな感じ。

 僕としては、最終的な回復効果が傷薬Aより劣ってもいいから、即効性の治癒力が再現できれば、このプロジェクトは十分に成功だと思っている。

 きっと、あともう少しだから、頑張れ下川。顔が死んでるけど、倒れるなら研究を完成させた後にしてね。

「桃川ぁー」

「あ、蘭堂さん」

 次の部署の様子を、と思ったところで蘭堂さんに呼び止められた。

「暇なんだけどー」

 と、魔物素材として用意されていたフカフカの白い毛皮の上に、だらしなく寝そべりながら言う。

 制服だったらパンモロアングルだったのに、工房に来る時は作業着代わりのジャージ姿である。残念。でもジャージ着てても魅惑のボディラインが浮かんでいるのは流石だよね。

「すみません、もう少しで材料が入荷すると思うので……」

「早くしてよねー」

「はい、申し訳ございません。今業者に連絡して、配送を急がせますので」

「まぁ、ゆっくりでいいけどねー」

 どっちだよ、と思うが、彼女が暇を持て余しているのは僕の落ち度なので、平身低頭、謝るより他はない。

 蘭堂さんのお仕事は勿論、『鉄鉱錬成陣』を用いての光鉄の精製である。

 装備を作る上で、上質な素材というのは最も重要な条件の一つだ。身を守るプレート一枚作るにしても、ただの鉄と魔力が宿った光鉄では、間違いなく後者の方が強力だ。勿論、魔法の効果を宿す装備を作るならば、魔力のある光鉄素材は必須となる。

 だから蘭堂さんの元には、ゴーヴや狼男などの人型モンスターから鹵獲できる金属製の武器と、採掘される光石の一部を運ばせている。

 だが、蘭堂さんはちょうど光石を使い切ってしまったようだ。

 彼女の傍らには、これから加工待ちとなる、光鉄素材が山積みされている。

「蘭堂さんの作業スピードだけ明らかに早いんだよね」

「そう? 別に普通じゃない?」

 これが普通だとすれば、小鳥遊は働いていないことになるね。

「ごめん、何か他の作業も考えとく」

「じゃあ何かあったら呼んでー」

 気だるげな返事に、僕は少しばかりの敗北感を覚える。僕としたことが、人材を持て余すとは。

 いっそのこと、蘭堂さんに装備の製造までやってもらうか?

 いや、あれでいて不器用だから、実際に装備を作るとなると苦戦するに違いない。もっとこう、彼女に向いた作業があるはずだ。

 とりあえず、今後の課題ということで。

「委員長の方はどう?」

「そうね、三日もあればおおよその性能把握は済んだわ」

 姫野、下川、と違って堂々たるお答えだ。やっぱり真面目にやることやっている人は、仕事の進捗状況をいきなり上司に聞かれても動揺しないのだ。

「恐らく、今の私では、というより『氷結錬成陣』では、このサイズと密度の氷結晶が限界ね」

「うーん、やっぱりコレ、見れば見るほど魔力の結晶って感じがして、いいよね」

 委員長が差し出すのは、掌サイズの透き通った結晶体。

 氷のように無色透明で透き通っているが、淡い水色の光をボンヤリと放っている。

 錬成陣で作ったお蔭か、立派な宝石のようにカットは整っており、見た目は完全に光り輝く水晶だ。

『氷結晶』と、名付けた氷属性魔力の結晶体である。

「それで、これの使い道は何か思いついたかしら?」

「今のところ、まだなんとも。もう少し実験もしてみてからかなー」

 最初はただモノを凍らせるだけの『氷結錬成陣』だと思われたが、真の能力はこの氷結晶を作り出すことだと思われる。

 氷属性の光石を集めて錬成させると、コレが出来た。

 元の光石よりも高い魔力量なのは当然としても、小鳥遊が錬成するよりも、さらに高密度の魔力結晶となっていることが判明している。

 やはりその属性に特化した者が作れば、その品質は『賢者』を越えるほどになるようだ。

 そんなワケで、氷魔術士の面目躍如とでも言うように氷結晶を作れるようになったのだが、これといった凄い使い道が思いつかないのだ。

 氷結晶から魔力を上手に取り出せるのは、製作者である委員長のみ。僕がコイツを握りしめて『氷矢アイズ・サギタ』と叫んだところで、氷魔法が発動するワケでもない。ただ持っているだけで誰にでも氷魔法の力を与える万能アイテムではないのだ。

 しかし、これだけ高品質の魔力結晶だ。氷属性装備の材料以外にも、何かしら使い道がある、と思いたい。

 というか、もしかしなくても下川の『水分錬成陣』では水属性の結晶が、桜の『光錬成陣』では光属性の結晶が作れるのではないだろうか。二人の当面の作業が終わり次第、検証したいと思う。

「それじゃあ、私はこれから氷結晶の使い方の模索が仕事ね」

「いやぁ、それよりも、やっぱり委員長には社員の監督をして欲しいな」

「社員って」

「作業員でも従業員でもいいけど、今やこのエントランスは立派な工房だよ」

「確かに、それらしくはなっているけれど」

 作業の振り分けをした結果、すでに部署と呼べるくらい各自の作業は分担されている。

 それでは、僕のエントランス工房に務めるイカれたメンバーを紹介するぜ!

『賢者』小鳥遊小鳥。装備の作成全般を担当する、創業当時からの最古参であり、最も高い錬成能力を持つが、本人のヤル気が致命的なために最も頼りにならないクソ賢者だ。

『治癒術士』姫野愛莉。『簡易錬成陣』しか使えないが、原石の初期加工だけでも十分な働きぶりである。

 でも出来ればもっと使い倒す、もとい、色んな仕事を覚えていってもらいたい、成長性のある期待の新入社員である。

『水魔術士』下川淳之介。男はいいね、遠慮なく文句も言えるし。女子相手は気を遣うから。サボり癖があるから適度に叩かないといけないけど、『水分錬成陣』の効果は唯一無二。ポーションの実用化は君にかかっているぞ。

『土魔術士』蘭堂杏子。あまりヤル気はない態度だけど、与えた仕事は完璧かつ最速でこなす。控えめに言って天才なのでは?

 日本企業ではデキる社員でも無能社員と同等の扱いを受け、作業量3倍の仕事ぶりでも給料は同額、などという異常事態が発生していると聞いたことがある。

 我が社ではそんなこと勿論ありません。仕事が早く終わったなら、その分、ダラけてくれて構わない。強いて問題点といえば、僕に払える給料が特にないこと。ボーナスとか、何か用意しておいた方がいいかもしれない……

『氷魔術士』如月涼子。『氷結錬成陣』はまだ活かせる状況にないが、今後の展開次第では重要部署になるかもしれない。それよりも、今は4人いる作業員の監督をして、より効率的な工房経営をできたらいいなと思っている。僕だって、いつも全員を見られるワケじゃないからね。

『聖女』蒼真桜。ああ、そんな人もいたねぇ……一応、『光錬成陣』を元に照明具の開発を任せている。ヤマタノオロチを倒すための本体コアは、岩山の中、恐らくは巨大な空洞になっているので、直接乗り込んで攻撃する際には、照明具は必要となるだろう。

 まぁ、現地で桜が適当に光精霊を飛ばせばそれで十分といえば、十分なんだけど。

 重要度はそれほどでもない上に、顔を合わせれば険悪なので、自然と避けがちに。なので、この辺も委員長に丸投げしたいところだ。

 それから、僕の忠実なシモベたる泥人形レム達は、リアルで重労働な光石採掘という仕事を担ってもらっている。

 現在は蒼真道場があるので、魔物素材調達の探索部隊は稼働していない。なので、黒騎士、アラクネ、アルファ、ミノ、とメイン機体を全てつぎ込める。オマケでスケルトンとハイゾンビも同行させてやれば、それなりの人数になる。レム達のお蔭で、僕らは学園塔にいながら、光石を調達できるのだ。

 そして僕こと『呪術師』桃川小太郎は、工房の経営方針を決める社長の座についていると自称している。

 どんな装備を作るのか、何を優先して作るのか。材料の調達方法とその要請。ほとんど僕が一人で決めているし、その上で『簡易錬成陣』で出来ることは何でもやっている。

 別にワンマンでいるつもりはないけれど、特に誰も意見を出さないから。合議制ってのは、それぞれ有用な意見を持っているからこそ、議論を交わして最善を導き出せるのだ。誰も意見がないのなら手間がかかるだけ無駄になる。ウチは無駄な会議はしない主義です。

 そんな感じで、学園塔エントランスでの装備生産は進めている。

 まだまだヤマタノオロチに対抗できる決定的な武装などは全くできていないけれど……でも、出来ることが増えて来て、少しずつ可能性は見えてきた気がする。僕としても、コレができたらいいな、というアイデアもちょっとずつ固まってきている。

 実現にはまだほど遠いけれど、後はもう天職の力を信じるしかない。

「一応、順調と考えていいのかな」

 まだ手詰まり感はない。ヤマタノオロチ攻略は遠いが、みんなの士気もそれなりで、それぞれに出来ることをやってもらっている。

 そもそも、まだ一つもこれといって大きな揉め事が発生していないだけで、素晴らしいことだろう。

 なんだかんだ、ダンジョン生活という色々と抑圧されまくる環境をみんな潜り抜けてきたってのもあるだろうし、天職持ちとしての精神的な補正効果もあるのかもしれない。勿論、日本人的な気質が良い方に働いて、それぞれ配慮して上手く共同生活できている部分もあるだろう。

 割と奇跡的に上手くいくよう、噛み合った感じだよね。

 このまま安定した生活環境が続けばいいな――などと思ってしまったことが、フラグだったのか。

 その日の夕方、問題は起こった。

「おい、剣崎が蒼真とヤったって本当だべか!?」

 勘弁してくれよぉ、下川……


第214話 恋愛校則違反

「はい、それではこれから、学級会をはじめたいと思いまーす」

 学級会、開かずにはいられない!

 ぶっちゃけ、僕はもう夕飯を食べ終わった満腹感と共にさっさと寝たいのだが、とうとう問題が発生してしまった以上、早急に学級会を開かねばならないのだ。

「えーと、委員長、準備はいい?」

「ごめんなさい、もうちょっと待って……」

 流石の委員長も頭を抱えている。顔色もあまりよろしくない。

 気持ちはわかるよ。僕も大体同じ気持ちだし――そう、関わりたくねぇ、面倒くせぇよクソが、という心境である。

 こういう時、問題解決に率先して取り組まなければならない委員長っていう立場って、辛いものがあるんだね。今、僕は委員長のなんたるかをまた一つ学び取ったような気がするよ。僕はまだ登り始めたばかりなんだ、この委員長坂をよぉ……

「おい桃川、なに遠い目をしてんだべ。さっさと始めろよ」

 うるせーこのヤロー、誰のせいでこうなったと思ってやがる。剣崎のせいなんだけどさ。

「それじゃあ、みんな揃ったことだし、まずは状況説明から」

 呼ばれて今ここに来た人とかもいるからね。全員に説明はしないと。

 ちなみに、全員といっても天道君はいない。

「くだらねぇ痴話喧嘩に付き合う気はねぇ。俺は寝るぞ」

 と言って、学級会への参加を拒否。

 天道君、君はこのクラスで一番、賢明な判断を下したよ。

「今回の学級会は、初の校則違反者が出たとの告発があったので、開催した次第であります」

「要するになんなのよー?」

「昨晩、剣崎明日那が蒼真悠斗に夜這いをしたそうで」

「えっ、マジで!?」

「ふーん、やっぱ蒼真もヤルことヤってんだ」

「つーか剣崎の方からとか、ヤバくね?」

 今、初めて事情を聞いた蘭堂さん達とか、実に面白そうな顔をしている。やっぱギャルはそういう話題大好きなの?

 まぁ、素直な好奇心だけの感情しかない蘭堂ギャルズは、この中では一番マシな反応だ。なにせ、ちょっとしたお喋りの種になるくらいで、さして大きな関心はないからだ。

 問題なのは……

「嘘ですそんなこと! 一体、何の証拠があって――」

「はーい、静粛にー」

 事実確認はこれからやっていくから、そう焦らないでよ桜ちゃん。

「今回の件は、目撃者があって発覚したことよ。詳しく話してくれるわね、中嶋君」

 おっと、委員長がようやく起動してくれた。

 面倒だから後は議事進行から判決まで丸投げで、と思ったけど、頭痛薬のCMに出れそうな表情をしているので、やっぱり最後までフォローしないとダメかな。

「え、えーと、俺が昨日の夜に、トイレに行こうとした時なんだけど――」

 と、事の発端である目撃証言を、中嶋陽真は語る。

 もっとも、その内容は一言で済むものなのだが。

「剣崎さんが、蒼真君の部屋に入るのを見たんだ」

 はい、ギルティー。

 剣崎明日那被告は恋愛校則違反として永久追放刑に処す。以上、閉廷――と、スピード判決できたら楽なんだけどな。

「夜中に男の部屋に忍び込むなら夜這い以外にねーべ!」

「蒼真このヤロー、一人だけいい思いしやがって!」

「テメーそれでも風紀委員かよーっ!」

「ゲスな勘繰りはやめなさい! 揃いも揃って下劣な野次を飛ばすなど、恥を知りなさい!」

「明日那ちゃんは何も悪いことしてないよ! 酷いこと言わないで!」

 そりゃあ文句も叫びたくなるよね、上中下トリオ。そして、ここまで言われれば桜のみならず、小鳥遊でも声を上げるほど。そういえば、二人は親友なんだっけ。

「静粛にー」

 どっちの気持ちも立場も分かるけど、君らの言い合いは時間の無駄だからさっさと打ち切って。場合によっては、審議の邪魔だとして強制退場もやむなしだよ。桜ちゃんから順番ね。

「まだ中嶋君が証言の途中なので、遮るような真似はしないようにね」

 とは言え、これ以上はあまり聞くこともないのだけど。一応、詳しく聞き取りの真似事だけでもしておこうか。

「詳しい時刻は覚えてる?」

「いや、時間までは。でも、みんなが部屋に戻った就寝時間から、一時間以上は経過していたのは間違いないと思う」

 確実に他の男子が寝静まるのを待っていた、と捉えるには十分な時間だ。

 少なくとも、ちょっと言い忘れたことがあって、などという些細な理由は成立しない時間帯である。

「それは間違いなく剣崎さんだった? 他の男子と見間違えた可能性はない?」

「あそこの通路は薄明りだけど、女子と男子を見間違えるほど暗くはないから。姿もはっきりと見たよ」

「どんな格好だった?」

「えっと……寝巻だと思うけど、かなり薄着だったよ」

 ゴクリ、と唾を飲んだのは、まぁ、上中下トリオか山田だろう。

「剣崎さんが入ったのは、蒼真君の部屋で間違いない?」

「角の部屋だから、これも見間違いはないよ」

 ですよねー。もし違う部屋に入ってたら、その場で大騒ぎだったでしょ。

 もしもまかり間違って僕の部屋に剣崎が入ろうものなら、「暗殺だ!」と叫んでは護衛のレム達が襲い掛かると同時に、5秒後にはメイちゃんが鬼の形相で駆けつけてくれただろう。

 いざって時のために、メイちゃんにもレムをつけているんだよね。小さいテントウムシみたいなヤツを。僕のピンチを知らせる用である。

「中嶋君の立場からすると、明確な校則違反だと声をあげるのは当然のことだよね。ありがとう、よく証言してくれた」

「い、いや、俺は別にこんな大事にするつもりはなくて……」

「当たり前だべ、こんなの聞いて黙っていられるワケねーべや!」

「最初に下川君に話したんだ?」

「ちょっと、どうしようか相談しようと思って、それで」

 こんなの下川に言ったら速攻で言いふらすって分かるだろうに。多少の付き合いはあるんだからさぁ。

 いや、下川のこと分かっているからこそだろうか? だとすると……

「それじゃあ、次は本人に事実確認と行こうか」

 と、僕は割と冷めた目で、剣崎明日那を見る。

「……」

 顔面蒼白で震えているのは、僕に睨まれているから? それとも、クラスのみんなから好奇か軽蔑の視線を向けられているから?

 違うね、きっと彼女が今でも心底恐れているのは、双葉芽衣子による処刑だろう。

 校則違反があった場合、どのような罰則を下すか決めていない。つまり、僕が一言メイちゃんに命じて、鞭打ちでも棒叩きでも、刑罰を食らわせることができるのだ。

 まぁ、事はそう簡単にはいかないだろうけど、明日那の女郎がビビるのも当然な状況下ではある。

「明日那、どうなの。何か異論はあるかしら」

「……」

「ふーん、黙秘権を行使するってことは、それなりに煽られる覚悟もあるのかな」

「桃川君、今はやめて」

 しょうがないなぁ。日頃の恨みも込めて、こういう時に発散しようと思ったんだけど、やっぱダメか。

「――これ以上はやめてくれ。代わりに俺が言おう」

 おっと、あからさまに傷ついてますアピールして震える明日那を庇うように、蒼真君が声を上げたぞ。

「中嶋の言う通り、昨日の夜、明日那は俺の部屋に来た」

「じゃあ、罪を認めると言うんだね?」

「俺は……明日那のしたことを、罪だとは思わない」

「でも寝たんでしょ?」

「待て、確かに俺は明日那と一緒に寝たが……そういう意味じゃなくて、本当にただ一緒に寝ただけだ。いかがしい真似は一切していない」

「じゃあ、今日から剣崎さんは他の男子とも一緒に寝てもらうことになるけど、いかがわしい真似じゃないからOKってことでいいんだね」

「桃川、お前まさか!」

「まぁ、この件を収めるための罰として、そういう選択肢もあるよねっていう話だよ」

「桃川! やはり貴方は最低です!」

 案の定、桜ちゃんが発狂してるけど、男の視点で見た公平性というと、こういうことになるわけで。

「蒼真君、剣崎さんを擁護しようと思うなら、よく考えて発言した方がいいよ。というか、君も普通に校則違反になるし」

 これで部屋に来た剣崎を諭して帰したというのなら、まだ格好はついたんだけどね。

 でも、蒼真君には明日那を返す真似はできないよね。

「ふざけないで! 兄さんまでも貶めるとは、許しませんよ!」

「許すか許さないかは、僕でも君でもなく、みんなで決めることでしょ? 二人を弁護するなら、全員が二人の無実を納得できるような釈明をしてくれないと」

 そう、最初に合流した、あの時とは違うんだよ。

 ここに僕も君らも含めて、18人ものクラスメイトが揃っているんだ。そして、今は僕の派閥の方が人数は上。発言力でも暴力でも、もう桜一人の好き勝手にはならない状況下である。

 いやぁ、本当に民主主義って最高だね。

「桜、少し落ち着いて。この件に関しては、当事者である悠斗君が弁明してもあまり説得力はないわ。そして、そのことにただ不満を叫んでも、誰も納得はしない」

 だから、委員長が弁護するって?

 ちいっ、やっぱり冷静に頭が回る委員長は厄介だな――なんて思うが、まぁ、今回に関しては別に蒼真兄妹や剣崎に対して、嫌がらせや立場を貶めようというつもりはない。

 折角いい感じで協力体勢が維持できていたのに、こんなつまらないところで崩れたら堪ったもんじゃない。そもそも、18人全員揃って初めてヤマタノオロチ討伐の可能性は出るのだ。たとえ桜でも、僕は誰一人、切り捨てるつもりはない。

 なので、僕としても夜這い事件は、穏便に解決したい方針だ。

「明日那は以前から、悠斗君と一緒に寝る……と言ったら語弊があるわね。添い寝する、ということはあったのよ」

「なんだべソレ、どんなサービスだよ」

「何も知らない他人が聞けば、いかがわしいイメージを抱いてしまうのも仕方がないわ」

「いかがわしい以外に何があるってんだよー」

「だったら俺にも剣崎と添い寝させてくれよぉ、ああぁー?」

「何がちゃうんねん、言うてみぃー」

 上田が囃し立てると、明日那ガチ恋勢の中井が割と本気で怒りと欲望の声をあげる。そして、面白半分で野次を飛ばすのはやめてよね蘭堂さん。

「……すでにみんなには説明したと思うけれど、以前、明日那は双葉さんと決闘をして、負けたことがあるの」

「ああ、なんか桃川のことで揉めたんだっけ?」

「それが何の関係あんだよ」

「桃川いっつも問題起こしてるべ」

 うるさいぞ下川。明日から残業4時間な、社長命令ぞ。

「負けた、といっても寸止めや降参で済むようなものじゃなかった。その時の明日那は、かなりの重傷を負っていたわ」

 僕でもドン引きするレベルのフルボッコぶりだったからね。その綺麗な顔が傷一つ残らず完治したのは、あの時僕が即座に治療をしたからだよ。やっぱり、傷一つ残るくらいの方が良かったかも。

「それがキッカケで、明日那は大きな精神的な傷を今も抱えているのよ。不安を癒すことができるのは、悠斗君だけなの」

 だから添い寝も許される。OK?

「ぐぅ、ぎぎぎ……蒼真悠斗ぉ……」

 ああ、中井から殺意のオーラが目に見えるようだ。頑張れ、もっと強くなったら、きっとメイちゃんみたいに赤いオーラとか出せるようになるはずだから。

「だから、本当にいかがわしい目的で、添い寝をしているわけではないの。今の明日那には、どうしても必要なことなの」

 そうじゃなければ、桜ちゃんが許すはずもないしね。

 そして、そんな美味しい状況でありながらも、いまだに一度も手を付けずに添い寝だけで乗り切っている蒼真君の精神力に、敬礼! 剣崎さぁ、実は全く脈がないんじゃないの?

「うーん、そうは言ってもなぁ……」

「そんな言い訳認められっかよぉ!」

「まぁ、今は恋愛禁止だし? 他の人の目もあるし? そういうのは控えてもらうのが妥当じゃねーべか?」

 心に深い傷を負った明日那ちゃんに、救いの手を差し伸べるかどうかは、個々人の勝手だよね? そりゃあ友人だったら、蒼真君添い寝療法も認められるけど、そうでもない他人からすれば、理解を求められるほどじゃあないよね。

「お願いよ。こうでもしなければ、明日那の心はきっと潰れてしまうの!」

 みんなのイマイチな反応を見て、真摯にお願いする委員長の姿勢は、実に正しい。

 けど、それだけだ。

 生真面目で品行方正な委員長の限界点がここだろう。

 いいかい、委員長。人の心を動かすのは、純粋な願いではなく……明確な利益なんだよ。

「さて、とりあえずこれで全員、詳しい事情は理解できたと思う。今回の件は、初めての校則違反者だし、処分については慎重に決めた方がいいと思うんだよね。少なくとも、今すぐ勢いで決めていいようなことじゃないよ」

 必要なのは、時間だ。

 この状況下で全員の心を、明日那を許す方向に傾けるのは不可能。だって実際、快く許せる要素が一つもないしね。心の傷も添い寝療法も、全部テメーの都合だろうが、といったところ。

「そろそろいい時間だし、今日のところは一旦、学級会は閉会しよう。みんな、この件については時間を置いて冷静になって、よく考えてみて欲しい。これは、今後の校則違反に対する前例にもなることだから」

 などと適当な理由を並べ立てて、僕は学級会を解散させた。

 実際、夕食後でそろそろいつもの就寝時間という頃合いだったし。夜更かししてまで議論するほどのことでもない。エントランス工房の仕事は明日もあるし。

 そんなワケで、気になる罪状はちゃんと明らかにはなったので、みんなもひとまずは納得して、素直に解散には応じてくれた。

 僕もなんだか無駄に疲れたので、さっさと部屋に戻って休みたい――のだけれど、最後にこれだけはきちんと言っておこう。

「委員長、蒼真君」

 コソっと一声かけて、最後に残ったのはこの二人である。

「明日、僕が一人一人、順番に説得しておいてあげる」

 あ、というような表情を浮かべる委員長。それから、やや罰の悪そうな顔の蒼真君である。

 交渉事って、全員を一度に相手するから分が悪いんだ。

 個別に説得していけば、あんがいすんなりと了承してくれたり、少々の利益供与で味方についてくれるものだ。

 剣崎の処遇に関して、概ね罰則化を支持しているのは、上中下トリオをはじめとした、ほぼ僕の派閥の人達になる。だから、蒼真君でも委員長でもなく、僕が説得役をする。

「一つ、貸しにしとくから」

第215話 個人面談

 ここは学園塔最上階となる5階。例によって特に何もない広間と空き部屋があるだけの寂しいフロアだけれど、内緒話をするには都合がいい。

「というワケで、モノは相談なんだが下川君」

「はぁ、あんまいい予感はしねーべ」

 明日那夜這い事件を穏便な解決に導くための、厳罰化を望む人に対する説得フェーズ。一人目は、下川だ。先にコイツを籠絡しておけば、妙なところで横やりが入るのは防げるはず。

 そんな僕の思いを知ってか知らずか、朝っぱらから一人で呼び出しを食らった彼の表情は、とてもじゃないが明るいものとは言い難い。

 そんなに邪険にしなくてもいいんじゃない。これは君にもメリットのある話だと思うから。

「これから聞くことに、正直に答えて欲しい。安心して、今ここには僕しかいないから」

「そんなの質問によるべや。大体、別にそこまで盗聴とか気にしてねーし」

 とりあえず、嫌々ながらも話はちゃんと聞いてくれる姿勢だ。よろしい。

「最近、溜まってない?」

「……はぁ?」

「ほら、エロい意味で」

 呆れたたような目を向けられてしまった。なんだよ、どうせ図星のくせにさー。

「真面目な話、男だけのパーティだった時より、綺麗どころが集まった今の方が、辛いところあるんじゃないの?」

「そりゃあ、まぁ、そうだけどよぉ」

 僕と別れてから、ここに転移するまでの間は、下川達は野郎だけでサバイバル生活をエンジョイしていた模様。足りないところも多かったみたいだけど、概ね順調に進んでいたのは、人間関係の和を乱す女の存在がいない部分も大きいだろう。

「こっちは色々と我慢してるのに、蒼真君ときたら」

「俺は中井ほどじゃあねぇけどさ、でも流石にこの状況で女と寝たって言われたらよぉ、フツーはキレんべ?」

「うんうん、男としては実に正しい感情だよ」

「その割に、お前はあんまだよな」

「今の僕は男子委員長だからね。感情に流されるような真似は」

「嘘つけ絶対、剣崎くらいのおっぱいじゃ足りねーんだべや」

「てへへ」

 おのれヤマジュン、僕の性癖は筒抜けだよ。

「今後はこういうことは許さないから、そこは安心していいよ」

「けど、それで全部許すかどうかは別物だべ?」

「勿論。だから、今回の事を水に流してくれるなら、それなりの見返りってのを、ね?」

「おいおい、いいのかよ委員長様がよぉー?」

「いやいや、クラスの不祥事は委員長の管理責任にもなるからねぇ。だから、これは僕なりの誠意だよ」

 そう、ただ許すだけでは、剣崎サイドに甘すぎる。今後しない、と誓ったところで、添い寝した利益は確実に享受しているのだから。

 だから、下川達のように『何もなかった』側の奴らにとっては、自分も何か良い思いの一つでもしないと、嫉妬やら何やらで収まりもつかないのである。

 当然ながら、このダンジョン内において日本円の価値は文字通り紙切れ同然。金銭による解決という、シンプルながら絶対的な解決法はとれない。

 だから、金がないならエロを売るしかない。エロにはエロをもって報いるのだ。

「パンツ一枚で手を打って欲しい」

「なん、だと……」

「下川君には、小鳥遊さんのでいい?」

「まさか、できるのか!?」

「最低限、本人のモノというのは保証しよう。ただし、脱ぎたてとなると流石に厳しいから、それなりに清潔な状態になっているのは理解して欲しい」

「も、桃川、お前……なんてぇ男だ……」

「勿論、このことが明るみに出れば、途轍もないスキャンダルになる。使用と管理は厳重にすることは約束してもらう。絶対に自室以外では使わない、持ち出さないこと」

「桃川……本当に、いいんだな?」

「これは今の君達に必要なモノだし、受け取る権利があると僕は思う」

「分かった、俺は乗ったぜ、桃川」

「ありがとう、下川君なら、必ず分かってくれると思ったよ」

 交渉成立により、がっしりと固い握手を交わす。

 流石は下川、利益には聡い男である。

「それじゃあ、次は上田君を呼ぶから、一緒に説得お願いね」

「おう、任せとけ」

 先に二人を引きこんでおけば、明日那に惚れているせいで今回最大のショックを受けた中井も、なんとか説得できるだろう。

「しっかしよぉ、そんなヤベぇモンどうやって調達すんだ?」

「そこまでは教えられないなぁー」

 流石の僕でも生パンツの入手は不可能だ。けれど、間違いなく本人着用済みのパンツならば、持っている。

 それは、試作品である。

 今や生活必需品と化している、僕とアラクネによる蜘蛛糸インナーは、男女問わず全員分を作ってある。細かいサイズ調整こそ、女性のみの個人情報保護により、小鳥遊が担当することとなっていたのだが……その前段階として、僕は試作品をみんなに試してもらっている。

 勿論、品質向上という本来の目的も嘘ではないが、いざって時の男子に対する餌として、僕はこの試作品パンツを厳重に保管していたのである。宝箱に入れたよ。

 まさか、本当にこの手札を切る時がくるとは思わなかったが……まぁ、何事も備えておくに越したことはないってワケだ。




「……は、話って、何かな桃川君」

 と、若干キョドっているのは、思えばサシで話し合うのは初めてとなる、中嶋陽真君である。

 初手で下川の抱き込みに成功したので、その後、上田、中井、と順調に籠絡できたし、山田もついでにパンツ契約については了承済みである。

 面談者の5人目となる中嶋だけれど、彼に関してはまた別の説得方法が必要だと僕は踏んでいる。

「中嶋君さ、剣崎さんのこと好きでしょ」

「えっ!?」

 そこまで分かりやすい反応しなくても。逆にブラフかと疑ってしまう。

「え、いや、別に、そんなことは……」

「隠さなくていいよ。恋愛禁止ではあるけれど、誰かを好きになる気持ちまでは否定していないから」

 いわゆる内心の自由というヤツである。だから、僕が毎晩、メイちゃんと蘭堂さんの二人をどんなあられもない姿で妄想しようとも、何の罪にもならない。ただし、蘭堂さん進呈の本物パンツについては、見つかり次第ギルティではある。

「やっぱ剣崎さんは美人だし、スタイルも抜群だし――まぁ、姫野さんとは比べ物にならないよね?」

 美人ってのは凄いよね。姫野が体を売ってまで取り入っても、そのお綺麗な顔一つで、簡単に男をなびかせることができるのだから。

 恋愛的には手を出したなら最後まで責任をとるのが筋だけど、本能的には新しい女を求めてしまうもの。まして、美人とくれば尚更。

「それは、まぁ、そうかもしれないけど……」

 なかなかに煮え切らない返答である。

 でも、こういうのはなかなか素直には言い出しにくいよね。特に、今回の件をわざと表ざたにした嫉妬心という後ろ暗い気持ちもあるだろうし。

「中嶋君、もし君が本気で剣崎さんを好きだというのなら、僕はそれに協力できる立場にある」

「……」

 だんまり、である。でもビビりとは思わないよ。君は慎重な性格だ。自分に自信がないからね。僕も同じだよ。

「でも、そうじゃないと言うのなら――僕はこの機会に、蒼真君と剣崎さんを正式にくっつけようかなと思ってるんだよね」

「そんなっ!? 恋愛は禁止のはずでしょ!」

 おっと、劇的な反応だね。

 メリットに飛びつくのは思い切りがつかなくても、明確なデメリットを前にしては動かざるを得ない。

 僕にはこれっぽっちも蒼真×剣崎のカップリングを成立させる気なんかないけれど、それができる、できるかもしれない、と中嶋が思えばハッタリとしては十分なんだよね。

「こじれそうだから恋愛は禁止にしているけれど、気持ちが固まっているなら、素直にカップル誕生を容認する方が良い、と僕は考えている」

 愛の力は凄い。僕はそれを、桜井君と杉野を見て思い知らされている。二人の生き様は、正に己の愛を貫いていた。

「それに元々、あの二人は一年の頃の決闘騒動のお蔭で、婚約してるとかしてないとか、そういう話もあるし。蒼真君としても、剣崎さんが相手なら満更じゃあないし、はっきり立場が決まれば、覚悟も固まると思うんだよね」

 あんなに添い寝しててもいまだに手を出さない蒼真君は、剣崎に対しては理性が溶けるほどの性的魅力は覚えていないとの見方もあるが、僕としては、常人には計り知れないほどの強固な理性があるからこそだと思っている。

 でもそんな蒼真君でも、本当に剣崎を生涯の伴侶となることが決まれば……その固い遺志の力は、剣崎一人に捧げられることだろう。

「でも、もし中嶋君が真剣に剣崎さんのことが好きだというのなら、蒼真君とくっつける案は君の気持ちを強く傷つけるものになる。僕は、誰か一人に大きな犠牲を強いるようなことはしたくないんだ」

 だから聞いているんだよ、中嶋。

 今この瞬間が、剣崎をモノにできるか、永遠に手に入らないかの、分水嶺。

 事ここに及んでもビビってだんまりを決め込むならば、所詮、君の欲望はその程度ということになる。

 そういう半端な欲望は一番困る。手を出す勇気もないけど、諦めきることもできない。結果、本人にはただ不満だけが残るわけで、そういう負の感情は安定した生活環境に悪影響を及ぼす。

 だから、ここは賭けだ。

 中嶋が覚悟を決めて剣崎を手に入れたいと思ってくれるか。彼女を取られるくらいなら、自分のモノにするんだと、それほどの決意を抱いてくれるか。

 頼むぞ剣崎、お前の魅力で中嶋にフラグを立てろ!

「――桃川君、本当に協力してくれるのかい」

「できる範囲でね。たとえば、剣崎と君をパーティとして組ませてあげられるし、蒼真君とは組ませないようにすることもできる」

 恋愛なんぞ、所詮は一緒にいた者勝ちである。遠距離恋愛なんて、ただのキープでしょ?

「僕はあくまで、出来る限り君と剣崎さんを一緒になるように仕組めるくらいだ。チャンスを活かせるかどうかは、君次第だよ」

 最悪、剣崎は脅せばどうこうするのも不可能ではなさそうだけど、中嶋のためにそこまでリスクのある行動はできないし、してやる義理はない。まぁ、パンツくらいは進呈してあげられるけど。

「どうかな。もし君にその気がないなら、僕はこの後、すぐ蒼真君と剣崎さんを呼んで――」

「好きだ」

 唐突に告白である。

 でも、主語を省くのはやめてくれないかな。メイちゃんに見られて勘違いされたら困るぅー。

「俺は剣崎さんのことが好きだ。本気なんだ」

「蒼真君に嫉妬して、部屋に入ったの暴露しちゃうくらい?」

「ああ、そうだよ、その通りだよ。下川君に話せば、すぐ表沙汰にしてくれると思ったから、最初に話した」

 でもまさか、その場ですぐ叫ぶとは思わなかったよね。

「正直、男としては最低な真似だってのは分かってる……でも、それでも、こうでもしないと気持ちが抑えられない」

 今にも泣き出しそうな、感極まった表情の中嶋である。

 ただでさえ抑圧された環境下で芽生えてしまった下心、もとい恋心。そんな中で意中の人が、別な男の部屋に……とんでもないNTR展開である。僕だったら即死かも。

「うんうん、分かるよ、そうだよね」

「俺は、好きなんだ……それくらい、本気で、好きになったんだよ……」

「分かったよ、ありがとう、よく打ち明けてくれた」

 さて、これで中嶋はクリアだな。

 一番こじれそうな気持を抱えていた奴の説得に成功できたので、今回の件は最早、解決といっていいだろう。




「――それじゃあ、今回の件に関しては全員の合意が得られたので、特別に剣崎明日那被告は不起訴処分としまーす」

 その日の学級会で、僕は早々に問題終結を宣言した。

 クラスメイトみんなで話し合う学級会だけれど、開く前から結論は決まっている。所詮、政治など出来レース。事前の根回しと利害調整で、大抵の事は着地点ってのは見えているものだろう。

「この判決は、みんなが広ぉーい心で許してくれたからこそだから。剣崎さんは、重々、反省するように」

「……ああ」

 なに浮かない顔してんのさ剣崎。悲劇のヒロインぶってんじゃねぇぞ、オメーが起こした問題だろうが。

 まぁいい、剣崎明日那は心に深い傷を負った、精神的な病人であるともいえる。そんな人物に真っ当な反省など促せるはずもない。どうせ悪いことした自覚もないんでしょ?

「それじゃあ、今後は剣崎さんのことは、よく面倒を見てくれるようお願いするよ」

「ええ、二度とこんなことは起こらないよう注意するわ」

「ふん、言われなくてもそうします」

 剣崎の反省になど僕は1ミリグラムも期待なんざしちゃいないから、今後のことはお友達に丸投げしておく。またいつ剣崎の女郎がムラムラきて夜這いに来るか分かったもんじゃないからね、しっかり監視しといてよ。蒼真ハーレムには、連帯責任ってやつを負ってもらおう。

「一応、睡眠薬を処方しておくから。またやらかしそうな時は飲ませて寝かせておいてよね」

「そんな怪しい薬いりません」

「ありがとう、桃川君。使わせてもらうわ」

 まーた桜ちゃんが意味もなくケチをつけているけれど、委員長は睡眠薬を素直に受け取ってくれた。

 この睡眠薬は、妖精広場の花壇にある薄紫色の花が原料となっている。

 使った瞬間に昏睡状態でぶっ倒れる、みたいな即効性は全くないけど、ゆるやかな睡眠導入くらいの効果は望める。というか、そんな強烈な速攻性があったらとっくに実用化しているよ。戦闘面では使えそうもないし、僕も不眠症で悩んだこともなかったので、今まであえては作らなかった。

 こんな形で役に立つとは思わなかったけど。とりあえず、いざって時はコイツを一服盛っておけば、剣崎は大人しくできる。

「それと、こっちは胃薬だから。辛くなったら飲んで」

「ありがとう、桃川君。使わせてもらうわ————ゴクッ」

 委員長、その場でガブ飲み。

 胃薬は、ついこの間、ようやく開発に成功したものだ。

 夏川さんが見つけてきてくれたレアな薬草を原料に、下川の『水分錬成陣』による成分分離機能を駆使して、完成した一品だ。

 原料がちょっとしかないので少量生産だけど、どうせ一人しか使わないからいいだろう。

 委員長、その胃薬は一日一錠だから。用法用量は守ってね。

「さて、これでこの事件は解決だけれど……一応、聞くけどさ、他に何か問題あったりする?」

 すでに結論ありきで開かれた学級会なので、スムーズに判決まで進み、時間は微妙に残ってる。昨日と同じく夕食後に開いて、あとは就寝時間を待つだけなのだけれど、折角みんな集まってる学級会だし、ちょっとした意見でも聞いてみようか。

「はい、小太郎くん」

「メイちゃん、どうぞー」

 意外にも、手を挙げたのはメイちゃんであった。

 これは仕込みではない。僕は今日の学級会に関しては、特にメイちゃんに何かを頼んではいない。

 ということは、これは純粋な意見表明ということになるけれど、果たしてそれは何だろうか。思い当たる節が全くない。

「ハチミツが減ってるの。多分、誰かがこっそりつまみ食いしていると思うんだけど」

「メイちゃん自分で舐めてないよね?」

「ええぇー、小太郎くん酷ぉーい!」

 冗談だよ。メイちゃんがつまみ食いする分は、最初から在庫分に計上されていないからね。必要経費は控除されます的な。

「はい、それじゃあみんな目を瞑ってー。先生、怒らないから、ハチミツつまみ食いした人は手を上げてくださーい」

 無論、誰も手を上げないし、目すら瞑っちゃいねぇ。

 こんなもん、小学生のガキだって騙されるワケないからね。問いただされて素直に白状するようなら、最初っからやらないし、何かやらかすような奴は素直に罪を認める心根なんざとっくに失っているだろう。

「仕方ない。素直に罪を認めれば多少の減刑もありえたんだけど……夏川さんだけ残して、他のみんなは解散して」

「ちょっ、ちょっと待って!? なんで私だけ!」

「なんでだろうね」

 その控えめの胸に手をあてて聞いてみればいいんじゃない。

「違うよ、私は犯人じゃないよ!?」

「夏川さん、詳しい話は署で聞かせてもらうから」

「ほ、ホントに私じゃないんだってーっ!」

 それから、僕とメイちゃんと委員長だけ残り、夏川さんの取り調べをした結果。

「ご、ごめんなさい……出来心だったんですぅ……」

 やっぱりお前だったんじゃねーか!

 割とイチかバチかでカマかけてみたんだけど、まさか本当に当たるとは。

「ごめんなさい、美波は小さい頃から甘いモノには目がなくて」

 ウチの娘がご迷惑をおかけして、というような表情で委員長が謝っている。

 完全に万引き現行犯でしょっ引かれた娘を迎えに来た母親の顔だよ。

「さて、この落とし前どうつけてくれようか」

「ヒエっ!」

「食べてしまったハチミツは、その分だけ今後は控えさせるから」

「そんなっ、酷いよ涼子ちゃん! そんなことしたら私、死んじゃう!」

「委員長、夏川さんに反省の色が見られないんだけど」

「ごめんなさい、何とか言い聞かせるから!」

 いやぁ、それはちょっと無理だと思うけどな。

 傍から見ていても、夏川さんが甘いモノ好きなんだーってのは分かったけれど、ここまで依存しているとは。無理に断てば禁断症状が出かねない。

 きっと、僕が大きいおっぱいを求めるのと同じように、夏川さんも甘いモノを求めてしまうのだろう。それは最早、本能、あるいはアイデンティティと言っても良い。

「それじゃあ夏川さん、委員長の言う通りにハチミツ我慢するか、僕と司法取引してみんなよりも大目にハチミツを食べられるようにするか、選んでよ」

「なっ!? だ、ダメよ美波、それは絶対、悪魔の契約だわ!」

「……桃川君、それ、本当なの」

「少なくとも、もうつまみ食いする必要ないくらいは、夏川さんに甘いモノを供給するよ」

「美波! 耳を貸してはダメ!」

「契約します」

「ありがとう、交渉成立だね」

 あああーっ! って頭を抱えている委員長を傍らに、僕は夏川さんと固い握手を交わした。

 思わぬところで、思わぬ協力者が出来たものだ。

第216話 中堅の実力

思えば、僕が『暗黒街』のエリアに来たのは初めてのことである。誰もが初見だった砂漠エリアには足を運んだものの、すでに攻略経験者のいるここには、わざわざ訪れる理由というか、機会がなかった。 

 色々と準備で忙しかったのもあるし、僕はそもそもダンジョン探索メインの活動ではなかったし。

 そんな僕がこの度、初の暗黒街デビューと相成ったのは、蒼真道場での修行の成果を確かめるためである。勿論、みんなの方であって、断じて僕自身ではない。

「見えたっ――『一撃穿フルスラスト』ぉ!」

 野々宮さんの鋭い槍の武技が、黒い狼男の騎士を貫く。

 繰り出された穂先は、鋭い犬歯が生え揃う獰猛な口中に真っ直ぐ突き刺さり、そのまま頭部を完全に貫通させる。まさに、クリティカルヒット。

「遅ぇんだよ――『強大打ヘヴィスマッシュ』っ!」

 もう一方の芳崎さんは、力強く振るわれた斧の武技で、同じく黒い狼男騎士の胴体を薙ぐ。

 厚い鋼鉄のプレートで覆われた体だが、半ば以上まで一気に切り裂き、大量の血と臓腑とが吹き出す。最早、回復は不可能な致命傷である。

「よっしゃあ、勝った!」

「もしかして、アタシらめっちゃ強くなってない?」

 自画自賛じゃなくて、実際に強くなってるよ、芳崎さん。素人みたいな僕の目から見ても、以前とは動きが違うのが分かるくらいだからね。

「二人とも、よくやったね。確実に強くなっているよ」

 と、蒼真師匠も認める上達ぶりである。

 今回、相手にした黒い毛並の狼男の騎士は、あのリビングアーマーに匹敵する強さを持つ魔物だ。防御力ではアーマーの方に分があるけれど、その俊敏な機動性と攻撃性は狼男の方が上だろう。

 学園塔に来たばかりの頃の二人なら、二人がかりで狼男騎士を何とか倒せるか、くらいの実力であった。それが、今では余裕をもってサシで勝てるのだから、その実力の上がりっぷりが分かるだろう。

「蒼真流の教えってホントに役立ってんの?」

「さぁ?」

「よく分からんねーわ」

「……二人とも、無意識レベルでちゃんと身についているよ」

 そういうことに、しておいてあげよう。

「本当だ。二人は理屈で覚えるよりも、体で覚えるタイプだから。そういう天才肌の人は、自分で術理を使っていることを実感しにくいものなんだ」

「なるほど、僕とは真逆のタイプだね」

 びっくりするほど僕には剣の才能なかったよ。蒼真師匠のお墨付き。

「つってもさー、やっぱ中嶋が凄くない?」

「うん、あんな強くなるとは思わなかったわー」

 修行によって最も頭角を現してきたのは、やはり中嶋陽真だ。

 そんな彼は現在、ジュリマリコンビ同様に、狼男騎士を相手に戦っている。ただし、一体ではなく、随伴で二体の狼男がついている。

「ヴォアアアッ!」

 大きな斧を振り回す狼男を前に、中嶋は小さな呼気を漏らしつつ、紙一重で回避を成功させる。

「ウォガァアアアアアッ!」

 その後ろをもう一体の狼男が槍で狙って来る。

 だが、背後を見もせずに、舞うように華麗に身を翻し、その穂先をかわしてゆく。

「よし、今だ」

 そして、二体の攻撃をよけきった先には、ハルバードを構える狼男騎士が立っていた。

「ヴォッ!」

「ウガッ!」

 騎士に相対する中嶋の背中を、今度こそ突くべく二体の狼男はすぐに動き出す――いや、動けない。

 二体の足首が凍り付き、びったりと地面に張り付いているのだ。

 中嶋は二体の攻撃を避けつつ、それぞれの足元にカウンターを食らわせていた。左手に握る氷の短剣『クールカトラス』の氷魔法によって、狼男の足を氷結させていた。

 下級攻撃魔法と呼べるほどの威力にはなっていない。ほんの足先を凍らせただけで、狼男のパワーをもってすれば、すぐにでも砕いて振り解くことができるだろう。

 しかし、その僅か数秒間の足止めができれば、中嶋には十分であった。

「剣崎流――『乱れ裂き・椿』」

 刹那の間に描かれる輝く剣閃。中嶋の振るう二刀流、右手の『銀鉄の剣』が銀色に、左手の『クールカトラス』が水色に、それぞれ魔力の輝きを発しながら、美しく、そして鮮烈に嵐の如き斬撃を見舞う。

「グッ……ゴバァアアアッ!」

 狼男騎士が、体中から血を吹き出してその場に倒れ伏す。

 ただ、切られただけではない。よく見れば、その斬撃は全て関節部や装甲の薄い部位を切り裂いていることが分かる。

 中嶋は何十もの連続斬撃を、全て弱点となる箇所へと命中させたのだ。

 それも、リーチの勝るハルバードを装備し、かつそれを十全に扱うだけの技量を備えた、騎士に相応しい実力を持つ相手に対して。

 最も脅威となる狼男騎士を仕留めれば、残った二体は消化試合だ。順当に二体を切り伏せ、中嶋は完璧な勝利を飾った。

「見事だ、中嶋」

「いや、これは全部、剣崎さんが教えてくれたことだから」

「そんなことはない。こんな短い期間で『乱れ裂き・椿』をここまで使いこなせるのは、お前の努力と才能の賜物に他ならない。誇っていい、お前はすでに、立派な剣崎流剣士だ」

「そ、そこまで言われると照れるな、剣崎さん……でも、ありがとう」

 僕なんぞが褒める余地もないくらい、存分に褒められているので、特に言うことはない。

 剣崎明日那はこれまでの無様なアレコレがなかったかのように、実に堂々とした師匠面で中嶋を褒め称えている。

 対して、嫉妬心から陰湿な方法で学級会騒ぎにまで発展させた中嶋は、彼女のお褒めの言葉に実に初々しい表情で照れている。

 まぁ、二人とも幸せそうでいいんじゃないの? 別に、僕としてはそのままゴールインしてもらっても構わない。このダンジョンを出た後にね。

「う、うぅ……蒼真くん、聞いて、最近、陽真くんが私に冷たいのぉ……」

「そ、そうなんだ……俺には、二人の問題だから口は出せないかな」

 傍から見ればなかなか良い雰囲気になっている中嶋×剣崎を見て、今更ながらにキープ君が離れて行きそうで焦りを見せている姫野が、蒼真君にすり寄っている。

「おい、桃川――」

「蒼真君はリーダーで、姫野さんはサブだから。二人でしっかり話し合いした方がいいよ」

 こういう時だけ、僕を頼ろうとするのは卑怯じゃないかな蒼真君。

 ちゃんとブスでも差別せずに、お姫様扱いしてご機嫌とってよね。

「さーて、収穫収穫ぅー」

 狼男の騎士達を倒したので、ようやくここを漁れるよ。

 この場所は暗黒街でいえば外れにあたる。蒼真君が倒したドラキュラのボス部屋が街の中心地だ。この辺まで来ると石造りの建物もかなり少なくなり、鬱蒼と生い茂る暗い森が外側に向かって続くのみである。

 ここはそんな街外れであるにも関わらず、敵のエリートポジションである狼男騎士がそれなりの数で現れるスポットだ。何があるかのかと言われると、小さな砦のような建物があることくらい。

 恐らく、ここは本当に砦で、狼男騎士はここの守備隊という設定になっているのだろう。

「ゲームだと大体、こういうところは何かあったりするんだよね」

「そうかー?」

「何にもなさそうだけどー」

 すでに役目を終えたとばかりにダラけているジュリマリコンビを尻目に、僕はレムを連れて砦を調べることにした。

 ちなみに今回のパーティ編成は、


隊長・蒼真悠斗

副隊長・姫野愛莉

野々宮純愛

芳崎博愛

中嶋陽真

剣崎明日那

桃川小太郎(双影)

黒騎士

ミノタウルス


 以上である。僕が『双影』の方なのは、安全重視もあるけれど、練習も兼ねている。

 最近、ようやく本体と分身を同時に動かせるようになってきた。はっ、もしかして蒼真流の修行がこんなところで役に立って……いるかどうかは、分からない。

 さらに言えば、コツコツと探索部隊に同行させて運用してきたお蔭か、黒騎士とミノタウルスの主力二機も、今ではすっかり余裕で使えるようになっている。僕のレム制御力も着実に伸びているようだ。

 さて、今回の主目的は修行の成果を実戦で確認することだから、ここの調査は別に重要でもなんでもない。宝箱の一つでもあれば儲けものといったところ。

 あるいは、実はさらなる隠しダンジョンの入り口なんてあったりしてー?

「――うん、何にもなかったよ」

「ほらー」

「だから言ったじゃーん」

 おのれ、無駄に埃まみれになって汚れただけだ。

 宝箱も謎の入り口も、特に気になるものは何もない。部屋はほとんど伽藍堂だし、あってもガラクタか家具か何かの残骸ばかり。遺跡街の廃墟と似たような何もなさである。

「絶対なんかあると思ったんだけどなー」

「桃川、期待しすぎ」

「何かあってもアタシらじゃ見つけられないんじゃね」

 確かに、本格的に隠蔽されていたら夏川さんでもないと気付けないか。いや、確か蒼真君もそれなり以上の感知スキル持ってたような気がするから、何も言わないことを思えば、本当に何もないのだろう。

 ちなみに、蒼真君はまだ姫野さんに粘着されている。

「ねぇー、何もねーならもう行かない?」

「次はあの鎧野郎も倒してみる?」

 などと、すでに次の戦いに心が移っているジュリマリの二人は、パンパンと尻をはたいて立ち上がる。

 ちょうど腰を掛けていた砂袋みたいなのが詰まれた場所は、思ったよりも汚れていたようで、叩く度に白い粉が舞っていた。

「え、ちょっと待って、その粉なに?」

「さぁ」

 何の興味もないといった表情だけど、僕としては気になることしきりである。

 少なくとも、ただ白っぽい砂とか埃とか、そういうのではなく、本当に白い粉なのだ。

 もしかして、この袋の中には全てヤバい白い粉が入っているのでは。

 人目につかない街外れの砦。妙に硬い騎士の防御。まさか、そういうことなのか……?

「ペロっ――こ、これは!?」

 そして、試しに一舐めしてみると、僕は全てを理解した。

「みんな、この袋を持ってすぐに帰還する! 全部持ってくぞ!」

「いや、それ無理じゃね」

「どんだけあると思ってんのよ」

「そうだよね。とりあえず、持てるだけ持って帰ろう」

 何もないかと思ったが、とんでもない。僕は、凄い発見してしまった。

 これは一刻も早く戻ってメイちゃんに伝えないと――小麦粉、見つけたよって。




 暗黒街の外れの砦で、備蓄食料設定だと思われる小麦粉を発見した翌日。

 今日はすっかりお馴染み、無人島エリアへとやって来た。

 青い海、白い砂浜。

「ウギョォオアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 そして、けたたましい絶叫が今日も元気に響き渡る。

「まだこんなに叫べるなんて、タフでいいねコイツは」

 目の前で苦悶の絶叫を上げているのは、晴れて実験動物として捕獲されたゴーヴである。あの夜襲を仕掛けたゴーマ村の長と思われる奴だ。

 コイツには予定通り、回復実験用として、日々、傷をつけては癒すということを繰り返している。

 人間だったらとっくに発狂していそうなものだけど、餌を口につきつければ食べるので、最低限の体力は維持し続けている。苦しみから逃れるために自死を選ぶよりも、生存本能の方が勝っているのだろうか。

 何にせよ、実験動物として使いたい僕としては都合がいい。そのまま、あともう少しくらいは頑張って欲しいものだ。

「それで、調子はどうなの姫野さん?」

「う、うん……少しは回復できるようになった……気がする」

 この非人道的な回復実験は女子にはキツいのか、あんまり顔色のよくない姫野さんが実に曖昧な返答をする。

「せめて、このリポーションと同じくらいの回復量は欲しいんだよね」

 ゴーヴは桜&姫野の治癒魔法使いコンビの練習用だけれど、下川が研究開発した劣化ポーションの実験にも用いられている。

 つい先日、下川的にはかなりいい感じに回復効果が出せた、と報告があり、劣化ポーションの再生計画は一応の完成をみたといえる。

 名付けて『リポーション』だ。

 回復効果はポーションの半分以下。だがしかし、即効性のある治癒効果と安定した生産数が何よりも強みである。

 多少の手傷を負っても、リポーションで応急処置すれば速やかに戦線復帰できる。

「うん、十分な性能だ」

「グブブゥ……ムゴォオオ……」

 脇腹を切りつけたところにリポーションをぶっかけて、その治り具合を観察。

 魔法現象特有の発光をしつつ、青白い液体はすぐに傷口を塞ぐように固まる。実際に固まっているというより、魔力か何かで傷口を保護しているような感じだ。

 魔法で傷を塞いでいるから、瞬時に止血することはできるが、魔力が切れれば保護機能は失われる。だから、ちゃんと傷そのものを再生させる効果もまたセットで必要となるわけだ。

 ポーションだったら単体で傷をすぐに完治できるが、リポーションでは塞ぐだけ。傷薬Aには即効性はない。だから組み合わせて使うことで、互いの短所を補うワケだ。

 基本的に傷はこのリポーションと傷薬Aの併用で治していく。確保しているポーションはいざという時に温存である。

「それじゃあ、姫野さんはこのまま自主トレってことで」

「ううー、叫び声が耳に残って嫌なのぉー」

「声が気になるなら、喉を潰しておけばいいじゃん。で、最後に治せば元通りでしょ」

「うわー、桃川君マジモンのサイコパスじゃないの」

 酷いなぁ、騒音問題の簡単な解決法を教えただけなのに。

「姫野さん、ゴーマに変な情けはかけない方がいいよ」

「別に情けはかけてないけど、幾らなんでもこれはちょっと酷いなぁというか」

 割とマジでドン引きした感じの発言である。

 確かに、曲がりなりにも人型の生物を相手に、この仕打ち。実際、縛られているゴーヴの姿は無残極まるほどボロボロである。回復こそさせているけれど、傷痕が綺麗になるとは限らない。

 もし、これと同じ真似を人間にしていたら、とんでもなく残酷無比な拷問である。

「姫野さんも、実際にコイツらがクラスメイト食ってるところ見たら、酷いとか思わなくなるよ」

「えっ……ゴーマに食われた子いるの?」

「消去法的に考えて、佐藤さんか篠原さんか、その辺りだね」

 確実にゴーマにやられたというから、佐藤さんの方だとは思うけど。今となっては確証もない。分かったところで、どうしようもないし。

「今じゃすっかり雑魚だけど、コイツらが人喰いのバケモノってことに変わりはないから。人類の天敵ってヤツ? だから、ゴキブリと同じくらいの扱いがちょうどいいんだよ」

「確かにゴキブリっぽくはあるけど……」

 気持ちは割り切れなくても、やることはやってよね姫野さん。

 いくらリポーションの開発に成功したとはいえ、やはり治癒魔法使いが控えているというのは大きい。戦闘中では、薬を自分で使う暇だってあるとは限らないのだから。

 そして何より、現状唯一のマトモなヒーラーが桜しかいないことが、僕にとっては大きな懸念事項である。信頼できない人物に頼らざるを得ない分野ができるなんて、組織運営では最悪だ。

 リポーションのお蔭で最悪の状況ではないものの、更なる安定のためには、是非とも姫野さんには治癒魔法の腕を上げてもらいたい――でも、もう正式な『治癒魔術士』ではない彼女では、無理なのかもしれないけれど。

「それじゃあ、頑張ってね」

「うぇ……『微回復レッサーヒール』ぅー」

 実にヤル気のない感じで、傷ついたゴーヴ相手に回復をする練習を始める姫野さんであった。

 僕は彼女の後ろで治癒魔法の様子を観察しつつ、この辺で集めた薬草や素材の選別、それから新たに発見した食用候補の鑑定などをして時間つぶし、もとい、仕事をしていた。

 そうして、二時間ほどが過ぎた頃。

「おーい、桃川ぁー」

「あ、狩猟部隊も帰って来たね」

 ゴーヴの人体実験場は、無人島エリアの妖精広場すぐ傍である。だから、ここは無人島エリアで、狩猟部隊の主な活動場所だ。

 先頭切って戻って来たのは、上中下トリオと、夏川さん。

 その後ろには委員長と、山田、それからアラクネが続く。

「おい桃川、コイツでいいのか?」

 山田がアラクネの引きずってきた獲物を指さす。

 糸でグルグル巻きにされているが、ジタバタと元気よくもがいている。

「活きがいいラプターだね。大きさもなかなかで、いい感じだよ」

「そうかよ。ったく、生け捕りなんて面倒臭いことさせやがって」

「この方が性能良く仕上げられるから。ありがとね」

 今更ながら、僕が所望したのはラプターである。アルファというものがありながら、まだ乗り物が欲しいのかと言われそうだ。

 実際、欲しい。というか、アルファとは使い道が違うから。

「それじゃあ、みんな帰ろうか。メイちゃんが美味しいパンを焼いて待ってるよ」

第217話 防具

「――ようやく防具も形になってきたね」

 そうしみじみと呟いて、僕は目の前にある立派な鎧兜を眺めている。

 白銀に輝く全身鎧だ。リビングアーマーほどデカくゴツくはないが、胴体を守る装甲は厚く、兜、籠手、具足、と全身あますところなく守りを固められている。

 このようやく完成した全身鎧の試作型は、正にみんなの努力の結晶だ。

 探索部隊が集めてきた金属素材に、レムが採掘してきた光石。それらを姫野さんが簡易錬成陣の手作業で下ごしらえして、さらにそこから蘭堂さんの鉄鉱錬成で上質な光鉄素材である『銀鉄』へと仕上げる。

 揃った材料は、委員長の監視の元で『賢者』小鳥遊が製作。やはり委員長の目があればそうそうサボれないようで、今までにないほど順調に全身鎧が仕上がった。オメーやっぱり今までサボってたんじゃねーか。

「ふぅー、疲れたよぉー、小鳥もう今日はお仕事できなーい」

「お疲れ様、小鳥遊さん。早めにお風呂も入って来ていいよ」

「ほんと? やったーっ!」

「上がったら、コイツの改善と次の製作に入るから」

「小鳥、今日はもうお休みだもーん!」

 などと叫んで、社長命令を聞こえないフリして小鳥遊は逃げて行った。

 まぁいい、後で委員長に引きずってきてもらうから。

「あんなクソ賢者のことより、まずはコイツの試着からだよね」

「桃川、お前の小鳥遊に対する態度、レイナちゃんより酷くねーか」

「なに言ってるのさ上田君、こんなにホワイトな待遇で迎えているっていうのに」

 頻繁に殺意を覚えるのはレイナと一緒ではあるけどね。

「それで、着た感じはどう?」

 まずは鎧の試着である。形としては仕上がっているけれど、これを来て実際にどこまで動けるのか検証しなければいけない。

 栄えある試着モデル一号は、『剣士』上田にお願いした。

「うーん、カッコいいけど着心地はよくねーな。フツーに動きずらいし、重いし」

「鎧だからそれはしょうがないんじゃない?」

「正直、この感じだったら着てない方がマシだわ。これじゃあ避けれる攻撃も避けられねーよ」

 なるほど、多少の防御が上がったくらいでは、回避率下がる方がメリットを上回ると。

「軽量化したらどうかな?」

「限度あんだろそれも。元々、俺らは制服一枚で戦ってきたんだから、他の奴らだって基本、攻撃は避けるようになってんだろ」

「そうか、バトルスタイルもそういう風に慣れてしまったと」

「まぁ、手足くらいならいいんじゃねーか?」

「兜はどう?」

「頭を守れるのは安全かもしれねーけど、なんつーか、被ってると気配を感じにくいっていうか」

「頭は出ている方が、周囲の察知力も高まるのかな」

「多分、そんな感じだ。これは他の奴も同じだな」

 うん、なかなかためになるレビューをありがとう。これは早速、改善しなければ。

「いやぁ、まさか兜と鎧のほとんどが無駄になるとは」

「まぁ、しょうがねーだろ。鎧の方は、山田にでも着せとけばいいんじゃねーの?」

「そうだね、それ採用」

 回避よりも防御メインなのは『重戦士』山田だけ。彼のバトルスタイルなら、単純に防御力を上げられる全身鎧もフルに恩恵を受けられるだろう。

 良かった、みんなの努力の結晶の全身鎧は無駄にならなかったよ。




 翌日は、夏川さんを試着モデルとしてお呼びした。

 彼女とは晴れて協力関係を結んでいる手前、こういうことも気兼ねなく頼めるよね。

「どう、夏川さん?」

「うーん、ちょっとゴワゴワする」

 今回、彼女に着てもらっているのは金属製の鎧ではなく、魔物の革や毛皮を利用した装備である。

 ほぼ全身を覆えるコート型、上半身だけのベスト型、あとは手袋にソックスと、色々と用意はした。

 これらの品は、前々から僕が隙間時間でコツコツ作っていたものだ。光鉄系の素材を錬成で自在に操るには、僕の簡易錬成では難しいけれど、魔物素材はそうでもない。いつもの蜘蛛糸で衣類を作るのと同じような感じで作成できる。

「動きはどう?」

「着心地がもうちょっと良くなれば、大丈夫だと思うな」

「良かった、それなら微調整で済みそうだよ」

 金属の鎧兜に比べれば、レザー装備は防御力ではずっと劣る。しかし、魔物の耐性をそのまま反映できるので、火や雷などに対する守りにはなるのだ。

 ヤマタノオロチは現在確認できているだけでも、火、雷、氷、と異なる属性のブレスをぶっ放していた。全部とは言わないまでも、一種類だけでも耐性を上げられるのならば、それに越したことはないだろう。

「できればもうちょっとカワイイデザインになればいいかな」

「そこは蘭堂さんと相談してみるよ」

 僕が作ったので、素材の性能を引き出す重視のデザインになっている。良く言えばワイルド。火耐性のある厚手の革ジャケットを着こんだ夏川さんは、実に賊っぽい出で立ちだ。

「これじゃあ何か、悪い盗賊みたいで嫌だなー」

「そもそも良い盗賊なんていないけどね」

 良いヤクザ、みたいな矛盾感である。アウトローのくせに正義まで求めてんじゃねーよ、甘えんな。

「とにかく、ちゃんとカワイクして! あと、インナーとかもあった方がいいかも」

「なるほど、着こむことばっかり考えてから、盲点だったよ」

 薄手の素材だったら、十分にインナーとしていけそうだ。砂漠エリアでレムが採掘のついででとって来てくれた、黄色い電気ネズミのモンスターの革なんか、いい感じのシャツにできそうだ。




 そうして、試着を繰り返してブラッシュアップを続けた結果、ようやく全員分の防具を用意するに至った。


『銀鉄の籠手・具足』:すでに剣などで実用化していた銀鉄を防具に使用。籠手と具足なら誰でも邪魔になるほどではない、とのことで前衛組みはほぼ全員これを装備している。


『銀鉄の小盾』:左手に装着する銀鉄製のバックラー。上田が装備することになった。鎧は重くて邪魔になるが、小型の盾くらいなら扱いに問題はないので、せめてもの防御アップとして用意した。


『銀鉄の円盾』:左手に装着する銀鉄製のラウンドシールド。中井が装備。上田と理由は同様で、パワー的に通常サイズの盾でも扱えるので、円盾になった。


『銀鉄の大盾』:銀鉄製のタワーシールド。山田が装備。防御重視の重戦士なので、大型の盾が最適だ。メイちゃんの大盾に次ぐ頑強さと重量を誇る。


『銀鉄の鎧兜』:最初に作成した試作型の全身鎧を、山田用に改修した一品。可動域を広げるために装甲を減らした部分もあるが、ぶ厚い装甲は確かな防御と重量を与える。全身に鎧を着こむことになったのは山田だけなので、実はクラスメイトの中で一番派手な見た目になった。


『黒鉄の籠手・具足』:銀鉄よりも重いが、より強固な金属である黒鉄製の籠手と具足。クラスメイトの中でも最大級のパワーを誇るメイちゃんが装備する。彼女も機動性を理由に、鎧の装備は見送っているので、手足の装甲のみとなった。それにしても、やけに刺々しい悪役チックなデザインである。狂戦士の防具に相応しい一品だ。


『ウルフベスト』:黒い毛並の狼男騎士の毛皮を用いて作られたベスト。鎧は邪魔だけど、毛皮のベストくらいなら大丈夫だ。多少の防御力と、地味に各種属性への耐性を持つ。襟首にあしらった白いファーは蘭堂さんのデザイン案。上田と中井と下川が、仲良くお揃いで装備している。


『牛革ジャケット』:ミノゴリラの革で作ったジャケット。性能はウルフベストとどっこいといったところ。ジュリマリコンビが装備。


『バンデッドダウン』:デカコッコの羽毛で作られたダウンジャケット。防御力はウルフ、牛革、どちらにも劣るが、属性耐性が高め。あと凄い軽いので、速さが命の『盗賊』である夏川さんの専用装備となった。蘭堂さんと相談して、ワルっぽさが出るようなデザインで仕立て上げた自信作。


『グランドボアコート』:下川達が無人島エリアでサバイバルしていた頃に捕まえて食べた『土猪』という土属性魔法を使う猪の毛皮で作ったコート。土属性魔法を使う際に補正効果が得られることが判明したので、蘭堂さんの専用装備として製作。なお、自分のコートということで、相当に気合いを入れてデザインされている。お蔭で、蘭堂さんも満足がいくファッショナブルなコートとなった。結構、色んな素材をつぎ込んだ高級品である。


『ギリースーツ荒野仕様』:お馴染み僕お手製のギリースーツシリーズ第三弾となる、ヤマタノオロチの巣に適応した色合いの偽装用マント。ただし、これを着るのは僕ではなく小鳥遊である。戦闘において役立たずな賢者なので、下手に目立ってガーゴイルからもヘイトが向けられないよう、黙って隠れられるようにするための装備だ。本人は物凄く嫌そうな顔をしていたが、だったら前線に立ってヤマタノオロチとやり合うか? ああん?


『薄氷のローブ』:蘭堂さんのコートと同じように、その属性の魔術士専用の装備。名前の通り、氷魔術士用で委員長が着る。特に氷属性のモンスターはいなかったが、彼女の『氷結錬成』によって作り出される『氷結晶』を錬成することで、氷属性魔法に補正が得られる効果を宿すことに成功した。


『レザーブーツ』:いつまで上履き履いてるんだよ僕達は……ということで、一刻も早い製作が求められていた靴である。完成まで時間がかかったのは、材料が揃わなかったのが原因。革は魔物素材でいくらでも調達できたのだけれど、靴底に使うゴムがない。無人島エリアにいるトレントみたいな植物系モンスターがどうやらゴムの木ベースだったと判明したことで、ようやく原料の入手に成功。しかしその後は、ゴムの精製は完全に小鳥遊の錬成頼みであった。やはり賢者の錬成能力は格が違うね。ともかく、待望の新しい靴の完成だ。


『レザーグローブ』:靴に比べて需要は低い、けど欲しい人は欲しかった手袋である。僕は剣を振り回すワケじゃないけど、貧弱な手の保護の為に地味に欲しかったが、自分の簡易錬成だけじゃイマイチな出来だったので、小鳥遊のいる今になってようやく実用化に成功だ。


『呪術師専用グローブ「カースドヘキサ」』:いいよね、専用装備。自分の立場にモノを言わせて、僕は専用のグローブを作った。ベースはレザーと同じだけど、小学生男子憧れの指ぬきタイプとなっている。さらに、手の甲には魔法陣『六芒星の眼』を刺繍した。これによって、手を起点として呪術を使うと効果が上がる……ような気がする。


『タフネスシャツ』:下着として使えそうなほどに柔らかく、かつ丈夫な皮素材で作ったシャツ。少しでも防御力を稼ぐためのインナーで。ほぼ全員が装備している。


『クリスタルシャツ』:砂漠エリアの初探索で遭遇したレアモンスター『クリスタウルス』の光り輝く皮で作ったシャツ。防御力は勿論、僅かだが魔力に対して様々な補正が働く効果がある。一体分の素材しかなかったので、全員の分は用意できなかった。なので、防御が貧弱にならざるをえない魔術士クラスのメンバーに与えられている。


 おおよそ、こんなところである。

 専用防具がない人は、その分、優秀な性能のアクセサリーを持たせるなどをして平等を期している。誰が何を装備するか、というのもちゃんと学級会を開いて、不満がでないよう話し合ったものだ。

 もっとも、全員が平等ではなく、その能力と役割とで優遇措置なんかも当然、でてくる。たとえば、探索部隊が奇跡的に発見した『生命の雫』だとか。

 話し合いの末に、この破格の回復効果を持つマジックアイテムは、蒼真君が装備するに至った。まぁ、戦力の中核だから当然でもある。僕としてはメイちゃんに持たせたかったけれど、それでは私情が過ぎるというものだ。

 ともかく、装備も揃った。みんなの実力も上がった。

「――そろそろ、挑んでみる時期かもしれない」

 ヤマタノオロチ攻略に向けての準備は、少しずつ、けれど着実に進んできた。そして、それは最低限、挑むに足るラインにまで達しているはずだ。

「と、僕は思うんだけど、どうかな、みんな」

「いよいよ、ということね」

「ああ、挑むには、いい頃合いかもしれないな」

「好きにしろよ」

 それぞれ割と前向きな意見をくれるのは、委員長、蒼真君、天道君である。

 今回の話し合いは学級会ではなく、僕含めて四人だけ。クラスにおける代表的な立場にある面子のみを集めて、事前の意見調整といったところ。内密の話なので、場所は学園塔5階の密会部屋である。

「蒼真君から見て、前衛組みでヤマタノオロチの頭は相手できそう?」

「一人ならまだ厳しいだろう。二人で何とか、三人以上揃えば安定するはずだ」

 いいね、最初の頃なら何人束になってもブッ飛ばされるのがオチだったのに。ヤマタノオロチに挑む実力に達したと言える。

「ただし、それは頭一つだけの場合だ。二つ以上になったり、ブレスの乱射状態になれば退くだけで精一杯だろう」

「流石にそこまでは、まだ求められないね」

 いくらリポーションの実用化で回復手段が充実したとはいえ、即死級の攻撃を食らえばお終いだ。あの巨大な頭に潰されれば地面のシミだし、ブレスが直撃しても消し炭である。

「それで、桃川君、勝算はあるのかしら」

「ないよ」

 あっけらかんと言い放つ僕に対して、委員長は何とも言えない表情に。蒼真君はふざけんなとでもケチをつけようと口を開きかけた……ところで、思い直したように僕へと聞いた。

「何を考えている、桃川」

 学園塔生活では、それなりに蒼真君とは一緒に色々とやってきたものだ。彼としても、僕の言動に少し慣れてきたといったところだろう。

 少し前だったら、無策で突撃させて俺達を殺すつもりか、などと的外れなキレ方をしていただろうに。

「ヤマタノオロチを相手にする最低限の準備は整ったと思う。けれど、決定的な攻略の糸口はまだ見つからない。だから、今回の戦いは討伐が目的じゃない」

 絶対に倒す覚悟がなければ挑めない、というシステムでもないし。そもそも、最初は僕らも様子見でちょっかいかけてきたものだしね。

 ヤマタノオロチは決してあの場からは動かない。特別な動きは、いまだに一つもない。僕の分身の監視を今の今まで続けていても、不気味なほどに沈黙を保っているのみ。

 ボスに変化はない。ならば、あとはこちらからのアプローチ次第ということだ。

「今の僕らがどこまで通じるか。それと、仮設段階の攻略法を確認するための調査。どっちも合わせて、今回の戦いで確かめたい。要するに、総合演習ってところかな」

「なるほど、いいと思うわ」

「俺も、色々と奴のことは探ってみたいと思っていた」

「好きにしてくれ」

 よし、全員の承認が無事にとれたぞ。

「それじゃあ明日、挑んでみようか」

第218話 リライトと火の精霊

 ゴーマ、とかいう凶悪な奴らに襲われた時はどうなるかと思ったが、無事に奴らのボスは倒れたし、キナコの傷も精霊の力で治すことができた。

 俺らの完全勝利ということで、戦利品をいただくとしよう。

「どうよキナコ、この俺の新装備!」

 ボスゴーマが持っていた鉄の槍を、俺は華麗に振り回す。

 槍ってのは漫画とかゲームじゃあ雑兵が使う地味な武器のイメージだが、素人が扱う近接武器としては最適だ。何と言っても、この長さが心強い。リーチ、それは絶対的なアドバンテージである。

 槍持ちを剣で倒すには三倍の力量が必要とかなんとか、漫画で読んだ。つまり、現実においてそれくらい槍ってのは強力な武器なのだ。伊達に足軽がみんな槍持ってるワケじゃねーんだよ!

 そして、そんな強武器をこの俺が使ったとしたらどうなる。その戦闘力は二倍、いや、さらに倍率ドンである。

「ハァっ! ヤァッ!」

 見よ、この鋭い連続突きを!

 木から舞い落ちる木の葉に向かって突き出された穂先は、華麗に葉っぱをスルーしていく。

 あれ、意外と難しいな……

「リライト、ツヨソウ」

「そうだろう、そうだろう! これで俺もいっちょまえの戦力だ。キナコ、もうお前一人だけにいいカッコはさせねーぜ!」

 ハッハッハ、と俺は上機嫌に笑いながら、キナコのモフモフの胸板をパフパフ叩く。

 いやぁ、やっぱり武器はいいね。持つとテンション上がる。男の子だもん。

「それにしても、このゴーマって奴らはアレだな、ファンタジー作品にありがちなゴブリンみてぇな感じだな」

 醜悪な容姿の小柄な体型で、群れて襲ってくる凶暴性。そして、この如何にも粗末な装備品の数々。倒しても経験値3と1ゴールドしか獲得できなそうな雑魚中の雑魚みたいな奴らだが、鞄と教科書しか持たない俺にとっては、コイツらの装備品はありがたい。

「ちゃんと水とかも持ってるしな」

 ボスゴーマは腰から皮袋を下げており、その中に水が入っていた。コイツらは泥水をすすっても平気そうだけど、中身はちゃんと綺麗な水だった。口は入念に拭いたけど。

 初めての戦いの興奮ですっかり忘れていたけれど、今は思い出したように喉が渇いていた。

 皮袋の水を飲んで、一息つく。

 これから森を抜ける旅をするにあたって、飲み水はしっかり確保しないといけないのか。そんな当たり前のことを、今更になって思い当たる。

「全くサバイバルできる装備じゃなかったからな……この森で生きてるっぽいコイツらの装備品を拾えたのはマジでラッキーだよ」

 こちとら今日も一日退屈な学園生活を送る気の格好だったからな。いきなり森の中に放り出されるなんて、想像もしちゃいなかった。

 このゴーマ達の装備品をかき集めれば、最低限のサバイバルはできそうだ。

 ボスゴーマは槍の他にも、ナイフを一本持っていた。黒高のヤンキーどもが持ってるような、チャチな小っこいナイフじゃない。30センチ近い刃渡りを持つ、かなり大振りのナイフである。

 鉄の槍と同じく、コイツもなかなか品質がいい。錆び一つ浮いておらず、ボスがちゃんと手入れしていたのだろう。これからは、ありがたく俺が使わせてもらおう。薬草タンポポを採取するのにも、手でちぎるより刃物があった方がいいしな。

「しっかし、よく分かんねーモンも結構持ってるな。なんだコレ、石コロ?」

 ボスの鞄を漁ると、何やら色々と入っている。

 一緒に覗き込んできたキナコが、白っぽい結晶みたいな石ころに鼻先をつきつけ、フンフンしてくる。

「ペロペロ――コレハシオ!」

「えっ、マジで、これ塩なのか? もしかして岩塩ってやつ?」

 俺も試しに舐めてみると、ああ、このしょっぱさは正しく塩である。

 奴ら、こんなのも持ち歩いているのか。

「キナコ、こっちの木の実みたいなのは何か分かる? って言うか、食える?」

「ムーン……コレハリライト、タベナイホウガイイ」

「なんだよ、食えねーのか」

 じゃあ何で持ってんだよと思うが、食用以外の使い道があるのかもしれないし、単に人間には毒でゴーマには無害なのかもしれない。

「コレタベレル。ヨウセイクルミ」

「妖精胡桃? なんか可愛らしい名前だな」

 リライトがイチオシしてくるのは、確かに見た目クルミっぽいが、やけにデカい殻をした木の実だ。

 試しに一つ食べてみると……うん、普通に味はクルミだな。

「なぁ、こっちの白い粉はなんなんだ? もしかして回復薬とか――」

「プガァーッ!」

 と、キナコはいきなり吠えて、俺が手にしていた小さな皮袋に入った白い粉を叩いて吹き飛ばした。

「うおおっ、なんだよいきなり!?」

「キケン! リライト、ソレキケン!」

「えっ、マジで……毒とかそういう系だった?」

「ワルイコナ。ココロウシナウ。キケン」

「お、おう」

 いつになく真面目な感じでキナコが俺に危険を訴えかけている。どうやら、この白い粉は冗談抜きでヤバい代物らしい。

 とりあえず、そんな危険物は捨てて行こう。

 そんな風に、キナコと相談しながらゴーマの持ち物の検分を終えて、いらないモノは処分し、必要なモノだけを分別していった。

「うーん、とりあえずこんなもんか。よし、それじゃあ行くか、キナコ」

 存分に準備を整えて、俺達は出発する。

 手には鉄の槍を持っているから、さっきの手ぶらよりもズシリと重く感じるが、身を守るための心強い重みでもある。

 すでにこの森にはゴーマのようなヤバい奴らがウロついてることを知ってしまった。ハイキング気分はすっかり消し飛び、俺は山中行軍する兵士のように警戒しながら歩いて行く。

「ハァ……ハァ……や、やべぇ、もう疲れてきた……」

 荷物が増えたことに、襲われるかもしれないという緊張感。そして何より、俺の体力不足が祟って、息が上がってくる。

 ち、ちくしょう、最近はバスケ部もサボり気味だったから……

「リライト、ガンバレ。モウスグダ」

「お、おうよ……ってちょっと待て、もうすぐ、ってどこに向かってんだ?」

「ミエタ、カワダ」

 ガサガサとキナコが茂みを突っ切って行くのに続いていくと、そこには確かに川があった。

「おお、川だ」

「リライト、キョウハココデヤスム」

「いいのかよ、まだ結構、明るいぞ。もっと進んだ方がいいんじゃないのか?」

「ムリスルナ。リライト、モリアルク、ナレテナイ」

「ぐっ、ば、バレていたのか……」

 情けねぇ、完全にキナコの足を引っ張ってるじゃねぇかよ。俺がバテてんのを気遣われちまった。

「メシモトル。イマノウチ」

「あ、ああ、そういえば腹も減って来たしな」

 さっきクルミを何個か食ったきりだ。

 こんだけ森の中を歩き回った運動量と、消費カロリーが釣り合わない。腹も減って当然だ。

「そうだよな、確かに、今日食う分は今日とらないといけないからな」

「マカセロ」

 キナコは自信満々にそう言って、ザクザクと河原を進んでゆく。

 周囲には誰も、というか他の動物は見当たらない。静かなせせらぎが響くだけの、実に長閑な景色である。

「キナコが川に入ってると、マジでホンモノの熊みたいだよな」

 なんて思っていたら、川のど真ん中で立ち止まったキナコが、その太い腕を素早く一閃!

 バシャーン、という激しい水しぶきが飛んだのは一瞬のこと。

 気づいた時には、河原にボーっと立っていた俺の足元に、ビチビチと跳ねる大きな魚が転がって来た。

「キナコ、凄ぇ!」

 ヒグマが川で鮭をとる、イメージ通りの光景を見せつけられて、俺はちょっと感動するのだった。




 さて、キナコがヒグマ流河原漁業を行っている傍ら、俺は火を起こす準備を始めることにした。

 キナコがとってくれた魚は、鮭っぽいのとか、鮎っぽいのとか、巨大な金魚っぽいのとか、普通に食べられそうな見た目をしているが、いくらなんでも生で食おうとは思わない。こういうの、何か寄生虫とかヤバいんだろ?

「いやぁ、それにしても、世の中何が役に立つか分かんねーもんだな」

 俺の手にあるのは、シンプルなシルバーのジッポライターだ。

 ライターだけで、タバコは持ってない。ただカッコいいから持っているだけの、さりげないオシャレアイテムの一つである。

「流石に木の棒をクルクルやって火起こしは無理っぽいからなぁ」

 文明の利器万歳である。

 すでにその辺から枝は集め、たき火の準備はバッチリだ。

 まずはこの細い枝から、いざ点火!

「あっ、くそ、なんだよ、点かねぇぞ……熱っつ!?」

 ちくしょう、なんだこれ、思ったより上手く火が点かん。

 あんまり長々と火を出していたら、ライターオイルも早々に切れてしまう。こう、素早く種火になるくらい着火できれば良かったんだけど。

「これは紙とかから火を点けないとダメなパターンか?」

 ちっ、しゃあねぇな。

 それじゃあ俺は、ここでルーズリーフ一枚を生贄にして、種火を発動するぜ!

「よし、いいぞ、そのまま上手く点火――」

 燃える紙切れを投入するが、あっという間に燃え尽きる。

 小枝に火が移り、燃え盛ってくれることはなかった。

「やべぇ、思ったより難易度高ぇぞオイ……」

 ライターあるから余裕だろと思ってたけれど、なかなかどうして上手くいかん。

 いや、落ち着け、原因は大体分かっている。最初に着火する細い枝が、これでもまだデカいんだ。

「そうだ、落ち葉、落ち葉を盛ろう!」

 これなら枝よりも火が付きやすい上に、その辺から幾らでも集められる。

 俺は河原周辺で落ち葉拾いをする。しかしながら、地面というのは意外に湿り気のあるもので、カラカラに乾いたような葉っぱはなかなか見つからない。

「くそっ、もう夕方じゃねぇか!」

 こんなもんでいいだろう、と思えるだけの量が集まった頃には、見上げた空はオレンジ色に染まりつつあった。

 まずい、このまま日が暮れれば光源は一切なくなる。俺の手持ちで使えるとすれば、せいぜいがバッテリーの容量が心許ないスマホくらい。コイツは最後の手段、こんなところで使い切るのは避けたい。

「落ち着け、大丈夫だ、次は絶対上手くいく。一発点火間違いなしだ」

 ちょっと震える手で、ライターを二枚目のルーズリーフへとかざす。

 シュッ! っとする音がして、小っこい火花が弾け……お終い。

「おいおいおい」

 シュッ! シュッ!

 虚しく響く音と、滅茶苦茶ちっちゃい一瞬の火花だけしか残らない。

「おいおいおい……燃料切れですかぁ……」

 ま、マジかよオイ、さっきの挑戦で全部ライターオイル使いきっちまったってのか!?

「ライター持ってて火起こし失敗するとか……ありえねぇだろ文明人として……」

 ど、どうしよう。

 火が起こせなかったら、俺は折角キナコがとってくれた魚をロクに食べることもできない。異世界の寄生虫さんと同棲覚悟で生魚を食らうのか。刺身でいただくしかないのか。

「ぬぁああああ、ちょっと待てよ頼むよオイ! つけよ、もう一回くらい点けよ! ホントはあと一回くらい点く分残ってんだるぉ!?」

 どんだけシュッシュしても、発火石の散らす火花だけで、メラメラと火の形は現れてくれない。

 だ、ダメだ……ダメなのか……俺のジッポライターはもうダメなのかよ。

「……ヒ」

 その時、火花でもなく、火でもない、また別の何かが見えた。

「ヒ、ツケル?」

 それはジッポライターの点火口に浮かび上がる、赤い光の……棒人間だった。

「あっ、もしかしてお前、火の精霊とかそういう本職の方ですか!?」

「ヒ、モエルー」

「ヒーツケルー」

「ヒー、ボォー」

 あの薬草精霊と同じような光り輝く小さな人型は、実に火っぽく赤々とした光を放っていて、口々に燃え盛る的なことを叫んでいる。

 もしかして、これはイケるんじゃないのか。

「お願いします火の精霊様! このたき火も起こせないサバイバルド素人のワタクシめに、どうか一つ火を点けくださいなっ!」

 現代文明人としてのプライドをかなぐり捨てて、誠心誠意、お願い申し上げると――火の精霊達は、応えてくれた。

「メラー」

「メラァーッ!」

 バンザイするように精霊達が荒ぶる叫びを上げると、沈黙していたジッポにボウっと火が灯る。

「おお、やった、やったぞ! ありが――うわぁっ!?」

 そして、次の瞬間には燃え盛る火の玉となって飛び出した。

 危ねぇ、もうちょい顔を覗き込んでたら直撃だったぞ!

 ヒヤっとするが、飛び出して行った火の玉が着弾したのは、俺が用意したたき火の場所である。

 そして、その火の玉一発が弾けたことで、そこにはメラメラと燃え盛る立派なたき火が完成していた。

「ちょっと危なかったが、とりあえず、ありがとな」

 感謝の言葉と共に、パチンとジッポの蓋を閉じる寸前、火の精霊達は中へと引っ込んで行くように消えて行った。

 もしかして、そこに住んでんの、君ら?




 パチ、パチ、とたき火が弾ける傍らで、俺は串を通して焼いた鮎みたいな魚に齧り付く。

「熱っつ、熱ちっ! めっちゃ熱ぃけど美味ぇ!」

 脂の乗った白身は、岩塩だけのシンプルな味付けだが、やはり新鮮焼き立てなせいか、やたら美味く感じられる。

 いやぁ、こういうサバイバル感溢れる料理、ちょっと憧れてたりしたんだよね。流石は俺、一発でここまで上手にできるとは。

 火の精霊のお蔭でようやくたき火が用意できて、夕方から急いで調理を開始したが、これもなかなか苦難の連続だった。魚を焼く以前に、まず串を用意するところから始めないといけないからな。

 そして串ができたら、これを刺すのも地味に難しい。

 いざ焼き始めても、火加減の調整が難しい。調整というか、もう燃える火と魚の距離を変える事しかできないが。

 苦労の果てに、こうして美味しく焼き上がった魚だが、背骨回りは若干生っぽかった。魚をコンガリ焼くのって、こんなに難しいことだったんですね……今回、俺が用意できた焼き魚は、この一匹だけである。二匹目の調理にかかる頃には、完全に陽が沈んでどうしようもなくなった。

「はぁ、これが最後のマトモな飯になるのか」

 代わりというワケではないのだが、俺は学園の昼休みに食べるはずだった、弁当を食うことにした。ずっと持っていても腐らさせてしまうだけだしな。美味しく食える内に食っておこう。

 この森の中で、まず米なんて手に入らないだろう。

 飽き飽きするほど食ったはずの、たまごふりかけのかかった白米を、一口一口、噛みしめて食べる。

 この米だけじゃない。弁当箱に詰まったどのオカズも、もう二度と食えるかどうか分からない代物ばかり。

 特にこのメインデイッシュのから揚げは……

「プー、クルル……」

「お、なんだよキナコ、コイツが気になるか? 気になっちゃうか?」

 俺が最後となるから揚げをしみじみ味わっていると、生魚に齧り付いているキナコがめちゃくちゃ物欲しそうな目でジーっと見つめてきた。

「イイ、ソノメシ、リライトノ」

「まぁな、コイツは俺に残された最後の日本の飯だ。最後の晩餐といってもいい」

「ウマソウ」

「だろ? めっちゃ美味いんだ……キナコも食うか?」

「イイ、リライトノ。ダイジナメシ。サイゴ」

「ああ、そうだ、そうなんだよ――でも一緒に食おうぜキナコ!」

 俺は独り占めの誘惑に抗い、から揚げの一つに箸を突き刺し、キナコへ差し出す。

「リライト、ダメダ!」

「ダメじゃねぇ! キナコ、これは俺がお前にできる、唯一の恩返しなんだ」

 俺はこの今日一日で、どれだけキナコに救われた。

 森の中に一人ぼっちの時点で心が折れていた。

 でも、コイツが一緒にいてくれた。

 ゴーマの群れに襲われた。

 でも、コイツが戦って倒してくれた。

 今日食う飯を調達することもできなかった。

 でも、コイツが魚を獲ってくれた。

 そうだ、コイツが、キナコがいなけりゃ、俺はなんにもできず、一人で野垂れ死んでいたに違いない。今日一日を生き抜くことすらできなかったんだ。

 そんな役立たずのお荷物な俺が、どうして一人で美味い飯を食えるってんだよ。

「俺は弱ぇ。この大自然の中じゃあ弱っちいただの人間だよ。多分、明日もお前にいっぱい迷惑かけると思う。足も引っ張ると思う」

「リライト、ソンナコトナ、キニスルナ」

「いいんだ、分かってんだよ、キナコ。自分のダメさ加減なんてのは、自分でよく分ってる」

 ちくしょう、自分で言っていて情けなさすぎて、涙が出て来るぜ。

 本当にどうしようもねぇ奴だ、俺って奴はよ。

「だから、ってワケじゃねぇけどよ……この最後のから揚げは、お前と分け合って食わなきゃいけないモノだと思うんだ」

「リラリト……」

「ほら、お前の方こそ気にしないで、食えよ!」

 しばし悩んだというか、我慢するような素振りを見せるキナコだったが、たき火でちょこっと炙って温かさを取り戻したから揚げからは、強烈な魅惑の香りが発せられている。

 キナコ、よだれダラダラ。

 はしたないとは言うまいよ。生魚をそのまま食べる事しかできない熊のキナコに、調理された肉料理は美味さの次元が違う。

「リライト、アリガトウ」

「いいってことよ、俺ら親友だろ?」

 そして、キナコはから揚げを食べた。

「――プッ! プ、プゥ、ウマァアアアアアアアアアアアアッ!」

「はっはっは、そうだろ、美味いだろうから揚げは!」

「ウマイ! ンマイ! スゴク!」

「よし、もう一個行け!」

「ンマァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 ああ、美味いよな。やっぱり、飯は一人で食うより、誰かと一緒に食った方が美味いんだ。

第219話 総合演習(1)

 学級会によってヤマタノオロチに対する総合演習の実行が可決された。

 一日の休息を挟んで、体調と準備を整えた僕らは翌朝、全員で学園塔を出発する。

 いつもはアルファに跨って颯爽とドライブするだけの道のりだけど、今日は全員を連れているから普通に歩き。大人しく片道2時間かけて、荒野と渓谷を進んだ。

 今日はガーゴイル共がちょっかいかけてくることもなく、一度も戦闘せず目的地へと無事に到着した。

「こ、これは……」

「桃川君、また随分と大工事をしたものね」

 ヤマタノオロチの巣につくなり、蒼真君と委員長をはじめ、あまりに様変わりした現地の様子に皆が驚いていた。

「でしょ、僕と蘭堂さんの努力の結晶だよ」

 ようやく、すり鉢状の巣に塹壕を張り、トーチカの建設が完了したのだ。

 いやぁ、ただでさえ広いフィールドだから、塹壕をぐるっと一周掘るだけでも大変だった。蘭堂さんの土魔法によるチート級建築速度がなければ永遠に終わらなかっただろう。これ人力でやったら公共事業費で何億計上するか分かんないからね。

「まずは司令部にみんな入って」

 渓谷を抜けて、巣を一望できる場所に、全員を収容できる最も大きなトーチカを建ててある。

 見た目はただの茶色い長方形の一階平屋。サンドボックス系ゲームでは豆腐ハウスと嘲笑される、のっぺりしたデザイン性皆無の素人建築である。

 蘭堂さん、衣装のデザインセンスはあっても建築はイマイチなのだ。

「おい桃川、この国旗はなんなんだ」

「見ての通り、日の丸と旭日旗だけど」

 ああ、我らが祖国、日本を象徴するシンプルイズベストな国旗と、大日本帝国魂が燃える旭日旗が、それぞれ司令部の入り口に立てたポールの上で風にはためき堂々と翻っている。

「あまりにも飾り気がなさすぎるから」

「はぁ、芸の細かい奴だ」

 飽きれたような溜息を吐く蒼真君だった。

 さて、そんな国旗くらいしか装飾品のないダサい豆腐司令部の建つこの場所は、これまで挑んだ経験からして、まずブレスが届かないだろうというポジション。それから、もし撤退する時にガーゴイルの大群に追いかけられても、立て籠もって体勢を立て直すくらいの堅牢さはある。

 勿論、ここには前線基地として、替えの武器や医療品などの物資を置く保管庫の役割もあるし、重症者が出た場合の一時的な避難場所にもなる。

 探索部隊には空の宝箱も回収してもらったから、あらかじめ作って置いたリポーションなどの医療品も長期間保管できる。

 それから、戦闘前にはここでブリーフィングもできる。黒板も椅子も用意済みだ。

「それじゃあ、今日の作戦を説明するよ」

 詳しい作戦行動の内容は、ここで初めて説明する。一昨日に開いた学級会で話しても、どうせ忘れるだろうし。現地で話した方が、みんなもより真剣に聞いてくれる。

「まずは、エース三人抜きで、前衛と後衛のみで頭一つを相手してもらう」

『勇者』蒼真悠斗、『王』天道龍一、『狂戦士』双葉芽衣子、この三人を抜いた上での最大戦力で、頭一つにどこまで戦えるか確認する。いきなり前衛三人とかで挑ませて、返り討ちに合ったら目も当てられないからね。

「前衛組みは三つに分かれて、後衛の援護はそれぞれ一人を割り振り、一部隊とする」


第一部隊

『双剣士』剣崎明日那

『魔法剣士』中嶋陽真

『聖女』蒼真桜


第二部隊

『盗賊』夏川美波

『剣士』上田洋平

『戦士』中井将太

『水魔術士』下川淳之介


第三部隊

『騎士』野々宮純愛

『戦士』芳崎博愛

『重戦士』山田元気

『氷魔術士』如月涼子


 以上の編成である。

 第一部隊は前衛二人だけど、エースに次ぐ近接能力を持つ剣崎に、修行勢では頭一つ抜けた成長をみせた中嶋を配置。それから、問題児の桜ちゃんだけど、能力そのものは優秀だし、お友達の明日那に、今のところ真面目君を貫いてくれている中嶋が面子なので、アイツも真っ当に援護してくれるのは間違いない。

 第二部隊は、やはり気心の知れた上中下トリオと、最近は探索や狩猟などで彼らと打ち解けてきている夏川さんを配置した。

 第三部隊は、これもコンビであるジュリマリで組ませた。山田は微妙に余った感じだけど、戦力的には申し分ない。どこへ組み込んでも活躍できるタンクな山田は、前衛として僕は剣崎以上に評価している。委員長も後衛だし、この部隊が一番堅実だと思う。

「第一部隊は正面、第二部隊は右側面、第三部隊は左側面で、常に頭を囲めるような配置で戦おう」

 いくらサイズがデカくても、一つは一つ。どこか一方に頭突きや噛み付きで攻撃すれば、二方向はガラ空きだ。

 問題は、頭の攻撃を受ける部隊が、どこまで上手く凌げるか。少なくとも、この面子で直撃しても無事でいられそうなのは『重戦士』山田のみ。今回の作戦で、最も注意を要する点である。

「危ない時は、すぐに塹壕まで引くこと」

 ヤマタノオロチとガーゴイル共が反応してくるギリギリのラインで、塹壕は引いてある。グルっと巣を一周する最前線のライン。そこから均等に八方向に直線の塹壕で、割と安全となる外周を一周する後方ラインを引いている。

 後方ラインは、ちょうどこの司令部を起点として伸ばしている。だから、とりあえず塹壕に飛び込めば、そのままこの司令部まで戻ってくることができる。

「塹壕の深さはおよそ2メートル。頭が叩きつけても、薙ぎ払っても、ここにいれば当たらない。ブレスもよっぽど射線が合わない限りは直撃しないから、地上よりはずっと安全だから」

 とはいえ、真上はがら空きなので、ガーゴイルなら侵入できる。敵の全てを防げるわけではない。でも、だだっ広い地上だけのフィールドよりも遥かにマシだ。

「後衛の魔術士は、塹壕から攻撃すれば地上に立つより安全に攻撃できるよ」

 深さは2メートルなので、ちゃんと足場、というか段差のある構造となっている。段差に立てば、深さは1.2メートル。自衛隊の立射用塹壕がこの深さだったはず。自動小銃ではないけれど、攻撃魔法をぶっ放すのにもちょうどいい。

「それから、見ての通り各所にトーチカも設置してある」

前線ラインと後方ラインを繋ぐ八方向の塹壕、その中間地点に司令部よりも小さなトーチカを建てている。

「この中にも、予備の武器と医療品を置いてある。補給が必要な時は、まず最寄のトーチカに戻ること」

 勿論、司令部まで逃げることも難しい場合は、一旦ここに籠ってくれてもいい。一時的にでも持ちこたえられれば、救援が間に合う可能性もぐっと上がる。

 とりあえず、現時点でこの巣に施せる工事はこの辺が限界だ。

 あとは、今回の演習結果を踏まえて改造していきたい。

「ここまでで、何か質問は?」

「おーい桃川、レムは出してくれねーんだべか」

 下川が挙手しながら質問をくれる。

 まぁ、いつもだったら一体ずつ割り振るところだけど、

「レムには他の仕事があるから、今回は前衛に出せない」

「それはなんだべ?」

「作戦の第三段階になったら説明するから、今は気にしないで」

 一度に全部説明しても、どうせ頭に入んないし。

 相手は動かないし、こっちは前線基地という戻れる場所もあるのだ。ゆっくりと試行錯誤させてもらおう。

「ねぇ、危なくなった時はどうするの?」

「すぐに蒼真君達を救助に出すし、即時撤退でいいよ。今回はあくまで練習なんだから、無理をする必要はどこにもないからね」

 夏川さんもなかなか堅実な質問をするものだ。細かいことは気にしなさそうな性格だけど、盗賊だから警戒心も上がっているとか。

「あのー、私は何すればいいのかな?」

「ウチも仕事ないんだけどー」

 部隊に組み込まれていない、姫野さんと蘭堂さんが聞いてくる。

「姫野さんは第二部隊の後衛について。蘭堂さんは第三部隊に」

 蘭堂さんに限っては、作戦第三段階で働いてもらうから、今からあまり頑張ってもらう必要はない。姫野さんは、うーん、まぁどこにいても同じようなもんだしなぁ。正式に第二部隊後衛でもいいっちゃいいんだけど

「他になければ、説明を続けるよ」

 他にも部隊に割り振っていない人がいるのに、質問しない奴はなんなんだろうね。

 まぁいいや。ここからは、頭一つを倒せた後のことだ。

「頭を倒すことに成功したら、すぐに二匹目と三匹目が出てくる。だから、倒したらすぐに退いて」

 どうせヤツは無限再生のクソ能力だ。連戦してもいいことなんてない。

 現段階での練習相手として求めるのは、最も戦いやすい頭一つブレスナシの初期状態のみ。次のフェーズに移行すれば即撤退でOKなのだ。

「ただし、倒した頭は素材として回収してみようと思う」

「えっ、ヤマタノオロチって食べられるの!?」

「メイちゃん、食材じゃなくて素材だから」

 流石の直感薬学も「アレは食いものにはならねーよ」と言ってるし。

「あの頭はほとんど魔法で出来ているようなモノだから、すぐに消えるんじゃないのか」

 と、突っ込んで欲しいことを言ってくれたのは蒼真君である。

 二度のヤマタノオロチ戦を経験した蒼真君だけど、その際に何度か頭を落とすことに成功している。それでは、切断したあのバカデカい蛇の生首はどこに行ったのか、という話だ。

「その通り。どうやらヤマタノオロチの体は莫大な魔力で維持しているみたいだから、本体から切り離されると魔法で作ったモノみたいにすぐ消えちゃうんだよね」

 魔法で発生させた物体は、基本的に時間経過で消える。委員長が大きな氷の壁を張っても、気温で溶けだすよりも遥かに早く崩れ去って行く。

 これは物質を魔力で再現しているから、その魔力が霧散していくのに応じて崩壊していくのだと思われる。

 だから、ヤマタノオロチの頭も、腐り落ちて土に返るよりも速く、ただ消え去ってゆく。

 しかし、この崩壊現象を止める魔法が存在する。

「――そこで、蘭堂さんの『永続エタニティ』をかける」




 演習の第一段階は拍子抜けするほどあっさりと成功した。

 接近すれば、ヤマタノオロチの頭はちゃんと一つだけ出て来たし、前衛の動きもかなり安定していた。見たことはあっても、頭との戦闘は初めてのはずなのに、随分と落ち着いた様子。僕が考えているよりもずっと、みんなも成長しているのかもしれない。

 三部隊がバラけて頭のヘイトを分散しながら、確実にボコっていく。蒼真君みたいな光の剣の大技みたいなのはなくても、前衛達は誰もが武技を習得している。巨大なオロチからすれば小さな傷痕だが、武技による攻撃は着実にダメージを通すことができる。

 そうして、ボロボロになった頭はついにその動きを止め、ドシンと大地へと倒れ伏す。

 そこで、蒼真君とメイちゃんと蘭堂さんの出番。

 右方向から蒼真君が『光の聖剣クロスカリバー』で切り付け、左方向からメイちゃんが『破断』をぶち込む。すると、電車サイズの首も一発で飛ばせる。

 首の切断を確認した瞬間に、蘭堂さんが『永続エタニティ』を発動。

 そして、その効果が発揮されるのを見届けるよりも先に、

「退けぇーっ!」

 前衛全員で生首を運びつつ撤退を始める。

 運搬の際にはレムも全機投入。蒼真君とメイちゃんもそのまま運ぶのに手を貸す。委員長だけは、引きずって運びやすいよう、地面を凍らせている。

 クラスの力が一つになり、巨大なオロチの頭が動き出す。氷の道をズルズルと滑らせながら、ゆっくりと、だが着実に安全圏まで逃れてゆく。


 グゥオオアアアアアアアアアアッ!


 という雄たけびと共に、ヤマタノオロチの新たな頭が二つ現れる頃には、僕らは無事に撤退を完了させていた。悪いね、今は君らに用はないから。

「やった、ミッションコンプリート!」

 これクリアランクSSSだよね、というほどに全てが上手くいった。

 オロチの生首は、とりあえず形はそのままだが……やはり、僕でも感じられるほど魔力の霧散が始まっている。

「蘭堂さん、『永続エタニティ』はちゃんとかかってる?」

「かかってるけど、これ全部そのままにすんのは無理だわ」

 どうやら蘭堂さんも感覚的に、首の保存が完璧にできないことが分かるようだ。

「どこまで保てそう?」

「これかなり縮むわー。あんま期待すんなよ桃川」

「しょうがない、鱗の一枚でも取れれば儲けだと思うことにするよ」

 あくまでヤマヤノオロチの生首は、オマケみたいなもんだ。強力なボスモンスターの素材をお手軽に無限入手できる裏技ができればいいなーと思ったけど、現実は甘くない。

「それじゃあ、休憩したら次は二部隊で挑もう」

 三部隊でなら安定して倒せることが判明した。後は経験も兼ねて、どこまでの戦力を投入すれば頭を倒せるか、または抑えられるか、検証しておきたい。

 勿論、戦闘を重ねることで、相手に対して慣れる練習にもなるしね。

「大丈夫そう?」

「まぁ、なんとかなるんじゃねーか?」

「やっぱアタシら強くなってるわ」

 上田と芳崎さんが、さほど気負いなく答えてくれる。

 他のみんなも、まだまだやれるという雰囲気だった。

 さっきの一戦では頭を倒せたこともそうだが、みんなほぼ無傷で済ませているのも評価するべきポイントだろう。探索部隊で色んな組み合わせを試した成果なのか、連携もなかなかのものだった。

「部隊編成で気になることあったら、遠慮なく言ってね」

「このままで大丈夫だべ」

 僕なりにバランス考えて編成したらね。不満の声も上がらなかった。

 負傷も疲労もなく、これならすぐに次も挑戦できそうだ。

「ああ、それと、次から蘭堂さんは別の仕事があるから」

「えー、なにすんの?」

「塹壕掘り」

「またぁー?」

 そう言わないでよ。

 これまでは安全圏だけで掘って来たけれど、ここから先は敵地まで伸ばす。

 そう、今日の作戦の第二段階は、あのガーゴイル共が巣食い、ヤマタノオロチが引き籠る岩山まで塹壕を掘り進めることだ。

 本当はトンネルを作りたいところだけれど、流石にそこまでは蘭堂さんの土魔法でも無理である。だから、かなり妥協して塹壕。深めに作っておけば、地上を走るよりも多少は安全に岩山まで辿り着けるはず。

 ヤマタノオロチの注意を引いている内に、岩山へ向かって掘って行く。

 奴の本体は岩山の中。最終的にはそこへ乗り込むことになる。これから掘る塹壕は、そのための道だ。

第220話 総合演習(2)

「ガーゴイルが激しくウザい」

 作戦の第二段階。二部隊での頭叩きと、その隙に岩山へ続く塹壕の延伸工事は、前者は成功、後者は半分成功といった結果に終わった。

 やはり岩山へ近づくにつれて、ガーゴイル共が反応して積極的に襲い掛かってくる。

「岩山まで、あと300メートルってところか」

 近いような、遠いような。僕でも全力疾走すれば一分はかからずに到達できる距離だ。

「もっと伸ばさないとダメだな。せめて50メートルまでは接近したい」

 何度も繰り返して、コツコツ伸ばして行こう。

「それじゃあ、次は第一部隊と第三部隊の組み合わせで。第二部隊は塹壕工事の蘭堂さんの護衛に回って」

 と、次の指示を出す頃には、またしても頭が潰されて出てきた増援のダブルヘッドが、誰もいないフィールドをキョロキョロしてから戻っていくのだった。リセット完了である。


 シギャアアアアアアアアアアッ!


 と、そんな甲高い雄たけびを上げて迫りくるのは、ガーゴイル共である。

 現在、岩山より距離約230メートル地点。

「ちょっ、桃川めっちゃアイツら来てるって! 撃っていい?」

「蘭堂さんはそのまま掘り進めて! ちょっと、弾幕薄いよ、なにやってんの!」

「いやぁ、これ以上はちょっと無理だべ桃川」

「数が多すぎるよー、そろそろ限界!」

 ちいっ、護衛の下川と夏川さんまで弱音を吐いている。この面子でガーゴイルの群れを留めるのはここらが限界か。

「ちぇっ、200メートルまでは行けると思ったんだけどなー」

 目標達成できなかった無念を胸に抱きながら、僕はメイちゃんに抱えられて撤退するのだった。

 まぁいい、こっちの体力と魔力が続く限り、何度でもトライできる。

 というワケで、次は第二部隊と第三部隊で頭を相手にしつつ、第一部隊を護衛に再び塹壕延長にチャレンジだ。


 シギャアアアアアアアアアアアッ!


 というすでにして聞き飽きたガーゴイルの雄たけびと、


 グォオアアアアアアアアアアアアッ!


 マジでヤバい重低音を発するヤマタノオロチの頭が耳を振るわせる。

「おい桃川! なんか蛇の方がこっち来てんだけどぉ!」

「くそ、この距離だとオロチも反応してくるのかよ……急いで撤退だ! 第一部隊じゃ止めきれない、蒼真君、なんとかして!」

「……仕方がない。龍一、手伝ってくれ」

「おう、ちょうど暇してたところだ、いいぜ」

 やはり持つべきものは戦力的な切り札だ。

 岩山との距離約200メートルを切った時点で、ヤマタノオロチがすでに戦闘をしている第二第三部隊よりも、接近を続ける僕らの方へターゲットを切り替えやがった。ちゃんとこっちの動きもヤツは認識していたということでもある。

 急に離れて行ったせいで、第二第三の面子では引き留めることもできなかった。ガーゴイルにたかられている上に、頭にも襲われれば対処しきれない。

 だから、こういう時に蒼真君と天道君が頭を引き受けて、僕らは無事に撤退を完了させる。

 被害は出なかったものの、早くも工事は躓いた形となった。

「桃川君、どうするの? もう一度挑んでみる?」

「いや、今日はもう帰ろうか」

 塹壕は岩山まで190メートル地点まで到達できた。200メートル越えでオロチが近い方を狙うという行動が分かっただけでも十分な収穫だ。

 それに、今回の演習の一番の目的である、前衛組みがどこまで頭に対抗できるかという挑戦結果も上々だ。二部隊ででも、まぁ安定して相手取れるということが分かった。

「また一日休んでから、明後日には作戦の第三段階を試してみることにするよ」




 というワケで、英気を養い再び、僕らはヤマタノオロチの巣へとやって来た。

「作戦の第三段階は、三部隊で頭三つまで相手をしてもらう」

 最初の頭一つを潰すと、必ず次は二つの頭が出てくる。で、その内に最初の頭がクソ回復能力で復活してくるので、最終的に頭三つを相手取ることになるのだ。

「一応、潰した頭の再生阻止の方も探ってもらおうと思ってる。とりあえず、委員長の氷漬け作戦は試したいから、よろしくね」

「ええ、分かっているわ」

 切り落とした首が再生する、というのはギリシア神話のヒュドラを彷彿とさせる。

 ヒュドラは落とした首の断面を火で焼くことで再生を防いだ、という有名な攻略法はあるが……残念ながら、このヤマタノオロチには通用しなかった。天道君がサラマンダーを倒して得た炎魔法で、断面を焼くのを試しているからだ。

 じゃあ、焼いてダメなら凍らせてみよう、というワケで委員長にはお願いしといたワケだ。多分、ダメっぽいんだけどね。

「桃川ぁー、ウチはまた掘ればいいの?」

「いや、蘭堂さんは頭潰しの援護に回って」

「いいの?」

「いいよ」

 なんだろう、この妙な間は。

 ああ、僕の作戦構想がちゃんと伝わってないからか。説明は最後までしないとね。

「それで、今回の作戦第三段階のもう一つの目的は、敵の本陣にある岩山に乗り込んで、偵察することだよ」

「待て、いくら偵察くらいと言っても、あそこには近づくだけでも危険だぞ」

「蒼真君、頑張ってね、君ならできる」

「俺が行くのかよ!?」

「他に誰か適任者がいる? やっぱ偵察任務に定評がある夏川さんとか?」

「わ、私は無理、無理だよ絶対!」

「……桃川、お前が行けばいいだろうが」

「酷いよ蒼真君、最弱の呪術師を信じて敵陣へ送り出すなんて!」

「こういう時のための、分身なんだろう。レムのスペアボディを用意したのも、そのためだろう?」

「流石、お見通しだったか」

 どう考えても捨て身の偵察任務には、僕の『双影ふたつかげ』と泥人形でいくらでも替えの利くレムを使うのが最適だ。

 みんなの実力も底上げしているから、スペアボディを作るにしても、リビングアーマー級の素材はすぐに調達できるようになっている。スペック的には、メイン機体である黒騎士やミノタウロスとそう変わりはない。

「あの岩山から、内部の本体まで続く洞窟とか道がないか調べて来るよ。他にも、何か攻略の手がかりになりそうなものを探そうと思う」

「そうね、いきなりあの場所にみんなで乗り込むワケにはいかないものね」

 岩山から本体を狙えるかどうかも分からないのだ。そんな状態で、イチかバチかで特攻をかけるなど愚かというか、約束された敗北ってものだろう。

「しかし、何もなかったらどうするんだ?」

「その時は、それでまた攻略法を考えるよ」

 内部へ続く洞窟が都合よくあれば、それでヨシ。そこを攻める方向で作戦を立てられる。

 何もないならば、別な方法を考えていくしかないだろう。蘭堂さんに掘ってもらうとかさ。

「岩山に乗り込む僕の方は全滅してもいいけどさ、みんなの方は気を付けてね。頭三つの第二フェーズでは、攻撃も激しさを増すから」

 いざって時は三大エースが救援に入るから大丈夫だけど。この第二フェーズまでなら、まだエース三人でも余裕を持って対処できる。

「それじゃあ、行こうか」




「お前ら、準備はいいかっ!」


 グガガッ、ゴワァアアアッ!


 という感じで元気な雄たけびを返してくれるスペアレム達は、改めて見ると立派なモンスター軍団である。

 まずは一号機スペアの黒騎士。元と同じリビングアーマーをベースとして作った機体だ。素材はほぼ同じだから性能も同等、のはずなんだけど、やっぱり経験値なんかも反映されているのか、元々の黒騎士の方が高い戦闘能力が出ることが実戦テストで判明している。

 元の2号機はアラクネ担当だったけど、アアクネって地味にレアモンスターっぽくて探しても発見できなかった。今の探索部隊は普通に強いし、アラクネも狙わずに避けるようになっているのかもしれない。

 ともかく、アラクネでスペアは用意できなかったので、代わりにゴーヴを使用した。

 使われたゴーヴは、この間とうとうお亡くなりになった毒薬&回復魔法の実験台を務めていた内の一体だ。ゴーマ村の長の方はまだ生きている。流石、長だけあってアイツはしぶといよね。

 それでも貴重な実験体の一つである。死体となっても、しっかり有効活用させてもらおう。これはエコだよ。

 小鳥遊がそんなスペア2号を見て「す、凄い怨念みたいなのを感じるようぅ、怖い!」とか言ってたけど、僕は何も感じない。この呪術師である僕がそれらしき怨念やら呪いの気配やらを感じられないのだから、何でもないのだろう。死ねばただの死体だ。

 3号機の方は、信頼と実績のラプターである。アルファほどの速度と乗り心地はないけれど、ノーマルラプターでも騎乗動物としては十分な性能を誇る。コイツに乗り込むことで、僕のしょぼい機動力をカバーである。

 4号機スペアは、ミノタウロス。ベースとなるミノゴリラは、探せば一応は見つけることもできるので、素材は調達できた。こっちも、元の4号機よりもややパワーダウンという感じだが、捨て身の偵察任務に投入するには十分な性能だろう。

 ひとまず、このスペア4機が僕が同時にフルで動かせる限界なので、ここまでとしている。あとは、あらかじめ召喚しておいたハイゾンビ7体とスケルトン13体を合わせて、岩山偵察特攻隊となる。

 準備は万端。すでに前衛組みが予定通りに頭との戦闘をちょうど始めたところである。

 本体の僕が前線司令部から、みんなの戦いが始まったのを確認する。

「よし、行くぞ! 突撃ぃーっ!」

 岩山まで190メートル地点まで掘り進めた塹壕を利用して、一列縦隊となって僕らは走り出す。

 早くもちょっかいをかけてくるガーゴイル共を蹴散らしたりスルーしたりして、いよいよ塹壕が途切れて地上へ出る。

「一気に突破する!」

 塹壕を抜けると、より激しくガーゴイルがたかってくるが、黒騎士とミノタウルロスのツートップを先頭に、道を切り開く。

 黒騎士は大盾と大斧。ミノタウロスは大きなスレッジハンマーを装備している。

 ガーゴイルは本物の石像ではないが、表皮は石のように硬いので、剣や槍より、斧や鈍器の方が有効だ。

 だから、スケルトン部隊にも斧とハンマーを装備させている。ハイゾンビはスケルトンよりパワフルだけど、武器を扱う知性がないので素手のままだけど。

「あともう少しだ」

 岩山はもう目の前。ガーゴイルの激しい攻撃を前に、早くもスケルトン一体、ハイゾンビ一体が脱落したが、問題ない。

 ヤマタノオロチの頭がこっちの方に来なければ、このまま突破できる。

「こっちを狙わせる気もないけどね」

 戦闘開始直後なので、頭はまだ一つ。そして、今回は第二フェーズまで挑むつもりなので、最初の頭は瞬殺だ。

 エースも控えた上で、三部隊が全力で攻めれば、頭が接近する僕らにターゲットを切り替える隙も許さず、叩き潰してくれた。

 直後に追加の頭二つの登場となるが――その前に、僕らは岩山へと辿り着ける。

「よし、到着だ」

 そうして、僕は初めて敵本陣たる岩山へと足を踏み入れる。

 なかなかの急勾配だけれど、断崖絶壁ってほどではない。十分に走って登れる程度の傾斜だ。

 遠目で見た通り、林のように太く高い石の柱が立ち並び、その上にガーゴイル共がカラスみたいにとまっている。

 奴らのホームまで踏み込んだのだ。攻撃はさらに激しさを増すだろう。

「とにかく前進だ。まずはあの目立つ中央の塔を目指すぞ!」

 岩山のど真ん中には、天を衝くような巨大な石柱がそそり立っている。古代遺跡の塔ではなく、本当に単なる石の柱が大木のように立っているだけだ。

 ひとまず、このまま真っ直ぐ進んで、一番目立つ真ん中の石塔に向かうのがいいだろう。他に目印になりそうなものもないしね。

「行けぇーっ!」

「グガガ!」

「ブモォアアア!」

 雄たけびを上げて、殺到するガーゴイルを蹴散らす主力二機。

 僕はスケルトンとハイゾンビの消耗を躊躇せず、とにかく少しでも先に進むために集中する。

「くそ、やっぱり何も見当らないな」

 まだ登り始めたばかりだが、岩の柱がある他に、洞窟の入り口になりそうな穴などは見つからない。本当に単なる岩山でしかない様子だ。

 見落としがないよう、くまなく全域を探索したいところだけど……流石にそれは無理だろう。

「ちくしょう、多すぎるんだよお前ら!」

 中央の石塔までの道半ばというところで、いよいよガーゴイルの密度が無双ゲーみたいになってきた。

 黒騎士とミノタウロスは力に任せて奴らを薙ぎ払えるが、貧弱なスケルトン共ではそうもいかない。ハイゾンビも素手だから決定的な火力不足。

「まずい、押し込まれる……」

 気が付けば、僕らの足は止まり、防戦一方。

 来た道にも敵が溢れ返っており、完全包囲されている。前門のガーゴイル、後門のガーゴイ、四面ガーゴイルである。

 まぁ、雑魚が大量に押し寄せてくる系のゲームでは、よく見られる絶望の景色だ。

「ゴギャアアアアアアアッ!」

 と、ただでさえゲームオーバー秒読み段階なのに、前方から新たな敵が現れる。

 群れるガーゴイル共をかき分けて、ミノタウロス並みの巨躯を誇る、デカいガーゴイルが二体も現れた。

「大型種もいるのかよ……」

 新手の大型ガーゴイルが、黒騎士とミノタウロスにそれぞれ襲い掛かると、ついに均衡が崩れる。

 その他大勢の雑魚ゴイル共が一斉に雪崩れ込み、

「くっそぉ、せめてお前は道連れぐわぁああああああああああああ!」

 そこで、全身をガーゴイルに引き裂かれ&噛み付かれて、僕は死んだ。ユーアーデーッド。

第221話 演習成果

 それから一週間ほど、僕は特攻偵察を続けて、今回の演習は終了とした。もう少し調べたかったけれど、スペアが尽きちゃったもんで。

「はい、みんな、総合演習お疲れ様でしたー」

 無事に一人の犠牲も出さずに演習を終えた後、学園塔へと戻った僕らは学級会を開いた。

 僕の呼びかけに、みんなは実にノリが悪くまばらな返事をくれる。お疲れ様というか、本当にお疲れなのだ。ここ一週間は、ほとんどずっと戦い通しだったからね。

「ヤマタノオロチの頭とやりあうのには、多少は慣れたかな」

「多少は、ね」

「簡単に言ってくれるなや桃川ぁー」

「アレの相手はマジでキツいんだからなぁ」

 ため息交じりに言う委員長に続いて、上田と野々宮さんが言う。他の前衛組みも、似たような感想といったところだ。

「お前の言うところの第二フェーズ、首を三つ相手にするところが限界だな」

 簡潔に、蒼真君が教えてくれる。

 前衛組みを全て投入しても、第二フェーズを耐えるのが限度。その先、首が五つとなりブレスが解禁される第三フェーズとなると、やはりどうにもならないようだ。

 まぁ、僕も偵察の傍ら、司令部からブレス乱射から必死こいて逃げるみんなの姿を見ているから、知ってはいるんだけどさ。塹壕掘っといてホントによかったよ。飛び込んで助かったタイミングが何度かあったよね。

「桃川君の偵察はどうだったのかしら」

「残念ながら、洞窟は見つからなかったよ」

 おまけに、ガーゴイル共の物量攻撃は想像以上だったし、大型種なんかも生息しているし、挙句の果てに――呼んでもいないのに、ヤマタノオロチの頭が直接、僕を狙って来ることもあった。

「岩山の方はかなり厳しい。ガーゴイルだけでも厳しいのに、乗り込んでいたら他の頭が出てきて狙って来ることもあるんだよ」

「流石に、ヤマタノオロチも本体に近づかれると警戒してくるようだな」

 そもそも、最初は必ず頭一つとか、次は三つで、五つ出てきてビーム解禁とか、ゲームみたいに行動が決まっている方が不自然なのだ。気分によって最初から八本頭が出て来たっておかしくないのが生物ってもんだろう。

「岩山に突破口はなさそうね」

 落胆した委員長の声が虚しい。

 期待はそこまでしてはいなかったけれど、やっぱり何もないとガッカリするもんだ。

 希望はすでにかなり低いけれど、まだ岩山の全てを調査できたワケじゃない。準備が整い次第、また偵察に出るつもりだ。

「小鳥遊さんの方は、何か解析して分かったことはある?」

 僕が聞きたかったけれど、僕が言うと野郎は無駄に渋るので、蒼真君に言ってもらった。さりげない根回しの成果である。

「うーん、えっとね……前よりも近くで見れたから、本体のコアの位置は詳しく分かったよ」

「どの辺にあんの?」

 僕が黒板にヤマタノオロチと岩山の全体像を描きながら問いかける。

「ホントに体の真ん中のところ。岩山のてっぺんに生えてるおっきい石の木の真下だと思う」

 なるほど、おおよそ当初からの予想通りの位置にあるわけだ。

「何か本体まで通じるような場所とかは、見当がつくかい?」

 根掘り葉掘り聞き出したい欲求を抑えて、蒼真君に質問の続きを促してもらう。

「本体はすっごく大きい殻に覆われているみたい。だから、岩山の方に洞窟があっても、殻のところで行き止まりになっていると思うな」

 た、小鳥遊テメぇ、それ言わなかったら僕は延々と無意味な洞窟探しを続けるところだったじゃねぇか! お前これ蒼真君に聞かれなかったら絶対言わなかっただろ。

 危ねぇ、マジで危ないところだった。

「つまり、岩山の岩石層と、オロチ本体の殻の二重構造になっているってことか」

「うん、そういう感じであってるよ」

 自分で黒板に描いて思うけど、これは想像以上に鉄壁の防御力だ。

 岩山がただの岩盤なら、蘭堂さんによる掘削も可能だが……本体のある殻は魔物の一部だから、土魔法は通らない可能性が高い。

「おい、どうすんだよ桃川」

「本当にあんな奴、倒せるんだべか」

 終わってみれば、これといって目ぼしい成果も希望もなく、あらためてヤマタノオロチの強大さを確認したように思える。

 そういう雰囲気をみんなも感じ取ったのか、不安の声が上がっている。装備も整えたし、みんなも確実に強くなった実感もあったからこそ、尚更だろう。

「……やはり、無理にでも首を倒して、下から本体を狙うしかないか」

「まぁまぁ、そう焦らないでよ蒼真君。今回の結果は、予想しなかったワケじゃない。ひとまず、みんなが第二フェーズまで、つまり首三つまでは抑え込むことができる実力があると確認できただけで成功だよ」

「だが、奴を倒し切るにはまだまだ足りないだろう」

「そのための方法は、これから考えるよ。みんなもここ一週間は戦ってばかりだったから、明日からはしばらく休もう」

 体が疲れていれば、気分も滅入ってくる。そういう時に良い案なんてそうそう浮かばないものだ。

「そうね、まずは休息をするべきだわ。これからのことは、それから考えましょう」

 みんなはね、それでいいよ。

 でも、僕はそうもいかない。

 みんなの希望といえば聞こえはいいが、端的に言えば士気に関わる。何か、ヤマタノオロチ攻略の糸口を早急に見つけなければ……




 翌日、僕はエントランス工房の片隅で、粘土工作に従事していた。

 作っているのは、144分の1スケールのヤマタノオロチフィギュアである。総合演習で毎日見た奴の顔だ。頭は勿論、岩山まで含めた全体的な外観はよく覚えている。

 覚えているから、別に立体物として作る意味はないのだけれど、気分転換も込みで、攻略法を考える上での見本として、だらだらフィギュア製作に勤しんでいる。

 幼稚園の頃、粘土遊び大好きだったな。こういうの、ちょっと自信あるんだよね。今ならさらに錬成スキルも込みで――

「おお、なかなかにリアルな出来栄え」

 僕もうこれで食っていけるんじゃないかというほど、立派なヤマタノオロチが完成する。魔女の釜に放り込めば、粘土像も速攻で焼き上がるのだ。

「製作に集中しすぎて、全然アイデア出なかったよ」

 でも気分転換には成功したから良しとしよう。

 僕は会心の出来のヤマタノオロチフィギュアの周囲に、現有戦力たる僕ら18人を現す駒を配置していく。オマケでついでに作ったのだ。チェスの駒をモチーフに、それぞれの天職を示すデザインにしている。各自の強さに応じて、駒の大きさも変えている。

「真っ向勝負では相手にならない。岩山に突破口も見当たらない……」

 戦力を一点集中させたところで、奴の弱点たるコアには届かない。進入路はなく、体ごとコアをぶち抜くなら、岩山を形成する岩盤と、分厚い甲殻と、超巨大な肉体、全てを貫かなくてはならないのだ。いくら蒼真君の光の剣でも、これを一気に抜くのは無理。ピンチで覚醒でもしないかなぁ。

「岩盤を削れたとしても、全然届きそうもないんだよね」

 ヤマタノオロチ本体殻の厚みも相当なものと思われる。まぁ、あの巨体で身につけた甲殻が、ペラペラの紙装甲なワケないんだけど。

「この硬さで、何メートルか、何十メートルもあるのかよ」

 と、僕は掌にある薄らと青白い輝きの鱗を、暗い表情で見つめる。

 この鱗は、オロチの生首に『永続エタニティ』をかけることで回収できた、僅かな素材の一部である。

 結局、落とした首には『永続エタニティ』をかけても、この小さな鱗が数枚、甲殻が一切れ、といった程度の量になってしまう。アイツの体どんだけ魔力依存だよ。

 けれど、こうして完全に物質的に残されたヤマタノオロチ素材は、非常に硬質なのだ。サラマンダーやサンダーティラノの鱗と並ぶ頑強さだろう。素材としては優秀だが、如何せん、入手量が。みんなの苦労に見合わない。

 そして、この竜鱗並みの硬さの鱗と、同じ質で本体殻は形成されていると、小鳥遊の分析結果が付きつけられている。

「この硬さの巨大殻じゃあ、傷一つつけるのも大変だ」

 少なくとも、首の比じゃない防御力だろう。現状で、完全にヤマタノオロチの首を斬り落とせるのは、三大エースのみ。

「せめて、殻の壊し方を確保しないと……いや、殻に覆われてない部位を探す方がいいのか?」

 しかし、そんな都合の良い弱点なんてあるだろうか。あれば、小鳥遊が見つけていてもおかしくない。

「こんな殻、ダイナマイトがあっても壊せないよ」

 単純な物理攻撃力では厳しい。ヤマタノオロチの装甲値は、最早、怪獣映画並みではないだろうか。要するに、戦闘機がミサイルばんばんぶち込んでも無傷なレベル。

「くっそぉ、火に弱いとか、氷に弱いとか、弱点設定しとけよな」

 無敵の装甲とか、割とクソゲー要素である。こういうのは大体、敵にだけ適応されて、プレイヤー側だと弱点だらけだったりするよね。

 無敵だけどクッソ短い効果時間とか、防御力がウリのくせに集中砲火浴びると一瞬で溶けるとか――

「……これ、溶けるのか?」

 物理攻撃に、火、雷、氷、などの属性攻撃とは別に、酸による溶解というのはどうだろう。

 そういえば、試していなかった。

「――『腐り沼』」

 モノは試しに、小さく作った沼に鱗を放り込む。

 すると、ほんの少し……けれど、確かにシュワシュワと炭酸のような反応が見られた。

「もしかして、溶けるんじゃないのかコレ!?」

 弱点、と呼ぶほど劇的な溶け方ではない。しかし、叩いたり燃やしたりするよりも、遥かに鱗を消耗させる速度は早いだろう。

 今の僕らが持ち得る手段の中で、殻を破壊するのに最も効率的な手段は、コレなのかもしれない。

「バジリスクの時みたいに、魔法陣込みでかければ……今なら供物も贅沢に……」

 行ける、かもしれない。

 もし分厚い殻を虫歯みたいに溶かして穴を穿てるなら、本体コアまであと一歩。そこまで行けば、光の剣も届くだろう。

「いや待て、落ち着け、早まるな。もし儀式『腐り沼』で穴を開けられるとしても……僕本人が行かないといけなくなる」

 分身は『黒髪縛り』と少々の『腐り沼』程度なら使うことはできるが、魔法陣と供物を使っての儀式発動となると、僕自身じゃないとできない。

 赤ラプターの時は、海辺ホテルで本体からも見える位置にあったから、発動だけはできたワケで。分身だけだと、魔法陣を描いて、供物をセッティングする準備までしかできない。

「岩山まで乗り込めば、撤退するのも簡単じゃない」

 何度も挑んで、少しずつ掘り進める、みたいな真似は現実的ではないだろう。あそこの猛攻振りは、偵察してきた僕自身が一番良く知っている。

「あまりに危険すぎる。レム全機投入しても蹂躙されるんだから、他に護衛も連れて行くとなると……」

 絶対に動かないヤマタノオロチに対し、僕らの有利はいつでも好きなタイミングで仕掛けられることと、逃げられること。死にさえしなければ、何度でもリトライ可能だ。

 けれど、死ねばお終いだ。誰か一人でも欠ければ、そこで僕らの戦力は永遠に削られる。ヤマタノオロチは幾ら首を失おうとも補えるが、クライメイトの補充は不可能。

「この作戦は何度も挑めない。必ずどこかで死人が出る」

 こんなリスクのある作戦は採用したくない。他人の命がかかっていなくても、儀式発動する僕は絶対に行かないといけないのだから、どっちにしてもハイリスクもいいところだ。

「けれど、他に殻を抜く方法がないなら――」

 危険は承知で、どこまで成功率を高められるか、という方向にシフトしなければいけない。最善は尽くす。だが、結果はお祈りということに。

 人事を尽くして天命を待つ。

 いい言葉ととられがちだけど、僕からするとリスクマネジメントの概念が欠けた精神論としか思えないので、あんまりポジティブなイメージ持てないんだよね。けれど、とれる手段が限られると、マジでこの言葉通りにするしかないこともあるんだね。

「よし、一旦保留だ」

 このまま考え続けると、覚悟を決める、決めない、という部分に行きついてしまう。自ら思考の幅を狭めることはない。別なことを考えよう。

「そうだ、どの道、八本の首対策は必須だし」

 無限再生のクソ頭をどうにか封じなければ、本体コアへの攻撃はままならない。

 演習結果からすると、前衛組みで首三本、三大エースで首五本、とそれぞれ限界数まで受け持つことは可能。可能というだけで、勝てるとは言っていない。

「3と5で分散できたとしても、ある程度まで耐えるので精一杯だろう」

 頭五つの第三フェーズ突入でブレスは解禁される。そうなると、頭三つでも劇的に攻撃力と範囲も変わる。誰か一人ウッカリ脱落すれば、そのまま一気に戦線も崩壊しかねない。

「というか、八本首揃ったら、さらなる力を解放とか……?」

 そもそも、現状では三大エースによる五本首相手までしか至っていない。八本全部が出てくるとどうなるのか、完全に未知の世界である。

 アクションゲームのボスデザインとすれば、全力を出せる状態になると、新モーションが追加されるし、これまで以上に攻撃が激化するのは当然の仕様だ。ヤマタノオロチも、単純に八つの頭がブレス乱射するだけに留まらず、さらに強力な広範囲を薙ぎ払う必殺技などを使ってきてもおかしくない。

 初見で巨大ボスの必殺技とか、発動したら絶対に凌ぎきれない。下手すりゃ一発で全滅。何人か欠けるだけでも、戦力的には完全に詰みでもある。

「理不尽難易度すぎる……やっぱリアルはクソゲー」

 現実の厳しさに改めて呆然とするが、しばし間を置いて、思考が復活する。

 落ち着け、このゲーム脳。現実だからこそ、ゲームのように仕様に縛られない攻略法も可能というものだ。

 ゲームだったら、絶対にボスは全ての力を解放し、プレイヤーはそれと真っ向勝負をしなければならない。バグ技、ハメ技、グリッチは除く。

 しかし現実世界においては、往々にして本気を出せずに負ける、ということはよくある。というか、負けた奴って大体、「本気じゃねーし」とか言わない?

「ヤマタノオロチの全力に付き合う必要はない。八本首を絶対に揃えさせちゃダメなんだ」

 何としてでも、第三フェーズ、首五本と戦う状態までに留めなければいけない。それ以上、首が増えればこちらの対応力を越えられる。

「ということは、どうにかして常に首三本は無力化しておかないといけないワケか」

 完全に動かない状態でなければダメだ。前衛組みが戦って食い止めているようではいけない。八本揃ったら必殺技発動、くらいに考えておかないと。

「首一本あたりの完全回復まで5分。でも、奴も無理すれば2分か3分でも動き出せる」

 現状の戦いぶりでは、奴が回復中の首まで動かさなければいけないほど、追い詰めたことはない。でも、おおまかに頭部の形が揃えば、動かすことは十分に可能なはずだ。

「最初の一つを潰してから、1分以内に第二フェーズの首二つを潰す。後は三つの首を攻撃し続ければ……うーん、流石に無理がありすぎる」

 出てきた順番に速攻で潰して行けば、なんて安易な考えは、実際の戦場を見れば不可能だと分かる。そもそも、首一つ落とすのでも結構、大変なのだ。

 全力を尽くせば、今の僕らなら第二フェーズの開始段階、出現した首二つを一分以内に叩き潰して無力化することは不可能ではないだろう。

 だが、第三フェーズが凌げない。首三つが無力化状態にあれば、第三フェーズ開始時点では、首三つだけが相手となる。でも、その三つは出てきた瞬間から全力でブレスをぶっ放す。

 この状態の首を、一つ落とすことすらできていない。

 さらに、この時点では第二フェーズまでで倒した首三本を、回復阻止のために最低三人は攻撃し続けねばならず、手が空かない。一分でも攻撃の手が止めば、首は復活する。

 常に最低本数を相手にし続けても復活を許すような状況になれば、対応しきれていないのは明らかだ。

「そもそも戦闘時間ずっと、首を攻撃し続けるってのも現実的じゃあないんだよなぁ……」

 いくら天職の力で強くなっても、スタミナは永遠に続かない。武器の消耗だって馬鹿にはならない。

 何時間もの長時間戦闘を想定するなら、交代して休憩を挟むことも考慮にいれなければいけないだろう。そうなると、常に18人全員が戦えるワケではないということになる。

「もし『腐り沼』で殻を溶かせるとしても、かなり時間はかかる」

 思っていた以上の、長期戦となりそうだ。

 しかし、そうなるとますます、戦いは厳しいものとなる。全員で戦ってもイッパイイッパイなのに、どこから休息を入れる余裕をひねり出すよ。

「それじゃあ、首三本は三人が攻撃し続けるよりも、楽に封じられる手段を見つけないといけないワケか」

 どうしよう、考えれば考えれるほど、必要な条件がどんどん増えて行くよ。

「あー、ダメだ、希望が見えない……」

 もっと現実逃避の気分転換が必要か。よぅし、今度はヤマタノオロチなんかより、もっと色気のあるモノ作ろうかな。いっそエロフィギュアでも作ってやるか。どうせメイちゃんに蘭堂さんと、理想的な爆乳モデルは身近にいるわけだし。

「僕、日本に帰ったらフィギュアで食っていくんだ」

 人形はいいものだ。動かないからこそいい。ただ、あるがまま、その姿がそこにあり続ければ――

「――そうか、動かなければ、それでいいのか」

 倒す、という前提だから無理が生じる。

 絶対的な無限回復能力を持つヤマタノオロチを前に、むしろ、戦って頭を潰す、というのは完全に無駄な作業と言ってもいい。

「頭は無傷のまま。でも、動かないようにすればいい――封印だ」

 封印といっても、石やら壺やらにサイズを無視して閉じ込める、みたいなアレではない。

 ただ動かなくなる状態にさえなればよいのだ。

 それこそ、日本神話における八岐大蛇が、酒をガブ飲みして酔いつぶれたように。

 勿論、こっちのヤマタノオロチにアルコールは効果はない。演習で試してみたけど、結構な量のワインを用意してやっても、野郎、見向きもしやがらねぇ。

 ともかく、動きを封じるという意味での封印を、オロチの首にしかける。

 全部は無理だろう。だから、最低三本。

 三本首の封印を維持するのに、何人必要だ。三人じゃダメだ……二人、いや、一人でもたせる。術士は二人、交代させて魔力回復。

「三本首をまとめて封じて、もう反対側で五本首を食い止められれば、拮抗状態だ」

 この状態を維持するのに必要な人数を削れれば、その分だけ本体攻撃隊へと回せる。

 岩山の頂上で長々と儀式発動……その間、首の封印と、戦闘を続ける……できるのか、本当に?

「できる。ギリギリだけど、ヤマタノオロチを倒せる――いや、これで倒すんだ」


第222話 ヤマタノオロチの攻略法

「ヤマタノオロチの攻略法を考えたから、ちょっとみんなに聞いて欲しい」

 一晩考え込んだ攻略原案を、僕は早速、朝食後に学級会を開いて披露することにした。早めに方針を打ち出しておかないと、グダりそうだしね。

 危険も承知、粗も多い。けれど、簡単お手軽に一発攻略なんて裏ワザ染みた方法なんて、現実にはそうそうない。立てた計画は、不断の努力によって成功へと導くのだ。

「流石、と言うべきなのかしら。もっと行き詰まると思っていたけれど」

「とても完璧とは言えない作戦だけどね。かなりの危険も伴う。でも、現状では一番可能性のある方法だと僕は思う」

「いいだろう、聞こうじゃないか」

 蒼真君を筆頭に、みんなは僕の打ち出す作戦案に興味津々といった感じ。聞く準備ができているなら、いくらでも語ろうじゃないか。

「大まかな方法としては、岩山に乗り込み、本体コアまで穴をあけて、直接攻撃を叩きこんで破壊する」

 そんな誰でも思いつく単純な作戦で、とガッカリした表情しないでよ。その単純な方法を実現させるための手段を確保するのが、僕らの頑張りどころなのだから。

「小鳥遊さんの『魔力解析』によると、ヤマタノオロチはその巨体に加えて、分厚い甲殻と、さらにその上に岩山を形成する岩盤がある」

 黒板にヤマタノオロチの簡易的な断面図を書きながら、説明を続ける。

「岩山の層は、本当にただの岩盤になっている。だから、ここは蘭堂さんの土魔法で掘削することが可能なんだ」

 演習の際に、岩山に転がってる石ころなどを回収し、蘭堂さんにそれを土魔法で操れるかどうかの実験はしている。石は当然、岩盤と同じ質のものだ。

 ヤマタノオロチの外殻のように、本体から魔力的な繋がりがなければ、普通の地面と同じく土魔法で操作は可能となる。

「一番の問題になるのは、この外殻の部分」

 ここは奴の鱗と同じ質の甲殻によって形成されている。鱗一枚でもどれだけの強度があるかというのは、前衛組みのメンバーには今更説明するまでもない。

「今の僕らが持てる最大の魔法、武技、を当てても、どうにもならない硬度と厚さがある」

 だが、なにも一撃で破壊しなくてはいけない道理はないだろう。少しずつ、けれど着実に、穿つことができればいい。

「実験によって、この甲殻の成分なら、僕の『腐り沼』で溶かせることが分かった」

 そこで、掘削機代わりに、魔法陣と供物による儀式発動の『腐り沼』、その溶解力の最大出力でもって、ヤマタノオロチ外殻を溶かして穿つ。

「殻にさえ穴が開ければ、本体コアまで攻撃が届く。できれば、一発で破壊できるよう、上級攻撃魔法を使いたい」

「なるほど、確かに殻を突破できるなら、コアを壊せるようになるが……穴をあけるのに、どれだけ時間がかかる?」

「もう少し実験を重ねないと、正確な時間は出せないけど、5分や10分で終わることはまずないだろうね」

 下手すると何時間も。殻は相当な厚さだろうし、なにより、溶かせる、というだけで劇的な効果があるわけじゃない。

 魔法陣と厳選した供物の他にも、『腐り沼』の威力を高めるための手段は模索するつもりだけど、それでどこまで効果が上がるかは未知数だ。

「今の戦力じゃあ、八本首を抑えていられるのも限界があるぞ」

「分かってる。だから、次は頭をどうやって押さえ続けるかの説明になるけど――」

 ヤマタノオロチの首は、これまでの戦いの結果から、出てくる場所が決まっていることが判明している。

 上から見た岩山をざっくりと円の形とするなら、そこからちょうど八等分した位置から、首はにょっきり生えてくる。だから、どの方向から接近しても必ず近い場所の頭が反応する。

 それに観察した限りでも、首が出てくる洞窟はその八か所しか確認できていない。

 首一つにつき、出てくる洞窟は一つだけで位置も固定。でも、首が長いから、たとえ反対側で戦闘しても、ニョロニョロ伸びて回り込んで頭は届く。

 どこで戦うにしても、八本の首は全てを相手にしなければいけない。

「僕は八本首が揃ったら、確実に負けると思う。本気を出して必殺技を繰り出す可能性もあるしね。だから、絶対に八本全てを揃えない状況を維持し続けるのが前提となる」

 必殺技なんかなくても、八本同時に相手しきれないけどね。

「首を三本分、動きを完全に止める」

「でも、首は落としてもすぐに再生するわよ」

「倒すんじゃなくて、無傷のまま動きを止めればいい。つまり、拘束するってこと」

「……そんなことができるの? あの大きさよ」

「倒しても無限に再生するんだから、延々と倒し続けるよりも、身動きを封じる方法を開発した方が可能性あると思うんだよね」

 勿論、委員長の言う通りにあの大きさ、つまり電車みたいなサイズの大蛇を止めなければいけない。そう簡単にはいかないだろう。

「ヤマタノオロチは再生能力があるから、ダメージを与える攻撃は無意味だ。だから単純に動けないよう、物理的に拘束するのがいいと思う」

「なるほど……私の氷魔法は、氷柱を撃つよりも、氷漬けにして地面に張り付かせた方がいいってことね」

「委員長、正解。頭の拘束には委員長の氷魔法を中心に考えている」

「でも、私一人じゃ無理よ。頭一つ、氷漬けで止められるかどうかも分からないわ」

「だから、他の魔法も組み合わせる。まずは蘭堂さんの土魔法」

「えっ、なに? ゴメン、あんま聞いてなかった」

 蘭堂さん真面目に作戦説明は聞いてよね! 僕らの進退がかかっているんだから。

「土魔法で首を固める」

 ヤマタノオロチの首を、地面に縫い止めるように拘束できればいい。穴を掘って、頭を生き埋めにするような形でもいいし。どういう風にするかは、また演習で試して行けばいいだろう。

「魔法以外にも、鋼鉄のワイヤーなんかをいっぱい用意して、繋ぎ止めてもいい」

 金属素材はそれなりに手に入る。魔物の武器や鎧を全部ワイヤーの錬成につぎ込めば、それなりの量が用意できるはず。砂漠エリアの光石採掘場でも、鉄鉱石のように金属質の鉱石も採れるからね。

「あとは、毒で力そのものを弱らせる」

 最有力候補は『クモカエルの麻痺毒』だ。ゴグマでさえ一刺しで動きを鈍らせた、かなり強力な麻痺毒である。殺せなくてもいい、ただ力が弱まりさえすれば、その分だけ拘束時間を伸ばせる。

 ただし、コイツは少量生産が限界だ。ヤマタノオロチはただでさえデカいから、効果を及ぼすには量も必要となってくる。あまり大量に用意できそうもないのがネックである。

 一応、他にももう毒なら何でもいいとばかりに、作れるだけ色んな毒を用意しようじゃないか。おまけに『赤き熱病』もかけてやる。

「勿論、余裕があれば随時、拘束中の首を攻撃してダメージを与え続けてもいい」

 頭が拘束を抜け出すのに全力を振り絞れない時間は、長ければ長い方がいい。物理的に首の動きを封じているのは、土魔法、氷魔法、ワイヤー、の三種類だけ。どれもアイツが本気を出せば、早々に破られそうでもある。

「これで、最低でも三本の首を封じることができれば、真っ向勝負で食い止める首は五本だけ。今の僕らでも、ギリギリでなんとかなる本数だ」

「おお、スゲーぜ桃川!」

「これなら行けるんじゃね?」

「可能性が出てきたべ」

 上中下トリオは素直に希望を見出している感じだけど、そうでもない人もいるようだ。

「そんな簡単に上手くいくかな……首一本封じるだけでも大変そうだし」

「ああ、三本首を止めるのは、今はまだ希望的観測だろう」

 中嶋と剣崎、仲良くなったよね。後ろで姫野さんがすっごい恨みがましそうに見ているよ。

 でも、二人の言うことももっともだ。この辺は実際に試してどこまでできるか探っていくことで、成功率を高めていくしかない。

「小太郎くん」

 そして、一番納得してなさそうな顔をしていたのは、メイちゃんである。

「この作戦だと、小太郎くんが直接、岩山に乗り込まなきゃいけないよね?」

「うん、そうなるね」

 儀式発動なもんで。

「私は反対だよ。危なすぎる」

「危ないのは、みんなも一緒だから」

「あそこまで行ったら、逃げ場はないんだよ。いっつも全滅してたの、私、見てたよ」

 僕の分身&レムスペアの特攻偵察隊は、毎回、名誉の戦死を一人残らず遂げていたからね。使い捨てなのでハナから逃げる気もなかったけど、逃げ場が見当らないのも事実ではある。

「確かに、岩山は敵陣のど真ん中で、外側で頭と戦うよりも危険は大きいよ。でも、それをしなければ、僕らに勝ち目はない」

 ヤマタノオロチという、あまりにも強大なボスモンスターを倒すためには、どうしても払わなければならないリスクである。戦力の拡充はできない。スルーもできない。決して避けては通れない道だ。

「だから、僕は行くよ。別に言いだしっぺだから、率先して自己犠牲なんて気はないよ。殻を突破するには、どうしても僕の力が必要ってだけのこと」

 まぁ、これで他の人が提案した作戦だったら、大いに渋っただろうけどね。お前が作戦の肝だから、お前が一番危険なところに乗り込めよ、なんて他人に指図されたら堪ったもんじゃない。うるせぇ、だったら全員道連れにしてやるぜくらいの反骨精神が出ちゃいそう。

 これは自分で考えて、もうこれしかないと心から納得できるから、覚悟も決まるのだ。

 死ぬ覚悟じゃない。何が何でも成功させて、生きて帰る覚悟だ。死ぬ覚悟とか、僕には最も縁遠い感情だよ。

「小太郎くん、だったら――」

「うん、だから、僕を守ってよ、メイちゃん」

 頭の相手から三大エースの一角である『狂戦士』を引き抜くのは大きな賭けである。

 けれど、最も危険な死地に赴くにあたっては、最も信頼できる者を護衛に抜擢するのは当然の判断だ。

「そっか……うん、分かったよ、私が絶対に、小太郎くんを守るから」

「まぁ、僕以外にも蘭堂さんも絶対来なきゃいけなくなるんだけどね」

「ちょっと待って聞いてない、ウチそんなの聞いてない」

「うん、蘭堂さんが聞いてないだけで、僕ちゃんと説明はしたよね」

 僕が他の誰にも破れない殻を突破する。でも、その前段階として、これまた分厚い地層を形成する岩盤をどうにかしなければいけないのだ。

 この岩山の地面を突破するのは、蘭堂さん以外にはいない。

「あ、あんなイッパイいるところに行くとか、無理だって」

「大丈夫だよ、ちゃんとメイちゃんを筆頭に他にも護衛はつけるから」

 僕本体が乗り込むのだ。当然、その時は真の実力を発揮する、レムの主力機体を全機投入だ。

 勿論、それだけではない。

「殻に穴を開けるまでの間、僕らも敵のど真ん中で耐えなきゃいけないからね。メイちゃんの他にも、手がいる」

 ちょっと、みんながザワつく。

 そりゃそうだ。メイちゃんじゃなくても、みんな、僕が岩山に乗り込んでどうなったかの末路は知っているからね。見た目的にも結果的にも、生還率0%の死地である。

 そんな場所に、誰が道連れとして選ばれるのか。戦々恐々といったところだろう。

「まずは下川君」

「俺かよぉおおおおおおおおっ!」

 いやだー、と半狂乱になって逃げ出しそうな下川を、早くも上田と中井が完璧な連携プレーで左右から抑えにかかっていた。流石、親友同士だね君達。

「な、な、なんで俺なんだべ桃川!? お前アレだぞ、俺だって魔術士で貧弱だから、ちょっとガーゴイルに噛み付かれたら死ぬぞこらぁ!」

 自分の貧弱ぶりをそんな威勢よく言わないでよ。悲しいかな、本体が弱いのは、魔術士クラスの定めってやつだよね。

「あの敵地のど真ん中で耐え抜くには、下川君の力がどうしても必要なんだよ」

「俺にできることなんて、霧で隠れるくらいしかできねーべや!」

「そう、それだよ。それでいいんだよ下川君」

 あそこには無数のガーゴイルがひしめいている。そして侵入者を見つければ、雪崩を打って攻め寄せてくるワケで――見つからなければ、奴らは動かない。

「岩山に乗り込んでから、掘削地点周辺までを『水霧アクアミスト』で覆う。そうすれば、僕らは目の前の奴らだけを相手にすればいい」

 四方八方から無限に襲い掛かってくる状況では、いくらメイちゃんであってもいつかは物量で潰される。

 だが、前方のみに限れば、百でも二百でも蹴散らして行けるだろう。

「僕が偵察した限りだと、ガーゴイルは積極的に仲間を呼んではいない。奴らが殺到して襲い掛かってくるのは、それだけの数に気づかれているから。奴らは軍隊みたいに連携してるワケじゃないんだ。気づかなければ、その場から動かないんだよ」

 僕の偵察隊が襲われた時、遠くのガーゴイルは動かなかった。多分、僕らが戦っているのが、見えていないし、聞こえてもいないのだ。

 気づいた奴だけが我先にと襲い掛かって来るだけで、他の奴らが包囲を固めるような戦術的な動きは一度も見られなかった。なんというか、目の前の奴にしか襲わないとか、ゾンビみたいな単純思考である。

「だから、『水霧アクア・ミスト』で目くらましをすれば、僕らを狙ってくるガーゴイルは最低限まで減らせるはずなんだ」

「ほ、本当だべか……?」

「本当だよ。僕だって死にたくないんだ。無理なことはさせないよ」

「あー、ちくしょう……分かったよ、やればいいんだべ」

「頑張れよ下川!」

「無事を祈ってるぜ!」

「クソ、お前ら人がやると思って……やっぱりヤル気なくなってきたべ」

「じゃあ、下川君が快く特攻隊に志願してくれたので、次の指名をしまーす」

「お前今特攻隊とか言ったべ!?」

 下川がなんかギャアギャアうるさいけど、さっさと話を進めよう。

「山田君に、護衛をお願いしたい」

「お、俺か……いや、でも、そうだよな、こういうのは俺が向いているか」

 おおお、まさか山田がこんなにも素直に使命を受け入れるとは。一体、いつこんな覚悟完了した立派な男児になったんだい。

「ありがとう。自分の役目をよく理解してくれてるみたいだね」

「どっか一か所で守り通さないといけねぇなら、『重戦士』の俺が適任だろ。盾とか鎧とかも、もらったしよ」

 山田ホントにカッコいい。とても、雲野郎のエロ罠にかかって女子小学生と乱交妄想していたとは思えない、ストイックな雰囲気を今は醸し出している。

「その通り。霧で多くのガーゴイルは放置できるけど、近くの奴らだけでも相当数集まるだろうし、大型の奴もいる。防御力の高い前衛が体を張って止めてくれないと、守り切れないと思う」

「おう、分かった。やるだけやってやるよ」

 本当にありがとう、山田。僕は感謝の気持ちを込めて、思わずパチパチ拍手しちゃったよ。みんなも拍手している。なにこれ、ホントに特攻隊員に決まったみたいな雰囲気だよ。

「それから、最後にもう一人。どうしても一緒に来て欲しい人がいる。それは――」

 ゴクリ、と唾を飲む音が聞こえた。次に貧乏くじを引くのは誰か、みんなが固唾を飲んで僕を見つめてくる。

「――蒼真桜。君がこの作戦の最後の鍵だ」

第223話 封印の槍

 ドドドド、ガッシャーン!


 という盛大な砕け散る音を立てて、ヤマタノオロチが土砂と氷を撒き散らしながら、唸りを上げてその巨大な鎌首をもたげる。

「はぁ……頑張って考えた攻略法があっけなくパワーだけで破られると、萎えるよね」

「なに言ってんだ桃川!」

「早く逃げるわよ!」

 早々に塹壕へ飛び込んだ蘭堂さんと委員長に続いて、相変わらずメイちゃんに抱えられた僕も逃げ出すことにした。

 僕が打ち出したヤマタノオロチ攻略作戦、その柱の一つである三本首の封印。今日はその実験として、第一フェーズの一つ頭を相手に、蘭堂さんと委員長が協力して土と氷の魔法で拘束を試みたのだが……あの轟音と共に一発で砕け散った。

 そして今は、前線司令部に戻って反省会。

 まぁ、敗因は明らかだけど。僕が思っていたより、オロチがパワフルでもあるし、魔法による拘束力も脆かった。

「桃川君、これはもうダメじゃないかしら」

「いや待って委員長、諦めるにはまだ早いよ」

「ウチも無理だと思うなー。あれ結構、ガンバって固めたんだけど」

 うん、努力は認めるよ。二人とも、決して手を抜いたワケではないというのは。

 土魔法と氷魔法で、オロチの頭を地面へとくっつけるように固めた。前衛組みの支援があれば、ここまで上手くできたんだけど……

「麻痺毒で力が弱められたとしても、これじゃあ少しでも毒の効果が薄まれば、すぐに拘束を破ってしまうわ」

「もっと強い拘束力がないと話にならないね」

「だからこれ以上は無理だってー」

 困った、とばかりに委員長は自分の氷の杖を見つめる。蘭堂さんもヤル気なさげに、だらしなく足を投げ出して座っている。あっ、そんな体勢だと見え――

「思い切って、杖を強化してみる?」

 通称、小鳥遊ガチャ。

 ある程度までは安定して強化できるけれど、それ以上の性能にしようと無理に錬成を試みると、武器が壊れてしまうという、クソみたいなネトゲの強化システムを地で行くのが『賢者』の能力である。

「流石に、これを失ったらもっと成功は遠のくわよ」

 今のところ、委員長が愛用している氷の杖は一品モノである。

 実は氷結晶を用いて一段階、強化は果たしているのだが、これ以上を望むとガチャになる。

「ウチもコレ強くすんなら、天道に頼まないといけないしー」

 蘭堂さんが頼めばすんなりOKしてくれそうだけど、天道君は別に本職じゃあないからね。強化するにも小鳥遊と同じくらいの限界値とみるべきだ。一応、蘭堂さんを通して確認はしてみるけど。

「けれど、あの感じでは多少、強化されたくらいでは歯が立たないわよ」

「うーん、そうなんだよね。根本的に方法がダメなのか……」

「ねぇ小太郎くん、ニョロニョロした長いのを止める時は、頭を刺した方がいいよ」

「それって料理の話だよね?」

「うん、ウナギを捌く時は、目の下の顎の辺りに目打ちを刺して固定するんだよ」

 ウナギとヤマタノオロチとじゃあサイズがありすぎて――いや、でも、これが出来ればさっきの方法とは比べものにならないくらい、ガッチリ固定できるんじゃないだろうか。

 そもそも、奴が再生する時に、異物が体内にあったらどうなるんだ。都合よく破壊されて除去されるのか、それとも、異物は取り込んだまま再生されるのか……

「メイちゃん、採用」

「え、ホント? やったぁ」

 素直な笑顔で喜ぶメイちゃん。守りたい、その笑顔。守られるのは僕の方だけど。

「いやホント、天才的な閃きだよ。マジでありがとう」

 こういうところで計画ってのは頓挫したりするものだからね。時間をかけて考えれば、ウナギ式の刺す固定方法は思いつけたかもしれないけど、今すぐそのアイデアが出るというのが大事なのだ。

 三人寄れば文殊の知恵、とはよくいったものだ。別に僕は完璧超人な天才キャラではないから、一人で考えればつまんないことで行き詰まったりもする。他の人のアイデアというのは、貴重なモノである。有用な意見は尚更だ。

「というワケで、刺す方向に切り替えていこう。蘭堂さん、『岩石槍テラ・クリスサギタ

で初めてゾンビ貫いた時のこと、覚えてる? あんな感じでよろしく」




 ドドドド、ガッシャーン!


 という盛大な砕け散る音を立てて、ヤマタノオロチが土砂と氷を撒き散らしながら、唸りを上げてその巨大な鎌首をもたげる。

「よし、効果は十分だ! 撤退するぞ!」

 退けぇー、と叫びながら、僕らは最寄りの塹壕に飛び込んでそそくさと退散する。さようなら、いつも実験に利用している第一フェーズの頭君。またよろしくね。

「メイちゃんの天才的なアイデアによって、奴の頭を封じる可能性が見えました」

 はい、みんな拍手。パチパチパチ。成果を上げた人は褒め称えないとモチベも上がらないだろう。褒めるだけならタダだしね。

「でもウチが一番活躍したし」

「そうね、ああいうやり方は蘭堂さんが上手かったわね」

 トーチカ建設工事で『岩石槍テラ・クリスサギタ』を柱にしてガンガン建てまくったりしたからね。直立状態で攻撃魔法を形成させるのにも慣れているのだ。

「委員長も練習すれば上手くなるよ」

「ええ、具体的な目標は見えているから、何とかなりそうよ」

 新しい魔法を授かるのは、神様の気まぐれだから期待できないけれど、魔法の使い方は練習次第だ。直情から巨大な氷柱をぶちこむ撃ち方を、委員長ならすぐ習得するだろう。

「桃川ぁー、ウチのことも褒めれー」

「あー、もー、分かったから邪魔しないでよー」

 構って欲しいのか、僕の頭を無駄にワシャワシャしてくる蘭堂さんである。ええい、この褒められたがりめ。

「蘭堂さんのことは頼りにしてるから。塹壕にトーチカも作ったし、今のところ一番頑張ってる魔術士だよ」

「へへー、そーだろー?」

 満足気にしているけど、ワシャワシャはやめてくれない。だからといって、止めはしない。

 だって、無駄に密着してるから、後頭部におっぱいの感触が。これは役得だ。もう少しこのままで――あっ、メイちゃんがなんか真顔になってて怖いから、やっぱ今すぐ終了で。

「ともかく、蘭堂さんに頼り過ぎになるのも問題なんだけどね」

「桃川君の作戦だと、蘭堂さんの本命は岩山の岩盤掘りでしょう? ずっと封印についていられないのは、不安になるところね」

 そう、ここは作戦の粗の一つ、大きな不安要素である。

 作戦の流れ的には、まず三つ首封じから始める。この封印が失敗すれば、作戦の前提条件の一つが崩れることになるので、作戦続行は不可能だ。

 本体攻略で岩山に乗り込んで行くのは、この三つ首封じが確実に成功してからになる。つまり、最初の封印作業には蘭堂さんが参加できる。封印が終わったら、僕らと一緒に岩山へ出発だ。

 僕らが岩山へと乗り込んだ後は、封印できる魔法を持つのは委員長一人となってしまう。万が一、が起こった時、対処力には大いに不安が残る。

「なにより、私は『永続エタニティ』を使えないわ」

「……やっぱり、ないと厳しいよね」

 ヤタノオロチの頭を、蘭堂さんと委員長がそれぞれ岩と氷の槍で地面に磔にしたら、すさかずそこに『永続エタニティ』をかけることで固定化を果たす。

 しかし、この『永続エタニティ』をかけた槍が破壊されれば、蘭堂さん不在のために、もう一度固定化することはできない。

 そうなると、後は委員長が一人で氷の槍を撃ち続けて頭が動き出すのを阻止するしかない。だが、そんな状況になったら5分ももたないだろう。

「委員長、なんとか習得できない?」

「ごめんなさい、流石に氷以外の魔法になると……何かキカッケでも掴めればいいのだけれど」

 恐らく、こういう系統外の魔法をどこまで使えるようになるかっていうのは、かなり個々人の才能に左右されるのだろう。その点、蘭堂さんは土属性の一点突破というよりは、『永続エタニティ』みたいにその他の魔法適性もあると思える。

「うーん、この際、他の人でもいいんだけど……」

「でも、他の魔術士って、ほとんど桃川君が連れて行くことになるわよね」

 そうなんだよ、そこも困ってるポイントだ。

 ただでさえ少な目の魔術士クラス。そこから蘭堂さんと下川に加え、実質、魔術士クラスといえる蒼真桜も本体攻略のメンバー入りを果たしている。お蔭で、八つ首を相手にする前衛組みは、後衛による援護がないという厳しい戦況になってしまう。

「でも岩山に乗り込むには全員必要な面子だから」

「部隊編成に変更できる余地はないのよね。だったら、他にどうにか『永続エタニティ』か、それに代わる手段を用意できないと――」

「おい、『永続エタニティ』なら使える奴がいるだろが」

 ここで口を挟んできたのは、まさかの天道君である。

 僕と一緒に委員長が頭を悩ませている姿を見て、助け舟を出そうと言うのかこのツンデレヤンキーめ。

「もしかして天道君、使えるの?」

「いや、俺は使えねぇ」

 ふむ、何でもアリな天職『王』ならいきなり都合よく使える様になっててもおかしくないけれど。しかし、そうなると、他に見当がつかない。

「じゃあ、誰が使えるの?」

「小鳥遊。アイツ、前から『永続エタニティ』使えるぞ」

「たぁかぁなぁしぃいいいいいいいいいいいいいいいいい!」




 まだ自分の能力を僕に隠していたクソ賢者については、憤然やるかたない思いではあるものの、『永続エタニティ』の使い手不足という問題は解消されたので、結果的にはよしとしようじゃないか。それに、小鳥遊にもちょうどよくヤマタノオロチ討伐で仕事ができたしね。

 さて、光栄にも委員長と並んで前線に立つことが決まった『賢者』小鳥遊は、

「無理無理、絶対ムリだよそんなの、小鳥死んじゃう!」

 などとゴネているものの、委員長と蒼真君に説得は丸投げしているから問題ない。

 エントランス工房に響く小鳥遊がダダをこねる声をBGMに、僕はヤマタノオロチ拘束用の道具について考えている。

「鎖で縛るっていうより、アンカーを撃ち込んで固定、みたいな方がいいのかな」

 少しでも拘束力を上げるために、こんなのでも用意しないよりはマシだろう。

 ヤマタノオロチは見ての通りデカい蛇なので、ただ首をグルグル鎖で縛ってもあまり意味はない。四肢を持つ獣型だったら、鎖で手足を縛って拘束というのもいいけれど。

 本命である土と氷の封印は、真上から突き刺して地面に磔にする方式なので、こっちの拘束具も、頭にぶっ刺すタイプがいいだろう。

 でも、二人の攻撃魔法ほど巨大な鉄の杭を作るというのは、現実的ではない。作ることは作れても、どうやって刺すんだって話だ。いくら天職持ちの超人パワーでも限度ってモノがあるからね。

「あんまり時間もかけられないし、素早く刺せるくらいのサイズにしないと」

 となると、頭に突き刺すのは普通の槍、この場合は銛というべきか、それくらいの大きさにして、何本も刺しまくるようにした方が設置はしやすいだろう。

 そんな常識的なサイズにするなら、頭を貫通させて地面まで届かせるほどの長さにはできない。

「頭に刺す銛と、地面に打ち込んで固定した杭の二本用意して、それを鎖でつなげる形……でいいのかな」

 強度的には怪しいが、この辺が準備と実行の両面において可能なラインだろう。

 それに、あらかじめ固定用のアンカーを地面に打ち込むところまでセッティングしておけば、後は頭に刺すだけだ。前衛組み総動員で、みんなで用意した数の分だけ刺しまくればいい。

「でもこのサイズだと、かなりの数を用意しないと効果は見込めないな」

 これはかなりの金属素材を集める必要がありそうだ。鉄なら何でもいいから、集めやすいのがせめてもの救い。砂漠エリアからも採掘が見込めるし。

「ヤマタノオロチの頭を縫い付けるには、一つあたりに十本や二十本じゃ足りなさそうだ……姫野さん、一人で鉄の槍三百本くらい錬成できそう?」

「そんなの無理に決まってんでしょバカじゃないの!」

 お、おう。姫野さん、最近は工房に籠り切りで簡易錬成陣による素材の一次加工か、実験場でゴーヴ相手に非人道的な治癒魔法レベリングか、という思えばなかなかに過酷な環境に身を置いている。

 その上、キープ君は新しい女にご執心だしで……いかん、姫野さんにストレス集中しすぎか。職場環境の早急な改善が必要かも。

「やっぱり作業員が少なすぎるか」

「桃川君、もっと手伝ってくれていいんじゃないの」

「手伝いたいのはやまやまなんだけどね」

 流石に簡易錬成陣を使った作業は、分身じゃあできないし。僕本体の方は、一日中工房作業をしていられるほど余裕もないし。

 だが、それを馬鹿正直に言って納得してくれそうな雰囲気ではない。連日の作業によって、姫野さんの目はかなり据わっている。

「じゃあ誰でも良いから人増やして。蘭堂さんとかどうなのよ、私よりもできるんじゃないの?」

「蘭堂さんは封印にも本体攻略にも必要だから、今はそっちの練習に集中してもらいたいんだよね」

 確かに一次加工なら、蘭堂さんがやればかなりの効率で消化できるだろう。けれど、これ以上はあまり負担をかけたくはない。蘭堂さんは今回の作戦の要でもある。

「私一人だと、これ以上は無理だから。槍三百本? 一年くらいかければできるかもね」

「槍だけじゃなくて、同じ本数分だけ鎖と、地面に打ち込むアンカーも必要になるから」

 なので、正確には三百本じゃなくて、三百セットということになる。

「私らが成人する前には、なんとか仕上がるんじゃないの?」

 死んだ目で姫野さんが言う。五か年計画とか、勘弁してよ。

 しかし、これは本格的に工房作業員の増員が必要か。

 僕としては、固定用アンカーセット以外にも、作ってみたいモノがあるし……

「深刻な魔術士不足だなー」

 これは前衛組みにもダメモトで簡易錬成陣を使わせる練習でもさせてみるか。ホントにダメだったら、時間の無駄だしなぁ。

「あっ、中嶋君がいるじゃないか」

「陽真くん? なんで?」

「天職『魔法剣士』だから、普通の前衛よりも魔法適性ありそうだよ」

 それに、姫野さんもあんまりにも剣崎にベッタリされるのも癪でしょ? 僕も作業効率のためなら、多少は目を瞑ってあげるから、隠れてイチャついてもいいよ。中嶋は嫌がるだろうけど。

「ふーん、そっか、そうだよね……桃川君、その方向でお願いね」

「任せてよ。姫野さん、くれぐれも新人には優しく指導してあげてよね」

 中嶋、新しい恋に燃えるのもいいけれど、ちゃんと元カノのフォローもしてあげてよ。今の僕らは、みんな仲良く、がモットーだから。

第224話 解読

「陽真くん、一緒に頑張ろうね!」

「あっ、うん……そうだね……」

 溌剌とした笑顔が弾ける姫野さんと、あまり気分が優れないといった表情の中嶋が、二人仲良くエントランス工房の片隅で肩を寄せ合っている。

「いやぁ、中嶋君は剣術の才能があるだけじゃなくて、錬成にも適性があるとはね。素晴らしい多彩ぶりだよ」

 結果的に言うと、中嶋は『簡易錬成陣』の発動に成功した。成功してしまったので、君は今日から強制的に我がエントランス工房の新入社員として、キリキリ働いてもらうよ。

「あの、桃川君……俺も探索部隊なんだけど」

「今はこっちの作業が優先だから」

 探索部隊には、オロチ拘束用アンカーを大量生産するための材料調達を命じて、今日はすでに出発済みである。前衛組みは蒼真師匠の下で日々鍛錬と、探索任務で実戦経験をどんどん積んで、さらに強くなっていって欲しい。

 欲しいけど、こっちだって作っていかないといつまでも作戦実行できないし。

「それじゃあ姫野さん、中嶋君のこと、くれぐれもよろしくね」

「うん、私に任せてよ桃川君」

 この裏切り者、みたいな目で僕を見てくる中嶋だけれど、これでも蒼真君と剣崎はちゃんと別々の部隊編成にしているんだから、感謝して欲しいもんだよ。

 それでは、後は若い二人にお任せして、とばかりに僕はその場を離れた。

 さーて、僕の本日の予定は。

「二人には、折入って頼みがあるんだよね」

「あまりいい予感がしないわね」

「ああー、聞きたくないべー」

 工房の中間管理職の委員長と、中堅社員の下川の二人を招いている。本当は小鳥遊が今回の件には一番適任なんだけど、非協力的すぎるので無理かなと。

「二人とも酷くない?」

「自分の胸に聞いてみて」

「基本、お前の頼みは無茶ぶりだべや」

 そうかな? 各人の適性を考慮した上で、仕事を割り振っているつもりなんだけれど。

「そんなに身構えなくていいよ。今回は本当に知恵を借りたいだけだから」

 言いつつ、僕は資料を二人の前に広げていく。

「これは……古代語の資料?」

「あー、なんか見覚えあると思ったら、それか」

 ヤマジュンの古代語ノートを筆頭に、小鳥遊が読んでいる噴水やエントランスの魔法陣などに刻まれている古代語などをメモった資料。

 それから、ゴーマ村にあった石版のゴーマ文字などの写しなんかも含まれる。

「凄いわね、こんな資料を作っていたなんて」

「でも全然読めねーべ? やっぱ解読スキルないと無理だべや」

 古代語のサンプルばかり集めても、残念ながら下川の言う通りスラスラと解読できるには至らない。

「別に古代語を話せるようになりたいワケじゃないんだけどさ、魔法陣って古代語混じりだったりするでしょ。だから、一部でも解読できれば、魔法陣を強化する役に立つかなと」

 今回の目的は『六芒星の眼』の強化、またはそれ以上の効果を持つ魔法陣の開発だ。

 ヤマタノオロチ攻略の要として、僕の『腐り沼』で本体の殻を突破するという役目がある。

「『腐り沼』が強くなればなるほど、僕らが有利に作戦を進められる」

 むしろ、本当に今の全力で殻を溶かし切れるかどうか、めちゃくちゃ不安でもある。

「確かに、桃川君の殻破りは、作戦上で一番ネックになるところね」

「おいおい頼むぞ桃川、俺も一緒に乗り込むんだからよぉ」

「そういうワケで、二人を魔術士クラスと見込んで、魔法陣の強化開発に協力して欲しいんだよ」

「それは勿論、構わないのだけれど……」

「別に詳しくはねーぞ。魔法陣だって、魔法使うと勝手に出てくるもんだしよぉ」

 本当に僕らって、天職の力をなんだかよくわからないまま使っているよね。

「とりあえず、二人が出せる魔法陣も全部メモしときたいから、そこから始めよう」

 というワケで、今更ながらも地道な魔法陣研究が始まった――勿論、この日は何の成果も上がらなかった。

 魔法陣強化の道は、遠そうである。




「――我が信徒、桃川小太郎」

「どうも、ご無沙汰しております、ルインヒルデ様」

 かなり久しぶりだよ、ルインヒルデ様の神様時空にお呼ばれしたのは。『九十九の御魂』を授かって以来だよね。

 それにしても、ここに来たということは……期待していいのか、新たな呪術を!

「八つ首の大蛇を討つか。要するは蛮勇の力か、臆病の知恵か、あるいは、奇跡を手繰り寄せる祈願」

「あー、どれも全部欲しいですかね」

 戦力は拡充したい。穴だらけの作戦を埋める情報が欲しい。勿論、神様の奇跡も大歓迎。

 というか、僕がヤマタノオロチに挑んでること、ちゃんと把握しているんですね。

「強欲は糧。与えられずとも、求めよ。歩みは進む」

 求めよ、さらば与えられん、とはいきませんか。異世界の神様業界は世知辛いですね。

「今は足りないモノだらけなもので。何でもいいので与えられるモノは大歓迎です」

「よかろう、そなたはまた一歩、道を進んだ。踏み込んだ先は、深淵へ続くと知らずとも」

 えっ、なにその不穏な感じ。僕、なにか取り返しのつかないことやらかした?

「そなたは知恵を絞った。臆病であるが故に」

「みんなが蛮勇すぎると思いますけど」

「よい、恥ずべくは臆病に非ず」

「勿論ですよ、現実はコンティニューないですからね」

 チキンプレイは最も確実なリアルの攻略法だ。安全マージンを確保しつつ、情報と実績を積み重ねていく。賭けるにしたって、それ相応の可能性がなければ、単なる無謀でしかない。

「然り、知恵を重ねた果てに叡智がある。そして、叡智を持って踏み込め、神の真理に至る頂へ」

 勉学に励めってこと? 学生の本分ではあるけれど……それに集中できる場合ではないというか。今すぐ役に立つ知識は欲しいけどね。ヤマタノオロチを楽勝で攻略できる裏技とか。

「されど、真理は天にのみ非ざると、そなたはすでに知った」

 いえ、知りません。何のことか心当たりがないのですが。

「行くがよい、それもまた真理へ至る。暗く、深き、光届かぬ奈落の底へ通じる道もある」

 ああー、またなんかメチャクチャ不穏なニュアンスになってるーっ!

 いいんですか、ルインヒルデ様、僕の方向性はそっちでいいんですか。呪術師だからやっぱりダーク方面しか許されないのですか。

「新たな呪術を授ける」

「ありがとうございます!」

 ええい、どうせ路線変更は許されないのだ。突き進んでやろうじゃないか、奈落の底だろうがどこだろうが。

「忌むべきは無知ではなく偏見。蒙を啓き、解き明かせ、外法の理を――」

 今回は基本に立ち返って、頭を刺されました。鋭い骨の指先が、僕の額を一発でぶち抜く。

 即死ダメージの方が、むしろ楽。僕はそんな真理の一つを胸に、ルインヒルデ様から新たな呪術を授かったのだった。




「よ、読める……読めるぞぉ!」

 翌日、久しぶりにルインヒルデ様から新呪術を授かった僕は、早速その効果を確かめた。


『外法解読』:それは禁忌とされ失われた言葉。魔族文字、邪神言語、悪魔学。何故、それらが忌むべきものであるか、所以を知る者も今は無く。


 なかなかに不穏な気配を感じる説明文フレーバーテキストだが、何の事はない、コイツの効果はゴーマ文字の解読である。

「なるほどね、意外と普通のことが書いてあるだけだ」

 ゴーマ村の石版魔法陣、そこに書かれている幾つかの文章を読むことができるようになっていた。

 効果のほどとしては『古代語解読・序』のように、読めるのはまだ一部のみ。魔法陣の中央にビッシリ描かれた文字はどれも読めないが、外側に書かれている分は読めた。

 内容的には、大きく分けて三つ。

 一つ目は、神様お願い! 的な神に祈るような文章だ。

 ゴーマのくせに、聖書っぽい仰々しい言い回しで書かれている。

 二つ目は、魔力の回路。

『収束』、『分散』、『抵抗』、『合流』、『波形』、『交差』、『並行』などと、書かれている。

 どうやら魔法陣はその図形一つだけで効果を発揮しているのではなく、より小さい単位の魔法陣の集合によって構成されているらしい。つまり、機械と同じように沢山のパーツによって組み立てられているのだ。

 そりゃあ、どっか一部がちょっと違っただけで、発動しないワケだよ。

 文字だけ読めても専門用語みたいな単語も多い。『ンジャバ』とか『ダゴーバ』とか、それお前らが叫んでる謎言語じゃねーかと。

 どういう意味や効果があるのか正確に理解できないが、それぞれ魔力に対して決まった効果があることは分かる。実際に魔力を流してみると、確かにそういう感じで動きが変わっていると感じられた。『収束』の部分では、魔力が確かに集まってる感じしたし、『分散』では魔力は散っていた。

 それから三つ目は、魔力回路の繋ぎ方が書かれていた。

 石版魔法陣には『収束』、『分散』などの回路がそれぞれ配置されていて、一見すると文様によって結ばれているように見える。だが、結ばれていないところもある。単純に電気回路の配線のように、そこを魔力が通っているだけではないようだ。

 そんなワケで『収束』などの回路には、ほとんど「ここから『分散』に繋げる」などといった魔力の行先が併記されている。繋げる指示は、文様で繋がってたり、繋がっていなかったりするので、多分、魔法陣の文様そのものには、それはそれで別な意味や効果があるんだろう。

「ある程度、解読はできたけど……中途半端なんだよな」

 この『外法解読』によって一部の効果が分かるようにはなったが、だからといって、ゴーマの石版魔法陣が使えるようになったワケではない。ただ魔力を流すだけでは、何も起こらない。

 まぁ『簡易錬成陣』でも使える人は限られるのだから、魔法陣というのは個人の適性とか、そういった条件も含まれるのは間違いない。

「ルインヒルデ様、これどうやって活かせばいいんすか……」

 そう、一部が読めるようになったからといって、じゃあ何ができるんだと言うと、現状、特に何もできない。『収束』や『分散』などの回路を真似て書いてみても、確かに流した魔力がそれっぽい動きをしてくれるというだけで、魔法の効果が上昇するという結果には結びつかないのだ。ねぇ、これマジでどうやって使えばいいの?

「ヤバい、これは久しぶりにクソ呪術授かったか」

 不動のエースだった『赤き熱病』様は、今やバフの無効化という特化能力が判明したので、立派な僕の手札になっている。

 ついにこれといって目立ったハズレ能力がなくなった今のクソ呪術界に、この『外法解読』が新たな王者として君臨するというのか。新時代到来である。

「桃川君、新呪術はどう?」

「このタイミングで授かるってんなら、めっちゃスゲー能力なんだろ?」

 ぬああー、しまった、今朝は新呪術獲得が嬉しくて、もう委員長と下川には「授かっちゃったぜ」と豪語したのだ。これで「何の成果もぉ、得られませんでしたぁーっ!」と号泣会見しても、失望と落胆は避けられないだろう。

「ま、まだ効果を確かめる実験中だから」

「そうなの? 授かってしまえば、どんな効果かはすぐ分かるようなものだけど」

「呪術師は特殊パターンだから」

「まぁ、何でもいいけど、期待してるべ桃川!」

「任せてよ。使いこなせれば強力なはずだから」

 どうしよう、素直な期待が苦しくてしょうがない。

 これはマジで地道に魔法陣の効果を実験などで解き明かしていくしかないのだろうか。成果が実を結ぶかどうかも分からないのに。

「はぁ……どうしてこう、即効性のない効果ばっかりなのか……」

 今すぐ役に立つ使い道が思い浮かばず、途方に暮れてしまう。こんな気持ちになるのなら、いっそ何もない方が――そんな後ろ向きな気持ちで、僕は必死になって『外法解読』の活用法を模索するのだった。




 そして、その日の晩。ついに呪いの神の奇跡が起こる。


『呪導錬成陣』:基礎的な錬成に、自らの魔力によって呪術を刻む。深淵なる禁忌探究の始まり。


 雛菊さんの頭蓋骨が、新しいスキルに覚醒してくれた。

 奇跡を起こしたのはルインヒルデ様ではなく、雛菊さんの方の呪術師の神である。

「僕もう雛菊流に乗り換えようかな……」

 思わず、そんな不敬なことをつぶやいてしまうほど、僕は救われた気持ちになったのだ。

 なぜならば、僕は前々から欲しいと思っていた。『簡易錬成陣』の次の錬成魔法を。

 何故、雛菊さんが『簡易錬成陣』より上のスキルを習得していると確信していたかというと、『毒煙玉』の存在である。

 僕は『簡易錬成陣』を使える様になった時点で、『毒矢』は作れるようになった。でも、『毒煙玉』は作ることができなかった。

 投げつけるだけで、いい感じに初めて毒煙を撒き散らす一種のマジックアイテムだ。これの製作は『簡易錬成陣』では無理だった。僕なりに試行錯誤はしたけれど、どうしても上手くいかなかったんだよね。

 だから、絶対に雛菊さんは習得していると思った。より上位の錬成魔法を。

 そして、これが、これこそが彼女が持っていた本命の錬成魔法に違いない。

「す、凄い、凄い能力だぞコレは!」

 端的に言うと、僕もマジックアイテムが作れるようになった。より正確に言うと『コア』を素材として利用できるようになったのだ。

「流石は『黒角弓』を自作しただけある……煙玉の構造も、凄い工夫だ」

 コアを使って錬成すると、素材としての強度を上げたり、思い通りの作用を与えやすくなる。恐らく、コアにある魔力が、一種の魔法として付加エンチャントされているのだろう。

 だから、『黒角弓』はただ魔物の大きな角を組み合わせただけでは発揮できない、弓として素晴らしい品質になっている。

 煙玉にしたって、きちんと投げつけた適度な衝撃で割れるような構造にできている。

「雛菊さんが生きていたら、小鳥遊一人に頼ることもなかったのに……」

 今だからこそ分かる、彼女は非常に高い錬成能力を持った貴重な人材だったのだ。なんて惜しい人を亡くしたのだろう……やっぱり、誰かが死んでいいことなんか、一つもないな。

「ありがとう、雛菊さん。君に代わって、僕がこの『呪導錬成陣』を有効活用させてもらうよ」

 これだけの錬成能力が手に入れば、かなりの部分で小鳥遊に頼らなくてもよくなる。僕が考えていた装備案も、ほとんど実現できそうだ。

「さて、これはしばらく徹夜かな」

 エントランス工房の社員全員巻き込んで、楽しいデスマーチの始まりだ。メイちゃんには夜食の差し入れを頼んでおこう。

第225話 信用問題

「そもそも、コアって何だと思う?」

「えーっと、魔物の体にある魔力の塊、かな?」

 夕食後、すでに社員全員が定時退社をして無人となったエントランス工房に、僕はメイちゃんと二人で来た。

 工房の徹夜作業は止められてしまったから。小鳥遊はワンワン泣くし、桜は怒鳴り込んでくるし、委員長は擁護してくれないし。

 なんか悔しかったので、メイちゃんを誘って密会することにした。恋愛禁止だけど、異性と二人きりになってはいけないとは定められてないし。

「じゃあ、何で魔物にはコアがあるのかな」

「魔力があるからじゃない?」

 メイちゃんの解答は正解だし、僕を含めて、誰もがこういう理解でいるだろう。

 けれど、『呪導錬成陣』を習得した今の僕は、もう少しコアというものについての理解が深まっている。

「魔力の結晶であるコアだけど、ただの魔力じゃないんだよね」

「そうなの?」

「うん、言うなればコアの魔力は、純粋な魔力なんだよ」

 魔力と言うと、ついRPGのMPゲージのようなものを想像しがちだが、この異世界の魔力事情はちょっと違う。

「属性ごとに魔力が変化しているんだ。同じ魔力でも、何種類もあるってこと」

 火属性魔法を使う場合、ただ魔力を消費して発動しているんじゃない。術者には火属性魔法を発動させるに足る、火属性専用の魔力があるからこそ、使うことができるのだ。

「何か魔法を使う時は、コアにある純粋な魔力を、必要な属性の魔力に変換してから発動しているんだと思う」

 要するに『氷魔術士』や『土魔術士』といった天職の違いは、本人がその属性の魔力変換をできるかどうか、の違いってことだ。

 だから、僕が正確に『氷矢アイズ・サギタ』の魔法陣を描いて、呪文を詠唱したとしても、発動に必要な氷属性魔力がないから、発動しない。

 逆に言えば、必要な魔力があれば使える。僕が『風刃エール・サギタ』を撃てるのは、術式の行使に加えて、風属性魔力を杖が代わりに発してくれているからだろう。

「じゃあ、純粋な魔力って、どの属性でもないってこと?」

「どんな属性にも変化できる、魔力の最も基本的な状態ってことだね」

 だからこそ、価値がある。

 僕にいくら風属性魔力があっても、意味はない。呪術には使えないから。けれど、自分の適性にあった魔力になれる純粋な魔力ならば、その分だけエネルギーとして利用できるわけだ。

「この純粋な魔力、とりあえず『純魔力』と呼ぶけど、コアはこれの塊だから、転移魔法とかも機能するんだと思うんだよね」

 恐らく、純魔力は魔法を使うにあたって最も利用しやすい状態だ。古代の魔法施設が、純魔力をエネルギー源として採用していてもおかしくはない。

「まぁ、古代遺跡の設備は古代語もできないと動かせないから、純魔のエネルギーだけあってもあんまり意味ないけど――コアの使い道は、他にもある」

 というか、他にでも出来たというべきか。

「何に使うの?」

「何にでも使えるってこと」

 純魔力があらゆる属性の魔力へ変換可能ならば、僕の呪術にも、みんなの属性魔法にも、なんなら武技にだって、そのエネルギー源となるワケだ。

 実は武技は純魔ではなく、生命力とでもいうべき属性魔力ともまた違った性質に変化していることに気づいたのは、今日のことなんだけどね。

「コアに宿る純魔力を引き出して使うことができれば、自分の技を強化することもできるし、魔力や体力を回復することもできるはずなんだ」

「うーん、でもコアを持ってても、別に武技の威力は変わらなかったと思うんだけど」

「ただ持ってるだけじゃ力は引き出せないからね」

 所持しているだけで勝手に魔力ブーストかかって気づかない内にコア消費するとか、とんでもないバグ仕様だよ。

 勝手に消費が発生するのは、転移の時だけ。

 つまり、この転移の魔法陣には、どこかに必ずコアから魔力を引き出す術式があるはずなのだ。

「僕の『呪導錬成陣』なら、コアをマジックアイテムに加工することができる」

 今日はまだちょっとしか試してないけど、いけなそうな気がする。

 とりあえずは、雛菊さんという偉大な先達を真似て、毒煙玉を作ったよ。少量とはいえ、この煙玉の製造にもコアが使われていることは驚きだった。

「探索でコツコツと集めてはきているから、それなりの量もある。コアをつぎこめば、必要な装備を揃えられそうだよ」

「良かったね、もう小鳥遊さんに頼らなくてもいいんだ」

 たとえ能力があっても、ヤル気なくて仕事をしないのであれば、それは仕事ができないのと同じことだ。

 僕がある程度の装備クラフト能力を得たことで、小鳥遊しかできなかった仕事の部分はかなり減るだろう。

「でも、肝心なところは小鳥遊頼みだから、まだ不安は残るけどね」

「やっぱり、あの子は信用できない?」

「桜に次いで信用してない」

 つまり、僕の信用度ワーストランキング2位ということだ。

「大丈夫かな」

「大丈夫だよ、戦いの中で背中を任せるワケじゃないしね」

 その点、今回は岩山に乗り込む本体攻略特攻隊メンバーに入っている桜の方が不安要素はデカい。戦いのドサクサに紛れて、いつ背中を光の矢で撃たれるか分かったものじゃない。

「この『呪導錬成陣』のお蔭で、作戦の成功率も上げられそうだよ」

 さしあたって、まず用意したいのは頭封印用の装備だ。

 コアの特性を利用すれば、単純に攻撃魔法の威力を高めることができるはず。要するに、脳天にぶっ刺す氷と土の槍を、さらにデカくするのだ。

 また、コアにある魔力を発動分に回せば、それだけ術者の負担も軽減できる。

 総合演習の戦いぶりを見るに、委員長と蘭堂さんとでは、魔力量に差がある。断然、蘭堂さんの方が魔力量は上だ。

 蘭堂さんは最初に出会った時点で、『岩槍テラ・クリスサギタ』を撃ちまくっても、疲労感の欠片もなかったからね。塹壕工事の時も、一度も魔力切れで疲れた様子は見ていない。本人の体力と集中力が絶対に先に切れる。

 しかしながら、委員長は特別に魔力量が低いとは思わない。ずっと『氷魔術士』として戦い続けただけあって、順当に成長しているし、魔力量も人並み以上だと推測される。つまり、蘭堂さんが飛びぬけているだけだ。

 本体攻略が始まれば、委員長はほぼ一人で封印を維持することになる。かなり長期戦になることは分かり切っているし、彼女の消費魔力を抑えるための対策はしておくべきである。

 消費魔力軽減&威力上昇の効果を持つマジックアイテムを用意できれば、封印を続ける役に立つだろう。

「いい加減に、下川君の杖も用意してあげないと」

 そこそこ水の光石も集まって来たというのに、小鳥遊の野郎はいまだに下川用の水属性杖を作る素振りが見られない。やはり自分を襲った相手だから、シカトしているのだろう。貧弱な装備のまま戦って死ね、という意思が透けて見えるようだ。

 僕はこれでも彼のことは大事な仲間だと思っているから、出来る限り装備の充実はさせてあげたい。本体攻略でも一緒になるしね。

「そういえば、姫野さんにも杖ないんだよね……流石にそろそろ用意してあげないと」

「うん、姫ちゃんも頑張ってるみたいだから、お願いね」

 ごめん、どうしても戦力的にもサポート能力的にも、姫野さんは最底辺なので、装備も後回しになってしまった。

 しかしながら、メイちゃんの言う通り彼女も日々頑張って、着実に成長している。

 まさか、本当にゴーヴ相手に治癒魔法をかけ続けて、新たな治癒魔法を授かるとは……

「あとは単純に魔力を回復できるポーションとかも作りたいかな」

 リポーションの開発によって、体力回復は充実している。

 だが、魔力を回復する手段は今のところ一つもない。戦闘中に魔力切れでバテたら、リカバリーのしようがないのだ。

 ヤマタノオロチ攻略戦は間違いなく長い戦いになる。封印担当の委員長を筆頭に、殻を破る僕も、どれだけ儀式発動『腐り沼』で魔力を消費するか分かったものじゃない。

 僕は自分の魔力量はそれなり以上だとは思っているけれど、蘭堂さんほどではない。無理してレムを作ったりして、魔力切れでぶっ倒れた経験だってある。自分の魔力量に過信はできない。

「他にもガーゴイル対策でグレネードとか作りたいし、僕も自分の装備を気合い入れて作りたいし……あっ、メイちゃんも何か要望あれば、優先して作るよ」

 コアを横領してでも確保してみせよう。すでに上質なコアは仕分けして自分用にとってあるし。

「ありがとう、やっぱり凄いね、小太郎くんは」

 いやぁ、やっぱりドストレートに褒めてくれるメイちゃんはいいね。心が洗われる気分だよ。というか、褒めて欲しくてわざわざ二人きりになって、僕の『呪導錬成陣』自慢してるだけなんだけど。

「今回の作戦は、お世辞にも完璧とは言えないからね。出来ることは全部しておきたいし、いざって時の優先度もつけているつもりだよ」

 誰も死んで欲しくはない。だが、誰かが死ぬ可能性は高い。ヤマタノオロチはあまりに強大なレイドボスだ。

「メイちゃんは特別だから。他の誰よりも、僕は優先するよ」

「私も、小太郎くんが一番だよ。必ず守るから」

 ああ、素晴らしき信頼関係。やっぱり、頼りになるのは一番付き合いの長い相棒か……相棒ね、今はまだ、そこで止まってしまうのがもどかしい。恋愛禁止とか言わなければ良かったかな。なんか今、すっごいいい雰囲気してない?

「ねぇ、小太郎くん、この戦いが終わったら――」

「待って、メイちゃん、その先は言わないで」

 死亡フラグだから、などというベタなツッコミはしないぞ。

「先に聞いて欲しいことがあるんだよね」

「うん、なにかな」

「この戦いが終わった後のこと。ダンジョンの最深部まで到達した時――脱出できる三人を誰にするか、僕、考えたんだよね」




 学園塔5階は密会部屋として、二人きりで話をしたい時に利用している。

 大抵は僕がターゲットを誘う形になるけれど、今回は珍しく、誘われた。

「それで、話っていうのはなにかな、蒼真君」

「……何故、桜を本体攻略のメンバーに選んだ」

 見たところ、単に文句をつけにきた、というワケではなさそうだ。もっとも、何かしら言われるとは思っていたけれど。

「みんなに説明した通りだけど?」

 僕が選抜した本体コア攻撃を敢行する特攻隊メンバー、その最後の一人として選ばれた蒼真桜の役割は、コアの破壊である。蘭堂さんが岩盤を削り、僕が殻を穿った後、肉体を貫いて本体コアを破壊するのは、桜の上級攻撃魔法が相応しいと判断した。

 威力としては申し分ない。肉体を貫くだけの貫通力もありそうだ。そもそも、穴を開けた後にコアを狙うには、射程のある遠距離攻撃でなければいけない。

「トドメ役の他にも、桜ちゃんには万能な『聖天結界オラクルフィールド』もあるし、防衛向きの能力だよ。掘削作業中は、結界の防御と光魔法の援護をしてもらう」

 勿論、いざという時の治癒魔法だって頼りになる。

 頭を相手にする時は、最悪の場合でも逃げて距離をとるという選択肢が存在するが、本体攻略時には不可能だ。一秒を争うような極限の戦況でも、負傷を即座に回復させられる桜の治癒魔法は保険として大いに価値がある。

「そして、これは本人も納得してくれたことじゃあないか」

 意外にも、桜は僕の指名に対して、特にゴネることもなく大人しく引き受けた。殺す気か、と怒り狂うかもと思ったけど、流石にみんなが覚悟を決めて使命を受けるあの流れで、一人だけ反抗するのは気が退けたか。

「分かっている……それは分かっているが……」

「じゃあ今更、何が聞きたいというのさ」

 僕の理屈は正しいし、本人も受け入れた。どこにもケチのつけようなどない。

 あくまで、僕と桜の関係性がこじれていなければの話だが。

「桃川、お前がこの重要な局面で桜を選ぶとは思えないんだ」

「確かに桜ちゃんとは仲良しとは言えないけど、一番大事なのは作戦を遂行できる能力があるかどうか。説明した通り、彼女の他に適任者はいない」

「好き嫌いを言っている場合じゃない、というのは分かっている。だがお前なら、桜の力に頼りたくはないだろうし、桜がいなくても何とかする方法を考え出せるはずだ」

「そんなの、買い被りだよ。『聖女』の能力は強力だ。唯一無二で替えは聞かない」

「それでも、お前は信用できない奴に背中を任せたりはしない。そういう男だろ」

 参ったね、蒼真君がこんなに僕のこと理解しているなんて。

 多少は普通に口が利けるような間柄にはなったけれど、彼にとって僕は許し難い仇のまま。そんな相手のことを理解しようとは思わないだろうと軽く考えていたけれど……蒼真君なりに、僕のことは真面目に観察していたということかな。

 あるいは、勇者としての直感か。

 蒼真悠斗、君の指摘は実に正しい。そう、僕は能力だけで桜を選んだワケじゃない。聖女の力が本体攻略で役立つのは嘘じゃないけど、彼女を選んだ決定的な理由はもう一つある。

 そんなの、人質に決まっているじゃないか。

「困ったな、本当に説明した以上の意味なんてないんだけど――」

 僕だって本当は桜なんて連れて行きたくない。本体攻略は間違いなく地獄の修羅場となる。いつあの女が発狂して僕に光の矢を向けてくるか分かったもんじゃない。

 それでも、自ら爆弾を抱えて鉄火場へ飛び込むのは、作戦成功率を上げるためにはそれが最も有効だから。

 作戦を成功させるためには、当然、途中でやめるワケにはいかない。それこそ、一人、二人、欠けてしまっても、作戦を継続しなければヤマタノオロチを相手に勝利はない。

 それだけの相手だ。僕は最善を尽くしているつもりだけれど、結局のところ、最後は天運に任せるしかない作戦状況にある。

 でも、そういう認識を、それほどの覚悟を、みんなが持っているかどうかは別問題だ。これは、言って聞かせてどうにかなるものじゃない。

 だから、作戦失敗の要因として、僕は無視できない。味方の戦意が喪失して、作戦の継続を断念することを。

 もしも、本体攻略を桜抜きで行ったとしよう。

 作戦は当初順調に進むが、ヤマタノオロチが想定を超える強さを発揮して、封印を破り八本頭が揃い、必殺技も放ち、前衛組みにもとうとう犠牲者が――そんな危機的状況に陥った時、蒼真桜、アイツは何て言うと思う?

「桃川の作戦は失敗です。退きましょう、兄さん」

 あの女は絶対に言う。

 誰か一人でも犠牲が出るほどの状況となれば、それを言い出す大義名分も立つ。みんなだって不安に揺れる。

 果たしてそんな状況となった時、蒼真君はどうするか。

 僕を信じて、踏みとどまって戦ってくれるか。ダメだと諦めて、撤退するか。

 もしも逃げるならば、それは本体攻略組みを置き去りにするということ。すなわち、見殺しである。

 そんな酷いことを――できるだけのメンバーが、本体攻略組みには揃ってしまっているのが問題なんだよね。

 まず、何よりも僕がいること。桜からすれば、自ら手を汚さずに僕が死んでくれる状況というのは心から望むことだろう。最高のシチュエーション、神様ありがとう。

 次にメイちゃん。本気でキレれば自分や仲間さえ殺しかねないほどの力を持つ危険人物。この機会に葬り去れれば安泰である。

 それに下川。性犯罪者は死ね。

 蘭堂さんは気に食わない不良女だし、山田はただのモブ。死んでも困らない。

 桜からすると、本体攻略組みは全滅しても心が痛まない面子なのだ。むしろ死んでくれた方がスッキリする。

 だから、ここぞという時に作戦失敗と撤退をいの一番に叫ぶのは、蒼真桜なのだ。

 ヤマタノオロチ相手に犠牲は出るかもしれない。それでも、誰かが倒れても諦めずに戦い続ければ、作戦を成功まで導ける――そんなギリギリの戦況になった時、勝利への希望を折るのはオロチではなく桜だ。敵ではなく、味方に足を引っ張られて敗北する可能性は、残念ながら大いにあると僕は思っている。

 だから、決して撤退は許さない。

 絶対に、誰も見捨てさせない。

 蒼真桜、お前は人質だ。どんな絶望的な状況になっても、僕のヤマタノオロチ攻略作戦を止めさせはしない。お前に、お前にだけは邪魔させない。

「――蒼真君、妹を心配する気持ちはわかるけれど、一人だけを特別扱いはできないよ?」

「……」

 本人も自覚があったのだろう。そうじゃなければ、僕と二人きりで話そうとは思わないよね。

「僕だけじゃない、他のみんなも平等に命を賭けているんだ」

「分かっている、けど、俺は……」

「それに今更、桜ちゃんを降ろすと言ったら、みんなどう思うかな。それは君のためにも、桜ちゃんのためにもならない。なにより、みんなのためにならない」

 桜でなくても、誰か一人を特別扱いすることは許されない。そんなことしてみろ、誰も従わなくなる。少なくとも、僕だったら絶対に反逆するね。

「蒼真君、これはもう学級会で決めたことだ。反対するなら、僕の作戦よりも確実な提案をしなければならない。代案があるなら、いつでも聞くよ」

「……こんな話をしたのは、俺は今でもお前のことを信じられないからだろう」

「そこは仕方ないと割り切ってるよ」

 むしろこんな短期間で、幼馴染ぶっ殺した男を信用しようって方がまずいでしょ。

「だが、今回ばかりは信じるしかない。信じさせてくれ、桃川」

「僕は誰にも死んでほしくはない。必ず作戦は成功させて、全員無事に帰って来るよ」

「桜を頼む」

「頼みたいのは僕の方だけどね。素直に受けてはくれたけど、きっと桜ちゃんも不安だろうから」

 くれぐれも、トチ狂って僕を撃つなよと厳重注意しといてね。

「僕を呼び出して話すより、桜ちゃんと二人でよく話し合った方がいいよ」

「お前にそんなことを言われるとはな……だが、そうするよ」

 諦めたような苦笑をして、蒼真君は出て行った。

「やっぱり、嘘をつくなら最後まで、だよね」

 桜は人質だ、お前らのことは信用してないから、などと正直に白状すれば、角が立つどころの話じゃないからね。

 余計なことは言わないに限る。

第226話 レアモンスター素材

 無人島エリアの深い森の中を、上中下トリオ、山田、そして姫野を加えた五人が歩いている。

「おい、まだつかないのかよ?」

「もう少しでつく。黙って歩け」

 先頭を行く山田に、上田が言うほど疲れてはいないけど、とりあえずケチをつけていた。

「ねぇ、アンタ達はこんなところでサボってていいの?」

「なんだよ愛莉、今更なこと言うな」

「私はいいの。あんな酷い治癒魔法の練習させられてるんだから、適度に気晴らししないとやってられないわ」

「正直アレはドン引きだべ。普通にゴーマに同情するぞ」

 適度に傷つけたり、桃川印の試作毒薬を投与されたゴーマやゴーヴに治癒魔法をかけて、実験体の生存と治癒魔法の練習に利用する、狂気のゴーマ実験場はこのエリアの転移先である妖精広場のすぐ隣にある。

 山田が上中下トリオを連れてここへやってきた時に、愛莉はこれ幸いとばかりに四人へと声をかけたのだった。

 苦痛の呻き声をあげるゴーマ達を背景に、普通に声をかけてくる愛莉の姿には、四人とも若干、引いてしまったのは内緒である。

「それより、どうなのよ? 桃川君はコア沢山集めろって言ってたけど?」

「大丈夫だ、ちゃんと許可はとってある」

 真面目な返答をするのは、この集団を率いている山田だ。

「ただの釣りに、よく許可なんて下りたわね」

「別に、俺はよくやってるぞ」

 釣りが趣味であり、その腕前もなかなかの山田は、新鮮な魚介類の仕入れに役立っている。

 現在のクラスメイトの中では、上中下トリオとは友達といえるくらいの関係性ではあるが、いっつもつるんでいるほどではない。

 特にヤマジュンを失った喪失感もあり、自分が一人になる時間も欲しかった。ただ、何も考えずに釣りに没頭するのは、彼なりに心の平穏を保つためにも必要な行為。

 そんなメンタル面を除いても、単純に彼の釣果は給食係に大いに喜ばれている。山田が釣りに行きたいといえば、引き留める者は誰もいない。

「いつもは一人だけどよ、広場から離れたところに行く時は、誰か連れていけってよ」

 これは小太郎の進言。『重戦士』の山田は滅多なことでは危機に陥ることはないが、絶対ではない。

 今回は普段と違う釣り場へ向かいたいとのことで、仲間を連れて行くよう言い含められている。

「じゃあ、トリオは護衛ってこと」

「おい、トリオとか言うなや」

「俺らをひとまとめにすんのやめてくれる?」

「もっと一人一人の個性を見て欲しいっていうか」

 などと、昔の確執はすっかり水に流れたように、気軽にお喋りしながら、一行は森を進んで行った。

「――ついたぞ、ここだ」

 藪を抜けると、そこに広がるのは湖であった。

「へぇ、結構キレーじゃない」

 素直に感心の言葉をあげる愛莉。

 森の中にある静かな湖は、それだけでどこか風情が漂う。

 奥の方では、ジャージャの群れが湖面に口をつけて水を飲んでいる。

 実に長閑な風景である。

「前に探索した時に見つけてな。一回、ここで釣りてぇと思ってたんだよ」

「よくこんなとこ見つけたな」

「あ、俺はそん時一緒だったわ。そういやぁ、こんな湖もあったなぁ」

「なんか、雰囲気あるべ。ヌシとかいそうじゃね?」

 ワイワイとはしゃぎつつ、山田を筆頭に釣りの準備を始める。

 護衛とはいえ一緒に来たので、上中下トリオも参加する。小太郎が抜けた後のサバイバル生活で、割と必死で釣竿を振ったこともあるので、釣りはすでにお手の物。

 まして、今は小太郎が錬成オーダーメイドしてくれた釣竿も針も糸も、ルアーさえあるので、釣り具も充実している。

「私、釣りとかしたことないんだけどー」

「しょうがねぇな、教えてやるよ」

「どうせ他にやることねーしな」

「俺の竿、一本貸してやるべ」

「おい、お前らあんまはしゃぎすぎんなよ。魚は用心深いんだ、逃げるだろうが」

 そうして、和気あいあいと釣りを始めて小一時間。

 姫野を中心になんだかんだ楽しんでいるトリオの傍ら、山田だけは真剣に釣りに挑んでいた。

 サバイバル釣り師としての勘が囁く。いる、この湖には、確実にヌシがいると。

 異世界ダンジョンの湖では、地球の常識は通用しない。どんな魚がいて、どんな餌に食いつくか。全ては自分の経験でしか分らない。

 山田は桃川製ルアーや捕まえた虫など、餌を切り替えつつ、ポジションを変えつつ、試してゆく。

 そして、餌を大振りなエビ芋虫に切り替えて放ったその時――

「来たっ! デカい! コイツはとんでもねぇ大物だ!」

 凄まじい手ごたえが山田の両腕に走る。

 かなりの巨大魚が、がっつりと餌に、針に、食い付いた感触。

 そのまま湖に引きずり込まれそうなほどのパワーだ。『重戦士』である山田が本気で踏ん張るほど。

 桃川の竿と糸じゃなければ、とっくに千切れていた。

「おい、大丈夫か山田!」

「なんかスゲーことになってんぞ」

「マジでヌシがヒットしたのか!?」

「おい、お前らも手伝ってくれ! すげぇ力だコイツ!」

 折角かかった大物を逃がすまいと、上中下トリオも山田の呼び声に答えて駆けつける。

 男子四人がかりで竿を持ち、激しくしならせながら水中で暴れる大物を抑え込む。

「いいか、タイミング合わせろよお前ら!」

「おうよ!」

「いつでも来いや!」

「任せるぜ山田!」

「みんな、頑張って!」

 愛莉の声援も加わり、白熱する大物釣り。

 そして、ここぞというタイミングを見極めた山田が叫ぶ。

「今だっ! 引けぇーっ!」

 男達の雄たけびと共に上がる、激しい水しぶき。

 ついに暴れ狂っていた大物が、水面を突き破ってその姿を現した。


 ヴォオオヒヒヒィイイイン!


 甲高い、けれどどこか濁ったようないななきをあげるのは、馬だった。

 ユニコーンのように額からは一本の角が生えているが、青紫に輝く捻じれた角はどこか禍々しい。灰色がかった毛並だが、四肢は緑の鱗に覆われている。

 たてがみと尻尾は毛ではなく、大きなヒレと化しており、まるで馬と魚が融合したキメラのような姿であった。

「な、なんだコイツ……」

「水の中にいる馬のモンスターって、ケルピーとかいったはずだべ」

 流石に馬が釣れるとは予想外過ぎて困惑している山田だが、それらしいモンスターについて思い至った下川が、とりあえず魔物であると断言した。

「おい、コイツってもしかして、結構なレアモンスアーなんじゃね?」

「へっ、なら逃がす手はねぇな」

「向こうは逃げるどころかヤル気満々じゃない! 絶対、怒ってるわよアレ!」

 水辺から陸へと上がったケルピーは、ヴルル、と鼻息あらく口の中にひっかかっていた針を力任せに引き千切ってから、竿を握る山田に向かって濁った瞳を向けた。これといって気配に敏感ではない愛莉でも、ケルピーが怒り心頭であることは察せられた。

「チッ、やるしかねぇか」

 竿を投げ捨て、背負った『黒鉄の大斧』を構える山田に続き、トリオもすぐさま武器を抜く。愛莉ですら腕を掲げて、すぐに『光矢ルクス・サギタ』を撃てる臨戦態勢だ。

「ボウズじゃ帰れねぇからな――行くぞ、お前ら!」




「あー忙しい、忙しい」

 僕のエントランス工房は今日も大忙しだ。ヤマタノオロチ討伐に向けて、封印用装備など必要なモノが色々とある。

 だから探索部隊にも素材集めに走り回ってもらっている。それも、欲しい素材は雑魚ではなくクリスタウルス級のレアモンスターだ。

 最低でも7個、ボス並みに大型のコアが欲しいのだ。

 ボスのコアはただ大きいだけでなく、魔力を測定すると光度4ということになるらしい。質も単なるコアとは違うというワケだ。

 ボスは倒した後、多分リポップしている。するはずだけど、すぐに出てくるワケではない。

 ここから転移できる妖精広場は、各エリアにおいてはスタート地点のような場所にある。ボス部屋まで到達するには、かなり距離もある。

 一度、恐らく最短と思われるボス部屋に確認しに行ったこともあるが、ボスは湧いていなかった。

 いつ出現するか分からないボスに、確認するには長い道のりを行く必要がある。非常に効率が悪い。

 そこで、狙いをレアモンスターに絞った。ボスではないが、ボス級の力を持つ魔物は、どこのエリアにもいる。見つけるのは大変だが、ボス部屋を確認しに行くよりかはマシなはずだ。

 実際、それですでにクリスタウルスを一体と、リビングアーマーの将軍みたいな奴を一体、発見して倒している。

 それから、狙ったワケではないけれど、昨日、湖に釣りに行った山田一行が偶然遭遇したケルビーを狩ってきてくれた。コイツも地味にボス並みの良質なコア持ちだったので、思わぬ収穫だった。みんなドロドロのボロボロになって戦った甲斐はあったよ。

 これでノルマの大型コアの個数はこれで4つ。

 最初に見つけたクリスタウルスの分と、次に見つけた二体目の分、それからリビングジェネラルとケルビーの分、合わせて4つだ。

 小鳥遊はコアを錬成して融合することもできるが、サイズアップにも限度がある。つまり、雑魚のコアをどれだけつぎ込んでも、ボス級の大型コアの質にはならないということだ。

 魔力の光度でいえば、光度1の欠片を錬成しても2が限界。光度2のコアなら3が限界。それなら3を集めれば4にできるといえば、そもそも錬成が無理だった。

 小鳥遊曰く、それをできるようになるには、さらに上位の錬成陣を習得しなければ無理とのことだが……どこまで本当なのか怪しいものだ。

「あー、忙しいなぁー」

「ちょっと桃川君、そんなに暇そうならこっち手伝ってよ!」

「聞いてないよ、こんな仕事量……本当なら、剣崎さんと一緒に俺も探索部隊だったのに……」

 半ギレの姫野と、莫大な仕事量を前に遠い目をしている中嶋の二人である。

 どんな素材でも一次加工は必要なので、簡単だけれど作業量は多いんだよね。

 でも姫野は昨日さぁ、治癒魔法の練習サボって湖に遊びに行ってたでしょ? 僕ちゃんと知ってるんだからねそういうの。リフレッシュした分はしっかり仕事してれくないと。

「僕、忙しいから無理ぃー」

「ふざけんな! いいから手伝えよ、終わんねぇよクソが!」

「俺、戦わないと、腕が落ちる……剣崎さんから教えてもらった剣術が……」

 どうやら、二人の様子からいって本当にオーバーワークのようだ。

 二人の後ろには、山積みになった採掘された光石と、氷漬けにされている数々の魔物の死骸がズラズラと並ぶ。

 光石は簡易錬成陣にかけて不純物の除去と、属性別と光度による選別作業。

 魔物の方は毛皮、鱗、甲殻、爪、角、コア、魔法に関わる臓器などに分別する解体作業。

 二人は僕が作った蜘蛛糸作業着を着ているが、色々な汚れでドロドロである。これでもう三着目なのに。

 一方の僕は、ラフな格好でハチミツレモンの入ったグラスを片手に、優雅に寝そべりながら新たなマジックアイテムの設計である。

 しょうがないじゃん、『呪導錬成陣』のお蔭でアイデアが止まらないのだから。

「はっはっは、底辺労働者を眺めながら飲むハチミツレモンは美味しいなぁ」

「死ねぇ! このブルジョワジーが!」

「ごめんごめん、冗談だって。僕も手伝うよ」

 共産主義にでも目覚めそうなほど追いつめられた感のある姫野だ。

 仕事を任せると、意外と生真面目に抱え込んでしまうタイプなのだろうか。自分の限界を超えた作業量を前に、若干、テンパっているように仕事ぶりを見ていて思った。それこそ、中嶋とヨリを戻すために甘える余裕もないほどに。

「それじゃあ、早くしてよね」

「まずは整理整頓から始めようか」

「そんな悠長な! 今日のノルマはまだこんだけあんのよ!?」

 うん、そのノルマを決めたのは僕だからね。別に、達成しなくてもケチはつけないよ。

「まぁまぁ、これだけ散らかってると、できる仕事もできないって。一度、落ち着いた方がいいよ」

 作業場は、如何にも焦って目の前の素材から手を付けました、というような感じである。

 僕だったら、まずは全ての素材を仕分けするところから始めるな。レムを使って。

「あと、蘭堂さんも呼んでこようか。練習の方も順調みたいだし。ついでに小鳥遊も呼ぶ? どうせサボってるだろうし」

「そんなに……」

「え?」

「そんなに簡単に人を集められるなら、最初からやってよぉ!」

 いやぁ、ごめんね姫野さん。僕、これでも委員長だから。

 人を動かす権力があるって、いいことだよね。

「はい、それじゃあ姫野さんはこの辺に散らかった魔物素材を片付けて。中嶋君は光石素材の片付け。レムにゴミの片付けと、手つかずの素材の仕分けをしてもらうから」

 それじゃあ、真面目に頑張っている蘭堂さんと今日もサボってる小鳥遊の野郎を呼びに行きますか、と僕が動き始めたその時、エントランスの転移魔法陣が光り輝く。

 ちょうど、誰かが帰ってきたようだ。

「おかえり、天道君。収穫はあった?」

「おう、お前の好きそうな奴をとってきてやったぞ。ほら――『デスストーカー』だ」

 天道君が右手を翳して黄金の魔法陣を展開させると共に、そこから現れたのは大きなサソリの魔物だ。正確には、アラクネのように上半身は人型になっている。

 刺々しい黒い甲殻に、不気味な紫色の文様が走る。人型の上半身も、分厚い甲殻を纏いリビングアーマーみたいな重装甲だ。

 それでいて、両手はデカい鋏になっている。

 根元から断たれた長い尾の先には、大きな槍の穂先のように、真っ赤な針がついていた。

「おおおおっ、これはいい! いいよ、コイツ絶対、強力な毒持ちだよ!」

「ああ、かなりヤバい毒を持ってたな。喰らえば誰か死んでたぞ」

「ありがとう、天道君」

「俺は疲れた、もう休む」

「食堂にメイちゃんがいるから、一杯もらってきてよ」

「顔は出しておく」

 後ろ手に手を振りながら、天道君はダルそうに歩いて去って行った。

「待ってよ天道くーん!」

「アタシらも一緒に行くからー」

 その後ろを、ジュリマリコンビがついていく。ちょっと久しぶりに天道君と一緒に組めて、心なしか楽しそうだった。

「お風呂は沸いてるから、いつでも入っていいよー」

「サンキューな桃川!」

「いい奥さんになれるぞ」

 いや、奥さん欲しいのは僕の方なんだけど。僕、ご飯とお風呂とワタシを同時に選ぶのが夢なんだよね。

「委員長と夏川さんも、お疲れ様」

「ええ、本当に疲れたわよ。龍一の奴、勝手なことばっかりするんだから」

「んぁああああーサソリ疲れたぁー」

 最後に委員長と夏川さんの二人が現れ、ちょっとぐったりしたような表情をしていた。

「デスストーカー、だっけ? かなりの大物をとってきてくれて、助かったよ」

「あの採掘場のかなり奥にいたわ。ボスでもおかしくない強さだったわよ」

「うひぃー、ハチミツレモン美味ぇー」

「ちょっと夏川さん、それは僕のだから!」

 なに勝手に飲んでんのこの人。

 まったく、お菓子は契約通りに恵んでやっているというのに。夏川さん、契約してから僕に対して段々遠慮がなくなってきている気がする。

 それと、ハチミツに対する依存度も上がってるような。これで砂糖を与えたら、後戻りできないかもしれない。

「お風呂でもご飯でも好きな方を選んでよ」

「ありがとう。こういうところは、本当に気が利くわよね、桃川君」

「いいお嫁さんになれるよ」

「それさっきも聞いた」

 ウチのクラスの女子は軒並み天職で強くなったから、家庭的なスキルの習得が遠のいてしまった気がするよ。少なくとも、今回の砂漠エリア探索を頼んだ面子は、炊事洗濯よりもダンジョン攻略と魔物退治の方が得意だろう。

「そうだ、姫野さん、今度から僕の代わりに食事と入浴の手配もしない?」

「こ、これ以上、私の仕事を増やさないでっ」

「えー、家庭的な面を見せて女子力アップに貢献できると思うんだけどな」

「もういい……私、桃川君に顔も女子力も負けてもいい……この仕事が終わるなら」

「なんかゴメン。とりあえず、デスストーカーの解体から始めようか」

 これで目標の大型コアは5つ目。準備もそろそろ大詰といった感じだ。

 ヤマタノオロチとの決戦の日は、もうすぐそこまで迫ってきている。

第227話 決戦前夜

 マジックアイテムといえば、『生命の雫』しか印象にないけれど、定番RPGのように様々な効果を持つモノが色々と存在している。蒼真パーティなんかは僕がいなくなった後、宮殿エリアなどでそれなりに入手していた。

 たとえば、防御効果のある『ガード・リング』、スピードアップできる『疾駆の羽根飾り』、恐怖に負けない『勇気のメダル』などなど。それでも、やっぱり死亡ダメージをチャラにできる『生命の雫』は破格の効果だ、

 天職の力があれば、マジックアイテムの持つ効果はささやかなものになってしまう。今更、メイちゃんが『力の腕輪』を装備しても、強化のほどは実感できない。また、移動系武技である『疾駆ハイウォーク』を習得している者に『疾駆の羽根飾り』は意味がなかったり。

 しかしながら、僕のように身体能力がとにかく低い貧弱スペックだと、これらの効果は喉から手が出るほど欲しい、貴重な強化手段である。

「はっはっは、金にあかせて最強装備を整える気分だ!」

 目の前にジャラジャラと並べられた数々のマジックアイテムを前に、僕は笑いが止まらない。

 まぁ、金は払ってないし、言うほど最強の装備にもならないけど。

 これらのマジックアイテムは、今までの探索の成果である。あらためて攻略済みのエリアを探索すれば、それなりに取りこぼしのあった宝箱なんかも残っているものだ。

 お蔭で、最低でも一人当たり2個は配れるくらいの数は手に入ったし、効果被りなどで装備しても意味がない余りなんかも出始めている。

 ここにあるのは、ほぼ余りモノである。だから、僕が独占しても問題ないわけで。

 自分を優先してマジックアイテムを使えば不満が出るからね。全員に行き渡り、その上で余りモノが出るくらいの数が集まるまで、僕はずっと待っていたよ。

「やっぱり、まずは力! 力こそパワーッ!」


『力の腕輪』:強化魔法『腕力強化フォルス・ブースト』が込められた腕輪。


 文字通り、腕力を強化する魔法の効果を得られる。大山も『腕力強化フォルス・ブースト』を使っていた。

「凄いな、これ。単純に二倍くらいパワーアップしてるんじゃないか」

 エントランス工房にゴロゴロしている色んな素材や光石なんかを持ち上げて、効果を実感。体感で50キロくらいの物でも、普通に担ぐことができた。

 これくらいなら鍛えた男なら発揮できる筋力で、超人的というほどではない。でも、僕の細腕でこれだけパワーが出るなら相当な効果である。

「これはSTRを一定割合で上昇するんじゃなくて、固定数値で上昇させるタイプと見た」

 ゲームだとバフの効果は、自分のステータスを元値として、その10%とか20%とか割合で上昇させるタイプと、STR+10とか攻撃力+100というように決まった数値を加算させるタイプがある。

 元のステータスが貧弱すぎる僕でも、目に見えた効果を得られるということは、最初からある程度決まったパワーが増大するようになっているのだろう。僕にとっては大幅な上昇値でも、メイちゃんからすれば誤差みたいな値である。

「やっぱり、元から強い人には効果が薄い感じになるのか」

 僕にとってはありがたい。これなら雑魚の一撃でダウン余裕な貧弱ステータスの僕も、それなりの強さを得られる。

「次は防御かな。痛いのは嫌なので!」


『ガード・リング』:武技『硬身ガード』と同じ効果を発動させる指輪。


 コイツの効果も実証済み。ぶん殴られたり、石をぶつけられたりしても、ノーダメージで済むくらいの硬さがある。

 武技を止めるほどの防御力はないけれど、ガーゴイルに引っかかれたり、噛み付かれたりしても平気になるのは心強い効果だ。多分、邪魔が入るとすれば奴らだからね。

「そして何より、速さが足りない!」


『疾駆の羽飾り』:武技『疾駆』を宿したように、速く走ることができる。


 移動速度ってのは大事な要素だ。いざという時も、逃げ足は速いに限る。

 これを使えば、100メートルもオリンピック選手並みの速さで駆け抜けられる。おまけとばかりにジャンプ力も上がる。

 コイツを使って遺跡街をパルクールしたかったかな。

「あと、体は資本だから」


『バイタル・ブレスレット』:体力、スタミナを増強させる腕輪。


 体力ってそもそもなんなんだ、と思うので実証できてないけど、負傷しても生存していられる時間は伸びたりするんだろう。できれば痛みも抑えてくれれば嬉しいんだけど、流石に実験するのはイヤだったので試してない。

 スタミナの方はバッチリ効果が出てる。コイツがあれば、フルマラソンだっていきなり完走できそうだ。

「ヤバい、もしかして今の僕って、人間としては最高峰の身体能力じゃない?」

 パワー、スピード、スタミナ、これだけあれば、どんなスポーツをやっても一流になれるんじゃないだろうか。

 だが悲しいかな、この異世界において、地球の人間の限界など雑魚スペックでしかない。ゴーヴとどっこい、といった程度。

「天職の能力は破格だよ。みんな、これよりも強い力があるんだから……」

 上田や中井でも、すでに人間を越えた力を発揮しているし、ジュリマリだって女子だけど彼ら以上の能力だ。

 そして、そんな超人的な前衛組みをさらに越えた力を持つのが、三人のエースである。

 まぁ、今更それを嫉んでも仕方がない。僕にはほら、呪術と生活力があるから!

「とりあえず、これで最低限の能力は得られたぞ」

 あの岩山は険しいからね。素の能力で乗り込むと、ただ登って行くだけでも厳しいものがある。

「ギリギリ、全部の効果を出せて良かったよ」

 マジックアイテムは、持てば全ての効果が発揮されるワケではない。ゲームシステムみたいに、装備枠の制限……というより、組み合わせや相性の問題があるようだ。

 たとえば同じマジックアイテムを持つと、その内の一つしか機能はしない。異なるマジックアイテムでも、相性があるらしく、一緒に持つと効果発揮しない、または著しく落ちる、といった現象が見られた。

 なので、装備するマジックアイテムは必要な分だけ、かつ、相性で効果が阻害されない組み合わせを選ぶ必要がある。

 そんなに装備に悩むほど、数も種類もないけどね。

 僕はみんなの中でも一番、多く装備していることになる。マジックアイテム4つ持ちだ。

「もう少し錬成の腕か、解読できるようになれば、マジックアイテムも改造できそうなんだけどな」

 残念ながら、今の僕では無理だ。下手に弄って壊すのがオチである。

「杖が一本できただけ、よしとしよう」

 僕は『外法解読』と『呪導錬成陣』の二つを使って、試行錯誤の末に自力で新たな杖を作ることに成功した。

 名付けて『エアランチャー』。

 杖というより、発射装置なんだけど。形状としては、短発式のグレネードランチャーみたいな感じ。

 風の宝玉を動力源として、玉を打ち出す構造だ。一応、『風刃エール・サギタ』も撃てる。

 自前で毒煙玉などの玉シリーズも生産できるようになったので、活用しようと思ったのだ。僕は射手じゃないから、玉付きの矢を撃っても命中率などたかが知れる。とてもじゃないが実戦では使えそうもない。

 かといって、手で投げるのも……肩にもコントロールにも自信はないもので。

 そこで、『愚者の杖』に装填すると『風刃エール・サギタ』を撃てる風の宝玉を上手いこと利用すれば、風魔法でいい感じに玉を飛ばすグレネードランチャーみたいなモノを作れるのではないかと思い、製造に着手した。

 宝箱から得た魔法の杖を一本ダメにしたりもしたけれど、無事に完成と相成った。

 コイツの肝は、どう見てもランチャーだけど『愚者の杖』と認識させることと、発射する風圧の出力調整だ。

 呪術師の僕は真っ当に風属性の杖を装備したところで扱うことはできない。でも『愚者の杖』の発動対象になれば、呪術扱いで『風刃エール・サギタ』も撃てるようになる。

 一体どういうルールなんだと疑問に思うが、とにかく僕が魔法の杖を扱うためには、『愚者の杖』に頼るより他はない。

 とりあえずランチャーでも『愚者の杖』と認めてくれた、ルインヒルデ様のガバガバ判定には素直に感謝の祈りを捧げている。

 撃ち出す風圧の出力調整は『外法解読』が役立ってくれた。

 ゴーマの魔法陣から解読した、各部の術式を丸ごとパクって刻んでみた。それで、実際にどういう効果を及ぼすのかを検証して、使える効果と組み合わせを試した。

 その結果、テニスボールサイズの玉を真っ直ぐ飛ばす風圧に調整することに成功したのだ。

 これで僕でも簡単にそれなりに遠くへグレネードをぶち込むことができるようになった。

 そう、雛菊さんは毒煙玉くらいに留まっていたけれど、僕は作ったよ、爆発する本物のグレネードを。

 材料は火の光石とコアを少々。別に火属性魔法でなくても、上手く衝撃を与えるだけで爆発するようになるのだ。

 同じく、氷の魔石を使えば冷気が噴出するし、雷だったらバチバチとスパークが散る。

 材料さえ揃っていれば、下級くらいの攻撃魔法は全て再現できるだろう。

 今回は攻撃用に求めているので、火と雷の二種類しか作ってないけど。

「材料はあるけど、持ち込める玉数にも限界あるし……とりあえず、こんなもんか」

 自分が持って移動に不便が出ない程度の量に絞らなければならない。多少はレムに予備を積む予定ではあるけれど。

 ランチャーはスリングで肩からかけて、玉を入れておくポーチと、その他色々とアイテムを持っていくためのバックパックも作った。

 自分用の装備も、おおよそ揃ってきた。あとは、気合いを入れてレムの主力機を改造していくくらいか。

「流石にそれは明日にするか」

 気が付けば、周りに誰もいなくなって久しい。

 エントランス工房で残業しているのは僕だけで、他のみんなはさっさと風呂に入って寝ていることだろう。

 まったく、ウチの社員にはヤル気の欠片もなくて、実に嘆かわしい。

「桃川ぁー、まだやってんのー?」

 片付けもそこそこに、よっこいしょと立ち上がったところで、蘭堂さんが顔を出してきた。

「今終わったとこ。あとはもう風呂はいって寝るだけだよ」

「お疲れ。背中、流してあげよっか?」

「えっ、いいの!?」

「ええよ」

 思わず即答で食いついてしまったが、よくはないだろう。凄く良いけれど、これはよくない。

「凄いやって欲しいけど、規則を破るワケにはいかないから」

「風紀委員様だぞ。だから、ウチがルールなの」

「権力の乱用はやめてよね」

 そこまで権限与えてないし。風紀委員はルールを順守させるのがお仕事で、ルールを作るのは仕事じゃないよ。立法、司法、行政の三権分立って覚えてる?

「折角、労ってやろうと思ったのに」

「気持ちだけありがたくいただくよ」

 本当に、こうして気安くお喋りできるだけで、気持ちも楽になる。わざわざ、僕のことを様子見に来てくれただけでも十分すぎる。

 いいね、誰かに気にかけてもらえるってのは。

「桃川、無理してない?」

「別に、いつも通りだよ」

 強がりではない。今みたいに多少の残業はしてるけど、睡眠時間は確保してるし、三食ちゃんと食べさせてもらってるし。

「なんか結局さ、桃川が作戦立てて、何するかって決めてるじゃん。だから、余計に責任とか、そーゆうの感じてるのかもって、ちょっと思ったから」

「大丈夫だよ。ありがとね、そう言ってもらえるだけで十分だよ」

「……なんか解答がジジ臭い」

 えー、なにそれ酷くない? 割と真面目に言ったつもりなんだけど。

「まぁ、ウチはバカだから、桃川がどこまで考えてんのかは知らないけど」

「うん」

「ちょっとは否定しろっての!」

「あっ、すみませんでした、つい」

 だって蘭堂さんがクラスで学力最下位なのは事実だから……赤点とか蘭堂さんでしか見たことなかったし……

 だがしかし、せめて一言「そんなことないよ」と否定しておくべきだった。

 お蔭で、罰ゲームみたいに僕は頬を掴まれてもみくちゃにされてるワケで。

「とにかく、ちょっとは心配してんだっての。いきなり倒れたりすんなよな」

「これぐらいへーきへーき。半分は趣味でやってるみたいなとこあるし」

『呪導錬成陣』のクラフト能力優秀だから、面白すぎるんだよね。

「ウチはそんなに強くもないし、あんま役に立てることはないけど」

「全然、そんなことないよ。蘭堂さんの能力は、どんな攻略法を立てるにしても要になるくらい強力だから」

 いやマジで、地形を変えたりあっという間に野戦築城したり、他の誰にも真似できない能力だよ。

「そんなのほとんど、桃川に教えてもらったことばっかじゃん」

 フツーは教えてもできないから。

 天職『土魔術士』であり、なおかつ本人の才能もなければ、ここまでの能力は発揮できない。正直、蘭堂さん魔術士クラスの中で一番才能あると思う。

「ウチにはちゃんと、土魔法以外にもできることあんだから」

「……この前、メイちゃんに給食当番クビにされてなかった?」

「別にド下手じゃないからな。でも、アイツに料理で挑むのはもう二度としない」

 蘭堂さんそんなことしてたんだ。地味に女子力には自信あったのだろうか。

「ねぇ、桃川」

 ちょっと来い、とばかりに手招きをする蘭堂さん。

 大人しく一歩近づくと、蘭堂さんはわざとらしく、右を見て、左を見て、後ろを振り返り、周囲を確認。

 そして――僕のことを抱きしめた。

「その気になったら、ウチの部屋に来な」

 そう耳元で囁かれて、僕は何か返事をするよりも前に、頬に唇が押しつけられる感触がして、

「えっ、ちょっ!?」

 なんて、間抜けな返しをした時には、もう抱擁は解かれていた。

「一回くらいなら大丈夫っしょ!」

「い、一回って何の一回さ……」

 それ、どこまでいっても一回は一回でカウントされるんですか。

「じゃあね、桃川、おやすみ」

 散々、人の心を揺さぶっておいて、蘭堂さんは小悪魔みたいな笑顔を浮かべて戻って行った。

「……くっそぉ、誰だよ恋愛禁止とか言い出したヤツは」

 今日はちょっと、平常心で眠れそうもなかった。

 蘭堂さん、知らない内に眷属『淫魔』とかにジョブチェンジしてるんじゃないのか。

 ホントに、こんな思わせぶりな真似して僕をドキドキさせてどうしたいんだよ。好きなのかよ、本当に好きなのかよ僕なんかのことが――

 でも、それを確かめるワケにはいかないんだ。このダンジョンを抜け出すまでは。

 だから、一刻も早くヤマタノオロチを倒さなければ。僕の素敵な恋愛経験のためにもね。




 気が付けば、もう一月近い時間が経過しようとしている。光陰矢のごとし、とは言うものの、それは毎日やるべきことがあるからこそだと思う。

 きっと、僕が立案したヤマタノオロチ討伐作戦は、自分が想像していた以上に、みんなにとって目に見える目標となってしまったのだと感じる。とうとう来たるべき決戦の日を、意識せざるを得ないというか。みんなの雰囲気も、どこか自然と引き締まっているように思えた。

「ようやく、準備も整った」

 工房の忙しさもピークを乗り越え、ヤマタノオロチ攻略のために必要なモノは揃いつつある。

 姫野さんが五か年計画しちゃうほどの固定用アンカーは、150セットを完成させた。

 最初は頭一つあたり100本を見込んだけど、そんなに数を打ち込むのも大変だから、半分の50本換算にした。

 僕の構想通り、頭に突き刺す部分は大きな返しの付いた銛になっていて、柄から鎖が伸び、地面に打ち込んで固定する杭へと繋がっている。一本一本、丹精込めた手作り錬成による一品だ。僕らの努力の結晶である。

 拘束作業は速やかに行う必要があるので、杭の方はあらかじめ地面へと設置済み。本番では上手くここに誘導して倒さなければいけない。

 まぁ、僕らが岩山に乗り込む前の段階までなら、何度でもリトライできるので気軽に挑戦できる。

「だから、明日の本番もまずは気軽に……」

「あっ、小太郎くん、ここにいたんだ」

 後片付けも終わったのか、メイちゃんがエントランス工房に顔を出した。

 最後の晩餐、と言ったら不吉だけど、まぁ景気づけに今晩の料理はいつもより豪華だった。地味にこの日の為に、色々とメイちゃんが仕込みをしていたのも知っている。貴重な砂糖も惜しみなく使って、デザートまで用意して、実質フルコースである。

 すごい美味しかったです、ごちそうさま。みんなで頑張って、食材を集めてきた甲斐もあったよ。

「緊張してる?」

「流石に、今回は自分以外の命もかかっているからね」

 責任の重さってヤツは、いくら僕でも感じるよ。というか、僕は別に平気で他人を利用できるような冷酷非道なキャラではない。僕は普通、普通だよ、フツー。

「でも、やれるだけのことはやった。後はもう、信じるしかないよ」

「うん、私は小太郎くんのこと、信じるよ」

「僕もメイちゃんのことは信じてる。だから、いざという時は……」

「任せて。私は小太郎くんを助けるためなら、何でもするし、何だってできる」

 それがどんな非道であろうとも、それを実行できるだけの覚悟と行動力がメイちゃんにはある。だからこそ、僕は信じられる。

 たとえ背中を桜に見せることになっても、僕の隣にはメイちゃんがいる。万に一つでも僕に殺意を向けたなら、光の結界ごと奴を真っ二つにしてくれる。

「ねぇ、小太郎くん。本当は、戦いの前にこんなこと言うべきじゃないかもしれないけど……」

「いいよ、何でも聞くよ」

 戦いが終わった後に話す、というのもフラグだしね。聞ける話は聞いておく。

「もし失敗して犠牲者も出たら、二人で逃げよう」

「やっぱり、それしかないよね……」

 犠牲者が出ても、ヤマタノオロチを倒せれば、僕は責任を果たしたことになる。けれど、誰かを失った上に、作戦まで失敗すれば僕の立つ瀬はない。

「死人を出して作戦失敗したら、いくら僕でも挽回は不可能だよね」

「小太郎くんにだけ責任を押し付けるなんて間違ってる」

「人が死ねば、攻めずにはいられないよ」

 みんな作戦には賛成したことだとか、納得ずみだとか、そういう問題じゃない。これは感情の問題だから。

 そして、そうなることを分かっているから、メイちゃんはわざわざこんなことを言うのだろう。

「どんなに酷い結果になっても、私は傍にいる。逃げ道は、私が切り開いてあげるから」

「ありがとね、そう言ってもらえると気が楽になる」

 他の人が聞けば最低と言われるだろうけど、僕の気持ち的にはこういう対応が一番ありがたいわけで。

 僕はあの桜まで含めても、誰にも死んでほしくはないし、そのために最善を尽くしている。

 しかし、だからといって力が及ばなかった時、その責任を被って腹まで切るつもりはない。みんなのために働くけれど、みんなのために死ぬのは御免だ。

「でも、大丈夫、心配ないよ」

「そうかな」

「そうだよ。曲がりなりにも、クラスはまとまってる」

 これでダメなら、恐らく僕らだけじゃどう足掻いても勝てない相手だ。自分で言うのもなんだけど、これ以上ないほど万全の態勢を整えたと思う。

「全員が迷いなく力を発揮できるのは、今しかない。誰もが希望を持って戦える、今回が最初で最後だ――だから、必ず明日、ヤマタノオロチを吹っ飛ばしてる」




「――それで、話ってなにかな、小鳥遊さん」

「わざわざ、こんなところに呼び出すくらいですから、深刻な話なのでしょう?」

 学園塔5階の密会部屋。

 そこには、蒼真兄妹と、二人をここへ呼び出した小鳥遊小鳥の三人がいる。

「うん……」

 よほど言い出しにくい話題なのだろう。呼び出しの張本人である小鳥だが、その幼い表情は迷いに満ちている。

「大丈夫、ここには間違いなく俺と桜しかいないから。誰かが盗み聞きししてる気配はない」

「話してください、小鳥。どんなことでも、聞きますよ」

 迷子になった子供のように不安げな態度の小鳥に、二人は優しく微笑みかける。

 そうして、幾許かの沈黙を経て、小鳥はついに口を開いた。

「あ、あのね、本当はこんな時に、言い出さない方がいいって思うんだけど――」

 明日は、ついにヤマタノオロチとの決戦である。

 士気は高く、英気を養い、準備は万端。誰もがベストなコンディションを整え、来るべき決戦に臨む。

「――桃川君は、何か隠しているの」

「そりゃあ、アイツは俺達に言えないことの一つや二つはあるだろう」

「ええ、あの桃川ですし。どうせいつも、よからぬことばかり考えているに違いありません」

「違うの! そういうことじゃなくて……みんなの命が危なくなるくらい、何か凄い秘密を隠している……そんな気がするの」

 必死な小鳥の訴えに、流石に二人も表情から笑顔が消える。

 桃川小太郎のことを、心の底から仲間として信用してはいない。

 桜は勿論、悠斗だって、常に小太郎のことは監視するくらいの気持ちで接してきた。

「だが、今更アイツが、俺達を裏切るとは思えないが……」

 レイナを殺した怨敵。

 だがしかし、ヤマタノオロチという強大なボスを前に、クラスをまとめ、作戦計画を立て、準備を整え、いよいよ決戦に臨めるまでに至ったのは、小太郎のお陰だと、悠斗は認めている。

 これまでの小太郎の働きぶりは、決して嘘ではない。

「もし本当に桃川が私達を陥れようと思っていたとしても、この大一番で何かをするとは、少し考えにくいですね」

 桜とて、小太郎は本気でヤマタノオロチを倒すために準備してきたのだと、思っている。

 どれだけ邪悪な野心を抱こうとも、話の通じないボスモンスターは、力で打ち倒して乗り越えるより他はない。そして、小太郎個人にそれだけの力は絶対に持ち得ない。

「でも! でも……凄く、嫌な予感がするの……」

「小鳥遊さん、不安な気持ちは分かるけど」

「そうですよ、落ちついてください。小鳥には、私達がついているのですから」

「うん、ありがとう、蒼真君、桜ちゃん……でもね、きっとこの嫌な予感は、小鳥の不安な気持ちだけじゃなくて、多分、『賢者』の力が予感していること、だと思うの」

「それって、まさか予知能力に目覚めたとか?」

「う、ううん、全然、そんな凄い能力なんてないよ! 予知とか、そういうんじゃないと思うけど……でも、本当に嫌な予感はハッキリと感じるの。桃川君が、何かをするって。私達みんなを裏切って、何か悪いことを企んでいるって……」

「小鳥……」

 流石の桜も、小鳥の言葉に即座に頷くことはできなかった。

 桜は自分でも、今のクラスの中で最も小太郎を信じていないし、彼を一番警戒しているという自負もある。

 しかし、だからこそ、今ここでいきなりクラスを裏切るとは思えなかった。

 ここまで決戦準備を整えた小太郎の働きぶりは、本物だったから。

「分かったよ、小鳥遊さん」

「兄さん、小鳥の話を信じるのですか」

「俺も桃川がここで裏切るとは思えないけど……それでも、小鳥遊さんがこうして教えてくれたんだ。ちゃんと注意はするよ」

「ごめんね蒼真君、何の証拠もないのに、こんなことをいきなり言い出して……でも、小鳥の言うこと、聞いてくれて嬉しいよ」

「俺だって、心から桃川を信じるのは危ういとは思うしな。しっかり監視しておかないと」

「ええ、そうですね。小鳥、安心してください。明日の決戦では、私は桃川と同じ部隊ですから、土壇場で妙な真似はしないよう、しっかり見張っておきます」

「うん、桜ちゃんも、ありがとう」

 話を聞き入れてもらえたことで、ようやく安心できたのか、小鳥の顔に笑顔が戻る。

「でも、小鳥遊さん、このことは俺達だけの秘密にしておこう」

「そうですね、流石にこんなタイミングで言い出しては、みんなが動揺するでしょうし」

「大丈夫だよ。小鳥は、二人が信じてくれただけで、十分だから」

「ああ、桃川のことは俺達に任せてくれ」

 そうして、あまり長話をするわけにもいかないと、解散することとなった。

 先に小鳥が密会部屋を出て、自分の部屋へと戻る。

 後に残った蒼真兄妹は、どちらともなく口を開いた。

「兄さん、どう思いますか」

「どうもこうも、俺は小鳥遊さんに言った通りだよ」

 小太郎が今ここで裏切るとは思えないが、忠告を受けて警戒だけは怠らない。

 現実的に考えて、できることはそれしかないだろう。

「そう、ですね……」

「桜はどうなんだ」

「それは勿論、不安にもなりますよ」

 決戦前夜にこんなことを言われれば、動揺するに決まっている。まして、相手は常々疑い続けた小太郎である。

「一応、言っておくが、明日は作戦通りに動いてくれよ」

「分かっています。全員の命がかかっていますから……必ず、私がコアを破壊してみせます」

 小太郎のヤマタノオロチ討伐作戦に、変更はない。

 クラス一丸となり、これまでずっと準備してきた作戦だ。今更、変えられないし、変えようとも思えない。

 覚悟は決めた――そのはずなのに、二人の心には、間違いなく一点の疑念が残るのだった。

第228話 リライトと色んな精霊(1)

 ガウガウ!

 と、けたたましい鳴き声と共に、真っ赤な毛並の野良犬が牙を剥いて襲い掛かってくる。

「うぉおおぁあああああああああっ!?」

 俺は無我夢中で槍を振り回すだけ。正確に狙いをつけて突く、なんて真似はとてもできない。

 素人丸出しの槍攻撃だったが、運よく赤い犬の体にあたったようだ。

 ギャウン! と声を上げて、赤犬は俺への突撃を断念し、身を翻して下がっていった。

 だが、安心するにはまだ早い。


 ガウァアアアアアアアアッ!


 腹に響くようなデカい咆哮に、震えが走る。さっき退けた赤犬よりも、さらに一回りデカい奴が俺へと襲い掛かってくる。

「くそぉ、なんだよテメぇ、ボス犬かコノヤローっ!」

 立派な大型犬サイズのボス赤犬を前にしても、俺には槍を振り回すことしかできない。

 俺自身の腕前はショボくても、この槍そのものは切れ味鋭い鉄の穂先を持っている。その攻撃力を警戒してか、ボス犬は一足飛びに飛びかかって来ることはなく、槍の間合いギリギリのあたりで激しく吠えて、威嚇。あるいは、俺がビビって怯むのを待っているのか。


 ゴァアアアアアアアアアッ!


 その時、大きく開かれたボス犬の口から炎が迸る!

 こ、コイツ、火を噴くのかよ!?

「ぐわぁああああ、熱っつぅ――くない?」

 目の錯覚ではなく、間違いなく迸る炎が俺を襲ったはずなのだが、不思議と熱さは感じなかった。

 いや、俺の胸元に、妙な熱を感じた。

「メラァー」

「ボァー」

 子供みたいなその声は、俺の胸ポケットにあるジッポライターから発せられていた。

 LEDライトでも仕込んでるみたいに赤々と光り輝くジッポは、今や火の精霊の住処となっている。

「も、もしかして、お前らが守ってくれたのか?」

「ヒー」

 要領の得ない解答だが、どうやらそれであってるらしい。

 なるほど、火の精霊ならば炎を操ってそらしたり、消したり、なんてこともできそうだしな。

「ありがとな! やっぱ持つべきモノは精霊のお友達だぜ!」


 ガウガウ、グガァアアアッ!


 渾身の炎攻撃を無効化されて怒ったのか、ボス赤犬が凶暴に吠える。

 そして、とうとう間合いに踏み込み、俺の喉笛に喰らつかんと、火花を散らしながら鋭い牙を剥く!

 あっ、やめろ、直接的な物理攻撃は精霊さんじゃ防げないの!

「プンガァアアアアアアアアアアッ!」

 そこで飛んできたのが、野生のパワー溢れる毛深い剛腕。

 鋭い爪をギラつかせて、情け容赦なく大口を開けたボス赤犬の横っ面を張り飛ばす。

「キナコぉ!」

「リライト、後ハ任セロ」

 ようやく群れていた赤犬共を倒し、俺の救援に駆けつけてくれたキナコである。

「いやぁ、やっぱり、持つべきモノは熊の親友だな」




 キナコと共に森を進み始めて、早三日。

 気が付けば、こんな生活にもちょっとだけ慣れてきたと思える。

 いや、違うな。俺が逞しくなったのではなく、俺でもそこそこ大丈夫なくらい、サポートしてもらっていると言うべきか。

「――ぷはぁ! 冷たい水がいつでも飲めるってのは最高だぜ。キナコも飲むか?」

「飲ム」

「ほい、それじゃああーん」

「アーン」

 目いっぱいに口を開けるキナコに、俺はボスゴーマからいただいてきた水入りの皮袋を逆さに振るう。

 すると、ドバドバ出てくる冷たい水。

 マジでドンドン出てくる。明らかに皮袋の容量を超えた水が。

「ミズー」

「ダバー」

 大量に水がでる秘密は、精霊である。

 いわゆる水の精霊という奴らで、ジッポの火精霊と同じように、何故か皮袋にいつの間にか住んでいた。

 青く輝く、やはり小さい棒人間な彼らだが、俺は水精霊のお蔭で、飲み水にも生活用水にも困らずに済んでいる。

 他にも、色んな精霊に俺は助けられながら、なんとかキナコと共に森を進めている。

 今にして思えば、俺の天職が『精霊術士』で良かったとしみじみ思う。

 これで、剣だの魔法だのを使う職業だったなら、そりゃあ戦いで死ぬことはないかもしれないが、結局、食うに困って死にそうだ。生水を飲んで腹を壊したりするかもしれないし、何気なく食べた木の実が猛毒かもしれない。

 サバイバル生活で長く生き抜くためには、とにかく人体に安全なモノだけを食べることが大切だと、なんかのテレビ番組で見た覚えがある。

 その点、俺は無尽蔵に出てくる綺麗な水に、キナコに俺でも食えそうなモノを教えてもらったりしている。こんなに恵まれたサバイバル環境にいるのは、俺だけだろう。

「キナコ、今日もお疲れさん」

「プガー、余裕ダ」

「赤犬の群れは結構、激戦だったよな。お前、結構、血がついてんぞ。洗ってやるからこっち来いよ」

「頼ム、リライト」

 今日も河原を野営地と決めて、夜を超す準備を始める。

 野生の熊だけど結構キレイ好きなキナコは、こうして体を洗ってやると喜ぶ。自分じゃ背中まで手は届かないしな。

 戦いの返り血などで汚れた時は、俺は感謝をこめて綺麗に洗ってやるのだ。今のところ、俺は大騒ぎしながら槍を振りまして自分の身を守るのに精一杯である。キナコと肩を並べて戦える日は、まだ遠い。

「リライト、オレ、魚トッテクル」

「じゃあ俺はその辺で食えそうな木の実とか集めてくるわ」

 キナコのお陰で、美味い木の実や果物は教えてもらったし、あんまり美味くないけど食える植物なども覚えた。この状況では、どれも貴重な食料だ。

「焼キ魚」

「おう、任せとけよ」

 そして、料理をするのは俺の担当だ。

 料理と言っても、ただ焼いて塩を振るだけなんだけどな。

 それでも、温かく塩味のついた焼き魚は、キナコ的には生で喰らうよりよっぽど美味しいらしい。ちなみに、キナコの好みの焼き加減はレアである。生焼けが美味しいと言ってくれるのは、料理人の俺としては凄い楽で助かる。

 いまだに、あんま上手に魚をコンガリ焼けない俺であった。

「プガー、ンマイ! 焼キ魚、ウマイ!」

「そいつは良かった。変な形の魚だから、上手く焼けてるかどうか自信なかったんだよ」

「リライト、魚、焼ケル、スゴイ。オイシイ」

「へっ、食材と調味料さえ揃えば、もっと美味いモン食わしてやれんだけどな」

「カラアゲ!」

「そうそう、から揚げ。いつか絶対作って、二人で腹いっぱい食おうぜ」

「プガァ! カラアゲ、ガンバル!」

「お、キナコ、その荒ぶるポーズはなかなかワイルドでカッコいいぞ」

 シャッターチャンスとばかりに、俺はポケットからスマホを出して撮影。

 ついでに、自分も撮っておこう。

「サバイバル生活三日目。今日も飯が美味い!」

 キナコと肩を組んで、自撮りをして保存。

 折角だから、毎日の記録をつけようと思った。

 もう二度と充電なんて望めないスマホを、こんな無駄遣いしている理由は、すでに充電の必要もないからだ。

「よう、お前ら、調子はどうだ?」

「ビリビリー」

「ペカー」

 輝くスマホの画面から、白と紫に光り輝く精霊がゾロゾロと這い出てくる。

 白い方は光の精霊で、紫の方は雷の精霊だ。

 スマホは電気で動いて光るから、両方の精霊が宿っているのだろう。

 コイツらのお蔭で、バッテリーは常にMAX状態だし、ライトの明るさも本物の懐中電灯を凌ぐ光量を発揮する。

 俺のスマホは現代の技術を越えた、奇跡の精霊スマホと化したのだ。

「よしよし、寝る前にちょっと遊んでやるか」

 バッテリー無限だから、ゲームも遊び放題! 世界的に人気のキャラクターの生首を積んで消す大人気パズルゲームは、俺もそこそこハマっていた。

 ネットは繋がってないのに、何故起動できるのかは分からんが、遊べるならば何でもいい。

 とはいえ、ゲームをプレイするのは自分のためってより、精霊達のためなのだが。

 何故かゲームで遊ぶと、精霊達も楽しいのか、ワイワイと喜び出す。

 俺は異世界でもスマホを使い続けられる恩恵の感謝の印として、毎日ゲームをプレイすることにしている。

 キナコも見ていて楽しいのか、俺がゲームするとピッタリくっついてきて画面を覗き込んでくる。たまに爪で画面を叩いて邪魔したりもするけど。

「――すっかり暗くなったな。今日はもう寝るか」

「リライト、オヤスミ」

「おう、おやすみ、キナコ」

 そして俺はキナコのでっかいモフモフボディを布団代わりにして、今夜も快適な眠りにつくのだった。




 翌日。朝の用意を済ませ、今日も元気に出発だ、と張り切って河原を歩き出したその時であった。


 ゴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!


 けたたましい鳴き声と共に、森が揺れた。

 ゴーマも赤犬も、激しく吠える。だが、この咆哮の主は格が違う。声だけで、一体どれだけデカい奴なんだと思えてくる。

 想像を絶する咆哮に俺がビビって硬直していると、

「リライト、隠レロ! 早ク!」

 いつにもまして切羽詰った声を上げるキナコに、俺はそのまま抱えられて藪の中に突っ込んで行った。

 一体何なんだ、と思う間もなく、森の木々も、俺達が隠れ潜む藪も、ザァザァと強風に煽られる。まるで台風でも来たかのような風速と風圧を伴って、ソイツは空から現れた。

「ま、マジかよ、アレって……ドラゴンじゃねーか!」

 真っ赤なドラゴンが、大きな翼をはばたかせながら、河原へと舞い降りた。

 ちょうど俺達が野営していた場所である。たき火の痕は、ドラゴンのはばたきによってあっけなく吹き飛ばされている。

 もしかして、俺達を獲物と定めて狙ってきたのか――そんな恐ろしい予想は、川に首を突っ込んでゴクゴク水を飲むドラゴンの行動で、どうやら違うらしいと安心できた。

「良かった、水飲みに来ただけか」

「リライト、気ヲツケロ。見ツカッタラ、死ヌ」

 キナコがかなりビビっている。いつもは誇るようにピーンと立っているウサミミも、今はペタンと倒れているし。

 こんなに怯えているキナコは初めて見る。だが、あのドラゴンを前にすれば、それも当然だ。あんな怪獣、逆立ちしたって勝てっこねぇよ。


 グルルゥ――


 不意に、川面から顔を上げたドラゴンは、周囲の様子を探るようにキョロキョロと見渡し始める。

 ま、まさか、俺達の存在に気付いたのか!

「……」

「プググ……」

 俺とキナコは抱き合って震えることしかできない。

 頼む、どうか俺達のことには気づかないでいてくれ。

 そんな切なる願いを嘲笑うかのように、ドラゴンは鼻をならしながら振り返り、俺達が潜む藪の方を真っ直ぐに見つめてきた。

 や、ヤバい……見つかった……?

「カクレルー?」

「ヒソムー?」

 その時、聞こえたのはすでにして聞きなれた能天気な精霊の声。

 どの精霊の声だ、と思えば、目の前に奴らはいた。

 緑の精霊。だが、最初にお世話になった薬草の精霊ではない。

 どうやら、この藪を形成している草の精霊らしい。

「……頼むぅ」

 震えるような小声で、けれど心の底からお願い申し上げた。

 すると、俺とキナコを包み込むかのように、草がゆっくりと動いて覆いかぶさって行った。


 グォアアアアアアアアアアアアアッ!


 そして、次の瞬間には再びあがる大音量の咆哮と、草木を薙ぎ払わんばかりに揺らす凄まじい風圧を伴い――赤いドラゴンは、あっという間に空の彼方まで飛び去って行った。

「た、助かった……」

「ヤッタ」

「いやぁ、マジで見つかったと思って焦ったぜ」

「見ツカッテタ」

「え?」

「見ツカッテタ。ケド、緑ノセイレイ、アツマッタ。ドラゴン、食ベルノヤメタ」

「おいおいマジかよ、精霊が庇ってくれなきゃホントに俺ら食われたたのかよ」

 マジモンの危機一髪だったワケか。

 いや本当に、精霊術士で良かったよ。

「お前ら、マジでありがとな。命の恩人だ――だから次もどうかお願いします!」

 あのドラゴンのお蔭で、俺は心の底からここが本当の異世界なのだと実感した。

 そして、この森はキナコでも敵わないような化け物が闊歩している、超危険地帯だということも。

 これからは、もっと慎重に進んで行こう。




「――リライト、緊張シスギ」

「い、いや、だってよぉ……」

 ドラゴンと遭遇してから、俺は急にこの森が恐ろしくなってきた。

 警戒すべきなのはあのドラゴンだけでなく、他にもあんなようなデカい奴らはいるとキナコは言うじゃないか。

 熊も人間も、この異世界森林の食物連鎖では上位にはまるで食い込めない。過酷すぎんだろ。

 ああ、そうか、だからただでさえ熊の強さを持つキナコ達も、群れを作って暮らしているのか。熊が群れなきゃ太刀打ちできないようなモンスターが普通にいるから。

「ああ、早く街に、いや、もう超ド田舎でもいいから、辿り着きたい」

 安全というのは、何よりも勝る贅沢なのだとしみじみ感じていると――

「リライト! ソコ、ナニカイル!」

「うぇええっ!?」

 キナコが臨戦態勢を取り、茂みの向こうを睨む。

 俺は完全にへっぴり腰になりながら、槍を構える。

 頼む、どうか出て来てもゴーマくらいの強さの奴らにしてくれよ!

「……行クゾ」

 意を決して、キナコが何者かが潜むという茂みに踏み込む。

 ガサガサと草をかきわけて進んだ、その先には、

「クゥーン……」

 一匹の犬がいた。

「なんだ、コイツはただの赤犬じゃねぇか」

「イヌ、弱イ。カナリ弱イ」

 キナコからすれば赤犬の群れなど雑魚同然……という意味ではなく、ここにいる犬のことを言っている。

「確かに、コイツは随分と小っこいし、痩せてるな」

 それに、奴らは犬らしく群れるはずなのだが、このチビは一匹だけで、木の根元にうずくまっている。

 なんなんだ、こんなナリして、実はキナコみたいに反骨精神溢れて群れを飛び出してきた一匹狼なのか。

「あっ、コイツ、足を怪我してるぞ!」

 毛皮が赤いからすぐ気づかなかったが、よく見れば後ろ足からは固まった血糊がベッタリとついている。黒ずんで凝固した血の跡は、負傷したのは今日、昨日、といった感じはしない。

「お前、もしかして、仲間に見捨てられたのか……」

「リライト、行クゾ。コイツ、危険ナイ」

 何の脅威にもならないと判断したキナコが、早く行こうと俺の袖をクイクイ引っ張ってくる。

 けれど、俺の足は動かない。

「クゥ……クゥーン……」

 放っておけば、このままコイツは死ぬ。負傷した野生動物の末路としては、当然のものだ。

 犬に怪我をした仲間の手当なんてできっこない。舐めて治るような傷じゃなければ、見捨てる以外に方法などない。

 群れの奴らが薄情とは言うまい。これこそが自然の掟なのだから。

 けど、それでもよぉ……そういうのを残酷だとか、可哀想だとか、そんな甘っちょろい感情で否定すんのが人間だろうが!

「待て、キナコ。俺はコイツを助ける!」

 そして、俺にはコイツの傷を癒す力があるんだ。

 なら、治してやって何が悪い!

「リライト、ドウシテ」

「どうしてもあるか、可哀想だろうが!」

「治レバ、襲ッテクルカモ。危険」

「そん時はキナコが守ってくれよ!」

 めちゃくちゃ自分勝手なことを叫びながら、俺は地道に集めていたギザギザ葉っぱの薬草を取り出す。

 空っぽになった弁当箱に詰め込んだ薬草を掴むと、

「キズ、ナオスー?」

「チ、トメルー?」

 そこには、すでに薬草精霊達が治癒の力を解き放たんと、今か今かと待ちわびていた。

「ああ、頼むぜお前ら! 俺はコイツを助けてぇ!」

 そうして、緑の輝きを放ち始めた薬草を、犬の傷口へと俺はつきつけた。

第229話 リライトと色んな精霊(2)

「キャンキャン!」

「ぶはは、おいやめろって! くすぐってぇだろぉー」

 チビの赤犬がブンブン尻尾を振りながら、俺の顔をペロペロしてくる。

「このやんちゃ坊主め、すっかり元気になりやがって」

 ワンワン、と鳴き声をあげてチョロチョロと走り回る赤犬は、すっかり傷も癒えて全快していた。

 森の中で見つけた、怪我したコイツを助けてから、僅か一日でこの様子である。

 流石は薬草精霊の回復力か。あるいは、コイツ自身の生命力か。いや、キナコがとってくれた鳥肉が効いた、という線もありうる。

 ともかく、赤犬はこうして回復した。

 そして、傷が癒えて俺に飛びかかって来たコイツは、牙ではなく舌を出した。敵意はない。俺が傷を治したということを分かっているのか、早々に懐いてきたものだ。

「こうして見ると、お前もなかなかカワイイ顔してんじゃねーか」

「クーン!」

 どこか嬉しそうに笑った、と思えるのは俺が早くもデレてしまっているからか。

 いやぁ、懐いてくれる犬って、マジでカワイイよね。

「リライト、遊ンデナイデ、飯ノ準備スル」

「へへっ、なんだよキナコ、拗ねてんのか?」

「ソンナコトナイ」

「ごめんな、でも俺のベストモフモフはお前だから!」

「プン」

 とか言って、キナコは今日も河原漁業に向かって行った。

 さて、俺もいつまでも遊んでいるワケにはいかない。キナコの言う通り、食事の支度をしなくては。

「ワンワン!」

「俺は仕事があるから、お前はちょっと大人しくてろ……っと、そういやぁ、まだ名前つけてなかったな」

 この調子ではコイツも俺達の森脱出についてくることになるだろう。新たな旅の仲間というわけだ。

「うーん、そうだなぁ……」

 今はまだ小さい赤犬だが、コイツも成長すればいずれあの獰猛な大型犬サイズにまで成長していくだろう。

 ならば、そんな時に堂々と名乗ってカッコいいと感じるネーミングがいい。決して、今の可愛らしい子犬イメージだけで名付けてはいけない。

「よし、お前の名前はベニヲだ!」

「キャンキャン! クゥーン!」

「ふっ、気に入ったか。流石は俺の天才的ネーミング」

 早速、ベニヲの名を授かって喜んでいるようだ。尻尾振りながら、俺の足元をクルクル回っている。

「いいか、お前はもうただの野良じゃねぇ。俺らは仲間だ、これからよろしく頼むぜ」

「ワンワン! ゴシュジン! ワンワン!」

「おおっ、なんだ、もう仲間として心が通じて来たのか? お前が俺を呼んでる気がするぜ」

 抱っこしてやると、何となくベニヲが俺を「ご主人」と言ってるように聞こえた。

 もしかして、その内に犬の言葉も分かるようになるのだろうか。俺がキナコと当たり前みたいに話しているように。

 というか最近、キナコの言葉も前よりも流暢に聞こえるような気がするんだよな。

 まぁ、なんでもいいか。それだけ、俺とキナコの絆が深まっている証拠みたいなもんだ。

「よっしゃ、ベニヲ、俺もすぐにお前の言ってること、分かるようになってやるからな」

「ゴシュジーン!」

 はっはっは、可愛い奴め。




 新しい仲間、赤犬のベニヲは、ただ可愛いだけの子犬ではなかったことを、俺は翌日になって思い知らされる。

「ゴシュジン! ワンワンワーン!」

 朝、ベニヲの元気のいい声で目が覚めると、早くもテンション高めで俺の前をグルグル走り回っている姿が目に入った。

「おー、おはようベニヲ……お前は朝っぱらから元気だなー」

「ゴシュジン!」

 ワンワン鳴きながら、寝ぼけ眼の俺の前に、ベニヲがペっと何かを吐き出す。

 おいおい、いきなりご主人様に唾を吐いてリベリオンか?

 などと眠い目をこすりながら、よく見ていると、それはスズメみたいな鳥だった。

「もしかして、お前が獲って来たのか?」

「ワンワン、エモノ!」

「そうか、凄ぇなベニヲ! よくやった!」

「ヘッヘッヘッ、クゥーン!」

 ワシワシ撫でてやると、ベニヲは嬉しそうに尻尾を振りながら、体を擦り付けてくる。甘えん坊なヤツだ。存分に可愛がってくれる。

 その時は、普通に自分で獲物を捕まえて来てよくやった、偉い、感動した、と褒めてやってから、スズメっぽい鳥の羽根をむしってベニヲに餌として食わせてやった。

 だが、どうやらベニヲはただの偶然でこのスズメを捕まえたのではないようだった。

 俺達が森を歩き始めると、チョコチョコと走り回って後をついて来ていたが、たまにササーっとどっかへ走り去っていくと――戻ってきた時には、またあのスズメみたいな小鳥や、鼠のような小さい動物をくわえて戻ってきた。

 挙句の果てには、その日の野営の準備中、コイツはウサギを捕まえた。

 耳は短いし、なんか緑色だし、角とかも生えているが、全体的にはウサギみたいな動物である。

「ベニヲ、お前ホントに凄ぇな」

「ワンワン!」

「プググ、ツノウサギ、速イ。捕マエル、難シイ」

 ベニヲの狩猟ぶりを、キナコも認める。

 キナコは小鳥や鼠や兎とか、こういう小さくてすばしっこい動物を捕まえるのには向いていない。獲ったとしても、キナコの巨体を維持するにはあまりに量が少なすぎる。頑張って捕まえても、コストが見合わない。

 なので、キナコが基本的に狙うのは川の魚や、鹿みたいな中型の動物らしい。

 残念ながら俺達が進んできたルートには、キナコの同族が主に狙っていたジャージャと呼ばれる鹿的な動物はいないようで、まだ一度もお目にかかっていない。

「このウサギは俺が捌いてやるから、三人で分けて食べようぜ」

 ともかく、ベニヲのお蔭で俺とキナコだけではありつけなかった肉が手に入るようになったのはデカい。やはり、魚と少々の木の実だけでは辛いものがある。

 少しだけでも肉が食べられる、というのは、また明日を頑張る希望に繋がった。




 まだ子犬っぽいベニヲが、群れることなく単独で、どうしてこうも次々に獲物を狩れるのか。その理由に気づいたのは、二度目のゴーマとの遭遇をした時だった。

「よっしゃあ、かかって来いよゴーマ共! 今度はテメーらに遅れはとらねぇぜ!」

 なにせ、前は通学鞄しか装備してなかったからな。

 だが、見よこの立派な鉄の槍を。コイツはお前らのボスが持ってた武器だ。手作りの石槍や石斧装備のお前ら雑魚どもとは質が違うんだよ!

 と、自信満々に槍を構えて振り回していると、ヒュン! っと音が聞こえたと思った次の瞬間、俺のすぐ脇に立っていた木の幹にスコーンと矢が刺さる。

 そう、矢だ。

「お前ら弓矢とか卑怯だろ!」

 禁止! 遠距離武器はズルいので禁止です!

 ちくしょう、男なら正々堂々、近接武器オンリーでかかってきやがれ!

「ブググ、グベラァ!」

「アブダ、ズゴバ!」

「ぬあーっ! 弓はやめろぉーっ!」

 槍やら斧やらを持った奴らの後ろに、何体かの弓持ちがいる。ソイツらからひっきりなしに矢が飛来してきて、俺は慌てて木陰に回り込む。

 ちくしょう、槍で戦ってる場合じゃねぇ!

 奴らの弓矢は作りはショボいし、狙いもガバガバだ。しかし、万が一にも当たれば痛いじゃ済まない。現実はゲームじゃない。ヘッドショットなんて喰らわなくても、一発アウトだ。

「ウゥーグルル、ギャウギャウ!」

「あっ、ベニヲ!?」

 俺の情けない劣勢ぶりを見て何を思ったか、小さいながらもいっちょまえな唸り声を上げて、ベニヲが敵に向かって飛び出していった。

「グバァ!」

「ダーゴブン!」

 ベニヲは武器を振り回すゴーマの間をすり抜け、その後ろ、弓矢を持った奴の方へと駆けて行く。

「ワンワン! ボァーッ!」

 そして、牙を剥き出し開いた口から、炎を吐き出した。

「えっ、あの火炎放射ってベニヲも使えんの!?」

 赤犬のボスっぽいヤツが、火を噴いたのは記憶に新しい。

 しかし、あの赤犬ボスよりも、ベニヲが吹いた炎は大きい、というか、長く伸びて、放射している時間も長い。

「アバババ!? グバァアアアアアアッ!」

 弓矢ゴーマはベニヲの炎から逃れきれず、全身が火達磨になってもだえ苦しんでいる。もう、弓を撃つどころの状態ではない。

「す、凄ぇ……」

 ベニヲは早くも次の射手に狙いを定めて襲い掛かっている。

 そして、二度目の火炎放射をぶっ放している姿を見て、俺はようやく気付いた。

「あっ、火の精霊が!」

 ベニヲの頭や背中に、火の精霊が集まっているのが見えた。

 そうか、火の精霊が力を貸しているから、ベニヲはあんな威力の炎を吹き出すことができるのか。

 しかし、どうして火の精霊がベニヲに……まさか、アイツら犬派なのか?

「ウバァ! ンドゥバァ!」

「おっと、矢が飛んでこねーなら、もうビビる必要はねーな!」

 俺は今度こそ鉄の槍を構えて、ショボい手作り装備のゴーマを狙う。

 リーチは俺の方が長い。確実に、勝てる!

「うぉおおーっ!」

 無我夢中で繰り出した槍は、見事、ゴーマの腹のど真ん中に突き刺さり――ううっ、なんか気持ち悪ぃ。曲がりなりにも、人型のヤツをぶっ刺したせいか。凄い嫌悪感が湧きあがって来るが……

「ワンワン!」

 小っこいベニヲだって必死こいて戦ってんだ。ご主人様の俺がヘタレてられるかよ!

「うおーっ! おらぁーっ!」

「プググ、リライト、モウイイ」

 俺が槍を激しく振り回しながら、二体目のゴーマを相手取っていると、敵の主力を始末し終えたキナコが戻ってきて、腕の一振りであっけなくゴーマをブッ飛ばした。

「ミンナ、頑張ッタ」

 そして、最後にキナコはそこらの石を拾って、その剛腕でもって石ころを投げつけて、ベニヲが追いかけていた最後の射手ゴーマを仕留めていた。

 えっ、キナコって投石攻撃とかもできたんだ……モノを投げる攻撃は人類だけが持ち得る最大のアドバンテージ云々という説はなんだったのか。

「はぁ……やっぱ、戦いの時は緊張すんな……キナコ、ベニヲ、ありがとな。お前らがいなかったら、俺はなんにもできねーな」

「リライト、気ニスルナ。オレ達、ナカマ」

「ゴシュジーン! クーン!」

「そうか、そうだよな……ちくしょう、お前ら最高だぜ!」




 キナコとベニヲ、頼れる仲間を連れての脱出行は、早くも一週間が過ぎようとしていた。

 まだ一週間、されど一週間。

 貧弱な現代っ子に過ぎない俺は、キナコとベニヲ、そして精霊達の力を借りながら、曲がりなりにもこのサバイバル生活に少しずつ慣れてきた感じだ。

 ゴーマをはじめとした、魔物と呼ぶべき積極的にこちらに襲ってくる奴らとの戦いも、ほとんど毎日だ。

 圧倒的な主力のキナコに、機動力で敵をかく乱しつつ炎も吐けるベニヲ。そして、自分の身を守るのに精一杯な俺。俺らの連携は抜群だ。ゴーマなんてメじゃないぜ。

 襲い掛かる魔物を倒し、そしてドラゴン級の手に負えない怪物相手には、みんなで震えながら息を殺してやり過ごし――そうして、俺達は進んできた。

「しっかし、相変わらずに代わり映えのしない森の中だなぁ」

 どれだけ広い森林地帯なのだろうか。あとどのくらい進めば、人里まで出られるのか分からない。

 流石にそろそろ変化が欲しいかなー、なんてことを思っていたその時だ。

「ん、なんだアレ……おい、もしかしてアレって、建物じゃねぇか!?」

「アッ、リライト!」

「ゴシュジン!」

 俺が目にしたのは、確かに人工的な建物だ。自然界では決してありえない、石で作られた直線的な造形。

 すっかり森の緑に侵蝕されていて、まるで東南アジアにある遺跡みたいな風情だ。

 どう考えても廃墟か、ホントにただの遺跡だとしか思えないが、それでも俺は、この異世界に来て初めて見る建造物を前に、ちょっと興奮して走り寄ってしまった。

 そして、それがどれだけ迂闊なことだったか、直後に思い知る。


 ボォオオオ……バァアアアア……


 不気味な重低音の、何かが揺れる音、いや、鳴き声か。

 それが周囲一帯に響き渡ったその時、俺の体は地面を離れた。

「うわぁーっ!? な、なんだコイツはぁーっ!」

 上から降って来た、蛇、じゃない、ニョロニョロうねっているが、コイツは蔦だ。

 緑の蔦が、俺の体を絡め取って、そのまま上に持ち上げて行く。

 罠にかかったのか――いいや、違う、俺は魔物の手に直接、捕まえられたんだ。

「なんだよ、デケぇ、木の化け物か!」

 動く蔓によって高々と吊り上げられてから、俺はようやくソイツの姿を見た。

 遺跡に根を張るように立っている、大きな木。

 だが、その木の幹のど真ん中には歪んだ人の顔のような形が浮き出ており、口の部分は実際に大きく裂けている。その口から、奇妙な鳴き声を漏らしていた。

「トレント! リライト、危険!」

「き、キナコぉーっ! 助けてくれぇーっ!」

 情けなく助けを求めることしかできない俺である。

 キナコは果敢にも、トレントと呼んだ木の化け物に立ち向かうが、

「プガァ!」

 トレントが繰り出す、地面から生やした蠢く太い根っこにぶっ叩かれてしまう。

 キナコは爪を振るって、バキバキと根を薙ぎ払うが……ダメだ、木の根の数が多すぎる。

「やべぇ、もしかしてコイツ、キナコより強ぇんじゃ……」

 単純に、大きな木の形をしているトレントの方がサイズはデカい。果たして幹まで辿り着いたところで、キナコの腕力だけでコイツを倒せるのか。

 もしかして、俺が捕まったせいで、キナコは本来なら絶対に避けなければいけない相手と戦う羽目になっているのではないだろうか。

「くそっ、俺のせいで……」

 キナコに続いて、ベニヲも火炎放射を浴びせかけるが――地面から無数に生えてくる根を一掃するには至らない。

 奮戦するキナコに向かってくる、木の根や、俺を捕まえたような蔦を、ベニヲが炎でなんとか払っている、といった状況だ。

 明らかに劣勢。トレントを倒す火力が足りていない。

「ど、どうする……このままじゃあ……」

 全滅、の二文字が頭にちらつく。

「冗談じゃねぇ……ドジ踏んだのは俺だろうが……」

 そんな俺を、あの二人は必死こいて助けようとしてくれている。

 それを力及ばず、仲良く三人で死のう、なんてのは馬鹿げている。

 そうだ、俺を見捨てれば、二人は生き残る。キナコは元々一人だし、ベニヲだって今はもう立派に一人で生きて行けるだろう。

 俺が、俺だけがこの森で生きるのにお荷物だったんだ。

 それを、アイツらは仲間だと、こんなにも一生懸命助けようとしてくれる。

 なら、それでもう十分じゃねぇか……こんな俺と道連れにするなんて、馬鹿げた最期にはさせられねぇ。

「――クソっ!」

 そのくせ、今すぐ二人に向かって「逃げてくれ」と叫ぶ勇気も湧かなかった。

 ああ、ちくしょう、だったらこの状況をなんとかする方法を考えろよ!

 このトレントをぶっ倒して、三人で生き残るハッピーエンドだ。

 何かないか、今の俺に、精霊術士の俺にできることは――

「リライト!」

「ゴシュジン!」

「――お前ら! 危ないから少し下がってろ!」

 やってやる、俺はやってやるぞ。一個だけ思いついた策がある。

 この大木野郎、俺をただつるし上げただけで、トドメ刺さなかったことを後悔させてやるぜ!

「よし、まずはコイツで……あー違う、コレは水袋だ……」

 蔦に捕まった俺は、その時点で手にしていた槍を手離してしまっている。

 武器は落としたが、背負っていた通学鞄はそのままだ。この中には、これまで倒してきたゴーマの鹵獲品なんかも詰め込まれている。

 そして、その中にお目当ての品がある――松明に使う、油だ。

「全部くれてやるぜ!」

 油の入った袋をひっくり返して、ドバドバと幹の方にかけてやる。コイツを焼き尽くすのに足りるかどうかは分らんが、ないよりはマシだろう。

「木の化け物ならよぉ、大人しく火ぃ弱点になっとけよ!」

 そして、着火。最大火力で行くぜ!

「頼むぞ火の精霊! コイツを焼き尽くせぇーっ!」

「メラメラーッ!」

「ボワボワボワァーッ!」

 俺の叫びに呼応して、ジッポライターの火の精霊達はいつにも増して気合いを入れて炎を放った。

 俺が手にしたジッポは眩いほどに赤く輝き、大きな火の玉を形成し、トレントの顔面目がけて飛んでいく。これもう完全に火属性の攻撃魔法だろ。


 ボォオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!


 不気味な唸り声をあげながら、トレントの大木がグラグラと揺れる。

 これは効いているな。顔面を燃やしてやったんだ、平気なワケねーよな。

「い、今の内だ」

 俺は固く握ったジッポで、体を吊るす蔦を焼く。今度は慎重に。俺が火達磨になったら困る。

「よっしゃ、切れ――うぉおおおおっ!?」

 当たり前だが、宙に吊るされた俺が蔦から解放されれば、落っこちるに決まってる。おい、これ高さ何メートルあるよ。多分、マンション2階くらいだと思うから、なんとか無事に着地できる可能性が、

「痛ってぇ……」

 思った以上の衝撃と鈍痛が、着地した俺を襲う。

 だが、骨も折れてないし、ほぼほぼ無傷といっていいのでは。

 けど、これで何とか脱出できた。トレントはまだ顔を燃やされて苦しんでるし、この隙に逃げ出せば――

「リライト、危ナイ!」

 ドズンッ! という重たい衝撃音で、キナコの叫び声がかき消される。

「あ、あっ、危ねぇっ!?」

 トレントの太い枝が、腕のように動いて俺のすぐ傍に叩きつけられていた。

 俺を狙ったのか、それとも燃える苦し紛れか。何にせよ、こんなもんが直撃したら、ぶっとい丸太で叩き潰されたも同然の破壊力。一発で死ねる。

 そして、その即至級の枝叩きつけは、再び放たれようとしている。

 ミシミシと軋みをあげながら、俺の頭上に高々と緑を纏う太い枝が掲げられて――まずい、コレは直撃コース!

「ビリビリ」

「ジリジリ」

 不意に聞こえたその声は、スマホに住んでる電気精霊だった。

 着信でもあったかのように、俺は実に自然な動作でポケットからスマホを引き抜く。

 俺には何となく分かった。コイツらが俺を呼んだ。俺達を使えと。

 だから、俺は信じる。精霊術士だからな、精霊を信じるのは当然のことだ。

「――喰らえぇ!」


 ドォオオオンッ!


 凄まじい轟音と共に、眩い閃光が視界を焼く。

 それはまるで、目の前に雷が落ちて来たかのようで――事実、その通りだった。

「や、やったのか……?」

 見れば、ブスブスと黒焦げになったトレントが、天辺から顔の半ばまで幹が割れていた。落雷を食らった木が裂けてしまった様に。

「お前ら、ありがとな」

「キュー」

 と、疲れたような声を上げて、紫の電気精霊達は、薄らと消えて行った。同時に、スマホの電源もオフに。

 どうやら、強い力を使いすぎたようだ。しばらく寝かせてやろう。

「ゴシュジーン!」

「リライト! スゴイ! トレント、倒シタ!」

 駆け寄ってくるキナコとベニヲは、俺へと飛びついてくる。

「今回も精霊に助けられたぜ」

「スゴイ、精霊ノチカラ、使エル、スゴイ、強イ」

 ああ、その通りだな。精霊の力は凄い。こんな小さい奴らでも、あんなに燃やしたり、雷を落としたりするんだからな。

「ゴシュジン! クゥーン!」

「大丈夫だベニヲ、俺は別に怪我とかはしてねぇから」

 少しばかり、着地の衝撃で足が痺れたくらいなものだ。今すぐにでも歩き出せるくらいには、もう回復もしている。

「なぁ、それよりも、この中、気にならねぇか?」

 ちょっと探検して行こうぜ、とトレントが倒れた遺跡を指すと、キナコは笑って頷いた。




「スゲー、これマジでホンモノの遺跡だよ……」

 トレントが巣食っていた石造りの建物は、近くでよく見ると、かなり精巧な作りをしている。壁には文字だか文様だかみたいなのがビッシリと刻まれているし、ただ単に石材で建てただけではない技術力とこだわりを感じさせる。

「中には何にもない……けど、下り階段がある」

 この建物はただの入り口なのだろう。

 室内のど真ん中に、下へと続く石階段だけがあった。

「こういうの、なんかヤバそうな気がするけど……ちょっとだけ様子見するか」

 ここで下りない選択肢はないだろう。気になる。あまりに気になりすぎる。

 なんだか、まるでRPGのダンジョンみたいだ。もしかしたら、宝箱なんかがあるかもしれない。

「リライト、気ヲツケロ」

「おうよ」

 ゆっくりと、俺達は階段を下って行く。

 壁面に埋め込まれたボンヤリと白く輝く灯りに照らされた、薄暗い地下階段を抜けた先には、

「……明るい。なんだここ、公園か?」

 公園、あるいは庭園、とでも言うべき広間に辿り着いた。

 一面、緑の芝生に覆われ、両サイドには並木が立っており、一角には色とりどりの花が咲く花壇なんかもある。

 そして、広間のど真ん中には、背中から羽が生えた全裸の幼女、妖精みたいな石像を天辺に設置した、噴水があった。

「妖精ノ縄張リダ!」

「えっ、なにそれ?」

「妖精ノ縄張リ、オレ達、近ヅケナイ。危険」

「えっ、マジで、そんなヤバいとこなのここって?」

「……デモ、リライト一緒、ダイジョブ」

「俺がいればOKなのか」

 なんだか、よく分らん基準だが、まぁキナコが大丈夫そうだと言うのなら、大丈夫なのだろう。

「妖精って、精霊の仲間みたいなもん? お前らその辺どうなのよ?」

 試しに聞いてみるが、ジッポも水袋も、どっちの精霊も妙に黙り込んでいる。こんなに大人しくしているところは初めて見る……もしかして、精霊も妖精の縄張りであるココに警戒しているのだろうか。

 もしかして妖精って、ヤバいヤツなのでは……?

 そんなことを考えながら、風景としては長閑そのものの広間を眺めていた、その時である。

「うおっ、眩しっ!?」

 突如として、真っ白い光が瞬く。

 その輝きはただ光を放っているだけではなく、何やら芝生の地面に白い光の文様を描き出していた。

 なんだアレは、魔法陣、なのか?

 初めて見る魔法らしき現象に俺は驚いていると、光はすぐに収まっていく。

 そして、白い輝きが消えた後、そこには、

「ああっ、お前は――」

第230話 ヤマタノオロチ討伐戦・第一段階

 時は来た。今日、僕らはいよいよヤマタノオロチの討伐に挑む。

 英気を養い、完全武装を整えた、我らが二年七組。総勢18名。

 僕らは前線司令部に集まり、ガーゴイルが集る岩山を眺めた。

「――みんな、準備はいいわね?」

 委員長の呼びかけに、みんなは若干の緊張感を持ちながらも、声を上げて応える。

「よし、それじゃあ行こう。必ずヤマタノオロチを倒し、そして、全員で生き残るんだ!」

 と、発破をかけるのは僕じゃなくて蒼真君。こういうの、やっぱり勇者様の方が似合うしね。

 おおーっ! とみんなで気合いの入った声を上げて、いよいよ作戦開始だ。

 まずは全員で、前線司令部から見て右、東側へと移動する。

 塹壕の中を二列縦隊で行進すれば、ガーゴイルがちょっかいだしてくることもない。

 この辺の動きは、演習でやっているからスムーズに進む。特に僕や委員長が口出ししなくても、速やかに全員が配置についてくれた。いいね、この連携感。

「全員、準備完了だ。メイちゃん、いつでもいいよ」

「うん、行って来るね、小太郎くん」

 ヤマタノオロチ討伐戦、その先陣を切るのは僕の守護神、『狂戦士』双葉芽衣子。

 ヒラリと塹壕から飛び出し、メイちゃんは真っ直ぐオロチの居座る岩山へと駆け出す。


 グゥウウオオオオオオオオオッ!


 早速、お出ましである。

 これまで僕らが最も多く叩き潰してきた、最初の頭。第一フェーズの一本首だ。

 コイツが出てきた段階で、すでに他のみんなも塹壕を出てスタートを切っている。

 メイちゃんが明確に先行している形になるので、オロチの第一頭は他には目もくれず、真っ直ぐに彼女めがけて巨大なアギトを開く。

 地面ごと丸飲みしようというのか、オロチの頭はガリガリと砂地を削りながら、メイちゃんに向かって突撃してゆく。それはまるで、暴走する電車に、人間一人が真正面からぶつかっていくような光景だ。

 しかし、ここに立つのはただの人間ではない。狂戦士の力を宿した、超人である。

「ハァアアア――『剛撃』ッ!」

 黒き大盾を前面に押し出しながらメイちゃんは大跳躍を決め、勢いのまま武技をオロチの鼻っ面に叩きこむ。


『剛撃』:いわゆる一つのシールドバッシュ。盾でぶっ叩いたり、ぶっ潰したりする威力が上がる。気が付いたら習得していた、らしい。


 渾身の力技が炸裂し、巨大なオロチの頭が止まる。

 どれほどの打撃力が炸裂したのか、奴の鼻先を覆う鱗には、薄らとだがヒビが走っていた。

 しかし、それだけ。出血を強いるほどのダメージは入っていない。

 オロチの頭は『剛撃』と正面衝突し、僅かな間、その動きを止めたに過ぎない――けれど、その一瞬の隙だけで十分なのだ。

「今だ、龍一!」

「んなもん、見りゃあ分かるっつーの」

 左右から挟み込むようにオロチへ迫るのは、『勇者』蒼真悠斗と『王』天道龍一。

 勇者の手にはその名に相応しい光り輝く聖剣が握られ、王はその位に見合った黒々とした重厚な大剣を振りかぶっている。

 タイミングは完璧だ。流石、幼馴染の親友同士なだけあるね。

「切り裂け、『刹那一閃ネロ・ライトニング』」

「喰らいやがれ、『ネザーヴォルテクス』」

 蒼真君は、神々しいほどの白い輝きを発する光の斬撃を。

 天道君は、禍々しい黒く渦巻く不気味な闇の竜巻が。

 それぞれ、他の武技や魔法とは一線を画す強大な威力を伴って、両側からオロチを襲う。


 ゴォオオアアアアアアアアッ!


 流石にエース二人による大技を同時に受け、オロチは痛みに吠える。

 首の右サイドは光の斬撃により大きく切り裂かれ、反対側の左サイドは闇の渦によって深く抉られている。

 致命傷と呼べるだけのダメージが入ったといっていい。

 しかし、奴はここからでも普通に再生してゆく。攻撃の手を緩めれば、あっという間に元通り。

 だから、今がチャンスなのだ。

「頼んだわよ、美波!」

「外すなよぉ、剣崎ぃ!」

「任せてよ、涼子ちゃん!」

「気が散るから黙ってくれ、蘭堂」

 大技を放った勇者と王を追い越して、追撃に移ったのは『盗賊』夏川美波と『双剣士』剣崎明日那。

 素早く、かつ正確に、瀕死に陥ったオロチへ次の一手をぶち込むための人選だ。

 二人の手に握られているのは、それぞれ愛用の二刀流ではない。

 夏川さんの手には、全長2メートルはある、青い輝きを放つ氷の槍。

 剣崎には、同じサイズだが、黒光りする重い鋼鉄の槍が握られている。


『封印槍・氷結』:委員長の『氷結錬成陣』によって作り出される高度な氷属性魔力結晶『氷結晶』によって作られた槍。だが、その真価は氷の槍を通して自身の氷魔法を発動させた時に発揮される。


『封印槍・黒金』:蘭堂さんの『鉄鉱錬成陣』によって最大限に精製された土属性光石を材料として、天道君が直々に錬成して作り上げた黒地に金模様の入った槍。こちらも、蘭堂さんの土魔法の発動によって、真の力を発揮する。


 それぞれ封印槍を持った夏川さんと剣崎は、首をもたげる力も失いかけているオロチの頭へと疾風の如く駆け上がる。

 目の上の脳天辺りに夏川さんが。口を閉じて鼻のやや後ろ辺りに剣崎が、それぞれ狙いの配置につく。

 オロチが再生によって力を取り戻すのは、まだ数十秒は先だ。

 二人は余裕を持って、力の限りに槍を突き立てた。

「涼子ちゃん、やったよ!」

「蘭堂、お前こそ外すんじゃないぞ!」

 しっかりと二本の封印槍が突き刺さったことを確認してから、委員長と蘭堂さんは、それぞれの魔法の武器をオロチへと向ける。

「――『凍結長槍アイズ・フォルティスサギタ』」

「――『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』」

 発動するのは、氷と土の上級攻撃魔法。

 ただでさえ高威力を誇る一撃だが、それらは今、封印槍によってさらなる強化を果たして顕現する。

 魔法発動の起点となる魔法陣が展開したのは、どちらも封印槍の真上。

 青く輝く『凍結長槍アイズ・フォルティスサギタ』の魔法陣からは、凍てつく長大な氷柱が出現し、


バキィインッ! 


 と音を立てて『封印槍・氷結』が砕け散ると同時に、現れた氷柱のサイズが倍加する。その太さも長さも、二倍以上。

 当然だ、『封印槍・氷結』の材料になっている氷結晶が含有する魔力量は、委員長が発動する『凍結長槍アイズ・フォルティスサギタ』一発分を上回る。

 それだけの魔力量を、発動した攻撃魔法につぎ込んだ。

 そして、これと同じように蘭堂さんの破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』も無事に倍化発動する。ただの岩ではなく、黒々とした鋼鉄の大杭と化して、頭に突き刺さってゆく。

 よし、完璧だ。

 つまるところ、この封印槍というのは、自分の魔法を強化する使い捨てアイテムなのである。

 委員長も蘭堂さんも、その上級攻撃魔法の威力は立派なものだが、電車サイズのオロチ頭を縫い止めるには、十分とは言えなかった。

 二人にとっても大技であり、そう簡単に連発もできない。拘束に時間をかければ頭が復帰する方が早い。

 だから、一撃で奴の頭を大地へ磔にさせる必要があった。

 封印槍の試作品で、これを使って魔法の威力ブーストできるかの実験は繰り返したけれど、この本物は本番でしか使えない。封印槍を仕上げるのには、かなりの時間と素材を消費した。それでいて、一回使ったらぶっ壊れる、使い捨て仕様。試し撃ちなどとてもできない。

 小型の試作品では上手くいったけど、本物に込められた魔力量が、果たして適切にブーストされるのか不安は残ったが……どうやら、思った以上に上手くいった。


 ウグォオオオ……


 情けなく、潰れたカエルみたいな鳴き声を、氷と鉄の大槍によって貫かれたオロチがあげている。

 二本の封印槍はそれぞれの上級攻撃魔法として、大きな頭部を真上から地面に突き刺さった。氷の槍は脳天を貫き、鉄の槍は上顎と下顎をまとめて縫い止め、奴の大口を塞ぐ。

「――『永続エタニティ』!」

 そこで間髪入れずに放たれた、魔法で作った物を完全に物質化させる『永続エタニティ』によって、オロチの頭を封じる楔は完成した。

「封印槍成功だ! 次、アンカー行け!」

「よっしゃあ、行くぞお前ら!」

「おおーっ!」

 僕の叫びに応じて、上田をはじめ前衛組みが全員、二本の巨大槍で磔にされた頭へと向かう。

 その途中で、地面に突き立てられた大きな槍、というより、銛を拾い上げる。銛の石突からは太い鎖が繋がり、ジャラジャラと音を立てて伸びて行く。

 姫野さんが頑張って作った、追加の固定用アンカー。

 あらかじめ地面に打ち付けてあるので、あとは銛側を頭に突き刺せば、それで拘束完了である。

 オロチの第一頭を打ち付ける地点も、事前に決めて準備してたからね。

「次の頭が出るまで、あと30秒だ!」

「急かすなや桃川ぁーっ!」

「今やってんだろぉーっ!」

 僕の正確な時間指示を聞いて、文句を言いながらもジュリマリコンビが流れるようなコンビネーションで銛を突き刺す。

 ジュリの方が銛を持って刺し込み、マリの方が打ち込みようにわざわざ作った呪術師謹製スレッジハンマーでぶっ叩く。大きな返しのついた銛は、深々と打ち込まれ、そう簡単には抜けない。

 そんなもんをオロチの右眼にぶち込んで、ジュリマリはすぐさま次の打ち込みポイントへと移動し、再び銛を繰り出す。

 反対側の左眼では、上田が銛を刺し、中井がハンマーで打ち込み。

 さらに別な場所では、中嶋が銛、山田がハンマーでコンビを組んで作業中。

 よし、いいぞ、練習した甲斐があって、予定通りに拘束は進んでいる。

 演習を繰り返すことで、第一頭が倒されてから、次の第二、第三の頭が出てくる第二フェーズは始まるまでの時間も割り出せている。

 数秒間の前後はあるものの、おおむね、45秒。

 15秒で封印槍のメイン拘束を完了させ、残り時間で銛によるサブ拘束を行う。

 それと同時に、他のメンバーは第二フェーズに備えてすでに動き始めている。

 この辺の動きの段取りは、完全にゲームでの強敵ボス攻略と同じだ。相手は必ずこう行動する、と分かっていれば、対抗手段とタイムテーブルに沿って攻略できる。

 ああ、こういうのは勝と一緒によくやってたから、もしいてくれれば、僕が指揮したり作戦立案したり攻略法考えたりする負担は半減しただろう。本当に、誰かを失ってしまうと、惜しむ気持ちばかりが後から湧いてくる。

「あと10秒、そろそろ来るか――」


 ギシャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!


 ちいっ、こういう時に限って出てくるのが早いんだよ!

 これまでよりも3秒ほどは早い登場だ。岩山の方から、砂埃を上げて新たな二つの首が出現した。

 あんまりにも第一頭が瞬殺されて、焦っているのかキレているのか。キレそうなのはこっちの方なんだけどね、お前のチート性能に。

「蒼真君、天道君、頼んだよ!」

 次に先陣を切って飛び出すのは、勇者と王のツートップ。

 要領はさっきと同じ、大技をぶっ放して速攻で頭一つを瀕死まで追い込む。そこから先の封印槍とアンカー拘束も同様だ。

「『刹那一閃ネロ・ライトニング』!」

「『ネザーヴォルテクス』!」

 光と闇の挟撃によって、第二頭は地を這う。

 そのチャンスを逃さず、再び封印槍を携えた夏川さんと剣崎が駆ける。

 ちなみに、二人に二本目の槍を手渡す役は姫野さんだ。桜は彼女の護衛。

 そうして、ついさっきと全く同じように封印作業は進んでゆくが、この第二フェーズでは頭が二つある。

 片方が集中して叩かれれば、当然、もう片方が黙っていない。

「『戦叫ウォークライ』――ォオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 大地を揺るがすような凄まじい咆哮を発するのは、メイちゃんだ。

 第三頭が第二頭の救援に動こうとしていたが、そのあまりに存在感と危機感とを煽る強烈な叫びに、メイちゃんの方へと向く。


戦叫ウォークライ』:めっちゃ叫んで魔物の注意を引きつける技。ネトゲのタンク職とかにはこのテのヘイト集中のサポート技はよくあるが、まさか異世界の『狂戦士』にも実装されているとはね。メイちゃんがコイツで叫べば、ヤマタノオロチだって振り向かせられる。


「こっちに来いっ!」

 戦意全開で盾とハルバードを構えるメイちゃんに向かって、第三頭が襲い掛かる。

 よし、上手く引きつけられた。メイちゃんは数十秒、奴を食い止めてくれればそれでいい。

 おら、桜テメーはボーっとしてねーでさっさとメイちゃんに援護射撃しろや。今支援できるクラスメイトはお前しかいないんだぞ!

「第二の封印急げ! いくらメイちゃんでも食い止め切れるか分からない!」

 第三頭がいつ気まぐれを起こして、第二へ向かうか分からない。『永続エタニティ』で固定化した封印槍も、別な頭が体当たりすれば破壊できるだろう。

 封印槍は集めた素材をつぎ込んでるんだ。替えはきかない。

「――『凍結長槍アイズ・フォルティスサギタ』」

「――『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』」

 よし、無事に第二頭にも封印槍をぶち込んだ。頭の位置もばっちり。アンカー固定もすぐにできる。

「委員長と蘭堂さんはすぐメイちゃんの援護に入って!」

「ウチの『永続エタニティ』は――」

「小鳥遊が二本ともかけろ! 第三が第一の方を向いてるから、急いで攻撃を集中させる!」

 本来なら、蘭堂さんがここでも自分の鉄槍には自ら『永続エタニティ』をかける手はずだったけど、急遽変更だ。

 第三頭の野郎、まさか第二じゃなくて最初に封印かました第一頭の方を気にするとは。

 しかし、これも修正の範囲内。

「姫野、氷は上田、鉄はジュリに渡して! 夏川、剣崎は第三にそのまま攻撃、毒も使って!」

 頭の動きそのものを止めるなら、それ相応の火力が必要だ。

 委員長、蘭堂の援護射撃と、夏川、剣崎の近接、四人の攻撃を集中させて第三頭を食い止める。

「えっ!? えーっと、上田君、野々宮さん、どこーっ!」

「おい、こっちだ、早くしろ!」

「急げよ姫野ぉーっ!」

 急な役割変更に、ちょっと姫野さんがテンパってるが、槍を渡すだけだから大丈夫だ。

 こういう事態に備えて、他の人でも封印槍を刺す役の練習はしているからね。

「はぁ、やっぱ蒼真君と天道君が抜けると、頭一つ倒すのにも苦労する」

 二人はすでに、ここを離脱して次の配置へと向かっている。だから、第三頭の封印には二人の助力は得られない。

 だが、すでに第一と第二の二つ首は完全に動きを封じている。

 第二頭の封印が無事に完了さえすれば、残る第三頭が一つきり。首一本だけを相手にするなら、メイちゃん抜きでも勝てる。

「ハァアアアアアアアアアアアアッ!」

 大きなハルバードでもって、嵐のような連撃を繰り出し、メイちゃんは第三頭へ猛攻をくわえている。鱗を砕き、肉を裂き、結構なダメージが通っている。

 これに加えて魔術士の支援と、夏川、剣崎に続いてアンカー固定を終えたメンバーが続々と攻撃に加わる。

 第三頭は最早、他の首を気にする余裕もなくなり、押しに押されて出血を強いられる。

「ダメージは十分だ! 後は予定通りの配置で封印に移って!」

 ここまで来れば、役割変更を続ける必要もない。

 再び、封印槍は夏川と剣崎の二人の手に渡り、アンカー組みは鎖付きの銛を握りしめ機会を狙う。

「――『凍結長槍アイズ・フォルティスサギタ』」

「――『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』」

 無事に三度目の封印槍が炸裂し、三つ目の頭も地面へと貼り付けることに成功。

 三つ全ての首が大地に伏せ、ヤマタノオロチ第二フェーズが終了。

 ここから先は、いよいよブレスも解禁される第三フェーズだ。

「作戦の第一段階は完了した! すぐに第二段階へ以降する!」

 各員、配置につけ――というところで、


 ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 第四と第五の頭が出現したことを示す、咆哮が響き渡った。

 だが、ここには、三つの頭を封じた、こちら側からは出てきていない。

「タイミングは完璧だよ、蒼真君、天道君」

 首の出現位置をコントロールするために、あの二人を先に反対側へと回り込ませたのだ。

 封印した三つ首周辺では、他のオロチの頭は近寄らせない。ここから離れた反対の西側方面で、残りの五つ首の相手をする予定だ。

 そして、僕ら本体コア破壊チームも、ここからいよいよ動き出す。

第231話 ヤマタノオロチ討伐戦・第二段階

「――やぁ、待ってたよ、二人とも」

 凄い速さで塹壕を駆け抜けてきた勇者と王の二人組を、『双影ふたつかげ』の僕が迎える。

 ヤマタノオロチ討伐作戦は、大まかに三つの地点で展開される。

 一つ目は、本体コア破壊のための岩山山頂。

 二つ目は、最初に仕掛けた三つ首の封印地点である東側。

 そして三つ目がここ、封印地点とは反対側にあたる西側。

 残るフリーの五つ首を、この場所でまとめて抑える。これからこの場は、すぐにブレスの飛び交う激しい戦場となるだろう。

 そういうワケで、ここは最大の主戦場になるから、指揮と連絡役を兼ねて、『双影』による分身を配置しているのだ。僕の分身がここにいれば、岩山へ向かった特攻隊の様子、作戦の進捗状況もリアルタイムで把握できるからね。

 本当に最悪の場合、岩山からの撤退を余儀なくされた時は、ここから蒼真君達に援護を求めることになっている。

「桃川、封印の方はどうなった」

「今正に槍が刺さったところ」

「三つ目の首も成功か」

「うん、だから急いで頼むよ」

 頷いて、蒼真君はすぐに駆け出した。その後ろを、ちょっとダルそうに天道君も続く。

 さりげに、ここで二人が西側から仕掛けるタイミングもポイントなのだ。第三頭の封印直後に、この二人がこっちサイドから仕掛けることで、次に出てくる頭をこちら側に出現するよう誘導できる。

 もしタイミングが遅れて、封印側に第三フェーズの追加頭が登場すれば。もうその時点で作戦失敗となってしまう。

 なので、この二人には初手から派手にぶっ放してもらおう。

「『蒼炎剛球』」

「『レッドブレス』」


『蒼炎剛球』:蒼真君が習得した火属性の上級攻撃魔法に相当する技。青く輝く炎は、本当に温度が高いから青いのか、それとも勇者の特別仕様のエフェクトなのか、どちらにせよ、上級に相応しい威力を発揮する。コイツの破壊力を目の当たりにした『魔法剣士』中嶋は涙目だったよね。


『レッドブレス』:お馴染みの天道君がぶっ放す炎とか爆発とかの魔法の正体。火竜サラマンダーを倒したことで習得した技らしく、威力は勿論、使い勝手も抜群。最近はもっぱら黒い剣を使っていたけれど、レッドブレスを最大で撃つ時は、僕と会った頃に使っていた赤い剣の方が良いらしい。だから、今はサラマンダーベースの赤い大剣になっている。


 二人がそれぞれ剣先に灯した炎の魔法を、岩山へ向かって解き放つ。

 青と赤、二色の燃える尾を引いて――着弾。

 目に鮮やかなブルーと眩しいほどの紅蓮が爆炎と化して、炸裂する。

「ふふん、馬鹿め、のこのこ出てきたな」

 岩山で起こった爆発によって、ガーゴイル共がギャアギャア騒いで飛び立つ中、ゴゴゴと音を立てて、二つの巨大な首が現れる。ヤマタノオロチ、第四の頭と第五の頭だ。

 まぁ、演習でもこうやって先制攻撃を加えておけば、必ずこっち側を優先して出てくることは判明しているからね。本当に、ゲームのAIみたいにお決まりの行動をしてくれる。そうでもなければ、コイツの攻略なんてやってられないけど。

「先に撃たれたら面倒だ。速攻で潰すぞ、悠斗」

「ああ、行くぞ、龍一」

 流石に今日は本番とあって、天道君もヤル気がみなぎっている。

 しかし、あらためてこうして二人の姿を見ていると、蒼真君の相棒はやっぱ天道君で、逆もまたその通りなんだよね。

 仲間と一緒に戦う時と、二人だけで戦う時では違うのだ。蒼真君は仲間を守ろうという意識が強いし、天道君もアレでいて本当に見捨てているワケでもない。

 二人にとって、仲間なんて枷にすぎないのだ。常に気にして立ち回らなければならないから。

 けれど、蒼真君と天道君のコンビで戦う時に限っては、そうならない。守らなくていい、気にしなくていい。何故なら、強いから。

 守ってやる必要がないからこそ、全力を出せる。全ての力を敵にだけ集中できる。

 それでいて、お互いがどう動いて、どう考えているのかが、分かるんだ。

 これまで僕は蒼真君の戦いも天道君の戦いも、どっちもそれなりに見てきた。単独でもなく、パーティでもなく、二人で組んだ時が一番動きが良い。僕から見ても分かるくらいだ。

 この戦いぶりを見せられると、桜ちゃんも委員長も、二人の隣に立つにはちょっと……いっそもう付き合っちゃえば? そしたら世界が平和になると思うんだよね。

 そんな馬鹿なことを考えながら、僕はばっちり息の合った最強親友コンビの戦いぶりを観戦している。

 光の剣に斬撃と攻撃魔法を織り交ぜながら、オロチの第四頭を目にもとまらぬ連続攻撃で圧倒していく蒼真君。

 赤から黒へと変化させた闇の大剣を叩きつけ、爆炎をぶっ放し、オロチの第五頭を絶大な破壊力でもって封殺している天道君。

 スピードは蒼真君の方が速い。空中で二段とか三段もジャンプ決める機動力も凄まじい。

 パワーは天道君。一撃の威力がデカい。それでいて、肩口まで覆う黒い鎧の防御力もある。今オロチのタックルを普通に受け止めたよね? どうなってんの体重差とか。

 それぞれの持ち味を存分に生かして、オロチに一度もブレスを撃たせずに二つの頭を抑え込んでいる。

 オロチは喉元が赤とか青とかに光っていると、ブレスがチャージされている合図だ。こんな見た目に分かりやすい予備動作を実装してくれてありがとう。

 第四頭も第五頭も、それぞれ赤と青に喉を光らせ、いつでも発射準備は完了しているが、巧みに立ち回り狙いを定めさせない蒼真君と、発射寸前に一撃を叩きこんで強引に阻止し続ける天道君。

 場合によっては、二人がそれぞれ互いの相手を入れ替えて、ブレスを止める攻撃をぶちこむのだから、本当に凄いコンビネーションである。阿吽の呼吸とは正にああいうのを言うのだろう。

「そろそろ、倒せるか」

 そう思ったのは二人も同じようだ。

 蒼真君は居合抜きみたいな格好で剣を構え、天道君は高らかに大剣を振り上げる。

 大技は放つと、その分だけ隙も大きくなりやすい。さっきの第一フェーズの時は、大技を一発放つだけで二人の役目は終了するから、気兼ねなく開幕ぶっぱできたワケだ。

 けれど、今はそれぞれ単独でオロチ頭の相手。後先考えずに大技は使えない。

 だから、コイツを使うなら、トドメの時と相場は決まっている。

「――『刹那一閃ネロ・ライトニング』」

「――『ネザーヴォルテクス』」

 輝く光の刃が、オロチの巨大な首を一刀両断に斬り落とす。

 唸る闇の渦が、オロチの頭を脳天から粉微塵に砕き散らす。

 巨大なモンスターの頭部を完膚なきまでに破壊しきり、勇者と王はそれぞれ剣を収めた。

「ふぅ、少し休憩だ」

「あまりのんびりするなよ、すぐに出て来るぞ」

 ズズーン! と轟音を立てて頭を失ったオロチの首が地面へと倒れ込むのを背景に、武器を収めた二人は一息ついている。

 完全に頭を落としておけば、最短でも5分は再生に時間かかるからね。再生中を叩くにしても、断面が蠢いて、はっきりと再生が開始された時に攻撃しないと意味はない。

 今の状態では死体も同然なので、攻撃するだけ労力の無駄になる。

「ポーション飲む?」

「いらねーよ」

「怪我もしてないからな、水で十分だ」

 天道君はちょうどタバコ一本を吸い終わり、蒼真君は水を一口飲んで仕舞い込むと、ちょうどヤマタノオロチも動き始めた。


 ゴゴゴゴゴゴ!


 というこれまで以上の轟音を立てて、いよいよ最後の首が現れる。

「さて、ようやくお出ましだな」

「ああ、ここから先は初めてだ……気合いを入れて挑もう」

「マジで八本首だったんだねコイツ」

 天を衝くけたたましい咆哮と共に現れたのは、三本の首である。

 ヤマタノオロチの第六、第七、そして第八の頭。

 これで奴の八本首が初めて全開放された。演習では危険が伴うから、第二フェーズの途中で撤退をしたものだ。

 だから、ここからはまだ誰も挑んだことのない、ヤマタノオロチ第三フェーズである。

「でも、準備は完璧だ」

 三つ首の封印は維持されている。八本全ての首は出ていても、八本を同時に相手することは絶対にない、というか、させない。

「三本封印、二本は再生中。新手の三本だけが、今のお前の総力だ」


 グォオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアッ!


 実に五本もの首を立て続けに撃破され、オロチも相当にキレているのだろうか。吠える声がいつもにも増してデカい。

 そしてこれは当然とばかりに、三本とも開幕ぶっぱ用のブレスチャージは完了。

 三本の喉元はそれぞれ、赤、青、そして紫色に輝きながら、莫大な魔力の奔流を解き放たんと大口を開く。

「俺は右のを止める」

「じゃあ俺は左で」

 蒼真君と天道君は、焦ることなく、さっきと同じようにブレスに先んじて攻撃を加えることで、発射阻止に動く。

 だが、いかにこの二人でも止められるのはそれぞれ一つずつ。

 今、ブレス発射寸前の頭は三つ。

 あと一つ、何者にも邪魔されずに堂々とブレスをぶっ放そうとするのは、真ん中に位置する第八の頭。

開かれた口腔には、ヤバそうな紫の輝きが漏れて、次の瞬間には――

「剣崎流――『百烈散華』ッ!」

 どこからともなく飛んできた剣崎が、すげー勢いで高速回転しながら、なんか光ったり炎を出したりしながら、第八頭の横っ面を斬り飛ばした。

 なにが剣崎流だよ、あんな何百回転してんのか分らん動きで連続斬撃繰り出す技なんか、現実に生きる地球人類が扱う剣術の技にあるわけねーだろ。絶対それお前オリジナルの技じゃん。

 などと突っ込みどころはあるものの、熟練の『双剣士』が繰り出す本気の武技は流石にかなりの威力を誇る。

 オロチの頭は激しい血飛沫を上げながら、思わず、といったように上を向く。そして、そのまま照準を天にロックオンして、紫のスパークが散る極太のブレスが放たれた。

「流石は明日那だ」

「すまない、蒼真。少し遅れたな」

 見事に第八頭のブレスの射線を逸らして見せた剣崎は、華麗な着地を決めると共に、ドヤ顔で蒼真君に言っていた。お前ホントにメイちゃんいないとこだと元気だよな。

「天道くーん!」

「アタシらも加勢しに来たよ!」

 そして、剣崎にやや遅れてジュリマリコンビが、

「ぬぁー、やっとついたー」

「くっそ、地味に距離があるんだよな」

 さらに遅れて、上田と中井が、

「ぜぇー、はぁー、はぁ……」

 最後の最後に、息も絶え絶えな姫野さんが合流した。

「よし、これで全員揃ったな」

「あとはダラダラ、時間つぶしするだけか」

 五本首の相手に、集められるだけ集めたぞ。

 ブレスを撃ちまくるのが五本首だけでも、正直、今もキツい。

 だが、三本だけなら抑え込むことは十分に可能。

 わざわざ蒼真君と天道君が頑張って、二本を完全にダウンさせてくれたんだ。このまま五本中、常に二本を再生中で留め続ければ、かなりの長時間、粘ることができるだろう。

 僕らが本体コアを破壊し、ヤマタノオロチの息の根を止めるまで。

「ここからが本番だ――」




「――ここからが本番だ。これから先は、もう簡単には退けない」

 封印だけの第一段階までなら、失敗してもすぐに撤退可能だ。

 第二段階の八本首解放でも、まだ全員が外周部にいるから逃げることはできる。

 けれど、岩山に乗り込んだ後では、撤退は絶望的。もうヤマタノオロチを完全に倒すより他はない。

 覚悟はとっくに決めてある。僕も、みんなも。足りなきゃゴーマのクスリでもキメてやれ。

「全員、揃ったね」

 第三頭の封印に成功してから、僕ら特攻隊は速やかに塹壕まで集合。

 僕、メイちゃん、蘭堂さん、下川、山田、そして桜ちゃん。

 これに加えて、レム初号機『黒騎士』、二号機『アラクネ』、三号機『アルファ』、四号機『ミノタウルス』、の主力機体を全機投入である。

「準備はいい?」

「うん」

 と気安く頷いてくれるのは、メイちゃんだけ。他の面子は、明らかに緊張で顔が強張っている。うん、僕も今、ちょっと頬が引きつってるよ。

 演習では『双影ふたつかげ』と化して何度も特攻してきたけれど、やはり自分の本体で挑むとなると、震えて来るね。

 けれど、行く。僕は一人じゃない。頼れる仲間がいれば、必ず乗り切れる。乗り越えてみせる。

 だからどうか、これで倒せる難易度調整になっててくれよ!

「下川君」

「お、おうよ――『水霧アイズ・ミスト』っ!」

 いつもよりも気合いの入った霧の目くらましが『水魔術士』下川によって放たれる。

 すっかり馴染み深い霧の幕は、すぐに濛々と周囲一帯に立ち込めて、視界を白い闇に閉ざしていく。

 岩山へと接近する段階で、ガーゴイル共は気付いて襲ってくる。少しでも邪魔させないために、スタートから煙幕を焚いておこうってワケ。

 それに、万が一にでもオロチ頭がこちらへ向かってくることは避けたい。

 演習では、頭に余裕ができれば、岩山にいる僕の方へ襲ってくることもあった。みんなの足止めも絶対ではない。

 実はこの『水霧アイズ・ミスト』は今回の作戦において少しばかり改良されている。それは触れてみると分かるのだが、温いのだ。

 霧はそのままだと常温なのだが、今はあえて温度を上げている。温度調整できるよう下川が練習したのだ。その恩恵で一発でお湯も出せるようになったり。

 何故、わざわざ霧の温度を上げたかというと、熱源感知を誤魔化すためだ。

 ヤマタノオロチは蛇だ。電車サイズの巨躯に八本首もある巨大モンスターだが、見た目的には完全に蛇である。

 だから、もしかすればコイツらの頭にはピット器官が存在しているのかもしれないのだ。

 ピット器官ってのは、蛇が持つ温度を感知する器官。色でも音でも臭いでもない、サーモグラフィーのように温度の変化を知覚できる、第六の感覚と言うべきか。

 蛇は夜行性が多いらしく、暗くて視界ゼロでもピット器官の温度感知があれば、闇に紛れる小さなネズミでも捕らえられる。

 ヤマタノオロチでいえば、僕ら人間などネズミサイズの小動物だ。もしピット器官を備えているならば、隠れ潜んでも簡単に見つけるだろう。

 多少の検証はしてみたけれど、結果的にはコイツも温度感知している可能性は十分にある、という結論に至った。ついでに、魔力も感知している可能性もある。

 恐らくは、温度も魔力も、どっちも感知できるのだろう。

 そういうワケで、せめて温度だけでも誤魔化そうと思い、このサーモプロテクト仕様の『水霧アイズ・ミスト』が編み出されたのだ。

「よし、それじゃあ覚悟を決めて行こうか」

 薄らと煙る温い霧の中、僕ら特攻隊は静かに塹壕を進み始めた。

第232話 ヤマタノオロチ討伐戦・第三段階

 岩山への突入ルートは、度重なる僕の分身特攻によって確立されている。

 分身とレムスペアだけでも岩山まで辿り着くことができるので、この面子で足止め喰らうことはまずない。

「おらー、落ちろー」

「『光矢ルクス・サギタ』」

 霧に紛れて、フラっと現れるガーゴイルは大抵、蘭堂さんか桜ちゃんが一発撃って排除してくれる。いいよね、雑魚を一撃で倒せる遠距離攻撃持ちは。

「へっ、俺だってこの杖がありゃあ、ガーゴイルなんて一撃だべ――『水矢アクア・サギタ』」

 そうそう、地味に下川も迎撃に役立っている。

 残念ながら攻撃魔法の方はあまり威力が高いとはいえない水属性魔法だが、ついに手に入れた水魔法用の杖を振るえば、ガーゴイルを下級攻撃魔法一発で倒せるほどの威力が得られる。


『ケルピーロッド』:運よく泉で釣り上げたケルピーで作った長杖。水属性魔力を操る器官であるケルピーの角をメインにして、骨や皮なども使って全体の魔力伝導率を上げたりしている。下川待望の水属性魔法杖だ。


 素材の味を丸ごと活かしているので、先端にあるケルピーの角先に、テニスボールサイズの水球が形成されると、そこからレーザーのように一直線となって高圧の水流が放たれる。

 霧の向こうから飛来してきたガーゴイルの胸を貫き、そのままさらに薙ぎ払うと翼を切り裂き撃墜する。

 固い石の表皮を持つガーゴイルの胴体は貫通できるが、切り裂くまではできない。でも翼くらい薄い部位になると、切断までできるようだ。

 ガーゴイルは別にトドメを刺してもあまり意味はないので、厄介な飛行能力さえ奪えればそれで十分だ。

 魔術士クラス三人による対空迎撃により、僕らは一度も足を止めることなく岩山まで辿り着くことができた。

 ちなみに二列縦隊で、配置は以下の通り。

 先頭、下川・黒騎士。二番目、蘭堂・山田。三番目、アルファ騎乗の僕、メイちゃん。四番目、アラクネ。殿は桜・ミノタウルス。

 桜ちゃんは護衛役がミノタウルスなの凄い嫌そうな顔してたけど、いざって時に殿で捨て駒になっても敵を食い止める役目ができるのは、幾らでも替えの利くレムだけだ。メイちゃんと山田には、そんな真似はさせられないからね。

「ここからは、地上からもガーゴイルが走って来るかもしれないから、注意してね」

「うん、分かったよ」

「ようやく俺にも仕事ができるな」

 魔術士三人だけで敵の抑えは十分だったけど、ここからはメイちゃんや山田などの前衛にも出番があるだろう。

 あきらかに傾斜のつき始めた地面を踏みしめて、いよいよ岩山登山開始だ。

 ガーゴイルが巣食う敵陣であり、奴らが襲ってくる数もここからは一気に跳ね上がる。

「ちっ、コイツら見えてんのか? 襲ってくる数が増えてるべ!」

 奇声を上げて飛び掛かって来たガーゴイル二体をまとめて水圧カッターで切り裂きながら、下川はちょっと焦った声で言っている。

「いや、これでも普段よりはかなり数が減ってるから。目くらましの効果は十分に発揮されてるよ」

「マジか、これでもかよ……」

「グガーッ!」

 黒騎士レムが、大剣で地を這うように四足歩行で急接近してきたガーゴイルをまとめて薙ぎ払う。そうそう、コイツら四足で走るのが一番速いんだよね。猿みたいな挙動だ。

 今みたいに、前衛組みにもちらほらとガーゴイルを斬り飛ばす機会が増えてきた。

 周囲一帯は下川の霧が立ち込めて何も見えないが、それでも着実にガーゴイルの密度が上がって来ているのを実感する。

「桃川ぁー、まだー?」

「山頂まではもう少しだ」

 ちょっと息が上がって来た蘭堂さんが愚痴る。彼女の方をアルファに乗せればよかったか。

「道はホントにこれであってんだべか」

「目印は見失ってないから、大丈夫。このまま進んで」

 岩山に乗り込んでから、迷わず最短で頂上を目指せるよう、ちゃんとマーキングも施している。

 僕はかつて、山のような超大型モンスターを討伐する大規模クエストで、勇んで乗り込んだはいいが道に迷って右往左往し、結局ロクに活躍できなかった苦い経験がある。特殊な道順のクエストのくせに、マトモにガイドビーコンが機能してないのは開発の怠慢だと思うんだよね。

 別に僕は酷い方向音痴でもないけど、かといって特別に方向感覚や直感に優れているワケでもない。慣れない地形、似たような風景、そんな場所を歩けば道にだって迷う。

 このヤマタノオロチの岩山は、正にそんなところである。

 単純に上を目指すといっても、場所によっては断崖絶壁で登れないような箇所もあるし、特に大きな石の大樹が立ってガーゴイル密度ヤバいところなんかもある。

 なので、特攻偵察でそういう地点を回避しつつ、最短ルートで目標地点へ到達できるように、しっかりと目印はつけておいたのだ。いやぁ、ガーゴイルが押し寄せレム達が次々と倒れる中で、ペンキで目印書き込む作業はなかなかスリリングだったよね。

 あ、ここは分身の僕が下半身を食らわれながらも、気合いで描き切った目印ポイントだ。

「もうすぐ到着だ。蘭堂さん、準備しといて」

「うーい」

 いつものヤル気のない返事。でも、そこから繰り出す彼女の仕事はいつも完璧だ。

 こと土魔法に関して、蘭堂さんは僕の期待を裏切ったことは一度もない。

 練習だって重ねてきた。だから、本番でも彼女ならば絶対に上手くできる。

「――よし、ここだ」

 地面に描かれた巨大なバツ印は、僕らが辿り着くべき目的地を示している。

 ここだ、この真下にヤマタノオロチを動かす無限の生命力、その源となる本体コアがある。

「下川君!」

「おう、広げるぞ、みんな集まれ!」

 下川がケルピーロッドを掲げ『水霧アイズ・ミスト』を操作する。

 僕らが陣取る、ここの周辺だけは霧を払う。一か所に留まり、逃げ場はないので、大型ガーゴイルなどがいきなり飛び出してくるのは避けたいから、最低限、警戒に足る視界は確保しなければならない。

 見る見る内に白い霧は晴れて行き、山頂地点の殺風景な岩地が露わとなっていく。

水霧アイズ・ミスト』はケルピーロッド込みで最大展開させれば直径500メートルほどの範囲を覆い尽くすことができる。岩山の頂上付近は丸ごと霧に隠れていることだろう。

 その濃霧の中で、僕らのいる掘削地点だけは、おおよそ体育館くらいの広さで霧を避けている。

 そして、霧を晴らしたことで、最初からこの地点に居座っていたガーゴイルの群れが露わとなり、奴らは一斉に僕らの方へギラついた視線を向けてきた。

「まずはこの地点を制圧する! みんな、行けーっ!」

 おおおおっ、と猛々しい唸りを上げて、メイちゃんが先陣を切ってガーゴイルの群れに突っ込む。

 振り下ろしたハルバードからは、ズドォン! と凄まじい音がして、ガーゴイルがバラバラになって何体もぶっ飛んでいく。多分、衝撃波が発生する『破断』が炸裂したのだろう。

「俺も行くぜ!」

 メイちゃんほど派手ではないが、山田も硬い防御を活かして果敢に突撃。黒騎士、ミノタウルスと肩を並べて、ガーゴイル共を次々と薙ぎ払っていく。

「桃川、貴方も少しは戦ったらどうですか」

「僕これでも真面目に戦ってるんですけどー」

 こういう時、呪術師の火力不足が浮き彫りになるね。味方も多いから、下手に『腐り沼』も広げられないし。

 この状況で僕にできる精一杯は、『黒髪縛り』で嫌がらせをしつつ、『ポワゾン』を撃ちまくるくらいだ。雛菊さん、いつもお世話になってます。

 一方、桜ちゃんは僕に嫌味を言うだけあって、存分に弓から光の矢を撃ちまくって、次々とガーゴイルを片付けて行く。

 えっ、三本同時に撃って、しかも別々の方向に曲がって三体の敵を同時に射抜くんですか? なにその超絶性能、ズルい、桜ちゃんには勿体ないから僕にちょうだいよ。

「……『聖女』の頭蓋骨あったら僕にもできるかな」

「今何か不吉なことを考えてませんでしたか!?」

「いくら雑魚ばかりだからって、戦闘に集中してよ桜ちゃん」

 ちょうど制圧も完了したところだ。充実した前衛と後衛が揃った、なかなか豪華なパーティだからね。普通のガーゴイルが群れてるくらいなら、すぐに排除は完了だ。

「蘭堂さん、どう?」

「ウチはいつでもいいよ」

 よし、さっきの制圧に参加させなかったのは正解だ。準備はすでに万全といったところ。

 こっちも目印の地点に、無事に全員集合し終わっている。

「それじゃあ、お願い」

「よっしゃ、ウチの本気、見せてやんよぉ――『大山城壁テラ・ランパートデファン』」

 気合いを入れて発動させたのは、土属性の上級範囲防御魔法だ。

 蘭堂さんが黄金のリボルバーに、大きな魔法陣を瞬かせながら、前後左右にぶっ放していく。


 ゴゴゴゴ!


 そんな地響きと共に、僕らの四方から大きな石壁がせり上がってくる。壁の厚さはおよそ50センチ。それが地面を揺るがせながら生えてくる。

 うーん、このゆっくり出てくる感じは、初期の頃の『岩石槍テラ・クリスサギタ』を思い出すね。

 そもそも、魔法が必ずしも一瞬で効果を現すとは限らない、というのを僕はそれで知ったのだ。

 蘭堂さんの魔法発動があんなに遅かったそもそもの原因は、発動に使った魔力量が多いからだ。『石矢テラ・サギタ』は銃弾のように超高速で飛ばせるのは、魔力量が低くて済むから。

 天道君謹製のリボルバーによって、この辺の魔力制御はかなり自分で操れるようになったようだけど、本気で魔力を振り絞って魔法に注ぎ込むと、瞬時に魔法現象が顕現できないほどの大質量を生み出すこともできる。

 だから、今正に発動中の『大山城壁テラ・ランパートデファン』は、それだけ本気を出しているということだ。

「ギャオギャオ!」

「グギィイアアアアアアアッ!」

 僕らの存在を感知したのか、霧の向こうから新たなガーゴイル共が現れる。この周辺には、まだまだ沢山いるだろうからね。奴らが尽きることはないだろう。

「シェルターが完成するまで、全力で防御だ!」

 この地点でまず最初に始めることは、安全に掘削するためのシェルター造りである。

 基本設計はトーチカと同じ。けど、前線司令部よりも広く作らなければいけない上に、あまりのんびり時間もかけていられない。

 だから、素早いシェルター建設のために、蘭堂さんとは特訓してきた。

 まずは四方の壁を『大山城壁テラ・ランパートデファン』一発で仕上げる。全ての壁が出現するまでには時間がかかるが、壁四枚を順番に出すよりは早いし、総合的な消費魔力も節約できる。

 蘭堂さんは中心で、建設のための魔法発動に集中している。だから、他の全員で彼女を守る。

 すぐ隣に立つのは桜ちゃん。いざって時に『聖天結界オラクルフィールド』で瞬時にガードができる。何人かくらいなら、あの万能バリアの中に入れることができるので、警護対象の最終防衛手段にはもってこいだ。だから、間違っても自分一人だけバリアに入るなよ。

 次に立つのは、後衛である僕とアラクネ、下川だ。

 僕らはそのまま、いつも通り攻撃支援。

 そしてメイちゃんを筆頭とした、山田、黒騎士、ミノタウルス、の前衛組みが建設を邪魔しにやってくるガーゴイルを蹴散らす。アルファももう僕は降りているので、自由に動かして敵を倒させている。

 壁の出現率はまだ半分ほど。あと一分くらいはかかりそうだ。

 でも、ガーゴイルの現れる数も、それほどでもない。まだ余裕をもって前衛組みだけでも殲滅できる程度だ。やはり下川の霧による目隠しは効果が出ている。連れて来て正解だよ。

「おい、上から来るぞ、気を付けろ!」

 下川が杖を振り上げながら、上空に向かって水流を放つ。

 ガーゴイルの厄介なところは、曲がりなりにも飛行能力を持つ点だ。

 ただのゴーマだったら壁を作るだけで防ぐには十分なのだけれど、空を飛べる奴らにはいくら壁を高くしても無駄である。

 頭上に煙る霧から、バサバサと翼をはためかせて降下してくるガーゴイル共のシルエットが見えた。

「クソッ、奴ら結構いるぞ!」

「対空迎撃って難しいよね」

 空を飛ぶ相手を撃ち落とすのは、非常に難しい。高射砲みたいなのを撃ちまくっても、当たるかどうか分からん。

 僕もFPSで空を飛ぶ系の敵を狙い撃つの苦手なんだよね。クレー射撃とかやる人ってマジで凄いと思う。

「でも、流石にあれだけ群れてれば――」

 下川が焦るほど、かなりの影が頭上に見える。

 僕は愛用である『愚者の杖』を一旦手放し、代わりに肩から下げていたオモチャみたいな『エアランチャー』を構える。

 装填してあるのは、火光石を原料にしたグレネードだ。

「当たれぇーっ!」

 僕の祈りの叫びをかき消して、ドカーンと紅蓮の花が咲く。

「おおー、当たったよ」

「うおおっ、熱っつ!? あぶねーべや桃川ぁ!」

 見事、群れるガーゴイルをグレネードの爆発で一網打尽にできたのだが、砕け散って火がついた奴らの残骸が降り注いでくる。

「ごめん、下川君、気を付けてね」

「お前だけガードしてんのズルいべや!?」

 いやぁ、咄嗟に隣にいたアラクネが僕に盾を翳して破片を防いでくれたんだよね。アラクネは荷物係も兼ねているから、予備の装備品なんかも持っている。

 咄嗟に盾を出してくれるとは、レムの機転の利き具合は素晴らしい。

 やはり、持つべきものは優秀な下僕である。

「何を騒いでいるのですか。まったく、この程度の敵で……『光砲ルクス・ブラスト』」

 弓を引いた桜ちゃんは、範囲攻撃魔法で次に降下を試みたガーゴイルをまとめて撃ち落としてくれた。

 おのれ『聖女』、やはり真っ当な攻撃魔法じゃあ敵わない。

「――はぁー、やっと壁全部出たわー」

「よし、次は柱だ」

「ほーい」

 完全に発動した『大山城壁テラ・ランパートデファン』は、高さ5メートルを誇る石壁となって、見事に四方を塞いでいる。

 早く天井も塞ぎたいところだけれど、体育館サイズの面積に天井を張るなら柱が必要だ。素人の設計でやってるから、余分に柱を作るくらいじゃないと強度も怪しい。

「『岩石槍テラ・クリスサギタ』」

 柱として利用するのは、懐かしき初期スキルである『岩石槍テラ・クリスサギタ』。

 けれど、今は蘭堂さん自身のレベルアップと、リボルバーの補正も加わって、あの頃とは比べ物にならない速度で展開される。

 それは正に本来の攻撃魔法のように、ドーンと一気に天を衝く勢いでぶっとい石の柱が生えるのだ。

 あっ、ちょうど降下してきたガーゴイルが柱に当たってブッ飛ばされたよ。

「前衛組みはこっちに集まって。上から抜けてきた奴がいたら対処して」

 すでに壁は完成したので、地上を走ってくる奴らは防げる。残った侵入路は空だけで、そうとなればガーゴイル共も積極的に上から飛んで来るだろう。

 こうなると、メインの迎撃役は僕らになる。

 いささか不安になるが、これでも黒騎士が武器を黒角弓に持ち替えたりと、遠距離攻撃の手は増えている。遠近どちらの武器も普通に扱えるのは、地味にレムの強みなんだよね。

「おい、天井塞ぐぞーっ!」

 リボルバーを上に向けて、蘭堂さんが叫ぶ。

 ようやく柱の配置も終わり、最後の工程である天井の設置に移行する。

「『岩石大盾テラ・アルマシルド』」

 天井は中級防御魔法を利用する。

 やはり地面から生やすのと、空中で天井を形成するのとでは、かなり勝手が違ってくるみたいだ。だから、欲張って広くせず、部分ごとに張っていくのが最適解。

 慎重に、途中で崩れて落ちたりしないよう、端から順に天井を設置してゆく。

「あー、もぉー、邪魔ぁ!」

 奴らも侵入路が塞がりかかっているのを理解しているのか、上から襲ってくるガーゴイルの数がさっきよりも増えだした。蘭堂さんも途中で『石弾テラ・サギタ』ぶっ放して、設置個所のガーゴイルを排除したりすることも出てきた。

「あともう少しだ、頑張って!」

「ウチはもう十分頑張ってるってーの!」

 あと一枚、中央に開いた部分を塞げば天井も完成だ。

 最後に残った穴へと向かって、ガーゴイルはギャアギャア騒ぎながら殺到して来る。

「グレネード!」

 FPSみたいな警告を叫んで、僕は一か所に群がる奴らにグレネードをぶち込んでやる。

「うおー、またかよぉーっ!」

 下川がまた何か叫んでいるけど、効果は上々。いい感じにまとめて吹き飛んでくれた。

「今だ蘭堂さん!」

「『岩石大盾テラ・アルマシルド』ぉーっ!」

 リボルバーのトリガーが引かれ、ズズズ、と石の天井が形成されてゆき――ついに、ようやく全てが塞がった。

「桜ちゃん、灯り早く!」

「うるさいですねぇ……『光精霊召喚ルクス・エレメンタル召喚』」

 全方位を石で防げば、当然、中は真っ暗だ。

 こういう時は、桜ちゃんの光精霊は便利だよね。虫の洞窟探索の時もお世話になったの、覚えてるよ。

 それに、この広さの閉鎖空間で火は焚きたくないし。酸欠で集団自殺とか冗談じゃないよ。

「ああぁー、疲れたぁー」

「お疲れ様、蘭堂さん」

 だらしなく足を投げ出して、地べたに座り込む蘭堂さん。一仕事を終えた彼女には休む権利はあると思うけれど、

「急いで掘削準備だ」

「はぁ……しょうがねーなー」

 渋々、といった様子で立ち上がる蘭堂さんには、せめてもの労いとしてハチミツレモン入りのボトルを手渡す。委員長が冷やしてくれたから、まだキンキンだよ。

「ぷはぁ、よっし、そんじゃあやるかー」

 ボトル半分を一気に飲み干して、蘭堂さんはリボルバー片手にシェルターの中央まで歩いていく。

 さて、あとはもうひたすら掘り進めるだけだ。

 天然の岩盤層は蘭堂さんが。そして、その下に控えているだろうヤマタノオロチの外殻は僕が。

 正直、どれだけ時間がかかるか分からない。ここからの作業はどれも事前に検証はできない、完全初見攻略となる。

 自信と不安は半々。いや、不安の方がずっと強い、けれど、もう僕らは後戻りできない場所まで来てしまっている。ならば、あとはもうやるしかない。

 さぁ、最も長丁場となる、ヤマタノオロチ討伐作戦の第四段階スタートだ。

第233話 ヤマタノオロチ討伐戦・第四段階

「――掘削用魔法陣の設置完了!」

 平らにならした地面に、直径3メートルほどの魔法陣を敷いた。地面に書いたのではなく、敷いた。だって、イチから書き込んだら時間かかるからね。

 これはいわば巻物スクロールだ。

 デカい布にあらかじめ正確に魔法陣を書き込んでおいたのを、その場で広げただけ。少しでも作業時間を短縮するための工夫である。

「こんなモノ、本当に効果があるのですか?」

 実に胡散臭いものを見るような目で、桜ちゃんが言う。

 彼女が僕のお手製スクロールを見せるのは、これが初めてだからね。君みたいな奴に大事なマジックアイテムは見せたりしないよ。怪しい奴には、何の情報も与えないに限る。

「効果がなきゃ、わざわざこんなの持ってこないっての。お呪いじゃねーんだぞ」

 と効果を保証するのは、実際に掘削する蘭堂さん本人だ。

 この魔法陣も、掘削用トーチカ建設特訓の時に、何度も実験して調整している。

 魔法陣のデザインのベースは、蘭堂さんがリボルバーで土魔法ぶっ放す時にマズルフラッシュみたいに輝くオレンジ色の魔法陣だ。

 コイツをスマホで撮影し、その図柄の通りに描く。

 この魔法発動時に出現する魔法陣が、どんな意味あって、どういう効果をもたらしているのかは、使っている本人にも分からない。僕だって自分で編み出した『六芒星の眼』がなんで呪術にブーストかかってんのか、原理は全く分からない。

 けれど、実際に魔法がほんのちょっとでも、強化される効果が発揮できれば十分だ。

 そうして、コピーした土魔法陣に、僕が『外法解読』で発見した各種効果を組み込んだりして――完成したのが、この掘削用土魔法陣だ。

 使用する魔法は中級防御魔法の『岩石大盾テラ・アルマシルド』。

 塹壕掘りにトーチカ建設で、一番活躍した土魔法であり、建設作業では使用率ダントツトップ。ここ最近で蘭堂さんもこの魔法の熟練度は鰻登りである。

 その最も手慣れた土魔法で、魔法陣の補正でより深く穴を掘る効果がでるようにしている。

 あとは、コレ何発分でヤマタノオロチ外殻まで届くかだ。

「桃川、そんじゃあ行くぞ」

「任せたよ、蘭堂さん」

「――『岩石大盾テラ・アルマシルド』っ!」

 リボルバーを魔法陣に向けてぶっ放し、いよいよ掘削作業の開始である。

「おい桃川、こっちも準備できてるべ!」

「了解、すぐ行くよ」

 下川の呼びかけを受けて、グルっと見渡すと、よしよし、ちゃんと準備できているな。

 四方の壁と、天井の中央には、同じくスクロールが張り付けられている。

 けれど、こちらは土魔法陣ではなく、お馴染みの『六芒星の眼』だ。

「朽ち果てる、穢れし赤の水底へ――『腐り沼』」

 フル詠唱を唱えて発動するが……どこにも赤黒い毒の沼は現れない。

 見えないのは当然だ。僕が沼を張ったのは内側ではなく、外側なのだから。

「下川君、いいよ」

「よし、そんじゃあ久しぶりに行くべ――『酸盾アシッド・シルド』っ!」

 スクロールのかかった壁に手を付けて下川が発動させたのは、記念すべき初の合体魔法『酸盾アシッド・シルド』である。

 レイナの霊獣を引きずり出す時に、少しでもダメージと足止めできるかと思って編み出したものだ。結局、霊獣共に大したダメージを与えることはできなかったけれど、僕の『腐り沼』を水の盾として再形成する、という魔法効果そのものは正常に機能した。

 なので、今回もガーゴイル共を少しでも足止めするために役立ってもらおうと思って、使ってみた。

「どんな感じ?」

「外は結構、群がってきてるべ。アホな奴が突っ込んできて、もう何匹か溶けたぞ」

 ゾンビみたいな考えナシのガーゴイル相手には、ちょうどいい障害物として働いているようだ。

 蘭堂さんが本気で建てた『大山城壁テラ・ランパートデファン』は堅牢無比ではあるが、無数のガーゴイルが削り続ければ、僅かずつでも薄れてゆく。その上、大型の奴が本気で殴って来るとなると、いつかは突破を許すことにもなるだろう。

 壁は途中で蘭堂さんが補修することもできるが、すでに掘削作業に入ってしまうと、もうそこまで手は回らなくなる。

 なので、少しでも外のガーゴイルを邪魔する仕掛けが欲しかったのだ。

「下川君は、このまま頼むよ」

「おう、任せとけ」

「他のみんなは、ひとまず休憩で」

「そんなことで、いいんですか」

「ここからは長いから。今すぐ出来ることがない人は、できるだけ休んで体力も魔力も温存すべきだよ」

 ひとまず、ここまでは想像以上に順調に進んできた。全て想定通りに対処できている。

 本体コアに届くほどの穴を開けて、本当にヤマタノオロチが黙っているのか分からない。何か起こるとしても、この面子で対処できる程度にして欲しいものだが……ここからは完全初見攻略なので、お祈り要素が強い。ルインヒルデ様、どうか僕に呪いの加護を。

「桃川、兄さんたちはどうなっているのですか」

 休憩タイムに突入ということで、桜ちゃんが早速、聞いていた。

 蒼真君達の様子を知ることができるのは、連絡役として分身を置いてきた僕だけだ。

 外の全員、戦闘中なのは間違いから、いくら桜ちゃんでも心配だから電話する、なんてアホなことはしない。

「うーん、蒼真君はやっぱりみんなの先頭に立って、オロチ頭をぶった斬ってるよ。まぁ、見たところはそんなに心配しなくても――あぁああああああっ! そ、蒼真君がぁ!?」

「っ!? 兄さんがどうかしたのですか!?」

「全然無事で、今水飲んで一息ついてるよ」

「もぉもぉかぁわぁあああああっ!」

 うわちょっと落ち着いて、緊張を解きほぐすおちゃめなジョークじゃあないか。

 まったく、この聖女すぐキレるんだから。聖なる要素薄すぎでしょ。

「桃川、お前こんな状況でよくそんな騒いでいられるな」

 呆れたように山田が言う。

「ふっ、こんな時だからこそ、余裕をもって冗談の一つでも飛ばせるようじゃないと」

「それ、双葉さんの影に隠れながら言う台詞かよ」

 いやだって、桜の野郎、本気で弓に光の矢を構えているんだもん。

 怒り狂って手元がブレて発射されちゃあ、堪ったもんじゃない。

「いいんだよ、山田君。小太郎くんを守るのは私の仕事だから」

「もう少し仕事選んでもいいんじゃないのか」

 ダメだよ、メイちゃんは僕の守護神だからね。

 それに、こうして後ろに隠れると、おっぱいは見えなくても、ドーンと広がった大きなお尻も絶景で。僕を崩壊する教室から問答無用で弾き飛ばした巨尻である。

「……それで、涼子の方はどうなのですか」

「もうお兄ちゃんの様子は聞かなくて大丈夫?」

「いいから、さっさと教えなさい!」

 オーケーオーケー。僕としても委員長の様子は気になっていたから、そろそろ電話かけようと思っていたよ。

 流石にこっちの方までは分身がおけなかったので、状況を知るにはスマホで電話するしかない。

 かける相手は、小鳥遊小鳥。

 連絡役さえ満足に果たせるかどうか不安な人選だが、封印作戦中に手が空くのはコイツ一人しかいないので、仕方ない。

 僕は時代遅れの自分のガラケーで、つい最近登録したばかりの小鳥遊へとかけた。


 プルルル、プルルル、プルルル――


 あの野郎、出やがらねぇ。

 電話には2コール以内に出ろよ、と電話応対の研修もさせておくべきだったか。




 悠斗達がヤマタノオロチの残された五本首を相手にするため、岩山東側へと向かった後、開戦場所である封印地点には、四人のクラスメイトが残った。

「くっ、やっぱり本番だとなかなか厳しいわね――『凍結長槍アイズ・フォルティスサギタ』っ!」

 封印担当の要、委員長こと如月涼子は、すでにギシギシと悲鳴を上げ始めた氷の封印槍を補強するべく、上級攻撃魔法を放つ。

 三つの首はいまだ地面へと縫い止められ、その動きを完全に封じているが、どの首も無限の再生力でもって拘束を脱しようともがき続けている。

 完全に放置しておけば、五分と経たずに封印を破ってくるだろう。

「美波、こっちは大丈夫だから、そっちの第三頭を狙って!」

「了解だよ、涼子ちゃん!」

 軽快な動きで、素早く指示通りに攻撃へと動くのは、親友である夏川美波。

 彼女の役目は、再生により力を取り戻した首を、少しでも大人しくさせるための攻撃役だ。

 いくら相手は動かぬ首とはいえ、前衛組みの大半が抜けた状態で、巨大な大蛇の体力を削らなければならない。

 そのため、美波にはこの任務のために専用武器が与えられている。

「もう、大人しくしててよねっ!」

 疾風のように第三の頭へと駆けつけては、逆手で握った二刀を振り乱す。

 右手にするのは黒と紫の禍々しい刃。

 左手には、鮮やかな黄色に黒いまだら模様が走る、毒々しい刃。


『デススティンガー』:猛毒を持つ巨大サソリ型モンスター『デスストーカー』の毒槍尾を刃とした短剣。黒き刃はかすっただけで、全身の自由を奪い、苦痛と共に死へと向かわせる激烈な神経毒を見舞う。


『イエローパラライザー』:アラクネと黄色いカエルの麻痺毒を掛け合わせた『クモカエルの麻痺毒』を刀身に宿すナイフ。錬成によって毒腺を組み込まれた刃は、魔力に応じて麻痺毒を生成し続ける。


 どちらも共に、強力な麻痺の力を宿した二振り。殺傷力よりも、少しでも動きを鈍らせることに特化した毒武器である。

 猛毒を材料としたため、小太郎の厳しい管理と指導の元で小鳥遊小鳥が半泣きになりながら作り上げた一品。

 その危険な毒の刃を、美波は縦横無尽に振り乱し、もがくオロチの頭へと喰らわせる。

 機動力と連続攻撃を得意とする手数でもって、ヤマタノオロチが封印から脱する力を美波は奪い続ける。

「うん、ちょっと麻痺った感じ! 中嶋くーん、そっちの第一頭はお願いねーっ!」

「分かったよ」

 再生する首への攻撃役として、もう一人選ばれたのは中嶋陽真だった。

 彼も美波と同じく、両手に剣を持つスタイル。しかし、それは天性の才能で自前のナイフ術を振るう美波とは異なり、長年培われた剣崎流剣術による正統派な二刀流だ。

 右手に握った『銀鉄の剣』は攻撃魔法を放つ様な効果はない純粋な長剣であるが、剣崎流剣術を収めた彼にとっては、十分すぎる威力を発揮する頼れる刃だ。

「剣崎流――『双つ薙ぎ』」

 二刀による二連撃の武技。

 銀鉄の剣によって繰り出される初撃は、再生途中にあった鱗を再び叩き割る。

 そこへ、左手に握った凍てつく刃が二撃目を見舞う。


『クールカトラス・改』:委員長の氷結晶を組み込み、さらに氷属性の力を増した魔法剣。


 魔法剣士たる陽真の攻撃は、多少なりとも氷の槍による封印の維持にも貢献する。

 彼が美波と共に封印継続役に選ばれたのは、二刀流の手数に加え、魔法剣士としての力があるからだ。

「中嶋君、そのまま鉄槍の封印もお願い!」

 涼子の呼びかけに、頷き一つで答えて、陽真はビシビシとヒビの入り始めた鋼鉄の封印槍へと向かう。

 杏子の打ち込んだ『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』は、土属性なので涼子では補強することはできない。

 巨大な黒鉄の槍は頑強さだけなら涼子の氷の槍を上回るが、それでも限度はある。

 そこを補うことができるのが、魔法剣士として各属性の魔法剣を操る力を持つ陽真だ。

 銀鉄の剣を鞘に戻し、代わりにもう一本の魔法剣を抜く。


『黒鉄丸』:『封印槍・黒金』と同じ素材を用いて作られた、小鳥遊産の剣。黒一色の刀はやや重たいが、発動させる土魔法は金属化できるほどに強力となる。


「ハァアアアア――『岩砲テラ・ブラスト』っ!」

 土属性の下級範囲攻撃魔法を、遠距離攻撃としてではなく、突き刺してのゼロ距離で炸裂させる。

 通常の『岩砲テラ・ブラスト』より倍の消費魔力を費やすことで、放たれる破片は黒い鉄と化す。

 そして『封印槍・黒金』には、付近に同質の土魔法による黒鉄があれば、それを吸収して自らを補強する追加効果が組み込まれている。

 その吸収効果は小鳥では付与することはできず、龍一の錬成能力だからこそ実現できた特殊なものだ。小太郎が龍一にウザがられながらも、必要な効果だから何とかして、と訴え続けた末に実装された特殊効果である。

 陽真が放った黒鉄の『岩砲テラ・ブラスト』は、深々とオロチ頭の肉を割いて食い込んだ末に、槍へと吸収され、入りかけていたヒビが修復されていった。

「ふぅ……今のところ上手くはいっているけれど……なかなか、魔力消費がキツいな」

 ここまで立て続けに、魔法剣を使い続ける戦闘は陽真も始めてだ。

 自分の役目を果たすにあたって要となる、『クールカトラス・改』と『黒鉄丸』の扱いは、ダンジョン探索でよく練習を重ねてきたが、本番での持久戦となると、いよいよ自分の魔力の限界というのも見えて来てしまう。

「それでも、やるしかない……剣崎さんが見ていなくても、俺は自分の役目は果たす!」

 大一番となるヤマタノオロチ討伐戦で、明日那と異なる割り振りになったのは不満に思ってしまうところではあったが、相手はあまりに強大。最早、色恋のことなど考える余地すらない。

 そうして、陽真は美波と共に、三つの首の間を忙しなく飛び回っては、攻撃を与え続ける過酷な仕事を果たし続けた。

「まずい、第二頭の再生が早いわ! 三人で一斉に抑えるわよ!」

 そして勿論、この封印地点の作戦指揮を預かる涼子は、減り続ける一方の魔力と集中力を振り絞り、一分、一秒でも長く持たせるために奮戦し続ける。

「……」

 そんな三人の必死な戦いを、小鳥遊小鳥は眺めていた。

 ただ、眺めていた。

 最初に三つの首を刺す封印槍に『永続エタニティ』をかけて以降、彼女の仕事はない。

 強いて言えば、一時的に補給に戻った三人に、水やらポーションやらを手渡すくらいのもの。

 西側トーチカの中で、錬成した椅子に座って三人の戦いを見ているだけだった。


 プルルル、プルルル、プルルル――


 そんな時、不意に鳴り響いたスマホ。

 即座にポケットから引き抜くが、着信相手の名前が『桃クソ』と表示されているのを見て、タップするのをやめた。


 プルルル、プルルル、プルルル――


 うんざりするほど長いコール音の後、小鳥は渋々、画面にタッチした。

「もう、小鳥は忙しいんだから、無駄に電話するのやめてよね、桃川君!」

第234話 ヤマタノオロチ討伐戦・第五段階

 ヤマタノオロチの巣である岩山東側。

 ここでは、五つの首を相手に、クラスメイト達が最も激しい戦いを繰り広げていた。

「4番ブレスチャージ! ジュリマリで阻止! 6番は再生中、まだ30秒はもつから放置でいい!」

 けたたましい音が響き渡る戦場の最中、甲高い小太郎の叫びが上がる。

「くっそ、間に合えぇーっ!」

「うぉおおらぁー『強大打ヘヴィスマッシュ』ぅ!」

 口腔から赤い輝きを漏らす第四頭に、ジュリアとマリアのコンビが向かい、二人同時に武技を横っ面に叩きこむ。

 大きく首の方向が傾いた瞬間に、真っ赤な炎のブレスが轟々と斜め上方向に射出されてゆく。

 ブレス攻撃はヤマタノオロチにとっても精密に制御できない大技だ。一度、照準を逸らすことができれば、大半は明後日の方向への無駄撃ちで終わらせることができる。

 しかし、それは攻撃を叩きこむ一瞬のタイミングが合わなければならない、シビアなものだ。常にそれが成功できるとは限らない。

「7番ブレス来るよ! 阻止は無理、回避ぃーっ!」

 大口を開けた第七頭が、バリバリと激しくスパークを散らしながら、極太の雷撃を放つ。

 何十もの落雷が同時に発生したような轟音と閃光とをまき散らし、莫大な雷属性魔力の奔流が大地を焼き焦がす。

 たっぷり10秒は吐き出し続けた後に、ようやくブレスの放出は終わる。

「負傷者は!」

「全員無事だ!」

 蒼真悠斗は素早く全員の所在を確認し、返事を叫ぶ。

 直撃した者はいないが、やはりブレスの発射を許せば陣形を大きく乱すことにもつながる。そして何より、直撃は免れても、余波だけでもそれなりに痛いものがあった。

「4番と7番はクールに入った! 次は、えーっと、5番がチャージ! 天道と剣崎で当たれ!」

 了解、の返事は二人ともないが、龍一と明日那は二人揃って速やかに第五頭の攻撃へと向かった。

「上田、剣が限界だから戻れ! 中井は軽傷がかさんでるから回復!」

「二人とも、一旦下がれ、俺が食いとめておく」

「すまねぇ!」

「頼んだ蒼真!」

 光の剣を構えて、第八頭への対応を一人でこなす悠斗を背に、上田と中井は小太郎が待機している塹壕の方へと駈け込んでくる。

「上田、剣の消耗が早いよ、もうちょっと節約しないと尽きる」

「鱗が硬ぇんだよぉ」

 ヒビの入った剣を放り捨てながら、新たな『銀鉄の剣』を小太郎から抜き身で受け取った上田は、流れるような動作で腰に装着した鞘へと納刀する。

「中井は喰らいすぎ。盾があっても限度あるからね。ベストも交換しないと」

「ブレスの余波が広すぎんだよ。避けきれねーって」

 口をとがらせながら、ボロボロの『ウルフベスト』を脱ぎ去る中井に、小太郎はすでに栓を抜いていたリポーションをぶっかける。

「次はジュリマリを補給に戻す。戻ったら剣崎と合流して、第六頭を止めて来て。もう再生が完了する」

「りょーかい」

「ったく、人使いが荒いぜ、桃川」

 疲れた様な声を漏らしながらも、速やかに上田と中井は戦線へと戻って行く。

「くそ、やっぱギリギリの戦いだな」

 思わず、と言った風に小太郎の口からつぶやきが零れる。

 五本首が相手でも、この面子なら何とか、と思っていたが、やはり実際に戦うとなかなか厳しいものがあった。

 当初、戦闘は全面的に任せるつもりだったのだが……なかなかどうして、五本もの首の状態を見抜いて、適切に攻撃を加えることは難しいと分かった。

 第八頭登場時点で、ことごとく首を潰したベストな状態で戦闘を始められたが、気が付けばそのアドバンテージもなくなってしまった。

 五本首が全て動ける状態にまでなると、ブレスの発射を阻止していくだけで精一杯となってしまった。

 決して、戦闘指揮を任せた蒼真悠斗の手落ちではない。

 強いて言うならば、最も戦闘に貢献するエースに、全員の動きを把握しつつ、五本首の状態も全て見抜き、適切な指示を出せ、というのは最初から無理な話だったのだ。

 そこで、急遽配役を変更し、ここでの戦闘指揮は全て小太郎が担当することになった。

 今この場で冷静に全体を見渡せる余裕があるのは、連絡役として塹壕で観戦しているだけの『双影ふたつかげ』の小太郎だけ。

 想定外ではあったが、演習でヤマタノオロチの首の動きは見ているし、ブレスをはじめとした各種攻撃動作のパターンやチャージ時間、クールタイム発生の有無、再生速度、などなど、可能な限りの情報は全て頭に叩き込んである。

 指揮権を託されても、なんとか役割をこなすことができた。

「今はまだ、なんとかなってるけど……」

 第四から第八までの五つの頭。各自の動きと状態を見極め、適切な攻撃指示を飛ばすのは、頭がこんがらがってきそうだ。ゲームでもここまで考え込んだことはない。

 最低限の短い指示に、各頭の番号呼び、クラスメイト達の呼び捨て。必要な内容を言葉に出すだけ精一杯なのが、そんなところにも影響している。とにかく、指示するだけでも余裕がないのだ。

 自分でも、火事場の馬鹿力的に、ここ一番の大勝負にして土壇場だからこそ、普段以上の集中力と冴えわたる感覚が発揮されていると思っている。

 だがしかし、もうほどなくして、全ての思考能力をこちらに割くわけにはいかなくなる。

「僕の殻破りが始まったら、もたないかもしれない……」

 小太郎はこの後、自ら呪術を使い続けて、ヤマタノオロチ外殻に穴を穿たなければならない。当然、呪術を行使すれば、それだけ集中力も思考能力もつぎ込むことになる。

 脳内での情報処理は倍増。

 あまりの負荷に、鼻血を吹いてぶっ倒れてもおかしくない。

 魔力が尽きるよりも前に、脳の血管が切れてしまいそうだ。

「――けど、やるしかない」

 ここを持ちこたえさせなければ、岩山ど真ん中に陣取った特攻隊は確実に全滅する。

 自分の作戦でみんなの命がかかっている、という責任感はあったが、まさか自分の現場指揮にも全員の運命がかかってくるとは、思っていなかった。

 やはり実戦では、思いがけないことが出てくるものだ。

「やってやるよ。どんなに無理を推してでも、絶対に作戦は成功させる――」




「――うおっ、ウチの『岩石大盾テラ・アルマシルド』が通らない……ここだっ! 桃川ぁ! 殻まで届いたぞぉーっ!」

 ついに蘭堂さんが岩盤を貫通した。

岩石大盾テラ・アルマシルド』の連続発動によって掘削された穴は、井戸のように垂直に掘られている。

 真円形で、直径は2メートル。人が余裕で通れるだけのサイズだ。

 ただ穴となって掘られているだけでなく、内面は全てコンクリートのように硬質化している。

 これは掘った分の土や石を、周囲に圧縮して固めているからだ。このサイズなら、土砂を取り除く作業はせずに、固めるだけで処理できる。

「よし、それじゃあ行って来るよ」

「小太郎くん……気を付けてね」

 まるで戦地に赴く息子を見るような顔で、メイちゃんが僕に言う。

「大丈夫だよ、ちゃんと降下の練習もしてきたし」

 僕は命綱を装着しながら、笑って答える。

 これから僕は、蘭堂さんが穿った穴を降りて、底で『腐り沼』を発動させる。

「本当に大丈夫?」

「余裕だよ」

 穴を覗き込んでいると、底が見えないほどには深い。

 うーん、思ったよりも深いっていうか、いざ実際に目にすると足が震えてくるレベルだ。

 しかし、これをやる覚悟も準備もしてきたのだ。ビビっている場合ではない。

「おいこれスゲー深いぞ。マジで大丈夫かよ」

「桃川、気を付けろよ」

 深い縦穴へ挑む僕に向けて、下川と山田の二人も餞別の言葉をくれた。

「早く行きなさい。こうしている間も、兄さん達が命をかけて時間を稼いでいるのですから」

「下川君、山田君、桜ちゃんが怪しい動きしないように見張っててね」

「何もしませんよ! いいからさっさと行きなさい桃川!」

 怪しいなぁ、と思いながら、いよいよ僕は穴の淵に足をかける。

「よし、行くぞ。メイちゃん、頼んだよ」

「うん、任せて」

 メイちゃんは力強くうなずいて、僕の命綱を握りしめた。

 穴の降下方法は、井戸のような滑車を使う方式にした。メイちゃんでなくても、レムや山田でも、僕程度の体重を上げ下ろしするなど余裕のパワーを誇るので、人力でも問題ない。

 滑車は僕が錬成で製作し、アラクネに積んで持ち込んだ。滑車を設置する土台は蘭堂さんに鉄棒型に柱を組んでもらう。

 この辺の組み立て作業も練習してきたから、スムーズに進んだ。

 さぁ、後は僕が井戸水を汲む釣瓶のように、底に向かって下ろされるだけだ。

「ゴクリ……」

 体一つで、何十メートルもありそうな深い穴に吊るされるのは、流石に冷や汗モノだ。

 最悪、途中で手を離されても底に激突だけはしないよう固定の命綱もつけてはいるけれど……これは僕を降ろす綱を握っているのがメイちゃんじゃなければ、やろうとは思わないね。

 完全に宙吊りになっている僕だけど、背中と腰から命綱が伸びるベスト型にして体に装着しているから、キツい負荷は体にかからないようにしている。

 スパイ映画で、床に触れたら体重感知で警報なるから、天井のダクトから宙づりになってアクセスする、みたいな。あんな感じの装備である。

 勿論、この命綱ベストも自作だ。

 自分の命に直結する装備は、小鳥遊には頼らずに全て自前で用意した。

 殺意があろうとなかろうと、ほんの気まぐれ、悪戯心で何か細工でもされたら、堪ったもんじゃないからね。

 穴を降り始めて半ばを過ぎた頃になると、光も届きにくくなり、やや暗くなってきた。

 一応、真上には桜ちゃんの光精霊を配置して照らし出しているけれど、それでも薄暗さを感じる。

 こういうのも見越して、カンテラなんかも作っている。

 桜ちゃんの『光錬成陣』は正直ガッカリ性能だったけれど、単純に照明器具を作るだけならばこれほど便利なモノもない。とりあえず説明文にもある『微小な光精霊』とやらを宿すだけで、ピカピカと白く輝いてくれるのだから。

 僕は腰から下げた光精霊電源のカンテラの灯りを頼りに、いよいよ穴底へ辿り着く。

「よし、到着だーっ!」

 無事に底まで辿り着いたことを、上に向かって叫ぶ。

 穴の深さは30メートルほどだろうか。ビルの10階相当はあると、見上げて感じる。

 叫ぶだけで、上まで声が届くのは幸いだ。わざわざ携帯を使うのも手間だしね。

「小太郎くーん! 荷物下ろすよーっ!」

「りょーかーい!」

 メイちゃんの呼びかけと共に、スルスルと上から綱で縛られた宝箱が降りてくる。

 必要なモノは、全てこの宝箱一つにまとめて詰め込んできた。

「これから殻を破る! 上の防衛は頼んだよ!」

「うん、任せて!」

 メイちゃんもいるし、蘭堂さんも戦線復帰すれば、防衛は安泰だ。上の方の心配はほとんどしていない。

 ここからは自分との戦いだ。そして、この作戦において最大の不安点でもある。

 そもそも、本当に『腐り沼』だけで殻を破ることができるのか。分厚い本物の外殻に試すのは、ここまでやって来た本番でしかできない。

 破片を使った検証実験だけでは限度がある。正直、自信はない。

 ないけれど、ここで僕が破れなかったら、他の誰にもこの殻は破れない。

「ルインヒルデ様……どうか僕に力を……」

 この期に及んで、純粋な祈りを捧げて、いざ挑戦。

 人事は尽くした。だから、後は天命を待つ。

「まずはスクロール」

 ヤマタノオロチの殻と思われる、青白い貝殻のような質感の穴底に、大きなスクロールを広げる。

 描かれているのは『六芒星の眼』、ではない。

 大きな水滴の形をした陣の中には、古代文字とゴーマ文字が入り乱れた文章がビッシリと書きこまれている。

 その内容は、正直、僕もよく分らない。分からないけれど、それぞれの単語や配置などで魔法陣の魔力回路として機能するモノを選んでいる。

 そして、とりあえず沢山の組み合わせを思いつくままに試し、その中で最も高い効果を発揮したものを採用した。

 コイツは『腐り沼』専用の魔法陣であり、さらに展開面積は一定で、より深く沼を作ることに特化した機能になっている。

 名付けて、『果てる底無き』。

 僕の魔力が続く限り、コイツはただひたすらに、下へ下へと毒沼の底を伸ばしてくれる。

「一発勝負だからね、供物も最高級品を選び抜いて来たよ」


『デスストーカーのコア』:その名の通り、天道君が獲って来てくれた砂漠エリアの大物、デスストーカーから摘出した大きなコア。赤というより、赤紫に輝くコアは、毒の魔法に影響を与える特殊効果があるようだ。


『キイロカエルの大毒腺』:クモカエルの麻痺毒、のカエルの方に備わっている毒腺。見つけた中でも特に大きい個体から採取した、大きな毒腺。


『各地のマンドラゴラ』:無人島エリア、暗黒街、廃墟宮殿、砂漠、各エリアで採取してきたマンドラゴラ。群生地の違いで効果の違いがあるのかは、採取できた数が少ないから検証できなかったので、それぞれ全部使うことにした。


『クリスタウルスの四つ胃袋』:牛の胃袋は四つあるというけれど、ミノタウルスも四つあるし、その亜種のクリスタウルスも四つあるんだね。コイツはガリガリと光石を喰らうほどだから、その消化力も凄まじい。


『ケルピーの大ヒレ』:湖に釣りに行って偶然ゲットしたケルピー。角は下川の杖となったが、馬体に生えた大きなヒレは供物として利用させてもらう。水魔法ではないけれど、液体の関わる魔法なら、効果があると思いたい。


『首領ゴーヴの生首』:ハチミツと砂糖のためだけに、僕らが滅ぼしたゴーマ村の長と思しきゴーヴの生首。抜け道側で待ち伏せしていた僕が捕まえた奴でもある。目の前で妻子を惨殺してやったので、まず相当の恨みを僕に対して持っている。さらに、そこから僕の毒薬と姫野さんの治癒魔法の実験体として、地獄の日々を送ってもらい……そして最高に恨みの籠った供物となる、という最後の役目を果たすために、僕が今朝、手ずから首を斬り落としてきた新鮮素材である。その生首は、ただでさえ醜悪なゴーヴでも、これまでに見たことがないほど憎悪と苦痛とで歪み切っており、今も真っ赤に染まった両目から、乾くことのない血涙が流れている。どうなってんのコレ……


 以上、選びに選び抜いた最高の供物を、『果てる底無き』へと配置してゆく。

 これで、後は僕の魔力と気合いで、呪術を発動させるのみ。

 尽くせるだけの、人事は尽くしたと言える。

「この殻が、お前を守る最後の盾だ……王手をかけさせてもらうぞ!」

 振り上げた右手を覆う『呪術師専用グローブ「カースドヘキサ」』。刺繍された『六芒星の眼』と連動し、僕の掌に浮かぶ呪印から、血が湧き出る。

 ただの血液じゃない、呪術師の鮮血だ。

「受け継ぐは意思ではなく試練。積み重ねるは高貴ではなく宿命。選ばれぬ運命ならば、自ら足跡を刻む――『黒の血脈』」

 めっちゃ久しぶりにコレの詠唱したよ。

 これも一応、『腐り沼』を発動するにあたって、何かしらの恩恵がある呪術だ。ちゃんと忘れずに使っておく。

 そうして、にじみ出た『黒の血脈』の一滴が、ついに『果てる底無き』の上に落ちて、弾ける。

「朽ち果てる、穢れし赤の水底へ――『腐り沼』」

 これまでにない、最大級の強化を込めて、ついに発動。

 ゴボゴボと激しく沸き立つ血の池地獄のような毒沼が、瞬時に魔法陣から溢れ、供物を飲み込みながら丸い円と化して広がって行く。

 直径およそ1メートル。

 普段よりも遥かに小さな展開範囲。だが、いつもと比べ物にならない深度を伴って、さらに深く、より深く、ヤマタノオロチを守る殻を溶かし、突き進んでゆく。

 果たして、発動直後で到達した深度は――

「1メートルくらい、か……くそっ、これは相当、先が長くなるぞ……」

第235話 ヤマタノオロチ討伐戦・不測

小太郎が穴の底へ降下し、外殻の融解作業に入ってから15分が過ぎようとしていた。

「あー、ゴメン、これ以上はもう無理だわ」

 ガキン、と黄金リボルバーのトリガーを引く杏子は、頬に冷や汗を流しながら正直に申告した。

 発動した土の防御魔法は、大きくヒビが入り、今にも砕け散りそうな防壁を修復させる。

 だが、修復箇所はもうこの一か所だけでは済まない。

 前後左右、さらには天井まで。ありとあらゆる場所にヒビが走り、強く何かぶつかる衝撃音が絶え間なく外から響いてくる。

「ちくしょう、ここまで奴らが騒いでたら、霧の目くらましも意味ねーってか」

 ここの壁を破ろうとガーゴイルが奮闘する度に、その音を聞きつけて周囲から集まってくる。そして、増えた奴らがさらに騒ぎ、より遠くの仲間も引き寄せる、負の循環。

 掘削地点を完全に覆ってしまう形にしたことで、下川の『酸盾アシッド・シルド』以外で外のガーゴイルを倒す手段がないのも、状況の悪化の一因であろう。

 しかし、それも分かった上で小太郎はこの陣地にすると決めた。全員が迎撃可能な地形にしたところで、労力はあまり変わらない。一匹も中に通さない時間が少しでもある分、こちらの方がマシだとの判断だ。

 つまり、築き上げたこの防壁が突破され、ガーゴイルが雪崩れ込んでくるという状況は、最初から想定されてはいた。

「桃川はまだなのですか!」

「蒼真さん、落ち着いて。下手に騒いで、小太郎くんの邪魔するようなら、力づくでも止めるから」

 最終的にはガーゴイル軍団との大乱戦も想定されてはいたが、あくまでそれは最終局面だ。

 まだまだ貫通までに時間がかかるような状態で、その戦況になってしまえば、作戦はほぼ失敗と言ってもいいだろう。

 ガーゴイルが一匹でも、穴の底にある小太郎の呪術を妨害さえすれば、その時点で奴らの勝ち。外殻を貫く手段がなくなれば、ヤマタノオロチは依然、無限の再生力を誇る無敵のままだ。

 作戦が失敗し、ただ敵のど真ん中に取り残される本体攻撃部隊がどうなるか。その末路は想像するまでもない。

「私はそんな短絡的な真似はしません。ですが、このままでは作戦の成否にも関わります」

「それはまだ分からないし、決めるのは貴女じゃない」

 睨みつけるような桜の視線に、どこまでも冷たい芽衣子の目が応える。

 給食係として、いつもニコニコ笑顔でみんなが美味しく食べる姿を見つめる芽衣子。その朗らかなイメージはクラスメイトの誰もが学園塔生活で抱いていたが、また同時に、芽衣子から笑顔が消えた瞬間が、最も危険な兆候であることも知っていた。

 冷たい無表情と化した芽衣子は、一切の情け容赦を持たない『狂戦士』となる。

「そ、そうだべ! もうここまで来てんだから、腹ぁくくるしかねーからな!」

 この土壇場で芽衣子と桜が険悪という、破滅フラグもいいところな気配を察した下川は、慌てて声を上げる。

 今更、言い争ってもどうしようもない。四方はすっかり無数のガーゴイルに囲まれ、退路などどこにもない。

「そうだな。後は俺らが、体を張って時間を稼ぐしかねぇ」

 鈍感な方の山田でさえ、この期に及んで一致団結できないのはまずいだろうと思い、下川に賛成するように言った。

「おい、ビビてんじゃねぇぞ蒼真」

「誰が! 恐れてなどいません。ただ、私は桃川の作戦が――」

 上手くいくとは思えない。

 いいや、違う。

 上手くいったとしても、何かがあるのではないか。

 その疑念は尽きない。小鳥から受けた、「桃川小太郎は裏切るかもしれない」という言葉が、脳裏に焼き付いて離れない。

「おいおいおい、今更もう作戦がどうとか言ってる場合じゃねーべ! 山田の言う通り、もう俺らが戦って時間稼ぎするしかねーだろが!」

「あと一分もしないで、どっかの壁破れるぞ。アンタら、覚悟決めなよ」

 桜のヒステリックに付き合っている暇もない、とばかりにメンバーはそれぞれの武器を構えて、掘削した穴を背に迎撃態勢をとる。

 次の瞬間に、どこかが破れて敵が雪崩れ込んでくる気配をありありと感じ、桜も弓を構える他に、できることはなくなった。

 そして僅かな間、誰もが息を呑んで押し黙る。

 ガーゴイルの叫びと、防壁を破らんとする激しい攻撃の音と衝撃が響く、戦場のやかましさ。だが、不思議と静かに感じられた。

 永遠にも思えるような、妙な時間感覚の最中、終わりは不意に訪れる。


 ドガガガガッ、ガラガラ!


 けたたましい音を立てて、ついに防壁の一部が破れた。

 突破してきたのは、通常のガーゴイルより3倍は大きく、横幅もある。背中から生える翼は、完全に両腕と化しており、空を飛ぶよりも、殴りつけることに特化したように野太い。

 小太郎が『大型』と呼んでいたタイプのガーゴイルである。

 その巨躯を活かした力まかせの突進で、ついにこの堅牢な城壁を破ったのだ。

 勢いのまま、転がるように飛び込んできた大型ガーゴイルは、その内に潜んでいた人間の姿を目にし、威嚇の叫びを、

「ハアっ!」

 上げようとした瞬間に、狂戦士の刃でもって叩き潰された。

 脳天に叩きこまれたハルバードの斧刃は、頭どころか胸元近くまで抉り、大型ガーゴイルを一撃で沈黙させる。

「蘭堂さん!」

「『石盾テラ・シルド』」

 破られた穴を、即座に杏子が土魔法で塞ぎにかかる。

 後続のガーゴイルが雪崩れ込もうとしていたが、すんでのところで壁の穴が埋まる方が早かった。

 無論、この補修もその場凌ぎに過ぎないことは百も承知。

 芽衣子はすでに、次に破れそうな箇所へと移動し、再びハルバードを振るった。

「蘭堂、ここは俺が塞ぐ! そっちの方がデカい穴が開きそうだから、対処してくれ!」

「任せな!」

 下川が二つ目の突破口を水の盾で塞ぐのと同時に、反対側の壁にメキメキと巨大な亀裂が走る。

 今度は芽衣子も間に合わない。ガラガラと盛大な音を立てて、二体の大型ガーゴイルが並んで飛び込んできた。

「俺がやる! レム、力を貸してくれ!」

「ブモォアアアアアアッ!」

 対処に動いたのは、山田と4号機ミノタウルス。

 流石に芽衣子のように一撃で大型を倒すことはできないが、一対一ならそう時間をかけずに倒せるだろう。

 その僅かな時間で、侵入してくるガーゴイルを、3号機アルファの爪と牙、そして自慢のノコギリ尻尾が狙う。

「この穴塞ぐのは20秒はかかるぞ! 天井の方はその間、なんとか耐えろよ!」

 補修状況を察し、杏子が叫ぶ。

 大型ガーゴイル二体同時でぶち開けた穴は、『石盾テラ・シルド』一発で塞ぐには少しばかり大きい。

 完全に塞がるまでの時間で、先にミシミシと音を立てている天井が破られるのは確実。

 そして、上空に攻撃できる者はメンバーの中でも限られる。

「――『白光矢ルクス・クリスサギタ』」

 すでに狙いを定めていた、桜の中級攻撃魔法が『聖女の和弓』より放たれる。

 白く輝く一条の光線と化して、天井を破った敵を襲う。

 石の天井を強引に突き破って来たのは、ただのガーゴイルではなく、また別の大型種であった。コウモリのような外観でありながら、大きなクチバシを生やした不気味な面構え。

 先端が赤く光るクチバシでもって、天井を突き、削り、ついに突破して頭を突っ込んだところに、桜の『白光矢ルクス・クリスサギタ』が直撃する。

 固いクチバシさえ砕きながら、そのまま頭部をぶち抜き、息絶える。

 突き破った本人の死骸が、ちょうど天井に空いた穴を塞ぐ形となり、幸いにも後続のガーゴイルを防ぐことができていた。

「なんかキモいの引っかかったままなんだけど!?」

「そんなの気にしないで、そのまま塞ぎなさいな!」

 それもそうだ、と思い直し、杏子は桜の言う通り、コウモリ型が頭を突っ込んだままの状態で、そのまま穴を塞ぐ。やれば意外とできるモノで、欠けたクチバシの先っぽが飛び出している以外は、綺麗に補修は完了した。

「次は……」

「双葉、次はそこの壁になる、頼んだぞ!」

「分かったよ、蘭堂さん」

 ハルバードを構え、指示された通りの壁へと向く。

 今のところは、上手く塞ぎきれている。クラスメイトの連携もちゃんととれていて、それぞれが十全に力を発揮できている。

 けれど、キリがない。

 このまま、いつまで優位を保ったまま守っていられるだろうか。

 流石の芽衣子も、終わりの見えない防衛戦に、一抹の不安感が過る。

「大丈夫……ここは必ず、私が守り抜くから」

 たとえ自分一人になったとしても。この足の下で、小太郎が力の限りを尽くして頑張っているのだ。

 だから、決して退かない。何者も通しはしない。

 狂える闘争心とはまた違う、不退転の覚悟と戦意を芽衣子は漲らせる――だが、たとえこの場を守り通したとしても、戦場は他にもある。

 そして、どこも同じだけの激戦地であり、いつ、綻びが生じてもおかしくなかった。


 グゥウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 その時、天を衝くようなヤマタノオロチの雄たけびが響き渡る。

 すでにして聞きなれた、巨大な大蛇頭の咆哮。それが一つではなく、三つ。共鳴するように響き渡る。

 そして、その咆哮の響きと共に、芽衣子が睨んでいた方面の壁が砕け――そして、垣間見えた外の景色に、輝く三本の光の柱が映った。

「オロチのブレス……あっ、こっちの方向は!?」

 それが、決して見えてはいけない輝きであることを、芽衣子はすぐに察した。

 なぜなら、見ている方向は岩山より西側。

 つまり、三つの首を封印している方向で――天に向かって放たれた三条の光線は、ヤマタノオロチの三つ首が復活したことを意味していた。




 無数のヒビが走り、今にも砕け散りそうな氷と鉄の封印槍。

 しかし、いまだ折れることなく、三つの頭を地面へと縫い止め続けていた。

「小鳥! 桃川君の方はどうなっているの!」

「今桃川君が掘り始めたところーっ! でも時間かかりそうだよぉ!」

 スマホを片手に、トーチカから叫んで伝えられた小鳥の報告に、涼子は眩暈がしそうであった。

「大丈夫、大丈夫よ……キツいけれど、作戦自体は予定通りに進んでいるわ」

 今しばらくの間、この封印を維持し続けなければならないのが厳しいことには変わりないが、作戦続行が不可能なほどの不測の事態が発生したワケではない。

 ついに小太郎が外殻突破にまで挑み始めた段階まで来れば、作戦も終盤。殻さえ破られれば、王手である。

「美波! 中嶋君! ようやく外殻を掘り始めたわ! あともう少し、なんとしてでも抑えるわよ!」

「りょーかいだよ、涼子ちゃん!」

「分かった、委員長!」

 それぞれの二刀流を振るいながら、美波と陽真が力強く答える。

「二人の体力はまだ持つわね。問題は私の魔力の方かしら……」

 開戦よりずっと、上級攻撃魔法『凍結長槍アイズ・フォルティスサギタ』を行使し続けている涼子の魔力消費は激しい。

 合間を見て、魔力を回復するためのMPポーションを飲んだりしているが、やはり消耗する方が早い。

 このままのペースを維持して、あとどれだけ持つか。魔法を使い続けて精神疲労も蓄積された今では、明晰な涼子の頭脳でも即座に答えは出なかった。

「頼むわよ、桃川君。私の魔力が尽きるより前に――」

「――涼子ちゃん!」

 切羽詰った美波の声に、ハっと涼子は顔を上げる。

「どうしたの、美波」

「なんか首の様子がおかしいんだけど!」

 言われるものの、これといった変化は特に見当らない。

 封印槍はヒビこそ入っているが、まだ芯はしっかりとしていて、身じろぎ一つで折れるほどではない。

 縫い止められている大蛇の頭も、大きく動いた様子もみられなかった。

「私にはどこがおかしいのか、よく分らないのだけれど」

「見た目はそうだけどぉ――でやぁ!」

 美波は右手の『デススティンガー』を根元まで突き刺す。剥がれた鱗の下、確かに血肉の通った肉体へと猛毒の刃は深々と沈み込んでいるが、

「やっぱり、なんか刺した手ごたえが薄い感じがする!」

「薄いって、どういうことなのよ」

「委員長、夏川さんの言う通りだ。俺も、切り裂いてもあまり手ごたえが感じられない気がする」

 直接攻撃役の二人から同じ申告をされて、涼子は次なる『凍結長槍アイズ・フォルティスサギタ』の発動と並行しながら、考える。

「手ごたえがないってことは、肉が柔らかい? いえ、ダメージが通っていないのかしら」

 しかし、あらためて三つ首を眺めていても、これといった変化は見られない。

「一体何が起こっているのかしら――『凍結長槍アイズ・フォルティスサギタ』」

 考えつつも、術式が完成し、何度目になるかわからない重ねがけを、最も耐久が削れている第一頭を刺す封印槍へと施す。

 一時的にヒビが修復され、迸る冷気が再びオロチの脳天を突きぬけてゆく。

「――なに、これは、本当に手ごたえがない!?」

 自身が魔法を使ったことで、ついに涼子もソレを実感した。

 美波達のように、手にした武器で直接肉体へ攻撃しているワケではないのだが、氷魔術士として、涼子は相手に魔法が命中した時、手ごたえのようなものを感じることができる。

 ゴーマを氷の矢で貫き一撃で致命傷を与えた時と、ボスモンスターの固い外殻に弾かれた時とでは、感じる手ごたえはまるで異なるものだ。

 恐らく、放った魔法そのものには、何かしらの魔力的な繋がりが術者と維持されているが故の感覚、と涼子は考えていたが――その感覚を信じるならば、この手ごたえはまるで、死体でも撃ったかのようなモノだ。

「どういうこと、頭は確かに突き刺しているはずなのに……まさかっ!」

 その可能性に思い至った時には、すでに異変は始まっていた。


 ズズズズズズ――


 と、三つの首が震えるように小刻みに揺れ動き始めた。

「うわわっ!?」

 長大な首の上に乗っかって刺しまくっていた美波は、足元が大きく揺れたことで慌てて首から飛び降りる。一方の陽真も、これまでと違う動きを見せた首を警戒し、やや距離を離して後退していた。

「なんてこと、再生はすでに完了していたのね……」

 何故、攻撃の手ごたえが感じられないのか。

 それは、そこにダメージを与えるべき生身が存在しなかったからだ。

 美波の毒剣も、陽真の魔法剣も、本体には攻撃が届かなかっただけのこと。

 涼子に魔法命中の手ごたえがないのは、封印槍はすでに、ヤマタノオロチの頭には突き刺さっていないから。

 三つ首の外観に変化はない。それも当然。

 なぜなら、変化は首の内側で起こっていたのだから。


 バキバキバキバキッ!


 けたたましい音を立てて、三つの首は背中側から大きくひび割れてゆく。

 鱗や甲殻を弾き飛ばしながら、メキメキと砕けて行き――その内から、白くヌメった蠢く巨躯が現れる。

「えぇ、うそぉ……脱皮しちゃった」

「そんな、こんな方法で封印を脱してくるなんて……」

 驚愕の表情で、美波と陽真は目の前で脱皮をした、新たなるオロチ頭を見上げた。

 脱ぎたてのせいか、首は粘液に塗れ、新しい鱗や甲殻も真っ白に染まっており、当初よりも若干、柔らかそうに見える。

 脱ぎ捨てた部分は、鱗と皮だけでなく、ある程度までの肉体までそぎ落としたせいか、新しい白い首は元の首より一回りは細くなっていた。

 頭部に至っては、ほとんど丸ごと捨て去ったのだろう。封印槍が突き刺さり身動きのできない部分より下で新たな頭部を形成したようで、頭の部分はさらに細く、尖っているように見えた。

 そうして脱皮したばかりの白い首は、元の首よりも小さく細く、柔らかく、明らかに弱体化しているといってもよい。

 しかし、三つの首は自由を取戻し、大きく開いた口腔には、それぞれ赤、青、黄色、と莫大な魔力を輝かせた。

「美波! 中嶋君! 逃げてっ!」

 直後、轟々と吐き出される光の奔流。新たな産声を上げる代わりに、三つの白首がブレスを放つ。

 三色に輝くブレスは、大きく大地を抉りながら、そのまま首をのけぞらせて天へと向く。

 空に向かって突き立つ三本の光の柱は、他の戦場で戦うクラスメイト達に、三つ首の封印が解かれたことを、この上なく知らしめるのだった。

第236話 ヤマタノオロチ討伐戦・崩壊

「そんな、封印が破られたのか!」

 悠斗は岩山越しに空に向かって突き立つ三本のブレスを見て、封じられていた三つ首が自由を取り戻したことを悟った。

「委員長達は無事なのか」

 大切な仲間の安否が真っ先に頭を過るが、次の瞬間には、作戦継続の是非を悠斗は問うていた。

「おいおい、アレはヤベーんじゃねぇのか!?」

「首八本揃ったら負け確定じゃねーかよ俺らは!」

「上田、中井、落ち着け! 目の前の相手だけでも気は抜けないぞ」

 西側に見えたブレスの光で、この場で戦う誰もが封印が破られたことに気づいただろう。

 すでにして上田と中井が動揺を露わにしているが、悠斗の言う通り、呑気に騒いでいられるほど余裕のある状況でもない。

 五本の首との戦いは、どうにか拮抗状態を維持しているといったところ。油断すれば、いつ大怪我するか分かったものではない。

「しかし、どうする蒼真。封印が破れた時点で、アイツの作戦は失敗だぞ」

 空中で連続斬撃をオロチ頭に見舞ってから、すぐ傍に着地した明日那が悠斗へと言う。

 確かに、桃川小太郎が立案したヤマタノオロチ討伐作戦は、三つ首封印、五つ首の抑え、本体コア破壊、三つの作戦行動全てが上手くいかなければ、成功させることはできない。

 それが非常な困難を伴うことは百も承知。だが、クラスメイトの誰もが、今の自分達にある最大の可能性がこの作戦だと認めた。

「悠斗、すぐ撤退するべきだ」

「そんなことができるか。桜達はまだあそこにいるんだぞ」

「桜の退却を支援すれば、全員が帰還できる可能性はあるだろう」

 基本的に、一度本体攻略に乗り出した部隊には、作戦の途中で戻る予定は一切なかった。

 事実、この八本首が揃った状態で、敵陣ど真ん中から無事に脱出できるとは思えない。

 しかしながら、ここで作戦続行を諦め、本体攻略部隊の救出に全力を注ぎこめば、あるいは……

「ここでヤマタノオロチを倒せなければ意味はない」

「犠牲者が出てからでは遅い! 悠斗、今ならまだ間に合うはずだ!」

 封印が破綻したことを承知で、無理にでも作戦は進めるべきか。

 それとも、全員の生還に賭けて撤退するべきか。

 仲間の命を左右する重大な選択。それでいて、考える時間もない。

「桃川の言うことになんか、従うべきじゃなかった。けど、まだやり直せる。蒼真、やはりお前がみんなを導かなくてはいけなかったんだ」

「お、俺は――」

 小太郎の作戦に不満があったワケではない。作戦内容を聞いて、これが一番だと納得もしていた。

 けれど、明日那に言われて、こうも思った。

 もしかしたら、クラスメイト全員の命を預かる責任を、無意識の内に小太郎へ押し付けていたのではないかと。本来なら自分が背負わなければいけない重圧を。

「俺が、みんなを守らないと……」

 そんな基本的なことさえ、忘れていたのかもしれない。

 この力は何のためにある。どうして自分が『勇者』なんて天職を得たのか。

「そうだ、蒼真。お前がみんなを、私も、守ってくれ」

「ああ、俺は……」

 この状況下で、全員の命を救う最善の選択は何か。

 ただそれだけを考えれば、すぐに答えは出た。

「全員、退――」

「――作戦は続行して」

 悠斗の意思も言葉も遮って、はっきりと命令は下された。

「繰り返す、作戦は続行する。三つ首の封印は破られたけど、こっちもあともう少しで外殻を突破できそうなんだ」

 塹壕から顔を出して、分身の小太郎は叫ぶ。

「だから、あと少し、もう少しだけ耐えてくれ!」

「桃川、お前」

「ここは頼んだよ、蒼真君」

 それだけ言い残して、分身の小太郎は黒い靄となって消え去って行った。

 自ら解除したのだろう。それだけ、外殻を溶かす呪術に力を集中していることの証でもあった。

「蒼真、あんな奴の口車に、まだ乗るつもりか!」

「……明日那、俺はアイツを信用しているワケじゃない。けど、まだ可能性は残っていると思う」

 本当に無理だと思うなら、小太郎は恥も外聞もなく「助けて!」と叫ぶ男だ。

 勝利へのこだわり、強者としてのプライド、そんなモノとはまるで無縁。臆病で、小心者で、最弱の呪術師――そんな奴が、まだ諦めないと言っている。

 勇者の自分が、先に諦めるわけにはいかないだろう。

「おい悠斗、ボケっとしてんな。ようやく盛り上がって来たところだ。ここが正念場ってヤツだぜ」

 牙を剥くオロチ頭を火炎の魔法で爆破しながら、龍一は足の止まっていた親友に向かって喝を飛ばした。

「ああ、分かってるよ、龍一。みんな、本体コアを破壊するまで、あともう少しだ! 八本首が相手だが、何としてもここを耐え抜くぞ!」

 覚悟は決まった。

「分かったよ、くそ、やってやるよ!」

「おうよ、戦士の根性見せてやるぜ!」

「天道君がまだ戦ってんのに、逃げるられるわけねーし」

「あー、アタシこの戦い終わったら夜這いするわ」

「え、えーっと、みんな頑張って!」

 そして、悠斗の激に、クラスメイト達もまた同様に覚悟を決められたようだ。

 上田と中井はボロボロの格好だが武器を構え、ジュリマリは荒い息を吐くが立ち止まることはなく、そして姫野愛莉も微力ながら必死に『光矢ルクス・サギタ』を放つ。

 作戦は続行。

「蒼真……」

「明日那、お前に桃川を信じろとは言わない。でも、俺のことは信じてくれ」

 俯く明日那に、それだけ言葉をかけ、悠斗は剣を握り直し、再び駆け出した。

 戦い続けると決めたなら、その動きに迷いはない。

「もう出し惜しみする場合じゃあないな。全力を出し切る――行くぞ、『光の聖剣クロスカリバー』っ!」

 光り輝く勇者の剣は、さらに輝きを増して、その白光の刀身を増大させる。

 この作戦での悠斗の役目は、五つ首をこの場で抑え続ける時間稼ぎだ。素早く相手を倒すことではない。

 無限に再生する倒せない敵を相手にするならば、こちらも必要最低限の力で抑え続けなければ、すぐに体力も魔力も尽きてしまう。故に、一撃で首を破壊するに至る大技である『刹那一閃ネロ・ライトニング』は、作戦開始時点で封印する第一頭と第二頭を速やかに仕留める時の他には、使用してはいない。

 だが、あともう少しで倒せるところまで来ているのならば、先の見えない時間稼ぎのために温存する必要もない。

 なにより、ヤマタノオロチはついに八本首揃い最大戦力を発揮している。消耗を抑えながら戦って、どうにかなる相手ではなくなった。

「三つ首がこっちに合流する前に、少しでも潰すぞ!」

「おう、ようやく本気が出せるな」

 悠斗と共に、龍一もまた時間稼ぎを放棄し、己の持つ全力を解放して戦う姿勢を示す。

 二人のエースはそれぞれの剣をもって、まずは近い順から一つずつ、オロチの首を切り裂いてゆく。

「よっしゃあ、俺らもやるぞ!」

「あともう少しの辛抱だ」

 上田と中井も体力を振り絞り、二人がかりで首を襲う。

 もう一方の、ジュリマリコンビも別な首を狙って駆け出した。

「マジで頼むぞ桃川ぁーっ!」

「アタシらだってもうそんなにもたねーんだからな!」

 精一杯に愚痴を叫びながら、ヤケクソ気味に刃を突き立てる。

 士気は上々。誰もがまだ、諦めてはいなかった。

「悠斗、新手が来るぞ」

「ああ、こっちからも見えた……けど、首が二つだけだ」

 岩山を迂回するように、左右から一つずつオロチ頭が接近してくる。

 やけに色が白く、太さは一回り細い上に、頭もやや小さい。

 どんな方法で三つ首が封印を破ったのかは知らないが、若干の弱体化はしているようだと察した。

「もう一本の首は、桃川んところに行ったんだろ」

「やはり、そうなるか」

「向こうに行かれたら、こっからじゃもう手出しはできねぇ」

「くっ、桜……」

「そう心配すんな。あっちには双葉がいる。首一本くらいどうとでもなるだろ」

 三本全てが向かわず、むしろ僥倖とも言えよう。

『狂戦士』双葉芽衣子なら、首の一本を一人で相手にしても事足りる。まだ、絶望するほどの状況ではない。

「俺は右側、龍一は左側のを頼む」

「あの白い首はフツーの奴より脆そうだ。余裕だろ」

 悠斗と龍一は、それぞれ岩山の左右から回り込んでやってきた頭の迎撃へと駆け出す。

 真っ向から挑んでくる小さな人間の姿を、二つの首は決して見逃さずに捉えている――はずなのだが、何故か見向きもしなかった。

「なんだ……どこを狙っている?」

 今更、威嚇でもしようというのか。グオオオオ、と吠えながら、白い首は上を向く。

 ヤマタノオロチの戦闘行動は、単純である。

 ただ目に入る敵を攻撃するだけで、隠れている相手を探す、弱そうな奴から狙う、誘い込む、などの簡単な戦術的行動もとることはない。

 新たに攻撃を叩き込めば、そちらにターゲットを切り替える単純ぶりだ。

 敵が目の前にいる限り、休むことなく攻撃は続く。

 ブレスを含め、どの攻撃も苛烈だが、単純であるが故にその行動は読みやすい。

 だからこそ、このタイミングで想定してない謎の行動を見ると、大きな違和感に襲われる。

 いや、それは違和感ではなく、危機感。

「まずいっ!」

 悠斗は真っ直ぐ踏み込みもうとしていたが、直感に従い急転換。

 素早く身を翻し、白い首から距離を取り始めた、その時であった。


 クォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 口元だけでなく、首全体が輝きながら、オロチ頭はブレスを放った。

 天を向いた口から吐き出されたのは、青白く輝く巨大な光球。

 その球形ブレスは頭上にかかる雲を割る、その直前で停止し――そこから無数の光の雨が降り注いだ。

「ちいっ、範囲攻撃か!」

 数を数えるのが馬鹿馬鹿しくなるほどの、大量の『光矢ルクス・サギタ』が降ってくる。

 的確に悠斗だけを狙っているワケではない。降り注ぐ光の矢は周囲一帯に降り注いでいた。

 発射点となっている空中に浮遊したままの光球は、その真下が最も激しく矢が振り、そこから離れるごとに矢の密度は薄くなるようだった。

 そのまま突っ込んでいれば、回避の隙間さえない高密度の光の矢に、上から押しつぶされていただろう。

「数が多すぎる――『光盾ルクス・シルド』」

 光球直下ほどではないが、近辺に降り注ぐ光の矢のシャワーは、悠斗でも全てを回避しきるのは不可能だった。

 回避の隙間を潰すように飛び込んでくる矢を、普段あまり使わない防御魔法でもって弾きながら、さらに距離をとって危険地帯を脱してゆく。

「――よう、悠斗、お前も慌てて逃げ戻ってきたか」

「見たことがない攻撃だ。八本首が揃って、奴もいよいよ本気を出したてきたのかもしれないな」

 光の矢を継続的に発射する光球。

 この新技は、龍一が向かった方でも展開されており、土砂降りのような密度の矢を掻い潜って首に斬りかかるのは無理だったようだ。

 当然、光球の真下に鎮座するオロチの頭も、自ら放つ光の矢の豪雨に晒されているが、一発あたりの威力は下級攻撃魔法程度のようで、鱗を貫くどころか、焦がすこともないようだ。

 オロチの頭にはノーダメージでも、天職持ちとはいえ人間が喰らえば無傷とはいかない。『重戦士』のように防御に特化していなければ、その身で受けようとは思えない。

 そして、今この場に『重戦士』は一人もいなかった。

「まずいぞ、こんな状況じゃあみんなは――」

「ぐわぁあああああああああっ!」

 戦闘が始まって、初めて深刻な悲鳴が上がった。

 悠斗が振り向いた先には、地面に倒れた上田の姿があった。

「行け、悠斗! 俺が抑えといてやる!」

 後ろは龍一に任せ、即座に悠斗は倒れた仲間の元へと向かう。

「おい、上田! しっかりしろや!」

「な、中井……くぅ、痛ぇよぉ……」

 悠斗より先に中井が上田の元に辿り着き、呼びかけている。

 その後ろからは、傷だらけだが、まだ戦意にみなぎるオロチ頭が迫っていた。

「中井! 上田を連れてトーチカまで下がれ! 姫野さんに治療を!」

「す、すまねぇ――おい、行くぞ上田! 歩けるか!」

「痛ぇ……ちくしょおぉ……」

 悠斗の見たところ、上田は肩と足に光の矢を受けたようだった。

 治癒魔法かポーションで十分に治せる負傷だが、そのまま戦闘は続けられない痛手である。

 上田の実力からいって、この辺まで離れた距離なら、降り注ぐ光の矢を避けることは十分に可能だ。

 しかし、避けながら、オロチ頭に攻撃を加え続けるのは難しい。

 恐らく、オロチ頭からの攻撃は回避したが、光の矢までは避けきることができず被弾、といったところであろう。

「くうっ――」

 そして、光の矢が降る中での戦いは、悠斗をしても厳しいモノだった。

 上田を連れて下がった中井は、まだ戻ってこない。

 気が付けば、目の前で相手をしているオロチ頭は二つに増えている。

 さっき潰していた頭が復活したのだろう。

「だ、ダメだ、攻めきれない……」

 ただでさえ、二つもの首を一人で相手するのは厳しい。全力を尽くしたとしてもだ。

 追い打ちをかけるように、ジリジリと際どいところを光の矢がかすめていく。いや、すでに何本か体をかすめ、制服を焼き焦がしている。

 一人では防ぐだけで精一杯。

 だが、相棒たる龍一は自分よりも厳しい状況下におかれていた。

「お前らじゃもう無理だ。下がってろ」

「だ、大丈夫、まだ戦える!」

「そうだよ、アタシらはまだ――」

「邪魔だっつってんだろ。さっさと行け!」

 怒鳴るように叫びながら、龍一は真っ向からオロチ首を抑え込みにかかっていた。

 その後ろには、上田と同じく光の矢を受けて負傷したジュリアとマリアの二人。

 武器は握り続け、膝も屈してはいないものの、苦痛にゆがんだ表情を見れば、これ以上の戦闘は無理だというのが分かる。

「うぉおおおおおおおおおおおおおっ!」

 雄たけびと共に、龍一はさらにもう一つの頭にも猛攻を仕掛け、二つの首の注意を一身に引きつけている。

 ジュリアとマリアは涙を流しながらも、その間に塹壕までどうにか退いていった。

「これで、残っているのは俺と龍一と――」

「――剣崎流、『乱れ裂き・椿』!」

 もう一人、剣崎明日那はこの状況下においても、オロチ頭一つを相手に奮戦を続けていた。

 伊達に幼少の頃より剣術修行に明け暮れてはない。すでに下がった四人とは、やはり頭一つはその実力は抜きん出ている。

 しかし、それでも悠斗や龍一ほどではない。

 二人の助けも、他の仲間の支援もなく、ただ一人きりで首を抑え続けるのに、限界が訪れるのはそう遠くはなかった。

「剣崎流――」

 光の矢に体をかすらせながらも、果敢に接近して放った武技。

 しかし、集中力の乱れか、疲労の限界に来たのか、あるいは小さなダメージの蓄積が響いたか――いずれにせよ、明日那の武技が弾かれた。

「なっ!?」

 鱗を切り裂くことはできず、表面を僅かに削るのみ。

 想定外の剣の乱れは、次の瞬間には致命的な反撃をもらう。

「ぐああっ!」

 体当たり、あるいは頭突きというべきか。ヤマタノオロチ、その巨大な頭が振られ、明日那を弾き飛ばした。

 回避も受け流しも無理なほどの隙に叩きこまれた超重量の衝撃に、明日那の体は軽々と宙を舞い、そして地面を転がった。

「うっ……くぅ……」

 頭を振って立ち上がる明日那。幸いにも、その最中に光の矢が当たることはなかった。

 しかし、幸運をもって無差別攻撃を掻い潜ったとしても、明確な敵意をもって狙われる直接攻撃までは、防げるはずもない。

 明日那が再び顔を上げたその時には、鎌首をもたげ、開いた大口に目いっぱいに禍々しい赤い輝きを迸らせた、オロチの頭があった。

「逃げろっ、明日那ぁあああああああああああああああ!」

 悠斗が叫んだ直後、真紅のブレスが立ち尽くす剣崎明日那に向かって放たれた。

第237話 ヤマタノオロチ討伐戦・最終段階(1)

「逃げろっ、明日那ぁあああああああああああああああ!」

 叫んでも、間に合わないことは分かっていた。明日那は逃げ切れない。

 そして、ブレスが直撃すれば灰すら残らぬほど蒸発するだろう。

 あの真っ赤な光の渦に飲み込まれれば、明日那は死ぬ。発射まで、あと10秒もない。

 そして今の俺には、彼女を救える力はなかった。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 でも、俺は走った。

千里疾駆グランドウォーカー』と『縮地』、二つの速度強化を同時発動し、自分の両足が千切れ飛ぶんじゃないかというほど全力全開の脚力で、明日那の元へと走る。

 俺が辿り着いたところで、何かできるワケでもないのに。

 防御魔法を全開で張っても、ブレスは3秒も止められない。

 あるいは、明日那を抱えて回避してみるか――恐らく、それも無理だろう。

 ヤマタノオロチのブレスは巨大だ。超威力で広範囲を薙ぎ払うが、その狙いは大雑把だからこそ避けられる余地もあったが……今、目の前で明日那を狙う奴は、明確に狙いを定めていた。

 絶対に外さない。動いても、逃げても、必ず当てる。

 そういう絶望的な攻撃予測が、俺の第六感にビリビリと伝わってくる。

 子供の頃から、蒼真流の鍛練を積んでささやかに感じ取れていた第六感は、今や天職『勇者』のお蔭で、より明確かつ精密な予測を俺に教えてくれている。

 だから、回避不能なブレスへと俺が自ら飛び込んで行く今の状況にあっては、うるさいほどに脳内に危機警告が響き渡る。

 危険だ。お前も死ぬぞ。

 ブレスを防ぐ手立てはない。無駄死にだ。自分からブレスに当たりに行くなど自殺も同然。

 俺が間に合おうが間に合うまいが、どの道、明日那は助けられない。

 明日那も助けられず、俺も無駄に死んで、後には何も残らない。何も残せない――何も、守れない。

「それでも――」

 目の前で死ぬと分かっている仲間を見捨てることはできない。

 剣崎明日那。彼女は俺の友人で、きっと、ただの友達以上に大切な人だ。

 そんな彼女が、ただ消えてゆくのを、俺は黙って見ていることはできない。

 だって、まだ間に合う。間に合うはずなんだ。

 目前に絶対的な死が迫っていても、それでも明日那は今この瞬間、まだ生きている。

 レイナの時は、もう死んでいた。

 俺はレイナを守れなかった。彼女の死の瞬間に、俺はその場におらず、何も知らないまま、何もできずに……ただ、大切な幼馴染の死を突きつけられただけだった。

 でも、今は違う!

「――俺は守る。今度こそ、絶対に」

 駆ける。

 すでにブレスは放たれていて、巨大な赤い魔力の渦が必殺の意思と共に迫りくる。

 最終警告――あと一歩、踏み込めば死ぬ。

 それがどうした。

「明日那ぁーっ!」

 彼女に向かって伸ばした左手――その手の先に、白銀の光が灯った。


 ズゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 目の前が眩い輝きで、何も見えなくなる。凄まじい轟音が響き、何も聞こえない。

 揺らぐ体、失う感覚。

 自分が今、立っているのか、吹っ飛んでいるのか、それとも灰となって消え去ったのかもわからない。

 でも、それでも、俺は届いたはずだ。明日那の元に、彼女を守るために――

「――生きてる、のか」

「そ、蒼真、お前……」

 生きている。何故か、俺も明日那も生きている。

 随分と驚いた顔を明日那はしているが、それはきっと俺も同じだろう。

「……なんだ、その盾は」

「うおっ、なんだコレ!?」

 明日那に言われて、ようやく気付く。

 俺の左腕に、白く輝く光の盾、みたいなモノがくっついていた。


 第二固有スキル

天の星盾セラフィックイージス』:天に輝く守護星の加護を宿す、勇者の盾。


 頭の中に流れ込んでくる、いつもの説明。どうやら、この盾は新たな勇者の力らしい。

「固有スキル、って確か『光の聖剣クロスカリバー』と同じ」

 第一固有スキル、と名付けられているのが『光の聖剣クロスカリバー』だ。それ以外の技は成長スキルと習得スキル、のどちらかに分けられている。固有スキルと名がつくのは、この『天の星盾セラフィックイージス』で二つ目だ。

 どう考えても、通常のスキルとは異なる、勇者専用の特殊な技に違いない。

「この盾がブレスを防いだのか」

「信じられない防御力だ……しかし、そんな凄い技をいつ習得していたんだ」

「多分、ブレス直撃した瞬間に発動したんだと思う」

「なにっ、それじゃあお前、何も考えずに飛び込んできたのか!?」

 なんて馬鹿な真似を、とでも言いたげな表情の明日那だが、非常に残念ながら全く以ってその通りだから始末に負えない。

「そ、そういうことになるかな……」

「馬鹿! 無駄死にもいいところじゃないか!」

「それでも、見捨てることはできない。明日那を守りたいと、あの時の俺は心から思ったんだ」

「なっ、なに言ってるんだ……そんなこと、今言うんじゃない……」

 俺の純粋な気持ちも察してくれたのか、明日那は一転して、罰が悪そうに顔をそむけた。こころなしか、頬も赤い気がするが、ブレスの影響で熱いのだろうか。

「確かに馬鹿な真似をしたけれど、後悔はない。こうして、実際に明日那を助けることができたんだからな」

「ああ、そうだな。結果的には命を救ってもらったのだ。ありがとう、蒼真、心から感謝する……こ、このお礼は、その、私の身をもってだな……」

「それより、ブレスを真っ向から防げる力が手に入ったんだ。反撃開始だ。明日那、まだ立てるか?」

「む、無論だ! お前のお蔭で、傷一つないからな」

「よし、それじゃあ行くぞ――」




「――これはもうダメかもしれない」

 あまりにも溶かす速度がゆっくりすぎて、眩暈がするような絶望感である。

 僕の真上では、メイちゃん達が死力を尽くして防衛戦に徹しているのが分かる。どうやら、いよいよ防壁を破ってガーゴイル共が突入してきたようだ。

 そう長くは持ちそうもない。

 ないのだが、そう簡単に殻も溶かせそうにないから、状況は非常によろしくない。

「くそ、ここで失敗すれば戦犯もいいところだ」

 自分で言い出した作戦で、自分が担った役割である。それを自分のところで失敗したなら、言い訳のしようもない。

 魔女裁判の如く、そのまま火あぶりにされてもおかしくないのでは。

「ちくしょう、こういうプレッシャーには弱いんだぞ僕は……」

 嫌な焦りと不安を胸に渦巻かせながら、僕にはひたすら『腐り沼』をかけるより他はない。

 魔法陣の効果によって、僕ができる最大効率で沼の深度を稼ぐことはできているが――やはり、ヤマタノオロチの殻は固い。

 現在は3メートルを超えるかどうか、といった深さである。

「もし岩盤と同じ厚さがあったら、夜になっても貫通できないぞ」

 一分一秒を争う正念場だというのに、呑気な話である。

 けれど、あらためて考え直しても、僕の『腐り沼』の他に、外殻を突破する術もない。

 果たして、溶かす速度が遅い僕が悪いのか。溶かすまでの時間を稼ぎきれないみんなが悪いのか。要塞みたいな分厚さの外殻になっているのが悪いのか。

 そんなよく分らない責任論まで考える始める始末。

 ヤバい、相当に追い詰められてきているぞ。

「あとどれくらい時間稼ぎができる」

 撤退する気はない、と何度も豪語してきたけれど、戦況次第ではマジで撤退を考えなければ全滅エンドがありうる。

 僕は僅かに集中力を割いて、五つ首の抑えに回っている東側の戦場へ意識を飛ばす。

「……」

 パッチリと目を開いた分身の僕は、塹壕からヒョコっと顔を出して戦場を見渡す。

 外殻突破の作業に入ってからは、集中するためにこっちの制御も切っていたけれど……戦闘は変わらずに続いている。

 ざっと見たところ、死傷者はまだ一人も出てないようで安心だ。全員、それぞれの持ち場で奮戦している。

 だが、確実に押され始めている。動いている首の数が多い。

 やはり、僕が離れてからここの戦況は劣勢に傾いている。

 それでも全員無事に戦い続けているだけ、恵まれているだろう。

 死者が出ていなくて本当に良かった――という思いは、直後に潰える。

「そんな、封印が破られたのか!」

 西の空に輝く三本のブレスが見えた。

 ま、マジか……封印破れたのか……委員長やらかした。

「委員長達は無事なのか」

「おいおい、アレはヤベーんじゃねぇのか!?」

「首八本揃ったら負け確定じゃねーかよ俺らは!」

「上田、中井、落ち着け! 目の前の相手だけでも気は抜けないぞ」

 案の定、みんなが騒ぎ出している。僕だって騒ぎたい気分だよ。作戦の根幹を成す一部が崩壊したのだから。

 これでヤマタノオロチは八本首が揃い、いよいよ最終形態と化すワケだ。

「しかし、どうする蒼真。封印が破れた時点で、アイツの作戦は失敗だぞ」

 絶望的な状況ってのは、僕にだって分かっている。

 明日那が蒼真君にくっついて何やら話しているが、どうせ桃川のクソ作戦が失敗したぞザマァ、みたいなことを言っているのだろう。

「悠斗、すぐ撤退するべきだ」

「そんなことができるか。桜達はまだあそこにいるんだぞ」

「桜の退却を支援すれば、全員が帰還できる可能性はあるだろう」

 蒼真君と明日那が言い合っている。

 どう考えても、桃川の呪い野郎と双葉のイカれ女を見捨てて逃げよう、奴らを始末できる絶好の機会だぜ、などとアイツは思っているに違いない。

「ここでヤマタノオロチを倒せなければ意味はない」

「犠牲者が出てからでは遅い! 悠斗、今ならまだ間に合うはずだ!」

「桃川の言うことになんか、従うべきじゃなかった。けど、まだやり直せる。蒼真、やはりお前がみんなを導かなくてはいけなかったんだ」

「お、俺は――」

 しかしながら、三つ首封印が解かれた、というのは撤退するにはちょうどよいタイミングかもしれない。

 作戦の継続が難しいのは、誰の目にも明らかだ。

 現在、『腐り沼』の深度は約4メートル。まだ底は見えない。

「俺が、みんなを守らないと……」

「そうだ、蒼真。お前がみんなを、私も、守ってくれ」

「ああ、俺は……」

 退くべきか。まだ誰も死んではいない。やり直しはきく。

 準備を整え、もう一度挑戦すれば、

「全員、退――」

「――作戦は続行して」

 だが、まだだ。

 まだ退かない。

「繰り返す、作戦は続行する。三つ首の封印は破られたけど、こっちもあともう少しで外殻を突破できそうなんだ」

 塹壕から、僕は嘘八百を叫ぶ。

 こっちは全く突破できそうな感覚はない。というか、そんな前フリなんて感じられないだろう、溶かしているだけなんだし。

 命をかけて戦っているみんなを、つまらない嘘をついて引き留める。

 恐ろしいほどの外道行為に思えるけれど……それでも、まだここで踏みとどまって、戦う価値はあると思う。

 ここで退いて、本当にもう一度、ヤマタノオロチ攻略戦に臨めるだろうか。

 クラスが今ほど、まとまったままでいられるか分からない。

 ここまで準備した乾坤一擲の攻略作戦が失敗すれば、僕は支持を保てるか。少なくとも、桜は僕を糾弾するだろう。

 そして、それに追従する者も出るかもしれない。

 僕がみんなからの信頼を失えば、再び同一の作戦を行うことは不可能だ。指揮権も失うだろう。

 それに、もしも全てが上手くいって、再び僕を信じてくれたとしても……ヤマタノオロチはそれを許すだろうか。

 必ず首一本だけが出てくる第一フェーズから始まるように、コイツの行動は実にゲームチックにお決まりだ。

 実際、その決まった行動ルーチンを利用して、僕らはここまで進んできた。

 けれど、コイツはどこまで決まった動きでいてくれる。

 僕は分身による特攻偵察で何度も岩山に乗り込みはしたけれど、一度も掘削作戦は試していない。今回が初でぶっつけ本番。

 やろうと思えば練習ができないこともなかった。

 けれど、それをしなかったのは不安があったからだ。

 本体コアを直接狙えるほどの行動を起こせば、ヤマタノオロチも警戒するのではないかと。

 もし何かのキッカケでヤマタノオロチの行動ルーチンが変われば、全てがふりだしに戻る。最悪、八本首で岩山だけを完全防備の厳戒態勢になるかもしれない。

 そんなことになれば、この攻略作戦の実行は不可能となる。

 八本首を全て食い止められる算段があるからこそ、岩山に乗り込むなんて無茶ができるのだ。

 勿論、何も変わらない可能性もある。

 コイツはプログラムで組まれた単純なAI並みの頭脳で、他の行動はとれないのかもしれない。

 でも、そうじゃないかもしれない。

 ヤマタノオロチが守りを固める可能性。

 僕が再び作戦指揮できる可能性。

 そして、このまま作戦続行して、成功する可能性。

 ありとあらゆる可能性が、僕の頭の中を駆け巡っていく。

 けれど、どれだけ考えたって、可能性は可能性のまま。絶対確定の100%は出てこない。

 ならば、選ぶしかない。最も高い可能性を。

 自分の、いいや、みんなの命を賭けるに足る、可能性を。

「だから、あと少し、もう少しだけ耐えてくれ!」

「桃川、お前」

 もう少しだけ、作戦は続けよう。

 ほどなくして、『腐り沼』の深度は5メートルに達する。

 そこを分岐点にしよう。

 これで突破できれば、僕らの勝ち。

 だが5メートルを超えてもまだ外殻を破れないのであれば、決死の覚悟で撤退しよう。

 永遠に粘り続けても、全員が死ぬだけ。いや、逃げ出す奴が出てくるのが先か。

 だから、これはもうただの賭けだ。

 僕にできることは、いよいよもってルインヒルデ様に祈るだけしか残らなくなったワケだ。

「ここは頼んだよ、蒼真君」

 そう言い残して、僕は『双影』を解除した。これで多少は集中力も戻ってくる。

「メイちゃんも、あともう少しだけ頑張ってね」

 上を見上げれば、みんなの姿は見えないけれど、防衛戦の激しい音は聞こえてくる。

 この地響きを伴う轟音は、封印から解き放たれた三つ首の内の一つが、ついにこっちにまで乗り込んできたのだろう。

 首が一本だけなら、メイちゃんだけでも何とか食い止められる。

 だが他のガーゴイル軍団も含めれば、厳しい戦況だ。下手なところにブレスが直撃すれば、それだけで全滅しかねない。

 今頃、もうお終いだと桜あたりが叫んでいるだろう。

 けれど、あともう少しだけ耐えてもらおう。

 これが最後の賭けだ。

「頼む、届け――」

 どれだけ祈りを込めても、ジワジワと進む『腐り沼』の侵蝕速度に変わりはない。

 特にこれといった手応えも感じられない。ただ、超硬質の外殻をちょっとずつ溶かして進んで行くだけ。

 全財産を賭けたギャンブラーが、勝敗の行方を見守るのはこんな気持ちなのだろうか。

 ここまで来ると、いっそ無心に近い。

 何も考えられず、頭が真っ白になっていく。

 時間の感覚さえ失いかけた、その時、

「――っ!?」

 それは紛れもない、変化。

 突然、『腐り沼』の底が、急速に広がって行くのを感じた。

 そこには、猛毒を食い止める障害物はもうなくなったかのように。ただ、飛び込んできた敵の肉を溶かすのと、同じ感覚が僕に届いた。

「や、やった……突破した、のか?」

 そうとしか考えられない。

 この手ごたえは、ついに外殻を突破して、ヤマタノオロチの肉体にまで届いたのだ。

 僕は、賭けに勝った。

「うぉおおおお、やった! やったぞぉ! レムぅうううううううううううううっ!」

 僕の勝利の雄たけびに呼応して、上から即座にロープが下ろされてくる。

 あとはこのままロープに捕まって穴から脱出し、桜がトドメの一撃をブチ込めばお終いだ。

 勝った、勝ったぞ。ついに僕らは、ヤマタノオロチに勝ったのだ――

第238話 ヤマタノオロチ討伐戦・最終段階(2)

「――外殻の突破に成功した! 撃てぇーっ、桜ぁーっ!」

 アラクネレムが引くロープによって縦穴を飛び出した僕は、とりあえず声の限りに叫んだ。

「小太郎くん、やったんだね!」

「桃川、やったのか!?」

 帰還した僕へ最初に声をかけてくれたのは、メイちゃんと蘭堂さんだった。

 でも、見るからに二人とも防衛戦で手いっぱいという感じで、喜び勇んで駆け寄って来れるほどの余裕はない。

 あー、オロチ頭がやっぱりこっちまで来ちゃってるよ。

 メイちゃん前衛、蘭堂さん後衛のコンビで、やけに白いオロチ頭を相手取っている。

 他のみんなは、もうすっかり防壁としての役割を果たしていない、穴だらけの壁から押し寄せてくるガーゴイル軍団の相手。

 これは本当に、あと3分もつかどうかも分からないほどに追い込まれた状況だったな。

「なにやってんだ桜、早くしろぉーっ!」

「今準備しています、急かさないでください桃川!」

 ヒステリックに叫んでいるから、まだまだ桜ちゃんは元気そうだ。少なくとも、トドメの一発を放てるだけの魔力は残っているだろう。

「トドメは任せた。外すなよ、絶対に外すなよ」

「外すワケないでしょう、こんな一直線の縦穴を」

 そんなことを言い合いながら、僕は桜とすれ違いポジションをスイッチする。

「さっき散々使ったけれど、もう一回ぶちまけてやる――『腐り沼』ぁ!」

 蘭堂さんがオロチ頭の攻撃に専念しているから、防壁をカバーできるのはささやかな水属性防御魔法を使える下川のみ。ケルピーの杖で多少はマシになったとはいえ、この状況で防ぎきれるだけの防御力はとても望めない。

 だから、桜ちゃんと入れ替わりで後衛に戻った僕は、『腐り沼』を見える範囲の目いっぱいに展開して、少しでもガーゴイル軍団の足を鈍らせること。

「こんだけ群れてたら、どこ撃ってもフルヒットだ」

 僕はエアランチャーで群れているガーゴイルに向かってグレネードをぶち込む。ここまでくれば、もう出し惜しみする必要はない。

 ドーンドーンと火柱を上げてガーゴイルをブッ飛ばしながら、左手で握った『呪術師の髑髏』を装填した愚者の杖で『ポワゾン』を乱れ撃ち。

 おまけに、黒髪縛りで味方前衛が戦っている奴らにちょっかいもかける。

 ひたすら押し寄せるだけの敵を相手に防戦するなら、僕も指示を飛ばす必要はないから、戦闘だけに専念できる。

 それも、あとは桜ちゃんがトドメの一撃を放つまでの、僅かな時間だ。

 あともう少しだけ、最後の瞬間まで、気を抜かずに戦いきれば、それで勝利を掴みとれる。

「これで、終わりです――『閃光白矢ルクス・フォルティスサギタ』」

 そして、ついにその時は訪れる。

 僕らの輝かしい勝利を象徴するかのように、眩しく光り輝く魔法の巨大な矢が、ヤマタノオロチに穿たれた縦穴へと撃ち込まれる。

 この足元の岩盤も、自慢の鎧たる外殻も、すでに存在しない。

 残るはただ分厚いだけの肉体のみ。

 桜とて伊達に『聖女』なんていう大仰な天職を授かってはいない。どうやら、彼女が放つ光属性魔法には、大きく威力補正がかかるようだ。

 そうして放たれた上級攻撃魔法『閃光白矢ルクス・フォルティスサギタ』は、ヤマタノオロチの巨躯を貫き、その無限の力を維持する心臓部たるコアへと届く――


 ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 桜が攻撃を放った直後、真っ赤な輝きが、不気味な重低音と共に縦穴から発せられた。

 あの赤い光は、コアが砕けて発する輝きなのか。

 そして、この鳴り響く音は、ヤマタノオロチの断末魔の声か。


 ゴゴゴゴゴゴゴッ!


 その時、急激に足元が揺れ動いた。

「うわわっ!?」

「な、なんだよオイ、地震かぁ!?」

 とても立ってはいられない、激しい揺れ。地震大国日本に住んでいても、まず体験することはない凄まじい揺れであるが、これはただの地震ではない。

「小太郎くん、危ない!」

 聞こえてきたメイちゃんの声と同時に、僕は目の前の地面がビキビキと割れていくのを見た。

 地割れだ。

 地面がではなく、きっと、この岩山そのものが割れようとしているのだ。

「うおおお、や、やばい、コレは……」

 これほどグラグラする中で、僕は立ち上がることもできず無様にハイハイするくらいが精々だ。

 まずい、地割れの亀裂がかなり近くまで走って来ている。

 岩盤が丸ごと割れたとするならば、その高さは10メートル以上になる。落ちれば普通に死ねる高さだ。

「シャアアア!」

「アラクネ! よくやった!」

 この面子の中で唯一の四足歩行という安定した形態をとるアラクネレムが、近くに突き立つ岩の柱にしがみつきながら、今にも亀裂が開いて落っこちそうな僕を糸で捕まえてくれる。

 とりあえず命綱は繋がった。

「蘭堂さんと下川も!」

「キシャアア!」

 優先すべきは、自由落下すれば命の保証がない後衛組みだ。

 メイちゃんは高いところから落ちても大丈夫だろうし、山田も防御スキルがあるから耐えられるだろうし、桜は結界あるからほっといても問題ない。

 蘭堂さんと下川だけが、落ちれば致命傷を負う危険性が高いメンバーである。ほんと、こういう時に魔術士クラスは割を食うよね。

「おおお、この糸はレムちんか!」

「あ、あぶねぇ、助かったべ……」

 無事にアラクネレムは二人を捕まえてくれたようだ。

 そうこうしている内に、どんどん揺れは激しくなりながら、いよいよ巨大な亀裂が広がり――

「――岩山が真っ二つに割れた」

 ちょうど僕らの掘削地点から、左右に岩山は別たれていた。

 広がった亀裂は岩山の東西に向かって伸び、見える限りでは両端まで届いているようだ。

 亀裂の幅は10メートル近くあり、最早これは谷といった方がいい地形へと変化している。

 大規模な岩山の地形変動が起こったせいか、あれほどひしめいていたガーゴイル軍団が山を下りるように逃げて行ったのは幸いだが、新たな問題が目に見えて現れた。

「なんだ……アレがコアなのか……」

 腹にぐるぐる巻きになったアラクネ糸を握りつつ、僕は谷底を覗き込む。

 そこには、深い谷間の底から発せられる、眩い赤い輝きが見える。

 岩盤の谷間の先に、灰白色の外殻と思われる層も見える。そして、僕があれほど苦労して穴を開けたというのに、その外殻は谷間と共に、貝殻のように開かれていた。

 二枚貝が隙間を開いたように展開された外殻の先には、巨大な、ちょっと思っていたよりもずっと巨大なコアが露出していた。

 真紅の宝石が埋め込まれたような状態だ。半径5メートルほどの半球が晒されており、僕が見た限りでは……傷一つついちゃいない。

「桜ちゃん、もしかして外した?」

「間違いなく命中しましたよ! けど、手ごたえがまるで感じられなかった……このコアは、物凄く硬いのです!」

 と、桜ちゃんは僕がいる亀裂の反対側から叫んでくれた。

 見苦しい言い訳、とは言うまい。

 申告通り、攻撃は確かにコアにまで命中した。その結果、この地割れ現象というか、地割れ形態へと移行したと。

 ヤマタノオロチにとって、唯一にして絶対の弱点たるコアを自ら殻を開いて敵の前に晒すとは……なるほど、見せたとしても問題ないほどの防御力を誇っていると考えてもいい。

「ちくしょう、コアが硬いとか想定外すぎる」

 弱点部位だと思ったら攻撃弾かれる系の頑強部位だったとは。

「桜ちゃん、もう一度だ。蘭堂さん、下川君、合わせて撃って!」

「分かりました」

「おっけー」

「一発ぶちこんでやるべ!」

 今こそ後衛魔術士クラスの本領発揮、と言わんばかりに総攻撃だ。

 ガーゴイルは逃げ出したし、さっきまでこっちを狙っていたオロチ頭もどこかへ引っ込んだようだ。

 気兼ねなく全力攻撃をぶち込める。

「撃てぇーっ!」

「『閃光白矢ルクス・フォルティスサギタ』」

「『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』」

「『激流砲アクア・オーヴァブラスト』」

 光と土の上級攻撃魔法と、水の中級範囲攻撃魔法が大きなコアへ放たれる。

 僕はエアランチャーでグレネードを撃ち込みつつ、黒角弓を引いた黒騎士レムに、グレネードと同じ構造で爆発する矢を撃たせている。

 このメンバーでできる最大の遠距離攻撃だ。

 誰にも何にも邪魔されず、僕らの攻撃はコアへと届くが――

「……やっぱり無傷か」

 爆煙の晴れた向こう側から現れたのは、変わらず輝き続けるコアだった。

「おい、桃川、どうすんのコレ」

「どうしよう……」

 蘭堂さんの問いかけに、即答することはできなかった。

 完全に想定外だ。まさかコアが割れないとは。

 いや、まだ可能性はある。

 今のはあくまで、この場にいる面子での最大火力であって、ウチのクラスの最大火力ではないのだから。

「ガーゴイルも退いて、何故かオロチの八つ首も引っ込んでる。今なら、蒼真君と天道君もここまで来れるはずだ!」

「そうだ、桃川天才! 電話!」

「ちょっと待って、今かけるから――」

 と、慌ててポケットの携帯を取り出すと、


 ジリリリリリ!


 まさかの着信アリ。

 誰だ、このタイミングで、と慌てて開くと、

「桃川か!」

「蒼真君? ちょうど良かった、今かけようと――」

「今すぐそこから逃げろ」

 切羽詰った蒼真君の声音に、嫌な予感が駆け巡る。

「事情詳しく。こっちは全員無事で動ける」

 手短に、僕は全員の生存報告だけを伝えて、蒼真君に説明を要求する。

「さっき、小鳥遊さんが魔力解析した結果、コアが爆発しようとしているらしい」

 えっ、爆発?

 なんだそれ、悪の秘密結社のアジトかよ。

「だから急いで逃げるんだ!」

「……ちょっと待って。その爆発が起こったら、コアは砕けて、ヤマタノオロチは倒せるの?」

 ただ最後の最後に残された自爆ギミックだというのなら、一目散に逃げ出してもいいだろう。

 だがしかし、これがヤマタノオロチにとってただの攻撃手段の一つに過ぎないのだとすれば……

「――コアの爆発は、攻撃魔法みたいなものだ。コアそのものが砕け散るわけじゃない」

「つまり、あくまでコアは魔法の杖の役割を果たしているだけってこと」

 最悪のパターンを引いたか。

 コアは大爆発の全体攻撃魔法で、近くにたかった奴らを一掃。

 ああ、ガーゴイルが慌てて逃げ出したのは、この最終攻撃手段を知っているからか。

「桃川、今ならまだ逃げて来れるだろう。ガーゴイルも八つ首も、今はいないはずだ」

「うん、そうだね」

「この状況は全く予想できなかったことだ。仕方がない。今ここで退いても、やり直しはきくだろう」

 確かに、引き際としては理想的だ。

 ここで撤退しても、さほど僕の不手際を責められる謂れはないだろう。

 次はこのコア爆発の最終形態も見越して準備を整えて挑めばいい。

 うん、それは実に僕らしい判断だ。確実な安全をとりつつ、十分に挽回の可能性もある。

「――いいや、ヤマタノオロチはここで倒す。僕は逃げない。必ずコアをぶち壊す」

「桃川! 何を言っているんだ、今はつまらない意地を張っている場合じゃないぞ!」

「まぁ、落ち着いてよ。僕には張れるほど立派な意地なんて持ってないよ。蒼真君と違ってね」

「だったら!」

「作戦がある。コアは壊せるよ」

「……」

 この沈黙が、蒼真君が僕に抱く信頼の限界だろう。

 まぁ、二つ返事で信用してもらえるとは思っちゃいないけど。

「安心して。僕以外の全員は今すぐ撤退させるから」

「そういう問題じゃない。桃川、たとえお前一人が残るのだとしても……俺はそんな犠牲を許さないぞ!」

 たとえ嘘でも、そういうことを即答できるのが蒼真君の美徳、正義だと思うよ。

 いいんだよ、憎いレイナ殺しの犯人が、勝手に一人で死んでくれるなら。オマケにヤマタノオロチも道連れにしてくれるときたもんだ。

 こんなに都合のいいことはない、と大喜びしてもいいんだよ。

「とにかく、僕は大丈夫だから。悪いけど、最後の一撃は僕が貰うよ」

「待て、桃川っ――」

 そこで僕は通話を切った。

「こ、小太郎くん……今の話……」

 おっと、いつの間にやら、メイちゃんが僕のすぐ傍まで戻って来ていた。

 信じられない、といった顔で僕のことを見ている。

「聞いた通りだよ。僕が残って、コアにトドメを刺す」

「どうするの」

「コアが大爆発するそうだから、あんまり詳しく説明している暇はないんだけど――」

 チラっと谷底のコアに目を向ければ、なるほど、如何にも魔力チャージしてます、というように不気味な明滅をゆっくりと繰り返している。

 多分、点滅がチカチカ早くなってきたら、爆発寸前の合図みたいなタイプと見た。

「私も一緒に残るよ」

「僕一人だけしか、生き残れない作戦だ。メイちゃん、『生命の雫』を僕に渡して」

 それが、ここでコアを破壊するためのキーアイテムだ。

「小太郎くん、まさか」

「コレは保険だ。本命は、いざって時のために用意した爆弾だから」

 空気を読んで、アラクネが背負った貨物の中から、僕が秘密裏に準備しておいた爆弾を取り出す。

 この爆弾の構造はグレネードと同じ。コアと火光石を目いっぱいに錬成で融合した。

 けど、コイツに使ったのは大型のコア。

 封印槍を作るために大型コアを探索部隊には調達してもらったけど、僕は一個だけ内緒でこの爆弾に使わせてもらった。

 なんでこんなのあるかって?

 土壇場で桜が裏切っても、コア破壊の手段を確保しておくためだよ。

 実際は作戦通りに桜ちゃんは『閃光白矢ルクス・フォルティスサギタ』撃ってくれたので、僕の心配は単なる杞憂で終わったけど……まさか、こんなことになるとはね。

「大丈夫、僕は死ぬつもりなんて微塵もないよ。だから、信じて欲しい」

「うん……分かった……分かったよ」

 全然納得していない表情。でも、メイちゃんは頷いた。

 これまで一緒にやってきたが故の信頼、ってやつかな。

 別に僕の作戦は常に想定通りに進んでパーフェクトな成果を上げてきたワケじゃない。それでも、気合いと機転と幸運とで、なんとか成功まで導いてきた。

 だから、今回も同じだ。成功の保証なんてないけれど、そのための最善は尽くす。

「みんな、時間がない! 早くここから逃げるんだ!」

 コアが爆発するぞー、と叫べば、みんな事情は察したようだった。

「おい桃川、アンタ一人だけ残るつもり!」

「僕は大丈夫だから、心配しないで。アルファ、蘭堂さんを頼むよ」

「クアアーッ!」

 これまで何度も学園塔からこの岩山まで、蘭堂さんはアルファに乗って来たからね。乗るのには慣れている。

 意外とドンくさい蘭堂さんは、こういう急いで逃げる系のイベントでは、アルファに乗せた方が吉である。

「待てよ、桃川っ!」

 ウチは全然納得してねーぞー、と言いたげな表情だったけれど、強引にアルファの背に担がれて、そのまま発進。一目散に岩山を駆け下りて行く。

 他のみんなも、それに続いて走っていった。

「小太郎くん、私、待ってるから」

「うん、すぐ戻るよ」

 今にも泣き出しそうな表情のメイちゃんに、僕は精一杯、安心させられるような微笑みで応えた。

 そして、意を決したようにメイちゃんもみんなの後を追って駆け出し……一歩目で踵を返して、僕の方へと急接近。

 えっ、なに、と思う間もなく、ぶつかる。

 顔が、じゃない。唇が触れた。

「――待ってるから、必ず帰ってきて、私の小太郎くん」

 僕が何か返事をするよりも前に、メイちゃんは今度こそ走り去っていった。

「はぁ……本当に、死ぬつもりはないんだけどな」

 この見事に積み重なった死亡フラグが、逆に生存フラグになる。

 とか何とか、そんな馬鹿みたいなこと考えないと、胸がドキドキしてどうしようもなくなるよ。

 それなりにメイちゃんとは二人きりの期間もあったけれど、こういうことは一度もなかった。

 初めてキスしたよ。

 いざやられると、なんだろう、こう、感動というか、心が揺れ動くというか、思考が溶けるというか……本当に、恋愛禁止とか止めとけばよかったよ。

 メイちゃんにキスを決断させるほど、心配させてしまったんだ。

 さっさと終わらせて、帰るとしよう。

「往生際の悪いレイドボスに、トドメの一撃を喰らわせてやる」

第239話 ヤマタノオロチ討伐戦・最終段階(3)

 僕は地割れの亀裂の淵に座り込み、赤々と不気味な明滅を繰り返すコアを眺めていた。

「まさか、本当に自爆戦法を使うことになるとは……」

 今まで誰も言い出さなかったのだけれど、実はヤマタノオロチを楽に倒す方法はあった。

 それは、僕を生贄に捧げること。

『痛み返し』の効果をもってすれば、ヤマタノオロチでも道連れにできる可能性は高い。もしかしたら、首一本しか道連れにできないかもしれないけど。

 ともかく、こんな大規模な準備と、全員の命をかけた危険な作戦をするくらいなら、呪術師一人を犠牲にしてレイドボスを倒す方がコスパはいい。

 勿論、そんなのは自分の命を度外視した上の計算であるし、僕はこのクラスで誰よりも生き汚い自信がある。自爆戦法など論外もいいところだ。

「いくら『生命の雫』があるとはいえ、また分の悪い賭けをすることになってしまった」

 自爆作戦の内容は単純明快。

 ヤマタノオロチが大爆発。

 僕は死ぬ。

 そこで『生命の雫』の効果で僕だけ蘇る。

 結果、ヤマタノオロチだけが死に、僕は無事に生還というワケだ。

 しかし、全く上手くいく予感がしない。

 そりゃあ、『生命の雫』が本当に即死ダメージをノータイムで回復してくれる超絶性能があることは、杉野がメイちゃんの奇襲を凌いだ一件で証明されている。

 だがしかし、ヤマタノオロチが最後の防衛手段として使ってくる大爆発とやらを受けて、本当に復活できるのか。灰も残らず消え去れば『生命の雫』も機能しない、なんてことは十分にありうる。

 気持ち的には、命綱は巻いているけれど、その綱はどこにも繋がっていないのを見てしまったような。それくらいの不安感である。

「なんで嘘まで吐いて、こんなことしてんだろ」

 メイちゃんに語った、僕が用意したコア爆弾の話は嘘だ。

 爆弾があるのは本当だけど、コイツを使う気はない。

 だって、みんなで撃ち込んだ攻撃魔法で傷一つつかなかったのだ。

 そもそもこの爆弾は、あくまで桜ちゃんの『閃光白矢ルクス・フォルティスサギタ』の代用品に過ぎない。その威力は上級攻撃魔法一発分といったところ。

 そんな威力で、ヤマタノオロチのコアを破壊できる道理はない。

 メイちゃんは僕が『生命の雫』をくれ、と言った瞬間に自爆戦法をすると悟っただろう。

 でも、それを誤魔化すために、爆弾が本命だと嘘を吐いた。やるとかやらないとか、言い合っている時間もなかったからね。

「やばい、手が震えてきた」

『生命の雫』を握りしめた右手が、ブルブルしている。

 怖い。かなりの確率で死ぬと分かっている。分かり切っているのだ。怖くないワケがない。

 本当に、どうしてこんな馬鹿な真似をしているのか。今更、僕に自己犠牲の精神なんて芽生えたワケでもないし、この討伐作戦を指揮した責任を感じているワケでもない。

「……でも、ここで倒さなきゃ、全て無駄になる」

 強いて言うなら、直感としか言いようがない。

 ここで退いて、次に備えるべき。

 僕の理性ではそれが当然で正解だと大声で叫んでいる。

 けれど、僕が普段全くアテにしていない直感とか第六感とか言うべき部分が、やけに訴えかけるのだ。

 ここで退けば、もう二度とヤマタノオロチを倒すことはできなくなる、と。なんでそう思うのか。自分でも分らない。

 ヤマタノオロチは今回の討伐作戦で本体コアに攻撃を喰らうところまで追いつめられたから、学習して万全の防備を整えるのだろうか。

 可能性としては考えられても、確信はとても持てない推測に過ぎない。

 どうして、今この瞬間がヤマタノオロチを倒せる最初で最後のチャンスだというのか。そう直感した理由を、どう頭をひねっても納得のいく解答も推測も得られなかった。

「これで死んだら、死ぬほど後悔だよね」

 自分でも納得していない。けれど、僕はこうすることを選んでしまった。

 こんなに、自分で自分の行動に納得がいかないのは、思えば初めての経験だ。

 命の危機は何度もあった。

 けれど、その度に土壇場で起死回生の策が思いついたり、思わぬ幸運に恵まれて、生き残ってこられた。

 どんな状況でも、僕は自分で自分が思える最善の可能性を選んできた。

 それが、今回はこんなに馬鹿な方法はない、と思える行動をしてしまっている。

「実は自分でも気づかない内に、頭おかしくなってんのかな」

 自分で自分が分からなくなってきた。

 こんなに思い悩むのなら、いっそルインヒルデ様が「自爆せよ」と御神託でも賜ってくれれば、まだ腹も決まったというのに……この期に及んで、神様時空に召されることもない。

 いや、これで死んだら、僕はあそこに行くのか。

 流石にちょっと、あの暗黒時空で死神チックな髑髏の呪神と二人きりってのは、間がもたなそうで嫌だなぁ……

「……ダメだな。どうせ考えても納得はいかないんだ。なら、少しでも生存率を高める努力でもした方が建設的ってもんだよ」

 その方が僕らしい。

 大爆発を受けるとしても、僕に復活の余地があるくらいの死亡ダメージがちょうどいい。

 全身が灰となって消えるとダメそうだから、せめて体の半分は残るくらいの感じで死なないと。

「悪いね、レム。ダメなご主人様と道連れで」

「グガガ、ギ、グラ」

 僕と一緒に残った、黒騎士レムが本物の騎士みたいに、片膝をついて頭を垂れている。

 その後ろには、アラクネとミノタウルスも控えている。

「もし僕が生き残ったら、このヤマタノオロチの素材を使って、さらに強い体を作ってやるからな」

 黒騎士の兜を、僕は撫でる。艶やかな漆黒の装甲がヒンヤリと冷たい。

「最後になるかもしれない命令だ。どうか聞いて欲しい。レム、僕の盾になれ」

「グガガァーッ!」

 元気よく雄たけびをあげたところで、早速、行動開始。

「あそこの角がいい」

 すっかり崩れた土魔法の防壁。その角へと僕らは向かう。

 この残った角の壁を背にして、爆風を防ぐ。

「前は任せたよ」

「キシャアアア!」

「ブモォオオアアアア!」

 前面には、持ち込んできた盾を全部立てて、アラクネとミノタウルスに塞がせる。

「それじゃあ、お邪魔します」

 そして、最後の守りとして、僕は黒騎士レムの鎧そのものの中へと入った。

 黒騎士は元々リビングアーマーである。動いているのは鎧兜そのもので、中身は空っぽ。

 つまり、兜を外し、留め金を外せば、着ることができるのだ。

 もっとも、2メートル超の大きな鎧兜の黒騎士に、身長152センチの僕が入るのだから、サイズが合うはずもない。鎧を着るというより、人型の棺桶に入ったような気分である。

「ああ、レム、死ぬ時は一緒だから……」

 そんな女々しいことを言いながら、僕は完全に黒騎士レム鎧の中へと入った。

 中はほとんど真っ暗で、光が入るのは兜の目元にあるスリットのみ。

 暗くて狭い、でもレムに守られていると思うと、そう悪い気はしてこない。

 そんな中で、僕は最後に残された唯一の行動として、『生命の雫』を両手で握りしめて、祈った。

 生き残れますように――そう、最後に自分の命を託すマジックアイテムに、祈りを込めた。

「……違う」

 違うな。何か違う。

「僕は呪術師……祈る神は、呪神ルインヒルデ様だけだ」

 ならば、最後の最後に己の命を託すなら、それは神より授かった呪術であるべきではないか。

 急速に思考が冷え込んで行く。

 理性でもなく、直感でもなく、もっと深いところにある心の底から、僕は思ったのだ。

 呪術を使え。

 呪術を使って、最後の瞬間まで足掻け。

「そうだ、僕は呪術師だから――」

 何を使う。

 どの呪術を使えばいい。

『痛み返し』の自滅の他に、何かないか。

 ヤマタノオロチを殺し切る力。即死させるに足る威力。

 そんなもの、あるはずがない。

 呪術にそんな力はないからこそ、僕は命を捧げるしか方法は残されていないのだ。

 そして、捧げた命を取り戻すための『生命の雫』であって――

「――即死ダメージを回復できるのが『生命の雫』だ」

 ならば、その効果が逆転すれば、

「『逆舞い胡蝶』だ!」

 そうだ、コレだ。

『生命の雫』をつぎ込んで『逆舞い胡蝶』を発動させたなら、その蝶は相手を即死させられる力を持つはず。

 いいや、持ってもらわないと困る。

 命を救う奇跡のマジックアイテムを捧げるのだ。命を奪う確殺の呪いにでもなってくれなければ、割に合わないだろう。

「レムぅうううううううううううっ!」

 僕の思いを受け取ったレムは、走り出す。

 防御を固めた角地から飛び出し、ガチャンガチャンと音を鳴らして走る。

「うっ、ぐぉおおおっ!」

 揺れに揺れる鎧の中で、僕は再び『生命の雫』を強く握りしめた。

 祈るためではなく、呪うために。

「羽ばたけ、不幸を撒く羽、かの元へ――」

 揺れのせいで噛みそうになりながらも、フル詠唱、

「――羽ばたく羽は愛。真っ赤な血塗れの蝶の羽」

 続いて口から出てきたのは、なんの呪文か。

 考えるまでもなく、勝手に口が動く。

「純真一途は冷酷無比に。純情可憐か、悪鬼羅刹か。愛を捧ぐはただ一人。死を振り撒くは限りなし」

 考える必要はない。

 できる、使える、そんな確信だけが無根拠に僕の口を動かす。

「慈母のように包み込み。疫病のように取り囲む」

 僕でも感じられるほど、外からは莫大な魔力の気配が肌を刺す。

 コアはもう爆発寸前といったところか。

 けど、間に合う。必ず叩きこんでやる。

「逃がしはしない。逃がしはしない」

 握りしめた『生命の雫』がドロリと溶けるように消え去り、眩いほどの赤い輝きを放つ。

 同時に、レムの兜が外れ、僕は這うように上へ。

 赤く光る右手の拳をまず突き出し、そこから無理矢理ねじ込むように頭を突っ込み、左肩で引っかかった。

 けれど、右腕と頭だけで黒騎士の首元から飛び出ると、目の前はもう谷の亀裂を覗き込んでいる。

 谷底にあるコアは激しく明滅を繰り返し、目に見えるほど濃密な赤い靄となって、魔力のオーラが吹き出ていた。

 爆発まで、あと10秒もなさそう。

 でも、僕の手には、もう呪術は完成している。

「思いよ届け。愛を込めて。彼方の貴方へ――」

 そうだ、これが、これこそが、僕が命を賭けるに相応しい。

 ありがとう、ルインヒルデ様。

 僕は心から信じて、この呪いを解き放つ。

 「――『告死の妖精蝶』」


『告死の妖精蝶』:赤い蝶の羽を持つ妖精。その妖精は愛故に、あまりに多くの死を振り撒いた。今やその姿そのものが、死の象徴。彼女が舞い降りた場所には、決して逃れられない死が降り注ぐ――





 真紅に輝く巨大な光の柱が天を衝いた。

 その輝きは雲を突きぬけ、どこまでも天高く続いている。

 そんな幻想的な光景を、二年七組のクラスメイト達は、ただ見上げていた。

「こ、小太郎くん……」

「やったのか、桃川」

 クラスの誰もが、固唾を飲んでその光景を見上げていた。

「――どうやら、桃川はやったらしいな。ヤマタノオロチの気配が消えた」

 光が収まり、龍一が言う。

 気配を明確に感じ取れる者は限られるが、それでも、ついに決着がついたことは誰もが理解した。

「や、やった……勝った」

「おお、俺ら、勝ったのか……」

「はぁ、ようやく終わったべ」

 歓喜の声が爆発、することはなかった。

 誰もが疲弊している。体力、魔力、供に限界ギリギリだ。

 大きく安堵の息を吐いて、これまで張っていた緊張感を途切れさせ、それぞれが崩れ落ちるように、その場に腰を下ろした。

「小太郎くん!」

「双葉さん!」

 その中で、芽衣子だけが一目散に岩山へと走り出した。

 彼女にとって、勝敗などよりも、小太郎の生死の方がよほど重要だ。

 脚力全開で、軽く土煙を上げながら駆け出した芽衣子は、

「……おーい」

 岩山から降りてくる、三つの人影をすぐに目にした。

「よ、良かった……小太郎くん、生きて……」

「っていうか、ウチのアルファが生きてるんだから、桃川は無事に決まってんじゃん」

 と、涙目になった芽衣子の後ろから、クアーと元気に鳴き声を上げるアルファにまたがった杏子が声をかける。

 光の柱が突き立った瞬間でも、アルファはピンピンしているのだから、小太郎の無事は保証されているも同然だった。

「おーい! メイちゃん、蘭堂さーん!」

 駆け寄ってくる二人に、小太郎も気づいたようだ。

 乗っていたアラクネの背から降りて、真っ直ぐに二人へと、いいや、クラスメイト達の元へと駆け寄る。

「やったな、桃川!」

「小太郎くん、おかえり」

 芽衣子も杏子も、満面の笑みを浮かべて。

 そして二人の後ろを追ってきたクラスメイトも、ボロボロの疲労状態でも、小太郎の姿を見て歓声を上げた。

 小太郎は手を振って、迎えてくれる皆の元へ、ちょっと疲れた表情で歩み寄る。

「ただいま」

 そうして、二年七組の英雄は、凱旋を果たした。


第240話 選ばれし三人

 ヤマタノオロチは無事に討伐された。

 僕が最後に放った、いわば即死呪術と呼んでも過言ではない『告死の妖精蝶』によって、見事、コアは真っ二つに割れた。

 即死とかチート級の威力だけれど、そもそもが『生命の雫』使い捨てになるので、これからもあまり頼れる技ではないだろう。手持ちに『生命の雫』級の超回復アイテムがなければ、手札にすらならない。

 ともかく、ヤマタノオロチが討ち果たされたことで、ついに次のエリアへと続く転移魔法陣が解放された。

 ヤマタノオロチは倒れた後、切り落とした首と同じように、その巨躯の大部分が魔力となって消え去った。

 点々と鱗や甲殻、骨の一部などが残った程度である。

 勿論、それらは貴重なレイドボス素材として回収させてもらうのだけれど、戦利品の話は置いておいて、転移魔法陣についてである。

「やっぱり、ここは元々、普通のボス部屋だったみたいだね」

「ああ、そのようだな」

 ヤマタノオロチが消えたことで、その肉体があった岩山の地下は巨大な空洞となった。八つの首が出入りしていた洞窟を潜り抜けると、その岩山の地下空間へと入れる。

 もっとも、最終形態で岩山が真っ二つに割れている状態なので、上を向けば空が見えるけれど。

 で、そんなオロチ本体が引き籠っていた空間には、実に見覚えのある石造りの壁と床が、半ば以上崩れながらも、確かにその形を残していた。

 空間の中央はこれまで通って来たお馴染みのダンジョンと同じような石畳で、しっかりと転移魔法陣が刻み込まれている。

「小鳥遊さん、どう、転移使えそう?」

「うん、ちゃんとコアに反応しているから、いつも通りに転移は発動するよ」

「それは良かった。もしかしたら、転移魔法陣そのものがダメになっている可能性もあったからな」

 良かったよー、と小鳥遊は蒼真君の周りをチョロチョロしながら笑っている。

「それじゃあ、素材を回収次第、学園塔に戻ろうか」

「転移しなくていいのか?」

「えっ、蒼真君このまま行く気なの? 正気?」

 戦闘は終わったばかりだ。

 死者こそいないものの、上田と中井とか、治療が必要なレベルでの負傷者は多い。

「いや、休息するなら別に転移先の妖精広場でも」

 まぁ、確かに僕らは、今までボス倒したらそのまま転移に直行だったけど……学園塔にはどれだけの物資を集めていると思ってるのさ?

「転移は準備が整うまでしないよ。次のエリアで、食料が調達できるとも限らないしね」

「それもそうか」

「あと、メイちゃんには先に戻ってもらって、祝勝会の準備もしてもらっているし」

「お前、これだけの激闘をした後に、双葉さんに料理させてるのか」

「僕なんてトドメ刺したMVPなのに、転移魔法の調査に素材回収と休む暇もなく仕事してるんですけど」

「分かった、俺が悪かったよ。お前の好きにしてくれ」

 口の減らない奴だ、と大袈裟に溜息をつく蒼真君である。

「まさかヤマタノオロチが一瞬でリポップするとは思えないけれど、一応、監視は残しておくから」

「分かった、その上で、次のエリア攻略のための準備を整えてから出発しよう」




 祝勝会の開催は、翌日とした。

 メイちゃんも気合いを入れて仕込みをしているので、流石に今日の夜には出せない。

 オロチ素材も回収し、僕ら全員が学園塔に戻った頃は、すでに陽が落ち始めていた。

 長い戦いの上に、ピンチの連続だったので、みんなの疲労感は相当なものだけど――僕は夕食後、大事な話を切り出すことにした。

「今日は本当にお疲れ様。みんな疲れていると思うけど、どうしても聞いて欲しい話がある」

 真面目な顔で僕がちょっと久しぶりの学級会の開催を宣言する。

 天道君でさえ「俺は寝るぜ」と勝手に去らないので、全員の承認は得られたも同然だ。

 前置きはなく、僕は単刀直入に言う。

「最深部にあるという脱出用の『天送門』。これで脱出してもらう3人の候補を決めた」

「桃川、それは――」

 ある意味、アンタッチャブルな話題だ。これまでの学園塔生活で、誰もがこのことについて言及はしなかった。

 誰だって分かっている。これを言い出せば、必ず争いごとになると。

 だが、このまま進むにあたって、決して避けてはいけない問題でもあるのだ。

 明確な方針を示さないまま放置していれば、最深部に近づくにつれて、3人の脱出枠というのは無視できない誘惑と化す。最後の最後で、自分がこれに滑り込めれば、無事にこんなダンジョンから抜け出せるのだ。

 それと同時に、いつ誰が裏切るか、なんて疑心暗鬼にもなるだろう。

 僕なんて裏切り候補筆頭だよね。

「桃川君、私たちは全員で脱出すると決めたはずよね」

「そ、そうだべ! それを言っちゃあ……戦争、だろうが……」

「まぁ、落ち着いてよ。全員脱出の方針は前提とした上で、僕は3人の脱出も利用するべきだと思っている」

 しばらくザワザワするけれど、僕はみんなが落ち着くのを待つ。

 ヤマタノオロチ討伐を乗り越えた今なら、みんなにも僕の案を聞き入れてくれる余地がある。いや、実際に僕の作戦通り、とはいかなかったけど、倒した成果をもって、信頼に繋がっている。

 だから、話すなら今なのだ。

「分かった、お前の話を聞こう、桃川」

「そうね、まずは桃川君の提案を聞いてから、それから判断しましょう」

 蒼真君と委員長の呼びかけに応じて、みんなもようやく静まってくる。

 はい、みんなが静かになるまで、5分かかりましたー、なんて全校集会ネタを挟むのは我慢しておこう。

「さっきも言ったけど、僕らが全員でダンジョンを脱出するのを目指す、これは変わらない。そして、当初の予定では、全員が転移で脱出できる方法を探る、というつもりだったよね」

 まぁ、これもはっきりと決めていたことではないんだけどね。蒼真君あたりが、こういうことを言っていたと思う。

 そうでなくても、全員で脱出できる手段を模索する、という方針はみんなに伝わっていたと思う。

「けれど現実的に考えて、全員が転移魔法陣で脱出できない可能性も十分にある」

 というか、できないだろう。

 わざわざ3人だけ、という前提ルールが提示されているのだ。

 ならば、それはルールを提示する側の奴らには3人だけだという確信があってのこと。

 あるいは、ダンジョンの難易度を変化させている管理権限を持つ者が、それしか許さないよう設定している。

 恐らく、脱出枠3人の人数拡大に、僕らが付け入る隙はないと思う。

 あったとしても、それを突けそうな能力を持つのは『賢者』小鳥遊だけ。コイツ一人に僕含めクラスみんなの命運を全賭けなんて、絶対に御免だね。

「だから、徒歩でダンジョンから脱出する計画を立てたい」

 僕はこの学園塔生活を通じて、僕らならこの世界のどこに出て行っても、進んで行けるという自信を得た。

 実際に、学園塔にはしばらく食うに困らないだけの食料は集まっているし、衣服も足りているし、素材さえあれば装備品だって更新できる。

 ぺんぺん草の一本さえ生えない不毛の地でもなければ、僕らは大丈夫だ。

「僕らのほとんどは歩いてダンジョンから、人里まで向かう。その一方で、確実にアストリア王国とやらに脱出できる3人には、僕らを探してもらうんだ」

 最初に届いたメール情報に、はっきりと明記されている。

 ダンジョンの最深部にあるのは『天送門』という転移魔法陣であること。

 そして、転移先はアストリア王国にある王都シグルーン、その神殿だと。

 王国に王都と名乗るくらいだから、寂れた農村みたいな場所ではないだろう。それなり以上の人口を擁する、立派な人間の国家だと推測できる。

 なおかつ、僕らが召喚されるタイミングでメッセージを伝えることができるほど、魔法の技術も持っている。

 僕らが今習得している、魔術士クラスの天職の魔法能力を考えると、ああいう効果はかなり高度で特殊な術式だと推測できる。そういった進んだ魔法技術を持っているのなら、文明の方もまるっきり中世ヨーロッパレベルってこともないだろう。一部では、現代の地球を越える技術力を有していてもおかしくない。

 つまり、そこそこ進んだ魔法文明国家と期待されるアストリア王国ならば、どことも知れない僕らを探しに行けるだけの手段なりも得られる可能性は十分にある。

「この異世界が地球と同じ程度の惑星と仮定するなら、星空や環境から、今僕らがいるこの地域をおおまかに特定することはできるはずだ」

 ダンジョンの外に出たあの密林塔では、見ての通りのジャングルだった。

 つまり、温暖湿潤な亜熱帯気候の地域に限定される。

 針葉樹林が生い茂る寒冷な地域を探索する必要はないわけだ。

 その上で、ここから見える星空から、緯度まで割り出せれば、範囲はかなり絞り込めそうだ。

「おおー、桃川、頭いいな」

 ありがとう蘭堂さん。でも蘭堂さんに言われると、あんまり褒められた気がしないって言ったら失礼かな。

「脱出するまでに、このダンジョンが存在する場所を特定するヒントになるようなモノも、なるべく集めておきたいね」

 それこそ、特徴的な植物なんかがあれば、一発で地域が特定できるかもしれない。そこにしか生えない花、なんかがピンポイントでヒットすればいい。

「ゴーマはどこにでもいそうだけど、ワイバーン型のドラゴンが空を飛んで、雷を吐くティラノサウスルがいて、ジャージャやロイロプスがいる、とモンスターの生息域でも場所を特定するヒントになるはずだ」

 とにかく、ダンジョンのある場所を特定できる情報をできるだけ集めておく。

 植生、生息モンスター、他にはダンジョンの遺跡の造りそのものもヒントになるだろう。この石造りの建築様式が、ここにしかないタイプという可能性もある。

 幸い、僕らにはスマホという文明の利器が復活している。

 容量イッパイまで、特定ヒントとなるような写真を撮りまくろうじゃないか。

「このダンジョンの場所さえ特定できれば、あとは救出に向かってくれればいい」

「なるほど……確かに、外部からの救助が期待できるなら、徒歩での脱出も可能性はずっと上がるわね」

「そうだな。ただ闇雲に外を歩くよりは、希望が持てる」

 クラスメイトの反応は上々。

 ただ全員で出て行くよりも、3人の救出部隊が結成できるとなれば、俄然、脱出枠への見方も変わってくる。

「なぁ、それじゃあ、その3人は誰にするんだべ?」

「適当に決めたら揉めるぞー」

「下手に立候補しても恨まれるパターンじゃん?」

 ジュリマリの言う通り。3人の選抜は重要だ。

「これはみんなでよく相談して決めるべきことだと思うよ。でも、僕は最適だと思う3人を決めている」

「……それは、誰なんだ」

 意を決したように、蒼真君が聞いてくる。みんなも、固唾を飲んで僕の発表を待っているようだ。

「まず一人目は、天道君」

 うーん、と何とも言えないざわめきが起こる。

 まぁ、天道君に面と向かって「お前だけズリーぞ!」とケチつけられる人もいないからね。

「天道君を選んだ一番の理由は、戦力だよ。アストリア王国が、安全とは限らないからね」

 ダンジョンでなくても、人間社会というのも、十分警戒するに足る環境だ。

 悪い奴は、どこにだっている。どれだけ高い志を持っていても、悪意ある第三者に害されればお終いだ。

 まだ顔も見たことのない異世界人。同じ人間であっても、いいや、同じ人間だからこそ、最大限に警戒するべき存在だ。まさか異世界の国家に、日本並みの治安を期待するのは無理がありすぎる。

「確かに、龍一がいれば大抵の荒事はどうとでもなるか」

「いいのかよ、桃川。所詮、俺は不良だぜ? そのナントカ王国で、お行儀よく過ごせる保証はねーぞ」

「僕は天道君のこと、信じてるから。天道君なら必ず、親友を救うためならどんな手を使ってでも、必ず駆けつけてくれるって」

 良く言えば親友の絆。

 悪く言えば、人質である。

「ちっ、桃川、テメぇ……」

「そう睨まないでよ。天道君だって、自分だけ外に出れればそれで満足、なんて思わないでしょ?」

 僕の二人の絆を利用するような人選に、天道君はなかなかマジなガンを飛ばしてくれるけど、僕だって本気で考えた末に選んでいるんだ。退く気はないよ。

「ふん、まぁいい。それで、二人目は誰だ? お前のことだ、大方の予想はつくがな」

「流石、天道君、分かるんだ」

「桜だろ」

 大当たり。

「ええっ、わ、私ですか!?」

「そうだよ、二人目は桜ちゃんだ」

 まさか自分が選ばれるとは、といったリアクションだけど、何で選ばれないと桜ちゃんは思ったんだろう。

 合法的にメンバー除外できる絶好の機会だよ。二年七組最大の問題児であるお前を追放できるこのチャンス、逃す手はないだろうが。

「理由としては天道君と同じ、桜ちゃんなら死にもの狂いで僕らを探してくれるからね」

 この理由も嘘ではない。

 そもそも、桜ちゃんは天職『聖女』な上に、才色兼備の完璧美少女だ。

 今ではすっかり僕を目の敵にする要注意人物でしかないけれど、学園生活時代ではそうだったのだ。

 そんなハイスペックな人物であり、かつ、蒼真悠斗という愛する兄貴がこちら側にいれば、どんな苦難があろうとも必ず救助を成し遂げる、強烈なモチベーションがある。

 脱出できる3人の救助隊に求められるのは、安全圏に逃れても救出を諦めないことだ。

 僕らを探す、と言うのは簡単だけれど、ヤル気を持続させて実際に行動し続けることは難しいだろう。まずアストリア王国という異世界国家での生活に慣れるところから始まるワケだし。

 予測できない困難、トラブルも多々発生するだろう。

 そんな中でも初志貫徹して、必ず助けに来てくれるだろうと、それだけの強い動機を持つ人物こそが望ましい。

 その点で言えば、天道君は自分のプライドに賭けて、桜ちゃんは愛に賭けて、必ず蒼真君の元までやって来る。

 これに匹敵するモチベーションを持ち得るのは、僕と別れたメイちゃんくらいだろう。

 メイちゃんは送らないけどね。離れる気はないよ。

「しかし、私は……」

「桜、引き受けてくれないか」

「兄さん!」

「みんなにはズルい、と思われるかもしれないけれど……正直、桜が選ばれて、俺は安心してしまった」

 蒼真君は皆に向かって、済まない、と頭を下げている。

 その身勝手ながらも、真摯な姿勢に誰も批判の言葉は投げつけなかった。

「桜を脱出させること、どうか認めて欲しい。その代り、俺は命に代えてもみんなを守り抜く」

 もし、これで僕が三人目は蒼真君だから、って言ったらどうなるんだろう。

 ちょっと言ってみたい気もするけど、ふざけすぎると斬られそうだし、我慢しとこう。

「ま、まぁ、そこまで蒼真が言うんなら、いいんじゃねーの?」

「そうだな」

「そうだべ」

 上中下トリオを筆頭に、仕方ないな、という方向性で許容する空気になる。

「僕からもお願いするよ。この二人の人選が確実だと思っているし、蒼真君には長い脱出行をするにあたって、みんなを守る要になるからね」

「私も賛成するわ」

「わ、私も!」

「蒼真が残ってくれるなら、安心だろう。反対はしない」

「うん、小鳥もいいと思うよ」

 蒼真ハーレムメンバーも、次々と支持を表明している。

 うんうん、君らは桜ちゃんというウザいライバルがいなくなるから、都合がいいよね。

「桃川、なんかニヤニヤしてない?」

「いやぁ、みんなの理解が得られて、僕は嬉しいなぁ」

 それだけのことだよ、蘭堂さん。決して、思惑通りに運んでいることを喜んでいるワケではないんだよ。

「それじゃあ、二人目は桜で決まりだとして……最後の三人目は誰にするのかしら」

「下川君」

「下川ぁ!」

「テメーこの裏切り者!」

「ちょ、ちょっと待て、俺なんも悪くねーべや!?」

 おっと、早速、上田と中井から攻撃されているぞ。ホント、仲良いよね君ら。

「おい、下川かよ」

「大丈夫なのかよアイツで」

 ジュリマリも露骨に不満げな顔をしている。

「し、下川君が行くくらいなら、私にしてよ桃川君……」

 姫野に至っては恨めしそうに僕を睨んでくる始末。

 下川の人望のなさが浮き彫りに。

「まぁまぁ、みんな落ち着いて。不満があるのはよく分るよ」

「俺が選ばれんのは不満出て当然かよ!? そこはフォローしろよ桃川ぁ!」

「下川君も落ち着いて。これからちゃんとフォローしてあげるから」

「桃川、まさか三人目はくじ引きで選んだとかじゃないよな?」

「蘭堂さんはちょっと黙ってて」

 いい加減、下川をディスり続けるのも可哀想だろう。

「みんなはあまり実感できないかもしれないけれど、下川君はしっかり狩猟部隊の隊長をやり遂げてくれたよ。彼はとても強力な魔法を使えるワケじゃないけれど、だからこそ、常に慎重な判断ができる」

 天道君と桜ちゃんのコンビで一番心配なのは、暴走することだ。

 天道君はもし、王国の治安を維持する騎士が、ギャング映画に登場するような腐りきった汚職警官みたいなクソヤロウで、それで絡まれたら喧嘩は買うし、国家権力上等とフルボッコにするまで止まらないだろう。

 桜ちゃんも、遠く離れた愛する兄貴を一刻でも早く救うために、それこそ手段は選ばないだろうし、邪魔する者は許さないだろう。

 そうなると、悪意のある者が襲ってこなくても、二人の方から敵を作っていくパターンに入ってしまう。

「下川君が一緒にいれば、常に警戒してくれるし、大きな下手は打たないと思うんだ」

「うーん、そうかぁ?」

「大丈夫かよ下川で」

「おい、折角褒められてるんだから信用してくれてもいいべ!」

 下川は脱出枠に選ばれたのを幸運だと思ってるみたいだけど……君が脱出後に手綱を握らなきゃいけないのは、天道君と桜ちゃんだよ? その苦労を分かっているのかな。

「それに、下川君が救出部隊の人選に適していることに加えて、他のみんなは、こっちに残って脱出する時には必要な人材にもなるんだ」

 みんなをまとめる委員長。防衛戦力の要であり、みんなの希望となれる蒼真君。

 美味しい食事はメイちゃんがいないと作れないし、小鳥遊がいなければ装備の維持更新もままならない。

 それに、たとえ特殊な技能がなくても、剣士や戦士などの前衛職というだけで、体力に優れているのだ。長い脱出行をするなら、それは十分すぎるアドバンテージである。

「だから、この編成が全員で脱出するのに最善だと、僕は思っている」

「……確かに、桃川の言うことに一理はあると思うが、やはり、いざ三人だけで送り出すとなると、不安だな」

「そうね。一度離れてしまったら、スマホで連絡とることもできないでしょうし」

 そうだよね。小鳥遊スマホは『電波が届くから繋がる』という非現実的アホ理論によって確立されているので、あまり遠くに離れると通話が不可能になる。

 すでに、学園塔からかけると、転移で無人島エリアなどに飛んだ人には届かないからね。

 それに蒼真君の言うように、この三人組みだけで不安という気持ちも、よく分かるよ。

 他のみんなも、ザワザワしながら、納得よりも不安感の方が強そうだ。

「みんな安心してよ。ちゃんと僕が四人目として、ついていくからさ」

 僕はすでに、『双影』の分身だけを転移魔法陣で飛ばして活動させている。

 ということは、どれだけ離れていても『双影』の呪術的な繋がりは断ち切られていない、ということの証明でもあろう。

 だから、僕の分身も一緒に『天送門』で送れるはずだ。

 なぜなら、分身の僕は人間ではないから。魔法みたいなモノだと認識されるだろう。

 転移魔法陣は、未来の殺人マシーンを過去に送り込むように、裸の生身でしか送れない、という仕様ではない。装備品含めて手持ちのモノは全て送れる上に、レムのような存在も一緒に転移できるのだ。

 だから分身の僕が問題なく送れる可能性は十二分にある。

 そして『双影』がアストリア王国側にいれば、僕自身はリアルタイムで向こうの状況を知ることができる。

 今の僕は分身と同時に日常動作くらいは問題なく動けるようになっている。戦闘でもしなければ、三人に同行しながら、見聞きして口を挟むことは幾らでもできるワケだ。

 実質、送れないはずの四人目を送り込むという裏ワザであると同時に、お互いの状況も逐一チェックできる情報通信も確立できるという……やはり『双影』は神呪術だな。

「なるほど……まぁ、桃川がいるなら」

「そうね、桃川君が一緒なら安心するわ」

「なんだ、桃川いるなら大丈夫じゃん」

「ちょ、ちょっと待ってください、桃川も一緒なんて私は嫌です――」

「諦めろや、桜。アイツは這ってでも俺らにくっついてくるぞ」

 僕が向こうにも行けることが伝わって、クラスのみんなはおおむね納得してくれたようだ。

「ね、小太郎くん。ちゃんとみんな、分かってくれたでしょ?」

「そうだね、メイちゃん」

 決戦前夜、この案が受け入れられるかどうかメイちゃんにだけ先に打ち明けて相談したけど、絶対大丈夫だよ、と太鼓判を押してくれたから、僕も言い出す決心がついた。

 本当にみんなが理解と納得を示してくれて、僕は嬉しいよ。

 さて、これで明日の祝勝会も、心置きなく楽しめるぞ!

第241話 祝杯を掲げて

 翌日、学園塔二階妖精広場に、全員が集まった。

「それでは、ヤマタノオロチ討伐の記念を祝して――」

 乾杯! の声が広場いっぱいに響き渡る。

「今日はいい食材を惜しみなく使ったから、みんな沢山食べてね」

 と、にこやかに語る双葉さんの前で、早速、腹を空かせた男子たちががっついている。

 かくいう俺も、その中の一人なワケなのだが……むっ、このロイロプスのステーキ、いつもより柔らかい。今まで食べてきたのとは違う部位なのか。いい食材、と言うだけある。

「兄さん」

「ああ、桜」

 上等な部位のステーキに齧り付いていると、桜が俺の元へとやってきた。

 彼女の手には、お上品に盛られた緑のサラダが。

 女子ってのは、こんな環境にいてもダイエットに気を遣うらしい。

 桜、お前は十分に細いし、蒼真流の鍛練も続けて鍛えているんだから、もっと肉食べた方がいいと思うがな。

 明日那を見習え。俺と同じように分厚いステーキに食らいついているぞ。

「本当にお疲れ様でした。今更、ですが」

「いや、桜の方こそ」

「いえ、私はほとんど何もできなかったようなものです……結局、兄さんの力がなければ、ヤマタノオロチは倒せませんでしたし」

「あのタイミングで『天の星盾セラフィック・イージス』が覚醒したのは本当に幸運だったよ。でも、俺がダメでも、龍一が何とかしてくれたさ」

 俺と同じように、龍一はあの時、さらに『王鎧』の力が進化したようだった。

 今までは右腕だけを覆う漆黒の装甲だったのが、左腕にも装着されるようになっていた。

 右腕とは違い、より分厚く大きな装甲を纏った左腕の『王鎧』は、ヤマタノオロチのブレスを防ぐだけでなく、さらに一部を反射させて、反撃までしていた。

 俺の『天の星盾セラフィック・イージス』は、反射はできなかったが、ブレスの一部を吸収して自分の魔力に変換しているようだった。

 お蔭で、消耗の激しかったあの終盤にあっても、最後まで全力で戦い続けることができた。

 俺も龍一も、どちらもブレスを真っ向から防ぐだけの技を得たからこそ、あの場は凌ぎきれたと思う。

「それでも、一番活躍したのは桃川だ。今回ばかりは、アイツの働きには敵わないよ」

「そんな、兄さん……」

「桜、お前もいい加減、桃川に反発ばかりするのはやめろ。確かにアイツには忘れられない恨みはあるが……それでも、俺達がヤマタノオロチを倒して、この日を迎えられたのは桃川の功績だ」

 学園塔での生活が始まった頃、俺はずっと疑いの目でアイツを見てきた。

 何かを企んではいないか、みんなを利用しているだけではないかと。

 怪しいところは沢山あったが、それでも、桃川はヤマタノオロチ討伐という確かな成果を上げてみせた。誰一人として、犠牲者を出さずに。

 それだけは、紛れもない事実である。

 そして、これは俺の力だけでは、決して成し遂げられなかったことでもある。

 クラスをまとめあげたのも、全員が一丸となって挑む作戦を立てたのも、そして、最後に不測の事態が発生しても、見事に切り抜けてヤマタノオロチにトドメを刺したこと。

「そう、かもしれませんね……でも、私はただ桃川を嫌っているから、こんなことを言っているだけではないのです」

「そうなのか? なら、どうして」

「きっと、怖いんだと思います」

「怖い、か」

「ええ、今回のことで、よりその思いが深まりました。桃川は本当に、クラス全員を率いて、あの強大なヤマタノオロチを倒した……そんなことができる彼が、レイナを殺したこと。私や兄さんを、油断なく警戒し続けていること」

「……気持ちは分かる。けどな、俺達は一緒になって死線を乗り越えたんだ。クラスはこんなにもまとまって、ダンジョンからの脱出だって、実現可能な算段もついた」

「ええ、分かっています。余計な疑心暗鬼になるような真似を、するつもりはありません」

 あまり気分の晴れない表情の桜だ。

 きっと、討伐であまり活躍できなかったことも影響しているのかもしれない。

 事実、自分では壊せなかったコアを、桃川が一人で破壊したのだ。

 アイツはどんな手を使ってコアを割ったのか、結局、聞いてもはぐらかされて答えなかったが……桃川、お前、そういうところだぞ。

「あまり気に病むな。桜、今は楽しめよ」

「はい、そうですね。そうさせてもらいます」

 そして、桜は俺が食べていたステーキの端っこをちょっとだけ切って、自分の皿に盛って明日那達の方へと戻って行った。

 まったく、俺が食べているモノを一口欲しがる癖は、子供の頃から変わらないな。

 そんなことを思いながら、俺は別なグループの方へと移動した。

「下川」

「お、おう、なんだよ蒼真」

 あまり俺から声をかけることはないせいか、若干、身構えた様子の下川だ。

 相変わらず上田と中井の二人と一緒だ。

 けど、道中で長く一緒になっていた山田とも交友を深めたようで、彼も一緒に座っていた。

「まずは、お疲れ様。桜を守ってくれて、ありがとう」

「別に、俺はなんもしてねーべ。自分の仕事をやっただけっていうか」

「そっちの方も、かなりの激戦だったと聞いている。そんな場所で、一歩も退かずに戦い抜いてくれたんだ。感謝するには十分すぎるよ」

「そ、そうかよ……あんま褒めんなよ、慣れてねーんだからよぉ」

 満更でもない、というように顔を背ける下川。照れているのか。意外と可愛いところもあるんだな。

「山田も、ありがとう。傷の方は大丈夫か?」

「ああ、別にこんくらい、なんともねぇよ。俺は頑丈だからな」

 ぶっきらぼうに言いながら、包帯が目立つ山田はテーブルの上に広げられた、薄らした白身の刺身を食べていた。

 そのフグの刺身みたいなやつ、美味そうだな……まさか、桃川が供物にも使ってたフグみたいな猛毒魚じゃないだろうな……?

 それはともかく、山田は『重戦士』として、文字通りに体を張ってガーゴイル軍団を止めてくれたようだ。大型を複数体相手に、苛烈な攻撃に晒されながらも耐え抜いたのは、その傷痕が何よりの証明だ。

 桜達と共に岩山から降りてきた時は全身血まみれで鎧もボロボロだったな。

 よく生きて帰って来てくれたと思う。

「おいおい、蒼真、俺らにはなんもなしかぁ?」

「俺達だって、命張って頑張っただろーがよー」

「お前らは最後、怪我して寝てただけだろう」

「おい、ふざけんな!」

「ちゃんと最後まで戦い抜いただろーがよ!」

「ははは、冗談だ。二人も、傷の具合はどうだ?」

「俺は桜ちゃんに手ずから治癒してもらったからな。もう全然へーきだぜ」

「そのようだな。痛い痛いって泣いていたのが嘘みたいだぞ」

「それは言うなや!」

「俺が塹壕まで引きずって運んでやったんだぞ、もっと感謝しろよ」

「うるせぇ、その後は俺がお前の傷にポーションかけてやったんじゃねぇか!」

 すぐに上田と中井の小突き合いが始まる。ワイワイと実に仲の良いことだ。

 小鳥の一件で、この三人には悪感情の方が強かったが、やはり共に死線を乗り越えると仲間意識の方が強くなってくる。

 過去の憎悪に囚われるべきじゃない、というのは、きっとこういった関係性が未来にあるからなのかもしれない。

「おーい、明日那、中嶋」

「蒼真、やっと来たか」

「……やぁ、蒼真君」

 次に俺が向かったのは、明日那と中嶋の師弟コンビだ。

「二人ともお疲れ様」

「いや、結局最後は蒼真の勇者の力に頼ることになってしまったからな。自分の未熟を恥じるよ」

「なにを言ってるんだ。明日那がいなきゃ、とっくにあそこの戦線は崩壊していた」

「あー、ゴメン……俺のせいで、封印も破れちゃって」

「中嶋、アレは誰の責任でもない。脱皮して封印を抜け出してくるなんて、誰にも予測できなかったんだからな」

 中嶋は三つ首の封印が解かれたことを、随分と気に病んでいるようだった。

 だが、言葉通り、あれはどうしようもないことだと思っている。責めるつもりはないさ。

「それに、最後はこっちに駆けつけてくれただろう。助かったよ」

「当然のことだよ。あれくらいしないと」

 委員長率いる封印部隊は、三つ首が解き放たれるとすぐに退いて、俺達の方へと合流してきた。

 正しい判断だと思う。封印にこだわって、無理に三つ首に攻撃を加えていれば、そのまま全滅していたかもしれない。

 全員無事にあの場を脱し、俺達へと合流してすぐ戦闘に加わってくれたのは、あの状況下では最善の行動だと思う。流石は委員長だ。

「中嶋はこれから、すぐにもっと強くなっていくさ。その成長性は見ていて信じられないくらいだ、本当に凄い才能があるよ。明日那も、いつまでも師匠面はできないかもな」

「なにを、私とて鍛錬は怠っていないし、実戦を重ねて剣崎流をさらに極めるんだからな。お前の方こそ、私に抜かれないよう油断するんじゃあないぞ」

「大丈夫だ、なんたって俺は『勇者』だからな」

「調子に乗るな!」

「ははは、やめろって」

 ほどほどに明日那と小突きあってから、俺は次のグループへと向かうことにした。

「ああっ、蒼真くぅん!」

「なんだよ蒼真?」

「珍しいじゃん、アタシらに寄ってくるなんて」

「野々宮さんも芳崎さんも、お疲れ様。見舞いもかねて、ってところかな」

 二人は上田と中井、それから山田ほどではないけれど、負傷をしている。ヤマタノオロチが放った光矢の雨を、完全に防ぎきることはできなかったのだ。

「蒼真くーん!」

「あっ、姫野さんもいたんだ」

「私の扱い酷くない!?」

 いやぁ、それはちょっと、自業自得というか……いくら俺でも、人によって適切な対応はとらせてもらうから……

「もう傷はほとんど塞がったみたいだね。良かったよ」

「まぁ、アンタの妹には世話んなったから」

「怪我して回復役のありがたみを実感って感じ?」

「感謝していた、って伝えておくよ」

 負傷時には、姫野さんの回復とリポーションの服用もしていたので、処置は問題なく行われていた。

 けど、桜がいるなら、すぐにその場で治すことができる。自然治癒を待つより、即座に治った方がそりゃあありがたい。

「姫野さんのお蔭で、みんなも重傷にならずに済んだよ。ありがとう」

「うん、そう、そうだよ! 私すっごい頑張ったんだよぉ!」

「ああ、『応急回復ファストヒール』を習得したんだ、本当に頑張ったと思う」

 姫野さんは何とかヤマタノオロチとの決戦前に、『微回復レッサーヒール』の上位にあたる治癒魔法『応急回復ファストヒール』を習得したのだ。

 桃川によるゴーマを繰り返し痛めつけては回復させるという、非人道的な修練法によって。

 姫野さんという成功例が出てしまったことで、あのおぞましい方法の実用性が証明されたことは、喜ぶべきか、忌むべきか、悩みどころである。

「ああああー蒼真くぅーん!」

「おい姫野、グラス空だぞ」

「早く注げよなぁ」

「あっ、はい、すみません……すぐやります……」

 瞬時にポーション瓶に入ったドリンクを、二人のグラスに注ぐ姫野さん。

 こういう扱いは、風紀委員として注意するべきか。

「二人とも、あんまり姫野さんをいいように使わないように」

「いいじゃんいいじゃん、私ら怪我人だし」

「そうそう、介護だよ介護。あー、腕が痛むわぁー」

「ほどほどにしてくれよ――そんなことより」

「そんなことよりって酷くない!?」

「龍一はどこ行ったんだ?」

 宴もたけなわといったところだが、気が付けば龍一の姿がどこにも見えなかった。

 まさか、もう部屋に戻って寝た、なんてことはない。アイツはなんだかんだ、こういう場では最後まで残るタイプなのだ。

「天道君なら、一服してくるって」

「一階のエントランスじゃない?」

「そうか。今日は委員長には黙っておいてやるか」

 無礼講だしな。

 タバコを吸いに行っただけなら、ほどなく戻って来るだろう。

「みんなー、今日は無礼講よ! 桃川君が秘蔵の一本を開けてくれるわ!」

「な、なんだって!?」

 振り向き見れば、ニコニコ笑顔の委員長と、いつもの野良ネコみたいなふてぶてしい表情で、大きな瓶を抱えた桃川がいた。

 アイツ、まさかアルコールを解禁するつもりか!

「おい、よせ、委員長! 桃川もやめろ! あの日の悲劇を忘れたのか!」

「なによ悠斗君、いいじゃない今日くらい飲んだって」

「そうだよ、蒼真君。こういう時に飲まないと」

「いいぞー桃川ぁ!」

「桃川君! 私の蜂蜜酒はぁーっ!」

 いかん、すっかりみんな飲む気分になっているぞ。

 よりによって、龍一が席を外しているこのタイミングで酒が出て来るなんて……止められる奴が誰もいないじゃないか。

「ま、まぁ、兄さん、これは仕方ないかと思います」

「おいおい、桜まで」

「いざとなったら、私がすぐ解毒しますから」

「た、頼んだぞ……」

 もうあんなのは御免だからな。

 まったく、桃川も案の定、酒を造り続けていたか。そんな気はしていたが。

「――さぁ、全員にグラスは渡ったかな」

 と、桃川は手ずからみんなに秘蔵の酒とやらを注いで周り、俺を含めて全員の手に酒が行き渡った。

 いつもの学級会みたいに、黒板の前に委員長と並んで、桃川が立つ。

「それじゃあ、僕らの未来に、乾杯」

 そして、音頭と共に酒を飲む。

 これは、なんだ……ワイン、のような、けど違うような。不思議な味の果実酒だ。

 芳醇な風味と濃厚なアルコールの香り。だが、スっと溶けるように喉を通っていく。

 うん、美味い。

 桃川が秘蔵と言うだけあるってことか。

 思わず、一息で飲み干してしまったが、それは他のみんなも同じだったようだ。

「兄さん、実は私、初めてお酒を飲みましたけど……美味しいですね」

「ああ、凄い美味いよ、この酒は」

 そんな風に、口々に酒の感想をみんなが笑顔で語り始めた、その時だった。

「うっ、ぐ……んはぁ!」

 苦しげな呻き声を上げたのは、委員長。

 うっかり気管にでも入ったかのように、激しくせき込み――血を吐いた。

「なっ……委員長!?」

「ぐうぅ、がぁ、ゲホっ!」

 全員の前で、委員長が苦悶の表情を浮かべて、激しく口から血を吐き出す。

 なんだ、一体、委員長の身に何が起こったというんだ。

 こんなの、まるで毒でも盛られたかのような――

「ま、まさか――っ!?」

 腹の奥から込み上がってくる、重い塊のような感覚。

 まずい、と思った次の瞬間には、俺も口から血を吐いていた。

 俺だけじゃない。気が付けば。隣の桜も、他のみんなも、倒れている。

「ぐがっ、は、はぁ……」

 息ができない。

 窒息したような苦しみに、俺もついに膝を屈する。

 口からは吐血混じりに荒い息を吐くだけで精一杯で、とても言葉は出てこない。

 けれど、俺は顔を上げて、確かに見た。

「ふっ、ふふ、はははは――」

 艶やかな黒い髪をかきあげて、少女のような童顔で、ソイツは笑っていた。

「はははっ、あははははははははははは!」

 桃川小太郎。

 奴は、血を吐いて苦しみもがくクラスメイトを眺めて、悪魔のような高笑いをあげていた。

第242話 裏切り者(1)

「――なんだ、コレ」

 不意に目が覚めると、まず目に飛び込んできたのは薄暗い広間の天井。見慣れたってほどではないけれど、学園塔5階の密会部屋だということは、すぐに分かった。

 それと同時に、僕の視界にはもう一つの景色が映り込む。

 明るい光に満ちる、2階妖精広場。

 大テーブルにはメイちゃんが腕によりをかけて作り上げた、ご馳走の数々が並ぶ祝勝会の会場で――クラスのみんなが、血を吐いて倒れていた。

「はははっ、あははははははははははは!」

 それを、僕は笑って見ている。

「なんだ、どうなってる!? これは……コイツは、まさか分身が」

「あっ、おはよー、桃川くーん。やっと目が覚めた?」

 やけに能天気な声が、頭の上から降ってくる。

 なんだよ、お前のそんな楽しそうな声、初めて聞いたぞ。

「小鳥遊ぃ……お前の仕業かぁ!」

 小鳥遊小鳥。

 奴は実に上機嫌な笑顔を浮かべながら、密会部屋に設置したテーブルに腰を掛けて、床に転がっている僕を見下ろしていた。

「え? 小鳥はなーんにも、悪いことはしてないよ。全部、桃川君が悪いんだから」

「なん……だと……」

 ふざけやがって。

 この状況は、間違いなく小鳥遊小鳥の手によるものだ。

 思い出せ……まず、僕は祝勝会が始まる前、回収したヤマタノオロチ素材を整理していた。

 全部集めたらそこそこの量になったし、なにより、転移魔法陣の発動につぎ込んでも、お釣りがくるほど大きなコアの破片が残っている。

 この機会にレムの大幅な強化も、なんて色々と考えていたところに、もう祝勝会を始めるからと姫野が呼びに来てくれて、僕は一緒に作業していた小鳥遊と簡単に整理してから、2階への階段を登りかけ――そこで、意識が途切れた。

 次に目覚めたら、この有様。

 僕本人は5階密会部屋に転がっていて、そして、どうやってか僕の分身が、僕になりすまして妖精広場に立っている。

 血を吐いて倒れたクラスメイト達を、高笑いを上げて分身の僕は見下ろしている。

 傍から見れば、どう考えても毒殺を計った犯人である。

「状況は理解してる? それとも、まだ寝ぼけてるのかなー」

 くそ、妖精広場にいる分身の、操作が効かない。

 こうして視界は繋がっているのだから、間違いなく僕の『双影』だけど、見える以外には全く、あらゆる操作ができない。僕の分身なのに、指一本、動かせないとは。

 あの分身は完全に小鳥遊に操られているようだ。

 一体どういうカラクリだ。まさか見ただけで相手の技をコピーできるチートスキルがあるとは思いたくないけど……いや、確か一度だけヤマタノオロチに監視をつけていた僕の『双影』が寝ている内にやられたことがあった。ガーゴイルに不意打ちされたと思ったけど、恐らく、その時に確保されたのだろう。

 コピースキルがあるというよりは、発動している相手の技を乗っ取る魔法、と言う方が現実的だ。僕と視界共有が生きていることから、あの分身は僕本来のモノなのも間違いないし。

 クソ、この時のために、小鳥遊はずっと僕の分身をどこかに隠し持っていたのか。

 こうして本性を現すまで、察せなかった僕の落ち度だ。

 しかし、今更後悔しても始まらない。

 小鳥遊の裏切り行為になんざ、まんまとやられて堪るか。何としてもここから逆転しなければ。

 明らかに僕だけを狙い撃ちにした裏切りに、怒りで我を忘れそうになるほどの感情も荒れ狂っているが、現状の圧倒的に不利な状況が、かえって僕に理性をもたらす。

 いつだってピンチを切り抜けるのは、冷静な思考の果てに見出す僅かな活路。考えることをやめれば、僕なんて簡単に死ぬし、殺される。

 だから、落ち着け……僕がまだ生きている以上、できることはあるはずだ。

 ひとまず幸いなのは、僕本人の方には何の問題もなさそうなところ。

 何らかの方法でエントランスで気絶させられたようだが、痛みはないし、体に痺れも感じない。後遺症はなく、五体満足。

 そりゃそうか。僕を傷つければ、その分も自分の身に返るのだから。

 小鳥遊を警戒しながら、まずはゆっくりと立ち上がる。

 立ち上がりながら、魔力を巡らせて、呪術をいつでも使える様に準備する。

 愚者の杖とエアランチャーは武器庫に置いてあるから手元にないけれど、マジックアイテムで強化した学ランと、呪術用グローブはつけているから、全く無防備ってほどでもない。

 あとは、レムを呼び戻せればいいのだが……

「小鳥、桃川君のそーいうところ嫌いだなぁ。もう反撃する気でいるでしょ? フツーさぁ、もっと焦るとか、慌ててくれてもいいと思うな」

 実に不満気な表情は、いつもの見慣れた小鳥遊の顔だ。

 まんまと陥れられた僕が、慌てふためいて命乞いでもして欲しいのだろうか。

 屈託のないあどけない顔が、僕にはかえって狂気的に思えるね。

「でも、無駄無駄、無駄だよ。小鳥だって、ちゃんと準備してきたんだから」

 この状況になった以上、もう僕がどう足掻いても無駄だと言いたいのだろう。

 そりゃそうか。こんな大それた行動を起こしたんだからな。しかも突発的な犯行ではなく、用意周到に練られた計画的犯行なのは明らかだ。

 いつからだ……小鳥遊、お前はいつから、この裏切りを企んでいた。

「――『黒髪縛り』」

「だからぁ、無駄なんだってぇ」

 馬鹿みたーい、と笑う小鳥遊に向かってひとまず『黒髪縛り』をけしかけるが――まるで、その体は幻であるかのように、黒髪はすり抜けて行く。

「小鳥も持ってるんだよ、分身する技。でも『投影術』は使い道が今まで全然なかったから、熟練度も上げてないけどね」

「ちっ、ホログラムみたいなもんか」

 なら、本物の小鳥遊本体は……クラスメイトに混じって、一緒に倒れている方か。

『投影術』は姿だけ別な場所に映し出し、見聞きして喋り、移動することができる効果だと思われる。僕の『双影』と違って実体がないから、本人と偽ってみんなの前に出すわけにはいかないだろうからね。

 隔離した僕とのお喋り用に、わざわざ設置していったのか。

「だったら直接、本体のお前に聞いてやるよ」

「扉を閉めて」

 小鳥の声に応じて、ズズズズ、と密会部屋の扉が閉ざされた。

 ここには扉なんてなかった。単にスライド式で隠れていただけなのだろうけど、それを操作する方法は誰にも分からなかったが、

「くそ、お前は学園塔の機能も操れるのか」

「それなりにね? だって小鳥、『賢者』だし」

 ここにいる小鳥遊が単なるホログラムなら、無視して妖精広場まで向かい、毒を盛られて倒れたと思われるみんなに解毒して、小鳥遊本体を捕まえようと思ったけど、そう簡単に行かせはしないということか。

 一応、扉に駆け寄って触ってみるが、素手で動かせる様な扉ではない。

「桃川君、折角の機会なんだし、小鳥ともっとお喋りしようよ。聞きたいこと、沢山あるでしょ?」

「……」

 密会部屋の唯一の出入り口が扉で閉ざされた以上、僕はここに閉じ込められたも同然だ。

 それでいて、ホログラムの小鳥遊には、僕へ攻撃する手段もないはず。

 どこにも行けないのなら、小鳥遊の話に乗って、少しでも情報を集める方がいいか。そして、機を待つ。

「みんなを殺したのか」

「小鳥じゃないよ。殺すのは、桃川君の役目」

 そりゃあ、みんなから見れば、僕が毒を盛ったようにしか見えないだろう。

 分身を利用されて冤罪を仕立て上げられるとは、全く予想もしなかった。けど、まずはみんなの命の方が重要だ。

 まだみんな死んではいないようだが、このまま解毒せずに放置しておいたらいつまでもつか分らない。

「大丈夫、すぐには死なないよ。デスストーカーの毒は麻痺の方が即効性で、殺傷力を発揮するのは遅いから。三日くらい苦しんで、それから死んじゃうんじゃないかなぁ」

 コイツ、僕の目を盗んでデスストーカーの毒をちょろまかしやがったか。

 夏川さんの『デススティンガー』を作ったのは小鳥遊だから、幾らでもやり様はある。

「ふふふ、毒薬を作れるのは桃川君だけじゃないんだよ。というか、『賢者』の私の方が上手に作れると思うな」

 その毒薬精製だって、コイツが隠し続けた力の一つだ。

 小鳥遊小鳥、お前はどれだけ『賢者』の力を隠している……元から怪しいと見てはいたが、想像以上に底の見えない怪物だったとは。

 まったく、僕も人を見る目がないね。

「お前は、クラス全員殺すつもりか。殺してどうなる。言っただろう、ようやく全員で生還できる道が見えて来たっていうのに」

「別に小鳥はみんなが生きても死んでも、どっちでもいいんだけどね。でも、死なないといけないのは、決まっていることだから」

「決まってる、だと……そんなの、誰が決めたって言うんだ」

「うーん……神様、かな?」

 とんだ邪神もいたもんだ。おい小鳥遊、お前に天職を与えた賢者の神は、世界を滅ぼすラスボス系の邪悪なクソヤロウだぞ。

 今すぐ慈悲深いルインヒルデ様に改宗しろ。

「ねぇ、桃川君はさ、知ってるんでしょ? 神様の名前」

「呪術の神のことか」

「そうだよ。その呪いの神様と直接会えるし、お喋りもできる。違う?」

「それがどうした」

「普通は神様と話すことはできないし、名前も分からないよ。みんな、誰も自分の神様のことは言わないでしょ?」

 どうやら自分が割と特殊な事例、というのは何となく察していた。

 メイちゃんに聞いても、天職を授かった時は一言だけ神様の声らしきものを聞いたというし、『狂戦士』の時は女神っぽい女性の声だった、と。

 他のみんなも、同じような感じだと聞いている。つまり、みんなにとって神の言葉は一方的なシステムメッセージのようなものだ。

 だが、僕はルインヒルデ様には暗黒の神様時空に新呪術を授かる度にお呼ばれするし、褒められたり、意味深に不吉な言葉を残されたりと、かろうじて会話のキャッチボールが成立しているほどだ。

 それが分かるということは、小鳥遊も、

「――『エルシオン』。それが小鳥に天職『賢者』を授けてくれた、神様の、えーっと、女神様かな、その名前だよ。桃川君のは?」

「……『ルインヒルデ』だ。覚えておけ、お前は呪われる」 

「あはは、知らなーい! 小鳥でも知らない神様ってことは、すっごいマイナーな弱小神様だよ。もう信仰途絶えているんじゃないかなー?」

「お前、どれだけ神から教えてもらった。知っているのか、この異世界のことも、僕らがダンジョンに飛ばされたことも、全部!」

「うん、知ってるよ。だって小鳥は、ゲームマスターだから」

 ゲームマスター。通称『GM』と略される、TRPGなどでゲームの進行を取り仕切る役目のこと。

 ゲーム。ゲームだと……このダンジョン攻略が、ゲームだって言うのか。

「ふ、ふざけんな……ゲームマスターだって……それじゃあお前は、今まで僕らが死ぬ気で戦ってきたことを、黙って見てやがったのか!」

「そうだよ、小鳥はみんなの攻略を見守ることがお仕事だから」

「邪神の手先め……それとも、お可哀想に洗脳でもされてるってのか?」

「小鳥は選ばれたんだよ。蒼真君と同じようにね」

「やっぱり『勇者』は特別扱いか」

「うん、勇者は特別。というより、蒼真君が特別なんだけど」

「それじゃあ何か、僕らは『勇者』蒼真を育てるための、ただの引き立て役ってことかよ」

「さっすが、桃川君! 理解が早いよね。それとも、こういうの漫画とか読んだことあるのかな、オタクだし?」

 残念ながら後者が正解だ。僕がどれだけ異世界ファンタジー作品を読んできたと思っている。

 召喚した地球人を奴隷のように扱う異世界、なんてのも定番の一種である。

 二年七組がクラスごと異世界転移されたのは、単なる偶然ではなく……僕ら全員を利用するためだったということだ。最悪の設定パターンを引き当てるとは、ホントにリアルはクソゲーだよ。

「ダンジョンの難易度が調整されるのも、僕らが絶妙のタイミングで合流するのも、全て勇者育成のためか」

「そう、必要なのは勇者だけ。他の人はいらないの」

「だから殺すのか」

「小鳥だって、心は痛むんだよ? クラスのみんなは、このダンジョンの中で一生懸命に戦って、それでも力及ばず倒れる……そういうカッコいい運命だったのに、こんな風に暗殺しなきゃいけなくなったのは、全部、桃川君のせいなんだから」

「僕が何をしたっていうんだ」

「まさか本当に、ヤマタノオロチを犠牲者ナシで倒すなんてね。小鳥、今でも信じられないよ」

 その物言いは、知っていたのかよ。ヤマタノオロチがどうして、規格外のレイドボス級の力を誇っていたのか。

 どう考えても今の僕らの適性攻略難易度を上回る強さは、僕らをここで殺すために。

「お前がヤマタノオロチも用意したのか」

「小鳥にそこまでの権限はないよ。アレが生まれたのは神様のご意志だし、小鳥はみんなを見守りながら、必要だったらちょっとだけ『修正』するくらいだからね」

 あまり表だって、神の望み通りの展開になるよう行動することはない。そもそもゲームマスターであることは隠さなければいけない。

 ならば、あくまでクラスメイトの一員を演じる小鳥遊は、ソレと悟らせずに動かなければならないだろう。

 そう考えれば、怪しいところは思い当たるな。

「剣崎が僕を突き飛ばしたのは、お前の仕業か」

「アレは明日那ちゃんが望んだことだよ。私はちょっとだけ、その気持ちを強くしてあげただけなの」

 心を操る魔法を持っていたのは、小鳥遊だったか。

 馬鹿だなぁ、剣崎、お前はまずずっと一緒にいた親友を疑うべきだったな。

「思い通りに洗脳できるほど強力じゃあないな。なるほど、ソイツの思っているコトを増幅して、理性で躊躇するような真似でも、実際に行動を起こさせるってワケか」

「それだけの能力が発揮できるように、熟練度上げるのも大変だったんだから。『イデアコード』っていう賢者専用スキルなんだけど、桃川君には見えてるのかな?」

「鑑定スキルなんかなくても推測くらいできるさ。お前はチートスキル頼みで、別にお前自身が賢いワケじゃあないんだよなぁ」

「桃川君、やっぱりヤマタノオロチと一緒に死ねば良かったのに」

「その『イデアコード』とやら、僕には効きがイマイチだったみたいだね?」

 効果の推測を確信できるのは、僕自身がこのスキルにかかっていたからだ。

 僕がヤマタノオロチのコアを『痛み返し』の自爆戦法で破壊しようと思ったのは、僕の意思ではなく、『イデアコード』の強制力に違いない。

 元から、自爆すれば勝てるだろう、僕一人犠牲になればメイちゃんも蘭堂さんも含め、全員助けられる、という自己犠牲精神も僅かながら存在していた。

 でも素面の僕がその自己犠牲を許容することはありえない。

 だが、それをひっくり返すのが『イデアコード』の力。

 自分でも不思議な直感、そうしなければ、という思いの根源は、無意識に自己犠牲の感情が増幅されたからだ。

 でも、僕が土壇場で一発逆転の必殺呪術を思いついたものだから、自爆を強いる効果を上回る精神力と理性が戻ったのだろう。

「ホントにね、これだから神様に愛されている人は厄介なんだよね」

「ああ、そうさ、僕にはルインヒルデ様の加護がある。いつだって、僕はこの呪術の力で危機を乗り越えて来たんだ」

 なので、この場を一発逆転しつつ裏切り小鳥遊をギャフンと言わせられるような、凄い呪術が欲しいんだけど……ダメですか……

「ふふふ、でも残念だったね。桃川君はどう足掻いてもここでお終いだよ」

「だから、こうしてベラベラと余計なことをお喋りしているんだろう」

「そーだよ、ずっと秘密にしたまま、みんなに合わせて馬鹿みたいにダンジョン攻略で一喜一憂しているのも、ストレス溜まるんだから。誰かに話すだけで楽になれるって、ホントのことだよね」

 僕はロバの耳、と叫ばれる穴代わりか。

「それに折角、桃川君をようやく始末できる時が来たんだから。何も知らないままあっけなく死んじゃったら、つまらないでしょ?」

「その点は感謝してるよ。お蔭で、知りたいことが分かったからね」

「それなら、ゲームマスターの小鳥の気持ちも分かってくれるかな? 桃川君、すっごい邪魔で、目障りだったよ。最初に死ぬはずだったモブキャラが、何でしつこく生き残ってる上にでしゃばってくるのかなって」

「最初に死ぬ……ってことは、クラスメイトが死ぬ順番も決まっているのか」

「別に、勇者育成のためのシナリオは細かく決まってるワケじゃないよ。私はみんなの初期ステータスだけは見れたから、分かるんだよね。桃川君は才能ないから、どの天職も適合できずに死ぬはずだったんだけど……ルインヒルデとかいう私も知らない弱小神が目をつけるなんて、思わなかったよ」

「様をつけろよデコ助ヤロぉ!」

 僕のルインヒルデ様をディスった小鳥遊を反射的に怒鳴りつけながら、僕は思い出す。

 初めて天職を授かったあの時を。いいや、その後のことか。

「天職はあの魔法陣を使えば誰でも必ず授かるモノじゃない。失敗する、ダメだった場合は、死ぬんだな」

「ウチのクラスはホントに優秀だったよ。いくら異世界召喚者でも、42人もいて死んだのは高島君だけなんだから」

 やっぱり、高島君があの森の中で、魔法陣ノートを開いたまま妙な死に様を晒していたのは、そういうことか。

 小鳥遊の物言いを鑑みると、天職を授かるあの魔法陣は、普通はかなりリスキーで、僕らのような召喚者の成功率は現地の異世界人よりも高いのだろう。しかし、失敗率は決して0ではなく、クラス全員に使わせれば確実に犠牲者が出るような代物ということか。

 地味にちゃんと異世界召喚による特典というか補正というか、そういう強みってあったんだな。

 だからといって、死の危険があることに何の説明もなく、魔法陣を使え、と言いやがったあの校内放送には、そこはとない悪意を感じさせる。

 小鳥遊がゲームマスターだと言うならば、僕らを召喚したと思しき異世界人、恐らくアストリア王国の奴らとも、繋がりがあるのだろうか。

「あの異世界の王国がどう思ってるかは、小鳥は知らないよ? 小鳥はあくまで、神様の言うことに従っているだけだから」

「僕らを召喚したのは、お前のエルシオンとかいう邪神のせいで、本当に王国は無関係なのか」

「そんなのどうだっていいじゃない。大事なのは勇者だから」

 確かに蒼真君は強いけど、ヤマタノオロチを一人で倒せるほど圧倒的な力ではない。

 あくまで、天職としてかなり強い能力を持っている、くらいの範疇に収まっている。

 一体、天職『勇者』の存在にどんな特別な価値があるというのか。

 あるいは、蒼真君にも何か秘密があるのか。

 どんな理由があるにせよ、その勇者を育てるためだけに、僕らクラスメイトを犠牲にして糧としようなんて陰謀、許せるはずもないけれど。

「ううん、あるよ、勇者には、蒼真君には、みんなが犠牲になるだけの価値が。だって、神様が求めているのは勇者だけだから。そして、その資格があるのも蒼真君だけ」

「神様のお気に入り、か。クソみたいな理由が出てきたもんだ」

「神様のご意思は絶対だよ? 他に優先するものなんて、何もない」

「小鳥遊、お前そんなに信心深かったのか。この邪教徒め」

「小鳥は別に、みんなと同じように神様なんて心から信じてはいなかったけど……この異世界には実在するって分かったから。それに、小鳥のことを選んでくれた」

「おいエルシオン、明らかに人選ミスだぞ。今すぐ僕にゲームマスターの権限を寄越せ。最強のチート勇者を育ててやるぞ」

「ふふふ、ダメだよ、神様は蒼真君と小鳥を選んでくれたんだから。これは運命なの。誰にも変えられないし、変えさせない」

「……驚いたな。お前、本当に蒼真君に惚れてたんだ」

「小鳥に相応しい男は、この世で蒼真君だけだよ」

 あちゃー、コイツ女王様気取りだよ。とんでもねー地雷女だな。

 蒼真君、悪いこと言わないから、君のハーレムメンバーから一人を選ぶなら、僕は夏川さんをオススメするよ。

 甘いモノさえ与えておけば満足する、チョロくて可愛い盗賊だよ。

 他の女は地雷すぎる。

「だから、小鳥は本気で怒ってるんだよ。桃川君がウザすぎて」

「僕から言わせると、蒼真君が頼りにならないのが悪いんじゃないの? そもそも、勇者育成シナリオ的には、蒼真君が率いて挑めば犠牲確実だったみたいだし」

 一方、僕の作戦は大当たり、ってほどではないけれど、結果的には犠牲者ゼロで大勝利だ。

 どちらの作戦指揮が優れていたか、なんてのは比べるべくもないと思うけどね。

「分かってないなぁ。クラスメイトなんて雑魚をいくら生かしたところで、意味なんてないんだよ」

 つまるところ、僕らは生贄なのだ。神によって選ばれた生贄。

 その命を捧げるからこそ、意味がある。死なない生贄に、意味はない。

「悲劇的な犠牲者がいるから、勇者の力は目覚める」

 つまり、僕の活躍は勇者の、いわば覚醒と呼ぶべき新たな力の目覚めを妨害する行為なのだ。

 死にたくない。誰も死なせたくない。

 その意思こそが、女神エルシオンに対する反逆だと言うならば、

「だからね、桃川君がいくら頑張っても邪魔なだけなの」

 小鳥遊は心底蔑んだような目を僕に向けて、言い放った。

「――呪術師は勇者になれない、んだよ」

第243話 裏切り者(2)

「ぐ、うぅ、桃川ぁ……」

「流石は蒼真君。デススティンガーの毒を盛られても、まだ喋れるなんてね」

 体を蝕む猛毒に抗いながら、俺はやっとの思いで体を起こす。

 他のみんなは、もう呻き声をわずかに漏らすだけで、体はピクリとも動かず倒れ伏したまま。

 多少なりとも体が動き、会話できるだけ意識を保っていられるのは、俺だけのようだ。

「な、何故だ……どうして、裏切った……」

「馬鹿だなぁ、君らの方こそ、どうして僕なんか信じたの?」

 信じるさ……俺は、この学園塔での生活を通して、お前のことを確かに見直した。

 桃川はレイナを殺した、許せない仇だ。

 けれど、その恨みを棚上げして、ヤマヤノオロチを倒すために協力してきた。

 俺も、みんなも、精一杯に頑張ったさ。けど、一番頑張っていたのは、お前だったはずだ。

 嘘、だったのか……お前がこれまで積み重ねてきた努力も、築き上げた信頼も、全部……

「ヤマタノオロチは僕だけじゃ倒せないからね。みんなに協力するのは当然だし――」

 桃川はゆっくりと俺の方へと歩み寄る。

 何の罪悪感もなく、いつもと同じ野良猫みたいな飄々とした表情で。

「――用が済んだら、始末するのも当然でしょ?」

 ガツン、と頭を蹴飛ばされ、再び地面へと突っ伏す。

 何の威力もない桃川の子供みたいな蹴りだが、猛毒に蝕まれた今の体にはなかなかの痛打だ。

 もしかして、修行の模擬戦で容赦なく切り捨てたこと、根に持ってたりするのか。

「こ、こんなことが……許されると、思っているのか……」

「許す? 誰が、誰を? いいかい蒼真君、僕は呪術師だ。他人を呪う外道な天職。真っ当な倫理観を求める方がおかしいんだよ」

 そうだろうか。

 素直にそれに頷けないほど、俺は、いいや、俺達はお前の呪術に救われてきた。

 美味しい食事、熱い風呂、温かい寝床。この学園塔に住んで不自由しないのは、お前のお蔭だった。

 けれど、それすらも俺達を油断させるための罠だったのか。

「それにさぁ、誰だってこんな状況になれば、自分が助かるのを最優先にするでしょ。忘れちゃったのかな、僕らはここで、命を賭けたサバイバルをしているんだよ」

「それでも……お前は、俺達が全員、助かる道を示しただろう……どうしてだ、その通りにすれば、俺達は……」

「まぁ、自分でもそれなりに筋の通った説だと思うよ。お蔭でみんな、最後の最後まで油断しきってくれたよね」

 そうさ、それだけの希望が、お前の話にはあった。

 俺達なら、この二年七組なら、一致団結すればダンジョンだって全員で脱出できると。みんなが信じたし、それを信じさせるだけのことを成し遂げたのは、お前自身だったはずなのに。

「でも、僕はこんな場所さっさと出たいんだよ。この呪術師の力があれば、中世ファンタジーみたいな異世界でだって、好きなように生きていける」

「桃川……お前がいれば……俺達はみんなで、ここを抜け出せる、はずだ……」

「そんなのに付き合うのは御免だよ」

 どこまでも見下した冷たい目で、桃川は再び俺に蹴りをくれた。

「ここさえ越えれば、もう最深部まで直行だ。天送門は三人使えるみたいだけど……悪いね、僕一人で使わせてもらうよ」

「お、お前は……双葉さんすら、裏切るというのか……」

「あはは、ブタバなんていらないよ」

 俺を殺すなら、まだいい。

 お前にとって、やはり俺は敵だったと納得もできる。

 けれど、双葉さんは違うだろう。

 お前がいなくなった後、彼女がどれだけ心配していたか分かっているのか。双葉さんには俺達全員と敵対してでも、お前の味方をする覚悟があったんだ。

 その全幅の信頼すらも、お前は簡単に切り捨てるのか。

「も、桃川ぁ……」

「睨んでも無駄だよ。勇者の力にも限界はあるしね。それに、助けを期待しても無駄だよ」

 俺の内の残る僅かな希望さえも打ち砕くように、桃川は言う。

「天道は転移魔法陣で追放してるから。エントランスで呑気にタバコ吹かしてるところをね。知ってた? ここの転移魔法陣って、他にも結構、色んな所に飛べるんだよ」

 くそ、桃川の奴、先に龍一を狙っていたのか。

 龍一なら、寸前で毒に気づいたか、あるいは、毒が効かないスキルも持っていたのかもしれない。

 それを警戒して、龍一だけ別な手段で排除した。

 まさか、桃川が小鳥遊さん以上に転移魔法陣を扱えるなんて……それに、コイツは確信をもって次が天送門のある最深部だと断言していた。

 何故、そんなことまで知っている。どうして分かる。

 桃川は一体、どこまで俺達の知らない情報を握っているんだ。

「本当にバカだよ、蒼真君。僕のことを最後まで疑っていたのは小鳥遊だけだったよ。アイツを信じるべきだったね」

 小鳥遊さんは、このことを言っていたのか……桃川は信用ならないと、あんなタイミングで。

 けれど、誰も死なせずにヤマタノオロチを見事に討ち果たしたことで、俺は完全に油断していた。彼女の忠告なんて、すっかり忘れて。

『賢者』の言うことが正しかったのだ。

「これが最後だし、何か聞きたいことがあるなら今の内だよ? まぁ、毒が回って、もう満足に喋れないかもしれないけど」

 そうして、再び桃川の高笑いが響き渡る。

 信じていた仲間が倒れる中で、一人、笑い声を上げる姿は悪魔そのものだ。

 死ぬのか、俺は……こんなところで、こんな奴に……

 けれど、どれだけの悔恨を抱いても、体の中は毒の苦痛に塗れて、何の力も湧きあがって来ない。

 ちくしょう、何が『勇者』だ……こんな時に、何もできず無様に倒れたままだなんて。せめて一矢報いなければ、死んでも死にきれない。

 許せない。許せるはずがない。

 レイナだけじゃない。桃川は、俺も、みんなも、何もかも全てを裏切った。

 決して、こんな悪を許してなるものか――

「くっ、は……」

 それでも、思いとは裏腹に肉体は死への一途をたどるのみ。

 ダメだ、もう、息をするだけでも苦しくなってきた。

 体は……指先がかろうじて動く程度。

 剣を握るどころか、もう立ち上がることさえできそうもない。

「……」

 何の意味もない、無駄な悪足掻きとも言えない、最後に俺ができたことは、ただ何かを求めるように、腕を伸ばすだけ。

 伸ばし切った指先が、ピクピクと痙攣するように動くだけで精一杯。

 もうそんな動きすらもできなくなるだろう――そんな予感が過った、その時だった。

 指先に、光が灯ったような――




「……別に、僕は勇者になりたいワケじゃないし」

 努力はしてきたさ。

 まずは自分が生き残るために。

 次はメイちゃんのために。

 今はみんなで生き残ることを、本気で考えている。

 勇者だろうが、英雄だろうが、どうでもいい。名声なんて欲しくはないし、僕のことを最後まで認めてくれなくたって構わない。

 ただ、みんなが生き残ってくれれば、それだけで良かったのに。

「桃川君の気持ちなんてどうでもいいことだよ。邪魔なんだから排除するのは当然でしょ。ホントに手間をかけさせてくれたよね」

「もしかしてバレるかも、ってビビりながら今まで過ごしてたのか? それはご苦労なことだね」

「ふふ、その減らず口ももうすぐ聞けなくなると思うと、ちょっと寂しいかも」

「それはどういう予定なワケ? お前と蒼真君の二人だけ生き残っても、僕を殺すならどっちか片方は死ぬことになるけど」

「小鳥、蒼真君と二人きりになるのは、今すぐとは言ってないよ?」

 2階妖精広場の毒殺現場にいる分身の方の僕は、蒼真君に向かってベラベラとお喋りの真っ最中。

 如何にも蒼真君がキレそうな内容を、迫真の演技で分身の僕は語っている。なんでだよ、本物の僕はあんな嫌味っぽく話さないだろう。なに素直に騙されてんだ。これだから鈍感ハーレム野郎は。

 しかし、ここまで念押しする理由はあるのだろうか……いや、あるんだろう。

 蒼真君のヘイトを僕だけに向けるための演技。

 いいや、それに加えて、恐らく本命は、時間稼ぎの演出だ。

「お前、まだみんなを利用するつもりか」

「みんなはいらないけど、必要な人はちゃんと残すよ。勿論、明日那ちゃんもね。小鳥の親友なんだから!」

 あははは、と屈託なく笑いながら、小鳥遊は自慢げに語る。

「よく見ててね、桃川君。ここからがいいところなんだよ。まず、邪悪な桃川君の企みを唯一見抜いていた小鳥が、なんとこっそり解毒薬を持っているのでーす」

 自演乙、と言って欲しいのか。

「それで、まずは蒼真君を治して、次に桜ちゃん、それから明日那ちゃんと委員長と――うーん、残念、ここでもう解毒薬はなくなっちゃいまーす!」

 毒を盛るかもと疑ってるくせに、全員解毒できるだけの量を持ってないとか頭おかしいんじゃないのか。

 あまりに都合が良すぎる分量だと、疑われるぞ。

 僕なら絶対、疑うね。コイツ、仲間を間引くために最低限の解毒薬しか持ってなかったぞと。

「おい、そこはせめて夏川さんまでは助けてやれよ」

「アレはもういらない。ホントはオロチ相手に犠牲になって、蒼真君が覚醒してくれるはずだったのに」

「光の剣に加えて、光の盾まで出せるようになったんだぞ。十分、覚醒しているだろう」

「この段階で『天の星盾セラフィックイージス』だけじゃ足りないよ。もう第三固有スキルには目覚めてもらわないといけないのに」

 コイツは勇者のスキルツリーも見えてんのか。

 どうやら、小鳥遊には明確に僕が邪魔したせいで、どれくらい勇者の成長度合いが滞っているのかも判別できているらしい。

 流石はゲームマスターというべきか。圧倒的な情報アドバンテージだな。

「それで、お前らだけ生き残った後は……」

「そこから先は、桃川君が気にする必要はないでしょ? だって、これから処刑されるんだから」

 なるほど、処刑と来たか。

 そりゃあ、素面で僕を殺せるヤツはいないからね。

「ふふふ、縛ってその辺に転がしておけば、魔物が勝手に食べてくれるからね」

 僕を殺すならそれが妥当だろう。

 道連れの能力は、それを相手に伝えて理解できるからこそ、身を守る盾として機能するのだ。野生の魔物に対しては、自爆覚悟の最終手段にしかならない。

「安心して、ちゃんと桃川君が食べられるところ、最後まで見ていてあげるから」

「襲われるならリビングアーマーがいいかな。急所狙いで一撃で殺してくれそうだし」

「ゴーマに差し出してあげる。村を襲って虐殺したし、人体実験の真似事もしたし、因果応報ってヤツじゃないかな?」

「それじゃあお前は、ゴーマに嬲り殺しにされるよりも酷い死に様するぞ、小鳥遊」

「その舐めた口のきき方さ、5分後もしてられるかな、桃川君? さぁ、解毒の時間だよ」

 処刑宣告でもするように言い放ち、小鳥遊は笑った。

 そして、倒れた蒼真君を足蹴にして、笑っている分身の方の視界に注目すると――隅の方で目立たないよう倒れている小鳥遊が、ゴソゴソと動き始めているのが見えた。

 解毒薬を使うつもりだ。

 分身の制御は取り戻せない。レムもあの場には居ない。

 小鳥遊を止める手段はない――

「――っ!?」

 だが、小鳥遊が声を抑えながらも、驚いた。こっちのも、あっちのも。

 まるで、想定外のことでも発生したかのようなリアクションだが……残念ながら、僕は何もしていない。

 じゃあ、誰だ。誰が動いたのだ。

「――さない」

 妖精広場に、眩い輝きが迸る。

 神々しく白く輝くその光は、ゆっくりと立ち上がった者の体から発せられていた。

「こんなこと、絶対に許しませんよ、桃川!」

 白く輝く光を纏いながら、蒼真桜が立ち上がっていた。

「どうして桜が!? そんな、先に『聖女』の力が目覚めるなんて、こんな時にぃ!」

 そんなに桜ちゃんが覚醒した風なのが驚きなのか。

 広場に寝転ぶ本体の方は解毒薬を漁る動きも止めて黙り込んでいるが、僕の目の前にいる幻影の方の小鳥遊が叫んでいる。

「おい、どうした小鳥遊、詳しく」

「うるさいな、黙っててよ!」

 ちょっと想定外の事が起こって焦ってるのかーい? へいへい、賢者ビビってるー。

 煽りたいところだけれど、僕は分身の視覚を通して、広場の様子を注意深く観察する。

「卑劣な毒殺など、この私には通じなかったようですね。『聖女』として、私はみんなを救う力を授かりました」

 分身の僕に向かって、桜は名探偵が犯人を暴くかのようにビシっと指をさす。

 その卑劣な毒殺を目論んだ真犯人の小鳥遊は、お前の後ろで狸寝入りしてるけど。

「そ、そんな馬鹿な、聖女の力だと……デスストーカーの毒を解毒したというのか!?」

 小鳥遊の野郎、分身の僕を使ってわざとらしく探りを入れてやがる。

 分身の僕は、如何にも想定外のことが起こってうろたえてます、みたいな感じになってるけど、小鳥遊本人の今の気持ちも同じだろう。

「聖なる輝きよ、悪しき力を祓い給え――『破邪顕正マリグナント・プリフィケイション』!」

 桜が高々と右手を掲げると、そこから激しく白いフラッシュが瞬き――この魔力の感覚は、なんだ、治癒魔法のような、ポーションを飲んだ時のような。分身を通しても、強い魔力が発せられているのを感じた。

 どうやら、肉体に対して回復効果を発揮する輝きのようだが、単純な治癒とも異なる感じもする。

 けれど、悪しき力を払うと言いつつも、その光の波動が収まっても、呪術である分身は消滅することはなかった。

 お蔭で、桜の放った『破邪顕正マリグナント・プリフィケイション』の効果を見届けることもできた。

「うっ……さ、桜、これは……」

「はぁ……はぁ……ど、毒が治ったの?」

 息も絶え絶え、といった様子ではあるが、まずは蒼真君が、続いて委員長が立ち上がった。

「う、うぅ……」

「うーん……」

 他のクラスメイト達も、ゾンビのような唸り声を上げながら、それぞれ動き始める。

 どうやら、毒を受けた全員に解毒効果は作用したようだが……何故だ、メイちゃんだけは倒れたままピクリとも動かない。

 まさか桜、テメぇ……

「この新しい聖女の力で、みんなの毒を治しました。もう大丈夫です」

「そうか……ありがとう、桜、助かった」

 ここぞとばかりに兄貴へ寄り添う桜だが、すでに力を取り戻しつつあるのか、蒼真君は自らの両足でしっかりと立った。

 そして、妹へ向ける親愛の表情から一転、許しがたき怨敵に鋭い視線を向ける。

「桃川、覚悟はいいか」

「く、くそぉ……こんな馬鹿なことが!」

 追い詰められた小悪党臭い、実にわざとらしい台詞を分身が叫んでいる。

 まぁ、この状況では、僕の分身一体だけで、当初の予定通りの流れに戻すのは不可能だろう。

「ふん、桜が余計なことしてくれたけど、桃川君を処刑するのは変わらないからね」

 不機嫌そうではあるが、それでも完全に余裕は失っていない幻影の方の小鳥遊が、僕へと言う。

「そりゃあ、この流れで誤解を解くのは無理だよね。どう考えても、このまま怒りに任せて僕を殺しに来るだろうさ」

 分身の方を見れば、おお、分身越しでも感じるこの壮絶な殺気。

 武器こそ持っていないが、蒼真君は真っ直ぐに分身の僕へ向かって右手を突き出し――閃光が瞬く。

 痛みはない。だが、分身の負傷具合は即座に分かる。

 どうやら、光の矢が頬をかすめて飛んで行ったようだ。

「分身か。桃川、本物のお前はどこにいる」

 蒼真君は怒り狂っているに違いないけれど、抜け目はないね。

 そのまま真っ直ぐ殺しにかかるんじゃなくて、まずはちゃんと軽傷を負わせて僕が本物かどうか確認してるよ。

「蒼真君! 本物の桃川君はまだ学園塔にいるよ! 絶対に逃がさないで!」

 ちゃっかり桜の解毒で治りました、みたいな風を装って、フラついた演技をしながら小鳥遊の本体が叫んだ。

「そうか――」

 そこで、分身の視界と繋がりは完全に途切れた。

 見事なまでの攻撃魔法によるヘッドショット。蒼真君、これはガチで僕を殺しにかかって来ているな。

「というワケで、もうすぐここに怒り狂ったみんなが雪崩れ込んでくるよ」

 そりゃあそうだろう。学園塔は広いけれど、隠れられる場所はそれほどでもない。

 鬼が17人でかくれんぼすれば、あっという間に見つかるだろう。

「開けて」

 小鳥遊の一言命令によって、今度はズズズズ、と密会部屋の扉が開いていく。

 ここで扉が閉まりっぱなしだと、みんなが入って来れないから困るだろうし、下手に学園塔の機能を弄った疑いを、小鳥遊は避けたいはずだ。

 だから、僕は待っていた。

 お前が再びこの扉を開けるのを。

「レムぅうううううううううううううううううううううう!」

 開いた瞬間、声の限りに叫びながら、僕は階段へと飛び出した。

第244話 裏切り者(3)

「レムぅうううううううううううううううううううううう!」

 小鳥遊、もしも本気で僕を殺すつもりなら、お前は多少の疑惑を向けられるリスクを負ってでも、僕をこの密会部屋に幽閉して餓死を狙うべきだった。

 そうすれば、僕は本当に手も足も出ずに閉じ込められっぱなしだったさ。

 でも、お前はよっぽど僕がクラスメイトにつるし上げられて、処刑されるという惨めな末路を見たかったんだろう。

 そのくだらない恨みとゲスな根性が、お前の敗因だ。

「――おい、いたぞ!」

「待てよ、桃川ぁ!」

 密会部屋を飛び出した僕は、一目散に一階エントランスを目指して階段を駆け下りているのだが、早くも動き出したクラスメイトに捕捉されたようだ。

 この声は上田と中井か。

「桃川君が一階から逃げる! みんな早く追って!」

 ついでとばかりに、姫野の叫びも聞こえてきた。

 クラスメイトは小鳥遊の言葉を信じて、僕本体が学園塔のどこかに隠れ潜んでいると踏んで、みんなで探し始めていたようだ。

 けど、こうして僕が速攻で飛び出してきたから、すぐにみんなも集まって来るだろう。

「待って、桃川君、貴方は――」

 悪いね、委員長、今はゆっくり釈明する暇もなさそうなんでね。

 ちょうど二階の妖精広場から顔を覗かせた委員長を尻目に、僕は全力疾走の一段飛ばしで階段を駆け下りる。

 うん、マジックアイテムつぎ込んで強化された学ランのお蔭で、僕の走力もちょっとしたもんだ。

 クラスメイトの誰にも捕まることなく、僕は正面入り口が開け放たれた一階エントランスまで無事に辿り着くことができた。

「――やはり来たな、桃川」

 そして、この学園塔唯一の出入り口である正面入り口には、すでに愛剣を手にした蒼真君が仁王立ちして待ち構えていた。

「卑劣で姑息な桃川のことです。必ず、真っ先に逃げ出してくると思っていました」

「やはり、私の勘は間違っていなかった。桃川、お前は邪悪な呪術師だったな」

「も、もう逃げられないんだから、桃川君!」

 エントランスには、弓を手にした桜と、すでに抜刀した明日那。

 そして真犯人の黒幕裏切り野郎、小鳥遊小鳥が涙目の被害者面全開で僕を睨んでいた。

「おい、桃川ぁ!」

「ちくしょう桃川、お前なんで裏切ったんだべ、信じてたのによぉ!」

 逃げ場を塞がれた僕が立ち止まったことで、すぐにクラスメイト達も階段から落ちて一階まで集まって来た。

 先頭切って現れたのは、蘭堂さんと下川だった。

 ああ、蒼真君や桜ならまだしも、君らにそういう目で見られるのは、流石に僕も苦しいよ。

「おい、何やってんだ、早く捕まえろ!」

「相手は桃川君だよ、放っといたら何するかわからない」

 みんなよりも先んじて、エントランスのど真ん中で止まっている僕へ襲い掛かろうとしたのは、山田と中嶋だった。

 二人とも素手だが、僕如き捕まえるには十分すぎるほどの実力者だ。強化学ラン着ててもロクに抵抗できずに、あっさり取り押さえられるだろう。

 そうなると、勢いのまま処刑コースまっしぐらだから、まだ捕まるワケにはいかないんだよね。

「グガァアアアアアアアアアアアアアッ!」

 そこで、ようやく僕のレムが現れた。

 黒騎士を筆頭に、アラクネ、アルファ、ミノタウルス、とヤマタノオロチ討伐を戦い抜いた主力であり最精鋭のレム全機が、僕を守るように四方を囲んだ。

 小鳥遊はレムを最初から排除すれば、僕が勘づくと思ったのだろう。全機無事ではあったが、僕が密会部屋で目覚めた時点では、一階も封鎖されて閉じ込められた状態だった。

「ちいっ、無駄な抵抗を」

「もう諦めろよ桃川ぁ!」

 そう言うなよ、ジュリマリコンビンよ。

 自分らに毒殺を図った上に天道君まで陥れたと思っているのだから、二人の視線はなかなかの怒気に満ちている。

 けれどそんな二人も、他のクラスメイトも、すでに武装を完了させたレム達を前に、そのまま飛び掛かるのを躊躇はしてくれたようだ。

 そりゃあ、みんなレムの強さは知っているし、ちゃんと武装してるのは先に一階に来ていた蒼真ハーレムだけだからね。みんなも素手でレムに挑みたくはないだろう。

 さて、ざっと見たところ、メイちゃんだけを除いてクラスメイト全員がエントランスに集結したことになる。

 レムを盾にしての膠着状態も、そう長くは続かないだろう。

 言いたいことを言うのは、今しかない。

「僕は裏切っていない。裏切り者は、小鳥遊小鳥だ」

「命乞いの言葉でも出るかと思えば……言うに事欠いて、他人のせいにするとはな、桃川!」

「どこまで腐っているのですか!」

 蒼真兄妹の叫びを無視して、僕は語り続ける。

「『賢者』は特別な天職だ。女神エルシオンに選ばれて、僕らがダンジョン攻略するのを、神のシナリオ通りに進むために監視している、ゲームマスターだ」

 言い合いはしない。一方的に話して、情報を叩きつける。

 今は信じなくてもいい。

 けれど、いつか、真実に気が付いてくれる時が来るかもしれないから。

「神の目的は、蒼真君、『勇者』を育てることだ。僕らはそのための引き立て役。ボス戦とか適当なところで、悲劇的に死んで、蒼真君に勇者の力の覚醒を促す。そのための生贄だ」

「ふざけるなっ! そんな戯言を、信じると思っているのか!」

「ヤマタノオロチは、僕らに確実に犠牲を強いるために用意された特別なボスだ。でも、僕の作戦で誰も死なずに倒されたから、小鳥遊は焦った。神の望み通りに進めるためには、どうしても僕が邪魔。だから、こんな手段に打って出た。打たざるを得なかった」

「そ、蒼真君! 違うよ、小鳥、なんにも知らないよぉ!」

「ああ、分かっているさ、小鳥遊さん」

「僕はさっきまで密会部屋で小鳥遊に監禁されていた。広場にいた分身は、小鳥遊が僕の『双影』を奪ったモノだ。操っていたのは僕じゃなくて小鳥遊で、毒を盛ったのも小鳥遊だ。自分だけ解毒薬も持ってるよ」

「桃川、もうよせ、聞くに堪えない」

 強制的にでも、僕の言い訳を遮ろうと言うのか、蒼真君が剣を構えた。

「証拠がある」

 自信満々に言い切った僕の台詞に、蒼真君の動きが止まる。

 頭から信じたワケではない。その視線は、少しでも怪しい動きをしないか、鋭い警戒心に満ちている。

 それでも、彼は確かに僕が提示する証拠に、興味を持った。

「今の話は、ついさっき小鳥遊から聞いた。その時の会話を録音してある」

「ウソだよそんなのっ!」

 小鳥遊の叫びだけが響く中で、僕は学ランのポケットから、物的証拠を取り出した。

「僕と委員長だけは、学園塔内でも携帯を持ってるんだよね」

 そう、目安箱の相談を受け付けるために、委員長である僕と如月涼子の二人だけは、携帯電話の所持を許可されている。

 だから当然、僕も持っていた。肌身離さず、ついさっきもね。

「ポケットの中で動画撮影したから真っ暗だけど……ギリギリ、会話が聞こえる程度にはとれていると思うんだよね」

 やっぱり小鳥遊は『賢者』の能力を貰っただけで、アイツ本人はそこまで賢くないな。

 お前が分身の僕を悪役演技させている最中に、僕がポケット漁ってたのにも気づかなかっただろ。

 僕のガラケーって、上の部分を捩じってカメラモードに変形できるんだけど、その状態でスイッチを押すと動画撮影に切り替えることもできるんだよ。スマホみたいに画面を見ていなくても、動画撮影モードを起動できる優れもの……まぁ、初めて使ったんだけどね。

 でも、ポケットの中チラ見して、バッチリ録画中になっているのは確認したから、証拠音声がここに収まっているのは紛れもない真実だ。

「……」

「蒼真君!?」

 僕が掲げた物的証拠である黒いガラケーに、蒼真君の、いや、クラスメイト全員の視線が集中するのが分かった。

 今この瞬間、裏切り者が僕ではなく、小鳥遊かもしれない――そんな疑念が、僅かながら、けれど確かに発生した。

 そう、重要なのは可能性。

 必ずしも0じゃない、ありうるかもしれない、そういう思いが生まれるからこそ、付け入る隙が見つかる。

 状況的には圧倒的に僕は不利だろう。

 けれど、それでも一度、ちゃんとした釈明の場、いいや、交渉の席につくことができれば――


 バキィイン!


 と、僕の手にあったガラケーは木端微塵に砕けた。

 光り輝く、一本の矢によって。

「兄さん、この期に及んで、アイツの言葉なんかに耳を貸してはいけません。きっとあの携帯は罠です」

 桜、お前まさか小鳥遊の『イデアコード』で操られ……てないな。

 コイツ、素で撃ちやがった。

 真実を明らかにできる貴重な物的証拠を、非常に個人的かつ感情的な決めつけで破壊したぞ。まさかここまで短絡的な行動に出るとはね、流石の僕も予想しきれなかったし、地味に超人的な弓の腕前のせいでレムの護衛もすり抜けてピンポイントで撃ち抜きやがって。

「証拠を壊したってことは、それだけ後ろめたいことがあるんだろう!」

「ふん、どんな呪いを仕掛けていたかは知りませんが、その手には乗りませんよ。騙されないでください、兄さん」

「……ああ、そうだな。お前はいつも、そうやって自分のペースに引き込むからな」

 ちいっ、流石に証拠動画という手札を失ってしまっては、交渉も説得も不可能だ。現状では、僕は保身のために突拍子もない嘘を言って誤魔化そうとしている、としか思われない。

「僕を信じてくれないのか。誰も、僕を信じないのか」

 後ろを向いて、クラスメイト達を眺める。

 彼らの表情は、怒りであったり、恐れであったり、まるで未知のモンスターでも見るかのような顔だ。

 けれど、僕は今、どんな顔をしているだろう。

「ヤマタノオロチを倒しただろう。僕はみんなのために、あれだけ頑張った。最後は自分の命だって賭けて、コアを破壊した」

 自分で自分の顔色も分からない。

 僕はこの最悪のピンチを脱するために、自分では冷静に思考を回して最適解を導き出し、それを実行しているつもりだけれど……心の中は、色んな感情が渦巻いて混沌と化している。

 今すぐ泣き出したい気もするし、怒りに任せて怒鳴り散らしたい気もする。

「みんなで脱出する計画だって、本気で考えたし、必ず成功させると神に誓った」

 小鳥遊の罠にはまり、まんまと濡れ衣を着せられ、一瞬で全員からの信頼を失った。

 普通に考えて、絶望するには十分すぎる。

 命を預けられる仲間だと思った。ヤマタノオロチ討伐を経て、そう思えるほどになった。

「僕は裏切っていない。本当の裏切り者は小鳥遊小鳥だ! 僕を信じてくれ!」

「――もうやめろ、桃川。お前はもう、みんなの信頼を裏切った。誰もお前を、信じたりはしない」

 冷たい蒼真君の声だけが、エントランスに響き渡った。

 そして、それが答え。二年七組の総意。

 誰も、誰一人として、僕を信じると声を上げる者はいない――

「待ってよ、桃川! ウチは信じる!」

「……蘭堂さん」

「桃川が裏切るワケねーだろ! お前ら、あんだけ桃川に頼ったくせに、なにあっさり見限ってんだよふざけんなぁ!」

 そのストレートな怒声に、クラスのみんなが、いいや、きっと僕が一番驚いた。

 この状況下だ。自分で言うのもなんだけど、どこに僕の言い分を信じる要素があるよ。

「ウチは桃川を信じるぞ! 小鳥遊の方が怪しい!」

 蘭堂さん、ちょっと馬鹿なところあるよなぁと思ってはいたけれど、まさかここまで馬鹿だったとは。

 ありがとう、蘭堂さん、愛してる。

「حدد إحداثيات البداية――転移魔法陣起動」

 僕がそう呟くと、いつものように、エントランスの転移魔法陣が起動し、白い輝きを発した。

 発音はかなり怪しいが、それでも魔法陣はちゃんと音声認識してくれる。ちなみに、『起動』『座標』『選択』、という三つの単語を続けただけの簡単な言葉だ。

 全部、ヤマジュンが教えてくれたよ。

「ッ!?」

「驚いたか、小鳥遊? 僕も使えるんだよ、この転移魔法陣をね」

 古代語で呪文を唱えて起動した瞬間、小鳥遊の顔色が一瞬変化したのを僕は見逃さなかった。

 どうしてお前が、とでも言いたげ顔してたな。

 そりゃあそうだ。僕には古代文字の解読ができないと思っていたから、このエントランスまで逃げ込んできても余裕こいていられたんだろ?

 お前は嘘の演技で分身に「天道君を転移で追放した」と言っていたけど、それは半分正解だ。

 天道君を騙し撃ちで飛ばしたのは小鳥遊だけど、やろうと思えば僕だって同じことができる。

 小鳥遊、お前はずっと黙って隠し続けていたけれど、この転移魔法陣にはまだまだ、色んな機能があるよなぁ?

「蘭堂さん、もし僕を本当に信じてくれるなら、一緒に来て欲しい」

 すでに覚悟は決まっているとばかりに、蘭堂さんはすぐさま一歩を踏み出した。

「おい、杏子!」

「ちょっと、待てって!」

 慌てて制止の言葉を上げたのは、やはり友人であるジュリマリコンビだった。

「止めんなよ、ジュリ、マリ。ウチは桃川と一緒に行く」

「こんな時にバカ言うなよ!」

「そうだぞ。アタシら、さっき死にそうになったばっかだろ!」

「ウチは桃川がやったとは思わないし、今言ったことも信じる。だから、犯人の小鳥遊と一緒にいる方がイヤだし」

「落ち着けよ、杏子、お前自分で何言ってるかわかってる?」

「これでホントに桃川犯人だったらどうすんだよ!」

「そん時はしょーがないよ。それに、そういうのはアンタ達も同じでしょ? 小鳥遊が犯人だったら、絶対またみんなの命を狙うってことだよ。二人とも、マジで気ぃつけろよ?」

 逆に説得の言葉を口走る蘭堂さんに、ジュリマリの二人も困惑したような、諦めた様な表情になる。

 これはアレか、杏子は意外と頑固なところがあるからな的な、友達同士だから通じ合う感じなのだろか。

 それ以上、何も言い合うことなく、蘭堂さんは僕の隣までやって来た。

「蘭堂さんの他に、僕と一緒に行きたい人はいる? できれば、今すぐメイちゃんも連れてきて欲しいんだけど」

「ふざけるな、お前の思い通りになどさせるか!」

 蒼真君がいよいよ剣を構えて、僕の逃亡を許さんとばかりに気炎を上げる。

「絶対にアイツを逃がすな! ここで逃がせば、必ず復讐しに戻って来るぞ!」

 憎悪たっぷりな明日那の叫びに、クラスメイト達もざわめく。

「た、確かに、ヤバそうだな」

「やっぱ捕まえた方がいいんじゃね?」

「そうだべ、もし桃川が犯人だったら、俺ら絶対後で呪い殺されるべや」

 おい上中下トリオ、そんなに僕がわざわざ復讐しに戻って来そうな性格だと思っていたのかよ!

 あんな雑魚放っておけ、くらいの余裕を見せろよな。

 まぁ、あれだけ盛大に毒殺仕掛けた犯人だと思えば、危機感も持つのはしょうがない。

 それに、元より口先だけで足止めできるとも思わなかったさ。

「行け、レム!」

「ブルゥウァアアアアアア!」

「キシャアアアアアアアアア!」

 雄たけびを上げて、僕を転移魔法陣から引きずり出そうと動き始めたクラスメイトに向かって、ミノタウルスが立ちはだかる。

 同時に、アラクネが蜘蛛糸フルバーストで、全力で足止めを仕掛ける。

 小鳥遊以外のクラスメイトは殺すわけにはいかないので、ミノタウルスには盾しか持たせていない。

 アラクネも蜘蛛糸ぶっ放すのがここでは一番効果的なので、武器は持たせていない。変わりに、色々と荷物は運んできてもらったけど。

「桃川君、お願いよ、抵抗はやめて戻ってきて! まだ話し合いで、解決できるはずよ!」

 レムとクラスメイトが揉み合っている中で、委員長が声を張り上げて叫んでいる。

 ごめんね、委員長。先にみんなの方を止めてくれない限りは、僕も交渉の席につくこともできないんだよね。

 それに、携帯の証拠動画を失った今、僕の言い分を証明するには分が悪すぎる。

 そもそも、小鳥遊は本気でクラスメイトの大半を毒殺しようとした最悪の裏切り者だ。話し合いで解決できる段階は、とうに過ぎている。

 ケリの付け方は、もう僕が死ぬか、奴が死ぬかしかありえない。呪術師と賢者の殺し合いだよ。

「はぁああああ!」

 鋭い掛け声と共に、黒騎士レムの首、もとい、兜が飛んだ。

 やはり剣を持っている蒼真君を止めるのは厳しいな。

 黒騎士の方は大剣に大盾と完全武装させてあるけれど、数十秒ほど蒼真君達を足止めするのもギリギリといったところか。

 けど、レムはリビングアーマーの特性を生かして、首が飛ばされても変わらず守備を貫いてくれた。

 よし、そろそろ時間だ。

「みんな、気を付けた方がいいよ。僕も、今発動させた魔法陣がどこに転移するか分からないからね。下手に巻き込まれて分断されたくはないでしょ?」

 いよいよ転移発動寸前、とばかりに輝きを増していく転移魔法陣。

 蒼真君をはじめ、他のクラスメイトもレムの守りを強引に突破しようとするのが、流石に躊躇し始めた。

「逃がしませんよ、桃川! なんとしても、ここで――」

「アルファ!」

 殺す気で桜に飛び掛かれ。

 ああ、真っ赤なボスラプターを素材にしたアルファは思い出深い機体だけれど、この窮地を脱するためなら致し方ない。

「くっ、このぉ!」

 獰猛な雄たけびを上げて飛び掛かってくるアルファに対し、流石に桜も弓の狙いを僕から目の前の敵へと切り替える。

 隣では明日那も蒼真君も、素早くアルファに向かって剣を振りかぶっている。

 次の瞬間にアルファは斬り捨てられるだろうが――十分に時間は稼いでくれた。

「くそっ、待て、桃川!」

 完全に転移が発動状態に移行したことを示す、眩しい輝きがエントランスに満ちていく。

 すでにアルファに一撃加えて捌き切った蒼真君は、強い怒りの感情を目に浮かべて僕を睨みつけているけれど、僕は彼のことは見ていない。

 僕が睨む先にいるのは、全てを知った上で神の手先に成り下がった、愚かなる『賢者』小鳥遊小鳥。

「僕は必ず戻ってくる。メイちゃんも、みんなのことも、絶対に助けに戻ってくる」

「……」

 眩い輝きの向こうで、小鳥遊もまた僕を睨んでいた。

 その円らな瞳に浮かぶのは、蒼真君のような純粋な怒りなどではない。

 馬鹿みたいに調子こいたせいで、毒殺は失敗し、僕を取り逃がすことになったのだ。

 確かに、みんなは僕を信じなかったけれど、かといってお前を全面的に信頼するヤツは、果たして何人いるだろうな?

 バカなお前が、みんなに「もしかして……」と疑われる中で、これからも今までみたいに上手に化けの皮を被っていられるか。

 小鳥遊、お前にはもう二度と安息の日は来ない。

 そして、恐れ、慄け、僕が戻ってくるその日まで。

「――小鳥遊小鳥、お前は必ず、僕が呪い殺す」

第245話 クラスメイトとの再会(1)

 精霊の力全開でトレントを何とか倒し、俺達は遺跡の中へと入った。

 妖精像のついた噴水がある公園みたいな遺跡内部の広間は、キナコが言う『妖精の縄張り』であるらしい。

 キナコもベニヲも、精霊までもが妖精のネームバリューにビビり散らしながらも、ひとまずは安全らしい広間を眺めていると、突如として眩しい光が輝いた。

「うおっ、眩しっ!?」

 芝生の地面に魔法陣みたいな文様を浮かび上がらせる謎の強い発光現象は、すぐに収まってくる。

 その白い光が消え、再び視界が戻ると、

「ああっ、お前は――」

 見慣れたはずなのに、今では懐かしさすら覚える、学ラン。俺と同じ、白嶺学園の生徒にして、クラスメイトに違いなかった。

「――桃川!?」

「えっ、もしかして葉山君? ウソ、まだ生きてたのか……」

「おいぃ、なんかいきなりその言いぐさ酷くね!?」

 生意気な野良ネコみたいなジト目で俺を見つめてくるのは、クラスで一番のチビっ子であるところの、桃川小太郎である。

 コイツとは特に絡みは無かったのだが、今はこの異世界に来て初めてのクラスメイトと再会できて、素直に嬉しい。その下手な女子より可愛いと密かに噂される中性的な童顔も、より一層に可愛く見えるほど。

「あー、ごめんね。まさか他にも生き残ってるクラスメイトがいるとは思わなくて」

「え、葉山いるの? うわっ、マジだ、葉山じゃん! アンタ生きてたのかよ!?」

「うおっ、なんだよ、蘭堂もいるのか」

 桃川の背後にある、なんか黒光りするデカい鎧みたいな奴の後ろから、ひょっこりと顔を覗かせたのは、蘭堂杏子。

 桃川よりかは交友があった、というか、中学も同じだったし、高校では一年の時に同じ委員だったから、多少、喋れるくらいの仲になっていた。

 ドストレートに黒ギャルという一見すると近寄りがたい外見だけど、一度話せば能天気な適当さのお陰で、不思議と緊張せずに話せる女子だ。もっとも、クラス一の爆乳を前にすると、それはそれで視線を泳がざるをえないのだが。

「桃川と蘭堂は、二人一緒だったのか」

「一緒だったというか、一緒になってしまったというか」

「おい桃川ぁー、お前もっと喜べよ、信じてついて来てやったんだぞぉー」

「うん、それについては心から感謝し――ふがぁ」

 桃川の小さな体を強引に抱き寄せて、その大きすぎる胸に顔が埋まっている。

 すげぇ、ここまでデカいとホントに顔って埋まるんだな!

「いや、っていうか、なに、お前ら……そういう関係だったの?」

「ふがふが」

「まぁ、ウチと桃川はそれなり以上の関係にはなってんじゃねーの?」

 マジかよ、なんてこった、蘭堂お前ってばショタコンだったのか。

 道理で、ギャルのくせに浮ついた話を聞かないと思ったもんだ。ジュリマリの二人は大学生の彼氏とヨロシクやってるというのに。

「葉山、お前今絶対、ロクなこと考えてねーだろー」

「いやいやいや、何言ってんだよ蘭堂、俺は理解のある男だぜ? 晴れてカップル誕生ってんなら素直に祝福するぜ」

 人の好みなんてそれぞれだからな。

 ちなみに俺は、王道を行く、蒼真桜みたいなおしとやかな大和撫子が好みだ。

 蘭堂みたいに派手目な女子は、付き合うにはちょっと。

「ぷはぁ――その様子だと、蘭堂さんと葉山君って、仲良かったみたいだね」

 蘭堂の谷間から脱したか、桃川。

 平気そうな顔しているのは、パフパフ慣れしてんのか? このヤロウ、小学生みたいな顔しやがって、大人の階段登ってんのかよぉ。

「葉山君、ロクなこと考えてないね」

「だろ? コイツ、すぐ顔に出るから分かりやすいんだよねー」

「いや、俺は普段からポーカーフェイスだし? 白嶺バスケ部のクールガイといえば俺のことだし?」

「とりあえず、葉山君の事情を聞かせてもらおうかな。まさか、この雰囲気で敵対する気はないんでしょ?」

 うわ桃川、コイツ普通にスルーして話進めて来たよ。

 お前、そういう奴だったのか。意外と強かだな。ロリみたいな顔してるくせに。

「そうだぞ葉山、お前今までマジでなにやってたん? 学園塔にも来なかったしさー」

「え、学園塔ってなに? もしかしてお前ら、この剣と魔法の異世界で、もうすでに魔法学園編に入っちゃった感じなの?」

「悪いけど、そんなに夢と希望があるような状況じゃあないよ。こっちの事情は話すと長くなるから、先に葉山君のことを聞かせて欲しいかな」

 なるほど、色々とあったみたいだな。

 いつも教室の隅でボーっとしているような顔つきだけど、桃川の表情にはどこか影のようなものも感じないでもない。

 こんなモンスターで溢れる危険な場所に放り込まれたのだから、ガチの命の危機ってやつも経験しているだろう。

「まぁ、潜った修羅場の数なら、俺も負けねーけど?」

「なんで急に張り合ってんの?」

「こういう奴だから」

 それじゃあご期待に応えて、聞かせてやろうじゃあないか。俺がこの異世界にやって来てからの、激しいバトルと過酷なサバイバルの連続だった。怒涛の一週間を。

 というか、聞いてくれ。やっぱり、ちゃんとした人間相手にお喋りできるって、すっごい気持ちが楽になるね!

「まずは、俺があの崩壊する教室に最後の一人になるまで粘っていたところから話そうか」

「ああ、葉山君が最後だったんだね」

「桃川は最初に落ちたよな? ウチ見てたぞ、双葉のケツにブッ飛ばされるとこ」

「いやぁ、思えばあそこが運命の分かれ道だったのかなって」

「お願い、俺の話を聞いて!」




「――なるほど、『精霊術士』、ね」

 満足行くまでここ一週間の大冒険を語り終えると、桃川はやけに真剣な表情でそう言った。

 なんだ桃川、普段のジト目がギラついた感じになって、なんかちょっと怖いんですけど。なんだこの迫力は。

「でも、そっちのキナコとベニヲは、霊獣ではないんだよね」

「レージューってなんだ?」

「そこからして知らないのか……葉山君、習得してるスキル教えてもらえる?」


『微小精霊使役』:まだ、小さな小さな子どもたち。でも、この子たちはいつも、あなたのすぐそばにいるよ。ほら、耳をすませて、みんなの声がきこえるよ。


『精霊召喚陣』:あなたが呼べば、来てくれる。どんなに離れていても、心は繋がっているから。


『精霊言語解読・序』:ほんの少しだけど、お話できる。心をこめて、声をかけてあげて。あなたの気持ち、きっと届く。


 まずは、最初に習得した3つのスキル。


『精霊薬効』:草の精霊たちが力を貸してくれるよ。


 次に、コイツは最初にキナコが負傷した時に習得できたスキルだ。

 それから、なんだかんだで一週間の間に、俺は他にもスキルを獲得している。


『緑の輪』:草花の精霊達が呼んでいるよ。まだ小さな輪だけれど、きっとあなたの力になる。


『火の絆』:赤く、熱い、火の力を貸してくれるよ。小さな種火は、いずれ大きな炎となる。


『清い雫』:一滴、一滴にも、ちゃんとみんながいるんだよ。小さな雫も、あたなのために。


『招雷』:ドーン! 大きい、雷!


 これらは、俺が普段からお世話になっている精霊のお蔭で、習得できたのだと思う。『緑の輪』は薬草採取に勤しんでいる時に、『火の絆』は毎日火起こしするし、『清い雫』は俺もキナコもベニヲも水精霊が出してくれる水を飲んでいる内に、なんとなく授かったスキルだ。

 あんまり効果は実感できないけど、それぞれの精霊の力がこれまでよりも増している、気がする。

 強いて凄いスキルだと思えるのは、『招雷』だろう。コイツは勿論、ついさっきトレントをスマホの電気精霊達のパワー全開で落雷をぶっ放した時に、習得したものだ。

 スキルになったとはいっても、いつでも好きなだけ放てるワケではないけど。かなりスマホに充電できてないと、一発撃つことも出来そうもないな。

 それでも、俺の切り札となるべき攻撃魔法だぜ。

「なるほど……葉山君、本当に苦労したんだね」

「なんでそんな憐れんでんの!?」

「僕も葉山君と同じで、不遇スキルの数々を持たされてきたからさ」

「おい、俺の精霊術を勝手に不遇扱いにすんなや!」

 そりゃあ最初は、剣も魔法もないような微妙な効果の数々に、俺も絶望したもんだが……今は『精霊術士』になって良かったと思っている。

 俺がここまで生き残って来れたのは、精霊術のお陰だし、キナコとベニヲも助けることができたんだしな。今更、カッコよく剣を振り回したいなんて思わないね。

「他の精霊術士は、霊獣、っていう超強い召喚獣を行使できたんだよね」

「えっ……召喚獣?」

「召喚陣から勝手に出てきて、敵は自動的に倒してくれるし、不意打ちや奇襲なんかも余裕で防いでくれる」

「なんだそれ」

「炎のエンガルド、雷のラムデイン、水のセイラム、三体も揃ってればボスも楽勝だよ」

「なんだそれぇーっ!」

 聞いてねぇ、聞いてねぇぞ『霊獣』なんていう、そんなクソ強い奴が呼べるなんてよぉ!

 おい、どうなってんだ精霊の神様、俺の霊獣はどこにいるんだよ!

「同じ天職でも、才能なのか運なのか、かなり能力は違ってくるからね」

「違ってくるってレベルじゃねーだろ、なんだよこの格差は!」

 まさか俺と同じ精霊術士がいるとは思わなかったし、その能力が超強そうな召喚獣を従えるとか想像すらできない。俺の操る精霊なんて、あの光る小さい棒人間達だけだ。

 彼らは一応、微精霊、ということになるそうだが、名前の通りに精霊としては一番弱い存在であることは間違いない。

 桃川の言う霊獣とやらが本当にいるのだとすれば、ソイツらの精霊としての格はどれほどのものになるだろうか。ちょっと想像つかんな。

「まぁまぁ、足りない能力を嘆いても仕方ないからね。大事なのは持ってるスキルをどう使いこなすかだよ。その点、葉山君は上手くやってると思うよ」

「そ、そうかぁ?」

「そうだよ。まさか、『召喚術士』でもないのに、魔物を仲間にしているなんてね」

 と、話の中で紹介はした、熊のキナコと犬のベニヲを桃川は指す。

「まぁな、俺はコイツらのお蔭でここまで来れたからよ。最高の仲間だぜ」

「ってかさぁ、その熊ってホントに熊なの? キグルミじゃないの?」

 大人しくしているのをいいことに、蘭堂が勝手にキナコをモフモフ触り始めていた。

「この辺にチャックとかありそー」

「プッ、プガガ、ヤメロ!」

「おい蘭堂、あんまり弄るな、キナコが嫌がってんだろ」

「すげー、マジでチャックもなにもない……ホントにこんなキグルミみたいな熊なんだコイツ」

 プフゥー、と声を荒げるキナコを前にしても、全然気にせず好奇心丸出しの視線でジロジロ見まくってる蘭堂だ。お前は本当にマイペースだよな。

「ごめんなキナコ、コイツも悪気があってやってるワケじゃないから、許してやってくれよ」

「葉山君の言葉って通じてるの?」

「通じるっつーか、普通に喋れるけど。なぁ、キナコ?」

「プググ、オレトリライト、喋レル」

「な?」

「いや、キナコが唸ってるようにしか僕には聞こえなかったけど……多分、『精霊言語解読・序』の効果で意思疎通できるんじゃないかな」

「マジかよ、そうだったのか!」

 てっきり、微精霊の言葉が聞こえてくるのが『精霊言語解読・序』の効果だと思っていたけど、キナコとベニヲと喋れるのも、コレのお陰だったのか。

 マジかよ、スゲー重要なスキルじゃん。

 思えば、俺以外にキナコの言葉を聞いた人間はいないから、みんな同じようにカタコト言葉で聞こえるもんだと思い込んでいたわ。

「ともかく、葉山君の今までの経緯は分かったよ。あらためて聞くけど……本当にここに来て、まだ一週間しか経ってないんだよね?」

「あたりめーだろ。スマホの日付も、あの日からちょうど一週間になってるしな」

 俺はスマホを開いて桃川に見せる。

 俺達が謎の異世界召喚に巻き込まれたのは、敬老の日の翌日、9月20日だ。当然、俺のスマホの日付には9月27日と今は表示されている。

 電気精霊のお蔭で、オート充電されるからスマホが維持できるのは本当にありがたいよな。これがなかったら、日数なんて気にもしてないわ。

「そっか、どうやら葉山君は教室から最後まで粘りに粘って落ちたせいか、こっちの世界に放り出されたのもかなり遅れたみたいだね」

「そうなのか? じゃあ、お前らはこっち来てどれくらい経つんだよ?」

「僕は大体……三か月くらいになるかな」

「三か月!? マジかよおい、大先輩じゃねーか!」

 この異世界でもう三か月も生き延びて来たのか桃川先輩は!

 たった一週間で異世界サバイバルのベテラン気取ってた自分が急に恥ずかしくなってくる。

「つーかさ、もしかしなくても、お前らって他のクラスメイトにも会ったのか? 俺と同じ精霊術士の奴も知ってるってことは、そういうことだろ。なんで他の奴らと一緒じゃねーんだよ」

 桃川の口ぶりから、コイツは明らかに俺よりもこの異世界にも、天職の能力についても詳しいことはお察しだ。

 三か月もこっちで生き抜いてきたなら、そりゃあ色々とあったことは想像できるのだが、あらためて他のクラスの奴らのことも気になってくる。

 こんな危険な場所だ。もしかすれば、本当に死んでしまった奴なんかも、いるかもしれない……

「それじゃあ、今度はこっちのことを話す番だけど……その前に、ご飯にしない? 葉山君はお腹空いてない?」

「ん、ああ、そういやぁ、飯はまだだったな」

 急に二人が現れたから、夕食の準備どころじゃなくなったからな。

 けど、あらためてそう聞かれると、空腹を思い出す。

「それじゃあ、お近づきの印に、僕が今日の夕飯をご馳走するよ」

 と、桃川はやけに自信気な笑みを浮かべて、そう言った。

 ふーん、なるほど、流石は異世界サバイバル歴三か月の先輩だ。サバイバル飯には自信ありってか? ふふん、けどなぁ、俺だって最近はキナコがとってくれた生魚を捌くのも、たき火で焼くのも、随分と上手くなってきたんだぜ。

 桃川の料理スキルがどれほどのもんか、お手並み拝見させてもらうぜ。ぐー。

第246話 クラスメイトとの再会(2)

「……なんだコレは」

「釜」

 と、蘭堂はそっけなく答えながら、片手を翳して二つ目の『釜』とやらをボコォ! と地面から生やして作り出していた。

 蘭堂の天職は『土魔術士』だ。

 桃川の説明によれば、攻守ともに優れた能力を発揮する非常に優秀な魔術士になっているそうだが、っていうか蘭堂、お前自分の能力くらい自分で説明できんのか。

 ともかく、蘭堂がこともなげに広場の地面を操るようにして、土で出来た釜のような物体を作り出すのを見ると、確かに土魔術ってのには随分と慣れた感じはするな。

「おいおい、まさかこの小汚ねぇ土の釜で料理しようってんじゃないよな?」

 こんなもん、水でも注いだ時点で泥になってグズグズに崩れるだろ。ママゴトじゃないんだぞ。

「安心してよ、僕の『魔女の釜』は下手な調理器具よりよっぽど清潔だから――」

 そして蘭堂が作った土の釜に、今度は桃川が手を翳すと、見る見るうちに真っ黒い色に染まってゆき……気が付けば、陶器で焼いたような質感へと変わっていた。

「おお、凄ぇ、なんの魔法なんだコレは?」

「その辺は後で説明するよ。ところで、葉山君って好き嫌いある? あとアレルギーとか」

「俺は好き嫌いせず何でも食べなさいと言われて育った健康優良イケメンだぜ」

「キナコとベニヲは?」

「キナコは何でも食べるぞ。肉が好きだけど。ベニヲは生肉あげてる」

 キナコは自分で食っていいものと悪いものの判別ができるが、犬に近いベニヲは怪しい感じなので、飼い主である俺が気を使って食べ物は選ばなければならない。

 犬はネギとかチョコとかダメ、ってのは割と有名な話だよな。人間が美味しいからといって、ペットも美味しいとは限らないぜ。

「とりあえず二つでいい?」

「うん。メイちゃんもいないし、大した料理はできないからねー」

 桃川と蘭堂が気安くお喋りしながら、箱の中身を漁り始め――って、なんだあの箱。

「おい、なんだよその宝箱みたいなやつは」

「宝箱だけど」

「宝箱とかあんの!?」

「そりゃあ、ダンジョンだしね」

 マジかよスゲーな異世界ダンジョン、完全にゲームじゃん。っていうかここがダンジョンなのか?

「桃川さぁ、あの土壇場でこんだけ持ち出してくるのスゲーわ」

「いざって時の為に、必要物資はまとめておいたからね。役に立つ時がこないことを祈ってたんだけどさ」

 若干、表情に暗い影を落としながら桃川は何やら色々と詰め込まれている宝箱の中から、一抱えあるような皮袋を取り出した。

 その皮袋から出てきたのは、たっぷり脂の乗った赤身肉だ。

 宝箱に生肉保管してんのか。もしかして冷蔵機能とかついてんの?

 疑問に思うが、桃川を眺めていると質問するタイミングを失うほど、次々と新たな疑問が湧いて出てくる。

 蘭堂が作った石のテーブルの上で調理を始めた桃川だが、木目の入った綺麗なまな板に、ピカピカに輝く新品同様の包丁を握っている。

 肉に続いて取り出された数々の野菜は、意外にもこなれた様子でトントン刻まれた後は、大きな椀に盛られていく。

 黒い釜にヤカンのようなモノからドボドボ水が注がれると、火も出てないのにいつの間にか沸騰しているし、投入された具材に加えて、塩コショウみたいなモノを振りかけたり、謎のソースを入れたりしていた。

 調理に勤しむ桃川の姿は、さながら親が仕事で忙しいから自分で料理せざるをえない一人っ子みたいな感じだ。

 そう、サバイバル中に調理をするようなワイルドさなど欠片もなく、一般家庭のキッチンで料理しているかのような状況。

 それが何よりおかしいことは、この一週間、たき火で魚ばっか焼いてきた俺が一番よく知っている。

「食材も調味料も調理器具も、何もかも全部揃ってんのかよ……」

 見たところ、桃川が使っているモノは全て手作りのように思える。実はこのダンジョンの中には現代日本と同じようなスーパーマーケットが存在して、そこで大抵のモノは何でも買えるみたいなことは、いくら魔法の世界でもありえないだろう。

 だから、全て自分で揃えたのだ。三か月の間、この異世界に学生鞄一つで放り出された後に。

 なんだ、一体どんな魔法を使えばここまで充実した物資を集められるんだよ。

「桃川ぁー、まだー?」

「もうちょっとー、っていうか、蘭堂さんは祝勝会のご馳走食べたはずだよね?」

「なんか色々あったから、小腹空いたなーと」

「もう、しょうがないなぁ。味の方はあんまり期待しないでよね」

 蘭堂、お前は釜作っただけで料理は桃川に任せきりでいいのかよ。ダメな彼氏みてーになってるぞ。

 そんなこんなで、30分ほどで桃川の手料理は完成した。

 味の方は期待しないで、とか言っていたが……

「凄ぇ、マジでこれ普通の料理じゃん」

「うん、普通の料理だよ」

 こともなげに言う桃川が出した料理は三品。

 一品目は、釜から湯気を上げている野菜スープ。

 二品目は、これぞメインディッシュと主張するような、厚く切られた赤身肉のステーキだ。

 三品目は、パン。パンである。

「なんでパン持ってんの!?」

「運よく小麦粉だけは手に入ったからね」

 俺は小麦粉が手に入ってもパンを焼ける気はしないんだが。この柔らかい白いパンは、パン屋に置いてあってもおかしくない出来だ。

 ウチのオカンなんか、ホームベカリーで作った時は酷い出来だったってのに。

「それじゃあ、食べようか」

 これくらいの料理は当たり前、とでも言うように気負った様子もなく桃川は「いただきます」と食べ始めた。

 俺は目の前に並べられた一週間ぶりとなる、現代人らしい食事に、ゴクリと唾を飲みこみ、ちょっと震える手でナイフとフォークを握りしめる。

 しみじみと「いただきます」とつぶやき、俺は肉汁滴る桃川曰くミディアムレアのステーキに手を付けた。

「――ああ、美味ぇ」

 美味い。美味いよこれ。

 何が美味いって、ただ塩を振っただけじゃなくて、ステーキソースらしきモノがちゃんとかかっていることが感動するポイントだ。ニンニクみたいな食欲を刺激する香りもするし、バターまでもがアツアツの肉の上でとろけている。

 狩りをすれば肉は手に入るが、香辛料などはまた別の問題だ。まして、美味しいソースを作るレシピも知らない。

 サバイバルでは決して味わえない、このステーキは正に現代文明の味なのだ。

「プガァーッ! ウマイ! ジャージャ、ウマイ!」

 ステーキに齧り付いたキナコも叫んでいる。

 そりゃあそうだろう。から揚げ以来の、マトモな料理の味だからな。

 というか、この出来立ての桃川特製ステーキと、冷凍食品のから揚げじゃあ料理としての格も段違いってもんだ。コレは普通にステーキ屋で食いたい味だぞ。

「ねぇ、キナコ叫んでるけど大丈夫?」

「ああ、すげー美味いって喜んでるぜ」

「それなら良かった」

「つーか、この肉がジャージャなのか」

「ジャージャのこと、知ってたんだ」

「キナコが元々、狩ってた鹿みたいなヤツだって言ってたな」

「なるほど、ホントに会話できてるんだね」

 おい、俺の会話能力が実はただの一方通行だと疑っていたのかよ。俺はアホな飼い主みたいに、ウチのワンちゃんとはお喋りできるんざます、とか自慢すんのとワケが違うんだっての。

「桃川の料理とか最初に会った時以来じゃね?」

「あの時は一緒に蛇捌いたりしたよね」

 蛇を食うとはサバイバルの定番じゃねぇか。やはり桃川、経験豊富か。

 俺、森で蛇は何度も見かけたけど、結局一度も捕まえて食わなかったからなぁ。いや、ほら、抵抗があるとかじゃなくて、毒とかあったらヤベーじゃん?

「はぁ、スープも美味ぇ」

 この醤油っぽい風味が落ち着く。間違いなく醤油ではないのだけれど、出来る限り醤油に近い味を目指したという努力が感じられてならない。

 大体、この野菜スープにしたって何種類の野菜をつかってんだよ。

 俺なんて辛うじて食べられると微精霊が保証してくれた山菜みたいなのを一つか二つ食べただけで、明らかに野菜不足な食生活になっていると最近ちょっと地味に気にしていたのに。

「なんか悪いな、こんなにご馳走してもらってよ」

 俺だけでなく、キナコにもちゃんと振る舞ってくれたし、ベニヲにはジャージャ生肉をくれたし。こんな状況では、気軽にくれてやれるほどの少量でもないってのに。

「別に気にしなくていいよ。デザートもあるけど食べる? リンゴくらいしかないけど」

 デザートもつくとかどんだけ恵まれてんだ。

 宝箱から取り出した赤いリンゴ、みたいな果物をナイフと一緒に蘭堂に渡している。

 せめてリンゴ剥くくらいはやれよ、ってことだろう。蘭堂マジで見てるだけだったから、調理中は。

 これもまた意外にも、蘭堂は結構手慣れた感じでリンゴを向き、カットして、すぐに提供された。別に料理が下手なワケではねーんだな。

「あー、美味い、甘くて美味い。甘いモノ食えるって贅沢なことだったんだなぁ」

 リンゴをシャクシャクしながら、しみじみと感想が漏れる。

 ああ、ダメだ、こんな飯食ってたら、もうたき火で焼き魚生活に戻れなくなるぅ……おのれ桃川、お前は俺のサイバイバル精神を堕落させるためにやって来た悪魔か。この小悪魔め。

「あんまり量はないけど、ハチミツも砂糖もあるからね。ちゃんとしたお菓子も食べれるよ」

「マジかよ桃川、お前なんでも持ってるな……」

 もうここで暮らして行けるだろ。サバイバルなのに健康で文化的な最低限度の生活だろ。

 正直、俺は桃川のことを舐めていた。サバイバル歴三ヶ月の先輩であることは認めるが、それでも、まさかこれほどの生活水準に達しているとは完全に予想外だ。

 肉や野菜に調味料の食材面でも、調理器具や皿、椀、ナイフやフォークなどの小物まで含めて、物資の面でも何でも揃っている。それに、火が出るナイフに水の出てくるヤカンと、火と水の問題も余裕で解決しているようだ。

 俺がこのまま三ヶ月サバイバル続けたとしても、こうはならないだろう。精霊の力を借りて、火と水に困らないくらいである。

 ここで桃川と出会えたのは、奇跡みたいな幸運だろう。

 多分、他のクラスメイトも同じことが簡単にできる、ということではなさそうだ。蘭堂の様子を見るに、これが出来るのは桃川だからこそ、といった感じである。

 なるほど、そりゃあ惚れるか。俺だって嫁に欲しいくらいだ。これに風呂まで湧かせるとか言い出したら、プロポーズしかねない。

「凄ぇな、桃川は。なんか俺らの方は世話になりっぱなしにしかならねーぞこれは」

 これだけの食事に報いるモノが今の俺には何もない。

 強いて言えば、キナコが川魚を獲れるくらいだろうか。それはキナコの働きであって、俺の働きではねぇな。

「そうでもないよ、葉山君。僕の話を聞いた上で、それでも一緒について来るかどうか決めて欲しい」

「なんだ桃川、やっぱ何かワケアリかよ?」

「残念ながら、葉山君が想像する以上に悪い状況になってるから。ちょっと覚悟して聞いて欲しい――」

 そして、桃川は語り始めた。

 この異世界に放り出されてからの三ヶ月に何があったのか。そして、どうして俺の目の前に転移してくることになったのか。その経緯の全てを。




「――まぁ、こんな感じでヤマタノオロチは何とか倒したんだよね」

 生き残ったクラスメイト18人が集まり、ラスボスみたいな強くてデカいモンスターを倒した、と聞いても俺にはあまり実感が湧いてこない。

 俺なんてついさっき、トレントに絡まれて危機一髪だったくらいだからな。山のような巨大モンスターと言われても、いくらドラゴンや恐竜を見てきた上でもピンとくるもんじゃないな。

 しかし、桃川の話が嘘っぱちだとも思えなかった。

 すでに俺達には天職という特殊な能力も存在するし、ゴーマからドラゴンまで様々なモンスターも存在している。そして、俺は入ったばかりだが、実際にいきなり目の前に現れる瞬間移動できる転移魔法陣なんて機能も、このダンジョンに備わっていることが分かった。

 桃川の説明には何も矛盾はないし、何より、経緯を語る本人の口ぶりに迷いはなく、実際に経験してきたが故の実感に満ちていた。

「しっかし、そんな凄そうなボス戦をみんなはやったってのに、俺は大したことなんにもしてねーな。RPGで言うところの、レベル差がヤバくね?」

「学園塔まで来たクラスメイトは、曲がりなりにもダンジョンを攻略してきたワケだからね。集合した時点で実力はそれなりだったし、学園塔生活のお蔭でかなり実力は磨かれたし、オロチ戦を通してさらに成長もしたと思う」

「仲間外れにも度が過ぎんだろ……ちくしょう、俺もみんなと一緒にやりたかったぜ!」

 なんだろう、この俺だけ学園祭に準備期間から参加できなかったような疎外感。

 話を聞く限り、超強いボスを前にクラスメイトは一致団結、命を預け合う文字通りの一蓮托生となり、そして長い準備を経て、ついにヤマタノオロチの討伐を果たす……なんて、そんな人生に一度もないような超ビッグイベントを、俺はスルーしてしまったワケだ。

 つまり、桃川達が大ボスに挑むために魔法の武器をこさえている間、俺はライターで火起こしするのに失敗していたってことだ。なんだこの、古代ローマ人が哲学している一方、日本人は土器焼いて喜んでた、みたいな格差。

「そうでもないよ。葉山君が遅れてここに来たことも、ダンジョンに入らず森の外を進んだことも、全てがイレギュラーだ。お蔭でこうして出会えたしね」

 まさか、俺が怒りのあまりにビリビリ破いた魔法陣ノートが、ダンジョンを進むためのコンパス機能になっているなんて気づかねーよ。

 それに、桃川も最初は俺と同じように森に出たと言う。でもちょっと進めばすぐダンジョンの入口を見つけた。

 俺もあのスタート地点から、ちょっとでも周囲を探せば、ここみたいな明らかに目立つ入口を発見できたのだろう。

 でも、俺が出会ったのは森を出ようと歩いてきたキナコで……まぁ、この出会いがあるのなら、他のことなんてどうでもいいか。

「けどよぉ、そんなに上手いこと行ったってのに、なんで桃川と蘭堂の二人だけで飛んで来たんだ? 駆け落ちか?」

「んー、まぁ、大体そんな感じになるわ」

「いや全然違うから。蘭堂さんちょっと静かにしててよ、ここからが大事な説明なんだから」

 なによーとか言いながら蘭堂が桃川とひとしきりイチャついてから、ようやく気になる話の本題に戻ってくる。いちいち見せつけてくんの、やめてもらえます?

「ヤマタノオロチを倒したのは昨日のことで、問題が起こったのは今日のこと、僕らからすると、本当についさっきの話さ」

 なんでも、ヤマタノオロチ討伐を記念して祝勝会を催したと言う。料理部の双葉さんが腕によりをかけてご馳走を作ったというが、

「そこで、小鳥遊が裏切った」

「え、小鳥遊って、小鳥遊小鳥?」

 あの蒼真ハーレムのロリ巨乳ちゃんが? 裏切るって……そういうことするようなキャラには思えないんだが。

 ウチのクラスで何かやらかすとすれば、天道とか樋口とか、あとは横道とかだろう。

 アイツらは、いつ警察にしょっ引かれてもおかしくないヤベー奴らだからな。

「小鳥遊の天職は『賢者』だ。今までは、錬成能力や古代語の解読でダンジョンの便利機能を使えるくらいの、サポート能力者って立場だったけど――真の役目は『勇者』蒼真悠斗の育成だ」

「はぁ、なんだそれ?」

「僕らをこの異世界に召喚した理由だよ。勇者と賢者の天職を与えた女神エルシオンが、『勇者』という存在を何かしらの理由で欲した。その神が望む特別な『勇者』として選ばれたのが蒼真君で、その事情を最初から知っていたのが『賢者』小鳥遊なんだ」

「いや、待てよ、じゃあ俺ら関係なくね?」

「僕らクラスメイトは、生贄なんだって。ヤマタノオロチみたいな強敵が現れた時、勇者の仲間である僕らが悲劇的に死んだりすることで、勇者の力が覚醒するのを促すらしい」

「な、なんだそれ、出来レースじゃねぇか! いや、自演っつーのか?」

「そういうこと。小鳥遊は監視役だけど、特に手は出さなくても、勝手に神が望む通りに事は運ぶ予定だった……」

「けど、そうはならなかったのか」

「うん。ヤマタノオロチは、しぶとく生き残って来た僕らに多くの犠牲を強いるために、用意された特別なボスモンスターだったんだよ。それでも、僕らは一致団結して、一人の犠牲者も出さずに倒した――だから、とうとう小鳥遊自身が手を下さなきゃならないほど、追い詰められたんだ」

 このままでは、18人全員がダンジョンを脱出するし、勇者の力の覚醒とやらも不完全なまま。

 神様とやらが望んだ結末にはなっていないワケだ。

「……それで、小鳥遊はなにしたんだ」

「祝勝会で出した酒に、毒を盛った」

「ど、毒って……マジかよ、そんな、サスペンスドラマじゃねーんだぞ……」

「全くだよね。体は動かなかったけど、遅行性の毒で助かったよ。僕には毒耐性のスキルがあるから、意識は保っていられたんだけどさ、お蔭で、勝ち誇ったアイツが調子に乗って僕にベラベラ喋ってくれたんだよ」

 なるほど、本当にドラマみたいな流れだな。正体を現した真犯人が、死にゆく被害者に真意を語る、みたいな。

「じゃあ、何で桃川と蘭堂は助かったんだ?」

「小鳥遊の予想に反して『聖女』の蒼真桜が覚醒した。なんか凄い解毒の魔法で、全員を一発で回復してくれたんだ」

「ええ……なんだそれ、都合良すぎねぇか?」

「や、でもそれはマジだし。ナントカーって魔法叫んで、蒼真の奴なんかピカピカ光ってたわ」

 聖女だから神々しい感じの治癒魔法ってことなのか。

 蘭堂の幼稚な語彙でも、そこそこ情景が想像できる。

 そりゃあ、あの超絶美少女の蒼真さんだからな。聖女ってのも納得がいくし、光り輝く神々しい治癒魔法でみんなを癒す、みたいな活躍してもおかしくない、むしろ彼女こそが相応しいと思えるね。

「それで命の危機は脱したんだけど……毒を盛ったのは僕だ、って濡れ衣を着せられてしまってね。僕の天職は『呪術師』だし、オロチ相手にも毒を使ったから」

「小鳥遊とんでもねぇな、土壇場で罪を逃れやがったのか!」

「弁明してみんなを説得できる状況でもなかったから、僕は慌てて逃げ出してきた、というワケさ」

「じゃあ蘭堂はなんでついて来てんだ?」

「桃川のこと信じてやれたのが、ウチだけだったってこと」

「えっ、なにそれ凄ぇ……マジで愛の力じゃん」

 ドヤ顔で言い放つ蘭堂だが、経緯を聞くとドヤるのも納得の決断だ。

 他の誰もが桃川が毒殺したと思った中で、蘭堂だけが一緒に逃避行を選んだということ。

 こんなの、本当に好きじゃなきゃできねぇよ……蘭堂、お前、いい女だよ。幸せになれよ。

「僕のことを信じてくれた蘭堂さんには、本当に感謝しているよ。また一人に戻る覚悟してたからね」

「でも桃川にはレムちんがいるじゃん」

「みんな置いてきちゃったし、なんとか転移に間に合った黒騎士も、ダメージ具合からしてダメっぽいんだけどね」

 と、桃川がやや悲しげな視線を向けた先にいるのが、地味に存在感を放っていた、デカい鎧だ。

 レム、と名付けられた、桃川の使い魔である。

 兜はない首なし状態で、真っ黒い鎧の装甲には、大きな傷跡も残っている。桃川が逃げる寸前まで、蒼真悠斗と戦って食い止めていたという。

 俺の目には、ただ傷がついただけの鎧にしか思えないのだが、本当にこんなのが動くのだろうか。現役稼働しているレムを見てないから、何とも言えない。

「レムちんホントにダメなのかー」

 蘭堂も愛着があるのか、首なし鎧をペタペタ触って弄り回している。

 鎧はピクリとも動かない。

「でも、これだけ鎧が残っていれば、ちょっと材料足して作り直せばすぐ動かせ――」

「どぁああああああああああああああああ!?」

 突如として、蘭堂がホラー映画の山場でも見たかのような絶叫を上げた。

 まさか、いきなり鎧に噛み付かれたワケではないだろう。口なんてねーし。

 蘭堂はただ、兜を失った首の穴から意味もなく中を覗き込んでいたようだけど、

「えっ、なに、蘭堂さんどうしたの?」

「い、いぃ……いる……」

「いる? って、何が?」

「誰かっ! 鎧の中にいるぅ!?」

 蘭堂、お前は俺よりバカだと赤点とってるのを見て思ってはいたけれど、とうとう頭がおかしくなってしまったのか。

 蘭堂はマジでビビり全開の涙目になって、鎧を指さしている。

 流石の桃川も、意味不明といった困惑顔である。

「はぁ、なに言ってんだよ蘭堂。なんだよ、鎧の中にいるってよぉ」

 これでドッキリ仕掛けようってんなら、その本気ビビりの演技を賞賛してやんよ。

 そんなことを思いながら、俺は桃川に先んじて、さっきの蘭堂と同じように、レムの鎧を覗き込むと――

「……誰かいる」

第247話 小鳥遊小鳥

 そこは、一点の曇りもない純白の空間だった。

 私は、死んだのか————小鳥遊小鳥は、真っ先にそう思った。

 次に、どうやら地獄ではなさそうな雰囲気に、ちょっとだけ安堵する。どうやら、数人ほど間接殺人する程度ならば、地獄行きになるほどの罪には問われないらしい。


『……よ』


 不意に、声が聞こえた。

 聞こえた、というより、脳が直接認識しているような、現実ではありえない、けれどそう分かるような不思議な感覚。

 閻魔の裁きが始まる、というワケではなさそうだった。


『……目覚めよ』


 ラジオのチューニングが合うように、今度はハッキリと聞き取る、もとい、認識することができた。

 若い、女の声、だと思われる。

 聞き覚えはない。そういう記憶力には自信があるから。


『目覚めよ、選ばれし智慧の子』


 大袈裟な物言いだ。多少の悪知恵が働くだけで、智慧と呼ぶほど大層なモノじゃない。

 私が賢いのではない。この世の中の人間が、あまりに愚かなだけ。


『今、世界は再び邪悪なる闇が満ちようとしている』


 今も昔も世界は邪悪と混沌で溢れているだろうに。有史以来、平和と呼べる時代が一時でもあったか? いつの時代でも、どんな場所でも、人は人を殺している。

 でも、そういえば、ここはもう地球ではないのだったか、と小鳥はようやく思い出す。

 そう、あの崩壊する教室から、暑苦しい自称親友の剣崎明日那が自分のことを抱きしめて、暗闇の空間へと真っ逆さまに落ちて行って————そして、目覚めたらこの白い空間だ。

 少なくとも、あの教室が崩れ去った下に広がっている暗黒時空は、どう考えても地球とは別次元であろう。そこに落ちた以上、この身はもう、地球次元にはないということだ。

 ならば、このテレパシー染みた声で語りかけてくるのは、もしかすると、異世界では本当に存在する『神』という奴なのか。


『叡智の輝きを以って、暗闇を照らせ』


 刹那、頭が弾けた————ような錯覚を覚えた。

 ぎゃあああああああああああああ、と気分的には絶叫している。本当に叫んでいるのか、声は出ていないのか、それも分からない。

 ただ、頭が、脳が、揺れる、震える。

 膨大な量の何か、形のない、けれど明確に認識できる……情報。そう、これは情報だ。

 途轍もない情報量が流れ込んでくる。脳に直接。テレパシーで、否、神の意志……神意レコードに繋がる……

「あ……ああぁ……そ、そっかぁ……」

 分かってくると、理解できてくると、苦しみは引き、悲鳴は笑い声へと変わる。

 分かる、そう、分かるのだ。

「はは、あはは……私は、小鳥は……」

 世界のこと。

 天職のこと。

 魔法のこと。

 敵のこと。

 そして何より————神のことを。

「小鳥は、選ばれたんだ」

 奇跡の才能。運命の適性。

 神意レコードに繋がる者は、この世の全ての事象を与り知る智慧を得るだろう。


『汝、勇者を導く————『賢者』となれ』


 全てを理解した。

 これから起こること。自分がやるべきこと。

 故に、答えに迷いはなかった。

「————はい、女神エルシオンの御心のままに」




 そうして、小鳥遊小鳥は二年七組で唯一、この異世界召喚の真実を知った状態で、ダンジョン攻略を始めた。

 自分が特別、何か手を下す必要もなかった。

 ただ、何も知らないフリをして、みんなと同じように振舞っていれば、それで上手くいった。すべては、女神エルシオンが描いたシナリオのままに。

 しかし、神のシナリオは狂い始めた。少しずつ。けれど、確実に。

 このままではまずい。神が望む『勇者』は完成されない。

 だから、満を持して自ら動いた。

 完璧な計画だった。『賢者』のスキルをもってすれば、容易く成功する。

 しかし、だがしかし————どうしてこうなった。

 小鳥遊小鳥は、罵詈雑言と共に叫びだすのを、どうにか喉元で堪えた。

「くそっ、桃川に逃げられたか……」

 光の剣を片手に、苦々しく蒼真悠斗はつぶやく。

 すでに光が収まり、そこに立つ者を彼方へと飛ばし終えた転移魔法陣は、ただのエントランスの床に戻っている。

「おい、桃川に逃げられんのはヤバくねーか?」

「アイツ絶対、復讐しに戻ってくるぞ」

「まぁ、桃川だしな……俺らマジで呪い殺されるんじゃねーべか」

 戦々恐々と上中下トリオがお喋りする声に、さらに心が苛立ってくる。

 本当に、どうしてこうなった。

「……小鳥」

 そこで、声をかけられた。

 怒りに震えそうなところを、純粋な恐怖で震えていますといった雰囲気を纏い直して、小鳥は青ざめた表情で、声をかけてきた委員長へと応えた。

「な、なにかな、委員長」

「桃川君は貴女が犯人だと言っていたけれど」

「っ!? 酷い、私のこと、疑うの!」

 なんて酷い誤解、心外だ、信じられない、私の心は深く傷ついた————そんな心情を何よりも雄弁に物語るように、小鳥は泣き出した。

 泣き真似の演技というのは、基本にして最大の効果を発揮してくれる、女の武器である。小鳥の一番得意なところ。昔から、こうやって来た。

「涼子、まさか桃川の言い分を信じるワケじゃないでしょうね」

「そうだぞ、委員長、お前があんな奴の言葉に惑わされてどうする!」

 弱弱しく同情を誘う涙の演技は、即座にこの身を守るナイト様を召喚する。

 すぐに語気を荒げた桜と明日那が、小鳥を庇う様に委員長の前に立つ。

「気持ちはわかるけれど、二人とも落ち着いてくれるかしら」

「やめてください、涼子。こんなことが起こった以上、それでもあの男の肩を持つようなことを言えば、貴女の立場だって危うくなるんですよ」

「ふぇえええ……なんでぇ、私のこと、信じてくれないのぉ……」

 子供のような無様極まる泣き真似も、馬鹿みたいとは思わない。そういった躊躇や恥じらいを抱くことが、演技に曇りをもたらすのだから。

 心はどこまでも冷静に。けれど、表情だけは激しく感情的に。

「私だって、小鳥遊さんのことは信じたいわ。だから、お願いよ、一つだけ確認させて欲しいの————」

 強い意志を秘めた視線を眼鏡の奥で光らせながら、涼子は桜をそっと押しのけて、泣きじゃくる小鳥の前に立つ。

「————解毒薬を持っているかどうか、確かめさせてちょうだい」

 クソが、桃川め。

 演技のために冷静に徹していた心の中に、再び怒りが湧き上がってくる。

 しかし、すぐに落ち着かせる。大丈夫、何の問題もない。

 むしろ、小太郎が解毒薬のことを言ったお陰で、自らの潔白を証明する機会に繋がった。委員長の申し出は、渡りに船だ。

「うっ、うぅ……わ、分かったよ、委員長……」

 散々に泣いてから、ようやくちょっと落ち着いたような気配を醸し出しながら、小鳥は委員長の身体検査を了承した。

 解毒薬は、小型のポーション瓶に入れている。

 わざわざ通常のポーション瓶を錬成して、隠し持つのにちょうどいいサイズに調整したものだ。

「それじゃあ、やるわよ、小鳥遊さん」

 手慣れてはいない手付きだが、一つの見落としもないよう、委員長はその手でもって小鳥の体を検める。

 まずは制服のポケットから。それから、身体検査の見様見真似のように、足の先から順に手で触れて確認してゆく。

 躊躇はしたようだが、下着にも不自然なふくらみがないか、軽くではあるが触って確認した。勿論、この小さな体には不釣り合いな、大きな胸の谷間にも。

「————何もないようね。ごめんなさいね、小鳥遊さん、疑うような真似をして」

「う、ううん……いいの、仕方がないことだから……」

 委員長も納得したように、小鳥の体からは何もおかしなものは出てこなかった。

 当然だ。持っていた解毒薬は、とっくに空間魔法ディメンションに放り込んである。


『拡張空間・第二階梯』:魔力によって形成される亜空間。深度、展開、選別、全て最低限度の基礎単位だが、全権制御が可能。


 小鳥が習得している魔法は多岐に渡るが、なんでも隠し持つことのできる『拡張空間』の魔法は非常に便利だ。苦労して熟練度も上げた。

 そのお陰で、誰にも気づかれずに、ポケットの中で最小の魔法陣を展開させて解毒薬を放りこむこともできた。

「気は済みましたか、涼子」

「ええ、どうしても確かめておきたかったから……ひとまず、これで安心できるわね」

 如月涼子は厄介だ。

 ただの堅物委員長だと思っていたが、どうにも小太郎から影響を受けているように思えた。

 ダンジョン攻略を始めたばかりの頃ならば、波風立てるような真似は避けたはずだ。それでも、こうして仲間である自分を疑うような真似をしたのは、単なる身内贔屓をせず、客観的に真実を探ろうという意思があってのこと。

 面倒な方向に成長してしまったものだ。処分を早めるべきか————いいや、今は焦って動く時期ではない。

 委員長が堂々と自分を疑った。ならば、その姿を見た他の者も「もしかして」という可能性を抱くかもしれない。

 今は桃川小太郎が裏切った、という方向性で意思はほぼ統一できているが、油断はできない。

 なにせ、彼はあの土壇場で逃げる用意まで整えながら、知りえた真実を一気に喋った。

 大半のクラスメイトは醜い言い訳、と受け取っているだろうが、少なくとも委員長は、小太郎の語った話を正確に記憶していることだろう。

 下手にボロを出してしまえば、そのまま一気に追及される危険性がある。

「小鳥遊さん、桃川がどこへ転移したか分かるかな」

「え、えっと……ごめんなさい、小鳥には分からないよ……」

 やや落ち着いた、ように見せかけてから、悠斗に問われて転移魔法陣を調べる。

 困ったことに、小太郎の転移先は本当に分からなかった。

 よりによって、ランダム転移を使いやがった。

 ランダム、とはいうものの、全ての転移魔法陣に均一の確率で飛ぶわけではない。勿論、このダンジョンのゴールである天送門のあるエリアをはじめ、制限のかかっている場所は絶対に転移することはできないようになっている。

 ランダム転移はほとんど使いどころはないが、『古代語解読・序』と『魔法陣解読・初』があれば、すぐに使える転移魔法陣の機能でもあった。

 しかし下級とはいえ、この二つを併せ持つ天職はそうそうない。クラスでは『賢者』である自分だけだと小鳥は思っている。

『呪術師』の、それも正規の神の座にはついていないルインヒルデなる弱小の雑魚が、両方のスキル、あるいはどちらの効果も併せ持つような高度なスキルを授けられるとは考えられない。

 ならば、本当に自力で解読したのか。

 小太郎が古代語の解読にも精を出していたことは知っていたが、小鳥が聞かれて答えた内容は真実も嘘も両方、織り交ぜたものだ。自分が与えた情報だけで、転移魔法陣を基礎とはいえ、操れるになるとは考え難いが……

「やはり、桃川は私たちにかなり自分の力を隠していたのでしょう」

「奴が転移魔法陣を操れるとはな。天道もそれでどこかへ飛ばした、と言っていたが」

「念のために、行ける場所は全て確かめておこう。頼めるかな、小鳥遊さん」

「う、うん、大丈夫だよ! 小鳥、頑張るから!」

 ありがとう、とほほ笑んで頭を撫でてくる悠斗。

 子供扱いのような可愛がり方はヘドが出る行為だが、悠斗だけは特別だ。この自分の頭を撫でるだけの、価値のある男。

「それじゃあ、行くよ!」

 無駄だと分かりきっているが、話を合わせるためにも小鳥は転移を発動させる。

 現時点で飛べる、無人島エリア、暗黒街、荒廃宮殿、砂漠エリア。

 案の定とでも言うべきか、どこにも桃川が転移した形跡は見当たらなかった。

「どうやら、桃川君の追跡は不可能なようね」

 どこのエリアも空振りに終わり、クラスメイト達が疲れた様子で立ちすくんでいるところに、涼子が声を上げた。

「みんな、今日はもう休んだらどうかしら」

 ヤマタノオロチを倒したのは昨日のことで、ただでさえ疲労は抜けきっていない。その上に、小太郎の裏切り発覚と、予想外の大事件が発生した。

 しかし、高ぶっていた精神と緊張感は、完全に小太郎を見失ったことで、途切れてしまったことだろう。そうなると、疲労感というのは一気に体に圧し掛かってくるものだ。

「……そうですね。とてもゆっくり眠る気持ちにはなれそうもありませんが、今は休むしかないでしょう」

 神妙な顔をしている桜も、涼子の言葉に同意を示した。

 これ以上、今この場でできることはないと、理解しているのだろう。それはクラスメイトも同様で、皆は一様に重い足取りで、それぞれの部屋へと戻る流れとなった。

「涼子、兄さん、少しいいかしら」

 そんな中、桜は二人を呼び止める。

 呼んだのは二人だけだが、明日那と美波も、そして小鳥も共に桜の元へと集まる。

「双葉さんは、大丈夫でしょうか」

 それは、純粋に彼女の身を案じての台詞ではないと、誰もが察している。

 双葉芽衣子。天職『狂戦士』。悠斗と龍一に並ぶ力を誇る、二年七組最強の女子。

 そして、最も桃川小太郎を信頼していた、彼のパートナーだった存在。

「体の方は大丈夫よ。桜の解毒魔法はちゃんとかかっているようだから」

「私の魔法で毒は治せますが、心は別です」

「双葉さんは……一番ショックだったろう。まだ、一言も言葉を発しない」

 桜が全員を解毒し、小太郎が転移魔法陣で逃げだすまでの騒動の中、双葉芽衣子だけはその場で寝転がったまま、一切動くことはなかった。

 小太郎の捜索に他のエリアを行ったり来たりしていた先ほども、涼子が様子を見に行ったが、どう呼び掛けてもほとんど反応しなかったと語る。

「あの様子では、今日のところは放っておくしかなさそうね」

「……それがいいだろう。無理に手を出せば、何が起こるか。アイツが暴れたら、手が付けられなくなるぞ」

 明日那の懸念は、因縁のせいだけとも言い切れない説得力がある。実際、桜はそれを一番心配しているからこそ、このメンツだけを集めて話をしたのだ。

「今はそっとしておこう。双葉さんは辛いかもしれないが、この先も一緒に俺達と進まないと」

 仲間だから。どんな状態だろうと、見捨てていくなどという選択はとらない。

 そんな覚悟を感じさせる悠斗の言葉だが、裏を返せば、それだけの覚悟がなければ、今の双葉芽衣子に接することはできそうもなかった。

「だ、大丈夫だよ……双葉さんも、きっと元気になってくれるよ」

 上辺だけの楽観的な言葉を小鳥は言う。

 だが、現実的には大丈夫だと困るのだ。

 今の芽衣子には、最大出力で『イデアコード』をかけているのだから。


『イデアコード』:人間の感情や欲望の増幅。抑圧されるからこそふり幅は大きく、一点の雑念こそが全てを塗りつぶす。希望の逃避、上辺の絶望。心の在り方が、現実を変える。


 このスキルは、小太郎に語ったように、その人間が持つ感情を増幅させるものだ。

 芽衣子は、小太郎が裏切ったと思っていない。

 小鳥が『イデアコード』をかけなければ、蘭堂よりも先に声を上げて小太郎の潔白を叫んだだろう。あるいは、武力を持ってでも釈明の場を設けることに成功したかもしれない。

 桜が想定外の覚醒をし、クラスメイト全員を解毒するという不測の事態が発生した瞬間、小鳥が何よりも優先したのは、小太郎の身柄ではなく、芽衣子の制圧だった。

 この狂戦士を自由にさせるのは危険だ。何より恐ろしいのは、これほどの力を持ちながら、小太郎に対して忠実無比であること。

 最悪のコンビだと、小鳥は明日那が決闘に敗れたあの時から思っていた。この二人はまさに、狐の知恵と獅子の力が合わさったようなもの。王者の資質である。

 あの時、自分にできる芽衣子を大人しくさせる方法は、これしなかった。恐らく、これからも『イデアコード』を行使し続けるしか、彼女を止める術はないだろう。

 増幅させたい感情は、大きければ大きいほど効果は増す。理性でもって抑圧される本心や欲望を発揮させるのが、本来あるべき使い方。

 だから、芽衣子にかける『絶望』の増幅暗示は、最大出力でなければ彼女を止めるほどの効果たりえない。

 如何に小太郎を信じる心が大きくとも、流石に芽衣子も「もしかすれば」と思う小さな、本当に小さな疑念が生じた。

 普通ならば、そんな疑念はあっさりと振り切り、全幅の信頼を以って小太郎に味方する。あるいは、本当に彼が望むのならば、大人しく命を差し出すことすらも……

 そんな強烈な芽衣子の本心を撥ね退けて、小太郎に対する疑念、彼が自分を裏切った、という絶望感だけを心で満たさなければ、止められないのだ。

 今の芽衣子は、ひたすら小太郎に裏切られたというショックだけを胸中にリフレインさせ、ろくに思考が回らない状態にある。『イデアコード』をかけることで、どうにかこれを維持できるのだ。

 この先もこのままならば、使い物にならない。

 双葉芽衣子も。『イデアコード』も。

 芽衣子はほぼ心神喪失状態で、戦闘どころか、日常生活もどこまでできるか定かじゃない。

『イデアコード』は最大の威力をもって芽衣子につぎ込んでいるので、他の者に効果を割く余地が全くない。このスキルは封印されたも同然だ。

 小太郎を取り逃がしただけで、大きな枷をかけられてしまった。

 小鳥の内心は、正に腸が煮えくり返ると表現するよりほかはない、憤怒で満たされている。

 人は思い通りに事が運ばないと、怒りを覚えるものだ。特に、格下と思っていた相手に損害を被ると、より一層である。

 そんな小鳥に、火に油を注ぐような報告を、涼子は切り出した。

「さっき、念のために調べたのだけれど……なくなっているの」

「えっ、何がなくなったんだ、委員長?」

「……ヤマタノオロチのコアよ」

 クラス全員の力を結集させ、あの壮絶な死闘の果てに手に入れた、最大の戦利品である。

 小太郎が最終的に破壊したヤマタノオロチのコアは、砕け散った破片という形で回収された。

 ボスのコアを遥かに上回るサイズと密度を誇る、巨大なコアの欠片は複数個、見つけることができた。他にも、細かい破片はあるが、それらは普通のコアと同等か、ちょっと上等か、といった品質だ。

 重要なのは、巨大破片コアの方である。

 次のエリアへ飛ぶ転移魔法陣発動の鍵として、だけではなく、最後にこのダンジョンから脱出するための、天送門を起動する貴重なエネルギー源になりうるものだった。

 そして、涼子が申告したのは、これら巨大破片が全て失われているということ。

 小太郎はとんでもないものを盗んでいった……

「なっ、な、なんてことを! あの男、こんな土壇場でぇ!!」

 という、桜の怒りの叫びが耳に入らないほど、小鳥の頭は真っ赤な憤怒に染まった。

 呪い殺してやる、とはこちらの言葉だ。本当に呪いでも発動しそうなほどに、強烈な憎悪が小鳥の胸中に湧き上がってくる。

「くっそぉ……桃川小太郎ぉ……絶対許さない、絶対ぶっ殺す……」

 その日の晩は、煮えたぎる怒りのあまりに小鳥は一睡もできなかった。

 容易く全ての罪を被せて、都合よく排除できると思っていた、取るに足らない『呪術師』風情に、この『賢者』の深謀遠慮が妨げられたこと。

 プライドが傷ついた、それ以上に、被った損害が全く想定していないほど甚大になったこと。

 疑念の眼差し。封印された『イデアコード』。貴重な巨大コア……この傾いた状況下で、小鳥は神の使命を果たさねばならない。

「大丈夫……小鳥は大丈夫……」

 朝、みんなが目を覚ます頃には、小鳥は自分に言い聞かせて、落ち着かせる。

「だって、小鳥は神様に選ばれた、特別な存在なの……小鳥こそが、蒼真君と結ばれる運命にあるんだから……」

 そうして、小鳥は立ち上がる。

『賢者』として、神の使徒として。

「桃川は殺す。みんなも殺す。小鳥と蒼真君だけ、いればいい」

 狂いかけた計画を、崩れかけた神のシナリオを、賢者の智慧をもって、実現させるために。

 小鳥遊小鳥は、今日も純粋無垢の笑顔の仮面を被って、自分を演じる。

白嶺学園二年七組出席簿 5

白嶺学園二年七組・出席簿・四十一名



 男子・二十二名



出席番号1番 死亡  東真一『召喚士』 男子クラス委員長


 天道龍一と戦い死亡。



出席番号2番 死亡  伊藤誠二『盗賊』


 オルトロス戦にて死亡。



出席番号3番 上田洋平 『剣士』 弓道部



出席番号4番 死亡  大山大輔 『炎魔術士』 空手部


 横道一により殺害。



出席番号5番 死亡  高坂宏樹 『騎士』 サッカー部


 妖刀使いのボスゴーマ戦にて死亡。



出席番号6番 死亡  斉藤勝 『戦士』 弓道部


 樋口恭弥により殺害。



出席番号7番 死亡  桜井遠矢 『射手』 弓道部


 双葉芽衣子により殺害。



出席番号8番 死亡  佐藤裕也『風魔術士』


 樋口恭弥により殺害。



出席番号9番・下川淳之介 『水魔術士』



出席番号10番 死亡  杉野貴志 『重戦士』 柔道部


 双葉芽衣子により殺害。



出席番号11番 蒼真悠斗 『勇者』『女神エルシオンの御子』 剣道部



出席番号12番 死亡  高島雄大 野球部


 天職授与の負荷に耐え切れず死亡。



出席番号13番 天道龍一 『王』



出席番号14番 中井将太 『戦士』



出席番号15番 中嶋陽真 『魔法剣士』 美術部



出席番号16番 葉山理月 『精霊術士』 バスケ部



出席番号17番 死亡  樋口恭弥 『盗賊』


 桃川小太郎と戦い死亡。



出席番号18番 死亡  平野浩平 『剣士』 サッカー部 


 オルトロス二戦目にて死亡。



出席番号19番 桃川小太郎 『呪術師』『呪神ルインヒルデの御子』 文芸部



出席番号20番 死亡  山川純一郎 『治癒術士』 演劇部


 レイナ・A・綾瀬の霊獣による攻撃により死亡。



出席番号21番 山田元気 『重戦士』 野球部



出席番号22番 横道一 『食人鬼』





 女子・十九名



出席番号31番  死亡 レイナ・アーデルハイド・綾瀬 『精霊術士』


 桃川小太郎と戦い死亡。



出席番号32番 死亡  飯島麻由美 『剣士』


 樋口恭弥により殺害。



出席番号33番 死亡  北大路瑠璃華『剣士』 料理部


 横道一により殺害。



出席番号34番 死亡  木崎茜 『炎魔術士』 バレー部


 自殺。



出席番号35番 如月涼子 『氷魔術士』 女子クラス委員長



出席番号36番 剣崎明日那 『双剣士』 剣道部



出席番号37番 死亡  佐藤彩 『射手』


 ゴーマの群れとの戦いにて死亡。



出席番号38番 死亡  篠原恵美『水魔術士』 イラストレーション部


 事故死。



出席番号39番 蒼真桜 弓道部 『聖女』



ゲームマスター 小鳥遊小鳥 『賢者』『女神エルシオンの使徒』



出席番号41番 死亡  長江有希子 『氷魔術士』 文芸部


 横道一により殺害。



出席番号42番・夏川美波 『盗賊』 陸上部



出席番号43番 死亡  西山稔 『風魔術士』 吹奏楽部


 オルトロス二戦目にて死亡。



出席番号44番 野々宮純愛 『騎士』 テニス部



出席番号45番 死亡  雛菊早矢 『呪術師』 弓道部


 リビングアーマーの矢を受け死亡。



出席番号46番 姫野愛莉 『淫魔』



出席番号47番 双葉芽衣子 『狂戦士』 料理部



出席番号48番 芳崎博愛 『戦士』 テニス部



出席番号49番 蘭堂杏子 『土魔術士』


第248話 誰か

「……誰かいる」

 戦々恐々とした青ざめた顔で、葉山君もそう言った。

 蘭堂さんも葉山君も、見事なまでのビビり様で震えている。

 そりゃあ、いるはずのない場所に、何者かがいれば、それは立派なホラーだけれど……

「誰かって、誰がいるのさ」

「誰か知らねーけど誰かいるんだって!」

「マジだよ桃川、これ絶対ヤベーって!?」

 この二人、実は僕のこと担ごうとしているんじゃなかろうか。元から仲がいいし、蘭堂さんのおふざけを、以心伝心で葉山君が察して乗っかった的な。

 それで、僕がレムの鎧を覗き込んだら、後ろから押してとか、そういうイタズラでもする気じゃないか……と思うのが妥当だが、二人の演技は真に迫っている。これでホントにただの演技だったら、大した役者だよ。

「はぁ、分かったよ、僕も見ればいいんでしょ」

 これが盛大なドッキリだったとしても、さっさと済ませてしまおう。

 落とすにしても、驚かすにしても、好きにすればいいさ。

 そういう気持ちで、僕はレム初号機の黒騎士鎧、その兜を失った首元から、その内部を覗き込み————目が合った。

 深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。そんな言葉が脳裏を過る。

「ま、マジで誰かいるよぉ……」

 暗闇と化している鎧の中。そこに、大きな二つの青い瞳が浮かんでいる。

 その青い目が、ジっと覗き込んだ僕を見つめているのだ。

「誰だよ、っていうか、何でここに入ってるんだ……」

 レムに中の人などいない。黒騎士レムはリビングアーマー同様、鎧兜そのものが動いているだけの状態だ。

 常に中身は空っぽ……だけど、そうだ、あの時、黒騎士の中にはヤマタノオロチのコアを入れていた。

 僕が小鳥遊に拉致られた密会部屋から出るまで、レムは一階に閉じ込められていた。だから呼んでも、すぐ来れる状況ではなかった。

 その代わり、こうして転移で逃亡を図ることを考えて、僕が出てくるまでの間に、準備を整えさせていた。

 元から用意していた非常用宝箱に、必要そうなモノをとにかく詰め込んできた。

 そして、ヤマタノオロチの巨大なコアの破片も、僕がいただいてきた。でも宝箱がイッパイになったから、空いているスペースとして鎧の中に入れておくよう指示したんだ。

 このコアがなければ、学園塔から先に進めるかどうかも怪しい。それに、脱出用の天送門も起動することはできないはず。

 みんなを助けるためには、小鳥遊に脱出手段を渡すわけにはいかない。みんなが足止めされている間に、なんとしても僕は戻らなければならないのだ。

 という僕の土壇場で描いた作戦は別として、今はこの碧眼の誰かについてである。

 何者かが侵入するタイミングなんて、あるはずもなかった。

 けれど、ここには確かに誰かがいて、そして……あんなに目立つオロチコアが、鎧の中に見当たらない。

 ならば、考えられる可能性は一つ。

「お前、もしかして……レムなのか?」

「……」

 パチクリと、大きな青い目が瞬いた。

 肯定の意志、と受け取り、僕は意を決して手を伸ばした。

「ほら、おいで」

 青い目の持ち主は、見たところ、小さい子供のような姿をしている。

 黒騎士鎧はデカいから、首元からでもそのまま出入りできるくらいのサイズはある。

 手を突っ込んで推定レムと思しき存在を掴むと、プニプニと柔らかい肌の感触が伝わった。重い、けど、僕でも持ち上げられる程度ってことは、本当に幼児みたいな大きさだ。

「よいしょっと」

 そうして、ついに謎の誰か、は白日の下に晒される。

 おめでとうございます、元気な女の子です、とでも言うべきか。

 真っ白い髪に、真っ白い肌の幼女だ。綺麗に切り揃ったおかっぱ頭で、サファイアのように輝く青い瞳をした、人形のように可愛らしい顔。

 そんな幼女を、僕は抱っこしてやる。

「な、なんなのその子?」

「どっから攫って来たんだよお前」

「人聞き悪いこと言わない、葉山君。多分、この子はレムだと思う」

「はぁ? マジで? だってレムちんは鎧とかクモとか恐竜とか色々なれるけど、女の子にはならねーだろ」

「それが多分、なったんじゃないかな。レム、お前はレムなんだよね?」

「……れーむぅー」

「喋ったぁ!?」

 蘭堂さんの驚愕リアクション。正直、僕も喋ったのには驚きだ。

「ほら、やっぱり、レムって言ってるし」

「ほ、ほんとかぁ? ただ真似して言ってるだけじゃないの?」

 どうだろうね。でもレムがこうして本物の人間みたいな姿を獲得したなら、当然、発声器官も再現できているはず。というか、今の「レームー」は、拙いけれど、確かに発音はできていた。

「レム、他に何か喋れる? っていうか、僕のこと分かる?」

「あ……あー、あ、あるじ」

「そうだよ、僕がご主人様だよ」

「おお、やっぱ本物のレムちんなのこの子!?」

 僕も主と呼ばれて、ちょっと実感湧いてきたよ。まさかレムがこんな姿になるなんて、全くの予想外だった。だったけれど、今はとにかく可愛いなぁ、という感想しか浮かばない。

「よしよし、レムはいい子だなー」

「おい桃川、ウチにも抱っこさせろよ」

「えー、もうちょっとこのままでー」

 小さい手足でギュっと僕にしがみついてくるレムを抱きしめながら、サラサラの銀髪頭を撫でる。

 蘭堂さんも子供好きなのか、構いたくてウズウズしてるような感じ。

 そして、レムは終始無表情。

「おい、お前ら、そんな騒いでる場合じゃねーだろ」

 と、葉山君が真面目な顔で、可愛く生まれ変わったレムにはしゃいでいた僕らに、注意を促す。

「なんだよ葉山君」

「葉山も抱っこしたいんだろー」

「バカ、その子素っ裸じゃねぇか。早く服着せてやれ、風邪ひいたらどうすんだよ!」

 ド正論だった。




「はい、いただきます」

「いた、だき、まーす」

 拙い言い方をしながら、レムは握りしめた箸で一口サイズの肉を突き刺す。

「熱いから、フーフーして食べるんだぞ」

「ふーふー」

 焼き上がったばかりで湯気の立つ肉を、レムは小さな口で息を吹きかける。しばらくフーフーしてから、アーンと口を開き、食べた。

「美味しい?」

「おいしい」

「ああーレムちんカワイイなぁー」

「桃川、完全にママになってるな」

 こんなの、誰が相手したってママみたいな対応せざるをえないだろう。

 僕はとりあえず、素っ裸で誕生した幼女レムに、自分の着替えとして確保していたシャツと上着を着せている。小柄な僕よりもさらに小さい幼女サイズのレムなので、かなりブカブカだ。

 後でちゃんとした服は用意するから、今はとりあえずこれで。

 そして、特に空腹を訴えたワケではないが、食事を摂らせることにした。

 これまでのレムは、当たり前のように食事はしなかった。元々は名前通りの泥人形であったし、パワーアップすればスケルトンだし、屍人形にしても全て死体ベースの体だ。生物として食料を必要とする存在ではなかった。

 しかし、この幼女レムは、今までの人形や死体のような形態とは、かなり異なる様に思える。端的に言って、生きている、まるで本物の人間だ。ハッキリと言葉を喋れるようになっているのも、そう感じさせることに拍車をかける。

 そんなワケで、小さい子供をみるととりあえず食べさせてあげたくなる気持ちにもなるし、本当に食事ができるかどうか、という検証も込みで、レムに夕食を摂らせているわけだ。

「しっかし、こんなちっちゃい子連れて冒険とか、大丈夫なのかよ」

「その辺は心配する必要はないよ」

 少なくとも、葉山君よりは遥かに強い。まさか人間として生まれ変わった代償に、完全にただの幼女に成り下がった、みたいなことはないだろう。

 果たして、この幼女レムがどの瞬間で誕生したのかは定かではないが、転移する寸前までは蒼真君相手に斬り合いを演じていたし、こっちに飛んできてからは、歩いて動くくらいはできていた。

 つまり、幼女レムには黒騎士鎧を従来通り動かせるだけの能力は保っている、と証明できている。

 だから、戦力低下に関してはさほど心配はしていない。

「少なくとも、本物の子供みたいに生活の世話をする必要はないし。ほら、見てよ、もう箸を使いこなしてるでしょ」

「ああっ、ホントだ、いつの間に!?」

 最初こそ幼児みたいに箸を握りしめて料理を刺す、という動きしかできていなかったが、3分も経たないうちに、挟んで持ち上げるようになり、そして、今では正しい箸の持ち方で、日本人と同じように使いこなしている。

 レムは今まで僕らの食事をずっと見てきているから、そうして使い方そのものは知っていたのだろう。その気になれば、黒騎士でも箸を持たせて使わせることはできたはずだ。

 この新しい幼女の体が、まだ馴染まないから最初だけ上手く扱えなかったに過ぎない。要は、体に慣れれば、憶えていることは何でもできる。

 そんなワケで、レムは僕が用意したご飯をあっという間に平らげた。パン、肉、野菜、どれも残さず食べたので、好き嫌いはないようだ。

「ひとまず、今日はもう寝よう。僕らも色々とありすぎて疲れているし」

 レムのこと含めて、気になることは沢山あるが、今日はもういい時間だ。何より、僕らは楽しい祝勝会が一転、ドン底の逃亡生活になってしまったのだから、特に精神的な疲労感が半端ない。

「それもそうだな。そんじゃあ、お互いの話はまた明日な」

「えっ、葉山、そのままそこで寝んの?」

「ああー、ここは森と違って柔らかい芝生になってっから、寝心地いいぜ!」

 そうだよね、外の森と比べたら、芝生になっている妖精広場はそれだけで恵まれた環境だ。でもね、僕らはもうそんな芝生の寝心地に喜ぶ段階はとうに過ぎ去っているんだよ。

「時間も材料もないし、ハンモックでいいよね」

「おい、ハンモックって何————ってハンモックだコレぇ!?」

 学園塔ではベッドを作って久しいが、元々はコイツにずっとお世話になっていたのだ。今でも、蜘蛛糸でネットを撃ち出すように、素早く形成することはできる。

 というワケで、早く寝たいのでさっさと3つ分のハンモックを妖精胡桃の木の間に吊るした。

「それじゃ、みんなおやすみー」

 しばらく初めてのハンモックを前に騒いでいた葉山君だったけれど、ベニヲを抱っこして寝転がってからは、すぐに静かになった。木の根元には、キナコがゴロンと寝転がっている。

 蘭堂さんは慣れたもので、そのまますぐ寝たし、僕はレムと一緒に寝ることにした。

「……温かい」

 小さいレムを抱えていると、確かな体温を感じる。それは、今までにはなかった感覚。

 レムの体は、本物の生きた人間となっているのだろうか。それとも、あくまで精巧に再現された肉体に過ぎないのか。

 本物だとすれば、その遺伝的性質はどうなっているのだろうか。DNAは術者の僕と全く一緒のクローンみたいになっているのか。それとも、ルインヒルデ様が神の力で全く新しい人間を創造しているのか。血液型だけでも知りたいものだ。

 けれど、こうしてレムと言葉を交わせるようになって、僕にはもっと聞いてみたいことがあった。

「ねぇ、レムは、僕のこと好き?」

 いくら自らの呪術で作った人形とはいえ、苦労をかけてきたという自覚はある。

 ぞんざいに扱ったことはないが、かといって楽をさせてあげることはできていない。レムは僕にとってなくてはならない戦力だったから。

 でも、そんなのは僕の事情であり、術者だから命じられるだけのこと。

 もしもレムが人間となったのなら、そこには自由意志の一つもあるだろう。かといって、聞いてどうなるワケでもない。術者の僕に逆らうことはできないはずだから。

 それでも、僕は聞かずにはいられなかった。

「……すき」

 抱きしめた胸の中で、レムは青い目を真っ直ぐ見上げて言ってくれた。

「どれくらい好き?」

「いっぱいすき」

 あぁ、レム可愛いなぁ……もしかして、喋れるようになったから上手にご主人様に取り入る術なんかも手に入れてたりするのでは————なんてことを考えながら、僕はレムと共に眠りに落ちていった。




「————我が信徒、桃川小太郎」

 はい、やってきました神様時空。

 そろそろ、お呼びがかかる頃合いではないかと思っていましたよ、ルインヒルデ様。

「まずは、褒めてつかわす。八つ首の大蛇、見事、討ち果たしたか」

「ありがとうございます。クラス全員の努力の結晶です」

 深々と頭を下げて、恭しく答える。神様直々のお褒めの言葉は、素直に嬉しいよ。

「しかし、贄を捧げるは呪術師の本分。自らを捧げることは、あってはならぬ。心、惑ったな、桃川小太郎」

「申し訳ありません。怪しいとは思っていましたが、まさかあれほどの裏切りを働いているとは想定していませんでした」

 僕はヤマタノオロチ討伐の最終局面で、自爆戦法を採用した。あれは確かに、実に僕らしくない選択である。

 それを自らの意思と信じさせて実行させるのが、『イデアコード』の恐ろしさだ。

「よい、神の一手には、我が一手をもって返す————そう、許されるは一手のみ。妖精女王の加護は、まだそなたの手に余る」

「あ、もしかして『告死の妖精蝶』って、一発限りの特殊技……」

 然り、と言いたげに、小さくルインヒルデ様の髑髏が頷く。

 道理で、都合よく一発逆転できたものだ。

 恐らく、『逆舞い胡蝶』で『生命の雫』をつぎ込んでも、即死効果という絶大な威力は発揮されなかった。少なくとも、強固にして莫大な生命力の塊である、ヤマタノオロチのコアをぶっ壊すほどの威力は出ない。

 けれど、それを上位の、いや、最上位くらいの呪術であろう『告死の妖精蝶』をあの瞬間に発動できたのは、ルインヒルデ様が助けてくれたからだ。

「人の世の理、侵すべからず。先に破ったは賢者を騙る白の使徒よ。故に、我が手の及ぶ余地もある」

 そして、ここぞというタイミングでルインヒルデ様の助けが得られたのは、小鳥遊の方が先に神の力を乱用していたから……という感じと見るべきか。

 確かに、小鳥遊は明らかに女神エルシオンから特別扱いを受けている。

 奴は『イデアコード』の他にも、まだまだチートスキルを隠し持っていると考えるべきだろう。

 それにしても、ついにはっきりと神の介入ってのが分かったワケだけど、

「桃川小太郎、すでに、そなたは見え、知った」

「……奴の言葉は、大体真実だと」

「女神エルシオン……今はそう名乗っておるか」

 昔は違ったんですか。あからさまに因縁のありそうな言い方である。

「名を変えようと、本質は変わらぬ。狂える白痴の論を以って、世を侵さんとする。心せよ、その力は衰えようとも、大いに人を惑わし、偽りの加護にて下僕を仕立てる」

 ふむ、同じ神と認めてもいないような口ぶりだ。

 ルインヒルデ様含め、この異世界の創世神話がどうなっているのかは知らないけれど、天職システムに連なる神々と、女神エルシオンは根本的に異なる存在なのかもしれない。

 単に、善神と悪神の対立、とも考えられるけど……エルシオンを悪神側とすれば、ルインヒルデ様は善神側ってことになるんだけど、それイメージ的にいいんですかね。

「そなたの魂は我が元に。縁は鎖、絆は楔。不惑に至りて、白きに抗う心に足る。されど、いまだ力は及ばず……あれなるは、理を捻じ曲げるが故に、強きを成す」

 小鳥遊のチートスキルのこと、だろうか。

 対抗するには、今の戦力ではどうにもならないのは確かだ。ヤマタノオロチとは違った意味で、攻略の糸口が掴めない。

 なにより、クラスメイトの誤解を受けていることが最大の問題点である。

「備えよ。いずれ対決の日は来る」

「勿論ですよ。メイちゃんも、クラスのみんなも、助けないといけないから」

「器を得た。満たすにはまるで足りぬ小さな器だが、始まりはかくあるべし」

 と、刃物同然に僕をこれまで突き刺しまくったルインヒルデ様のそれはもう鋭い指先が、ピっと指し示される。

 僕に、ではなく、そのやや斜め後ろ。

「あ、レム?」

「……」

 振り向けば、銀髪おかっぱのレムがいた。

 折角シャツを着せたのに、また全裸になっている。

「っていうか、レムもここに来れたんだ」

 相変わらずの無表情で、青い目が僕とルインヒルデ様を行ったり来たりしている。

 そういえば、レムとしてはルインヒルデ様のことはどう思っているんだろう。ちゃんと神様だという認識はあるのだろうか。

「新たな呪術を授ける」

「……ありがとうございます」

 お礼の言葉は出るものの、やはり良い予感はしない。というか、今回はレムと一緒なのがかえって恐ろしい。

 ルインヒルデ様、まさかレムのこともぶっ刺したりしないですよね? ほら、見た目は小さい子供なので……

「生誕は祝うべし。されど、己の器を忘れるな。人形は人に非ず、そこに御霊が宿ろうとも。尽くせ、其が影にも存在理由を与えん」

 そして案の定、刺された。

 僕ではなく、レムが。

 真っ白い胸のど真ん中に、ルインヒルデ様の貫き手が深々と突き刺さり、血飛沫が上がる。

 え、ちょっと、他人が刺されるところ見るとかなりショッキングなんですけど、というか、レムはホントに大丈夫————

「清浄なる精霊も、呪詛に染まれば我が手の内にある。掴め、悪しき意思こそ呪いの糧となろう」

「ぐはぁああ!」

 それでやっぱり僕も刺されて、レムの心配するどころじゃなくなる。

 こうして胸を貫かれることは、ルインヒルデ式ではオーソドックスなパターンだけれど、なにこの、追撃? すげーグリグリされ、

「がっ、あぁがぁあああああああああああああああ!」

 し、心臓が握りつぶされる!?

 そうとしか思えない、おぞましい感触を胸の内に味わってから、僕の意識はようやく暗転してくれた。




「というワケで、改めて紹介させてもらうけど、この子はレム。元々は『汚濁の泥人形』という呪術で生み出した使い魔なんだけど、この度、晴れて進化を果たし————」


『隷属の影人形』:主の影となり、付き従い、寄り添う人形。無垢なる空白の器は、いまだ注ぐに足らず。


 という新呪術になっていることが、ルインヒルデ様のありがたい夢から覚めた今朝になってから判明した。

 やはりヤマタノオロチのコアを得たことが、泥人形から影人形に進化した大きな要因ではあるようだ。勿論、これまでのレムの経験もあってのことだから、ただ強力なコアや素材があれば進化できるほど簡単ではないらしい。

 いつものフレーバーテキストによると、どうもこれで完全体っぽい感じではないようだ。一体、ナニを注ぐんですかねぇ……

 細かい事は置いておいて、とりあえず蘭堂さんと葉山君を前に、レムを立たせて改めて紹介したワケだ。

「はい、レム、挨拶して」

「……レム、です。よろしく、おねがい……します」

 見た目通りの幼児みたいな拙い言葉だが、それでもはっきりとレムは喋り、大きく頭を前に下げて、お辞儀する。

「おおお、スゲー、レムちんちょーカワイイ!」

 僕が教えた通り、礼儀正しく挨拶するレムに蘭堂さんはテンション高めでいきなり抱き着いている。こう見えて子供好きなのか。

 それとも、アルファを筆頭にそれなりにレムと交流あったから、幼女化したことでギャップ萌えが発生しているのか。なんにせよ、蘭堂さんは後先考えずにレムがこうなったのに嬉しそうだ。

「これホントに普通の子供に見えるな……実は桃川の隠し子じゃねーのか」

「誰との子になんのさ」

 処女で懐妊したら聖なる感じだけど、童貞のままパパになってもアレな感じしかしないよね。托卵とかNTR属性攻撃の奥義じゃん。オーバーキルもいいところだよ。

「キナコが間違って食べちゃわないように、注意しといてよね」

「食わねーよ! キナコは心優しい森のクマさんだぞ」

 まぁ、見た目こそアルビノ幼女だけれど、影人形への進化は伊達ではない。決して、可愛さ全振りしたワケではなく、その戦闘能力には磨きがかかっている……はずである。

 その辺はこれから検証とするとして、

「ともかく、レムがこんなんなって大騒ぎしちゃったけど、今大事なのはこれからどうするか、ってとこだから」

「え、小鳥遊ボコって、クラスに戻るだけでしょ?」

「そりゃ端的に言えばそうなるけどさ。葉山君はどうするつもり?」

「はぁ? そんなもん、俺も一緒に行くに決まってんだろ」

「言っておくけど、状況はかなり不利だよ。僕と蘭堂さんはみんなを助けるって意味でも、絶対に戻る気ではいるけれど……葉山君は、このままキナコと一緒に、森の脱出を目指すという選択肢もあるでしょ」

「おいおい、舐めんなよ桃川、そんな薄情な真似するワケねーだろ。けど、まぁ、キナコをあんま危険なメに遭わせるのは、ちょっと気が引けるが……」

「プガァアアアア!」

 と、キナコがいきなり吠えていた。

 なに、お腹すいたの? レムは食べないでね。

「キナコ、お前……いいのかよ」

「プガァ! グァアアアア!」

「そうか、そうだよな……俺らはもう一蓮托生だからな。よし、これからも頼むぜ、相棒!」

「プググ、グガァ!」

「キャンキャン!」

「おう、俺らはずっと一緒だぜ!」

 と、力強く拳を振り上げる葉山君と、威嚇のポーズみたいにバンザイしているキナコと、足元をチョロチョロしてる赤犬のベニヲ。どうやら、彼らの中で話はまとまったようだ。

 しかし、本当に葉山君はキナコとベニヲの言葉を理解しているようだけど、傍から見ていると完全にペット大好きすぎて意思疎通できていると信じ込んでいるアレな人にしか思えないよね。

 僕も『精霊言語』系のスキルを授かれば、動物さんとお話できる素敵なメルヘン能力が手に入るのか。僕は動物相手なら『同調波動エコー』で催眠する方が楽でいいけど。

「っつーワケで桃川、俺らも一緒に行くぜ。クラスの奴らを助けねーとな!」

「ありがとう、葉山君」

 本当にね。特に説得や報酬もナシに、自ら協力を申し出てくれるとは。さては葉山君、チャラく見えるくせに、実はすげーお人好しだな?

 どうやって引き込もうか、昨晩はレムを抱きしめながらいろいろ考えていたけど、全部無駄になったよ。

 葉山君は即戦力としてはちょっと怪しい残念な『精霊術士』だけれど、その能力はまだまだ未知数なところがあると思う。キナコとベニヲ、という魔物を使役できているのも、レイナとは違う方向性の能力、または才能だろう。

 なにより、今の僕にとっては一人でも多くの仲間はありがたい。誤解された現状では、クラスメイト全員が敵に回っているも同然だからね。

 それでいて、殺すのではなく、説得して再び信頼を回復しなければいけないのだから……やれやれ、先は長そうだ。

「よっしゃあ、それじゃあ早速、出発だ!」

 冒険心溢れる少年漫画の主人公のように、妖精広場の先に続くダンジョンへの扉を指さし、意気揚々と一歩を踏み出す葉山君。

 でもね、それは向かう方向が逆だよ。

「とりあえず、今日は準備ね。必要最低限しか持ち出して来れなかったから、色々と用意しなきゃ」

「だよなー、桃川絶対言うと思ったー」

 蘭堂さんはレムを抱っこしながら、そんな実に理解のあることを言うのだった。


第249話 ドロップアウト組み(1)

「まずは装備の確認だ。みんな、今持ってるモノ全部出して」

 おらジャンプしろよ小銭ジャラジャラ言うとるやんけ、みたいな勢いで全員の持ち物チェックを開始する。

 でもまぁ、当然のことながら、わざわざ検分するほどの持ち物を持っているのは、僕だけだった。

「桃川マジでどんだけ持ち出してきてんのよ」

 宝箱の中は、昨晩に手料理を振舞ったように、飲食物や調理器具をはじめとした快適にサバイバルを過ごすための装備一式が詰め込まれてある。これは非常用としてあらかじめ準備しておいたモノ。

 蘭堂さんが感心よりも呆れの方が強そうに言っているのは、この非常用セットの他にも、色々とあるからだ。

「自分の装備は最優先で持ってくるに決まってるでしょ」

 すっかり愛用となっている『愚者の杖』をはじめ、僕の頼れる仲間たちこと、各種クラスメイトの頭蓋骨セット。

 それから、呪わしくも思い出深い『樋口のバタフライナイフ』に、地味に付き合いの長い『レッドナイフ』。

 勿論、僕が丹精込めて作り上げた『エアランチャー』とその弾薬各種。

 僕の装備は全て回収することに成功している。

 馬鹿だなぁ小鳥遊、ああいう時は念のためにターゲットの武装は先に破壊しておかないと。

「でも、流石に蘭堂さんがついてくるとは思わなかったから、リボルバーは武器庫に置きっぱなしになっちゃったよ」

「まぁ、それはしゃーないし」

 もしかしたら、という可能性に思い至ったとしも、僕は彼女の相棒である黄金リボルバーを持ち出すことはしなかっただろう。

 蘭堂さんが残った場合、愛用の武器がないと困るからね。

 あの時、レムは一階エントランスに閉じ込められた状態ではあったが、武器庫をはじめ一階フロアは自由に移動できた。武器庫には当然、他のみんなの武器もある。

 それをレムに破壊工作させたり、盗ませたりもできたけれど、僕はクラスメイトみんなを危険にさらしたいワケじゃない。

 僕が去った後も、彼らはダンジョンを進む。それも、小鳥遊という裏切者を抱えたまま。

 彼らの身の安全を考えると、装備品を失わせて戦力を低下させるワケにはいかない。

 場合によっては、それらが全て僕に向けられる凶器になるかもしれないけれど……今のみんなを危険に晒すリスクは避けたい。

「武器は僕の分しかないけど、その代わり、いい素材は色々といただいてきたから」

 僕が盗んできたのは、何もヤマタノオロチのコアだけじゃあないんだよ。

 非常用セットと並行して、装備品開発の中で作り出された数々の高品質素材を、僕はちょっとずつチョロまかしていた。これもまた、非常用の物資として。

 それに加えて、あの時には目星をつけていた素材も持てるだけ持ち出してきたのだ。

 蘭堂さんが精製できる最高光度の光鉄素材各種に、強力なモンスターのコア。委員長が精製した氷結晶もある。

「これをメインにして、後は適当な素材を集めれば、それなりの武器は作れそうだよ」

「流石桃川、マジで容赦の欠片もねーな」

 そうでしょ、初めてにしては自分でもなかなかの火事場泥棒ぶりだと思う。

「リポーションとアクセサリーも幾つかくすねてきたよ。あと、使い勝手はいいから桜ちゃんのカンテラもね」

 ズラズラと並べに並べると、ちょっとしたお店でも開けそうなラインナップである。

 僕、このダンジョンを脱出したら、雑貨屋でも開こうかな。異世界何でも屋さん的な。

「す、すげぇ……何がなんだか分かんねーけど、とにかくすげぇ……」

 僕が広げた圧倒的な物量の数々に、葉山君は驚くことしきりである。

 まぁ、この異世界に来て僅か一週間。それも森の中をモンスターのお友達とサバイバルしてきただけの葉山君には、このレベルの装備品や物資を揃える余地などあるはずもない。

 僕だってダンジョン攻略一週間の頃といえば、武器はゴーマの鹵獲品、回復は傷薬Aのみで、食事も妖精クルミがまだメインを張っていただろう。

「葉山君も、よく揃えた方だと思うよ」

「ちくしょう、こんだけのモノ見せられたら逆に恥ずかしいだろが」

 そんなことないよ。

 ゴーマのボスから鹵獲したという、鉄の槍とナイフは、錆もついておらず品質はいい状態を保っている。序盤でコレを入手できたのはラッキーだよ。

「それに、精霊憑きの道具なんて、流石は『精霊術士』だよね」

 特に注目すべきは、無限に水が出る革袋、無限に着火できるジッポライター、無限にバッテリーが持つスマホ、とそれぞれ精霊が宿ることで無限の使用を可能としている道具だ。

 どれも元々はごく普通の道具に過ぎなかったが、まず間違いなく『精霊術士』である葉山君が使っているからこそ、精霊が宿りマジックアイテムと化したのだ。

 桜ちゃんのカンテラのように、本来ならその天職に見合った錬成スキルを駆使して、マジックアイテムの製作が可能となるのだと思われるが……葉山君が精霊を従える能力はなかなかに高いのかもしれない。

「つっても、別に俺が作ろうと思ってできたワケじゃねーしな。みんないつの間にか、勝手に住み着いただけだし」

「近いうちに葉山君も錬成スキル習得できるかどうか試してみようよ。まずは『簡易錬成陣』からね」

「お、おう」

「葉山、覚悟しとけ。桃川はこういうのスパルタだぞ」

 そんなぁ、あんなに懇切丁寧かつ実践的に錬成を教えてあげたのに。お金とれるレベルの指導だと自負しているんだけど。

「それじゃあ、ひとまずはここを拠点にして準備を進めよう」

 現状、蘭堂さんは手ぶらだし、葉山君の装備もダンジョン攻略を進める上では貧弱だ。それに、クマのキナコもいるので相応に食い扶持も増えている。

「まずは、手持ちの食料も心もとないから、狩りから始めることにしようか」




 呪術師、土魔術師、精霊術士、と前衛不在の恐ろしく不安なメンバー構成が、僕の新パーティとなる。

 僕もこれまで色々なパーティ組んできたけれど、不安感で言えば歴代2位を争うだろう。

 僕的に最悪のパーティ編成不動の1位は、樋口の時だ。僕単独の上に樋口というボスがいて、さらにはレイナもいるという、今にして思うと凄まじい極悪パーティだったよね。

 2位は因縁の付き始めとなる蒼真ハーレムパーティか、密林塔のレイナ逆ハーレムパーティだろう。ハーレムと名の付くパーティにロクなもんがねぇな。どちらも甲乙つけがたい。

 蒼真ハーレムパーティの時は、メイちゃんが一緒だったし、レイナの時はヤマジュン協力の元で、上中下トリオも山田も僕へと協力的になってくれた。味方がいるという点で、樋口の時よりは遥かにマシなのだ。

 今回の新パーティは、単純に戦力的に不安というだけで、味方に不和が特にないのは大きなメリットである。

 思えば、僕らはそれぞれの理由ではぐれ者となっている。僕は裏切りに合い、蘭堂さんはそんな裏切り者の僕についてきた。葉山君は最後に教室から出たせいで、みんなと大きく時間がズレてはぐれた状態に。

 さらに言えば、葉山君の相棒キナコも、ボス争いに負けて群れを追い出されているし、赤犬のベニヲも負傷したせいで群れに見捨てられている。

 使い魔に至るまで、メンバー全員見事にはぐれ者。本来あるべき居場所にはいられなくなった、いわばドロップアウト組みとでも言うべきか。

 そう考えると、なかなかにアウトローな集団になったような気もする。このまま盗賊団でも結成する?

 ともかく、事情はどうあれ今は一緒になったので、このまま仲良くやっていければいいなと、今のところ能天気に考えている。

「なぁおい桃川、あの子ホントに大丈夫なのかよ?」

 肉を求めて歩き始めて早々、葉山君がコソっと耳打ちしてくる。

 視線の先には、メンバーの中で唯一優れた体格とパワーを誇るキナコのすぐ隣を、チョコチョコと歩く幼女レムの姿がある。

 使い魔同士、仲良くしてくれればいいなと僕は思っているのだけれど、葉山君は何をそんなに心配しているのだろうか。

「あんな前にいたら、戦いになったら危ねぇだろ」

「いや、レムは前衛として働いてもらわないと」

 メンバー全員が魔術師クラスで構成された新パーティでは、前衛役を使い魔に頼るより他はない。葉山君はキナコを、僕はレムを、それぞれ前に立たせるのが最善の配置だ。

「無理だろあんなチビっ子に」

「どの道、レムが前衛張れなくなったら僕らはお終いだから」

 またしてもメイちゃんとお別れしてしまったこの現状でも、僕がまだ平静を保てているのはレムがいるからだ。レムさえいれば、僕の護衛能力は実戦レベルで保障される。

 貧弱な呪術師が堂々と活躍するには、何を置いても頼れる前衛が必須なのだ。

 そういうワケで、すっかり小さくなったレムの背中を、僕は満幅の信頼を寄せて見つめるのだった。

「スンスン……プグゥ!」

 森の中を、ちょこちょこ採取しながら進んでいると、キナコが吠えた。

 鼻を鳴らしながら、熊なのにウサ耳みたいな長い耳をピーンと立てて、周囲を鋭い目つきで見渡す。

「グルゥ、プガガ!」

「マジかよ、キナコ。おい桃川、なんか魔物の群れっぽいのが近づいてきてるらしいぞ」

「それって逃げられそう?」

「キナコ、どうなんだ!」

「プガァ!」

「すぐそこまで来てるってよ。やるしかねぇぞ!」

「了解、それじゃあ戦闘態勢だ。蘭堂さん、前と後ろに壁一枚ずつお願い」

「おっけー」

 蘭堂さんはさっと手を翳せば、すぐにボコボコと分厚い土の壁が隆起する。

「おわぁ!?」

 いきなり出てきた壁に葉山君が実に初見らしいリアクションしているけれど、僕はヤマタノオロチの陣地構築で毎日見た光景だからね。

 ともかく、僕らは打たれ弱い魔術師クラスなので、こういう隠れられる壁がある方が安全だ。ゴーマ相手でも、流れ矢の一本で即死しかねないからね。

 ここの森ではそこまで強力な奴らが群れで現れるってことはないと思うけど、さて、何が出てくるか。

 僕は『呪術師の髑髏』を填めた愚者の杖と、グレネードを装填したエアランチャーを片手に、壁に隠れながら敵の到来を待つ。


 ————ブゥウウンン


 耳障りな羽音が、静かな森の中に響く。

 この羽音には聞き覚えがある。コイツは確か、

「ナイトマンティスか。それなら、群れの正体はアリ共だな」

 虫の洞窟以来である。久しぶりだなぁ、などと思っていると、奴らはついに姿を現した。


 キシキシキシ!


 先頭を飛ぶナイトマンティスと、それに随伴するポーンアントの群れ。案の定の構成だが、ちっ、カマキリの奴、二体いやがる。

「蘭堂さん、カマキリ!」

「よっしゃ、行けぇーっ、『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』ぁ!」

 まずは開幕ぶっぱ。蘭堂さんの上級攻撃魔法がドォン! と音を立てて撃ち出される。

 まさに大砲と言うべき大質量の岩の円柱が、高速で射出され————次の瞬間には、ナイトマンティスの体が弾け飛んだ。

 おまけとばかりに、貫通した砲弾が後続のアリを巻き込んで砕け散る。

 うん、流石にオーバーキルだったな。中級攻撃魔法で十分だった。

「は? なんだよ今の……蘭堂、お前……」

「んあぁー、やっぱ黄金銃ないと上級は疲れるわぁー」

 圧倒的な攻撃力を前に戦慄の表情の葉山君と、しみじみとため息つきながら肩をグルグル回す蘭堂さん。なんかそうやってると、おっぱい大きすぎて肩凝ってますみたいな動きに見えて、もうそれだけでエロい。

 じゃなくて、今はレムの雄姿を見届けなくては。

「レム、もう片方のカマキリは頼んだよ」

 こっちを振り返ったレムは、こっくりと小さく頷いてから、目前に迫り来ているカマキリに向かって、自ら一歩を踏み出す。

 その踏み込んだ足元、自ら作り出す影が、膨れ上がるように大きく広がった。

 レムが二歩目を踏んだ時には、影は形を成して蠢き、間欠泉のように吹き上がっては、その小さな体を飲み込む。

 そして、纏わりつく影を振り払うように三歩目を踏んで突き進んできた時には、もうそこに真っ白い幼女の姿はなく、黒々とした巨躯が現れた。

「グガァアアアアアアアアッ!」

 雄たけびを上げて、レムは黒騎士の姿と化す。

 蒼真君にぶった切られた兜も再生しており、右手には大剣、左手には大盾を携え、無傷の完全武装状態だ。

「これまで獲得した姿への変身……それが影人形の能力だ」

「すげぇ、変身!? 変身したぞオイ!」

 僕もいざその変身を目の当たりにすると、葉山君同様、ちょっと興奮してしまう。

 しかし、喜んでばかりもいられない。

 変身と言うが、中には幼女レムがそのまま入っている。

 正直なところ、幼女レムがやられるとどうなるのか、僕にも分からない。泥人形時代のように、普通に復活できるのかもしれないし、そうじゃないかもしれない……イマイチ確信が持てないので、影人形の本体、あるいは核、となっていると思われる幼女レムは傷つかないようにしていきたい。

 でも今は前衛張れるのがレムしかいないので、カマキリともタイマン張ってもらう。

「行け、レム! カマキリの刃じゃ鎧は切れない、ガンガン攻めろ!」

 ナイトマンティスとは戦闘経験があるから、どの程度の威力かは分かっている。奴の刃にリビングアーマーの装甲を切断するほどの切れ味はない。傷くらいはつくだろうけど。

 だが生身で相手するには、その素早い連続斬撃は脅威的。そんな奴を、あの頃はメイちゃんが一体を、桜ちゃん達が全員でもう一体を、という不公平な分担をしたワケだ。

 それでも、当時のメイちゃんは約30秒でナイトマンティスを始末して剣崎をドン引きさせたものだが……

「グガァ!」

 迫り来る二振りの大鎌をものともせず、力強い斬撃を叩き込む黒騎士。

 相手の攻撃は通らない。こちらの攻撃は一撃で脚を切り飛ばし、胴をひしゃげるほどの威力を誇る。

 勝負は最初からついていて、闘争本能しか詰まってないようなカマキリの頭では、スペック通りの衝突結果を迎えるのみ。

「10秒もかからなかったな」

 あっという間にナイトマンティスを切り伏せたレムは、雄たけびを上げて残党狩りを始めている。

 前衛は黒騎士レムに、キナコもアリ程度には全く力負けすることなく圧倒できている。小さい赤犬のベニヲも、元気に駆け回ってはオルトロス並みの火炎放射を吐いてアリを焼き払っていた。

 それに加えて、ライフルとショットガンを同時撃ちみたいな威力の遠距離攻撃が可能な蘭堂さんに、僕だって『ポワゾン』一発でアリは即死させられる。

 前衛も後衛も十分すぎる攻撃力があるので、十数匹のポーンアントなど、一方的に片づけることができた。

 正に完全勝利である。

「よし、カマキリのコアだけ回収しとこう。レム、蘭堂さん手伝ってー」

「はい、あるじ」

「ほーい、ってレムちんがいつの間にか戻ってる!」

 今の目的は食料入手のための狩りだから、さっさと剥ぎ取りを終わらせて出発しよう。

 流石に蘭堂さんも長い学園塔生活の中で、コアの剥ぎ取りくらいは普通にするようになっているし、レムに至ってはスケルトン時代から行っているのでエキスパートと言ってもよい。

 そんな経験豊富な二人が、僕の呼びかけに応じてすぐに駆け寄ってきてくれるのだが、その後ろで虚しく立ち尽くす男が一人。

「やべぇ……俺なんもしてねぇ……」

 割と深刻な表情でそんなことを呟いている葉山君。

 うん、それね、早くなんとかしてあげた方がいいかなぁ。

 とりあえず葉山君の戦力外問題は、今回の収穫次第ということで。

第250話 ドロップアウト組み(2)

 カマキリとアリの混成部隊といきなり出くわした狩りだったけれど、その後は特にエンカウントもなく、無事に終わった。狩りの成果はまぁまぁといったところ。

 狩った獲物は、一番デカいのが土猪。他にはそこそこサイズの蛇が2匹。あとは道中に採取したハーブ、山菜、キノコ、木の実などなど。

 ひとまず、猪があるから今日、明日、食うものがなく飢える、ということはないので十分な成果と言えるだろう。

 早速、調理にかかりたいと思うのだが、

「先に風呂作っちゃおう」

「えっ、風呂? なに言ってんだ桃川、そんなもんあるわけねーだろ」

 現実逃避する可哀そうな子を見るような目で、葉山君が諭してくる。その優しい眼差しやめて。

「僕らくらいのサバイバーになると、風呂も余裕っていうか?」

「落ち着け、アレはただの噴水で風呂じゃねぇんだよ。俺らは冷たい水浴びで我慢するしかねーんだ」

 安心して、妖精広場の噴水にザブザブ入って「これが風呂や! 風呂なんや!」と自分に言い聞かせるような悲しい真似はさせないよ。

 というか、もう実際に見せた方が早いよねコレ。

「というワケで、蘭堂さんいつものお願いね」

「『岩石大盾テラ・アルマシルド』だオラァ!」

 気合を入れて蘭堂さんが中級防御魔法をぶっ放すと、広場噴水のすぐ脇に、ボコボコと形成されてゆく、広い湯舟。

 今やただの泥だけでなく、表面が石畳みのようにコーティングされているのは、度重なる土木工事で熟練度を増した証。

 十人が入っても余裕なほどの大きな湯舟が完成したが、今は3人しかいないからもうちょっと小さくて良かったよね。

「下川君の抜けた穴は大きいな……」

 もう一発で湯舟を満たしてくれる水魔術師はいないので、かなり久しぶりに黒髪縛りでホース作って噴水から水引いたよ。湯舟がデカいせいで、溜まるまでしばらく時間がかかりそうだ。

「この湯舟は僕の『魔女の釜』になってるから、水をそのまま適温まで温めれば、お風呂の完成というワケだよ」

 と、僕がドヤ顔で葉山君に説明すると、

「す、すげぇ、マジで風呂ができんのか……桃川、結婚してくれ」

「えー、戦いで役に立たない男の人はちょっと」

「ぬあぁあああ! それは言うなぁーっ!」

 あ、意外と気にしてたんだね。繊細か葉山君。

「それじゃあ、お風呂が沸くまでみんな料理手伝ってね」

 早速、保存食の製作開始だ。

 蘭堂さんも葉山君も、この機会に解体と調理を覚えて欲しい。もっとも、僕だってメイちゃんの受け売りで、ごく基礎的なことしか習得できていない。味の方は絶対に及ばないし、レパートリーも限られている。

 けど、何もできないよりは遥かにマシだろう。メイちゃんの教えをもとに、僕は自分なりの料理道を進まなければ。




 さて、葉山君やキナコ達は随分と喜んでくれた土猪の牡丹鍋を食べ終え、風呂も済ませた後の僕は、一人、噴水前で錬成陣をお絵描きしている。

 疲労感はあるけれど、なんとなく寝付けないこともあって、錬成作業でもしようかと。

「あるじ、できた」

「よしよし、上手いぞレム、いい子だ」

 こういう時に、人形のレムは僕のお供として手伝ってくれる。今や影人形で本物の幼女と化していても、そこら辺は変わらない。

 というか、子供とはいえ完全に人型の体を得た今は、より手先の器用さを必要とする細かい作業も可能になるだろう。レムにも色々と教えて行こう。

 とりあえず、レムが泥で作ってくれた器を『魔女の釜』に変えて、おおよそ準備は完了。

「まずは葉山君の武器から作るか」

 現状、普通の戦闘において槍一本持っているだけの葉山君に、出番がないことは御覧の通りだ。

 槍という近接武器を持ちながら、本人は一般人スペック。『精霊術士』ではあるものの、魔術師クラスの基本となる下級攻撃魔法を連発する、安定した遠距離攻撃手段を持たない。

 一応、頑張ればジッポライターの火の精霊の力を借りて火の球を撃てるのと、スマホがフル充電だと雷の精霊で落雷を撃てる、といった能力はあると聞いている。

 だが、それは普段からバンバンぶっ放すことはできない、精霊の機嫌や状態によっても、発動は左右される、不安定な奥の手といったところ。ピンチの時には切れる手札にはなりえるが、逆に言えば普段の戦闘ではほぼ使えないということに。

 要するに、今の葉山君に必要なのは安定して使える遠距離攻撃手段である。

 幸い、精霊術士の葉山君は、魔力量はそれなりにあると思われる。

 ならば、選択するのは下級攻撃魔法が放てる程度の魔法武器だ。

「『呪導錬成陣』を習得した僕なら、それくらいのグレードの魔法武器だって作れる」

 たとえクラスに戻れても、もう小鳥遊には頼れない。クラスメイトの中で、奴に次いで錬成能力を持つのは、僕ということになる。

 小鳥遊に復讐を果たし、クラスに無事戻った後は、僕があの日に話した脱出計画を今度こそ実行する。徒歩で脱出する本隊は、長い旅路になるだろう。

 その行程を小鳥遊抜きで進めるには、僕が頑張るしかない。勿論、その時は委員長をはじめ、魔術師クラスの面々にはより高度な錬成技術を習得できるよう過酷な修行を課すつもりだから、覚悟しておけ。ヤマタノオロチの比じゃないデスマーチしてやんよ。

「……早く、みんなのところに戻りたいな」

「あるじ」

 レムが呼ぶが、何をするでもなく、僕をジっと二つの青い瞳で見つめてくる。

「大丈夫、僕にはレムがついてるから」

 サラサラの銀髪頭を撫で回す。うーん、この手触り、クセになりそうだ。

 僕、どっちかというと撫でられる方が多いんだけど、自分より小さい誰かを撫でたくなる気持ちが、より理解できた気がする。

 戦闘で役に立つ上に、撫でて癒し効果も得られるとは。レムはどんどん高性能になっていくな。

「ハッ、もしかして、上手く育てれば奇跡の銀髪美女になるのでは!」

「……レム、そだつ」

「ごめん、今のは忘れて」

 たとえレムが成長して超絶美人で爆乳の八頭身美女とかになったとしても、僕はきっとセクハラ一つできないだろう。

 いきなり服従してくれる爆乳美女が出てくるならまだしも、こんな小さい頃から育てて行けば、そういう気持ちにはなりにくい。育てたが故の愛情による罪悪感とか、そんな感じの。

「でも、レムの成長には期待してるから」

「はい、あるじ……がんばる」

「いいぞ、その意気だレム」

 果たして、自分の話している言葉の意味を理解しているのかどうか、ちょっと分からないほどの無表情ぶりだが、気持ちは伝わっていると信じたい。

 レムは僕の呪術ではあるが、メイちゃんと並ぶ、僕を支えてくれる大切なパートナーだから。

「よし、やるか。明日には葉山君を即戦力の魔法戦士にしてやるぜ!」

 ちょっとしんみりした空気を振り払うように、僕は錬成作業に集中した。




「凄ぇーっ! コイツは凄ぇ武器だぜ桃川ぁ!」

 と、大はしゃぎで赤色に染まった槍を振るう葉山君である。

 突き出した朱色の穂先に、ボウっと炎が灯ると、次の瞬間には小さな炎の球となって射出される。

 ボンッ、と音を立てて遺跡の入り口となる祠の壁にあたると、そこには黒々とした焦げ跡が刻まれた。

「威力、射程、連射性能、どれも蘭堂さんの『石矢テラ・サギタ』にも劣るけど、とりあえず遠距離攻撃するには十分かな」

「そうかぁ? あんま強そうには見えねーけど」

「自分基準で考えたらダメだよ。蘭堂さんは熟練度上がってるし」

「まぁ、何もしないよりはマシか」

 そんなレベルで喜んでいていいのか葉山、みたいな生暖かい視線を向ける蘭堂さんだけど、男は武器を持てばテンションの上がる生き物だ。作った僕としても、これくらい喜んでくれた方が張り合いもある。

「この『レッドランス』があれば、俺も一端の戦力だな。蘭堂、お前には負けねーぞ!」

「火の球撃つだけで、ウチに勝てると思うなよ葉山ぁー」

 バシュバシュバシュッ! と鋭い連続音を立てて、蘭堂さんの手元から小石が連射される。攻撃魔法と言うほどの威力はない小技みたいなものだけど、葉山君の足元に着弾して弾けるのを見ると、当たれば痛いじゃ済まない威力はありそうだ。

「うおっ、危ねっ! やめろ蘭堂テメーっ!」

 やはり魔法の武器一本で、熟練の魔術師には勝てないよね。

 それでも、僕が作った、というより改造した『レッドランス』は、武器としては十分に実戦に耐えるものだと思っている。


『レッドランス』:葉山君ご自慢の鉄の槍を改造して作った、火属性の槍。僕の『レッドナイフ』を手本として、火属性魔力の宿った光鉄素材である火光鉄を穂先に錬成。柄は火光石を粉末にした塗料でゴーマ式魔法術式を描き、魔力を流せばとりあえず火球が形成されて発射されるようにしている。


 正直、術式組んで魔力制御ができている点で、レッドナイフの完成度を上回っていると思う。しかし、小鳥遊が本気出して錬成した魔法武器には及ばない。

 現状では十分な性能だと妥協しつつ、今後の向上に期待したい。

「ほら、遊んでないで、次のも試してみてよ」

「おっ、そうだな」

 次に葉山君が手にしたのは、緑色の片刃の剣。長剣としては短く、短剣にしては長い。そんな半端な長さで反りの入った剣は、勿論、ナイトマンティスの鎌を素材としている。

「よーし、行くぜ……どりゃあ!」

 気合の入った掛け声と共に、めちゃくちゃへっぴり腰で葉山君は剣を振るう。

 蒼真師匠が見れば一喝されそうな実にしょぼいモーションだけど、振るわれた刃は淡い緑色に輝き、薄っすらとした風の斬撃を飛ばした。

 バシィッ! と甲高い音を立てて、焦げ跡のついた壁に、さらに一筋の傷跡が薄く刻まれた。

「おおお……凄ぇ、なんか斬れたぞ!」

 うん、やっぱり風属性はエアランチャー作った時に一回弄ってるから、上手く調整できた感じだ。普通に下級攻撃魔法『風矢エール・サギタ』が発動しているように感じる。

「こっちはリーチが短いから、槍が振り回せないような狭い場所とかで使うといいよ。普段はサブウエポンって感じかな」

 ただのナイフ一本じゃあ、サブウエポンとしても心もとないからね。ウッカリ、レッドランスを落とした時も、もう一本、魔法の武器があれば安心だ。

「コイツがあればゴーマも楽にぶった斬れるな。っていうか、コイツの名前はなんなんだ」

「あー、そっちはまだ名付けてないから、葉山君、好きにつけていいよ」

「お、桃川、俺にネーミングさせるとはわかってるじゃねぇか。そうだなぁ、コイツは……」


『烈風カマキリ丸』:ナイトマンティスの鎌と、風光鉄を錬成し、槍と同じく風光石粉末で術式を刻んだ、風の剣。とりあえず、大事なモノは葉山君に名付けさせるのはやめようと思う。


「マジでありがとな、桃川。コレがあれば、俺ももう戦闘で足は引っ張らないぜ!」

「戦い続ければ、新しいスキルを授かったりもするし、期待しているよ葉山君」

「おうよ、この『精霊術士』リライトに任せろ!」

「じゃあ早速、今日の狩りをお願いね」

 今回は、ここ一週間で葉山君の主食であったサケみたいな川魚をとってくるのが目的だ。

 キナコがいれば大漁だと言うので、ある程度の量が安定して見込める。肉だけなのも飽きるしね。

「桃川は来ないのか?」

「僕と蘭堂さんは調理と装備作りで残らせてもらうよ。レムを護衛につけるから、周辺を探索するなら大丈夫でしょ」

「そうか、まぁサケとってくるだけなら余裕だな」

「魔法の武器があるからといっても、過信は禁物だよ」

「分かってるって、俺もこの森を生き抜いてきたサバイバーだからな。ヤベー奴は隠れてやり過ごすぜ」

 流石に、浮かれてサラマンダーに喧嘩売るほど馬鹿ではないだろう。トラブルメイカーのお調子者キャラでもあるまいに。

「それじゃ、行ってくるぜ」

「あ、ちょっと待って葉山君。一応、コレも持ってって」

 僕が差し出したのは、桜ちゃんのカンテラ、である。

「なにこれ、ランプか?」

「うん。光源は光精霊を利用してる」

「なるほど、確かに光る棒人間がすげーいっぱい詰まってんなぁ」

「棒人間?」

「精霊はそういう姿なんだよ。それより、別にこんなのなくても、ちゃんと暗くなる前に帰ってくるって」

「いざって時の備えって意味もあるけど、それ以上に、精霊術士の葉山君だからこそ、この光精霊の宿ったカンテラを使ってみて欲しいんだよね。もしかすれば、光を増幅させて、フラッシュみたいな目くらましができたりするかもしれないし」

「なるほどな……よっしゃ、そういうことなら、試してきてやるよ」

「お願いね。それは桜ちゃんが作った一品モノだから、壊さないようだけ注意してね」

「ん、桜ちゃんって? もしかして蒼真桜? え、なに、お前なんで名前呼びなの?」

「それじゃあ、行ってらっしゃい」

「おいぃ! どういう関係なんだよ桃川ぁーっ!」

 面倒くさいんで、その辺はその内に話すことにするよ。

 適当にスルーしながら、サケ漁に出発する葉山君一行をお見送り。

 その姿が森の向こうに消えていくと、蘭堂さんは口を開いた。

「で、ウチと二人きりになってどーするつもり?」

「そりゃあ勿論、葉山君には聞かせられない内密の話だよ」

「ふーん、学園塔の時も、そうやって双葉と内緒話してたんだ?」

「たった18人のコミュニティでも、根回しってのは必要だから」

「桃川は、葉山のこと信用してない?」

「その辺も含めて話したいかなと」

「いいよ、聞いたげる」

 どこか艶っぽく笑いながら、蘭堂さんは僕の手をとる。

 なにこれ、ちょっとドキっとするんですけど。

「姑息な真似すんなとか、怒るかと思ったけど」

「ウチは嬉しいよ。やっと信用してもらえたのかって」

 蘭堂さんのことは、ずっと信じていたつもりだけれど……メイちゃんほど、僕の姑息で卑怯な面は見せないようにしてきた。

 信用していない、のとはちょっと違うけど、一線を引いていた部分はあったと思う。

 でも、この期に及んでは、僕も踏み込まざるを得ない。

「蘭堂さんだけが、僕について来てくれたんだ。僕の命を預けるに足る人だよ」

「真面目な顔でそーゆうこと言うなよ、照れるだろ」

 いやぁ、思いっきり抱きしめられる僕の方が照れるんだけど。

 え、ちょっと待って。もしかして今いい雰囲気になってたりするの? 困る、これ以上はホントに……ああー、蘭堂さんの谷間に挟まれて、思考が溶けるぅ……

第251話 懐かしの初期エリア

「————騙すつもりはないけれど、僕が殺したって話は控えてもらうと助かるよ」

「そりゃあまぁ、わざわざ聞かせるような、いい話じゃあないからねー」

 そんな内緒話をしながら、僕らは昨日に引き続き、保存食作りをしている。

 猪を丸ごと一頭加工しようというのだ。メイちゃんというプロがいない今、素人に毛が生えたような程度の僕らでは、作業スピードもたかが知れる。魔女釜で冷凍保存できなかったら、傷んで無駄が出たかもしれない。

「僕は葉山君とは全然付き合いなかったけど……見た感じ、裏表のない人だと思う」

「ああ、アイツはずっとそんな感じだぞ」

「蘭堂さんは付き合い長いの?」

「中学の時はクラス一緒になったこともあったかな。フツーに喋るくらいかな?」

 僕にはそのフツーにお喋りできる女友達なんて一人もいなかったんだけどね。その点、女子と接点のある葉山君は普通にリア充だと思う。

「大それた嘘のつける奴じゃないから、そんなに警戒しなくていいと思うぞ」

「小鳥遊以外に、凄い秘密抱えている裏切り者キャラはいらないからね」

 まさか葉山君も、僕らを弄ぶ邪悪な神の使徒に成り下がっているとは思いたくない。

 彼の言動と、現状の装備、それにキナコとベニヲの二匹を連れていることから、異世界召喚されてから今日に至るまでの経緯の説明に矛盾はない。僕らに嘘をついていたり、特に隠し事をしているようには思えない。

「けど、呑気なアイツ見てるとさ、ちょっと思い出すよね、平和な学園生活みたいなさ」

「ここに来て、まだたったの一週間だからね」

 制服や上靴の状態からも、ちょうどそれくらいの時間だと推察できる証拠となる。いまだに教科書や資料集まで律儀に持ち歩き続けているのは、葉山君だけだと思う。

 どこぞの探偵キャラみたいに、そんなところまで観察の目を向けて、相手を探る自分にちょっと嫌気も差すけれど。

「羨ましいっつーか、でもこれから苦労するなっていうか」

「……だからこそ、巻き込むのもちょっと心苦しいとこもあるよ」

「それは桃川が気にすることじゃないし。アイツだって、クラスのみんなのことはどうしたって気になるんだから。ウチらについてくる以外に選択肢はないっしょ?」

 その通りではあるし、僕としても『精霊術士』という期待のできる天職持ちである葉山君と、別れる気はない。

 何より、逃亡状態にある僕にとっては、貴重な仲間である。

 あの時、もう最悪一人でもなんとかしてやるという気持ちだったけれど、結果的には蘭堂さんと葉山君、二人もの仲間に恵まれたのだから、僕のツキもまだまだ尽きちゃあいない。

 見ていてくださいルインヒルデ様、僕は必ず、小鳥遊の奴に復讐かまして「ざまぁ!」してやりますよ。

「転移していきなり葉山君と出くわして、ちょっとゴタゴタしてたけど……蘭堂さん、本当にありがとう。あらためて、お礼を言わせてよ」

「そんなのいいって。ウチの気持ちは……分かってんだろ、桃川」

「それは……まぁ、察するくらいは……」

 今すぐ告白したいくらいの気持ちはあるけどさ、流石にこの状況で蘭堂さんと関係を進展させるワケにもいかないでしょ。

 いや、少し違うな。僕はそんな生真面目な理由で、我慢のできる男ではない。

「先に言っとくけどさ、ウチは別に、諦めたっていいと思う」

「みんなのこと?」

「うん。ホントは桃川もさ、どうすれば元通りになれるかって、思いつかないんだろ」

 そりゃあ、そう簡単にこの最悪な濡れ衣状態を覆すアイデアは出ないよ。

「つーか、思いついてたら、すぐ話してくれるし」

 変なところで鋭いな、蘭堂さん。

 完璧な作戦が考え付いていれば、この先の希望を持つためにも、すぐに説明したのは間違いないよ。

 だから、今の僕は確かにノープラン。

 けれど、諦めるには全然早い。折角、逃亡にも無事成功したんだし。

「その辺は、これからってことで」

「でも、無理はするなよ。ウチは桃川のお陰で、多少は強くはなったけど……双葉ほど強くはないし、蒼真と戦っても勝てねーから。それに頭も悪いから、みんなを上手く説得することも無理そうだし」

「なんでも完璧には、誰だってできないよ。蘭堂さんの力は十分すぎるほど優秀だし、僕も頼りにしてる」

「フォローしなくていいよ。ウチは自分のことより、桃川のこと心配してんだから」

「ごめんね、頼りにならなくて」

「ううん、いっつも頼ってばっかだし。だからさ、無理はさせたくないワケ。なぁ桃川、ホントに無理だと思ったら……みんなのこと、諦めてもいいんだぞ。ウチが一緒にいてやるからさ、二人で逃げよ」

 ああ、蘭堂さん……やめてよね、そういうの、僕弱いんだよ。

 そうだ、多分、これが理由だ。

 今の僕には、蘭堂さんと二人一緒に、何もかも投げ出して駆け落ちする、という道も残されている。僕らはまだ16歳の高校生で、人生まだまだ長い。クラスメイトのために命を投げ出す、刹那的にヒロイックな生き方をしなければいけない理由もないだろう。

 あんな状況下で、蘭堂さんだけは僕を信じてついてきてくれた。

 ならば、僕は彼女に一生を捧げたっていいくらいだ。世の中のバカップルより、よっぽど強い絆で結ばれたと信じられる。

「ありがとう、蘭堂さん」

 でも、僕はまだみんなのことは諦めたくはない。

 蘭堂さんが僕を信じてくれたように、メイちゃんだって僕を信じてくれた。彼女がいなければ、僕が生き残ってくるのは不可能だった。

 見捨てるわけにはいかない。このまま何もできなければ、小鳥遊は絶対にメイちゃんを殺す。

 クラスのみんなだって、死んで欲しくはない。

 僕を信じてくれなかったこと、恨んでいないかと言えば嘘にはなるけれど……彼らが殺されて喜ぶほど、見限ってはいない。

 それに、みんなが小鳥遊に騙されたまま、いいように犠牲にされるってのは、とても許せるものじゃあないだろう。

「僕、プレッシャーには弱いから、そういう逃げ道ある方が安心できるよ」

「逃げたくなったら、いつでも言えよ。辛い現実ってやつ、忘れさせてあげる」

 なんて言いながら、胸元チラっとさせる蘭堂さんは、完全に淫魔だった。

 もう今すぐ現実忘れて夢を見たいです。おっぱいいっぱいの夢を見たい。

「……で、できるだけ頑張るから、露骨に誘惑するような真似は控えて欲しいかも」

「嬉しいくせにー」

「嬉しいから苦しいんじゃないか」

 だから、こうして抱き着かれたりすると僕のペラペラな理性とかホントに軽く吹き飛んじゃうから。

 やめて、一度溺れたら、僕もうホントにヤル気出せる自信がないの!

「今から駆け落ち、しちゃう?」

「今はしない!」

 ああ、神よ、どうか僕を悪魔の誘惑から救い給え……




「おーい、帰ったぞーっ! 今日もキナコは大漁大漁————ってお前ら、どうした、何かあった?」

「んー、別になにもないけど。な。小太郎?」

「うん、杏子」

「急に呼び捨て!?」

 俺のいない間に二人の仲が進展してるんですけどぉー、と叫んでいる葉山君は実にカメラ映えするタレント並みのリアクションだけど、ごめん、今はちょっと放っておいて欲しいというか。

 僕があの雰囲気の中で一線超えないよう我慢するのに、どれだけ苦労したと思ってるの?

 もし流されるがままだったら、今僕らここにはいないからね。駆け落ちエンドだからね。

 とりあえず、お互いに名前呼びするということで話は落ち着いたのだった。

「さてはお前ら、二人きりになりたいがために俺を出かけさせたな! 姑息な真似しやがって……一言いえば、空気読んでちゃんと席外すよ!」

「そんなことより葉山君、早く魚出してよ」

「俺の気遣い台無しぃーっ!?」

 いや、ぶっちゃけ葉山君には感謝している。君がいるだけで、蘭堂さんの誘惑が阻止されるワケだから。僕の心の平穏のためにも、君は大切な仲間として一緒にいてもらいたい。

「キナコー、レムー、獲物はこの辺に置いてくれー」

「プガァ」

「キシャァー」

 葉山君が指示すると、キナコとアラクネが広場に獲物を運び込んでくる。

 レムはやはり、これまで獲得してきた形態に変身できるようだ。荷物を運ぶなら輸送機として活躍してきたアラクネが最適だと判断したのだろう。

 実際、アラクネでもなければ運ぶのに苦労するほど、大漁だった。

「おお、これが例の川魚。ホントにサケみたいだね」

「おう、味もほとんどそんな感じだぜ」

 僕の黒髪製の網の中には、大きなサケのような魚がいっぱいに詰まっている。そんなにキナコの漁が上手いのか、それともちょうど旬なのか。とりあえず、今日の夕飯はコイツがメインだ。

「それから、見ろよコイツ。デケー鳥だ」

「あ、コッコじゃないか」

 アラクネレムが運んで来たのが、巨大ニワトリ型モンスターであるコッコだ。

 ニワトリのくせに、人を見かけると真っ直ぐ襲い掛かってくるアクティブモンスターなのだが、外見通りの味なのはありがたい。

「良かった、コイツは普通に食べられるよ。それにしても……上手く倒したね?」

「へへー、分かるか? 分かっちゃうかぁー?」

 これ以上ないほど自信に満ち溢れたドヤ顔の葉山君である。

「じゃあ杏子、まずはサケから捌いていこうか」

「サケは捌いたことあんだよねー、よゆー」

「ちゃんと聞いてよ俺の活躍を! レッドランスをこう、さぁ!」

 そんなに必死にアピールしなくても、ちゃんと分かってるから大丈夫だよ。

 コッコの頭部は、見事に焼け焦げており、体の方には外傷がない。つまり、レッドランスから放った火球を見事にヘッドショット一発で仕留めたということだ。

 特に自動照準などの機能はないので、葉山君が実力で当てたということ。ただのラッキーショットかもしれないけど。

 なんにせよ、早速、魔法の武器が実戦でも役立ってくれたようで何よりだ。

「食材も十分に集まったし、これなら明後日には出発できそうだよ」

「おお、いよいよダンジョン攻略ってやつだな! ちょっとワクワクしてきたぞ!」

 悪いけどね葉山君、この異世界ダンジョンはゲームの世界ほど気の利いたもんじゃないからね。

 っていうか、小鳥遊の陰謀まで教えたよね? 葉山君、やはり呑気か。

 でも、君のそういう底抜けに明るいところが、今はちょっとありがたいよ。




 大漁のサケとコッコ一羽を捌き、当面の食料と、いざという時の保存食として加工し終えてから、いよいよ僕らも出発だ。

 異世界に落ちてまだ一週間の葉山君が、徒歩でたどり着いたダンジョン入口の祠。ならば、スタート地点としてはかなり最初の頃になるだろう。

 ヤマタノオロチがいた荒野エリアにまでたどり着くには、これまでと同じだけのエリアを踏破していかないと思えば、かなり先が長くなる。

 けれど、今の僕と杏子の実力をもってすれば、ボス戦も余裕をもって攻略できるはずだ。あとは葉山君の成長次第。

「それじゃあ、前と同じ隊列で行こう」

 先頭をレムとキナコ、真ん中が葉山君、後ろに僕と杏子が続き、遊撃のベニヲは特に位置は決まっていない。

 このパーティの要は杏子だ。

 メイちゃんも蒼真君もいない今、とても充実した前衛とは言えない。ここぞ、という時に頼れるのは杏子の土魔法になる。上級攻撃魔法の威力と、土木工事で鍛えた頑強な壁と展開速度による防御力。

 前衛が抑えられないほどの敵や、背後を突かれて挟撃された場合、どちらも土魔法の防御があれば凌ぐことができるだろう。

 なので、僕らは基本的に無理に攻めることなく、この防御力を生かして立ち回るべきだ。

「しっかし、マジでダンジョンって感じの場所だな」

 僕らにとっては見飽きた石造りの通路を、葉山君は観光客みたいに物珍し気にキョロキョロと見まわし、実に忙しない。

 前衛のキナコはあんなに真面目に警戒して歩いているというのに。ウサミミがピクピク動いてるのは、周囲の音を注意深く聞いているのだろう。

「葉山君はツイてるよ。いきなり一人でこんな場所歩かずに済んでいるんだから」

「桃川は最初ソロなんだっけ?」

「懐かしいなぁ、カッターナイフ握りしめて、一人でこういうとこ歩いたよ」

「モンスターとかいんのに、よくそれで生き残れたな」

「そうそう、初めてゴーマを目撃したんだよね。ほら、ちょうどあんな感じの部屋でさ……クラスの女子を食ってたよ」

「急にホラーっぽく話すのやめてくれる!?」

 いやでも実話だし。

 僕がクラスのみんなよりも、ゴーマをただの雑魚モンスではなく、駆除しなければならない害悪だと思っているのは、この初見のインパクトもあるだろう。

 これに加えて、罠にかかってフルボッコされた恨みなんかもあるし。なんだかんだで最も因縁のあるモンスターだ。

「プガァ!」

 と、最初に反応したのはキナコだ。

 続けて、キナコの隣を歩いていたレムが黒騎士へと変身してゆく。

 前衛が警戒の視線を向けるのは、ちょうど話題にしていた部屋がある方向だ。もしかして、ホントにゴーマがたむろってたのだろうか。

「よ、よっしゃあ、ゴーマでも何でも、かかってこいやぁ!」

 レッドランスを構え、若干上ずりながらも勇ましく葉山君が吠えたところで、敵のお出ましとなった。

「って、なんだよあの骸骨!?」

「なんだ、ただのスケルトンか」

 ガチャガチャ骨を鳴らして部屋から飛び出てきたのは、これもまた見慣れた序盤の雑魚モンス、スケルトンである。

 何も持たない素手のスケルトンを見ると、本当に序盤のエリアだなと実感する。

 当然ながら、ゴーマと底辺争いをするレベルの裸スケルトンなど、出てくる端からキナコとレムによって砕かれる。レムなんて剣すら使わずに、盾を構えて突進して群れごと吹っ飛ばしていた。

 勿論、葉山君の出番はなかった。

「スケルトンの他にも、ゾンビとかもいるから。まぁ、多少の知能があるだけ、ゴーマの方が厄介かな」

「おう、そうか」

 葉山君はちょっと気まずそうに、槍の構えを解き、穂先に灯った炎を消した。

 そんなに張り切りすぎなくてもいいよ。

「ふわぁ……」

 そして僕の隣でスケルトンの方など見向きもせずに欠伸をかましている杏子は、気を抜き過ぎじゃないかと思う。




「……ここの森林ドームはかなり広そうだな」

 入口から左右に広がる壁と、見上げた天井の感じから、僕はそうあたりをつける。

 スケルトンを楽勝で粉砕しながら通路を進むと、案の定というべきか、僕らは森林ドームへと出た。

 パっと見で植生に変化はない。僕もよく知る森林ドームで間違いないが、これまで見てきたどこのドームよりもここは広そうだ。もしかすれば、何かあるかもしれない。

 というか、序盤の頃はあまりにも戦力的な余裕がなさすぎて、ロクに森林ドームを探索したことがない。実は、探せば色々とあったりするんだろうか。

「夕飯の材料の採取もかねて、ゆっくり進もう。最悪、森の中で野営してもいいし」

 このダンジョンで安全に休息をするなら妖精広場を利用するのがベストだ。

 でも序盤のエリアならそこまで警戒する必要もないし、この先のエリアを思えば、いつも必ず妖精広場を利用できるとも限らない。

 森の中での野営の練習も兼ねて、ここで一回くらいやっておくのも悪くないかもしれない。

「なんか、ここは外の森とあんま変わらねーな」

「野良ドラゴンとかいない分、こっちのが安全かもね」

 その分、ゴーマ共が跋扈しているのだが。アイツらマジでどこにでもいるからな。

 などと思いながら進んでいると、案の定、今日も狩りに勤しむゴーマ共が現れた。

 ゴーヴの一匹すらいない、ゴーマだけの群れ。手にした武器は全て粗末な手作り製。ただでさえ雑魚のゴーマの中でも、最弱の編成である。

 当然、瞬殺され、葉山君の出番はなかった。

 僕、そろそろレッドランスが実戦で使われるところ見たいんだけどー? なんて言ったら、ガチで凹みそうだから、弄るのはやめておいた。

 そんな楽勝バトルを何度か繰り返しながら森林ドームを進んでいると、不意にソレが目についた。

「おおっ、なんだアレ、デケぇ遺跡か!」

 森の木々が途切れ、そこだけ草原と化している空き地の真ん中に、数十メートルはある塔が建っていた。

「なぁ小太郎、あの塔って、地底湖のやつに似てね?」

「大きさ的にも大体同じくらいだよね」

 密林塔はこれよりも一回り以上は大きかったし、学園塔はさらに巨大だった。

 この森林ドームの塔は杏子の言う通り、地底湖で僕らがジーラ軍団相手に籠城戦をした塔とほぼ同じサイズと作りをしていると思われる。

「それなら、中には何にもなさそうじゃね」

「でも野営せずに済みそうだよ」

 折角、塔があるなら利用させてもらおう。今日はここで一晩を明かすことに決めた。

 その前に、念のために内部の探索だ。

「おー、特には何もねーんだな」

 塔の中に入り、吹き抜けになっている螺旋階段を見上げながら言う葉山君の声が反響していく。

 もう見るからに調べるところのない、灯台のようなシンプルな構造である。けど、一応最上階まで登って確認はしておこう。

「そのまま屋上じゃなくて、部屋があるのか」

 いざという時のためにアラクネレムをサポートにつけつつ、僕は単独で最上階へと向かった。

 扉はなく、中を覗き込めば、やはりただの伽藍洞。ゴーマが隠れ潜むような遮蔽物さえない。

「あっ、もしかしてアレ、祭壇か?」

 何もないからこそ、部屋の中央にある祭壇のような台座は目についた。

 ゴーマ村にあった奴らの祭壇とは異なり、これは樋口が使おうとした生贄転移の石板と似た感じの作りとなっている。

 これまでの僕なら、何か機能があったとしても利用できるスキルはないのでスルー推奨だったけれど……

「今の僕は転移魔法陣使えるくらい古代語解読できるんだよねー」

 ふふーん、と小鳥遊を出し抜いた自慢の古代語能力を駆使して、僕はなにやら書かれている祭壇の解読に挑むと、

「おっ、やった、動いたぞ! さぁて、コイツの機能は————」


第252話 進路変更

 メイちゃんが蒼真パーティと行動を共にしていた頃に、小鳥遊がある遺跡の中で、祭壇を使って周辺のマップ情報を獲得したことがあった、と聞いたことがある。

 どうやら、僕が今回発見した祭壇は、正にそれと同じモノだったワケだ。

「凄い、ダンジョンの中も外も、こんなに広範囲で分かるのか……」

 祭壇は青白い魔法陣のような輝きを放ちながら、僕の目の前にSFチックなホログラムのように、三次元的に描かれた地形図を表示してくれている。

 小鳥遊の時とは違う現象ではあるが、それは恐らくヤツが意図的にホログラムマップの表示を停止させて、自分だけマップ情報を見れるようにしていたのだろう。あの時点では、仲間に情報を共有される方が不利になるからね。

「マジでこんだけの情報量あれば、傍観者気どりで余裕だよ」

 僕はひとしきりマップを眺めたり、祭壇の機能を確認してから、杏子と葉山君を呼ぶことにした。

「というワケで、これが周辺のマップになってるよ」

「おおぉー、すっげぇ、マジでこれ魔法の古代遺跡って感じだよ!」

「なんかこういうの、映画で見たことあるー」

 祭壇から投影される大きな三次元マップを前に、葉山君はテンション高めに、杏子はそれほどでもないけど、二人してホログラムの光に手を翳していた。

 光魔法か何かでホログラムを投影していると思われるので、当然、触れたところで何もない。

「僕らの現在地がここ。この赤い光点のとこね」

 他にも赤い光点は幾つかあるけれど、それは恐らく他の祭壇を示していると思われる。

「で、この青い四角が、ダンジョンの入り口」

「そんなのよく分かるな桃川」

「どっかに書いてあんの?」

「何にも説明はないけど、今まで通ってきた場所と照らし合わせれば大体分かるよ」

「葉山、道とか覚えてる?」

「俺は過去を振り返らない男だぜ。お前はどうなんだよ、蘭堂」

「ウチ、地図とか読めないタイプなんだよねー」

 まったく悪びれもせず、こういうのは小太郎に任せておけば大丈夫だから、とヘラヘラ笑ってる杏子である。

 頼られるのは悪い気もしないけど、二人とももうちょっと色んなことに注意してくれてもいいと思うんだけど。なんか能天気な二人を見てて、ちょっと不安になってくる。

「ともかく、そういうワケで、こっから先のマップもかなりの範囲で判明した。ちなみに、この紫の四角がボス部屋ね」

「おっ、それじゃあこのエリアのボス部屋はもうすぐじゃねぇか」

 杏子よりは地図が読めるのか、葉山君が現在地から最も近いボス部屋マークを指す。

 確かに、この森林ドームを抜けて、少々進めば必ず行き当たるルートになっている。

 この辺に出てくる魔物はスケルトン中心だったので、ボスはデカいスケルトンだと推測される。ラージスケルトンは、天道君と中嶋君がそれぞれ最初のボスとして倒したと聞いた。

「そっから先はどうなってんの?」

「流石にボス部屋からの転移先がどこに繋がっているのかまでは分からないんだけど、僕が気になるのはこの部分」

 ボス部屋マークから大きく逸れて、マップ外側を指し示す。

「その辺って、ダンジョンの外だよな?」

「多分、この外を回って————ここの入り口から侵入した方が、ショートカットできると思う」

「えっ、マジで? なんでそんなこと分かんの?」

 杏子の素朴な疑問に答える前に、僕は祭壇に触れてチョイチョイと操作。

 感覚的には、クローズアップしたい点を明確に意識すること。この祭壇の操作は、魔力と、それから自動的にこちらの意識を読み込む方式となっているようだ。

 高度な術式で脳波やら何やらを読み取っているのか、あるいはテレパシー的な方式か。なんにせよ、要領さえ掴めば非常に便利な操作法だ。

「この青い入口マークのとこに、何か書いてあるでしょ?」

「うん、全然読めねーな」

「これ古代語ってヤツでしょ? ウチは勉強会参加してないから分かんないし」

 そうだよね、委員長と下川君と姫野さん、それからオマケで桜ちゃんも参加して、僕が古代語について相談した時、蘭堂さんは露骨に避けてたからね。きっと勉強の気配を察して逃げ出したのだろう。

 まぁ、人には向き不向きってのがあるから。無理強いはしないよ。

「ここには、僕が読める範囲で、『魔力』『濃度』『環境』『4』って書かれてる」

 僕はヤマジュンノートのお陰で、『古代語解読・序』で読める一部の文字や単語、それに加えて小鳥遊の観察などから推測した幾つかの翻訳を知っているだけ。

 だから、単語の意味が分かるだけで、文章として読むことはできない。

 けれど、これだけ揃えばおおよその内容もお察しというものだ。

「魔力濃度環境、っていうのはそのままダンジョンの難易度と考えていい」

 再び、最寄りのボス部屋マークに戻って拡大表示させると、やはり同じ単語の羅列が続き、最後の数字だけが古代語で『1』を現す数字で書かれている。

「1から順に、数字が上がると難易度も上がる。だから、4なら少なくとも3つ分は先のエリアと予想される」

「おお、なるほどな!」

「ふーん」

 感心する葉山君と、もう理解することを諦めている風な杏子。もうちょっと頑張って。

「これは推測だけど、ヤマタノオロチのいた荒地は、4か5くらいだと思うんだよね。で、僕らの目的地である天送門のある最深部は、当然、最も魔力濃度環境の高いエリアになってる」

 つまり、4とか5とかの高難度エリアから入れば、それだけ最深部に近い位置になる……はずなのだ。

「正直、僕らはこのまま正攻法で攻略を進めても、クラスのみんなの元に追いつける気がしない」

「それはまぁ、そーだよね。あっちには蒼真も残ってるし、進む分には困らないから」

「小鳥遊を抱えたまま、天送門にまでたどり着いたら、おそらく手遅れになる」

 奴の計画では、最後の脱出段階となれば、自分と蒼真君の二人だけが残るようになっている。それまでに、桜ちゃんまで含めてクラスメイトは必ず処分するはずだ。

 また強力なボスでも用意するか、いざとなれば再び毒を盛ってでも殺すだろう。

「今までは他に方法がないから、そのまま進もうと思ったけれど、僕はショートカットできる可能性があるなら、これに賭けたいと思う」

「なら、いーじゃん、小太郎の好きにしなよ。ウチはついていくから」

「そうだぜ桃川、急がねーとみんながヤベーんだろ? なら躊躇する理由はねぇぜ」

「ありがとう、賛成してくれて」

「いいってことよ……で、わざわざそんなこと聞いたのは、小太郎なりの誠意ってやつ?」

「まぁ、そんなところかな」

 グイっと引き寄せて、そう聞いた杏子は、やっぱり僕の性格ってのを理解してる。

 どうせマップも古代語も読めない二人だ。僕が黙ってショートカット案を採用して進んでも、何も知らずについていくしかないのだ。

 それを踏まえた上で、ちゃんと説明して多数決をとったのは、僕が二人の仲間に対して騙すような真似はしたくないという気持ちの表れである。

「そうと決まれば、準備をしよう」

「まだ何か準備することあんの?」

「ここを見てよ」

 と、僕はこれから進むことになる、ダンジョン外側を回っていくルートを指し示す。

 そこには、相変わらず広がる広大な森林地帯と、

「ここ、かなり標高のある山になってるんだ」

 というワケで、山越えの準備だ。




 折角なので、ボス戦はすることにした。

「うおおっ、デケぇスケルトンだ!」

 案の定、出現したボスモンスターはラージスケルトンだった。通常のスケルトンの二倍近い身長で、当然のことながら骨の太さも段違い。

 おまけに、武骨な大剣で武装もしている。

 正直、これまでの道中でスケルトンを倒してきただけの人に、いきなりコイツの相手は荷が重いんじゃないだろうか。

「流石はボスモンスターってやつだな、迫力あるぜ……キナコ、ベニヲ、気合入れていくぞ!」

「いきなり『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』だオラァ!」

 ドンッ! という音を響かせて、杏子がぶっ放した上級攻撃魔法によって、ラージスケルトンは砕け散った。

 さて、コアだけ回収して、ダンジョンを出るとしよう。

「あ、葉山君」

「……なんだよ」

「あの剣は貴重な金属素材になりそうだから、持っていこう。運ぶの手伝って」

「お前もうちょっと他に言うことないのかよ! こっちは覚悟決めてボスに挑みに来たんだぞ!」

「嫌でもその内に、命がけの戦いはすることになるんだから。楽できる内は、楽した方がいいよ」

 そんな感じで、僕らはコンパスノートが「早く転移して進めよ!」と言わんばかりに輝いているのをガン無視して、ダンジョンの外へと向かうのだった。




 マップ情報を元に、ラージスケルトンのボス部屋から最も近い入口から外に出て、僕らは再び森を進み始めた。

 それから三日、森を歩き続けた。途中で、ホントにあのマップ情報あってんのか……と不安にもなったけど、無事に正しさは証明された。

 不意に森が開けると、目の前には大きな山が見えてきた。

「おいおい、あの山、かなり高くねーか?」

「さぁ、富士山よりは低いんじゃね?」

「そうかぁ? なんか上の方、雪かかってんぞ」

「小太郎、マジでこの山登るん?」

 ごめん、正直ちょっと後悔してる。

 それなりに高い山だろうと覚悟はしていたけれど、いざこうして、目の前に雄大な山脈が広がっているのを見ると、かなり気後れしてしまう。

 僕にはこれまで厳しいダンジョン攻略をしてきたという自負はあるけれど、山登りってのは、また別の難しさがあるだろう。

 その上、ここは異世界の山である。当然、魔物もいる。

 そして恐らく……森を飛び回っているサラマンダーの巣は、この山のどこかにあると思われる。

 あれ、山越えってダンジョンよりも難易度設定厳しい?

「ごめん、ちょっと甘く考えてたかも……」

 若干、固い表情の僕を見て、杏子も葉山君も残念な顔になっていた。

 ええい、指揮官が不安を顔に出せば、部下に示しがつかん! 別に僕は指揮官でもリーダーでもないけれど、何となくそんなポジションになってるから、このアレな雰囲気を率先して何とかしなくては。

「よし、それじゃあまずは、本格的な山越え準備をするにあたって、この辺の麓で野営地を張ろう。近くに川辺もあるはずだから、探してみよう」

 ここまでの道中は、ひとまず山を目指して進むことを重視していたので、必要な荷物は最小限にしておいた。

 なので、あの山頂付近に雪までかかっている高い山を登るための準備は、ここから始めようと思っている。少なくとも、全員分の防寒着は用意しなければ凍死の危険性もある。

 杏子と裸で抱き合って暖をとる展開はロマンチックでエロティックでもあるけど、そんな状況下はマジで絶体絶命なので回避しなければ。

「プガガ、プガァ!」

 あ、キナコが鳴いている。多分、川を発見したのだろう。

「あっちだ桃川。キナコが水の匂いがするってよ」

 葉山君は普通にお喋りできているけど、どうやらキナコは僕や杏子の言葉も理解している節がある。人の言葉を理解する知能があるのだ。

 キナコって、もしかしてクマの魔物じゃなくて、獣人とかの亜人種なのでは?

 なんてことを思いながら、キナコに導かれるままに進んでいくと、見事に河原を発見した。

「この辺はキャンプ地にするにはよさそうかも」

 なんか普通に大学生とかがキャンプしに来るような、綺麗なせせらぎの流れる、開けたいい感じの河原である。

 やはり、ある程度開けて視界が通るような場所の方が、拠点を構えるにはいい。敵の接近を察知しやすいからね。

 ほら、今みたいに、ズズゥン、と足音を響かせて明らかにデカい奴が現れても、すぐに見つけられるんだ。

「ロイロプスだ!」

 ズンズンドーン! と激しい足音と木々を薙ぎ倒すような音を響かせて、河原へと飛び出してきたのは、大きなサイに似た魔物、ロイロプスだ。

 特殊能力や魔法は使わない。だが、そのパワフルな突進力は驚異的。それを真っ向からぶっ飛ばしたメイちゃんはさらにヤバいんだけど……今はその頼れる狂戦士はいない。

「キナコもレムも突進は避けろ! パワー負けする!」

「よ、よし、今こそ俺の出番だな!」

 あっ、まずい。葉山君がロイロプスに向かって早くもレッドランスを向けている。

 木々のまばらな林から河原へと飛び出てきたロイロプスだが、まだ明確に僕らへ襲ってくる様子はなかった。まぁ、奴はアクティブモンスなので、ほどなく襲ってくるとは思うが、それまでの猶予が大事なのだ。

 ロイロプスは、このパーティで相手をするには少々厄介な相手である。キナコとレムの力技で押し返せないほどの突進力がある以上、負傷の危険性はあるし、勿論、死ぬことだってあるかもしれない。

 そう、一般人と変わらぬ身体能力しかない葉山君なんかが、正面から奴に撥ねられれば、とてもじゃないが無事では済まない。

「待て、葉山君、まだ手を出すな————」

「行けぇ! レッドランス!」

 構えた槍の穂先が赤々と輝き、正直、僕が想定していたよりも大きな火球を形成して、真っ直ぐロイロプスへと放たれた。

 狙いは正確に、いや、途中で少し軌道が曲がったな。誘導性能なんて高等な術式、組んだ覚えはないけれど……ともかく、放たれた火球は見事にロイロプスの顔面に命中。ドパァン! と炎を散らして弾けた。

「フゥー、ブルルルッ!」

 火の粉が散る向こうから、凄まじい怒気をほとばしらせるロイロプスの鋭い眼光が突き刺さる。葉山君に。あーあ、怒らせちゃったよ。

「あれっ、え、効いてない……?」

 当たり前じゃん。アイツは頭から突進してくるのがメイン攻撃なんだから、顔面から首回りの正面はとにかく硬いに決まっている。というか、見た目にも分厚い毛皮で、生半可な攻撃は通りそうもないのは想像ついて然るべきだよね。

 強くて硬い、シンプルな強さのロイロプスだ。だからこそ、向こうが本気で突っ込んでくる前に、迎撃態勢を整えて戦いたかったんだけど、もうこうなってしまっては仕方がない。

「杏子!」

「任せろよ————『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』」

 必殺の上級攻撃魔法。流石にこのレベルの威力になれば、ロイロプスとて無事では済まない。

「ブルゥオオッ!」

 だが、突進を始めようかという寸前で、ロイロプスはその巨躯に見合わず素早く身を伏せた。

 ちっ、これだから野生の魔物ってのは怖いんだ。

 放たれた石柱は、ロイロプスの背中の毛皮をわずかにかすめるだけで、そのまま彼方へと飛んで行った。

「嘘ぉ、アイツよけた!?」

 流石の杏子もロイロプスの神回避に驚いている。というか、焦っている。

 いつも気軽に開幕でぶっ放している『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』だけど、無詠唱のノータイムで撃てるワケではない。

 天道製黄金リボルバーのない今では、ある程度の詠唱と、それなりの集中力をかけて、発射できる。つまり、連射は効かないのだ。

 ロイロプスの突進を一発で止めるには、『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』の威力が必要。だが、すぐに次は撃てない。

 その僅か数秒で、ヤツが突進をはじめ、完全に立ちすくんでしまった葉山君を撥ね飛ばすには十分だ。

 この一瞬が、彼の生死を分ける。

「葉山君の前に壁を!」

「よっしゃ、『岩石大盾テラ・アルマシルド』!」

 猛烈な唸り声をあげて葉山君に向けて突進を始めたロイロプスと、杏子が発動させた中級防御魔法の石の壁が出現するのは、ほぼ同時だった。土木工事で発動速度も鍛えておいて良かったよ。

 次の瞬間には、ドガァン! と爆発でもしたかのような轟音を立てて、ロイロプスと石壁が正面衝突。杏子の鍛えられた『岩石大盾テラ・アルマシルド』は粉砕されながらも、見事にロイロプスの足を止めてくれた。

「レム、続け!」

「グガァ!」

 石壁と衝突してよろめき足が止まった隙を逃さずに、大剣を構えてレムが突撃。

 僕はポケットから傷薬を取り出して、詠唱を済ませる。

「羽ばたけ、不幸を撒く羽、かの元へ――」

 黒騎士レムがロイロプスの胴体へ一閃。大剣は分厚い毛皮を切り裂くが、致命傷には至らない。

 これだけの巨体を誇ると、レムの大剣でも致命傷を与えるには苦労する。

 そして、あまりてこずっていると、ロイロプスは再び走り出してしまう。そうなると、また上手く壁にでも当てない限り、奴を止める手段はない。

 だから、ここで決める。

「————『逆舞い胡蝶』!」

 傷薬から、逆転効果を持つ光り輝く呪いの蝶が飛び立ち、真っ直ぐにレムが切り付けた傷口へと向かう。

「ブグルォァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 蝶が弾けた瞬間、耳をつんざくロイロプスの絶叫が上がる。

 抜群の回復効果を誇る僕の傷薬Aだ。それの逆効果が発動したなら、どれだけの痛みとなって傷口を襲うのだろう。想像もしたくないね。

「そのまま攻めろ、レム! 杏子、次弾装填!」

「次は当たれぇ、『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』」

 そうして、痛みにもがき攻撃や回避どころではないロイロプスを、レムがさらに攻め、今がチャンスだと野生の勘で判断したのだろう、キナコとベニヲも共に追撃をかけた。

 流石にここまで接近して攻撃され続ければ、ロイロプスもダッシュどころではなく、大きな角を左右に振り払うなどの反撃方法を選ぶ。

 だが、こうして足を止めた時点で、ロイロプスはもう詰みだ。

 今度こそ、杏子の上級攻撃魔法が暴れる巨躯を襲い、決定的な痛打を与える。

 首元のあたりに深々と、大きな石柱が突き刺さる。だが、それでもまだ唸りを上げてもだえるほど、ロイロプスの生命力は尽きなかった。

「トドメだ、レム!」

 傷口から、そのまま深く大剣を突き刺し、ついにロイロプスは地面へとその巨躯を倒した。

「はぁ、なんとかなって良かった。いい獲物が手に入ったよ」

 こんなところでロイロプスと出会えたのは幸運だった。負傷者も出さずに、無事に倒せたことも。

「でも、葉山君は後でちょっと反省会だから」

「ぐうっ……ごめんなさい」

 そんなに気にしなくていいよ。素直に謝れる君は、とても立派だと僕は思うから。

第253話 悪霊(1)

「ところで、怪我はしてない?」

「いや、大丈————ぶっ、じゃねぇ……」

 今にも泣きそうな顔で、葉山君は肩口の辺りを抑えてうめき声を上げた。

「壁が砕けた瓦礫に当たったのか」

「プガガァ!」

「し、心配すんなよキナコ、別にどうってこと……痛ぇ……」

「僕が治療する。レム、杏子、周辺警戒よろしくー」

「りょーかい、任せとけ」

「……りょうかい、あるじ」

 チラ見で命に別状はないことを確認した杏子は、さっさと林側を向いて歩哨に立ってくれた。レムも幼女状態に戻って、杏子とは反対側をぼんやり見つめ始める。

 キナコも状況を察したのか、葉山君を心配そうにチラチラしながらも、新たな魔物の襲来を警戒するべく、背を向けた。

「ワンワン!」

「あー、ベニヲはそのまま葉山君についててあげて」

「ううぅ、ベニヲぉ、情けない姿見せちまってすまねぇ……」

「クゥーン……」

 とか悲しそうな鳴き声を上げるベニヲを傍らに、さっさと治療を開始する。なんか悲壮な雰囲気出てるけど、こんなの全然軽傷だからね。

「傷薬塗るから、早く脱いで」

「お、おう」

「なにちょっと恥ずかしがってんのさ」

「べ、別に恥ずかしがってねーし!」

 そのツンデレ今いるの? 謎の羞恥心を発揮する葉山君を僕は呆れたジト目で見ながら、いそいそと制服を脱ぎ終わるのを待つ。

「葉山君、意外といい体してるんだね」

「そういうこと言われると流石に恥ずかしいんだけど!?」

 素直に褒めてるんだけど。伊達にバスケ部ではないって感じ? ちゃんと腹筋も割れてるし、胸筋もなかなか。なんか細マッチョで普通にカッコいいんだけど。

 そんないい体してるんなら、もっと堂々とすればいいじゃん。

「見たことろ、打撲って感じかな」

「そうか、骨とか大丈夫かよコレ」

「折れた感じする?」

「分かんねぇけど、フツーに痛ぇぞ」

「僕も医者じゃないから見ただけじゃ分かんないよ。まぁ、傷薬塗っとけば大体の傷は大丈夫だから。一応、患部も冷やしておく?」

「なんでもいいから早くしてくれ」

 というワケで、氷は手元にないので、委員長お手製の氷結晶をタオルで包んで患部を冷やしてから、傷薬Aを塗りたくる。

「……桃川、マジですまねぇ」

「仲間が負傷すれば、すぐ治療するのは当然だよ」

「いや、それもだけど……さっきのことだよ。勝手に先走って、悪かった」

「自分でそう言えるなら、反省は十分だよ」

 自分が悪い、と思っていなければ、どれだけ非があると説いても意味はない。人は時に、論理よりも感情を優先するものだから。

 ここで素直に非を認められた時点で、反省を促す言葉に意味はない。

「魔法の武器は頼りになるけど、所詮は一定の威力しか出せないからね。過信は禁物だよ」

「そうだな……自信はあったんだけどよ」

「葉山君のレッドランス、あれって火精霊の力も乗ってたでしょ?」

「なんだよ桃川、もしかしてお前も精霊が見えるようになったのか?」

「いや、僕が想定した威力よりも大きかったし、誘導性能もついてたからね」

 僕が作ったレッドランスは、その術式の構造上、常に一定の威力しか出ないようになっている。でも使用者が『火魔術師』だったら、自前の火属性魔法で威力を上乗せ、なんて真似もできるだろう。

 葉山君は火属性魔法を使えないけど、ジッポライターに火精霊を住まわせており、すでに友好関係を結べている。ならば、そこから火力を上げるサポートを受けたと考えるより他はない。

「結局、ダメだったけどな。情けねぇ」

「そんなことないよ。単純に火力アップできているなら、素晴らしい効果だよ。使い込んでいけば、さらなる成長も期待できそうだしね」

「だといいんだけどな」

「葉山君、大事なのは正確に自分の力を把握することだよ。自分はどれだけの威力の攻撃が出せるのか。そして、それがどこまで相手に通じるのか」

 まぁ、初見の相手にはとりあえず撃ってみる、とかはよくあるけど。

 今は割愛ね。

「それから、僕らはパーティなんだから。仲間を信じて、自分の役割を果たすんだ」

 どうせ、活躍したって特別報酬でお金が貰えるワケでもなければ、女の子にモテるワケでもない。

 ここには僕らしかいないのだから、戦闘なんてただ死なないために、前に進むためだけにやっているに過ぎない。

「だから、君が無理して敵を倒さなくてもいいし、倒せなくて焦る必要もない。僕らが勝って、生き残れれば、それでいいんだからさ」

「くそ、なんだよ桃川……そんな優しくされると、逆につらいじゃねーかよぉ」

「もう、なにも泣かなくてもいいじゃん」

「うるせぇ、傷が痛むんだよ!」




 さて、泣くほど傷が痛むとサッカー選手並みの負傷アピールをしていた葉山君だったけど、

「おおぉ、この薬マジですげぇな! もう全然痛くねぇ!」

「それ鎮痛作用が効いてるだけで、完治してるワケじゃないから無理したらダメだよ」

「はははっ、分かってるって! キナコ、ベニヲ、心配させて悪かったな、リライト完全復活だぜ!」

「プガァ!」

「キャンキャン!」

 などと、森の仲間たちと喜び合っている葉山君のことは、もう放っておいても大丈夫だ。

 さて、それじゃあ僕は次の作業に移るとしよう。

「ねぇ小太郎、流石にコイツを捌くのはキツくね?」

「デカい猪も解体してきたんだから、今の僕らなら大丈夫だよ」

「いやでも、コレ一頭食べつくすのにどんだけかかんだよ」

 流石にそこまで肉には困ってないからね。贅沢な話だけど、飽きる、って問題もあるし。

「でも心配しなくていいよ。コイツは食べないから」

「そうなん? でもこのモンスターって結構美味いんでしょ?」

 なんでそんなことだけちゃんと覚えているのさ。確かに、ロイロプスを食べた時の食レポを話したことあるけどさ。

「どうしても食べたかったら、次の機会を待ってよ。コイツはどうしても、使いたいんだよね」

「なんに使うの?」

「そのまま使ってやるのさ」

 これまで試そうかな、とは思っていたけれど、逃亡してきてからこっち、現れたモンスターはゴーマにスケルトンとロクなヤツがいない。流石に試す価値もない相手に、わざわざ足を止めてノンビリ実験していられるほど、暇ではなかったからね。

 でも、ロイロプスほどのモンスターなら、ちょうどいい。

「レム、こっちおいで」

「はい」

 いまだ周辺警戒中だったレムが、呼べば返事をしてトコトコ歩いてい来る。あー、レム可愛いなぁ、これだけで可愛いなぁ。

「あるじ、これ、たべる?」

「あははは、レムちんもウチと同じこと聞いてるしー」

「いや、多分、素材として吸収するかどうかを聞いてるんだと思うよ」

 影人形へと進化を果たしたレムだが、基本的な性能は変わらない。より強力な魔物素材などを取り込むことができれば、更なるパワーアップも可能だろう。

 けれど、今回試すのはアップグレードではなく、レムのもう一つの派生呪術の方である。

「死出の旅路を祝い、晒される骸を呪う。黒い血。泥の肉。空っぽの頭。最早その身に魂はなく、ただ不浄の残滓を偽りの心と刻む。這い、出で、蘇れ――『怨嗟の屍人形』」

 きっちり魔法陣を描いた上にフル詠唱で発動。

 腐り沼のようなドロドロにロイロプスの巨躯が丸とごと沈みこんで行き、それが再び浮上した時には、黒々としたアンデッドカラーとなって再び大地へと立つ。

「ん、カラーリングが微妙に違う?」

 屍人形を使うと、基本的には黒い色になる。アルファのように、元々の色合いが多く残る場合もあるが……今回のロイロプスの色は、それともまた違っていた。

 元々はバッファローのように茶色い毛皮に覆われているが、それらが黒一色へと染まると共に、四つの足首と首から胸元にかけて、血管のように走る赤色のラインが描かれていた。

 この赤い模様は当然、ロイロプスにはないし、僕が直接書き込んだワケでもない。つまり、屍人形をかけた結果に発生したものに違いない。

「もしかして、『屍人形』も進化してんのかな。レム、どう?」

「……うごく」

 そりゃあ、屍人形はレム制御だからね。

 レムがジっとロイロプスを見つめると、問題なく動かせることをアピールするように、ズンズンとゆっくり歩きだした。

「ひとりで、うごく」

 どういう意味だ、と問いかけようとした時、

「ブゥウオォオオオオオオオオオオオオン!」

 と、けたたましい咆哮を上げて、ロイロプスは再び歩き出す————と同時に、僕は気づいた。気づかされた、と言うべきか。この感覚は、すでに僕にとって馴染みがあるものだったから。

「もしかして、自立行動できるようになってるのか」

 ブフー、と鼻息を荒くしながら、ゆっくり僕の周りをウロつくロイロプスの姿は、生前と変わらぬ意思、のようなものを感じさせる。

 今までの屍人形は全てレム制御だったが……どうやら、スケルトンやハイゾンビの召喚術を使った時と同じように、術者の命令に従い自立行動可能な程度の頭脳を持つようだ。

 僕もそれなりの頻度で『召喚術士の髑髏』を使って来たからね。今のロイロプスからは、正に召喚術で呼び出したモンスターと全く同じ繋がり、みたいなものを感じられる。

「これ、すぐにレムと意識の切り替えはできるの?」

「できる」

「レムはロイロプスとの繋がりは分かる?」

「わかる」

「よし、上出来だ」

 そもそもレムは絶対服従のいい子だから、自立行動できるようになったところで大した意味はないように感じるが、重要なのは僕の制御力が軽減される、ということだ。

 僕の制御力は現在、ヤマタノオロチ戦でレム主力機体を総動員した時と同じ。黒騎士、アラクネ、アルファ、ミノタウロス、の4機を十全に動かすので精一杯、というところ。

 ロイロプスはミノタウロスと同程度の制御力を必要とするので、最大で4体同時に使役するのが限界だ。

 しかし、この感覚なら、倍の数でもまだ余裕がありそう。

 レムの制御も離れた自立行動モードにすると、僕の制御力が大幅に節約できる。

「この感じなら、もっと数が増やせるし、より強力なヤツも連れていけそうだ」

 クラスメイトという仲間たちを失ったが、その代わりにしろとでも言うように、僕が使役できる使い魔を増やせるというわけだ。

 数は力。シンプルに戦力増強できそうだ、やったぜ————などと内心ウキウキでレムとロイロプスを両方なでなでし始めた僕に、強い視線を感じた。

「プ……プガガガ……」

 やけに愕然としたような表情、だろうか。そんな雰囲気を醸し出しながら、いつもピンと立っている長いウサミミみたいな耳がペタンとしおれさせたキナコが、僕を見つめながら震えていた。

「葉山君、なんだかキナコの様子がおかしいんだけど」

「いやぁ、それがベニヲの奴もおんなじ感じなんだよな」

 傍らに立つ葉山君の足の間に潜り込むように、尻尾を丸めて震えるベニヲがいた。

 なんで二匹はこんなにビビり散らしているのだろうか。

「おいおいキナコ、どうしちまったんだよ、そんなブルった顔してよぉ。いつもの勇ましいお前らしくねぇぞ」

「プグゥ……プガガ、ムガァ!」

「えっ? まぁ、確かに、俺にもそういう風には見えたけど」

「プグァ! プォオーン」

「なるほど……いやでも、大丈夫なんじゃないか? そんなに心配するなよ」

 相変わらず独り言のようにしか見えない葉山君とキナコの会話だが、どうやらきちんと理由を問いただすことはできているようだ。

「で、キナコはなんだって?」

「うーん、なんつーのかな……悪霊の力で死体が蘇った、ってとこが凄いビビりポイントらしいぞ」

「悪霊、ねぇ」

「お前が使ってた新呪術とかいうヤツと同じだな」

 確かに、ここに至るまでの道中、ゴーマの群れと遭遇した時に僕はレムと共にお呼ばれしたあの時に授かった新呪術の試し撃ちは済ませていた。

 相変わらず尖った性能だけど、きちんと使いどころを見極めれば効果的な呪術だと思う。

 と、そんな程度の認識だったけど、悪霊、とキナコが呼ぶモノは、それほどまでに恐ろしい存在なのだろうか。

「僕からすると、違いが分からないんだけど。というか、屍人形に悪霊は関係ないような」

「いや、かなりの悪霊出てたぞ。黒い棒人間がめっちゃいっぱい集ってるの見えたし」

 悪霊というか、闇の精霊というか、葉山君には普通の精霊とは異質、だが黒い棒人間という姿は非常に似通った存在として見えるそうだ。

 僕は棒人間と表現される微精霊の姿は見えないし、悪霊呼ばわりの黒棒人間も見えない。

 だが、そういう悪霊的存在があるならば、呪術はそういう奴らからも力を得ている、というのはありえそうな話だ。あくまで、僕は授かった呪術を行使できるだけで、その構成術式を全く理解できていない。

 エアランチャーなど、『呪導錬成陣』と『外法解読』の合わせ技で曲がりなりにも魔法の武器を作るようになってから、魔法陣や術式について理解は進んできたが……だからこそ、自分の呪術がどうやって発動しているのか想像もつかない謎の術式構成をしていると分かった。

 流石は神の御業といったところか。その割に効果は……

「でも屍人形はこれから必要だし、勝手に暴れることもないし、レムと一緒に仲よくしてやってよ」

「そうだぞキナコ、人を生まれで判断しちゃあいけねぇ。この新しく生まれ変わったサイ君と、仲良くしてやるんだぞ」

「プ、プ、プゥー」

 非常に不承不承といった気配だが、それでもキナコは頷いてくれた。

 なんて物分かりの良い野生動物なのだろうか。やはり獣人系亜人なのかも。

「そういえば、レムからは悪霊の気配は感じないの?」

「いや、特には見えねぇな」

「レムのことは、キナコも怖がってないよね」

「そりゃあ小さい子供相手だから、アイツもちゃんと優しくするって。キナコは紳士だからな」

 キナコはオスだったのか。いや、葉山君のことだから、適当に言ってるだけかも。

「レムと屍人形は基本的には同じような存在だと思うんだけど……やっぱり、今のレムには自我が確立したから……」

「おーい、小太郎。そろそろ手伝ってよ。夜んなる前には仕上げたいし、風呂も入りたいしー」

 おっと、杏子がお呼びである。

 この河原を山越え準備のための仮拠点にするので、ここまでの簡易的な野宿よりかは、本格的な居を構えるつもりだ。川が流れているから、上手く水を引けば久しぶりに風呂も入れるだろう。

「今行くよ。じゃあ、葉山君達は周囲の警戒お願いね。ロイロプスもつけるから、いざって時は盾にでも何でも好きに使って」

「桃川、お前そういうとこドライだよなぁ」

 正しい使い方だと思うんだけど。葉山君は多分、自分が使い込んだ物品にも思い入れできて大事にしちゃうタイプなのかも。

 ともかく、さっさと仮拠点建設を始めよう。今度は、いきなり飛び出してきたロイロプスが突進してきても大丈夫なように、防壁も建てておこうかな。

第254話 悪霊(2)

 山の麓を拠点として、早数日。

 河原には高さ5メートルほどの防壁で囲われた、石壁の豆腐ハウス、大浴場付き、が建設されている。ヤマタノオロチ攻略戦のために培った土魔法技術がフルに生かされた贅沢な拠点である。

 お陰で、妖精広場ではなくとも、僕らはそれなり以上の安全が保たれる建物で寝泊まりできるのだ。

 そんな環境で、山登りのための準備は順調に進めている。

 順調なので、今日はお休みにした。

「そーら、取ってこーい!」

 と、葉山君の手から放たれるのは、真っ白いフリスビー。

 程よい速度、程よい高さ、程よい飛距離、と絶妙な調子で飛ばすフリスビーを追いかけるのは、一人と一匹。白い髪をなびかせるレムと、赤い尻尾をぶん回すベニヲである。

「キャンキャン!」

「とった」

 10メートルほど先の地点でフリスビーをキャッチしたのは、レムだった。

「上手にとれたな。偉いぞー」

 そしてベニヲと一緒に駆け戻り、フリスビーを葉山君に渡すと、笑顔でレムを撫でた。

 うーん、こうして見ると、葉山君はなかなかの好青年ぶりである。喋るとガッカリされる三枚目タイプだけど、黙っているとなんだかんだで普通にイケメンだよね。蒼真君と天道君が飛びぬけているだけで。あと、桜井君もかなりのハイレベルだったし、二年七組という環境だからこそ埋もれてしまうのも仕方のないことか。

「おい葉山ぁー、次はウチにも投げさせろよ」

「いいけど、あんま力一杯にぶん投げるんじゃねーぞ? こういうのは、絶妙な投げ加減ってのがあるんだからな」

「分かってるってー」

 ヘラヘラ笑いながら、蘭堂さんはフリスビーを受け取り、

「とりゃぁーっ!」

 かなり全力っぽい感じで、明後日の方向に飛ばしていった。

「ワンワン!」

「まてー」

 それでもレムとベニヲは、喜んでフリスビーを追いかけて走り出していった。

「いやぁ、平和だねぇ」

「プググ」

 僕はしみじみとつぶやきながら、キナコのフッカフカの毛並みを撫でる。

 うつ伏せに寝転がったキナコの背中の上に、僕も転がってくつろぎながら、この平和な光景をぼんやりと眺めていた。

 まるで、普通にハイキングかキャンプにでも来たかのような長閑さである。

 次の瞬間には、またロイロプスが森から飛び出し突撃してくるような危険な場所に変わりはないので、罠やら屍人形の監視やらで、最低限の警戒態勢を維持してはいるが。

 サバイバルで気を抜くなんてとんでもないと怒られそうなほどゆるみきった空気が流れているが、僕らは過酷な環境で生き抜いてきた生粋のサバイバリストではない。人には休息が、心の安らぎというものが必要なのだ。

 そして、のんびり休むには今がちょうどいい。登山に挑む直前の今が。

「みんなの仲が良くて、僕も心が安らかだよ」

 僕が余った骨から作った雑な完成度のフリスビー一枚で、あの盛り上がりようである。葉山君も杏子も、何が楽しいのかケラケラ笑っているし、ベニヲは千切れるんじゃないかってくらい尻尾を振って喜んでいる。

 レムは無表情なので楽しそうな気配は一切ないが、それでも、人の心、感情というのは伝わっているのではないかと思う。だから、素直に笑って遊んであげられる、葉山君と杏子の存在というのは、とてもありがたい。

 術者という絶対服従が前提となる、僕ではダメなのだ。そういう枷のない、他の人間と接するからこそ、レムの成長に意味があると思う。

 僕はレムに、冷酷無比な殺人マシーンになって欲しいわけではないからね。

「だから、僕らも仲良くしようよ、キナコくーん」

「プゥ、プググ……」

 ウサ耳に向かって囁くと、何とも言えないうめき声を上げるキナコである。

 どうにも、キナコは僕のことが苦手なようだ。やはり、ロイロプスを屍人形に仕立て上げた呪術の力が恐ろしいらしい。

 そんなものより、もっと直接的な攻撃力を持つ蘭堂さんの方が危険を感じるべきなんじゃないかと思うのだけれど。何か、本能的に恐ろしさを感じてしまう部分があるのかもしれない。

「まぁ、その内に慣れてよね。僕ら、もう仲間じゃん?」

「プガガ、プグゥ」

 そんな風に、とってもダラダラしながら、休日は過ぎていくのだった。




 そして翌日。

「うーん、やっぱり、これはもう限界かな」

「あ、小太郎、おかえり」

 パッチリ目を覚まして起き上がると、だらしなく寝ころびながら鉄鉱錬成陣で精製中の杏子が声をかけてくれた。

「どうだった?」

「またダメだった」

「やられた」

 と言って、僕と一緒に寝ころんでいたレムも起き上がり、猫みたいに膝の上に乗ってくる。サラサラの銀髪オカッパ頭をナデナデすると、幼女レムは無表情で嬉しさの欠片もない様子……だけど、表情に現れないだけで、喜んでいると自分勝手に解釈している。

「分身の偵察じゃ限界あるね」

 神の意志と魔法のコンパスによって進む道が保証されているダンジョンと違い、ここは単なる自然の山脈だ。ルート選択を誤れば遭難一直線である。

 また、自然のフィールドということは、ダンジョンでの難易度調整機能も働かない。あのサラマンダーの他にも、僕らじゃ太刀打ちできない超危険な魔物が潜んでいる可能性は大いにある。

 というわけで、登山ルートの確認と、山に住む魔物の調査も兼ねて、僕は初日からせっせと『双影ふたつかげ』の分身を送り込み、山登りを開始していた。

 最初は僕の分身単独で。

 次は分身と、護衛として適当に作った黒スケルトンのレムを連れて。

 そして三度目は、馬代わりに屍人形にした鹿のようなアルパカのような草食獣ジャージャに乗って。

 三度の先行偵察は、三度とも山の中腹に差し掛かろうとする辺りで、全滅の憂き目にあっている。

「ちくしょう、あのハゲタカ共め……」

 山の中腹を縄張りにしているのは、鷹の魔物の群れだ。あの辺からは切り立った岸壁も目立つようになり、そこが巣を構えるのに良し、麓で獲物を狩りに行くのも良し、というヤツらにとっての好立地となっているようだ。

 サビついたような赤褐色の色合いの羽毛を持ち、大きなクチバシはギザギザとした鋸刃状で、積極的に人である僕を襲う鷹型の魔物を『アカハゲタカ』と名付けている。

 サイズこそ普通の鷹と同じ程度、だがそれは地球基準では十分に大型の猛禽類である。そんなのが群れを成して襲い掛かって来れば、僕じゃひとたまりもない。

「でも、みんなで行けばなんとなるんじゃね?」

「うん、なんとかなる、というか戦闘にもならないと思う」

 僕を見かければ獰猛に襲い掛かってくるアカハゲタカだが、奴らは生来、慎重で臆病な生態であることが、ここ数日の観察で判明している。

 奴らは、ターゲットがある程度の群れになると、狙わないのだ。自分達の方が多くても。

 必ず、一体か二体、はぐれた個体だけを狙う。それ以外は、屍肉を積極的に漁っている。

 つまり、僕ら全員で出向けば、奴らは見向きもせずにスルーしてくれるだろう。

 でも偵察で僕だけが行くと「ヒャッハー、カモが来たぜぇ!」となるわけだ。

「偵察だけ妨害されるとかウザいことこの上ないよ」

 ゲームだと確実に嫌われるタイプの雑魚モンスである。

「じゃあ、もうぶっつけ本番で行くしかなくね? あんまノンビリしてるわけにもいかないっしょ」

 杏子の言う通りではある。焦って先を進むことはしなくても、かといって無限に準備時間をかけることもできない。どこかで区切りをつけなければ。

「じゃあ、葉山君が戻ったら、意見を聞いてみるよ」

 このパーティは僕の専制じゃないからね。ちゃんと全員の意見を聞いて行動方針を決めるよ。

 というワケで、夕暮れに釣りから戻った葉山君に聞くと、

「よっしゃあ、行こうぜ、山登り!」




 賛成多数で山越え実行が可決されたので、僕らはいよいよ目の前に聳え立つ山に挑む。

 アカハゲタカのせいで偵察こそ失敗に終わっているが、準備の方は万端だ。

「うーん、この積載量、素晴らしいね。僕、車買うなら絶対大きいのにするよ」

 満足げに、僕は不気味な赤ラインが浮かぶロイロプスの首元をバシバシ叩く。

 このロイロプスは戦闘用というよりは、大量の物資を乗せるための荷駄獣としての役割に期待して、屍人形としたのだ。

 こんな大きな山、とても一日で乗り切れるワケがない。数日かけての登山となる、ということは、その日数分だけの物資が必要だ。今までは平地だから、拠点を構えて周辺に狩猟採取へ、ということもできた。

 でもここは、サラマンダーをはじめ危険なモンスターがいる可能性が高い上に、あちこちに崖のある地形は、動き回るだけで危ない。一度登り始めれば、これまでのような現地での補給は望めないのだ。

 さらに、山の頂上付近では、どう見ても雪が薄っすらとだが降り積もっており、その寒さは想像するに難くない。全員分の防寒着と、凍死せずに眠れる温かい寝具も必要だ。

 地球の登山者達の姿は、ドキュメンタリードラマやら何やらで見たことくらいはある。彼らの姿は、大量の荷物を背負っており、なんとか歩き続けられる、といった様子。

 地球で登山するだけならそれでも十分だが、モンスターとの戦闘も想定される異世界登山では、全員あんな大荷物抱えているワケにはいかない。

 ただでさえ嵩張る荷物に加え、予備も含めた数日分の必要物資を持ち運ぶためには、自分一人の体ではとても足りない。そこで、ロイロプスのような大型車の出番である。

「こんなに持たせて大丈夫かぁ?」

「屍人形は魔力で動いてるから、肉体的な疲労はないから大丈夫だよ。それにロイロプスはこの山岳部でも棲んでるような魔物だから、かなりの登攀性もある」

 ちゃんとスペックは把握しているから。

 そしてそれは、ロイロプスだけに限らない。

「ジャージャの乗り心地はどう?」

「流石に乗馬の真似事は、まだちょっと慣れねーな」

「アルファの方が良かったかなー」

「まぁ、贅沢言わないでよ」

 乗って歩けるだけ十分マシだということで。

 草食獣ジャージャは、きっと馬よりも臆病で騎獣に向いてはいないだろうけど、屍人形にかければその辺の問題はなくなる。あまり背中を揺らさないよう、気を使って歩かせることだってできるのだから。

 登山といっても、ずっと急勾配を登り続けるワケじゃない。麓から進んでいくだけでもかなりの距離を歩かされる。ならば、乗り物に乗ってもいいじゃない。

 特にこの山越えは危険が高い。素早く進むことは重要だし、本人の疲労を軽減するのも大きな意味がある。キツい山道を歩き続けてゼーゼー言ってる時に襲われるなんて、冗談じゃないよ。

 なので、捕獲するのに危険はないジャージャを騎獣として、人数分用意した。

 流石にロイロプスとジャージャ三騎分もの鞍と鐙、荷物を載せるための装備を作るのは、結構な量となった。周辺で狩った魔物の皮と、ラージスケルトンの大剣から精製した鉄を、ほとんど全部つぎ込んだからね。

 でも、いざこうして登山隊が並んで歩き始めるのを見ると、頑張って作った甲斐もあるってものだ。

「なんか、静かだな。フツーにハイキングでもしてるみてぇだ」

 河原の拠点を出発して小一時間。特に魔物の襲撃もなく、順調に進めている。

 森というほどの密度はなくなり、林となった周囲を見渡せば、視界には鳥や小動物の影が素早く横切っていくだけ。

 葉山君の言うように、長閑な雰囲気でハイキングって気分にもなってくる。

「でも、こういう時ほど、って感じするよね」

「わかるぅー」

 あまりいい予感はしないな、と杏子と通じ合う。

 そして、案の定、とでも言うべきか。

 ソレは、林を抜けて、大きな岩がゴロゴロと転がる急な坂となる地形へ差し掛かった時であった。


 ゴォオオアアアアアアアアアアアアッ!


 腹の底から震えるような獰猛な雄たけびを上げて、正面から大きな影が迫ってくる。それも、二つ。

「まずい、グリムゴアだっ!」

 サンダーティラノより二回りは小さいが、それでもラプターよりは圧倒的にデカい二足歩行の肉食恐竜のシルエット。周囲の岩場に溶け込む様な、灰色の岩石質な甲殻を身に纏い、角ばった頭は大きなアギトを開き、咆哮を発している。

 グリムゴアはダンジョンでも何度か見かけたモンスターだ。

 中型のサイズ、獰猛で俊敏、そして何より、群れている。かなり危険度の高い奴である。討伐するリスクに見合わないので、いつもスルーして倒したことは一度もない。

 しかし、今回は戦闘を避けられないな。

 この岩場が、グリムゴアの甲殻が保護色として働いたせいか、僕らの発見が遅れ、先に向こうがこちらに気づいてしまった。移動速度も、奴らの方が速い。真っ直ぐ逃げるだけでは余裕で追いつかれる。

 戦うしかない……と、誰もが思い、真正面から迫り来る二体のグリムゴアに覚悟を決めて釘付けになる。

「後ろからも来るぞ!」

 それに気づけた、とはいえ一瞬早いだけのこと。

 グリムゴアは群れだ。基本的に三体構成。二体だけっていうのはおかしい。

 僕が叫びながら咄嗟に振り向けば、後方からバキバキと細い木を蹴り倒しながら、姿を現す三体目がいた。


 グゥオオオオオオオオオオオオオ!


「や、やべぇ、挟み撃ちってヤツかよこれ!?」

「小太郎、前と後ろどっちから狙う!」

 悩む猶予はない。

 彼我の距離、グリムゴアの突進速度。杏子が初手の一撃で止められるのは、どれか一体だけ。

 前衛は、すでに黒騎士へと変身を終えたレムと、ちょっとビビり気味のキナコ。二人で二体のグリムゴアを止められるとは思えない。よくて一体が限界。

 だが、後ろの奴がそのまま突っ込んで来れば、ロイロイプスを盾にするしかない。

 グリムゴアに食らいつかれれば、流石にロイロプスもあっという間に倒れるだろう。だが、所詮は屍人形。また作ればいい。

 一方、キナコは倒れればそれまでだ。影人形の本体たる幼女レムも、傷つくとどうなるか不明。

 脅威度と安全度、総合的に考えて、まずは正面の二体の内の片方を削り、後ろの一体はロイロプスを犠牲にして耐える。これが最善の対応————

「杏子、後ろの奴を撃って!」

「行くぞぉ、『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』!」

 ドォン、という後方への発射音を耳に届けながら、僕は右手を向けて、唱える。

「声なき声をかき集め、闇夜に透ける姿を映す。狂気の沙汰、悲劇の果て、虚無の末路。暗き底なし沼に淀む者達よ。悔い、改めることなかれ————」

 僕の決断を後押ししたのは、この間にルインヒルデ様から授かった新呪術。

 想定していた使い時とは異なるが、こういう時でも効果を発揮するはずだ。

 伸ばして右手にはいたカースドヘキサが、刻まれた六芒星の眼を輝かせながら、呪術の効果を増幅させる。ターゲット、ロックオン。

 喰らえ、これが僕の新呪術、

「————『悪霊憑き』」


『悪霊憑き』:どこにでもいる、ありふれた存在。意思というには薄弱で、憎悪と狂気はほど遠く。されど彼らはそこにいる。重なり、漂い、今もまだ器を求め。


 開いた手のひらを、グっと閉じる。

 何もない空を掴むだけの手のひらだけれど、僕には確かな感触を覚えた。

 よし、成功だ。悪霊は、確かに『入った』。


 ギャヴォオオオオオオオオオオッ!


 獲物を前にした叫びとは異なる、苦しみに満ちた甲高い声がグリムゴアから上がる。

 僕が狙ったのは、向かって右側の奴。牙を剥き出しにして大口を開く様子は何の変りもないが、その頭部には薄っすらと黒い靄がかかって見える。

 これ、葉山君だともっとハッキリ見えたりするんだろうか。

 ともかく、悪霊に憑かれたグリムゴアの変化は、すぐに現れる。

「うおおっ! なんだよ、仲間割れかぁ!?」

 けたたましい雄たけびを上げて、突如として右側のグリムゴアは、すぐ隣を併走する相方の首筋へと噛み付いたのだ。

 あと十メートルもしない内に、レムとキナコの前衛に襲い掛かる、といったところで。

 葉山君が叫んだように、いきなり仲間割れしたようにしか見えないだろう。

「葉山君、僕と一緒に後ろの奴を集中攻撃だ!」

「お、おうよ!」

 突然の展開についていけない、といった様子の葉山君だが、僕の呼びかけにはすぐに応えて、『レッドランス』を握りしめて反転。

「よっしゃあ、当たったぞ小太郎!」

 流石は杏子。きっちりと後ろから迫るグリムゴアに『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』を命中させていた。

 急所こそ外れているが、大きく腹を抉られるように当たったようで、岩の甲殻も砕け、かなりの出血を強いている。

 喰らった衝撃と傷によって、その場で倒れ込んでしまったのだろう。

 すぐにでも起き上がってきそうなほどの気迫は感じられるものの、そこですかさずロイロプスが足で踏み付け、行動を阻止していた。この素早いアシストはオートじゃない、レムの判断だろう。

「一気にトドメを刺すぞっ————『ポワゾン』」

「行くぜ、ファイアーッ!」

「えーと、とりあえず『石矢テラ・サギタ』で」

 僕の毒と葉山君の炎、さらに杏子の弾丸は、大きく抉れた傷口へと殺到し、もがくグリムゴアに致命傷を与える。

 しかし、流石の生命力。グゥウウ、とうめき声を上げながら蠢いているが……もう立ち上がるほどの力はない。そのままロイロプスに踏ませておけば、すぐに息絶えるだろう。

「あと一体だ!」

「小太郎、どっち狙えばいいのよ!」

「噛み付かれてる方で!」

『悪霊憑き』は、名前の通りに悪霊を対象に憑依させる呪術だ。

 お馴染みのフレーバーテキストを頑張って解釈すると、ここで言う悪霊は「うらめしや、死ね!」と生きた人間をいきなり呪い殺せるほど強力な奴ではなく、恐らく精霊のようにその辺を常に漂っている存在なのだと思われる。悪霊だが、存在感は非常に薄く何の力もない、といったところか。

 で、そういうのを一気に集めて、相手の頭の中に叩き込む。僕が発動させた感覚では、そんな感じの効果だ。

 そして、本来なら感じることもできない薄い悪霊を凝縮することで、強烈な意思と化し、とり憑いた相手を狂わせる。

 そう、悪霊にとり憑かれると、敵味方の区別なく暴れ回るのだ。

 だから、僕の『悪霊憑き』を喰らったグリムゴアは、目の前の僕らよりも、隣にいる仲間の方が、近いし、デカいし、目立つから、とりあえず攻撃し始めた。

 この呪術のポイントは、上手く使えば敵の一体を狂わせることで、同士討ちさせられるってとこだ。

「そこだぁ————『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』!」

 杏子の放った上級攻撃魔法は、運よくグリムゴアにクリーンヒット。胴体を貫き、心臓まで上手く砕けたのだろうか。すぐにぐったりと動かなくなった。


 ゴガァアアアアアアアアアアアアアアッ!


「お、おい桃川、まだあと一体残ってるぞ! っていうかアイツ、めっちゃヤバい気配感じるんだが!?」

「ああ、それが悪霊の気配ってヤツかな?」

「呑気に言ってる場合かぁーっ!」

 襲っていた仲間が死んだことで、悪霊に憑かれた方のグリムゴアは、次なる獲物として僕らへと狙いを定める。

『悪霊憑き』の残念なところは、別に僕が自由自在に操れるワケではないってところだ。あくまで、敵も味方も分からず暴れ回るほど狂わせられるというだけ。

 放っておいたら、こっちも普通に襲われる。

「みんな、下がって」

 僕は『ポワゾン』ぶっ放した『愚者の杖』をしまい込み、ジャージャの鞍にかけておいた、カンテラを取り出す。

 魔力を流し、真昼間だけど、確かな白い輝きをカンテラは放つ。

「食らえ、聖女様の輝き、悪霊退散!」


 ギョォオオアアアアアアアアアアアッ!



 と、絶叫しながら、グリムゴアは慌てて踵を返し、岩場の向こうへと全力疾走で逃げだしていった。

「このカンテラ作ってくれたことだけは、感謝しといてあげるよ、桜ちゃん」

 悪霊は光属性が大層、苦手なようだ。肉体になんのダメージも与えない単なる光でも、必死こいて逃げ出す。

 なので、この光精霊ルクス・エレメンタルによって光るカンテラを照らすだけで、効果は抜群というワケだ。

 逃げ去ったあのグリムゴアは、その内に悪霊が散って野生に帰るだろう。

 さて、全く予期せぬ襲撃だったが……グリムゴアの新鮮な死体が二つ、こちらの損耗ナシで手に入ったときたもんだ。収支的には、大きなプラス。ツイてるぞ、コレは。

第255話 山越え(1)

 登山一日目。予定ではアカハゲタカの縄張りである山中腹を超えるところまで進むはずだったが、グリムゴア襲来という予期せぬ戦闘と収穫があったので、その手前で野営することにした。

 そして翌日、僕らは新たな仲間を登山隊に加えて、出発する。

「はい、紹介します、グリム1号と2号です」

 グガァアアア! と昨日僕らを襲ってきた時の様に獰猛な咆哮をあげる、二体のグリムゴア。

 岩石甲殻を身に纏い、全体的に灰色がかった色合いのグリムゴアだが、『屍人形』としたことで、黒くなっている。

 コンクリみたいな色だった岩石甲殻は、黒曜石のように光沢のある黒色と化し、ちょっと高級感出てるような。

「みんな、仲良くね」

「プガガガ……」

「おい桃川、相変わらずキナコが屍人形のこと怖がってんだけど」

 そこは追々、慣れていってよね。ロイロプスの方はなんだかんだ平気っぽくなってるし、グリムゴアもその内に気にならなくなるでしょ。

「杏子は一号の方に乗ってね」

「おおー、乗ると結構高ぇー!」

 早速、鞍のつけられたグリム1号へ、杏子はさっさと登って颯爽と跨る。

 その豪快なパンチラは見せつけているのか、それとも気にも留めないワイルドさか。そしてガン見する僕と、地味に視線を逸らしている葉山君。なにその初心な反応……

「どんな感じ?」

「いい感じだぞー」

 慣らし運転が如く、その辺をドシドシと歩かせて、満足げに返事をくれた。

 ラプターと比べて体高が倍以上あるから、揺れも激しくなるのではと思ったけれど、意外と乗り心地は悪くなさそうだ。杏子もジャージャよりこっちの方が好きそう。

「おーい、小太郎、ちょっと見てれ!」

 こっちに手を振りながら、杏子はグリムゴアの頭をバシバシ叩きながら、前の方を指さして何か指示する————次の瞬間、


 ボォアアアアアアアアアアアアアッ!


 茶色い砂嵐のようなモノが、凄まじい勢いでグリムゴアの大口から放たれた。

「砂のブレスか……ホントに土属性のモンスターだったんだな」

 杏子をグリムゴアに乗せてみたのは、単純に好みの問題だけではない。グリムゴアが土属性モンスター、という情報自体はメールによって知っていた。でも戦闘は避けていたので、その能力を目にすることが今までなかった。

 昨日、襲われた時に三体同時に開幕でブレス吐かれてたら、僕らはあえなく全滅だったよね。多分、砂のブレスは狩りでは使わず、敵と本気で戦う時とかにしか使わないのだろう。

「すげーな、あれもう怪獣じゃん」

「ブレスが撃てるって、ちょっとしたステイタスだよね、モンスターとして」

 土魔術師の杏子が乗ることで、グリムゴアの土属性攻撃も上手く操ることができているようだ。サンドブレスを試し撃ちしてキャッキャしている杏子を見る限り、十分に制御できているのは明らか。

「よし、それじゃあグリム1号は杏子が乗って行こう」

「やったー、よろしくなグリリン!」

 嬉しそうでなにより。グリムゴアも可愛い愛称を貰って良かったね。

「2号の方は誰が乗るんだ? 俺はあんまり乗りたくないんだが」

「そっちは誰も乗せない。単純に戦力として使うよ」

 なんといってもウチのパーティは割と深刻な前衛不足。体を張って敵を止めてくれる頼れる方はいつでも募集中!

「陣形も変えていこう」

 これまではレムとキナコを先頭に、僕らが続き、最後にロイロプス、という並びだった。

 グリムゴア二体の加入によって前衛戦力にも多少の余裕ができたので、陣形変更する余地も生まれた。

「先頭は杏子とレム、次に僕。すぐ後ろに葉山君で、キナコとベニヲは葉山君について。一番後ろはロイロプスとグリム2号だ」

 乗っているだけとはいえ、杏子が先頭にいるのは不安のある構成……だけど、ここから先に進むためには外せない配置でもある。その分、僕とレムでフォローするつもり。

葉山君は隣にキナコがついて安全性が上がり、グリム2号のお陰で護衛能力もさらに充実している。昨日みたいに挟撃されても、焦らずそのまま対応できるだろう。

「今日は中腹を超えて、山頂付近まで目指す。登山はこっからが本番だから、気合入れて行こう」




 キョワー、クワー、と甲高い泣き声をあげながら、幾つもの影が頭上を飛び交っている。

 いつもなら、そろそろ急降下して襲ってくるところだけれど……

「お、おい、桃川、これホントに大丈夫なのか!?」

「大丈夫だって」

「どんどん増えて来てるぞ!」

「増えるだけで、別に襲っては来ないから」

 ギャーギャーと騒がしい空を見上げては、葉山君が泣きごとを叫んでいる。

 僕らは午前中の内には山の中腹へと差し掛かり、アカハゲタカの縄張りを縦断している最中だ。

 この辺はグリムゴアが襲ってきた岩場から続く、切り立った崖の多くある場所だ。多少の緑に覆われているだけで、背の高い木々はなく、見通しは良い。

 僕らは断崖絶壁にはなっていない場所だけを選んで進まなければならないため、大きくジグザグを描くような道筋で、少しずつ標高を登り詰めてゆく。

 そうして、ゾロゾロ歩いて進み続ける僕らの頭上を、奴らは冷やかしの様に飛び回っている。

 案の定、ただ群れているだけで、こちらへ襲い掛かってくる様子は見られない。僕一人だったら、もうとっくにつっつかれているタイミングだ。

 つまり、この辺まで進んで来たのは始めてとなり、注意すべきは臆病なハゲタカ共よりも、この山道そのものの方となる。

 山の外観からして、山頂付近になるほど斜度もキツくなってくる。だから、登るごとに山道も危険になっていく。

 だから葉山君、お願いだから頭の上のハゲタカに気を取られ過ぎて、その辺に落っこちたりしないでよ。

 たとえ崖から落ちて無事だったとしても、僕らの隊列からはぐれた瞬間にアカハゲタカが殺到して、骨の髄まで齧られることになるからね。

「小太郎、ウチらかなり高いとこまで登ってきたんじゃね」

「うん、そろそろ奴らの縄張りからも抜けそうだよ」

 幸い、今日はまだ一度も魔物との戦闘はない。アカハゲタカの縄張りど真ん中だからこそ、だろうか。お陰で、道行は順調そのものだ。

「杏子、もうちょっとしたら、どれでもいいから一羽、撃ち落としてくれない?」

「いいけど、食べんの?」

「アイツら肉食だから美味しくないと思うけど」

 食料なら十分な余裕をもって準備してあるから、今更、狩りをする必要はない。

 ほら、こうして疲労回復のためのハチミツ飴だってあるんだし。

 持ち出せたハチミツは少量だけど、こういう時に使っていかないと。

 ともかく、今必要なのは食料ではなく情報だから。

「レムにして先を見てきてもらうから」

「なるほど、りょーかい」

 アカハゲタカを屍人形化すれば、偵察ドローンの一丁上がり。

 僕も鳥を使役して飛ばしはしたけれど、やっぱアカハゲタカに襲われて墜落率100%でどうにもならなかった。

 けれど、奴らの縄張りを超えた山頂付近になれば、積極的に襲われることもないだろう。

 何より、最難関の山頂越えを、完全初見でいきなり歩きたくはない。最低限の偵察は必要不可欠だ。

 それでもアカハゲタカ共が、わざわざ山頂には陣取らないのだ。奴らが避けるような危険が、山の上にはあるのだろう。

「小太郎、そろそろ行っとく?」

「お願い」

「よっしゃ、今だ、グリリン! 発射ぁーっ!」

 ドバーン、とそれはもう派手にサンドブレスを天に向かってぶっ放し、調子こいて僕らの上を低空飛行していたアカハゲタカを一網打尽にしていた。

 一羽でいいってゆったじゃん。




 予定から一日遅れで、アカハゲタカの縄張りである中腹を超え、野営をすることにした。

「なんだかんだで、やっぱ登山ってキツいよね」

 思えば、二日かけてここまで辿り着いたくらいでちょうどいい感じだった。一日でここまで来ようと思ったら、かなりギリギリだっただろう。

 奴らの縄張りど真ん中で野営なんてできないし、危なかった。いくらハゲタカが群れを襲わないとはいえ、呑気にグースカ寝てたら喉笛食い千切られそうだし。

 そうなると、暗くなってきても抜けるまでは無理して進む必要があったワケで……昨日は中腹の前で一泊しておいて本当に良かった。

 結果オーライではあるが、やはり素人の見通しだなと反省させられる。

「でも、山頂は一日で一気に超えちゃいたいし……でもまだ結構、距離もあるし……」

 現在地は、六合目といったところか。別に合目換算は正式に等分しているワケではないらしいけれど、とりあえず、半分以上超えてきたのは間違いない。

 山頂はサラマンダー生息疑惑のある危険地帯。早く抜けたいところだが、山道の厳しさを身を以って実感したこの二日間で、単純に超えていくだけでも大変なことが身に染みている。焦って進めば、別にサラマンダーに襲われなくても事故って死者が出かねない。

「なんだか、天気も怪しい感じだしなぁ……」

 半分以上も登ってきたお陰で、森を歩いている時よりも大空を見渡せる。今日は暮れなずむ夕日の向こう側に、分厚く大きな雲がとぐろを巻いているのが見えた。

 呪術師といえば雨乞いの祈祷とかソレっぽいけれど、僕には今のところ、お天気に関する呪術は何一つ授かっていないので、天候操作どころか、天気予報の一つも満足にできない。靴を飛ばして表裏で占いでもしようか?

「おい桃川、早く寝ようぜ。流石に二日間、山登りは疲れるわ」

「あー、ごめんね、もう灯り消すよ」

 杏子が建ててくれたトーチカの中を照らすのは、桜ちゃんのカンテラだ。

 中は僕ら三人とレム、キナコ、ベニヲ、とみんなで入れば、少々手狭な感じはする。勿論、ロイロプスとグリムゴアは外で待機だ。

 夕飯も終えて、今日はもう寝るだけの時間帯。いつまでも僕が手書きの地図と睨めっこしているワケにもいかない。

「蘭堂はもうグースカ寝てるぞ」

「やっぱり、疲れが溜まってるんだね」

 杏子はこれを建てて、夕飯を食べたらすぐ横になって寝てしまった。なんだかんだで今日は歩き詰めだったし、ずっとアカハゲタカに監視され続けるのも地味にプレッシャーだったろう。

 いつもなら、この程度のトーチカ建設は全く苦にならないけれど、肉体的、精神的疲労と重なった、といったところか。

「明日は一日、ここでゆっくり休もう」

「いいのかよ? こんなとこで止まってて」

「やっぱり、山頂超えのルートは先に見つけておかないと。明日は僕が偵察に行くだけにするよ。それに、止まっていられるのは、もうここしかなさそうだし」

「そうか、そうだよな。焦って進んだら事故りそうだしな。山は舐めちゃいけねぇぜ」




 翌日は、小雨の降る曇り空だった。やはり天気が崩れてきたか。

 でも、分身を歩かせるだけなら大した苦にはならない。

 その日は丸一日かけて、僕の分身と屍人形のアカハゲタカを使ってルート探索をした。

 良かったことといえば、分身も屍ハゲタカもどちらも襲われなかったことか。山頂付近はあまり多くのモンスターは生息していないようだ。

 悪かったことは、想像以上に足場が悪いこと。多少の無理の利く分身でも、歩いて進めないような箇所ばかり。ここを超えていくのは、不可能ではないが想定よりも時間がかかるだろう。

 それから、さらに悪いことは重なる。その日の晩、雨が一気に土砂降りと化した。

「おいおいおい、桃川これ結構ヤバぞ! 地すべりとかで丸ごと落ちたりしねぇよな!?」

「この辺は柔らかい土砂じゃなくて、固い岩盤そのままの地面だったから、滑り落ちることはないよ」

 ザーザーというより、ドドドド、と滝でも落ちてんのかというほどの激しい雨音に包まれる中、僕らは狭いトーチカの中で身を寄せ合っている。

「仲間に土魔術師がいて本当に良かったよね。これ普通にテントで野営してたら、大変なことになってたよ」

 轟々と激しい風の音も渦巻いている。堅牢な石で形成されたトーチカだからこそ、こうして呑気にお喋りしていられるのだ。

「小太郎、これ明日には止むかな」

「どうだろう……天気ばっかりは、待つしかないね」

「明日もこんなだったら、山登るどころじゃねぇぞ」

「幸い、食料はまだ十分残ってる。ここで二日三日、足止め喰らったとしても大丈夫だよ」

「でもここでジっとしてんのは暇だなぁ」

「贅沢言わないでよ、杏子」

 結局、朝になっても雨は止まなかった。

 流石に土砂降りというほどの雨量ではなくなったが、それでも登山するのは無理だろうというほどには振り続けている。

 お陰で今日も引きこもり生活だ。

「ほーら、レム、おいでー」

 ごろーん、と僕の膝の上に銀髪頭をのせて、レムが寝ころぶ。

 レムは目をパチパチさせるだけで、特に嬉しそうな顔もしてないが、これはこれで喜んでいるのだと僕は解釈している。それに折角、幼女の姿をしているのだから、甘やかしてあげないと。

「お、桃川、なんかそうやってるとママみたいだぞ」

「それ褒められてんの?」

 どっちかというとママが必要なのは僕の方だと思うけど。

 求む、甘やかしてくれる爆乳ママ。おっぱい吸ってねんねする、三大欲求が満たされる楽園のような生活を夢みてしまうよ。

「……ママ」

「お願いだから僕のことママ呼ばわりはやめてね、レム」

 もう、葉山君が変なこと言うから。レムの教育に悪いでしょ。

 ちなみに、僕の本当の母親は、僕に激似だ。双子の姉妹じゃねーよ。

「でも桃川は世話焼きだからなー」

「僕だって好きでやってんじゃないんだから。むしろ僕は甘やかされたいくらいだよ」

「じゃあ小太郎、ウチに甘えていいぞ」

 さぁ来い、とばかりに眩しい褐色の太ももをパシパシ叩く杏子。

 そ、そんな露骨な誘惑に、この僕が……

「ああー、きもちー」

「よしよし」

 膝枕、癒される。僕の顔からだらしない笑みが零れる。

「おいお前ら、ちょっとダラけすぎだぞぉー」

 僕は杏子の膝で寝て、レムは僕の膝で寝て、実にだらしない感じにはなってるね。

「いやぁ、でも葉山君が一番くつろいでるでしょ」

 寝ころんだキナコの上に寝そべって、さらにベニヲを抱っこしてフワフワの毛皮に包み込まれているのが葉山君である。間違いなく、今この空間の誰よりも温かい柔らかさを堪能している男だった。

 そんな風に過ごすこと二日。そう、二日も雨は止まなかった。山の天気は変わりやすいんじゃないのかよ。

 それでも、僕が豪語したように、食料には余裕がある。僕らは退屈を持て余すだけで、二日間の雨をやり過ごすのに大した問題はなかった。

「あー、久しぶりに太陽を見たよ」

 結果的に三日も足止めを喰らってしまった六合目から、いよいよ出発だ。

 ぬかるんだ地面は危険ではあるが、これ以上、待っているのは日程的にも精神的にもキツいものがある。

 今日で一気に山頂を超えて、向こう側まで行きたいものだ。

「ここから少し登ったら、一気に温度も下がってくる。今の内に毛皮装備しといてね」

「おっ、ようやくコイツの出番だな」

「はぁ……前のコートの方が良かったんだけどぉ」

 嬉々として新品の毛皮の上着を着こむ葉山君とは対照的に、杏子は渋い表情だ。

 学園塔で作ったのと同じ、土猪の毛皮を使った『グランドボアコート』を作ったのだが、首元の真っ白いファーをはじめ、随所にちりばめた杏子こだわりの装飾部分は全削除。だって素材がないんだもの。

 結局、今回のグランドボアコートは、猪毛皮の茶色一色で、実に野暮ったい仕上がり。

 でも温かいから、それで我慢してよね。

「うん、レムも可愛いぞ」

「かわいい」

 レムのは特に力を入れた自信作だ。河原拠点の頃に、ベニヲが地道に狩ってくれたウサギの毛皮を利用した、ウサギコートだ。フードには勿論、本物のウサミミを搭載。

 この本物ウサミミフードの製作にあたって、キナコが自分の耳を抑えながら大層怯えていたが、彼には猟奇的なデザインに見えてしまうのかもしれない。僕だって帽子に人間の耳そのままついてたらキモいと思うし。

 価値観の相違に目をつぶりつつ、完成したウサギコートは、カワイイと評判だ。

 ちなみに、コートの下でレムが普段着ている服は、とっくの昔に最初に作った簡易の蜘蛛糸服を卒業している。

 今、幼女レムの普段着となっているのは、ニセセーラー服だ。

 ほら、やっぱりみんなと同じ格好している方がいいじゃん? というワケで、手持ちの素材でできる限り、白嶺学園女子制服に似せた衣服を作って着せている。

 初等部の生徒みたいで、実にカワイイとこれも好評だ。

「おお、レム、ウサミミフード可愛いぞぉー」

「プ、プガガ……」

「安心しろよキナコ、お前の耳は誰にも奪わせねぇから」

 そんなこんなで装備も変えつつ、いざ山頂目指して出発だ。

第256話 山越え(2)

 六合目を超えた先は、また少し林のようになり緑が増えていた。しかし背の高い樹木は目立たず、ほとんどが細い木々ばかり。

 この辺で僕らの行く手を塞いでくるのは、樹木ではなく地形そのものだ。

「杏子、そこお願い」

「よーし、行くぞー」

 軽快な掛け声と共に、目の前に立ち塞がった大岩が、溶けるように崩れ去ってゆく。

 それから続いて、砂利のような地面がガッチリと固まり、硬質化していった。

「こんなんでどうよ?」

「大丈夫だよ」

 土魔術師の杏子が先頭に立ち、そのまま通るのが難しい箇所を開いてく。

 こうでもしなければ、とても進めない程、この辺の地形は酷いもんだった。

 勿論、土魔法で岩や地面を弄って道を通す作業の分だけ、足は止まってしまう。進むペースは落ちている……でも、落ちている、程度で済んでいるのだから恵まれている方だ。

 これ杏子がいなかったらマジでここで詰んでたよ。熟練の土魔術士がいれば、道なき道も切り開きながら突き進めるのだから、凄い能力である。

 それから、地味にグリリンことグリムゴアも、土属性モンスなので岩をどかしたり、地面をちょっと均すくらいのことは簡単にできた。ドシーンと足踏みするだけで、岩がゴロゴロする場所も一発で平らになるし。

「葉山君、後ろはどう?」

「ちゃんとみんなついて来てるぜ。モンスターの姿も、やっぱり見えねぇな」

 後方にも気を使いつつ、僕らは一人の脱落者も出さずに、山を登り詰めてゆく。

 頑張って、今日中にこの山を越えたいところだ。

 目指すは山頂……とはいえ、何も一番高いところまで上り詰めなければいけないワケではない。あくまで、この山を越えて向こう側に行ければそれでいいのだから、超えるべきは山頂ではなく、尾根である。

 中でも、最も稜線が低いところが狙い目だが、断崖絶壁が連なるところもあるので、ルート選択が重要になってくる。

「レム、方向はこっちであってる?」

「……こっち、すこし、ズレてる」

「杏子、もう少し左側に進もう」

「オッケー」

 頼れるのは、空中を飛ぶアカハゲタカの眼を持つレムだ。

 杏子が道を開かないと進めないような地形である以上、分身の僕が先行できない。先を見に行けるのは、空を飛べるハゲタカの体を使えるレムのみ。

 レムは幼女姿ではあるが、知能も幼児相当ではないと僕は確信している。これまでの経験がフルに活きているならば、人間の足で進める道筋を自分で判断して選ぶことは可能だ。

 だから、僕はここから先の道筋はレムに任せることにした。

「みんな、頑張って。あともう少しで尾根を越えられる」

「なぁ、上についたらそこで飯にしようぜ」

「僕らがサラマンダーの飯にされたら困るから、もっと下ってからじゃないと止まらないからね」

「うへぇー」

 事ここに至って登山遠足気分の葉山君を一喝しつつ、僕らはいよいよ、尾根にまで迫る。

「んあぁー、寒っむぅ……」

「雪道は勿論だけど、見えないけど凍ってるようなところもあるから、注意して」

「悪ぃ、もう転んだわ」

 何故かキメ顔で言う、仰向けに倒れた葉山君である。

 最も高い山頂付近は真っ白い雪に覆われている。僕らが狙う尾根の辺りはそこまでの標高には至っていないが、降雪を免れるほど低くはないようで。ちらほらと雪が見える。

 この辺になってくると完全に植物の緑もなくなり、武骨な岩が転がる荒地へと姿を変えている。黒っぽい色合いの岩とまばらに積もる雪とで、白黒のまだらのようになった尾根付近を、僕らは登り詰めてゆく。

「————『大山城壁テラ・ランパートデファン』っ!」

 最後に立ちはだかった、高い壁のようにそそりたつ崖に、杏子渾身の土魔法が炸裂する。

 ヤマタノオロチの岩山に乗り込み、掘削地点を確保した時に使って以来の、土属性の上級範囲防御魔法だ。

 大きく広い範囲に作用を及ぼすにはこれが最大で、そして、この尾根に沿ってそびえる断崖を切り開くには、この魔法を使うしかなかった。

「よっし、通ったぞ!」

「やったね、杏子。これで最大の難所は超えたよ」

 レムの偵察によって、尾根はどこも超えるのには難しい断崖続きになっていることは判明していた。

 普通なら乗り越えるのは不可能な地形だけど……杏子の土魔法の腕があれば、こうして崖さえ開いて道を通せるのだ。

 本当に、ヤマタノオロチで土木工事しまくってて良かったよ。

「みんな、急いで通って!」

 のんびり感動している場合ではない。僕らはさっさとこの危険な個所を通り抜けるべく、迅速に列を成して進むが————

「プググ! プガァ!」

 長い耳をピンと突き立てて、キナコが鋭い叫び声をあげる。

「おい、キナコもしかして……」

 翻訳待ちで葉山君へ視線を向けると、すぐに返事をくれた。

「ヤバいぞ、桃川、来る!」

 戦慄の表情で葉山君が最悪の状況を告げると共に、山の主は到来した。


 グウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 山を揺らすような巨大な咆哮が轟く。

 そして、次の瞬間に僕の中でぶっつりと途切れた感覚が……これは、飛ばしていたアカハゲタカがやられた。

 レムもそれを察した瞬間、影に包まれ黒騎士へと変身を始める。

 どっちから来る。

 僕が顔を上げたその時、頭上を大きな影が横切って行った。

 一つ。いや、二つだ。

「サラマンダー、しかも二体いる」

 番だろうか。それとも親子か。どっちも成体と思えるほどの大きさだったから、やはり番か。

「小太郎!」

「倒すのは無理だ。逃げるしかない。杏子は先頭で、下りの道を開いて!」

 反対側もどうせ似たような地形となっている。ただ飛び出しただけでは、まともに逃げ回ることさえできない路面状況だ。

 そして、この期に及んで犠牲なしで切り抜けられるほど楽観はしていない。

「ロイロプスとグリム2号は囮にする。葉山君、僕からはぐれないように」

「ちょっと待ってくれ、桃川」

「なに」

「俺に、任せてくれねぇか」

「……あまり、時間はあげられないよ」

 一刻を争う非常事態、だけど、僕は葉山君に賭けようと思った。

 彼だって馬鹿じゃない。この土壇場で考えナシのことを言い出すとは思えない。

 そして何より、僕の指示にそのまま従ったとして、上手く切り抜けられるかどうかは未知数だ。というより、分はかなり悪い。

 そんな指示を出すのが、今の僕の限界だと分かったからこそ、葉山君は言ったのだ。

 ならば、任せよう。少なくとも、何をしようとするかくらいは、確認してもいい。

「頼む————応えてくれ、土の精霊よ!」

 葉山君がその場に跪き、祈るように両手を組む。いや、実際に祈っているのだろう。

 そして、その祈りの効果はすぐに現れた。

「土魔法じゃないのに、砂が動いてる」

 僕らの周囲から、隊列全てを包み込むように、ズズズと砂嵐のようなモノが湧き上がってくる。

「杏子、ちょっと下がってこっちに寄って」

 自分以外で土を操っているのを見て、杏子が物珍し気にキョロキョロしながら、こちら側へと戻ってくる。これで、全員が土精霊が巻き起こしている砂嵐の中へと納まった形だ。

「葉山君、こっからどうするの?」

「……このまま、静かにしててくれ」

 目を閉じて集中しているような表情のまま、葉山君が言う。額からは大粒の汗が伝い、かなり魔力を消耗しているように見える。

 正直、この砂嵐が渦巻いているだけでは、サラマンダーが本気で突っ込んできても止められるとは思えないが……


 ォオオオオオオオオオオオオオオオン!


 程なくすると、サラマンダーの遠吠えが山脈に響いた。

 砂嵐が収まると、空の彼方へと飛び去ってゆく二体のサラマンダーの姿が見えた。

「なんだ、見逃してくれたのか?」

「おう……前に森ん中で、サラマンダーに見つかったっぽい時あってな。そん時も、精霊にお願いして隠れさせてもらったんだよ」

 なるほど、それで今回も同じ方法でスルーできそうだったと。

 しかし、これは隠れているというよりも、明らかに見逃してもらった感じだけど……もしかして、精霊を介せばモンスターに直接交渉できるようになるんだろうか。

 葉山君がキナコとベニヲに接する様子を見るていると、そういうことが出来てもおかしくないと思える。

「できるなら先に言ってくれれば良かったのに」

「あー、悪ぃな、沢山の精霊がいるところじゃないとできないし、聞いてくれるかどうかも分かんねーからさぁ」

「そういうとこ不便だよね、葉山君の精霊術」

 不確実性が高い能力である。

 しかし、今回はその能力がバッチリとハマってくれたワケだ。やはり、精霊術は切り札になりえる性能だよね。

「おーい、どっか飛んでった今のうちに、さっさと降りるぞー」

「そうだね、急ごうか。ともかく、助かったよ、葉山君」

「いいってことよ。たまには俺も活躍しねーとな!」

 実に爽やかな笑顔の葉山君と、パーンとハイタッチを交わしてから、僕らは杏子の後を追った。

 こうして、最大の懸念であった山頂のサラマンダーを上手く回避することに成功し、僕らは無事に尾根を越えたのだった。




「ああぁー、疲れたぁ……」

 一週間近くかけて、ついに山越えを完全に終了させた僕は、手足を投げ出し寝っ転がる。

 葉山君のお陰で、サラマンダーをスルーして尾根を越えられたのは良かったのだけれど……それ以降、下山中に次々と襲いくるモンスターの群れ、群れ、群れ。

 赤犬やらラプターやら虫やら、これまで見てきた奴らが、そこかしこで群れを成していて、僕らへと襲い掛かってきたのだ。何でこっち側だけ、こんなに魔物が多いんだよ。

 どれも今まで戦ったことのあるモンスターばかりだが、連戦に次ぐ連戦で、僕らは疲労でボロボロに。騎獣にしていたジャージャが捕食されたり、かなり危険な場面もあった。

 二頭のグリムゴアがいなければ、確実に誰か犠牲者を出していただろう。それほどまでに、僕らは押し込まれていた。別々の群れが図ったように現れる波状攻撃、マジでやめてくれる……

 流石の僕らもお喋りする余裕がないほどまで疲れ切った頃、ようやく麓にまで辿り着いたのだった。

 そうして、三日の休息と補給を麓で済ませて、いよいよ目的地であるダンジョン入口目指して、僕らは出発する。

「ねぇ小太郎、こっからの道は分かんの?」

「ここから最短の入り口は、目的地の場所しかない。だから、コンパスでOKだよ」

 山を越える手前までなら、魔法陣コンパスは、ラージスケルトンを倒したルートの方向を指し示す。そっちが一番近いから。

 けれど、山を越えてここまで来れば、僕が狙う、魔力濃度環境4の入り口に反応してくれるのだ。

 指し示す方向もおおよそ予定通りなので、これで問題ないだろう。

 そうして、僕らはさらに三日かけて森を進み続けた。

 山越えに比べれば、平坦な森を進むのは大分マシである。

 葉山君もこれまでの行軍で随分とレベルを上げたのか、雑魚モンスの群れと戦う時には、危なげなく立ち回れるようになっている。

 それに、共に前衛を張るレムとキナコなんかは、もう阿吽の呼吸である。あれほど恐れていた屍人形とも、それなりに上手く付き合ってくれているようだしね。

 僕らの連携も、悪くない。段々、いいチームになってきたなと実感するよ。

 そうして順調に森を越えてゆき、僕らはついに辿り着いた。

「おお、凄ぇな、ホントにあったよ入口!」

 葉山君、僕のこと信じてなかったの? と言いたいところだけれど、僕も無事に見つかって、正直ホっとしている。

 そこは切り立った崖がそびえる小さな谷間になっている地形で、その真ん中の崖を掘るように、遺跡への入り口がぽっかりと口を開いていた。

 魔法陣のコンパスも、間違いなくこの奥を指し示している。

「いい、みんな。ここのダンジョンは、スケルトンがウロついてるような優しいエリアじゃない。いつリビングアーマーやクリスタウルス並みの奴が現れてもおかしくない、危険度の高い場所になる」

 山越えとは違い、単純に危険なモンスターが増えるという意味で難易度は上がる。

 攻撃力に欠けるこの面子だと、リビングアーマーやクリスタウルス並みに硬い奴を相手にするのは非常に危険。だが、避けられない時もあるだろう。

 何より、この魔力環境濃度4のエリアに陣取るボスモンスを、果たしてこのメンバーで撃破できるかどうか。

 不安は尽きないが、ここまで来たのだ。退く気はないし、何としてもクラスメイトに追いつくまで突き進み続ける。

「それじゃあ、行こう」

 そうして、僕らは再びダンジョンへと潜った。

 入口付近は、よく見慣れた石造りの回廊が続いている。

 幸い、幅も高さもそこそこで、道中すっかり世話になってきたグリムゴア二体とロイロプスもそのまま連れて通れる。今じゃみんなも三体の屍人形モンスには愛着が湧いている。

「うおっ、階段か……おいこれ、かなり深ぇぞ」

「うわー、底見えねぇ」

 行きついたのは妖精広場ではなく、巨大な螺旋階段だった。

 ここは超デカい塔のようになっているのだろうか。螺旋階段が渦を巻く中央は空洞になっており、覗き込めば底が見えない程の高さを誇っている。

「みんな、壁際に寄って降りよう」

 念のために壁際に寄りながら、僕らは一列縦隊となって下り始める。

 手すりとか柵とかちゃんとつけておけよ。どうなってんだよ古代建築の安全基準はさぁ。

「小太郎ぉ、これまだ下につかないのぉ」

「実はこれループしてるとかねぇよな?」

「そういう罠はない……と、思いたいけど」

 残念ながら僕に盗賊系スキルはないので、実は罠にハマっているとしても、気づけない可能性の方が高いんだよなぁ。

 でも、もう10分も下り始めているというのに、一向に底が見えてこないのも不安に感じる理由としては十分だろう。どんだけ深さがあるんだよここ。

「ねぇ、なんか寒くない?」

「そういやぁ、冷えてきたな」

「また毛皮装備することになるとはね」

 さらに進むと、杏子の言うように随分と冷えてきた。

 僕らは一旦、立ち止まり、山越えで装備した毛皮の上着をそれぞれ着込む。

「ちょっと、これマジ寒くてヤバいんですけど……」

「お、おう、これ息真っ白だぜ」

「まずいな、ここまで冷え込んでくるのか……」

 吐く息は白く、よく見れば壁面には霜がついている。相当な寒さだ。普通に雪が降るレベルの気温だろう。もしかしてマイナスいってる?

「このエリア、嫌な予感がするなぁ」

 つぶやきながら、僕はロイロプスに搭載した荷物から、松明を取り出した。

 何が起こるか分からないので、桜ちゃんのカンテラ以外にも用意した光源のつもりだったけれど、暖を取るためだけに使うことになるとはね。

 僕らはそれぞれ松明を手に持ち、燃え盛る炎で暖まりながら、螺旋階段下りを再開する。

「見ろよ、ようやく底だぞ!」

 ひゃっほーう、とはしゃいで葉山君が駆け下りていく。

 気持ちは分かるけど、そういう死亡フラグ高めな行動は控えて欲しいかな。

「お、おい桃川、ヤベぇぞ、ここ扉締まってるぞ!?」

 さっさと階段を下りた葉山君が叫んでいる。

 扉が閉まっているって、ここまで時間かけて降りて来て、冗談じゃない。ぶち壊してでも開けてやる。

「みんな、ちょっと下がっててね」

 扉は両開きで、古代遺跡特有のスライド式ではなさそう。蝶番のついた、普通の扉といったところ。

 うん、これなら最悪、蝶番のところを錬成で分解して外すこともできるだろう。

 でも面倒くさいから、まずは力ずくで。

「はい、力自慢の人、手を上げて」

「プガガ!」

「グガァ!」

 元気よく手を上げるキナコと、黒騎士レムである。

 うん、実にヤル気があってよろしい。

「それじゃあ、グリリンお願いね」

「プガ!?」

「グガ!?」

 獰猛な唸りを上げて、中型の肉食恐竜としてのパワーを遺憾なく発揮し、グリムゴアの屈強な肉体がドアへと体当たりをぶちかます。

 バァン、と金属製の両扉は二枚まとめて、蝶番から外れてぶっ飛び、外へ続く入口を開いた。

 そして、閉ざされた扉の向こう側は、


 ゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 真っ白い、吹雪が吹き荒れていた。

「うわぁ……雪エリアだよここ……」

第257話 氷の町(1)

「えー、偵察によって、ここが凍り付いた町っぽいことが判明しました」

 いつも通り、僕による分身偵察である。

 空の目となるハゲタカは、サラマンダー襲来で使い潰してしまったので、徒歩で行くしかない。

 そして、今のレムにはちょうど使えるモンスターの死体は残っていない。グリムゴアもロイロプスも僕らにとっては重要な戦力である。死に戻り前提の偵察には連れて行けない。

 というワケで、僕は単独でこのRPGでは基本的には不人気となる雪エリアの偵察へと出発した。

 勿論、本体の僕らはすぐに吹雪が吹き荒れる外へ飛び出すことなく、塔の底に陣取って偵察結果が出るまでの待機状態となっていた。

 しかし、ここは寒さが堪える。ただ待っているだけでも厳しい。進むにしても止まるにしても、ここのエリアでは暖をとることが欠かせない。

「スゲーな、こんな地面の底に町なんてあんのか」

 葉山君は僕の偵察結果を聞いて、やけに感心した様子。

 僕らからすると街でも森でも、何でもあってもおかしくないのがダンジョンだと思うくらいには慣れているけど、葉山君は潜るのは初めてだもんね。

「で、何にやられて戻ってきたん?」

 流石は杏子、ダンジョンの様子云々より、僕の分身がやられて戻ってきたことをすぐに見抜いた質問だ。氷の町にワクワクしている葉山君とは、経験の違いってのを感じさせてくれる。

「動く雪だるまみたいなエレメント系モンスターが一番多いかな。でも動きはそんなに速くないから、走って振り切れる程度。注意すべきは、灰色っぽい狼」

『雪灰狼』と名付けた。

 コイツらは吹雪の雪上をものともせずに駆け抜け、狼らしい数と連携をもって獲物に襲い掛かってくる。雪をかきわけ、えっちらおっちら進む分身の僕など、足の遅い恰好の餌だったろう。

 スペック的には、赤犬を余裕で上回る。森の中のラプター並みには脅威的である。

「じゃあ、その狼にやられたんだ」

「いや、アイツら性格悪いから、僕にちょっかいかけながら、しばらく逃がしてくれたよ」

 その気になればあっという間に僕を殺せる雪灰狼の群れだったが、あのトドメを刺しにこない感じは、初見の相手に警戒しているというより、嬲り殺して遊んでいる印象だったな。

「で、逃げた先にいたデカいマンモスに踏みつぶされて死んだよ」

「マンモスかぁ……倒すのキツそうじゃね?」

「肉も毛皮も欲しいけど、この面子でアレに挑むのはちょっと危険かな」

 あのマンモスは確実にクリスタウルス級のモンスターだ。安定して倒すには、メイちゃん並みのエースが一人は欲しい。

「なぁ、桃川が出てってそんなに時間経ってねぇけど、結構モンスターに襲われるんだな」

「うーん、やっぱりダンジョンは表の森よりも、エンカウント率は高いだろうね」

 それが魔力環境濃度の影響ってやつだろう。そうなると、雑魚の群れラッシュだった超えた後の山の麓も魔力が濃かったのだろうか。それとも単に餌が沢山とれる地帯だったのか。

 ともかく、予想はついていたことだけど、このエリアはかなりの難易度だ。雪灰狼のような群れるタイプから、マンモスみたいな単独で強力な奴まで、色々と強敵が揃っていると思われる。

「それで、どうすんだ?」

「まずはここの妖精広場を目指す。モンスターの他にも、鹿とか兎っぽいのも見かけたから、途中で狩りすることもできそうだよ」

 これで何もない南極大陸みたいな氷の大地が延々と広がっているだけだったら、踏破距離を割り出した上で、必要物資を揃えてから出発しないといけなかった。でも食べられそうな動物が生息しているなら、これまで通り現地調達しながら進める。

 それに、食料のアテは他にもありそうだった。

「今日は半端な時間だから、朝になってから出発しよう。もしかしたら、吹雪が止むかもしれないし」




 そして翌朝。

 ゴォオオオ! と唸りを上げる風雪は全く変わらなかった。ここずっと吹雪いてんのかよ。

「仕方ない、覚悟を決めて出発しよう」

「お、おう!」

「うへぇー、ウチ寒いの苦手なんだよなぁ」

 士気はイマイチな感じだが、僕らは雪中行軍を開始した。

「おおっ、なんか家が見えてきたぞ!」

「あの辺から町になってるよ」

 歩き始めて十分もしない内に、風雪に閉ざされた町が見えてくる。

 吹雪によって視界こそ悪いが、ホワイトアウトというほど何も見えないワケではない。吹き荒ぶ雪の向こう側には、ぼんやりと三角屋根が連なるシルエットが確認できた。

「なんかフツーに町が残ってる感じ?」

「うん、ここは荒れた遺跡街ってより、暗黒街に近いよね」

「だよねー、分かるぅー」

 これまでのダンジョンで、比較的、建物が綺麗に残っているエリアは、蒼真パーティが突破してきた暗黒街だけだ。あのエリアは結構、お世話になったので印象深い。小麦粉も発見したし。

「スゲェな、これが異世界の町並みってやつなのか? やっぱり、中世ヨーロッパ風って感じだよな」

 葉山君の物凄い漠然とした感想だけど、イメージ的には正しいだろう。

 三角屋根に、石造りやレンガなどの建築物が立ち並ぶ様子は、少なくともアジアや中東を連想することはない建築デザインだ。

 暗黒街とも町並みは似ている気もする。けれど、僕がメイちゃんと探索した遺跡街は、もっと近代的なビルの立ち並ぶコンクリートジャングルといった感じだった。

 古代の本当の姿は、どちらなのだろうか。両方とも本当で、あるいは、どっちもただの作り物に過ぎないのか……まぁ、大事なのは歴史の真実ではなく、今この時に僕らの役に立つかどうかだ。

「なぁ、桃川、その辺の家とか、ちょっと入ってみてもいいか?」

「おっ、葉山君、そろそろ家探ししちゃう?」

「おーい、そんなことしてていいのかよ」

 全然よくない。珍しく杏子からマトモな注意が飛んで来たものだ。伊達に元風紀委員ではない。

「ちょっと気になることがあったから、一軒だけ漁っていくよ」

「そっ、ならいいんじゃない?」

「先に僕が入るから、みんなは周辺警戒お願いね」

 そこそこの大きさ、かつ、警戒しやすい立地の家を選んで、分身の僕がまずは突入。

 家の中にモンスターが巣食っていることは、実はあんまりないのだが、絶対とは言い切れない。

 案の定、何もいなかったので、僕らは家へと押し入った。

 先頭は黒騎士レムで、玄関にはキナコ含め、グリムゴア2頭とロイロプスを残し、魔物の襲来に備える。

「僕は二階を見てくるから、葉山君は一階をお願いね」

「よっしゃ、任せとけ! 行くぞベニヲ!」

「ワンワン!」

 実に楽しそうに探索を始める葉山君を尻目に、僕は杏子と一緒に階段を上がる。

「なんか、ホントにフツーの家だよね」

「民家らしき建物は今までも沢山あったけど」

「そーだけど、ここはなんつーか……荒れてない?」

「やっぱり、杏子もそう思う?」

 先に分身の僕が屋内をざっと見て回った時にすぐ感じたことだけれど、ここは今までの廃墟とは違う。

 これまでは、明確に長い時間の経過を感じさせる荒れ方であった。辛うじて原型を保っている木製の家具なんかはボロボロで、もう何も残っていない伽藍堂の部屋も当たり前だった。

 けれど、ここには沢山のモノが、そのまま残っているのだ。

 たとえば、そこの机に残されている、カップと皿。

 皿の上には、何か茶色っぽい塊が氷漬けになって残されている。カップの中も、半分ほどの液体が氷と化していた。

 そう、この家にはつい先ほどまで人が住んでいたかのような形跡が丸ごと残っているのだ。

 当然、僕の短い探索の中で、この町の住人なんてのは一人も見かけなかった。凍った死体の一つもない。

「ここ廃墟よりもヤバくね? マジで不気味ってヤツなんだけどぉ」

 杏子が割と本気で嫌そうな顔で言う。確かに、下手に人の痕跡が残っているからこそ、不気味さが増す。

 ここの住人達は、どこに行ったのか。どうなったのか。

 そんなことを、無意識的にも連想させる。

「この生活感が残るような状態で廃墟になってるのは、多分、当時からここは凍り付いたままだからじゃないのかな」

「そんな寒いとこに住むかぁ?」

「何かが事故ったとかで、いきなりここの居住区が丸ごと凍り付いた、みたいな状況だったら、家はそのままだけど、みんな逃げ出した状況の説明はつくと思うんだよね」

「おお、なるほどなー、小太郎やっぱ頭いいわ」

 現状を打開するのに、何の役にも立たない推測だけどね。

 本当は超すごい魔法の力で、あたかも人がいたかのような環境を再現してます、というだけなのかもしれないし。

 答えの出ない古代の想像よりも、もっと気にするべきことがここにはある。

 僕は机の上で凍り付いた皿を指さして、彼女に問うた。

「ところで杏子、コレってさ、まだ食べられると思う?」




 氷漬けの食料品と、その他、金属製の雑貨や道具類を軽く回収して、僕らは再び妖精広場を目指し、吹雪の町を歩き始めた。

 それは出発して、五分も経たない内のことだ。


 ルォオオオッ! ウォオオオオン!


 轟々と唸る風雪の中でもハッキリと響き渡る遠吠え。

 お前らの鳴き声は、昨日だけで嫌と言うほど聞いたので聞き間違えることはないな。

「出たな、犬っころが。今度は返り討ちにしてやる」

 民家の立ち並ぶ路地の角々から、素早く走り抜けてくる幾つもの灰色の影。

 間違いなく、『雪灰狼』の群れだ。

 というかお前ら、グリムゴア二頭にロイロプスの編成を見て、それでも襲おうと思うとか調子に乗りすぎじゃない? ここは俺らの庭だからぁ、ちょっとデカいだけの新参とかシメてやるし、みたいに思っているのだろうか。狼だし、縄張り意識とかも強そうだよね。

 確かに、こんなマイナス気温の環境下となれば、本物のグリムゴアもロイロプスも体温が低下し大いに弱るだろう。

 でもね、コイツらみんな死体だから、寒さとか関係ないんだよね。

「行くぞぉ、グリリーン、ぶちかませぇ!」

 蘭堂さんの景気の良い掛け声と共に、グリムゴア一号は生前を彷彿とさせるデカい咆哮を上げ————


 ドドドドォッ!


 と、口から砂嵐のようなブレスを吐き出した。

 吹き荒れる吹雪の向こうから、キャイーン!? とかいう情けない声が響いてくる。

 ははは、アイツらビビってやがる。所詮は地元でイキってるだけのヤンキー集団だな。

「杏子に続けーっ!」

 僕の号令一下、各自、総攻撃を開始する。

 ブレスで群れごと怯んだ隙に叩いて、戦局を一気に決定づけるのだ。

「うぉおおお、行くぜ火の精霊! 唸れ、俺のレッドランス!」

「ワンワン! ボォアアアアアッ!」

 中でも、今回特に活躍したのは葉山君とベニヲであった。

 やはりここに生息するモンスターは氷属性なのか、雪灰狼は酷く、炎を恐れていた。

 ちょっとでも火の粉が降りかかると、絶叫を上げながら雪道の上を転げまわり、仲間との連携どころではない無様を晒していた。正に、効果は抜群、ってやつだね。

「よし、流石にフルメンバーなら、雪灰狼も余裕だね」

「今更、狼になんて負けてられねーし」

 吹雪で視界不良の中でも、的確に走り回る狼を石の弾丸で撃ち殺す杏子が言うと、貫禄すら感じさせるね。地味に土木工事の防御魔法だけでなく、エイム含めた攻撃魔法の実力も磨きがかかってるんだよね、杏子は。

「葉山君とベニヲも大活躍だったね。炎を使える仲間がいると、ここでは凄い助かるよ」

「はっはっは、そんなに褒めんなや桃川ぁ!」

 めっちゃ上機嫌に笑いながら、ベニヲを撫で回す葉山君である。主従揃って、全身で喜びを表現するような様子は実に微笑ましい。

「そんな葉山君には、後でちょっと頼みがあるんだけど————」

 まぁ、それはひとまず、妖精広場に到着してからにしよう。




 このエリアはどうやら、朝晩の区別はないようだ。時間的には夕方を過ぎても、暗くなってきてはいない。

 闇に閉ざされないのはいいのだが、その反面、非常にまずいことになった。

「や、ヤバい、寒い……」

「小太郎、これもうウチ無理なんだけガチで」

 これまでも身を刺すような寒さだったけれど、山越え用の毛皮装備を着込めば何とか耐えられる程度であった。

 しかし、夕刻を過ぎた夜の時間になってくると、急激に冷え込んできた。これはマイナス気温二ケタ台を突破しているに違いない。

「おい、頑張れよお前ら! くそ、頼む、もうちょっと火力強めで!」

 葉山君が火精霊のジッポを握りしめると、ライターには出せない炎をチラチラ吹きながら、周囲にモワァーっと暖かな空気が広がってゆく。

「おおぉ、温ったかい」

「葉山、やるじゃん」

「くそ、今にも眠りそうなヤベー表情で褒められても、素直に喜べねーぞ」

 え、僕ら今、そんな凍え死ぬ寸前の顔つきになってんの? あれだよね、一回寝ちゃったら、もう二度と起きれないみたいな、雪山遭難の定番シチュエーション。

 でも、それだったら僕は杏子と裸で温め合うラブコメの方の遭難定番シチュを望むよ。冬の寒さのせいにして温め合うんだぁ……

「桃川、しっかりしろ!」

「ハッ!?」

 いかん、寒さと疲労の極致にきてる。

 周囲には普通に氷漬けの町並みが広がっているから、野営しようと思えばどこででも、という環境だから夕方を回っても歩き続けてきたけれど……流石にもう限界なようだ。

「参ったな、なんとか今日中に妖精広場を見つけたかったんだけど」

「もうそんなこと言ってられる場合じゃねーだろ。早くその辺で野営して、暖をとらねぇとヤベぇぞこれは」

「ウチも葉山に賛成。なんでもいいから燃やして温まろうよぉ」

「よし、それじゃあ、あそこにある大き目の家に————」

「プガァ!」

 その時、キナコが鋭い鳴き声を上げた。

 ええい、ちくしょう、こんな時に敵襲かよ。

「えっ、マジかよ、キナコ!?」

「葉山君、どうしたの。キナコはなんて?」

「妖精の縄張りの匂いが、すぐ近くでするってよ! 妖精広場はすぐそこだ!」

 キナコを信じて、僕らはもう少しだけ頑張ることにした。

 そして5分も経たずに、僕らの前に現れたのは、大きな石造りの教会のような建物。

 そこは煌々と白い輝きが窓から漏れており、まるでそこだけ電気が通っているかのようだった。

 光に惹かれる虫のように、僕らは一目散に教会へと飛び込めば、そこに妖精広場はあった。

 変わらずに設置されている妖精像が、今の僕には神様の像にも見えるね。

 ともかく、これで本日の目的は達成だ。

 けれど、大した戦闘もしていないのに、この消耗具合である。雪エリアを攻略するには、課題が山積みだな……

第258話 氷の町(2)

「ああぁー、生き返るぅー」

 しみじみと呟きながら、僕は熱い湯舟に体を沈める。

 体力ギリギリのところで運よく辿り着けた妖精広場で、僕らが真っ先にやったのは風呂の製作である。僕が指示しなくても、みんな荷物を放り投げて黙々と作業開始だった。

 杏子が釜を形成、僕が『魔女の釜』発動、そして葉山君が水の精霊の力を借りて湯舟を満たす。

 僕らの完璧な連携プレイによって、あっという間にお風呂の完成だ。

「小太郎、一緒に入る?」

「今そういうのいいから、早く入ってよね!」

 なけなしのフェミニズムを振り絞って杏子を先に風呂に入れて、僕らはしばしの順番待ち。

 その間に、ざっとこの妖精広場を擁する教会風建築の中を見て回った。

 ここは町の中では大きな建物ではあるが、二階建てだ。真ん中に突き立つ鐘のついた塔は除くけど。

 一階部分は広々とした妖精広場で占められている。奥には二階へと続く階段があり、登ると居住スペースといった部屋が幾つかあった。

 やはり、ここも民家と同じように生活感が残っている。食器類や衣服、本棚には本も詰まっていた。貴重な古代の書物、と見るべきか。二階部分までは妖精広場の効力が及ばないのか、他の建物と同じように凍り付いた状態だ。

 しかし、この教会で重要なのは二階でも塔でもなく、一階である。

 光り輝く暖かな妖精広場に僕らは一目散に駆け込んだけれど、その前に走り抜けた石造りのエントランス部分。ここが大切なのだ。

 そう、このエントランスは学園塔と同じく、転移魔法陣が設置されていたのである。

 さぁて、ここはどこに繋がっているのかな、というところで、風呂が空いたのでひとまず後回しに。

「ほーらお前ら、ちゃんと髪乾かさないと風邪ひくぞー」

 などと言いながら、風呂上がりの僕らの髪を温風で乾かしてくれるのは、葉山君である。

 手にしたジッポから火を出しつつも、上手く温風を発するように制御していた。地味に精霊を操る能力も向上しつつあるようだ。

「とりあえず、今日は疲れたから早くご飯食べて寝よう」

「んほぉー、寒い時はやっぱ鍋だよなぁー」

「むっ、この味は珍しくスパイス使ってんな、小太郎」

「こういう時に使わないとね」

 手持ちの香辛料は心許ないが、冷えた時こそ体が温まるような辛さのある料理が食べたいよね。

 僕も気に入っている、この唐辛子風のスパイスは惜しみなく使ったし、凍らせて保存していた肉もいい部位のを使っている。普段よりもちょっと豪華な夕食だった。

 その日は、そうしてお腹いっぱいになった後は広場でそのまま寝た。蜘蛛糸でハンモック作る元気すらなかったので、毛皮製の寝袋を敷いて就寝だ。地面が柔らかい芝生な分だけ、山越えで寝た時よりもずっと上等な寝心地だった。

 さて、翌朝。

 みんなで朝食をつつきながら、僕は本日の予定を語る。

「とりあえず、このエリアの寒さに耐えられる装備を作らないといけないね」

 現状の毛皮装備だけでは耐寒性能には限界がある。というか、ただ厚着だけで防ぐのも限度ってものがあるだろう。

「そこで、今回は葉山君に全面的に協力してもらおうと思う」

「えっ、俺が? でも錬成とかいう魔法、俺使えねーぞ」

「最初はみんなも使えなかったから。錬成の練習もしてもらうけど、本命としては、精霊の力を装備品に上手く宿せないかってとこだよ」

 今このエリアで一番活躍しているアイテムは何かといえば、火精霊のジッポライターである。

 これは葉山君が焚火に火をつけたいと強く願ったところで、火の精霊が力を貸し、その後もジッポに住み着き、結果として魔法のアイテムと化しているのだ。

 葉山君が狙って作ったモノではないけれど、似たようなアイテムを意図的に作れるようになれば、装備品の品質や種類も選択肢が格段に上がる。

 火精霊による携帯式の暖房器具でもできれば、快適にこのエリアで行動できるし、レッドランスのような魔法付きの武器の威力をさらに上げることもできる。実際、葉山君はレッドランスを自前の火精霊によって強化されているし。こういう精霊による強化の恩恵を僕と杏子も受けられるならば、大幅な戦力アップに繋がるだろう。

「んー、つっても、そんなに上手くいくかぁ?」

「とりあえずやってみないと分からないけど、葉山君なら大丈夫じゃないかな」

 自覚はなさそうだけれど、彼の精霊術士としての能力はこれまでの道中で少しずつ、けれど確実に磨かれていると僕は思っている。すでに道具に精霊を宿すことはできているのだから、十分に成功の可能性はある。

「じゃあさ、ウチは何してればいいの?」

「杏子は金属を錬成して下ごしらえするくらいだけど、今のところそんなに量はないし、やればすぐ終わっちゃうよね」

 手元にあるのは、昨日の家探しで少々持ち出してきた金属製の食器や工具みたいな道具類が少々。杏子の手にかかれば、まとめて金属と不純物とに分離できるだろう。

「だから、近場の家から使えそうなもの集めてきて欲しいかな」

「蘭堂一人で大丈夫かよ?」

「この教会の両隣と、正面のアパートみたいなとこくらいなら大丈夫じゃないかな」

 護衛はレムもキナコもいるし、グリムゴア二頭もついている。

 この戦力で瞬殺されるような相手に出くわしたなら、フルメンバーでも余裕で全滅だし。

「そんくらいならヨユーだって。ちょっとはウチを信じろよな」

「ヤベー時は、ちゃんと叫んで助けを呼べよ」

「僕の分身もつけるから、杏子の様子はここからでも分かるし。ピンチの時は叫ぶ必要もないんだけどね」

 意外に心配性な葉山君である。でも、その慎重さはダンジョン攻略では大事だよ。マトモに戦闘系の天職を授かってると、つい強さに任せて注意を怠りがちだ。

 気を付けていたところで、小鳥遊の裏切りは防げなかっただろうけど。

「でもさー、こんなフツーに人が住んでたようなとこ探したって、大したモン出てこないと思うけど」

「いや、食料品を回収するだけでも、楽ができるよ」

「昨日もとってきたけどさ、アレ本当に食えるのかよー?」

「あんまり美味しくないけど、ちゃんと食べれてるでしょ」

「……おい桃川、今日の朝飯さぁ、なんかいつもと違う料理だなって思ってたんだけど、もしかして」

「それ、昨日の家から回収してきたのを、『魔女の釜』で解凍したやつ」

 ブゥーッ! と流石に吹き出すことはしなかったけれど、マジで今にも吐きそうな表情を葉山君はしていた。

「酷ぇ、ウチらを騙したん!?」

「ちゃんと最初に毒見はしたから、大丈夫だよ」

 僕が分身でね。

 回収した食料品は、すべて完全に氷漬けになっていた。ここは天然の冷凍庫状態だ。とても雑菌が繁殖できる状態にはない。

 アイスに賞味期限がないのと同じように、ずっと凍り付いていたならば、食べられる可能性は十分にある。

「肉は狩りでなんとかなりそうだけど、野菜類は収穫できそうもないからね。ここの冷凍モノが食べられれば、食料のことは気にしなくて大丈夫になる」

 流石に僕も出来合いのモノを食べる勇気はなかったよ。

 食べたのは、ジャガイモみたいな芋とか、大豆みたいな豆類、ニンジンみたいな緑黄色野菜に、レタスとキャベツの中間みたいな葉野菜など。全てしっかり氷に閉ざされていたものを選んだ。

 当たり前だけど、とれたてみたいな新鮮さは皆無だったけれど、こうして朝食を食べているように、違和感なく口にできるくらいの味にはなった。

「んー、あんま気が乗らねーけど、食べ物もとってくるわ、一応」

「頼むよ、杏子」

 そんなワケで、ひとまず教会の妖精広場を拠点としての、エリア攻略の準備が始まった。




 僕は早速、葉山君に精霊を宿してもらうアイテムの準備に取り掛かった。

 まず最優先で制作するのは、ジッポライターのように火精霊を宿し、程よい熱を発する携帯用暖房である。

 熱を発する燃料は精霊なので、ガスでもオイルでもエレクトリシティでもなく、魔力があればOKのはず。そして魔力というのは、僕も杏子も魔術師クラスに準ずるので、保有魔力量はそれなりのものだと自負している。特に杏子はクラスでも随一の魔力量を誇っていると思う。

 しかしながら、ただ火を出すだけでなく、ほどよく温めたいという絶妙な調整を必要とするものだ。そう簡単に上手くはいかないだろうけど。そこは時間をかけて試行錯誤して、

「————おっ、出来たぞ、桃川! こんな感じでいいんじゃね?」

「うわ、マジで完璧だよコレ」

 精霊式暖房マジックアイテムは、驚くほど簡単に完成した。

 赤々と輝く小さな火光石の欠片は、外の吹雪に晒されても快適な温度で持ち主を包んでくれるのだった。

「葉山君、普通に天才なのでは?」

 制作風景は、大きな焚火の傍で火光石に向かって話しかけるだけで、かなりアレな感じだったけど、こうして結果がついてきたのなら、認めざるを得ない。

「はっはっは、よせよ桃川、素材がいいから、火精霊達も満足してくれただけだっての」

 そんな上等な素材を用意したワケでもないんだけれど。

 僕がとりあえずで準備したのは、火精霊を宿す本体となる、光度3の火光石だ。学園塔から逃げる時に、持ち出してきた素材の一つである。僕らにとっては希少な素材だが、この世界では最上級というほどでもない。

 ジッポに火精霊が宿るなら、そりゃあやっぱり火に関するモノが良い。純粋な火属性魔力の結晶である火光石しか選択肢はないだろう。

「俺より、桃川が刻んだ術式ってーの? そっちのが凄ぇだろ。本物の魔法使いだぜ」

 覚えておいたゴーマ式魔術回路が役に立った。

 求める効果は暖房。温められた空気が所有者の体の周囲に滞留する状態が望ましい。源となる火光石を起点として、熱を拡散させるのと、温度の上昇をセーブするように回路を組んだ……つもりだ。

 術式を刻んだのは、昨日の道中で倒してきた雪灰狼の毛皮。何体かはロイロプスに積んで持ってきていたから。

 その雪灰狼から毛皮を剥いで、袋状にして、その内側に刻み込んである。

 それから、同じ雪灰狼から取り出したコアも一緒に『呪導錬成陣』にかけることで、毛皮袋そのものにもある程度の魔力を帯びさせている。これで、より火光石から精霊の力を引き出しやすくなっている……はずである。

 今回は結果的に上手くはいっているものの、僕はそもそも魔術回路というものの原理を根本的に理解しているワケではない。刻めば、実際にそういう効果が見られるから、使っているだけで。

 なので、何かの拍子に不具合とか出たら、ごめんね。

「とりあえずコレが完成しただけで、僕らもここで行動できるよ。あー、名前つけとく?」

「コイツは俺と桃川の共同開発だからな。どっちがいい名前つけられるか、コンペと行こうじゃねぇか」

「いいね、僕こういうの得意なんだよ。文芸部だし」

「俺のネーミングセンスは天性のもんだ。お堅い文芸部員とはユーモアが違うぜ?」

 お互い、しばしの睨み合い。しかし、脳内ではこの新開発のマジックアイテムの命名を己のセンス全開で検討中。

 そして、特に合図もなく、僕らは同時に口火を切った。

「『温風結界・焔日和』」

「『ぽかぽか袋』」

「……いや、ぽかぽか袋はないでしょ」

「ホムラなんちゃらとか大袈裟すぎだろ」

「コイツは火精霊を組み込んだ上に、温度制御に無駄のない効果範囲で、マジックアイテムとしては高度な一品だよ。結界としてきちんと名前をつけられるべきだと思うんだけど」

「こういうのは使ってなんぼだろ? 普段使いするモンなら、愛嬌のある名前の方が断然いいんだって」

「でもそのネーミングはあんまりにも————」

「桃川のだって拗らせた中二センスじゃあ————」

「————おーい、戻ったぞー。てか、なに揉めてんのアンタら?」

 互いのセンスとプライドをかけた討論が白熱してきたところで、杏子が帰還した。

 そういえば、そこそこの物資を集めて、一旦、戻ってきたのだった。

「あっ、なにソレ、もしかしてカイロ完成したん?」

「……カイロ」

「カイロ、かぁ……」

「おおー、カイロ温ったけぇーっ! もうこれ使っていいっしょ、てか使う、外マジ寒ぃーし」

 と、僕らが大して説明してなくても、完成したばかりのカイロを手にして、暖を取る杏子であった。

懐炉カイロでいいか」

「おう、カイロでいいな」

 晴れて名前も決まったことで、雪エリア攻略用の携帯用暖房器具、精霊式カイロは完成したのだった。




「一狩り行こうぜ!」

 元気よく叫ぶ葉山君に賛成し、翌日、僕らは狩りに出ることにした。

 連日の猛吹雪が止んだこと、そろそろ本格的に食料を補充したいこと、装備を整えるなら魔物素材とコアが必要なこと。色々な理由が重なって、ちょうどよい機会である。

「カイロの性能は素晴らしいね」

「マジで快適すぎる。作ってよかったわ」

 僕と葉山君は装備したカイロの温かさに満足しながら、雪の町を歩く。

 魔力の消費もささやかなもので、全く気になるほどではない。火精霊自身が、自ら魔力を集めることができるから、完全に所有者の魔力依存ではないのも大きいのだろう。

「で、小太郎、今日の狙い目は?」

「とりあえず食料になりそうなヤツと、偵察用に鳥が欲しいかな」

 今やレムは立派に言葉を喋れる賢い子へと進化を果たした。鳥の目を利用した空中偵察の結果を、正確に伝えられるようになった現状では、以前よりも価値が上がっている。

 できれば偵察用の鳥は、常に確保しておきたい。

「それじゃあ、森の方に行ってみる?」

「そうだね。レム、先行して偵察だ」

「ルルル、ガウ!」

 レムの返答は狼の鳴き声。コイツは昨日の内に用意しておいた、雪灰狼の屍人形だ。レム本体は僕らの前衛に残し、狼の方はレムに操作させて偵察に出向かせる。

 黒毛に染まった雪灰狼が、疾風の如く雪上を走り出す。

「ワンワン!」

「なんだよベニヲ、お前も行きたいのか? しょうがねぇなぁ、無茶だけはすんなよ」

 葉山君の許可が出て、ベニヲはレム狼の後を、嬉しそうに尻尾を振りながら追いかけて行った。

「へへ、アイツ、同じ犬の仲間が出来て喜んでるみたいだぜ」

「動く死体は苦手なんじゃなかったっけ?」

「さぁな、もしかしたら、スゲーあの子がタイプなのかもな」

 それはまた、ベニヲが性癖拗らせちゃったらゴメンね。

 しかし、赤犬と雪灰狼では犬と狼という以上に種族間の差があると思ったのだが、そうでもないのかも。普通に交配できるのかな。

 そんなことを考えながら、僕らはのんびり、町の外側に広がっている森の方へと向かっていった。

第259話 氷の町(3)

「————し、死ぬかと思った」

「ここの森はもう二度と行かないわー」

「キナコ! しっかりしろ、キナコぉーっ!」

 暮れなずむ氷の町を、僕らは満身創痍で帰路についていた。

 町の外側に広がっている森での狩りは、目的そのものは全て達成できた。

 ジャージャに似た鹿を二頭、牛のような草食獣を一頭、角の生えた兎を五羽。食肉としてはかなりの量が入手できた。

 それから、偵察用の鳥も確保できている。カラスによく似た灰色の鳥が六羽。そして、真っ白いフクロウが一羽。フクロウはかなりデカくて、魔物かと思ったのだけれど、『同調波動エコー』が一発で通ったから、動物扱いのようだった。

 この他、道中で倒した魔物の素材とコアを合わせれば、予想以上の大きな収穫となったのだが、正直、今回の狩りが大成功だったとは言い難い。

 というのも、この森の危険度は町の方を上回る。なんなら、今までの僕のダンジョン経験でも、トップと言えるほどの危険地帯だったのだ。


『オルフロスト』:二つ首を持つ大きな雪灰狼だ。オルトロスの氷属性バージョンっぽいので、それっぽい名前をつけた。ボスではなく、森に住む野生個体のせいか、コイツは普通に雪灰狼を率いている。序盤とはいえボスを張ったオルトロスと同等以上の実力と、的確に狼を動かす統率力も併せ持つ。

 杏子の一撃が運よく、オルフロストにクリティカルヒットしたので何とか倒せたし、群れも逃げて行ったけど……その後、二頭のオルフロストに率いられた大群と遭遇した時は、必死で逃げるしかなかった。毒沼と毒煙をバラ撒きまくって、なんとか逃走成功。


『鎧白熊』:僕の因縁の魔物、鎧熊の雪山バージョン。白熊としか言えない白い毛皮に、氷を思わせる水色の甲殻を纏っている。別に氷のブレスを吐いたり、氷の爪を生やしたりとか、そういう魔法攻撃をするわけではないのだが、単純なフィジカルと、一度餌と見れば執念深く襲う習性によって、エンカウントすれば非常に厄介なモンスターだ。

 コイツも、最初の一体だけなら難なく倒せた。しかし、ここは環境がいいのか、出るわ、出るわ、次々と。お前ら群れなのか、というほど遭遇すること数知れず。10体くらいに同時に襲われた時はかなりヤバかった。陣形が崩れてキナコが孤立して鎧白熊とタイマン状態になったりした時とかは、もう見捨てるしかないかと思ったよ。

 どう見てもキグルミ風の外見なキナコより、ガチのヒグマが鎧で武装したような鎧白熊の方が強そうに思えるのだが、何故かキナコがそのまま勝ったのは予想外だった。かなりの接戦で、それなりの傷も負っているので、葉山君は帰り道ずっと泣きそうな顔でキナコに付きっ切りだった。


『スパイクマンモス』:町の偵察の際にも見かけた、マンモス型の魔物。特徴的な長い二本のマンモス牙と、雪の大地を踏みしめる野太い四脚の足首と広い背中には、大きな棘がスパイクのように生えている、世紀末風に攻撃的な外観をしたマンモスだ。

 グリムゴアでも当たり負けするだろう巨躯を相手に、流石に僕らもコイツを正面から相手をして狩ろうとは思わなかった。

 スルーしようと思っていたのだが、このマンモス、意外と狂暴だ。奴の方から襲い掛かってきた。マンモスの巨体が猛進してくる姿は、ロイロプスよりもさらに強烈。

 どうする、杏子の上級攻撃魔法一発で止められるか、無理っぽくね、と思った次の瞬間である。


『クリムゾンレックス』:真っ赤な色をした、ティラノサウルス。かつて僕が森で遭遇した黒いサンダーティラノと同じくらいのサイズで、サラマンダーとガチバトルできるほどの存在だ。

 コイツは寒冷地に適応した結果なのか、鱗ではなく、鳥のような羽毛に全身を包まれている。最近よく聞く、実は恐竜は鱗ではなく羽毛が生えていた、的な説で見かける羽毛の生えたティラノの予想図と似た姿をコイツはしていた。

 で、僕らを狙って突進してくるマンモスを横から襲い掛かった。雪の森で目立つはずの赤い巨躯。しかし、僕らはコイツが木々から飛び出てくるまで誰も存在に気付かなかった。

 ともかく、このクリムゾンレックスが登場してからは、僕らは速やかに撤退を開始した。ヤツの狙いはマンモスであり、僕らのような小物じゃない。

 でも念のために煙幕も炊きながら、レックスとマンモスが激しく争うその場を、どうにか逃げ出すことができた。


『ゴグマ』:本当にコイツらはどこにでもいるな……というワケで、ゴーマの部隊を森でも見かけた。奴らの行動範囲は僕らと被りがちなので、基本的に見つけ次第排除しているけれど、今回はスルーするより他はない。ここにいる奴らを率いているのは、ゴグマだったから。しかも二体。

 ゴグマは単体でボスモンスター級の強さを誇る。ゴーマの中でもエリート中のエリートだ。

 そんなゴグマが二体も一つの部隊にいるのだから、かなりの精鋭部隊と思われる。構成するゴーマもほとんどゴーヴで、ただのゴーマの方が少ないくらい。

 装備も明らかに整っており、あの編成ならこの森で狩りをすることもできるだろう。つまり、今の僕らよりも戦力として上回っているということ。奴らと真正面から戦うのは絶対に避けなければ。


『アイズ・ハイエレメンタル』:クリムゾンレックスVSスパイクマンモスの怪獣決戦から逃げ出し、もう妖精広場へ帰ろうと森からの退却を始めた頃に出てきたのがコイツである。

 見た目は氷の巨人。アイスゴーレムとでも言う方がしっくりくる姿だが、氷のエレメンタル系モンスターだと言うのは分かっているので、正式名称はアイズ・ハイエレメンタルとなる。

 というか、エレメンタルって精霊だから、葉山君がお話して何とかならない、と思ったんだけど、何ともならないから魔物扱いになるのだと、僕は改めて知った。葉山君曰く、同じような精霊でも、人の話を聞いてくれるヤツと、全く話が通じないヤツがいるのだとか。僕らからすると同じような存在に見えるけれど、本質は異なるそうだ。人間とゴーマくらいの違いがあるのだろう。

 ともかく、交渉不可能な魔物であるアイズ・ハイエレメンタルを、僕らは倒すより他はなかった。身の丈3メートルほどの氷の巨人が複数体に、町でもよく見かけた狂暴な雪だるまこと『アイズ・エレメンタル』も群れを成して、僕らへと襲い掛かってきた。

 森での戦闘と撤退の連続に疲労していた僕らには、かなりキツい相手となった。

 なんとか片づけて突破してきたが、騒ぎを聞きつけて雪灰狼の群れも接近中とあって、僕らは本当に死ぬほどの思いをして、ここまで帰還してきたというワケである。


「でも、命を張っただけの収穫はあったから、良しとしよう」

 まず、当面の食料は確保できている。狩ってきた鹿と牛と兎とで、十分すぎる食肉が確保できた。

 これに加えて、妖精広場周辺の家探しによって手に入れた食料品もある。野菜類、豆類、または最初から保存食と見られるものや、小麦粉なども見つかって手に入っている。

 さらに、香辛料や食用油なんかも、解凍すれば使えることが実食試験で判明した。

 この氷の町は、学園塔の頃よりも食料品の調達という点では楽であり、沢山の種類が入手できる、地味に穴場だ。まだ人間が住んでいた環境が冷凍保存で丸ごと残っているからこそだろう。

「魔物素材の方は、強かった分だけ質はいいけれど、沢山集めるのはリスクが大きすぎる。大事に使わないと」

 クラスのみんなが揃っていた頃が懐かしい。フルメンバーだったなら、このエリアでも安全確実に魔物狩りができただろう。

 ない物ねだりをしても仕方がないのは、ダンジョンでの常識。命懸けで手に入れた貴重な素材を、どう無駄なく使うかが重要だ。

「うーん、カイロが上手く出来たから、毛皮装備は更新しなくても大丈夫なんだよなぁ」

 エントランスに並べた素材を前に、僕は唸りながら考える。

「よし、ここはまず武器だな」

 特に葉山君の。レッドランスは素人でも簡単お手軽に火力を得られる優れた装備ではあるが、このエリアを攻略する上ではそこまで強力とは言えない。

 それよりも葉山君に必要なのは、精霊術士としての力を活かせる専用装備ではないかと思う。彼の力はまだまだ未知数で、これをどこまで引き出せるか、あるいは高められるかが攻略の鍵になりそうだ。

 新たな能力を授からない限り、現状では僕と杏子の戦力はおおよそ限界が見えているし。成長性という点では、葉山君は期待ができる。

 というワケで、どの精霊がいいのか分かんないから、とりあえず用意できるだけの属性を用意した専用装備を作ってみたぞ。


『火風輪』:火光鉄はカイロに、風光鉄はエアランチャーで使ったことがある。すでに素材として利用したことのある、この二つの光鉄を合わせて使った腕輪。光石素材が属性に見合った精霊の住処になり、それでいて、精霊術士である葉山君が普段から身に着けていられるものが、上手く精霊を宿す条件ではないかと僕は思っている。 ジッポもスマホも水筒も、葉山君が肌身離さず持っている道具だし。

 葉山君自身には、どの属性の魔力も使えないので、この腕輪を装着してもレッドランスのように攻撃魔法を撃てるようになるワケではないが、精霊が宿れば火と風、双方の力を操れるようになるのではないだろうか。

 腕時計みたいに、左手首に装着している。


『電流水環』:学園塔ではメイン装備では使用されなかった雷光鉄と水光鉄を合わせて作ったネックレス。


『テラ・ベルト』:杏子が気合を入れて生成した土光鉄をふんだんに用いたベルト。金具だけでなく、革のベルトにも鋲のように打ち込んで土光鉄の量を増やしているので、最終的にかなりゴツめでパンクな見た目になってしまった。


『アイズ・アミュレット』:委員長謹製の氷結晶を贅沢に丸ごと一個使った、アミュレット。ちょっと大きめなので、腰のテラ・ベルトからぶら下げる形になる。


 以上、武器というよりアクセサリーとなった精霊術士の専用装備だ。

 どれも、ただ持っているだけでは何の効果もない装飾品に過ぎないが、これを活かせるかどうかは葉山君の精霊術士の力にかかっている。

 手持ちの素材だけで、火、風、水、雷、土、氷、と実に六属性も網羅してある。全ての精霊から力を借りられるようになれば、あらゆる属性を使いこなす万能な魔術師クラスとなるだろう。

 そんな感じで、装備品としての作りよりも、素材の方がメインとなっている葉山君用の装備は思った以上に早く仕上がってしまった。

 なので、次は僕の錬成技術の粋を凝らした武器を作ろうと思う。

「目指せ、黄金銃!」

 制作するのは、杏子用の土魔法の武器。天道君が作った黄金のリボルバーという前例にならって、僕も杖ではなく銃の形にしたいと思う。

 とはいえ、あれだけの効果を拳銃サイズで再現するのは、手持ちの素材でも僕の技術的にも不可能なので、威力は下がるし、銃のサイズも大きくなってしまうだろう。アレは特別なもので、ハナから同じものが作れるとは思っちゃいないさ。

 けれど、杏子が素手で使うよりも威力や効率が上がるようになれば、武器性能としては十分だ。

「やっぱハンドガンにするのは無理があるな」

 ゴーマ式魔術回路を刻むにしても、スペースが必要となる。ライフルくらいのサイズ感が欲しいところだ。

 しかし、あんまりデカいと取り回しが悪い。それに、重くなるのもよろしくない。武器は常に持って歩くものだし、力自慢の前衛職ではない以上、重量というのは大きな枷となる。

「でも銃の形にするなら、弾は装填できるようにしたいし……うーん……」

 悩みながら錬成に没頭し、気づいたら夜明けを迎えていた。

 でも、完成したぞ、満足のいく銃が。


『ロックブラスター・ソードオフ』:銃身を切り詰めたショットガン型の土魔法専用銃。ライフリングの代わりにビッシリと魔術回路を刻み、この銃身を通して撃てば多少なりとも威力が上がるはず。

 けれど、コイツの一番の特徴は弾丸が存在することだ。ぶっ放すのは土魔法だから、火薬で発射するワケではない。必要なのは相手を貫く弾頭のみ。

『鉄鉱錬成陣』によって錬成した金属の弾丸は、ただの金属の塊ではなく、土魔法としての性質も併せ持つようだ。つまり、土魔法の術式で発射することが可能。

 弾丸は、サイズはもとより、錬成した金属の質次第で威力は上がるし、コアを組み込むことでさらなる威力上昇も望める。弾薬補給の面でも、何でもいいから金属素材があれば、杏子が自前で弾丸を幾らでも用意できるというのも大きな利点だ。

 今の杏子の実力だと、下級攻撃魔法くらいなら、銃を構えるよりも無手でぶっ放した方が早いくらいだが、中級以上となると大なり小なり、溜めが必要となる。魔力はあっても、発動速度と集中力という別な部分も求められるからね。

 このロックブラスターを使えば、その辺を多少は軽減できる。銃そのものに術式を刻み込んでいるから、発動までの省略と、弾を精製する過程も省ける。刻んだゴーマ式魔術回路の効果によって、集約される魔力の速度も上がっている。

 中級以上の土魔法を撃つ時は、コイツは役に立つはずだ。

「どう、杏子?」

「うーん、ないよりはマシ」

 僕の自信作は、非常に微妙な評価に終わった。

 頑張ったんだ、ポンプアクションで薬室に弾が装填される構造とか作るのをさ。いくらショットガンのポンプアクションが単純な構造、と言われてもゼロから作り上げるとめっちゃ難しいんだよね。スプリングから作ったし、寸法間違えて作り直しとかもしたんだよ。

 まぁ、銃ではなく魔法の杖の延長でしかない構造上、リロード機能なんて省いて、弾をそのままバレルに入れるだけでも十分だったんだけど……それは言わない方向で。

「でも、中級の攻撃がすぐ撃てるってのは楽かも。撃つ準備だけして待ってると、結構疲れるんだよねー」

 警戒中でいつでも中級以上の攻撃を撃てるようスタンバイする状態、というのは割とよくある状況だ。なるほど、そういう時って、発動寸前で抑えていると魔力も集中力も消耗するものなのか。

「ありがとね、小太郎。大事に使うから」

 弾けるような笑顔と共に、その大きな胸元にギュっとハグされた僕は、それだけで徹夜の努力が報われた気持ちだった。

 さて、そのまま寝落ちしてしまった僕だけれど、起きたらまだ作らねばならない装備がある。素材もまだ残っていることだしね。

「キナコの防具も作ろう」

 キナコはウチのパーティの前線を支える大事な前衛戦士である。熊だからといって、防具をつけてはいけない道理はない。体を張って戦っているのだから、むしろ身を守るための防具は必須装備ではなかろうか。

 幸い、毛皮や甲殻はほとんど丸ごと残っている。キナコの大きな体を覆うだけの防具をこしらえても、十分に足りるだろう。


『灰白の戦獣鎧』:オルフロストと鎧白熊の素材で作ったキナコ専用鎧。両者の特に分厚い毛皮で、家屋からかき集めた鉄製品を錬成して作ったチェインメイルを覆い、重厚ながらも柔軟性のある鎧に仕上がっている。

 さらに、ガントレットもセットで作ってある。基本的に両腕での攻撃をするキナコにとって、ガントレットは防具であると同時に、武器にもなりえる。

 鎧白熊ご自慢の刺々しい腕部甲殻をベースに、杏子が精製して質を高めた金属で補強、さらに土と風の光鉄も組み合わせ、葉山君による精霊付与の可能性もつけてみた。なんで土と風なのかといえば、手持ちで余ってたのがこれしかなかったからである。適性がなかったらゴメンね、キナコ。


『紅蓮の首輪』:なけなしの火光鉄をつぎ込んで作った、ベニヲ専用装備。実はベニヲは火精霊の力を借りることで、火炎放射などができるようになっているのだと葉山君から聞いた。ならば、装備でさらに火精霊を上乗せできれば、より一層の火力向上が望める。

 作るかどうかちょっと悩んだけれど、ベニヲも僕らの仲間である。平等に装備品を与えられて然るべきだろう。ペットは家族理論。


「————とりあえず、今はこんなところか。あー、疲れたなぁ」

 ごろーんと妖精広場の芝生に寝っ転がる。ここ数日のワンオペ装備生産は、なかなかの疲労を与えてくれた。それでも、杏子の『鉄鉱錬成陣』があるだけ、かなり楽できているのだけれど。これがなかったら、劣悪な金属そのまま使うしかないからね。

 素材もあらかた使い果たし、雑然とした物置と化していたエントランスの方も、今は随分とスッキリしている。

 残っているのは、今後のことも考えてなるべく使用を節約したコアくらいなものだ。

「偵察用の鳥は揃ったけど、うーん、やっぱり一体くらいは屍人形増やしたかったかな」

 魔物の強さ的には、オルフロストか鎧白熊がちょうどいいかと思ったのだけれど、どっちも装備作成で使い切ってしまった。かといって、あの森へ狩りに行くのもリスクがある。うっかりクリムゾンレックスと出くわしたらお終いだ。

「……あるじ」

「どうしたの、レム、膝枕する?」

 例によってレムも僕の徹夜作業に付きっ切りで手伝いだったから、疲れているなら休ませなければ。

 けれど、幼女形態のレムはふるふると首を振ると、余りのコアを入れてある袋を指さした。

「コアが欲しいの?」

 こっくりとレムが頷く。

 思えば、レムの方から何かを求めるのは初めてのことだ。それも、コアをご所望とは……もしかして、魔力の補給が必要だったりするのだろうか。

「いいよ、レム、好きなだけ使いな」

 ならば、出し惜しみする場合ではない。僕は袋ごと渡すと、レムは小さい手でごそごそと漁り、一つのコアを取り出した。あのサイズと輝きは、オルフロストからとったやつか。

 で、そのコアをどうするのか、と見つめていると、

「あーるーふぁー」

 レムが間延びした声で言いながら、コアを落とす。すると、足元に広がる影に、波紋を立ててコアは飲み込まれてゆき————黒い靄が噴き出す。これは、屍人形を作る時とよく似た反応だ。

 これはもしかして、と思った次の瞬間には、

「キョォアアアアアアアアアッ!」

 レムの隣に、赤と黒の鱗が特徴的な、二本角のラプターの姿が。

 間違いない、コイツは学園塔から逃げる時に失ってきた、アルファである。

「もしかして、変身するだけじゃなくて、コアがあれば分身として作り出せるのか!」

「ぶんしん、できる」

 まさかの新機能、判明である。

 素材がなくても、コアさえあれば今までの形態で作り出せるなら、制作コストは削減できるし、何なら、召喚獣のように必要に応じてその場で出すこともできるだろう。

「よしよし、よくやった、レムはいい子だな」

 これで満足が行く準備が整えられた。明日一日、休息をとった後は、いよいよこのエリアのボス攻略に向けて、動き出すとしよう。

第260話 凍てつく水の底から

 相変わらずな吹雪の最中、僕らはボス部屋目指して出発した。

 でも一番酷い猛吹雪ではないので、視界もホワイトアウトするほどでもない。このエリアで天気の良い日など待っていたら、永遠に出発できないし。

 カイロのお陰で極寒の中でも快適だし、索敵用のレムも充実しているので、ルート選択も万全だ。すでに前日までの偵察で、ボス部屋と思しき建物も発見できている。

 しかし、そこまでの道中に危険が全くないワケでもない。

「ここから先には、ゴーマの根城がある」

 森での狩りの時に見かけたゴグマ部隊を、僕は鳥の偵察隊が完成したら、すぐに奴らの捜索を命じた。

 ゴーマはただ狩りだけでなく、宝箱を探して家探しもする。この町中で遭遇する危険性が非常に高く、人間を強烈に敵視する奴らは、僕らを見つければ確実に襲う。

 ボスモンスターじゃないけど、ボス並みの強さでフィールドをウロつく厄介な敵とか、たまにゲームであるよね。ゴグマ部隊はちょうどそんな感じの奴らなので、上手く避けて動かなければいけない。

「レム、奴らの動きは?」

「……たてものに、いる。でてきてない」

 ゴーマもこの吹雪の中じゃ動きたくないのか。僕らにとっては朗報だ。

 奴らがまとめて拠点に籠ってくれているなら、安心して近くも通り抜けられる。

「いつ気が変わって出張って来るか分からないから、さっさとここは抜けよう」

 何事もなく、僕らは無事に通過することに成功。この辺まで来れば、奴らに感づかれることもないだろう。

「なんか、家もまばらになってきたな」

「うん、この辺はもう町はずれになるね」

 目に見えて建物が減り、周囲は閑散とした雪景色へと変わっていく。

 元々は畑でも広がっていたのか、遠目に森が見えるだけで、周囲一帯は見晴らしのいい雪原と化している。

 深い雪をザクザクと踏みしめながら、僕らは一列になって進んでいく。

「おっ、小太郎、なんか見えてきたぞ」

 完全に家屋もなくなり、見渡す限りの雪原となった頃、遠くの方にぼんやりと、大きな箱型の建物が見えてきた。

「あそこにボス部屋があると思うんだよね」

 周囲には敵影もなく、僕らは建物へ向かって歩く。実際にそこへ接近すると、僕の想像が当たりであることが確信できた。

「うおっ、なんだ、急に寒くなってきたな……っていうか、なんだよあそこ、冷気が出てんのか?」

「上空から見ると、あそこはどうやら湖っぽいんだよね」

 綺麗な丸い円をした湖だと、レムは言っていた。

 地上を歩く僕らから見ると、濛々と真っ白い湯気が上がっているだけにしか思えないけれど。

「アレって温泉とかじゃねーの? 湯気みたいにも見えるけど」

「葉山君の言う通り、あの湯気は冷気で間違いないんだよね」

「けど、あの湖って凍ってなくね?」

「うん。湖は水じゃなくて、不凍液……いや、氷の魔力を含んだ特別な液体っぽいんだよ」

 雪原を突き進んでいる内に、冷気を吹き出す湖面もはっきりと見えるようになった。

 妙に青く透き通った水面は綺麗ではあるが、この極寒でも凍り付くどころか、むしろ全てを凍てつかせる強烈な冷気を発しているせいで、恐ろしくも不気味に見える。

「小太郎さ、前にこの町が凍ってんのって、なんか事故って冷えたんじゃねって言ってたけど」

「見た目通りなら、この湖がエリアを冷やす原因っぽいよね」

 故意なのか事故なのか、それともダンジョンの演出に過ぎないのかは分からない。けれど、このエリアで最も低い気温を記録するのはここである。

 まぁ、湖そのものが原因というより、あのボス部屋の施設が湖を冷却する機能を暴走させてるような感じもするけど……どうせここも通過点だし、そんな原因を究明する気まではない。

「とりあえず、落ちたりしないでよね。あの水、マイナス何度になってんのか分からないし」

「さ、流石に火精霊の力を借りても、ここは泳げそうにねーわ」

 ひとまず、凍てつく湖からモンスターが現れる気配もなかったので、僕らは建物へと真っ直ぐ向かう————その時だった。

「プガァ!」

「グガァ!」

 キナコの咆哮と、黒騎士レムの唸りが同時に上がった。

 直後、ブワァッ! と降り積もった雪原の雪をど派手に噴き上げながら、大きな影が飛び掛かってきた。

 キナコは葉山君のすぐ後ろの後衛に、レムは先頭を進んでいる。両者が反応したということは、すなわち、現れたモンスターは前衛と後衛を同時に襲ったということ。

 コイツら、二体いるのか!


 シギャアアアアアアアアアアアアッ!


 獣とは異なる不気味な声を上げて飛び込んでくるモンスターは、サメによく似た姿をしていた。

 鋭角的な頭部に、丸い小さな目と、ぽっかり開いたような大きな口。そして、大口に並ぶ鋭い牙の列。白と灰色の虎縞模様の体は、さながら冬季迷彩のようだ。

 サイズはロイロプスやグリムゴアと同じ程度。立派な中型モンスターである。

「グガ、ゴガァアアアアア!」

 そんなサメ型モンスターを、黒騎士レムは大剣を振り上げ真正面から迎え撃った。

 飛び込んでくるサメの大口をかがむ様に避けながらも、鋭い斬撃を見舞う。しかし、反撃を察したサメの方も器用に宙で身をよじり、振り下ろされた大剣から逃れた。刃は真っ白い腹部に辺りはしたものの、ほんの先っぽだけ。ゴムのように分厚い腹の皮を、僅かに切り裂いたに留まった。

「レム、よくやった!」

 何とか奇襲の初撃を捌いた。こういうのは、最初の一撃で誰か一人倒されたりするから大変なんだよね。

 サメはレムの攻撃を回避したまま、僕らの隊列からは逸れるように雪原へと着地していった。そして、雪煙を撒き散らしながら再び降り積もった雪原へと身を潜めていく。

 その僅かな間に、僕はサメ型モンスターの全貌を捉えた。

 どうやら、頭こそサメのような形だが、全体的にはトドみたいな体型をしていた。泳ぎも得意だが、地上を這うように進むこともできる、海獣型のモンスターといったところか。ここ湖しかないけど。

 手足のような四本の鰭が生えている。しかしながら、大きな背ビレがあったりと、サメっぽい部分もあった。

 雪原から背ビレを覗かせながら、スイスイと動く様は、正に海面を泳ぐサメそのものだ。

「うわぁあああーっ!?」

「プガガ、グガァ!」

 葉山君の情けない叫び声と、キナコの獰猛な鳴き声が聞こえて、チラりと後方を確認。

 どうやら、キナコもレムと同じく飛び出してきたサメの奇襲を体を張って止めてくれたようだ。

 戦獣鎧を着込んでいるお陰で、より安心して敵に当たっていけるということか。鋭い爪を振るって、サメの首筋の辺りを切り裂いて反撃もしている。

 だが、こちらも皮を切るだけにとどまったようで、サメは身を翻して雪原へと潜っていった。

「撤退する。ロイロプスを先頭にして、真っ直ぐ来た道を戻って」

「お、おい、いいのかよ、ここまで来て!」

「相手の有利な状況に付き合ってやる必要はないよ。葉山君とベニヲは、サメのいそうな方向に適当に炎を撒いて牽制して。突撃してきたら、レムとゴア二号で止めて」

「分かった、行くぜベニヲ!」

「ワンワン、ボァアアアアアアアアアア!」

「杏子は、確実に当てられる時だけ撃てばいいよ。こっちはレムとゴア一号が防いでくれる」

「りょーかい。っつーか、マジで見えねぇ、あんなデカいサメなのに」

 二匹のサメが僕らの周囲をグルグルと回って雪煙を立てるものだから、どこを泳いでいるのか全く見えない。元々、吹雪いている視界不良の上にこれだから、どうしようもない。

 姿が全く見えなければ、『ポワゾン』の一発も当てられないよ。

「落ち着いて後退していこう。奴らそのまま食い掛ってきたから、ブレス攻撃はないはずだ」

 あったとしても、奇襲の一発目に使おうとは思わないほど、必殺の威力や拘束力があるわけではないのだろう。

 向こうは恐らく、アカハゲタカと同じように僕らの中で慌てて隊列から離れて逃げる奴が出ないかを待っているのだ。だが、奴らほど臆病なワケでもないようだ。

 不用意に飛び掛かってはこないものの、つかず離れず、撤退する僕らの背後にピタリとついて追跡してきた。

 結局、雪原を抜けて町の外れまで戻って来ることに成功はしたけれど、サメにロクなダメージを与えることもできなかった。

 いやぁ、参ったね、ボス部屋のある建物の前に、あんな中ボスみたいな奴が潜んでいるなんて。

 地上で待ち伏せされていたら、レム鳥の空中偵察だけじゃあ見つけることは出来ない。分身を送っての地上調査までしなかった、僕の怠慢だな。

 仕方ない、今回は大人しく出直すとしよう。奇襲を受けても、誰一人として失うことも、重症を負うこともなく凌げたのだから、それだけで大成功だと思うことにした。




 それから二日後。

 雪原で僕らは再び、二匹の双子サメと対峙していた。

「今だ、葉山君!」

「よっしゃあ、一発デケぇのをブチかましてやるぜ————『招雷』っ!」

 葉山君が高々と掲げた右手に握りしめられたスマホが、ピカピカと眩い紫色の輝きを放つ。

 すると次の瞬間には、雪原の上で僕の『黒髪縛り』によって絡め捕られてもがいているサメに向かって、ドォン! 雷が落ちた。


 ジィイイギャアアアアアアアアアアアアアアッ!


 けたたましいサメの叫びが上がる。落ちた雷は背ビレを黒焦げにし、その背中を穿つように強烈なクリティカルヒット。

 だが、まだ死んではいない。叫びながら激しく身をよじって、僕の拘束から脱しようと動き続けている。

「うおおおおっ、もう一発だ!」

 さらに落ちる雷に打たれ、サメの体は大きく跳ね上がり……そして、今度こそ動かなくなった。

「ふぅ、これで討伐完了だね」

「しゃあ! やったぜ! おい、見てたか桃川、この俺の大活躍!?」

「ちゃんと見てたって」

 子供のようにはしゃぐ葉山君が微笑ましい。

 そういえば、中型モンスターをほぼ自分の攻撃だけで倒し切ったのは初めてだったかな。目に見えた成果ってのは、やっぱり嬉しくなるものだよね。

「けど……疲れたぁ……」

「お疲れ様、葉山君」

 まさか一発限りの必殺技だと思っていた『招雷』が二発連続で使えるようになっているとは。着々と精霊術士として成長している。

 僕の『水流電環』も多少は恩恵があると思いたいけど、どうなんだろうね。

「やっぱ、こんぐらいなら準備すれば楽勝だよねー」

「そりゃあ、ヤマタノオロチに比べたらね」

 反対側には、もう一匹のサメが、レムとキナコとゴア二頭にフルボッコされて倒れていた。

 杏子にヒレを撃たれて雪上での機動力を失えば、まぁあんなもんだろう。

 今回はあっけないほど、事前準備と作戦がハマったお陰で、危なげなく勝利できた。

 まず、真っ先に狙われたら困る僕と杏子と葉山君の後衛組みの安全を確保するために、雪原のど真ん中に簡易トーチカを建設した。杏子の手にかかれば、短時間でこれくらいは作れる。昨日の内に、サメを警戒しつつ用意しておいたものだ。

 さらに、トーチカ周辺には僕が手ずから魔法陣を描いて、強化した『黒髪縛り』で接近してきたサメを拘束できる罠を設置しておいた。

 これで準備は完了。

 あとは前回と同じように、ボス部屋目指して歩いていく。アルファに乗った分身の僕が、目立つ囮として召喚したハイゾンビとスケルトン軍団を引き連れて。

 こんな見え見えで釣れるか、と若干不安もあったけど、無事にサメは釣れた。突然、雪原から襲い掛かる奇襲攻撃によって、ハイゾンビが数体と、スケルトンが沢山やられていった。正に囮役の面目躍如とばかりの、見事なやられっぷりである。

 で、分身の僕は如何にも初めて奇襲を受けて混乱していますとでも言いたげな感じで、適当に叫びながらトーチカの方へと戻っていく。

 案の定、囮に食いつき追いかけてきた双子サメを、万全の態勢で待ち伏せていた僕ら本隊が————とまぁ、こんな感じである。

「小太郎、サメどうすんの?」

「コアだけとって、先に進もう。ボスに挑むには、ちょうどいいウォーミングアップになった感じだし」

 サメ素材は、欲しいっちゃ欲しいけど、積載量の関係もあるし、どうしても回収しなきゃいけないほどでもない。

 もしコレを屍人形にしても、制御力の関係で十全には扱えないし。それをするなら、ゴア二体とトレードになっちゃう。

 雪原での奇襲特化に発達した双子サメよりも、信頼と実績のゴアの方が優秀だよね。

 というワケで、コアだけいただいて、先へと進もう。

「オッケー」

「俺は後でちょっと休ませてくれよな」

「分かってるよ。ボス部屋の前で休憩はするから」

 こうして、僕らはようやく邪魔者を排除して、ボス部屋のある謎の建築物へと向かった。

 流石に次なるサメが現れることもなく、建物へと到着する。

 箱型の建物はサイズこそ立派だが、完全無欠な豆腐建築だ。真っ白い外観で、真四角。保存状態も良好なせいで、ヒビなども見当たらないので、見事なまでに豆腐である。

 僕らは大きなガラス張り、みたいな透明な扉の正面玄関から、堂々と侵入を果たす。

「玄関デカくて助かったわ。グリリン入れねーかと思った」

 屋内に潜入する時は、いつもそれが心配だ。今の僕らには、まだグリムゴアとロイロプスはどちらも必要である。

「かなり大型の施設みたいだね」

「なんなんだ、ここは?」

 葉山君がキョロキョロと見渡しているが、僕にもここがどういう場所なのは見当がつかない。屋内も割と綺麗ではあるが、特にこれといって目を引くモノがない。

 ただ、屋内の作りはかなり広々としている。奥へと続く通路に加え、下の階へと続くのは階段ではなくスロープとなっており、なんだか立体駐車場のようだ。

 お陰で、グリムゴアとロイロプスを伴って、そのまま階下へと行くこともできる。

「ボス部屋はこの下みたいだ」

 コンパスの導きに従って、僕らは下を目指す。

 何となく、みんな無言となって進むから、それとなく緊張感が増していく。

 けれど、途中で魔物が出てくることはなかった。施設内は不気味なほどに静まり返っており、魔物がここに巣食っているような気配は感じられない。

 雑魚にちょっかいをかけられず、ボスまで直行できるなら楽でいいけれど、本当にそれだけで済むだろうか。

 不意に湧き上がる嫌な予感を覚えながら、僕らはついに最下層へと辿り着いた。

「おい、この扉、閉まってるけど開くのか?」

「ここの施設はまだ生きてるみたいだ。多分、魔力で開くはず」

 宝箱を開けるのと同じように、僕がサっと手を翳せば、それだけで真っ白い扉は機械的にスライドして開かれた。

 その先に広がるのは、ボス部屋と見て間違いないだろう。

 広い円形のホールに、ど真ん中にはよく見慣れた転移の魔法陣が刻まれている。

「おおー、スゲーな、水族館みたいじゃね?」

「全面水槽じゃん!」

 楽しそうな声を葉山君と杏子が上げる。僕としても、見事に四方の壁が透明で、湖の水底を映し出しているホールの様子は、なかなか圧巻だと感じられる。

 実はここが、本当にただの水族館だったと言われても信じられそうだ。

 けれど、かつてはどうだか知らないが、今ここはダンジョンとして機能している。ならば、絶対にいるはずなのだ。

「————ボスがいない」

 だから、このホールのどこにもボスモンスターの姿が見えないのは、おかしい。

 ホール内に遮蔽物はなく、隠れられる場所は存在しない。誰もいないし、何もないのは一目瞭然。

 けれど、ホール中央の床に刻まれた転移魔法陣へ、コンパスが間違いなくその針を指し示していることから、ここがボス部屋であることも間違いない。

「ボスはもう倒されてる、のか?」

 ここにはゴグマ部隊がやって来ている。もしかすれば、奴らがボスを倒した可能性もありえなくはない。

 いや、ボスがいないと考えるのは早計だ。何かしらのギミックが働いて、召喚されるシステムかもしれない。

「とりあえず、中を調べてみよう」

「調べるってもさー、マジでなんにもなくない?」

「だよな、ただの全面水槽で、別になにも————おおっ! 今、なんかいたぞ!?」

 葉山君が声をあげながら、ホールへと走っていく。

「何かいたって?」

「おう、水の中でなんか動いてたぞ。もしかして、またあのサメかぁ?」

 なるほど、水槽の向こう、湖の中のことか。そりゃあ、湖を泳ぐ魚がいれば、この水槽ホールから観賞できるだろう。

 しかし、ただの水じゃない、凍らない謎の液体で満ちた湖を泳ぐヤツとなれば、厄介そうなモンスターだ。単にあの双子サメの進化系みたいな奴でも、十分に脅威となる。

 でも、このボス部屋の中にいないならば、ソイツはあくまで湖に生息する野生の魔物であり、ボスモンスターではない。ここはあくまで水槽で外が見えるというだけで、湖からモンスターを引き込む様な作りにはなっていない……なってないよな?

「あっ、マジで何かいた! ウチも今チラっと見えたぞ!」

「あっちの方に泳いでたぞ!」

「もう、二人とも、いくらボスがいないからって————」

 水族館気分ではしゃぎすぎだろう、と僕が呆れた視線を二人へ向けると、

「なっ、あ、あぁ……」

「こ、小太郎ぉ……」

 二人には楽しそうな笑顔はどこにもなく、まるでおぞましい化け物でも目撃したかのような戦慄の表情を浮かべていた。

 葉山君なんて今にも腰抜かしそうな顔と恰好でなんかガクガクしているし。

 杏子の方は、表情は凍り付きながらも、震える手で、ショットガンを構えようとしていた。

 まさか、僕を撃とうというのではあるまい。それくらい分かる。

 だって、恐怖に慄く視線を向けているのは、僕にではなく、その後ろ、


 ゴボッ! ゴポポッ!


 分厚い水槽越しにでも、水中で吐く大きな吐息を感じた。

 鈍い僕でも察するにあまりある、途轍もない存在感を覚え、僕が真後ろの水槽の方へと振り返れば————ソイツはいた。

「————小太郎きゅーん、見ぃーつけだぁああ」

第261話 愛を叫ぶケダモノ

「よ、横道……」

 水槽の向こう側にいたのは、横道一だった。

 その醜悪な面と体型は、そうそう見違えることはない。ないのだが、脳が理解を拒むのか、僕は一瞬マジで呆然となってしまったよ。

 まず、この凍てつく湖の底にいるという、ありえない出現場所。そして何より、ブヨブヨのたるんだ裸体を恥ずかしげもなく晒し出していること。

 お前、服はどうした。前はちゃんと着てただろ。湖で泳いでいるから脱いでる、なんて常識的な脱衣理由ではなさそうだと、僕は何となく思ってしまった。

「ぼぉおはははぁ! やっとぉ……やっと会えだぁ、小太郎きゅーん!」

「うわぁっ!?」

 水槽の向こう側の水中にいるにも関わらず、何故かはっきりと聞こえてくるおぞましい叫びと共に、横道の顔面がベタァ! っと水槽にぶつかってくる。

 半端に長い髪が、海藻みたいにユラユラと漂う。濁った眼で、黄ばんだ歯を剥き出しにして、横道は満面の笑みを張りつかせていた。こんなおぞましい笑顔を、人間が浮かべられるのか。

 ただのガラス張りではない。そんなに簡単に破れるはずがない、と思っていてもつい悲鳴を上げてしまうほどの迫力がそこにはあった。

「お、おい、嘘だろ、ホントにコイツ、横道なのか……?」

「どうすんだ小太郎、横道はヤバいぞ!」

「わ、分かってる」

 こんなおぞましい存在がクラスメイトだと信じられないのか、それとも同じ人類だと思いたくないのか、物凄く引きつった表情で横道を見る葉山君。

 一方、杏子は前に遭遇したことがあるので、奴の危険性はすでに理解している。

 人喰いの化け物と化している横道は、このダンジョンにおいて最も危険なモンスターと言ってもいいだろう。何といっても、コイツは僕を狙っているのだ。

 そして最悪なことに、横道の能力は魔物を喰らって取り込む強力なスキル持ちであること。杏子が遭遇した時点では、天道君が楽勝で撃退できる程度だったようだけれど……あれから、どれだけの魔物を喰らってきたのだろうか。

 少なくとも、今の横道はマイナス突破の超冷水の湖に潜っていても余裕な氷耐性と水中行動能力を獲得している。このエリアに住む数多の氷属性モンスターを喰らったことは間違いない。

「どうする、撃つか!?」

「待って、杏子、今の横道を相手にするのは分が悪い」

 奴の危険度は未知数。メイちゃんに蒼真君と、エース級戦力を欠いた今の僕らがゴリ押しで挑むには危険が過ぎる。

 ああ、ちくしょう、よりによって僕がクラスメイトからはぐれた時に遭遇するなんて。学園塔生活の時に現れてくれれば、クラス一丸となって討伐できたってのに。

 これも女神エルシオンの操作が働いた結果なのか。クソ邪神め。いつかルインヒルデ様のお力を借りて、エロ同人みたいな目にあわせてやるぞ。

「ここは一旦、退こう」

「お、おう」

「ウチも賛成」

 幸い、目の前に現れはしたものの、分厚い水槽越しに隔てられている。このまま逃げることはできそ————

「んんぅー、好きぃ、だいしゅきぃー、愛じでるぅううううううううう!」

 ガツンッ! と横道の顔が水槽に叩き付けられる。

 最低に気持ち悪い叫び声をあげながら、横道はヘッドバンキングのように顔を水槽にガッツンガッツンぶつける。

 ま、まさか、そんなのでこの水槽、破れたりしないよな?

「トゥルーラァーブ! スウィートラァーヴ!」

 狂ったように打ち付けられる頭。水中でありながら、凄まじい速さで頭を振っているせいで、気づくのが遅れた。

 奴の顔が、変化していることに。

 口が裂けている。裂けた頬からは不揃いの牙が覗き、さらには、もみあげの辺りから大きな鋏角が生え出していた。人と獣と虫、全てを合わせたような口元は凶悪そのもので、ガチガチと顎を鳴らす。

 そんな異形の大顎が、水槽に叩き付けられ————ビシリ、とついに悲鳴を上げた。

「まずい、破られるっ!?」

「んぁああああああああ! 愛がぁ、止まらないぃいいいいいいいいいい!」


 バギィンッ!


 高らかに広間に響き渡る、破砕の音。

 ついに水槽は砕け、横道の顔がこちら側へと突き出る。ザァザァと湖からの浸水と共に、横道は突っ込んだ顔を僕に向けながら、鼻の穴を大きく開いて息を吸い込む。

「すふぅーん……に、匂うぅ、小太郎きゅんの豊潤な香りぃ……ああ、今、俺達は同じ空気を吸っているんだねぇ」

「杏子、撃てぇ!」

「キモいんだよ、このクソブタ野郎ぉ!」

 構えたロックブラスターから、上級攻撃魔法『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』がぶっ放された。

 頼む、その気色悪い面を吹っ飛ばしてくれ!

「ギィイイイッ! ギギギ……危ねぇじゃないかよぉ、蘭堂ぉ」

「うっそ、アイツ止めやがった!?」

 射出された大きな岩の槍を、横道は真正面から口で止めた。歯と牙と、鋏角によって鋭い先端をガッチリと挟み込み、喉を貫くよりも前に止めきったのだ。

 そして、ギチギチと音を鳴らしながら鋏角がさらに引き絞られ————岩の穂先は噛み砕かれた。

 なんて顎の力だ。いや、あの速さの攻撃を止めた、動体視力と正確な動作も脅威的である。

「なぁーんか、邪魔くせぇのが色々といるなぁ? この俺と小太郎きゅんの純愛を邪魔しようってんなら……先に、食っちまうとするか」

 ゴーマよりも醜悪に顔を歪ませて笑う横道が、大きく口を開く。大きく、本当に大きく、顎が外れたのかというほどぽっかりと大きく口腔を広げ、その奥から、何かが飛び出してくる。

「くそっ、また舌を伸ばす技————」

 ソレが横道の口から飛び出してきた時、僕はあの長く伸びる舌による攻撃だと思った。

 けれど、直後にそうではないと見せつけられる。カエルの魔物を食って得たらしい伸びる舌は気持ち悪い技ではあったが、今、僕が見ているのはそれを遥かに超えるおぞましさだ。

「シャァアアア……」

「ギシギシギシ」

「シギャァアア!」

 それは、ミミズの化け物だった。それぞれエイリアンみたいなうめき声を上げて、スパイク状の牙が並ぶ丸い口から涎を垂らしている。

 直径は30センチほど。長さは何メートルまで伸びてくるかは分からない。そんな大蛇のようなサイズのミミズが、横道の大口から3、4、5……マジかよコイツ、何本出せるんだよ!

「煙幕を張る、逃げろ!」

 横道から吐き出されるおぞましいワームモンスターが、鎌首をもたげて飛び掛かって来そうな寸前に、僕はエアランチャーをぶっ放す。

 炸裂した雛菊式煙幕は瞬時に濛々と白い煙を噴き上げて、視界を閉ざしてゆく。ボス部屋らしい大きな広間に、煙幕はあっという間に充満してゆく。

 しかし、あのミミズ触手が視覚に頼って獲物を探すとは思えないが。でも横道自身の視界を閉ざせるだけでも、今は意味があると思いたい。

「喰らいやがれ、『岩砲テラ・ブラスト』ぉ!」

 僕が煙幕を張るのと同時に、蘭堂さんが範囲攻撃魔法をショットガンの如く放つ。

 煙の向こう側で、ギィイイイ! というミミズの叫びと肉を引き裂くような音が聞こえたことから、ある程度は命中して、牽制にはなった。

 こういう時、咄嗟で一撃を放てるところが、蘭堂さんと葉山君の戦闘経験の差だろう。

 そんな葉山君ではあるけれど、ちゃんと素早く逃走の体勢に入っているので、行動力としては十分だ。

 すでにボス部屋入口の方まで駆け寄っており、先にキナコを通しているところであった。

「桃川、蘭堂、急げ!」

「大丈夫だ、葉山君は先に————」

 と、逃げられるだけの余裕はあると思っていた。

 けれど、僕は直後に後悔することになる。もっと早く、もっと素早く、この場を離脱するべきだったのだと。

「————葉山君、避けて!」

 煙る白煙の向こうから、涎をしたたらせたミミズ頭が飛び出してきた。それは、ちょうど葉山君のすぐ傍。なんでそんなところから、位置的にわざわざ回り込む様な奴が出てくるんだ。

 背筋が凍る。と同時に、自分の迂闊さも呪う。

 煙幕で視界を塞ぐべきじゃなかったとか、ミミズの数が見た以上に出ていたとか、奴らは恐らく自立行動で音に反応して敵を探すのだろうとか。

 だが、全てが遅きに失する。

 葉山君が振り向くと同時に、ミミズは大口を開けて飛び掛かっていたのだから。


 ブヂィイ————


 食い千切る音だ。肉も骨も諸共に。

 おぞましいミミズの丸い口が食い千切ったのは、その瞬間、葉山君が咄嗟の防衛反応でかざした、右腕だった。

 二の腕の半ばまで、ミミズに飲み込まれた。そこで、ミミズはあの円形に並んだ牙で噛み砕く。あっけないほどに、片腕がとれる。

 腕から迸る血飛沫と、新鮮な肉を喰らってミミズの口元が大きく蠢動するところが、やけにゆっくりに見えた。

「えっ……あ、あぁ……うわぁあああああああああああああっ!?」

 葉山君の悲痛な絶叫が響き渡る。

 腕を一本、失ったのだ。ショックで叫ぶくらいはする。

 けれど、それで相手が落ち着くまで待ってくれるはずもない。この煙幕の向こう側で、一体どれほどのミミズ触手が蠢いているのか、考えたくもないほどだ。

「レム、葉山君を抱えて行け! 杏子は入口を閉ざして!」

「もうみんな出たよな!? 『岩石大盾テラ・アルマシルド』っ!」

 黒騎士レムが泣き叫ぶ葉山君を抱えて走り、僕が入口を駆け抜けると共に、杏子が防御魔法を発動。突き立つ岩の壁が入口を遮断する。

 分厚い石壁の向こう側から、ガリガリと幾つもの音が鳴る。奴らが獲物を探し求めて牙を立てているのだろう。

 けど、唯一の出入り口を封鎖したことで、今度こそ多少の時間が稼げる。稼げますように、と祈りながら、僕らは急いで来た道を戻り始めた。

「小太郎、このまま真っ直ぐ広場まで戻るのか!?」

「待って、葉山君の腕は止血だけはしておかないと、手遅れになる」

 ボス部屋施設の入り口まで戻ってきたところで、一旦、止まる。ここで応急処置だけは済ませておきたい。

 本物のポーションがあれば、と思ってしまう。アレなら、患部にかけるだけですぐに出血も止められただろう。流石に腕が生えてくるとは思えないけれど。

 なんにせよ、ない物ねだりをしても仕方がない。ボス部屋から通路まで運んできた間だけでも、すでに結構な出血量だ。床には鮮血の跡がドロドロと続いている。

「急げよ小太郎、壁はそんなにもたねーぞ」

「分かってる。レム、そのまま葉山君をこっちに運んできて」

「プガガ! プガァ!」

「おい、キナコ、やめなって。心配なのは分かるけど、今は小太郎に任せな」

 蘭堂さんが、荒ぶるキナコを止めてくれる。言葉が通じているのか、それとも気持ちを察しているのか。キナコはとても不安な様子でオロオロしながらも、黙って僕の行動を許してくれた。

「黒髪縛り」

 止血の基本は縛ること。これは、指が落ちようが、腕がなくなろうが同じこと。

 縛るだけなら、紐を探すよりも、黒髪でやった方が手っ取り早い。

「少しは傷口、塞がってくれよ」

 それから、取り出したリポーションを半分ほど、切断面に振りかける。

 下川の努力の結晶である劣化ポーションを復活させたリポーションは、本物には性能こそ劣るものの、治癒効果はちゃんとある。ヤマタノオロチ討伐戦でも活躍したからね。

 ひとまず、今すぐこの場でできる応急処置はこんなもんだろう。

 葉山君をちゃんと治療するには、妖精広場まで戻るべきだ。横道がいなくても、外には血の匂いに惹かれてモンスターがいつ現れるか分かったものじゃない。

「なぁ、桃川……俺、死ぬのか……」

「しっかりして、人間は腕一本無くなったくらいじゃ死なないよ。いいから、右腕は心臓よりも高い位置に上げてるんだ」

 涙と鼻水でグシャグシャになった葉山君が弱音を吐くけれど、僕は強く言い聞かせる。腕を食い千切られたショックで半ばパニック状態なのだ。はっきりと命令するくらいの方が、今は伝わるはず。

「葉山君、かなり揺れると思うけど、我慢してね」

「ちくしょう、桃川ぁ……俺にまだ我慢させようってのかよぉ……」

「自分で歩いて広場まで帰れる?」

「む、無理ぃ……」

 そんなやり取りをしながら、葉山君をロイロプスの背中に乗せた。乗せたというか、括りつけたというか。

 片腕を失う重傷の葉山君を安全かつ迅速に搬送するには、背中の上に寝っ転がって乗せられるロイロプスの大きな体がこの中では最適だ。

「それじゃあ、行くぞ!」

「ちょっと待って」

 と、止めはしたものの、これ以上ここで立ち止まっているのは危険だ。次の瞬間には、横道が湖からキモいことを叫びながら飛び出してきてもおかしくないのだから。

 しかし、このまま妖精広場まで撤退したところで、事態が解決するワケでもない。

 葉山君の治療に専念はできるが、横道は健在だ。アイツは野良モンスターではなく、一応まだクラスメイトの人間扱いではあるはず。つまり、妖精広場には普通に立ち入ることができるのだ。

 それに、横道にはそれなり以上の追跡能力もあると思われる。どれだけモンスターを喰らったのかは知らないが、その中に嗅覚に優れる奴の一体や二体はいるだろう。犬並みの嗅覚を獲得しているだけで、ここから妖精広場まで僕らを追跡することは簡単だ。血の匂いプンプンだしね。

 さらには、他の探知能力や移動強化なんかの力まで持っていれば、最悪、撤退途中に追いつかれるだろう。

 ここで出会った以上、やはり横道からは逃げられない。

 いや、あの妖精広場には転移魔法陣があるから、逃げることもできなくはないが……あの転移の行き先は、ランダム設定だ。それも、ダンジョン内でのフルランダムではなく、確実に魔力環境濃度2以下、つまり序盤から中盤あたりのエリアに限定されている。

 僕が転移魔法陣を解読した限りでは、そういう転移設定となっていた。

 安易にこれを使って逃げれば、折角、山越えをしてダンジョンをショートカットしたのが無駄になる。ここから戻されたりすれば、もう完全にみんなに追いつける可能性は潰えてしまう。

「……横道を、なんとかここで始末する」

 どの道、アイツは僕を追いかけ続けるだろう。かなりの魔物を食ったと思われる横道は、どっか適当なところで野良モンスターに負けて死ぬ、というのも考えにくい。あるいは、クソ女神エルシオンの導きで、僕の元に送り付けられることだって、ありえなくはない。

 横道は倒しておかなければならない。僕を食い殺したいだけの対話不能な怪物が相手では、交渉の余地すらありはしないのだから。

「おい小太郎、マジで横道と戦うのかよ?」

「やれるだけやる。でも本当にダメな時は転移使ってでも逃げるから」

 よし、覚悟は決まった。横道討伐戦、やってやる。

第262話 横道討伐戦(1)

 グリムゴアに跨った杏子を先頭に、葉山君を乗せた救急ロイロプスが走り去ってゆくのを見送る。

「やっぱこういう時って、アルファは頼りになるよね」

「クアー」

 と、レムがコアを消費して作り出した分身体のアルファが鳴く。急造の鞍と鐙だけれど、騎乗するのに不自由はしない。

 今、ここに残ったのはアルファに乗った僕だけ。

 目的は勿論、すぐにでも湖から上がって来るだろう横道を引き付けるためだ。

 奴の狙いは僕一人。仲間は食うのに邪魔だから排除しようという程度の動機だから、姿が見えなければわざわざ探し出して殺しに行ったりはしない。

 だから、ターゲットの僕が堂々と単独で奴の前に出るのだ。

「————来たか」

 ほどなくすると、ブクブクと湖面に泡が立ち、その直後には、ザッパーンと大きな飛沫を上げて、大きな魚影が飛び出してきた。

 魚影、に見えたのは、そりゃあ大きな尾びれのあるシルエットがあれば、そう認識してしまうだろう。

「ぶふ、ふひひ……小太郎きゅん、俺のこと、待っててくれたのぉーん?」

 雪の積もった地面へと打ち上がった横道は、ビチビチしながらキモいことを言っている。

 下半身はサメのような大きなヒレのついた体で、上半身は人型のまま。おおまかに見えれば人魚型ではあるが、よく見れば人間の足もちゃんと生えている。その両足は大きな水掻きがついており、河童が実在すればこういう足なんだろう、みたいな形状だった。

 なので、人魚型というより、尾ひれの尻尾が巨大な、カエルになる途中のオタマジャクシみたいな姿であった。どうやら、コレが横道の水中形態らしい。

 双子サメは、もしかして横道が湖でお仲間を食い散らかしたから雪原まで上がってきたのかも。

「うん、待ってたよ」

「嬉しいなぁ……ふひっ、たとえ本物じゃあなかったとしても、俺は嬉しいよ小太郎きゅん」

 流石に、よく鼻が利くな。横道は僕が本物じゃないことをすでに察している。

 当たり前だ、お前みたいなヤツと対面するなら『双影ふたつかげ』を使うに決まっているだろう。

 囮の僕に食いつくかどうかは半分くらい賭けではあるが、こうして無視せずに注目してくれているので、上手くはいったようだ。

「僕は本物だよ」

「男を惑わす嘘はよくないなぁ? 俺には分かる、分かっちゃうんだよねぇ。見た目も匂いも本物と同じだけど、魔力の気配は薄い。水で薄めたカルピスみたいにさぁ」

 だから、魔力で構築された分身のような存在だ、と横道は見事に正解を言い当てる。

 マジか、ここまで正確に本物と分身を見分けられる奴は、横道が初めてだ。

 人間として終わっているくせに、優れた感覚によって相手を正確に分析する知能も残っているのは厄介だな。

「おい横道、ちゃんと喋れるなら、僕と取引しないか」

「取引ぃ?」

 言いながら、横道は尾ひれをズルズルとくねらせながら地を這いつつ、その形態をさらに変化させてゆく。

 急激に尾は縮んで行き、両足の水掻きは剥がれ落ちる。

 そうして、元の人間と同じ姿へと戻り、二足歩行で僕の前へと立った。全裸で。いや、汚れ切ってボロボロだが、辛うじて下着のブリーフだけは残っている。

 現代日本では、ノータイムで通報余裕な最低の姿で、横道は僕へと向き直った。

「僕の血を吸わせてやるから、仲間にならないか」

「仲間……仲間かぁ……へへっ、そういえば、ダンジョンで最初に会った時も、小太郎きゅんは俺のこと、迎え入れようとしてくれたよなぁ」

「そんなこと、覚えていたのか」

「覚えてるさぁ、今になっては、小太郎きゅんとの大切な思い出の1ページ。ぶふっ、あの頃は俺も若かったなぁ、まだ君の魅力に全く気付いていなかったんだから」

 正直、あの頃の方がまだマシだったと思えるけどね。

 救いようのないクズではあったけど、手に負えない怪物よりは良いだろう。

「それで、どうなんだ。仲間になる気はある?」

「小太郎きゅんが俺を求めてくれるのは嬉しいけどぉ……足りない、んだよなぁ」

 ベロリ、と人間離れした大きく長い舌を舐めずる。

「俺は小太郎きゅんの全部を食わないと、もう満足できない体なんだ。もしかしたら、全部食っても満たされないかもしれないな。でも、食わずにはいられないんだよ……この『食人鬼』の飢えは、我慢できないからさぁ」

 まぁ、そんなことだろうと思ったよ。

 勿論、最初から僕に横道を仲間にする意思は欠片もない。小鳥遊と戦うにあたって、横道の戦力は魅力的ではあるものの、手綱を握れないなら意味はない。ついでに、コイツに血を与え続ける精神的苦痛も計り知れない。

 流石にキモオタ豚男の極致を行く横道にペロペロされるのは発狂モノだろう。

 そういうワケで、ただの会話で多少なりとも時間を稼げるだけで今は十分なのだ。ついでに、横道本人から食人衝動は抑えられないし、抑える気もないと聞けて、あらためて覚悟も決まる。

 やはり、横道は生かしておけない人喰いのモンスターなのだと。

「ぶへへっ、だからさぁ、今も苦しいんだよぉ……腹が減って仕方ねぇ。飢えて飢えて狂っちまいそうでぇ……そこに小太郎きゅんがいたら、もう我慢できるワケがねぇんだよなぁ」

 ギチギチと、横道の口が再び裂けて、牙が生えてくる。

 これ以上、会話で引き延ばすのも限界ってところか。

「走れ、アルファ! 全速力だ!」

「キョアアアアアアアアアアアア!」

 手綱を引いて、急反転。アルファを発進させた。

「食う……喰うぜぇ……ヒャッハァーっ! もう我慢できねぇーっ!」

 横道もまた、僕を追って走り始めた。醜い脂肪と汚れ切った体を揺らして全力疾走してくる様は、命の危機と生理的嫌悪を同時に感じさせるヤバい姿だ。

 だが、本当にヤバいのは恐らくここから。

 横道はあんな素っ裸でも、この雪原と寒空の下でも平気な耐寒性能を獲得している。さらにあの液体窒素みたいな湖の中でも問題なく行動できているのは、どう考えてもすでにこの氷雪エリアに住む魔物を食っているから。

 つまり、この環境に適応できるだけの魔物を喰らっているなら、雪の中でも素早く移動する足を持っている可能性は高い。

「待ってよぉ、小太郎きゅーんっ!」

 雪をかき分けるように全裸疾走する横道だったが、その最中で再びメキメキと音を立てながら体が変化してゆく。

 膨れ上がってゆく下半身は、ブヨブヨとした白く濁ったような色合いの皮膚で覆われ、そこから何本も地面を這うための足が伸びてくる。

「うわぁ、想像以上にキモい形態になったぞ……」

 それは、まるで芋虫のような姿であった。

 下半身が蛇で、上半身は巨乳美女になっているラミアというモンスターっているじゃないですか。あれの芋虫バージョンって言ったら伝わるだろうか。

 ウジ虫のような白い体は、優に5メートルはありそう。水中用のサメ下半身よりも大きいだろう。

 そんな巨大芋虫ボディから生えるのは、沢山の足。短いが、黒々とした甲殻を纏った足は、力強く雪の地面を掻いて、その寸胴な大型ボディから見た目以上の速度を叩き出す。

 芋虫の体を蠢動させながら、シャカシャカと足を動かす横道の移動速度は、恐らくは雪灰狼に匹敵するだろう。

「思ったよりも素早いな。けど、アルファの方が速い」

 これなら、すぐに追いつかれて食われることはないだろう。アルファの俊足にも追いつく速度が出せたら、マジでコイツ手に負えないよ。

 さて、これで横道を引き付けておけるが、問題はこれから先。僕がどこまで、野生のモンスターに対応できるかだ。

「早速、お出ましだな」

 町の方向へ走りながら、転々と建物が見えてきた頃である。進行方向でむっくりと起き上がる、複数の大きな人影が現れた。

 氷の体を持つ、アイズ・ハイエレメンタルだ。周囲には、子分の様に雪だるまボディのアイズ・エレメンタルも出現している。

「そのまま突っ切れ、アルファ!」

「クァアアアアアアアアッ!」

 鋭い鳴き声を上げて、僕を乗せたアルファがグンっと急加速。奴らのど真ん中に突っ込む。

 群れてはいるが、ハイエレメンタルの絶妙な散らばり具合の隙間を縫うようにアルファは駆け抜け、進路上に飛び出たエレメンタルはそのまま蹴飛ばして粉砕。

 アルファ単騎だったら、コイツらの群れを正面突破で通り抜けるのは、そう難しいことではない。今の僕に必要なのは、敵を倒す攻撃力よりも、素早い機動力。

 一度抜ければ、もう鈍足なエレメンタル共に追いつくことはできない。

 その代わり、直後に突っ込んでくる横道の相手をしてくれよな。

「はぁあああああああああ、歯ごたえのねぇかき氷野郎どもがぁ、俺の邪魔してんじゃねーぞコラぁっ!」

 怒声と共に、横道は勢いのままアイズ・ハイエレメンタルをまとめて吹き飛ばしていた。さながら、暴走特急である。

 1秒も足止めできずに、エレメンタルの群れはただ蹴散らされただけだった。ちっ、役立たずめ。

「まぁいい、僕の本命は他にいる……頼むから、まだいてくれよ」

 戻ってきた町の中を、横道を引き連れて駆け抜ける。目的地は最初から決めている。

 僕は使い魔にした偵察用レム鳥を飛ばして、道に迷わないよう案内させている。

 道中、またエレメンタルや雪灰狼が出てきたりもしたが、横道が余裕で撃退してくれるので、問題はない。

 さて、目的地はそろそろのはずなんだが————

「あそこだ!」

 寂れた地方都市、みたいなこの町にあって、そこは目立つ大きな建物だ。

 元々は学校、だったのだろうか。広々とした敷地に、3階建ての大きな棟がコの字型で建っている。

 そう、僕はすでに知っている。

 この学校が、ゴグマ率いるゴーマ部隊が駐屯している拠点だと。

「ンバァっ!? ゲブラァアアアアアアアッ!」

「ブンドグラァ! ゼブ、ダーダバァ!」

 急接近する僕と横道を早々に歩哨のゴーヴが発見する。

 二体のゴーヴは何やら叫びながら、手にした弓を引いて矢を放ってくる。そんなクソエイムに当たるかよ。

 僕は横道を絶妙な距離で引き連れながら、ゴーマが拠点としている学校の中庭へと突っ込んでいった。さぁ、僕のために戦え、ゴーマ共。

「ボス戦の時間だオラァ!」

「グバッ!?」

「ドゥンガァッ!」

 飛び込んできた僕と、そしてすぐ後ろに迫る横道を見て、ゴーマ達は驚いたような声を一斉に上げる。

 ちょうどこれから探索に出かけようとしていたところなのか、中庭に陣取っている奴らは、しっかりと武装をしていた。

 勿論、僕の本命である二体のゴグマも、大型の武器を装備している。

 片方は淡い緑のラインが刀身に走る、青龍刀のような形状をした片刃の大剣。もう片方は、刃全体が赤く染まっている大斧を携えている。

 恐らく、風の剣と炎の斧、なのだろう。流石はゴグマ、ちゃんと魔法武器を持っている。

「行くぞ、お前ら! 横道は強敵だぞ、気合入れて戦え!」

「グブラ、ゼブ、ダンバルガァ!」

 僕の掛け声に応えたワケではないのだろうが、ゴーマ部隊に指示を出すような声が響く。

 ソレを発したのは、ゴグマではなく、一体のゴーヴであった。

 奴らの強さ的にはゴーヴの方が格下のはずだが、あの命令を出しているっぽいゴーヴは、他の奴とは装備が随分と違っている。

 全身を金属製の鎧で覆われ、さらに鎧は色鮮やかな羽根や毛皮などで装飾されている。如何にも蛮族チックなデザインの全身鎧だが、あれはどう考えても一兵卒のゴーマやゴーヴが着用するものではない高級装備である。

「あのゴーヴは王族か貴族ってとこか」

 二体ものゴグマを従えているとなれば、その権力は相当なものだろう。僕らが滅ぼしたゴーマ村の村長ゴーヴとは格が桁違いだ。

 まぁ、今は偉さよりも強さの方が必要なんだけど。あのゴージャスゴーヴがただの見掛け倒しではないことを祈ろう。

「ちっ、飯にもならねぇオークにトロルかよ。テメーらクソ不味くて食えたもんじゃねぇからなぁ、この生ゴミ共がぁ!」

 突然の侵入者に荒ぶるゴーマ達を前に、横道も吠える。

 しかし、ゴーマも食ったことあるだろうとは思ったが、まさか横道でも不味くて食えないレベルとは。これはもう単純に味の問題ではなく、人間とゴーマの間にもっと根本的に相容れない理由なんかもありそうだ。

 まぁ、そんな種族の秘密に関しての考察はどうでもいい。今はただ、僕にとってはどちらも脅威となるモンスター同士が、お互いに潰し合ってくれればいいわけで。

 さぁ、人間を辞めた怪物横道と、人間の天敵であるゴーマとの、大決戦を始めよう。

「ゼンヴァアアアアアアアアアアアッ!」

「グヴロォオアアアアアアアアアアッ!」

 先陣を切ったのは、ゴーマ側のエース級たる二体のゴグマ。それぞれの得物を振り上げ、真っ直ぐに横道へと切りかかる。

 なかなかの迫力だ。いいぞ、やっちまえ!

「へへっ、風と炎かぁ……そんなもんがよぉ、今更ぁこの俺に効くかよぉ!」

 対する横道は、芋虫下半身の更なる変化をもって対応する。ミシミシと骨と肉が軋む音を立てながら、左右から新たな器官が生え出した。

 右側から生えたのは、岩のようなゴツい甲殻に覆われた、巨大な腕。ゴーレムの腕、と言っても納得するような形状だ。

 左側からは、赤い毛皮に覆われた獣の腕。熊のような腕で、指先には鋭い爪も生えている。

 岩のゴーレム腕で風の大剣を、赤い熊手で炎の斧を、それぞれ迎え撃った。

 衝突の瞬間、大剣からは『風刃エールサギタ』のような風の斬撃が幾つも舞い散る。大斧の方からも、見た目に違わず轟々と真っ赤な炎が噴き出していた。

 どちらも、普通に受け止めただけでは風と火の追加攻撃によってダメージは免れない。魔法武器の厄介な点の一つである。

「やっぱり、それなり以上の耐性を持っているな」

 ゴグマの剛腕によって振るわれた重い一撃に加え、それぞれ発せられる魔法攻撃。横道は、その全てを難なく受け切った。

 ゴーレム腕は風の刃など幾ら受けても傷一つつかない堅牢さ。赤熊の腕は、猛火に焙られても毛先に火が付くこともない。硬い物理防御に、高い炎熱耐性。

「グブゥウ!」

「バングガァ!」

 二体のゴグマは魔法攻撃が通じずとも、そのまま力で押し切ろうと力を込めているようだが、横道の生やした片腕だけで見事に受け止め切っている。

「トロルはデブだけあって力自慢ってかぁ? けど、俺の方が強ぇんだよぉ————燃えろぉ、『爆熱筋肉マッスルヒート』ぉ!」

「なにっ、あの技は!?」

 異形の両腕に、赤いオーラが噴き出すと共に、ゴグマはついに堪え切れないとばかりに、後ろに弾かれた。

 強化魔法によってパワーが上がった。というだけなら、そういう能力のモンスターを食ったと思うだけだが、あの特徴的な名前の強化魔法には覚えがある。

 あれは、間違いなく『炎魔術師』だった大山の技だ。

「まさか、大山も食らっていたのか……」

 僕の甘さで逃亡を許してしまった手前、いつか復讐に現れるかと気にはしていたけれど、まさかこんな形で死亡が確定するとはね。

 ちくしょう、大山の炎魔法は強力だ。僕もかなり追い詰められた。

 それが、よりによって横道の手に渡っているとは。これは想定以上に、横道の持つ能力は強大だぞ。

「おらぁ、どうしたどうしたぁ! かかって来いよぉ、雑魚のかませ共が。俺の強さの引き立て役になってぇ、小太郎きゅんにカッコよく無双するとこ見せてやりてぇんだからさぁ!」

 横道は両腕を振り乱し、ゴグマへと迫る。

 流石にパワーも防御も勝る相手となれば、ゴグマも防戦一方とならざるを得ない。

「なにやってんだお前ら、ゴグマがタンクとして横道のヘイト受けてんだから、さっさと横と後ろに回り込んで叩け!」

「ゼブラ、ゴグマダン、ゴブ、デルバルザァアアアアア!」

 ちっ、指示を出すのが遅いんだよ。

 僕の叫びの直後に、釣られて命令を叫んだみたいなリーダーゴーヴの声を聞いて、他のゴーヴ達も動き出した。

 横道は真正面のゴグマ二体に集中しているので、後ろの芋虫下半身はがら空きである。

「はっ、雑魚共がどんなに群がっても、俺を倒せるワケねーだろが! 好きに食らいな、ワームヘッド!」

 いざ芋虫の体に刃を突き立てんとしたその時、白い皮膚を食い破るように、内側からあのミミズ触手が飛び出してきた。まるで寄生虫が元気よく出てきたみたいな絵面で、非常に気持ち悪いが……多数を相手にするには、有効な技ではあった。

「ンダヴァ!?」

「ゴバァアアアアア!」

 ゴーヴでもミミズ触手に襲われるのはおぞましい体験なのか、ちょっと悲鳴みたいな声を上げつつ、必死に武器を振って応戦していた。ミミズ自体はそれほど硬くはないので、十分に奴らの剣でも切り裂けるが、縦横無尽に蠢く動作と、自分達を上回る数が迫り来るので、こちらも横道本体に攻撃を仕掛けるどころではなくなった。

「グブブ、ゼバァ!」

「うわぁ!? 馬鹿野郎、僕なんかを攻撃してる場合かっ!」

 どさくさ紛れに、ゴーヴが僕の方に襲い掛かってきた。

 振り下ろされる刃を、アルファのノコギリ尻尾で払いのける。

「助けろやぁ、横道ぃーっ!」

「ああん、テメぇ————なに俺の小太郎きゅんに手ぇ出してんだゴラぁ!!」

 怒りの叫びと共に、横道の口から青白い雷撃が放たれる。

 バリバリと唸りを上げながら発せられた雷ブレスは、見事に僕を狙っていたアホゴーヴに直撃。一撃で全身が焼け焦げ、その場に倒れた。

 よし、よくやった横道。しっかり僕を守れよ。

「今だゴグマ、横道の注意が僕に逸れた隙を狙って反撃だ!」

「グルバァ!」

「フン、ドラガァ!」

「うおぉおおっ、危ねっ!? 今ちょっとかすったじゃねぇかクソがぁ!!」

 僕の方に横道が気を逸らしたから、ゴグマがすかさず攻勢に出た。

 横道とゴーマ部隊では、能力的には横道の方が優勢だ。だから僕が上手く立ち回って、少しでも横道にダメージを与えなければ。

 敵の敵は味方、とはよく言ったものだよね。僕もまさか、ゴーマと共闘する日が来るとは思わなかったよ。

 それじゃあ、僕も頑張ってサポートするから、ゴーマの皆さんは最後の一兵になるまで戦い抜いてね。

第263話 横道討伐戦(2)

「レム、ゆっくり下して」

 右腕を失った葉山君を、妖精広場の芝生の上にそっと寝かせる。

 すぐ傍には、心配そうに彼の顔を覗き込むキナコとベニヲ。

 僕らは無事に妖精広場まで撤退することに成功はしたけれど、以前、事態は切迫したままだ。

「僕は葉山君の手当てをする。杏子はさっき指示したところに、穴を掘っておいて」

 これから、僕らは横道を倒すための迎撃準備を始める。

 ヤマタノオロチの時みたいに、潤沢な準備時間はないし、人手もない。限られた時間、僅かな戦力。それでも、アイツはここで何とかしなければ。

「横道は今どうなってんの?」

「ちゃんと分身を追いかけてくれてる。今はちょうど、ゴグマと戦い始めたところだ」

 ゴーマ拠点への誘導は成功だ。あとは、どこまでアイツらが粘ってくれるか。

「おい葉山、死ぬんじゃないぞ」

「蘭堂ぉ……お前、もうちょっと言葉選べよな」

「そんだけ言えれば余裕だな」

 そんな軽口を叩いてから、杏子は黒騎士レムを伴って教会の外へと出て行った。

 彼女には、先に準備を始めて貰わないと。とはいえ、穴を掘れ、と言ったように、落とし穴なんていう原始的な罠しか用意できそうもないけれど。

「葉山君、痛みはどう?」

「……ああ、かなり痛みは感じなくなってきたな」

 よし、鎮痛剤がちゃんと効き始めているようだ。

 あんまり出番はないけれど、鎮痛剤も作ってはある。コイツで痛みを麻痺させないと耐えられないほどの重傷なんて、起きて欲しくはなかったけれど。

「葉山君って、血液型は何型?」

「へへっ、何型だと思う?」

 本当に意外と元気そうじゃないか。これくらいの余裕と意識があれば、大丈夫だろう。

「O型かな」

「よく分かったな、正解だ」

「残念だけど、僕はB型だから、輸血はできそうもないな」

「えっ……輸血、いるの……?」

「いや、大丈夫だよ」

 多分ね。言っとくけど、僕は医者でも治癒術士でもないんだからね。

 大量出血だから、最悪の場合輸血も必要になるかもとは思った。だが、上手に輸血する方法は、今のところ確立されてはいない。

 一応、できなくはないよう、道具そのものを試作したりはしてあるけれど……結局、学園塔では一度もやる機会がなかったし、僕も上手くやる自信はない。

 そもそも輸血できる血液がないから、やるにやれない、という方が気楽ではある。

「とりあえず、コレ飲んで」

「これがポーションってやつかぁ……水みてぇだな」

 別に味付けはしてないからね。

 最初に傷口にかけたリポーションの残り半分を、葉山君には飲んでもらった。

 処置といっても、ここから僕にできることは、傷薬を塗って、ガーゼ代わりの布地を当てて包帯で巻くくらいだけど。

「おお、上手いもんじゃないか」

「練習したからね」

 クルクルと包帯を巻いていると、そんなことを葉山君は言う。

「白衣の天使って、マジでそう見えるもんなんだな」

「何言ってんのさ、学ラン着てるんだけど」

 まずいな、元気そうには見えるけど、意識は結構、錯乱しているかもしれない。

「悪いけど、今の僕にできる処置はここまでだ。後は……この妖精胡桃と、肉を食べておいて」

 食べてすぐ血肉になるワケではないけれど、そんなことしか出来そうなことはない。

「くそ……悪ぃな、足引っ張っちまってよ……」

「いや、僕の不注意だった。それで取り返しのつかない怪我をしたんだ。後で、幾らでも責めてくれていいよ」

「俺も男だ、そんなダセぇこと言うかよ。それより……横道、倒すんだろ?」

「うん、アイツはここで倒さないと危険過ぎる」

「俺のことはもういい。行けよ、桃川。右腕はねぇけど、魔力はゼロじゃねぇ。何かできることがあったら、何でも言えよ」

「ありがとう、葉山君」

「キナコ、ベニヲ、俺は大丈夫だ。だから桃川と蘭堂のこと、頼んだぞ」

「プガガァ!」

「キャンキャン!」

 葉山君の言葉に、キナコとベニヲも意を決したように立ち上がる。

 二人にちゃんと戦う指示を出してくれたことは、地味にありがたい。僕じゃあ言葉は通じないからね。

「ひとまず、葉山君はここで安静にしていて。『精霊術士』の力を借りることになるかもしれないから、覚悟はしておいて」

「任せろよ」

 実に男前なことを言ってくれた葉山君を後にして、僕は杏子がいる外へと向かった。

「杏子、穴はどんな感じ?」

「この間やったばっかだから、そら楽勝よ」

 直径10メートルはある大穴が、現在進行形で掘られている。今の深さは2メートルといったところか。

「けど、こんなデカい穴、落ちる前に絶対気づくだろ」

「できる限り薄く天井を作ろう。分身をここまで誘導させて、奴が食いつけば落ちる」

「それで落ちるかぁ?」

「横道はかなりの巨体だ。ほどほどの厚さでも天井抜けるくらいの重量はあるよ」

 しかし、分身の僕が上に乗っても大丈夫で、横道が乗ればちょうど落ちる強度を、一発で上手く作れるかどうか。若干の不安要素はあるが……その時は杏子が攻撃魔法叩き込んで崩落させるしかないだろう。

「まぁ、穴の上を覆うのも出来なくはなさそうだけどさぁ、これ塞いでも丸見えじゃね?」

「あー、確かに……」

 ここは氷雪エリアで、ヤマタノオロチがいた荒野とは違う。そう、ここにはどこの地面も雪が積もっているのだ。

 当然、土魔法によって掘られた穴の部分だけは雪がなくなり、周囲は綺麗に雪が白く残っている。ここだけ掘ったのがこれ以上ないほど分かりやすく示されている。

「ベニヲ、この辺を火炎放射して積もった雪を溶かして」

「ウウゥー、ワンワン!」

 僕の指示を受けるのはちょっと不服そうに唸っていたけれど、ご主人様の言いつけ通りに、従う意思はあるようだ。

 というか、普通に僕が話したことを理解していることに、改めて驚きを隠せない。

 ベニヲは指示した通りに、妖精広場のある教会前の地面を炎を噴いて雪を溶かし始めた。

「僕もカイロを最大出力で溶かしてるよ。穴の深さが5メートルまでいったら呼んで」

「そんなもんでいいのか?」

「それくらいにしとかないと、他の仕込みの時間がなくなりそうだから」

「そんなにスケジュール、キツい?」

「困ったことに、横道めちゃくちゃ強いんだよね……」

 と、僕は『双影』が目撃しているゴグマとの死闘を見せつけられて、ちょっと遠い目をしてしまうのだった。




「————いい加減にぃ、死ねやこのクソデブがぁ!」

 ガァン! と一際大きく響いた打撃音によって、ついにゴグマは沈黙した。完全に頭部は叩き潰され、生命力に優れる巨躯が地面へと倒れ伏す。

 同時に、ゴグマをタコ殴りにしていた岩を纏うゴーレム腕も、耐久限界を迎えたかのように砕け散った。

「ブフゥー、これであとは雑魚だけだな」

 のっそりと殴り殺したゴグマの上から降りる横道は、半分以下に数を減らしたゴーヴ達を眺める。

 一応、まだリーダーのゴーヴは残ってはいるが……コイツは多少の攻撃魔法が使えるくらいで、ゴグマほどの戦闘能力はない。つまり、もうゴーマ側に勝ち目はないということだ。

「とりあえず、目立つテメーから死んどけやぁ!」

「グウラァ! ゴブァアアアアアアアアアアアアッ!?」

 リーダーゴーヴに目をつけた横道は、黒に紫の文様が浮かぶ禍々しい甲殻に包まれた長い尾を向ける。

 それは、僕も実物を見たことがあるから知っている。あの黒と紫文様の尾は、デスストーカーの尻尾だ。

 どうやら砂漠エリアを放浪していたのは、横道だったようだな。ちゃんとあそこも、クラスメイトの一人が攻略している場所だったということか。

 そんな僕の考察を他所に、激烈な猛毒を秘めた真っ赤な尾針が、リーダーゴーヴの腹をブチ抜く。あんなデカい針に刺されたら、毒なんて関係なくそのまま死ねるよね。

「ヒャハハハ! 派手に死ねよ、オラァ!」

 横道はデスストーカー尻尾とは別に、さらに新たな尾を生やし、リーダーゴーヴへけしかける。

 正確には、それは尾ではない。細長くくねる、真っ赤な甲殻に覆われた体からは、無数の足が生えている。

 どうやらソレは、巨大なムカデらしい。

 毒々しい赤色をした巨大ムカデは、特に大きく発達した鋏角でもって、リーダーゴーヴに喰らい付く。

 そして、サソリとムカデに挟み込まれたゴーヴの体は力任せに引っ張られ……次の瞬間には腹から裂けて、ド派手に血肉を撒き散らかす。こういう死にざま、モンスターパニック映画とかで見たことあるよ。

 おい横道、モンスターになると、その派手な殺し方をしたくなるものなのかい。

「ゴーマ部隊はこれで全滅か……まぁまぁの時間は稼げたな」

 残されたゴーヴ達が成す術もなく蹂躙されていくのを眺めながら、僕はいそいそと撤退準備を始める。

「おっとぉ、まだ追いかけっこがしたいのかい、ハニー?」

 ゴーヴを殺し尽くした横道が、血の池地獄と化した真ん中から、僕へと振り返って呼びかけてくる。

「悪いけど、もうちょっと付き合ってくれると嬉しいな」

 笑顔で言い残し、アルファを再び発進させる。

 ここで出来ることは、全て終わった。

 ゴーマ部隊は時間稼ぎに加えて、横道にある程度の消耗を強い、さらに奴の能力の解明にも役立った。尊い犠牲に、敬礼。僕、この戦いが終わったら、ここに戦利品を取りに来るんだ。

「横道の能力は強力だが、無敵じゃない。削り切って、倒すことはできる」

 さっきの戦いから、僕はそう結論づけた。

 注目すべきポイントは、一度破壊された部位は、全く同じモノが再生しなかった、というところだ。

 横道はモンスターを食べると、そのモンスターの肉体の一部を再現し、能力を使うこともできる。ゴーレムみたいな奴を食べたから岩の大腕が使えるし、デスストーカーを食ったから、サソリの尾を生やせる。

 だが、モンスターの再現部位は破壊されると、もう一度同じものを生やすことはなかった。

 単に横道が気分で別な部位を使った、という可能性もある。または、再生するにはクールタイムのような制限があるとか、普通にちょっと時間がかかるだけ、ということもありえるだろう。

 でも僕としては、壊れた部位をもう一度生やすには、同じモンスターを食べるしかない、というパターンが正解な気がする。

 天職の力は、決して万能ではない。僕から言わせると、きちんとゲームバランスがとれた強さ設定がされている、という印象である。ただし『勇者』と『賢者』は除く。

 だから、幾ら喰らった相手の力を自分のモノにする、というチート能力があったとしても、ある程度の制約や制限はあると思われる。一度食ったら、今後は永遠かつ無限に使い続けることができる、というクソ設定にはしていないはずだ。

 横道の自称『スキルイーター』という能力がこの仮説通りであるとすれば、奴が繰り出すモンスター部位を全て破壊できれば、丸裸にできる。すでに裸だけど。

 横道は手の付けられない怪物と化しているが……全てとは言わずとも、特に強力な部位を破壊するだけで、かなり弱体化はできるはず。そこまで弱らせることができれば、今の僕らにも勝ちの目は見えてくる。

 杏子の一撃を防ぎきれない、耐えきれない、程度にまで奴の能力を削り切ることができれば、確実に横道は始末できる。

「その削り作業が、なかなか厳しいんだけどね……」

「ぶへへぇ、待て待てぇーっ!」

 と、浜辺で追いかけっこする恋人気分で叫んでいる横道は絶好調である。ゴーマ部隊と戦って消耗した様子は、これといって見られない。

 ひとまず、さっきの戦いでゴーレム腕と赤毛の熊腕、それからミミズ触手の大半と、何本かの腕を破壊したが……アイツの腹の中には、まだまだ沢山の得物が詰まっていそうだ。

「広場につくまでに、せめてデスストーカーの尻尾だけは破壊しとかないと」

 アレは危険すぎる。デスストーカーは普通にボス並みの強敵だ。天道君率いるチームだったからこそ、狩るのに成功しているに過ぎない。今の僕のパーティでは、とても相手にはしたくないモンスターだ。

「頼むから、すぐに出てきてくれよ」

 僕はゴーマの拠点から出るなり、真っ直ぐ向かったのは郊外の森。

 そう、散々モンスターに襲われた高エンカウント率&強力な奴らが生息する、あの雪の森である。

 狙いは森の王者、赤い羽毛のクリムゾンレックス。

 あのレベルのモンスターならば、もしかすればそのまま横道倒せるまでありうる強さだ。アイツを横道にぶつけることさえできれば、この戦いは一気に優勢となる————

「けど、そうそう上手くはいかないか」


 バァオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 と、僕に向かって吠えるのは、こげ茶色の分厚い毛皮に、大きな棘の生え揃った甲殻を背負った巨体。

 スパイクマンモス、であった。

「よし、もうお前でいいから削れるだけ削ってくれーっ!」

 ちょうど現れたスパイクマンモスに向かって、僕は真っ直ぐ突撃する。

 草食獣ではあるが、目につく奴はとりあえずぶっ飛ばす獰猛なスパイクマンモスは、棘付きのハンマーみたいに凶悪な長い鼻を振るってくる。

 その危険なフルスイングをアルファが絶妙な軌道で掻い潜り、そのままスライディングするように腹の下を潜り抜け、オマケとばかりにノコギリ尻尾でマンモスの腹を切り裂く。

 尻尾の刃先は硬く厚い毛皮を少々切り裂く程度に留まるが、マンモスの怒りを買うには十分ではあった。

「うぉおおー、助けろ横道ぃーっ!」

「させるかよぉ、小太郎きゅんは俺のモンだぞコラぁ!」

 そして、怒り狂ったマンモスが僕を襲おうとすれば、すかさず横道が突撃して来る。

 横道の芋虫巨体は、そのまま体当たりするだけでスパイクマンモスを揺るがすほどの威力を発揮する。

 流石に、自分と同等の重量を誇る相手が飛び込んで来れば、そちらの対処を優先するよね。マンモスは更に荒ぶる咆哮を上げて、横道へと向く。

「邪魔臭ぇ、さっさと死ねやぁ!」

 デスストーカーの尾を、スパイクマンモスへと突き刺す。

 あの劇毒を喰らえば、いくらマンモスでも————と思ったが、伊達に巨躯を誇っているわけではないようだ。スパイクマンモスはお返しの様に体当たりをかまし、横道を弾き飛ばす。

 その超重量の体当たりの衝撃を受け、デスストーカーの尾がビキリ、と音を立てて折れた。

 よし、要注意の危険部位が早速破壊されたぞ。

「痛ってぇじゃねぇかよぉ……ちょっとデカいからって、調子乗ってんじゃねぇぞエレファントの分際でぇ!」

 そうして始まる、横道VSスパイクマンモスのモンスター対決。

 純然たる力のぶつかり合い。レックス相手にも全く怯まずに反撃する獰猛なスパイクマンモスは、異形の怪物横道相手にも果敢に応戦したが————

「はぁ……はぁ……ようやくくたばりやがったかぁ……手こずらせやがってぇ」

 ついに横道はスパイクマンモスを倒した。

 ゴグマのいるゴーマ部隊と連戦でスパイクマンモスをガチンコして倒すとは、マジで横道の強さはエース級だ。

 だが、無傷とはいかなかった。

 横道はこの戦いで、また幾つかの部位を失っている。スパイクマンモスは十分に善戦してくれた。

「っていうか、このまま森で横道を倒し切れるのでは……?」

 と、僕は更に森の奥へ横道を誘導するようにアルファの手綱を引いたが、

「ぶへへぇ……もう逃がさないよぉ、小太郎きゅん」

「しまった!?」

 気が付けば、雪の下から飛び出てきた大きな蛇が、アルファの足に噛み付いていた。

 一匹だけではない。あのミミズ触手と同じように、次々と現れては走り出そうとしたアルファへと食いつき、その身動きを止める。

「くうっ!」

 あまりの数にアルファもついに引きずり倒され、騎乗していた僕も地面へと放り出された。

 ゴロゴロと雪の上を転がった先で、横道は舌なめずりをして僕を見下ろした。

「俺さぁ、ちゃんと分かってっから。小太郎きゅんが、俺のこと待っててくれてるって」

 感動しているんだ、とでも言いたげにしみじみと語る傍らで、僕の体もまた蛇によって拘束されてゆく。

 両足に絡みつき、胴体を這い回り、もうここからは一歩も動くことはできないだろう。

「本物の小太郎きゅんはさ、いるよね、こっちの方向にさぁ」

「この距離で、僕の居場所が分かるのか」

「分かるよ、愛とスキルの力でね」

 それスキルの力100%ってことじゃないか。

 厄介な索敵スキルを、やはり持っているな。

「匂いか、魔力感知ってところか」

「うんうん、感じるよ、匂いも気配も、俺には、小太郎きゅんをよぉーっく感じられるんだ!」

 だから、もう偽物の僕を追いかける必要もないってことか。

 ちっ、もう少し粘りたかったんだけどな。

「待っててね、小太郎きゅん————すぐにそっちに行くからさ」

 ガバァ、と異形の大口が僕の頭上で開かれる。

 滴り落ちる涎は、ゴーマみたいな臭気を発して吐き気を催す。けど、なによりも喉の奥まで歯が並んでいる口腔がおぞましい。

 いくら分身とはいえ、コレに食われるのはちょっと遠慮したいね。

「ああ、分かった、来いよ横道」

 それだけ言い残して、僕はポケットに入れていたグレネードを起爆した。

第264話 横道討伐戦(3)

 さて、とうとう双影による囮役が散ってしまった。これ以上、外で横道に消耗を強いることはできない。

「いよいよ、正面対決か」

 即興で作り上げた横道迎撃用の教会前広場を眺める。

 見た目としては、何もない。ただ、しっかりと直径10メートル、深さ5メートルの落とし穴は掘られている。

 穴の中には、急いで書き上げた『果てる底無き』と手持ちの供物になりそうなモノを配置。ヤマタノオロチ戦では外殻突破のために使ったけど、今回は横道の巨体を攻撃するのに使う。単純に落とした相手を溶かすという点では正しい『腐り沼』の使い方である。

「準備が出来なさ過ぎて、めちゃくちゃ不安だ……」

 今の僕に用意できた策は、この落とし穴一つきり。これで仕留められなければ、後はもう何もない。

 一応、ヤマタノオロチ戦でトドメ用のバックアップとして用意していた虎の子のコア爆弾はあるのだが……コイツをここで爆破したら、僕らが無事では済まない。横道を一撃で吹き飛ばせる火力は期待できるが、使うのはちょっと危険すぎる。できれば使いたくはない。

 だから、穴に落として皆で総攻撃、という原始人のマンモス狩りみたいなシンプルプランなのである。

「不安だが、後はもう、穴にかけることだけ考えよう」

 僕は新たに作り出した分身を落とし穴の真上に配置した後は、ただ横道の到来を待つことにした。

 外の天気は、吹雪ではないが、雪は降っている。またいつ荒れてもおかしくない、そんな空模様。

 けれど今だけは、しんしんと雪が降るだけの、不気味なほどの静寂に包まれる。僕ら全員、ただ息を潜めて待つ。

 そうして、5分か、10分か。その静謐は突如として破れられた。

「ぶははははぁ! ここだぁ、ここだなぁ、小太郎きゅんのいるとこはぁ!」

 ちょうど広間の真正面から、横道は姿を現した。

 通りのど真ん中を、あの気持ちの悪い巨大芋虫の体で駆け抜けてくる。

「僕はもう、逃げも隠れもしないぞ。さぁ、正々堂々かかってこい、横道!」

「とか言っちゃってぇ、それ言ってるの分身の方だよねぇ? でも食いつかずにはいられない、悔しぃいいいいいいいいいい!」

 とか絶叫しながら、そのまま飛び掛かる勢いで、分身の僕へと大口を開けて横道が突っ込んできた。


 ドドドドォオオオオッ!


 そうして、落とし穴は無事に発動した。

 まぁ、これだけ後先考えない猪突猛進ぶりで、かからないワケがないんだが。

「ぬぁああああ! なんだぁ、コレぁああああああああ!?」

 落ちた横道が驚きの叫び声を上げるが、それは直後に絶叫へと変わる。

「うがぁああああああああああああっ、と、溶けるぅ! これなんか溶けてるぞぃ!?」

 ぞいってなんだよ……じゃなくて、無事に『腐り沼』の毒は通用しているようだ。もしかすれば、毒耐性、腐食耐性、なんかでノーダメージってことも考えられたけど、通っているなら問題ない。

 もっとも、あのデカい芋虫の体を溶かし切るには相当の時間がかかるだろうが。

「今だ、かかれっ!」

 ここが最初で最後のチャンスだ。

 僕と杏子、レムと屍人形、そしてキナコとベニヲも加えた、今戦える全員が教会から飛び出し、横道へと総攻撃をかける。

「今度こそブチ抜けぇ————『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』っ!」

 真っ先に飛んで来たのは、杏子の一撃。

 彼女は教会の二階に陣取り、広場を狙い撃ちできるスナイパーポジションについている。

 穴に落ちた横道も、上から撃ちかければ射線は通る。放たれた岩の長槍は、落とし穴の底で毒沼にもがく横道へと直撃した。

「ぬぅがぁああああ! 痛ってぇ、蘭堂ぉテメぇええええええええええ!」

 ちっ、ヘッドショットは外したか。

 だが、岩槍は横道の腹、ちょうど芋虫ボディへと変化している境目辺りを貫いていた。

 横道はモンスター部位が切り落とされても痛がる素振りはなかったが、やはり元の人間の体の部分に喰らうと、直でダメージを受けるのだろう。

「人体部分を狙え! どんどん攻撃しろ!」

 叫ぶものの、僕は直接攻撃には参加しない。

『腐り沼』から『赤髪括り』をありったけ出して、横道を拘束するのが役目である。

 毒沼でバシャバシャともがく芋虫の体を縛り上げ、さらに横道本体の方へと触手を伸ばす。奴のパワーからすれば、僕が全力で拘束してもこれを破るのはそう難しいことではないが、毒沼のダメージと総攻撃に晒されるこの状況なら十分に絡めとっていられる。

「プグァアアアアア!」

「ワンワン、ボァアアアアアアアアアアアアッ!」

 ご主人様の仇とばかりに、キナコとベニヲも奮戦している。

 実は投石攻撃ができると聞いていたので、キナコにはグレネードと即席の投げ槍を託した。

 やはり僕の言うことはちゃんと理解できているようで、穴に向かってグレネードをきちんと放り込んでいる。

 そしてベニヲの方は、ひたすら火炎放射だ。それほど長い射程距離ではないが、穴の上から吐きかけるには十分すぎる炎の帯が伸びる。

 横道は高い炎熱耐性があるが、それも耐性を誇るモンスター部位があればこそ。それがない部分を焼けるだけでもいいダメージを稼げる。

「ゴォオアアアアアアアアアアアアアッ!」

 そして、二体の屍グリムゴアも、その身を動かす魔力が尽きても構わないというほどに、砂のブレスを全力でぶっ放す。

 だが、本命の攻撃は杏子の土魔法と、黒角弓を引く黒騎士レムだ。

「うぉおお危ねぇーっ! 今の脳天直撃コースだったじゃねぇか!?」

 ちいっ、レムの一射が完全にヘッドショット決まるところだったのに、野郎、両腕を亀の甲羅みたいなもので覆って盾を作りやがった。

 頭と体を覆うようにして、両腕の甲羅盾をかざす横道だが、万全な防御態勢とは言えない。急場凌ぎと言ったところだ。

「このまま押し切れ!」

「さぁせぇるぅ、かよぉおおおおおおっ!」

 縛っていた赤髪がブチリブチリと千切れ飛ぶ。芋虫ボディの内側から、新たな腕が二本、いや、四本も生えてきている。

 猿みたいな毛むくじゃらの腕。爪の生えた犬みたいな腕。水掻きのついたカエルみたいな腕。蜘蛛のような鋭い脚。

 それぞれ一本ずつを生やした腕は、どれも穴の底から上まで届くほどに長い。

 拘束を破った異形の四本腕は、がっちりと穴の淵を掴みとり、ズブズブと横道の巨体を上へと押し上げていく。

「レムは右側、キナコは左側の腕を狙え! 蜘蛛足は硬いから無視。杏子、猿腕の親指を吹き飛ばして!」

 腕を生やして穴を登るだろう、ってのは想定されている。

 その時に腕の排除に動くのは、前衛戦士を張るレムとキナコだ。杏子には最初の一発だけアシストするよう頼んである。

 横道はその能力も相まってかなりタフだ。落とし穴作戦だけで削り切るには、こういう動きにも対応できなければいけない。

「そこだ、当たれぇーっ!」

 杏子の一撃は、僕の指示通り、猿の手の親指を撃ち抜いてくれた。

 何故ここだけかというと、この腕が一番、穴を登るにあたって踏ん張りが効きそうだったからだ。

 まずはこの猿腕を排除したい。

 その意図をレムは正確に汲み取って、黒角弓から大剣へと持ち替え、猿腕へと斬りかかっていた。

 そうだ、腕を斬りつけるんじゃなくて、指を切り飛ばせればそれでいい。

 まず親指を撃ち抜かれて地面を掴む力が弱まり、続けて四本の指を切り飛ばされ、猿腕は完全に体を引き上げるだけのグリップ力を失った。あとはもう、手のひらで地面でも引っ掻いてろよ。

「プグググゥ、プガァ!」

 キナコの方は犬の腕を攻撃している。

 こっちは鋭い爪が地面に食い込むので、支える力が強そうだ。だが、指のように簡単に切り飛ばせる形状でもないので、キナコには頑張って集中攻撃してもらうしかない。グリムゴアも一体、応援に回そう。

 カエルっぽい腕の方は、ヌルヌルの粘液に包まれているので、手のひらの大きさに対して、そんなに地面を掴む力はなさそうだ。それに、毛皮も甲殻もないツルツルした肌なので、レムの大剣で切り刻むのも早いだろう。

 伸ばされた四本の腕の内、三本でも無力化できれば、もう這いあがるだけのパワーが得られない。

 硬い外殻に覆われた蜘蛛足は、そのまま虚しく地面に突き刺さったまま、放っておけば問題ない。

「ぐうっ、く、クソォ、雑魚共がぁ……」

 脱出用の腕をあっさり封殺されて、横道は苛立つような声を上げている。

 さぁ、どうする。次は何をする、横道。お前の腹の中には、まだ解放していない能力が幾つもあるんだろう……頼むから、僕らで対処できるレベルであってくれ。

「仕方ねぇ、ちょっくら本気、出してみっかぁ————フンッ! ヌハァアアアアアアアアアアアアアアアアアァ!」

 随分と気合の入った雄叫びを上げた横道は、その体に大きな変化が起きる。

 メキメキと体から生えてきたのは、角、なのだろうか。淡い黄色の鋭い角のような棘のようなものが、横道の背中側から生えてゆく。それは本体も、芋虫の方にもだ。

「ビッ、ビッ、ビィビィ……」

 横道が奇妙な声を漏らし始めると、黄色の角の列はバチバチと甲高い音を上げる。それは見間違いようもなく、帯電していた。

「ブレスだっ!」

 まずい、横道は雷ブレスを吐ける。僕を狙ったアホなゴーヴを始末する時に使っていた。

 あの時はそのまま吐いていたが、この角を生やして使えば威力は上がるのだ。正に、本気でぶっ放すつもりだ。

「杏子、逃げろ!」

 射線が開けているのは、教会二階に陣取る杏子だ。そして、横道に致命傷を与えうる最も危険な攻撃力を持っているのも彼女である。

「えっ、ちょっ、なんか超ヤバっ————」

「————ビッガッ、ヂェエアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 眩い閃光が天を貫く。

 それは、つい最近にも見た輝きだ。

 マジかよ、この雷ブレスは、ヤマタノオロチ級だぞ……

「————ハッ!? 杏子はっ! どこ!」

 失明せんばかりの輝きが過ぎ去り、僕は顔を上げる。

 最初に目に入ったのは、綺麗に吹き飛ばされた教会の屋根。二階以上の部分が完全に消滅していた。

 そ、そんな、まさか跡形もなく消し飛ばされたのか……最悪の想像が過ったのと同時に、ドスッ、と重い音が耳に届いた。

「杏子っ!」

 慌てて駆けよれば、雪の上に倒れ伏す杏子の姿があった。

「良かった、直撃は避けたか……」

 寸前で退避はしたのだろう。けれど、二階から飛び出た後は屋根の上を転がって、受け身も取れずに落っこちたようだ。

「息はある……けど、完全に気絶しているな」

 ひとまず杏子が無事で本当に良かった。けれど、今すぐ目を覚ますような感じではない。

 杏子はこれ以上、もう戦えない。

「ブフゥー、一発ぶっ放して、ちょっとはスッキリできたなぁ」

 そして、横道はまだ健在だ。

 奴は大袈裟な息を吐きながら、のっそりと地上へと上がってきた。

 すでに横道は、落とし穴を脱していた。

「んんー、なになに、そんなに驚き? 別に、こんな穴なんて出ようと思えばすぐ出れたんだよね。でも、こんだけ切り離すのは俺もちょっと勇気がいるっていうかぁ?」

 穴から這い出た横道は、元の人間形態となっていた。

 見なくても分かる。穴の中には、まだ僕の『赤髪括り』に囚われた芋虫の巨体が丸ごと残っている。

 あれだけデカくても、その気になればパージできるのか。

 芋虫の体に、そこから生えた四本腕もそのままに、横道本体だけが穴から上がってきた。奴の内包するモンスター部位を削る、という意味ではかなり削れはしただろうが……くそ、ここで倒し切るはずだったのに。

 どうする、行けるか……今の横道に、あとどれだけ能力が残っている。

 こっちの戦力は一気に半分以下にまで落ち込んだ。杏子が気絶し、さらには大きい体が災いして、グリムゴアも二体とも倒れた。それぞれ右半身、左半身がブレスに巻き込まれたか、赤熱化した断面を晒して大きく抉れていた。

 それでも、横道の余力が前に戦った時と同じくらいにまで落ちたならば、何とかなるだろう。

「それにしても、スゲーよ小太郎きゅんは。半身形態で余裕って思ってたけど、まさかここまで激しい攻めをされるとは、参ったぜぇ……小太郎きゅんは受けになってくれないと困るんだよねぇ」

 僕を真正面に捉えながら、横道はニタニタとキモい顔で笑っている。

 右には黒騎士レム、左にはキナコ、後ろにベニヲが回り込み、一応は包囲がされているのに、この余裕ぶり。

 コイツ、まだ力を隠し持っているな。残った面子を雑魚扱いで一蹴できるほど、強力な力を。

「んんぅー、いい顔、そそる表情だよぉ、小太郎きゅん。その血はそれだけでとろけるような美味さだけど、やっぱり生命力っていうの? そういうさぁ、生きる力、生存本能が漲っている方が、獲物ってのは美味くなるんだよなぁ!」

 僕が今、どんな顔してるのかなんて自分でも分からないけど、ああ、そうさ、僕はまだ諦めちゃいない。

 当たり前だ。こんなところで、お前なんかに食い殺されるデッドエンドを迎えるために、今まで死に物狂いで生き残ってきたワケじゃない。

「だぁかぁらぁ、俺も全力でっ、小太郎きゅんを食うぜぇ! 喰らい尽くす、今ここで、俺と一つにっ、なるんだよぁああああああああああああああああああっ!」

 牙と鋏角の大口を展開させて、横道の声、だけじゃない、数多のモンスターの鳴き声のような音も混じった咆哮が轟く。

「撃てっ!」

 のんびり眺めているワケにはいかない。

 僕は『愚者の杖』で『ポワゾン』を放ち、レムは弓を撃ち、キナコは槍を投げ、ベニヲは火を噴いた。

 四方から浴びせた僕らの攻撃は叫ぶ横道に直撃————その瞬間、赤い蒸気のようなものが一気に吹き上がる。

 なんだコレ、僕らの攻撃でこんな派手なエフェクトは出るはずもない。となると、これは横道が自ら噴射したものであって……

「フゥウウ……ブフゥウウ……」

 赤く煙る蒸気の向こうで、巨大な影が揺らめく。

 荒い息を吐きながらのっそりと僕の前に姿を現したそれは、豚の化け物だった。

 丸々と膨れ上がった胴体は、その薄汚い白濁したブヨブヨの皮膚に覆われ、さっきの芋虫ボディと似ている。

 だが、そこから生える足は太く短い四本脚。分厚い脂肪の垂れ重なった野太い脚の先には、爪や牙が乱雑に生えている歪な蹄が大地を踏みしめている。

 四足で立ち上がったその体は、あのスパイクマンモスさえも上回る巨大さだ。

 そんな巨獣の頭は、巨大な豚……に見えるのは特徴的な大きな鼻があるからこそで、顔の造形はどっちかというとゴグマのような、人と獣の中間みたいな造形だ。血走った白目に黄色く濁った瞳が浮かび、ギョロギョロと動く不気味な目が、蜘蛛の如く八つもくっつていた。

「ブフッ、ブハハハハッ! これが本気出した俺の真の力ぁ————『完全変態リ・モンスター』だぁあ!!」

 叫ぶ横道の顔は、八つ目の豚面、その牙の並んだ巨大な口の中、赤黒く蠢く舌の先から生えていた。

完全変態リ・モンスター』と名乗ったこの姿は、これまで見た中で最もおぞましく、そして、最も強力なものに違いない。この魔力の気配は、ヤマタノオロチの頭と同等、いや、それ以上のプレッシャーみたいなのを感じさせてならない。

「くっ……」

 くそ、ダメだ。強すぎる。横道は僕の想定を遥かに上回る強さを持っていた。

 今の面子で、異形の巨獣と化した横道はもう止められない。

 逃げるしかない。逃げられるかどうかも怪しいが、ここはもう全てを捨て去ってでも逃げに徹するしかない。

「突撃だロイロプス! レム、ありったけコアを使って分身を出せ!」

「ぐぅへへへぇ……今度はもう逃がさないよ、マァイ、スウィートハニェエエエエエッ!!」

 僕が指示を飛ばすと同時に、横道が飛び出てくる。

 そう、奴の本体が収まっているだろう舌が、そのまま僕に向かって伸びてきたのだ。ガチガチと大顎を鳴らす舌先がすっ飛んでくるのを見て、エイリアンの口にぶち抜かれる人ってこんな気持ちだったのか、なんて能天気な感想しか浮かばなかった。

 つまり、それはもう、僕の反応速度を超えた攻撃で————

「させるかよぉ————ウラァっ!」

 その時、熱く、それでいて鋭い風が僕の眼前を過って行った。

「ンギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 気が付けば、横道付きの舌が地面の上をのたくっていた。

 巨大な舌からは鮮血が滴り、さらにはチラチラと炎が散っている。

 誰がこれをやったのか。考えるまでもなく、それは一人しかいない。けれど、それはありえない一人でもある。

 信じがたいことに、そこにいたのは、ナイトマンティスの鎌から作った剣『烈風カマキリ丸』を左手に握りしめた、葉山君だった。

「葉山君!? 何やってんだ、早く逃げて!」

「うるせー、桃川……俺にも、ちったぁ活躍させろよな……」

 立っているだけでも辛いはずだ。右腕を失い、僕の拙い応急処置しか施されていない重症者である。

 葉山君の顔色は血の気が失せて真っ青になっていて、とても戦えるコンディションじゃないのは一目瞭然だ。

 けれど、彼は再び握った剣を振り上げる。

 そのカマキリ鎌の刃に渦巻くのは、淡い緑に輝く風と、薄っすら灯る赤い炎。左腕に嵌めた『火風輪』が効果を発揮し、僕が施した以上の威力を与えているのだろう。

 だが、それでも、怪物横道を止めるには、あまりにも儚い火力だ。

「はっ、はぁ、葉山ぁああああっ! やりやがったなぁテメぇ!」

「さっさと行けよ桃川ぁ! 蘭堂連れて逃げろぉーっ!」

「こんのぉ、アホみたいなDQNネームの中途半端なキョロ充ヤローがよぉ……まず先にテメーから死ねやぁあああああああああああああああ!」

 まさかの横槍が入り、激高した横道はいよいよ巨獣の体も動かし、葉山君へと突撃を開始した。

 カマキリ剣の一撃で、止められるはずがない。走り出した横道は暴走する10トントラックも同然の大質量と超重量。

 僕はその絶望的な衝突の瞬間を、ただ見ていることしかできなかった————

第265話 精霊術士VS食人鬼

 死んだ、と思った。

 ぶっちゃけ、ちょっと後悔してる。あのまま芝生の上で寝てればよかったなと。

 けど、それでも……仲間のピンチを、ちょっと怪我したくらいで見過ごすワケにはいかねぇだろうがよ。

 分かってる、俺が出張ったところで、何ができるワケでもねぇ。桃川が段取りして、みんなで総攻撃をかけて、それでも横道はピンピンしてんだ。今更、俺一人が加わってどうにかなる状況じゃないのも分かっている。

「ああ、ちくしょう……俺の力なんて、こんなもんかよぉ……」

 とんでもなくデカくてキモい豚の化け物となった横道が猛突進してくるのを前に、俺はそんなことしか呟けない。

 足が震える。声も震えている。

 怖い、死ぬのは怖い。右腕を失う大怪我して、死の実感は嫌と言うほど刻み込まれている。

 けれど、どうしてだろうな……何にもできない自分が、一番怖かった。

 だから、俺は悔しい。このピンチにのこのこ顔を出したくせに、大して役にも立たずに死ぬことが。悪い、桃川、俺じゃあ横道相手に今この瞬間だけ注意を引くくらいしかできねぇんだ。

 俺が死ぬだけの、意味のない数秒間かもしれない。

 でも、頼むよ桃川……蘭堂も、キナコもベニヲも、レムちゃんだって、お前が何とかしてくれよ。この最悪の窮地から脱してくれ。

 そうじゃないと、俺は……死んでも死にきれねぇじゃねぇか!


『————諦めないで』


 声が聞こえた。

 目の前には、狂暴にして醜悪な豚面がある。けど、横道の声ではない。


『諦めないで。信じるんだ、仲間の力を』


 信じているさ。だから、こんな真似してんだろうが。


『大丈夫、君にはもう、十分な絆が結ばれている。ほら、耳を澄ませて聞いてごらん————』


 聞こえるかよ。何も聞こえない。

 次の瞬間には横道に轢き殺されて、終わるだけ。

 なぁ、今この瞬間がやけにゆっくり、スーパースローモーションみてぇな感じに見えてるのって、これマジで最期の瞬間だからなんだろ?


『————八つの精霊は、全て君を祝福してくれている』


 その時、確かに聞こえたし、見えた。

 精霊。そう俺が呼んでいる、小さい棒人間みたいな奴ら。

 いつの間にか、目の前に浮かび上がっている。

 ジッポライターの火精霊。水筒の水精霊。スマホの雷精霊。

 それから、ああ、桃川が俺に作ってくれたアクセサリーのお陰か、緑の風と、オレンジ色の土、透き通った水晶みたいな氷、それぞれの精霊も一緒にいる。

 火、水、雷、風、土、氷。六色の精霊が円を描くようにクルクルと回りながら、その中心で、さらに二つの精霊が瞬いた。

 真っ白い輝きを放つのは、光の精霊。桜ちゃんのカンテラに住んでる奴らだ。

 そして、その光に照らされても黒々とした不気味な靄を纏う影のような人型は、桃川が呪術を使う時に沢山見える、闇の精霊だ。


『さぁ、手を伸ばして、呼んで。君の仲間は、必ず応えてくれるから————』


 ワケが分からん。

 分からん、けど……俺は手を伸ばす。八つの精霊達が舞い踊る不思議な円環に向かって。

 そして、叫ぶ。

 俺が信じる、仲間の名を。

「————来いっ! キナコぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 光が輝いた。俺の視界も、叫びも、全部塗りつぶすような眩しい光。

 けれど、それは温かくも力強い、数多の精霊が発する輝きなのだと全身で理解する。

 そうして、その光の中から、それは現れた。


 ウォオガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!


 ビリビリと腹の底から震え上がるような激しい咆哮。

 モンスターだ。

 横道に匹敵する巨躯を備えた、大きなモンスター。

 そんなデカい奴が、いきなり俺の目の前に現れ、突撃してくる横道の前に堂々と立ちはだかる。まるで、俺を守るかのように。

 二足で立ち上がったデッカい背中は、薄っすらと青白い輝きを発する毛皮に包まれている。大きく広げた両腕はどこまでも太く逞しく、そして指先から生える爪は鋭利でありながら、水晶の様に美しく煌めく。

 そして、真っ白い鬣のような毛の上に覗く頭部からは、天を突くように真っ直ぐ伸びたウサギのような耳。

 初めて見た大きなモンスター。けれど、コイツは、間違いない。

「はあああああぁっ!? なんだよテメぇ————ぇええがぁああああああああっ!」

 衝突。

 すでに眼前まで迫っていた横道は、突如として現れたモンスターと正面衝突を派手にぶちかまし————吹っ飛んだ。

 豚の怪獣みたいな巨躯がゴロゴロと転がって行く。どんだけ重たいんだ、ズンズンという衝撃がこっちにまで伝わってくる。

 けど、俺は横道の行く末よりも、コイツの正体を確認せずにはいられなかった。

「お、お前……キナコ、なのか……?」

「プググ……グァアアアアアアアアアッ!」

 獰猛な鳴き声。とても人の言葉には聞こえない。

 俺へと振り向いたモンスターの顔は、狼のようにシャープな顔立ちで、とてもあのキグルミみたいに愛嬌抜群の丸顔とは似ても似つかない。

「そうか、キナコなんだな」

 けど、俺は理解する。姿が変わっても、言葉が通じなくなっていても。

 精霊術士の神、ってヤツなのか。ソイツが授けてくれた新しい力が、キナコの姿を変えたのだと俺に教えてくれる。


『八精霊の祝福』:始まりの渦から分かれたのは、光と闇。それから、火、土、雷、氷、風、水、合わせて六つの原色が世界を彩った。だから、それは世界の祝福。君は一つ目の資格を得た。


『種族を越えた絆』:それは一番大切で、けれど一番難しい。従属してはいけない。使役してはいけない。ただ、共に歩む。それだけでいい。人と、人ならざる者との絆を紡ぐ。君は二つ目の資格を得た。


『霊獣召喚』:二つの資格を揃えた精霊術士よ、今こそ霊獣を呼べ。その絆が本物ならば、どんな時でも、どんな場所でも、必ず応えてくれるから。


 いつの間にか勝手に脳内に刻まれている、精霊術士の力の説明文だ。ちゃんと読めた気はしないし、その意味も正確に理解できたワケでもない。

「けど、要するに……俺達の絆が、このピンチで覚醒してキナコが大変身したってことだろ!」

「プガァアアアアアアアアアアアァ!」

 キナコも「そうだそうだ」と言っている。言っているに違いない。

「ははっ、気が利くじゃねぇかよ精霊術士の神様よぉ。コイツは今までで最高の能力だぜ」

 霊獣、とやらに変身したキナコは、めっちゃ強ぇ。

 桃川も言っていた、精霊術士が行使する霊獣はボスモンスターも余裕で倒せるスゲー奴だって。

 今のキナコがその霊獣になったってんなら、微塵も容赦する必要はねぇだろ。

「行けぇ、キナコ! 横道をぶっ飛ばせぇええええええ!」




「————なんだかよく分からないけど、これはチャンスだ」

 耳をつんざく咆哮が轟き、二体の大型モンスターが怪獣決戦さながらにぶつかり合う。

 片方は豚の巨獣と化した『完全変態リ・モンスター』横道。

 もう片方は、熊の霊獣となったらしいキナコ。

 元々の姿とは大きくかけ離れた凛々しく逞しい霊獣キナコは、本気モードの横道と真正面からやり合っている。

 マジか、この土壇場で精霊術士の力が覚醒するとか、葉山君も神様に選ばれし特別な存在なのだろうか。まぁ、そんなことはどうでもいい。ピンチで覚醒とかのご都合主義は、自分の身に起こるなら大歓迎だ。

「しかし、これはもう僕が手を出せる状況じゃあないな」

 霊獣キナコVS巨獣横道は、この教会前広場狭しと大暴れとなっている。

 キナコが張り手みたいにして横道を突き飛ばせば、吹き飛んだ巨体が近隣の民家に突っ込みガラガラと崩落する。

 すかさず、そこから起き上がって飛び出た横道が、体当たりをかましてキナコをぶっ飛ばす。

 同じように民家を粉砕して倒れたキナコへ追撃をしようと横道が走り出せば、復活したキナコはどこにあったのかデッカいタンクみたいなのを担いで投げつける。

 ガツーンとけたたましい音を立ててタンクは横道に直撃し、思わず足が止まったその隙にキナコは再び肉薄し、鋭い爪で襲い掛かった。

 そんな感じで、とにかくデカい奴らが真っ向からぶつかり合っていると、上手い感じで援護もしにくいのだ。下手に近づけば、吹っ飛んだり転がったりした巨体に圧し潰されそう。

 どの道、半端な遠距離攻撃を撃つ程度では、今の横道には通用しないだろうし。

「このままキナコが勝てればいいけど、万一に備えて撤収準備だけはしておくべきかな」

 そうでなくても、杏子は早く回収しなければ。

 激しい戦闘音が轟く片隅で、僕はこそこそと杏子が倒れた教会横まで移動する。

 そうして、僕がちょうど杏子の元にたどり着いた時には、黒騎士レムも駆け付けてくれた。

「レム、ひとまず杏子を中に運んでおいて」

「グガガ……あ、あー、あるじ、は」

「黒騎士状態でも喋れたんだ」

「しゃべれる。なかにいる」

 なるほど、最初の登場時みたいに幼女レム形態が鎧の中に入っているのか。

 僕としては、むしろ誰もいない伽藍堂の方が、貫通ダメージ受けた時とかでも安心なんだけど。でも、わざわざ中にいるってことは、大したデメリットはないのだろう。確認は必要だが、それは今じゃなくてもいい。

「僕は葉山君の元に行く。レムは、コア持って準備しておいて。霊獣との戦いの行方によって、撤退するか、横道を倒し切れるかが決まるからね」

「はい、あるじ」

 とりあえずリポーションぶっかけて応急処置をした杏子の救急搬送をレムに任せ、僕は葉山君のところへと移動する。

「いいぞ、キナコ! そこだぁーっ!」

「葉山君、盛り上がってるところ悪いんだけど」

「おおっ、桃川、無事だったか!」

「お陰様でね」

 実際に戦闘しているのはキナコだけなので、ぶっちゃけ葉山君は特に何もしていない。霊獣を召喚したら、後は棒立ちなの、レイナと一緒だね。

「キナコが霊獣になったみたいだけど、どんな感じ? というか、あれ絶対いつまでもあのままじゃないよね」

「お前から話聞いてたから、俺も霊獣になったってのはすぐ分かったけど……正直、詳しいことは全然分からねぇ。ただ、キナコを霊獣にするための能力はちゃんと授かってるみてぇだ」

 と、葉山君は自分の身に起こったことをざっと話してくれた。

 なるほど、『八精霊の祝福』と『種族を越えた絆』ってのが『霊獣召喚』を解放するための条件スキルってワケだ。必要なスキルを取得してからじゃないと、上位のスキルを獲得できないというのはゲームでもお馴染みのスキルシステムである。

 葉山君は運よく、すでに条件を満たしていたって感じだ。

「今、使ってみた感じだけどよ……なんかスゲー勢いで俺の魔力がなくなってるような気がするんだよ」

「それ絶対、霊獣の変身時間って術者の魔力依存じゃん!」

 そうなると、思った以上にキナコはもたないかもしれない。

 葉山君の魔力量は決して少なくはないようだが、杏子ほどではないと、これまでの付き合いから分析している。

「ああ、俺の魔力が尽きたら、多分キナコは元に戻っちまうだろうな。けど、もうひと踏ん張りしねぇといけないみたいだぜ」


 グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 何度目になるか分からない、巨大な咆哮が轟く。

 だが、それは今までにも増して大きい……というより、吠える数が増えたように感じた。

 そして、それは実際にその通り。獰猛な声を上げる頭が、増えたのだ。

「うぉおおおおお……俺の力はぁ……まだまだこんなもんじゃあ、ねぇんだよぉおおおおっ!」

 横道の気合の雄叫びと共に、背中から幾つもの頭部が生え出した。

 それは鋭い牙を剥き出しにするオルトロスの頭であったり、ガチガチと大アギトを鳴らすムカデの頭部であったり、大きな前歯に紫電を散らす黄色いネズミであったり。

 他にも、背中だけでなく脇腹辺りからも、ボコボコと大きく瘤のように肉が隆起してゆき、新たな頭、あるいは腕などが生え出ようとしていた。

 喰らった獲物を生やす歪なキメラと化して、それらの能力を横道は解放した。

「プグゥ、プンガァアアアッ!」

 キナコが思わず、といったように叫びを上げていた。

 オルトロス頭とネズミ頭が、それぞれ炎と雷のブレスを吐きかけたのだ。さらには、横道のいる豚頭は、ゲロみたいな毒液らしきモノも吐き掛けて、キナコを襲う。

 一気にブレス攻撃が直撃し、キナコは膝をつく。まだ致命傷には至らない。だが、それなりのダメージは入ったようだ。

 まずい、このままでは一気に押し切られてしまう。

「くそっ、やっぱやるしかねぇ————応えろ、ベニヲッ! お前の力が必要だ!」

「ワンワン!」

 葉山君の渾身の叫びに呼応して、ベニヲは真っ直ぐに横道に向かって駆けてゆく。

「行けぇ! 『霊獣召喚』っ!」


 ウォオオオオオオオオオオオオオオオオン!


 天に届かんばかりに高らかな遠吠えが響くと共に、疾走するベニヲの体が眩い赤色の輝きに包まれる。

 そして次の瞬間には、あのオルトロスよりもさらに巨大な真っ赤な毛並みの狼と化して、舞い散る炎と共に現れる。

 あの毛並み、そして炎を纏う姿は、さながら炎獅子エンガルドのよう。あるいは、今のベニヲはそれ以上の炎の力を宿した霊獣となっているのかもしれない。

「ああんっ!? な、なんだよクソっ、また新しい奴がぁ————」

「グルルル、ギャァウッ!」

 獰猛な唸り声をあげ、横道へと飛び掛かって行く霊獣ベニヲ。

 轟々と火炎を発する牙と爪をもって、肥えた豚の巨躯を焼き切って行く。

「ぐぅううあぁああああああああああっ! こんのぉ、クソ犬がぁあああ、舐めやがってぇ!」

 などと怒声を上げる横道だが、流石に霊獣二体を相手どることとなり、一気に劣勢へと陥る。

 追撃を免れたキナコはすかさず立ち上がり、そのまま横道へと向かってゆく。

 すでにベニヲに喰らい付かれている横道は、逃げることも防ぐことも叶わず、そのままキナコからの猛攻にも晒される。

「うがぁああっ! く、クソがっ、この俺がぁ押されてるだとぉ、こんなクソモンス共にぃいいいっ!」

 霊獣キナコ&ベニヲによって、凄まじい勢いで横道の体は傷を負ってゆく。

 キナコが火を噴くオルトロス頭を強引に掴んでは、そのまま引き抜くように力任せに千切って行く。

 ベニヲはスパークを散らすネズミ頭を、丸齧りした上にゼロ距離で火炎放射をぶっ放す。

 対する横道も他の頭を二人へけしかけるが、たとえムカデの顎に挟まれても、獣の牙に噛み付かれても、それでも猛攻撃は緩まない。

 横道も次々と生やす頭や腕で応戦するが、キナコとベニヲによって、一つ、また一つと、強引に引き剥がされていった。

「ぬぁあああああああああああっ、許さねぇ、もうマジ本気の全力でぶっ殺すぅ————『爆熱筋肉マッスルヒート』ぉ! 『熱血炎気』ぃ! そしてぇ、『腕力強化フォルス・ブースト』だオラぁあああああああああああっ!」

 その瞬間、真っ赤なオーラと輝きを放ちながら、豚の巨躯がボコボコと膨れ上がる。

 それは『炎魔術師』大山ご自慢の三重強化。

 元々、魔術師クラスで身体能力強化の恩恵がない大山であっても、これを使えばデカいモンスターも殴り飛ばせるだろうスーパーパワーを得られる。そんな超絶強化を、怪物となった横道が使えばどれほどのものになるか。

 それこそ、キナコとベニヲ、霊獣二体を相手にしても引けを取らないパワーを発揮するだろう。

 恐ろしいほどの強化能力。土壇場で繰り出すに相応しい奥の手————だから、僕はここに残っているんだよ。

「みっ、漲るぅ、力が漲るぞぉ! 見ろぉ、これが全てをねじ伏せる、俺の最強形態ぃ! 力こそパワーだぁ、ブハハハハハハッ! 」

「やまない熱に病みながら、その身を呪え――『赤き熱病』」

 唱えたその瞬間、凄まじいまでのオーラを噴き出し、ムッキムキにパンプアップを果たした横道の巨体が、急速に萎んでいった。

 急激な力の増加に「これはヤバい!?」みたいな表情になってたキナコとベニヲも、その凄い力は気のせいだったかのような消失ぶりに、「んん?」と小首を傾げていた。

「ハハハハハ————はぁ? えっ、なに……この……はぁああああああああああっ!?」

 だが、最も顔色が変わったのは、横道だろう。

 うん、気持ちは分かる。僕も、そんな馬鹿な、と思ったもん。

 でも残念ながら、この元祖クソ呪術業界不動のナンバーワンエースこと『赤き熱病』は、信じがたいことに、相手の強化を打ち消すという、超絶特化性能を誇っているのだ。

 大山の三重強化も、この『赤き熱病』様の前では、瞬時に効力を失う。

「ち、力が……俺の最強の力がぁあああああああああああっ!」

 絶望の表情を浮かべて絶叫する横道に、トドメを刺さんとキナコとベニヲが唸りを上げて牙を突き立てる。

 ついに、横道には対抗しきるだけの能力が尽きた。

 勝負あり。これで僕らの勝ち————

「す、すまねぇ、桃川……もう、限界だ……」

 それだけ言い残して、葉山君はばったりと倒れた。

 倒れて、しまった……

第266話 呪術師VS食人鬼(1)

「す、すまねぇ、桃川……もう、限界だ……」

 葉山君が倒れた。

 どうしようもない、ということを嫌でも理解してしまう。僕にも、魔力枯渇でぶっ倒れた経験があるからね。アレはマジで気合や根性でどうにかなるようなものじゃない。

 最後に一言発せられただけ、葉山君は頑張った方である。

「プガァアアアアアアアッ!」

「ウォオオオオオオオオン!」

 霊獣化した時と同じ輝きを放ちながら、キナコとベニヲの体が急速に縮んで行く。

 あっという間に元の姿へと戻り、そして、ご主人様と同じくその場にばったりと倒れ込んだ。

 恐らく、霊獣自身にも相応の負荷がかかっているのだろう。効果時間が過ぎれば、問答無用で倒れてしまう諸刃の剣といったところか。

「フゥ……フゥ……ブフッ、ぶふふふぅ、倒れやがったかぁ、この根性ナシ共がぁ」

 霊獣の猛攻を受け散々に血濡れとなった横道は、けれどいまだ健在の巨躯を振るわせて笑った。

 片眼が潰れ、牙がへし折られ、デカい鼻も半分が引き裂かれた巨大な豚面が大口を開くと、舌先にいる横道が顔を出して僕を見下ろした。

「これでぇ、やっと邪魔者がいなくなった……二人っきりだよぉ、小太郎きゅん」

 まずい、倒し切れなかった。絶対行けると思ったのに。

 いくら満身創痍でも、完全変態横道を倒すだけの攻撃力が僕にはない。グレネード一発ぶち込んだくらいでは、倒れてはくれないだろう。

 ど、どうする……最後の手段、『痛み返し』のカウンター戦法を使うか。上手い具合に怪我を返せれば、横道は倒れ、僕は治療して復活できる。

 いや無理だ。一口で食い殺される自信がある。

 よし、逃げよう。

「や、やっと……やっとぉ、食えっ————ぇええがぁああああああああああっ!」

 僕へと向けて一歩を踏み出したその時だ。

 踏み出した豚足の蹄が割れ、さらに大きく裂傷が走って行き鮮血が噴き出る。

 そこから体勢が崩れ、巨躯が傾く。

 すると、その拍子に腹が破れた。バリバリと皮が裂かれる音を立てながら、深々とキナコが刻み込んでいた爪痕から、一挙に血肉が溢れ出ていく。

「んぎぃいぁああああっ!? ぼぉえええええええぇ————」

 きっと、横道の肉体もとっくに限界を超えていたんだ。

 そこから、もう体中から次々と血飛沫が上がり、苦痛の絶叫を上げて怪物の巨体はついに地面へと横倒しになった。

 夥しい量の血を流し、大きく避けた傷跡からはドロドロと内臓が零れ落ちてゆく。

 醜悪な豚面が血涙と鼻血を噴き上げながらも、大きく開いた口の中から、滝のような吐血と共に、横道が吐き出された。

 赤黒い舌の肉片を纏わりつかせた横道が、元の人間の体となって、自らが作った血の海へ落ちる。

「んぐぅ、ううぅ……い、痛ってぇ……俺の、最強ボディがぁ……」

 うめき声を上げながら、よろよろと横道は立ち上がる。赤黒い血肉に塗れたその姿は、怪物の腹から生み落とされたばかりの忌み子のようにも見えた。

「へ、へへっ、けど、生きてる……生きてるぞぉ、俺はぁ……生きてさえいりゃあ、まだ食えるぅ、まだまだ、食えるんだよぉ!」

 横道が吠える。

完全変態リ・モンスター』の肉体は完全に崩壊したが、それでもまだ、本体には獲物に喰らい付くだけの力は残っているようだ。

 けど、ここまで削りに削って力の大半を失った今なら、残った僕だけでも倒し切れる!

「行けぇ! ロイロプス!」

「ブルゥウォオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 唸りを上げるロイロプスが、全速力で横道へと突進してゆく。通常の人間サイズに戻った今なら、その体当たりは強烈な破壊力となって襲い掛かる。

「ふんっ! ぬぅうおああああああああああああああああああっ!」

 しかし、人型に戻っても尚、横道の人外パワーは尽きない。

 真正面から突進を受け止めた。ズルズルと押されてゆくが、それでも、見事に衝突を受け切っている。

 力の秘密は、やはり腹の中にまだ多少の獲物が残されているのだろう。横道は肩と脇腹から、野太い人間の腕を生やした6本腕と化して、ロイロプスを止めたのだった。

「レムっ!」

 返事の代わりに、鋭く風を切る音が響く。

 黒角弓より放たれた矢が、真っ直ぐに横道へと疾走し————今度こそ、その体へと矢じりを突き立てる。

「うがぁあっ!? 舐めんなぁ、今更、矢ぁ如きが効くと思ってんのかぁ!」

 二射、三射、と続けて剛弓から放たれる矢を、横道は受け切った。6本の腕を盾の様に翳して、その肉体に矢が突き刺さっても倒れる様子はない。

 ちいっ、弓矢だけじゃ倒し切れないか。

 それなら、倒せるだけの攻撃を叩き込んでやる。

「俺は諦めねぇ……絶対ぇ、諦めねぇからなぁ……最後の力と根性振り絞ってぇ、俺は小太郎きゅんを喰うんだぁ!」

 叫ぶ横道の体が、さらなる変化を始める。

 おいおい、勘弁してくれよ、まだ変形できるほどの力が残されているのかよ。

 メキメキと音を立てて、生やした6本腕に毛皮や甲殻が形成されてゆく。それらは長い爪が生えたり、蜘蛛足みたいなのに変化したりもする。

 さらに、頭からはウゾウゾとあのミミズ触手が生え出し、メデューサ頭みたいになった。

 そして極めつけは、何故いまだに残っているのか不明なブリーフから、でっかい紫色の蛇が這い出て来た。おい、その蛇はどこが変形したやつなんだよ。

 最後の最後までおぞましさ極まる変化を見せる横道を前に、僕は改めて決断を下した。

「倒すのは無理だ。撤退するぞ」

 僕は迷わず、取り出した煙幕を最後の変身を果たした横道へと投げつけるのだった。




「————チイッ、また煙かよぉ」

 濛々と煙る煙幕を前に、横道はギラついた目つきで周囲を見渡す。

「絶対に逃がさねぇ……」

 あれほど広がっていた感覚が、今は酷く鈍い。まるで、昔の自分に戻ったかのようだ。

 遠くまで見通す鷹のような視力に、獲物を追う鋭い嗅覚。小さな足音を聞き逃さない聴覚に、敏感に空気の流れすら感じとる触覚。さらには、人間の五感にはない、熱源感知や超音波探知なども、今の横道は持っていた。

 けれど、半身形態を丸ごと切り離し、さらには『完全変態リ・モンスター』も崩れ去った今となっては、横道を支える数多の『捕食スキル』は失われた。あれだけ喰らいに喰らって獲物を溜め込んでいた『底無胃袋』の中身が尽きかけている。

 食わなければ。すぐに食わなければ。

 失ったモノが多すぎるが故に、感じる空腹は『食人鬼』と化してより最大級。

 足りない。肉が足りない。血が足りない。魔力も、生命力も、力も、何もかもが足りていない。

 気が狂いそうなほどの飢餓感を覚えながらも、横道は歓喜にも似た気持ちが湧いてくるのは、ようやく追い詰めた極上の獲物がすぐそこにいるから。

 桃川小太郎。

 あの血を味わった瞬間、世界が変わった。

 これまでの価値観を全てぶち壊すほどの衝撃。人生で起こる、全ての幸せを足してもまるで及ばない程の快楽。

 そう、それは正に、運命と呼ぶより他はない。

 だから、探した。ずっと探し求めていた。

 他の獲物など、所詮はただ生きるために食つなぐだけの餌。小太郎の味に比べれば、どんな血肉も無味乾燥に過ぎる。

「食わせろぉ……喰わせろよぉ……」

 失いすぎた能力と、鈍りきった感覚の中にあっても、横道はかすかな魔力の気配をたどって進む。

 小太郎は、遠くへ逃げてはいない。

 この教会のような建物、その中にある妖精広場へ向かっていったということは分かっている。

 ならば、もう逃げ場はない。確実に追い詰めた。


 シャァアアアアアアアアアアアアアアッ!


 確信をもって歩みを進める最中、唸りを上げて赤色のラプターが煙の中から襲い掛かってきた。

 見覚えのある奴だ。ついさっきも見た奴。

 小太郎が騎乗していた赤いラプター。恐らくは召喚獣とか、そういう類のものだろう。

「無駄な抵抗ってぇ、こういうことを言うんだよなぁ」

 高速で振るわれるノコギリ状の尻尾を受け止め、続いて繰り出される爪も牙も、全て防ぐ。

 いくら力を失おうとも、今更、この程度の相手に後れを取るほど弱ってはいない。

「退けよぉ、俺ぁ腹が減ってんだよぉおおお!」

 六本腕でタコ殴り。バキバキに鱗を砕き、尻尾を掴んで放り投げる。

 トドメを刺しに行く余裕はない。殺せる力はあるが、小太郎を喰う以外のことに気持ちを向けられない。

 そうだ、彼を前にすれば、どんなことだって後回しになる。

「ふぅ……ぶふぅ……やっとぉ、追い詰めたぜぇ……」

 煙幕を抜けると、ちょうどそこは教会の中になっていた。

 エントランスホールのような広間で、奥には妖精広場が続いているのが見えるが、横道にはそんな光景は目に入らない。

 欲に濁った瞳に映るのは、たった一人の少年の姿だけ。

「来いよ、横道」

 ホールのど真ん中。見逃しようがない。桃川小太郎は、正々堂々と一騎討ちを望むかのように、ただ一本の剣を握りしめて、そこに立っていた。

「んぁあああー、嬉しいなぁ、小太郎きゅんの方から誘ってくれるなんてぇ!」

 飢えた体に活力が漲ってくる。

 ああ、堪らない。その目に映る、君の全てが愛おしい。

 サラサラと流れる艶やかな黒髪。猫のような目をした中性的な美貌は、性別の概念を超越した美しさを秘めている。

 小さく細い体は、大人でも子供でもない奇跡の瞬間を、永遠に形にしたようだ。

 それでいて、学ランの襟から覗く白く細い首筋を見るだけで、生唾を飲み込むほどにそそられて仕方がない。

 ドクンドクンと脈打つほどの激しい血流が、股間から生やした自慢の大蛇に流れ込んでいくのを感じた。

「もう、我慢できねぇ……」

 クラスで見た時はただのチビだとしか思っていなかったけれど、今はこんなにも魅力的に映る。

 神々しいほどに美しい少年は、その血肉がどんな美食にも勝る極上の快楽を味わわせてくれることを知っていれば、我慢などできるはずもない。耐える必要もない。

 あの血の味を知ったその時から、自分はただ、桃川小太郎を食べるためだけに生きてきたのだから。

「いぃっ、たっだっきまぁああああああああああああああああああああああっ!」

 無数の歯と牙、そして大きな鋏角の生える横道の口は、獲物を貪り喰らう『オオアギト』として小太郎の体に牙を剥く。

 それだけではない。頭から生やした最後のワームヘッドも、一滴でも血を啜らんと湧き立ち、股間の大蛇は今にも破裂しそうなほどに猛り狂っている。

 逃がさない。誰にも渡さない。独占欲にも似た感情が、6本腕で華奢な体を全力で抱きしめる。

 ただ真っ直ぐ剣を構えた小太郎にそのまま抱き着いたせいで、その切っ先はぶっすりと自分の胴を貫いたが、たかが剣の一突きなど、もう気にもならない。

 小太郎を喰った。

 その事実に比べれば、他のあらゆることは些細な————

「————ぁああ?」

 最初に感じたのは、味。

 なんだこれは。まるで、味のしない、そもそも食い物でもない物体を食べてしまったかのような味わい。子供の頃、プラスチックの玩具の料理を本気で食べようとして口に入れた時のことを、不意に横道は思い出してしまった。

 本物……だったはずだ。

 囮の偽物は、事前に見ていた。見た目も匂いも本物だが、魔力の気配が薄いから本物ではない。本人の魔力を多少割いて形作られた分身のような存在だと、理解している。

 だから、ここに立つ小太郎の魔力の気配、その濃さから本物だと断定した。囮の分身にはない、確かな魔力量を感じさせられた。

「ち、違う……コレはっ、小太郎きゅんじゃないぃいいいいいいいいいいっ!?」

 これも、偽物だ。小太郎という極上の料理を、精巧に再現しきった食品サンプルのような存在。

 どれだけソックリでも、中身は別物。食い物ですらない異物。

 その異物は、ドロリと溶けるようにして、化けの皮が剥がれていった。

「誰だよテメぇはぁあああああああああっ!」

 黒髪黒目の少年の顔が溶け落ちると、その向こうからは人形めいた銀髪と青い目の子供が現れる。

 人形。そう、コイツは人形だ。人間によく似てはいるが、決して人間じゃない、ただの作り物。紛い物。

「レム、よくやった————」

 今度こそ、本物。本物の桃川小太郎。

 彼は、広間のそこら辺に転がっていた大きな箱————宝箱の中から、姿を現した。

 隠れていたのだ。偽物と本物が並べば、必ず見分けがついてしまう。

 だから、本物は宝箱に隠れた。古代の遺物をそのまま現代にまで保存する優れた容器は、外部からのあらゆる探知力をも阻害する。宝箱の中にあるものは、匂いも、魔力も、決して漏れはしない。

「————『黒髪縛り』」

 本物の小太郎が唱えた瞬間、ジャラジャラと幾つもの鎖が蛇のように一斉に動き出し、偽物の人形に喰らい付いた横道を縛る。

『黒髪縛り』という技は、最初にダンジョンで出会った時に見ている。黒い髪の束を自在に動かし、相手を縛り上げる呪術。

 本物の髪の毛のような繊維だから、容易く燃えるし、引き千切れる。とるにたらない拘束技。

 しかし、横道を今まさに縛り上げるのは、頑強な鉄の鎖。それだけではない、厚い革ベルトのようなものや、丈夫に編み込まれた縄まで、あらゆる紐状のモノが横道の体を縛り上げる。

 当然、その動く秘密は、『黒髪縛り』。

 自在に操れる黒髪を鎖やベルトに絡みつかせることで、それらも一緒に動かしているのだ。黒髪触手そのものが耐久性に乏しいならば、本物の物質で補えばいい。

 よく見れば、この広間には不自然過ぎるほどに物が散らかりすぎている。慌てて逃げ込んできたとしても、荷物の中身をわざわざ床にぶちまける必要性などない。

 縛られた今だからこそ、ここにわざとらしいほどに、鎖やベルト、縄の類がまとまって転がっていたことに気づかされる。

 だが、多少の不自然さがあったとしても、小太郎という極上の獲物を追い詰め、自らもまた力を失い飢え切った状態で、それを見抜けというのも無理な話だ。

 故に、まんまと横道は捕まった。猪突猛進するだけの、獣のようにあっけなく。

「これで終わりだ、横道————転移魔法陣起動」

 白く輝く光に包まれて、自分が立っていた場所が転移魔法陣の上だったことに、横道はようやく気付くのだった。

第267話 呪術師VS食人鬼(2)

 退くか、挑むか。最後の瞬間まで僕は迷った。

 けれど、レムの一言が僕に決断を下させた。

「あるじ……レムがとんで、ばくはつ、する」

 煙幕を炊いて広場へ退いた時に、レムは黒騎士状態を解除した、幼女の姿でそう言った。

 いつの間に回収したのか、その小さな胸に、ヤマタノオロチ戦で使わなかったコア爆弾を抱えて。

「……本当に、戻って来れるんだな?」

「もどる。レムは、あるじと、いっしょ。ずっと」

『影人形』へと進化したレムは、その本体と言うべき幼女形態が破壊されたらどうなるのか。結局、今の今まで一度も試したことはない。試せるはずもない。もしダメだったら僕は大切な相棒を失うことになるのだから。

 けれど、この横道を倒し切る千載一遇の好機にして、仲間全員が倒れた窮地においては……やるしかない。

 どの道、倒れた葉山君とキナコとベニヲまで回収して転移で逃げるだけの余裕はない。杏子を連れていくだけでもギリギリといったところ。

 自分の身の安全だけを考えるなら、このまま転移でどこぞへ飛んだ方が確実だろう。

 けれど、それはダメだ。所詮、僕は最弱の『呪術師』だ。仲間がいなければ、生きてはいけない。

 だから覚悟を決めるしかない。仲間を見捨てて一人で死ぬか、仲間を助けてみんなで生き残るか。どっちを選ぶかなど、考えるまでもないよね。

「レム、頼んだ」

 レムを失うリスクはとりたくない。だが、自ら「やる」と言い出したなら、信じよう。ご主人様として、相棒として。

「横道を転移まで誘導するなら、囮がいる。でも『双影』は見破られるし、僕自身が上手くやるしかないか……」

「だいじょうぶ————」

 すると、レムは影を纏い変身してゆく。

 一瞬の後に現れたのは、大きな黒騎士の鎧ではなく————僕だった。

「僕の姿にも変身できるのか」

「————うん、レムは主のこと、ずっと見ていたから。実は結構前から、できたんだよね」

「うわー、喋りも僕ソックリにできんのか」

 ってことはレムってすでに普通に喋れたりするの? 幼女レムの拙い発音は演技なの?

「そんなことより、早くやろうよ。横道は、もうすぐそこまで来ている」

 レムの僕演技が完璧すぎて怖い。如何にも僕が言いそうな台詞で、作戦の決行を求めてくる。

「それじゃあ、始めよう」

 詳しい説明は必要ない。レムなら、僕の作戦の全てが頭に入っている。

 今回の横道討伐戦は、決戦も逃亡もどっちも選べるようにしておいた。時間もない、準備も足りない、だからこその臨機応変。どっちつかず、とも言えるが。

 杏子と葉山君にはわざわざ全部説明はしていないけれど、レムには話している。分身を囮に時間稼ぎしている間、ここで準備をしている際に僕を直接手伝うのはレムだし、作戦実行の時も僕をサポートするのはレムである。

 だから、僕はこれをこういう考えで配置しているんだ、っていうのはレムにだけは一緒に準備しながら聞かせているので、今回の転移爆破作戦の意図もすでに理解している。

 横道討伐の本命は落とし穴だった。

 だが、それを破られた時にどうするか。逃げるにしても、倒すにしても、重要な手札は3つ。

 1つ目は、転移魔法陣。

 これを使えれば100%逃走は成功する、唯一無二の脱出路。だが同時に、横道だけを乗せて飛ばすこともできる。倒し切れなくても、横道を転移で飛ばせれば、次善の勝利とも言える。

 2つ目は、コア爆弾。

 桜ちゃんの裏切り対策として、ヤマタノオロチのトドメ用に準備しておいた貴重な爆弾だ。切り札になりえる破壊力を秘めるが、それ故に近くで爆発はさせられない。けれど、よほどの窮地になれば、イチかバチかで使うこともやぶさかではない。『完全変態リ・モンスター』形態で、コイツを喰わせて爆破させることができれば、それだけで勝てたかもしれないね。

 3つ目は、レム。

 レムだけでなく、ロイロプスとグリムゴアの屍人形も含めている。レムがコアを消費して作り出す分身と屍人形は、幾らでも替えの利く便利な捨て駒だ。逃走する際には、横道の足止めとして残ってもらうし、戦うにしても捨て身の攻撃や防御にも使える。

 この3つの手札をどう使うかで、逃げるか、倒すか、どちらかが達成できる。

 そして、レムの決意を聞いた結果、僕が最後に選んだ作戦は、レムを囮に横道を転移で飛ばしてコア爆弾で吹き飛ばす、転移爆破作戦だ。

 万全の横道相手には、まず通用しない作戦。転移の気配を察した瞬間に確実に逃げられる。十全な力を発揮する横道を、転移発動までの数十秒間止めるだけの手段が僕らにはない。

 だがしかし、落とし穴作戦とダブル霊獣覚醒によって、横道は限界ギリギリまで消耗している。

 戦いの趨勢によって、横道が消耗していれば、黒髪触手と鎖の合わせ技の拘束で止められる可能性は十分にある。そう思って、あらかじめ転移魔法陣の周りに、拘束用の鎖や革ベルト、縄などあるだけバラ撒いた。

 ロイロプスは沢山荷物を積めるから、ベルトや縄はそれなりに用意していた。鎖はあまり量はなかったけれど、金属素材を放出して僕がこの場で急いで錬成した。

 まさか、姫野さんとやったヤマタノオロチ拘束用の鎖と銛のセットを大量生産する作業が活きるとは。錬成で素早く鎖を作るコツ、習得しておいて良かったよ。

 そうして、条件は全て揃った。

 僕へと変身したレムは、コア爆弾の入ったカバンを背負って転移魔法陣に立つ。追い詰められた最後の抵抗という雰囲気をアピールするために、剣も持たせた。

 レムは『双影』と同じく姿も声も匂いも僕の再現率100%だが、それに加えて本体だからこそ持ち得る高い魔力量も備えている。横道は自ら、分身を指して「水で薄めたカルピスみたい」と言って、『双影』が本物と比べて魔力が薄いから判別できるのだと語った。

 蒼真君や天道君でも『双影』は完璧に見破れないのに、横道の感知能力は相当なものだと思われる。レムの擬態は『双影』よりも高いとはいえ、やはり本物の僕がいては偽物だとバレるだろう。

 だから、僕自身がどこかへと隠れる必要があった。それも、匂いと魔力が漏れないような場所へ。

 いやぁ、宝箱が僕が入れるくらいのサイズがあって良かったよ。

『盗賊』である夏川さんでも、宝箱の中身は開けなければ分からないと言っていた。つまり、宝箱には高度に魔力を遮断する機能も含まれているのだ。まぁ、そうじゃなければモノを長期間保存もできないだろう。

 そういうワケで、僕は宝箱に潜みながら、横道がレムに食いつく瞬間を待った。

 そして、その時はすぐに訪れる。

「来いよ、横道」

 時間稼ぎのアルファを退け、煙幕から進み出る横道は、相変わらず気持ち悪いことを全力で叫び、レムへと喰らい付いた。

「ち、違う……コレはっ、小太郎きゅんじゃないぃいいいいいいいいいいっ!?」

 今だ。

 僕は宝箱を開け放ち、外へと出る。

「誰だよテメぇはぁあああああああああっ!」

「レム、よくやった————『黒髪縛り』」

 発狂する横道を、全力で縛り上げる。

 やはり、力の限界を迎えているのだろう。ギチギチと鉄の鎖は大きく軋むが、それでも決して砕けはしない。

 横道は僕の方を向いて、その大口を虚しく開いただけだった。

「これで終わりだ、横道————転移魔法陣起動」

 眩い輝きに照らされて、怪物横道は浄化されていくかのように、白い光の向こうへと姿を消していった。

 直後、起爆。

 どこか遠いダンジョンの片隅で、コア爆弾が炸裂したのだろう。僕と繋がっているレムの反応が、ぶっつりと途切れた。

「や、やった……」

 はぁー、と深々とため息を吐く。

 危ない、マジでギリギリだった。ヤマタノオロチとは別な方向性で綱渡りの激戦である。

「いや、今回は、完全に仲間に助けられただけだ」

 今回のMVPは葉山君だ。あの土壇場で霊獣召喚を使えるように覚醒しなければ、『完全変態リ・モンスター』形態の横道には手も足も出なかった。あんな化け物を前にしては、逃げることもできなかっただろう。

 とりあえず、反省会は後回しだ。

「まずは、倒れたみんなを介抱しないと」

 なんだろう、この飲み会でみんな潰れちゃったから、素面の自分が面倒見なきゃいけない的な雰囲気。最後まで横道の相手をした僕が一番疲れてるんですけどー?

 なんてふざけたことを思えるのも、みんなが無事だからこそ。この疲れた体で、仲間の墓穴を掘るなんて重労働は絶対に御免だよ。

 勿論、レムも『影人形』で再召喚しないと。早く無事を確かめないと、僕も安心できな————

「くぅ……うぇええ……」

 それは、呻き声だった。あまりの苦痛にもだえるような、苦し気な声音。

 たとえ、どれほど小さかろうと、聞こえるはずがない声。聞こえてはならない声だった。

「いぃ……痛ぇ……痛ぇよぉ……」

「う、嘘だろ……」

 横道の首だった。

 痛い、痛い、と涙ながらに苦悶に喘いでいるのは、千切れた横道の生首だ。そう、生首という絶対の死を連想させる状態にありながらも、コイツはまだ瞬きをし、呼吸をし、言葉を喋っている。

 幽霊、などでは断じてない。生きているのだ。こんな状態になっても、まだ、コイツは生きているんだ。

「くそっ、寸前で転移から首だけ飛び出したのか!?」

 それしか考えられない。

 転移魔法陣はあの光で遮られた内側だけが転移される。その魔法陣の境界線を遮るようにモノを置くとどうなるか。僕は学園塔にいた頃、魔物の死骸を使って実験したことがあった。

 結果は、切断される、というものだ。転移魔法陣に入っている部分は転送され、外側の部分は残される。

 この転移による切断力があらゆるものを断ち切るのかどうかまでは分からないが、決して生半可なものではない。少なくとも、リビングアーマーの装甲は真っ二つになった。

 だが、横道はあの瞬間、たとえ体がぶった斬られようが、転移から逃れることを選んだ。恐らく、コア爆弾のことも奴の魔力感知能力ならお察しだったろう。

 だから逃げた。その代償は、首から下を全て失うこと。普通はそれを成功とは言わない。ギロチンで首を落とされたも同然の末路。

 でも、横道は化け物だった。

 首を落とされても死にはしない。それも、ただ、死なないというだけではない。

 頭が残っているということは、口があるということ。横道はまだ、僕を喰らうことを諦めてはいない。

「痛ってぇ、けどぉ……小太郎きゅんを喰えればぁ、全部チャラだよねぇえええええっ!」

 横道の生首が、襲い掛かってくる。

 首だけでどうやって動いてんだよと思えば、奴の首からは50センチほど背骨が繋がっていた。いや、それはきっと本物の背骨ではない。白く節のある形状は背骨に似ているが、それはムカデのような体だった。

 足が生えているのだ。左右から伸びる棘のような足が、シャカシャカ動いて歩く。生首ムカデという、最後の最後まで想像を絶するおぞましい姿となって、奴は僕へと飛び掛かってきた。

「うわぁあああああああああああっ!」

 あまりにも衝撃的にして、咄嗟のことだったせいで、僕はロクな反撃がとれなかった。

 僕に出来たことは、反射的に身を傾げただけ。

 ガチィンッ! と耳元で横道のオオアギトが閉じる音が響く。間一髪で、回避は成功していた。

 しかし、無理な体勢で避けたせいで、足をもつれさせて転んでしまう。それは、この状況下ではあまりにも致命的な隙となる。

「食う、喰うっ! 小太郎きゅん食べりゅぅうううううううううううううっ!」

 絶叫する横道の生首が、地を這って迫る。再び開かれた大口。剥き出しの牙が喰らい付いたのは、僕の左足だった。

「ぐぅうあぁああああああああああああああああっ!?」

 左足、脛の辺りに噛み付かれた。一瞬で食い込む牙と歯は、容易く肉を裂き、骨にまで達する。

 絶望的な痛苦が駆け抜ける。あまりの痛みとショックに、目の前にスパークが弾けたようだ。

「うううぅ……んっんまぁああああっ! 美味ぃやああああああああああああああっ!!」

 僕の悲鳴と横道の歓声が広間一杯に響く。

 くそ、この野郎、泣きたいのは僕の方だってのに、横道は滂沱の涙を流して感動極まる表情を浮かべていた。

「んまぁい、美ぅ味ぁいぃぞぉおおお……ああ、これだよ、これっ! 俺はこの味を求めていたんだぁあああ、ンベロベロベロベロォオオオオオオオオオっ!」

 ヒルの化け物みたいに長い舌が、傷口を執拗に嘗め回していく。体が穢されている気分だ。

 蠢く舌は脛の傷だけに飽き足らず、破れたズボンの裾から足を這い、太ももの方まで伸びてくる。放っておけば、さらに先の部分までベロベロしてきそう。

 途轍もない生理的嫌悪感に背筋が震えるが————これでいい。

 ようやくありついた僕の血の味に感動しているせいか、横道は一息に僕の足を食い千切らなかった。その咬筋力があれば、僕の細っこい足など容易く食い千切れる。葉山君の右腕を喰らったように。

 横道は僕をこれから時間をかけてたっぷりと、嬲るようにして喰らっていくつもりなのだろう。

 だが、そのお陰で、僕は一発で行動不能になるほどのダメージは負っていない。僕はまだ動ける。そして、今ここが横道を殺す最後のチャンスだ。

「いつまで舐め回してんだ、汚らわしいんだよ、このクソブタ野郎がっ!」

 罵倒と共に、抜刀。

 抜き放ったのは、樋口のバタフライナイフだ。

 ああ、コイツを握る時は、いつもギリギリまで追い込まれた時だよね。いい思い出など一つもない樋口の形見。けれど、コレが最後の最後で僕を救ってきた。

 ギラギラとアイツの狂暴性を残しているかのように輝く白刃を、怒りを込めて横道の顔面に叩き込む。

「んぎぃぃいいいいいいいいいいあああああああああああああああああああ!」

 耳をつんざく絶叫。流石に痛いかよ。生首になって喰らう一撃は。

 けど、こんなもんじゃあないぞ。蒼真道場で修行した桃川飛刀流は、一刀じゃなくて、二刀流なのだ。

「コイツも食らいやがれぇーっ!」

 さらに左手で引き抜くのは、レッドナイフだ。バタフライナイフより長く僕と一緒にいる、ダンジョンサバイバルの相棒。元は小鳥遊製で縁起が悪いけど、今は僕が自分でカスタム錬成してるんだ。その火力を喰らうがいい。

「んごぉおぁあああああああああああっ!」

 ジュウジュウと音を立てて、灼熱の赤刃が横道の顔に突き立つ。

 二本目のナイフを喰らって、ついに横道は僕から口を離す。ちいっ、まだ舌がへばりついてるだろうが。さっさと離しやがれってんだ!

「死ねっ、死ねぇえええええええっ!」

「んぁあああああっ! やっ、やめろぉおお、やべてぇええええええええええっ!」

 刺す、刺す、刺しまくる。

 二本のナイフを逆手に握りしめ、横道の顔面を滅多刺しにしてゆく。

 しかし、奴の生命力も凄まじい。こんだけ刺しまくってるってのに、まだギャアギャア騒いで抵抗してくる。

 ガチガチと顎を慣らし、ムカデ状の骨をくねらせて、再び僕へと食いつこうと必死にもがく。

 倒せるのか、このままで。本当にコイツを刺してるだけで殺し切れるのか。そうだとしても、この猛攻状態はそう長く続くとも思えない。

 生首だけとなり、滅多刺しにされても尚、横道は今にも僕をひっくり返しそうなほどの力強さを感じる。

 もう一押しいる。コイツを殺すには、あと、もう一押しが……

 その時、僕の視界の隅に、あるものが目に入った。それは、今ではもうすっかり馴染みのある道具。いや、正確には呪術だ。

 料理に風呂の生活面から、錬成による生産作業まで。習得以来、幅広く僕をサポートし続けたくれた万能便利な呪術、『魔女の釜』だ。

「ああ、ちょうどいい……ここは僕の工房だぞ。そのままぶち込んで、加工してやるよ!」

 ナイフ二本を横道の側頭部に突き刺したまま、ズルズルと引きずって行く。

 空っぽになっている黒い『魔女の釜』は、ちょうどコイツの頭がすっぽりおさまるようなサイズだ。まるで、こうなることを見越したかのように。

「い、ぃいやだぁ……喰いたいぃ……もっとぉ、小太郎ぉおををををを……」

「焼き尽くせっ!」

 生首をぶち込み、火力全開。

 炎の代わりに、釜底が瞬く間に赤熱化し、鉄をも溶かす高熱を発する。

「んごぉおおおおっ、をををぉおお————」

 もう言葉にもならない呻きを上げて、横道はもがく。最大火力を発する『魔女の釜』に焙られて、ジワジワと焼け爛れてゆく。

 熱い。そりゃあ熱いさ、ナイフを握って頭を押さえつける僕の両手も。けど、力は緩めない。これで、本当に、最後だから……

「死ねぇっ、横道ぃいいいいいいいいいいいいいいいっ!」

 あまりの熱さに、僕の両手が焼け落ちるかと思った。

 でも、良かった。ああ、本当に良かった。

 もう、この手に感じる力はない。

 横道の顔は、その大口から鼻にかけてまで黒焦げとなって、ピクリとも動かなくなった。

 僕はそこで手を離して……後は、ただその頭が全て焼け落ちていくまで、黙って見守っているのだった。



『食人鬼の頭蓋骨』:眷属『食人鬼』の頭蓋骨。それは忌まわしき鬼の首。人喰い鬼を討った証にして、暴食と貪食の残滓。汝、欲に溺れることなかれ。この首は今もまだ、飽くなき飢えに囚われている。

第268話 追放されし王

 初めてタバコを吸ったのは、いつだったか。大して美味いものではないと思っていたが、いつしか手放せない、なくてはならないモノとなった。

 道理で、20歳未満の未成年には禁止されるワケだぜ、と納得したのは中学生の頃だろう。

 至福の一本だ。特に、強敵との戦いを乗り越えた後は格別である。

 騒がしい祝勝会の会場を離れ、龍一は一服するためエントランスへと一人、降りて来ていた。

「……だが、いいところは桃川に持っていかれちまったな」

 ヤマタノオロチ攻略戦。その立役者にして最大の武功を上げたのは、あの小さな呪術師だ。

『勇者』蒼真悠斗でもなければ、自分でもない。

 遥かな古代、ゼロから国を打ち立てたような最初の王様は、きっとああいう奴なのだろうと思った。どうして『王』などという天職を授かったのか、龍一は今でも分からない。

 人をまとめ、率い、そして栄光の勝利を掴む。王の資質であり、王に求められる能力だ。

「結局、俺もアイツに良いように使われちまうか」

 三人の脱出枠を利用した、救助隊の編成。その一人目として指名を受け、最終的には引き受けた形となる。

 誰かの言いなりになるのは性に合わない。だから不良なんてやっている。

 そんな自分勝手な馬鹿野郎でも、上手に使う。やはり、それが王の力なのか。

 そうだとしても、やはり気に食わない。あの生意気な童顔が、したり顔で自分の思い通りに事を運ぶのは。

「まぁ、いいか」

 けれど、不思議と嫌な気分ではなかった。いつもの反発心やら反骨精神やらが、あんなチビにマジになるなよ、と諫められるかのように湧いてこない。

 あるいは、自分もまた期待しているのだろうか。桃川小太郎、あの小さな少年が、また何かをする。大きな何かを成し遂げるのではないかと。

 そんな風に期待できる奴は、思えば蒼真悠斗に次いで二人目だ。そういう奴は、面白い。だから、こんな自分でも付き合い続けていられる。

「————あっ、天道君、一人?」

「ああ? なんだ、小鳥遊か」

 向こうから声をかけてくるとは珍しい。いつもピーピー言いながら、悠斗にくっついて回っているだけの取り巻き女子……というだけではなさそう、とは龍一の鋭い勘で察している。

 だが、可愛らしい演技で悠斗に取り入ろうとしているくらいなら、自分には関係ない。女の笑顔や涙に騙されるのも、悠斗自身の責任だ。

「何しに来た」

「天道君と、話がしたくて」

「へぇ、お前がねぇ……なに企んでやがる?」

 そこで初めて、龍一は階段の方へ振り返り、小鳥遊小鳥へと向いた。

 小鳥の様子は変わらない。可愛らしい顔をした、小柄で、でも胸はなかなか立派な、外見だけは魅力的な女子である。ニコニコした無邪気な笑みも、いつも悠斗に向けるのと同じものだ。

 だが、自然なはずの笑みが、今は薄っぺらい仮面のように見えてならなかった。

「私と、契約しない?」

「なんだ、次からタバコ増やすのに金でもとろうってか?」

 現状、天道龍一と小鳥遊小鳥の接点はそこにしかない。龍一はタバコが必要で、小鳥はそのタバコを複製の魔法陣で増やすことができる。需要と供給は一致している。

「ううん、違うよ。私のモノにならないかって、聞いてるの」

「はっ、大きくでたもんだな、小鳥遊。それがテメーの本性か」

「天道君の『王』は少し特別みたいだから、私もちょっと扱いに困るんだよね。だから、契約して私のモノになってくれたら、安心だなって思うの」

 それは、ただの本性などというものではなかった。小鳥遊小鳥という、一人の少女の人格の問題ではない。

 その一言は、彼女の立場を表していた。自分は、ただのクラスメイトではないと。

「テメぇ、何をどこまで知っていやがる」

「私の天職は『賢者』だよ? 誰よりも知識があるのは当然でしょ」

 愛らしい微笑みを浮かべながら、小鳥は軽やかに右手を振るう。

 すると、薄っすらと白く輝くスクリーンのような光が灯る。ビッシリと古代文字が書き込まれた上に、幾重にも魔法陣が重なっている。

 どうやら、魔術師クラスが普段から使っている魔法とは比べ物にならないほど、複雑な術式構成をしているようだ。龍一の『目』をもってしても、その効果の全てを見抜けない。

「天道君は私と同じように鑑定系のスキル持ってるから、見れば何となく分かってくれるよね。これに手を置いてくれれば、契約成立だよ」

「奴隷契約とは、随分と舐めた真似してくれるじゃねぇか」

「ただの保険だよ。天道君に襲われたら、非力な私は敵わないでしょ?」

 小鳥が突き付けたスクリーン型の魔法陣は、相手に『誓約』を課すタイプの魔法らしい。

 シンプルに契約者へ危害を加えられない、という内容までは龍一でも読める。

 そして、この誓約魔法の原理は、魂に直接作用する効果というところまで分析はできるが……解除方法までは、とても見切れない。

 普通の魔法とは全く異なる系統の魔法。恐らくは、『賢者』専用の特殊な魔法なのだろう。

「それで、どうかな、私と契約してくれれば、三人目の脱出枠を確保してあげるし、ここを出た後も王国での待遇も保障してあげる」

 一人目と二人目の脱出を誰にするのか。

 脱出した先にあるという異世界の王国についても知っているのか。

 しかし、龍一はそのどちらについても問いかけない。

「なぁ小鳥遊、お前馬鹿だろ」

「なに、天道君、もしかして桃川の話を真に受けてるの? あんなの、上手くいくわけないじゃない。天道君なら、それも分かっているんじゃないのかな?」

「分かってないのはお前の方だ。無事に生かしてやるから従え、なんて言われて、俺が素直に尻尾振る男だと、本気で思っているのか?」

「それは馬鹿な選択だよ、天道君」

「おいおい、俺はただの不良だぜ? 馬鹿に決まってんだろ。で、馬鹿なりにも矜持ってのがあるからな。男なら、桃川の話に乗らないワケがねぇだろが」

「はぁ……これだから、馬鹿な男は嫌いなんだよねぇ!」

「『王剣』————」

「止まれっ!」

 龍一の、王剣を抜くための手が止まった。

 それだけではない。『宝物庫』の黄金の魔法陣も、半分ほどが描かれた展開途中で、ビカビカと明滅しながら停止している。

「どうかな、これが私の『神聖言語』の本当の力だよ」


『神聖言語「天界法15条・調停者特権第1項」』:天界を統べる法は、それを読み解く者に執行の権利を与え————神聖言語とは、神意を————その効果の適応は下界の物理・魔力・神性法則に及び————する時、調停者はあらゆる戦闘を停止させる特権を行使できる。


 小鳥の『神聖言語「拒絶の言葉」』は仲間も知るスキルではあるが、それを戦闘中に使うことは非常に稀である。戦闘員とみなされていない小鳥は常に守られ、よほど強力なボスか、奇襲などがなければ、蒼真悠斗を筆頭に優秀な仲間たちが全力で彼女の身を守り切る。

 だが「使える」ということが知られていれば、それを使ったことが判明しても言い訳が効く。故に、仲間にバレないよう使うことで、そのスキルの熟練度を上げる行為は、さほどリスクなく行うことができた。

 幸い、小鳥の熟練度上げは誰に気づかれることもなく今日に至っているが……たとえそれが露見したところで、この真の力まで知りえることはないだろう。

 小鳥がより上位のスキルへと進化させた『神聖言語「天界法15条・調停者特権第1項」』は、いまだ完全な効果を引き出すには至らないが、それでも、「拒絶の言葉」とは一線を画す性能を発揮する。

 それこそ、本気で剣を抜こうとした『王』を止めるほどに。

「ちっ、こんな隠し玉を……」

「さっすが、天道君、コレを喰らってまだ喋れるなんて、小鳥ビックリだよぉ」

 すごーい、と笑顔でパチパチ拍手する小鳥を、龍一は睨む。

 黒高の不良もビビらせる龍一の眼力を真正面から受けても、小鳥の笑顔は揺らがない。それは、自身の優位性を確信しているから。

「とっても残念だけど、私のモノになってくれないなら、天道君は邪魔なだけなの。だから、ここでサヨナラだね————転移魔法陣起動」

 この学園塔では日常の風景と化した、エントランスの転移魔法陣が稼働を始め、白い輝きを放ち始める。

 その魔法陣の真上には、神聖言語により身動きを封じられた龍一だけが立つ。

「俺を殺らなきゃ、後悔するぜ、小鳥遊」

「誘っても無駄だよ。トドメを刺すために、これ以上近づくのは危ないからね。それに心配しなくても、ちゃんと天道君は殺せるよ。だって、これから飛ばす場所は『隔離区域』だから」

 それもまた、『賢者』にのみ許された情報なのだろう。

 龍一を追放して、そのまま野垂れ死にさせるに足る場所と、そこへのアクセス権も小鳥は持っているようだ。

「いいや、お前は必ず後悔する。何を神に吹き込まれたかは知らねぇが……何もしなければ、お前はクラスメイトの一人でいられた」

「遺言はそれだけ? それじゃあ、隔離区域で頑張ってね、天道君、バイバーイ」

 そうして、天道龍一は一人、転移魔法の光と共に学園塔から消えていった。




「クソ……やられたな」

 天道龍一は、咥えタバコのまま、そんなことを呟いた。

 どうやら、隔離区域とやらに到着したようだ。

 周囲は一切光のない真っ暗闇で、視界は効かない。タバコの火だけが、この場に灯る唯一の光源であった。

 そして、その暗闇で灯る小さな火を目掛けて、鋭い風切音が迫り————

「ふん、大した歓迎ぶりじゃねぇか」

 王剣を一閃。暗闇の中でも、迷いなく振り切った。

 確かな手ごたえ。今度こそ妨げられることなく、宝物庫から抜刀された王剣は、龍一の首に届く寸前の刃を斬り飛ばす。

「シギィイイイイイイイイイッ!」

 虫型モンスターのような悲鳴を上げる、暗闇の襲撃者。

 龍一が斬ったのは、手持ちの武器ではなく、体の一部位であったようだ。

「灯れ」

 追撃を振るうよりも先に、灯りをつけることにした。この暗闇の中でも、龍一は相手の居場所と動き、大まかな姿なども察することはできるので、戦闘するのに大きな支障はないが、わざわざ視界が塞がるままで戦うメリットもない。

 ただ一言で、ポツポツと中空に火の球が現れ、瞬時に闇を払う。

 まず龍一の視界に入ったのは、白い甲殻を纏った、人型の魔物だった。小太郎が『ハイゾンビ』と呼ぶ筋肉質で走る魔物と似ているが、こちらはより異形と化している。

 目も鼻もないのっぺりした顔には、虫のような左右に開く大きな顎がギチギチと動き、這う体勢で床についた両手の先は、湾曲した長い鉤爪が生えている。

 そして腰からは長くくねる尾が生えており、半ばから断たれて紫色の血を吹いていた。傍らには、銛のような形状をした刃を生やす尻尾の先が、蛇のようにのたうっている。

「見ない顔だが、大した強さじゃねぇな。けど、そこは数でカバーってか?」

「キシシシ」

「ギシシ、シィガァアアア!」

 四方から、同じ白い魔物が姿を現す。どうやら、ここは奴らの巣のど真ん中のようだった。

「隔離区域、か。なるほど、妖精広場も機能してねぇってことかよ」

 基本的に、転移魔法陣で飛んだ先は妖精広場だ。しかし、ここは真っ暗闇で、おまけに魔物の巣と化している。

 ダンジョンのど真ん中に飛ばされたのか。いいや、違う。

 ここは妖精広場だ。正確には、妖精広場だった、場所である。

 噴水の水は涸れ、広場を象徴する妖精像は、頭と両腕は砕け散っていて、さながらニケの女神像のようになっている。

 緑の芝生と花畑の地面は、赤黒い血肉を思わせる、ドロドロとした泥のようなものに塗れていた。妖精胡桃の並木があった広間の両サイドは、どこから運んで来たのか、瓦礫とクズ鉄が山となっており、そこから白い魔物が這い出て来ていた。

 どうやら、そのゴミ山が奴らの住処であるらしい。

「ゴキブリみてぇに湧きやがって。面倒だ、まとめてかかって来い」

 とても人の言葉を理解できる知能があるとは思えない魔物だが、自らのテリトリーに侵入者した敵、あるいは、久しぶりに現れた新鮮な獲物だと認識したのだろう。

 直後には、けたたましい雄たけびをあげて、四方八方から俊敏な動作で一斉に飛び掛かってきた。

「————『ネザーヴォルテクス』」

 そうして、黒く輝く王剣より迸る、闇の渦によって魔物は瞬く間に一掃された。

 バラバラと千切れ飛んだ肉片と、夥しい量の紫の鮮血がまき散らされるが、元から穢れ切った広間にあっては、気になるほどのものではなかった。

 ひとまず、邪魔者は片付いた。だが、とてもゆっくりと落ち着ける場所にはならない。

「流石にここを掃除する気にはならねぇな……」

 赤黒い泥と奴らの残骸に塗れ、腰を下ろす場所すらないときたものだ。寝泊まりするどころの話ではない。

 かといって、今から暗闇に満ちた未知のダンジョンを攻略しに行く気にもならなかった。

「そういえば、掃除が出来そうな奴もいたか」


継承スキル

『従者・侍女』:王に付き従う者。侍女は、王のあらゆる求めに応じ、全てを捧げ奉仕する。


 錬成士に続いて獲得した、継承スキルの『従者』シリーズの一つ。学園塔生活の頃に獲得したが、特に生活で困ることもないので、今まで一度も使わなかった。というより、クラスメイト達のいる中で、『侍女』なる者が現れたら、絶対にロクでもないことになると龍一は予感していた。

 だが、ここにはもう誰の目もなく、生活面での助けも必要である。今こそ、侍女を召喚する時であろう。

「くそ、なんだかやけに嫌な予感がするぜ……」

 こういう時の勘は当たるんだ、と思いながらも、必要に迫られ召喚するしか選択肢はない。

 ちょっとだけ躊躇した後に、龍一は渋々、スキルを発動させた。

「……『従者・侍女』」

 唱えた瞬間、金色の魔法陣が展開される。錬成士と同様に、魔法陣から黄金の粒子が噴き出し、それが寄り集まって人型を形成していく。

 錬成士の時は、童話の小人のような人型が複数作られたが、今目の前で形作られていくのは一人。それも、小人ではなく、通常の人間サイズだ。

 小柄な少女、になるのだろうか。龍一の胸元程度の身長で、粒子はさらに衣服を形成していく。翻る長いスカートとエプロン、あしらわれたフリル。

 それは紛うことなくメイド服。

 そして、一際大きな輝きと共に、侍女の少女は完成を迎え————

「お呼びでしょうか、ご主人様」

「……桃川、お前なにやってんの」

 それは、どこからどう見ても、メイド服を着た桃川小太郎だった。

「私の顔が、どなたかお知り合いに似ているのですか。だとすれば、それはご主人様が、そのお方にお世話されたいと願う深層心理の表れで————」

「お前ちょっと黙れ」

 嫌な予感の正体はコレか、と龍一は目を覆ってため息を吐いた。

 別に、小太郎にメイドになって欲しいとか、そういう怪しい願望を抱いたことなど一度もない。天地神明に誓って、天道龍一に男の娘メイド属性はない。

 ないのだが、その人物のイメージがスキルに反映された可能性は非常に高いだろう。

 つまり、龍一の中で誰かの世話して走り回っている姿というのは、学園塔でクラスメイトの統率と世話に四苦八苦していた、小太郎のイメージが強かったのだ。

 だからといって、メイド姿の侍女として召喚されるとは思いもよらなかったが。

「まぁいい、涼子の姿で出てこられるより、マシだったと思おう」

 現実を納得させるための理由として、最終的に捻り出したのがソレであった。

「もう何でもいいから、お前は————」

「皆まで言わずとも、分かっておりますよ、ご主人様。この状況を見て、ご主人様が私を呼び出した理由は一つだけしか考えられません」

 流暢に喋るだけでなく、人間並みの思考能力も備えているようだ。錬成士はただ命じたまま、武器を錬成するだけで特に会話ができるタイプではなかった。

 だが、この小太郎メイド、もとい侍女は自ら状況を把握し、明確に口頭での命令がなくとも、主の意図を察することができるようだ。

「————夜伽でございますね」

「もう帰れよお前」

 小太郎のニヤケ顔で言われると本気で腹立たしかった。

「えっ、そんな、違うのですか?」

「ここを掃除しろ。一晩眠れる程度でいい」

「これは私としたことが、気が逸ってしまいました。そうですね、まずは閨を整えるところから始めなければなりませんね」

 ぬけぬけと言い放つ小生意気な顔には、反省の色は微塵も見えない。

 どうしよう、もうコイツ消して自分で掃除しようかな……と筋金入りの不良である龍一をして思わせた。

「それでは、お掃除、お掃除ぃー」

 フフーン、と鼻歌交じりにメイドが手を翳せば、小さな水色の魔法陣と共に、水流が放たれた。

 その水流で、噴水周辺からザバザバと泥や血肉を洗い流してゆく。ただの水を発射しているのではないのだろう。とても水で洗い流しただけとは思えないほど、床は綺麗になっていく。

 あっという間に十メートル四方を洗浄し、噴水も妖精像もピカピカと輝きを放つほどになっていた。流石に、破損部分はそのままだが。

「よろしければ、錬成士に申して寝具も用意させますが」

「好きにしろ」

「では、ご主人様よりオーダーが入りましたよ、職人の皆さま、よろしくお願いいたします」

 すると、龍一が発動させずとも、『従者・錬成士』の魔法陣が床に描き出され、さらには宝物庫が開き、その内部に残されていた毛皮などの素材がそこへと投入されていった。

 許可さえ下りれば、龍一自身の魔法をメイドが代わりに使えるようだ。

「お待たせいたしました、ご主人様。さぁ、ごゆっくりお休みになられてください」

 そうして、あっという間にベッドが拵えられた。

 毛皮でマットレスと毛布、枕を作り上げ、さらにはここで倒した魔物の甲殻を利用してベッドフレームを形成している。

 確かに、一晩過ごすだけなら快適な寝具が、メイドの手により整えられた。

 悔しいが、メイドの性能は優秀であった。

「よくやった。じゃあ、もう戻っていいぞ」

「私を戻すなどとんでもない! これよりは、ご主人様のお傍で、身の回りのお世話から戦闘サポート、夜伽まで、ありとあらゆるご奉仕をさせていただく所存でございます」

「いらん。戻れ」

「嫌です! イーヤーでぇすぅーっ!」

 涙ながらにすがりついてくるメイドだが、顔は小太郎なのでおちょくっているようにしか見えなかった。

 しかし、従者でありながら真っ向から反発するワガママぶりが、不思議と嫌な気がしなかった。自らの意思を主張する、すなわち、自我の存在を認めてしまったからだろう。

「もういい、分かった、お前はその辺に立って見張りでもしてろ」

「えっ、夜伽は?」

「いらねーつってんだろ、強制的に消されてぇか」

「かしこまりました、ご主人様。オラオラ系なのに意外と奥手なところが可愛らしく、胸がキュンキュンでございます」

 こんな奴にこれからずっと付き纏われるのか……

 げんなりしてくるが、それでもきっと、孤独に苛まれるよりはマシだろう。龍一はひとまず、そう思うことにした。

第269話 最下層へ(1)

 桃川が俺達を裏切り逃亡をしたあの日から、もう一か月近くが経とうとしている。

 俺達は、いまだに学園塔に留まり続けていた。

「はぁ……ようやく、必要な量が集まりそうね」

「ああ、随分と時間がかかってしまった」

「それもこれも、全て桃川がヤマタノオロチのコアを持ち逃げしたせいです」

 エントランスにて、宝箱に詰め込んだ大振りのコアの数々を眺めて、俺と委員長と桜は、そんなことを話していた。

 ヤマタノオロチの討伐に成功し、次のエリアへ進むための転移魔法陣は解放した。だが、桃川がコアを持ち去ったことで、転移魔法陣を起動することができなくなった。

 転移の起動は、ボスと定められたヤマタノオロチのコアでなくても出来るが、それでも、この場所で必要となる魔力量が多すぎるのか、他のコアで代用するにはかなりの数と質が要求された。

 それでも、代用できるというだけで十分に幸運だろう。できなければ、いつ現れるかも分からないボスモンスターを待ち続けるだけで、最悪、永遠に新たなボスは現れないかもしれないのだ。

 桃川のコア持ち逃げが発覚した翌日、すぐにヤマタノオロチの巣へと調査に向かった。

小鳥遊さんが転移魔法陣を頑張って解析して、ボス部屋の転移は他のコアでも代用できることを突き止め、必要な大雑把な量を算出してくれた。

 後は、地道にコアを集めるしか、俺達が先に進む手段はなかった。

「龍一がいれば、もっと楽ができたんだけどな」

「まったく、あのバカは肝心な時にいないんだから」

「それもこれも、全て桃川の————」

 コアを集める作業は、楽勝だと思っていたが、想像した以上に時間も手間もかかってしまった。

 今はもう、ヤマタノオロチ攻略戦前のように、18人全員揃ってはいないのだから。

 まず、エース級の戦力である龍一が抜けた穴が大きい。これだけで、ボス級のコアを確実に持っているデスストーカーのような、強力なモンスターを安定かつ素早く討伐することが難しくなった。

 このレベルのボス級モンスターの討伐は、エース級一人とあと数人のメンバーがいれば、安定して狩れる。

 けれど龍一が抜け、さらにもう一人のエース級である双葉さんも、今はとても戦闘ができる状況にない。

 結果、確実にボス級を倒せるのは、俺のいるパーティだけとなった。ボス級コアを集めるという作業は、これだけで効率は当初の三分の一である。時間がかかって当然だ。

 さらに、単純な戦闘能力でいえばエース級には劣るが、桃川と蘭堂さんが抜けた影響も大きく響いている。

 桃川は指揮官として、誰よりも優れていると認めざるを得ない。アイツが率いていれば、どんな構成でもまず安泰だし、クラス全員を指揮することもできる。俺と委員長を含めて、桃川と同じように人を動かすことは、悔しいができない。

 呪術師の桃川は戦力的には劣るが、だからこそ指揮に集中することもできる。今は下川をはじめ、他のクラスメイトもパーティを指揮する立場になる機会が出てきたが、本来、彼らは戦闘要員であり、目の前の戦いに集中しがち。仲間に的確な指示を飛ばす、というのも戦いながらでは難しい。かといって、指揮するために一歩退けば、その分だけ戦力に穴が開く。戦えるのに、戦わない、という立ち回りはパーティメンバーの不満も招くだろう。

 その点、呪術師として後衛に収まる桃川は、指揮を執るのにもちょうどいい立場だった。今、アイツと似たような立場に収まれるのは、『治癒術士』の姫野さんだけだが……流石に、彼女に桃川並みの指揮能力を求めるのは、あまりにも酷な話だった。

 それから、問題は指揮能力の低下だけではない。アイツが『レム』と呼んでいた使い魔が、各パーティから抜けたことは、戦力的にも、安全面においても大きく低下することに繋がった。

 コアや魔物素材があれば、いくらでも復活させられるレムは捨て身の攻撃や防御が出来た。いざという時、誰かの盾になることに躊躇はないし、撤退する時の殿も任せられる。普段の戦闘でも、矢面に立って敵の攻撃を引き付ける、いわゆるタンクの役目も果たす。

 命を落とす危険のあることは、ほとんどレムに任せられた。しかし、それが全ていなくなったとすれば、今度は生きた人間である俺達が、その危険な役目を果たさなければならなくなる。

 俺もみんなも、以前ほど無茶して魔物に挑まなくなった。いざ、という時に、敵を食い止めてくれる頼れる存在は、もういないのだから。

 そして、桃川についていく形でクラスを離れた、蘭堂さんの抜けた穴も大きいものだった。

 ヤマタノオロチ攻略戦に向けては、塹壕とトーチカの土木工事に出向くことが多かったので、魔物狩りの参加率は低かったが……土魔術師として、彼女は非常に有能な後衛戦力だった。

 土属性の攻撃魔法は、さながら銃撃のように即効性のある威力を誇り、さらには速やかに広範囲に壁を作り出す防御魔法は、味方の守りから敵の分断まで、大きな効果があった。

 ただでさえ魔術師クラスが少なめだったので、土魔術師の蘭堂さんが抜けると後衛不足はより深刻化した。

 それに、ボス級モンスターの巣を発見した時などは、ヤマタノオロチ攻略にならって、こちらも前線基地を拵え、地形を変えて有利な状況を整えて挑みたいところだったが、肝心の蘭堂さんがいないので、そんな大掛かりな工事は不可能となった。

 巣に籠っているせいで手出しできなかった奴らも、結構いる。今のメンバー構成では、ボスの巣に挑む危険は、とても冒せなかった。

 勿論、クラスのみんなが頼りにならないほど弱い、とは言えない。

 ヤマタノオロチとの戦いを経て、ここへ来た頃に比べればみんなはずっと成長している。ボス級モンスターを相手にも、パーティを組めば十分に太刀打ちできる。

 だがしかし、万が一を考えれば、絶対に無理はさせられない。だから、ボス級と戦う時は必ず俺をメンバーに加えるようにした。これ以上、もう一人たりとも失うわけにはいかない。

 効率を考えれば、各パーティでボス級の魔物を発見次第それぞれ狩れば早いが、やはり最大限の安全確保を考えれば、俺が出向くまで待ってもらうしかない。時には、折角、発見したボスを逃がしてしまう、ということも少なくなかった。

 歯がゆいほどの非効率。しかし、みんなの安全には代えられない。それでも、着実にもどかしい思いとストレスは募る。

 こういう場合、桃川ならどうしただろうか。多少のリスクを許容して、全パーティにボス級と戦わせるだろうか。それとも、俺には思いもつかない楽なコア集めの方法を編み出すのか。

 レイナを殺した最悪の仇であり、その上さらに最低の裏切り者となった桃川小太郎だが……俺はつい、アイツと自分を比べてしまう。クラスを統率した、その手腕は本物だったから。

 だからこそ、恐ろしい男である。心の底では、あれは何かの間違いであって欲しいと願う気持ちも、僅かながら確かにある気がする。

「けれど、これで良かったのよ。時間はかかったけれど、誰も死なず、大きな怪我もなく、ここまで集められたのだから。みんなの安全をとった悠斗君の判断は、私は間違っているとは思わない」

「ありがとう、委員長」

「そうですよ、兄さんは正しい。やはり兄さんがクラスを率いるのが、本来あるべき形なのです」

「クラスのリーダーは委員長だ、桜。確かに、戦闘は俺が仕切っているけれど……それも、どこまで上手くやれているか、不安なところだ」

 クラスの戦力面では、エース級たる龍一と双葉さんの二人が欠けた影響が大きい。

 だが、指揮や統率の面においては、桃川が欠けた影響というのを、嫌でも実感せざるをえなかった。

 確かに、みんなは強くなった。だが、今のみんなが戦う時の雰囲気は、端的に言って士気が低い。ボス級の魔物を狩り、コアを集めなければいけないという状況は、誰もが理解している。

 けれど、ヤマタノオロチ討伐に向けて準備をしていたあの頃に比べれば、明らかに雰囲気はよくない。桃川の裏切りという衝撃が、いまだ尾を引いていることもあるだろう。

 しかし、そもそもヤマタノオロチは俺と龍一が組んでも、正攻法での攻略は諦めかけるほどの圧倒的な強さの大ボスであった。

 そんな絶望的な相手に挑もうという戦いの準備でも、あの頃は、みんなどこか希望に満ちていたような気がする。勿論、自分も。みんなで力を合わせれば、きっと乗り越えられる。そういう、前向きな希望を持てていた気がするのだ。

 けれど、今はそんな希望と呼ぶべきものが見えない。

 状況が違うと言えばその通りだが……もしかすれば、あの希望をみんなに与えていたのは、桃川だったのかもしれない。そして今の自分には、それが出来ていない。

 どうにかしたい。希望を持たせて、一致団結を目指すべき。分かっているけれど、それをどうすればいいのかが分からない。

 俺は桃川が抜けたあの日から、今日までクラスを率いて戦い続け、そんな至らない部分を実感してしまうのだった。

「そうね、今にして思えば、私達みんな、桃川君の指揮に頼っていたところがあったのかもしれないわ。単純な戦闘でもそうだし、ヤマタノオロチを倒すという大きな作戦でも、彼の言う通りにすれば何とかなりそうだと、不思議とそう思えたわ」

「……やっぱり、委員長もそう思うか」

「そんなことありません。桃川は私達を利用するために、ヤマタノオロチ討伐に参加しただけに過ぎません。あんな男の力に頼ることは、本来あってはいけないことだったのです」

 まるで、酒やクスリに頼るのはよくない、みたいな言い方である。

 けれど、言い得て妙かもしれない。

 たとえ桃川小太郎が毒であったとしても、俺達はアイツに頼ってしまった。頼らざるを得なかった。ヤマタノオロチに挑むなら、酒でも飲んで酔わなきゃやってられない。

 そういえば、いつだったか桃川が言っていた気がする。人は、正しいことだけじゃ動かない、と。

 ああ、その通りだ……正しい行い、というだけで、人は幾らでもヤル気を出して動けるワケではないんだな。今のみんなの士気の低さが、その証明である。

「それでも、今のクラスがとても良い雰囲気じゃないのは事実だ」

「そうね、もう少し何とか出来ればいいのだけれど……」

 戦闘での指揮だけでなく、クラスの雰囲気が全体的に暗いのも問題だ。

 かといって、状況が状況である。劇的な改善案などあるはずもなく……転移に必要なコアがようやく揃いそうな今になっても、あまり達成感のようなものはなかった。

「————涼子ちゃーん、ご飯だよー」

 と、考えるほど暗くなってしまいそうだったところへ、夏川さんの明るい呼び声が響いてきた。

「ああ、もうそんな時間なのね。行きましょう」

 俺達はエントランスから、二階妖精広場の食堂へと向かう。けれど、心安らぐはずの食事の場が、より一層にクラスの暗い雰囲気を感じさせることになるのだ。




 三人分の席が減ってしまった妖精広場の大テーブル。すでにみんなは席についており、夏川さんに呼ばれた俺達が最後だった。

「————いただきます」

 今日のメニューは、モツ煮込みのような鍋料理だった。狩ったばかりの新鮮な肉を使っているので、日本で食べていたモツ鍋よりも味は上等だろう。

 強いて言えば、一緒に米が欲しいところだが、柔らかいパンが普通に食べられるだけ幸せだと思うべきだ。

 そう、俺達は幸せだ。今日も美味しい料理にありつけているのは、他でもない、双葉さんが作ってくれているからだ。

「あっ、なんだよおい、姫野だけウインナー入ってるべ」

「流石は双葉ちゃん、私が臓物系苦手なこと覚えててくれたんだ」

「うん、モツが苦手な人はよくいるから。他にも、ダメな人がいたら取り換えるよ」

「にはは、私ちょっと変えてほしいかもぉー」

「俺はモツ食えるけど、ウインナーも食いてぇぞ」

「お、山田、お前今いいこと言った」

「俺も山田に賛成だぜ」

「大丈夫だよ、まだ沢山あるから。欲しい人は言ってね」

 食べ盛りの子供を眺める母親のような微笑みで、山田と上中下トリオにウインナー入りのおかわりを、双葉さんはよそっている。

 その姿だけを見ていると、以前と変わらない様子に思える。

 けれど、誰もが理解している。双葉さんは、正気に戻ってなどいないと。

「————双葉ちゃん、片づけ手伝うよ」

「ありがとう、姫ちゃん」

 夕食が終わると、姫野さんが双葉さんと共に後片付けを始めた。今日の給食当番は夏川さんなので、彼女も一緒に、三人でやっている。

 他のみんなは、もう食事は終わって席を立っている。これ以上、誰もここで食べる者はいない。

 けれど、テーブルにはまだ、一人分の料理が残されていた。

「……ねぇ、双葉ちゃん、桃川君の分はどうするの」

「そのままにしておいて。もう少ししたら、帰って来るかもしれないから」

「うん、そっか……そうだよね……」

 と、姫野さんはやや硬い作り笑いを浮かべていた。

 あの日から、双葉さんは毎食欠かさず、桃川の分も料理を用意して、テーブルに並べている。

 そして、すっかり料理が冷え切って、次の分を作り始める頃になって、ようやく処分するのだ。

 食べ物を無駄にするな、とは幼稚園児でも教えられることだ。多くの日本人は、料理を捨てることに抵抗感を持つ。もったいない精神である。

 料理部であり、クラスで誰よりもこだわりを持つ双葉さんは、尚更にその辺を徹底している。クラスメイト全員の食事量を把握し、各人が残さない分を配膳するなど、とにかく無駄が出ないよう事細かに配慮していた。

 そんな双葉さんだが、冷めた料理を捨てるのだ。毎日、毎食、心をこめて丁寧によそった皿を、一口もつけることのない料理を、彼女は捨てる。

 その時の双葉さんの表情には、何の感情も浮かばない、恐ろしいほど冷え切ったものだ。

 誰も、声などかけられない。クラスでは一番の友人である姫野さんでさえ、桃川の分を用意するのは無駄だと、止めようと言うことはない。

 勿論、俺だって、今の彼女にはかける言葉がない。

 もし、不用意な発言をすれば、どうなってしまうのか。正直に言って、恐ろしくて堪らない。双葉さんは桃川に裏切られた現実を、まだ受け入れられないのだ。時間が解決するかもしれないし、永遠に解決などしないのかもしれない。

 だから、誰も何も言わないし、言えない。彼女の前で、桃川の話は絶対にしない。それは最早、暗黙のルールである。

 ただ、給食係としての仕事だけは黙って続けてくれている双葉さんの前では、みんなは普段通りにすることを自然と選んでいた。

 さっきのやり取りのように、双葉さんと普通に会話をしているが、内心では綱渡りのような感覚だろう。

 友人である姫野さんを筆頭に、上中下トリオと山田、ジュリマリコンビ、それから委員長と夏川さんが、まだ彼女と会話をする余裕がある。

 俺はダメだ……あの日から、俺はまだ一度も、双葉さんに声をかけられていない。

 勿論、今日も彼女にかける言葉など見つからなかった俺は、後のことを姫野さん達に任せ、逃げるように妖精広場を出た。

 もう、すでに夜の時間だが、まだ眠る気にはならない。かといって、食べた直後に動くのもよくはない。

 結局、俺は一階エントランスへと戻ることにした。

「あっ、蒼真くん!」

「やぁ、小鳥遊さん。今日もお願いできるかな」

「うん、勿論だよ!」

 弾けるような、無邪気な笑みで迎えられる。ここには、小鳥遊さんが一人だけで座っていた。

 エントランスは高度な錬成スキルを持つ『賢者』である小鳥遊さんの工房だ。元々ここの大半は桃川が色んなことをするのに使ったり、他の人を巻き込んで占有率をどんどん広げていったが……今は、ここの主は小鳥遊さんだ。

「もう少しで、発動できそうな気がするんだけどな」

 紙に描いた魔法陣に両手を重ねても、それが光り輝き効果を発揮することはない。

 だが、確かに魔力が通っている感覚はする。けれど、いまだ発動には至らなかった。

「焦らなくても大丈夫だよ。蒼真くんなら、絶対にできるようになるから」

 と、小鳥遊さんは言いながら、俺の両手に、小さな手のひらをそっと重ねる。

「魔法陣に魔力は半分以上通っているから、本当にあともう少し————ほら、こんな感じだよ」

 僅かな、けれど繊細で正確な魔力コントロールによって、俺の魔力は魔法陣を誘導され、効果を発揮した。

「この、あともう少しが難しいな。『簡易錬成陣』でこれなら、先が思いやられるよ」

「コツさえ掴めれば、すぐだと思うな」

 俺は、小鳥遊さんに錬成魔法を習うことにした。

 生活面でも、装備面でも、錬成魔法はサバイバルを続けていく上で重要な要素だ。この学園塔で生活を始めて結構な時間が経っているせいで、つい忘れがちになるが……大きな不自由のない生活を送れているのは、設備が整っているからに他ならない。

 桃川が去った今でも、アイツがこの学園塔に用意した設備はそのまま使い続けている。双葉さんが調理に使う複数の釜に、男湯と女湯。そして、個人に用意されたトイレも。

 桃川がいなくても、調理用の『魔女の釜』は双葉さんが自分で操作できている。

 風呂に使っている釜の方は桃川本人しか操作していなかったが、今は下川がなんとか使えるようになった。

 トイレに関してだけは、半ばオート設定のような作りらしく、何の操作をしなくても適切に処理されている。

 桜なんかは、桃川の残した物は怪しいから全て破棄すべき、とまで言ったが、誰もそれには賛成しなかった。当然だ、美味い食事と毎日入れる熱い風呂は、『魔女の釜』があってこそ。公衆衛生の面から、この完璧に機能しているトイレだって使わない手はない。

 結局、この学園塔にいる内は、桃川の遺産に誰もが頼らざるを得ないのだ。

 そして、これから全員でダンジョンからの脱出を図るにあたって、アイツの能力は必要不可欠だった。桃川がいれば過酷な脱出行でも、この学園塔並みの生活レベルを維持できるのだ。安息が保証されているのは、何よりも大きな励みであった。

 けれど、もう桃川の力には頼れない。アイツ自身がその道を断ってしまったから。

 それでも俺達には、アイツが示した脱出案しか、現実的な計画はない。だから、桃川抜きで実行する。

 その実現のためには、錬成を使える者は一人でも多い方がいい。

 純粋な魔術師クラスではない俺に、果たしてどこまで錬成魔法が使えるようになるかは分からない。けれど、今の自分に出来ることは、何でもするつもりだ。

 ただ目の前の敵を倒すだけでは、先には進めないし、誰もついては来ない。たとえ桃川が最初から裏切るつもりだったとしても、ヤマタノオロチ攻略までの活躍は本物だし、見習わなければいけないだろう。

「俺も早く錬成が使えるようにならないとな。いつまでも、小鳥遊さんだけに負担をかけるわけにはいかないし」

「ううん、私は全然、大丈夫だよ!」

「けど、こんな時間まで一人で頑張っているだろ?」

「そ、それは……小鳥が頑張らないと、みんなが困るから。桃川君はもういない。戻ってくることも、絶対にない。だから、小鳥が『賢者』として、みんなを支えるの」

「ありがとう、小鳥遊さん。でも、無理だけはしないようにね」

「大丈夫だよ。それに、多分、本当に次が最下層だと思うから……今が頑張りどころだよ」

 桃川はあの時、ここから次に飛んだ場所が、脱出用の天送門があるダンジョンの最終エリアだと言っていた。だから、もうクラスメイトの力はいらないのだと。

 その情報を頭から信じるわけにもいかないが、逆に嘘だと断じる要素もない。

 小鳥遊さんがヤマタノオロチの巣にある転移魔法陣を解析した結果、今までのものとちょっと違う点もあることから、恐らくは最終エリア、この地下深くに広がるダンジョンの最下層に繋がっている可能性が高い、と分析している。

 事実であれば、ゴールは目前だ。

 果たして、最下層に飛んだ先に何が待ち構えているのか。桃川の口ぶりでは、そこへ行けばすぐに脱出できるような感じではあったが……途轍もないラスボスのような奴が、待ち構えているような予感が俺にはする。

 ここまでボスを倒し続けてダンジョンを攻略してきたのだ。誰だって、最後の最後までボスがいるだろうと予想して然るべきだ。

 だから、小鳥遊さんも装備の更新を全力で頑張ってくれている。

「明日には、いよいよ転移することになる」

「そうだね。でも、みんなで協力すれば、絶対に乗り越えられるよ」

「ああ、俺達は必ず、みんなで生き残るんだ。もう、誰一人、失ったりはしない」

 たとえどんな障害が立ちはだかろうとも、俺はみんなを守る。

 それが『勇者』の天職を授かった、自分の使命だと、俺は信じているから。

第270話 最下層へ(2)

「————なぁ、上田、中井、お前らさ、どう思う?」

 転移に必要なコアを狩るために、無人島エリアへとやってきた、その帰り際である。

 下川は、最も信頼すべき友人二人に、そう問いかけた。

「どう思うって」

「何がだよ」

「全部だよ。今ここには、俺らしかいねぇ、だから話してんだ」

 小太郎裏切りの衝撃から、委員長と悠斗がトップに立ち、これからどうするべきかの方針をひとまずは示した。それを全員が了承しているから、三人もこうして狩りに参加している。

 だが、心の底から現状を受け入れ、納得できているかどうかは話が別である。

 それは下川自身もそうであるし、上田と中井も同じはずだと思っている。ぶっちゃけ、蒼真派閥以外の奴らは、大なり小なり、不満を抱えているだろう。

 しかし、それら全てを正直に打ち明けることは戸惑われた。

 小太郎が裏切り、龍一と杏子もいなくなった今、クラスの多数派は蒼真派閥となっている。下手なことを言えば、何をされるか分からない。

 元々、小太郎がいたからこそ、上中下トリオと山田、姫野と中嶋、ジュリマリコンビ、と蒼真派閥以外の面子がある程度の纏まりをみせて、対抗勢力足りえた。過半数確保という影響力があるからこそ、公平な意見を述べ、それを反映させる余地がある。

 そういう状況の認識度に個人差はあれど、誰もが意識的、無意識的にも感じているところだ。だから蒼真達、全員が揃っている学園塔では、好き勝手なお喋りを控える雰囲気が自然と形成されていた。

「ぶっちゃけ、小鳥遊怪しくね?」

「下川、お前……」

「えぇ、今更ソレ言うのかよぉ……」

 そう、つまるところ、最も口に出してはいけないタブーとなっているのが、『賢者』小鳥遊小鳥への疑惑である。

 転移に必要なコアを狩って集めよう、という方針が決定された時の学級会で、あえて言及はされなかった。小太郎の言葉を真に受けて、小鳥を疑うのはやめよう。今はみんなで一致団結すべきだ、という話をわざわざしなかったのは……恐らくは、それを言えばかえって疑いを深める危険性があると、涼子も悠斗も思ったのではないかと、下川は推測している。

 事実、悠斗が何も言わずとも、クラスで小鳥遊黒幕説を口に出す者は誰もいない。疑惑を追及すべき、という意見など、以ての外。

 良くも悪くも、みんな空気を読んでいた。

「ホントはもっと早く言いたかったけどよ、なかなか機会がなくてな」

 下川の小鳥遊への疑惑は、一晩寝て頭が落ち着いた翌朝になってのことだった。

 だが、それを言い出す状況にないとの判断から、上田と中井の二人に内緒話をする機会をずっと探っていた。今日は偶然、三人だけで無人島エリアに居残れるタイミングが巡ってきたから、話を持ち掛けたのだ。

 今回のパーティでリーダーを務める涼子は、美波と共に一足先に学園塔へと帰還済み。山田は、中嶋を連れて海へ釣りに出ている。しばらくは戻って来ない。

 そして、上中下トリオ三人は、適当に近くで採取してから戻ると言って、ここへ残ったのだ。込み入った話をする時間は、十分にとれている。

「けど、毒盛られたのは事実じゃねぇかよ」

「流石にアレはヤベーだろ」

「お前らさ、あん時、桃川が叫んでた内容、覚えてるか?」

「そりゃ小鳥遊が黒幕だーってやつだろ」

「勇者がどうとか言ってたよな」

「そう、それだよそれ。いいか、冷静になって考えてみろよ、もし桃川の言ったことがマジだったら、フツーに筋が通るんだよ」

 それは、小鳥遊自身にクラスメイトを毒殺するに足る動機があったということ。そして、それを実行できる能力を隠し持っていたこと。

 少なくとも、矛盾はない。

「あん時はみんなテンパってたから、アイツの話を真に受ける余裕はなかったけどよ、後になって考えると、ありえない話でもねーと思うんだよ、俺は」

「うーん、それは……そうなのか?」

「桃川は頭いいからな。それっぽい言い訳も、土壇場で思いつきそうじゃね?」

 中井の言い分は一理ある。小太郎が追い詰められた時の爆発力は、十分に知っている。

「それによぉ、アイツがレイナちゃん殺したのもマジだし」

「ああ、桃川が本気になれば、ガチで人殺しもできるからな」

 そこが桃川小太郎の恐ろしいところであると、三人は思っている。なにせ、あの樋口すら殺しているのだから。

 学園塔で本人を目の前にしていると、そういう気持ちは湧かないのだが。いざ敵に回ったかと思うと、急に怖くもなってくる。

「俺も、アイツが本気でやろうと思えば、クラス全員毒殺くらいやってのけるとは思う。でもよ、理由が足りねぇと俺は思うんだよな」

「そんなもん、一人で抜けるためだろ?」

「そうだぜ、十分すぎる理由じゃねぇか」

「いや、桃川が『一人だけ』で抜けるのはありえねぇべ」

 あの時の状況を、小太郎がそのまま真犯人だと想定して考えてみる。

 前提条件として、次に転移した先が脱出できる天送門のあるエリアだと、小太郎は確信している。そこにはボス戦もない。それがあれば、ここでボス攻略に必要な戦力を捨てるわけにはいかないから。

 もう一切の戦力はいらずに脱出できる手前まで来たからこそ、このタイミングでの毒殺だ。

 そうしてクラスに毒を盛ったが、桜の力が覚醒し、全員が解毒され形勢逆転。

 クラスのみんなを殺してまで、一人で脱出したかった小太郎だが、這う這うの体でどこかへと転移で逃げるしかなくなった。

「あの時、桃川は完全に追い詰められた状態だった」

「おう」

「転移なけりゃあ、あのまま勢いでぶっ殺されただろうな」

「そう、アイツは逃げたんだよ。ここで踏ん張らなきゃ、一番の目的である一人脱出ができねぇってのに」

「でも逃げるだろ」

「完全に囲んでたしな」

「そうだよ、桃川は俺らに囲まれたら、それを突破できる力はねぇんだよ。あれ以上、なんかスゲー秘密の能力を隠していねぇってことだ」

 ヤマタノオロチにトドメを刺した謎の呪術という存在はあるが、あの追い詰められた場面で使わなかったということは、何かしらの制限か限定的な効果でしかないのだろう。

 他にも何か能力を隠している、と仮定したとしても……クラス全員を敵に回しても一発逆転できる切り札を、小太郎が持っていないことは明白だ。切り札を切らねばならない状況でも、切らなかった。それはすなわち、元からそんなものが存在しないことの証となる。

「あれが桃川の力の限界だ。たかだか十数人に囲まれただけで、詰んじまうような能力ってことだよ」

「いやでも、蒼真含め、俺ら全員強ぇからな」

「どうにもならねぇのがフツーだろ」

「お前ら、これから異世界のワケ分からん王国に出ていくってのに、そんな程度の強さで一人で行くか?」

「うーん……」

「でも、ここからすぐ出て行けるってんなら、アリじゃね?」

「普通はそう考えてもおかしくない。おかしくないけど、あの桃川だぞ。そんな短絡的な判断を下すか? アイツなら、絶対に自分の戦力を最大にした上で王国に行きたいはずだべ」

「あっ」

「なるほどな」

「いいか、アイツが双葉さんを『切った』時点でおかしいんだよ」

 双葉芽衣子の強さ、そして忠誠心は周知の事実である。恋愛禁止制度のせいで不純な異性交遊はないものの、それがなければいつ子供が出来てもおかしくない二人の距離感だと、大体みんなは思っている。

「桃川は呪術師だ。やっぱり、アイツ一人じゃ強くねぇ。仲間がいる。強くて、信頼できる仲間だ」

 それを自分で分かっているからこそ、小太郎は上手く味方を作るよう立ち回ってきた。下川達と合流した時も上手く取り入ったし、学園塔ではついにクラスを率いるほどにまでなった。

 しかし、それは決して容易なことではない。簡単お手軽に、相手を洗脳するような呪術などがないからこそ、小太郎はあの手この手で味方を増やすしかないのだ。

「アイツにとって双葉さん以上の仲間はいねぇ。脱出しようってんなら、必ず連れていく」

「あー、確かに、そうかもしれねぇな」

「そうだな、あの桃川が双葉さんの爆乳を諦めるわけねぇよな」

「おう、それも割とマジであると思う」

 小太郎の巨乳好きは、フリではなくガチだと、同じ男同士だからこそ理解している。

 剣崎明日那や小鳥遊小鳥も女子高生としては巨乳の部類に入るが、小太郎は彼女らを目の前にしてもマネキン人形でも見るかのような無関心ぶりだ。

 一方、双葉、蘭堂、の巨乳を越えた爆乳クラスになると、お前それ以上はちょっと怒られるんじゃないのというほど露骨に視線を向ける。最早、隠す気すらない真剣そのものな目つきは、男としてはむしろ尊敬に値する。

「あんまりこうは思いたくねぇけど、桃川が誘えば、多分、双葉さんってクラス全員毒殺すんのも止めないんじゃねぇかなと」

「あるある!」

「マジで笑えねぇけどな」

 傍から見ている上中下トリオでも、それくらいの認識を持っている。このクラスで誰よりも人の機微に敏い小太郎が、芽衣子の感情を利用しないはずはない。

 双葉芽衣子は、桃川小太郎にとって都合が良すぎるほどのパーフェクトな手駒。これを捨てるほどのメリットが、あの毒殺による一人脱出計画には見当たらない。

「そもそもだ、毒殺なんて大それた真似しなくたってよぉ……桃川なら、口先だけで三人の脱出枠に入れるだろ」

「そうだよな、元から脱出はするはずだったし、それらしい適当な理由でっちあげるくらい、アイツならできるわ」

「つーか、分身送るつもりで本物と入れ替わっても、気づかねぇしな」

 小太郎の立場と能力からして、クラスメイトを殺さなくても天送門で脱出できる可能性は非常に高かった。

 ここにもまた、毒殺を図るメリットがない。

「考えれば考えるほど、桃川がやったとは思えねぇんだべ。だからよ、あの証拠動画撮ったっていうガラケーもよ、マジだったんじゃねぇのかな」

「ハッタリじゃなかったって? でもあれぶっ壊したの桜ちゃんだろ」

「おい、ってことは桜ちゃんも小鳥遊の裏切りに加担してたのか!?」

「いや、桜ちゃんはフツーに桃川にキレて撃ったんだろ」

 小太郎と桜、この二人の険悪な仲も、クラスでは周知の事実である。あの流れで桜が弓を放ったこと自体は、そう不自然ではない。

「おい、それじゃあマジで裏切り者は小鳥遊なのか?」

「それヤベーだろ。まだ俺らの命が狙われるってことじゃねぇか」

「まぁ、待てよお前ら。桃川が犯人じゃない可能性はあるけど、まだ証拠もない。で、小鳥遊が真犯人っていう証拠もねぇんだ。騒いだところで、蒼真達から余計に疑われるだけになる」

 毒殺の犯人は小太郎か、小鳥遊か、あるいは全く別の黒幕がいるのか。今の段階では、どれも可能性の話に過ぎず、真実を示せるほどの物的証拠がない。

 ここでやっぱり小鳥遊が怪しい、と騒ぎ立てたところで、それを信じるわけにはいかない蒼真派閥と対立するだけの結果となるだろう。

「いいか、このことは蒼真達には秘密だ。蒼真悠斗、桜、委員長、夏川、剣崎、そして勿論、小鳥遊本人にもだ。コイツらに俺らが疑いの目を持ってると思われると、絶対に面倒くせぇことになる」

「まぁ、言い出した瞬間、小鳥遊が泣きわめいて俺らが悪者にされるだけだろうしな」

「けどよ、これを知ったからって、どうなるもんでもねぇんじゃねぇのか?」

「いや、そうでもねぇさ。いいか、桃川がいなくなったせいで、蒼真派閥以外はバラバラになった感じだろ。そこを、小鳥遊疑惑で一つにまとめんだよ」

「……下川、お前なんか桃川みてぇなこと考えてんな」

「俺だって好きでやってんじゃねーよ! けどよ、そうでもしねぇと、俺らの立場は多分、どんどん悪くなるだけだべ」

「それも、そうかもしれぇな……今じゃ俺ら、ただ蒼真の命令に従ってるだけだしよ」

 学級会は、もう機能していないと言ってもいいだろう。

 このボス狩りによるコア集めも、裏切りのショックが冷めない内に、ほとんど一方的に通達されただけだ。無論、先に進むことを考えればこれしか方法はないので、強く反対する理由もないのだが……なんとなくの流れで、トップを決められてしまったような雰囲気はあるだろう。

 今は非常時ということで、多少の不満はあっても、それを抑えて協力はする。

 だがしかし、このまま黙って今の状態を続けるだけでは、その内にただの言いなりになりそうだと、下川は危機感を抱いた。

「いいか、俺らは蒼真の手下じゃねぇ。アイツらの言いなりなるだけじゃあ、いつか絶対に割を食うことになる。それに何よりも、桃川の言う通り小鳥遊が真犯人だったら、俺らだけでもアイツに警戒しなきゃいけねぇ」

 もう、毒を盛られるのは絶対に御免である。

 そのためには、隙を見せないこと。団結のために小鳥遊を疑うような真似はやめよう。そう主張したいのは蒼真派閥だけであり、下川達にとっては、限りなく黒に近いグレーである。

 馬鹿正直に信用すれば、再び毒を盛られるような致命的な隙を、いつか晒すことになるだろう。

「小鳥遊が真犯人なら、桃川に濡れ衣を着せた計画的犯行だ。思い立ってすぐ出来るようなことじゃねぇ。こっちが隙を見せずに警戒し続ければ、そう簡単には行動は起こせねぇべ」

「警戒することで、自分の身を守ることに繋がるってことか」

「そうでなくても、俺らは俺らでまとまることは、いい立場でいるには必要だよな」

「とりあえず、次は山田に声をかけようと思ってる。その次はジュリマリか姫野だな」

「中嶋はどうすんだ?」

「アイツは剣崎に惚れてっからな、言えば絶対ぇチクられるべ」

 本人は隠しているつもりだろうが、中嶋が剣崎明日那を意識していることは傍から見れば丸わかりである。気づいていないのは、思いを向けられる当人の明日那と、あとは鈍さに定評のある蒼真悠斗くらいであろう。

 自分の思いが、好きな人と、その好きな人が好きな人にだけ伝わらないとは、まるで少女漫画のようなもどかしい状態なのであった。かといって、中嶋の恋路を応援する気はさらさらないが。

「後は、俺らの意見がまとまったら、委員長にも機を見て話そうと思う」

「おい、大丈夫なのか?」

「委員長は、あの後、小鳥遊が解毒薬持ってるかどうか調べたらしいぜ」

「マジかよ! そんなの聞いてねぇぞ」

「この話は、俺が一昨日、夏川さんから聞いたんだよ」

 学園塔生活の食を支える狩猟部隊として、下川は美波とそれなりに打ち解けている。仲が深まっていたからこそ、美波もそんな話を零したのだろう。

「委員長は、多少、小鳥遊を疑ってる節はある。まぁ、伊達に委員長じゃねぇからな、俺が思いついたような、桃川犯人がおかしいってくらいは自分で気づいてるだろうよ」

「でも、小鳥遊とも仲いいポジションだから、それも表立って言えねぇと」

「そうだ、下手に言い出せば自分が蒼真達と揉めることになるからな。けどよ、俺らの方も小鳥遊疑ってんだぜ、と意見がまとまってりゃあ、立派な対抗派閥になれるってわけよ」

「……なぁ、それクラスが完全に二分されるんじゃあねぇか?」

「俺もそうなるのはヤベぇだろとは思ったさ。けどよぉ……やっぱ桃川がいねぇんじゃ、もう無理なんだよ。クラスが一つにまとまんのは、絶対に無理だべ」

 元々、蒼真悠斗を中心としたハーレム、もとい派閥の結束が硬すぎて、二年七組には彼らに対抗する派閥など存在しえなかった。平和な学園生活の頃なら、それはただ美男美女のハイスペックなトップグループとして憧れるだけの集団であったが……命を賭けたダンジョンサバイバルにおいては、誰にも逆らえない支配力を発揮する強固なグループと化す。

 彼らの言いなりにならず、あの頃のように平穏な学園塔での生活を送れたのは、全て桃川小太郎の働きによるものだ。

 蒼真派閥以外のグループを全てまとめあげて過半数を確保する対抗派閥を作り上げ、その上で、蒼真派閥と決定的な対立関係にならないよう、常に交渉、折衝をしてきた。

 それが出来たのは、小太郎個人の才能であり、そして呪術師としての能力だ。

 下川は、小太郎の真似事はできても、全く同じことは出来ないと理解している。才能だけではない。持っている手札が、呪術師と水魔術師では異なるのだから。

「クラスは分裂するかもしれねぇ。でも、一方的に俺らが言いなりになるよりはマシだし、万が一に備えて小鳥遊に警戒すんのも必要だ。もうクラス全員で仲良くはやっていけねぇよ。それでもクラスとして一緒にいなきゃならねぇなら、俺らはアイツらと対等に意見できる立場になるしかねぇだろが————上田、中井、お前らが俺の意見に賛成できねぇってんなら、話はここまでだ。お前らの理解が得られないようじゃ、どうしようもねぇからな」

「おいおい、下川、あんま俺らのこと舐めんじゃねぇぞ?」

「今の今まで、三人一緒に命賭けて戦ってきたんだぜ。俺らはもう、その辺の奴らとはレベルの違うマブダチだろうが」

「お前ら……」

「下川、今日からお前が、桃川に代わって派閥をまとめろ」

「蒼真の言いなりになんかなるかよ。お前が俺らのリーダーだ」

 そうして、三人はガッシリと固く握手を交わし、トリオの結束は深まった。

第271話 最下層へ(3)

 ついに、俺達が最下層への転移を決行する日が来た。

 コアは転移に必要な分に加え、小鳥遊さんが錬成に使う分も確保してある。武器防具は勿論、サバイバルに必要なアイテムや、水と食料も各自で持っている。

 今の二年七組の計画は、桃川が語った通り、脱出した三人による救助隊の編成と、残りは徒歩での脱出を図ること。

 アイツにとっては、俺達を油断させるためのもっともらしい嘘に過ぎなかったが、クラス全員が助かる方法として、現状で最も可能性があるのも事実だ。勿論、以前に選出した救助隊メンバーの編成は、大幅な変更を余儀なくされたが。

 だから最下層の天送門を起動できたとしても、それで全て終わりではなく、むしろ長い脱出行の始まりである。そのための準備も、学園塔にいる内にしっかりと整えた。

 お陰で、負担が小鳥遊さん一人に圧し掛かることになったのは、申し訳なかったが。でも、彼女は泣き言一つ言わず、懸命に取り組んでくれた。

 俺はなんとか『簡易錬成陣』は習得できたが、やはり相性が悪いのか、より上位の術式はさっぱり出来そうもない。俺にできることは、姫野さんと中嶋と一緒に必要な材料の一次加工という地味な下ごしらえだけだった。

 姫野さんはやけに嬉しそうだったけど。きっと、こういう作業が好きなのだろう。

 錬成作業に関しては、ここでも桃川と、さらに蘭堂さんが抜けたことの影響を強く感じさせたが……それでも小鳥遊さんの頑張りと、みんなの協力もあって、無事に準備も完了できた。

 この学園塔でできることは、もう何もないだろう。

 今となっては、少々名残惜しくもあるが……俺達は、もう二度とここには戻らないと誓って、学園塔を後にした。

「————それじゃあ、みんな、行くよ!」

 ヤマタノオロチという大ボスは消え、あの大量のガーゴイルも荒野へと散り散りになり、もうここに俺達を阻むモノはなにもない。

 クラス全員で大きな転移魔法陣に乗り、小鳥遊さんがコアを消費して術式を発動させる。

 俺には小鳥遊さんのように魔法陣の解析などはできないが……それでも、今までよりも多くの魔力を消費して、この転移が機能していることを感じられた。

 そうして、眩い光に包まれて、俺達は転移を果たし————

「————ここは」

 視界が戻ってくると、大きく開けた景色が目に入った。

 ジャングルのような新緑に覆われた深い森。その中に、転々と石造りの遺跡が顔を覗かせている。

 以前にも、こことよく似たエリアを通ってきたことがある。まさか、戻されたワケではないよな……?

「小鳥遊さん、ここは本当に最下層なのか?」

「……」

「小鳥遊さん」

「あっ、ご、ごめんね、蒼真君! 私も、ちょっと思ってたところと違って、ビックリしちゃって。でもね、転移は成功してるよ! ここは間違いなく最下層だよ!」

 と、小鳥遊さんはやや呆然としていたものの、すぐにそう断言してくれた。とりあえず、前のエリアに戻される、なんていう最悪な状況ではなくて良かった。

 鬱蒼と生い茂る緑がまず目に入るが、よく観察すれば……ここの空が、巨大な岩肌に覆い尽くされていることに気づくだろう。

 どれだけの高さがあるのか、ちょっと分からないほどの巨大で広大な地下空間である。

 恐らく、あの岩肌には元々、古代の技術によって青空が映し出されていたことだろう。今まで通ってきたエリアには、空模様を映している場所も多くあったから。

 けど、あそこまで剥き出しの岩肌が頭上を覆っているのは初めて見る。空を映す機能だけでなく、天井の構造そのものが剥がれ落ちてしまっているのではないだろうか。

 だとすると、この最下層はダンジョンの中でも最も破損と劣化が著しい場所なのかもしれない。天送門は大丈夫なのだろうか……

「しかし、妖精広場じゃないところに放り出されたのは、初めてだな」

「兄さん、見てください。どうやらここは、妖精広場だったようです」

 桜が指さす方向には、緑の蔦に覆われた大岩……のように見えたが、よく観察すれば、それが妖精広場の象徴でもある、噴水だと分かった。

 噴水は半壊状態で、かろうじて円の原型を留めているといったところ。天辺に鎮座している妖精像は、もう短い両足しか残っておらず、それに絡みついた茨が、バラのような花を咲かせていた。

「なんとか転移はできたみたいだけど……ここはもう、妖精広場としての機能はなくなっちゃってるみたい」

「この有様じゃ、そうだろうな」

 小鳥遊さんが、不安げに言う。

 妖精広場は次のエリアに転移した時でも、最初の安全地帯として必ずあった。

 だが、ここはもう完全に崩壊していて、魔物避けとしての機能はないだろう。最低限の食料保障となる妖精胡桃の木も、ジャングルの植生に負けて、もう一本も生えてはいなかった。

「ひとまず、先に進みましょう。コンパスはこの先を示しているわ」

 委員長は真っ先に、道標たる魔法陣ノートを開いて、方向を確認していた。コンパスが正常に機能しているなら、大丈夫だろう。

「よし、みんな、ここにいても仕方がない。まずは先に進もう」

 クラスメイト達も、荒れ果てた妖精広場の様子にざわついていたが、ここで騒いでいてもしょうがないとすぐに思ったようだ。特に反対意見もなく、動き出す。

 妖精広場という安全地帯を確保できなかったのは痛いが、それでもサバイバルの用意は万全にしてきた。次の妖精広場が見つからなかったとしても、野営は可能だ。転移して早々の不測事態ではあったが、大丈夫だ、なんとかなる。

 そうして、俺達はコンパスの導きに従って歩き始めた。

 深い密林は進行速度を妨げる地形だが、ここが猛暑の砂漠や極寒の大地などといった、動植物の全くいない不毛の地じゃないだけマシだろう。

 いくら準備をしたといっても、食料には限りがある。水だけは下川がいるので確保できるが。

 ざっと歩きながら観察したところ、このジャングルは食料調達に重宝したあの無人島エリアとよく似た植生をしている。

 あそこで培った、食用の植物や果実などの知識はここでもそのまま通用する。食肉となる動物も多そうだ。勿論、それだけ魔物もいるだろうし、あのドラゴンのような強力な魔物も生息している可能性は高いけれど。

 それでも、ここが目的地に到着するまで何日もかかるような広大なエリアだったとしても、十分に食いつないでいくことができるだろう。

 そうして、しばらく進んだ頃、

「あっ、見て! あの塔、なんかちょっとありそうな気がする!」

 先頭を進む夏川さんが、緑の向こうに、崩れかけではあるが、他の遺跡に比べて明らかに大きな塔を発見した。

「塔を探索してみよう。妖精広場があるかもしれないし、他にも何か見つかるかもしれない」

「けれど、あそこが目的地ではなさそうね」

「ああ、でも大きくルートを外れているワケでもない。妖精広場がなくても、安全そうなら、今日はあそこを野営地にしてもいいだろう」

「そうね、結構、時間も経っているし。野営地は早めに見繕っておかないと」

 委員長と相談して、そう結論付けた俺達は、夏川さんに続いて塔へと向かった。

「なんかここって、密林塔を思い出すべ」

「だよな」

「ちょうどこんな感じだったしな」

「何だか、酷く懐かしく思えるぜ。まだ三か月も経ってねぇはずなのに」

 以前、こことよく似たジャングルを踏破してきたという、上中下トリオと山田が、塔を見上げてそんなことを話していた。

 その密林塔で過ごした頃に、桃川はレイナと一緒になったはずだ。

 思い出す度に、あの時の怒りと後悔が湧き上がってくる。けれど、レイナのせいでヤマジュンも死んだのだと聞かされて、単純に憎悪しきれない、複雑な感情が渦巻く。

 けれど、裏切りを働いた桃川のせいで、今は憎しみの気持ちの方が強いと感じる。

「……中に魔物はいないようですね」

「けど、妖精広場もなかったな」

 ついでに、宝箱などもなかった。ひとまずの内部の安全は確保できているが、妖精広場がないので絶対的な保証はない。

 けれど、今夜の野営地としては最適だ。場合によっては、ここを探索の拠点とするのもいいかもしれない。

「蒼真くん、ちょっと上に来て! 小鳥遊さんが、なんか石板から遺跡の情報が分かるって!」

「そういえば、小鳥は以前にも石板を動かして、地図情報を手に入れていましたね」

「あの時と同じだというなら、助かるな」

 俺達は夏川さんの声に応えて、すぐに最上階へと上がった。

 そこでは、委員長と明日那がすでにいて、小鳥遊さんはうんうん唸りながら、壁に両手をついていた。

 以前は祭壇型のようなものだったが、今回は壁に設置されたスクリーン型なのだろうか。

 俺には、ただの石壁にしか見えないが、小鳥遊さんには見分けがつくのだろう。

 ほどなくして、彼女はふぅーと息を吐きながら、壁から手を離した。

「小鳥遊さん、何か分かった?」

「うん、あのね、蒼真くん————」




「————くそっ、なんだよここは!?」

 と、崩れ去った妖精広場に転移した小鳥は、内心で叫んだ。

 本来なら、すぐにでも天送門へと続く最下層中枢部『セントラルタワー』へと出るはずだった。

 しかし、どうしてこんな最下層の外縁部に飛ばされたのか。転移の設定を間違えたとは思えない。

「タワーの転移に異常が? でも、それならもっと近くに再設定されてもおかしくない……ああ、もう、どうしてこんな面倒なことばかり」

 崩れた妖精広場と一面のジャングルを見て、小鳥は思い通りにいかない展開に、俄かに苛立ちを募らせる。

「小鳥遊さん、ここは本当に最下層なのか?」

 そのせいで、悠斗からかけられた声に応えるのが、一拍遅れてしまった。

「小鳥遊さん」

「あっ、ご、ごめんね、蒼真君! 私も、ちょっと思ってたところと違って、ビックリしちゃって。でもね、転移は成功してるよ! ここは間違いなく最下層だよ!」

 慌てて取り繕いながら言った。

 そうだ、たとえ目的地からかなり遠い外縁部に飛ばされようとも、無事に最下層へついたことは事実だ。

 ならば手間はかかるものの、大人しくジャングルを進めば良い。幸いというべきか、サバイバルの準備は万全だ。

 もっとも、演技のためとはいえ、クラス全員分の装備を用意する作業は、腸が煮えくり返るような思いで成し遂げたのだが。毒殺が成功していれば、こんな面倒くさいことをせずに済んだというのに。改めて、あの生意気な呪術師の顔に怒りが湧いてくる。

「あっ、見て! あの塔、なんかちょっとありそうな気がする!」

 壊れた妖精広場から出発して、しばらく経ち、美波が塔を発見した。

 小鳥の感知によれば、その塔にはまだ機能が僅かながら生きている。最下層の構造は、すでに把握しているが……ここにアクセスしたことで、初めてソレを知った、という風に悠斗へ説明すればいいだろう。

 どの道、クラスメイトはまだ沢山、生き残っている。

 脱出する前に、女神エルシオンが望むだけ、勇者の覚醒を促さなければならない。少なくとも、あと一回は覚醒させ、第三固有スキルまでは絶対に発現させなければ。

 そのためには、是が非でも最下層のボスに挑んでもらわなければならない。

「小鳥遊さん、何か分かった?」

「うん、あのね、蒼真くん————」

 天送門は、この最下層エリアの中央にある、巨大な塔を降りた空間に設置されている。

『セントラルタワー』と呼ばれるその塔は、ダンジョンという巨大施設の最深部に位置し、ここを管理する中枢部である。

 もっとも、このセントラルタワーは、今では天送門の前に立ちはだかる、最後のボス部屋としての機能しか残されていないが。

「————大丈夫だよ、まだもう少し距離はあるけれど、天送門のタワーは間違いなくこの先にあるよ!」

「そうか、良かった」

 ラスボス、と呼ぶべき最後に立ちはだかる強力なボスがいる、とは悠斗には伝えない。

 ヤマタノオロチほどではないが、確実に犠牲者が出るほどの強さを、ラスボスは持っている。

 だが、それを今伝えてしまうのは悪手だ。最悪、悠斗が天送門の使用を諦め、全員での徒歩脱出を提案するかもしれない。

 天送門で全員が送れる可能性は低いと見ている以上、犠牲を覚悟してまで、そこに至るほどの理由はない。タワーに入る前に、諦めてしまっては使命を果たす機会が失われる。

 もっとも、いざとなればこの最下層からの転移を全て封鎖し、完全に退路を断つこともできるが……今はまだ、余計な手を回すことも、情報を与えることもしない方がいいだろう。

 ここが使命を果たす最後のチャンスだ。絶対に、失敗はできない。

「ひとまず、今日はここで休もう。ちゃんとゴールがあるってことが分かったし、焦らず行こう」

「そうね、みんなを集めてこのことを伝えるわ」

 そうして、その日は塔で野営することが決まった。

 ジャングルに出たことで、やや不安をクラスメイト達は覚えていたが、天送門が確実にこの先にあるとの情報が伝えられ、どこか安心した雰囲気となった。

 今日のところは、せいぜい呑気に寝ていればいい。勇者のための生贄に捧げられる日は近い。




 翌日、塔を出発した。

 ちょうど丸一日かけて歩けば、タワーまで到着するくらいの距離だと小鳥は見ている。特に強力な魔物が襲ってくることもなく、昨日も含めて、出現したのはジャングルに適応した自然の魔物のみであった。

 それも当然だ。この最下層は他のエリアと違って、魔物を出現させる難易度調整を行っていない。

 この場所は放棄された時から、自然に任されるがまま。ジャングルが生い茂り、そこで新たな生態系が作り上げられただけの空間に過ぎない。

 重要なのは、天送門のあるセントラルタワーだけ。この内部だけ、機能が生きていれば問題ない。

 そうして順調にジャングルを進み、半日が過ぎようかという時、それは現れた。

「な、なんだアレは……」

 不意に、ジャングルが開けた。そのこと自体は、そうおかしなことではない。構造的には、ちょうどこの辺からがタワーの管轄エリアとなる。ジャングルの浸食を防ぐ働きがあってもおかしくない。

 だから、何もなくなっているならいい。

 問題は、あってはならないモノが、そこにあることだ。

「なんて巨大な城壁……」

 桜が息を呑んで、そう呟く。

 そう、そこにあったのは壁だ。石を積んで作られた、日本の城のような石垣である。

 小鳥の目には、それが魔法で作られた壁ではなく。自然の石を積んで作った本物であることと、ダンジョンの構造物ではないこと、そして石垣の高さが30メートルと、日本一の高さを誇る大阪城に匹敵する数値情報が表示された。

 ここに大きな石垣があるなど、小鳥は知らなかった。

 昨日、塔で確認した情報にも、そんな地形・構造物のデータは見当たらなかった。このタワー周辺には元から、何もない平地でしかない。今あるとするなら、この最下層を席巻するジャングルの木々だけのはず。

 しかし、明らかに人工物の石垣と、ジャングルを切り開いて作られた周辺の空き地。

 この状況を見れば『賢者』でなくたって、簡単に推測できる。

 ここに誰かが、それも大勢が住んでいて、この城壁を建築したのだと。

 ならば、それは何者なのか————答えは、すぐ目の前に現れた。

「あれは、ゴーマか」

 石垣の上を、武装したゴーマの集団が歩いているのが見えた。

 先頭を行くのは戦士階級のゴーヴであり、その後ろにノーマルのゴーマが続く。珍しくもない編成だが、ゴーヴは鋼鉄の槍と鎧兜を着込み、ただのゴーマでも、革の軽鎧と綺麗な鉄の武器を持っていた。

「ただの狩猟部隊じゃない、明らかに城壁を守る兵士ね、アレは」

「小鳥の言っていたセントラルタワーというのは、あの壁の向こうに見える高い塔のことでしょう?」

「ここはタワーを中心にした城塞都市、といったところか」

 ゴーマは、野生の魔物だ。ダンジョンの管理下にある魔物ではないからこそ、彼らの行動は遺跡の機能で把握できない。

 そう、タワー周辺に巨大な集落を形成したとしても、遺跡の情報検索では決して分からないのだ。

「そういえば、無人島エリアで私たちが襲ったゴーマの集落。あそこは、オーマと呼ばれるゴーマの王様のような者に貢物をしていた、と桃川君は言っていたわね」

「そうか、じゃあここがそのオーマのいる」

「ええ、恐らくは、ゴーマの王国よ」

 ふざけんなよ、クソ共が。小鳥は内心でそう毒づいた。

 神の使命を帯びた『賢者』の前に立ち塞がった新たなイレギュラーは、野生に生きるただのモンスターであり、序盤から終盤までずっと戦い続けてきたゴーマなのであった。

第272話 割れる議論(1)

 セントラルタワーを陣取るゴーマの王国へ、いきなり突撃する愚は流石に冒さなかった。そのまま来た道を戻り、小鳥が情報収集をした塔を一時的に拠点とした。

 まずは一日、『盗賊』夏川美波を筆頭に、城壁周辺の偵察を行う。それから、さらに三日かけて、タワーへの抜け道や、他の入り口などがないかも探す。

 そうして、一通りの偵察情報と探索結果が出揃った四日目の夜、学級会が開かれることとなった。

「それじゃあ、学級会を始めるわよ。議題は勿論、どうやってタワーに入るか」

 委員長が宣言するが、クラスの雰囲気は明るいとは言えない。

 すでにおおまかに情報は共有されている。つまり、誰もがもう知っているのだ。

 都合のいい抜け道や入口などは一つとして存在しない。あの城壁を越えて、ゴーマの都市を突っ切るしか、セントラルタワーへ至る方法はないと。

「城壁の守りはかなり堅い。夜中でも灯りを焚いて、櫓には兵がいて、城壁の上の巡回も続けられている」

 彼らの防備の様子は、悠斗自身も直接確かめている。

 この最下層においては、ゴーマ王国がここの支配者として君臨しているのだろう。それでも油断しきった様子は見られず、ゴーマ兵達の勤務態度は至って真面目であった。

「それに、門の方には何体かゴグマもいたよ。城壁は東西南北の四つの門があるけど、どこの門にも最低一体はゴグマの門番がいるのは間違いないよ」

 巨大な鉄の門、その外側にはいないが、すぐ内側には完全武装したゴグマの姿を確認したと美波が伝える。

「ゴグマって、砦にいたボスだよな」

「ああ、桃川が倒したあのデケー奴な」

「ボス級がフツーに門番してるってことは、奴らの本丸にはもっといるってことだべ」

 うわぁ、と上中下トリオは顔をしかめる。ゴグマとの戦闘経験があればこそ、その脅威度は骨身に沁みている。

「もしかしたら、あの四本腕の奴も複数いるかもしれないな」

 ピラミッド城の大ボスゴグマは、悠斗にとっては苦い経験をさせられた相手だ。あの頃より強くなった自覚はあるが、それでも苦戦は免れない強敵である。

「とても正面から相手にはできない戦力ね」

「流石に、多勢に無勢ですね……」

 涼子と桜が渋い顔で言う。いくら何でも、正面突破を提案しようとする者は一人もいなかった。

 しばしの間、沈黙が訪れる。

「……ここはもう、諦めた方がいいんじゃねぇのか」

 沈黙を破ったのは、下川だった。

「ここまで来て、諦めるって言うのか」

「ここまで来たからこそだろが。別に天送門についたって、それで全員脱出できるワケじゃねぇべ。無理してまで行く意味があんのかよ」

 今更ながら、と言うべきか。いいや、今だからこそ、その判断もつけられる。

 ダンジョンからの脱出手段は、天送門しかない。誰もがそう思っていたからこそ、ダンジョンの最奥を目指してきた。

 しかし、ヤマタノオロチ討伐後に小太郎が示した脱出案は、たとえ嘘であったとしても現実的な手段であると今でも思える。

 成長した自分達ならば、そのまま徒歩でダンジョンを脱し、外の世界も歩いて行けると。

「確かに、一理あるな」

「ここで無理して誰か死ぬより、全員で脱出目指すってのはアリだよな」

 すかさず、下川の意見に賛同するのは、上田と中井である。

「……俺も下川の意見に賛成だ」

「わ、私も、あんなところに挑むくらいなら、このまま逃げる方がいいかな」

 さらに、山田と姫野も賛成意見を示す。

「私も諦めるに賛成するわ。流石にあそこはヤバそうだし、どうせタワーについたって、ボスとかいるんだろ?」

「救助隊だって、天道君と桃川が行けるから可能性あっただけだしな。アタシも逃げる方がいいと思う」

 そして、ジュリマリコンビの二人も賛成の声を上げた。

 流れるような賛意は、全て下川の根回しの成果である。小太郎がいなくなった今、彼が学級会へ挑むにあたってできる、精一杯の準備であった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、そんな簡単に————」

「悠斗君、ここで逃げるという案は、確かに現実的よ」

 委員長にはまだ何も言ってはいないが、やはり状況的に最もリスクの低い方法だと理解してくれたようだった。

 三人の脱出による救助隊案は、あくまでオプションのようなものだ。それがメインではない。

 重要なのは、大多数の残されたクラスメイト達の徒歩による脱出行、その安全を最大限に確保することである。

 天道龍一と桃川小太郎という人員を欠いた今、救助隊の有効性には疑問が残るし、今いる全員で協力する方が徒歩脱出での安全性も上がるだろう。

「今のクラスから三人も人を出すのは、大きく戦力を分散することになってしまうわ。この状況では、桜には治癒の使い手として残って欲しいし、下川君も水の問題があるから、いてもらわないとまずいわ」

 本来の脱出枠の選出メンバーは、天道、桜、下川、の三名である。だが、それを今でも採用するのは問題があった。

「龍一が欠けた分の三人目を誰にするかは、まだ決めていないけれど……悠斗君、貴方は龍一以外に、桜を任せられると思える人がいるかしら」

「くっ……」

 妹の桜を、一刻でも早く安全な場所へ。それは兄である悠斗自身の純粋な願いでもあり、単純な身内贔屓のエゴでもある。

 その自覚があるからこそ、悠斗はあまり脱出メンバーの再考について口には出さなかった。そして、下川もそれを分かっているから、悠斗に対して妹可愛さで脱出優先するのだろう、とは言わなかった。

 それを言えば、荒れるのは目に見えている。

 桜を逃がしたい悠斗の気持ち、全員脱出案を言い出した下川、どちらの心情も涼子には分かっている。だからこそ、悠斗に対して桜の脱出を諦められる理由を教えたのだ。

「ああ、そうだ……委員長の言う通りだ。俺は龍一が一緒にいるなら、桜を王国へ逃がしてもいいと踏ん切りがついていた。けれど、もうアイツはいないし、今の状況もそれを許さないだろう」

「兄さん……」

「分かった、天送門での脱出は、諦め————」

「ま、待って!」

 その時、声を上げたのは、小鳥遊小鳥であった。




「ま、待って!」

「何かしら、小鳥」

 何か言いたげな悠斗を手で制し、涼子は議論を仕切る委員長として、小鳥へ発言を促した。

「あ、あのね……」

 本当は後で言おうと思っただとか、これを言ったらみんなを不安にさせるだとか、まず言い訳を口にする。

 頭の悪い女そのものの喋り方だが、表向きの小鳥遊小鳥とはこういうキャラだから、その通りに演じているに過ぎない。

 そうだ、こういう時は演技に集中するのだ。小鳥は、下川のせいで望まない方向性に議論が進んだせいで、自ら目立つ真似をせねばらなかった。

「分かったわ、いいから、小鳥は何が言いたいの?」

「うん、実は————最下層から、出ることはできないの」

 真っ赤な嘘、というワケでもなかった。

 ここへ転移した時、妖精広場は破壊されていた。時間経過による劣化、つまり遺跡として設備を維持する機能がなくなっていたためだと、小鳥は予想した。

 しかし、ゴーマ王国の存在を確認し、ただの機能不全が原因ではなかいことを悟った。

 この最下層に関しては、王国のゴーマによって妖精広場をはじめとした、遺跡の設備が破壊されたのだ。

 タワーへ転移するはずが、壊れた妖精広場へ転移したのは、そこを奴らに占領されているからで、この最下層に入れるのは、あそこしかなかった結果である。

 壊れた妖精広場でも転移に成功したのは幸いだが、それ以上のものは見込めない。学園塔のように、他のエリアにも自由に飛ぶことのできる、完全に機能が生きている転移魔法陣は、恐らくここにはもう存在しないと推測される。

「王国のゴーマのせいで、転移魔法陣は全部壊されているの……だから、もし使えるとすれば、セントラルタワーだけだよ」

「タワーの転移は、本当にまだ生きているの?」

「それは間違いないよ。ここの石板で、ちゃんとタワーには反応があったから」

 どれだけ数が増え、強力な個体を生み出そうとも、所詮はゴーマ。優れた魔法文明によってつくられた古代遺跡、その中枢部を掌握するほどの手段は持ちえない。

 セントラルタワーの機能が正常に稼働しているのは、石板で確認したと言うのは本当のこと。

 ただし、古代遺跡の管理下にはない、ゴーマ達の存在や彼ら自身の建造物については探知が効かない。この目で見るまで、あんな城塞都市が作り上げられていたことは、小鳥には知る方法がなかった。

「……それじゃあ、ここから出るだけでも、タワーまで行かなければいけないのか」

「うん、そうなの……ごめんね、蒼真君」

「いや、小鳥遊さんが謝ることじゃない……けど、参ったな……」

 深く思い悩むように唸る悠斗。憂いの表情も、実に綺麗なものだ。やはり神に選ばれる特別な存在は、その容姿も優れた者でなければならないのだろう。悠斗や、自分のように。

「結局、議論はふりだしに戻ったわね。どうやってタワーまで行くか、本気で考えないと」

 はぁ、と溜め息を吐く涼子。全くその通り。下川が余計なことを言い出さなければ、こんな回り道をすることもなかったのだ。

 いいや、むしろ転移不能という情報を、わざわざ自分から出さねばならなかったというだけで、小鳥としては十分なマイナスである。

 最下層の各地にある妖精広場は軒並み破壊され、転移魔法陣も機能不全に陥っているのは、石板からの情報だけですぐに分かっていたが、あまり沢山の情報を仕入れられると、余計な疑いの目が向けられる。

 本来ならば、時間をかけて最下層を回って、全ての妖精広場が破壊されているのを確認した上で、転移で他のエリアにも飛べなくなっている、と情報を確定させるのが自然だが……そのために、あまり多くの時間を消費するわけにはいかない。

 桃川小太郎。あの忌々しい呪術師が戻って来ることだけは、何としても避けなければ。

 ただでさえ、最下層に飛ぶためのコア集めで一か月もの時間を費やしてしまったのだ。この上、さらに無駄な時間をかけてしまえば、本当にここまで追いつかれかねない。

 小太郎には、蘭堂杏子もついている。攻防に優れ、錬成能力も持つ。この二人のコンビならば、レムと屍人形によって戦力を増強し、再び正攻法でダンジョン攻略をしてここまでやって来ることも不可能ではない。

 なにより、ヤマタノオロチのコアは小太郎が持っている。最下層へ飛ぶための強力なコアという鍵をすでに手にしている以上、そこのボス戦はスルーされてしまう。

 小鳥は疑われるリスクと、時間をかけて小太郎が戻るリスク、両方を天秤にかけて、前者をとったのだ。

「なぁ、ちょっと待ってくれよ。ここから外に出られねぇって、本当だべか?」

 そして、自らとったリスクは、すぐに現実の問題として現れた。

 下川は再び沈黙に満ちるクラスへ、爆弾を投げ込んだのだった。

「それは、小鳥遊さんが嘘を言っている、と言いたいのか」

「まぁまぁ、そう睨むなよ蒼真……タワーに潜入するための抜け道を探すのと、ここから上のエリアに戻る道を探すのは、どっちの方が可能性ありそうだって話だよ」

「小鳥の話では、この最下層にある妖精広場は全て破壊されているそうだけど」

「もしかしたら、まだ残ってるとこあるかもしれねーし、普通に上に戻る道があるかもしれねぇじゃん。隠し通路とかあっても、夏川なら見つけられるかもしれねーべ」

 小鳥が嘘を言っていないとしても、見落としがある可能性はゼロではないという話だ。

 あえて小鳥を悪者にはしない、気を回した言い方————だが、小鳥本人にとっては、今すぐブチ殺したくなるほどの恨みを買うには十分すぎる発言であった。

「こ、この最下層だけは封鎖されているから、どこの道も塞がってると思うな……」

「だから探して確かめるんじゃねぇか。つーか、道塞がってる話は、今初めて言ったよな? そういう情報、わざと隠してるんじゃねーだろうな?」

 下川、コイツ……小鳥を疑っている。間違いない、この男は小鳥ではなく、小太郎の方を信じようとしている。

 そう、小鳥は下川の追求を受けて確信した。

 厄介だ。実に厄介だ。

 思えば、スムーズに全員脱出案に賛成意見が続出したのも、奴が根回ししていたせいだろう。小太郎と同じように、学級会が始まる前から意見を統一、調整するという小賢しい立ち回り。

 まずい、下川を早急に始末せねば、奴が第二の呪術師となる。神の使命を受ける賢者を陥れる、呪いをまき散らす存在に……

「そっ、そんなぁ、酷い……なんでそんなこと言うのぉ……」

 湧き上がる怒りとは裏腹に、まずは十八番の泣き真似をする。

 クラスでの小鳥は、些細なことでも怯えて泣き出すようなか弱い少女なのだ。自分が疑われて強く反論するより、泣き出す方が先なのである。

「おい、下川、ちょっと言いすぎじゃないのか」

「言い過ぎってなんだよ。小鳥遊さんが疑われる立場にあるってこと、忘れてるんじゃねぇだろうな」

「お前、この期に及んで、小鳥遊さんを疑うなんて言うのか!」

「なぁ、蒼真、分かってくれよ、俺らも怖ぇんだよ。もしかしたら、桃川の言ってたことが本当で、俺らは騙されてるだけじゃねぇかってな」

「そんなこと、あるはずないだろう! みんなに毒を盛ったのはアイツだ。自分一人だけ、逃げるために」

「じゃあ、お前が小鳥遊さんは悪くないってキレれば、俺らは安心できるのかよ。こいつは良いとか悪いとかの問題じゃねぇんだ。小鳥遊さんが黒幕だってのが桃川の出まかせだったとしてもよぉ……それを聞いて、もしかしたら、って不安になんのはしょうがねぇだろが。そういう気持ちになんのも、お前は弱いとか悪いとか、そう言うのか」

「ぐっ……それは……」

 流石に悠斗も、咄嗟に否定はできなかった。

 小鳥を信じないお前たちが悪い。そう言い切るのは簡単だ。

 しかし、彼らの「もしかしたら」を恐れる気持ちも本物だし、理解せざるを得ない。だからこそ、単純に下川を責めることはできなかった。

「悠斗君も下川君も、落ち着いて。2人の言いたいことは、よく分かるわ。この状況になって、小鳥を疑うのは良くないことではあるけれど、もしかしたらと不安になる気持ちにもなるわよね」

 そう、委員長の涼子自身が、真っ先に小鳥を疑った人物だ。あの騒動の直後に、小鳥に解毒薬を持っていないかどうか身体検査をしたのは、他ならない彼女である。

 無論、あれで解毒薬が見つからなかったことで、完全に小鳥への疑いが晴れたとは思っていない。

 口ではどちらの肩も持つようなことを言わなければいけないだろうが、小鳥は自分がいまだ涼子に常に疑いの眼差しを向けられていることは実感している。

「残念だけど、小鳥、今は貴女のことを完全に信じ切るのは、みんなには難しい状況よ。知っていること、調べて分かったことは、全て報告しなければいけないわ」

「う、うん……そう、だよね……ごめんなさい、委員長」

 くそ、くそっ、クソが! 涙ながらに謝罪の言葉を上げながら、小鳥の腸は煮えくり返る。

 やはり、下川だ。奴が余計なことを言い出さなければ、最下層エリアが封鎖されている、という情報の後出しを追求されることもなかった。

 何より今の一件は、公に小鳥へ疑いを向けることが許容されたも同然だ。

 これまで以上に監視の目が厳しくなる上に、賢者として知り得た情報を話さなければならない、と確約されたことも、さらなる小鳥の枷となる。

 恐らくは、言うのを忘れていた、で済まされるのは一度が限界。情報の開示タイミング、という地味ながらも重要な手段を封じられてしまったのは大きい。

 これからは、実質、何もクラスへ情報提供できないと考えなければいけない。

 だがしかし、これで脱出路が発見されて全員での徒歩脱出案が採用されれば、使命は果たせない。それでは本末転倒だ。

 けれど、無理して疑われた上、小太郎に追いつかれれば、さらに自分の立場は危うくなる。

「それで、小鳥、他に分かったことは何かあるかしら? あの石板を調べて得た情報は、全て話してちょうだい」

「うぅ……最下層が封鎖されているのは、本当だよ……他には、もうないよ、ホントだよぉ」

「本当だべか、なんか怪しいなぁ」

 と言ったのは、恐らく、下川としても何気ない一言だった。

 けれど、それが余計な一言と呼ばれる存在であることに、違いはなかった。

「おい、下川、貴様いい加減にしろよ。小鳥を襲った性犯罪者のくせに」

 下川の余計な一言に、明日那の我慢が限界を超え————その結果、新たな爆弾を学級会に放り込むこととなったのだった。

第273話 割れる議論(2)

「おい、下川、貴様いい加減にしろよ。小鳥を襲った性犯罪者のくせに」

 明らかに憤った態度で、明日那はそう言い放った。

 瞬間、学級会は凍り付く。

 当然だ。なぜなら、その言葉はクラスをまとめるためのルールに違反するものだから。

「お、おいおい、剣崎さん、それは言ったらダメなやつじゃねぇの」

「そうだ、今のは言い過ぎだぞ」

 思わず、といったように硬直した下川に変わり、即座に反論したのは友人である上田と中井の二人である。

 だが、吐いた唾は飲み込めない。明日那としても、引き下がる気はなかった。

「黙れ、貴様らも同じだろうが。よく恥ずかし気もなく、平気で口をきけるものだな」

「明日那、やめて。もうそれ以上、言ってはいけないわよ」

「いいや、涼子、言わせてもらう。こんな奴らに小鳥が泣かされて、私は黙って見ているだけなんて、情けない真似はできない!」

「うぅ、ふぇえ……明日那ちゃーん……」

 決然と言い放つ明日那に、感極まったように涙を浮かべて、彼女へ抱き着く小鳥である。

 凛々しい美少女とか弱い美少女が寄り添う姿は、それはもう大層な麗しさであるが……重大な掟破りであることに変わりはなかった。

「……なぁ、委員長、流石に今の発言を認めたりはしねぇよな? それを認めちまったら」

「分かっているわよ、下川君。お願いよ、明日那、落ち着いてちょうだい」

「私は、何一つ間違ったことはしていない!」

「いいえ、間違っているわ。それはクラスで決めたルール違反なのよ。過去の遺恨を持ち出すのは、絶対にしてはいけない」

 小太郎のレイナ殺しをはじめ、様々な遺恨が絡み合った末に、学園塔に集結したクラスメイト18名。

 彼らが曲がりなりにも一丸となり、ヤマタノオロチ討伐を成し遂げたのは、最初に学級会でルールが定められたからだ。その中でも特に大きな意味を持つのが、これまでのダンジョン攻略中に犯した罪を、全て保留にすること。

 クラスの誰もが持つ罪という名の明確な非を、追及するのを全面的に禁止にしたからこそ、多少の諍いが起こっても、取り返しのつかない事態に悪化することは避けられた。

 明日那が下川を「性犯罪者」と呼んだことは、長らく守られたこのルールを、真っ向から破る発言である。

「頭を冷やしなさい。これ以上は、本当に取り返しのつかないことになるわ」

「だからといって、小鳥が責められるのは見過ごせない!」

「これはルールなのよ。クラスがまとまるための、大切な————」

「————いいえ、涼子、そんなものは、もうルールとは呼べませんよ」

 そう言って口を挟んだのは、桜であった。

 ギョっとした表情を涼子が浮かべたのは、桜が明日那の味方をすると瞬時に察したからだろう。

 いいや、それはただ明日那の擁護だけに留まらない。桜は、曲がりなりにもまとまっているこのクラスのルールを、秩序を、破壊するつもりだ。

「そもそも、罪を不問にするなどというふざけたルールを設けたのは、桃川です。あの男が裏切った今ならば、分かるでしょう。あれはクラスをまとめるためのルールなんかではない。ただ、自分が有利に立ち回るためだけの、小賢しい策に過ぎません」

 事実、このルールで最も恩恵を受けたのは小太郎である。

 誰よりも人を殺し、レイナに至っては悠斗達の目の前で殺された。

 その弁護しようもない重罪を、極刑どころか一切の有罪判決を跳ねのけ、実質の無罪を勝ち取ったトンデモ理論であるとも言える。

「そうだとしても、今更、昔の罪を持ち出して、非難していい理由にはならないわ!」

「その罪は清算されたワケではないでしょう。犯した罪を償うのは当然のこと……その三人は、そんな当たり前のことも忘れて、よくも小鳥を責められたものですね」

「な、なんだよ、それ……俺は……」

「そうだ、桜の言う通りだ。お前らはもう少し、分を弁えろ!」

 掟破りの禁じ手による猛攻に遭い、流石に下川も咄嗟には言い返せなかった。委員長も、ここまで桜が開き直るとは想定外であったろう。

 桜と明日那によって、勢いで下川が非難される流れとなるが、

「おい、ちょっと待てよ」

「アンタらさ、好き勝手言い過ぎじゃねぇの?」

 そこで声を挙げたのは、意外にも、ジュリマリコンビであった。

「野々宮さん、芳崎さん、彼らの肩を持とうとするのは、感心しませんね」

「上中下トリオが性犯罪者で発言権がないって言うならさぁ、私が言わせてもらうわ。ぶっちゃけ、小鳥遊、怪しすぎ」

「剣崎に泣きついてねーで、自分で何とか言ったらどうなんだよ、この情報後出し女が」

「なっ!?」

 思わぬ相手から、思わぬ反論を喰らったと、桜と明日那も面食らう。

 しかし、野々宮純愛と芳崎博愛は決して、蒼真派閥ではない。天道龍一に思いを寄せるだけの、恋する女子である。

 そう、この二人は蘭堂杏子と同じく、龍一とずっと一緒にいたが故に、自らが手を汚すようなことは一度もなかった。地底湖で横道が襲ってきた時ですら、実際に相手をしたのは龍一だけである。

 つまり、この二人はクラスメイトの誰も手にかけていないし、傷もつけていない、最もクリーンな人物でもあった。

「二人とも、どういうつもりですか」

「まさか、お前らも桃川に寝返る気か! 正気じゃないぞ、あんな裏切り者に」

「ふん、アンタらこそ、ホントは小鳥遊と共謀してんじゃねぇのか?」

「自分らがメチャクチャ言ってるって自覚あんのかよ。剣崎、アンタの方がよっぽど正気じゃねぇだろ」

「何故、どうして小鳥を疑うのですか! 桃川の裏切りは明白です、あんな男の醜い言い逃れに耳を貸してはいけません!」

「必死すぎて逆に怪しいぞ蒼真。そういやぁ、桃川が証拠だって言ったガラケーを速攻でぶっ壊したのはお前だよなぁ?」

「馬鹿め、そんなものアイツの罠に決まっているだろう! 桜はそれを見抜いて、すぐに破壊したのだ。感謝こそすれ、非難される謂れなどない!」

「そんなもん聞いてからでも遅くねぇだろが。あそこで勝手に証拠壊しやがって、話し合いで解決できるチャンス潰したのはお前の責任だぞ蒼真!」

「違います、私は————」

「うるせぇ、事実だろが、言い逃れすんじゃあ————」

「————やめなさいっ!」

 ヒートアップする女子同士の言い争いは、委員長の怒声によって止められた。

 再び、水を打ったように静まり返った場で、涼子はさらに続けて叫ぶ。

「こんな……こんなことで言い争って、一体なにになるって言うのよ! 感情的な発言はやめなさい、殺し合いになるってのが、まだ分からないのっ!?」

 どっちが感情的なのか、などと茶化せる者はいなかった。

 涼子は荒い息を吐きながら、眼鏡の奥で鋭い眼光を輝かせてクラスメイト達を見渡した。

「りょ、涼子ちゃん……」

「大丈夫よ、美波、私は落ち着いているわ」

 思わず、といったように声をかけた美波に対して、涼子はかすかに苦笑いを浮かべて言った。

 これ以上、怒りに任せて怒鳴ったところで、どうなるものでもないということは本人も分かっているのだろう。

「悠斗君、桜と明日那には、貴方からよく言い聞かせておいて」

「けど、委員長————」

「まさか、貴方まで二人に賛成するだなんて言わないわよね?」

「……いや、分かってる。桜、明日那、少し席を外そう」

「兄さん、そんな」

「待ってくれ、蒼真、私は————」

「いいから、二人とも一緒に来るんだ。今は距離を置くべきだ」

 そう悠斗は二人を説得するが、それでも尚、ごねる二人の手を握って、半ば強引にその場から連れて退室していく。

「そ、蒼真くん」

「小鳥、貴女はここに残りなさい」

 さりげなく悠斗達についていこうとしていた小鳥を、涼子は鋭い声で呼び止める。問題の渦中にある人物を、まだ退席させるわけにはいかない。

「ううっ、でもぉ……」

「私は委員長として、クラスメイトの意見は平等に聞くわ。いい、小鳥、私は貴女を過剰に庇うこともしないけれど、不当に扱うこともしない。みんなからの疑惑を晴らしたいなら、自分で言いなさい」

 容赦のない涼子の言葉を受けて、小鳥は涙目でコクコクと頷くことしかできなかった。

「下川君、ごめんなさいね。桜と明日那は、売り言葉に買い言葉、二人とも感情的になってしまったせいなの。本意ではない、と許してくれるかしら」

「はぁ……今のを許せるかどうかは、二人の態度次第だろ」

「先にルール違反な発言をしたことは、後できちんと謝罪させるわ。けれど、それ以上は求めないでちょうだい」

「分かってるって。別に、俺らだって揉め事を起こしたいワケじゃねぇからな」

 この件で桜と明日那の非を追求したところで、良いことなど一つもない。あの二人がますます臍を曲げてしまえば、恐らくは取り返しのつかないレベルでクラスに亀裂を入れることとなる。

 すでにクラスの和は乱れてしまっているが、それでもまだ、全員の結束を諦めるわけにはいかない。

「野々宮さんと芳崎さんも、ごめんなさい。桜が証拠の携帯を壊したことについては、デリケートな問題だから、これ以上は言わないでおいて欲しいわ」

「それは委員長が謝ることじゃねぇだろ」

「まぁ、ひとまずは保留ってことでもいいけどさぁ、いつか白黒つけなきゃいけない時も来るかもね」

 二人と激しい言い争いを演じたジュリマリだが、ひとまずは矛を収めてくれるようではあった。

「参考までに聞かせて欲しいのだけれど、二人は、今は桃川君の言い分を信じているのかしら」

「桃川を信じるっつうか……ほら、杏子はアイツにくっついて行ったじゃん」

「だから、杏子が桃川と一緒に戻ってきた時は、ちゃんと受け入れてあげたいワケ」

 どうやら二人は陰謀云々よりも、純粋に別れてしまった友人の身を案じる気持ちの方が強いらしい。

 確かに、いざ小太郎と杏子の二人が戻ってきた時、できれば再び争うような真似は避けたい。

 毒を盛ったのが、小太郎か小鳥か、あるいは全く別の第三者によるものか……いずれにしても、正面切っての殺し合いだけは避けたいところだ。

「うぅ、そこまで蘭堂さんのことを思っているなんて、凄い友情だよぉ」

「そうね、美波」

 素直に美波が感動すると、流石に二人も恥ずかしそうに顔を逸らした。女の友情は儚いというが、ギャルの友情は思いのほか厚かったらしい。

「さて、今は三人退席してもらったけれど、議論は続けましょう」

 結局のところ、議論はふりだしに戻ったまま。

 現状を打破するには、タワーへ到達するしかない。

 ここから外への脱出を行おうとしても、最下層は封鎖状態にあるため、抜け道は存在しないと小鳥は断言している。

「なぁ委員長、先に言っておくけど、この状況は小鳥遊さんの疑いを強めることになるってのは、分かってくれてるか?」

「ええ、勿論よ」

 下川の指摘に、涼子はやや渋い顔で頷く。

 二人とも、小太郎が叫んだ暴露話の内容をしっかりと覚えている。その上で、小鳥が黒幕であった場合、今の逃げ道がなくタワーへ挑むしかない、と言う状況は小鳥にとって都合が良いものとなる。

「『勇者』のために俺らを犠牲にするってんなら、ダンジョンで戦いが起こらなきゃならねぇワケだ」

「ゴーマ王国を突破してタワーへ至る、というのはそれを狙うのに相応しいシチュエーションだわ」

「なんなら、あのタワーにもラスボスとかがいて、死人がでるレベルに強ぇんだろうよ」

 そうして、仲間を犠牲に進み、ついに天送門に辿り着いた時————生き残っているのが蒼真悠斗と小鳥遊小鳥の二人だけであるならば、見事に陰謀は成功したということになる。

「違うもん……小鳥は何にも、悪いことしてないもん……」

「うー、わ、分かったから、もう泣くのはやめてほしいかな、小鳥遊さーん」

 メソメソする小鳥をあやす者が誰もいなくなったので、仕方なく美波がやることになってしまった。物凄い苦笑いを浮かべて、グズる小鳥を慰める過酷なお仕事である。

「けれど、本当にここから出る方法がなければ、無理をしてでもタワーに行くしか方法はないわ」

「それはしょうがねぇべ。流石にここで一生暮らすなんてのは御免だからな」

「ここはタワー攻略と最下層脱出、その中間案として、どちらの可能性も探ることにしましょう」

 最終的に、涼子が出した結論である。

 タワーへ入るための偵察と手段を模索しつつ、同時並行で他のエリアへ飛べる妖精広場や転移魔法陣のある設備、通路の探索を行う。

 両方の作業を同時並行となるので、効率は落ちるが……それでも、生き残るための可能性を少しでも上げるためには、現状でとれるベストな選択である。

「分かった、それしかねぇべ。脱出路の探索は俺らがやる。タワーの方は、蒼真達に頼む」

「無理に一緒にやるよりも、その方がいいでしょうね」

「けど、夏川は貸してくれよ。こっちも見てくれなきゃ、隠し通路とか見つけられねぇからな」

「ええ、こういうことは美波が一番得意だから。働いてもらうわよ」

「ええぇー!? 私だけ大変なのはイヤぁ!!」

 そうして、最後の最後に夏川美波が割を食うという結末となって、ひとまずの行動方針が決まったのだった。

 クラスの和に大きな亀裂が入ることになった今回の学級会だが、最終的なこの方針には桜と明日那も了解を示し、どうにかクラスの団結は保たれ、涼子は委員長として安堵するのだが……




 その日の晩のことである。

「……うーん」

 下川はやけに寝つきが悪かった。

 学級会で色々と言い合ったせいで、気持ちが高ぶったか。それとも学園塔のベッドより、このサバイバル用の寝袋の寝心地が劣るせいか。

 眠れないせいで、頭の中にはグルグルととりとめのない思考ばかりが回り、解決策の出ない不安感が募るばかり。

 安らぎへ誘う眠気は遠ざかり、眼が冴えて仕方がない。

「はぁ……くそ、全然寝れね————っ!?」

 諦めの境地と共に、とうとう瞼を開いた時だ。

 この部屋は、万が一の時はすぐに動き出せるよう、微かに灯るカンテラの光に照らされ、最低限の視界は確保してある。だから、見えた。はっきりと、見間違えようもなく。

 目を開けた下川の前に、ソイツはいた。

「————小鳥遊っ!」

 と、叫ぼうとしたが、声が出なかった。

 喉がつかえたように。あるいは、樋口と上田と中井とカラオケで徹夜した終盤に、声が枯れ果てたように。

 声が、一言たりとも出てこなかった。

 口から洩れるのは、ヒューヒューという情けない吐息だけで、言葉どころか、呼吸の仕方すらも忘れてしまったかのようで————そこで、自分の体も動かないことに、ようやく気付いた。

 息苦しく、鉛のように重い体は、指先をピクリとも動かせない。

「ああ、下川君、起きてたんだ?」

 何故、ここにいるのか。どうして、こんな金縛り状態なのか。混乱の極致にある下川の心中などまるでお構いなく、小鳥遊小鳥はいつもの調子で話しかけてきた。

 小鳥の愛らしい、単純な好みでいえばストライクど真ん中の幼い美貌が、寝転がっている自分の顔を間近で覗き込んでいる————だが、この高鳴る心臓の鼓動は、純粋な恐怖によってのみ動かされていた。

「小鳥遊、お前は————」

「————うん、そうだよ。犯人は、私」

 声は出ない。だが、何故か小鳥には自分の思ったことが届いていると、下川は察する。

 けれど、それ以上のことは考えられなかった。テレパシー能力でも持っているのだとか、分析するどころではない。

 怪しいとは思っていた。学級会で正直に疑惑を打ち明け、追及した。

 けれど、まさか……まさか、本当に犯人であることを、こうもあっさりと告白するとは。

「だから、私がこれから何するか、分かるよね?」

 にっこりと、誰もが見惚れる純真な笑顔。とても恐ろしくて直視できない。

 下川は必死に声を絞り出そうとしながら、助けを求めて唯一動く目だけをギョロギョロさせた。

 視界の端には、寝息を立てる上田と中井の姿。ここはもう学園塔ではないから、寝るときは個室ではなく、広い部屋での雑魚寝だ。

 こんなすぐ傍にいるというのに、眠りに落ちた二人が目覚める様子は欠片もない。友が、仲間が、どれほど近くにいようとも、この一言も発せられない状況下では、孤立無援も同然であった。

「小鳥ね、さっきの学級会、すっごい困ったんだよ。お前が余計なことを言い出すから」

「や、やめてくれ……助けてくれ……」

「なにあれ、桃川の真似? 馬鹿じゃないの、水芸するしか能のないクソザコ魔術師が、よくも小鳥の邪魔してくれたよねー?」

 微笑みながら、普段の小鳥からは想像のできない罵倒が飛んでくる。間違いなく、これが本性。

「やめろっ、俺を殺したら、お前が犯人だって絶対にバレるぞ!」

「うん、だから、どうやって消そうかなーって悩んでいたんだけどぉ……」

 声には出ないが、思いは伝わる。下川は必死に、小鳥へ向けて叫ぶ。短絡的な真似はよせと。自分が真犯人だとは、蒼真悠斗をはじめ、まだクラス全員には伏せておきたいはずだ。

 けれど、それを堂々と白状した。

 下川は頭脳明晰とまでは言えないが、十分に察する頭のキレはある。だから、本当はもう、自分でも分かっていた。

 小鳥にはもう、自分を始末するための算段がついていることを。

「えへへ、やっぱりこの世界で頼れるのは、神様だよね。小鳥、新しいスキルを授かったんだ。ついさっき、ね————下川、お前に試してやるよ」

 冷酷な薄ら笑いと共に、小鳥はゆっくりと、見せつけるように下川へと手をかざす。

「い、いやだ、やめろぉ! 助けて、助けてくれぇーっ!」

 無様に泣き叫ぶことさえ、下川には許されなかった。

 カっと目を見開き、体中から冷や汗を垂れ流しながら、ただ、処刑鎌も同然の小鳥の小さな手のひらを見つめることしかできない。

「頼む、助けてくれっ、上田ぁ! 中井ぃ! 死にたくねぇよ、こんなところで————」

「このクソッタレ性犯罪者野郎が、地獄で野垂れ死んで来い」

 そして、ついに小鳥の新たな魔法が効果を表す。

 描き出される魔法陣は、寝ころぶ下川の真下に現れる。そして、そこから淡く輝く白い燐光が、瞬く間に下川の全身を包み込んでゆき、

「じゃあね、下川君、バイバーイ」

 小鳥が笑顔で手を振ると、もうそこには、下川淳之介という男子生徒の姿は、影も形もなく消え去っていた。


『天罰刑法4条・追放刑』:それは天の裁き。何人も逃れることは許され————天罰の執行は、主に天使が担い————追放地の選定は、二度と戻らぬことがないよう、死が確約された魔の————よって、以上の者を天罰刑法4条に従い、追放刑に処す。

第274話 ザガン

「ふわぁ……あれ、下川どこいった?」

「さぁな、外でションベンでもしてんじゃねーのか」

 そんな気だるげな会話をしながら、寝起きのだらしない顔をした上田と中井の二人とすれ違う。

 一言挨拶だけ交わした俺は、そのまま階段を降り、最も広い塔の一階大広間へと向かう。

「おはようございます、兄さん」

「ああ、おはよう、桜。今日は早いな」

「今日は私が給食当番なので」

 確かに、白いエプロンをつけた姿は給食当番の証だ。このエプロンを人数分用意したのも桃川で、サイズについて無駄に桜と言い合いとかしていたな。

 広間には、すでに朝食が配膳される準備がされていた。

 ここから奥の方がキッチンスペースとなっており、双葉さんが様々な食材を流れるような手つきで捌いている。大鍋に入ったスープは煮立っていて、空腹を誘う匂いを俺のいるところまで漂わせていた。

 様子を見る限り、昨日の内に小鳥遊さんがこしらえたキッチンは過不足なく機能しているようだ。今までの様に桃川の『魔女の釜』という調理に風呂、トイレにまで活用できる万能な魔法が失われた今、こういった設備を用意できるのは『賢者』である小鳥遊さんしかいない。

 火と水と氷のマジックアイテムをそれぞれ作り、コンロと流し、冷蔵庫としている。

 ここ最近、彼女には負担をかけっぱなしだが……しばらく、この塔を拠点として活動していかなくてはならない以上、最低限の設備は整えなければならない。

「双葉さんは、その、どうだ?」

「ああして、料理している分には普段と変わらないですね。逆に言えば、特に症状が改善されたとも言えません」

 料理を含めた日常生活に、ダンジョンを進むための行軍なんかは、問題なく双葉さんがこなせるのは本当に幸いだった。お陰で、彼女は『狂戦士』として戦うことがなくとも、クラスにおいてお荷物にはならず、むしろ料理の腕だけで十分すぎるほどの貢献をしてくれている。

「兄さん、彼女のことは、姫野さんに任せておきましょう」

「そうだな。今も俺には、双葉さんにかける言葉が見つからないから」

 みんなのいる食堂代わりの広間で、顔を合わせれば挨拶くらいはできるようにはなったが、それ以上の会話は避けている。

 双葉さんのことは、元からの友人である姫野さんに丸投げ状態だ。申し訳ないとは思うが、それでも、こういう時に任せられる人物がいるということは非常にありがたい。

 体に深い傷を負えば大変だが、心の傷もまた、同様に厄介なものである。ほとんど本人次第と言える問題なのだが……俺は、いつか必ず双葉さんなら乗り越えられると信じている。

「ほわぁ……みんなぁ、おはよぉ……」

「おい小鳥、まだ髪が跳ねてるぞ」

「ええー、どこぉー? 明日那ちゃん直してー」

「しょうがないな」

 などと仲良く言い合いながら、明日那と小鳥遊さんが広間に姿を現したのを皮切りに、続々とクラスメイト達が集まってきた。朝食の時間は明確に定められているワケではないが、この集まりの良さは、やはり美味しい匂いに惹かれているとしか思えないな。

 そうして、今日も全員分プラス一人分の料理が並ぶ大テーブルに、みんなが席へと付き始めた、その時であった。

「————た、大変だよっ!」

「んっ、美波、どうしたのよそんなに慌てて……というか、どこに行っていたのよ」

 そういえば、いつもなら委員長と共に現れる夏川さんが、今日に限ってはいなかった。陸上部の朝練などで、彼女は早朝に弱いということはないから、寝坊したとすれば珍しいと思っていたが、どうやらそんな呑気な理由はなさそうだった。

「ゴーマの軍団が来てる! というか、もう囲まれてるよっ!」

「なんだって!?」

 まさか、俺達の存在がゴーマ王国の奴らにバレていたとは。

「全員、戦闘準備だ!」

 即座に、クラス全員動き出す。目の前にある出来立ての朝食が諦められないのか、肉やパンを口にくわえる奴もちらほらいるが……ちゃんと武器庫に向かっているので良しとしよう。

「夏川さん、敵の数はどれくらいだ」

「塔の正面からは、ゴグマ2体とゴーヴ10体、ゴーマがえーと、50くらいかな? 一番数が多いよ。それから、後ろと左右にも、ゴーヴとゴーマを合わせて30くらいの集団がいる」

 どうやら夏川さんは、真っ先に敵の気配を察知した上に、偵察まで済ませてきてくれたようだ。委員長にも言わずに偵察に出たのは危険だが……彼女は自分の力を過信するような性格ではない。恐らく、報告に戻る時間すら惜しいと判断してのことだろう。

「……それくらいなら、なんとか迎え撃てるか」

 報告にある敵の数は全て合計すると、ゴグマ2、ゴーヴ30、ゴーマ90だ。包囲しているゴーヴとゴーマの混成部隊は、ゴーヴ10、ゴーマ20と仮定している。

 今の俺達なら、ゴーマが100体群れていてもさほどの脅威にはならない。あの城壁で見たような、鎧と鉄の武器で武装していたとしても。

 ゴーヴ30体も、なんとかなるだろう。ヤマタノオロチ戦を乗り越えた俺達なら、ゴーヴを倒すのにもそれほど手間取らない。

 問題は正面にいる2体のゴグマ。四本腕の奴ではなく、普通のゴグマだという。ボス級としてもなかなかの強さを誇るが……大丈夫だ、今の俺なら、ゴグマ2体を同時に相手しても問題なく倒せる。

 数は圧倒的に向こうが有利で、しっかり包囲もしてきているが、俺達がいるのは頑丈で大きな塔である。

 出入口は正面のみで、敵の侵入を制限することが可能。いくらゴグマでも、この塔の壁を破壊して突破してくるのは無理だ。

「蒼真君、もう敵が来るよ!」

 夏川さんが叫ぶ。

 流石に、この距離にまで敵が迫って来れば、俺も他のみんなも気配を察することができる。

「先に俺が行く————『ソードストレージ』セレクト、『聖騎士の剣』」

 俺はみんなよりも先んじて、剣を空間魔法から取り出して手にする。

 学園塔にいた頃は、この『ソードストレージ』は武装解除していたが、桃川の裏切りがあって以降は、常に武器を入れることにした。お陰で、こういう奇襲の時も素早く対応できる。

「グヴァラァアアアッ!」

「ゲブッ、ゼバァ!」

 塔の正面入り口から、鎧兜に槍を持った完全武装のゴーヴが全力疾走で飛び込んできた。文字通りの一番槍、という奴か。

「ここから先は、一体も通しはしない————『一閃スラッシュ』」

 武技で一気に間合いを詰め、横薙ぎの一閃で二体まとめて切り飛ばす。

 もう30秒もしない内に、みんなも武器を手に戦闘を始められるだろう。その僅かだが、貴重な時間を俺は稼ぐ。

「ゾグラ、ゴブンドォオ!」

「疾っ!」

 さらに続けて駆け込んできたゴーマを切る。

 幸い、奴らは足並み揃えて突入することもなく、我先にと戦功を競い合うように突っ込んでくるだけ。

 足の速い者から順番に飛び込んでくるだけで、ここの入り口は一つきり。囲まれる心配もなく、出てくる順に相手をすればいいので、非常にやりやすい。予想外の奇襲をされたが、地の利はこちらにある。

「悠斗君、みんな準備完了よ!」

 そうこうしている内に、杖を握った委員長がみんなを連れて武器庫から出てくる。

「みんな聞いてくれ、敵はゴグマ2、ゴーヴ30、ゴーマ90、四方に散って塔を囲むように配置についている。敵は多いが、俺達なら倒せない数じゃない。このままここで迎え撃つ」

 バラバラに突っ込んでくる奴を片付けつつ、俺は作戦を伝える。勿論、指示を出すまでもなく、前衛組みは俺と並んで、目の前のゴーマを切り伏せてくれている。

「防衛戦は、ヤマタノオロチ以来だぜ」

「今更、ゴーマ相手にビビるかよ」

「俺らの拠点にカチ込みかけたこと、後悔させてやるぜ!」

 重戦士の山田を筆頭に、上田と中井が武器を振り上げヤル気をみなぎらせている。

 こと迅速な判断を要する戦闘に限って言えば、滅多なことでは誰も口を挟むことはない。学級会のように紛糾することなく、俺の指示に従ってくれる。

 小鳥遊さんのことで大いに疑心暗鬼に陥ってはいるが、この戦闘時の結束が崩れない限り、俺達はまだ大丈夫だ。

「この調子で塔に敵を引き入れて撃破していこう。もうすぐ、主力のゴーヴが突撃してくるはずだ。ゴグマが2体とも入ったら、桜と委員長が防御魔法で入口を塞いで分断。ゴグマ以外が突っ込んで来ても、ソイツらを適度に引き込んで、同じように分断する。ゴグマさえ倒せば、あとはいつもの雑魚狩りとそう変わらない。ある程度削れば、向こうが勝手に退くだろう」

 先んじて飛び込んできた奴らは、偵察とも呼べないような小勢だ。

 そろそろゴグマ含め、大きな気配が接近してくるのを感じる。本番はここからだ。

「二階には、下川、小鳥遊さん、双葉さん、姫野さん、の四人が上がってくれ。下川は、塞いだ入口を突破しようとする奴を窓から撃って妨害して欲しい。残りは全員、この一階で引き込んだ敵を倒す」

 クラスの非戦闘員は、今や小鳥遊さんに加えて、双葉さんも該当する。そして彼女を適切に動かすには、姫野さんが一緒にいる必要もある。

 姫野さんは『治癒術士』ではあるが、戦闘にはそれほど優れないので、小鳥遊さんと双葉さんの二人と一緒に安全な場所に下がっているのは、あまり問題にはならない。重傷者が出た場合は、彼女たちのもとまで運んで治療に専念もさせられる。

「……ちょっと待て、下川いねぇぞ」

「はっ? そんなワケ……マジだ、いねぇ!?」

「な、なんだって?」

 俺は当たり前のように全員揃っている前提で話していたが、改めてクラスメイトの顔を見渡してみれば、下川の姿はどこにもなかった。

「まさか、この状況で寝坊してるワケじゃないだろうな」

「いや、寝袋にはもういなかったけど」

「おう、先に起きてると思ったんだが」

 ああ、そういえば、起き抜けの二人がそんなようなことを話していた。下川がまだ部屋で眠っていないとするならば、どこにいったのか。

 まさか、散歩かなにかで一人で外に出て、奴らに襲われたなんてことは————

「蒼真君、ゴグマが来るよっ!」

「ええい、仕方ない。みんな、さっき言った通りだ。姫野さん、双葉さんを頼んだ!」

「わ、分かったわ! ほら、双葉ちゃん、行くよ」

「うん、いいよ、姫ちゃん」

 冷や汗を流しながらも、姫野さんは双葉さんの手を引いて、奥の階段へ向かい二階へと上がる。双葉さんは俺達の戦いを目にしても、普段と変わらぬ穏やかな表情で、姫野さんに手を引かれるまま、大人しく歩いて行った。

 少し遅れて、小鳥遊さんも二人に続いて、安全な二階へと上がっていった。

「なぁ、下川の奴、マジでどこ行ったんだ」

「知らねぇよ……けど、まぁ、アイツなら大丈夫だろ、多分……」

 この状況下で姿を見せない下川に、友人の上田と中井は不安を隠せない表情を浮かべているが、残念ながら今はその捜索に出ている余裕はない。

 まずは、目の前の敵を返り討ちにしなければ。

「敵は間違いなく、あの王国からやって来ている。もしかすれば、更なる増援もあるかもしれない。ゴグマを倒した後も油断せずに行こう」

 みんなにも、自分にも言い聞かせるようにそう言い放ち、俺は次の瞬間には飛び込んでくるだろうゴグマへ向けて、意識を集中させた。




「————これで、終わりだオラァ!」

「喰らいやがれ、このデカブツが!」

 斧と槍、それぞれの武技が炸裂し、ついに致命傷に達した二体目のゴグマがドシーンと音を立てて崩れ落ちる。

 トドメを刺したのは、『戦士』中井と『騎士』野々宮さん。

 一体目のゴグマは先に俺が仕留めたが、二体目の方は他の前衛に任せることにした。今の彼らならば、ゴグマの一体くらい難なく対処できるからだ。

 俺の指示した分断作戦は成功し、ゴグマ二体を引き入れることはできた。想定していたよりも随伴のゴーヴ達も多く入ってしまったが。それでも全員が揃っていれば、十分に対処できる数だった。

 俺達は流動的に立ち位置が入れ替わる乱戦状態を広間で演じながらも、こうしてゴグマとゴーヴを倒し切ることに成功した。

「これで敵の主力は片付いたな」

「蒼真、このまま打って出るか?」

「それでも行けると思うが、念のためだ。地の利を生かして、このまま引き込んで戦おう」

「ふむ、堅実だな」

「残るはゴーマばかりだが、数だけは向こうの方が上だからな。安全に倒せる方法があるなら、それでいい」

 ゴグマを仕留めることができず、暴れたりないとでも言いたげな明日那だったが、俺の安全策には素直に頷いてくれた。

 すでにゴグマとゴーヴの多くを失った襲撃部隊は恐れるに足りないが、それでも増援が送られてくる危険性も捨てきれない。ひとまずは、このまま奴らを壊滅、または敗走させなければ。

「みんな、このまま行けるか? 負傷者がいれば、回復するなら今の内だ」

「今更、こんな程度の奴らにやられる間抜けはいないって」

「さっさと片づけて朝飯食いてーぜ」

 芳崎さんと上田が、それぞれ元気な返事をくれる。

 他の面子を見渡しても、返り血こそ浴びているが、自ら血を流している者は誰もいない。全員、まだまだ余裕といったところ。

 まったく、頼もしい仲間達だ。

「委員長、入口を開けて、また敵を引き込んでくれ」

「了解よ」

「桜も、頼んだぞ」

「はい、兄さん」

 そうして、入口を閉ざしていた氷と光の防御魔法が解除される。

 外からは、相変わらずギャアギャアと騒がしいゴーマの声が響いている。そうだ、そのまま突っ込んで来い。

 剣を握り、次の集団の突入を待つが……声こそ響くものの、誰も入っては来ない。

 流石に奴らも分断されるのを理解して、突入するのを躊躇しているのだろうか。ゴーマの知能なら、あと2、3回は引っかかってくれるだろうと思ったが。

 もし本当に不利を悟って突入しないのだとするなら、こちらから打って出る必要がある。作戦を切り替えるべきか、と考え始めた頃だった。

 ついに、入口に一体のゴーヴが現れる。

「フシュウウ……」

 ソイツは、一体だけで入ってきた。雄たけびを上げて突っ込んでくるでもなく、深く呼吸をしながら、ゆっくりと。まるで自分の家に上がり込むかのように、何の気負いもなく。

「なんだ、コイツは」

 見た目こそ、普通のゴーヴだ。いや、身に纏う装備は全身を覆う鎧ではなく、ほぼ半裸の軽装。しかし首や耳、手足にはジャラジャラと煌めくアクセサリーを幾つも身に着けていることから、身分が高いのだろうと思わせる。

 よく見れば、腰に巻いた布も、鮮やかな真紅の色合いで、基本的に薄汚れたボロキレを使うゴーマの中にあって、かなり上等な布地であることが分かる。

 このゴーヴは一体、何者なのか。襲撃部隊を率いる隊長なのだろうか。

 そうだとしても、何故、単独で乗り込んできた。まさか、俺達と交渉をしようというワケではないだろう。

「おいおい、ゴーヴ一匹だけで何するつもりだぁ?」

「なにコイツ、舐めてんの? 無駄にキラキラしてるし」

 ゴグマを倒して勢いに乗っているのか、中井と野々宮さんの二人が前へと出る。俺よりも先に、ゴーヴへと斬りかかれる立ち位置だ。

「待て、二人とも、そのゴーヴは————」

 何かおかしい、と引き留める言葉の途中だった。

「ギラ・ゴグマ! ザガン!」

 ゴーヴは叫んだ。

 ドン、と右手を自分の胸に打ち付けて、そう叫ぶ。

「ギラ・ゴグマ! ザガン!」

 再び、同じ叫び。ドンドンと胸を打ちながら。まるで、何かを示すように。

 まさかコイツ……名乗りを上げているのか。

 俺はギラ・ゴグマの『ザガン』だと。

「ギィイイイイイイイイイイイイガァアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 そして、一際大きな絶叫と共に、ゴーヴから、いや、ザガンから凄まじい魔力の気配が爆発的に発せられた。

 その瞬間、奴の全身に浮かび上がったのは、真っ赤に輝く魔法陣の文様。頭の天辺から足の先まで、全身に刺青を入れたかのように、赤く輝くラインとなっている。

 その直後だ————体が弾けた。

 否、弾けるように、体が大きくなったのだ。

 ゴグマのような、いいや、それを越えたさらなる巨躯へと。

 筋骨隆々の逞しいゴーヴの体格をそのままに、倍以上の身長を誇る5メートルほどの体へと、巨大化した。その姿、正に巨人。

「グルゥオ、ンガァアアアアッ!」

 その巨人が、剣を抜いた。

 元々、腰から下げていた剣である。巨大化に伴って、その身に纏う衣服や装飾品もそのまま大きくなっている。だから、その剣もまた巨大な刃と化していた。

 龍一が振るう大剣さえをも軽々と超える巨大剣は、抜刀術のような凄まじい速度で放たれた。

 その鋭い超重量の一閃を、俺はなんとか見切って、バックステップを踏んで瞬時に間合いから逃れる。ギリギリだった。このゴーヴは普通じゃないと警戒し、ザガンの名乗りを上げ、巨大化した瞬間、その脅威がゴグマを遥かに超える大ボス級だと察したが故に。

 だから、間に合わなかった。

 俺より前に立ち、俺よりも油断していた、中井と野々宮さんの二人は。

「————あっ?」

 間の抜けた声を、中井が上げていた。相手が剣を振るった、と気づいたのは、すでにその刃が駆け抜けていった後のようだ。

 防御も回避も、全く間に合わない。直撃。

 ズルッ、と中井の体がゆっくりと分断され————上半身と下半身、真っ二つに切り裂かれた。

「ぁああああああああああああああああああああっ!」

 一方、絶叫を上げる野々宮さんが仰向けに倒れた。

 恐らく、騎士のスキル『見切り』を持つ彼女は、ザガンの抜刀一閃に反応できた。

 龍一の槍をかざしてガードしつつ、同時に俺と同じく素早く後ろへ飛んで回避も行った。だが、あまりにもザガンに近すぎた。近づき過ぎていた。

 その圧倒的な刃の威力から逃れきることはできず、彼女は両腕が斬り飛ばされ、さらに深々と胸元に斬撃の跡が刻まれていた。

「はっ? おい、なんだよ、嘘だろ……中井……」

「い、いぃやぁああああ!? ジュリ! ジュリィイイイイッ!」

 呆然と声を漏らす上田と、悲鳴を上げる芳崎さん。ザガンの犠牲になったのは、二人の友人。とても正気ではいられない。

「みんな下がれ、奴は俺が止める! 桜っ、治癒魔法だ!」

 俺は、取り返しのつかない失敗を犯した。

 だが、それを悔いる時間はない。今はただ、目の前に現れた特大の脅威に対抗しなければ。

 これ以上、犠牲は出せない。

「撤退だ! 急いで撤退しろ!」

「グブル、ゾン、バルゼンドバァ」

 一撃で二人を仕留めたザガンは、満足げにゆったりと剣を構えながら、その大きな一歩を踏み出す。

 この広間にいる限り、巨大化ザガンの脅威から逃れられない。コイツには敵わない。このまま挑めば必ず犠牲が出る。

 だから、俺が止める。みんなを、守る。

「俺は『勇者』の蒼真悠斗だ! 来い、ザガン、この俺が相手だっ!」

「ユー、ユー、グフフ、ガブラ、ザン、ゾォアブラダ! バグダ、ユーっ!」

 俺の名乗りが通じたのか否か、ザガンは確かに俺へと向いた。そうだ、来い、俺に向かって来い。お前の相手は俺だ!

「行くぞっ————『-光の聖剣クロスカリバー』っ!」

第275話 崩壊(1)

 気が付けば、日が暮れていた。

 塔を脱出し、俺達は無我夢中で森の中を逃げ回った。みんなで上手く逃げられたのは、幸いだと言うべきなのだろうか。

 念のために二階の窓など、塔からの脱出路をあらかじめ決めておいて良かった。速やかに脱することができ、俺が広間でザガンの相手をしていたのも、ごく短時間で済んだ。僅かな間でも、奴の力を嫌と言うほど実感させられた。

 それから、逃げるにあたっては、奴らの目を欺く煙幕も役に立った。

 煙玉、と呼んでいた、桃川の作ったアイテムだ。ヤマタノオロチ戦では必要のないものだったが、これから先、長い脱出行をするにあたって、モンスターから逃げたりすることもあるだろうと。そう言って、アイツはこういう物もコツコツ作っていた。

 そんな地道な努力さえも、俺達を欺くための演技だったのだろう。

 けれど、アイツが作った煙玉の性能は本物だ。投げれば、濛々と白い煙が立ち込め視界を塞ぐ。

 スムーズに塔から脱出し、奴らの追撃を早々にまけたのは、煙玉のお陰と言ってもよい。

 そうしてゴーマの追手を振り切り、さらに日の高い内は少しでも奴らから離れるために移動を続け————最終的に辿り着いたのは、切り立った崖に開いた洞窟である。

 ここは崖や急斜面の目立つ険しい山で、洞窟はそこかしこに、不自然なほどに多く見受けられた。俺達はその中の一つに身を潜めて、今日はここで夜を明かすことにした。

「お腹空いたね。早くご飯作らなきゃ」

 双葉さんの能天気な声が洞窟に虚しく響く。今だけは、心を失い、現状を認識できない彼女のことが羨ましかった。

「あの、蒼真君……」

「すまない、姫野さん。双葉さんのこと、頼めるかな」

「分かったよ。どっちにしろ、夕飯は作らないといけないもんね」

 あはは、と苦笑いと言うにも苦しい表情で、姫野さんは「なににしようかなぁ」とつぶやく双葉さんの手を取って、俺達から離れていった。

 幸い、この洞窟は広い。少し離れたところで、火を起こして食材を調理するくらいのことはできるだろう。

「あっ、わ、私、外を見張って来るね!」

「そうね、頼むわ、美波。食事が出来たら連絡するから、それまではお願い」

「うん、任せてよ」

 夏川さんが見張り役を買って出てくれて、そこで始めて見張りの必要性に気づくなんて。どうかしている。ダメだ、とてもマトモに考えられない。今の俺は、冷静なフリをしているに過ぎない。

 苦しい。耐えられない。どうにかなってしまいそうだ。

「……う、うぅ……」

 暗い沈黙に満ちる洞窟に、小さなうめき声が上がった。

「ジュリ! 起きたの? しっかりして!」

「芳崎さん、あまり刺激しないように。野々宮さん、大丈夫ですか? 私のことが、分かりますか?」

 洞窟の床に敷いた寝袋、その上に寝かせているのは重傷を負った野々宮さんだ。

 目を覚ました彼女を、真っ先に芳崎さんが覗き込み、次いで桜が優しく声をかけている。

 両腕を失い、胸に深い傷を負った彼女は、とても自力で歩くことはできない。ここまで背負ってなんとか連れてくることはできたが……

「い、痛い……痛い、よ……」

「おい、蒼真! 早く治癒魔法かけろよ!」

「もう、出来る限りの治癒はかけました。血は止まり、傷口も塞がっています。これ以上は、私にはどうしようもありません」

 聞くに堪えない。

 取り乱す芳崎さんの気持ちも、どれだけ治癒魔法をかけても、完全に治し切ることができないと悟ってしまった桜の気持ちも。どれほど辛く、苦しいか。

 そして、どんなに痛ましい思いを彼女たちが抱いたところで、俺にはどうすることもできない。

 そうだ、俺がどうにかできる段階を、とっくに過ぎてしまっているから。

「……マリ、いるの……?」

「いるよ、ジュリ! 私はここにいる!」

「なんか、寒い、ね……ねぇ、マリ、手ぇ、握ってよ……」

「あっ、あ、あぁ……」

 虚ろな目で、うわ言の様に野々宮さんがつぶやく。手を握って欲しいと、あまりにも悲しく、残酷なお願いだ。

 芳崎さんには、手を握る、そんな簡単なお願いも叶えてあげることはできない。

 だって彼女の両手は、どこにもないのだから。

「芳崎さん、肩に手を。彼女に、触れてあげてください」

「あ、ああ……ジュリ、私だよ、分かるか?」

 桜の助言に従って、芳崎さんはボロボロと涙を零しながら、そっと優しく野々宮さんの肩に手を触れた。

「寒い……はぁ、寒いよ……パパ、ママ、どこにいるの……ここ、暗くて、寒いの……」

「ジュリ! そんな、やだ、しっかりしてよ!」

 必死の叫び。けれど、どれだけ叫んでも、野々宮さんに声が届くことはないだろう。

 彼女の暗い瞳には、目の前にいる友人の顔さえ、もう映ってはいない。

「……ジュリ? ねぇ、やだよ、こんなの、目ぇ覚ましてよ」

「芳崎さん、残念ながら、野々宮さんはもう————」

「うるせぇ! 嘘だ、嘘だこんなのっ! だって、こんな……ジュリ、いやぁあああああっ!」

 そうして、しばらく芳崎さんは泣いていた。痛ましい姿の友人に縋り付いて。

 どうしようもなかった。桜の治癒魔法をどれだけ重ねても、手の施しようがない致命傷だったのだ。

 本当は、最初から分かりきっていた。助からないと、一目で理解できた。

 今の今まで野々宮さんが死ななかったのは、天職『騎士』だからこそ。その高い生命力が、かえって余計に彼女の最期を苦しませてしまったのかもしれない。

 だからといって、楽にしてやると、介錯なんて誰ができる? ああ、桃川、お前ならそんなことも出来るのかもしれないな。

「野々宮さんを、静かに寝かせてあげましょう。芳崎さん、こっちへ」

「うっ、うぅ……」

 涙が枯れ果てるほどに泣く芳崎さんの肩を桜が抱いて、ゆっくりと、この場を離れていった。

「山田君、中嶋君、野々宮さんを向こうへ運ぶのを手伝って貰えるかしら。明日、夜が明けたら埋葬するわ」

「おう、そうだな」

「わ、分かったよ、委員長」

 山田と中嶋の二人の手で、野々宮さんの遺体は搬送された。委員長の言う通り、こんな夜中に墓穴を掘るわけにもいかないだろう。

 それから、すぐに三人が戻り、もう少しすると、桜も戻ってきた。

 重い、あまりにも重すぎる沈黙がこの場を支配する。

 誰も、何も言えない。何を言う。何が言える。大切な仲間が、死んだばかりのこんな時に。

「……みんな、聞いてちょうだい。この洞窟も、決して安全とは言えないわ」

 ああ、委員長、流石だよ。やっぱり、最初に口を開いたのは彼女だ。

 そして、それを言い出したからには、俺もいい加減、現実と向き合わなくてはいけないだろう。

「ああ、そうだな……これからどうするか、考えなければいけないな」

「どうするって何だよ」

 棘のある言い方をしたのは、上田だった。

「どうなるって言うんだよ……中井、死んだんだぞ……下川も、いなくなっちまった」

 野々宮さんの悲痛な最期を見届けたばかり。それでも、みんなに看取られて逝けた彼女はまだ幸せだった。

 ザガンの一撃で体が真っ二つになった中井、彼の遺体を回収できる余裕など、あの時にあるはずもない。まず間違いなく、彼の死体はゴーマ達によって食われることになるだろう。

 生きながら食われるよりも、苦しむことなく即死できただけマシだった。そうでも思わなければ、やっていられない。

「……俺、明日、下川探しに行くわ」

「おい、上田、無茶なことは言うな。俺達は今、ゴーマによって追い詰められているんだ」

「うるせぇな、探すんだよ! 下川はまだ生きてんだ! そうだよ、アイツ、たまに抜けてるとこあるからよぉ、ちょっとはぐれちまっただけなんだ」

「上田君、お願いよ。一人で探しに出ていくような真似だけはしないでちょうだい。これ以上、もう一人も死なせるわけにはいかないわ」

 今までだって、そう思ってきたさ。

 宏樹が死んだ時も、レイナの死を目の当たりにした時も。それでも、と乗り越えたつもりだった。

 ああ、そうだ、きっと所詮は「つもり」に過ぎなかったんだ。あの二人の死は、全て俺がいなかったせいで起ったことだから。

 けれど今回は違う。俺はその場にいたのに。目の前に、いたというのに————俺は、守れなかったのだ。

 俺のせいで、二人死んだ。もう、桃川のせいにもできはしない。

「探そうぜ、なぁ、みんなでよぉ……下川はまだ生きてるんだ、仲間を見捨てたりしないよな?」

「……残念だけど、下川君の生存は絶望的よ。たとえ生きて逃げ延びていたとしても、今の私達にすぐに彼を捜索できる余力はない。上田君、本当は貴方だって分かっているでしょう」

 いっそ冷酷とも言えるような委員長の言葉に、上田は眉を吊り上げて怒りの表情を浮かべたが……何かを叫ぼうとして、けれど、ついに怒声が出ることはなかった。

「ちくしょう……なんで、なんでこんなことになったんだよ……」

 委員長の言う通り、上田も本当は、ちゃんと現実を認識していた。現実逃避で怒り散らすこともできず、ただ、二人もの友人を僅か一日で失うという、残酷すぎる事実に打ちのめされるしかない。

 その場に座り込んで、すすり泣きを始めた上田に、誰もかける言葉は見つからなかった。

「上田君、辛いなら、貴方ももう休んだ方がいいわ」

「いい、俺のことは気にすんな……話、続けてくれよ」

 そう答えられた上田は、男としての意地を張った、といったところだろう。

 虚勢だろうがなんだろうが、今はそうしてもらえる方がありがたい。どうであれ、今の俺達にはただ仲間を失ったことを悲しんでいるだけの余裕すらないのだから。

「ひとまず、奴らから身を隠せる場所を見つけないと」

「ええ。幸い、このエリアは広大だわ。まだ遠くへ逃げられるわね」

 寝床も確保できなければ、戦わずして野垂れ死ぬだけだ。拠点はなんとしても必要となる。

 それに、食料の問題も。今はまだ保存食をそれぞれが持っているので、何日かは持つ。水魔術師である下川はいないが、水を出すマジックアイテムは用意してある。飲み水に困ることはない。

「食料がある内に、隠れ家を探さないといけないな」

「今は、それしかないわね」

 反対意見は出ない。こんな状況下では、仇を討つべきだ、と後先考えずに叫べる奴はいないだろう。

 俺達はあのヤマタノオロチを倒して、ここまで来た。自信があった。もうどんなダンジョンの魔物にも負けたりはしないと。みんなで力を合わせれば、乗り越えられると。

 だが、一瞬で二人失った。下川も含めれば三人だ。

 俺達は成す術もなく、三人もの仲間を失ってしまった。上田の気持ちは、俺にだって痛いほどよく分かる。つい昨日までは、当たり前のように一緒にいたというのに。

 そうして、きっと俺達は思い出したんだ。ここはダンジョン。常に死の危険が隣り合わせの地獄のような場所だと。

 それは、純粋な恐怖。自分も、大切な仲間達も、みんな死んでしまうのではないかという、シンプルにして絶対的な恐怖である。

 だが、その恐怖に屈するわけにはいかない。目の前の過酷な現実を受け入れ、今どうするかを考えなければならない。俺達はまだ生きている。絶対に、生き残ってみせる。

「なぁ、悠斗。あの巨大化したゴーヴのことだが」

 明日那が俺に問いかけてきた。きっと、他のみんなも気にはなっていることだろう。

 仲間を殺した張本人。恐ろしく強力なゴーマの力を。

「ザガンだ」

「なんだと?」

「ギラ・ゴグマのザガン、とアイツは名乗っていた」

 恐らく、普段はゴーヴの姿だが、ゴグマを超える巨大化能力を持つ奴のことを『ギラ・ゴグマ』と呼ぶ。

 ゴグマはそれだけで大勢のゴーマを率いる力を持つ上位の魔物だ。それのさらに上となれば、ゴーマの軍勢でも最高位か、それに近い身分であろう。

 ならば『ザガン』という個人名を持っていてもおかしくない。

 もしかすれば、ゴーマにも普通に名前があるのかもしれないが。それでも、アイツは自らをザガンと名乗るだけの立場にある特別な奴だというのは間違いない。

「俺一人では、アイツを倒せそうにない。四本腕のゴグマを遥かに上回る強さだった。それも、ただデカくて力強いだけじゃない。確かな剣術の腕もある」

「ならば、再びそのザガンが襲って来れば」

「全員で挑めば倒せる目はあるだろう。だが、アイツはボス部屋にいるボスモンスターじゃない。襲ってくるなら、また大勢を率いてくるはずだ」

「ザガンとゴーマの軍勢、どちらにも備えなければならない、ということか……」

 今の俺達には、とても無理な戦い方だ。多勢に無勢と言うしかない。

 あるいは、初めて遭遇したあの時が、ザガンだけを分断して倒す好機だったかもしれないな。

 いいや、どちらにせよ、あのまま戦ってもさらなる犠牲を重ねなければ、倒すまでには至らないだろう。

「強くなるしかない。生き残るためには、もっと強くなるしかないんだ」

 俺達はもう充分強いと思っていたが、足りなかった。

 俺にもっと力があれば、こんなことにはならなかった。弱いから負けた。単純な結論だ。

「もしかすれば、ギラ・ゴグマはあのザガンだけじゃないかもしれないんだ。あんな奴が二体も三体も現れれば、今の俺達じゃ成す術もなく蹂躙される」

「そうね、ゴーマ王国の戦力はまだまだ未知数。ザガン以上に強いゴーマがいる可能性だってあるわ。もし、本当にこの最下層からの逃げ道が一つもないなら……私達が強くなって、突破するしか方法はない」

「……過酷な道、だな。ヤマタノオロチを倒すよりも、厳しい戦いになるだろう」

 明日那の言う通りだ。最大の試練を越えたと思ったら、さらに大きな試練が待ち構えているだけだった。

 けれど、諦めるわけにはいかない。こんなところで死ぬために、今までダンジョンを乗り越えてきたわけじゃないんだ。

「とにかく、今はゴーマから逃げ延びること。それができなければ、最下層からの逃げ道を探すにしても、強くなるために戦うのもままならない。明日も襲撃に備えて、長く移動することになりそうね。見張りの順番を決めて、早く休んだ方がいいわ」

 素晴らしい打開策など思いつくわけもなく、俺達は委員長が言った通り、明日に備えて体を休めることしかできない。

 実際、今日はもう休もう、眠ってもいいんだ、と思った途端に、疲労感が押し寄せてきた感じだ。それと同時に、空腹感も。

「腹、減ったな」

「うん、そりゃあ、朝から何も食べないままだったからね」

 飯、まだかな、なんてつぶやく山田に心底同意する。中嶋の言う通り、食事どころじゃなかったからな。

 ああ、せめて朝食を済ませてから襲ってきてくれれば、まだもう少しマシだったろうに、なんてことを考えた、その時であった。

「きゃあああああああああああああああああああああっ!」

 洞窟の奥から、悲鳴が響いた。小鳥遊さんのものだ。

「まさか、敵襲か!?」

 そこは双葉さんが料理の準備をして、それから、桜が泣き崩れる芳崎さんを連れていった場所だ。外から侵入されるような地形にはなっていないはずだが……もしかすれば、洞窟に潜んでいた魔物かもしれない。

 なんにせよ、俺は途切れた緊張の糸を再び結び直し、すぐさま立ち上がって駆け出した。

 頼む、間に合ってくれと、そう一心に願って、ごく短い距離を一瞬で駆け抜けた。

「どうした、何があったんだ!」

 剣を手に彼女たちの元へ飛び込む。

 ざっと見た限り……敵影はない。

 悲鳴をあげた張本人の小鳥遊さんは、桜に抱き着いている。そのすぐ傍らには、目を真っ赤に張らした芳崎さんがいて、少し離れて、石で組んだ簡易の竈の前でぼんやりと立つ双葉さんと、姫野さんがいた。

 俺の視界に入った限りで、敵の姿はないし、これといった異常も見当たらない。

「本当に、どうしたんだ? まさか、虫が出たとかじゃあないだろうな」

「兄さん……姫野さんを、よく見てください」

「なに?」

 彼女がどうかしたのか。いや、どうかしたのだろう。実際、ここにいる彼女達の視線は全て、姫野さんへと向けられていた。

 そこまで認識して、俺はようやく姫野さんへと注視し、

「えっ、なんだ、それは……角、なのか?」

「ち、違う! これは違うの、蒼真君!」

 必死の表情でそう叫ぶ姫野さんだが、彼女の頭からは、確かに角が生えていた。

 額の辺りから、鬼のような、二本の角が。

第276話 崩壊(2)

「ち、違う! これは違うの、蒼真君!」

 違う、と言われても、姫野さんの頭部から角が生えているのは紛れもない事実であった。

「おい、どうしたんだよ」

「敵はいないのかい?」

 少し遅れて、山田や中嶋もやって来る。流石に騒ぎが気になったか、元気のない顔で黙っているが、上田もついて来てるようだった。

 結局、今は偵察に出た夏川さんを除く全員がここへ集まり……角が生える、という異変が生じた姫野さんを囲むことになってしまった。

「待って、これは何でもないの! っていうか、私も何でこんなになってるのか分かんないし!?」

「落ち着いてくれ、姫野さん、分かったから」

「ダメ、蒼真くん!」

 ひとまず、なだめるように言いながら姫野さんへ近づこうとした俺を、叫んで止めたのは小鳥遊さんだった。

「近づいちゃダメ……姫野さんは、多分、もう人間じゃないから……」

「ちょっと!?」

「な、なんだって……?」

 小鳥遊さんが姫野さんを見る目は、もう仲間に対してのものではなく、モンスターに向けるそれであった。つまりは、純粋な恐怖の目。

「————眷属『淫魔』。私の『真贋の瞳』には、そう見えるの」

「なっ!?」

 なんのことだか、すぐには分からない。だが、絶句したような表情の姫野さんを見れば、どうにも真実を言い当てたらしいと思えるが……

「本当なのか、姫野さん。眷属の『淫魔』とは、なんなんだ」

「し、知らないわよ、私、そんなの……」

 明らかに動揺しているのは、濡れ衣を着せられているからか、それとも、隠し通していたことを見破られたからなのか。

「私は天職『治癒術士』で、ほら、ちゃんと治癒魔法だって使えるし!」

 確かに、その通りではある。治癒魔法の腕は桜には及ばないものの、きちんと効果を現わしている。ヤマタノオロチ討伐戦でも、みんなの負傷を治すのに役立ってくれた。

「……うん、天職『治癒術士』って見えたけど、角が生えた今は、眷属『淫魔』って見えるの」

「正体を現した、ということなのか?」

「違うわよ! こんな角が生えるなんて私、知らない、私のせいじゃない!」

「黙れ、姫野。さては貴様、今まで私達を騙していたな」

 叫ぶ姫野さんに、明日那は腰の刀に手をかけて言った。すでに、その体からは殺気が発せられている。

「待って、明日那、早まった真似はしないで!」

「いいや、委員長、仲間を騙す裏切り者は絶対に許せない……姫野、お前は私達に取り入って何を企んでいた! 言え!」

「ま、待って、私なにもしてない……みんなを騙すなんて、するわけないじゃない……」

 両手を上げ、涙目の怯えた表情で姫野さんは言う。

 その様子は正に、身に覚えのない罪で責められている女子の姿そのものだが……俺には、判断がつかない。騙す者は、巧妙だ。そう、桃川のように、ソレと全く悟られず行動できる。だからこそ、恐ろしい。

 その恐怖心が故、だろうか。

 俺はそれ以上、すぐに姫野さんを庇うようなことを言えなかった。

「姫野さん、まさか貴女のせいで、ゴーマが襲ってきたのではないでしょうね」

「は、はぁ!? そんなワケないじゃない! 私だって襲われてるのよ!」

「小鳥、眷属というのは、天職とは全くの別物ですね。けれど天職と同じように、何かしらの力を得るものではあるのでしょう」

「うん、そうだよ。天職は神様から力を授かっているけど、眷属は、多分……魔物の神から、力を授かってるんだと思う」

「おい、それじゃあ……」

「本当に、姫野さんがゴーマを呼び寄せたんじゃあ……」

「違う、違う! 私そんなことしてない! するわけないじゃない!」

「魔物の神の手下だというなら、私達の命をずっと狙っていたんだろう! お前も桃川と同じ、卑劣な裏切り者だっ!」

 ついに明日那が刀を抜いた。ギラつく白刃の切っ先を、躊躇なく姫野さんへと向ける。

 その凶行を咄嗟に止めに入れなかったのは、俺もまた、彼女を疑っているからに他ならない。このまま放置すれば、また桃川の毒殺事件のようなことが起こるのではないかと。

 けれど一瞬の逡巡の後に、考えを改める。

 ダメだ、疑わしいと、それだけの理由で仲間を手にかけることなど、あってはならない。何を迷っている。俺は仲間を守らなければならないんだ。そこには、この姫野さんだって含まれている。

 そして何より、ついさっき仲間を失ったばかりだ。これ以上はもう御免、絶対に許容できない。

「————やめて」

 しかし俺が迷いを振り切るよりも先に、彼女は動いていた。

 刀を手にした明日那の前に、両手を広げて堂々と立ち、その背に姫野さんを庇う。

「やめて、姫ちゃんをいじめないで」

「くっ、双葉……」

 双葉さんであった。

 桃川の裏切りにあい、心を失っていたはずの彼女は、友人の危機を前に動いたのだ。その姿を見て、俺は強く自分を恥じた。一瞬でも、裏切りの恐怖に負けて迷ってしまった、自分の弱い心を。

「やめるんだ明日那、刀を納めろ」

「そうよ、ここで姫野さんを斬って解決なんてしないわ。落ち着きなさい」

 俺と委員長、二人で明日那を止める。

「だが、コイツは……」

「大丈夫だ、明日那。俺を信じろ」

 刀を握りしめる彼女の手を、俺はそっと握った。震えている。

 その震えは、俺と同じ迷いが故か。それとも、あまりにも堂々と立ち塞がる双葉さんに気圧されているからか。

 どちらにせよ、ここで明日那に剣を振るわせるわけにはいかない。俺はそのまま、ゆっくりと納刀させた。

「みんな、聞いてちょうだい、姫野さんのことは————」

「————大変だよ! ゴーマが来てる!」

 その時、夏川さんが戻ってきた。

 ゴーマが来る。たった一言で、再び緊張感が全員の間に走る。

「みんな、落ち着け! 夏川さん、ゴーマはどれくらいの距離まで迫ってる」

「あと五分くらい! 多分、私達が洞窟に隠れていることを知ってるんだよ。真っ直ぐこっちに向かってるから!」

「それは、やはり姫野さんのせいでは」

「桜、それを言うことは俺が許さない」

 最悪のタイミングだ。桜の言う通り、やっぱり姫野さんがゴーマをここへ呼び寄せている裏切り者ではないかと思わざるを得ない。

 けど、それでも……ここで彼女を切り捨てるなんて真似はできないし、他の誰にもさせられないんだ。

「急いで逃げよう。夏川さん、先導を頼む」

「待って、蒼真くん。外に逃げるよりも、このまま洞窟を進んだ方がいいと思う」

「そうなのか?」

「『盗賊』の勘だよ。この洞窟はかなり深いし、奥の方にはきっと『何か』があるって」

「美波の言う通りにしましょう。どの道、外に逃げても大した有利はないもの」

「そうだな、夏川さんを信じよう」

 反対意見は出なかった。間近にゴーマ軍団が迫っている中、真夜中の森を進みたい者もいないだろう。

 この洞窟の先に何があるかは分からないが、それでも僅かでも希望があると信じて進むしかない。

「う、うぅ……双葉ちゃーん……」

「姫ちゃん、大丈夫だよ、泣かないで」

 姫野さんは、双葉さんに抱きしめられて大泣きしていた。大きな胸に顔を埋めて涙する友人の頭を、双葉さんは子供をあやすように優しく撫でている。

 彼女が撫でている姫野さんの頭には、いつの間にか、疑惑の発端となった角は、跡形もなく消え去っていた。




 俺達は洞窟を奥へと進む。夜でなくても、天然の洞窟である以上は光源などあるはずもなく、桜が召喚した光精霊ルクス・エレメンタルだけが、暗闇を照らし出す。

 どれだけの時間が経っただろうか。時折、後方から響いてくるゴーマの鳴き声のような音を聞きながら、俺達は神経をすり減らすように前へと進み続けた。

「本当に、ここはただの洞窟ではなかったようね」

「ああ、こんな遺跡が埋もれているとはな」

 洞窟には、ちらほらと明らかに人工物と思しき、柱や壁面などが現れ始めた。

 元から地下施設だったのか、それとも最下層エリアの地形変動などで埋もれてしまったのかは分からない。

「兄さん、ここの遺跡は今までのダンジョンとは造りが違うように見えますね」

「鉄、ではないようだが……この光沢は明らかに金属製だな」

 岩肌から覗く遺跡の残骸は、今までのある意味ではファンタジーのダンジョンらしい石造りとは異なり、鈍い金属光沢を放つ謎の建材によって作られていた。

 どれほど長い時間ここに埋もれていたのかは知らないが、柱や壁は降り積もった砂埃などで薄汚れてはいるものの、赤茶けた錆は全く見当たらない。恐らく魔法の金属である光鉄、それもかなり高度に錬成されたものではないかと思う。

「きっと、これがダンジョンの本当の建物なんだよ。天送門のある場所も、こんな風になってるはず」

「なんだか、SFのようだな」

「転移魔法でもワープでも、一瞬で移動できるなら、どっちでもいいんじゃない?」

「確かにな。どちらであっても、私達の人知の及ぶものではなさそうだ」

 そんなことを、明日那と小鳥遊さんは手を繋ぎながら話していた。

 敵襲を警戒するなら、前衛である明日那が手を繋いでいるのは良い体勢ではないが、姫野さんの『眷属』を見破りショックを受けていた小鳥遊さんが落ち着くなら、この方が良い。

 普通にお喋り出来ているところを見ると、もう大分、落ち着いてくれたようには思える。

「みんな、注意して。この先、凄く広い場所に出るみたい」

 先行する夏川さんの報告に頷き、俺達は一列縦隊から、突入できる体勢へと変更する。

 洞窟を抜けて広い空間に出たなら、どんな魔物が根城にしているか分かったものではないからな。

「よし、行くぞ」

 朝からゴーマに追い回され、仲間までも失い、挙句に姫野さんの疑惑と、俺達はもう全員、心身ともに疲労困憊だ。ここでボス戦のような激しい戦闘となれば、耐えられるかどうか分からない。

 出来る限り戦闘は避けられるよう、俺達はゆっくりと慎重に先へと進んだ。

「……何もいないな」

「うん、私も魔物の気配は感じられないよ」

 幸いにも、広々とした地下空間は静かなもので、雄たけびを上げて巨大モンスターが飛び出してくるといったことはなかった。遠くの方から、水滴がポタリと滴っている音だけがここには響いている。

 広大な空間を桜の光精霊が照らすと、殺風景な岩肌だけが浮かび上がるが————ちょうど前方の一角だけは、例の金属質な遺跡の壁面が大きく見えた。

「見て、あの遺跡の壁、ドアみたいなのがついてるよ!」

「ええ、大きなシャッターのようになっているわね。あそこを開けて中に入ることができれば、今度こそゴーマの追撃も振り切れるかもしれないわ」

「うん、分かったよ。小鳥が見てくるね!」

「こら、小鳥、一人で行くな、危ないぞ」

 見渡したところ、どうやらこの場所で洞窟は行き止まりになっているようだ。

 小鳥遊さんが遺跡の扉の開放に成功すればみんな助かりそうだが、もしダメだったら……その時は、覚悟を決めてここで追撃部隊を迎え撃つしかないな。

「俺達はここの入り口を固めよう。いつゴーマが来るか分からないからな」

 ここに至るまで、多少の分かれ道はあったが、それだけで奴らをまけるとは思えない。俺達のすぐ後ろをゴーマは追いかけ続けているはず。

 そう時間はかからず、奴らはここへと雪崩れ込んでくるだろう。

「頼むぞ、小鳥遊さん……」

 今は彼女の『賢者』としての力に賭けるしかない。

 祈るような気持ちで、俺はゴーマの襲来に備え元来た洞窟を注視した、ちょうどその時であった。


 ゴゴゴゴゴ————


 地の底から地響きを立てて、大きな揺れが襲ってきた。

「地震だっ!」

「嘘でしょ、こんなところで!?」

 震度は3か4といったところか。はっきりと揺れを感じるが、立っていられないほどではない。

 しかし、ここは洞窟の中だ。カラカラと頭上から幾つもの小石が降り注ぎ、最悪の展開を予想させた。

「みんなぁー、早く逃げて! 扉は開いたよぉーっ!」

 見れば、小鳥遊さんが大声で叫んでいる。

 彼女は白い灯りの灯った、扉の開いた先の部屋へとすでに入っており、非戦闘員として一緒にいた双葉さんと姫野さん、それから素早い警戒のための夏川さん、合わせて四人がいる。

「急いで遺跡に避難するぞ! ここは崩れる!」

 俺が叫ぶと同時に、ドゴン、と巨大な岩の破片が轟音を立ててすぐ傍に降り注いだ。天井が崩落しなくても、大きな岩があの高い天井から降り注ぐだけでも危険だ。まるで範囲攻撃魔法である。

「きゃあああああっ!」

 降ってきた石の破片が、狙いすましたかのように桜の頭上に迫る。だが、寸前で輝く光の結界が、石を防いだ。

聖天結界オラクルフィールド』があって良かった。直撃してれば、そのまま昏倒してもおかしくない。

 だが万能な防御魔法があっても、崩落に巻き込まれれば一溜りもないだろう。

「桜、来い!」

「兄さん!」

 ハッとした様子で駆け寄ってきた桜を俺は抱き上げる。移動系武技を持つ俺が、抱えて走った方が早い。

「委員長も来るんだ」

「えっ、ちょっと、私は————」

「いいから早く!」

 問答無用で委員長も担ぎあげる。両肩に桜と委員長をそれぞれ抱え、俺は『千里疾駆グランドウォーカー』と『縮地』を同時発動させて走り出す。

 洞窟入り口に陣取った面子の中では、桜と委員長が最も非力だ。だから、一番速く動ける俺が二人担いで行くのが一番だろう。

 天職の力があれば、特に武技や魔法がなくたって、女子二人を担ぎ上げるのも苦じゃない程度のパワーは得られる。

 十分な速さでもって、俺は次々と大岩の降り注ぐ洞窟を駆け抜ける。

「無事か、蒼真!」

「ああ、桜も委員長も大丈夫だ」

「馬鹿、お前のこともだ」

「そんなの、見ての通りだよ」

 入り口から最も早く扉を潜り抜けたのは、夏川さんに次いで移動系武技に優れる明日那だった。全力疾走なら俺の方が速いはずだが、二人抱えるとやはり速度は劣ってしまうな。

「すみません、兄さん。お手数をおかけしてしまって」

「余計なお世話、と文句は言えないわね。正直、助かったわ、悠斗君。ありがとう」

「礼を言うのはまだ早いぞ。二人は防御魔法で、みんなの援護を————」


 ヴィイイイイイイイイイイイイイイイッ!


 台詞を遮るように、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。

「な、なんだ!?」

「ああっ、そんなぁ、扉がっ!」

 小鳥遊さんの悲鳴で、何が起こったのか理解できてしまった。

 開かれた扉、巨大なシャッターが左右から、再び閉じようと動き始めていたのだ。

「小鳥遊さん、止められないのか!?」

「と、止まんないよ! この扉だって、小鳥なにもしてないのに勝手に開いただけで……」

 くそ、都合よく開いたと思ったけど、制御できていたワケじゃないのか!

「みんな急いで! 扉が閉まるわ!」

 事ここに及んでは、急げと叫ぶことしかできない。

 だが、間に合うか————いや、無理だ。

 上田、中嶋、芳崎さんはギリギリで間に合いそうな速力が出ている。だが、『重戦士』の山田はこれといって素早さが上がる技などは持たない。パワーと防御は人一倍だが、素早さに欠けるのは天職の特性として仕方がないことだった。

「ダメ、兄さん!」

「桜、離せ! 俺が行くしかないんだ!」

 覚悟を決めて踏み出そうとしたその時、桜が俺の手を掴んで引き留めた。

「兄さんでも、無理です。もう間に合いません」

「行かせてくれ。じゃないと俺は————」

 問答している時間も惜しい。

 巨大で分厚い金属製の扉は、かなりの勢いで閉じかけている。もう一秒の猶予もない。

 俺は桜の手を強引に振り払い、駆けだそうとしたその瞬間、誰かが俺を追いこして飛び出していった。

「えっ」

 という間抜けな声を置き去りにして、彼女は勢いよく閉まりかけの扉から外へと飛び出す。

 いいや、違う。俺の様に自らの意思で、仲間を助けるために出て行ったのではない。

 突き飛ばされたのだ。

 姫野さんが、突き飛ばされて扉の外へと放り出された。

「いぎゃぁ!? いっ、痛ったぁ……」

 結構な距離を吹っ飛ばされた姫野さんが、受け身もとれずに無様に地面へと転がった。

 痛い痛いと泣き言をいいながら、よろよろ立ち上がった時には、もう全てが手遅れだ。

「はっ、え……嘘でしょ、ちょっと————」


 ゴウゥンッ!


 無慈悲な衝突音を立てて、巨大な遺跡の扉が完全に閉ざされた。

 もう、外の揺れも感じなければ、轟音もサイレンの音も聞こえてこない。勿論、姫野さんと、取り残された仲間達の声も。

「……明日那」

「わ、私は……するべきことを、した」

 なら、どうして、そんなに冷や汗を流して、震えているんだ。

 本当は分かっている。いいや、思い知らされたんじゃなかったのか。いくら怪しくても、恐ろしくても、それをするのは許されざると。

 明日那、お前はまた、仲間を————

第277話 ドン底の結束

「はっ、え……嘘でしょ、ちょっと————」

 ゴウゥンッ! と音を響かせて扉は閉ざされた。

 姫野愛莉は自分の身に何が起こったのか理解できず、というよりも、あまりにも辛い現実を受け入れられず、その場で座り込んだまま呆然としていた。

「おい、ふざけんな、開けろぉ!」

「なに締め出してくれてんのよ!?」

 姫野を追い越し走り込んできた上田とマリは、閉ざされた扉を叩きながら叫ぶ。

「そ、そんな……俺達は、見捨てられたのか……?」

「……なんだよお前ら、別に俺を待っててくれたワケじゃねぇんだな」

 扉の前で立ち尽くして悲壮に呟く中嶋の隣に、一足遅れてようやく山田が到着した。

「な、なんなのよ、これ……」

 愕然としたまま、姫野はつぶやく。安全地帯に入れていたと思ったら、一転して絶望的な状況。

 姫野、上田、マリ、中嶋、山田。実に五人ものクラスメイトが、この扉によって一気に分断されてしまった。

「なぁ、この扉、すぐ開くよな?」

「……無理でしょ。アンタも見たでしょ、姫野が剣崎に突き飛ばされるとこ」

 閉まり行く扉に向かって必死で走っているのだ。その瞬間が、見えていないはずがない。

 急いで、と声援を送るだけだった姫野の後ろに、明日那が立ったと思ったら、その背を思いきり蹴り飛ばしたのだった。

 強力な『双剣士』の明日那が本気で蹴り込めば姫野の背骨ごと折れるだろうから、あくまで外へ押し出すだけの力加減はしたと思われる。結果的に殺害を狙う意図がある以上、自らの足で蹴り殺そうが、扉の外に押し出そうが、さほど変わりはないだろうが。

「あ、あれは、何かの間違いじゃあ」

「おい中嶋、流石にあれを擁護するのは無理あるんじゃねぇのか」

 惚れた弱みとでも言うべきか、中嶋は信じられないと明日那の行動を言うが、山田の言う通り故意の犯行であることは明らかだった。

「あんな真似したんだから、もうアイツらにアタシらを助けようなんて気はないでしょ」

「いやでも、あれは剣崎の独断なんじゃねーのかよ! 委員長や蒼真が、こんなこと許すはず————」

「許すよ。つーか、許すしかないでしょ。ここで開けたら、殺し合いじゃん」

 明日那が姫野を蹴り飛ばした理由は、考えるまでもない。

 開閉の操作が効きそうもない遺跡の扉が閉まろうとする瞬間を、眷属『淫魔』としてゴーマと通じている疑惑のある姫野を排除する好機と捉えたのだ。やはり、直接その手にかけるのには抵抗はあるのだろう。

 だが、こうして分断を狙って突き飛ばす程度なら、彼女はできる。桃川小太郎を転移魔法陣から突き飛ばした前科もあるので、尚更であった。

「ふざけんなよ、俺らは姫野の巻き添えで締め出されてるってのか」

「さぁ、アタシらが間に合わなかったのも事実だし」

「俺は完全に間に合わないと思って、走ってる途中でもう諦めてたぞ」

「おい山田ぁ、お前俺らが一緒に締め出されてちょっと安心してんじゃねーのか!?」

「すまん、ちょっとそう思ってる」

 正直な申告であった。

 クソ、と悪態をつくも、上田にはそれ以上、山田を責める理由もない。姫野が突き飛ばされようがされまいが、結果的に扉が閉まるまでに中へと滑り込むことはできなかったのだから。

「とりあえず、これからどうしようか?」

 沈黙に包まれる中で、中嶋がポツリと言い出す。

 どうするべきか。その問いに答えたのは、ここにいる誰でもなく、洞窟の入り口から響いてきたゴーマの叫び声であった。

「そうだ、ゴーマ! アイツらが来るぞ!」

「ど、どうすんのよ……もう、ここには逃げ場もないじゃん」

「今から入口から出て、洞窟の別れ道に入るとか」

「さっきの声、かなり近くまで来てるぞ。分かれ道に戻るより前に、奴らとかち合うだろ」

「じゃあどうすんだよ!? あのザガンとかいう奴が来たら、マジで俺らじゃ勝ち目ねーぞぉ!」

「そんなの知らないわよ!」

「えっと、じゃあ、その辺に隠れてやり過ごすとか」

「そんなんで奴らの目を誤魔化せたら、俺らここまで追い込まれてねぇだろ」

 どうするべきか。答えなど、誰にも出せなかった。

 この状況は、あまりにも絶望的すぎた。

 閉ざされた扉はウンともスンとも言わず、再び開く気配はない。そもそも、向こうにこちらを助ける気があったとしても、操作ができないのではどうしようもない。

 閉まる寸前の時に、小鳥遊が自分でも扉を制御できていないと叫んでいたようなことは、なんとなく耳に残っていた。


 ウギョガァアアアアアアアアアアアアアアッ!


 いよいよ、大きくゴーマの声が響き渡ってきた。かなり近い。もう奴らの集団がここへ雪崩れ込んでくるのは時間の問題である。

「俺ら、死ぬのか……」

「冗談じゃないわよ、こんなところで」

「嫌だ、死にたくない……俺は、俺はまだ自分の気持ちだって伝えてないのに……」

「……流石に、これはもうダメかもな」

 目前に迫る敵。断たれた退路。望めぬ救援。

 士気が最低にまで落ち込むのは、当然の状況だった。最早、武器を握る気力すらも失ってしまいそうなほど、陰鬱な空気が場を支配していく。

「————ブンガ、ゼブ、グバァ!」

「グゼブブガ、ンバ! ンバ!」

 その時、ついに洞窟の入り口からゴーマが姿を現した。

 ゴーヴ一体と、それに付き従う複数のゴーマ。その全員がしっかりと武装している。野良ではなく、間違いなくあの王国から繰り出されたゴーマ兵である。

 最も先行して来た小隊であろう。彼らは一日かけて追い詰めた獲物にとうとう追いつき、歓喜の声のような叫びを上げながら、この地下空間へと躍り出る。

 自慢の武器を振り上げ、我先にと士気の挫かれた人間目掛けて迫り————

「————『光矢ルクス・サギタ』ぁ!」

 先頭を走るゴーマの頭部に、光り輝く魔法の矢が直撃した。

「『光矢ルクス・サギタ』! 『光矢ルクス・サギタ』! 『光矢ルクス・サギタ』ぁああああっ! うわぁあああ、死ねぇえええええええええええっ!」

 やけくその様に連射される『光矢ルクス・サギタ』。

 姫野愛莉は絶叫を上げて、迫り来るゴーマに自分が使える唯一の攻撃魔法を叩き込んだ。

「なにやってんだ、戦えよお前らぁ!」

 光矢のゴリ押しでゴーヴさえハチの巣にして倒し切り、小隊を全滅させてから、姫野は叫んだ。

「ひ、姫野、お前……」

「どうだ、私でもゴーマくらいぶっ殺せるんだよ! 何が裏切り者だよ、ちょっと角生えたくらいで大騒ぎしやがってよぉ————『光矢ルクス・サギタ』ぁ!」

 さらに入口から顔を覗かせたゴーマの頭を、正確無比に光の矢が射抜く。

「こんなところでぇ、死んで堪るかよぉ! おい、上田ぁ、山田ぁ、それから陽真ぁ! お前らここで生き残ったら好きなだけヤラせてやっから死ぬ気で戦えよコラぁ!」

「ちょっ、おま!?」

「今更、そういうこと言われてもな」

「や、やめてくれ、あれは気の迷いで————」

「うわー、アンタら、そういうアレだったの」

 過去の関係について明言されたワケではないが、全てをお察しするマリであった。

「グズグズ言ってんじゃねぇぞこのボンクラ男共が! ここでクソッタレゴーマ共に食い殺されるか、生き残って私とヤルか選べこの野郎!」

「く、くそ、分かったよ……俺だって、こんなとこで死にたくねぇからな」

「そうだな、戦うしかねぇよな。でもやるのはいい。今はそういうのいいから」

「……俺も、戦うよ。こんな中途半端な気持ちのまま、死ねないよ」

「おい姫野ぉ、女のアタシにはなんにもメリットないんだけどー?」

「芳崎さんはごめんなさい。流石に女性を相手にするのはちょっと」

「はぁ!? こっちだってお前みたいなブサイク金貰っても無理だっての! なにが淫魔だよ、その顔で笑わせんな」

「ちょっとソレは流石に酷くない!?」

 ははは、と誰ともなく、笑いだしてしまった。

 この地獄のドン底みたいな場所で、教室の昼休みでバカなお喋りをしているような感覚だ。

 けれど、それだけで、不思議と武器を握る力が戻ってきた。


 ムゴォオオ、グガァアアアアアアアアアアアッ!


 だから、獰猛な咆哮を目いっぱいに響かせながら、一体のゴグマが現れても、心は折れなかった。

「私ができるだけ雑魚を片付けるから、なんとかあのデカいのを倒しなさいよね、アンタ達」

「分かってるっての。ただのゴグマぐらいなら、なんとかしてやるよ!」

「俺がアイツを止めるから、攻撃は任せるぞ」

「任せなよ。こん中じゃあ、アタシの武技が一番威力あるから」

「俺も、戦いながら魔法で出来る限り掩護するよ。ゴグマの方も、ゴーマの方も」

「さぁ、行くわよ! 死ぬ気で戦えぇーっ!」




「みんなー、生きてるぅ……?」

 疲れ切った姫野の声が、ぼんやりと木霊する。

「生きてるぞー」

「なんとかな」

「あー、マジもう無理、死ぬ……」

「や、やった……俺達、勝ったんだ……」

 絶体絶命を背水の陣に変えて、正しく死兵と化してゴーマ軍団と真正面から戦い、五人は全員、生き残った。あるいは、途中で一人でも欠ければ、そのまま押し切られて全滅は免れなかったであろう。

 それほどの激戦。それほどまでに、勝ち目の薄いギリギリの戦いであった。

「おい姫野、早く回復してくれ。痛くて堪んねぇよ」

「無理、もう魔力尽きてるから動きたくないの」

「とか言いながら自分には回復かけてるじゃねーか!?」

「これが最後の治癒魔法なのー」

 半ば事実でもあった。姫野はこれほどまで魔力を消耗したことは、過去に一度もない。

「いやぁ、やればなんとかなるもんね……姫野、やるじゃん」

「ただヤケになっただけよ。もう自分を取り繕ったって、どうしようもないし」

 マリの問い替えに、姫野は苦笑を浮かべながら素直に答えた。

 この期に及んで、もう隠し立てするようなことなど、何もない。媚びを売りたい男もいない。ここに残っている男子は、三人が三人とも、かつては自分の体に夢中になったくせに、今では見向きもしない薄情な奴らである。

 かといって、それを蒸し返して責めようとは思わなかった。最初の学級会で、黙秘を貫くことを選んだから、というだけではない。単純に、もう何の未練もないというだけのこと。

 きっと、それもまた一つの成長だった。

「……あのさ、桃川君の言ってたこと、やっぱり本当だったのよ。黒幕は小鳥遊小鳥だわ」

「おいおい、なに言いだしてんだよ急に」

「上田、ちょっと黙ってな。話しなよ姫野、聞いてやるからさ」

「ありがとう、芳崎さん。正直に言えば、私は確かに、眷属『淫魔』なの————」

 最初は、本当に『治癒術士』であった。

 けれど中嶋陽真に体を使って取り入った頃に、眷属『淫魔』と化した。

 治癒術士としての能力は失われなかったので、今の今まで、小鳥遊が盛大に暴露するまでは秘密にするのに問題はなかった。

「だから、アンタらトリオと出会った頃には、私はもう淫魔だったの」

「ま、マジかよ……道理で、学園にいた頃とキャラ変わってると思ったぜ」

「別に淫魔になってなくても、同じことしたけどね。強い男に取り入るのは、女として当たり前の————って、痛ったぁ!? なにすんの芳崎さん!?」

「や、なんかムカついたから」

 こちとら天道龍一に体で取り入ることも叶わず、健気に『戦士』として戦ってきたのだ。女の武器を使ったことを悪いとは言わないが、それが当然、賢い選択、と開き直れられるとイラつくのも事実であった。ちょっと、足くらい出る。

「それで、トリオと山田も取り込んで、上手くやってたって? あっ、もしかしてアンタ、桃川ともヤったことあんの!?」

「え、いや、桃川君がトリオと山田に合流した頃は、もう私が出て行った後だから」

「あっそう。ちぇっ、アイツの弱み握れると思ったのになぁ」

「桃川君はウチのクラスで一番気合の入った性癖だから、双葉ちゃんか蘭堂さんくらいのアレじゃないと絶対、堕ちないわ」

「あー、杏子とか双葉くらいのアレかぁ」

 心から納得したマリである。最初に合流した時から、小太郎の視線はいつも杏子の胸元の揺れに集中しており、ジュリマリの二人にそういう目が向けられたことは一度もなかった。

 ルックスにはそれなり以上の自信を誇る二人だったが……龍一に続いて、小太郎にさえまるで異性としての目を向けられていないことに、地味にショックというか危機感を覚えたりもした頃だった。

「つーか、なんで出て行ったん?」

「……淫魔の力といってもね、どんな男も魅了できるほど万能じゃないってことよ。というか、全然、大した力なんてないし」

「俺らがみんなレイナちゃんに夢中になってたから、発狂して飛び出してったんだよ」

「ぶふっ、なにそれ、超ウケるんですけど!」

「そこ笑うとこじゃなくて同情するとこじゃないの!? あの時も私だけ悪者にされて責められたんだから!」

「あ、あれはもう過ぎたことだろ?」

「正直、今はすまんかったと思ってる」

「うるせぇ、黙れロリコン共」

「アンタ、よくそんなんで生き残れたわね。一人になった瞬間、死ぬんじゃない?」

「ええ、その通り。そんな時に私の前に現れたのが————」

「……あの時、見なかったフリするのが正解だったのかな」

「陽真くん酷ぉーい! あんなに愛し合ったのにぃ?」

「あれは違う、違うんだ……」

 男運が良いのか悪いのか、ともかく、そうして姫野は再び中嶋と組んだことで、生き残ったのだった。

 それからはマリも知っての通り、二人揃って学園塔まで合流することとなる。

「なるほど、アンタがこれまで何してきたのかは、よく分かったわ。それで?」

「要するに、淫魔といっても大した力もないし、私は特に悪いことはしてないわ。ゴーマと通じるなんて、ありえないし」

 実際、先の死闘では姫野に対してもゴーマは普通に攻撃してきた。そのせいで、多少の傷も負っている。

 もし共謀していたのだとしても、あのゴーマが演技で内通者にそれっぽく攻撃する、なんて器用な真似ができるとは到底思えない。そもそも、あの状況下でそんな演技など必要のない段階であった。

「さっきの角が生えたのだって、多分、私のせいじゃないと思う」

「あれも小鳥遊のせいだって?」

「私には何の自覚もなかったわ。というか、角生えるくらいの変化が起こるなら、淫魔の女神様から、新しい力とか授かってるはずだし」

 あんなタイミングで、唐突に角が生えるという異常事態が起こり、姫野の眷属『淫魔』がバレてしまう、というのは不自然な出来事である。

 淫魔であることを隠していた姫野ではあるが、彼女としては完全にハメられた気分だ。

「私が淫魔ってことで騒ぎになって、誰が一番得するのかって思えば……蒼真くん以外のクラスメイトを排除したい、小鳥遊ってことにならない?」

「……なるほどな。確かに、アタシらが見捨てられたこの状況も、思惑通りってことね」

 小太郎があの時に叫んだように、小鳥遊が黒幕であれば、その狙いはクラスメイトを犠牲にして『勇者』の覚醒を促すこと。

 最終的には覚醒した勇者と、自分の二人きりで脱出するのが目的であり、そのためには、他の全員はダンジョンで死ななければならない。

「都合よく私達だけ、この遺跡の扉で締め出したのよ。そして今も扉は閉じたままで、私達を助けに来ることもない。こんなの、完全に小鳥遊の狙い通りの状況じゃない」

 あるいは、ゴーマと戦っている最中に扉が開いて助けにでも現れてくれれば、小鳥遊黒幕説を確信するほどではなかっただろう。本当に遺跡の扉を制御できずに分断されてしまっただけなのだと、不幸な事故だったのだと納得もできよう。

 しかし結果が全てだというのなら、5人ものクラスメイトを一気に犠牲とするような状況を単なる不幸の一言で片づけるよりは、黒幕としての思惑が働いた、と見るべきだろう。

 なにより、この遺跡の扉の制御を小鳥遊が出来るのか、出来ないのか。それは遺跡を操る術を他に誰も持たないために、証明することもできないのだ。

 小鳥遊が黒幕であり、『賢者』として様々な能力を隠し持っているのだとすれば、今回のような細工なども十分に可能である。

「で、マジで小鳥遊さんが黒幕だったとしてよぉ……これからどうすんだよ」

「姫野、お前、復讐でもするつもりなのか」

「できるもんなら剣崎諸共あのロリ顔に『光矢ルクス・サギタ』ぶちこんでやりたいけど、そんなことしてられる余裕ないでしょ。とにかく、生き残るだけで精一杯よ」

「どの道、もうアイツらのとこには戻れそうもないし……いっそ、桃川でも探す?」

「桃川君がこの最下層まで来ると思う?」

 姫野の問いかけに、一同、やや沈黙。

「……俺は、アイツなら来そうな気がする」

「俺も桃川は来ると思う。少なくとも、小鳥遊さんを殺して、双葉さんを取り戻しには絶対に来るはずだ」

「ど、どうだろう、いくら桃川君でもそんなに上手くは……でも、這ってでも最下層までやってきそうではあるよね」

「杏子がついてっから、絶対、何とかして戻って来るでしょ、アイツは」

 4人の解答は、小太郎の裏切りの疑惑がかなり晴れた、という分を差し引いたとしても、随分と前向きなものだった。

 ここまで来るのに、ヤマタノオロチという強大なボスまで倒した。もう一度、ダンジョンの途中から攻略をやり直せと言われたら、間違いなく心が折れる自信がある。

 それでも桃川小太郎なら、と不思議と誰もが思えた。

「ひとまず、ここから逃げる手段を探そうよ。小鳥遊の言う通り、この最下層が本当に閉ざされたエリアなら……その時は、桃川君が助けに現れるのに、賭けるしかないわ」

第278話 安息の砦

「なんてことをしたんだ、明日那……」

 怒りで叫ぶよりも、信じたくない逃避の気持ちが強すぎて、つぶやくような声が出た。

 けれど、目の前で起った現実を受け入れざるを得ない。

 明日那は確かに、姫野さんを外へと突き飛ばした。閉じ行く扉。寸前まで迫っているゴーマの追撃。

 そんな場所へとクラスメイトを放り出した彼女の行為は、殺人と言うより他はない。こんなの、電車が来る寸前のホームへ突き落すことと、何ら変わりはないだろう。

「ゴーマが追ってくるのは、姫野のせいに違いない……こうしなければ……誰かが、こうしなければいけなかったんだ」

「そんなワケないでしょう、この馬鹿っ!」

 パシン! と音を響かせたのは、委員長が明日那の頬を叩いたからだ。

 明日那の能力なら、素人のビンタなど見切れないはずがない。甘んじて受けたのは、本当は罪を犯したという自覚があるからだ。

「明日那、貴女は本当になんてことを……二度目よ、仲間を殺そうとしたのは、もうこれで二度目なのよ! どうかしているわ!」

「何とでも言ってくれ。私は、桃川のことも、姫野のことも、この手を汚したことに後悔はない。アイツらは仲間なんかじゃない。私達を陥れようとする敵だ」

「疑わしきを罰していれば、仲間なんて誰も残らなくなるわよ」

「たとえ非道と言われようとも、仲間が全滅するよりは、よほどいい」

「これで守ったつもり!? 勝手なことを————」

「委員長、止めるんだ」

「止めないで、悠斗君。明日那はどうしようもなく、許されないことをした」

「ああ、分かってる。だから、それは俺が言わなきゃいけないことなんだ」

 そうだ、このまま委員長にだけ言わせていてはいけない。

 信じたくはない。何かの間違いだ。あるいは、明日那の言い分が正しいと、心の片隅で認めてしまう自分もいる。

 それでも、許してはいけない。黙って許容してもいけない。

「明日那、お前は罪を犯した。仲間を手にかけたんだ。決して許されることじゃない……これ以上、言い訳はしないでくれ」

「言い訳、か。そうだな、どう言い繕ったところで、人として正しい行いだったとは言えないだろう。だから、これは私の素直な気持ちだ」

 明日那の目尻には、涙が浮かぶ。

 けれど、泣き叫ぶことはせず、瞳を潤ませながらも、真っ直ぐに俺を見つめて言った。

「蒼真、あの瞬間、お前が出ていかなくて良かった。こうして罪を咎められても、お前を失うことに比べれば……」

「やめろ! やめてくれ、それ以上は、もう言うな……」

 俺のせい、だったのだ。結局、俺が弱いからこうなった。

 今朝方の襲撃から、中井と野々宮さんを失ったのは、俺がザガンに勝てないから。こんなボロボロになるまで追い回されるのも、俺がゴーマの軍団を倒し切れないから。

 そして4人もの仲間を助けられず、挙句、明日那に姫野さんを追い出させる凶行もさせてしまった。

 全て、俺の力不足だ。ザガンを倒せず、ゴーマ軍団も止められず、姫野さんの疑惑に対しても、仲間に安心を与えることもできなかった。

 その結果がこれである。俺は、何もできなかった……ただ、次々と仲間を失い、明日那の手まで汚させた。

 もしも本当に、姫野さんが邪悪な眷属として俺達全員の殺害を目論んでいたとしたならば、きっと俺には止められなかっただろう。

 だからといって、明日那の行いを擁護することはできない。姫野さんがまだクラスメイトのままだとするならば、ただ仲間を一人殺したことになってしまう。信頼を裏切られた、彼女の気持ちは如何ほどか。人として、決して許せることではない。

「まずは急いで、外の5人を助ける方法を探そう」

「……そうね。ここで議論していても、何も解決しないもの」

 まだ諦めるわけにはいかない。扉の外に取り残された、姫野さん、上田、山田、中嶋、芳崎さん、5人の仲間はまだ死んだワケではないのだから。

「小鳥遊さん、この扉は開けられそうか?」

「うぅ……ここからじゃ、無理だと思う。きっと、この遺跡のどこかに、扉とか制御している装置みたいなのがあると思うの。それを見つけられれば」

「なら、まずはそれを探しに行くしかないか」

「そうするしかなさそうね。この場に残っていても、どうしようもないわ」

 この分厚い扉一枚の向こう側で、取り残された仲間達がいることを思えば、ここから離れるのは心苦しい。完璧な防音性を誇る遺跡の扉は、向こう側の騒ぎを僅か程もこちらには伝えてくれない。

 今頃、彼らは扉を叩いて助けを求めて叫んでいるだろう。あるいは、自分達に対する罵詈雑言か。たとえどんな恨み言を彼らにぶつけられようと、甘んじて受け入れよう。たとえ殴られたって構わないから、もう一度、顔を合わせられるようにと俺は願う。

「姫ちゃん……姫ちゃん……」

 すぐ傍で、双葉さんが扉に手をつけて、呆然と友人と名前を呼んでいた。

 今の彼女が、現状をどこまで正確に理解しているかは分からないけれど……大切な友達が危険な外へ放り出されてしまったことは、理解しているのだろう。

 不安げな声で姫野さんの名前を呼ぶ彼女の姿を、俺はこれ以上、直視できなかった。




 結局、扉を開くことに成功したのは、あれから丸一日以上も経過してからだった。

 扉の外の地下空間には、沢山のゴーマの死骸が転がり、激しい戦闘の跡だけが残されていた。その中にはゴグマも含まれており、厳しい戦いだったとこが窺い知れる。

 分かったことは、それだけだ。

 当然だが、彼らの姿はもうそこにはなく、死体も確認できなかった。生きているのか、死んでいるのか、それすらも分からない状況だ。

 ゴーマとの戦いを無事に切り抜け、俺達と合流するため、あるいは、見切りをつけてどこかへと去って行ったのなら良いのだが。しかし、もしゴーマに敗北すれば、その死体は間違いなく奴らの食い物にされる。結果として、この場に死体が残る可能性は非常に低いので、死亡を確認することも難しい。

 一応、各自のスマホに連絡もしたが、誰にも繋がらなかった。彼らの生死を確かめる術は、今の俺達にはなかった。

 生きているかもしれない、と淡く儚い、それでいて都合のいい希望が抱けるだけ、この状況は幸いだろう。

 少なくとも、俺はまだ沢山の仲間を一気に失ったことを、受け入れることも、割り切ることもできてはいない。まだ彼らが生きているかもしれない、という希望に縋り付くことで、何とか平静を保っていられるような気さえしている。

 なにが『勇者』だ。こんな情けない奴の、一体どこに誇れる勇気があるというのか。

「なぁ、龍一、俺は間違っているのか……」

 頼れる親友は、もういない。

 こんな弱音も、アイツになら吐けただろう。けれど、桜にも、委員長にも、こんなことは言えない。

「……それとも、桃川なら、もっと上手くやれたのか?」

 アイツと自分を比較するのは、もう何度目になるだろう。

 ヤマタノオロチを討ち果たすまでは、あんなに上手くいっていた。多少のトラブルもあったが、過ぎ去った今となってはどれも笑い話で済みそうなものばかり。飲酒騒動だの夜這い事件だの、今じゃすっかり昔の話のようだ。

 桃川が裏切り、俺がクラスを率いなければいけなくなった。

 やれること、やるべきこと、全部必死でやってきたつもりだ。けれど終わってしまえば、俺はたったの一日で、合わせて7人もの仲間を失ってしまった。

 とんだ無能である。敵が強いだとか、予想外の事態だとか、そんなことはダンジョン攻略では当たり前。それを何とかしてこそのリーダーだろう。

 だというのに、俺は……俺は一体、何をやっているんだ……俺達は本当に、前へ進んでいるのか? 進んでいたとしても、それは単なる破滅に向かっているだけなのかも……

「ご飯だよー」

 能天気な双葉さんの声が耳に届いて、暗い思考に囚われボンヤリしていた俺は、ハっと頭を上げる。

「兄さん、大丈夫ですか? ボーっとしていたようですけれど、疲れが溜まっているのでは」

「あ、ああ、大丈夫だ。疲れてはいるけどな」

 はは、と苦笑を浮かべながら、心配そうに顔を覗き込んでくる桜に応えた。

 いかん、みんなに不安を与えるような姿を見せてはいけないのに。

「やった、今日はデザートがある!」

「もしかして、これで砂糖を全部使い切ってしまったんじゃないかしら」

「大丈夫だよ、これは倉庫で見つけたやつだから、しばらくは甘い物を食べられるよ」

 双葉さんの報告を聞いて、「ヒャッハァ!」と夏川さんが奇声を上げている。多分、喜んでいるのだろう。

「明日那ちゃん、私のデザート、食べてもいいよ!」

「いや、いいんだ小鳥、無理するな」

「でも、明日那ちゃん元気ないから……」

「そういうのは、気持ちだけで十分だ」

 反対側では、明日那が小鳥遊さんを撫でていた。

 確かに、明日那は俺以上に思い詰めている様子が見受けられるが……ひとまずは、小鳥遊さんと一緒にいられれば大丈夫だと思う。

「それじゃあ、いただきます————」

 と、こうして俺達が平和に食事をできるようになったのは、ようやく安全地帯を見つけたからだ。

 あの扉を越えて入った遺跡だが、どうやらここは小さな砦、のようなものらしい。

 小鳥遊さんが言っていた扉を制御できるような設備、いわゆる制御端末というべきか、それを発見し、起動したことで明らかになったことだ。

 大きな祭壇とセットになっている石板型の制御端末によって、この砦内部のことはおおよそ掌握できているそうだ。今はあの扉も自由に開閉ができるし、他の扉を開くこともできる。

 扉さえ締め切っていれば、ゴーマが攻めて来ても問題ない。奴らでは、この古代遺跡の砦に侵入する手段がないからだ。

 扉も壁も、奴らには破ることはできない。まして古代遺跡にアクセスし、小鳥遊さんからコントロールを奪う、なんて真似もできるはずがない。

 それができていれば、とっくの昔にここもゴーマの根城にされている。

 ここは砦として堅い防備を誇るだけでなく、最下層エリアの何か所かに通じる転移魔法陣もあった。これのお陰で、最悪、全ての扉をゴーマ軍団が封鎖しても、脱出することはできる。

 勿論、出た先からこちらへ転移で戻ることもできるため、砦を拠点として最下層エリアの探索へ出ることも可能だ。

 その他にも、かなりの機能が生きている場所であるせいか、他にも色々と使える設備があった。

 まずは、双葉さんが利用しているキッチン。小鳥遊さんが錬成で設備を作るまでもなく、火、水、冷凍の問題は解決した。

 元々が砦の厨房らしく、料理に必要なものは何でも揃っている。この遺跡がまだ生きているお陰で、設置されている設備も全て利用が可能。ここを使うのに必要なことは、みんなで隅々まで掃除するくらいだった。

 倉庫にはまだ使えそうな物資、または壊れているが素材として再利用できそうな物などが、それなりに残っていた。

 古代の武器らしきものが原型を保って残されており、中には銃器と思しき形状のものも多くあった。残念ながら、それらは長い時間の果てに風化し、その威力を発揮することはできない。

 そういったガラクタ含め、倉庫にある物は小鳥遊さんが錬成をすれば、今の俺達の武器を強化するための素材とすることもできる。

 全員の武器を強化していくにはしばしの時間がかかるが、この安全な砦にいれば問題はない。それに、錬成に利用できそうな設備なども見つかっているため、もしかすれば更なる強化もできるかもしれない。

 他にも色々とあるが、とりあえず、ここにいれば安全と、衣食住の心配はせずに済みそうだった。

「もっと早く、この場所を見つけられていれば……」

「兄さん、それは言っても仕方がないことです」

「ああ、大事なのは、早くみんなを見つけることだ」

 ようやく安全な場所を見つけられたのだ。最下層エリアからの脱出はできないものの、転移でこのエリアの探索に出ることはできる。

 俺達はひとまず、あの5人はゴーマの襲撃を生き残り、洞窟の外へ出ていったと仮定して、彼らを探すことにした。今更、俺達が現れても恨まれるかもしれないが、外は相変わらず危険なことに変わりはない。まずはこの安全な場所に集めてから、幾らでも恨み言を聞くとしよう。

「大丈夫です。きっと、私達はみんなでここから出られますよ」

「そうだな。絶望的だと思っていても、結果的にこんな場所が見つかったんだ。きっと、希望はどんな時でも残っているはずだ」




 古代の砦、その中で寝室として各自に割り当てられた個室。小鳥遊小鳥は、備え付けのベッドに小さな体を投げ出して、くつろいでいた。

「はぁ……やっと一息つけるよぉ……まさか、クソゴーマ共があんなにのさばってるなんて、想像してなかったし」

 当初の予定では、今頃は『セントラルタワー』の攻略を開始し、あとは順当にボス戦で必要な犠牲を出していくだけで良かった。

 だがゴーマの王国がタワー前に広がっているせいで、余計な障害が立ちはだかっている状況である。

「でも、いらない奴らはこれで大体、排除できたし」

 予想外の展開ではあったが、小鳥の思惑は順調に進んでいるといっていいだろう。

 まずは下川を『追放刑』によって排除。

 彼がいなくなっていることは、翌朝すぐに明らかとなるが、ゴーマの奇襲によって誰もそれを追求するどころではなくなった。

 そう、小鳥は前日からゴーマの軍勢が、早朝に仕掛けてくることを知っていたのだ。

 この最下層エリアは、これまでのエリアに比べて遺跡の機能が残っている部分が多い。この砦のように、当時と同じように使用できる設備だって幾つも残されている。

 故に、監視装置やレーダーのような設備が生きている、かつ、小鳥がアクセス可能なものであれば、人知れず利用することができた。また『投影術』による幻の分身で、ゴーマ王国の門を監視していれば、部隊の出撃と帰還を確認することもできる。

 この密かな監視網によって、ゴーマの襲来を利用することにしたのだった。

「目の前で二人死んでも覚醒しなかったから、やっぱ雑魚はいるだけ無駄なんだよね」

 そうして、予定通りに襲ってきたゴーマの軍団。

 ザガン、という名前付きネームドによって、中井と野々宮が犠牲となった。

 ここのゴーマは野生であるが故に、ボスモンスターのように、ある程度、力量に合わせて調整されてはいない。隔絶した力量差によって、最初の一撃であっけなく勝負がついてしまうこともある。

 もっとも、あれほどの強いゴーマがいたのは、小鳥としても想定外ではあった。

 利用できれば良いが、無理そうなら無視してタワーへ乗り込んだ方が良いだろう。

「もう一回くらい、明日那ちゃんにピンチになってもらおっかなぁ……それとも委員長あたりか……いや、先に邪魔な双葉の方が……」

 ヤマタノオロチ戦において、悠斗は明日那にブレスが直撃する窮地を救うために、第二固有スキル『天の星盾セラフィック・イージス』を覚醒させた。

 やはり勇者の力を目覚めさせるには、より近しい人間の窮地か犠牲が必要だ。

 明日那は盾の覚醒によって救われたが、中井と野々宮は悠斗が何かできる余地もなく、即死同然の結果であった。

 救われた者と、救われなかった者の差はなにか。それはやはり、悠斗との個人的な関係性の度合いによって異なるとしか言いようはなかった。

 それを残酷と言うべきか、差別と言うべきか。どうであれ、女神エルシオンは最初から生きるべき人間と死ぬべき人間の選別は、すでに終えている。

「だから、アンタ達はさっさと野垂れ死んでよね」

 小鳥は、姫野達5人が生きのびたことを、監視網によってすでに知っている。

 洞窟近辺で、ボロボロになりながらも、森の中へと分け入っていく5人組の姿を確かに捉えている。

 それ以降は、監視範囲外に移動していったので、正確な行方は知れないが。

「あーあ、残念だったよ、姫野の公開処刑が見たかったのになぁ。折角、眷属のことバラしたのに」

 眷属『淫魔』であることが発覚した問題は、勿論、小鳥の手引きによるものだ。

 姫野には角が生えたりはしていない。『投影術』の応用で、ソレっぽく見せかけただけ。一応、魔力密度を高めることで、それらしい手触りを実体として持たせてもいた。

 完全にただの見せかけにすぎないが、姫野が眷属『淫魔』であることは事実だし、本人がソレをひた隠しにしていることも、最初から知っていた。学園塔に中嶋と一緒に転移してきた時、その姿を一目みた瞬間から、賢者の鑑定スキル『真贋の瞳』によって、看破できている。

 それをあえて指摘しなかったのは、ここぞという時に暴露して、仲間の手で排除させようと思っていたからだ。

 その点、仲間を失い、さらにゴーマの追撃が続く過酷な状況は、姫野を切り捨てるにちょうどいいシチュエーションであった。

 予定としては、怒り狂った仲間の手によって無残に嬲り殺しにされるはずだったが……

「でもでも、流石は明日那ちゃんだよね。小鳥が何にもしなくても、姫野ぶっ飛ばしてくれるなんて————あはは、あの時の姫野の間抜け面も、明日那ちゃんのテンパった顔も、最高だったよ」

 人を意のままに操るのは、この上ない娯楽である。

 けれど自らが介入せずとも、思い通りに事が運ぶのも素晴らしく愉快だ。

 小鳥は遺跡の扉の開閉により、死んでも覚醒を促せないような雑魚共を一掃しようと目論んだが、すでに内部に立っていた姫野の排除をどうすべきか少し悩んだ。

 多少リスクを冒してでも、双葉芽衣子の『イデアコード』を緩め、明日那に姫野を突き飛ばすよう促そうか。それとも、後で適当な濡れ衣を着せて追放するか。

 どちらか決めかねたその瞬間、明日那はもう姫野の背中を蹴っていたのだ。

 あの瞬間、笑いだすのを堪えるのにどれほど苦労したことか。

 演技をする時に一番困るのは、ああいう笑いどころがいきなり来ることだ。

『イデアコード』の影響を受けてもいないのに、仲間の一人を見殺しにするような非道な決断を下した明日那の心中。もう安全圏にいると思って油断しきっている姫野が、外に放り出されて絶望する瞬間。

 どちらも考えるだけで、笑いが込み上げてきて仕方がない。小鳥は昔から好きだった。人が醜い一面を覗かせる時が。希望や安心を持った者が、全て崩れ去って絶望に突き落とされる瞬間が。

「ふふふ、ホントに明日那ちゃんは小鳥の親友だよぉ……やっぱり、殺すのは最後にしてあげたいな」

 それも、できれば自分か、悠斗の手で。

 最良の親友か、最愛の男か。どちらであっても、命を奪う相手としては最も絶望的であろう。

「明日那ちゃん、委員長、夏川、双葉、そして蒼真桜。あと5人。コイツらを始末して、ようやく私は蒼真くんと結ばれる……」

 桃川小太郎によって、神のシナリオは歪みつつあった。

 だが、それも今は小鳥の手によって修正されている。クラスメイトの排除は順調に進み、ゴールも目前。

 ゴーマ王国はイレギュラーな障害だが、最下層エリアの設備を駆使すれば、なんとか通り抜けることくらいはできるようになるだろう。

 最後のエリア、『セントラルタワー』にさえ辿り着くことができれば、後は神の意思によって適切に『調整された』ラスボスが上手く始末をつけてくれるだろう。

「……さーて、次は誰が死ぬのかな」

 再び進み始めた神のシナリオは、もう誰にも止められない。すでにそう確信している小鳥は、誰よりも心安らかに、ベッドで眠りに就くのだった。

第279話 大戦士


 グォオオオオオオオオオオオオオ!


 と割れんばかりの歓声が、王国へ帰還した大戦士ギラ・ゴグマザガンを迎えた。

「ザガン様万歳!」

「大戦士長ザガン!」

「ニンゲン殺しの大英雄だ!」

 老若男女を問わず、通りに立ち並んだ同胞たちが賞賛と祝福の言葉を叫ぶ。

 それらの声に、大戦士長ザガンは大きく手を振って返す。その様は堂々としており、浮かれた様子などは欠片もない。

 それは正に、民からの歓声を受けるのに慣れた、大戦士として相応しい貫禄であった。

「見ろ、ニンゲンだぞ!」

「ニンゲンの死体だ!」

「なんておぞましい姿なんだ!」

 先頭を行くザガンから少し置いて、大きな木の板が掲げられている。そこには、一人のニンゲンの死体が磔にされており、上下真っ二つとなった壮絶な死に様を、集った群衆に晒していた。

「王国の同胞達よ、見るがいい! 我らが大戦士長ザガン様によって討ち取られたニンゲンを!」

「邪悪なニンゲン共も、大戦士にかかればこの有様よ!」

 死体の両脇に立つゴーヴ戦士が高らかに宣言すると、より一層、大きな歓声で通りは湧いた。

 この熱狂は宿敵たるニンゲンを討ち取ったというだけでなく、強力な力を宿したニンゲンの集団が、王国の近くに出現した、というお触れが出たことで、民が震撼したことも大きいだろう。

 王国を統べるゴーマ王オーマは、いち早くニンゲンの出現を察知し、王国にお触れを出した。そして速やかに討伐の軍を派遣し————大戦士長ザガンは、見事にニンゲンを討ち果たして帰還したのだ。

 これほどの朗報はない。王国は安泰だ。この国には大戦士長ザガンという守護神がついている。如何に邪悪な神の加護を授かりし凶悪なニンゲン軍団が現れようとも、王国は決して負けたりはしない。

 そうして熱狂的なパレードは続き、ザガンはそのまま王の元へと向かった。

 そこは王国の中心に突き立つ、巨大な塔。『試練の塔』と呼ばれる古の遺跡周辺に建造された、ゴーマ神を祀る大神殿に、ゴーマ王オーマはいる。

 オーマは、ただ強い力を持つだけのボスではない。偉大なる支配者にして、ゴーマ神の加護を最も大きく授かった、王の中の王。正しく選ばれし存在である。

 王国最強のゴーマであるザガンも、最大の敬意と忠誠をもって、王の前にひれ伏した。

「大戦士長ザガン、ただいま帰還いたしました」

 精悍なザガンの声が、朗々と玉座の間に響き渡る。

 スルスルと広間を仕切っていた薄絹の幕が引かれてゆくと、その奥に、血の様に真っ赤な色をした玉座に座る、王の姿が現れた。

 オーマ王は大きな体躯をしてはいない。痩せ細った老齢のゴーヴといった外見であるが、老人と侮る者は一人としていない。特徴的な真っ白い長い髪と髭を持つのは、王国ではオーマのみ。力を至上とするゴーマにあっても、その神秘的な外見は十分すぎるほどの畏怖を与えるだろう。

 そんな神々しい王の両脇には、絹の衣装に色とりどりの装飾品を身に着けた、特大の腹部を持つ王国選りすぐりの美女が何人も侍っていた。

 さらにその脇には不動の姿勢で武器を構えた、王の護衛である最精鋭の戦士が4名も控えている。その内の一人もまた、ザガンと同じく大戦士であった。

 最高の女と最強の戦士を傍に置くのは、何よりも分かりやすい王の証。並みのゴーマでは直視するにも耐えられず平伏するより他はないが、大戦士長ザガンは、この王国においてはオーマ王に次ぐナンバー2といっても過言ではない。

 その態度は玉座の間にあっても、なんら萎縮することなく堂々たる態度であった。

「うむ、よくぞ戻った、ザガンよ」

 機嫌の良さそうな声。ザガンの威風堂々とした姿に、王は満足を覚えている。

「して、あのニンゲン共は、如何ほどであった」

 オーマだけが持つ、真っ白い長い髭を撫でながら、ザガンへと問いかける。

「いずれも、油断ならぬ力の持ち主と見受けられました。私が確認したニンゲンは、全て邪神の加護持ちです。戦闘に参加していなかった弱き者を含めても、何かしらの力を持っていると見て間違いありません」

「ふむ……奴らの大将とは、見えたか?」

「ニンゲンの醜悪な顔の見分けはつきませぬが、一体、とても強い力の持ち主がおりました。僅かな間ながら、『巨大化ギガ』を使った私と、たった一体で対等に渡り合ったほどです」

「巨大化したお前と一対一で生き残るか。その者は、白かったか? 黒かったか?」

「眩いほどの、白い輝きを放っておりました」

「そうか……白き狂神の加護を受けた『光の御子』が出るとはな……」

 オーマは考え込む様に目を瞑る。

 ザガンには、王の深謀遠慮を推し量ることもできないため、ただ静かに伏せて次の言葉を待っていた。

「やはり現れたのは、恐るべき加護持ちのニンゲン共であったな。しかし、ザガン、お前の敵ではあるまい?」

「恐れながら、油断のできる相手とは言えませぬ。次に戦う機会を与えてくださるならば、万全を期して挑む所存にございます」

「ふっ、ザガンよ、お前は少々、慎重に過ぎるな。大戦士長たる者、もっと尊大に構えても良いのではないか?」

「申し訳ありませぬ。これが、生来の気質であるが故」

「ああ、そうだ、そうだとも。だから余はお前を気に入っておる。お前を置いて、大戦士の長を任せられる者はおらぬ」

 ゴーマは武力を至上とする、実力主義の社会だ。必要以上に自らの力を誇示する者が多いし、ゴーマの男なら、常に力を示すチャンスを狙っている。謙虚などという概念は存在しない。

 だからこそ、どんな相手も油断せず、冷静に観察し、戦力差と能力を分析できる頭脳を持つザガンは、ゴーマの中でも稀な存在である。

 そんな冷静沈着な頭脳の持ち主が、祝福の子として誕生し、エリートとして育て上げられ、王国最強の大戦士となったのだ。ザガンは正に、オーマの右腕と言っても良い特別な存在であった。

「ここ最近、大遺跡の各地に送った同胞が次々と討ち取られていた。その中には、余の娘をくれてやった男の開拓村もある」

「まず間違いなく、あのニンゲン共の仕業でしょう」

「然り。奴らは遥か地上から、この広大な大遺跡を潜り抜け、ついに余の王国領まで侵攻してきおった。これは由々しき事態である」

「はっ、全てのニンゲンを始末するまでは、王国に安寧はありませぬ」

 うむ、とオーマは大きく頷いてから、ザガンへと問いかけた。

「奴らは、大戦士抜きで討てるものか?」

「難しいでしょう。最低でもゴグマ三人がいなければ、確実に殺し切れるとは言えませぬ」

「ふむ、そうか……若い奴らに、競わせたのは失敗であったかもしれんのう」

 ザガン率いる討伐隊は、早さを重視してすぐに集まった者だけを連れて行った、いわば偵察隊のようなものだ。本来は大戦士長であるザガンが出るまでもない規模の部隊編成であったが、自らニンゲンの力を確かめたいと、指揮をかって出た。

 そして、ザガンだからこそ少数の手勢であることを承知し、ニンゲンというゴーマにとって最悪の宿敵と見えても、深追いせずに帰還という判断も下せたのだった。

 その一方で、オーマはザガン隊から逃げたというニンゲンの追撃を命じた。

 これには普段から血気盛んで、戦功を求める大戦士未満の若い者を中心に部隊編成をさせ、ニンゲン討伐の栄誉をかけて繰り出した。

 ゴーマにとって最大の栄光、そしてニンゲンを喰らうことで得られる力のために、彼らは我先にと飛び出して行ったが————ザガンの見立て通りであれば、百人隊一つ程度では、ニンゲンの集団を殺し切ることは不可能であろう。

「多少は戦わせておかねば、納得できぬ者も多いでしょう。たとえ敵わずとも、挑む機会はあってもよろしいかと」

「まったく、若い者は無茶ばかりしよるものよ。少しはお前を見習う者がいればよいのだが、皆、お前の武勇しか見えんようだ」

「力を示すのも、大戦士の長としての役目であります故」

「そうとも、ザガンよ。此度のニンゲン討伐は、お前の力を示さねばならぬであろう」

「大戦士団の、出撃許可をいただけるのでしょうか」

「なに、そう逸るでない。お前には、あのニンゲン共が何を目指しているか、分かるか?」

「……上からここまで来た、ということは、大遺跡の最深部を目指しているのではないかと」

 オーマは、ザガンの答えに満足そうに笑いながら頷いた。

「ならば、わざわざこちら側から出向く理由もなかろう」

「では、奴らは『試練の塔』へ来ると」

「必ず来る。邪神の導きによってな」

 確信をもって、オーマはそう言った。

 ザガンをしても、ニンゲンの崇める邪神について、詳しいことは知らない。

 かの邪神はゴーマの神と敵対する永遠の宿敵であり、ゴーマとニンゲンの対立もまた同様である、という基本的な神話である。

 そして邪神は加護をニンゲンに授け、強い力を与えるとも。神聖なるゴーマの民を滅ぼすための、邪悪な力を。

 ザガンは長く戦士として戦ってきた経験上、ニンゲンを倒して喰らったことも、過去何度かあった。いずれも、邪神の加護を持つ強大な敵であり、その経験から加護の力がどれほどのものか身を以って知っている。

 逆に言えば、そういった経験則しか分からない。

 ゴーマの神に選ばれしオーマ王は、自分の知らない神の叡智も授かっているが故に、ニンゲンと邪神についてもより深い理解があるのだろう。

「大戦士団は王国の守りにつけ。逃げたニンゲン共には、余の『目』がついておる。合わせて、監視部隊も派遣する。何なら、奴らを追いかけまわし、疲弊したところを討っても構わぬ」

「はっ、オーマ様の仰せのままに」

 跪き、深々と頭を垂れるザガンを前に、オーマは手にしていた長い錫杖で、コンコンと軽く床を叩いた。

 合図を受けて、ザガンの後ろから複数のゴーマが現れた。王の従者である彼らは、神輿のように大仰な台を担いでやって来る。

「ザガン、先に褒美をとらせよう。こればかりは、早い方が良いであろう」

「いえ、全てオーマ様に捧げる所存です」

「良いのだ。まずは一体、ニンゲンを血祭りにあげたことを余と共に祝おうではないか————大戦士長ザガン、お前には討伐したニンゲンの心臓と半分の肉を与える」

 ザガンの隣にそっと置かれた台座には、鮮血の滴る血肉が皿に盛られている。大雑把に切り分けられた何枚もの肉片と、それぞれ腕と足と思われる太い骨付き肉。

 そして中心に置かれた極採色の皿には、赤黒い血に塗れた拳大の肉の塊。すなわち、心臓が置かれていた。

「もう半分の肉は、お前の方から戦功を認める者に分け与えよ」

「はっ、ありがたき幸せ。我が配下も、寛大なるオーマ王の褒賞に喜ぶでしょう」

 うむ、とオーマが鷹揚に頷くと共に、従者が別な台座を設置してゆく。

 王の前に置かれた台には、大皿が一つきり。

「頭は余がいただかせてもらおう」

 大皿にかけられた赤い布が取り払われると、そこに現れたのは世にもおぞましいニンゲンの生首だ。

 見開かれた両目から血涙が滴り、鼻の穴と口の端からも血の跡が残る。

 その死相は、憎きニンゲンを討ち果たしたという、ゴーマとしてこの上ない征服感と達成感を感じさせてくれる。

 そして、頭に生える気味の悪い黒い毛と、その下にある頭蓋を取り除き、露出させた脳みそ。死後半日しか経過していない、新鮮なニンゲンの頭脳は————最上の美味であると、オーマは大層、気に入っている。

「ふはは、ニンゲンの脳を口にするのは何十年ぶりか!」

 そうしてしばしの間、玉座には仕留めた怨敵の血肉を貪る音が響き渡った————




 遺跡の扉から締め出しを喰らい、ゴーマの追撃部隊を蹴散らし、命からがら洞窟を後にした、姫野達5人。

 あれから数日が経過した。5人はまだ、生き残っている。

「あぁー、疲れたぁ……お風呂入りたぁーい」

「おい、姫野、お前の錬成でなんとか風呂とか作れねぇーのかよ?」

「風呂みたいなデカいの作れるワケでないしょ。アンタこそ男らしくサバイバル能力で風呂くらい用意しなさいよねぇ」

「馬鹿野郎、生き残るのための力がサバイバル能力で、大自然の中でノンビリ風呂入れるような贅沢できる魔法の力じゃねぇんだよ」

「桃川君はやってたじゃない!」

「あんなのアイツがおかしいんだって!」

「お前ら、元気だな……」

 はぁ、とオッサン臭いくたびれた溜息を山田はついた。そういえば、自分の名前は『元気』なのだが、今はもう子供のようにはしゃぎ回れる気持ちなど、どこからも湧いてこないような気がした。

「おい、見ろ、水場がある。風呂は無理でも、水浴びくらいはできそうだぞ」

 5人の先頭を切って、山田が歩いていく。

 察知能力に優れた『盗賊』夏川がいない今、先頭を行く役目は山田となっていた。気配の察知能力に関しては『剣士』上田と『戦士』マリがメンバーの中では優れているが、単純に何かあった時、たとえば待ち伏せから先制攻撃を受けた時に、無傷で耐えられるのは『重戦士』の山田である。

 盗賊並みの能力がなければ、罠や待ち伏せを先んじて察知することは難しい。ならば、攻撃を受けても問題ない者を先頭に立たせるのが次善の策と言うべきだろう。

「この辺は、どこかで見たような廃墟が並んでいるね」

「フツーにビルとかある感じだな」

 周辺警戒をしながら、中嶋とマリが言う。

 深い森林に飲まれてはいるものの、ここら一帯にはコンクリート製のビルのような、近代的なデザインの建築物の廃墟が転がっていた。

 地下空間の天井まで届くような高層ビルは一つとして残っておらず、精々が5階建て程度の高さまでのものしかない。高層建築は軒並み崩れ去ったのだろうか。後はもう、巨大な瓦礫の山が転々とあるのみだ。

「完全に崩れ去ってるけど、水道は通ってんのかな」

 山田が発見した水場は、廃墟の一角から突き出た、赤茶けて錆びついた大きな菅からジャバジャバと水が流れ落ちている場所であった。

 妖精広場の噴水が今でも稼働していることから、建物が壊れていても古代遺跡のインフラが生きているというのはおかしな話ではない。

 山田は率先して、流れる水を手ですくい、口に入れた。

 実は学園塔生活の頃、釣った魚のなかには、フグのような毒をもつ魚を始め、他にも様々な毒持ちが色々といた。別にそれらを食べたワケではないが、毒持ちを見分け、処理している内に『毒耐性』のスキルを獲得していた。

 直接的な戦闘に影響せず、デスストーカー級の猛毒となれば耐えきれない、さらにはあらゆる毒が無効化できるらしい小太郎の『蟲毒の器』の下位互換的な性能とあって、あまり重要視してはいない。

 しかしながら、こういう時に迷いなく飲食物を口にして試せるのは、地味ながらもありがたい効果のスキルであった。

「……うん、大丈夫だ。コイツは真水だ。飲めるぜ」

「よっしゃあ!」

 山田による毒見が済んで、4人は喜び勇んで壊れた水道管から流れる水へと駆け寄った。

 妖精広場という安全地帯が存在しない今、無限に飲める綺麗な真水というのも、確保するのは難しい状態であった。

 小太郎の全員脱出を見据えたサバイバルセット作りも、完全に終わっているワケではない。故に、小太郎と下川の合作である、綺麗な真水を出す水筒型のマジックアイテムも、奇跡的に姫野が一本、所持していただけだ。

 その水の出る魔法の水筒も、幾らでも出せるわけではない。水精霊を宿すことで水を作り出している構造上、一日に精製できる水量には限界がある。

 そして、その量は5人の人間が一日に必要とする水分をギリギリで賄える程度であった。

「ああぁー、もうこの際、水浴びでもいいわぁ……男子は後な」

「お前ら、覗くなよ?」

「おい姫野、芳崎の隣に立って言うと馬鹿みてぇだぞ」

 蒼真桜のような隔絶した美貌には及ばないものの、芳崎博愛マリアという女子は、かつて読者モデルを務めたことがあるほどには、スタイルも良ければ、顔立ちも整っている。

 一方、姫野愛莉は眷属『淫魔』と化しても、容姿には何ら変化はない。

 片やモデル体型のマリ。もう片方は、如何にも平均的な日本人の女子高生らしい、平坦な体つきと長くもない手足といった、ギリ標準体型。

 並んで立つからこそ際立つ、残酷なまでのスタイル差。

「おい、上田、あんまそういう酷いこと言うなって」

「今のはちょっと可哀想すぎるんじゃないの?」

「はぁ? お前らだってそう思ってるから、酷いとか可哀想とか言うんじゃねぇか」

「————死ねぇ! 『光矢ルクス・サギタ』ぁ!」

 慌てて逃げだす三匹の男達。女性として耐えがたい屈辱に猛る姫野に、腹を抱えて大笑いのマリである。

 過酷なサバイバル真っただ中の5人だが、それでも今日という日を、彼らは逞しく生き残っていた。

第280話 追放者達

「本当に、ここは恵まれているな」

 テーブルに並ぶ美味しそうな料理の数々。しかも、それらは実に見慣れた和食であった。

 茶碗に盛られた白米と、湯気を上げる味噌汁。脂ののった鮭のような焼き魚に、卵焼き、漬物……自分が夢でも見ているのではないかと思えるメニューだ。

 けれど、これは全て現実のもの。双葉さんが俺達のために作った、本日の朝食である。

「ああ、涙が出るほど美味しかった」

「大袈裟ですよ、とは言えませんね。私もこの味を食べてしまえば、涙が滲むような気持ちでしたよ、兄さん」

 もう二度と口にできないのでは、と思っていた懐かしき日本の味に感動したのは、全員だった。

「食糧庫には、まだいーっぱいあるから、明日も食べられるよ!」

 小鳥遊さんが弾けるような笑顔で言う。

 この砦で発見した食糧庫には、宝箱と同じように長期間、というよりも完全に時間の影響を受けずに保存できる機能が働いているらしい。

 お陰で、米をはじめとした食材は、そのまま食べることができるのだ。

 以前に桃川が暗黒街の隅にある砦で小麦粉を発見していたので、パンが主食の文化圏だと思っていたが、まさか米まであるとは。

 しかし、現代文明もかくやというほど優れた古代文明なら、世界中から様々な食材を集めることもできるだろう。実際、食糧庫には見たこともない謎の食品も多々あった。

 食糧庫は結構な大きさがあり、ほぼ満杯まで詰め込まれているので、俺達8人だけなら、年単位で食いつなぐことができるだろう。

 流石にそこまで長い間、ここにいるつもりはないが……ゴーマに隠れながら外で狩りをする必要がないのは、手間が省けて助かる。

「うぅ……私、もうずっとここに住んでていいかも」

「馬鹿なこと言わないの。一生住めるほどの物資はないんだから」

 デザートのブルーベリーヨーグルトを食べながら言う夏川さんは、割と本気っぽい。委員長の言う通りではあるが、実際にこんな恵まれた食事ができているだけで、そう思ってしまう気持ちも分かる。

「とにかく、安全と衣食住の心配はここにいる限りは大丈夫。あとは、どうやってゴーマの王国を突破するかね」

「そうだな。もし姫野さん達を見つけられても、先に進む方法がなければ、結局は詰みだ」

 安全な拠点と安定した生活を得て、俺達もようやく落ち着いて物事を考えられるようになったと思う。

 この砦に辿り着けたのは奇跡のようなものだ。そして砦を使えているのは、小鳥遊さんの『賢者』の力があるから。彼女がいなければ、食糧庫も解放できず、水道や風呂も自由に使えなかった。機能が生きていても、扱う手段がなければ他の廃墟も同然である。

 本当に、小鳥遊さんには感謝しないといけない。この絶望的な状況で、希望を持てる場所にいられるのは、彼女のお陰なのだから……




「……ねぇ、これホントに食えんの?」

 本日の狩りの成果をみんなで囲って眺める中、マリがうんざりしたように言う。

「食えるかどうかじゃねぇだろ。コイツを食わなきゃ、今日の飯はナシになっちまうぞ」

「とりあえず、焼いて食ってみるしかないだろ」

 よし、やるか、と上田と山田は頷き合って、獲物の解体に取り掛かる。

 その獲物は、一見すると豚のような獣である。牙はなく、それほど大きくもないので、猪ではなく豚の方が近い。

 しかしこの豚、背中からデカいキノコのようなモノが生えている。背中とキノコの生え際あたりからは、ニョロニョロと蠢く不気味な触手が4本も生え出していた。

 そういうモンスターなのか、それともモンスターキノコに寄生された豚なのか。コレを食べたら、自分達もキノコに寄生されたりしはないのか、などなど、大いに不安が過る。

 しかし、食べなければ飢えてしまう。保存食はまだ多少なりとも残っているが、これらは本当にいざという時のために温存しておきたい。

 運よく、ゴーマに見つからずに狩ることに成功したこのキノコ豚一頭を食料とできれば、少なくとも明日、明後日までは飢えずに済むだろう。

 食えるかどうか怪しい獲物であっても、手をつけなければ。意を決して、メンバー達は捌きにかかる————

「うわぁっ!? なんか緑の血とか出てるんだけど!」

「臭っさぁ! なんでこんな臭ぇんだよコイツ!」

「これ、食べるのやっぱり無理なんじゃあ……」

「豚はダメでも、キノコのところが意外とイケるかもしれないじゃない!」

「むっ……お前ら離れろ! このキノコ、毒あるぞ!」

 うわー、と緑の毒胞子を撒き散らし出す豚キノコから、5人は慌てて逃げだした。

 結論、コイツは食べられない。

 原因は寄生キノコが有害すぎること。豚そのものは食べられそうだが、寄生されるとキノコの有害成分と交じり合い、食用不可となってしまう。

 また一つ、異世界の魔物の知識が増えた。そして、彼らが得られたのは、それだけだった。

「今日のご飯、どうすんのよ……」

「……みんな、ちょっと静かに」

 キノコ豚を放置して意気消沈としている中、中嶋がいつになく鋭い声で注意を発した。

 戦闘もサバイバルも素人ではないメンバーは、すぐに黙って警戒態勢をとる。

 中嶋が指で示した方向には、一羽の鳥が呑気に地面を突いていた。

 新しい獲物キターっ! みんなの心は、一つになる。

「俺に任せて。ここから魔法で仕留めるよ」

 固唾をのんで、4人は中嶋を見守る。

 獲物の鳥は、灰色と茶色の入り混じった目立たない色合いで、ニワトリのようなサイズと姿。

 だが、ニワトリよりも丸々とした大きな体をしている。というか、本当に真ん丸だ。ボールにニワトリの頭と足を生やしたような丸い鳥は、一体どれだけの肉付きなのかと、期待せずにはいられない。

 見たところ丸鳥は魔物ではなく、ただの動物。変なキノコに寄生されていることもない。まず間違いなく、食える奴だ。

「————『氷矢アイズ・サギタ』」

 中嶋の魔法剣『クールカトラス』より放たれた氷の矢は、果たして、丸鳥に命中した。

 クワー、と間抜けな声をあげて、丸鳥は倒れる。見事、狩猟成功。

「よっしゃあ、よくやった中嶋!」

「陽真くんすごぉーい! 愛してるぅ!」

「やめて、キスはホントやめて」

 姫野に絡まれる中嶋を差し置いて、他3人はさっさと丸鳥を回収。首を切り落とし、血抜きをする。

 そうして、これで今日は食えるな、と和気あいあいと話しながら、丸鳥の羽を毟り始めると————それが、新たなる絶望の幕あけであった。

「な、なによコレ……全然、肉がついてないじゃない!」

 羽を毟った丸鳥は、痩せた悲しい姿を晒している。

 さながら、鶴のような細くシャープな体格。余計な肉は一切ついていない。

 要するに丸鳥が丸いのは、大量の羽毛で膨れ上がっているだけだったのだ。羽がなくなれば、ぱっと見でニワトリの半分、いや、下手すると三分の一以下のサイズ感である。

「おい、今日の飯、どうすんだよ……?」

 どうしようもすることなく、5人は痩せ細ったニセ丸鳥を細切れにして分け合って、その日の食事を終えたのだった。




 この砦にあるのは、充実した食糧だけではない。古代の武器や装備品らしきモノも、多数、保管されていた。

「それじゃあ、小鳥遊さん、頼むよ」

「うん、小鳥に任せてよ!」

 頑張るぞ、と腕まくりをして気合を入れる小鳥遊さんには、これから俺達の装備の強化を行ってもらう。

 ヤマタノオロチ討伐戦に向けて、俺達の装備は学園塔で出来る範囲で最高のものに仕上げている。よほど品質の良い魔物の素材や、大きなコア、光度の高い光石などが運よく手に入らない限りは、そうそう強化できるほどではないほどの品質となっている。

 そして、ここにある古代の遺物には、当時の技術力の結晶である様々な物質によって作られている。たとえ武器そのものの機能が停止していても、形成している物質に変化はない。少なくとも、錆やひび割れなどの劣化は見当たらない。

 つまり、古代の武器を直して使うのではなく、素材として利用するのだ。

 ようやく『簡易錬成陣』が使えるようになった俺と、多少なりとも桃川から錬成作業をさせられていた桜と委員長、合わせて三人が、小鳥遊さんの手伝いに入る。

 具体的には、小鳥遊さんが見繕った武器を、出来る限り分解することだ。素材として再利用するにも、武器丸ごと錬成にかけるのと、同じ素材のパーツに分別されているのとでは、錬成の精度も大きく違ってくる。

 さらには、砦であるためか、武器の整備などを行うための設備も整っている。俺達にはそれらをどう使うのか、どういう機能があるのか、全く分からないが、その内の幾つかは小鳥遊さんには分かるそうだ。より高度な錬成を行える機能としては、妖精広場の噴水を超えるという。流石は本物の設備といったところだろうか。

 素材と設備が揃い、小鳥遊さんも気合十分に装備強化に取り組み始めた。

 一方、錬成に参加しない夏川さんと明日那は、外に出て、5人のクラスメイトの捜索に出ている。

 無論、ゴーマの軍勢に注意しなければいけないので、あまり捜索ははかどらないだろうが、それでもやらないワケにはいかない。せめて野営の跡など、彼らが生き残っているという証拠を発見できるだけでも十分だ。

 そうして、俺達は一週間ほどの時間を砦で過ごし、小鳥遊さんの装備強化もおおよそ完了した。


『聖騎士の神鉄剣』:古代の武器の中でも、特に貴重な『神鉄オリハルコン』という希少金属を集めて、俺の剣につぎ込んだものだ。完成した刃はオリハルコン合金となっているようで、これまでにもまして、神秘的な薄い輝きを発している。

 切れ味、耐久、は勿論のこと、魔力の通りも抜群。刃を通して魔法を使えば、威力はかなり増大するようだ。魔剣と呼んでもいいほどの能力である。

 この剣で『光の聖剣クロスカリバー』を使えば、今まで以上の威力を発揮するだろう。コイツなら、あのザガンも斬れるかもしれない。


『聖女の大和弓』:元々は桜が弓道部で使っていた弓。原型は残っているものの、よく見れば細かな魔法陣のような文様が刻み込まれている。それらは全て、桜が光魔法を使う専用になっているようで、通常の強化よりも高い効果が得られるのだとか。

 また、この弓そのものに秘められる光の魔力は相当なもので、俺の剣と同様に薄っすらとした輝きを放っている。


『スノウホワイト・ブルーム』:委員長愛用の氷の杖の強化版。青い杖が全体的に白くなり、正に雪のようなイメージとなった。勿論、単なるカラーチェンジに留まらず、氷魔法を強化する効果はさらに高まっている。

 単純な威力増大だけでなく、効果範囲を拡大したり、発動速度と発動数を増やすといった部分も伸びているようだ。


『エンシェントヴィランズ』:古の悪しき者共。遥かなる古代、今よりもずっと進んだ平和な文明社会の中にあっても、奴らは必ず刃を手にする。平穏こそが、恐怖をより深化させる。ただ一振りの刃が、何千、何万もの人々を震撼させるのだ。

 その刃は正に、恐怖の象徴。鮮血を啜れ。断末魔を聞かせろ。

 遥か古の狂刃が、今まさに現代へと蘇る。

 という、非常に不穏な説明文が浮かんだらしい、夏川さんのナイフである。強化する度に、いつもコレだ。なので、不服な彼女が製作者を追いかけまわすのも、恒例行事と化している。


『清浄の古太刀』:明日那は罪を犯したが、それを罰するのは今ではない。俺達には彼女の力が必要で、少しでも償いをするためにも、みんなのために戦うより他はないだろう。

 このオリハルコン合金の刃となった太刀で、俺達の進む道を切り開いて行こう。


 以上、全員の武器を大幅に強化ができた。俺や明日那の魔法剣など、サブとして持っている武器も強化を施すが、素材の関係で、これらほどの強化はできそうもないようだ。それでも、何もしないよりはマシなので、出来る限りの強化は続けていく方針だ。

 武器の他にも、防具関係も更新することができている。


『パワーインナー』:古代の兵士が着用していた戦闘服、らしきものから採取した特殊な布地を利用して作ったインナーだ。魔力の宿る特殊な繊維で編まれた布地は、非常に高い耐久性と、炎や雷などのあらゆる属性にも耐性を示す。さらには、桜の『聖天結界オラクルフィールド』のように、本人の魔力に反応して微弱ながらもバリアを全身に展開するようだ。

 布切れ一枚で途轍もない防御力を発揮するが、肝心の特殊魔力繊維がオリハルコン同様、僅かしか採取できないので、なんとか下着として仕上げるのみが限界だった。


『アサシンスーツ』:より多くの特殊魔力繊維で編まれた強化服、とでもいうべき装備だ。これは俺達でも、小鳥遊さんでも錬成で上手く分解できなかったので、素材として利用できないと諦めかけていたところ……なんと夏川さんがそのまま着用できたので、彼女のものとすることになった。

 ちなみに、スーツは競泳水着のような形状で、夏川さん以外の人が着ても防御機能を発揮しないようだった。着用者を選ぶスーツである。天職による適合基準でもあるのだろうか。


『シールドプロテクター』:光鉄素材の装甲に、オリハルコンを少量含む合金と特殊魔力繊維で仕上げた、手甲と脚甲。防具としての頑強さもさることながら、最大の特徴は、魔力を込めれば、全身を覆う光の防御魔法を瞬時に発動できるという効果だ。

 俺には『天の星盾セラフィック・イージス』があるので、防御面で不安のある明日那に装備してもらうことにした。


『ダイアモンドダスター』:委員長の氷属性魔力を用いて、自動的に防御魔法を展開する機能を付与した、白いケープ。魔力を通すと、キラキラ輝くダイアモンドダストのように氷属性魔力の微細な結晶が霧のように撒き散らされ、散布範囲内に入った攻撃を、瞬時に氷の盾を形成して防ぐ。

 武技などの強力な一撃は防ぎきれないが、流れ矢や下級攻撃魔法程度ならば問題なく防げる。ゴーマは圧倒的多数なので、四方からの遠距離攻撃に晒されることも想定されるので、こうした防御力の強化は、委員長のような魔術師には重要だ。


 このように、防具も以前よりかなり強化できた。

 小鳥遊さんのお陰で充実した装備へと更新できたが……それでも、やはりゴーマの王国は脅威である。少なくとも、正面突破するのは装備強化した今でも自殺行為だ。

 ひとまず、錬成作業も落ち着いたので、俺もクラスメイトの捜索と、王国の偵察に明日から出よう。何としても、突破口を見つけなければ。




 貧相な鳥を5人で分け合い、空きっ腹で迎えた翌日の朝。

 崩れた廃墟の片隅で、ゴーマから隠れるように静かに寄り集まり、新たな問題について話し合っていた。

「やべぇな、武器が限界に近いぞ」

 塔の襲撃から始まり、取り残された洞窟で死に物狂いで戦い、その後の逃亡生活でも、多少のゴーマと、野生の魔物と戦い続け……頑丈に錬成された刃も、刃こぼれが目立つようになってきた。

「姫野の錬成でなんとかならねぇか?」

「なるわけないでしょ……私が下手に武器を弄ったら、そのまま壊れちゃうかもしれないのよ」

「そうだね。小鳥遊さんも、最初の頃は錬成に失敗して武器を壊してしまった、という話を聞いたことあるし」

「ちゃんと直すなら、小鳥遊か桃川いないと無理でしょ」

「砥石があるだけ、まだマシだと思うぜ」

 上田はガッカリしたような顔で、愛剣である『銀鉄の剣』の刃を眺める。

 ピカピカだった刀身は、今や刃こぼれが浮かび、色合いもくすんでいる。さらには、刻まれた『鋭利シャープネス』の魔法陣も、すり減って近いうちに効果を失いそうであった。

 これまでは錬成を専門に行えるメンバーがいたからこそ、常に武器も最高の状態に整備できていた。

しかし、この状況下では錬成による手入れはできず、山田の言う通り、砥石を使うくらいしか、切れ味を回復させる手段はない。

「このまま使い続けたら、マジで使いもんにならなくなんぞ」

「もうすでに怪しい感じだしね。でも他に武器なんてないし」

「新しく武器を作って、ただのゴーマや弱い魔物相手にする時はそれを使うとか?」

「作るったって、俺らで作れるのなんて石器だけだろ。それなら、ゴーマから武器奪った方がずっとマシだ」

「……ねぇ、誰か倒したゴーマから武器って拾った?」

「無茶言うなや、奴らが攻めてきた時は逃げるだけで必死だろうが」

 ここで現れるゴーマは、これまで散々倒してきた奴らとは立場が異なる。

 ダンジョンのどこにでも現れるゴーマは、所詮は少数で徘徊しているだけの存在だ。しかし、ここはゴーマ王国のお膝元。ゴーマ一体いれば、その後ろには何百もの仲間が続いてもおかしくない。

 速やかに殲滅できる小隊規模でもない限り、ゴーマを見つけてもこちらから手出しはしていない。

「まぁ、次にゴーマとやりあった時、できるだけ拾ってみるしかねぇな」

 そんな場当たり的な解決策しか出ずに、話は終わる。

 いつまでも話し込んでいる暇はない。なにせ、腹が空いているのだ。なんとしても、今日はマトモな獲物を狩らなければ。ゴーマに殺されるのは御免だが、飢え死にするのも絶対に御免である。

 そうして各々、武器を手に一晩の塒である廃墟から出た時であった。

 ヒュウン、という風切り音が響き、

「ちいっ、敵襲だ!」

 バラバラと幾つもの矢が雨となって降り注いで来た。

 ゴーマ軍団の襲撃である。どうやら自分たちの居場所はとっくにバレており、敵は出待ちをしていたようである。

「ザブアッ、ゲバァーッ!」

 2階建ての廃墟屋上に陣取ったゴーマの射手隊に、リーダーのゴーヴが攻撃指示を叫んでいる。

 再び頭上から矢の雨が降り、一旦、屋根のある廃墟まで後退する。

「俺が先頭で突破口を開く!」

「姫野と中嶋は射手を黙らせてよね」

「射手は何か所にも陣取っていたから、全部は無理だけど、半分は抑えるよ」

「姫野、遅れんなよ」

「死ぬ気で走るわよ!」

 素早く対応策を決めた5人は、意を決して外へと飛び出す。

 鎧兜に盾を持つ山田を先頭に、両脇を上田とマリが固める。

 その後ろに姫野と中嶋が続き、廃墟から出ると同時に魔法を放つ。

「んんー、目いっぱいに弾けろぉ、『光矢ルクス・サギタ』ぁ!」

「————『氷砲アイズ・ブラスト』」

 姫野が放った『光矢ルクス・サギタ』は、屋上に並ぶゴーマ射手を貫くよりも前に、眩い閃光を発して弾けた。

 本人は『光矢ルクス・サギタ』のつもりだが、実際には立派に『閃光フラッシュ』の魔法である。十分な光量を撒き散らし、射手の視界を塞ぐ。

 さらに別な場所へ陣取る射手には、中嶋の『氷砲アイズ・ブラスト』が炸裂する。範囲攻撃魔法だが、ダメージに期待したものではなく、姫野の閃光と同じく視界を閉ざすことが目的だった。真っ白い冷気が濛々と煙り、ゴーマの周辺に滞留する。

 これで、二か所の射手隊は一時的に攻撃を中断させることができたが、ゴーマはまだまだ沢山、配置されている。

 別な場所から降り注ぐ矢に加え、木を尖らせただけの粗末な投槍も入り混じり、攻撃密度が上がっていく。

「痛っ、くそ、掠った!」

「『応急回復ファストヒール』!」

「カスリ傷は後回しでいい、撃ち続けろ姫野!」

「じゃあ矢が刺さるまでは回復しないからね!」

 矢が肩を掠めていったマリに、すかさず治癒魔法を飛ばした姫野だったが、今は『光矢ルクス・サギタ』で射手を潰し続けた方が良い。多少のダメージは覚悟しなければ、この窮地は切り抜けられない。

「ンバ、ブゲラ!」

「ガァーバ、ゾン、ダグドラァ!」

 廃墟の立ち並ぶ通りを100メートルほど駆け抜けると、いよいよゴーマの歩兵部隊が立ち塞がった。自分たちの圧倒的優位を確信しているのだろう。いつにもまして、奴らの士気は高いように見えた。

「突っ込むぞ、続け!」

 雄たけびを上げて、鎧と盾に守られた『重戦士』山田が真正面からゴーマに突っ込む。その突進は、小学生の群れに車が突っ込んだように、小柄なゴーマを次々と撥ね飛ばしていく。

「退けよ、オラァ!」

「ぶっ飛べや、うらぁーっ!」

 突進により開いた穴を、上田とマリがそれぞれ武技を振るってさらに広げる。後続の姫野と中嶋も遅れずに続き、魔法で随時掩護しながら、襲い来るゴーマ歩兵を越えていく。

 二つ、三つ、とゴーマを薙ぎ払い突き進んだ先で、いよいよ真打が登場する。

「グバァーッッハッハッハ!」

 大きなハンマーを担いだ、ゴグマである。周囲には完全武装のゴーヴ戦士が控えており、この襲撃部隊を率いる主力だと思われる。

 流石に、ゴグマ含むゴーヴ部隊が相手となれば、ゴーマのように軽く蹴散らして突破するのは難しい。

「俺がゴグマを止める……その隙に、お前らは行け」

「なっ!? おい山田、それって」

「馬鹿、アンタ一人で止める気なの!」

「それしかねぇだろ————うぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 止める言葉もなく、山田は余裕の高笑いを上げるゴグマに向かって突撃して行った。

「山田ぁーっ!」

「そんなっ、山田くーん!」

「行けぇ、お前らぁ! 早く行けぇええええええええええっ!」

 ガツンガツンとゴグマの振るうハンマーと打ち合いながら、山田は叫ぶ。自分の犠牲を顧みず、仲間を逃がすために。

 何故、こうもあっさりと自分の身を投げ打つような真似ができるのか。それは誰にも分からなかったが、彼の覚悟を無駄にするつもりだけはない。

「行くぞぉ!」

 ゴグマ相手に大立ち回りする山田を置いて、上田とマリが立ち塞がるゴーヴに斬りかかる。

 死に物狂いで、ゴーヴを次々と切り伏せる。追い詰められた状況が、体の限界を超えて力を発揮する。

 上田もマリも、中嶋も、これまでにないほど冴えわたる感覚と、湧き上がる力によって、ゴーヴを倒し、押し退け、ついに主力部隊の包囲を突破する————

「グブ、フフフ!」

「バハハハハハァーッ!」

 そして、その先には二体のゴグマと、百を超えるゴーヴを引き連れた、本当の主力部隊が立ち塞がっていた。

「は、はは……マジかよ……」

「どんだけいるのよ、コイツら……」

 山田が命を捨ててゴグマ一体を食い止めた。ならば、ここで上田とマリも一体ずつ、ゴグマの相手をすればいい。なんて、簡単に考えられるものではない。

「そんな……こんなの、もうお終いだ……」

「あっ、あ、諦めないでよ! なんとかなる、まだ何とかなるわよぉ!」

 姫野の叫びも、今回ばかりは虚しく響いた。

 体力と気力も、いい加減にもう限界だ。何日、奴らに追い掛け回された。奇襲に怯えて安心して眠れず、食事さえもロクに食えない。

 今ここまで、ゴーマ部隊を乗り越えてきただけでも奇跡だ。

 しかし、だがしかし、目の前に立ち塞がる二体のゴグマとゴーヴ軍団は、これ以上ないほどの絶望感を与えてくれる。

 ヤマタノオロチとは、比べるべくもなく弱い存在ではあるが……多くの仲間を失い、僅か5人となってしまった彼らには、太刀打ちする術はどこにも残されてはいなかった。

「ちくしょう……ちくしょぉ……」

 上田は剣を握る手を振るわせながら、とうとう涙が溢れてきた。それは、他の4人も同じだった。

 一体、何のために戦ってきたのか。何のために、こんなに苦しい思いをしてきたのか。

 俺達は、私達は、こんなところで終わるために————どうしようもない絶望感に打ちひしがれる彼らを、嘲笑うように、ゴグマはゆっくりと包囲を縮めていった。

 そうして、ついにゴグマの握る巨大な得物が振り上げられ、


 ゴォオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!


 天を衝き、大地を揺るがすほどの巨大な咆哮。

 絶対的優位に湧いていた全てのゴーマ達も、ゴグマでさえも一瞬、身を竦ませた獰猛な叫びが轟く。

 なんだ、と思うまでもなく、ソレは現れた。

 崩れかけたビルの上から、巨大な影が降ってくる。

「行けぇええええええええええっ、キナコぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 そんな少年の叫びに応えるように、現れた巨大な魔獣が、ゴグマへとい襲い掛かる。

「プンガァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ブゲッ、ンブァアアアアアアアアッ!?」

 猛る雄叫びと共に繰り出される魔獣の巨大な拳が、巨躯を誇るはずのゴグマを易々と殴り飛ばす。

 強烈にボディを打ち付けられたゴグマは踏ん張ることもなく、そのまま地面を二転三転しながら吹き飛び、後方に位置していたゴーヴの集団を巻き込んで盛大にクラッシュした。

「ベニヲ、火炎放射で炎の壁だ! みんなを守れ!」

 さらに続けて少年の声が響くと同時に、今度は真っ赤なオルトロス、いいや、ケルベロス並みの巨躯と火力を放つ狼が疾走してくる。

「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!」

 高らかに響く遠吠えと共に、轟々と渦巻く火炎が迸り、もう一体のゴグマに直撃。

 炎の熱と勢いで、崩れかけの廃墟の壁をぶち破って押し込むと、そのままさらに炎を周囲に巻き散らし、そこら中にいるゴーヴ達を焼いていく。

 広範囲に渡って立ち上る炎の壁を前に、流石のゴーヴ戦士達も慌てて距離をとり、逃げ惑った。

「よーっし、行っけーっ! クリムゾングリリーン!」

 今度は、炎の壁を割って、真紅の甲殻を纏う恐竜が現れる。

 なんなんだ、と思う間もなく、大きく開かれた口腔と、その背に跨る者から、

「————『岩山崩落テラ・フォースブラスト』ぉおおお!」

 土砂崩れのような、膨大な質量と勢いをもって、土属性の上級範囲攻撃魔法が放たれた。

 凄まじい量の土砂によって、広範囲を薙ぎ払い、無数のゴーヴ戦士が水に流されるアリのように、あっけなく飲み込まれていく。

 瞬く間にゴグマ率いる主力部隊は総崩れとなり、最早、人間を狩るどころではない。

 一体、何が起こったのか。それを理解できたのは、彼らの前に、一人の小さな少年が降り立ってからとなる。

「————やぁ、みんな、久しぶりだね」

 魔獣と狼と恐竜が暴れ回る阿鼻叫喚の乱闘バトルの最中にあって、その少年は悠々と赤いラプターの背に乗り、漆黒の騎士を引き連れて、4人の前にやって来た。

「とりあえず、このリポーションは僕の奢りだから、まずは飲んで落ち着いて欲しい」

 能天気に言いながら、両手に持った回復薬を差し出す。

 それは夢でも、幻でもない。なぜなら、コイツなら、こんなことも出来るだろうと、誰もが思っているのだから。

「もっ、も、桃川ぁああああああああああああっ!」

 かくして、桃川小太郎は、クラスメイトの窮地に何とか駆け付けることができたのだった。

第281話 遭遇者

「————ぁああああああああああああああああああっ!?」

 暗闇の中に、下川の悲痛な絶叫が轟いた。

 しかし、全力の叫びもそう長く続くものではない。一分と経たぬうちに、声が枯れるように、叫びは静まる。

「あ、ああぁ……はぁ……はぁ……」

 荒い息を吐きながら、下川は恐怖と混乱で真っ白になっていた頭の中を、少しずつ落ち着かせていく。

「こ、ここは……」

 周囲一帯は、真っ暗闇で何も見通せない。水魔術師の下川には、暗闇で視界を確保するようなスキルも持ち合わせてはいない。

 しかし、何の灯りもない暗闇というだけで、ここが自分の寝ていた塔ではないことを思い知らされる。

「ちくしょう……やっぱり、どっかに飛ばされちまったのか……」

 思わず、上田と中井の名前を叫んで呼びそうになったが、もしもここが危険なダンジョンのどこかであるなら、それだけでモンスターを呼び寄せてしまう危険性を考え、大声を出すのは止めておく。

 ひとまず、それくらいの頭は回る理性は戻って来た。

「ああ、くそ、ちくしょう……小鳥遊のやつ……」

 まさか、あんなに直接的な行動に出るとは想像もしていなかった。湧き上がってくる後悔とやるせなさに全身が震えてくるが……どの道、ここにはもう真犯人の小鳥遊もいなければ、仲間達もいない。

 クロであることが確定した小鳥遊が、また何食わぬ顔でクラスメイト達と行動を共にすることは大きな不安だが、今は自分のことで精一杯である。仲間を心配こそすれ、それ以上は何ができるわけでもない。

 小鳥遊の言葉を信じるならば、自分は転移魔法によって強制的に追放されたのだ。

 一体、どれほどの距離を元いた場所から移動したのか、全く見当もつかない。しかし、あの物言いからすれば、単にダンジョン内のエリアを移動させられただけとは思えなかった。

 もっと確実な、絶対にクラスメイトの元には戻って来れない確信を持てるような場所へ飛ばした、と感じる。

 もっとも、ダンジョンの別エリアに飛ばされただけでも、下川単独では先に進み続けるクラスメイトに追いつく現実的な手段もないのだが。

「お、落ち着け……俺はまだ、生きてる。体も無事だ。魔力もある……大丈夫、生き残るだけなら、絶対になんとかなるべ……」

 これまでの過酷なダンジョン攻略の経験が、絶望的な状況にあっても理性を繋ぎとめてくれる。焦っても、諦めても、どうしようもない。

 ひとまず、今はただ生き延びることだけを考えて行動すべきだ。

「————んぐっ、ぷはぁ。よし、落ちついたべ」

 すでに手慣れた水魔法で、息をするように適量の水を出して飲み、ついでに顔も洗う。

 相変わらず目の前は真っ暗だが、ひとまずサッパリはした。

「とりあえず、ここは……ダンジョンの中みたいな感じはするな」

 自分が硬い石の床の上にいることは、すぐに気が付いた。手で触れてみれば、均一な凹凸が感じられ、石のタイルが敷き詰められていると判断できる。

「気温はちょっと暑いくらいで、変な臭いもしねぇから……いきなり死ぬような場所ではないな」

 噴火する火山の火口や、南極のような氷の大陸、あるいは猛毒の沼地のような場所に飛ばされる可能性だってあっただろう。ただそこにいるだけで死に至る環境が存在することを思えば、ここはまだダンジョンのような屋内であるだけマシだ。

「あとは、ここが牢屋みてぇに完全に閉じ込められてなければいいんだけど……」

 一番ありえそうな詰み、がその状況である。完全な閉鎖空間に閉じ込められた状況となれば、流石にどうしようもない。飢えを待つだけの絶望である。

 ちょっとくらい危険なダンジョンでもいいから閉じ込められるのだけは勘弁、と祈りながら、下川は暗闇の中、静かに、ゆっくりと、手探りで周囲を探っていった。

 そうしてどれくらいの時が過ぎただろう。

 ひたすら石畳を探り続けて、結構広い広間っぽいというくらいしか情報が得られなかった、その時である。

「んっ、なんだ、急に明るく————」

 気が付けば、薄っすらと視界が開けてきた。

 光だ。この暗闇の空間に、光が差し込んできていたのだ。

「おおっ、あそこが通路になってんのか!」

 よく見れば、この広間に通じる通路から光が入ってきている。その柔らかな輝きから、ダンジョンにあった発光パネルではなく、太陽の光が差し込んできているように思えた。

「よっしゃ、これ普通に外まで出れるんじゃねぇの!」

 正しく希望の光に導かれるように、下川は通路へ向かって駆けだした。

 そして通路を抜けた先で、新たな絶望的な景色を下川は目の当たりにする。

「————ま、マジかよ……ここってもしかしなくても……砂漠じゃねぇか」

 薄明かりの灯る明け方の空。その下に広がるのは、荒涼とした岩山の連なりと、緑の存在を拒む様な、赤茶けた砂の大地であった。




 どうやら、ここは砂漠のど真ん中にある遺跡らしい。ダンジョンの砂漠エリアなのか、それとも自然の砂漠なのか、それを判断できる材料は今のところ確認できない。

 自分が飛ばされてきた遺跡跡は、結構な広さはあるものの、あのダンジョンのように奥深くまで続いてはいないようだった。少なくとも、そういう場所は見つけられなかった。

「ちくしょう、やっぱフツーにモンスターは出るのかよ!」

 遺跡探索も半ばで、早速、獲物に飢えたモンスターが現れた。

 赤犬のような犬型モンスターの群れ。砂色の毛皮に、白い斑点が浮かぶ。明らかに砂漠に適応した色合いをしている。

『砂犬』、とでも呼ぶべき群れは、特に魔法の力などは使ってこなかった。

「俺一人だけでもよぉ、今更ザコ相手に負けるわけねーべや!」

 威勢のいいことを叫びながらも、遺跡の通路に入って囲まれないようにしつつ、『水盾アクア・シルド』で足止めし、『水矢アクア・サギタ』で確実に一匹ずつ仕留めていく堅実な戦いぶりで、下川は砂犬の群れを撃退した。

「はぁ……くそ、やっぱ前衛がいねぇと緊張すんな。あんな雑魚の群れ相手するだけで、すげぇプレッシャーだべや」

 思えば、単独ソロで戦ったことなどなかった。ダンジョン攻略では最初から三人一緒だったので、連携という点では抜群である。

 今まで如何に自分が仲間に頼っていたかを、まざまざと思い知らされる一戦であった。

「とりあえず、こんくらいの雑魚モンスターがウロついてる環境なら、ヤベー奴ばっかの危険地帯ってワケでもなさそうだな」

 ダンジョン攻略の経験から、おおよそのモンスターの生息環境を推測する。暗黒街など、一番弱くても狼男だったのだ。弱い奴の存在は、弱くても生きていける環境であることを示す、何よりの証であった。

「モンスターは何とかなっても、サバイバルはダメかもしれねぇな……」

 着の身着のまま飛ばされた、にしたって、今の下川はあまりにも何も持っていない。

 寝間着代わりのジャージに、いざという時すぐ動けるよう、靴は履いているのが幸いといった程度。

 他には何もない。眼鏡さえ、睡眠中だったから枕元に置いてきたくらいだ。

「水の心配しなくていいのは楽だけど、どうやって火起こしするべ」

 桃川印の緊急サバイバルセットを持っていれば、そんなことに困ることもなかったのだが、何せ今はナイフ一本すらありはしない。

 ここには折角、仕留めた砂犬という肉があるのだが、捌くためのナイフもなければ、調理するための火も起こせないとなれば、文字通りに持ち腐れとなってしまう。それなりにサバイバルしてきた自負のある下川だが、流石に魔物の肉を生で食べる勇気はない。

「ああぁ、こんなことなら、もっとマジになって『簡易錬成陣』習得しとけば良かった! 桃川が俺にだけポーション開発させっから、習得する暇もなかったんだべや!?」

 おのれ桃川、やはりアイツが黒幕か。などと八つ当たりの現実逃避をしつつも、過酷な現実が下川に逃避し続けることを許さない。

「っつーか暑ぃんだよ!? 何度あんだよここ!」

 砂漠なのだから、暑くて当然である。目覚めた時は夜だったため、まだマシな気温であったに過ぎない。

 外にはギラつく太陽が昇り、これぞ砂漠気候とばかりに雲一つない快晴のカンカン照りである。これで暑くならないワケがなかった。

「んあぁー、マジで俺、水魔術師で良かった……これ炎魔術師とかだったら、熱中症で即死だろこんなもん」

 ザッパーン、と冷たい水を魔法でちょちょいと被っては、冷をとる。

 ずぶ濡れになっても、酷暑と渇いた空気とで、あっという間に服も渇くために、気にもならない。

 この感じなら、日陰のある遺跡から外に出たとしても、行動するのにさほど問題はないだろう。

「……とりあえず、他に食料になりそうなもんもねぇし、水魔法で砂犬を捌いてみるしかねぇな」

 ここらで本格的に食料確保について実践しなければと考え、遺跡探索は一時中断し、倒した砂犬を引きずって、ひとまずは目覚めた広間へと戻る。

 太陽が登ったことで、広間にもほどほどに光が差し込み、ようやく全貌も見えるようになっていた。

 やはりここは大きな広間であり、妖精広場のように中央には円形の噴水、のような跡が見受けられた。当然、噴水に水など一滴もなく、今はただ乾き切った石の肌を晒すのみ。

「水浴びするには、ちょうどいい場所かもな」

 下川は軽い気持ちで、乾いた噴水へ水を注いだ。このくらいの容積ならば、学園塔で作った風呂と同じくらい。ここを満たすのは、大した労力も魔力も使わない。

 ドバドバと水流を注いで、さほど時間もかからずに噴水を満たし、いざ本番とばかりに、砂犬の死体と向き合った、その時であった。

「————誰だ!?」

 気が付いたのは、偶然か。あるいは一人でいることの緊張感から、普段よりも警戒心が働いたお陰か。

 ザリ、という砂を踏みつける小さな足音が聞こえた。

 それに反応して、弾かれるように音の聞こえた方向を向けば————そこは、広間に通じる通路。下川の目には、今まさにこの広間へ入ろうとした、何者かを捉えた。

 何者か。

 そう、それは紛れもなく『人間』だった。

 クラスメイトでもなく、ゴーマでも、ゾンビやスケルトンなどの人型モンスターでもない。

 下川も、いいや、クラスメイトの誰も見たことがない、初めて目撃する、異世界人なのであった。




 ここは、おぞましいほどに穢れ切ったエリアだった。

 本性を現した小鳥遊小鳥によって、強制的に転移させられた『隔離区域』というらしい場所。壊れた妖精広場に、スクラップを積んで巣食っていた気味の悪い人型モンスターを一掃した天道龍一は、一晩の後に、本格的にこの場所の探索を始めたのだった。

 案の定とでもいうべきか、広場の外に広がっているのは、同じような光景。

 異臭を放つ赤黒い汚泥が床に溜り、錆びついた何かの残骸がそこかしこに散らばっている。屋内型のダンジョンとしては最初の頃を思い起こす作りだが、ここは古風な石造りではなく、むしろ現代的。剥がれたり、砕けたりしている壁面には、赤茶けた金属パイプやコードの束が幾つも剥き出しになっている。

 これらの設備は、如何なる科学技術、あるいは魔法技術の産物か。しかし、今や施設内に薄明かりを点々と灯すより他に生きた機能を感じさせない、汚れた廃墟である。泥は腐肉で、パイプとコードは千切れた血管。まるで巨大な怪物の亡骸の中にいるようだ。

「うへぇ、どこもここもバッチくてウンザリしますねぇ、ご主人様」

 そんな不気味な場所で、どこまでも能天気な声が響く。

「この感じじゃあ、ここはどこもこんなもんだろ。慣れるしかねぇな」

「うーん、どうでしょう、ここは私を抱きしめてフローラルな香りでリフレッシュするというのは」

「好き好んで野郎の匂いなんざ嗅ぐかよ」

「失礼な、私はどこに出しても恥ずかしくない乙女なのです。さぁ、存分に、欲望がままに」

「ええい、寄るな、触るな」

 小太郎の顔で言い寄られても欠片も嬉しくない。この遠慮のないふざけた感じも、本人を思い出すので尚更。

 さらに言えば、汚い汚いと文句を言いつつも、いつの間にか長靴を装備していたりと、抜け目がないところも本人譲りである。

 実はコイツ、『従者・侍女』ではなく『双影ふたつかげ』なのでは。桃川、お前本当は俺のこと監視してるんじゃねぇのかと。

「————ったく、ふざけてじゃれつくんじゃねぇ。危ねぇだろが」

 と、すり寄って来る侍女を突き放しつつ、右手の王剣を一閃。

 大穴の開いた天井裏から飛んできた、ネズミが変異したような魔物を切り飛ばす。

 まだ探索を始めて30分も経ってないが、こうして奇襲をかけてくるモンスターはもう何度もお目にかかった。

「お見事です、ご主人様」

「いや、まだだ。少し下がってろ」

 再び王剣を振るうと、ギィン! と金属質な音が響き、弾かれた何かが壁や床に突き立った。

 見れば、それは黒々とした針で、赤い縞模様の入った毒々しい色合いをしている。

「相手んなってやるから、さっさと出て来いよ」

 龍一が王剣を構えると、侍女は音もなく静かに下がった。冗談の言える雰囲気か察するのも侍女としての心得。主の邪魔にならぬよう、黙って退くのは、それほどの相手ということだ。

「キリキリキリ……」

「カロロロロロ————」

 トンネルのような広さの薄暗い通路の先から、二つの不気味な鳴き声が響いてくる。

 どこか虫のように無機質な声音だが、蠢く影は四足の獣型。

「はっ、とんだドラ猫が出て来たもんだ」

 獅子のような体躯は、ネコ科の猛獣を思わせるシルエット。しかし、ヤマアラシのように背中からは鋭い棘を生やしている。最初に飛ばしてきた針攻撃は、そこから発射されたものに違いない。

 だが、この針山を背負った黒い獅子が誇る最大の武器は、牙でも爪でも針でもない。最も目を引くのは、その高々と掲げた尾。

 それは、まるで大剣。奴の尾は、ギラつく金属光沢を放つ巨大な刃と化している。人が腕で操るよりも、遥かに広い可動域を誇るだろう。

「キリリリ」

「カロロロ」

 互いに声を上げながら、示し合わせたように左右に分かれて、動く————早い。黒色の体躯はこの薄暗闇に紛れる保護色と化すが、それを差し引いても肉眼で動きを追うのは難しい。そう、龍一ほどの能力があってもだ。

「コイツは、食い甲斐のある奴らだな」

 強敵を前に、ニヤリと笑みを浮かべる龍一。

 果たして、どちらが捕食者なのか。その結果は、すぐに出ることとなった。


 捕食スキル

『シャドウエッジ』:黒々とした影のような鋼の刃。

『シャドウニードル』:黒々とした影のような鋼の針。

『シャドウランナー』:影の差す場所において、より速く、より静かに走り抜ける。


 三つのスキルの情報が、龍一の脳内に浮かび上がる。

 足元には、両断された黒い魔物の死骸が転がる。龍一は見事に二体のモンスターを制し、その生き血を飲んだことで、捕食スキルを獲得したのだった。

「失礼します、ご主人様」

 戦いが終わると、音もなく侍女が近づき、龍一の腕をとる。

 左腕からは、鮮血がしたたり落ちている。返り血ではなく、自分のもの。

 この黒い獅子の魔物は、龍一に手傷を負わせるほどの戦いぶりは見せたのだった。

「いらん。こんなもん、放っとけばすぐ治る」

「そういうワケには参りません。侍女として、傷ついた主を放っておくことなどできるはずが————はい、お終いです」

 治癒魔法でも使ったのか。言い合っている内に、龍一の傷は塞がった。肩口に突き立っていた毒針もポロポロと抜け落ちる。勿論、毒も浄化されていた。

 さらには、流れた血の跡も綺麗に洗浄されており、影の刃によって破れた学ランも補修されていた。

 龍一は、傷を再生する類の捕食スキルはすでに幾つか持っている。実際、放っておけば数分も経たずに完治するし、多少の毒だって耐性スキルによってすぐに無効化されるだろう。

 だが、侍女による治療はそれらを上回る早さでの処置であった。

「礼は言っとく。だが、あんまり世話を焼かれるのは好きじゃねぇんだ」

「ご安心ください。ご主人様のお世話をするのは私だけですので」

「そういうこと言ってんじゃねぇよ……おい、さっさと行くぞ」

「あっ、少々お待ちを。コアは採取しておきますので」

 侍女が魔物の死骸に向けば、次の瞬間には地面から黒々とした刃が走る。

 捕食スキル『シャドウエッジ』は縦横無尽に魔物を切り裂き、あっという間に体内のコアを摘出。地面にゴロっと赤い結晶体が転がると、直後には黄金の魔法陣が瞬き、『宝物庫』へと収納されていった。

「お前、勝手に俺のスキルを」

「従者は主のお力を借りることで、強くなれるのですよ。各自、適性はありますが」

「そうなのか」

「そうなのです」

 ふんす、とまっ平な胸を逸らしたドヤ顔で、侍女は従者シリーズの知られざるスキル仕様を説明した。

天職を持つ本人であっても、授かった能力の詳細全てを把握できるわけではない。

 小太郎は常に自分の呪術の把握と検証に務めていたが、龍一はあんなマメな作業をする気はさらさらない。マニュアルは読まないタイプなのだ。

「まぁいい。それなら、好きにしろ」

 侍女でも従者でも、使えるなら勝手に使えばいいだろう。ひとまず、そう結論づけた。

「はい、ご主人様。それでは参りましょう」

 そうして、今度こそ歩き始めた、その時である。

「————誰ぞ、そこにおるのか」

 声が響いてきた。

 このトンネルの先から、小さな、けれど聞き間違えようもないほど、確かに人の声が聞こえてきた。

「……行くぞ」

 龍一は侍女と一瞬だけ目配せしてから、ゆっくりと、静かに声の聞こえてきた方へ進んでいく。

「ああ、やはり、おるな。誰ぞ知らぬが、そこにおるのだな」

 トンネルを抜けた先で、よりはっきりと声が聞こえた。

 ここは、大きな広間となっている。荒れ果て、汚れきったこれまでの場所とは異なり、比較的、綺麗な状態を保っている。

 通って来たトンネルと同様に、広場には他にも何本かのトンネルや通路が繋がっている。

 しかし、声はそのどれでもない先から聞こえてきた。

「誰でもよい。ここを、開けてはくれぬか」

 それは、巨大な門であった。

 見るからに厳重に封鎖された、重厚な金属製の門。複雑な円形のレリーフが門扉には刻まれており、赤く光る文字が魔法陣のようにびっしりと浮かんでいる。

 どうやら、この門を閉ざす機能は、いまだに生きているようだった。

「ここへ来た迷い人よ。外へ脱するにはこの門を開くより他はないぞ」

 門の向こうから、こちらの姿が見えているかのように、声は語り掛けてくる。

「誰だよテメーは」

「妾は、そうじゃな……ここの主、といったところか」

「それで閉じ込められてちゃ、世話ねぇな。じゃあな、引きこもりの間抜け野郎」

「ま、待て待て! 気になるじゃろ、妾はここの主なのじゃぞ!」

「うるせぇな、忙しいんだよ。お喋りしてーんなら他をあたってくれよな」

「どれほど待ったと思っておるぅ! この機を逃せば、次など何百年先となるか————待てぇ! 行くな、そこから先は行ってはならぬ! 危険が危ないのじゃーっ!」

 あからさまに焦っている声の主を放置して、龍一はさっさと進むことにした。

「よろしいのですか、ご主人様?」

「何が?」

「このダンジョンで初めて出会う、人の言葉を話す知的生命体でしたよね」

「いや、怪しいだろ、あんなあからさまに封印されてる奴なんて」

「ですね」

「しばらく探索して、マジでどこにも抜け道がないようなら、その時は開けてみるさ」

 そんなことを話しながら通路を進む龍一と侍女。その奥からは、恨めし気な声と、シクシクと悲痛な泣き声が響き渡って来るのだった。

第282話 頭と右腕(1)

 ブスブスと黒い煙を上げる『魔女の釜』の底に、頭蓋骨がゴロっと転がっているのを見て、僕はようやくその場に倒れ込んだ。

「はぁ……つ、疲れたぁ……」

 ただひたすらに、重苦しい疲労感だけが残っていた。勝利の喜びよりも、ただ辛く苦しい戦いがようやく終わってくれたのだという安堵が広がり、体中から力が抜けていく。

 もうこのまま何もかも忘れて眠りたいところだけれど……そういうワケにもいかないのが、一人だけ素面でいることの辛いところである。

「ゴーマの薬キメて、メイちゃん運んだ時よりはマシか」

 狂戦士に覚醒してゴーマを血祭りにあげた後に、ぶっ倒れた彼女を即席の担架に乗せて引きずりながら、最寄りの妖精広場まで運んだのはかなり苦しい思い出の一つである。

 仲間達が力尽きてそこら辺に倒れているので、今回も僕が回収しなければならないわけだ。次の瞬間に、血の匂いに惹かれて雪灰狼あたりが襲ってくる可能性はあるからね。

 折角、一人の犠牲者も出さずに横道という大ボスを倒し切ったのだから、こんなところで野良モンスターの餌食にされては悔やんでも悔やみきれない。

「うぐっ、痛った……そういえば、噛まれてたっけ」

 立ち上がろうとして、鋭い痛みが走る。生首ムカデな横道に、左足の脛をがっつりと噛み付かれたのだ。

 トドメを刺すまではあまりに必死過ぎて都合よく痛みを忘れられていたけれど、もうアドレナリンのサービスタイムは終了のようだった。

 まずは自分の治療からだ。

 破れたズボンを脱いで、リポーションを傷口にかける。ついでに、奴の汚らしい舌が太ももまで嘗め回してくれたので、そこも洗い流しておく。

 それから、お馴染みの傷薬Aを塗りたくり、それから痛み止めも併用する。

 奴の牙は骨まで届いているから、一応、添え木してから包帯を巻いておこう。

「おぉ、やっぱり痛み止めは作っておいて良かったな。痛い、ってだけで行動不能になっちゃうし」

 薬が効いてきたお陰で、左足からの痛みはひとまず引いていく。痛み止めと言う名の麻痺で痛覚を誤魔化しているだけだけど。それでも今すぐ行動をしなければならないという時に、痛みを止めてくれるのは本当にありがたい効果だ。

 そうして、僕はズボンを履き直す。ボロボロだけど、コイツは学園塔で強化した学ランだからね。

 学ランに付与した数々の強化魔法の恩恵がなければ、横道を釜に叩き込むまでの行動はできなかっただろう。というか、足の負傷があっても動き回れるのは、この学ランの恩恵が一番大きい。

「それじゃあ、まずは……レムからだな」

 転移自爆作戦、やってしまったからな。果たして、レムは無事に復活できるのか。それとも、アレが特別な一体で替えは効かないのか。

 生死の確認ができないレムの復活を、まずは試さなければ。

 肉体的、精神的には疲労の限界だけど、魔力そのものは余裕がある。呪術を発動させるには十分だろう。

「泥の器。屍の杯。汚濁と怨嗟を血肉に変えて、空白の意思は揺蕩う。無垢なる魂よ、案ずるな。惑うな。疑うな。ただ傍に在れ。汝は、主の後ろを歩む者————『隷属の影人形』」

 初めて『隷属の影人形』の詠唱をした。だって、気づいたら鎧の中で勝手に幼女になってからね。

 半分以上の不安を抱えながらも試してみれば————むっ、この魔力がゴッソリと減っていく感じは、発動には成功している!

「お願いだ、帰って来い、レム!」

 目の前には、お馴染みの混沌みたいな黒い沼のようなものが広がり、不気味に波打つ。僕の魔力は確かにそこへ注がれて……ほどなく、真っ黒い水面から、小さな白い人影が浮かび上がって来た。

「れぇーむぅー」

「やった、復活した!」

 素っ裸の幼女レムが、そこに現れた。おめでとうございます。元気な女の子です。

 僕は急いで駆け寄ってレムを抱き上げる。

「レム、大丈夫か? ちゃんと覚えてる?」

「あるじ……だいじょうぶ、おぼえてる」

 円らな目をパチクリさせてから、レムははっきりと答えた。

 どうやら、きちんと記憶も継承した上で、復活できているようだ。

 ということは、レムの魂というか、自我と記憶を宿す核のような存在は、術者である僕の中にあると考えるべきか。この辺は泥人形の頃と変わらずといったところだ。完全独立型に仕様変更されなくて良かったよマジで。

「ああ、良かった。本当に良かった……」

 ギュっと抱きしめて、しばし感慨に耽る。なんだかんだで、人型となり、お喋りもできるようになったレムにはこれまで以上の愛着が、いや、愛情が湧いている。こんなところで、失われるなんて許せるはずがない。

 レムがいなければ、杏子も葉山君も悲しむ。きっと、キナコとベニヲも。レムはもう、立派なパーティの一員だから。

「ともかく、これで全員生き残れたワケだ。さぁ、レム、みんなを回収するから手伝って」

「はい、あるじ」

「その前に、着替えて来ていいよ」

 流石に全裸のまま手伝わせるわけにはいかないからね。

 幸い、荷物を満載したロイロプスは、横道にぶっ飛ばされて転がっていただけなので、まだ消滅してはいない。物資も無事である。

 手早く着替えを済ませたレムと一緒に、僕はまず杏子を運び、次に葉山君とベニヲを運び、それから気合を入れてパーティ一番の巨躯を誇るキナコを妖精広場へと運び込んだ。

 流石に普通の熊サイズのキナコは、人間なんぞより遥かに重量がある。レムが黒騎士に変身できなければ、動かすことはできなかっただろう。

「ひとまず、これで安心だな」

 杏子は雷ブレスの余波を受けて気絶状態。だが呼吸、脈拍、共に正常で命に別状はない。

 葉山君とキナコとベニヲは、揃って仲良く魔力欠乏で倒れているだけ。辛いことは辛いけど、そのまま眠っていれば治るから大丈夫。経験則である。

 全員を妖精広場に収容が完了し、これでようやく僕も休めるというものだ。

「ごめん、レム、ちょっと見張りお願いね。少し、僕も寝かせてよ」

「あるじ、おやすみなさい」

「おやすみー」




「————我が信徒、桃川小太郎」

 おお、まさかもうお呼ばれするとは。光栄であります、ルインヒルデ様。

「悪食貪食の獣、すでにそなたの手には余る————しかし、己が力のみが、勝利を掴む術ではない。精霊の御子、よくぞ導いた」

「はい、今回は仲間に助けられました。霊獣の力がなければ、全く太刀打ちできませんでしたね」

 そう、本来あった僕らの現有戦力だけでは、『完全変態リ・モンスター』を使う前の横道を相手するだけで精一杯だった。奴が最初から本気を出していれば、僕らはあっという間に全滅するくらいの戦力差である。

「神は柱、そこに自ら立つ者。されど、そなたら人は群れ、集い、寄り添い合う者達。孤高は人の道に非ず。手を取れ、共に歩むは、王道にも外道にも通ず」

 まさかルインヒルデ様から、仲間の大切さを説かれるとはね。意外と少年漫画的に熱血なところもあったり?

「頂点に立とうと、人は人。その身、神に非ずんば、全知全能は永久に能わず。人とは、個にして群を求むる者。両の足が如く、一つを失えば容易く倒れよう————否、そなたには過ぎた小言よ。惑うな、己が道を信じて進め」

「ありがとうございます」

 要するに、個人主義も全体主義も過ぎればアカンってことでしょ。権力の頂点に立とうとも、所詮、人間は人間。神のように全知全能となれるはずもない。

 けれど、神様から加護という特殊能力まで与えられる、この魔法の異世界。『勇者』蒼真君のように、圧倒的に隔絶した能力の持ち主というのは存在する。

 普通の人間でも人に寄っての能力差というのは凄まじいが、この異世界ではそれ以上の差が生まれる。蒼真君がもっと強く、さらに大きな力を授かるようになれば、それこそ神にでも近い能力を得ることができるのかもしれない。

 そうなると、彼は人間だと呼べるのか。人を超越した力の持ち主が、人の頂点に立ったなら、その時は一体、どんな集団となるのか————あんまり、いい予感はしないよね。

「新たな呪術を授ける」

「ありがとうございます」

 横道討伐の報酬である。コイツ一人倒すだけで新呪術獲得なのだから、やっぱり規格外の相手だったよなぁ……

「目は真実のみを映すに非ず。瞳の鏡に映るは、実も影も、虚も幻も別はなく。なればこそ、惑わすならば、まずは眼より始めよ————」

 なんですか、その隗より始めよ的な言い方は。

 もしかして、今回の呪術は幻術的な————

「おお?」

 突如、視界がボヤけて、目の前に立つルインヒルデ様の姿が歪む。

 これが新たな幻術の効果……じゃない。これは、視界が歪んでいるんじゃない。

「僕が、歪んでる、の、かぁ……」

 気づいた時には、もう遅い。

 自分の体がグニャグニャになりながら、景色に溶け込んでいくように消えて行っているのを実感した。まるで、自分自身が絵具で描かれただけの存在であるかのように。自分が、新たな絵具を塗りたくられて、消えて行くような。

 こ、これはまた、新感覚の死にざまですねルインヒルデ様ぁ……




 半日ほどが過ぎて、無事にみんなも目を覚ました。

 最初は杏子。目覚めるなり、飛び起きて魔法を発動させようとしていたので、意識が戻った瞬間に戦闘中だったことを思い出したのだろう。それですぐさま攻撃態勢に入れるんだから、ベテラン兵士みたいだよね。

 僕はルインヒルデ様のありがたーい加護を授かって先に目覚めていたから、すぐ杏子に戦いが終わったこと、みんな無事なことを知らせ————ようとした瞬間に押し倒された。

 いや、アレな意味じゃなくて。僕はかなりアレな感じだったけれど……泣きながら僕の無事を喜ぶ彼女の反応を見ると、そういう雰囲気もなくなるよね。

 で、そのまましばらくベタベタしつつ、いい加減に我慢するのも厳しくなってきた辺りで、葉山君が目覚めてくれた。うん、君は本当にタイミングのいい男だよ。

 それから、キナコとベニヲも目覚めて、晴れて全員が復活できたのだった。

「————というワケで、横道を何とか倒せたよ」

 ひとしきり激戦を制したことと、全員の無事を喜び合った後に、横道との壮絶な決着までを語って聞かせた。

「ごめん、小太郎……ウチ、全然役に立てなくて」

「ううん、ブレスで消し炭にならなかっただけで十分だよ」

「そうだぜ蘭堂、気にすんなよ。たまには、俺に大活躍させてくれたっていいだろ」

「葉山君は文句ナシのMVPだったよ。霊獣化能力に覚醒しなかったら、あの横道はどうにもならなかった……キナコとベニヲも、ありがとね」

「プガガ!」

「ワンワン!」

「っていうか、実際に戦ったのはキナコとベニヲだから、葉山君は別に大したことしてないんじゃあ?」

「桃川、お前ソレ言っちゃうの? 俺はほら、発動中は魔力ガンガン減って行って、二人に力を送る的な役割で精一杯っていうか」

「大丈夫、分かってるよ。霊獣化は、葉山君の魔力が持つ限りっていう制限付きっぽいからね」

 いわゆる電池ってやつ? よくあるよね、力を送る役と、その送られた力で戦う役が別々っていうスタイル。

 ああいうの、電池役って実質何もしていないも同然だと思っていたけれど……葉山君とキナコとベニヲの関係性を考えると、あれがベストな形じゃないかと思えるね。

「ねぇ、ホントに横道って死んでるの? アイツ、なんか死体になっても蘇りそうな嫌な感じするんだけど」

「その心配は分かるよ」

 事実、奴は生首になっても襲い続けてきたくらいだからね。今まで戦ったどんなモンスターよりも、化け物じみた奴だった。

「でも、流石に頭蓋骨だけになると、復活は無理っぽいよ。コレ、完全にアイテム扱いで『直感薬学』が反応して、説明文が思い浮かぶんだよね」


『食人鬼の頭蓋骨』:眷属『食人鬼』の頭蓋骨。それは忌まわしき鬼の首。人喰い鬼を討った証にして、悪食と貪食の残滓。汝、欲に溺れることなかれ。この首は今もまだ、飽くなき飢えに囚われている。


 と、僕は釜の底から取り出した、横道の頭蓋骨を掲げる。

「うげぇ……気持ち悪ぃ」

「うわ、ソレ完全に人間の頭蓋骨してねぇな」

 ドン引き、といった感じの二人である。けど、それも当然だろう。

 葉山君の言う通り、この頭蓋骨は人間のモノとは異なる形状をしている。その最も特異な部分は、やはり口だ。

 大顎、と呼ぶべき鋭く大きな牙の並んだ形。それでいて、人間本来の歯列も綺麗に残っている。さらに外側には、あのギチギチいってた鋏角も備わっており、見るだけで横道の大口を思い出す形をしている。

 もう一つ個人的に気になる点は、額の辺りに穴が開いていることだ。僕がナイフで滅多刺しにして空けたものではない。何というか、そこにもう一つ眼があったかのような開き方をしている。

 横道は化け物だったが、額に第三の目が開眼していたようには見えなかった。

 見えなかったが……もしかすれば、あともう少しで開眼でもしたのかもしれない。そうなると、奴はさらに強力な怪物へと進化していたのだろうか。

「コレが気持ち悪いのは確かだけど、強力なモンスターからとれた貴重な素材だからね。精々、有効活用させてもらうよ」

「うん、まぁ、やっぱそうなるよね」

「桃川、お前ホントそういうとこドライだよな」

「もうとっくに他のクラスメイトの頭蓋骨を何個も使ってるんだから。今更、横道のが一個増えたからってなんなのさ」

 今の僕にとって、みんなの頭蓋骨はなくてはならない重要装備と化している。あ、雛菊さんには、特にお世話になっています。次点で東君か。

「それに、あれだけの戦いをしたんだ。こんなモノでも収穫があったと思わないとね。せめて、本体からコアでも獲れれば良かったんだけど」

「レムちんが爆弾でぶっ飛ばしたんだっけ?」

「そうそう。虎の子のコア爆弾だったのに……ああ、爆弾も横道本体ももったいないことしたな」

「ある」

 ボソっと、僕の隣で行儀よく座り込んでいるレムが言った。

「えっ、あるって……もしかして!」

「首、逃げた。だから、ばくだん、使わなかった」

 そうか、レムも転移で飛んだ後に、もう本体から横道が生首で離脱していたことに気が付いたんだ。

 ここで爆発させても、横道を殺し切ることはできないと踏んで、あえての放置。素晴らしい判断だ。

「よくやった、レム! よーし、早速、取りに行こう! みんな、手伝って!」

「えー、もうちょっと休んでからでよくなーい?」

「っていうか俺、怪我人なんですけどー?」

 おっと、つい欲が先走ってしまった。

 横道、生きていた頃はあんなにも疎ましかったのに、死体となった途端に魅力的に映って仕方がない。いやだって、アイツの体は魔物素材の宝庫である。

 霊獣キナコ&ベニヲとの大決戦でそこら辺に散った奴の部位だって、立派な素材として役立ちそうだ。本体ともなれば、コアは勿論、他にも使えそうな素材がありそう。

 けれど、二人の言うことも尤もである。

 転移先は妖精広場なのだし、少しくらい放置していても魔物が寄ってくることもないし。

「それもそうだよね。じゃあ取りに行くのは明日にするとして……その前に、葉山君の怪我の方は、なんとかしないと」

「なんとかつったって、これ以上はどうしようもなくねぇか?」

 流石の葉山君も、眉根を寄せて失った右腕を見やる。

 ちょうど肘から先の部分が欠落している。僕の応急処置のままではあるけれど、ひとまず痛みは止まっているようだ。

 けれど確かにこれ以上は、薬を塗ったところで腕が新しく生えてくるわけでもない。精々、義手を用意するくらいだろう。

「一つだけ、試してみたいことがあるんだよね」

「えっ、なんだよ、何かいい方法あんのか!?」

「僕の右腕を移植する」

第283話 頭と右腕(2)

「それでは、オペを始めます」

「ま、マジで大丈夫なのかよ桃川……」

 妖精広場の噴水脇に寝かせた葉山君が、実に心配そうな目で僕を見上げてくる。さらには、ハラハラした様子で、キナコとベニヲもご主人様を見守っていた。

 大丈夫だって、別に直接メスを入れるワケじゃあないからね。

「じゃあ、解くよ」

「お、おうよ!」

 ただ包帯を解くだけで、そんなに気合入れなくても。

 スルスルと右腕の包帯を外せば、すっかり皮膚で塞がった切断面が露わとなる……なるんだけど、葉山君、ギュっと目を瞑った上に全力で顔を背けている。

 予防接種で注射する時、針が刺さる瞬間を見れないタイプか。いるよね、そういう人。僕はガン見するタイプだけど。

「うん、思った以上に傷口は綺麗に塞がってるね。ほら、どう? 痛みはある?」

「ぬぁああああ……や、やめろ桃川、ツンツンすんな、変な感じがするぅ……」

 切断面を覆う皮膚の部分に軽く触れてみれば、葉山君がくすぐったそうに悶えるリアクションが帰って来る。男子にこれやられても、楽しくもなんともないんですけど。

 ともかく、この部分にはきちんと感覚は通っているようだ。

「よし……それじゃあレム、頼んだよ」

「グガガ!」

 執刀医である僕の相方として、すでにレムを控えさせている。

 黒騎士となり、手には真新しい剣を握りしめている。ついさっき錬成で作った出来立てほやほやで、念入りな洗浄と熱湯消毒も済ませてある。

「ここを狙ってね」

 僕は噴水の淵に右腕をかけて、レムに示す。僕の右腕には、ちょうど葉山君が失ったのと同じ肘の先数センチあたりの位置に、黒マジックで印をつけてある。

「グググ……」

 レムは僕の前に立つと、ゆっくりと剣を振り上げ————

「————ぎゃあああああ! 僕の腕がぁああああ!?」

「おい、俺の前でそれは冗談にならねぇだろ」

「あはは、ごめんごめん。やんないとダメかなと思って」

 ジト目で睨む葉山君に、てへぺろーと誤魔化しなら、僕はレムが綺麗に切り落とした右腕を掲げて見せる。

 僕の細い右腕、その切断面からは真っ赤な鮮血が滴り落ちる……代わりに、黒い靄のような形状となって、魔力が漏れていた。

 そう、勿論コイツは、僕の分身『双影ふたつかげ』である。

「じゃあ、くっつけるね」

 で、本物の僕は分身から切断した偽の右腕を受け取り、葉山君の右腕へとくっつける。

 後は、用意していた添え木を挟み込み、再び包帯でグルグル巻きに固定。

 以上、処置完了である。

「葉山君、どうかな。右手、動かせそう?」

「う、うーん……ダメだな、まだ何も感じられねぇ」

「そっか。僕は動かせるから、まだ『双影』の術は生きてはいるんだけど」

 葉山君にくっつけた右腕がグーパーと手のひらを動かす。

『双影』には痛覚が存在しないため、どれだけ損傷しても本体の僕には何のダメージも入らない。魔力を失い、呪術が保てなくなるまでの間は、真っ二つにされたって動かすことも可能だ。

 本来なら、右腕を切り飛ばされれば、多少の時間は動かすことができるだけで、ほどなく魔力を失い消え去ってしまう。

「……ん、おお、魔力が通ってる感じはする……気がする」

「それは良かった。その調子で続けてみて」

 魔力というエネルギー源を失えば消えてしまう『双影』の欠損部位。ならば、切り離した部位に魔力を供給し続ければどうか。

 答えは、消えない。これは昨日の内に、僕が実験で試したことだ。

 そして、術者である僕意外が魔力を供給するならば、どうなるか。

 その答えが、今目の前で実演されている最中だ。

「うん、ちゃんと葉山君の魔力が、右腕に供給されてるみたい」

 どうやら、上手くいっているようだ。

 葉山君には、くっつけた右腕へと意識的に魔力を流してもらう。

 そしてこの右腕と、添え木、包帯に至るまで、全てに魔法陣を描いておいた。効果は単純に、魔力が葉山君側から、右腕へと流れるように。

 果たして、どの魔法陣がどの程度の効果を発揮しているかはイマイチよく分からないけれど、葉山君自身の感覚的には、ちゃんと魔力が流れているのは間違いないようだ。

「葉山君は、このまま右腕に魔力を流し続けて、何とか動かせるように頑張ってみてよ」

「なぁ、こんなんで本当に動くようになんのか?」

「分かんないけど、試す価値はあると思うよ。少なくとも、僕の呪術は僕にしか扱えないワケじゃあないからね」

 その代表例が、メイちゃんが調理に使っていた『魔女の釜』である。

 釜を作り出したり、その機能を自由自在に使いこなすのは僕にしかできないけれど、すでに完成した釜で一定の機能を操作するくらいは、術者以外でも可能なのだ。

 今では大体のクラスメイトが釜を電子レンジ代わりの温め機能を使えるし、杏子や葉山君も炊事をするのに不自由しない程度には使いこなせるようになっている。

 ならば『双影』も、僕以外の者が操作することは可能なのではないか。

 実際、コイツは小鳥遊に乗っ取られたこともあるしね。『双影』は術者じゃなくても操作は絶対にできるのだ。

 問題は、どの程度でコントロールを奪えるか。

 小鳥遊の場合は、かなり特殊かつ強力だったはずだ。術者である僕にも、制御を取り戻すことが全くできなかったから。

 今回の葉山君の手術でいけば、彼自身が『双影』の右腕のみを操作できるようになればOKなのだ。なにせこの右腕は、外観上は人間そのもので、腕としての機能も全く本物と遜色ない。錬成でイチから義手を作るよりも、よほど右腕の代わりをするのに相応しい。

 完全な感覚まで取り戻すのは無理だとしても、握る、開く、くらいの単純な動作だけでも可能となれば、ひとまず失った右腕の代わりを果たすには十分だろう。

「とりあえず、後は様子見だね」

「おう……ありがとな、桃川。何からなにまでよ」

「ううん、いいんだよ」

 葉山君は、これからもまだまだ働いてもらわないといけないからね。右腕を失うハンデを補うくらいのことはしてあげないと。

 僕らはチームだからね。それぞれ、自分のできることを精一杯やれば、それでいいんだよ。

 ただ、それだけのことが上手く行かないのが、人間関係の難しいところなんだけど……いやぁ、その点、今のチームは最高だよね。団結力という点では、僕とメイちゃんのコンビに次ぐと思う。

「じゃあ、僕は横道素材の仕分けをしてくるから」

「俺にも手伝わせろよ」

「今日はまだゆっくり休んでていいよ。手術もしたばっかりだしね」

「へっ、こういうのは寝転がってるより、動いた方がいいに決まってんだろ」

 爽やかな笑顔を浮かべて、元気よく起き上がる葉山君。ついさっき、傷口から顔を背けていたのとは別人のようなアクティブさに溢れている。

「それじゃあ、無理しない程度にお願いね」

「おうよ! さぁ、キナコ、ベニヲ、張り切って行くぜ!」




 転移先の妖精広場からは、首のない横道本体と、今回も爆発せずに残ったコア爆弾を無事に回収完了。それから教会周辺に散った横道素材と、ゴーマ部隊が勇敢に戦った末に全員が玉砕した、あの学校からも奴らの素材と装備品を回収した。

 これらの回収作業と各種素材の大雑把な仕分けをしただけで、もう夕暮れの時刻となった。

「さぁーて、今日は久しぶりに徹夜しちゃうぞぉー」

「てつや、しちゃう」

「レムは小さいのに夜更かししちゃうなんて、悪い子だな」

「れむ、悪い子?」

「ううん、レムはいい子だよ。いい子いい子」

 ズラズラと並ぶ横道素材を前に、僕は早くも徹夜テンションでレムを撫でまわす。

 すでに風呂も飯も終えて、杏子と葉山君は就寝している。一方の僕は、相方のレムだけを連れて、別に明日でもいいけど、早速、新装備の作成に入ることにした。

「グリムゴア二体分に、他にも色々と損耗しちゃったけど……やっぱり、まずはコイツからだよね」

 と、僕は両手で横道の髑髏、もとい『食人鬼の頭蓋骨』と向き合う。凶悪な顎と、額に開く不気味な第三の眼窩を持つ、異形の頭骨。

 わざわざ『食人鬼の頭蓋骨』として直感薬学が反応するくらいなのだから、コレは単なるカルシウムの塊などではない。横道という化け物の力を秘めた、特別な素材である。

「一番の期待作だからね。素材も惜しまず投入だ」

 気合を入れて描いた大きな『六芒星の眼』の上に、順に素材を並べてゆく。

 中央にはメインとなる『食人鬼の頭蓋骨』を。

 その傍らには、横道本体から採取したコアの中で、一番大きなヤツを配置。驚くべきことに、横道の本体からはコアが複数個、それもボス級サイズのデカいのがとれた。奴自身、ボス級モンスターを何体も食らってきたからこそ、それだけのコアを持つに至ったのだろう。

 さらに言えば、奴は喰らった魔物の肉体を生やすという、キメラのような能力だった。あの能力を使うのには、ヤマタノオロチのように巨大な単一コアではなく、元となったモンスター由来のコアをそのまま保持している方が扱いやすかったのではないだろうか。

 そんな考察はどうでもいいとして、とにかくコアが沢山獲れてラッキーってことだ。

 それから、もう一つのメイン素材は背骨である。

 あの生首の先に繋がっていたムカデ型の背骨だ。頭は『魔女の釜』に突っ込んで焼き切ってやったが、背骨部分は半ば以上が釜からはみ出てそのまま残っている。

 だが、流石に横道本人の頭が消し炭となれば、もうピクリとも動きはしない。刺々しく、おぞましい骨が残るのみ。

 これらの他に、細々した素材と、あらかじめ魔法陣を刻んでおいた良質な光鉄素材を配置し、

「受け継ぐは意思ではなく試練。積み重ねるは高貴ではなく宿命。選ばれぬ運命ならば、自ら足跡を刻む――『黒の血脈』」

 最後に、ドバドバと僕の血をぶっかけてやる。お前が散々、欲しがっていた本物の僕の鮮血だ。たっぷりくれてやるから、立派な武器に生まれ変わってくれよ。

 そう、僕が作り出すのは『食人鬼の頭蓋骨』での『愚者の杖』である。

 現状では、元からあった魔法の杖を流用しての使用だったが、コイツは横道素材で統一した、初の専用魔法杖となる。

 これまで数々のマジックアイテムに、『エアランチャー』に『レッドランス』と魔法武器の作成もしてきた今の僕なら、必ずできるはずだ。

「お前は必ず、僕の力になってくれると信じてるぞ、横道————『呪導錬成陣』」


『無道一式』:愚者ですらない、人ならざる者。飢えた獣の行く先に道は無く、されど求め、吠え続ける。これを握る者よ、飢えてはならない。渇いてはならない。暴食の果ては道無き獣と化すであろう。意志の軛と理性の鎖でもって縛り付け、合理の鞭にて叩け。さすれば汝、獣を従える主となろう。


「……ルインヒルデ様、勝手に名前つけるのやめてくれます?」

 うん、杖の作成は上手く行った。多分、上手く行きすぎたから、ルインヒルデ様からいつもの呪術と同じノリで、勝手な名前と、フレーバーテキストが付属してしまった。

 とりあえず、神様のお墨付きをもらった呪術師専用装備ということで、大成功ってことにしておこう。




 横道の杖こと『無道一式』が完成した翌日。

「それじゃあ、これから森までマンモス素材を取りに行きたいと思いまーす」

「うぇー、マジかよ」

 欲張りすぎだろお前、みたいな目で杏子に睨まれるけど、折角あるんだから回収しておきたい。

 分身の僕が横道を引き連れて時間稼ぎしていたのは、森の中で捕まり終了と相成った。でもその直前に、横道は確かにスパイクマンモスとガチンコバトルをして制しているのだ。

 で、昨日の内にレム鳥にその場所を偵察させて、まだマンモスの死体が残っているとの情報が確定したので、それなら捨て置くのは忍びないと、僕は回収を決めた。

「場所はそこまで森の深いとこじゃないし、さっさとマンモス素材だけとれればいいだけだから、大丈夫でしょ」

「そう心配すんなよ、蘭堂。いざって時は、俺らに任せてくれよな」

「俺らって、戦うのはキナコとベニヲじゃん」

「お、俺も力を分け与えることで一緒に戦ってるんだって!」

「うるせー電池野郎」

「ぬぁあああああ! それは言うんじゃねぇ!」

「はい、じゃあ出発するよー」

 賑やかな雰囲気に心を和ませながら、僕らは森へ向けて出発した。

 とにかく次々と現れるモンスターに大いに消耗と苦戦を強いられた、苦い記憶のある森。けれど、今日はまだ一度もエンカウントせずに済んでいる。

 先日、横道が大暴れしたから、みんなビビって引っ込んでるのかな。

 そんなことを思いつつも、警戒だけは密にして、僕らは雪の森を突き進んでいく。

 すでに場所は分かっているし、そこまでのナビゲートまであるのだ。迷うことなく、僕らは目的地へと辿り着いた。

「うーん、流石に食われた跡があるね」

 降り積もった雪に埋もれかけたスパイクマンモスの死骸は、横道にやられた以上の損壊具合で転がっていた。

 毛皮はズタズタで、特に腹の辺りから大きく食い破られている。それなりに肉も内蔵も食われたようだ。

 目立つ噛み跡や、穿たれた牙の深さから推定して、クリムゾンレックスよりは小さい、グリムゴアくらいのサイズの奴がマンモスを食べたと思われる。まぁ、ティラノ級の大型モンスだったら、全部平らげるか、引きずって巣にでも持ってかれそうだ。

「でも、取りたいのは牙とか毛皮だろ? それなら十分残ってるじゃねーか」

「うん、ちゃんと来た甲斐はあったよ」

 残念ながらコアは失われているようだったが、牙と毛皮、それから太い骨など収穫としては最低限、釣り合うだけのモノは残っている。

 少々手間はかかりそうだけど、早速、解体作業に移ろうか、という時だ。

「プググ……グルァ!」

「あるじ、モンスター、来た」

 マンモスの死体に惹かれたか、それとも僕ら狙いか。キナコとレムが素早く敵の襲来を教えてくれた。

「レム、敵は————」

「————『石盾テラ・シルド』っ!」

 僕の問いかけに先んじて、杏子が防御魔法を発動させていた。

 地面に積もった雪を吹っ飛ばしながら、長方形の土のブロックが瞬時に生え出し、僕の立ち位置をカバーする。

 次の瞬間にはドドド、と連続的な音を立てて攻撃が突き刺さった。

「氷の遠距離攻撃持ちか」

「数は1、素早い」

「アルファで追い出すから、杏子は攻撃準備」

「よし、ベニヲもアルファに続け! 無茶はすんなよ」

「ワンワン! ワォーン!」

 最低限のやり取りだけで、僕らは完璧な連携でもって動き出す。

 土のブロックに突き立っているのは、細長い氷の矢だ。委員長の『氷矢アイズ・サギタ』のように綺麗な形状ではない、荒い結晶のような形だけれど、殺傷力は十分な鋭さを持っている。

 こちらに姿を見せずに、氷の遠距離攻撃で仕掛けてきた行動は、それだけで厄介な相手だ。

 しかし、数が一なら圧倒的にこちらが有利。素早く動けるそうだから、獣型のモンスターだろうか。

 なんにせよ、切り札の霊獣化を使わずに十分対応できる程度の相手だと判断した。

 まずは雪の森に隠れ潜んで狙っている奴を、こちらの視界まで焙り出す。スピードのあるアルファとベニヲが迫れば、動かざるを得ない。

 追い出してくれさえすれば、後は杏子を筆頭に、僕も葉山君も適当に攻撃魔法を撃ち込める。レム本体の黒騎士とキナコが残っているので、破れかぶれで突っ込んできても守りは盤石だ。

 さて、そろそろだと思うけど……

「ウォーン!」

 高らかなベニヲの雄叫びと共に、真っ白い雪に紅蓮の帯が迸る。

 そして次の瞬間には、樹上から白い影が音もなく雪の地面へと降り立った。

 姿を現した襲撃者は、僕の予想通り、四足歩行の獣型である。

「おお、ユキヒョウだ」

 白い毛皮の豹、すなわちユキヒョウ。それにソックリな姿をした、美しいモンスターだった。

 思わず見惚れるほどの、綺麗な白い毛並みにしなやかな姿形。でもただの動物ではなく、こちらに明確な殺意を持つモンスターであることは、その身から迸る冷たい氷の魔力から察せられる。

 特に、四本の足首に纏われた純白の毛と、逆立つ長い尻尾。そこには目に見えるほど、濃密に青い氷の魔力が渦巻いていた。

 豹としてのスピードに、上級攻撃魔法をぶっ放してきてもおかしくないような魔力。この森のモンスターとしても、かなりの強敵だ。

 けれど、倒せないほどじゃない。

「その綺麗な毛皮を剥いで、杏子のパンツになってもらうか」

第284話 子猫ちゃん

 やはり氷のユキヒョウは強敵だった。

 鋭い氷をバンバン飛ばして来るし、長い尻尾からは大剣のような大きい氷の刃を形成して振るってきたり、単純に爪や牙での攻撃でも触れた箇所が凍っていくという属性ダメージのオマケ付き。挙句の果てには、口から冷凍ビームまで吐き出していた。

 普通にボス級の強さだ。フルメンバーじゃなければ、危なかったよね。

「さぁて、どうしてくれようか」

 体長3メートルほどはある大きなユキヒョウは、喉元に杏子の一撃を喰らって倒れた。ピクリとも動かず、即死状態。急所にクリティカルヒットで仕留めたので、体はかなり綺麗に残っている。

 雪の上も木の上も自在に駆ける機動力に、氷魔法の力。この頭数で囲んでも、なかなか有効打を与えられなかったが、アルファが捨て身で食らい付き、その隙に『黒髪縛り』で拘束。

 猛獣のパワーと氷の刃で拘束を脱する僅か数秒の間隙を逃さず、杏子が必殺の『岩石槍テラ・クリスサギタ』を決めてくれたのだ。

 やはり勝因は、僕らの数と連携力である。直接ダメージに貢献はしなかったものの、葉山君達もユキヒョウを逃がさないよう上手く囲んで追い込んでくれたしね。

 そんなワケで、僕らはこれといった被害も出さずに、ユキヒョウを倒すことに成功したのだった。

「屍人形にするには、ちょっと制御が怪しいかなぁ」

 現在のレムがフルコントロールしている屍人形は、黒騎士とアルファくらいである。後は必要に応じてアラクネを使ったりするくらい。ミノタウロスを常時出しているわけではないので、制御力にはまだ余裕はあるものの、このユキヒョウを使うとギリギリ足りるかどうか。

 まだ検証は完全ではないけれど、魔法とか使うタイプのモンスターだと、より求められる制御力は高まる傾向にある。なので、基本パワーファイターなミノタウルスよりも、多彩な氷魔法を操るユキヒョウの方が求められる制御が高いのは間違いない。

 かといって、自立状態にしてもイマイチだ。ロイロプスみたいに荷物の運搬と、いざって時に突撃させるくらいなら十分だけど、ユキヒョウのスペックを自立状態では半分も引き出せないだろう。自立状態は、必ずしも生前と全く同じ思考と能力で動けるわけではないのだ。

 ボス級モンスターとして貴重なユキヒョウだけれど、その扱い方が悩ましい。うーん、贅沢な悩み。

「とりあえずレムに覚えさせて、後は素材に利用するのがベストかな」

 ユキヒョウの力が必要になった時に、コアをレムに与えてフルコントロールで使わせる、というのが現状では最大限活かせる形になるだろう。

 そうなると、このまま持ち帰ってからゆっくり解体するのがいいだろう。こんな危険な森の中で、さらに血の匂いを撒き散らすのは御免だ。

「よし、それじゃあみんな、作業再開しよう。僕はレムとマンモス素材の解体するから、杏子と葉山君は周辺警戒お願いね」

 ユキヒョウ並みの奴らが何度も襲ってくる、あるいは複数で来られたら、流石の僕もマンモス素材は諦めよう。

 けれど、珍しく僕の祈りが通じたか、それ以降の襲撃はなかった。静かな雪の森の中で、僕らが作業する音と、あとはベニヲとキナコの鳴き声が時折、聞こえてくるくらいだ。

 そうして順調にマンモス素材の剥ぎ取り作業は完了した。素材と仕留めたユキヒョウをロイロプスに積み込む。

 後に残ったのは、半分失ったとはいえ、それでも膨大な量の肉と骨。

 マンモス肉、食べて見たかったけれど、流石に丸一日捨て置いたのを食べるのはちょっとね。もったいない気もするけど、これ以上は素材的価値もないから捨てていくしかない……けど、ちょっと待てよ。

「ああ、そうだ、折角だから試してみようかな」

 と、僕はマンモスの残骸に向かって、新たなる杖をかざす。

「ほーら横道、餌だぞ、たんとお食べ」

 構えた『無道一式』が、カタカタと音を鳴らして異形の顎を開く。

 次の瞬間に口から飛び出したのは、黒々とした野太い触手。それらの先端はガパっと牙の並んだ赤黒く輝く口を開き、次々にマンモスの残骸へと殺到する。

 ガツガツと大蛇のような触手達が食らい付きながらも、巨大な肉塊である残骸そのものに巻き付き、徐々に引き寄せていく。

 どう考えても杖を持つ僕と、マンモス肉との重量は釣り合っていないのだが、不思議と残骸の方が触手に引きずられて杖の方へと来ている。僕は杖の手ごたえとしては、特に何も感じないのだが。

 そうして、マンモスの残骸がいよいよ杖が届くほどの距離にまで近づくと、『食人鬼の頭蓋骨』が嵌められた杖の先端から、大きな魔法陣が展開される。禍々しい赤黒い輝きに彩られた円形の陣に、『屍人形』を行使する時とよく似た黒い混沌のようなものが渦巻く。

 マンモスの残骸は触手に引きずられるがままに、その魔法陣へと飲み込まれていく。明らかに魔法陣の直径よりも巨大な肉と骨の塊だけど、噛み付き、巻き付いた触手が無理矢理に変形させて、陣の内へと引き込んでいく。

 ほどなくして、完全にマンモスの残骸は取り込まれる。同時に、魔法陣と触手も消え去った。

「ねぇ、小太郎。ソレ、マジで杖んなっても横道、生きてんじゃないの?」

「だ、大丈夫だよ……多分」

 ドン引き、といった表情で杏子に言われる。

 この衝撃的な捕食シーンを見せつけられると、流石の僕もちょっと不安になってくるけれど。

 これはほら、『食人鬼』の能力を引き出しているだけで、横道はもう関係ないというか、意識は完全消滅していると思う。そう思いたい。

「でもコイツに魔物を食わせておかないと、杖の真価は発揮できないから」

 別にこの捕食は、一度捕らえれば絶対に抜け出さずに食べられる、みたいな即死攻撃としては使えない。ゴーマとか赤犬とか、ああいう雑魚モンスなら捕らえたまま喰らえるだろうけど。

 それなりの相手になれば、幾らでも触手を千切って拘束を脱するだろう。

 なので、この捕食能力だけで攻撃力にはそこまで期待はできない。けれどナマモノなら何でも食べるっぽいので、これからは余った素材なんかも無駄にすることはなさそうだ。

「とりあえず、これで作業は完了だよ。おーい、葉山君、もう帰るよー」

「プガガー」

 葉山君を呼んだのに、何故かキナコの返事が。

 何かあったかと思ってみれば、キナコの後ろで、薬草かキノコでも採取しているのか、大きな木の根元でしゃがみ込んでは、ゴソゴソやってる葉山君の姿があった。

「お、おう、悪ぃな桃川、すぐ行くぜ!」

 何故か若干焦った様子の葉山君が立ち上がり、キナコと一緒に駆けよって来る。さらに奥の方からは、呼び声に反応したのだろうベニヲが、元気に戻って来るところだった。

 みんなが無事なら、なんでもいいか。

 またモンスターに絡まれても面倒だし、さっさと撤収することにしよう。




「よし、それじゃあみんな、作業再開しよう。僕はレムとマンモス素材の解体するから、杏子と葉山君は周辺警戒お願いね」

 という桃川の指示に従って、俺は愛用の『レッドランス』を手に警戒任務に立つ。

 さっきのユキヒョウのモンスターはかなりヤバかった。あんなのがいきなり襲ってきても、対処できるようしっかり見張っておかねぇとな。やっぱこの森は油断ならねぇぜ。

「……ふわぁ」

 気を引き締めようと思うものの、モンスターが出なければ雪の森はシンと静まり返っている。天気は相変わらずの風雪が吹き荒んでいるものの、『カイロ』があれば気にもならない。

 この静けさに、カイロの暖かさが合わさり、特になにをするでもなくジっとしていると、襲い掛かって来るのが睡魔って奴で……

「ミヤーン」

「あん?」

 ウトウトしていた気のせいか、耳がくすぐったくなるような、可愛らしい鳴き声が聞こえたような。そう、それはまるで、俺が最近ハマっていたカワイイ動物動画に登場する子猫のような、

「ミャー、ミァー」

「っ!?」

 見れば、そこには本当に子猫が。

 すぐ傍に立っていた大きな木の洞の中から、小さく丸っこい子猫がチョコチョコと歩いてきた。フワフワの真っ白い毛皮なもんだから、雪玉が転がってんのかと思ったけど、薄っすらと浮かぶ黒いヒョウ柄の模様が、ユキヒョウの子供であることを示していた。

「や、ヤベェ、超カワイイ……」

 俺は吸い寄せられるかのように、フラフラと子猫ちゃんの元まで歩み寄る。

「ミァーン」

 子猫は大自然の恐ろしさなどまだ知らないのか、全く何の警戒心もなく、円らな青い瞳で俺を見上げていた。

「おおー、よしよし、いい子だな」

 右手を出しかけたところで、その動きの鈍さから義手であることを思い出し、左手を伸ばして、子猫に触れる。ヒンヤリとした毛皮の表面だけど、フワッフワの柔らかい毛を指がかき分けると、確かな温かさを感じた。こんなに小さいけれど、それでもしっかりと生きているのだと実感する。

「なんて手触りだ。これはもしや、キナコさえも凌駕する……」

 その素晴らしい毛並みにうっとりしながら撫で続けてしまう、子猫も気持ちいいのか、嫌がる素振りもみせず、その場でコロコロとするだけ。

 ああ、可愛い。なんてカワイイ子なんだ。こんな可愛い子猫を飼いたい人生だった……

「でもゴメンな。俺は過酷な旅路を行く最中だからよ。お前みたいなカワイコちゃんを連れて行くワケにはいかねぇ……さぁ、もうママのところへ帰んな」

 などと言い放ったところで、俺はようやく気付いた。

 ちょっと待てよ、ユキヒョウのママらしき奴って、もしかして……いや、もしかしなくても、ついさっき俺達が倒したモンスターじゃねぇの!?

「あ、あわわ」

 なんてことをしてしまったんだ。あのユキヒョウはこの子供がいるから、無理を押してでも襲い掛かってきたに違いない。

 子供に食わせるためにマンモス肉と俺達の肉が欲しかったのか。あるいは、ここが縄張りで、そこに侵入してきた俺達を排除するために襲ってきたのか。

 どちらの理由なのかは、今となっちゃもう分からないが、それでも確かなことは一つだけ。このユキヒョウの子供は、すでに親を失ってしまったということ。

「ミャーオゥ」

 何が楽しいのか、喉をゴロゴロ鳴らして俺の左手にじゃれついてくる子猫。

 きっと、この子はママが死んだことも分かっていないのだろう。

 チラっと後ろを振り向きみれば、桃川が意気揚々とロイロプスにママを積み込んでいるところであった。

 な、なんて残酷な光景なんだ……あまりにもあんまりな現実に、自然と涙が零れ落ちてくる。

「お、俺は……」

「ミャオウ、ミァー」

 親はいなくなったけど、お前は一人で強く生きてくれよな、なんてとてもじゃないが言えない。

 この雪の森の危険さは、よく分かっている。こんな警戒心皆無のカワイイだけの子猫ちゃんが、とても親の庇護もなく生きていける環境ではない。モンスターのいない地球の雪山でだって、餌もとれずに生き延びることはできないだろう。

 親が討ち取られた時点で、子供の死は確定だ。その残酷な末路など露知らず、この子はこうして無警戒にゴロゴロしているのだ。

 けれど、それも仕方のない、厳しい自然の掟。

「俺はそんなのが嫌だから、ベニヲを助けたんだろうが」

 今、この子を助けられるのは俺しかいない。

 大自然は弱者など助けない。けれど、人は自らの意思によって、救いの手を差し伸べることができる。

 親殺しをした俺が、その子を助けようなどと、偽善もいいところ。でも、だからってこんなの見捨てられるワケねぇだろが!

「……でも、桃川は納得しねぇだろうなぁ」

 もしこの子が桃川に見つかれば、オマケで素材も手に入ったと笑うだろう。間違いない、アイツはそういう奴だ。

 冷酷ではあるが、合理的。そう、桃川は無駄なことはしない、利用できるものは何でも利用する、徹底した合理主義のリアリストである。

 そんな桃川が、ただ可哀想だから、という理由で子猫を飼うことを許すだろうか。

 許さないだろうなぁ……だって、ペットなんてのは言ってしまえば愛玩動物であり、ただ傍に置いて愛でるだけの贅沢品。

 少なくとも、このユキヒョウの子供が、今すぐキナコやベニヲのように即戦力となることはない。こんな子猫に、何か役立つような仕事などあるはずもない。強いて言えば、このフワフワ毛皮で、ヒョウ柄パンツにされるくらいか。

 ああ、嬉々として子猫を捌く桃川の姿が目に浮かぶ……

「ダメだ、そんなことはさせねぇ……俺がこの子を守るんだ……」

「おーい、葉山君、もう帰るよー」

「っ!?」

 まずい、桃川に見られたら一瞬で状況把握されてしまう! ひとまずは隠さなくては、

「プガガー」

「キナコ!?」

 俺が子猫に夢中になり、そして深く思い悩んでいたせいで、いつの間にかキナコが俺の姿を隠すように立ってくれていたことに、今初めて気が付いた。

 ああ、キナコ、流石は俺の相棒だぜ。

「お、おう、悪ぃな桃川、すぐ行くぜ!」

 キナコのフォローを無駄にはするまいと、俺は手早く背負っていたリュックに、ひとまず子猫を入れた。悪いな、狭いけど少しだけ我慢してくれよな!




「————なるほど、それでユキヒョウの子供を攫ってきたワケだ」

 妖精広場へ帰るなり、桃川には速攻でバレました。

 な、何故バレたし……しっかりリュックは前に抱え込んで、中身が動いても違和感ないよう隠していたつもりだったのにぃ……

 結局、バレてしまった以上はどうしようもなく、俺は洗いざらい白状したのだった。

「はぁ、まったく、小学生が野良猫こっそり飼うんじゃないだからさぁ」

 桃川は心底呆れたようなジト目で、子猫を抱える俺を見下ろしてくる。

「た、頼む桃川……どうか、どうかこの子だけは見逃してくれぇ!」

「ふーん、親はあんなあっさり殺したのに?」

「ぐうっ……そ、それでも、それでも俺はこの子を助けたいと思ったんだ!」

「随分と入れ込んじゃってるね」

 桃川は小悪魔のような笑みを浮かべて、俺の腕の中にいる子猫を見つめながら言った。

「その可愛い顔で、葉山君を誑かしたんだ。悪い子猫ちゃんだねー?」

 ヤンデレ女みたいなことを言う桃川がひたすらに恐ろしい。

 やはり、俺の力などこれが限界なのか。子猫ちゃんはヒョウ柄パンツにされる運命だったのか。

 ちくしょう、精霊の神様、俺に力を貸してくれぇ!

「うぅ……うううぅ……」

「いや、葉山君、そんなガチ泣きされると困るんだけど」

「お、お願いだ桃川、この子を飼わせてくれぇ……ちゃんとお世話するからぁ……」

「マジで小学生みたいなこと言い出したよ」

 感情が溢れすぎて、俺も語彙力が低下しているのだ。でも、それが俺の心の底からの願いである。

「はぁ、まったく、葉山君は僕のことをなんだと思っているんだか。一言相談してくれれば、子猫一匹くらいどうとでもしてあげるのに」

「いいのか、桃川!?」

「そこまで気に入ってるんじゃあ、仕方がないよ。こういうのは効率とか損得よりも、感情の問題だしね。無下に捨てさせたら、遺恨も残るでしょ」

「よっしゃあ、ありがとう! マジでありがとう! ああ、良かったな、コユキ!」

「もう名前つけてるし」

 リュックに入れて抱えて戻る間に、思いついたのだ。小さな雪で、コユキ。もうこれしかない、と思ったね。

「まぁ、これでまた新しい仲間が増えたわけだ。それじゃあ、これからよろしくね、コユキ」

「シャーッ!」

 桃川が撫でようとして出した手に、コユキは毛を逆立てながら噛み付いた。

「ねぇ、葉山君。毛皮にするのと呪術の供物にするの、どっちが効果的だと思う?」

「ごめんなさい! 躾けるから、俺がちゃんと良い子に躾けるからぁ!」




 葉山君がユキヒョウの子供を拾ってくる、という想定外のハプニングが起こったけれど、別に大した問題ではない。というか、葉山君が一人で勝手に騒いでいただけというか。

 現状、僕らは熊のキナコを仲間に加えていても、困るほどの食糧事情ではない。今更、子猫一匹分の食い扶持が増えたところで、どうということはないだろう。元々はクラスメイト18人分の食料を賄っていたし。

 世話の方は、拾い主であり飼い主の葉山君が責任をもってやり遂げてくれるだろう。すでにしてキナコとベニヲを従える彼なら、ユキヒョウのモンスターも上手く手懐けてくれるはず。

 まだ自分で餌もとれない幼体だけど、順当に成長すれば間違いなく親と同じスペックとなるのだ。それだけで十分な将来性だが、『精霊術士』である葉山君が小さい頃から育て上げたなら、精霊込みでどれだけ強力な成長を遂げるのか。その辺の期待感もある。

 とはいえ、コユキの成長を何年間も、このダンジョンで待つつもりはないけどね。今のところは、可愛いだけの愛玩動物でいてくれれば、それでいい。

 やはりカワイイは正義なのか、杏子もレムも、よくコユキを撫でている。モンスターとしての警戒心の欠片もないコユキだが、愛玩という観点で見れば人懐っこいのは大いにプラスだ。暴れ回られても困るしね。

 でも僕は何故か嫌われているみたいだけど。やはり『呪術師』だから怪しい闇の魔力の気配とかでも放っているのだろうか。

 でも、ベニヲも鼻先をコユキに猫パンチされて「クゥーン……」ってなってたから、僕だけが嫌われているわけではない。仲間だね、ベニヲ。いつかあのカワイイだけで調子に乗ってるメスガキを分からせてあげよう。


『小雪の首輪』:コユキ用に作った首輪。氷の精霊の力が宿ることを期待して、なけなしの委員長製『氷結晶』を、小粒ながらあしらっている。鈴の代わりに淡い水色の結晶がオシャレで可愛いデザインだ。首輪部分は、柔らかい革を選んで使い、これからの成長も見越して大きくサイズ調整できるよう作っておいた。


「それじゃあ、世話はしっかりね。悪いけど、コユキはまだ戦力外のペットでしかないから、もしいなくなったとしても、探すことはしないし、戦闘で危険になっても守ろうとしないように」

「お、おう、分かったぜ」

 と、神妙な顔で首輪を受け取る葉山君。

 ペットを飼う余裕くらいはあるけれど、僕らの足を引っ張るようなら容赦なく切り捨てる。ただのペットを助けるために、危険を冒して負傷、最悪、死亡したのでは割に合わない。

 葉山君には最低限、自分を含めて仲間の安全だけは最優先に考えてもらわないと。

 でも、本当にいざって時には後先考えずに助けに飛び込みそうなのが葉山君でもある。その甘さと優しさは、もう僕にはない眩しいくらいの良いところなのだけど、マジで自分の身を犠牲にしちゃいそうで怖いのだ。その時は、精霊の神様が守ってくれることを祈ろう。

「————さて、ようやく準備も完了といったところかな」

 充実した横道素材と回収素材、そしてコユキの件も含めて、合わせて四日ほどは再び準備期間として費やされることになった。

 でも、そのお陰で最初に出発する時よりも、遥かに充実した装備を整えることができたと自負している。

「さぁ、今度こそボス部屋を越えて、最下層まで行くぞ!」

「おー」

「おおーっ!」

 今日は吹雪も控え目で、絶好の出発日よりだ。

 道中ではアイズ・エレメンタルに絡まれたくらいだけど、完璧に装備を整えた今の僕らの相手にはらない。

 雪原では双子サメがリポップすることもなく、僕らは実にスムーズにあのボス部屋まで辿り着くことができた。

「うっ……やっぱ、ここに来ると嫌な感じするぜ」

「完全にトラウマだよね」

「腕一本食われてっからな……強がることもできねぇよ」

「プググ」

「大丈夫だ、キナコ。ビビっちゃいるが、動けなくなるほどじゃねぇからな」

 心配そうに鼻先を寄せてくるキナコを、葉山君が撫でる。アニマルセラピーで癒し効果を狙っているのだろうか。

「いつまでジャレついんのよ。さっさと行くぞ葉山」

「なんだよ蘭堂、俺がモフモフしてんのがそんなに羨ましいのかぁ?」

「うるせー」

「痛って! ショットガンで殴んなや!?」

「もう、いくらボス戦はスルーできるからって、気を抜きすぎだよ二人とも————」

 と、僕が何気なく扉を開くと、


 キョワァアアアアアアアアアアアアアアアッ!


 バタン、と扉を閉める。

「ボス復活してるわ」

「マジかよ!? ボスいんの!?」

「横道いなくなってから出てくるとか、マジ使えねー」

 いやぁ、まさか昨日の今日でちょうどリポップするとはね。

 でも、ボス部屋のボスモンスはダンジョンの召喚システムで自動的に補充されてる説が濃厚なので、いなくなれば、そりゃあ復活もするだろう。

 つい、横道コアがあれば転移発動で楽勝、と思ってたから、全然ボス戦すること考えてなかったな。

「で、どうすんだよ桃川?」

「葉山君、ボス戦のいいところって何だと思う?」

「はぁ? そりゃあ、えっと……みんな揃って戦える、こと?」

「正解」

 そう、ボスは必ずボス部屋にいる。だから、準備も万全に整えられるし、全員揃って挑むこともできるわけだ。

 葉山君の言う「みんなで揃って戦える」とは、すなわち全戦力を集中できるということ。

 さらに、もう一つボス戦のいい所は、ボスを倒せば終わりということ。集中した全戦力を、ボスを倒すところまでで使い切っても問題ないということだ。

 流石に、今の状況ではクラスメイトがボス戦後に襲撃を仕掛けてくることはありえないからね。襲ってくるだろう最後のクラスメイト候補の横道も、すでにいなくなった。

「というワケで、全力でボスを倒せばそれでいい————葉山君、頼んだよ」

「えっ……ああ、そういうことか。へへっ、任せろよ桃川」

 一瞬、何言ってるのか分からない感じだったけど、すぐに思い至ったようだ。

 そうだよ、葉山君。今や君は、このパーティで最大火力を発揮するエースなのだから。

「よっしゃあ、行くぜ、キナコ、ベニヲ! 霊獣化だ!」

第285話 オーマの目

 ボスはでっかいペンギンだった。可愛らしい感じのデカさではなく、ゴツゴツの甲殻を身に纏い、羽根には鋭いスパイクが並び、牙のある長いクチバシからは奇声を上げながら氷のブレスまでぶっ放してくる、狂暴なモンスターペンギンである。

 そんなボスペンギンは弱点の炎を散々に霊獣ベニヲに浴びせかけられ、怯んだところを霊獣キナコにマウントポジションでボコボコにされて、討伐完了。

 最速のボス戦終了である。

 でも、霊獣化後は消耗が激しいので、一休みしてからの出発となる。

 ここから先は、ヤマタノオロチのいた荒野から飛んだ先と同じ、最下層エリアと思われる場所だ。いよいよクラスメイトに追いつける可能性のあるエリア。つまり、いきなりかち合ってしまうこともなきにしもあらず。

 いつでも小鳥遊相手に戦えるよう、万全の体勢は整えておかないと。

 そうして、葉山君の魔力回復とキナコ&ベニヲの疲労回復も十分なところで、転移発動。特にアクシデントが起こることもなく、僕らは無事に転移の光に包まれて————

「————多分、ここが最下層のはずなんだけど」

 このダンジョンでは、割と見知ったようなジャングルが広がっていた。

 けれど、屋外じゃない。頭上には、かなり高い位置だけど天井がある。ここは間違いなくダンジョンの内部である、超巨大な地下空間だ。

 まぁ、こういうところは無人島エリアや暗黒街も同じなので、今更珍しくも何ともない。

 ここで最も注意すべきポイントは……

「みんな、警戒して。ここは妖精広場が壊れている。多分、安全地帯は存在しない」

「えっ、なにそれ、どゆこと?」

「あー、そういえば、転移したのに妖精広場じゃないし……って、アレが噴水か! めっちゃ壊れてんじゃん!?」

 杏子が指さした先には、蔦に覆われた石造りのオブジェ。パっと見では、ダンジョンではよくある遺跡の残骸くらいに思えるが、僕も一目で壊れた噴水であることは分かった。

 今まで、散々お世話になって来た設備だからね。妖精さん、いつもありがとう。

「どうすんだ、桃川? とりあえず、野営できる場所は探しておかねぇとヤバくね?」

「うーん……よし、この場に陣地を作ろう。杏子、お願いね。簡易的なのでいいよ」

「じゃあ、トーチカでいい?」

「その後、壁も建てられるだけ建てておこう」

「マジかよ桃川、ここに籠るのか?」

「まずは良さそうな場所を探す。それまでの間、安全を確保できるよう、出来るだけの備えはしようってだけ————それじゃあ、レム、頼んだよ」

「クワーッ!」

 新エリア恒例、レム鳥による索敵開始である。

 幸い、横道討伐戦で鳥は失われていない。現在、索敵用鳥さんチームのエースは、雪の森で催眠捕獲したフクロウだ。それ以外は、灰色のカラス。合わせて7羽編成。

 全てレム用の屍人形化しており、7羽分の空の眼が一気に上空からの映像情報をレムに集めてくれる。

 そして、今や流暢にお喋りできる賢いレムに進化を果たしているのだ。氷雪エリアだって、この空中偵察力があるからこそ、ボス部屋施設の位置も簡単に割り出せたしね。

「杏子は工事を急いで。レム、葉山君、気合を入れて周辺警戒だ。まだ、どんなモンスターが出てくるか分からないからね」

「ナァーン」

「コユキは邪魔にならないように、その辺でジっとしてて」

 全員に仕事を割り振り、早速、行動開始である。




 杏子の突貫工事によって、壊れた妖精広場跡は簡易トーチカに覆われ、さらに外周には防壁と掘りも作った。合わせて、あまりにも見通しの悪い箇所は、黒騎士レムが樹木を伐採し、分厚い茂みなどはベニヲが焼き払った。

 そうして、ひとまずはそれなりに森を開き、予定通りの陣地が構築した辺りで、レム鳥からの索敵情報が集まり始めた。

「はい、全員集合。これから、このエリアの簡単な説明をしまーす」

 外への警戒はレムとキナコとベニヲに任せて、杏子と葉山君を前に、集まった情報をノートに記した簡易的な地図を広げる。

「ミァー」

「コユキ、邪魔」

「あー、ほらほら、コユキはこっちで大人しくしてようなー」

 広げられた地図を早速グシャグシャ弄り始めた悪い子猫ちゃんは、速攻で飼い主によって捕獲された。

 可愛い悪戯は、場を和ませてくれていいね。ペットは心を豊かにしてくれる。生活に余裕がある場合に限るけど。

 などと思いながら、改めて地図を広げ直す。

「残念ながら、生きてる妖精広場は今の時点では発見できなかったよ。ここみたいな跡地は幾つか見つかったけどね。多分、このエリアの妖精広場は全滅していると考えるべきだろう」

「おいおいマジかよ、それってヤバくね……?」

 野営の経験こそあれど、しばらく暮らす拠点として、モンスターが近づかないと保証されている妖精広場が利用できない、というのは大きな不安になる気持ち、よく分かるよ葉山君。レイナと出会ったあの密林塔とかマジでクソだったしね。

 しかしながら、今回ばかりはあの頃のように広場ナシの塔に頼ることになりそうだ。

「ここには密林塔とか、他にも遺跡街っぽいとこもあるから、その辺を本格的な拠点として見繕おうと思ってるよ。その時は、また杏子お願いね」

「しょーがねーなー」

 言いつつも、頼られて満更でもない感じの杏子である。この土魔術師様がいれば、大体どんな場所でも拠点化できるから、妖精広場がなくとも、防御面の不安はあまりない。

 とはいっても、それはあくまで一般論、エリアにいるのが野生のモンスターのみという前提での話だ。

「それで偵察結果で一番気になるとこなんだけど、このエリアの中心には、今までに見たことがないデカい塔がある。もしかしたら、ここに例の天送門があるかもしれない」

「おおっ、そりゃあついにゴールじゃねぇかよ!」

「ホントかよ? オロチみたいな超ヤバいボスとかいるだけじゃないの?」

「杏子、惜しい」

「えっ、なにソレ……ヤバいヤツいんの?」

「塔の周りに、ゴーマの王国がある」

 正直、これはヤマタノオロチに匹敵する巨大な障害である。レムの報告を受けて、僕は最初ちょっと信じられなかったから。

 けれど上空からの偵察によって、レムが偶然目撃したとあるゴーマによって、僕は王国の存在を確信した。

「あそこには、オーマがいる」

 無人島エリアのゴーマ開拓村。あそこに潜入した際に、村長ゴーマ達が貢物をしていた相手である。

 ゴーマのくせに白い髪と髭を生やした仙人みたいな風貌で、分かりやすく王冠とローブという出で立ちであった。

 あのゴーマの王『オーマ』を偶然、レム鳥は目撃することに成功したのだ。

 どうやら奴は中央塔を根城にしているようで、その周辺を護衛とメスを引き連れて、散歩するように歩いていたという。

「なぁ、王国って、それどんくらいなんだよ」

「少なくとも、ゴーマ人口は万を超えてるだろうね」

 驚くべきは、その都市の広さである。開拓村の比じゃない大きさを誇る。

 塔を中心として、巨大な防壁で囲った立派な城塞都市だ。眼下に蠢くゴーマは無数におり、防壁や王のいる塔に配置された兵士も、見えた限りでも相当数いる。おまけに、奴らは装備もこれまで遭遇してきたゴーマとは違い、高品質で揃っていた。

 都市を守るのに十分な数がいる上に、外で狩りに出かける部隊もかなり見かけられた。

 ゴーマ王国軍だけでも、何千の兵数となるか分からない。できれば、万には届かないでおいて欲しいが……

「げっ、どうすんだよそんなの……」

「コンパスは真っ直ぐ中央塔を指してるから、ボス部屋があるにせよ、天送門があるにせよ、塔には行かないといけないっぽい」

「いやマジでどうすんだよ小太郎」

「それをこれから考えようと思うんだけど」

 もう考えるだけで憂鬱になるよ。なんだよゴーマ王国って。こんなダンジョンの奥深くで繁殖してんじゃねぇよ、このゴキブリ野郎共。なんか奴らを一網打尽に駆除できる方法とかないかなぁ……

「やべぇ、桃川が遠い目をしてる。これは何にもいい案が浮かんでない顔だぞ」

「大丈夫か小太郎。おっぱい揉む?」

「うん、大丈夫。おっぱいは揉む。いや揉まないよ」

 意識の間隙をついて誘惑すんのやめてくれる? コロっと落ちるよ。

 僕は完全に無意識で突き出しかけた手を、慌てて引っ込めた。

「もう一つ、悪いニュースあるんだけど————コイツを見て欲しい」

 と、僕は傍らに置いておいたモノを取り出す。

「なんだこりゃ、デカい目玉?」

「見たことないモンスターだな」

 外観としては、デカい目玉に蝙蝠のような羽が生えた、シンプルなデザインである。RPGの雑魚モンスターに、こういう奴たまにいるよね、みたいな感じ。

 けれど、こんなモンスターは一度も見かけたことがないし、似たようなタイプのヤツもいなかった。完全な初見である。

「コレはフクロウ隊長が近くで仕留めてくれたヤツなんだけど」

 偵察に出した矢先、塔の近くでフクロウが発見した。その直後、持ち前の飛行能力をフルに活かした急降下で一撃である。

 元はただの猛禽類でしかないフクロウの能力だけで倒せたということは、この羽根つき目玉にはモンスターとしての強さは皆無といっていい。

 しかし偵察任務で送り出したので、モンスターは無視するようにレムには指示している。それでもレムが自己判断でコイツを倒して、僕の下に持ってきたということは、それだけの価値があると踏んだから。

 そして、レムの判断は大正解だった。コイツを放置すれば、大変なことになっていた。

「この羽根つき目玉は、モンスターじゃない。使い魔だ」

「使い魔? それって、レムちゃんみたいな?」

「僕のレムをこんな手抜きデザインと一緒にして欲しくないけど、まぁ、そういうことになる」

「でも小太郎、使い魔ったって、誰のよ? もしかして、小鳥遊のか?」

「いや、違う。アイツのだったら、絶対もっとマシなデザインにするか、普通の動物型にして擬態できるようにするはずだよ」

 アイツは間抜けだが、馬鹿ではない。それくらいの頭は回る。

 小鳥遊が使い魔で監視の目を向けるなら、それは僕らクラスメイト以外にはない。人間を対象とするなら、怪しく思わない偽装なり必ずするはずだ。

「コイツは、オーマの使い魔だ」

 証拠は、目玉部分の模様である。

 パっと見では単なる瞳の模様に見えるけれど、しっかり観察すれば、それがゴーマ式の魔法術式が刻まれていることが分かる。ゴーマ式を齧っている僕には一目瞭然だ。中には、僕でも使っている術式の模様が幾つも見られたからね。

「手下のゴーマ兵を出す以外にも、使い魔を飛ばして監視しているんだ。もしかしたら、先に蒼真君達がこのエリアに来ていて、それを警戒しているか、あるいは探しているのかも————」

「————あるじ」

 その時、レムが幼女姿で駆け込んできた。

 外の警備を黒騎士モードで任せていたが、それを中断して来たということは、

「どうしたレム、敵襲?」

「みつけた」

「何を見つけたんだ」

「くらす、めーと」




 どうやら、事態は一刻を争うようだ。

「ここから少し離れた遺跡街の辺りで、クラスメイトが包囲されている。面子は、上田君、芳崎さん、山田君、中嶋君、姫野さんの5人だ」

「おお、やったじゃねぇか————って、包囲ってどういうことだよ?」

「恐らく、すでに蒼真君達の存在はゴーマ王国側に知られているんだと思う。結構なゴーマの大部隊が、遺跡街に展開している。まだ戦闘は始まってないようだけど、ほとんど包囲網は完成しているから、いつ仕掛けて来てもおかしくない」

 僕はレムから聞き取りしながら、クラスメイト5人組と遺跡街の大まかな地形、そしてゴーマ軍の位置を描いた簡易地図を広げる。

「なら、今すぐ助けに行かねぇと!」

「マリがいるなら、放っておけねーよ」

「助けに行くかどうかは、相談するまでもなかったね」

 この面子ならそうなると思ってたけど。

 転移してきて早々にクラスメイトを発見できたのは僥倖だ。一番心配だった、すでに小鳥遊によって始末されている、という可能性がなくなったのだから。

 しかし、何故この5人組が無防備に遺跡街をウロついているのか。状況には大いに疑問が残る。

 いまだに学園塔メンバー全員が一緒にいるのならば、姫野を含む上にエース不在の編成で、ゴーマ王国がある危険なこのエリアの探索をさせるとは考えにくい。少なくとも、蒼真君ならこんな判断は下さないはずだ。

 天道君が追放され、僕も杏子も抜けているのだ。きっと安全を確保した上で探索を任せられるパーティ編成がしにくくて、蒼真君は頭を悩ませているに違いない。

 クラスメイトの安全を確保したいなら、外をウロつく時は自分かメイちゃんを必ず同行させるはず。

でも、それがない。ついでに言えば、蒼真ハーレムメンバーの誰も含まれていないところは、さらに嫌な予感を掻き立てられる。

 最悪、ゴーマの包囲と僕がここへやって来たことを察知した、小鳥遊の狡猾な罠、という可能性だって考えられるが……状況的に、放っておけばあの5人組は確実に全滅する。

 罠じゃないとしても、単純にあんな大軍と真正面から戦いたくはないんだけど……

「助けに行こう。けど、敵は圧倒的に多勢だ。マトモに全部は相手できない。奇襲をかけて、混乱させてる隙に5人を回収して離脱する」

 これしかない。多少のリスクは百も承知。けれど、無事に救出作戦を成功させられるに足る戦力は、十分にあるはずだ。

「葉山君、霊獣化の準備はいい?」

「ボスペンギンは速攻で片づけられたからな。ちゃんと休んだし、バッチリだぜ!」

「右手の調子は?」

「へへっ、そんなもん、見りゃあ分かんだろ?」

 そしてこのドヤ顔である。

 葉山君は黒々とした右手を掲げて、自信満々に言い放った。

「まさか、移植手術がここまで上手くいくとはね」

 僕としても想像以上の結果である。

 今、葉山君の右腕は、以前と全く同じ感覚を取り戻している。触覚も痛覚も通り、指先一本一本を繊細に動かすことも可能。

 ただ、その見た目だけは生身の腕とは明らかに異なるものとなった。

 移植した右腕は、全体が黒くなっている。肌の色が黒いとかいう色合いではなく、ペンキで塗りたくったような、無機質な黒さなのだ。生身というより、サイボーグの右腕のようだ。

 この漆黒の右腕となった秘密は、闇属性の精霊が宿ったことにある。

 元々、呪術『双影』で形成された右腕だ。葉山君は僕の呪術を見ては、黒い棒人間こと闇の精霊がいる、と言っていた。つまり、呪術には闇の精霊が宿っているのだ。

 それらの闇の精霊が、葉山君の『精霊術士』の力と見事に通じ合ったのだろう。

 今や彼の右腕は、もう僕の『双影』ではなく、自分自身が制御しきる新たな精霊術となって再構築されているはずだ。少なくとも、僕の制御はもう全く届かない。

「精霊の力に感謝だぜ」

「だからって、もう手足を失くしたりしないでよね」

「あ、当たり前だろ。あんなのもう二度と御免だっての」

 僕だって切断された腕の応急処置なんてやりたくないよ。

「先鋒は霊獣キナコ&ベニヲに任せる。この二人でまずは敵を派手に蹴散らして欲しい」

「プグァ!」

「ウー、ワンワン!」

 気合の入った鳴き声で応えてくれる二人である。やっぱ僕の言葉の意味、理解しているよね。

「すぐ後ろは杏子が続いて。攻撃か、敵を足止めする防御にするかは、状況を見て判断して」

「ウチの新車、乗ってっていいんでしょ?」

「ニューグリムの初陣だからね。派手に暴れてよ」

 頼もしき2頭のグリムゴアは、横道との戦いよって惜しくも倒れてしまった。再び屍人形をかけても、起き上がって来れない程の損壊具合だったからね。

 けれど、幸いだったのは2頭の失った部分がそれぞれ違ったこと。つまり、死骸をニコイチにすることによって、1頭分の体を確保したのだ。

 さらに相性の良さそうな素材を用いて、キナコのように防具まで拵えたのだ。元から頑強だった甲殻の上から、さらに金属質な赤色の外殻を纏わせている。横道から生えていた、赤色の大ムカデの甲殻を利用した。

 こうして、グリムゴアは見事に復活を果たしたのだ。グリリンと呼んですっかり愛着の湧いていた杏子も大満足である。

「あとは、僕が5人を上手く誘導して、急いでその場を離脱する」

「その後はどうすんだ? ここに戻って来るのか?」

「いいや、逃げ込むのにちょうどよさそうな大きなトンネルを近くに見つけている。そこに駆けこんで、入口を杏子が塞いでくれれば、追撃はひとまず食い止められるよ」

「そっか、じゃあ、ウチが逃げ遅れるワケにはいかねーな」

「誰一人、失うつもりはないよ。必ず、みんなで生き残ろう」

 さぁ、クラスメイトのピンチに颯爽と駆け付けて、毒殺の冤罪も晴らしに行かせてもらおうか。

第286話 再結成

「————ふぅー、ギリギリで間に合ったよ」

 霊獣の咆哮が轟き、ゴーマ共の悲鳴と怒号が響き渡る。

 葉山君を筆頭に、キナコとベニヲ、そしてグリムゴアに跨った杏子が突っ込んで、一気にゴーマ軍団の形成を崩した。

 そして、今まさにゴーマの大群に飲まれかけようとしていたクラスメイト達の元へ、僕は辿り着いたのだ。

「やぁ、みんな、久しぶりだね」

 まずはフレンドリーな挨拶で、余裕をアピール。

 それにしても、みんな酷い恰好だ。制服と防具はヨレヨレのボロボロで、手にした武器も今にも壊れそうな状態だ。これ武器に耐久値あるタイプのゲームだったら、もう使い物にならないレベルだよ。

 どうやら、彼らはただ激戦を潜り抜けたというだけでなく、ロクな補給も受けられない状況に陥っていたようだ。

「とりあえず、このリポーションは僕の奢りだから、まずは飲んで落ち着いて欲しい」

 リポーションの一杯でも飲んどかないと、逃げてる途中で倒れかねない。本当に体力の限界ギリギリといった有様だった。

「もっ、も、桃川ぁああああああああああああっ!」

 みんながみんな、目に涙を浮かべてそう叫んだ。

 いやぁ、嬉しいね、そんなに喜んでもらえると。このピンチを救ったのは、『勇者』蒼真ではなく、この僕、『呪術師』桃川、桃川小太郎でございます。その辺、しっかりと覚えておいてよね。

「みんな、早くリポーション飲んで。すぐ撤退するよ」

「お、おうよ————んぐっ、ぷはぁ!」

「ああぁ……沁みるわぁ……」

「ありがとう、もうダメかと思ったよ……」

 フルマラソンを駆け抜けたランナーよりも疲労困憊といった様子の戦闘担当の三人組は、一気にリポーションを飲み干し、一息ついていた。

 ん、三人?

「山田君は」

「あっ、そうよ! 山田君は奥でゴグマと戦ってるの! 私達を逃がすために、一人で挑んで」

 で、その先でゴグマ二体に遭遇してるんだから、無駄な犠牲じゃあないか。

 けれど、咄嗟の判断で自分を躊躇なく犠牲にできるなんて……やっぱり山田、ヤマジュンが死んでから人が変わってしまったね。

「葉山君、もう少し奥の方に山田君がいる」

「おっしゃあ、頼んだキナコ! もうちょいぶっ込んで行ってくれぇ!」

「プガァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 霊獣キナコは雄たけびを上げて、立ち並ぶゴーヴ兵を薙ぎ払いながら、さらに前進してゆく。

 山田君が相手しているゴグマってのは……アイツか。やっぱデカいから、こんな乱戦でもゴグマのいる場所は一目瞭然だ。

「グバァ!? ゼブル、ダブラグガァ————」

「プンガァ!」

「ンバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 すげぇ、霊獣キナコがぶん殴ったら、ゴグマの巨体が宙を舞って吹っ飛んだよ。

 そのまま廃墟の3階くらいの辺りに着弾し、ガラガラと崩落に巻き込まれて消えて行った。

「プググ、プガ!」

「よし、キナコ! ソイツが山田だ! もう戻れ!」

 高々と掲げたキナコの手には、ぐったりとした山田君が握られていた。まるでキングコングに捕まった人間のようだけど、救助はこれで成功だ。

「山田君も無事に救出だ。さぁ、みんな、逃げるよ」

「おい、逃げるたって、どこにだよ」

「いいからついてきて。あ、姫野さんは足遅いから乗って」

「ええー、わ、私、ラプターなんて乗ったことないからぁ……」

「いや、あっちのロイロプス。ベルトでしっかり自分を縛って、落ちないようにね」

「桃川君、女の子は荷物じゃないんだよ!?」

「お荷物なんだからしょうがないじゃない。泣き言はいいからさっさと乗って」

「こなくそぉーっ!」

 どうでもいいブリっ子を発揮する姫野さんをロイロプスに縛り付けて、いざ出発。

 霊獣&杏子が散々に暴れてくれたので、ゴーマ軍はほぼ総崩れといった有様。けど、僕らが退けばすぐにでも反撃に転じそうだ。奴らを仕切るゴグマも、まだ生きている。

 四人を襲っていた二体のゴグマ。片方は健在だが、もう片方はキナコの猛攻を受けてすでに死んでいるようだ。

 よしよし、一体だけでも始末が出来たなら、上々だよ。

「死出の旅路を祝い、晒される骸を呪う。黒い血。泥の肉。空っぽの頭。最早その身に魂はなく、ただ不浄の残滓を偽りの心と刻む。這い、出で、蘇れ――『怨嗟の屍人形』」

 騎乗したアルファが素早くゴグマの死体の傍まで乗り付けてくれる。僕は手をかざし、すでに済ませた詠唱をもって呪術を発動させる。

「グゥ……グブブ、ドグバァ……」

「一人で死ぬのは寂しいでしょ? 精々、沢山お仲間を道連れにしていきなよ」

「ドゥングゥァアアアアアアアアアアアアアア!」

 雄たけびを上げて、ゴグマの屍人形が動き出す。

 やっぱり、その場で足止めしてくれる奴がいた方が、撤退する時は有効だよね。

「声なき声をかき集め、闇夜に透ける姿を映す。狂気の沙汰、悲劇の果て、虚無の末路。暗き底なし沼に淀む者達よ。悔い、改めることなかれ————『悪霊憑き』」

 オマケとばかりに、敵を狂わせる『悪霊憑き』も発動させる。

「『悪霊憑き』、『悪霊憑き』、『悪霊憑き』————」

 目いっぱいに連打して、目に映るゴーヴ兵に仕掛けていく。

 これで、屍ゴグマと悪霊ゴーヴの捨て駒足止め小隊の完成だ。制限時間一杯まで、大暴れしておいてよね。

「じゃあ、みんな行くよ。遅れずに付いてきて!」




 ほどなく、予定通りの場所に僕らは無事に退避することに成功した。

 ゴグマの足止めが有効だったのか、それとも完全に指揮系統が乱れたか、大した追撃もなくゴーマ軍は簡単に振り切れた。

 監視の目も、出来る限り潰している。フクロウはあの戦場で3つほど、羽根つき目玉の使い魔を仕留めている。今は一時的に、奴らの目からは完全に逃れられているはず。

 もっとも、こんな大勢で逃げてきているから、すぐにでも痕跡は辿られるだろうけど、トンネル封鎖すれば関係ない。

 ここのトンネルはただの一本道ではなく、内部は複数のトンネルが絡み合うように存在しており、隠れ潜むにはうってつけの場所だ。少なくとも、ゴーマの縄張りではない。

 僕が一人で歩いた最初のエリアを思い出す武骨なトンネルを進み、適当なところでようやく腰を落ち着けた。

 ここは地下鉄のホームみたいに開けた場所となっている。

「みんな、お疲れ様。聞きたい事、言いたい事は色々あると思うけど、まずはゆっくり休んでよ。話はそれからにしようか」

 ゴーマ軍団に襲われた5人組はズタボロだ。とても込み入った話のできる状態ではない。

 特に山田なんかは、かなりゴグマにボコられたようで、学園塔で作った鎧も半ば砕けているほどだった。頑丈な『重戦士』じゃなければ普通に死ねるダメージ具合である。

 5人には、とりあえずですぐ食べられる保存食を上げたら、夢中で食べて、すぐに寝入ってしまった。ゴーマとの戦いだけでなく、単純に飢えによる衰弱もしつつあったようだ。

「やっぱり、5人だけではぐれたっぽいけど……」

 まぁ、詳しい話は目覚めてから聞くとしよう。

 それまでの間、僕と杏子と葉山君の三人は、ここを新たな仮拠点とする用意をしておいた。風呂も入りたいだろうしね。

 そうして半日ほど過ぎてから、ようやく5人が目を覚ました。

「あー、なんだ、その……まずは、助けてくれてありがとな、桃川」

「マジ助かったよ、杏子。来てくれてめっちゃ嬉しかった」

 殊勝な態度で、上田が謝意を表明してくれた。

 芳崎さんは、杏子と抱き合っている。ギャルの友情、感動の再会、とそんな感じである。

「まさか、葉山君が生きているなんて……」

「おいおい中嶋ぁ、お前も桃川とおんなじこと言うなよなー」

 そういえば、葉山君は中嶋君とは普通に仲が良いんだっけ。クラスでは割と一緒にいた気が……というか、なんとなくの印象でしか知らないけど。

 でも学園塔にさえ現れず、一人の目撃情報さえなかった葉山君が、生きているとは誰だって思わないよ。

「桃川、お前……どうして、俺達を助けた」

「山田君は、まだ無理して起きない方がいいよ」

 そんなに僕が素直に助けに入ったのが驚きかい?

 別に、もし僕が毒殺事件の真犯人だったとしても、あんなシチュエーションだったら助けて恩を売って再び取り入ろう、とすることは不自然ではないでしょ。

 なら、僕が無実でも犯人でも、どっちにせよ君達を助けたってことになるよ。

「俺は大丈夫だ……」

「死にかけだったくせにー? まったく、いくら『重戦士』が頑丈でも限界があるんだから、無茶しちゃダメだよ」

 実際、山田はまだ安静にしておくべき状態だ。どう見ても骨とか折れてるし。

「じゃあ姫野さん、山田君に治癒魔法かけといてねー」

「相変わらずの人使いね、桃川君」

「うん、そうだね、適材適所だね」

「その悪びれない感じ、本物だわ」

「ふふん、小鳥遊如きじゃあ、姿は真似できても、僕と同じ真似はできないよ」

 さて、山田も姫野も気にしているようなので、先に僕の方から話を始めようか。

「改めて言うけれど、僕はクラスのみんなに毒を盛ったりしていない。全て小鳥遊の仕業で、アイツは今もクラスメイトの排除を狙っている。だから、僕はみんなを助けるために、こうしてここまでやって来た。いやぁ、思ったよりも早くみんなに追いつけて、本当に良かったよ」

 と、にこやかに語ってみるが、まぁ胡散臭い笑顔に見えちゃうのかな、こういう時って。

 それでも、明確にスタンスを明らかにするって大事なことだと思うんだよね。

「みんなには、僕のことを信じて欲しいと思っているし、こうしてピンチを助けて、信じてもらうに値する行動もしていると思っている。けれど、それでも僕を信じ切れないというなら————今すぐ、この場を去って欲しい」

 たとえ疑わしくても、このまま出ていくワケにはいかないだろうけどね。

 みんなの様子をこうして間近で見れば、確信できる。君達5人は今、完全に蒼真グループから離れているんだろう?

 学園塔で結束した二年七組は、とっくに崩壊してしまった。戻る場所なんて、もうどこにもない。

 小鳥遊の罠か、それとも自然消滅か……蒼真君、どうやら君一人にクラスのみんなを守るのは、荷が重かったようだね。

「信じるわ、桃川君。というか、信じざるを得ないわ。私達は、はっきり見捨てられたんだから」

「そっちも、やっぱり色々とあったみたいだね?」

「杏子、アンタが正しかった。アタシらは、小鳥遊にハメられてこの有様だよ」

 よしよし、よくやった小鳥遊。お前が露骨に5人ものクラスメイトを排除してくれたお陰で、相対的に僕の信用度が爆上がりである。

 向こうの方からボロを出すとは。その上、切り捨てたクラスメイトが丸ごと生きているなんて、僕にとっては理想的すぎる展開だ。

 小鳥遊、やっぱお前、馬鹿だよ。

「それじゃあ、何があったのか、詳しく聞かせてもらっていいかな?」

 そうして、僕は知ることとなる。

 僕と杏子が去った後、如何にして二年七組が学級崩壊していったかを。




 シクシクと悲しい泣き声が響いている。

 杏子と芳崎さんは、身を寄せあって泣いていた。

「……三人も失ったのか」

 まず、下川が消えた。生死は不明だが、たとえ生きていたとしても合流は絶望的だろう。

 次に、中井と野々宮さんが死んだ。

 ザガンとかいうネームドのゴーマに、真っ二つにされたという。これは全員が目撃しており、中井は即死で、野々宮さんはあまりの重傷でその後まもなく死亡。

 知らされた大切な友人の死に、杏子が泣くのも当然だ。彼女は楽観的だから、多分、僕みたいに覚悟はしていなかったはず。

 それを甘いと責めるつもりはない。深刻な時は、深刻な顔をしていれば解決するわけではないのだから。

 最悪を想定して心配するのは僕だけでいい。能天気な杏子が傍にいてくれることで、きっと僕は自分が思っている以上に精神的に救われているはず。

 そんな彼女が泣いているというのに……僕には、かける言葉が見つからない。見つかるはずもない、何を言っても、取り返しのつかないことに変わりはないのだから。

「桃川君が来なかったら、私達5人もあのまま死んでいたわ」

「それで、晴れて生き残りは蒼真ハーレムだけってことになるわけだ」

 この5人をまとめて排除できたなら、小鳥遊はかなり動きやすくなるはずだ。なにせ、残った面子はほぼ頭からアイツを信用しているからね。

 後は普通にボス戦にかこつけて、蒼真君が覚醒しそうな演出で犠牲者を一人ずつ出して行けばいい。

 しかし、そうスムーズに事は運ばない。

 小鳥遊のゲームマスターの能力があれば、ボス戦をコントロールすることも可能だろう。直接的な操作能力まではないとしても、必ずや都合のいい犠牲が出るくらいの強さをもったボスモンスターが用意される。ヤマタノオロチが、僕らの排除を狙ったように。

 だが、女神エルシオンも小鳥遊の力も及ばない相手がここにはいる。

 そう、ゴーマだ。ここにはオーマ率いるゴーマの王国がある。

 それが中央塔、小鳥遊曰く『セントラルタワー』という天送門のある中枢区画を堂々と占拠しているのだ。

 ザガンはクラスメイトを容易く殺し、蒼真君でも足止めで何とか、というほどの強力なゴーマの上位種、『ギラ・ゴグマ』である。そんな大ボスに加えて、ゴグマ、ゴーヴ、ゴーマの大軍勢を王国は擁している。

 小鳥遊はゴーマ王国を突破し、自力でセントラルタワーまで到達しなくてはならない。そして、今はその方法を模索中ということだ。

「僕はメイちゃんは絶対に助けたいし、委員長と夏川さんも見捨てられない。蒼真君は自己責任だし、なんなら桜ちゃんと剣崎はこの機会にお別れしても、くらい思っちゃってるけど————要するに、黒幕の小鳥遊を殺す。そして、他のみんなも助ける。だから協力して欲しいし、そうする以外にこのダンジョンから脱出する方法もないと思う」

 改めて、僕は問う。小鳥遊小鳥を敵として、僕と共に戦ってくれと。

「桃川、俺はやるぜ。中井も、下川も、元をただせば小鳥遊のせいで……だから、仇は討ってやらねぇと、気が済まねぇからな!」

「アタシもやるよ……ジュリを殺したあのゴーマも、そうなるように仕向けた小鳥遊も、絶対許せないから」

 共に友人を失った上田と芳崎さんは、真っ先に気炎を上げて乗ってくれた。

 復讐心はシンプルだけれど、強力な感情だ。そういう方が、仲間としては安心できていいよね。

「俺らはあの時、お前を犯人だと決めつけて追い込んじまっただろう。今更、謝って済む問題だとは思わねぇが……桃川、お前は俺らを許してくれんのか」

「いやだなぁ、山田君、僕をそんなに短絡的で感情的なヤツだと思っているのかい?」

「そうか……そうだよな、お前はそういう奴だ。桃川、あの時は本当に済まないことをした。償いってワケでもねぇが、俺はお前に協力する。なんでも言え」

「ありがとう、山田君。またこうして仲間に戻れて、僕は嬉しいよ」

 本当に、山田は真っ直ぐな男になったものだ。今の男気溢れるこの姿、ヤマジュンに見せてあげたいよ。

「中嶋君は、どうする?」

「お、俺は……」

「小鳥遊は絶対に許せないわ! っていうか、私を突き飛ばした剣崎もマジで許さねぇし! ねっ、陽真くんも、あの女の醜い行いを見て幻滅したと言ってるし、喜んで桃川君に協力させてもらうわよ!」

「えっ、そんなこと言って————」

「言ったの! はい、それじゃあ決まりね。5人全員、桃川君と協力して小鳥遊ぶっ殺すわよ!」

 うーん、この姫野のゴリ押し具合。嫌いじゃない。

 中嶋は剣崎に未練アリアリなのは見るからに分かるけど、見ないフリが正解だよね。だってここで反対したところで、一人で出ていくワケにはいかないもんね?

 君は剣崎のことを愛していても、アイツは君のことなんて、なんとも思ってないからさ。のこのこ戻ったところで、難癖つけて追い返されるか殺されるかのどっちかだよ。

 だから、そんな乗り気じゃなくても中嶋は、僕らのグループに所属するしかないのだ。ただ、自分自身が生き残るために。

 なぁに、そんなに心配しなくてもいいよ。その気がなくても、ちゃんと生活は保障するし、決して悪いようには扱わない。君は『魔法剣士』として貴重な戦力であり、『簡易錬成陣』も使える労働力だからね。

 そして何より……剣崎の女郎は僕が殺してあげるから。思い人を手にかける、なんて残酷なことを君にさせるつもりはないよ。

「みんな、本当にありがとう。今はヤマタノオロチに挑む時よりも辛い状況だけれど、ここにいる全員が協力しあえば、必ず解決できると僕は信じている」

 これで、5人ものクラスメイトが再び僕の味方となった。

 メイちゃんや蒼真君のような、エース級の力はない。けれど今までダンジョン攻略をし、共にヤマタノオロチを討ち、小鳥遊の陰謀で追放されても生き残った歴戦の勇士達だ。

「大切なのは、団結すること。それが、僕らの一番の強みだ」

 小鳥遊はハナから裏切り者だ。蒼真君も、みんなのことも、騙している。

 だから、真の意味で一致団結することはできない。

 委員長だって小鳥遊のことは疑っている、というか、こうも離脱者を出した以上、ほぼ確信を抱いているかもしれない。そして、メイちゃんも向こうは抱えたままだ。

 今のメイちゃんは心神喪失状態らしいけど、そんな可哀想な状態だからこそ、蒼真君は優先的に守ってくれる。彼女を放逐することは決してない。

 そして、小鳥遊にとっても彼女の存在は喉元に突き付けられた刃である。

 大方『イデアコード』の力でメイちゃんを無力化しているのだろうけど……その拘束力が僅かでも緩めば、最強の狂戦士が解き放たれることになる。

 僕ら八人は、同じ目標を共有し、全員が協力しあえるチームだ。

 一方、蒼真ハーレムパーティは、最初から団結しようもないガタガタの状態。

 個々の能力では上回っていても、集団としての力は僕らの方が上だ。勝機は十分にある。そして、正義も我にありだ。

「裏切り者を倒し、僕らは今度こそこのダンジョンから生きて脱出しよう」

第287話 小鳥遊の目

「ねぇ、レム、メイちゃんは」

 フルフルとレムは小さく首を振った。

「うーん、やっぱダメか……でも、同じ階層にいるのは間違いないと分かっただけで十分かな」

 残念な報告だが、焦るべきじゃない。そう自分に言い聞かせながら、僕は錬成陣に魔力を流し、作業に集中する。

「————なんだよ桃川、まだ起きてたのか」

「葉山君の方こそ」

「俺はトイレに起きただけだし」

 夜中まで錬成陣と向き合っていると、葉山君に声をかけられた。

 現在の仮拠点とした地下鉄ホーム(仮称)では、みんながハンモックに揺られて寝静まっている。起きているのは僕と、見張りを頼んでいるレムだけだ。

 コンクリート剥き出し風の冷たい広間に、僕らの声だけが僅かに響いていく。

「なぁ、桃川」

「おいでよ。僕もちょうど、気分転換に話し相手が欲しかったところなんだ」

 僕の隣、座布団代わりに敷いた毛皮に誘う。ついでに、すっかり味に慣れてしまったハーブティーモドキも淹れてあげよう。

 湯気の立つカップに一口つけてから、葉山君は言った。

「なんか、ホントに人が死んでんだって、今更、思っちまったよ」

 出会った時には、もうとっくにクラスメイトは何人も死んでいると伝えている。

 彼自身、この異世界に落とされてから、何度も死ぬほどの目に遭って来たし、右腕を失う重傷だって負った。

 人が死んでどうこう思うなんて、本当に今更……なんて、とてもじゃないが言えないよね。

「ついこの間、横道は死んだじゃん」

「いや、アイツもう完全にモンスターだったじゃねーか……」

 人間として扱うのは無理筋だよね。多分、この異世界でもアイツほど人間離れ(物理)した奴はいないんじゃないかと思うくらいの化け物ぶりだった。

「そんでアイツらの話聞いててさ、マジでウチのクラスで殺し合いみたいなことに、なっちまったんだって」

「そうだね。でも、これ以上の殺し合いを許すつもりはないよ」

「だから、小鳥遊を……殺すんだろ?」

「うん、僕が殺す。安心してよ、葉山君に人殺しをさせるつもりはないからさ」

「馬鹿野郎! こんな状況だぞ、俺だってやろうと思えば————」

「————いいんだよ、人なんて、無理に殺すようなものじゃない」

 そんな震えた手じゃあ、手元も狂っちゃうよ?

 そっと、葉山君の震える左手に触れてみれば、今頃気づいたように、手を引っ込めた。

 そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに。

 本当にクラスメイト同士で殺し合っている実感っていうのを、追い詰められた5人の姿を見て葉山君は心の底から抱けたんだ。人を殺すのも、殺されるのも、どっちも怖いし、恐ろしいことだから。

「けど、お前は……」

「そうだよ。僕は人を殺している。もう、何人もね」

 今更もう一人くらい、小鳥遊という邪悪な裏切り者を始末するのに、何の躊躇いもない。

 慣れた、っていうのとは少し違う。きっと、自分の中で人を殺すことに対する折り合いをつけられているのだろう。

 僕は『呪術師』だからね。人を呪い殺すことだってあるのさ。

「葉山君、僕が怖い?」

 平気で人殺しのできるサイコパスだと、そう思うかい。それとも、こんな極限環境じゃ仕方のない経験だったと割り切れる?

 でも、君と出会った時に僕が人を殺しているなんて全く言わなかったのは、故意のことだからね。騙されたと、そう感じてしまうのも仕方がないとは思うよ。

「見くびんなよ、桃川。お前は俺の、命の恩人だ」

「それはお互い様でしょ。葉山君がいなかったら、ここまで来れなかった」

「俺が一人だけだったら、結局、キナコとベニヲも道連れにしてどっかで野垂れ死んでただけだからよ」

 それはどうだろうね。僕と出会わなければ、君は君で今もみんな仲良く森を旅していたと思う。

 より危険な戦いへ、君達を巻き込んだ自覚はあるんだ。

「それに、俺だけじゃねぇ。見てて思ったよ、アイツらの世話も、お前が焼いてきたんだろうってな」

「大したことはしてないよ。仲間だから協力し合う、当たり前のことをしてきただけさ」

「俺ら全員、クラスじゃお前とロクに話したこともねぇ奴らばっかだぜ。そんなのがこんだけ集まって、今は桃川を中心にして纏まってる……凄ぇよ、お前は。凄ぇ奴なんだって、俺はマジでそう思える。ここまで一緒にやってきて、自分でそう決めたんだ。だから俺は、お前を信じるぜ」

「……もう、そういうこと面と向かって言われると、照れるじゃないか」

 割とマジで。なんだろう、このメイちゃんとも杏子とも違う、真っ直ぐな気持ちってヤツ? 本当に照れ臭いね。僕言ったじゃん、褒められなれてないんだって。

「なんだよ、マジで照れてんのか。可愛いとこあるじゃねぇか」

 言いながら、葉山君が僕の頭を撫でてくる。

 むっ、この絶妙な撫で加減! 流石、常日頃からキナコとベニヲを侍らせてモフモフしているだけあるな……

「でも、ホントにありがとね。信じている、とそう言われるのが、僕は一番嬉しいよ」

「そりゃ、クラス全員から濡れ衣着せられたらなぁ」

「まったくだよ」

 この落とし前はきっちりつけるからな。呪術師としての責任をもって、小鳥遊には地獄の苦しみを味合わせて呪い殺さないとね。

「それで、実際のとこどうすんだよ? ゴーマは王国だし、小鳥遊と一緒にいる連中は、お前のこと敵視しているワケだろ?」

「葉山君は、どうしたらいいと思う?」

「えっ」

「具体的に言えば、この状況下で、明日からまず何をするべきか」

 質問返しをしてみれば、葉山君は割と真剣に「うーん」と悩み始めてしまった。

 でも、たまにはいいと思うんだよね。唯々諾々と指示に従うだけじゃなくて、自分で最善手を考えるってのも。

 こういうところ、地味に下川が優れていたんだけど……いや、だからこそ、真っ先に小鳥遊に消されてしまったのだろう。

「うーん……やっぱ5人も食い扶持が増えちまったから、狩りに行かなきゃいけないんじゃねぇかな」

「確かに、それは必要なことだよね」

 腹が減っては戦がってやつ。けれど、ロイロプスには大量の保存食を搭載しているから、今日明日、食料が底をつくようなことはないのだ。

 まして、ここは無人島エリアとよく似た植生のジャングル。狩りの獲物も採取できる植物も豊富にあることが確定している。そうそう焦って食料確保に動く必要性はない。

 ないんだけど、じゃあなんであの5人はこんなに飢えていたんだろう。全く、世話の焼けるクラスメイトだよね。

「じゃあ結局、何からやるつもりなんだよ」

「そんなに大それたことじゃないけどね————情報収集だよ」

 特に、今回のようなシチュエーションでは、尚更ね。

 最大の目的は、間違いなくこの最下層エリアのどこかに潜んでいる小鳥遊と、一緒にいる蒼真ハーレム、彼らの捕捉。5人の証言から、メイちゃんは例の遺跡に一緒に入っているというので、今でも彼女は蒼真パーティに同行している。

 そしてもう一つ、ゴーマ王国というかつてない巨大な敵勢力が跳梁跋扈しているエリアだということ。奴らの繰り出す追撃部隊は勿論、セントラルタワー潜入に向けて王国内の情報収集も必要だ。

 ゴーマ共に見つからずに忍び込めれば一番楽で良いのだけれど、警備が厳重過ぎて不可能な場合は、大規模な戦闘を吹っ掛ける必要もあるかもしれない。

 そうなった場合の作戦立案のためにも、ありとあらゆる情報が必要なのだ。

「それじゃあ、いつもみたいに鳥を飛ばして偵察か?」

「基本的にはそれがメインだけど、ここにはまとまった情報を一気に入手できそうな場所があるみたいだからね」

「そんな都合のいい場所なんてあったっけ?」

「小鳥遊がアクセスした塔だよ」




 というワケで、翌日、早速やって来ました。

 いやぁ、流石はレム鳥の空中偵察能力。早々に例の塔と思しき場所を発見してくれた。

 塔まで向かうメンバーは5人。アルファに変身したレム本体と、それに乗った僕。グリリンに乗った杏子。それから、上田と芳崎さん。

 この二人は騎乗にそれほど慣れてるわけじゃないけれど、そもそも前衛戦士職として素で足が速いから、騎馬が必要ないスピードを誇る。万が一、ゴーマ部隊や予期せぬ強力なモンスターと遭遇した場合、素早い逃走ができる面子で固めた。

「間違いねぇ、ここが俺らのいた塔だぜ」

「この有様を見るに、そうみたいだね」

 エントランスに入れば、激しい戦闘の跡と、渇いてはいるものの、夥しい血痕がそこかしこに残っている。ここ数日の内に、この場所で戦いがあったことを何よりも雄弁に物語っていた。

「マリ、大丈夫?」

「……杏子、アンタが一緒にいてくれなかったら、ちょっとヤバかったかも」

 ここは野々宮さんが致命傷を負った場所でもある。

 芳崎さんの顔色はあまり優れていない。そんな彼女の隣に立って、杏子が手を握っていた。

「上田君、僕らも手ぇ繋ぐ?」

「お前なぁ、俺だって吹っ切れたワケじゃねぇんだぞ」

 純粋に心配してあげてるんじゃないか。

 中井もまた、この場でザガンによって殺された。上下真っ二つの即死だったそうだけど……すでに熟練の『戦士』となっていた中井が即死するとは、やはりザガンというのは格の違う相手のようだ。

 さて、エントランスで感傷に耽っていても仕方がない。

 いつトラブルが発生するか分かったものじゃないし、さっさと用事は済ませよう。

「やった、ツイてるね。君らの荷物、丸ごと残ってるじゃないか」

 上田に当時の状況を聞きながら塔を探索していると、荷物置き場としていた部屋には、そのまま数々の荷物が残されているのを発見した。

「おお、俺のスマホ!?」

「アタシのスマホもある!」

 荷物を見て真っ先にスマホの確認とは、この現代っ子め。

 でも数日放置だったので、当然、バッテリーはゼロ。充電器は小鳥遊所持だったから、二度と起動することはない……はずだったけど、こっちには『精霊術士』がいるからね。雷属性の精霊さん、お願いします。

「やった、ウチのスマホも残ってるじゃん!」

 ああ、杏子は離脱したけど、ちゃんと持ってきてくれたんだね。野々宮さんの荷物の中に、杏子のスマホがあり、友人の心遣いに感激だ。

 それじゃあ、もしかして僕のガラケーも!?

 あっ、僕のは桜ちゃんにぶっ壊されたんだ。まだ許してねーからな、忘れるんじゃねぇぞ桜。

「荷物が残ってるのはラッキーだけど……」

 ゴーマに全く漁られていないのは、ちょっと違和感が。

 いや、そうでもないか。恐らく、逃亡したみんなを夢中で追いかけたからだろう。やっぱバカだなアイツら、敵の荷物なんていう情報の塊を放置していくなんて。

 けど、それもそうか。基本的なゴーマの知能は石器を作って喜んでる原始人レベルだ。オーマやザガンという例外もいるが、たとえどんなに頭の良いリーダーがいようが、率いられるゴーマの知能が上がるわけじゃない。

 つまり、人間の軍隊並みにゴーマ集団が戦術的に機能するのは、知能の高いリーダーの指示が届く範囲となる。リーダー以外には頭脳を必要とする仕事を割り振れる存在がいない。

 だから、敵の拠点に奇襲をかけた後、敵の荷物を漁って情報分析しようとか、そういうことを考えられる奴が一匹もいないのだ。

「とりあえず、荷物は全部グリリンに積んでおこうか」

 こういう時、グリムゴアみたいな大型車があると便利だよね。いくらパワーとスピードに優れる前衛戦士職とはいえ、大荷物を背負って走れとは頼みにくい。

 予定外の収穫をしてから、さらに塔の探索を再開。

 周囲に放っているレム鳥達からは、異常の報告はない。まだ多少の調べる猶予はあるだろう。

「ここだな。そこの台座みてーなとこで、小鳥遊が何か調べるつって、弄ってたぞ」

「お馴染みの石板コンソールだね」

 僕に山越えショートカットを決意させてくれた、塔にあった祭壇と全く同じモノがそこにはあった。

 小鳥遊がコイツを弄ったのは、フリではなく、本当にこれにアクセスして情報収集ができたのだろう。だとすれば、コイツはまだ生きているし、それなら僕でも多少は情報を引き出せるはずだ。

「さぁ、僕にも素敵な情報を寄越せよ————」

 まずは、前と同じホラグラムマップが展開される。

「おお!?」

「なにコレ、初めてみた」

 ああ、そういえば、小鳥遊は情報漏れを防ぐために、石板弄る時は他人の目には見えないようホロ表示をオフにしているんだったな。

 お前、これ他に古代語解読できる人がいてホロ表示させたら、手ぇ抜いてたの速攻バレるじゃねぇかよ。ヤマジュンとか、多分普通に起動できるぞ。

「————なるほど、ここに天送門があるのか」

 投影されたホログラムマップには、このエリアの広大な全体象が表示されている。その時点で、中央に突き立つセントラルタワーが見えている。エリアを構成する平面と、その中心を貫くタワーとで、独楽のような形状となっている。

 そう、タワーは上だけでなく、下にも伸びているのだ。

 そして、その一番下の階層に、特別な反応を示すアイコンが点灯していた。

「やっぱり、タワーは登るんじゃなくて、下がるのが正解みたいだ」

 しかし最下層エリアとは言うものの、天送門のあるタワー深層部には、その周囲にある程度の空間がある。

 タワーから半径1キロほどの範囲は、円筒形の空間となって真下に広がっているのだ。

 ということは、タワーを中心に広がるゴーマ王国は、ちょうど天井部分に築かれたということか。落とせれば楽に一掃できるんだけど、古代の構造物を破壊する手段などないので、不可能な作戦だろう。

「ゴーマ王国の表示がないのは……元々あった構造物じゃないからかな」

 マップデータの更新は遥か古代で止まっているようだ。

 ホログラムマップをよく見てみれば、このエリア全体は元々かなり広大な都市だったことが窺える。その大半はジャングルに飲み込まれ、建築物さえも残らず土に帰ってしまった状態のようだが、5人が襲われていた遺跡街のように、当時の面影を残す場所もチラホラとあるようだった。

「おお、僕らの地下トンネルも分かるぞ」

 拡大してみれば、最下層エリアの地下を走る、蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下トンネルも表示されていた。

 これだけ複雑に入り組んでいれば、ゴーマもウロつかないか。

 でも複雑すぎて、見ただけじゃ覚えきれないな。ノートに写すにしても限度ってもんがあるよ。

「ねぇ、杏子のスマホはバッテリー残ってない?」

「ウチのは電源切ってたから、まだちょっとだけ残ってるわ」

「じゃあ、それでこのマップ撮影してくれない?」

「オッケー、任せなよ、ウチそういうの得意なんだよねぇ————イェーイ!」

「いや自撮りじゃなくて、マップだけ撮影して」

 キメ顔の自分を映さなくていいよ。芳崎さんも一緒に映ろうとしないでよ。

 これでバッテリー切れたら、充電してからまた撮影に戻らないといけないじゃん!

「……まぁ、こんなもんでいいかな」

 結局、スマホ借りて自分で撮ったよ。その方が早いし、正確だった。

 ひとまず、これで全体マップ、タワー周辺、エリアの東西南北、そして地下トンネルまでマップ情報は手元に置いておける。

 レムの偵察情報とすり合わせて行けば、より正確なエリアの地形と状況が把握できるだろう。

「おい桃川、俺らが見捨てられた遺跡ってどこか分かるか?」

「確か、この辺の洞窟から入って行ったんだよね?」

 現在位置の塔から、当時の彼らが逃げ込んだであろう洞窟の場所はすぐに割り出せた。

 確かに、その洞窟は割と深く、他のトンネルだか洞窟だかとも合流したりしているが……

「それらしい施設は映ってないな」

「他の場所なんじゃねぇのか?」

「いや、これは多分……施設の位置情報が秘匿されているんだ」

 恐らく、この石板コンソールで閲覧できる情報というのは、かつて人がここで生活していた頃、一般人が自由にアクセスできるものだったと推測される。

 だが、全ての情報が一般人如きに開示されるはずもない。漏れたら困る施設の情報は、当然だが古代でもあったことだろう。

 例えば、軍事施設だとか。

「小鳥遊の潜伏先が軍事施設だとすれば、古代兵器とか持ち出してきたりするかも……」

 どうしよう、巨大人型ロボットとか出して来たら。そんなSF兵器が登場したら、僕悔しくて憤死しちゃうかも。僕も欲しい。専用機とか欲しい。

「そんじゃあ、現地にいって確認してみっか? お前なら、あのゲートも開けられるんじゃねぇのかよ」

「ええー、軍事施設の入り口なんて、絶対防衛用の兵器あるじゃん。勝手に動いた、とかでビーム撃たれて殺されそうだからイヤだよ」

 小鳥遊が選んで逃げ込んだ場所なら、ゴーマ如きでは絶対に落とせない安全性が保障されるだろう。施設周辺も監視できそうだし、僕らの姿なんか見つけ次第、排除にかかりそう————

「待てよ、監視って……」

 僕は一旦、ホロマップを閉じた。

 石板には魔法陣のようなものが目まぐるしくスクロールされてゆき、マップの代わりにホログラムのモニターが投影される。

 そこに描き出されるのは、僕では半分も解読できない文字の羅列。この石板にあるマップ表示以外の様々な機能などが選択できるようになっているとは思うのだが、僕の古代語解読レベルではほとんど分からない。

 分からないけれど……僕は気づいた。

 この石板コンソールは、現在ほとんど全ての機能がオフになっている。マップ情報だけは僕らが利用したらか、アクティブとなっている。

 古代人も地球人類と似たような感性をしているのか、アクティブになっている機能は緑に光る文字で表示される。

 一方で、赤で表示されるのはオフになっているものだと推測される。

 マップの他にも、幾つか緑で点灯されている謎の機能がオンになっているようだが……

「————小鳥遊、お前、見ているな」

 返事はない。だが、僕は確信をもってそう言った。

 オンとなっている緑文字の中にある、かろうじて僕が読み取れる単語には、『見る』、『瞳』、『場所』、『送る』、『秘密』、などが並んでいる。

 これらから連想されるものは、監視だ。

 恐らく、この古代遺跡全体には各所に監視カメラのようなものが設置されている。監視魔法かもしれないが、そんなのはどっちでもいい。

 ともかく、遠くから他の場所の様子を見ることのできる機能が利用できるのだ。

 小鳥遊は潜伏先の施設で、その監視映像を見てゴーマの動向などを探っているはず。そして、この塔にのこのこ顔を出した僕らのことも、奴はバッチリと見えているだろう。

 ちぇっ、僕がこのエリアに到着して、追放された5人と合流できたことを、小鳥遊側に知られていないのは大事な情報アドバンテージだったけれど……バレてしまったのなら仕方がない。

「どうした、顔くらい出せよ引き籠り女め。んん、なんだよビビってんのか賢者様? なら、精々お前が崇めるクソビッチの女神に祈ってろよ。これからお前を追い詰めてやる。絶対に逃がさない。言っただろう、僕は必ず、お前を呪い殺してやるからな」

 とまぁ、メッセージはこんなもんでいいだろう。

 さて、小鳥遊に存在がバレちゃったし、下手にちょっかいかけられない内に、さっさとズラかるとしよう。

第288話 彷徨う者

「どうした、顔くらい出せよ引き籠り女め。んん、なんだよビビってんのか賢者様? なら、精々お前が崇めるクソビッチの女神に祈ってろよ。これからお前を追い詰めてやる。絶対に逃がさない。言っただろう、僕は必ず、お前を呪い殺してやるからな」

 正面に投影されたホロモニターにアップで表示される、小太郎が生意気なクソガキ全開の表情でそう言い放ち————直後、塔からの映像は途絶えた。

 ホログラムの消えた薄暗い部屋の中で、小鳥遊小鳥は震えていた。

「桃川ぁあああっ! こぉんのゴミクズ野郎がぁああああああああああああああっ!」

 怒りに震えながら、小鳥は目いっぱいの怒声を叫ぶ。

 幸いにして、この部屋は完全防音だ。

 ここは蒼真パーティが潜伏している古代遺跡の砦。その中にある司令室である。

 塔にあるものよりも大きな石板と、他にも複数の石板が備えられている。その機能の大半は停止してしまっているものの、使える部分もまだ多少は残っていた。

 そのお陰で、外部の情報をこの司令室にいながら入手できるのだった。

 小鳥はいつもの如く詳しいことは伝えずに、ここの設備を『賢者』の力で弄れば色々と分かりそう、という曖昧な言い方で、情報収集を名目にここで一人で引き籠れるようにしていた。

 実際、何か所か外を映している映像などを見せて、みんなが納得するような成果も示している。

 一応、この砦の周辺にゴーマがいないかどうか、小鳥が見張るという立場を確立しておいた。

 そうして、小鳥は自分の能力が及ばないゴーマ王国の攻略法を考えていた。

 何とかして、あの邪魔くさいモンスター共を排除できないか。このエリアで自分が使える遺跡の機能はどの程度で、復旧は可能か。あるいは、さらに権限を拡大するにはどうすれば良いか。

 小鳥が頭を悩ませながら、司令室のコンソールを弄っていたその時に、映ってはいけないモノが、映ってしまったのだった。

「はぁ……はぁ……クソ、まさか本当に桃川が追いついてくるなんて……」

 ひとしきり罵詈雑言の叫びを上げてから、ようやく理性が戻って来た小鳥がつぶやく。

 全く考えなかったわけではない。ないのだが、可能性は限りなく低いと思っていた。

 桃川小太郎。あの男の小賢しさと執念は本物だが、決定的に個人としての戦闘能力には欠けている。現実的に考えて、『勇者』蒼真悠斗を擁するパーティに、遅れた位置からスタートして追いつけるとは考えられない。小太郎の能力を思えば、そもそも最下層エリアに到達することすら困難であろう。

 蘭堂杏子が一人だけ仲間についたところで、戦力的には足りていないと、小鳥はそう考えていたのだが……

「一体どうやって、こんな短時間で最下層まで……いや、それよりも、あの野郎がそれだけの戦力を確保している方が問題だよね」

 重要なのは小太郎が追いつけた方法ではなく、それを可能とするほどの力を持っているという事実である。

 今の小太郎は、どれだけの戦力を保持しているのか。

 まさか、こちらを上回るほどの力があるとは思えないが、厄介なことに変わりはない。

「それに、なんでアイツらが桃川についてんのよ……」

 塔の映像では、小太郎の他に、蘭堂杏子も映っていた。この二人が一緒にいるのは何の問題もない。

 しかし、映像にはさらに、上田と芳崎の二人までもが一緒に映り込んでいた。

 自分の監視の目でも、追放してやった5人組は見つけられなかったというのに、一体どんな偶然か、早くも桃川は彼らとの合流を果たしたようだった。

 姿を確認できたのは上田と芳崎だけだが、姫野、中嶋、山田、の三人はどうなのか。ここは五人全員、桃川の方へ寝返ったと考えるべきだろう。

「悲劇の犠牲にすらなれないクソ雑魚モブの分際で、この小鳥に歯向かうなんてねぇ!」

 もっと確実に、始末しておけば良かった。と後悔したところで、今更である。

 あの時はもう必要がない5人を切り捨てる絶好のチャンスだったし、あの後に生き残ることも、さらに小太郎と合流できるなど予測できるはずもない。あれが最善手だった。

「大丈夫、大丈夫だよ小鳥、落ち着いて……あんな奴らなんて、何人いても関係ない。雑魚がいくら集まったところで、神に選ばれた者には敵わないんだから……」

 祈るように両手を握って、小鳥は気を落ち着かせて、考えた。今、するべきことは何かを。

「……そうだ、焦って動く必要なんてないんだ。ここでボロを出してしまえば、奴の思う壺ってやつだよ」

 桃川小太郎の目的は、『賢者』たる自分の殺害。それから、蒼真悠斗含むクラスメイトと再び合流すること。最悪、蒼真パーティを諦めたとしても、自分の女である双葉芽衣子は絶対に取り戻そうとするはずだ。

「あのクソゴーマ共に阻まれているのは、向こうも同じ……桃川なら、上手くタワーまで辿り着く方法を考えるはずだよね」

 今この時、小太郎が追いついてきたのは自分の窮地ではなく、むしろチャンス、これも神の計らいによる天恵かもしれない。

 現状、蒼真パーティ単独でのゴーマ王国の突破、セントラルタワーへの確実な到達方法は見つかっていない。これからも見つかる保障はなく、その内に危険を承知で突撃案が採用されるかもしれない。

 しかし、ここでもう一組、王国へ仕掛ける者がいればどうか。

 小太郎の作戦が、ゴーマに見つからずにタワーへ行ける秘密の潜入ルートの開拓であれば、自分達もそれと同じ道を辿ればいい。そのためには、彼らの行動を監視しなければならないが……それは何とかなりそうだ。

 あるいは陽動作戦など大きな騒ぎを起こしてゴーマ軍を引き付ける、という場合なら、その騒ぎにこちらも乗じればよい。これも監視をしつつ、向こうがどのタイミングで仕掛けるか把握する必要があるだろう。

 一番楽ができるのは、どうにかして王国のゴーマを殲滅する方法。

 いくら何でも、数万に届くゴーマ人口を、僅か8人のパーティで殺し尽くす方法などあるはずもないが……それでも、何かしらゴーマ軍に大打撃を与えてくれれば、こちらとしては万々歳だ。

「そう、そうだよ、ここはアイツを利用するのが一番。何もしなくていい、焦らず、ゆっくりとここで待ってるだけでいいんだから」

 この砦は軍事施設のため、通常のマップデータには反映されることはない。

 小太郎の古代語解読能力はそれほど高くはない。隠蔽されたデータを探し出すという、高度な操作は絶対に不可能。それこそ『賢者』でもなければ、そこまでの能力は持ちえない。

 ならば、小太郎がこの砦を見つけることはできない。ここへ入った時の洞窟は、すでに封鎖している。

 ただ門を閉じただけではない。あの洞窟に繋がる道そのものを砦の隠蔽機能によって塞いでいるので、同じ道を辿ることさえできないのだ。上田達が砦に通じる洞窟を小太郎に教えても無駄だ。

 だから、絶対にここは見つからない。こちらの居場所を見つけられなければ、小太郎も仕掛けようがないだろう。

「そうなれば、絶対にタワーへ向かう方をアイツは優先する。小鳥達が先に到着されたら、困るもんね」

 こちらの居場所を見つけられなければ、小太郎は焦るはずだ。

 蒼真パーティもゴーマ王国に阻まれていることは向こうも分かってはいるが、こちらがどういう手段でタワーに向かうか、いつ辿り着くか、というのは分からない。

 先を越されてしまえば、それだけで小太郎の負けとなる。なにせタワーに入りさえすれば、あとはラスボス戦で勇者の覚醒を促し、そのまま二人で脱出する。

 神が定めた通りのシナリオが、粛々と進行するのみ。

「ここさえ越えれば、イレギュラーはもうない……小鳥は使命を果たして、蒼真君とようやく結ばれるの」

 作戦はこれで決まった。余計なことはせずに、ただ小太郎の監視に務める。

 これで蒼真悠斗がゴーマ王国突破の有効策を見つけられなくても、小太郎を利用して必ず突破口が開ける。

 あとは小太郎が最下層エリアに到達しているということの、情報の開示タイミング。それから、上手く利用するためのパーティの誘導。

 この辺はいつもと同じ。これまでもやってきた、自分に都合の良いように周囲を動かすための立ち回りである。

 大丈夫、必ず上手く行く————最後に、そう希望を持った小鳥は、司令室を出た。

「————小太郎くん?」

 瞬間、その呼び声が通路に響いた。

「小太郎くん……いるの?」

 フラフラと、うわ言の様に呟きながら、双葉芽衣子がこちらへ向かって歩いてきた。

「ふ、双葉さん、どうしてここに」

 予期せぬ人物の到来に、思わず声が引きつってしまう。だが、演技だけは何とか崩さずに保つ。

「小太郎くんの声が聞こえた気がしたんだけど……小鳥遊さん、知らない?」

 焦点の定まらない瞳で、微笑みを浮かべた芽衣子が、小鳥へと問う。

 今の芽衣子は、まだ自分のことはただのクラスメイトだと認識している。『イデアコード』によって、小太郎がいなくなったショックだけを与えた状態にしているため、状況の認識はできていない。できるはずもない。全力の『イデアコード』で縛っているのだから。

「し、知らないよ。小鳥は何も知らないよ、双葉さん」

「本当? どうして小太郎くんがいないのか……小鳥遊さん、知ってるんじゃないのかな……小太郎くんがいなくなったのは、小鳥遊さんが————」

「————止まれっ!」

 思わず、『拒絶の言葉』を使っていた。

 詰め寄って来た芽衣子の歩みは、その場でピタリと止まる。

「まさか、私の『イデアコード』が解かれかけている? 嘘だよ、そんなのありえない……」

 だが、今の芽衣子は明らかに自分に対して敵意を出そうとしていた。

「もしかして、桃川に反応したの?」

 司令室は完全に防音がされているはずだ。満に一つも外に音声が漏れることはない。まして、芽衣子は通路の向こう側にいたのだ。

 聞こえるはずがない。

 だがしかし、現に声が聞こえたと言って、ここまでフラフラとやって来てしまった。

「声を聞いただけじゃない……何かアイツと魔法的に繋がりでもあるの?」

 なんにせよ、これは危険だ。

 双葉芽衣子は、桃川の存在を認識すれば、その瞬間に『イデアコード』の呪縛を解き放ってもおかしくない。

「このままじゃまずい、もっと強く縛っておかないと……」

 芽衣子は抱え込んでしまった爆弾だ。

 下川のように『追放刑』で始末するには無理な状況である。あれは直後にゴーマの奇襲があると分かっていたから、ドサクサ紛れで誤魔化せると踏んでの犯行だ。

 良くも悪くも、砦の安全は保障されている。だからこそ、仲間に手出しは出来ない。

「チッ、忌々しいクソ豚女め」

 小鳥は一筋の冷や汗を流しつつも、その場に呆然と立ち尽くす芽衣子を残し、逃げるように去って行った。




「————よし、ここを本拠点とする!」

 塔から戻り、僕は撮影してきたホロマップのとある一点を指し示す。

 そこはこの最下層エリア西側、かなり広く遺跡街が残された場所、その地下である。

 地下トンネルが地下鉄のような移動用に利用された路線だと仮定すれば、ここの地下はかなり大きな駅だったということになる。かなり多くの地下トンネルがこの一か所で合流しているのだ。

 こういう大きな駅のようなトンネル合流点は他にも何か所か見受けられるが、ゴーマ王国の立地、それから小鳥遊達が潜伏していると思しき遺跡の位置、そのどちらからもほどよく離れた位置にあるのがここだった。

「というワケで、今から引っ越しします」

「えー、明日でよくない?」

「ダメです。ここはまだゴーマが襲って来れる位置にあるからね」

 杏子がダダをこねているが。この仮拠点は比較的安全というだけで、完璧ではない。

 マップ情報が手に入ったので、より詳しく仮拠点周りの地形も把握できている。これから活動するにあたって、この仮拠点は決して素晴らしいといえる立地ではないことが明らかとなった。

 妖精広場という安全地帯が利用できない以上、自ら最適な拠点の場所を決めなければいけない。

 僕は拠点を作る立地の重要性を、クラフト系オープンワールドゲームで学んだ。

 山の麓に拠点を構えて、鉄鉱石をジャンジャン掘ったり。あるいは、うっかり激戦地に建設したせいで、あっという間に更地にされたりとか。

 幸い、ここは廃人連中が24時間張り付いて鎬を削る過酷なPVPサーバーではないから、僕は自分で好きな場所に居を構えることができるわけだ。

 その上で、ゴーマという敵NPC勢力を打倒し、小鳥遊という害悪敵対プレイヤーをキルするのが、このステージでのクリア目的、といった感じである。

「それじゃあ、出発!」

 そうして、地下トンネルを二列縦隊で進む。

 道案内と索敵兼ねて、進行方向にはレム鳥を飛ばしている。今は全羽をこっちに呼び戻しておいた。こんな場所でウッカリ挟撃なんてされちゃあ目も当てられないからね。

 だからといって、勿論、僕らも油断してダラダラ歩くワケじゃない。鳥を飛ばすだけでは分からない、息を潜めて獲物を待ち構えるモンスターがいないとも限らないしね。

 なので、ダンジョンを進む時と同じく、警戒態勢である。

 先頭を行くのは黒騎士レムと上田。索敵情報をダイレクトに受け取れるのはレム本体だし、上田はこの面子の中ではもっとも気配察知に優れている。『盗賊』夏川さんが飛びぬけているだけで、上田も十分に鋭い感覚を持っているのだ。

 次いで、コアで作ったアルファに乗った僕と、グリリンに乗った杏子の騎乗組が続く。

 そのすぐ後ろに、葉山君と姫野さんの打たれ弱いメンバーと、その護衛兼攻撃魔法も使える中嶋を配置。

 中衛を守るように、荷物を満載したロイロプスが続き、それから後ろを固める山田と芳崎さん。キナコとベニヲのコンビは、列から離れなければ好きなように歩かせる。

「うおおおぉー、スゲー手触り! これ抱きしめて寝たーい!」

「プググ、プガァ……」

「おい芳崎ぃ! 俺のキナコに手ぇ出してんじゃねぇぞ!」

「うるせー葉山、今日からこのモフモフはアタシのなんだよ」

「プガ! プガガ!」

「やめろよ、キナコも嫌がってんじゃねぇか!」

「はぁ、どう見ても喜んでるし。おおぉー、この毛並み堪んねぇー」

 芳崎さんは、随分とキナコをお気に入りのようだ。葉山君から寝取ろうかというほどの熱烈なアプローチである。

 さては芳崎さん、部屋にデッカい熊のぬいぐるみとか置いてるタイプだな?

 ともかく、キナコとベニヲというモンスターな仲間も、5人からは好意的に、というか、当たり前のように受け入れられている。

 まぁ、僕が先にレムを使役しているから、今更って感じだろうし。キナコなんて子供にもウケそうなキグルミちっくな姿だし、ベニヲなんて普通の犬だし。忌避する要素はどこにもない。

 コユキは言わずもがな。その姿を見た瞬間、女子も男子も魅了してしまった。

 でも姫野だけシャーと威嚇されて、引っ掻き攻撃を喰らっていた。新たな嫌われ仲間の誕生である。

「なぁ、小太郎」

「どうしたの?」

 並走する杏子が、僕の頭上から声をかけてくる。

 当たり前だけど、グリムゴアはラプターであるアルファよりも二回り以上も大きいから、騎乗する位置は杏子のが圧倒的に上となる。

 見上げれば、肉感的な褐色の太ももと、その奥までチラチラするスカートが。

 ユキヒョウ柄のパンツは、実にセレブリティに溢れている。

「ここ、モンスターいなさすぎじゃね?」

「やっぱり、杏子もそう思う?」

 今の道中、まだ一度もエンカウントしていない。それどころか、方々へ先行させているレム鳥からも、何かしらのモンスターの発見報告もなかった。

 つまり、この地下トンネルでモンスターは一切、目撃すらされていないのだ。

「ゴーマの一匹も出ないっておかしいだろ」

「収穫の期待できない場所だから、わざわざゴーマも来ないだろうけど……僕らを探しにも来ないのは、明らかにおかしいんだよね」

 ここは決して、モンスターが生息できない過酷な環境というワケではない。そんなんだったら、とっくに僕らも逃げ出している。

 一つだけ考えられるのは、この地下トンネル全体が、妖精広場のようにモンスターを寄せ付けない謎の効果で守られている、という可能性。

 実際、妖精広場にモンスターが侵入されたことないっていうのは、長らくダンジョン生活してきた僕らが一番知っている。でも桜ちゃんの『聖天結界オラクルフィールド』みたいに、光り輝くバリアが分かりやすく張られているワけでもないし、僕らがモンスター避けの効果そのものを感知することはできない。

 だからこの地下トンネルにも同様の力が働いていたとしても、僕らには分かりようもないのだけれど……これは勘だけれど、そんな僕らに都合の良い場所になっているとは、とても思えなかった。

「じゃあ、何でここにモンスターいないのさ」

「それは分かんないけど、かといって表に拠点を構えるわけには————」

「————あるじ」

 その時、先頭を歩く黒騎士レムはピタリと足を止め、振り返って僕を呼んだ。

「逃げて」

「撤退だ! 急いで引き返す!」

 一も二もなく、僕は叫んだ。

 噂をすれば何とやら、というべきか。ついにこの地下トンネルでモンスターの存在を感知した。

 先行させていたレム鳥の一羽が、いきなり反応が途絶えた。

 僕には視覚まで繋がっていないから、反応のアリナシしか分からない。

 しかし、レム本人は分身体の五感をダイレクトに感知できる。僕の『双影』と同じように。だから、レムには鳥を襲った何者か、の姿を確認できているのだ。

 その上で、レムは言ったのだ。逃げろ、と。

 すなわち、現有戦力では太刀打ちできない存在を確認したということに他ならない。

「急いで! なんだか分からないけど、超ヤバいモンスターがこの先にいる!」

「おいおいマジかよ。俺は特に何も感じねぇけど」

「上田君が感知できる距離まで近づかれたら、手遅れかもしれない。だから、今の内に逃げるんだよーっ!」

 君子危うきに近寄らず。というか、危ういと分かっていながら近づくのはただ馬鹿なだけなんだけど。

 そういうワケで、ヤバいと分かってんなら、四の五の言わずにまず逃げる!

「レム、どこまで来てる」

「距離、約500メートル。歩くくらい、の早さ」

「数は」

「1」

 マジか、たった一個体で即撤退をレムに進言させるほどのモンスターがいるとは。一体、どんな化け物なんだ。横道か?

 是非、その正体はこの目で見極めなければ。君子じゃなければ、危うきに近づいてもOKだよね。

「相手の速度は遅い。落ち着いて、来た道を引き返して行こう」

 危険な敵の出現に、ワイワイと多少浮足立つものの、僕らだって素人の集まりじゃあないからね。速やかに転進し、撤退を始める。

 後に残ったのは、分身となった僕と黒騎士レム。それから、あるだけ召喚術で出したスケルトン軍団とハイゾンビ小隊。

 失っても全く痛くない、捨て駒兼偵察部隊である。

 僕の本体はアルファの背に揺られながら、みんなと一緒に撤退中。

『双影』の僕は、この地下トンネルで初めて現れたモンスターを確認すべく、道の先を真っ直ぐ見つめる。

 そうして、待つこと5分ほど。


————ガシャリ


 重苦しい、金属音がトンネルの向こう側から反響してくる。

 この音には、聞き覚えがある。リビングアーマーだ。重厚な鎧兜を身に纏った奴が歩くと、あんな金属音がするのだが……

「なんだ、暗くなってる……?」

 煌々と発光パネルによって照らされたトンネル内は十分な光に満ちているが、その音が聞こえた途端、徐々に、けれど確実に薄暗くなってきた。


————ガシャン、ガシャン


 一歩ずつ、着実にこちらへと近づいてくる足音。

 それに伴って、陽が落ちるかのように薄暗闇が広がって行き、その奥には明確な闇が渦巻いていた。


 コォオオオ……


 闇の訪れと共に、深い呼吸音が聞こえてきた。

 目の前は、辛うじて視界を確保できるほどの暗闇に包まれている。

 そして、僕は見た。その闇の中に佇む、絶望を。

「うわっ、これ絶対ヤバい奴じゃん……」

 ははは、と渇いた笑いが漏れてくる。一目、その姿を見ただけで、震え上がる。

 ヤマタノオロチや、『完全変態リ・モンスター』横道を前にしても、これほどの恐怖心は湧いては来なかった。

 いやぁ、これ『双影』で良かったよ。生で見たら、ガチでチビって動けなくなってもおかしくない。それくらいの迫力、いいや、明確に恐怖で発狂しかねない強烈な魔力のオーラが放たれているのだ。

「この異世界には、こんなモンスターがいるのかよ」

 毒を喰らわば皿まで、じゃないけれど、恐怖に慄きながらも僕は全力で目の前の存在を観察した。

 闇の中を歩むソレは、やはり人型で、鎧兜を纏っていた。

 身長2メートルをやや超えたといったサイズ。人間としてみればデカいが、リビングアーマーとしてはありえる大きさだ。

 だが、その絶望的な魔力オーラを抜きにしても、単なるリビングアーマーとは一線を画す姿をしていた。

 それは正に、地獄の悪魔の王とでもいうような、禍々しい鎧兜のデザインであった。

 憤怒に歪んだような凶悪な髑髏フェイスに、雄々しい二本角が生える。

 狂暴性と攻撃性をこれでもかとアピールするかのように、刺々しい装甲。頭からつま先まで全身黒一色、レムと同じく黒騎士といったカラーリングだが、漆黒の装甲には随所に血管のように赤く輝くラインが走り、不気味な明滅を繰り返していた。

 ただでさえ凶悪な姿であるが、その手にする武器もまた極まっている。

 その手に握るのは、四角い大剣……いいや、刀身が超長い大鉈か。本体と同じく漆黒の色合いをした刃には、轟々と燃え盛るような赤黒いオーラが迸っている。

 まったく、なんだその中二病デザイン。今時、和ゲーのアクションRPGでもこんなボスキャラ作らんだろう、みたいな姿であるが、コイツが動くところを直で見ると、小馬鹿にする台詞すら凍り付くほどの恐怖心に苛まれる。

 そんな感想が思い浮かぶほどには、しっかりとその姿を見定めた時である。


『埋葬神学』:この世界においては、埋もれ、葬られた神々の伝説。されど呪いを操る者よ、外法の力をもって、理外の片鱗に触れよ。拾い集め、紡ぎ合わせ、思い出すがよい、遥かなる神々の時代を————


『彷徨う狂戦士』:それは、黒き悪夢の具現。その名を呼んではならない。その名を書いてはならない。その名を聞いてはならない。その名を知ってはならない。その者は、神をも恐れぬが故に————禁断の力、その一端を僅かに発現した模倣品に過ぎないが、人類に恐怖を思い起こすには十分に過ぎた。どれほど力を欲しようとも、それに手を出すべきではなかった。後悔は遥か時の彼方。残された狂戦士は、ただ彷徨い続ける。


 な、なんかヤバそうな説明文が勝手に思い浮かんで来たんですけど……

第289話 僕らのアジト

「————いやぁ、マジでヤバかったよねアイツ」

「やばい」

 僕はアルファの背の上で、幼女レムを抱えながらトンネルを進み続けていた。

「小太郎、どうだった? もうやられたん?」

「勝負にすらならなかったよ」

 今まさに、分身で残してきた捨て駒小隊が全滅したところである。

 杏子だけでなく、他のみんなも出現した超危険なボス級モンスターについて気にしていたので、知り得た情報を歩きながら話すことにした。

「リビングアーマーの最強形態みたいな、黒い鎧兜の奴だった。『彷徨う狂戦士』って名前らしい」

 どうやら、僕は『直感薬学』とは別な鑑定スキルを手に入れたようだ。

『埋葬神学』という中二感溢れるネーミングの鑑定系呪術は、相変わらず壮大な雰囲気だけを漂わせて、具体的な内容は全く分からないフレーバーテキストを添えてくれる。

 だがその意味を精一杯の解釈で考えてみれば……恐らく、この異世界には『天職』を与える神々と、また別の神々が存在している、または存在していた、と推測される。

 そして僕に『埋葬神学』という力が与えられたということは、呪神ルインヒルデは『天職』系の神々とは異なる系統の神だと思われる。説明文にある通り、忘れ去られた神々、その勢力に属しているのだろう。

 まぁ、僕の呪術はやっぱ他の天職と比べて変な能力だし、何より雛菊さんという同じ『呪術師』でありながら、全然違う能力を獲得した人もいるのだ。

 その違いが何かと言えば、力を与える神様そのものが異なっている、というのは実に納得のいく説明だろう。

 無論、僕としてはルインヒルデ様がどんな神様勢力出身であったとしても、信じるより他はない。むしろ、明確にクソ女神エルシオンと別勢力だと分かって清々するくらいだ。

 任せてくださいよルインヒルデ様、この呪術の力でエルシオン勢力ぶっ潰してやりますよ。宗教戦争上等、ジハード万歳。小鳥遊は死ね。

「ともかく、あの『彷徨う狂戦士』って奴は、どうもヤバい神の力で動いているらしい。だから、ただのモンスターじゃあなさそうだよ」

 そう、アイツは野生に生きる野良モンスターでもなければ、小鳥遊が手を加えて出現させたモノでもない。

 僕の脳内に浮かんだ説明文から推測するに……『彷徨う狂戦士』は、この場所がダンジョンになった原因を作った、あるいはそれに関係する存在ではないかと思う。

 凄い力を求めて、ヤバい神の力に手を出した結果、SF映画のAIが如く暴走。それを止めきれず、この場所を放棄するより他はなかった、なんて想像は簡単につく。

 遥か古代の魔法文明の人々を追い出したのがコイツだと言うなら、このダンジョンの真の支配者は『彷徨う狂戦士』と言ってもいいだろう。

 なんだソレ、裏ボスが普通にマップを徘徊してんの? 致命的なバグじゃない? ちゃんと隠しダンジョンの一番奥のエリアで引き籠ってくれないと困るんですけど。

「で、強いの?」

「強すぎる。一撃で全滅だったからね」

 距離50メートルくらいの位置で、多分、僕らのことを認識したであろう狂戦士は、右手に握った大鉈を軽く振るった。

 次の瞬間、漆黒の風が轟々とトンネルを駆け抜け————僕の視界には、バラバラに切り刻まれた僕らのパーツが映っただけ。貧弱な僕やスケルトン、それに筋肉質な人間と同程度のハイゾンビが細切れになるのは仕方ないと思うけれど……黒騎士レムの装甲さえも同じようにバラバラになっていたので、防御無視かよってくらいの威力で切り裂かれたのは間違いない。

「初撃で全滅余裕な範囲攻撃ぶっ放す奴だよ。あれはグリリンとロイロプスを盾にしても、まとめて切り裂かれるくらいの威力があった。トンネル内じゃ回避も不可能だね」

「うん、それは無理だな」

「だから、みんなも絶対にアイツには近づかないように」

 可能な限り手札を引き出してやる、と意気込んではいたけど、あのザマである。狂戦士の力はどう考えてもあんなもんじゃない。ヤマタノオロチに挑むよりも無謀だと思えるね。

 唯一、勝ち筋があるとすれば勇者様のご都合覚醒くらいだろう。

「おいおい、そんなヤベー奴がウロつき回ってんのに、俺らこんなとこにいていいのかよ?」

 割とマジビビりな顔で葉山君が訴えかけてくる。

 そういえば、葉山君も土壇場で『霊獣召喚』に覚醒したし、可能性あるかも……? いや、無理だよね。アレの相手は霊獣が束になってもダメそうな気がするし。

「心配しないでよ。むしろ、アイツがいるからここの安全が保障されてると言ってもいい」

「ねぇ、それって……その狂戦士ってのがいるから、ゴーマも他のモンスターもこのトンネルにいないってこと?」

「姫野さん、正解」

 アレはただ超強力なモンスターというだけでなく、何らかの神の力で動く特殊な奴だ。ならば他のモンスターを一切寄せ付けないという特殊能力が標準搭載されてもおかしくないし、そうでなくてもあの強烈な魔力オーラを発しているのだ。縄張りとしての主張は、動物にだって理解できるだろう。

「この地下トンネル全域は狂戦士の徘徊ルート、縄張りなんだ。だから誰も近寄らない」

 逆に言えば、狂戦士にさえ遭遇しなければ、これほど安全な場所もないということだ。

 万を数えるゴーマ軍団が押し寄せてきても、うっかりアイツと出くわせばお終いだよね。そんなことは、頭の良さそうなオーマは百も承知だろう。

「いや、それって俺らも遭遇したらお終いってことじゃねーかよ!?」

 葉山君の叫びは至極もっともな懸念である。

 だがちょっと待って欲しい。確かに狂戦士は出会った瞬間、即死確定な裏ボス級モンスターだ。

 けれど、アイツはこの広大な地下トンネルに、一体しかいない。多分。いたとしても、そんなに沢山はいないはず。

「アイツには、すでにレム鳥でマークさせている。今どこにいるか、レムなら常に分かる」

 徘徊型の恐ろしいところは、その神出鬼没さである。

 突然、そこの曲がり角から、上から降って来て、下から湧いてきて、等々いつどこから出てくるか分からない不安さがあるからこそ、恐怖が掻き立てられる。

 しかし、そんな恐怖の対象がGPS付きで常にマップ表示されていればどうだ。ソイツが近くにいなければ安心できるし、接近してくれば余裕をもって逃げることもできる。すなわち、一度も相対せずに回避が可能なのだ。

 ならば、それはもう恐怖の存在ではなく、避けられる障害物でしかない。

「これから24時間、ずっとレムが奴の動向を監視し続ける。だから、僕らは絶対に奴を避けられる」

 幸いにも、ここは幾つもの道が入り組んでおり、たった一個体から逃れるのは容易な地形となっている。相手の居場所が把握できれば、大体どんな場所にいても迂回路が存在してくれている。

 それに実際に接近してみたことで、50メートル以内に入らなければ攻撃は飛んでこないことも実証されている。

 現時点でも、レム鳥を50メートル以上の感覚を開けて監視させているが、奴が特に気にした様子は見せていない。

 監視の目は放置、広範囲で僕らの位置を特定して追いかけてもこないし、猛スピードで走り出すこともない。本当に、アイツはただ歩いて移動しているだけで、あくまで進路上に何者かがいれば攻撃するだけの行動だ。

 積極的に地下トンネルへの侵入者を探知して撃滅、という行動原理であれば、僕らはとっくに全滅している。

 今、僕らが無事であることが、この場が安全である何よりの証ということだ。

「実際、今この一本向こう側のトンネルに、アイツが歩いてるよ」

 コンコン、とコンクリみたいな壁を叩いても、反応は何もない。奴のヤバいオーラの気配も感じ取れない。

「そういうワケだから、安心してここに本拠点を築けるよ。さぁ、もうすぐ目的地に到着だ」

 みんなはあんまり安心したような表情は浮かべてないけど、どの道、他に選択肢もないんだし。

 覚悟を決めて、ここを僕らのアジトにしようよ。地下深くにある秘密基地みたいで、ワクワクするでしょ?




 ほどなくして、僕らは無事に目的地に到着した。

 狂戦士は本当に僕らのことなど全く認知していないようで、レムの監視によればこことは反対側の東へ向かって歩いているとのこと。しばらくは、この近辺に現れることはないだろう。

 さて、ここは先行させておいたレム鳥から集めた情報通りの場所である。

 大型の地下鉄駅のような構造で、複数のトンネルが合流するホームのような区画が、実に三か所も繋がっている。三つのホームから伸びるトンネルは、やはりそれぞれ南北に東と、別方向に向かっている。

 それから、ここから真っ直ぐ地上へ上がるための通路も複数、発見した。

 これでどっから狂戦士が入って来ても、逃げ道は幾らでも確保できる。でも、ゴーマ軍が思い切って突撃をかけて来ないとも限らないので、きちんと防備は整えなければいけないけど。

 広さこそなかなかの場所であるが、全体的には地下トンネルとそう変わらない陰気な薄暗さだ。ずっとここに住んでれば気分が滅入りそうだし、目も悪くなりそう。

 暗く殺風景な寒々とした場所だけれど、一つだけ発見があった。

「おい、これって妖精広場の噴水じゃねぇか!?」

 その第一発見者は葉山君であった。

 真っ暗闇となっている中央の大きなホール。そこに桜ちゃんのカンテラをピカピカさせて勇んで踏み入ったのだ。

 みんなで集まって見れば、確かにあった。大きなホールのど真ん中、見逃しようがない配置とサイズで、ドーンと妖精像の立つ噴水があるのだった。

「けど、やっぱこれ動いてねーだろ」

「水も出てないしー?」

 上田と芳崎さんが空っぽの噴水を覗きながら言う。

 他の壊れた妖精広場と同じく、ここも機能していないことは一目瞭然だ。けれど、噴水にも妖精像にもヒビ一つ入っておらず、物理的な破損の跡はない。

 これ、何か上手いことやれば再起動できるのでは?

 なんて考えたところで、早くも新鑑定呪術である『埋葬神学』が発動した。


『妖精さん像』:妖精女王様、万歳!


 全くクソの役にも立たない説明文が出たもんだ。万歳って、この妖精像のポーズじゃん。そんなの見れば分かる。

 ただ『妖精女王』なる、この石像に象られた妖精のボス的な奴が存在している、ということは分かった。もしかすれば、その妖精女王とやらも単なる君主ではなく、ルインヒルデ様と同勢力に属する神様の一柱なのかもしれない。

 いや、間違いなく関係する。なぜならルインヒルデ様はかつて、はっきりと『妖精女王』の存在について明言したことがあるからだ。


「よい、神の一手には、我が一手をもって返す————そう、許されるは一手のみ。妖精女王の加護は、まだそなたの手に余る」


 と、こう言っていた。

 僕と杏子が転移で逃げて、葉山君と出会って、黒騎士の中に幼女レムがいつの間にか誕生していて大騒ぎした、その日の晩にお呼ばれした神様時空での対話。ヤマタノオロチにトドメを刺した『告死の妖精蝶』は、まだ僕には使えない呪術だけど、小鳥遊が『賢者』の力でズルしたからこっちもズルして使えたよ的なニュアンスで言っていたと思う。

 ルインヒルデ様は「妖精女王の加護」と呼んでいたから……やはり妖精女王とは加護を与えられる存在、すなわち神様なのである。

 どういう関係性と理屈でもって、妖精女王という別な神が扱う『告死の妖精蝶』という即死呪術を、ルインヒルデ様の一存で使用許可をくれたのかはよく分からないが、少なくとも敵対関係にはないのだろう。

 例の忘れ去られた神様勢力の一柱で、だからこそ『埋葬神学』も反応したんだろうけど……これ以上、考えたところで今すぐ役立つ情報ではないね。

 重要なのは神様の事情などではなく、妖精広場という古代の遺物を使えるか否かという即物的な問題なのである。

「とりあえず、ダメ元で弄ってみるかぁ」

 さりげにみんなの期待を背負いながら、僕は沈黙する妖精像へと向かい合う。

「————おっ、反応アリ?」

 小鳥遊が妖精広場の噴水を、錬成用の設備として利用していたことは知っている。だから、僕も学園塔時代は弄れないかと試してはみたものの……結果的に、上手くはいなかった。今でも自前の錬成陣だけを使っているのは、噴水の機能を僕には利用できないからなわけで。

 けれど、全く反応がなかったワケではない。噴水はきちんとこちらの魔力に反応し、塔の石板と同じくホログラムを投影してくれるのだ。

 ただし、そこに書かれているのは古代語なので、全く解読できなかった。ヤマジュンノートと見比べても、理解できる単語が何一つ含まれておらず、流石にお手上げだった。

 そういうわけで、この停止した妖精広場の噴水は、今まさにホログラムを僕に対して示してくれたのだ。

 投影されたのは白く輝くただの平面で、そこには古代語が色々と記述されているのだが————

「これは……読める! 読めるぞぉ!?」

 と言うものの、全部は読めない。すでに僕が知っている古代語が、文章の中に幾つか散見されるだけで。

 けれど、画面の中に僕が読める単語が含まれているということは、今までとは異なる内容が表示されているということだ。

「おい桃川、どうなんだよ! 行けそうなのか?」

「まぁまぁ、葉山君、落ち着いてよ」

 かく言う僕も、可能性を感じて結構ワクワクしてきたけれど。

 さて、今のところ僕が読める単語を拾うと、


『動く』、『無い』、『止まる』、『必要』、『選択』、『始める』、『終わる』


 とまぁ、ざっとこんなもんである。これらの単語の羅列を都合よく解釈するならば、

「エネルギー切れで停止中だから、エネルギーが必用で、起動するか終了するか選んでくれ、みたいな感じかな」

「おおー」

 僕のガバガバ古代語翻訳を聞いて、みんなからどよめきが上がる。まぁ、これらの単語を見れば、パソコンの再起動画面みたいなのを連想するのは当然だ。

 期待感も高まって来るが、これで再起動できなかったらガッカリに加えてみんなの失望分も加わって余計なプレッシャーを感じているところもある。

 だが、男は度胸。なんでも試してみるものさ。って、ヤマジュンも言ってた気がする。

「このボス級のコアをくれてやるから、動けよコノヤローどうかお願いします!」

 どうせ今までコア持ってるだけで転移魔法起動してたんだから、妖精広場もこれでうまい具合に魔力補給してくれよ、と祈るような気持ちで、僕は空っぽの噴水にコアを放り込んだ。

 すると次の瞬間、コアは赤い光を放ちながら輝く粒子となり、急速にバンザイする妖精さん像へと吸い込まれるように飛んで行き————

「————بداية(始める)!」

 再起動を選択する意思を示すべく、僕は果てしなくイントネーションの怪しい古代語を、ダメ元で叫んだ。

 そもそも音声認識してくれるかどうかも分からなかったけれど、果たして、妖精広場は応えた。ホロモニターには、大きく『始める』の文字が点灯する。


 チョロチョロチョロ————ザバババーッ!


 そうして、噴水はあるべき機能を取り戻したことを示すように、水を噴き出したのだった。




 それからたっぷり三日はかけて、僕らはここに本拠点を築き上げた。

 薄暗かったホールは、今や煌々と白い灯りに照らされ、妖精広場として完全に機能している。

 流石に花畑や妖精胡桃の並木は即座に復活こそしなかったけれど、花壇として区切られた土の上には、早くも小さな芽が出て来ていた。恐らく、このまま放置しておけば花も妖精胡桃も全て元通りへとなるのだろう。

 けど僕にとって最大の収穫は、妖精広場という古代遺跡の機能をかなりの範囲で利用できるようになったことだろう。

「よーし、それじゃあ今日から本格的に、工房を始めようかな」

「えっ、今までのは本格的じゃなかったの……?」

 姫野が何か温いこと言ってるけど、気にしない。

 拠点設営で初日から色々と錬成作業はやらせたけれど、そんなのは仕事の内には入らないよ。必要なものを作り出す、というのはサバイバルの一環だよね。

「この噴水があればより高度な錬成を、高速かつ複数同時に行えるんだよ。これは錬成術の産業革命だよね」

「うーん、ますます酷使される予感しかしない物言いだよ……」

 姫野に続いて、中嶋もヌルヌルなことを言っている。ダメだよ、弱気じゃあ剣崎は落とせないぞ。アイツは力づくでねじ伏せるくらいじゃないと、靡かないタイプだと思うんだよね。

 まぁ、剣崎の女郎のことなどどうでもいい。大事なのは高度な錬成術の行使についてである。

 小鳥遊は割と序盤から妖精広場の噴水を利用して、錬成を行っていた。

 この噴水は錬成魔法の作業台のような機能があるからで、そのこと自体は嘘ではなく紛れもない事実である。ただし錬成機能があることと、その機能がどのくらいか、というのはまた別のお話だ。

「まったく小鳥遊の野郎と来たら、こんなに凄い錬成能力が使えるというのに、マジで手抜きってレベルじゃねぇ仕事ぶりだよアイツ」

 噴水による錬成能力をフル稼働させれば、全員分の装備などあっという間に修理でも強化でも完了できる。素材揃ってる前提ではあるけれど。

 僕が弄ってもこれくらいの機能を発揮してくれるのだ。小鳥遊ならフルで使えるはずなのに、あの体たらくなのは……まぁ、奴の目的からして、クラスメイト達があまりにも恵まれた装備をするのも望ましくないのだろう。ダンジョン攻略ができるギリギリくらいの性能で、常に武装を仕上げていたに違いない。

 ちっ、こんなことから、もっと酷使しておけばよかった。パワハラ&長時間残業&無限連勤で過労死ラインをオーバードライブだ。

「じゃあ、二人はとりあえずいつもの素材の下ごしらえからよろしくね」

「でもでも、まだ全然狩りとかしてないし、素材なんてそんなに持ってないでしょ?」

「いやぁ、横道戦は大収穫だったから、流石の僕もまだまだ手をつけてない素材ばっかりなんだよねー」

 何といっても本体の横道が魔物素材の宝庫であり、これに加えてゴーマ部隊の戦利品などが加わっているので、ロイロプスに満載するほどの素材量は残っているのだ。

「みんなの武器もまだ応急修理しただけだし、これでようやく本格的な強化ができそうだよ」

 やっぱり、まずは装備を整えるところから始めないと。

 すでに三日間の拠点化作業によって、僕らのアジトは学園塔に匹敵する住環境を構築できている。

 妖精広場の食堂に、大浴場、清潔なトイレット。全員分の個室にはベッドが備わってるし、倉庫代わりの空き部屋なんて幾らでも。

 さらに嬉しいことに、噴水にはこの古代の駅に備わった設備のコントロールも可能としていた。

 内部を照らす照明もそう。今までは制御方法なんて分からなかったから付けっぱなしだったけれど、今は自由にオンオフできる。

 そして、ここの防備で一番役に立つのは、扉とシャッターの開閉だ。

 全てではないが、ほとんどの通路や部屋を閉ざす扉やシャッターをここで稼働させることができる。使わない場所のシャッターを下ろしておけば、それだけで封鎖できて楽チンだ。

 小鳥遊はこの機能を学園塔でも掌握していたから、僕を密会部屋に隔離できたのだろう。きっと、学園塔にもどっかに制御用の石板があったんだろうな。

 ともかく、物理的にも拠点を守る手段ができて、ますます安心できるよね。

 そんな感じに、正に妖精広場様様で僕らのアジトは出来上がった。こうして本拠点が出来たので、ようやくエリア攻略のための準備を始められる。

 さて、まず何から手を付けようか……

第290話 目安箱再び

 時は江戸。八代将軍徳川吉宗が、政治経済から日常の問題まで様々な意見を集めるために設置した、意見投書用の箱が目安箱と呼ばれるものの代表例である。享保の改革の一環に数えられ、町医者の意見を採用して小石川養生所を作った例もあるので、単なる庶民の声も聞いてますよアピールだけではなかったようだ。

 と、この辺までは日本史の授業で習うレベルの知識なのだが……

「まさか、まだ目安箱制度を利用する人がいるとは」

「いや、お前が始めたことじゃねーかよ!」

 至極もっともな返しを上田からされてしまった。

 夕食も終えて、後は寝るまでの間は自由といった時間帯。僕はわざわざ上田と二人連れだって、適当な空き部屋へとやって来た。

「勿論、話は真面目に聞くから安心してよ」

「頼むぞ、おい」

 目安箱、すなわち個人面談式の相談受付制度は、僕が学園塔時代に実施したものだ。でもあんな状況になってしまったので、僕自身、すでに忘れかけていた存在だが、どうやら一応の本拠点を得たことで、個人的な相談を持ち掛けるくらいの与裕は出来てきたようだ。

 うんうん、人間は衣食住が満ちればそれだけで幸せにはなれないからね。どんな恵まれた環境でも、悩み事ってのが出てくるわけで。

「それで、相談内容は?」

「あー、なんだ、その先に一個確認しときたいんだが……」

 自分から持ち掛けたくせに、やけに言いよどむ上田である。うーん、この雰囲気はアレだな。

「恋愛禁止ルールって、まだ生きてんのか?」

「ごめんなさい。僕にはもう心に決めた人がいるので」

「なんで俺が告ったみてぇになってんだよ!? 勝手に話先回りすんのやめろや!」

 いやだって、ねぇ? この期に及んで恋愛相談なんて持ち掛けられた日には、ふざけた返事もしたくなるもんだよ。

「僕としては、まだ守って欲しいとは思うよ。恋愛には面倒事が付き物だから————でも、恋愛禁止ルールの最大の目的は蒼真ハーレムの牽制だし、今はそこまで固く守る必要も、ないといえばないんだよね」

「そもそも恋愛禁止とか言い出したの、お前が蘭堂さんと双葉さんの間で修羅場ったからだろが」

「上田君、クラスみんなで脱出しようと思うのなら、触れない方がいい問題があるっていうこと、分かるよね?」

「悪ぃ、別に解決しちゃいねぇんだもんな、この問題は」

 まったく、僕がどれだけ我慢していると思っているんだか。でも葉山君と即合流できなかったら、杏子ルート突入だったのは間違いないけれど。

「ともかく、僕の言いたいことは分かってくれているとは思うよ。その上で恋愛相談とやら、聞かせてよ」

「いや別に、俺が誰を好きかなんてことまで相談するつもりねーよ。ただ、お前はリーダーだからよ、勝手な真似はしねぇようにあらかじめ————」

「まぁ、僕としても上田君と芳崎さんがくっつことに否やはないんだけどねぇ」

「なっ、お前、知ってんのかよ!?」

「ってことは、アタリ?」

「くそっ、カマかけやがったな!」

 いやだねぇ。恋愛ごとになると、人ってのはすぐに冷静さを欠いちゃうよ。

 カマかけの意味は半分もない。状況と消去法で考えて行けば、上田が思いを寄せる異性といえば、芳崎博愛くらいしか候補がいない。

 万が一、姫野に本気になったというなら、もうとっくにヤってるでしょ。いくら人目を忍んだところで致そうとも、この拠点に居る限りは決して僕の目からは逃れられない。戦闘能力を求めず、ただ見聞きするだけに徹させれば、レムは相当数の分身を制御できるのだから。

「小鳥遊に追放されて、僕らと合流するまでの間は随分と苦労したようだしね」

「まぁな。他の三人も一緒にやってきたけどよ……なんつーか、その、分かるだろ?」

「そりゃ芳崎さんか姫野さんかと言われたら、断然芳崎さんの方が美人だしね」

「お前なぁ」

「分かってるって。上田君は今じゃ芳崎さんとコンビで戦うことが多いから。学園塔に居た頃よりも、お互い距離が縮まることは当然だと思うよ」

 そう、これまではダンジョン攻略での経験上、上田は中井と、芳崎さんは野々宮さんと、それぞれ一緒に戦い続けてきた親友を相棒として組んでいた。僕もわざわざ、すでに連携が確立しているコンビを解消させる必要性はないと思い、離すような真似はしなかった。

 けれど、ザガンによって『戦士』中井、『騎士』野々宮、の二人は戦死。上田と芳崎さんは、それぞれ相方を失った状態だ。

 前衛組みとして『剣士』と『戦士』が肩を並べることになるのは当然の結果である。

 追放五人組の構成を見ても、『重戦士』山田はタンクとして二人よりも前へ、『魔法剣士』中嶋は後衛の護衛兼、魔法での攻撃で援護するため中衛になるし、『淫魔』姫野はお荷物なので後ろで邪魔をしないことがお仕事だ。

 戦闘での新しい相方として、芳崎さんを恋愛的な意味を抜きにしても意識することは避けられないことだったろう。

「バレてんならしょうがねぇ……桃川、頼む、なんとか協力してくれないか」

「今の僕にできることは、邪魔しないことくらいかな」

「そんなぁ、固いこと言うなって」

「僕の立場を利用すれば、二人をあえて引き離すような振り分けだってできるんだよ? そこを、邪魔しないで自然に一緒にいさせてあげるような配慮をするんだ。むしろ、不自然にならない範囲で最大限の応援をしているってことを、分かって欲しいんだけど」

「うっ、まぁ、なるほどな、そう言われると……そうかもな……」

 本心としては、やはり今の段階で余計な恋愛問題は避けたいので、気持ちは抑えておいて欲しい。けれど、それを無理強いしても良いことはない。

 なにせ僕らは高校生。別にいい大人だって、恋愛に関してはイカれちまうことだって多々ある。

 だから、邪魔はしない、応援はしているよ、というスタンスが外野としては一番ちょうどいい塩梅なのだ。まぁ、この辺は学園塔の頃からさほど変わりはない対応だけどね。

「でも、もし芳崎さんが僕に、上田が色目つかってウザいんだけど、なんて相談を持ち掛けられたら……どうする、僕の方から伝えようか?」

「うわっ、それはやめ————いや、ダメだ、やっぱそん時は言ってくれぇ……」

「そんな状況は僕としても心苦しいんだから、ひとまずは急なアプローチは控えて、普通に仲良くする関係性に留めて欲しいかな」

「わ、分かってるよ……俺だって、今すぐどうこうなりてぇって思っちゃいねぇからな」

「ちゃんと毎日シコって寝てね。溜めてると、いつ性欲暴走してもおかしくないんだから」

「うるせーよ」

 もう、心からのアドバイスなのに、真面目に聞いてよね。




 この広い本拠点には、空き部屋は沢山ある。単純な面積でいえば確実に学園塔を上回っており、その上ここを利用する人数はあの頃の半分程度。正に部屋は選り取り見取り。

「プゥー、プガァ……」

 よって、体育館ほどの広さを誇る大きなホールを、キナコの寝床としても問題はないのである。

 ホールのど真ん中には、せっせと外からキナコが自分で運び込んだ大量の枯れ草を積んだ寝床が形成されており、腹を天に向けた無防備極まる仰向けで寝ころび、呑気な寝息を立てていた。その周囲にはコユキが勝手にウロウロ歩き回り、それを心配そうにベニヲがついて回っている。

 このホールはキナコ達の寝床として定着し、結果的にリライトもまたここを自室代わりとすることになっていた。

「で、なんでお前らがここにいんの?」

「えっ、別にいいじゃん」

「アタシはキナコと遊びに来たし」

 家主であるリライトが問えば、杏子はなんの悪びれもなく応え、マリはすでにして眠るキナコの無防備な腹をサワサワしている。

「おいマリ、キナコはもう寝てんだから、起こすなよ」

「大丈夫だって、ちょっとモフモフさせてくれればさぁー、うへへー」

 フッサフサのキナコの毛皮に、ご満悦な表情で頬ずりするマリ。彼女のモフモフに対する執着は、合流を果たしたここ数日の内にとっくに発覚している。リライトからすれば、キナコの毛並みの素晴らしさを知れば、当然の反応だろうという手前味噌な気持ちもある。

 ともかく、大した理由はないが何となくのノリで三人はキナコを中心に集まって座り、他愛のない雑談にしばしの間、興じた。

 妖精広場を復旧し、ひとまずの安全地帯を確保したことで、三人ともに表情は明るい。学園の休み時間にお喋りするのと同じような雰囲気だったせいか、普段は口に出さないような話題も、つい口をついて出てしまうことも。

「つーかさ、杏子はもう桃川とヤったの?」

「……」

 キナコのお腹の上で、どこまでもだらしなく寝そべっているマリが、率直な問いかけをぶつけてしまった。

 これには蘭堂杏子、だんまりである。

 ついでに、俺の前でそういうぶっちゃけトークいきなりするのかよ……とリライトは若干気まずい気持ちに。戻って来たコユキを膝の上にのせて撫でながら、とりあえず聞こえないフリ。

「駆け落ち同然で逃げてったのに……なにやってたんだよ杏子」

「いやだって……全然、そんな暇なかったっていうかぁ」

「あの状況だぞ? 一晩ありゃ十分じゃん」

「……一晩も経つ前に、葉山と会っちゃったし」

「はぁ?」

「つーか、飛んだ先にもう葉山がいたっつーか」

「マジかよ、葉山お前なにやってんの!?」

「えっ、俺に飛び火すんの!」

 いきなりマリに一喝されて、不当だと叫ぶリライトだったが、聞く耳は持ってもらえなかったようだ。

「即合流ってなんだよ。一日くらい待てなかったのよお前は、どんだけ邪魔したか分かってんの?」

「急に出て来たのは桃川達の方だろ!?」

 一体、俺のどこに落ち度があったんだよと。完全に難癖をつけられている状態ではあるのだが、マリの視線は厳しく、ついでに杏子の目もどこか恨みがましい色が混じっていた。

「ちょっと待てよ、俺マジで何にも悪くないよな?」

「うん、まぁ……悪くはない、けどぉ」

「でもお前が一緒になったせいで、杏子が桃川に迫るタイミング失ったのは事実やろがい」

 リライトは決してあのタイミングを狙って合流したワケではないし、小太郎も狙ってあの時、あの場へ転移したワケではない。全ては運命の巡り合わせ。

 だが転移直後に葉山が合流した結果、小太郎は濡れ衣着せられ命からがら逃亡した精神的な不安や混乱が立て直されたことは間違いない。そして、杏子自身もアプローチをかけられる状態ではなくなったことも確か。

 駆け落ち同然に逃げた先で二人きり。互いに意識しあう男女が、誰にも邪魔されず二人だけの空間となってしまえば……如何に小太郎が自分を律しようと、あの瞬間に蘭堂杏子という魅力あふれる女子に迫られれば、決して断り切ることはできなかったに違いない。

 二人が結ばれる必然を覆したのが、この葉山理月という男である。

「葉山さぁ……」

「お、俺は悪くねぇ! 俺は悪くねぇ!!」

 必死に潔白を叫ぶ。

 けれど、二人の仲を邪魔というか、第三者として自分の目を気にしている節があるというのは察していた。小太郎の杏子に向ける目は、共に死線を潜り抜けてきた信頼できる仲間に対するものでもあり、魅力的な女性へ向ける熱っぽいものでもあった。

 そして杏子も小太郎に対しては、他の男子とは明確に違う色が含まれている。いや、視線などという不確かなものだけではない。クラスで多少の付き合いがあったリライトは知っているのだ。

 蘭堂杏子という女子は、その派手な見た目と大雑把な性格から誤解されやすいが、実は彼女、異性に対するボディタッチは驚くほど少ない。明確に、意識的に避けている。

 女子が羨む、あるいは妬む、外人モデル級のグラマラスボディの持ち主だが、当然、ある日突然この体型となったわけではない。杏子は小学生の時点で、それなりのサイズのブラを必要とするほどであった。

故に体験的に知っている。自分の体が男子を、男をどれだけ狂わせるものであるかを。

 だから、意図して男に触れることは避けていた。けれど彼女の性格からして、男子との接触を断つような振舞いまではしない。気安く友達付き合いくらいはするが、その身に触れる、触れさせることは意識して回避し続けた。

 それが杏子の男子に対する付き合い方であり、線引きであることをリライトは何となく察している。

 もっとも、体に触れないからといって、男子の勘違いを防げるワケではない。リライトは男子バスケ部員から、先輩後輩も問わず、お前と同じクラスの蘭堂を紹介してくれ! と頼まれたことは何度かある。杏子の顔と体であれば、男が放っておくはずがない。

 ただリライトはその都度、蘭堂は樋口っていうヤンキーともう付き合っているらしいから、と真意の定かではない情報を伝えることで、部員達のフラグをへし折って来た。男を紹介するほどの仲ではないし、半端な関係性で恋愛関係を取り持つなんてトラブルの元にしかならん、と思っての行動であったが……やはり正解だったなと、今になってリライトは思う。

 このダンジョンで合流した時の蘭堂は、クラスにいた時には歯牙にもかけていない、桃川小太郎という小さな男子にベッタリとなっていたのだから。

 彼女の物理的な距離感の近さを見ただけで、杏子の本気具合というのをリライトは自ずと理解したのであった。

「でも杏子の気持ちに気づいてんならさぁ、もっとこうあるだろ」

「これでも俺めっちゃ気ぃ回してたんだぞ」

「はぁ……もういいよ。葉山は邪魔だったけど、小太郎もその気にならなかったのもマジだし」

「蘭堂はもっと俺の気遣い評価しろよ!」

 リライトとしては、ここに至るまで上手くやって来れたという自負はある。無論、それは自分の気遣いなんて些細なものではなく、小太郎の強力なリーダーシップと実行力、そして杏子の土魔法と小太郎への信頼。この二人がまだまだダンジョンサバイバル初心者に過ぎなかった自分を引っ張って行ってくれからこそ、一人の犠牲も出さずに来たのだと。

 そして、その上手くやって来れた要因の一つとして、小太郎が杏子との関係をこれ以上進展させるのを抑えた、ということもあるのだろうかとも思う。

「ともかく、マジな話、こんな状況であんまり惚れた腫れたの話ってのは控えるべきじゃねぇのかよ?」

 ダンジョン攻略のスタンスとして、小太郎の恋愛関係は避ける方針をリライトは支持している。もしも、小太郎と杏子のカップル成立で、自分の目も憚らず四六時中イチャつかれたら、ちょっと不満に思うだろうことは容易に想像がつく。

「それに……なんだ、その、桃川は双葉さんと何かあるんだろ? ただの仲間って以上に、特別な関係っぽいしよ」

 小太郎のダンジョン攻略模様は、一通り聞かされてはいる。とても戦闘には向かない、特に能力が限られている序盤ではただ生き残ることさえ難しい『呪術師』である小太郎は、その最も厳しい期間を双葉芽衣子と共に乗り越えてきたのだと。

 実際、二人がどこまで関係を深めたのかは聞いていないが、女性としても意識しているだろうことは、小太郎の話しぶりからでも何となく察せた。同時に、蘭堂杏子を越えるバストサイズの持ち主は、彼女しかいないことを考えても、小太郎の歪んだストライクゾーンに入ることは明らかだ。

「そりゃあ、双葉のことはあるけど、アタシは友達として杏子を推すに決まってるじゃん」

「だから俺にも、ってか?」

「そーだぞ、邪魔した責任ちょっとでも感じてんなら、少しくらい手伝ったってバチあたんねーだろ」

「いやでも、この状況でそういうのはって言っただろ。やっぱ、今はよくねぇって」

「いいや、違うね」

 マリはキナコの上で同じような仰向けに転がりながらも、リライトへビシっと指をさして言い切った。

「こんな状況だからこそ、好きな人とはさっさと結ばれるに限るんだよ」

 そう言い切られれば、一理ある……という気持ちも湧いた。

 明日、死ぬかもしれない過酷な環境に身を置いているという自覚は、こうして安全な拠点を確保しても完全に忘れることはできない。ならばこそ、愛する人を、精一杯に愛することは、それもまた人間として正しい関係性であるかもしれない。

「つーか葉山、お前、童貞だろ」

「どっ、ど、童貞ちゃうわ!?」

 童貞だった。

 かつて、葉山理月にも彼女がいたこともあった。中学時代、目いっぱいに恰好をつけて。精一杯にアピールして、必死に空回りしながらも告白し、OKを貰った女子がいた。

 しかし、幾度目かのデートの末、意を決してキスを————しようとしたら断わられた。普通に断られた。

 その一週間後には彼女に、他に好きな人ができたからと別れを告げられた。

 特に何かがあったワケではない。あったワケではないけれど、リライトはあえなくフラれたし、童貞卒業どころかキスの一つもしないまま、あまりにもあっけなく初めての彼女を失ったのであった。そもそも、アレは本当に付き合っていたと言えたのか……今となっては、それさえも判然としない。

 ともかく、リライトが童貞であることは紛れもない事実である。

 疑いようもなく明らかであっても、男には否と言わねばならない時もある。それが今だった。

「多少の経験あるアタシから言えば、初めて、なんて大したもんじゃないよ。結婚してから、なんて馬鹿馬鹿しい。余計に神聖視すんのも、乱れがどうとか言うのも、ホント馬鹿らしい。愛し合ってんなら、ヤリたくなんのは当然じゃん」

「それを言っちゃあ元も子もねぇけど……言いたいことは分かるよ」

「我慢なんかしたって、無駄に未練になるだけだよ。杏子はさ、まだ隣に小太郎がいるんだから」

 そう、今のマリには、もう思いをぶつける相手はいなくなってしまった。転移でどこぞへ飛ばされたという天道龍一。あの男がそう簡単に死ぬとは思えないが、再会できるかどうかは分からない。

「マリ……うん、やっぱ、そうだよね」

「そうだよ!」

「お、おいおい、あんまりゴリ押しすなよぉ」

「っつーワケで葉山、お前、いざって時は絶対ぇ手伝えよ」

「ええぇ……」

 なんか余計な面倒事に巻き込まれて来たなと、今更になって思うリライトであったが、

「葉山……頼む、割とマジで。ウチだって、後悔はしたくないから」

「うっ」

 珍しく真剣な顔の杏子に頼み込まれると、リライトとしても断り切れなかった。

 元より、二人の仲は応援しているつもりだ。ただ状況が悪いというだけで、幸せになって欲しいとも思える。

「わ、分かったよ。俺に出来ることがあれば、出来る範囲で協力はする」

 結局、リライトはそう答えるより他はなかった。

「しかし、あの蘭堂のライバルが双葉さんになるとはな」

 決して女性を容姿のみで差別するわけではない、ないのだが、純然たる事実として、蘭堂杏子と双葉芽衣子、二人の女子が並んでどちらが魅力的かと問われれば……普通は勝負にならない。芽衣子はあまりにも大きすぎる。身長だってリライトを越えているし、体重はさらに上回っているだろう。

 杏子と芽衣子、二人の間に挟まる小太郎の姿を想像すると、羨ましいというよりは、潰されそうという心配の方が先に立つ。

「あ? もしかして葉山、今の双葉がどうなってのか知らないの?」

「そりゃ知らないしょ。見たことないんだし」

「えっ、なになに、双葉さんってそんなにイメチェンしたの?」

 リライトは小太郎から芽衣子の活躍ぶりを聞いてはいるが、容姿についての言及は特になかった。なので、今でも思い浮かべるのは、クラスであの大きな体を縮こまらせていた、内気な姿だけである。

 あんな彼女でも、恋したせいでそんなに変わったというのか。急に気になって来る。

「確か何枚か写真が……お、あった。ほら」

 スマホを慣れた手つきで弄って、学園塔生活の頃に撮影した一枚をマリは示した。

 そこに大きく映り込んでいる、『狂戦士』双葉芽衣子の姿を見て、

「えっ、なにコレっ、エッッ!」

 イメチェンってレベルじゃねぇぞ。

 あまりにも変わった芽衣子の姿を見て、これは蘭堂でも勝てないかもしれねぇ……と、恋敵の強大さをリライトは思い知るのであった。




 上田の恋愛相談の翌日のことである。

 目安箱制度が今でも有効と聞いたのか、本日、相談にやって来たのは山田であった。

「それで、どうしたの? 悪いけど、今はまだ釣りに行かせるわけにはいかないから、もう少し我慢してもらえれば」

 山田は釣りがしたい、釣り道具一式が欲しい、という相談を受けていた。

 今回もその関係かと思っていたが、

「いや、釣りの方は、今はいい……」

 めちゃくちゃ神妙な顔で、そんなことを言うもんだから、僕も思わず身構えてしまうよね。

 うん、コイツは相当にヘヴィな相談内容だぞと。

「そう、分かった。聞かせてよ」

 シンと静まり返った空き部屋で、山田は酷く暗い、というより辛そうな表情で、どう切り出すべきか言葉を探しているようだった。

 僕はそれを、大人しく待つ。

 そうして、幾ばくかの静寂の後。

「……レムを、俺に近づけさせないでくれないか」

「はい?」

「頼む、鎧兜かラプターとか、そういうのじゃないと……俺は、自分で自分を抑えきれるかどうかわからねぇ!」

 本人は凄い必死な言い方しているけれど、ごめん、ちょっと何言ってるか分かんない。

 いや、違う。僕はただ、分かりたくなかっただけなんだ。

「うん、まぁ……幼女レムは可愛いから」

「頼む桃川ぁ! 頼むぅ……」

 山田、仲間のために捨て身でゴグマに迷わず挑める立派な『重戦士』となったが————コイツは重度のロリコンなのだ。雲野郎の淫夢罠にかかれば、女子小学生と乱交しちゃうのを夢見るような奴なのだ。

「ごめんね、僕の配慮が足りなかったよ」

 でも僕が今一番謝りたいのはレムだから。

 レムが幼女形態となり『隷属の影人形』となったことは、再合流をした五人にはすでに説明はしてある。元々、レムは色んな魔物の姿に変化できることは知られていたし、学園塔の頃かの付き合いもあり、幼女の姿となってもみんなは普通に受け入れてくれた。むしろ、この小さく愛らしい姿のお陰で、以前よりも可愛がられている。

 だが、僕は失念していた。山田がロリコンであったことを。

「今更な話だがよ……俺は、ヤマジュンが死んで、急に自分が恥ずかしくなったんだ」

 ロリコンなこと? と茶化せる雰囲気は山田にはない。

 ヤマジュンの死を口にした以上は、今の彼の言葉は真剣そのもの。本来なら、口に出すのも辛い本心の部分であろう。

「ヤマジュンが死んだのは、レイナのせいで、山田君には何の落ち度もないよ」

「違う、そのことだけじゃねぇんだ。ヤマジュンがいなくなって、俺は今までどれだけ自分勝手だったのか、ようやく気付けたんだよ……」

 失って初めてその大切さに気付く、なんて安っぽいバラードの歌詞そのものだけれど、それはきっと万人に共通することでもあるのだろう。山田の場合は、失ったモノがあまりにも大きすぎたというだけで。

「なるほど。だから、捨て身で戦うような真似もするようになったと」

「ああ……ヤマジュンは、俺が自分勝手なままでも、ずっと付き合ってくれてた。嫌な顔なんか一度もしないで、俺が勝手なこと言い出しても、ちょっと困ったように笑って……クソッ、俺は、アイツの気持ちなんて全然考えたこともなくて……」

 とうとう、山田は涙をボロボロ零して泣き出してしまった。

 思わず、僕ももらい泣きしてしまいそうなほどだけれど、きっと、今の僕に必要な役目は、一緒に泣いて悲しんであげることではない。

 大泣きに泣きながら、自分の気持ちを、ヤマジュンという大切な友人を失ったことで初めて気づいたことを、途切れ途切れに懺悔するのを、僕は全て聞き届ける。

「そうだね。ヤマジュンは山田君をありのままに受け入れて、付き合ってくれていた。あんなに懐の深い人は、他にはいないよ」

「だから、だから俺はぁ……アイツの友達として、恥ずかしくない男に、なりてぇんだよぉ……」

 学園塔の頃から、山田が妙に協力的だったり、文句の一つも言わずにやってきたのは、きっとそういうことなんだろう。

 山田を本当に支えていたのは、姫野の体でも、レイナの顔でもなく、ヤマジュンの友情だったんだ。自分がグループで一番強いからと調子に乗って女に現を抜かしている間も、ヤマジュンは変わらず傍にい続けた。

 無論、ヤマジュンはあの頃の山田の態度がこのままではまずいと感じて、険悪にならない範囲で注意はしていた。けれど、当時の山田は聞く耳など持つはずもなく、結果的には僕が加入したことで、諭すのではなく利害関係の調整によって立場をコントロールしていくことになったわけだ。

 ヤマジュンのやり方では甘かった。あの頃の山田の心を変えることはできなかった。けれど、やりたい放題だったあの山田を、決して一方的に悪く言うこともなく、純粋に友達として案じ続けたその心根は、何よりも尊い。

 山田はそれに気づいたのだ。あんなどうしようもない自分に寄り添ってくれた彼が、どれだけかけがえのない存在だったか。そして、あの頃の彼にどれほど心配をかけていたかを。

「戦いには、もう慣れた。痛ぇのも、死にそうになんのも、平気になった。俺は仲間を守るためなら、命張って戦える『重戦士』だ。けど、それだけじゃダメなんだ……」

「誘惑にも負けないようになりたいと?」

「そうだ、俺は自分の性癖が恥ずべきものだという自覚はある……だが、そう思っていても、抑えきれねぇのも、恥ずかしい限りだが事実だ……」

 学園塔の頃では、克服できたと思っていたようだ。

 レイナに続く二年七組代表ロリである小鳥遊小鳥の姿を目にしても、彼女に夢中になることもなかった。意図的に見ないようにしてはいたようだが。

 ともかく、山田は寡黙に戦い続けるストイックな『重戦士』となれていたのだが————幼女レムの出現により、それが揺らいでしまったのだ。

「俺はまだまだ、自分を律する精神力も根性も足りてねぇんだ。だから、レムのあの姿はまずい……頼む桃川、俺のためを思って、どうか目につかないようにしてくれ」

「分かったよ、山田君。どこまで真剣に思っているなら、こっちも全力で協力するよ」

「悪ぃな」

「いいんだよ。僕だって、ヤマジュンに恥ずかしい姿は見せたくないからね」

 見ているかい、ヤマジュン。君の友達は、男として立派な成長をしているよ。

 あの山田をここまで改心させるなんて……本当に、頭が上がらないね。

第291話 小太郎の目

 本拠点での生活は、今のところ順調である。

 錬成の使える面子は全員、妖精広場の工房で作業。それ以外の戦闘担当は、拠点直上に広がる遺跡街の探索と素材集めの狩りだ。

 探索はまだ大した成果は出ていないけれど、監視警戒用の鳥や、ラプターなどの雑魚モンスターを捕らえてくれるだけでも、今は十分である。

 遭遇したら即死確定の『彷徨う狂戦士』を監視するために、現状でそれなりの羽数をつぎ込んでいる。

 他にも拠点周辺の監視に、フィールドの偵察などなど、情報収集のための目は沢山必要だ。並行して、蒼真パーティも外で活動していないかどうか、探してもいるし。

 それからラプターなどは『屍人形』の自立モードにして、狩猟部隊の護衛戦力として随時追加している。地下の拠点にゴーマは手を出しては来ないが、表にいれば普通に襲ってくる。

 向こうは間違いなく多勢なので、包囲されないよう撤退する時も注意は必要だ。そんな時、捨て駒にできる屍人形は非常に便利だ。

 装備も一新した歴戦のクラスメイト達なら、ゴーマ部隊に襲われたとしても、拠点まで撤退するくらいは十分に可能だ。迷わず地下トンネルまで誘導できるよう、こちらにもレム鳥を同行させているしね。

 そんな感じで、活動としては安定してはいるのだけれど……

「はい、それじゃあ学級会始めまーす」

 学園塔の頃と同じように、妖精広場に全員集合で僕は話し合いの場として、学級会を開催した。

 今の面子は全員が僕の派閥なので、対立意見など基本的には出るはずもないのだが、だからといって僕一人が全て決めて命令するわけにはいかないでしょ。彼らは仲間であって、部下でも奴隷でもないのだから。

 それに僕としても、みんなの意見を聞く機会が欲しい。別に僕は天才軍師様ではないので、出せるアイデアだって限りがあるのだ。

「今回の議題は、ゴーマ王国の攻略についてなんだけど……何かいい案ない?」

 シーン、と場は静まり返る。

 基本的に活発な意見交換はされない、実に日本人学生らしい反応である。

「プガァ……」

 キナコが退屈そうに、アクビする声だけが響いた。一方、ベニヲとコユキは葉山君の膝の上で、すでにお昼寝タイムに突入。

 実に長閑な風景だ。

 でも今は平和を楽しむ時間じゃないからね。

「おい、桃川でも思いつかねーなら、俺らにアイデアなんてあるわけねーだろ」

 黙りこくる中で、渋々と言ったように上田が声を上げた。

「そんなことないよ、上田君。王国のゴーマとは、君らの方が戦っている経験はあるんだし、何か気づいたこととかあったら言って欲しいよ」

「つっても、ゴーマはゴーマだろ」

「いい装備してるくらいで、普通のゴーマだな。数が多くて、ゴグマも普通に出てくるのが厳しいだけだ」

 投げやりに言う芳崎さんに、山田が当たり前のことを言う。

 けれど、その当たり前のことが、単純にゴーマ王国の戦力の厚さを示している。

「あのザガンっていう巨大化するゴーマは、あれ以来一度も見てないし。やっぱり、アイツは特別な奴だったんじゃないかと思うよ」

 中嶋の言葉に、上田と芳崎さんがちょっと反応するけど、特には何も言わなかった。

 二人にとってザガンは友人を殺した憎い仇である。当然、ぶっ殺してやりたいとは思っているだろうけれど、奴の強さもまた身をもって知っているから、下手に挑むとは言いださないのだろう。

 心配しなくても、機会は巡って来るよ。どうせザガンとの戦いは避けられないだろうから。

「ザガンは元々はゴーヴみたいな姿だったんだよね?」

「ああ、何か叫んでから、デカくなってたぞ」

「巨大化魔法みたいな感じで変身するタイプだから、外見だけで『ギラ・ゴグマ』を見分けられないのが難点だよ」

 現在進行形で、ゴーマ王国にはレム鳥による偵察を行っている。

 流石に塔の中までは入り込めないが、王国の全体像はすでにおおよそ判明している。どの辺が居住区で、どの辺に兵士が集まっているか、そういうのも把握できている。

 ただし、デカい図体のゴグマは見た目で分かるけど、ザガンのような巨大化能力持ちの奴は、判別ができない。何か常に魔力のオーラを発して光ってる、とかなら分かりやすくていいんだけど。

 そんなワケで、最も気になる王国の最高戦力に違いない『ギラ・ゴグマ』がザガンの他にどれくらいいるのか、というのは全く分からない。

 ゴグマよりも上位の存在だろうから、それより数が多いってことはないだろうけど……一体なのか、十体なのか、でもかなり対応は違ってくる。やはり、大まかな数は知りたいところだ。

「つーか、ちょっと装備を強化したくらいじゃ、ザガンは倒せねーだろ」

 憮然とした表情で、芳崎さんが言った。

「確かに、今のみんなはゴグマをサシで何とか倒せる、くらいだからね。真正面から相手するわけにはいかないよ」

 装備の強化だって限界がある。そして拠点に籠ったまま強くなるための修行をするのだって、成長率にも限度があるだろう。

 ザガンを真っ向から倒すには、今よりも一段階上の力が必要となる。

 で、そんなものは簡単に手に入るはずもなく……葉山君、もう一回くらい覚醒して何とかしてくれないかなぁ。

「おい、葉山の霊獣ならザガンも倒せるんじゃね?」

「そりゃあキナコとベニヲは霊獣になりゃめっちゃ強ぇけどよ、別に無敵になるわけじゃねーんだよ」

 上田の安易な提案に、葉山君は眠るベニヲを撫でながら反論した。

 実際、霊獣キナコ&ベニヲは、完全変態横道との戦いでは互角以上の戦いを演じたが、全く無傷で済んだわけではない。

 そしてザガンの脅威を聞く限りでは、恐らく奴は霊獣にも普通にダメージを通すだけの攻撃力は持っている。霊獣をぶつけて、ようやく対等な勝負ができるといった感じだ。

「霊獣召喚は葉山君の魔力依存という制限時間があるからね。本当の奥の手で、安易に使うわけにはいかないよ。絶対に勝てる、かつ、魔力切れでぶっ倒れても回収できる、という条件が揃わないと、使う許可は出せないね」

 今の僕らにとって、葉山君の『霊獣召喚』は正に切り札。

 けど制限がある以上、頼り切りにはできない。使いどころを考えるのが僕の仕事だと思うし、最大限の効果を上げられる状況を整えるのがみんなの役目だとも思う。

 使わずに何とかするのが一番なんだけど。

「てかさ、どっちにしろ王国をぶっ潰すのはムリでしょ。あんなにウジャウジャいてさ、こっちはこの人数だよ? どうにかできるわけないじゃん」

 杏子のド正論が飛んでくる。

 人口数万を数える都市を僅か8人で陥落させようとなんていうのは、土台無理な話なのは言われるまでもなく当然のことであった。

「じゃあどうすんのよ?」

「えー、そりゃあ、何か上手いこと忍び込むしかないんじゃねーの? 夜とかにさ」

「おい蘭堂、そんなの一番最初に考えたことじゃねぇかよ」

「でも小太郎は前にそんな感じでゴーマのとこ越えたんでしょ? なら今回も同じ作戦でよくね?」

 密林塔でゴーマの砦を越えた時のこと、杏子に話はしてある。

 上田は正に当事者だから、杏子に言われて、うーんと黙ってしまうような反応。

 言ってることは正しくはあるけど、今回は規模が違いすぎるからね。

「あん時は、確かレイナちゃんの霊獣で火を放って陽動作戦って感じだったよな」

「おっ、じゃあベニヲに頼んで火ぃ点けちゃう?」

「……クゥーン」

 寝ぼけ眼のベニヲがご主人様に呼ばれたと勘違いしたのか、小さく鳴いて、また寝た。いいよ、君はそのまま寝ていても。

「あの砦に比べれば、王国はあまりにも巨大だ。けれど、陽動作戦で警備の目を逸らして、その隙に潜入または強行突破、っていうのは今のところ最も現実的な案だと思う」

「なによ桃川君、最初っから結論出てるじゃないの」

「まぁ、そう言わないでよ姫野さん」

 たとえ結論ありきでも、議論を重ねて答えを出すことで納得感が違うでしょ。

「これからは、ゴーマ王国突破のための準備に入ろうと思う。そのために必要なのは、さらなる情報だ」

「今もレムちん飛ばして見てるじゃん」

「それだけじゃまだまだ足りない。僕らが最終的に突っ込む場所は、オーマのいる塔になるし、最も守りが硬い場所だ。戦力の把握と、内部構造は探っておかないと、とても怖くて行けないよ」

「けどよぉ桃川、そんなのどうやって調べるんだよ。レムちゃん送り込むのも限度あるんじゃね?」

「うん、だから、僕が見に行ってくるよ」

 あーやっぱり、みたいな顔を皆がしている。

 唯一、葉山君だけあんま分かってない感じ。

 そりゃあ、僕は前に同じことやってるしね。あの殲滅してやったゴーマ村に。

「今回は前の時よりも、もっと本格的に潜入調査してくるよ。だから、みんなも協力よろしくね」




「ぶげらー、んばー」

「うわっ、ちょっ、寄んな!? キモいキモい!」

 潜入調査をするにあたって、僕はゴーマになり切るための変身セットを作成した。勿論、材料は本物だ。

 ゴーマの皮を被った僕が、ゴーマ語っぽいことを叫びながら、たまたま傍にいた上田に襲い掛かってみれば、大好評である。

「で、どうかな。ちゃんとゴーマに見える?」

「すげー、完全にゴーマだよこれ」

「頼むから、その恰好で外に出るなよ。間違って攻撃しちまうぞ絶対」

 感心した様子の葉山君に、割と真面目な注意の山田である。

「よし、改心の出来だな」

 僕は満足げに、ゴーママスクを外した。


『ゴーママスク』:本物のゴーマから剥いだ顔の皮を使ったマスク。マスクとは言っても、頭部全体を覆うような、着ぐるみの頭のような構造だ。一番苦労したのは、ゴーマから綺麗に顔の皮を剥がすこと。なかなか上手く行かなかったので、結構な数のゴーマ兵士に協力してもらった結果、今では生きたままでも上手に剥がせるようになったよね。


ゴーマは人間に比べれば血色などは分かりにくいが、流石にただの皮一枚だけでは本物じゃないと判別はつくだろう。

 遠目で見れば誤魔化せるだろうが、ちょっと近くで見られると違和感も覚える。そしてよく見れば、ただの被り物に過ぎないとバレてしまう。

 そこで、ルインヒルデ様に授かった新たな呪術の出番である。


『虚ろ写し』:虚飾の瞳術。人が見たいものを見るならば、見せたいものだけ見せればよい。されど真実なき虚しい飾りは容易く揺らぎ、綻ぶ。それでも尚、偽りの姿を見せたければ、より美しく、精巧に、飾り立てればよい。誰も彼も、上辺を眺めて真理を悟る。


 要約すれば、幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってこと。

 この『虚ろ写し』は一種の幻術で、自分が見せたい姿を相手に見せることができる。ただし、小鳥遊の投影術のように精巧なホログラフを作るのではなく、人や物をベースにして幻の姿を映し出す。

 つまり、一発で被り物だと分かるゴーママスクでも、『虚ろ写し』にかければ、本物のゴーマのように生々しい顔に見える、というワケだ。

 どこまで相手をこの幻で騙せるかというのは、『虚ろ写し』をかける対象が、どれだけ見せたい幻に近い見た目をしているか、によって大きく左右される。

 幽霊の例でいえば、枯れた草花程度では、チラ見で幽霊っぽいと騙すのが精々で、しっかりと観察すれば幻術は簡単に破られ、本物の草花の姿を認識できるようになってしまう。

 けれどマネキン人形みたいにリアルな人間に近い物体にかければ、なかなか見破れなくなる。じっと見つめて観察しても、やっぱりどう見ても幽霊だ! と思ってしまうほどのリアルな姿を維持できるのだ。

 なので、この呪術で重要なポイントは、相手に見せる幻影と、どれだけ似たようなモノを事前に用意できるかにかかっている。相変わらず、地味なところで制約がかかってしまう。

 でも素晴らしいポイントは、『虚ろ写し』は瞳術、などと書かれているように、見るだけで発動させることができるのだ。

 対象に視線を集中させて発動を念じると、映したい幻が朧げに浮かび上がってくる。その幻影がより色濃く、はっきり見えるようになれば、それだけ強く効果がかかっていることを示す。

 僕は丹精込めて作り上げたこだわりのゴーママスクを、本物のゴーマの顔に見えてくるまで見つめ続けたものだ。

 これで顔の方は完璧な変装ができるけれど、油断はしない。いくら強い幻術の効果が宿るとはいえ、基本的には不自然にならない程度に顔は隠し、より見えにくくする。

 兵士の装備は統一されているが、一般ゴーマの恰好は小汚い布というレギュレーションさえ守っていれば割と自由だ。だからフードのように汚い布を被っていても、そうおかしなファッションではない。

 顔さえ誤魔化せれば、あとはどうとでもなる。王国では一般ゴーマでも靴を履いている奴らはそれなりにいるし、手袋だって高級品という感じでもなさそう。顔意外の体は全て隠せる。

 で、変装する僕本人は小柄なので、ゴーマに紛れてもそう違和感のある身長でもない。大袈裟に猫背にしていれば、まずサイズ感でバレることはないだろう。

「小太郎、もう行くのか?」

「うん、これでもう準備は万端だからね」

 噴水の錬成機能をもってすれば、必要なものはすぐにでも作れる。狩りによる素材集めも、まだ大物こそ仕留めてないけど、そこそこ順調だしね。

 お陰で、三日くらいで満足のいく潜入装備を整えられた。


『ゴーマの服』:全身を覆う衣服。これまでの王国調査によって、一般ゴーマのファッションを研究した僕が、目立たず、それでいていい感じに体を隠せるデザインに仕上げた。ボロ布を何枚も縫い合わせた継ぎはぎのオンボロローブある。


『ゴーマのリュック』:潜入捜査に必要なアイテムなどを詰め込むためのリュック。あえてボロボロにした毛皮を雑につぎはぎして作った、リュックというか、ただ背負えるだけの大きな袋。


『隠密の杖』:今回の目玉装備。今まで全く出番のなかった桜井君の『射手の髑髏』を組み込み、隠密系のスキルを使える杖を作り上げた。発動させられるスキルは以下の通り。


『気配察知』:敵の気配を察知する感知力が鋭くなる。


『気配遮断』:気配を断ち、影のように身を潜め、静かに行動できる。


『鷹目』:鷹の目のように、遠くのモノを正確に捉えることができる。


 と、敵の目を逃れて行動するにはうってつけの能力である。

『射手の髑髏』から引き出す能力だけど、弓による攻撃には全く補正のかからない効果なのは、やはり僕自身に弓を扱う才能そのものがないからだと思われる。スキルさえ授かれば、何でもできるようになるワケではなさそうだ。


『デスストーカーの毒針』:横道産の毒針を使用。王国内部で行動する際に、邪魔なゴーマを静かに始末するために用意した武器である。不意打ちの暗殺専用で、真正面から切り合うことは考えてないので、毒針はそのまま、あとはただ刺しやすいよう柄を繋げ、携帯するために小ぶりに仕上げた。コイツで一刺しすれば、ただのゴーマなら叫び声一つ上げることなくぶっ倒れる。ゴーヴも行ける。


『レム鳥偵察隊隊長機・白フクロウ』:前の氷雪エリアで入手した真っ白いフクロウ。コイツを僕のサポートに投入することにした。とはいえ、白くて大きいフクロウは目立つので、常に上空に待機させておく。役目は、僕が王国内でやられた際に、貴重な装備品である『隠密の杖』と『デスストーカーの毒針』を回収することのみ。他は失ってもいいけれど、この二つは、最低でも『隠密の杖』だけは回収しなければいけない。桜井君のためにもね。


『レム鳥偵察隊・カラス』:このエリアでよく見かけるカラスのような黒い鳥。王国内で飛ばしても、コイツは目立たない。ゴーマは捕まえて食べようとするので、襲い掛かってはくるけれど。メインの偵察役はコイツで、僕が潜入した時も周辺警戒に使う。


『屍人形・蛇』:その辺で『同調波動エコー』で捕まえた、モンスターでもないただの蛇。鳥だと目立つこともあるので、屋内を探る時などに使えないかと思って、リュックの中に詰めてある。


『屍人形・蜘蛛』:蛇と同じく、ただの蜘蛛。コイツも屋内偵察用で、リュックに入れといた。


 とりあえず、装備一式はこんなところである。

 杖と毒針を除けば、低コストで仕上げられるモノばかりだが、いざ全部揃えるとなるとなんだかんだで手間なので、できればこの一回で十分な情報収集をしたい。何より、一度でも潜入がバレてしまえば、次は警戒もされるだろうし。

 人間がゴーマに化けて、堂々と王国に入ってくるはずがない。という油断のあるこの初回が、最初で最後のチャンスなのだ。

「それじゃあ、行ってくるね」

「頑張れよ、桃川!」

 みんなの温かい声援を受けて、僕は拠点から送り出された。

 勿論、同行者は誰もいないけれど、一人というワケではない。

 お供のように、僕は屍人形と化した鹿のような動物、ジャージャを連れている。

 コイツは王国へ潜入するために用意した餌だ。

「上手く行けばいいんだけど……」

 いくらゴーマの姿を偽っているとはいえ、黙って単独で門を通れば怪しまれる。

 王国の門番はさほど厳しい検問はされていない。あくまで、モンスターなどの外敵に備えるための門番や兵士である。

 ここのゴーマ勢力は王国のみなので、同族の敵を警戒する必要はないのだから、検問など実施する意味はない。実際、兵士以外の一般ゴーマも、割と自由に門を出入りしている。

 けれど、不審な奴は流石に呼び止められるだろう。

 王国のゴーマでも、何かを盗み出したり、隠したりしているようなそぶりを見せる怪しい奴は、その場で取り調べを受けて、何か出て来れば、裁判もなにもなくノータイムで処刑されていた。ゴグマに踏みつぶされて一撃である。

 そして、そういう怪しい奴というのは大抵、単独なのだ。

 ゴーマは基本、群れるモンスターだ。兵士は勿論、外の森に狩猟採取に出かけるらしい一般ゴーマも、必ず複数で行動している。

 なので、僕も一人で門を通ろうとすれば、それだけで目に留まってしまう可能性がある。王国民ゴーマの命は軽いのだ。怪しい、と目をつけられた時点でほぼ死刑確定と考えていい。

 なので、万に一つも兵士の目に留まるようなことはあってはならない。

 では、どういう時にスルーされやすいかを、僕は門を観察して研究した。

 その答えは、獲って来た獲物を運び込む時だ。

「よし、この辺でいいかな————『屍人形』解除だ」

 これまで使う機会はなかったけど、実は『屍人形』は任意で解除することができる。

 解除するとどうなるかと言えば、当たり前だけど、元の死体に戻る。

 王国のすぐ傍までやって来た僕は、同行してきたジャージャの『屍人形』を解除して、今まさにここで仕留めたかのような死体とする。念のために『虚ろ写し』で、より新鮮に見える様にもしておく。

「近くのゴーマを探してきて。できれば、採取してて単独になってる奴」

 群れるゴーマだが、別に四六時中くっついてるワケではない。森で木の実や野草を採取しているような奴らは、ほどほどバラけて散策している。勿論、通信手段などないので、基本的にお互いの声が届くような範囲に留まるが。

 うっかりはぐれたゴーマは、そのまま見捨てられる。命は軽いので、わざわざ一般ゴーマ一匹如き、探したりはしないのだ。

「クワー」

 ほどなくして、索敵用のカラスが戻り、僕の案内を始める。

 よし、ここからが本番だぞ。

 少しばかり茂みをかき分けて歩いて行くと————いた、ゴーマだ。

 粗末なボロキレを纏い、手には錆びたナイフが一本。しゃがみこんで、人間には食えない雑草の一種を、やけに熱心に錆びたナイフで採取をしていた。

 思わず、無防備な背中に一撃くれてやりたくなるが、今回ばかりはそういうワケにいかない。

 僕は意を決して、採取ゴーマに接近していく。

「ンベラ!」

 あからさまに、ガサガサと枝葉を踏んで接近したことで、ゴーマが僕に気づく。

 何か叫びを上げて振り向き、奴は僕を見る。

「グバ、ベーグラバ……ダド」

 警戒したような様子だが、一目散に襲ってくる様子はない。

 よし、僕の変装は見破られていない。

 これで僕が人間だとバレていれるのならば、奴はそのナイフで襲い掛かって来るか、仲間を呼ぶ叫び声を上げているところだ。

 恐らく、コイツとしては見慣れないゴーマが近づいてきたから、獲物を横取りされないかとか、そんな心配でもしているのだろう。

「……」

 僕は何も言わず、やって来た茂みの方向を指さす。

「ドゥルバ、ダーガン?」

 うるせぇな、さっさとついて来いよこのボケナスが。

 二の足を踏んでいるゴーマにケチをつけつつ、僕はしきりに茂みを示し続け、痺れを切らしたかのように歩き出す。

「ンダバ!」

 すると、ようやく決心がついたのか、ゴーマが僕についてきた。よしよし、この間抜けめ、いい感じに勘違いしてくれたようだ。

「ゼバァ!? ダルバ、ゴブルァーッ!」

 そうして、倒れたジャージャを発見すると、ゴーマは大喜びで叫んだ。

 思わぬ獲物を発見、大収穫だ、といったところか。

「……」

 喜ぶゴーマを尻目に、僕は無言でジャージャの前脚を持った。

 おら、運ぶの手伝えよ。

「ベダン、ズバ?」

 何を聞いているのか全く分からないが、僕はとりあえずウンウンと頷いて見せた。

 ゴーマの様子を観察して、首振りジェスチャーでイエスは縦に、ノーは横に振っていることはすでに知っている。上官ゴーヴに対し、部下ゴーマはいつもしきりに首を縦振りしては、頭を下げているのだ。

「ンバァ! ダバ! ゴブルァ!」

 僕の肯定を、どこまでも自分に都合よく解釈したのだろう。ゴーマは随分と嬉々として、ジャージャの後ろ脚を掴んだ。

 よし、行くぞ、しっかり運べよ。

 そうして、僕とゴーマは初めての共同作業で、ジャージャを王国へと運搬してゆく。

 門が近づくにつれて、周囲にはどんどんゴーマが増えていく。

 途中で、ジャージャという目立つ獲物を運ぶ僕らに、何やら声をかけてくる仲間なのかチンピラなのか分からん連中も現れたが、相棒の運び役ゴーマが口汚く叫びまくって、ソイツらを追い返していた。

 うん、いいぞお前、なかなか口の回る奴のようだな。気に入った。殺すのは最後にしてやる。

 そうして、相棒のお陰でジャージャの所有権を主張しつつ、僕らはついに王国の正面玄関たる、大きな門へとやって来た。

 門の両側には完全武装したゴグマが、仁王像が如く立ち塞がる。城壁と物見櫓の上には、弓を装備したゴーヴとゴーマの守備兵がそれなり以上の数、常駐している。

 僕らのように、何かしらの獲物を持ったらしいゴーマや、これから再び採取に出かけるのだろう奴ら、僕ら人間を探すためか小隊編成の兵士が見受けられた。

 流石に、これだけ沢山のゴーマのど真ん中に一人でいると、肝が冷える。本当に分身で良かったよ。

「……」

 祈るような気持ちで、僕は門を潜り抜ける。

 門番ゴグマがあからさまに僕をガン見しているが……ついに一声もかけられることもなく、僕は無事に門を通りぬけた。

 良かった、ゴグマ相手にも僕の変装はバレなかった。奴が見ていたのは、きっと僕じゃなくて美味しそうなジャージャだったのだろう。

 さて、第一関門である王国の潜入はこれで達成した。

 けれど、ここで今すぐジャージャを放り出して走り出せば、明らかに不審な行動である。

 そのため、僕は事前に調べていた通り、獲って来た獲物を保管するための倉庫に向かって歩き出した。

 この獲物を運ぶ倉庫は、幾つかある。どういう使い分けをしているのかは分からないが、中でも門から一番遠い位置にある倉庫を目指して歩いた。

「グベラ、ゼブ、ゾンガァ?」

 ゴーマは多少、訝し気な様子だが、止めに入ることはなく運び続けてくれている。

 けれど、このままコイツと一緒にジャージャを倉庫まで届けるつもりは毛頭ない。こっちの道を選んだのは、僕にとって都合がいい地形だからだ。

「クワー」

 不意に道に生える木の枝にとまったカラスが鳴いた。

 これは合図だ。周囲に他のゴーマはいないぞ、という合図である。

 レムの合図を確認した僕は、そこでようやく足を止めた。ジャージャの前脚を放り出し、突然、さも何かに気が付いたかのように慌てて振り向いた。

「ンバッ!? デガズブン、ダルガァ?」

 突然の停止に、ゴーマは声を上げるが、僕はそれを意に介さないように、慌ただしく指をさした。

 ここは、ちょうど橋の上である。

 粗末な木造の橋で、下には汚らしいドブ川が流れている。

 川の中には家畜用に飼育されているのか、それとも野生なのか、ブタガエルが何匹か蠢いていた。

 命の軽いゴーマが作った橋なので、転落防止用の柵なども勿論なく、足を踏み外せば川まで真っ逆さまである。

 そんな橋の上で、僕は川に何か見つけたかのように、指をさして、真剣に様子を伺う大袈裟な演技をしてみせた。

 僕の様子を明らかに不審に思ったようなゴーマの反応だったが、やはり、何を見つけたのか気になる様子。

「ブーガ、デバァ……」

 奴も川を探すように、そちらに目を向け————これで、僕から視線を外したな。

 僕はアホみたいに川を眺めるゴーマの背後にそっと近づき、デスストーカーの毒針を抜いた。

「ンッ————ッ!?」

 小さな吐息のような声だけを漏らし、ゴーマの体は一瞬で硬直する。

 薄く切り裂くだけでも、ただのゴーマなら全身麻痺する猛毒だ。深々と背中に突き刺してやったのだ、もううめき声一つも出ないだろう。

「ご協力、ありがとうございましたー」

 心からの感謝と共に、僕はジャージャを一緒に運んでくれた相棒を、橋の上からドブ川へと蹴落とした。

 ふっ、この高さでは助かるまい……なんて言っても、100%絶対に助からない状況だ。

 というか、早くもブタガエルが落ちたゴーマに群がって、食べ始めていた。ああ、相棒の頭が、胴が、ブタガエルって意外とワイルドな食べ方するんだなぁ。

「よし、それじゃあ張り切って王国の調査を始めるとしますか」

 証拠隠滅ついでに、ドブ川のブタガエルにジャージャも奢ってから、僕は『隠密の杖』を片手に、ゴーマの気配がない道を歩き始めた。

第292話 潜入作戦

「流石は王国だ。凄い賑わいだな……」

 思わず、心の中でそう呟く。レムの偵察で分かってはいたが、いざこうして自分の目で見れば、やはり実感させられる。

 首尾よく潜入した後は、『隠密の杖』の効果で身を隠し、ゴーマの目を避けながら、恐らくはただの居住区画と思われるテント街を抜けて行った。

 密林のゴーマ砦にも居住区のテント街が広がっていたが、ここはそこの比ではない。本格的に太く高い柱を設けた、巨大なテントが幾つも建っている。あの大きいテントはマンション代わりの大型集合住宅といったところか。

 そんなマンションテントが立ち並ぶだけでも人口規模の大きさを窺い知れるというものだが、やはり目に見えて大勢のゴーマがひしめく市場のような場所を見て、奴らの数の多さを思い知らされる。

「これだけ数が集まれば、経済も発展してるって感じなのかな」

 しばし、市場の様子を観察する。

 見たところ、金での買い物ではなく、物々交換を行っているようだ。ゴーマのくせに貨幣経済が浸透していたら生意気だよね。

 市場は商店が立ち並ぶというより、各々が交換できる物を持ち寄って、その場に広げているフリーマーケットのようなスタイルだ。

 ギャーギャーとそこかしこでやかましい叫び声を響かせて、物々交換の交渉を行っている。やはりゴーマの知能は低いし、感情的な抑えも聞かないような奴らなので、そこかしこで喧嘩沙汰が発生していた。

 で、度が過ぎるとゴーヴ兵が介入し、両成敗とばかりにぶっ殺し、両者の物品を押収と。ゴーマ文化に相応しい、なかなか野蛮なフリマ模様である。

「この広さじゃあ、一日で回り切るのは難しいな。身を隠せる場所を探しておかないと」

 広大な城塞都市を、たった一日で調査しきるのは無理な話だ。元よりある程度の日数をかけて、可能ならこの分身体はずっと内部に潜ませておきたい。

 今日のところは大まかな街の把握と、身を隠す場所の選定だけで十分だろう。セントラルタワーは、当然ながら一般ゴーマが易々と立ち入れる場所ではない。その周辺に近づくだけでも、要注意だ。

 僕自身がしっかりと都市内を把握し、潜伏場所を見繕ってから、しっかりと中枢部の調査に入ろうと思う。

 そんなワケで、僕は『隠密の杖』で隠れ潜みながら街を見て回り、本体の僕が詳細に地図を書き込んでいく、という作業をひたすらに行った。

「グギャギャ、グベ————ンバっ!?」

「おっと……」

 路地裏、というかテント裏を歩いていた時、気配察知で認識していたが、明らかに僕には気づいていないから放っておいたゴーマが、ぶつかったことで僕の存在に気づいてしまった。

 見れば子供のゴーマで、棒切れを片手に無邪気に駆け回っていたようだ。

 ロクに前も見ずに走っていたら、影のように存在感を消していた僕に気づかず、そのまま衝突してしまったと。

「なるほど、気配遮断で隠れていても、ぶつかると流石にバレるのか」

「ンババ、グブ————ンンッ!?」

 なんか無駄に叫び出しそうだったから、ゴーマのガキを毒針で一突き。

 ゴーマの死体なんてこの街の中じゃあありふれたものだけど、万一、何かしらの騒ぎになっても困る。

「やれやれ、死体を処理して証拠隠滅なんて、潜入ステルスゲーム以来だよ」

 容量だけはある背負い袋にガキを詰め込み、仕方なくブタガエルの川へと向かう。橋の上から落とすだけで、すぐに食べて死体を消してくれる頼れる奴らだ。

 そうして、ちょくちょく邪魔なゴーマを殺しては、ブタガエルの川で隠滅しつつ、一日が終わって行った。




「おはようございまーす」

 王国潜入二日目。

 ゴミ捨て場の方がまだ清潔感あるんじゃないの、と言うほどに淀んだ腐臭漂う場所で、僕は爽やかな朝を迎える。うーん、分身の感覚遮断がなければ、こんな汚らわしい場所には一歩も入りたくはないよね。

 不法侵入者で寝床を持たない僕が、王国内で目立たずに一夜を過ごせる場所を探した結果、ここに行きついた。

 王国のゴーマ人口は万を超える。それだけの数が集まれば、当然、貧富の格差も発生する。いや、それは単に貧しいというだけではない。生きている以上、一定数必ず発生する存在。

 すなわち、怪我人や病人である。

 ここはある種の隔離区画だ。城壁に囲まれた街の中でも、端も端。タワーを中心点として大きく円を描くような城壁だが、一部は凹凸のようになっている一角もある。ここはそんな、城壁の凹部分。三方をほぼ高い壁に囲まれ、常に暗がりになるような悪い立地だ。

 どうやら、ゴーマ共はここに養えない怪我人や病人を置き去りにしているらしい。手足のない奴がそこらに転がっていて、生きてはいるが、ロクに食えずにこのまま死ぬだろうという有様。

 痩せ細って飢えた者、体がなんか紫に変色している者、ずっと苦しみに呻いている者。

 彼らを養う者はおろか、その死を見届けようという者さえいない。ここは、まだ生きているというだけの、死体置き場なのだ。

 ここにゴーマが来るのは、誰かを捨てに来る時だけ。

 あとは、死んだ奴らを虫やら鳥やらが集って腐肉を食べて片づけてくれる。

 そんなワケで、ここには不法侵入者を見つけたとしても、騒いで仲間に知らせることの出来るゴーマは一匹もいない。何かを叫んでも、その声は誰にも届きはしない。ここに打ち捨てられているのは、すでに死んだとみなされた者達だから。

 いやぁ、王国内にこんなに身を隠すのにいい場所があるなんて。こういう仲間を捨てるような場所って、普通は壁の外に作るもんだと思ったけど、捨てに行くのも面倒なのか、内部に作っちゃうからつけ込まれるんだよ。

 これでひとまず、安全な宿は確保できた。他にいい隠れ場所がなくても、とりあえずここにいれば分身体が見つかることはないだろう。

「それじゃ、行ってきまーす」

 と、僕はカムフラージュ用に隣に置いておいた、謎の病気に苦しみの声を漏らし続けるゴーマに一声かけてから、意気揚々と出発した。




 それから、さらに二日ほどかけてゴーマ王国の中心部以外は、おおよその調査が完了した。

 セントラルタワーを囲うゴーマの街の地理は、おおよそ頭に入ったし、詳細な地図も描けた。単に街について覚えただけでなく、奴らの文化というか、どうやってこれだけの都市を維持しているのかも、何となく見えてきた。

 この都市はやはり、中心に行くほど重要度の高い施設が集まっている。

 タワーはゴーマ王オーマのいる居城だ。ここにオーマが出入りしていることは確認済み。外出しても、必ずここに帰って来るので、ここに住んでいるのは間違いない。

 勿論、オーマを守る親衛隊と、あらゆる世話をしているだろう腹のデカいメスゴーマもかなりの数がいる。流石は王様、立派なハーレムを築いていやがる。

 白髪に白髭で明らかにジジイと思われるオーマが、若いメスをこれでもかと実に分かりやすく侍らせているのを見ていると……メチャクチャに蹂躙してやりてぇという、正義感が湧いてくるよね。またメスの腹捌いてから毒薬の実験台にしてやろうか。

 しかしながら、王宮たるタワー内部はまだ侵入どころか接近もできておらず、オーマ達の出入りを確認できているに過ぎない。中がどうなっているのか、詳しいことはまだ不明。

 それから、タワー周辺は城壁によって囲まれ、しっかりと要塞化してある。

 この要塞内には、選りすぐりの精鋭達が常に駐留している。王宮警備の親衛隊も、ここを住居として、交代することで24時間体制での警備を実現している。

 しっかりとシフト制の勤務形態となっているのは、オーマの発案だろうか。なんにせよ、親衛隊の半数は常に万全の体勢で控えていることは間違いない。

 だが警戒すべきはオーマを守る親衛隊よりも、ザガンである。ゴグマを越えた強力な個体であるギラ・ゴグマのザガンは、間違いなく王国でも最精鋭、あるいは主力を任される将軍などの地位にあってもおかしくはない。恐らく、奴もこの要塞内に住んでいると思われる。

 ザガンは直接、クラスメイトのいる密林塔まで乗り込んで来たので、親衛隊として王の警護に付きっ切り、というワケではないことは確かだ。

 有事の際には自ら兵を率いて動き出す立場。もしも僕らが王国内を攻めたなら、先に出てくるのはザガン率いる主力部隊となる可能性が高い。

「まぁ、そんなのと真っ向からぶつかる気はないけれど……」

 戦うにしろ、避けるにしろ、相手の戦力は出来得る限り把握しなければ。単純な戦力情報だけではない。折角、ここまで来たのだ。奴らがどういう体制で軍を動かしているのか、指揮官の数、武装や兵糧の管理、などなど。現地で得られる情報は可能な限り集めたい。

 その辺はまだまだこれからだけど、奴らの兵数とこれだけの人口を支える食料供給をどうしているのかについては、すでに現段階の調査でも判明している。

 王国を支える最重要のインフラ設備は、転移魔法陣だ。

 要塞の前には大きな広場があり、そこが現役稼働している転移魔法陣となっている。今の僕なら見ただけで転移施設だと分かるけれど、つい昨日にはオーマ王御自ら実演までしてくれた。

 転移広場の魔法陣は、かなりの大きさだった。百を超えるゴーマ共を一度に転移できるほどに。

 僕が目撃したのは恐らく、ダンジョンのどこかへまた新たな開拓村を作りに行くのだろう一団であった。武装したゴーヴ数名に、資材と物資を積んだ荷車と多数のゴーマという編成。全員が武器をもっていないこと、メスが多数含まれていることから、狩りではなく定住を目的とした集団だと断定できる。確か、僕らが滅ぼしてやったゴーマ村も、あんな感じの数と構成だったからね。

 あのゴーマ村を観察した段階で判明していたことだが、ゴーマは非常に多産だ。人間を超える繁殖速度であり、放っておけばあっという間に増える。正にゴキブリ、下等な生き物ほど沢山産みやがる。

 あんな小さな開拓村でもそれが分かるくらいだったのだ。この万を超える王国ともなれば、本当にすぐ城壁から溢れんばかりとなるだろう。

 その人口爆発を抑えているのが、ダンジョンへの開拓団派遣である。

 王国は常に安定して養えるゴーマ人口だけを住まわせ、それを越えると開拓団として送り出すのだ。全滅しても、口減らしの人口抑制策としては成功。開拓が上手く行けば、ゴーマの生息圏は拡大し、王国には貢物が送られオーマは儲けられる。

 命の軽いゴーマであり、絶大な権力と軍事力を握っているオーマだからこそ、合理的にゴーマ人口のコントロールも可能なのだ。いざとなれば、兵に命じて間引くことだって奴ならできるだろう。

 そうした開拓団の出発とは別に、転移で王国へ飛んでくる奴らの存在も確認できている。

 これはダンジョンの別なエリアへと狩りに出かけた狩猟部隊と、かなり成功している開拓団がまとまった貢物をもってやって来る、二つのパターンが確認できた。

 だが、転移の発動そのものはオーマしかできないのだろう。どちらの時も、必ずオーマが転移広場で杖を振り上げ、呪文を唱えて、転移発動を行っていた。

 王の権力として転移を操る術を独占しているのか、それとも、発動させる方法を覚えられるだけの知能を持つのがオーマだけなのか。どちらにせよ、オーマ以外が転移を使うことはないと見ていいだろう。他に出来る奴がいるなら、開拓団と狩猟部隊の送り迎えなんて雑務、ソイツに任せるだろ。

「けど、オーマの転移術を覚えられれば、普通にこのエリアから抜け出せるってことだよね」

 また一つ、小鳥遊の嘘を暴いてしまったか。

 少々の偵察をすれば、ゴーマが転移を使ってダンジョンの各地に送り込んでいる、ってことは分かるはずだ。小鳥遊は随分と自信満々に「最下層エリアから出られない」と言い切ったそうだが……まぁ、これで詰め寄られたとしても、いい感じに言い逃れするのだろう。

 それ以前に、奴の下に残った面子はほぼ蒼真ハーレムメンバーだから、もう疑惑を追及されることもない。ここまで来ると、流石の委員長も身動きがとれないだろうね。

 ともかく、小鳥遊対策は置いておこう。

「うーん、やっぱり王国の支配は盤石なんだよなぁ……」

 ここさえ封じれば王国は崩壊する、というような決定的な弱点は見つからなかった。強いて言えば、オーマ自身と転移魔法陣が替えのきかない存在というくらい。

 しかし、王であるオーマの暗殺なんて難易度高すぎるし、転移魔法陣は停止できたとしても、即座に王国が滅びるほどの大ダメージにはならない。

 もっとこう、唯一の食料源を断てる、みたいな効果でなければ王国そのものにダメージを与えることはできないだろう。

 それだけ、ゴーマ王国は滞りなく運営されている。

 食料供給は森からの狩猟採取に加え、ブタガエルの放し飼いに、何やら汚らしい田んぼなのかドブなのか分からない場所で、雑草みたいな作物も生産されている。

 ブタガエルの飼育は僕もお世話になっている川の他にも、王国内に三か所の池があり、外にはさらに複数個所の池や沼でも行われている。

 作物に関しては、ドブ臭い泥地で芋と豆を育てているようだ。ゴーマが独自に品種改良したものなのか、少なくともジャングルでは見たことがない種だった。

 だが低能なゴーマでもそれなりに収穫できるようで、かなり繁殖力が強く、丈夫な作物のようである。豆も芋もドブの田んぼ一杯に育っており、結構な量が獲れていた。それぞれ、泥豆、泥芋、と呼ぶことにしている。

 このように農業と畜産、どちらも営んでいる以上、一定水準までは安定した食糧生産ができているということだ。少々の不作となったとしても、飢え死にするのは末端の一般ゴーマだけで、オーマの兵士達は飢えることなく戦力は維持されるに違いない。どっかの北の国と同じやり方である。

 さらに王国内には、武具を生産する鍛冶場も存在している。

 軍事力を支える重要施設とされているのだろう、鍛冶場は城壁の内側、要塞内に建設されている。

 どうやらゴーヴは鍛冶職人にもなれるようで、奴らが溶かした鉄を型に流し込んで、剣や槍の穂先を製造しているところは観察できた。錬成魔法の使用は確認できなかったが、『簡易錬成陣』か妖精広場の噴水のような設備を利用している可能性はある。

 ここでは職人の他にも、ただのゴーマも結構な数が手伝いに駆り出されており、下手こいて親方ゴーヴの怒りを買い、よく捻り殺されているようだ。どうせ物運びなどの単純作業にしか使わないゴーマだから、少々使い捨てでも構わないのだろう。

 王国を守る兵士達の装備が統一されているのは、この鍛冶場が稼働しているからだ。それに加えて、ダンジョン産の高品質な武器や魔法の装備、マジックアイテムなどが日々、オーマの元へ集められているというわけだ。

「ゴーマの国だからって、正直ちょっと甘くみてたかもしれない」

 あんな低能な奴らの群れなんて、絶対どっか致命的な弱点あるだろ、とか思ってました。

 けれど、オーマという優秀な頭脳をトップに、低能だからこそいいように扱えるゴーマの大集団を、奴は非常に合理的に治めている。転移をはじめとした、ダンジョンの機能を利用していることを含めても、ここの支配体制は強力な中央集権国家として安定している。

 現段階では、つけ入る隙は見つからない。

「やっぱり、何かあるとするなら、要塞内か王宮のタワーだな」

 いい加減、普通の市街地をウロつき回るのも飽きてきたところだ。いよいよ、本腰を入れて要塞まで潜入する時が来た。




「————よし、潜入成功だ」

 ここ数日、街中を回りつつも、要塞への侵入ルートもずっと探し続けてきたのだ。

 結局、これといった抜け道や警備の隙は見つからなかったので、要塞に運び込まれる物資に紛れて入ることにした。

 目を付けたのは、ドブ田んぼでとれる泥豆と泥芋。これらはほぼ毎日、デッカイ袋にいれられて、荷車に満載して要塞内へと運ばれている。その内の袋の一つを拝借し、適当に荷車に紛れ込んでおけば、後は勝手に要塞の食糧庫へと配達。

 食料輸送のゴーマは信用されているのか、要塞の門でも食糧庫でも、特に中身を検められることもなければ、数や重さを計測されることもない。ザルな管理体制、というより、ゴーマ程度じゃそういった数量管理なんかできないのだろう。奴らの知能からすれば、これくらい倉庫に入っていればOK、くらいの認識が精々である。

 そんなワケで、僕は潜入難易度ベリーイージーな感じで、要塞の食糧庫まで辿り着いた。

 食糧庫は、日本史の教科書の序盤でしか見たことがない、いわゆる高床式倉庫、みたいな感じの造りである。柱にねずみ返しがついていない辺りが、ゴーマクオリティである。

 ここには入口に見張りのゴーヴ兵が一体、立っているだけだ。注意を逸らせば、簡単に出入りできる。鍵、などという高度な細工も存在しない。これもうセキュリティという概念すら存在していないのでは。

「さて、こっから先は出たとこ勝負だな」

 ゴールであり最重要区画であるタワーへすぐにでも向かいたいところだが、流石に要塞内は兵士がそこら中をウロついている。別に警備している気がなくたって歩き回っているのだ。

 このゴーマ服は、一般ゴーマの中に紛れるなら目立たないが、ほぼ統一された装備の兵士達の間では通用しない。かといって、ゴーマは全身を覆うタイプの防具はつけていないので、変装するにはちょっと無理のある感じ。『虚ろ写し』の効果があれば行けるかもしれないが……被り物の顔を剥き出しの状態でどこまで通用するかちょっと自信が持てない。

 人間が変装しているとバレるよりかは、ただの不法侵入ゴーマだと思われた方がマシだ。とりあえず、顔だけは隠せるこの恰好のままで行こう。

 そんな見られたら一発アウトな状況なので、これまで以上に奴らの目を避けて移動しなければいけない。まだ巡回ルートのルーチンも割り出せていないので、ひとまずはレム鳥の誘導でとにかくゴーマ兵のいない場所を巡り、要塞内部の構造を徐々に把握して行こう。

 奴らの王宮であるタワーへの潜入は、この要塞の方をよく調べてからだ。見つかればアウトだが、焦らずに行こう。

「じゃあ、まずは石ころでも投げて見張りの注意を逸らそっかな————っ!?」

 と、ステルス要素のあるゲームでは定番の方法で敵の目を逸らそうと、扉に向かって歩き出そうとした瞬間である。

 日の光の入らない暗い倉庫内。けれどギラリと光るように、僕は喉元に突き付けられた刃を確かに見た。

 刃は、ピタリと僕の喉仏の全く出てない首の前で停止している。つまり、背後から掴まれ、凶器を押し付けられた格好である。

 こういう時は、何故だ、というよりも、誰だ、という疑問の方が先に湧くものだ。

 反射的に浮かんだその疑問には、すぐに答えが返って来た。

「……桃川君、でしょ」

 耳元でそっと囁くような問いかけ。外に見張りがいることが分かって上での小声だろう。

 けど、僕にとってはその一言だけで誰かと特定するには十分だった。

「やぁ、夏川さん、久しぶり。こんなところで会うなんて、奇遇だね」

第293話 共同潜入作戦(1)

「やぁ、夏川さん、久しぶり。こんなところで会うなんて、奇遇だね」

「本当に、桃川君なんだね」

 真剣な声音は、それだけ警戒しているということ。

 夏川さんとて、僕の『痛み返し』を忘れてはいまい。だから本物か分身か分からない段階では、僕の首を切り裂くことはできないのだ。

 もっとも、こうして僕へ声をかけた時点で、彼女なりに聞きたいこともあるのだろう。

「そうだよ、頑張って追いついたんだ。お陰で、上田君達を助けられたよ。5人も締め出すなんて、酷い話だよね」

「どうして、そのことを知ってるの!?」

「だから、5人とも僕が助けたから、事情を聞いたんだよ」

「そ、そっか……みんな無事なんだ、良かったぁ……」

 そう喜色を漏らす夏川さんの言葉に、偽りはないと思いたい。

 蒼真ハーレムにあって夏川さんは、桜ちゃんや明日那と違って、僕と会話が成立するマトモな娘である。委員長と同じく中立に近い立場なので、彼女と接触できたのはこれ以上ないほどの幸運。

 そう、これはチャンスだ。

「夏川さん、良かったら僕の話を聞いて欲しいんだけど」

「……いいよ。私も、桃川君には聞きたいことがあるから」

 よし、まずは交渉のテーブルにつくことには成功したぞ。夏川さんが相手なら、もうこれだけで協力は確定したも同然だ。

 なにせ彼女は、すでに5人ものクラスメイトが都合よく締め出されたシーンを目の当たりにしているのだ。

 この期に及んで、小鳥遊小鳥の身の潔白を心から信じる、とは思うまい。本当は君だって、疑っているんだろう。だから僕に声をかけたんだ。

「先に聞いておくけど、時間大丈夫? お互い色々とあるから長くなりそうだし、なんだったら場所を変えてもいいけど」

「気にしなくていいよ。私は調査のために一人で潜入したの。長く潜んでいられるように、しっかり準備もしてきているから」

 おっと夏川さん、いきなり自分から事情を暴露とは。これでは、自分一人で無防備なんだと宣言しているも同然じゃあないか。

 僕の『気配察知』にも全くかからずにナイフを突きつけたステルススキルは凄まじいけど、こういうところはやっぱり隙が多いよね。でも腹黒い駆け引きを、真っ直ぐな性格の彼女には求めるべきではないだろうけど。

「それじゃあ、まずは僕があの後、どうして来たかを聞いてもらおうかな————」

 夏川さんに協力を取り付けるためには、こちらの経歴は素直に、嘘偽りなく語った方が良い。なぜなら、ここに至るまでの出来事で、隠すべきことはなに一つないからだ。

 何より今の僕にとって重要なのは、怪しいところがないのだと印象付けること。

 逃げた先で葉山君と合流し、杏子と三人で力を合わせて森を抜け、山を越え、横道を倒して最下層までやって来た。そして、追放されたクラスメイト5人を助け出し、今に至る。

 学級崩壊を起こした君らよりも、よっぽど立派な行動をしてきたと思うんだけどねぇ?

「ほ、本当、なんだよね……?」

「疑うなら、葉山君にも上田君達にも会うといい。追放の件に関しては、夏川さんに落ち度はないから、気兼ねせずに話せるでしょ」

 今すぐは無理だけどね。僕だって満を持しての潜入捜査に来ているのだから。

 ただ、調査が終わった後なら、夏川さんの信用を得るためにみんなと顔合わせなり、話し合いの場なりを設けるのは望むところである。

「ううん、いい、信じるよ。だって、これが嘘だったら私は桃川君を信じなくなるでしょ。そんな短絡的な嘘はつかないし、やるならもっと上手なこと言うでしょ?」

「なんでみんな僕のこと詐欺師みたいな扱いすんの?」

 酷くない? こんなにもみんなのために、一生懸命に尽くしているというのに。

「桃川君の方こそ、私に口止めとかしなくてもいいの?」

「別に、小鳥遊にはもう僕らがここまでやって来ていることは知られているから。夏川さんがここであったことを話しても、そんなに大きな不利にはならないし」

「えっ、そうなの?」

「そうだよ。アイツは僕が例の塔にアクセスした時に、こっちを遺跡のシステムで監視していたから。夏川さんも『盗賊』なら、このダンジョンには監視カメラのような機能が随所にあるのは気づいてるでしょ?」

「うん……なんだか視線みたいなのを感じるところもあるし、それに連動して罠が作動するようなところもあるから」

 夏川さんは古代文字の解読はできないし、遺跡の機能を操ることもできないが、『盗賊』の高精度な感知系スキルで、そういったものを感じとる能力がある。だから遺跡に色々な仕掛けがあることは知っているし、おおよそどんな効果なのかというのも理解している。

 そして『賢者』であるならば、そうした仕掛けを自ら使うことも出来るだろうと、納得もできるはずだ。

「夏川さんのことも、僕は助けたいと思っている。というより、是が非でも殺さなければならないのは、小鳥遊小鳥ただ一人だけだ。裏切り者のアイツさえ排除できるなら、僕は桜ちゃんや明日那だって、助かったって構わない。数は減ってしまったけれど、それでももう一度、二年七組を結束させるには、これしか方法はない」

 僕は別に、蒼真ハーレムの殲滅を狙っているワケではないのだ。蒼真君の『勇者』の力は味方として役立ってもらいたいし。

 別に小鳥遊を殺せたからといって、それでダンジョンからみんな脱出してハッピーエンドというわけでもないのだ。結局、その後は自力で何とかしなければいけない。

「だから、夏川さんには僕を信じて、協力して欲しいと思っている」

「わ、私は……」

「と言っても、今すぐは信用できないよね。蒼真君を裏切ることに、なんて後ろめたさもあるだろうし」

「うっ……ホントに、そういうとこ鋭いよね」

 相手の立場に立って考えるって、大事なことだからね。僕は人の気持ちを思いやることのできる人間です。

「夏川さんが僕をどこまで信じるかは一旦、置いておこう。その上で提案したいんだけど、こっから先の調査、僕と一緒に協力してやらない?」

「えっ、うーん……」

「ゴーマ王国の攻略はどっちの立場に関わらず、必要なことでしょ。万が一、小鳥遊が僕らを排除したとしても、王国を突破できなければどっちみち終わりだからね」

「確かに、ゴーマ王国は共通の敵ということになるけど……いいの?」

「ここはお互い、協力して最大限の情報収集をした上で帰還すればいいでしょ。どっちも損はしない、得をするウィンウィンってやつだよね」

 僕は夏川さんの破格の隠密能力が欲しい。

 一方、夏川さんは生身であり、命の危険が付きまとう。そこで、いざって時は分身に過ぎない僕と、あとはレム鳥全羽つぎ込んででも彼女のフォローができる。

 大した戦力にはならないけれど、それでもちょっとした捨て駒があれば、彼女はゴーマ軍団に囲まれるくらいの状況から脱せられるだけの能力はあるのだ。

「うーん……よし、分かったよ。ここの調査、桃川君と協力するね」

「ありがとう、交渉成立だね。よろしくね、夏川さん」




「————今日は、帰りが遅くなるやもしれん」

 大戦士長ザガンは扉の前で、そう言葉を発した。

 血気盛んな荒くれ揃いのゴーマ戦士を束ねる長として、彼の口から発せられる言葉は王に次いで畏怖と覇気に溢れている。

 しかし、そんなザガンも最愛の妻にかける言葉には、どこか柔らかさを感じさせるものであった。

「はい、旦那様のお帰りを、お待ちしております」

 静々と頭を下げるのは、ザガンの腰元ほどにしか身長のないメスゴーマ。

 下民とさほど変わらぬ貧相な体格に、メスの魅力の源である腹部の膨らみも実に慎ましいものだ。誰が見ても、王国が誇る最強の大戦士長に相応しいメスではない。

 だが、ザガンは彼女を選んだ。

 幼い頃より傍仕えをしてきた、数多の世話役の一人に過ぎない、彼女だけを選んだのだ。

 オーマ王より、もっと沢山の妻を娶り強き子を成せ、と言われること数限りないが、ザガンはいまだ、彼女一人だけを妻とする意地を貫き通していた。

「いや、あまりに遅くなるようなら、先に寝ていろと」

「たとえ夜が明けようとも、私は旦那様のお帰りをお迎えしとうございます」

 尚も深々と頭を下げる彼女を前に、ザガンはそれ以上を言うのは止めた。

 まだ卵の一つも身籠っていないとはいえ、常日頃から妻の身を案じている。

 しかし、彼女が夫であり、大戦士長である自分に心から尽くしてくれる気持ちも、よく分かる。そして、そんな彼女の気持ちを感じる度、ザガンの逞しい胸の内に、万年凍り付く風雪の地にて焚火に当たった時のような温かさを覚えるのだ。

「うむ、まぁ、無理はせずとも良い」

「お気遣い、ありがとうございます」

「ではな、行って参る」

「はい、行ってらっしゃいませ、旦那様」

 そうして、ザガンはいつもと同じく愛する妻一人だけに見送られ、住処としている一室を後にした。

 ここは要塞の中にある、上位の者だけが住まうことを許されている大遺跡を利用した居住区だ。大戦士長たる者、王に次いで広く豪奢な部屋に住む権利を有するのだが、多妻を抱えず、数多の従者も不要としたザガンが求めたのは、ただ愛する妻と二人で慎ましやかに暮らせる空間のみであった。

 そんな二人の愛の巣から、すぐ傍にある王宮へと向かうザガンの足取りは、普段よりもやや重いものであった。もっとも、その些細な変化を感じ取れる者など、オーマ王か妻くらいのもだが。

 王宮の警備につく親衛隊から頭を下げられながら、ザガンは迷いなく目的の場所へと歩みを進める。辿り着いたのは、玉座の間に次いで、大きな扉が備えられた広間だ。

 重厚な石の両開きの扉を門番が開き、ザガンは中へと足を踏み入れる。

 両脇に太い円柱が立ち並ぶ、大広間である。その広い室内で最も目立つのは、中央に突き立つ石板の数々。

 石板、というよりは石の箱とでも言うべき、正方形に近い四角形だ。大遺跡の力を今も宿すことを示す、赤い光の文様が次々と浮かび上がっては消えて行く。

 それがちょうど六つ。中央の床に描かれた魔法陣を囲むように、等間隔に配置されている。

 遥か古の時代において、これがどのような役割を果たしたのかはザガンにも想像しえないが、今の王国においては、選ばれし者だけが座すことができる、神聖な席とされていた。

 そして、その席にはすでに五人が座っていた。

「へっ、ようやく来やがったか、大戦士長様よぉ」

「ふん、若造が早くも吠えおる」

「我らの長たる大戦士長が最後に来るのは当然のこと」

「どーでもいいけど、早く始めちゃってよね、ダリぃー」

「んあぁー、腹減った」

 それぞれが、それぞれの反応をもってザガンを出迎えた。

 この六つの席に座ることが許されるのは、ゴグマを越えギラ・ゴグマへと至った、ゴーマにおいて最高の戦士のみ。『巨大化ギガ』を習得せし、大戦士である。

 今ここに、王国最強の戦力である大戦士六人全員が集結していた。

「皆の者、オーマ様の命は聞いているな」

 大戦士長ザガンが最後に席へと腰を下ろし、自らに迫る実力者達に向けて口を開いた。

「ニンゲン共が出やがったんだろぉ? 早く殺らせろよっ!」

「まったく、状況というのをまるで理解しておらんのう」

「あんだとぉ、ジジィ。テメーがクソニンゲンを捕まえられねーから、この俺がわざわざ出張って来てんだろぉーが。おっとぉ、その奴らを最初にまんまと逃がしちまったのは、大戦士長様だったっけなぁ?」

「口を慎め。長に対し、無礼であろう」

「でもさー、王国の周りを何匹もニンゲンがウロついてんのに、まだたったの二匹しか仕留めてないってのはヤバくない?」

「オデ、ニンゲン……食べたい」

 早々に好き勝手に騒ぎ立てる大戦士達に、ザガンの口から小さくため息が漏れる。

 大戦士は最強の戦力だが、その分それぞれ我が強く、統率するのは非常に難しい。全員を集めた時、大人しく話を聞かせるだけでも一苦労である。

「此度のニンゲンは、これまで倒してきた者とは異なる。全員が邪神の加護を持つ強力な個体であり、その脅威はオーマ様もお認めになるところ……故に、我ら大戦士を王国へと集結させたのだ」

 大戦士長ザガン率いる、王国最強部隊である『大戦士団』は常に全員が王国にいるわけではない。

 大戦士団は六人の大戦士と、長以外の五人がそれぞれ選び抜いたゴグマ五人を配下とする、総勢三十七名の少数精鋭で構成されている。普段は大戦士とゴグマで編成される班ごとに、仕事が割り振られる。

 大戦士長と大戦士の二班が王宮警備を担当。残りの三班は、より強力な武具を求めての大遺跡探索や、強大な魔物の狩りを行う。各班は王宮警備と探索狩猟任務を一定期間の持ち回りとなっている。

 基本的に王国の安全は盤石であり、そこに最強の大戦士全員を置いておく意味は薄い。その力をもって大遺跡より数多の収穫をもたらす方が有益であり、何より大戦士たる者、常に戦い続けることで力を示さねばならない。故に、大戦士団の半数以上となる三つ分の班は探索狩猟任務に従事させているが……王国の危機となれば、その限りではない。

 そうして本日、探索狩猟担当の三班が緊急連絡を受けて王宮へと帰還を果たし、久方ぶりに大戦士全員集合と相成ったのだ。

「バズズ、ギザギンズ、ボン、速やかな帰還、オーマ様もお喜びだ。よく戻って来た」

「ったく、もうちょっとでデッケぇ地竜を狩れるとこだったのによぉ、オーマ様の命令じゃあ仕方ねーからよぉ?」

 ザガンに対し全力でガンを飛ばしているのが、大戦士バズズ。

 若者らしい血気盛んさと、若くして大戦士にまで至った天性の才能により、自らを最強と信じ貪欲に大戦士長の座を狙っている。

 だが、その露骨な態度を多少なりとも抑えるだけの理性を持てない限りは、オーマ王が彼を長に抜擢することはないだろう。ザガンとしても、彼に後継を譲るのも悪くないと思っているが、長に相応しい器となるまでは今しばらくの時間と経験を擁するだろうと考えている。

「まぁ、俺は別に適当にやってただけだから、王国に戻る方が楽できそうでいいかなーって」

 ヘラヘラ笑いながらヤル気の欠片もない物言いをするのが、ギザギンズ。

 こちらもまだまだ年若く、大戦士としての実力は現段階でバズズを上回っているが、怠惰な性格が極まっており、向上心というものが全く見られない、これはこれで困った者だ。それでいて最低限は、オーマ王に怒られない程度には仕事をこなす知能と器用さはあるので、大戦士長としても厳しい叱責はできない問題児だ。

「ねぇねぇ、オデがニンゲン食っていい?」

 そして、さっきから明らかに低知能な発言しかしていないのが、ボンである。

 ギラ・ゴグマというより、まだゴグマに近い大きく太い体格をしているが、これでも『巨大化ギガ』を習得した大戦士には違いない。

 大戦士に相応しい力こそ持つものの、知能は発達せずより本能的な行動しかとれないため、ボンだけは常に狩猟班として放し飼い状態である。

 自分より強い者には従うので、オーマ王とザガンには従順だ。

「ジジゴーゴはニンゲン捜索から王宮警備に戻れ。バンドンは引き続き警備だ」

「ほっほ、ようやく城に戻れるわい。この老骨に森を駆け回るのは、少々堪えるでのう」

「ははっ、王国の守りはこのバンドンにお任せあれ!」

 オーマ王と同じように白い髭を生やしているのが、最年長の大戦士ジジゴーゴ。先々代の大戦士長の頃からこの座にあり続ける正に歴戦の猛者であるが、寄る年波には勝てず僅かずつにだが力の衰えを感じさせる。

 もっとも、大戦士の力はそれでもゴグマとは隔絶したものであり、まだ二十年、いや、三十年は現役であり続けるだろう。ザガンにとっても、頼れる先達である。

 そんなジジゴーゴだからこそ、最初の偵察隊として出たザガンと入れ替わり、ニンゲン狩りだと意気込む若い兵士達を取りまとめ、捜索と追撃の指揮を執っていた。

 バンドンはザガンと共に王宮警備を続けていた。実直な性格で、ザガンを大戦士長に相応しい実力者と認め、素直な尊敬も見せているので、曲者揃いの大戦士にあっては珍しく忠実な部下であった。ニンゲン襲来の非常時にあって、彼が王宮警備担当で良かったとザガンは心から思っていた。他の者なら、警備を放り出し、我先にと飛び出しかねない。

「これよりは、ニンゲンの捜索をバズズ、ギザギンズ、ボンの三人に行ってもらう」

「へへっ、いいのかよぉ? 俺がニンゲン共、みーんな食っちまうぜぇ?」

「探すのは面倒くさいけど、久しぶりにニンゲンは食べたいかなぁ」

「食う! ニンゲン、いっぱい食う!」

「ニンゲン相手に、容赦も遠慮も無用。存分に功を競うがいい」

 ザガンが色めき立つ若き大戦士達に言う。

 大戦士団が集結したことで、ザガン、ジジゴーゴ、バンドンにより王国の守りは万全に、そしてバズズ、ギザギンズ、ボンによってニンゲンを狩る。これで攻守共に盤石な体勢となった。

 他の大戦士もゴーマ兵も、二十にも満たないニンゲン相手に大袈裟だと思うだろう。しかしザガンは、オーマ王のこの油断の無さこそが、数百年に渡り王国を治め続けた王の器なのだと確信している。

「ニンゲンを率いる長は、この俺と対等に戦える実力者だ。オーマ様は、白く輝く力を発揮する奴の姿を聞き、『光の御子』であると仰られた」

「光のぉ、あんだって?」

「オーマ様の言うことは難しすぎて、よく分かんないよねぇ」

「オデ、ムズかしい、話、ニガテ」

「『光の御子』という名が何を現わすのかは、俺にも分からん。だが、わざわざ名がつく存在だという意味を理解せよ。相手は少数なれど、決して油断するな。くれぐれもニンゲンなどに『巨人殺し』の栄誉を与えるな」

「はっ! この俺が、ニンゲン如きに負けるわけねぇだろが。ビビりやがって、舐めんじゃねぇぜ!」

 忠告を挑発としか受け取れないバズズは、今にも飛び出さんばかりに腰を浮かせたが、

「待て。もう一つ、言っておくことがある」

 ザガンはそれを止める。

 自ら刃を交えた『ユー』と名乗った『光の御子』の強さは警戒に値するが、ザガンにはそれと同じ、あるいはそれ以上に不安を感じる存在がいた。

「ここ数日、各地でオーマ様の『目』を潰し続けている者がいる。まず間違いなくニンゲンの仕業に違いない」

「ふーん、じゃあそれも『光の御子』ってヤツがやってるんじゃあないのー?」

「いいや、恐らく奴ではない」

「なら、どんなヤツなのさ?」

「『光の御子』は、俺を相手にしても怯まず立ち向かう勇ましき者。だが、この『目潰し』は邪悪なニンゲンらしい狡猾さを感じさせる。先日の報告によれば、『光の御子』とは別のニンゲンの一派が、追撃部隊を退け逃げおおせたと聞いている。恐らくは、その一派を率いるまた別の長がいる」

「おいおいマジかよ、ニンゲンの群れが二つもいるってことかぁ? 面白くなってきたじゃねぇか!」

「なるほどね、勇ましき者と、狡猾なる者、がそれぞれニンゲンを率いているワケだ」

「ああ、その通りだ。このいまだ姿を見せない『狡猾なる者』は得体が知れない。何を仕掛けてくるのか、全く予想もできん。捜索の際には、どこにその者らが潜んでいるか、よく注意せよ————」




「————見てよ夏川さん、敵幹部会議だよ」

「敵幹部会議?」

「敵の幹部が集まって、なんか重い感じで話し合ってる会議だよ。漫画とかで見たことない?」

「えっ、私、そんなに詳しくないし、よく分かんないかも……」

「まぁ、いいや。とにかく、これで王国最強の『ギラ・ゴグマ』が六体いることは分かったし……やっぱり、アイツが『ザガン』か」

 大戦士が集結した広間、その天井裏にて『狡猾なる者』が今まさに潜んでいることを、さしものザガンも知ることはないのであった。

第294話 共同潜入作戦(2)

 いやぁ、マジで夏川さんが仲間に加わって良かったよ。まさか、こうも簡単に王宮まで侵入できるとは。

 現在、僕らは六つの石板がある大広間、その天井裏にあたる場所に隠れ潜んでいる。ここはゴーマも把握していない、ダクトみたいな狭い隠し通路だ。

 王宮に潜入できたのは、夏川さんが早くも隠し通路を発見してくれたからで、このダクトも彼女が見つけてくれたものだ。

 曰く、この遺跡はかなり機能が生きているようで、他の場所とは段違いに様々な仕掛けがあるのを感じるという。お陰で、かなりの数の隠し通路・扉の発見に至っている。

 これらを駆使すれば、そこら中に兵が配置されて警戒が厳重な王宮内も安全に探索ができるというものだ。奴らの知らない隠れ場所が、幾つもあるなんてヌルゲーもいいとこだよね。

「桃川君、あの並んでる石板から、何か情報とれそう?」

「アクセスできれば、間違いなく何かしらあるだろうね。あんな配置の石板は初めてだし、もしかしたらサーバールームみたいな————」

 などと天井の隠し扉を開いた隙間から、無人の広間を観察していると、門の方から大きな足音と声が響いてきた。息を殺して、僕らは広間の観察を続行する。

 最初に現れたのは、白い髭を生やした皺のあるゴーヴと、派手な鎧兜を纏ったゴーヴであった。オーマ以外にもああいうジジイみたいなのがいるのか。鎧の方は、まぁ普通の感じだけど。

 両者ともゴーヴに見えるが、ここの門番を務めているゴグマから明らかに敬礼みたいな動作をされているので、位が高いのは明確だ。横道討伐戦でMPKした時のゴーヴ将みたいな感じだろうか。

 そんな偉そうな雰囲気を漂わせる二体は、迷わず広間を進み……石板に座っちゃったよ。

 流石はゴーマ。古代の情報端末を椅子として認識するとは。野蛮人と呼ぶのもおこがましい低能ぶりである。

 そんな僕の感想をよそに、二体のゴーヴは石板椅子の上で偉そうにふんぞり返りながら、ぽつぽつとお喋りをしていた。

 相変わらずゴーマ語は分からないけれど……

「あのヒゲ生えたジジイみたいなのが、ジジゴーゴ。鎧の方がバンドン、って名前らしい」

「えっ、桃川君、ゴーマの喋ってること分かるの!?」

「そんなの分かるワケないじゃん」

 今回の潜入で、僕はかなりゴーマ共の日常会話をリスニングしている。

 ただ聞き流すだけのナントカラーニングではなく、割と真面目に分析とかしているのだけれど……どう考えてもコイツら、同じ意味の言葉を全く別の発音で喋っているのだ。

 市場を少しばかり張り込んだ時、物々交換の交渉など低能なゴーマなら必ずどいつもこいつも同じような内容、少なくとも売り買いに関する単語は頻出になるはず。だというのに、単純な発音の言葉だけでは類似性がほとんど見られなかった。

 つまり、ゴーマの店主が商品の毛皮を指して、「ガバァ」や「ゲバァ」と言ったり、「ゾンガラ」とか「ブザドー」とか、他にも色々な呼び方をしているのだ。マジで意味が分からん。毛皮を意味する単語がそんなに大量にあるとは思えないし、他のモノに関しても同様だ。

 恐らく、ゴーマ語の発音そのものには意味がないのだろう。奴らは音程とか音域とか、きっと人間には聞き分けられない部分で言葉を理解しているのではないだろうか。

 なので、どんなに奴らの言葉を書き起こして、発音と意味を照らし合わせようとしても無駄になる。僕ら人間が聞き取る限りにおいては、奴らの発音に意味などないのだから。

「でも、何故か名前だけは分かるんだよね」

 そう、ゴーマにつけられた名前に関してのみは例外だ。だから明らかにお互いを指して、「ジジゴーゴ」、「バンドン」と呼び合っているのを僕は聞き取り、それが二体の名前だと理解できた。

 そして名前を持つ者というのは限られる。コイツらはゴグマが頭を下げるほどの地位にある、特別なネームド個体。

 ならば、コイツらこそがザガンと同じくギラ・ゴグマという可能性が高い。

「あっ、また別のが来たよ」

 夏川さんの言う通り、さらに新たなゴーヴが三体、広間へと現れた。

 先頭を切って大股で進んでいくのは、金色のネックレスと真っ赤な腰布だけを巻いた半裸スタイルなゴーヴ。筋骨隆々のゴーヴらしいマッチョ体型だが、目を引くのは全身に走る赤い刺青。ただのファッションだとは思わない。間違いなく、あれは何かしらの魔法陣としての機能を持つ文様だ。僅かながら、刻まれたゴーマ文字に、僕が知っているものがあるし。

 赤い刺青野郎に続くのは、チンタラ歩く妙に細い奴だ。

 ゴーヴらしく筋肉はついているが、引き絞った細マッチョな感じである。前が開いた、ゆったりしたローブを纏っており、もしかすると魔術師クラスなのかも。

 最後に歩く三体目は、ゴーヴなのかゴグマなのか判然としない、中途半端にデカい奴だ。パっと見ではゴグマのような力士体型だが、それにしては明らかに小柄である。だがゴーヴとしては頭二つ分ほど大きい。

 そんな半端デブは、「ブゥー、ブゥー」と呻きながら、石板を圧し潰すように座り込んだ。なんだろうね、この横道感は。

 そうして、新たな三体を加えたゴーヴ連中は、一気に騒がしくなった。

 特に、あの赤いヤツがうるさい。言葉は分からないのに、先に来ていたジジイと鎧に対して、全力でイキり倒しているのが分かってしまう。

「あの赤いヤンキーみたいなヤツが、バズズ。ダラけた細いのがギザギンズで、デブがボンだ」

「やっぱりゴーマ語分かるんじゃないの?」

「そこは引いたような顔しないで、素直に褒めて欲しいんだけど」

 全く、少しでも有益な情報収集するために、耳障り最悪な汚らしいゴーマ言葉に一生懸命、耳を傾けているというのに。

「あの石板を椅子代わりにしているなら、恐らく、あともう一体」

 来るだろう、と思っていれば案の定、最後に一体が広間へと現れた。

「アイツは……」

 その立ち姿、正に威風堂々。一目で分かる、ただのゴーヴではないと感じさせる。

 見た目こそゴーヴとさして変わりはない。やや大柄か、という程度。

 しかし刺青の走る逞しい肉体に纏ったローブと、極彩色の飾り羽に、金と宝石の装飾品を身に着けた姿は、王であるオーマに次ぐ豪華な装いだ。衣装だけでも特別な地位にあると判別するには十分だが……やはり、あのゴーヴそのものに、底知れぬ力強さを感じてならない。

 間違いない。アイツがここにいる連中の頭だ。

 僕の判断を肯定するように、リーダーゴーヴが最後に残された、一番奥に当たる石板へと腰を下ろした。

 そうして、リーダーを中心として奴らの話し合いが始まった。

「————見てよ夏川さん、敵幹部会議だよ」

「敵幹部会議?」

「敵の幹部が集まって、なんか重い感じで話し合ってる会議だよ。漫画とかで見たことない?」

「えっ、私、そんなに詳しくないし、よく分かんないかも……」

「まぁ、いいや。とにかく、これで王国最強の『ギラ・ゴグマ』が六体いることは分かったし……やっぱり、アイツが『ザガン』か」

 話している内容は全く分からないが、それでも必死のリスニングと、奴らの雰囲気から分かることはある。

 話に聞いた、中井と野々宮さんを殺したザガン。奴らは口々に、リーダーを「ザガン」と確かに呼んでいる。そうでなくても、実際にザガンを夏川さんが見たことあるので、姿を見れば一発で分かったことだけど。

 それでも、ここで最も警戒すべきザガンの姿を僕が直接目にできたのは僥倖だ。おまけに、ここにいる他の五体も、全員がギラ・ゴグマであることが分かったのも大きい。

 ザガンに対して対等な口を利けているので、同じギラ・ゴグマである可能性は極めて高い。たとえ外れだとしても、弱いに越したことはないし。

 ザガンと並び立つような、特別な地位にある奴らが五体いるのだと、分かっただけで十分だ。

「あっ、終わったみたい」

 イキり担当のバズズを筆頭に、ヒョロガリのギザギンズと「ねぇ、アイツ食っていい?」とか言ってそうな頭の悪いデブのボンが、広間を出て行った。

 残ったザガンとジジゴーゴ、バンドンの三体は、真面目な感じでしばらく会話をしていたが、ほどなくして席を立ち退室していった。

 広間の門は閉ざされ、再び無人となる。

「ふぅ、これでようやく石板にアクセスできるよ」

 ザガン率いる幹部級を見れたのはラッキーだったけど、元々の目的は石板からの情報収集にある。

「私が先に降りようか?」

「いや、僕だけで行く。ここからは万一の場合があるし、夏川さんはここに隠れていた方がいいよ」

「分かったよ。じゃあ、お願いね?」

 任せろよ相棒、とばかりに親指を立てたハンドサインを返してから、僕は『黒髪縛り』で形成した縄梯子を伝って、そっと広間へと降り立った。

 奴らが日常的にここを会議室として利用しているので、罠などはない。夏川さんもそこはサーチ済みである。

 僕はソロソロと歩みを進めて、まずはザガンが腰かけていた石板へと触れる。

「さーて、どんなお宝情報があるのかなー」




「————いやぁ、本当にありがとね、夏川さん」

「ううん、私も桃川君のお陰で石板の情報とか仕入れられたし」

 実に三日間に及ぶ王宮と要塞の潜入調査を、ようやく満足いくだけの情報収集が出来て終わりを迎えることとなった。

 夏川さんには、本当に助けられた。隠し通路の発見は勿論、単純に気配察知の精度と、敵の目を掻い潜る隙を見つけるのが神懸かり的である。これなら、どんな場所にでも忍び込める『盗賊』になれるだろう。絶対に敵に回したくないな。

「これで、後は無事に夏川さんを帰してあげるだけなんだけど……」

「困ったなぁ、流石に警備が厳しすぎるよ」

 現在、僕らは要塞の一角に発見した隠し小部屋に引き篭もっている。五階建てほどの高さに位置しており、隠し窓の隙間から要塞内と外に広がる町並みを一望できる穴場スポットである。

 そして、眼下の光景は三日前とは比べ物にならないほどの数と頻度で巡回している、ゴーマ兵達の姿が。

「やっぱりあの敵幹部会議は、僕らの出現を警戒して王国の警備を強めることを決めてたんだろうね」

「そうだね、私達のことはとっくにバレてるし……」

 警備体制の増強は、どう考えても僕ら対策である。この潜入こそバレてはいないが、オーマは圧倒的に少数な僕らを甘く見ることなく、襲撃に備えて厳戒態勢を敷くことを決めたのだ。

 ここは大いに舐めて、余裕ぶっこいて欲しかったんだけど。防備を固めるとは、ゴーマの大将の癖に堅実な策を取りやがって。

「みんな、大丈夫かな」

「大丈夫でしょ、小鳥遊が選んだ隠し砦なんだし」

 夏川さんに聞けば、なんでも五人を締め出して入り込んだ古代の砦は随分と快適だそうじゃあないか。衣食住の充実ぶりは、僕らが苦心して作り上げた学園塔を凌ぐほど……おのれ小鳥遊、やはり生かしておけん。妬ましくて嫉妬心がメラメラだよ。

 しかし、安全の保障された閉鎖環境にあるなら、ひとまずメイちゃんも小鳥遊に手出しされることはなく現状維持のはずだ。奴が排除に動くなら、やはり砦を出て攻略を始めた時になる。

「とりあえず、今は無事にここから脱する方法を考えるのが先だね」

「王宮は隠し通路が沢山あるからいいけど、要塞の方はちょっと警備の数が多すぎるよ。あれじゃあどこを通っても、絶対に誰かしらの目があるから」

 如何に夏川さんといえども、隙がなければどうしようもない。狩猟大好きエイリアンのようなステルス迷彩でもなければ、肉眼による目視という絶対的な監視から逃れることはできない。

「邪魔な奴を始末するのも、限界あるしね」

 三体くらいまでなら、僕と夏川さんの連携があれば悲鳴も上げさせずに始末できる。けれど、それくらいの少数単位で行動している奴らは少数派である。

 それに、要塞内ではブタガエルの川で死体の処理もできないし、その辺に隠すのもゴーヴのデカい体を数体分は苦労する。それに巡回が密だから、隠蔽工作に手間取ると、次の奴らに発見という本末転倒なことになるかもしれないし。

「桃川君、何かいい方法ないかな?」

「もう、すぐそうやって作戦を僕に丸投げするんだからー」

 でも頼られるのは嫌な気分じゃないよ。やれやれ、僕がいないとやっぱりダメなんだよね。ドヤァ。

「まぁ、こうなると陽動作戦しかないよね。適当に騒ぎを起こして、混乱すればどっかしらに穴は出来るでしょ」

「そんな簡単に行くかなぁ?」

「行くよ、ゴーマはバカだし。騒ぎが起こったら絶対みんな、何も考えずにワラワラ集まって来るね」

 ゴーマ軍が突発的なアクシデントに対して、全く隙を作らずに対処できるとは思えない。何かが発生すれば、誰もがそちらに注目する。そんな時に、ウチの奴らもそっちに出張ったらここに警備の穴が出て危険だ、と判断して持ち場に踏みとどまるように指示を出せる上官が、一体どれだけいるだろうね?

 僕がこの王国に潜入してから、どれだけお前らを見てきたと思っている。

 人間並みの知恵、思考力、想像力、判断力を持つのは敵幹部ことギラ・ゴグマだけだ。ゴグマは確かに強力な個体だが、アイツらは戦闘力全振りで、どう観察しても知的なところは見られなかった。精々、自分より格上の者に対して忠実に従うくらいなもんだ。

 つまりゴーマ軍が的確な判断を下せるタイミングというのは、トップに近い幹部クラスの命令が発せられた時だけだ。その前の段階である、現場の指揮官ゴーヴくらいでは大した判断力はない。

 まぁ、外敵なんて野生のモンスターくらいしかいない今までの環境なら、危機に駆け付けたり、逃げずに踏みとどまって戦うことさえできれば十分な対応だっただろう。

 けれど、悪意を持った人間が相手を陥れることに知恵を振り絞ればどうなるか……人間様の恐ろしさ、見せてやるぜ下等生物共。

「というワケで、今回狙うのは鍛冶場です」

「鍛冶場? なんで?」

「常に火が絶えないし、灼熱の溶鉄がそこら中で流れてるんだ。事故った時に被害が広がりやすい場所だよ」

 それに、一時的にでも奴らの生産設備を停止させられるのはこちらのメリットになる。さらに鍛冶場は奴らの中でも特殊な施設なので、壊れればそう簡単に復旧することはできないだろう。

 もしかすれば、一度壊れてしまえば二度と治せない魔法の道具や設備なんかもあるかもしれない。この機会に全部、灰燼に帰してやろう。

「ちょうどこっから鍛冶場は良く見えるし、夏川さんは騒ぎがいい感じに広がったら自分の判断で脱出して。要塞さえ抜ければ、後はどうとでもなるでしょ?」

「うん、ありがとう、桃川君。でも、一人で大丈夫?」

「どうせ分身だし。もし失敗したら、また別の分身を送り込んで破壊工作するから、夏川さんは慌てないでチャンスを待っててよ」

「凄い、テロリストみたいなこと言ってる」

「ゴーマ相手だからね、情け容赦なくテロってやんよ」




「————ありがとうございました」

 可憐な微笑みと、丁寧なお辞儀をしてから、彼女は鍛冶場を後にした。

 筋骨隆々の大柄なゴーヴ職人と、重労働にヒィヒィ言っているゴーマの下僕が駆け回る、騒がしさと熱気の溢れる鍛冶場にあって、綺麗な白い衣装を纏う小柄なメスゴーマは場違いに見える。

 しかし、そんなことに文句をつける者など誰もいない。つけられるはずもない。

 何故ならそのメスは、大戦士長ザガンが唯一、娶った妻である。万一、彼女の身に何かがあれば、王国最強の大戦士が飛んでくるだろう。

 強いオスなら、メスなど幾らでも。一人に執着する必要などない。しかし、ザガンには彼女ただ一人。その気持ちは誰も理解できていないが、どれほどそのメスを大切にしているかは、要塞にいる者で知らぬ者はいない。

 最強の大戦士の寵愛を受けるメスを、ゴーマ達はただ黙って見送るのみ。

「凄い兵士の数……本当にニンゲンの群れが、攻めてくるのかしら」

 ザガンから、王国周辺に現れたニンゲン対策のため、王命によって警備の増強がされると聞いてはいた。ここ三日ほどで次々と兵士が投入され、今や要塞内はどこの角にも警備が立っているような有様である。

 ニンゲンに対する恐怖はあるものの、少々の息苦しさも感じる。

 今日は散歩がてらに、鍛冶場へと注文していたアクセサリーを受け取りにいった。自分のものではない。大戦士長たる夫、ザガンが着飾るための装飾品である。

 本人は身分を示すための恰好、というものにあまり頓着していない。戦のための装備さえあれば、という典型的な戦士思考。

 王宮に参内するための正装こそオーマ王から賜っているが、細々とした装飾などは妻である自分が用立てしている。取り立てて女性的魅力のない自分が、ザガンの役に立てる数少ない仕事でもあった。

「旦那様、喜んでくれるといいな」

 受け取った装飾品の入った革袋をギュッと胸に抱き、最強で最愛の夫の笑顔を思い浮かべて、彼女は笑みを浮かべた。そんな時である。

「……」

 不意に姿を現したのは、見慣れない姿をしたゴーマだった。

 薄汚れた布地を頭まで被った格好。鎧の類はなく、どう見ても兵士ではない。かといって、魔術師や神官ほど上等な衣装でもない。

 下僕や荷物持ちなど、兵士以外のゴーマも要塞内にはいる。特に慣れてない者はうっかり奥まで迷い込んでしまうこともあるだろう。

 このゴーマも、たまにいる間抜けな一人に過ぎない————と興味を失いかけた瞬間、彼女は気が付いた。

 厳戒態勢となっている今において、迷いゴーマなどありえない。

 自分が歩いているここは、鍛冶場から大戦士用居住区画まで向かう道だ。近道として施設の裏手にあたる小道ではあるが、この道に入る前後には警備の兵士が立っている。恰好からして明らかに一般ゴーマと分かる者を、兵士が通すはずがない。

 ならば、この者は一体どこから現れた。

 そう気づいた瞬間には、すれ違ったばかりの不審者へと反射的に振り返る。

「————っ!?」

 キィン、と甲高い小さな音が響くと共に、彼女はよろめいた。

 何が起こったのか。戦士ではない彼女には、すぐ理解することはできなかった。

 足をもつれさせながらも、何とか踏み留まって顔を上げる。目に映ったのは、手に短剣のような鋭い凶器を握ったゴーマの姿。

 そこでようやく、理解した。自分は今、襲われたのだと。

「きっ————」

 湧き上がる恐怖心から、メスとしての本能に従って高らかな悲鳴を上げ————ようとして、声は詰まった。

 吸い込んだはずの息が、すぐそこにいる兵士達へ知らせる危機の悲鳴となって出るはずが、喉元でせき止められる。どうして声が、という疑問をかき消す息苦しさが、答えである。

 首が、絞められていた。細い紐のようなものが首に絡みつき、ギリギリときつく締めあげる。

「————アブラカダブラ(黒髪縛り)」

「カッ————ハッ、アッ————っ!?」

 声が出せず、息を止められた恐ろしい混乱の中で、彼女は確かにその言葉を聞いた。

 それはオーマ王の操る神聖な魔法とは対極に当たる、邪悪な響きの呪文であった。

「フゥー、ギグ、ゴブラズガ(ふぅー、悲鳴は困るんだよね)」

 被った布の奥から聞こえる耳障りな言葉は、ゴーマの言語とは明確に異なる。

 この期に及んで、彼女はようやく気が付いた。今、目の前にいるのはゴーマではないと。

「ニン、ゲ————ぐあっ!」

 首を絞める拘束の魔法が、さらに彼女の手足も奪う。見れば、それは長い長い、黒い毛。ニンゲンの頭部に生えているという、気味の悪い黒毛であった。

 それは蛇のようにうねりながら体中に絡みついてゆき、非力な彼女を石の壁に磔にした。積み重ねられた石垣の隙間から生え出る黒毛によって、声も身動きも完全に封じられる。

「ゾラ、グルジ、ンダバギズバッガ(それにしても、何で刺さらなかったんだろ)」

 手にした凶器をクルクル回しながら、捕まった自分の前でニンゲンがブツブツと呟いている。

 改めて間近でその姿を見て、本当にニンゲンがゴーマの皮を被って化けているのだと分かった。一体、どんな思考をしていれば、そんな世にもおぞましい発想が浮かぶのか。

 その異常性だけで、ニンゲンが如何に邪悪な存在であるか思い知らされる。

 そして今、ゴーマ最大最悪の天敵であるニンゲンは、か弱い乙女である自分の体を弄ぼうと————

「ンマァ、ジガギブゼドーガ(まぁ、死ぬまで刺せばいっか)」

 弄ぶ間もなく、凶器はあっけなくその身に突き立てられるのだった。

第295話 共同潜入作戦(3)

「それにしても、何で刺さらなかったんだろ」

 鍛冶場へ向かう道中、どうしても排除しなければならない位置にメスゴーマがいたので、通り魔のようにサクっと殺すつもりが、何故か毒針が弾かれた。

 あんまり腹は膨れていないメスゴーマで、衣装も小奇麗な白いガウンみたいなのを着ているだけで、何かしらの装甲があるわけでもない。

 いくら僕の貧弱腕力でも、鋭い毒針をゴーマに刺せないはずはないんだけど。

「まぁ、死ぬまで刺せばいっか」

 とりあえず、今はさっさと始末しとかないと。原因は気になるけど、それを考えるのは後回し。

 というワケで、気を取り直してザクーッと。

「ちっ、やっぱり弾かれるな。うーん、この感触は桜ちゃんの結界に近いけど————おっ、通った」

 キンキンやってる内に、毒針がすんなりと刺さった。これまで何度か邪魔くさいゴーマを刺してきたけど、それと全く同じ肉を貫く感触が伝わる。

「やっぱり、防御系のマジックアイテムを持っていたのか」

 いつも通りに血の泡を噴きながら、静かに毒殺されたゴーマの死体をさっと検分して、謎の防御の正体を突き止めた。なんてことはない、このメスゴーマが首から下げていたネックレスが、防御系のマジックアイテムだっただけのこと。

 僕の強化制服に採用されている『ガードリング』のように一定ダメージの軽減とは異なり、攻撃を無効、あるいは軽減させる回数に制限のあるタイプのようだ。なので、連続してグサグサしていれば、効果が切れて針も通ったと。

「ただのメスにマジックアイテム持たせるなんて……愛されてるね」

 この汚れのない白い服を着ている時点で、メスとしても高い地位にあることは丸わかりだけど。きっとお偉いさんの夫人とか令嬢みたいな感じだろう。

 まぁ、どうでもいいけど。ゴーマの階級なんて、強さに関わらない部分なら僕らには全く関係ないことだ。王宮で贅沢している奴らも、廃棄場で死を待つだけの奴らも、等しく死ねばいい。いいゴーマは死んだゴーマだけなのだ。

「おっと、先を急がないと」

 今回は死体隠蔽している時間がないので、このメスゴーマの死体はすぐに発見されるだろう。せめて目立たないように黒髪でグルグルに巻いて、何かのゴミのように『虚ろ写し』で見せかけて小道の脇に放置しておく。

 そんな最低限の誤魔化しだけをして、僕は小道を抜け————ちっ、ここにも警備兵が立ってやがる。

「レム」

「キュエッ! キキェーッ!」

 僕の指示と同時に、警備兵の頭上からレム鳥カラスが襲い掛かる。

「ンギィ!?」

「グバ! ガンゾラバ!」

 何故か執拗に集って来るカラスに夢中になっている内に、僕は小道を抜ける。ここさえ越えれば、ようやく鍛冶場に到着だ。

「ふぅ」

 雑に積まれた木箱の影に隠れて、一息吐く。

 鍛冶場までは流石に警備兵は増強されていない。そこら中にいたら邪魔くさいだろうしね。なので、警備の目を掻い潜るのはここに潜入する前までだ。結構、カラスを消費しちゃったけど、ここが使いどころだと思っている。

「さぁーて、どう破壊工作してくれようか」

 この鍛冶場は半分ほどが遺跡の建物を利用している。遺跡部分は半壊しているので、使用しているのは壁面や一部の天井といった程度。他は、自前のゴーマ建築で完成度の低い石壁や、木造建築で補っている。

 狙い目は、やはりこの木造部分であろう。

「鍛冶場の中まで入ったのは始めてだし、焦らずじっくり行こう……頼んだぞ、レム」

 返事はない。ないのだが、僕が下した背負い袋の中から、シャカシャカと足を動かして数匹の蜘蛛が方々へと散っていく。

 僕は木箱置き場で息を潜めて待ちながら、レムによる偵察結果を本体の方で聞く。

「……なるほど、この辺が木造で、ここに炉があって……おっ、油もあるのか、いいですねぇ」

 半分ほど蜘蛛が発見されて潰されたが、十分な偵察結果が得られた。本体の僕が報告を元にノートに簡易的な地図を描き、鍛冶場の構造と設備の配置を大雑把に把握。

「よし、これならいい感じに燃やせそうだ」

 情報を元に、プランを決定。

 まずは、可燃性の油がある保管庫へと向かう。

 鍛冶場は雑多な物で溢れており、材料などもそこかしこに詰まれているので、遮蔽物が非常に多い。人間でさえ意識しなければ整理整頓というのは上手く出来ないのに、ましてゴーマになどできようはずもない。隠れて移動するのに困らなくていいね。

 そうでなくても、ここは作業に忙しい職人ばかりなので、ちょっとくらい僕の姿が見られても、わざわざ問いかけてくることはない。

 というより、こういう時は「ワイは親方の指示で動いてるんや、文句あんのか!」くらい堂々とした態度でいれば、大体バレない。

「よいしょ、よいしょ……」

 なので、保管庫で荷車を拝借して、油の詰まった樽をドンドン積み込んでいても、僕の行動を咎めるゴーマは誰もいなかった。お前ら下っ端は、ちょっとでも親方の機嫌を損ねると殺されるんだし、自分の仕事に集中するのは当たり前だよね。

 僕のことは気にせず、自分の仕事をしていてよ。どうせみんな死ぬんだし。

「よーし、これだけあれば」

 満足いくまで荷車に油樽を搭載し、ガラガラと一人で押して行く。

 ひっきりなしにゴーマが行き交う通路を、僕は荷車を押しながら堂々と通っていく。やはり声をかける奴は誰もおらず、そうして目的地へと到着。

「グバ、ゾルガッ!」

 到着するなり、怒声と共に首の骨がボッキリと折られたゴーマがすっ飛んで来た。どうやら、使えねぇ下っ端野郎が絞められたところらしい。

 ここはドロドロに溶けた鉄を剣や槍の穂先などの型へと流し込む作業場だ。炉を炊いて鉄を溶かす精錬所となるここは、最も職人が多く集中する正に心臓部。心臓だけど、こういう場所はこの鍛冶場だけでも三か所はある。なかなかの規模だ。

 ここはその内の一つで、最も燃やしやすい場所。炉のある周辺は石壁に囲われているが、入口側から半分ほどは木造である。他にも雑多に置かれた可燃物が山ほど。危険意識のカケラもない。ヨシッ!

「ダンザ! ゴバァ!」

 おっと、流石にゴーヴ職人の多数いるこの場所に、油満載の荷車で乗り付けたら目立つか。

 俺はそんな指示出していない、誰だテメーは、みたいな感じで僕を、というか荷車を指して叫んだ。

 他の職人なんかも、まーた指示を聞いてねぇ馬鹿が一人登場ぉー、とばかりに鼻息荒くぶっ飛ばしてやろうと腕まくりしてこっちへと近づいてきた。

 でも、油持って到着した時点で、もう手遅れなんだよ。

「ヒャッハァ! 汚物は消毒だぁーっ!」

 男の子なら人生で一度は言いたいお決まりの台詞を叫びながら、僕は荷台から油樽を蹴り落とす。ゴロゴロと横倒しで作業場の中ほどまで転がって行ったところで————『黒髪縛り』発動。

 あらかじめ蓋に描いておいた魔法陣から、大量の黒髪縛りが飛び出す。瞬時に現れた黒髪によって蓋はバコッと外れ、並々と樽の中に満ちていた油がぶちまけられる。

 そして勿論、僕が繰り出した黒髪も、油にまみれてテッカテカ。よく油の沁み込んだ黒髪は蛇の群れのように何本もの束となって蠢く。油が滴る黒髪は勢いよく、そこら中に飛び掛かっていく。

 僕をぶっ飛ばそうと近づいてきた職人とか、炉のすぐ傍に立つ一番偉そうな親方っぽい奴とか。あとは、炉の近くに置かれた燃料である木炭の山や、木造の大きな柱や梁へとグルグルに絡みついていく。

 そうして油塗れの黒髪がそれぞれのターゲットを捉えたと同時に、根本の方を動かし灼熱の溶鉄が満ちる炉へとダイブ。

 瞬間的に点火し、方々へ伸びた黒髪は一瞬で燃え盛る火炎の縄と化した。

「ンボォアアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 真っ先に絶叫が上がるのは、油黒髪に絡まれていたゴーヴ共だ。いつにもまして汚らしい絶叫を上げて、一瞬にして全身火達磨である。

 ねぇねぇ、全身を焼かれるってのは、武技で切られるよりも苦しいのかい? うん、この大袈裟なリアクションはガチで苦しそうだね。

 だがマッチョな見た目通り生命力の高いゴーヴは、体中を燃やされながらも、すぐにその場へ倒れたりはしない。灼熱の苦しみから逃れられるはずもないのに、奴らは暴れ回る。

「ヒギャアアアアアアア!」

「ンバッ、ドッブァアアアアアアアアアア!?」

 近くにいた下っ端ゴーマ共を無駄に巻き込み、新たな犠牲者を増やしたり、木造の棚やら木箱やらに突っ込んで延焼を発生させる。

 精錬所内は、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図、いや、煉獄絵図へと変わる。

「あははは! いいぞぉ燃えろ、もっと燃えろ! 燃えろや燃えろ!」

 炎に苦しむゴーマ達を見てテンション上がって来た僕は、さらに追加で樽を投入。

「もっと熱くなれよっ!」

 気合を入れて追撃の『黒髪縛り』。

 新たなる炎髪は、素早く消化を試みようと水のマジックアイテムらしきモノを持つゴーヴを捕らえ、逃げ惑うゴーマに巻き付き、木造建築へと新たな火を追加していく。

 気が付けば、辺り一面もう火の海だ。

「よし、ここはもうこの辺でいいだろう。今日はこんくらいで勘弁しといたる!」

 それじゃあ、次は第二精錬所へ向けて発進! 新たな火元が、僕を呼んでいる!

「火事だー、火事だぞー」

 鼻歌交じりに、途轍もない火災が発生して大混乱に陥り始めた鍛冶場内を、僕はガラガラ荷車を押して駆け抜けていく。

「ここが第二精錬所かぁ。燃やすぜぇ、超燃やすぜぇ……」

 さっきのところより石造りの割合が大きく、より広々とした精錬所。火事の発生を叫ぶ声が届いていたのだろう、すでに内部は慌ただしい様子。消火活動を始めようと親方が指示を出し、慌てて我先に逃げようとする下っ端を蹴り飛ばしてぶっ殺したり、どったんばったん大騒ぎ。

「あっはっはっは! 楽ぁーのしぃーっ!」

 もっと盛り上がって行こうぜ。同じように樽を蹴り飛ばし黒髪出火コンボをかましてやれば、どんどん燃えるゴーマに、ドンドン燃え広がる鍛冶場。

 ここまで順調に事が運ぶと、なんだかとっても楽しくなってくる。折角だから、みんなにもこの面白さをシェアするために、スマホで撮っておくか。

「イェーイ、火計最高ぉーっ!」

 この炎の呪術師小太郎様が、この薄汚ねぇ鍛冶場なんざ灰燼に帰してやるぜ。ファイアーっ!




 その時、鋭い第六感がザガンを刺激する。

 何かが起った。そう確信をもって立ち上がった時には、慌てた様子の伝令が王宮へと転がり込んできた。

「なに、火事だと?」

「か、鍛冶場が……鍛冶場が燃えております!」

 常に火を取り扱う鍛冶場におけるボヤ騒ぎは、日常茶飯事である。しかし、親方衆には水流を放つマジックアイテムを始め、ちょっとした出火はすぐに鎮火できるよう装備は整えてある。

 それでも、防火対策は万全とは言い切れない。過去に幾度も鍛冶場は火災を起こしてきた。

「現場には俺も出よう。オーマ様には」

「すでに別の者が伝えております!」

「うむ、ならば問題あるまい」

 たとえ消火しきれないほど火が回っていたとしても、オーマ王の魔法があればすぐにでも火は消し止められるだろう。

 自分が出張っても大した仕事はないだろうが、それでも事態の収拾を図るためには大戦士が陣頭指揮を執る方がスムーズに行く。それに、出来ればオーマ王の御手を煩わせるようなことは避けたい。

 そんな判断をもって、ザガンは王宮を飛び出し現場へと向かった。

 鍛冶場は兵士達に装備を供給する重要施設である。要塞の中でも内側寄りにあり、王宮からそう離れてはいない。ザガンが走ればすぐに到着するほどの距離だが、火災という大事故に際して一秒を惜しむ気持ちで、近道となる小道を抜けることを選択した。

 この小道は自宅方面から鍛冶場へと向かう時も一番の近道なのだと、妻から教えてもらった。ザガンが普段使うことはないルートだが、この道を選んだ時に、つい愛らしい彼女の笑顔と共に思い出した————だから、であろうか。

 ザガンの目に、ふと白い布切れが映ったのは。

 ゴーマにとって、汚れ無き純白の布は貴重であると同時に、特別な存在である。着用が許されるのは高貴な女性のみ。

 故に、小道の脇に転がっているゴミであるとすれば、シミ一つない白い布地が見えているのは如何にも怪しい。純白の布地なら、ほんの手のひらに収まるような小さい布切れであっても、殺し合って奪い合うほどの宝である。

「……」

 嫌な予感に、ザガンは身を震わせる。こんな気持ちは、単独で試練の塔へ挑んだ時以来だろうか。

 ギラ・ゴクマへと至ってからは、自分に死を予感させるほどの戦いは一度としてない。王国最強の誇りと責任を背負い、ザガンはどんな強大な魔物にも立ち向かってきた。

 故に、そんな大戦士を震わせる恐怖は、死の危険などではない。

 それはきっと、自分ではなく、自分の大切な者、愛する者に降りかかる厄災であり————

「なっ……こ、これは……」

 凍てつく氷の魔法に全身を突き刺されるような気持ちで、ザガンはそこに転がっているゴミへと触れた。

 妙な感触だった。見た目と触り心地が随分と違って驚いたが、あらためて見ればどこに違和感を覚えていたか忘れてしまう。

 そんな些細な違和感など忘れ、黒く細長い大量の毛が巻き付いたものを手に取る。まるで、ニンゲンの髪の毛のような気持ちの悪い黒毛。鼻を突くのは、誘うように甘ったるく、けれど猛毒を持っているような刺激の入り混じった臭い。まるで森の奥に生える猛毒の花の香りのようだ。

 不快感極まる黒毛の束をかき分ければ、そこから出て来たのは美しい純白の布地。清らかで、滑らかで、愛する女性へ捧げる最高の贈り物。

 そして、愛の結晶たる白い衣装に身を包んだ、一人の女が、そこに、

「あっ、あ……あああぁ……」

 視界が歪む。脳が現実を拒絶する。

 けれど、どれだけ逃避しようとも、自分が最も愛する、永遠を誓った彼女の顔は見間違いようがない。

 脳裏にチラつく、愛しい笑顔の数々。幼少のみぎりから、成人し、夫婦の仲を誓い、そして今朝も見たいつもと変わらぬ見送りの微笑み。

 そんな全ての幸せが詰まった彼女の顔が、苦痛に歪みきった無残な表情で塗りつぶされる。

 一体、どんな苦しみを負えばこんな顔になってしまうのか。刃で切っても、火で焙っても、こうはなるまい。彼女を襲ったのは、ただ死を与えるだけの傷ではなく、死を希うほどの痛みと苦しみであったと、ザガンは理解してしまう。

 そして、彼の思考はそこで途切れる。

「あああぁ……ギィイイイイイガァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 煮えたぎる怒りのままに、ザガンはその身に宿す最強の力を解き放つ————




「————おおっ、もしかして、アレが噂の巨大化っ!?」

 鍛冶場を燃やしに燃やして、これもうほぼ全焼では、というほどに火が回り切った頃である。さて、この大火事に続々とゴーマ兵が集まって来る状況で、どうやって現場から逃走しようか考え始めていた。

 そんな時、現れたのがソレだ。

 あれ何メートルくらいあるんだろう。タワーを除いて、高層建築など存在しないこの場所にあって、それだけの高さを誇る人型というのは何よりも目立つ。

 その姿、正に巨人。

 グォオオオオオ! と雄叫びを上げる迫力は、あのサラマンダーにも引けを取らないだろう。

 そしてドラゴンに匹敵する脅威の化け物である巨人は、まるで怒り狂って八つ当たりでもするかのように、すぐ傍にあった木造家屋をラリアットでぶっ飛ばした。

「あーあ、誰だよ、ザガンをあんなに怒らせた奴」

 外観からして巨人と化しているのは恐らく、ザガンだと思われる。

 どうせ低能なゴーマのことだ。国を代表する最強格の戦士たるザガン様にもホームラン級のアホな粗相をかまして怒りを買ったのだろう。

 しかし、流石に巨人が怒り狂って大暴れするのは、この国でも日常茶飯事というほどでもないようだ。大火事で大慌てだったゴーマ兵達だったが、巨人の姿を見るや、自分達にも火がついたかのような、更なる大混乱に陥ったのだ。

 どう見ても巨人がキレ散らかして八つ当たりしているのを見慣れている様子ではない。目の前の大火事のことさえ忘れて、逃げ出す奴も現れ始めた。おい、せめてその樽に入った水くらいは撒いていけばいいじゃん。

「とにかく、これはチャンスだ。僕がこんなにツイてるなんて、珍しい」

 この身は元より分身である。夏川さんの脱出のためなら、ここで消滅しても惜しくはないが、可能ならば王宮内に留まり、監視を続けたいところだ。

 調子に乗って火を放ちまくったので、これは流石に無理かなと思っていたところに、巨人大暴れである。

 これだけの騒ぎ、というか大混乱に陥っていれば、もう夏川さんじゃなくたって脱出余裕だろう。お陰で、僕もこのまま王宮へ再潜入できそうだ。

「ふふん、僕にもようやく運が向いてきたのかな」

 とってもいい気分で、僕は混乱の坩堝と化した要塞内を歩き出した。

第296話 修行再び

 小太郎が分身をゴーマ王国の偵察へと送り込んだ日。

 現状では情報収集待ちとなるため、他のクラスメイト達は若干の暇を持て余すこととなっていた。

 外ではゴーマの軍勢がそこら中をウロついていることには変わりないので、あまり積極的な探索はできない。

 しかしながら、食い扶持の確保に装備や物資の充実のために、狩りは行われている。レム鳥による厳重な警戒と、入念な逃走経路の確保などの対策によって、本拠点直上にある遺跡街ではそれなりに行動ができるようになっている。

 それでも学園塔での生活に比べれば、格段に探索の仕事は減っている。十分な休息期間がとれたことで、短期間とはいえ過酷な放浪生活を送っていた五人も、すっかり元気を取り戻していた。そして、元気になるとただ黙って休んでいるのも退屈に過ぎず……

「ちっ、蒼真の教えを真に受けんのは癪だけど、知ってる修行法なんてこれくらいしかねぇからな」

『剣士』上田は、小太郎に用意してもらった木刀を片手に、ジャージとシャツ一枚のラフな格好で素振りを始めた。

 剣を握って僅か数か月とはとても思えない、流麗かつ力強い振り。

「今は少しでも、強くなるしかない。暇があるなら、トレーニングくらいするべきだろう」

 同じ格好の山田は、野球部で行われていた基礎トレーニングを繰り返し行っていた。各種筋トレに走り込み。しかし天職を授かり超人的な身体能力を得た今となっては、それ相応の負荷も加えなければ効果は見込めないので、総重量100キロの重りをつけて行っている。

「そういやぁ、中嶋は?」

「アイツは工房で姫野さんと」

「はっ、イチャついてんのかよ」

「桃川に酷使されている」

「俺、『剣士』で良かったわマジで」

「まぁ、アレを見るとな……俺も『重戦士』で良かったと思う」

 そんなことを話しながら、上田と山田の二人はストイックにそれぞれの鍛錬に励む。

 普通の人間では到底耐えきれないメニューを軽い準備運動がてらにこなし、体が温まって来たところで、二人はどちらともなく向かい合った。

 上田は自然な動きで木刀を構え、相対する山田はバットのような野太い木の棍棒と、愛用の盾を手にした。

 ここから先は、実戦形式の模擬戦だ。お互いに木製武器の一撃を受けたところで、どうにかなるほどヤワな体じゃない。木刀と棍棒なら、武技込みでも全力で打ち合える。

 睨み合う『剣士』と『重戦士』。ただの模擬戦とはいえ、得も言われぬ緊張感が広間を満たし————

「おおっ、なんだよお前ら、こんなとこで何やってんだー?」

 どこまでも呑気な声が響き渡り、二人は気が抜けたように構えを解いた。

 やって来たのは勿論、クラス一の能天気男、葉山理月リライトである。

 散歩でもしているのか、すぐ隣にはベニヲが駆け回り、リライトの腕にはコユキが抱かれていた。

「おう、葉山。見て分かんだろ、修行だよ、修行ぉー」

「修行!? マジかよ、そんなことやってたのか、真面目かお前ら」

「お前が呑気なだけだろが」

 懐いた犬に、可愛い子猫を抱えたリライトの姿は、ペット大好きな金持ち坊ちゃんかというような雰囲気である。どこまでも気の抜ける姿を見せるリライトに、上田も呆れ気味のため息を吐いた。

「なんだよ、俺だって過酷なサバイバル生活を生き延びてきたタフガイだぜ。っていうか、俺も混ぜろよ!」

「待て、葉山、お前の天職は『精霊術士』だろう? 俺達と同じ真似するのは」

「そうそう、貧弱な魔術師クラスじゃあ、俺らの相手にはなんねーなぁ?」

 真剣な忠告をくれる山田と、挑発的な表情を向ける上田に対し、リライトの男としての闘争心に火が着いた。

「言いやがったな、上田。剣士がナンボのもんだよ、この精霊術士リライトの力、見せてやるぜっ!」

 何故か自信満々に豪語するリライトに、渋い顔の山田と、噴き出すのをどうにか堪える上田であった。

「ぷくく……分かったよ葉山、そこまで言うなら相手になってもらおうじゃねぇの」

「俺の華麗な槍捌きにひれ伏しな! じゃあ山田、ちょっとコユキ持ってて」

「お、おう……うおぉ、小っちぇぇ……」

 コユキを山田に託すと、その小さな体を恐る恐るといった様子で抱えた。

「木の槍はその辺にあるから、好きなの選べ」

「なんでこんなイッパイあんだよ」

「桃川は凝り性だから」

 無駄にバリエーション豊富に用意された木製武器の数々が置かれた広間の隅で、リライトはしばし得物を物色し、見事に『レッドランス』と同じ長さの木槍を発見し、意気揚々と戻って来た。

「どしたい、上田、早く構えろよ」

 キリっとした表情で、まぁそれなりに慣れた様子で槍を構えたリライトが言い放つ。

「はっ、素人相手に構えなんていらねーだろ」

 腰に手を当てながら、ただ右手で木刀を握っただけの体勢で笑う上田。

「なんなら、ご自慢の精霊の力を借りたっていいんだぜ? 火とか雷とか、出せるんだろ?」

「剣道三倍段って知ってるか? リーチが長い方がそんだけ有利ってことだぜ。つまり、槍を持つ俺の方が三倍有利ってことだ————覚悟しやがれ、上田ぁあああああああっ!」

 そうして、勢いよく踏み込んで槍を突き出したリライトは……

「————な、何が起きたのか全然分からねぇ」

 気が付けば、冷たい床に転がっていた。

 特に体に痛みはない。木刀で打たれた覚えもないが、強いて言えば、槍を握っていた両手がジーンと痺れているような感覚はする。

 そこでようやく、しっかりと握りしめていたはずの槍がなくなっていることに気が付いた。

「ワンワン! クゥーン」

 主の姿に、心配そうにベニヲが駆け寄ってきて、鼻先を寄せてきた。リライトはそんなベニヲを撫でながら、のっそりと立ち上がる。

「なっ? だから言っただろ、相手になんねーって」

 見れば、変わらず棒立ちの上田がそこにいた。

 さっきと変わっているところといえば、その左手にはリライトの木槍があること。

「マジかよ、どうなってんだ……」

「槍ぶっ叩いて手放させた後、お前を適当に投げて転がしてやっただけよ」

 ちなみに、リライトを投げた技は蒼真流『体崩し』である。学園塔時代に体術も前衛組みには一通り教えられている。非力な素人同然のリライト相手になら、片腕一本でも楽にかけられる。

「な、なんだよそれ、強すぎだろ……」

「まぁ、これが天職の力ってやつ? そういやぁ、お前は桃川と蘭堂と一緒だったから、俺らみてぇな前衛組の天職は初めてだったよな」

 学園塔では誰に教わるでもなく常識だった天職能力の差であるが、リライトは『呪術師』と『土魔術師』しか比較できる者がいなかったため、『剣士』や『戦士』といった天職がどれほどの力を誇るのか、体感したことは今回が初めてとなった。

 五人の救助から今日まで、彼らの戦いぶりを目にすることはあっても、戦闘中はのんびり他の人を観察するほどの余裕はリライトにはない。

「凄ぇ、こんなんマジで達人じゃんか! 山田もこんな強ぇーのか?」

「おおぉー、よしよし、おぉー」

 山田は分かり切った勝負になど目もくれず、腕の中でゴロゴロしているコユキに夢中だった。実はずっと撫でたくて仕方がなかったが、女子のように気軽に言い出せず……挙句このザマである。

「あの山田に、思いっきり木刀で頭ぶっ叩いても、多分気づきもしねーんじゃねーかな。『重戦士』は防御が特にスゲーから」

「嘘だろおい、化け物じゃねぇか」

「まっ、俺らはあのヤマタノオロチも倒してきた歴戦の猛者だからな。そりゃ強ぇよ。けど、それでも蒼真はもっと強ぇし、あのザガンってデカブツも強ぇ。余裕こいてられねぇんだよ」

「そうか……」

 クラスメイトの達人級の腕前を実感したことで、これから挑まなければならない相手の強大さを、リライトは改めて実感した。

「よっしゃ、そんじゃあ俺も、気合入れて修行するぜ!」

「お前は槍を振るより、なんか精霊の力を伸ばす方向性でいいんじゃねぇのか?」

「うるせー、俺は剣も槍も使う感じで戦うタイプなんだよ」

「それどっちも魔法武器だろ? 実質、ただの魔法攻撃じゃん」

『レッドランス』は火の玉を、『烈風カマキリ丸』は風の刃を。それぞれ繰り出すことで、遠距離の攻撃魔法を掩護射撃のように撃ち込むのが今のリライトの基本ポジションである。

 すなわちモンスターに肉薄して、その刃で切ったり突いたりすることはまずない。キナコとレムが、そこまでの接近を許さない。

「ぐうっ、そ、それでも、多少は使えた方がいいだろが! おい、剣の使い方、教えてくれよ上田ぁ」

「俺だって人に教えられるほどじゃねぇんだけど……まぁ、基礎的なことくらいならいいぜ」

 地味に剣の教えを請われたことで気分が良くなってしまった上田は、つい安請け合いをしてしまう。

 上田自身は剣術の経験など皆無であり、学園塔の短い期間で蒼真悠斗から指導を受けただけしかないのだが……天職『剣士』が剣術の最適解を教えてくれるので、基礎を教えるくらいの能力はすでに備わっていた。

「おーい、来たぞー、って葉山じゃん」

「おっ、なんだよマリも来たのか? 俺も今日から修行すんだよ!」

 広間に遅れてやってきた芳崎博愛が、修行宣言をするリライトを怪訝な眼差しで見た。

「ええぇー、アンタがぁ? 意味なくなーい?」

「意味なくねーよ! 俺ももっと強くなるんだって!」

「まぁ、別にいいけどさ……アンタじゃ誰も相手んなんないしょ」

「ふっ、安心しろよマリ、女子であるお前に相手をお願いすることはねぇからな」

「あ?」

 リライトの舐めた態度にカチンときたマリ。上田は「あーあ」という憐みの表情で、失言をかましたリライトを眺めた。

「構えろよ、葉山ぁ」

 ついさっき天職『剣士』の力を思い知らされたくせに、全く状況を理解してないリライトは本気で信じられないと言った顔で問い返す。

「いやいや、流石に女子相手にそれはまずいだろ!? 怪我させたらどーすんだよ、やめとけってマリ」

「怪我ぁすんのがどっちか、すぐに分からせてやるよ————オラァッ!」

 そうして、襲い掛かったマリに秒で組み伏せられたリライトは、

「ぬぁあああああーっ! 痛だだだぁ!?」

「『戦士』舐めんなよコラぁ!」

「ヤベぇ、マジ痛ぇってコレ! ってか力強っ! ビクともしねぇ!?」

 マリは女子としても背は高いが、バスケ部であるリライトの方が身長、体重は上回る。男女の体格差、筋力差、体重差、どれをとっても女子のマリが男子のリライトを抑え込める道理はない。

 だが、そんな物理的な制約をあっさりと覆してしまうのが天職の力である。

『戦士』として戦い続けてきた今のマリならば、たとえ横綱相手であろうと片腕で軽くあしえらえるであろう。

「どうだ葉山、分かったか」

「わ、分かりましたぁ……」

 ようやく解放されたリライトは息も絶え絶えに言う。転がった自分のすぐ傍で堂々と立っているものだから、マリのスカートの中が丸見えな状態となっているが、そんなことに全く気付かないほどリライトはショックを受けていた。

 これで真っ当な男の子。女子に力づくで組み伏せられて、素直に喜べる性癖ではない。

「クゥーン、クゥーン……」

「べ、ベニヲ……今度は俺、もうダメかもしれねぇ……」

 また心配でやってきたベニヲを、リライトは泣きそうな顔で撫でていた。というか、ちょっと泣いていた。

「みんなー、そろそろご飯でもー、ってなに、どうしたの? 何で葉山君、フランダースの最終回みたいな感じになってんの?」

 今にも力尽きそうな悲しい表情でベニヲを優しく撫でるリライトを見て、桃川小太郎が問いかけた。

「おう、桃川。まぁ、女子の芳崎にやられて、男子のプライド傷ついた的な?」

「『戦士』に力で敵うワケないでしょ」

 何やってんだコイツ、と呆れたジト目で悲壮感たっぷりにベニヲを抱きしめるリライトを見る小太郎。

「葉山、なんか天職の力、理解してない感じだったからさ」

「なるほど、分からせられた感じで」

 腕を組んで言うマリの言葉に、小太郎もうんうんと頷いた。

「葉山君、これに懲りたら、前衛組と力で張り合うのは止めなよ。天職の差は覆しようがないからね。自分の能力を伸ばしていかないと、いいことなんて一つもないから」

「うぅ、桃川ぁ……お前なら、お前になら、俺も勝てるかも……」

「あっ、ダメだ、無様に敗北しすぎて勝利に飢えちゃってるよ」

「諦めろ、葉山。お前じゃ桃川にも勝てねぇぞ」

「な、なんだとぉ!?」

「うん、まぁ、葉山じゃ桃川には勝てねーなぁ」

「マリまで!? なんだよ、そんなに桃川ってフツーに戦っても強いのか!?」

「いや、普通に戦ったら弱いけど……でも葉山君相手なら負けることはないだろうね。なんなら、試してみる?」

「お、おうよ! 悪いが桃川、俺も後がねぇんだ、本気で勝たせてもらうぜっ!」

 ふんす、と鼻息荒く立ち上がったリライトに、小太郎はやれやれと言った様子で、木刀の小太刀二本を手に取った。

「じゃあ、桃川飛刀流の力、見せてあげるよ」

「————うぉおおおっ! な、なんだソレ!? おい伸ばして来るなんてズリーぞ、ぐわぁあああああああああああああああああっ!」




「うぅ……キナコぉ、俺はもうダメかもしれないぃ……」

「プググ、プガァ」

「おいおい葉山、いつまでもメソメソしてねーで、さっさと寝ろよな」

 まさかの『呪術師』桃川小太郎にも敗北を喫したことで、夕食が終わってもショックを引きずってキナコに縋り付いてるリライトに呆れながら、上田は自室へと戻って行った。

 クラスメイト達もそれぞれ解散し、食堂代わりの妖精広場にはリライトとキナコ達だけが残った。コユキだけはすでにリライトの膝の上で丸くなって眠っているが。

「ちくしょう、俺、最弱だったのかよ……」

「プガ、プガーウー」

「気にするに決まってんだろぉ……女子にも桃川にもボコボコにされてよ、情けないったらねぇぜ」

「————葉山ぁ、まだそこでグズってたの?」

「あん? なんだよ蘭堂ぉ……お前も俺のこと笑いに来たのか」

「アンタがボロ負けするなんて、当たり前すぎて誰も笑ってねーし。つーか、ちょっと話あるから、聞いてくんない?」

「俺に話? そりゃまた、珍しいな」

 いつものような、単なる雑談ではないだろうとリライトは杏子の素振りからすぐに察した。

 食堂からは一度退席したはずの蘭堂杏子がわざわざ戻って来たのも、きっと自分にその話とやらがあるからなのだろう。

「なんつーか、その……ウチももっと強くなりたいかなって」

「はぁ? もう充分強ぇーだろお前は」

 口を尖らせてリライトは言う。

 ここに来るまで一緒にやって来たのだ。杏子の活躍ぶりは嫌でも目に入っている。というか、三人パーティの時は基本的に攻撃を担当するのは杏子であった。

 土魔法による攻撃は威力、速度、射程、どれをとっても強力。一人だけ銃で武装しているようなものだ。コユキの親であるユキヒョウを仕留めたのだって、杏子の一撃である。

 攻撃だけでなく、土魔法が真価を発揮するのは防御面だ。堅固な防御魔法の数々に、トーチカや防壁などの拠点建築。『土魔術師』は間違いなく戦力の中核を担う存在であり、それは新たに五人ものクラスメイトが加わっても揺るがない。

「でも、横道ん時は全然役に立たなかったし。やっぱ、スゲー強い奴を相手した時に、頼りになるくらいじゃないと」

「あん時は奇跡に助けられただけじゃねーか。誰だってありゃどうしようもねぇって」

 霊獣化に目覚めたのは、奇跡のようなものに過ぎず、決して自分の実力などではないとリライトは思っている。あんな土壇場は二度と御免だとも。

「そのどうしようもない状況ってのを、桃川は何度も超えてきてんの。で、きっとこれからもそういうのがあるんだよ……蒼真と小鳥遊を敵に回してんのは、そんくらいヤバいと思ってるし」

「うっ、それは、まぁ……」

 リライトとしても、五人の話を聞くと、とても楽観などできない。

 実感こそできていないが、小鳥遊小鳥が恐るべき力を持つ最悪の裏切り者であると理解はしているつもりだ。

「だから、もっとこう、何かがいんの!」

「何かって、そりゃあ、必殺技みたいな?」

「んっ、そう、それ! ウチも葉山の霊獣化みたいな必殺技欲しいんだけど」

「欲しいんだけどって言われても……そういうのって、神様から授かるもんじゃねぇのか?」

「そんなの待ってらんねーって! 神様の気まぐれじゃん、あんなの」

 完全に気まぐれではなく、何かしらの条件があるだろうというのはリライトも分かってはいるが、結局のところその条件が分からない以上、お祈りするのと大差はない。

「確かに、新技授かるにはどうすりゃいいのかなんて分かんねーしな。となると、自分で新しい技編み出すしかねぇってことだけど……蘭堂も修行とかする?」

「魔法の修行ってなにすんの?」

「え、そりゃあ、使える魔法をもっと上手く使えるよう撃ちまくるとか?」

「そんなの普段からもうやってるじゃん」

 少なくとも、現状習得している土魔法はフルに使っている。攻撃と防御、それぞれの下級、中級、上級魔法は状況や用途に応じて使い分けているし、使用頻度にも大きな偏りがあるわけではない。

 小太郎のお陰で戦うようになってから、攻撃魔法は今じゃ息を吸うように自然に使えるし、防御魔法などは工事などでは使いっぱなしである。

 熟練度、というものがあるのなら、杏子は自分の魔法はどれも十分に熟達したと言えるだろう。

「他に何かないの?」

「他にって、うーん……てか、こういうの考えるのは桃川の方が得意なんじゃねぇのか?」

 なんで俺なんだよ、と改めて問うてみれば、杏子はちょっと恥ずかしそうに顔を背けて、

「たまにはウチも、小太郎に凄いとこ見せたいの」

「そのしおらしいところを見せてやれよ……」

 普段ではまず見られない乙女な顔をする杏子を見て、俺にその顔を見せてどうすんだよとリライトはしみじみ思ってしまった。

「けど、そんなに焦ることねーと思うけどな。桃川がもっと強くなれ、なんて言わないってことは、今の蘭堂でも十分だって思ってるってことだ」

「小太郎は変なとこで遠慮すっから。絶対やんきゃいけないことは無理でもやらせるけど、そこまでじゃないことは強要したりしないからさ」

 そういえば、そうかもしれないとリライトは思った。

 そして、だからこそここまでダンジョンを乗り越えてきたし、あの5人が寄せるような信頼と実績があるのだろう。この異世界のダンジョンは、学生生活の延長にあるような仲良しこよしだけでは、決して乗り切ることはできない過酷さに満ちている。

「けど、そこまで気負うなよ。そりゃ、蘭堂が必殺技習得するのに越したことはねーけど、それで思い悩んでたら、そっちのが桃川に心配かけるぜ」

「だから心配かけないように、アンタに相談してんだって。マジでどうにかなんない? ほら、精霊の力とかでさぁ」

「簡単に言いやがって……でもまぁ、とりあえず精霊に聞いてみるくらいはできっから、まずは話してみるか」

「えっ、精霊と話せんの? っていうか、どこの精霊と話すのよ」

「そりゃあ、お前についてる精霊に決まってんだろ」

「なにそれ、ウチにそんなのついてんの!?」

 服に虫が、みたいな感じで慌てだす杏子に、リライトはため息を吐きながら言った。

「はぁ……桃川の呪術には闇の精霊が出てくる、とか話したよな? なら当然、土魔法には土の精霊がいる。で、『土魔術師』ってんなら、本人にも普段から土の精霊がくっついてんだよ」

「ウチ全然分んないんだけど。どの辺にいるの? どこ? ここ?」

「見えねーならどこだっていいだろ。そんじゃあ、今からちょっと話しかけてみるけど、俺が一人で喋ってんの見て笑うんじゃねーぞ」

「必殺技使えるように頼むぞ」

「あんま期待はすんなよなー」

 そうして、リライトは杏子に纏わりついている、明るいオレンジ色に輝く土精霊達へと語り掛けた————

第297話 潜入任務完了

「す、凄い、一体何をやらかしたらこんな大騒ぎを起こせるんだろう……」

 一抹の不安を胸に、鍛冶場へと破壊工作に向かった小太郎を送り出してしばらく。鍛冶場方面から濛々と黒煙が吹き上がったと思ったら、今度はあの巨人が出現して、突如として大暴れを始めていた。

「もしかして、桃川君があのザガンを引き付けているのかな」

 塔での惨劇を思い出し、美波は背筋を震わせるが、今の自分が成すべきことを忘れるほど軟弱ではない。彼女は単独で潜入調査を任される、凄腕の『盗賊』である。

「とにかく、今がチャンスだよ! ありがとね、桃川君!」

 鍛冶場は大火災で、おまけに巨人ザガンが何故か大暴れ。要塞はひっくり返ったような大騒ぎの大混乱に陥り、最早、警備どころではない。

 美波は素早く隠し部屋を飛び出し、騒ぎによって空白となった場所を選んで走り抜けていく。

「邪魔っ!」

 道中、何体かのゴーマが立ち塞がるが、群れていなければ物の数ではない。疾走しながら、ナイフ『エンシェントヴィランズ』の一閃で正確に首を刈りながら、美波は外へ向けてひた走る。

「わぁ、街の方も凄い騒ぎになってるよ」

 要塞で大火事が起こっているのは、城壁を挟んだ街側からでも一目瞭然だ。別に一般ゴーマ達が消化活動に駆け付けることはないのだが、目に見えて分かる大惨事を前に、無意味に興奮しているようだ。

 お陰で、テンション上がったアホなゴーマが暴走して、喧嘩やら略奪やらを始めている。そして、それを力で制圧するゴーヴ兵も、今は要塞の火災へ対応するのに手いっぱいで、街の治安維持にまで出張ってこない。止める者がいないから、より混乱は加速し、収拾のつかない状況となっている。

「ンギギィーッ!」

「だから邪魔だって!」

 路地裏から飛び出してきたゴーマの集団を瞬く間に切り捨て、美波は足を止めることなく混乱する街中を駆け抜けていく。彼女を止める者は、王国には誰もいなかった。

「よっし、これで脱出完了!」

 王国を囲う防壁から飛び降りて、美波はついに脱出を成功させた。

 追手はいない。もし美波の存在に気付いたとしても、あの状況から追撃部隊を編成して繰り出す暇はないだろう。

 混乱する王国を悠々と後にして、森の中を美波は行く。向かう先は拠点の砦————ではない。

「えーっと、こっちでいいの?」

「キュエ!」

 外に出てから、美波を先導するのは灰色カラスのレムである。

 王国内で小太郎と出会って三日。彼は学園塔の頃と全く変わらぬ様子、そしてよく回る悪知恵でもって要塞と王宮の調査が大きく進んだ。

 美波は元より、桜や明日那ほど桃川小太郎を毛嫌いしているワケではない。ヤマタノオロチ戦を成功に導いた指揮能力。学園塔では男子委員長として上手くクラスをまとめた指導力。その上、こっそり自分に甘いものを優先する便宜も図ってくれた。

 小太郎がいるなら、と素直にこの先も希望を持てた。だからこそ、毒殺事件のことは大きなショックだったし、恐ろしくもあった。

 けれど小鳥遊小鳥に対する疑惑は深まり、息つく暇もなく次々とクラスメイトを失い、冷静に考える余裕さえ失い、ここまで来てしまった。

 だから小太郎と再会した今こそ、自分で確かめなければならない。

 少なくとも、彼が助けたと言い張る締め出されたクラスメイト5人の無事だけでも、自ら確認しなければ、砦に戻るわけにはいかない。

「ん、ここでいいの?」

「キョアー」

 森の中に、ちらほらと崩れかけの遺跡が現れ始めた頃、半壊した塔のような建物にレムは導いた。中へ入れば、真っ直ぐ地下へと続く階段だけがある。

「……」

 最大限に警戒しながら、美波は階段を下りてゆく。

 それなりに長い階段を下った先には、このダンジョンでは見慣れた、薄ぼんやりした灯りに照らされた、地下トンネルのような場所へと出た。

「————おおっ、来たな! おーい、夏川!」

「ああっ、ホントに葉山君、生きてたんだ!?」

「だから俺の顔見て同じこと言うのやめろって!」

「ホントに、本物なの?」

「俺の偽物がどこにいるんだよ————って唐突なボディタッチ!?」

 騒がしく言うリライトを無視して、美波は無遠慮にその体にベタベタと触れた。手に触れる制服と肉体の感触は本物。幻術で誤魔化せるようなものではない。

 どうやら、彼は本物の葉山理月リライトである、と美波は確信した。

「よう、夏川、お前とはいつぶりだっけ?」

「あの砦ん中は快適かぁ?」

「上田君、芳崎さん……」

 さらに現れたのは、それぞれ武器を手にした上田とマリの二人。意地悪い顔の御挨拶だが、美波は二人の無事な姿を見て、涙が出そうになった。

「プググ、プガァ」

「このクマはなに!?」

「おいおい、ナイフは止めろ! キナコは俺の相棒なんだって!」

 当たり前のように傍にいた熊のモンスターらしき存在に、美波は反射的に武器を構えたが、慌ててリライトが制した。

「キナコって……ペットなの?」

「ペットじゃねぇ、相棒だ」

 何故かドヤ顔でいいながら、フッサフサの熊の胸元をサワサワするリライト。どうやら、本当に手懐けているようだ。

「————それで、どうかな夏川さん。僕のこと、信じる気になってくれたかな?」

「桃川君……こっちは本物、なんだよね?」

「うん、迎えに来たよ」

 そうして、最後に一同の後ろから笑みを浮かべて、桃川小太郎が現れた。




「————さて、一週間以上も費やした調査の結果を報告させてもらおうかな」

 夏川さんが砦へ帰還するのをみんなで見送った後、僕はクラスメイト全員を集めて成果の報告をすることにした。

「とりあえず、これが王国のマップね」

 テーブルの上には、カレンダーサイズの大きな紙に描かれたゴーマ王国の全図。僕の努力の結晶である。

 防壁上の警備の配置から、大まかな巡回経路、頻度、交代時間まで書き込んでおいた。

 街の方には川などの地形は勿論、居住区や人口密集区、様々な倉庫、ブタガエルの飼育場や泥豆泥麦畑といった主要な施設を記してある。大きな通りから、比較的見つかりにくい裏道、それから要塞に至るまで使えそうなルートなどもマークしておいた。

 そして何より重要なのが、要塞内から王宮まで。

 こっちは街よりもさらに詳しく書き込んである。夏川さんの協力のお陰でかなりの情報が集まったので、要塞と王宮にはまた別に専用の地図も用意しておいた。

「地図は凄ぇーけど、こんなに覚えられる自信ねぇなぁ」

「ウチ、地図読むのとか苦手なんだけど」

「全員がこの中身を覚える必要はないよ」

 杏子も葉山君も、共に渋い顔。覚える必要ないっていうか、覚えてくれると期待もしてないから、心配しなくてもいいんだよ。

 というか、ぶっちゃけ僕とレムだけ理解していればいいだろう。どうせ王国に突撃する時は、みんな固まって移動するんだし。

 流石に今の面子で別行動させるのは怖い。レイナみたいに最悪戻ってこなくても、というワケにはいかないしね。

「そんで結局のところよ、王国につけ入る隙は見つかったのかよ?」

「こんだけ調べ上げたのはスゲーけどさ、ゴーマの数がヤバいことに変わりはないし」

「まぁまぁ、そう結論を焦らないでよね」

 上田と芳崎さんはせっかちだね。でも、気持ちは分かるけど。僕らは圧倒的に少数で、ゴーマは無尽蔵に思えるほどの数だ。事実、奴らの出産数を考えれば無限湧きといってもいい。

「で、次はゴーマ王国の大まかな戦力。分かっているだけで、例の巨人化持ちのギラ・ゴグマは六体いる」

 まずは因縁のザガン。

 他の五体を従えているリーダー格であることは間違いない。敵幹部会議の様子から、興奮している奴を抑えるような話しぶりだったことから、知能は高めで、理性的な言動のできる奴なのだろう。

 まぁ、なんか知らんけどガチギレして要塞内で大暴れしていた辺り、所詮はゴーマだなと思うけど。

「ザガンの暴れぶりは僕も見て来たよ。確かに、あれはちょっと真正面から戦いたくないね」

 アイツのせいで、僕の鍛冶場放火が大したことないような感じになっちゃったよ。あの辺の周囲一帯はほとんど更地と化していて、巨人が本気で壁殴りするもんだから、要塞の城壁があの一角だけ崩れ去ったんだよね。

 ゴーマ兵の被害もなかなか。絶対に僕が焼き殺した数より、ザガンが暴れて死んだ奴の方が多い。キルスコアで負けた、悔しい……次は負けないんだからね!

「お前、よく無事だったな」

「運が良かっただけだよ」

 真顔で言う山田に、僕はルインヒルデ様に感謝の念を捧げながら応える。

 どっかの屋根が丸ごと突っ込んで来た時は流石に焦ったよね。咄嗟に伏せたら、頭上スレスレを飛んで行って、直後にすぐ後ろに墜落していた。そんなようなことを何度か繰り返しながら、分身の僕は全力疾走3割、しゃがみ歩き3割、匍匐前進3割、ルインヒルデ様へのお祈り1割といった行動で、どうにかこうにかザガンの大荒れ圏内から脱することに成功したのだ。

「……けど、それだけ暴れたザガンは、一体どうやって止まったんだい?」

「お、いいところに気づいたね中嶋君」

 あの様子だから、マジで王国壊滅するまで暴れ続けるんじゃあ、と思ったのだ。そうなればどれだけ楽ができたか。

「もしかして、巨人化の弱点とか見つかったの? もったいぶらないで早く教えなさいよ」

「分かんない」

「は?」

「どうやって止めたのか、僕もよく分かんないんだよね」

 だって、止まったところ見てないんだもん。

 その時、分身の僕は王宮まで無事に帰り着き、盗賊夏川直伝の隠し通路に飛び込み、身を隠し……そして今に至る。

 つまり、僕は王宮に再び潜入した時点で、もう外の様子を自分の目で見て探れないのだ。

「でも、レムが上空から観察してくれてるから、どうなったかの概要は分かってる。ザガンを止めたのは、どうやらオーマの仕業らしい」

 暴れ狂う巨人ザガンと、逃げ惑うゴーマ兵の中で、唯一ザガンへと向かう一団がいたそうだ。

 その中心にいたのが、オーマである。

 取り巻きは勿論、王宮警備の親衛隊。そしてジジゴーゴとバンドン、と呼ばれていたギラ・ゴグマも随伴していた。

 そうして守られたオーマがザガンに近づき、ある程度の距離にまで至った時、手にしていた杖を掲げた。

 それからは、何かの呪文を叫んだり、杖が赤く光り、ザガンの全身も光り、そうしてピカピカしている内に、ザガンの巨人化は解除され、通常のゴーヴサイズへと戻っていたという。

「巨人化はオーマが施している強化魔法のようなものだと思う」

 巨大化能力はオーマが与えたもので、術者だからオンオフの切り替えも自在、といったところだろう。もっとも、あれだけのゴーマ人口がいながら、たったの六体にしか付与していない以上、発動には相当な制約があるのだろう。

 だが、その選び抜かれたギラ・ゴグマに与えた巨大化能力は、オーマは自在に操れると仮定しておくべきだ。

「もしザガンに『悪霊憑き』が通じたら楽勝だったと思ったけど、オーマがいるから無理だね」

 もっとも、オーマがいなくてもザガンくらい強い奴には通じないだろうけど。それでも、検証作業が一つ減っただけ良しとしよう。

「それじゃあ、結局どうすんだよ?」

 葉山君が思考放棄したような表情で聞いてくるけど、いい加減、他のみんなも気になっているようだ。多分、みんなはもう僕に腹案があるのだとお察ししている。

 そりゃあ、マジで何にも攻略の糸口が見つけられなかったら、大人しく白状してるしね。

「オーマは多才だし、ザガン以下ギラ・ゴグマ連中は強力で、ゴーマ軍も無数にいる……でも、ちゃんと見つけて来たよ、王国の攻略法をね」

「おおおっ!」

 自信満々に言い放つと、心地よいどよめきが返って来る。うんうん、こういうの大事だよね。努力が報われた気がするよ。もっと褒めてもいいんだよ? 流石は桃川! さすもも!

「あの忌々しいゴーマ王国を、みんなでぶっ壊してやろう————」




「————おかえり、美波」

「ただいま、涼子ちゃん」

「ああ、本当に無事で良かった。怪我はしていないか?」

「にはは、ちゃんと無事なのはメールしてたのに、心配しすぎだよ蒼真君」

 一週間に渡るゴーマ王国への潜入調査任務を終えた美波を、みんなは温かく出迎えた。

 美波もまた、出発した時と変わらぬ快活な笑顔で応え、仲間の不安を拭い去るのだった。

 調査の結果報告は非常に気になるところだが、長い任務をたった一人で終えた彼女の疲労を考えて、その日はひとまずゆっくり休息してもらうこととなった。

 芽衣子の作った温かい料理に舌鼓を打ち、無事に帰還を果たした労いのために、特別に用意されたパフェを貪り、美波は幸せな満腹感と共にぐっすりと眠る————だから、行動を起こしたのは、次の日であった。

「おはよう、美波。随分と早いじゃない。まだ寝ていてもいいのよ」

「ううん、全然大丈夫だよ」

 朝の身支度を済ませて、部屋を出て来た涼子と美波は鉢合わせた。いいや、美波の方がこのタイミングを待っていた。

 委員長たる涼子は、その生活リズムも模範的であり、こんな環境となっても起床時間はいつも同じ。この安全な古代の砦内にいれば、見張り役も不要だし、モンスターやゴーマの襲来もありえない。

 故に、美波は涼子の起床に合わせて待っていたのだ。

「ねぇ、涼子ちゃん、ちょっと散歩しない?」

「簡単に言うけれど、外に出るのは危険なのよ。あまり油断しすぎるのは————」

「ええー大丈夫だよー。ちょっと入口の近くを歩くだけだからさ」

 軽い調子でおねだりしつつも、美波は涼子の手をギュっと強く握った。

 いつもの溌剌とした笑顔を浮かべているものの、真っ直ぐに涼子を見つめる視線は真剣そのもの。

「……そうね、あんまり籠り切りなのも、健康に悪そうだし。付き合うわ、美波」

「ありがとう涼子ちゃん!」

 流石は我が親友、と自分の真意を察してくれた涼子に感動しながら、そのまま美波は並んで歩きだす。

 これで、今のやり取りを『見られて』いたとしても、不審なところはないだろう。

 涼子も、自分のワガママに仕方なく折れた、ように見える台詞を選んでくれたことも幸いだった。

 ひとまず、これで監視の目は欺ける。

「……」

 涼子を伴ったまま砦の複数ある入口の中で、森に通じている箇所を選んで開く。

 すでに小鳥が砦の制御を取り戻しているので、ここにいるメンバーは自由に出入りができるようになっている。小鳥の立場を考えれば、砦の出入りは全て自分で管理する方が望ましいだろうが、出入り自由化の方が仲間からの信頼を得られる行動だと判断したのだろう。

 それでも、全ての入口は監視されているが。

 美波は『盗賊』の鋭い感覚によって、魔法的な視線を強く感じながらも、素知らぬ顔で涼子と共に外へと出た。

「ねぇ、涼子ちゃん」

 森を歩くこと少々。美波は、ここには確実に監視の目はないと確信した上で、立ち止まった。

「ええ、何か話があるんでしょう?」

「流石だよ、すぐ私の言いたいこと察してくれるんだもん」

「あんな必死に見つめられて、気づかないはずがないでしょう……それより、話をするなら、手短な方がいいんじゃないのかしら」

 うん、と美波は頷いて、昨晩ずっと考えていた通りに、涼子へと語った。

「私、桃川君と会ったよ————」

第298話 王国の崩し方

「あの忌々しいゴーマ王国を、みんなでぶっ潰してやろう」

 僕のゴーマ王国攻略説明会は続く。内容はここからが本題、如何にしてあの巨大な城塞都市と化しているゴーマ王国を陥落させるか。その具体的な方法論である。

「そもそも、古代遺跡ってなんでまだ崩れないで残っていると思う?」

 代表的な崩れていない無事な遺跡部分といえば、妖精広場とボス部屋である。どれだけの時間ここがダンジョンとしてあり続けたのかは分からないが、どちらもその部屋の役割は十全に機能し続けている。

 これといった劣化も見られず、緑の芝生に妖精胡桃の木や花畑は誰かが手入れしているかのように整っているし、薄汚れた様子も見られない。機能の生きている妖精広場は全てそうなっている。

 同じく、ボス部屋はボスモンスターの召喚機能に、場合によっては雑魚を呼び出すなどのギミックなんかも生きているわけで。

「そりゃあ、何か魔法がかかってるんじゃねぇの? ずっと綺麗にする、みたいなやつ」

「掃除の魔法的な? そんなのあるなら、ウチも欲しいんだけど」

 葉山君と杏子から偏差値低めの解答が来るけれど、理解度としては僕も含めて概ねみんな同じだろう。

 天職の力を持つ僕らは、早々に魔法の存在も受け入れている。だから、どれだけ時間が経っても綺麗な状態を維持し続けるような魔法があってもおかしくないと。

 その魔法がかかっている妖精広場は綺麗だし、魔法が切れたのが、他の大部分の崩れかけだったりするダンジョンになる。

「そう、古代遺跡が綺麗に残っているのは魔法の力に外ならない。じゃあ、その魔法を解除したら、どうなると思う?」

「どうって、そりゃあフツーの遺跡になるんじゃねぇのか」

「上田君、正解」

 魔法が切れれば、普通の遺跡となる。ここが重要なのだ。

 普通、すなわち通常の物質的な制約や経年劣化など、リアルな物理現象を受ける状態と化す。

 つまり、壊せるのだ。

「このダンジョンってほとんど地下にあるけど、こんな超巨大な地下空間を維持しているのは、この魔法のお陰だよ。魔法がかかっている場所は超頑丈ってことね」

 遺跡街のように明らかに年月の経過を感じさせる崩壊具合のある場所は多々見られるけれど、それらが建つ地下空間そのものはどこも問題なく存在している。想像を絶するほど巨大なジオフロントであるダンジョン、その土台部分は今も魔法効果のお陰で揺らぐことはない。

「僕がゴーマの王宮で見つけた、石板の並んだサーバールームみたいなとこでアクセスしたら、分かったよ。ダンジョンには魔力を通す管のような構造があって、そこを魔力が流れ続ける限りは劣化することもなければ、壊すこともできないほど頑丈になるんだ」

 正に魔法文明技術の神髄を見た気分だ。

 恐らくこの魔力による維持強化機能は、特別なものではなく、古代においてはどんな建築物にも使われた普遍的な技術だと思われる。カタコトな古代語解読しかできない僕でも、該当箇所を見ればそれとなく分かるくらいの書き方なんだし、秘匿されるような内容じゃあないってことだ。

 僕があのサーバールームで読んだ限りでは、この建築強化のための魔力循環は基本的に切ってはいけない設定項目、みたいな書き方であった。だから、何となくで弄ることもできる。

「これは王国が建つ立地の図解だよ。あの塔で仕入れた情報と、サーバールームの情報、どっちも照らし合わせているから間違いはないと思う」

 小鳥遊も見たであろう、ダンジョン本来の地形図である。

 そこには高くそびえ建ち、それ以上に地下深くへと続くセントラルタワーと、その周辺にある平坦な地形が記されている。後になって建設されたゴーマ王国は全く反映されていない。

 けど、ここで注目すべきなのは、そこが元々どんな地形だったのか。ゴーマ達は、どんな場所に自分たちの国を建設したのか。馬鹿なアイツらは、きっとそれを知らないのだろう。

 少なくとも、僕だったら絶対こんな場所に街は作らない。

「見ての通り、ゴーマ王国は屋根の上に作られてるんだよね」

 正確には屋根というよりも、この最下層エリアの地面のすぐ下が丸ごと空間になっているだけなんだけど。

 セントラルタワーの地下部分は、そのまま地中に埋まっているワケではない。その全貌は、タワーの周辺半径1キロほどの範囲が中空と化しているのだ。

 なので、真の意味で最下層は、タワーの根元部分に広がる円形広場となる。

 恐らく現役時代の古代では、下から見上げれば巨大なタワーと上の階層まで吹き抜けとなっている、実に壮観でお洒落な建築デザインとなっていたのだと思われる。

「タワーが吹き抜けた先の屋根の上は、元々なんにもない地形だったんだ。だからこそ、奴らはここに王国を築いた」

 森を切り開く必要もない、大勢が住むのに適した平坦な土地が、正にタワー周辺だったわけだ。単純に見た目だけの地形でいえば、確かにここ以外ないだろうという場所。

 けれど、流石のオーマも地面の下まではチェックしていなかったと見える。

 えっ、オーマが知ってる可能性? ないね。もし奴が知っていれば、あのサーバールームは絶対に出入り禁止で永久封印するよ。万が一にでも、タワー周辺の魔力をカットされたら大変だからね。

「もう王国周辺の魔力は切ってるんだけど、オーマには何も動きはないし、マジでこの事は知らないんだと思うよ」

 転移魔法は使えるくせに、多少の古代語解読能力さえあれば利用できる石板を使えないのは、少々腑に落ちないけれど。たまたま気づかなかっただけ、というならいいけれど、オーマの知能を見るにその可能性は低そうなんだよね。

 だから、オーマには何か、石板そのものを使えない理由や制約なんかがあるのかも。

 例えば、石板は人間にしか反応しない、とか。

「なぁ桃川、それじゃあこのまま放っておけば……ゴーマ王国って、落ちるのか?」

「いや、流石に魔力切って解除しただけじゃ、すぐには崩れないみたいだね」

 幾ら何でもそこまで魔法依存の脆い構造にはなっていないだろう。自然に崩落を待つなら、何百年、何千年、とかかるかもしれない。

 勿論、王国には今すぐ落ちて貰わなければ困る。

「だから、僕らの手で落とすんだ。あそこに蔓延るゴーマ共を、一匹残らず殲滅しよう」




「————ふむ、まだニンゲン共は見つからぬか」

 オーマは玉座から、跪く五人の大戦士、ギラ・ゴグマ達を見下ろしながら、そう口にした。

「申し訳ございません」

「ご、ごめん、オーマ様……」

「あのニンゲン共が、ずっと隠れてやがるからぁ!」

 王国周辺に出現したニンゲン捜索の任を受けた三人のギラ・ゴグマがそれぞれ応えるが、オーマは鷹揚に手を振るってそれを止めた。

「よい、よいのだ。余はお前らの働きに怒っているのではない」

 かといって、満足しているわけでもなかった。

 オーマは顔にある皺をますます深めて、言葉を続ける。

「今をもって、余の『目』は潰され続けておる。ニンゲンが繰り出す黒い鳥の使い魔によってな」

 ゴーマ軍の索敵能力で大きな役割を果たすのが、オーマが『目』と呼ぶ眼球型の使い魔である。その見た目通り、目玉が見た光景を、オーマが直接見ることができる。

 監視するための目玉と空を飛ぶための翼しか持たないため、戦闘能力は皆無。静かに飛び、魔力の気配も最小限に抑えて隠れ潜むことには優れているのだが、狙われればカラスほどの鳥を相手にしても一方的に狩られてしまう。

 森などで野生の鳥やモンスターに襲われて『目』を失うことはよくあることだが……いまだかつて、ここまで徹底的に潰され続けてきたのは初めての経験である。

「余の目が及ばぬために、お前らに課した捜索の任が困難となっていることを認めよう」

「オーマ様の寛大なるご配慮、痛み入ります」

 よどみなく応えられたのは、ギザギンズのみ。普段はヤル気のない飄々とした態度を崩さないが、王であるオーマの前にあっては、完璧な礼儀作法でもって尽くす。

「ごめん、オーマ様ぁ……」

「ぐっ……す、すまねぇ……」

 一方、ボンとバズズは敬語も怪しい対応である。

 知能の低いパワー特化のボンに礼儀作法は誰も期待していないが、バズズは洗練されたギザギンズの受け答えに、悔し気な視線を向けていた。無気力野郎のくせに、こんな時だけカッコつけやがって、と言ったところである。

「成果はなくとも、お前らの働きぶりを余は見ておる。バズズ、ギザギンズ、ボン、それぞれ担当した地域をくまなく探しておるな」

 オーマの『目』は外敵を探すだけが役目ではない。むしろ配下の監視にこそ、長年に渡って役立ってきた。

 監視と言えば聞こえは悪いが、自身の大活躍や真面目に働く姿を直接見せる機会も常にあるということだ。三人は部下と共に手抜かりなく捜索任務を実行していることを、他ならぬオーマ自身が認めていた。

「その上でニンゲン共が影も形も見せぬとなれば、これまで探した範囲にはいなかったことは間違いない。恐らく、ニンゲン共はそこらの森や洞窟に隠れ潜んでいるだけではなく、我らの目の届かぬ場所を選んで逃げ込んだのであろう————どう思う、バズズ?」

「はっ! その、えっと……そ、その通りだと、俺も、思うっす」

「ふむ、そうか……ギザギンズ」

「はっ、恐れながら、ニンゲンは『隠し砦』か『悪夢の洞窟』に隠れている可能性もあると愚考いたします」

「よくぞ答えた。余も同じ考えである」

 ただ敵が見つからない、だけではなく、そこから一歩踏み込んで、ならば敵はどこに隠れ潜んでいるのかを予想する、という論理的な思考を見せたギザギンズの解答に、オーマは満足気に頷いた。

「ここに潜んでいるならば、どうあっても手出しは出来ぬ」

「オーマ様! 俺なら、『悪夢の洞窟』にだって突っ込んで見せるぜ!」

 ギザギンズがいたく褒められたことで、明らかに功を焦ったバズズは威勢よく叫んだ。

 だが、その血気盛んな若者の心中を見抜きながらも、オーマは静かに問うた。

「バズズよ、その必要はない。何故だか分かるか?」

「そ、それは……『黒き悪夢の化身』は絶対に倒せないからで……けど、アレに見つかりさえしなければ」

「その考えは、半分正解だ。だが、お前が分からぬもう半分が重要である————こちらが見つけずとも、遠からずニンゲン共は自ら姿を現すであろう」

「ど、どうしてなんだぜ……?」

「ニンゲン共の目的が、ここだからよ」

 かつてザガンが答えたように、ニンゲンの目的は王宮にある『試練の塔』へ入り、その最下層を目指すことだと、オーマも確信している。ならば、ニンゲンはいつまでも隠れ潜んで生き続けるのを良しとはしない。

 近い内に、必ずや行動を起こすはず————いいや、狡猾なニンゲンはすでに動き出しているのだ。

「バンドン」

「ははっ!」

 呼ばれて顔を上げたのは、王宮警備を担当するバンドン。忠誠心溢れる精悍な顔つきの男だが、今ばかりは苦し気な表情を隠し切れない。

「先日の侵入者には、随分と良いようにやられたな?」

「はっ、申し開きのしようもございませぬ!」

 バンドンは広間いっぱいに響き渡る謝罪を叫びながら、深々と頭を垂れる。

「我が城にまで侵入を許し、あまつさえ鍛冶場まで焼かれたのは、どうしようもない失態である。お前はそれを、多少なりとも挽回できる成果を上げられたか?」

「もっ、申し訳ぇ……ございませぬぅう……」

 さらに自身の額を摩り下ろさんばかりに、バンドンは床へと頭を強く打ち付ける。

 つまるところ、それは何の成果もあげられなかったと白状するに等しい。

「侵入したニンゲンの影も形も、捉えることが出来ぬとはな」

 思わず、と言ったように失望のため息がオーマより漏れる。

 オーマ直々の命令により、ザガンとジジゴーゴの協力まで得た上で、過去最高の警備体制を実施していたと自負していたバンドンであった。

 しかし、狡猾なるニンゲンはこの警備を掻い潜った上で、鍛冶場に火を点け砦を大混乱に陥れた。まさにやりたい放題である。

「しかし、お前ばかりを責められぬ。余もまた、ニンゲンの力を甘く見ていたようだ」

「いいえっ、そのようなことは! 全てはこの私の力が至らぬばかりにぃ!」

「よもや、ニンゲンがゴーマに化けるとは思わなんだ。バンドン、これよりは兵の兜は脱がせよ。そして、この国の全ての者に、頭を覆い、顔が隠れる装いを全て禁止とする」

「なっ、ニンゲンがゴーマに!? それは一体、どういうことですか!」

「完全に姿を消せる術でもない限り、ニンゲンが砦にまで侵入するには、ゴーマに化けるより他に方法はなかろう。お前の警備の厚さは余も認める。その上で異常が見られなかったとなれば、そもそも異常だと認識できなかったということ……食料や資材などの物資を運ぶ者共の顔を、お前は全て検めてはおらぬだろう?」

「な、なんと……そういうことだったのか……流石はオーマ様でございます。そのあまりにも深きお考えには、このバンドンとても及びはつきませぬ!」

「止せ、事が起こってから思い至ったのでは遅いのだ。しかし、まだ手遅れではない。バンドンよ、お前には引き続き警備を任せる。これまで通りの厳戒態勢に加え、要塞に入る者の姿は全て検めよ。さらには、余の『目』も大半を警備に割こう」

「ははっ! 今度こそ、我らが王国を完璧に守り切ってみせまする!」

「うむ。ジジゴーゴ、お前は王宮警備とは別に、自ら選抜した者を率いて街を捜索しろ。ゴーマに化けたニンゲンが、まだどこぞに潜伏しているやもしれぬ」

「はっ、オーマ様の命、確かに!」

 ふぅ、と一息ついてから、オーマは再びギザギンズ達へと目を向けた。

「聞いての通り、すでにニンゲンの魔の手が余のすぐ傍にまで及んできおった。ギザギンズとバズズは、捜索範囲は王国周辺のみに留めよ。隠れる奴らを探すよりも、事を起こすために出て来たところを見つけるつもりで、警戒態勢で臨め」

「オーマ様の仰せのままに。どうぞ、このギザギンズにお任せください」

「俺に任せてくれぇ、オーマ様!」

「ボン、お前は何かあれば言うがよい、聞こう」

「あ、あの、オーマ様……オデのところ、竜が、火を噴く竜が飛んでた」

「ふむ、気になるか?」

「うん……でも、巣、ちょっと遠い」

「良いだろう。捜索がてら、火吹き竜の巣まで赴き、狩ることを許そう」

「ホントぉ!? いいの!?」

「うむ。火吹き竜が現れれば、早急に討伐せねばならん。ニンゲンとは別に、捨て置くわけはいかぬ」

 このエリア一帯を支配するゴーマ王国にとって、最も警戒しなければならないのは強力なモンスターの出現である。

 中でも空を飛び、炎を吐く赤い飛竜はこれまで何度も王国を焼いてきた天敵だ。大型の飛竜モンスターとしてはよくいるタイプだが、だからこそ出現頻度が高いのだ。

 一頭だけならば、大戦士をもってすれば対処は難しくはないが、巣を放置し繁殖されて数が増えれば、非常に危険だ。王国の城壁は堅牢だが、空からの襲撃には役に立たない。

 故に、増える前に叩いておかなければならないのだ。まして竜とニンゲンの襲撃が重なれば、王国存亡の危機となってもおかしくはない。

「各々、余の命はしかと聞いたな? よく励むがよい」

「————恐れながら、オーマ様。一つだけ、よろしいでしょうか」

 解散の宣言をされながらも、口を挟んだのはギザギンズであった。

 オーマはそれを、ただ頷いて先を促した。

「大戦士長ザガンが、城内にて暴走したと聞きました。その処遇は、如何に」

 シン、と玉座の間は静まり返った。それを聞くのか、と他の大戦士達は思った。

 そして、彼らの視線は一挙に集中する。

 オーマに、ではない。そのすぐ隣に立つ、大戦士長ザガンその人にである。

「ふむ、見ての通りよ」

 抑揚もなく、オーマは隣のザガンを指した。

 ザガンは無言を貫き、微動だにしない。

 それもそのはず、彼の口には分厚い革製の轡が噛まされ、さらに両手は鋼鉄の枷が嵌められている。

「ザガンは我を失い暴れ回った。大戦士長としてあるまじき失態……だが、余は全ての責をザガンには問わぬ。そもそもの原因は、侵入したニンゲンが、ザガンの妻を殺したことにある」

 ギシリ、と重い枷が音を立てて軋んだ。

 瞬間、身の毛もよだつほどの殺気が走り抜ける。大戦士が五人とも、僅かとはいえ身がすくむほどに。

「ザガンよ、耐えるのだ。憎悪を燃やすのは良いが、それに焼き尽くされてはならぬ」

「……」

 相変わらずの無言。しかし荒い息と共に、ザガンから発せられる殺気は消えて行った。

「ザガンは余の傍に置き、直接、指導をする。何ぞ、文句のある者は?」

「ありません。敬愛する大戦士長ザガンが、一刻も早くオーマ様のお許しを賜ることを、切に願っております」

 言い出しっぺのギザギンズは如才なくそう答え、今度こそ頭を下げた。

「余の王国を守る大戦士達よ。その働きに期待する。さぁ、行くがよい。これ以上、あのニンゲン共に、決して好き勝手させるでないぞ————」

第299話 巨人殺し(1)

「————待っていたぜぇ、この瞬間トキをよぉ!」

「急にどしたん、小太郎?」

「杏子、急いでみんなを呼んできて!」

 いきなり叫んだ僕を訝しがることもなく、素直に動いてくれる辺り、付き合いの深さを感じさせてくれる。

 そんな杏子を尻目に、僕はレムを隣にして、妖精広場の大テーブルに先日と同じくマップを広げた。ただし今回のはゴーマ王国のではなく、この最下層エリア全体の地図である。

「よし、みんな揃ったね」

「なんだよ桃川、まだ昼飯には早くねぇか?」

「いや、こりゃどう考えても学級会の流れだろ」

「またなんか桃川が思いついたんでしょ」

 それぞれ好き勝手なことを言いながらも、五分と経たずにクラスメイト全員集合と相成った。いつもの如く、僕は学級会の議長ポジションに陣取り、みんなを眺めて言い放つ。

「これからギラ・ゴグマを倒しに行く」

「はぁ!?」

「おい。ギラ・ゴグマって……あのザガンか?」

「いや、別な奴」

 だから、まずは落ち着くといいよ、芳崎さん。読モになれる美人女子高生なのに、今の彼女は完全に復讐を誓った戦士の目をしている。やめて、ザガンにランボーする気でしょ、ハリウッド映画みたいに!

「僕が騒動を起こしたせいか、王国に動きがあった」

 まずは警備がさらにキツくなった。お陰で、僕は王宮のサーバールーム隠し通路に潜んだきり、ほとんど身動きがとれない状態である。

 情報収集はレム鳥部隊に頼り切り。空から、大雑把にしか奴らの動きが分からない。

 しかしオーマの奴、僕のゴーマ変装はバレていないはずなのに、明らかにゴーマに化けている前提で捜査を始めている。要塞内の兵士は全員兜を外して素顔を晒し、街中に住むゴーマ共にも帽子や頭巾など顔を隠す装いを一切禁止するような措置がとられている。

 やはりアイツは飛びぬけて頭がいい。でも、もうゴーマ変装してコソコソする段階は終わっているので、無駄な努力だけれどね。

「厳しい警備になったのは当然だけど、これに合わせて僕らを探していた捜索隊の動きも変わってきたんだ」

 捜索隊の存在は当然、レム鳥にずっとマークさせている。奴らの所在は勿論、これまでどこを捜索してきたかの範囲もきちんと記録をしている。

 だから鍛冶場テロ&ザガン大暴走の一件の後に、捜索隊が一時撤収し王国に帰還した動きも僕は知っている。王宮で身動きがとれないから直接確認はできなかったけれど、部隊を率いるギラ・ゴグマ達がオーマに会って新たな指令が下ったことは間違いないだろう。その上での、今回の変化である。

「三つの捜索隊の内、バズズ隊とギザギンズ隊は明らかに前も探していた王国近辺をまた捜索し始めた」

 これまでの捜索隊の動きは、王国を中心にして徐々に外側へ向かって探すような、まぁ当たり前の探し方をしていた。

 いくらアホなゴーマとはいえ、どの辺まで探したか、くらいは分かるだろう。捜索を再開するなら、さらに王国から離れた場所を探しに来るはずだが……奴らは王国周辺から離れようとしない。

「でもボン隊だけは、王国から大きく離れて移動している。僕らを探しているんじゃなくて、明らかに遠くの目的地に向けて、ただ真っ直ぐ進んでいるんだ」

「おいおい、もしかして俺らの居場所がバレたワケじゃねぇよな!?」

「それはないよ葉山君。もしそうなら、とっくに地下道まで降りてきているからね」

 ボン隊はむしろこの本拠点からは反対側へと突き進んでいる。

 地下道へと降りる入口そのものは、この最下層エリアにはそこら中にある。ここを探そうとするなら、王国の近くか、本拠地の近くから乗り込んでくるだろう。

 ぶっちゃけ、奴がどこに向かっているかは割とどうでもいい。重要なのは、たった一部隊だけが大きく離れて移動を始めたことだ。僕が待っていたのはこの行動である。

「じゃあ、ソイツらはどこに向かっているのよ」

「間違いなく、奴らはサラマンダーの討伐に向かったんだ」

 あの火を噴く赤い飛竜、如何にもファンタジーらしいドラゴンであるサラマンダー。アイツがこの最下層エリアを飛んでいることは勿論、僕も知っている。あんなデカい奴が飛んでれば、気づくなって方が無理だ。

 そして、サラマンダーの存在はゴーマにとっても厄介な敵なのだろう。

 サラマンダーはエリアの西の端に聳え立つ山、やけに綺麗に形が整った、絶対に人工であろう山の頂に巣を構えているようだ。

 奴らが繁殖する前に、ギラ・ゴグマであるボン率いる部隊を送り込んで、早急に駆除しようという考えだろう。サラマンダーからすれば、ゴーマ王国なんていい餌場でしかない。あの立派な城壁も、空を飛ぶドラゴンには無力だ。

 僕もそれなりに調べはしたけれど、大規模な結界が展開できるとか、そういう対空防御もできそうな御大層な魔法機能はなさそうだしね。

「ギラ・ゴグマは全部で六体。ザガンは勿論、いずれも巨大化能力を持つ強力な個体だ」

 バズズ、ギザギンズ、ボン、の三体に関しては、すでに巨人化状態での戦いぶりを僕は見ている。奴らは捜索隊なので王国の外で行動する。すると当然、野生のモンスターとも戦うわけだ。

 奴らに情報を隠そうとする頭などないので、ギラ・ゴグマはモンスターが現れれば先陣切って戦いだす。強いて言えば、ギザギンズだけは部下に任せることは多いだろうが……明らかに損害が出そうな強いモンスターと出くわした時は即座に戦うので、きちんと相手を見極める知能のある奴だ。捜索隊ではコイツが一番厄介だろう。

「六体しかいない貴重な一体が、わざわざ王国から離れて、しかもサラマンダーなんていう強敵に挑みに行くんだ。これは絶好のチャンスだよ」

「そうか、ドラゴンと戦って弱ったところを狙えばってことだな!」

 流石の葉山君もここまで言えばすぐに分かったようだ。

 サラマンダーの強さは、僕も実際に見たことがあるから想像はつく。如何にギラ・ゴグマとはいえ、決して無傷では済まないだろう。

 だが、あのオーマが一体だけに任せたということは、確実に勝てるほどの強さをボンが誇ることも間違いない。

 そりゃあ、ザガンのあの暴れぶりを見れば、ドラゴンだって倒せると確信できるけど。

「ギラ・ゴグマはとても危険な相手だ。挑むだけでリスクはあるけれど、王国攻めではどこかで奴らが立ちはだかる可能性は非常に高い。作戦実行の前に、最強戦力である奴らを出来る限り削りたい」

 狙いとしては、捜索隊を率いる三体全ては、何とか各個撃破して始末したいところだ。

 ボン隊が単独で行動している今この時が、その絶好のチャンスにして、最初に倒すべき相手として相応しい。

「何より、僕らはすでにザガン相手に二人を失っている。トラウマ級の強敵だ……だからこそ、僕らの手でギラ・ゴグマを倒して攻略法を確立するんだ」

 翻って、自信をつける、と言ってもよい。

 取り返しのつかない敗北を喫した心理的影響は、目には見えないけれどとても大きいものだろう。特に、実際にその場に居合わせた上田達は尚更である。いざその時になって、ビビって固まってしまってもおかしくはないのだ。

 だからこそ、僕らがギラ・ゴグマに勝てる、ということを今回の一戦で証明しなければならない。

「まずは一体、ギラ・ゴグマを倒す。それが王国攻略の第一歩だ」




「————ウボォオアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 空の真上に輝く太陽に向かって、巨大な雄叫びが山頂にて上がる。

「やった! 竜を倒した!」

「流石は大戦士!」

「大戦士ボン様!」

 勝利の熱狂に湧き立つボン隊は、見事に山頂に巣を張った竜の討伐に成功したのだった。

 倒れた竜は真っ赤な鱗を持つ火吹き竜。特別に大きくもなく、小さくもない、通常サイズ。だからこそドラゴンが持つ強さを十全に発揮した。巨人と化す破格の能力を誇る大戦士とはいえ、竜と戦うのは命がけ。

 幸いと言うべきか、ここにいたのは一頭だけである。もしも番で二頭揃っていれば、ボンが受けた手傷もより深く、部隊の被害は甚大なものとなっていただろう。

 ともかく、討伐の成功にひとしきり喜んでから、ボン隊は撤収準備にかかった。

 あらかじめ用意しておいた巨大な荷車に竜の死体を積み込み、巣にあった卵も全て回収された。まだ雛は一頭も生まれていないようで、卵拾いだけで作業は終わるのだった。

「ぐふ……竜、倒した。オーマ様、喜ぶ!」

 生傷と火傷の痕が目立つものの、ボンはご機嫌に下山を開始した。

 ボン隊はこのまま真っ直ぐ王国へ凱旋し、火竜と卵をオーマへと献上するのだ。その上で、竜を狩った莫大な褒賞を得られるだろう。

 激しい竜との戦いで部隊は疲弊していたが、華々しい勝利によって足取りは軽い。

 そうして、傷だらけのボン隊が意気揚々と山の麓まで降りてきた、その時であった。

「ヒャッハァ! (ここは通さねぇぜ!)」

「なっ!?」

「にっ、ニンゲンだ————ぐはぁ!」

 突如として前方に現れたのは、一体のニンゲンであった。

 否、見えたのは一体だけであって、他にもまだ潜んでいる。卑劣にも、ニンゲンは待ち伏せを仕掛けてきたのだ。

「くそっ、なんだこの煙は!」

「何も見えないぞ!」

「ニンゲンはどこだ!?」

「おい、勝手に動くな、陣形を————ぐわぁあああああああああああああっ!」

 俄かに広がる真っ白い煙。濛々と煙る視界不良の中、そこかしこで悲鳴が上がり始める。

 敵は煙に紛れて攻撃を仕掛けてきているのは分かるが、それが刃によるものなのか、矢や魔法が撃ち込まれているのかさえ、判然としなかった。

「うおおおぉ……ニンゲン! 食ってやるぅ、オデがぁ、喰らっでやるぅ!」

 突然の奇襲に動揺することなく、ボンは吠えた。

 不倶戴天の怨敵を前に、ボンの戦意は怒りが爆発するかのように膨れ上がる。

 目に映るのは、真っ先に前へと飛び出しては叫んだ、剣を手にしたニンゲン。奴の周囲には煙はなく、見失うことはない。

 先頭を歩いていたゴーマ兵を次々と切り殺していく剣士ニンゲンだけに狙いを定め、ボンは愛用の巨大棍棒を振り上げ、大股で一歩を踏み出し————

「オラァッ! 『剛大打撃ヘヴィメタルスマッシュ』」

「ウラァッ! 『大断撃破ブレイクインパクト』」

 強烈な二連撃が、ボンの背中を襲った。

 ゴグマに匹敵する巨躯を誇るボンだが、叩き込まれた武技の凄まじい威力によって前へ転がるように吹き飛ばされた。

 背中から血飛沫と肉片を撒き散らしながらも、ボンは素早く身を起こす。痛みに苦しむこともなく、激しい怒りに血管を浮かせて叫ぶ。

「うっ、後ろから襲っだなぁ!? ズルいぞぉ! ぐうぅう、許さん、ニンゲン許さぁああああん!」

「ウボア、ジガビビグルダァ (うっわマジかよ、ピンピンしてるじゃん)」

「グブデゴバ、ンバァ…… (かなりの手ごたえはあったんだがな……)」

 ギラ・ゴグマは巨人とならずとも、ゴグマを越える戦闘能力を誇る。それは生命力もまた同様。脳や心臓など、急所さえ避ければ全身血まみれとなっても戦い続けられるだけのタフネスを発揮する。

 ボンは背後から襲ってきた卑怯な二体のニンゲンを睨みつけるが、こと戦いにおいては獣じみた鋭い直感が反射的にその身を動かした。

「ジィッ、ゴバブゼガンダ! (チイッ、防ぎやがったか!)」

 後ろを振り向いた拍子に、最初に狙っていた剣士ニンゲンが鋭い一閃を繰り出していた。

 直感に従い、手放さず握ったままの棍棒を振るい、ボンは剣士ニンゲンの攻撃を弾き飛ばした。

「ゴバダダ、オルゥァアアアア! (このまま行くぞ、オラァアアア!)」

「ギィ、ゴズジガンダ! (一気に押すしかねぇ!)」

「うごぉーっ! ニンゲンが何匹いても、オデは負けねぇぞぉ!」

 背後を襲った斧を持ったニンゲンと、鎧を着たニンゲンの二体が攻勢に出る。同時に、剣士ニンゲンも二体の動きに合わせるように再び間合いを詰めてくる。

「グボォ、ベンジガズンドラァ! (くっそ、変身しなくても強ぇじゃねぇかよ!)」

「ぬぅおおおおっ! んがぁああああああああああああああっ!」

 棍棒を振り回し、三体のニンゲンによる連携攻撃をボンは寄せ付けない。

 ニンゲンは武技を扱い、素早く動くが、パワーとリーチは圧倒的にボンの方が上だ。ただのゴグマなど片腕一本で捻り潰せるボンの怪力によって、巨大な棍棒は凄まじい速度で振り回される。鋼鉄の嵐のような乱打を前に、ニンゲンは間合いへと踏み込むことができなかった。

「うはははは! オデ、強い! オデがニンゲンみんなぁ、ぶっ潰してやんだぁ!」

 疲れ知らずに棍棒を振るい続けるボンは、自身の圧倒的な優位を確信した。明らかにニンゲン三体を押している。

 そして、向こうには最初の奇襲を越えるような攻撃はもう存在しない。こうなれば、如何にニンゲンが相手とはいえ、いつもの魔物狩りと変わりはない。

 やはりニンゲンなど、卑怯で卑劣なだけの、弱い存在だ。巨人化を使うまでもない————

「イダァッ! (今だっ!)」

 剣士ニンゲンの叫びと同時に、三体が大きく飛び退いていった。

 下がった向こう側はいまだに立ち込める煙幕で、ボンはその姿を見失う。

「このぉ、逃げるなぁ!」

 勝てぬと悟って逃げ出したか。三体のニンゲンは飛び退くと同時に、それぞれ何かを投げつけていた。

 剣士ニンゲンは、火を噴くナイフを。斧ニンゲンと鎧ニンゲンは、それぞれ小さな爆発する玉を投げつけていた。

 ボンの顔面目掛けて正確に投擲されていたが、そんなものを喰らうほど鈍くはない。一振りで三つとも払いのけ、その際に少々の炎を散らして視界が一瞬遮られた程度。

 気にも留めずに、逃げ去ったニンゲンを追おうと煙幕の向こうを睨みつけたその時————

「ブモァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「なんだぁ、なんでここに牛魔人がぁ!?」

 飛び出してきたのは、ニンゲンではなく、牛の頭を持つ人型モンスターの牛魔人であった。

 遺跡などで稀に見かける魔物であり、人型モンスターの中では大柄でパワーに優れるが、ボンの敵ではない。コイツは肉が美味いので、好物だ。

「オメーもオデに食われにきたのかぁ!」

 真っ直ぐ突進してきた牛魔人を、ボンは真正面から受け止めた。腰を落とし、全速力でぶちあたってきた牛魔人だが、ボンをその場から一歩も動かすことはできない。

 やはり自分の方が遥かに力強い、と思うと同時に、妙なものが目に入った。

「んん? なんだオメー、なに背負ってんだぁ?」

 牛魔人はたまに武器を持つことはあるが、鎧兜を着ることはない。そうでなくても、やけに目立つ大きな箱を背負っていることには、嫌でも目に付くだろう。

「————アブラカダブラ(黒髪縛り)」

 呪文を唱える小さな声を聞いた気がした、次の瞬間。

 牛魔人の背負った箱から、ジャラジャラと音を立てて何本もの鎖が飛び出してきた。

「んあぁっ!? な、なんだぁこの鎖はぁ!?」

 鎖が蛇のようにひとりでに動く様に驚愕している間に、ボンの全身を縛り付けるように絡んで行く。

 頑丈な太い鉄の鎖が十重二十重にボンの巨躯を縛ってゆくが……そんなもので、大戦士は止められない。

「ぬぇえええい! なんだか分かんねーがもうメンドくせぇ! オデの『巨大化ギガ』でぇ————」

 ボンの体に、俄かに迸る強烈な魔力と、真紅に輝く魔法陣。

巨大化ギガ』。それは、ゴグマを越えた最上位種であるギラ・ゴグマにのみ許された、偉大なるオーマ王より施される最強の強化魔法。

 自身の肉体のみならず、装備までもを巨大化し、一時的に何倍もの戦闘能力を得る。

 これさえあれば、強大な竜種でさえ真っ向勝負できる、正に大戦士が誇る真の力。

 それを今、ボンは解放し————

「どっせええええええい!」

 そんな勇ましい雄叫びが響いた瞬間、ボンの意識は途切れた。

 何が起こったのか、ボンは気づくこともできなかった。

 何故ならば、まだ巨人と化していない生身に、巨大な、あまりにも巨大な岩の塊が、凄まじい速度で突っ込んできたのだから。

 頭から腹部まで、上半身を丸ごと飛来した岩塊に叩き潰され————大戦士ボンは即死した。

第300話 巨人殺し(2)

「大丈夫、今のみんなの実力なら、必ずギラ・ゴグマでも完封できる」

 ただし真っ向勝負で、とは言っていない。

 必要なのは、何よりもまず犠牲を出さずにギラ・ゴグマを始末すること。そのためには、こちらから仕掛ける奇襲のアドバンテージを最大限に利用する。

「奴らに奇襲を仕掛ける場所はここ。山の麓で、何かの観光施設みたいな建物が残ってるとこ」

 サラマンダーを討伐するにあたって、ボン隊はこの遺跡が建つ麓から登って行ったことを確認している。元々、登山道として整備されていたのだろう。かなり登りやすく道が残っており、緩やかな傾斜で山頂まで続く。

 100前後の人員を抱える部隊で山登りをするなら、絶対このルートを選択する。通る道が分かっていれば、待ち伏せもしやすい。

「まずは、ここを通りがかった奴らの前に現れて、注意を引く」

「ヒャッハァ! ここは通さねぇぜ!」

 物凄くサマになってるチンピラ声で、上田が単独でボン隊の前へ躍り出る。

「ボン隊の先頭はゴーマとゴーヴの混成で十数体ってこと。上田君は、とりあえずコイツらを派手にぶった斬っててよ」

 それと同時に、左右に潜ませていた面々が煙玉を投げ込む。この投げ込む位置調整も地味に大事。だから、それも込みで練習済み。

 ボンが山の上でサラマンダーと死闘を繰り広げている間、僕らはこの奇襲ポイントで綿密な打ち合わせとリハーサルを済ませていたのだ。

「四方を煙幕で包まれれば、まず足が止まる。で、その状況で真っ先に動き出すのはボンだ」

 まとまった数がボンと一緒に上田に向かって行っても、フォローはできるようにしてはおいたけど。杞憂で済んで良かったよ。

 煙幕投入の直後に、左右の伏兵部隊も突撃をかます。

 ここでの伏兵部隊というのは、主にスケルトンとハイゾンビ。あとは、レムにコアを与えて制御できる限界数のラプターも出した。アルファではなく、普通のラプターだ。だってこっちのがコストが安いから、数だけ揃えたいならコイツに限る。

 雑魚モンスター代表みたいな面子だけれど、煙幕で視界を奪って動揺しているゴーマ兵を襲うならば十分すぎる。それでもこっちの数は少ないし、単体での戦闘力もゴーヴに劣る。でも、その代わり全員死を恐れないから、怯むことなく全力で敵に襲い掛かってくれる頼もしい捨て駒達だ。

 それから、奇襲地点をちょうど見渡せる建物上階の窓辺に、姫野と中嶋の両名を配置して、掩護射撃をさせている。

「姫野さんは、随分と『光矢ルクス・サギタ』の扱いが上手くなったようで?」

「ちょっと、私を戦闘でも酷使しようっていうの!?」

「じゃあ淫魔の力でゴーマに取り入る潜入任務やってみる?」

「私もみんなと一緒に戦うわ! 援護射撃は任せて!」

「中嶋君も、姫野さんと一緒に掩護でお願い」

「えっと、俺は突撃する方にいなくていいのかい?」

「今回の奇襲じゃ遠距離攻撃持ちを増やした方が効果的だと思う。でもいざって時は、突撃組のフォローに行ってもらうかもしれないから」

「うん、分かった。そうならないよう、頑張って魔法を撃つよ」

 いまいち頼りなさそうな返事の中嶋だけれど、きちんとした魔法剣を与えれば、立派に魔術師クラスと同等の働きをしてくれる。

 追放生活の間に使い込んでガタがきていたけど、僕がしっかり修理した『クールカトラス』に加えて、横道討伐でMPKしてやったゴグマから鹵獲した武器を元に錬成した風属性の剣、氷と風の魔法剣二刀流で、中嶋はあの氷雪エリアを思わせるブリザードの如き攻撃魔法を撃ち込んでくれた。

 そうして、雑魚軍団の突撃と姫野・中嶋コンビの掩護によって、多少の間は優勢を維持できる。

 もっと効果的に襲わせるなら、上田登場と同時の方がいいのでは、と思うかもしれないけれど、ここで大事なポイントはボンの注意を上田一人だけに集中させることだ。どの程度、他のゴーマ兵が足を止めるかってのは二の次でいい。

 それは勿論、最初の一撃となるボンへのステルスアタックだ。

「上田君に気を取られてガラ空きの背中を襲うのは、芳崎さんと山田君。まだ新しい武技に慣れてはいないようだけど……間違いなく上級にあたる武技だから、最大威力の一撃を叩き込んで欲しい」

「オラァッ! (剛大打撃ヘヴィメタルスマッシュ

「ウラァッ! (大断撃破ブレイクインパクト

 実はヤマタノオロチ討伐後に、いつの間にか習得していたという武技を、二人には使ってもらった。

 武技は慣れないと、発動そのものはできても、戦闘で使っていくのは難しい。

 特に二人の新たな武技は、その威力に見合うかのように、これまで以上に正確なフォームと力が必要らしい。力を溜める、というようなワンアクションがいるなら、一瞬の判断が生死を分ける実戦では使いにくい。

 僕らと合流して、今日に至るまで練習する時間はそれなりにあったから、隙だらけの背中にぶち込むくらいは十分にできるだろう。

 そして、見事に二人の武技はボンの背中に炸裂した。

「うっわマジかよ、ピンピンしてるじゃん」

「かなりの手ごたえはあったんだがな……」

 それなり以上に血飛沫が上がってるけど、全く痛がる素振りさえ見せない元気なボンの姿に、僕も二人と同じ気持ちになる。渾身の一撃をステルスアタックで直撃させたんだから、これで殺せる、とまではいかなくても、戦闘に支障でるくらいの手傷は与えたかったよ。

 でも、巨人化していない素の状態なら、まだ十分に倒せるメはある。

「このまま行くぞ、オラァアアア!」

「一気に押すしかねぇ!」

「くっそ、変身しなくても強ぇじゃねぇかよ!」

 三人とボンの真っ向勝負が始まった。

 巨人化を使うまでは、そのまま戦うように指示している。歴戦の前衛戦士三人組なら、巨人化さえ使われなければ対等以上に戦えると僕は信じていた。

 実際、かなりいい勝負を演じているが……伊達にギラ・ゴグマとして特別視されてはいないようだ。ボンは力任せ全開で、豪快に巨大棍棒を振り回し、三人の連携攻撃を寄せ付けない。

 誰かが掩護に入れば奴の優勢も崩せるだろうが、他のゴーマ兵の足止めをここで緩めるわけにはいかない。ボン単独で三人相手に押しているのだから、後ろからちょっかいがかかれば危険だ。

「上田君、もう下がっていいよ」

 スマホでそう連絡した。ちなみに、僕のガラケーはないので、代わりに中井と野々宮さんのスマホを拝借させてもらっている。今、上田に連絡したのは中井の方ね。

 当然、戦闘中なので上田からの返事はないけれど、こっちの声が届いていればそれで十分だ。作戦時間そのものは数分の予定なので、最初から通話状態にしている。

「今だっ!」

 ほどなくして、上田が機を見て撤退を叫んだ。

 三人で巨人化前ボンを素早く仕留めきれなかった時は、適当なところで下がると打ち合わせしてあるので、山田と芳崎さんもスムーズに背後の煙幕へ飛び込み姿をくらませた。

「よし行け、レム!」

「ブモァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 ここで、体だけ用意して待機させておいたミノタウロスを投入する。

 限界数でノーマルラプターを稼働していたけど、煙幕の中で乱戦が始まりほどほどに数が減り始めた。一体か二体ほど機能停止させれば、ミノタウロスをフルスペックで動かせるだけの制御力はすぐに取り戻せる。

 制御力の限界はあっても、この切り替えの素早さはレムの強みだよね。体さえ用意しておけば、状況に応じて最適な体を戦線に投入できるのだから。

「————『黒髪縛り』」

 そんなワケで、三人が退いた後にボンの足止め専用に用意したミノタウロスと、僕の『黒髪縛り』が炸裂する。

 横道戦に倣って、頑丈な太い鎖を用意して、黒髪でそれを絡ませて拘束するのだ。いやぁ、姫野さんは本当に鎖を作るのが上手になったよね。ヤマタノオロチの時に「もう一生分、鎖を作った気がする……」とか中嶋に愚痴ってたけどけれど、まだまだこれからだよ。

 ともかく、ミノタウロスと鎖のお陰で、ボンの動きは完全に止まった。

 そして、いよいよ危機感を覚えたか、それとも面倒くさくなったのか、奴の全身が赤く輝く文様が浮かび上がった。

「ようやく巨人化を使うか。でも、もう遅いんだよね————杏子、トドメだ」

「よっしゃ、任せろ。見てろよウチの必殺技ぁ!」

 と、僕のすぐ隣で自信満々な笑みを浮かべる杏子の前には、すでにして巨大な岩の塊が完成していた。

 直径およそ3メートル。どこの岩山から持ってきたのか、というほどの赤茶けた荒削りの大岩。勿論、これは杏子が土魔法によって作り出したものだ。

 だが、この岩塊を構成するのは土魔法のみではない。

 巨大な岩そのものよりも目立つかもしれないのが、その周囲に渦巻く砂の帯だ。サラサラとそこだけ砂嵐が起こっているように、綺麗な帯状となって円を描いている。要するに、土星みたいな感じ。

 なんでも、これは土精霊が力を貸してくれている状態なのだそうな。僕には分からないけれど、葉山君の見立てでは、かなりの数の土の微精霊が集まっているということだ。

 で、この土精霊のお陰で、これほどまでに巨大な岩の塊を形成し、維持し、そして撃ち出すことを可能とする。

 いつからか、杏子がこっそり葉山君に相談して必殺技の開発を始めたそうで、その成果がこれなのだ。そして、僕は自身気に見せてくれたこの必殺技を見て、ボン討伐を決意できた。

 これの元は限界まで力を込めた土属性上級攻撃魔法『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』。それを土精霊の力を借りることで、更なる強化を果たした魔法と言える。

 けれど、ただのバフ付き扱いじゃあ味気ないし、確実にギラ・ゴグマも倒せると確信できるだけの威力を叩き出すコイツは、必殺技として名前をつけてあげるべきだろう。

「どっせええええええい!」

『土星砲』、と名付けた必殺の土魔法が、杏子の気合の入った雄叫びと共に放たれる。

 超重量の大岩が高速で撃ち出されたことで、僕も杏子も髪がブワァーっと風圧で煽られた。

 土星の環のようになっていた土精霊の動きが、さながらマズルフラッシュの如く弾けるように散りながら、同時にぶっ放された岩塊の尾のようにたなびいた。発射した後も、岩そのものからもブースターのように推進力を放って加速を続けているらしい。

 杏子と本体の僕が陣取っているのは、姫野・中嶋コンビが掩護射撃をしていた建物の、道を挟んで反対側にある別棟だ。

 この『土星砲』は、威力は抜群だが発動までに結構な時間がかかるのが唯一にして最大の難点である。当然、強力な魔法なので、チャージを始めた段階から大きく魔力が発せられるので、恐らくはゴーヴくらいでも気づかれるだろう。

 だからこそ、『土星砲』発動を悟られないようにする必要があった。長い溜め時間に、魔力察知のリスク、そして一発外せばお終いのロマン砲である。

 確実に当てる。それも奇襲の優位を生かして、全く気付かれていない状態で命中させるのだ。

 そのために、一連の奇襲攻撃を先に仕掛けた。いざ戦闘が始まれば、多少の魔力の気配が漂っても、そっちを気にしてはいられない。上田の目立つ登場、射線は遮らないように焚いた煙幕、捨て駒部隊の突撃と掩護射撃、そして三人の連携攻撃。全て、この奇襲作戦の本命である『土星砲』のためだ。

 果たして、乾坤一擲の必殺技は、

「ふっ、勝ったな」

「しゃあっ! 直撃ぃー、ザマァ!」

 見事に上半身が土星砲にぶっ飛ばされ、地面に下半身だけで倒れたボンを見て、僕は杏子と喜ぶ勢いで抱き合った。うーん、おっぱいおっぱい。

「ンバァアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ボン!? ボン!?」

「ギラ・ゴグマ、ボン! ジンダァアアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 おおー、最強戦士なギラ・ゴグマが無様にぶっ潰れたことで、奴ら大騒ぎじゃあないか。

 変身中は攻撃されないと思った? 残念だけど、魔法陣光ってから数秒は巨人化すんのに時間かかるのは、観察してて知ってんだよね。大砲一発ぶち込むには十分すぎる無防備タイムだ。

「さて、後は消化試合だね。一匹残らず始末しよう」

「りょーかーい」

 ボンが瞬殺されて完全に戦意喪失したゴーマ兵を殲滅するのは、今の僕らにとってはあまりにも簡単な作業だった。それに、ここは開けた見晴らしの良いロケーションなので、逃げ出した奴も丸見えだし。

 さて、きっちりゴミ掃除も終わったことだし、サラマンダー素材をいただくとしようか。




「……また、俺だけ何もしてないんだけど」

 上田達が勝利の喜びを分かち合って騒いでいるのを、葉山君は捨てられた子犬のような目で見つめていた。

「今回は、葉山君はいざって時の保険だから。何もしないで済んだのが大成功だよ」

「いや、分かってる。分かってはいるんだ……でもな……」

「もう、気にし過ぎだよ。僕はちゃんと見ていたよ。残党狩りの時、逃げるゴーマを仕留めていたじゃないか」

「たまたまこっち側に来た奴を一匹だけ背中から刺しただけだぞ! この状況で討伐数1とか逆に虚しいわ!」

「まぁ、キナコとベニヲは残党狩りだけでも結構な活躍だったしね」

 ボンが倒れれば、もうキナコとベニヲの霊獣組を温存しておく必要はない。ゴーマを一匹たりとも逃がさないようにするために、こっちも全員投入だ。

 キナコは前衛戦士の面目躍如とでも言いたげに、獰猛な雄叫びを上げて狼狽えているゴーマ兵の集団に突っ込んで大暴れ。

 ベニヲの方は一目散に逃げていくヘタレゴーマ共を俊足でもって捕捉し、火炎放射で焼き払った。

「コユキも意外と活躍してたよね。ゴーマくらいなら、もう凍らせることができるなんて」

 僕は掩護で逃げていく奴らを『黒髪縛り』で妨害する役目に徹していたけれど、そんな僕を真似たのか、コユキも逃げるゴーマに向かって冷気のブレスを吐いていたのだ。

 あのユキヒョウのように、骨の髄まで瞬時に凍らせるような冷気はまだまだないけれど、ゴーマの足首一つを凍り付かせるくらいはできるようだ。

 そうして逃げ足を封じられれば、後はウチの頼れる前衛組が手早く始末してくれる。動きさえ止めれば、トドメを刺すのは彼らにとっては流れ作業に過ぎない。

「え、ちょっと待って……それじゃあ俺の活躍って、コユキ以下ってことに……」

「よーし、それじゃあ戦利品のサラマンダーを検分しようかなぁ!」

 基本ポジティブシンキングの葉山君だけど、落ち込むと面倒くさいから、そろそろスルーしてあげた方が身のため、もとい、彼のためでもある。大丈夫だよ、葉山君は今のままで。

 ともかく無事にボン隊の殲滅が完了して、僕はスキップしそうな気分で、巨大な荷車に積み込まれたサラマンダーの元へ向かった。

「ああぁー、結構派手にやられちゃってるなぁ」

「うん、そうだね、残念だね。これはちょっと素材として利用するのは無理なんじゃないかなぁ?」

 頭をガッツリと潰され、翼と後ろ脚を一本ずつ折られた、実に痛ましい姿のサラマンダーを見て、姫野はやけに弾んだ声で言っている。

 もしかして損壊が激しい分だけ、使えない部位が増えて錬成作業が楽になる、だなんて甘っちょろいこと考えているんじゃあないよねぇ?

「本当に残念だよ。傷のある部分を使えるようにするには、かなり手間がかかりそうだ」

「えっ、その砕けた鱗とか使うつもりなの?」

「サラマンダーは貴重なドラゴン素材だからね。砕けた鱗一枚、無駄にする気はないよ」

 その昔、僕は拾ったサラマンダーの鱗一枚だって大事にレムに使ってあげたんだ。

 それに、これから王国攻略するにあたって、このサラマンダーはとても重要な装備用素材になってくれるだろう。

「こんなデカい奴を加工するの、どんだけかかるのよ……」

「あのサラマンダーを一頭丸ごと使えるなんて、ワクワクするよね!」

 だから、ここは喜ぶところだよ、姫野さん。ほら、スマイルスマイル。

「それじゃあ、手早くゴーマから剥ぎ取って、撤収しようか」

 そうして、ゴーマの武器と鎧兜まで、金属の使われているものは余さず回収し、僕らの頼れる輸送車両ロイロプスに積み込みを終えた、ちょうどその時であった。

「……あるじ」

「ん、どうしたレム?」

 と、僕は聞いたけれど、視界の端でキナコが耳をピンと立てたのを見て、確信した。

「敵、来る」

「敵襲だ! 全員、構えて!」

 叫ぶのと同時に、けたたましい音が響き渡った。

 それは山のある方とは反対側、僕らがやってきた森の方向からだ。

 ドドドド! と森の木々が次々と倒れて行くのが見えた。この麓の遺跡に続く道ではなく、森の真っただ中を強引に突っ切っているのだと、一目で分かる。

 そして、あっという間にソイツは僕らの前へと姿を現した。

「ヒャアッハァアアアアアアアアアアッ!!」

 文字通り、爆発するように炎を噴き上げながら、ご機嫌な絶叫を上げて道のど真ん中へと降り立つ。

 全身から揺らめく炎を纏っているのは、目立つ金の装飾品に、赤い腰布のみを巻いた半裸のゴーヴ。

 いや、たとえその全身に走る赤い刺青の文様が見えなかったとしても、僕はコイツの顔だけで十分に判別がついた。

「ギラ・ゴグマのバズズだ!」

 なんでここにコイツがいるんだ!?

 出発前の時は、いつも通りに王国周辺の探索兼警戒についていたことは確認していたけれど……まさか、この奇襲作戦実施にあたって、ここ半日の間にレムの監視が途切れてしまったタイミングで、僕らを追いかけて来たのか。

 僕らの姿を、あの目玉に捕捉されていたのか。それとも、他にゴーマの斥候でもどこかに潜んでいたのか……どちらにせよ、予期せぬタイミングで新たなギラ・ゴグマと遭遇してしまった現実は変えようがない。

「ボン、ンバ、ズヴェダ……ヴェハハハハ! ボン、ザジャグドガゴゴジン!」

 バズズは、僕らの後ろに倒れているボンの下半身だけ残った遺体を指して、笑っていた。

 同じギラ・ゴグマという仲間を倒された、怒りや悲しみといった感情はない。きっと、奴にあるのは僕ら人間如きに倒されたという軽蔑だけ。

 相変わらず奴らの言葉は分からないけれど、アイツが何を言っているのかは分かる。

 お前、今絶対に「ボンは我々六人の中では最弱。ギラ・ゴグマの面汚しよ」って言ってるだろ。

「お、おい、どうすんだ桃川」

「流石にいきなりもう一体と戦うのはヤバくない?」

 上田と芳崎さんがコソっと聞いてくる。

 他のみんなも、この予期せぬ状況に動揺を隠せない。

 ボンは作戦通り首尾よく討伐に成功した。けれど、この結果を見て誰もギラ・ゴグマは余裕で倒せる、などとは思っていない。

 今回の奇襲作戦で最も重要なポイントは、最強のゴーマであるギラ・ゴグマを巨人化させる前に倒す、この一点にあるからだ。

 すなわち、今の僕らには、まだ巨人化を果たしたギラ・ゴグマを確実に倒せるという保証も自信もない。まして、あの時の蒼真君みたいにぶっつけ本番で挑むなんて絶対に御免だ。

「ギラ・ゴグマ、バズズ!」

 だが、アイツは僕らを逃がすつもりは毛頭ない。

「ギラ・ゴグマ、バズズ!!」

 逞しい胸板をドンドン叩いて、堂々と名乗りを上げる。

 初めてザガンが現れた時と、全く同じ行動。それはきっと、戦士として誇り高く戦いに臨むことを示すと同時に、全力を尽くすことの宣言なのだろう。

 直後に、バズズの体は凄まじい魔力に包まれると共に、全身の刺青が眩い真紅の光を発した。

「ギッ、ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

第301話 巨人殺し(3)

「ギッ、ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 あらかじめ狙っていなければ、巨人となるための変身時間は短すぎる。僕らの前で、バズズの体は輝く赤い光と共に、瞬く間に膨れ上がって行く。

 巨人化したバズズは、赤い毛皮を纏った半獣人のような姿であった。

 ゴーマ特有の脂ぎったゴキブリ的な皮膚から、ゴワゴワした赤い毛が胸元や手足、背中などに生えている。頭からは山羊のような捻じれた大角が生え、口からは鋭い牙が覗く。

 そんなバズズの武器は、両腕を覆う金属製のガントレットだ。肘から拳にかけて、しっかりと鋼鉄に守られ、随所に鋲も打たれている。

 奴の武器はそれだけ。ボンのように巨大な棍棒ではなく、リーチの短い、自分の拳だけを頼りにするような装備は、明らかなスピードファイターであることを示す。

 しかしながら、巨人となった時点でドラゴン並みのパワーも発揮することとなる。一撃喰らえばアウトになる僕らにとっては、より素早く、より手数が増すだろうバズズは、ボンよりも相性が悪い。

 だが嘆いても始まらない。もう目の前に巨人と化してヤル気満々で突っ込んで来るんだから、全力で抗うしかない。

 そう、こっちも最初から全力だ。

「行けぇっ! キナコ! ベニヲ!」

「プゥガァアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ウォオオオオオオオオオオオオオオオン!」

 葉山君の叫びと共に、こちらも巨人化に対抗するような魔力と輝きを放ち、僕らの最終兵器、霊獣キナコ&ベニヲが出撃。

 相手は10メートル級の巨人。こちらもドラゴン並みの大型モンスター。横道戦以来の怪獣決戦である。

「ンドラァッ!」

「プンガァッ!」

 まずはキナコとバズズが真正面から拳を繰り出した。獣のガントレットと本物の獣の腕が交差し、お互いの毛深い胴を打ち付ける。

 流石にこの巨大サイズ同士の戦いになると、ただ思いきりぶん殴るだけでもこっちに衝撃が伝わってくる。地面もちょっと揺れてる。

 いやぁ、参った。巨大化されると、こっちも決死の覚悟で戦うより他はない。

 この巨大化はオーマによる強化魔法による効果ではないかと推測できるのだが……だからといって、『赤き熱病』による無効化は通用しない。

 ザガン大暴れの時に、試しておいたから間違いない。奴は呪術を喰らっていたことにも気づかなかったことだろう。我を忘れてキレ散らかしている時に、微熱になっただけじゃあ気にも留めない。

 恐らく、ギラ・ゴグマの巨大化は横道の『完全変態リ・モンスター』と似たような強化魔法というか、変身魔法と言うべきものなのだろう。自分の肉体そのものが変化するようなタイプは、『赤き熱病』の無効化対象にはならないのだ。なので、霊獣化にも通用しない。

 まぁ、流石にこの系統の魔法も無効化できたらチートすぎるからね。普通のステータスアップ系の強化魔法を問答無用でかき消せるだけで、十分に破格の効果だと思っている。

 でも今は全く役に立たないのは事実。

「おい桃川! どうすんだよ、流石にあれに手出しはできそうもねぇぞ!?」

「今はバズズの相手はキナコとベニヲだけに任せる。幸い、実力は拮抗しているようだから、あの二人だけでも十分にもつ」

 すでにバズズは、僕らのことなど眼中になく、まずは自分と対等以上に戦える大型モンスターである霊獣キナコとベニヲだけに集中している。

 キナコはパワーもスピードも巨人バズズに劣らないが、大きく勝るほどでもない。完全変態横道を殴り飛ばしたキナコも、バズズでは少々よろめかせるくらいが精々だ。

 ベニヲも奴に喰らいついていける力こそあるものの、バズズ自身が火属性に適性があるようなので、炎が通じないのが厄介だ。

 今は正面からキナコが殴り合いをし、後ろからベニヲが牙や爪を活かして攻撃することで、バズズ相手に優勢を保てている。けれどそれが精一杯で、決め手に欠ける。

 バズズも二人を相手に押され気味ながらも、特に焦った様子は見られない。恐らく、こちらにも時間制限が、それも奴の巨人化よりも短いと勘付いているのだろう。

 威勢よく戦いを挑んできたくせに、実戦ではしっかりと相手を分析できる感じか。ヒャッハァとか言ってたくせに、厄介な奴だよ。

「でも、急いで僕らを追いかけてきたのか、単独で現れたのはツイてる。今ここでアイツをみんなで倒す」

 急いでバズズが現れた森の方向にレム鳥を集めて偵察に向かわせたが、少なくともこの近辺には奴が率いる部隊の面々は確認できていない。やはりバズズだけがあの炎を纏った高速移動で僕らを追ってきたはずだ。余計な邪魔が入らないのは本当に運がいい。

 功を焦ったなバズズ。お前は巨人になれる自分の力を過信して、単身で乗り込んで来た。付き従ってるゴーマ兵など雑魚の賑やかし、くらいにしか思っていないのだろう。

 その突出しすぎた実力が仇となるんだ。部隊全員で来られれば、恐らく僕らに勝ち目はなかった。でも、どんなに強くてもお前一体だけならつけ入る隙はある。

 なぜなら、僕らの強みはチームでの連携。戦いは数だよ。そして、今この場にはお前を仕留めきれる条件も揃っている。

「霊獣化が続く内は二人に任せて、こっちは掩護に徹する」

 下手に接近すると邪魔にしかならないからね。前衛の誰かがうっかりキナコに踏みつぶされて死んだら、葉山君立ち直れなくなっちゃうし。

「上田君と芳崎さんは右側から、山田君と中嶋君は左側から、バズズに回り込んで奴の顔に目くらまし」

 切り札である霊獣を戦線に投入すると、前衛は勿論、後衛も下手に魔法で援護できないということは分かり切っていた。なにせ、あの巨体で素早く動くからね。霊獣と巨人が目まぐるしく立ち位置を変えながら激しく戦っていれば、遠距離攻撃も誤射のリスクが出てくる。

 その上で、僕らに何が出来るかと言えば、最悪誤射ってもダメージにはならない目くらましがいいかなと。

 ボン戦でも前衛三人が引き際にそれぞれ投げたように、投擲攻撃の練習も重ねている。中でも、上田君は地味に『スロウダガー』のスキルを習得したので、投げナイフ上手いんだよね。

 巨人となっても、基本的に奴らは人間同様、視覚を頼りに認識している。だから視界を奪う目くらましは有効だ。

「ナイフと玉はハイゾンビに持たせるから、それを使って。タイミングは任せる。君達四人なら、上手くバズズだけに当てられる」

「よし、分かったぜ。行くぞ、芳崎!」

「近づきすぎて踏みつぶされんなよ、上田」

「俺らも行くか、中嶋」

「そうだね」

 自分の役割を理解し、即座に四人は駆け出しキナコとベニヲの掩護に向かった。

「杏子はあそこの屋上に登って、『土星砲』の準備」

「あんな目立つとっからでいいの?」

「今回は『土星砲』は囮だ。強力な魔法で狙われている、とバズズが意識するだけでいい」

 杏子の必殺技『土星砲』は巨人にもダメージを与えうる威力が一番の魅力だけれど、大砲っていうのは、そこにあるだけで心理的な効果も発揮する。

 これからバズズは、チクチクと前衛組からウザい目くらましを喰らい続け、さらには隠すことなく強力な魔力の気配を溜めている杏子にも気づくことになる。見晴らしの良い屋上で3メートル超の大岩から狙われていれば、必ず奴はこっちも気にする。

 そうなれば、もう目の前のキナコだけに集中できない。意識を分散させるだけでも、真正面から殴り合うキナコの負担は軽減されるだろう。

 それにバズズは自分の戦いには気の回る奴だ。ボンは何も気にせず目の前の敵だけに集中しそうだけど、勘のいいアイツは絶対に気にする。たとえ、こっちに『土星砲』を当てる気なんかなくてもね。

「勿論、当てられるチャンスあったら当ててもいいよ。でも絶対、キナコには当てないように、そこだけ注意して」

「大丈夫だって、任せとけ!」

「葉山君は杏子について、もし撃つ時はキナコとベニヲに伝えて。それから、あとどれくらい持ちそうか随時、僕に教えて」

「お、おう……残り三分の二って感じだぜ」

 早くも魔力三分の一は消費してしまったか。激しく戦えば、それだけ消耗も激しくなりそうだし、あまり時間はかけられない。

「僕はバズズを仕留めきるための準備をする。葉山君は、なるべく霊獣で時間を稼げるよう頑張って欲しい」

「へっ、さっきはただの置物だったからな……ここで頑張らないと、男が廃るってやつだろ」

 土壇場でこそ頼れる葉山君は、立派な男だよ。

 こういう不測の事態ってのがあるから、さっきの戦いで下手に魔力使わせなくて良かったよ。

「レムと姫野さんは僕についてきて」

「はい、あるじ」

「ええぇ、なんか嫌な予感しかしないんだけどぉ……」

「僕の本体は準備を、前線指揮は分身がするから。それじゃあみんな、行動開始だ!」




「プゥウガァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「————へっ、なかなかやるじゃねぇか、よぉ!」

 実に殴りごたえのある巨大な熊のモンスターに、嬉々として拳を撃ち込む。

 こういうデカくて強い奴との真っ向勝負こそ、戦いの醍醐味だとバズズは思っている。『巨大化ギガ』というあまりにも強すぎる力を得た今となっては、自分と対等に戦える相手を探すだけでも一苦労である。

 元より、ゴーマは好戦的な種族だ。中でもバズズは随一の戦闘狂だと自負している。軟弱な卵生まれではなく、その身一つで誕生した『祝福の子』として、図抜けた力を発揮してきた。

 その激しい闘争本能と鋭い直感によって、バズズは物心ついた頃から己が戦うべき敵を探し、挑み、そして勝利し続けてきた。俺こそが最強。いつか必ず最強に至る存在だと、まだゴーヴだった頃から思い続けてきたのだ。

 それを証明するように、数々のモンスターを倒し、時には同族と決闘し、最強への頂を一息に駆けあがるように成り上がって来た————そして、オーマによって大戦士と認められたその日に、人生で初めての敗北を味わった。

 ザガン。王国の誇る大戦士長。オーマが最も信頼する、最強の戦士。

 同格の大戦士となったことでついに挑戦権を得たのだが、手も足も出なかったとは、正にこのこと。

 しかし、一度の敗北でその闘争心が消えることはない。むしろ勝利への渇望でますます激しく燃え上がる。それはきっと、必要な敗北だったのだ。バズズが戦士として、更なる高みへ登るための。

「コイツは竜並みに強ぇモンスターだ……けどなぁ、所詮は獣だぜぇ!」

 バズズは鋭い呼気と共に、目にも留まらぬ二連打を熊に叩き込んでたたらを踏ませる。次いで、間髪入れずに振り上げた拳を追撃————ではなく、大きく後ろを薙ぎ払うように裏拳を放った。

「グゥウウ、ギャン!」

「はっはぁ! 鼻っ面に直撃だなぁ、犬っころ!」

 バズズの真後ろから飛び掛かって来た、これも巨大な狼のモンスターを迎撃した。

 同格の巨躯を誇るモンスターと二対一。それでいて、モンスター同士はしっかりと協力できている。

 厄介なことこの上ない。恐らく、ボン辺りではいいように翻弄されて負けてもおかしくないだろう。

 だが、自分は負けない。最強の戦士へとなる、このバズズ様は。

「これが技ってんだ、覚えときな」

 ザガンに屈辱的な惨敗を喫した後、バズズは技を磨き始めた。

 元より優れた身体能力と炎の魔力。そして最強の強化魔法『巨大化ギガ』。しかしザガンにこの拳を届かせるためには、技が必要だった。より効率的に、効果的に、洗練された戦いの技術。

 戦い方を教える師などという存在はいないゴーマ文化の中で、ザガンのように長い実戦に身を置き、自ら編み出し、鍛え上げ、磨き抜いた、戦いの技は正しく『武』そのもの。

 勝つためには、最強になるにはソレが必要だと知ったバズズは、貪欲にそれを追求してきたのだ。

「だが、俺の技はまだまだこんなもんじゃあねぇぜ。見せてやる、この俺の編み出した必殺技をぉおう!?」

 パァン、と突如として目元で弾けた眩しい光に、これから繰り出そうとした必殺技の構えを解除した。

 突然の目くらまし。しかし、その瞬間の攻撃を警戒し、反射的にステップとガードの体勢をとっていたのは、バズズの鍛錬の賜物でもあった。

「ちいっ、このニンゲン共がぁ、戦士の戦いを邪魔しやがってぇ!」

 楽しい勝負につまらない横槍を入れてきた存在を、バズズはすぐに認識した。

 この巨大な肉体を持つ者同士の神聖とも言える戦いに、全くついていけないだろうとニンゲン共は放っておいた。実際、戦い始めてから奴らは手出しをしなかった。

 だが、気が付けばニンゲンは二体一組となって、左右へと展開。そして、熊と狼の攻撃の合間を縫うようにして、自分の目を潰すように光や炎が弾けるモノを投げつけてくる。

「クソが、やっぱりまずはテメーらからぶっ潰してやるぁ!」

「プガァアアアアアアアアアアアアアッ!」

「オオォオオオオオオオオン!」

 しかし、ニンゲンを狙おうとすれば、すかさず熊と狼が体を張って止めに来る。

 どうやっているのか、これほど強力なモンスターをニンゲンは味方として行使しているようだ。熊と狼は絶対にニンゲンには手出しをさせない、という強い意思を感じさせる動きを見せる。

「がぁああああ、っぜぇ! マジでウッゼぇなクソニンゲンがぁ!」

 弾ける光に片目をつぶりながら、腕を上げてガードの体勢。

「プンガァアアアアアッ!」

 しかし、半端なガードを突き破るように、強烈な熊の一撃がバズズを襲う。

「ギャンギャン! グゥオオオオオオ!」

「ぐうっ、退けよぉオラァ!」

 崩れた体勢のところに躍りかかって来た狼に噛まれ、引っかかれ、強靭な巨人の体から血飛沫が上がるが、深手となるよりも前に力任せに引っぺがし、そのままぶん投げた。

「ふぅ……この俺が、ここまで押されるとはなぁ……」

 バズズの全身には、すでに幾つもの傷跡が刻み込まれている。

 どれも致命傷には遠いが、熊の剛腕と狼の爪牙は確実にダメージを与えている。対するバズズの方は、二体の攻撃を跳ね除ける程度で、有効打はまだ与えられていない。

 劣勢は明らかだ。そして、この状況に陥っているのは間違いなく、要所で飛んでくるニンゲンの妨害。これのせいで、ここぞという時に攻めきれない。のみならず、攻撃チャンスで逆に相手の反撃を受けることとなっていた。

 さらには遺跡の上から、強力な土魔法がこちらをずっと狙っているのも注意を逸らされる原因だ。恐らく、あの巨大な岩を発射してボンを殺したのだろう.

 あのサイズの岩なら、巨人の体で受けても相当なダメージは免れない。まして、変身前の生身で喰らえば即死である。

 もしもアレの直撃を許せば、ただでさえ劣勢なところが、もう取り返しがつかない危機的状況にまで陥ってしまうだろう。

 かといって、このまま戦い続けても、いつかは体力が限界を迎える。

「けど、いつまでも続かねぇんだよなぁ?」

 そして、ついにその時がやって来る。

「プガガ!」

「クウゥーン……」

 輝く光と共に、みるみる体が縮んでいく熊と狼。

 最初から分かっていた。この二体は『巨大化ギガ』と同じような破格の強化魔法によって大きくなっているのだと。

 だが、そこから感じる魔力の気配から察して、その術の完成度はオーマが長年かけて編み出した『巨大化ギガ』には劣る。あるいは、二体を大きくしたニンゲンの術者本人がまだまだ未熟だからか。

 どちらにせよ、二体の巨大化がそう長くもたないことは分かり切っていた。

「できれば、デカい内にぶっ倒したかったけどなぁ」

 ザガンによる敗北から、バズズが学んだことはもう一つある。戦いで勝つには、時には耐え忍ぶ必要もある、ということ。

 故に、バズズは耐えられた。二体の変身が解除され、絶対的な優位が自分に回ってくるまで。焦ることなく、逸ることなく、耐えたのだ。

「おい熊公と犬ころ、お前らは最後に食ってやる。いい戦いぶりだったからぁ」

 言葉など通じていないが、それでも戦士としてそう告げた。もっとも、たとえ人の言葉を介したとしても、魔力が尽きてその場で倒れている二体に、声は届かないだろうが。

「まずは戦いを散々邪魔してくれたクソ共を始末しねぇと……っと、その前に」

 傷だらけの全身血濡れとなった自分の体を眺めてから、バズズは大きく腕を広げた。

 足元では、ニンゲン共がギャアギャアやかましく騒いでいる。奴らの汚らしい言葉など理解できるはずもないが、泣きわめいて逃げ出そうとしない以上、まだ勝てる、と思っているのだろう。

 ニンゲン如きが、どこまでも舐めやがって。

 だから、まずは奴らに絶対的な絶望を与えてやることにした。二体のモンスターの奮戦で、相手は瀕死、もう少し押せば勝てる、なんていう甘すぎる希望をぶっ潰す。

「————ふんっ! 燃えろっ『肉体活性』っ!」

 愚かなニンゲン共に見せつけるように、大きく両腕を掲げた逞しいポーズをとる。と同時に、バズズの全身が燃え上がる。

 薄っすらとした赤い輝きを纏ったその魔力の炎に包まれ、バズズの全身の筋肉が脈動する。力を込めて膨れ上がった筋肉が波打つように蠢くと……そこに刻まれた傷が塞がれていく。

 すでに流れた血を綺麗に拭い去ることはないが、数秒の内に大小様々なバズズの傷跡は全てが治っていった。

「見たか、ニンゲン。俺は回復も使えるんだ」

 ざわめく奴らの気配が分かる。

 邪悪なニンゲンには、哀れに死にゆくことへの慈悲も、巨人を相手に果敢に戦った健闘も、必要ない。奴らはただ、無残に死ね。残酷に死ね。この世に生まれてきたことを後悔しながら死ね。

 なぜならニンゲンとは、邪神の作り上げた生まれながらの純粋悪。偉大なるゴーマを滅ぼそうとする、最低最悪の天敵なのだから。

「戦士の誇りの欠片もない、卑怯なだけのクソ共が! 絶望して死にやがれぇ!」

 ゴミ虫のように足元に蠢くニンゲンを踏みつぶしてやろうと勇んで叫んだ、その時。

 バズズの鋭い直感に、ゾっとするような悪寒が走る。

 それは、ただ強力な魔力の気配というわけではない。悪だ、邪悪だ、とニンゲンに対して散々叫んで来たが、バズズは初めて感じた気がする。

 きっと、これが、このおぞましい魔力の気配こそが、本当の邪悪だと。

「な、なんだ……なんなんだぁ、テメぇは!?」

 吐き気を催すような邪悪の気配の持ち主を、バズズは見た。

 そこにいたのは、道の真ん中に立つ、ニンゲン。小さい子供のようなニンゲンだ。

 だが、その子供ニンゲンは背骨と魔物の頭骨を組み合わせた異形の杖を掲げて、不気味な笑顔で声を上げた。

「ヨォーゴォーミィーヂィイイイ(喰らいつけ、『無道一式』)」

第302話 巨人殺し(4)

 ふぅ、ギリギリだった。いや本当に、あと30秒でも作業が遅れていれば、確実に犠牲者が出ていた。

「ありがとう、葉山君、キナコ、ベニヲ」

「ナァーン」

「コユキは葉山君の傍にいてあげてよ」

 限界を超えてまで魔力を振り絞って時間を稼いでくれた葉山君は、鼻血を噴いてぶっ倒れていた。心から申し訳なく思うけれど、僕も、いまだ『土星砲』ステンバイしている杏子も、倒れた葉山君の介抱はしてあげれらない。

 その代わりとでも言うように、コユキが死んだように眠る葉山君の顔をペロペロしていた。まさかと思うけど、食べたりしないよね? 心配してあげてるんだよね?

 ともかく、僕はそんな葉山君を後にして、巨人化バズズが大暴れする戦場へと真っ直ぐ駆け付けた。

「グッ、ンダバァ……ガンザバドガ!?」

 おっと、こんな小さな僕の存在に気付いたのか。こっちから注意を引くアクションをするまでもなく、バズズは弾かれたように振り向き、何事かを叫んでいた。

 いや、きっと奴の気を引いたのは、僕の手にある杖だろう。

 うーん、君には分かるのかい? 横道の発するキモい気配ってやつをさ。それ、僕も感じるよ。

「喰らいつけ、『無道一式』————」

 杖を掲げる。ついに、コイツに秘められた真の力を解放する時が来たようだ。

 相手は巨人。実に食い甲斐のある大物だ。さぁ、頑張れ横道。お前に愛があるのなら、応えてみせろ!

「————『完全変態系リ・モンスターズ』解放」

 描かれるのは、赤黒い不気味な魔法陣。杖の先端にある横道の頭蓋骨が、まるでアンデッドとして蘇ったかのように、元気に大口を開いてガタガタ言い始める。

 そうして瞬時に形成された魔法陣はかなりの大きさで、その大きさに見合った巨大なモノが、飛び出して行った。

「ンババッ……ボン!?」

 お仲間とご対面だね。君に名前を呼んでもらえて、ボン君も嬉しそうだよ。

 ほうら。大口を開けて一直線だ。

「オオォオバァアアアアアアアアアアアッ!」

「グバァアアアアッ!?」

 ただでさえ汚いゴーマの声で、さらに汚らしい叫びを上げてバズズへと喰らいついて行ったのは、ボンの頭だ。

 だが、力士のような逞しいゴグマ体型は、もうそこにはない。ボンの頭部は如何にもアンデッドらしく半分は崩れていて、皮膚は剥がれ、肉も骨も剥き出し、なんなら脳みそもボロボロ零れている。

 そんなボンヘッドがくっついているのは、蛇のような、と形容するには少々語弊があるだろう。蛇のように長くくねっているだけの、肉塊だ。

 血と脂で滑った筋線維剥き出しの赤い肉に、ゴーマ特有のゴキブリ的皮膚もあれば、スパイクマンモスの茶色い毛皮もある。これまで杖に食わせてきた獲物の特徴が歪なパッチワークのように現れている。

 中でも目立つのはやっぱりゴーマっぽい部分だ。食った量が一番多い。

 ともかく、そんな風にこれまで杖が喰らってきた獲物の肉を、魔法陣から大放出するのが、この杖の真の能力である『完全変態系リ・モンスターズ』である。

 横道は喰らった獲物の肉体を自ら生やすことで、その能力を行使していた。それを最大限に発揮したのが『完全変態リ・モンスター』であり、杖は見事にその能力を再現してくれているのだ。

 本来は横道と同じように、必要に応じて体を出せばいいのだけれど、バズズという巨人の身動きを封じるには、胃袋空っぽにする勢いで全力の全開放をするしかない。

 先端をボンの頭としてバズズに、正確には左肩の辺りに喰らいついたあたりで、さらに肉塊のボディは蠢き、新たな頭をズブズブと生やしていく。

「ンバッ! グバァ……ドンゴブラァッ!?」

 バズズは生え出した二つ目の頭を見て、さらに目を剥く。

 ソイツはすっかり赤い鱗が半分以上も剥げ落ちて無残な有様だけれど、それでも、確かにサラマンダーの獰猛な頭部を形作っていた。

「ゴォオアァアアアアアアアアアアアアッ!」

 チロチロと火の粉を噴きながら、サラマンダーは牙を剥く。

 肩に喰らい付いたボン頭を引き剥がそうと伸ばした右腕へと、サラマンダーヘッドは噛み付いた。

「よし、拘束成功だ……」

 巨人の動きを食い止めるほどのパワーと質量を発揮してくれた『無道一式』の力に声を上げて喜びたいところだけれど、正直、そんな余裕はない。

「……ちくしょう、ガブガブと飲みやがって」

 杖を握りしめる僕の両手には、背骨の柄から棘のようなものが伸び、剣ダコなどとは縁遠い柔らかい手のひらに突き刺さっている。そうして、流れ出る僕の血を一滴も残さないように、ズルズルと杖へ吸収されている。

 ただ手のひらから血が流れ出る感触だけでなく、魔力も結構な勢いで吸われている感覚だ。

 ああ、これはアレだね、葉山君の『霊獣化』と似たような代償、発動コストといったところ。蒼真君、君はチート能力に覚醒した時、ちゃんと何かを支払っているのかい? それ、後でヤバい額の請求来ちゃうパターンじゃない?

 お振込みは、今すぐ女神エルシオン口座へ、みたいな。

「ルインヒルデ様、僕はローンも組まないし、リボ払いなんぞもしない、ニコニコ現金一括払いなんで、どうかお力をぉ!」

 ここが踏ん張りどころ、と心得て喰らい付いた拘束を絶対に引き剥がされないよう気合を入れて血と魔力を注ぎ込む。

 それに応えるように、発動した『完全変態系リ・モンスターズ』はさらに肉塊の体を膨らませ、三つ目の頭となる、スパイクマンモスの頭部を作り出した。パオー、とか鳴きながら、あのパンクなトゲトゲに覆われた野太い鼻がバズズへと巻き付き完全に奴の身動きを封じた。

「今だ、レム! 行けぇーっ!」

 黒騎士レムが、正に黒い風のように全速力で突撃してゆく。

 バズズも流石と言うべきか、武器を持たない素手の状態で向かってくる黒騎士に、何かがあると察したのだろう。体を抑え付けられながらも、それでも蹴飛ばそうと足を振るうが————

「そこだぁ!」

 土星砲発射。

 完璧なタイミングで放たれた杏子の必殺技は、レムに直撃するコースで振られていたバズズの右足に命中した。

「ングァアアアアアアアッ!?」

 やっぱ巨人でも痛覚はそれなりに残ってるみたいだね。思わずと言ったように、苦し気な絶叫をバズズは吠えた。

 土星砲はちょうど右膝の皿を直撃。貫通して吹っ飛ばすことはなかったが、自分の胴体くらいあるサイズの大岩が音速で飛んできて膝に当たったのだ。膝の皿など粉みじんに砕け散り、インパクトの衝撃のままに、本来の稼働部位とは真逆の方向へと折れ曲がった。

 おお、マジで痛そう。もうローキックできないねぇ?

 つまり、これでレムがご到着ってワケだ。

 バズズ君、お届け物だよ。大切なギラ・ゴグマ仲間であるボン君から、真心の籠った、彼の魂そのものだ。

「ブラストォーッ!」


 ズドォオオオオオオオオオオンッ!


 耳をつんざく爆音と、大地を揺るがさんばかりの大爆発が巻き起こる。

 ヤマタノオロチでも、横道戦でも、結局は出番のなかったコア爆弾だったけれど、ついにその威力のお披露目だ。

 そこらのボスモンスターよりずっと強力なギラ・ゴグマだ。そのコアを贅沢に丸ごと一個使ったコア爆弾は、正に僕の期待通りの威力でもって爆ぜてくれた。

「ガッ……グ、グゴォオ……」

 濛々と煙る黒煙の向こうで、バズズは唸り声を上げている。

 まぁ、これでトドメまで刺せるとは思ってないよ。流石は巨人。コア爆弾を至近距離で喰らっても、まだ体は原型を保っている。

 全身黒焦げとなり、ブスブスと重度の火傷から煙が噴く。霊獣との戦いで負った傷を回復する、なんて技も見せてはくれたけれど……右足が折れ、左足は股の付け根まで吹き飛ばされた状態じゃあ、もう取り返しは付かない。お前はもう、詰んでいる。

「みんな、行け! 頭を潰して殺し切るんだぁーっ!」

 僕にできることは、もうこれで全部。

 バズズを拘束するために、『無道一式』にボンの死体とサラマンダーの死体半分を食わせ、おまけに装備はぎ取った後のゴーマ兵も残さず食べさせて、それから姫野が血濡れになって摘出してくれたボンのコアを用いてコア爆弾の作成。

 これで何とか奴の両足を吹き飛ばして、巨人を地に伏せさせる。それでも尚、生きている強靭な生命力の巨人を、あとはもう前衛組みんなの頑張りに任せる。

 お膳立てはした。トドメは任せたよ、みんな。

 僕も魔力切れ寸前で力なく膝を屈しながら、雄たけびを上げて倒れたバズズへ躍りかかる勇敢な戦士達を眺めることにした。




「————そうか、ボンとバズズが討たれたか」

 あまりにも重苦しい沈黙が、玉座の間を支配した。

 ズタボロの伝令によってもたらされた情報は、オーマをして渋い顔で黙らせるほどの凶報である。

 王国の誇る大戦士二人が殺された。それも、よりによってニンゲンに。

 これで災害も同然の強力なモンスターとの戦いで死んだのならば、彼らの名誉はまだ守られる。王国のために、命を賭して戦ったのだと。

 だがしかし、ニンゲンを相手に敗北は許されない。ただのゴーマ、ゴーヴ、どんなに譲ってもゴグマまでが被害の許容範囲だ。

 王国の力の象徴たる大戦士が、ニンゲンと戦い負けたなど、絶対にあってはならないことだ。

 その、最悪が起こってしまった。そんなことは、今この場に集った大戦士達にも分かり切っていること。

「者共、下がれ」

「しかし、オーマ様、我らにどうかご指示を」

 最年長たるジジゴーゴが顔を伏せたまま、オーマへと請うた。これは王国始まって以来の危機である。このまま下がってどうするべきか、オーマ以外に道を示せる者はいない。

「……ニンゲン共がこの機に乗じ、王国へ攻め寄せてくる可能性はある。急ぎギザギンズ隊も呼び戻し、より一層の守りを固めよ」

「ははっ!」

「詳しい沙汰は、追って伝えよう。余に考えがある」

「オーマ様の御心のままに!」

 そうして、王宮警備を担うジジゴーゴとバンドンは退出する。

「他の者も、下がっておれ。しばしの間、誰もここへ入れるでないぞ」

 親衛隊も、女も、全てを下がらせる。

 そうして、ただ一人オーマの下へ残ることを許されたのは、いまだ直接指導という罰を受ける、拘束された大戦士長ザガンのみとなった。

 玉座の間に二人だけとなった後、おもむろにオーマは席を立つ。

「おのれ……おぉのれぇえええええっ、ニンゲン共めがぁああああああああああああっ!」

 手にしていた酒の満ちた杯を床へ叩きつけ、小さな卓に乗せられた飲食物を食器や燭台ごと放り投げる。

「よぉくぅもぉ、やってくれたなぁ! 余の誇る大戦士をぉおおおおっ!」

 しばしの間、オーマは怒りの限り絶叫しては暴れ回る。握った杖で所かまわず殴りつけ、目につく物を破壊した。

 八つ当たり。そう、あの聡明な王であるオーマが、今は理性を失ったただのゴーマが如く荒れていた。

「ぜぇ……はぁ……ザガン」

「……」

 肩で息を切らしながら、ただ王の凶行を黙って見つめるのみだったザガンを呼ぶ。

 返事はない。

 オーマは、ザガンの口に噛ませられた轡を見て、言葉を話すことを禁じていたことを思い出した。

「……失望したか、ザガン。なんと、余の無様なことよ」

 激しく燃えるような憤怒の表情は一転。憂いさえ帯びた表情で語りながら、オーマはザガンの轡を自ら解いた。

「いいえ。この国難にあって、我が身の不甲斐なさを恥じ入るばかりにございます」

「この失態、誰がお前のせいにできようか。余もまた、ニンゲンを侮っておったのだ……」

 自嘲するように呟きながら、オーマは再び玉座へと腰を下ろした。

「深く悔いておられるからこそ、こんな私めに、オーマ様の御心の内をお見せくださったのでしょう」

 大戦士をニンゲンによって討たれた。これを誰よりも恥じ、悔い、怒っているのはオーマ自身に他ならない。王として強靭な理性を持つオーマでさえ、あまりの怒りに我を忘れるほどだ。

 そんな激情に支配されようとも、決して配下に無様な姿は見せまいと、退出を命じたオーマの自制心に、ザガンは心底敬服した。

 怒りのままに『巨大化ギガ』を使って暴れた自分との差を、まざまざと見せつけられた思いである。

「ああ、そうだとも。ザガン、お前には見ていて欲しかったのだ」

 彼はただの大戦士長ではない。歴代最強にして、自身に迫る聡明さがある。強さと賢さを兼ね備えた理想的な配下。

 故に、王を崇拝し、従うだけの駒ではない。王という立場と、オーマという自分自身を、より理解して欲しい。すなわち、ザガンを自身の理解者という対等な存在であることを求めたのだった。

「余をおいてゴーマの王はおらぬ。だが、この身は全知全能の神ではない。及ばぬこともある。過ちを犯すこともある————大戦士を二人も失った責は、全て余にあるのだ」

「恐れながら、オーマ様のご期待を受けながらも、ニンゲンに敗れ去ったボンとバズズの力不足にございますれば」

「それ以上は、言うな。戦いに散った大戦士、貶めることはまかりならぬ」

「はっ……」

「戦うことが戦士の務め。そして、戦いに勝てる差配をするのが王の務めよ。余はニンゲンの力を侮り、見誤った」

 そう、間違いなく数では劣るニンゲンの小勢。邪神の加護を得た強者揃いと聞きながらも、オーマは大戦士ならば必ず勝てると過信してしまったのだ。

 恐れるべきは、向かわせた追手を分断されて各個撃破されること。ゴグマ含む多数の兵を失うのは避けるべき。

 だからこそ、確実に勝てる大戦士に捜索隊を任せた。ニンゲンを見つけ次第、大戦士が駆け付ければそれで討伐は叶うと。

 だが、何故そこで思わなかった。どうして、考え付かなかった。

 王国最強の戦力である大戦士。この大戦士こそを、ニンゲンは単独で動く機会を待ち、各個撃破を狙っていたのだ。

「ボンの竜退治を許したのは余である。バズズは己の勘に任せて、一人で動くだろうことも、余は分かっていた」

 王国から遠く離れたボン隊が、まず狙われた。

 そして偶然と言うべきか、ニンゲンの動きを察知したバズズが単身、そこへ駆けつけた。

 しかし、バズズが来た頃にはすでに手遅れだったのであろう。大戦士単独なら勝てるだけの戦力を、ニンゲンは持っているのだ。

 二人でかかれば、確実に勝てただろう。しかし、二人の大戦士が現地にいながらも、順番に各個撃破されてしまった。全て、ニンゲンの思惑通り。

「慎重に、確実に、ニンゲンを討つべしと大戦士を配した。だが、ニンゲンは余の想定の上を行った。認めよう、余はニンゲンの策謀にしてやられたのだとな……だが、次はない」

 オーマの瞳に、怒りに燃えながらも、理知的な冷静さの光が宿る。

 感情的な屈辱は、すでに抑えた。必要なのは、邪悪なるニンゲンの策略を越える、賢明なる頭脳。

「ザガン、今をもってお前の拘束を全て解く」

「はっ」

「王国存亡の危機と心得よ。最早、これは狩りではなく、戦争だ。かつてこの地を支配するため、アンデッド族とジーラ族を滅ぼして以来の戦争である」

「ははっ」

「大戦士長ザガン。オーマの名を持って命ずる……ニンゲン共を、一匹残らず殲滅せよ」

「御意。このザガンが必ずや、オーマ様の御前に全てのニンゲンの首を並べてご覧にいれましょう」




「————以上が、美波が調査してきた結果よ」

「そうか、よく分かったよ……」

 夏川さんは、かなり色々な情報を仕入れて来てくれたようだ。委員長の要点をまとめた説明だけでも、結構な情報量となっている。

 俺はその説明を受けて、王国の攻略法を考える……よりも前に、どうしても聞かなければいけないことがあった。

「けど、どうして俺にだけこの話を?」

 今日の朝食を終えてすぐのことだった。委員長から、どうしても二人で話したいことがある、と真剣な顔で言われ、俺達は砦の中でも目立たない空き部屋へとやってきた。

 そうして、まず委員長から話された内容が、夏川さんの調査結果である。

 ここまでの内容なら、今日の夕食後に予定している学級会……というには、あまりにも人数が減り過ぎてしまったので、そう言うべきではないのかもしれないが……ともかく、全員一緒に聞けば良いことだろう。

 何故、長い説明の二度手間をかけてまで、俺に話を持ち掛けて来たのか。彼女の真意を、俺は計りかねていた。

「悠斗君、話はここからよ」

「そ、そうか」

 随分と気合を入れたように、委員長が一歩詰めてくる。なんだか、思い詰めているような表情にも見えたが、今はそんなことに口を挟むべきではないだろう。

「今の説明を聞いて、悠斗君は何か王国の良い攻略法は思いついたかしら?」

「うーん、そうだな……ゴーマが遺跡の機能を完全に把握できていないことから、王宮まで辿り着けば勝機はありそうだとは思うけど、不確定要素が多すぎて危険すぎるな」

「正攻法で正面突破はできると思う?」

「まず無理だな。ザガンだけでも厳しいのに、他に五体ものギラ・ゴグマがいるんだ」

 そして最も警戒すべきなのは、ゴーマの王として君臨しているオーマだ。調査結果の要約を聞いただけでも、オーマの特異性は凄まじい。ザガン以上の戦闘能力を秘めていてもおかしくないし、何もなくたって、オーマが軍を指揮すれば途轍もない脅威となる。

 多勢に無勢という構図は、どれだけ情報を入手したところで、覆しようのないものだ。

「やはり、何とか王宮まで潜入し、一気にタワーまで突入するしか方法はないと思っているが……委員長は、何か思いついたのか?」

「ええ、私に腹案があるわ」

「そうか、そりゃそうだよな。そんな都合よく作戦なんて————あるのっ!?」

 俯きかけた顔を慌てて上げて、委員長を見つめた。

 俺の間抜けなノリツッコミ的リアクションを受けても、委員長は硬い表情を崩さず、けれどもはっきりと言い放つ。

「本当よ、悠斗君。私に王国を攻略するための確かな作戦があるの」

「おお、そうなのか! 凄いじゃないか、一体、どういう作戦なんだ!」

「それは……今は教えられない」

 委員長は露骨に視線を逸らして、そう断った。

 私は隠し事をしています、と明言しているようなものだ。

 嘘を吐くのが苦手なのが、委員長である。だから、隠し事をするのも得意ではない。どこまでも誠実で実直で、生真面目に過ぎるのが如月涼子という少女なのだ。

 彼女が本心に反したことを口にするのは、龍一のことくらいだろう。

「どういうことか、説明してくれないか」

「どうも何も、今言った通りよ。私には王国攻略の作戦がある。けれど、それを今ここで教えることはできないの」

「作戦を隠さなければいけない理由も、教えてはくれないのか?」

「ええ、話すわけにはいかないわ」

「そんなことで、話が通ると思うのか?」

「だから、これは悠斗君、貴方が決めることよ」

「俺が?」

「私を信じて、作戦の時に従ってくれるか。それとも、信じられないと断るか」

「な、なんで……なんで、そんなことを言うんだ……」

 まさか委員長が、こんな不誠実な問いかけをしてくるとは。作戦は教えられない。だが、従うかどうか決めてくれだなんて。

 思わず、どうして、という言葉が口から出てくるが、それに応える気はないのだと委員長はすでに明言している。

「委員長も、小鳥遊さんのことを疑っているのか……?」

「……」

 彼女は黙秘を貫く。だが、作戦を話せない理由としてはこの辺のことが妥当だろう。

「そんな、仲間を疑うような作戦で、本当に上手くいくのか?」

「なら、悠斗君は私を疑ったままで、王国攻略ができるの?」

「そ、それは……」

「悠斗君の協力が得られなければ、私の作戦は成功しない。だから、やるかどうかは貴方の判断に任せようと思ったけれど……お願いよ、悠斗君、私を信じて欲しい。私の作戦が成功すれば、必ず全員、無事にダンジョンから出られるわ」

 今度こそ、委員長は俺を真っ直ぐに見つめてそう断言した。

 そうだ、彼女は嘘を吐かない、嘘を吐けない人だ。その誠実な人柄を、俺は良く知っているし、だからこそ信頼している。

「……分かった。委員長がそこまで言うのなら、俺は信じよう」

「ありがとう、悠斗君」

 固く握手を交わす。彼女の手はやや汗ばんでいるように感じた。そんなに、この話を持ち掛けるのに緊張したのだろうか。

「それじゃあ、今日の学級会では、みんなの説得をお願いね。作戦の詳細は明かせないけど、信じて従って欲しいって」

「うっ……ま、まぁ、頑張るよ」

 桜や明日那からは、嵐のような詰問をされるだろうことを想像して、俺は早くも自分の選択を後悔するのだった。

第303話 自由の翼

「ふぅ……」

 龍一は口から、ゆったりと紫煙を吐き出す。

 フカフカのソファに足を投げ出して座りながら、愛飲している煙草を思う様に飲む。完全にリラックスモードである。

 しかしながら、彼の表情はあまり優れないようだった。

「————だから言ったであろう。ここから外に出る道などないとな」

 その声は、今日も硬く閉ざされた巨大な門の向こう側から届く。

 この隔離区域とやらに落とされてから、どれだけの時間が経っただろうか。恐らくは、鼻歌交じりに料理などをしている小太郎そっくりの姿をした『侍女』に聞けば、正確な日時を答えてくれるだろうが、わざわざ聞きたいとは思わなかった。

 明らかに封印された門の向こうから話しかけてきた、謎の声の主を放置して、龍一はひとまず隔離区域の探索を試みた。ここに住むモンスターはどれも凶悪か醜悪であり、ただの天職持ちではあっという間に命を落としただろう。

 しかし天職『王』として破格の戦闘力を有する龍一は、この高難度エリアのソロ攻略を推し進め、そして新たな強敵を倒すごとに、それを喰らってさらに力を増して先へと進み続けた。

 そこら中から湧いて来るモンスターも厄介だが、奥の部屋にはボス級のモンスターも存在している。苦戦は免れない。ボロボロの激闘となったこともあったが、その全てを龍一は見事に制した。

 その戦いの果てにあったのは、ただの行き止まり。

 隔離区域はどこにも外へ通じるルートが存在しない、という無慈悲な事実が判明した。

 もうこのエリアで足を踏み入れていないのは、謎の声の主が封印されている、この門の向こう側だけである。

「これ以上、探す場所などありはせぬだろう? さぁ、どうするのじゃ龍一よ。お主の力なら、そこでただ生き永らえるだけならできようが」

「ちっ、うるせぇな。少しは静かにしていろよ」

 探索している間は、この封印門のある広間を拠点としていた。それなりの期間、拠点として利用していたので、今となっては充実した設備と住環境が整っている。

 龍一が座っているソファもその一つ。毒沼のように穢れた汚水に侵されたエリアに生息していた、スポンジ状の部位を持つ水棲モンスターを狩り、クッション材として柔らかな座り心地を実現している。

 ベッドのマットレスも同様の素材を用い、布団には鳥形モンスターの羽毛が使われており、他にもモンスター素材の革や骨が様々な用途で利用されている。

 無論、それらの家具一式は全て侍女によるもの。本物の小太郎同様に、器用に錬成能力を用いて、アレコレと勝手に作り続けているのだ。

 もし小太郎本人がこのエリアを攻略したならば、やはり同じように快適に過ごせる拠点を作ったことだろう。

「はーい、ご主人様ぁ、本日のランチ、妖しいパープル謎肉の謎煮込みができましたよー」

「その食欲の失せる料理名やめろや」

「名前と見た目はアレですが、味の方はなかなかですよ。ご主人様の毒耐性なら余裕です」

「耐性スキル前提の飯なんざ食わせんな」

「大丈夫ですよ、美味しいモノほど毒があると言うではないですか」

 全く安心できないことを言いながら、侍女は嬉々として紫色に発光する謎の煮込み料理を器にたっぷりと盛っていく。

「こんなもんを一生食っていくのは、御免だな」

 しかし他に食料もないので、今は食べるより他はない。

 このエリアで手に入る食材といえば、モンスターの肉と、随所に生えている植物だ。肉も野菜も、どちらも等しく穢れ切った隔離区域の魔力環境によって汚染されている。

 そのまま喰らえば完全にただの毒物でしかないが、侍女が用意した大きな壺のようなモノが、どうやら小太郎の『魔女の釜』と似た特殊な錬成機能を発揮することで、ある程度までの解毒を可能としているようだ。そうして、毒性を抜いたモンスター肉と毒草や毒キノコを調理して食べてきた。

 今日の紫肉の謎煮込みも、目をつぶって食べれば、割とモツ鍋に近いような味わいである。味だけなら十分食べられるレベルだが、如何せん、見た目は汚染食材全開の輝きぶり。

 こんなものを食べ続けていれば、いつか見た核戦争で崩壊した世界を舞台にした映画に登場するミュータントにもでなってしまいそうな気分であった。

「いい加減に、覚悟を決めて妾の下へ参れ」

「食ったばっかだぞ、少しは待っとけ」

「ほう、ということは、いよいよその気になったようじゃのう!」

 気は進まないが、現状ではそれ以外に選択肢はなかった。

 このお喋りな封印者には、すっかり名前で呼ばれるようにはなったものの、龍一は気を許したことはない。

「本当に、よろしいのですかご主人様?」

「他に道がねぇからな。このエリアのラスボスだと思って行くさ」

「安心せよ、とって食うたりなどせぬぞ」

 本当に無害な存在なら、こんな大仰な封印などされてはいないだろう。

 しかしながら、たとえこの門の先に封じられているのが悪魔であったとしても、ここを開けるより他に選択肢は残されてはいない。こんな陰気な場所で一生を過ごすつもりはないのだから。

「コイツは、どんなヤツだと思う?」

「おっ、いいですねぇ、ご主人様。賭けますか」

「そういうことを聞いてるワケじゃねぇんだが……まぁいい。乗ってやろうじゃねぇか」

「わはーい! ではでは、私が勝った暁には、ご主人様には甘くとろけるような熱い一夜を過ごしていただきましょう!」

「やっぱやめるか、ギャンブルなんてくだらねぇ」

「ご主人様が勝ったなら、おタバコの量を一日3本追加でお作りいたしましょう」

「よぅし、二言はねぇな? 今更やめたはできねぇぞ」

 龍一のタバコ生産量は、なんだかんだで侍女が握っている。健康のために禁煙を推してくる彼女によって、一日当たりの消費量は厳しく制限されているのだ。

 かくして互いの欲望は一致して、封印者の正体を言い当てる賭けは成立した。

「絶対、ロリババアですよ。種族はヴァンパイアですね」

「俺はただの骸骨になってると思うがな」

「お主ら、妾が見えぬからと好き勝手言いおってからに……」

 龍一と侍女の予想も決まったところで、いよいよ二人は門へと向かう。

 赤い光の文様が浮かぶ金属門の前で、龍一は『王剣』と『王鎧』を纏い完全武装を整える。開いた瞬間に戦闘が始まっても、対応できるだけの構えは忘れない。

「よし、行くぞ」

「はい、ご主人様のお望みのままに」

 重厚な黒と金のガントレットに包まれた龍一の左手が、門へと触れる。

 瞬間、赤い光の文様は激しく明滅を始め、複雑に絡み合うように描かれたラインが一本、また一本を消えてゆく。

 そうして全ての光の線が消えた時、ただの巨大な鉄扉と化した門が、ゴゴゴと音を立てて動き出す。どれほどの時間、閉ざされていたのだろうか。錆びついた重苦しい音と、ザラザラと門の凹凸や隙間に詰まった汚れを吐き出しながら、ゆっくりと、だが確実に門は開かれて行った。

 門の先には、黒々とした闇が広がっていたが、開かれたことでぼんやりと光が灯り始めた。バチバチと音をたてながら、広大な空間が薄っすらとした白い光で照らし出されてゆく。

 そうして、薄闇の向こう側に、ついに封印者の姿が浮かび上がるのだった。

「ああ、よくぞ妾の前へ来てくれた。歓迎するぞ、龍一」

「……ドラゴン」

 そうとしか言えない、姿であった。

 このダンジョンに来て早々に相手をすることとなった、真っ赤な火吹き竜サラマンダー。それとよく似た、大きな翼と二足の、ワイバーンタイプのドラゴンだ。

 鱗の色は、闇夜のような漆黒。しかし角や爪、胴から尻尾にかけて装飾されたような縁取りは、煌びやかな黄金に輝いている。その姿は奇しくも、龍一の王鎧とよく似た色合いであった。

 そんな黒と金に彩られたドラゴンは、広間の奥にある巨大な、それこそ体長十数メートルにも及ぶドラゴンの巨躯さえ悠々と収まる、巨大な水槽の中に沈んでいた。

 水槽を満たすのはただの水ではないようだ。高濃度の魔力を感じられる。

 どうやら、このお喋りなドラゴンが言うように、かなりの長期間を過ごせてきたのは、この水槽によって生命を維持する環境が整っていたからこそなのだろう。

「お前は、何者だ」

「見ての通りのドラゴンじゃ。ただし、作り物の紛い物よ。主はなく、ただの一度の出撃さえもなく、この場所に時代と共に取り残された」

「なるほど、全く分からんな」

「要するに、古代の生体兵器ってやつですね。凄いじゃないですか、このダンジョンが作られた時代を知っているなんて」

 小太郎の理解力も継承されているのか、侍女が分かりやすく嚙み砕いて補足する。

 つまり、ドラゴンの姿をした、喋れる兵器というわけだ。実戦で使われることはなく、この場所に死蔵されていたらしい。

「そいつは、色々と知っていそうな感じだな?」

「あまりにも長く、眠りすぎておったようだ。妾の記憶情報には、至る所に欠落が見受けられる……お主の疑問全てに答えることはできぬじゃろう」

「ご主人様、コイツ露骨に秘密の予防線を張って来ましたよ。生意気ですぅ!」

「知ってることを大人しく吐け。そうすれば、お前の望みとやらを聞いてやらんこともない」

「さて、何から語って聞かせるべきか。妾を作った国など、とうに滅び去っておるだろう」

「アストリア王国ですか? シグルーンという街、または地名に聞き覚えは」

「どちらも知らぬ名じゃ。やはり、時代は移ろい変わったようじゃな」

「そのナントカ王国ってなんだよ」

「最初に魔法陣で示された情報ですね。全てのクラスメイトが参照しているはずですが」

「もうさっぱり、覚えちゃいねぇ。だが、桃川の奴なら覚えてるだろうな」

 言われてみれば見た気もするが、脱出先の情報など、そこに至るまでは何の意味ももたないだろう。龍一にとっては、記憶に留めるほどのことではなかった。

「それでは、貴女を作った国の名は?」

「エメローディア。光の女神エルシオンを信仰せし、この大陸の覇権国家であったはずじゃ」

「ここがダンジョンになっているのは、どうしてですか?」

「この地はエメローディアでも有数の大都市であった。しかしある時、禁忌の力に手を出した。故に滅びた」

「もうちょっと具体的にお願いしたいですねー」

「光の女神エルシオンとは異なる、闇の魔神の力を研究しておったようじゃ。妾も、その研究成果によって開発された、試作機の一つに過ぎぬ————しかし、より大いなる力を求め、闇の魔神に近づきすぎたのじゃろう」

「ははぁ、さては事故りましたね?」

「何が発端となったのか、詳しくは知らぬ。しかし、あまりにも強大な闇の力が暴走した結果、大都市諸共、崩壊した。爆発、炎上、崩落、といった物理的な被害だけではない。魔神の力は空間そのものにも影響を及ぼし、幾層にも分断された亜空間として大都市を引き裂いたようじゃ。それがどのような有様かは、ここまでやって来たお主らの方が詳しいであろう」

「なるほど、まぁ筋は通っていますかね」

「そんな昔話なんざ、どうでもいいんじゃあねぇのか。大事なのは、ここから出られるかどうかだろうが」

 龍一には、すでに過ぎ去った過去のことに興味はなかった。壮大な歴史ロマンなど語られたところで、この場所から出られなければ何の意味もないのだから。

「件の暴走事故が発生した時に、この区画は完全に閉鎖されておる。故に、どこにも通じる道がない」

「壁を壊して穴を掘ってもダメそうなのは、このエリア丸ごと亜空間とやらで分断されているからですね?」

「然り。分断された各地を行き来する方法は『ポータル』のみじゃ。半分ほどは、地中に埋もれた状態にあるようだがな」

「ポータルって転移魔法陣のことですよね? どこが通じているのか、分かるんですか?」

「ここは暴走事故の中心地でもある、軍事施設の一角なのじゃ。中央政庁セントラルタワーとは別に、都市全域の情報が集まる中枢部でもあるからの。ある程度の情報は確認できる————そう、誰も住んではおらぬはずのこの場所に、人間がポータルを通ったことくらいは分かるのじゃ」

「ふん、俺らが四苦八苦してこのクソッタレなダンジョンを進んでいる様を、高みの見物をしていたってワケか」

「その様子を見られたら、大層な暇つぶしとなったのだがのう。残念ながら、そこまで詳しくは分からん。故に妾は、何者でもよい、誰かがここへと現れる僅かな希望のみを抱いて待っておったのじゃ」

「要するに、貴女がここから出るためには、人間のご主人様が必要というワケですね」

「妾は自我を持つ兵器じゃぞ。枷がかけられるのは、当然のことであろう」

 非常に強力な試作兵器であるらしいこのドラゴンが、大人しく水槽に沈められている理由としては、納得のいく説明であった。

 龍一は特に同情も興味もないようなしかめ面で、侍女は腕を組んで「ふんふん」と訳知り顔で頷く。

「よく分かりました。素敵なご主人様と出会えると良いですね。それでは行きましょう、ご主人様。こんな捨てドラゴンなど放っておいて」

「待て待て、何故そうなる!? 妾の話を聞いておらんかったのかぁ!」

「聞いたから全力スルーするに決まってんじゃあないですか! 図々しくも、この私のご主人様を、自分のご主人様にしようなどと卑しい魂胆が見え見えですよ」

「い、卑しくなどないわ! 主を持ち、この場から解き放たれることは、妾の切なる願いなのじゃぞ!」

「っかぁー、聞きましたかご主人様? このメストカゲ、自分の欲望を切なる願いなどと綺麗事で誤魔化そうとしております。全く、度し難い爬虫類でございますね」

「このぉ、使い魔風情が! 誇り高き竜たる妾を、爬虫類のトカゲ呼ばわりなどと、許さんぞぉ!!」

「ええぇー、でも飼い主のいない捨てトガケに、一体何ができるですかぁー? 精々、その水槽の中でジャブジャブしてるがいいですよ」

「はぁ、お前は少し黙ってろ」

「ふがふが」

 何故か急に喧嘩腰でドラゴンを煽る侍女の口を塞いで、強制的に黙らせた。

 このままでは、蒼真悠斗を巡って女共が騒いでいるのと同じような、やかましい言い合いが続くだけになるのが目に見えている。暇はあるが、そんなことに付き合わされるのは御免であった。

「お前の望みは分かった。俺がお前の飼い主になって、その枷とやらから解き放ってやれば、ここから出られるんだな?」

「その通りじゃ。龍一、お主には妾の主となってもらいたい。そしてお主は、どんな手を使ってでもこんな場所から出ていきたい。互いの利害は一致しておるであろう」

「お前が自由になったとして、どうやってここから出る?」

「全ての道は塞がれた、と言ったが、一つだけ残っておる。それは、兵器たる妾を出撃させるための、発進用ポータルじゃ」

 試作兵器ではあるが、正規の承認を得れば、出撃用の転移魔法陣が稼働し外へと出られる。

 自由を求める彼女が、人間の主を必要とする理由であり、龍一にとってここを脱する唯一の方法だろう。

 龍一は自分を見つめて来る、ドラゴンの黄金に輝く瞳を真っ直ぐに見返して、応えた。

「————いいだろう。俺がお前を飼ってやる」

「そんな、ご主人様! あんなに大きなペット、本当にお世話できるのですか!?」

「だからお前はちょっと黙ってろ」

 いつの間にか拘束を脱していた侍女を、再び黙らせる。

「それで、どうすりゃいいんだ?」

「そこに手を当てるだけでよい。後の事は、全て妾が済ませる」

 と、ドラゴンの鼻先が水槽正面に備えられた、黒い石板を示す。設置位置から見て、明らかに水槽内をコントロールするデバイスに違いない。

 石板にはダンジョンの各地で見られたように、異世界の文字が光って浮かび上がっている。機能はちゃんと生きているようだ。

「ほら、これでいいのか」

「うむ。契約の前に、一つだけ願いを聞いてくれまいか」

「なんだよ」

「妾に名を授けてくれぬか」

「名前、ね……まぁ、これから飼おうってんだ、名前くらいつけてやるのが筋ってものか」

「ブーミンかグロシャブで」

「冗談じゃないわ! 万に一つもかような名づけがされようものなら、たとえこの身が滅びようとも貴様を滅してくれる!」

「ご主人様を求めるだけでなく、名前まで寄越せだなんて強欲が過ぎるんですよトカゲ! 私だって『侍女』なのに!」

「……お前の名前、桃川小太郎じゃないのかよ」

「違いますよ!? それってオリジナルの方の名前じゃあないですか! 私は侍女、ご主人様だけの侍女なのです————だから名前を! あのトカゲよりも先に、まずはこの私にお名前をぉーっ!」

「じゃあ桃子」

「はいっ! 私はご主人様の桃子ですぅ! やった、これで私もついにネームドですよ!!」

「分かったから、お前はちょっと静かにしてろよ頼むから」

「はーい、桃子、静かにしまーす」

 ウフフ、と恍惚とした笑みを浮かべた侍女こと桃子は、それでようやく大人しく引き下がったのだった。

「で、次はお前の名前を決めりゃあいいんだな」

「うむ、妾にも良い名を頼むぞ」

「リベルタ」

 迷うことなく、龍一は即座にそう口にした。

「リベルタ、とな」

「何百年だか閉じ込められてた奴が、これから外に出ようってんだ。お前は、自由リベルタになれ」

「うむ、うむ! しかと心得た。妾はこれより、リベルタと名乗ろう、主様よ」

「まだ契約とやらは終わってねーんだろ。さっさとしてくれ」

「なぁに、そう急くでない。契約者さえおれば、こんなものすぐに終わる————むっ」

 と、ドラゴン改めリベルタは、怪訝に呻いた。

 すでに龍一の手は石板に触れており、手のひらから微弱ながらも魔力が吸収されるような感覚を覚え、契約にあたってのスキャンだか検査だかがされているのだろうことは感じられた。

「おい、どうした。何かトラブルかよ?」

「龍一よ、お主は『天職者』じゃな。何の天職を授かっておる」

「……『王』だ」

 どうやら古代国家エメローディアにあっても、神が授ける『天職』は存在していたようだ。

 光の女神とやらを信仰する一神教らしき国のくせに、多神でなければ説明のつかない天職システムが存在していることに、胡散臭い事情を嫌でも察してしまい、龍一はあまり良い予感はしなかった。

「そうか、妾は王騎になる運命であったのか……ならば、この長きに渡る封印も報われよう」

「なんでもいいが、契約はできんのか、できねーのか、どっちなんだよ」

「案ずるな、すでに契約は結ばれた」

 言うものの、龍一には特にこれといった変化は感じられなかった。侍女桃子を始めとした『従者』シリーズは、自分の召喚スキルのため、魔力的な繋がりを感じるが、リベルタの間にはそういった感覚はない。召喚スキルとは異なる仕様、あるいは、本当に単なる認証だけなのかもしれないが、詳しい仕組みなどどうでもよい事であった。

「これより妾は、『王』天道龍一が王騎リベルタである。主様へ、手綱を委ねよう」

「別に乗り回すつもりはねぇんだが……まぁいい、これで道は開けたわけだ」

 ゴボゴボと水槽内の液体が排出されてゆくのと共に、巨大な白い魔法陣が描き出される。その輝きは紛れもなく、何度も見てきた転移魔法陣の光だ。

 魔法陣のサイズと形状は少々異なるものの、ドラゴンたるリベルタが翼を広げても悠々と通れるほどの巨大な円形を成していた。閉ざされた隔離区域から脱する唯一の道が、ついに開く。

「それじゃあ、さっさと行くぞ————外の世界に、な」

第304話 巨人殺しの成果

「うぐぅうぁあああああああああああああああああっ!」

 いまだかつてないほどの絶叫が、大戦士バズズの口から上がる。

 右足は完全に骨が砕け散っては折れ曲がり、左足は腿の付け根から吹き飛んでしまった。凄まじい大爆発を至近距離で受け、全身が焼け爛れている。

 これほどの重傷を負ったのは、生まれてからずっと戦いに明け暮れてきたバズズでも初めての経験だ。

 天性の才能を活かして瞬く間に成り上がり、大戦士にまで登り詰めた。そして、その時に大戦士長ザガンに敗れ去り、以降は技を磨き始めた。輝かしい勝利は数知れず。だが屈辱的な敗北の味も、ザガンによって与えられている。

 しかし、だがしかし————これほどまでに、明確に『死』を感じさせる経験は、文字通り生まれて初めてであった。

「ゼダ、ブルガァッ! (絶対逃がすな!)」

「ジェンズガ、ボグラァッ! (死ねや、オラァッ!)」

 耳障りな叫び声を上げたニンゲンが、両足を失い地に倒れ伏した自分に向かって左右から迫って来るのを、バズズは揺れる視界の中で捕らえた。

「ぐううっ、く、くそっ、がぁああああっ!」

 うつ伏せに倒れた状態で、技も何もなく、ただニンゲンを遠ざけるために夢中で腕を振るう。

 しかし、悪あがきのように振り回しただけの腕など、二匹のニンゲンは軽やかな動きで掻い潜り、握りしめた刃を振り上げ飛び掛かる。

「ンッガァアアッ!」

「ジイッ、アザン (チイッ、浅い)」

「ンダラ、ブラギルァ! (なら、何度でもぶった切ってやるよぉ!)」

 両側から交差するようにニンゲンの武技が、バズズの首元目掛けて振るわれた。剣士と戦士が振るった刃は武技の威力が宿り、直撃を許せば致命傷は避けられない。咄嗟に頭を振るって、どうにか直撃こそ避けたが、首の真後ろに二筋の斬撃が刻まれた痛みが走った。

「こ、この俺が……ニンゲンなんぞ、にぃ……」

 確かな存在感をもって忍び寄って来る死の気配を振り払うように、悪態を漏らす。

 同時に、バズズは死力を尽くして生き残るべく、瀕死の体に鞭を打って行動を起こす。

 まずは、集って来るニンゲンから少しでも距離をとって攻撃から逃れる。同時に、体勢を立て直しつつ、傷の回復も図る。

 流石に丸ごと失った左足を治すことはできないが、折れた右足のみに集中すれば、なんとかくっつけるくらいまではできそうだ。ただし、それも瞬時にとはいかない。

 反撃できるだけの体に回復するためには、やはりまずはこの場から離れることが最優先————そんな決断を論理的な思考で下すまでもなく、バズズは両腕を思いきり曲げて、手のひらを地面につけた。

 火傷の痛みこそあるものの、まだ無事な両腕でもって体を跳ね上げ飛びあがる。そうして、距離をとると同時に立ち上がるのだ。

 本能的に行動を選択したバズズは、右足に『肉体活性』の発動を集中させつつ、曲げた両腕に渾身の力を込め————

「ボオッ、ヅドバルゾ! (おい、アイツ逃げるぞ!)」

「ドバルガァーッ! (飛ばせるなっ!)」

 ニンゲンもバズズの意図を察したのだろう。慌てて切り返し襲い掛かって来るが、もうバズズが腕で飛び起きる方が早い。

 巨人の腕が力強く地面を押し退け、その巨躯を宙に舞わせた、その瞬間。

「————『テラ・フォルティスサギタ』」

 ドォン、という音を置き去りにして、再び岩の攻撃魔法がバズズを襲った。

 飛びあがった直後、肩口に命中した強力な土属性の上級攻撃魔法は、鋭く尖った岩を半ばまで食い込ませながら、バズズの体勢を大いに崩した。

「ブガァッ!?」

 再び地面へと無様に這いつくばったバズズは、その衝撃と痛みに頭が真っ白になるものの、戦士としての思考が状況判断を下していた。

 すなわち、自分の右足を折った土魔法を放った魔術師が、遠くから自分を狙い続けている。この開けた場所で、両足を失い機動力を喪失した自分が、その攻撃から逃れることはできないと。

 冷静な判断力が、どこまでも残酷に絶望的な戦況を示す。

「ぐっ、うぁああ……ど、どうすりゃ……グワァアアアアアアッ!」

 どうすればいいのか、などと弱音が漏れたその瞬間に、再び痛烈な痛みがバズズを襲う。

 見れば、鎧兜を身に纏ったニンゲンが、『肉体活性』によって肉と骨が少しずつ繋がろうとしている右足の傷口に、深々と大きな黒い斧を振り下ろしていた。

「ガブラ、ザンズダァ! (回復なんざ、させるかよ!)」

 右足を再生しようとしていることなど、見るからに明らかだ。鎧の戦士はバズズの回復を阻害する一撃を叩き込み、これを完全に無効化させるのだった。

「ヤマグダァ、デグベラグオ! (山田君、腕も狙おう!)」

 反射的に鎧の戦士を排除しようと右腕を振るおうとした瞬間に、その動きもまた鋭い痛みと共に止められた。

 気が付けば、氷の魔力を発する短剣を握る魔法剣士が肉薄しており、太い氷柱が幾つも掌を貫き地面へと縫い留められている。さらに続けて、連撃系も武技でもって右腕を切り裂いていく。

「ジャッ、ゼルアァッ! (しゃあ、任せろよ!)」

「ゲヅダラァ、ジーマ! (中嶋に続け!)」

 鎧の戦士は完全に断ち切った右足から、次は魔法剣士が攻撃した右腕へと狙いを変更し大斧を振るう。

 そして、剣士と戦士のニンゲンも追いつき、急加速して左腕へと攻撃を開始した。

 最後に残された左腕で咄嗟に迎撃をしようと振り上げるも、再び魔術師の攻撃によって、左手を撃ち抜かれ、文字通りに攻撃の手を止められてしまった。

「ヌグゥウァアアアアアアアアアアアッ!」

 剣士、戦士、鎧戦士、魔法剣士、実に四匹もの手練れのニンゲンによって両腕を集中攻撃され、瞬く間にズタボロにされてゆく。何か行動を、と思った時には土魔法が飛んできて、あらゆる行動は阻害され、中断させられる。

 まだ体力は、戦う力は残っているはずなのに、何もできない。何もさせてもらえない。

 刻一刻と近づいてくる死の気配。覆しようのない敗北の予感。

 そして、ついに限界の時が訪れた。

「がっあ、ああぁ……俺の、『巨大化ギガ』、がぁ……」

 全身から赤い魔力の輝きが、粒子のように眩しく瞬きながら散っていった。

 あれほど体中にみなぎっていた力が、全能感が急速に萎んで行く。同時に、うめき声を上げる程度で耐えられていたはずの痛みも、二倍、三倍の苦痛となって襲い掛かって来る。

 バズズの『巨大化ギガ』はついに解除されてしまった。

 身の丈数メートルもの巨人から、通常のゴーヴサイズへと戻ったバズズは、己が流した膨大な血の海の中で、四匹のニンゲンを見上げていた。

「グヘヘ、ダイガンオバァ? (へへっ、巨人化はお終いかぁ?)」

「ザマァ、ゴブダグゾガ (いいザマだな、ゴーマ野郎)」

「ゴレグバルダ (これで終わりだな)」

「ダァズ、イベラガ (まだ油断はしない方がいいよ)」

 それぞれの武器を携えたニンゲン達が、自分を見下ろしながら耳障りな声で喋っている。

 バズズはふと、幼い頃に手下のガキ共と廃棄場で寝ころんでいた障碍者のゴーマを、囲んで嬲り殺しにして遊んでいたことを思い出した。

 地に這いつくばった弱者を、笑いながら足で蹴り、棒で突き、散々に弄んだ。あの頃は、いいや今でも、自分は常に殺す側。弱者の生殺与奪を握る、絶対的な強者。選ばれし者、ギラ・ゴグマである。

 だが最強の大戦士であるはずの自分が今、最悪の宿敵ニンゲンに、その生殺与奪を握られていることを、バズズは心の底から理解した。

「う、あ、ああぁ……やめろ……やめろぉおぁああああああああっ!」

 バズズは無様に叫んで、逃げ出す。

 逃げると言っても、失われた両足に、両腕もほぼ千切れかけた状態にある。ただ地面に這いつくばって、のたうつことしか出来ない。

「ンアァ、ゲンジャグダァ! (ああ? 逃げてんじゃねぇぞテメェ!)」

「ジンゲバラ、ッゼーンダガ! (うっせぇんだよ、大人しく死んどけや!)」

 羽を千切られた羽虫のように這いずり回るバズズの胴に、剣士の痛烈な蹴りが突き刺さる。痛みと衝撃にひっくり返ったところに、さらに戦士が踏みつけ。

 強靭な腹筋に覆われたバズズの腹部だが、それでも重度の火傷に幾筋もの傷が刻まれたところに、ニンゲンの細い見た目にそぐわぬパワーで硬いブーツの底が押し付けられ、内臓が潰れそうなほどの圧力がかかる。

「ダグン、バダゲンドブガ (なんだよ、まだ元気じゃねぇかコイツ)」

「ザブ、ゲバゴロダブラ (早く、トドメ刺した方がいいんじゃないのかな)」

 苦痛に呻く自分のことなどまるで顧みることなく、ニンゲン共はお喋りに興じている。そこにはもう、誇り高き戦士の戦いはない。

 ただ処刑を待つだけの、恐怖と屈辱の時間だけが続く。

「アダガ、ンダブザゴ (アタシがやる。抑えててよ)」

「ンバ、イグドンダガ (おう、一発で首落とせよな)」

 いよいよ、自分に明確な殺意が向けられるのを察する。

 無論、そんなことを察するまでもなくバズズは一切の抵抗が許されないよう、拘束がされる。

「ぐああっ……ぐ、くそっ、離せ……んがぁあああああっ!」

 鎧戦士が思いきりバズズの胸元を踏みつけ、凄まじい力で身動きを封じる。同時に、剣士と魔法剣士がそれぞれの剣を脇腹に突き刺す。

 それだけでもう死ねそうな激痛と深手だが、本命は頭上で高々と斧を振り上げた戦士である。

 戦士は土と血で汚れ切った靴底でバズズの顔面を踏みつけながら、冷たく言い放った。

「ジェダ、グズゴーマ (死ね、クソゴーマ)」





「それでは、ギラ・ゴグマの討伐を祝してぇ……かんぱぁーいっ!」

 期せずして、二体ものギラ・ゴグマ、ボンとバズズを討ち取ったことで、僕らは地下の本拠地に戻って祝杯を挙げていた。このお酒に毒なんて入っていないから、安心して飲んでよね。

 メイちゃんほどじゃあないけれど、僕だってお酒の作り方は習得している。僅かながらだけど、近場で収穫できた希少なモモマンゴー、独り占めにして食べちゃおうかと思ってたけれど、我慢してお酒にして正解だったよ。こういう節目でお祝いするなら、やっぱり何かしら美味しい一杯は必要だからね。

「ぎゃはは! 見たかよ桃川ぁ、あのバズズとかいうイキり野郎、最後は泣き叫んでやがったぜ!」

「あはは、みんなで寄ってたかっていじめるからー」

「いや、だが最後まで油断はできないからな」

「蘭堂さんのアシストには助けられたよ。特に、最初に腕だけで飛び上がろうとした時とか」

「陽真くぅーん、私も頑張ったんだよぉー?」

「あ、ちょっ、そんなにくっつかないで、マジで離れて」

 僕は上機嫌に酒を煽る上田と、しみじみとした表情の山田、それから姫野中嶋カップルと適当に駄弁っている。

「おいマリ、いい加減に離れろって!」

「あっ? うっせぇわ」

「キナコもベニヲも嫌がってんだろ!?」

「いいだろ、アタシはバズズにトドメ刺したMVPだぞー、これくらいの役得があっても……ああー、このモッフモフたまんねぇー」

「プググゥ……」

 一方、芳崎さんがキナコを背にしながら、正面からはベニヲを抱きしめてモフモフ独り占め状態。それを葉山君がなんかケチつけてるけど、相手にされていない模様。

 杏子はバズズの首を刎ねた芳崎さんを労うように、お酌をしてあげているようだ。その膝の上では、コユキが丸くなって早くも眠りについている。

 ああ、平和だ。実に平和だ。こんな楽しい時間がいつまでも続けば、なんて思うけれど、これでもまだ通過点に過ぎない。

 僕らの本当の戦いは、まだまだこれから————

「おい、聞いてんのかよ桃川! そりゃトドメは芳崎に譲ったけどよぉ、ありゃあ俺ら全員のチームワークのお陰だるぉ?」

「上田君、もう大分酔いが回って来てるね」

「うるせぇ、俺は酔ってねぇ! まだまだこれから、これからの男なんだよ!」

 この意味不明な言い回しは、完全に酔っ払いの戯言だ。

 ええい、酔っ払いに絡まれるなら、女の子の方がいい。巨乳の子がいい。度を過ぎた爆乳くらいの子がいい。要するに、この面子の中なら杏子一択なのだ。

「じゃあ姫野さん、上田君のことお願いね」

「ええぇー、私には陽真くんがいるしぃ、二人もなんて困っちゃう」

「僕のことは気にせず、是非、上田君の相手をしてあげるべきだと思う」

「おい姫野、お前もめげない奴だよな……」

 後は楽しくやっててよ。僕もコユキと一緒に、杏子の膝枕で眠りたいな。

 なんて、そんな騒がしい一晩を過ごした、その翌日。

「僕らの本当の戦いは、これからだ!」

 朝一番、特に二日酔いなどの影響皆無な僕は、元気よく妖精広場で叫んだ。

「やだ……やだ、戦いたくなーい……」

 おっとぉ、戦う前から弱音を吐く軟弱者の新兵は誰だい?

「も、桃川君、本当にこれ全部やるのかい?」

「当たり前じゃん。っていうか、サラマンダーは半分になってるから、予定された作業量は当初の半分になるし」

「うん、それは、そうかもしれないけど……」

 まったく、中嶋も弱腰になって。もっと杏子みたいに堂々としていなよ。ほら、噴水の淵に座り込んで、呑気にあくびしているし。

「さぁ、今回は大量の戦利品だ。張り切って行こう!」

 そう、ボンとバズズの撃破など所詮は通過点。横取りしたサラマンダー素材を使って、王国攻略用の装備を整えることが、僕にとっての本命である。

 激戦の果てにバズズを倒した後、僕らは急いで撤収した。バズズ登場直前には素材や装備は積み込み済みだったのが功を奏して、奴の首なし惨殺死体だけを積み込み、すぐにその場を離脱できた。

 流石に、あの状態でさらに増援が現れれば対応しきれない。半ば祈るような気持ちで、急ぎ地下まで降りたものだ。

 ともかく、僕らは無事に全ての戦利品を回収しての帰還に成功している。バズズを倒すために、サラマンダーを『無道一式』に半分食わせてしまったのは勿体ないけれど、あの時は仕方がない。それに、これはこれで立派な戦力強化に貢献しているので、無駄にはなっていない。

「姫野さんと中嶋君は、まずは鱗を剥がすところからお願いね。大きい甲殻のところは、上手く外すように」

「えっ、この量の鱗を? 一枚一枚?」

「一枚ずつ、丁寧に、傷付けないよう綺麗に剥がしてね」

 サラマンダーの鱗だから、ちょっとやそっとじゃ傷なんかつかないけど。でもその辺は、モンスターの鱗剥がしは学園塔に入る頃から何度もやってるし、今更細かく指導するようなことじゃあない。任せたよ、二人とも。

「杏子はゴーマ装備を溶かして選別で」

「ほーい、いつもの感じでしょ」

「うん、いつもの感じでお願い。でもボンとバズズの装備は魔法付きのもあると思うから、その辺だけ気を付けて」

「了解、そーいうのはちゃんと避けとくから」

 流石、杏子は話が早くて助かる。仕事も早いからもっと助かる。いい女、ってこういう人のことを言うと思うんだよね、姫野さん。聞いてる? すでに死んだ目で鱗剥がしに取り掛かってる姫野さん。まだ三枚目なのに、もうそんな表情で大丈夫? 休憩はまだ2時間先だよ。

「それじゃあレム、僕らはサラマンダーを解体していこう」

「はい、あるじ。コアから?」

「いや、尻尾から行こうか。コアは最後のお楽しみってね」

 バズズのために、ボンのコアは爆弾にして使い捨ててしまった。でも、サラマンダーのは残っている。今回の戦利品で、最も価値があるのはやはりこのサラマンダーコアになるだろう。

 これを利用して、王国攻略のための装備を作り上げるのだ。

「ふふん、腕が鳴るね」

第305話 秘密の取引

「————なるほど、長く潜入してきた甲斐がありましたね」

「ああ、少しは希望が見えてきたのではないか?」

「夏川さんが無事に戻って来て、本当に良かったよぉ!」

 一週間もの長期に渡る、夏川さんのゴーマ王国潜入調査の結果報告を受けて、桜達は素直に喜びの声を上げている。俺としても、あらためて聞けば凄い成果だと思う。

 しかし、ここから先が問題なのだ。

「兄さんは、あまり喜んではいないようですね」

「ん、ああ……悪い、先に委員長からざっと話は聞いていたから」

 こういう時、妙に鋭いんだよな、桜は。咄嗟に適当な言い訳を口にしながら、俺はひとまず誤魔化した。

「そうですか」

「うん。夏川さんの調査のお陰で、かなり色んなことが分かった。けれど、まだゴーマ王国を突破する確実な策はない……次にどうするかが重要だ」

 俺は委員長を信じて、彼女の提案に乗ることにした。

 作戦の詳しい内容は教えない。だが、協力をして欲しいと。

 そんな不誠実な、むしの良い話なんて、と普通なら思うところだが……他でもない、委員長がここまで言うのだ。信じてやらなければ嘘だろう。

 それに、今の俺にはこれぞという作戦も思いつかない。ロクな対案も以上、ただ不安だというだけで、強い覚悟を持って申し出た委員長を止める真似をすべきではない。

「それに関して、提案があるわ」

「あら、涼子、何か作戦があるのですね」

「作戦と言えるほど大袈裟なことではないわ。言ってしまえば、調査の延長のようなものよ」

 俺にも言えない秘密の作戦を隠している様子など露ほども見せず、委員長はいつもの調子で受け答えをしている。

 よく女性は嘘を吐くものだと言うけれど……委員長も例外ではないということか。世の女性たちは皆、どこまでも自然に、上手な嘘のつき方というのを心得ているものなのだろうか。

「美波には、また王宮まで潜入して、可能な限り古代遺跡の機能の復旧をしてもらうの。上手くいけば、遺跡の機能を使って安全な潜入ルートを確保できるかもしれないし、扉の開閉だけでも操作できるようになれば、王宮を封鎖してゴーマの大軍を分断することもできるわ」

「なるほどな……王宮内にいるだけのゴーマなら、私達だけでも倒し切ることは十分に可能だろう」

「ですが、それではあまりにも美波に危険が————」

「ううん、いいの桜ちゃん。私は『盗賊』だから、隠れ潜むのは得意だから。っていうか、もう一週間もあそこに潜入してきたんだよ? 絶対、大丈夫だって」

 にはは、と明るく笑って夏川さんが心配する桜へと言い聞かせる。

「けど、危険なことに変わりはないだろう。なぁ、次は俺も一緒に行くわけにはいかないか?」

「ええっ、そ、蒼真君と? 二人きりでぇ?」

 急に焦ったように上ずった声の夏川さんである。そ、そんなに嫌がらなくても……しかし、彼女とて乙女の一人である。高速のナイフ捌きに平気な顔でゴーマ王国に一週間も潜入調査できる凄腕のエージェントみたいな実力者だけれど、クラスメイトの女子であることには何ら変わりはないのだ。

 流石に男と二人きりで過ごすというのは、今まで男女混合パーティで進んで来たのとはワケが違ってくるだろう。

「いや、その、夏川さんは俺みたいな男と二人で過ごすことになるのは嫌かもしれないが、それでも身の安全を考えれば————」

「いやいや、違うの! 蒼真君と一緒がイヤとか、全然そんなんじゃないから!?」

 その凄い慌てたようなフォローが逆に悲しい。

 俺の方こそいいんだ。こういうのは仕方のないこと、悪気がある上での反応ではないことは理解しているつもりだ。若干のショックではあるけれど。

「悠斗君、気持ちは分かるけれど、潜入するだけなら美波一人だけの方がいいと思うわ」

「俺だって一応、隠密行動の心得はあるさ」

 それは『勇者』としてのスキルではなく、幼い頃からの修行によるものだ。足音を立てない歩き方をはじめ、人の気配を読み、死角へ回り込む。爺さんは俺を忍者にでもさせたかったのか。だが蒼真流はそういうところまで含めての武術なので、仕方がない。

「えっと、蒼真君が一緒に来てくれるなら心強いけどぉ……王宮にある隠し通路とかって、一人が通れるのがやっとみたいな狭い通路も沢山あるから。蒼真君の体格だと、ちょっと通れないところもあるかも」

「あっ、そうか。すまない、そんなこと、全然考えていなかったよ」

 これまで夏川さんに隠し扉や隠し通路を見つけてもらって、通って来たことはあったが、よく考えればそれらは全て俺含め仲間達全員が通れるものだけを利用してきたに過ぎない。

 報告では、天井に走るダクトのような狭い通路も利用して、王宮に潜入したという。

 小柄かつスレンダーな彼女だから、そういった場所も難なく通れただろうが、普段から鍛えた上に、体格もそれなりに恵まれた俺になれば、肩がつかえて入れない、なんてことは普通にありえるだろう。

 いざって時に通路につっかえました、では冗談では済まされない。

「美波の話では、王宮も砦も警備が厳しくなってきているそうね。潜入するなら、基本的に隠し通路を利用することになると思うし、悠斗君が同行するのはやはり厳しいんじゃないかしら」

「兄さん、ここは素直に諦めて、美波にお任せするしかなさそうですね」

「大丈夫だよ、蒼真君。ここは私を信じて、任せて欲しいな」

「そうだな……心配ではあるけれど、ここは仲間を信じることにするよ」

 何もできない自分がもどかしい。戦う力を持ち、装備も整っているというのに。

 だが、どうしても向き不向きというのはある。向いている人に任せるのが一番で、下手に手伝いなどしないほうが良い、なんて状況だってあるだろう。

 その辺は俺だって理解しているからこそ、最も危険な長期潜入調査を夏川さんに任せたわけで。ここで俺が同行するとゴネたところで、今更の話でもある。

「えっと、それでまた私一人で行くことになるけれど、みんなには他のところで協力はして欲しいな」

「勿論だ。俺達にできることなら、なんでも言ってくれ」

「今回の潜入では、とにかく古代遺跡の機能をどこまで使えるようになるかが大事よ。だから、起動に必要なコアを用意しましょう」

「うん、あそこには機能停止しているような石板もあったから、コアがあれば使えるようになるのもきっとあると思うんだよね」

 なるほど、確かに遺跡の機能復旧は狙えるだろう。

 今やすっかりお馴染みとなった転移魔法陣をはじめ、遺跡の機能はコアの魔力を動力源としていることはとっくに判明している。これまでの道中では、わざわざコアを使って復旧をしたことはほとんどないが、ゼロではない。逆に、コアで復旧すると罠が再起動してしまいそう、といった危険な場合もあった。これは夏川さんの罠察知系のスキルのお陰で回避できたのだが。

「だが、コアは俺達の装備強化で結構、つぎ込んでしまったから……外に出て、モンスターを狩りに行った方がいいだろうか」

「ええ、その方がいいかもしれないわね。ゴーマが王国の警備を固めたせいで、私達の捜索も打ち切り状態のようだし。今なら、安全に外でモンスターを狩れるでしょう」

「それでも、やはり危険ではありませんか? 私達を誘き出すための罠という可能性も」

「いざという時は、この砦へ逃げ込めばいいだろう。安全な場所が見つからなかったあの時とは、状況が違う」

 桜の懸念ももっともだが、明日那の言うことにも頷ける。

 夏川さんには最も危険な役目を任せているのだから、俺達だって多少のリスクは承知で行動すべきだろう。

「桜、俺は動くべきだと思う。奴らがまた何かの気まぐれで、大勢で捜索を再開する可能性だってあるわけだ。なら、コアが必要になってくるこのタイミングで、集められるだけ集めておいた方がいいだろう」

「そうですね……どの道、絶対に安全な方法など、ありはしませんから」

 少し悩んだ様子はあったが、桜も納得を示してくれた。

「それじゃあ、決まりね。ああ、それともう一つ、小鳥遊さんには頼みたいことがあるの」

「えっ、小鳥に? なぁに?」

「美波に、出来る限りあの石板の使い方を教えてあげて欲しいの」

「ええっ、でも、アレって『古代語解読』のスキルとかがないと……」

「スキルがなくても、ある程度まで弄れるのは桃川君が証明しているから。本当は小鳥遊さんを一緒に連れて行ければ、直接、遺跡の機能を操作してもらえるのだけれど、流石にそれは無理でしょう?」

「ううぅ、ご、ごめんね……」

 いや、俺でも同行を断られた潜入調査である。いくら古代遺跡を操れる唯一の人材とはいえ、完全な非戦闘員である小鳥遊さんを連れて行くわけにはいかない。

「うーん、私に覚えられるからなぁ」

「私も一緒に講義は受けてあげるから」

「それじゃあ涼子ちゃん、小鳥ちゃん、よろしくね! なるべく頑張るから!」

「うん、私も頑張って教えるよ」

 後学の為に、俺もこの機会に覚えた方がいいだろうな。というか、出来ることなら全員が覚えてもいい内容だ。

 実際、桃川は『古代語解読』のスキルもナシに遺跡の機能を弄っていた。最終的には、学園塔から逃亡するために、転移魔法陣さえ操っている。

 もしかすれば、アイツにも古代遺跡の操作を可能とする何かしらのスキルを隠し持っていた可能性もあるが、単純に狡猾な頭脳だけでやってのけたかもしれないのだ。

「これで、やることは決まったな。準備が整い次第、夏川さんには再潜入をしてもらおう」




「ふーむ、ゴーマの奴らビビって引っ込んだな」

 ボンとバズズのギラ・ゴグマ二体を倒してから数日。ゴーマ王国の動きに露骨な変化が見られた。

 これまで王国を中心に、同心円状に僕らを探して索敵していた奴らが、軒並み王国付近の捜索、というより巡回としか言いようがない動き方になった。つまり、守りを固めている。

 怒り狂って全軍打って出てくるか、慎重に防備を固めるかのどちらかだろうと思ったが、どうやら後者を選んだようだ。

 奴らはこれまで、圧倒的少数に過ぎない僕らを一方的に追う狩りのような気分だったろうが、二体ものギラ・ゴグマが討ち取られたことで、一気に警戒するようになった。下手をすれば、王国を揺るがす大打撃を受ける危険性があると、オーマは判断したのだ。やっぱり、ゴーマとは思えないほど冷静で、理知的だ。伊達に王様やってないってことか。

 でもそのお陰で、僕らはより最下層エリアを動きやすくなった。大手を振って、モンスターを狩って素材集めができるだろう。

 しかし、徹底的に王国の防御を固めたことで、つけ入る隙がなくなった。もうボンのようにギラ・ゴグマ単独で王国から離れるようなことはないだろう。

 これ以上、奴らの戦力を削ぐことはできそうもない。下手にちょっかいをかければ、奴ら今度こそ大挙して押し寄せ、王国の総力を挙げてどこまでも追撃をかけてくるだろう。

 現状、僕らにとってのアドバンテージは、狂戦士の縄張りである地下に潜むことで、奴らにその所在を隠し通せていることだ。だから、ボンを奇襲したり、王国内で盛大にテロったりもできる。こちらが先手を打てる状況だから。

 けれど、今の奴らはそうして僕らが姿を現すのを、虎視眈々と、万全の準備をもって待ち構えている。これ以上、王国に直接的な手出しをするのは難しいと言わざるをえない。

「というワケで、しばらくの間は狩りと装備製作の準備期間になるね」

「まぁ、そうなるよな」

 知ってた、と言わんばかりの顔で上田が頷く。他の皆も同様。

 やっぱり学園塔で過ごした日々があれば、それくらいの理解度になるよね。

「姫野さんは手を止めないで、作業に集中してて」

「チッ」

 あからさまな舌打ちをして、サラマンダーの鱗剥がしに戻る姫野。頑張って、あともう少しで完了だ。

 終わったら、次は簡易錬成での一次加工作業だよ。

「で、準備はできてるけど、どうすんの? 何かお目当ての魔物とかいるわけ?」

 完全武装を整えた芳崎さんが僕に問いかけてくる。随分とやる気満々だ。

 まぁ、それも当然のことだろう。

「折角、新しい技を習得できたからな。早く実戦で試して、モノにしねぇとな」

 同じく完全武装、鎧兜をしっかりと身に着けた山田が言う。

 そう、バズズを倒したお陰か、最後に奴を追い詰めた上田、芳崎さん、山田、中嶋、の四人はそれぞれ新たな技を授かったのだ。久しぶりのレベルアップである。

「そういうワケだから、俺も狩りに行くから」

「いやぁあああああああああ! 陽真くぅーん、私を置いていかないでぇえええええ!」

「姫野、うっさい」

 真面目に作業していた杏子が、姫野の髪をむんずと掴んで作業場へと引きずっていく。同性なせいか、その扱い方に容赦がない。「ひぎぃ!」とか悲鳴上げてるけど、大丈夫?

「今日のところは先約があるから、まずはそれに付き合ってもらおうかな」

「なぁ桃川、俺は?」

「葉山君は、まだ精霊の力を借りるまで装備作成が進んでないから、『簡易錬成陣』の練習でもしててよ」

「俺ももっと狩りに出て、技を磨きたいんだが……」

「気持ちは分かるけど、葉山君の能力からして、地道な錬成訓練も大事だから」

「ねぇ、なんか桃川君、葉山君にはやけに優しくない?」

「そりゃあ、貢献度によって多少は態度が違っちゃうのも人情じゃないかな、特に新技は習得できていない姫野さん」

「だ、だって私ぃ、『淫魔』だし……?」

「おい姫野」

「戻るから! 今作業に戻るから!」

 まったく、杏子に睨まれてそんなに焦るなら、真面目に作業に集中していればいいのに。どんだけサボってお喋りしたいんだか。

 ともかく、僕もいつまでもお喋りしているわけにはいかない。先方との約束の時間もあるし、さっさと出発することにしよう。

 すっかり見慣れた薄暗い地下トンネルを、前衛戦士4人組を連れて歩く。

 この地下は絶対にゴーマや野生のモンスターが出てこないから楽でいいよね。真の主である例の狂戦士は現在、見事に僕らの拠点と正反対の位置を歩き回っている。放っておいても、あと数日はこの近くに戻って来ることはない場所だ。

 レムの狂戦士追跡もすっかり手慣れたもので、最初の頃はうっかり近づき過ぎて瞬殺されたりもしたけれど、今はそんなミスもない。というか、狂戦士は常に一定のペースで歩き続けているようなので、地形的に変化がなければ速度も変わらない。

 ロボットのように正確な動作を続けることが得意なレムにとっては、追跡しやすい相手と言ってもいいだろう。というか、変わらず歩き続けては出会う者を殺すだけの狂戦士も、レムのように特定の命令をただ実行している使い魔のような存在なのかもしれない。まぁ、あの中身が本物のサイボーグだったとしても驚きはしないけど。

 そんなことをつらつら考えたり、四人組と下らない雑談をだらだらしていると、目的地へと到着する。

 そこは最初に地下の仮拠点にしたような、駅のホームみたいな場所。こういったロケーションは各所に配置されており、地上に直通する分かりやすい通路もあれば、建物が崩れ去って埋まっているところもある。

 このホームは、地上に崩れかけの遺跡の中で一つだけ通路が残されている、そんな目立たない箇所だ。

「あっ、桃川君、やっと来た!」

「ごめんね、待たせちゃったみたいで」

 待ち人は勿論、夏川さんである。

 彼女が一人でここに来ている、というのはすでに確認済み。待ち合わせ場所をここに決めたその時から、レムを潜ませて見張らせていたから。

 少なくとも、地上の出入り口から夏川さんは一人でここへと入り、その間もずっと一人で待ちぼうけしている姿が確認できている。

 だから、いきなり蒼真ハーレムに囲まれて奇襲される心配はない。

「それで、どうだった?」

「上手くいってるよ。全部、桃川君の言った通りにね」

「流石、委員長。話が分かる」

 潜入したゴーマ王国で夏川さんとの出会ったのは本当にただの偶然だが、珍しく僕にとっては予想外の幸運でもあった。

 お陰で、どう渡りをつけようかとずっと悩んでいたことが、あっさりと解決した。夏川さんとの出会いがなければ、蒼真ハーレムの潜伏先である、エリアマップにも記載されない秘密の砦を自力で探し出さなければならなかったのだ。

「えっと、山田君と中嶋君も、久しぶり……だね」

「ああ」

「夏川さんのことは、話には聞いてたよ」

 ぶっきらぼうに返事だけの山田と、若干、気まずそうだがそれ以上の感情は見せない中嶋。

 前回、ゴーマ王国を脱した時に会ったのは、葉山君と上田と芳崎さんの三人だけ。山田と中嶋とも今回顔見せしたので、あと姫野と合わせれば夏川さんに五人全員の生存を証明できる。

 とはいえ、わざわざ証明のためだけに姫野を見せるような手間はかけないけど。そんなことより仕事して。

「それで、具体的に今はどういう状況になってるの?」

「私はゴーマ王国に、遺跡の機能を復活させるために再潜入する、っていうことになってる」

「おお、ということは」

「うん、ちゃんと持ってきたよ」

 ほら、と夏川さんは綺麗な革袋を僕へと差し出す。

 受け取り、中を覗けば……キラリと赤く輝く、見事な高純度コアがゴロゴロと。

「ありがとう。これで装備作成がはかどるよ」

 満面の笑みで、心からのお礼を申し上げる。

 どうやら、委員長は本当に僕のことを信じてくれるようだ。まぁ、ついに蒼真ハーレムしか残らなくなった現状となれば、委員長とて身の危険を覚えるところだろう。このままだと、本当に遠からず小鳥遊によって全員消されると。

「それから、こっちは涼子ちゃんからね」

「やった、念願の氷結晶を手に入れたぞ!」

 コユキの首輪を最後に、在庫が底をついた委員長謹製の氷結晶。今回、ゴーマ王国攻略用の装備を作るにあたって、なんとか入手したい素材だった。

 委員長との協力を秘密裏に結べたことで、ようやく氷結晶を安定供給できる。

「じゃあ、委員長にはよろしく言っておいてよね」

「ううぅ……こんな裏切り者みたいな真似して、涼子ちゃんの胃が心配だよ」

 と、親友の身を案じながら、僕が差し出した胃薬を受け取る夏川さん。

 この秘密取引、というよりほぼ一方的な素材の横流しは、小鳥遊には勘付かれないよう細心の注意を払っている。勿論、蒼真兄妹と剣崎にも、気づかれたら困るから秘密だ。

 けれど蒼真君のことだから、完全に身内だと思っている委員長と夏川さんが結託して、僕の方に協力するなどとは夢にも思わないだろう。

 最悪、小鳥遊が感づいて二人が裏切り者だ、などと大騒ぎしたとしても……流石に委員長と夏川さんの二人を、蒼真君はそう簡単には切り捨てられない。少なくとも、バレたところで命の危険はない。不正なんかバレたら、僕なんて速攻で処刑しようとするのにね。

 ともかく、そんなワケで僕から委員長へプレゼントできるのは、こんな胃薬みたいに小さなモノだけ。夏川さんはあくまでゴーマ王国に潜入している、という体なのでなにがしかの戦利品を持ち帰ったら困るから。

 でも遺跡の機能復旧を名目に、コアの持ち出しと消費は許可されている。当然、コアを使って機能復旧なんてする必要性はないので、完全に僕へとコアを横流しするためだけの方便である。勿論、僕が自分で考えて、夏川さんに入れ知恵したものだ。

 それを信じて、委員長が実行。見事に蒼真君を言いくるめてくれたのは、本当に流石の仕事ぶりである。

「ねぇ、桃川君の方はどうなの? どれくらいかかりそう?」

「うーん、装備作成には最低でも一週間。それから練習含めて、もう一週間くらいかな」

「そっか。二週間くらいなら、なんとか私が調査に手間取ってるような感じで誤魔化せるよ」

「どんなに長くても、一か月以内には必ず作戦は決行するよ。まぁ、何かあれば、ここにレムを置いておくから、それで連絡してよ」

「別にいいよ、そこにいるクモもレムちゃんでしょ?」

「やっぱり『盗賊』には敵わないなぁ」

 レムの見張りはバレバレか。でもまぁ、それくらいの警戒態勢は許してよね。夏川さんを僕らの本拠点まで案内しないのも含めてね。

「とりあえず、これで取引は完了ということで。夏川さんは、これからどうするの?」

「どうしよう……一週間も一人でいるのはちょっと寂しすぎるし、暇すぎるよー」

 でも潜入していることになっているから、砦には帰れない。万一の追跡などを警戒して、僕らの本拠点に入れるわけにもいかない。

 流石の僕でも、彼女を一人で放置するのは可哀想だと思う。何より、夏川さんは今回大活躍なワケだし。働きには報いなければ。

「それなら、ここを快適に過ごせるよう簡易的な設営だけして、あとは……良かったら、僕らの狩りに付き合ってくれないかな?」

「うん、分かった。いいよ!」

 どこまでも明るい笑顔で快諾してくれる。うーん、この真夏の太陽のような笑顔は、本当に魅力的だ。小鳥遊のように薄汚ねぇ作り笑いじゃない、純度100%の天然モノというのが何よりいいよね。

 蒼真君、やっぱり選ぶなら夏川さんにしなよ。

第306話 同時多発テロ演習

「————今から皆さんには、ちょっとテロリストになってもらいます」

 はぁ、みたいなリアクションは、僕の戯言のスルースキルをみんなが習得済みの証である。まぁ、神の名を叫んでは自爆特攻しちゃうくらい乗り気になられても困るけれど。

「はい注目。今回の王国攻略において重要なのは、この三点」

 僕は最早、委員長ではなく教師のように、お手製の黒板モドキに板書していく。

「速やかに城壁を越えて侵入。陽動と攪乱のための大規模な放火。そして、籠城地点の確保だ」

 作戦はまず、王国内に入れなければ始まりもしない。

 ここで躓けば、一旦引いて機をあらためるしかないだろう。ただ、そうなると折角、侵入に最適だと見極めたポイントがバレてしまうし、相手の警戒もより上がる、あるいはこちらへの追跡を許すかもしれないので、一発勝負で成功させるのが前提となる。

 ヤマタノオロチの時は、ただそこにいるだけのボスモンスターだったから、幾らでも仕切り直しができた。けれど、相手は人間並みに知恵の回るオーマ率いる大軍団。こちらの動きを見た上で、様々な対応をとってくる。僕の想定を超えてくる可能性だってあるのだ。早々、下手な動きはできない。

「やっぱり密林塔の時と同じで、火ぃつけまくって街を混乱させるって感じか」

「そうだね。でも今回はあの時よりもさらに大規模で、動きも難しくなる」

 だからこそ、事前のリハーサル、演習をしっかりと行うのだ。ぶっつけ本番で挑んで、上手く建物に火をつけられませんでした、では困る。

「ひとまず、城壁越え、放火陽動、籠城開始、までの流れは今作戦での前半戦になる。ここまでは予定通りに進められないと、その後の作戦遂行に支障が出るから、確実に実行できるようにしておきたいんだよね」

 作戦の流れもしっかり覚えてね。

「まず、王国に侵入するポイントはここ。ここは特に城壁が低いとか、崩れているとか、別にそういうワケではないけれど、最も警備が手薄なんだよね」

 僕が王国マップに①と示した箇所を指す。作戦の第一段階、侵入路としてマークしたその場所は、王国潜入調査の時にも潜伏した廃棄場である。

 あのホームレスや病人、怪我人、障碍者が打ち捨てられている場所だ。

 ゴミ溜めのようなあの場所は、汚いモノ好きなゴーマでさえも近寄らない。ここへやって来るのは、王国に居場所を失った者か、役立たずと見限られた奴を捨てに来る者。それから、ゴーマ社会の最底辺であるコイツらを、遊びで殺しに来るような悪ガキ共くらいである。

「見張りがいないのはいいけどさ、普通にあの壁超えるしかないわけ? もっと他に隠れて入れる場所とかさぁ」

「生ゴミと家畜の糞尿で溢れたドブ川潜れば、壁超えずに入れるけど、芳崎さんはそっちのルートの方がよかった?」

「ごめん、大人しく壁登るわ」

 いや、いいんだよ。僕だって川の方から潜って潜入しようかと最初は考えたけれど、あまりの汚染具合に諦めたし。一緒にジャージャを運んだ相棒ゴーマを刺し殺して死体遺棄した、あのブタガエルが群れている川である。

 あの川は砦の方には通っていないが、おおよそ王国を横断するような形で流れている。何か所かは、川から水を引き込む水路が造られ、溜池になっていたり。とても上等とは言えないが、それでもある程度の用水工事ができているのは、流石はオーマ王の統治である。

「他にも何か所か潜入ルートは考えたけど……結局、楽に城壁越える方法を思いついたから、これが一番手っ取り早いよ」

 勿論、それの練習も含めて今回の演習目的でもある。

「それで、侵入した後は放火を始める。でも、目につく全てに火を点けるわけじゃないよ。籠城地点に向けて移動しながら、放火ポイントに火をつけて行くことになるから」

 侵入地点である廃棄場。この場所は王国では南西にあたる。クロックポジションでいえば、北を正面として8時方向といった位置だ。

 西側一帯はゴーマの居住地となっているので、まぁ、捨てに行きやすい場所に廃棄場を設けたといったところか。例のブタガエルのドブ川も、廃棄場の脇を通り抜ける形で流れている。

「廃棄場をスタート地点として、僕らは東門を目指して移動していく」

 ゴーマ王国には分かりやすく東西南北の四か所に大きな門がある。中でも南の門が特に大きく、王国の玄関口といってもいい。僕が入ったのも、この南大正門からだ。

 他の三か所は、おおよそ同じくらいの規模。特別に巨大ではないが、小さいというわけでもない。ゴグマ含めたゴーマ軍団が出入りしやすいくらいの幅と高さはしっかりととってある。

「僕らの籠城地点がこの東門になるけれど、その道中で南大正門は派手に燃やして封鎖するのは絶対条件だ」

 ここから抜けられて、裏手に回り込まれても困るし、大勢のゴーマが避難のために外に逃げられても困るのだ。

「基本的には四か所の門は全て封鎖して、ゴーマ共は全員、王国と一緒に落ちてもらう」

 一匹たりとも逃がさん。長年、お前らを囲い、守り抜いてきた王国の城壁は、炎と崩落の破滅から逃がさない檻と化すのだ。

「で、僕らとは反対側、時計回りに進んで行くのは、レム率いる捨て駒陽動部隊だ」

 僕らの方に敵が殺到してきても困る。逆方向でも大騒ぎを起こして、せめて軍団を二分するくらいはしておきたい。

 そこでレムの出番というわけだ。

 召喚できる使い魔のスケルトンを筆頭に、とにかく数だけ揃えた捨て駒部隊を結成。コイツらをとにかく、ゴーマの居住区である西側で放火させまくる。

 随時、部隊員は散りながら広範囲に火の手を広げつつ、レムが率いる陽動本隊は確実に西門と北門を燃やして封鎖させる。

 これで、南大正門を燃やし、東門は僕らが陣取って塞ぎ、西門と北門はレムが燃やして封鎖する。四か所全てを抑えられる。

「最終的に、燃える範囲は北から東にかけての一部を除いて、王国の全てに火を放てる」

「うわぁ……マジで全部燃やす気なのかよ」

「安心してよ上田君、奴らの建物はほとんど木製で、藁葺みたいな小屋に、ボロ布のテントも沢山ある。燃やしやすい建物ばっかりだから、僕らみたいな小勢でもちゃんと大火事にできるから」

「誰もそんな心配してねーよ」

「んー、でもどっか一部は全く手つかずになるみたいじゃん。いいの?」

 杏子はちゃんと、全部に火ぃつけないことを心配してるじゃん、上田君。

「うん、僕らもレムも火をつけにいけない北東地域は、ほとんどが畑になってるから」

 畑というか田んぼというか、泥豆と泥芋を作っているところだ。流石に畑作地帯なんかは無視していい。それに、そこら中に火をつけられた状態で、ひとまず一般ゴーマ共が避難できるだけの場所は残しておいた方がいいだろう。

 兵士だけでなく、一般ゴーマ共もヤケクソになって襲ってこられても面倒だし。

 聡明なオーマだ、すぐに火の手の上がっていない場所を特定し、燃える建物がない空き地のような畑作地帯を避難所に指定してくれるだろう。

 まぁ、王国内にいる限り、崩落からは逃れられないんだけどね。

「ひとまず、作戦の前半戦はこんな流れになる。ちょうど装備も出来上がって来たところだし、新装備の実験も兼ねて、みんなで演習しよう————と、その前にもう一つ、話しておきたいことがあるんだよね」

 こっちはある意味、王国攻略よりも重要と言ってもいい。これをどうにかするか決めておかなければ、王国攻略しても意味がなくなってしまう。僕らにとっての最重要案件だ。

「今までずっと……そう、僕が毒殺の濡れ衣を着せられて逃亡してから、ずーっと考えていたことだ。どうやって小鳥遊を排除し、蒼真君と和解するか。その上手い方法を」

 僕は今でも、蒼真君のことを殺すべき敵だとは思っちゃいない。彼の身内贔屓にはほとほと困らされてはいるけれど、その正義感は本物だ。勿論、実力も。僕らクラスメイトを守れる力が、彼にはある。守れなかったのは、やり方を間違っただけだ。

 だから、ただ小鳥遊を出会い頭で即殺すのではダメなのである。それをすれば、蒼真君にはレイナを殺した時と同じ恨みを僕に抱かせることになってしまう。今度こそ僕への憎悪にとり憑かれ、天職『勇者』から『桃川絶対殺すマン』にジョブチェンジを果たすだろう。

 僕は小鳥遊を呪い殺す、蒼真君とは和解する、そのどちらも達成しなければならない。

「ようやく、その方法を思いついた。だから、まずはみんなにそれを聞いて欲しいんだ————」




 僕の腹案を懇切丁寧に説明してから、小一時間後。やって来たのは遺跡街。演習するにはうってつけのロケーションだ。

 ゴーマ共が今やすっかり僕らの襲撃にビビり散らして王国に引っ込んでいるので、遺跡街も閑散としている印象である。半ばほど緑に飲まれてはいるものの、普通の森よりは徘徊しているモンスターも少ない。

 そんないつもより静かな崩れかけの廃墟が沢山立ち並ぶこの場所で、僕らは存分に演習ができる。

「よしよし、いい燃え具合じゃあないか!」

 視線の先に轟々と燃え盛る火炎に包まれた3階建て廃墟ビルを眺めて、満足げに頷く。

 コンクリみたいな造りの廃墟を、ここまで大きく炎上させられるのだから、ゴーマの木造建築も余裕だろう。

 そう、この廃墟ビルは生い茂る緑の蔦の他に、特に可燃物は存在しないのだが、これほど派手に炎に包み込まれているのには勿論、理由がある。

「中嶋君が中級魔法まで使えるようになって、本当に助かったよ」

「いやぁ、きっと本物の炎魔術師には劣ると思うよ。でも、この魔法剣のお陰で、かなり強力な火属性が使えるから」

 素直に褒められてやや恥ずかしそうにしながらも、中嶋は手にした赤い剣を掲げた。


『中級魔法剣技』:中級魔法を扱えるようになる。使用できる魔法は、装備した魔法剣の属性と性能によって決められる。


『炎剣・サラマンドラ』:サラマンダー素材をふんだんにつぎ込んだ、贅沢な火属性魔法剣。最も大きな脚の爪をベースにして、牙と火光鉄を錬成させた幅広の片刃刀身には、僕が刻み込んだ術式に沿って、マグマのようなオレンジ色の輝きが宿る。鍔や柄は上質な鱗を使い、サラマンダーらしい真っ赤な拵えとなっている。ちなみに、デザインは天道君が以前に使っていたサラマンダー素材の赤い王剣を参考にさせてもらった。


 この度、バズズ倒してゲットした中嶋君の新スキルが『中級魔法剣技』であり、彼の為に作り上げたのが『炎剣・サラマンドラ』である。

 ルインヒルデ様のフレーバーテキストと違って、非常に簡潔な説明文が示されている『中級魔法剣技』だが、コイツの説明のミソは『中級魔法』という単語にある。

「中嶋君、ちょっとあっちのビルに一発お願い。防御魔法の方で」

「分かったよ————『火炎防壁イグニス・ウォルデファン』」

 赤き炎剣を一振りすれば、瞬く間に刀身から渦巻く炎が放たれ、ターゲットのビル壁面へ着弾した瞬間、巨大な火柱が、いいや、炎の壁が立ち上がる。

 そう、火属性魔法の攻撃である火の玉をぶっ放すだけでなく、火の壁を形成する防御魔法も使えるのだ。しかも、これは単体防御の『シルド』系ではなく、範囲防御魔法の『デファン』系である。

 この『炎剣・サラマンドラ』を装備した中嶋は、普通の攻撃防御だけでなく、範囲攻撃魔法『火炎砲イグニス・オーヴァブラスト』と範囲防御魔法『火炎防壁イグニス・ウォルデファン』まで使えるようになったのだ。これはもう、一端の炎魔術師といってもいい。

 それだけの魔法の力を備えながら、剣術面でも本職剣士並みに武技も扱えるのだから、強力な魔法武器を装備させれば中嶋の実力は一気に伸びることとなる。

 今の中嶋なら、剣崎襲って押し倒せるのではなかろうか。いや、あの暴力女は体術もあるから、組みついてからも危険だろう。メイちゃん並みの圧倒的パワーがなければ、マウントポジションでボコボコにはできない。

「よし、上田君、あそこに向かって投げて」

「へへっ、いよいよコイツを試せるぜ————うらぁ!」

 と、意気揚々と中嶋の燃え盛る『火炎防壁イグニス・ウォルデファン』に向かって投げ込んだのは、


『焼夷グレネード』:火光石とサラマンダーの鱗を砕いた粉末と少々のコアで作られた、爆発よりも大きく炎を広げることを目的とした、焼夷用のグレネード。起爆は魔力式で、投げる時にちょこっと魔力を流すだけなので、衝撃が加わっても爆発はしない安全設計。


 勢いよく投げつけられた『焼夷グレネード』は、高さ5メートルほどにまで吹き上がっている炎の壁へと飛び込んだ次の瞬間には、


 ドドッ、ゴォオオオオッ!


「おおー」

「燃えてる、燃えてる」

 勢いよく炎が噴き出し、ただでさえ大きな火の壁が、さらに拡大するように延焼範囲を広げた。

 焼夷グレなので、爆破の瞬間だけ炎を出すだけではダメなのだ。大事なのは炎上範囲、そして炎上時間である。

 より広範囲、より長時間、燃え続けることで消化を困難にさせ、その場を火元として機能させ続ける。一発で着火しなくても、これだけの勢いで燃え続けていれば、近くのモノには必ず飛び火するだろう。

「アタシも投げたいんだけど」

「ウチも」

「おい、俺にも投げさせろよ!」

「火遊びはほどほどにねー」

 この焼夷グレは全員の共通装備だから、みんな使用感の確認は必要だ。

 杏子と芳崎さんのギャルコンビは派手に燃えるグレを投げ込んではキャッキャとはしゃぎ、葉山君は「うおおーっ!」と大炎上に興奮気味。うむ、炎というのは人を興奮させるものなのだ。

 ひとしきり遊んでからは、応用編。

 杏子には専用の焼夷弾を用意して、『ロックブラスター・ソードオフ』で発射してもらう。

 僕が頑張って作った土魔法専用のショットガンだけど、天道君の黄金リボルバーが戻って来た今、メインウエポンの座はすっかり奪われてしまった。

 けれど『ロックブラスター・ソードオフ』の真価は、専用の弾丸を使うことで、土属性魔法以外の効果も再現できる点だ。その代表例となるのが、今回の焼夷弾でもある。

 構造は単純そのもの。要するに発射する弾丸はただの『石矢テラ・サギタ』で、焼夷弾はその弾頭部分としてくっついてるだけ。

 焼夷弾はグレと違って、魔力式と衝撃感知の二重起爆構造になっている。地味にグレよりも手間がかかる一品。

 発射の際に杏子が焼夷弾に魔力を流すことで、いわば安全装置が解除された状態となり、一定以上の衝撃で爆発するように機能するのだ。『石矢テラ・サギタ』の弾速をもって撃ち出されるので、命中時には人がそのまま投げるよりも強力な衝撃が加わるのは間違いない。なので、うっかり魔力流して解除してても、ちょっとした衝撃くらいで暴発しないような設定にはしている。

 ともかく、焼夷弾も上手く作動しており、実質、『火矢イグニス・サギタ』を撃てるも同然となった。ちょっと高い場所に陣取るだけで、燃えやすいゴーマ王国の居住地などあっという間に火の海にできるだろう。

 一方、『精霊術士』たる葉山君も負けてはいない。

 彼が火の精霊にお祈りしながら投げつけた焼夷グレは、通常の3倍くらいの威力となって燃え上がるのだ。ただし、威力上昇は結構バラつきがあり、全く強まることがないこともある。

 葉山君曰く、精霊は子供みたいに気まぐれなところもあるから、ダメな時はダメらしい。

 けれど、これも彼の才能か、それとも人徳か、基本的にどの精霊も協力的である。葉山君が真剣に祈り、願えば、彼らは必ずその力を貸してくれる。

「っていうか葉山君、なんか右腕のパワー上がってない?」

「やっぱり、そう思う?」

 自分でも驚き、というように葉山君が漆黒に染まった闇の右腕を振る。

 上田や芳崎さんは天職によって超人的な身体能力となっている。だから、ただモノを投げるだけでも、世界記録越え余裕の飛距離を叩き出せる。

 けれど『精霊術士』の葉山君は、僕と同じように特にそういったフィジカル強化の恩恵はない。だから、あくまで常人の範囲での投擲力となるのだが……その飛距離と速度は、前衛職である二人に迫るほどのものだ。

 どう考えても、闇の精霊が宿る新たな右腕の力だとしか思えない。

「強くなる分にはいいけれど、なんか違和感とかない? いきなり腕がポロっととれても困るし」

「いや、全然大丈夫……だと思う」

「ホントに? 闇の力に浸食されて、ダークリライトに覚醒されても困るんだけど」

「闇属性だからって、別にそんな邪悪な力はねーからな? みんないい子だぞ」

 僕の力は割と邪悪だと思うんだけどね。でも、葉山君が大丈夫だと平気な顔で言うのなら、心配ないだろう。結局のところ、精霊について一番理解できるのは、彼しかいない。

 僕らなんて、精霊の姿さえロクに見ることも叶わないのだから。

 ともかく、焼夷系武装の検証は十分以上にできた。各自の能力も合わせて、有効に機能できている。

「さーて、耐熱防具の方は……おーい、山田君、どんな感じー?」

「ちっと暑さは感じるが、余裕で耐えられる。真夏にキャッチャーのプロテクター着てるよりは快適だぞ」

 いまだに燃え盛っている中嶋の『火炎防壁イグニス・ウォルデファン』の向こう側から、炎を割って出て来たのは真紅の全身鎧に身を包んだ山田である。

 そういえば、山田って野球部だったっけ。特にその経験が活かされた覚えがないから、すっかり忘れていたよ。

 ともかく。あれだけ燃え盛る火炎のただ中にいても平気だと豪語できるのは、『重戦士』の高い防御力と耐性を差し引いても、サラマンダーの鱗で作り上げた耐熱特化の新しい鎧のお陰である。

「というか、効果のほどはお前も実感できてるだろ、桃川」

「まぁね」

 炎の中をノシノシと歩いてくる山田の後ろにチョコチョコくっついている小さい奴が、また別な耐熱装備を被った僕の『双影』である。

 耐熱効果を検証するには、実際に火中に投じるほかはない。でも効果が不十分だったら火傷じゃすまないので、ちょっとくらい燃えても平気な人に任せるしかない。防御特化の山田と、そもそも痛みがない分身の僕が、この耐熱試験をするのは当然の帰結である。

「でも、やっぱり委員長の氷結晶がなければ、これだけの効果は出せなかったな」

 激しい猛火に晒されても燃えたり溶けたりしないのは、非常に高い耐熱性を持つサラマンダー素材の恩恵だが、高熱そのものを遮断してくれるワケではない。そこで、実際に炎の熱から身を守るために搭載しているのが、委員長の氷結晶を核とした冷却システムである。

 耐熱用のサラマンダー素材と、氷結晶による冷却、二つ揃って炎の中でも平気な火耐性特化の防具が完成した。


『サラマンドメイルMKマークⅠ』:学園塔で作られた山田用の全身鎧を、サラマンダー素材を使って強化した赤い鎧。元々の金属装甲に分厚い甲殻を錬成しており、耐熱性能は勿論、純粋な防御力も上昇している。火竜の甲殻は伊達ではない。氷結晶の冷却システムは、兜と胸元と腰元の三か所に搭載。より強力な冷却効果が得られるので、ガチで炎の中でも自由自在に動き回れる。ちなみに、一酸化炭素や酸欠への対策として、ちゃんと兜には風の光石を利用した酸素ボンベ機能もある。ただし、冷却にボンベと機能を詰め込み過ぎたせいで、兜はかなり大きくなってしまったが。というか、鎧の方も甲殻で増大した上に他のも詰めこめるだけ機能を詰め込んでるので、兜と鎧どちらも合わせて、以前よりも大型化というか、膨れ上がったような感じになってしまった。全身鎧というより、もう宇宙服に近いシルエットになってしまったが、それでも『重戦士』山田ならば、上手く扱ってくれるだろう。


『試作型耐熱マント』:今回は盛大に火を放って回るので、僕ら自身も炎に焼かれる危険性がある。それなり以上の耐熱装備が必要となるが、それを全員分用意するとなると、あまり素材もかけられない。ただでさえサラマンダー素材は、バズズ討伐のために半分横道に食わせてしまったので、無駄遣いは許されないのだ。そんなワケで、ひとまず一着で全身を炎から守れるマントを作ってみた。


 この『サラマンドメイルMKマークⅠ』と『耐熱マント』は、どちらもまだ試作段階だ。今回はどれだけ耐熱効果が発揮できるか、上手く機能するかどうか、といった最初の試験みたいなものである。まだまだ、これからブラッシュアップしていきたい。

「とりあえず、防具の方もいい感じだし、次に行こう」

 この辺はまだまだ炎が燃え盛っているので、ずっと留まっているのは危険である。

 1ブロック隣のエリアへとゾロゾロと移動。この区画も、相変わらず代わり映えのしない廃墟ビルが立ち並んでいる。その内の一つへと、僕はみんなを案内した。

第307話 恋愛禁止ブレイカー

 あっという間に二週間が過ぎ去った。

 装備製作は急ピッチで進められ、狩りによる素材調達もギリギリまで行われた。そうして完成した新装備の実戦試験、作戦の綿密な打ち合わせと練習。

 小太郎は何日か徹夜した日があった。杏子は夜食を作って差し入れしたし、リライトはあまり役に立たずとも手伝いを買って出た。姫野は強制的に徹夜に付き合わされた。

 そうして、どうにかこうにか、二週間で作戦実行までの目途が立つ。美波に伝言を頼み、王国攻略の日時と、当日の具体的な行動計画と指示が涼子へと送られる。彼女へ連絡をした以上、もう後戻りはできない。

 そんな作戦前夜。

 戦勝祈願の祝杯を挙げ、出来る限りの豪華な料理を平らげた後のこと。広い本拠点の一角に、二人の男女の影がある。

「まぁ、座れよ芳崎」

「はぁ……なんでアンタと二人で二次会しなきゃいけないのよ」

 一本の酒瓶を手にする上田と、渋々といった様子で座り込む芳崎。

「いいじゃねぇかよ、まだもう少し飲みてぇ気分なんだ」

「二日酔いでつぶれたりしたら、ぶった切るぞお前」

 言いながら、彼女もまた飲みたい気持ちもあったのだろう。大人しくグラスを差し出し、上田の注ぐがままにする。

 赤ワインのような透き通った赤紫色の液体が満たされ、二人のグラスが合わさる。乾杯。

「つーか、この酒はどっから持ってきたのよ」

「安心しろよ、ちゃんと桃川から貰って来たやつだから」

「ホントかぁ? アタシを共犯にするんじゃねぇぞ」

「いやマジで大丈夫だって。どんだけ信用ねーんだよ俺ぇ」

 酒の管理は小太郎がしている。こんな状況下では、双葉酒造の味には敵わない桃川製密造酒でも、大切な嗜好品。酒を造れるのは小太郎だけで、その配分も平等に。些細なことだが、だからこそ小さな不満の積み重ねが大きな不和を招くことを、彼はよく知っている。

 そして、杓子定規に公平な配分のみを実行するだけでも不満になるということもまた、小太郎は理解している。

 故に、この酒は小太郎が上田の気持ちを汲んで託した一本なのだ。コイツをくれてやるから、それで芳崎博愛を誘って来いよと。

 そして今、二人きりで飲むに至る。

 酒の勢いもあり、二人の間に気まずさなどは一切ない。

 平和な学園生活の頃は、多少の話をする程度の関係性。学園塔で合流してからは、仲間の一人として。そして小鳥遊によって締め出され、五人で限界ギリギリの放浪生活に、再び小太郎と組んで————この短い間で、随分と仲が深まったものだ。お互い、本気で命を預け合ってきているのだから、当然と言えば当然でもある。

 だが頼れる戦友という、それ以上の感情を持つに至るのもまた、ごく自然なことであろう。それが男女というものだ。

「————おい、ボトル空いちまったぞ」

「ん、おお、そうだな」

 今や懐かしい学園生活の思い出話とバカ話に花を咲かせていれば、あっという間に一本空いてしまった。小太郎から貰えたのは、この一本だけ。

 二本目も三本目もない。この一本でケリをつけてこい。上田はそう言われた気がした。

「いいのかよ、このまま解散しちゃって」

「……いや、よくねぇ」

 よくねぇよ。そう、上田は小さく呟く。

 しばしの沈黙。だが、男、上田洋平。意を決して、口を開く。

「芳崎、今夜は俺の部屋に来いよ」

「ぶふっ」

 渾身の誘い文句は、嘲笑と共に一蹴された。

「ちょっ、なに笑ってんだよ! 俺は本気だっての!?」

「いや、ギャグで言ったらセクハラだし」

 皮肉気な笑みを浮かべる芳崎に、上田は「くそぉ」と悔しそうに呟いた。どうやら、脈は全くなかったらしい。

「やっぱ天道かよ」

「それもあるけど、なくても今アンタとどうこうするつもりはないから」

「ぐっ……そ、そこまで俺には魅力がねぇかよ」

「ああ、ゴメンって、男として自信なくすほどじゃあないのは保障したげるから、泣くなよ」

「そんな微妙なフォローされても、泣きたくなるっての。ったく、こんだけあっさりフラれるなんざ、マジで俺バカみてぇじゃねぇーか」

「あはは、だから拗ねんなって」

 笑いながらも、芳崎は上田をそこまで悪くは思っていないと語る。

 顔は人並み、身長も人並み、頭も運動神経も、そして性格も、上田はこれといって突出したものがない、実に平均的な男子高校生と言えよう。それは正しくどこにでもいるような、けれど特に欠点やコンプレックスなどもない、十分に恵まれたスペックとも言える。

 そんな普通な上田は『剣士』という普通の天職を獲得し、普通に強くなった。今の彼の実力ならば、ゴグマと一対一で戦っても危なげなく制することができる。

「なんだかんだで、ここまで付き合ってきてんだ。アンタのことは結構、信頼してるし、認めてっからさ」

「でも男としては見れねぇと」

「そうでもないよ。今のアンタは、結構いい男になってる」

「だったら————」

「悪いけど、アタシこう見えて男と付き合うのは慎重な性格なんだよね。だから、こういう勢いで、みたいなのはちょっと」

 ここには、限られた人数の男女しかいない。ただでさえ命がけのダンジョンサバイバルで、その上、ゴーマ王国攻略という大きな戦いを前日に控え、さらには小鳥遊という裏切り者をなんとかしなければならない。

 追い詰められた状況。だが決して絶望的ではない。僅かな可能性に、希望に賭けて全力で戦い、道を切り開く————なんて時に、男女の関係を持ちたいとは、芳崎博愛は思わなかったのだ。

「こっちに飛ばされる前はさ、アタシも普通に彼氏いたんだけど」

「ああ、知ってる。なんか大学生の奴だろ?」

「そっ、大学生の男と付き合ってるなんてチャラすぎる、みたいに言われることもあったけどさ、あれでちゃんと真面目にお付き合いしてたのよ」

 その大学生の彼氏君は、実は子供の頃の幼馴染であった。少し年上の、かっこいいお兄さん。初恋するにはちょうどいい相手。

 お互い転校で離れたけれど、芳崎は白嶺学園に合格し実家を離れて通うようになった時、そこでまさかの再会。芳崎が一年の時、彼は三年生でまだ学園にいたのだ。

 それから、幼い頃の思い出が二人の仲を自然に後押しし、一年間は友達付き合いを続けた。そして彼が卒業する時に告白され————と、そんな流れである。

「彼のことはちゃんと好きだった。優しくて、いい人だった。アンタよりもイケメンだったしね」

「うるせぇ、昔の男自慢なんか聞きたくねーっての」

 そんな自慢の彼氏がいても、この異世界に飛ばされれば何の意味もない。彼は傍にはいない。ここにいるのは、二年七組のクラスメイトだけだから。

「そんなとこで天道君と会ったんだぞ」

「付き合うのは慎重じゃあなかったのかよ?」

「価値観変わるくらいだったってこと」

 ちょっと頼れる男が現れたくらいで、簡単に好き好き言い出すような軽薄な性格ではないと思っている。

 だが、このダンジョンサバイバルの極限状況下では、天道龍一の存在はあまりにも圧倒的に過ぎた。彼氏のように細やかな気遣いができるワケではない。自分だけを見つめてくれるわけでもない。

 それでも、天道はこんなクソみたいな最悪の状況でも、恐れず、迷わず、堂々と前へと進んで行ける男だ。強い男だ。

 そして、そんな強い男は気遣いの一つもしてくれることはないけれど、芳崎達を守ってくれた。傷ひとつつくこと許さず。嫌な思いもさせてこなかった。

 これで女として、惚れなければ嘘だ。

 だから杏子はとんでもない恩知らずだと思っている。一番お荷物だったくせに、よく平気な顔で天道に守り続けてもらったものだと。

 でも桃川にあそこまで入れ込むほどのショタコンだったなら仕方がない。性癖は十人十色。芳崎は友達の性的嗜好には理解のある女性なのだ。

「天道君のことは今でも本気で好き。だから、アンタくらいしか男の選択肢がない状況でも、それだけで選びたくはないの」

「そ、そうかよ……」

「ねぇ、ここを出られたらさ、どんな世界が広がってると思う? もしかしたら、この世界の人間ってすっごいイケメンや美女ばっかかもしれないじゃん」

「なんだそれ、考えたこともねぇよ」

 しかし、モンスターのいる剣と魔法の異世界である。小太郎と違って特に詳しくもなんともないが、エルフやらドワーフやら、有名なファンタジー設定くらいは知っている。

 もしも美男美女揃いと有名なエルフなんて種族が実在するならば……確かに、目移りしてしまうことだろう。

「そんな奴らがいっぱいいる中でも、アタシを選べるってんなら————そん時は考えてあげる」

「考えるだけかよぉ」

「当たり前じゃん」

 どこまでも残念な表情を浮かべる上田を笑いながら、芳崎は席を立った。

「じゃ、ここを出るまではお預けってことで。大人しく桃川の恋愛禁止ルール守っとけよ」

「ちっ、分かったよ。もう二度とこんなこと言わねぇ……ここを出るまでは、な」

 上田の思いがどこまで本気なのか。知ってか知らずか、芳崎は軽く手を振って部屋を出て行った。

「くっそ、やっぱもう一本、桃川に貰っとけばよかったぜ」

 空になったグラスを恨めしそうに眺めながら、上田はその場で突っ伏すようにして不貞寝することにした。

 一方の芳崎は、自室に戻らずキナコの下へ向かい、静かに寝息を立てる巨大なモフモフを目いっぱいに堪能しながら、眠ることにした。




 また別の一角では、二人の男が話し合っていた。

「おい、中嶋」

「なにかな、山田君」

 山田元気と中嶋陽真。かつては共に『淫魔』の毒牙にかかっていた二人であるが、姫野のパーティに加入した時期はちょうど入れ違いなので、この二人の間にはこれといって確執はない。クラスでのほどほどな関係性と、後は学園塔からの付き合いとなる。

 だからこそ、二人は気兼ねなく話せるようになっていた。

 山田はいつもの仏頂面で、けれどいつも以上に真剣な色を宿した目で、中嶋を見つめて言った。

「お前、まだ剣崎のこと好きなのか」

「えっ、それは……」

 あからさまに言いよどむ中嶋。しかし、山田相手に隠すようなことでもないと割り切ったのか、素直に白状した。

「好きだよ。剣崎さんは、僕にとっては憧れの人だから」

「悪いことは言わん。あの女のことは忘れろ」

「別に……山田君には関係のないことでしょ」

「アイツと関係ない奴なんか、ここには誰もいない。俺のような男が言えた義理ではないかもしれんが、剣崎は許されないことをした」

 あの砦に駆けこむ時、足の遅い山田はみんなの最後尾を走っていたが、それでも姫野の凶行ははっきりと目にしている。驚きはあった。まさか、あんなことをと。

 けれども、すぐに納得もした。剣崎はもうマトモじゃない。あんなことを仕出かしてしまっても、おかしくない。

「お前は剣崎のことが好きでも、アイツはお前のことはなんとも思っちゃいない。桃川と一緒にいるとこ見ただけで、裏切り者の敵だと思って斬りかかって来てもおかしくないだろう」

「そんなことない! 話せば、ちゃんと話せば分かってくれるよ。山田君に、彼女の何が分かるっていうんだ!?」

「分かるさ。アイツは自分が正しいと思い込んで、それに従わない奴らを悪だと断じている。ちょっと前まで、俺も似たようなもんだったからな」

 姫野と合流してからは、一番強かった自分が彼女の体を独占していた。自分が一番。万能感と全能感に支配されていた。

 女の体で快楽を貪り、他の男達は従わせる。そんな立場にたって、理性を保てる男なんて一体どれだけいるだろうか。山田もまた、ありふれた普通の男子高校生に過ぎない。自らの行いを顧みる、などという立派な心掛けをもつことなど、できるはずもなかった。

「俺は、それがどれだけ馬鹿な考えだったかを思い知ったんだ。ヤマジュンが死んだ、あの時にな……けど、剣崎は変わらなかった。最初は桃川を突き飛ばし、今度は姫野を蹴り飛ばした。罪ばっかり重ねて行っちまって、もう取り返しがつかねぇ。だから尚更、意固地になって自分の正義にしがみつくしかねぇんだよ」

「そんな分かったような口を利かないでよ。そんなの全部、山田君の一方的な感想じゃないか」

「まぁ、そうかもな……だが、これだけは覚えておいて欲しいんだ。いざとなれば、剣崎はお前を斬るのに何の躊躇もねぇ奴だ。俺はもう、誰にも死んでほしくねぇ……仲間が死ぬのを、見るのは絶対に御免なんだ」

 ここまで言われれば、中嶋も安易な反論は言えなかった。

 山田の言葉は、全て中嶋を思ってのこと。ただ、彼の身の安全を願っての忠告なのだ。

「……心配してくれるのは、ありがたいよ。山田君はあの時も迷わず、ゴグマを止めて僕達を逃がしてくれから」

「あんなの、大した意味なかったけどな。桃川が来なけりゃ全滅だった」

「でも、僕には山田君と同じ真似はできない。僕は、弱いんだ……」

 悩んでばかりで、何も解決できない自分が心の底から嫌になる。

 姫野を上中下トリオにとられて、モヤモヤした気持ちのまま逃げ出した。結局、再び姫野と出会って、また同じような関係性に戻った。学園塔では、決められるがままに戦った。そして今は、裏切り者と罵った桃川に助けられ、彼の仲間として迎えられている。

 中嶋陽真という男は、こんなダンジョンに落とされ、『魔法剣士』という力を得ても、何一つ自分で決めてことなかった。唯一自発的にやったのは、姫野パーティから逃げ出したことだけ。

 何も決断できず、何も成していない。

 けれど、だからこそ剣崎明日那の姿は眩しく映った。

 彼女に剣を教わって、よくやったと褒められることが、何よりも嬉しかった。

 堂々とした態度、美しく凛々しい姿。そんな女性に自分が、こんな自分が認められたというだけで、天にも昇るような気持ちになった。

 それこそ姫野の体をつかった快楽さえも、全く魅力的に思わなくなるほどに。

「中嶋、お前はよくやってるさ。俺らは誰が欠けても、生き残って来れなかったんだ」

「山田君は吹っ切れたからいいよ。でも僕は、剣崎さんのことが忘れられないし、だからといって彼女を救って、振り向かせられるような方法も考えつかないし、それができる魅力も実力もないことも、分かってるんだ」

「なぁ、そう悩むな。今は戦いに、俺達が生き残ることに集中しろ。桃川の計画は聞いているだろ」

「うん……」

「なら、俺達はそれを実行するしかねぇ。実際、それしか俺ら全員が無事に生き残れる未来はねぇからな」

「うん、そうだよね……」

「剣崎のことは、全て丸く収まってから考えりゃいいだろ。この状況を脱しなきゃ、惚れた腫れたもねぇんだからな」

「……山田君は、本当に桃川君が剣崎さんを生かしておくと思う?」

「アイツを信じろ。桃川は俺達クラスメイトの気持ちを踏みにじったことは、一度もねぇ」

 山田はすでに、覚悟を決めている。桃川小太郎を信じると。

 次はたとえ、毒を盛られたとしても、甘んじて倒れよう。それが最善の方法だと彼が信じて実行したならば、自分はそれに殉じてやろう。

 しかし、中嶋にはとてもじゃないが、それほどの覚悟など望めるはずもなく————

「ああぁー、陽真くぅん、ここにいたぁーっ!」

 重い沈黙をぶち壊す、能天気で甘ったるい甲高い声が響き渡る。

「げえっ、姫野さん」

「なんだよ、まだ起きてたのか」

「ちょっと酔っちゃったから、涼んで酔いを醒ましていただけぇ」

 などと言いながら、すかさず中嶋の隣にピッタリと寄り添うように着席する姫野。

 反射的に距離をとろうと尻を浮かす中嶋だったが、すでに姫野に腕を絡め捕られて無駄に終わった。

「おい、俺はもう寝るからよ……姫野、中嶋のこと頼んだ」

「うん、ありがとう山田君。おやすみぃー」

「えっ、ちょっと、山田君!? 僕を見捨てるの!」

「明日は大変だからな、お前らもほどほどにしておけよ」

「そんな、友達だろ!?」

 中嶋の泣き言をまるで聞こえないように、山田は「じゃあな」とだけ言い残してその場を後にした。

 部屋の外に出てから、山田はポツりと呟く。

「俺の友達は、ヤマジュンだけだ……ヤマジュンだけ、だったんだよ……」

 重い足取りで暗い通路を歩き、自室に向かっていた山田だったが、

「ひゃっはぁ、ここから先は通さねぇぜ」

「……葉山? お前なにやってんだ、こんなところで」

 わざとらしいほど両手を広げて、通路を通せんぼするように現れたのは、葉山理月であった。

 彼の足元にはベニヲとコユキが寄り添っている。キナコはもう寝たようだ。

「悪いけど、今夜はこっから先には行かねぇでくれよ」

 あっちにちゃんと寝床用意しといたからさ、と葉山が指さす。

「まぁ、別に何でもいいけど。どういうアレなんだよ?」

「ああ、今夜が蘭堂の勝負だからな。邪魔が入んねぇように、俺は気遣ってやってるってワケ」

「ったく、どいつもこいつも……」

 呆れたように大きな溜息を吐く山田。

 上田が芳崎を誘ったことは知っている。中嶋を狙って姫野がすり寄って来たのも、今さっき見てきた通り。

 けれど、まさか桃川を狙って蘭堂までが動いているとは思わなかった。

 しかし、考えてみれば彼女の思いもまた本物だ。ヤマタノオロチ討伐戦に匹敵する大戦を前に、そういうことをしてしまうのも理解できる。

 なにせ蘭堂杏子は、あの毒殺疑惑のただ中で、桃川を信じてついていった唯一の人物だ。その思い、その覚悟、紛れもなく本物だ。

「しょうがねぇな」

「悪いな、山田。お詫びに、今夜はコユキを抱っこして寝てもいいぞ」

 んなぁ、と眠たい声をあげるコユキをリライトは差し出す。

「……ったく、しょうがねぇなぁ」

 言いつつも、頬を緩ませて山田は可愛い子猫ちゃんを抱いて寝床へ向かうのだった。

第308話 恋愛禁止ブレイカー(2)

「ちょ、ちょっと待って……落ち着いて、早まった真似は止すんだ……」

 と、まるで刃物でも突きつけられているかのような事を口走っている僕だけれど、現に、絶体絶命の窮地に立たされていた。

「確かに、今のウチはドキドキしてるし、勢いでやってるとこもあるけど……後悔はしてない」

 いつもより、ちょっと恥ずかし気にそう言う杏子だが、ちょっと恥ずかしいじゃあ済まされない恰好をしている。

 今の杏子は、脱いでいた。

 全裸ではない。だがしかし、際どいラインを描くユキヒョウ柄下着の上下を装備している。

 肉感的な褐色の肌に、僅かに局部を覆う白黒模様の布地が栄える。なんて装備だ、全裸よりエロい。

 僕は調子に乗って露出高めのセクシーなデザインにしたことを、心の底から後悔した。まさかこの火力全振り装備が僕自身に向けられるなんて……

「い、勢いでやっていいことと悪いことって、あると思うんだよねぇ」

「こんなの、勢いじゃないとやってられないっての」

 それは分かる。分かるけれど、今はホントに困るから。

 どうしてこうなった。と言うほど、予想外の突飛な行動とも言えないだろう。

 ゴーマ王国との一大決戦を控えた前夜だ。未練を残さず解消しておく、最後の機会。

 僕はみんなとの食事を終えた後は、明日の準備をほどほどにチェックしてから、自室へと戻った。

 戻ったら、杏子がいた。僕を待っていてくれたようだ。

 決戦前夜に、彼女とゆっくり語らうなんて素敵やん、などと思っていると杏子が脱いだ。

 止める言葉を発する間もない、速やかかつ見事な脱ぎっぷり。目の前でスルスルと、あれだけ見慣れたセーラー服を脱がれると、それだけで一気に現実感がなくなった。まるで、あの雲野郎の淫夢トラップにかかったかのようで。

 そしてユキヒョウ柄下着となった夜の戦闘準備完了した杏子を前に、この命乞いレベルの情けない狼狽えようになっている今の僕に至っている。

「ウチの気持ち、分かるでしょ」

「……うん、分かるよ」

 分かっているつもりだ。杏子が僕のことを、どれだけ思ってくれているか。

 直接的なアプローチをかけられるのだって、これが初めてじゃあないしね。でも、ここまで迫られたのは初めてだ。僕の対応限界を一足飛びに越えてきている。恐るべきユキヒョウ装備。

「なら、僕の気持ちも、分かってくれるよね」

 ちょっとずるい言い方だと思う。でも、他に言い様がないほど追い詰められているのも事実。そもそも、僕は真っ直ぐ誠実、素直な良い子でもなんでもない。卑怯卑劣、相手の裏をかく絡め手が基本の『呪術師』なもので。

「今は、今はまだ、こんなことをするワケにはいかないんだ」

「そんなに、ウチとはイヤ?」

「頭を下げてお願いしたいほどだよ、でも、今はダメなんだ。そうしたら、きっと僕は後戻りできなくなる……杏子が思ってるより、僕は弱いし、余裕もない、限界ギリギリなんだよ」

 いつの頃からか、人の前で弱音を吐かなくなった。

 指揮官が不安を見せれば、すぐに部下に波及し、士気の低下に繋がる。なんて理屈を聞いたことはあるけれど、真面目にそれを実践しようと決意をしたワケではない。なんとなく、自然と、僕はそういう風になった。

 多分、人の上に立つって、みんなを率いて引っ張っていくって、そういうことだと思うから。

「だからだよ。小太郎はもう一杯抱え込んでるんだからさ、少しくらいいいでしょ。ウチのことエロい目で見てくれてんなら、好きにさせてあげたいの」

 ぐはぁ、血を吐くような思いとは正にこのことか……杏子は僕と付き合うとか付き合わないとか、そんな段階の話をしているんじゃあなかった。僕が無理して頑張ってるから、体を使って慰めてやってもいいなんて、そんな決断を下せるほどとは。

 でもダメだ。それをすると、本当に僕は全てを投げ出してしまうかもしれない。そこだけは、どうしても自分に自信が持てない。みんなを助けるという覚悟を捨ててしまうほどの危険性が、杏子の魅力にあるのだから。

「逃げたくなったら、駆け落ちしてもいいって、言ってくれたよね」

「うん。今からでもいいよ」

 ごめんね、そこまで不安に思わせるくらいの作戦しか立てられなくて。成功率100%、勝ち確、やらない理由がない。それくらい楽勝に思える戦況になれば良かったけれど、今の僕らじゃ結局のところ、イチかバチかの賭けに出る部分は絶対に出て来てしまう。

 万全の準備はした。練習もした。メンバー全員の固い結束もある。それでも勝利は盤石とは到底言えない。

 やっぱり直前でビビって、逃げ出したっておかしくない、危険な作戦だ。

「僕にはその言葉だけで十分だよ。その上、こんなに迫られて、嬉しいのとエロいのとでもう冷静に考えられないくらいだ。これ以上は正常な判断できなくなる」

「いいじゃん、全部忘れて、ウチに甘えていいんだよ」

「そしたら絶対、立ち直れなくなるから。言ったでしょ、僕は弱いんだよ」

 だからこれでいい。ここまででいい。

 偉そうにリーダーぶってる僕が、みんなが思うよりイッパイイッパイで、自信も余裕もないって、知ってくれていればいいのだ。それはきっと、僕のことを心から信頼してくれるメイちゃんにもないことだ。

 杏子だけが、僕の弱さを知っていてくれるなら、それだけで十分なんだ。

「お願いだよ。あと少し、もう少しでみんなを救える。このダンジョンから脱出できる————だからこれ以上、僕を誘惑しないで」

「はぁ……まさか、ここまで拒否られるとは思わなかった」

 ようやく諦めてくれたのか。あるいは、事ここに及んで据え膳食わぬ僕に呆れたか。杏子はあからさまに大きな溜息をついた。

「ウチ、これでも覚悟して来たんだぞ」

 そして、その猫のように魅惑的な目から、ポロリと一粒の涙が零れ落ちる。

「あっ……ごめん……」

 反射的にその言葉が出るけれど、どの口で謝罪など言えるのか。

 杏子の泣き顔を直視する勇気などなく、僕はどこまでも気まずく視線を逸らし、俯き————そして次の瞬間、艶めかしい温かさと柔らかさに、全身が包み込まれた。

「はい、捕まえた」

「っ!?」

 一瞬、思考が飛ぶ。

 捕まった。体が動かない。僕は今、杏子に抱きしめられている!

「はっ、あぁ……」

 何か言おうとして、情けない声しか漏れなかった。

 仕方がない、この全身に受ける感触はあまりにも魅惑的で官能的。際どいビキニラインの下着しか身に着けていない火力装備の杏子は体感的には全裸である。艶めかしい褐色の肉体がダイレクトに僕の体へ熱を伝える。

 その熱烈な直接攻撃は瞬く間に僕のライフを削って行く。やめて、僕の理性はもうゼロぉ————っていうか、これはガチでヤバい!

 ただでさえ背の低い僕が、真正面から長身の杏子に抱きしめられれば、僕の顔はちょうど胸元に。情熱的な熱さを宿す大きな胸に挟まれて、僕はその魅惑の谷間から彼女の顔を見上げる。

「もう、小太郎は難しく考えすぎ」

 悪魔が笑っていた。いや、これもう淫魔だよ完全に。

 少しだけ涙の跡が残る顔は、艶やかな笑みが浮かんでいる。

 騙された。僕はいとも容易く騙されてしまったのだ。女の涙に。

 レイナや小鳥遊の涙には何とも感じなかった僕だけれど、杏子の涙にはこれほどまでにコロっと騙されてしまった。なんたる油断。なんたる浅はか。

 後悔しても、今更もう遅い。これはもう完全に詰んだ。具体的には、あと10秒もせず僕の理性は消滅する。

「大丈夫、ウチに任せなよ。こういうの……初めてだけど、まぁなんとかなるしょ」

 ああ、魅了の魔眼ってこういうの? 淫魔の微笑みに、若干の恥じらいが含まれた表情で見つめられながら、そんなことを言われれば僕はもう手も足も出ない。いや手も足も今まさに出ようとしているけれど、違う、そうじゃない。

 理性消滅までのカウントダウンは残り約5秒。

 僕に残されたこの最後の時間で、何か……何か手を打たねば、僕は流されるがまま童貞卒業式突入だ。どうする、桃川小太郎!?


1:聡明な桃川小太郎は、ここで起死回生のアイデアを閃く。

2:偉大なるルインヒルデ神が奇跡を起こしてくれる。

3:性欲は正直である。


 残り2秒。僕はすでに杏子の大きな胸に顔を埋めながらも、運命の選択をする。

「れっ、レムぅ……」

「はい、あるじ」

 扉の外から、ひょっこりと顔を覗かせる銀髪幼女なレム本体。

 そう、僕は自室に戻る際にはレムを同行させていた。基本、毎晩一緒に寝ているから。

 そして部屋に杏子がいるのを見て、自動的に気を利かせてくれたレムは、そのまま音もなくフェードアウト。部屋のすぐ外に待機していたのだ。

 恐らく、僕がこのまま選択肢3の色欲に屈した残酷な結末を選んでいれば、レムはそのまま門番にジョブチェンジして邪魔者の侵入を防いだことだろう。

 だがしかし、最後の瞬間に僕が選んだ選択肢は、やはり1。この『呪術師』桃川小太郎、初戦の鎧熊をはじめ、伊達にピンチの連続を切り抜けてはいない!

 この性的に詰んだ状態から、一発大逆転の策としてレムを召喚。仲間の邪魔を入れることで、良い雰囲気を完全破壊!

「むぅ、小太郎、往生際悪すぎぃ」

「ご、ごめん杏子……」

 それでも僕は、今はまだ君の体に溺れるわけにはいかない。逃げ場はいらない。背水の陣でゴーマ王国との決戦に挑むのだ。

「はぁ……しょうがない、今日はレムちんと一緒に寝るかぁ」

「えっ、寝るの? 一緒に?」

「おい、これ以上ウチに、女として恥かかせないでよね。添い寝くらいはさせろ」

「その恰好で?」

「ウチ、寝る時は基本こんなだし。てかブラは外すし」

「その恰好のままでお願いします!」

 そうして、僕らは親子三人川の字で、みたいなポジショニングで寝ることに。

 右隣には布団に入ったところでますます魅惑的な杏子がいて、左隣には別に寝る必要もないけど一緒に寝転がってくれるレムがいる。

 つまり、すぐ隣の杏子に誘惑されつつも、逆隣のレムのせいで手出しも決して許されない、僕の我慢が限界突破してもどうにもならんという、僕のポジションだけ危険な地獄のようなフォーメーション。

 さようなら安眠。明日の作戦、一日延期しちゃおうかなぁ……


『淫紋』:精と魔の相転移。愛は一種の呪いでもあり、性交はそれを成す儀式として遥か古の時代より用いられてきた————




 翌日。作戦決行当日。

 目覚めたら、僕の腕が杏子の胸に挟み込まれていて、いきなり作戦失敗しそうになった。

 いやぁ、葉山君が空気を読まず「みんな起きろぉーっ!」と余計な目覚ましコール叫んでくれなかったら、今度こそ僕の理性消滅で終了だったよ。

「おはよ、小太郎」

「……おはよう」

 僕は今、朝チュンというのを経験しているのだろうか。朝日の光は差し込んでないし、スズメの声も聞こえないけれど、布団から身を起こしている素敵な女性の裸があれば、シチュエーションとしては条件を満たしているといってもよいのでは。

 勿論、朝から理性全開で、僕は視線逸らしに鋭意努力中である。

「ちゃんと寝れた?」

「うん」

 必死に目を瞑って耐え忍んでいる内に、いつの間にか寝落ちしていたよ。

 寝覚めからしてドタバタしたけれど、調子は悪くない。あんだけ性欲抑えて寝たというのに、今はやけにスッキリしている感じすら覚える。強いて言えば……魔力がやや減っているような気がする。

 まぁ、別に自分の魔力量なんてMPゲージで表示されてるワケでもないから、大体の体感でしかないけれど。気になるほどの魔力消費じゃないし、作戦実行時点では回復するくらいの感覚だ。

 なんて、僕は自分のことを考えながら、なるべく杏子を意識しないように着替えを済ませて行く。その短い間にも、他愛ない会話を交わすけれど、それだけのことが妙に照れ臭く感じてしまった。

「じゃあ、僕は先に行ってるから。一応、レムは残しておくよ」

「そこまでしなくても、ちゃんとバレないように出てくって」

 今更、恋愛禁止のルールなんて、って僕でも思うけれど、建前としては一応ね。わざわざ僕と杏子が同じ部屋から出てくる姿を目撃されて、余計な騒ぎを起こしたくはないさ。

 そんなワケでレムを警戒役に杏子の下に残して、僕は一人、部屋を出て妖精広場へと向かった。

「みんな、おはよう。軽く朝食をとってから、出発しよう」

 今作戦は日の登り切った朝に開始とすることにした。真夜中でも、明け方でもなく、一日の活動をみんながし始める頃。僕らの感覚でいけば、ちょうど一時間目が始める頃合いだ。朝起きて、朝食をとって、それから学校へ通学、とそんな日常的な感覚のタイムスケジュールで進行する。

 ゴーマ王国へはこちらから奇襲を仕掛けるような形ではあるけれど、夜闇に紛れないのは、侵入後は視界が明るい方が良いからだ。

 ゴーマ側からは、レム率いる陽動部隊を見つけてもらわないと困るし、僕らとしても奴らの動きがよく見える方が良い。今作戦は王国へ乗り込んだ直後からは、派手に火をつけて暴れ回るので、夜の暗さはあまりメリットにならない。それに王国内を知っているのは僕だけで、それだってざっと見て回った程度。視界が制限される夜に、初見の街を走り回るのは不安が残る。

 そういうワケで、全員集合してから広場で朝食。杏子も何喰わぬ顔で合流した。

 食べながら軽くブリーフィングを済ませ、各自最後の装備確認をしてから、いよいよ出発だ。

「今日でこの拠点ともオサラバか」

 それなりの準備期間を経たけれど、あっという間だったな。学園塔の時よりも、準備が忙しかったし。時間的余裕も人手もなかったから。

 けれど、ここは僕らが再起を図るための希望の砦となってくれた。作戦決行の今この時まで、ただの一度もゴーマやモンスターの奇襲もなく、僕らを匿い続けてくれた。全ては、『彷徨う狂戦士』のお陰である。

「ルインヒルデ様、妖精さん、どうか作戦が成功しますように」

 最後にみんなで妖精広場の妖精さん像と、それぞれの天職神にお祈りしてから、いざ出発。僕らは列を成して、作戦開始地点へと速やかに移動を開始する。

 この現地への移動もリハーサル済み。勿論、こんなタイミングで『彷徨う狂戦士』と出くわすこともない。彼は現在、僕の想定通りの場所を、今日も優雅にお散歩中である。

 僕らの方も、気が付けば歴戦のクラスメイト揃いだ。特に気負いもなく、雑談交じりに歩きながら進んで行く。

 けれど、ちょうど最初の目的地となる、地下から地上へ出るポイントへと到着する頃には、自然と口数も減ってゆき、今では鋭く周囲の気配を探る鋭い目つきへと変わっていた。

 ここは幾つもある地下鉄駅の一つ。潜入場所と定めた王国の廃棄場からは最も近い駅だ。単純に最寄りの入口ならば、もっと近いところもあったのだけれど、出発はここからでなければいけない。

 その理由は、この場所を見れば一目瞭然だろう。

 ここは地下駐車場のような空間となっている。通常の駅ホームもあるが、それに隣接するように広がっている。

 武骨なコンクリート風の灰色の石造りの壁と床に囲まれただけの空間を、薄暗い照明が照らし出す。そんな不気味というか物寂しいというか、そんな空間が広がっているだけで、特には何もない。ないのだが、この広さも高さもあるまま、地上へ向かって緩やかなスロープを描いて通じているのだ。十トントラックでも楽に出入りできるほどの通路である。

 ちなみに、地上への入口の方はシャッターで閉じられているのだが、これの開閉は駅にあった石板で操作が可能。地上側からの侵入はシャッターで防げるし、こちら側からは好きな時に開けられる。

 つまり、大型車を発進させる車両基地としては、ここがうってつけというワケだ。

「じゃあ、姫野さんと山田君はロイロプスに乗って」

「はーい」

「おう」

 あまり気乗りしない姫野の声音と、いつも通りの返事をくれる山田。二人が乗り込むのは、別々のロイロプスである。


『ロイロプス一号車・装甲輸送仕様』:今までお世話になっていたロイロプスを、今作戦のためにフルカスタムした一台。最大の特徴は、搭乗者たる姫野を守るためのコンテナを背負っていること。杏子の簡易トーチカをベースに、主にゴーマ武器から精製した金属素材によって形成したコンテナは、奴らのショボい弓矢など何発当たろうが貫くことはできない。コンテナ内は緊急治療を想定した作りになっており、二人までなら負傷者を収容できる。従来通りの輸送車として物資なども積みこむと同時に、胴体側面には作戦で使用する焼夷グレネードなどの消耗品を収納した小型コンテナも設置してあり、そこから補給が可能となっている。一号車は常に隊列の真ん中に配置させ、治癒と補給を専用に行う役回りとした。


『ロイロプス二号車・重装突撃仕様』:『重戦士』山田が騎乗する専用機。ゴーマ軍の隊列を真正面から突破するために、ただでさえ重量級なサイのモンスターであるロイロプスに、世紀末感溢れるいっぱいトゲトゲのついた攻撃的な装甲を全身に纏わせた。さらに主武装として大型火炎放射器を搭載。山田はコイツを使って王国へ火を放つ。


「杏子は————もう乗ってるね」

「やっとグリリン乗り回せるし!」

 ここ最近はずっとこの地下駐車場に隠しておいたグリリンに、杏子は嬉々として乗り込んでいる。すっかり愛車だよね。

 このグリリンの方にも装甲の増設と、杏子がぶっ放すための『焼夷弾』を始めとした各種専用弾を納めた弾薬箱なんかも鞍のすぐ傍に追加させた。

「葉山君も、大丈夫そうだね」

「おうよ! この日の為に、めっちゃ練習したからな!」

 カラっとした笑顔で、ラプターに騎乗した葉山君が答える。

 このラプターは、マジで普通のラプターである。勿論、『屍人形』にはしてあるけど。

 葉山君は本来、僕と同じ魔術師クラスなので、これといった身体能力強化はない。戦場をただ走り回るだけでも大変で、さらに戦闘も加わるとなれば、どこまで体力がもつか分かったものではない。特に今回は王国内を大きく移動することになるので、移動速度の低下は死に直結する。

 そこで、葉山君にも今回は騎乗してもらおうと相成った。本人の言う通り、練習の甲斐あってラプターに乗るのは随分と様になってきたし……なにより、葉山君の右腕を通じて、どうも普通に乗りこなす以上の制御力を発揮しているようだ。

 恐らく僕が移植した右腕に宿る闇精霊が、同じく呪術である『屍人形』のラプターに干渉し、影響を与えているのではないかと思っている。事実、葉山君が手綱を握っていると、レムもそのラプターの操作が非常にしにくい、と言っていたのだ。何らかの影響があるのは間違いない。

 ともかく、葉山君も一端の騎兵として活躍できるくらいの機動力は期待できる。

「よし、乗れる人は全員、乗ったね」

 葉山騎兵化理論と同じく、これで足の遅い面子は全員が騎乗した。

 上田、芳崎、中嶋、の三人はいずれも身体強化の恩恵による脚力の増大に加え、移動系武技も獲得している。そしてベニヲは狼の疾走力を持ち、キナコもあのずんぐりむっくりな体型でも、野生の熊同様に四足歩行形態だと人間を越える速力を発揮する。動物の熊でも時速50出るのだ。魔物のキナコなら、さらに速度も出る。

 僕も愛車のアルファに乗り込めば、これで完全に出撃準備が完了だ。

 さぁ、ゴーマ王国を落としに行こうか。

第309話 ゴーマ王国攻略戦(1)

 騎乗魔物含め普段以上に大所帯といった感じになった僕らの隊列は、速やかに森を進む。ここまで来れば、隠れ潜む必要はない。スピード重視で森を駆け抜けていく。

 ゴーマは王国の守備を固めているせいで、森の方には見回りも少ない。採取に出ている一般ゴーマの気配は感じたが、奴らのことは無視して突き進む。

 そうして、僕らが停止したのは森の切れ目。ここから数百メートルほどは木々が伐採された開けた土地になっており、その先に聳え立つのがゴーマ王国を守る高い防壁だ。

 まずはここを越えることが攻略作戦の第一段階となる。

「上田君、芳崎さん、中嶋君、準備はいい?」

 小声で問えば、三人は共に首を縦に振る。彼らの腕には、長い鉄の槍、にしては太い杭のようなものが抱えられている。単純に重量でいえば50キロはあろうかという大きな鉄杭だが、この三人の腕力ならば軽々と持ち上げられる。

「山田君もいいかい?」

「おう、いつでもいいぞ」

 ロイロプス二号車に乗り込んだ僕に、山田が答える。彼も三人と同じような鉄杭を持っているが、そのサイズは3倍ほどにもなる巨大なものだ。まるで中世騎士の突撃ランスみたい。実際、山田がこいつを抱えてロイロプスを突っ込ませるだけで相当な破壊力になるけど、別にそれで壁を破ろうってワケではない。

 この防壁は高さもさることながら、厚みも相当だ。コア爆弾を使っても、どこまで上手く破壊できるか分からない。

 勿論、地上10メートルを大きく超える高さに、きちんと掘もあるので、合わせれば30メートル近い高さとなるのだ。地球基準で考えても、トップクラスに立派な防壁である。

 さて、そんなゴーマ王国の努力の結晶たる防壁。その突破方法に僕が選んだのは、なんのことはない『そのまま乗り越える』である。

「ゴーマの歩哨も通り過ぎて行ったな……よし、行こう」

 一度振り返り、みんなを見渡し目で合図。

 それから、山田の肩を叩いて、作戦開始のゴーサイン。

「しゃあ、行くぜっ!」

 山田の気合の掛け声が、ゴーマ王国攻略戦のスタートとなった。

 ロイロプス二号は分厚い蹄で地面の土をドっと噴き上げるような勢いで猛然と走り始める。次いで、鉄杭を抱える三人も同時に走り出す。

 そのまま防壁までの空き地を駆け抜け、防壁までの距離が100メートルにまで達しようかという地点で、僕は声を上げた。

「上田君、そこだ!」

「おう、一本目行くぞぉ!」

 そこでロイロプスを追い抜いて、突出した上田が地面に鉄杭を突き刺す。よし、いい位置だ。起点が決まれば、後は練習通り。

「二本目だ!」

 次いで、芳崎さんが二本目の杭を地面に突き立たせる。

「三本目、設置!」

 そして中嶋が、三本目の杭を刺す。ここから防壁までは、もう30メートルといったところ。

「山田君、勢い余って落ちないでよ」

「んなアホな真似するか」

 呆れた口調とは裏腹に、ドリフトでもかますように速度の乗ったロイロプスを横滑りさせながら急停止。ロイロプスはピタっと計ったかのように、10メートル以上もの深さを誇る堀の手前で停車した。

「コイツで最後だ!」

 山田、気合の一球入魂。球というより柱だけれど、『重戦士』の剛腕でもって大きな鉄柱は堀の底へと真っ逆さまに投げ入れられ————ドズン! と重苦しい音を立てて、見事に垂直に突き刺さった。

「離脱!」

「分かってる!」

 再びロイロプスを急発進させ、僕らは脇へと逸れながら、来た道を戻るように走る。

 その直後に、杏子が動いた。

「————『大山城壁テラ・ランパートデファン』」

 天堂製黄金リバルバーの六連発と共に、土属性上級範囲防御魔法『大山城壁テラ・ランパートデファン』が発動する。

 ズズズ、と地震を思わせるほどの音と地響きを立てて、大地が隆起する。伊達に上級範囲ではない。巨大な怪獣が身を起こすように、地面からつき上がっていく土の壁の長さは、実に100メートルを越えようとしている。

 ヤマタノオロチの巣を土木工事した時も、一発の魔法でここまで大きな範囲に影響を与えたことはなかった。けれど、今の杏子の実力、装備、そして鉄杭による前準備も合わせれば、これだけの効果を発揮できる。

 そうして、見る見るうちに『大山城壁テラ・ランパートデファン』は完成を迎える。

 それは、ゴーマ王国の防壁にかけられた、巨大な坂道だ。高速道路のジャンクションのように、土魔法のスロープが防壁へ連なる。

 うん、見事な完成度。完璧だ。

 このスロープ建設で重用なのは、ロイロプスでも乗り込める斜度、道幅、耐久重量。そして建築速度である。

 当たり前の話だけれど、大きい魔法を発動させようと思えば、時間もかかる。詠唱も単純に長くなるし、魔力を込めるのにもいわゆる溜め時間なんかも発生する。そして発動しても、特に土魔法の場合は瞬時に出現することはなく、徐々に土や岩が形成されていく。こんな長さ100メートル、高さ10メートル超の坂道を作ろうと思えば、それ相応の時間がかかってしまうのだ。

 ここであまりにも時間をかけすぎると、ゴーマの防衛部隊が駆け付け、防備を固められてしまう。奴らの警備が集中して迎撃されるのは、今作戦で最も避けねばならない事態だ。故に、防壁を越えて侵入するところはスピードが命。

 そこで準備したのが、少しでも『大山城壁テラ・ランパートデファン』の完成を早めるための鉄杭である。


『土魔法造成用鉄杭・突貫工事くん1型』:土属性防御魔法の効果を高め、より早い完成を促す一種の補助アイテム。ヤマタノオロチで使った『封印槍:黒鉄』を参考に設計。杏子が自分で使いやすいように錬成した金属素材を杭状に成型し、僕が表面に魔力の通りを上げる術式を刻み、葉山君が土精霊に口利きをしておいた、単純な造り。じゃんけんに負けたせいで、ネーミング権を葉山君に奪われた結果、突貫工事くんになってしまったのは、痛恨の極みである。


 遺跡街で鉄杭の効果検証、それの設置から魔法発動まで、それなりの回数練習をしてきた。あそこには防壁と同じ程度の高さがある建物なんて幾らでもあるからね。

 お陰で、上田達の動きもスムーズだし、杏子も問題なく『大山城壁テラ・ランパートデファン』を発動させた。

 やはり本番での成功は、練習あるのみだね。

「橋はかかった! 急いで登れーっ!」

 ロイロプスに跨ったままスロープを登り始める。僕の後ろからは、森を飛び出しこちらに続く面々。

 そして、上田、芳崎、中嶋の前衛三人組は先んじて防壁まで登り詰めていた。

「これだけの音と揺れだからね。流石に奴らも異変に気付いたようだ……けど、やっぱりまずは様子見の小勢か」

 防壁上の通路には、左右からギャアギャア喚きながらこっちへ走って来るゴーマの歩哨部隊の姿が見える。地上の方でも、廃棄場付近をたまたま歩いていた警備部隊と思しき一団が、走って来るのを捉えた。

 防壁の歩哨も地上の警備隊も、どちらもまだ大した数ではない。だが、放っておけば邪魔になる。

「右は上田君、左は芳崎さん、中嶋君は下の奴らを」

「おう、任せろ」

「速攻で片づけてやるよ」

 それぞれの得物を手に、速やかに駆け出す上田芳崎コンビ。残念、昨晩の間にカップル成立とはならなかったようだね。まぁ、この戦いが終わった後に、またゆっくり考えてよ。

「中嶋君は、王国一番乗りだね」

「あんまり嬉しくないなぁ」

 いつもの苦笑いを浮かべながらも、中嶋は軽やかに身を翻して防壁から飛び降りて行った。相変わらず頼りなさそうな雰囲気ながらも、その戦闘能力は魔法武器の更新もあってかなりのものだ。彼もまた、ゴーマの小隊など鎧袖一触で始末してくれる。

「杏子は急いで降下準備。足場が出来次第、順次、降りて来て」

「うん」

「じゃあ、僕も先に行かせてもらうよ」

 後続メンバーが防壁まで上がって来たところで、僕はロイロプス二号車を下車。

 この高さの防壁だと、身体能力上がってる前衛職でもないと飛び降りることもできないからね。でも登るよりは降りる方が楽なので、杏子には適当なサイズの柱を階段状に作ってもらって、そこを順番に飛び降りるような形になる。

 その間に、僕は初潜入の時からお世話になった廃棄場へと降り、次の準備を始めるのだ。

「この強化学ランがあれば、僕も特殊部隊並みのラペリング降下ができるんだ!」

 横道戦のラストで僕を動かしてくれた強化学ラン。コイツの能力をもってすれば、本当はそのまま飛び降りても10メートル程度の自由落下ならなんとかなるんだけど、それはやっぱ怖いじゃん? なので、黒髪縛りをロープ代わりに、僕はソロソロと壁を降りて行く。

 これも僕なりに練習した成果。素人の付け焼刃にしては、スムーズな降下だと思う。気分だけは立派な特殊部隊員。

「やぁやぁ、ただいま、病人、怪我人、障碍者諸君。君らは相変わらずのようだね」

 ゴーマにとっての天敵たる人間が、これだけ乗り込んで来たというのに、ここに捨てられたゴーマ達は全く騒ぐ素振りも見せず、そこらに寝転がったまま。正に生きた屍ってやつ。いいね、静かな君らのことが、僕は好きだよ。

「レム」

「はい、あるじ」

 僕の隣には、当たり前のように幼女レムが。アルファから姿を戻し、一緒にラペリング降下してきたのだ。

「全員、上陸だ」

「みんな、でろー」

 僕とレムが命令を発する。返事はない。代わりに、ザブザブと水から上がる音が次々と響く。

 この廃棄場のすぐ脇には、死体処理に利用したあのドブ川が流れている。こちら側は下流となるので、捨てられたいろんなゴミが流れつくし、ブタガエル達の食べ残しや排泄物なども直に流れ込んでくるから、王国内で最も汚い水場となっている。

 そんな汚らわしい水底から現れたのが、あらかじめ僕が潜ませておいた陽動部隊のメンバー達である。

 王国攻略の最初の作戦会議で、防壁を越える方法を話し合った時に、川から潜入する案は却下した。ドブ川があまりにも汚すぎること。僕ら全員が潜って潜入するのも、その潜水装備を準備をするのも手間がかかりすぎること、諸々の理由で。

 だがしかし、僕の召喚獣はどれもアンデッド系モンスターのため、呼吸が必要ない。どんなに汚れた環境でも動けるし、待機し続けることもできるのだ。

 幸いにも、このドブ川はあまりにも汚すぎるせいで、水底どころか水深1メートルも透き通って見えない。底の方に50近くのアンデッドが隠れ潜んでいても、ゴーマは絶対に気づかないのだ。

 こうして僕は今日のために、少しずつ召喚獣達を川底から秘密裏に潜入させては、この場所に待機させておいたのだ。


『スケルトン』:元祖召喚獣にして、最弱の存在。しかし召喚コストは最低限にして、召喚数は最大。最初は13体だったが、今は倍の26体までの召喚を可能とする。あらかじめ召喚しておいたコイツらには、全員武装をさせている。流石に質の良いものを仕上げる余裕はないので、ほとんどゴーマ武器の流用。防具も魔物の皮素材の余りを適当に繋げただけのありあわせ。けれど全身を覆うような継ぎはぎ革鎧は、フードで髑髏頭も覆い隠し、遠目で見ればただの人型だ。


『ハイゾンビ』:スケルトンに筋肉がついた強化版。こいつも召喚数は元の倍となり、14体の召喚が可能となっている。元々のハイゾンビは全力ダッシュからの殴りつけと組みつき、噛み付き、しか攻撃パターンが存在しなかったが、僕の地道な調教によって、ちゃんと手にした武器を振るうことを覚えたのだった。とはいえ、スケルトンと同じ程度の素人モーションで、技も何もあったものではない。ないけれど、全力で武器を振り回すだけでもゴーマ相手には十分な威力を発揮する。スケルトン同様、コイツらにもきちんと武装を施してあり、一部には金属パーツも付属。勿論、フードも忘れずに被せてある。


 さて、この辺の召喚獣は今までもいた奴らだ。

 だがしかし、彼らの召喚数が倍に伸びているのを見て分かるように、実はこの度、『召喚術士の髑髏』も成長を果たしたのである。ありがとう東君。先代の男子委員長として、僕を応援してくれているんだね。

 そして今回の成長によって解放された新たな召喚獣がコイツだ。


『タンク』:ゴグマを彷彿とさせる、大柄な力士体型の魔物。顔はハイゾンビと似たような感じで、鋭い牙が生えているが、体の方はゴツゴツした硬い灰色の皮膚に覆われている。ハイゾンビのさらなる強化個体といった感じで、見た目通りのパワフルとタフネスを誇る。そして案の定、鈍足。だが、普通に人間が走る程度の速度は出るので問題はない。召喚数は3体。


 これが今の僕が繰り出せる、召喚獣の最大数だ。スケルトン26、ハイゾンビ14、そしてタンク3の合計43体。なんだかんだで結構な頭数が揃っている。

 コイツら全員に装備を行き渡らせるために、生産作業も急ピッチで進められた。姫野が死んだ目をしながら、スケルトンに着せる革鎧を編んでいたものだ。

 勿論、彼らにはただの武器と防具だけではない。放火用の火炎装備も準備してある。

 それらは、スケルトンが川から引き揚げている樽の中に入っている。焼夷グレネードもあるが、彼らの基本放火装備は松明と油だ。

 錬成を使えれば、素材そのものを変形し、つなぎ合わせることができる。簡易錬成陣でもそれくらいの操作が可能。つまり、木で樽を作るにしても、簡単に完全な密閉状態のものを作ることができるのだ。

 一週間以上もドブ川に沈めていた継ぎ目のない樽は汚れが染みついて酷いものだが、その中に並々と満ちる油は、劣化することなく可燃性を維持している。

「それじゃあ、陽動部隊を頼んだよ、レム」

「ブルル、ブモォオアアアアア!」

 陽動部隊の隊長を務めるレムのミノタウロス形態が雄たけびを上げる。


『ミノタウロス』:黒騎士のせいであまり出番のない形態。だが、魔物素材の追加で肉体を再構成し、より大きな体格とさらなる筋力の増強に成功した。このミノタウロスが振るう武器は、ギラ・ゴグマのボンが愛用していた巨大棍棒だ。これほどの重量武器を軽々と振り回せるほどのパワーが宿る。その大きな体とパワーで派手に大暴れし、陽動部隊として敵の目を引き付けて欲しい。


『ゴーヴ兵』:レムが制御できる限界ギリギリの数まで、屍人形にしておいたゴーヴの兵士達。合計で20体。直接制御ではなく自立型にしているので、動きはスケルトンやハイゾンビとどっこい程度だが、陽動部隊は数が多いほどよい。コイツらも一応、顔を隠すために雑に頭巾を被せている。


 召喚獣43体に加え、屍人形のゴーヴ兵20、そして隊長のミノタウロスで、陽動部隊は総員64名の大所帯となった。

 コイツらは装備が整い次第、ドブ川に向かわせていたので、僕も全員が揃ったところは初めて見る。うん、こうして見るとなかなかに壮観じゃあないか。大半が雑兵とはいえ、立派な部隊だよ。

 さて、彼らに最後の仕上げといこう。

「写し見よ。風に揺れる葉は髪に。枯れ木の体は朧げに。薄闇に佇む姿を誰ぞ見る————『虚ろ写し』」

 幻影の瞳術『虚ろ写し』を発動。僕の視界に映る陽動部隊全員に満遍なくかけていく。

 実はこの呪術、発動コストは恐ろしく低い。総勢64体もの数がいても、問題なく全員にかけることが可能。正確には、タンクとミノタウロスは除外して、61体だけど。

 ゴーマからすると、最も警戒しているのは人間だ。そこで、アンデッドモンスター丸出しの召喚獣達が現れても、優先順位は下がってしまう。少なくとも、わざわざギラ・ゴグマを動かそうとはしない。

 だが60近い人間の軍勢に見えれば、きっとこっちが本隊だと誤認する。たとえ怪しいと感じても、捨て置くことは決してできない。なにせ、もう人間にギラ・ゴグマを二体もやられているんだからね?

 確実に潰すなら。ギラ・ゴグマを擁する大部隊を繰り出すしかない。

「おーい桃川、こっちは片付いたぜ」

「アタシも」

 防壁の上から、上田芳崎コンビが降り立つ。流石の仕事の早さである。

「こっちは、もう近くにゴーマの部隊はいないよ」

 中嶋も剣を鞘に納めて、戻って来た。お掃除完了である。

「————よっと、到着ぅ!」

 ドシーンと音を立てて、グリリンに乗った杏子が降って来た。続いて、ロイロプス一号車と二号車も、なんとか着地に成功。

 葉山君達も、ちゃんといるな。

 これで全員、無事に潜入成功だ。

「まずは南の大正門に向かう。陽動部隊は東門に向かいつつ、火をつけろ」

 さて、ここからが本番だ。ついに僕らは敵地へと乗り込み、もう退路はない。作戦を成功させる以外に、生き残る道はない。

 王国を滅ぼす策を練り上げた僕と、王国を守るために全戦力を集結させたオーマ。片やクラスの半分にも満たない人数を率いる委員長で、片や数万もの民を擁する一国の王だ。規模の差は歴然。だが、負ける気はない。

 オーマ、お前がどれだけ賢くても、ゴーマなど所詮は下等な人型魔物。人間様の知恵と力と残酷さ、見せつけてやる。

 覚悟しろ。今日でお前の王国を、跡形もなく滅ぼしてやるからな。

第310話 ゴーマ王国攻略戦(2)

「ひゃっはぁ!」

「汚物はぁ」

「消毒だぜぇえええっ!」

 ハイテンションな叫びと共に、朝から賑わい始めたゴーマの市場は、地獄のような猛火に包まれて行く。

 廃棄場から真っ直ぐ出た僕らは、まずこの市場というか、食料品を中心として物々交換をしている奴らが立ち並ぶ大きな通りへとやってきた。この市場通りは最初の目的地である南大正門から中央砦まで続く大通りと、垂直にぶつかるように南から西にかけて伸びている。

 市場通りに僕ら本隊は南寄りから出て、陽動部隊は西寄りの位置に出ている。チラっと見れば、予定通りの方向に濛々と黒煙が上がっている。僕が跨っているアルファも特に何かを訴えかけたりしていないので、レム達も順調に暴れ始めているようだ。

 さて、陽動部隊は信頼と実績のレムにお任せで、僕らも頑張るとしよう。

「炎上させるのは楽しいけど、あんまりグレ使いすぎないでよねー」

「おっと、悪ぃな! やっぱこんだけ派手に燃え上がるとな」

「アタシ、火遊びとか好きなんだよねー」

 遺跡街で練習こそ重ねてきたが、実際に街を燃やし、火達磨になって転がるゴーマ共がいると、断然楽しくなってくるよね。僕も鍛冶場をテロった時は妙なテンションになっちゃったし。

 ともかく、二人の装備も調子が良さそうでご機嫌である。


『ラジエータージャケット』:研究を重ねて実用化された耐熱装備。外観は赤い毛皮のジャケット。横道から剝ぎ取れた火耐性の高い赤色毛皮に、委員長の氷結晶を核として冷却用の結界を展開し、火の海でも高熱を遮断する。氷結エリアで作ったカイロと構造は同じ、あれの逆バージョンといったところ。ただ炎の真っただ中で使用する前提なので、酸欠にならないよう風の光石を核にそよ風を起こす程度の機能を組み込み、常に新鮮な酸素を供給できる機能も組み込んでいる。ジャケット型になったのは、マントだと接近戦するのに邪魔くさいとの意見が出たので、前衛組みはジャケットである。色々と機能を詰め込んだ結果、防弾ベストみたいな感じに膨れ上がったけど、これはこれでカッコイイと思う。


『ラジエーターマント』:試作品だった耐熱マントの正式採用版。素材がもったいないので、耐熱マントをそのまま改良した。こちらは接近戦をする必要がない後衛組みが着用。


『風流偃月刀』:横道でMPKしたゴグマの片割れが装備していた風属性の大剣を、上田専用にリサイズした一品。形状は偃月刀のような幅の広い片刃となっているが、長柄武器にはしていない。刀身にはエメラルドに輝く風属性魔力のラインが輝く。上田は『魔法剣士』ではないので、それなりに良い品質のこの魔法剣を使っても『風矢エールサギタ』がせいぜいだが、突風などもある程度のコントロールで放つことが可能。この場においては、風を煽ることで急速に火の手を広げることができる。


『ブレイズアックス』:これもMPKされた片割れのゴグマが持っていた、火属性の大斧を改修したもの。使用者は芳崎さん。彼女は火属性と相性が良かったのか、それなりの溜め時間を経れば、なんと中級攻撃魔法の『火炎槍イグニス・クリスサギタ』を発射することができる。ただ、本来は大きな槍のような形状となるところが、本職じゃないせいかただ大きな火球になってしまう。でも撃ってしまえば効果は同じ。その爆発力によって、盛大に炎を撒き散らしてくれる。


 上田芳崎コンビはそれぞれの魔法武器を振るって、どんどん火の手を広げて行ってくれる。勿論、『魔法剣士』である中嶋は、『炎剣サラマンドラ』でもって二人に負けない勢いで炎を振りまく。

 すでにして、右を見ても左を見てもオレンジ色に輝く炎が渦巻き、耐熱装備がなければ苦しい状況になっていただろう。ボロ布の服しか着てないゴーマはもっと大変だね。もう体に直接火がついていなくても、耐えられないほどの灼熱が周囲一帯を包み始めている。

「ブゲェ……グウウゥウエエ……」

 赤子を抱えた母親らしきゴーマが、高熱にあえぎながら必死に通りから逃れようと歩いているところを、アルファの健脚が撥ね飛ばし、燃え盛る木造平屋へとぶち込む。邪魔だよ、こっちは急いでいるんだから、フラフラ歩いてんじゃあないよ。

「おい、桃川。奴らお出ましだぞ」

 隊列の先頭を、火炎放射をぶっ放しながら突き進む山田から、敵影見ゆとの報告。

 これまで道すがら始末してきた巡回中の警備兵の小勢とは異なり、一体のゴグマが100近いゴーマを従えて、通りの先に陣取っているのが僕にも見えた。

 流石に襲撃を見越してそこら中に兵を配置しただけある。防衛線の展開もなかなかの早さだ。

 けれど、その程度じゃあ今の僕らは止められないよ。

「山田君、懲らしめておやりなさい」

「はいはいご老公、了解だぜ」

 アルファの背の上でふんぞり返って言うと、山田君から的確な返しがきたもんだ。意外と時代劇とか好きだったりするんだろうか。

 ともかく、ここは山田に任せておけば大丈夫。ロイロプス二号車は、伊達じゃない!

「突っ込むぞ! 退けぇえええええっ!」

 山田の雄叫びと共に、ロイロプス二号車が急加速。強行突破と理解した前衛組みが、通りを塞ぐように展開するゴーマ部隊へ、先んじてそれぞれの攻撃魔法を叩き込む。勿論、僕ら後衛組みもグレなどをぶち込んでやるが、

「グブブ……ブングルドガァ!」

 大きな盾を構えたゴグマは揺らがない。ただのゴーマ兵は火が着いて大騒ぎしている奴らもそれなりにいるが、完全武装のゴーヴ兵くらいだと陣形を維持し続けている。

 一発で突き崩すには、やはりさらなる威力が必要だ。

 さぁ行け山田、『重戦士』の真の力を見せつけてやれ。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 ドガガッ、ギィイイン!


 と、けたたましい衝突音が響く。特に武技や魔法の威力はない。純粋な突進力でもって大盾を構えるゴグマへとブチかましたのだ。

「ブガッ……ググギガァ……」

 流石のゴグマも重騎兵山田の突撃には耐えきれず、通りの脇まで転がっていた。しかし、ダメージはそれほどでもない。頭を振りながら、のっそりと体を起こして行く。

 恐るべきタフネスだが、こっちだってお前くらいの相手にはもう慣れている。

「『一閃スラッシュ』」

「『大打スマッシュ』」

 上田芳崎コンビの武技が、立ち上がる寸前の無防備なゴグマを襲った。

 繰り出した武技は共に、最初に習得した基本技。だからこそ、最も使い慣れた鋭い一撃は正確にゴグマの急所を捉える。

 野太い首が半ばまで切り裂かれて大量の血飛沫を上げるのと同時に、デカい頭が斧で叩き割られ、分厚い頭骨の破片と脳漿を炸裂させた。ゴグマとはいえ人型モンスターの定めとして、頭をやられれば即死は免れ得ない。

 高耐久のゴグマでも、山田が崩し、前衛二人がトドメを刺す。流れるようなコンビネーションによって、あえなく地に倒れ伏したのだった。

「————『双烈ブレイザー』」

 ゴグマへのトドメとは別に、いまだ踏ん張っているゴーヴ兵へと中嶋の連撃武技が襲い掛かる。

 右手には『炎剣サラマンドラ』を、左手には『クールカトラス』を握った魔法剣二刀流で、炎と氷の斬撃をゴーヴ共へと喰らわせる。本来、連撃系の武技は単体に対して連続攻撃を仕掛けるものだが、使い慣れれば雑魚を次々と切り倒して行くのにも使える。中嶋の腕前は、難なくそれを行えるほどには熟達していた。剣崎の指導の賜物だろうか。

 ともかく、中嶋が『双烈ブレイザー』で目ぼしいゴーヴ兵を薙ぎ払ってくれたお陰で、すっかり進路上から邪魔者は消えた。これで僕ら後衛組みも楽に通過ができる。

 転がったゴーマ兵の背中をアルファで踏みつけながら、通りを突き進む。

「もうすぐ南門だ。準備はいい?」

「へっ、ようやく体が温まって来たところだぜ」

 風の魔法剣で延焼を拡大させながら、上田が自信満々に答える。他の面子も、気後れしているような者は一人もいない。勿論、僕自身も準備はバッチリである。

 今のところは負傷も消耗もしてはいないので、当初の予定通りに南門を襲えるだろう。王国で一番大きい南の門は、さっき突破して来た奴らよりも充実した戦力で守られている。けど、今の僕らなら大丈夫。別に門を開いて突破するワケじゃないしね。

「見えて来たな————」

 僕は先頭をひた走る山田と並走しながら、市場通りを抜けて王国一番の大通りへと出て、南の大門を確認した。普段から二体ものゴグマの門番が配置された厚い防備の施される場所だが、今回はさらなる防御が成されている。

 高さ5メートルほどの巨大な門は固く閉ざされており、その前に陣取るのは実に四体ものゴグマである。いずれも全身を覆う鋼の鎧兜で武装しており、手にはそれぞれの属性魔力が輝く武器が握られていた。

 極めつけは、四体の内の一体は四本腕であること。間違いなく、メイちゃんがピラミッド城でぶっ倒したという大ボスの四腕ゴグマだ。勿論、四つの手の全てに武器が握りしめられており、なかなかの迫力である。

 けど、コイツがいることも織り込み済み。強敵であることは間違いないが……別に、倒さなくっても構わないのだろう?

「さぁ、行くぞ横道、気合入れろよ————『完全変態系リモンスターズ』解放」

 僕はアルファの上で高らかに横道の杖こと『無道一式』を掲げる。掌には『黒の血脈』を発動させて自ら血を滲ませ、杖に吸わせていく。全力稼働じゃなければ、棘で手を刺すほどじゃない。そのまま使うとアレ痛いし、痛み止め併用して対策するのも手間だしね。

 さて、僕の狙いは、南門を守る守備隊長たる四腕ゴグマだ。

「————『百腕掴み』」

 異形の頭蓋骨が牙を剥いて大口を開くと、血色の魔法陣を描き出し、底無しの胃袋にため込んだ獲物を解放した。

 飛び出してきたのは、やはりキメラのように様々な特徴を併せ持つ部位が交じり合った肉塊。しかし、形状そのものはムカデのようなシルエットとなっている。ただし、生え揃っているのは百の足ではなく、腕だ。

 この『百腕掴み』は、より相手を拘束しやすいように、杖から吐き出す肉体の形状を再構築したものだ。

完全変態系リモンスターズ』は横道自身が嫌というほど披露してくれたように、無数のモンスターの特徴をもってして攻撃も防御もできる万能技だ。しかし、だからといって奴と全く同じようには使えない。恐らく、この杖を常に全力解放の無制限で使い続ければ、術者である僕自身も喰らわれてしまう気がする。少なくとも血は吸い尽くされそう。

 そういうワケで、『無道一式』を上手に使うことを考えて、試行錯誤するのは当然のこと。

 で、最初に開発したのが『百腕掴み』だ。

 バズズ戦では巨人化を果たした奴を一瞬とはいえ止めきるほどの拘束力を発揮してくれた。あの時は取り込んだ獲物全開放だったが、必要なのは相手の体を掴む腕部と、振り解かれないパワー、引きちぎられない耐久力だ。

 そうして効果的な拘束技を目指した結果……ムカデの足が腕に変わったような、超キモい肉体をぶっ放す『百腕掴み』というわけだ。

 赤黒い筋線維剥き出しの肉をベースにして、ゴーマやゴーヴの人型の手に、ゴグマの野太い腕。鍵爪の生えた恐竜や鳥型モンスターの脚に、熊やカエルなどなど、とにかく『掴む』ことのできる形状の部位をありったけ生やしている。

 ゴグマの胴回りほどもある野太い大蛇のような長くくねる肉塊から、そんな幾つもの雑多な腕を生やした気色悪い物体が、恐ろしい速度で四腕ゴグマへと向かう。

「グベラ、ンバッ! ゴンダルガァ!?」

 おっと、流石の四腕ゴグマもあまりのキモさにドン引きしているぞ。その気持ち、よく分かるよ。僕も初めて発動させた時、こんな生命を冒涜するような存在を作り出してよかったのか、と割と真剣に思ったし。でも使う。強いから。

 しかし流石は大ボスだけあり、四つの手に握った武器を素早く構え、迫りくる『百腕掴み』を迎え撃つ構えだ。

「させっかよ」

 そこで、上田が投げつけた閃光ナイフが炸裂。完璧なタイミングだ。

 目の前で弾けるフラッシュに視界を奪われるのは一瞬のこと。だが、すでに目前まで迫っていた『百腕掴み』が四腕を絡め捕るには十分すぎる隙となった。

「ブグル、ブンダゴォオオオッ!」

 自慢の四刀流を繰り出す間もなく気持ち悪い肉塊の腕に絡みつかれ、四腕ゴグマが叫ぶ。四本もの腕を持つゴグマだが、それ以上の腕が無造作に掴みかかりその動きを封じる。

 よし、この感じなら30秒は余裕で持つだろう。アクションゲームで30秒間も相手を拘束する技があれば、ぶっ壊れ性能である。十分すぎる時間が稼げたぞ。

「今だ、葉山君」

「よっしゃあ、頼んだぜ、キナコぉおおおおおおおおおっ!」

「プガァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 叫ぶ葉山君に呼応して、キナコ単騎で南門に向かって雄たけびを上げ突進していく。

 着ぐるみのようなずんぐりむっくりなキナコが四足歩行で全力疾走する姿は、どこかアニメチックに可愛らしいが、見た目に反した素早い疾走の最中、その丸い体から俄かに青白い光が発する。

 どんどん高まる魔力の気配が臨界に達し、フラッシュが炸裂するような眩い輝きが弾けると、


 グウォオガァアアアアアアアアアアアアアアアッ!


 魔獣、と呼ぶに相応しい巨躯へと変貌を遂げた、霊獣キナコへと変身する。

「グゥバラ! ゼバ!」

「ダギラ、ドンバァーザ!?」

「ンバ! ンバ!」

 突如として出現したドラゴン級の巨大モンスターを前に、さしもの門番ゴグマも驚いた。それもそうだろう、なにせ霊獣キナコはギラ・ゴグマと正面切って殴り合いできるほどの怪物だ。お前らでも手に余る、明らかに格上の存在なのだから。

「グガァアアアアアアアアアアアッ!」

 獰猛な咆哮と共に、霊獣キナコは手近なゴグマへと殴りかかる。完全変態横道を叩きのめし、巨人化バズズを殴り飛ばした、その強靭極まる拳を受ければ、鎧兜を着込んで装甲化を果たしたゴグマといえどただではすまない。

 ゴシャァアアアン! とド派手な音を立てて、分厚い胴体装甲を凹ませたゴグマが真後ろにぶっ飛び、閉じた門扉に直撃。その衝撃によって門は大いに揺らされ、城壁に展開していたゴーヴの射手共が何体か落っこちて行った。

「ゼンバ、グダァーバ!」

「ドゥンガァアアアア!」

 しかし門番ゴグマも精鋭である。格上モンスターであるキナコに対して、怖気づくことなく武器を構えて立ち向かう。

 けれど、今この瞬間に重要なのは、最初に殴り飛ばした奴がダウンしているということだ。

「杏子」

「どっせえええええええええええええい!」

 土星砲、発射。

 キナコを繰り出すよりも前から、土星砲のチャージを杏子は開始していた。開幕ぶっぱは基本なので、この辺は慣れたところ。今回は愛車グリリンに乗っているので、移動と射線の確保は、グリリンが自動的に調整。杏子は合図を待って、真っ直ぐ前にいるターゲットにブチかませば良いのである。

 この土星砲は巨人化バズズの肉体さえも貫く、僕らの中での最大威力を誇る攻撃魔法だ。まだキナコにぶん殴られてピヨっているような状態で、クリティカルヒットを喰らって平気でいられるはずがない。


 ドゴォオオオオオオオオオオオオオオッ!


 キナコのパンチが炸裂した以上の轟音を響かせて、発射された巨岩がダウン中のゴグマへと直撃。ゴグマの巨体さえ覆うほどの巨大な大岩砲弾は、見事に全身を圧壊させた。

 激しい土煙を撒き散らすと共に、潰れた全身から一挙に押し出された膨大な血肉が門扉にぶち撒けられる。岩の下からは、僅かに足先だけが覗き、ピクピクと痙攣しているのが見えた。

「一体仕留めた! まだ拘束は持つ、続け!」

 フリーのゴグマはあと二体。その内、一体はキナコがそのまま倒し切ればいい。もう一体はウチの前衛組みにお任せだ。

「任せろよ————あのハンマー持ってる奴狙うぜ!」

「オッケー、行けよ山田ぁ!」

 ロイロプス二号車を猛進させる山田の呼びかけに、芳崎さんが答える。

 さっきと同じように、山田は二号車をぶつけるかと思いきや、門前で戦うキナコの邪魔になると判断したのか、寸前で急停車。車体が停止するよりも前に、急ブレーキの勢いで押し出されるように、山田は飛んだ。

「うぉおおおおおおおおおおおおおお、らぁっ!」

「ダッ、グボガァ!?」

 上空から思いきり大斧を振り下ろす山田の攻撃に、門番ゴグマはなんとか反応した。太い鋼鉄の柄に、青い色合いからして氷か水の属性を宿すであろうデカいハンマーを掲げて、山田のジャンプ攻撃を受けきった。

 だが、上から渾身の勢いでもって叩きつけられた山田の一撃には、ゴグマであっても軽くはなかったようだ。大きく腰を落とし、その威力と衝撃に耐えるために体が硬直している。

 そして、そんな僅かな隙でも突いていける連携力が、今の彼らにはあるのだ。

「オラァッ! 『真一閃エルスラッシュ』」

「ウラァッ! 『(大断撃破ブレイクインパクト』」

 受けの体勢で硬直したゴグマに、両サイドから間合いを詰めていた上田芳崎コンビが最大威力の武技を放つ。

 ボンはこの威力の武技が直撃しても耐えきっていたが、ゴグマではどうか。

 両足に装着された鋼のプレートは火花を上げて武技に抵抗したが、流石にこの威力の直撃には耐えきれなかった。上田の剣は見事に装甲を切り裂き、芳崎さんの斧は打ち砕いてみせる。鎧の守りを突破され、いまだ衰えぬ武技を生身に受け、

「ンボォアアアアアアアアアアアッ!」

 両の太ももを半ば以上寸断され、絶叫を上げながらゴグマの巨体が傾ぐ。

「セヤァッ!」

 そうして、どっかりと仰向けに倒れ込んだところで、処刑人のように斧を振り上げ待ち構えていた山田のトドメがゴグマの首元に振り下ろされた。正確無比にして強烈な一撃、狙い違わず首を断ち切り、生首がゴロっとその場へ転がった。

 よし、これで二体目のゴグマを撃破。

 いや、三体目だな。

「ガァアアアアッ! ゴォオアアアアア!」

 すぐ傍では、猛烈な勢いでキナコが地面を殴りつけている。地面ではなく、倒れたゴグマをボコボコにしているのだ。

 ゴグマの太い体が地面に陥没するほどの威力で殴り続けており、拳が振り下ろされる度に、血肉と砕けた鎧の破片が飛び散っている。

「もう充分だ、撤退」

「よし、もういいぞ、戻れキナコ!」

 葉山君の呼びかけに、キナコは素早く身を翻してこちらへと戻って来る。その途中で、再び光に包まれ、変身解除。霊獣化は消費魔力が激しいので、瞬間的な破壊力が欲しい時は素早く解除するに限るのだ。

 キナコに続いて、前衛組みも早々に引き上げてくる。

 四腕ゴグマを除き、三体もの門番を倒し切った。戦果は十分。あとはこの門を炎上させるだけ。

 というか、すでにして僕ら後衛組みは火の手を放っているけれど。

 僕と姫野はエアランチャーで焼夷グレを打ちまくり、城壁に陣取る射手が邪魔しないように炎を振りまいている。中嶋も火属性魔法を連射するのに専念させた。

 そして、彼には最後の仕上げをしてもらう。

「————『火炎防壁イグニス・ウォルデファン』」

 発動させたのは、火属性の中級範囲防御魔法。起点はちょうど門扉の手前。轟々と燃え盛る炎の壁が瞬間的に立ち上り、大きな門扉の全てを包み込んでいく。

 防御魔法のいいところは、効果が継続することだ。中嶋には出来るだけ長く、広く、燃え続けるように火炎防壁イグニス・ウォルデファン』を使ってもらった。追加の火種がなくても、しばらくの間は燃え続けたまま門を塞いでくれる。少なくとも、一般ゴーマがこの燃え盛る門を通って外へ逃げることはできない。

「はい、姫野さん。これ戦利品だからちゃんと保管しといてね」

「普通この状況で武器拾う?」

「貴重な魔法武器が落ちてるんだから、そりゃ拾うよ」

 四腕ゴグマの拘束を解いた僕は、そのまま『百腕掴み』を大きく一振りして、倒れたゴグマ三体の武器をそれぞれ拾って回収しておいた。本当は四腕の奴の分も回収したかったけど、こういうところで欲をかくのは危険だ。だから武器は三本分で我慢した。

 救護車であり、輸送車でもあるロイロプス一号車に乗る姫野に、回収した武器を押し付けながら、僕らは再び走り出す。

 炎上する南の大門を背にして、次は籠城地点である東門を目指す。作戦は、今のところは順調。

 けれど、これだけ分かりやすく大騒ぎを起こしたのだ。すでに、オーマは対策を打っているだろう。さて、奴らはどう出てくるか……

第311話 ゴーマ王国攻略戦(3)

 上空には濛々とした黒煙が広がり、ゴーマの汚い悲鳴と絶叫を遠くに聞きながら、僕はアルファを飛ばす。

 こっちの僕は現在、単独行動中。南大門を燃やした直後に、僕は本体と『双影』の分身とに分かれ、一方がアルファに乗って単騎駆けである。

 役目は勿論、王国を崩壊させる要となるコア爆弾の設置。

 ゴーマ王国はセントラルタワーを通す天井の上に建国されている。この最下層エリアは、確かにこれより下の階層が存在しない……しかしセントラルタワーだけは数百メートルも下まで続いている。要するに、タワーを中心に半径数キロの巨大な落とし穴となっているのだ。なので、ここは地面ではなく、穴の上を塞ぐだけの薄い覆いみたいなものである。

 この足場を爆弾によって崩落させるのが、作戦の肝だ。ここだけは絶対に失敗ができない。

 幹部会議をしていたサーバールームから、可能な限りの建築情報を収集し、すでに遺跡を支える魔力供給をカット。現在は王国を支える足場は物理的な耐久のみで維持されている。

 ここの支柱を幾つか吹き飛ばせば、ただでさえ大量の土が覆われ、その上さらに数々の建築物を載せた足場は即座に崩壊する……はずである。

 別に、僕だって爆破解体のプロでもない。ダイナマイトなんて触ったこともないし、建築関係の知識なんぞも持ち合わせちゃいない。今の僕にあるのは、高校物理の知識程度である。二年生だからまだ物理Ⅱも終わってないんだけどね。

 本当に柱を破壊できるのか。目星をつけた柱を破壊して本当に崩落させられるのか。大いに不安の残る、今作戦で一番の賭けになるところだ。

 一応、似たようなサイズと材質の建造物を遺跡街から見繕って、コア爆弾で爆破する実験なんかも行ったが、やはり絶対とは言い切れない。

 それでも、出来ることは全てやった。ありったけのコアをつぎ込んで、爆弾も最大限の個数を用意してある。夏川さんが横流ししてくれたボス級モンスターのコアがなければ、これだけの数は揃えられなかっただろう。

 そんな全員の努力の結晶であるコア爆弾を目いっぱいに詰め込んだ鞄をぶら下げて、アルファは静かに、素早く駆け抜けていく。

 本隊と陽動部隊は派手に暴れるのが仕事だけれど、こっちは爆弾セットの隠密行動。それ相応の装備もしてきた。

 僕もアルファも、王国の街並みに溶け込むようにボロ布で全身を覆い、さらに『虚ろ写し』で風に吹かれて飛んでいく布切れ、に見えるように幻術もかけてある。チラ見程度では、ラプターに乗った人間だとはまず分からない。

 さらに王国に潜入した分身から、レム鳥で回収させておいた『射手の髑髏』を組み込んだ『隠密の杖』も装備している。ボロ布ギリースーツ、幻術、気配遮断スキル、と現状で最高の隠密特化装備に身を包んだ僕は、今のところ見つからずに済んでいる。

 現在、爆弾の設置は二か所が完了している。今は三か所目、本隊も目指している東門付近の地点を目指して走っているのだが……

「やっぱり、そう上手くはいかないか」

 見えてきた目標地点には、ゴーマの警備隊が居座っていた。

 奴らは勿論、僕の狙いを知ってて守りについているワケではない。単純に、常に警備をつけておくような施設がそこにあるからだ。

 ここは東門近くに建てられた、石造りの倉庫である。木造ではなくわざわざ石で作ってある以上、ただの食糧庫や物置などではない。軽く調べた限り、どうやらここは貴重品専用の倉庫らしい。

 鍛冶場で精製された金属や、一定以上のサイズのコア。予備の武器も少々ある。他には酒や砂糖などの嗜好品なんかも収められている。

 各門には門番ゴグマを筆頭に、それなりの地位にあるゴーマ兵もいるから、恐らくソイツら用の商品なのだと思う。一般ゴーマや雑兵如きでは、手出しできない品ばかりだ。

 石造りに警備兵も置いているのは、僕らのような外敵ではなく、盗みに手を出す不埒な輩に対するものだと思うけれど……ちっ、奴らめ、こんな状況のくせに真面目に警備なんぞしやがって。

「ソロはこういう時、辛いよね」

 ゴーヴ兵が少々に、ゴーマが十数体といった編成。上田一人で一分とかからず殲滅できる程度の部隊だが、相変わらず攻撃力に欠ける『呪術師』一人だと、こういう場面で苦労する。

 時間をかければ、呪術を駆使して一体ずつ始末して気づかれることなく倒し切ることもできるだろうが、今はそんな悠長なことをしている暇はない。爆弾の設置個所はまだ王国各所に残されている。

 本気出したレムでも瞬殺できるけれど、今は陽動部隊の方に制御の大半を割いているため、アルファには機動力のみでさほどの戦闘能力は期待できない。

 僕の爆破作業が遅れれば、それだけ本隊の籠城時間が伸びる。稼ぐ時間が増えれば増えるほど、ギラ・ゴグマ襲来の危険性は増す。タイミングとしては、奴らが出張って来るところで崩落させたい。残ったギラ・ゴグマと交戦することだけは避けたい。ザガン一体だけでも、僕らにとっては途轍もない脅威である。

「だから、今回ばかりは力で押し通らせてもらおうか————さぁ、僕に力を貸せ、バズズ」

 取り出したのは、血のような赤黒い色に染まった頭蓋骨。ギラ・ゴグマのバズズ、奴の髑髏である。

 これまで頭蓋骨は『愚者の杖』に嵌めて丸ごと一個そのまんま使っていたが、このバズズ髑髏だけは、かなりの加工を施している。

 それは仮面、と呼ぶべき形状だ。

 鬼のような髑髏面に、頭蓋の半分ほどが残る。内側には、粗削りなゴーマ式の魔法術式がびっしりと刻み込んだ。正直、自分でも何でこれで機能するかよく分かんないけど、動くからヨシ、ってことでそのままにしてある。

 そんな怪しい造りのバズズ髑髏仮面を僕は被り、

「変身————『屍鎧』」

 足元に広がるのはただの影ではなく、レムを作り出す時に現れる混沌のように渦巻く黒々とした謎の現象。黒い底なし沼から這い上がるように、赤黒い肉の塊が蛇のようにくねりながら、一気に僕の体へ巻き付いてゆく。

 見るからに気持ち悪い肉の触手が全身に絡みついていくワケだが、不思議と嫌な感触はしない。何というか、自分の手で自分の体を触っているような、そんな感覚である。

 そうして、瞬く間に僕の全身は肉塊に包み込まれてゆき————再び目を開いたその時には、僕の視界は随分と高い位置にあった。

「うん、感度良好。システムオールグリーンって感じ」

 もしここに鏡があれば、僕は自分が赤い大鬼のような姿と化したのを確認できるだろう。

 これこそが、僕が編み出した新たな呪術『屍鎧』。

 とはいえ、実はそんなに大したモノではない。モンスターの素材をベースに、自分自身をそのモンスターに変身させるとか、生体パワードスーツと化すとか、そういった別口の能力などではない。

 コレは単純に『屍人形』の中に、僕自身を埋め込んでいるだけなのだ。

 何故こんな真似をすることになったのかと言えば、今作戦ではレムの制御力を限界ギリギリまでに使ってしまうからだ。陽動部隊がなければ、レムは普通にバズズを素材とした強力な『屍人形』となって戦えば良い。

 流石に巨人化能力そのままを引き出すことは出来そうもないけれど、バズズはギラ・ゴグマとして素の状態でもゴグマを越える強さの魔物だ。魔力を振り絞って全力で『屍人形』と化せば、過去最強の力を持った人形になっただろう。

 だが、そんな強力な人形を扱うなら、それ一体だけで限界となる。

 今作戦では陽動部隊の他にも、偵察用の鳥に、騎乗用となる魔物達と、レムは様々なところで仕事を担っている。それら全てを無視して、単体戦力極振りのバズズモードを運用すれば、作戦そのものの遂行が不可能となってしまう。

 強力な屍人形。だが、使えないのでは意味がない。コイツを十全に扱う制御力が、どう足掻いても足りない————そうだ、僕自身が直接操作すればいいんじゃね?

 というワケで編み出されたのが、この『屍鎧』だ。

 思えば、僕はレムが万能過ぎるから、彼女に扱いを任せ過ぎていた。本来は呪術師である僕が自分の意志で、手足のように屍人形を操るのが正しいスタイルなのでは? と今更ながらに思ったりも。

 ともかく、この『屍鎧バズズ』にはレムの制御力は一切使われていない。僕が『双影』を操るのと同じような感覚で、僕自身が動かすのだ。

 操作方法が『双影』と同じだから、別に僕本体が分離していても操作はできる。でも、操作に集中すればそもそも本体も動けない無防備状態になるので……いっそ強力な『屍人形』の中に取り込んでしまった方がかえって安全なのでは、という発想。今回みたいに敵地に乗り込んで戦うなら、ロボットパイロットのように『屍人形』と本体が一体化した『屍鎧』の方が効果的だろう。

「ギラ・ゴグマの力、見せてやる」

 そんな独り言を置き去りにするように、凄まじい速度で僕は、『屍鎧バズズ』は駆け出した。

 身の丈およそ2メートル半。半獣人のような姿となっていた奴の巨人化形態とよく似た、赤色の毛皮と皮膚に、頭は山羊のような二本角が生え、口には鋭い牙が並ぶ獰猛な面構え。

 元から巨人化バズズの顔は鬼のような形相であったが、呪術によって再構成されたせいなのか、それとも怨念によるものか、より異形の鬼面となっている。

 恐らくスペック的には、素のバズズ以上となっているだろう。でも巨人化の力は絶対に越えられないけど。

 なんにせよ、たかがゴーマの警備隊を殺し尽くすにはオーバースペックだ。ただ走るだけで、この加速である。一気に周囲の景色が流れて行くのは、まるでチートを使って本来出せない速度でキャラを動かした時のような感覚だ。

 これで全速力ではない。常人並の動体視力しか持ち合わせていない僕では、ただ動かすだけでも超人的な身体能力を扱い切れないということか。

 それでも、『双影』式の直接操作だ。自分で扱い切れる範囲に留める限りでは、十二分にコントロールできる。僕が一体、どれだけアクションゲームをやってきたと思っている。パワーとスピードに全振りの格闘タイプなんて、プレイアブルキャラとしちゃあ定番だろう。

 アルファを走らせる以上の速度で疾走、それでいて足音も立てずに石造りの貴重品倉庫へ急接近。まずは建物の裏手側へと回り込み、ダラダラと歩哨をしているゴーマ二体組みへと迫る。

「ンブッ————」

「ゲッ————」

 突如として飛び出した赤鬼姿な僕を目にして、反射的に声を上げ、ようとした時には、この掌はゴーマの顔にアイアンクローを決めていた。

 二体の立ち位置は1メートルちょっと離れたくらいの中途半端な距離感だ。この大きな体なら、腕を伸ばせば同時に二体の顔面を掴める。そうして、ギリギリと引き絞るように力を込めて行き、ゴーマの頭をゆっくりと握り潰す。バズズの力があれば、ゴーマの頭などトマトも同然だ。

 断末魔を上げることさえ許さず、静かに二体を始末することに成功。よし、まだ他の奴らに気づかれてはいないな。

 僕は同じ要領で倉庫の左右側面に立つ歩哨を殺してから、一旦、倉庫の屋上へと登った。登るというか、バズズの身体能力があれば垂直ジャンプだけで二階建て程度の高さなんて上がれるんだけど。

 屋上から、正面に陣取る警備隊を見下ろす。奴らはほどほどにバラけていて、南西の方から濛々と立ち上る黒煙を眺めながら、ギャアギャアと話し合っている。あんだけ煙が上がっていれば、とんでもない火事が起こっているとゴーマでも分かるだろう。

 けれど、ここまで離れていれば、自分達が駆け付けてどうこうするほどでもない、みたいな結論で警備任務を続行しているのだろう。まぁ、どんな判断を下そうとも、王国のゴーマは全て死ぬんだけど————とりあえず、お前らは一足先に地獄へ逝くといい。

「ブゲェッ!?」

 屋上からダイブした僕は落下の勢いのまま、一番偉そうに立っている鎧を着込んだゴーヴの隊長を踏み潰す。

 鉄のプレートがひしゃげ、骨を粉砕し、臓腑を丸ごと圧し潰す。頭の上から縦にぶっ潰されたゴーヴ警備隊長は僕の足元でド派手に血肉をぶちまけて地面の染みと化した。

「グゲッ、ゼバァ!?」

「ジダゴ、バドン!」

 やはり最初に反応したのは手下のゴーヴ兵だ。隊長が踏みつぶされたカエルみたいに即死したのは驚きだろうが、何事かを叫びながらも即座に槍を構えて僕へ穂先を向けてきた。

 けど、そんなちっぽけな槍で突いたところで、この体は貫けない。圧倒的なレベル差、装備性能差、とでも言うべき開きがある。

「やっぱりリアルで戦うなら、イージーモードが一番だよねっ!」

 僕に格闘技の心得はない。学園塔の頃に、ちょこっとだけ蒼真流を齧ったけれど、軽くサンドバックされただけだから速攻で諦めたし。所詮、格闘技なんて強い者がより強くなるための武器でしかないよ。

 だから最初から強ければ、格闘技を習得していなくたって強い。素人丸出しのテレフォンパンチでも、一発当てればマッチョなゴーヴも一撃でKOできる。

 突き出された槍を回避もせずに、そのままパンチを叩き込むと、筋肉を打ち付けた鈍い感触と、インパクトの衝撃が骨まで粉砕する手ごたえのようなものが感じられた。

「グッバァ!」

 上から振り下ろすような殴りつけで、ゴーヴは地面に叩きつけられたように倒れ込む。苦し気なうめき声は上げているので、即死は免れたようだ。

 すかさず、後頭部を踏みつけてトドメを刺しておく。頭の踏みつけは、ゾンビゲーでは定番のトドメモーションである。

「ブグゥ……ンバ、ダバゴン……」

「なにゴーマのくせにビビってんだよ」

 ストンピング中の僕の背中を槍でツンツンしてきたもう一体の方のゴーヴ兵は、分厚い毛皮と筋肉の鎧でロクに穂先が通らず、明らかに狼狽した声を上げながら後ずさっていた。

 こんなに分かりやすくビビってる姿は思えば初めて見る気もするが……ああ、そうか、ゴーマ共がどんなに劣勢でも勇猛果敢に戦い続けるのって、僕らが人間だからか。

 今の僕の姿は立派な人型モンスター。中の人が人間だと分かるはずもない。だから、普通に強力なモンスターに襲われれば、奴らも普通に怖がったりするワケか。

「また一つ、ゴーマについて詳しくなってしまった」

 どうでもいいことばっかり覚えて行くな、と思いながら素人流ストレートパンチを顔面に喰らわせてゴーヴ兵を倒す。流石に頭を殴られると即死らしい。首が230度くらい回ってるよ。

「ンバァ!」

「ダーバガ! ガンベドグン!」

 人間以外には勇敢になれないゴーマ兵共は、圧倒的な実力差を見せつけられたせいで逃亡を選択した。別に放っておいてもいいが、下手に増援を呼ばれても困る。爆弾設置中に邪魔が入ると非常にまずい。

 ちょっと手間だけど、警備隊は殲滅しよう。

 背中を向けて逃げ出すゴーマ共を走って追いかけ、残らず殴るか蹴るかで片づけて行く。この身体能力は本当に素晴らしい。自分が強くなったと勘違いしちゃいそうな爽快感である。

 気分は偶然にも力を授かってしまったアメコミヒーローだ。これは調子に乗って序盤でやらかすわ。

「ふぅ、ひとまず片付いたか————『屍鎧』解除」

 装着時とは逆再生のような現象でもって、バズズの屍鎧が解けて行く。再び肉塊にバラけながら混沌へと沈み、後には汗をかいた僕だけが残る。

「やっぱ魔力消費が激しいな」

 ふぅー、と思わず息をついてしまう。

 破格の身体能力を与えてくれる『屍鎧バズズ』だが、使用にはかなり魔力を費やす。MPゲージがガリガリ削られて行く感覚だよ。

 それに見合った超人的な力、と思ってしまいそうだが、よくよく考えれば上田達前衛組みは、素の状態でこれに近い身体能力を誇っているのだ。結局、コイツの利点は貧弱な呪術師でも超人パワーになれるというだけであって、強化の度合いそのものは前衛組みと比べそこまで優れているワケではないということ。

 こんだけ魔力消費してこの性能は、正直コストに見合わない。僕の単独行動だから使う価値が出てくるのであって、普通のパーティ戦ではまず出番はないだろう。呪術師は最前線で殴ってないで、適当な呪術で敵に嫌がらせしててよ、と言われちゃう。

 葉山君の霊獣化が、どれだけ凄まじい性能か改めて実感するね。マジであれぶっ壊れ性能だよ。やはり『精霊術士』はチート職。

「さて、早く爆弾設置しないと」

 アルファを入口の見張りに残し、倉庫へと入る。暗くかび臭い室内には、雑然と木箱やら革袋やらが置かれているが、大した広さはない。目当ての場所はすぐに見つかった。

 そこは、地下へと続く階段である。

 階段を下りた先には、特に変わったところはないただの地下室が広がっている。しかし、ゴーマの建築技術では地下室を作るほど発達はしていない。

 そう、この地下室は元々あったものだ。さらに正確に言うならば、地下室ではなく、王国が乗っている天井部分の内部に開いた空間だ。

 ゴーマはただの地下室として、ここにも雑多な物品を置いているだけだが、本来は点検口か何かの用途で設置されたのだろう。遺跡特有の石壁があるだけで、石板コンソールもないから、僕には正しいこの部屋の使い方は分からないけれど。

 でも一番重要なことは、この点検口(仮)の真下には、天井を支える柱がある、ということ。

 つまり、この点検口がある場所が、爆弾を設置すべきポイントなのだ。

「朽ち果てる、穢れし赤の水底へ――『腐り沼』」

 まずは『腐り沼』を発動させる。地下室の奥、石畳の床の上にきちんと腐り沼専用魔法陣『果てる底無き』が描かれたスクロールを開いた上での発動だ。本当は供物も使いたかったが、嵩張るので今回はナシ。

 いやぁ、ヤマタノオロチを掘削した経験がここで活きて来るとはね。なんでも経験はしておくものだ。

 コレを使うのは、爆弾を柱の表面ではなく、より内側で爆発させるためだ。

 魔力の供給がなくても、遺跡の構造物は物理的にも頑強な建材で作られている。いかにコア爆弾とはいえ、表面で爆破させれば折るに至らない可能性もある。少しでも破壊しやすくするための小手先の技だ。

 そうして、より深く溶かしてゆく『果てる底無き』の効果が発揮し始めたのを確認して、僕は本命のコア爆弾をそこへ投入する。


『黒髪式遠隔コア爆弾「王国崩し(フォールンキングダム)」』:コア爆弾を一斉に作動させるための機構を組み込んだ、箱型の遠隔操作爆弾。一つあたり、二個のコアで構成されており、魔力の流れを暴走させた二つのコアが、接触することで臨界を越えて爆発するという構造だ。コア同士が触れなければ爆発はしないので、コアの間に設けた仕切りを外すだけ、という単純明快な起爆方式になっている。で、その仕切りを外すのに使っているのが『黒髪縛り』であり、コレを軽く引っ張るだけの操作で起爆できるというわけだ。二つのコアと『黒髪縛り』を仕込んだ起爆装置、これら全てを『腐り沼』に沈めても大丈夫な腐食耐性を持つ箱に納めたのが、この『王国崩し』だ。コレも葉山君と命名権を争い、危うく『ボンバー王国』になるところだった。じゃんけん、三回勝負にしといてよかったよマジで。


 30センチ四方の黒い箱型の『黒髪式遠隔コア爆弾「王国崩し(フォールンキングダム)」』を、僕は『腐り沼』へとザブンと沈める。重石は別にいらない。水底から生やした『黒髪縛り』で包んで、そのまま底まで引っ張り込めばいいのだから。

 よし、これで三か所目の設置も完了だ。さっさと次に行くとしよう。

第312話 ゴーマ王国攻略戦(4)

 王国の中心、『試練の塔』を頭上に頂くオーマ王の座す王宮は、俄かに騒がしくなった。

「王国、南西方面よりニンゲンの軍勢が侵入!」

「街中に次々と火を放ち、暴れ回っており————」

「すでに市場通りは火の海です!」

「ニンゲンは南大門を襲撃中!」

「馬鹿を言え、奴らは東に向かっているはず————」

「火災の規模が広すぎる! 全く消火が追いつかない!」

 喧喧囂囂、とは正にこのことか。

 玉座の間へと次々に報告へ駆け込んでくる伝令兵達が、それぞれが抱える、それぞれの危機的状況を叫ぶ。あまりにも突然の襲撃により、王宮を守る精鋭兵達さえも浮足立っていた。

 しかし、それも無理はない。

 王国の東西南北、四つの門は万全の守りを施していた。王国が誇る大城壁には何組もの歩哨がひっきりなしに行き交い、どの方向から攻めて来ても即座に発見できる厳戒体制がとられていた。

 ニンゲンとの戦いが起こるなら、大城壁に陣取っての防衛戦。多少、頭の回るゴーヴ以上の兵ならば、誰しもがそう予想していた。

 それがつい今朝方になって、突如としてニンゲンの軍勢は街中に出現。完全に不意を突かれた形である。

 そして狡猾にして残忍極まるニンゲンは、この奇襲を最大限に生かすように広く火の手を放ち、素早く街中を移動し続け、瞬く間に甚大な被害と、迎撃に向かうゴーマ兵の追撃を逃れ続けている。このまま奴らを野放しにすれば、王国全土が火の海に沈む。

 大変だ。今すぐ何とかしなければ————焦りと不安、そして偉大なるゴーマ王国に史上初の焼き討ちを仕掛けた怒りと憎しみにより、冷静な判断力など奪われ、誰も彼もが感情のままに叫び出していた。

「……静まれ」

 しかし、ここは玉座の間。王国に暮らす万を超えるゴーマ達の頂点に立つ、唯一無二の王がいる。

 オーマがただ一言、そう口にすれば、玉座の間には再び静寂が取り戻された。

「報告、ご苦労」

 鷹揚に頷き、その場へとひれ伏した伝令兵達へとオーマは言った。彼らは一様に頭を垂れながら、「ははっ!」と一斉に声を上げる。

「ニンゲン共の動きは、余の目も捉えておる」

 ほぅ、と小さな溜息を吐くオーマ。そこに、どれだけの重みが込められているかを知るのは、この場においては王のすぐ脇に控える大戦士長ザガンのみ。

 ザガンがそれとなく視線を向ければ、玉座のひじ掛けをギリリ、と強く握りしめるオーマの枯れた手が映った。

「南西の端にある『捨て場』より奴らは壁を越えて侵入を果たした。そこから二手に分かれ、南と西へ進みつつ火の手を放っておる」

 オーマは自ら、交錯する情報をまとめて簡潔に伝えた。

 伝令兵達は、最前線にいた自分達でも把握しきれなかった敵の動きを即座に見抜いた王の聡明さに感嘆の息を漏らしたが……オーマからすれば、たったこれだけの情報を得る間に、どれほどの犠牲が出たかと頭が痛くなるほどだ。

 ニンゲンの軍勢が王国の大城壁を越える瞬間を、オーマは街中に放っていた目玉の使い魔によって、偶然にも目撃することができた。

 奴らは大規模な土魔法によって、大城壁を越えるほどの巨大な橋をかけたのだ。

 かつてジーラ族とこの場の覇権を賭けた一大決戦に、無限に湧くかと思うほどのアンデッドの大軍が押し寄せた防衛戦争。過去の二大戦にて、自らが築き上げたこの大城壁を越えることは許さなかったというのに……あまりにもあっさりと、ニンゲンは王国最大の守りを飛び越えてきた。

 それもこんなシンプルな、それでいて大胆不敵な方法で。土魔法のあまりにも早い展開速度に、こちらの迎撃はとても間に合わなかった。あ、と気づいた時には、すでにニンゲン共は壁を越え、病人や怪我人など使えない者達を廃棄する『捨て場』へと降り立っている。

 そこから、あらかじめ動きを決めていたのだろう。流れるような早さで二手に分かれたニンゲン軍は朝の賑やかな市場を炎の魔の手で襲い掛かった。

「南側のニンゲン軍は、南大門を襲い門番の大半を倒した後、これを燃やし、東に向けて移動を始めた。一方、西側のニンゲン軍はこれより西門を襲う動きを見せている。間違いなく、南大門と同じく、ここにも火を点ける腹づもりであろう」

 これは、正に今現在の状況である。

 敵の動きが早過ぎる。城壁越えを目撃し、即座に迎撃の兵を動かす命令を発するも、末端に伝わり動き出すまでの間に、ニンゲンは次の行動に移っている。対応の全てが後手に回っている。

 実際にオーマの目には、完全に二つのニンゲン軍に翻弄される前線の兵達の姿が映る。このままでは、とても奴らは止められない。

「オーマ様、どうかご指示を」

「我ら大戦士、出陣の準備は万端、整っておりまする!」

 玉座の間に朗々と響き渡る勇ましい声は、王宮警備担当の大戦士バンドンと、市中警備担当の大戦士ジジゴーゴの二人。

「うむ……バンドン、ジジゴーゴ、そしてギザギンスよ。三人で西門を襲うニンゲンを殺し尽くせ」

「さ、三人で、でございますか?」

「むむむ、大戦士を三人も」

「敵が二手に分かれているのなら、私一人がもう一方の対処に回った方が————」

「ならぬ。大戦士三人で事に当たれ」

 静かに、けれど確かな圧を込めてオーマは重ねて言う。

「ボンとバズズ、二人もの大戦士を失ったことを忘れてはならぬ。ニンゲンには、我が大戦士を倒すほどの戦力があるのだ。良いか、まずは兵数の多い西のニンゲン共から潰せ。大戦士三人の力をもって、速やかに、そして一匹残らず殺すのだ」

「ははっ! オーマ様の仰せのままに!」

 大戦士三人は、今度こそ揃って頭を下げる。これ以上の反論など、できようはずもない。

「さぁ、行くぞっ!」

「久々のニンゲン殺しじゃ、腕がなるわい」

「今回はちょっと、俺も本気出しちゃおっかなぁ」

 かくして、玉座の間より王国最強の大戦士三人が出陣していった。

 無論、ここを出た後は砦に駐留させているそれぞれの配下を連れて、現場へ向かうこととなる。もっとも配下の仕事など、大戦士の圧倒的な力を前にして無様に逃げ惑う敗残兵の背中を斬るくらいであろう。

 三人もの大戦士が出陣したのを見て、玉座の間で騒いでいた者達も歓声を上げて見送る。恐怖と不安は一転し、勇気と希望が与えられた。

 無論、オーマとしては早々に大戦士を動かさなくてはならないほど切迫した事態に、心中穏やかではいられない。それは大城壁を易々と越えられた、という戦術的な敗北よりも、もっと単純な理由。

 長い苦難と戦いの果てにようやく築き上げたこの王国が、大炎上しているという事実を前に、激怒せぬ王などいはしない。

「余も動くとしよう……ザガン、ついて参れ」

「はっ」

 オーマが玉座を立ち上がると、手にする錫杖を掲げて高らかに宣言する。

「これより、『大贄の雨乞い』の儀を執り行う」

 それはオーマのみが使える、神聖な儀式魔法である。ゴーマの神に願うことで、恵みの雨を降らせることさえ可能とする、奇跡の御業。

 一種の神事でもあるため、都合よく何時でも、何度でも、使えるようなものではない。特に『大贄』と名の付く儀式は、特別なものであり、最も強力な効果を発揮する。

 オーマは秘密裏に潜入したニンゲンの手によって、鍛冶場を焼失してしまったことも忘れてはいなかった。

 ニンゲンが本気でこの王国を襲うならば、必ず火を放ってくると確信している。そんなことを許す気など毛頭なかったが……最悪の事態を見越して、大規模な火災に見舞われた際の対策も準備だけはしておいたのだ。

 宣言によって、一斉にひれ伏すゴーマ達の間を、オーマはザガンと、常に侍らせている特大の腹を持つ美女四人を従え、堂々と玉座の間を出て行った。

 向かう先は、遠征や開拓の際に送り出す大規模転移魔法陣の描かれた、王宮前の広場である。

 そこへオーマが姿を現すと、厳重に正面の警備を固める兵達が一斉に跪く。それと同時に、軽い礼だけで済ませ、即座に動き始める者達もいた。

 彼らは鮮やかな極彩色の衣服に身を包んでいるゴーヴだ。明らかに戦闘には適さない全身を覆う長い衣装。それでいて、色鮮やかな綺麗な布地は限られた者しか手にできない高級品。

 そんな上質な装いをした彼らは神官である。

 肉体が自然と発達し、筋骨隆々となってゆくゴーヴだが、神官ゴーヴはいずれも一回り以上は細身である。彼らに求められるのは戦士としての武勇ではなく、神官としての魔力と知能であるからだ。

 大戦士とは別なエリートである神官の集団は、速やかに広場の魔法陣へ様々な供物を設置してゆく。魔物の大きな核をはじめとして、牙、骨、角、特定の臓器。壺の中には、生き血や酒が並々と満たされている。神へと捧げられる供物は、それだけではない。

「これまで、よくぞ仕えてくれた。さぁ、最後の使命を果たすがよい」

「はい、オーマ様。王国に神の栄光があらんことを」

 深々と礼をとった四人の美女は、それぞれ魔法陣の四隅へと歩いて行く。

 純白の衣装に身を包んだ彼女達は、ただオーマが飼っているだけの女ではない。王国で選りすぐりの美貌とスタイルを誇る最高の女性は、オーマと子を成す資格を持つが、さらに重要なのは巫女としての務めである。

 巫女の務めとは、『大贄』と名の付く大儀式を執り行う際に、神へ捧げる最上級の供物となること————すなわち、生贄である。

「偉大なる我らの神よ。ゴーマの神よ。どうか我が祈りを聞き届け給え————」

 自ら首を刃物で切り付け、血飛沫を上げて倒れる巫女達の中心で、オーマは杖を振り上げ儀式を始めた。




 王国南西から西部にかけては、ゴーマの居住地が特に密集した地域となっている。

 継ぎはぎした大きな布をかけたテントは勿論、木造の建造物も立ち並ぶ。中には二階建てや、石造りのものもある。

 砦と南大門を繋ぐ大通りから分かれる市場通りは、砂利の敷き詰められた広い道になっており、朝から活発に無数のゴーマ達が行き交っている。通りの両脇にはそれぞれの収穫物を抱えた者達が陣取り、道行く人々に声を張り上げる。

 そこに並べられる品は、木の実や山菜、小動物の肉、毛皮、といった森で獲れる食料品から、石器や蔓の編み物など手作りの物品、さらにはどこで手に入れて来たのか、それとも盗んで来たのか、出所不明な刃物や布といった掘り出し物などなど、実に様々である。

 この市場通りには、木造建築の店舗を持つ者もおり、そういった店では王国で栽培される泥豆や泥芋といった主食から、川と沼で買われているブタガエルの肉を売る食料品を扱うことが多い。

 王国一番の肉屋では、早朝に仕入れてきた丸々と太ったブタガエルを店先で解体するパフォーマンスが今朝も人々を賑わせている。

 他にも衣服や道具、武器屋までもがここには軒を連ねているのだ。ここで揃わない物はない、と言われるほどの巨大にして充実した市場が形成されていた。

 勿論、市場通りから外れた三本先の道と、要所に設けられた広場にも、物々交換をするために物を持ち寄って来るゴーマで溢れかえっており、毎日盛んな取引が行われている。

 良い交換が出来て笑う者。不当な交換取引に逆らえずに泣く者。交渉決裂し殴り合いの喧嘩を始める者に、それを眺めて盛り上がる野次馬。店先で捌かれる新鮮な血肉の臭いにヨダレを垂らす子供に、ウチではあんなモノは食べられないと強引に手を引く母親。

 王国の賑やかで、平和な日常の景色が今日この日も、繰り返されるはずだった。

「ブゥモォオアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 猛々しい雄叫びと共に、市場通りは灼熱地獄と化した。

「うわぁっ! 牛魔人だぁ!?」

「きゃああああっ! 早く、子供たちを逃がしてぇ!」

「おいっ、なんか燃えてるぞ!?」

「か、火事だ! 火事だぞぉーっ!」

 身の丈3メートルを超える、ゴグマのような巨躯を誇る黒い牛魔人が、重厚な鋼鉄の棍棒を振り回して市場通りの人ごみに突如として突っ込んで来た。一振りで何人ものゴーマが叩き潰され、派手な血飛沫とひしゃげた肉体が軽々と宙を舞う。

 しかし恐るべきは強力な魔物だけではなく、その背後から次々と火の手が上がって行くことだ。それはまるで、この牛魔人が歩いた跡が燃えていくかのよう。

 だがその実態は、何のことはない。ただ後ろをついて火を点けている者達がいるだけのこと。もっとも、ゴーマにとってはそれこそが最悪の状況を示すことになる。

「に、ニンゲンだ……」

「ニンゲンが攻めてきたぞ!」

 市場通りに次々と現れたのは、全身を覆い隠す衣服を身に纏ったニンゲンの集団だ。

 鉄の剣や槍で武装しており、手近なゴーマを次々と手にかけてゆく。そして、この晴れ渡った青空の下で、赤々と燃える松明を掲げている奴らが何体も見受けられる。

 ニンゲンの軍団は、手当たり次第にゴーマを殺しながら、家屋に火を放っているのだ。

「こ、殺してやる!」

「殺せっ! ニンゲンを食い殺せぇーっ!」

 女子供が逃げ惑う一方で、血気盛んな若い男ゴーマ達は石器を手にしていきり立つ。ゴーマにとって不倶戴天の仇敵、永遠の天敵、ニンゲンを前にすると本能的な怒りと憎しみが湧き上がり、恐怖を打ち消す。

 現れたニンゲンの数は十や二十ではきかない。さらには牛魔人を筆頭に、他にもゴグマ級の巨体を持つモンスターを三体も従えている。常識的に考えて、ただのゴーマが束になっても勝てるような相手ではない。

 だが、ニンゲンへの激しい憎悪に突き動かされ、ゴーマ達は果敢に挑みかかり、

「————ブモォオアアアアアアッ!」

 鎧袖一触。牛魔人の振り回す巨大棍棒は、正に鋼の嵐。突っ込んだ先からゴーマ達が叩き潰され、無残な肉塊か、地面の染みと化していく。

 一歩たりともその歩みを止めることなく、堂々と市場通りを殺戮しながらニンゲン軍は進撃してゆく。立ち塞がるゴーマを一人残らず殺すだけでは飽き足らず、逃げ惑い、隠れ潜むだけの者にも容赦はない。

「うっ、ううぅ……」

「しっ、静かに……見つかっちゃうよ……」

 通りに立つ木造の建物に息を潜めて隠れる子供たちは、店のすぐ前にニンゲンが立っていることに気が付いた。ギュっと目をつぶり、憎きニンゲンを倒すために勇敢なゴーマ戦士が駆け付けてくれることを心から願いながら————ガチャン、という音が聞こえた。

 店の入り口付近で小さな壺が割れていて、中身が辺りに飛び散っている。粘り気のある液体に、独特の臭気が漂う。

 その正体が油であることを察したと同時に、無慈悲な松明が投げ込まれた。

「ヒィイイギャアアアアアアアアアアアアッ!」

 そこかしこで、炎に焼かれて苦しみながら死んでゆくゴーマの悲鳴が響き渡る。

 テントに、木の建物に、一度点火した炎は瞬く間に周辺に拡散してゆく。延焼だけでなく、松明と油を持ったニンゲン達が通りを縦横に駆け回りながら、さらに火を点けてゆき、より広く、より激しく火災を煽る。

 すでにして王国史上最悪の大火災となって、市場通りから発せられた火の手は密集居住地に及び、阿鼻叫喚の灼熱地獄を作り出していた。

 そんな炎の地獄と無差別な殺戮を続けながら、牛魔人を先頭としたニンゲン軍は西へ西へと突き進んで行く。

 ほどなくして市場通りも抜け、その先に見えてきたのは西の門である。

 本来、外側からの襲撃を予期して配された防衛隊だが、敵がすでに内へと入り込んでしまったことは、この大火災の惨状を目の当たりにすればゴーマの新兵にだって理解できるというもの。

 伝令兵よりもたらされたオーマの命により、市場通りで暴れるニンゲンを攻めることはせずに、そのまま門で守りを固めていた。万全の体勢で迎え撃つ西門防衛隊であったが、

「ンバァアアアアアアアアッ!」

「あっ、熱い! 熱いぃいいいいっ!」

 西門は早々に炎上した。

 総勢50近いニンゲン軍は、一斉に火を放ってきた。それは火属性魔法のように炎を吹いて爆発する投擲物だったり、単純に油を満載した樽であったり。文字通り、圧倒的な火力に晒され、西門は瞬く間に炎に包まれ迎撃どころではなくなった。

 これで門の外側からの攻撃であれば十分に耐えられただろう。内側から攻められたせいで、そこにあるのは堅牢な石の城壁だけでなく、櫓や兵舎、倉庫など、沢山の木造建築物があるせいで火種には事欠かなかった。

 西門は最早、陥落したも同然といった有様になった、その時である。

「————そこまでだっ、ニンゲン共め!」

 西門から中央砦へと続く大通りの向こうから、ゴーマの大軍を率いて現れた大戦士が高らかに叫んだ。

「これ以上の狼藉は、この大戦士バンドンが許さぬ!」

「同じく、大戦士ジジゴーゴじゃ」

「大戦士ギザギンズ……ねぇ、ニンゲン相手には名乗らなくてもいいんじゃないのぉ?」

 オーマの命を受けた大戦士三人の揃い踏みである。

 牛魔人は燃え上がる西門を背にして、三人に対し堂々と立つ。その脇には同じく大きな人型の魔物を従え、さらに後ろには多少数を減らしたニンゲン達が続く。

 大戦士の名乗りを受けても、全くの無言を貫くニンゲン軍。吹き抜ける風が、大火災によって肌を焦がしそうな熱風となって吹き抜けていく。

 最早、お互いに言葉は不要。元より、ゴーマとニンゲンは、出会えば殺し合う運命だ。

「オーマ様、そして偉大なるゴーマの神よ、どうぞ我らの戦いぶりをご覧あれ————ギィッイイッ、ガァアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「フンッ、ギガァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ギィイイイイイイーッ、ガァ!!」

 大戦士三人は眩い光と莫大な魔力を発しながら、最強の力『巨大化ギガ』を解き放った。

第313話 ゴーマ王国攻略戦(5)

「————あるじ、やられた」

「そっか、全滅?」

「ぜんめつ……めつめつ」

 まぁ、こうして幼女レムを再召喚している時点で、そういう状況なのはお察しだが。

「ねぇ、ちょっと陽動部隊が潰されるの早くない? 大丈夫なの?」

 あからさまに不安そうな表情を浮かべながら、再召喚のせいで全裸状態なレムの着替えを手伝っている姫野が聞いてくる。

 あのさぁ、ここで僕が「大丈夫じゃない」って言ったらパニック確定じゃん。不安かもしれないけど、部隊が崩壊しそうな危険性に繋がる質問とか安易にして欲しくはないな。

 現在、僕は姫野と一緒にロイロプス一号車に搭乗し、車内でレムの再召喚を行った。限界ギリギリまで消費していた制御力がほぼ元通りに戻ったならば、それは制御していた体が消え去ったことに他ならない。

 陽動部隊は早くも出張って来たギラ・ゴグマによって、あっという間に壊滅させれてしまったのだ。

「大丈夫、むしろギラ・ゴグマ三体も一気に釣れたんだ。陽動の役目は十分以上に果たされたよ」

 陽動部隊とはいえ、絶対にそっちに食いついてくれるとは限らない。地味に今回の賭けになった部分その2である。

 オーマは目玉の使い魔でそれなり以上の状況を確認できる。それでいて、しっかり伝令兵を走らせて自分の下に前線の情報が上がるような体制も構築しているのだ。奴が戦況を見ているならば、陽動部隊の方へ先に手を打つよう仕向けるような工夫くらいはしておいた。

 僕ら本隊とレムの陽動部隊は、ほぼ同時に破壊活動を始めたように思えるけれど、実は陽動の方が先に動くよう調整している。本隊は南大門へ向かう間は、進路上の一般ゴーマを殺し、市中警備の小隊を蹴散らしながら、進むことを優先した。道すがら放てるだけの火は放ちはしたけれど。

 一方の陽動部隊はとにかく派手に暴れ回りながら、市場通りを西に向けて進ませた。数だけは揃えた捨て駒軍団達は、松明と油を手にさらに街中へと散って行き、そこら中に火を点けまくる。

 空から僕らの破壊活動を見た時、陽動の方が被害規模は大きく、早い。単純に、パっと見で人数が多いのも陽動部隊の方だし。何より、ただのスケルトンでも『虚ろ写し』によって人間に見えるようにしてあるのだ。すでにギラ・ゴグマを二体も失ったのだ。人間の数が多い方を絶対に警戒する。逆に大半がスケルトンだと見破られていれば、本隊を狙われた可能性が高いが……陽動側にギラ・ゴグマ三体を擁する主力部隊を差し向けた以上、それも杞憂に終わったよ。

 ともかく、オーマなら絶対に本隊と陽動の規模を見抜いた上で、確実に戦力を集中して各個撃破を狙うと思った。アイツはただ敵が現れた順番に、場当たり的に兵力を逐次投入していくなんていう愚策は決して侵さない。

 本隊と陽動部隊の二つが存在するなら、残り四体となったギラ・ゴグマを二体ずつに分けてそれぞれに差し向ける、という判断は必ず避ける。だって二体が同時に討たれているんだからね。向かわせた全員が撃破される危険性をオーマは理解している。

 だから、奴が大戦士を繰り出すならば三人以上を出すと踏んだ。そして、それだけの主力が陽動部隊に向いてくれれば、僕らの安全は保障される。

 けれど、レムの善戦虚しく陽動部隊が殲滅された以上、今度はこちら側へと急行してくるだろう。

「でも大戦士はやっぱり規格外の強さだよ」

「えっ、見たの?」

「なんとか見えた」

 最初に王国に潜入させた『双影』って、まだ王宮内に潜んでいるからね。隠し通路を這いずり回って、街が一望できる場所から顔を出して偵察させておいた。お陰で結構、敵の動きが分かる。現在進行形で拡大中の、大火災の規模もね。マジで火の海ってこういうことだよ。

「残りのギラ・ゴグマの巨人化を見れて良かった」

 僕はバズズしか巨人となったギラ・ゴグマの姿は目撃してはいないけれど、どうやらザガンと比べて姿が異なっているらしいことは把握している。

 つまり、同じ巨人化でもただ体がデカくなるワケではなく、角が生えたり爪が生えたりで、それぞれ固有の変化や能力があってもおかしくないと推測した。で、その固有能力を知らないばかりに対処しきれない初見殺し、みたいな危険性もあるので、できれば陽動部隊との戦闘でそれを見ておきたいと思っていた。

 いや、マジで見ておいて良かったよ。そう思うほど、三体のギラ・ゴグマは異なる戦闘能力を誇っていた。

 まずは王宮警備を担当している、と思われるバンドン。

 奴の巨人化した姿は、亀を模したような重厚な外殻に覆われていた。背中には不気味な緑と黒の文様が描かれた巨大で分厚いトゲトゲした甲羅がある。背面はまず攻撃は通らない。杏子の『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』でもアレは割れないな。『土星砲』でも、どこまで壊せるか。

 目立つのは甲羅ではあるけれど、全身も同じような文様が描く角ばった甲殻に包み込まれ、天然の鎧兜を着込んでいるような状態だ。特に両腕は小型の盾を装着しているかのように甲殻が大きく肥大している。こちらも生半可な攻撃は弾くだろう。

 武器はボンと同じような巨大なメイス。しかし、鮮やかな緑の輝きが随所から発せられているので、風属性の魔法武器だろう。

 二体目のジジゴーゴ。主に市中警備を担当しているように見えたが、僕らの襲撃が明らかになった途端に、王宮まで呼び戻されていた。単独でいるところを襲われて撃破されるのを恐れての措置だろう。

 で、コイツはどうやら四本腕タイプのゴグマから進化を果たした奴らしい。だって、巨人化したら腕が四本になってたし。

 バズズよりも毛深いゴワゴワした茶褐色の毛皮に身を包み、逞しい四本腕を広げる姿は巨大なゴリラのようである。甲殻を身に纏っていないのでバンドンほどの固さはないだろうが、パワフル&タフネスなのはゴリラチックな姿から想像に難くないし、バズズほどではないが俊敏な動きも見せるだろう。

 何より恐るべきなのは、やはり四本腕それぞれに握られた魔法武器だ。バチバチとスパークを纏った手斧を両手に握り、肩口から生える方の腕には、青い輝きを放つ両刃剣と、マグマのような色合いを見せるハンマーがある。

 両手の斧は雷属性。青い剣は水か氷。ハンマーは土属性だろう。くそう、全部欲しい。殺してでも奪い取ってやる。

 最後の三体目。コイツが一番、注意が必要だ。ゴーマにしては珍しい、なんか気だるげな雰囲気を持つヒョロっとした細長い優男っぽいギザギンズ。

 なんとコイツは、魔術師タイプの巨人だったのだ。

 巨人になっても、ヒョロヒョロした体格をしていた。力強さを感じない細長い手足に、青白い皮膚で、とても打たれ強くは見えない。

 けれど、頭から背中にかけて大きなヒレが生えており、そこにメラメラと青い炎が立ち上っている。手足や肩口からも長いヒレが生えていて、どこか魔術師が纏うローブを連想させた。

 武器は持っていない。しかし、首から下げたネックレスと両手首に装着された腕輪は、どれも強い真紅の輝きを発しており、杖代わりの魔法装備であることは明白だった。

 奴が長い手を掲げると、その掌には青い炎が渦巻き、大きなファイアーボールを形成し————

「あとは、ミノタウロスからフルボッコだったね」

 青い火球が直撃し、リーダーであり最大戦力のミノタウロスが爆発炎上。すでにこの時点で瀕死に追い込まれていたが、すかさず距離を詰めてきたジジゴーゴが両手の雷斧で連撃を叩き込む。

 これによって完全にミノタウロスがトドメを刺された。

 その一方ではメイスを振り上げたバンドンが戦車のように地上にいるスケルトン達を蹴散らし始めた。

 もうマモトな戦いにならないと早々に判断したレムによって、残りは散り散りに逃亡を開始させ、逃げつつ残された燃料を使って火を放ちながら街中へ走って行く。

 もっとも、それも大した時間稼ぎにはならなかった。大半は大戦士の追撃によってぶっ飛ばされ、残りも奴らが引き連れてきた大軍が包囲するように追い込んでいく。

 全滅するのに、さほどの時間はかからなかった。

「……ねぇ、桃川君。なんか、雨降って来てない?」

「降って来たね」

「こんな時に天気崩れるとか、ツイてなさすぎでしょ。折角の火事が消えたりしないわよね」

「ああ、これはオーマが消火の為に降らせてるんだよ。まさか、マジで雨乞いの儀式なんてあるなんてね」

 王宮に潜む僕は、転移魔法陣の広場まで出張って来たオーマの様子も遠目ながらも確認している。お陰で、奴が発動させた雨乞いの儀式魔法もしっかり観察できた。

 儀式はオーソドックスに供物を捧げるタイプだ。神官と思われるカラフル衣装のゴーヴ共が、魔法陣の各所に設置していた。まぁ、ここまでは僕も同じことやるからいい。

 けれど、本物の生贄ってやつを、呪術師である僕も初めて見たよ。

 オーマのハーレムの内、四体のメスが魔法陣の四隅に立つなり、自刃したのだ。まさか、と思ったら本当にやりやがった。メスは一切の躊躇なく、自らの首筋を切り裂いていた。

 そうして沢山の供物と四体もの生贄を捧げることで、すぐに雨乞いの効果は発現する。

 生贄から流れ出た血液が、自ら意思を持つかのように魔法陣の模様に沿って流れてゆくと、不気味な紫色に輝く光が魔法陣全体から発し始めた。同時に、毒々しい紫の煙も噴き出し始め、怪しげな煙幕に広場は包み込まれていく。

 そのせいで僕の方からはっきりとは見えなかったけれど、紫色に煙る向こう側に、幾つもの蠢く触手のような、腕のようなシルエットが現れる。それらが供物や生贄を掴んでは、ズブズブと沼に沈めるかのように魔法陣へと引き込んでいった様子が朧げに見えた。

 供物と生贄を飲み込むと、紫の煙は天にも昇る勢いで濛々と魔法陣から吹き上がり————王国の地上、数百メートルほどの高さでゴロゴロと雷鳴を唸らせる暗雲と化していった。

「なんだよクソッ、めっちゃ降って来やがったぞ!?」

「うわっ、空真っ暗じゃん」

 今まさに土砂降りと化して、ザァザァと大粒の雨が降り始めた。外から上田と芳崎さんの驚く声が聞こえてくる。

「おい、桃川。なんか、あの雨雲かなりヤバい感じっていうか、嫌な感じがするぜ。精霊の気配も強く感じるんだけど、普通の精霊じゃねぇ」

 空を見上げて、『精霊術士』として異変を察知したらしい葉山君が、一号車へ近づき僕へと声をかけてきた。

「これはオーマの雨乞いの儀式で降らせた大雨だ。魔法陣から紫の変な煙が出て、それが上空で雲になってるから、あの雲そのものが魔法みたいなものだと思う」

「なるほどな……ってことは、あの妙な精霊っぽい気配は、ゴーマの魔法だから違う感じになってるってことかよ」

「ねぇ、その変な雲の精霊に呼びかけて制御できない?」

「無理だな。完全に野生のモンスターと同じ感覚で、こっちの意志が全く伝わる気がしねぇからな」

 ふむ、どうやら『精霊術士』の力で干渉できるのは、あくまで自然の精霊、あるいは僕ら人間が行使する魔法に宿る精霊達ってことになるのか。ゴーマが扱う魔法に属すると、性質が変化する、あるいは精霊に似てこそいるが全くの別な存在だとか。

「とりあえず東門の制圧は完了したし、僕らもさっさと籠城準備に入ろう」

 こうしてお喋りできているのは、目標地点である東門の制圧戦が終わったからである。

 自分達がここに陣取るので、南大門みたいに火を放つことはできなかったけれど、多少の時間をかければ真正面から攻略するのは簡単だ。

「門を開いて」

「任せろ————うおぉおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 丸太のようなぶっとい閂を外し、山田が一人で巨大な門を押し開いて行く。ギギギ、と錆の浮いた大きな蝶番が悲鳴を上げながら、ゆっくりと門が開かれた。

「杏子、急いで砦を建設しよう。もうギラ・ゴグマ共はこっちに向かって来ている」

「どんくらいで来そうなん?」

「30分はあるかな。ちゃんと配下を引き連れて来るみたいだし」

「そんだけありゃ余裕っしょ」

 グリリンの上で自信満々に笑う杏子は、雨に濡れたせいでただでさえエロい感じがさらにエロくなっている。うっ、昨晩の我慢が響いてくる……

 見てるだけで一部が苦しくなってくるので、それとなく視線を逸らしながら真面目に考える。

 陽動部隊を余裕で殲滅したギラ・ゴグマのトリオだが、勢いに乗って奴らだけで真っ直ぐこっちへ駆け込んでくる様子は見られない。やはり巨人化は力の消耗が激しいのだろう。奴らは一旦、巨人化を解除して元の姿に戻っている。

 その上で残党狩りをしていた配下を呼び戻し、きちんと部隊を再編しているようだ。恐らく、オーマにきつく戦力がバラけて単独行動にならないよう注意を受けているのだろう。

 ゴーマにあるまじき慎重さ。でもそれを実行できるのがオーマの凄まじい統率力だ。

 けれど、今回ばかりはリスクを覚悟でギラ・ゴグマを速攻で僕らにけしかけるべきだったな。今のオーマは、こちらの戦力を警戒する方が先に立っているから、後手に回り続けている。

「上田君、芳崎さん、山田君、準備はいい?」

「おうよ!」

「それじゃあ、始めよう」

 東門到達からの籠城準備も当然、練習を重ねてきた。動きとしては、基本的に最初の城壁越えと同じである。

 上田、芳崎、山田、の三人が鉄の杭を抱えて開かれた門から外へと出る。


『土魔法造成用鉄杭・突貫工事くん2型』:土属性専用の補助アイテム。1型は橋をかける際の柱となるような造りにしているが、こっちは大きな壁を作るタイプだ。


 籠城するための砦は、王国の城壁を利用する形になる。門と城壁を正面として、外側に三辺の壁を作って四角形にする。

 なにせ僕らは寡兵もいいとこだ。戦力を正面に集中できるような状況にできなければ、速攻で押し負ける。

 城壁内側には当然、通路まで上がるための階段が備えられているけれど、それも門の両脇だけだ。階段だけ破壊してしまえば、奴らにとっても高い城壁として機能する。ゴーマは王国側に陣取っているのだから、側面や後ろに回り込まれることもない。もしギラ・ゴグマ含む大部隊を迂回させてくるなら、それはそれで十分な時間稼ぎができるし、問題ない。

 ただ城壁上の通路側からはゴーマも通って来れるので、ここだけはしっかり潰しておかないといけないけど。それでも、最大戦力であるギラ・ゴグマは巨人なので、絶対に真正面から攻めてくるから城壁通路もそれほど大きな弱点にはならないはずだ。

 最低限、両サイドと後ろの壁を建設し終えたら、後はひたすら正面の強化。とにかく、時間までギラ・ゴグマの猛攻をここで耐えなければならない。

「————よし、僕とレムの準備も完了だ。中嶋君、お願いね」

「うん、分かった」

「くれぐれも、無茶はしないでね。出来る限りの範囲でいいから」

「大丈夫、ちゃんと気を付けるさ」

「じゃあ、レムも頼んだよ」

「ブモォ、ブォアアアア!」

 復活のミノタウロスと中嶋君は、僕が再召喚したスケルトン&ハイゾンビ&タンクを引き連れて、この辺一帯のさらなる火付けに向かった。

 雨はますます勢いを増して降り注いでいるが、こっちだって燃料満載で来てるんだ。油がある限りは燃やし続けられるし、何より中嶋君の火属性防御魔法も燃焼効果が持続する。

 この辺の周囲一帯を火の海にすれば、ゴーマ兵などの雑魚は近づくこともできなくなる。ただでさえギラ・ゴグマが三体も相手になるのだ。雑魚にまで手が回らなくなる。

「……かなり鎮火してきたな」

 レム鳥の情報と、王宮の分身からの視覚を合わせると、折角放った火の勢いが急速に衰えていることが分かる。

 激しい土砂降りだが、この東門はこれでもまだ雨脚は弱い方である。最も火の勢いが強かった南西の市場通り周辺は、バケツをひっくり返したというのを越えた、正しく滝の如き勢いで凄まじい水量が降り注いでいるのだ。

 洪水でも起こすつもりかってほどの水が断続的に叩きつけられれば、流石にあの火災も消えてしまう。

 お陰で、着実に街の混乱は収束に向かっており、右往左往していた警備隊も秩序を取り戻しつつある。

 陽動部隊をギラ・ゴグマが殲滅を果たした、という情報も伝わっているのだろう。全体的にゴーマ部隊が動き始め、東門へ向けて集結するような流れが出来つつある。最後まで油断せず、総力を結集して残った僕らを叩き潰すつもりだろう。

「大丈夫だ、この動きなら絶対に間に合う」

 ギラ・ゴグマのトリオは中央の砦にまで戻ってきている。そこから、すぐに出陣する様子はない。これからオーマに報告でもするのだろう。

 一方のオーマは魔法陣の上で、雨乞い儀式魔法の行使に集中している。火の勢いが強い場所に集中的に降らせたりと、奴自身がコントロールしていることは明らかだ。

 逆に言えば、この儀式魔法が続く限りはオーマ自ら直接的な命令を発せないということでもある。

 一刻も早く火災を止めるのも大事だけど、オーマの指揮が止まってしまう方が問題だろう。敵ながら、そんな状態で大丈夫か、と心配になるよ。

 お陰様で、この作戦の本命である僕の爆弾設置巡りが、いまだにバレることなく進行中である。もしも、コソコソと単独行動している怪しい人間がいる、とオーマの耳に入れば、警戒して先にこっちを潰してくる可能性だってあったのに。

 オーマは雨乞いに集中しているから、もう僕の爆破を止める手立てはない。

 お前のすぐ傍に護衛で置いているだろう最強のギラ・ゴグマであるザガンを、今すぐここへ特攻させるのが、僕の作戦を破る最善手なんだけどね。

「おーい、小太郎! こんな感じでどうよー?」

 そうこうしている内に、聳え立つ断崖絶壁が如き土魔法の防壁の上から杏子が呼びかけてきた。

 今や正面側の壁は、本来の城壁と比べて倍以上の厚みを持ち、高さもさらに5メートルほど伸ばしている。よしよし、練習通りに出来ているな。

「これでいいよ! 僕ももう上がるから」

「————桃川君、奴らが来るよ!」

 まだ戻らないか、とちょっと心配し始めた頃に、中嶋が帰って来た。

 どうやら、少し先まで足を延ばして敵の先鋒まで偵察してきたようだ。まったく、無茶しやがって。

「ありがとう。火の手もいい感じに広がっているし、もう充分だ」

 僕と中嶋は『黒髪縛り』の縄梯子で防壁まで上がる。

 上には、すでに全員が配置について迎撃の構え。準備してきた焼夷グレ含め、飛び道具なんかはここでもう全て使い尽くして構わない。

「作戦は順調に進んでいる。あともう少しだけ時間を稼げれば、爆弾設置も完了する。ここが山場だ、気合を入れて————」

「————ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 まるで僕の言葉を遮るかのように、王国中に響かんばかりの雄叫びと強烈な魔力の気配が迸る。

 雨にも負けずに燃え盛る東門周辺の大火災。揺らめく巨大な炎の向こう側から、巨大な人影が三つ、こちらへと歩いてくるのが見えた。

 いよいよ、ギラ・ゴグマ三体を擁する主力部隊のお出ましだ。

「気合を入れて行こう。奴ら全員、奈落の底に叩き落としてやる」

第314話 ゴーマ王国攻略戦(6)

「むむっ、何ということだ!? 東門がニンゲン共の砦になっているぞ!」

 残るもう一方のニンゲン軍を倒すべく、再編成した部隊を率いて先頭を歩く大戦士バンドンが、指をさして驚きの声を上げた。

「ははぁ、なるほどね、土魔法で即席の野戦築城ってこと。確か大城壁を越えたのも、土魔法で橋を架けて乗り越えて来たってオーマ様が言ってたけど、とんでもない土魔法使いが向こうにはいるみたいだねぇ」

 生まれた頃から見慣れた東の門が、今や断崖絶壁を思わせる巨大な岩の壁に覆い尽くされている。王国ではオーマに次ぐ魔術師と名高い大戦士ギザギンズは、その岩の砦が成立した理由をすぐさま見抜いた。

「ジーラ族のサンゴ城塞を思い出すのう。あの時は嫌な場所に陣取られて、苦労したわい」

 最年長の大戦士ジジゴーゴは、ジーラ族と覇権を巡った戦争の思い出が口をついて出る。

 水に住まうジーラ族は、土魔法のようにサンゴを操り堅牢な砦を建設することも可能であった。要所に素早く砦を建設し防御を固められると、如何に厄介なことかをジジゴーゴは経験上、よく知っている。

「嫌だねぇ、年寄りは昔の話ばっかりで」

「ふん、卵の殻を被った小僧が。少しばかり賢しいだけで、全てを知った気でおると恥をかくぞい」

「それも経験ってやつ? おじいちゃん」

「なにおぅ! 減らず口ばかり叩きおってからに」

「ギザギンズ、ジジゴーゴ殿も、敵は目前ぞ。その辺にされよ」

 振り返って呆れ顔を見せるバンドンの仲裁が入り、くだらない言い合いは収束する。

 そして、大戦士三人は改めて土魔法によって築かれたニンゲンの砦を眺める。

「よもや王国内で砦攻めをすることになるとは……さて、如何にする?」

「とりあえず、俺が適当に撃とうか?」

「ふむ、まずは軽く様子見ということか。臆病な軟弱者のやり方、と言いたいところじゃが、オーマ様には慎重に攻めよとキツく言われておるからのう。まずはそれがよかろう」

 敵の砦を見たならば、何も考えずまずは突撃するのがゴーマ流である。実際、バズズかボンが率いていれば、必ずそうしただろう。

 しかしながら、この三人は単純な戦闘能力のみで大戦士にまで至ったわけではない。オーマの求めに応じて、多少なりとも知恵を回し、戦術的な思考を養ってきたスーパーエリートでもある。

 バンドンは偉大な先達である大戦士長ザガンの直接指導によって、自らを律することを身に着けており、ジジゴーゴはオーマ王と共に長きにわたって戦乱を戦い抜いた経験により、そして最も若いギザギンズは生まれながらの卓越した頭脳によって。三人とも、不用意にニンゲンが立てこもる砦への突撃を良しとはしなかった。

「それじゃあ、行くよぉ————」

 ギザギンズを先頭として、大戦士の『巨大化ギガ』を発動させる。全身にみなぎる莫大な力がもたらす全能感と共に、三人の大戦士は力を解放した。

 身の丈5メートルを遥かに超える巨人と化した三人は、炎上する東門付近へ悠々と足を踏み入れた。

 オーマの大雨が降り続けているが、相当な油をつぎ込んだのであろう、膨大な雨量にも負けず火災は激しく衰えを見せない。これ以上、先へ進むには並みの兵士では厳しい。

 しかし、ただ燃え上がるだけの炎などでは、大戦士を止めることは敵わない。

「ギザギンズよ、先に始めておれ。ワシらは火消しじゃ」

「はいはい、雑用よろしくぅ」

 巨大化を果たしても相変わらずの軽口に、ジジゴーゴの額に青筋が浮かぶが、バンドンがとりなしてそれぞれの仕事を始めた。

 砦への遠距離攻撃をギザギンズに任せたので、手の空いた大戦士二人は、配下が展開できるだけの場所を確保すべく、消火作業を開始する。

 ジジゴーゴは水属性の剣を振るい、巨大な水流を放出して燃え盛る火炎を押し流す。

 魔法の武器をもたないバンドンだが、巨大な火種と化している炎上した木造建築物を次々と叩き潰し、火勢を弱めていく。

 配下のゴーマ兵達も地道な消火作業を始めており、ほどなくすれば東門へ通じる道くらいは鎮火できそうだ。

 その一方で、先鋒を任された魔術師の大戦士ギザギンズは、いつもの気だるい眼を真面目に開き、砦を見据えていた。

「この距離で撃ってこないってことは、向こうは大した攻撃魔法は持ってないのかな」

 自分はすでに、攻撃魔法を撃ち込むのには十分な距離を詰めている。およそ300メートル。

 腕に自信のある魔術師ならば、すでに自慢の攻撃魔法を放っていてもおかしくない間合いだ。

「それとも、誘ってる? どっちでもいいか、まずは遠慮なく撃たせてもらう————よぉっ!」

 両手に青い炎の球を形成し、砦に向けて放つ。まずは最も防御の厚い正面の岩壁を狙って。

 僅か300メートルの距離を瞬く間に飛翔し、二つの青火球は着弾。大爆発を起こしながら、普通の火よりも高熱を宿す青い炎が盛大に撒き散らされる。

「流石に一発じゃ壊れないよね。でも、あれくらい割れるんなら————」

 青火球が炸裂した岩壁は、それなりに抉れてメキメキとヒビを走らせている。かなり分厚い岩壁はそれだけで倒壊することはないが、このまま撃ち続ければ十分に崩せるのではないかと思いきや、

「————うわっ、もう再生してる。メンドくさぁ」

 着弾点に広がる大きな焦げ跡と破壊跡は、ゴゴゴと岩壁が揺れながら新たな岩肌が隆起してゆく。十秒も経たない内に、修復が完了する。

「うーん、これは火の球撃ってるだけじゃあ埒が明かないわぁ」

「ふふん、小僧め、大口を叩いておいて情けないのう」

「ただの様子見って言ったでしょ、おじいちゃん。んで、その結果、やっぱ土魔法使いを潰さない限り、あの砦は幾らでも再生するってことが分かったワケ」

「なるほど……つまり、突撃するしかないのだな!」

 結局、正攻法という選択になってしまった。

 どこか嬉しそうに突撃を叫ぶバンドンを、ジト目で見るギザギンズであるが、きちんとした理由を踏まえた上での正面攻略を選んだとあれば、オーマも納得するだろうと結論付けた。

「ふふん、ここはこのワシが砦攻めのやり方を見せてくれよう!」

「むむっ、ズルいですぞジジゴーゴ殿! ここはどのような攻撃にも耐えうる堅牢堅固なこのバンドンに任されよ!」

「目の前にニンゲン共が籠る砦を前にして、これ以上は我慢など効かぬわい!」

「それは私とて同じこと! どうかここはお譲り頂きたく!」

「うーん、まぁ、ここはバンドンの方がいいんじゃないのぉ?」

「ギザギンズ貴様ぁ!」

「助太刀、感謝いたす!」

 恨めし気に睨むジジゴーゴに、パっと明るい表情を浮かべるバンドン。

「オーマ様があんだけ気をつけろって言ってんだから。向こうはまだ、ボンとバズズをぶっ殺した威力の技を見せてない。おじいちゃんが突撃した結果、即死攻撃食らって死にました、じゃあ申し開きのしようもないじゃん」

「むぅ、確かに守りの固さはバンドンには負けるが……」

「砦を作った土魔法使いはさ、まだ攻撃魔法を撃ってない。あれほどの使い手が本気で攻撃したら、『巨大化ギガ』状態でもヤバいよ?」

 多分、バズズは調子に乗ったところを、土魔法使いの攻撃魔法を頭にでも喰らって死んだのではないかと、ギザギンズは彼の敗因を予想した。

「しかし、この私の鉄壁の防御があれば、どのような攻撃にも耐えてみせまする!」

「そっ、だから、突撃するなら一番硬いバンドンに任せるべきだと思うんだよねぇ」

「ぐっ、ぬぬぬ……い、致し方ない、バンドン、ここはお前に譲ってやるわい」

「おおっ、感謝いたす、ジジゴーゴ殿!」

 ようやく話がまとまったよ、と溜息を吐くギザギンズである。

 そうして、改めて砦へと向き直る。今度はバンドンが前へと出て、巨大な岩の砦へと相対する。

「では、参る!」

 メイスを肩に担ぎながら、タックルの構えでバンドンは突撃を開始した。

 ドドン! ズズン! と巨人が駆ける凄まじい音と震動が王国の大地を揺らす。ただでさえ巨大な姿である上に、バンドンはその分厚い甲殻と巨大な甲羅によって、大戦士で一番の重量を誇る。

 真正面から転がり込んでくる大岩のような迫力でもって突っ込んでくるバンドンに、流石にニンゲンも焦ったのか、ついに攻撃が飛んで来た。

「ふははははっ! そのような貧弱な攻撃が、このバンドンに通じるものかぁ!」

 王国を焼いた炎を炸裂させる投擲物に始まり、風や光の攻撃魔法も飛んでくる。それらの遠距離攻撃はバンドンの頭部に集中するが、頭は兜も同然の厚い外殻に覆われており、全く痛くも痒くもない。

 中には目くらましでもして止めようというのか、煙幕や閃光を発するだけのものも入り混じっているが……多少、視界を塞がれた程度で転ぶほどの間抜けではない。

「愚かなニンゲン共よ、偉大なるオーマ様より授かりし聖なる力を前に、砕け散るがよいっ!」

 更なる加速を果たし、最大速度の最大威力でバンドンのタックルが岩壁に炸裂する————その瞬間、巨躯が揺らいだ。

「ぬうううっ!?」

 ドンッ! と強く踏みしめたはずの地面が、バシャーン! と盛大な飛沫を上げていた。

 まるで、池にでも足を突っ込んでしまったかのよう。けれどここは確かに、東門に通じる大通りのど真ん中である。こんな場所に池も水辺もあるはずがない。なにより、自分はそこが変わらず地面であることを『見て』いたはず。

 だがそんな疑問よりもバンドンを窮地に陥れたのは、シンプルに段差である。

 階段で足を踏み外したのと同じ浮遊感を覚えながら、大きく体が揺らぐ。当然だ、足元には謎の池が張られていて、そうとも知らずに全力で足を踏み込んでしまったのだ。

 そこにあるはずの高さがなく、行き場のない踏み込みの威力がそのまま水面を突き破り、2メートルはあろうかという底にまで、己の意思に反して足は突っ込んで行ってしまう。

 瞬時に崩れるバランス。あっ、と気づいた時には全力疾走の勢いは抑えきれず、転倒は避けられない。

 揺らぐ視界の中、バンドンは激しい地響きと共に盛大に転んだ。

「むぐっ、ぐぅううう……お、おのれニンゲン、なんという卑劣な罠をぉ!」

 ぶち破るはずだった砦の岩壁を見上げながら、バンドンはあまりの屈辱に怒りの咆哮を上げる。

 そして顔を上げた先に、今までに見たことがないほど邪悪に顔を歪めて笑う、ニンゲンの姿を見た。

 ソレは異形の頭蓋骨からなる長い杖を持った、小さな、ニンゲンの子供であった。ケラケラと笑い声を上げながら、その怪しく輝く瞳が見下ろす、いいや、このオーマに選ばれた大戦士を見下していた。簡単に罠に引っかかった、愚か者めと。

 そして、邪悪極まるニンゲンの子供は、高らかに杖を掲げて叫ぶ。

「ヨォーゴォーミィーヂィ! デロォオオオオ!(行くぞ『無道一式』、『完全変態系リ・モンスターズ』解放だ!)」

 黒々とした大きな影が、バンドンの頭上に突如として現れる。

 まだ立ち上がって態勢を整える暇もない内に、ソレは形を成して振って来た。

「ぬわぁああああああっ! なっ、なんだぁ、この醜い化け物はぁ!?」

 それは見たこともないほど、おぞましい怪物だ。牙、爪、鱗、毛皮……およそ、見覚えのあるモンスターの特徴があるものの、その全体像はあまりにも不気味で醜い。

 まるで、ありとあらゆるモンスターの体をごちゃ混ぜにしたような姿だ。それは一体のモンスターであるというより、単なる寄せ集めの肉塊といった方が正確だろう。

 しかし、動くはずのない、動いてはならない肉の塊は、明確な意思をもって襲い掛かって来た。

 毛むくじゃらの腕が、鋭い爪の生えた脚が、歯を剥き出し、牙を突き立て、バンドンの巨体を抑え付け、喰らいついてくる。

「は、離せぇ! この化け物めが!」

 こうもガッチリと組みつかれてしまっては、メイスを振るうこともできない。倒れ込んでいる体勢も良くない。それでもバンドンは蛇のように巻き付いてくる異形の怪物に掴みかかり、力づくで引き剥がそうとするが……この化け物も、なかかなに力強い。

 完全に抑え込まれるほど圧倒的な力の差はないが、容易く振り解けるほど非力ではない。バンドンは首元に絡みついてくる触手のような部位をブチブチと引き千切るが、それで化け物が痛みに怯んだ様子もなかった。

 厄介な相手だ。敵の砦を前に転んだこともそうだが、のたうち回って怪物を引き剥がすなど、無様極まる姿を晒す屈辱である。悔しくはあるが、脅威は感じなかった。

 この化け物がどれほど牙を、爪を、突き立てようとも、この全身を覆う重厚な甲殻を破ることはできない。事実、体のどこにも痛みは感じない。この大戦士でも最強の防御を誇るバンドンを傷つけることは、ニンゲン如きでは決してできはしない————

「むぐっ! なんだコレは……あっ、足が!?」

 ピリリと刺すような痛みが片足に走り、違和感を覚えた。どういうことだと慌ててみれば、痛みを訴える足は罠の水辺に浸かっている。

 化け物のインパクトのせいで完全に失念していたが、足を踏み外した罠を満たしているのは、ただの水ではない。それは赤黒い、腐った血肉を彷彿とさせるドロドロとしたこれまた不気味な液体であった。

 そして粘つく液体に浸かる足からは、ジュウジュウと焼き焦がすような嫌な音と煙が上がっている。

「と、溶けている!? バカな、この私の究極の鎧が、溶けているだとぉっ!」

 刃も矢も弾き、炎、氷、雷、あらゆる攻撃魔法を通さない、頑強極まる自慢の甲殻の鎧が、今まさに破られようとしていた。

 それは一体、どれほど強力な酸なのだろうか。虫系のモンスターには酸を放つタイプもいるが、虫けら如き大戦士の敵ではない。故に、気にしたことなどもなかった。

 この甲殻が、酸に浸かると溶けるなど、初めて知った。

 だが、今すぐに溶けてボロボロと崩れ落ちることはない。酸が装甲を蝕む速度は決して早くはない。まだ大したダメージには至ってはいない。

「ぬぉおおおおおおっ、邪魔だぁ! 離せっ、離せぇえええええええええっ!」

 しかし、それを許さないのがこの化け物である。

 酸で満ちた小さな池が、この守りを破る唯一の方法だと知っているのか、決して足だけは離さぬというように強く抑え付けてくる。

 刻一刻と溶けてゆく足。絡みつく化け物の手足や触手を一本ずつ千切ってはいくが、まだ解放するにはほど遠い。

 初めてバンドンは己が追い詰められつつある焦りを覚えた。『巨人化ギガ』の力を使った状態で、痛みを、ダメージを受けるのも初めての経験であった。

 そして、邪悪なニンゲンはその焦りを見抜き、狡猾に狙ってくる。

「ガァンダァ! (今だっ!)」

「ブンガァアアアアアアアアアアッ! 『剛大打撃ヘヴィメタルスマッシュ』」

「ボォンガァアアアアアアアアアッ! 『真一閃エルスラッシュ』」

 壁の上から、二体のニンゲンが降って来る。剣を構える剣士と、斧を振り上げた戦士。

 先手は戦士の繰り出す強烈な武技。化け物と揉み合っているせいで無防備に晒された首筋に、凄まじい衝撃が叩き込まれる。それは、思わずうめき声を漏らしてしまうほど。

「ぬううっ、だが、この程度で————」

 甲殻の守りこそない首筋だが、それでも厚いゴム質の皮膚が蛇腹状となって覆われている。首や各部の関節は同様の構造になっており、これだけでもそれなり以上の耐久力がある。

 戦士の武技の直撃を許したものの、分厚い皮膚が半ばまで抉るように剥がれ落ちただけで、肉体へ痛みと届けるほどではなかった。

「————ぐわぁっ!」

 しかし、直後に鋭い痛みがバンドンを襲った。

 後続の剣士は、戦士が抉った首筋を正確になぞるように、さらに武技で切り付けた。

 戦士の一撃で皮膚が半分失われれば、もう半分を剣士が斬り飛ばした。それだけのことである。

 分厚い皮膚の守りを突破された結果、武技の威力が宿る切っ先は、ついに肉まで届き血飛沫を上げさせるに至った。

「ま、まずい、このままでは……」

 怪物の拘束は今も尚続いている。勿論、片足も酸の独沼に突っ込んだままで、ジワジワと甲殻が溶かされ痛みは増して行く一方。

 その上さらに、関節部を破壊するに足る力を持ったニンゲンが加わった。二体は怪物の体を足場として、再び首筋を狙い、次の攻撃で致命傷を与える気だ。

 どうしてこうなった。絶対の防御を誇るはずの大戦士バンドンが、こうも簡単に追い詰められるとは。

「バンドン、そこを動くでないぞっ! むぅん!」

 窮地の中、聞こえてきたのはジジゴーゴの声だった。進退窮まりつつあったバンドンは、素直にそれに従い動きを止め、その直後、バリバリと響く雷鳴と轟音、そして甲殻を焦がすほどの灼熱であった。

「ヂィァ、ブッゲバダァ! (ちっ、危っぶねぇだろが!)」

「ギバダザ、グゲェ……(うわ、ギリギリだったじゃん……)」

 気が付けば、二体のニンゲンは黒い縄を伝って砦の上へと素早く逃げていた。それと、強く体に絡みついていた怪物の拘束力もかなり失われている。

 怪物の胴体にあたる最も太い部分が大きく切り裂かれていた。砦の壁面には、ジジゴーゴの雷の力を宿す斧が一本、突き立っている。

 どうやら、ジジゴーゴは手斧の投擲によって怪物を切り裂き、拘束を解いてくれたようだ。その上で、さらにギザギンズが火炎放射を浴びせかけることで、チョロチョロしているニンゲンを砦まで追い払った。

 ただのモンスターなら消し炭になるギザギンズの炎だが、バンドンならば多少は浴びても熱さを感じる程度で済む。集って来る小さな相手を払うには、最も合理的な手段であろう。

「一度戻れ、バンドン。ここは仕切り直しじゃ」

「ぬぅ、かたじけない……」

 大きく力を失った怪物を今度こそ振り払い、転がるにして砦から離れ、バンドンは大戦士二人の下へと退いた。

 ジジゴーゴの投げた斧は、もう片方の手にある斧がバチバチと強い稲光を発すると、紫色の電撃が結ばれ、壁から引き抜かれ手元へと戻って来た。金属は雷属性を通すことで、引き寄せたり反発させたりすることができる、というオーマの助言によって習得した、投げた斧を自動で回収する小技である。

 斧の投擲は壁を傷つけるに足る威力を発揮していたが、やはり引き抜かれた後に壁の傷跡は修復されていった。やはり、斧を投げ続けるだけでは、完全に破壊するには足りないだろう。

「やれやれ、あんな罠が仕掛けてあったなんてね。やっぱバンドンが行って正解だったよ」

「なにおう、ワシが行けばあのような卑怯な罠になど」

「あっさりかかって、そのまま首切られて死んだよね」

「小僧が————」

「ジジゴーゴ殿、ギザギンズ、誠に申し訳ない。まんまとニンゲンめの罠にかかり窮地に陥ってしまったこと、申し開きのしようもない」

「まぁまぁ、いいってことよ」

「うむ、無事に戻ったのならなによりじゃ。これ以上、大戦士を失うことだけは避けねばならぬからのう」

 素直に非を認めて頭を下げるバンドンに、二人は共に気にするなと答えた。

 ニンゲンは今度こそ大戦士を殺すに足る必殺の技を使うかと思ったが、それを落とし穴と酸の沼によって、バンドンを追い込んで見せた。卑劣だが狡猾な罠をもってバンドンの突撃を退けたことで、改めてニンゲンの恐ろしさを見せつけられた思いだ。

「奴らの罠は、他にもあるやもしれん……ここは、如何に攻めるべきか」

「なぁに、バンドンよ、そう心配する必要はない」

「うん、もう俺達の出番は終わったようなもんだから」

「なに、それは一体————」

 どういうことだ。この大戦士三人の揃い踏みという状況で、それを差し置いて活躍できる者など……と思うが、一人だけいることをすぐに思い出す。

 バンドンが振り返れば、そこには一人の戦士が、いや、大戦士が立っていた。

「すまん、遅れたな。ようやくオーマ様より、出陣の許可が下りた」

 いまだ激しく燃え上がる炎を突っ切り、悠々と王国最強の大戦士長が現れた。

「おおっ、大戦士長ザガン!」

「ザガンが来れば、勝ったも同然じゃ」

「まぁ、最後の美味しいところは大戦士長様に譲るのも、しょうがないかなぁ」

 ニンゲンの砦を攻めあぐね、危ういところもあった。だが元より勝利は揺るがない。絶対的な戦力差。

 その上で、最強の大戦士長直々の参戦とあって、完全に勝負は決した。

 だがしかし、圧倒的に有利な状況にあっても、ザガンの目には一分の油断も隙もなく、恐ろしいまでの闘志の輝きが宿っていた。

 当然だ。バンドンを罠に嵌めて追い込んだあのやり口。間違いなく、妻を殺した卑劣なニンゲンに違いない。晴らさねばならぬ、恨みがある。

「後は任せろ。あそこにいるニンゲン共は、この俺が殺る」

 復讐を誓ったザガンは、腹の奥底から湧き上がってくる殺意のままに、『巨大化ギガ』の力を解き放った。


第315話 ゴーマ王国攻略戦(7)

「ふっ、勝ったな……」

 ついに僕らの前に姿を現したギラ・ゴグマのリーダーにして、仲間殺しの仇であるザガン。凄まじい魔力の気配を放ちながら、巨人の姿と化した奴を見て、僕は思わずそう呟いてしまった。

 今回の王国攻略戦には幾つかの不確定要素、賭けに出なければならない部分があった。けれど無事にそれらを乗り越え、なんとかこの状況にまで持ってくることに成功したのだ。

「お、おい桃川、あのザガンって奴も出てきたけど、マジで大丈夫なのか?」

「とんでもない、待っていたのさ」

 凄まじい戦意を発する巨人化ザガンの姿を前に、ビビった葉山君が聞いてくるけれど、僕は自信満々に答えた。

 ザガンなど恐れるに足りない。などとは勿論、思っていない。オーマと同じくらい、僕はザガンを恐れ、警戒している。だからこそ、今この場にまで奴が出て来てくれなければ困るのだ。

 アイツじゃなくても、やはりギラ・ゴグマを真正面から相手にするにはあまりにもリスクが高い。

 三体もの巨人を相手に、この砦で時間稼ぎをしなきゃならなくなった時は肝が冷えたけれど、向こうも警戒してくれたお陰で、ほとんど様子見のような攻撃だけで済んだのは僥倖だった。ゴーマらしく、後先考えずに全軍で突撃されれば5分と持たなかっただろう。

『腐り沼』の落とし穴も最大限の効果を発揮してくれたのも良かった。『虚ろ写し』があれば落とし穴の偽装もより簡単かつ完璧な仕上がりになる。

 巨人になっても二足歩行に変わりはないのだから、足場を失えば転ぶに決まってる。それにバンドンの鎧がどれだけ硬くても、ヤマタノオロチ以上ということはない。奴の甲殻を何メートルにも渡って溶かし切った『腐り沼』の溶解力は伊達じゃないのだ。

 仲間の掩護によってバンドンは慌てて下がって行ったが、あのまま逆上して暴れられなくて本当に助かった。あれ以上の罠とかは、幾ら何でも仕込めていないからね。

 そうして向こうが仕切り直しといったところで、ザガンのご登場である。最高のタイミングだ。

 合わせて四体のギラ・ゴグマ。奴らを何としても、この場所に揃えさせる必要性があった。ザガンがあのまま広場でオーマの護衛につき続けたら、攻略戦後半は厳しい状況になるところだったよ。

 ともかく、これでようやく条件は揃った。僕は人事を尽くした。あとは天命を待つ。

「ルインヒルデ様のご加護がありますように————」

 僕は『無道一式』を高らかに掲げて、今にも全力で突撃してきそうなザガンと対峙する。

 奴の殺意に満ち溢れた視線が、真っ直ぐ僕に突き刺さっているのを感じる。間違いなく、アイツは今、僕のことを見ている。

 7人のクラスメイトを率いて、先頭で杖を掲げる僕が、この集団の頭であるとも察したことだろう。

 そうだ、よく見ろ。僕がお前らの敵だ。王国を滅ぼす『呪術師』だ。

「————『王国崩しフォールンキングダム』起爆!」


 ドン! ドンッ! ズドドドド————


 幾つもの大きな爆発音が四方八方から響き渡って来る。当然だ、だって四方八方に仕掛けてきたのだから。

 この場からでも、実に4か所もの爆炎と煙が吹き上がっていくのが見えた。設置個所の点検口(仮)は地下にあたるが、贅沢にもボス級モンスターのコアを二つも使ったコア爆弾は、直上にある建物ごとド派手に吹き飛ばすだけの破壊力を誇る。勿論、その威力でもってぶち壊す本命は柱の方だけれど。

 ちょうどここから反対側の東門付近に潜んでいる爆弾設置してきた方の僕からも、無事に起爆できたことを確認した。

 作戦は大成功。一つ残らず、仕掛けたコア爆弾は大爆発を起こし、王国を支える柱を吹き飛ばした……はずである。

「おい、桃川」

「葉山君、言わないで」

「いやでも」

「言わないで」

「小太郎、何も起きねーけど?」

「ぬわぁああああああああああああああああっ!!」

 杏子が言った。言っちゃいけないこと言った! 僕泣きそう、泣いちゃう、もう泣いていいですか?

 ヤバい、どうしよう、マジで何にも起こらないんだけど。爆破は成功した。確かにコア爆弾は爆発した。しかし、何も起こらなかった。

 僕の計算が間違っていたのか。爆破の威力が足りなかった? それとも、もっと根本的に王国を支えている真の大黒柱が存在していたとか?

 何にせよ、王国が健在なのは見ての通り。ご覧の有様だよ。

「ブグル、ゼバ、ゴルダァ!」

「ンバ、ダーヴァ!?」

 凄まじい爆発音と、各所から濛々と立ち上る噴煙を見て、流石に何事かとザガン筆頭にギラ・ゴグマ達も周囲を眺めながら話し合っていた。

 だが、ただ爆発が起こったことだけを確認しただけで、目に見えて大きな被害が出ていないと判断し、早くも興味を失ったようだ。

 そりゃそうだよね。設置個所はどこも城壁付近、つまり王国外縁部。重要施設は特に何もない場所だから。オーマの陣取る中央に何もなければ、気に留めるはずもない。

「バダ、グンバルド、ゼイガァアアアアッ!」

 気を取り直して、とでも言うようにザガンは再び気合を入れた雄叫びを上げる。

「お、おいおいおい、これ作戦失敗かぁ!?」

「マジかよ桃川、この土壇場でぇ!?」

「ちょっと、これどうすんのよ桃川君!」

 上田と芳崎さんが叫び、姫野が発狂寸前だ。

「落ち着け、お前ら。騒いだってしょうがねぇだろ」

「そ、そうだよ。ひとまず、ここから逃げないと————」

 山田は落ち着きながらも、すでに諦めムードを醸している。

 中嶋も気が気じゃないようだが、それでも一番現実的なことを言っている。僕らが陣取っているのは東門の外側だ。このまま後ろへ降りれば、そのまま逃げて、再び地下へ潜ればいい。

「ここまで来て、逃げるのかよ……」

「しょうがないじゃん、葉山! ほら、小太郎、気にすんなよ、また頑張ろう?」

 杏子の優しい言葉、かえって鋭く僕の心を突き刺す。

 確かに、まだ逃げれば取り返しのつく状況だ。仲間は一人も失ってはいないし、王国に大火事を起こしてそれなり以上の損害も与えた。他のギラ・ゴグマの力も確認した。

 それらは確かな収穫だ————けれど、またこの規模の作戦をするのか?

 かき集めた素材をありったけつぎ込んだ。準備にもかなりの時間をかけている。

 そして何より、仲間の命を危険に晒してここまで作戦を遂行してきたのだ。僕はもう一度、みんなに命を賭けて挑めと、そう言わなければいけないのか。

「くそっ……落ちろよ」

 ここまで来て逃げるのか、と葉山君の心境が一番僕に近い。

 悔しくて堪らない。つぎ込んだ労力とリスクは、ヤマタノオロチ討伐戦以上だ。

 それを、そう簡単に、

「落ちろ……落ちろってんだよぉ!」

 諦められるかチクショウ! 正しく癇癪としか言いようのない叫びをあげて、僕は怒れる感情のままに『無道一式』を叩きつけた。

 横道の頭蓋骨がガッツーンと硬い石壁を打ち付け————僕の手には、ただ虚しくジーンとした痺れだけが残された。


 ゴッ、ゴゴ……


 かすかに、足元が揺れた気がした。

「えっ、揺れてない?」

「揺れてる……かぁ?」

「震度1くらい揺れてるって」

 地震大国日本に暮らすだけあって、この地面が揺れ動く感覚にはとても馴染みがある。気のせいでもなんでもなく、震度1クラスの人によっては気づきもしない微弱な揺れが発生していることを、みんな口々に言い合った。

 見れば、巨人化ザガンが大股でズンズンとこちらへ歩き始めているところ。奴の歩みが地響きを伴っているだけかと思ったが、


 ゴゴゴッ、ズズン……


「うおっ、揺れてる! これマジで揺れてるって!?」

 葉山君の叫びに、誰もが同意した。体に染みついた避難行動によって、全員が反射的にその場へと伏せる。

 確かな地響きと共に、グラリと大きく足元が揺らいだ。震度1から、一気に3か4くらいまでの、はっきりと分かるほどの揺れへと急変していた。

「や、やった」

 僕もまた、その場に伏せりながらも、確信した。

 成功だ。爆破は成功した。王国は今日、滅びる。

「やったぞぉ! うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 ズドドドドッ! ドゴゴゴゴッ————


 僕の叫びに応えるかのように、さらに揺れと地響きは増幅する。もう震度5は超えている。立って歩くことも難しいほどの強烈な揺れが砦を、いや、王国全土を襲った。

「ンバッ!? ズンガ、グド、バーゼドダン!」

「ダーゴバァーッ!?」

 ザガンさえもついに歩みを止めて、その場で膝を尽きながら叫び声を上げた。他のギラ・ゴグマも同様の反応。

 いくら巨人であっても、大地そのものが揺れ動く地震に対しては無力だ。その強力無比な巨躯を縮こまらせている様は、実に滑稽だ。なんだよお前ら、地震は初めてか? 外国人が日本で地震に遭遇して、ビビり散らしているリアクションとほとんど同じ反応をしているじゃあないか。

 しかしながら、これは決して神の怒りでもなければ、大自然の猛威でも何でもない。天災ではなく、人災。僕が起こした。お前らを一匹残らず、奈落の底へ叩き落とすために。

「さぁ、落ちろ」

 そして、ついに滅びの時は訪れる。

 メキメキ、バキバキ、と盛大な音を響かせながら、巨大な地割れが大地を走る。ただ地面が割れてゆく音ではない。この巨大な金属音の悲鳴が入り混じる不気味な音は、間違いなく土台となった天井構造が砕けてゆく証。

 爆破によって支柱がへし折れ、膨大な質量が一気に他の箇所へと圧し掛かる。支柱よりも細い柱や構造体は、当然その重みになど耐えられるはずもなく、物理法則に従って崩れ落ちる意外に道は無い。

 とっくの昔に、供給される魔力は切っているのだ。魔法の力がなければ、こんな大地を浮かすような構造を、ただの建築物が絶えられるはずがない。

 この栄華を極めるゴーマ王国が、古代の魔法のお陰で建っていられた砂上の楼閣であることを、今こそ思い知るがいい。

「ダバァーッ! グド、バンゴバァアアアア!」

「ドズゴッ、ダバガド!?」

 ついに地面の一角が全ての支えを失い、自由落下を開始した。

 そこはザガン達が陣取るやや後方。消火を終えて黒々とした焦げ跡が広がる道の上、後続のゴーマ軍が列をなしていた場所である。

 バゴーンと音を立てて崩れ落ち始めた地面は、その上で愉快な叫び声を上げるゴーマを何十体も載せたまま、黒々と大口を開けた巨大な怪物のような奈落の底へと消え去って行く。

「ガッ、バッ……ンバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ガーバァアア! ゼンドバァアアアアアアアアアッ!?」

「イギィイァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 一部が抜け落ちれば、連鎖するように次々とあらゆる場所で崩落が始まった。

 壮絶な揺れが襲い掛かっているので、奴らは走って逃げることすら許されない。それでも、必死に窮地から逃れようと、匍匐前進みたいに無様に這いまわる。

 どこへ逃げようと言うのかね? この滅びの大地からは、逃れることは決してできない。だって全部、崩れ落ちるんだし。

「あっはっはっはぁーっ! 見ろぉ、ゴーマがゴミのようだぁっ!」

 そこかしこで大地が抜け落ちてゆき、ゴーマ共は悲鳴を上げて奈落へ飲み込まれてゆく。

 あのザガンでさえ目を見開いて、絶望的な地の底を見つめていた。

 そうだ、王国崩しは、ただゴーマ王国を滅亡させるためだけの作戦ではない。お前らギラ・ゴグマを一網打尽にするための、巨大な、あまりにも巨大な対巨人用落とし穴でもあるのだ。

 構造上、セントラルタワー周辺数百メートル四方だけは崩せずに残ってしまう。ちょうど中央の要塞あたりまでだ。

 オーマが要塞から出てくることはまずない。けれど、ザガンは出てくる可能性がある。

 あのままオーマの護衛として魔法陣広場へ残っていれば、ザガンだけは難を逃れてしまう。正直ダメかと思ったが、奴も僕らに対しては恨み骨髄ということか、わざわざ増援としてここまで出張って来た。

 残る4体ものギラ・ゴグマが勢揃い。要塞から外に出た時点で、奴ら全員、罠にかかった獲物も同然なのだ。

「グバッ、ドッバァアアアアアアアアアアアアッ!」

「バッ、バンドン!?」

 おっとぉ、最初に脱落したのは、一番重そうな重装甲を誇るバンドン君だ。

 背中の甲羅のお陰で、四つん這いになってると本当に亀みたいな姿のバンドンは、自分の周囲がバゴッと崩れ落ち始めたのを絶望的な表情で眺めながら、けれど何も出来ることはなく、そのまま暗い穴の底へと真っ逆さまになって落ちて行った。

 それをザガンは「バンドーン!」と熱く仲間の名前を叫びながら、見送ることしかできない。そりゃそうだよ、ザガンがいくら強かろうが、足元の地面全部が崩れ去ってはどうしようもない。

 巨人化能力がさらに覚醒すれば、王国全てを支えられるようになるのかい? 巨人の神アトラスみたいに、天空を背負って支えられるほどデカい男になれるというなら、なってみるがいいさ。

「バ、アババ……ンダバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ギザギンズゥーッ!」

 次の脱落者はレアな魔術師クラスのギザギンズであった。

 強力な青い炎魔法を操る奴だったけど、やはりこの状況下で何が出来るわけもなく、哀れに泣き叫びながら落ちて行った。

 青い火球や火炎放射を習得するよりも、ジェット噴射でもして空を飛ぶ魔法でも開発すべきだったね。所詮、魔術師といってもゴーマだな。魔法は威力だけじゃない。対応力だよ。

「グブブ……ザバッ! グドバルダァ、ザガン!」

 さぁ、ギラ・ゴグマ脱落レース、最後に残ったのはあと二体だ。果たしてどちらが最後まで残るのか、とエンタメ気分で眺めていると、ジジゴーゴがザガンに向けて叫んだ。リーダーに助けを求めたって無駄だというのに、と思ったが、あのジジイゴーマの目には確かな戦意が宿っていた。

「ゴーッ! ザガァーン!」

 奴の足元から無数のヒビ割れが走り、メキメキと音を立てて地面が砕け散りながら奈落へと放り出される寸前、ジジゴーゴは両手に握った雷属性の手斧を投げた。

「ちっ、無駄な足掻きを————」

 ズンッ! と鋭い揺れと共に、奴が投げた斧は砦の壁面に突き刺さった。片方は弾かれて落ちて行ったけれど、もう片方はしっかりと突き立っている。だから何だ、という話だが。

 最後に自慢の魔法武器を投げて、一人でも人間を道連れに、とでも思ったのか。それにしては、壁のど真ん中にしか命中しないとはノーコンだけど、

「グッ、ブゥ……ウグゥォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 ザガンの雄叫びが響くと、僕は珍しく直感的に危機を感じた。

 なんかヤバい。アイツは諦めて無駄に叫んでいるのではなく、明確に闘志を燃やしている。

 大地に屈しているだけだったザガンは、腹の底から響くような叫びを上げながら、立った。二本足による直立ではない。獣のように両手を地につけた、いわば四足歩行。

 そして、揺れに揺れながら崩れ落ちる大地の上を、猛然と駆け出した。

「まずいっ、アイツこのままこっちに突っ込むつもりか!」

「させるかよぉーっ!」

 最初に動いたのは杏子だった。

 すでに形成していた上級攻撃魔法『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』を黄金リボルバーからぶっ放す。

 高所に陣取り、遮蔽物はない。相手の足場は不安定極まりなく、何か所かはすでに抜け落ち走るルートも制限されている。

「ムガァッ!」

 けれど、ザガンは避けた。この距離、この状況で杏子の魔法を『見て』避けたのだ。

 あの巨体でこの機動力。やはり、とんでもない化け物だ。

 しかしまずい、あの速度なら、もう杏子の次弾も間に合わない。そして全力で四足疾走するザガンを止めるだけの威力の魔法は、誰にも撃てない。

「止めるだけなら————『完全変態系リモンスターズ』解放!」

 最後の足止め手段だと、僕は横道を振り上げてありったけの肉体を放出。ザガンに組みつきさえすれば、巨人さえも一時的に見動きを封じることができる。そして、その僅かな時間があれば必ず崩落で落とせる。

「ブンガァアアアアアアアアアアアアッ!」

 上から覆いかぶさるように飛び掛かった異形の肉体はしかし、鋭いアッパーのように拳を上へと繰り出したザガンによって殴り飛ばされる。

 マジか、くそ、なんて威力だ。というより、対応力だ。そのパワー、スピード、襲い掛かる攻撃を跳ね除ける力強さは、どこかメイちゃんを思い出させる。一番敵に回したくない、ストレートに強いタイプ。

「ウォオガァアアアアアアアアアアアアッ!」

 そして、ついにザガンは砦にまで肉薄する。

 ちょうど落とし穴を設置した手前で、四足のまま大ジャンプをかまして、巨人でも一息には越せないよう高く作り上げた岩壁へと飛びつく。

 大丈夫だ、あの跳躍力なら上までは届かない————はずだった。

 奴が目指したのは僕らが陣取る上じゃない。ジジゴーゴが最後に投げて壁へ突き刺した斧だ。

 突き刺さった斧は、奴が足をかけるには十分な足場になった。

 あの土壇場で、ジジゴーゴはザガンが砦を乗り越えるための足掛かりを用意したのだ。自分ではなく、仲間が敵を討ってくれると信じて。ちくしょう、ゴーマのくせに高度な連携プレイなんぞをしやがって!

 奴らの間でそんな作戦はありえない、と侮った僕の落ち度だ。

 その僅かな油断のせいで、最も相対してはいけない最強のギラ・ゴグマが、ついに僕らの目の前までやって来た。

 斧の足場を使って、さらに跳躍を成功させたザガンは岩壁を越し、僕らをまとめて叩き潰すには十分すぎる巨大な拳を振りかぶっている。

 ダメだ、もう迎撃も防御も、間に合わない————

「キナコォーッ!」

「プンガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 葉山君の叫びと、キナコの咆哮が天を衝く。

 直後、轟々と凄まじい風圧を伴って、僕の頭上に獣の巨腕が通り過ぎる。

「ブグッ! グッ、ムグゥォオオオオ————」

 霊獣キナコが放ったストレートパンチが、見事にザガンの顔面を打ち抜いた。

 真っ向から巨人と勝負できる巨躯を誇る霊獣キナコは、一撃でもってザガンを退ける。

 奴はただ跳躍してここまで飛んで来ただけ。不安定な空中だ。そこで痛烈な一撃を叩き込まれれば、バランスは崩れ、威力のままに後ろに押し出されてしまう。

 あと一息、あとコンマ一秒あれば、その恐るべき剛腕でもって僕を殴り殺しただろうザガンは、

「ォオオオ……ンバ、ダルガ……ニンゲェァアアアアアアアアアアアアアッ!」

 憤怒と憎悪がこれでもかと込めた絶叫を上げながら、ついに奈落の底へと落ちて行った。

第316話 王国の最期(1)

ついに王国が落ちた。ついでに、ザガンも落とせた。

 作戦の大成功に、僕らは喜びに沸いた。テンション上がり過ぎて、僕が胴上げされたりしてはしゃいでいる内に、すっかり揺れも収まって来る。

 凄まじい震動と轟音は過ぎ去り、今はガラガラと幾つかの瓦礫が崩れ落ちていく音が散発的に響いてくるのみ。

「いやぁ、マジで助かったよ葉山君」

 改めて、僕はしみじみと感謝の言葉を口にする。

 流石はウチの最終兵器。ここぞ、という時に霊獣という切り札を叩きつけた葉山君は、今回のMVPの称号を与えてもいい。

「流石にありゃあビビったぜ。キナコが吠えてくれなかったら、俺も動けなかった」

「そっか、キナコもありがとね」

「プググ、プガァ!」

 特攻してきたザガンを殴り返した後、即座に元の姿へと戻ったキナコに、僕は敬意を表して抱き着いてモフっておく。あれ、なんか微妙に嫌がってない?

 ともかく、葉山君とキナコのお陰で僕らの大勝利である。

 もう丸ごと地面が抜け落ちて、中央のタワーと周辺のみを残し、超巨大なドーナツ型の大穴が空いた状態だ。王国全土は東西南北、全ての地域が文字通りに奈落の底へと崩れ落ちて行った。

 実に壮観な光景だ。我ながら、よくもここまでやったものだと。やはり想像するのと、現実で起るのとでは雲泥の違いがあるね。

「みんな、お疲れ様。まだ戦いが終わったワケではないけれど、一番キツい山場を無事に超えることができたよ」

「おうよ、やってやったぜ!」

「ザガンのトドメは自分で刺したかったけどな」

 すっかり戦勝ムードだけど、これだけの大戦果を得たのだ。今は素直に喜んでおこう。

「見ての通り、ゴーマ王国は地の底へ沈んだ。けれど、まだ要塞の一部と王宮は無傷だ。オーマも生きてるし、そこを守る奴らもそれなり以上には残っている」

 このまま浮かれて突撃をかますには、少しばかり不安が残る戦力差だ。

 向こうも想像だにしない大損害を受けて、最早まともに戦える士気にないとは思うが、オーマならば残存兵力をまとめ上げて、最終防衛線を整えることもできるかもしれない。

「というワケで、お昼休み入りまーす」

 腕時計を見れば、時刻は12時を回ったことを示してくれた。昼休みにはちょうどよい時間帯だ。朝も早かったし、お腹も空いてきたよね。

「昼休み、か。相変わらずマイペースなことを言うな、桃川」

「いいじゃない、どっちにしろ補給もしなきゃいけないしね」

 呑気な言い方に呆れ顔の山田である。補給の必要があるのも事実だ。

「まずは南大門の方まで移動する」

 見れば分かることだけれど、セントラルタワーへ至る道はそこと、反対側の北門しか残されていない。

 崩した天井部分の構造的に、破壊不可能なほど太い柱が南北に渡って通っているのだ。故に、全てが崩れ去った跡地においても、この太い柱だけはそのまま残されており、その真上にある大通りも残っているのだ。

 さながら、巨大な橋がかけられたような状態である。僕らはここを渡って、王宮まで攻め込むのだ。

 万が一この柱も落ちていたら、今度は空飛ぶ方法を考えないといけなかったけど……気球や飛行船を作るチャレンジをせずに済んでほっとしている。

「最寄りの地下に、食事と補給品を用意してある。あんまりゆっくりは休んでいられないけどね」

 時間をかければかけるほど、オーマの迎撃態勢も整ってしまう。僕らも最後の王宮攻略のために、準備が揃い次第すぐに仕掛ける予定。

 なので、補給品も全てあらかじめ準備しておいた物だ。無駄にならずに良かったよ。

 もっとも、一番大事な仕込みは、それよりも先に終わらせているけどね。

「腹ごしらえが済んだら、今度こそ王国にトドメを刺しに行こう」

 王国が崩れ去るのを見た王様って、どんな気持ちなんだろうね。オーマ、お前の顔を見るのが、楽しみだ。




「なっ、何が……一体、何が起こっておる……」

 オーマは、眼前に広がる光景が信じられなかった。

 いや、こんな光景はとても信じたくはない。悪夢といえども、もっと優しい内容を見せてくれるだろう。

 ありえない。あってはならい。この王国が、地に沈んで滅びゆくなど。

「そんな馬鹿な、王国が……余の築き上げた、王国が……」

 この魔法陣広場は王宮のすぐ手前。周辺よりも小高い位置にあるので、南側に広がる街の景色が一望できる。

 普段は沢山の民で賑わう街並みと、勇壮な兵士達が立つ要塞内を同時に見渡せる絶景があるが、今はただ、次々と広がって行く地割れに全てが飲み込まれてゆく天変地異をまざまざと見せつけられるのみ。

 さらには、オーマが自ら放った使い魔の視覚からも、同様の光景が飛び込んでくる。

 ここから見える南側だけではない。反対側の北も、西も東も、王国全土がこの大災害に見舞われていることが一目で分かってしまう。

「ああぁ……神は、余を見捨てたもうたのか……?」

 あまりにも人知を超えた災厄を前に、オーマは自然と膝を屈し、絶望に打ちひしがれる。言葉にした通り、正しく神に見放された気持ちだ。

 如何にオーマとはいえ、神から見捨てられれば全てを諦めざるを得ない。ゴーマは神の加護によって生まれ、繁栄を約束されている。自分はゴーマの王として君臨しているが、それは神が定めた運命なのだ。

 故に、ここで王国が滅び去ることを神が運命づけたのであれば、それさえも受け入れよう————しかし、それを否定したのは聖なる神託などではなく、他でもない、ただ一匹のニンゲンであった。

 幾つも浮かび上がっている使い魔からの視覚情報。その内の一つが、東門に築いた砦に陣取るニンゲンの姿を捉えていた。

 そのニンゲンは、目の使い魔をはっきりと見ていた。オーマが見ていると知っているのだ。

 使い魔の大きな目玉に映る小さな子供のようなニンゲンは、これ以上ないほど邪悪に顔を歪めて口を開いた。

「イエエエェ、ミジェルバァ、オーマァアアア! (イエェーイ、オーマ見てるぅーっ!)」

 笑っている。醜悪なニンゲンの顔は、表情の見分けもつくはずがないのだが、それでも奴は笑っていると、オーマを、この偉大なるゴーマの王を嘲笑っているのだと、直感的に理解した。

 それと同時に察する。信じがたい、あまりにも絶望的な光景を前に停止していたオーマの思考が回り始めた。

 この大崩壊が起こる直前に起った、王国外縁部での爆発。どこも城壁のすぐ傍、重要施設は一つもないために、軽微な被害状況だけを確認して、気にするほどのことでもないと思った。

 しかし、その直後に王国を揺れが襲い、それは瞬く間に大揺れとなり、凄まじい轟音と地響きと共に大地が割れ、全てが崩れ落ち始めた。

 これは、ただの悲劇的な天変地異などではない。

 ニンゲンだ。ニンゲンが引き起こしたものに違いない。オーマはそう確信した。

「あのニンゲンは、知っていたのか……この王国の真下が、かような大穴であったと!」

 崩壊してゆく大地は、ただ土や石だけではない。この大遺跡の構造物である金属の柱や破片も、かなりの量が見受けられる。

 この地面の下など、気にしたことなどなかった。大地は常に我々ゴーマを支え続ける絶対の存在であると誰もが、自分もまた信じ切っていたのだから。

 だが、あのニンゲンは知っていた。王国の下には奈落が広がっていて、それを知らずに何百年もの間、繁栄を謳歌していたのだと。

 だから落とした。僅かなニンゲンの小勢だけでは、どう足掻いても太刀打ちできないゴーマの大軍勢を一網打尽にするために。いや、この王国そのものを滅ぼすために。

 あの爆発は、王国を支える大遺跡の構造体を破壊するためのもの。支柱のような箇所を狙っての爆破に違いない。

 そして、王国が地の底へ沈むことを知っていたからこそ、東門に砦を急造して陣取った。ギリギリ、崩落から逃れられるポジション。そして、崩壊する王国を間近で眺めるために。

「お、おのれ……」

 今更気づいても、もう遅い。

 頭が真っ白になるような絶望感を、ふつふつと湧き上がってくる真っ赤な感情が塗りつぶして行く。

「おのれ……おのれ……おのれぇ……」

 これは、神の怒りに触れたせいではない。

 ただニンゲンの悪意によって引き起こされた、邪知暴虐である。

「うぉおおおのれぇええええっ! ニンゲンめがぁあああああああああっ!」

 オーマは激怒した。

 あまりの怒りに我を失い絶叫する。

 以前、二人もの大戦士を討たれたと聞いた時の比ではない。多くの配下達の前で、王として取り乱す姿を見せまいとする自制心は、欠片も残りはしなかった。

 全てだ。オーマは今まさに、全てを失ったのだから。

「どぼぢでごんな酷いごどをぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 滅び行く王国の空に、オーマの叫びが虚しく木霊してゆく。

 響いてくるのは、すでに土地の半分以上失ってもなお崩れ続ける大地の音と、大遺跡の構造体が砕け散って行く金属音。そして、奈落の底へ無慈悲に飲まれる愛すべき民達の、無数の断末魔。

 これだけの繁栄を遂げるのに、どれだけの時間を要して来たか。遥か昔、この地に王国を建てるのだと志した少年時代は、今でも思い出せる。

 苦難の時が長らく続いた。神に祈り、加護を得て、まだまだ貧弱で、数も少なかったゴーマを導いた。

 日々を必死に生きながら、それでも少しずつ、僅かに、着実に、気の遠くなるような思いで、数を増やし、装備を整え、兵を鍛え上げてきた。

 中央に建つ試練の塔にたどり着くだけでも膨大な時を要し、塔の試練を越えるのにはさらなる時間をかけた。しかし、辛く厳しい試練を自らも超えたからこそ、『巨大化ギガ』を編み出し、大戦士ギラ・ゴグマへと進化させる力を得たのだ。

 その頃でも、ここはまだまだ小さな集落としか言えない規模。大戦士の力によって守りが盤石となり、ようやく居住地の拡大が始められた。

 木を切り倒し、柵と櫓を組み、貧弱ながらも砦を築く。増え行く人口を養うために、育てやすい作物を探し、畑も始めた。

 火吹き竜を始めとした強大なモンスターの襲来に、他種族のジーラ、湧いて出てくるアンデッド。王国滅亡の脅威は幾度もあったし、一時的にこの地を捨てて逃げたこともあった。

 それでも必ずここへ戻り、王国の建設を再開した。どんな苦難にも打ち勝ち、ただ王国の発展を願って突き進んできたのだ。

 最初は粗末な柵でしかなかった防備が、石を積んで低い壁を作り、さらに積み上げ石垣に。ついには見上げるほどの大城壁を築き上げるに至った。

 居住地も小さな布のテントだけだったのが、巨大な布地が帆を張って大家族を何組も収容し、木造建築の住宅も珍しくなくなった。食糧庫は充実し、様々な物品が蓄えられている。

 市場も急拡大し、取引量は年々増加傾向。このまま物々交換だけでは限度があると感じ、更なる発展の為に新たな制度も作り出さねばと考えていたところだ。

 各地に送り込んでいる開拓も、成功しつつあるところが何か所も出てきている。各地からの貢物によって、王国には大遺跡各地からの産物さえも集まるようになった。

 それでも、まだまだ王国は広がる。どこまでも広げて行ける。この大遺跡の全てを支配しても、さらにその先、外の世界まで。

 可能性は無限大。ゴーマの更なる繫栄と明るい未来は、神に約束されている————そんな夢と希望の全てが崩れ落ちていく。

 未来どころか、王となって数百年、築き上げた王国、その何もかもが消え去ってゆく。

 失う。全てが失われてしまう。

「プップップッ、プギャー (プップップッ、プギャー)」

 指をさして嘲笑うニンゲンの邪悪極まる顔が映ると同時に、使い魔の視界は飛び込んで来た矢によって暗転した。ただ一匹の使い魔が射落とされただけのことだが、オーマにとっては、目の前の全てが真っ暗になったような気分である。

 無限に湧き上がってくるニンゲンへの怒りと憎しみが正気を消し飛ばし、もう自分が何を見ているのかも正常に判断がつかなくなる。

 半ば以上、大地に飲み込まれて消え去った王国。混乱する兵士、絶叫する神官、縋りついてくる巫女。見上げた空の青さには、濛々と立ち上って行く黒い煙が入り混じり、混沌とした色合い。

 何を見ているのか分からない。もう何も見たくない。

 真っ暗な視界と真っ白になった頭。けれど真っ赤な怒りで体中が煮えたぎるオーマは、考えることをやめた。

「……ま」

 どれだけの時間、我を失っていたのか。あるいは、気を失っていただけか。

「……様……オーマ様」

 自分を呼ぶ声が、やけにはっきりと聞こえた。

 目を開ければ、美しい巫女の顔がぼんやりと浮かび上がってくる。

「オーマ様!」

「……そう、騒ぐでない。聞こえておる」

 ようやく正気を取り戻したオーマは、涙ながらにすり寄って来る巫女を手で制しながら、ゆっくりと杖を突いて立ち上がった。

「ああ、何ということだ……」

 再び眺めた景色には、一面の暗黒が広がっている。それは巨大な、あまりにも巨大な大穴であった。

 中央の要塞から外側の土地は、大城壁にかけて全てが地の底へと消え去ってしまったのだ。全てを失った絶望の景色だが、爆発した感情が落ち着いた今のオーマは、ありのままに現実を受け止めていた。

 取り戻された正気によって、オーマの優れた頭脳は再び回り始め、目に映る光景から状況を分析、理解してゆく。

「残されたのは、王宮警備隊と多少の守備兵のみか」

 この要塞からは試練の塔の一部が土台となったお陰か、大穴に落ちることなく保持されている。しかしながら、要塞を囲う城壁は半壊状態であり、崩落に巻き込まれた箇所も見受けられる。

 半ば以上、城壁が崩れ去った要塞は、最早その防衛機能は失われたも同然だ。

「ザガン、せめてお前だけでも残っておれば……」

 止めれば良かった、とオーマは己の判断を心の底から悔いた。

 東門のニンゲンが手強く抵抗しているのを確認し、確実に倒すため最強の大戦士長ザガンまでをも送り込むことを良しとした。何より、ザガン自身が強く願い出た。

 あそこに陣取るニンゲンの中に、彼の妻を殺めた残酷非道な暗殺者がいると信じて。

 全戦力の集中と、他でもないザガンの強い願い。肯定せざるを得なかった。分かっていても、後悔は止められない。

「皆の者、静まれ」

 ひとまず大崩落が収まったものの、甚大という形容でさえも足りない、とてつもない被害状況を前に、右往左往するしかないゴーマ達へ、オーマは呼びかけた。

 いつも通りの、威厳に満ち溢れた力強い言葉を聞いて、無為に騒いでいたゴーマ達は即座にその場へとひれ伏した。

「ニンゲンの邪悪な企みにより、王国は見るも無残に崩れ去った……だがしかし、余の王国はまだ、滅びてはいない!」

 街を丸ごと失い、民は死に絶え、鍛え上げた大軍団も消え、あのザガンさえもういない。取り返しのつかない状況だということは、他でもないオーマ自身が一番よく分かっている。

 それでも、オーマは宣言しなければならない。なぜなら、我こそがゴーマを統べる唯一無二の王である。

「余がいる。まだ余は生きておる。よいか、このゴーマ王オーマがいる限り、王国は永久不滅! そして、お前達もまだ生き残っておるのだ!」

 手勢は残っている。王宮警備と要塞に残した者達は、大戦士はいなくともいずれも選び抜いた精鋭揃いだ。

 今回はニンゲンに主力をぶつけて戦力を集中させる予定だったので、どうしても自分のいる要塞は手薄になってしまう。だからこそ、暗殺者の奇襲に対応するため、守備には精鋭だけを選んだ。数の少なさを、質で補った。

 その判断が幸いした。単純な兵力数でいえば、ニンゲンの小勢をいまだに上回っている。

 王宮には物資が豊富に残されており、要塞内の倉庫も半分以上は無事だ。食料も装備も充実している。

「面を上げよ。膝を屈するな。立ち上がれ、ゴーマ達よ! 我々はまだ生きている。我々はまだ負けていない。我々は、邪悪なるニンゲンに勝たねばならない!」

 オーマは杖を振り上げ、正面に見える南大門の方を指した。

 そこには唯一、崩れ落ちずに残っている地面があった。その真下には、巨大な柱が走っているのだろう。ちょうど南大門から要塞に続く大通りだけが、橋がかかるように丸ごと残されているのだ。

 その残された大通りの上には、点々と奇跡的に生き残ったゴーマの姿も見えたが、注目すべきは彼らではない。

 無残に焼け落ちた南大門から、堂々と入って来る一団がある。

「見よ、ニンゲンが来る! 我らを一人残らず殺し尽くしにやって来る!」

 使い魔を通さず、遠目に見ても分かる。

 いつの間にやら東門の砦を捨て、南大門から再び姿を現したのは、間違いなく王国を崩壊させたニンゲンの集団だ。

 黒い魔獣達を従え、完全武装をした邪神の加護持ちの強力なニンゲンの精鋭兵を引き連れた、子供のニンゲン。

 あの小さな子供が、奴らの長だ。そして鍛冶場を焼き、大戦士二人を討ち、ついには王国を崩すに至った『狡猾なる者』が、あの子供に違いない。

 事ここに至っては、狡猾、の一言ではとてもすまない。アレをなんと呼ぶべきか。これまで見てきた、どのニンゲンよりも邪悪で、智謀に長け、残酷無比にして大胆不敵。それはまるで、神によって定められた輝かしい王の運命そのものを蝕む、邪神の呪いが如き————

「あれなるは、『呪いの御子』。最も邪悪な黒き神、その呪わしい加護の力を一身に授かった御子に違いない」

 確信をもってオーマは言う。あれは『呪いの御子』。何としてでもあの者を殺さなければ、王国に未来はない。

 この絶望的な大崩落を乗り越え、再び偉大なゴーマの王国を築き上げるために必要なことは、なによりも『呪いの御子』を討ち滅ぼし、邪神の呪いを断つことだ。

「全てのゴーマ達よ、戦え! 何としてでも、あの『呪いの御子』を討つのだ!」

「ウォオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 オーマの呼びかけに、鬨の声でもって応える。ゴーマ達に、再び戦意と士気が取り戻された。

「王国を崩した恨みを晴らせ! 我らの誇りを取り戻せ! 邪神の呪いを断ち切り、偉大なるゴーマ王国の未来を勝ち取るのだ!」

 オーマの号令一下、ゴーマ達は動き始める。最早、俯いて絶望している者は一人もいない。

 堂々と目の前に現れた、究極の怨敵『呪いの御子』と、それが率いるニンゲン達。

 残された精鋭戦力を全て集中させ、これを撃滅せんとオーマが声を張り上げ指揮を揮い始めた、その矢先のことである。

「————『光の聖剣クロスカリバー』っ!」

 眩いほどの、白く輝く光が弾けるのを見た。

 肉眼ではない。王国を飛ぶ使い魔の一体が捉えたのだ。

 場所は真後ろ、北門。唯一、火の手を逃れて無事であった北の門が、その光り輝く巨大な斬撃によって断ち切られていた。

「あ、あれは、まさか……」

 警戒していた、もう一つのニンゲンの集団。

『光の御子』率いる一団が、挟撃するかのように現れたのだった。

第317話 王国の最期(2)

「————美波から連絡が来たわ。みんな、行きましょう」

 委員長がスマホを仕舞いながら、真剣な表情でそう言った。

「涼子、一体何が起こっているのですか」

「私が説明するより、見た方が早いわ」

「ですが……兄さん、本当にこれで良いのですか」

「もう決めたことだ。委員長を信じよう。みんなも、それでいいな」

 全員、頷きはしてくれるが、その表情は困惑の色が強い。

 それもそうだ。俺自身、一体どういう状況になっているのか全く分かっていないので、不安な気持ちが大きい。それでも、委員長の作戦を信じると決めたのだ。

 俺はあの日、委員長から言われた通り、作戦の詳細を聞かずに協力することを約束した。あの後、俺の方からみんなを説得して、今回は委員長に全て任せようと、ひとまずは納得してもらったのだ。

 結局、彼女の真意は何も分からないまま、今日という日を迎えた。委員長はただ、今日が王国を攻める準備が整う日なのだと、そう俺達に言うだけだった。

 夏川さんだけが単独で王国の様子を見に行き、作戦通りに事が進んでいるかの確認を行っている。俺達は隠し砦から通じる地下道を通って、王国に最も近い出入口で待機していた。

 どうやら、作戦は順調に進んだらしく、いよいよ王国へ攻め込む時が来たと委員長は断言している。

 ここにいても、王国の方から何か物凄い轟音が聞こえてきたから、何かが起こったことは間違いない。けれど、それが何なのかを委員長はいまだ語ろうとはしなかった。いや、単純に王国がどうなっているのか、これから出向いて見れば分かることだ。

 覚悟を決めて、行くとしよう。

 準備は整えてきた。王国を突破しセントラルタワーへ突入を果たした後、最後の目的地である天送門を目指すために、攻略用の装備と物資もしっかり持ち出してきた。だから、ここから先は自分自身の目で見極めよう。

「みんな、こっちだよ!」

 静かに、素早く森を駆け抜け王国の近くにまでやって来ると、夏川さんがこちらに向かって手を振って呼びかけていた。

「美波、大丈夫?」

「うん、全部作戦通りだよ。ちょっと、信じられないくらいに……」

 委員長も改めて、王国の状況を目にした夏川さんに確認をしている。

 目の前に聳え立つ高い石垣。その向こう側からは、濛々とした噴煙が幾つも立ち上っており、尋常な様子ではないことがすでに伺える。

 しかしながら、静かだ。あまりにも静かすぎる。

 王国内で何か大きな破壊活動などが行われたというならば、そこに住む万単位のゴーマ達が騒がないはずがない。まして奴らは俺達を警戒してか、警備も厳重に固めている。ちょっとした事でも、ゴーマ兵がハチの巣をつついたような大騒ぎをするはずなのだが……ほとんど奴らの気配を感じない。王国は不気味なほどに、静まり返っている。

「それじゃあ、行きましょう。悠斗君、まずはあの門を破壊してもらえるかしら」

「そんな正面から堂々と行って大丈夫なのか? 確かに、全く敵の気配はしないが……」

「大丈夫だよ、蒼真君。北門には、もうゴーマは一体も残っていないから」

 どうやら、本当にゴーマの守備兵は皆無らしい。夏川さんがそこまで保障するのなら、これ以上は心配の言葉を口にはするまい。

 俺は『聖騎士の神鉄剣』を抜き、静まり返った北門の前に立つ。

「————『光の聖剣クロスカリバー』っ!」

 固く閉ざされた巨大な門を両断するべく、目いっぱいに力を込めて増大させた光の刃を振り下ろす。

 相手は硬く巨大だが、決して動くことのない的に過ぎない。敵の邪魔も入らないとあって、全身全霊の一撃を難なく繰り出せた。眩い白い輝きが炸裂し、巨大な光の柱と化して破壊力を解放する。


 ズズッ、ドドーン!


 一拍遅れて、切り裂かれた門が地面へと倒れ込む音が響く。

 そうして、ついに開かれた王国の門、その向こう側は————

「なっ、なんだコレは!?」

 門の向こうには、何もなかった。

 無数に張られたゴーマのテント居住地も、雑なオンボロ木造建築も、それどころか地面そのものが存在していない。王国を囲う巨大な城壁の内側は、丸ごと大地の底が抜けた超巨大な大穴と化していたのだ。

 中へ潜入こそしたことはないが、偵察で外から内部の様子を眺めたことは何度もある。間違いなく、ここは無数のゴーマが住まう巨大な城塞都市だったのだが……この光景を見ると、全て幻だったかのように錯覚してしまう。

「涼子、これは一体……」

「ゴーマの王国の真下は、元々大きな空洞だったのよ」

「なるほど、タワー周辺はそういう構造だったのか」

「しかし、よくもここまでやったものだな」

 ゴーマ王国という強大な敵勢力が壊滅したのは喜ぶべきことだが、この有様は想像を絶する。流石の明日那も、慄くような表情で底の見えない奈落を覗き込んでいた。

「す、凄いよ委員長! ねぇねぇ、どうやったの!?」

「王宮には例の石板があったから。小鳥に教わった通りに、美波が操作してくれたのよ」

「わっ、そうなんだ! 小鳥が役に立てたみたいで、嬉しいな」

 古代遺跡の機能を利用すれば、確かにこんなことも可能なのかもしれない。もしかすれば、ゴーマが王国を築き上げた空洞の天井部分は、福岡ドームのように稼働できる構造なのだとすれば、それを動かせば地面丸ごと落とせるのは当然の結末だ。

 この最下層のど真ん中は、エリア一帯を支配するなら最適の立地だが、実は巨大な縦穴の真上という最も不安定な場所だったということ。ゴーマではなくとも、そんなことには気づかずに、この場へ陣取ってしまうだろう。

「ともかく、これで王国ごとゴーマの大軍団も穴の底に落ちて壊滅したわ。残るのは、中央の要塞にいる奴らだけ」

「あのザガンと、他のギラ・ゴグマも全部落ちたから、残ってるのは王様のゴーマと、あとはゴグマくらいだよ」

「本当か、まさかザガンまで倒しているなんて」

 しかし、いくら巨人になれても、いきなりこんな大穴に落とされてはどうしようもない。あまりにも崩落の規模が広すぎる。いざ崩れ始めれば、逃げ場などどこにもないだろう。

「これで私達だけでも、ようやく何とかなるくらいの数まで減らせたわ。この大崩落で、敵はまだかなり混乱しているはずよ。この機を活かして、一気に王宮まで攻め落としましょう」

「ああ、分かった。これは千載一遇のチャンスだ。逃す手はない」

 みんなも同じ気持ちだろう。流石にここまで見事にお膳立てされれば、覚悟を決めて挑むより他はない。

 全員、武器を手に気を引き締めて、ゴーマの残党がいる中央部へと向かう。

「ここ、本当に歩いても大丈夫なんですよね?」

「構造的には、南北を縦断するように太い柱が通っているそうよ。実際、こうして落ちずに残っているのだから、一番頑丈な骨組みなのでしょう」

「にはは、私の勘も大丈夫って言ってるから、ちょっとくらい戦っても落ちたりなんかしないよ」

 崩落した大穴にかかる橋のように、北門から中央の要塞まで真っ直ぐ伸びる道だけがそのまま残されている。桜でなくても、こんな場所を歩けば不安にもなるだろう。

 恐らく、心の底から大丈夫だと思って歩いているのは夏川さんだけ。委員長も理屈では安全だと理解はしているのだろうが、若干、顔色は悪い。

「むっ、悠斗」

「ああ、分かっている、明日那。どうやら、向こうの方から出迎えてくれるようだな」

 道の向こう側から、隠すことなく強い敵意が感じられた。

 前衛を務める俺と明日那、そして最も勘の鋭い夏川さんも、二本のナイフを引き抜き臨戦態勢だ。

 敵がわざわざ出張って来たのは、こちら側の城壁がほとんど機能しないからだろう。中央に築かれた要塞は、綺麗に丸ごと残っているわけではない。5メートルほどの高さの城壁は、ちょうどその辺りが崩れ落ちるかどうかの境目となっており、ここから見える範囲でも半分ほどが崩れ去っていた。

 穴だらけと化した城壁から自由に攻められるよりは、まだこの一本道で迎撃した方が良いと考えたのだろう。こっちとしては、後ろを守りやすくてその方がありがたい。

「桜、後ろは任せたぞ」

「はい、兄さん」

 小鳥遊さんと双葉さん、二人の非戦闘員を守る最後の砦は桜になる。本来は委員長も後衛につくべきだが、もうこれだけしか人数がいない以上は、中衛となって戦闘に集中してもらう。

 前衛は俺と明日那と夏川さんの三人だけ。正直、一体だけでも敵に抜けられると厳しいが、それでもこれで頑張るしかない。

 装備は出来る限り最高の状態まで整えた。これほどまでに有利な戦況にもなっている。ならば、後はもう自分達の力を尽くして戦い抜く。

「さぁ、行くぞ。俺達は絶対、みんなでここを越えてダンジョンを脱出するんだ!」

「あっ、ああぁーっ!?」

 俺が先陣を切って迫りくるゴーマ軍へ切り込もうと一歩を踏み出した、その矢先のことである。小鳥遊さんの叫び声が上がった。

「なんだ、どうしたんだ!」

「どっ、ど、どうしよう……大変だよぉ!」

 振り向けば、半泣きでオロオロしている小鳥遊さんの姿が映る。いきなり、後ろから敵が現れて、という状況ではないうようだが、

「兄さん、まずいことになりました」

 同じく状況を察したらしい桜が、表情をこわばらせながら言う。

「おい、一体どうしたって————ん、ちょっと待て」

 パっと見た限りでは、異常はない。敵の姿もない。そう、敵はいないのだが……一人、足りない。

「双葉さんは、どこに行ったんだ?」

「それが……全く、見当たらないのです」

「どういうことだ!?」

 あの目立つ長身の双葉さんの姿が、どこにもない。

 落ち着け、俺が門を破壊した辺りでは、間違いなく一緒にいた。隠し砦から出る時も、彼女には今回ばかりは武器を持たせて、物資も背負ってもらった。大きなハルバードと盾を持ち、さらには大荷物まで抱えた双葉さんは、多少離れたところで見失うような姿ではない。

 彼女は桃川の毒殺未遂の一件以来、正気を半ば失ったような状態だったが、決して一人でフラついて消えることはなかった。ちゃんとみんなと一緒について来ていたし、何の問題もなく行動ができていたはずだ。

 だからこそ、だろうか。俺も、桜も、非戦闘員として後ろで一緒にいる小鳥遊さんも、双葉さんはいつも通りついて来ている、と思い込んでいた。

「えっと、気がついたらいなくて……どこではぐれちゃったのか、小鳥、全然分んないよぉ!」

「なんてことだ、急いで探さないと」

「悠斗! もう敵が来るぞ!」

 鋭い明日那の掛け声に、俺は再び前を向く。

 複数のゴグマを擁する、ゴーヴの軍団が道を歩いて来る姿がもうはっきりと目に見えるほどの距離にまで来ている。とてもじゃないが、人探しをしている余裕はない。

「仕方がないわ、まずは目の前の敵をなんとかしましょう。双葉さんは……王宮を制圧してから探す方が、かえって安全よ」

「……くそっ、そうするしかないか」

 状況的に、双葉さんが俺達よりも前に出て要塞に突っ込んでいることはありえない。残ったゴーマは全員がここに立て籠もっていることを考えれば、外は安全でもある。できれば、隠し砦にでも戻っていてくれればいいのだが……ええい、今は戦いに集中しよう。

「お願いだ、無事でいてくれよ双葉さん————」




「さぁて、それじゃあ行こうか」

 短いお昼休みだったけれど、みんなでゲン担ぎのカツサンドを食べて、補給も完了。

 僕らは地下道から出て、再び王国へと向かう。

 今回は真正面から、王国の玄関口たる南大門から堂々と入る。巨大な門は猛火に晒されたせいで、流石に焼け落ちている。門を取り付けている巨大な柱そのものが焼失したせいだ。

 大きな鉄製の門が、黒焦げになって地面にバッタリと倒れている。そう、これだけ大きな金属の塊が落ちているのだ。有効活用させてもらおう。

「姫野さん、30秒で終わらせてね」

「えっ、時間制限とかあるの!?」

 当たり前じゃん、のんびりしてられないよ。僕はさっさと右側の門扉へ向かい、ルーズリーフのスクロールを広げる。姫野は一歩出遅れて慌てながらも、僕と同じように左側の門扉へとついた。

 スクロールに描いてあるのは勿論、『簡易錬成陣』である。

 コイツで門扉をちょこっと弄れば、金属製の巨大盾の完成だ。

「32秒」

「そんなの誤差でしょ」

「柄をつけるだけで、30秒以上はかかり過ぎだと思うんだよね」

 ちょこっと弄る、のちょこっと部分は盾として保持するための柄を生やすだけのこと。門扉の金属をそのまま捻りだすだけの簡単な加工である。

 うーん、これでも一応、練習させたんだけどね。やっぱり、残業後に練習してもあんまり身にならないものか。

「また今度、しっかり練習すればいいよ」

「まだやらせる気なの!?」

 そりゃあ、僕らの戦いはまだまだ続くし? でも今は目の前の戦いに集中だ。

「よし、しっかり僕らを守ってくれよ、タンク」

「ウゴゴゴ……」

 言葉を理解しているかどうかは非常に怪しいが、それでも命令には忠実に従ってくれる召喚獣『タンク』が、それぞれ門の大盾を手にする。

 補給は何も、消耗した物資の補充だけではない。陽動部隊として派手に散って行った召喚獣達もまた、再召喚して復活させている。流石に、スケルトンとハイゾンビの装備までは用意しきれなかったけど。

 召喚獣フル稼働は僕の魔力的には結構キツいことになるけれど……きちんとコアと召喚陣を用意した儀式召喚をすると、自分の魔力消費は最低限まで抑えられるのだ。下準備と手間と時間が少々かかるので、戦闘中みたいな切羽詰まった時には使えない。それでも、事前準備ができる余裕さえあるなら、コアの魔力を利用できるのは非常に便利だ。

 そんなワケで、タンクも三体フル召喚してある。

 ゴグマ並みの巨体を誇るパワー特化の新たな召喚獣タンクだが、流石に何メートルもある巨大門を持ち上げるのは大変なようだ。それでも丸太のような太さを誇る両腕に、ビキビキと血管を浮かばせながら、見事に持ち上げてみせた。

 うん、よくやった。これで守りは万全だ。

 大盾持ちのタンクを先頭に、僕らはいよいよ王国へと踏み入る。

 ちょうどその時、北の方角から白い光の柱が空へと立ち上るのが薄っすらと見えた。

「おい桃川、アレって」

「うん、蒼真君達も動き始めたようだね」

 王宮攻略の段階からは、彼らにも協力してもらう。

 勿論、委員長には僕の名前を出さずに、潜入した夏川さんが上手いことやった、ということにして蒼真君を騙す、もとい説得してもらうように頼んでおいた。果たして、委員長がどんな口八丁で誘導したのかは分からないけれど、ばっちりこちらの動きに合わせたタイミングで攻撃を始めてくれたので、上手く成功したようだ。

 事情を知らずに僕の作戦に利用されるのは哀れだけれど、僕らの方が先に命を賭けて王国攻略に挑んだのだ。大切なクラスメイトが命賭けてるんだから、君らも命賭けで戦ってくれないと割に合わないよ。

「なんか、すげぇ光の精霊の気配を感じたぞ。アレが蒼真の力なのか?」

「そうだよ。如何にも勇者様っぽいでしょ」

「物凄い光の力が出てんのは分かるな。けど、普通の光精霊とは違う、妙な感じがするっつーか……」

 葉山君が『精霊術士』だからこそ、違いが分かるのだろうか。勇者の力は、ただ強力な光魔法というだけではなさそうだし。

 でも、彼の力の正体は今はどうでもいい。大事なのは、彼らが一端の戦力として機能することだ。

「これで敵の半分は、蒼真君側の対処に追われることになる。僕らに相対する敵も半減。少しくらいは、楽させてもらおうよ」

 北側の要塞城壁はボロボロだ。そこを守ることを考えれば、僕らへ対処する以上の戦力を割かねばならないだろう。ただでさえ心許ない僅かな手勢を、さらに分割しなければいけないオーマの心情を思うと、泣けてくるね。

「それじゃあ、張り切って行こう。前進!」

 残った柱が橋代わりとなって、南大門から要塞正面まで真っ直ぐに続く道を進む。

 元々、大通りだったので道幅は十分ある。強いて障害物といえば、偶然ここにいて崩落を免れたスーパーラッキーゴーマがちらほらいるくらい。

「退け退けっ!邪魔だぁーっ!」

 大盾タンクと、それに続く山田が路上に転がるゴーマを撥ね飛ばし、あるいは踏み潰して排除していく。ここにいるゴーマは逃げ惑っていた一般ゴーマとゴーマ兵くらいだから、戦闘力はあってないようなもの。でも邪魔だし目障りだから、掃除するに越したことはない。

 そんな哀れな末路を辿る生き残り達を、オーマはわざわざ救出に出てくる気はないようだ。

「やっぱり、こっち側の城壁は丸ごと残ってるな」

 反対側の北の方はかなり崩れているのを見たけど、僕らが攻める南側は無傷だ。この大通りの橋一本しか侵入路もないから、最寄りの崩れた場所へ迂回することもできない。

 その地形上の有利をオーマは理解しているのだろう。僕らが堂々と姿を現しても、門を開いて打って出て来ることはない。無傷の城壁を利用して、そのまま籠城戦をするつもりか。

 城壁の上には、今度こそ僕らを仕留めようと息巻いているゴーヴ兵達が弓を手にズラっと立ち並んでいる。中には、魔法の杖らしきモノを持った、やたらカラフルなローブ風衣装の奴らも混じっている。ゴーマの魔術師か神官っぽい奴だ。ゴーマ軍の中でも少数派のアイツらを引っ張り出して配置しているのだから、本当に切羽詰まっていると見た。

 王国を囲む大城壁よりは低いとはいえ、要塞の城壁も同じく石垣で作られた頑強なもので、そこに十分な遠距離攻撃力を持つユニットを配置した。万全の迎撃態勢。

「あはは、大歓迎だね」

 先手は向こう側。ゴーヴの膂力によって引き絞られた弓が一斉に放たれ、雨、とまではいかないけれどそれなりの量がまとまって降り注いでくる。勿論、火や氷やらの攻撃魔法も入り混じって飛んでくるが、大半はタンクが掲げる大盾によって防がれる。

 このサイズの金属門扉を破壊しようと思うなら、弓なら桜井君並みの武技を、攻撃魔法なら上級以上じゃなければ無理だ。ただ発射しているだけの矢と、中級程度が幾つか、といった遠距離攻撃では、門の盾をノックするだけに留まる。いやホントに、頑丈だよねこの大門は。伊達に王国の正門やってないよ。

 そうして奴らの攻撃をほどほどに浴びながら、僕らは防御態勢をとりつつ前進し続ける。大盾タンクに、ロイロプス一号、二号、共に頑丈な壁として機能する。反撃はしない。もう少しで、こちらの間合いに入るからね。

 籠城側の防衛有利で、攻城する攻撃側は3倍の兵力がないと、とはよく聞くけれど、それは正攻法で攻める場合に限った話だ。元より寡兵の僕らが、正攻法で攻めるはずがないだろう。

「こっちはもう大城壁を乗り越えてきたんだぞ。この程度の高さで、止められないってまだ分からないのかな————上田君、芳崎さん、また頼むよ」

「投げるだけだから、さっきよりも楽だぜ」

「こっちは投擲スキル持ってんだよオラァ!」

 大盾タンクを壁にしながら、上田と芳崎さんがそれぞれ鉄の槍を思いきり投げる。綺麗な弧を描いて飛翔した槍は、そのまま地面へと突き刺さる。

 この槍の正体は勿論、『土魔法造成用鉄杭・突貫工事くん1型』だ。

「————『大山城壁テラ・ランパートデファン』」

 杏子の上級範囲防御魔法によって、ゴゴゴと大地がうなりを上げながら隆起を始める。

 次々と投げられる『突貫工事くん1型』を支柱として、城壁を登る巨大な岩のスロープがゆっくりと、しかし着実に作り上げられていく。

「ンバッ!? ゼンダーヴァ!」

「ゴグガァ、ダゴゼグン!」

 城壁に陣取るゴーヴ兵共が大騒ぎし始めるが、もう遅い。徐々に城壁上へと迫ってゆく大岩のスロープに攻撃を試みているようだが、その程度で上級魔法を止めることはできない。というか、発動した魔法を止めるのってかなり難しいんだよね。

 恐らく発動中の術式そのものに介入できないと、魔法をキャンセルするような効果は出せない。魔法を防ぎたいなら、完成した後に飛んでくる攻撃を避けるか防ぐか、壁が造られるならソレを直接壊す方が手っ取り早い。

 つまり、お前らは一級土魔法建築士である蘭堂杏子様の攻城用スロープが完成するのを、指をくわえて見ているしかないってことだ。

「よっし、完成。小太郎、出来たぞぉー」

 匠の技が冴えわたる、完璧なスロープが完成した。見てください、このゴツゴツした不揃いの表面。足を引っかけて転んでしまいそうなデコボコだけど、荒削りの武骨さは頑丈な証拠。

 巨大な岩の坂道が見事に城壁上までかかり、これ以上ないほど楽な突破口が開いた。

「突撃」

「ウゴゴ……ウボォアアアアアア!」

 雄たけびを上げて駆け出すのは、まずは大盾タンクの二体。そのすぐ後ろに、三体目のタンクと、レムのミノタウロス。そして、ありったけ出したスケルトンとハイゾンビが続く。

「ブモォアアアアアアアアアアッ!」

「ダーガバァ! ゴンブガ、ドッバァアアーッ!」

 一気に城壁上まで乗り込んだ召喚獣の捨て駒切り込み隊が、射手ゴーヴへと襲い掛かる。瞬く間に敵味方の入り乱れる乱戦と化す。

 スケルトンとハイゾンビは流石にゴーヴ相手だと倒されてしまうが、構うものか。

 貴重なボス級コアは爆弾につぎ込んだのでもうないけれど、普通のコアならまだまだ沢山ある。コアのある限り増員を補充して戦力を維持し続けられる。

「桃川、俺も行かせてくれ」

「うん、大丈夫そうだから、このまま一気に城壁を制圧しよう」

 山田の進言を受けて、僕らも城壁へと乗り込む。

 後は東門に陣取った時と同じく、城壁を利用して高速で防衛陣地を構築。簡易的な岩の砦が完成すれば、攻城戦は一転、壁の上に陣取るのは僕らとなった。

 攻守逆転。ゴーマ共は、不利と分かっていながらも僕らの砦を攻めるより他はない。

 それとも、要塞を放棄して王宮まで下がって立て籠もるかい? あそこはお前らの知らない抜け道だらけだ。あんなところに陣取るなら、この要塞の方がまだマシだよ。

 まぁ、どうするかはオーマの自由だ。僕らは砦の防御を活かして、このままゴーマ軍を削って行くだけだ。蒼真君の北側攻勢も順調な模様。このまま戦い続ければ、遠からず戦力比も逆転するだろう。

 ふふん、勝ったな。

第318話 王国の最期(3)

「さぁ行け、進め一億火の玉だぁーっ!」

 松明と油を抱えたスケルトン達が、次々と城壁の上からダイブしていく。

 眼下には瞬く間に城壁を抑えられて狼狽えている敵集団と、櫓や兵舎、倉庫などといった要塞内の施設がある。用意した油はまだ残ってるんだ。全部つぎ込んでここも火の海にしてやろう。

「イギィイアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ンバッ!? ダグバッ、ンボォオオオオオッ!」

 可燃物満載の炎上スケルトンの特攻を、奴らは止めきれない。一体でも抜ければ建屋に火を放たれるし、そうでなくても敵集団に飛び込んで点火すれば火属性攻撃魔法が炸裂したも同然である。

 ゴグマならまだしも、ゴーヴでは炎に巻かれればただでは済まない。周囲一帯が炎上して熱と煙に包まれれば、ゴーヴ兵はほぼ無力となる。

 一方、僕らは耐熱装備があるので、この程度は平気だ。

「これで最後だ、グレも使い切るつもりで投げちゃって」

「言われなくてもぉ」

「投げてやるよ————どうだっ、大当たりぃ!」

 城壁の上から、上田芳崎コンビはひたすら投擲攻撃。山田は二号車から火炎放射を城壁に取り付いて攻めようとする奴らに浴びせかけ、こちらに寄せ付けていない。

 でも僕らの中で遠距離攻撃に強いのは、やはりこの二人。

「————『岩礫崩テラ・オーヴァブラスト』」

「————『火炎砲イグニス・オーヴァブラスト』」

 杏子と中嶋の魔法攻撃が、無防備なゴーヴ軍団の頭上を襲う。

 こっちは10メートル近い高所から狙い放題。向こうはロクな遮蔽物もなく、おまけにどんどん火の手に巻かれて、僕らを攻めるどころか逃げ場すら怪しい。

 ほとんど一方的な状態。それでも、まだまだ奴らの方が数は上なのだ。態勢を立て直されて、真っ向から攻め込まれれば一気に劣勢に傾いてもおかしくない。

余裕があるように見えて、これでなかなかギリギリの綱渡りだったりするんだよね。だから、このまま戦いの主導権を握り続けて完封し、敵兵力を削り切るまで決して油断はできない。

慌てる必要はない。僕らと蒼真ハーレムパーティに挟撃され、どちらも快進撃を続けて順調に敵を削っている。着実にオーマは追い込まれているはずだ。

 もしも、まだ奴に何か奥の手があったとしても、まずは主力であるゴーマ軍を殲滅することに専念しよう。

「————『ポワゾン』、『ポワゾン』、『ポワゾン』、そしてグレネード!」

 僕も『呪術師の髑髏』を嵌めた愚者の杖で『ポワゾン』をバラ撒きながら、右手に構えたエアランチャーで敵の群れ目掛けてグレネードをぶち込む。

 この状況下では、僕の指揮も必要ない。とにかく目につく奴らを攻撃し、数を減らすのだ。

「やっぱり、王宮に避難を選んだか、オーマ」

 目に見えて敵の数が減って来た辺りで、ゾロゾロと引き上げていく動きを見せ始めた。

 現在、オーマが陣取っている本陣は王宮前の転移魔法陣広場だ。実は、ここからでもそこは見える。距離があるので攻撃こそ届かないけれど、それでも肉眼で広場の動きは確認できるのだ。

 僕らが制圧した要塞正門周辺は、すっかり炎に巻かれてゴーマ軍不利なのは明らか。このままでは兵を無駄に減らすだけだとオーマも判断したのだろう。そろそろヤケクソになって、自ら突撃でもしてきてくれれば楽だったんだけど。

「しょうがない、仕切り直しするか————ん?」

 ここでの戦いは終了し、次は王宮へ直接乗り込んで最後の戦いだ、なんて考えていると、不意に背筋に悪寒が走った。ような気がした。

「も、桃川っ! なんか知らんがヤベぇぞ!」

 いや、気のせいじゃなあい。メンバーの中で最も勘が鋭い上田が、まず最初に声を上げた。

「マジだっ、なにこれヤバい!?」

「下から来るぞっ、気をつけろぉーっ!」

 次いで芳崎さんが同じく察したのか叫ぶと、気配を捉えた上田が指をさして大声をあげる。

 そして、その時にはもう手遅れだった。


 ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ————


 地の底から響き渡って来るのは、地獄の怨霊達が大合唱しているかのようなおぞましい声。それはすぐに、天を衝くほどの巨大な咆哮となって僕ら全員を震わせた。

「ブゥンガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 凄まじい怨嗟の雄叫びと、砦を揺るがす震動。そして何より、絶大な殺意を帯びた強烈な魔力の気配が叩きつけられる。

 振り向き見るよりも前に、何者が現れたのか僕は悟った。

「ザガン!?」

「ユルザン……ニンゲン、ユルザンゾォ……ゴロスゥウウウウウウッ!」

 何故か、奴の喋る言葉の意味が理解できた気がする。

 けれど、僕が振り向いたその瞬間には、巨人と化したザガンの憤怒の形相がそこにあった。

 奈落の底を登り詰め、僕らが陣取る城壁の上まで一息に駆け上がってきたのだ。

 城壁から上半身を乗り出すような態勢のザガンは、他の誰でもない、ただ僕だけを真っ直ぐに睨みつけ、大口を開き、

「うわぁあああああああああああ————」




「お、おい、ヤベェぞ、桃川が喰われた!?」

「桃川ぁーっ!」

 突如として地の底から復活を果たしたザガン。城壁まで登り詰めるなり、まず最初に狙われたのがリーダーである小太郎であった。

 ザガンの口は間違いなく小太郎を捉えており、その小さな体は丸ごと飲み込まれてしまった。

 バリバリと咀嚼する動きを見せた後、大木のような喉が蠢き嚥下していく。助け出す、という考えすら浮かばない。

 あまりに突然の奇襲に、誰もが一瞬硬直してしまう。故に、次の一手もザガンの方が早かった。

「ブンガァッ!」

 巨人の拳が振るわれると、直撃したのはロイロプス一号車。

 後方に陣取っていたのが災いし、背後から現れたザガンからすれば一番近くにいる敵となった。近かったから、先に攻撃された。ただそれだけのことである。

 鋼鉄の箱体は大きくひしゃげ、本体の重装甲もバキバキに砕け、ロイロプス一号車はそのまま衝撃で吹き飛ばされ、城壁から落下していった。ガシャーンッ! と、盛大なクラッシュ音が下から響く。

「うわ、ひ、姫野、死んだか……?」

「アイツの心配してる場合じゃねぇだろ!」

「芳崎の言う通りだ。俺達でやるしかねぇ」

 ようやく前衛組みがザガンへと向き直る。

 対するザガンも、ついに城壁の上まで登り切り、身の丈5メートルを超える巨躯を堂々と立たせた。

 その身は満身創痍といった有様だ。いかにザガンといえども、地の底まで叩き落とされたのは相当に堪えたようである。

 逞しい肉体には無数の傷跡が走り、大きな裂傷や打撲跡も目立つ。全身は血に塗れており、身に纏っていた衣装もボロボロ。腰から下げていた業物の剣も、奈落の底で失ってしまったようだ。

 だがしかし、迸る戦意は全力全開。王国を崩壊させられ、自身も卑劣な罠にかけられ、恨み骨髄と言わんばかりに、憎悪を感じさせる紫色の禍々しいオーラが発せられている。

「ギラ・ゴグマ、ザガン」

 城壁に立ったザガンは叫ぶ。戦士の名乗りを上げる。

「ギラ・ゴグマ、ザガン!」

 王国に響き渡る、誇り高き戦士の名乗り。

 我こそは、王国最強の大戦士、ザガンであると。

「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

「ザガン!」

「ザガン! ザガン!」

「ザガァアアアアアアアアアアアアン!」

 大戦士の復活に、絶望の淵に立たされていたゴーマ軍が湧き上がる。彼こそ正に、王国の希望の光。故国存亡の危機を救う救世主である。

「クソっ、やるしか……やるしかねぇ!」

 リライトは嫌な汗が滲む掌で、ギュっと槍を握りしめる。

 一気に形勢逆転され、窮地に立たされた現実を嫌でも理解させられる。頼れる桃川も今はいない。

 ここは何とか、自分達の力だけで切り抜けるしかないのだ。

「すまねぇ、キナコ、ベニヲ、かなり無理をさせることになると思う」

「プガァ!」

「ワンワン!」

「俺の力、全部お前らにつぎ込んでやる! だから頼む、何としてもザガンを倒すんだ!」

 巨人化ザガンと真っ向勝負するには、これ以外に手段はない。リライトは迷わず、自分の力の全てをここで使うことを決めた。

「行くぞっ、『霊獣召喚』!」




「————クソッ! やられたっ!」

 呑気に観戦モードしていた僕は、慌てて立ち上がってアルファに飛び乗った。

 ザガンに食われたのは、『双影』の分身だ。

 そう、本隊と共に行動していた方が分身で、実は爆弾設置をしていた方が本物の僕なのだ。いや、別に誰かを騙す意図はないけれど、爆弾設置と起爆をするのは、分身じゃなくて本体じゃないと上手くできないから、そういう分担になったというだけのこと。

 呪術そのものは分身だと使用制限が結構あるけれど、『愚者の杖』みたいな装備依存の能力は意外と使えるんだよね。だから『無道一式』を筆頭にメイン装備を全て分身に託し、僕本体は『屍鎧バズズ』だけで破壊工作に挑んだというわけだ。

 ここまで来ると、もう僕が本体だろうが分身だろうが、戦闘能力そのものにあまり違いはなくなってくる。戦闘指揮さえできれば僕の役目はほぼほぼ果たしていると言ってもいい。

 勿論、だからといって僕はサボっているワケでもなければ、一人だけ安全圏で芋っているつもりもない。

 僕は蒼真パーティの監視担当だ。万が一ピンチに陥れば掩護するし、何より小鳥遊の動向は直接監視するに限る。王宮攻略が完了した後は、彼らと久しぶりに感動の再会となるわけだ。そのためのシチュエーションはしっかりとお膳立てしなければならないので、僕はそっちに集中するつもりだったのに……ええい、予定が全部狂っちまった!

 王宮攻略は全て順調に進んでいたというのに、ザガン奇跡の復活により状況が一気にひっくり返された。最強のエースが帰還したことで、圧倒されていたゴーマ軍も士気が回復してしまっている。

「まずい、まずいぞ……ここまで来て犠牲者が出るなんて、絶対に御免だ!」

 今更、本物の僕一人が駆け付けたところで、さほど大きな戦力にはならない。ザガンという最強戦力が突っ込んで来た以上は、指揮能力でどうこうなるレベルじゃない。今必要なのは、奴と真っ向勝負できるだけの戦力だ。

 それでも、僕は全力でみんなの下へと向かう。

 今は葉山君の霊獣召喚によって何とか凌いでいるけれど、どうにも旗色は悪いようだ。ザガンには落下ダメージがかなり入っており、さらに武器を失い丸腰だが、それでも全く不利を感じさせない暴れぶり。

 本来の実力か、それとも憎悪と執念か。大城壁の外周を南に向かって全力疾走するしかない僕には、響き渡って来る激しい戦闘音が聞こえるのみで、戦いの情報も今はレムを通して聞くだけに留まる。

 状況が目に見えないので、不安ばかりが募って来る。こうなってしまえば、祈ることしかできないのが辛いところだ。

「頼む、間に合ってくれよ————」

 南大門を潜り抜け、大通りを走り抜ける。そのまま城壁にかけられたスロープを駆けあがり、ついに僕は現場へと辿り着いた。

「————ブグルッ、ゼバァッ!」

 そこで目にしたのは、理想的なフォームで繰り出されるザガンの回し蹴り。

 学園塔で修業ごっこしていた時に、蒼真君に回し蹴りも見せて貰ったりもしたけれど、あれと比べても遜色ない見事な蹴りである。正に格闘家が磨き上げた技。

 それが巨人サイズで繰り出されたのだ。稲妻のような速さで走った蹴足は、轟々と唸りを上げて突風を撒き散らす。叩きつけられる風圧に反射的に顔を庇う。

 直後に響き渡る、痛烈なインパクトの音。

「プガァアアアアアアアアアアアアッ!」

 胴体に強烈な巨人の蹴りがクリティカルヒットし、霊獣キナコの巨躯が軽々と吹き飛ばされた。要塞内を二転三転、立ち並ぶ櫓をへし折り、兵舎を巻き込み崩壊させて、ようやくその動きが止まった。

「ちくしょう……こ、ここまでかよ、すまねぇ、キナコ……」

 城壁にもたれかかるように、葉山君が僕のすぐ傍で呟いた。息は荒く、顔色は青白い。ただ魔力を消費しただけでなく、生命力まで振り絞ったかのような憔悴ぶりである。

 霊獣化の限界を迎え、葉山君が膝を屈すると同時に、倒れ込んだキナコも眩い光に包まれながら、変身が解かれていく。

「もっ、桃川ぁ、後は、頼んだぜぇ……」

 当初の作戦がとっくに崩れたことは分かっているだろうに、それでも葉山君は、僕へ笑いかけながら、気を失い倒れた。

 駆け付けた僕に、そこまでの希望を見出したのだろうか。まったく、君はどこまでも楽観的で能天気だよね。

「ああ、ちくしょうめ、全滅じゃあないか」

 城壁から見下ろせば、惨憺たる状況が広がっていた。

 霊獣だけに任せず、前衛組みもザガンへと挑んだのだろう。鎧がバキバキに砕け散った山田を、上田が必死に引きずって避難しているのが見えた。また別の一角では、先に霊獣化が解除されたのだろうベニヲを抱えて、芳崎さんが同じく退避していく。

 なんとか仲間を救助している上田と芳崎さんだが、この二人だってボロボロだ。全身血まみれで、今にも担いだ仲間と共倒れしてもおかしくない雰囲気。

 諦めずに仲間を助けて向かう先にあるのは、杏子が作った簡易トーチカだ。元々は、城壁の下へと落下したロイロプス一号に乗っていた姫野を助けるために、その場に構築したのだろう。

 しかし、今はそこも崩れ去ってしまっている。

 上からザガンに踏みつけられたのか、堅牢なトーチカは天井からぶち抜かれて半壊状態だ。

 あの中には杏子と姫野は間違いなくいるだろう。それに、崩れた瓦礫の上で、他のみんなと同様の満身創痍で、中嶋も倒れ込んでいた。

 あの様子では、二人の救助活動どころか、自分自身の生存すらも危ういだろう。

 速やかに全員の救助と治療が必要だが……それさえ許されない逼迫した状況だ。

 今この瞬間に霊獣キナコも倒れたことで、ついにザガンを止める者はいなくなったのだから。

「グブルッ、ゼブラァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 勝利の雄叫びを上げるように、天を向いて吠えるザガン。その身にはいまだ紫色のオーラが濛々と吹き上がり、力の限界を感じさせない。

「グガァーッハッハッハ! ザガン、ズドバンガッ!」

 ザガンの咆哮に応えるかのように、高らかな笑い声が響く。

 僕らが撒き散らした火炎と、巨人が暴れて出来た破壊跡が広がる正門前に、数多の兵を引き連れて奴は現れた。

 仙人のように長く伸びた白髪と白髭。力強さは感じられない痩せ細った老人のようだが、色鮮やかなローブを身に纏い、宝石と同等の煌めきを放つ高純度魔石が幾つも嵌った豪奢な杖を手にした姿は、正に王国の頂点に立つに相応しい。

「わざわざ勝利宣言しに出て来やがったのか、オーマ!」

「オーマ!」

「オーマ! オォオーマァアアア!」

 ゴーマ王オーマの登場に、ザガンは巨人のままその場へと跪いた。無論、ゴーヴ兵共も一旦戦闘を中止し、次々とひれ伏して行く。

 城壁の上からその光景を見下ろしている僕に、オーマは真っ直ぐこちらを見ながら口を開いた。

「ギザマ、ガ、ノロイニンゲン」

「……喋った」

 いや、違う。ザガンに食われる寸前の時と同じだ。ゴーマの喋った言葉の意味が、何故だか理解できるように伝わって来た。

「ヨグモ、ヨノクニ、コワシダ」

「ああ、そうだよ……僕がこの汚らわしいゴーマの国をぶち壊してやったんだ」

「ジャアク、イムベキ、ノロイニンゲンガ!」

「へぇ、ゴーマに邪悪って概念があるとは思わなかった。ゴキブリ以下の人喰いモンスターのくせに、自分達を神聖だと思っているとは笑わせる!」

「ニンゲン、アクノシュゾク。ダガ、ノロイ、ギザマゴゾ、イマワシキ、ジャアクキワミ」

「そうさ、僕は『呪術師』だからね、呪うのは当たり前だろう」

「グフ、ブハハ! ノロイ、オワル。ザイゴ、ギザマノアダマ、ヨガ、グライツクス————ギラ・ゴグマ、ザガン!」

 オーマの呼びかけに応えて、ザガンが立ち上がる。

 憤怒と憎悪に燃え上がった目が、途轍もない殺意を込めて僕を睨みつけた。

 おお、怖い。なんて迫力だ。蛇に睨まれた蛙よりも、絶望的な戦力差ってやつだよ。

「ザガン、ノロイ、ゴロセ! ヨニササゲヨ!」

「ハッ、オーマザマ! ノロイ、ゴロズゥッ!!」

 正に絶体絶命。

 仲間は全滅で、残っているのは貧弱な呪術師の僕ただ一人。

 そんなことは分かっている。分かり切っている。それでもこの場へ僕がやって来たのは、仲間達と心中するなんていうセンチメンタルな理由じゃあない。

 僕はまだ諦めていない。必ず勝つ。誰が、お前らのようなゴーマ如きに、負けてやるものかよ。

 だから僕は、ここで最後の切り札を切る。

「助けてぇーっ! メイちゃああああああああああああああああああああん!!」

第319話 狂戦士VS大戦士

「助けてぇーっ! メイちゃああああああああああああああああああああん!!」

 他人任せの情けなさ全開の絶叫を、僕は恥ずかしげもなく声の限りに上げる。

 当然だ、だってこれはヒーローを呼ぶ子供たちのように純粋な信頼の証。

 絶体絶命のピンチを助けてくれる、ヒーローへの呼び声。それはマスクを被った改造人間でもなければ、銀河の彼方からやって来た光の巨人でもない。

 僕にとってのヒーローは、料理上手で最高に可愛くて大きな、クラスメイトの女子なのだから。

「ザガン!」

「ムグッ、ゼンブラァッ!?」

 オーマの叫びと共に、ザガンは振り向いた。

 そこには真っ直ぐ飛んでくる火の玉が、いいや、燃えるような真紅に輝く砲弾がある。虚空に赤く輝く尾を引いて、凄まじい高速で飛来する。

 その赤き砲弾の発射地点は、恐らく数百メートルほど先にある王宮の屋上だろう。

 そこから飛んだ。ただ、跳躍したのだ。

「ドグラァッ!」

 反射的にザガンが拳を繰り出している。

 これでただの攻撃魔法であったなら、見事に叩き落としていただろうが、飛んで来たのは真っ直ぐ飛ぶだけの弾じゃない。

 さぁ、よく見てろよオーマ。お前にとって最も信頼する最強の守護者がザガンなら、僕の守護神こそが彼女なのだ。

『狂戦士』双葉芽衣子の力を、その目に焼き付けるがいい。

「————『黒凪』」

 刹那、閃いたのは赤と黒の入り混じった禍々しい斬撃の軌跡。

 迎撃の拳を寸前で宙を跳ねて軌道を逸らし、巨人の首筋で渾身の『黒凪』が炸裂した。

「ヌウッ、ンバァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 ドっと吹き上がる鮮血の土砂降り。大きく首を切り裂かれ、さしものザガンも苦痛の声を上げて、自ら首を絞めるように傷口を抑えた。

 見事なファーストアタックをかました彼女は、飛んで来た勢いのまま真っ直ぐに城壁の上の僕の隣へと着地を決めた。

 着地の衝撃で派手に巻き上がる砂埃。翻る短いスカート、揺れる大きな胸。右手にした呪いの刃を一振りして血を払ってから、彼女は僕へと視線を向けた。

「ただいま、小太郎くん」

「おかえり、メイちゃん」

 待っていたよ。この時を。

 僕はこの再会のために、ここまでやって来たのだ。

「ごめんね、僕らだけで片を付けるつもりだったんだけど」

「ううん、いいの。私は少しでも早く、戻りたかった。小太郎くんに、会いたかったから」

「相手はザガンだ。無茶をさせることになる」

「ずっと休んでいたから。少しくらい、無茶をさせてよ」

 朗らかな笑顔で、彼女はそう答える。ザガンとサシで戦ってくれ、なんて無茶な頼みを、お茶を淹れてくれるくらいの気軽さで受けてしまうのだ。

 男としては情けない限りだけれど、僕に残された最後の切り札はこれしかない。全てを君に賭ける。

「メイちゃん、新しいクスリだよ」


『ベルセルクX』:試薬Xを改良して作り上げた、最終決戦用強化薬。ゴーマの麻薬による脳内リミッター解除に加えて、各種身体能力強化だけでなく、高純度のコアも配合。一時的に大きな魔力量の供給を受けることで、効果も持続時間も増大してある。さらには葉山君の力によって、僕にくっついてる闇精霊も宿らせている。普通の人が飲めば死んでもおかしくない、超ヤバいクスリだ。でも、メイちゃんなら……メイちゃんなら、と思って、君の為に用意しておいた。


「————ありがとう」

 何の疑いもなく、笑顔で『ベルセルクX』を即座に服用するメイちゃん。

 ポーション便に入った、濃い赤紫色で暗い輝きを発するこんなに怪しい薬液を、一瞬の躊躇もなく一息で飲み干した。

 直後、変化が起こる。

「んんっ」

 ちょっと艶っぽい声を漏らして、胸を抑えるような動作をすると————ドンッ! と音が聞こえそうなほど、全身から発する真っ赤なオーラが勢いよく噴出した。

 どうやら、高純度コアによる魔力供給も正常に働いているようだ。そして、この色の魔力オーラが出ているということは、メイちゃんの体に馴染んでいる証でもある。

 やはり、ドーピングさせたら彼女の右に出る者はいない。『恵体』スキル万歳だ。

「頼んだよ、メイちゃん」

「うん、任せてよ、小太郎くん」

 そして、呪いの武器『八つ裂き牛魔刀』ただ一振りだけを握りしめ、『狂戦士』は巨人へと挑む————



「ザガン!」

「むっ、何者だぁっ!?」

 オーマの声を聞き、ザガンは弾かれたように振り返る。

 そこで目にしたのは、燃え盛る炎のような赤く激しいオーラに身を包んだニンゲンであった。

 反射的に「何者だ」と口に出たが、本心からこの恐るべき力を秘めたニンゲンの正体を知りたいと思った。『光の御子』ではない。だが、アレに匹敵する、いや目の前の奴はあの時に戦った以上の力を発揮しているとしか思えない。

 全く想像もしていなかった、新たなるニンゲンの強者の出現に心底驚かされるが、それで体が硬直するようなヤワな鍛え方はしていない。

 ザガンは真っ直ぐ飛んでくるニンゲンを叩き落とすべく、鋭く拳を放った。

「ウラァッ!」

 裂帛の気合と共に繰り出した迎撃の拳は、正確に直進してくるニンゲンを捉えた————はずだった。

 命中する寸前に、ニンゲンは曲がった。空中でありながら、軌道を変更したのだ。

 脚力を強化する武技を極めれば、何もない宙を蹴って跳ぶことも可能とする、というのは知っているが、まさか自分の他に習得している者がいようとは。ニンゲン如きが武技の高みへ至るなど、という侮りがそのまま隙となってしまった。

「————クロ(黒凪)」

 耳元で囁かれたように、静かなニンゲンの声が届く。

 直後、首筋に走る灼熱。

「ヌウッ、グワァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 斬られた。かなりの深さだ。『巨大化ギガ』でなければ即死していた。

 溢れ出る鮮血を強く抑えながら、ザガンは己の失態を激しく悔いる。

 追撃はない。流石にあの速度で突っ込んで来たのだ。即座に切り返して攻撃をするのは不可能だろう。

 この大戦士長ザガンに見事な一撃をくれたニンゲンは、そのまま城壁の上に待つ『呪いの御子』の下へと降り立っていた。

 子供のように小さな呪いの御子と、大戦士のように大柄で堂々と立つニンゲン。二匹が並び立つ姿は、どこかオーマ王と自分が並ぶ姿と重なった。

 どうやら御子にとっての大戦士長が、あのニンゲンであるらしい。

「生えよ肉の芽、蔦よ伸びろ血肉となりて、骨肉の幹を成せ————『肉体再生』」

 首筋の傷口が、ブクブクと血の泡を吹きながら即座に塞がって行く。

 足元には、杖を振り上げたオーマの姿があった。

「ご助力、感謝いたします、オーマ様」

「よい、最早これは決闘である。見よ、奴らも術者と戦士で組んでおろう」

 どうやらオーマの目から見ても、御子と戦士が並んだ姿は、そのように映ったようだ。

「受けて立とうではないか」

「はっ」

「余は偉大なるゴーマ王。そして、お前は数多の戦士の頂点に立つ大戦士長。我らこそが最強。それを愚かなるニンゲンに思い知らせてくれようぞ!」

「ははっ! 我らこそ最強!!」

 正にゴーマとニンゲンの頂上決戦。かつて、これほどまでの正念場があっただろうか。

 奈落へ落とされた際の負傷はまだ残っている。武器も失ってしまった。しかしザガンの身には『巨大化ギガ』の力に溢れ、魂は闘志で満ち溢れる。

 一段と紫の魔力オーラを強める大戦士長ザガンに対する、御子の戦士は、

「ハァアアア……ォオオアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 竜種のようなけたまましい咆哮を上げると共に、自身に勝るとも劣らない強大な魔力オーラを解き放つ。

 その全身から怒涛のように吹き上がるオーラは紅蓮の輝きと、夜闇の如き漆黒が入り混じる、禍々しい色合い。さらに奴が手にするおぞましい呪いの気配を放つ剣も、オーラを取り込むようにして忌まわしい呪いの力を増幅させていた。

「ふむ、正にニンゲンに相応しき邪悪な力よ……ザガン、あれをただの戦士と思うな」

「如何にも。あれは狂戦士と呼ぶべきかと」

 ただの戦士ではない。さりとて、強大な力を誇る偉大な英雄として大戦士と称されるのも憚られる。

 戦士を越えた力を持ちながらも、悪しき狂気の力を振るうならば、狂戦士という忌むべき名こそが相応しい。

「行け、ザガンよ。お前は狂戦士を叩き潰すことのみに集中せよ。呪いの御子が如何なる卑劣な策を弄しようとも、余がそれを許さぬ」

「ははっ! 我こそは大戦士長ザガン! 大戦士長ザガンである! いざ尋常に勝負!」

「ハァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 ザガンの戦士の名乗りにて、ついに戦いの幕が開ける。

 狂戦士は先に見せた時と同じく、いいや、それ以上の勢いでもって城壁から飛び出した。狂える咆哮を置き去りに、赤と黒に輝く殺意の塊が飛翔する。

「名乗りさえ上げぬとは、やはり狂戦士か。戦士の誇りさえ、力のために捨て去ったケダモノめが————『豪拳』っ!」

 愛剣を失い丸腰のザガンだが、大戦士は巨大なその身一つで十分すぎる凶器、否、兵器である。

 発動させた『豪拳』は武技であり、肉体を戦闘用に作り替える変異術でもある。

 ゴグマの四本腕などは変異術の代表だが、大戦士ともなれば必要な時だけ変異させるより高度な術となる。ザガンの両腕にはより色濃く紫のオーラが集約し、さらには鋭利な刃を思わせる、白銀に輝く鋭い鱗が形成された。

 武技の威力と、物理的な鱗の存在により、ザガンの両腕は狂戦士が振るう呪いの刃にも太刀打ちできる武具と化す。

「セヤァッ!」

「————ダン(破断)」

 ザガンの拳と、狂戦士の武技が交差する。激しく散るのは火花と魔力の輝き。

 戦士の極みに達しつつある両者の攻防は、その一合だけでは終わらない。瞬く間に咲き誇る剣閃と、吹き荒ぶ衝撃。

 空を飛んでいるのか、と思うほど自在に虚空を立体的に跳躍しながら、高速の連続斬撃を見舞う狂戦士。対するザガンも、圧倒的に小さなニンゲンを絶対に死角に入れないよう、巧みに動いて立ち回る。

 激しい、あまりにも激しい局地的な嵐の如き戦いは、自然と要塞内を移動していく。一瞬たりとも立ち止まることなく怒涛の攻めを続ける狂戦士と、それを防ぎつつも追いかけるザガン。この二人の戦いに割り込むのは、並みの戦士では不可能だ。

 だが、熾烈を極める戦士の聖域へ土足で踏み込んで行くのが、呪いの御子である。

「————ヨゴミヂィーッ! (喰らいつけぇ、『無道一式』ぃーっ!)」

 城壁の上で、御子がおぞましい異形の髑髏を備えた長杖を振るう。

 描き出される血色の魔法陣と混沌の影から飛び出すのは、鳥というには不気味に過ぎる魔物であった。

 体は大蛇のように細長く、そこから何対もの翼が生える。羽毛に覆われた鳥の翼もあれば、蝙蝠のような翼膜を持つ羽もあり、挙句の果てには半透明な虫の羽まである。

 様々な魔物や動物の特徴を混ぜた合成獣とでも呼ぶべきおぞましい存在を召喚する魔法は、東門での攻防でオーマも見ている。あの大戦士最大の防御力を誇るバンドンを、一時的とはいえ抑え付けた侮れない能力。

 その大戦士にも通じる合成獣を、呪いの御子はザガンへ向けて飛ばしたのだ。翼という部位を組み合わせることで、移動しながら戦うザガンにけしかける機動力を得ている。

 放置すれば、狂戦士相手の接戦において致命的な隙を作りかねない。

 だが、そうはさせぬ、とオーマも杖を振って術を発動させる。

「来たれ雷雲、暗黒に孕む閃きよ、裁きの御手を振り下ろせ————『荒天落雷』」

 王国の頭上には、消火の為に豪雨を降らせていた雨雲がいまだに漂い続けている。それらが渦を巻くように要塞上空に集まると、黒々とした暗雲を形成し、ゴロゴロと雷鳴を俄かに轟かせた。

 今にも翼の合成獣がザガンに飛び掛かろうかという寸前、眩い輝きを発し稲妻が落とされる。

 一条、二条、と雲より放たれる雷は加速度的に増えていき、正に神の裁きを受けるかのように、合成獣へと殺到。幾つもの落雷に打たれ、合成獣はあえなく黒焦げとなり墜落していった。

「チイッ、ヤッパ、テンキアヤツル」

「そうとも、天候を操るこの力こそ、神より授かりし奇跡の御業なり!」

 おぞましい呪いの力を操るニンゲンとは違うのだ。

 忌々し気に城壁から撃墜された合成獣を睨んでいた御子に、オーマは誇るように叫ぶ。

「さぁ、呪いの御子よ、今こそ神の裁きを受けるがいい————『荒天落雷』っ!」

 雷雲は霧散することなく唸りを上げている。

 城壁の上にいる御子に、落雷から逃れる術はない。王と御子の術者対決は、余の勝ちだ。オーマは確信をもって、杖を振り下ろす。

「レンセェエエエエエエエエッ!」

 奇妙な叫び声を上げながら、御子はその場へとひれ伏した。なんと無様な恰好か。それで隠れたつもりなのか、頭を低くしただけで、天より降り注ぐ雷からは逃れ得ない。

 哀れで愚かな御子の最期を見届けようとしたその瞬間、城壁からメキメキと音を立てて一本の柱が飛び出した。

 土魔法のように勢いよく突き出た柱は、天を衝くように真っ直ぐ空へと延びる。特に太くもなく、身を隠せるほどの大きさではない。

 御子は自ら作り出したであろう柱から、逃げるようにゴロゴロと転がりながら離れてゆくと、


 ドォン!


 と、そこで『荒天落雷』が放たれた。

 落とされた雷は、吸い込まれるようにして柱の先端へと命中。

 続けて打ち出した雷も、やはり柱へ当たる。

「なっ、何故だ! 何故当たらぬ!?」

 あれが邪神の加護だとでも言うのか。あるいは、あの柱には雷を相殺するような特殊な魔法術式が組み込まれているのか。

『荒天落雷』は、目標に対してはおおよその照準をつけることしかできない。しかし、連続的に落とされる雷を前にすれば、その全てが外れることはまずありえない。

 術式が狂ったということもない。先の合成獣にはことごとくが命中していた。

 明晰なオーマの頭脳が、不可解な現象を解明しようと全力で回っていく。考え得るあらゆる可能性と、その反証。同時に、似たようなものを見たことがないか、記憶を掘り返す。

「雷が大木に落ちるのと、同じこと……なのか?」

 今まで気にも留めなかった自然の光景が、オーマの頭に浮かび上がった。

 それが当たり前だと思っていた。だがしかし、そこには自分の知らない原理があるのだとすれば。

 そして、それを御子が知っていたならば。特殊な魔法も必要ない。雷が優先的に落ちるような構造物を立てれば、屋外にいながら落雷を容易く無力化することが可能。

「おのれ、余を上回る英知を誇るというか……」

 呪いの御子。奴が王国を滅ぼすに至ったのは、ただ邪神の加護にのみ頼ったわけではない。恐らく、あの者はゴーマ王たる自分さえ知らぬ世界の理を、知っているのだろう。

 その英知と智謀の全てを結集し、奴は僅かな手勢のみでここまでやって来た。

「だが、ここは余の国、余の城である。負けぬぞ、貴様がどれほどの入れ知恵を受けていようとも、余は決して屈さぬ!」

 戦術を切り替える。『大贄の雨乞い』をここでオーマは打ち切った。

 これ以上、無効化された雷を使い続けるのは、魔力の無駄でしかない。雷雲を維持するだけでも、それなり以上の魔力を消耗してしまう。

 魔法陣に捧げた供物の効果にも限度がある。まだ捧げる巫女は何人か残ってはいるものの、あまり余裕はない。

「雷を避ける術を知っておるなら、石が降るのを避ける術はあるか? 乱れ飛ぶ礫、漂う岩、流れ移ろう水面の如く、浮かび、沈み、吹き荒べ————『怒涛土石』」

 ガツン、と力強く杖の石突を地面へと叩きつければ、俄かにオーマの周囲から大小様々な岩石が形成されていく。

 岩を作って投げるのは、基本的な土属性の攻撃魔法だが、オーマの『怒涛土石』は撃ち出す岩をあらかじめ形成し、自身の周囲に浮遊させることで、連続的かつ同時の発射を可能とする。場合によっては即座に自身を守る盾とも化す、攻防一体の魔法である。

 放られた石は、その重さに従ってただ大地へと引き寄せられて落ち行くのみ。容易に避けられる術はない。

 殺傷力はそれほどでもないが、子供のような貧弱な術者を倒すには十分過ぎる威力は出るだろう。

「叩き潰され、死に晒せ————むっ!」

「ウォオオアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 その時、けたたましい絶叫が響き渡る。狂戦士の雄叫び、ではない。それほどの脅威は感じられない、ただやかましいだけの叫び。

 しかし、それは一つ、二つ、とあっという間に増えていく。見れば、地上を疾走する人影が幾つかある。

「ふん、屍人か。奴の繰り出す使い魔であったな」

 古の建造物が残る場所でよくみられる、人型のアンデッドモンスターだ。壮健な肉体を持ち、ゴーヴとも張り合う膂力を発揮する、屍人の上位個体。

 呪いの御子がそれを使役しているのは、すでに見ている。使い魔をけしかけて、術者たる自分を直接狙おうという腹づもり。単純だが、効果的ではある。

「お前らに任せる。一匹たりとも余に近づけるでないぞ」

「ははっ! どうぞ我らにお任せあれ!」

 この程度は、連れてきた護衛に対処を任せれば十分だ。

 御子は次々と使い魔を呼び出し、数だけはいる最弱の骨人に、ゴグマに近い大きさを誇る大きな屍人も現れている。だが、それら全てを合わせてもこの護衛を破れるには到底及ばない。

 むしろ、そちらが使い魔をけしかけるならば、こちらも兵の一部を割いて城壁に乗り込ませてもいいだろう。

 いや、その前に『怒涛土石』に潰されれば、そこで終わりになるが————

「バズズゥーッ(屍鎧ぃーっ)!」

 城壁の上から、見覚えのある赤色のオーラと魔力の気配を感じた。

 呪いの御子の小さな体は、瞬く間にうねる筋肉の鎧に覆われてゆき、やがてその姿は、見違えようのない形へと変貌を遂げた。

 真っ赤な毛皮と皮膚に、雄々しい二本角と鋭い猛獣の如き面構え。

「あ、あれは、バズズか……?」

 大戦士バズズ。粗削りながらも、将来有望な若者であった。その彼が誇った勇ましき『巨大化ギガ』によく似た姿を、呪いの御子は身に纏っていた。

 ゴーマに変装して王国に潜入した、と断じたのは自分である。

 だがしかし、まさか大戦士の皮を被るとまでは想像だにしない。一体、ニンゲンというのはどこまでゴーマを愚弄し、死者の尊厳さえも犯そうと言うのか。

 あまりの非道に、途轍もない怒りと屈辱の感情が湧き上がる。

「余の大戦士を死して尚、辱めるとはっ、許さぬ! 貴様だけは、絶対に許さぬぞぉーっ!!」

第320話 ジャイアントキリング(1)

「ギィザマァ、ユルザァアアアアアアアアン!」

 なんか『屍鎧バズズ』を発動したら、めちゃくちゃオーマがキレてる件。

 えっ、もしかして死者に対する礼儀とか、そういうのにうるさいタイプ? でも僕って『呪術師』だし、人間様はゴーマの死に哀悼もクソも示すはずがないし。

「そもそもお前がこんな範囲攻撃しなきゃ、好き好んで燃費悪い屍鎧なんか使わねーんだよ、オラァッ!」

 ギラ・ゴグマの力を宿した赤鬼の腕で、降り注ぐ岩を殴り砕く。

 オーマが大量の岩石を周囲に浮かび上がらせながら、一斉砲撃が如く城壁へ打ち込んでくる土属性の範囲攻撃魔法を発動させたせいで、僕は身を守るためだけに『屍鎧バズズ』を使わざるを得なかった。

 落雷攻撃は咄嗟に避雷針を簡易錬成で作って難を逃れたが、シンプルに運動エネルギーで飛んでくる岩を防ぐなら、こっちもステータスを上げて物理で対処するしかない。撃ち込まれる岩を迎撃できる腕力に、直撃しても耐えられる防御力、そして何より、そもそも当たらないための回避に必要な動体視力と移動速度。

 ダメージを喰らいそうな大岩は出来る限り回避しつつ、無理な場合は殴って破壊。大量の石礫は分厚い毛皮と筋肉の鎧に任せて完全に無視する。ああ、こういう時、本当に前衛職の優れた物理ステータスの凄さを感じるね。この能力を標準装備とか、羨ましいったらない。

「このままじゃすぐに僕の魔力なんか底を突いちゃうよ」

 バズズの消費量も去ることながら、同時並行で『召喚術士の髑髏』で召喚獣フルスロットルで解放し続けているのも、それなりに圧迫している。コアを使えば消費量は最低限で済むとはいえ、塵も積もればってやつ。使えるコアの残量も心許ないし、尽きればそこでお終いだ。

 正直なところ、劣勢だ。やはり、初手で『無道一式』から繰り出した『羽ばたき絡み』を落雷で潰されたのが大きい。


『羽ばたき絡み』:鳥や虫の区別なく、翼や羽を組み込んだ空飛ぶ肉塊。『百腕掴み』の方がつぎ込んでる肉の量が多いため、拘束力には劣るが、空を飛んで相手を縛りに行く機動力が強みだ。ザガンのようにデカいくせに素早く動くような奴には有効な技である。


 今のメイちゃんは『ベルセルクX』の効果もあって、過去最強の力を発揮している。巨人化ザガンを相手にしても一歩も引かずに攻め続ける彼女ならば、僕が少しちょっかいをかけるだけでも大きなチャンスとして活かしてくれるだろう。

 けれど、オーマの落雷により阻止され、そのまま僕へと反撃をしてきた。

『屍鎧バズズ』を纏うことで、どうにか凌いではいるけれど、このまま耐え続ければ勝てるような戦況ではない。恐らく、力の限界はメイちゃんの方が先に来るだろう。彼女が十全に戦えている内に、ザガンを倒すに至るサポートができなければ、この戦いは負ける。

「頼む、持ってくれよ僕の魔力————『ポワゾン』っ!」

 オーマに向けて撃ち出す毒の魔法。

 ザガンに食らいつかれる寸前、僕は『呪術師の髑髏』を装填した『愚者の杖』をぶん投げて退避させた。お陰で城壁の隅に転がっていたのを回収。やったよ桜井君、雛菊さんは無事だよ。

 そうして僕は尚も『愚者の杖』を酷使して、オーマに対する遠距離攻撃として使い続ける。

「フン、ムダダ、ザコメ!」

 やはりオーマほどの魔術師となれば、たかが下級の状態異常攻撃魔法など容易く防いで見せる。

 浮遊させた岩石で射線を遮ったり、護衛に守らせたり。通ったとしても、何故か全く効いた様子が見られない。

 まさか無効化スキル持ちかとも思ったが、基本的に防御をしているので、無効化するのも制限があるのだろう。あのメスゴーマが身に着けていた、回数制限タイプのマジックアイテムだとか。オーマなら、最高級のマジックアイテムを最大数装備しているに決まってる。

 このまま毒を撃ち続けたところで、決定打にはほど遠い。けれど、こっちの攻撃を防がなければならない、というアクションを相手にとらせていればそれで十分。

 そうだ、オーマ、お前はこのまま僕の方を見ていろ————




「————ふぅ、ようやく辿り着いた」

 僕本体が『屍鎧バズズ』を身に纏ってオーマの気を引いている隙に、発動させた『双影』に『虚ろ写し』で瓦礫に偽装した上で、城壁から要塞側へと降り立った。目的は勿論、崩れたトーチカである。

 本体が順調に魔力を削り倒している一方で、分身の僕はオーマに気づかれないよう慎重に移動していく。ここでゴーヴ兵の集団が襲って来れば詰みだが、やはり王様が最前線に出張って来ている以上、そっちの守りを優先するよね。そのまま釘付けになってろよ。

「杏子、姫野さん、いる? 無事なら、とりあえず中に入れて欲しいんだけど」

 何事もなくトーチカまで到着。岩壁をコンコンとノックしながら、まずは呼びかける。

「……こ、小太郎ぉ」

「杏子!」

 彼女の弱弱しい呼び声が聞こえ、僕は思わず呼び返してしまう。

 それに対する返事はないが、その代わりに壁の一部が砂のようにサラサラと溶けて入口を開いた。

「良かった、何とかみんな生きてはいるみたいだね」

 内部は酷い有様だった。トーチカそのものが崩れているのだから当然だが、それに加えて城壁から落っこちて盛大にクラッシュしたロイロプス一号車の残骸もかなりのものだ。流石にもうこのロイロプスは、『屍人形』として復活させることもできそうもない。

 背負っていた鉄のコンテナも派手にひしゃげているが……

「桃川君、これが無事なように見えるっての?」

 酷く疲れた上に煤けた顔で、姫野は僕を睨んで言う。

 彼女の膝枕で寝ているのは中嶋で、血まみれで気を失っている様子だ。そんな彼に姫野は『応急回復ファストヒール』をかけている真っ最中である。

「無事で何よりだよ。でも一番元気なのが姫野さんってのがねぇ」

「私だって一号車が落ちて死にそうになったんだから!」

 でも生きてるじゃん。五体満足で。

 事故った時の保険として、姫野にはシートベルトとエアバック、はないけれど、その代わりに防御力が上がるマジックアイテム『ガードリング』は装備させておいたから。それで落下ダメージを何とか軽減できて、文句を叫べるほどには元気でいられるのだ。

「それより、杏子は?」

「ちょっと頭打ったみたいで、さ……ごめん……」

「ここをアイツに踏まれて崩れた時に、瓦礫が当たったのよ。私の治癒はかけたけど、それ以上は」

「いや、十分だよ。ありがとね」

 怪我の度合いとしては、中嶋の方が酷いのは明らかだからね。それでも、頭部を打ったことの危険性から、治癒魔法をかけてくれた判断は素直にありがたい。

「痛みは?」

「痛くはない」

「これ、何本に見える?」

「三本」

「魔法は使えそう?」

「ごめん、これ以上はちょっと無理……」

 入口を開いた操作だけで精一杯だったか。そりゃあ、十全に土魔法を使えるなら、さっさとトーチカを再建し、掩護射撃を再開しただろうからね。

「分かった、ひとまず寝てて。仕込みが済んだら、もう一度声をかける。行けそうなら協力して」

「ん……」

 小さく頷いて、杏子はそのまま目を瞑った。彼女の復帰を願い、今はそっとしておくしかない。

「姫野さん、魔力は?」

「半分以上は残ってるわよ。多分、今のメンバーの中じゃ私が一番マシな状態じゃないの?」

「そんな心配そうな顔しないでよ。ヒーラーが無事なら立て直せるから」

 肝心のヒール能力がイマイチなんだけど、でもいないよりはずっとマシ。どうしても不安感は先に立ってしまうものの、それでも一号車から姫野が無事に生還したお陰で、まだ勝ち筋は残されている。

「もうすぐ上田君と芳崎さんがここに来る。来たら、二人の回復最優先で。それまでは中嶋君の面倒見てて」

「分かった。桃川君は?」

「ちょっと探し物」

 そうして、僕は潰れた一号車へと潜り込む。箱型のコンテナは半ばから大きくひしゃげており、奥まで入り込めそうもない。ここで潰されていたら、姫野も即死だったろう。妙なところで悪運の強い子だよね。

 ともかく、僕の探し物は一番奥の宝箱に仕舞ってある。そこまで入るために、潰れた部分を『簡易錬成陣』で変形させて、何とか通り道を作っていく。

「ああ、ヤバい、こっち(分身)も魔力節約しないと、消えちゃいそうだ」

 慎重に錬成を進めていく。

 本体の方は、オーマから更なる激しい魔法攻撃が加えられ、かなり厳しい状況だ。ただ耐えるだけならいいけれど、こっちが何にも反撃できなくなれば、容赦なく護衛のゴーヴ共を突っ込ませてくるだろう。

 膠着状態を維持するためには、無理を押してでも反撃し続けなければならないのだ。

ポワゾン』を乱射しつつ、城壁に転がる石ころも拾って、バズズパワーで投げつけたり、必死の応戦だ。一発くらいラッキーショットがオーマに直撃しないかな。

「————よし、あった。流石は宝箱だ、なんともないぜ」

 しっちゃかめっちゃかになった棚から、宝箱を引っ張りだして、僕は戻る。

「おう、桃川、戻って来たのか」

「その様子だと、まだ諦めちゃいないみたいだな」

「お疲れ様、上田君、芳崎さん」

 宝箱を抱えて戻ると、すでに二人もトーチカへと辿り着いていた。

 姫野が二人に治癒魔法をかけつつ、二人はさらに重症な山田にリポーションと傷薬Aを使って出来る限りの治療を施している。

 ベニヲの方は幸い、魔力切れで倒れているだけなので、杏子の隣に静かに寝かせて置いた。

 本当に、みんな酷い有様だ。崩れたトーチカ内はボロボロの野戦病院みたいな感じになっている。一号車を救護車両にはしたものの、ここまでの状況は想定していなかったんだけどね。

「二人とも、悪いけど最後にもうひと働きして欲しい」

「へっ、この怪我でまだ戦えってか。相変わらず無茶ぶりしてくれるぜ」

「けど、それで勝てるんだよな?」

「勝てる。ザガンを倒すには、みんなの力が必要だ」

 そうして、僕は開いた宝箱の中から、二本のポーション便を取り出す。

 中に入った液体は、リポーションのような透き通った水色ではなく、薄っすらとした赤色。それでいて、ボンヤリと僅かな輝きも放っている。

「お、おい、もしかしてコレ」

「例のヤバいクスリ……」

「こんなこともあろうかと、みんなの分も用意しておいたんだよね」


『ベルセルク・アルファ』:これも『試薬X』を元にした、強化薬である。メイちゃん専用の限界突破の超絶強化性能の『X』に対し、『A』は効果を下げて安全性を確保した、万人向けの仕様となっている。要するに、薄いのだ。けれど、肉体・精神・魔力の全てに作用し、ズタボロの満身創痍でも、コイツを服用すれば短時間ながらも全力戦闘を可能とする。ガチで追い込まれた最終局面で、一発逆転のメを残すために用意しておいた一品だ。さぁ、コイツをキメて君も今すぐ狂戦士だ!


「……アタシはやるぞ」

「マジかよ芳崎ぃ、このクスリは絶対ヤバいって!?」

「ビビってんじゃねぇよ上田! テメー、男だろ!」

「ああ、クッソ、そう言われたらもうやるしかねぇじゃねか!」

 ヤケクソ気味に、上田君も僕の手から『ベルセルクA』を受け取った。そんなに心配しなくても、飲んだら死ぬほどの効果はないから安心して欲しいんだけどな。

 いっぱい服薬実験もしてるし。ゴーマで。

「……くれ……俺にも、くれよ……」

「山田君!?」

 かすれた声を上げながら、山田がのっそりと起き上がった。

「その様子だと、ザガンの一発を直撃したでしょ。これ以上の無理はしない方がいい」

「一発じゃねぇ……五発は耐えたぜ……」

 苦笑、というにはあまりにも苦々しい表情で、山田はそう強がった。

 今の彼の体には、もう全身鎧は一部のプレートしか残されていない。他は全て、ザガンの攻撃を引き受けたことで、砕け散ってしまったのだ。

「頼む、桃川……俺は、まだやれる」

「姫野さん、山田君にヒールを」

「ほ、ホントにいいの? いくらなんでも無理なんじゃ」

「姫野、早くしろ……ここで無理しなきゃいつすんだよぉ!」

「もう、どうなっても知らないからね!?」

 山田のダメージはパっと見でも分かるほどに、一番酷い。立って歩けるかどうかも怪しい感じがする。

 それでも、これが彼の意地なのだ。見てるかヤマジュン、これが『重戦士』山田の生き様だよ。

「時間がないから、手短に言うね。薬を飲んだら、全員でオーマに向かって突撃する」

「玉砕かよ」

 時間ないって言ってるでしょ、茶々をいれるな上田。

「オーマの護衛は厚いし、ゴグマも複数いる。突撃しても奴までは届かない……けど、必ずザガンは動く」

 僕らも追い込まれているが、奴らだって相当に追い込まれているのだ。それこそ、王様が自ら最前線で戦うくらいにはね。

 だから、ザガンも最大限に警戒している。僕らが玉砕覚悟みたいな勢いで突撃を敢行すれば、奴は絶対に万が一を恐れる。王国最強、そしてオーマに対する忠誠。アイツは土壇場で、オーマを見捨てることは絶対にしない。自らの命を投げ打ってでも必ず助けに入る。

 故に、それが最大限の隙となる。

「メイちゃんなら、必ずザガンを仕留めてくれる。彼女の力を信じて欲しい」

「なぁ、ホントにザガンはこっち向くか?」

「そうだぜ桃川。俺らがボロボロなのは見りゃ分かる。フツーに護衛だけで対応されたら、それでお終いじゃねぇか」

「心配しないで、ザガンは絶対にこっちを向く。向かせて見せるよ、僕の呪術でね」

「……上田、芳崎、ごちゃごちゃ言うな。さっさとやるぞ、時間ねぇんだろ」

「ちっ、分かってるよ。そのザマで、よく言うぜ山田。無茶しやがって」

「アタシら全員、桃川に賭けてここまで来てんだ。今更、やめるなんて言わねぇよ」

 ありがとう。この信頼と結束が、僕らの一番の強みだ。小鳥遊、お前には理解できないだろうな。そして蒼真君、君はどうしてコレができなかったのか……

「姫野さん、後は頼んだよ」

「任せてよ。双葉ちゃんが頑張ってるんだから、私だってしっかりやるわよ」

 これが友情パワーか。姫野がいつになく凛々しい顔で、自信気に言い切った。

「それじゃあ、勝利を願って、乾杯」

 三人は一気に『ベルセルクA』を煽る。

 効果はすぐに現れる。薄っすらと赤色のオーラが湯気のように全身から噴き出て、体を重そうにして歩いていたのが、万全の体勢で戦いに臨む直前のような姿勢へと戻った。

「うおっ、なんだよこれ、痛みがガンガン引いて行く」

「ヤバい、コレはマジでヤバい……」

 上田と芳崎さんが、あまりの変化に驚きの声を漏らしている。山田は何も言わないが、息が荒く、限界を迎えつつあった体に活力が湧き上がってくる感覚を味わっているだろう。

「あーあ、あんなに集めたコアも、これで最後だよ」

 ラストアタックのために、僕も残されたコアを全て使って召喚する。スケルトン、ハイゾンビ、タンク、ちょうど最大数で呼び出す。

 最後のコアを僕は胸に抱いて、分身を解除する。火力のない『双影』のまま突撃に参加させても、賑やかしにしからないからね。

「レム、みんなをよろしくね————」

 僕は『双影』を構成する魔力とコアを消費して、入れ替わるように黒騎士レムを作り出す。

 いやぁ、なんでも拾っておくもんだよね。武器は一号車に保管しておいた、門番ゴグマから鹵獲した魔法の大剣と大斧を持たせておく。

 これで準備は完了。杏子は目覚めなかったし、中嶋も気絶したままだ。葉山君も城壁の上でスヤスヤである。

 彼らも力の限界まで戦ったのだ。後は、僕らに任せてゆっくり休んでいて欲しい。願わくば、目覚めた時に、全員で勝利を喜び合えることを。

「それじゃあ、僕も覚悟を決めていくとしようか————」

 絶賛、オーマからの集中砲火を受け続けている本体に意識を集中させる。

 チラっと城壁から下を見れば、黒騎士レムを先頭に三人が雄たけびを上げて走り始めたところだった。僕も出遅れるワケにはいかないな。

「————突撃っ!」

 意を決して、僕も城壁から飛び出した。

第321話 ジャイアントキリング(2)

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 雄たけびを上げて、仲間達が最後の突撃を敢行する。

 真正面から堂々と突っ込んでくるものだから、当然、護衛部隊の対応も素早い。オーマを中心に綺麗な防御陣形を組んでいた奴らの半分ほどが速やかに動き出して、敵の攻撃に対処する横列陣形へと変更していく。

 そこへ黒騎士レムが槍衾を形成するゴーヴ兵に突っ込み、陣形を乱して穴を開ける。そこにすかさず飛び込むのが上田と芳崎さんの前衛コンビ。

 一拍遅れて、山田が突っ込んで、鎧を失っても『重戦士』の防御スキル全開でさらに奥へと食い込んでいく。

『ベルセルクA』の効果は十全に発揮され、満身創痍だったとは思えないほど獅子奮迅の戦いぶりを彼らは見せるが……やはり、質も数も揃ったゴーヴ兵を容易く突破することはできない。重武装のゴグマも出張ってきており、これ以上の侵攻は早くも不可能だろうと思われるような包囲をされつつあった。

 ザガンはメイちゃんとの激闘を演じながらも、動きのあったオーマ側の方へと視線を向けた。それだけで、奴は動かない。護衛部隊だけで十分に守り切れると判断したのだろう。

 やはり、もっと危機感を煽れるアクションが必要だ。上田と芳崎さんの懸念は実に正しかった。

 だからこそ、僕がいる。

「傷薬ヨシ、痛み止めヨシ、覚悟ヨシッ! さぁ、来いよオーマ、杖なんか捨ててかかって来ぉーいっ!」

 城壁から飛び降りた僕は、突撃隊とは別方向からオーマ目指して走り出す。

 やはり僕の方にもまずは護衛隊が動き出す。こっちを単独と見て、流石に数は少ない。いや、僕を仕留めるのはオーマ自身がやりたいってところだろうか。

「雑魚の相手してる暇はないんだよ、退けぇ!」

 呪術師にあるまじき力業での突破を、『屍鎧バズズ』で敢行。接近してきたゴーヴを殴り飛ばし、蹴り飛ばし、タックルで撥ね飛ばして猛進していく。

「グハハ、ノロイニンゲン、オロカッ!」

 だがオーマは僕の突撃に対してまるで焦ることなく、余裕の笑みを浮かべて杖を向けた。城壁の上に陣取って粘られるよりも、こうして突っ込んできてくれた方が倒しやすくて済む。恐らく、ついに万策尽きて焦れた僕が、破れかぶれで最後の攻撃を、とでも思ったのだろう。

 それを慢心とは言うまい。事実、これが最後のアタックである。

 オーマの守りは万全で、どう足掻いても現有戦力で突っ込んだところで万に一つも勝機はない。

 でも、僕にはあるんだよ。まだお前に見せていない、とっておきの呪術がな。

「コレデ、オワリダ、シネェエエエイッ!」

 大きく杖を振り下ろしたオーマの動きに合わせて、周囲に浮かんだ無数の岩石が飛んでくる。この距離、この位置、とても全て回避は不可能で、迎撃するにも限界がある。必ず当たる。

 でも、それでいい。僕はこうして、お前の攻撃に当たりに来たのだから。

「うおおおおおっ、バズズ解除っ!」

 恐怖を押し殺して、僕は逞しい筋肉の鎧を解放した。オーマからは、突如として胸元が大きく縦に割けたように見えただろう。メリメリと割れた亀裂の奥には、生身の僕がそのまま入っている。

 貧弱なチビそのものである僕の体に飛び込んでくるのは、降り注いでくる無数の岩石の中から、刹那の間に厳選を重ねた石ころだ。

 僕が生身で直撃しても、即死はしない、けれど負傷は避けられない、そんな絶妙な大きさの石である。

 その最適サイズと見極めた石ころ目掛けて、僕は突っ込んでいく。そうしてバズズの筋肉鎧もなく、一切の防御をとらないノーガードの僕へと、石ころは真っ直ぐ飛び込んできて————『痛み返し』、発動。

「いいぃっ、痛ってぇえええええええええええええええええええええっ!」

「イイィッ、デェアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 無様な、あまりにも無様な苦痛の絶叫を僕とオーマは同時に上げた。

 成功の喜びよりも、途轍もない激痛に僕の思考は強制的に寸断される。痛い、痛い、めっちゃ痛い! 死ぬほど痛ぇよ、ちくしょう!!

 などと、オーマも思っていることだろう。

 僕も大概、貧弱だけれど、お前はもっと『痛み』からは縁遠い生活を送って来ただろう。オーマがこの王国を築き上げて何年経ったのかは知らないが、玉座にふんぞり返っている間に、怪我したことは何回ある? もしかしたら、一度もないかもしれないね。

 折角の機会だ、久しぶりにたっぷり味わっていけよ、これが戦いの痛みだ。さぁ、もっと叫べ、もっと苦しめ。ザガンがすっ飛んでくるくらいになぁ!

「オォオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 よし、動いた!

 オーマが攻撃を受けたことで、ザガンの余裕は一気に失われた。

 虚空を舞うように斬りかかって来たメイちゃんの攻撃を、多少無理にでも腕のガードで防ぎながら、こちらへと身を翻す。

 目にも留まらぬ連続斬撃によって、鱗の守りがない二の腕から肩口にかけてまでザガンは切り裂かれていたが、そのダメージを無視してオーマの下へ駆けつけるべく走り出す。

 完全無欠の狂戦士と化したメイちゃん相手に、背中を向けるのは致命的だ。そんなことはザガン自身、分かっていることだろう。それでもお前は、オーマを助けに行くしかない。

「グベラァ、ゲバァアアアアアアアアアアアッ!」

「ぐうっ……こ、こっちも助けて欲しいかもぉ……」

 ちょっと待って、地味に僕も同時進行でピンチに陥っているんだけど。

 少数のゴーヴ兵が、痛みに悶えて倒れ込んだ僕を狙って接近中。すでに『屍鎧バズズ』は纏い直しているし、速攻で傷薬と痛み止めを使って治療も済ませたが、さっきほど楽勝で対応できる自信がない。薬のお陰で痛みは止めているものの、想定以上に体へのダメージが大きかったのか、びっくりするほど力が入らないのだ。

 このまま奴らに襲われれば最悪、死にかねない。けれど、この状況下で仲間の掩護は望めない。

「ウチの小太郎にぃ、手ぇ出してんじゃあねぇぞっ、コラァーッ!」

 目前に迫って来たゴーヴ兵の頭が、大口径の石の弾丸によって撃ち抜かれた。

「ブベッ!?」

「ダグバ、ンバァッ!」

 次々と放たれる『石矢テラ・サギタ』により、僕を狙っていたゴーヴはバタバタと倒れていく。当然だ、熟練の土魔術師を相手に、こんな開けた場所を走っているのだから。

「ありがとう、杏子」

 多分、この距離では聞こえないだろうけれど、僕はそう口にした。

 視線の先には、姫野に肩を貸されながらも、黄金リボルバーを構えた杏子の姿があった。無理しなくていいって、言ったのに。

 凄い根性だ。いや、愛の力と言ってもいいのかもね。なんて偉大な力だろうか。

「それなら、身を削って隙を作った僕も、愛の力ってことで」

 けどここで満足して、倒れるわけにはいかないんだよね。まだ最後の仕上げが残っている。

 いいか、姫野、外すなよ? 絶対に外すなよ!

「————『破断』っ!」

「グゥウガァアアアアアアアアアアアッ!」

 背を向けて走り出したザガンへ、メイちゃんの凶刃が襲い掛かった。斬撃強化の武技『破断』が、ちょうどうなじの辺りに炸裂する。

 ファーストアタックを凌駕する出血量。夥しい量の鮮血が噴き出すが、一撃で首を落とすには至らない。

「————『撃震』っ!」

 次いで繰り出されたのは、強烈な衝撃を叩き込む武技『撃震』だ。大きく切り開かれたうなじの傷跡へと正確に叩きつけられ、さらに怒涛のような血飛沫に加えて、爆発が起こったかのように肉片までもが巻き散らかされる。

 あの深さの傷口に放ったのだ。衝撃は首の肉を抉るだけに留まらず、骨にまで達しただろう。

 しかし、巨人の頭を支える野太い頸椎は凄まじい強度を誇る。彼女の武技二連撃をもってしても、まだ首を落とすには届かない。

 そして今のザガンは、これほどの重傷を負っても止まらない。流石に三発目の武技の直撃を許すこともないだろう。奴は後ろ手でありながらも、武技の技後硬直に陥り僅かな隙を晒しているメイちゃんを叩き落とそうと正確に掌を振るっていた。

「今だぁーっ!」

「『応急回復ファストヒール』ぅうううううっ!」

 両手をザガンに向けた姫野が、渾身の治癒魔法を放つ。

 彼女のショボい治癒魔法では、あの巨大な傷跡を塞ぐことなど何発施そうとも無理だが、それでも治癒の効果は確かに発揮される。ボンヤリと薄緑色に輝く光が、ザガンの首元に灯る。

「————苦しみもがけ、『逆舞い胡蝶』」

 これが、ザガンを殺し切る最後の一手だ。

 メイちゃんのポケットに忍ばせておいた『逆舞い胡蝶』を飛ばし、姫野の『応急回復ファストヒール』が輝く患部へと直撃させる。

「グォオオオッ!? ムグゥウァアアアアアアアアアアアアアッ!」

 さしものザガンも、痛みに絶叫を上げた。巨人だって、痛いものは痛い。ザガンほどの奴になれば、大概の痛みは無視できる耐久力と根性とを併せ持っているのだろうが、それでも限度ってものはあるのだ。

 特に、『逆舞い胡蝶』で回復効果を逆転された痛みというのは、ただ怪我するのとは一味違った苦痛が走る。歴戦だろうザガンでも、この痛みは今まで経験したことがないだろう。なぁに、気にすることはないさ、初めて、ってのは痛いもんだからね。

 そんな初めての痛みに悶えると、どうなるか。決まっている————メイちゃんがトドメを刺すのに、十分な余裕が生まれるってワケだ。

「————『黒凪』」

 呪いの刃から轟々と不気味なオーラを噴き出しながら、ザガンの肩を駆けて再び首の傷へと武技を放つ。痛みで隙を晒したザガンは、もうそれを止める手立てはない。


 メギメギメギッ————


 と、巨大な頸椎が力任せに切り裂かれる音だろうか。嫌な音を目一杯に響かせて、武技『黒凪』はザガンの首を斬る。

 だが、それでも尚、ザガンの首は耐えた。メイちゃんの振るった『八つ裂き牛魔刀』は、どうやら首の中で止まってしまったようだ。

「グウッ……オッ……オオオォオオオオ……」

 ザガンはまだ生きている。最後の力を振り絞るように、奴は両腕を振り上げ————メイちゃんもまた、武器を手放し、拳を振り上げていた。

「『鎧徹しパイルバンカー』ぁああああああああああああああああああああっ!」

 赤黒いオーラが右腕に渦を巻いて集約されてゆき、突き出された拳と共に解放。

 ドンッ! と爆発音のようなけたたましい轟音を立てて、炸裂した魔力が衝撃波のように宙を走っていくのも見えた。

 そして、必殺の拳が炸裂した爆心地は、

「ゴッ……ォオオオ、ァアアアアア……」

 口から滝のように血を噴き出しながら、ついにザガンの首が落ちた。

 恐らく、『黒凪』で刃を頸椎の半ばまで食い込ませたところに、柄を『鎧徹しパイルバンカー』でぶん殴って、完全に砕いたのだろう。岩に楔を打ち込んで破壊するように。

 巨人の頭は礼をするように前へとゴロっと転がり、喉元に残った僅かな肉と皮膚によって止まりかけたが、その重量に負けてブチブチと千切れて地面へと落下してゆく。一拍遅れて、糸が切れたように残った体はがっくりと膝を突き、前のめりに倒れ込んで行った。

 ここに、最強のギラ・ゴグマ、ザガンはついに倒れた。

「ザ、ザガン……バカナ、アリエン……ヨノ、ザガン、ガァ……」

 僕の『痛み返し』を受けて這いつくばっていたオーマが、顔を上げて倒れたザガンを見やる。ゴーマの醜悪な表情なんて見分けがつかないけれど、今はよく分かる。

 絶望だ。身に受けた苦痛を凌駕するほどの、絶望。自分の信じていたモノが全て崩れ去り、失ってしまった者の表情である。

「くっ、はは……あはははははっ! 見たか、オーマ、これが仲間の力だぁ!」

 ザガンは死んだ。残ったのはオーマと、その護衛部隊のみ。

 護衛を雑魚、とまでは言えないが、最強のザガンが死んでショックを受けているのは奴らも同じだ。信じられないものを見た、という表情で、完全に戦意を喪失している。士気が折れた。こうなれば、もう戦いにはならない。

「さぁ、後は残党狩りだ」

「うん、分かったよ、小太郎くん。まだもう少し動けそうだから、なんとか片づけられそう」

 倒れ行くザガンの巨躯から軽々と宙を舞って飛び降りたメイちゃんは、地上に着地するついでのように、上空から全身鎧に身を包んだゴグマを一刀両断して始末してくれた。

「うぉおおお、やった、やったぞ! ザガン死んだ!」

「双葉にいいところ、全部持ってかれちまったな」

「これで後は雑魚ばっかだ。さっさと片づけて、終わりにしようぜ」

 士気が逆転し、完全に彼らの突撃を抑え込んでいた護衛部隊が散り散りに壊走をし始めた。こういう時に、指揮官が統制をとらないといけないんだけど、さしものオーマもザガンが討たれればそれどころではない。

 あまりの絶望感に、オーマも呆然自失としていた。

 戦意を失った護衛のゴーヴ共は、次々と倒されてゆき、もう陣形も何もあったものではない。なにより、ザガンと対等にやりあった狂戦士がそのまま襲い掛かって来ているのだ。奴ら如きじゃあ、もう止めることもできないだろう。クスリの効果が切れるまで、誰も彼女は止められない。

 そのまま、オーマの首まで獲っていいよ、メイちゃん。

「ォオオオ……オォーマァア……」

 その時、ザガンが動いた。

 完全に胴から切り離された生首のまま、ザガンはオーマの名を口にしている。そして、頭を失ったはずの胴体も、匍匐前進でもするかのように地を這って動き出した。

「ちいっ、首なしで動くのは横道だけで十分だっての!」

「オォーマァ……ニゲ……ニゲ、デァアアア!」

 生首のザガンは叫びながら、倒れた体が転がるようにメイちゃんへと迫る。

 お仲間のゴーヴ兵が近くに沢山いることもお構いなく、最大の敵戦力であるメイちゃんを何としてでも食い止めるんだと言うように、ただ彼女だけを狙って動く。

「まだ動けるなんて。それなら————」

「いや、いいよメイちゃん。そのまま下がって」

 これ以上、ザガンの相手をする必要はない。恐るべき執念によって、ザガンは首なし死体と化しても、巨人の体に残された魔力を振り絞って動き、主君たるオーマを身を挺して守ろうとしている。

 その最後の執念と忠義になんて、付き合ってやる必要はない。ほどなく、ザガンの巨大化は完全に解除され、元のサイズに戻るだろう。そして、その時こそが本当のザガンの死だ。

「ニゲェ……オーマァ……」

「オオオ、ザガン……ザガァーン!」

 死して尚、自分を守るザガンを見て、オーマも正気を取り戻したようだ。

 痛みに震えながらも、オーマは杖をついて立ち上がる。

「でも、王様逃げちゃうよ?」

「ああ、いいよ別に」

 アイツの逃げ場は、分かっているからね。

 だから、これ以上はここで無理を押して戦う必要もない。みんなも限界ギリギリだし、ここは安全確実に、戦意喪失したゴーヴ共を先に始末しておいた方がいい。

「ザガンを失った時点で、もうお前は詰んでいるんだよ、オーマ」

 よろめきながら、たった一人で王宮へと逃げ込んでいくオーマの哀れな背中を見送った。

第322話 王国滅亡

 玉座の間はすっかり無人と化している。ここに座るオーマ自ら出陣したのだから、ここに残ることを許されるような奴なんて一匹もいないか。

 というワケで、僕はちょうど空いている玉座に座って、待つことにした。ザガンを倒し、残党狩りも順調に終わりつつあることから、余裕ぶっこいてふんぞり返っていられるよ。

 さて、もうそろそろ、来ると思うんだけれど……


 ギギギギ————


 と、無駄に重苦しい音を立てて、玉座の間に続く扉が開かれる。どうやら、お出ましのようだ。

「やぁ、待ってたよ、オーマ」

「呪ノ御子! ナッ、ナゼ、ココニ……」

 姿を現したのは、息を切らせてぜぇぜぇ言っているオーマである。

 ついに一匹のお供もいなくなり、単独だ。こうなれば、王様も無様なものだよね。

「遠慮しないで入りなよ」

「オノレ、余ノ玉座サエ奪ウカ、ニンゲンメガァ!」

「ええー、いらないよ、こんな汚い椅子」

 座り心地は悪くないんだけどね。でも愛用するなら、僕は自分でクラフトするよ。

 そんなことより、オーマと普通に会話が成立している件。

 さっきの戦いの時点で、お互いの言葉が理解できているようになっていたが、今はさらにはっきりと聞こえてくる。勿論、僕が突如としてゴーマ語解読スキルを習得したワケではないし、逆にオーマが日本語を喋れるようになったワケでもない。

 解読スキルなんてない。ないけれど、ようやく分かったよ、ゴーマ語の秘密ってやつをね。

「ナゼダ……イツカラ、ココニイル……」

「うーん、二週間くらい前かな?」

 今ここにいる僕は勿論、王宮に潜ませていた方の『双影』である。

 王国崩しが成功した後は、こっちはこっちで王宮内で動き出したのだ。追い詰められたオーマが逃げるなら、絶対に玉座の間にやって来る。それが分かり切っていたから、ここの抑えに向かったのである。

「逃がさないよ、オーマ。お前を逃がすワケにはいかない」

「ナントイウ、コトダ……呪ハトウニ、余ノ下ニ及ンデイタトハ……」

 よろよろと玉座の間の中央まで歩いて来たオーマは、そこで最後の気力も失ったかのように、杖を手放した。カラーン、と虚しく音が響き渡る。

「余ノ命運モ尽キタカ……ダガ、王国ハ滅ビヌ」

「滅ぶよ」

「滅ビヌ。王国ハ蘇ル。イツノ日カ、必ズヤ、我ラハコノ地ヲ取リ戻スダロウ」

 自分の命はもう諦めている。けれど、希望の火がオーマの目には灯っている。

 ただの強がりでも、願望でもない。そう信じるに足るモノが、オーマにはあるのだ。

「いいや、王国は滅ぼす。今日この日、僕が滅ぼすんだ」

「ナラバ、殺スガヨイ!」

 両腕を広げてオーマが叫ぶ。実に潔いことだ。もう未練はないって?

 でも、それじゃあ困るんだよね。

「オーマさぁ、僕が『呪術師』だって知ってるでしょ」

 自己紹介をした甲斐あってか、オーマは僕を指して『呪いの御子』と呼んでいる。大袈裟な呼び方だけど、ゴーマ文化的に呪いを操るヤベー奴みたいな意味なのだろう。

「まさか未来の希望を抱いたまま、綺麗に死ねるなんて思ってないよね?」

「ホザケ、余ノ王国ハ永遠トナル……ソシテ、余ノ名モマタ、未来永劫、語リ継ガレルダロウ」

「ゴーマ王国を建国した、偉大なる初代国王オーマって? 流石、王様ともなれば歴史に名を遺すことも意識しちゃうってわけか」

 確かに、ゴーマなんていう知能の低い人型モンスターを率いて、これほどの王国を築き上げたオーマは、ゴーマ史に残る偉業を成し遂げたと言ってもいいだろう。けれど伝説っていうのは、語り継ぐ人がいなければ意味がないんだよ。

「然リ、余ハ伝説トナルノダ」

「そう信じられる希望があるんでしょ……ふふ、お前の『希望』がナニか、当てて上げようか?」

 かすかに、オーマの表情が歪んだ気がした。

 まさか、いや、そんなはずは————なんて不安が渦巻いているのだろう。

 いやぁ、実は僕もちょっとドキドキしてる。こんなに自信満々に言ったのに、ハズレだったらどうしようって。

 それじゃあ、答え合わせと行こうか。

「お前の希望は、コレでしょ」

 ドサリ、と鈍い音を立てて玉座の間の高い天井から落っこちて来る。

 アラクネみたいに『黒髪縛り』でグルグル巻きにして、天井に吊るしておいたのだ。今、それを解除してオーマの前に落としてやっただけ。

 黒髪に絡まってゴミのように転がったソレは、一体のゴーマ。

 まだ小さく、短い手足の幼児だ。

「オッ……オ、オオォ……オォズマァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 狂ったような絶叫が、玉座の間に響き渡る。その声が聞きたかった。

 オーマのリアクションからして、どうやら大正解だったようだね。

「オズマくんって言うんだ? そのガキがお前の世継ぎ、ゴーマ王国を継ぐ王子様ってワケだ」

 この『双影』は潜入から今日までずーっと王宮にいたんだ。ここはオーマを筆頭に、奴のハーレム含む居住区にもなっている。だから、その気がなくても目に入るのさ。

 オーマの子供は沢山いる。そもそもゴーマは多産。オーマは老齢なれど、いまだ現役バリバリなので、夜は腹のデカいメスに囲まれやりたい放題だ。なるほど、複数相手にする時って、そういうプレイングをすれば上手く回るんですね! 参考になります、オーマ様。

 ともかく、子沢山になるのは当然の帰結であって、中でもゴーマ基準で優秀と思われる個体は選別されて王宮で育てられることになる。王宮には生まれたばかりの赤ん坊から、立派なゴーヴへと成長を果たした成人まで、幅広い年齢層が揃っていた。

 今にして思えば、横道MPKをした時にいたゴーヴ将も、王子の一匹だったのかもしれない。

 そんな風に数多いるオーマの子供たちの中で、最も特別扱いをされていたのが、このオズマである。

 まず、着ている服が違う。鍛冶場テロの道すがらに殺したメスゴーマが着ていたような、穢れない純白の布地で作られた衣服に、色鮮やかな極彩色の羽織みたいなのを着せられている。

 服だけではない。身につけられているマジックアイテムも多岐に渡っており、これほどの数を装備しているガキは他にいない。

 常に複数のメスに世話をされ、食事も豪華。王宮暮らしとはいえ放し飼いみたいなガキ共が多いことを鑑みれば、本当に破格の待遇である。

 恐らくゴーマ社会では、年功序列ではなく徹底した実力主義なのだろう。このオズマこそ、オーマが自らの跡を継ぐに値する最優秀の個体だと判断しているに違いなかった。

「僕には子を持つ親の気持ち、なんてのは分からないけどさ、お前も相当に長い間この王国を支配し続けて来ただろう。トップに立つことの苦労なら、僕も多少は分かってるつもりだよ」

 万を超えるゴーマと、半分以下となったクラスメイトとでは、比べることもおこがましいが。僕は基本的に人喰いの化け物に過ぎないゴーマを見下しているし、嫌悪し、憎悪している。

 それでもオーマ、お前のことだけは認めている。お前は凄い奴だ。

 野蛮で低能なゴーマ共をまとめ上げ、ザガン達ギラ・ゴグマを擁する強大な軍を作り上げ、最下層エリアを支配する王国を築いた。今日まで王国は平和と繁栄を謳歌し続けてきたのだ。一つの時代を作り上げたその手腕は本物である。

「でも、どんな偉大な王でも、歳には勝てない。そんなに老いぼれるまで、後継ぎに足ると認められる子供が生まれなかったんだ」

 焦っただろう。そして、その焦りは誰にも悟られるわけにはいかない。

 オーマこそが頂点だから。下の者に、不安や焦燥といった感情は決して見せられないだろう。

「だから、オズマはお前の希望だ。この子がいれば、もう自分はいつでも……なんて、安心できただろうね」

「オズマァアアアアアアアアッ! アアアアアアアアッ! ウォオオオァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 その希望を無残に打ち砕かれた結果が、この叫びである。

 僕の話なんか、もう聞いちゃいないだろう。永遠のゴーマ王国、という夢が敗れ去ったのだから。

「どこぞの開拓村に、コイツを避難させたから大丈夫だと思った? 残念、転移する前に仕留めちゃいましたー」

 この玉座の間こそが、セントラルタワーへ入る正面入り口なのだ。僕が座っている玉座の真後ろは、壁ではなくて、両開きになる巨大なスライドドアになっている。

 潜伏している間に、この扉が開かれることは一度もなかったが、石板からの情報で間取りは把握しているし、今でも問題なく開閉機能が生きていることも分かっている。

 塔のエントランスには基本的に転移魔法陣が設置されている。なくても妖精広場が併設されていたりもするし。

 王国で普段使用されている転移魔法陣は王宮前広場だけれど、いざという時の脱出に使えるのは、玉座の間から入るセントラルタワーエントランスの転移魔法陣だ。

 案の定、王国崩しが炸裂して大ピンチとなった瞬間に、オズマの緊急避難が始まった。

 いやぁ、結構ギリギリだったよ。供回りのメス共が、欲張って部屋から衣類や宝物の類を持ち出そうとしてくれたお陰で、『双影』の僕が玉座の間に先回りできた。

 小さいガキと腹がデカいだけのメス数匹なんざ、分身の僕一人でも殲滅は余裕だ。一刺しで即死させられる『デスストーカーの毒針』にはお世話になりっぱなしだよ。

「ゴォノォオオオオ、ニンゲンガァアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 激昂したオーマは、一度手放した杖を再び握りしめ、玉座の僕へと飛び掛からんとするが、

「————レム」

 黒騎士の一閃が、杖を握ったオーマの腕を斬り飛ばす。

 外の残党狩りは余裕だし、黒騎士レムだけはすぐ王宮に突入させといたんだよね。僕の分身だけじゃあ、オーマが魔力を振り絞って本気で悪あがきしたら、殺し切るのに手間取りそうだし。

 僕とお喋りしている間に、黒騎士レムはとっくにオーマの背後にスタンバイできていた。下手な動きをしても、すぐに制圧できるように。それが今ってワケだ。

「ヌガァアアアッ!」

 返す刀でさらに一閃。オーマの貧相な細い足をまとめてレムは叩き切った。

 手足を失ったオーマは、再び床へと這いつくばる。もう二度と、立ち上がることはない。さて、下ごしらえはこんなところでいいだろう。

「僕はゴーマが嫌いだ。でも、素材としては重宝しているんだよね」

 このダンジョンで最もお手軽に手に入るモンスター素材だからね。コアはとれるし、横道に食わせればクソザコ共の肉片さえ無駄にならない。ゴグマともなれば魔法の武器まで持っている。これまで僕が最も利用して来たモンスター素材と言ってもいいだろう。

「だからオーマ、お前には是非とも僕をしっかり恨んでもらった上で、死んで欲しかったんだよ」

 ほら、僕は呪術師だから。そういう曰く付き、な方が素材として活かせる。より強力な装備やアイテムになってくれるんだ。強い思いは残るんだよ、たとえ髑髏になってもね。

「ゴーマ王オーマ、お前ほどの奴なら、一体どれほど強力な装備になってくれるか、僕は今から楽しみだよ————『赤髪括り』」

 毒々しい赤黒い色合いを放つ髪の触手は、『腐り沼』と同じ強い酸を纏った『黒髪縛り』の派生技。攻撃技として使えなくはないけど、あんまり即効性があるわけじゃないから出番は少ないが、僕が首を落とすなら刃物を使うより、コレで溶かし切った方が楽だろう。

 レムに任せるのが一番手っ取り早いけど、やっぱり大ボスは自分の手でトドメ刺したいじゃん? わざわざオズマ王子をぶっ殺して絶望感与える演出までしたんだし。

 この手でオーマを殺すのが、呪術師としての役目だよね。

「グウォオオオオオオオオオオオオオオッ! ユッ、許ザヌ……貴様ォオオ、ゼッダイニィ、許ザンゾォオオ……」

「ああ、そのまま恨んで死んでくれ。さようなら、オーマ」

「許ザン……呪ノ……御子ォオオオ……」

 その言葉を最後に、オーマの首はあっけないほど容易く落ちた。枯れ木のような細い首は、肉も薄ければ骨も脆かったのだろう。

 ゴロっと転がったオーマの生首は、死して尚、僕への恨みを訴えかけるかのように、見開かれた目が血走っていた。

「じゃあ、みんな来るまで暇だし、新鮮な内に処理しちゃおっか。レム、そこに『魔女の釜』作るから手伝ってよ」




「————って感じで、オーマはもう死んだよ」

「そう、きっちり殺してくれたんなら、もう安心ね」

 場所は戻って本体の僕は、分身がオーマを討ち取った模様を姫野に実況中継したのであった。

 僕の本体は最終奥義『痛み返し』ダイレクトアタックによって、深刻なダメージを負っている。応急処置こそしたものの、治癒魔法をかけてもらうに越したことはない。

 僕は痛みと魔力消費による疲労感で体を引きずるようにしてトーチカまで戻り、姫野の『応急回復ファストヒール』を受けるのだった。

「はぁ……やっとゴーマ共も全滅したわね」

 疲れたような溜息と共に、姫野が言う。

 視界に見える限りでは、すでに生きたゴーマは一匹も残っちゃいない。ザガンが倒れ、オーマが逃げ出し、奴らにはもう士気の欠片もありはしなかった。

 いまだ狂戦士パワー全開で戦うメイちゃんには頼りのゴグマも圧倒され、上田達は雑草を狩るようにゴーヴ兵を切り倒し、逃げ出すクソ雑魚共は召喚獣に任せておけば十分だ。これでもう、ゴーマ王国の戦力は文字通りに殲滅である。

「小太郎くーん!」

 こうしてお仕事が終わったので、メイちゃんが笑顔で駆けよって来る。見ているこっちが幸せになりそうなほど明るい笑顔が弾けているが、その脚力は土埃を巻き上げる高速である。僕の方から歩み寄るまでもない。

 なので、僕はただ両手を広げて、今度こそ感動の再会をじっくりと————

「小太郎くん!」

「ふぐぅー」

 ああぁ、この全身を包み込まれる温かく柔らかな抱擁。ダメだ、思考が溶ける、この巨大なおっぱいに挟まれる破壊力は圧倒的だ……抵抗は無意味、このまま心も体も溶けてしまいたい……

「双葉ちゃん、そろそろ離してあげなよ」

「ええー、でもぉ」

「このままじゃ桃川君、使い物にならなくなりそうだし」

 ええい姫野め、至福の時を邪魔しおって。夢のようなひと時から、過酷な現実世界へと僕は帰って来る。

「とにかく、来てくれて助かったわよ。本当にありがとう、双葉ちゃん」

「ううん、姫ちゃんこそ、無事で良かった。治癒魔法、助かったよ」

 こちらはこちらで、友情の再会である。メイちゃんも姫野が締め出されたのを、心配していただろうから。

「それにしても、随分とタイミングよく来てくれたけど、これも桃川君の仕込みなの?」

「仕込んだのは学園塔の頃だけどね」

 メイちゃんには僕が危機に陥ったのを知らせるために、小さな虫のレムを仕込んでおいたのだ。テントウムシみたいな羽虫で、普段はセーラー服の襟の裏にいる。

 学園塔時代ではコイツを使うことはなかったけれど、小鳥遊が本性を現わして僕が逃げた後も、メイちゃんにはずーっとこのテントウレムはついていたのだ。

 流石にダンジョンのエリアを隔ててしまうと、レムもテントウが生きてるかどうかくらいしか分からなくなってしまう。最下層エリアまでやって来て、メイちゃんが同じエリアにいる、ということまで判断できるようになったが、恐らくは隠し砦に籠っているせいで、位置の特定にまでは至らなかった。

 逆に言えば、外に出てさえしまえば、即座にレムは居場所を特定できるということ。こちらからも、向こうからも、である。

「メイちゃんの状況は夏川さんから聞いていたから。無理に動くと小鳥遊を警戒させるから、今日まで接触は我慢したんだよね」

 小鳥遊はあの『イデアコード』でメイちゃんの心を縛り、行動を封じていた。

 そうじゃなければ、アイツはとっくに怒り狂った狂戦士にブチ殺されているだろうから。あの毒殺騒ぎの時に、メイちゃんだけが駆け付けてこなかったのも、そういう理由だ。

「作戦通りに行けば、メイちゃんの出番はなかったんだけど……本当に助かったよ」

「ふふ、間に合って良かった」

「ねぇ、蒼真君達の方は、今どうなってるの?」

「そろそろ、王宮まで辿り着きそうかな」

 僕らの方にはオーマとその護衛しか来なかったので、蒼真ハーレムとの挟撃による戦力分散は成功だった。

 けれど、ザガン奇跡の復活で大ピンチって時に駆けつけてくれない辺りが勇者様(笑)なんだよなぁ。ピンチを助けられるのは、ヒロインだけですってか。あっ、レイナのピンチには間に合わなかったよね。ごめん、逆恨みはやめるよ。

「だから、僕らも行くとしよう。ここで先を越されてしまったら、これまでの努力が水の泡だしね」

第323話 玉座にて待つ

 ようやく、要塞を守るゴーマ兵を倒し切った。完全武装のゴーヴ兵に、複数のゴグマもいる強敵だったせいで、時間はかかってしまったが、なんとか全員無事に勝つことが出来て良かった。

「ふぇーん、蒼真くぅーん!」

「小鳥遊さん、もう大丈夫だ」

 泣きじゃくる彼女の小さな体を、俺は抱き上げる。

 途中で小鳥遊さんの足元が崩れて、危うく奈落の底へ落ちそうになった時は本当に焦った。運よくタワーのバルコニーみたいに突き出た場所に落ちたから、事なきを得たが……彼女を引き上げて救出するのに、さらに時間をかけてしまった。

「小鳥、怪我はないか?」

「うん、大丈夫だよ明日那ちゃん。桜ちゃんが治癒魔法もかけてくれたし」

「ギリギリ届いて良かったです。それに、打ちどころも良かったようで、大きな怪我もせずに済みましたね」

「まったく、心配をかけて……ここから先は私が背負って行こうか?」

「むぅ、そこまでしなくってもいいよ、明日那ちゃん! 次はちゃんと気を付けるもん!」

 ああして、元気よく明日那とじゃれているところを見ると、本当に大丈夫そうだ。

 けれど、一番安心しているのは助けられた小鳥遊さんより、俺の方かもしれない。仲間の窮地と思うと、肝が冷えて仕方がない。

「それじゃあ、次は双葉さんを探さないとな」

「その必要はないわ」

「どういうことだ、委員長」

「彼女は先についているから。連絡があったわよ」

「そうか、無事だったんだな! 良かった……ん、待てよ、今の双葉さんが、スマホで連絡をくれたのか?」

「ええ、そうよ」

 はぐれたからスマホで無事を伝える、というのは当たり前のことだが、果たして心神喪失状態の彼女が、そこまでの気が回るかどうか。そもそも、それだけの認識能力があるなら、ハナからはぐれたりしないような気もするが……

「双葉さんが待ってるわ。先を急ぎましょう」

「ああ、そうだな」

 何はともあれ、彼女の無事が確認できたならば何よりだ。ゴーマ兵は全滅したようだが、まだどこかに潜んでいないとも限らない。早く合流して、安全を確保しなければ。

 そうして、俺達はいよいよ要塞の奥へと向かう。

 夏川さんの調査によれば、この奥がゴーマの王オーマがいる王宮となっており、その建屋の大半がセントラルタワーの遺跡部分になっているそうだ。だからこそ、王宮には沢山の隠し通路が存在しており、潜入もしやすかったのだと。

「こっちだよ」

 夏川さんの先導に従い、かなり広大な要塞内を最短ルートで進んで行く。王宮には、すぐに到着した。

 元々は隠し通路なのか、彼女が何もない壁面に軽く手をかざしただけで、スーっと音もなく扉がスライドして開いた。

 ゴーマは全く遺跡の隠し通路は把握していないので、俺達は列になって素早く通り抜けていく。

「王宮内にも、もうゴーマは残っていないのか」

「うん、全滅したみたいだね」

 やはり夏川さんも、ゴーマの気配を全く感じていないようだ。

 ゴーマにはメスもいれば子供もいる。つまり、非戦闘員がそれなりに存在しているということだ。

 俺達が倒したのは間違いなく全て兵士だった。ならば、王宮で暮らしていただろう女子供のゴーマは一体どこへ行ったのか。要塞までは無事なのだから、崩落に巻き込まれたということはないはずなのだが……転移魔法で、すでにどこかへと避難したのかもしれないな。

「ここが玉座の間だよ」

「そこから、タワーの入口に繋がっているんだよな?」

「うん、間違いないよ」

 ついに、ここまで来た。

 ゴーマ王国の存在を知った時は、どう突破するかまるで考えがつかなかった。何より、ザガンという強大なゴーマによって、二人も仲間を失ってしまった。

 それから奴らの追撃によって……さらに、五人も失った。彼らは、まだこのエリアのどこかで生き延びているのだろうか。

 出来る限りの捜索はしたが、結局、生きている痕跡さえ発見できなかった。生存は絶望的だ。

 それでも、それでも俺達はここまで辿り着いた。

 たとえ仲間を失っても、それでもまだ生きている者がいるならば、俺達は最後まであきらめずに進み続けるんだ。

「さぁ、行こう」

 巨大な両開きの扉に手をかけ、俺は力任せに開放する。この先に、忌まわしいダンジョンから抜け出す、希望の道があると信じて————

「————やぁ、蒼真君。久しぶりだね、待っていたよ」

 玉座に腰かけている小さな人影が、俺の名を呼ぶ。

 あどけなさを感じさせる中性的な顔は、ふてぶてしい野良猫のような笑みを浮かべている。

 その声、その顔、その姿……見違えようがない。生涯、俺は忘れることがないだろう。

 大切な幼馴染を殺し、クラスメイト全員を裏切った悪逆非道の大罪人。

 しかし、ヤマタノオロチを一人の犠牲者も出さずに攻略し、たとえ偽りであっても生き残った全員の結束を確かなものにした、カリスマ的な統率力を持った指導者。

「桃川……どうしてお前が、ここに」

「やれやれ、そういうところは相変わらず鈍いんだから。一体、誰がこのゴーマ王国を滅ぼしたと思っているんだい?」

「ま、まさか————委員長!?」

「ええ、私は桃川君の作戦に従っただけ。王国を攻略したのは、彼よ」

「どういうことだ! 何故、どうして、まさか委員長まで俺達を————」

「————裏切った、とでも言うつもり? そういうところだよ、蒼真君」

「桃川ぁ、よくもそんな口が利けるな、一番の裏切り者が!」

「それはどうかしらね。悠斗君、彼らからすれば、裏切り者は私達の方になるわよ」

 そこで、俺は今更になってようやく気が付いた。

 玉座の桃川の下には、何人もの人影があることを。

「へっ、俺らが散々苦労して王国攻略した後にご登場とは、勇者様ってのはいいご身分だよなぁ?」

「アタシらのこと、まさか忘れてた、なんて言わせねぇぞ」

「上田、芳崎さん……」

「俺達は、桃川に助けられたんだ」

「かなりの無茶はさせられたけどね……」

「山田、中嶋、お前達も生きて……」

「っていうか、剣崎明日那ぁ! アンタが蹴り飛ばしたこと、絶対に許さないんだからね、覚悟しろコラァッ!!」

 そして、姫野さんが唾を飛ばす勢いで怒りの叫びを上げていた。

「そういうワケで、君たちが見捨てた五人全員、僕が助けたんだよ。良かったね蒼真君、大切な仲間を失わずに済んだんだ。まずは僕に一言、お礼があってもいいと思うんだけどねぇ?」

「黙りなさいっ! 何をしようとも、桃川小太郎、貴方が私達全員を毒殺しようとした卑劣な裏切り者であることに変わりはないでしょう! 今ここで、雌雄を決してもよいのですよ!」

「じゃあ私と殺し合い、する?」

 背筋が凍るような、凄まじい魔力の気配を放ちながら、双葉さんが冷たく言う。

 玉座にある桃川を守る忠実無比な騎士のように、彼女は漆黒の大盾とハルバードを携えて、薄っすらと殺意の籠った目で俺達を眺めた。

「ふ、双葉さん、正気に戻っているのですか……」

「うん、私は『狂戦士』の双葉芽衣子。蒼真さん、自分の立場をよく考えて喋った方がいいよ。私達を敵に回して、ただで済むと思っているのかな」

 ざっと見渡しても、彼らが双葉さんを止める様子は見られないし、俺達を擁護するようなことも言い出さない。

 当然だ、あの時、明日那が姫野さんを蹴り飛ばしたのを皮切りに、見捨てたも同然となってしまった。俺達が恨まれるのは当たり前のことだ。

 結局、俺は彼らを助けることができなかったし、彼らを救ったのは……悔しいが、桃川だというのは紛れもない事実だろう。

「ウチらがいるのも、忘れないでよねー」

「グガガ!」

 いつの間にか、俺達の背後に蘭堂さんが現れていた。手にした黄金のリボルバーの銃口こそ向けられていないが、いつでも魔力を込めた上級の土属性魔法を放てる体勢だ。

 そして土魔術師である彼女を守るように立ちはだかるのが、黒いリビングアーマーを模した姿のレム。さらには、以前に見た時よりもずっと数が増えたスケルトンとハイゾンビに、ゴグマのような巨躯を誇る新たな召喚獣まで姿を現していた。

 完全に囲まれており、数の上でも負けている。戦えば不利なのは明らかだ。

「桜、お願いだから短慮は起こさないで。私も、桃川君も、殺し合いがしたくてこんな場所で待っていたワケじゃないのだから」

「い、委員長も……桃川に、つくのか」

「うぅ……騙したみたいで、ごめんね蒼真君」

「美波、謝る必要はないわ。ここまで拗れてしまった責任は、悠斗君にもあるのよ。勿論、私にもね」

「そんな、涼子! 貴女まで裏切るなんて!」

「この期に及んで桃川に味方するなど、どうかしている! 命惜しさに寝返るとは、恥を知れ!」

「みんな一体どうしちゃったの!? ねぇ、こんなの絶対おかしいよぅ……桃川君の呪術で、操られているんじゃないの!?」

 委員長と夏川さんまでもが、桃川の味方についてしまった。小鳥遊さんの言う通り、アイツが何か邪悪な術で、二人を洗脳でもしているんじゃないかと、本気でそう思ってしまいそうだ。

「……教えてくれ、委員長。いつからだ。一体、いつから桃川と通じていたんだ」

「美波が最初に王国に潜入した時よ。そこで偶然、桃川君と出会った」

「それじゃあ、石板の情報や、王国の偵察報告は」

「美波が一人で集めたものじゃない。石板の情報は桃川君が解読したものよ」

 詳しい内容は語れないけど、信じて協力して欲しい。委員長が、どうして作戦内容を秘密にしていたのか、ようやく分かった。今更、こんな種明かしをされてから気づいたのでは、あまりにも遅すぎるが。

「全て、アイツの掌の上ということか……」

「私は、残ったクラスメイトをこれ以上犠牲にしない、最善の方法を選んだつもりよ。たとえ、貴方達を騙すような真似をすることになってもね」

「そんなに……俺のことは、信じられなかったのか……」

 裏切り者、と委員長に怒る気持ちは湧いてこなかった。

 ただ、悔しかった。信頼を失った自分に。あの委員長に、ここまでさせてしまった自分の体たらくに。無力な自分が惨めで仕方がない。

 何が『勇者』だ……俺は結局、誰一人救えなかった……見捨てた五人を助けることも、このゴーマ王国を攻略して道を切り開くことも……全部、桃川がやった。よりによって、アイツがやってしまった。

 俺は今まで何をやってきたんだ……俺は、どうすれば良かったんだ……

「もういい……委員長も夏川さんも、桃川と一緒に行けばいい」

「やめて、悠斗君、そんな言い方————」

「行けよ! アイツの方を信じるというなら、好きにすればいい!」

 ああ、俺は何を言っているんだ。

 違う、こんなことを言いたいんじゃない。二人は何も悪くないだろう。

 けれど、胸から湧き上がって来るこのどうしようもない感情は、堰を切ったように俺の口から馬鹿みたいな叫びになって溢れ出てしまう。自分で、自分を止められない。

 自棄になるって、こういうことを言うのか。

「俺なんか、何もできなかった俺のことなんか、もう放って行けばいいだろ!」

「————このっ、大馬鹿野郎がっ!!」

 俺のヤケクソになった叫び声をかき消すほどの、さらに大きな怒声が響き渡る。

 気が付けば、見慣れない人影が目の前に立っていた。

「お、お前は……葉山……? 葉山なのか? 嘘だろ、生きて————」

「生きてたのかお前、なんて台詞はもう聞き飽きてんだよぉ! そんなことよりも、蒼真悠斗ぉ!」

「な、なんだよ……」

「ふざけんじゃねぇぞ、さっきから聞いてりゃグチグチ文句ばっか言いやがって! まずはみんな生きてて良かったって泣いて喜んで、次に助けてくれてありがとうって俺らに礼の一つでも言ったらどうなんだよ!」

「勝手なことを……葉山、お前は桃川がしたことを知らないだろう。いや、何も知らないから、お前も騙されているんじゃ————」

「いい加減にしろよ。お前、そんなに自分で助けなきゃ気が済まねぇのかよ」

「なっ!?」

「今のお前は、そういう風にしか見えねぇ。桃川がやったことを、信じられねぇだの、騙しているだの……その上さらに、委員長を裏切り者扱いかよ。人を信じてねぇのは、お前のほうじゃねぇか」

「違う! お前は桃川がどれだけ危険な奴か、分かってないんだ!」

「うるせぇ、全部知ってるっての! 知った上で、俺は桃川を信じると決めたんだ。他の誰でもねぇ、俺を、俺達を助けて、ここまで導いてきたのは桃川だ」

 ああ、そうだろう。桃川は、それができる人間なのだ。それだけの力と才能を持っている。だからこそ、俺はアイツが恐ろしい。

 こうして戻って来ただけでも奇跡。その上さらに、みんなを毒殺しようとしたはずなのに、気が付けばクラスメイトの大半は桃川についた。挙句の果てには、委員長と夏川さんまでもが……みんな、どうかしている。何故だ、どうしてこんなことに。

「俺は……俺はただ、みんなを助けたかっただけなのに……」

「そう思うなら、もっとちゃんと桃川と向き合えよ。いいか、アイツはお前も含めて助けようとして、こんなとこまで来てんだぞ」

「そうよ、悠斗君。私達はもう一度、二年七組としてやり直せるわ」

「やり直す……だって……?」

「ええ、できるわ。ちゃんと話し合いをすれば、私達なら必ずできる」

 だから信じてくれと、委員長はそう訴えかける。

 俺だって信じたいさ。信じてきた。けれどその一方で、俺達を騙すような真似をしておきながら、という気持ちも間違いなく存在していて、今の俺には決して無視できない。

 信じるべきなのか。

 それとも、もう委員長も桃川に洗脳でもされていると断じて、今すぐに剣を抜いて戦うべきか。

「騙されないでください、兄さん! 話し合いなど、今更もう遅いでしょう!」

「そうだぞ、蒼真! 桃川が、アイツがやったことを忘れたのか! 絶対に何かを企んでいるに違いない」

「やめて、桜、明日那。戦えば死人が出ることは、分かっているでしょう」

「涼子、貴女こそ目を覚ましまなさい!」

「そ、そうだよ! 委員長も夏川さんも、絶対に操られているんだよ!」

「アイツは小鳥に全ての罪をなすりつけようとしているんだ。顔を合わせれば、元より殺し合いは避けられないことだろう————今度こそ、このゲスを私が叩き斬ってくれる!」

「……やめろ」

「兄さん!」

「蒼真!」

「蒼真くん!?」

「やめてくれ……ここで殺し合いをして何になるっていうんだ……なぁ、委員長、信じていいんだな。本当に、もう俺達が誰も死なずにすむように、できると言うんだな」

 桜と明日那の怒れる気持ちは、痛いほど分かる。小鳥遊さんの今にも泣きだしそうな不安感も。

 それでも、ここで剣を抜けば、全て終わる。絶対に、もう取り返しのつかないことになると、そんなのは直感なんかなくても分かり切ったことだろう。

 すでに桃川には、俺達を制圧するに十分な戦力を揃えているのだから。

 最初から、俺達には話し合いに乗る以外の選択肢などない。

「ええ、できるわ。この状況を、誰も死なずに治められる方策が、桃川君にはある」

「分かった、信じるよ、委員長。だから桜、明日那、小鳥遊さんも、俺を信じてここは矛を収めてくれないか。もし、誰かに危害を加えられるようなことがあれば……その時は、俺が命を賭けて守る」

 いざとなれば、俺は双葉さんも押し退け、桃川を斬ってみせよう。『痛み返し』というダメージをそのまま跳ね返す呪術があるのは勿論知っている。だが、迷いはしない。

 俺は奴と相打ちになってでも、その時になれば殺して見せよう。

「ふふふ、そんなに怖い顔をしないでよ、蒼真君」

 俺の決死の覚悟さえ嘲笑うかのように、桃川は玉座から腰を上げた。

「委員長の言う通り、僕には誰も犠牲にさせずに、もう一度クラスを結束させる腹案があるんだ。ようやく、聞く耳を持ってくれたようで嬉しいよ」

 どの口が言う。

 鷹揚に語る桃川だが、ぴったりと傍らに寄り添う双葉さんは武器を握りしめたまま。他の面子も同じだ。

 上田達も武器を決して手放さないし、蘭堂さんもリボルバーに魔力を通したままだ。

 この場で武器を手にしていないのは、葉山くらいのもので……なんでアイツ、子猫を抱っこしているんだ? この状況で何を考えているんだ。表情だけは真剣そのものなんだが。というか、後ろにいる熊みたいな奴と狼みたいなのはモンスターなのでは……?

 まぁいい、葉山の天職が何かは知らないが、きっと使い魔みたいなものなのだろう。とにかく、油断はしない。

 そうして俺と桃川は、玉座の間のど真ん中で相対する。

「さぁ、最後の学級会を始めようか————」

第324話 異世界人

 小鳥遊小鳥の陰謀によって、学園塔から転移魔法で追放された『水魔術師』下川淳之介。飛ばされた先は、乾き切った砂漠の遺跡であった。

 ひとまず犬型モンスターの撃退に成功し、今日の糧を得るために、水魔法のみで解体に挑もうとした、正にその時である。

「————誰だ!?」

 ザリ、という砂を踏みつける小さな足音に、咄嗟に下川は振り返った。

 通路から広間へと現れたのは、紛れもなく『人間』だった。

 クラスメイトでもなければ、人型モンスターでもない。それはこのダンジョンに飛ばされてから初めて目撃する、異世界人である。

「……」

 その異世界人は、褐色の肌をした少女であった。

 美しい少女だ。日本人離れした彫りの深い容貌で、髪の色は鮮やかな赤に染まり、瞳の色は透き通った青。なるほど、正に異世界の人間だと納得できる容姿だ。

 しかし、ただエキゾチックな褐色美少女に見惚れるほど、下川は呑気ではなかった。

 彼女の腰には一振りの剣があり、すでに柄に手がかかっている。

 親友たる上田をはじめ、天職によって達人級の剣の使い手を間近で見てきた下川だ。彼女の素早く、それでいて自然な構えが、素人のソレではなく、それなり以上に熟達したものであるとすぐに察せられた。

 この距離はまずい。次にそう己の不利を悟る。

 褐色美少女が『剣士』並みの腕前であれば、こうもはっきりお互いの顔が分かる程度の距離など、瞬く間に詰め寄り切り捨てることが可能だ。

 簡素な白いマントのようなものを羽織って全身を覆っているが、腰にある剣の鞘はなかなか豪華な金細工が施されており、安い鉄の剣ではなさそう。ただの見た目重視であれば良いが、途轍もない名剣か、あるいは強力な魔法剣という可能性もある。たとえ彼女の剣が鈍らであったとしても、貧弱な魔術師一人を切り殺すには十分な凶器となるだろう。

 下川も『水魔術師』として攻撃魔法の早撃ちはできるが、この間合いでは迎撃チャンスはよくて一度。それもギリギリで間に合うかどうか。

 なんとしても、戦闘は避けたい。

「水……」

 と、そう彼女が呟いたように聞こえた。

 向こうもこの場に人がいることは驚きだったようであり、鋭く観察するような視線を向けつつも、どうやら彼女が注目しているのは水魔法で満たされた噴水跡のようだと下川は気が付いた。

「み、水が欲しいのか? だったら、幾らでも持って行けよ。俺は『水魔術師』だからな!」

 戦う意思はない、と主張するために両手を上げながら、下川は頼むから言葉は通じてくれよと祈って、そう声をかけた。

 異世界人に両手を上げるジェスチャーが、どのような意図でとられるかは未知数だが、少なくとも武器を手にしていませんよというアピールにはなるだろう。もっとも魔術師である以上は、手の向きなどあまり関係はないが。

 咄嗟の時は防御魔法でガードできるよう、魔力だけは体内で練っておいた。

「お前は、『水魔術師』なのか?」

 やった、言葉は通じた!

 明確に意思疎通ができたことで、下川は心の中でガッツポーズ。この際、どう見ても日本人ではない褐色肌の外国人みたいな風貌の少女が、流暢に日本語を喋っているように聞こえる違和感も気にしない。いや、洋画の吹き替えのようなものだと思えば、それほどおかしくないかもしれないが。

 ついでに美少女は声も麗しいもので、声優がアテレコしてるんじゃないかという感覚にも陥った。

 ともかく、言葉が通じるのは幸いだ。どうせ天職を授かったと同時に、異世界人と言葉が通じるよう魔法的な何かがあるんだろうと、そう解釈することにする。理由などどうだっていい。

「そうだ、俺は『水魔術師』だ」

「何故、こんなところに……その水はお前が出したものなのか」

「ああ、俺がやった。最初は空っぽだったからな」

「……水を出してみろ。だが、妙な真似はするな。この間合いならば、攻撃魔法が届くより先に、私がお前を斬り捨てる方が早い」

「分かってるって。つーか、俺は怪しい者じゃないし、アンタと戦う気はないからな」

 そんなことを言いつつ、やはり異世界人らしく普通に魔法の概念はあるようだと下川は理解した。

 剣の腕に自信があるような口ぶりでもあり、ひとまず彼女を上田並みの『剣士』だと思うことする。

「ほら、これでいいか?」

「っ!? おいバカやめろ! そんな勢いで水を出すな!!」

 お前が水出せって言うたやないか、と思うものの、止めろと言うので一旦、止めることにした。

 勿論、全力全開で水を出してはいない。ここの噴水を満たした時と同じように、いつものペースで出したに過ぎない。

「どうやら、本物の『水魔術師』のようだな」

「だからそう言ってるべ」

「ならば、お前は一体何者だ。こんな場所に『水魔術師』がたった一人でいるのは、どう考えてもおかしい」

 いまだに剣の柄からは手を離さず、鋭い視線を向けて問うてくる。

 この疑いようからして、どうやら異世界では、こういった遺跡を探索する冒険者のような存在は一般的ではないのだろう、と推測した。

 同時に、何と言えば怪しまれずに済むだろうか、とも考えたが、下手に嘘をつくよりも素直に白状すべきだろうと考える。元より、隠すようなことなど何もないのだから。

「俺は事故で仲間とはぐれて、一人でこの遺跡に来た。ここがどこで、どんな場所なのか、俺には全く分からないんだ」

「他国の者か……確かに、その顔立ち、薄い肌色は、我々とは違うようだが」

「なぁ、ダンジョンとか、転移魔法とかって、分かるか?」

「当たり前だ。転移の経験はないが、ダンジョンに潜ったことくらいはある」

 よし、それが分かるなら話は通じる、と安堵した。

「俺は仲間達とダンジョンを進んでいたんだが、その内の一人が裏切りやがって、俺だけ転移魔法で飛ばされちまったんだ。多分、ここは俺らのいたダンジョンとは全然違う場所だと思うし、どうやって戻るのかも分からねぇ……俺の恰好を見ろよ、着の身着のままだろう? ついさっき、この広間に転移されてきたばっかなんだよ」

 ひとまず、より詳しい事情を説明してみた。

 対する彼女は、相変わらず訝し気な表情だが、嘘だと断ずる様子もない。信じるべきか、かなり考え込んでいるようだ。

「お前は、どこの国の者だ」

「日本、って分かるか?」

「いや、全く聞いたことがない。かなり遠い異国なのだろう。お前の仲間達も、その国の者なのか?」

「そうだ、俺らは全員、日本人だ。あっ、いや待てよ……アストリアって国の名前は聞いたことあるか? シグルーンって街の名前でもいい」

「それも聞いたことはないな」

 どうやら、脱出先の国ともかけ離れた土地らしい。

 そして、アストリアという国が誰も知らない超絶ドマイナー小国家ではなく、最低限の知名度はあるくらいの国家規模だと想定すると、世界の国々の名前を知ることはできないような文明度なのであろう。要するに、インターネットどころか、いまだに世界全土を発見、開拓さえされていない時代だと思われる。

 中世ファンタジー、という言葉が下川の脳裏を過った。

「ならば、ここがどこなのかも、お前は知らないのだな」

「お、おお、そうだ。この砂漠が外の世界なのか、まだダンジョンの中なのか、それすらも俺には分からねぇんだよ。良かったら、教えてくれないか」

「ここは、アヴドランの地。西砂漠の端、『終わりの谷』へ向かう途上にある古代都市の旧跡だ」

「なるほど、全然聞き覚えがないな」

 異世界の地名など知らなくて当然だ。唯一、知っているのがアストリアとシグルーンの二つであり、それも知らぬと彼女に否定された以上、未知の大地であることに変わりはなかった。

「では、『サラディナ』も『ゼアル』の名も知らないか」

「おう、全く知らん」

「そうか……お前は本当に、遥か遠い異国からやって来た、迷い人の『水魔術師』なのだな」

「そういうことになる。だから俺は、あんたと敵対する気はないし、むしろ助けて欲しいというか————」

「お前、まだ魔力は残っているか? 水を出すことはできるのか?」

「今日は一回しか戦闘してねーし、魔力は全然消耗してないぜ。水は、あー、そういやぁ、どんだけ出せるのか試したことなんてねぇや」

「その噴水跡を満たすほどの水を出しても、魔力は切れないのか」

「はぁ? こんなもん十杯でも二十杯でも余裕だろ。ただ水出すだけなんだし」

 そう答えると、何に納得したのかは分からないが、少女はようやく剣から手を離し、険しい警戒の表情を解いた。

 そして膝を突き、ゆっくりと祈るかのように、両手を合わせる。

「アヴドランの神々と、祖霊の導きに感謝を」

 祈るように、というか、本当に祈り始めた。

 いきなり何やってんだ、と思ったが、決まった時間には必ず礼拝しなければいけない宗教なんかもあるので、そういうアレだろうと勝手に納得し、下川は特に突っ込むことなく、黙って見守ることにした。

 じっくり祈りを捧げて、お祈りタイムは終了か。やけにすっきりした顔で、少女は跪いたまま下川を真っ直ぐに見つめた。

「これまでの非礼と無礼、どうかお許しを。異国の水魔術師殿よ、どうか私に、そのお力を貸してはいただけないだろうか」

「……はぁ?」

 今にも斬り捨てんばかりの迫力だった彼女が、急に目上の客人でも相手にするかのような態度に豹変したことに、ちょっと気持ちがついていかない。

 一体、これまでのやり取りのどこに、彼女に礼儀を尽くされるだけの理由があったのか。

「今、差し出せる対価はあまりにも少ない。よって、貴方に我が身の全てを捧げましょう」

「は? 捧げるって、はぁ、ちょっと待って」

「サラディナ最後の血族が一人、このラティーファ、正真正銘の乙女にございます。今この場で、確かめてもらっても構いません。ですから、どうか、どうか我らに救いの手を!」




「ヒャッハーッ! 水だぁあああああああああっ!!」

 人は、水があるだけでこんなに喜べるものなのか。

 ザッパーン! と叫び声をあげて噴水に飛び込んでいく野郎がまた一人。

「ぶはぁ……生き返る……」

「ああ、アヴドランの神々は、我らを見捨てていなかったのか……」

「ありがたや、ありがたやぁ」

 広間は今、真夏のプールが如き賑わいを見せている。伽藍堂だった広間には、大勢の人々が押し寄せており、下川が満たした噴水へ群がっている。

 勿論、彼らは暑い夏休みにレジャーを満喫しているのではなく、生きるか死ぬかの瀬戸際を経て、水にありついているのだ。

 砂まみれの汚れた格好に、やつれた体。半日も経過していないが、すでにしてウンザリする酷暑と強烈な日差しを体感した下川にとって、この砂漠を進んで来た彼らの苦労は想像するに難くない。

 砂漠の熱さと渇きに飢えたところで、こんな冷たい水場があれば、狂喜乱舞するのも当然であろう。

「おい、噴水の水は飲むんじゃない! 体を清めるだけにしておけ!」

「飲み水はこっちだ! 落ち着け、水は十分にあるぞ!」

 みんなが汚い恰好のままジャブジャブ突っ込んでいってる噴水の水を、下川としても飲用して欲しくはない。ちゃんと彼らが所持していた、水が尽きて久しい空っぽの器を水魔法で全て満タンにしてあげたが、乾き切った者達にはそこまでの理性もないようで、だいたいみんな、噴水で水を浴びながらガブガブ飲んでいた。

 腹を壊さなければいいんだが、と心配しつつそんな様子を眺めていると、

「ご覧ください、水魔術師殿、貴方のお陰で我が部族は救われた」

 最初の険しい視線はどこへやら、すっかり尊敬の眼差しを向けて来る褐色美少女、もとい、サラディナ部族の長、ラティーファである。

「お、おう、こんなの全然、大したことじゃねーし?」

 嬉し恥ずかし、というよりも前に、一体どうしてこうなったのか、と思うことしきりである。

 勿論、事の経緯はちゃんとラティーファから聞かされた上でのことであるが、それでも、追放されてから一日も経たずに、こんな状況になったことに気持ちが追いつかなかった。

「とんでもない、貴方ほど優れた水魔術師を、私は見たことがありません」

「大袈裟だべ……こんなの、たまたま天職が『水魔術師』だったからできるってだけだし」

「おお、まさかとは思ったが、本当に天職の『水魔術師』だったとは! いやしかし、神々に選ばれたからこそ、これほどの水量を生み出せるのだな」

 彼女の言い方が引っかかる。まるで、天職の『水魔術師』と、そうではない『水魔術師』がいるかのようだ。

 あまり常識知らずなことを聞き過ぎるのも問題かもしれないが、聞きそびれて知ったかぶりで恥をかくよりはマシだろう。元より、聞いたこともない遥か遠い異国の人間だと身元は明かしているのだ。砂漠の常識知らずくらい、当たり前だと思って欲しい。

「えーっと、普通の水魔術師だと、どれくらい水出せるんだ?」

「腕が良い方で、この噴水を満たせるくらいだ」

「一時間くらいで?」

「丸一日、全魔力を消費して、だな」

 何その無能魔術師。流石の桃川でも、そんな奴の扱いは匙投げるわ。

 あまりのレベルの低さに、同じ水魔術師として嘆かわしい思いである。

「もしかして、魔術師って大体そんな程度なのか?」

「このアヴドランの地は、見ての通り乾き切った砂漠が多い。水属性の適性を持つ者は希少で、尚且つ強力な術者には育ちにくいのだ。貴方ほどの水魔術師が当たり前にいるようならば、ニホンという国はとても水の魔力が豊かな土地なのだな」

 確かに日本は沢山の水源と、豊富な水量を誇る気候だが、水属性魔力なんてものは存在していない。

 だが、ひとまずは異国で納得してもらっているところを、実は違う世界から、という設定まで今すぐ追加する必要はないだろうと、適当に相槌を打つに留めた。

「それじゃあ、沢山水を出せる水魔術師は、結構重宝されたりする感じだったり?」

「当然だ。水魔術師はアヴドランのどこの部族でも保護される貴重な人材だ。たとえ肥沃な土地を抑えたとしても、決して水魔術師を手放すことはせぬだろう」

 この『アヴドラン』というのが彼女達の住む地名で、最も大きなくくりであることはすでに分かっている。

 どうやらこのアヴドランは全体的に乾燥した環境にあるようだ。流石に全てがここのような砂漠ではないものの、渇いた荒野や荒れた岩山といった、緑豊かな場所はかなり限られているらしい。

 そのため、絶対確実に水を得られる水魔術師は、ライフラインとして、あるいは非常時の備えとして、伝統的に重宝されるようになったのだろうと下川は察した。

 お陰で、ただ水魔術師である、というだけでこんなにも恩を売れたのは、下川にとっては幸いなことこの上なかった。

「とりあえず、これくらいの人数なら、俺一人だけで飲み水も生活用水も賄えるだろ」

「本当にありがたい。異国の者と名乗らなければ、私は貴方を神々の遣いだと信じ切っただろう」

「……いやぁ、流石にそういうのはちょっと」

 女神エリシオンの手先にハメられたばかりの身としては、良い意味で言われたとしても複雑な心境になってしまう。

 それに自分みたいなフツーの奴が、「我こそ水の神が遣わせた使者なり」なんて大仰な嘘を貫けるとは思えない。桃川ならできるだろうが。なんなら、立場を利用してこの哀れな部族を支配しかねない。

「けど、水だけあっても生きてはいけねぇし。早いところ、三百人が落ち着いて暮らせる場所を見つけないとな」

 私の身を捧げる、とまでラティーファが言ったのは、決して嘘でも大袈裟な表現でもない。

 彼女が率いるサラディナ部族は、今日この日には滅び去る運命であった。

 部族間抗争に敗れたサラディナ部族は、多くの同胞を失い、自分と同い年であるこの少女だけが長の一族唯一の生き残りとなり、僅かに残った仲間を連れて、あてのない逃避行と相成ったらしい。

 激しい追撃を辛くも振り切ったものの、辿り着いた先はアヴドランの中でも特に過酷な砂漠地帯。ここにいる以上は、最早追撃の必要もなく、遠からず干上がる末路を辿るより他はない。

 そしてサラディナ部族の僅かな生き残り達も、熱砂に骨を埋める————はずだった。

「水さえあれば、何とかなる。貴方という奇跡を得たのだ。サラディナは必ずや蘇るだろう」

 期待が重い。全幅の信頼を寄せるような、キラキラした視線が辛かった。

「追放された先で、追放された奴らと出会うなんて、どういう冗談だよ」

 けれど、希望は十分すぎるほどに灯った。

 自分達は半分以下になったクラスメイトだけで、あのダンジョンサバイバルを生き抜き、ヤマタノオロチという強大なボスモンスターさえ倒してみせたのだ。

 それが、今や三百人もの人員に、神の遣いと信じるとまで言えるほど期待と信頼を寄せてくれる美少女までいるのだ。

 これでヤル気が湧かないわけがない。

「もう、みんなとは会えないかもしれねぇ……けど、俺は生きるぜ。必ず生き残ってやる」

 滅びの淵にあった追放されし部族三百人、彼らと共に。

第325話 小鳥遊小鳥(2)

 小鳥遊小鳥は可愛い。この世に生まれたその時から、今日この日までずっと可愛い。可愛くない時がない。

 きっと誰もが、赤ちゃんの頃には「可愛い」「カワイイ」、と言われてきただろう。けれど、お前らブサイク共はいつから「可愛い」と言われなくなった?

 容姿、という目に見える絶対的なステータス。決して誤魔化しの効かない、その人の第一印象を決める最大要因。

 残酷かもしれないけれど、その容姿の差異というのは幼児の頃からすでに現れる。ブサイクは、ガキの頃からブサイクなのだ。というか、一重とか生まれた時に間引いといてくれないかな。

 年齢が進めば、さらに容姿の格差は広がる。幼児の頃はまだ丸っこく小さいことで誤魔化せていた部分も、成長に従って歪みが大きくなってゆく。

 一重瞼のブス、目が離れすぎてる魚面、出っ歯ネズミ、耳デカ猿、巨大顔面の奇形————いい加減にしろ、お前ら揃いも揃って、よくもこれだけ不快な醜い連中を集めたものだよね。

 選別が必要だ————物心ついた頃にはそう思っていた。

 幼稚園、小学校、中学校。義務教育を終えるまでは、ただ学区内で区切られた子供を集めるだけのクソシテム。お陰で、小鳥も醜いブサイク連中と一緒に教室に放り込まれるわけ。

 その結果が、これだよ。

「————小鳥遊さん、絶対調子乗ってるよね」

「ちょっと可愛いからって」

「ぶりっ子マジうぜぇ、死ねよ」

「私のカレに色目使いやがって、許せねぇ!」

 ああ、お前らクソブス共は、顔も醜ければ、心も醜いのかよ。

 小鳥が一番嫌いな言葉知ってる? 「人は見た目じゃない」。

 おいおい、ふざけるのも大概にしてよね、自分が醜悪な容姿であることさえ正当化して、あまつさえその心根が美しく清らかであるかのように主張する、最悪の言葉だ。欺瞞、傲慢の極みだよ。

 いいか、クソブスの奇形ブサイク共が、よく聞け、人はまず見た目が全てなんだよ。

 最低限の見た目があって、初めてその人の内面まで評価ができるんだ。見た目は一次選考なのだ。これを越えなければ。二次も三次も最終面接もない。お前のような醜い劣等種とは、今後一切ご縁なんてありませんように、とお祈りしちゃう。

 でもお前らは顔も悪けりゃ、心も頭も悪い劣悪な人モドキのブス猿だから、こんな人の世界の真理も理解できないのだろう。

 可愛いから、調子に乗っている?

 当たり前だ。小鳥はお前らとは存在の格が違うのだから、ブサイクの低次元に合わせてやる義理など全くない。

 ぶりっ子がウザい?

 ああ、そうだよね、お前らは自分を可愛く見せる演技をすることさえ許されないドブスだからね。ブスのぶりっ子とか害悪というか、最早、公害だよね。あんなのバイオテロじゃん。身の程を弁えるって、大事なこと。

 カレに色目を?

 小鳥の方が可愛いんだから、男が私の方を見るのは当たり前、自然の摂理でしょ? そんな当然のことに文句をつけるなんて、頭がおかしいんじゃないの。皿からリンゴを落として、重力があるのが悪い、と怒っているようなもの。ブスの理論は理解ができないよ。

「————ああ、本当に、醜い馬鹿ばっかりで、嫌になるよね」

 可愛い小鳥は、およそクラスの女子連中には嫌われた。大いに嫌われた。

 ただ小鳥がそこにいるだけで、自分達の醜さが嫌でも浮き彫りになるもんね。光が強ければ、より闇は色濃くなる。小鳥は光り輝く天使で、お前らは暗い闇の中を蠢く虫ケラなんだから。

 でも残念ながら、こんなに可愛い天使小鳥ちゃんと、あんなに醜いクソブスメス蟲共も、この現実という同じ次元に生きる人間だ。被害を受けるのは、危害を加えられるのは、絶対にあってはならない。

「ほうら、ブサイク男子共、小鳥を守る栄誉をくれちゃうよ」

 人は石垣、人は城。いい言葉だよね。小鳥、好き。流石は戦国時代の英雄が言っただけあるよ。

 男子は石垣となり、城となり、小鳥というクラスで、いいや、この小学校で輝く唯一無二の光を守るのだ。さぁ、その身を盾にして小鳥を守れ。それがお前らブサイク共に許された、ただ一つの存在価値だろう。

「ありがとう」

 笑顔で口にするその一言で、男はその身を粉にして働く。

 もっと頑張って、もっと尽くして。そうして、いっぱい「ありがとう」を集めるの。

 嬉しいでしょ、楽しいでしょ、光栄でしょ。小鳥の「ありがとう」は、ただの言葉じゃない。お金で買えない、とっても素敵な価値があるの。

「小鳥、本当はもっと、みんなと仲良くしたいだけなの」

 そうやって男子の全てを味方につけた。この小鳥の美貌をもって。

 けれど女子は、醜いブスの嫉妬の塊だけでくっつきあっている、あの醜悪なクソ虫の群れはどうだ。

 小鳥の方からちょっとつつけば、貴女は味方になってくれるよね、お友達になってくれるよね。だって、醜いブスの嫉妬を燃やすよりも、可愛い可愛い小鳥ちゃんのお友達になって、奴隷男子のおこぼれに預かる方が、絶対に得だもんね?

「みんな、仲良くしようよ」

 みんな仲良く。日本人が大好きな大義名分の書かれた錦の御旗を、私は振るった。

 小鳥を敵視する女子グループの崩壊は早かった。続々とグループを抜けて寝返る裏切り者が続出。そうそう、ブスはブサイクと結ばれるのがお似合いだよ。

 天使な小鳥ちゃんは、醜い男女でも結ばせてあげる、心優しいキューピッドにもなれちゃうのだ。ほら、クラスで一番のイケメンサッカー部キャプテン君も、彼を好きな子がみんなでシェアすればいいんじゃないのかなぁ?

 えっ、小鳥はそのイケメン君のことなんて、なんとも思ってないよ。この小鳥があの程度の男と、付き合うワケがないでしょう。

「みんなと仲良くなれて、小鳥とっても嬉しいな」

 小鳥を中心に、クラスは一丸となった。

 そして、小鳥をいじめようと画策していた身の程の知らずのクソブス女は、ついにその取り巻きの全てを失い、孤立した。いじめていいのは、いじめられる覚悟のある奴だけだ。

 その女子は、クラスどころか、学校中で孤立した。小鳥という天使を敵に回した、醜い悪魔として、その重罰を一身に受けた。

 小鳥自身は彼女に対して何にもしてはいないけれど……みんなは違う。小鳥に歯向かった大罪人に対して、断罪という名の大義名分を得た、みんなはね。

 陰口シカトは当たり前。私物を盗まれたり汚されたり、ガキが思いつくようなくだらないことは何でもやっていた。トイレ入ってるところに水ぶっかけるとか、そんなのドラマでしか見たことないよ。ドラマで見たから真似したのかな、ご苦労様。

 そんなことが続いて、六年生になった二学期のこと。

 その子は自殺した。

 ああ、良かった。卒業する前に始末がついて、清々したよ。来年から心機一転、中学生になるんだから。嫌なもの、汚いもの、醜い愚か者は、きちんと処分出来た方がすっきりするよね。

 小学校の最後に、いい思い出ができたよ。

 そうして、小鳥は中学生になった。

 女子の制服を着た小鳥は、ますます可愛い。この頃になると、胸も膨らんできた。可愛いだけでなく、色気もついて、どうしよう小鳥最強すぎる!

 中学校も学区制。一定範囲内の子供をただ集めただけの場所である。どうせここでも、小鳥が一番可愛いに決まっている。そう思っていた。

「————剣崎明日那だ。私の実家は、剣術道場を営んでいる。強くなりたい者は、是非とも我が剣崎流の門を叩いて欲しい!」

 力強く、それでいて美しい声音が教室一杯に響き渡る。

 それ、自己紹介で言うことか。なんて常識的なケチは誰もつけられない。それだけの強い響き、強烈な圧を誇っている。

 剣崎明日那の最初の自己紹介が、ソレだった。

 小鳥は生まれて初めて見た。この自分に並び立つ美貌を備えた女を。

 凛々しい美貌に、長い黒髪のポニーテイルが流れる。ただ立っているだけで、ピンと芯が通っているように美しく、その声も覇気に溢れていた。

 美少女、というよりは美女。高い上背、スラリと伸びた手足、それでいて女性らしい起伏を早くも主張している制服姿。まるでモデルのような、小さく可愛らしい小鳥とは全く別な方向性の美貌と魅力を、剣崎明日那は放っていた。

 こんな女がいるのか。それも、中学の学区内という近所に。

 衝撃的だった。初めての出会いに、小鳥も迷った————友好か。敵対か。

 どうするべきか答えを出せぬまま、最初のゴールデンウィークに突入していた。

「ねぇねぇ、いいでしょ、どうせ暇してるんだから」

「俺らと一緒に遊ぼうよ」

「はい車乗ってねー、好きなところにイカせてあげるからさぁ」

 迂闊にも、その日は質の悪いナンパに絡まれた。

 男が三人、大学生か無職かは分からないが、後先考えずに何でもしそうな頭の足りていない猿共だ。

 冗談ではない。こんな下劣なクソ猿共に、小鳥に指一本触れさせてなるものか。

 幸い、過保護な両親のお陰で、小鳥の防犯対策は万全だ。そこらのガキ共が持たされているような安い防犯ブザーとはモノが違う。押せば、即座に警備員がすっ飛んでくる代物である。

 押してから五分か十分、その場で粘れば助けが駆け付ける。最悪、車に連れ込まれてもGPSで居場所は分かる。小鳥は助かる。奴らは豚箱に送られる。

 面倒ではあるが、この能無しクソ野郎共が相手となっては致し方ない。小鳥はポケットに忍ばせていた発信機を押そうとして、

「————待て! 私のクラスメイトに対する乱暴狼藉、断じて許さん」

 剣崎明日那が現れた。

 ジャケット一枚羽織っただけの、シャツにジーンズと女子としては色気のない恰好だが、中学一年にして優れたスタイルを持つ彼女には、あつらえたように似合っていた。

「うおっ、ここでまさの美少女一人追加ぁ!?」

「やっべ、これで中一とかヤバすぎでしょ」

「おい絶対逃がすなよ。これ売れるぞ」

 色めき立つクソオス三匹に対して、鋭い目つきをさらに険しくさせて、剣崎明日那は溜息をついた。

「どうやら、問答する必要もないようだな————」

 そして目にも留まらぬ速さで、突きを放つ。放っていた、と言うべきか、小鳥には全然見えなかったから。

 首、喉、鳩尾、をそれぞれ突かれたらしい。「うごっ!」とか気持ち悪いうめき声を漏らして、各自が痛烈に突かれた部分を抑え込みながら、膝を屈する。

 えっ、なにこれ、凄い。これが剣崎流剣術の力? 剣使ってないんですけど。

「さぁ、行くぞ」

 そんな無様にひれ伏す三匹に見向きもせず、剣崎明日那は凛々しい美貌に勝気な笑みを浮かべて、小鳥の手を取り、走り出した。

「あ、あの……」

「なんだ、礼なら不要だ。私は当然のことをしただけだからな」

 適当に逃げた後、どこかの店の軒先。

 小鳥は息を切らせながら、対照的に平然とした顔の剣崎明日那に言う。

「ありがとう……すっごく、怖かった……」

「そうだろうな。だが、もう安心しろ」

「それから……ごめんなさい」

「何を謝る必要がある?」

「小鳥、剣崎さんのこと……ちょっと怖い人、だと思ってたの……」

「むっ、そんなつもりはなかったのだが……いや、そうだな、そう思われても仕方がないところもあっただろう。すまない、剣術道場の娘のせいか、他の女子に比べて可愛げというものがなくて」

「ううん、小鳥が悪いの。勝手に怖そう、だなんて思い込んで……だから、ごめんなさい。そして、助けてくれて、本当にありがとう。剣崎さんは、とても勇敢で、とても優しい人だったんだね!」

 満面の笑みを浮かべて、小鳥はそう言った。

「いや、その、当然のことをしただけで、そこまで褒められるほどでは、ないのだが……」

 若干、恥ずかしそうに顔を背ける剣崎明日那。

 良かった、どうやら私の可愛さは、彼女にも通用するようだ。

「ねぇ、剣崎さん、良かったら小鳥と————お友達になってください!」

 ようやく、決まった。

 友好。

 友好だ。

 剣崎明日那、この小鳥と対等な美貌を持つ、強く、凛々しく、勇ましい女は、友誼を結ぶ価値がある。

 他のクソブス女や雑魚モブ共とは、格が違う。この小鳥の友人になる資格が、価値があるのだ。

「ああ、勿論だ。これからよろしくな、小鳥遊さん」

 そうして、私は人生で最初の対等な友を得た。




 剣崎明日那という友人を得た私の中学生活は、正しく順風満帆だった。

 小学校の頃は小鳥の平穏を保つためには、あんなに苦労させられたというのに。明日那ちゃん一人いれば、なんでも解決した。

 彼女はただ綺麗なだけでなく、誰に対しても物怖じしない度胸と、曲がったことを嫌う愚直なまでの正義感を持ち————そして何より、強かった。

 女は決して男に力で敵わない、とはなんだったのか。剣術とは、武術とは、これほどまでに人を強くするものなのか。明日那ちゃんの強さは異常だった。

 でも、お陰様で陰険なクソブス共の嫉妬も、気色悪く盛った猿共のちょっかいも、ガチの性犯罪をやらかす不審者も、全て明日那ちゃんが片づけてくれた。小鳥が泣けば、彼女はすぐに飛んでくる。必ず守ってくれる。必ず、助けてくれる。

 ああ、なんと素晴らしき友情かな。やはり、持つべきものは無二の親友だよね。

 脳みそ筋肉で出来てるような直情的な明日那ちゃんには、振り回されることも多かったけれど……それも含めて楽しかった。

 だからね、小鳥は本当に明日那ちゃんのこと、好きだったんだよ。

 貴女のことだけは、見下したことは一度もない。友好関係を築く方が得だと、打算で始めた友情だったけれど、それでも小鳥遊小鳥は、剣崎明日那を親友だと認めている。

 好きだった。そう、好き『だった』。

「————初めまして、俺は蒼真悠斗。えっと、明日那の友達、だよね?」

「そうだぞ、小鳥は私の一番の親友だ!」

「明日那の親友というから、一体どんな豪傑かと思ってたけど————」

「なんだと、どういう意味だ蒼真! そこに直れぇ!」

「おいおい、やめろって、ちょっとした冗談だろ!?」

 なんだ、コレは。

 明日那ちゃんが、見たことないような乙女の顔で、一人の男を追いかけている。

 なんだ、アレは。

 蒼真悠斗。そう名乗った彼女の昔馴染みだという少年に、目を奪われた。

 ああ、一目惚れ、とはこのことを言うのだろうか。

 人は見た目が全て。第一印象で全てが決まる。それを信条にこれまで色んな人と接してきた小鳥は、その人の容姿レベルを一目見た瞬間から分析するのが習慣になっている。

 初めて、分析力が全く機能しなかった。ただただ、目を奪われる。

 蒼真悠斗、その少年のなんと美しいことか。こんな人間が、こんな男が、この世に存在していたのか。

 そんな衝撃と共に、小鳥は自覚した。

 欲しい。

 この男が欲しい。

 どうしても欲しい。絶対に欲しい。どんな手を尽くしてでも、この男が、蒼真悠斗が欲しい!

 ああ、これが恋、なのか。

「————蒼真君って、凄くカッコ良いね。小鳥、びっくりしちゃった」

「まぁ、それなりに顔は良い方だとは思うが……蒼真は見た目なんかより、やはりあの強さが凄いのだ。伊達に蒼真流の継承者を名乗ってはいない。私も負けてられん!」

 自信気な笑みで、どこまでも嬉しそうに、楽しそうに明日那ちゃんはそう語っていた。なに、その恋する乙女みたいな顔。

 蒼真悠斗、という男子に明日那ちゃんは気があることは知っていた。

 剣崎流と蒼真流、お互いに道場を開いており、小さい頃から交流がそこそこあったのだとか。どちらも古く伝統的な流派らしく、お貴族様でもあるまいに、互いの子供を結婚させようか、みたいな話なんかもあるとかないとか。

 そして折に触れて明日那ちゃんは、将来は親が決めた相手と渋々結婚することになるかもしれないな、と物凄く嬉しそうに語るのだ。

 この明日那ちゃんが惚れるのだから、その蒼真悠斗とやらは一体どんな豪傑なのかと思っていた。身長2メートル、体重150キロ、筋骨隆々で体中に傷跡の入った鬼のような大男だろうなと、小鳥は勝手に想像していた。

 そして、白嶺学園に入学を果たしたその日に、その想像が裏切られることになったワケで、

「……裏切り者」

 いいや、裏切られたのは小鳥自身だ。

 なに、あの超絶イケメンは。小鳥でも見惚れるレベルの美形なんて、冗談抜きでいるなんて思わなかったよ。

 それが、何、あの蒼真君と幼い頃から交流があって? しかも親同士の決め事で結婚するかもしれなくて?

 なにそれ、ずるい、ずるいよ明日那ちゃん。

 ねぇ、アホ面下げた身の程知らずのブサイク共が小鳥に言い寄ってくるのを見て、明日那ちゃんはさぞいい気分だったろうね。自分はあんな最高の男を抱えているんだから、盛ったクソ猿に集られる小鳥のことなんて、滑稽で仕方がないよね。

「明日那ちゃんの裏切り者……なにが親友だよ、こんなの全然、対等じゃないじゃん」

 許されない。こんなこと、許されてはいけない。

 生まれて初めての親友。

 生まれて初めての恋。

 個別で見ればとっても素敵な人生を彩る存在。けれど、組み合わさったら最悪の厄介事。

「でも、ようやく分かったよ。本当に欲しいモノは、自分の力で手に入れなきゃいけないんだね」

 これまで小鳥は、支配者だった。

 隔絶した美貌を持ち、醜く下等な奴らを口先一つで動かしてきた、上位者にして支配者。

 けれど、剣崎明日那という対等な位置に立つ女が現れて。

 蒼真悠斗という、小鳥でも見上げるほどに輝かしい男がいて。

 欲しいモノを手に入れるために、小鳥は挑戦者になったのだ。

「ああ、良かった。婚約云々は明日那ちゃんが一人でその気になってるだけで。決まってないなら、小鳥にも十分チャンスがあるよ」

 高校一年の時に早速起こった、蒼真悠斗と剣崎明日那の決闘イベント。

 見事に明日那ちゃんを倒した蒼真君は、勝者の権利として明日那ちゃんを娶るとか何とか、頭のおかしい屁理屈で婚約を成立させようとしたけど、まぁそんなの通るワケがなくて。

 どうやら、蒼真君との婚約を意地でも成立させたいのは、彼に惚れている明日那ちゃんだけで、彼の方には全くその気がないようだ。

 そのことに大いに安心した小鳥だけれど、決して油断はできなかった。

「まったく、明日那は……あんな決闘だけで婚約など決められるはずがないでしょう」

「にはは、そ、そうだよね! ホントに結婚するのかと思っちゃったよぉ……」

 蒼真桜。夏川美波。

 彼を狙う美少女は他にもいたのだ。

 特に厄介なのは、妹の蒼真桜。

 悔しいが、彼女は小鳥よりも美しい。容姿で負けた、と思ったのも生まれて初めてのことだった。

 あの兄にして、この妹あり。げに恐ろしき蒼真の血筋である。

 けれど、何よりも厄介なのは、蒼真桜は妹でありながら、『血は繋がっていない』こと。

 聞いてはいない。確認もできていない。けれど分かる。蒼真兄妹の間に、間違いなく血の繋がりはないことに。多分、これは明日那ちゃんも気づいてない。小鳥だけが気づいたこと。

 蒼真の両親の子供が桜なのは間違いない。

 一年生の夏休みに、明日那ちゃんと一緒に蒼真君の家でお泊り会をした夜のこと。アルバム暴露大会で盛り上がっていた中、私はその中で蒼真桜が生まれた時の記録を確かに見た。生年月日と身長体重のデータと共に、まだ美貌の片鱗もない生まれたばかりの桜の写真が、母親と共に残っていた。

 しかし、双子の兄のはずの蒼真悠斗の生誕時の記録は、そのアルバムには見つけられない。ただの小鳥の勘違い、本当は別なアルバムに残されているのかもしれない。

 けれど、小鳥の直感が真実なのだとすれば————蒼真悠斗という男は、一体どこから来たのだろうか。

 彼の本当の両親は。どんな経緯で蒼真家に引き取られたのか。ただの親戚関係の身内でしかないのか。

 いいや、重要なのはそこではない。

 桜がこの事実を知っているのかどうかは分からない。だがどちらにせよ、血の繋がりがないという事実をもってして、桜は妹でありながらも、兄の悠斗と結ばれることが許される。法的にも倫理的にも、許されてしまうのだ。

「させるかよ、蒼真君は、あの男は小鳥のモノだ」

 絶対に譲らない。小鳥の初恋、運命の相手。

 蒼真悠斗、彼をおいて小鳥に相応しい男は他にいないのだから。

 邪魔をする者は許さない。容赦もしない。

 親友の明日那ちゃんも、妹の桜も、全て蹴落とし、この小鳥が彼を手に入れる。

 それはこのダンジョンサバイバルでも変わらない、小鳥の意思であり、純粋な願い。本物の女神様が味方してくれたのだ。

 勝つのは小鳥。全てを手に入れるのは、この小鳥遊小鳥なの。

「————やぁ、蒼真君。久しぶりだね、待っていたよ」

 だから、お前は許さない。お前だけは許してなるものか。

「さぁ、最後の学級会を始めようか————」

 桃川小太郎。

 このクソザコモブのドチビ野郎が、お前みたいな底辺劣等種になんざ、この小鳥遊小鳥が負けて堪るかよぉ!!

第326話 最後の学級会(1)

「さぁ、最後の学級会を始めようか————議題は勿論、このダンジョンから全員無事に脱出する方法について」

 全く、当初の計画通りに行っていれば、今更こんなの議論する余地もなかったのだけれどね。でも仕方がない、小鳥遊が裏切り、僕を毒殺冤罪にかけ、クラスメイトを悲劇の生贄にして、自分と蒼真君だけが生き残るつもりで動いていたのだから。

 小鳥遊小鳥は最早クラスメイトですらない、女神エリシオンの手先である。この最悪の裏切り者だけは、何としてでも排除せねば、殺さなければ僕らの安寧はない。これは僕自身の恨みを切り離した上でも、絶対必要な条件である。

 けれど、それを許さないのが蒼真悠斗を筆頭としたハーレムパーティメンバーである。

 とはいえ、委員長と夏川さんが理をもって僕に寝返ってくれたので、実質、小鳥遊を守るのは蒼真兄妹と剣崎明日那の僅か三人となっている。多数決の原理を尊重するならば、小鳥遊はノータイムで処刑が実行されて然るべき立場だ。

 でもね、僕は考えたんだよ。

 蒼真君、君は強いから。桜ちゃん、君の『聖女』の能力は優秀だから。ついでに剣崎、お前も強いから自棄になって大暴れされたら死人が出かねない。

 多数決は最大多数の最大幸福を実現する、最も簡単な手段。けれど、マイノリティの意見をくみ取ることも重要だというのは、昨今の政治でも言われていることだ。懐かしい、政治経済の授業でそんなようなこともやったよね。

 だから僕は、君達マイノリティの意見も尊重することにした。裏切り者の小鳥遊を信じて庇う、なんていう特殊詐欺に騙されたジジババよりもアホな判断をしている君達でも、納得できるような方策を考えたのだ。

「蒼真君、安心してよ。小鳥遊小鳥を殺さずに済む方法を、僕は思いついたんだ」

「なんだと」

 僕の正面に立つ蒼真君は、険しい目つきで僕を見下ろしてくる。彼の方が身長高いしね。真正面に立つと、この身長差。

 けれど今更、体の大きさ、なんて物理的な制約は僕に対するプレッシャーにはなりえない。デカさでビビらせようってんなら、ザガン並みの巨人にならないとね。

 だから臆することなく、自信満々に口にする。これが僕の考え出した、哀れにも騙されているお前らでも納得できる素晴らしい解決案だ。

「小鳥遊と剣崎を、天送門で脱出させる」

「……はぁ?」

「僕らは小鳥遊を裏切り者だと思っている。そして、君は小鳥遊を仲間だと思っている。両者の意見は今更、状況証拠を並べたところで平行線だろう。だからこそ、どっちも納得できる、この提案だよ」

「どういう意味だ。お前が小鳥遊さんと明日那に、貴重な脱出枠を譲るなんて、一体何を企んでいる」

「違うよ蒼真君、それは認識の相違だ。確かに、僕らは天送門という脱出枠をかけて、殺し合いのバトルロイヤル状態になっていた。命を賭けるに値する報酬だ。でもね、ヤマタノオロチを倒した後に、僕は言ったよね。天送門なんか使わなくても、みんなの力を合わせれば、徒歩でだってここから脱出できると」

 そう、このどこまで広がっているか分からない外の世界。サラマンダーが平気で飛び交う、危険な異世界の大地。

 天送門という確実な脱出手段を使わずに、あんな場所を生身で通って行くのは到底不可能だと誰もが思っていた。

 けれど、僕らはもう無力な学生ではない。このクソッタレな異世界ダンジョンサバイバルをここまで生き抜いてきた、歴戦のサバイバーだ。天職の力をこの身に宿す、いずれも劣らぬ強者なのだ。

 転移以外での脱出はできない、という前提はとっくに崩壊しているんだ。僕らは今すぐにだって、外の世界へ飛び出せるだけの力を持っている。そう信じられるだけの力と、仲間を得た。

「蒼真君にとって天送門での脱出は、安全に外へ逃がすための手段。けれど僕にとっては、この二年七組というパーティから、追放するための手段ということになるんだよ」

 ただ、見方を変えただけのこと。

 僕にとって重要なのは、小鳥遊という裏切り者を仲間に抱えないこと。

 蒼真君にとって重要なのは、小鳥遊というか弱い女子を、危険に晒さないこと。

 ほら、コイツを天送門で王都シグルーンとやらに飛ばせば、どちらの願いも叶っちゃう。

「それなら、明日那も脱出させるのは」

「アイツ、僕に続いて姫野さんも蹴っ飛ばしたんだよ? こんな奴に背中を任せられるわけないじゃん。追放だよ追放」

「くっ、このぉ! 言わせておけば!」

「やめろ、明日那! 今はまだ黙っていてくれ。形成が不利なのは、俺達の方なんだ」

 ほら見たことか、自分の罪を忘れてカっとなってキレ散らかすような奴、仲間になんてしたくないよ。

 剣崎さぁ、お前が叫んだ瞬間に、みんなから一斉に武器を向けられたこと、気づいてる?

 今ならお前が刀を抜くよりも早く、杏子はお前の背中をぶち抜く。

 本当に嫌になっちゃうよ。血の気の多い蛮族を相手に交渉するには、いちいち生殺与奪を握っておかなきゃならないなんて。

「そんなに睨まないでよ、蒼真君。僕らだって、剣崎を殺したくてやっているワケじゃあないんだ。じゃなきゃ、こんな提案はしていない」

「……分かっている」

「そう、分かってくれているなら、いいんだよ。僕らにとっては剣崎という平気で仲間を蹴飛ばすクソ女を追放できて安心できる。でも蒼真君からすれば、僕らからこれだけ顰蹙を買っていても、先に脱出させてあげることで、身の安全は保証できる。ついでに非力な小鳥遊さんと一緒に行くのが、親友で腕の立つ剣崎なら、任せられるでしょ?」

 まぁ、王国に飛んだ後に、ド無礼ムーブかましてからの逆切れで刀を抜いて、王侯貴族から無礼打ちとかされるかもしれないけど。流石に、そこから先は自己責任ということで。

「確かに、小鳥遊さんと明日那の二人を脱出させるのは……俺も望むところだ」

「そんな、蒼真! 私だけ先に逃げるような真似ができるか!」

「はぁ、誰のせいで貴重な脱出枠を潰して、お前を先に逃がさなきゃならなくなったのか、分かんないのかなぁ」

「やめてくれ、桃川。余計に挑発するような言い方は」

「じゃあ聞くけどさ、蒼真君。剣崎がまた僕らと一緒になって、仲良くやっていけると思うの?」

「そ、それは……明日那だって『双剣士』として、命を賭けてみんなを守るために戦えば————」

「そりゃ戦ってはくれるだろうね、それしかできない脳筋剣士様だから。でもさ、危なくなったら、また誰かを切り捨てるんでしょ? 蒼真君、君は切り捨てられることはないけれど、犠牲に選ばれるのはいつだって、僕らなんだよ」

 よく言えば、剣崎は仲間思いではあるよね。きっと、蒼真君や小鳥遊のためなら、躊躇せずその身を犠牲にして戦い抜くことが剣崎にはできるだろう。

 それは間違いなく、剣崎明日那という少女の長所であり、強みであり、気高い意思である。

 けれど、その気持ちが向けられるのは、剣崎にとっての仲間だけ。自分の認めた身内だけ。

 僕のような嫌いな奴、上中下トリオみたいな見下してる奴、姫野みたいなどうでもいい奴。こいつらに対する慈悲や思いやりの心というのが、この女には致命的に欠けている。弱肉強食、弱い方が悪い。弱い方から先に死ぬのは当然で、弱い奴から犠牲になるべきだと、本能レベルで染みついているのだ。肌の色で差別するのと、強さで差別するのって、どっちがマシなんだろうね。

 そんな戦闘力レイシストじゃなきゃ、あの状況下で姫野を蹴飛ばせないよね? お前、素面で蹴ったんだよね?

 小鳥遊の『イデアコード』は、全てメイちゃんを抑えるためだけに使われていたはずだ。お前を唆すほどの余力はなかった。

 言い訳のしようもなく、剣崎は自らの意思、自らの判断でもって、姫野を蹴り飛ばして追放したんだ。

「君らは知らないだろうけどさ、上田君達5人が締め出されて森を彷徨っていた時には、ゴーマの大群に襲われてピンチになったんだよ。目の前には2体ものゴグマが立ちはだかって、もう追い詰められた————その時、ここは俺に任せて先に行け、と自分の身を犠牲にしたのが山田君だ」

「お、おい桃川、それは別に————」

 いいから、山田君。たとえ純粋な自己犠牲の精神からやった行動でなかったとしても、客観的に見ればそうとしか見えないんだから、そういうことでいいんだよ。

 余計なこと言うな、とそれとなく山田を上田と芳崎さんが黙らせていた。これが絆を深めた仲間の連携ってやつだよね。

「山田君は『重戦士』で、あの五人パーティでは最前線を支える要なのは分かるでしょ。それでも、山田君は迷わず自分の命を捨ててでも、仲間を逃がすことをあの絶体絶命の瞬間に決めたんだ。これと同じことが、剣崎に出来ると思うのかい、蒼真君。どう考えたって、あの状況下だったら、また姫野さんを犠牲にするでしょ」

「や、やめろ、そんな言い方は……」

「いい加減に認めるべきだよ、蒼真君。これは僕の一方的な言いがかりなんかじゃなくて、純然たる事実に過ぎない。足手まといだと仲間を切り捨てた剣崎と、仲間全員を助けるために自分を犠牲にした山田君」

 そう、これは言いがかりでも捏造でもなく、すでに実際に起った出来事を述べているに過ぎないのだ。それでも蒼真君が、剣崎が認められない、認めたくないのは単に自分にとって都合が悪いから。

 こういうのを事実陳列罪って言うの?

 やっぱり人は真実なんかよりも、自分にとって都合の良い情報こそが重要なんだよね。

 でも、この状況下でそんな醜い人間性の全てを許容できるはずもない。

「剣崎、お前はあまりにも、クラスメイトの信頼を失った。汚名返上、名誉挽回、そんなことが許される段階をとうに超えている。冗談じゃあない。こんな奴、もう仲間にはしておけない」

「なっ、なにが信頼だ! 桃川ぁ、貴様、私達に毒を盛っておいて、よくもそんなことが言えるなぁ!!」

「剣崎さぁ、こういう言葉を知ってるかい————それはそれ、これはこれ」

 激高する剣崎に向かって、僕は笑顔で言い放つ。それとこれ、それぞれ置いておくジェスチャー付きで。

「僕の毒殺冤罪と、小鳥遊の黒幕疑惑については、全く別の問題だし。僕が毒殺を仕掛けた真犯人だったとしても、剣崎が姫野さん蹴ったことには何の因果関係もないでしょ。もっと悪い奴がいるからといって、自分の悪いことは、なかったことにはならないよね」

 そんな理屈が通るなら、この世で断罪されるべきは、一番ヤベー罪を犯した奴一人だけってことになる。通るか、そんなん。

「それで、蒼真君。もしも君が、剣崎をまだ仲間として一緒にいてもいいと思えるほど、僕らを説得できるなら、聞いてあげるけど?」

 こっから口先だけで剣崎の信頼を取り戻す方法なんて、僕でも全く思いつかないよ。でも『勇者』の君ならそんな無理筋な説得でも、なんとか説き伏せてくれるのかい? 一体、どんなトンデモ理論の弁舌が飛び出すか、楽しみだなぁ。

「……明日那、すまない。小鳥遊さんを頼む」

「そっ、そんな!? 嘘だろ、蒼真!」

「追放決定! 勝ったぞ姫野さん!」

「っしゃオラぁ! よくやった桃川ぁ!!」

 拳を振り上げて勝利宣言をすると、ガッツポーズを返してくれる姫野である。

「はぁ、桃川君、そういうところよ」

「いやだなぁ、委員長。被害者が勝訴した喜びを、敗けた加害者に遠慮する必要性なんてないでしょ?」

 だから剣崎追放を喜ぶのは、僕ら虐げられし者達の正当な権利だよ。正義は勝つ! 勝った方が正義なのだ!

「ねぇ剣崎、今どんな気持ち? ついに蒼真君でも庇え切れなくなって、どんな気持ちなのぉ?」

「いい加減にしなさい、桃川! どこまで人を愚弄すれば気が済むのですか!」

「えっ、なに聞こえなーい? 桜ちゃんも剣崎に蹴飛ばされてから喋ってもらえます?」

「もうやめろ、桃川。桜も、弓から手を離すんだ」

「しょうがない、剣崎バッシングは無限にできちゃうから、今日はこの辺で勘弁しといたる。話を先に進めないといけないからね」

 とりあえず、今は一旦これで矛を収めるとしよう。

 あんまり煽りすぎて、うっかり殺し合いなったら折角のお膳立てが台無しになっちゃうし。引き際って大事。僕、引き際には詳しいんだ。

「それじゃあ、小鳥遊と剣崎は追放、もとい天送門で脱出させること、約束してくれるんだね、蒼真君?」

「ああ、それでいい。小鳥遊さんの疑いを晴らすことも、明日那の許しを得ることも、このダンジョンにいる間には無理なことだろう」

「なんで……なんでそんなこと言うのぉ! ひ、酷いよぉ、小鳥、なんにも悪いこと、してないのにぃ……ふぅうええええ……」

 ここで小鳥遊の、いつもの泣きが入る。本当に、絶妙なタイミングでお前は泣き出すよね。狙っていなきゃあ、とてもできないタイミングだ。

 お前のその演技力だけは、僕ちょっと尊敬しているんだよね。流石にそのレベルのウソ泣きは、真似できそうにない。

「小鳥遊さん、ごめん……君の身の安全を確保するには、もうこれしか方法はないんだ」

「うぇええーん! やだぁ、こんなのやだよぉ!」

「こんなことが、許されるのか……桃川の口車に乗るなんて、どうかしている!」

「明日那、悔しいが認めるんだ。俺達はどうしようもなく、クラスの、みんなの信頼を失ってしまったんだ……もう、取り返しなんてつかないほどにな……」

「だが! こんな、こんなことが許されてなるものかっ!」

「明日那、小鳥遊さん、もういい。もういいんだ。この危険なダンジョンから、先に二人が脱出できるなら、それでいい。後のことは、俺達に任せてくれ」

「ふぇええええーん、蒼真くぅーん!」

「くっ、蒼真……」

 と、泣き崩れるフリの小鳥遊と、とうとう涙を浮かべて屈しちゃった感じの明日那を、二人とも蒼真君は優しく抱き寄せて、言い聞かせていた。うーむ、真のイケメンにのみ許される行動である。

「ねぇ、これ泣き止むまで待ってなきゃダメなやつ?」

「お願いよ、桃川君。あともう少しだけ待ってあげて」

「しょうがないなぁ」

「小太郎くん、ハチミツレモン飲む?」

「飲むー」

 メイちゃん特性のドリンクを飲みつつ、しばしご歓談。むっ、このハチミツレモン、ばっちり冷えているぞ! やはり委員長の氷属性は優秀だなぁ。

 そんな風にちょっとくつろぎながら、僕は彼らの茶番が終わるのを待つことにした。

 いやだって、小鳥遊が黒幕なのを抜きにしてもさ、これからクラスがどう行動していくか、その具体的な案を話し合っている最中なのに、いきなり泣き出されて「私は悲しい! 傷ついています!」とお気持ち表明されても、議論には一切全く何の関係性もないからさぁ。

 必要なのは気持ちじゃなくて、問題を解決するためのアイデアなの。僕に女の涙が通用すると思ったら、大間違いだぞ。バストサイズ二倍にしてから出直してこい。

「で、そろそろ話の続きをしてもいいかな、蒼真君?」

「……ああ、聞こう」

 いまだに頑張ってメソメソ演技中の小鳥遊と、寄り添うようにくっついてる剣崎を差し置いて、蒼真君が再び僕の前へと戻って来る。

 だから、そんなに睨まなくってもいいじゃん。黒幕女と暴力女の二人を、慈悲深くも生かしてやるってことにしてあげたんだからさぁ。

「脱出枠は、これで二人分が埋まったワケだ。ちなみに、三人目は誰にする?」

「お前のことだ、どうせ桜もこの機会に排除するつもりだろう」

「桜ちゃん、大変だよ! お兄ちゃんが名指しで桜ちゃん追放するって!!」

「桃川ぁ!!」

 あっはっは、桜ちゃんのリアクションは相変わらず期待を裏切らないなぁ。

「遊んでないで、話を進めてちょうだい」

「いいじゃないか、ちょっとくらい桜ちゃん弄りさせてくれたって」

「限度ってものがあるでしょう。あの子が弓を引いたら、学級会はお開きなのよ」

「はいはい。でも、僕はこの状況下で蒼真君が誰を三人目に選ぶのか、っていうのが気になるのは本当のところだよ」

「俺に選ぶ権利があるのなら、三人目は選ばない」

「マジ? 勿体ない」

「それなら、お前は誰を選ぶというんだ」

 即答、できないのも仕方がないか。僕も結構、悩んだしね。三人目を選ぶべきか、選ばないべきか。即断で三人目を選ばなかった蒼真君の決断も、そう悪いものではない。

 でも、僕は熟考を重ねた末に、三人目を選んだ。

「姫野さんだ。彼女を三人目として、脱出させる」

 驚きも、反対も、何もない。みんなの反応は静かなものだ。

 当たり前だよね。今回のファイナル学級会に向けて、僕は全員に説明を済ませているのだから。知らないのは。蒼真兄妹と剣崎の三人だけだ。

 だって、今や僕の敵対派閥はこの三人だけなんだからね。

「理由を聞いてもいいのか」

「必要ある? だって姫野さん、一番弱いじゃん。小鳥遊よりもか弱い女子として、真っ先に保護しなきゃいけない娘なんだけど……もしかして蒼真君、全然気にしてなかった?」

「……」

 図星かよ!?

 そこもうちょっと言い訳してもいいところだと思うんだけど。

 姫野、どこまでも不憫な……所詮、ブスの扱いなんてこんなもの……いや、言うほど姫野だってブスではないよ、むしろ普通くらいの顔面偏差値はちゃんとある。他がハイレベルすぎるだけで。

 つまり、姫野は絶対ブスではなく、相対ブスなのだ。

「桃川君、『光矢ルクス・サギタ』撃つわよ」

「えっ、僕何も言ってないんだけど」

 むしろ、何も言わなかった蒼真君を恨むべきでは? 僕を恨むのは筋違いだよ。

「確かに、姫野さんは強くはない。だが、自分に出来ることを頑張って来たし、錬成作業なんかでは、随分とお前に酷使されてきたじゃないか」

「そうよ、私は酷使されてきたの!」

「僕のエントランス工房は福利厚生バッチリ整った優良ホワイト企業なのに、酷い言いがかりだよ。なんでぇ、なんでそんな酷いコト言うのぉ、ふぇーん!」

「……」

 ちっ、僕の演技力が足りないばっかりに、スベってしまったか。蒼真君が視線だけで射殺さんばかりの目つきで睨んでくる。

 似てないモノマネは許さんとは、蒼真君ってそんなにお笑いに厳しかったのか。

「彼女もクラスのために力を尽くしてきたと、俺は思っている。眷属『淫魔』だという疑いはあるが……俺はその疑惑だけで、彼女を追放するべきではないと思っているし、そうしようとした」

 まぁ、そこは君を責めたりはしないよ。結局、悪いのは短絡的に蹴り飛ばした剣崎だし。

 ちゃんと蒼真君は、姫野の淫魔バレ騒動の時も、すぐ追い出すようには言わなかったと、証言は聞いているからね。

「だが、彼女を連れていくよりも、先に脱出させた方が安全だとお前は判断したのだろう」

「まぁ、そういうことだね。僕も貴重な人手が失われるのは困るけれど、そこはやっぱり、命には替えられないからさ」

 というのは、蒼真君に納得してもらうための建前だ。

 僕が姫野を三人目として選んだ理由。それは彼女が『淫魔』だからだ。

 怪しいから追放、などでは勿論ない。むしろ逆、淫魔の力を最も活かせる可能性が、脱出した先にあるからだ。

 当初の予定では、天道君、桜ちゃん、下川、の救助隊三人編成だった。けれど小鳥遊が裏切って台無し。天道君と下川は、二人ともどこぞへと飛ばされてしまい行方不明。

 桜ちゃんを王国に送り込むのも、天道君という最強のストッパーがいるからこその人選で、コイツ一人に救助の大役はとてもじゃないが託せない。

 だから、ここは大きく方針転換。脱出枠の二つを小鳥遊・剣崎の追放枠に費やすことになったけれど、最後の一枠だけは、最も僕らに対する救助活動が期待できる人材を送り込みたい。

 かといって、メイちゃんや蒼真君といった主力級は送れないし、委員長のような貴重なブレーン役も手放せない。剣崎を追放するせいで、ただでさえクラスの総戦力が下がっているのだから、戦闘に適した天職持ちも送り込みたくない。

 消去法で姫野しか残らないんだけど……彼女の『淫魔』には最も期待が持てるのも事実なのだった。

 眷属、という天職とは異なる、なんか邪悪な香りのする存在。『食人鬼』であった横道のことを鑑みれば、眷属もやはり天職に匹敵する、あるいはそれ以上の力を秘めていることは間違いない。

 でも姫野がしょっぱい光魔法と、なんとか僕が叩き込んで使い物にした錬成術の基礎、これしか能力がないのは明らかにおかしい。というか、どう考えても『淫魔』としての能力が開花していないのだ。

 じゃあ『淫魔』の能力を強くするには、スキルレベル上げるには、どうすればいいのか。

 決まってる、そんなのセックスしかないだろう。

 伊達に『淫魔』など名乗っちゃいない。そりゃあもう、男に跨ってダイレクトに精気を吸収してナンボのものだろうが。

 事実、姫野がゲロった『淫魔』の初期能力三つは、どれも男を誘うための能力である。そして彼女はこれを駆使してまずは中嶋に取り入り、次は上中下トリオ、そして山田、と次々と男をとっかえひっかえしていった————ところを、本物の天然美少女であるレイナによって立場を失ってしまったという、なんとも哀れな結末だ。ごめん、ちょっと笑ったわ。

 けれど、そのお陰で問答無用で男を惑わせるほどの淫魔能力の獲得には至っていない。

 至ってしまっていれば、もっとクラスが荒れていただろうし、最悪、小鳥遊より先に姫野を始末しなければならなくなっていたかもしれない。同じ眷属として、横道のように人としての理性を失い、暴走しないとも限らないのだから。

 ともかく、この人数が半分以下になってしまった二年七組という小さなコミュニティで、異性関係で荒れるのは絶対的なタブーだ。その危険性は、恋愛禁止ルールをぶち上げた時に説明した通りである。

 僕らと一緒にいる限り、姫野が『淫魔』として活躍できる可能性はゼロ。クラスの平和のため、絶対にそれは許されない。

 だがしかし、外の世界へ出ればどうだ?

 王国、というからには王様が治める封建国家なのだろう。王侯貴族がふんぞり返っている、テンプレ中世風ファンタジー世界だと嫌でも予感させられる。そうでなくても、王国を名乗るほどに人口がいるのは間違いない。ないよね? ゴーマ王国より発展してなかったら、人間の恥だぞ異世界人共。

 ともかく、王国ならば選べる男は無数にいる。正に選り取り見取り。

 そう、『淫魔』姫野が成長するのに必要な、ヤリ捨てできる男共が王国にはいるのだ。

 つまり姫野に求めるのは、淫魔として男を意のままに操るくらいまで成長させ、貴族や大商人といった権力と財力を持つ者に取り入り、本格的な救助隊を結成させること。

 救助だけじゃない。姫野が上手いことやれば、僕らが脱出した先の王国で、すでに安泰な居場所を用意することもできるのだ。折角ダンジョンから逃れてきたのに、なんか唐突に奴隷化魔法みたいなの喰らって奴隷落ち、なんて絶対に御免である。

 もしも万が一、横道並みに暴走する結果に陥ったとしても、見ず知らずの異世界王国で暴れてくれる分には、僕らは困らないし?

「そういうワケで、これで三人の脱出枠が改めて全て埋まったけれど————さぁ、決をとろうか。天送門で脱出する三人は、小鳥遊、剣崎、姫野、とする意見に反対の人は、手を挙げて」

 ああ、勿論、僕の分身『双影ふたつかげ』と、レムは同行させることに変わりはない。

 だからみんな、安心していいよ。転移の直後に、ちゃんと小鳥遊を『デスストーカーの毒針』で刺し殺してやるからさ。

第327話 最後の学級会(2)

「さて、脱出枠の話がまとまったところで、次の議題に移ろうか」

「まだ何かあるのか?」

「えっ、何もないと思ってるの?」

 蒼真君さぁ、僕は君のそういう思慮浅いところは早く何とかして欲しいと思っているんだよね。もっとも、君くらいのハイスペックイケメン様となれば、常に出たとこ勝負で常勝不敗だったろうけど。

「ねぇ、蒼真君。これから僕らは、再び二年七組のクラス一丸となって、セントラルタワーという最後のダンジョン攻略に挑もうとしているんだ。そこまではいいよね」

「ああ、勿論だ。これ以上、誰も失いたくないし、失わせるわけにはいかない」

「うんうん、いい覚悟だ」

 相変わらず、覚悟だけはいいよね。

 皮肉100%だけじゃないよ。ここまで自分に不利な状況になっても、それでも誰も死なせないよう頑張って戦い抜く、と言い切れる君はやっぱり『勇者』だ。

 普通はこんなに嫌なことばっかり続けば、全てどうでもよくなって自棄になるだけだし。

「それで、ここから中に入っても、ゴールの天送門まで直通、とはならないと思うんだよね」

「天送門はタワーの一番下にあるそうだ。間違いなく、そこに至るまでには強力なボスが立ちはだかるだろう」

 それも、超強いラスボス一体だけとも限らない。一階層ごとに強力なボスモンスターが配置されているような、ゲームのエンドコンテンツみたいな鬼畜仕様になっている可能性すらあるのだ。ボスラッシュという伝統もあるし。

「大変な攻略になるだろう、という認識は共有できているワケだ」

「ここまでやって来て、最後は楽に行けると思う奴はいないだろう」

 小鳥遊以外はね。

 でも、そこが重要なのだ。

「そんな場所に、今までと同じようにみんなで挑んで攻略していくつもりなのかい?」

「……どういう意味だ。それ以外に、何か良い方法があるとでも言うのか、桃川」

「君はこの期に及んでも、まだ致命的に状況認識が足りていないね」

「何が言いたい」

「いいかい、小鳥遊が黒幕なんだ。この忌々しいダンジョンサバイバルを仕切っているクソ女神が送り込んだ手先。神のシナリオ通りにコントロールするための、ゲームマスターなんだよ」

 そんな小鳥遊は、いまだにメソメソしているだけで、特にこれといった動きはない。つまり、奴はこのまま話が決まって、みんなでセントラルタワー攻略が始まっても問題ないと思っているのだ。

 それは恐らく、ここが奴の意志が及ぶ領域だから。

 タワーに待ち構えるボスを操るなり、罠を作動させるなり、うまい具合に僕らを殲滅できる算段はまだ十分にあるのだろう————という推測なんて、蒼真君は全くしていないのだ。

「大切なのは、これを事実として君が認めるかどうかじゃあない。事実かもしれないと想定して動くことなんだよ」

 小鳥遊と剣崎は、晴れて追放が決定した。

 蒼真君自身は、小鳥遊の黒幕疑惑を認めたワケではないが、その疑惑を晴らすことは不可能だという点において、追放案に頷いたのだ。

「小鳥遊が黒幕じゃない、僕に言いがかりの濡れ衣着せられているだけの哀れな少女だ、と心から信じ切っているのは、今や君ら三人だけなんだよ」

「確かに、その通りではある……だが……」

「だが、なに? 学級会なんだから、言いたいことはちゃんと言わなきゃ」

「……いや、いい。みんなの疑惑を晴らせない以上は、それを認めた前提で行動を決めなければならない。そういうことだろう、桃川」

「蒼真君、正解。いやぁ、分かってくれたようで、僕は嬉しいよ」

 いやホントに嬉しいね。君が自力でそれに気づいて、認めてくれたのだから。

 お陰で、ネチネチと理詰めしていくための理論武装が無駄になっちゃったよ。

「そう、だから小鳥遊は黒幕で、蒼真君以外の全員をこのダンジョンで排除するつもりでいる、という前提でこれからの攻略を考えていかなきゃいけないワケだよ。桜ちゃんもオーケー?」

「濡れ衣を着せておいて、なんたる言い草……そんな屁理屈、私は認めませんよ!」

「お兄ちゃん、説得よろ」

「桜、諦めるんだ。この状況で桃川と言い争って勝てるはずがない」

「そ、そんな、兄さん……そんな言い方……」

「そうだよ、そんな言い方酷いよ! もっとちゃんと説得して! 役目でしょ!」

 ほら、そんなウンザリしたような顔してないでさぁ。

 やっぱり蒼真君だって妹を言い聞かせるの、キツい、聞かない、キレそう、の3K労働だと思ってるんでしょ。

「いいか、桜。俺は桃川の言い分を認めると決めた。認めるしかないのは、これが自分の行動の結果だからだ。何もできなかった、誰も助けられなかった、俺自身の責任なんだ————だから桜、もしお前だけでも桃川の言い分を認められないというのなら、自分で反論するんだ」

 おおう、思ったよりもガチめの説得が来たよ。

 桜ちゃん、顔面蒼白で完全に顔が強張っている。まさか本気で、こんなに不利な状況下でも自分のワガママに賛成してくれると思っていたのかな。

「学級会だ、言いたいことは、今この場で言え。俺はもうこれ以上、桃川に反論はできない。小鳥遊さんの濡れ衣を晴らすこともできないし、明日那の信頼を取り戻す説得もできない。でも桜がそれを出来るというのなら、やってくれ。桃川を、クラスのみんなを、説得してみせてくれ」

「あ、あぁ……兄さん、そんな……わ、私は……」

 これまでにないほど、強く突き放したような言い方をした蒼真君。

 効果は抜群だ。桜ちゃんの目に、キラリと涙が光った。

「私は、ただ兄さんのために……正しいことを……う、ううぅ……」

 とうとう本格的に泣き出す桜ちゃん。

 そのクラスで断トツトップの綺麗なお顔を歪ませて、正に絶望の表情でさめざめと涙を流して嗚咽を漏らす。桜ちゃんのそんな顔、初めて見たよ。

 そんな彼女を見て、ドキっとするこの胸の高まりは、はっ、まさかこれが、この気持ちが————愉悦?

「あーあ、泣かしちゃった」

「そうだな……桜は、昔からちょっと強く言いすぎると、泣いてしまうんだ。こうなると、しばらく後を引くから、あまりこういう言い方をしたくはなかったんだが」

「なるほどね。だからといって、今まで少し甘やかしすぎたんじゃあないの」

「そうかもしれないな」

 僕の言葉に逆上するでもなく、どこまでも憂いを帯びた悲しい瞳で、泣き崩れた桜ちゃんを蒼真君は眺めていた。

 普通だったら、泣いている妹を見れば何を置いても飛んできては駆け付けるはずだけれど、自分の言葉で泣かせた以上は、その震える肩を優しく抱くようなこともしない。

「桜はもう、落ち着いて話ができる状態にはない。気にせず、話を進めてくれ」

 お兄ちゃんに見捨てられてガチ泣きしている桜ちゃんは、ここで小鳥遊と明日那のメソメソ組に合流だ。

 あの三人が揃って泣いている光景は……ああ、なんだろうこの満足感と充足感。なんて素晴らしい、こんなに良い景色、僕は見たことがないよ。

 動画で撮っておきたいくらいだ。辛い時、苦しい時、挫けそうな時、そんな時にこの光景を見れば、きっと元気を取り戻せると思うんだ。

「話を進めてくれ、桃川」

「しょうがないなぁ」

 僕の邪な気配を察したか、やや視線を鋭くした蒼真君に促されて、三人娘号泣シーンの撮影は断念することにした。

「それで、邪悪な小鳥遊はいまだに僕らの排除を諦めていない。いつ裏切るか、どんな行動で僕らを陥れるのか、予想がつかない。さぁて、そんな最悪の裏切り者を抱えたまま、セントラルタワーをどう攻略すべきだと、蒼真君は思う?」

「厳しい監視をするより他はないと思うが」

 まぁ、監視は基本というか、絶対条件だよね。『賢者』の能力を考えれば、ちょっと目を離した隙に何をやらかすか分かったもんじゃあない。

 呪文一つで僕らを一網打尽にするヤバい魔法トラップとか発動しそうだし。

「それで完璧に裏切りを防げるかな」

「なんだ、これ以上は手錠でもかけて拘束でもするっていうのか。小鳥遊さんへの疑惑は認めるが、だからといって犯人扱いであまりにも手荒な真似をするのは————」

「足りないよ。蒼真君の危機感も、小鳥遊の扱いも」

 手錠の一つでガタガタ文句なんてつけないでよ。枷の一つや二つつけたところで、物理職じゃない小鳥遊にはさほどの意味も持たない。

「手錠もつける。足枷もつける。目隠しと耳栓をつけて完全に視覚と聴覚も遮断する。詠唱されたら困るから、猿轡も必要だ。服も所持品も全て取り上げ、囚人服を着用させる。そして、いざという時のために、コア爆弾付きの首輪もつけてもらおうか」

「なっ、なんだそれは!?」

 絶句する蒼真君。犯人扱いどころか、処刑した方が早いだろってレベルの重罪人ぶりだからね。

 でも、そういう認識が甘いと言っているんだ。

 僕が言ったのは、とりあえず思いつく限りの拘束方法を語ったに過ぎない。これを実行しても、まだまだ安全安心とは程遠い。

 そもそも、特別な力を持ってクラス全員の殺害を目論んだ裏切り者を、殺さずに生かしておいてやろうというのだ。死なないだけ、ありがたいと思うべきじゃないのかな。

 命さえあればいい、というなら手枷足枷なんかつけずに、四肢を切り落としているし、コイツの意識があるだけで危険なので、致死量ギリギリで睡眠薬なりを喰らわせて眠らせ続けるか、そもそも正気を失うようゴーマの麻薬ガンギマリにさせてやりたいところなのだ。

 小鳥遊を生かす、というだけで僕らは全滅のリスクを負っている。そこを大幅に譲歩して、ただ生かしておくのみならず、傷もつけずに拘束だけで済ませてやろうと言っているんだ。

「小鳥遊の命は、僕ら全員の命の上に立っているんだよ。この裏切り者を快適に過ごさせることと、クラス全員の命を天秤にかけて、どういう扱いが最適か、よく考えるんだ」

「くっ、だが、こんな扱いはあまりにも……」

「君の甘さが僕らを殺す。君のワガママが、クラス全員の命を危険に晒す。今まで自分の力だけで何人救えたか、もう一度思い出すといいよ」

 甘っちょろい理想論だけで全員を救えていたのなら、僕はこんなこと言っちゃいない。

 蒼真君、君は凄い男だ。『勇者』に相応しい、勇気と正義の両方を兼ね揃えている。

 けれど足りない。この小鳥遊が操るダンジョンサバイバルで、クラス全員を助けてハッピーエンドに導くには、君の力は全く足りてない。

 これだけ失って来たんだ。まだ分からないのか。

「頼む、桃川、せめてもう少しマシな……そうだ、俺が、俺が責任をもって監視をする! だから、これ以上酷いことは————」

「自分にそこまでの信頼があると、本気で思っているのかい」

 ギュっと強く、蒼真君は拳を握りしめた。

 けれど、その握った力のままに、僕へと拳を振り下ろすことはなかった。

「くそぉ! どうして俺は! こんなことになるまで、何もできなかった……何も成せず、誰も救えなかったんだ……」

 ああ、そうだよ。君はみんなを助けられなかった。志だけは立派だけれど、犠牲ばかりが積み重なって————今やこのクラスに、君の言葉を心から信じられるのは、きっと桜ちゃんと剣崎の二人だけだろう。

 信頼を失っているのは、黒幕の小鳥遊とやらかしの剣崎だけじゃあない。君もまた同様に、当初と比べて遥かに信頼を失っているんだよ。

「小鳥遊には思いつく限りの厳重な拘束を施す。蒼真君の協力に免じて、傷をつけることだけは避けるけれど、それ以外なら何でもやる。クラス全員の、命が賭かっているからね」

「くっ……いいだろう、桃川、それも認める……」

 改めてクラスでの信頼を失ったことを実感して、すっかり意気消沈で項垂れている蒼真君だけど、今からそんなに落ち込まれちゃあ困るんだよね。

「元気を出してよ蒼真君。タワー攻略の中心は君なんだから」

「分かっているさ、そんなことは」

「ホントに分かってるの? 最悪、攻略は蒼真君一人でやることになるんだよ?」

「……なんだって?」

 おっ、これが鈍感系主人公にのみ許された専用スキル『難聴』というやつかい。流石、蒼真君くらいのイケメンになると、当たり前に持っているんだね。

 でも、僕は別に告白とかしたワケじゃないから、聞こえなかったなら何度でも言ってあげる。

 聞こえるように、大きな声でハッキリと。何故そうなのかを詳しい解説をしてもいいよ。

「タワー攻略は基本的に蒼真君一人で、つまりソロ攻略をしてもらう」

「それが俺への断罪だとでも言うのか」

「罪悪感を抱くのは勝手だけれど、僕は別に蒼真君に痛い目に遭って欲しいワケじゃないよ」

「そうでもなきゃ、こんな仕打ちはないだろうが!」

「小鳥遊の目的が何か、僕はちゃんと話したよね? よく思い出してよ」

「それは、俺の『勇者』の力を目覚めさせて、最後は二人だけでここを脱出……まさか!」

「気づいた? 小鳥遊の目的は蒼真君自身だ。つまり、君だけが命が賭かっていない、女神エリシオンに安全が保証された唯一無二の存在なんだよ」

 だから、どんな強力なボスモンスターに無謀な凸しても、死なないよね?

 死ぬはずがない。神がそれを許さないのだから。

「死なないゲームなんて、ヌルゲーだよね」

 今まで本人だけが命賭けで戦ってきたつもりだったけれど、実はゲームシステムによって死亡判定がない、と分かれば世界の見え方は変わる。

 クラスメイトの半分以上もの命を奪ってきた、モンスターが跳梁跋扈する恐ろしい未知のダンジョンが、途端にただの箱庭に思えてくるだろう。

「君だけが特別なんだ。少なくとも、クソ女神が今回の勇者はもういいや、と見切りをつけるまでは、絶対的な命の保証がある。それを存分に、攻略に利用させてもおうじゃないか」

 このユニットは絶対に死なない、と分かっていれば、最前線に立たせて突き進ませるに決まっているじゃない。奇襲、不意打ち、初見殺しの理不尽攻撃、即死トラップなどなど、最も恐れるべき仕掛けは大体、不死設定の勇者様で何とかなる。

 勇者としての使い道を期待されている限り、その前に立ち塞がるのは必ず乗り越えられる試練なのだ。

 神様は必ず乗り越えられる試練しか与えない、ってどっかで聞いたことあるな。お前それヤマジュンの前でも同じこと言えんの? ってレベルの下らない偽善発言だけど、まさか本当に難易度調整した試練を寄越す神様が存在しているなんてね。僕は絶対ルインヒルデ様から改宗する気はないけど。

「勿論、これは君の安全保障だけに頼った攻略法じゃない。もっと重要なのは、僕らクラスメイトの安全を最大限に図ること。今まで通り、強力なボスモンスターに全員で挑んだら、ちょっとしたアクシデントで簡単に死んでしまう。例えば、小鳥遊が『拒絶の言葉』を一言唱えるだけで、避けられたはずの攻撃も直撃してしまうからね」

「それは……そうかもしれないが……だが、ヤマタノオロチ級の大ボスが相手となれば、幾らなんでも俺一人じゃどうしようもないぞ」

「そうだよね、今の蒼真君じゃあ、ザガンもソロ討伐はできないだろう。クソ女神が望んでいるような、『勇者』の力とやらが覚醒でもしない限り、大幅なパワーアップも望めない」

 そして、僕は誰かを犠牲にして覚醒イベントを発生させるつもりは勿論ない。

 小鳥遊と剣崎が順番に犠牲になって覚醒して強くなってくれたら一番いいんだけど。なんか事故ってそんな感じにならないかなぁ。

「俺の力が覚醒することを、期待してのことなのか?」

「まさか、そんなご都合主義を勘定にいれてたら、シミュレーションゲームのベリーハードはクリアできないからね」

 こっちの命中90%は外れるけど、敵の命中40%はほぼほぼ必中みたいなゲームバランスだよ。確率の神と乱数の女神にお祈りするのは、人事を尽くした後なのだ。

「蒼真君にとっては、これまでとは比べ物にならないほど過酷な戦いになるだろう。勿論、協力も支援もする。けれど命を賭けて一緒には戦えない。クラスメイト全員の安全を確保できるこの条件下で、僕は天送門まで辿り着くつもりだよ————ただし」

 と、続くのは当たり前のことだろう。

 ダンジョンサバイバルの最終局面で、最強エースの『勇者』蒼真悠斗とはいえ、突然のソロ攻略を押し付けられるのだ。とんでもないことである。

 でもさ、そもそも何でこんなことしなきゃいけないのかと言えば、元凶はいつも一つ。

「ただし、今この場で小鳥遊を処刑できたなら、今まで通り全員一緒に戦えるよ」

「ふ、ふざけるな! そんな条件、呑めるはずがないだろう!」

「勘違いしないでよ。これは別に脅しでも何でもない。ただの選択肢の提示。君が自分の意思で、どちらが良いか決めていいことなんだよ」

 僕はどちらも、押し付けるつもりはない。一方的に嫌なことを押し付けたりしたら、遺恨が残るからねぇ? その辺のことは、僕は経験豊富だから、詳しいんだよ。

「小鳥遊の命を守るために、一人で戦うか。小鳥遊の命を諦めて、みんなで戦うか。さぁ、どっちがいいか、決めるのは君自身だ」

「分かった、俺が一人で戦う。それでいいんだろう」

 ヒュー、さっすが蒼真君、即断でソロ攻略を選んだか。勿論、君がこの程度の条件で小鳥遊を切るとは思っちゃいなかったけれど。

 でも、無理だと思ったらいつでも小鳥遊を切ってもいいんだよ。ソロ攻略に行き詰まって、ムシャクシャしてカっとなって切り捨てても、僕は君を咎めたりはしないから。

 仲間がいれば、あと一人いれば————そんな人手が足りなくて攻略を断念した、悔しい思い出は僕もあるからね。レイド攻略はまず面子を集めるところがスタートだし。

「安心してよ。一人とは言ったけれど、ちゃんと分身の僕とレムは一緒に戦えるから」

 あと召喚獣と屍人形もいるよ。

 替えの効く捨て駒ユニットはどんどん使って行こう。すでにゴーマ王国は滅ぼした。今やこの最下層エリアの支配者は僕らだ。エリア全土を狩場として独占できる。獲物の供給量は安泰である。

「ふふふ、これからは僕が蒼真君の相棒だよ。よろしくね?」

「わ、私も……」

 僕がにこやかな笑顔で蒼真君に握手を差し出したところで、桜ちゃんが泣き顔を上げた。

「私も、戦い————」

「————俺も戦うぜ! 桃川!!」

「や、山田君……」

 えっ、今ちょっと桜ちゃんが何か言ってなかった?

 山田の堂々たる参戦宣言で、桜ちゃんのボソボソ泣き声が完全にかき消されたけれど、まぁいいや。

第328話 最後の学級会(3)

「山田君、タワー攻略の危険性は、前に話した通りだよ。その上でも、君は戦うと?」

「ああ、覚悟はできている」

 山田はどこまでも真剣な表情で頷く。

 ここまで蒼真君に語って聞かせてきた内容、脱出枠を利用した追放と、勇者ソロ攻略。この辺のことはしっかり全員に説明は済ませてある。

 黒幕たる小鳥遊を厳重に拘束するとはいえ、生かしたまま同行させることがどれほど危険であるか、それはよく理解できているはずだが……

「どうして戦う気に?」

「蒼真一人に任せてたら、いつ攻略が終わるか分かんねーだろが」

「そりゃあね。最悪、年単位の攻略も考えているけど、命には替えられないでしょ」

「桃川、そう心配すんな。俺は頑丈だからな。それに、危険を承知で戦ってきたのなんて、そんなの今までだって同じだろう」

「確かに、『重戦士』の山田君が一人加わるだけで、戦力的にはかなり向上するけれど……」

 ダンジョンの難易度調整は、協力型のマルチゲーみたいに仲間が一人加われば、その分だけボスの体力二倍になります、みたいなものではない。

 僕らが相手にするのは、もうこのタワーに存在しているだろうボスモンスターのみ。小鳥遊が精一杯に強化をしているのかもしれないが、どう頑張ってもヤマタノオロチ級の強さを急ごしらえで用意できるとは思えない。

 敵の強さが単純に人数で変動しないなら、戦力は多い分だけ得になる。

 山田君の申し出は攻略において十分メリットがある上に、彼自身も気持ちは固めているようだ。これを翻すだけの意見や理屈が、僕にはパっとは思いつかない。

 僕はクラスメイトの命を最大限安全が図れるよう尽くしているけれど、究極的には、命なんてその人個人のモノなのだ。山田は自らの命も顧みずに戦いたい、と言うのであれば、やはり僕はそれを止めるだけの権利はない。

「蒼真君はどう思う?」

「俺一人だけで十分だ……と言いたいが、危険を承知でも、一緒に戦ってくれるというのなら、心強い」

 素直な気持ちといったところか。流石に蒼真君でも、タワーソロ攻略は不安だろうし。

「本当にいいんだね?」

「おう」

 ならば、これ以上は止めるまい。山田の尊い自己犠牲の精神を尊重して、攻略参加に許可を出そう。

「私も、兄さんと一緒に戦います!」

「じゃあ、他に攻略に参加したい人いるー?」

「桃川はちょっと黙ってて! 聞いてくださいよ、兄さん!!」

 再び元気に騒ぎ出した桜ちゃんに、蒼真君は「はぁ……」と溜息を吐いている。

 全く、桜ちゃんも参戦するのは分かったから、君のお気持ち表明は後でもよくない?

「桜、お前も無理をすることはないんだぞ」

「兄さんをたった一人で戦わせるなんて、できません!」

「これまでにないほど、危険な戦いになるんだぞ。桜にだって、命の保証は————」

「だからこそです。私は小鳥を信じていますし、桃川の言うことは何一つ信じる気にはなりません。私はこれまで通りに、兄さんと一緒に戦います」

「なるほどー、桜ちゃんの言う通りだよ」

 わざとらしく僕が口を挟めば、キっと桜ちゃんが睨みつけて来る。ふふん、そんな見ているだけじゃあ、気持ちは伝わらないよ?

「どういうつもりだ、桃川」

「どうもこうも、桜ちゃんの言った通り、小鳥遊を無実だと信じているのなら、陰謀なんて心配せず今まで通りに戦えばいい。それだけの話だよ」

 別に桜ちゃんが、僕の言い分を受け入れなくたって、大した問題ではない。そこはほら、内心の自由ってやつ?

 それぞれ思うことはあるけれど、重要なのは実際にどういった行動を、協力ができるかだ。蒼真君がこちらの言い分を受け入れた以上、桜ちゃんの気持ちには関係なく、こちらに従わせる、と言ったら聞こえが悪いか。しっかり協力してもらうことができるわけだ。

「僕らは小鳥遊が黒幕だと、全員が疑っている。でも、ソレを信じていないのは、まだあと三人いるよね?」

 蒼真君。桜ちゃん。そしてもう一人。

「剣崎明日那、お前も勿論、一緒に戦うよね?」

 黒幕の小鳥遊を除いて、最も死ぬべき人物は剣崎明日那だ。殺人未遂の前科二犯の凶悪犯罪者である。誰がテメーを許すかよ。

「……無論だ。私も、蒼真一人だけに戦わせるような真似、絶対に許さないからな」

「口の利き方に気をつけろよ犯罪者。お前も小鳥遊と同じように、普段は厳重に拘束するからな。戦う時だけ自由にしてやる。自分がただの戦闘奴隷でしかないってこと、よく理解しておけよ」

「き、貴様ぁ! 言わせておけばっ!!」

 ズン、と剣崎が吠えたところで、僕の前に黒々とした巨大な鋼鉄の装甲が突き立つ。

「一歩でも小太郎くんに近づけば、殺す」

 僕の守護神メイちゃんが、奴の殺意に反応して守りに立つ。

「殺したらダメだよ、貴重な戦闘奴隷だから」

「明日那、堪えなさい。ここで暴れたって、どうにもなりませんよ」

 意外にも、抑えに入ったのは桜ちゃんであった。

 自分は正式メンバーで参戦だから、戦闘奴隷扱いの剣崎より精神的優位に立っているからだろうか。

「すまない、明日那。今は、今はまだ耐えてくれ。桃川も、あまり挑発するような物言いはやめてくれないか」

「しょうがないでしょ、なにせ剣崎は、君でも庇えないレベルでやらかしたんだから。アイツは僕を殺したいほど憎んでいるだろうけど、今すぐぶっ殺したいほど憎んでいるのは、こっちも同じなんだよ、ねっ、姫野さん?」

「そうよ! アンタなんか蒼真君に庇ってもらう価値なんてもうないでしょうが、このクソ女!」

 姫野、阿吽の呼吸で罵倒である。

「すまない……だが、余計に煽るのはやめてくれ。明日那を戦力として有効に使いたいなら、大人しくさせておいてくれないか。強すぎる怒りは、太刀筋を鈍らせる」

「へぇ、蒼真君にしては気の利いた言い訳じゃあないか。分かった、この辺にしておこう」

 剣崎の態度次第と考えていたが、やはり強力な『双剣士』であることに違いはないコイツを、上手く戦力として攻略組に入れたかったのは事実だ。

 こちらは小鳥遊のせいで全員出撃が制限されている。参戦させられる人数は一人でも多い方が良いに決まっている。

 剣崎は最悪、死んでも痛くも悲しくもない、貴重な捨て駒だ。こちらは折角、殺されかけた恨みを抑えて生かしてやっているのだから、精々、役に立ってもらわないと損だよね。

「そうだ、先に武装解除はしてもらわないと。桜ちゃん、剣崎から刀を取り上げて、こっちに渡すんだ」

「私に指図しないでください」

「蒼真君、桜ちゃんが反抗的すぎるから、クラスの治安のために戦闘奴隷扱いにしちゃってもいいかな?」

「桜、言うことを聞くんだ。余計な諍いを生む様な言動は、慎んでくれ」

「くっ……」

 見事な「ぐぬぬ」顔で、剣崎から刀を取————取ろうに取れない、剣崎が抵抗している。いい加減にしろよお前……

「ほら、これでいいですか」

「うむ、ご苦労!」

 腕組みして、実に尊大な態度で桜ちゃんから剣崎刀を受け取る。

「じゃあ、残りの刀もよろしくぅ」

「……はぁ?」

「剣崎の装備、刀一本だけじゃないでしょ」

「さぁ、知りませんよ、そんなこと」

「委員長、剣崎の装備は?」

「火属性と風属性の刀が一本ずつと、予備の短刀を一本持っているわ」

 パーティメンバーが裏切ってこっちについてんだぞ。聞けば速攻でバレるような嘘ついてんじゃねーぞ。

 でも、浅はかにしらばっくれちゃう桜ちゃんの分かりやすい態度、嫌いじゃないよ。桜ちゃんは、こうでなくちゃあ。

「だってさ。知らなかったの?」

「そういえば、そうだったかもしれないですね」

「全く、言われたことしかできないんじゃあ、会社じゃ使い物にならないよ? 桜ちゃん、そんなんじゃ社会に出てやっていけないよ。もっと気を利かせて仕事ができるようにならなきゃ」

「今持ってくるから黙って待ってなさい!」

 怒鳴って踵を返す桜ちゃんである。

 どうせ言い負けて逆ギレかますくらいなら、最初から素直にやっておけばいいのに。

「やれやれ、将来が心配になるね、お兄ちゃん?」

「余計なお世話だ」

 言いつつも、半分くらい僕の言い分に納得してるくせに。ダメだよ、これ以上、妹を甘やかしすぎたら。ロクな大人にならないよ。

「ほら、これでいいのでしょう!」

「うむ、ご苦労!」

 ようやく、剣崎の武装解除が完了した。

 パっと見、最初に押収した刀しか持ってないように見えたけど、剣崎もいつの間にか空間魔法的な武器を所持する新技を獲得していたようだ。蒼真君の『ソードストレージ』みたいなものである。

 剣崎は脳筋だから、いざという時の為に誰にも内緒で武器を隠し持っておく、なんて真似はしないだろう。武器限定とはいえ空間魔法で収納できるなら、何をどこまで収納できるか徹底的に検証して、利用するべきだと思うけれど。

「さて、ようやく話を戻すけど、他に蒼真君と一緒に攻略に参加したい人はいる?」

 手は上がらない。当然だ、山田が特別に献身的というだけで。

 なんとなく、くらいの感じで手を挙げるようなら、僕が止めるしね。

 この期に及んでは、委員長ですら立候補はしない。まぁ、ここで僕に寝返った以上、小鳥遊から明確に恨みをかったことになる。恐ろしくて、とても背中は見せられないだろう。

 というワケで、これ以上の立候補者がいるはずもなく、

「……ぼ、僕も戦うよ」

 土壇場で、そう声を振り絞ったのは、中嶋であった。

「中嶋君の参戦は、許可できない」

「ど、どうして!」

「山田君とは、動機が違う。覚悟が違う。危険過ぎる」

「覚悟なら、僕にだって————」

「中嶋君、君の気持ちは分かっているつもりだよ。だからこそ、僕は君を止めなければならないんだ」

 剣崎を守りたいのだろう。彼女の前で、良い恰好もしたいだろう。まして、今の剣崎は奴隷扱いのどん底状態だ。

 彼女に惚れているならば、こんな時こそ力になってやらなければ、男が廃るというものだ。

 でも、それは最も危険な動機である。君のその思いは、絶対に利用される。

「いざという時、君が身代わりになって死ぬようなことは、絶対に避けなければいけないからね」

「そ、そんなこと……」

「ない、と言い切れるかい? いざピンチになった時は、君は誰かの盾になれるかもしれないけれど、君の盾になってくれる者は、山田君以外にはいないからね」

 残念だけれど、中嶋、お前はただのモブだ。

 小鳥遊は勿論、剣崎にも、蒼真君にも、率先して自分の命を賭けてまで守り抜きたい、そう思えるような存在ではないのだ。

 だからこそ、仲間と見れば誰でも問わず庇える山田が凄いのだ。ヤマジュンを失ったことによる、心の傷や自棄、意地、みたいな部分があるとはいえ、その自己犠牲を実行できる精神は、最早、聖人と言ってもいいのでは、と思えるね。

「蒼真君は君を助けない。剣崎も、桜ちゃんも、君を助けることは絶対にない。君が彼らを信じても、彼らが君を信じることはないんだよ」

「おい、桃川、そんな言い方は————」

「蒼真君は黙っててよ。これは『僕ら』の問題なんだから」

 中嶋を仲間として迎え入れているのは、僕らなのだ。蒼真ハーレムパーティに、居場所などない。

「俺はもうこれ以上、誰かを見捨てるような真似は絶対にしない!」

「別に、命に優先順位をつけることを、責めたりはしないよ。誰だって自分の大切な、近しい人を優先して助けようとするのは、当たり前のことなんだから」

 だから蒼真君がハーレムメンバーを優先しているのを、今更どうこう言うつもりはない。それは誰でも同じ、僕だってそうする。メイちゃんと杏子を真っ先に守ろうとするさ。

「誰が誰と固い絆で結ばれているかは、その人によって違う。全員を平等に扱うのは無理な話で、咄嗟の時にその優先順位が出るのも仕方がないことなんだ————だからこそ、限られた面子でしか戦えない今回の攻略に、中嶋君を参加させるワケにはいかない」

 これは、中嶋が特別にみんなからの信頼がないから、ということではない。

 こんなの、上田も芳崎さんも同じ。僕だって同じだ。蒼真君が中心になる以上、メンバー間での信頼関係はどうしたって差異が発生してしまう。

 勿論、僕が指揮して、全員参加で戦うなら無用な心配だけれど。この少人数構成では、いざという時のフォローには大いに不安が残る。

 要するに、蒼真君がみんなを守り切ってくれる、とハナから信用していないだけの話である。言ったでしょ、君の信頼はすっかり暴落してるって。

「そういうワケで、中嶋君、納得してもらえないかな」

「そんなの、納得なんて……できるわけないじゃないか! ここで退いたら、僕は、僕の気持ちは……」

「やれやれ、仕方がないなぁ————どうしても、中嶋君は戦いたいんだね?」

「うん、僕も戦いたい。絶対に、力になるよ」

 君の力を疑ったりはしてないよ。中嶋は立派な『魔法剣士』として強くなっているのだから。

 中嶋がここまで粘るなら、僕もここらで一つ、腹案を出すとしよう。この流れなら、言える。

「蒼真君、一つ提案があるんだけど」

「……なんだ」

 あからさまに、いい予感がしない、と言いたげに嫌そうな表情をする蒼真君。そんなに心配しないでよ、難しい話じゃあないから。

 そう、これはどこまでも単純な、等価交換のお話だ。

「小鳥遊の命を賭けよう」

「……なんだって?」

「山田君、桜ちゃん、そして中嶋君。参戦が決まったこの三人の内、誰か一人でも死んだら、小鳥遊も一緒に死んでもらう」

「なっ、なんだと! そんなふざけたこと————」

「ふざけてなんていない。至って真面目な話だよ」

 何なら、小鳥遊の命を賭けるなら、全員参加してもいいくらいだし。

 でも全員でボス戦に挑んだら、やっぱり隙が出そうだから、小鳥遊をいつでも殺せる状態は維持しなければいけない。

「蒼真君がいくらこれ以上の犠牲者は出さない、と決意表明したところで、何の説得力もないんだよ。このまま戦って、山田君か中嶋君が死んじゃったら、責任とれないでしょ?」

「それは……俺に、腹を切れとでも言うのか……」

「君に必要なのは、覚悟だよ」

「覚悟、だと……俺に、まだ覚悟が足りないと」

「そう、これ以上クラスメイトの誰か一人でも死んだらお終いだ、そういう覚悟だ」

 山田が死んでも、中嶋が死んでも、桜ちゃんは痛くも痒くもない。君の大切な、一番大切な人は傷つかないんだ。

 その結果がこれだ。最後に残ったのは、君が大切にしている人だけになっただろう?

「小鳥遊の命を賭けることで、君には僕の仲間達の命に対する覚悟と責任を負ってもらう」

 勿論、目的はそれだけじゃない。

 むしろ、蒼真君の覚悟よりも、こっちが本命だ。

「何より、そうすれば小鳥遊が一人ずつクラスメイトを始末するのを防げる」

 一人でも死ねば、自分の処刑が決まるのだ。どんなに自然な死に見せかけても、処刑は避けられない。

 小鳥遊がクラスメイトを殺すためには、一網打尽にするより他はない。これだけでも、奴の行動にかなり制限をかけることができるはずだ。

 というか、剣崎が勝手に死んで、それで小鳥遊の処刑を執行できれば理想的な展開なんだよね。僕も小鳥遊を見習って、戦闘中の剣崎を謀殺しようかなぁ。

「そ、そんなこと……認める、わけには……」

「認められないなら、君の覚悟はその程度のものだったということになるね。所詮、他のクラスメイトなんて、死んでもちょっと心が痛むくらいで済む」

「違う! 俺は、仲間を失って、どれだけ苦しんだか、お前に分かって堪るか!」

「そう、苦しんだだけで、君は何もできなかったんだ。その結末が、これなんだよ」

 僕なんかに、いいように言われている無様な有様だ。それもこれも、君が『勇者』としてみんなを助けることはできなかったからこそ。

 偉そうなことを言うなら、みんな救ってみせろ。

 できないのなら、安全性と効率を追求した攻略法に、黙って従え。

「さぁ、小鳥遊の命を賭けろ」

「————な」

 絶句したように、言葉が続かない蒼真君。その代わりに、小さな呟きが僕の耳に届いた。

「————けんなよ」

 それは、床にへたり込んで、小さな背中を震わせていた女子から。

 けれど、その背が、肩が震えているのは、恐怖や不安からでは断じてない。

「————ふっざけんなよぉ、桃川ぁ! テメぇ、いい加減にしろやこのビチグソがぁっ!!」

 小鳥遊小鳥は、ついに本性を剥き出しにして、そう怒りの叫びを上げた。

第329話 最後の学級会(4)

「————ふっざけんなよぉ、桃川ぁ! テメぇ、いい加減にしろやこのビチグソがぁっ!!」

 怒りの叫びと共に、小鳥遊が立ち上がる。

 同時に、僕も叫んだ。

「撃てぇ、杏子っ!」

「————『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』っ!」

 ずっと構え続けていた杏子の黄金リボルバーから、迷いなく上級攻撃魔法が放たれた。

 彼女は、まだ人を殺したことはない。いくら小鳥遊が黒幕とはいえ、抵抗はあるはず。それでも、この状況下に置いて真っ先に攻撃を加えられるのは杏子しかいない。

 最悪、撃つのを躊躇しても仕方がないと思っていたが、彼女は僕の期待に答えてくれた。

 放たれた『破岩長槍テラ・フォルティスサギタ』は、生身の人間など直撃すれば一瞬でミンチにできる強力な攻撃魔法だ。小鳥遊小鳥という非力な少女を殺すには過剰な威力。

 オーバーキル確実の大きな石の杭による一撃はしかし、

「止まれぇえええええええええっ!!」

 中空でピタリと石杭が止まる。

 高速で飛来する推進力と、高速回転しているはずの砲弾は、全ての運動エネルギーが停止した。

 一体、どういう理屈で停止した石の塊が浮いていられるんだと思っている内に、重力の存在を唐突に思い出したかのように、ガランと音を立てて床へと落下していった。

「く、そ……これが、本気の『神聖言語』かよ……」

「止まれ、そして、ひれ伏せ。身の程知らずのクソザコモブ共が」

 ガクン、と僕の体が自然と膝を屈する。

 体が言うことを聞かない、というよりも、上から無理矢理に押さえつけられているような感覚だ。

 重力魔法とかで地に這いつくばるのって、こんな感じなんだろうか。

「どう、これが小鳥の本気。『神聖言語「天界法15条・調停者特権第1項」』は、あらゆる戦闘を止めることができる。つまり、小鳥にはどう足掻いたって、お前らはカスリ傷一つつけることはぁ、できねぇーんだよぉ!」

 きゃはは、と甲高い耳障りな笑い声をあげる小鳥遊。

 だが、そう調子に乗るだけはあるようで、見事に全員の動きを止めている。

 ちくしょう、これはマジで本物のチート能力じゃないかよ。『神聖言語』ってスキルレベル上げたら、ここまで破格の効果が出るのか。

「ったく、人が黙ってたらベラベラと、いい気になりやがってよぉ。これで私を追い込んだつもりかぁ? 調子こいてんじゃあねぇぞ桃川!」

 はい、その通り。完全に追い込んだと思って、調子に乗っておりました。

 いやぁ、まさかこんな状況でキレて本性現わすとは思わないよ。このまま完全に拘束して完封するはずだったのに。

「み、見たかよ蒼真君……これが小鳥遊の本性だ」

「嘘、だろ……これは一体、どういうことなんだ、小鳥遊さん」

「ふふ、どうもこうもないよ、蒼真くん。だってぇ、桃川があんまりにもムカつくからさ、心の広ぉい小鳥でも、キレちゃうよこんなの」

 いつも蒼真君に見せる無邪気な笑顔で、そんなことを平然とのたまいやがる。

 どうやら、もう猫を被るのも止めたようだ。

「小鳥遊、お前、もう蒼真君の心を操る準備もできてるのかよ」

「だからぁ、そーいうところが、一番嫌いなんだよね」

 正解を言い当てられて、大層不機嫌そうな表情で、膝を屈した僕を見下ろしてくる。

 でも『イデアコード』なんて人心を惑わず邪法なんて持ってんだから、予想できて当然だろう。

 僕は絶対、お前が正攻法で蒼真君を攻略するとはハナから思ってなかった。お前の性格からいって、最終的には蒼真君を自分の意のままに操れるよう洗脳することを目指すはずだ。

 恐らく、それは奴の思惑通りに事が進んで、最後の二人きりになった時にするものだろうと予想していたのだが……

「でも、もういいや。死ねよ、桃川。お前は、あまりにも小鳥の、偉大な女神エリシオンの意思を、邪魔しすぎた。その罪深さを思い知れ、『天罰刑法4条・追放刑』————」

「ぐっ……が……ぁあああああああああああっ!!」

 獣のような雄叫びが響く。

 全てが止められた空間の中で、動き出す人影が一つ。

「うわ、メイちゃん、動けるのか」

 錆びついたロボットみたいにぎこちない動き。けれど、メイちゃんは一歩、また一歩と踏み出し、小鳥遊へ向かって歩き出した。

 その手に、絶対の殺意を宿した黒鉄のハルバードを握りしめて。

「はぁあああっ!? な、なんで動けんだよコイツ! 止まれ! 止まれよ、止まれっつってんだろぉ!!」

 流石に全力を発揮しているらしい『神聖言語「天界法15条・調停者特権第1項」』とかいう大仰なスキルでも、メイちゃんの動きを止めきれないことに小鳥遊は動揺している。

 あっ、もしかしてお前……隠し砦生活の中で、メイちゃん相手にソレ使いまくったんじゃないの? 多分、耐性スキルとか獲得したんじゃないだろうか。

「頼む、メイちゃん! 早く小鳥遊を————」

「ぉおおおおおおおおおっ!」

 メイちゃんも動くだけでも苦しいのだろう。歯を食いしばり、修羅のような表情で絶対停止の力で満ちる空間を、止まることなく突き進み続ける。

 見ろよ、蒼真君。みんなが動けない絶望的な状況の中でも、たった一人で敵を討ちに立ち向かっている、今のメイちゃんこそ勇者に相応しい姿じゃあないかい。

「とっ、止ま、らない……くそ、くそぉ! なんとかしろぉ、明日那ぁあああああああっ!」

「こ、小鳥……」

「守れぇ! 小鳥を守れっ、明日那ぁ!!」

「私は……小鳥を……守るっ!」

 守るっ! じゃねぇよこのボケ! どう見ても本性現わして黒幕確定しただろうが!

 果たして『イデアコード』で操られたか、それともガチで素なのか、剣崎明日那は神聖言語の戒めから解き放たれ、敢然と立ち上がる。

「開けっ、『拡張空間・第三階梯』!」

 剣崎のすぐ傍に、白く輝く魔法陣が浮かび上がると共に、その内より二振りの剣が現れる。

 ちいっ、空間魔法まで持ってやがったか、小鳥遊め。

「邪魔をっ、するなぁああああああああ!」

 鈍い動きのまま、立ち塞がる剣崎目掛けてハルバードを振るうメイちゃん。

「ふっ、双葉ぁあああ! うぉおおおおおおおおおおおおおっ!」

 対する剣崎は、小鳥遊から与えられた予備の剣を握り、メイちゃんの進撃を食い止める。

「ははっ、あはは! そうだよ明日那ちゃん、小鳥を守って。そのままクソブタ女を止めててよ!」

 この場で唯一動けるメイちゃんを食い止めることに成功し、小鳥遊は笑い声をあげてはしゃぐ。

 けれど、剣崎をけしかけたせいか、僅かに体が動かせるようになった……気がする。

 希望的観測だが、小鳥遊も『神聖言語「天界法15条・調停者特権第1項」』でここにいる全員を止めるのは、ギリギリの精一杯なのではないだろうか。

 だとすれば、さらに他に力を割くようになれば、この拘束も緩んでいくはず。

「おい桃川ぁ、なんだその生意気な面は? まぁだ勝機があると思ってんのかぁ? ちょこっと動けそうになったくらいで、勝てるなんて思うんじゃねぇよバァーッカ!」

 プルプル震えながら必死で動こうとしている僕を指さして、小鳥遊は嘲笑う。

「小鳥がここに来た時点で、もう勝ちなんだよ。お前が必死こいてクソゴーマ共を残らず駆除してくれたお陰でぇ、セントラルタワーに楽に辿り着けたんだから」

 両手を広げ勝ち誇ったように言いながら、小鳥遊は踵を返す。

 奴の向いた先にあるのは、オーマの玉座。いいや、その先にある、セントラルタワーの正面入り口となる、閉ざされた巨大な門だ。

「さぁ、開け。新たな管理者様の着任だよ」

『————シンクレアコード、認証。ようこそ、アルビオン中央政庁セントラルタワーへ』

 綺麗な女の声のアナウンスが響き渡ると共に、ゴウン、と門が稼働を始めた。

「管理者、だと……まさか、お前……ダンジョンマスターになるつもりかっ!?」

「うふふ、言ったでしょ? 小鳥はね、女神様に選ばれたの。選ばれなかった劣等種のお前らとは、格が違う尊い存在なの」

 僕へと振り返った小鳥遊が、微笑みを浮かべて言い放つ。

 奴はゲームマスターとはいえ、完全に自由自在にダンジョンを操れるワケではなかった。それなり以上の制約があったからこそ、基本的には無力な足手纏い系少女を演じて黙ってクラスの破滅を見守るスタンスをとっていた面もあるだろう。

 だがしかし、この明らかにダンジョンそのものの管理機能を有する中枢機関を掌握するようになれば……正に、この場所の全てを意のままに操るダンジョンマスターの誕生だ。

「だから、お前らみたいなゴミクズの命なんて、小鳥の掌の上。今度こそ神様のシナリオ通りに、みんな、みぃーんな、殺してあげる。『勇者』を覚醒させるための、立派な生贄になってね?」

 きゃははは! と耳障りな高笑いを響かせて、小鳥遊は開かれたセントラルタワーへと向かう。

 恐らく、あそこに一歩でも入ったら、管理者権限が承認される。

 必要なアクセスコードの類は、最初っからクソ女神に与えられているのだろう。

 奴はただ、この場所に辿り着きさえすれば、ダンジョンを操る全ての能力を手にすることができたのだ。

 これも勇者覚醒のシナリオを全うするために与えられた、選ばれしゲームマスターの権限かよ。

「ま、まずい……止めろ、小鳥遊を……」

「あはははは! 無理無理、無理だよ! もう小鳥は誰にも止められな————」

「————行っけぇ! 『招雷』ぃいい!」

「ぴぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」

 バチコーン! とけたたましい雷鳴と共に、割れんばかりの絶叫が小鳥遊から轟いた。

 一瞬、迸った紫電の輝きが、悠々と笑いながら歩き出した小鳥遊に直撃したのだ。

 それを放ったのは、膝を突きながらも、スマホを握りしめた右腕を突き出す、一人の男子。

「葉山君!?」

「桃川ぁ、精霊だっ! 精霊の力は、この止まる力ん中でも、止まらねぇ!!」

 そうか、精霊は『神聖言語』の停止効果の対象外なのか!

 ということは、精霊ってのは女神エリシオンの力が及ばない、全く別の概念、根本的に異なる存在なのだろう。

 よく気づいた。いや、『精霊術士』の葉山君じゃないと気づけない。僕らじゃそもそも、精霊の力を意識的には使えないのだから。

 けれど、今はそれをやるしか方法はない。

「杏子ぉ! 土精霊の力だけで、撃って!」

「う、おおぉ……頼むぞ精霊、あの腹黒女をぶち抜けぇ————『石矢テラ・サギタ』っ!」

 ギギギ、と音がしそうなほどの硬い動きでリボルバーを構えた杏子。

 その銃口には魔法陣ではなく、ただオレンジ色の輝きがぼんやりと灯り————そして、甲高い音と共に石の弾丸が発射された。

「ちっ、外れた。おい精霊、しっかり狙えよアホぉ!」

 残念ながら、キィン! と音を立てて小鳥遊の転がる左方数メートルの床に着弾し、攻撃は外れてしまった。

 土精霊の力だけで撃ったのは、初めてのぶっつけ本番だ。照準も制御も甘くなってしまうのは仕方のないことかもしれない。

 杏子は震える手でリボルバーを向けながら、再度、攻撃しようと再び土精霊の力の証である光を輝かせていた。

「い、痛ぃい……なんでこんな、酷い、酷いよぉ……」

 葉山君のスマホにチャージされた雷精霊による『招雷』が直撃し、床に倒れ込んだ小鳥遊がガチ泣きしながら、よろよろと蠢いている。

 やはり能力がチートなだけで、本人は打たれ弱い。しかし、戦わないくせに装備だけは万全にしていたか、奴の制服がブスブスと黒焦げになっているだけで、生身の方は大きな火傷を負った様子は見られない。

「もう一発だ、喰らいやがれ————」

「うっ、うううぅ……よくもやりやがったなぁ、葉山ぁああああああああ!」

 涙を流しながら絶叫する小鳥遊。

 構わずスパークを散らすスマホを向けた葉山君に対し、小鳥遊も手元に空間魔法の光が瞬くと共に、何かを握っていた。

 な、なんだアレは、まさか銃なのか!?

「『招雷』ぃ! って、うぉおおおっ!?」

「死ねぇ、葉山ぁ! そもそもテメぇはなんで生きてんだよ! 死んでろよ、テメぇは、死んでなきゃおかしいだろうがぁ!!」

 小鳥遊が怒りに叫びながら、右手に握った小型のハンドガンみたいな武器を連発した。

 リアルの拳銃、というよりは白い金属のような光沢をもつ謎の材質と薄っすらと青色の発光パーツがあることから、SFのレーザー銃みたいな感じだ。

 実際、その銃口から発射されているのは、青白い輝きの『光矢ルクス・サギタ』みたいなビームである。幸い、威力も性能も『光矢ルクス・サギタ』と同程度に見える。

 恐らく、潜伏していた隠し砦でこっそり回収した、古代の武器なのだろう。魔力のビームを放つ、ブラスターと言うべきか。

「ちいっ、そんなもんまで隠し持ってたのかよ」

 さらに厄介なのは、奴の装備がブラスターだけではないことだ。

 腕時計のように左の手首に、いつの間にか見慣れない腕輪があることにも気づいた。ブラスターと同じく、白い金属に青白い発光パーツ付き。

 そして、確かに葉山君が放った二発目の『招雷』が、その腕輪から展開された青白く輝くシールドによって、阻まれたのも僕は確かに見た。

 間違いなく、あの腕輪も古代産で、『光盾ルクス・シルド』を張る程度の防御装備なのだろう。

「プグゥウアアアアアアアアアア!」

「うおおっ、き、キナコぉ!」

 いまだに『神聖言語』の効果範囲にあって、動きが硬直状態にある葉山君に襲い掛かる小鳥遊の乱射ビーム。

 それを、身を挺して防いだのは、やはり一番の相棒たるキナコであった。

 強制的に停止させる力の影響下にあっても、のっそりと這うように動いて、そのずんぐりした巨躯で葉山君の盾となる。

 バシュバシュ! と音を立てて幾つかのビームが着弾し、キナコの毛皮を焼き焦がす。

「プグゥ! プガァアアア!」

「やめろキナコ、無茶すんじゃねぇ!」

「撃て、葉山君!」

「くっそぉ、小鳥遊ぃいいい!」

 キナコが盾となったことで、葉山君がさらに奮起する。

 掲げるのはスマホに加えて、穂先にチラチラと火の粉が散るレッドランスだ。

「頼むぜ、火と雷の精霊達! 俺に力を貸してくれぇーっ!」

 弾ける紫電と、迸る火炎が、二筋の奔流と化して小鳥遊へと襲い掛かる。

「うううぅ……く、くっそぉ、何が精霊だよぉ、何で止まらねぇんだコイツらはぁ!」

 小鳥遊の腕輪が激しく明滅しながら、光のシールドを必死で張っている。

 シールドに阻まれ、雷も炎も完全に防がれているようだが、あまり余裕がありそうではない。

「————『石矢テラ・サギタ』!」

「いいっ、痛だぁああああああああああああああああっ!?」

 そこで、横合いから飛んで来た杏子の一撃が、ついに小鳥遊を捉えた。

 シールドは一枚の盾のように展開されており、結界のように全方位は守れない。多分、今広げているのが展開範囲の最大限度だろう。

 立ち位置が幸いした。ほとんど真横から、杏子は小鳥遊を狙い撃てた。

 その一撃は直撃こそしなかったが、顔の真横を飛んで行き、石の弾丸は奴の頬をかすめて少々の鮮血を散らす。

「あああああっ、か、顔ぉ! 小鳥の顔がぁ!?」

「今更ぁ、テメーの面がなんだってんだよぉ! 次は脳天ぶち抜いてやるよっ、オラぁ!」

「なっ、舐めんなよぉ、頭空っぽの乳だけヤンキー女がよぉ!」

 杏子が構えるリボルバーに対し、小鳥遊もブラスターを向けた。

 まずい。杏子もさっきの葉山君同様、その場で動けず棒立ち状態。遮蔽物はなく、キナコのようにカバーできる仲間もいない。

「お願い、蘭堂さんを守って————『氷精霊アイズエレメンタル召喚』っ!」

 その時、動いたのは委員長であった。

 握りしめた白い杖の先が青白い魔法陣を描き出すと、そこから雪だるまのように丸い体のずんぐりした奴らがゴロゴロと出でる。

 とても強そうには見えない雪だるま達であったが、見かけに反して素早く杏子の元まで転がって行き、その体の大きさを活かして彼女の盾となった。

 小鳥遊の放ったブラスターは、一発で雪だるま精霊の体の半ば以上を消し飛ばす。高い熱量を誇るビームを受けるには、雪の体では耐久性に劣るようだ。

 だが、それでも一体あたり二発は耐え抜き、杏子を攻撃から守り続けた。

「それ以上は、させるかよ……」

 今まで僕がただ黙って、精霊の力で攻撃できる葉山君と杏子だけに任せていると思っていたか。

 僕だって必死に頑張ってんだ。この土壇場で、今まで試した事も、試そうと思った事もない方法を、ぶっつけ本番でチャレンジ。

 幸いと言うべきか、あるいは、これぞルインヒルデ様のご加護か。手ごたえは、すでに感じている。

「頼む、そこにいるのなら、応えてくれ。闇の精霊よ、僕の代わりに、髪を結え————『黒髪縛り』」

 僕にとって、最も馴染んだ呪術。

 息を吸うように生やせる呪術だけれど、今はその発動も、制御も、全てを闇精霊に委ねる。

 やはり、この期に及んでも僕には精霊の姿は見えないけれど……確かに、感じた。

「そうだ、行けぇ!」

 黒々とした影が小鳥遊の足元に落ちると共に、そこから勢いよく黒い髪の束がドっと噴き出した。

「なっ!?」

 と、驚愕の表情を浮かべる小鳥遊、そのブラスターを握る腕を、まずは黒髪の触手は捉えた。

 杏子に向けられていた照準は、強引にあらぬ方向に逸らされ、無意味にビームが放たれていく。

 それは最後の雪だるまが崩れ落ちるのと、ほぼ同じタイミング。ギリギリで間に合った。委員長、ナイスフォローだったよ。

「小太郎ぉ!」

「撃て、撃ち続けるんだ、杏子! なんとしても、小鳥遊をこの場で仕留める!」

「んもぉ、もぉかわぁあああ! テメーはどこまで、小鳥の邪魔を————んごぉお……」

 締める。

 黒髪を小鳥遊の細い首に絡ませて、とにかく締めつける。『黒髪縛り』で相手を殺す、ほとんど唯一の方法だ。

 どうやら、闇の精霊はこの呪術の使い方をよく心得ているようだ。それとも、僕の指示に従ってくれたのか。

「よっしゃあ、行くぜ、このまま押し切るぞ!」

「しっかりブチ当てろよ、土精霊!」

 葉山君と杏子の波状攻撃が小鳥遊を襲う。

「んぎぎぎ……ぴっ、ぎぃいい……」

 奴は僕の黒髪に首を絞められて無様な苦痛のうめき声を上げながらも、必死に抵抗して腕輪シールドを振りかざし、両者の攻撃を辛くも凌ぐ。

 だが、それももう限界だ。

 シールドで防ぎきれず、二人の攻撃が直撃するか。それとも、このまま絞殺されるか。

『神聖言語』の戦闘停止能力が及ばない精霊による攻撃に晒され、ついに小鳥遊は追い詰められた。

 あと一歩、もうあと一分も、奴はもたない。

 殺す。

 ここで、必ず殺し切る。

 この黒幕女をぶち殺して、僕らは今度こそ、みんなでこのダンジョンを脱し、外の世界へ————

「た……助けてぇ……蒼真、くぅん……」

「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 瞬間、真っ白い光が、僕の視界を焼いた。

第330話 天使

「た……助けてぇ……蒼真、くぅん……」

「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 瞬間、真っ白い光が、僕の視界を焼いた。

 なんだ、と思いながら瞼を開いたそこには、

「やめろ……もうやめてくれ!」

 光り輝く勇者の盾、『天の星盾セラフィック・イージス』を展開させ、小鳥遊を背に庇って立つ蒼真君の姿が。

「なっ、なに考えてんだよ馬鹿野郎! 敵を庇う奴があるかぁ!!」

 流石の僕も、あまりにも最悪な方向性で想定外の行動を仕出かした勇者様に、怒り心頭で叫ぶより他はなかった。

「うぐぅ、そ、蒼真くぅーん……」

「小鳥遊さん、俺は————」

 勇者の盾が葉山君と杏子の攻撃を完全に防ぎきり、さらには僕の黒髪縛りも切り払われていた。

 つまり今この瞬間、小鳥遊に自由が戻る。戻ってしまった。

「ありがとう、蒼真くん。やっぱり、小鳥だけの勇者様だね」

「小鳥遊を止めろぉおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 涙と冷や汗に塗れた絶望の表情は一転、邪悪な勝利の笑みを浮かべて、小鳥遊は駆け出した。

 葉山君の雷と炎。杏子の石弾。

 ただ真っ直ぐ駆け抜けるだけの無防備な背中を、勇者が守り切る。

「届けっ、黒髪縛りぃいいいいいいいいいいいいっ!」

「あっははははは! 無駄無駄ァ! これでもう、小鳥の勝ちなんだよぉ、桃川ぁ!!」

 高校球児が如くヘッドスライディングを決めた小鳥遊が、ついにタワーの門を潜り抜ける。

 黒髪縛りは、届かない。奴の足首を捉えそこねて、虚しく宙を掴むだけに終わった。

 そうして、小鳥遊が光の灯らない暗い門の向こう側へと転がり込んだ瞬間、

『管理者権限の譲渡申請、受理。『コトリ タカナシ』様、アルビオン総督・臨時代行役の就任、おめでとうございます』

 響き渡る、女のアナウンス。

 そして、次の瞬間にはセントラルタワーの機能が目覚めたのか、眩しい輝きが次々と点灯し、煌々と門の向こう側に広がるエントランスを照らし出した。

 太い円柱が立ち並ぶ、どこか神殿のような造りをしているエントランスの中央で、小鳥遊はゆっくりと立ち上がった。

「ああ、ようやくここまで来れた……もう、誰も小鳥を止められない。誰にも、邪魔はさせない」

 舞台の上で一身にスポットライトを浴びる主演女優のように、大仰に手を広げて、小鳥遊は微笑みを浮かべて僕を向く。

「桃川、もうお前が何をしても、どう足掻いても無駄だよ。だって小鳥はもう、ただの『賢者』じゃない————」

『上位保護プログラム申請、受理。エメローディア国家安全法の適応、ならびにアルビオン全域の緊急戒厳令発令に伴い、タカナシ臨時総督閣下に対する聖天級兵装の無制限貸与を承認します』

 アナウンスと共に、小鳥遊の足元、さらには天井にも巨大な白光の魔法陣が展開される。直後に、それに反応したように奴の全身が白い輝きに覆われてゆく。

 もう、ただの『賢者』ではない、と言った口ぶりからして、それはまるでクラスチェンジの演出であるかのように思えた。

 そして、どうやらそれは正しかったらしい。

「————『天使』になったんだよ」

 白く輝く大きな翼が、小鳥遊の背に翻った。

 バサリ、と音が聞こえそうな勢いで開かれた白翼からは、真っ白い羽根が散るのだが、それらは中空で溶けるように淡い光となって消えてゆく。

 本物の翼が生えているわけではない。魔力で形成された翼は、それそのものが魔法といってもいいのかもしれない。

 アナウンスの内容から考えて、アレが『聖天級兵装』という古代の強力装備なのだろう。それこそ、小鳥遊が天使を自称するほどに、天職の能力を凌駕した性能を発揮すると想定するべきだ。

「た、小鳥遊さん、どういうつもりなんだ……」

 どういうつもり、と問いただしたいのはこっちの方だよ蒼真君。どうすんだよコレ。

 小鳥遊を殺すチャンスをみすみす逃した挙句に、奴が求めたヤバそうな古代遺跡由来の能力まで獲得させちまったんだぞ。

 責任もって自分でケリを……つけられるはず、ないんだよな。

「ふふ、どうしよっかなぁ。天使になった小鳥は最強だから、何でもできちゃうんだよね。ねっ、そうだ、蒼真くんはどうしたい?」

 上機嫌に天使の翼をヒラヒラさせながら、小鳥遊はニコニコ笑顔で言いやがる。

「俺はもう、誰一人として死んで欲しくはないんだ! だから、今も君を助けた! 小鳥遊さんは、俺が信じていたようなただのか弱い女子ではなかったようだ……けど、それでも、死んでいい理由には、殺されていい理由にはならないだろう!」

 結局、君は人殺しをするのは勿論、目の前で殺されるのも見たくはないと、そういうことなんだ。

 その程度の覚悟、そんな程度の責任感だった、ということか。

 全く、君はどこまでも、ここぞという時に失望させてくれるね。その優柔不断の尻ぬぐいは、誰かがしなければならない。

 殺したくない。殺させたくない。

 いいだろう、大層立派な信念だ。

 ならば、お前が小鳥遊を助けたせいで出た犠牲は、どうやって報いると言うんだよ。

「あーあ、残念だな。小鳥だから助けたんだって、そう言って欲しかったんだけどぉ……まぁ、いっか。これから分かってくれればいいんだから。特別なのは、小鳥と蒼真くんの、二人だけなんだって」

「俺達が殺し合う理由なんてないはずだろう! 小鳥遊さん、みんなで一緒にここを出よう! それで全部、解決するんだ!」

「じゃあ、覚醒して?」

「なん、だって……」

「今すぐ『勇者』の力を覚醒させて、女神様が満足いく強さになれたら、考えて上げてもいいよ?」

「そ、それは……それじゃあ、桃川の言ったことは、全部……」

「きゃはははぁ! ごめんねぇ、蒼真くぅん。小鳥、ちょっとだけウソついちゃった、テヘっ」

「あの時、みんなに毒を盛ったのも……クラスメイトを犠牲にして、俺を覚醒させるというのも、全部、本当のこと、なのか……?」

「うん、そうだよ。でもでも、やっぱり桃川みたいなクソ陰キャのドチビ野郎が、どれだけ真実を叫んだところで、誰も信じないよねぇ? やっぱり言葉っていうのは、誰が言ったか、っていうのが一番大事なんだもん」

 蒼真君を相手に、ここまで悪事を白状するんだ。最早、彼の自由意志などどうでもいい。今の小鳥遊には、すでに蒼真君を洗脳する手段は確保済み、と見るべきか。

 だが、今はそれよりも差し迫った問題がある。

 セントラルタワーの管理権限を獲得し、天使を自称するほどの古代装備を纏った小鳥遊。コイツを相手に、どうやってこの場を切り抜けるのか。

「ま、待ってくれ……俺が、俺が強くなればいいなら、必ず強くなる! 今すぐは無理かもしれない、けど、絶対に『勇者』として強くなってみせる! だから————」

「————うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 その時、突如として雄たけびをあげて動き出したのは、山田であった。

 小鳥遊が天使だとはしゃぎだした時点で、『神聖言語』の発動は止めたようで、体の自由は戻っている。

 しかし、だからと言って、今この瞬間に動くのはまずい!

「待て、山田君!」

「お前を倒せば、全て終わるんだ! ここでっ、叩き潰してやるっ!!」

 大斧を振り上げ、移動系武技もないのに、凄まじい速度と勢いで小鳥遊へと突進してゆく山田。決死の覚悟を決めた彼を、僕の言葉一つじゃ止められない。

 やめてくれ、僕は君を、君のような男を真っ先に犠牲になんてさせたくないんだ。

「はぁ、ウッザ。山田如きがしゃしゃり出てくんなよ、身の程を弁えろってのブサイク芋男が————『聖天結界オラクルフィールド』」

「ぐおおおおおっ!?」

 あと一歩で斧の間合いに入る寸前で、眩く光り輝く結界が山田の突撃を阻んだ。白い光が激しく明滅しながら、バチバチとスパークのような輝きも散っている。

 小鳥遊め、コレがあるから『神聖言語』を解除したのか。

 桜ちゃんの万能防御魔法『聖天結界オラクルフィールド』と全く同じ、強力な光の結界だ。強引に突っ込めば、痛いや熱いじゃ済まないダメージを負うはずなのだが……山田は『重戦士』の防御と、身に纏った全身鎧、そして不退転のド根性で一歩も引かない。

「やめるんだ、山田君! 戻れ!」

「そいつは聞けねぇな、桃川。今ここで、コイツを何とかしなきゃ、俺ら全員————」

「邪魔、とりあえず消えろ————『天罰刑法4条・追放刑』」

 山田の足元に見慣れた白い輝きの魔法陣が展開されると共に、姿が消えた。

 跡形もなく、消え去る。当然だ。だってそれは、転移魔法なのだから。

「や、山田君……」

「はい、これで追放刑執行二人目ぇー」

 クラスメイトを一人消しておいて、その言い草か。罪悪感の欠片もない。

 ただ邪魔だから消した、と公言した通り、本当に何にも思っちゃいない。

「うーん、やっぱ追放刑が一番楽でいいよね。死体なんて残っても汚いだけだし、勝手に死んでって感じ?」

「テメェは……そうやって下川も殺したのかぁああああああああああああっ!!」

「おい、上田っ!? ちょっ、止せって!」

 次に動いたのは上田だった。

 確かに、誰にも知られず、死体も見つからずに密林塔から下川を消した方法は、この『天罰刑法4条・追放刑』に他ならないだろう。

 けれど、山田が力及ばず倒れたばかり。怒りのままに動いても勝機はない。

 当然それを察してか、慌てて芳崎さんが駆け出す寸前の上田を掴むが、

「ちっ、うっせぇな、お前らモブは黙ってろよ————ほい、追放刑」

 上田と芳崎さん、二人まとめて消し飛ばされた。

 あっ、と思った時には、もう二人は輝く白い魔力の粒子だけを残して、そこからいなくなっている。

「天使小鳥様の力、分かった? これでもまだ、逆らう奴おるぅ?」

 翼の力か、フワリと浮かんだ小鳥遊が、こちらを心の底から見下した表情で睥睨する。

 心底ムカつく顔だ。

 けれど、今は怒りよりも後悔と焦燥ばかりが激しく胸に渦巻く。

 三人だ。

 この僅か数十秒の間に、山田、上田、芳崎さん、僕の主力メンバーが一気に消されてしまった。

 転移で飛ばされただけなので、即死こそしていないが……追放刑とわざわざ名付けられた魔法名である。飛ばす先はフルランダムではなく、追放するにふさわしい場所が選定されていると思われる。

 それなりのダンジョンくらいなら、装備をそのまま身に着けた熟練の前衛職となった彼ら三人ならば、簡単に死ぬようなことはないだろうが……ええい、くそ、今は三人の心配をしている暇さえない。

 三人の追放は、これで終わりではない。始まりだ。僕ら全員の生殺与奪は、小鳥遊に握られてしまった。

聖天結界オラクルフィールド』の絶対防御に、僅か数秒で発動する『天罰刑法4条・追放刑』。このクソみたいなチート能力を相手に、どうにかする手段など今すぐにはとても思いつかない。

 その上、奴の能力はこれだけじゃない。もっと強力な魔法や遺跡の機能を手にしていることだろう。

 見事なまでの形勢逆転。完全に状況がひっくり返されてしまった。

「こんなことになるのなら、蒼真君に恨まれてでも、小鳥遊を暗殺しておくべきだったな」

 ああ、ちくしょうめ。三人も速攻で失ってしまった以上、僕もやり方を、選択肢を誤ったと言わざるを得ない。

 けれど、後悔に思考能力を割いている場合じゃない。

 考えろ。小鳥遊のことだ、きっとまだどっかに穴が、つけいる隙があるはずだ。何としてでも、攻略の糸口を見つけるんだ。

「やめろぉ! もう、やめてくれ……こんなことのために、俺は君を助けたんじゃない!」

「蒼真君、これは運命なんだよ。女神様が定めた運命。選ばれたのは小鳥と蒼真君だけで、選ばれなかったゴミクズ共のことなんて、なぁーんにも気にしなくてもいいんだよ?」

「違う! 俺達はクラスメイトで、ここまでダンジョンを乗り越えてきた仲間なんだ! その仲間を、犠牲にするなんて許されることじゃない!」

「あはは、勘違いしちゃあダメだよ。今、蒼真君に許されてることは、選ぶこと」

「選ぶ、だって」

「そっ、選ばせてあげる。次、誰から消すぅ?」

 小鳥遊が、これみよがしに選ぶように、僕らをそっと指さす。

「桜ちゃんは、メインディッシュだからないとしてぇ……うーん、明日那ちゃんも小鳥の親友だから、残ってもらわないと」

「な、何を言っているんだ……」

「ううーん、やっぱり次に消すなら、見せしめとして裏切り者の委員長にする? それとも、どうでもいい雑魚の姫野とか中嶋辺りにしておく? ねぇねぇ、蒼真君は、どっちがいーい?」

「そんな……そんな、こと……」

「選べるワケねーだろ、バァーカ。もうちょっと考えてお喋りしろよ、低能天使が」

 震えるだけで、誰かを選ぶことも、自分で選んだことの責任もとれない勇者様に変わって、僕が声を上げた。

「桃川ぁ……お前さぁ、この期に及んでイキってんじゃあねぇよ。テメーはもう詰んでんだよ、分かってねぇのか、ああ?」

「さっきまでピギィ! つって泣き叫んだ奴に、イキりがどうこう言う資格あんの? つーか、天使ってなんだよ、今時、小学生でも言わないって」

 とりあえず何でもいいから適当な挑発を口にする。

 決して、この絶望的な状況の突破口を見出したワケでも、こんな事もあろうかと、という備えがあるワケでもない。

 だが、ひとまず挑発して僕にヘイトを向けさせることには意味がある。

 小鳥遊が僕の方に意識が向いている限り、気まぐれに他の仲間が消されることはないからね。

 そして、どれだけ挑発を重ねようとも、お前は絶対、僕を簡単に飛ばしはしない。

 これほどの優位を確保したんだ。僕を殺すなら、それはもうド派手に凄惨な感じにしたいに決まってる。

「……ああ、そっか、分身だな、お前」

 ちっ、流石にバレたか。

 最後の学級会を主導するべく、蒼真君と向き合って話していたこの僕は、本物じゃなくて『双影ふたつかげ』の分身だ。

 当たり前じゃん。逆上して後先考えずに切り付けられるかもしれないんだし。

「ドブネズミみてぇにコソコソ隠れてんじゃねぇよ。出てこい、桃川」

「馬鹿か、そこまでバレてて出て来るわけねーだろ。天使になると、頭天国でハッピーになんのか? ああ、元からだっけ」

「うるせぇ、ぶっ殺すぞテメぇ!!」

 と、キレ散らかしてるくせに、本物の僕が引きずり出されないところを見ると、隠れた位置はバレていないようだ。

 よし、最低限のアドバンテージはとれている。

「ちっ、どこまでもムカつくクソガキが」

「お前のがよっぽどガキだろ。対戦ゲーに湧くキッズでも、お前よりかはお上品だぞ」

「本体が隠れてるから調子に乗りやがって……仕方ない、また邪魔だけされても腹立つだけだし、先にやることは済ませておこうかな。明日那ちゃん、こっちに来て」

 呼ばれた剣崎が、メイちゃんの前で剣を構えたまま、ビクリと震えるように反応した。

「こ、小鳥……お前は……」

「小鳥は、明日那ちゃんの親友だよ? だから、これからも小鳥のこと、明日那ちゃんに守って欲しいな」

 散々、黒幕であることを白状しておいてこの言い草。

 まさか、その言い分を聞くのか?

「ああ……そうだな……小鳥は、私の親友だ……私が、守ってやらなければ」

「うん、そうだよ。明日那ちゃん、ずっと一緒だよ?」

 剣崎はそのまま、小鳥遊の方へと歩き出した。

 現実逃避、ここに極まる。

「必要な生贄は桜ちゃんだけで十分だと思うけど、一応、夏川も確保しとこうかなぁ————ポータル起動、自由選択でね」

『ポータルを起動します。任意の対象を選択してください』

 小鳥遊が一声上げると、アナウンスが反応し、そして床一面が輝きだした。

 デカい、床の全面が光り輝いている。転移魔法の白い光とは異なり、緑色に光っているのは、一体何の違いがあるのか。

 なんにせよ、小鳥遊は僕の挑発を無視して、必要な人材の選別を早々に始めるようだ。

「でも、その前にやっぱり、裏切り者筆頭の委員長には、見せしめとして派手に散ってもらおうかなぁ」

「っ!?」

「涼子ちゃん!」

「ま、待て! やめろぉ!」

「裏切られて、小鳥ショックだよぉ」

 と、ニヤニヤしながら小鳥遊は握っていたブラスターを委員長へと向ける。

 ダメだ、これ以上はもう限界だ。イチかバチか、ここで行動を起こすしかない————そう、本体の僕が『無道一式』を握りしめた、その時だった。


 ォオオオオオオオオオオオオオオオオ————


 雄叫びが響く。このダンジョンでは聞きなれた、モンスターの雄叫びだ。

 遠くから響き渡って来るその声に、僕は不意にサラマンダーを思い出す。そういえば、このエリアには普通にサラマンダーが生息しているのだ。

 今更、その鳴き声が聞こえたからなんだというのか————いやちょっと待て、この鳴き声、なんか近くない?


 ドゴォオオオオオオオオオオオオオオッ!


「うわぁっ!?」

 突如として、壁が崩壊した。

 それは小鳥遊がふんぞり返って浮かび上がっているその後ろ、広大なタワーエントランスの一角で起ったことだ。

 エントランスの外壁と天井、ついでに並び立つ円柱の何本かが盛大に砕け散る。それはまるで、大爆発を起こしたように……いいや、違う。大爆発ではなく、大質量が突っ込んできたのだ。

 濛々と煙る粉塵の向こう側に翻るのは、黒い竜の翼。

「————よう、久しぶりだな、お前ら」

 そして、黒いサラマンダーのシルエットを背後に、悠々と噴煙を突っ切って歩み出たのは、傲岸不遜を体現する、白嶺学園一の不良男。

「おい小鳥遊。俺をハメてくれたんだ……覚悟、できてんだろうな?」

 天道龍一が、現れた。

第331話 王の帰還

「おい小鳥遊。俺をハメてくれたんだ……覚悟、できてんだろうな?」

「て、天道、龍一ぃ……どうしてお前がここにいる!?」

「戻って来たからに決まってんだろ。見て分かんねぇのか」

 なるほど、あの毒殺未遂事件の晩に、小鳥遊によってどこぞへ飛ばされたものの————あの黒い飛竜に乗って、堂々のご帰還ってワケか。

 あの天道君を追放しようってんだ。いくら小鳥遊がアホでも、絶対確実に戻っては来れないような場所を選んで飛ばしたはず。自らランダム転移で逃げた僕とは、帰還の難易度が違う。

 それでも、彼は戻って来た。

 天道龍一。やはり、彼もまた立派なチート天職者だな。

「一体どうやって隔離区域から脱出したの」

「ドアが一つ、開いてたぜ」

 多分、何かしらの方法で開けてきたのだろう。

 小鳥遊がわざわざ『隔離区域』なんて呼ぶ以上は、遺跡の力によって完全に封鎖されていると確信していた場所に違いない。

 でも天道君はそこから出てきた。ふーむ、鍵は恐らく、その黒い飛竜と見た。

 僕もこのダンジョンに入って沢山のモンスターを見て来たし、屍人形で使役したり、精霊術士の霊獣なんて特殊な奴らも見てきている。その経験から、あの黒い飛竜はただの野生のドラゴンをテイムしただけではないと何となく察せられた。

「そのドラゴン……まさか、ありえない……あそこにあるのは、全部廃棄されたか、破壊されたはず」

「なんだ、リベルタのことが気になるか? だが、わざわざお前に語って聞かせてやる道理はねぇな」

 ほう、リベルタって名付けたのか。なかなかのネーミングセンスじゃあないか。僕、天道君なら『武楽駆怒羅魂ブラックドラゴン』とか名付けそうって思ってたけど……勝手な先入観だったみたい。ごめんね。

「それにしても、おい悠斗、なんてぇシケた面してやがんだ。小鳥遊の本性を目の当たりにして、ショックでも受けたか?」

「りゅ、龍一……」

「まぁ、女に激甘なお前のことだ。小鳥遊の腹が黒かろうが、構わず庇ってやるんだろうが————悪いが、コイツは俺が殺る」

 いいや、ソイツは僕の獲物だ、手を出すなっ! とはわざわざ言わない。

 小鳥遊、僕はお前を必ず呪い殺すと言ったな。でも、天道君が代わりにぶち殺してくれるなら、別にそれでもいっかなって。

 さて、僕のお気持ちは置いておいて、天道君も本気のようだ。

 ジワリ、と滲み出るようにその体から薄っすらと金色に輝く魔力のオーラが立ち昇る。

 冗談でも何でもなく、本気の殺意を抱いていることは、第六感の鋭い蒼真君には分かり切っていることだろう。

 その上で、すぐに「やめろ」と静止の言葉が出ないのは、流石に目の前で三人も犠牲になって、多少の罪悪感は覚えたってところかな?

「天道ぉ……戻って来れたくらいで、勝った気でいやがるのかぁ? バカが、戻って来んのが遅いんだよ。もう小鳥は天使になったんだから」

 バサっと翼を翻し、宙に浮いたまま天道君へと体ごと向き直る小鳥遊。

 天道君の強さは折り紙つきだけれど、管理者権限を持つ今の小鳥遊は、この復活したセントラルタワーにおいては無敵だ。

 床一面に、自由自在に転移魔法を展開し放題である。ここはすでに、奴の掌の上、あるいは腹の中と言ってもいい。

 ただ戦闘能力だけで、何とかなるような状況ではない。

「おいおい、天使って……腹は黒くても、頭ん中は見かけ通りにファンシーなんだな、お前。笑えるぜ」

「桃川みてぇなつまんねぇ煽りしてんじゃねぇよド底辺ヤンキー野郎がぁ! 今すぐ地の果てまで吹っ飛んで、その面ぁ二度と小鳥の前に晒すんじゃあねぇぞ————『天罰刑法4条・追放刑』っ!!」

「————軍令に従え。アルビオンの全ポータルの使用を禁ずる」

『ジェネラルコード、認証。緊急戒厳令発令のため、エメローディア軍令の適応を優先。アルビオンの全ポータルの使用を停止します』

「……は?」

 間抜けな声を、小鳥遊が漏らした。

 煌々と輝いていた床一面の緑の転移魔法陣は消え去り、勿論、天道君の足元にも、『天罰刑法4条・追放刑』の発動を示す白い転移の光も灯らない。

 僕の聞き間違い、解釈違いでないならば……天道君、今、小鳥遊と同じようにタワーの機能に命令した?

 一体、どうやってそんな権限を。もしかして隔離区域の奥で、お偉いさんのキーカードでも拾ったとか? 閉鎖された軍の秘密施設を舞台にしたホラゲーなどでありがちな展開が、僕の脳裏を過る。

「なっ、なんだよ、どういうことだっ!? なんで天道の命令が通るっ!」

『現在、『リュウイチ テンドウ』様はアルビオンベースの臨時司令官に任命されております。緊急戒厳令下における特例措置として、一時的に指揮権を付与。解任、または権限移譲をお求めの場合は、上位のジェネラルコード保有者か、エメローディア統合幕僚本部の命令、または協議によって承認されます』

「ありえない……天道を軍部の者と認証、してる……」

「まぁ、よく分からんが、とにかく小鳥遊、テメーの特権はこれ以上、通用しねぇってことだ」

 な、なんというチート返し……

 小鳥遊がクソ女神の推薦でニセ市長になったところに、どうやってか天道君が正規の軍人登録されていて、緊急事態だから軍部の命令が優先されている————みたいな感じなのだろう。

 小鳥遊の動揺ぶりからして、セントラルタワーという古代遺跡に、僕らのような外部の人間を認証させるのは不可能なのだろう。キーカードとかパスワードとか、そういうのを持ってればOKという簡単な認証登録ではないはずだ。

 だが、それがどういうワケか通った。

 お陰様で、小鳥遊と天道君の間で権利が衝突し、タワーの全てをコントロールすることはできなくなっている。

 つまり、攻めるなら今だ。

「こっ、小鳥の命の危機だぞ! 緊急避難を適応しろぉ、早くっ!!」

『タカナシ臨時総督により、生命の危機、またはそれに準ずる危険による救難要請を受理。緊急避難を開始します。事前に設定されたポータルが適応されます。よろしいですか?』

「いいから早く飛ばせぇ、このボケがぁ!!」

 小鳥遊の口汚い罵声と共に、再び床に緑一色の転移が広がる。

 眩しく輝いたのは一瞬のこと————すぐに、光は収まり静寂が戻って来た。

「くそっ、逃げることはできんのかよ。悪運の強ぇ女だ」

 ちっ、と天道君が悪態をついている。どうやら、まだ自身と小鳥遊の権限が及ぶ範囲を、全て完璧に認識しているわけではないようだ。

 小鳥遊は上手いことAIを言いくるめて、逃げ出すことに成功してしまった。

「いや、ただ逃げたんじゃない。必要な奴も連れ去ってるよ」

 さっと周囲を見渡せば、すぐに気づいた。ただでさえ人数が減りに減ってしまったのだ、気づかないはずがない。

「悠斗と剣崎を連れてったか」

「桜ちゃんは何で残ってんの?」

「に、兄さん……そんな……」

 僕の言葉に反応もせずに、桜ちゃんは絶望の表情で、蒼真君がついさっきまで立っていた場所を見つめていた。

 小鳥遊が発動させた緊急避難とやらの転移は、自分以外の者も設定していたようだ。それが蒼真君と剣崎の二人。

 両者の姿は、転移の光が収まった時には、もう影も形もない。

「おい、キナコ……キナコ、なんでいねぇんだよ!?」

「えっ、キナコも連れ去られたの……?」

 葉山君が騒ぎ出したことで、遅ればせながら僕も気づいた。

 ブラスターの乱射から葉山君を身を挺して庇っていたキナコである。彼のすぐ目の前にいたはずなのに、あのずんぐりした巨躯がどこにも見当たらない。

 消えた、ということは、転移されたとしか考えられない。

「ど、どうしよう、桃川……キナコは大丈夫なのかよ!」

「落ち着いて、葉山君。小鳥遊がキナコも連れ去ったってことは、何かに利用するつもりなんだ。すぐに殺されるようなことはないよ」

「利用って、キナコをどうするつもりなんだよ……」

「それは……分からないけど、大丈夫だ。天道君も戻って来たし、小鳥遊の力も制限されている。必ず、キナコは助け出せる。だから、気をしっかり持って」

「お、おう……そうか、そうだよな……俺が、キナコを助けてやらねぇといけねぇから」

「ワンワン、クゥーン」

 ひとまず、葉山君は落ち着いてくれた。ベニヲが駆け寄り、その場に座り込んだ彼にスンスンと心配そうに鼻先を擦りつける。

 とりあえず、今はそっとしておこう。

 さて、差し当たってすぐに対応というか、話をつけなければならない人物は一人しかいない。

「おかえり、天道君。よく戻って来てくれたね。小鳥遊が覚醒したせいで、マジで危ないところだったんだ、助かったよ」

「ふん、ご挨拶だな桃川。俺の帰還を労ってくれんなら、偽物じゃなくて本人が出て来るべきじゃあねぇのか?」

「おっと、これは失礼」

 もう小鳥遊は逃げ去ってしまったので、これ以上、僕の本体が潜伏している必要はない。

 よっこいしょ、と起き上がりつつ、隠し扉を作動させる。

 音もなくパコっと開いたのは、玉座の間の天井の一角だ。人が一人通れるサイズ、発光パネル一枚分くらいで開き、僕はそこから黒髪縛りのロープを垂らして、スルスルっと降りて来る。

「そんなところに潜んでやがったのか、ネズミ小僧め」

「本職の夏川さんに比べれば、僕なんてまだまだだよ」

 それでも、小鳥遊は見つけられなかったようだけど。

 索敵能力、感知能力はそれほどでもない、と分かったのは一つの収穫である。不意打ち、騙し打ち、は有効ってことだ。

 ともかく、出ずっぱりだった分身の方は下がらせて、天道君が求める通りに礼儀正しく、本物の方の僕が相対する。

「小鳥遊に飛ばされてから、戻って来るまでの苦労話を詳しく聞きたいところだけれど————僕らの味方になってくれる、って思っていいんだよね?」

「そいつは、お前次第だな」

「というと?」

「悠斗を、殺すつもりか?」

 黄金にギラつく瞳が、どこまでも鋭く僕を射抜く。

 凄い迫力だ。流石は最強の不良。その尋常ではない覇気は、思わずメイちゃんが警戒して動き出すくらい————ああ、大丈夫、そのまま待機でいいよ。

 そうハンドサインを出しつつ、僕は答えた。

「はぁ、僕が蒼真君を説得するのに、どれだけ苦労したと思っているんだい————全く、手のかかる困った勇者様だよ」

「そうか」

 と、天道君は納得してくれたようだ。話が早くて助かるよ。君の幼馴染と違ってねぇ?

「悪ぃな、随分とアイツは、迷惑をかけたようだ」

「天道君がそんなこと言ったら、蒼真君の立つ瀬はないよ」

「俺がいた時よりも、人数が減ってる。悠斗は、取り返しのつかない過ちを犯した。違うか?」

 これだけ減ってれば、気づきもするか。

 学園塔の頃から比べて、増えた人数なんて葉山君一人だけだ。その一人だって、奇跡的な出会いなのに。

「下川君は同じように追放。中井君と野々宮さんは、戦いで死んだ。山田君、上田君、芳崎さんは、ついさっき小鳥遊に飛ばされちゃったよ」

「そうか……アイツの言う通り、戻るのが遅れちまったな」

「こうして天道君も帰って来たんだ。転移で飛ばされただけなら、みんな無事でいてくれるよ」

「だといいがな」

 今のところは、そう無事を祈るより他はない。

 だから、みんなが安心して帰って来られるように、まずは僕らの方がケリをつけなくては。

「小鳥遊がどこに逃げたか分かる?」

「間違いなく、ここの最下層だな。他に行き場はねぇ」

「タワーの中がどうなってるか把握できるの?」

「管轄外だ。中までは分からんが、封鎖状態にあるのは確かだ。これ以上、奴が逃げ出す心配はせずに済むぜ」

「なるほど、それじゃあ今まで通りダンジョンを攻略して、奥にいるボスを倒せばいいわけだ」

 分かりやすくていい。ここが最後のエリアだ、気合を入れて挑ませてもらおう。

「もっと詳しく話し合いたいところだけど……天道君、先に行ってあげなよ」

「いらん気を回すな」

「君のためじゃない、委員長のためだよ」

 ふぅ、と苦笑交じりの溜息をついてから、天道君は歩き始めた。

「……龍一」

「涼子」

 委員長と天道君が、名前を呼び合い見つめ合う。

 ああ、感動の再会。

「このっ、バカァ! どこ行ってたのよぉ!」

 ッパーン! と委員長のビンタが、天道君に炸裂した。

「痛ってぇな。久しぶりに会って、この仕打ちはねぇだろ」

「うるさいバカ! 戻って来るのが、遅いのよぉ……わ、私が、どんな気持ちで……勝手に、いなくなってぇ……」

 理不尽暴力ヒロインみたいな真似をする委員長であったが、やっぱり、あんなにボロボロと涙をこぼされて、バカバカ言いながら胸に飛び込んで来たら、黙って受け止めるしかないよね。

 だから天道君、そんなに面倒そうな顔してないでさぁ。もうちょっと気の利いた慰めの言葉でもかけてあげたらどうなんだい。

 まぁ、僕が口を挟むことではないけれど。しばらく、二人だけの世界に浸ってどうぞ。

 そんなワケで、天道君からの気になる事情聴取の情報収集は後回しにするとして、タワー攻略の準備でも始めようかと思った矢先のことである。

 僕は、気づいてしまった。

「……むぅ、あのメガネぇ、ご主人様にド無礼をかましてくれやがって」

 見慣れぬ人影がある。

 いや、見慣れぬ、というか、見慣れたというか、見たことがないとおかしい存在だ。

 けれど、初めて見るその姿に、僕の頭は一瞬、理解を拒む。

「おや、どうしました、オリジナル。そんなに見つめて。珍しい顔でもないでしょう?」

 と、野良猫のように生意気なジト目で見つめ返して、ソイツはそんなことを言った。

 なにこれ、ちょっと意味が分かんない。

 目の前に鏡なんてないはずなのに————僕が、僕を見つめていた。メイド服を着て。

「天道くーん! どういうことだよコレぇ!?」

第332話 王の疑惑

「天道くーん! どういうことだよコレぇ!?」

 なんで僕の分身が。それも、メイド服なんぞを着こなしているんだ

 女装しているくせに、なんで顔はスッピンなんだよ。自分の素顔そのままで、気持ち悪いといったらない。

 だと言うのに、この分身メイドは自分が絶世の美少女であると心から信じているかのように、自信満々の顔をしている。

 な、なんてぇ生意気なムカつく面をしていやがる……こんな奴に煽られたら、キレ散らかすに決まってる。

「……おい、桃子。お前は出てくるなって言っただろが」

「桃子ぉ!?」

 なに勝手に女性名なんてつけてんの!

 コイツはどっからどう見ても僕の分身だろう。いつかの小鳥遊のように『双影ふたつかげ』の制御を奪って隠し持っていたかのようだが、流石にあれ以来、分身の管理は徹底している。万が一にも、天道君が僕の分身を持っているようなことはないはずなのだが。

「言われましたけど、了承したとは言ってません」

「テメェ……」

「侍女とは常に、主の傍に侍るもの。これは命令ではなく、在り方。存在の証明なのでございます————というワケで、桃子はご主人様のお傍は離れませーん!」

 などと意味不明な供述をしながら、ハッピーな笑顔で天道君へと駆け寄っては、その腕に抱き着く。

「ぐわぁあああああっ! や、やめろぉおおおお……僕の姿で、そんなことするんじゃあないぃ!!」

 いまだかつてない精神ダメージが僕を襲う!

 問答無用で繰り広げられるイチャイチャ劇を前に、僕の心とアイデンティティは踏みにじられる。

 当たり前だろ。男相手に喜んで媚を売る自分の姿を見て、正気を保てる野郎がホモ以外にどれだけいるってんだよぉ!

「離れろ、桃子。くっつくな、ウゼぇ」

「なりません、ご主人様と桃子の関係を、しかと見せつけるのです! 特に、このメガネに!」

「……龍一」

 謂れのない精神攻撃に苦悶する僕を差し置いて、天道君にくっつくメイドが、委員長へこれみよがしにガンを飛ばしている。

 悪夢のような光景だが、きっと僕よりも多大な精神ダメージを受けているだろう人物が、そこにいた。

 ねぇ委員長、感動の再会を果たした思い人が、同級生の男子とイチャつく姿を見るのって、どんな気持ち?

「この桃川はなんなのよ」

 委員長、すでにして僕への君付け廃止である。

 氷点下の声音。『氷魔術師』は伊達じゃない。

「いや、コイツは、だな……」

 流石の天道君も、実に気まずそうに視線を逸らした。

 本職のヤクザ相手でも野生のサラマンダーでも、平気で真っ正面からメンチ切れるあの天道君が、目を逸らしているのだ。その胸中が如何ほどのものか、お察しであろう。

 あんなにカッコよくクラスのピンチに戻って来たのに、今や覇気とカリスマに溢れる威風堂々とした姿はそこにはない。

「桃子ってなんなのよ」

「勝手に出て来たっていうか……名前は適当に……」

「栄えある最初の名づけにして、深ぁい愛情の込められた名前、それが『桃子』なのです」

「テメぇはちょっと黙ってろ」

「ふがふが」

「愛情、ね……確かに、随分と仲は良さそうね。アンタのそんな顔、初めて見た」

 僕も天道君が、明らかに「うわ、マジどうすんだよコレ……」とでも言いたげな困惑に諦めがブレンドされた顔は、初めて見たよ。彼にこんな表情させるなんて、大したものですよ。

「おい涼子、変な誤解するんじゃねぇ。コイツはただの召喚魔法だ」

「ふぅん、召喚魔法で呼ぶくらい、桃川のことが恋しかったんだ?」

「そんなワケねーだろ。なんか知らんが桃川の姿で出てきたんだから、しょうがねぇだろ」

「無意識で桃川メイドを求めてたってコトぉ!?」

 その怒声にビクっとなってしまったのは、仕方のないことだろう。

 委員長はこれまで、聞き分けのない蒼真君や桜ちゃんに対して、学級会でキレることは何度かあったけれど、こんなに声が裏返った奇声で叫ぶことは一度もなかった。

 眼鏡の奥にある切れ長の目には、いつもの理知的な光は宿っていない。ただ、暗い影だけが瞳を曇らせていた。

「お、落ち着けよ涼子……なにバカなこと言ってんだ、ワケわかんねぇぞ」

「ワケ分かんないのは私の方よ! なによ龍一、勝手にどっか行ってる間、アンタはメイドの恰好させた桃川とイチャついてたってワケ!? 私のいないとこで、なに性癖歪ませてんのよアンタはぁ!!」

「最悪の言いがかりつけんなよ。コイツが好き勝手言ってるだけで、俺はなんとも思っちゃいねぇ」

「嘘」

「はぁ?」

「嘘よ……だって龍一、この桃川メイドを本気で嫌がってない」

 というか委員長さぁ、まず桃川メイドって呼ぶのやめない?

 それだと、僕本人がメイドやってるみたいじゃない。

「いや、コイツうるせぇから、俺も困ってんだが……」

「本当にそう思ってるなら、アンタはとっくに消してるわ」

「ウザいけど、便利だししょうがねぇんだって」

「認めなさいよ。アンタの目を見れば分かるわ……桃川メイドに向ける目は、悠斗君や私に向けるのと同じ、自分が認めた者に対するものなんだから」

 だから、桃川メイドって呼ばないで。

 僕は天道君からそんな信頼されるような間柄になってないからね。

「それは……まぁ、コイツの世話になってるからな。認めている部分は、あるっちゃある」

「そう。やっぱり、一人で飛ばされた先で、アンタの支えになったのは……桃川メイドなのね」

 呼び方ぁ! 僕は天道君の心の支えになった覚えはないから! メイド服着て甲斐甲斐しく世話なんて焼いてないっての!

「いやそこまでは————」

「いいの、龍一。もう、いいわ」

 ええっ、委員長、一体なにがいいんだよ。いいことなんて、今の話の流れで何一つなかったじゃないか。

 っていうか、委員長さ、何で僕の方を向いてんの?

「桃川君」

「あっ、はい」

「貴方を殺して、私も死ぬわ」

 スーっと涙を流しながら、委員長はそんな実に病んでることを言い放った。

 その手に握る、明らかに正統進化を果たしただろう氷属性の杖に、凍てつく魔力を纏わせて。

「おいバカ、よせ涼子! 正気を失ってんじゃあねぇ!」

「さっ、流石にソレはまずいよ涼子ちゃん!? ダメだってぇ!」

「う、うわぁ、メイちゃん助けてぇ……」

 委員長の凶行を前に、助けを求めちゃうのは仕方のないことだと思う。

 今まで幾度となくクラスメイトと死闘を繰り広げてきた僕だけれど、こんな殺意の向けられ方は初めてだ。痴情のもつれ、しかも全く自分に落ち度のない因縁の付けられ方とくれば、これどんな気持ちで対応すればいいんだよ。

「こ、小太郎くん……」

 僕のピンチとあって、メイちゃんもすぐに駆け付けて盾を構えてくれるけど、流石にこの拗れた状況に、困惑の表情が浮かぶ。

「なにが桃子よぉ! そんなに男の娘メイドがいいって言うのぉ!!」

「いいわけねぇだろ! 勝手に人の性癖を捻じ曲げるんじゃねぇ!」

「そうだよ涼子ちゃん、これは何かの間違いだから!」

「龍一ぃー、いくら不良でも、犯しちゃいけない過ちはあるでしょうがっ!」

「何もしてねーっての」

「大丈夫、天道君はノーマル。まだノーマルだから!」

 頼れるメイちゃんの大きな背中に隠れながら、発狂する委員長を食い止める天道君と夏川さんの奮戦を眺める。

 なんとか氷魔法を乱射するのは止めているようだが、委員長の気はまだ収まる気配はない。

「こんな気持ちになるのならっ、男に生まれれば良かったわ!!」

「バカなこと言ってんじゃねぇ、いい加減にしろって」

「涼子ちゃん、今ならまだ、天道君をマトモに戻せるはずだから! 一緒に頑張ろう、ね?」

「おい夏川、俺がおかしい前提で話すんじゃねぇ」

 まだまだ修羅場真っ盛りで、僕が出る幕ではない。というより、僕は絶対に突っ込んじゃあ行けない。

 説得はこのまま、あの二人に任せるしかない。一緒に止めるフリをして、夏川さんが天道君の背中を殴ってるような印象もあるけど、正気を失った委員長を相手には、あまり論理的な言葉は意味を持たないだろう。なんでもいいから、声をかけ続けることが大事なのだ。

「ねぇ、小太郎くん」

「なに、メイちゃん」

「メイド服も似合ってて、凄く可愛いと思うよ」

 そのフォロー、今いる?




 どれだけの時間が経っただろうか。ようやく、玉座の間に響き渡る喧騒は収まった。

「……ごめんなさい。少し、取り乱してしまったわ」

 少しぃ?

 誰もが言いたくなるが、誰も言うことはないだろう。あの狂乱ぶりの再現を、一体誰が望もうか。

「委員長、無理しないで、少し休んでた方がいいんじゃないかな」

「桃川君……」

 理性の輝きが戻った目で、僕の方へ向いた委員長だけど、その瞳がどんどん曇っていくように見えるのは、気のせいってことにならないかな。

「どうして、こんなことに……何が悪かったの……メイド服なんて私だって着れるのに……男子じゃないと意味がないっていうの……」

「ダメだよ、涼子ちゃん! しっかりしてぇ!」

「ハッ!? 美波……私は……」

「やっぱり、委員長は休んだ方がいいみたいだね」

「そうね……まだ心の整理がつかない、みたいで……」

 どうやったら意中の男が女装男子にとられた気持ちの整理なんてつくのかは分からないけれど、とりあえず一時的にでも時間が必要なことは間違いないだろう。

 委員長、蒼真君が信じたように、僕も君を信じているよ。頼むから、マジで早く正気に戻ってよね……

 心から祈りながら、玉座の間の隅へと、夏川さんが寄り添いながら嗚咽交じりに歩いて行く委員長の背中を見送った。

「天道君」

「……俺は悪くねぇ」

 自分は悪くない、と心から思っている人は、そんな痛ましい表情はしないと思うけど。

 変わり果てた委員長の姿を、天道君は疲れ切った表情でぼんやりと眺めていた。

「おい天道、小太郎は渡さねぇかんな」

「本物の小太郎くんに手を出したらダメだからね」

 一体何の心配をしているのか、天道君に接する僕の両サイドには、ボディガードのように杏子とメイちゃんががっちりと寄り添っている。

 本来なら二人に挟まれて夢心地のはずなのだが、全く気分は上がらない。

 天道君にも僕にも、その気なんて全くないのだと、お願いだから信じて欲しい。

「ともかく、僕らが話し合うだけの猶予はある、と思っていいのかな」

「ああ、小鳥遊の力は制限されてるからな。何をするにしても、時間はかかるはずだ」

 ひとまずは、天道君の言うことを信じよう。どの道、今すぐ動くのは難しい状況だ。

 天道君が戻って来てくれたお陰で、何とか小鳥遊の陰謀を一時的には阻止することに成功した。完全に追い詰められていたところで、奇跡の大逆転である。

 しかしながら、決して安心できる状況でもない。

 山田、上田、芳崎さん、三人もの仲間が奴のせいで飛ばされてしまった。剣崎は黒幕と知りつつ小鳥遊についたし、蒼真君はドサクサ紛れに連れ去られてしまっている。

 この場に残ったクラスメイトは、僕、メイちゃん、杏子、葉山君、姫野、中嶋。委員長、桜ちゃん、夏川さん。そして、天道君。

「たったの10人……これが、最後に残った面子か」

 最後の学級会で、詰めを誤った。ああしていれば、こうしていれば、こんな事にはならなかったのでは————後悔は幾らでも湧いて来るが、今は現実と向き合う方が先だ。

 懺悔は後でしよう。山田、上田、芳崎さんの三人には、いつか必ず再会し、その時に僕の策が甘かったと謝罪するのだ。だから、必ず生き残っていてくれ。

「さて、聞きたいことは山ほどあるけど、まずは休憩しようか」

「ふん、いいのかよ、そんなノンビリして」

「委員長がアレだし」

「……頭を冷やす、時間は必要だよな」

「それに、僕らだって王国攻略で疲れてるんだ。小鳥遊の罠なんかなくたって、タワー攻略をできる気がしないよ」

「お前らがやけにボロボロなのは、そのせいか」

「ヤマタノオロチに匹敵する激戦だったんだから」

「ご苦労なことだな」

 体力的にも精神的にも、もう今日は戦うなんてとてもできるコンディションではない。野生のモンスターが襲来するか、小鳥遊がちょっかいでもかけて来ない限り、誰も戦わない。戦いたくない。

「それじゃあ早速、行こうか」

「どこにだよ」

「天道君、こんな汚らしいゴーマの根城じゃあ、心も体も休まらないじゃあないか。安全に休める場所に決まっているでしょ」

 すでにゴーマ王国は滅び去った。綺麗さっぱり地の底に落ちてお掃除完了である。

 これから小鳥遊が潜むタワー攻略をするにあたっても、別にこの正面入り口にあたる玉座の間に陣取る必要はないだろう。

 ゴーマが消え去った以上、僕らがここへ来るのを邪魔する者は、もう何もないのだから。

「それじゃあ、メイちゃん。隠し砦までの案内をよろしく頼むよ」

「うん。あそこはまだ食料も沢山あるし、美味しいものいっぱい作ってあげる!」

「ああ、メイちゃんの料理、久しぶりだから楽しみだよ」

 小鳥遊が選んだ隠し砦だ。夏川さんの話を聞いても、僕らの地下拠点よりも遥かに充実した設備と環境が整っていることは明らか。

 元より、学級会で交渉成立した際には、この隠し砦は存分に利用させてもらおうと思っていたのだ。

 すっかり予定は狂ってしまったが、使えるものは、何でも使い倒してやろうじゃあないか。

第333話 古代都市アルビオン

「ここがあの女の拠点ホームか」

 セントラルタワーのエントランス前である玉座の間から、僕らはゾロゾロと隠し砦へとやって来た。

 やはり塔で取得した地下通路のマップには記載されていない、秘密の通路によって繋がっている。完全に機能が生きているのか、地上から砦にまで繋がる巨大なトンネル状の通路は、煌々と白い光が灯って明るく、薄汚れた様子もなかった。

 通路の先にある固く閉ざされた門は、僕らがやって来るなり自動的に開かれ、中へと導いてくれた。

 ここは小鳥遊が管理していた場所だが、今はその力は及んでいない。まだ操作できるんだったら、門はロックされただろうし。

「天道君、どう?」

「軍の施設だからな。俺の権限の方が優先される」

「ジェネラルコードってのが、軍事関係の権限ってこと。小鳥遊のはシンクレアコードって言ってたから、そっちは民間、というか行政用って感じ?」

「相変わらず、耳敏い野郎だな」

「この辺も後で詳しく説明してよね」

「面倒くせぇ……アクセス権はくれてやるから、自分で調べろ」

「その方がはかどりそうだし、お願いね」

「桃川君、龍一と距離が近い……やっぱり……」

「離れたから! もう離れたから大丈夫だよ、涼子ちゃん、ねっ?」

 いまだに情緒不安定な委員長のことは極力、気にしないことにして……ともかく、今はこの隠し砦に、小鳥遊がちょっかいをかけられない状態にはなっているそうだ。

 そして天道君のジェネラルコードという軍事権があれば、砦の設備・機能も問題なく使えるだろう。ここを使い倒す準備は整った。

「おお、この感じ、正しく秘密基地」

 小奇麗な白い内装だが、飾り気はなく質実剛健な作りは、実に軍事施設らしい。電線でも通っているのか、謎のパイプが天井や壁に走っているのもいいね。SFモノの宇宙船内とか、ポストアポカリプスのシェルターとか、オープンワールド洋ゲーで見た感じでワクワクしてくるよ。

 通路同様、内部は綺麗なものだ。だがそれとなく生活感を感じさせるのは、今朝方まで蒼真パーティが実際に暮らしていたからこそだろう。

「この先が食堂で、階段はあっち。トイレはそこの角を曲がってすぐだよ」

 メイちゃんが先導し、勝手知ったる砦内を案内してくれた。

 ひとまずは、全員を収容できる広い食堂に集まることにする。とはいえ、たったの10人である。大人数の軍隊が駐留するだろう軍事基地では、食堂のような大人数が集まる広間だと、あまりにも広々とし過ぎて閑散とした寂しい印象を覚える。

「それじゃあ、私は厨房でみんなの食事を用意してくるよ」

「えっ、今すぐじゃなくていいよ。激戦の後で疲れてるでしょ。適当に残り物でも食べるから、無理しなくても」

「全然、大丈夫だよ。それに私は、最後にザガンと戦っただけだから」

 禁じ手である『ベルセルクX』を服用し、一人でザガンの相手をしていたのを、『だけ』とは言わない。僕らは朝っぱらから戦い通しではあったけれど、メイちゃんはそれに匹敵する疲労を十分に負っている。

 けれど、輝かしいほどにこやかに笑う彼女を、これ以上、止める気にもならなかった。

「それじゃあ、お願いするよ。僕の分身とレムは手伝うから。あと姫野さん」

「えっ」

「言われなくても、手伝うに決まってるよね」

「わ、私もほら、慣れない戦いが一日中だったから、凄く疲れが……」

「ええっ、まさかメイちゃんだけに働かせるの? マジで? 友達なのにぃ?」

「あんまり大したことはできないけど、私も手伝うよ、双葉ちゃん」

「うん、姫ちゃんありがとう」

 結局、手伝うんだったら最初から快く引き受ければ印象良くできるのに。無駄な抵抗は、無駄どころか機会損失でマイナスになるということを、いい加減に姫野は学ぶべきだと思うな。

 そういうワケで、まだまだ豊富な食材が残されているという厨房へ、臨時の給食係を結成して向かうことになるのだが、

「ふふん、お待ちください」

「げっ」

 メイド服のロングスカートを翻し、天道君の『侍女』桃子が現れた。

 僕の精神衛生上、コイツの姿は非常によろしくないので、正直、あんまり視界に入らないで欲しいんだが。

「貴女がクラス随一の料理人と名高い、双葉芽衣子ですね。その腕前がどれほどのものか、この桃子が見極めてくれましょう!」

「わぁ、桃子ちゃんも手伝ってくれるの? ありがとう!」

「あっ、こら、勝手に撫でるなです!」

 早くも桃子の存在を受け入れたメイちゃんが、生意気な言い草で手伝いを申し出るメイドを、撫でまわしていた。その手付き、葉山君がベニヲをよしよしとするが如し。

 しかし、僕があからさまに邪見に扱うのも良くない。『侍女』という名で召喚した使い魔ならば、それ相応の家事能力はあるのだろうし。貴重な労働力と捉えるべき。

「改めて見ると、本当にソックリだわ」

「言わないでよ、姫野さん」

「ねぇ、この桃子ってさ……ついてんの?」

「……ついてない、らしいよ」

 いやぁ、委員長が桃子のロングスカートに顔を突っ込んで確認し始めたシーンは、マジで狂気的だったよね。

 その結果、桃子の体は女であるらしいことが判明し、委員長は男子に負けたという最悪の判定は覆ったので、正気を取り戻すキッカケになったのは幸いだ。

 もっとも、奇声を上げてスカートに顔を突っ込む姿を見てしまうと、正気を取り戻しても完全に手遅れ感あるけれど……いや、これは触れないで置いた方が世のため人のため、僕のためであろう。




「————なるほど。そうして、リベルタに乗って最下層まですっ飛んで来たと」

 久しぶりにメイちゃんの絶品手料理に舌鼓を打った後、今日のところは就寝となった。みんな疲れているので、とりあえず早いところ眠ってもらうことに。

 けれど、僕は先に天道君からしっかりと事情聴取と情報収集をしなければならないので、食堂に残り、じっくりと話し合うことにした。

 僕の傍らには幼女レムが控え、天道君には桃子が控えている。

 そして隔離区域にて封印され続けていた黒い飛竜ことリベルタは、テーブルの上に乗って、皿に盛られた干し肉をガシガシと齧りながら、口を開いた。

「中心市街は広いから、飛びやすくて良い。だが、妾は早く本物の空を飛びたいぞ」

「悪ぃが、小鳥遊とケリがつくまでは、外に出るわけにはいかねぇ。もう少しだけ、付き合ってくれ」

「主様が言うなら、仕方がないのう」

 とか言いながら、天道君に撫でられるリベルタは、モンスターの王者ドラゴンというよりただの可愛いペットである。

 リベルタは体のサイズを自在に変化させることができるようだ。

 エントランスに飛び込んできた時は、野生のサラマンダーを凌駕するほど立派な体躯の持ち主であった。

 しかし、今はテーブルの上に乗っかるような子犬サイズである。

 リベルタは通常状態がデカいドラゴンの姿なので、こっちは力を抑えた形態といったところ。霊獣化、とは逆の効果を持つ変身スキル、みたいなものか。いや、レムの変身に近いのか。

 だとすれば、やはりこのドラゴン、いつか人間の姿となる人化の術を体得する可能性は非常に高い。そうなったら、絶対にロリババアになるだろ。この声と口調でそうならなかったら、詐欺もいいところだよね。

「よく戻って来れたね。というか、戻る気になったね」

「悠斗や涼子を放って、呑気に放浪の旅をしていられるほど図太くはねぇ。なにより、小鳥遊にまんまとやられた借りは、返しとかねぇと」

 仲間が心配で、恨みのある敵を倒しに来た、と。なんだかんだで、天道君の行動は常識的なんだよね。そうじゃなければ、あの蒼真君と親友にはなっていない。

 まったく、こんなにできた親友がいるというのに、あの頑固さと視野狭窄ぶりは何とかならかったのかと。やはり女が悪いのか。

 ともかく、天道君が戻って来てくれて本当に助かった。

 飛竜であるリベルタに乗れば、外の大森林に放り出されても移動で困ることはない。どこか人里を探して飛んで行けば、それだけでこのクソみたいなダンジョンからの脱出は完了となる。

 けれど、天道君は再びダンジョンに潜って、最下層まで来てくれたのだ。

 今の彼は、小鳥遊並みにダンジョン情報に詳しいとはいえ、野生のモンスターも多数生息しているダンジョンを僅か数日で駆け抜けてきたのは驚異的な攻略速度だ。次やる時は、是非ともRTA動画を撮影しておいて欲しい。

「それにしても、古代の覇権国家エメローディアに、魔神の力が暴走して滅びた大都市アルビオン、か」

 リベルタの言を信じるならば、エメローディアはあのクソ女神エルシオンを信仰する強力な一神教の国家だという。もうこの時点でギルティ確定だ。悪の文明、滅びよ。

「リベルタは闇の魔神、とやらの力を利用して試作された古代兵器の一種らしいけれど————天職か眷属って、授かってんの?」

「自分では分からぬな。少なくとも、神とやらの声を聞いたことも、感じたことも一度たりとて無い」

「能力はドラゴンとして組み込まれているってことか。でも言葉は喋るし……もしかして、元は人間だった、とかじゃないよね?」

「妾は生まれた時より竜の姿をしておる。だが、どのようにして妾を作ったかまでは知らんな。所詮は作り物の竜よ。人間の一人や二人、混じっておってもおかしくはなかろう」

「やっぱクソ女神の国だ。人体実験上等かよ」

 リベルタの言い草から察するに、単なる想像というより、人間を材料に何かするのは珍しくもなんともない、という感じである。

「ねぇ、このアルビオンが滅びる原因になった魔神の力の暴走ってさ、黒い鎧兜の姿した奴じゃない?」

「ほう、アレに見えて生き残っておるとは、流石は主様の盟友といったところか」

 やっぱりアイツか。あの魔王みたいな鎧兜を纏った、地下通路を彷徨い歩く狂戦士。

 ただのリビングアーマーじゃないと思っていたけれど、想像以上に危険な存在らしい。

「決してアレに挑んではならぬぞ。勝てる、勝てない、の問題ではない。次に暴走すれば、どのような災厄が起こるか分かったものではない」

「大丈夫、そうならないように監視してるから。レム、今どの辺にいるの?」

「南のほう……やく、12キロ地点……歩いている」

「だってさ。この辺の近くにはいないみたいだよ。良かったね」

「正体を知らずとも、使い魔を飛ばして見張らせておるのか。なんと、抜け目のない女よ」

「いや男だから。メイドと一緒にしないでよ、くれぐれも」

「見た目が同じならば、大した違いはなかろう?」

「違うよ。全然違うよ」

 天道君、ちゃんとこのドラゴンにオスメスの違いの重要性を教え込んでおいてよね。飼い主の役目でしょ。

「おい、昔の話なんざ、どうだっていいだろ。そんなに歴史が気になるなら、小鳥遊をぶっ殺した後に、ゆっくり考古学の研究でもしてくれ」

「確かにね。大事なのは、あのアルビオン中央政庁セントラルタワーに、どれだけの力があって、どこまで小鳥遊が使えるのかってことだ」

 敵を知り、己を知るのは基礎中の基礎。

 特にクソ女神の忖度を受けた『賢者』のチートスキルの数々に、未知の部分が多い古代遺跡の能力まで加わっている。小鳥遊の現有戦力を把握することは、これからタワー攻略に挑むにあたって最も重要な情報である。

「タワーは軍事施設じゃねぇ。防衛用の設備は何もないが……多少の警備は残ってるはずだ」

「それって、古代兵器のロボットみたいな?」

「いや、モンスターだ。リベルタみてぇなドラゴンもいるだろうよ」

 なるほど、リベルタだけが特別に作られたというより、生体兵器としてのモンスターが通常兵力として採用されていたということか。

 今まで戦ってきたモンスターの中にも、そういう奴らが混じっていたのかもしれない。あるいは、ボスモンスターは全て生体兵器だった、と考えるべきか。

「やっぱりボスラッシュあるのか……」

「無限に湧くんじゃねぇんだ、大丈夫だろ」

「召喚されたりはしない?」

「転移は全て止めてきた。タワーの外からは何も呼べねぇはずだ」

 なるほど、小鳥遊の逃亡阻止のためだと思っていたけれど、召喚による増援も防いでいたのか。正に一石二鳥の策。やるじゃん。

「解除されたりはしないの?」

「奴が持つ権限だけじゃ無理……ってことらしいが、どういう理屈かまでは、詳しく知らん」

「ご主人様が基地司令代理、小鳥遊は臨時総督、という役職と権限を有しております。アルビオンは現在でも、崩壊当時に発令された戒厳令が敷かれた戦時状態であるとタワーの管理システムに認識されているので、基本的には総督よりも基地司令の軍事権が優先される状態です」

 と、桃子がアバウトなご主人様の補足説明をしてくれた。

 ありがたいけれど、そのデキる秘書です、みたいな澄まし顔は腹立つからやめろ。

「戒厳令だから、移動しないよう転移禁止ができると」

「はい。ですので、これまで皆さんがご利用されてきたエリア間の転移魔法、正式名称『ポータル』の使用も不可能となっております」

「でも禁止した後に、小鳥遊は転移してたよね?」

「政府関係者は避難のために、一部の転移利用が許可されておりますので」

 救難要請の緊急避難がどうとか言ってたけど、その通りってことか。

 そして天送門のあるタワーの最深部で、最後の陰謀を企てていると。

「タワーの機能も天道君の権限で全部止められないの?」

中央政庁セントラルタワーだけは軍の管轄下にありませんので、ポータルを止めて孤立させるまでしかできないでしょう」

 文字通りに、最後の砦というやつか。ラストダンジョン、とでも言った方が、僕らの場合は正しいか。

「……ねぇ、もう小鳥遊も蒼真君も放っておいて、みんなで逃げない?」

「こっから外に出るには、転移禁止を解除しなきゃなんねぇ。飛べるようになった瞬間、奴は自由に動き出すぞ。アイツが俺らが出ていくのを、黙って見逃すと思うか?」

「なるほど、やっぱり殺すしかないね」

 天道君の軍事権で転移魔法たるポータルをはじめとした、様々なダンジョンの機能を使用禁止にしているから、僕らは若干有利な立場に立てている。

 総督というアルビオンを支配する能力を手に入れた小鳥遊は、何もなければ完全無欠にダンジョンマスターだ。好きな時に、好きな場所に、好きなだけヤマタノオロチ級の大ボスをけしかけることだって可能になるかもしれないのだ。

「それに、何故かキナコも捕まってるし、見捨てるワケにはいかないし。蒼真君は自己責任ってことで」

「とてもじゃないが、悠斗を助けるために命を賭けてくれ、とは頼めねぇな。そこはアイツの自業自得だ」

 親友なのに突き放した冷たい物言い……とは、僕らは誰も思わないよ。最後の最後まで小鳥遊を庇って、奴の策謀を許した戦犯になっちゃったし。

 でも、僕らの協力なんかなくたって、天道君は一人でも迷わず蒼真君を助けに行くんだろうけれど。

「ところで、蒼真君って今どうなってると思う?」

「小鳥遊とよろしくやってんじゃあねぇのか」

「人を洗脳する装置とかあるの?」

「そんなもんなくたって、『賢者』の力があんだろ」

 やっぱりそうだよね。

 古代の邪悪な洗脳装置があろうがなかろうが、『賢者』スキルとして授かっていれば問題ない。『イデアコード』の上位互換というだけでも、蒼真君くらい思い込み激しい奴を一人、意のままに操ることなど造作もない。

「まだ『勇者』の力は十分に覚醒しきってない。だから、小鳥遊は生き残った僕らを何とか悲劇の生贄にして、覚醒イベントを起こしたいはず」

「そのための準備をしているだろうな」

「こっちにも準備がいる」

「のんびりしてていいのかよ?」

「小鳥遊の強みは、総督の権限が及ぶタワー内にいること。なら、奴の方からこっちに出てくることは絶対ない」

 手持ちの使い魔でもいれば、こっちに繰り出してちょっかいはかけられるだろうが……天道君がいる以上、生半可な戦力をぶつけるのは無意味だ。

 小鳥遊は警戒している。奴のビビり具合と浅はかさを考えれば、僕らがやって来ることを見越した上で、全戦力をタワー内に集結させて万全の迎撃態勢を整える引き籠り戦法一択だろう。

 この場合、時間は両者の味方になる。

 小鳥遊が準備を整える前にさっさと攻め込むか。それとも、こちらも万全の準備をして挑むか。

 どちらを選ぶかと言われれば————僕のこれまでのやり方でいけば、準備に時間をかける方を選ばせてもらうよ。備えあれば憂いなし、をここまで実感している高校生はなかなかいないだろう。

「その間に、悠斗が洗脳されるかもな」

「大丈夫だよ。そうなったら、桜ちゃんが愛の力とかそういうので、上手いこと解除してくれるでしょ」

 なにせ『聖女』様だからね。

 とはいえ、桜ちゃん一人に任せるわけにはいかない。

 小鳥遊は間違いなく、蒼真君と剣崎を僕らにけしかけてくるだろう。だから、その対策も含めて準備しておかないと。

「僕はそういう方針でいきたいけれど、天道君は協力してくれるかい?」

「ちっ、また人をこき使おうって魂胆かよ、桃川」

「人聞きが悪いなぁ。一致団結して、みんなで頑張るんだよ」

 これで天道君が「俺は付き合ってられねぇ。さっさと行かせてもらうぜ」となれば僕としても速攻案をとらざるをえないけれど、

「ふん、まぁいい。どうせこれが最後だ。お前が満足するまでやりゃあいいさ」

「ありがとう。君が協力してくれるなら、必ず蒼真君を助けて、小鳥遊を殺すことを約束するよ」

 交渉成立。握手を交わす。

 それじゃあ、気合を入れて、最後の攻略準備を始めようか。

第334話 最後の準備(1)

 ラスダンであるセントラルタワーを攻略し、黒幕でありラスボスとなる、自称天使、小鳥遊小鳥を殺す。キナコは助ける。蒼真君は出来れば助ける。

 小鳥遊に挑むにあたって注意しなければならないのは、賢者スキルと古代遺跡の機能のチート合わせ技である。けれど、それも天道君のお陰で幾分か封じることができている。

 一番厄介な転移を封じることができたのは大きい。遺跡の、つまりまだ生きているセントラルタワーの転移魔法装置『ポータル』の使用が不可能となっている。

 また、下川をはじめ、三人も飛ばしてくれやがった賢者スキル『天罰刑法4条・追放刑』というのも、今は使えなくなっているようだ。

 アレは純粋に自分自身が使う転移魔法などではなく、遺跡の機能を利用した上で扱えるモノであるらしい。同じく遺跡の力を使う権限を得た天道君の分析なので、信頼はできる。

 実際、小鳥遊は転移封じをされた後に、追放刑は使わなかった。一瞬でどんな相手も一発退場させられる能力を、天道君が戻って来るという不測の事態に瀕しても使わなかったのは、使えなかったと考えるには十分な状況証拠となる。

 あの時の奴に出来たのは、タワー最下層に避難するための緊急転移のみだった。

 というワケで、転移魔法よりも優先すべきなのは、全てを停止させる『神聖言語』である。

『神聖言語「天界法15条・調停者特権第1項」』、とかいう長ったらしい賢者スキルだが、こっちは自前で発動できる能力のようだ。

 あれの停止能力は自分で体験しているので、どれほどのものかは分かっている。天道君とリベルタでも、止められてしまうかもしれないほどの出力だ。

 現状コレに対抗できるのは、耐性があるらしいメイちゃん。それから、精霊である。

 メイちゃんは非力な小鳥遊を殺すには十分すぎるくらいには動けるが、何の制約もなく戦える剣崎を相手にするには厳しいくらいに動きは鈍らされている。万全に動けたならば、あの時にさっさと剣崎なぞ斬り捨てて、小鳥遊へ襲い掛かっていただろう。

 小鳥遊がいざという時のために、剣崎という護衛は絶対につけているだろうし、タワーで使えるモンスターで固めている可能性も高い。メイちゃん一人に任せるには、少しばかり荷が重い。

 なので、最も有効的と思われるのは、やはり精霊であろう。

 あの時は咄嗟のことだったから、葉山君を筆頭に、僕と杏子と委員長が何とか、という状態だった。けれど、分かっていれば他に精霊で攻撃できる手段を用意しておくこともできる。

 誰でも精霊攻撃ができるようにしておけば、小鳥遊を殺すチャンスは増える。

 しかし、奴はもう一つ強力な防備を手に入れている。

聖天結界オラクル・フィールド』。桜ちゃんと同じ、万能な光のバリア。

 あれは生半可な攻撃では破れない。精霊の攻撃が神聖言語を越えたとしても、このバリアで防がれるというクソ仕様である。

 こっちは純粋に火力を上げて突破、というのが最も手っ取り早い。万能ではあるが、無敵ではないからね。

 しかし、小鳥遊の『聖天結界オラクル・フィールド』は賢者スキルではなく、装備している天使の翼型の古代兵器によるものだ。桜ちゃんを越える防御力と、タワーから魔力が供給されて無制限に展開し続けられる、というチート性能を誇っていてもおかしくない。

 小鳥遊を殺すには、『神聖言語』と『聖天結界オラクル・フィールド』、この二つの防備を突破できる攻撃方法を用意しなければならないということだ。

「霊獣キナコでタコ殴りできれば良かったんだけどなぁ」

 何故か連れ去られてしまった上に、キナコも神聖言語で止められていたから、この手段は使えない。

 ないものねだりをしても仕方がないので、何か方法を考えよう。ただし、すぐに思いつくとは言っていない。

「やっぱり、まずは情報だな」

 というワケで、やってきました司令室。司令室だよね? それっぽい感じで石板が並んでいるし。

 メイちゃんの証言によると、小鳥遊は周辺の見張りを名目に、よく一人でここに閉じこもっていたという。ここで情報収集をしつつ、稚拙な陰謀を練っていたってことだ。

「じゃあ、天道君よろしく」

「ちっ、早速こき使いやがって」

 露骨に嫌な顔をする天道君に、僕はクリスマスプレゼントを受け取る子供のような純真な笑顔を向ける。

 彼がさっと手をかざすと、瞬時に石板が反応し、光り輝きながら起動を果たす。

「————制限は解除した。後はお前が好きに使え」

「ありがとう」

 心からのお礼を述べて、天道君に変わって僕が最も大きな正面の石板の前へと立つ。

 画面には相変わらず大半が読めない古代文字が躍っているが、それでも雰囲気的にデスクトップ画面みたいな状態になっているのは分かる。ここから各システムやデータにアクセスして、出来る限りの情報を搾り取る。

 正式に軍事権を持つ天道君がやってくれれば一番確実だけれど、致命的にこういう作業に向く性格ではない。

 なので、部外者である僕が好き勝手に弄れるよう制限だけを解除してもらったのだ。気分は安心フィルターを解除した中学生である。ネット上に転がるエロ動画を集めるが如き勢いで、この古代都市アルビオンの情報を得る。

 僕と小鳥遊の間で最も格差があるのが、古代についての知識である。少しでもそれを埋めて、不測の事態への備えとしたい。

「それじゃあ、よろしく頼むよ、リベルタちゃん」

「むぅ、主様がそなたに協力するのに、渋い顔をしておった理由が分かったのじゃ」

「いやぁ、天道君は本当に素晴らしい人材を連れて来てくれたよ。古代を生きた本人に、古代語を翻訳してもらるんだから」

 古代語解読スキルがない? じゃあ、古代語が読める奴に読んでもらえばいいじゃん。そこに、古代に作られた人間並みの知性を持つ生体兵器のドラゴンがおるじゃろ?

 そう、リベルタは古代語の読み書きができる。わざわざ知性を持たせているのだ。ならばそれ相応の知識も持ち合わせてくれてないと、意味がない。

 人間並みの知性といっても、人間の中には飛びぬけた馬鹿がそれなりの割合で存在するわけで。虎の子のドラゴン兵器がダーウィン賞を獲得するような死にざまを晒すようではお話にならない。

 なので、リベルタは文字の読み書きは当然として、当時の基礎的な教養は一通り習得している。勿論、魔法をはじめとした戦闘に関する知識もそれなり以上にある。もっとも、それらは教師が懇切丁寧に教え込んだワケではなく、魔法によって情報を脳内に刻み込まれたそうだけど。

 羨ましいね、僕も未知の知識をお手軽に脳みそに直接インストールできればいいんだけど。古代語解読スキルって、多分そういう原理じゃないかな。

 ともかく、リベルタがいれば古代語読み放題。この石板コンソールのシステムについても基礎知識がある。これで情報収集がはかどらなければ嘘だろう。

「レムはそっち、桃子はそっちの使ってね」

「はい、あるじ」

「全く、なんで桃子がこんなことしなきゃならないですかー」

「ご主人様の命令だからね。仕方ないね」

「オリジナルがご主人様をそそのかしたんじゃないですかっ!」

 と、僕が僕に口を尖らせて言う。まるで分身に反逆された気分だよ。

 いや、肉体的な性別が異なっている以上、この桃子のことは、生き別れの双子の妹とでも思うことにしよう。その方が僕の精神衛生的に良いからね。

 そんな風に桃子の存在を受け入れた僕は、早速、生き別れの妹ちゃんにもお仕事をしてもらうことにしたのだ。

「天道君が適任だと判断しただけのことでしょ。他人にそそのかされるような、ボケた精神しちゃあいないよ、彼は」

「ふふん、当然です。桃子のご主人様は孤高の王なのですから!」

 その孤高の王は、委員長のカウンセリングに頭を悩ませているけど。王様って大変だね。

 そんな天道君から借りてきた桃子は、僕と一緒にネットサーフィン、もとい古代都市アルビオンの情報収集をしてもらう。

 話を聞くに、桃子は天道君があんまり興味ないことでも、事細かに覚えていて、ドヤ顔で説明してくれるのだという。その度に勝手に僕のことを思い出すらしい。

 要するに、桃子は僕に似ているのだ。顔も似ていれば、性格の方も似ている。

 キャラや技名、固有名詞を正確に覚えるタイプ。マニュアルは熟読するタイプ。そんな感じ。

 なので、桃子の知性と性格ならば、僕と一緒に情報収集やらせるのに適任なのだ。

「それじゃあ、始めようか」

 こうして、情報収集担当の司令室缶詰チームは動き出した。




「————おおおっ、これは凄い! 宝の山じゃあないか!」

 司令室に缶詰している一方で、分身した僕は砦の武器庫へとやってきた。

 砦内でもさらに厳重に封鎖された、厚い扉の向こうへ踏み込んだ僕は、思わずそう叫んだ。

「う、ううっ……嫌ぁ……こんなの絶対、仕事の山ぁ……」

 ハクスラゲーで最上級装備がいっぱいドロップした時のような歓喜の声を上げる僕とは対照的に、非常にテンション下がる物言いをしているのは、モチベーション低いダメ社員筆頭、姫野である。

「これが小鳥遊の使ってたブラスターだな」

 見覚えのあるハンドガンタイプの銃を、立ち並ぶ棚の一角で発見する。シルバーメタリックのフレームには、青い輝きは灯っていない。

 試しに僕が握って構えて、ついでに魔力も流してみるけれど、反応はない。

「やっぱり経年劣化で壊れたか。いや、それとも生体認証とかでロックされてるのかな」

 小鳥遊がハンドガン一丁しか使わなかったのは、それしか使えなかったからか。それとも、デカいライフルタイプのは使う気にならなかったのか。

 ここに残された数々の武器が、そのまま使えるのなら良いけれど、それは高望みし過ぎかな。

「使い方は、後でリベルタちゃんに聞こう」

 彼女は兵器だから、当然、自軍が扱う武器に関する知識もインストールされているだろう。大忙しだな。

「よし、防具もちゃんとあるな」

 武器庫と併設されている倉庫には、戦闘服や鎧のような装甲が残されている。

 少々散らかっているのは、都市が崩壊した当時のまま……ではなく、小鳥遊が物色した後だろう。後片付けもできねーのかよ。

「ねぇ桃川君、これってそのまま完成品を使えばいいだけでしょ? 私がすることなくない?」

「小鳥遊はブラスターと夏川さんの『アサシンスーツ』以外は、『神鉄オリハルコン』とか特殊繊維とかの素材にバラして使ってるんだよね」

 蒼真君達には、表向きはそういう風に説明されている。自分の能力を隠すために、そうしたという可能性もあるけれど……アイツのことだから、そんな理由だけで、素材分解してまで装備強化をするなんていう手間のかかる真似はしないと思うんだよね。

「だから、分解しないと使い物にならないのがほとんど、なんだと思う」

「えっ、バラすの? これを?」

「素材にできそうなのは、全部バラそう」

 小鳥遊ならば、僕らが利用することを見越して、使えそうな部分を全て処分なり、取り尽くしておく、みたいな面倒くさいことも絶対にしない。奴は自分に必要な分しか使っていないはずだ。

 つまり、この武器庫にはまだまだ使える材料が沢山あるってこと。

「……私がやるの?」

「大丈夫、僕と杏子も手伝うから。一緒に頑張ろ?」

「い、いいぃい嫌ぁ……」

 とか泣き言を言いながら逃げようとしたので、武器庫のドアを閉じてロック。

 砦内の扉は大半が、司令室から一発開閉可能なのだ。

「出して! ここから私を出して! こんなブラックな職場、もういられないわっ!!」

「さぁて、まずは使えそうなモノの選別からだ。これは今日から徹夜かな」

 安心してよ姫野さん、ちゃんとメイちゃんから美味しい夜食は差し入れてもらうからさ。




 武器庫に姫野を監禁した分身一号だけど、もう一体の分身二号は砦内の居住区、というか兵士が寝泊まりするだろう兵舎区画を歩いていた。

 現在、僕が『双影』で十全に操作できる分身の数は二体。歩くだけ、喋るだけ、くらいならさらに二体は増やせる。監視などその場から動かず見ているだけの状態なら、さらにもう二体追加。

 なので、本体、分身一号、分身二号、と合わせて三体まではフルで活動できるのだ。僕が三人分になる!

 さて、そんなリアルで人の三倍働いている僕の、三人目である分身二号が向かった先は、

「うぅ、キナコ……大丈夫なのか……お腹空かせてないかな……」

「クゥーン……」

 絶賛、部屋の中で落ち込み中の葉山君である。

 すっかり意気消沈したご主人様に、ベニヲが寄り添って一緒に悲痛な感じになっている。彼もまた、相棒たるキナコがいなくなって寂しいのだろう。

 子猫のコユキですら空気を読んでいるかのように、葉山君の膝の上で丸まって大人しくしていた。

 けれど、落ち込んでばかりもいられない。タワーを攻略し、小鳥遊を倒し、キナコを救い出す。そのためには葉山君の力は絶対に必要だ。

 早いところ復活してもらわなければ。仲間のカウンセリングとメンタルケアも、大事なお仕事の一つである。

「やぁ、葉山君。まだあまり、気分は優れないようだね」

「うっ、桃川……すまねぇ……」

 引きこもり状態でメソメソしていたことに後ろめたさはあったのか。罰が悪そうに葉山君はそう言った。

「いいんだよ。今日のところはゆっくり休んでていいからさ」

「つってもよ、桃川、お前はもうバリバリ働いてるんだろ」

「好きでやってるところもあるから。ここは古代の軍事基地だし、ワクワクしながら探検してるとこ」

 青ざめた顔の姫野を連れて武器庫漁りするのたーのしーっ!

 何より、残った面子には変な遠慮をする必要がないので、気楽でもある。一番ストレス溜まるのは仕事内容じゃなくて人間関係って、それ一番言われてるから。

「なぁ、桃川……なんでキナコは連れていかれたと思う?」

 聞かれて当然の疑問が、ついに出ちゃったか。

 正直、これという予想はついている。葉山君にとっては残酷な想像になるので、言うべきか言わないべきか迷ったが……こういうのって絶対、黙ってる方が損に決まってんだよね。

 仲間に大事な秘密や推測を打ち明けなかった結果、いざその時になって大慌てになる展開、僕は何度見て来たと思っている。

「恐らく、キナコをボスモンスターにするつもりだよ」

「な、なんだって……?」

「小鳥遊は蒼真君を連れてった。自分が黒幕だと白状した上でね。それでも連れて行ったということは、彼を黙らせて、従わせるだけの用意があるってことだ」

「それがキナコと何の関係があるってんだよ」

「蒼真君を操れるなら、キナコだって操れる。そもそもダンジョンのボスモンスターは野生のモンスターじゃなくて、古代遺跡の機能で用意されているものだ。モンスターを操る能力が存在していることは間違いない」

 そして、小鳥遊はすでにヤマタノオロチというレイドボスの用意もしている。

 流石に呪文一発でポンと召喚できるほどではないようだけど、時間と手間をかければボスモンスターを意のままに作り出せるということだ。

 で、そのボスモンスターの作り方は、基本的には既存のモンスターを強化する方法だと思われる。古代の魔法技術でも、無から有を生み出すのは難しいだろうし。どう考えてもモンスター改造強化方式の方が手っ取り早い。

 登場するボスモンスターが、そのエリアで出没するモンスターの上位個体のような奴が多いのも、そういう理由なのではないかと僕は思っている。

「そ、そんな……キナコと戦えっていうのか!?」

「僕はキナコのことは、仲間だと思っている。葉山君は、キナコを助けたい?」

「当たり前だろ! アイツは、俺の一番の相棒なんだ!」

「なら、僕と一緒に準備をしよう。最悪の展開になっても、それに対応できるだけの準備をするんだ」

 葉山君なら、ボスモンスターと化して襲い掛かって来るキナコに対して、涙の叫びで説得すればなんやかんや解決しそうな気がするけど……二人の絆が奇跡を起こせばラッキーということで、奇跡がなくてもなんとかなるだけの対応策は用意しておこう。

「キナコを、助けられるんだな」

「小鳥遊がわざわざ連れて行ったんだ。何かしら利用するためなのは間違いない。キナコは絶対生きている」

 檻にでも閉じ込められているなら、そこから助ければそれでいい。

 ボスモンスター化してけしかけてくるなら、それを見越して対応すればいい。

「とりあえず、霊獣キナコが全力で襲い掛かって来ても、無力化して拘束できるような用意は必要だと思うんだよね。操られているのをどう解除するかってのは、捕まえてからでもいいし」

 これもよくある展開だけど、仲間が敵に操られて襲ってくるパターン。大体、仲間を傷つけることはできない、と戦うことそのものに躊躇したりするけれど……そもそも仲間が襲ってきても拘束する方法を準備しておかなかった、主人公サイドの怠慢もあると思うんだよね。

 仲間が敵に捕まってんなら、人質にされるか洗脳されて襲ってくるか、くらいのことは見越して対応策は準備しとこうよ。

「そうか、そうだよな……そんじゃあ、いつまでも落ち込んでられねぇな!」

「ふふ、やる気は出たみたいだね」

「当ったり前だろ! 俺が必ず、キナコを助けて————」


 バキバキバキ!


 と、何かが砕ける音が唐突に室内に響いた。

 拳を握りしめて敢然と起ちあがった葉山君が、台詞の途中で音の鳴った方向を見やる。勿論、僕もそちらへ視線を向ける。

 そこにあったのは、投げ捨てられたように部屋の隅に転がる、リュックサックだ。

 葉山君に与えた、毛皮で作った大容量リュックで、リポーションとか色々と入っている。しかし、突如としてバキバキ音が鳴るような物品は何も入れた覚えはないのだけれど。

「葉山君、リュックに何入れたの? あれ、中でなんか動いてるよ」

 バキリ、バキリ、と依然と音をたてながら、リュックの内側で何かが蠢いている。

「あっ、もしかして……」

「心当たりあるの?」

「産まれた、のかも」

「……産まれた?」

 何が、と聞けば。葉山君はやや視線を逸らしながら、答えた。

「サラマンダーの卵」

「一個無くなったと思ったら、お前だったのかぁ!」

第335話 最後の準備(2)

「葉山君、また勝手にこういうこと」

「いや、その……ごめん……」

 キナコが捕まって落ち込んでる葉山君を励ましに来たけれど、今は彼を正座させて問い詰めている僕がいる。

 でも仕方がない、本人が落ち込んでることと、やらかしたことを糾弾するのは、また別の問題だからね。

「……まさか、本当に産まれるとは」

「キューッ!」

 と、正座する葉山君の膝の上で元気な鳴き声を上げる、生後3分のサラマンダーの幼体。

 小型化したリベルタよりもさらに小さく、庭先に現れた小さなトカゲのようなサイズ感である。

 しかし、よくよく見れば頭には短い突起が角を形成し、前脚には翼膜がついて翼になっている。もっとも、翼も足も短いので、すぐに空を飛ぶことはないようだ。

 小さく丸っこい頭を振って、しきりにキョロキョロしているが、葉山君の膝の上から動く様子はない。

 案の定と言うべきか、葉山君がリュックから取り出し、最初に視認した彼のことを親だと刷り込まれているのだろう。

「もう、孵化させてみたいなら、言ってくれればちゃんと協力したのに」

「いやだって、お前が嬉々として卵食べようって言うから……」

 最初に倒したギラ・ゴグマのボンからは、討伐されたサラマンダーの死体と、その卵も戦利品として回収した。

 サラマンダーの方は王国攻略のために、鱗も甲殻もコアも、全て余さず有効活用されたが、卵の方をどうするか、僕は少し悩んだ。

 強力なドラゴンの卵である。当然、孵化させて葉山君が育てたなら、さぞ強力な霊獣となってくれるだろうという考えはすぐに浮かんだ。

 しかしながら、状況的にサラマンダーを赤ん坊から育てる手間と時間を考えると、あまり現実的とは思えない。どう考えても王国攻略の時までに戦力とするのは無理がある。そもそも、無事に卵から孵すことができるかどうかも未知数だ。

 サラマンダーの卵を孵化させるための適温など、僕は全く知らない。そして、いくらモンスターとはいえ、卵はデリケートなもののはずだ。

 やっぱり孵化させて育成するのは、今回は難しいだろう、と思った時に同時に思い浮かんだのが、


『サラマンダーの卵』:ドラゴンの卵は、古来より食せば力を与えられると言い伝えられている。事実、ドラゴンの強靭な生命力と豊富な魔力が詰まった卵は、戦うための力を得るに最適な食材となる。


 などと、『直感薬学』が反応してくれたお陰で、僕はすぐにピンと来た。

 なるほど、これはいわゆるバフ食材なのだなと。

 飯を食うことでステータスが上がる、などの様々な恩恵を得られるのは、ゲームではお馴染みのシステムだ。続けていると、一番効果的なメニューを食べ続けるただのルーチンになって面倒くさいだけになるど。

 ゲームではないが、剣と魔法の異世界を地で行くこのダンジョンならば、食べるだけで体力や魔力に影響するような食材はすでに存在している。

 そのまま食べることはすっかりなくなったが、筋力を上昇させるパワーシードなんかは薬の材料としては現役だしね。

 そこで、明らかにレア食材であろうドラゴンの卵である。何もない方がガッカリである。

 ともかく、食えば強くなる、とのお墨付きを『直感薬学』で得たので、僕は卵を食べることに決めた。卵焼きにして食べた。

 王国攻略の朝に、デッカい卵焼きを作って、みんなで食べたのだ。劇的な効果は実感こそできなかったけれど、確かに全員のコンディションは抜群だったのには違いない。

「まぁ、産まれちゃったんなら仕方ない。むしろ、リュックに放り込んでただけで産まれてくれたんだから、これはかなりツイてるよ」

「おおっ、じゃあ、コイツも飼っていいんだな!」

「幸い、食糧庫にはミルクみたいなのもあるし、餌もなんとかなるでしょ」

 サラマンダーの生育法など全く知らないが、とりあえずミルクとか肉を食べさせてみるより他はない。幼体は特定のモノしか食べない、みたいな生態だったら、その時はご縁がなかったということで……このサラマンダーの幼体育成は、別にパンダを育てる国家プロジェクトでも何でもない。失敗しても仕方がない。葉山君が落ち込むだけで済む。

 だが育成に成功すれば、最初に考えた通り将来的に素晴らしい戦力となってくれるだろう。

「じゃあ、葉山君、頑張って育ててね」

「おうよ! 俺はこのアオイを、大空に羽ばたく立派なサラマンダーにして見せるぜ!」

「アオイ、ねぇ」

「青いだろ? コイツ」

 相変わらずの安直ネーミングである。

 しかし、このサラマンダーは確かに青い色をしている。

 まだ鱗が全身に生えそろっておらず、柔らかそうな皮膚で覆われている部分も多い。白っぽい皮膚に、背中や尻尾の付け根などに生えている鱗の色は、青い。そう、青いのだ。

 コイツ、本当にサラマンダーなのだろうか。

 幼体の時は色が違うものなのか。それとも色違いのレア個体か。あるいは、サラマンダーとは違うドラゴンだったり。托卵?

 まぁ、答えはもう少し育てば分かるだろう。

「困ったら、リベルタに相談したらいいんじゃないかな。同じドラゴンだし」

「おお、なるほど! さっすが桃川、あったまイイ!」

 などと頭の悪そうなことを溌剌とした笑顔で言い放った、正にその時である。

「フシャーッ!」

「キュッ!? キョワァアアアーッ!!」

 コユキがアオイを食った。

 さっきからずーっと葉山君の腰の後ろ当たりをウロウロしながら、膝の上の様子を伺っていて、嫌な予感はしていたんだけど……やっぱり獲物として狙っていたようだ。

 子猫ながらも、獰猛にして俊敏なユキヒョウらしく、音もなく素早く飛び掛かり、生まれたばかりで警戒心ゼロのチョロい獲物に食らいつく。

 前脚でしっかりと胴体を抑え付け、細い首筋をガブリ!

「うわぁっ!? や、やめろコユキぃーっ!」

「シャァーッ! ンナァアアアア!」

 慌ててコユキを引き剥がす葉山君に対し、鋭い威嚇の鳴き声を上げ続けている。

 あの凄まじい気迫は、単に食うための獲物ではなく、葉山君の膝の上、という自分の縄張りを侵す者に対する制裁なのかもしれない。

「ああああっ! アオイに歯形が、歯形がぁ!?」

「ほら、リポーションで治療してあげるから、落ち着いて」

 とりあえず、コユキに狩られないよう、小さい内は注意して育ててよね。




 アオイ爆誕、というサプライズはあったものの、葉山君は元気とやる気を取り戻してくれたので、分身二号は次なる職場へと向かう。

 やって来たのは厨房。

 人間、どんな時でも腹は減る。大切な人を失おうが、財産全てが焼けようが、お腹は空くのである。

 故に、この状況下でも当たり前のようにみんなの食事を用意するメイちゃんは、偉大なのだ。給食係として、お手伝いしなければ罰が当たるというもの。

「レムちゃん、下ごしらえ終わった?」

「……できた」

「桃子ちゃんは?」

「はい料理長、こっちも完了であります」

 厨房では、すでに夕食の準備が始まっている。

 砦に駐留する兵士全員の食事を賄うため、厨房は広々としている。メイちゃん、幼女レム、桃子、と三人だけでは閑散とした印象を抱くが、三人ともテキパキと動くので活気はしっかりと感じられる。

 桃子たっての希望で、調理には毎日必ず加わるようにした。ご主人様の食事を用意するのは、メイドとして譲れないのだとか。

 なので、幼女レムも一緒に、この時間帯は司令室での缶詰業務からは解放している。本体の僕はそのまま残るけど。

「あっ、小太郎くん。お疲れ様。夕食まではまだもう少しかかるよ」

「いや、いいんだ、手伝いに来たから」

「いいの?」

「いいよ」

「じゃあ、お願いね」

 メイちゃんの素敵な笑顔が眩しい。ああ、こうしていると、ようやく彼女が戻って来てくれたのだなと実感する。

 少なくとも、大雑把な僕の料理が続くことはない。

 学園塔から逃走後、王国攻略まで、なるべく頑張って料理は用意したし、みんなからも露骨な不満の声が上がらなかった。けれど、メイちゃんの料理の味を知っている身としては……逆立ちしたって敵わないよ。

 というワケで、適当サバイバル飯しかできない僕がメインになることはもうない。ここは大人しく、配膳など下っ端作業だけに従事するとしよう。

「————で、ここをこうすると」

「おおっ!」

「綺麗に小骨がとれるから」

「なるほどぉ、これが匠の技!」

 メイちゃんは調理を進める一方で、要所で桃子に料理のテクを伝授している。

 恐らく、桃子の知識のベースは僕だ。僕の知識や記憶をどこまで受け継いでいる、またはコピーできているのかは分からないけれど……少なくとも、僕が知らないことは、知らないままのはずだ。

 僕もメイちゃんには色々と料理について教わってきたりもしたけれど、それは調理をする上での最低限度みたいなもの。

 ほどほどにサバイバル飯ができればいい僕はそれでいいけれど、ご主人様に尽くしたい桃子からすると、より高度な技術を求めるのは当然のことだろう。何とも向上心の高いことで。

「むむむ……こう!」

「わぁ、上手だよ、桃子ちゃん」

「どうですか! 見ましたか、レム、この桃子の華麗な包丁捌き!」

「見た……ここ、ホネ、のこってる」

「それは見なかったことにしてください」

 それにしても、随分と仲が良い。桃子が神速で馴染んでいる。

 メイちゃんとレムにしてみれば、僕と同じ顔をしているというだけで取っつきやすくはあるのかも。それに、遠慮のないあの性格だ。僕を元にしたのなら、桃子はもう少し思慮深く、落ち着きと慎み深い性格になっていなければおかしいと思うのだが……キャラメイク時にカリスマにステータスポイント振って、コミュ力を伸ばした感じだろうか。

 ともかく、仲が良いのは良いことだ。僕が口を挟む余地もなく、桃子は上手く受け入れられている。

 後は委員長が落ち着けば。

 いまだに、僕と桃子を見かけると「うっ……頭が……」とか失礼なこと言い出すし。

 胃薬に次いで、頭痛薬も処方してあげないといけないとは。委員長、あんまり薬に頼るのはよくないよ。

 まぁ、なんだかんだで委員長のことは憎からず思っている天道君が付きっ切りでリハビリ? をしているので、その内に正気を取り戻してくれるだろう。

 となると、やはり最後に残った問題人物は……

「————いただきます!」

 食堂で揃って夕食。

 昨日に引き続き、今日も砦の食糧庫から賄ったメニューなので、テーブルにはダンジョンサバイバル開始以来、お目にかかれなかった現代的な食事が並ぶ。

 何といっても、この白米。色、艶、粘り、そしてなにより味。紛うことなきジャポニカ米である。

 米食が普及していた古代国家よ、ありがとう。よくぞ数千年の時を超えて、今にまで美味しいお米を残してくれた。

 きっと、当時にも僕らのような召喚者がいて、苦心の末に日本食を再現してくれたに違いない。じゃなきゃ醤油と味噌もセットで残ってないよ。ああ、味噌汁が体と心に沁みる。

 そして本日のメインディッシュは天ぷらだ。

 種々の野菜、山菜? をはじめ、桃子が捌いていた白身魚が複数種類。エビはないけど、エビ芋虫の在庫はあったらしく、ロブスターの素揚げかってレベルのデッカいのが、ドーンと皿の上に鎮座している。

 そうして、数千年寝かせた新鮮食材をサクサクの衣で包まれた天ぷらは非常に美味であり、アレルギーか偏食でもなければ食わなきゃ損というくらいなのだけれど、食卓につかなかった奴が一人いる。

「やれやれ、しょうがない。いい加減に、桜ちゃんとお話してくるか」

 蒼真桜。

 彼女だけは、この砦まで撤退してから、ずーっと自室にふさぎ込んでいる。

 心優しいメイちゃんが、毎食、お部屋までお届けしているのだが……彼女の手料理を無駄にさせたケジメくらいは、さっさとつけてしまおう。

「おい小太郎、あんなの放っときなよ」

 美味しい天ぷらに舌鼓を打ったというのに、あからさまに重いため息を吐いた僕に、杏子が口を尖らせて言う。

「僕だって放っておけるなら、そのまま放置しておきたいけど」

「そーやって周りが構って甘やかすから、ああいう風になんだよ」

 蒼真君、聞いてる? 君の話だよ。

「つーかショックで引き籠りってなに? アイツはまず先に小太郎に謝んなきゃなんねーだろ。アホみたいに小鳥遊庇ってさ、こうなったの自分の責任じゃん」

 僕のガラケー壊したのも、許してないからね。ちゃんと後で損害賠償請求するよ。

「なに悲劇のヒロイン気取ってんだよ……ウチはアイツのこと、許す気ないかんね」

「まぁまぁ、落ち着いてよ、杏子」

「小太郎だって許せないだろ? 今まであんな好き勝手言いたい放題してきてさぁ、兄貴がいなくなって泣き寝入り? ふざけんなよ」

 桜ちゃんに対する恨み言は、対立が決定的になったオナ事件を筆頭に、数限りなくあるけれど、杏子が代わりに怒りを露わにしてくれると、逆に冷静になれる。

 でもブラウスの胸元がっつりあけて谷間が露わになっている分は、冷静さが奪われるのでトータルではマイナスな気がするけど。

「僕だって、別に今までのことを水に流すつもりはないよ。でも、小鳥遊がわざわざ自分から白状してくれたんだ」

 小鳥遊の黒幕疑惑を追及して論破するまでもなく、アイツは愚かにも自供した。正義が僕らの方にあると、あの桜ちゃんでもようやく思い知ったことだろう。

 愛するお兄ちゃんまで捕られちゃったんだ。小鳥遊小鳥のこと、許せないよねぇ?

「黒幕がはっきりして、蒼真君も捕まった。ここまで来れば、ようやく桜ちゃんも全力を尽くしてくれると思うんだよね」

 これが最後の攻略になるんだ。『聖女』の力、目いっぱいに使い倒してやる。

 ようやくだ。ようやく、蒼真桜————お前に、命を賭けて戦ってもらえそうだよ。

第336話 強行突撃カウンセリング

「おーい、桜ちゃーん」

 ドンドン! と僕は無遠慮に蒼真桜に割り当てられた、もとい、勝手に使っている自室の扉をノックする。

 この部屋は蒼真パーティが駐留していた間、桜ちゃんが使っていた部屋————ではなく、蒼真君の部屋である。

 元の自分の部屋ではなく、兄貴の部屋に籠っているということは、まぁ、そういうことなのだろう。

 喪失感を埋めるために残り香でも嗅ぎ回りたい気持ちは分からないでもないけれど、そもそも僕はここを君の部屋にするとは認めてないからね? この隠し砦の家主は、アルビオンベース司令官であらせられる天道閣下から全権委任された、この桃川小太郎なのだから。

「蒼真桜ぁ、貴様は現在、この部屋を不当に占拠しているーっ! 速やかに立ち退き、投降しろぉ! 貴様はすでに包囲されている、故郷の母親も泣いているぞー」

 正統な立ち退き要求を、ガンガン扉を蹴っ飛ばして主張するも、部屋の向こうからは一切の反応がない。この期に及んでも、まだ知らぬ存ぜぬを通すというか。

 その腐った根性が何十年モノのクソニートを生み出すのだ。僕は役に立たないゴミクズの存在を決して許さないぞ。おらっ、働け! 人様のお役に立つんだよ!

 ガンガンガン! としばらく訴えてみるが、返って来るのはシーンとした無音だけ。

「なるほど、そっちがその気なら、仕方がない————こちらアルファチーム、これより強行突入を敢行する!」

 桜ちゃんはこの頑丈極まる扉を、内側から施錠して完璧に外と遮断できていると思っているようだけれど。甘い。大甘だよ。

 言ったでしょ、この砦の主は、僕なのだと。

「カウント3で突入する! 3,2,1……ゴー、ゴー、ゴーッ!」

 ガチリ、とロックが外れる音と共に、僕は扉を押し開く。

 司令室に引き篭もっている本体の僕が、この部屋の鍵を解除しただけのこと。砦の全ての扉と門は、司令室から操作できるのだ。

 そういうワケで、マスターキーを使って入った室内は、見事に薄暗い。けれど、ターゲットはすぐに見つかった。

 元より大して物のない部屋。一番目立つのは奥に設置してあるベッドで、その上に布団を被って寝転がる桜ちゃんがいる。

「っ!? 勝手に入らないでっ!!」

 開かずの扉が開かれたことで、流石に反応したようだ。

 起き上がってこちらに叫ぶ桜ちゃんの顔は、ちょっとやつれているような感じもする。それがヒステリックに叫ぶのだから、色気も可愛げもあったもんじゃない。

「いつまで引き籠ってやがるこのクソニートが! おらっ、働け、働くんだよ!!」

「ちょっと、イヤぁ!」

 僕も対抗してヒステリックに叫んで掴みかかると、桜ちゃんは衰弱しているとは思えない素早さで僕の腕を掴み、

「離れなさいっ!」

「おわぁ!?」

 次の瞬間、僕の体は軽々と宙を舞い、そしてビターンと壁に背中から叩きつけられた。

 そういえば桜ちゃんも、立派な蒼真流の使い手だったっけ。見事な投げ技である。

「……なんだよ、結構元気じゃあないか」

「桃川……」

 壁に叩きつけられ、床の上で逆さまになった僕を、桜ちゃんは忌々し気に睨みつけて来る。いっちょまえに目の下に隈なんかつけちゃってさ、本物の幽霊みたいな迫力だ。

「何をしに来たのですか」

「いや、逆にお前が何してんだよ」

 全く、引き籠りの分際で、どの口が人の行動を偉そうに問いただせるのやら。

 などと心底思いながら、僕はでんでんでんぐり返しでひっくり返っていた体勢を元に戻す。

「蒼真君が小鳥遊に連れ去られたんだぞ。お前は何してんだよ、蒼真桜」

「貴方なんかに、私の気持ちなど分かりませんよ!」

「そうだねぇ、桜ちゃんは蒼真君のことを本当に愛している、と思っていたけれど……どうやら、全然違ったみたいだ。本当は蒼真君のことなんて、別にどうでもいいと思ってるんでしょ」

「私が兄さんのことを、誰よりも案じているのです! 今の私が、どんなに不安で、悲しいか……桃川、貴方のような人に、この気持ちは絶対に分かりません。理解してもらおうとも思いませんが」

「案じてる? 不安で? 悲しくて? それが何なのさ。それで蒼真君を助けられるの?」

「なっ!?」

「それとも、『聖女』だから心からお祈りすれば、神様が奇跡を起こして助けてくれるとか? いいねぇ、それならもっと祈って、さっさと蒼真君を助け出してよ」

 なるべく早くお願いね。小鳥遊の洗脳が完了するまでがタイムリミットだけど、聖女のお祈りパワーで間に合うのかな。

「貴方という人は、どこまで人の気持ちを愚弄すれば!」

「バカにしてんのはお前の方だろ、蒼真桜。僕らは今、タワー攻略して、小鳥遊ぶっ殺して、蒼真君も助けるための準備を始めているんだ————お前は、何をしている。一分一秒でも早く、蒼真君を助けるための行動を、お前はしているのかよ」

「か、勝手なことを……人の気も知らないで……」

「お前は気持ちばっかりだな。気持ちで蒼真君を助けられるのかよ? ええっ、どうなんだよ、この部屋にテメーが引き籠ってメソメソしているだけで、蒼真君を救えんのかって聞いてんだよ!」

「そ、そんな……そんなこと分かってますよ! でも、私は……兄さんがいなくなってしまって、私は、どうしたら……ああ、どうして、兄さん……」

 そこから先は、声にならない声で泣き始めてしまった。

 やれやれ、本当に感情でしか生きられない生物だなぁ、お前は。僕の手には負えないよ。

「あーあ、泣いちゃった。じゃ、あとはよろしく」

「桃川君、やっぱり先に行かせるべきではなかったわね」

「まぁ、いいじゃねぇかよ。コイツの言ってることは、ただの正論だ」

 ここで委員長と天道君の登場だ。

 僕が桜ちゃんのカウンセリングなんて面倒くさいこと、やるわけないじゃないか。

 扉を開けるまでが僕の役目で、泣かせるまで正論で殴りつけたのは、僕が言いたいから言っただけ。ハナから説得するつもりはない、ただの自己満足である。

 でもさぁ、誰よりも率先してタワー攻略と蒼真君救出に動いている僕には、ケチの一つくらいつける権利はあると思うんだよね。

「桜」

「涼子……」

「ほら、泣かないで、大丈夫だから。悠斗君は、必ず私達が助け出しましょう」

 ベッドの上で泣きじゃくる桜ちゃんに、委員長が慈しみに溢れる微笑みを浮かべて、優しくその肩を抱いた。

 何という包容力だろう。ついこの間、僕を殺して自分も死のうと発狂していた人物だとは思えない。

「ふん、酷ぇ面だな。それを悠斗に見せるつもりか?」

「ううっ……うるさい、ですね……」

 どうやら、天道君の軽口に反応するくらいの正気は取り戻されたようだ。

 全く、仲の良い友人が慰めてくれれば復活する程度なら、最初から構ってもらえば良かったのに。無駄に扉なんか閉めてるから、数日放置されるんだよ。

 まぁ、こっちも準備が忙しかったから、桜ちゃんに構ってる暇なんてなかったんだけど。

「それで、どう? 少しは桜ちゃんも落ち着いたの?」

「ええ、もう大丈夫よ」

「くっ……桃川なんかに、情けない姿を晒してしまうなんて……」

 しばらく待った甲斐もあってか、ようやく桜ちゃんのメンタルも持ち直したようだ。

 僕を忌々し気に睨む瞳には、いつもの強い意思の輝きがあるように思える。嫌な意思だね。

「それじゃあ、ようやく話を始められそうだね。というワケで桜、今から人体実験すっぞ」

「はぁ!?」

「もう、止めなさいよ桃川君。説明は私がするわ」

「いやでも、桜ちゃんを前にすると、コイツにはこの大変な状況を分からせてやりたりといという気持ちが抑えきれない……そもそも、メイちゃんが差し入れてくれた料理に一口も口つけなかったことも気に食わない。食べ物を無駄にするとは何事だぁ! まして人様の料理を無下にするなど、礼儀以前の問題だぞコラぁ! 今すぐメイちゃんに謝れ、土下座しろ! 謝罪と賠償!!」

「はぁ、とりあえずお前はちょっと黙ってろ」

「ふがふが」

 天道君が僕の正当な怒りを叫ぶ口を押える。手慣れてやがる。こうやって桃子の口をいつも塞いでいるな。アイツ、いちいちうるさいからなぁ。

「いい、桜。私達は今、蒼真君を助けるための準備を進めているわ。そして、そのためには貴女の協力も必要よ」

「ええ、分かっています。すみませんでした、涼子……私、兄さんを失ってしまったことで、とても正気ではいられなくなって……けれど、もう大丈夫です」

 本当に世話の焼ける奴だ。辛いのも大変なのもみんな同じだぞ。僕なんか大切な仲間三人も失ったんだぞ。お前は兄貴一人だけだろうが。単純計算で僕の方が三倍辛いお気持ちなんだが?

「黙ってろよ」

「黙ってるじゃん」

 桜ちゃんには無限にケチをつけられてしまうので、大人しく成り行きを見守るよ。だからそんなに警戒しなくてもいいじゃん、天道君。

「ひとまず、今の状況を説明するわね」

「はい、お願いします」

 丸二日サボったせいで状況確認から必要な桜ちゃんに、委員長が懇切丁寧に説明をしていく。

 小鳥遊が天送門のあるタワー最下層にいるだろうこと。蒼真君を洗脳して思い通りに動かす準備を進めていること。

 僕らはそれを阻止するために、タワーを攻略し、小鳥遊を殺して蒼真君を助け出す。そのための準備と作戦を立てている最中だ。

「で、その作戦を主導しているのが、この僕、桃川小太郎でーす」

「……」

「だから桜ちゃんも、僕の言うことには従ってもらうよ」

「……」

「返事は?」

「ふんっ」

 パァン! と強烈な平手打ちが僕の頬に炸裂する!?

「このアマァ! 今ぶった! なんでぶったぁ!」

「ちょっと桜、いくら桃川君がウザくても、それは酷いわよ」

「おかしいですよ、この非常時に、みんなこんな男の言うことを聞いているというのですか!」

 おい、こんな男ってどんな男だよ。僕よりこのダンジョンサバイバル頑張ってる奴が他にいるっていうのか。

 だったら今すぐ目の前に連れて来い。指揮権でも命令権でも全部丸投げして任せてやるよ。

「落ち着きなさい、桜。小鳥遊小鳥、全ては彼女が黒幕だったと、もう貴女も分かっているでしょう」

「そ、それは……」

「元はと言えば、貴女達が過剰に桃川君を疑っていたせいで、こんなに関係が拗れてしまったのよ。今にして思えば、そうなるようにあの子が誘導もしていたんでしょうけど……だとしても、現実は認めなさい。今、私達を引っ張っていけるのは、桃川君だけよ」

 そうだよ桜ちゃん、現実を認めなくちゃ。委員長だって、天道君が桃子といい仲になっていたという残酷な事実を、きちんと受け止めているんだから。

「ですが、今更そんな……桃川は、嫌いです……生理的に」

 ガキじゃねぇんだからさぁ、好き嫌いばっかり言ってんじゃねぇよ。

 大人になったら、生理的に無理なオッサン相手に頭下げなきゃならない時だって来るんだよ。いいかい、僕らはみんな我慢して、この社会を成り立たせているんだ。

「いい加減にしなさい、好き嫌いを言っている場合じゃないの。最後に残ったクラスメイト全員が結束しなければ、小鳥遊小鳥は倒せないし、蒼真君を助けることはできないわ。それとも桜、貴女は一人で、それが出来ると言うの?」

 僕の代わりに、委員長がキツめのお説教をかましてくれている。

 うむ、やはり委員長に任せるに限るね。でも蒼真君は委員長に丸投げしすぎだと思うよ。もっと反省して。

「うぅ……確かに、涼子の言う通り、ですね……」

「別に桃川君のことを好きになれとは言わないわ。けれど、みんなを率いる彼の力は本物よ。ヤマタノオロチを犠牲なしで倒せたのは桃川君の作戦があってのことだし、学園塔から追放されても、戻って来てゴーマ王国を滅ぼして、私達を助けてくれたの。これは悠斗君でも出来なかったことよ」

「でも、兄さんは、ずっと私達を守ってくれました!」

「ええ、そうよ、悠斗君はそれしか守れなかった。他のクラスメイト達を守り切ることは、できなかったの」

「そんな! そんな、こと……」

「今更、悠斗君のやり方を責める様な真似はしないわ。ずっと、あの子に騙されていたという面もあるでしょう。でもね、やっぱりこういう状況で一番力を発揮したのは、桃川君だったということなの。これまで彼の積み上げてきた実績は、この最終局面で私達全員の命を預けるに足るものだと、私は思っているわ」

 いやぁ、改めてそう言われると、照れるなぁ。でももっと褒めてくれてもいいんだよ。ほら、天道君も僕のこと褒め称えてどうぞ。

「調子に乗んなよ」

「って! 何も言ってないじゃん」

 急に天道君がデコピンの奇襲を仕掛けてくる。

「あんなドヤ顔晒しておいて、どの口が」

「酷い言いがかりだよ。不当な暴力だ、まったく許せない。深く傷ついた。賠償は何かレアモンスターの素材でいいよ」

「なにイチャついてんのよアンタ達はぁ!!」

「あっ、はい、すみませんでした」

「なんでもねぇっての……」

 ちょっと天道君と隅の方で成り行きを見守りながら駄弁っていただけだというのに、急にそんな般若みたいな顔で怒鳴らなくてもいいじゃん。

「涼子……」

「なんでもないわ」

「いやでも」

「なんでもないのっ!」

 と言い張る委員長に、桜ちゃんはそれ以上は問い詰めなかった。その代わり、どこか痛ましいものを見るような目をしていた。

 委員長、メンタルケアされている側の人間から、そんな気遣った眼差しを受けるのってどうなのさ。

 それでも桜ちゃんが友人の地雷の気配を察して空気を読んだお陰で、これ以上の脱線はせずに話は元に戻って来たようだ。

「ともかく、こんな状況下である以上、桃川君にもちゃんと協力して欲しいということなの」

「……分かりました。私には、心から桃川を信じることはできそうもありませんが、それでも、この期に及んでは協力を惜しみません」

「よっしゃ、これで桜ちゃんをアゴで使えるぞ!」

「桃川君、そういうところよ」

「冗談だって。でも、桜ちゃんには本当に、惜しみない協力ってヤツをしてもらうよ。小鳥遊を倒すために、ね?」

 ようやく話もまとまったことだ。

 それじゃあ早速、協力してもらうかなぁ、桜ちゃん?




「よーっし、じゃあ撃つぞー、『石矢テラ・サギタ』————」

「えっ、ちょ、ちょっと待ちなさい蘭堂さ————キャアアーッ!?」

 バッチーン! とけたたましい音が桜ちゃんから響き渡る。

 まるで彼女自身が粉々に砕けてしまったかのような音だが、残念ながら砕け散ったのは杏子の放った石の弾丸だけ。

『聖女』蒼真桜の周囲には白く輝く光の結界が展開され、見事にその身を守り切っていた。

「殺す気ですかっ!!」

「もう、いちいちうるさいなぁ。ちゃんと説明はしたじゃん」

「だからってコレはないでしょう、桃川ぁ!」

 ホントにうるさいなぁ、コイツは……

 引き籠りを脱した桜ちゃんに与えた最初のお仕事は、人体実験の被験者である。別に新しい毒薬を試そうってんじゃあないよ。そういうのはゴーマという専属の実験動物が、あっ、もういないんだっけ?

 ともかく、打倒小鳥遊を目指すにあたって、無敵のバリア『聖天結界オラクルフィールド』対策が必要となってくる。コイツを何とかする方法を用意しておかなければ、こちらの攻撃は一切通じないというクソゲー化確定となってしまうからね。

 そこで『聖天結界オラクルフィールド』の弱点を探るために、同じ技を使える貴重な人材である桜ちゃんを生贄にしたというワケだ。

 彼女のお仕事は簡単。自前の『聖天結界オラクルフィールド』を展開させて、こちらが行う様々な攻撃を防いでもらう。これだけ。いいよね、特別なスキルを持っていると、それだけでお仕事ができちゃうんだから。姫野が羨ましがるよ。

 おらっ、みんなのサンドバックになるんだよ。

「じゃあ、次は中級で」

「オッケー」

「待ちなさいよ! どうかしています、こんなの危険過ぎるでしょう!?」

「大丈夫だよ、安全には十分に配慮しているから。ねっ、杏子?」

「そうそう、ビビりすぎなんだよお前ぇ」

「どこが安全に配慮ですか! 信用できるワケないでしょ、適当なことばかり言って!」

「ちゃんと桜ちゃんには直撃しないように、射線は逸らしてるから大丈夫だって」

「顔! 今思いっきり顔に向かって飛んできましたよっ!!」

「もう、ワガママばっかり言わないでよ。そんなに嫌なら、さっさと『聖天結界オラクルフィールド』を簡単に破れる弱点教えてよね」

「だから、そんなものは私にも分かりませんから」

 偉そうに言うな、テメーの技だろうが。

 全く、これだから恵まれた能力に任せて、その場のノリと勢いだけで戦ってきた奴はダメなんだよ。自分の技は、きちんとスペックを把握する!

「分からないから検証してるんだよ。ほら、さっさと次行くよ」

「ちょっと、まだ私の話は終わって————」

「よし、行くぞ。おらぁ、死ねっ————『岩石槍テラ・クリスサギタ』っ!」

「い、今、死ねって言って————キャアアアアアアアアアアっ!!」

 桜ちゃんに対して当たりの強い杏子は、情け容赦の欠片もなく中級攻撃魔法をぶっ放す。

 さっきよりもさらに激しい破砕音が響き渡るが、うーむ、これも防ぐか。やはり破格の防御能力だな。

「ちっ、これも防ぎやがったか。次は本気でぶっ放してやっからな……」

「ちょっと桃川、蘭堂さんを止めなさい! こんなの絶対おかしいですよ、聞きなさい、桃川ぁあああああっ!」

 桜ちゃん、うるさい。もっと真面目にやってよね。

 やれやれ、先が思いやられるよ……

第337話 外法の先(1)

「うーん、やっぱ万能すぎるなぁ、『聖天結界オラクルフィールド』は」

 桜ちゃんという尊い犠牲によって、一通りの実験結果が出た。

 杏子を筆頭に、各属性の攻撃魔法を。雷など足りない属性は、魔法武器や葉山君の精霊に補ってもらって、全属性を撃ち込んだ。案の定、これといって効果の高い属性はなかった。

 勿論、メイちゃんや夏川さんに武技もぶち込んでもらい、物理耐性の方も確かめた。こちらの方は、属性よりもさらに高い防御効果を発揮している気がする。

 メイちゃんが本気で放った武技が直撃しても、一発は耐えたからね。ザガンの首くらい強靭ということだ。

 恐らく、小鳥遊の使う『聖天結界オラクルフィールド』は桜ちゃんよりもさらに強力になっていると思われる。桜ちゃんのを楽に破れるくらいでなければ、奴には通じない可能性が高い。

「基本的に全属性耐性に高い物理耐性。マジで厄介すぎるクソ仕様、ナーフ案件だろこれ」

「はぁ、はぁ……終わった……やりました、兄さん、私はこの過酷な試練に、耐えて見せました……」

 最後に行われた、メイちゃんによる本気の武技の猛攻を耐え凌ぎ、桜ちゃんは息も絶え絶えといった様子で遠い目をしていた。この場にいないお兄ちゃんに語り掛けるくらいだから、相当にサンドバック実験が効いている様子だ。

 でもさぁ、桜ちゃん、なんか勘違いしてない?

「いや全然、終わってないよ。今までのは予測がついた結果の検証に過ぎないし。ここから色んな攻め方を試して、弱点を探っていくんじゃあないか」

「は?」

「とりあえず、まずは僕の『腐り沼』に全身浸かってもらおうかな」

 ヤマタノオロチの甲殻さえ溶かし切った自慢の呪術、君には是非とも味わってもらいたい!

「い、いぃ…・・・いぃやぁあああああああああああああ!」

「あっ、逃げた」

 いつかの姫野みたいに、情けない悲鳴を上げて全力疾走で桜ちゃんが逃げ出した。

「まぁいいか。次の実験には準備が必要だし、それまでは休んで……と思ったけど、アイツ二日も引き籠ってサボってたんだから、元をとるにはもっと働いてもらわないといけないよね」

 じゃあ、狩りにでも行ってもらおうか。

 もうゴーマの目を気にせずに、伸び伸びと広いフィールドでモンスターハンティングできるのだから、この自由度と爽快感に気分転換はバッチリだろう。

 というワケで、『聖天結界オラクルフィールド』破りの実験は一旦休止で。




 翌朝、全員が一堂に会する食堂で、朝食後に本日の予定を伝える。

「それじゃあ、いつも通りみんなには狩りに出てもらうよ」

「おうよ!」

 と、元気な返事をくれるのは、今や葉山君だけになってしまったか。

 ここ最近は、上田芳崎コンビや山田が、即レスしてくれたのだけれど、頼れる前衛三人組の姿はもうここにはない。

 今の彼らならば、極限環境のフィールドでさえなければ、どこでだって生き抜ける力をもっているとは思う。完全武装にそれなりの物資も持った状態だったから。

 三人なら大丈夫だとは思うけれど、やはりふとした瞬間に不安が湧き上がってしまう。小鳥遊、やはり許さねぇ。

 そんな僕の気持ちとは別に、残った面子も狩りをするには十分……むしろ、戦力的には向上していると言っても良いだろう。

「モンスターを狩りに出るの、ちょっと久しぶりだよ。上手くできるかなぁ」

「一人でザガンぶっ殺した双葉が言うのかよ」

 何故か自信なさげな発言をするメイちゃんに、杏子が真顔でマジレスしていた。ザガン倒せるなら、この最下層エリアで倒せないモンスターはいないだろう。ただし地下街をウロつく狂戦士さんは除く。

「パーティ編成はどうするの?」

 中嶋が至極真っ当な質問をくれる。地味に僕も悩みどころだった点だ。

「うーん、一番欲しいのはやっぱりボス級のコアだけれど、王国攻略で普通のコアも底が尽きちゃったからね。今日のところは、とりあえず数を集めるのを目的にしようと思う」

 王国攻略では陽動に捨て駒と、とにかく召喚獣で消費が嵩んだ。数を補うためのレムの『屍人形』にも同じくらいつぎ込んだし。

 僕の捨て駒召喚獣用の分だけでも結構な数が必要だけど、メインで使うのはやはり装備品や消耗品の製造である。

 小鳥遊も利用していたであろう、この砦の魔法装置である錬成用設備は、電力供給されているような感じで砦に流れる魔力で動かすことができるが、錬成作業そのものにはコアが必要となる。

 もしかすれば、そっちも砦の魔力で補えるのかもしれないが、今のところどう弄っても上手くいかない。あんまり試行錯誤だけに割く時間もないので、製造は従来通りコアを基本とした体制で行くしかないのだ。

「だから、パーティを二つに分けて、それなりのモンスターを数狩る方針で」

 編成は、以下の通り。

第一狩猟班。メイちゃん、杏子、葉山君、中嶋。

 第二狩猟班。委員長、夏川さん、桜ちゃん。

 基本的に今まで組んでいたメンバー同士となる。四人と三人とで人数差はあるけれど、そこはレムと召喚獣の配置で補う。

「龍一はメンバーに入っていないけれど、どうするのよ?」

「俺は一人で行く。その方が効率的だろ」

「ふふん、妾と主様について来れる者はおらぬじゃろう」

 堂々ソロ宣言の天道君に、彼の肩に留まっているリベルタが自信気に言う。

 実際、天道君は一人の方がやりやすいだろう。何より、リベルタに騎乗して空を飛べるという、圧倒的な機動力も活かせる。

最下層エリアの遠くまで飛んで獲物を狩ってくるなら、近場で動く2パーティと範囲も被らないし、都合がいい。というか、天道君には最初から大物狙いで動いてもらった方がいいだろう。

「アオイも、大きくなったら俺を乗せて飛べるようになるのかな」

「キュゥーイ!」

 天道君と同じように、生まれたばかりの青いサラマンダーの幼体を肩に乗せた葉山君が、期待を籠ったことを言いながら、ハムの欠片を食べさせている。

 足元にベニヲとコユキもいる葉山君は、すっかり動物に囲まれたブリーダーのようである。

「アオイは連れてくの?」

「流石に置いてくって。だから世話は頼むぞ、桃川」

「レムも桃子もいるから、大丈夫だよ」

「ちょっと待ちなさい、オリジナル! この桃子、ご主人様がお出かけになるならば、同行しないワケには参りません! 今日の桃子は是が非でも、ご主人様と二人空の旅に決まりなのです!」

「って言ってるけど、どうする天道君?」

「桃子、お前は残れ」

「ぞんなぁ、ご主人ざまぁあああああああああああ!」

 ドヤ顔が一転、やかましく泣き喚いて天道君に縋りつく桃子である。

「委員長、なんで僕を睨むのさ」

「あら、何故かしら……自分でも分からないわね」

 なんだろう、ヘイト向けるのやめてもらっていいですか? 天道君とイチャついてんのはあくまで桃子なワケだし。僕はマジで何の関係もないからね。

「ふふっ、可哀想な桃子ちゃん……こうやって桃川に酷使されていくのよ……」

 死んだ目で姫野がなんか言ってる。

 武器庫漁りが楽しすぎて、ここ数日は飛ばし過ぎてしまったか。僕としても無茶ぶりが過ぎた気がする。錬成陣三つ同時並行で素材分解させたり、姫野の錬成能力の限界を超えた業務だったかもしれない。

 早く姫野のスキルレベル上がらないかな。

「それじゃあ、狩猟班二つと天道君のソロでお願いするよ。戦闘、運搬、連絡用に各自レムと召喚獣はつけるけど、要望があったらどうぞ」

「ん、コアないって言ってたくせに、そんなにレムちん出せんの?」

「ふっ、そこに気づくとは。杏子、やはり天才か」

「へそくり?」

「いや、現地調達」

 小鳥遊が逃げ去った後、僕らはすぐこの隠し砦へとやって来たワケだ。疲労困憊だったし、早急に休める安全地帯が必要だったのだから、当然の選択。

 でもそれはそれとして、あの場には、より正確に言えば王国の崩落から残っている中央部の王宮と要塞。ここには最後の戦いで倒れたゴーマ兵が沢山いる。それも品質の良い装備をバッチリ整えた屈強なゴーヴ兵に、王宮にしかいないであろう神官、魔法武器を携えた最精鋭のゴグマ。

 そして何より、最強のギラ・ゴグマたるザガンの死体も。

「分身の僕とレムで、ほぼ不眠不休でコアと装備剝ぎ取ってたから、今すぐ使う分は確保できてるんだよね」

「うわぁ、桃川君、本当にちゃっかりしてるよね、そういうトコ」

「夏川さんは盗賊なんだから、もっとお宝に貪欲になるべきだと思うよ。王宮には武器やアイテム、コアや魔物素材の備蓄なんかも丸ごと残っているんだから」

 いっぱい溜め込んでくれて、ありがとねオーマ。君の遺産は、人間様がしっかり活用してあげるから。安心して成仏……いや、僕の傍で見守り続けてもらうね。

 そういうワケで、地道にゴーヴ兵を解体してコアを取り出し、そこで得たコアを使ってレムの屍人形を増やし、次に取り出したコアで召喚獣を増やし、とコアの現地調達で人数を稼いで、今もあそこは僕らの採取作業で大賑わいである。

 レムも召喚獣も、最大数限度イッパイで休みなく働き続けているのだ。正に理想の社員である。姫野と桜ちゃんも見習って。

「なぁ、そんだけありゃあ、俺ら狩りにいかなくても十分なんじゃねぇのか?」

「何言ってるんだよ葉山君。タワー攻略に万全を期すなら、これくらいじゃ全然足りないよ」

 今回はゴーマ王国攻略直前の時よりも、さらに充実した装備と物資を揃えなければならない。

 武器庫から流用する古代の素材を利用するためには、結構なコアが必要そうなのが、すでに分かっているし。

 それでいて、相変わらず時間も有限と来たものだ。今日も忙しくなるな。

「それじゃあ、みんな頑張って、一狩り行こうぜ!」




「————我が御子、桃川小太郎」

「はい、ルインヒルデ様。お久しぶりでございます」

 そろそろ来ると思っていたよ、神様時空。

 ヤマタノオロチ、横道、と強大なボスを倒した後には必ず新呪術を授けてくれたルインヒルデ様である。ゴーマ王国を滅ぼし、オーマとザガンを倒したのは、今までで最大の成果といってもいいだろう。これで何も貰えなかったら信仰心下がりそう。

 けれど流石はルインヒルデ様、期待を裏切らない登場タイミングである。勿論、僕は信じていましたとも。

 こうして、お決まりの挨拶を聞いて安心感もあるけれど……んん、そういえば、挨拶の台詞がいつもと微妙に違う気がしたけど? 気のせい?

「小さくとも国崩しを成したか。見事。数百年、艱難辛苦の果てに築き上げた国を失った王の嘆き、実に甘美である」

「凄い泣き叫んでましたもんね」

 でも、目の前で王国が丸ごと崩壊したのを見て、すぐに兵力をまとめて立て直したオーマは本当に凄いと思う。

 僕があのレベルの大損害被ったら、FXで全財産溶かした人の顔で一週間は茫然自失となる自信があるよ。

「ゴーマ。決して人と相容れぬ、理より外れし存在。呪術の道は外法外道なれど、王が君臨する巣窟を滅したそなたの行いは、人の世において正しきものである。戦果を誇るが良い」

「ありがとうございます。今回も仲間達と、ルインヒルデ様のご加護による天運あってのことにございます」

 深々と感謝のお辞儀をしながら、ゴーマってルインヒルデ様も公認で敵対する存在なのだな、と改めて知った。というより、この言い方は他の神様も共通でゴーマは絶対悪のような敵といった感じである。

 まぁ、ゴーマだしね。今更、奴らを殺し尽くすのに良心の呵責も情状酌量も一切ない。

 オーマは偉大な王だったし、ザガンは誇り高い戦士だった。ゴーマだって家族や仲間とは絆で結ばれ、愛の感情も持っていることも知っている————だからなんだって話だけれど。

「されど、女神の使徒もまた目覚めようとしている。奴の謀略、決して許してはならぬ」

「はい、小鳥遊は次こそ必ず、呪い殺してみせます」

「神域に近づきつつある。これ以上の干渉は世の乱れに繋がるやもしれぬ……疾く、討つがよい」

「……もしかして、『勇者』蒼真悠斗も殺した方が良かったりします?」

「勇者、女神に魅入られし哀れなる者。アレはいまだ中庸にある。理を外れ使徒と化すか、人の身に留まれるかは、そなたの働き次第であろう」

 うわぁ、めっちゃ面倒くさい状態だよ……まだ大丈夫な可能性もあるよとお墨付きをもらった以上は、やっぱこれ頑張って説得しなきゃならないやつじゃん。

 ああ、もう、蒼真君、戻ったら死ぬほど働いて恩を返してもらうからね。倍返し、いや三倍返しで返してもらう。桜ちゃんのお世話係の苦労も込みで。

「新たな呪術を授ける」

「ありがとうございます」

 さぁて、今週の死に様はー?

「刻む。禁忌の失われし言葉、外法の理をもって読み解き、記す。そして、そなたは聞き、交わしたな。忌むべき理外の存在、ゴーマと言葉を」

「ええ、話しましたね。はっきりと、言葉が通じましたよ」

「答えよ、何故、通じぬ言語を解し、届けた」

「テレパシーです」

 あの時、オーマと言葉が通じたのは、ノリと勢いで分かったフリをした演出などでは決してない。僕は奴の言葉が完全に理解できていたし、奴もまた僕の言葉を理解していた。

 一度は翻訳を諦めた、謎のゴーマ語を、理解することができたのだ。

 その答えがテレパシー。そうとしか言いようのない感覚である。

 ゴーマの言語は、人間の音声言語とは根本から異なっている。自分の思念を相手に届ける能力を前提とした言葉なのだ。

 人間の言葉は、発音した音そのものに意味がある。その音にさえ聞こえれば、人間が喋ろうが、オウムが喋ろうが、意味は全く同じように聞き取れる。

 だがゴーマは違う。奴らは同じ内容の会話をしているはずなのに、発音する言葉が全く異なって来るのだ。意味と発音の不一致。これが翻訳を諦めた最大の原因である。

 けれど、やはりゴーマは発音そのものに、意味などなかったのだ。

 奴らのコミュニケーションの本質はテレパシーである。アイツに、コイツに、自分の意思を伝えたい。そういった思いを乗せて、相手に向かって話しかけることで、意味が通じる。

 ゴーマのギャアギャアうるさく喋っているのは、あくまで思念を相手に届かせるための通信媒体のようなモノだ。

 笑ったり、泣き叫んだり、奴らの声にも大まかな喜怒哀楽は反映されているが、正確な言語の意味はそこに籠められたテレパシーがなければ解することはできない。

 僕が奴らの会話に聞き耳を立てて、全く理解できなかったのは、僕自身が会話の本質であるテレパシーを受信できていなかったからだ。

 ゴーマは人間に語り掛けたりはしない。人間が狩りの獲物である動物に、話しかけないのと同じだ。僕だって、ゴーマ相手に真っ向から会話をしようなどと試したことはない。

 けれどオーマと相対した、あの時はだけは違った。

 奴は王国を地の底に沈めた怨敵を僕と見定めて、はっきりとその憎悪の念を言葉に乗せて届けたのだ。対してそれを理解した僕も、オーマへと自分の言葉で返した。奇しくも、明確にオーマという相手を定めて喋ったことで、僕の意思が日本語音声に乗って届けられたのだ。

 かくして、人間とゴーマの会話が成立するという奇跡が起きたのである。

「如何にも、よくぞ解き明かした」

「おお、やっぱ正解だ! ありがとうございます!」

「故に、刻む。真理の道を外れた遥か先、深淵へ至る標。進め、外道こそ呪いの正道————」

 ルインヒルデ様の鋭い爪を備えた、骨の両手が掲げられる。

 今回はダブルで貫いてくるか、と思わず身構えたその瞬間、シュルシュルと音を立てて僕の全身に何かが絡みつく。

 それは血に濡れた髪の毛のようで、赤黒い雫を滴らせている。まるで『赤髪括り』みたいだ。

「ぎゃあああっ、熱っつぅうううううううううううううう!」

 灼熱の鎖で全身を縛られれば、こんな感じになるのだろうか。肌に食い込む赤い髪が、ジュウジュウと体を焼く。炎に包まれた熱さではない。けれど『腐り沼』のような酸で溶けているだけでもない。

 これは焼き印を押されたかのような、痛みと熱さだ。決して消えぬ証を、その身に刻み込んで————

第338話 外法の先(2)

「ふっ……ふふふ……ふぁーっはっはっはっは!」

「桃川君、うるさい」

 高笑いする僕を、どこまでも冷めた目で睨みながら姫野が言う。何という塩対応。

 だが、今の僕は思わず高笑いしちゃうほどにはテンション上がってる。

 そりゃあ上がるに決まってる。今まで、新呪術といえば大体は僕が必死に頭を捻って活用法を見出すようなのが基本だった。いや最近はそこまででもなかったかも。

 ともかく今回の新呪術は、今まさに「これが欲しかったんだよ!」をピンポイントで狙ってくれた効果を宿している。

「はっはっは、見よ、これが呪神ルインヒルデ様より授かりし、新たなる力!」


『禁呪解法』:言葉が通じれば、それは人か。否、魔も獣も言葉は解する。されどそこに理解はなく、故にこそ禁忌とされる。人の身でありながら、悪魔の言葉、獣の声を解するならば、それは人か人外か。だが、より強い呪いを記し刻むには、そうするより他はない。


「ふーん、意味わかんね」

「まったく、これだからルインヒルデ式のフレーバーテキストに慣れていない奴は! この『深さ』が分からないなんて、やっぱり人として『浅い』んだよねぇ」

「桃川君が未だかつてないほどウゼぇ」

 ふふん、僕くらいになれば、このフワッフワな説明文だけでおおよその効果内容が分かるというものよ。というか、呪術名だけで明らかなんだけど。

「この『禁呪解法』は要するに、『外法解読』の上位スキルなんだよ」

「ゴーマ語が読めるようになるヤツだっけ? そんなのさらに解読できるようになったって……な、なったら、もしかして……」

「そう、装備更新だね!」

「イヤァアアアアアアアアアアアアアア!」

 ふはは、姫野の悲鳴が心地よい。絶望の嘆きは甘美なモノ、ってルインヒルデ様も言ってるし。

「新呪術によって、僕の錬成能力はさらに一段階、上のものとなったのだ! これまで作った全ての装備品を更なる強化ができるし、新しいのを作り出してもいい。そしてここには、古代兵器を元にした素材が山ほどある……いやぁ、夢が広がるね」

「悪夢……悪夢だわ、これは……」

「ああ、本当に良かった。この新しい錬成能力がなければ————オーマとザガンの素材を、持て余してしまうところだったよ」

 それが僕の悩みどころであった。贅沢な悩みともいう。

 オーマとザガンの頭蓋骨とコア。これはヤマタノオロチの巨大コアに匹敵する、最高品質の素材である。武器にするにせよ、アイテムにするにせよ、その力を最大限まで引き出したい。

 このレベルのゴーマ素材は、最早ここのダンジョンで入手するのは不可能な一品モノ。オーマ並の知能と力を持つ奴が現れたとしても、王国を築き上げるには百年単位かかるしね。

 折角の激レアボス素材。ただの強力なコア爆弾にして使い捨てるなんてとんでもない。是非とも、今後もずっと一線級に足る装備品として仕上げたいところ。

 なのだが、肝心の錬成能力が僕には足りなかった。

 今日から狩猟班が活動開始だし、王宮から剥ぎ取る敗残兵のコアと宝物庫漁りなど、素材集めそのものは順調なだけに、非常に歯がゆい思いをしていた。かといって、無理に手を出して半端な出来になっては元も子もない。

 果たして、タワー攻略開始までの限られた時間内に満足いく装備に仕上げることができるか、と不安に思っていたところに、この新呪術である。

 ありがとうございます、ルインヒルデ様。僕の信仰心は鰻登りでございます。是非、今後ともよろしくお願いします。

「というワケで、僕はこれからオーマとザガンの加工に入るから。他の作業は出来そうもない」

「この裏切り者ぉ! どうしろってのよ、山のような素材をさぁ!?」

「明日から蘭堂さんと中嶋君をこっちに戻すから」

「もう、頼むわよ……私だっていい加減、限界なんだから」

「ふーん、限界、ねぇ……?」

「な、なによ」

 僕がジト目でねっとり絡みつくような視線で見つめると、姫野は露骨に視線を逸らした。

「姫野さん。君も僕の錬成作業を手伝って、随分経つよね」

「全くよ。学園塔の時から、アンタにはずーっと酷使されっぱなしじゃない。何よ今更、少しは悪いとか思ってるワケ?」

「いやなに、これだけ経験を積んだんだ。色んな作業も、随分慣れたというか、上手になったよね」

「そりゃこんだけやってりゃ、誰だってそうなるわよ」

「姫野さん、僕に隠していること、ない?」

「……はぁ? そんなのあるわけないじゃない。プライベートは別よ」

「勿論、仕事についてだけど……もしかして、気づいていないだけ、かもしれないなと」

「な、何が言いたいのよ……」

「姫野さんさぁ————」

 僕はにっこり笑いながら、それはもうヒマワリのような眩しい笑顔を浮かべながら、姫野の肩にポンと手を置いて、真実の一手を突き付けた。

「————『基礎錬成陣』、習得してるでしょ?」

「っ!?」

 ビクーン、とそれはもう分かりやすいほどに姫野は反応した。

 顔色はサーっと血の気が引いてゆき、体はガタガタと震えている。うん、武者震いってやつかな。

「なっ、なんのことよ……そんなナントカ錬成なんて、知らないわよ……」

「『基礎錬成陣』は、今まで使ってきた『簡易錬成陣』の上位スキルだよ。これまで習得したのは小鳥遊しかいなかったけれど、名前からして錬成スキルとしては普通くらい。魔法でいえば中級みたいなものだろう。ともかく、そこまで特別なモノではないね」

 だから、こんだけ『簡易錬成陣』使って、色んな素材を加工しまくっていれば、スキルレベルだか熟練度だかも、上がるに決まっているよね。で、この錬成陣シリーズが汎用スキルであれば、単純に使いこめばスキルレベルも上がってくれるだろう。

 いやぁ、姫野の努力がついに報われて、僕は嬉しいよ。

「だから、そんなの知らないって!」

「隠さなくたっていいじゃないか。僕も『簡易錬成陣』は使えるからね。魔法陣の形は空で描ける程度には暗記しているんだよ————さっき姫野さんが使ってた陣は、形が違ってたよね?」

「気のせいじゃないかしら」

「この砦で作業を始めてから、今までよりも加工速度、品質、どっちも明らかに向上しているしね。『基礎錬成陣』を使って、簡易と同じ仕事をすれば、かなり楽になったんじゃあないのかなぁ?」

「そんなこと……私は、一生懸命お仕事しているだけなの……」

「姫野さん、怒らないから、素直に言ってごらん?」

「う、うぅ……ホントぉ?」

 半泣きで僕を上目遣いで見上げる姫野だけれど、全くキュンと来ない。ああ残酷な容姿格差。

 けれど、僕は笑顔で答える。

「本当だよ」

「……『基礎錬成陣』、習得しました」

「なんでそんな大事なこと早く言わないんだよっ!」

「お、怒らないって言ったじゃなーい!」

 僕も錬成スキルが上がり、姫野のスキルも上がった。これぞ正にスキルアップ。

 桃川エントランス工房の未来は明るいぞ! さぁ、今日も張り切って、お仕事お仕事!




 第一狩猟班である双葉芽衣子、蘭堂杏子、葉山理月、中嶋陽真の四人は、地下道から上がって森の中を進む。

 レム鳥による空中索敵と、ハイゾンビの周辺警戒、そして護衛兼荷物持ちのタンクとアルファが同行している。

 ゴーマ王国が滅び去ったことで、セントラルタワー周辺の森は随分と静かになっている。毎日、何千ものゴーマ達が狩猟採取に勤しんでいたのが、今や一体もいない。

 あの日、偶然にも王国に帰らず森にいたゴーマがいたとしても、帰る場所を失えば野生のまま生き延びることは難しいであろう。この豊かな森に潜む数多のモンスターが、数百年の長きに渡って君臨していた者達が消え去ったことに気づき、その縄張りを拡大していくのはそう遠い話ではない。

 そんな森の事情などは露知らず、ベニヲとコユキを従えて歩くリライトは、堂々と四人の先頭を行く芽衣子の大きな背中を眺めながら、ポツリと漏らした。

「なぁ……あれホントに双葉さん、なのか?」

「久しぶりにその質問聞いたわ」

「なんだよ、みんな言ってんのかよ」

「生きてたのか葉山! ってのと同じくらい言ってる」

 今更そんなこと聞くのかよ、と呆れた表情で隣を歩く杏子が言う。

 四人の隊列は、芽衣子が先頭、後衛であるリライトと杏子の二人を間に、後ろを中嶋が守る並びとなっている。

 すでにゴーマ王国もなく、地下道を彷徨う狂戦士のような規格外の存在も確認されていないこの森は、狩猟班の戦力をもってすれば危険度は低い。多少のお喋りをする余裕はあるし、それが許される程度には二人も慣れている。

 そんなワケで、数メートルの間隔をおいて先を行く芽衣子には気取られぬよう、リライトは彼女についての話をヒソヒソと杏子に囁きかけた。

「いや、だってよ、あまりにも変わり過ぎて。ビフォーアフターってレベルじゃねぇぞ」

「惚れた、とか言い出すな頼むから」

「言わねぇよ。言わねぇけど……アレは学園にいたらヤバいだろ。天下捕れるぞ」

 控え目に言って爆乳美人の芽衣子の女性的魅力は、男ならすれ違えば二度見、三度見はするレベル。純粋に容姿だけでいえば蒼真桜が抜きんでているが、決して劣るとは言えない愛らしい顔に、その圧倒的な核爆級ダイナマイトボディは他の追随を許さない。

 巨乳より美乳、を信条とする美の求道者であるリライトであっても、今の芽衣子の破壊力を前にしては、心が惑わされてしまいそうだ。

 顔120点、体90点の蒼真桜に対し、顔90点、体120点の双葉芽衣子。この二人が並び立てば、白嶺学園を二分する勢力となったであろう。

「流石に妬けるぜ、桃川」

「小太郎は双葉がああなる前から、命救って、世話してたんだぞ」

 そりゃあ、惚れもする。と杏子は言外に滲ませる。

「このダンジョンに来た最初の頃だろ? 桃川が苦労してたなんて、ちょっと想像できねーよ」

 戦闘力に直結しない三つの初期呪術だけを持たされて、自分の身を守るだけで精一杯だった頃の小太郎を、リライトは知らない。

 ヤマタノオロチ戦後に、小鳥遊を出し抜いて逃げ出してきた時点の小太郎は、ダンジョン攻略初期と比べれば、呪術も精神も大きく成長を果たしている。

「ウチと出会った時はボロボロだったし、今ほど余裕もなかったな」

 どうにか樋口を殺した直後に現れた天道ヤンキーチームに拾われた頃でも、小太郎の『呪術師』としての力はまだ未熟であった。そのせいか、あの頃は常に気を張って警戒感を露わに、まるで怪我した野良猫のような雰囲気だったと、杏子は思い出す。だからこそ、構ってやりたくなる気持ちになったことも。

「ってことは、一番苦労した時期に、一緒にやってきた相棒って感じか」

 俺とキナコのように、と思えばその絆の深さは窺い知れるというものだ。

「競い合うには、強敵すぎねーか?」

「うっせ、ウチだって分かってんだよ、そんなことは……」

 杏子の気持ちを知るリライトは、こうして改めて双葉芽衣子という女子の魅力を目の当たりにしたことで、つい可哀想な視線を送ってしまった。

「まぁ、俺はお前を応援するけどよ……頼むから、無事にダンジョン抜け出すまでは、奪い合って揉めたりするなよな」

「はぁー? チャンスがあったら協力しろし」

「あん時はお前しかいなかったから良かったけど、今はそんな危ない橋渡れねーって」

 王国攻略に挑む前夜。杏子が女として覚悟を決めて桃川の部屋へ向かったのを見送り、邪魔が入らないようフォローをしたリライトであったが、強力な対抗馬がいる状況で、そこまで露骨な真似はとてもできない。杏子を応援する気持ちはあるが、芽衣子と小太郎の深い関係についての理解もあるが故に。

「それにしても……双葉さんって、ホントにそんな強いのか?」

「ガチればキナコもボコれるぞ。霊獣の方な」

「それはウソだろお前……ウソだよな?」

「そんくらい強くなきゃ、一人でザガン倒せねーっての」

 芽衣子が駆け付けた最終局面、その戦いを杏子は意識が朦朧としながらも最後まで見届けた。しかし、霊獣召喚で魔力を使い果たして倒れていたリライトは、芽衣子の戦いぶりを全く見ていないのだ。

 強いて彼女が戦う姿を目にしたのは、小鳥遊が本性を現したあの時に、剣崎と斬り合っている姿くらい。小太郎によれば、あの時は『神聖言語』の影響下にあって相当に動きが制限された状態だったと言うが……だからこそ、誰もが口を揃えて言う『狂戦士』の圧倒的な強さを上手く想像できずにいた。

 美しくダイエット大成功した姿からして、ただならぬ気配を感じるが、あまり強さには結びつかない。何なら、いざという時は男子として俺が守らなければならないのでは、と思ってしまうほどだった。

「まっ、葉山もすぐ分かるって」

 彼女と共に狩りに出て来れば、嫌でもその強さは見せつけられる。

 そして杏子の言葉通りに、すぐにその機会はやって来た。

「ウォオアアアアアア!」

「ゲェエアアアアアア!」

 と、大きな叫び声が四方から木霊してくる。その発生源は、隊列の周囲に展開させていたハイゾンビのものだ。

 一方向ではなく四方から、ということはつまり、全方位から一斉に敵が襲い掛かって来たということに他ならない。

「グルルゥ……ワンワン!」

「敵襲だ! やべぇぞ、もう囲まれてる!」

 鋭く吠えるベニヲを傍らに、レッドランスを構えるリライト。コユキも敵の気配を察してか、フワフワの白毛を逆立たせて威嚇のポーズをとっていた。

「ちっ、まだ見えねーぞ」

 ガサガサと周囲の茂みがざわめく。わざと音を立てて、お前達を包囲しているぞと圧力をかけているのだろう。幾つもの気配が素早く走り回っているのは感じ取れるが、敵の群れはいまだ姿を現さなかった。

「————中嶋君、後ろは任せて大丈夫?」

「えっ、うん、大丈夫だよ。両サイドにはタンクもいるし」

 すでに立ち止まった芽衣子は、振り向かずに前を見据えたまま、殿を務める中嶋へと声をかけた。

 思わぬ呼びかけに、ややどもりながらも応えた中嶋であったが、彼とて一端の魔法剣士である。頼りない雰囲気とは裏腹に、炎と氷の双剣を構える姿には隙がない。

「蘭堂さんは、みんなの守りと掩護をお願いね。葉山君は……えっと、無理しないでね?」

「俺だけ期待されてない!?」

「まぁ、双葉はお前の力も知らねーしな」

 だからこそ、この機会にお互いの力を知って欲しいという小太郎の差配である。芽衣子とリライト、方向性は違うが、二人とも心から信頼する仲間なのだから。

「で、双葉、アンタは?」

「私はボスをやるよ」

 大盾とハルバードをどっしりと構えた芽衣子から、薄っすらと赤いオーラが立ち昇る。不退転の意思を感じさせる、堂々とした仁王立ちの彼女に対抗するかのように、群れを率いるボスもゆっくりと茂みを割ってその姿を現した。


 グルルル、ルォオアアアアアアアアアアアアッ!


 森に轟く咆哮は、三つの響きが重なり合っていた。

 三匹ではない。首が三つあるのだ。

「お、おいおい、アレってもしかして、ケルベロスってヤツかぁ!?」

 オルトロスに似ている、とリライトの感想とは別に、芽衣子は思った。

 巨大な狼型のモンスターだ。一つの体で三つの首を持つその姿は、いつか蒼真パーティが倒したというボスモンスターのケルベロスと一致する。

 しかし、その色は異なっていた。黒に近い濃いグリーンと、淡いエメラルドが、グラデーションとなった緑の毛色をしている。

 その色合いと、咆哮と共に迸る強烈な突風から、風属性を司っているのは明らかだった。炎のケルベロスが原種だとするならば、こちらは風の亜種といったところか。

 ボス部屋に繋がれていないケルベロスは、この森においては強大な狼の長として、数多の配下を率いるに至ったようだ。


 ウォオオオオーン! オオォオオオオオオオオオオオオン!!


 圧倒的な巨躯を誇るボスの登場に合わせて、周囲から一斉に狼の遠吠えが上がる。

 それは正に、この森の新たなる王を称えるかのよう。

「幸先がいいね。いっぱいコアが捕れそうだよ、小太郎くん————」




「……なぁ、蘭堂さぁ」

「あん?」

「上田とか、芳崎とか、ああいう系の天職授かった奴って、化け物だと思ってたんだよな」

「ああー、修行とか言って、遊ばれてたよねアンタ」

 手も足も出ないとは、正にあのこと。リライトは剣士や戦士といった、近接戦闘系の天職の強さを初めて味わい、体で理解した。アイツらには逆立ちしても勝てないと。

 上田の剣は目にも留まらぬ速さだし、芳崎はあの細腕で凄まじい怪力を発揮していた。山田に至ってはコイツ石像かよと思うほど、硬さと重さを感じた。中嶋にしたって、華麗な剣技と多彩な魔法を操る姿が、羨ましくてしょうがない。

「けど、本当の化け物ってこういうことを言うんだな」

 戦々恐々と目の前で横たわる、見るも無残なグリーンケルベロスの亡骸を見つめてリライトは言った。

 両者の戦いは、あっという間に決着がついた。

 動き出したのは、ほぼ同時だったと思う。獰猛な牙を剥いて、三つものアギトが襲い掛かる。だけではない。無数の真空の刃を含んだ突風を浴びせかけ、範囲攻撃も同時に行っていた。

 対して、芽衣子は風の刃を真正面から浴びても、怯むことなくハルバードを振り上げ踏み込んで行き、一閃。

 最初の一撃、ハルバードの振り下ろしで、ケルベロスの真ん中の頭を断ち切った。明らかに斧の刃よりも大きな裂傷が走り、脳天から縦に真っ二つ。

 頭一つを潰されても、怯むことなく芽衣子を左右から狼頭が襲い掛かるが、左手にした大盾をその口に叩き込んだ。

 牙を砕き、舌を押し退け、口腔を砕いて、超重量の黒鉄の大盾はその先の脳まで圧し潰した。

 盾を鈍器と化して二つ目の頭を潰した後、最後に残った頭を迎え撃ったのは、素手である。

 一つ目の頭ごと、深々と地面に縫い留めたハルバードを引き抜いて振るうよりも、手を離して拳を振るった方が早いとばかりに、芽衣子の黒い魔力が渦巻く拳がケルベロスの頭を打った。

 キャイン! と情けない声を上げて怯んだのが、致命的な隙となった。

 次の瞬間には、上顎に両手と、下顎に足を、それぞれ芽衣子がかけていた。

「えい!」

 やけに可愛らしい掛け声と同時に、ケルベロスの頭が裂けた。人間を丸飲みできそうな大口を、素手でこじ開け、顎は外れ、それでも勢いは止まらず上顎から力任せに引きちぎられた。

 三つ目の頭が首の半ばまで引き裂かれたことで、全ての頭部を失ったケルベロスは倒れた。

 最初から最後まで、リライトは瞬き一つすることなく見届けたはずだが、自分でも何を見ていたのかよく分からなかった。

 ただ、双葉芽衣子の天職『狂戦士』がどういうものなのかは、理解できた気がした。

「双葉さん、マジぱねぇな……俺も頑張ろ」

第339話 外法の先(3)

「やぁ、中嶋君。なんだか、浮かない顔しているねぇ?」

「ええっ、桃川君、どうして……」

 その日の晩、僕は中嶋の部屋を訪れた。

 メイちゃんや杏子、葉山君とは違い、プライベートで特別に仲が良いワケではない自分の下に、こんな時間に僕がやって来たのは驚きだったのだろう。

 驚きだよね? 露骨に嫌そうな表情ではないよね、その顔は。

「ちょっと中嶋君に話があってさ。ああ、悪い話じゃあないから、気楽に聞いてよ。ほら、お酒でも飲みながらさぁ」

「僕に話、か……分かったよ、上がって」

「ありがとね」

 中嶋も覚悟が決まったのか、素直に僕を部屋へと招き入れた。

 僕は手土産のつまみを。そしてボトルを抱えたレムが続いて入る。

 備え付けのテーブルの上に、サラミとチーズと煎り豆などをちょこちょこ小皿に開けて、レムが小さな両手で抱え込むボトルを、僕らのグラスに注いでくれる。

「この酒は食糧庫にあったやつなんだけど、結構イケるんだよね。何千年モノか分からないけど」

「今更、そんなの気にしないから大丈夫だよ」

 食糧庫の食材はもう普通に食べてるからね。酒がどうしたって話だよ。

 ともかく、準備が整い、僕は中嶋とグラスを合わせた。

「今日はお疲れ様。マトモに戦ったのは、王国攻略戦以来だよね」

「それだって、まだ一週間も経ってないけど」

「腕は鈍っていなかったね。初日から、沢山狩ってきてくれて助かったよ」

「いやぁ、あれはほとんど双葉さんがやったようなモノだから……僕らは随分と楽をさせてもらったよ」

 風属性のケルベロス素材を筆頭に、他にもボス級素材を幾つかと、本来の目標だった普通のコアもかなりの個数を集めて来てくれた。初日の狩りの成果としては上々どころか最上といったところ。

 この近辺の目ぼしい奴らは、すでに狩り尽くしてしまったのでは。

「中嶋君は、明日は工房の方に入ってもらうから、よろしくね」

「そっちの方が大変そうだなぁ」

「姫野さんと二人で、まったりやってくれればいいよ」

「はは……」

「なにその苦笑い」

 と、仕事の話を中心に、それなりに会話を弾ませている内に、互いのグラスが空になる。

 再びレムが、背伸びしながらグラスに二杯目を注いでくれたのを見届けてから、中嶋は改めて切り出した。

「それで、僕に話というのは何かな」

「剣崎について」

 ピクリ、と彼の眉が僅かに跳ねる。

「それは……殺す、つもりなのかい」

 一拍の間を置いて、真剣な表情でそう問うてくる。

 おや、意外と冷静な反応。流石に、あの黒幕暴露した小鳥遊に自らついていった裏切りムーブを見れば、惚れた弱みの中嶋でもギルティー判定やむなし、と覚悟していたか。

「剣崎をどうするか。それは、中嶋君次第だよ」

「どういう意味なの……脅し、なのか」

「僕は大切な仲間を、脅して動かそうなんて真似は絶対にしないよ。そこは信用して欲しいなぁ」

「……確かに、そうだよね。だから桃川君は、こうしてみんなの支持を得ている」

「嬉しいね、自分の働きを認めてくれるのは。頑張った甲斐があるというものだよ」

「それで、剣崎さんのことが僕次第というのは」

「そのままの意味だよ。剣崎を殺すか救うか、中嶋君が決めていいんだ」

「どうして、僕にそんなことを……桃川君の思う通りに、すればいいじゃないか」

「中嶋君、僕はちゃんと、君が剣崎に惚れている気持ちを忘れてはいないよ。君の思いを蔑ろにして、自分の復讐心を優先しちゃうと、君に恨まれてしまうじゃあないか」

 呪術師は敵に恨まれてナンボだけれど、仲間に恨まれるのは困るのだ。

 だから僕は、仲間である君の気持ちを出来うる限り尊重するよ。蒼真君とは違ってね。

「そんな、僕の気持ちなんて……」

「今更、恥じ入ることは何一つないよ。君の気持ち、僕には正直に話して欲しいな。今でも剣崎に惚れているにしても、小鳥遊についたことでもう見限っていたとしても、君の思いを否定したりはしない」

「僕は……僕は今でも、剣崎さんのことは好きだよ。助けたいと思っているし、絶対に死んで欲しくはない……でも、彼女は小鳥遊に……」

「いいんだ、中嶋君。あの女が愚かにも小鳥遊についていったことなんて、君が気に病む必要はない。大切なのは君の気持ちだ。だから、僕はその思いに沿うようにすると約束するよ」

「そう言ってくれるのはありがたい、けど……これで剣崎さんは、明確に僕達と敵対することになってしまったじゃないか。『双剣士』としての力は本物だよ。殺さずに済ませるのは、簡単なことではないでしょ」

 なるほど、中嶋なりに現実的なことも考えているワケか。だからこそ、悩みもするのだろう。

 蒼真君ならどんなに難しくても、自分の力を信じて何とかなる、何とかしてやる、と前向きな気持ちだけで挑めるのだろうけど。その自信も、最後の学級会でかなり折れてしまったようだけどね。

 まったく、ようやく上手く話と関係がまとまりそうだったというのに、小鳥遊のバカがあんな土壇場で本性現わしやがったせいで……

「安心してよ。剣崎のことがなくても、僕らはどの道、蒼真君とキナコを無事に助けなければならないんだ。あの二人も小鳥遊の手に落ちた以上、黙って檻に放り込まれているだけ、とは考えられない。洗脳か催眠か、何かしらの手段を用いて、僕らを殺しにかかってくるだろう」

「それを止める手段が、桃川君にはあるの?」

「今はないよ。でも、そのためにこうして準備をしているんだ。だから中嶋君、もし剣崎も助けたいと思うなら、これからも頑張って協力して欲しい」

「その、蒼真君でも止められる手段が用意できれば、それを剣崎さんにも使ってくれると?」

「君が望むならば、約束しよう」

「お願いだ、桃川君。どうか、剣崎さんを殺さないで、助けて欲しい!」

 躊躇なく頭を下げたか。

 どうやら、いまだに剣崎には心底惚れているらしい。

 うん、やっぱり、このタイミングで話に来て正解だった。下手に中嶋の不安を知らんぷりで放置していれば、彼が剣崎欲しさに小鳥遊に寝返る危険性すらあった。

 けれど、今や二年七組を率いる僕が剣崎を助けると明言すれば、安心してついて来てくれる。本当に助かるかどうかは別としても、戦いに臨むその時までは、僕を信じるしかないわけだ。

「勿論だよ、中嶋君。そこまで君の気持ちが固まっているならば、僕はそれに協力しよう————剣崎は殺さないと、約束するよ」

 ただし五体満足で、とは言っていない。

 手足の一本くらいは当然として、達磨になる覚悟くらいはしておいてよね。頭の方だって、どこまで正気のままでいられるのかも、保証はできかねるし。

「ありがとう、桃川君……僕はまだ、彼女に自分の気持ちも伝えられていないから……」

「ねぇ、中嶋君。気持ちを伝えられれば、それで満足なの?」

「当たり前だよ。僕の気持ちと、それに剣崎さんが応えてくれるかどうかは、また別の問題だから」

「真面目だねぇ。告白される女性の気持ちを尊重する、実に誠実な解答だ————でも、本当にそれでいいの?」

「えっ……?」

「たとえ断られても、剣崎を君のモノにできる方法があるとすれば……どうする?」

「なっ、そ、そんなこと、許されるはずがないよ! それって、洗脳とか、脅迫とか、そういう真っ当な手段じゃないだろう!?」

 全く、即座にそんな言葉が出て来るなんて、中嶋君は僕のことを何だと思っているんだか。

 僕は『呪術師』だよ? 真っ当な手段じゃない外道のやり方こそが正道と、神様から直々に説かれているのだ————君の見解は、実に正しい。

「今回の戦い、君の尽力のお陰で、全て上手くいったとしよう。そして、最後に君は剣崎に告白するワケだ。その結果————」

「すまない中嶋、お前の気持ちは嬉しいが、私には蒼真しかいない。私は蒼真を愛しているのだ」

 と、今まで黙って僕の後ろに立っていたレムが、剣崎ボイス完全再現で喋る。

 レムはガチれば僕の姿と言動を再現できるのだ。剣崎の、というかクラスメイトの声真似くらい、実は出来たりする。

「ぐわぁあああああああああああああああああああ!」

 そして、中嶋への効果は抜群だ。

 この悲しい結末は、君だって当然、想像したことだろう。何度も想像した、ほぼ確定の未来といってもいい。だからこそ、それを覆したくて悩みに悩んで、それでも剣崎を振り向かせるに足る確証も自信も得られなかったのだ。

 効かないはずがない。本気で惚れれば惚れるほど、コイツは効く。

「僕はね、ここまで悩んで努力を重ねた君の行動を、こんな風に無にしたくはないんだよ」

「う、ううぅ……でも、僕は……剣崎さんの、気持ちは……」

「剣崎の気持ちなんて、どうでもいいじゃないか」

「……えっ?」

「裏切り者のあんなクソ女の気持ちなんて、君が慮る必要なんて欠片もない。いいかい中嶋君、君のように誠実で真面目な男が、ここまで心を痛めて剣崎のことを思っているんだ————なら、剣崎は君のモノになるべきだろう?」

「も、桃川君……何を、言って……」

「尊重すべきは剣崎の気持ちではなく、君の気持ちだ。あんな女の言うことを真面目に聞いて、再びアイツを蒼真ハーレムに参加させて、それで君は満足するのかい? 蒼真君と結ばれるワケでもなく、ただ侍らせて曖昧な関係性のままに戻して、それで君は本当に納得できるの?」

「そんなの……そんなの、満足も納得も、できるワケないじゃないかっ!」

「うんうん、そうだよね。その通りだよ。蒼真君はどうせ、剣崎だけを選ぶことはしない。君の諦めがつくほどに、幸せの形で治まることは決してありえない」

 だから、剣崎は中嶋のモノになっちゃえばいいんだよ。

 というか、僕がもう剣崎を蒼真君に近づかせる気はないのだ。『双剣士』としての強さ。そしてここ一番で垣間見えてしまう心の弱さ。黒幕小鳥遊に自らつくという、決定的なまでの裏切り行為。

 あんな女を抱え込んでいて、マトモにやっていけるワケがない。

 これはダンジョンを出た後の話である。アストリア王国とかいう人間の国で、僕ら全員が無事に辿り着いたとして、それからどうするかと仮定した場合だ。

 平和な王国で、剣崎が再び蒼真ハーレムに戻ったとしよう。そうすれば、あの女は確実に僕への復讐を画策するはずだ。

 そこに正統性もクソもない。ただ自分がこれだけ嫌な思いをした、その元凶が全て桃川小太郎にある、と奴自身が思い込んでいるのだから仕方がない。

 たとえアストリア王国まで無事に逃れられたとしても、そこでこんな危険思想のクソ女を野放しには絶対にしたくはない。

 本当は小鳥遊諸共、殺すのが手っ取り早いけれど……中嶋と蒼真君、二人の心象のために、ひとまずは剣崎も生かす方向性で行く。なんか上手いこと、僕の責任にならない範囲で事故死とかしてくれれば万々歳だけどね。

 ともかく、そういうワケで悪運強く剣崎が最後の最後まで生き残った場合、コイツを封印する最善の手段が、中嶋なのだ。

「僕はね、こんなにも思い悩み、苦しみ、そして僕らに惜しみない協力をして戦ってくれる君の気持ちが敗れるなんて、とても納得できない。剣崎は絶対に、君と結ばれるべきなんだ」

「そこまで、僕のことを思ってくれているなんて……で、でも、やっぱり剣崎さん自身の気持ちを、裏切るようなことは……」

「ところで中嶋君、孫悟空の頭の輪っか、知ってる?」

「え? なに、孫悟空?」

「あと、バトルロイヤルで定番の、爆弾首輪とか。異世界ファンタジーの奴隷エルフがつけている隷属の首輪とか」

「いや、うん、何となく分かるけど……いきなり、何の話?」

「実は僕、この度、呪神ルインヒルデ様より新しい呪術を授かって」

「そ、そうなんだ」

「『禁呪解法』という、錬成能力をさらに強化するような呪術なのだけれど————これで、相手を隷属させられる呪いのアイテムが作れるとしたら、どう思う?」




 そして翌日。早朝。

「桃川君、僕はやるよ! 何でも言ってくれ!」

 僕のエントランス工房に、ヤル気溢れる社員の声が響き渡る。

「ありがとう、中嶋君。こんな朝早くから、悪いねぇ」

「いや、当然だよ。桃川君には、僕のワガママを聞いてもらっているワケだし、協力は惜しまない」

 覚悟を決めた強い眼差しで、中嶋はそう宣言する。

 エントランス工房の始業時間は朝食を終えた後の8時30分からなのだけれど、特に夜更かしするような生活をすっかりしなくなった今の僕は割と早起きで、そうなると工房で作業するのが一番の時間潰しとなる。

 基本的に朝から仕事してんのは、好きでやってる僕くらいだけれど、今日からは中嶋も一緒になるようだ。

「それじゃあ、とりあえずそこに山積みになってる武器の分解からお願いね」

「分かったよ!」

 意気揚々と錬成作業に取り掛かる中嶋の背中は、いつもの頼りない雰囲気は消え失せ、覇気に満ち溢れている。

 やはりモチベーションが上がると、全く違ってくるよね。

 頑張れ、中嶋君。剣崎明日那を淫乱肉奴隷にできるかどうかは、君の頑張りにかかっているぞ!

「————というワケで、中嶋君のためにも、僕も頑張らないとね。レム、準備はいい?」

「おーけー」

 と言って、素っ裸でゴローンと僕の前にうつ伏せに寝ている幼女レムである。

 決して、いかがわしいコトをしようというワケではない。

 まぁ、いかがわしいを通り越して、非人道的なコトをすることになるかもだけど。

「痛覚はちゃんと切ってる?」

「だいじょうぶ。いたく、ない」

「よし、それじゃあ行くぞ————『赤髪括り』」

 僕の右掌から赤黒い酸性毒液に塗れた髪の触手が伸びる。

  その赤髪の先端が、レムの真っ白い背中をなぞる。ジュウウウ! と幼い柔肌を焼き焦がす残酷な音が響く。

 作業に集中していた中嶋も、思わず顔を上げてこちらを見るほど。

 けれど、今の僕はそれに弁明する余裕もなく、全力で集中してレムの背中を焼く。

 初めての挑戦。けれど、成功の確信がある。ルインヒルデ様は間違いなく、この技を使わせるために、僕に『禁呪解法』を授けたのだ。

「……『黒の血脈』」

 赤髪の筆となって、レムに焼き痕を刻み込んでいる最中に、空けておいた左掌から、『黒の血脈』で僕の血を垂らす。

 適量がまだ分からないから、少し多めに投入。

 赤髪括りの強酸と反応し、朱に染まった煙が立ち上り、鼻孔を刺激する。血生臭いような、煙臭いような、得も言われぬ異臭に眉をひそめながらも、僕は目を逸らさず作業に集中。

 そうして、時間にすれば30分も経っていないだろう。けれど、レムの綺麗な背中を傷つける行為に、大いに精神力を削られながら、ついに完了する。

「出来た……呪導刻印『猛き獣』」


『呪導刻印』:呪いの印を刻み込むことで、呪術の力を与える刻印術。日常のお呪いから、禁じられた大いなる呪いまで、刻まれた者の力となる。されど忘れることなかれ。そこに刻まれたのは傷跡であり、誓約でもあり、呪いに過ぎない。


『猛き獣』:荒ぶる猛獣を意味する呪印。敵を圧倒する強靭な筋力、獲物を追う素早い脚力、そして鋭い爪と牙をもって相手を八つ裂きにする獰猛さ。この恩恵を受ける者は、自らが人であることを決して忘れてはならない。


 大袈裟な警句がついた説明文が、僕の脳内にリフレインする。

『呪導刻印』、通称『呪印』は、『禁呪解法』を習得したことで扱えるようになった『刻印術』という一種の付与魔法だ。

 そして、今の僕が刻める呪印の一つが、『猛き獣』である。

 牙が並んだ肉食獣のアギトを思わせる、象形文字のような図形を中心に、ゴーマから学んだ術式をその周囲に円形に配置した。

 説明文にもある通り、コイツの効果は単純なパワーとスピードを上昇させる。獣の獰猛さ、という精神的な部分がどこまで影響するかは、実戦でなければ図れないけれど。

 ともかく、重要なのは呪印を刻むことで、本当にバフ効果を得られるのか。それがどれくらいの効果があるのか、という部分である。

「レム、大丈夫?」

「だいじょうぶ」

 と言って、背中の痛みなど全く感じさせない動きで、すっくと立ちあがる。

 おっと、可愛い裸が丸見えだ。すぐ傍に用意していたローブをバサっと被せて、お着替え完了。

 これからレムには、筋力と脚力の測定を行ってもらう。

 素の状態のレムのスペックはすでに記録済み。か弱い幼女姿だけれど、地味に成人男性の平均を確実に上回るだろう身体能力を発揮することは明らかになっている。

「さて、僕の刻印術がどれくらいの効果を発揮するか……確かめさせてもらおう」

 これで刻印術がクラス全体の強化に繋がる神呪術となるか、しょっぱい上昇値でクソ呪術界の新エースになるかが判明する。

 果たして、その効果や如何に————

第340話 セントラルタワー強行探索

「ひぇ、高っかぁ……」

 ゴーマ王国がド派手に崩落した、超巨大な縦穴を僕は覗き込む。

 遥か彼方の奥底から、ヒョォオオオ……と強風が吹き荒んでは、僕の髪を揺らす。

 こんなところに落っこちて、よくザガンは生きて戻って来たもんだ。どっか途中で引っかかったのか。それとも本当にこの底から登って来たのだろうか。

「これは高所恐怖症じゃなくてもビビるよね」

 ゲームでもすっごい高いところから落下したり、自らダイブしたりする演出あると、ヒュンってしちゃうし。

 けれど、目の前に広がっているのは本物の奈落である。

 僕は今から、ここを降りる。

「よーし、行くぞぉ……」

 おっかなびっくり、僕は『黒髪縛り』を発動させて、胴体にグルグル巻きにする。

 黒髪を使っての昇り降りはすっかり慣れたもので、いい感じに体を支える巻き方なんかも決まっている。けれど、これほどの高さを降りるのは初めてだ。

 勿論、実際にこの奈落の底降下チャレンジに挑むのは、信頼と実績の『双影ふたつかげ』である。

 いくら分身でも、こんな高さに体一つで飛び込んでいくのはかなりのスリルがある。色んなところヒュンヒュンだよ。

 そんな気持ちで、僕は奈落へ乗り込んだ。

 まずはゆっくりと、黒髪を伸ばして降りてゆく。いやぁ、生きた心地がしない。王国に住んでいた数多のゴーマは、みんなこの気持ちを味わったのか。ざまぁ。

「ぬぉおおおーっ! ゆ、揺れる! 回るぅーっ!?」

 十数メートルほど降りた時点で、激しい風に煽られて僕の体は振り子のように揺られながら、クルクル回転を始めた。こんなに風が強いところで、黒髪ロープ一本でぶら下がれば、こうもなるか。

 いかん、僕は乗り物酔いにも3D酔いにも強いが、この勢いでは流石に三半規管がイカレそうだ。

 ええい、自爆覚悟で、もっと勢いよく降りるか。

「アイキャンフラーイ!」

 ヤケクソのように全力で黒髪縛りを伸ばし、僕の体は勢いよく奈落の底へと落ちてゆく————

「————到着!」

 なんとか死なずに、底まで降りることに成功。

 上を見上げれば、断崖絶壁で区切られた空が小さく見える。これ、マジで高さ何メートルあるんだろう。そして、黒髪縛りはどこまで伸ばせるのだろう。

 深まる謎は置いておこう。ここには前人未踏の地へと降り立つチャレンジ精神だけでやって来たワケではないのだから。

「案の定、瓦礫だらけ……こっから宝探しとは、楽しくなりそうだね」

 落っこちてきた王国のせいで、土砂と瓦礫の山と化している。天井全てが抜け落ちたお陰で、太陽の光が届き真っ暗ではないものの、これほどの高さがあるので暗い影が落ちる部分もかなりある。桜ちゃんのカンテラを持って来て正解だよ。

 それとなく漂う死臭から、この下に無数のゴーマが埋まっているんだろうなぁ、と嫌でも想像させられる。変な疫病とか発生しなきゃいいけど。

 この東門付近は、大体のゴーマが焼け死んでいるし、兵士も大勢集結するより前に落ちたから、死体の数はそれほどでもないだろう。恐らくは西と南が一番多いはず。

 僕が降下したのは、今でも堂々と残っている杏子謹製の東門即席砦である。

 そう、ザガン含め実に4体ものギラ・ゴグマが集結した場所だ。

「待ってろよ、バンドン、ジジゴーゴ、ギザギンズ。僕が全員まとめて、オーマの下に再集結させてあげるよ」

 僕が桜ちゃんのカンテラを掲げると、上空からバッサバッサと羽ばたく音を立てて、一羽の白いフクロウが舞い降りる。僕の戦術を支える偵察隊、その栄えある隊長機である。

 レム鳥フクロウ隊長は、その太い脚で『召喚術士の髑髏』を装填した愚者の杖を握っている。

 杖そのものは幾らでも替えが効くけれど、髑髏だけは大切な一品モノだ。コレを抱えて転落リスクのある降下チャレンジをする気は起きないよね。

 そういうワケで、僕は失っても惜しくないような荷物だけを持ち、その他の大事な装備はこうして空を飛べるレム鳥に配達してもらうことにした。

 この瓦礫の山から、元のサイズに戻っているであろうギラ・ゴグマの遺体を探し出すのだ。とても一人で探すなんてやっていられない。

 探し物をする時は、人海戦術に限る。

「それじゃあ捜索隊のみんな、頑張ろう!」

 タンク、ハイゾンビ、スケルトン、召喚獣を総動員した捜索隊を結成し、僕は奈落の底の宝探しを始めた。




 一方その頃、また別の分身は、セントラルタワー正面入り口となるオーマの玉座の間までやって来ていた。

 ここは小鳥遊が逃げ去って以来、そのままである。扉も開きっぱなし。

 勿論、僕とレムとで24時間監視し続けて来たので、開けっ放しの扉から小鳥遊も、奴が放つかもしれない使い魔の類など、一度も現れていないのも確認済み。

 あの時から、ただ入口が開かれただけの状態である。

 けれど折角、こうしていつでも入れるようになっているのだから、タワー攻略当日まで放置するのは勿体ない。

「じゃあ、僕らは強行偵察を頑張ろうね、アルファ」

「キョォアアア!」

 僕の愛車である真っ赤な鱗のラプターが吠える。

 王国攻略の時も、爆弾設置巡りで乗り回したのだ。素早く移動する騎乗動物として、アルファは非常に優秀である。何より、僕も一番乗り慣れているし。

 今回の偵察は、本当にただの様子見だ。

 司令部で情報を集めはしているものの、実際にタワー内部がどうなっているかは未知数である。小鳥遊がどんな罠を張り巡らせているか分からないし、そうでなくてもタワーそのものもダンジョン化されて無法地帯になっているかもしれない。

 そこんところを、僕自身の目で確かめて来ようって話だ。場合によっては、専用の対策装備を新たに準備しなくちゃいけないかもだしね。

 勿論、途中で死ぬこと前提。損耗せずに済むよう、突っ込むのは丸腰の分身とアルフアだけである。これだけなら、僕の自前の魔力だけで、何度でも送り込めるからね。

「オラァ! 来たぞ、小鳥遊ぃ! 出てこいやクソ天使、堕天させてやらぁ!!」

 お前もどうせ入口はしっかり監視しているんだろ? ならば、罵声の一つでも聞かせて上げようじゃあないか。

 両手で中指を立てながら、アルファに跨った僕は全くの無防備で扉を潜った。

 まずは、小鳥遊が転がり込んだ広いエントランス。左右に太い円柱が立ち並ぶ神殿風の造りだが……やはり、生きた古代遺跡の内部だからか、劣化したり汚れたりした様子は見られない。

 壊れないのは魔法建築の構造があるから分かるけど、埃も溜まらず綺麗なまま維持できているのは、どういう術式なんだろうね。昔はどこの家もお掃除いらずだったのかな。

 特に何も見当たらないエントランスを、堂々と僕は横切っていく。

「左右に通路が伸びてる」

 両側にはそれぞれ、広い通路が二本ほど。緩いカーブを描き先までは見通せない。

 このダンジョンのどこにでもある白光パネルで照らされているが、一切の劣化がなく本来の輝きを発している通路は、綺麗な白一色に輝いて見えた。

「通路は後回しだな」

 そのまま直進すると、エントランスの雰囲気が変わって来る。白い神殿のような造りから、緑のある中庭といった感じ。そして、ソレは僕らにとって最も見慣れた風景だ。

「いきなり妖精広場か」

 いや、あるいはここがタワー攻略のための正しいスタート地点なのかも。

 綺麗な芝生に、色とりどりの花畑と妖精胡桃の並木。実家のような安心感を覚えるね。

 中央の噴水には妖精さん像が鎮座しており————その円らな瞳が、妖しく輝いた。

「えっ」


 ジュオオオオオッ!


 という肉が焼ける様な音と、焦げ臭い臭いが鼻を衝く。

 そして視界に広がる輝きに目が眩んだと思った次の瞬間に、暗転。

 僕は死んだ。




「ど、どうなってるんだ……」

 思わず本体の僕が、呪印を書きかけのまま手が止まって、呆然と呟いてしまう。

 何が起こったのか、全く分からなかった。気が付けば、分身は完全に消滅してしまったのだ。

 ほとんど何も見えなかったし、何が起きたのか分からなかったが、それでも予測だけはつく。

「レム」

「アルファ、しんじゃった」

「何か見えた?」

「妖精さん像が、ひかった」

「よし、もう一度行くぞ」

「はい、あるじ」

 そして分身二号を再召喚。レムはアルファではなく、最も低コストで顕現できる黒スケルトンにした。

 隠し砦から徒歩で再びタワーへと向かい、僕らは同じ場所へと戻って来る。

 やはり、見た目だけならごく普通の妖精広場。

「レム、先行してくれ」

「グガガー」

 骨の顎をカタカタ鳴らして返事をしたレムが、堂々と妖精広場へと侵入してゆく。

 真っ黒い骨の脚が、緑の芝生を踏みしめた次の瞬間。


 キュピィーン————シュォオオオオオオオオオオオオオオッ!


 閃光が迸る。

 噴水の上にある妖精像、その目が淡いグリーンに輝くと同時に、一条の光線と化してレムを貫いた。

 寸分たがわず、髑髏の眉間に命中。何の抵抗もなく貫通し、さらにそのまま縦に一閃。

 頭蓋骨から尾骶骨まで、綺麗に背骨も両断して、黒スケルトンは真っ二つにされた。

 その光線には、どれほどの熱量が込められているのだろうか。一刀両断された骨の体が芝生に倒れ込むよりも前に、サラサラと炭化して黒々とした塵となって消え去った。

 途轍もない威力のレーザービーム。

 あんなのを喰らえば、脆弱な人間同然の分身体と、多少の鱗で守られた程度のアルファでは、まとめて薙ぎ払われる。

 幸いと言うべきか、広場を覗き込んで一部始終を目撃していた僕に対しては、撃って来ないし、妖精像が動き出して襲ってくることもなかった。

「あの石像、タレットだったのかよ……」

 今こそ明かされる衝撃の事実である。

 きっと妖精広場に設置されている全ての妖精像は、広場に侵入した者を攻撃する固定ビーム砲台なのだ。

 道理でモンスターもゴーマも避けるワケだ。妖精広場は特殊な結界で守られているのではなく、人間以外の侵入者を問答無用で撃ち殺すキルゾーンだと、ダンジョンに住む全ての者が思い知っているのだ。

 そういえば、キナコもベニヲも、葉山君に連れられて初めて妖精広場に入った時は、大いにビビっていたと言う。妖精像が即死ビームを放つのを見たことがなくても、自分達が踏み込むのは危険であると本能か何かで理解できていたのだろう。

「妖精像をアクティブにできれば、それだけで僕らの侵入をここで防げるってワケかよ」

 タワー内部だけは、アルビオン市長代理である小鳥遊の領域だ。

 自己防衛の範囲内ということで、妖精像を人間相手でも攻撃できるよう設定変更も可能なのだろう。

「やっぱり、本物の古代遺跡の機能は厄介だな」

 どこでも転移も大概だが、この妖精型ビームタレットもとんでもないぶっ壊れ性能である。

 僕は最低コストの召喚獣スケルトン軍団も投入しながら、隙がないか探ってみた。

 その結果、分かったことは隙なんてないということ。

 10体でも20体でも、同時に突入させても、瞬時にまとめて撃たれる。妖精広場という区切られた空間内では中央に位置する妖精像の射線から逃れられる場所はない。

 ビームを薙ぎ払われるだけで、一発で殲滅完了だ。

 レムを蜘蛛や羽虫といった小型の昆虫タイプで放ったりもしたが、どれほど小さくても妖精像は正確に捕捉。一匹たりとも逃さず潰された。

 威力の方も尋常ではない。スケルトンなんて何体並べても一瞬で貫くし、まとめて焼き斬ることもできる。ハイゾンビも同様で、タンクでさえも同じように瞬殺。

 南大門の大盾を持たせたタンクでも、一発で貫通されたのは、流石にもうダメだと思ったね。

 ただの金属では、防ぎきれるような威力ではない。盾も防具も無意味だ。

 ならば、ビームに耐性のある物は他にないかと、これも色々と試すことにした。

 委員長に作ってもらったデッカい氷とか。ピカピカに磨き抜いた鏡とか。各属性の防御魔法も一応は試した。

 他にも、ビームの威力を減衰できないかと煙幕を焚いてみたりもしたけれど……

「いや強すぎんだろ妖精ビーム」

 完全にゲームバランス崩壊するレベルの超威力。どれもこれも、一瞬でビームに貫かれて灰となる。

 これはむしろ、ゲーム的には絶対に倒せない敵とか、解除不可能な即死トラップとか、そういう類のものかもしれない。

「他に防げそうなのは、桜ちゃんの『聖天結界オラクルフィールド』だけど……」

 流石にイチかバチかで試すつもりはない。ダメだったら桜ちゃん消滅するだけだし。

 替えの効かないユニットに、ロストのリスクを背負わせるのは絶対に避けるのは、シミュレーションゲームの鉄則だよね。

「うーん、これは正攻法での突破は不可能っぽいなぁ……」

 装備を強化して、どうこうなるレベルを超えている。この妖精ビームが直撃すれば、天道君もメイちゃんもリベルタも、誰も耐えられないだろうし。

 真っ向から相手をしてはいけない類のギミックだと、そう割り切ることにしよう。

「————けど、そう簡単に迂回路なんて見つかるワケないよね」

 未探索であった、エントランスから続く左右の通路。

 その先を調べてみたのだが……案の定と言うべきか、これまでのダンジョン同様、特に何もない伽藍堂の部屋が沢山あるだけで、何の収穫もなかった。

 下へと通じる階段は勿論、シャフト、通気口のようなものも発見できなかった。

 エレベーターホールのように、明らかにここが転移魔法陣があって階層移動できるんだろうな、と思われる場所もあったが、転移は天道君が封印している。そして、この転移封じは一瞬でも解除するワケにはいかない。

 タワー内にいれば、小鳥遊はいつでもどこでも任意の対象を転移させられる。タワーに入れば、奴に僕らの動きは筒抜けで、転移が数秒でも解禁されれば、あっという間に分断されてしまうだろう。

 そうでなくても、奴がタワーの外の別な場所にでも逃げ込まれれば、もう捕捉できない。どこにも逃げ場はない、この状況を崩すわけにはいかないのだ。

 転移もできない、下に降りる道もない。唯一の道は、妖精広場の後ろにある。

 即死ビームを掻い潜り、突破するしかないないように思えるが、

「よし、これは一旦、保留で」

 僕は考えるのをやめた。

 初手即死トラップとかいうクソギミックが立ちはだかったせいで、僕もう疲れちゃったよ……

第341話 生け捕る方法(1)

「小太郎くん、元気出して」

 と、優しい慰めの言葉を聖母の如き微笑みで囁きながら、メイちゃんが僕の頭を撫でる。

 白い柔肌の肉感的な太ももで膝枕をされて僕の後頭部はとても幸せな感触を味わい、見上げれば巨大な下乳が大迫力で間近に迫る。

 ここが天国か————そう思えるほどの体勢なのだが、メイちゃんにストレートに慰められているように、僕の顔色はあまり優れない。

 体調的な意味ではなく、精神的な意味で。

「うぅーん……」

 撫でられながらも、僕は渋い表情で唸り声を上げる。

「大丈夫だよ。心配しないで」

「心配するよ……攻略に必要なモノが、決定的に足りないんだ」

 端的に言って、僕の悩みの種がそれである。

 司令部で情報取集も可能な上に、古代の物資が豊富に残る隠し砦は、これまでで最高の拠点である。

 ゴーマ王国跡地からは、大量のゴーマコアに加えて王宮の宝物、装備品も回収できた。

 狩猟班の活動も順調で、様々なモンスター素材が集まっているし、エントランス工房も日夜フル回転で攻略用の装備を作り出している。

 攻略準備の進行そのものは順調に進んでいる。いるのだが……

「妖精像が越えられない。タワーの偵察も進まない。蒼真君を生け捕りにする装備もない。あと、それから————」

「いいの、小太郎くん。今は何も考えなくても、いいんだよ」

 ちくしょう、涙が出て来るね。メイちゃんの優しさが心に沁みて、かえって苦しいよ。

 ここで準備を始めた頃、何とかなると思っていた。

 天道君がリベルタを連れて帰って来てくれたし、何より小鳥遊のチート能力をかなり制限できてる上に、奴の逃げ場も塞いでいる。

 これほどの有利をとって、負けるはずがない。仲間達の結束も固く、物資も十分。

 けれど、ここまで準備と調査を進めたことで、僕は明らかな行き詰まりを感じることとなった。

 妖精像が強すぎる。あの正確無比にして超威力のビームの対抗策が全く見つからない。当然、妖精広場を抜けることができないから、あそこから先のエリアの調査もできていない。

 蒼真君を助ける、というのも難しい状況だ。

 こっちは洗脳された勇者様が本気でこっちを殺しにかかってくる想定でいるのだ。それも彼だけでなく、霊獣キナコと、ついでに明日那の女郎も。

 いずれも単体で強力だが、もしもパーティ組んで襲い掛かって来られれば、とてもじゃないが止めきれない。

 殺すだけなら、この面子なら不可能ではない。だが全員を生け捕りにするのは、非常に困難だと言わざるを得ない。その上、こっちも一人たりとも犠牲は出さないようにしなければならないのだ。

 運よく三人を気絶まで追い込んだとしても、その後どうやって拘束するか。

 洗脳の程度や影響力にもよるが、これの解除は最悪、捕まえた後に彼らの症状を見ながら考えてもいい。

 けれど、そのためには彼らを無力化したまま拘束し続けなくてはならない。そんな万能な拘束具を用意しなければならないし、それ以前に最も必要なのは暴れる彼らを生け捕りするための装備だ。

 まさか全員、頭を強打して気絶を狙う、なんて作戦をやるわけにはいかない。打撃武器で頭を殴れば気絶してくれるのは、モンスターをハンティングするゲームだけだ。

「はぁあああ……メイちゃん、僕もう疲れたよ……」

「うん、ゆっくり休んでいいんだよ」

「ああーっ! 桃川君、サボってるじゃん!? まだ全然仕事終わってないじゃない、早く働けぇーっ!」

「姫野さん、邪魔しちゃダメだよ。今日は僕らだけで作業に戻るんだ」

「イヤァーッ! 陽真くんが桃川に優しくなっててイヤァーっ!!」

 膝枕で贅沢なお昼寝かましている僕を指さして、やかましく吠える姫野を、中嶋が引きずって行ってくれた。ありがとう、今は君のフォローがただただありがたい。

 そもそもこの状態になったのは、色んなところが行き詰まって、さらに気合を入れた刻印術が大失敗をかまし、完全にヤル気を失った僕がゴローンと転がっていたところに、メイちゃんがやって来てくれたのが始まりだ。

 ハクスラゲーでお目当ての激レア装備を掘ったけどつまんないミスで事故死してロストしてしまった時のような呆然とした顔で屍のように転がる僕を見て、黙って膝枕をしてくれた彼女は女神のような対応ぶりである。

 エルシオンとかいうド腐れクソビッチとは大違い、本物の女神様である。メイちゃんは豊穣を司る地母神的な女神に違いない。

「じゃあ、少し休むよ……おやすみ……」

「おやすみ、小太郎くん」

 現実逃避全開で、僕はただただ心地よい感覚に包まれながら、安らかな眠りに落ちて————

「おい桃川、戻ったぞ」

「あっ、天道君」

 不躾に名前を呼ばれて、目を開けばいつもの仏頂面で天道君が立っていた。でも肩にリベルタが留まっているのが、それとなくポケットサイズのモンスタートレーナー感が出ている。

「小太郎くんは、疲れているの。後にして」

「そのボケた面を見りゃあ分かるさ」

 棘のある言葉を発するメイちゃんに対し、やれやれとでも言いたげな顔で僕を見下ろす天道君。

「目当てのモンが見つかったぞ。けど、双葉の膝で昼寝する方が大事だってんなら、後にしてやるよ」

「マジでっ!?」

 寝ぼけ眼をカっと見開いて、僕はメイちゃんの膝から起き上がる。

「マジだ」

「どこ!」

「分身の方で見りゃあ分かんだろ」

 おっと、本体である僕がメイちゃんに全力で甘えていたせいで、分身二体とのリンクをほぼ切っていた。早速、確認しなければ。

「おい桃川」

「ちょっと待って、今探してるから……あっ、あそこか! なるほど、ここがそういう……」

「おい」

「もう、なんだよ天道君」

「生け捕りのための道具、できてねーんだろ」

「うん、全然出来てないよ」

 誤魔化してもしょうがないから、僕は素直に白状する。

 何かいいアイデアがあれば、いつでも募集中。あるいは、天道君が新たなチート能力に目覚めてくれてもいいよ。

「役に立つかどうかは分からんが、一応、置いておくぞ」

 腕を一振りすれば、黄金の魔法陣で描かれる『宝物庫』が開き、何やらモンスター素材と思しき物がドサっと出てきた。

 デカい。モンスター素材というか、これモンスターそのままじゃん。

 これはドラゴン、なのだろうか。ワイバーンタイプではなく、ワニのような四足歩行の骨格をしている。

 鼻先から尻尾の先まで、おおよそ20メートル。立派な大型モンスターで、それに見合った頑強そうな鱗と甲殻で覆われている。だが、ただのワニ型ドラゴンではないことは、その体の半分ほどが機械的な金属パーツや装甲を纏っていることで一目瞭然だ。なんだこの、明らかにビーム砲みたいなのもついてるぞ。

「どこで狩ってきたのさ、こんなモンスター」

 少なくとも、この最下層エリアでは見たことがない。機械と融合したようなモンスターなんて、チラっとでも見かければ絶対忘れないし。

「隔離区域の奥にいた、ボス級の一匹だ」

「なるほど、コイツが。よくこんなの持って来たね」

「勝手に桃子が回収してた」

 素材剥ぎ取りなどの雑用は侍女にお任せですか王様。

 でも、よくやった桃子。これはなかなか研究し甲斐のあるモンスター素材である。流石は我が妹。

「今更になって思い出したから、提供してくれたってこと?」

「そうだ。コイツはメチャクチャ強力な麻痺毒を使ってたからな」

「……麻痺毒?」

「お陰様で、麻痺耐性とやらが一気に上がったぜ。悠斗を生け捕りにしようってんなら、何かの役に立つかもしれねぇと思ってな」

 じゃあ、後は好きにしろよ、とでも言いたげにクールに背中を向けた彼を、僕は呼び止めた。

「天道君」

「なんだよ?」

「こんな大事なモノッ、なんでもっと早く出さなかったぁーっ!!」




「はぁ……」

 晴れ渡る青空を映し出す最下層エリアの天井を見上げて、リライトは大樹の幹に背中を預けて座り込んだ。

 その表情は、まるでハクスラゲーで激レア装備を事故でロストしたかのような、

「はぁああああ……」

「おい葉山ぁ、なにグダってんだよ。サボってんじゃねぇ」

 元気出して? と優しく慰められながら、膝枕をされることはリライトにはなかった。

 代わりに飛んでくるのは、厳しい杏子の視線と叱責のお言葉だけ。

 彼の味方は、やはり三体のペットだけ……

「ほーらベニヲ、取ってこーい!」

「ワンワン! アオオォーン!」

 美波が放り投げたいい感じの骨を、ベニヲが尻尾をぶん回しながら追いかけている。それに釣られるように、コユキとアオイもそれぞれ走り回っていた。

 沈んだご主人様をガン無視して、三体は実に楽しそうに遊んでいる。

「蘭堂さん、葉山君は少し休ませてあげてもいいんじゃないかしら」

「ええ、無理は禁物ですよ」

 どことなく憐みの視線を向ける涼子と、労っているように見えて全く興味の欠片もない目をしている桜が、抜け殻のようにへたり込んでいる葉山に向けて言う。

「うっ、う……ううぅ……」

「なに泣いてんだよ」

「な、泣いてねぇしぃ……」

 ついにメソメソし始めたリライトに、どこまでも呆れた目を向ける杏子。

「はぁ、しょーがねーな……なるべく早く、戻って来いよ。小太郎は、アンタに一番期待してんだからな。頼むぞ『精霊術士』」

 それだけ言い残して、杏子は涼子と桜の下へと戻って行った。

「くそっ、情けねぇ……マジで情けねぇよ……俺が『精霊術士』なのに……」

 連日の狩猟によってモンスターがかなり間引かれた森の一角。そこに、リライト、杏子、涼子、美波、桜、合わせて5人のチームがやって来ていた。

 メインは魔術師クラスであるリライト達で、美波は彼らの護衛として念のためについているだけ。『盗賊』の索敵能力はメンバー随一であり、レム鳥と召喚獣も加えれば、まず奇襲を受ける心配はない。

 そうして安全確保した上で、魔術師メンバーが集っているのは、特訓のためである。

「ちくしょう、俺が精霊を一番上手く扱えなくて、どうすんだよ」

 精霊を扱う特訓だ。

 これまでは『精霊術士』であるリライト以外は、あまり精霊という存在に注目してはいなかった。早期に涼子と桜は、下位の精霊召喚の魔法を習得している。しかし、その使い道はほとんどなく、涼子は学園塔で氷属性の素材を作り出す時に利用した程度だし、桜は光精霊を手ぶらで使える灯りくらいの認識でしかなかった。

 良くも悪くも、二人は魔術師タイプとして攻撃、防御、支援、いずれも有効な魔法を習得していたので、メインに使うのはそれらに限られたし、使い込むことでその熟練度も上がり、さらに強力となっていく。

 それは杏子も同様であり、リライトに教わって必殺技『土星砲』を編み出す時になって、初めて土精霊の存在を知ったほどだ。

 このように、これまであまり有効活用されていなかった精霊魔法だが、事ここに至ってその重要性が増した。

 それが『賢者』小鳥遊小鳥の操る『神聖言語』への対抗策だ。

 ついに本性を現したあの時、『神聖言語「天界法15条・調停者特権第1項」』を発動されて、動けるのは唯一、耐性を獲得したらしい芽衣子のみであった。

 それにしたって、完全に自由に動けるワケではなく、大幅に動きに制限がついていた。

 しかし、それほど絶大な停止の能力を誇る『神聖言語』の効果を全く受けなかったのが、精霊である。

 果たして、そこに如何なる魔法の原理が働いているのかは不明だが————精霊に『神聖言語』は通じない。それだけは純然たる事実として、無敵の守りを誇る小鳥遊を崩す切り札になる可能性を秘めていた。

 女神エルシオンの使徒として、クラスを最初から裏切っていた黒幕。小鳥遊小鳥、この女だけは何としても始末しなければならない。そして、そのための方法で最も確実性があるのが精霊魔法だ。

 リライト達は小鳥遊を倒すために、精霊魔法の特訓を始めたのである。

「はぁあああああ……出ろぉーっ! グリリーン!」

 杏子が叫ぶと、それに呼応するかのように森の地面を割って、地竜が現れる。

 角ばった頭部と、大きなアギトに獰猛な牙。分厚い岩の甲殻を纏った、二足歩行の中型肉食恐竜の姿は、正しく彼女が愛用していたグリムゴアと同じ。

 ただしその体は血肉ではなく、全て砂と石と岩によって構成されている。

 これが今回の特訓によって杏子が習得した、『中級ハイ土精霊テラエレメンタル召喚』だ。

彼女の愛着と明確なイメージが、中級土精霊をグリムゴアの姿を象らせたのだと小太郎は推測している。

「————『中級ハイ氷精霊アイズエレメンタル召喚』、『アイスゴーレム』」

 涼子が詠唱と共に杖を掲げると、地面に青白く光り輝く魔法陣が描かれる。

 そこから現れるのは、正しく氷の体を持つゴーレム。

 ドラム缶のような寸胴な体に、短い足。腕は太く長く、力強さと冷気を放っている。機械のように噛み合った関節部がギシギシと唸りを上げて稼働する度に、硬い氷の飛沫が舞う。鈍重な動き、だが確かに氷のゴーレムは涼子の意のままに動き始めた。

「————お出でなさい、『白疾風しろはやて』」

 祈るように両手を組んで、静かに桜が呼べば、ソレは白い光の粒子が瞬き現れた。

 流星のように輝きながら空を行くが、頭上で旋回し輝く白光の軌跡を描く。

 桜がそっと手を掲げると、その腕に光り輝く白い翼が留まる。

 それは光り輝く隼。純白の羽毛に、薄っすらと淡い燐光を纏っている。杏子と涼子の精霊はそれぞれが司る土と氷によってのみ体を構成しているが、『白疾風』と名付けた白いハヤブサは、確かに血の通った体と、軽やかな羽毛を持って顕現していた。

「よしよし、いい子ですね」

 白嶺学園の男子が見惚れる麗しい微笑みを浮かべて、桜は鷹匠のように腕に留まらせた白旋風を撫でる。ハヤブサは気持ちよさそうに、キョワーと鳴いて、大人しくしていた。

「やっぱり中級の精霊なら、もう儀式魔法陣がなくても、すぐに召喚できるようになったわね」

「まぁ、慣れればパっと出せるようになるって感じ?」

「そうですね。精霊の方も、こちらの意図を汲んでくれるように思います。はぁ、誰かさんも、こんなに素直な良い子になればいいのに」

 これが特訓の成果である。

 杏子、涼子、桜、の三名は早くも『中級精霊召喚』を使いこなしつつある。その外観、そして体に籠められた魔力量からして、これだけで一端の戦力となることは間違いない。

「問題は上級なんだよなー」

「流石に上級は、魔法陣を使っても成功率はまだまだ低いわね」

「魔力消費も激しいですし。もっとコツのようなものを掴まないと、厳しいかもしれません」

 そんな彼女達は、早くも次の段階である『上級精霊召喚』に挑戦している。

 それにも、小太郎が用意した各属性に対応した供物やアイテム、魔法陣のスクロールなどを費やせば、ある程度の確率で召喚をすでに成功させている。

 この調子で特訓を続ければ、自分の魔法のみでも召喚できるようになるだろう。

「これが……これが才能の差、ってヤツなのかぁ……?」

 そしてリライトは、いまだに『微小精霊使役』しか習得できていない。

 一応『霊獣召喚』を習得した時に、セットで習得していた『八精霊の祝福』というスキルもあるのだが、少なくとも彼女達のように立派な中級精霊を呼び出す力はない。

 恐らくは、八つ全ての属性に対する親和性がある、くらいのバフ効果か一種の条件解除のためだけのスキルではないか、と小太郎は語っていたし、自分でもそんな気がした。

 要するに、本家本元の『精霊術士』であるリライトだけが、一番精霊を使いこなせていないのであった。

「やべぇ、このままだと俺、『霊獣召喚』だけの一発屋になっちまう……」

第342話 生け捕る方法(2)

その日の夜のことである。

 僕は以前から考えていた勇者蒼真捕獲作戦について、有識者を招いて相談をすることにした。尚、お呼び立てした有識者は、桜ちゃん、委員長、天道君、の三名である。

 なぜこの三人だけなのかといえば、彼らの同意が得られれば他に反対する人は誰もいないし、僕の案を実行するにあたっても、三人の協力が必要不可欠になるからだ。

「————というワケなんだけど、どうかな?」

「論外です! どれだけ人の命を弄ぶというのですか、この外道っ!!」

「桜ちゃんにはまだ聞いてないから」

「桜、静かにして」

「桜、ちょっと黙ってろ」

「どうして涼子と龍一まで!?」

「話が進まないからよ」

「俺はお前の癇癪まで世話してやる気はねぇぞ」

「うぅ、ぐぬぬぬ……桃川ぁ!」

「えっ、僕関係なくない?」

 二人に塩対応されて、早くも涙目になってる桜ちゃんだけど、この子に構っていると本当に夜が明けかねない。

「はぁ、桜ちゃんのお気持ちは後で少しは聞いてあげるからさ、今は委員長の言う通り、話を進めたいんだよね。で、その話っていうのは、僕の作戦をどう感じるかという気持ちのことじゃなくて、有効かどうか、可能かどうか、っていうとこだよ」

「間違いなく、有効ね」

「ああ、悠斗には絶対、効くだろうな」

 早速、色よいお返事が二人から返って来た。

 まぁ、やっぱり誰でもそう思うよね。蒼真悠斗という人物を多少は知っていれば、簡単に想像がつく。

「だが実際に出来るかどうかは、話が別だな」

「ええ、難しいと思うわよ。桃川君の能力なら、すぐ形になるとは思うけれど……それで本当に悠斗君に通じるかどうかは、怪しいわね」

 当然の懸念である。なにせ勇者様は勘が鋭いからね。こっちが罠を張っていれば、直感で見破って来るだろう。

「だからこそ、三人の協力が……特に、桜ちゃんの協力が必要なんだよね」

「私は絶対に嫌ですよ。こんな非人道的な行為に手を貸すなんて」

「悠斗はぶん殴ったところで、目ぇ覚ますとは思えねぇぞ」

「そうね、手段を選んではいられない状況よ」

 非人道的云々というなら、まず一番許されない小鳥遊を断罪してきてよね。まったくもう、桜ちゃんは相変わらず、ケチをつけられる人にしかケチをつけないんだから。親に文句を言う子供かよ。僕は君のママじゃないっての。

「僕の意見に反対するのはいいけれど、それならより有効と思われる対案を出して欲しいものだね。少なくとも、僕は桜ちゃんの愛に溢れる説得だけを頼りにするつもりは毛頭ないから」

「兄さんには必ず、私の言葉なら届きます」

「ヘッドフォンつけて爆音流すだけで防がれるような策はちょっと」

「そうやって人の揚げ足取りばかり!」

「小鳥は古代の装備で『聖天結界オラクルフィールド』も操れるのよ。桜の言葉を聞こえなくさせる対処をとることくらい、簡単にできるでしょう」

 いくら小鳥遊がバカだからといっても、桜ちゃんが説得してくることくらいは想定している。そして実際、彼女の言葉が一番蒼真君には響くだろうことも。

 ならば当然、桜ちゃんの説得対策をしているに決まっている。対策以前に、単純に会わせないようにするだけでも十分なわけで。

「相手が絶対に対策している作戦に全てを賭けるなんて真似、僕は許すわけにはいかないよ」

「だから私達には、桃川君の言う卑劣な策も必要なのよ」

「卑劣って言った」

「お前は自分のやり方を卑劣だと思わねぇのかよ」

「天道君、こういう言葉がある。精神攻撃は基本」

 うん、昔の人はいいこと言った。どれだけ強かろうとも、人間である以上、感情は絶対に切り離せない。感情はないとか、感情は殺した、とか無表情で言い放つ冷酷キャラは、最終的には感情に目覚める前フリ。

 別に蒼真君は無感情キャラではないし、むしろその対極に当たる相当に感情的な人物である。これが蒼真の血筋なのだろうか。もうちょっと理性的になる遺伝子を残して欲しかったね。

「とにかく、他にこれといった有効策が出ない以上、今の内から進めておくべきだと思うわよ」

「確かに、悠斗に通じるようにするには、時間がかかるだろうな」

「だから桜ちゃん、ここは大人しく協力してよ」

「くっ、ですが、こんな真似……何か、他に良い方法が必ず……」

「その他の方法を模索する時間も、あんまりないんだって。時間かけ過ぎると、小鳥遊の洗脳もより完璧な仕上がりになるだろうし————ああ、蒼真君は今頃、一体どんな目に遭っているんだろうねぇ」

「っ!? に、兄さん……分かりました。いいでしょう」

 兄貴を引き合いに出されて、ようやく渋々といった感じで了承の言葉を発する桜ちゃんだけど、そもそも君には決定権も拒否権もないからね? いつまで自分が他人に指図できる立場だと思っているんだろう。とっくに平和な学園でのクラスカーストは崩壊したというのに。

「それで、一体私に何をさせようと言うのですか」

「これから桜ちゃんには、レムと一緒に過ごしてもらう」

「レム、ってあの白い女の子ですか」

「そう、この白い女の子だよ」

「はい。レムです」

 黙って僕の後ろの方で待機させていたレムを、親戚の子供でも紹介するかのように桜ちゃんの前にお出しする。お辞儀して、ちゃんと自己紹介できて偉い。

 今や僕らの中で幼女姿のレムは馴染んで久しいが、桜ちゃんはほとんど初見に近い。積極的に僕と関わることがない以上、レムとの接点も生まれないのも当然。狩りに出る時は黒騎士だったりするし、尚更である。

「これは、桃川の趣味なのですか?」

 改めて、僕とレムをまじまじと交互に見てから、心底軽蔑した視線でド無礼なことを問いやがる桜ちゃん。

「よりによってこの僕を、ロリだのペドだの疑惑をかけるというのかい」

 ああ、なんという屈辱だろう。メイちゃんと杏子によって、そんじょそこらの巨乳好きとは一線を画すレベルになった僕に対して、これほどプライドを傷つける疑いはないよ。

「それはそうでしょう、貴方のような変態が」

「実の兄を狙う近親相姦ガチ勢のド変態と比べたら、僕の巨乳好きなんて健全もいいとこじゃないか」

「殺す」

「ちょっと桃川君、言っていいことと悪いことってあるでしょう!?」

 俄かに殺意を漲らせて立ち上がりかけた桜ちゃんを、委員長が必死のインターセプト。

「先に僕の性癖にケチをつけた桜ちゃんが悪いんじゃあないか」

「涼子、貴女も油断していてはいけませんよ。この間、龍一と一緒に桃川がお風呂に入っていたこと、私は知っていますからね」

「……殺す」

 そして一瞬でドス黒い殺意を纏って寝返る委員長。

「た、たまたま! たまたま入る時間が被っただけのことだから!」

「でも事実でしょう」

「親友のトラウマ抉って自分の味方を増やすなんて、よくもそんな非人道的な真似ができるなぁ!?」

「やっぱり、龍一の目を覚ますには……殺すしかないのね……」

「目ぇ覚ますのはオメーの方だろ涼子」

 僕が必死に視線で訴えた救援要請に、渋々ながら答えた天道君がようやく委員長を抑えに動いてくれた。尚、抑え方は正面からのハグという物理的かつ即効性のある迅速な対応であった。

「桜、このテの話題はマジでヤベーんだから、軽々しく言うんじゃねぇ」

「ふん、桃川が悪いんですよ」

「どう考えても桜ちゃんの過失100%じゃないか。いや、未必の故意ってやつじゃないのこれは」

「うるせぇ、どっちも余計なこと言ってねぇで、さっさと話を進めやがれ。今すぐ涼子を解き放ってもいいんだぞ、桃川」

「それじゃあ、レムのことはよろしく頼むよ、桜ちゃん」

 天道君たっての希望とあって、再びレムを前へ。

 僕の性癖など疑う余地なんて欠片もないというのに、それでも桜ちゃんは目の前のレムを胡乱な目で眺めていた。

「この子は、貴方の使い魔なのでしょう。私を監視するつもりですか」

 今度はそういう方向性から攻めるのか。まぁ、気持ちは分からないでもない、真っ当な疑いではあると思う。最初からそれだけ言えば良かったのに。

 とはいえ、これもまたあらぬ疑いであることに変わりはない。

「僕は桜ちゃんを毎日観察しているほど暇じゃないし、娯楽に飢えてもいないよ。監視されてる、とか言うと電波でイカれた陰謀論者っぽいから、やめた方がいいよ桜ちゃん」

「くだらないケチばかりつけていないで、一体どういう目的なのかを素直に答えなさい!」

 全く、自分は素直じゃないくせに、他人には素直を要求するなんて、とんでもないね。いや、桜ちゃんはどこまでも自分に素直な態度をとっているから、こうなっているのか。

「だってこの作戦を実行するのは、僕じゃなくてレムだし。桜ちゃんが、しっかり教え込んでくれないと」

「それなら、教える時間を作ればいいだけでしょう。四六時中、付き纏われる理由にはなりません」

「日常生活からずっと一緒にいることが大事なんだよ。それは僕で実証されているからね」

「……やはり監視するつもりでは」

「桜ちゃん大丈夫? 頭にアルミホイル巻く?」

「いりませんよっ!!」

「もう、少しは落ち着きなさい、桜。桃川君もあまり余計なことは言わないで」

 あっ、委員長はもう落ち着いたんですかね?

 天道君が後ろから抱きしめたままだから、精神が安定しているのだろう。

「ただお喋りしたいだけなら、他所でやれ」

 天道君がまたかよお前ら、とばかりに呆れた視線をくれる。まだ委員長リリースしないでね。

 確かに、ようやく立場が逆転して僕にも桜ちゃんとのトークを楽しむ心の余裕が生まれたけれど。二人がさっさと決めろよ、と促してくるので、桜ちゃんも早く折れてよね。

「別に世話を焼かなくもいい、ただ一緒にいればそれでいいんだ。レムは見た目通りの幼女じゃないから、面倒なんてない。むしろ、何でも言うこと聞いてくれる、とっても良い子だよ」

 と、レムをナデナデしながら桜ちゃんへ推す。

 本当は僕の方にずっとついてて欲しいけれど、仕方なく桜ちゃんにつけてあげてるんだからね。僕の可愛いレムを。

「ただの子供ではない、というのは分かりますが……」

「はいレム、桜ちゃんと握手」

「あくしゅ」

「……はい」

 さしもの桜ちゃんも、小さな子供を邪見に扱うことはないようだ。僕の使い魔だと頭で理解しつつも、愛らしい銀髪幼女であるレムが差し出した小さな手を前に、悩みながらも握り返した。

 やはり、可愛いは正義。

「それじゃあ、レムをよろしくね、桜ちゃん」

「はぁ……仕方ありませんね。分かりましたよ」




 そうして、桃川小太郎主催の秘密会議が解散した後のことである。

「まったく、あの男と話しているだけで疲れますね……今日はもう、お風呂に入って早く寝ましょう」

 ふわぁ、と欠伸混じりの息を吐きながら、桜は真っ直ぐ浴場へと向かう。

 元々は広いシャワールームでしかなかったが、小太郎がやって来てからはいつもの手腕を発揮して、早々に大浴槽を設置させていた。シャワーがあっても風呂はちゃんと作る、その日本人らしい働きぶりは桜も認めざるをえない。

 そうして、今や立派な大浴場と化した元シャワールームへ入り、セーラー服へと手をかけた————ところで、気が付いた。

「……」

 真っ赤な瞳が、今まさにセーラーを脱ぎ去ろうとする自分を見つめていることに。

 一言も喋ることなく、影のように静かに付き従ってついてくるだけのレムのことは、ついその存在を忘れてしまいそうになる。

 小太郎のように減らず口を叩かれるよりは比べるべくもなくマシであるが、レムが彼の使い魔であることに変わりはない。監視などする気はないと言ってはいたものの、こうして見つめられると、その赤い瞳の向こう側で、あの小さな悪魔がニヤついている姿を桜はつい連想してしまった。

「後ろを向いててもらえますか」

「はい」

 唯々諾々と従い、レムはその場で反転。ただ黙って武骨な灰色の壁を見つめる、銀髪頭が桜の方へと向くだけとなった。

 これで目線を通して見られていたとしても、自分の裸を見られる心配はない————

「いえ、やはりこちらに来てください」

「はい」

 桜はレムを呼びよせた。

 目の前で立つだけのレムへ、桜は膝を折って目線を合わせる。

「レム、一緒に入りましょう」

 小太郎に風呂を覗かれるなど絶対に御免だ。

 けれど、こんな小さな子供を放っておいて、自分だけゆっくり風呂につかるという行動は、厳格に育てられた蒼真桜の矜持に反する。

 いくら使い魔とはいえ、この子は人形でもロボットでもない。魔法で召喚した使い魔であっても、そこに生物らしい感情が宿るというのは、自ら中級精霊たる『白疾風』を扱うようになって実感できている。

 いいや、たとえただの人形だったとしても、本物の女児同然の姿で動くレムを、物のように扱ったりなど桜は決してしなかった。

「ほら、バンザイして」

「ばんざい」

 両手を上に上げさせて、甲斐甲斐しくレムの脱衣を桜は手伝う。意外にも慣れた手つきなのは、道場に通う小さい子供の世話を焼いた経験なども、あればこそであった。

 そんな経験が、まさかこのダンジョンサバイバルの最中で役立つ時が来るとは、なんて自嘲気味に思っている内に、レムは真っ白い裸へとなっていた。

 桜も手早く脱衣を済ませる。小太郎に覗かれているかも、という疑惑は拭い去れないが、レムを前にそれにこだわることはやめた。

 スラリとした美しい肢体をレムの前に晒した桜は、嫌悪とは対極にある優し気な微笑みを浮かべる。

「それでは、入りましょう」

「はい」

 小さなレムと手を繋いで脱衣所から浴場へ入る姿は、まるで仲の良い姉妹のようであった。

「レム、私のことは姉さんと呼びなさい」

「だめです」

「……な、何故ですか?」

「あるじ、から、さくらには、めうえの呼びかたするな、と命じられています」

「桃川ぁあああああああああああああああああ!!」

第343話 双子トリック

「はぁ……」

 重苦しい溜息を吐きながら、あからさまに肩を落として砦の通路をとぼとぼ歩くのは、リライトである。

 今日の精霊召喚訓練も芳しくなかった。焦りからか、ついつい力が入り過ぎてしまい、失敗に失敗を重ねた上に、早々に魔力が尽きてしまい、まだ日も高い内から戻って休息をとらなくてはいけない始末。

 遊びたい盛りの元気いっぱいなコユキとアオイ、それから狩りに出ていないせいで力が有り余っているベニヲも、美波に預けてきた。彼女と一緒なら、縦横無尽に森を駆け回って、日が暮れるまで遊んでくれるだろう。

 そういうワケで、リライトは一人寂しく戻って来たのだった。

「ダメだな、全然上手くいかねぇ……なんか、俺だけなんにも成長してないし、みんなに貢献もできてねぇ気がする」

 砦での生活は、これまでで最も充実したものとなっており、仲間内での不和も抱えておらず、平穏そのもの。

 しかし、それが永遠に続くことはない。この平穏は今だけの仮初のもの。誰もが分かっている、来るべき最後の攻略に向けて、一歩ずつ前進しているのだと。

 だからこそ成長も成果もなく、ただ足踏みしているだけのような自分が、もどかしくて仕方がなかった。

「蘭堂も委員長も、どんどん召喚上手くなってるし。蒼真さんは、なんか桃川から特別任務とか任されてるし」

 現状、リライトに求められているのは精霊魔法の特訓と、呼ばれた時に工房で精霊を付与するお手伝いレベルの仕事である。

 残念ながら、いまだ簡易錬成陣さえ習得できていないリライトは、錬成作業において姫野は勿論、本職ではない中嶋にも及ばない。多少、精霊を扱えるというだけのアドバンテージであり、それだって氷と土に限って言えば、今では涼子と杏子にはとても敵わない。

「なぁ、キナコ……やっぱり俺、お前がいないと何もできねぇダメな男だよ」

 こんな無力感は、キナコと出会ったばかりでサバイバルすら覚束ない、最初の頃以来である。そして今は、自分を支えてくれた一番の相棒を失い……思わず涙が出そうになって、リライトは咄嗟に上を向いた。

「やぁ、葉山君」

「うおっ!? も、桃川!」

 一人勝手にしんみりしているところに、不意打ちのように声をかけられてちょっと焦った。

 慌てて見れば、そこには桃川小太郎が。

 見慣れた学ラン姿であるが、どこか不敵な微笑みを浮かべている小太郎は、いつもと雰囲気が違うように感じた。いつもはもっとこう、他人の膝の上でもここが俺様の縄張りだと言わんばかりに堂々と居座る猫のような存在感だ。

 しかし今日の小太郎はどこか、同じ猫でも獲物を弄ぶ時のように残酷な好奇心が映る、妖しい目をしている。

「こんなところで、どうしたんだい」

「あ、いや、俺はちょっと魔力切れで休みに……っていうか、桃川の方こそ。忙しいんだろ、色々と」

「うーん、僕もちょっと休憩かな。だから、一緒に休もっか、葉山君」

「ぬおっ!?」

 スルリと自然な動きで距離を詰められたと思ったら、小太郎に手をとられている。しかも、指を絡ませる恋人繋ぎだ。

 思わず大袈裟に声を上げてしまったのは、突拍子もない行動に驚いただけか。それとも、やけに温かくて柔らかい手の感触によるものか。

「ほらほら、こっちで休憩しよ」

「お、おい桃川、なんで手ぇ繋いだぁ!?」

「ふふふ、繋ぎたかったんだもーん」

「はぁ? お前、なんかキャラ違うくない? 酔ってんのかぁ?」

「そうかもね」

 振り回されるように、小太郎に適当な空き部屋へ連れ込まれる。元は兵舎の一室らしく、備え付けのベッドの上に二人は腰かけた。

「いやなんか近いって」

「別に普通だよ」

 広々としたベッドだが、わざわざ密着するように隣へ座り込む小太郎。

 肩が触れ合うような距離感。身長差から、下から見上げるような形で上目遣いで見つめられると、何故だかやけにドキっとさせられる。

 中性的な容姿と、何より妖しい輝きを発するように感じる猫目に、同性であることを忘れてしまいそうになる。

 落ち着け、俺は一体なにを意識しているんだ————そう冷静さを保とうと努めているリライトの心中を見抜いているかのように、悪戯な笑みを浮かべて小太郎が追撃を仕掛けた。

「葉山君、膝枕してあげよっか?」

「はっ、いやいいよ、ってか男同士でありえんだろ!」

「いいからいいから、疲れてるんでしょ?」

「いやっ、ちょっ、ちょぉおおおお!?」

 やけに強引に体を倒される。魔力不足で体に力が入らないから、などという言い訳が脳裏に過るが、次の瞬間に側頭部へ伝わる柔らかな感触に思考が停止させられる。

「どう、結構気持ちいでしょ。僕、膝枕には自信あるんだよね」

 一体どこで培った自信なのかは分からないが、正直に言えば、不思議なほどに心地よかった。

 なんだこの状況とか、男相手にとか、そんなことどうでもよくなりそうな感触。魔力を失い疲労しきった肉体に、ジンワリと染み込むようだ。

 ただ腿の上に頭を乗せているだけで、どうしてここまで気持ちが良いのか。

 よしよし、と優しい手つきで頭を撫でて来る小太郎の行動を、自然と受け入れてしまうほど、ぼんやりと夢見心地な気分になっていた。

 そんなリライトの反応に満足するかのように、いや、さらなる悪戯を思いついたように、小太郎の口角が釣り上がる。

「ねぇ、葉山君」

「……なんだ」

「実は僕、女の子なんだよね、って言ったらどうする?」

「……は?」

 唐突な爆弾発言に、目が覚めるような衝撃走る。

 絶対ありえない。確かめたこともあった気がする。一緒に男湯入ったこと何度もあるのだから。

 しかし。だがしかし、である。

 乗せられた膝の上から見上げた小太郎の顔は、どうにも男とは思えなくなっていた。いくら小さく華奢で中性的といっても、高校二年生の男子がここまでなるか。

 ジェンダーフリー。性と体の不一致。聞いたことあるけど詳しくは知らんそれっぽい言葉がリライトの頭に勝手に湧き上がるが、思わず納得しそうになった。

 逆に考えるんだ。こんなに可愛い子が男のはずがないだろう。

「ま、マジで……??」

「ふふ、確かめてみる?」

 これが淫魔か、なんて錯覚してしまいそうなほどに艶やかな笑み。ギラつく瞳は、魅了の魔眼か。

 とっくに男同士などという大前提が破壊されてしまい、リライトはいまだかつてないほどに胸の鼓動が高まったのを感じた。

「なんて、冗談だよ」

 あっ、と思わず間抜けに声を漏らした時には、スルっと抜け出すように小太郎は立ち上がっていた。

 柔らかくはあるが、無味乾燥なマットレスの感触が虚しくリライトの頭に当たる。

「じゃあ、僕は仕事に戻るとするよ。葉山君はそのままそこで休んでていいよ」

 じゃあね、とやたらと決まったチャーミングなウインクをして、小太郎は出て行った。

「な、なんだったんだ、今の桃川は……」

 白昼夢でも見ていたのか、と疑ってしまいそうなほどに現実感がない。だが、悔しいほどにドキドキさせられた胸の内は本当で。

 どう感情を処理すればいいのか悶々としてしながら、しばらくベッドの上で悶えていると、

「————葉山君っ!」

「うおっ!?」

 バァーン! とけたたましく扉を開いて現れたのは、ロングスカートを翻す小さなメイド。

「あー、桃子ちゃん?」

「今ここに、僕が来なかった!」

「いや、まぁ、桃川ならさっきまでいたけど……?」

 よほど急いで駆け付けたのか、息を荒げて鬼気迫る表情の桃子。あまりの迫力に、思わず反射的にありのままを答えたリライトに、

「バッカもーん! ソイツが桃子だぁあああああああああああああああああ!」




「————もう許しませんよ、オリジナル!」

 桃子は憤慨していた。

 ご主人様たる天道龍一が許したこととはいえ、ここ最近はずーっと司令室に情報収集で缶詰の毎日。芽衣子の料理の手伝いをすることだけが、メイドらしいお仕事と料理のスキルアップとして、唯一の楽しみとなっている。

「桃子はご主人様のメイドであって、オリジナルの手下などでは、断じてありません!」

 何よりも許しがたく、耐えがたいのは、ご主人様へのご奉仕が激減したこと。曲がりなりにも『従者・侍女』として召喚された身としては、その存在意義が根底から揺らぎかねない、由々しき事態である。

「まったく、ご主人様もあのキチガイメガネの世話ばかり……もっと桃子に構うですぅ!」

 などと、内心で散々に不平不満と愚痴をぶちまけるが————不意に、桃子の顔に邪悪な笑みが浮かぶ。

「くふふ、オリジナルめぇ、今こそ報いを受けるがいいです」

 笑う桃子の眼下には、持ち込んだソファの上に無防備に寝転がって仮眠をとるオリジナルこと、桃川小太郎本体の姿があった。

 つい先日までは、共に情報収集に勤しむ仲間として幼女レムもいたのだが、新たな任務を受けて今は蒼真桜と共に行動をしている。つまり、この司令室には桃子と小太郎の二人きり。

「桃子流奉仕術、瞬身衣替え!」

 謎のポージングと共に、メイド服のロングスカートを軽やかに翻し宙へ舞う桃子。

 再び降り立った時には、桃子の姿はメイド服から、白嶺学園の男子制服へとその衣装を変えていた。

 そしてスヤスヤ眠る小太郎は、桃子と同じクラシックスタイルのメイド服へと着替えさせられていたのだった。

「さぁて、オリジナルのフリして、人間関係メチャクチャにしてやりますかっ!」

 かくして、小太郎に変装した桃子が司令室より解き放たれる。

 事前に砦内の監視映像から、クラスメイトのおおよその配置を頭に入れていた桃子は、とりあえず最も近くを歩いている者をターゲットに定めた。

「やぁ、葉山君」

「うおっ!? も、桃川!」

 こうして、桃子はリライトを見事に騙したのであった。

「ふふーん、傷心の童貞ボーイなんてチョロチョロですぅ。これは性癖歪んじゃったかもですね」

 純情なリライトを弄んだ外道メイドは、実に幸先の良いスタートを切って気分が上がって来た。

 スキップするように軽やかな足取りで次に向かった先は、

「はぁああああ……終わんねぇ……」

 亡者のような嘆きを上げながら、錬成陣四つ同時にフル回転させている姫野愛莉が働く、エントランス工房であった。

 作業場所はすでにエントランスではなく、砦内の武器庫に併設されている専用設備の揃った広間なのだが、小太郎はエントランス工房と呼び続けている。

 本体はいまだ仮眠中のようで、工房にいる小太郎の分身二号も今は機能停止している。今日のところは他に作業員はおらず、姫野のワンオペ状態であった。

 これなら行ける、と確信して桃子は堂々と姫野の前へ姿を現した。

「姫野さん」

「あっ、やっと起きたの桃川君。さっさと作業に戻って————ってあれ、まだ寝てる? え、なに、本体?」

「本体だよ」

 自分と転がっている分身二号を交互に見比べて、不思議そうな顔をしながらも、本体だけ起きてきたのか、と勝手に納得した姫野は、それ以上の追求は特にしなかった。

「新しい仕事は勘弁してよ。見ての通り、詰まりに詰まってんだからね」

「いや、仕事はもういいよ」

「はぁ?」

「今日はもう上がっていいから」

「えっ、今日は私、お仕事しなくていいのっ!?」

「ああ、しっかり休め。明日も休んでいいぞ」

 腕を組んで偉そうに言い放つ小太郎の姿に、姫野は目を見開いて驚愕の表情を向ける。あまりの衝撃発言に、言葉が出ないようだ。

「……」

「遠慮するな。今までの分休め」

 姫野の衝撃に理解を示すように「うんうん」とやはり偉そうに頷くが、そんな態度にケチをつけるどころか、彼女は満面の笑みを浮かべて答えた。

「ありがとう桃川君! じゃあ私もう帰るから、じゃあね、バイバーイ!」

 錬成陣にかけられ半分分解された銃器をそのままに、素早い身のこなしでさっさと職場を後にする姫野を、小太郎は、いや、桃子は笑顔で見送った。

「ふぅ、あんなに喜んでもらえるとは。やっぱり、良いことをすると気分がいいですね!」

 分身だけが残る工房を後に、桃子の進撃は続く。その足取りに迷いはない。すでに、次なる行き先は決まっているようだ。

「この時間なら、そろそろですね」

 普段の自分なら、ちょうど厨房へと赴いている頃である。料理長が夕食の仕込みを始める時間帯————すなわち、桃子の次なる狙いは芽衣子であった。

 通いなれた厨房を覗き込めば、そこには後ろ姿だけでも抜群のプロポーションが分かる、芽衣子の背中がすぐに目に入った。

 彼女こそが本命と意気込んで、桃子はオリジナルと寸分たがわぬだらしない笑顔の仮面を被って、一歩を踏み出した。

「メイちゃーん」

 タタタ、と小走りに駆け寄ると、すぐに気配を察した芽衣子が振り向く。

 桃子は速度を落とすことなく、そのまま勢いのままに芽衣子の大きな体へと飛び込んだ。

「わっ」

 と声を上げながらも、しっかりと小さな体を正面から抱きとめる芽衣子。

 最大級の胸に顔が埋まるこの体勢、本物であれば即座に理性が溶け始める非常事態宣言だが、桃子の攻撃はここから始まるのだ。

「ううぅーん、メイちゃん、好き!」

 などと言いながら、思う様にその巨大な谷間に挟まり、自らの両手で掴み取る。掌いっぱいに溢れても尚足りない、大きすぎる魅惑の弾力を揉みに揉む。

 セクハラの一言で済まないレベルの濃厚接触。だが、相手は小太郎のためなら己の命も他人の命も惜しまない、忠実無比な狂戦士である。その一方で、小太郎は決して一線を越えぬよう自ら律してギリギリのところを踏みとどまっている……という二人の関係性を、桃子は正確に把握していた。

 だからこその、ストレートなセクハラ攻撃を敢行した。ここまでやれば、きっと一線を越えて取り返しがつかないことになるだろう。

 料理長、どうぞお幸せに。オリジナルはもっと女心に応えてどうぞ。まったく、桃子は素敵なキューピッドですね、などと自己正当化を極めながら、桃色の笑顔で胸の谷間から芽衣子を見上げた。

「うん、私も桃子ちゃんのこと、好きだよ」

「えへへ、やっぱり。僕もメイちゃんのこと————あれ、今」

「桃子ちゃん、今日は制服なんだね? 本物の小太郎くんみたいで、可愛いよ」

 当たり前のように言う芽衣子の言葉に、桃子は戦慄した。

「な、何故バレたし……」

第344話 待望の神アイテム

「桃子ぉおおおおおおおおおおおおおお!」

「ちいっ、オリジナルめ、もう追いついたですか」

 怒り心頭で厨房へ飛び込んで来た小太郎に、桃子がこれ見よがしに舌打ちをする。

 フシャー、と縄張り争いする野良猫が如くいきり立つ小太郎は、そのまま殴りかからんばかりの勢いで桃子へと駆け寄り、

「わぁああああ! 小太郎くん、カワイイ!!」

 メイド服を着た小太郎に興奮した芽衣子に掴まった。

「んーっ! むぅーっ!?」

「わぁあああ……ふわぁああああ……」

 憧れのぬいぐるみを抱きしめる幼女が如く、夢見心地な表情で小太郎をギュっと抱きしめる。もがくように儚い抵抗をはかる小太郎だったが、やがて大きな胸の中で溺れるように静かになってしまった。

「……メイちゃん、今はちょっと忙しいから、こういうの後にして」

「えへへ、ごめんね。つい」

 しばらくして、どこか悟ったような表情で谷間から浮かび上がって来た小太郎が、芽衣子をやんわり押し退けて、ようやく解放される。

 そうして、改めて桃子へと向き直る。

「よくもやってくれたなぁ、桃子ぉ!!」

「ふん、オリジナルが悪いんですよ。ご主人様へのご奉仕時間を奪いに奪い続け、桃子のアイデンティティは崩壊寸前だったのですぅ!」

「だからって、やっていいことと悪いこと、あるだろうがっ!」

「むふ、可愛いイタズラじゃあないですか」

「サークラレベルに人間関係乱してイタズラで済むワケないだろ! 何が可愛いだよ、憎たらしい面しやがって!」

「むっ、この絶世の美少女を捕まえてなんたる言い草。そういうのは鏡に向かって言ってください」

「これだけの悪事を働いておきながら、反省の余地なしとは。お仕置きが必要なようだな————『黒髪縛り』!」

「畜生のオリジナルには当然の報いなのですよ————『シャドウエッジ』!」

 小太郎が広げた両手と、大きく広がったロングスカートの裾から、勢いよく黒髪で編まれた触手が何本も飛び出し、桃子の体へと巻き付いて行く。

 対する桃子は手足と肘膝から、黒々とした影の刃を生やし、絡みつく黒髪をバッサリと断ち切った。

「もう二人とも、喧嘩したらダメだよ」

 口では言いつつも、小さな兄妹喧嘩を眺めるような微笑ましい顔のため、芽衣子の制止は全く聞き入れられることはない。

「泣いて反省するまで、タワーから吊るしてやる————桃川飛刀流奥義『ヤマタノオロチ』っ!」

「ご主人様と桃子の絆は、誰にも引き裂けないのですぅ————『影縫いの舞い』!」

 小太郎が繰り出す黒髪触手は八本に増え、先端には握り拳大の各属性光石が括りつけられている。さながら鎖分銅のように八本全てをビュンビュンと勢いよく振り回しながらも、一つとして絡ませない無駄に精密なコントロールで、桃子へと襲い掛かる。

 八つの軌跡が光石の輝きで色とりどりに光る。光るだけで、特に属性魔法が発動しているワケではない。

 実に見栄えがいいカッコよさ全振りの八連撃を、バレエダンサーのようにポーズを決めながらクルクル回って切り落とす。

 そのポーズに意味はないし、別に回らなくても迎撃が間に合うだけの太刀筋である。ただ桃子の姿が華麗に見えるだけ。傍から見る者を、桃子様の美技で酔わせたいのだ。

 そんな不毛な見せ技の応酬が続くと、

「一体、何を騒いでいるのですか」

 本日の給食係として厨房へとやって来た桜が、心の底から呆れた顔で、争い合う二人の桃川を眺めて言った。

「桃子ちゃんのイタズラに、小太郎くんが怒っちゃって」

「くだらない。まるで子供の喧嘩ではないですか……」

 芽衣子の端的な説明に、さらに呆れた視線を向ける桜。

「あるじ、桃子と戦っている」

「見てはいけませんよ、レム。あんな低俗な争いなど」

 桜と一緒にくっついて来たレムが、メイド服を着て喧嘩する主の姿をじっと見つめていたが、子供の教育に悪いとばかりに、そっと桜がその目を覆うのであった。

「うわっ、桜ちゃん、なにその保護者気取り」

「自分より小さく弱い者を保護することで、心の安定を図るメンタル弱者あるあるですよ」

「何故いきなり私に矛先が!?」

 喧嘩の真っ最中のはずなのに、一瞬で結束して煽って来る桃川兄妹。阿吽の呼吸。あるいは、双子特有のシンクロニシティ。

「レム、あんまり桜ちゃんの言うこと真に受けちゃダメだよ。桜ちゃんみたいになっちゃうから」

「これは典型的な教育ママで子供歪むパターンですよ」

「レムは純粋な良い子なのです。こんな子を言い様に使い倒すなど、この私が許しませんよ!」

「この私って、どの私が言うのさ」

「どんだけ自己評価高いんですかー?」

 プクク、と同じフォームで指さし嘲笑うユニゾン煽りに、桜の美しい顔にビキビキと青筋が浮かび上がる。

 ただでさえ腹立たしい生意気な面が、二つ並んでイライラが二倍。いや、完璧な連携とシンクロによって繰り出される煽りは相乗効果を発揮し、1+1が3にも4にもなる。10倍だぞ10倍。

「ど、どこまで人をコケにするのですか、この邪悪な桃川兄妹は————」

「そろそろご飯の支度を始めないと。レムちゃん、手伝ってくれる? 小太郎くん達はまだ忙しいみたいだし」

「はい」

 三人の低俗な対立を後目に、芽衣子はレムを連れて自分の仕事を始めた。今や彼女にとって小太郎と桜の争いは、ネコとネズミが仲良く喧嘩するカートゥーンのようなものだという認識である。

「ほらほら、お料理の時間なのですから、部外者はさっさと出ていくですよ」

「はぁ、しょうがない。メイちゃんの邪魔するワケにはいかないからね」

「あっ、ちょっと、なんで私も!?」

 渋々といった表情で自ら厨房を後にしようとする小太郎とセットで、給食係のはずの桜もついでのように桃子に押されて排斥されている。

 芽衣子とレムも特に桜を引き留めることはなく、そのままの勢いで桜も厨房の外へと締め出されてしまった。

「な、何故こんなことに……今日はレムに、蒼真家秘伝の味を教えてあげるつもりでしたのに」

「そういうの間に合ってるんで。あと、ウチの子を勝手に娘扱いしないでよね」

「貴方のような男には、とても任せておけませんから。私がしっかり、正しい道へ導かなくては」

「レムが桜ちゃんみたいに育つのは絶対御免だよ。僕のように柔軟な思考と、和を尊ぶ優しい子になって欲しいからね」

「絶対に貴方のように性根のねじ曲がった小悪魔になどさせません」

「ヒステリックに喚き散らすだけのワガママ女より、悪魔の方が知的でマシじゃない?」

「そういう減らず口をレムが覚えて真似する前に、せめてあの子の前でくらいは態度を改めるべきですよ、桃川」

 桜ちゃんめ、なかなか言うじゃないか、などと半ば感心しながら厨房の扉の外でしばし言い合いを楽しんでいる時であった。

「あら、桜と……桃子ちゃん。ちょうど夕食の手伝いに来たのかしら?」

「涼子!」

 委員長が現れた。

 その瞬間、小太郎と桜は互いに目配せ。強力なボスに不意打ちでも喰らったかのような、共に強い危機感と覚悟の意思が灯った瞳が、二人の意思を刹那の間に伝えた。

「ああーっ、このメガネ、何しに来たですか! 厨房はメイドの聖域、メガネは立ち入り禁止ですぅ!」

「もう、いい加減に涼子を敵視するのはやめなさい、桃子」

 小太郎と桜の心が通じ合った、完璧な即興であった。

 現れた委員長は、気まぐれにやって来ただけのような雰囲気である。別にそれは何の問題もない。料理がしたくなった気分だろうが、ちょっとつまみ食いしに来ようが、そんなのは個人の自由であり誰の迷惑にもなりはしない。

 だがしかし、問題なのは今の小太郎の恰好。ただその一点にあることを、小太郎も桜も瞬間的に理解した。そう、この正統派クラシックスタイルのメイド服を着用しているのは、桃子ではなく、本物の小太郎なのだ。

 委員長は自らメイドスカートに顔を突っ込んで、桃子が女であることを確認してようやく正気を保てたのである。もしここで、小太郎もメイド服を着こなせることを知ったならば……

「まったく、相変わらずの口ぶりね、桃子は。ちょっと気分転換に、料理でも手伝おうかと来たのよ」

 やれやれ、とでも言いたげな苦笑を浮かべて、フシャーとこれ見よがしに敵視する桃子、を熱演する小太郎を涼子が眺める。

 どうやら命を賭けた迫真の演技と寸分の違いもない容姿のお陰で、バレてもいなければ、違和感すら抱かせないことに成功していた。

「そうですか、私もちょうどそんな気分だったのです。何か作りたいものでも?」

「特にメニューは決めてないわ。双葉さん任せで」

「私は肉じゃがを作りたいので、倉庫に材料を取りに行くのを手伝ってもらっていいですか?」

「肉じゃが、ね。いいじゃない。分かったわ、桜」

「仕方ないですね。桃子が料理長に肉じゃが追加と伝えておいてやるです」

「お願いしますね」

 と、桜の絶妙な誘導によって、見事に涼子を穏便にこの場から引き離すことに成功。

 小太郎はすぐ隣の食材の詰まった倉庫へ歩いて行く二人の背中を、ついに浮かんで来た冷や汗を垂れ流しながら見送った。




「————はぁ、昨日は酷い目に遭ったよ」

 翌日。エントランス工房にて、僕はしみじみと深ぁい溜息を吐きながらお仕事に勤しんでいた。

「お疲れじゃん。昨日どしたん?」

「ごめん、詳しいことは話せないんだけど……ちょっと色々あって」

「ふーん。それで姫野休んでんの?」

「まぁ、多少の関係はあるね」

 今日のエントランス工房は僕と杏子の二人だけで、いつもよりも閑散とした雰囲気だ。

 レムは桜ちゃんといっしょ、姫野は杏子の言う通り、今日のところはお休みとした。ちゃんと今日もエントランス工房は通常営業です、って姫野に言ったら、


「休みって言った! 休みって言ったのにぃーっ! やだやだ、絶対休む、今日は絶対に休むの! お仕事イヤ! イヤッ! やぁああああああああああああああああああああ!!」


 などと微妙に幼児退行しながらギャン泣きしたので、仕方なく黒騎士レムを召喚して力づくで引きずっていこうとしたら、メイちゃんの取り成しもあって、姫野は休ませることにした。

 ええい、まだまだ仕事が詰まっているというのに。桃子の奴め、まさか僕のフリして姫野に休暇を勝手に与えるとは。

 アイツ絶対、姫野が休日消滅する絶望感を与えるために、休み出しただろ。希望とは、より絶望を深くするためのスパイスだというのを、よく分かっていやがる。

 実際、相当に絶望的な嘆きぶりだったからね。ルインヒルデ様もクスって笑うくらいには、姫野は絶望していたと思う。メイちゃんに感謝するんだぞ、最高の親友を持てて。

 そんなわけで、泣きじゃくる幼児が如くメイちゃんに抱き着いて離れない姫野を後にして、僕は一人寂しく工房へやって来たのだ。

 それからほどなくして、欠伸交じりに杏子が出勤してきて……中嶋は狩りに、葉山君も精霊召喚の練習に熱を入れているので、今日はどっちも来ない予定である。

「葉山がなんかちょっと変だったのも、関係あんの?」

「いや、それはちょっと分かんない」

 どうやら葉山君にもちょっかいをかけたようだけど……僕のフリして迫ったところで、えっキモ、って思うだけだろう。まぁ直後に桃子の悪戯だったと弁明できたのは、不幸中の幸いである。葉山君に引かれたら、割とショックだよ。

「この事は、あんまり追及しないでくれると助かるよ。クラスの平和のために」

 昨日の一件について、桃子が僕のフリをしていた、という真実を知るのは、正体を一発で看破したメイちゃんを筆頭に、あの場に居合わせた桜ちゃん、それから僕が説明した葉山君だけとなる。レムは口止めなんてお願いするまでもなく、秘密は守れるので気にしなくていい。

 勿論、当事者である僕と桃子も、固く口外しないと約束した。

 桃子の場合は、下手なバレ方したらご主人様に怒られるから、秘密にしておく方が都合がいい。

 そして何より、一番大事なのは委員長に、本物の僕がメイド服を着ていたのを隠し通すことだ。この事実がバレれば、委員長がどんな言いがかりをつけて発狂するか分かったものじゃない。

 いやぁ、桜ちゃんと気持ちが通じ合った、歴史的な瞬間だったよね。やっぱり、人と人が分かり合うためには、お互いにとってのメリットが必要だよね。

 そういうワケで、昨日の一件は秘密裏に終息とした。仕方がないので、桃子も適度に天道君の元に戻してやることにもしてやる。

 ただし姫野、テメーはダメだ。もう君の有給日数はゼロだからね。

「とりま、この辺からやっとけばいい?」

「うん、お願いね」

 杏子はまだ姫野が全く手をつけていないガラクタの山へ向かい、金属素材の錬成に入る。

 今更の話ではあるが、非常に進んだ魔法文明を誇る古代の品は、当然ながら複雑な造りとなっている。精密機械のように複雑かつ小型のパーツが無数に詰め込まれた謎装備や謎デバイスも数多く、それを僕らが使えるよう素材に分解するとしても、多種多様な材料の種類が存在している。

 金属だけでも、純粋な鉄から金銀銅、合金、など幾つもの種類に分けられるし、その上さらに光鉄系の魔力が宿る金属素材もあるのだ。バラすだけでも一苦労であり、だからこそ、見るからに分解に手間のかかりそうなモノを、姫野は後回しにしていたのだった。

 そのやり方を責めるつもりはない。ひとまず手っ取り早く分解して必要素材を揃えられるモノから優先するのは、時間制限のある現状では有効な手段だ。

 かといって、それらだけで必要な素材を賄うには足りないので、いつかは手をつけねばならない状況だったところ、率先してやろうとする杏子は偉い。こういうところが、会社での評価に繋がるのだと、姫野には理解してもらいたいね。

 そんなことを思いながら、しばし集中して作業を進めていた。そろそろ昼時か、という頃である。

「おい小太郎、ちょっとこれ見てみ」

「えっ、なになに、どうしたの?」

 むふふ、と良い物でも見つけたような顔で、杏子が僕を呼ぶ。

 お手製のフワフワ毛皮座布団の上にどっかりと大きなお尻を下ろして座り込んでいる杏子の、ミニスカートから伸びる艶めかしい太ももと、その奥にチラ見えしたりしなかったりするヒョウ柄に目を奪われるが、見て欲しいのはその手にしている小型のケースだろう。

 片手で持てる長方形の金属と樹脂のパーツがそれぞれ合わさったような、謎の箱型だ。ちょうどスマホと同じか、一回り大きいか、といったサイズ感だ。

「多分これ、マガジンだと思うんだけどさぁ」

「週刊の?」

「や、撃つ方の。ほら、めっちゃイッパイ弾出てくんだよねー」

 鮮やかにネイルの塗られた指が、カチカチとパーツを押しながらひっくり返すと、頭の部分が開いて、ジャラジャラと大量の弾丸、のようなモノが出て来る。

 弾丸というよりも、頭のないネジのようだ。円筒形で、細かく螺旋状に魔法陣らしきものが刻まれている。

 武器庫の銃をバラして分析した時に、こういう感じの弾丸を使うと思われるタイプの銃も存在していることは、すでに判明している。小鳥遊が使っていたのは魔力だけで射撃する、いわゆるブラスター型だったので、こういう弾丸を撃ちだす実弾系の銃がどんな感じなのかは不明だ。

 しかし、マガジンだけ見つかっても、これを装填できる銃がないと意味が————

「————いやこれ、弾出過ぎじゃない?」

 ジャックポットを当てたスロットが如く、ジャンジャンバリバリ弾丸を吐き出し続けるマガジン。すでに杏子が開けた弾の量は、明らかにマガジンに収まるサイズを超えている。

「も、もしかして、これ」

「いっぱい入る系の魔法、ついてるヤツじゃね?」

 つまり、空間魔法の付与されたアイテム。

 杏子、君はとんでもない神アイテムを発掘してくれたね。

第345話 タワー攻略前夜(1)

 隠し砦に籠り始めて、おおよそ一ヶ月が経った。

「ようやく、準備が整った」

 食堂に集った一同の前で、僕はブリーフィングを行う。

「セントラルタワー攻略は、明後日に始める。明日はお休みだから」

 この一ヶ月ほどの準備期間、特に後半はかつかつだった。途中で行き詰まりを迎えて、メイちゃんの膝枕でふて寝した時もあったけれど、欠けていたピースが無事に集まったことで、そこからはかなり詰めて作業を行った。

 僕の頑張りに応じて、工房では中嶋も頑張り過ぎて倒れたり、姫野が倒れたフリしたのを叩き起こしたり。葉山君が地味に『簡易錬成陣』を習得して、新たにデスマーチに加わってくれたり、工房の生産能力が上がったことで、なんとかこの期間で仕上がったといったところである。

 お陰様で、最終決戦に相応しい最高品質の装備が揃った。

「今更、作戦の目的を説明したりはしない。けれど、これだけは言っておこうと思う————僕も、みんなも、仲間の命を優先して欲しい」

 今作戦において最大の難関は、囚われた仲間を生け捕りにしなければならない点だ。

 そのために、天道君から提供された隔離区域のボスから採取した麻痺毒をメインとした、捕獲用装備を作ったが……その効力も、絶対的とは言い切れない。

「蒼真君を捕まえる時、矢面に立つのは天道君と桜ちゃんだ。でも、いざという時、僕は二人の命を優先して、蒼真君を殺してしまうこともありうる」

「ふん、今更そんなこと気にしてんじゃねぇよ。悠斗の尻ぬぐいをお前らにさせちまってんだからな。いざって時の覚悟くらい、できてるさ」

「絶対に、私がそんなことはさせません。だから桃川、余計な手出しは無用ですよ」

 良くも悪くも、生きたまま取り戻したい、と思う気持ちの強さは人それぞれである。

 僕個人の感情で言えば、キナコ大なり、蒼真君大なり、越えられない壁、明日那、といった順序になる。恐らく、メイちゃんならばキナコでさえも、僕の命の危険とあれば容赦なく殺せるだろう。

 みんな仲間で、絶対に全員を取り戻す、そのために命を賭けて協力するんだ————と、綺麗事を言うのは簡単だ。蒼真君だったら絶対にそんな感じの事を言うだろう。

 でも僕は、そんな非現実的な理想論を無責任に口にはしない。僕に出来ることは、誰もが望む未来を掴み取るための可能性を示すことだけだ。

 だから蒼真君を生きて取り戻したいと最も強く願う者が、その矢面に立ってもらう。そして、僕らはそれを支える。それ以外の人が前に立てば、勢いで殺してしまうからね。

「葉山君もいいかい? いざという時の覚悟だけは決めておいて欲しい。僕はキナコに、仲間を殺させる真似だけは絶対に許さない」

「ああ、分かってる……だから、俺が必ずキナコを取り戻す!」

「うん、頑張ろう。そのために、出来る限りの準備もしたからね」

 僕としても、蒼真君はこの際諦めはついても、キナコだけは何としても取り戻したい。

 何といっても、彼は二年七組のクラスメイトではない。ただ純粋に葉山理月と出会って、彼のために行動を共にしてくれたのだ。

 そんな君を、見捨てることはしたくない。あのクソ賢者なんぞに利用されるのを、絶対に許しはしない。

「中嶋君、正直に言って剣崎の優先度は最も低くなる。僕もフォローはしきれないかもしれない。それでも、君はあの女を助ける可能性に賭けるんだね」

「勿論だよ。桃川君、僕にチャンスを与えたくれたこと、本当にありがたく思っている」

「明日那は私にとっても、大切な友人です。そう簡単に見捨てたりなんてしませんからね」

 でも蒼真君と剣崎だったら、悩む余地なく蒼真君を取るでしょ? あんまり威勢のいいこと、言わない方がいいと思うけどな、桜ちゃん。

「殺すべきは、『賢者』小鳥遊小鳥だ。あの裏切り者を倒して、僕らは今度こそこのダンジョンから脱し、外の世界へと旅立つ————」

 本当なら、もっと楽にタワー攻略ができるはずだったのに。

 最後の最後まで、小鳥遊小鳥、アイツには苦しめられることになってしまった。

 けれど、これで最後だ。この戦いで、全てにケリをつけ、僕らは自由を手に入れる。

「————最後のダンジョン攻略だ。気合を入れて行こう」




 翌日。休息日となった本日は、クラスメイト達は思い思いに過ごしている。

 双葉芽衣子は給食係の長として、今日の夕飯は腕によりをかけた豪勢なものにしようと、朝の内から厨房に入っていた。

 朝と昼は軽めのものを用意し、ディナーに向けての下拵えも早々に進めてゆく。

 ほとんど一日がかりの作業となるが、それを苦に感じることはない。これが自分の一番好きな事である。武器を振るって戦うよりも、よほど楽しい。

 そうして鼻歌交じりに調理を始めた芽衣子の下にやって来たのは、意外な人物であった。

「あっ、葉山君。どうしたの?」

 当番でもないのに現れたリライトに、芽衣子は朗らかな笑みを浮かべて問いかける。

 いまだに奇跡のダイエット大成功で爆乳美女と化した芽衣子の姿を慣れていないリライトは、思わず視線を逸らしつつ、正直に答えた。

「あー、ちょっと、キッチン貸して貰ってもいいか? 隅っこの方でいいから」

「ここは広いから、どこでも好きに使っていいよ。でも、何か作って欲しいモノがあるなら、私が作るけど?」

 と、芽衣子はリライトの抱える、大きな肉————鶏型モンスターであるコッコの腿肉だ、と食材を一目で見抜きながら言った。

 モンスターサイズらしい鶏足一本で、巨大なフライドチキンでも作りたいのだろうか。通常の大きさを越えたサイズで調理をするには、それ相応の技術が必要である。少なくとも、料理はほとんど素人のリライトが、一人で上手に作るのは難しいのではないかという、芽衣子の親切心からの言葉だ。

「いや、双葉さんは大変そうだから、俺が自分でやるよ」

「ううん、そんなこと全然、気にしなくてもいいよ」

「ホントにいいんだ。俺が作りたい……作ってやりたいんだ」

 真剣な表情で言いながら、リライトは大きな腿肉をキッチンの一角へ置いた。

 腕をまくり、まずは手洗いから始め、やる気は十分のようだ。

「何を作るの?」

「唐揚げ。キナコの、好物なんだ」

 この異世界に落とされた、最初の日の夜に食べた、弁当箱に入っていた唐揚げ。1パック298円で売っている単なる冷凍食品だが、火の精霊で点火した焚火で炙って、二人で分け合って食べた友情の唐揚げである。

 ウマイ、ウマイ、と喜んで食べていたキナコの姿が、今でも鮮明に思い出せる。

 小太郎と合流したことで、リライトのサバイバル食事事情は大幅に向上したけれど、キナコの大好物はやはり唐揚げなのである。

「きっと、腹空かせてると思うんだよ。だからアイツを助け出した時は、すぐに好きなもんを食わせてやりてぇんだ」

「うん、そっか。それじゃあ、いっぱい作らないとね」

 リライトの目にジワリと滲む涙を見ないフリをして、芽衣子はヒマワリのような笑顔でそう言った。

「お、おうよ! でも、作り方にはあんま自信ねぇから、ちょっと教えてくれると助かる」

「勿論だよ」

 白嶺学園の料理部エースによる、最高に美味しい唐揚げの作り方講座が始まった。




「————いよいよ、明日ね」

 ヤマタノオロチ討伐戦前夜に振舞われた以上に、贅を凝らしたディナーを終えた後。涼子はワイングラスを片手に、しみじみと呟いた。

「うん。大丈夫、絶対なんとかなるよ」

 不安を吹き飛ばすような明るい笑みを浮かべながら、テーブルに並べられたスイーツに美波が手を伸ばす。

「それにしても、よくお酒なんて飲めますね、涼子」

 同じく不安は抱えているだろう桜だが、あえては触れずに、涼子が口にしている赤ワインに胡乱な目を向けた。

「私、意外とアルコールには強いみたいだから。明日の作戦に障りはないわ」

「私はワインはあんまりだなー。果実酒かハチミツだよ!」

「いえ、そういう意味で言っているのではなくてですね……」

「なによ、桜。貴女はまだ、毒を盛られた時のことを気にしているの?」

「当たり前です。あの時、私が偶然にも解毒の魔法を授かったから良かったものの……今思い出しても、ゾッとする出来事です」

「でも、ソレは桃川君のせいではないと分かったでしょう」

「ええ、それは分かっています。ですが、だからといってあの忌まわしい記憶がなくなるワケではありませんから」

 だからこそ、小太郎が「これ結構美味しいよ」とオススメしていたワインボトルを、平然と受け取って飲んでいる涼子の対応が信じられないのだ。

 事実、毒を盛ったのが小太郎ではなかったとしても、彼の手によって配られた酒で倒れたというイメージまで払拭することはできない。もっとも、桜にとっては毒を煽ったことへの純粋な恐怖心よりも、小太郎に対する悪印象と敵愾心が強過ぎるが故のことであるが。

「蒼真君がいなくなっても、貴女は相変わらずね」

「むっ、どういう意味ですか」

「意地を張り過ぎよ。みんな、桃川君のお世話になってる。私も貴女も、あの龍一でさえもね。あまり彼に対してケチをつけるのは、親にワガママをいう子供のようにみっともないわよ」

「意地になってるのは桃川の方ですよ! 私がどれだけ、酷い扱いを受けたか……あんな人体実験のような真似、決して許されません……絶対に許さない……」

 小太郎がクラスメイト達に対して、保護者同然に生活環境を保障しているのは学園塔の頃から変わらぬ事実だ。今ならば、もし彼にこの隠し砦から叩き出されれば、龍一以外は誰もが衣食住に困ることになる。

 当たり前のように快適な環境で生活し、狩猟や修行、装備生産などの活動に集中できるのは、小太郎が過不足なく整えているからに他ならない。

 だがその一方で、蒼真桜に対する『聖天結界オラクルフィールド』破りの実験が過酷を極めたのも、また事実であった。

「それはまぁ、そうねぇ……同情はするわ」

「同情するなら、ちゃんと助けてくださいよ」

「にはは、それはちょっと無理かなぁー」

「美波も、少し桃川に絆されすぎではないですか?」

「そんなことないよ。これは正当な取引……ビジネスパートナーってやつだから」

「多分、彼と良い関係を築くなら、それが一番よ」

 学園塔の頃も、そしてゴーマ王国で偶然の再会を果たした時から、小太郎が甘味で美波を釣って様々な便宜を図ってもらう関係性は続いている。芽衣子が小太郎の下に戻った現状となっては、舌の肥えた現代っ子である美波を満足させるスイーツを作れる唯一のパティシエを抱えていることになるので、二人の関係性はより盤石なものとなるだろう。

「涼子だって、あまり体よく桃川などに利用されてはいけませんよ。全く、面倒事ばかり丸投げして」

「いいのよ、委員長になった時から、この苦労性は定めだから————そもそも、私を労うつもりがあるなら、桜もあまりワガママを言わないでちょうだいね」

「私はワガママなんて……いえ、私にそんなつもりはなくても、涼子に余計な苦労をかけてしまった、ということですね」

 桜は涼子のことを大切な友人だと思っているが、彼女の方は全幅の信頼を寄せているとは言い難い。その最たる例が、ゴーマ王国攻略に際して、小太郎と密かに通じていたことである。

 当時の立場としては実質的な裏切り行為だが————結果的に小鳥遊小鳥が黒幕だったために、涼子と美波の二人が小太郎と結託したのは、再びクラスがまとまるための最善手であった。

 事情は話せないが信じて欲しい、と悠斗を抱き込み、表向きは全て美波が潜入して石板を操作することで破壊工作をした、という都合の良いカバーストーリーを桜と明日那は馬鹿正直に信じていたのだ。

 あの時点で、涼子はもう自分には全てを打ち明けてはくれない関係性であった、何よりの証であろう。事実、正直に小太郎から持ち掛けられた王国攻略作戦とその協力の打診を涼子から打ち明けられていれば、桜は確実に反対していたし、最悪、独断でも小太郎の作戦の妨害もしたかもしれない。

 結局、自分が正しいと信じた心のままに行動することが、最悪の事態を招く可能性をまざまざと突き付けられた結果となった。

「裏切り者、と罵倒されなくて良かったわ」

「小鳥遊が本性現わしたから、桜ちゃんとは微妙な関係性にならずに済んだよね」

「そう、ですね……もしも、あのまま桃川の言う通りにタワー攻略が始まっていれば、私はきっと貴女達を裏切り者だと軽蔑したでしょう」

 信じたいものを信じただけで、騙されているのは自分の方だった。

 小鳥遊小鳥が全ての黒幕であったことよりも、桜にとっては、本当はそちらの方が衝撃を受けているのかもしれない。

「貴女達と信じるものは同じ、と思っていたはずなのですけれど……どうして、こうも違ってしまったのか……何故、桃川の言うことを信じられたのですか」

「私は別に、桜ほど潔癖ではないから。まさか、貴女と桃川君の関係性に決定的な亀裂が入ったキッカケの事件、忘れたとは言わせないわよ」

 ある日の晩、呪術用の素材として、男性由来の特定成分の採取に勤しんだ後の小太郎を、運悪く————もしかすれば、あの一件からして小鳥遊が起こしたのかもしれないが————明日那が目撃をしてしまい、問答無用で取り押さえて騒動に発展したのだ。

 小太郎の行動に生理的な嫌悪感をもって桜と明日那は非難轟々。対して小太郎を庇う双葉芽衣子は、彼を傷つけるならクラスメイトでも容赦はしないとばかりの強硬論を主張。

 涼子は委員長として、ここでパーティ間の対立は何としてでも避けなければと、気が気ではなかった。彼女の気持ちを察して、積極的な桃川バッシングに参加しなかったのは美波だけである。本当の親友とは、このレベルで通じ合うものなのだ。

「あの時から、桜と桃川君との対立は始まったし……綾瀬さんのことで、悠斗君とも決定的に相容れない関係になってしまった」

「……レイナのことも、もしかして小鳥遊小鳥が」

「直接、彼女を手にかけたのは桃川君であることに、違いはないでしょう。けれど、悠斗君と引き離して排除する思惑が働いた可能性は高いわね」

 小太郎がレイナを刺し殺した、正にその直後に悠斗達は転移をしてきたのだ。

 あのタイミングは、小鳥が狙ったとしか思えない。少なくとも絶好のタイミングだと察して、転移先をあの場に指定するくらいのことはできるだろう。

 レイナ・A・綾瀬は、蒼真悠斗の幼馴染であり、妹の桜を除けば最も彼に近しい女子でもあった。悠斗を手に入れることを目的としている以上、レイナの存在が小鳥にとって邪魔なのは明白である。

「小鳥の気分次第で、貴女と綾瀬さんの立場は逆になっていたかもしれないわね」

「それは、兄さんの覚醒とやらを促すための、悲劇の犠牲役として、ということですか」

「ええ。間違いなく、勇者の力を覚醒させる最後の鍵は、最も親しい人の死でしょうから」

 小鳥がこれまで、悠斗と桜をダンジョン攻略開始時点からずっと一緒にいるのを許した理由は、そこにあるとしか考えられない。

 逆に言えば、最後にして最大の犠牲は、妹の桜一人だけでよい。レイナという二人目はいらなかったのだ。

「あの女の思い通りになどは、決してさせません。兄さんは、私が必ず救い出します」

「そうね、悠斗君を助けるには、私達が一番頑張らないといけないわ」

 最悪、小太郎は悠斗を見捨てる選択肢も取れる、と涼子は理解している。

 その人を助けるのに背負えるリスクと払える犠牲は、関係性によって異なるのは当然だ。桜は自分の命すら省みずに悠斗を助けたいほど愛しているだろうが、小太郎にそこまでの気持ちはない。逆に、芽衣子が囚われているならば小太郎はどんな苦労を負ってでも助けようとするが、桜はそんなことに命を賭けるのは絶対に御免だと思うだろう。

 そのことをあえて明言こそしてはいないが、今回の救出が必要な者に対しては、基本的にその人を助けたいと一番思っている人がメインで担当するよう配置されている。

 蒼真悠斗は桜が。キナコはリライトが。そして剣崎明日那は中嶋が。それぞれ、最も危険で重要な役割を担うこととなっている。

 その担当者が無理、あるいは死ぬと判断した段階で、小太郎の指示で救出作戦を断念し相手の殺害も辞さない————そう、作戦会議で決められた。

 誰かを助けるために、誰かを犠牲にするのは絶対に許さない。仲間の命を最優先に。それは小太郎が定めた、今作戦におけるルールであり、全員の同意を得て承認されたものだ。

「絶対、大丈夫だよ。桜ちゃんも、涼子ちゃんも、私だって、いっぱい練習して、しっかり準備もしたんだから! それにほら、天道君もいるし、何とかなるよ!」

「ええ、そうですね、美波。必ず私達で兄さんを取り戻しましょう」

 激戦を乗り越えてきたが、それでも大きな戦いの前夜は不安になるものだ。だからこそ、美波の底抜けの明るさが、何よりもありがたいと感じられた。

第346話 タワー攻略前夜(2)

「……話があるんだ、愛莉。開けてくれないかな」

 そう言って中嶋が姫野の部屋を訪れたのは、就寝時間になろうとする頃合いであった。

「ふふ、陽真くんの方から来るなんて、久しぶりだね?」

 扉を開けて中嶋を出迎えた姫野の恰好は、凝ったレースの下着とシースルーのネグリジェ。最初から持っていたものではなく、この砦に来てから作ったものだ。小太郎の目を盗んで素材をちょろまかし、夜なべして作った力作であった。

「いいよ、入って」

 そんな涙ぐましい努力の結晶たる衣装を身に纏った姫野が、妖しい微笑みを浮かべて中嶋を中へと誘った。

 如何にもな恰好をしているせいか。それとも姫野の言う通りに久しぶりだからか。今夜の彼女の姿は妙にそそるものがある。

 今となっては、ここに残った女子は何れも異なった魅力を備えた美少女達ばかり。平々凡々な容姿の姫野が並べば、なかなか惨めなことになってしまうが……この部屋ばかりは姫野愛莉、彼女のテリトリーだ。地の利は得ている。

「座って」

「いや、別にこのままでも」

「いいから、座ってよ」

 腰かけたベッドで、自分の隣をポンポンと叩いて姫野が呼ぶ。

 今更、ベッドの上で彼女と並ぶことに恥じらうような未経験者ではない。中嶋は大人しく従って、姫野の隣に腰を下ろす。

 フワっと甘い花のような香りが、鼻を突いた。

「陽真くんが来てくれて、嬉しい。いよいよ明日だし、不安だったの」

 わざとらしい上目遣いで言いながら、中嶋の太ももに手を置いて撫でる。

 その程度のスキンシップで揺らぐようなことはないが、くすぐったい感触にムズムズしてしまう。

 努めて気にしないフリをしながら、中嶋は当たり障りのない返答をした。

 そうして、ポツポツと会話が続く。ありきたりな話の内容だ。特に中身のない感情論。

 けれど、それでいい。姫野と中嶋、二人の間には色々とあったものの、今は共に戦う仲間であることに変わりはないし、小太郎の工房でこき使われているのも同じ。今の面子の中では、最も気の置けない間柄なのも事実であった。

「————それで、話ってなに?」

 小一時間ほどお喋りをしてから、ようやく本題へと入る。

 中嶋は僅かに逡巡してから、迷いを振り払うように切り出した。

「愛莉にお願いがあって来た」

「うん、なにかな?」

「剣崎さんを助け出したら、その時は大きな怪我を負うことになる可能性が高い。僕も、彼女も」

「そうなんだ」

「だから……その時は、愛莉に治療を協力して欲しい」

 剣崎明日那を取り戻すにあたっての作戦は、決して無傷で確保できるような生易しいものではない。基本的には、彼女を戦闘不能にまで追い込むことが前提となる。真っ向勝負は避けられない。

 それしか確実に抑えきる方法がないことは、中嶋とて理解しているし、納得もしている。これ以上を求めれば、流石に小太郎も無理だと断じて明日那を切り捨てる方針に変えるかもしれない。

 中嶋だって、小太郎が明日那に対して良い印象を全く抱いてないことは承知の上。それでも自分の恋愛感情を汲んで、そちらを優先するように切り出してくれたのだ。

 多少の無茶と危険のある作戦だが、それでも小太郎の理解と協力を得られるベストな選択だと中嶋は思っている。後は、どこまで成功率を上げられるかは、自分の努力次第である。

「ふーん、治療ねぇ……私なんかよりも、『聖女』の蒼真さんに頼んだ方が良いんじゃないの?」

 わざとらしく拗ねたような口調で、姫野が答えた。

「勿論、頼みはしたさ。けれど、蒼真さんがいざという時、本当に剣崎さんを治癒してくれるかどうかは……」

 蒼真桜は、良くも悪くも潔癖だ。あれほど仲の良い友人であった剣崎明日那であっても、裏切り者となれば容赦なく切り捨てる可能性は高い。

 中嶋も実際に桜に対して、明日那を助けた際には治療をと頼みはしたが、「助けるかどうかは、明日那次第です」とあまり色よい返事は得られなかった。恐らく、本当にその時の明日那の態度次第で、桜は生かすか殺すか選ぶのだろう。

 なんとしてでも明日那を生かして助け出したい中嶋からすれば、そんな曖昧な桜に頼り切るワケにはいかない。

「それで私に、ってこと」

「うん。愛莉が彼女に恨みがあるっていうことは、よく分かっているつもりだ。ムシのいい話をしている、と自覚もある。でも、それでも僕は————」

「別にいいよ」

「えっ」

 と、間抜けな声が漏れた。

 土下座して頼み込む覚悟を持ってきたのだが、あまりにもあっけなく了承が得られてしまった。

「い、いいの? 本当に?」

「うん、いいよ。だって、陽真くんの頼みだもん」

 にこやかに笑みを浮かべる愛莉。だが、それを正直に受け取れるほど中嶋は純粋ではない。

「そっか、ありがとう……本当に、助かるよ、そう言ってくれて」

「でもぉ」

 ほら来た。

 タダでこんな頼みを、受け入れるはずがない。中嶋は身構えた。

「やっぱり私の治癒魔法って、蒼真さんのに比べたら、効果はかなり劣るじゃない? だから、あんまり大怪我されると、治せる自信ないんだよね」

「それは、仕方のないことだと思うけど」

 中嶋とて、完璧な治癒などハナから望んではいない。愛莉の治癒魔法で命だけでつなぎ留められれば、それだけで良い。

 しかし、そのようなことを言うつもりはないのだと、愛莉が肩へしな垂れかかって来たことで察する。

「でも、私ってホントは『淫魔』じゃない?」

「そ、そうだね……」

「だからぁ、陽真くんが協力してくれたら、いつもよりも力が発揮されるんだよね。ほら、魔力を吸収しちゃう的な?」

 きゃはは、とわざとらしい笑い声を上げながら、太ももを撫でていた手が股間近くまで伸びてゆく。

 愛莉が何を求めているのか、それ以上を問うほど中嶋は野暮な男ではなかった。

「……分かったよ」

 中嶋は愛莉の華奢な肩に手を回し、自分の方へと引き寄せる。

 一気に密着した二人の体。至近距離、円らではないが潤んだ瞳で愛莉が上目遣いで見つめながら言った。

「じゃあ、約束して。剣崎を助けた後も、ずーっと私に『協力』してくれるって」

「いいよ、約束する。それで彼女を救えるなら————」

 それ以上の言葉はいらない、とばかりに、二つの影は一つに重なり合った。




「……ふぅ」

 吐き出した紫煙が、偽りの夜空に消えていく。

 タワー攻略作戦の前夜。天道龍一は一人で、外で愛用の煙草を嗜んでいた。

「主様よ、よいのか」

「あ? 何がだ」

 正確には、一人と一匹。煙るタバコの副流煙を全く気にせず、肩に留まったリベルタが問いかけた。

「大きな戦いを控えた晩じゃぞ。こんなところで、一人でおって良いのかと聞いておる」

「他に何しろってんだよ」

「ふむ、幼子でもあるまいに。あの眼鏡の女子を放っておいて良いのか?」

「アイツとは、そういうんじゃねぇよ」

「向こうは、そうは思っておらぬじゃろう」

「ふん、古代の生物兵器は人様の色恋に口を挟む機能もあるのかよ」

「主様の恋路を叶えてやりたいという、純粋な好意じゃぞ」

「余計なお世話ってんだよ、そういうのは。覚えておけ」

 眉間に皺を寄せて、煙草の煙を思う様に吸い込む。不機嫌そうな表情極まるが、本気で嫌悪感を発していないことは、リベルタには分かった。

 魂で結びついた契約を果たした恩恵。それがなくとも、互いの機嫌を察するくらいの間柄には、この短い期間でなっていた。

 基本的に人と馴れ合うことは避けがちな龍一だが、リベルタが人間ではないが故に、気の置けない関係になれたのかもしれない。

「戻るか」

 そう一言だけ呟いて、龍一は踵を返した。

 わざわざ地下通路を抜けて、隠し砦へと戻り、割り当てられた自室に入る。

 リベルタがバサっと羽ばたき肩から離陸すると、枕元へと降り立つ。羽を畳み、尻尾を丸め、一足先にお休みの体勢。

 そして龍一もベッドにかけられた布団をまくると、

「お待ちしておりました、ご主人様ぁ」

 語尾にハートがつく甘ったるい声で、布団の下から桃子が現れた。

「今夜は誠心誠意、この桃子がご奉仕いたしまぁーっす!」

 と高らかに宣言する桃子の姿は、普段のメイド衣装ではない。

 白い肌に際立つ黒い下着と、シースルーのネグリジェ。頭にはいつものホワイトブリムではなく、黒い猫耳カチューシャが。

 フワフワの黒い毛皮の手袋とソックス、おまけに細長い猫の尻尾も生えている。クネクネと動く尻尾は、一体どういう原理が働いているのか。

 下着も黒猫装備も、桃子が工房に手伝いに出た際、姫野愛莉と一緒に作ったものである。彼女の仕事を手伝えば、喜んで協力してくれる同志になってくれたものだ。ただし、オリジナル桃川への愚痴は絶えなかったが。

 ともかく、桃子はそんな魅惑の黒猫ファッションで、ご主人様を誘惑すべく待ち伏せしていたのだった。

「さぁ、ご主人様、いざ桃子とめくるめく快楽の世界へ————」

「送還」

 龍一が一言そう唱えれば、桃子の小さな体が黄金に輝く粒子となって消え去っていく。

 静かになった部屋の中で、龍一は一際大きな溜息を吐いてから、ベッドへと入る。桃子の体温が残る、妙に温かいベッドの中へ。

「————チェンジなんて酷いじゃないですか、ご主人様ぁ!」

 枕元に黄金の魔法陣が眩く輝き、猫耳桃子がニュっと顔を出して怒りの抗議が炸裂する。

「うるせぇ、チェンジもクソもあるか。さっさと寝ろ」

「むぅ、仕方ないですねぇ……今夜は添い寝だけで我慢してあげます」

「なにサラっと潜り込もうとしてんだ、テメーのベッドはソッチだろが」

 めげずに同衾しようとする桃子をつまみ出し、反対側にあるベッドへと放る。

 龍一がこの部屋を自室に選んだのは、他でもない、ここがツインベッドだったからである。

「ううぅ……一人寝は寂しいですよう、ご主人様ぁ……」

「黙れ。これ以上、面倒な誤解を招くのは御免なんだよ」

 扇情的な恰好をした桃子との同衾がバレた場合、今度こそ涼子の心は木端微塵に砕け散ってしまうかもしれない。

 同じ部屋で寝泊まりするのは許すが、同じベッドに入るのは許さない。それが龍一と桃子の、今の距離感であった。

 少なくとも、涼子よりは近しい関係にあるのは事実なのだが……そのことは、どちらにとっても言及して良いことはないので、暗黙の了解ということになるのだった。




 中嶋は愛莉と結ばれ、桃子は龍一と離れ、とそれぞれが過ごす攻略前夜。

 双葉芽衣子と蘭堂杏子の二人は、真正面から向かい合っていた。

「……」

「……」

 互いに無言。

 小太郎の部屋の前で、二人はお互いの姿を確認し合う。

 どちらも、太ももの半ばまで裾が届く、大きなサイズのシャツを着ている。ダンジョンを進むにつれて得られる新素材と、成長する錬成能力とによって、下着類の日用品の品質も進化し続けている。

 二人が被っている大きなシャツは、シルクのような美しい白色に滑らかな肌触り、そして丈夫かつ柔軟に伸び縮みする、古代産の繊維も用いた一品。おまけに、物理防御と属性耐性も僅かながらつく、実用性も高いエントランス工房が送る最新モデルであった。

 だがしかし、二人にとってのガチ装備は、そのシャツの下にある。白い薄手の生地はほんのりと透けて見え、女子高生離れした魅惑の肢体を包む衣装を浮かび上がらせた。

「ふーん、気合の入った恰好してんじゃん」

 杏子は、透けて見える芽衣子の体に鋭い視線を向けて言う。

 芽衣子が身に着けているのは、白い下着。清楚な純白のレースで彩られたデザインでありながら、その布面積は官能的な小ささ。はち切れんばかりに収まった胸と尻は、緻密に計算され尽くした結果。外国人モデルもかくやという規格外の肉体を誇る芽衣子に合わせて、淫魔の匠、姫野が丹精込めて作り上げた下着である。

 最近、エロ可愛い下着を作ってくれると、密かに女子の間で話題になっていた姫野であったが、一番の友人である芽衣子のために拵えたのだ。友の恋路を応援する女の友情の結晶は、一目見ただけで男を前かがみで沈める、強力な誘惑兵器となって完成されていた。

「蘭堂さんこそ」

 対する芽衣子も、同じく杏子の体を見つめる。

 艶めかしい褐色の肉体を包み込むのは、黒い下着。深い色合いの漆黒の布地が、僅かに局部を包み込んで淫らに飾り立てる。

 普通の女子高生ならまず着ない、着こなせない過激なデザインはしかし、芽衣子に負けず劣らずの豊満な体を誇る杏子にとっては、これ以上ない最適装備と化している。

 小太郎を攻略するために、自らデザインを起こし、姫野に無理を押して作らせた執念の一品だ。

「……」

「……」

 再びの沈黙。

 お互い、一世一代の決戦装備に身を包んでいることを確認し合い、静かな膠着が生まれてしまった。

「双葉、アンタが凄いのも、小太郎が特別に思ってるのも、分かってる。でも、ウチは大人しく譲るつもりはないから」

「蘭堂さん、私が戻るまで、小太郎くんと一緒にいてくれて、ありがとう。その間に、何があったとしても……私は気にしないよ」

「それ、どこまで進んでても関係ないって意味?」

「うん。たとえ一線を越えていたとしても、それは私が退く理由にはならないから」

 先に告白した方が、先に付き合った方が、先に結ばれた方が————そんな、高校生染みた恋愛観で話しているのではない。

 恋愛に早い者勝ちなどない。諦めなければ、幾らでも奪い返すことができる。愛のままに、欲望のままに。

「ちっ、リボルバーも、持ってくれば良かった」

 互いに素手でこの距離。力ずくの手段に出られれば、杏子の不利は明らかだった。

 気絶した自分が、冷たい通路に転がって一夜を明かす想像が脳裏を過る。

「言ったでしょ、気にしないって。それに、私には蘭堂さんを止める権利はないと思うから」

「なにそれ、どういう意味」

「私一人だけじゃあ、小太郎くんを助けてあげられなかったから。独占欲で、彼を危険に晒したくはないの」

「全然分んない。でも、ウチの邪魔しないなら、別にいいか」

 逆に言えば、自分もまた芽衣子を止められるだけの力はない。

 一人負けしないだけ、マシだと思うことにした。

「小太郎がウチを選んでも、恨むなよな」

「それでも、私は小太郎くんの傍にいるだけだから」

 鋭い目を向ける杏子に、悟ったような微笑みを浮かべて芽衣子は答える。

 不毛な睨み合いは早々に打ち切り、二人は同時に部屋のドアへと手をかけた————

「えっ、ちょっ、なんで二人同時に————うわぁっ、レム! 助けてレムぅーっ!」

第347話 セントラルタワー最深部

「————ハッ!?」

 目が覚める。

 一体、どんな悪夢を見ていたのだろうか。最悪の寝覚めだった。

「はぁ……はぁ……」

 息が荒い。酷い寝汗に全身が塗れていて、気持ちが悪い。眠っていたはずなのに、かえって体力を消耗したような感覚。事実、全身が熱にうなされたような気怠さが付き纏っている。

 こんな状況下で、風邪を引いたなんて間抜けなことになっていないとは思いたいが……

「あれ……俺、なに、してたんだっけ……」

 そもそも、自分の状況を忘れている。俺は、何をしていたんだっけ。

 途端に、自分の状況認識が怪しくなる。

「どこだ、ここ……」

 今更ながらに気づく。ここは真っ白い部屋だ。病室だとしても、随分と無機質な感じがする。白い天井、白い壁面、よく見慣れたダンジョンの白光パネルが室内を明るく照らし出す。

 あの隠し砦に、こんな部屋があったのだろうか。

 いや、あの場所からはもう、出て行ったような気もするが……

「————おはよう、蒼真君」

「うわっ、小鳥遊さん!?」

 唐突に声をかけられたと思えば、自分のすぐ隣、肩が触れ合うほどの距離に小鳥遊さんがいた。どれだけボンヤリしていたのか。すぐ傍にいて気づかないとは。

 だが、今問題なのはそんなことではない。

「小鳥遊さん、な、なんて恰好をしているんだ!」

 恰好というか、そもそも何も着ていない。タオルケット一枚が胸元にかかっていて、白い両肩と小柄な体に不釣り合いな胸の谷間が大胆に晒されている。

 何故、裸で俺の隣で寝ているんだと思うが、自分もまた全裸であることに今更ながらに気が付かされた。

 なんだこの状態は。まるで、映画で恋人同士が一晩を明かした後のシーンみたいである。

 勿論、俺と彼女はそんな関係ではないし、そういうことをした記憶は一切ない、

「やっぱり、まだ思い出せないんだね、蒼真君……」

「えっ、どういうことなんだ?」

 悲し気な表情を浮かべる小鳥遊さんには、この謎の状況に対する困惑の色は一切ない。思い出せない、と言うってことは、現状を理解できていないのは俺だけのようだ。

「すまない、小鳥遊さん。何故か、俺の記憶が酷く曖昧で……どうしてここで寝ているのか、眠る前に何をしていたのか、全然、思い出せないんだ」

「うん、そうだよね。大丈夫だよ、小鳥はちゃんと分かっているから」

 良かった、どうやら小鳥遊さんは今に至るまでの状況をきちんと把握しているようだ。揃って謎の記憶喪失に陥っていたら、どうなっていたことか。

 しかし、俺だけが直近の記憶を失っていることに、とてもじゃないがいい予感はしない。

「蒼真君、体は大丈夫? 頭、痛かったりしないかな?」

「少し熱っぽい気はするけど、大丈夫だ。心配しないで————というより、その、先にお互い、服を着た方がいいと思うんだが」

 心配そうな顔で体調を訪ねて来る小鳥遊さんだが、当然ながらタオルケットを被っただけの裸体で、非常に際どいことになっている。

 いつもツインテールにしている髪型も、当たり前だが寝るにあたって解かれており、綺麗なロングヘアになっている。普段はお目にかかれない髪を下ろした小鳥遊さんは、いつもよりもグっと大人っぽく見えてしまう。

 つまるところ、非常にドキっとさせられて困るのだ。俺が男だということを、この子はちゃんと認識しているのかどうか不安になる。

「あはは、恥ずかしがってるの、蒼真君? カワイイね」

「からかわないでくれ。年頃の男女が揃って裸で寝ているなんて、もう冗談じゃ済まされない状況なんだから。小鳥遊さんは、もっと自分の身を大事にしないと————」

「————冗談、なんかじゃないよ」

「なんだって」

「思い出せなくても、小鳥と何があったのか……想像、できるでしょ?」

 二の句が継げない、とはこのことか。

 責めるでも咎めるでもなく、小鳥遊さんはジっと俺の目を見つめて来る。

「ま、まさか、俺は……」

「ううん、いいんだよ。本当かどうかは、蒼真君が思い出した時でいいから」

「いや、でも」

「本当にいいの。だって小鳥は、蒼真君のこと……ごめんね、今こんなこと言うのは、卑怯だと思うから、これ以上はやめておくね」

「小鳥遊さん……」

 はっきりと明言こそしなかったが、俺が彼女に何をしたのか察するにあまりある状況となってしまった。言い逃れは、できそうもない。どうやら俺も男として覚悟を決めなければならない時が来たのかもしれない。

 けれど、それはまず現在の状況を確認してからでも遅くはないだろう。

 少なくとも、桜達が無事であるならば、こんな状況は絶対に許さないだろうから。

「教えてくれないか。俺は何をしていたんだ。みんなは、無事なのか」

「……とっても、辛い話になるよ。聞くのは、もう少し休んでからでもいいんだよ」

「大丈夫だ、聞かせてくれ。覚悟は、できているつもりだ」

「分かったよ……ねぇ、蒼真君は、どこまではっきり覚えているの?」

「そうだな、確かゴーマ王国を突破するために、朝には隠し砦を出て————」

 自分の記憶の整理も兼ねて、俺は覚えている限りのことをゆっくりと話して行く。

 委員長の言う秘密の作戦に従い、ついにゴーマ王国へと乗り込むと、そこは地の底に飲まれて消え去っていた。そこから、セントラルタワーの建つ中心部へと向かい、そこに巣食っている最後のゴーマ王国軍と戦い、なんとか突破し、タワーの入口でもあるゴーマ王の玉座の間まで辿り着き————

「そうだ、桃川! アイツが、玉座の間で待ち構えていたんだ!」

 どうしてこんな大事なことを忘れていたのか。

 扉を開いたその先に、ゴーマの玉座にふんぞり返っていた、桃川の小生意気な顔を思い出す。

「そこでアイツが、うっ、ぐぅ……な、なんだ、頭が……」

 そこから先が、思い出せない。

 玉座に座る桃川の姿までは明確に思い出せたのに、その直後からは急にモザイクでもかかったように記憶がボヤけてしまう。俺は確かに、あの場にいて、アイツと望まぬ再会を果たしたというのに……思い出そうとすると、頭が割れそうなほどの痛みに襲われる。

「蒼真君、もういい。もういいよ。それ以上、無理して思い出そうとしちゃダメ」

「ぐうっ、小鳥遊さん、けど俺は……」

「これ以上思い出せないのは、仕方がないことなの。だって蒼真君は、あそこで桃川の罠にかかって、呪術を受けてしまったの」

「な、なんだって……? アイツは一体、俺に何を……」

「洗脳の呪術、だよ」

 驚愕よりも、やはりそうなのか、という思いの方が強かった。

『呪術師』桃川小太郎。あの男が人を洗脳する邪悪な呪術を授かっているのではないか————そう、ずっと桜や明日那は警戒していた。

 怪しい動きはあったが、クラスのために大きな貢献を果たしてきたのだ。ヤマタノオロチ討伐は、アイツの力がなければ成し得なかったことだと俺も思っている。そういった活躍もあり、結局のところ、桃川が洗脳呪術を使えるかどうか、真意のほどが定かになることはついになかった。

 それは、あの学園塔での毒殺未遂事件でも分からなかった。少なくとも、あの時は誰かが洗脳されたかのような事態にはならなかったから。

「本当、なのか……」

「うん。洗脳の呪術はとっても強力だけれど、使うには凄い制約があるみたいなの。桃川の洗脳が成功したのは、双葉さん一人だけ」

「くそっ、やはり彼女は桃川に……」

「そうじゃないと、あそこまで不自然に桃川の味方なんてしないよ。ごめんね、小鳥ならもっと早くから、洗脳の力を暴くことだってできたかもしれないのに……」

「もう過ぎてしまったことだ。今更、小鳥遊さんを責められることじゃない」

 そうだ、むしろ責められるべきなのは俺の方だろう。つまるところ、アイツの巧みな口車と状況に流されて、学園塔ではほとんど言われるがままになっていた。

 俺がもっと本気になって、奴の邪悪な本性と力を暴いていれば、あの毒殺未遂だって防げたはずなのだ。

「それで、奴はあの場で、その洗脳呪術を俺にかけようとしていたのか?」

「そうだよ。ゴーマ王国を落としたのも、委員長を利用したのも、全てはあそこで蒼真君を洗脳する罠にかけるためだったの」

「……それじゃあ、委員長が言っていた作戦は、全て桃川が仕組んだことだと」

「桃川は、天道君を人質にとっているの。委員長は、それで脅されて……」

「龍一が! そんな馬鹿な、アイツが人質になんてなるはずが————」

「毒殺事件の前に、天道君が消えていたのは本当だったでしょ? 桃川は逃げたけど、どこかに天道君を隠していたんだと思う」

「そんな状態で、龍一は本当に生きているのか」

「多分、生きてはいると思う。古代の遺跡には、冷凍睡眠、みたいな魔法の装置もあるの。桃川なら、そういう遺跡の力も操ることができるから」

 あの龍一が、信じられない思いはあるが……状況的にも、能力的にも、桃川ならば龍一を無力化して人質にできる可能性は十分にある。

 そして龍一を手中に収めたなら、委員長を言いなりにすることができる。そうなれば、夏川さんも自ずと奴に利用されてしまうだろう。

「くそっ、桃川……アイツは一体どこまで人の心を弄ぶつもりなんだっ!」

 奴に対する怒り。そして何より、まんまと陰謀に嵌ってしまった自分に対して怒りが湧く。

 今すぐ剣を手にして、桃川を斬りに飛び出してしまいたい激情に駆られているが……しかし、きっと今の俺には真っ向からアイツを倒せるだけの力はないだろう。

 そもそも、自分がどこにいるのかすら分かっていないのだ。桃川の居所など分かるはずもない。

 そして何より、俺はまだ最も肝心なことを聞いていない。

「……小鳥遊さん、それから、どうなったんだ」

「洗脳呪術を受けた蒼真君を助けたのは……桜ちゃん、だよ」

「そうか、桜が……それで、桜は無事、なんだよな?」

「ごめん、なさい……」

「どうして、謝るんだ……まさか、桜は……」

「生きているのは、間違いないよ。でも、桃川には捕まっちゃったの……蒼真君を逃がすために、明日那ちゃんと一緒に、あの場に残って……」

「そ、そんな……桜と、明日那が……」

「本当に、ごめんなさい、蒼真君……わ、私、あの時は、蒼真君を連れて、転移で逃げることしかできなくてぇ……」

 それ以上は、小鳥遊さんも言葉にならなかった。大粒の涙を零して、けれど声を押し殺すように泣いていた。

 仲間を置き去りにしたのか、逃げる以外に方法はなかったのか、なんて責める資格など俺にあるはずもない。静かに大泣きする小鳥遊さんに、こうして胸を貸すことさえ俺には許されるべきではないだろう。

 小鳥遊さんは、自分ができる精一杯のことをしてくれたんだ。

 桜と明日那が桃川を食い止めて、逃げるだけの隙を作った。そうして逃げた先で、倒れた俺を看病してくれたのだ。きっと目覚める。そして目を覚ませば、きっと仲間達を救い出してくれると信じて————

 あの時、あの場所で、最も愚かで間抜けな大馬鹿野郎は、俺だったのだ。

 奴の罠にまんまとかかって、桜と明日那を犠牲にして、小鳥遊さんの手によって、俺だけが助けられた。傍から聞いた話だったならば、そんな馬鹿はさっさと見捨ててしまえと言うだろう。

 けれど、そんなどうしようもない大馬鹿が、自分なのだ。

「小鳥遊さん、俺は……」

 ごめんなさい、と自分の無能を謝罪したところで、何の意味もない。これだけの失態を晒して謝るくらいなら、腹を切った方がマシというものだ。

「俺がみんなを助ける。必ず、助け出して見せる」

 そうだ、それしかない。俺のやるべきことは、もうそれだけしか残されていない。

 邪悪な呪術師、桃川を討ち倒し、桜を、仲間達を救い出す。

 俺がおめおめと生き残っているのは、そのためだ。俺の命には、もうそれを成し遂げるしか意味も価値もない。

「うん、蒼真君なら、絶対にみんなを助けられるよ。だから、小鳥と一緒に頑張ろう?」

「ああ、お願いだ、小鳥遊さん。俺に、力を貸してくれ————」




「————ふぅ、ようやくいい感じに仕上がったかなぁ」

 再び眠りについた悠斗を医務室に残し、退室した小鳥はニマニマと満足気な笑みを浮かべた。

 ここ一ヶ月ほどの努力が、ついに成果として実を結んだ。

 捕らえた蒼真悠斗を、『イデアコード』と『神聖言語』によって、ゆっくり丁寧に記憶を改竄してきた。

 最初の一週間は、酷いものだった。流石は『勇者』と言うべきか、あるいは悠斗自身の精神力によるものか。記憶改竄と精神干渉に対して高い耐性を発揮し、小鳥が本性を現したあの時の記憶を悠斗は頑なに保持し続けていた。

 クラスメイト全員を陥れた黒幕が小鳥遊小鳥である、という最も重要な真実を忘れまいとする意志は強かった。しかし同時に、悠斗は甘かった。土壇場で小太郎達の攻撃から、小鳥を庇った時と変わりはない。

 悠斗はどんな手段を使ってでも、記憶を保てている間に小鳥を殺すべきだった。あるいは、殺すほどの覚悟を持って挑み、脱出を最優先すべきであった。

 けれど、悠斗が選んだのは説得だった。こんなことは間違っている、きっとやり直すこともできる————そんな理想論を語る悠斗は、小鳥にとっては非常に扱いやすい囚人でしかなかった。

 本気で悠斗が反旗を翻せば、万に一つの可能性も生まれたかもしれなかったが……自らチャンスを捨て去った悠斗を、小太郎が見れば本当に大馬鹿野郎だと指をさして嘲笑ったことだろう。

「うふふ、なかなか楽しい一ヶ月だったよ。でも本当のお楽しみはこれから……蒼真君を完全に、小鳥に依存させることができるんだから」

 仲間の犠牲によって、命からがら逃げだしてきて二人きり。今の彼が頼れるのは、この自分だけ。

 ああ、なんと素敵なシチュエーション。追い詰められた二人は、それでも僅かな希望を抱いて戦う————これで結ばれなければ、嘘だろう。

「ふふ、桃クソ共は、いまだに私に勝てると思って攻略準備をしているようだけど……」

 自分も利用していた隠し砦を拠点として、桃川達が反抗作戦を企てていることは知っている。

 相変わらずフィールドを駆け回ってモンスターを狩り素材集めしている姿を、周辺警戒で何度も目撃した。野生のモンスターだけでは飽き足らず、崩落したゴーマ王国の底を攫ってもいるようだった。

 この間は、東門付近でついにギラ・ゴグマの死骸を見つけたと、小太郎がレムと万歳して喜んでいる間抜けな姿が映っていた。

 落下死あるいは生き埋めとなった大量の王国民ゴーマやゴーマ兵のコアを、土木工事のように掘り返しては採取しており、奈落の底は毎日騒々しい。わざわざ手作りの昇降機まで拵えて、落ちた王国からありとあらゆる物資をかき集めている。

 だが、そんな彼らの努力を小鳥遊はただ、嘲笑う。

「無駄だよ、無駄。ぜぇーんぶ無駄ぁ」

 きゃははと笑いながら、白く照らされた通路を歩く小鳥の周囲には、投影された映像が幾つも表示されている。セントラルタワー周辺の監視映像だ。

 そこには、装備を整えた桃川率いる、二年七組の生き残り達が揃って玉座の間に集結している姿が映し出されている。

 いよいよ本格的にタワー攻略に乗り出すつもりなのか。新たな装備と、大量の物資を抱えてタワー正面の入口に陣取っていた。

「ここは天使小鳥様の城なの。天道龍一の軍令も、このセントラルタワー内部には及ばない。だから小鳥が許すまで、絶対に妖精広場は通れない」

 タワーに備えられた究極の防御機構。エントランスから通じる一階中央に備えられた妖精広場は、唯一残された当時の機能を完全に保持した場所である。

 効果は単純そのもの。許可した者以外の全てを広場に踏み込んだ瞬間に消滅させる、強力無比なレーザービームを放つ、自動攻撃装置だ。

 妖精像の目より発せられるビームの威力は、古代の武器であるブラスターとは比べ物にならない圧倒的な火力を誇る。その異常な破壊力には勿論、秘密があるのだが……その特殊性が故に、ここ以外の妖精広場は機能を失っている。

 しかし機能が停止しても尚、秘密の力の残滓があるのか、あらゆるモンスターを寄せ付けない結界のような効果を発揮している場所も多かった。それが結果的に、この最深部に至るまでは、少年少女達のダンジョン攻略における安全地帯として機能し続けてきたことは、ある意味では皮肉なのかもしれない。

「あの妖精広場だけは特別なの。降りて来るには、あそこを通る以外に道はない。悪いけど、蒼真君が完璧に小鳥の好みに仕上がるまで、アンタ達はそこで待っててねー」

 スイっと正面の投影映像を指先のスイングで退かせる。開けた視線の先には、重厚な白い門扉があり、小鳥の接近を感知して轟々と唸りを上げて開いて行った。

「ただの生贄に過ぎないアンタ達には、ここがゴールだけど……小鳥にとっては、ここがスタートなの」

 門の先にあるのは、セントラルタワー最深部のアルビオン市長室。ただの執務室とは一線を画す広さは、さながら軍事基地の司令室のよう……否、ここもまた、一つの玉座の間と言えよう。

 特別に誂えた玉座の如き大きな席を中央に、真正面はガラス張りのように透明な壁で隔てられている。

 そこから望む景色こそが、二年七組全員が目指したダンジョン攻略のゴール地点————すなわち、天送門があった。

 それはまるで純白の凱旋門のような、大きさと威容を誇る巨大な門である。

 長い髪と大きな六対の翼を広げた美しき姿の女神エルシオンと、それに連なる守護天使達のレリーフが壮大なスケールで彫り込まれ、細部に至るまで精緻な装飾が施されている。

 数千年もの長きに渡り立ち続けた白い門には、一片の埃がかかることもなく、当時の美しさを保ったまま。純白の表面に走る青く輝く魔力のラインが、天送門の機能が生き続けていることを示していた。

 大都市アルビオンの玄関口となっていたこの場所は、広大な円形ホールとなっている。天送門を真正面に、そこから四方八方へと大きな通路が広がる。何十万、何百万もの人間が利用することを想定した、非常に大きな空間。

 しかし、青白く浮かび上がる天送門だけが立つ今は、薄暗闇と静寂に沈んでいる。

 その光景を、小鳥はアルビオンの玉座に座って眺めた。

「ようやく、女神様の使命が果たせるよ。そしたら、小鳥はここから、蒼真君と二人で旅立つの、外の世界へ————」

 うっとりと、正しく夢見る乙女の表情を浮かべて目を閉じた、その瞬間であった。


 ドドドォオオオオオオオオオ————


 タワーを揺るがす、大轟音と震動が響き渡る。

 同時に、非常事態を知らせる警報が作動し、俄かに赤い輝きに市長室が照らし出された。

「な、なにっ!? 何が起こったのっ!!」

 慌てて立ち上がった小鳥が叫ぶと、それに応えるかのように異常を示した場所の映像が投影される。

 目の前に表示される大きな投影映像に映し出されたのは、濛々と煙る黒い煙と、赤い炎。

 吹き荒ぶ風が黒煙を掃ったその先に、小さな人影が現れる。

 黒髪と学ランの裾を揺らした小柄な少年は、ゆっくりと、こちらへと振り向く。

 野良猫のようにふてぶてしく、生意気な目で睨みつけながら、彼は中指を突き立てた。

「ファッキンビッチ!」

 そこで、監視映像は暗転した。

「も、桃川……もぉもぉかぁわぁあああああああああああああああああああああっ!!」

第348話 セントラルタワー攻略(1)

「妖精広場を突破するのは不可能だ」

 というのが、僕の出した結論だった。

 妖精像の目からビームが強すぎる。あれを正面から突破するのは無理ゲーだよ。ゲームでいえば絶対に進行できないように封鎖しているタイプのギミックだと割り切ることにした。

「うむ。妖精広場が完全な機能を有しておるならば、正面から突っ切るのは絶対に無理じゃな。アレはただの自動迎撃装置などではない————本物の、神の力が宿っておるのじゃ」

 と、教えてくれたのは勿論、遥かなる古代の生き証人であるリベルタだ。

 伊達にリベルタを天道君から借り受けて、司令室に引き篭もっていたワケではない。彼女からは、聞けるだけの情報は聞き出している。

 勿論、この脅威のレーザータレット妖精像についてもね。

「要するに『天職』と同じように、神様から力を特別に授かった存在ってことね」

 今更、神が力を与えてくれるシステムに疑問を差し挟む余地はない。神様のご加護がガチで存在するのが、この異世界である。

 そして神の力を授かるのは、どうやら僕ら異世界召喚者だけではないのだ。

 思えば『天職』持ちの僕ら以外にも、神の力を授かった特別な存在をすでに知っている————『彷徨う狂戦士』だ。

 アレは人間でもなければ、オーマみたいな人型モンスターとも違う。リベルタの説明によれば、超ヤバい魔神の力を利用したせいで、暴走してこのアルビオンを滅ぼした真のラスボス、もとい古代兵器である。

 狂戦士は暴走したことで兵器として完成しなかったが、妖精像はまた別の神の力を利用して作り上げた装置なのだ。それこそ正に、いつかルインヒルデ様が言っていた『妖精女王』なのかもしれない。その節は大変お世話になりました、また『告死の妖精蝶』よろしくお願いします。

 そんな妖精像だが、恐らくは狂戦士ほど強い加護を宿しているワケではないのだろう。それでも通常の古代兵器とは、一線を画す超性能となっているのは間違いない。

 というワケで、現役性能を誇る妖精像は、正しく特別製の突破不可能ギミックなのである。

 で、そういうギミックで進行ルートを塞がれている時はどうするか。

 ゲームによって解決法は色々あるけれど————今回、僕が採用したのは、回り道。つまるところ、他のルートを探すことである。

 絶対に突破できないんだったら、スルーすればいいんだよ。

「————さぁ、ここからは時間が勝負だ! みんな、行くぞ!」

 そうして急かしながら、慌ただしく僕らはゴーマ王宮を駆ける。

 本日、いよいよ始まったセントラルタワー攻略。隠し砦を出発した僕らは、まずはゴーマ王宮までやって来た。

 そこから、二手に分かれる。玉座の間にある正面入り口に向かうチームと、最初にタワーへ突入をかけるチームだ。

 小鳥遊が僕の動きを監視していることは知っている。

 少なくとも、正面入り口の光景は常に把握しているはずだ。タワーへ入る唯一の出入り口だからね。ここさえ抑えておけば、僕らがいつやって来るかが分かる。

 だから、これ見よがしに来てやったさ。

 装備担いで、全員集合————ただし、半分はダミーだけど。本物なのは、葉山君、委員長、桜ちゃん、姫野、中嶋、の5人。

 僕は分身があるからいいとして、他の4人は服装や装備、背丈にカツラまで拵えた上で、スケルトンに『虚ろ写し』をかけて見た目だけクラスメイトに仕立て上げている。天道君はガタイがいいので、スケルトンではなくマッチョ自慢のハイゾンビがやってるけど。

 そんな偽物だらけの正面担当は、特にやることはない待機組である。役目は、今この時だけ小鳥遊の目を引くことだけ。

 今まで僕の分身とレムや召喚獣は、妖精像チャレンジでよくタワーには突入していたけれど、他の仲間は誰も連れてこなかった。夏川さんでさえ、危険なのでタワー内への侵入は許していない。

 そんな僕の動きを奴が見ていたならば、こうして全員がやって来ると、いよいよ攻略しに来るんだな馬鹿どもめ、と思うだろう。

 それでいい。奴は妖精広場で唯一の進行ルートを完全に封鎖できていると思っているし、僕がこれを突破できるとも考えない。神の力が宿った特別な兵器だというのは、小鳥遊も知っての上だろうからね。

 だから、僕がクラスメイト率いてやって来ても、妖精像任せで特に警戒はしない。けれど、絶対に注目はする。

 僕がどんな小細工を弄して、妖精広場に挑むのか。そして、それが失敗して無様に敗走、あるいは間抜けにも犠牲者を出すか。奴はテレビで野球観戦するオッサンのように、僕らの一挙手一投足に見入ってくれるだろう。

 そうやって注目を引くことで、少しでも本命である突入チームを悟られないようにするという作戦、とも呼べない、まぁ小細工である。

「それじゃあ頼んだよ、天道君、リベルタ」

「うむ、任されよう」

「いきなり使い走りかよ」

 相変わらずの不機嫌顔で、ペっと奈落の底へと咥え煙草を捨ててから、天道君は颯爽とリベルタへと跨った。

 ここは王宮から見て南東方面の断崖だ。ちょうど中央要塞の城壁は崩落で崩れ去っており、何の障害物もなく地面の途中からいきなり絶壁になっているような地形である。

 そこから飛び降りるように、リベルタに乗った天道君が離陸する。

 大きな黒竜は、眼下の獲物に狙いを定めたハヤブサのように急降下。タワーの壁面たる断崖絶壁を滑るように飛びながら————ボッ! と音を響かせて火球を吐き出した。


 ドドドォオオオオオオオオオ————


 俄かに吹き上がる爆炎と衝撃。

 着弾地点は、そそり立つタワーのちょうど半ば辺り。リベルタはそこで大きく翼を広げて急制動をかけ、さらに火球を撃ち込んだ。

 続けて響き渡る爆音。濛々と吹き上がって来る黒煙の中で、いよいよ勢いをつけて壁へと突っ込む竜の影がチラっと見えた。

 そこで、着信アリ。

 受け継いだ野々宮さんのスマホで、僕は通話に出る。

「桃川、開いたぞ」

「ありがとう。すぐ降りるよ」

 非常に簡潔な天道君との連絡を終えて、僕も崖っぷちへと身を乗り出す。

「小太郎くん、気を付けてね」

「落っこちるんじゃねーぞ」

「こっちも分身だから大丈夫」

 メイちゃんと杏子からご心配のお言葉を賜りながら、黒騎士レムに抱っこされた分身の僕は、迷うことなく奈落へ飛び込んだ。

 直下までは、すでに丹念に編み込んだ黒髪ロープが垂らされている。レムは片手でソレを握り、勢いよく滑り落ちてゆく。

 下から吹き上がって来る火球の黒煙に包まれながら、数秒。ギャリギャリと硬く握りしめた手で急制動をかけて、降下速度を落とす。

 そして軽く体を振って反動をつけた勢いで、僕を抱えたまま黒騎士レムが飛ぶ。

 その先にタワーを覆う壁面はなく、僕らはそのまま中へと着地した。

 潜入、成功だ。

「げほっ、ごほっ! ちょっと、煙濃すぎるよ!」

「換気してやるから、少し黙ってろ」

 ゴウッ! と突風が吹き抜けて、籠った黒煙を外へと押し流して行く。流石は天道君、風魔法も片手間で習得済みってことかい。

 お陰様でどんどん排気が進んで、少しずつ視界も開けてゆく。

「やっぱり、ここって搬入口か何かだったんだね」

 かなりの広さがある空間で、天井も高い。けれど鉄骨のような太い柱の構造体が縦横に伸び、大型のコンテナが幾つか積んである風景からして、倉庫といった印象を受ける。少なくとも、優雅にダンスパーティーを開催できるホールではないね。

 さて、僕らが侵入を果たしたこの倉庫搬入口は、天道君がリベルタに乗って一週間ほどタワーの外壁を詳しく調査をした結果に発見したものだ。

 妖精広場が越えられないから、別のルートを探す。けれど内部構造的には、下へ向かうにはあの妖精広場を通らなければいけない。かといって床に穴を開けて下るのも、現役で稼働している魔法建築構造のせいで、簡単に破壊することはできない。

 流石にこの百階層はありそうな床を、地道に『腐り沼』で溶かすのは無理があるし、時間をかけ過ぎればそれだけでアウトだ。

 そこで考えたのが、どこかで外壁をぶち破って、妖精広場を無視すると同時に大幅なショートカットも狙う、一石二鳥の突入作戦である。

 勿論、タワー外壁は床材よりも遥かに分厚く頑丈で、リベルタがブレスをぶちかましても破壊はできないだろう。けれど、どこかに破壊できる箇所があるかもしれない。一部だけヒビの入った壁を、爆弾で壊して入れるような、そんな場所が。

 これも希望的観測で実行したワケではない。天道君がリベルタに乗って登場したシーンを思い出してもらいたい。あの時、ド派手にエントランスの壁をぶち破って彼らは現れたのだ。

 あれは偶然でも演出でもなく、あそこは破壊して突っ込める、と判断した上でやったことだ。僕がゴーマ王国攻略のために、この階層の構造体に対する魔力供給をカットしたお陰でエントランス付近も脆弱化していたようだ。

 そんな感じで、どこでもいいからタワーへの魔力を遮断、あるいは最初から魔力が通っていない箇所、が存在していれば十分に破壊し内部へ侵入できるという算段だ。

 結果的に、天道君が発見してくれたのが、この搬入口というわけで。恐らく正門などとは違って、硬く閉ざすような入口ではないこと。元々は渡り廊下のように通路が最下層エリア地下の階層と繋がっていたから、本来はタワー内側にあったこと。などの理由によって、この部分だけは魔力を受けて強度を増す構造になっていなかったと推測される。

 まぁ、どんな理由であっても、こうしてぶっ壊せたんだから何でもいいよね。

 そうして、あからさまに突破口を探し回っていたワケだけど、小鳥遊がこの調査行動に警戒して全く妨害行動に出なかったのは、こっちも偽装していたからだ。

 お前、僕がただただ奈落の底を、ゴーマ素材採取のために漁り続けていたと思っていただろ?

 実際、ギラ・ゴグマ含め大多数の王国民ゴーマには貢献してもらったけれど……本命は、天道君の突破口探しなんだよね。

 奈落の底でかき集めた物資を地上に上げるために、リベルタにコンテナ掴ませて空中輸送させていた。実際に色んなモノを運んでもらったから、タワー周辺をあちこち飛び回っても違和感はなかっただろう。

 小鳥遊はきっと、天道君がコキ使われている、程度の認識だったはず。本当はタワーの入れそうな場所をじっくりねっとり探していました、と分かっていれば絶対に邪魔するか、自ら弱点を探して対策する。

 侵入がこうして成功した時点で、小鳥遊の怠慢は証明された。QED。

「グガガ」

「ん、なに、レム? あそこ?」

 倉庫の一角を指さして、黒騎士レムが教えてくれる。ああ、そこに監視カメラあるのね。

 正確にはカメラではなく監視用の魔法装置だけれど、とりあえずぶっ潰すべくレム鳥を飛ばしながら、僕は小鳥遊が見ていると信じて、中指を突き立てた。

「ファッキンビッチ!」




「————侵入路が開いたわ。みんな、行きましょう」

 連絡を受けた委員長の一声で、正面エントランスに待機していた面子が一斉に駆け出す。

 タワー中腹にある搬入口を破壊して、突破口を開くことに成功した以上、最早ここに居座っている理由はない。

「いよいよだな……待ってろよ、キナコ」

 リライトも気合を入れて、みんなに続く。背負ったリュックの中には、重箱みたいな大きな弁当箱に、目いっぱいに唐揚げを詰め込んである。

 必ずキナコを助け出し、コレを腹いっぱい食わせてやるんだ————そんな思いが胸の内をグルグルと巡っている間に、目的地へと到着した。

「エレベーター設置完了! いやぁ、ギリギリだったね、杏子」

「練習したかんな」

 と、小太郎本体と杏子が、ハイタッチして喜んでいる。

 龍一がリベルタと飛び立ち、分身小太郎と黒騎士レムが降下していった地点には、クレーンに吊るされた形のエレベーターが設置されていた。勿論、誰もが利用したことのある自動で開閉する扉のついた箱型などではなく、足場とフレームだけの簡易的な昇降機と言うべきものだ。

 これも小太郎が奈落の底からゴーマ素材回収のために作り出した設備、というのは小鳥遊に見せる表向きの理由。本当の目的は速やかに、かつ重量物をタワー中腹に位置する搬入口まで仲間達を下ろすためのものである。

 タワーに突入するのは、クラスメイトを筆頭に、二代目輸送車を襲名したロイロプスの屍人形や、完全武装に大盾を携えたタンクなどの召喚獣、となかなかの大所帯となっている。

 それだけの人数と物資を、数百メートルも下にある入口へ安全に下ろすとなれば、エレベーターでもなければ無理がある。だから、小太郎は作った。

「これ、落ちたりしないよな……?」

「ちゃんと使って確認してるから。百人乗っても大丈夫!」

 不安げなリライトに対し、嘘八百を自信満々に言い張る小太郎だが、実際にエレベーターを稼働させているのは本当だ。

 リベルタによるコンテナ輸送の他にも、このエレベーターで実際に回収物資の上げ下ろしをずっと行ってきた。きちんと設計通りに、耐久重量までは安全に動くことは実証済み。

 さらに、本来の目的のためには固定型ではなく、移動して使えるような構造になっている。クレーン部分を支える重要な土台は、杏子が土魔法によって硬い楔を深く打ち込み固定する仕組みだ。底で物資回収する場所に応じて、エレベーターを移動させて使いまわしていた。

「それじゃあ、みんな降りようか」

「……」

 先陣を切って小太郎がエレベーターに乗り込むと、ついて来たのは芽衣子だけだった。

「乗らない人は、そっちのバンジー用のロープを使って降りて来てね」

「さぁ、みんな、行くわよ」

「おうよ!」

 委員長の呼びかけにみんなが応え、ゾロゾロとエレベーターへと乗り込んだ。

 まずはクラスメイト達から降下を開始する。

 ゴウンゴウン、と音を立ててエレベーターは降下してゆく。

 動力は電気に変わる魔力式……にしようと思ったが、面倒臭かったので人力である。力自慢のミノタウロスと、タンク、それからハイゾンビ達が太いロープを握りしめ、クレーンの滑車を通してリフト部分をゆっくり下ろして行く。

 全ての降下が完了すれば、エレベーターは用済みなので、人力動力を担うミノタウロス達を送還して回収。任意で出したり引っ込めたりできるところが、召喚術の便利な面である。

「やっと来たか」

 人力エレベーターが無事に搬入口まで到着すると、タバコを吹かして一服している龍一が出迎える。肩には小型となったリベルタが。隣には、何故かラーメン店主のように腕を組んで仁王立ちの桃子がいた。

「お前ら、構えろ。早速お出ましだぜ」

 龍一がタバコを吐き捨てて、『王剣』を握りしめると同時に、倉庫に繋がるシャッター型の扉が一斉に開く。

 列を成して飛び込んできたのは、白い人型。

「ふふん、小鳥遊の手先が。慌てて出てきても遅いんだよ、間抜け」

 小太郎がそう嘲笑った時には、手にした武器を振り上げた狂戦士が、すでに飛び掛かっていた。

第349話 セントラルタワー攻略(2)

 貨物を搬入するための倉庫は結構な広さを誇っており、ここに通じる扉は大きな正面シャッターと、左右の出入り口、と合計三つある。その三か所の入口から、同時に小鳥遊の手先である敵がゾロゾロと現れた。

「うおっ、なんだよアイツら、人間なのかぁ!?」

「あんな青い人間いるワケないじゃん」

 葉山君が思わず勘違いしちゃうほど、その姿と動きは人間にソックリであった。

 外観は平均的な成人男性。鎧兜、というよりはボディアーマーにヘルメットに近い、白い防具を装着している。でも完全なミリタリー感はなく、ファンタジー色を感じるデザインになっているあたりが、アルビオンという古代の文化を感じさせるね。

「『魔導人形オートボット』って言うんだって。魔法で作った人造人間みたいな奴だよ」

 僕にはレムが、天道君には桃子が、というように魔法で作り出された人間同然の存在というのは、すでに既知の存在である。優れた魔法文明を持つ古代なら、そりゃあ魔法で便利な奴隷を作り出すに決まっている。

 特に人間を元にしたタイプを、『魔導人形オートボット』と呼ぶそうだ。

 本物の人間と人形ボットの違いは一目瞭然、肌の色が違う。白でも黒でも黄色でもなく、どこぞの宇宙人みたいな青色の肌をしている。ついでに瞳の色は真っ白で、パっと見では白目を剝いてるように見えて、なかなか不気味である。

 けれど、その青い肌色と白目が、何よりも分かりやすい人形の特徴として、人間との判別を容易にしてくれる。つまり、遠慮も容赦も必要ないってことだ。

「銃持ってんだけどぉ!?」

「そりゃブラスターくらい持ってるさ。古代の警備兵だし」

 現れたボット達は、元からセントラルタワーに配備されていた警備用だと思われる。タワーの備品扱いだから、軍属ではない。だから天道君の軍令は及ばず、小鳥遊が良いように操れる便利な捨て駒といった存在だ。

 彼らの主武装はやはり、ライフル型のブラスター。隠し砦の武器庫にも沢山あった、エメローディア軍の正式採用ライフルといったモノなのだろう。

 現代的なアサルトライフルというより、ボルトアクションライフルのようなスマートな形状をしている。ストック、レシーバー、バレル、が一体化した非常にシンプルな形で、マガジンやスコープなども見当たらない。銃剣も付属していないが、奴らの腰元には警棒のようなものがぶら下がってるので、そっちが近接用装備なのだろう。

 身に纏うプロテクターと同様に白いフレームのライフルは、一斉にその銃口をクラスメイト達へと向け、

「————『激震』」

 光り輝く弾丸を放つよりも前に、飛び込んで来た狂戦士の一撃によって吹き飛ばされた。

 直撃した奴は着込んだ防具ごと、文字通りに粉微塵。すぐ傍にいた奴らは首も四肢も千切れ飛び、もう少し離れていた奴らは手足が捻じれながら吹き飛んでは、壁やコンテナに激突して血飛沫を上げる。

 青い肌の人形達は、やけに明るい蛍光ブルーの血を撒き散らして、まとめてスクラップと化した。

 元より強い衝撃波を発生させる武技『激震』だが、今のメイちゃんの実力と、新たに強化した武器をもってすれば、その一撃はグレネードの炸裂にも勝る爆発力となるようだ。


『黒嵐剣斧ギラストーム』:元々のメイン武器であった『黒鉄のハルバード』を大幅に強化改造した一品。硬く重い黒鉄に、隠し砦の武器から抽出した希少金属『神鉄オリハルコン』を混ぜた合金にして、さらに強度を上げた。これに加えて、コイツのストーム要素になるのが、ジジゴーゴが持っていた二振りの雷属性の斧だ。流石は王国を代表するギラ・ゴグマが持つだけあって、四本腕ゴグマの武器を凌ぐ高品質な魔法武器であった。一本は城壁に突き刺さったまま、もう一本は底で回収し、二本とも錬成につぎ込んで強い雷属性の力を付加してある。


 王国攻略の戦果を惜しげもなくつぎ込んだ、新たなハルバードを手にメイちゃんはボットを軽く薙ぎ払ってゆく。

 魔力を流すことで、ギラストームは赤黒い雷撃を放出するのだが、まだ全然本気出してないので、ただただ頑丈なハルバードが振り回されているだけである。それでも青い血肉の嵐が巻き起こるほどの暴れぶりだ。

 けれど、彼女の新武器はもう一つある。


『ザガンズ・プライド』:ザガンが愛用していた剣。幅広の刀身を持つ直剣で、目立つ装飾もなく、派手な属性攻撃も付加されていない、シンプルな作りだ。けれど鋭い切れ味の維持と刀身の頑強さ、という剣として求められる性能だけに特化した質実剛健な一振りである。最初の接敵で、中井と野々宮さんを殺した曰くつきの剣でもあるが、王国攻略時には速攻で奈落に落とした結果、この剣も底で紛失したようで、僕自身はあんまりザガンの剣のイメージはない……けれど、事実としてザガンが長年愛用してきた剣であり、巨大化と共に振るわれてきたお陰で、元々なかった特殊効果が宿る。


 メイちゃんが左手に握るのは大盾ではなく、この『ザガンズ・プライド』だ。ザガンの誇りそのものである剣は、奴を制した狂戦士が持つに相応しいだろう。

 見た目は何の変哲もないシンプルな長剣はしかし、

「————『破断』」

 斬撃強化の武技が横薙ぎに振るわれた、その瞬間、刀身が伸びた。

 それは幻覚でも魔力のオーラでもなく、本当に刃が長くなっているのだ。

 ギラ・ゴグマの誇る最強の強化技『巨大化ギガ』は、自分の肉体のみならず、身に着けている装備も一緒に大きくなるという、摩訶不思議な効果を発揮する。故にザガンが巨人と化す時は、常にセットでこの剣も大きくなっていたのだ。

 そうして長年に渡り幾度も巨大化し続けたせいか、この剣そのものに大きさを変化させる能力が宿った————ということを、僕が回収したザガン剣をどう活かそうか色々と錬成で弄っている内に判明したのだ。

 変化サイズは元の長剣から、ザガンが巨人化した状態の時まで。元サイズと巨大化サイズの二種類固定ではなく、このサイズの間なら自在に大きさを変えられる、というのが重要なポイントだ。

 戦闘中、変幻自在に剣のリーチを変えられるというのが、どれほどのアドバンテージとなるか。その威力が、今まさに目の前で証明されている。


 ズズッ、ドドドォオオ……


 メイちゃんの放った『破断』は、斬撃強化の威力が乗ったまま最大サイズまで瞬時に伸び切り、僕らの方を狙ってライフルを構えたボットを、カバーに利用していたコンテナごと切り裂いた。

 やや斜めに一刀両断されたコンテナは、ズズズとゆっくり音を立てて崩れ落ちる。無論、そのコンテナの裏側に身を潜めていたボット達は、首か胴が断たれて青い血の海に沈んだ。

 そうして仕留めた奴らには目もくれず、メイちゃんはさらに『ザガンズ・プライド』を変形させて、続々と突入してくるボット部隊へと突っ込む。

 刀身を伸ばすのではなく、幅を広くさせることで盾の代わりとして、乱射されるビームを真正面から突っ切っていく。まぁ、メイちゃんなら素の状態でもブラスターくらい直撃しても耐えられるんだけど。

「ふんっ!」

 そうして最も敵の出現が多い正面シャッターを、二つの新武器を振り回してメイちゃんが一人で抑えてくれている。掩護の必要がないほどの完封ぶり。

 けれど、敵の侵入路はまだ左右の二つが残っている。

「まだ出て来んのか、面倒くせぇ。まとめて消えろ————『ネガウェイブ』」

 右の方は天道君が抑えているから、こっちも完封できていた。

 なんか王剣から、如何にも闇の魔力っぽい黒と紫に輝く衝撃波みたいなのをぶっ放して、ボット部隊を蹴散らしている。

「おおーっ! 行け、ご主人様ぁ! 無双、チート、俺ツエェエエエエ!」

 そして応援してんのか邪魔してんのか、周りでウロチョロしている桃子。

 地味に吹っ飛んで致命傷を免れたボットを、起き上がる前に黒い影のような刃を伸ばして突き刺し、トドメを刺している。アイツの『影刃シャドウエッジ』、地味に高性能なんだよなぁ。多分、サシで戦ったら僕は負ける。桃川飛刀流が勝てるのは、葉山君くらいなので。

 とりあえず右扉の方は天道組に任せておけば安泰だ。いざとなればリベルタがブレスも吐くだろうし、こっちも掩護は不要だ。

 さて、残るは左扉だけれど、

「後ろには通しませんよ————ハアッ!」

 勇ましい賭け声と共に、光り輝く刃を振るうのは、蒼真桜である。

 青白く輝く横薙ぎの一閃が、見事にボットを切り伏せた。

 メイちゃんや天道君のように、一振りでまとめてぶっ飛ばすような真似はできないが、舞い踊るように流麗な動きで敵を次々と切り裂く姿は、素直な賞賛を送れるほどに美しい。

 蒼真流を叩き込まれているのは、蒼真君だけでなく、桜ちゃんもまた同様。いつもは兄貴の影に隠れがちになってしまうが、元より武術の腕前は格闘技を嗜む程度の女子高生を遥かに超えるレベルだ。

 学園を卒業する頃に、蒼真君と一緒に免許皆伝を言い渡される、くらいの成長度なのだと学園塔時代に聞いたことがある。日本にいた頃からすでにしてチート級の実力だったのが、そこに天職の力と魔法の装備の力が加われば、達人を越えた超人的な戦闘能力を発揮する。

「桜ちゃん、やるじゃん」

 うんうん、と腕を組んで僕は桜ちゃんのヒロイックな戦いぶりを、師匠面をして満足気に見守る。

 やっぱり、君はヒーラー兼遠距離攻撃の後衛なんぞに甘んじている女じゃない。最前線で敵と斬り合うバリバリの前衛タンクこそが、最も『聖女』蒼真桜が輝くポジションだ。

 その為に、僕だって妥協抜きで桜ちゃん専用の武器を拵えたんだから。


『桜花繚乱』:純白の柄と青白く輝く刃を持つ薙刀。桜ちゃんの最も得意な近接武器は、刀ではなく薙刀だと言うので。ベースは長大な銃身を持つスナイパーライフルみたいなブラスターと、元からサブウエポンとして持ち続けていた長剣だ。ライフルの長銃身は強力なビームを撃つためか、かなり頑強な造りとなっている上に、ライフリングの代わりに刻み込まれた術式が、凄まじい魔力伝導率を誇っている。魔力に優れた者が使えば、そのまま杖の代わりにもなりそうなほど。コイツを柄にして、小鳥遊が真面目に強化した高品質な剣を刃として用いれば、聖女の魔力を十全に発揮できる薙刀となる。


 と、素材自体にはあまり苦労しなかったのだけれど、完成後からの調整にえらい苦労させられた。やれ刀身と柄の長さのバランスが悪いだの、魔力の通りがどうの、ここのデザインがイマイチ、お前の生意気な面が気に入らない、等々。桜ちゃんのワガママには振り回されてしまったよ。

 けれど僕の職人根性にかけて、面倒臭いクソ客の要望をクリアした結果、ああして最前線で光る薙刀をぶん回して、敵を蹴散らしてくれるのだから、頑張った甲斐もあった。

「蒼真流————『引き白波』」

 武技ではない、けれど現代に伝わる由緒正しい蒼真流武闘術の技は、そこに籠められた術理を遺憾なく発揮して敵を切り裂く。大きく左右に振るった二連撃は、脛の辺りを刈り取った。

 おお、薙刀術で脛を狙う技があるって聞いたことあったけど、蒼真流にも存在するようだ。そして、その技を使いこなす桜ちゃんも、伊達に道場の娘はやっていない。

 桜ちゃんといい剣崎といい、道場の娘ってロクな女がいねぇな。

「桜、コンテナの上! 狙われているわ!」

「問題ありません————『聖天結界オラクルフィールド』」

 積まれたコンテナの上にスナイパー気取りで陣取ったボットが、ブラスターを連射する。桜ちゃんに向けて殺到するビームは、さらに強い輝きを発する球状の光の結界によってあえなく弾かれた。

 そう、この万能バリアたる『聖天結界オラクルフィールド』の存在が、桜ちゃんがタンクとして活きる最重要スキルだ。

 前衛組みは超人的な身体能力に加えて、回避か防御のスキルを得ている。彼らが安定して接近戦をこなせるのは、こういった敵の攻撃を凌ぐ能力も併せ持っているからこそ。

 逆に言えば、これがなければ死ぬので前衛は務められない。たとえ敵を倒すに十分な火力があったとしても、相手に攻められればそこでお終いだ。攻撃は最大の防御、っていうのは一方的に相手を完封できるくらいの大火力があって、初めて成立する理論である。

 その点、桜ちゃんの『聖天結界オラクルフィールド』は絶大な防御力を誇る。物理、魔法、どちらにも高い耐性があり、球状に全身を包み込むので隙が無い。通常の防御魔法のように自ら唱えなくても、敵の攻撃にオートで反応して展開される。

 ゲームで実装されれば速攻ナーフされるレベルのチート性能である。盾を構えるのが馬鹿らしくなるね。

 そんな素晴らしい防御力を持っているなら、最前線で敵の攻撃を食い止めてくれなければ宝の持ち腐れ。いざという時に、自分の身を守るためだけに使うなんて、僕は許さないぞ。

 桜ちゃん、もう君の身を一番に案じてくれるお兄ちゃんはいないんだ。今こそ君は、仲間のために体を張らなきゃいけない。取り戻したいものがあるならば、尚更だろう。

「ようやく、桜ちゃんも仲間らしい活躍をしてくれるようになったねぇ」

「桃川君、ふんぞり返ってないで、少しは掩護してあげたらどうなの」

「僕の出番はないよ。ほら、もうボットも打ち止めみたいだし」

 桜ちゃん単独でも、左扉から現れるボット部隊をかなり抑え籠めているのだ。それに加えて夏川さんと中嶋がフォローしつつ、杏子と委員長の掩護射撃もあるのだ。僕と葉山君と姫野は、戦闘に参加する余地がない。

「行きなさい、白疾風!」

「キョォアーッ!」

 そうして、コンテナ上の芋スナ野郎を、桜ちゃんが召喚した中級精霊である光の隼『白疾風』が仕留めて、倉庫内のオートボット部隊は殲滅が完了した。

「よし、急いでライフルを拾い集めて!」

 僕は『召喚術士の髑髏』の嵌った愚者の杖を振り上げ、すぐにスケルトンをありったけ召喚させる。

 ボットが装備していたライフルを、スケルトンに拾わせる。ライフルの使い方は、すでに仕込んである。後は、そのまま使えるかどうかだけど————キュォン! という独特の発射音を立てて、スケルトンは試し撃ちを成功させた。

「整備済みのライフルを配ってくれて、ありがとね小鳥遊」

 僕は感謝の気持ちを込めて、ライフルを携えて整列するスケルトン部隊を笑顔で眺めた。

「さて、ここから先は未知の領域だ。どんな敵が待ち構え、どんな罠が張り巡らされているか分からない————だから、僕とレムとコイツらで、強行偵察しながら進んで行く」

 この対応を見るに、やはり小鳥遊の不意を突くことには成功しているはずだ。

 後はこのタワー中腹からスタートして、小鳥遊が対応するよりも前に突破することができるかどうか。

「時間との勝負だ。一気に行こう」

第350話 セントラルタワー攻略(3)

「行けぇー、スケルトン三等兵! 仲間の屍を越えて進め!」

 要所で防衛線を展開している警備用オートボットを、雑に突撃させては強行突破を敢行。

「倒れた奴のライフルを拾って戦えー」

 兵士はいるけど、銃が足りないから二人一組にして、死んだらソイツのを拾って戦闘続行させるという、非常に画期的な歩兵運用法を考案したのはソ連だっけ? なんかスナイパーの映画で見たことある。

 先人の知恵というのは素晴らしい。僕は偉大な同志に感謝の念を捧げながら、『愚者の杖』片手に消耗した端からスケルトンを補充しては突撃をさせ続けた。

「よし、ここのホールは制圧完了だ」

 二階まで吹き抜け構造となっている広間を制圧し、分身の僕は後続の本隊へと連絡した。

 最初に入った倉庫での戦闘以降、警備ボットの抵抗は弱く、散発的になっている。このホールみたいに防衛に適した場所であっても、大した数が揃っておらず、スケルトン突撃だけであえなく制圧できる程度だ。メイちゃんを筆頭に、主力のクラスメイト達は戦闘せずに済んでいる。

 ボットがすでに打ち止め状態、というのならいいけれど、恐らくは慌てて小鳥遊が防衛戦力を結集させ、阻止戦を構築している最中なのだろう。

 各階層に残されたボットは、奴の指示が行き届いていないか、せめてもの足止めで半端に割り振ったか。

「アイツの最終防衛線に差し掛かるまで、みんなの力は温存させてもらおう」

 ゴーマの王国民から採取したノーマル魔石はまだまだ沢山残っている。コレの消費だけで道中が済むなら、こんなにコスパがいいことはない。

「桃川君、階段があったよ!」

「でかした!」

 流石は本職の『盗賊』だ。制圧したホールから方々に伸びる通路へ偵察隊を出していたが、先に夏川さんが下へ向かうための階段を見つけてくれた。

 このセントラルタワーは、優れた古代魔法文明の粋を集めた建築物であるが、やはりどれだけ文明が進んでも、絶対にアナログな構造は残すようであった。エレベーターの代わりに転移魔法で行き来するのが基本となっても、上下階を物理的に繋ぐ階段は必ず設置されている。

 タワーは現在、小鳥遊の逃走防止のために天道君の軍令によって、一律で転移の使用が禁止されている。奴が自由に行き来できるのは、エントランスで逃げるのに使った、最奥まで飛ぶための緊急避難用転移と、天送門のある階層内くらいだというのは、すでに判明している。

 奴の逃げ場は塞いでいるが、僕らが奴の元に向かうために転移で一足飛びすることもまた、できなくなっている。

 エレベーター代わりの各階ポータルが使えない以上、階段を通って降りていくしかない。

 その階段にしても、有事の際を想定してのことなのか、一階から最上階まで貫く構造になっておらず、一定階数ごとに階段の位置が変わる設計となっている。

 お陰で、階段位置が変わる度にその階だけは探索して階段を見つけなければ先へは進めない。全く、最後までダンジョンらしい探索要素をぶち込んでくれて、楽しませてくれるね。

「なぁ、もう結構下りて来たはずだけど、まだつかねぇのか?」

「これで20階分は下りたことになるけど、まだ半分も行ってないだろうね」

 本体の僕は、隣で歩く葉山君に答える。

 突入した搬入口はちょうどタワー中腹の辺り。ほぼ半分の位置とはいえ、タワーの高さは相当なもの。恐らく、世界で一番高い高層ビルよりも、さらに高いと思われる。

 ここまで進んで来た感じ、古代の高層建築は決して1フロアの高さが統一して作られているわけではないことが分かる。人間が活動するのにほどよい高さが基本であることは確かだが。吹き抜け構造の広間は勿論、フロア丸ごと天井がめっちゃ高いこともあれば、どういう目的なのか傾斜のついたフロアなんかも存在していた。

 タワーの外観にそれらのフロア高の違いは全く反映されていないが、内部はかなり自由な構造になっているのは間違いない。もしかすれば、空間そのものに干渉して実際の面積よりも広くしたりされているのかもしれない。

 流石に今のところ、タワーの中なのに大自然が広がる屋外フィールドが、なんてことにはなっていないけれど。

「ずーっと階段下りてると、あの雪のエリアに入る時のこと思い出すな」

「ああ、山越えて入ったとこ。あそこも相当な深度だったよね————っと、思い出話している場合じゃなくなりそうだよ」

「おっ、どうした」

「小太郎くん、何かあった?」

「フロアの雰囲気が変わった。絶対、ここからは何かあるね」

 と、本体の僕は葉山君とメイちゃんをはじめ、同行しているクラスメイト達に状況を伝える。

 そして雰囲気の変わったフロアへ一足先に辿り着いた先行偵察部隊の分身の僕は、ライフル構えたスケルトン達に護衛されながら、周囲の様子を伺いながら進み始める。

「随分と荒れた場所だな……ここは魔法の保護が効かなかったのか」

 搬入口からここまで下りて来た20階層分は、これといって特徴はないフロアであった。白い壁と通路ばかりの、今まで攻略してきた遺跡風ダンジョンと似たような感じ。

 けれどこのフロアからは、かつての活動の跡が感じられる、雑然とした雰囲気が漂う。照明すら辛うじて維持できているといった様子で、非常に薄暗く、急にホラゲーのステージに迷い込んだようだ。

「うーん、この感じは工場みたいだな」

 錆びついてボロボロになった金属パイプやらダクトらしき設備が、壁や天井を縦横に這っている武骨な造り。こういう場所は以前にも見かけたことがある。

 あれはレイナ殺した後、メイちゃんと再び二人きりになって再出発をした時に訪れた遺跡街のエリア。そこで初めてハイゾンビを目撃した古代の工場みたいな場所と雰囲気がよく似ている。

「ォオオ……」

「ァアアア……」

 ほうら、耳を澄ませてみれば、ハイゾンビの元気な叫び声が聞こえてくるようだ————

「浸ってる場合じゃないな。構え、撃て」

 暗い通路の奥から、これでもかと自らの存在を主張しながら、強靭な筋肉と白い甲殻を纏ったハイゾンビが、相変わらずアスリートのように綺麗なフォームで全力疾走しながら駆け込んでくる。

 正面、左右、と全ての通路から。

「まずい、この物量は抑えきれないかも……」

 すでにスケルトン部隊が綺麗に整列して、全ての銃口をハイゾンビに向けて射撃を開始している。

 アルビオン軍正式採用ライフルは、ちゃんとハイゾンビにも通用するようで、それなりに倒せはしている。通路を真っ直ぐ突撃するしかないハイゾンビに対して、一方的に撃てるのだ。弾さえ通れば倒せない道理はないのだが……如何せん、一発で即死とはいかない。

 ヘッショを決めれば一発だが、胴体には数発は撃ち込まないと倒せないし、手足に当たったくらいでは怯みもしない。

 ある程度の攻撃に耐えられれば、痛みも恐れもないアンデッドモンスターはやはり厄介である。

「なんとかこのウェーブは凌いだか」

 辛うじて、ハイゾンビに突っ切られることなく倒し切ることには成功した。だがギリギリだった。

 これがウェーブ制の防衛戦するタイプのゲームだったら、僕はここで切り上げるだろう。

 けど、残念ながらこれは現実と言う名のクソゲーだ。そしてこのダンジョンにおいて、ゲームマスターを名乗るのは最低のクソ女である。

「ォオオアアアアアアア!」

「ウォオオオオオオオオオオオオオオオ!」

「ですよねー」

 間髪入れずに、次のウェーブ開始である。

 それもハイゾンビだけでなく、良く見れば走って来る奴らの後方には、通路を埋め尽くさんばかりのノーマルゾンビの大群まで続いている。

「くそっ、ガチの物量作戦に出たか」

 ゴーマの次くらいにダンジョン中に蔓延っているのがゾンビだ。そこかしこで見かけるということは、それだけ数が多いということ。そして野生のモンスターも同時に繁殖しているにも関わらず、ノロくて弱いゾンビが淘汰されることなく相当数、数千年を経ても残っているといいうことは、ほぼ無尽蔵に湧いているということでもある。

 転移は封じているから、他所からモンスターを呼び寄せることはできない。つまり、このタワーのどこかに、ゾンビを量産できるような設備が存在しているのだ。

 というか、恐らくゾンビは魔導人形オートボットが元になって作られているのだろう。壊れたまま生産設備が稼働し続けて、欠陥品の状態で外へ出荷され続けているのが、各地に蔓延るゾンビの正体だと思う。ボットの特徴である青肌と白目も、どちらもゾンビとなれば全く目立たないし。

 ボットの生産設備がこのタワーに備わっていることは、すでに判明している。特に軍事機密ではないというか、ボット生産設備は一般的に普及していたモノらしい。古代語を少々解読できれば、タワーの設備についての概要欄にそのまま書いてあることが分かる。

 もっとも、このタワーの設備が壊れているのか正常稼働できているのかは分からないけれど……どちらにせよ小鳥遊め、なりふり構わず全力稼働してやがるな。

 これがただの悪足掻きならばいいけれど、本命のための時間稼ぎであるならば、悪くない一手だ。

「いくらゾンビ相手とはいえ、この数を相手にするのは手間だぞ」

「————まったく、この程度の相手に退くなんて情けないですね、桃川」

「あっ、桜ちゃん」

 いよいよ敵の勢いに押し込まれて階段まで下がって来たというところで、長い黒髪とスカートを翻し軽やかに降り立った桜ちゃんが、僕の隣に並んだ。

「腐った死体如きに、私の行く道を阻ませはしません————『光砲ルクス・ブラスト』」

 彼女が手にした薙刀、その切先を向ければ眩い白い光が輝き、

「オオッ……ァアアア……」

 下級とはいえ、光属性の範囲攻撃魔法が通路を埋め尽くすように駆け抜けて行けば、それだけでゾンビの大群が溶けて行った。

 そう、溶けた。それはさながら、聖なる力によって不浄な存在が浄化されていくかのように、淡い輝きに包まれて消滅していったのだ。

 それも何十体もまとめて。範囲攻撃が届く内にある者は、すべてサラサラと消し飛んでいった。

「おお、初めて桜ちゃんが聖女っぽい活躍を」

「もう、下らないことを言っていないで、貴方も戦いなさい!」

 いつものように僕へと怒りながらも、桜ちゃんは次々と押し寄せて来るゾンビの大群を、眩しい光魔法攻撃と、華麗な薙刀捌きで倒して行く。

 光属性はアンデッドモンスターに対して特効的な威力を発揮するようで、桜ちゃん一人で無双状態だ。

「もう、桜ちゃん、相性のいい敵に張り切るのはいいけど、まだまだ力は温存してもらわないと困るよ」

「そうは言っても、これだけの数がいるのですから、誰かが道を切り開かねば————進めないでしょう!」

 気合一閃。蒼真流の豪快な薙刀の切り払いが、光属性の魔力を伴うことで、光の斬撃が伸びて何十ものゾンビをまとめて両断。これは最早、立派な武技なのでは。

 薙刀での戦闘をこなすことで、急激に近接戦の技量が成長している感じだ。桜ちゃんの頑張りは分かるけど、今ここで頑張らなくてもいいんだよね。

「桜ちゃん、『光の守り手ホーリーエンチャント』をライフルにかけてよ」

「はぁ、なんで今更そんなことを————」

「いいから早く。ちゃんと戦闘では指揮に従ってくれないと」

「まったく、分かりましたよ————『光の守り手ホーリーエンチャント』」

 桜ちゃんが一言唱えると、スケルトン達が握りしめるライフルに、白い輝きが灯る。いいね、この如何にもバフかかりましたよ感、分かりやすくて。闇に紛れて奇襲する時は絶対止めて欲しいけど。

「それじゃあ、弱点属性で強化もできたし、押し返すとしよう。撃てぇー」

 先と変わらずにライフルによる射撃を始めるスケルトン部隊。だが、その威力は大違い。

 光属性のエンチャントを受けたビームは、一発でゾンビを仕留め切るだけでなく、貫通して後ろの奴まで倒せるほどに強化されていた。

 流石に倍以上の火力を発揮するとなれば、再びスケルトン部隊に任せれば何の問題もない。これならハイゾンビが群れで突撃してきても対応可能。

 つまり、桜ちゃんがわざわざ最前線で無双しなくてもいいってことだ。

「もういい、戻れ、桜ちゃん」

「……こちらが優勢になったのなら、私が出る必要もありませんか」

 などとわざわざ引き下がる理由を口にしながらも、非常に渋々といった様子で桜ちゃんは戻って来た。

「よしよし、ちゃんと言うこと聞けて偉いね。いい子いい子」

「ふざけるのもいい加減にしなさい!」

 パァン! と理不尽なビンタが僕の頬に炸裂する。

「素直に褒めてあげただけなのに、酷くない?」

「その犬か猫にでもするかのような、見下げた態度をやめなさいと言っているのです」

「ええー、レムもこうやって褒めてあげてるんだよ。ねー?」

「あるじ、ほめてくれる。うれしい」

 バックアップのため、こっちへ来ていた幼女レムを撫で回すと、なんとも可愛いことを言ってくれる。僕の愛情が伝わっているようで、何よりだね。

「ほら、レムはこんなにいい子なのに、桜ちゃんときたら」

「騙されてはいけませんよ、レム。その男は貴女のことを使い魔として、いいようにこき使っているだけなのですからね」

「そんな、ただの使い魔だなんて思ってないよ。レムは家族です」

「ペットだって家族と言う人の方が大半でしょう————はぁ、貴女も自我があるのですから、あまり桃川の言いなりになっていてはいけませんよ」

 そんなメチャクチャ失礼なことを言いながら、レムの頭を撫で撫でしてから、桜ちゃんは下がっていった。

 短いながらも共同生活の内に、すっかり情が移っているね。やはり可愛いは正義。

「おーい桜ちゃん、『光の守り手ホーリーエンチャント』は切らさないで欲しいんだけどー」

「解除しなければ、半日は持ちますから」

 おお、そんなに持つのか。

 効果時間を把握しているのは偉いけど、ゾンビ相手なんだから『光の守り手ホーリーエンチャント』だけくれれば、自分が出張る必要がないってことには、僕が頼まなきゃ気づかなかったのだろう。

 うーん、もし日本に戻れたら、桜ちゃんには僕が厳選したシミュレーションRPGの数々を貸してあげよう。そうすれば、限られたユニットとリソースを使って最善手を打つ重要性を分かってくれることだろう。

 何にせよ、今回は珍しく桜ちゃんに助けられた。素直に感謝は示そう。

「桜ちゃん、助けに来てくれて、ありがとね」

「別に、貴方のためではありません。くれぐれも、私が心を許したなどと勘違いはしないでください」

 笑顔でお礼を言えば、純度100%のツン台詞が返って来たものだ。

 これを素でできる桜ちゃんは、やっぱり才能あるよ。学園一の美少女は伊達じゃないね。

「さて、火力も上がったことだし、ガンガン進んで行こう」

 ゾンビ特効の光ライフルを携えたスケルトン部隊を前面に押し出し、怪しい古代工場風フロアの探索を僕は始めた。


第351話 モンスタープラント(1)

「————まったくもう、何が温存ですか! 結局、すぐに戦わねばならなくなったでしょう!」

「しょうがないじゃん、マジでボスラッシュ始まっちゃったんだからさぁ!」

 相変わらずやかましい桜ちゃんの言葉に言い返しながら、僕は『愚者の杖』を振るう。

 放った『ポワゾン』を、相手は素早く壁を蹴り急転換して回避する。

「ちっ、外したか。けど————」

 捕らえた、『黒髪縛り』。

 本来あるべき使い方である、敵を縛って動きを止める、という効果を十全に発揮。地を駆ける四本脚の内の一本を縛り、その機動力を一時的とはいえ封じ込めることに成功した。

 そして、それだけあればトドメを刺すには十分であった。

「はぁああああ————『双烈ブレイザー』っ!」

 桜ちゃんが光り輝く薙刀の刃で、閃光のような二連撃を見舞う。

 光属性で強化されているだろう武技の威力が炸裂したのは、二つ首の猛犬『オルトロス』の両頭。

 二つの首が、青白い血飛沫を上げて転がった。

「次はケルベロスを仕留めます」

「先に中嶋君と夏川さんを回復してあげてよ。それから、レムとタンクもよろしく。そろそろ耐久尽きそうだから」

「ええい、分かりましたよ、やればいいのでしょう————『応急回復ファストヒール』!」

 バリバリの前衛に転職した聖女様は、目の前の戦いにのめり込むあまり、本来あるべき回復役としての視野が欠けてしまった模様。

 君の優れた治癒能力は唯一無二なんだから、ヒーラーとしての立場は忘れないで欲しいんだけど。

 やれやれと言った心持ちで、僕は戦況を把握する。

「ちくしょう小鳥遊め、なんだかんだ結構な戦力を持ってるじゃないか」

 ゾンビラッシュから開幕した工場風フロアの探索は、それ以降も湧いて出てくるゾンビの群れを蹴散らしながら進んで行った。

 そうして幾つかのフロアを下ったところで、辿り着いたのがこの場所。大小無数のパイプが走る構造はそのままに、ワンフロア丸ごとぶち抜いたような広いところに出た。

 壁の代わりに巨大な機械のような立方体や円筒形の金属製の設備が立ち並び、数十メートルはありそうな高い天井に至るまで、縦横に階段と通路が張り巡らされている。

 魔力でも通っているのか、パイプとそれに繋がる大きなタンクのような設備が、青白い輝きをボンヤリと放ち、薄暗い室内を不気味に照らし出している。

 そんな製鉄工場のように大きく複雑な構造の場所で、待ち構えていたのが見覚えのある大型モンスター達であった。

 今しがた桜ちゃんが仕留めたオルトロスをはじめ、ケルベロスやゴライアス、巨大スケルトンに大型ゾンビ。他にも僕以外のクラスメイト達が倒したと聞いただけの奴らもちらほら見える。

 ここに集結したボスモンスターの共通点は、魔導人形オートボットと似たような青い体色と血。

 基本的に赤い血の色とそれぞれ独自の体色を持つのがオリジナルで、この青白いのは量産型といったところだろうか。強さも若干、下回っているような気もするけど、それぞれのボスと戦った時に比べて、みんな相当に強くなっているので、正確なところは分からない。まぁ、強化されてなければ何でもいいよ。

 大幅なパワーアップはされていないお陰で、かなりの数のボスが集まってはいるが、戦闘はこちらが優勢に進められている。けれど、ゾンビ共に比べて明らかに手間はかかる。

 少なくとも、こっちがメンバー総動員で戦わなければいけないほどには、敵の戦力は充実しているのだから。

「ごめんね、中嶋君。大丈夫かい?」

「今、回復してもらったからね。問題ないよ————『双激烈レイジブレイザー』」

 剣崎に次ぐ二刀流を扱う中嶋は、『炎剣・サラマンドラ』と『クールカトラス』を振るうことで、連撃武技にそれぞれ属性攻撃を上手く載せて放っている。

 相反する属性である火と氷が干渉すればプラマイゼロで打ち消しちゃうこともあるけれど、きちんと別々の場所にヒットさせて無駄を発生させていない。こういう地味ながらも確かな技術が垣間見えると、成長を感じさせるね。

「————けど、ちょっと相性が悪い相手でね。手を借りないと、倒し切るのには時間がかかりそうなんだ」

 叩き込まれた連続斬撃と共に、激しい火炎と冷気を噴きながら倒れ込んだモンスターはしかし、すぐにのっそりと起き上がって来る。

 ソイツは上半身が筋肉で肥大化した大きな人型で、斬り付けられた傷跡は歪に肉が盛り上がっては、そこから触手をニョロニョロ生やしている。

 今喰らったばかりの傷跡からも、不気味に青い肉が蠢いて新たな触手が生え出ようとしていた。

 コイツはメイちゃんと二人で挑んだ、ハイゾンビのボスである。

「ああ、コイツの再生力はズバ抜けてるからね。メイちゃんもとんでもない力技で倒したし」

「流石に僕じゃあ、双葉さんの真似はできそうもないかな」

「ここまで粘ってくれただけで十分だよ。桜ちゃんとスイッチだ————行けっ、桜ちゃん!」

「その命令口調はやめなさい!」

 言いながら、後退する中嶋君と入れ替わって、桜ちゃんが薙刀を振りかぶって突撃してゆく。

 流石は光属性、アンデッドモンスターには効果覿面。桜ちゃんに切られたボスは、再生するどころか、浄化されるように肉体が光の粒子と化して徐々に溶けていく。

「アンデッド系は桜ちゃんに任せよう。中嶋君は————」

「これで、ようやく夏川さんのフォローに入れるよ」

「うん、お願いね」

 どこぞの脳筋聖女と違って、しっかり自分の役割と仲間の戦況を把握していた中嶋は、すかさず火と氷の下級攻撃魔法で牽制しながら、大立ち回りを演じている夏川さんの元へと駆けた。

「助かったよ中嶋くーん! 流石に大っきいのを四体同時は厳しいよぉーっ!」

「ごめんね、夏川さん。まずは一体、急いで仕留めよう」

 夏川さんが相手をしているのは、ダンジョン攻略序盤では強敵だったゴライアスである。

 ゴリラチックなマッシブボディに金属質の甲殻、そして角が生えて鬼のような形相をした、シンプルにパワー、スピード、タフネスを兼ね備えたストロングスタイルのボスモンスターだ。

 ソレが四体いる。

 序盤に登場するボスは中盤ではちょっと強い雑魚に成り下がるからって、急に四体同時討伐させようとする無茶ぶりしちゃうようなバランスのゲーム、たまにあるよね。しかもそれが、やたら狭いステージで分断するのも難しかったり……と、昔を懐かしんでいる場合ではない。

 夏川さんは盗賊の本領発揮と言わんばかりの素早い機動力で、遮蔽物と障害物が乱立する立体的な工場フロアの地形を生かし、縦横無尽に飛んで跳ねて走って、四体ものゴライアスを見事に捌いている。

 泣き言を言っているように聞こえるけれど、もう少し時間をかければ一人で倒し切れるだろう。ゴライアスを一撃で楽に倒せるのは、なんだかんだでメイちゃんや天道君みたいなエース級だけだから。

「足が凍った、今だ夏川さん!」

「やぁあああ————『ハイ・スラッシュ』っ!」

 中嶋の放った氷魔法がゴライアスの足元を凍らせ動きを阻害。慌てて脱しようとするのと同時に、注意を中嶋の方へと向けた、その隙に夏川さんが急反転してゴライアスを襲った。

 すでに多少の手傷を負っていたゴライアスは、どこか禍々しい気配を発する大ぶりのナイフ『エンシェントヴィランズ』によって、あえなく切り裂かれる。

 首筋をザックリと武技で斬られ、さらに甲殻の隙間と、すでに割れている箇所に間髪入れずに刃を突きこまれ、肉を抉られ、可愛い掛け声とは裏腹に結構な惨殺死体と化して転がった。

 四対一だったところが、これで三対二である。ゴライアスの方はこれで勝負アリだな。

「って、油断したところを狙ってくるのは、セオリーだよね」

 僕が見上げた先には、実に思い出深い八本脚のシルエットが浮かぶ。

 数十メートルもの高さにある天井。それもパイプや柱が入り組んだ中で、さながら密林の木々に身を潜めるようにして張り付いているのが、蜘蛛の体と人型の上半身を持つアラクネである。

 奴の糸に攫われて、天道ヤンキーチームから強制離脱させられたのが、今や随分と懐かしく思える。

 僕もあの頃から成長している。と言っても、殺気を感じて敵を補足する、みたいな第六感的なセンスはない。

 天井に潜むアラクネに気づいたのは、この戦闘中も方々へ飛ばしているレム鳥の監視網があるからだ。こういう乱戦の時こそ、このテの横槍を警戒しなければならないからね。

「また小太郎狙いやがったなテメー、次はねーぞオラァ!」

 僕がスケルトン達にライフルで狙わせたところで、気合の入った叫びと共に、先にアラクネへと一撃が叩き込まれた。

 ズドォン! と轟音を立ててアラクネどころか、周辺の構造物も巻き込んで派手にぶっ壊したのは、高速で飛来する岩の砲弾。

「ありがとう、杏子」

「気ぃつけろよ小太郎。お前、狙われやすいんだから」

 ビシっと僕を指さしてイケメンなことを言いながら、杏子は再び離れた位置に陣取る敵に狙いを定めた。

「はぁ、ようやくこっちも片が付きそうだよ」

 やや押され気味だった形成を、何とかひっくり返すところまで来た。一体減ったことで、残ったゴライアスも次々と仕留められ、ほどなく中嶋と夏川さんがフリーになる。桜ちゃんもアンデッド系を相手に無双状態で、もうすぐ一掃してくれるだろう。

 あの触手野郎みたいなボス級の奴さえいなければ、断続的に投入され続けているゾンビとハイゾンビの雑魚湧きも再びスケルトン部隊だけで抑えることができる。

 桜ちゃん含めて三人フリーになれば、遠くからチマチマとブレスを放ってくるモンスターのくせに芋スナ状態の奴らと撃ち合いを演じている杏子と委員長、それから葉山君も含めた魔術師トリオに加勢し、こちらもすぐにケリがつく。

 そしてエース級のメイちゃんと天道君は、二人そろって最先鋒を行き、こちらに押し寄せて来た奴らよりも、さらに強力なボス連中を叩くために突っ込んでいる。

 フロアの奥の方からは、かなりの衝撃音や爆音が轟き、激戦が繰り広げられていることが嫌でも感じとれる。まぁ、レムをフォローに回しているし、特にピンチとの連絡もないので、問題なく戦えてはいるのだろう。

「でも、やっぱり戦線を広げ過ぎたかな」

 自分の目の届かないところで戦いが繰り広げられていると、やはりどうにも心配になってしまう。

 先行させていた分身の僕が率いるスケルトン部隊は、このフロアでボスラッシュがスタートすると同時に、一瞬で壊滅した。

 ボスモンス揃い踏みの大した戦力だが、ここで一旦、引き下がるのは大きなタイムロスとなる。そして恐らく、このボスラッシュも小鳥遊の本命などではなく、ただの時間稼ぎの一環に過ぎない。

 一度下がって慎重に戦えば、もっと安定して乗り切ることはできたけれど、ここは時間を優先した。少々リスキーだが、このまま本隊で迎え撃ち、エース戦力を急先鋒として突破することを選んだ。

「よし、みんな前進だ! 先行してるメイちゃんと天道君に合流して、さっさとフロアを抜けよう」

「あっ、おいヤベーぞ桃川、なんかデケー奴が出て来たぞ!」

 いつの間にそんな場所に登ったのか、大きなタンクの上に立つ葉山君が指を差して叫んだ。

 彼は精霊が教えてくれたのだろうか。僕もちょうど今、レム鳥監視でソイツを補足した。

「ワニ型リザードマンとミノタウロスか」

 ゴライアスを越える巨躯を誇る二体が、ガラガラと設備のガラクタを蹴飛ばしながら猛然と接近してくる。

 ワニ型リザードマンは、地底湖で天道君が一人で戦っていたボスだ。本来は水中戦特化の個体だろうが、普通に二本足で立って疾走できるので、地上戦も普通に強い。

 もう一方のミノタウロスは、ウチのメンバーは誰も遭遇していないタイプのボスだが、よく似たモンスターは遭遇している。ソレの強化版であるボスがいるエリアが存在しても、何ら不思議はない。

「ちっ、アレの相手は手間かかるぞ」

「どうするの、桃川君。ここで迎え撃つ?」

「いや、突破を優先する。杏子、委員長、精霊をぶつけて足止めさせよう。僕はタンク二体をフォローに出す」

「オッケー」

「了解よ」

 僕の指示に答えて、杏子はメインウエポンのリボルバーをホルスターに一旦収めてから、背負っていたショットガン『ロックブラスターE3』を構えた。


『ロックブラスターE3』:Eが三つ、エンハンスド・エンシェント・エレメンタル、略してE3だ。リボルバーが戻ったことで要らない子と化しつつあった僕のお手製『ロックブラスター・ソードオフ』だったけど、この度改良を経て別方向に性能を伸ばして差別化を図った。王国でも焼夷弾ぶっ放して活躍してくれた従来の専用弾発射能力はそのままに、古代のブラスターからパーツを分捕り威力、精度、射程、魔力伝導率を向上させて、手作りショットガンから、今や立派な古代式ブラスターと呼んでもいい性能となっている。そしてもう一つ、エレメンタル要素として、精霊を用いた土魔法の使用に向けた性能を持たせてある。


「————行けぇ、グリリン、ぶちかませぇーっ!」

 中級土精霊テラ・ハイエレメンタルを造り出すための召喚弾を装填した杏子が、トリガーを引く。銃身はオレンジ色に輝き、マズルフラッシュの代わりに円形の魔法陣が瞬いた。

 葉山君のアドバイスを元に、ロックブラスターには銃そのものに土精霊が宿りやすい、留まりやすいよう工夫してパーツを組み込んである。具体的には、杏子が丁寧に希少金属を錬成して純度を高めた合金で、彼女のセンスで作り上げた繊細なアクセサリーだ。

 なんかシューターゲーであるレア度高めの銃スキンみたいな、やたら派手な感じの出来栄えになったけれど、杏子が持てばギャルっぽい派手めデザインが妙にしっくりくる。

 ともかく、そうして土精霊が乗った銃で召喚弾を放てば、現状では最も効率的に精霊の力を発揮させることができる、いわば銃の形をした魔法の杖のような効果をもたらしてくれる。

 放たれた召喚弾はグレネードのように放物線を描いて床へ着弾。濃密な土属性魔力と合金の破片が炸裂すると同時、

「グオォオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 瞬く間に二足歩行の肉食恐竜、グリムゴアそっくりな形を成して猛々しい咆哮を上げた。

「ギシャアアアアアアアアアアッ!」

「グルルゥ、グガァアアアアアアアアアア!!」

 そして目前に迫っていたワニ型リザードマンと、真っ向勝負で食い掛る。互いに同程度の大きさと体格。恐竜時代の再現とばかりに、牙と爪と鱗で武装した二体は、激しい戦いを始めた。

「————『中級ハイ氷精霊アイズエレメンタル召喚』、『アイスゴーレム』」

 もう一方の委員長は、堂に行った構えで杖を掲げると、大きな青い魔法陣を描き出す、実にオーソドックな魔術師スタイルで召喚魔法を行使していた。

 氷属性魔力の輝きと、どこからともなく吹き荒ぶ大粒の雪が渦巻きながら、大きなアイスゴーレムが召喚される。

 アイスゴーレムは猛々しく吠えることはないが、凍れる体がギシギシと唸りを上げながら、猛進してくるミノタウロスを迎え撃つ。

「よ、よぅし、俺もやるぞぉ……」

「葉山君はまだ中級精霊召喚安定しないから、今はやんなくていいよ」

 精霊術士としての対抗心からか、自分も召喚術で掩護しようとしていたが、なんか如何にもダメそうな雰囲気がしたので止めておいた。

 まぁ、この場は土と氷の精霊だけで足止めは十分だし。葉山君の出番は絶対に巡って来るはずだから、そんなに気に病まなくてもいいよ。

「はい……すんません……」

「ほら、早く行こ」

「はい……」

 僕らは大暴れする精霊とボスの戦いを後目に、さっさと前進していく。とぼとぼ付いて来る葉山君は、羨ましそうな目で、奮戦する中級精霊の姿を見つめていた。

第352話 モンスタープラント(2)

「うーん、やっぱこの二人はレベルが違うなぁ」

 土と氷の中級精霊を足止め役に投入し、僕らがメイちゃんと天道君が突っ込んでいった最前線まで合流すると、こちらとは一段格上の激戦が繰り広げられていた。

「はぁあああああ————やぁっ!」

 気合の掛け声と共に、メイちゃんは切りかかって来たリビングアーマーのボス、ジェネラルアーマーとでも呼ぶべきデカい鎧兜を弾き飛ばした。一体ではない。二体同時だ。

「そこっ!」

 そして、背後の影から飛び出して来た黒いマントを纏った人型、ヴァンパイアのボスがサーベルを振り上げたところに、『八つ裂き牛魔刀』が薙ぎ払われた。

 同時に、刀身を目いっぱいに伸ばした『ザガンズ・プライド』で正面にも横薙ぎの一閃を繰り出し、もう一体のヴァンパイアを狙っていた。

「ギィイイイッ!」

 背後の奇襲野郎は寸でのところで身を捻って辛うじて回避するが、翻ったマントごと胴を浅く切り裂かれ、僅かに青い血が舞った。

 もう一方の正面は、体勢を立て直したジェネラルアーマーが大盾を構えて、ヴァンパイアを守っていた。

 ゴライアス四体相手に凌いでいた夏川さんも十分頑張った方だと思うけれど、メイちゃんはさらに格上のボス四体、それも互いの能力を活かした連携までとれる奴らを相手に、むしろ押し込んでいる。

 再合流して早々、一人でザガンの相手を務めた時から分かっちゃいたけれど、以前よりもさらに強さに磨きがかかっているようだ。

「ええい、煩わしい。妾が一息で薙ぎ払ってくれようか」

「こんな場所で本気のブレスをぶっ放すんじゃねぇ。黙って見とけ」

 そしてお隣では、呑気にリベルタとお喋りしながら、天道君が全く同じ編成のボス四体を同時に相手取っていた。

 大剣サイズの王剣を持つ天道君は、剣術だけでなく様々な魔法も行使できる。嵐のような剣戟で敵を寄せ付けない狂戦士メイちゃんとはまた別に、王剣の斬撃と数々の攻撃魔法を織り交ぜ、危なげなく四体のボスをあしらっている。

「なぁ、これ俺らの掩護いるのか?」

「いるよ。ちゃんと役に立つって」

 パっと見で分かるくらい優勢に戦っている二人の様子に、葉山君がちょっと投げやり気味に言う。

 確かに二人とも余裕はあるものの、深追いはしないよう冷静に判断して立ち回っているのだ。ここで僕らが参戦すれば、戦力は完全にこちらに傾き一気にカタがつく。

「杏子はメイちゃんを、委員長は天道君を掩護して。夏川さんと中嶋君は————ちょうどいい、アイツを抑えて」

 僕らがやって来たことをすぐに察してくれたのだろう。メイちゃんが『ザガンズ・プライド』最大刀身で武技『激震』を放ち、ちょうどジェネラルアーマーの一体を大きく弾き飛ばす。

 この一体を受け持ってくれ、とのご要望である。

「桜ちゃんは天道君の方を適当にお願いね」

「そんな適当な指示を出すくらいなら、指図などしないでください」

「むっ、新しい女ですか? 聖女だかなんだか知りませんが、ご主人様には近づけさせませんよ」

「ええい、兄妹揃って私の邪魔をしないでくださいよっ!」

「桃子は別に僕の妹ではないからね?」

「魔法に対する理解が浅いですね。ニワカ知識でケチつけるの、止めてもらっていいですかぁ?」

「このぉ! 同じ顔並べて、また私のこと馬鹿にしてぇっ!!」

「おーい、桜。桃川兄妹と遊んでないで、さっさと手伝えよ」

「今行きますよっ!」

「俺にまでキレんなよ……」

 天道君も呆れるくらいの怒気を振り撒きながら、八つ当たり気味にヴァンパイア野郎へと薙刀で切りかかる桜ちゃんであった。

 あっ、光属性だからヴァンパイアにも凄い効いてる。哀れ、真正面からの連撃によって、あっという間にヴァンパイアは塵と消えた。

「————さて、ようやく片付いたか。みんな、急いで階段下りてね。このフロア封鎖しちゃうから」

 ジェネラルアーマーとヴァンパイアの混成ボスパーティを撃破した後、即座に階段へと向かう。

 フロアにいる敵は、全て倒せたワケではない。足止めしている中級精霊には、更なる敵の増援が加わって、そろそろ消滅しそうになっている。ゾンビとハイゾンビの群れも、いまだにこっち目掛けて走って来るし、ゴライアスやアラクネくらいの奴らも再び湧き始めている。

 間違いなくこのフロアにはそれなりの規模の生産設備があり、それを全力稼働させて戦力を投入し続けているのだ。装置を見つけて破壊すれば止まるだろうが、そんなことをしている暇はない。

 よって、討ち漏らしとリポップした奴を無視して、さっさと先へ進むのが最適解。

「突貫工事くん、設置完了! じゃあ杏子、お願いね」

「任せとけ————『岩石防壁テラ・ウォルデファン』」

 ズズーン! と轟音を立てて、階段を丸ごと巨石が埋めた。

 ボスモンスターの力をもってすれば、破壊することは不可能ではないが、手間はかかる。何より、タワーの階段構造は現役で魔法建築の恩恵を受けているので、そう簡単に壊れない。ちゃんと掘らないと、通り抜けるだけの穴を開けることはできないし、モンスターの知能でそれを上手にできるとは思えない。モグラのボスはいなかったよね?

「うわぁ、まだここ、さっきと同じ感じだよぉ」

 イヤーな顔で夏川さんが眉をしかめて言う。

 ざっと見た限りでも、上と同じ工場フロアだということが分かる造りだ。

「でも、随分と綺麗だな……ここは保護が効いていたのか」

 長い時を経て、山と積もった埃や、金属部分の錆びつき。そういったモノが、ここには見受けられない。妖精広場があった最上階と同じように、綺麗な白塗りとなっている。

「うん、絶対、罠が仕掛けてあるよ」

「そう感じる?」

「そこかしこからねー」

 盗賊の勘に任せてキョロキョロと周囲を見渡している夏川さん。彼女がそう明言するのなら、間違いなく罠がある。それも、一つではなく複数。

「それじゃあ、どんなのがあるのか、確かめるとしよう————行け、ハイゾンビ」

「ウォオオアアアアアアアアアアッ!」

 雄たけびを上げて、召喚したばかりの新鮮なハイゾンビ達が、過不足なく白い灯りに照らし出された通路を全力疾走していった。

 罠があることが分かっているなら、さっさと囮を走らせて引っかからせた方が手っ取り早い。


 ズドォーンッ! バヂィイイイッ!!


 早速、爆音やら雷鳴やらが、通路の向こう側から響き渡って来た。

 まずはマインにショックトラップか。


 ゴォオオオオオオオオオオオオオオッ!


 そして火炎放射。定番だな。

 後は落下してくるシャンデリアと、転がって来る大岩でも仕掛けてあるのだろうか。

「行け、ハイゾンビ!」

「えっ、もう全滅しちゃったの!?」

「みたいだねぇ……行けっ、ハイゾンビ!」

「うーん、ここまで多すぎると、探知にかかりすぎて逆に見落としちゃいそうだよ」

「もう少しハイゾンビを走らせて、行けっ! 罠を減らしてから進まないと、行け、ハイゾンビ! 危ないからみんなを歩かせるわけにはいかないな————行けっ、桜ちゃん!」

「ちょっと!」

 ごめん、間違えた。最近、言うこと聞いてくれるようになったから、嬉しくてつい、出したり引っ込めたりしたくなっちゃうんだよね。

「ふふっ、呼んでみただけ」

 ってハートマークつくような感じで言ってみたら、パァン! とビンタされた。

 痛い。本体に喰らったんだが。

『痛み返し』発動して桜ちゃんも頬赤くなってるけど、毅然とした表情を崩すことはなかった。そんな覚悟完了してまで、僕にビンタしたってこと? もうちょっと他のところで根性見せてよ。

「うぇーん、ほっぺが痛いよぉ、メイちゃーん」

「小太郎くん、大丈夫?」

 折角なので、この機に乗じてメイちゃんに甘えてみた。大きな胸にギュっと抱きしめられながら、優しく頬を撫でてくれる。

 そしてそれを、台所に出たゴキブリを見た時よりも嫌悪を感じる眼差しで見つめてくる桜ちゃん。

「ううぅーん、これは大丈夫じゃないかもぉ」

「じゃあ、蒼真さん一発叩いて来ようか?」

「それは止めてあげて」

 流石に報復で狂戦士の一撃を喰らうのは、ざまぁ通り越してドン引きだから。

「まったく、こんなとこでイチャくのやめてよね。双葉ちゃんも、あんまり桃川君を甘やかさないでよ、すぐ調子に乗るんだから」

 などと心底ウンザリした顔で、姫野が口を挟んで来た。

「そんなに痛いなら、私が治癒魔法かけてあげるから」

「ええー、僕はメイちゃんに癒されたいから、なんちゃってヒーラーはお呼びじゃないんだよね」

「おら、面貸せ桃川。その生意気な頬に今すぐ『微回復レッサーヒール』ぶち込んでやるからよぉ」

「ぬわぁあああああああああ!」

 キレた姫野が僕の頭を強引にメイちゃんの谷間から引き剥がし、ああっ、なんて無慈悲な治癒魔法を! 癒しの光が痛みをどんどん和らげていくぅ……おのれ、痛くないと甘えられないじゃあないか。サービスタイム強制終了かよ。

 そんなことをしている内に、ハイゾンビによるトラップローラー作戦は終了した。

「よし、ひとしきり罠を踏み終えたな」

「みたいだね。かなり減った感じだよ」

 惜しげもなくハイゾンビを投入して、このフロアを隅々まで走らせたお陰で、階段も発見できた。

「小太郎、こっちの方は大丈夫だぞ。諦めたのか、もう岩削れてる感じしないわ」

 下りて来た階段前に陣取っていたので、塞いだ階段が突破されないよう杏子を殿にしていたのだが、どうやらボスモンスター達の掘削は止まったようだ。

 後顧の憂いは断ったと喜ぶべきか、それとも不気味な沈黙と警戒すべきか。

「何にせよ、進むしかないけどね」

「気を付けてね、消費しないタイプの罠も残ってるから。それに……このフロアには、何か大きな罠が仕掛けられている感じがするの」

「ハイゾンビにかからなかったってことは、自動で検知するんじゃなくて、ちゃんと相手を見て発動させてるってことか」

 見ているのか、小鳥遊?

 少なくとも、付近に監視魔法の類は感知できていないのだが。

「スケルトン部隊も再編したし、僕らが先行するから」

 そうして、残ったハイゾンビに前を歩かせながらいよいよ罠だらけのフロアを進み始める。

 途中に何か所か、夏川さんが言った通りに繰り返し発動するタイプの罠を発見した。

 とはいえ、センセーか何かで感知して、自動で炎や雷を噴き出すような単純なモノだった。配置の隠蔽も雑だし、構造も単純。

 恐らく完成された罠ではなく、元は別な武器か道具だったのだろう。罠に流用できそうだから設置しただけといった感じだ。

 ここからしっかり罠として洗練されていないのが、実に小鳥遊らしい。アイツの錬成能力があれば、より強力かつ厄介なトラップなど幾らでも作れるだろうに。

 ともかく、雑な罠のお陰で解除と撤去の方も順調に進んだが、

「桃川君! ここ、絶対ヤバいよ!」

 先行している分身の僕へ、夏川さんが警告を発してくれる。

「うん、僕もここヤバいかなって思ったよ」

 というのも、第六感などでは断じてない。

 そこは長い直線の通路だ。

 遮蔽物はなく、左右に逃げ込める部屋もなさそう。あったとしても、ロックされているだろう。

 綺麗な白い通路は、何事もないかのようにただ静寂を保っているが……嫌な地形だ。向こう側から、何かしらぶっ放すだけで、攻撃され放題である。

 強いてマシなところは、通路の幅は二車線道路ほどもあり、結構な広さがあること。通路というより、トンネルといったサイズ感だ。

「よし、じゃあ行ってくるよ」

「う、うん、気を付けてね……」

 ゴクリ、と固唾をのんで夏川さんが見送ってくれる。

 彼女だけは罠探知のために先行部隊の僕と同行しているのだ。僕らが一網打尽にされた時は、何が起こったのかを彼女が外側から見届けてくれる。

 分身の僕が、ワケも分からずやられてしまう即死状態でも、夏川さんなら罠の正体を一発で見破ってくれるだろう。

 そんな信頼を持って、ハイゾンビとスケルトンを引き連れた僕はソロソロと慎重に、この怪しい直線通路を歩き————

「んっ、こ、これはまさか————」

 異変を察知した瞬間、分身の僕は消滅した。




「————バジリスクだ」

 一瞬で死んだが、僕はそう確信できた。

 他でもない、僕が唯一ソロ討伐に成功した、思い出のボスモンスターだから。アイツのことは、よく覚えている。

「バジリスク?」

「どういうことなの。美波は、モンスターの姿は通路に見えなかったと言っていたけど」

 夏川さんと委員長の疑問に、僕は確信をもって答える。

 まず分身の僕が認識したのは、濃い紫色に煙る猛毒のガスが瞬く間に視界を覆ったことだけ。

 そして傍から眺めていた夏川さんも、通路があっという間に毒ガスで満ちて、僕らが丸ごと飲み込まれていったところを目撃した。

 ほどなくすると、換気装置でも働いているのか、紫の毒ガスは綺麗に消え去り、後にはブスブスと音を立てながら大半が腐り溶け落ちた骨の残骸が転がるだけだったと言う。

「多分、天井裏か通路の左右、あるいは全てにバジリスクを配置してる。噴き出された毒ガスが、間違いなくバジリスクのものだというのは、僕の『直感薬学』が証明してくれている」

 あの時も、まずは『直感薬学』がバジリスクがあくび交じりに漏らした紫のモヤを勝手に鑑定して教えてくれたんだ。まぁ、あんな毒々しい紫色の気体を吐いて、毒だと思わない奴はいないだろうけど。

「言われてみれば、確かに気配を感じるよ。でも、動いてるのかな……それとも、気配を隠すのが上手い? 壁越しだと、あんまりハッキリ捉え切れないよ」

 僕の証言を元に、再び夏川さんが通路を探ってきた結果報告がこれである。

「バジリスクは動きは遅いけど、獲物を狙って水中から近づく時は、凄い静かに這いよっていたから、気配遮断系の能力を持っていてもおかしくはないね」

「なるほど……バジリスクはあの場で大人しく息を潜めて、獲物が来るのをただ待っているだけということね」

 強力な毒ブレスを撒き散らすバジリスクを、他のモンスターとは一緒にさせず、単体で運用したのは正解だ。それも動きが鈍いのを割り切って、罠として固定させたのもデメリットを打ち消す使い方だ。

 ちっ、小鳥遊のくせに考えたな。

「それで、どうするの桃川君?」

「こういう場所で、毒ガスを浴びせるのも定番のトラップだからね。勿論、対策はあるよ」

 こんなこともあろうかと、ってヤツだ。

 とはいえ、委員長が協力してくれれば、それだけで済むと思うけどね。

第353話 凍結処理

「————『氷山城壁アイズ・ランパートデファン』」

 委員長が発動させた氷属性の上級範囲防御魔法は、トンネルのように大きな直線通路を端から端まで、完全に氷結させた。

 フル詠唱に加えて、儀式用の供物も配置した、通常戦闘では行えない入念な準備の末に放った結果がコレだ。

 通路の床、壁、天井。全てが凍り付いている。より正確に言えば、均等な厚さの氷によって、綺麗に覆い尽くされている。

 バジリスクはこの通路を囲うように配置されており、頑強な魔法建築であるタワーの壁そのものが奴らを守る盾と化している。そこにいると分かっているが、バジリスクを直接叩くことはできない。

 逆に言えば、奴らも通路まで本体が出てくることはないのだ。

 ここを猛毒ガスで満たすトラップとして運用するのに必要な構造は、バジリスクのブレスを流し込むダクトだけ。通路のあらゆる場所から同時にガスが噴き出る様は、僕も夏川さんも見た通り。

 だから、通路全部を塞げば、ブレスは流れ込まない。

「桃川君、本当にこれで大丈夫なの?」

「バジリスクの毒ブレスは、物理的な威力はないからね。純粋な毒ダメージ100%の攻撃だから、委員長の氷を破れるほどの破壊力はないよ」

 薄氷のように見えても、上級範囲防御魔法。それ相応の威力を発揮しなければ、砕くことはできない。一息で破ろうと思えば、それこそサラマンダーが火を噴いてくれないと。

「それに、防毒装備に解毒薬も用意しているんだ。万が一、ガスが充満しても突っ切れるから」

 バジリスク丸ごとトラップに活用するのは想定外ではあったけど、毒ガス系の罠や攻撃が起きる可能性は見越している。

 こういう毒ガスを吹き付ける、あるいは充満している場所を行くなら、防毒装備の一種として作っておいた、風属性の下級防御魔法『風盾エール・シルド』を身に纏って、外気を遮断するマジックアイテムだけで十分、対応できる。

 ゴーマ王国攻略で耐火装備を作った時に、酸素ボンベ代わりに風属性魔法で空気を供給するアイテムを作ったが、今回はそれの発展形みたいなモノだ。

 でもほら、やっぱり毒ガスなんて浴びないに越したことはないからね。風の結界は保険として、まずは毒ガス封じる方が確実だろう。

「————ほら、大丈夫だったでしょ?」

「こういう時の度胸は流石ね、桃川君」

 幼女レムと手を繋いで、散歩でもするようにトコトコ歩いて、僕は通路を無事に渡り切る。

 紫色の毒ガスは、全く漏れ出ることもなく、通路の様子に変わりはなかった。

 そうして凍り付いた通路を渡り切った本体の僕がドヤ顔で安全を証明すれば、委員長が半ば呆れ顔でそんなことを言った。

 まぁ、僕は『孤毒の器』でバジリスクの毒ブレスも無効化できることを、身をもって体験しているから、誰よりも安全が保障されているだけのことなんだけどね。だからメイちゃん、そんなに心配そうな顔で僕を見守らなくても、良かったんだよ。

 杏子は平気そうな顔で見ていたのは、僕なら大丈夫だろうという信頼感の現れ……と思いたい。

「じゃあ、順番に渡って来てね」

 一番最初に通路を渡り切った僕は、新たにスケルトンを召喚して、ここの先から階段のある場所まで巡回させて、ボスモンスターやらの邪魔が入らないよう警戒態勢を敷く。

 向こう側に残っているメンバーは、夏川さんを殿にして後方警戒だ。

 ここの毒トラップも注意しなきゃいけないけど、こういうところで乱入されるのもまた厄介だ。

「小太郎くん」

「どうしたの、メイちゃん」

 続く二番手として出発したメイちゃんは、一瞬で通路を駆け抜けて僕の元へ辿り着くなり、真剣な表情で周囲を警戒するように見渡しながら囁いた。

「なんだか、嫌な予感がするの。何か、仕掛けて来そうな……」

「それ、直感的なやつ?」

「うん、何となくの予感だから、どういうものかは分からないけれど」

 うん、そいつは良くない。非常によろしくない。

「……ここ渡るの、止めた方がいい?」

「でも、先へ進むにはこの道しかないんだよね? 出来るだけ早く渡り切るしかないんじゃないのかな」

 困ったことに、そういう構造なのだ。だからこそ、バジリスクの罠を敷いたとも言えるが。

 だが、ここで焦って残り全員を渡らせれば、それこそ一網打尽にされる危険性がある。

「二人一組で渡って来て! ここには、まだ何か仕掛けられているかもしれない!」

「お、おう、分かったぜ!」

「じゃあ、行くか葉山」

 緊張の面持ちで、コユキとアオイを両手で抱きしめた葉山君と杏子のコンビが渡り始める。

 杏子は恐れ知らずのようにズンズンと進む。白嶺学園の廊下を、我が物顔で歩いていたのと同じくらい堂々とした歩みである。

 一方の葉山君は、めちゃくちゃ警戒しながら慎重に足を進め、

「うおっ、あっ、あぶねっ!? 危ねって!?」

 凍った床で足が滑って転びそうになり、結局、堪えきれずにコケていた。

 葉山君が完全にバランスを崩したその瞬間を見計らったように、コユキは腕の中から脱し、猫らしい機敏な身体制御によって、シュタっと華麗な着地を決める。アオイも羽をバタつかせて、ゆっくりと氷の床に降り立ち、そのすぐ後ろで間抜けな大股開きに転倒するご主人様がいた。

「なにやってんだよ葉山ぁ」

「な、なにやってんだろな、俺……」

 どこまでも呆れた目を向ける杏子の視線に耐えかねたように、大の字に転がった葉山君が半泣きでそんなことを言っていた。

「あんな隙だらけの姿を見せても、何も起きない、か……」

 結局、そのまま杏子と葉山君のコンビは無事にこちら側へと通路を渡り終えた。

 何か仕掛けるなら絶好のタイミングかと思って、ギャグみたいに転んだ葉山君を見た瞬間、僕もメイちゃんも厳戒態勢に入ったのだが、何事もなかった。

 ほっとした半面、いまだ何の動きも見せないことに、不気味さも覚える。メイちゃんがわざわざ警告を発するくらいだ。絶対に何かあるはずだ。

「はい、じゃあ次の人」

「では、私が行きます」

「えっ、桜ちゃん一人ぃ!? 僕、二人組作ってって言ったよね? まさかのぼっち! あの蒼真桜がぼっち!!」


 タッタッタッタッ————パァン!


 と、軽快な足音に続いて、僕の頬が叩かれる音が響いた。

 こ、この女、僕に即ビンタするためだけに、武技で移動強化して駆け抜けて来やがった。

「ふんっ!!」

 僕と同じく頬を赤くした桜ちゃんが、お手本のような不機嫌ぶりを露わにした。

 こんな気軽にパンパンされてる、僕の方がキレそうなんですけどぉ?

「やっぱり蒼真さん、一発叩いておく?」

「ふっ、今はいいよ、メイちゃん……アイツは絶対、後で分からせてやるからな……」

 恨みは僕の手ずから晴らさせてもらおう。この屈辱、忘れんぞ蒼真桜!

「それじゃあ次の人、桜ちゃんみたいに速やかに渡ってねー」

「おい、行くぞ涼子」

「ええ」

「ちょっと待ったぁ! ご主人様と二人一組を作るならば、この桃子をおいて他にはおりません。というか、メガネには絶対譲りませぇん!」

「さっさと行くぞ」

 やかましい桃子の自己主張にウンザリした顔を浮かべた天道君が、そのまま小脇に抱えて歩き始めた。

「ご主人様、抱えるならせめてお姫様抱っこで————あっ、こら、メガネ、なに杖でグリグリしてるですか! グリグリやめるですぅーっ!」

 隣を歩く委員長が素知らぬ顔で、杖で桃子の頬を突いているせいで、尚更にうるさく喚いている。

まったく、ただ通路を渡るだけで、何故こんなにも騒がしくなるのか————なんてため息交じりに眺めていた、その時であった。


 ヴィイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!


 けたたましい警報が鳴り響く。

 同時に、通路全体を白く照らし出していた光が、俄かに赤く変わる。これ以上ないほど、目に明らかな異変が起こった。

 この反応は、恐らくセントラルタワーに元からある非常警報を作動させたようだが……そう察するのとほぼ同じタイミングで、例のシステム音声が響いた。

『当フロアは、これより全面凍結処理を行います。至急、職員の方は退避してください』

「くそっ、このフロア全部が罠だったんだ!?」

 後悔先に立たずとはこのことか。

 端的なアナウンスを聞いただけで、こんなの事情はすぐにお察しである。

 夏川さんの勘を惑わずほどに大量のトラップ。最も注意を向けるよう用意された、分かりやすいバジリスクトラップ。そしてメイちゃんの直感は、この事態を示していたに違いない。

 くそっ、小鳥遊のくせに、上手く本命の罠を隠しやがったな。

「全員、早く集まれ————」

 僕がそう叫ぶまでもなく、すでに全員が、まだ通路を渡る途中にいる天道君と委員長、そして向こう側に残っている姫野・中嶋カップルと、殿の夏川さんも、駆け出し始めていた。

『凍結処理の開始は、一時間……30分……10分……5分……5秒後に、行われます』

 だが、先にフロアの変化は始まった。

 ふざけんなよ、まだ5秒も経ってないじゃないかよ! カウントダウンタイマーもロクに働いてねぇのか、このポンコツシステムがっ!!

「うわぁっ!? な、なんだコレ、消えてる————床が消えてるぞぉ!!」

 ぼんやりとした青白い輝きが屋内全てから発せられると共に、動転した葉山君の絶叫が響いた。

 ああ、正に君の言う通り、床が消え始めている。

 フロアの全面凍結処理とは、委員長がこの通路にやったように、氷漬けにすることではない。このフロアを丸ごと消す、すなわち、空間魔法の内部へと一時的に収納することだ。

 古代の魔法文明が、この僕らが生きる三次元空間そのものに干渉し、拡張したり、別な亜空間とでも呼ぶべき新たな場所を作り出すことができるというのは、すでに周知の事実。蒼真君や剣崎も、ストレージ系とでも言うべき、武器を収納する専用の空間魔法を習得していたし、天道君の『宝物庫』なんかはもっと分かりやすい万能な亜空間収納機能を持っている。

 そしてダンジョンそのもの、このセントラルタワーもまた、空間魔法技術の恩恵を大いに費やした構造となっている。タワーだけでも、外観の見かけ以上の広さを誇るフロアが幾つも存在している。

 逆に言えば、フロアの面積を狭めることもできるのだろうし、不要となれば、フロアを丸ごと別な亜空間へと収納して消すこともできるのだ。

 つまり、今まさに消えるように見えているのは、その部分がすでに収納されたというだけのこと。

 幸いというべきか、亜空間に収納されるのはあらかじめ設定されているであろうフロア構造のみ。人間である僕らには、何の影響も及ぼさないようだ。

 だからといって、床も壁も天井も消えてしまえば、そこに残される人がどうなるかなど考えるまでもない。僕らはすでに、このクソッタレなダンジョンサバイバルの始まりである教室崩壊で、ソレを経験しているからね。

 青白い光に包まれて消えた床の先には、ぞっとするほどの高さにあるタワーの階下が見えた。

「————落ちるぞっ!!」

 言わなくても、このどんどん消えていく様子を見れば誰でも分かる。

 ああ、こうやって床がどんどん抜け落ちていくのを、最後の一人が残るまで続けられる、みたいなミニゲームってあるよね。

 けれど、これは勝者を決めるためのゲームじゃない。一人残らず叩き落すための、小鳥遊の狡猾な罠でしかない。

「エアクッションを使え! エアクッションを使うんだっ!!」

 今の僕に出来たことは、このまま階下へと何百メートルも自由落下を決めたとしても無事に着地するための手段を忘れず行使できるよう、叫ぶことだけだ。

 今ここに残っているのは歴戦のメンバーだが、僕や姫野は勿論、葉山君や委員長といった純粋魔術師などは、とかく打たれ弱い。

 こんな風に下へ落とされるとは想定外だったが……それでも、高所から落下する際に備えたマジックアイテムは全員に持たせてある。大丈夫だ、絶対に巨大落とし穴で落下死、なんて間抜けな犠牲者は出させない。

「ちっ、やっぱりこういうの、僕が最初に落ちるのか」

 降った雨がそこかしこに水溜まりを作るように、不規則な個所が消え始めては円形に拡大していく。刻一刻と広がって行く消滅領域の範囲は、早々に僕の立ち位置を追い詰めた。

 他のみんなは、消えゆく床から逃れるように動いてまだちょっと粘ったり、出来る限り仲間同士で近づこうとしている最中だ。

 でも僕の足元にはもう、前後左右どこにも逃げ場はなく、スーっと音もなく広がって来る床の消滅を待つだけとなる。

「小太郎くん!」

「大丈夫、一足先に、レムと下で待ってるから」

 言い出しっぺたる僕は、しっかりと『エアクッション』である淡い緑に輝く大きなビー玉のようなマジックアイテムを握りしめて、虚空へと一歩を踏み出す。

 まだ何か言いたげに、心配そうな表情を浮かべているメイちゃんだったが、

「狙われてるっ!」

 その呼びかけと、武器を抜く彼女の姿を頭上で見送って、僕は初めて気が付いた。

「————死ね、桃川小太郎」

 眩しいほどに煌めくのは、二振りの白刃。

 重力の軛に囚われ、自由落下を始めた僕の方へと輝く二刀を携え飛んでくる————そう、文字通りに、飛行して急接近してきたのは、

「剣崎っ!?」

 剣崎明日那は、静かに殺意を燃やす冷たい瞳を浮かべて、僕へと斬りかかって来た。

 その背に生えるのは、一対の白い翼。天使のような、なんてのは陳腐な形容だが、あの時の小鳥遊とよく似たその翼を羽ばたかせる姿には、そう表現するより他はない。

 剣崎め、このフロア消失による落下を見越して、あらかじめ下に待機していたのだろう。

 刀を抜いて「死ね」とはまた、随分とストレートなアプローチで来たものだ。僕の『痛み返し』の存在を忘れているのか。それとも小鳥遊にいいように使われる捨て駒として、構わず相打ちにさせようとされているのか。全く、『痛み返し』無視して僕にダイレクトアタックかますような間抜けは、桜ちゃんだけで十分だってのに。

 けれど、そんな悪態が脳裏を過るだけで、自由自在に空を飛べるらしい羽付き剣崎が突っ込んでくるのを、今の僕にはとても対応しきれない。

「あるじを、守ります————グガァアアアアアアアアアアアアッ!!」

「レムっ!」

 手を繋いで一緒に落ちていた幼女レムが、その手を振り解くと僕を庇うように前へと出る。

 同時に、瞬時にその姿を大柄な鎧兜の黒騎士形態へと移行し、文字通りに我が身を盾に剣崎の前へと立ち塞がった。

「無駄だっ、そのような木偶で、この私を止められるものかっ!」

 空飛ぶ翼を手に入れてイキりやがって。

 だが、残念ながら声高に剣崎が叫ぶだけあるようで、その手にした新たな二本の刀も相当な性能があるようだ。白く光り輝く刀身は、僕程度の目ではとても追えない速さで繰り出され、大剣と大盾を構えた黒騎士レムを、瞬く間に切り刻む。

 嵐のような斬撃が、漆黒の装甲を刻む火花と魔力光を激しく散らす。

 それでも頑強な黒騎士レムは消滅することなく耐え凌いだが、叩き込まれた勢いであらぬ方向へと弾き飛ばされた。

 地上であれば踏ん張って耐えられただろうが、空中ではその身に受けた衝撃のまま体は流されて行ってしまう。

 ギィンッ! と強烈な音を立てると同時に、僕を守る黒騎士という盾は剥がされた。

 後に残るのは、貧弱な呪術師の本体だけで、

「これで終わりだっ、桃川小太郎ぉおおおおおおおお!」

「剣崎ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」

 鋭い殺気を向ける剣崎よりも、さらに倍するほどの途轍もない殺意の塊が、僕を守るために降って来る。

 ありがとう、レム。救援を求めるための、時間は十分に稼いでくれたね。

「ぐぅうううっ、ふ、双葉ぁあああああああっ!」

 激烈な赤いオーラを纏い、呪われた刃と誇り高き剣を抜いた狂戦士が、直上から墜落する隕石が如き勢いでもって剣崎へと襲い掛かった。

 ふん、なんだかんだで自分の命はまだ惜しいと見える。あともう少しで僕に届くはずだった二刀を咄嗟に、自分の防御へと切り替えた。

 交差させて二刀を構え直したところで、メイちゃんが激突。

 広大な空間に、凄まじい金属音と衝撃を轟かせて、ぶつかり合った勢いのまま真下へと急加速して落ちていく。

 メイちゃんの発する真紅のオーラの輝きと、剣崎の羽が纏う純白の光。紅白二色の光が交じり合うことなく相反するような二重螺旋を描きながら、遥かなる階下へと消えていくのを、僕は見送るより他はなかった。

第354話 妖精の森(1)

「くっ、うぅ……」

 小さなうめき声を上げながら、蒼真桜は立ち上がった。

「なんとか、無事に着地はできましたが————」

 五体満足。体には痛みもなく、これといった異常も感じられない。

 突如としてフロアが消失したことで、相当な高さから放り出されたが、小太郎が用意していた『エアクッション』と名付けられた風のマジックアイテムと、何より無敵の防御たる『聖天結界オラクルフィールド』によって、全くの無傷で階下へ降り立つことに成功した。

「————どうやら、みんなとははぐれてしまったようですね」

 踏みしめる地面は青々とした芝生。ざっと周囲を見渡せば、麗らかな木漏れ日に照らされる緑の森と、可憐に咲き誇る野の花々が目に映る。どこからともなく、チチチと鳥のさえずりが響き渡り、そよ風がやさしく頬を撫でて行った。

 森の中だ。けれど、これまでのダンジョンで通って来たような、いつ魔物が飛び出してきてもおかしくないような気配はなく、人が夢に描くようなただ美しい森の風景である。まるで、あつらえたかのような、否、ここがセントラルタワーの階層の一つであることを思えば、一か十まで全てが人工の森に決まっている。ここはいわば、巨大な庭園のようなものなのだろう。

 そして、周囲にはクラスメイト達の気配は感じられない。

 落下している最中、桜は自分だけでなく落ち行く仲間達にも意識を向けるだけの余裕はあったが、途中で眩い光が満ちたために視界を奪われてしまった。

 感覚的には、転移魔法の光などではなく、本当にただ光り輝いていただけだというのは分かる。だがそのせいで、確認できていた仲間を見失ってしまったし、それは皆も同様であろう。

「スマホは……まだ、使うのはやめておきましょう」

 連絡手段としていまだ持ち続けて入るが、そもそも小鳥遊の手によって使えるようになった代物である。これまでに問題が起こったことはないが、この期に及んでは何があるかは分からない。タワー内は小鳥遊のテリトリーでもあり、こうしてはぐれた時に探知されれば危険はある。

 どうしても合流できず、連絡が必要になるまでは使わないのが吉だ。

「そうなると、頼みの綱は桃川の使い魔、ですか……」

 あまり気乗りはしない、とあからさまに嫌な表情で、本人が見ているワケでもないのに浮かべる桜であった。

 胸ポケットの内から取り出したのは、小さなテントウムシ。モノトーンカラーの白黒テントウは、これもレムの姿の一つ。

 学園塔ではぐれて以降、双葉芽衣子にはコレがくっつき続けていたため、王国攻略の土壇場で小太郎の元へ駆けつけることができた、連絡役兼案内役である。

 今回は念のために、クラスメイト全員がこのテントウを持たされている。こういった事態に備えてのことであるが……

「動かないじゃないですか」

 テントウはピクリともしない。特に反応はなく、飛んで仲間の元へ案内を始めてくれるわけでもなかった。

 どうやら、今は機能していないようだ。

「ひとまずは、自分で探すしかなさそうですね」

 改めて注意深く周囲を観察しつつ、自分の装備も再確認。

 早くも手に馴染んだが、新たな主武器である『桜花繚乱』を携え、桜は一人、歩き出した。

 庭園として造られた森のためか、迷うような深さはない。足元には分かりやすく、土の道が敷かれており、視界もさほど悪くない。適度に木々の間隔が間引かれているためだろう。

 まずは道に沿って、けれど堂々と真ん中を進むことはなく、常に木々の間を縫うように身を潜めながら歩いて行く。その歩行にも、足音は全くといっていいほど立てていない。

 桜もまた、総合武術たる蒼真流を習得している。こういった気配を消して敵地を進むことを想定した、隠形術の心得もあった。

「むっ、ここは……妖精広場……?」

 ほどなく、森の中でも開けた場所へと出た。

 そこには色とりどりの花畑が広がっており、その向こう側に綺麗な円い泉があった。

 噴水ではなく、泉だ。

 だがその泉の中央には、白い円柱が伸び、その上にすっかり見慣れた妖精像が備えられていた。

「ここも荒れ果てた広場なのでしょうか」

 この最下層エリアでは、妖精像も噴水も壊れて、すっかり機能を失った妖精広場ばかりであった。

 泉と花畑の周囲には、あちこちに円柱や石壁が壊れた跡が残っている。気になるのは、妖精像が真ん中の一つだけでなく、他にも転がっていることだ。

 まるで花畑で遊び回る妖精をイメージしたかのように、点々とそこからに配置されている。原型をとどめているものもあれば、ニケの女神像が如く腕と頭の欠けたもの、足しか残っていないようなものと、様々であった。

 複数の妖精像が配されているのは初めて見た。どことなく不気味な印象を抱くのは、本来の妖精像が凶悪な殺人ビームを放つ兵器だと知ったからか。

 少なくとも、泉に立つ妖精像をはじめ、どれも目を光らせて攻撃してくるようなことはなかった。光の微精霊を先行させて確かめたので、間違いはない。

「ん、あれは————」

 そうしてざっと妖精広場跡地らしき場所を観察したところで、桜は気づいた。

 泉の水面に、プカプカと浮いているモノがあること。

 それはただの流木や魚影などではなく、まるで人の背中のような、

「まさかっ!?」

 ソレが人間である、と悟った瞬間には、迷わず花畑を突っ切り泉へと駆けだしていた。

 やはり浮いているのは人間で、その黒い布地は間違いなく白嶺学園の制服である。

 ジャブジャブと泉へと踏み込み、急ぎつつも、冷静に水深を確かめた。

 幸いと言うべきか、それとも人口であるが故か、深さはそれほどでもない。水底はなだらかな坂になっており、一定の間隔で深度が増して行くようだ。

 完全に頭を水につけて漂っている人影は、十分に足が付く範囲内にある。

「大丈夫ですかっ! 今、助け————」

 大声で呼びかけながら、ついにその背中へと手をかけ、まずは頭を水面から上げるために態勢を入れ替え、

「————も、桃川」

 桃川小太郎の蒼褪めた顔がそこにあった。

 目にした瞬間、呆然としてしまう。恐らく、クラスメイトの誰であっても、死しか連想できない表情を見れば、思考も停止してしまいそうになるのだろうが————あの誰よりも憎らしく生意気な、あれほど心の底から憎悪した男の顔が、生気を失い完全に停止した表情を浮かべているのが、どうしようもなく信じられなかった。

 死んだ。

 桃川小太郎が。

 あの憎き『呪術師』桃川小太郎が、死んだのか。

 そう認識した瞬間、蒼真桜の心に湧き上がった感情は、

「ふっ、ふざけないでください!!」

 歓喜、あるいは安堵の感情が湧くはずだった。

 死ねばいいと思った。死ぬべき人間だと思った。

『呪術師』桃川小太郎は、クラスのみんなを騙した大罪人である、醜い己の欲望のみを優先する利己的な悪人————たとえそれが小鳥遊小鳥によって偽られた陰謀であったとしても、小太郎が人殺しとなってしまったことには、何の変りもない。

 その小さな手で何人も殺した。幼馴染の、あのレイナすら殺した。

 それだけで正しく悪魔のような、最低最悪の人間と呼ぶには十分すぎる。

 死ななければならない。こんな大悪党が、のうのうと生きていていいはずがない。

 彼は明確に、正義に反した悪なのだから。

「なに勝手に死んでるんですか!」

 あまりの衝撃で混乱する頭と心とは裏腹に、桜の体は確かな救助に動いていた。制服の襟と肩口を掴み、そのまま岸へと引っ張る。

 小太郎はすでに何の反応も示さず、溺れたパニックで暴れることもない。いつかやった水難救助の訓練で、水面から引っ張られていた人形のように無抵抗で無反応だ。

「許さない、こんなこと、許されないですよ……これだけみんなを振り回して、こんなところであっけなく死ぬなど……」

 人の心を弄び、嘲笑う、邪悪な呪術師。それが桜にとっての桃川小太郎。

 けれど同時に、彼は今のクラスメイトから確かな支持と信任を得て、ダンジョン攻略を指揮する立場となった。それも、学園塔を毒殺未遂によって追われたにも関わらず、ヤマタノオロチ討伐戦の時以上の信頼を勝ち得ているのだ。

 あれほど蛇蝎の如く嫌っていたはずの自分さえ、今では小太郎の力を頼りにしなければならない状況となっている。

 何のために、ここまで来たのか。何のために戦ってきた。まだ何も終わってないし、何も成せていない。

 小太郎には償わなければならない罪があるし、果たさねばならない義務がある。

「みんなで生き残ると、そう大言壮語を吐いたなら————死んでる場合では、ないでしょうがっ!!」

 ズブ濡れになりながら、ようやく小太郎を引き上げる。桜の細腕に、意識のない人間一人を動かす重みは感じられなかった。

 自分よりも背が低い小太郎を、小さな子供のように軽々と引いて、花畑へと仰向けに寝かせる。

 呼吸ナシ。脈拍ナシ。

 閉じられた瞼をめくれば、瞳孔は開きっぱなし。体温もどれだけ下がっているのか、相当に冷たい。

 生きていると思われる要素が欠片もない。

「起きなさい、桃川————」

 流れるような動きで、心肺蘇生を桜は行った。

 小さな胸を押す手は力強く。

 あれほどに忌み嫌った男に、生命の息吹を吹き込むために唇を重ねることにも、何の躊躇もなかった。

 同時に、治癒魔法も発動。最速かつ最大で効力を発揮するものを選び、小太郎にかける————だが、反応はない。

「起きなさいよっ、桃川小太郎ぉ!!」

「————なにやってんの、桜ちゃん」




「くそっ、やりやがったな小鳥遊め……」

 こちらが一気に最下層へ近づくことも厭わず、フロア丸ごと落とし穴として利用するとは。おまけに、その隙をついて剣崎までけしかけて来やがった。

 奴の目的はこの一手で確実に僕を仕留め、同時にクラスメイトを分断することで、再び悲劇の舞台を整えようとした、といったところか。僕の排除と、必要な生贄を確保する一石二鳥の欲張り作戦は、小鳥遊らしい発想だ。

「けど、これで僕はおろか、他の誰も始末できなかったのは失態だぞ」

 全員の無事は、すでに再召喚を終えた幼女レムによって、確認できている。みんなには、あのテントウくっつけてるからね。

「近くに誰かいる?」

「すぐそこ、あっち」

「よし、まずは一人と合流だ」

 体の無事と装備確認もほどほどに、僕とレムは動き出す。

 この異様なほど綺麗に整った美しい森は、さながらセントラルタワーの中庭といったところか。見上げれば青空が映し出され、上階は見えない。

 恐らく、ここは空間が拡張されかなり広大なフロアとなっている。レムが探知したクラスメイト達は、かなり広い範囲でバラけているそうだ。

 自然に落ちてこの広がり方はありえない。やはりここへ落っこちて来る寸前に瞬いた転移のような光に包まれた時に、それとなく弾き飛ばされたのだろう。

 蒼真君は、すでに小鳥遊の手によって覚醒のための悲劇を演じるよう動き出しているのだろうか。

 次の瞬間にでも、「俺はまた、守ることができなかった!」とか叫んでいてもおかしくない。一刻も早くみんなと合流し、まずは安全を確保しなければ。

「メイちゃん、剣崎のことは任せたよ」

 彼女の状況だけは、すでに分かっている。

 空中で錐揉みしながらも、メイちゃんは僕へ飛び掛かって来た剣崎を迎え撃ち、そのまま戦い続けていた。間違いなく、あのまま二人は同じ場所へと降り立ち、今度こそ決着をつけるべく最後の決闘を演じているだろう。

 メイちゃんなら、天使羽を生やした剣崎でも一人で倒せるはずだ。たとえあの羽が見掛け倒しのものではなく、奴と同じ聖天級兵装なる強力な古代兵器であったとしても。

聖天結界オラクルフィールド』破りは、すでに完成しているからね。

「ここ、やけに妖精像が多いな……」

 森の中には、ダンジョンでよく目にしてきた荒れた遺跡風の石柱や壁がいい感じのオブジェみたいに配置されている。そして、それらとセットのように、妖精広場でお馴染みの妖精像も設置されていた。

 荒れ果てた遺跡風の場所は散々見てきたが、この妖精像を妖精広場以外で目にしたのは初めてのことだ。

「いや、このフロアそのものが巨大な妖精広場ということなのか?」

 そう解釈すれば、森の中で遊ぶ妖精達のように、幾つも設置してあることに納得がいく。確かリベルタの話によれば、妖精像は本物の神の力を宿した特別な存在だ。

 もしダンジョン各地に幾つも存在する妖精広場、そこに力を与える大元になっている中心地がこのフロアであるならば————さながら、妖精の住処とでもいうべき『妖精の森フェアリーガーデン』だ。

「————っ!」

「声だ」

 確かに、木々の向こう側から声が聞こえた。何を言っているのかは分からないが、切羽詰まったような叫び。

 すでに戦闘状態で危機に陥っている可能性が高い。

「レム」

「グガガ」

 すでに黒騎士形態へと移行し、僕は『愚者の杖』と『無道一式』を握りしめる。

 この先にいるのは一人。僕とレムを加えたところで、大した戦力にはならない。強力なボスモンスターが相手であれば、いつもの如く捨て駒召喚で足止めさせて、即時撤退するしかない。

 そうして、僕は声の聞こえた場所を、まずはそっと木陰から様子を伺い、

「起きなさいよっ、桃川小太郎ぉ!!」

「————なにやってんの、桜ちゃん」

 なんか泉の畔で、僕が桜ちゃんに襲われてんだけど。性的な意味で。

 桜ちゃんはズブ濡れで、上半身裸の僕に覆いかぶさって、なんかヒステリックに叫びながら熱いキッスを送っていた。

 こんなの現行犯逮捕じゃん。立件されないだけで、男が襲われるケースもないわけじゃないんだからね。

「正直、引くわ」

「えっ……あ、これは違う! 違うのですっ!!」

 何がちゃうねん、言うてみい。

 桜ちゃんは今の自分がどれだけイカれた凶行をしていたのかようやく認識したように、違う違うと何も違わないことを叫びながら、慌てて倒れる僕の上から飛び退いた。

 そこで『双影』を解除。

 まるで泉で溺れ死んだかのように、全身びしょ濡れでぐったりと動かず機能停止していた僕の分身は、黒い粒子と化して消えていった。

 もっとも、コイツが止まった理由は溺死ではなく、エアクッションもってないから、水面に叩きつけられた衝撃だろうけど。肉体が全損しなかったせいで、消滅は免れたけど、動けなくなっていたといった状態だ。珍しいケースである。

「へっ、変な勘違いしないでください! これは分身だと思わず、本当に桃川が溺れたと思って、仕方なく心肺蘇生を————」

「いやぁ、凄いショックだよ。まさか桜ちゃんが、僕のことをそんな目で見ていたなんて」

 正直に言えば、ホントは僕が溺れたと思って助けてくれた桜ちゃんの姿を見て、ちょっと感動している。

 たとえ今だけは僕の協力がなければ、蒼真君を助けることはできないという利害関係の一致だけであったとしても、あの桜ちゃんが短絡的かつ感情的に僕にトドメを刺して始末しなかった、というだけで感動を禁じ得ない。

 そんなワケで、ちょっとした照れ隠しの冗談でそんなことを言えば、

「キェエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!」

 奇声を上げて桜ちゃんが襲い掛かって来た。

第355話 妖精の森(2)

「ここは……」

「まるで闘技場のようだろう、双葉?」

 バサッとこれ見よがしに輝く白翼を翻し、空から剣崎明日那が降り立つ。

 ここはグラウンドのような土の地面が円形に広がり、そこを囲うように石壁と円柱が立ち並ぶ構造となっている。柱の上にはガーゴイル像が飾られるが如く、妖精像が見慣れた万歳ポーズで設置されており、随所に草花をあしらった装飾が見受けられた。

 そこかしこが砕け、ひび割れ、荒れた遺跡といったこの場は、恐らく神殿だったのだろうと思われるが、互いに戦意と殺意を燃やす者同士が武器を握りしめて向かい合えば、確かにこの場は闘技場と呼ぶ方が正しい表現となるのであった。

「いつかの続きでも、やるつもり?」

 芽衣子が律儀に答えたのは、それとなく周囲を伺い他の仲間が近くにいないかを探すためだ。もっとも、探知魔法や使い魔を飛ばすといった手段を『狂戦士』が持っているはずもない。

 超人的な視力と聴覚、そして第六感で気配を探るくらいが精々だが、少なくとも自分が感知で

きる程度の範囲には誰もいないと早々に判断を下した。

 再び忍ばせているテントウが僅かに反応したので、小太郎の無事だけは分かりひとまずは安

心もできた。

「最初に桃川を始末してやるつもりだったが……やはり、お前を先に倒さねば、それは叶わぬようだな」

「性懲りもなく、よくも私の前で小太郎くんを襲えたね」

「当然だろう、あの男が全ての元凶なのだ。双葉、お前もいい加減に目を覚ませ。皆、あの邪悪な呪術師にいいように使われているだけだと、何故気づけない」

「剣崎さんって、話が通じない人だと思っていたけれど、ここまでくるといっそ哀れだよ」

 果たして、今の剣崎明日那は小鳥遊によって操られているのか。それとも、何もされずとも自身の過ちを認めることができずに、とっくに壊れてしまっているのか。

 少なくとも芽衣子には、今までと同じ平気な顔と態度を堂々と貫いている彼女の心中など、推し量ることはできないし、するつもりもなかった。

 明日那はとっくに、一線を越えてしまっているのだから。

「今度こそ、ここで殺す」

 もう邪魔は入らない。愛しの勇者は助けに来ないし、小太郎が慈悲をかけることもない。これが『狂戦士』である自分の使命なのだと、自然に納得できた。

「そうだ、かかって来い、双葉芽衣子。お前に負けた屈辱は、片時も忘れたことはない————今日ここでお前を倒し、私はようやく前へ進むことができるのだ」

「地獄で小太郎くんに詫び続けろ、剣崎明日那————」

 最早、言葉はいらない。合図すら必要ない。

 先に動いたのは芽衣子。左手に握った『ザガンズ・プライド』を最大化させて一閃。

 お喋りに興じている間に、この刃が届くギリギリの間合いまではすでに詰め終えている。一歩踏み込み、巨人の剣が明日那を両断せんと迫る。

「ふん、無駄だ」

 キィン! と澄んだ音と共に一条の光が瞬く。

 明日那は右手に握った刀を一振りするだけで、軽々と芽衣子の一撃を弾いてみせた。

神鉄オリハルコンの刀に、『聖天結界オラクルフィールド』か」

「流石、ご明察だな」

 不敵に微笑む明日那が、淡く輝く刀身を見せつけるように構える。

 このダンジョンで長らく愛用してきた『清めの古太刀』と同じ拵え。だがその刃は希少金属である神鉄オリハルコン製。それも拠点に籠っている間に表向きに強化してやった刀とは違い、小鳥遊が本気になって作り出した一品だ。

 尋常ではない切れ味と耐久性に、数々の付加エンチャント。そして何より、この刀は『聖天結界オラクルフィールド』を刀身に発生させる出力機能を有する。

 攻撃が当たるまで動かぬ結界ではなく、刀として自ら振るって能動的な防御にも、その絶大な防御能力を発揮することができるのだ。今や圧倒的なほどパワーに差が付けられた明日那でも、軽く狂戦士の一撃を弾くことができる。

「これぞ魔を防ぎ、悪を断つ聖なる剣、『天命剣・聖鳥羽撃せいちょうのはばたき』だ」

「……ふふっ」

 まさかの不意打ちに、思わず吹いてしまった。

 聖鳥って、自分のことを示しているのか。小鳥遊小鳥、などという言葉遊びのような名前を、実は物凄く気に入っているのかと、どうでもいいことまで一瞬で想起してしまい、口から漏れる笑いを、すでに戦闘態勢に入っている狂戦士でさえ止めきることができなかった。

 何という不覚……だが誇り高き剣崎流剣士は、そのような隙をつく卑劣な真似はしないようであった。

「この剣と翼がある限り、私は何者にも負けぬ最強の剣士となれる」

 大言壮語、とは言い切れぬだけの迫力が、光り輝く二刀と翼を備えた明日那の姿にはあった。

 だが、それでも芽衣子にとっては、さらなる笑いを誘うことにしかならない。

「奴隷の鎖自慢なんて、聞くに堪えないよ」

「ふんっ、抜かせ!」

 翼が羽ばたけば、軽やかな踏み込みとは裏腹に、凄まじい急加速でもって明日那が間合いを詰めて来る。

 神々しい光を纏う二刀『天命剣・聖鳥羽撃』は、正しく輝く嵐のように、凄まじい連撃を繰り出す。これぞ二刀流を扱う『双剣士』の極みにして、剣崎流の奥義だとでも言わんばかりに、息つく暇もない連続斬撃が舞い続ける。

 正面から、だけではない。強靭な脚力と剣崎流の体捌き、その上さらに古代兵器たる天使の翼による飛行能力まで加わった今の明日那は、三次元的な高機動力を誇る。

 怒涛の剣撃を放ちながら、舞い踊るように軽やかに芽衣子の左右、さらには背後まで回り込む動き。翼はただ空を飛ばせるだけでなく、慣性制御の力も働いているようだ。急加速に急制動。人体の限界を超えた切り返しに、芽衣子が反撃で振るった刃はその残像をなぞるだけで終わった。

「どうだ、双葉、この動きにはついてこれまい————」

 芽衣子はほぼ防戦一方。明日那が十の斬撃を見舞う合間に、一撃返すだけで精一杯といった有様だ。

 だが防御に徹すれば流石に硬く、いまだ致命傷には程遠い。二刀の切先が、翻る髪の先や制服の裾を僅かにかかる程度。

 しかし、無尽蔵とも思えるスタミナによって剣の嵐で攻め続けることで、徐々に、だが着実に芽衣子の体に傷がつき始めていた。

 腕、肩、胴、足。裂かれた制服と白い柔肌に、ジワりと鮮血が滲む。

「————これで終わりだっ!」

 そう叫びが耳に届いた時には、明日那の刃が左右同時に振られていた。右手と左手の二刀、ではない。

 右の明日那と左の明日那、まるで分身したように二人分の姿が見える。

 しかし、それは目くらましの虚像でしかない。天使の翼が宿す強力な光魔法の力の応用によって、ほんの一瞬の間だけ自分の姿を投影しただけ。些細な効果ではあるが、剣士が斬り合う間合いの内に置いては、瞬き一つほどの間でも致命的な隙となる。

 明日那は芽衣子の瞳が、確かに虚像へ向けられているのを確認し、本命の一撃を、自ら放つ。

 それは直上。芽衣子の頭の上である。

 真っ逆さまになった体勢で、本物の明日那は二刀を振るう。その首を刈り取るように迫った二つの刃は————激しい火花と共に、刃の盾によって防がれた。

「ちいっ、その剣は幅も広げられるのか……」

 芽衣子が振り向きもせず、頭上にかざした『ザガンズ・プライド』が明日那の一撃を防いだ。

 文字通りに盾とするべく、刀身の幅を大きく広げた状態。

 決めると思って放った一撃を防がれた明日那は、そのまま飛び越し一旦間合いを脱して、音もなく地面へと着地した。

「馬鹿力め」

 そう明日那は毒づく。驚異的なのは、瞬時に刃を巨大化させる剣の能力ではない。

 自身が首を刎ねんと放った二刀を、左手一本で軽く翳した剣によって、微動だにせず受けきったパワーである。

 当然のことながら、明日那とて『双剣士』として超人的な膂力を獲得している。さらには小鳥に与えられた種々のマジックアイテムと、天使の翼によるパワーアシスト効果なども加わり、同等の天職持ちと比べても、総合的には頭一つ以上は抜けているはずだ。

 しかしそれでも尚、『狂戦士』が誇る圧倒的なパワーに追いつけていない。

「だが、速さでは圧倒的に私の方が上回っている」

「うん、凄い速さだね」

 背中を向けたままの芽衣子が、肯定の返事を寄越したことに明日那はやや驚いた。聞こえていたのか、というより、どういう意図かを計りかねて。

「ちゃんと覚えていなかったら、そのまま斬られちゃってたよ」

「……覚えて、だと?」

 何のことだ、怪訝に思いながらも、ゆっくりと振り返る芽衣子の姿を注視する。

「なんだかんだで、剣崎さんとは結構長く、一緒にいたよね」

 わだかまりなどないかのように、穏やかな表情で芽衣子が言う。それはまるで、卒業式の日にクラスメイトと思い出を語り合うかのよう。

 事実、このダンジョンサバイバルにおいて、芽衣子は明日那と共にいる時間そのものは長かった。小太郎と離れてしまった時は、蒼真パーティと常に一緒であったため、当然といえば当然である。

 無論、だからといって今更そこに、慈悲や情けをかける理由になどなりはしないが、そんなことは明日那とて分かり切っていることだ。

「私、剣なんて握ったこと一度もなかったし、殴り合うような喧嘩をしたことだって、小さい子供の時以来なかったよ」

「何が言いたい」

「素人だから、私」

「お前のような狂戦士が、今更なにを」

「力は強くなったけど、強さはそれだけじゃあないでしょ? 格闘技とか剣術とか、そういう技術って沢山あるし、とても大事だよね」

 当たり前の話すぎて、ますます明日那は眉をひそめた。

 実際、こうして今の明日那が芽衣子を圧しているのは、結果的には剣崎流という剣術を治めているからこそ。装備によって大幅に強化されても尚、追いつけない圧倒的な力を誇る狂戦士に対して、優勢を保てるのは剣術という力が、技術があるからだ。

 何よりこの剣崎流剣術という存在そのものが、明日那にとっての力の根幹であり、誇りでもあり、信仰でもあった。

「だからね、私、戦うのは嫌いだし怖いし、苦手だけれど、少しは頑張ったんだよ」

「ふん、下らん戯言を抜かす」

「学園塔では蒼真君から蒼真流も習ったし。でも私はね、剣崎さん、貴女のことを見ていたよ」

「何だと」

「あの決闘の後からずっと、私は貴女を見ていた」

「一体、どういう意味————はっ、まさか、お前……」

 双葉芽衣子と剣崎明日那、二人の最初にして最大の因縁となった決闘事件。

 気絶し顔が変形するほどに無残な敗北を喫したことは、当人だけでなくあの場にいた誰の記憶にも鮮烈に刻まれているが————その時の誰もが、決闘の相手たる明日那本人さえ、忘れていたことがある。

 あの決闘は、決して一方的な戦いではなかった。明日那の惨敗はあくまで結果論。

 そう、芽衣子は忘れていない。あの時の勝利は、明日那が木刀という非殺傷武器を用い、ただ有効打を入れれば勝ちになるという試合ルールを想定していたという、心理的な隙をついての奇襲による、いわば単なる不意打ちで勝ちを拾っただけだということを。

 もしもあの時、明日那が本気の殺意を抱き、真剣でもって切り付けてくれば、死んでいたのは自分だった。当時の自分では、とても明日那の一撃を防ぐことは敵わない。

 決闘の勝者である芽衣子だけが、あの一戦を正確に分析し、そして何より————以後の教訓としたのだ。

「私の、剣崎流を……」

「大体の動きは、見て覚えた。だからほら、今もこの程度で済んだよ」

 観察されていた。ずっと、この女は、いつか自分を殺すために。

 一度、散々に叩きのめして圧倒的勝利を得たにも関わらず、微塵の油断も隙もなく、剣崎流剣術という技術のアドバンテージまで埋めるために————見られていたのか、今までの私の戦いを!

 ようやくそう察した瞬間、明日那の背筋に戦慄が走る。

『狂戦士』双葉芽衣子。自身よりもさらに強力な天職を宿し、その凄まじいパワーに頼った戦闘スタイルは、スペックに恵まれた素人らしい。

 そう今まで思い込んでいた。いや、侮っていたのだ。

 この剣崎流剣術を収めた自分を力だけで倒した者が、その力に溺れないはずがない。力とは、強さとは、それほどの魔性を持つということを明日那はよく知っている。

 だからこそ、俄かには信じられなかった。信じたくはなかった。

 これほどの力を持つ狂戦士が自分を倒すために————否、確実に殺すために、周到に観察を続けていたことを。

「でも、流石に羽まで生えちゃうと、一筋縄ではいかないね————もうちょっと、頑張らないとダメみたい」

 そう苦笑しながら、芽衣子は自然な、実に自然な手つきで、口にクッキーを放り込んだ。

 いつの間に取り出したのか。彼女もまた両手で剣を握っているにも関わらず、年頃の少女が当たり前に間食するような気軽さで、クッキーを食べていた。

 二枚目、三枚目。茶褐色に焼き上げられた小ぶりのクッキーが、口の中でサクサクと軽快な音を立てる。

「そ、それは……」

「パワーシード、って覚えてないか。気持ち悪がって、誰も食べなかったもんね」

 まだ芽衣子が狂戦士に目覚めるよりも前、ただの臆病者だった頃から、口にしていた筋力を上昇させる木の実だ。

 天職の力も弱く、まだ一般人の域を脱していない頃、狂暴なモンスター相手にせめて力負けはしないようにと、小太郎と共に服用して戦いに臨んでいたが————魔力消費と大きな空腹という副作用のため、十分な強さを得た狂戦士となってからは普段使いをするようなことはなくなった。

 だが『試薬X』から改良を経て『ベルセルクX』となった今も尚、そこに必ず含まれる強力な強化成分として用いられている。

 これは、そんなパワーシードを使ったクッキーである。『ベルセルクX』ほどの切り札としてではなく、もう少しパワーが欲しい時など、気軽に使える強化アイテムの一種といった存在。

 パワーシードは酸味が強いため、通常よりも甘めにしているのが美味しくクッキーにするコツだ。体内のエネルギーを燃やすため、カロリー摂取という面でも効果的である。

「うん、美味しい」

 素直にクッキーの味に頬をほころばせる芽衣子を、明日那は一筋の冷や汗を流しながら睨んだ。

 食べた直後だが、芽衣子の体が薄っすらと纏っていた赤いオーラの、密度が増した。

 再び武器だけを握りしめた芽衣子が、こちらを見る瞳は、ギラギラと真紅に光り輝き、更なる威圧感を発する。

「よし、これで貴女の速さにも追いつけそう」

 ズン、と音が聞こえそうなほどに、力強い一歩を踏み出す。

 明日那は思わず、気圧されたようにその場から一歩下がってしまう————が、すぐにその恐れを恥じた。

「む、無駄だっ! どれほど力が増そうとも、この『聖天結界オラクルフィールド』は破れない!!」

 自らの臆病を振り払うように、明日那は声を張り上げて叫んだ。

 この聖なる守りの力のみに頼るつもりはない。だが凶悪な狂戦士と渡り合うならば、必要な力でもある。

 クッキーを食べただけの相手になど、負けるものかと己を奮い立たせ、明日那は再び翼を広げ、二刀を構えた。

「そう、じゃあ試してみる?」

第356話 妖精の森(3)

 花々が咲き誇る、妖精達の遊ぶ美しい泉の畔で、

「忘れなさい! 忘れなさいっ! 忘れろっ!!」

 少女の怒声が木霊する。

 彼女の名前は蒼真桜ちゃん。我らが白嶺学園の誇る、品行方正、文武両道、誰もが憧れる理想の美少女である。そんな肩書も、僕にとっては今は昔。

 桜ちゃんはそのお美しいお顔を狂気に歪めて、僕へと掴みかかって来ているのであった。

「もう、分かった分かった、さっきのは見なかったことにしておいてあげるから」

「違うと言ってるでしょう! 私は仕方なく、本当に仕方なく、貴方なんぞを救助してあげたというのにぃい!?」

「だからそれも分かったって————僕のこと助けてくれて、ありがとね」

「うううぅ……わぁああああああああああああ!」

 右と左、交互に一発ずつ思いきりビンタを僕へと叩き込んでから、桜ちゃんはショックのあまり泣き出してしまった。

 ねぇ、なんで僕ビンタされてんの? 素直に感謝の気持ちを言葉にして伝えたよねぇ?

「まったく、ちょっと弄っただけでとんでもない目にあったよ」

 ヒリヒリする頬をレムがスリスリしてくれる中で、僕は思わずそうぼやいてしまう。

 情緒不安定で大泣きする桜ちゃんを落ち着くまで待っている時間は完全に無駄なので、その間に荷物と装備の整理をしておいた。

 勿論、偵察用レム鳥部隊も再編制し、この妖精の森へと放っている。

 各自に持たせたテントウレムのお陰で、どの方角にみんながいるかは分かっている。そちらの方にも、レム鳥を向かわせて案内役をしてもらう。

「それにしても、やっぱり古代技術様様だよね————おーい、桜ちゃん、まさかと思うけど、ポーチなくしたりしてないよね?」

「……ちゃんとありますよ」

 涙の跡が残る赤い目で、渋々と言ったように桜ちゃんが返事をくれる。

「薙刀は?」

「そこにあるでしょう。よく見なさい」

 確かに、指さした方向には僕が丹精込めて作り上げた桜ちゃん専用武器である『桜花繚乱』が地面に突き刺さっていた。

 なるほど、あそこに刺した直後に、泉で土座衛門していた僕を助けに飛び込んだといったところか。ありがとね、桜ちゃん。僕を殺さないでくれて。

「それじゃあ、装備も物資も大丈夫だね」

 言いながら、僕は自分の学生鞄を背負い直した。


『学生鞄』:教室からダンジョンへ落とされた時から持っていた、白嶺学園指定の学生鞄。道中ずっと愛用し続けてきたが、古代の遺物で溢れる隠し砦に至って、ついに改良を施すことに成功。杏子が発見した空間魔法技術によって、鞄内の容量は大幅に拡張されている。装備やアイテム、物資は勿論、僕の鞄は内部に宝箱も仕込んであり、薬品関係などの保存性も高めてある。お陰様で、こうして分断されても、各自に与えた空間魔法付きの拡張鞄によって、物資面での心配をする必要はなくなった。


 拡張鞄によって、特に供物などで何かと物資を消費する僕みたいなタイプは、非常に助かっている。欲を言えば、小鳥遊が使っていた『拡張空間』という空間魔法そのものが欲しかったけど。自分自身の魔法になれば、破損や紛失といった心配をせずに済む。

 流石にお手軽にスキルを習得できるような機能やら設備やらまでは、見当たらなかった。リベルタも、当時の古代人がみんなスキルを扱えるワケではなかったと言っているし、やはり魔法や武技などは限られた者にしか使えないのだろう。

 ともかく、鞄のお陰で再び召喚術で護衛の捨て駒部隊も結成できた。偵察部隊も放って、すでに周辺の情報をレムへと届けてくれている。

「さて、そろそろ出発するとしよう」

「どこへ向かうのですか」

「まずは一番近くにいる仲間の元へ向かうよ。合流が最優先だね」

「まぁ、道理ですね」

 したり顔で頷く桜ちゃんである。さっきまでの失態と痴態はなかったかのような堂々とした振舞いだ。流石に今はこれ以上、突っつくのはやめておこう。

「————しかし、桃川と二人きりとは、何とも不安になりますね」

「全くだよ、桜ちゃんと二人きりだと不安でしょうがない」

 僕と桜ちゃん、二人連れだって森の中を走りながら、そんなやり取りを交わす。

 勿論、走るといっても自分の足ではなく、騎乗しての話である。僕、マラソンとか大嫌いだしね。長距離を走らされるなんて冗談じゃないよ。

 僕が乗っているのは真っ赤な愛車であるアルファ。そして桜ちゃんが跨るのは、安物量産品のラプター、ではない。

 力強く駆けるしなやかな四肢。地を叩く蹄が軽快な音を立てて、木漏れ日の森を華麗に疾走して行く。

 四足歩行の騎乗モンスターは、これまでジャージャとロイロプスだけだったけれど、コイツはそのどちらでもない。

 その姿は端的に言えば馬。否、額に生える見事な一本角からして、ユニコーンと呼ぶべきだろう。


『ニセコーン』:桜ちゃん専用騎乗モンスター。石像のように無機質な灰白色の体に、真っ白いタテガミのサラブレッド体型の馬体。ドリル状の一本角は淡い青に輝き、目は燃えるように赤く光る。ベースは鹿型食肉獣ジャージャだが、桜ちゃんの度重なる要望ワガママに一級屍人形造形師である僕が応えた結果、この立派なユニコーンの姿となって完成された。ユニコーンだけど、特に神秘的な特殊能力などはない。だって元々ただのジャージャだし。ユニコーンと名乗るのもおこがましい、ニセコーンなのだ。


 というワケで、僕のすぐ横には戦乙女もかくやといった実に麗しい姿で、ユニコーンを駆る美少女桜ちゃんがいる。

 艶やかな長い黒髪をなびかせて、颯爽とユニコーンを操る凛々しい横顔を見ていると……なんだろう、こうイライラした気持ちが。人の苦労も知らないで、これが当然みたいなすまし顔で乗り回しやがって。

 実際、桜ちゃんのニセコーンは特別扱いだ。

 念のためにみんなの分の騎乗用モンスターを出せるよう、ラプターの用意だけはしておいたが、これに異を唱えたのが桜ちゃんである。

 曰く、乗馬経験があるので、乗るなら馬が良いとのこと。試しに馬に近い鹿型のジャージャに乗せて見れば、なかなか見事な手綱さばきで操ってみせたので、じゃあこれでいいじゃんと言ったら、もっとちゃんとした馬を寄越せとワガママが始まり————苦労の果てに完成したのがこのニセコーンなのだ。

 でも走行性能と騎乗者の安定性、といった『乗って走る』ことに関しては乗馬経験者である桜ちゃんのアドバイスという名のケチによって、かなりの仕上がりとなっている。モンスタークレーマー級の顧客を相手に、納得させるだけの仕事を果たした僕は、また一つ職人としての腕を上げたような気がする……二度と受けるか、こんなクソ注文。

「桃川、どれくらいで合流できそうなのですか」

「この森、かなりの広さがあるようだから、走っても結構かかりそうだよ」

 偵察に出したレム鳥によって、この妖精の森のおおよその広さは把握できているが、タワーのフロアというより、最早立派なダンジョンのエリアと言っても過言ではない広大さを誇っている。

 メイちゃん含めて他のメンバーは散り散りで、計ったように分散してしまった。ただすでに僕と桜ちゃんのように、合流して二人になれたコンビもいるのが幸いだ。こんな場所で単独行動となっても安心なのは、メイちゃんと天道君だけだし。

「ならば、もう少し飛ばして行きましょう」

「その方がいいね。この先の地形は、やっぱり整地されたように綺麗だから、走りやすくて————」

 と、言いかけた瞬間に、僕は慌てて口を閉じた。

 直後、大きくアルファが躍動————その足元に輝く光弾が炸裂し、土の飛沫を撒き散らした。

「————ちいっ、敵襲だ」

「撃たれたということは、人形兵ですか」

 森の木々に紛れて、ブラスターを携えた魔導人形オートボットが続々と姿を現し始めた。

 レム鳥を飛ばしてはいたものの、やはり森の木々によってかなり視界が遮られる。意図的に身を潜めて動かれれば、森の中なら簡単に見つからずに移動できるだろう。流石に、それくらいの動きは人形でもできるということか。

「うっ、これはちょっとまずいかも……」

 下手なボスモンスターをけしかけられるよりも、銃の威力と射程を誇るブラスターで撃たれる方が、この状況ではよろしくない。

 こちらは騎乗して走っている最中だ。速さに任せて振り切るにしても、それなりに数が揃って撃ちかけて来るボット部隊を相手には、流石に被弾は免れない————

「うわぁっ!?」

 思った傍から、ついにアルファが直撃を喰らう。

 ただのブラスターなら一発二発当たったところで、痛覚の存在しない屍人形は何ともないが、流石に足の肉を抉られるほどのダメージを負えば、走行に支障がでる。

 ヤバい、アルファの体勢が崩れたせいで、乗ってた僕の体が放り出される。

 フワっとした嫌な浮遊感を味わい、僕は慌てて次の瞬間に襲い来るだろう衝撃に備えたが、

「————まったく、手間がかかりますね。しっかりしなさい、桃川」

「おお、桜ちゃん」

 僕の体が宙に投げ出されたその瞬間に、並走して来た桜ちゃんがキャッチしてくれたのだ。

 もしかしてこのままリリースされるのでは、と一抹の疑惑が脳裏を過ったが、そのままニセコーンの鞍まで引き上げてくれた。

「助かったよ、ありがとね」

「呑気に言ってる場合ではないでしょう。ほら、手綱を預けますので、しっかり走らせてください」

「えっ、桜ちゃんはどうすんの?」

「迎撃します————はぁ、こんなことになるのなら、もう少し流鏑馬も修めておけば良かったです」

 などと溜息を吐きながら、桜ちゃんはその場で素早く体を反転させ、後ろ向きに鞍へと跨った。一方の僕は手綱を握って、ちょうど今の桜ちゃんとは背中合わせの状態。

 ああ、なるほど。これはアレか、片方が運転手で、もう片方がガンナーをやる、戦闘車両の体勢か。

 僕が彼女の意図を納得すると同時に、桜ちゃんはちょっと久しぶりに見る『聖女の和弓』を構えていた。

「そのまま真っ直ぐ走らせなさい。この程度の攻撃は私の『聖天結界オラクルフィールド』で全て防げます」

「ひゃっほう、コイツぁ無敵のスター状態だぜぇ!」

「全く、すぐ調子に乗るのですから————『光砲ルクスブラスト』っ!」

 そうして光の結界に守られた無敵状態で、桜ちゃんの一方的な反撃が始まった。




「————エアクッションを使え! エアクッションを使うんだっ!!」

「よ、よし、エアクッションだな……」

 鋭い小太郎の叫びに応じて、リライトはすぐさまポーチを漁って目当てのマジックアイテムを取り出した。

 この緑に輝くビー玉のような『エアクッション』を使えば、どんな高さから落下しても無事に着地できるということは、すでに訓練で証明されている。使い方も魔力をほんの少し流し込むだけの簡単仕様。

 すでに半分以上も床が消えかかり、底の見えない奈落が覗いているが、伊達にリライトもピンチの数々を乗り越えてきてはいない。至って冷静に、落ちた後の準備と心構えができたところで、

「————ああっ!?」

 手が滑ったのか、足が滑ったのか、どちらの理由かは些細なこと。

 エアクッションを落とした。

 単純にして致命的なミスをリライトはこの瞬間に冒してしまった。

「あ、あっ……あぁあああああああああああああああ!」

 本気で焦った叫びを上げながら、落ちた拍子に床を転がりゆくエアクッションを追いかけようとした矢先に、すでに消失した床からエアクッションは落下していった。

「お、落とすかぁ!? このタインミングで落とすか普通よぉ!!」

 涙目で叫びながら両手をあわあわさせるが、すでにエアクッションは奈落の底へと落ちてとっくに見失ってしまった。慌てて飛び降りて、回収できる可能性は万に一つも見えなかった。

「どうすんだよコレぇ!?」

 縋るような目で小太郎の方を見やれば、そこにはすでに、頼れる小さな姿はなかった。

 覚悟を決めた表情で、すでに虚空へと身を躍らせている小太郎を見れば、とても助けてくれなどと声をかけられないし、流石の呪術師も仲間のアホな不始末の尻ぬぐいができるとも思えなかった。

「ちっ、ちくしょぉおおおおおおおおおおおおおお!」

 そうして、誰に助けを求めることもできないまま、リライトはいよいよ足元の床が消え去り、宙へと生身一つで放り出された。

 自分は『精霊術士』。小太郎が言うところの純粋な魔術師クラスであり、なんら身体能力のボーナスなど得られない。これで超人的な体力を獲得できる前衛職であれば、最悪生身で地面に叩きつけられても、無事でいられる可能性は十分にある。

 だが自分にはその可能性は全くない。今もバスケ部仕込みの筋トレを欠かさず頑張っているが、それだけで何百メートルあるか分からん自然落下に耐えられる筋肉が得られているとは欠片も思わなかった。

「やるしか……やるしかねぇ……頼むぞ風の精霊!」

 やはり、最後に頼れるのは精霊の力のみ。

 エアクッションは当たり前だが風属性のマジックアイテムだ。練習で実際に使ったことがあるので、どのような感じで風圧を発生させていたか、おおよその感覚も覚えている。

 ぶっつけ本番。死なない程度に落下速度を減少させることさえ出来ればいい。そう覚悟を決めて、風の精霊の力が宿る魔法武器『烈風カマキリ丸』の柄に手をかけた、その時であった。

「キュェエエエエエエエエエエエエエエエエエ!」

 甲高い鳴き声を響かせて、リライトの頭上から小さな影が迫る。

 そこには、小さいながらも翼を目いっぱいに広げて滑空する、青いドラゴンの姿があった。

「アオイッ!」

 まだまだ小さく幼い、一人で獲物を狩ることもままならない幼竜アオイ。しかしどんなに小さくとも、我こそは天空の覇者たる飛竜と言わんばかりの鋭い急降下でリライトに追いつき、両脚を伸ばし制服の襟首をガッシリと爪を立てて掴んだ。

「キュエッ! キョワァアアアアアアアアアアアアッ!!」

 そうして、今にも千切れそうなほどに、その両翼を必死になって羽ばたかせた。

 儚い抵抗だ。けれど、それでも確かに、リライトにかかっていた重力加速度が緩まる。

「やめろアオイ、無茶すんじゃねぇ! 今のお前に、俺を持ちあげるだけの力はねぇって!」

「キョォオアアアアアアアアッ!!」

 リライトの叫びに反抗するように、アオイは吠える。

 人と竜。たとえ言葉は通じなくとも、その思いが痛いほどに伝わる。

 アオイは今、この自分を、こんな自分を助けるために、無茶を承知で頑張っているのだ。

「ダメなご主人様ですまねぇ……けど、一緒にやるだけやってやるぜっ!」

 そうして僅かながら落下速度が鈍る中で、今度こそリライトは風の剣の柄を握った。




「————痛ってぇ!」

 ドン、と尻から地面に打った衝撃で、リライトはしばし情けないうめき声を上げていた。

「キョワッ、クエェー」

 うんうんと痛みに悶えるご主人様の頭上で、アオイが飛び回っている。

 すでにリライトという限界重量を抱えて飛んだ苦しさは喉元過ぎたようで、元気にパタパタと羽ばたく。

「マジで助かったぜ、ありがとなアオイ」

「キョワァーッ!」

 アオイと風の精霊の頑張りによって、命綱のマジックアイテムを落とす、という大失態をどうにかフォローできたリライトである。

「あっ、そういえばベニヲとコユキはっ!?」

「ナァーン」

「ワォオーン!」

 呑気な子猫の鳴き声が、すぐ傍の樹上から。犬の鳴き声が茂みの向こうから響いてくる。

 どうやら、高いところから落っこちてあたふたしていたのは、脆弱な人間のご主人様だけだったようだ。

「良かった、みんな無事だな」

 しかしながら、クラスメイトとははぐれてしまったことに、すぐにリライトも気づく。

「落とされたら、また森の中かよ」

 この異世界へやって来た時とまるで同じ状況だ。

 もっとも、今回はどこぞへ飛ばされたワケではなく、ただ上から落ちて来ただけのことであるが。そして何より、頼れる仲間が今の自分にはいる。


 ギギギギ……ギチギチギチ……


 と、その瞬間に怖気を掻き立てる不吉な音が響く。

 どこか無機質な音は鳴き声なのか。あるいは、硬質な物がすり合う音か。

 キシキシ、ギシギシ、と音を立てながら大きな影が、茂みを踏みつぶし、木々を押し退ける様にしてリライトの前へと姿を現す。

 それは、巨大なサソリ。

「も、もしかしてコイツ……」

 黒々とした金属質な甲殻に、毒々しい紫色の文様が走る。しなる長い尾の先にあるのは、鮮血に濡れたような大きく鋭い真紅の毒針。威嚇するように、巨大な両の鋏をガキンと嚙み合わせながら、リライトへとにじり寄る。

「デスストーカーってヤツか!?」

第357話 妖精の森(4)

「も、もしかしてコイツ……デスストーカーってヤツか!?」

 初めて見るモンスターだが、デカいサソリという分かりやすい姿から、俺はすぐにそう察した。何より、コイツのヤバさを桃川から聞いていたからな。

 砂漠エリアのボスで、超強力な毒を持つヤベー奴。そもそも毒なくても、このデカさに分厚い甲殻、おまけに巨大な鋏という武器まで持っているのだから、弱い要素がどこにもない。

 天道が倒して素材を持って来てくれたことがあるだとか、どうやってか知らんが横道もコイツを倒したらしい、と桃川は言っていた。今の俺達ならば、パーティで組めば決して倒せない相手ではないが、どうしても素材が入用でもない限りは、安易に戦うことは許可できない危険なボスだとも。

 でもよ桃川、俺は別にサソリ素材が欲しいワケでも何でもないんだが、向こうの方から絡まれた時はどうすんだよ……

「シュルルル、シャァアアアア!」

 なんか蜘蛛みたいな横に開くタイプの凶悪デザインの顎をギチギチさせながら、明らかに猛毒だろっていう紫色の涎を垂らして俺を睨む巨大サソリ。その昆虫染みた無機質な複眼からは、純粋な殺意だけが放たれているように感じてならない。

 オレ、オマエ、コロス。あっ、コイツ話が通じないタイプだな。と直感的に理解できてしまう。

「グルルルルゥ……ワンワン!」

 デスストーカーの威圧感に完全にビビってしまったところに、俺を庇うように前へと出たベニヲが強く吠える。

「ゴシュジン、ボクガ、マモル! ウォオオオオオン!!」

「ベニヲ、お前……」

 そうだ、俺にはコイツらがついているじゃないか。デカいサソリにビビって固まっている場合じゃねぇ!

「よ、よし、やってやるぜ……おいベニヲ、お前はちょっと下がれ。相手は毒持ちのヤベー奴だ、不用意に飛び込むなよ」

「デモ、ゴシュジン」

「心配すんな、ちゃんとお前の出番はあるからよ」

 言いながら、恐怖と緊張で汗が滲んだ掌を鞄に突っ込んで中を漁る。

 キナコがいなくなっちまった現状、俺が最も頼れる仲間はベニヲだ。何せ『霊獣化』ができる。

 けれど、霊獣は俺にとっても、みんなにとっても切り札である。

 化け物となった横道と戦った時も、ゴーマ王国でザガンが復活してきた時も、ここぞという土壇場で霊獣という切り札を出せたからこそ、あの窮地を切り抜けることができた。

 そして何より、そんな大事な切り札である霊獣を使うタイミングは、桃川は俺に任せると言ってくれたのだ。今までもそうだった。だから今回も俺に託すと、土壇場の大ピンチで俺の判断を信じると。

 今まで上手くいったのは、きっとただの偶然。運が良かっただけで、一番頑張ったのは実際に霊獣化して戦ったキナコとベニヲなんだ。俺はただ、アイツらを信じて魔力を振り絞るだけの電池役に過ぎない。決して、俺が状況判断やら、窮地で天才的な機転を利かせるだとか、そんな優れた能力があったからではない。

 本当は、霊獣化を使うタイミングだって、桃川が決めて欲しかった。アイツの言うことなら信じられるから。命を賭けられるから。

 けれど、そんなアイツが俺に任せると言ったのなら————やるぜ、俺は。

「だからよぉ、ただのボスでしかねぇお前なんぞに、切り札なんか切ってやれるかっ!」

 この力は自分のピンチを助けるためのものじゃねぇ。みんなのピンチを救う時のための力なんだ。

 ドス黒い腹の中を曝け出した小鳥遊小鳥を倒そうってんだ。絶対にこんなところで、霊獣の力をつぎ込んだりはしない。

「頼む、来てくれっ————ゴーレム召喚っ!!」

 そうして俺は祈るような叫びを上げて、鞄から取り出した二つの光石を投げる。

 握り込んだ光石はピンポン玉サイズで、それぞれ淡い水色と濃いオレンジに薄っすらと輝きを発している。

 コイツはただの光石じゃねぇ。結局、あんまり中級以上の精霊召喚魔法が上手くできなかった俺のために、桃川が用意してくれた召喚用光石なのだ。

 水色の方が、委員長が氷属性の魔力を込めて強化した光石。

 オレンジの方は蘭堂が、同じように土属性魔力を込めたものだ。

 どちらも原石と比べて内包する魔力は大きく上昇しており、さらには桃川が召喚術の魔法陣と、後なんか呪印だかいうのも刻み込んである。

 魔法の呪文だとか術式だとか、そういうのがマジでさっぱり理解できない俺でも、とりあえず魔力を込めて使えば召喚術そのものは100%成功する、正に初心者救済用アイテムだ。

 そう、召喚そのものは絶対に成功するのだが……果たして、魔力に見合った強さの精霊が現れるかどうか。そこからは完全に博打となってしまう。

 だから俺は祈る。どうか、中級以上でお願いしますと。

「グゴゴゴゴ!」

「コォオオオオ……」

 果たして、投げた光石が弾けて描き出された召喚陣から現れたのは、二つの大きな人影。

 一方は荒々しい岩塊で、もう一方は透き通った氷で、そのずんぐりした人型の体を形成している。

「よっしゃあ、中級精霊ハイエレメンタルのゴーレムだっ!」

 このデカさと魔力の気配は、間違いなく中級。満足に中級精霊ハイエレメンタルを呼び出せない俺からすれば、十分すぎるほどのアタリである。

 二個使って、片方が中級になればいいやくらいの気持ちだったが、両方とも当たるとは。

「来てる、これは確実に来てるぜ! 行けぇ、アイス&ロックゴーレム! サソリ野郎をぶっ飛ばせ!!」

 俺の指示を受けて、二体のゴーレムは唸りを上げてデスストーカーへと突進してゆく。

 ヤツの猛毒は強力だが、そもそも生物ではないゴーレムには効果がない。デスストーカーの毒は神経毒だから、桃川の『腐り沼』のように強烈な酸で溶かすような性質はないのだ。

 それに万が一、何かしらの効果があったとしても、痛みを感じないゴーレムは止まらず戦い続け、そこに籠められた魔力がある限りは精霊が顕現し続けてくれる。ゴーレムがやられても、それを構成している精霊が死ぬとか消滅するとか、全くそういうことはないので、倒される前提で戦わせるのには何も気にする必要がないのだ。

 人間でも動物でも、怪我をすれば一大事。たとえベニヲが霊獣になったとしても、おいそれと危険は冒せない。

 桃川が召喚術のスケルトンやハイゾンビを多用する気持ちが、今の俺には良く分かる。負傷も死亡も気にすることなく、敵を食い止められる捨て駒がいるからこそ、仲間を危険に晒さずに済むのだ。

「グゴゴォオオオオ!」

「コォアアアアアア!」

 正に岩そのものである硬い拳を振り上げたロックゴーレムが右から。

 全身から冷気を噴き出して、タックルするように肩から突っ込んでいくアイスゴーレムは左から。

 それぞれがデスストーカーへと勇ましく立ち向かい、


 メキメキメキ、バキィ! グシャァアアアアアアアアアッ!!


 などと、ド派手な音を立てて砕け散った。

「……えっ」

 デスストーカーが振るった両の鋏には、それぞれアイス&ロックゴーレムが挟まれている。いや、挟まれていた、と言うべきだよな。

 突っ込んで来たゴーレム二体に対して、デスストーカーは目にも留まらぬ俊敏さでその大きく凶悪な鋏を動かし、その胴体を見事に挟み込んだ。

 そして次の瞬間、野太いゴーレムの胴体をバッキバキにへし折った。

「ギシャァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 勝ち誇るように両手の鋏を大きく振り上げて、デスストーカーが雄叫びを上げる。

 ガキン、ガキン! と硬質な音を立てる鋏からは、それぞれ砕け散った岩と氷の破片が舞い散っている。

 胴体を大鋏によってあっけなく粉砕、両断されたゴーレムは、どちらも形態維持の限界を迎えてキラキラ輝く微精霊となって儚く消え去って行くのだった。

「……ゴシュジン」

 クゥーン、と耳と尻尾を垂らして、物凄く気を使ったような声音でベニヲが俺を呼んだ。

「ふっ、ベニヲ、こうなったからには仕方がない。最終手段を使う」

「ゴ、ゴシュジン! ボク、ガンバル!!」

「よし、ベニヲ————逃げるぞっ!!」

 勝てるか、こんな化け物。

 俺は桃川印の閃光玉と煙玉を投げつけて、一目散に駆け出した。




「————『光砲ルクスブラスト』!」

 馬上から放たれた光の奔流が、ブラスターを撃ちかけながら並走してきた敵の騎兵を吹き飛ばす。

「キリがありませんね、これは」

 そんなことをぼやきながらも、桜ちゃんは『聖女の和弓』に何本もまとめて番えた光の矢を一挙に解き放つ。

 本来はただの光属性の下級攻撃魔法『光矢ルクス・サギタ』でしかないが、なんだかんだで『聖女』としてレベルアップはしているらしい彼女が使えば、単純な威力の上昇に精度、射程の向上に加え、複数同時発射も可能とする。

 そしてさらに、放たれた光の矢はそれぞれ別の軌道をとって、宙に弧を描きながらターゲットへと飛んで行く。一本ずつ、誘導性能も付与できるようだ。

 狙い違わず、放たれた光の矢はロックオンしていた敵を射抜くが————森の奥から、次々と増援が現れて来る。

「ボスが出てこないだけ、マシだと思うしかないね————行けっ、ハイゾンビ」

 相棒が桜ちゃんなのは大いに不安が残る編成だ。この相性最悪コンビで、ボスモンスターになんぞ挑みたくはない。

 桜ちゃんから騎手として手綱を与った僕だけれど、そもそも跨っているニセコーンは野生の馬ではなくレムである。別に意識的に操作などしなくても、お任せしていれば勝手にいい感じで走って避けてくれるのだ。

 というワケで、僕は『愚者の杖』を握りしめて前方の攻撃担当。

 こちらの進路を遮るように回り込もうとしていた奴へ、ハイゾンビをけしかけてやる。

 今のところ襲ってくる敵はブラスター装備の魔導人形オートボットのみ。

 ただ馬に乗って逃げる僕らを追撃するためか、先ほどからラプターに跨った騎兵仕様の奴らもゾロゾロと現れるようになった。

 進んだ魔法文明をお持ちのアルビオンなら、乗り物なんて幾らでもあるだろうに、わざわざラプターに乗せているのは小鳥遊の手持ちにはないからだろう。SFチックなホバーバイクにでも乗って来てくれれば、喜んで奪い取れたのに。

 ともかく、苦肉の策と思われるボットのラプター騎兵に対しては、ハイゾンビ一体突っ込ませるだけで、簡単に無力化できる。ラプターの足でも、乗っているボットにでも、どっちかに筋骨たくましいハイゾンビがぶち当たれば、落馬は避けられないのだから。

 そうして、けしかけたハイゾンビによって無様にラプターの背から転げ落ちたボットを、ニセコーンは容赦なく撥ね飛ばし、先へと進んで行く。


 ウォオオオオオオオオオオオオオオン!


「桃川、ケルベロスが来ましたよ」

「ちいっ、とうとうボスのお出ましか」

 けたたましい三重の咆哮を上げて、後方から赤い毛並みの巨躯が猛追してくる。

 ボット騎兵と連携を取れているわけではないのだろう。自分の駆ける進路にいる邪魔な奴らを容赦なく撥ね飛ばしながら、僕らの方へと迫って来る。

 ケルベロスは結構な大きさを誇る。いくら『聖天結界オラクルフィールド』に守られているとはいえ、あの前脚でぶん殴られれば、それだけで馬ごと吹っ飛ばされそうだ。

 こんなところで足を止めるのはまずい。かといって、桜ちゃんにメイちゃんが如く一瞬で仕留めてくれ、などとは流石に望めないね。

「僕が動きを止めるから、頭三つ撃ち抜いて」

「はぁ、こんな状況で貴方がどうやってケルベロスを止められると言うのです」

「十秒後だ。詠唱しとくなら今の内だよ」

 こういう時にいちいち疑ってくんのがホントに桜ちゃんなんだよなぁ。メイちゃんや杏子だったら、何も言わなくても察してチャンスを活かしてくれるという信頼があるけれど。

 まぁ、彼女だって戦いは素人じゃない。実際にケルベロスの動きが封じられるところを見れば、ちゃんと攻撃してくるだろう。

 頼むよ桜ちゃん、下手な野良パーティみたいにチャンスを棒に振るような真似はしないでよね。


 グルァアアアアアアアアアアアアアアッ!


 三つの頭が牙を剥き出しに吠えながら、その口腔の奥に赤く炎を輝かせる。お前の火炎放射の射程に、そろそろ入るからね。まずは炎くらい吐きかけてくるだろうことは予想できている。

 だから、仕掛けるならここだ。

 大丈夫、タインミングよく敵に落として、なんてギミックは色んなゲームで経験済み。こっちはお決まりのパターンに飽き飽きするほどだ。

「ぶっ潰せ、タンク」

 振り向きながら杖を掲げれば、ケルベロスの頭上に描かれる血色の召喚陣。

 この『召喚術士の髑髏』による召喚術は、僕もかなりお世話になっている。だからこそ、より上手く、より効果的な使い方を模索するのは当然のこと。

 そんな当たり前の試行錯誤の最中に発見した、あるいは熟練度が上がって習得したのか、どちらにせよ、僕はこれができるようになった。

 つまり、召喚陣を目に見える範囲の好きな場所に展開させられる、というテクニックだ。別に、必ずしも召喚獣を地面から生やさないといけない道理はないだろう。

 というワケで、今の僕が召喚できる最大にして最重量を誇るタンクを、ケルベロスの頭の上から呼び出してやった。

 空中に現れたタンクは、その後どうなるのか。

 決まっている。召喚された直後に、重力に引かれて落下する。

 そして、タンクの野太い足の真下に、ちょうどケルベロスが走っていて、


 ギャウゥウウウウウウウンッ!?


 悲痛な悲鳴を上げて、ケルベロスがタンクの巨躯に踏み潰された。

 ボスモンスターに相応しい巨躯を備えているが、それでもタンクの大きさと重さに圧し掛かられるのは堪えるだろう。

 想定外の重量と衝撃が加わったことで、ケルベロスの三つの頭はどれも間抜けに舌を垂らしながら、その動きを止めていた。

「————『閃光白矢ルクス・フォルティスサギタ』」

 大きな光の矢、いいや長大な馬上槍みたいな形状の上級攻撃魔法が桜ちゃんの弓から放たれる。

 流石に、ここまで大きな隙を見逃すほど素人ではない。

 見事にケルベロスの三つ首を、上級攻撃魔法の三連射で射抜き仕留めてくれた。

「よくやった、桜ちゃん。褒めて遣わす」

「いちいち人の神経を逆撫でしないと、気が済まないのですか」

「素直に褒めてあげてるのに————おっ、森を抜けるみたいだよ」

 ケルベロスの死骸を後に駆けて行けば、視界の先が大きく開けてくる。

 木々が疎らとなったと思えば、すぐにそんな林を抜けて、広々とした場所に出た。

「草原と……小高い丘になっているようですね」

「ちょっとヤだなぁ、こんなに開けていると、小鳥遊にも丸見えじゃないか」

 桜ちゃんの感想通り、青々とした草むらが広がる草原となっており、なだらかな起伏を描く小さな丘がその先に形成されている。まるでデスクトップの壁紙にでもなりそうな、多くの人が思い描く緑の丘、といった景色なのは、やはり人工的に作られた庭園だからなのだろう。

「ですが、敵は退いたようですね」

「どういうつもりだ……数に任せて襲うなら、ここの方が有利のはずなんだけど」

 ちょうど森を抜けた辺りで、ボット騎兵達の追撃がぱったりと止まった。

 彼らの行動範囲が明確に定められていて、管轄外だから出てこれないとか、そういう制約があるのだろうか。

 いや、そんな都合の悪さを小鳥遊が認めるとは思えない。

 ということは、もうアイツらみたいな雑魚に任せる必要がなくなったということか————なんて結論に思い至った時だ。


 オォオオオオオオオオオオオオ……


 腹の底から響くような、いいや、事実ここまで大地を揺るがす重低音が響き渡って来る。

 大きく開けた草原の遥か向こう側。そこに、天に向かって突き立つように生えてくる巨大な塔が————

「いや、あれは、まさか……」

 大きな白い塔が、空に向けて真っ直ぐ伸びていくように見える。

 だが、その塔は左右にユラユラと揺れたかと思うと、グニャリと曲がってゆるやかな弧を描く。

 そんなのが、一、二、三、合計四本も生え出すと、広大なフロア全域に届かんばかりの咆哮を轟かせた。

「……ヤマタノオロチ」

 おい小鳥遊、ボスラッシュでレイドボス持ってくるの、反則だろうが。

第358話 妖精の森(5)

「ど、どうする……どうする……どうすんだよコレぇええええっ!」

 情けない俺の悲鳴をかき消すように、背後から不気味な唸り声が轟く。

 閃光玉と煙玉を投げつけて、急いで逃げ出した俺達だが、やはりあの程度の目くらましだけじゃあ足りないようで、今もデスストーカーに追い回されている真っ最中である。

 無我夢中に森の中を走り回っている内に、木々もまばらとなり、代わりとばかりに円柱がそこかしこ並ぶ遺跡みたいな場所に出てしまった。

 小さな祠や崩れた外壁などが広がり、砕け散った妖精さん像が至る所に転がっているのが不気味な雰囲気だが、デスストーカーが真後ろに迫っているこの状況で気にしてはいられない。

「くそっ、どっか入って避難できねぇのかよ!」

 頑丈な建物があれば逃げ込めそうだが、そんな都合のいいものは見当たらない。

 というか、デスストーカーはさっきから柱だろうが石壁だろうが、勢いのままぶち当たっては蹴散らしているので、建物に入ったところで壁を破って侵入されそうだが。

 狭い洞窟かトンネルのような場所でもなければ、逃げ込めそうもない……

「ちくしょう、やっぱり霊獣化を使うしかねぇのか」

 今まで何とか逃げ続けていられるが、このままではジリ貧だ。

 デスストーカーに遠距離攻撃がないこと。俺自身も装備したマジックアイテムのお陰で脚力とスタミナが上がっているので、長く走り続けていられること。

 それから、隙を見てベニヲが炎を噴いて攪乱することで、デスストーカーに追いつかれることなく何とか逃走できている。

 だがこのまま逃げ続けたところで、引き離せるとも思えないし、何かの拍子でこっちの足が止まったり、地形に追い詰められればお終いだ。単純にこっちが先に息切れしちまうかもしれないし。

「ゴシュジン!」

「すまねぇ、ベニヲ……結局、お前に頼っちまうな」

 並走してきたベニヲも、やっぱ俺と同じ考えに行きついたのだろう。覚悟を秘めた力強い眼差しで、俺を見上げて来る。

 まったく、あんな啖呵を切ったのに結局このザマとは、情けないといったらないぜ。

 せめて、後に支障が出ないよう霊獣化の時間は出来るだけ短く————

「葉山君、こっち!」

 その時、鋭い呼び声と共に、すぐ背後で爆発が巻き起こる。

 どうやら、背後に迫るデスストーカーに攻撃を与えたようだ。

「その声は、夏川かっ!」

「そのまま走って、こっちに来て!」

 瓦礫の山の上に立った夏川は、その手に何本もの投げナイフを握りながら俺を呼んでいた。

「夏川、お前だけか? 大丈夫なのかよ」

「いいから、このままあそこまで走って。アイツをそこまで誘導して!」

「なるほど……了解だぜ!」

 悠長に説明している暇はない、とばかりの口ぶりの夏川だったが、俺も『精霊術士』の端くれ。お前の作戦、しっかりと意図は察したぜ。

「ベニヲ、俺に合わせてくれよ」

「ワンワン!」

 夏川の示した方向に、俺はベニヲと共に駆け込んでいく。

 一方の夏川は、投げナイフ、といっても命中したら爆発する火属性のナイフを使って、デスストーカーの注意を引きつけている。

『盗賊』はイメージ通りに素早い脚力を持っている。速さだけなら、クラスの中でもピカ一。流石、陸上部のエースは伊達じゃねぇ。というワケで、アイツの逃げ足の心配はしなくていい。

 俺に代わって上手くデスストーカーを引き付けて、目的地まで誘導するのだろう。

「よし、この辺だな」

 大きく開けた、元から広場だったような場所である。綺麗な石畳はすっかり荒れ果て、ゴロゴロと石が転がるせいで足場は良くないが、見通しは良い。

「夏川ぁ!」

「ここで止めるよ!」

 デスストーカーを引き連れて、すぐに広場へ夏川が駆け込んでくる。

 妖精広場の噴水跡だろうか。崩れた円形の噴水らしき残骸が残る辺りで、夏川はデスストーカーと切り結んだ。

 奴の両手の大鋏が、左右に薙ぎ払われる。ゴーレムを一撃で粉砕したのだから、小柄な夏川がちょっとでも当たればただじゃ済まないだろう。

 さらにデスストーカーは、こちらが本命とばかりに尾の毒針を凄まじい速度で繰り出す。ヒュンヒュンと音を響かせて、目にも留まらぬ速さの連続突き。

「やぁっ!」

 しかし、夏川は一撃必殺の毒針の猛攻を見事に凌ぐ。両手に握ったやたら凶悪なデザインのナイフを振るい、槍の穂先みたいにデカい毒針を弾く。

 同時に、鋏の薙ぎ払い攻撃も危なげなく軽やかなステップで回避。その舞うような立ち回りに、接近戦能力が皆無な俺は少しばかり嫉妬しちまう。俺もあんな風にカッコよく武器を握って戦いたかったぜ。

 けど、今は自分にできることをやるしかねぇ。

「夏川、足止めする! 上手く離れてくれよ!」

「お願い!」

 夏川が返事と共に、毒針を強く弾く。その直後に大きく後ろ————ではなく、前へと飛び込む。

「『回天双烈アクセルブレイザー』っ!」

 夏川が駒のように高速回転しながら、デスストーカーのゴツい背中を駆け上るように飛び越えていく。回転する体は横向きになっていて、突き出した両手のナイフによって丸鋸のような斬撃を見舞う。

 ギャリギャリと激しい金属音と火花を上げて、デスストーカーの黒と紫の甲殻に、一筋の傷を刻み付けて行った。

 なんだその技。超カッコいいんだが……

「葉山君!」

「今だベニヲ!」

 夏川の回転攻撃に見惚れそうになった俺は、慌てて魔法を発動。さっきのリベンジだ、しっかり決めるぜ。

「ゴレーム召喚!」

 両手を突き出して叫べば、デスストーカーの足元に青とオレンジの召喚陣が輝く。召喚用光石は、すでにあの場所に落として来たのだ。

「グゴゴゴォ」

「コォオオ……」

 二度目の召喚となったロック&アイスゴーレムは、一度目の時よりも小さい。中級には届かないサイズ感だ。

 けれど、出て来てくれればそれで十分。

 二体のゴーレムはすぐ脇に蠢くデスストーカーの脚へと、タックルするように取り付いた。

 唸りを上げるデスストーカーは、強烈な一撃をくれた夏川か、それとも足元から湧いた新手か、どちらを先に狙うか一瞬迷うような素振りを見せる。

 このタイミングで獲物に迷うのは致命的だぜ。

「ワオォオオオオオオオオオオオオン!」

 高らかな遠吠えと共に、ベニヲの口から轟々と激しい火炎放射が噴き出される。

 人間が浴びれば一発で消し炭になりそうな炎であるが、デスストーカーにとっては多少の目くらましにしかならない。けれど、今はその目くらましだけで十分だ。


 ギシャァアアアアアアアアアアアアアア!


 苛立つような声を上げながら、デスストーカーは鋏と尾を振り回す。

 偶然か狙ってのことか、鋏が再びゴーレムを捕らえたところで、

「どっせぇえええええええええええい!!」

 隕石が降って来たような一撃が、デスストーカーを粉砕した。




「いやぁ、マジ助かったぜ! ありがとな、夏川、蘭堂!」

「ふぅー、何とかなって良かったよ」

「葉山ぁ、やっぱお前は危なっかしいんだよな」

 バッチリ作戦がハマって、蘭堂の必殺土魔法『土星砲』をクリティカルヒットさせて見事にデスストーカーの討伐に成功した後、俺達は再会を喜び合う。

「よく俺が追っかけられてるとこが分かったな」

「お前さぁ、絶対、小太郎から渡されたテントウのこと忘れてんだろ」

「テン……トウ……?」

 なんだっけ。そういえば、桃川はみんなに色々配っていたような気がするけど、それっていつものことだし、小さいとあんま記憶に残らないっていうか————

「あっ、そういえばなんか小さいテントウムシみたいなレムを貰った気がする!」

「にはは、やっぱりそんなことだろうと思ったよ」

 カラカラと笑う夏川の傍を、羽を広げた黒いテントウムシがピューンと飛び回る。

 そうだ、このテントウレムがいることで、もしもはぐれてしまってもお互いの位置が分かる&案内できるように、という目的で配られたんだった。

 それじゃあ、俺が貰ったテントウレムは、

「あれ、たしかポケットに入れっぱなしだった気がするんだが……」

 見当たらない、というか何も入ってないな。間違っても中で砕けて壊れてしまった、ということでもないようだ。

 マジで何もない。失くした? いやでも、どっか置き忘れてもレムだから自分で動いてついてきてくれるはずなんだが。

「ゴシュジン……コユキ」

「えっ、ベニヲ、もしかして」

「コユキ、コワシタ」

 なるほどね、好奇心旺盛な子猫ちゃんの目の前で、これ見よがしに羽虫がプンプン飛び回っていたら、そりゃあ手が出るってなもんだろう。恐らく、俺が落下の衝撃で目を回している間に、案内に出てきたテントウレムを襲ったのだろう。

 いやぁ、ペットが大事なモノをそれと知らずに壊してしまうことなんて、よくあること。まったく、この悪戯好きの子猫ちゃんめ。

「こぉゆぅきぃーっ!」

「ナァーン」

 俺が恨めし気な叫びを上げると、怒られると察したコユキは素知らぬ顔で逃げて行った。

 ええい、お前、俺がデスストーカーに追われている時も、ちょっと距離を離してついて来ていただろう。最悪、俺が捕食されても、その隙に自分は逃げ出せるような絶妙な距離を!

「コユキのせいにすんなって。どうせ忘れてたんだからさ」

「それはそうだけどよぉ……ちゃんと出て来てくれりゃあ俺だって」

「そんなことより、早くみんなとの合流を目指そうよ」

 俺の釈明をバッサリと斬り捨てて、夏川が実に真っ当な意見を言う。

 確かに、今は呑気にお喋りしている場合じゃあねぇからな。

「他のみんなは近いのか?」

「結構、離れてるっぽい。ウチらから一番近かったのが葉山だったから」

「急いだ方がいいよ」

「確かに、こんなバラバラにされちまったのは、明らかに小鳥遊の罠だからな」

「ううん、それだけじゃなくて……なんだか、すごーくイヤな予感がするの」

「ソレ、盗賊の勘ってヤツ?」

「うん、そうなんだけど……さっき落とされてきたフロアみたいに、この場所全体的に感じるんだよねぇ……」

 そんな不吉な予感を夏川が申告した、ちょうどその時だ。


 オォオオオオオオオオオオオオ……


 途轍もない重低音の唸り声と共に、地震のように揺れが走る。

「うおおっ、な、なんだよ!?」

 反射的に身をかがめて、明らかな異変に叫んでしまう。

 なんだよ、と口にしはしたが、次の瞬間には本当に何だかわからんものが、いいや、理解を越えたモノが現れていた。

「なんだよ、アレ……」

 それは、白くくねった巨大な塔だ。そう、塔でなければならない。

 じゃなきゃあ、あんな、あんなデカいモンスターがいて堪るかよ。

「うっそだろオイ……ヤマタノオロチじゃねーかよアレ」

「あ、アイツが潜んでいたから、この場所全部から嫌な予感してたんだ……」

 いつも飄々とした蘭堂も、空元気でも明るく振舞える夏川も、どっちも戦慄を隠し切れないように呟いていた。

「なぁ、ヤマタノオロチって」

「ウチら全員で挑んで、なんとか倒した超デカいボスな」

「あんなのもう一回、倒せる気がしないよぉ!?」

 やはりそうか。アイツがそうなのか。

 桃川と蘭堂から、よく聞いていたダンジョン一ヤバい超巨大ボス『ヤマタノオロチ』。

 こんな遠くからでもハッキリ見えるほどの、凄まじい巨躯。何百メートルあるか分からんデカさのくせに、ニョロニョロと蛇らしい動きを見せているのが、全く現実味が湧かない。

 お前ら、よくあんなのに挑もうと思ったな。

「どうすんだよコレ」

「っていうか、アレさぁ……」

「あわわわわ、絶対私達を狙ってるよぉ!」

 デカすぎて距離感狂うが、出現した何本かの頭の内、最も俺達に近いだろう一匹が、実に蛇らしく鎌首をもたげてこっちを睨んでいた。おいおい、こんなカエルよりも小物の俺達のことなんて、無視しておいてくれよ。

「ちいっ、来るぞっ!!」

 蘭堂が黄金リボルバーを連発しながら叫んだ。

 オロチ頭は大きな口を開きながらこちらへ迫ってきている。その口の奥には、激しいスパークがバチバチと散っていて、俺達へ噛み付くよりも前に、雷をぶっ放してきそうな雰囲気満点だ。

 そういえばヤマタノオロチって、色んな属性のブレスを撃つんだっけ? 正直、何属性でもあんなデッカい口から放たれれば大砲に決まってる。直撃すれば死ぬ。即死だ。

 そして俺達のいる場所は、点々と遺跡の残骸が残る程度の開けた地形。こんな平地で、逃げ場なんてあるのかよ。

「遅れんなよ葉山ぁ、さっさと飛び込め!」

「うおおおっ、なんだよこの落とし穴!?」

「流石蘭堂さん! 一瞬で塹壕掘れたよ!」

 蘭堂がぶっ放したのはオロチに対してではなく、俺達の進行方向であったようだ。地面に着弾した土魔法によって、デカい穴を掘った。

 そう、壁ではなく、穴だ。俺達全員が入れる広さと深さの大穴に、蘭堂の言うがままに飛び込んだ次の瞬間だ。


 ズゴォオオオオオオオ————


 眩い閃光と炸裂音が頭上を通過していく。

 多分、俺も「うわぁあああああ!」とか叫んでいるんだろうけど、耳に聞こえないほどの轟音が響き渡る。

 オロチのサンダーブレスが炸裂、しているのだろう。

 どれだけの間、放射されていたのか。俺はただただベニヲ達と抱き合いながら、恐れ戦くだけ。時間間隔を失うほどに生きた心地がしなかったが、気が付けば光と音は止んでいた。

「ど、どうなった……」

 デコボコした穴の壁面をよじ登り、そっと外を伺う。

「うわっ、コレはヤベェぞ」

 さっきまで俺達が立っていた広場は、赤々と煮え滾る火山のような有様となっていた。瓦礫は吹き飛び、デスストーカーの硬く大きな死骸すらも消え去っている。

 濛々と煙る蒸気の向こう側に、口から白い煙を吐いているオロチ頭のシルエットがぼんやりと浮かび上がっていた。

「た、助かったぜ蘭堂」

「アイツのブレスは壁じゃ防げねーからな。地面に潜らなきゃ凌げねんだわ」

 これが実戦経験者の貫禄か。オロチ登場とブレス発射を察して、真っ先に穴掘っての回避に動ける蘭堂は、マジで歴戦の土魔術師だよ。所詮、俺など素人精霊術士ってことか。

「それより、ここからどうしよう。多分、まだ私達を狙ってるよ」

 そんなことは勘の鋭い夏川じゃなくてもお察しである。

 あんな怪獣と戦うなど論外。問題は、如何に逃げ切るかだが、

「おっ、何とかなりそうだぞ」

「はぁ?」

 俺に続いて上の様子を伺っていた蘭堂がお気楽な台詞を言い放つ。

 何だよ、この状況下で何とかなりそうな要素が、一体どこに、


 ズドォオオオオオオオオオオオン!


 と、新たな爆音が轟く。

 オロチの次なる攻撃が始まったのかと思いきや、

「おいおい、何だよアレ、何か飛んでね?」

「ああっ、もしかしてアレ、天道君じゃない!?」

 俺と夏川も蘭堂に続き、三人揃って穴から小動物のように顔を出して空を見上げる。

 そこには、巨大なオロチ頭の周囲を飛び交いながら、次々と火球を放つドラゴンの姿があった。

 ドン、ドンッ! と激しい爆発音を上げて、真っ赤な爆炎に包まれたオロチが怯んでいる。すげぇ、あのデカブツに攻撃が通ってるよ。

 あまりにも格の違う戦いを眺めていると、黒いドラゴンは一転、一気にこっちへと飛来してきた。

「————よう、無事かお前ら?」

「おわっぷ! 風圧強っよ!?」

 颯爽と現れた天道だったが、ガチの黒竜と化しているリベルタちゃんがバサバサとホバリングしているため、とんでもない風圧に叩きつけられて、返事をするどころじゃない。

「美波!」

「あっ、涼子ちゃん!?」

 目やら口やらに砂埃が入ってペッペッとしている間に、どうやら天道と一緒だったらしい委員長が降りて来て、夏川と感動の再会を果たしていた。

「涼子、そいつらを連れてさっさと下へ行ってろ」

「龍一、アンタ一人で、本当に大丈夫なのね?」

「アレを仕留めるなら、リベルタが本気出さなきゃならねぇからな。お前らが周りにいると邪魔になる」

「そうです、メガネは邪魔だからさっさと行くがいいですぅ」

「この駄メイドが」

「黙ってろ桃子」

 黒竜に跨る天道の後ろに、ちゃっかり座っているメイド桃子が、相変わらず委員長を煽っていた。こんな時でも言い合えるとは、流石に余裕が違うな天道組は。

「他の奴らとは下で合流しろ。派手に暴れるからな、ここら一帯はすぐ火の海になるぞ」

「分かった、頼んだぞ天道」

「ああ、お前らも死ぬんじゃねぇぞ」

 それだけ言い残して、天道は黒竜リベルタを駆って再び空へと舞い上がり、四本もの巨大な首を現わしたオロチへと立ち向かっていった————

「キュゥウウン……」

「そんな目で見るなよアオイ。お前がもう少し大きくなったら、俺も頑張ってああいうことできるようになるからさ」

第359話 狂戦士VS双剣士(1)

「剣崎流————『乱れ裂き・椿』っ!」

 輝く二刀から繰り出される連撃が、芽衣子に襲い掛かる。

 剣崎流の術理と、武技に昇華されたことによる強大な威力上昇は、無数にも思える連続斬撃の全てに及ぶ。このダンジョンでの戦いにおいては、大型の魔物やボスといったタフな相手に大きなダメージを与えるために使っていた技だったが……魔物などという化け物は存在しない元の世界において、剣術が想定する相手は常に人間だ。

 双葉芽衣子という人間を相手に放つことで、武技となった『乱れ裂き・椿』は本来の力を最大限に発揮する。

 咲き誇る花のように描き出された華麗な剣閃は、その一つ一つが明確な意図を持って放たれている。決して、美しく派手な見せるだけの技ではない。流れるような連撃は詰将棋のように一撃ごとに相手を追い込んで行く。

 その精密かつ苛烈な連撃は、蒼真悠斗でも凌ぎきるのは難しかった。女であるが故に劣るフィジカル、そして粘り強く耐えきる悠斗のスタミナに及ばず、その守りを突き崩すまで攻め切ることができなかったのが、元の世界において二人の戦いの勝敗を分けていた。

 だが『双剣士』として加護の力を得た今、そのような人間の女としての限界はとっくに超えている。

 剣崎流が理想とする、それ以上の超人的な力をもって放たれる『乱れ裂き・椿』は、完成された技として今まさに敵を襲っているが、

「ダメだ、崩れない……」

 言葉にこそ出さないが、心中ではそう認めざるを得ない。

 正に不動。芽衣子の守りは揺らがない。

「くっ、本当に全てを見切っているというのか、私の剣を!」

 そうだとしか思えない。力と速さに任せ、反応してから防いでいるだけでは決して凌ぎ切ることはできない。

 この武技を芽衣子の前で使ったことは何度かある。実戦での使用を見られてはいるが、それだけ。まして彼女は剣術の素人。深淵な剣の術理を理解するには、あまりにも知識も経験も足りてはいないはず……だが、目の前で完璧に『乱れ裂き・椿』を捌く様は、この技の全てを見切っているとしか考えられない。

「ならば————『乱れ裂き・菖蒲』」

 まだ見せていない技ならどうだ。

 命を賭けた真剣勝負の世界では、初見かどうかは大きな、あまりにも大きな差となる。タネが割れれば大したことはない。だが命を落とせば、次はないのだ。

 秘技、奥義、などと呼ばれる技には、その術を相手に知られるリスクを減らすという、情報保護の観点も含まれている。

 見ただけで読み切ることはできないと思ったが、一度見ただけでも見切って来るほどの天才だと想定するべきだ。そういう相手となれば、出し惜しみはしない。元より、底知れぬ力を発揮する狂戦士を相手に、加減する余地などどこにもありはしなかった。

「んっ」

 初めて見る技だと、芽衣子も即座に悟ったのだろう。ピクりと眉が跳ねあがると、一歩引いた。

 同じ『乱れ裂き』と名の付く連撃技は、その最中で自然に切り替えることができる。『椿』から『菖蒲』へと変わったその一太刀目で反応したのは、流石の勘の良さだと明日那も認める。

 だが、その対応が間合いの外へ一歩逃げ出すという消極策をとったことに、自身の優勢を確信した。

「ハァアアアアアアアアッ!」

 裂帛の気合と共に、さらに鋭さを増した連撃武技『菖蒲』が芽衣子を襲う。

 さらに一歩、後退する芽衣子の体には、新たに刻まれた切り傷が浮かぶ。まだまだ浅いかすり傷。だが、先よりも着実に刃がその身に届いている。

 初見の技をこれ以上は凌ぎきれないと思ったか、芽衣子はさらに大きく一歩を退く。

 ここが攻め時だ。あと数手を残す『乱れ裂き・菖蒲』を、放ち切る内に仕留めてみせると決めて、明日那は逃げる芽衣子を追って翼の羽ばたきと共に踏み込み————直後、一切の思考をすっ飛ばした反射で、その身を横へと投げ出していた。

「————『撃震』」

 長大な刀身と化した『ザガンズ・プライド』が真上から振り下ろされる。

 反撃など許さぬ連撃だった。事実、ここで大振りの武技を差し込まれるだけの隙などありはしなかった。

 だが、芽衣子は十全に力を込めた『撃震』を繰り出し、明日那がそれをなりふり構わず回避に移った結果となったのは……炸裂した『撃震』が荒れた石畳を粉砕した後になって、ようやく思考が追いついた明日那は理解する。

「あ、あの時と同じだ……」

 決闘で自分が負けたのと同じ原理だ。殺してもいないのに、勝った、と決めつけてしまった心理的な隙。

 今回は、連撃の一つでも直撃すれば殺せる、という決めつけだ。

 そう、剣崎流は人間相手の剣術。ただの人間が、達人の振るう一撃を貰って生きていられるはずがない、という前提が存在する。

 もしも明日那が逃げずに『乱れ裂き・菖蒲』を続けていれば、先に斬られていたのは芽衣子の方だ。回避も防御もせず攻めに転じた以上、この上ないクリーンヒットを許す。

 そうなれば、哀れ反撃に転じた体勢のまま体は上下に泣き別れ。普通の人間なら、そうなる。

 しかし、双葉芽衣子は『狂戦士』である。本当に、その一撃で止まるのか。殺せるのか。

 否。絶対に否だ。

 重大なダメージは与えられる。芽衣子も無事では済まない。だがしかし、殺せない。殺し切れない。死んでいないから、止まらない。

 芽衣子が攻撃に転じるその瞬間に、明日那は幼少より修業を重ねた上に、ダンジョン攻略という実戦を通して大きく成長した剣士としての勘によって、反射的に動くことができた。

 普通だったらこれで勝ったと思って振るったはずの剣を止めて、回避を選ぶことができたのだ。

 一撃で死んでくれない人間、という想定外が、剣崎流の術理を覆したのだった。

「『破断』っ!」

「くっ!?」

 肉を切らせて骨を断つ芽衣子の反撃を辛くも逃れた明日那であったが、当然、その一撃だけで終わるはずがない。

 無理に回避をしたせいで、すでに武技は打ち止め。自分が二の太刀を振るうよりも先に、芽衣子の次なる武技が飛んでくる。

 攻撃どころではない。体勢が悪かった。翼の制動力があるから、構えをとったまま何とか立っていることができているといった状態。

「まずい、コイツの武技をまともに受ければ————」

 押し切られる。力では、狂戦士には絶対に敵わない。

 あの決闘の敗北によって刻み込まれた劣等感はしかし、直後に冷静な思考で覆される。

「————いいや、今の私には『聖天結界オラクルフィールド』の守りがある!」

 無敵の光の結界が、自身をあらゆる攻撃から守ってくれるのだ。

 剣士として、あえて頼って隙など晒すまいと戒めてはいたが、今こそこの守りの力に頼る時である。

 どの道、ここでさらに無理を重ねて完全な回避を選べば、次で詰む。

 ここで芽衣子の武技を受けるしかない。ただ受けるだけではダメだ。そのままパワーで押し込まれてしまっては意味がない。

 この一撃の後に、間髪入れずに反撃を、必殺の一撃と呼べるほどの反撃を繰り出せなければ形成をひっくり返されてしまう。

 そのためには、『聖天結界オラクルフィールド』だけで受ける。そして、自らは武技を放った直後の芽衣子を斬るために構える。

「私を守ってくれ、小鳥!」

 親友を信じ抜く、その純粋な気持ちでもって自らの命を明日那は賭けた。

 両手にした『天命剣・聖鳥羽撃』は、次の一手で確実に狂戦士を斬り殺すべく大きく振り上げる。

 そうしてがら空きとなった明日那の胴体へと、横薙ぎに大きく振るわれた『破断』が襲い掛かり、


 キィイイイイイイイイイイイインッ!


 眩い光が弾ける。

 甲高い音を立てて散ってゆく青白い光の粒子と火花、そして巨人の剣が纏った真紅のオーラが交じり合い、爆発するように衝撃波の華を咲かせた。

「ぐっ、おおおぉ……」

 苦し気なうめき声を上げる明日那。途轍もない斬撃が通り過ぎてゆくのを確かに感じた。

 だが、倒れない。狂戦士の刃は、この身に届いてはいない。

聖天結界オラクルフィールド』は、見事に芽衣子の一撃を凌ぎきったのだ。

「行ける! 武技が直撃しても、この程度の衝撃で済むのなら————」

 今にも破れそうなほど結界に大きな負荷がかかっていた。だが、破れずに耐えきったという確かな結果がここに示された。

 芽衣子が放った渾身の武技を、直撃しても耐えきったというのなら、それはすなわち、もう彼女に『聖天結界オラクルフィールド』を破る手段は存在しないという、

「————『黒凪』」

 黒い斬撃が閃く。

 見たことはある。呪いの刃が、黒い魔力を纏って繰り出される武技だ。

 無論、ただ斬り付けるよりも遥かに強力な威力を発揮する、立派な武技であることは承知していたが……明日那には、シンプルな斬撃強化の『破断』との違いが分からなかった。

 恐らく、一撃の威力を高めると言う効果は同じで、武技を発動するプロセスやコストに違いがあるのだろう、と分析していた。

 だが、それは大きな間違いだということを、今この瞬間に身をもって思い知ることとなった。

「なっ、あ……結界、が……」

 攻撃を防ぐ際に散る青白い燐光は、撒き散らされた漆黒のオーラに飲まれて消えてゆく。訪れた夜の帳に、か弱い光が溶けていくかのように。

聖天結界オラクルフィールド』が、破れていた。

 芽衣子の右手に逆手で握られた呪いを宿す剣『八つ裂き・牛魔刀』は、その漆黒の一閃で横一文字に結界を黒く切り裂いた。

「ぐわぁああああああああああああああっ!」

 馬鹿な、と思うよりも前に、ついに生身へと届いた狂戦士の一撃が、明日那の体を吹き飛ばした。

 気が付けば、この闘技場染みた円形広場を囲う太い円柱に背中から激突し、半ば埋まるような状態。無様に吹き飛ばされたが、発生した衝撃を受けて勢いよく後ろに飛んだことで芽衣子の追撃から逃れたことは幸いであった。

 もっとも、今の明日那にとって良い結果はその程度のことしかなく、

「ぐううぅ……そんな、馬鹿な……き、斬られただとぉ……」

 腹部へ真横に刻まれた傷跡から、鮮血が湧き上がる。

 内蔵にまで届いてこそいないが、しなやかに鍛えられた腹筋が鋭利な断面でもって切り裂かれ、止めどない出血を強いていた。

 だが、気にするべきは致命には至っていない自身の手傷よりも、いまだ目の前で燻っている黒々とした闇だ。

「なんだコレは……結界を浸食、しているのか……?」

 神聖な光の結界を、闇色の猛毒が蝕んでいるかのようだ。

 青い白い光が破れた箇所を再び覆い尽くそうと輝きを発しているが、そこに靄のように黒いオーラが残留し、修復が遅々として進まない。結果、いまだに黒い亀裂が結界に刻まれたままとなっていた。

聖天結界オラクルフィールド』は攻撃を受けた際に光が散るように、そこに張られた魔力は消耗している。連続で攻撃を受け続ければ結界を維持する魔力は底を突き、結界は消えるということにはなるが……結界には即座に魔力が補給されるため、悠長に敵の攻撃を連続で受けることはない。

 供給される魔力が尽きない限り、結界は無限に再生される。多少の魔力を散らされたとしても、一瞬で結界は修復され、敵の攻撃は無に帰す。故に、無敵の防御結界となるのだが————今、明日那の目の前で起こっている現象は、明らかに結界の再生力を阻害していた。

「うん、『聖天結界オラクルフィールド』は無敵なんかじゃないよ」

 手傷を負い、結界が直らずに驚愕の表情を浮かべる明日那へと、呪いの刃を順手に持ち替えて、切先についた鮮血を振るい飛ばす芽衣子が声をかけた。

 その表情には無敵の結界を破ったという喜びなどはなく、起こって当然の結果を眺めるだけの平坦なものだ。

「くそっ、何故だ! どうして結界が直らない! なんなんだ、この黒い力は!」

「さぁ? 私も良く分からないけど、斬れるならそれでいいんじゃないのかな」

 可愛らしく小首を傾げながら、真紅のオーラを纏う『ザガンズ・プライド』と禍々しい闇を纏う『八つ裂き・牛魔刀』、二振りの極悪な剣を構えて、芽衣子は言い放つ。

「ふ、ふざけるな……こんな、こんなことで、私は負けたりなどしない!!」

「負けるよ。勝てるわけないじゃない」

「一太刀入れた程度で、調子に乗るなぁ!」

 腹部の出血をものともせずに、明日那はめり込んでいた柱から抜け出す。

 力んだ拍子に鮮血が傷口から吹き上がるが、まるで蛇口を絞めたかのように急速に収まる。

 明日那の腹部には淡い緑色に輝く燐光が灯っている。天使の翼に備わる回復機能が作動し、自動的に患部へと治癒魔法が施されているのだった。

 この程度の傷なら、即座に治せる。戦闘継続に何の支障もない。

「結界なんかに頼るから勝てないって、本当に分からないの?」

「なんだと」

「だって剣崎さん、剣を振るしか能がない野蛮ちゃんなんだから。剣以外のものを使おうとしたら、太刀筋が鈍るに決まってるでしょ」

 自分のことも分からないのか、と本気で呆れたような表情をした芽衣子に、明日那の怒りに火が付いた。

 この女は、昨日今日たまたま力を手に入れただけの剣術素人が、こともあろうか剣崎流を継承する自分に剣を説くのか。

 どうしようもなくプライドを刺激された明日那は、結界を破られたという不利など忘れたようにいきり立ち、奮い立った。

「双葉ぁあああああああああああああっ!!」

「ここで終わりにするよ、小太郎くん」

 交錯する、光と闇の剣戟。

 魔力の輝きを刹那の内に散らし、火花が舞い、金属の悲鳴が轟く。円形広場のど真ん中でぶつかり合う二人の周囲に、斬撃の嵐が吹き荒れる。

 その激烈な斬り合いは先の再現とはならず、

「くっ、ぐうっ!?」

 明日那は徐々に、押し込まれていく。

 すでに見切られている剣崎流の剣。天使の翼を得ても尚、凌駕しきれない身体能力。そして何より、我が身を守る結界が完璧ではないという恐怖と不安が、確かな焦りとなって明日那に圧し掛かる。

 何より、一秒毎に手傷が増えていくのは明日那の方だ。

聖天結界オラクルフィールド』はいまだ守りの力を失ってはいない。例の『黒凪』とて一撃で容易く破れるワケではない。

 だがしかし、一度でも攻撃を受けて結界が薄れた拍子に『黒凪』が叩き込まれれば、耐えきれない。そうして一度破れた箇所は、黒々とした闇の力の残滓によって補修が阻害され塞がらない。

 ズタズタとなった結界では、加速度的に激しさを増す狂戦士の猛攻を止めきれない。

 必死で剣を振るい続ける明日那だが————ついに、その均衡も崩れる時が来た。

 勝負の天秤が、ついに狂戦士へと傾いた。

「————ふんっ!」

 その瞬間、飛んで来たのは蹴り。

 互いに二刀を携えた激しい斬り合いの中、前蹴りを芽衣子はそこで差し込んだ。

 結界破りの『黒凪』を警戒しすぎたあまり、体術への対応は二の次となってしまっていた。その間隙を見抜かれて放たれた芽衣子の蹴りは、すでに切り裂かれた結界へとねじ込まれるように一挙につき込み、強引に隙間を破って明日那を襲う。

「ごふぅ————」

 たかが蹴りの一発。だが、狂戦士の蹴りだ。

 腹部に叩き込まれた衝撃は、最早蹴りというよりも鉄槌。金属の塊を叩きつけられたかのような重い一撃が炸裂し、明日那は再び地を転がった。

「ぐっ、あ……ああっ!」

 飛びかけた意識を繋ぎ留め、咄嗟に顔を跳ね上げると、そこにはすでに呪いの刃を振り上げた芽衣子の姿があった。

 致命的な隙を晒す自分を、冷徹な眼差しで見下ろしている。そこには一片の慈悲も容赦もなく、狂戦士が剣を止める理由はもうどこにも存在していなかった。

「————や、やめてくれぇ!!」

 だが、次の瞬間に振り下ろされるはずの剣は止まった。

「お願いだぁ、もうやめてくれ、双葉さん!」

「……中嶋君」

 現れたのは、中嶋陽真だった。

 下手をすれば、剣は止まることなく振り下ろされていたというのに、彼は躊躇なく全力で突っ込み、二人の間へと滑り込んでいた。

「あっ、双葉ちゃん————って、陽真くん何やってんのぉ!?」

 一拍遅れて、姫野愛莉が現れる。

 どうやら、二人一緒にここまでやって来たようだ。そして、剣崎明日那に必殺の一撃が振り下ろされようとしたその瞬間に、彼女に恋する少年は、間に合ってしまったのだった。